#安斎随筆
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fukagawakaidan · 10 months ago
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三��目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけ��妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同��れていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。���
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) ���仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に��動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神と���て祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油を��すみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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15 notes · View notes
kennak · 8 months ago
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私は「里見八犬伝」(1983年公開。以降は角川版と表記)世代なので 「虚の世界」のパートでの比較は避けられず、JACスター勢揃いの角川版からのパワーダウンが半端ないのだ。 ちなみに、2作はどちらも馬琴の書いた八剣士の物語ではあるものの、ストーリーが大きく異なっている。 それについては本記事の後半で紹介するが、ひとまず本題に戻そう。 角川版の八犬士がヘビー級なら、本作の八犬士はミドル級にも程遠く、せいぜいライト級かフェザー級といったところ。 敵役も玉梓が夏木マリから栗山千明では勝負にならない。 浜路の河合優実も、全く彼女の良さが出ていなかった。 角川版では八剣士の中心人物であった親兵衛は本作ではほぼ空気。 ちなみに演じている藤岡真威人は藤岡弘の息子で、2020年にセガ創立60周年を記念して せがた三四郎の息子・せが四郎としてメディアデビュー。 先日から始まった実写ドラマ版「ウイングマン」では主演を務めている。 原作が違うのだからストーリー展開が異なるのは仕方ないとはいえ 演者も演出も外連味の塊とも言える角川版に比べると芝居が圧倒的に軽く、演出もVFX頼みで迫力に欠ける。 旬の俳優を集めた超豪華な2.5次元舞台、と書くとその筋のファンの方に怒られるだろうか。 唯一頑張ったのは、犬坂毛野を演じた板垣李光人。 角川版で��登場した暗殺シーンは、志穂美悦子の見惚れる剣術とはまた違ったアプローチでなかなか良かった。 皆がああいった形で角川版とは違う魅力を見せてくれていれば印象は随分と変わっていたはず。 ここまで「実の世界」のキャストを実力派で固めるのであれば 「虚の世界」は「キル・ビル」のように、いっそアニメで作っても良かったのではないだろうか。 「平家物語」「犬王」のサイエンスSARUあたりに頼めていれば...。 「実の世界」は、物語進行と同時に馬琴の作家としてのプライドの高さやへんくつさ、 良き父・良き夫ではなかった部分を浮かび上がらせていて見応えは抜群。 特に北斎と連れ立って芝居を観に行く場面での立川談春とのヒリヒリするやり取りこそが 本作の最大の見所とも言える。 辛い現実が多い世の中で、せめて物語の中ぐらいは最後に正義が勝つ物語を作りたいと主張する馬琴と 空蟬に漂う毒を露悪的に舞台に取り入れる南北は、まさに水と油。 しかしどちらかが言い負かすまでは続けず、わだかまりを残したまま剣を収め、互いの信じる日常に戻っていく。 この場面を見れただけでも、149分付き合って良かったと思える。 反面、馬琴の妻の寺島しのぶは最初から最後までヒステリックに悪態をついているだけで、 息子の磯村隼斗もいつの間にか病に倒れてしまい、チラリと登場した息子以外の子もほとんど出て来ない。 『ここを描きたい』という監督の思いにムラがあり過ぎる。 光を失った馬琴の代わりに無学だったお路(黒木華)が筆を取り、 叱責されながらも教えを乞い続けてついに作品を完成させた偉業すら エンドロール直前に文章でつらつらと表示して終わりではあまりにも軽い。 本作が馬琴の物語ならばそこは端折るべきではなかったし 八犬士の物語をしっかり描くなら、和風ハムナプトラのような安いCGでお茶を濁すべきではなかった。 思い入れのある作品なので何もかも自分でやりかたったのかも知れないが、脚本は別の人に任せた方が良かったように思う。 散々あれこれ書いてきて何だが、「里見八犬伝」世代だから気になる箇所がたくさんあっただけで 149分間一度も退屈だと感じることはなかったので、予備知識のない方のほうが素直に楽しめそう。 本作を見��楽しかったなら、鑑賞後に補完のつもりで角川版も見て欲しい。 (そもそも今作には出てこない)静姫と親兵衛の恋愛を軸にした大胆なアレンジは 一流の役者陣による本気のごっこ遊びとして、また違った楽しさを得られるはず。
映画「八犬伝」虚と実の重量感の差が惜しい|「南総里見八犬伝」「里見八犬伝」との違いも解説 - 忍之閻魔帳
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nekotubuyaki-blog-blog · 6 months ago
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2024年の「おっ!」と思った本を思いつくままに(相当なもれはあるけれど)
2024年の「おっ!」と思った本を思いつくままに(相当なもれはあるけれど)
『その昔、N市では カシュニッツ短編傑作選』(マリー・ルイーゼ・カシュニッツ著/酒寄進一訳/装画:村上早/装幀:岡本歌織/東京創元社/Kindle版) 『いずれすべては海の中に』(サラ・ピンスカー著/市田泉訳/竹書房文庫/Kindle版) 『11の物語』(パトリシア・ハイスミス著/小倉多加志訳/ハヤカワ・ミステリ文庫/Kindle版) 『失われたものたちの本〈失われたものたちの本〉シリーズ』(ジョン・コナリー著/田内志文訳/創元推理文庫/Kindle版) 『カモメに飛ぶことを教えた猫』(ルイス・セブルベダ著/河野万里子訳/白水uブックス/Kindle版) 『大いなる眠り 新訳版』(レイモンド・チャンドラー著/村上春樹訳/ハヤカワ・ミステリ文庫/Kindle版) 『P+D BOOKS 夜風の縺れ』(色川武大著/『夜風の縺れ』解題:木下弦/P+D BOOKS/小学館/‪Kindle版)‬ 『恐婚』(色川武大著/文春ウェブ文庫/文藝春秋/Kindle版) 『友は野末に─九つの短編─』(色川武大著/対談:嵐山光三郎/インタビュー:色川孝子/あとがき:色川孝子/新潮社/Kindle版) 『遠景・雀・復活 色川武大短篇集』(色川武大著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『百』(色川武大著/川村二郎解説/新潮文庫/Kindle版) 『小さな部屋│明日泣く』(色川武大著/内藤誠解説/講談社文芸文庫) 『後藤明生・電子書籍コレクション 挟み撃ち』(後藤明生著/アーリーバード・ブックス/Kindle版) 『しあわせの理由』(グレッグ・イーガン著/山岸真編、訳/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『祈りの海』(グレッグ・イーガン著/山岸真編、訳/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『ひとりっ子』(グレッグ・イーガン著/山岸真編、訳/早川書房/Kindle版 『モナリザ・オーヴァドライヴ』(ウィリアム・ギブスン著/黒丸尚訳/ハヤカワSF文庫/早川書房/Kindle版) 『カウント・ゼロ』(ウィリアム・ギブスン著/黒丸尚訳/ハヤカワSF文庫/早川書房/Kindle版) 『ニューロマンサー』(ウィリアム・ギブスン著/黒丸尚訳/ハヤカワSF文庫/早川書房/Kindle版) 『ソラリス』(スタニスワフ・レム著/沼野充義訳/扉デザイン:岩郷重力+N.S/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『来世の記憶』(藤野可織著/装画:濱愛子/装丁:名久井直子/角川書店/Kindle版) 『ピエタとトランジ<完全版>』(藤野可織著/挿絵:松本次郎/講談社/Kindle版) 『青木きららのちょっとした冒険』(藤野可織著/講談社/Kindle版) 『芸者小夏』(舟橋聖一著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(川本直著/装幀:坂野公一+吉田友美+島﨑肇則(welle design)/装画:TANAKA AZUSA/河出書房新社) 『好色五人女』(井原西鶴著/田中貴子訳、解説/装画:望月通陽/光文社古典新訳文庫/Kindle版) 『アルマジロの手─宇能鴻一郎傑作短編集─』(宇能鴻一郎著/鵜飼哲夫解説/カバー装画:九鬼匡規「吸血娘 陰 晒」/新潮文庫/Kindle版) 『姫君を喰う話 宇能鴻一郎傑作短編集』(宇能鴻一郎著/篠田節子解説/新潮文庫/Kindle版) 『私説聊斎志異』(安岡章太郎著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『水車小屋のネネ』(津村記久子著/イラスト:北澤平祐/装幀:中嶋香織/毎日新聞出版/Kindle版) 『ベートーヴェン捏造』(かげはら史帆著/カバーイラスト・章扉イラスト:芳崎せいむ/柏書房/Kindle版) 『沢蟹まけると意志の力』(佐藤哲也著/Tamanoir/Kindle版) 『人喰い⭐︎頭の体操』(深掘骨著/表紙デザイン・ファイル作成:甲田イルミ/惑星と口笛ブックス/Kindle版) 『世紀末探偵神話 コズミック』(清涼院流水著/本文デザイン:熊谷博人/扉作成:小石沢昌宏/梗概構成:みずさわなぎさ/講談社/Kindle版) 『富士日記 上中下合本 新版』(武田百合子著/巻末エッセイ:武田泰淳、大岡昇平、しまおまほ、武田花/中公文庫/Kindle版)『西荻随筆』(坂口安吾著/青空文庫/Kindle版) 『鮎の宿』(阿川弘之著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『春の華客/旅恋い 山川方夫名作選』(山川方夫著/川本三郎解説/年譜・「人と作品」坂上弘/講談社文芸文庫/Kindle版) 『P+D BOOKS 緑色のバス』(小沼丹著/小学館/Kindle版) 『ミス・ダニエルズの追想』(小沼丹著/巻末エッセイ:大島一彦/装幀:緒方修一/幻戯書房/銀河叢書) 『タマや』(金井美恵子著/講談社文庫) 『陽だまりの果て』(大濱普美子著/装画:武田史子「温室の図書館」(エッチング、アクアチント、二〇一七年)/装丁:大久保伸子/国書刊行会/Kindle版) 『まだ、うまく眠れない』(石田月美著/カバー画:beco+81/デザイン:観野良太/文春e-book/文藝春秋/Kindle版) 『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』(藤永茂著/ちくま学芸文庫/筑摩eブックス/Kindle版) 『何かが空を飛んでいる』(稲生平太郎著/国書刊行会/Kindle版) 『バッタを倒すぜ アフリカで』(前野 ウルド 浩太郎著/装幀:アラン・チャン/光文社新書/Kindle版) 『美術の物語 ポケット版』(エルンスト・H・ゴンブリッチ著/田中正之著/天野衛、大西広、奥野皐、桐山宣雄、長谷川宏、長谷川摂子、林道郎、宮腰直人訳/河出書房新社) 『人間臨終図巻 上下巻』(山田風太郎著/徳間書店) 『世界神秘学事典』(荒俣宏編/平河出版社) 『地衣類、ミニマルな抵抗』(ヴァンサン・ゾンカ著/宮林寛訳/まえがき、カバー写真:大村嘉人/序文:エマヌエーレ・コッチャ/みすず書房) 図録『特別展 はにわ』(東京国立博物館、九州国立博物館、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社編集) 図録『特別展「鳥 〜ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統〜」』(日本経済新聞社、日経サイエンス編集) 『バーナード嬢曰く 1-7巻』(施川ユウキ著/一迅社/電子書籍版) 『映像研には手を出すな!1-9』(大童澄瞳著/ビッグコミックス/小学館) 『志村貴子短編集 まじわる中央感情線』(志村貴子著/河出書房新社/電子書籍版) 『青い花 全8巻』(志村貴子著/太田出版) 『放浪息子 全15巻』(志村貴子著/エンターブレイン) 『サードガール 全8巻』(西村しのぶ著/小池書院) 『ファミリー! 全11巻』(渡辺多恵子著/フラワーコミックス/小学館/電子書籍版) 『一級建築士矩子の設計思考1-3』(鬼ノ仁著/日本文芸社/電子書籍版) 『えをかくふたり1 DRAWING BUDDY』(中村一般著/ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル/小学館/電子書籍版)
