#大宮大勝軒
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これが世界最大という超超巨大書店を、どーんと僻地でもなんでもいいから街が作れそうな平野に作ってほしい。その超超巨大さは世界第2位を突き抜けてほしい。 政府もテコ入れし、クラウドファンディングも募り、数多ある企業も全勢力が参入してほしい。もうとにかく全力をかけて作ってほしい。 「そんなことして失敗したらどうする?!バカじゃん?!」とか考えず作ってほしい。勝算とか考えず勢いで作ってほしい。 そこには和書だけではなく洋書もある。西洋の本だけではなく中国語の本、アラビア語の本、アフリカーンス語の本、とにかく片っ端から「いやこれいらんだろ」みたいな本だったとしてもすべておく。 なんなら和書��中央ではなく洋書が中央である。日本語を中心で考えてほしくはない。言語別に存在する知の量に応じた配分をしてほしい。 客層に応じてカテゴリ分けは必要だろう。1つの書店���けでなく複数の書店が統合してもかまわない。古本屋を集めてもかまわない。 「よくわからなくても物理の本を買うなら日本のここへ行け。たぶんあるから」という状態になっていてほしい。日本の中規模以上の書店はほぼすべてここに集める。 全勢力が協力してできた超超巨大書店を中央に据えて、その周りを他の超巨大書店が取り囲む。その周りは巨大書店。その周りは中規模書店、その周りには小規模書店。 海外からも片っ端から誘致する。必要なら補助金も出す。「バカなの?」とか「さすがに海外出店は難しいです」とか一蹴されるだろうが「まあ採算とれそうだからいいよ」と言われるまで粘ってほしい。 税金をたくさん投入してもかまわない。重要なことは「そこにある」「とにかく日本のここに来たらある」「お前のやりたいことは知らんけど本がほしいなら日本のここに行け」という願いが叶う場所だ。 例外を作ればそのブランドは失われる。このブランドこそが他国が追随不可能な圧倒性を生む。先行者利益だ。バカすぎて1つ1つで見るとデメリットしかない行為が、結合すると巨大な1つのメリットを作り出す。 どこかで手を抜くと終わる。そんなことまでする必要ないんじゃないのとか、それってめちゃくちゃ損しますよねとか言われようが、究極に本を集める。 書店と書店の隙間にはさまざまなカフェが立ち並ぶ。個人で経営するカフェからチェーン店が密集する。コンビニも立ち並び、公園には読書に適したベンチがある。公園は読書に最適化されている。 その街にはどこにでも椅子が置いてある。買った本をすぐ座って読む人向けのものだ。 この街には有名人が毎日のようにやってくる。たとえば「ビル・ゲイツが本を選びに来日!」など当たり前のことになるだろう。 読書家はこの街の付近に別荘をかまえる。なんにもなかった僻地の近隣に富裕層街が誕生し、地価がとんでもなく上昇する。意味不明なおいしい話だ。 一方で本を読むことが目的でない人間には居心地が悪い空間になる。この街に存在している人間はほぼ全員本かその周辺が目的なのだ。本以外が目的の人間は異様に目立つようになり警戒される。 街の中央部分は徹底的に、本、本、本、本、本、と本が存在するのが当然の本の密集空間になっている。普通の人間が「ここまですることはないんじゃ���・・だって採算とか・・・」とドン引きするぐらいの熱量で本で溢れかえっていてほしい。 地面に敷かれたタイルには、文章が書かれている。まっすぐ歩くと偉人の言葉などがそのまま読めるようになっているのだ。たとえば「良い本は私の人生におけるイベントである。」「本の無い家は窓の無い部屋のようなものだ。」「天才とは努力する凡才のことである」などという文が永久に書かれている。有名な書の冒頭部分だったりもあるし、古典文学もあるし、文学のみならず数式も書かれていたりする。それを読むだけで日が暮れる。 この街の広告はすべて本に関するものでいっぱいだ。ほかでは絶対に見られない、読書家にだけ向けた広告が撃たれる。「こんな難しそうな本の広告ある?」というのがそこここで見つかる。 たとえばベトナム語のマンガの新刊広告なども見受けられていてほしい。 この街にあるのは紙の本ばかりではない。電子書籍派のための書店もある。他では絶対採算がとれないような形の店であっても、「読書家が毎日のように集まることが普通」の街特有の書店ができる。たとえば巨大な8Kモニタにその人へレコメンドされた電子書籍が大量に表示され、立ち読みすることができるとか。「辞書専門店」や「単語帳専門店」や「栄養学書籍専門店」などがあったりもする。そういうものを作っても不思議と利益が出るのだ。 この超超巨大書店圏内部には研究所や大学なども誘致する。どのような言語でも関係ない。化学系のカテゴリが立ち並ぶ「化学通り」のようなところには実験器具専門店も立ち並ぶ。 そういうところは、基本的には英語がメインだ。英語の下に日本語が書かれている感じ。イメージ的にはハリーポッターだろうか。ときどき「なんで化学通りにオムライス専門店がこんなにあるんだよ」などということもあるかもしれない。秋葉原や神田にカレーがたくさんあるようなものだろう。 やや込み入ったところにはマイナーな本屋がある。「なんだよこの本屋・・・」という、見るからに異国感が漂う本屋だ。謎の部族の謎言語で書かれた謎の材質の本が置いてあるなど。ネクロノミコンのような本も見つかる。 石版などもなぜかある。読書向けの椅子専門店もある。「本のためだけの椅子専門店」が生存できる場所は日本ではここしかない。 しかし、この超超巨大書店群の主目的は「本の集積」である。そこから逸れるようなことがあってはならない。何か欲をかいて「ここに企業をうんたら」などとして利益を優先するとこの街はあっという間にその意味をなくし滅びるだろう。ありとあらゆる人々が周辺の利益を求めて集ってくる。そういうのを一蹴できるような体制であってほしい。 「この街意味ないだろ。なんで作った。赤字だろ」と罵られながらも存続する街であってほしい。そして、そう罵る人も、ひとたびその街に入ると「すげえ・・・この街は地球に必要だわ・・・」とどうあがいても認めざるをえないほど感動できる街であってほしい。街自体で見ると赤字なのだが不思議と日本経済が潤う源泉である摩訶不思議都市であってほしい。完全に未来へと投資された���市である。 この街では、夜もたくさんの書店が営業している。こんな大きな本屋が24時間営業できるのはこの街しかありえないとなっていてほしい。「夜眠れないな・・・本でも買いに行くか・・・」という人外の行動を普通にするような場所であってほしい。 街の周囲には民家が立ち並ぶ。ただしこの民家に住む民間人はややおかしい。本のために移住してきた狂信者たちだ。軒先には自分の選書が並び「1冊100円」などと書かれていることも多々ある。 富豪がゴッソリ買っていくことを見越して少し離れたところに在庫置き場がある。 富豪が「ではこの棚からこっちの棚まで」などと爆買いしていく。もはやテロリストのようなものだが、そんなことは気にせずまた入荷する。本はバカみたいに売れる。 近隣の都市はこの超超巨大書店都市のおかげで経済効果がある。 この街は、「日本人なら1度は絶対行け」と呼ばれる場所になる。そしてひとたびそこに立ち入れば「世の中にはこんなに知識があったのか」「世の中はこんなに頭のいい人たちで溢れかえっていたのか」ということが、嫌でも全身の細胞に刻みつけられる。伊勢神宮みたいなものだ。それよりも神々しいかもしれない。 そして、全身の細胞で体感したその人は、格段に読書するようになるだろう。それは地元へ帰っても同じことだ。一流を目の当たりにした者は一流になる。 取次の問題も、書店が潰れかけている問題も、日本人が本を読まなくなってしまっている問題も、経済が深刻化している問題も、だいたい解決できるだろう。 誰か作ってください。 ちなみに国防にも役に立ちます。一度作ってしまえばここを潰すやつは「バカ」なので。ペンは剣よりも強し! 書店は兵器です。 追記 ジュンク堂書店など大型書店が潰れかけているのは知っている。 ただそれは、「本がたくさんあっても意味がない」のではない。逆。 大型書店であっても、本が少なすぎるのが問題である。 だいたい日本語の本というのは大して範囲が広くない。 それに「物理本を読む人が少ないから本屋が潰れちゃう」というのも逆だ。 「物理本を読みたいと思う人を増やす。そのためには本屋すべてが潰れることも辞さない」という情熱が正道である。 本というのは知の源泉である。だから知識がない人に迎合すれば、潰れるのは自然だ。知識がない側に与するのだから。 本の機能はそれとは真逆であり、全体を引っ張り上げるものである。知識がない側が「欲しい」と願える場にすべきなのだ。 ない側に媚を売っていれば潰れて当然。 「この本は今は読めないけれど、読みたいと思う」そういうものがない。 「この本は内容はちんぷんかんぷんだけど、そういう本の存在を知っている」そういうもの���ない。 ジュンク堂書店などですら、知らない人々が多い。大型書店の重要性を知覚できていない。入ったことがない人間もいる。 だからこそドカンとぶち上げるのだ。 記事を読んでくれた人へ: 記事を読んでくれたのはありがたいが、たぶん自分が考えている規模と読んだ人が考えている規模に大きな差があると思う。 自分が考えているのは、もっとも小さく考えても深圳書城中心城の数十倍の大きさであり、既存の書店をちょっとだけ大きくしたものとか、蔵書が全く同一であるような大型書店が単に10個ある街という形ではない。 コーチャンフォーつくば店は50万冊、池袋ジュンク堂書店は150万冊、深圳書城中心城は400万冊、国会図書館は4685万点。Amazon Kindleは60万点。 自分が言っているのは、数億冊あるような書店群である。つまり、コーチャンフォーやジュンク堂書店や紀伊國屋書店は超超巨大書店(世界中の意味わからんハイレベルの本から選びぬかれ集まったエリート本屋)の周辺を取り囲む「日本区域最大の超巨大書店」の周辺を取り囲む「大型書店の1つ」という状態を考えている。ブックオフなどはその周りを取り囲む中型書店になるだろう。その周りを、身近にあるご近所の本屋さんがたくさんずらーーーっと並んでいるというような領域だ。いうならばこれが日本区域である。 世界の蔵書数はGoogleによると約1.3億冊であるらしい。日本区域内に別に中国語や韓国語の本があることもある。ただし日本区域の横には韓国区域だったり中国区域だったりする。その中国区域でもばかみたいにデカい超巨大書店があり、それを取り囲むようにジュンク堂書店並の大型書店があり、英語区域では……というような状態だ。言語別に分けられているだけでなく、「数学領域」で分けられていることもあり、そこでは「高校数学」の棚に世界各国の高校数学が並ぶ。数学の参考書を買いに来た高校生が、カメルーン人の中学生と仲良くなるみたいなことも想定できるわけだ。 地方のクソデカ本屋が数百個単位で入る「は・・・?」「この街が・・・全部・・・本屋さん・・・?」という規模の書店群である。 イメージとしては↓な感じ。 まもなく目的地の駅に近付く。電車にいる人々は全員が本を読んでいる。スマホを触っている人たちなど誰もいない。不思議な光景だ。多くの人がそわそわしている。初めて来た人たちが多いのかもしれない。 電車が駅に滑り込み走って降りる人々の後ろでのんびりと降りる。全く、はしゃぎすぎだろう。 降りた直後、本の形をした案内板が表れた。真っ先に飛び込んできたのは「↑ バベル中央書店」というやたらとデカい黒文字と、その下にあるやや大きな黒文字の「↑ 北区域書店」だった。 右を向くと・・・あれは・・・本の自動販売機?! 本を自販機で販売するのか。カルピスの作り方・・・自動販売機の歴史・・・Why could he make vending machines?・・・なるほど。 床には文字が書かれている。Station, State, Statue, Status. 何のことやらわからない。 改札を出る。改札を出ると、ああ、もうこれは本のテーマパークだ。最奥部に見える巨大な塔には雲がかかっている。おそらくあれが中央書店だ。その横には数えるのもバカバカしくなるほど書店が並ぶ。街には今まで見たこともないような人々で溢れかえっていた。ベンチでは読書をしている中東とおぼしき人が中国人らしき人と何やら議論している。彼らが話しているのは何語だろうか。 デジタルサイネージで目まぐるしく本の広告が入れ替わっていく。「サウダージにさようなら」「入門グロッキング」「般若心経の終焉」 ぼうっとしているとハトが飛んできた。ここでは何やら、ハトでさえ賢く見える。予算は5万円だったが、足りるだろうか。 Amazon倉庫でもないんだって。 なんか全然伝わっていなくてものすごく悲しい。 子どものときに巨大書店や巨大図書館に人生で初めて行ったときとか、論文と大学と研究の仕組みと接したときに、知の偉大さに震えたことがないだろうか。 目に見えないものは見えないことが多い。たとえば、ライブ会場に行ったことがなければライブの偉大さは本当にはわからないし、「本当にこんなにたくさんの人がファンなのだな」ということもわからない。 記号接地問題ともいうらしいが。 いま「自分が考えるクラスの巨大な本の集積地を人類の誰もが見ていない」というのが問題であると思う。誰1人として。 そういう知がたくさんあることは存在としては知っていても、「それを見たことがある人は誰もいない」のだ。いわば、月は見えるけど、月に行ったことは誰もいないような状態だ。 神田の古本屋街や、既存の大型書店というのは、いわば地球上にある月に似たところでしかない。「たぶんこれとこれがこうなると月」というふうにしか想像できない。だが月に行かなければ月の隕石は無いのだ。 ほとんどの人は、目に見えないなら存在しないと感じてしまう。マッチングアプリで人間を左右にスワイプするとき、人間ではないように扱う。それは人間として存在しているのに。 一方、眼の前に相手がいるとき、同じように左右に指を振って弾くのは容易ではない。これが目の前にあるかないかの大きな違いである。 自分が言っているのは、そういう知の集積の偉大さが理解できなくてもとにかくそこに行けば、「ああそういうこと」「人類は偉大だったのか」と、誰もがたちどころにわかってしまう場所がほしいということである。 それから、実現の不可否はともかくとして、「え、そういう本屋あったらめっちゃいいな〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と感じてほしい。
ド田舎に世界各国の超超巨大書店が集積する都市がほしい
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2024/6/24
この世ではない何処かから生を受けてきたとすると、やはりこの世ではないどこかへ戻っていくのだろうと思う。生から歩き出し、どこかの段階���折り返し、また元の場所に戻っていく。

母と連れ合い3人で宮古島へ。
母の残りの時間を良きものにするにはと考えた結果、母と連れ合いと3人で旅行することにした。
沖縄の梅雨明けを狙って予定を組んだ。
ある種賭け的な日程になるが、その分7月8月よりは少し旅費が安い。東京は朝から土砂降りの雨なれど宮古島は快晴で賭けに勝ったと言える。
予想外だったのが太陽光が恐ろしく強かったこと。海に出ようにも母の体力ではすぐにぶっ倒れてしまう。とはいえ、あま��室内の観光はない。
宮古島に着くとすぐに宮古そばを食べて、道の駅へ。老人はとにかく買い物が好き。というかお土産物を人に買うのが好き。吟味するのも好き。旅行中に4度も道の駅やお土産物屋、スーパーに行くことになる。夜は繁華街でお酒を飲もうと店を予約していたが、母の体力切れで結局は連れ合いと2人で飲むことに。


久々にクラフトビールを飲んだ。
お腹が膨れたあとにビールを飲むのは不思議なんだけど2軒目にクラフトビールを選ぶことも多い。
最近のクラフトビールは度数が高いので、ちびちび飲めばよいのかな。



おそらくは部屋で寝てるであろう母。
薬飲むのにちょこちょこ軽食を食べる必要があるのよと言っていたが夕飯はおそらく食べていない。コンビニで沖縄っぽいおにぎりと甘いものを買い、部屋のドアノブに飲み物と共にかけておいたが結局は朝まで目を覚まさなかったそうな。
こんなんで明日明後日観光して大丈夫かいな?
と心配になりながら就寝。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)4月10日(水曜日)
通巻第8209号 <前日発行>
イエーレン訪中が意味することは何か?
過剰生産の警告は、すなわち『習近平の経済路線は間違いですよ』の暗喩
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ジャネット・イエーレン米財務長官は4月3日にワシントンを立ち、4日に広東省に到着した。何立鋒副首相等と会談し、はやくも中国の過剰生産問題に言及した。世界貿易秩序の波乱要因として懸念を表明した。
ところが中国のメディアは、イエーレンが前回訪中時にビールを飲んで、奇妙なキノコを食べていた写真を配信し、今度は何を食べたか等とへんな記事を配信していた。
訪中前の講演でもイエーレンは「世界の価格と生産パターンを歪め、米国ばかりか世界中の企業と労働者に打撃を与える」と発言している(3月27日、ジョージア��での講演)。
王文濤・商務部長は、三日後にはパリでBYD展示会にのぞみ、イエーレンの主張に対しては、「補助金の所為ではなく、中国のイノベーションの賜物であり、過剰生産と言われるのは市場メカニズムの結果である」と米側の主張に反駁した。
すでに米国は中国製EVに25%の報復関税をかけており、トランプ前大統領は、これを60%とすると唱え、またメキシコ製の中国車には100%関税をかけると訴えている。
ジョシュ・ホーリー上院議員は125%、おなじくマルコ・ルビオ上院議員は「中国車一台あたり2万ドルの追加関税をもとめる法案」をすでに議会に提出した。
この動きに応じたのか、中国のEVメーカーはタイに進出し、値下げと補助金で攻勢をかけ、日本が圧勝してきた市場を蚕食し始めた。
中国EVのタイ進出はBYDに加えて長城汽車、長安汽車、浙江吉利など、低価格帯EVや大幅値引きでタイのシェアを増やしている。
過剰生産への懸念か。なるほどマンションの過剰生産(建てすぎ)は人の住まないマンションが30億人分もある。どう処理するのだろうか?
辺境で乗客のいない新幹線も、高僧道路も造りすぎ、テーマパークもあちこちに建てて、いまはペンペン草が生えている。海外にも過剰生産の付け足しのようにBRIプロジェクトで各地にゴーストタウンを造った。
中国経済の構造的欠陥はGDPに占める個人消費がすくないため(37%、米国は65%、日本は60%)、外需に依存し、さらに海外マーケットを獲得するためにダンピングと補助金をつける歪んだ体質である。これは不公正な慣行だと米国側はみるが、米国に限らずWTO違反は明らか。日本も中国製太陽光パネルなどに100%の関税をかけてしかるべきだろう。
▼それでも「ウィンウィンでいける」と李強首相
「過剰生産」をイエーレンは重大な懸念だと繰り返し述べたが、中国側は聞く耳がなかった。北京では李強首相、劉鶴 ・前副首相らがイエーレンと会談した。中国側は米中対決というタイミングゆえに、むしろ異例の厚遇ぶりを示した。
李強首相は決められた台詞。「敵対関係ではなくパートナーであるべきだ」と歯の浮くような発言を繰り出した。
直前に中国政府は鉄鋼の減産方針を全国に通知し、過剰生産対応のジェスチャーを示したが、鉄鋼、造船、風力発電、太陽光パネル、そしてEVと、その廉価というよりダンピング輸出は世界市場を潰乱させた。
風力発電の世界シェアは中国メーカーがトップ5を独占し、「金風科技(Goldwind)」「遠景能源(Envision Energy)」「明陽智能(MingYang Smart Energy)」「運達股分(Windey)」「三一重能(Sany Heavy Energy)」の順となっている。メーカー乱立で収益は殆どないというのが業界の評判だ。
中国製太陽光パネルはトリナ・ソーラー、カナディアン・ソーラー、ジンコソーラーホールディング、JAソーラーが譲位を独占しており、世界の太陽光パネル出荷量の上位四位を寡占した。じつに世界出荷量のうち71%が中国系企業が独占した。日本列島各地を埋め尽くしたが、不評ばかり。おまけに土砂災害を引き起こした。
ついで中国製EVがEU市場を攪乱し始めたため、EU委員会は重い腰を上げて規制に乗り出す。かくしてイエーレンの警告は世界市場すべての問題なのである。
ようするに不動産関連で墜落した中国経済の補完を、EVを筆頭にクリーンエネルギー関連、バイオなどに転化しGDP成長率を堅持しようとしているのだ。
▼毛沢東の亡霊、ノルマという強迫観念が国有企業に取り憑いている
習近平の経済の理解は社会主義時代のノルマであり、強迫観念のように国有企業の宿痾、中国人の体質なのである。だから馬雲やテンセントなど欧米並みの起業家が育っても、民間企業はかならず規制され、あるいは潰される。起業家精神は大きく削がれる。だから若者は国を棄てることになる。
4月8日、訪中最終日に記者会見に応じたイエーレン財務長官は「中国政府による特定産業への補助金などの支援が原因だ」し、「米国や世界の労働者や企業に大きなリスクをもたらす」と改めて強調した。
入れ違いにセルゲイ・ラブロフ・露西亜外相が北京に到着した。ロシアは中国との戦略的パートナーシップをさらに強化するため、とラブロフは語った。
ラブロフ訪中はプーチン訪中の地ならしと言われる。
またイエーレンは習近平とは会わなかったが、おりしも訪中している馬英九・台湾元総統が4月10日に北京で習近平と会談する段取り、日米首脳会談に日程を意図的にぶつけてきた。
イエーレンは北京で潘功勝・中央銀王総裁とも会っているが、嘗てFRB議長の経験があるからだ。結局、中国は米国側に歩み寄る姿勢を示しつつ、一方でバイデン政権の半導体輸出規制にはつよく反発し、「米国の対中経済・貿易制限措置に深刻な懸念がある」とした。「米国は自由競争という資本主義原理に基づいて行動すべきである」と耳を疑うような発言もあった。
半導体は技術窃取や台湾、韓国からのエンジニアのスカウト、米国における「千人計画」などで、すでに7ナノ半導体生産の技術を獲得したと、米国のシンクタンクが報告している。
米国はこのため3ナノ、2ナノ生産工場をアリゾナ州に誘致し、台湾のTSMCに1兆円もの政府支援を行って、工場をいちどに三つ建設中である。
しかしTSMCは14ナノならびに1ナノの研究と開発ラボを台湾に集中させているため、米国は次世代半導体技術の中国への漏洩を警戒している。TSMCの熊本工場は28ナノで家電、スマホ向け需要に対応するためであり、予定されている熊本第二工場とて、7ナノにとどめる。
日本がIBM支援のもと、官民挙げていどむラピダスは、北海道千歳で2027年に2ナノ半導体生産を予定している。
▼中国の大手不動産会社、デフォルト続く
さて不動産デベロッパーが倒産しているのに倒産しないという「ゾンビ軍団」はその後、どうなっているのか。
地方銀行、中小銀行の不良債権を肥大化させ、こんどは銀行の経営危機を招来させている。哈爾浜銀行は不良債権率が44%増えた。遼寧省の地銀、錦州銀行は上場廃止、江西省九江銀行は不良債権が三倍ちかくに膨らんだ。甘粛銀行は2・7倍、貴州銀行は五割近く不良債権を増やしていた。
準大手以下の27行の不良債権合計は2兆2300億円と今のところ軽いレベルだと言い張っているが、不動産大手のデフォルト処理が進んでおらず、とくに外貨建て債券が軒並みパンク、不動産不況の実態は、24兆円が不良債権だろうと推計される(それでも少なすぎるが、いずれ別稿で触れたい)。
中国最大のデベロッパー「碧桂園」も、ついに23年10月にドル建て債権99億ドルをデフォルト、第二位だった恒大集団の破産はいうに及ばず、世茂集団は二年前の米ドル債10億ドルのデフォルト、ドイツ銀行などが香港高等裁判所に法手続きを申請した。
このほか、大手の万科、華潤、融創、遠洋などが業績不振に陥っている。それぞまさしく供給過剰(生産過剰)の悪例ではないのか。
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友多聞
H:傳達知識,快樂是友多聞的益處。友多聞也讓你成為「語言的富翁」。
「獨學而無友,則孤陋而寡聞。」強調友多聞的重要性。另外友多聞帶來教學相長的效應,《禮記.學記》:「是故學然後知不足,教然後知困。知不足,然後能自反也;知困,然後能自強也,故曰「教學相長」也。」尤其「人人都是一本書」,
甚至「人人身上都是一個時代」教你一句建言,警語也是受用無窮。學無止境,終身學習。20240604W2
多聞
解釋:
見聞廣博,增廣聞見。《論語.季氏》:「友直、友諒、友多聞,益矣!」三國魏.何晏〈景福殿賦〉:「故將廣智,必先多聞。」
增廣見聞知識。《文明小史》第一五回:「橫豎我們這趟出門,乃是為著增長見識,於學問有益的事。」也作「增長見聞」。
學問淵博
淵,淵深。博,廣博。學問淵博謂學識豐富。如:「他溫文儒雅,學問淵博,是學術界所公認的大學者。」
學識淵博,意思是指學識深而且廣。
見多識廣
見聞廣泛,學識淵博。《鏡花緣》第四四回:「多九公本是久慣江湖,見多識廣,每逢談到海外風景,竟是滔滔不絕。」《文明小史》第三四回:「只因常常出外遊學,見多識廣,知識也漸漸開通。」
知識淵博的相似詞
博學多識 學識豐富 博學多才 知識豐富 學識淵博 淵博 知識廣博 博學多聞 博學 學識廣博 博古通今 博聞強識 學富五車 淵博的知識 學問淵博 淵博知識 博學睿智 上知天文下知地理 通古博今 淵博的學識 博覽群書 學識 博學廣識 見識廣博 淵博學識 談吐不凡 博聞多識 學養深厚 通曉古今 學識深厚
淵博
精深廣博。
晉 葛洪 《抱樸子·崇教》:“是以遐覽淵博者,曠代而時有;面墻之徒,比肩而接武也。” 宋 蘇軾 《東坡志林·記講筵》:“卿講義淵博,多所發揮,良深嘉嘆。” 清 昭槤 《嘯亭雜錄·純廟博雅》:“ 純廟 天縱聰慧,攬讀淵博。” 柔石 《二月》二:“你學問是淵博的,哥哥常是談起你。”
百科解釋
淵,精深;博,廣博。淵博:精深而廣博,形容知識廣且深,博學多才。晉 葛洪《抱樸子·崇教》:“是以遐覽淵博者,曠代而時有;面墻之徒,比肩而接武也。”
中台山:
《論語》說:「以文會友,以友輔仁。」結交朋友是很重要的事。我們在社會上要懂得交好的朋友、親近善知識。
維基文庫:
論語季氏篇
孔子曰:「益者三友,損者三友。友直,友諒,友多聞,益矣。友便辟,友善柔,友便佞,損矣。」
孔子說:「有益的朋友有三種,有害的朋友有三種。與正直的人交朋友、與誠實的人交朋友、與見多識廣的人交朋友,有益處;與走邪��歪道的人交朋友、與讒媚奉迎的人交朋友、與花言巧語的人交朋友,有害處。」
星雲大師
所謂:「友直、友諒、友多聞。」朋友之間要耿直真誠,要能相互諒解,要互通知識、要理念相投,還要能雪中送炭,這才是善友。
釋星雲
僧人
釋星雲(1927年8月19日[2]—2023年2月5日[3]),俗名李國深,法名悟徹,法字今覺,法號星雲[註 1],筆名趙無任[4]。生於江蘇江都,童年出家,漢傳佛教比丘及學者,為臨濟宗第四十八代傳人,同時也是佛光山開山宗長(方丈)、國際佛光會創辦人暨榮譽總會長、世界佛教徒友誼會榮譽會長[5],被尊稱星雲大師[1]。
「獨學而無友,則孤陋而寡聞」真正的益友是能夠讓我們擺脫孤陋寡聞的處境。
「數位遊牧」,以遠距的方式工作,並同時周遊不同的國家和城市。
一種是自己去搞清楚,從自己的經驗、觀察中學習。另一種就是向別人學習,學習別人已經搞清楚
或者正在搞清楚的東西。
「真正高明的人,就是能夠借重別人的智慧,來使自己不受矇蔽的人。」——蘇格拉底
「腳步不停,不一定是前進;閉目深思,不一定是停頓。」
通過艱苦的學習,使自己成為「語言的富翁」。
景福殿賦
作者:何晏《文選》卷11
姊妹計劃: 數據項
大哉惟魏,世有哲聖。武創元基,文集大命。皆體天作制,順時立政。至於帝皇,遂重熙而累盛。遠則襲陰陽之自然,近則本人物之至情。上則崇稽古之弘道,下則闡長世之善經。庶事既康,天秩孔明。故載祀二三,而國富刑清。歲三月,東巡狩,至於許昌。望祠山川,考時度方。存問高年,率民耕桑。越六月既望,林鍾紀律,大火昏正。桑梓繁廡,大雨時行。三事九司,宏儒碩生。感乎溽暑之伊鬱,而慮性命之所平。惟岷越之不靜,寤征行之未寧。
乃昌言曰:「昔在蕭公,暨於孫卿。皆先識博覽,明允篤誠。莫不以為不壯不麗,不足以一民而重威靈。不飭不美,不足以訓後而永厥成。故當時享其功利,後世賴其英聲。且許昌者,乃大運之攸戾,圖讖之所旌。苟德義其如斯,夫何宮室之勿營?」帝曰:「俞哉!」玄輅既駕,輕裘斯御。乃命有司,禮儀是具。審量日力,詳度費務。鳩經始之黎民,輯農功之暇豫。因東師之獻捷,就海孽之賄賂。立景福之秘殿,備皇居之制度。
爾乃豐層覆之耽耽,建高基之堂堂。羅疏柱之汩越,肅坻鄂之鏘鏘。飛櫩翼以軒翥,反宇䡾以高驤。流羽毛之威蕤,垂環玭之琳琅。參旗九旒,從風飄揚。皓皓旰旰,丹彩煌煌。故其華表,則鎬鎬鑠鑠,赫奕章灼,若日月之麗天也。其奧秘則蘙蔽曖昧,髣彿退概,若幽星之纚連也。既櫛比而攢集,又宏璉以豐敞。兼苞博落,不常一象。遠而望之,若摛朱霞而耀天文;迫而察之,若仰崇山而戴垂雲。羌瑰瑋以壯麗,紛彧彧其難分,此其大較也。若乃高甍崔嵬,飛宇承霓。綿蠻黮䨴,隨雲融泄。鳥企山峙,若翔若滯。峨峨嶪嶪,罔識所屆。雖離朱之至精,猶眩曜而不能昭晰也。
爾乃開南端之豁達,張筍虡之輪豳。華鍾杌其高懸,悍獸仡以儷陳。體洪剛之猛毅,聲訇𥉻其若震爰有遐狄,鐐質輪菌。坐高門之側堂,彰聖主之威神。芸若充庭,槐楓被宸。綴以萬年,綷以紫榛。或以嘉名取寵,或以美材見珍。結實商秋,敷華青春。藹藹萋萋,馥馥芬芬。爾其結構,則脩梁彩制,下褰上奇。桁梧複疊,勢合形離。赩如宛虹,赫如奔螭。南距陽榮,北極幽崖。任重道遠,厥庸孔多。
於是列髹彤之繡桷,垂琬琰之文璫。蝹若神龍之登降,灼若明月之流光。爰有禁楄,勒分翼張。承以陽馬,接以員方。斑間賦白,疏密有章。飛枊鳥踴,雙轅是荷。赴險凌虛,獵捷相加。皎皎白間,離離列錢。晨光內照,流景外烻。烈若鉤星在漢,煥若雲梁承天。騧徙增錯,轉縣成郛。茄蔤倒植,吐被芙蕖。繚以藻井,編以綷疏;紅葩𦾏𦁛,丹綺離婁菡萏赩翕,纖縟紛敷。繁飾累巧,不可勝書。
於是蘭栭積重,窶數矩設。櫼櫨各落以相承,欒栱夭蟜而交結。金楹齊列,玉舄承跋。青瑣銀鋪,是為閨闥。雙枚既脩,重桴乃飾。㮰梠緣邊,周流四極。侯衛之班,藩服之職。溫房承其東序,涼室處其西偏。開建陽則朱炎豔,啟金光則清風臻。故冬不淒寒,夏無炎燀。鈞調中適,可以永年。墉垣碭基,其光昭昭。周制白盛,今也惟縹。落帶金釭,此焉二等。明珠翠羽,往往而在。欽先王之允塞,悅重華之無為。命共工使作繢,明五采之彰施。圖象古昔,以當箴規。椒房之列,是準是儀。觀虞姬之容止,知治國之佞臣。見姜後之解珮,寤前世之所遵。賢鍾離之讜言,懿楚樊之退身。嘉班妾之辭輦,偉孟母之擇鄰。故將廣智,必先多聞。多聞多雜,多雜眩真。不眩焉在,在乎擇人。故將立德,必先近仁。欲此禮之不諐,是以盡乎行道之先民。朝觀夕覽,何與書紳?
若乃階除連延,蕭曼雲征。櫺檻邳張,鉤錯矩成。楯類騰蛇,槢似瓊英。如螭之蟠,如虯之停。玄軒交登,光藻昭明。騶虞承獻,素質仁形。彰天瑞之休顯,照遠戎之來庭。陰堂承北,方軒九戶。右個清宴,西東其宇。連以永寧,安昌臨圃。遂及百子,後宮攸處。處之斯何,窈窕淑女。思齊徽音,聿求多祜。其祜伊何,宜爾子孫。克明克哲,克聰克敏。永錫難老,兆民賴止。於南則有承光前殿,賦政之宮。納賢用能,詢道求中。疆理宇宙,甄陶國風。雲行雨施,品物咸融。其西則有左墄右平,講肄之場。二六對陳,殿翼相當。僻脫承便,蓋象戎兵。察解言歸,譬諸政刑。將以行令,豈唯娛情。鎮以崇臺,寔曰永始。���閣重闈,猖狂是俟。京庾之儲,無物不有。不虞之戒。於是焉取。
爾乃建凌雲之層盤,浚虞淵之靈沼。清露瀼瀼,淥水浩浩。樹以嘉木,植以芳草。悠悠玄魚,曤曤白鳥。沈浮翱翔,樂我皇道。若乃虯龍灌注,溝洫交流。陸設殿館,水方輕舟。篁棲鵾鷺,瀨戲鰋鮋豐侔淮海,富賑山丘。叢集委積,焉可殫籌?雖咸池之壯觀,夫何足以比讎?
於是碣以高昌崇觀,表以建城峻廬。岧嶢岑立,崔嵬巒居。飛閣干雲,浮堦乘虛。遙目九野,遠覽長圖。頫眺三市,孰有誰無?睹農人之耘耔,亮稼穡之艱難。惟饗年之豐寡,思無逸之所歎。感物衆而思深,因居高而慮危。惟天德之不易,懼世俗之難知。觀器械之良窳,察俗化之誠偽。瞻貴賤之所在,悟政刑之夷陂。亦所以省風助教,豈惟盤樂而崇侈靡?屯坊列署,三十有二。星居宿陳,綺錯鱗比。辛壬癸甲,為之名秩。房室齊均,堂庭如一。出此入彼,欲反忘術。惟工匠之多端,固萬變之不窮。物無難而不知,乃與造化乎比隆。讎天地以開基,並列宿而作制。制無細而不協於規景,作無微而不違於水臬故其增構如積,植木如林。區連域絕,葉比枝分。離背別趣,駢田胥附。縱橫踰延,各有攸注。公輸荒其規矩,匠石不知其所斲。既窮巧於規摹,何彩章之未殫。爾乃文以朱綠,飾以碧丹。點以銀黃,爍以琅玕。光明熠爚,文彩璘班。清風萃而成響,朝日曜而增鮮。雖崑崙之靈宮,將何以乎侈旃。規矩既應乎天地,舉措又順乎四時。是以六合元亨,九有雍熙。家懷克讓之風,人詠康哉之詩。莫不優游以自得,故淡泊而無所思。歷列辟而論功,無今日之至治彼吳蜀之湮滅,固可翹足而待之。
然而聖上猶孜孜靡忒,求天下之所以自悟。招忠正之士,開公直之路。想周公之昔戒,慕咎繇之典謨。除無用之官,省生事之故。絕流遁之繁禮,反民情於太素。故能翔岐陽之鳴���,納虞氏之白環。蒼龍覿於陂塘,龜書出於河源。醴泉涌於池圃,靈芝生於丘園。總神靈之貺祐,集華夏之至歡。方四三皇而六五帝,曾何周夏之足言!
孤陋寡聞
《禮記.學記》
大學之法,禁於未發之謂豫,當其可之謂時,不陵節而施之謂孫,相觀而善之謂摩。此四者,教之所由興也。發然後禁,則扞格而不勝。時過然後學,則勤苦而難成。雜施而不孫,則壞亂而不脩。獨學而無友,則孤陋而寡聞。燕朋逆其師。燕辟廢其學。此六者,教之所由廢也。
《禮記.學記》:「獨學而無友,則孤陋而寡聞。」(源)
《抱朴子.外篇.自敘》:「年十六,始讀《孝經》、《論語》、《詩》、《易》,貧乏無以遠尋師友,孤陋寡聞,明淺思短,大義多所不通。」
《朱子語類.卷一一七.朱子.訓門人五》:「淳稟曰:『伏承教誨,深覺大欠下學工夫。恐遐陬僻郡,孤陋寡聞,易致差迷,無從就正。望賜下學說一段,以為朝夕取準。』」
元.馬致遠《陳摶高臥》第二折:「若做官後每日價行眠立盹,休休休,枉笑殺凌煙閣上人,有這般疏庸愚鈍,孤陋寡聞。」
《三國演義》第一○回:「某孤陋寡聞,不足當公之薦。」
《鏡花緣》第一六回:「不瞞二位大賢說,這叫作『臨時抱佛腳』,也是我們讀書人通病,何況他們孤陋寡聞的幼女哩。」
寡聞少見
猶「孤陋寡聞」。見「孤陋寡聞」條。
《漢書.卷八一.匡張孔馬傳.匡衡》:「蓋聰明疏通者戒於大察,寡聞少見者戒於雍蔽。」
寡聞陋見
猶「孤陋寡聞」。見「孤陋寡聞」條。
明.胡翰〈羅文質公集敘〉:「以寡聞陋見論前人之道德,其亦過矣!」
寡見鮮聞
猶「孤陋寡聞」。見「孤陋寡聞」條。
漢.王褒〈四子講德論〉:「俚人不識,寡見尠(鮮)聞;曩從末路,望聽玉音,竊動心焉。敢問所歌何詩,請聞其說。」
獨自學習而沒有朋友一起切磋、研討,就會造成學識淺陋而見聞不廣。 對朋友怠慢就違背了師長的教導;一旦言行偏差,就會荒廢了自己的學業。
獨學而無友,則孤陋而寡聞
獨學:指獨自學習,不瞭解外部動向。獨自學習,無人切磋,則孤陋寡聞。形容孤偏鄙陋,見聞不多。有井底之蛙含義。
原因: 朋友是你瞭解外部世界的橋樑,也是你不斷完善自己的標尺。一個人學習,而不接觸外部環境是行不通的。只���與朋友共同學習,集思廣益、取長補短,才能彌補自身的缺憾,並獲得更多知識。
中文名
獨學而無友,則孤陋而寡聞
出處
《禮記·學記》
類型
古文
作者
戴聖
出處
出處:《禮記·學記》:“獨學而無友,則孤陋而寡聞。”
釋義:如果學習中缺乏學友之間的交流切磋,就必然會導致知識狹隘,見識短淺。其中,“而”錶轉折的作用。
教學相長
教與學互相增長。指通過教授、學習,不但能使學生得到進步,而且教師本身的水準也可藉此提高。語出《禮記.學記》。
雖有嘉肴,弗食,不知其旨也;雖有至道,弗學,不知其善也。是故學然後知不足,教然後知困。知不足,然後能自反也;知困,然後能自強1>也,故曰「教學相長2>」也。
《禮記.學記》:「是故學然後知不足,教然後知困。知不足,然後能自反也;知困,然後能自強也,故曰『教學相長』也。」(源)
《韓詩外傳》卷三:「雖有善道,不學不達其功,故學然後知不足,教然後知不究。不足,故自愧而勉;不究,故盡師而熟。由此觀之,則教學相長也。」
明.王守仁〈教條示龍場諸生.責善〉:「使吾而是也,因得以明其是;吾而非也,因得以去其非:蓋教學相長也。」
《兒女英雄傳》第一八回:「我那解悶的本領都被公子學去了,那裡再尋甚麼新色的去?我們『教學相長』,公子有甚麼本領?何不也指點我的一件?彼此頑起來,倒也解悶。
人人都是一本書
每個人都是獨特的,每個人都是值得欣賞的,
閱讀每個人的故事,獲得成長的養分。
人人身上都是一個時代(全新增訂版)
作者:陳柔縉
語言:繁體中文
出版社:麥田
出版日期:2016/10/06
目錄
◎新版序──陳柔縉
一‧人的日本時代
1 人人身上都是一個時代
2 跑啊!林和
3 王永慶的兩百圓有多大
〈附表:台籍前輩企業家出生年與學歷〉
4 辜家豪門鑽石失竊記
5 台灣最貴單身漢
6 巴黎唯一的台灣人
7 神祕的第一位台灣人車主
8 名門公子日本浪漫遊
9 美國鳥人到台灣
10 明治元勳欠錢記
11 禁吃大蒜迎親王
二‧愛與死事件簿
1 戀愛?亂愛!
2 台灣人殉情記
3 少年仔愛看電梯小姐
4 煙草女工眼裡的蔣介石
〈附表:1930年代煙草女工的世界〉
5 懷念的鐵��便當
〈附表:1914年台灣鐵路便當〉
6 烤鴨該怎麼吃
7 愛鄉愛土全民票選台灣八景
8 1933年雙十國慶在台北
9 鐵達尼船難消息在台灣
10 豪華世界郵輪初體驗
〈附表:日治時期世界觀光郵輪來台概況〉
11 英語演講比賽前先獎盃奉還
12 車牌暗藏魔鬼
13 那時候的公車會「犁田」
14 颱風來了會缺鹽
15 火災的關鍵詞
16 打開日本時代的鉛筆盒
17 考上醫校回頭嗆校長
18 修學旅行遇見明治天皇
19 捨不得不愛的農曆年
20 老藥房的推銷術
三.古典罪與罰
1 怪怪小偷和大盜
2 日本時代也有毒品?
3 盜賊拔刀海上來
4 偷車賊最愛的作案地點
5 好膽賭博要鞭刑
6 來看富豪斬雞頭發毒誓
四.療癒系台灣史
1 那些年動物惹的禍
2 最佳療癒系之小鴨物語
3 小象闖進高級料亭了
4 猛雄藏了十個月的祕密
5 狗狗的日本時代
6 不是端午也能划龍舟
7 人間無處不花火
8 上陽明山不看櫻花
9 為路樹繫上第一張身分證
五‧地的時光垂直線
1 台灣銀行重返上海
2 東京火車站的呼吼
3 早稻田的咖啡店
4 松泉閣給的問號與答案
5 第一波青春壯遊
6 第三國人
7 撫臺街洋樓身世之謎
◎附錄【日本時代台灣物價水準概況】
參考資料
圖片來源
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2025/3/28 8:00:22現在のニュース
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12月28日から2025年1月5日
奇跡の9連休!
28日は、大掃除と思ったけど、そんなに掃除も出来ずに終わってしまった。29日は、ダンスの発表会。コレが1週間ズレたので加古川待機でした。
二人とも笑顔でダンスしてるのが見ているコチラも嬉しくなる。レベルは、分からないけど一緒にすれば全然出来ない動きをするので、すごいのよね。皆でバシって揃うのがキレイと感動するけど、そこは小さい子も可愛くダンスするので分からない。でも、ほんと大人数の観客を前にして笑顔で踊るのが感動した。
終わったら直ぐに茨木へ。おでんを頂く。美味しい!
30日は、マイカル茨木へ。
31日。朝からフットサルへ。毎年恒例の子供も参加の蹴り納め。物好きだけが、こんな日に集まってるよね。続けてたら池とも再会。いい車乗ってるな。
この日は、義弟家族が、きて蟹のおなべ。年越し中は、それぞれユーチューブで僕はうたた寝してたなぁ。
新年!朝から、ゆっくり豪華な御節を頂きお年玉交換。公園遊びをして、高槻へ。makiさんは、kinkiのコンサートへ。
今度は、高槻で恒例のビンゴ大会。ちゃんとmakiさんのが当たればご報告。流石です。夜はお寿司。
2日は、行きたかった城陽のLOGOSランドへ。
思ってたの違った。もっと最新の設備かと思ったらそ~でもなかった。キャンプ飯のカフェは、美味しかった。夜はしゃぶしゃぶ。
3日は、初詣。今宮戎神社へ。今年も父母とお参りできました。良かったです。よるは、再度、茨木へ。じゃがニアを。
4日また、マイカル茨木へ。30日のくじ引きを。
ティッシュいただきましたー。お���に麻婆豆腐と炒飯を頂きました。茨木駅で別れて新年会へ。
今年は、5人集まりました。あと一人足りないのよね。テラさん。探さなければ。
3人目の話やあんな出来事の話も交換できた。
まぁ、平和な会とは、思うよね。続けましょう。
3軒目で、総持寺へ。久しぶりに家で喋れて良かった。
最終日。楽しみにしていたサッカー。大ゲーム。
けど、2時帰宅の軽い二日酔い。大事を取って父に送ってもらう。ありがとうございます。
まずは、FWセンタリングに何とか合わせて1点とれた。その後、ヒールキックで後ろに流したら腿裏をピキッと。アシストついたけど絶対何かやった。
走っても痛いし、騙しダマシロングキックは、控えて短いパスを中止に。最後にボランチから上がってワンツーで一人で交わしてキーパーと1対1流し込んで2点目GET。11対1の大勝もあり、2得点2アシスト。イチローから学んだ走り方で早く走れてる気がしたのも収穫。腿裏を、鍛え直して今年はサッカーがふえそう。