注)一部、再読を含みます
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oldkwaidan · 2 years ago
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蝨と北
「蝨は北がどっちか判るんじゃ」  ある老人からそう聞いた私は実際に試してみた。  まったく老人の言うとおりであった。  大きな蝨を捕まえて、机の上に置いてみた。  しばらく見ていると、頭を北に向け、よちよち歩き始めたのである。 「ああ、それは五雑組にありますね」  このことをある学者に話したら、そう教えてくれた。  しかし、私は五雑組にそのような記述をまだ探し当てていない。  行軍中、山で迷ったら老いた馬を解き放ち、馬が進むままに行けばよい。  そんな言い伝えがある。  だが馬を使わなくても、虱で北を知れば道は判ろうというものだ。  虱のような穢くて嫌われる虫けらでも、北を知るという取り柄を持っていて、立派に人の役に立っている。  何の取り柄もなく、放蕩の限りを尽くし、悪事をおこなう。そんな他人の迷惑にしかならない人間なんぞは、蝨にも劣る存在だというものだ。
 (伊勢貞丈『安斎随筆』巻之一 「虱向北方」)
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daeva-agas · 4 years ago
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So, Kiyosu Conference (the historical event, not the movie) wiki has updated its contents with Shiba Hiroyuki's comments.
Basically he thinks that nobody disagreed that Sanboushi should be the heir. They just need to establish who would be the regents in his place because HE IS A BABY and where to put him. Go back to Gifu? Stay in Kiyosu? Rebuild Azuchi and go there? Make a wholeass new castle?
And then Shibata and Nobutaka rioted because afterwards Hideyoshi threw the decision out the window and planted Nobukatsu as the new clan head (and for some reason Ieyasu is 100% cool with this, and supported the decision). Like, this is so out of nowhere, of course people would riot LOL.
I mean, I can see how this fits the narrative of what happens after. Nobutaka maybe still likes his dumbass brother enough to not begrudge him, and instead raged at Hideyoshi because he IS behind the switcheroo. And the Komaki Nagakute happens because if it's true that Hideyoshi starts acting all high and mighty, as the actual lord of the clan Nobukatsu would be like WTF.
I have to check if that is also updated too. I... actually have no idea what the offense is. One version says Hideyoshi built Osaka, and was more or less asking for Nobukatsu's submission, but this version assumed that Sanboushi is the heir. There's a version I saw that involved Azuchi but I'm not entirely sure what happens there.
SEE I TOLD YOU, EVERYTHING IS WRONG IN THE SENGOKU NEWS RIGHT NOW. WE DON'T EVEN KNOW WHO IS LORD ODA ANYMORE, WHAT THE HECK.
Anyway, Shiba-sensei said that Sanboushi/Hidenobu didn't actually become lord until after Odawara. Nobukatsu made Hideyoshi mad and got exiled, his own son is even younger tham Sanboushi, so like... emergency heir because vacant slot. Why the CHILD and not one of Nobunaga's other sons, I don't know. Maybe because Hideyoshi already got his head too far up his ass by that point, I dunno. It's not like Hidekatsu is exiled too, but wiki says he was given a different fief and Hidenobu was named the new clan lord. I want Shiba-sensei's book bit delivery is crap these days...
Incidentally Wiki also says Nobukatsu's son Hidekatsu is ALSO named Sanboushi as a child, you know. Same kanji and all. This is so weird, but there's no source cited, so as usual I consider that woo woo.
Also I guess when poor Hidenobu died young, the Tokugawa shogunate gave the headship back to Hidekatsu/his brothers/his dad, 'cause the presently recognized Oda partriarch today is Nobukatsu's descendant. By way of Hidekatsu's brother, because Hidekatsu died young too.
.............. um. Wait. There is a new theory that 信雄 is actually pronounced "Nobuyoshi" for some reason. Does that mean... his son's name 秀雄 is actually read "Hideyoshi"? That would be hilarious TBH.
Ise Sadatake wrote in his text Ansai Zuihitsu 安斎随筆 that in the palace record Oyudono no Ue no Nikki 御湯殿上日記 there is an account that states that "Oda Nobuyoshi came to court", and this refers to Nobukatsu. Sadatake also says that he knew a man named Yoshitada 雄忠, who is descended from Hijikata Katsuhisa/Yoshihisa, a vassal who was granted the 雄 from Nobukatsu/Nobuyoshi's name. This Yoshitada says the 雄 has always been read as "yoshi" since his ancestors' time.
Someone pointed out that Katsuhisa used to be named 雄良, so how the hell was that supposed to be pronounced? Right now it's identified as "Katsuyoshi", but if 雄 is "yoshi", wouldn't his name become Yoshiyoshi? Although... I did a search and apparently 良 can be read as "aki" in a name, so maybe his name was "Yoshiaki" before Yoshihisa.
... Ugh what do I do now? If I change how I say his name it's confusing, but I don't wanna call him Ochasen either. Imma keep Nobukatsu for now grrrrrr, why is this so confusing.
I love reading about Nobuspawns, though, can you tell???
Omake/WTF fantasy time (do not take anything after this seriously):
I know Sanboushi was supposedly sent to Gifu and whatnot after the Conference, but I did hear one version that Nobukatsu had wanted to keep him in Azuchi (implying he's the guardian and stuff). So so so. If the "Hidekatsu used to be Sanboushi" is true, doesn't mean the two Sanboushis are like... together in the same castle? Wouldn't that confuse the servants tho?