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請問家中的神像是誰來入住?
以下一位有緣人分享,來文照登:
台灣是個有信仰的地方,有各種不同的信仰。我的老家供奉觀世音菩薩畫像,旁邊還有祖先的牌位,沒有安放神像。有些人的家中有神像,可能是神明或是菩薩的像。近期有位朋友,想要問問他家中的神像是誰來入住,是觀世音菩薩?地藏王菩薩?還是佛教的護法呢?我告訴他:「誰入住,會影響什麼嗎?你還不是要唸經,還不是要吃飯、過日子。還是你覺得誰入住後,就可以永保安康呢?」
我記得剛開始學佛,那時接觸到《藥師經》,覺得《藥師經》好棒,藥師佛的大願讓眾生快速消業障,十二藥叉大將的願則是要護持信奉《藥師經》的人。於是我家裡安放了藥師佛像,還跑去買了水晶球,另外也打算再買十二顆水晶球給十二藥叉大將住。記得那時蔡師兄淡淡地對我說了一句:「這樣攀緣了。」對呀!真是一句話打醒我,這確實是攀緣!
後來看了越來越多的案例,知道「心有所求」��反而越修越不清淨。我們要修的是「放下」,不是把家裡弄得金碧輝煌,讓所有菩薩都來住,彰顯自己修得多好!其實這樣想也挺好笑,依據《藥師經》提到的藥師淨土:「琉璃為地。金繩界道。城闕宮閣。軒窗羅網。皆七寶成。亦如西方極樂世界。功德莊嚴等無差別。」藥師淨土如此莊嚴,菩薩與護法們何必來我這裡住這些珠子呢?
剛開始學佛,想要菩薩在身邊,確實是我做過的夢。現在,我覺得我升級了,我不再建設菩薩要住的房子,不去莊嚴那些家裡的擺設,現在只要簡單的佛像或是經書足矣,但我要求的是莊嚴自己的內心,要讓自己的行為跟佛菩薩一樣。如何一樣?其實經文裡說得清楚,就如《藥師經》說的:「第十一大願。願我來世。得菩提時。若諸有情。飢渴所惱。為求食故。造諸惡業。得聞我名。專念受持。我當先以上妙飲食。飽足其身。後以法味。畢竟安樂而建立之。」我努力的布施,就是跟藥師佛做一樣的事情,透過布施學佛,如此佛就在心中。
家中的神像是誰來入住?這問題並不重要,重要的是,你的心中想讓誰來入住!這裡說入住的對象並不是「靈」,而是一個「形象」,是你想把什麼形象放在心中。把佛放在心中,好好學佛,就如同《六祖壇經》所言:「真如自性是真佛,邪見三毒是魔王,邪迷之時魔在舍,正見之時佛在堂,性中邪見三毒生,即是魔王來住舍,正見自除三毒心,魔變成佛真無假。」學佛,要學佛菩薩做的事情,慢慢地跟祂們一樣,才是真學佛。
正法眼中無所得,涅槃心外謾莊嚴。
六塵空寂無人會,推倒須彌浸玉蟾。
(分享完畢)
家中的神像若是佛菩薩入住,我們一樣得工作、吃飯、睡覺,外加消業、修福報,該做的事同樣要做,不該做的事一樣不能做。什麼都不做,卻幻想佛菩薩在身邊永保安康,觀念錯誤、心思不正,佛菩薩也會看不下去而遠離,招感其他外靈入住。家中的神像若是外靈入住,我們除了工作、吃飯、睡覺,更要精勤誦經消業、培福,邪不勝正,外靈會受不了而離開,佛菩薩聞經聲而來,佛菩薩取代外靈而入住。然而不管外靈或佛菩薩入住,重要的是,你的心裝了什麼?是攀緣外求,彰顯自己是老修行、修得很好?還是觀照自心,學佛的行止、學佛的智慧?
佛陀為了��眾生出離輪迴,所以用人生是苦、集、滅、道的生命旅程,告訴眾生,娑婆是比不上淨土清淨的。但是,淨土與娑婆,在佛陀的眼中無二無別,都是佛土,而佛土本來清淨。只因眾生都在取相,執取自己喜歡的,排斥不喜歡的,漫漫輪迴中,占有、吃醋、忌妒、分別、計較,眾生都在愛染的習氣中滾爬,不認識自己的缺點,不承認自己的盲點。眾生以穢為生,佛菩薩以穢度眾,佛陀要度眾生生厭離心,所以隱蔽淨土,示現穢土,這是權宜之教。什麼樣的心態,造就什麼樣的人生,好比天人都用同樣的寶碗吃飯,但每個天人所吃到飯的味道,卻會隨著個人的修持,而有不同的口味和飯色。
學佛,換另外一種說法,便是「認識自己」。每個人都不是完美的,生命中都肯定有因為莽撞、自私而做過錯事,為別人或自己帶來傷害,也因此付出代價,所以,學佛修行看的不是別人的缺點,而是自己的盲點。正視自己的錯誤,自己願意改變了,才能解開心結,重新開始,這便是學佛的力量。每當越過了一個盲點,自己也提升了一級,學佛的意義就在這裡,逃避有時是最大的傷害,正視問題才能自救救人。世間律法做不到的,因果能輕易做到,心中有了因果,行為就有了規則,因果就是眾生平等,沒有特例。
阿伯說:「業障要趕快消,不要輕忽業障與福德的影響力,才華再好,業障不消、福德不具足,很難發揮作用,一切努力都是徒勞。」各人造業各人擔,佛菩薩不會介入各人的因果,即便家中的神像確實有佛菩薩入住,但業力不消、個人福報不足,佛菩薩也愛莫能助。業力不化解,業主菩薩想怎麼討報便怎麼討報;福報不足,千里馬也難遇伯樂。因果至公至正,除非自己認清事實,消業才能改變命運,福報具足才能衝破命運的桎梏。
每個人一生都會有一段異常艱難的時光,或是生活的窘迫和失意,或是學業、工作的壓力,或是感情、人際關係的糾葛,諸如此類,讓人們惶惶不可終日。認真誦經消業,困境終會過去,人生方能豁然開朗。人生只為修行和消業而來,此刻,唯有誦經消業最美好!南無大願地藏王菩薩。
南無本師釋迦牟尼佛
南無藥師琉璃光如來
南無阿彌陀佛
南無大悲觀世音菩薩
南無大願地藏王菩薩
南無韋馱菩薩
南無伽藍菩薩
南無十方一切諸佛菩薩摩訶薩
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八篇 上 その一
淀の大橋から、下り船に乗って、 大阪へとやってきた弥次郎兵衛と北八の二人。
大阪の港は、海内秀異の大きな港で、諸国の商い船が行きかっている。 淀川の川口に船首をならべていかりをつらね、ここにいろいろな荷物をつなぎ、繁盛していることは、いわなくてもわかるというものだ。
ことさら、花の春は淀川に船を浮かべて桜の宮に遊び、網島の料理屋に酔いをもよおし、夏は難波新地の納涼に蛍をかり、茶屋で腹をこやし秋は、料理屋で月をながめ、冬は解船町の雪景色。
四季折々の眺めの中に、人の目をひきつけて離さない花のようにうつくしい遊郭は、いつもさかりの春のごとく賑わい道頓堀の芝居は、いつも、顔みせ興行のように群集が絶えない。
そんな名誉の地をみのがしてはもったいないと例の、弥次郎兵衛と北八の二人は伏見の昼船に途中から、飛び乗ってはやくも大阪の天満橋近くの八軒家に着いた。 ここで船を下りた二人は、もう、たそがれ時で薄暗くなってきており初めての土地でもあることから、人に尋ねながらとりあえず、長町を目指して堺筋通りを南に歩いてやがて、日本橋にでた。 ここには宿の客引きどもが居合わせ、両人を見かけて宿の相談をしかけてきた。 早速に二人は宿をきめると、客引きは分銅河内屋という宿に案内した。
客引きが先に駆け抜けて、 「さあさあ、お客様をおつれして来た��いな。」 その声に出てきた宿の番頭が、 「これは、ようお出なされました。何人様でございます。」 と言うのを、 「へい、全部で四十七人。」 と弥次郎兵衛がふざけて答える、 これを聞いて番頭は、びっくりしたように、 「なに、四十七人様。これこれ、おさんや。大勢さまじゃ。 西の奥の間を打ち抜いてあげさんせ。はようきれいにしてこんかいな。 これ、久三。お足をお洗いなさるお湯はどうじゃい。 「・・・」 「ちょっと熱いようじゃ。水をうめてあげましょう。はようはよう。 で、もし、その四十七人様は、後から来られるのかな。」 と弥次郎兵衛の後ろをすかしてみる。 弥次郎兵衛は、ニヤニヤしながらも、 「いや実は、四十五人は鎌倉へ発った後。 われわれ両人はここより遅れてまいる。」 「ええ、なんのこっちゃいな。やっぱりお二人かいな。 これこれ、おつんや、お二人じゃといな。 こっちゃのお一人でいらっしゃる、狭いところに案内さんせ。」 とあきれた様子。 おつんと呼ばれた女中が、 「はいはい、ご案内いたしましょかいな。」 と足を洗い終わった二人に言うと先に立って案内する。
さて、この宿は当所では、随一の大きさである。 二人はその大きな宿の奥の隅の小さな部屋に、女中の案内ではいる。 すでにここには一人お客がおり、いっしょについてきた番頭が、 「お許しくださりませ。ご窮屈で、ございましょうが、お一つ所になされて下さりませ。」 と言う 先の客は、丹羽の旅の人で 「だんないてや、さあさあ、こっちゃへはいりなされ。」 と方言交じりでいった。 「これはごめんなせえ。」 と北八。 「わたしら、二、三日は逗留して、所々見物がしたいからおたのみ申します。」 と弥次郎兵衛は、そのお客とも番頭にともとれるようにいった。 「はい、かしこまりました。まずは、ごゆるりと。」 と番頭は言いすてて引き上げていった。
さっそく丹波の人が、話しかけてきた。 「こりゃ、そなたたちは、どこからきよりました。」 「私らは江戸でございます。お前さまは。」 と北八が答えると、 「わしは丹波の篠山(たんばのささやま)の出で、今度、高野へ行きよります。 相宿になったのも、何かの縁。よろしくおねがしますやいな。」 弥次郎兵衛も、 「とかく旅は道づれといいます。おきずかいなきようにございます。」 と言った。 女中が、 「食事をお持ちしました。」 と三膳持ってきて、それぞれの前にすえる。 この食事の間にもいろいろあったけれども、略すことにして、
食事も済み湯にも入ってしまうと、目をつぶった大きな女が柱や障子を探り探り入ってきて、 「ひとつ、もましてくださいな。」 と入ってきた。 それを聞いて弥次郎兵衛が、 「いや、あんまさんか。お前、女みたいだ。 しかも生きている。北八、どうだ、もんでもらわねえか。」 「こっちからもんでやりてえ。」 と北八はニヤニヤしている。 「あら、おかしなことを、言いじゃやら。 お前さん方は、お江戸じゃな。 わし��あのお江戸のお方が好きじゃわいな。 殿方たちは男らしゅうて、話が面白とこがよいわいな。」 とこのあんまさんは、口が上手である。
「お前さんは、さっぱり目が見えねえのか。 見えるとすると、ここにとんでもないいい男がいるのに。」 と北八は、調子に乗っている。 「そうじゃろぞいな。」 とあんま。 それを聞いていた弥次郎兵衛は、 「それなら、あんまさん。この男と俺とどっちがいい男か、そうして、年はどっちが若いかあてて見なせえ。 当ったら、二人とももんでもらおう。」 と懐を探り出した。 「そりゃ、絶対にあてるわいな。」 とあんまは、首をかしげている。 「こりゃ、おもしろい。さあ、俺は、いくつぐらいだ。」 と北八。
「まちなされ。おまいさんは二十三、四。」 「いい線だ。で、当然、いい男だろうね。」 「さよじゃ。お顔は、よう道具がそろうてじゃ。」 「当たり前だ。そろってなけりゃ、こんな賭けをするものか。」 「お目は、いかついじゃろがな。それに、お鼻は…。」 「高いか、低いか。」 「こう言うたらお腹立ちかしらんが、確かに低くて、小鼻の開いているじゃろぞいな。」 これを聞いていて、丹波の人が、 「ははは、当ってる。当ってる。」 と笑っている。
今度は弥次郎兵衛が 「俺は、どうだ。」 と言うと、 「あなたは、ちょっと、ふけてじゃわいな。 お歳は四十ばかりで色黒で、鼻の開いた髭だらけなお顔じゃあろがな。」 「まるで、見えているみたいだ。」 と北八が、笑いながら言うと、 「そして、ぼやけぶとりに、よう肥えていなさるじゃあろ。」 「いや、違った。俺は、風が吹いたら、よろけるくらいすらりとした男。」 と弥次郎兵衛。 「ふん、嘘をつくな。こりゃ、あんまさんの勝ちだ。もんでもらいな。」 と北八が笑いながら言う。 「まあ、約束だからな。しかたがねえ、ここへ来てくんな。」 と弥次郎兵衛は、そこに寝転がると、 「おほほほ、それではそちらへ、行きましょうか。」 と弥次郎兵衛のそばにいって、もみにかかる。
そこへ、女の菓子売りがやってきた。 「はい、失礼しますよ。菓子、買っておくれんかえ。」 「なんだか次から次に、出てくるな。 どれ、なかなかいい菓子だぞ。お前、俺たちに、売る気か。」 と北八が、箱の中の菓子を見ながら言う。 菓子売りは、 「さよじゃ。私は、お前さんがたに売とう売とうてならんさかい、参じたわいな。」 弥次郎兵衛は、あんまにもまれながら、 「上方の商い女は、なかなか上手い手をもっているな。」 菓子売りは、ニコニコしながら、 「手も足もないが、どうやら、お前さんがたに惚れたのじゃわいな。 そう思ってどうぞ、菓子を買うておくれや。 どれ、お茶でもくんできましょうかね。」 と菓子箱をそこにおいておきながら、部屋を出て行ってしまった。
北八は、 「ええ、つらのにくいほどしゃべるやつだ。」 と言いつつ弥次郎兵衛に目くばせして、菓子の入っている箱の下に重ねてある箱から、そっと、何やら菓子を五つ六つとりだし、自分の後ろにさっさと隠してしまった。 すると、さっきのあんまが手を出してその菓子をそっとひったくり、たもとへ入れてしまった。 北八は、そんなこととは知���ない。 弥次郎兵衛もおなじく菓子を、三つ四つとり出したら、部屋の外から人がやってくる気配がしたので、急いで箱を元に戻すと、菓子は、後ろの方に隠してしまった。 それをまたまた、あんまが取ってしまった。 弥次郎兵衛もそんなこととは、知らずに、また目をつぶってあんまにもまれている。
そこへ、さっきの菓子売りの女が茶をくんで、お盆にのせ持ってきた。
つづく。
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国産食材をカロリーベースで5割以上使う店の証しとして、「緑提灯(ちょうちん)」を居酒屋などの軒先に掲げて、23日でちょうど20年を迎えた。緑提灯運動に賛同するのは、国内外に3802軒に上る。近年では緑提灯に対する人々の関心が薄れ、新たに賛同するのは1カ月に1軒程度。それでも“食の国産回帰”に取り組む草の根運動は今も歩みを続けている。 賛同店は国内外3800軒 発案者は元農研機構・中央農業総合研究センター所長の丸山清明さん(78)だ。札幌市に赴任当時、市内の居酒屋に立ち寄るも店には地酒がなく、近所のスーパーにはチリ産のサケがずらり。「北海道は国内有数の食料基地なのに……」と心を痛めた。この出来事を機に国産を応���する緑提灯運動を考案した。 2005年4月23日、北海道小樽市の居酒屋開(ひらく)から始まった緑提灯運動が劇的に増える契機となったのが、08年の中国製冷凍ギョーザ中毒事件。この一件が運動を後押しし、メディアの露出が増加。4年目には1000軒を超えた。 緑提灯運動は着実に根付いている。東京都港区の炉端焼うだつは18年ほど前から軒先に掲げる大きな緑提灯が目印。北海道料理を扱い9割以上が国産食材で、五つ星を掲げる。 店長の西田勝己さん(40)は「緑提灯の店という信頼でコロナ禍後も来店客は途絶えなかった」と振り返る。国産食材の値上がりについて「特に米の値上はりはきついが、緑提灯を掲げている以上、来店客を裏切れない。お客さんに喜んでもらえる国産にとことんこだわりたい」と話す。 一方、やむなく緑提灯を外したところもある。福岡県宮若市の福丸保育園だ。以前は給食の国産使用率は7割以上だったが、現在は、地元の納入業者が次々と廃業したことで、国産食材を一定量入手するのが困難となった。 園長の中村智顕さん(62)は「人口減で地元からスーパーが撤退した。本当は掲げたいが……」と嘆く。 近年では新たに緑提灯に賛同する店舗がめっきり減った。また運営側の高齢化が進んでいる。 発案者の丸山さんは、妻の介護などがあり、以前のように講演などのPR活動ができなくなった。「少しずつ店を畳むように、活動を縮小しているが、一軒でも賛同する店が増える限り、やめるわけにはいかない」と力を込める。
緑提灯、国産こだわり20年 地産地消の明かりとも��(日本農業新聞) - Yahoo!ニュース
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「岡本秋暉 百花百鳥に挑んだ江戸の絵師」「江戸絵画縦横無尽!」
千葉市美術館で「岡本秋暉 百花百鳥に挑んだ江戸の絵師 摘水軒コレクションを中心に」展および「江戸絵画縦横無尽! 摘水軒コレクション名品展」を見る。両展とも展示のしかたに工夫があり、通常のキャプションのほか、コレクター氏��コメントがところどころに置かれていて、鑑賞の助けになった。
まずは岡本秋暉展から。画業の始まりから晩年の作品までを概観できる。


冒頭には、彫金家だった実父の作品(刀の鐔など)もあれば、秋暉の師匠である大西圭斎の描いた花鳥画もある。そのすぐあとに秋暉25歳時の孔雀図が掛けてあり、師匠の影響を確認できる。
秋暉が小田原藩士となった後のコーナーには小田原藩主・大久保忠真の画もあり、いわゆる殿様絵ではあるがなかなかの出来のようだった。この章での秋暉作品でおもしろいのは、二宮尊徳像の下書き群。尊徳像を描くよう命じられたため、得意の花鳥画とは勝手が違うせいか何度も何度も練習を重ねていたようである。ラフなスケッチ風の下書きや、顔の部分をたくさん描いて検討を重ねたらしき下書きなどが残っていて、それがきちんと保存され、こうして展覧会に供されるというのはとてもよい。
このあとは秋暉の花鳥画、孔雀画のコーナー。同じ題材を繰り返し繰り返し描いてもまだ飽き足りなかったのであろうか。花鳥画で神経衰弱!みたいなゲームを作れるかも……などと思ってしまった。
撮影可能な作品が同じ展示ケース内に並べてあった。これも展示の工夫と見える。

《百花百鳥図》。

《孔雀図》。

《芙蓉孔雀図》。

《白梅孔雀図》。

《孔雀図》。

《渓流孔雀図》。

《蝶に孔雀図》。

展示はさらに続き、秋暉とかかわりのある人々の作品少々、秋暉の円熟期の花鳥画やそれ以外の画が並ぶ。個人的にここでは墨絵が印象に残った。たとえば自作の七言詩を付した即興的作品《波間に月図》は墨のにじみを生かしたもの。墨で描いた龍がかっこいい《雲龍図》は秋暉没年の年初に描いたものとのこと。老境にあって自在に筆をとる姿が想像された。
続いては「江戸絵画縦横無尽!」展。