Did he purposely do that to have his own son as Hidenobu's double? Are baby-kagemusha actually a thing? I know "swapped baby" is a super common cliche in palace dramas... What a weird thought, but EPIC. Also, I just like the thought of the baby cousins growing up together. They got separated for a while, reuniting in Sekigahara's West Army, and then separated again after East won. So much dramatic angst to be had!!!
Also Wiki used to say that Nobukatsu actually didn't approve of Hidekatsu joining West, and wanting to either outright join East or stay neutral. More angst! Almost rivalling the Sanada brothers! (no, it's not)
I also like the thought that Nobukatsu finally relents because he has lingering regrets about his own brothers ahaha ha... ha... ha...
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shakuhachi-kataha · 4 years ago
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古典尺八楽愛好会 ミニ講座 No.25 薦僧の実態を知る!! vol.3
<薦僧が吹いた尺八は一節切?>
   
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(国立国会図書館より)
嘉永六年成立(1861)の『傍廂(かたひさし)』(斎藤彦摩呂著)を見ると、「托鉢笛」として、指孔の位置及び長さなど(根際の部分を用いることは除いて)『三十二番職人歌合』の図と共通点の多い尺八が記載されている。すなわち歌口と一節をはさんで表の孔がまとめて穿たれている点は中世の尺八と同様の作りであり、いわば中世尺八の下の部分に何節かを継ぎ足し、長くしただけという形である。指孔の位置が上部に寄っている点は不自然に思われるが、各部分の寸法も記載されていることから、何らかの根拠に基づくものと思われる。『三十二番職人歌合』の図も、指の位置が上にあるのが不自然に思っていたが、こうした「托鉢笛」の存在が事実とすると、一応歌合が催された明応三年当時の形態を正確に伝えているものとなる。但し、室町 末期頃のものと思われる『風俗図屏風』(東京国立博物館)を見ると、同じ薦僧でも、明らかにそれまでの短い中世尺八を吹いているので、一概に薦僧の尺八を『三十二番職人歌合』のような多節の長い尺八に統一して理解することはできない。か、ともかく、十五世紀の末頃から、いわゆる一節だけの中世尺八に加えて、長さも増した多節の尺八が創出され始めていたと考えることは可能であろう。そしてその形態的変化は、前述のように中世尺八を母胎としておこなわれたと見ることもできるように思う。
『風俗図屏風』(東京国立博物館)
一節切を吹く薦僧が描かれています↓
https://www.tnm.jp/uploads/r_collection/LL_C0022485.jpg
https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=A11090
『中世尺八追考』 井出幸夫
高知大学学術研究報告 第四十一巻(1992年)人文科学
この論文を読んだ時は「おおお!」と感動しました。何故なら、一節切から普化尺八への変容がハッキリしないので、一節切の長さが長くなり、その後、穴の位置も変わっていったのかと納得したからです。しかしながらその後、尺八研究家の神田可遊氏に見解を求めたところ、この「托鉢笛」は全くいい加減なもの、との事。
なるほど。
「托鉢笛」に関して不明瞭な点を整理すると、
江戸時代後半に書かれた書物のわりには現物が残っていない。
節の数が多すぎる。
5寸の中に穴が4つは狭すぎる。
神田氏曰く、「短笛」の一節切の一尺八分という長さは見たことが無いそうです。
これが江戸時代前半1600年代に書かれているなら信憑性も無くはないですが、江戸時代後半に書かれた随筆というのがアヤシイ🤔
結局、謎です!笑
  
<尺八を吹く職能と芸能者たちの関係>
楽所で笙を掌る(つかさどる)豊原家の当主統秋が『體源抄』(1512)の一節に具体的に語られる。
田楽の者たちが尺八を吹く職能が自分たちのものであると主張していたのに対し「賀茂切」という尺八の設計図がもとはといえば豊原家のものであるとし、田楽の増阿・頓阿・聞阿らは、豊原家の量秋・弟子の敦秋・豊原統秋から、設計技術や調子、そして因縁古事を伝えられたのだと主張するのである。統秋がこのように記述した背景には、田楽の者たちとの尺八を吹く職能をめぐる争いが存在したのであろう。
豊原家の事に関してはこちらの講座をご参照ください↓
第十一回ミニ講座 田楽と尺八
https://shakuhachi-kataha.tumblr.com/post/613614728998158336/%E7%AC%AC%E5%8D%81%E4%B8%80%E5%9B%9E%E3%83%9F%E3%83%8B%E8%AC%9B%E5%BA%A7-%E7%94%B0%E6%A5%BD%E3%81%A8%E5%B0%BA%E5%85%AB
https://shakuhachi-kataha.tumblr.com/post/612438739930775553/%E7%AC%AC%E5%8D%81%E5%9B%9E%E3%83%9F%E3%83%8B%E8%AC%9B%E5%BA%A7%E9%AB%94%E6%BA%90%E6%8A%84%E3%81%AE%E5%B0%BA%E5%85%AB
「體源抄」についてはこちらを参照ください↓
柴屋軒宗長の愛用した尺八もこちらに記載してあります。
第十回ミニ講座「體源抄」の尺八
https://shakuhachi-kataha.tumblr.com/post/612438739930775553/%E7%AC%AC%E5%8D%81%E5%9B%9E%E3%83%9F%E3%83%8B%E8%AC%9B%E5%BA%A7%E9%AB%94%E6%BA%90%E6%8A%84%E3%81%AE%E5%B0%BA%E5%85%AB
統秋が設計図が豊原家のものであることを強調している点について。
当該期には、尺八を作る技術と吹く職能がおそらく未分離。豊原家の組織や田楽の座などの芸能集団の中で、設計技術が重要なものとして保持・管理されていた事が窺われる。
尺八を吹く職能だけをもって乞食をした薦僧は、これらの芸能集団と無関係に職能を持ち得たのか。
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(『宗長手記』 国立国会図書館より)
連歌師としても有名な柴屋軒宗長(さいおくけんそうちょう)(1448ー1532)が晩年に著わした『宗長手記』によると、宗長と親交のあった紹崇(じょうしゅう)という薦僧がおり、近時堺の夢庵(肖柏しょうはく)の弟子になり、尺八を吹いて旦那から施しを受けて生計を立てていた事が知られる。この薦僧は、東山霊山の時宗寺院と臨済宗大仙院に四、五年いた前歴を持つ。先の『體源抄』で田楽の増阿が尺八の設計図を修正したのもこの霊山であり、紹崇は東山霊山で尺八を吹く素養をもち薦僧になった可能性がある。少なくとも時宗・臨済宗下の僧侶から、尺八吹奏を専業とする薦僧に転身した図式は明らか。
→薦僧は時宗などを含む諸芸能集団から離脱ないし脱落し、専業化したところに成り立ったと推測。薦僧は尺八吹奏を専業として乞食をした仏教系芸能者であった。
参照
「十七世紀における虚無僧の生成」保坂裕興
要は、尺八をめぐり、雅楽の宗家と田楽��伝承者たちが争っていたのに、薦僧が突然降って湧いて尺八を演奏することを職能とすることができたのか?ということです。
『宗長手記』にあるように、とある薦僧が時宗や臨済宗の寺に滞在していて、その寺には田楽の人も出入りしていたとの事。そういった関係から新たに尺八に関わりをもつ仏教徒でもあり芸能者でもある人、即ち薦僧が誕生したのではないかという推測です。
『宗長手記』を書いた本人も尺八を吹いていたり、中世の文学にも尺八が登場します。
ということで、次回は、
「中世文学と尺八」について探求します!