第1章「肉筆浮世絵の美」。
鳥文斎栄之《立美人図》。表装が凝っている。


祇園井特《美人図(大首絵)》。

第2章「江戸に吹いた新風—異国へのまなざしと博物学」。
無款の《珍禽図》。

第3章「愉快で愛しき動物たち—いきもの、縦横無尽!」。
長澤蘆雪《狗子図》。


岡田半江《長春図》。

柴田是真《葡萄栗鼠図》。リスがブドウの実もろとも枝から落ちてしまった模様。


中村芳中《鹿図》。

《猫金魚花鳥図》。無款。

酒井梅斎《孫悟空の図》。シャボン玉を使った分身の術。

第4章「物語る動物—瑞獣、霊獣たち」。
葛飾北斎《雪中鷲図》。

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散我心中意難平
H:憂愁在古人有多樣貌,
「憂愁不能寐,攬衣起徘徊。」只是煩惱,卻成千古名言。「沒輸過你絕對不會贏!愈年輕失敗,就愈早遇見成功。」「失敗帶給人們的負面影響可能是毀滅性的,但是,只要你從積極的角度看待它,下次必能反敗為勝。」「失敗是成功最大的朋友,放棄是成功最大的敵人。」「成功成為記事,失敗成為故事。」從小「失敗為成功之母」都能上口,現在有個新名詞「正確犯錯」,修仙成神成佛的必經之路。
快快失敗,快快學習,散去憂愁。「成功的道路上必然會有失敗。如果你沒有失敗,那麼你就沒有進入新的領域。」20250609W1
網路資料
願許秋風離別意,散我心中意難平,願與時光落落為安,只記歡喜不記憂。
表達了一種尋求理解、釋放煩惱的心態。將心情寄託於無形的風中,希望秋風能夠理解自己的心情,並將心中難以平靜的思緒和情感吹散。
願我們與時光落落為安的意思就是希望我們能和時光一樣獲得瀟灑自然,豁達開朗。 只記喜歡不記憂的意思是記住自己喜歡的東西,把令人煩惱的東西拋之腦後就行。
阻風泊歸舟游淨眾寺
宋代:孫應時
日落風更起,江頭船不行。
淒涼大夫宅,蕭瑟故王城。
一醉重樓晚,千秋萬古情。
愁邊動寒角,夜久意難平。
明月何皎皎
朝代:兩漢
作者:佚名
明月何皎皎,照我羅牀幃。
憂愁不能寐,攬衣起徘徊。
客行雖雲樂,不如早旋歸。
出戶獨彷徨,愁思當告誰!
引領還入房,淚下沾裳衣。
愁眉不展
釋 義
雙眉緊鎖,很憂愁的樣子。※語或出唐.姚鵠〈隨州獻李侍御〉詩二首之二。
△「愁眉苦臉」典故說明「愁眉不展」這句成語的意思是雙眉緊鎖,很憂愁的樣子。它的典源可能來自於唐朝詩人姚鵠寫的〈隨州獻李侍御〉詩。其中第二首中有二句是:「舊隱每懷空竟夕,愁眉不展幾經春。」此詩敘述一個仕途不順,被貶遠放的人,懷抱著重展抱負的希望,卻每每落空,心情憂愁而雙眉緊鎖,幾年來始終鬱鬱不得志。後來「愁眉不展」被用來指雙眉緊鎖,很憂愁的樣子。「愁眉不展」的「眉」是眉毛的意思,我們常可從眉毛在臉部的樣子,看到一個人心情的好或壞。例如:「眉飛色舞」、「眉開眼笑」、「吐氣揚眉」,雙眉分開上揚,可見心情暢快。如:「當他聽到自己通過考試的消息時,不禁眉飛色舞,喜形於色。」;而「橫眉豎目」、「愁眉不展」、「直眉瞪眼」,就是眉毛揪成一直線,皺著眉頭,表示表心情陰霾不開朗的樣子。如《西遊記》第九四回:「觀見那唐僧在國王左邊繡墩上坐著,愁眉不展,心存焦燥。」用法說明。
隨州獻李侍御二首
朝代:唐代
作者:姚鵠
彩筆曾專造化權,道尊翻向宦途閒。端居有地唯栽藥,
靜坐無時不憶山。德望舊懸霄漢外,政聲新溢路岐間。
衆知聖主搜賢相,朝夕欲徵黃霸還。
再刖未甘何處說,但垂雙淚出鹹秦。風塵匹馬來千里,
蓬梗全家望一身。舊隱每懷空竟夕,愁眉不展幾經春。
今朝儻降非常顧,倒屐寧惟有古人。
失敗帶給人們的負面影響可能是毀滅性的,但是,只要你從積極的角度看待它,下次必能反敗為勝。
維基文車
西遊記/第094回
西遊記
←第九十三回
給孤園問古談因
天竺國朝王遇偶西遊記
第九十四回
四僧宴樂御花園 一怪空懷情慾喜
作者:吳承恩第九十五回
假合真形擒玉兔
真陰歸正會靈元→
姊妹计划: 数据项
話表孫行者三人隨著宣召官至午門外,黃門官即時傳奏宣進。他三個齊齊站定,更不下拜。國王問道:「那三位是聖僧駙馬之高徒?姓甚名誰?何方居住?因甚事出家?取何經卷?」行者即近前,意欲上殿。傍有護駕的喝道:「不要走,有甚話,立下奏來。」行者笑道:「我們出家人,得一步就進一步。」隨後八戒、沙僧亦俱近前。長老恐他村魯驚駕,便起身叫道:「徒弟啊,陛下問你來因,你即奏上。」行者見他那師父在傍侍立,忍不住大叫一聲道:「陛下輕人輕己。既招我師為駙馬,如何教他侍立?世間稱女夫謂之貴人,豈有貴人不坐之理。」國王聽說,大驚失色,欲退殿,恐失了觀瞻。只得硬著膽,教近侍的取繡墩來,請唐僧坐了。行者才奏道:
「老孫祖居東勝神洲傲來國花果山水簾洞。父天母地,石裂吾生。曾拜至人,學成大道。復轉仙鄉,嘯聚在洞天福地。下海降龍,登山擒獸。消死名,上生籍,官拜齊天大聖。玩賞瓊樓,喜遊寶閣。會天仙,日日歌歡;居聖境,朝朝快樂。只因亂卻蟠桃宴,大反天宮,被佛擒伏。困壓在五行山下,饑餐鐵彈,渴飲銅汁,五百年未嘗茶飯。幸我師出東土,拜西方,觀音教令脫天災,離大難,皈正在瑜伽門下。舊諱悟空,稱名行者。」
國王聞得這般名重,慌得下了龍床,走將來,以御手挽定長老道:「駙馬,也是朕之天緣,得遇你這仙姻仙眷。」三藏滿口謝恩,請國王登位。
復問:「那位是第二高徒?」八��掬嘴揚威道:
「老豬先世為人,貪歡愛懶。一生混沌,亂性迷心。未識天高地厚,難明海闊山遙。正在幽閑之際,忽然遇一真人。半句話,解開孽網;兩三言,劈破災門。當時省悟,立地投師,謹修二八之工夫,敬煉三三之前後。行滿飛昇,得超天府。荷蒙玉帝厚恩,官賜天蓬元帥,管押河兵,逍遙漢闕。只因蟠桃酒醉,戲弄嫦娥,謫官銜,遭貶臨凡;錯投胎,托生豬像。住福陵山,造惡無邊。遇觀音,指明善道。皈依佛教,保護唐僧。徑往西天,拜求妙典。法諱悟能,稱為八戒。」
國王聽言,膽戰心驚,不敢觀覷。這獃子越弄精神,搖著頭,掬著嘴,撐起耳朵,呵呵大笑。三藏又怕驚駕,即叱道:「八戒收斂!」方才叉手拱立,假扭斯文。
又問:「第三位高徒,因甚皈依?」沙和尚合掌道:
「老沙原係凡夫,因怕輪迴訪道。雲遊海角,浪蕩天涯。常得衣缽隨身,每煉心神在舍。因此虔誠,得逢仙侶。養就孩兒,配緣姹女。工滿三千,合和四相。超天界,拜玄穹,官授捲簾大將,侍御鳳輦龍車,封號將軍。也為蟠桃會上,失手打破玻璃盞,貶在流沙河,改頭換面,造孽傷生。幸喜菩薩遠遊東土,勸我皈依,等候唐朝佛子,往西天求經果正。從立自新,復修大覺。指河為姓,法諱悟淨,稱名和尚。」
國王見說,多驚多喜:喜的是女兒招了活佛,驚的是三個實乃妖神。正在驚喜之間,忽有正臺陰陽官奏道:「婚期已定本年本月十二日壬子辰良,周堂通利,宜配婚姻。」國王道:「今日是何日辰?」陰陽官奏:「今日初八,乃戊申之日,猿猴獻果,正宜進賢納事。」國王大喜,即著當駕官打掃御花園館閣樓亭,且請駙馬同三位高徒安歇,待後安排合巹佳筵,著公主匹配。眾等欽遵,國王退朝,多官皆散不題。
卻說三藏師徒們都到御花園,天色漸晚,擺了素膳。八戒喜道:「這一日也該吃飯了。」管辦人即將素米飯、麵飯等物,整擔挑來。那八戒吃了又添,添了又吃,直吃得撐腸拄腹,方才住手。少頃,又點上燈,設鋪蓋,各自歸寢。
長老見左右無人,卻恨責行者,怒聲叫道:「悟空,你這猢猻,番番害我。我說只去倒換關文,莫向彩樓前去,你怎麼直要引我去看看?如今看得好麼,卻惹出這般事來,怎生是好?」行者陪笑道:「師父說:『先母也是拋打繡毬,遇舊緣,成其夫婦。』似有慕古之意,老孫才引你去。又想著那個給孤布金寺長老之言,就此檢視真假。適見那皇帝之面,略有些晦暗之色,但只未見公主何如耳。」長老道:「你見公主便怎的?」行者道:「老孫的火眼金睛,但見面,就認得真假善惡,富貴貧窮,卻好施為,辨明邪正。」沙僧與八戒笑道:「哥哥近日又學得會相面了。」行者道:「相面之士,當我孫子罷了。」三藏喝道:「且休調嘴。只是他如今定要招我,果何以處之?」行者道:「且到十二日會喜之時,必定那公主出來參拜父母,等老孫在傍觀看。若還是個真女人,你就做了駙馬,享用國內之榮華也罷。」三藏聞言,越生嗔怒,罵道:「好猢猻!你還害我哩。卻是悟能說的,我們十節兒已上了九節七八分了,你還把熱舌頭鐸我。快早夾著,你休開那臭口;再若無禮,我就念起咒來,教你了當不得。」行者聽說念咒,慌得跪在面前道:「莫念,莫念。若是真女人,待拜堂時,我們一齊大鬧皇宮,領你去也。」
師徒說話,不覺早已入更。正是:
沉沉宮漏,廕廕花香。繡戶垂珠箔,閑庭絕火光。鞦韆索冷空留影,羌笛聲殘靜四方。繞屋有花籠月燦,隔空無樹顯星芒。杜鵑啼歇,蝴蝶夢長。銀漢橫天宇,白雲歸故鄉。正是離人情切處,風搖嫩柳更淒涼。
八戒道:「師父,夜深了,有事明早再議,且睡,且睡。」師徒們果然安歇一宵。
早又金雞唱曉。國王即登殿設朝。但見:
宮殿開軒紫氣高,風吹御樂透青霄。雲移豹尾旌旗動,日射螭頭玉珮搖。香霧細添宮柳綠,露珠微潤苑花嬌。山呼舞蹈千官列,海晏河清一統朝。
眾文武百官朝罷,又宣:「光祿寺安排十二日會喜佳筵。今日且整春罍,請駙馬在御花園中款玩。」吩咐儀制司領三位賢親去會同館少坐,著光祿寺安排三席素宴去彼奉陪。兩處俱著教坊司奏樂,伏侍賞春景,消遲日也。八戒聞得,應聲道:「陛下,我師徒自相會,更無一刻相離。今日既在御花園飲宴,帶我們去耍兩日,好教師父替你家做駙馬;不然,這個買賣生意弄不成。」那國王見他醜陋,說話粗俗,又見他扭頭捏頸,掬嘴巴,搖耳朵,即像有些風氣,猶恐攪破親事,��得依從。便教:「在永鎮華夷閣裡安排二席,我與駙馬同坐。留春亭上安排三席,請三位別坐,恐他師徒們坐次不便。」那獃子才朝上唱個喏,叫聲:「多謝。」各各而退。又傳旨教內宮官排宴,著三宮六院后妃與公主上頭,就為添妝餪子,以待十二日佳配。
將有巳時前後,那國王排駕,請唐僧都到御花園內觀看。好去處:
徑鋪彩石,檻鑿雕欄。徑鋪彩石,徑邊石畔長奇葩;檻鑿雕欄,檻外欄中生異卉。夭桃迷翡翠,嫩柳閃黃鸝。步覺幽香來袖滿,行沾清味上衣多。鳳臺龍沼,竹閣松軒。鳳臺之上,吹簫引鳳來儀;龍沼之間,養魚化龍而去。竹閣有詩,費盡推敲裁白雪;松軒文集,考成珠玉註青編。假山拳石翠,曲水碧波深。牡丹亭,薔薇架,疊錦鋪絨;茉藜檻,海棠畦,堆霞砌玉。芍藥異香,蜀葵奇豔。白梨紅杏鬥芳菲,紫蕙金萱爭爛熳。麗春花、木筆花、杜鵑花,夭夭灼灼;含笑花、鳳仙花、玉簪花,戰戰巍巍。一處處紅透胭脂潤,一叢叢芳濃錦繡圍。更喜東風回煖日,滿園嬌媚逞光輝。
一行君王幾位,觀之良久。早有儀制司官邀請行者三人入留春亭,國王攜唐僧上華夷閣,各自飲宴。那歌舞吹彈,鋪張陳設,真是:
崢嶸閶闔曙光生,鳳閣龍樓瑞靄橫。春色細鋪花草繡,天光遙射錦袍明。笙歌繚繞如仙宴,杯斝飛傳玉液清。君悅臣歡同玩賞,華夷永鎮世康寧。
此時長老見那國王敬重,無計可奈,只得勉強隨喜,誠是外喜而內憂也。坐間見壁上掛著四面金屏,屏上畫著春夏秋冬四景,皆有題詠,皆是翰林名士之詩:
《春景詩》曰:
周天一氣轉洪鈞,大地熙熙萬象新。桃李爭妍花爛熳,燕來畫棟疊香塵。
《夏景詩》曰:
薰風拂拂思遲遲,宮院榴葵映日輝。玉笛音調驚午夢,芰荷香散到庭幃。
《秋景詩》曰:
金井梧桐一葉黃,珠簾不捲夜來霜。燕知社日辭巢去,鴈折蘆花過別鄉。
《冬景詩》曰:
天雨飛雲暗淡寒,朔風吹雪積千山。深宮自有紅爐暖,報道梅開玉滿欄。
那國王見唐僧恣意看詩,便道:「駙馬喜玩詩中之味,必定善於吟哦。如不吝珠玉,請依韻各和一首如何?」長老是個對景忘情,明心見性之意。見國王欽重,命和前韻,他不覺忽詠一句道:「日暖冰消大地鈞。」國王大喜,即召侍衛官:「取文房四寶,請駙馬和完錄下,俟朕緩緩味之。」長老欣然不辭,舉筆而和:
《和春景詩》曰:
日暖冰消大地鈞,御園花卉又更新。和風膏雨民沾澤,海晏河清絕俗塵。
《和夏景詩》曰:
斗指南方白晝遲,槐雲榴火鬥光輝。黃鸝紫燕啼宮柳,巧轉雙聲��絳幃。
《和秋景詩》曰:
香飄橘綠與橙黃,松柏青青喜降霜。籬菊半開攢錦繡,笙歌韻徹水雲鄉。
《和冬景詩》曰:
瑞雪初晴氣味寒,奇峰巧石玉團山。爐燒獸炭煨酥酪,袖手高歌倚翠欄。
國王見和大喜,稱唱道:「好個『袖手高歌倚翠欄』!」遂命教坊司以新詩奏樂,盡日而散。
行者三人在留春亭亦盡受用,各飲了幾杯,也都有些酣意。正欲去尋長老,只見長老已同國王在一閣。八戒獃性發作,應聲叫道:「好快活,好自在,今日也受用這一下了。卻該趁飽兒睡覺去也。」沙僧笑道:「二哥忒沒修養。這氣飽飫,如何睡覺?」八戒道:「你那裡知道,俗語云:『吃了飯兒不挺屍,肚裡沒板脂』哩。」
唐僧與國王相別,至亭內,嗔責八戒道:「這夯貨,越發村了。這是甚麼去處,只管大呼小叫?倘或惱著國王,卻不被他傷害性命?」八戒道:「沒事,沒事。我們與他親家禮道的,他便不好生怪。常言道:『打不斷的親,罵不斷的鄰。』大家耍子,怕他怎的?」長老叱道,教拿過獃子來,打他二十禪杖。行者果一把揪翻,長老舉杖就打。獃子喊叫道:「駙馬爺爺,饒罪,饒罪。」傍有陪宴官勸住。獃子爬將起來,突突囔囔的道:「好貴人,好駙馬,親還未成,就行起王法來了。」行者侮著他嘴道:「莫胡說,莫胡說,快早睡去。」
他們又在留春亭住了一宿。到明早,依舊宴樂。