よくぞ地震、火事、戦火をくぐり抜け何百年も保存されていたと、先人に感謝です。
中世の尺八巡りはまだまだ続きます〜。
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2ttf · 13 years ago
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myonbl · 6 years ago
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2019年2月3日(日)
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今朝の朝刊折り込みのチラシ、見事に「恵方巻」の大特集。大量廃棄という世界に冠たる食品ロスを伴うイベントに眉をひそめる私の横で、ツレアイは安売りの時間帯とどこの店の何を買うか思案中。ともあれ、夕飯は巻き寿司と決まったようだ。
ツレアイ(訪問看護師)は緊急電話対応当番、首から電話機をぶら下げて走り回っている。訪問先、ケースワーカー、スタッフなどから連絡が入るので遠出は出来ない。とは言え、いつもの日曜日同様にあちこち買物に忙しい。
わたしはと言えば、台所のリフォームの関係で明日業者の下見、それに向けてあれやこれやと片付け・掃除。
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ランチは、息子たちは月見うどん、私たちはにしん蕎麦。
食後は録画番組視聴。
刑事コロンボ★視聴者投票ベスト20を毎週放送★「歌声の消えた海」
ロサンゼルスからメキシコへ向かう豪華客船の旅に出かけたコロンボ夫妻。楽しむ間もなく専属バンドの女性歌手射殺事件が起き、コロンボは一人で捜査を開始。現場の鏡に口紅で書かれていた「L」の文字から、被害者にしつこく言い寄っていたロイドに疑いがかかるが、それは被害者の愛人ダンジガーによる工作だった。コロンボは鑑識も何もない中、ダンジガーの巧妙な作戦を見抜いていく。
北斎 幻の肉筆画~アメリカに眠る 画狂老人の魂~
江戸の天才浮世絵師・葛飾北斎。彼がのこした作品の中で“幻のコレクション”と呼ばれる作品群が存在する。アメリカ・ワシントンのフリーア美術館が所蔵する220点にのぼる“肉筆画”だ。北斎が描いた“肉筆画”の中でも質・量ともに世界随一といわれるこのコレクション。しかし創設者フリーアの遺志で館外への持ち出しは一切禁じられ日本で公開されたことは一度もない。その全貌に俳優・井浦新が挑む。8K開局特番の再放送。
いやぁすごい、これは永久保存版。
夕方、ツレアイは「恵方巻」の買い出し、私は雨中のウォーキング。ところが、途中で apple watch のバッテリー切れ、40分のワークアウトが記録されていない。
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ちとショックを受けて、夕飯の写真を撮り忘れる。
早めに風呂、散髪して貰ってスッキリ。
明日は立��、明後日には新年、いい歳にしたいものだ。
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tamanine · 3 years ago
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2022.4.17 Tokyo→Osaka
15,987歩、昨日は4,302歩
新幹線運賃は出すので来なさい、と言われ、マジで??コロナとかは本当にいいんですか?いりますか?ほんとに??リアルの移動?と思っていたのだけど本当に来いとのことだったので大阪に来た。
私は乗り物酔いをしてしまうので新幹線が全然得意じゃない。日帰りで1日のうち5時間新幹線、プラス2時間電車とかやだ。早起きもやだ。
そのため前泊することにした。
大阪はとても久しぶりで、10年以上前に直島の帰りに寄った。(そのあと京都音博の帰りに寄って美術館にも行った気がするのだけど、どの作品を国立国際で見たのか判然としない。)
直島の案内所で、高松からバスで3時間くらいで大阪に着く、と言われ、ありがとうございまーす!!とバスに乗ったらとにかく全然着かず夜遅くに大阪についた。ガイドブックの端っこに載っていた遅くまでやってる洋食屋さんでごはんをガツガツ食べ、歓声をあげていたらお店の人にご旅行ですか?と聞かれ、そうですそうですこれを見てバスがつかなくてお腹が減ってて…と言ったら載ってるの知らなかったなー、なんでうちに?と聞かれたので美味しそうだったので…?と答えた。
私は昔D-ASHという漫画が好きで(100m走のスポーツ漫画)、そこに梅田のスカイビルのエスカレーターが出てきたので、そこに行って夜景を見た。
翌日、太陽の塔の下を友達とぐるぐる何周も回って遠ざかって近づいてかわいいね!かわいいね!と言ってまわってからお土産屋さんの場所をスタッフさんに聞いたら、キャンセルがあったから太陽の塔の中ツアー入る?と聞かれ、もちろんです!!と言って中に入った。リニューアルとかしてなくて、万博当時の展示物が埃をかぶって朽ち果てていた、朽ち果てた進化、褪せたピンク色、埃だらけの生命の内臓の色。
あの時の楽しい気持ちと、今〝万博〟という言葉から浮かぶ舌打ちをしたいような気持ちの乖離は激しい。太陽の塔の、ピヨ とした広げられた白い腕の可愛さと、街中で見る赤いグニャグニャはなんだか全然違うように思う。ほんとにやるのか、万博を、東京でももちろん思ってはいたんだよ、やるのかよ、ほんとに、2020-2021年にオリンピックを?と。(止められなかったが……、今でもやるべきでなかったと思うし、都市の再開発も必要なかった、愛着のある場所が潰された)
太陽の塔のあとに光の教会に電話したら、太陽の塔からなら歩いて来られるよ!と案内してもらい、徒歩で向かって礼拝室の光に向かって素敵な旅の御礼を祈った。
2022年、私は石原慎太郎も小池百合子も嫌いだけれど、大阪のニュースもつらく、東京も日本全体も関西もどうなってしまうの……と不安になることばかりだった。
実際に来て数時間歩いただけでは何もわからない、楽しくて賑やかだ、でも東京だってそうだろう、お金に目が眩んだ人が歴史ある樹木を何千本も切ったりする、卑しいしょぼくれた街には見えないだろう。観光で歩き疲れてホテルの部屋でG.I.ジョー 漆黒のスネークアイズをぼんやり見ているだけなら、大阪の街は賑やかで、元気な人が多くて、心斎橋筋はおもしろい建築の増えた銀座みたいで、アメリカ村は渋谷の円山町みたいで、シネマートがあってライブハウスがあってライブ前のTシャツを着たたくさんの人たちが楽しそうだった。
中之島の国立国際美術は変わらずにそこにあり、麦(ばく〜!!そのカツラだけはなんとかして欲しかったよ〜!)とあさちゃんのことを思い浮かべた。
新しくできた中之島美術館はピカピカで、静かで、外の日差しの中から入ると冷たくて落ち着く空間だった。六本木の国立新みたいに、フロアごとに展示を変えられるタイプの新しい美術館。太陽光を浴びてピッカピカのジャイアントトらやん、六本木アートナイト(2009年3月)で火を吹くのを見に行って初めて見て、愛着を感じている、ジャイアントトらやんの新品。(六本木アートナイト第一回は季節を誤った開催でとても寒く、トらやんが吹く火の熱で暖をとった。ヤノベケンジさん、愛知万博の誘いに対してディーゼルで動く巨大マンモスで街中をパレードする計画を出して頓挫(官公庁側から断らせるための提案だったのだろう)したロッキングマンモスもパンクで好きだった、あのプランの動画また見たい、明らかに怒りを感じて、良いパワーだった)
モディリアーニもかなり昔まとまって見ていて、絵画を書いているけど彫刻が好きだったのかな…?というような気持ちになり、筆の良さを感じられなかったのだけど、今回見た薄塗りの肖像画は描かれた人の人格やモディリアーニとの関係性のあたたかさが浮かんでいて、随分と印象が良くなった。
当時のモンパルナスの賑やかさを本当に見てみることができたらいいのに。またパリに行きたい……。
2022.4.18 6,653歩(18:00時点)
昨日はGIジョー漆黒のスネークアイズをぼんやり見て寝てしまった、忍者戦争のことは何もわかっていない…。