不覺樂了三四日,正值十二日佳辰。有光祿寺三部各官回奏道:「臣等自八日奉旨,駙馬府已修完,專等妝奩鋪設。合巹宴亦已完備,葷素共五百餘席。」國王心喜,欲請駙馬赴席,忽有內宮官對御前啟奏道:「萬歲,正宮娘娘有請。」國王遂退入內宮,只見那三宮皇后、六院嬪妃,引領著公主,都在昭陽宮談笑。真個是花團錦簇,那一片富麗妖嬈,真勝似天堂月殿,不亞於仙府瑤宮。有喜會佳姻新詞四首為證。
《喜詞》云:
喜喜喜,欣然樂矣。結婚姻,恩愛美。巧樣宮妝,嫦娥怎比。龍釵與鳳釵,豔豔飛金縷。櫻唇皓齒朱顏,嬝娜如花輕體。錦重重,五彩叢中;香拂佛,千金隊裡。
《會詞》云:
會會會,妖嬈嬌媚。賽毛嬙,欺楚妹。傾國傾城,比花比玉。妝飾更鮮妍,釵環多豔麗。蘭心蕙性清高,粉臉冰肌榮貴。黛眉一線遠山微,窈窕嫣姌攢錦隊。
《佳詞》云:
佳佳佳,玉女仙娃。深可愛,實堪誇。異香馥郁,脂粉交加。天臺福地遠,怎似國王家。笑語紛然嬌態,笙歌繚繞喧嘩。花堆錦砌千般美,看遍人間怎若他。
《姻詞》云:
姻姻姻,蘭麝香噴。仙子陣,美人群。嬪妃換綵,宮主妝新。雲鬢堆鴉髻,霓裳壓鳳裙。一派仙音嘹喨,兩行朱紫繽紛。當年曾結乘鸞信,今朝幸喜會佳姻。
卻說國王駕到,那后妃引著公主,並綵女、宮娥,都來迎接。國王喜孜孜,進了昭陽宮坐下。后妃等朝拜畢,國王道:「公主賢女,自初八日結綵拋毬,幸遇聖僧,想是心願已足。各衙門官又能體朕心,各項事俱已完備。今日正是佳期,可早赴合巹之宴,不要錯過時辰。」那公主走近前,倒身下拜,奏道:「父王,乞赦小女萬千之罪,有一言啟奏:這幾日聞得宮官傳說,唐聖僧有三個徒弟,他生得十分醜惡。小女不敢見他,恐見時必生恐懼。萬望父王將他發放出城方好,不致驚傷弱體,反為禍害也。」國王道:「孩兒不說,朕幾乎忘了。果然生得有些醜惡,連日教他在御花園裡留春亭管待。趁今日就上殿,打發他關文,教他出城,卻好會宴。」公主叩頭謝了恩。國王即出駕上殿,傳旨請駙馬共他三位。
原來那唐僧捏指頭兒算日子,熬至十二日,天未明,就與他三人計較道:「今日卻是十二了,這事如何區處?」行者道:「那國王我已識得他有些晦氣,還未沾身,不為大害。但只不得公主見面,若得出來,老孫一覷,就知真假,方才動作。你只管放心。他如今一定來請,打發我等出城。你自應承莫怕,我閃閃身兒就來,緊緊隨護你也。」
師徒們正講,果見當駕官同儀制司來請。行者笑道:「去來,去來。必定是與我們送行,好留師父會合。」八戒道:「送行必定有千百兩黃金白銀,我們也好買些人事回去。到我那丈人家,也再會親耍子兒去耶。」沙僧道:「二哥箝著口,休亂說,只憑大哥主張。」
遂此將行李、馬匹,俱隨那些官到於丹墀下。國王見了,教請行者三位近前道:「汝等將關文拿上來,朕當用寶、花押,交付汝等,外多備盤纏,送你三位早去靈山見佛。若取經回來,還有重謝。留駙馬在此,勿得懸念。」行者稱謝。遂教沙僧取出關文遞上。國王看了,即用了印,押了花字,又取黃金十錠、白金二十錠,聊達親禮。八戒原來財色心重,即去接了。行者朝上唱個喏道:「聒噪,聒噪。」便轉身要走。慌得個三藏一轂轆爬起,扯住行者,咬響牙根道:「你們都不顧我就去了?」行者把手捏著三藏手掌,丟個眼色道:「你在這裡寬懷歡會,我等取了經,回來看你。」那長老似信不信的,不肯放手。多官都看見,以為實是相別而去。早見國王又請駙馬上殿,著多官送三位出城。長老只得放了手上殿。
行者三人同眾出了朝門,各自相別。八戒道:「我們當真的走哩?」行者不言語,只管走至驛中。驛丞接入,看茶,擺飯。行者對八戒、沙僧道:「你兩個只在此,切莫出頭。但驛丞問甚麼事情,且含糊答應,莫與我說話。我保師父去也。」
好大聖,拔一根毫毛,吹口仙氣,叫:「變!」即變作本身模樣,與八戒、沙僧同在驛內。真身卻幌的跳在半空,變作一個蜜蜂兒。但見:
翅黃口甜尾利,隨風飄舞顛狂。最能摘蕊與偷香。度柳穿花搖蕩。辛苦幾番淘染,飛來飛去空忙。釀成濃美自何嘗。只好留存名狀。
你看他輕輕的飛入朝中,遠見那唐僧在國王左邊繡墩上坐著,愁眉不展,心存焦燥。徑飛至他毘盧帽上,悄悄的爬及耳邊,叫道:「師父,我來了,切莫憂慮。」這句話只有唐僧聽見,那夥凡人莫想知覺。唐僧聽見,始覺心寬。不一時,宮官來請道:「萬歲,合巹嘉筵已排設在鳷鵲宮中,娘娘與公主俱在宮伺候,專請萬歲同貴人會親也。」國王喜之不盡,即同駙馬進宮而去。正是那:
邪主愛花花作禍,禪心動念念生愁。
畢竟不知唐僧在內宮怎生解脫,且聽下回分解。
正確犯錯:哈佛學者揭開成長心態的關鍵,分辨失敗類型與應對方式,駕馭不確定的未來
Right Kind of Wrong: The Science of Failing Well
作者艾美.艾德蒙森
原文作者Amy Edmondson
譯者黃庭敏
語言繁體中文
出版社天下雜誌
出版日期2024/04/02
編輯推薦
失敗的變數與複雜性
成功的書很多,但一本講述失敗同時論述清晰且邏輯清楚的著作,作者在《正確犯錯》就做到了這一點。閱讀本書前你需要做點心理準備,因為邊閱讀會一邊不自覺檢視自己過去的失敗,並從條列的項目中,在悔恨中重新檢視自己失敗的原因,或許也能糾正你對成功價值的誤解,��無論如何,閱讀完你都能重建面對失敗的韌性。除此之外,現代化的失敗情況其實往往遠比你想像中複雜,在現代資訊科技與組織系統日益複雜下,由一系列小錯誤複合效應造成更巨大的失敗,自我覺察已不足以應付失敗的代價,訓練自己打開視野注意整體,更是現代人要學習對抗的失敗。從簡易到複雜,系統化建立失敗在不同型態的樣貌,並試圖改變抗拒本能,為你創建一個正確失敗的環境。
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產品資訊
內容簡介
《心理安全感的力量》作者 最新重磅力作
★Thinkers50管理思想家排行榜TOP 1
★榮獲年度行為科學家注目作品
★《金融時報》和麥肯錫年度最佳商業書獎
每個人都會犯錯,但是每個錯誤的價值並不一樣,
別讓不犯錯、規避失敗耽誤了你和團隊的成長!
為什麼優秀醫療團隊一起協作反而出現更高的錯誤率?
可口可樂瓶裝水怎麼陷入複雜型失敗,認列700萬英鎊損失?
外科開心手術如何歷經智慧型失敗,發展為一年200萬例的成熟手術?
在複雜且不確定的世界中,工作與生活經常充斥著出錯與失敗,傳統對待錯誤的態度又很苛刻,當事人飽受指責,使人普遍厭惡與恐懼犯錯,我們也就失去了從失敗中學習的機會。
雖然操作或判斷失誤並不可恥、也不代表無能,這樣的想法日漸獲得認同,有不少新創企業還推崇起「快速犯錯,經常失敗」的文化,但仍有更多人與組織還是羞於犯錯與認錯,極盡所能避免失敗與被究責,因為他們不認為身處有心理安全感的環境。
作者艾德蒙森是哈佛商學院教授,在全球最具影響力的 Thinkers50 名列第一,身為提出「心理安全感」概念的先驅,《正確犯錯》正是她累積25年來研究錯誤與失敗的成果。在這本新作中,她將暢談三種常見的失敗類型,指導我們辦別成因,重新架構,理性看待:
基本型:通常有SOP,常因疏忽大意而犯錯,可善用清單工具來預防
複雜型:最常出現在複雜的系統環境中,環環相扣,導致難以避免的災難結果
智慧型:總發生在進入新領域,比如研發疫苗,是進步所必須的「好的失敗」
只要你不犯第二回,智慧型失敗不算是錯誤,它需要縝密的思考,由於是犯盡可能小的失誤,不會造成不必要的傷害,且提供你寶貴的新知識,帶來新發現與新價值,還會產生有用的學習成果,增進我們的認知,這就是正確犯錯!
針對三種失敗類型,作者提出三項最新思維,幫助我們不錯失成長良機,也不冒進,從容應對與防範非必要的失敗:
自我覺察:藉由自我反省、謙遜、誠實和好奇的能力,洞察自身行為模式
狀態意識:學習解讀特定情況的失敗可能性,掌握與判斷周遭情勢
系統意識:學會觀察和充分理解家庭、組織、自然或政治系統的運作
沒有清楚辨別失敗類型的魯莽行動,將帶來無意義的失敗,虛擲機會,浪費時間與資源;只有經過明智判斷的「正確犯錯」,才能創造有價值的經驗學習,真正學到東西,達到目標的最大效益。
目錄
前 言
成功的道路上必然會有失敗
緒 論
犯錯失敗不一定是壞事
第一篇
辨別三種失敗類型
第一章
如何正確犯錯
從好的失敗中學習,避免不必要的失誤,在合作中受益
第二章
智慧型失敗
智慧型失敗是發掘新事物的必要基石
第三章
基本型失敗
基本型失敗幾乎可在小心謹慎的情況下完全避免
第四章
複雜型失敗
複雜型失敗經常發生在相當熟悉的環境中
第二篇
從失敗中學習成長
第五章
戰勝本能與自我局限
自我覺察需要我們變得非常謙虛和好奇
第六章
因應不同失敗情境與後果
狀態意識能夠評估當前處境,採取適當行動
第七章
建立系統思維與設計策略
系統意識首要訓練自己注意整體,而非關注局部
第八章
犯錯難免,如何成長進步
塑造健康的失敗文化,汲取教訓改進成長將容易許多
序
前言
成功的道路上必然會有失敗
1993年6月,當時我是哈佛大學新開設的組織行為學博士班學生,我坐在威廉詹姆斯大廳(William James Hall)15樓辦公室的舊木桌前,傾身仔細觀察我那台笨重蘋果電腦上的黑白小螢幕。我衡量附近兩家醫院團隊合作情況的一疊問卷調查表被推到桌子邊緣靠著牆放著。六個月前,數百名護士和醫生填寫了這些調查表,讓我了解他們團隊的工作情況。透過對資料的分析,我知曉有些團隊的合作程度比其他團隊要好得多,現在讓我來看看他們犯了多少錯誤。在我手中的電腦小磁片裡,保存了過去六個月來護士辛苦收集、期待已久的各個團隊用藥錯誤資料。我所需要做的就是進行統計分析,看看團隊調查資料與醫院的錯誤資料是否相關。
這是我面臨第一次重大研究失敗之前的時刻。
我很快發現這不是我第一次思量,也許自己不適合攻讀博士學位。我對唸研究所一直態度很矛盾,我欽佩那些沒有高學位、卻能在世界上做出有意義貢獻的人。我認為一般人若是聰明又能幹,應該也能夠開闢一條獨特的前進道路,從事改變世界的工作。但大學畢業十年後,我必須承認自覺有些挫敗感。
的確,那十年的大部分時間都是充滿創意的,而且從某些角度來看,還令人羨慕。我曾擔任富勒(Buckminster Fuller)的總工程師,富勒富有遠見,他發明測地線圓頂建築。之後,在與一家諮詢公司創辦人的偶然會面後,我從工程領域轉向組織發展領域,並且很快就著迷於組織及其所犯錯誤導致的失敗!我曾與美國一些歷史最悠久、規模最大的公司合作過。我在1980年代末遇到過美國汽車行業的經理,他們看到客戶想要省油、高品質的汽車,比如從日本進口的新汽車,但無法讓他們的大型組織重新調整生產方式。在我看來,深思熟慮的管理者們都在抱怨他們的組織無法適應世界所需的明顯變化。我非常喜歡這份工作,而我的挫敗感來自於我自認已經盡了最大的努力。為了在組織行為和管理的新領域發揮更大的能力,我必須重返校園。然後,也許我就能為我心中逐漸成形的目標做出有意義的貢獻:幫助人們和組織學習,以便他們能夠在不斷變化的世界中茁壯成長。
我不知道如何研究這個問題,對於改變組織的運作方式,也不知道如何有所貢獻。但這似乎是一個值得解決的問題,我相信我可以向心理學和組織行為學教授學習,對於使人們和組織難以學習和發展的狀態,希望能找到方法來理解和加以改變,並能有所作為。
由於我對組織如何學習感興趣,身為一名迎接嶄新身分的博士生,我欣然接受邀請,加入附近哈佛醫學院研究用藥錯誤的研究團隊,這個現成的專案幫助我學習如何進行獨創的研究。你小學一年級的老師可能告訴你,犯錯是學習的重要機會來源。在醫院待過的人都知道,用藥錯誤的情況眾多,而且後果嚴重。
但突然間,這對於我的研究生涯來說似乎是個不祥的開端,我的���設顯然沒有得到支持。我曾預測,更好的團隊合作會減少用藥錯誤,衡量的方式是透過護士調查員每週多次到醫院檢查患者病歷,並與在那裡工作的護士和醫生交談。然而,結果卻顯示團隊合作愈好,錯誤率愈高,而不是愈低。我不僅錯了,還大錯特錯。
當我開始重新質疑自己能否成為一名研究人員時,我發表研究成果論文的希望也隨之破滅。大多數人都為自己的失敗感到羞恥,所以我們更有可能隱藏失敗,而不是從中學習。組織中發生錯誤,並不意味著自然就會學習和改進。由於羞於犯錯,我不敢告訴我的指導老師。
沒過幾天,檢視此次失敗的意外發現,輕輕地將我引向新的見解、新的資料和後續的研究專案,挽救並改變我的學術生涯方向。我根據這一項研究發表的研究論文,名為《從錯誤中學習,說得容易做起來難》(Learning from Mistakes Is Easier Said Than Done),這是我後來許多研究的前身,也是貫穿我一生心力和本書的主題。
我也開始明白,身為一名研究人員,成功的道路上必然會有失敗。如果你沒有失敗,那麼你就沒有進入新的領域。從早先那段時間起,在我的腦海中,對「錯誤」、「失敗」和「不幸事件」等術語開始有更細緻入微的理解。現在我可以和各位分享了。
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インド建築縦走旅vol3 ジャイプール
インド旅のブログを一向に更新できないままあっという間に1ヶ月以上経ちましたが、思い出しながらのんびり更新中。
3つめの都市ジャイプール。朝3時半のお迎えで飛行機で飛びました(国内線なのでチェックインもすんなりかと思っていたら、インドは国内でも2時間前に空港に行く)空港でドライバーさんと合流し、まずは、郊外のアンベール城に向かう。

ジャイプールがあるのは広大な砂漠が広がるラジャスタン州、8世紀からヒンドゥー教を信奉するラージプート族が住み、ペルシャやトルコの文化を取り入れた独自の文化を築いていた地域、様々な民族が行き交う要衝地だったことから丘陵地帯に城塞が築かれ、6つの城塞が世界遺産に登録されています。中でも、16世紀、ラージプート族のマハラジャが築いたアンベール城は、都市機能を持ち、ジャイプールに遷都されるまでの150年間、繁栄し続けた都。
朝の光に照らされた城塞を見上げながら歩く。象のタクシーも魅力的でしたが自走。

かつては王族だけが通ることを許されたという太陽門、スーラジポールをくぐると

大きな広場。ジャレブ・チョウク。門の上にインドならではのえ「チャトリ」が載っている。

チケットを入手してさらに上がり、獅子門(スィンポール)をくぐる。赤砂岩の建物と軒天井から壁の小口にまで細かく描かれた幾何学模様の美しいこと。

またも広場があらわれる。左手にある列柱の建物がディワーネアーム(一般謁見の間)、奥に見えるのがガネーシャ門。

赤砂岩と大理石のディワーネアーム。

装飾的な列柱空間。

そして、世界一美しいというガネーシャ門、

この奥に現れるのが幾何学模様の庭園。スク・ニワース(歓喜の間)からジャイ・マンディル(勝利の間)をのぞむ。

スク・ニワース(歓喜の間)、涼やかな白とブルーの空間はマハラジャたちが涼をとるために室内に水が回る造りだそう。

ジャイ・マンディル(勝利の間)

目をみはる天井の象嵌細工と、壁は鏡がちりばめられた装飾。別名シーシュ・マハル、鏡の間。

マハラジャは夜毎開かれる宴をこの場所で楽しんだとか。

同じ模様でも色の違いで雰囲気が変わる。組み合わせも、大理石、象嵌、ステンドグラスと色々。400年以上前の人々のセンスたるや。

そして奥の奥にあるのがハーレム、マハラジャの妻たちの住まい。大奥、後宮、呼び方さまざまあれど、妻たちの住まいの位置付けは世界共通だったのか・・・これまでの豪華さに比べると簡素ですが、赤砂岩とお花のフレスコ画が女性らしい。ここに妻たちがひしめきあっていた様子を想像してみる。まさに酒池肉林。

ハーレムは、マハラジャがどの部屋を訪ねたか知られないような作りになっているんだそう。

チャトリと幾何学模様の開口部が美しい回廊をぐるりまわって、再び絢爛豪華エリアの中庭へ。奥の山の上にあるのがこのあとゆくジャイガル要塞。

最後に、ソーハグマンディル。美しい幾何学模様たち。この繊細な穴あき開口部はどうやって作っているのか。。。

想像をはるかに超えるマハラジャのすごさにため息をつきながら城をあとにするワタシ。と象。

そして、ジャイガル要塞へ。上から見るアンベール城。

ジャイプール市街に戻り、シティパレスへ。18世紀に作られて以来、今もなおジャイプールのマハラジャの住まいとなっているというチャンドラマハル。ラージプート様式とムガル様式のミックスだとか。

中庭に入ると、美しい門が並ぶ。

いにしえのアンベール城に対して、生きているマハラジャの住まい。マハラジャって現存するんですね。

そして、パワ・マハル(風の宮殿)、宮殿というけど、奥行きがなくとても薄い。その昔、後宮の女性たちが顔を見せることなく街を見物できる造りだとか。

ここから、ショッピング!ということで、ブロックプリントの老舗、アノーキ本店へ。手彫りの木版に染料をつけてスタンプを繰り返す、インドの伝統的な染色様式。色々お買い物。

帰りの飛行機の時間が決まっている日帰りの私たち、お昼すっとばしで巡ってきましたが、最後、どうしてもいきたかったラッシーワラをめざす。WALAはヒンズー語で〜屋という意味。ラッシー屋が軒を並べている。

きたー。今まで飲んできたラッシーとは見た目から違う。液体というよりシェイクのような??
お昼もとばして、朝からたくさん歩いたあとに飲むラッシーのおいしさといったら!濃厚だけど重くない、甘みと酸味の絶妙さ、最高です。

大喜び大満足で車に戻った私たちに「一番左の店が一番有名で美味しいんだよ、知り合いだよ」とドライバーさん。ん?私たち行ったの真ん中では???
えーーー!?先に言ってよーと思うも、このラッシーは間違いなく人生で一番美味しかった。(あとで検証するに、有名店と言われる店は、売り切れ店じまいだったのかも?誰も並んでいなかったし)そしてびっくりなのは、この陶器のカップは使い捨てです。