私には方言が無いので方言で発話されるかたの話を聞くのが好きで、でも東京で喋ってるとご自身の方言をスッッと引っ込めてしまわれることが多く、同郷同士では方言のままお話しされているのでいいなぁといつも思う。(父は福岡出身で、兄姉と電話で話すときは博多弁だった、本当はもっともっと聴きたかった、父は現在も大変元気だけれど私と話すときには博多弁が出ない)
少しの語尾や語彙の違う言葉を聞くと嬉しくなってしまう。
素敵な緑色の爪をした人の言葉は私には再現ができず、本当はもっと話を聞いていたかったけれど、大阪に行って良かったなぁと思う。
(昨日まではマジで今人を集めてどうするのよと思っていたけど、力のある人が強気の笑顔でどうしてもって言うから……)
心斎橋のルイヴィトンの入り口にいるスーツの店員さんに「ギャラリーに行きたいんですけど……」と言い、鏡張りの隠し扉に案内されて見に行ったゲルハルト・リヒター作品は素晴らしかった。
Stripe、遠くから見るとストライプなんだけど、どんなに近づいても色彩の境目がどんどん分からなくなり、見ても見ても〝見えない〟。
肉眼で寄っても寄っても見えない。
並べてある抽象画は遠くから見てもよく見える、近づくともっと鮮やかな肉感を感じられる。マチエールとはこれのことか…、とツヤやザラつきや盛り上がりや色の混ざり方、照明の質感や反射や瞬間を捉えることができる。
リヒターのマチエールをじっと見ていると、いま国立新美に展示してあるダミアン・ハーストの桜の絵画のつまらなさが本当に目立つ。単調な絵の具の乗せ方、色の点在のさせかただってスーラにすら及ばない。
スーラの絵画についてよく勉強してから本物を見ても、近づいたら人々の微笑みが見え、サーカスは賑やかに進行し、光と影と躍動があり、何回もメディアで見て知っていたとしても本物をずっと見つめると新たな発見がある。
ダミアン・ハーストの桜の点描は単調で、近づいて質感を見つめても大きな発見がない。まだあのパリのガラス張りのカルティエの現代美術館の太陽光と庭の緑を背景に見られたら少しは良くはなるかもしれない。国立新でも一部自然光を入れることだってできそうなのに、そういうこともしていない。
リヒターが写真の上に油彩を重ねた作品は写真自体の重厚感が油彩に負けておらず、写真家が手遊びで写真に行うペインティングとは趣が違った。
油彩のもつ厚みはアクリルガッシュとは違う。絵画的な方向からの色彩で捉えられた写真。
ギャラリーから地階に降りるエレベーターを呼んでいただいている時、スタッフの方に来訪のきっかけを聞かれ、素直にTwitterですと言ったら、最近たくさんいらっしゃるんですとおっしゃっており、おそらく美術手帖周辺での発信ではないかしら、と喋ってから降りた。
リヒターの絵画のように多層的に輪郭が崩れていく合わせ鏡のエレベーター。
ブランド路面店が並ぶ通りから少し入ると、渋谷の円山町のような雰囲気になる。渋谷の神南にも小さな公園があるけれどきれいめのストリートブランドショップ地帯にあるため、アメリカ村の三角公園は渋谷の神南よりもガラが悪そうで、渋谷円山町に同じようなひらけた空間があったら同じような雑多さを含むだろうと思う。
休憩をしてから夜になった街を歩くと、エスパスルイヴィトンは風をうける船の帆のような外観から、夜に浮かぶ輝きでふくらんだような建築に様変わりし、銀座で見るよりも個性的なブランド店が賑やかに立ち並んでいた。
新幹線で東に帰る。
これから私たちが突っ込んでいく雨雲がどんどん近づいてくる。
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oldkwaidan · 2 years ago
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烏賊墨の効能
 烏賊墨は蛇毒に対して優れた解毒作用がある。  だから烏賊を入手したときは、墨を取り出して干し固め、蓄えておくべきである。
 (伊勢貞丈『安斎随筆』巻之二十八 「烏賊の墨蛇の毒を解す」)
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abcboiler · 5 years ago
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【黒バス】no day but today/只今日已ガ或
2017/01/29 発行コピー本web再録
明日も明日も明日も来ずとも
今日と今日と今日が在ります
   明日も明日も明日も死すとも
今日と今日と今日を逝きます
         「先生、センセ、どこにいるんですか」
「もう見つけている癖にわざとらしい。さっさと来い」
 四月の頭は春の狂乱。薄青い空は、桜花の気配を反射して柔らかく香る。春の季節は花よりも短い命だ。先生はこの季節が一等お好きなので、常日頃閉じこもる部屋から、この時ばかりは、あちらこちらへと、凧より不確かに、童より落ち着き無く彷徨っている。
 春。あらゆる芽生え。美しき目覚め。
「たまには、先生の方からお越し頂いても良いと思うんですけどね」
 サテ、どのようにあんな所へ登られたのかしらん、と丁寧に手入れされた庭をぐうるり見渡せば、咲き終えた桃の木の陰に梯子が立てかけられている。どれだけお誘いしても動こうとしない偏屈な男は、こんな時ばかり行動をするのでこちらとしても苦笑いを浮かべるより他に無い。初めて雪に出会った犬が、気でも違ったかのように走り回るように、初めての衝撃は人を狂わせるものだ。先生は、何年を過ぎても、春に初めて出会う獣だ。所々の釘に緑青が浮き出た屋根の上、黙ったまま��吠えをする。
「先生、今月の原稿」
「そこにある」
 高台にある先生の屋敷の屋根からは、東京の平屋が見渡せる。えいやらこいやと屋根を登った功労者を労わることもなく、先生は眼下の街を指差した。否、指したのは、己の書斎の、黒檀の書斎机なのだろう。目を閉じるまでも無く、あの沈黙に包まれた部屋で沈黙を守る原稿が見えた。
「なんというか、これは、アレだ」
「なんだ」
「優秀過ぎてつまらないなあ」
 緑間先生が、〆切を過ぎたことは一度も無い。俺が先生附きになってから、本日まで。三度目の春を迎えても尚。
 何を馬鹿なことを、という目で先生は俺を見た。この国には珍しい、否否、恐らく唯一であろう、明るい若葉の瞳が俺を写して瞬きをする。それ以上言葉を接ぐのは億劫になったのか、先生は花に霞む橙色の街を見ながら呟いた。
 春は五月蝿いな。春ばかりは、こうも五月蝿い。
   *
「なんと言いますか、編集になったら、というか、他の輩はね、先生の原稿を追っかけ東奔西走、京都の旅館で芸妓さんと戯れてる所をとっ捕まえ、陸奥の炉利端で魚焼いてる所をとっ捕まえ、浅草で芸妓と戯れ等してるのをとっ捕まえね、必死に連れ戻しちゃあ見張って、追い立て、原稿を取り立てているんですよ」
「芸妓ばかりか」
「そうですね、真ちゃん以外はね」
 半時ほど屋根の上で黙りこくっていた先生は、突如立ち上がると俺に一言も告げずに、その大きな身体に見合わぬ機敏な動作でひょういひょいと梯子を降りて屋敷の中へ戻っていってしまった。慌てて追いかければ、台所でじいっと鉄瓶を沸かしている。思考の一つもその原動力も解らないけれど、何故だか先生の原稿だけは西洋の錬金術かと紛うばかりの不可解さでもって、〆切までに現れている。そうしてまた、尚の事不可思議を極めることに、この原稿がまた読みやすく、人の情緒に潜り込むのである。
「その呼び方はやめろと何度も言っているだろう、高尾」
「はいはい」
 実際の生活に於いて、人の心など微塵も解するつもりの無い先生は、二人分沸いた湯でもって、己の分の茶だけを点てた。矢張りその侭、俺を無視して部屋へ戻るので、こちらも此の呼び方を変えるつもりはない。というのも、元はと云えば、冬だから酔わねば為らぬ、付き合えと突如言い出した先生が、存分にしこたま酒を喰らい、湯水のように酒を煽り、泥酔の挙句、飲んだ酒の分だけ語り、笑い、己でこの愛嬌ある呼び名を漏らしたのが悪いのである。
 高尾、お前は己がまだ罪悪に目覚めていなかった頃を覚えているか。幼い頃? それは幾つだ? 五つか六つ? 馬鹿を言うものじゃない。子供など罪悪の根源なのだよ。悪辣の化身よ。それより以前だ。尤も最たる無罪は生まれた瞬間だ。その時だけが赦されている。はは、ははは、俺もその頃は、先生等という、何者でも無い呼び名など無かったが、ふん、今や名前に意味など無いな。お前もそうだろう? お前の名前は『文芸青い森』氏だろう。人など、どうせ記号と象徴に消えて逝くだけだ。足掻いてもがいて縋らなくては、己の名前など、母しか知らん物になる。何だ其の顔は。俺にも母くらい居るに決まっているだろう。お前は珠に俺を神か悪魔かと勘違いしている。母だけが俺の名前を知っている。ははは、真ちゃんとしか呼ばれなかったがな。ははははは。笑い声は母の連なりだ。はははは。
 翌日、記憶を無くさなかった真ちゃんが、悪鬼も裸足で逃げ出す形相で、昨晩は忘れろと迫ってきたのも懐かしい。
「真ちゃんは面白いなあ」
「そうか。お前は大概失礼な奴なのだよ」
 曲がりなりにも、文士と編集という関係で、そこまで砕ける奴がいるか、と、そう言いながら真ちゃんは原稿を投げて寄越す。俺の無作法を許容しているのだから、なかなかどうして、そちらも同じ穴の狢と思う。原稿の枚数だけを確認して鞄にしまいこんだ。まだ日にちは有るので、ゆっくり線を引けば良い。つくづく、人間性は置いておいて、優秀すぎる男だった。
「そもそも、文を書くため文を書き、文に殉じて文士になったのに、何故書かない? その時点で理解に苦しむな」
「学生になったからって、勉学に励む奴ばかりとは限らないでしょ?」
「ああ。確かに居るな。ふむ、懐かしい。赤司なんかは、貴方達に教わることなど無いと、教授を片端から論破して、後は圖書館に引き篭るか、どこかへ流れてばかりいたし」
「そうじゃあない。そんな飛び出した奴のことじゃない」
 赤司といえば、恐ろしく有名な華族の一派だと思うが、まさかそこの嫡子のことではないだろう。先の戦争でいち早く物流に目を付けて、いざ火薬が飛び交う頃には全ての武器から薬剤、食料、布、それらの元締めを押さえていたという恐ろしい先見の一族。緑間という苗字も相当名の知れた家であることは間違いないのだが、赤司と繋がりがあるというのなら、それは兵器と身内ということだ。その経歴から只者ではないことは知っていたが、この男は想定を簡単に超える。
「そもそも、何故、作家になぞなろうと思ったかね」
「何度も話しただろう。生きる意味だ」
「何度も聞いたけど、全く解りませんね」
「わからなくていい。お前とは考え方が違う。お前もそう思っているのなら、お前は作家になっている」
 高尾、俺はな、人として生まれたからには、何かを残さねばならないと信じているのだよ、と真ちゃんは説く。何かを生まねば、生まれてきた甲斐が無い、と。
「俺は、今しか信じない」
 此処に存在するものが全てで、此処で己が感じたものが全てで、それ以外は存在していないのだと。故にその存在を残すのが、己が役目だと彼は信じている。
「未来などなくていい。永遠に訪れないものになど興味は無い。俺は今生きていればそれでいい。今、生きているのだから、人として生きた証を残せればそれでいい。それが、俺が死んだ未来も残るというのなら面白い。それだけだ」
「そんな生き方、苦しくねえの」
「明日は死ぬかもしれないが、昨日は既に夜かもしれないが、何、どうせ生きるのは今日だけなのだよ。何を気負うことがある」
 縁側で茶をすする姿は、一見して平穏の象徴のようだ。陽射しが反射して黄金に降り注ぐ庭は赤詰草が地面を覆い尽くし、小さな丸い花を細かくつけている。桃の木の下には薄紫の碇草、垣通。黄色い鬼田平子は縁側から飛び出すように伸びているし、廂の下には烏柄杓が弦を巻いている。
 春は目覚めで、春は狂乱だ。緑に埋もれて、緑の人は、静かに目を細めている。その中身が烈火よりも尚熱いことを、どれほどが知るだろう。迂闊に触れれば火傷どころか、その覚悟の前に骨から燃やし尽くされることを。
「…………それじゃあ今回も完璧な完成原稿をありがとうございました」
「はい、お粗末さまでした」
「今、何を考えてるの?」
「春は五月蝿いなということを」
 この五月蝿さは、どうすれば伝わるのだろうな、という真ちゃんの目には、静寂ばかりが見える。
   *
「仕事を寄越せ」
「先生が仕事人すぎて俺は本当に怖い」
 一週間ぶりに真ちゃんの書斎を訪れれば、原稿用紙およそ三百枚の束を押し付けられながら、淡々とそんなことを言われるので思わず頬が引き攣るのを感じる。物量はそのまま圧力である。質量保存は精神に及ぶ。たった二枚半の書評を書くのに三ヶ月先延ばしにしている作家もいる中で、この男は一週間でこれを書き上げ、次を求める。先生の全集の編集作業だけはやりたくない。
「っていうか、そもそも俺、こんな原稿依頼してたっけ」
「自主的に書いただけだ」
「嘘だろ」
「別に載せろというつもりはない。が、一応渡しておく」
「『春について』か。まんまだね」
「己でまとめられそうに無いから三百で書いた。捨ててもいいし、どこぞの穴埋めにしても良い。使う時の許可もいらん。ただ、使うなら半分は削れ。この話に三百は無駄だ。削る場所はお前が決めていい」
「珍しいね、真ちゃんが最後を人に任せるなんて」
「まだ俺には早かったんだろうな」
 欠伸をしている所を見ると、どうやら完成したばかりらしい。人間として規則正しい生活が最も原稿を進めるのに適していると信じているこの人は、朝は必ず六時に目覚め、夜は十一時に床につく。お役所の方だって、ここまで時計に忠実には動くまいという正確さだ。ただし、どうも先生の中では、最終の区切れ目があるらしく、その一線を超えると、後は書き終えるまで一睡もしない。それが例え残り三枚であろうが、五十枚であろうが、関係なく。それはただ彼の心の中にのみ存在する線であるので、俺から調節することは不可能だ。今回は、どうやらその線を随分と早く踏み越えたようだった。
 興味本位でぱらぱらと原稿をめくるが、几帳面な文字が整然と並び、所々自身で入れている赤ですら、列を成して整っている。いつも通りの、緑間先生の完成稿である。性分とはいっても、これはあまりに厳格が過ぎる。
「真ちゃんの原稿、誤字脱字なぞは勿論あるけどさ、全部自分で赤入れてあるから、それ以外の、つまり、真ちゃんも気づいていない誤字、一度として、見つけられたことが無いんだよなあ」
「当たり前だ。読み直した時に気がつくだろう」
「普通は見落とすんだよ。普通はね」
 この、自主的に書いたという、いうなれば仕事でも何でもない手遊びの原稿だって、どうせ一文字も狂いが無いに決まっているのだった。
 とはいえど、俺の担当している文芸でこれ以上真ちゃんの頁を増やした日には、雑誌の名前を『月間緑間』に変える必要が出てしまう。一度も原稿を落とさないから、重宝されているのだ。重宝しすぎた。一人だけ、連載のように一定の頁を持っているから、完全にうちの紙面は緑間で成り立っている。成り立ちすぎて、緑間専用誌にならぬように編集長まで確認しているくらいなのだ。どこか別の所で、今月穴を開けそうな所はあったかと皮算用している俺に、真ちゃんは淡々と繰り返した。それで、仕事はないか。
「真ちゃん、うちで長期の連載もあるし、随筆も持ってるし、他誌でも連載してるし、珠に寄稿なんかもして、若手の同人の書評もしてるでしょう」
「別にそれくらいだろう」
「それのどこがそれくらいなのか教えてくれ」
 間違いなく、今、真ちゃん以上に書いている輩などいない。あまりに節操なしに手当たり次第に書くものだから、批判的な所からは「飢えたハイエナ」「そこにあるものは全て食らおうとする卑しさが見える」とか好き勝手言われているほどである。実際は超上流階級特権階級育ちの、血統でいうならこの日本でも十には入る一族の嫡男なのだが。
「書かせろ。何でもいい」
 確かにこの欲求は、そう評されても仕方が無い程過激である。というより、そんな事を適当に並べ立てる彼らの中の誰も、緑間真太郎がここまでの基地外じみた文字狂いとは思っていないだろう。文字を食らって、文字を吐いて呼吸しているような人だ。その姿勢を知っているひと握りは、こと緑間真太郎に対しては口をつぐむ。触れたくないのだ。その真摯さは、その一途すぎる情熱は、少しでもその道に足を踏み入れたことがある者からすれば恐怖の対象である。
「真ちゃんは、もう少しばかり、遊びっていうものを覚えてもいいんじゃないの?」
「遊び?」
「うーん、座敷遊びとか」
「お前、経費で行きたいだけだろう」
「そんなことありませんよ」
 本当だ。真ちゃんと一緒にそこに行って、面白いとは思えない。いいや、綺麗な人の形をした花に囲まれて、ずっと物騒な顔をしているこの男を見るのは面白いかもしれないが、それは花遊びではないのだ。どうせなら俺は花を愛でたい。日向の庭に咲く小さな明かりではなく、夜の行灯の下で賑やかに艶やかに咲く方をね。まかり間違っても、この男ではない。
 この男を見るのは楽しいが、夜の花と一緒に愛でる、ものでは、無い。
「興味が無いな。そんなことに時間を割くなら、一文字でも多く書くし、一つでも多く学ぶだけだ」