こうしてジャイプール日帰り旅が終了。無事にデリーへ戻り、いよいよチャンディガルへ移動です。
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五篇 追加 その二
江戸の太太講(だいだいこう)に参加した弥次郎兵衛、全く別の場所に来てしまってしょげかえっている。
この連中の二、三人が弥次郎兵衛に、 「これこれお前さんは見なれぬ人じゃが、誰じゃいな。」 と、問いかけてきた。 「はいはい。」 と言いながらも人ごみの中から、知っている顔を見つけようと弥次郎兵衛は必死である。 「はて、こいつは何をきょろきょろするんじゃ。誰じゃというのに。」 と連中の一人が言うと弥次郎兵衛は、 「私はいや、米屋の太郎兵衛さんに聞けばすぐ判ります。」 と又言う。 「はて、そないな人はうちの講にはおらんというのに。 なにやら気味の悪い人じゃわいな。」 それを聞いていた御師の使いが、 「はあお前様は、あなたがたのお連れではございませんのかいな。」 と聞くとみな首を振って、 「ああ知らん顔じゃわいな。」 と言う。
それまでおとなしく話していた御師の使いが、急に態度を変えると、 「いやそれは、どういうことじゃ。 とっとと出て行け。ふざけた野郎だ。」 と、弥次郎兵衛に詰め寄ってきた。 「わかった。こいつは泥棒だ。放り出してやらんせ。本当に怪しいやつだ。」 と連中の一人が言うので、弥次郎兵衛が、 「ええ、そんなに言いなさるこたあねえ。 放り出すとはなんのこった。とほうもねえ。」 と言う。 「はあ、お前の喋り方はお江戸の人じゃな。 わかった。 今さっきのお江戸の太太講とひと所で落ち合ったが、その時お前の乗ったかごがこちらの中へ紛れ込んでござんしたのじゃな。」 連中の一人がしたり顔で答える。 そうかと弥次郎兵衛は、 「なるほどそうか。それなら私の行く御師どのは、どこでございます。」 と誰にともなく言うと、 「なにお前の行くところを、誰が知っているものか。」 御師の使いが、不思議そうに言う。 「だいいち自分が行く御師どのを、知らんということがあるかいな。 こりゃ貴様はわざとこちらの中に入り込んで、ただ飯を食うつもりだったな。」 連中は、 「ええ、ふざけた奴じゃ。脳天、殴ってやろうか。」 と皆々言っている。
「いや無茶苦茶言いやがる。お前らの太太講で食い倒したとしてもたかがしれている。あんまり江戸っ子を馬鹿にするなよ。 俺ひとりで太太講をやってやる。」 と弥次郎兵衛が、そこにどっさりと座った。 御師の使いは、さも、あきれたように、 「なにお前がお一人でかいな。こりゃたまげた。おまいが一人で。」 と言うと、 「当たり前だ。これだけありゃ大丈夫だろう。これで、たのみます。」 と筒状で底のない長い袋を腰からはずして、その中から金を二百文取り出す。 それを見て御師の使いはまたまたびっくりする。 「ははは、太太講は安うて金十五両も出さんせんけりゃ、でけんわいな。」 と言うと、弥次郎兵衛が、 「何!にこれでは、出来んのか。」 としょげ返る。
御師の使いは笑いながら、 「さやじゃ、さよじゃ。」 と言うのでつい、弥次郎兵衛が、 「だいだいじゃないなら、ミカンで頼みます。」 と洒落る。 それを聞いた連中の一人が、 「ははは、それならキンカンにしたらどうだ。ははは。」 と、笑っていう。 御師の使いは、 「いや面白い人じゃ。ああ、思い出した。 お前の行く所は、内宮の山荘太夫どのじゃわいの。 さっきの使いが、山荘太夫じゃからな。 ここから妙見町をまっすぐ行って、古市の先へいって尋ねさんせ。」 と御師の使いが教えてやると、 「はあそうか、こりゃ有りがたい。本当に、賑わせました。」 と弥次郎兵衛が出て行くと、連中は、 「えらいあほうじゃ、ははは。」 と、どっと笑う。
弥次郎兵衛は腹が立ったが怒ってもしょうがないと、しょぼしょぼと元気なくここを出ると、御師の使いが教えてくれた通りに歩き出した。
鉢植えの 太太講に あらねども 宙ぶらりんと なりし間違い
それより弥次郎兵衛はすじちがいまで戻ると、妙見町を目指して歩き出した。 道すがら、北八はどうしたかな。 米屋の太郎兵衛らといっしに御師の方へ行ったのか、あるいは上方者と妙見町に泊まったのだろうかと考えながら歩いて広小路に着いた。
ここの旅館の客引きが、 「もし、お泊まりじゃいな。」 と声をかけてきた。 弥次郎兵衛が、 「ちと道を尋ねたいんだが、妙見町はまだだいぶ先だろうか。」 「いや、このすぐ先じゃ。」 と客引きは、そっけなく答えると、別の旅人に声をかけている。
弥次郎兵衛は、また、歩き出すと、 「まてよ。その妙見町で、連れの上方者が泊まるといっていたな。 さて何屋だったか。」 と思い出そうとしたが、『藤屋』というのが出てこない。 もう少しで出て��そうなんだがと、弥次郎兵衛が歩きながら思案していると、ふと、棚からぶらさがっているような名前じゃなかったかなと思い出した。 それで、 「もしもし、妙見町にぶらさがっている宿屋はございませんか。」 と弥次郎兵衛が行き会った人に声をかけると、そこにいた人は、 「なに藪から棒に。ぶら下がっている宿屋とはなんだ。 そんなの知らんわいの。」 と行き過ぎる。 弥次郎兵衛が、 「なるほど、ここらで尋ねても知らないか。 もうちょっと先に行って、妙見町に入ってから尋ねてみよう。」 とここを過ぎて、急いで歩いて行った。
薬の『万金丹』の看板がかかっている所でその看板に妙見町山原七右衛門とかいてあるのをみて、さてここが妙見町なんだなと思い往来の人をよびとめて、 「もしここらにぶらさがっているような名の旅館は、ございやせんかね。」 と言うと、往来の人は不思議そうに、 「なんじゃいな。ぶらさがっている旅館とは。何屋のことじゃ。」 と弥次郎兵衛を見る。 「宿屋さ。」 と言うと、 「で、その宿の名前は。」 と聞いてくるので、 「名前を忘れてしまったんだが確か、ぶら下がったような名だったと。」 と弥次郎兵衛が言う。 「いやそういっても、ぶらさがった宿とはな。」 とその人は、腕組みして考えだした。 「そういえば向こうの角にある、それ、今人が立っているところの宿な。 あそこは去年首くくりがあって、ぶら下がった宿といえるかもしれん。」 「いや、そんなもののぶらさがったのじゃあございやせん。」 と弥次郎兵衛は、否定したのだが、 「はてまあ、行ってみろ。あそこも宿屋じゃ。 そこで聞いてみるのもいいじゃろ。」 とその人が言うので、 「なるほどはい、さようなら。」 と弥次郎兵衛は走って、人が立っていた宿屋に行ったがさっきまでたっていた人がいなくなって、何処だかわからなくなってしまった。 仕方がないのでどこかこの辺だろうと適当な家に入ると、 「もしもしちょっと、ものを尋ねますが、去年首をおくくりになさったはあなたでございやすか。」 と問いかけた。 この家の亭主はいきなりそういわれて、びっくりして、 「いやわしゃ、首つったことはないがな。」 と変な受け答えをする。
弥次郎兵衛が、 「そんなら、どこでございやす。」 とさらに、亭主に聞くと、 「ここらで、首を吊った家など知らんがな。 この二、三軒さきに棚から落ちた牡丹餅を食って咽をつめて死んだ家があるが、もしかするとそれじゃないかいな。」 と真剣に考えて答える。 弥次郎兵衛はやけくそぎみに、 「行って見ましょう。なんでも、棚からさがったような家だ。」 と又、二三軒先に行きある家の前で、 「もし、棚からおちた家はお前さんとこじゃあございやせんか。」 と、とんでもないことを言う。 この家の女房らしき女が出てきて、 「いいえな、私のとこの家は元からここで今だかつて、棚へ上げておいたことはない。」 と言うのを聞いて、 「はあ他には、ございませんか。」 と弥次郎兵衛が、女房に問うと、 「そりゃ、お前さんの、聞き違いじゃあろぞいな。 山から落ちた家じゃおませんかいな。 それじゃと、相の山の与次郎の小屋がこの間の風で谷へふきおとされたということでおますがな。うん、それじゃろいな。」 と勝手に納得してしまう。
弥次郎兵衛は、 「いやそれでもない。こりゃあ、困ったことになった。 何が何だか、さっぱりわからなくなってしまった。 何もかも無くしてしまったようだ。」 と、その場に座り込んでしまった。
つづく。
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安倍元総理銃撃事件をきっかけに明らかになった自民党と旧統一教会との癒着。その原点はどこにあったのでしょうか? 1959年に統一教会が日本に進出して以降の岸一族との知られざる関係を、教団側の現役幹部がテレビの前で初めて証言しました。 教団側の現役幹部が初証言「関係がなかったなんて、言えないと思う」 朝日新聞が2024年9月、安倍晋三元総理と統一教会の会長らが2013年の参院選直前に自民党本部で面会していたことを報じました。 この場に同席していた教団の政治団体「国際勝共連合」の渡邊芳雄(わたなべ・よしお)副会長。 国際勝共連合 渡邊芳雄副会長 「(朝日新聞の写真を指さして)こちらです。一番端っこです」 初めて取材に応じた理由は「これまでの報道は一方的だ。教団側と自民党の関係、その真実を知ってほしい」というものでした。 国際勝共連合 渡邊副会長 「2013年の参議院議員選挙において、全国比例で特定の候補・北村経夫さん。この人を応援しようという動きになりました。それを(安倍元総理に)説明しに行ったと思います」 Q.安倍元総理はどういう反応を 「うれしいと言いましょうか、合意の言葉があったと思います」 けれど自民党は、一貫して「教団との組織的な関係はなかった」と主張してきたはず。 国際勝共連合 渡邊副会長 「『今まで組織的なつながりを持ったことがない』なんて言えないと思いますよ」 きっかけは今から60年ほど前。 (山梨県の)本栖湖の湖畔で、統一教会教祖・文鮮明(ムン・ソンミョン)氏と右翼のドンと云われた笹川良一(ささかわ・りょういち)氏が、ある合意に至ったのです。 笹川氏は、“戦後を代表する政財界のフィクサー”の異名を持ち、全国モーターボート競争会連合会の会長でもありました。 会場になったボートレーサーの養成施設は今も当時のまま。そこに招かれた文氏は、笹川氏の協力のもと「国際勝共連合」を立ち上げることを決めたのです。 笹川氏がメディアから“タブー視”されていたこともあり、統一教会との関係はほとんど報じられませんでした。 朝鮮半島を分断した戦争の記憶もまだ生々しい時期。統一教会が韓国で創立された背景には、共産主義勢力への対抗という側面もあったのです。 本栖湖での会談から遡ること8年、教団は日本に進出。 その後すぐ、笹川氏の人脈を介して反共思想の持ち主・岸信介氏に接近します。 以来、娘婿(安倍晋太郎氏)から孫の安倍晋三氏へ。関係は、あの銃撃事件によって注目されるまで、ベールに包まれていたのです。 半世紀あまりの三代にわたる、政治家一家と統一教会の絆を紐解きます。 岸・安倍三代と統一教会 “組織的関係の原点” 岸信介氏の総理就任は1957年でした。TBSには、在任中の元総理を追った貴重な映像が残っています。そこには、孫の安倍晋三氏(当時3歳)も。 岸信介元総理 「僕は?僕はいくつだ?」 「特に弟(晋三氏)の方が乱暴者で。おい、じっとしなきゃダメだ。あそこでうつりますよ」 娘婿の安倍晋太郎氏と晋三氏が遊んでいるのは、渋谷区南平台にあった岸氏の邸宅です。 この時期、日本の領域内で日米の共同防衛を可能にすることを目指していた岸元総理。1960年には日米安保条約の改定に取り組みました。 これに反発した人々は大規模なデモで「安保反対」を叫びます。デモ隊は、岸元総理の邸宅にも押し寄せました。 当時の報道 「『岸を倒せ』のデモの声が毎日毎日、南平台に続きました」 反共を掲げる岸元総理は、デモを主導する左翼の人々への嫌悪を回顧録に綴っています。 岸信介著「岸信介回顧録 保守合同と安保改定」より 「共産党員というものは、人間の誠実さとか善意の通用しない、我々の頭の中にある“人間”には当てはまらない連中だと思っていた」 新安保条約が成立すると、岸内閣は退陣。岸氏は南平台に二軒並んでいた邸宅のひとつを手放します。 そこに1964年に移転してきたのが、統一教会の日本本部でした。 岸氏や孫の晋三氏らが遊んでいた、あの庭で信者がランニングや体操にいそしむ姿がありました。 その後、急速に接近した教祖・文鮮明氏と岸氏。2人の間をなぜ、笹川氏が取り持つことができたのでしょうか。 笹川氏と岸氏は戦後、A級戦犯の容疑で、ともにスガモプリズンに収監されていました。それ以来、親交があったのです。 国際勝共連合の渡邊副会長によれば笹川氏は岸元総理に、こう語ったと言います。 国際勝共連合 渡邊芳雄副会長 「『是非、見守っていてもらいたい。あるいは時には協力してもらいたい』と笹川先生から(岸元総理に)言われたということがあって、それで岸先生が南平台の教会の本部を訪ねるようになったというのが最初です」 勝共連合の勝共とは、共産主義に打ち勝つこと。統一教会は1960年代半ばから、「勝共運動」を世界に広め始めます。 文氏が日本での拠点を作るべく、笹川氏と会合を持ったのが、あの本栖湖の施設でした。 いまもそのままに残る、第3特別室。笹川氏と文氏が日本における勝共運動の推進を誓ったのがまさにこの部屋でした。 教団側に残されていた写真からは、笹川氏や岸氏が積極的に活動に参加していたことが見て取れます。 1970���には、韓国が中心となって世界のさまざまな反共団体を組織した世界反共連盟・WACL(ワクル)の大会が日本武道館で開かれました。これを取り仕切ったのも勝共連合です。 国際勝共連合YouTubeより 「WACL大会総裁・笹川良一氏が津波のような拍手とともに登壇」 笹川良一氏 「我々は世界をいでとし、人類すべてを兄弟と考えておるものであります」 演説を目の当たりにした統一教会元幹部の記憶は、いまも鮮やかです。 元アメリカ統一教会 幹部 アレン・ウッドさん 「笹川氏は胸を叩きながら『私は文氏の犬だ』と言った。驚くべき言葉でした」 宗教団体の票を頼るようになった背景は? 大きな転機は「京都府知事選」 教団が掲げる反共の理念に賛同の意を表明した政治家に福田赳夫氏がいます。 福田赳夫大蔵大臣(当時) 「アジアに偉大なる指導者あらわる、その名は文鮮明ということである」 福田氏や安倍晋太郎氏の番記者だった政治ジャーナリスト・秋山光人さんは、福田氏が総裁選で、田中角栄氏に敗北を喫したことが宗教団体の票を頼るようになった背景にあると指摘します。 政治ジャーナリスト 秋山光人さん 「非常な金権選挙があって、集票マシーンである建設業界というのはほとんど旧田中派になびいていた。だから福田さんの政権になるまでは、ずっと冷や飯を食っていて、厳しい立場に清和会(福田派)の人は置かれていたわけですね」 Q.清和会(福田派)の議員にとっては何でも票は欲しかった? 「それは昔から今までそうじゃないですか」 統一教会の大きな転機は、1978年の京都府知事選でした。 政治家の信頼を勝ち取るべく、勝共連合が選挙支援に乗り出したのです。 28年続いていた共産党の地盤に全国の信者が集結。自民党が推薦する候補を応援しました。信者は、共産党を攻撃するビラを大量にまいたのです。 その結果、共産党候補は落選。勝共連合の組織力・集票力が政界に知れ渡ります。 彼らが爆発的な力を見せたのが、1986年の衆参ダブル選挙でした。 国際勝共連合 渡邊副会長 「中曽根政権のときの衆参ダブル選挙のときが圧倒的だったので。(選挙前に)中曽根先生とお会いし、あるいは安倍晋太郎先生とお会いして、どういうふうな選挙応援をするかというのは協議し合って動いた形ですね」 自民党と勝共連合は支援する候補者や手法まで協議していたといいます。 衆議院で300議席を獲得し、自民党圧勝に終わった選挙。 勝共連合は支援で130人を当選させたと機関誌で喧伝。政界とのパイプが新たな信者の獲得にも利用されたのです。 文鮮明氏「文鮮明先生マルスム(御言)選集」より 「(1986年の)選挙当時に日本の金で60億円以上使った。統一教会は恐ろしいです。(信者が)40人いれば1人当選させることができます」 安倍晋太郎氏、落選を経験 より一層教団側と接近へ 選挙支援のお礼を述べたことも 1986年、統一教会と自民党の関係はさらに深まります。岸・福田両元総理に連なる派閥の会長に安倍晋太郎氏が立ち、ここに安倍派が生まれました。 安倍晋太郎外務大臣(当時・1986年7月の清和会総会) 「福田精神を、福田スピリットをしっかりと継承いたしまして…」 教団側とのパイプも晋太郎氏に引き継がれます。 1958年に初当選した晋太郎氏には、落選の経験が一度だけありました。その落胆ぶりを知るのは安倍家と近しい、元共同通信の野上忠興(ただおき)さんです。 元共同通信・野上忠興さん 「自宅に戻ってきたときに、家族全員集めて土下座して『こんなことになった』と『申し訳ない』と泣きながら頭を下げた。後に私にも言っていましたけれども、あれで『俺は人が変わった』と」 1987年に行われた総裁選では、竹下登氏と宮澤喜一氏と争いましたが… 記者 「竹下!竹下!竹下!決まった決まった!」 現職の総裁が次期総裁を指名する“中曽根裁定”で政権は竹下氏に。 安倍晋太郎氏 「いや、ほんとにさっぱりしましたよ。やるべきことはやった、ベストを尽くした」 しかし、胸中には期するものがあったようです。 元共同通信・野上さん 「(衆院選挙で)1回落ちたのが結果的にこういうことになったのかなと。(その後)『やっぱり数だ』と猛烈に動き出すわけですよね。入院中、胆汁を吸い取る管をつけながら全国を回って、二十何人も新人を当選させたりして、数を増やすわけですけどね」 身をもって選挙の厳しさを感じた晋太郎氏は、より一層、教団側と接近していったのです。 勝共連合の会合で、選挙支援のお礼を堂々と述べています。 自民党 安倍晋太郎幹事長(当時) 「日本のために、そして共産主義を排除して、自由主義・民主主義を確立していくために、(勝共連合のみなさんが)働いていただいておる姿は我々いつも感銘を持って、感謝を持って受け止めておるわけです」 晋太郎氏が世を去るとパイプ消滅のように見えたが…祖父の遺志を受け継ぎ、晋三氏へ ところが1990年代に入り合同結婚式の異様さや霊感商法の悪質な実態が報じられ社会問題化しました。議員の殆どは表面上、教団と距離を置くようになります。 1991年に晋太郎氏が世を去ると、岸元総理から続いたパイプも消滅するかに見えましたが… 安倍晋三氏 「志半ばで倒れました父・安倍晋太郎の意志を受け継いで、立候補いたしました」 父の死から2年、地盤を引き継いだ晋三氏が初当選します。晋三氏の胸には、安保反対の声と戦い、新安保条約の締結を成し遂げた祖父の姿が焼き付いていました。 著書にも綴られた言葉。 「美しい国へ」安倍晋三著 「世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった。間違っているのは、安保反対を叫ぶ彼らのほうではないか」 高校時代は、安保に反対する教師に対して毅然と胸を張ったことも… 安倍晋三官房長官(2006年) 「祖父が安保改定の張本人だったものですから、安保について肯定的な意見を何回か述べたことがあります。先生はじめ、皆さん黙ったんですね。そのときに反対している人たちも、こんなもんなんだなと思ったのを思い出しました」 保守を貫いた祖父を敬い、数の正義を信じた父に学んだ晋三氏。教団側との関係を引き継ぐのは当然の成り行きでした。 官房長官時代、教団関連団体のイベントに祝電を送った記録も残っています。 教団関連団体のイベント 司会者 「岸信介元総理大臣のお孫様でいらっしゃり、現内閣官房長官、衆議院議員の安倍晋三様」 2006年に総理に就任しましたが体調を崩し、1年で退陣。けれど5年後に返り咲きます。 安倍晋三総理(TBSラジオ「政策情報 官邸発」より) 「私の祖父の岸信介もよく晩年、『もう一回総理大臣やったら俺はもっとうまくやるけどね』と言っていたんですね。今こそ私は身を捨てて、もう一度挑戦すべきではないかという決意をしたのが、大体おととし(2011年)の終わり頃くらいでしょうかね」 祖父の遺志を受け継ぐ覚悟でした。そして最初の参院選に向け、統一教会幹部との面会で選挙支援について話し合ったのです。 2013年、統一教会からの選挙支援を確認したという安倍元総理。総理就任後、初の参院選でした。 政治ジャーナリスト 秋山光人さん 「本当に選挙は大好きな人だったですね。第2次安倍政権が戦後史上で最長の政権だったわけですけど、その秘訣というのは、やはり選挙に勝ったことですね。常に勝ち続けると」 飽くなき執念があったと言います。 政治ジャーナリスト 秋山さん 「もっとすごいのは、彼(晋三氏)は3期目も視野に入れていたと思いますよ。あんまり人には言ってないけど彼は。漏れ聞いたことありますね」 自民党は関係断裂宣言 一方で連合副会長は「断絶宣言を解除してもらいたい」 統一教会と、岸・安倍三代の半世紀をこえる結びつき。その延長に描いた晋三氏の野望。それを阻んだのが教団関連団体のイベントで流された映像です。 安倍晋三元総理(2021年9月) 「韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁をはじめ、皆様に敬意を表します」 教祖・文鮮明氏の妻にして教団のトップ、韓鶴子氏を称える安倍元総理の言葉が、信者の息子・山上徹也被告を、凶行に駆り立てました。 2022年7月8日、安倍元総理が銃撃されたのです。 事件をきっかけに、初めて大手メディアは教団と政治家との結びつきを取材し、批判的に報道。長年にわたり、教団からの支援を受けてきた自民党は、ついに彼らとの関係断絶を宣言しました。 国際勝共連合 渡邊副会長 「相当の覚悟を固めなければいけないと思いましたし、涙が出ましたね。そういう理不尽さみたいなものがこらえきれないというのはありました。早く“関係断絶宣言”を解除してもらいたいなという思いは常に持っています」 解散命令は出されるのか。一方で、支援を受けた政治家たちは、貝のように沈黙したままです。
安倍3代と統一教会 半世紀余りの“組織的関係”の原点 「信者が40人いれば1人当選させられる」【報道の日2024】 | TBS NEWS DIG (1ページ)
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