「でも、世界が広がるかもよ?」
「何だと?」
 今まで全く反応を示さなかった真ちゃんは、ぴくり、と眉をあげた。この男は、兎角、視野だとか世界だとかの広さを気にする。見えなければ書けない、俺は見たことが無いものを書く事はできない、というのが口癖だ。そもそも、俺がこの偏屈に最初に認められたのも、俺の視野の広さによるものなのだから。徹底しているといえば徹底している。
「そういった、遊びだとかに興味が無いって云うのはさ、其れ等のものに命を賭けている人や、それに関わる物事を無視してるってことだろう? 人間の命題の一つとして、堕落だって書かないといけないんじゃあないの?」
「もう堕落を題材にした話は書いたのだよ」
「そうでした」
 半年前の原稿を思い出して肩を落とす。あらゆる堕落の果てに辿りついた人生のどん底で、男が周囲を恨み妬みながら、次第にその気力すら無くしていく話。最後は真冬の酒場の前で、真っ白な雪に埋もれて息絶える。読んでいるだけで、こんな人間の屑がいるものかと呆れ果てたし、其の男と己の共通点を、読み進めるほどに見つけ出してしまって苦しくなっていった記憶。
「何で真ちゃんは或れが書けたんだ……」
「周囲に堕落している人間が多かったからな」
 見たことがあるものは書けると言っているだろう、という真ちゃんは、何を思っているのだか、暫く難しい顔で考え込んでいた。
「しかし、お前の言うことも一理ある」
「お?」
「そういった遊びも、知識として必要なのかもしれん」
「いいねいいね」
「黄瀬にでも連絡をとって」
「却下」
 突然出てきた名前に慄きながら、俺は咄嗟に真ちゃんの肩を掴んだ。不満げな顔が俺を見下ろすが、今、俺はお前の心の大事な、こう、柔らかい部分を守ろうとしているのだ。少女が一人物騒な夜道を歩こうとするのを引き止めるのと同じ理である。そんな顔をされる筋合いは無い。
「黄瀬クンは止めよう」
「何故」
「何で先生は突然そう、段階をすっとばすかな!」
「こと遊興にかけて、あいつに適う者はいないだろう」
「いないよ。いませんけどね? いきなり上級者の最高級品にいってどうするのって話」
「どうせなら最高のものを体験したほうがいいに決まっているだろう?」
「先生は本当に頭が良いのか、俺は突然わからなくなる」
 黄瀬といえば今、帝国劇場で押しも押されぬ一の役者だが、その分、女遊びも派手なことで有名だ。というより、女の方から寄っては散り、寄っては散りしているのだろう。一度だけ、真ちゃんに連れて行かれて楽屋まで行ったが、あれは他人に興味など全くない類の人種だった。というより、懐いた人間以外、全て同じに見える、という、素直すぎる男である。この世は好きか無関心。
 あらゆる人間の細かな差異に、いちいち目くじらを立て腹を立て、文句を言うような真ちゃんとは真逆に位置しているのだろう。故に、思考は合わないが相性は良い。好かれた人間にのみ構って欲しがる男と、誰にでも平等に構うが、一見ではその意味に気がつけない男。
 だからこそ、黄瀬は、誰彼構わず、請われるがままに適当に相手をし、そして何彼問わず、適当に流してあらゆるものをやってのけるのだ。そんな男に任せたら、間違いなく戻って来られないような世界に案内される。それも善意で。黄瀬にできるあらゆる接待で歓待するのだろう。
「高尾?」
「赤司といい黄瀬といい、どうして他者巻き込み破滅型の人間が真ちゃんの周りには多いんだ……? 普通作家自身がそうであるものじゃないのか……? それともやっぱり真ちゃんが実は破滅型で、類は友を呼んで……?」
「高尾、聞いているのか」
「はい、すみませんなんでしょう」
「それならお前が連れて行ってくれるのか?」
「はい?」
「お前もなかなか遊び慣れていそうではある」
「何ソレ。真ちゃん、そんな風に俺のこと思ってたの?」
「違うのか?」
「若い頃は色々やりました」
「だろうと思っていたのだよ」
 黄瀬と比べるべくもないが、しかし周りと比べれば、どうだろう、なかなか俺も堕落した人生を過ごしていたことには違いなかった。金になるならと闇まがいのこともしたし、その辺の店で得体の知れぬ使いっぱしりをしたり、野菜をかっぱらったり、適当な女の家に厄介になったり、まあ、それなりに。嗜みとして。
「俺は若い頃に何もできなかったからな」
 そう、しみじみと漏らす真ちゃんは、まるでもう寿命を終えるような口ぶりで話す。まだ二十も半ば、男の盛だというのに。まだ世間では若いと言われるような歳で、真ちゃんが振り返る過去は学生の頃のことなのだろう。
「家のことだけだ。言われるがままに言われたことをこなしただけだった。俺自身のものなど何も無い」
「それも十分立派だと思うけどね」
「そうだな。悪くない。それは決して悪いことではない。俺は赤司の生き方を否定はしない。家を守り、家に殉じ、家を遺す生き方は誠実であるだろう。だが俺は我が儘なのだよ」
「存じ上げていますけどね」
「俺が遺したかったのは緑間の家ではなく、『緑間真太郎』という存在だったからな。フン、ついぞ理解されなかったが、仕方が無い。誰も間違っていないのならば、そこにはただ違いが残るだけだ」
「しかしまあ、よく出してもらえたよな」
「というより、作家になると言ったら絶縁されたからな、なんとも気楽な自由の身なのだよ。最高だ」
「最高とか言うなよ。周囲から見たら驚きの凋落だわ」
「そうか? 誰だって自由には憧れるものだろう? 俺ほど羨ましがられる人間は他にいるまい��
「その自信も凄いけどね」
 それで、お前はどこに連れて行ってくれるんだ、と言う真ちゃんの中で、もうどこかへ遊びに連れて行かれることは確定しているらしい。何で俺が、と思わなくもないが、何せ言いだしっぺが此方なので、何とも断りにくかった。かといって、彼と花街には行きたくない。絶対に。絶対にだ。ならば残る選択肢は少なかった。
「……すき焼きでも食べに行く?」
「すき焼き」
「食べたことある? 流行りだして店も増えているけど」
「無い。うまいのか」
「まあ、うまいね。牛肉をね、こう、甘っからく煮て、そこに生卵をかけてね、白米かなんかと一緒にかっこむの」
「行く」
「先生は、案外、食に対して貪欲だよなあ」
   *
 最近は晴れてばかりの陽気だから、地面は乾いて歩きやすい。乾きすぎて土煙が上がっているくらいだ。真ちゃんは歩く時、あまり音を立てないが、そのあまりに高い上背と、緑の出で立ちは人目を引く。俺も背は高い方だけれど、真ちゃんの隣では子供のようだ。
 人目を引くから外に出たくない訳ではなく、単純に不精なだけの真ちゃんは、先程からすれ違う女生徒達の一種の欲を秘めた瞳にも全く気がつかないらしい。やれやれ。どれだけ若くても女は女。そして朴念仁は朴念仁らしかった。
「真ちゃんは、だれかとお見合いとかしないの」
「何故見合いなんだ」
「真ちゃんが自主的に自ずから恋に落ちると思えない」
「失礼だな」
「恋に落ちるの?」
「女とそんな関係になったことはないな」
 あっさりとそんなことを言ってのける、この男の作品の中には、男女間の恋愛を描いたものもそれなりにあった筈だが、当の本人はこの言い草だ。恋は目に見えない。彼にとって、堕落を知るのが周囲の人間を介してであるように、恋愛も、周囲を介して学んでいるのだろう。
 あまりにも人間としては不適当だが、それが文壇にて脚光を浴びるのだから世も末である。
「しかしまあ、見合いも無いな。家からはもう一切の連絡が来ないし、たいした関係も無い輩から持ってこられても断るだけだ。かといって、世話になった人からそういった話が来るとも思わんしな」
「何で」
「お前は、見合いの相手として俺を紹介したいと思うか」
「思わない」
「そういうことだ」
それは自分で言って悲しくなりやしませんか、と思うのだが、真ちゃんからすれば、それはただの事実、の一言らしい。客観が過ぎるのも考え物だと思う。簡単に言えば、可愛げがない。指摘されて慌てふためく姿に人は愛嬌を覚えるのであって、開き直られたのでは腹が立つだけである。彼は圧倒的に後者だった。それも、特別に質が悪い。
「真ちゃんが誰かとお見合いなんてすることになったら、真っ先に教えてくれよ」
「何故」
「真ちゃんの悪口を百個くらい言って、期待の度合いを下げておいてあげるからさ」
「迷惑極まりないな」
花の香りと砂交じりの風に巻かれながら辿り着いたのは、最近このあたりにできたばかりのすき焼き屋。幟が風にはためいて、白く抜かれた文字が裏返っている。
 俺の隣にいた真ちゃんは、「ここだよ」と指し示す俺を追い抜かすように暖簾をくぐりながら、
「そもそも俺は、女に対してそういった欲求を抱いたことがない」
「え?」
 そんな意味深長なことを言って俺を困惑させるのだった。
 暖簾は紺で、緑はとっくに女中の案内を受けている。
   *
「うまい」
「良かった」
「これは良いな。良いものが来た。良いものが現れた。これは残るぞ。これは残る」
「意外だな。真ちゃんは、こういうハイカラな物は嫌いだと思ってたけどね」
「嫌いなことがあるものか。新しいというのは、それだけで意味があることだ」
 すき焼きが出てきた瞬間、眼鏡の奥の瞳がきらめいたと思えば、そこからは一言も喋らず淡々と箸を進めるだけだったので、これは気に入ったのだろうなあと眺めていたら、締めの雑炊まで食べ終わって、真ちゃんはやっと満足げな息を漏らした。そしてこの言いざまである。どうやら相当に、お気に召したことは間違いなかった。
「あんまり、新しいものが好きっていう印象は持っていなかったけど」
「新しい文化はいつだって迫害される。迫害され、追いやられ、蹴落とされても残ったものは本物だ。ただそれを待てばいい。自ら追いかけるほど暇ではない」
 本物は残る。本物はいずれ耳に届く。お前が俺をこの店に連れてきたようにな、と続ける姿は、堂々としていていっそ小憎らしい。俺が一度ここに来ていて、ここなら出汁も効いているし、真ちゃんも好きだろうなあと、思ったことまで見透かされているようで猶更である。
「それにしても、そんなに新しいものに興味はないだろ」
「ただ、俺は新しいものに自分の調子を崩されるのが嫌いなだけなのだよ」
「それって結局嫌いなんじゃん」
「そうかもな」
 新しくなくなればいいのだから、時は偉大なのだよ、と言う、真ちゃんは手元に運ばれてきた茶碗を確認している。藤色に瑪瑙のような緑色。今までこんな色の茶碗を見たことは無かったけれど、これも西洋の文化と共に流れてきたのだろう。まるで俺の考えていることがわかるかのように、真ちゃんは呟く。新しいな。これは新しいものだ。
「新しいものがどんどん流入してくる」
「そうね」
「悪いことではない。ことここにいたって、日本の遅れは目に余る。日清で勝ったからといって、この浮かれ様はなんだろうな。皆、心の奥にある不安を、黙って見過ごすこともできず、話を恐れて、綺麗に話題を避けた結果がこれだ。戦に勝った。日本は選ばれた。馬鹿馬鹿しい。一時の盛況は未来の浪費だ。自分の意見が無いというのは、迷惑をかけないという意味ではない。むしろ真逆だ。全ての罪悪は相手由来になる。新しいものを手にしなければ時代に取り残されるが、ただ流すのでは、いずれどこかでしっぺ返しを食う。それだけのことなのだよ」
「次の話の題はそれ?」
「『古き悪しきもの、新しき良きもの、愚か者』か? 語られ尽くしたという感は強いがな」
 すき焼きの話から、また真ちゃんの好きな原稿の話になってしまった。なってしまったというか、俺がそうさせてしまった。どうもつい、俺は彼の仕事癖に呆れている反面、先生にはこうであって欲しいという気持ちがある。どうしても。書いていて欲しい。何もかも。全て。
   *
「それで真ちゃん、すき焼きで何か学べた?」
「うまかったな」
「真ちゃん結局それしか感想言ってないけど」
「何だ? あそこのすき焼きの店でエッセイでも書けと? それならばそうと言え」
「違う。何で先生にそんな大衆雑誌の穴埋めみたいなもの書かせないといけないの」
「大衆誌は偉大だろう。結局、聖書を除けば一番読まれているのは新聞なのだから。大衆こそ国で、大衆こそ世界だ。大衆向けに作られているものは強い」
 何だかんだと食後のお茶までして、真ちゃんの家へと戻る道は、もう夕暮れの終わりだった。空は赤紫と濃紺の間で、複雑に折り重なっている。太陽はいくつもの細かい線になって、折り重なり絡み合い、木々の隙間を通り抜ける。家々は、夜より一足早く、軒先に行灯を下げていた。がらがらと、手水の水を捨てる音。豆腐屋の喇叭がどこかから木霊して、小石が小さく反射している。
 あたりが丸くぼんやりと光る中を、男二人でぽちりぽちりと歩いていく。
「そういえば、官能小説のようなものには、手を出していなかったな」
「何を突然」
「お前が言ったのだろう。花街に行くのも勉強だと。お前の所に、これ以上俺の話を載せるのは、紙幅の関係上無理であろうことは分かるし、他誌にも限界がある。しかし、俺はその分野には一切手を出していないからな。参入の余地はあるだろう?」
「何でそこに参入の余地を見出したんですかね」
 まるでさも名案を思いついたと言わんばかりの顔で、密やかに頷くものだから脱力してしまう。参入の余地があっても、入るべきでない場所は沢山ある。
 貴方は麻薬の密売の人手が足りないからといって薬を売りさばくだろうか? いや、別に官能小説が麻薬と言っている訳では無いけれど。けれど似たようなものだろう。
「今日は行かなかったが、次回、行ってもいいかもしれん」
「何でいきなりそんな乗り気なんですか」
「食欲性欲睡眠欲は、人類の三大欲求だろう。人類から性欲が無くなれば、それは滅びの時だ。逆に、性欲について傑作が書ければ、それは永遠になるのではないか?」
「先生は本当に馬鹿だなあ」
「何だと」
 鼻白んだ様子で真ちゃんが俺の顔を見やった時、丁度真ちゃんは屋敷の門を開けようとしていた。夜は徐々に深まっているとはいえ、まだ宵の始まりだ。行こうと思えばこれからだって、街にもう一度繰り出せるだろう。繰り出せる。俺たちは遊興に行けるだろう。
「嫌です」
「何故。遊べと言ったのはお前だろう」
「否、そうだけど、然様ですけど、真ちゃんと行っても、楽しくなさそうだし」
「別に、お前は帰るか、別の店にでも行くかすればいいだろう。というより、同じ場所にいることは無いと思うが」
「いやいや、それでも」
 真ちゃんと一緒に行って、真ちゃんを、見るのは、面白いだろうと、思う。思うが、俺は、どうせなら花を愛でたい。日向の庭に咲く小さな明かりではなく、夜の行灯の下で賑やかに艶やかに咲く方を。まかり間違っても、此の男ではない。此の、人では、無い。
「俺、先生のこと好きなんですよ」
「そうか」
 此の人では、無いと思うのに、此の人が、女を抱いている所を想像したく無かった。それが嫉妬でなくば何だろう。
この様な形で自覚をするのは、自分としても���免被りたかったのだが、しかし己の思うままに己が動いてくれるのならば、人が過ちを犯すことなど無いのだった。
「だから、先生のこと連れて行きたくないです」
「そうか」
 俺は此の人に世界を見て欲しいと望むが、その世界に俺がいないことが耐え難い。其の我が儘な感情を、俺は知っている。恋だ。これは紛うこと無き愚かな恋だ。周囲を巻き込んで、破滅していく、はた迷惑な恋なのだ。
「……それで、何だ高尾その顔は」
「なんか、思いのほかあっさりと受け入れられてびっくりしてる顔ですね」
「何を言う。お前は俺をどんな朴念仁だと思っているのか知らんが、曲がりなりにも作家だぞ。人の気持ちが繊細なものであることはわかっている」
「真ちゃん……」
 淡々と告げる瞳に、侮蔑や嫌悪は見えない。本当に、真ちゃんは気にしていないのだろう。周囲が暗くなっていく中、まだ明かりを灯さない緑間宅の前は一層と暗い。ただ緑の光だけが、爛爛と輝いている。
「此れはあれだろう? 俺がお前からの告白を勘違いした所、『友達としてに決まっている』と言われ、恥ずかしい思いをするという」
「ちげえよ馬鹿! お前に期待したのが馬鹿だった! っていうか逆だろそれ!」
「はあ?」
 真ちゃんは突然罵倒されて意味がわからないのか、一人で首を傾げているが、俺からすればその思考がわからない。何故だ。今のは話の流れでわかるだろう。返す返すも、何故ここまで人の心が読めない男が、作家などをやっているのか理解に苦しむ。
 その作品に雷鳴を撃たれ、こうして編集にまでなって追いかけている俺だって、他所から見れば、理解に苦しむのだろうけれど。
「恋愛として! 好きだって言ってんの!」
「は?」
 これだけ直截的に伝えているにも関わらず、全く理解が追いついていない様子なので、却って此方の方が落ち着いてきてしまった。開け放たれた門を挟んで、一人と一人。
「もういっかい言います?」
「頼む」
「恋愛的に、恋愛として、性的欲求の対象として、真ちゃんが好きです。だから真ちゃんを花街に連れて行くのは嫌なのでお断りします」
 しばしの沈黙。これは間違えたかと思ったけれど、真ちゃんは体中の錆び付いた螺子をぎしぎしと動かして、掠れた声で呟いた。
「帰れ」
「え?」
「かえれ。かえれかえれかえれ」
 門が唸りをあげて、あらゆる軋みを訴えながら勢いよく閉じられる。がしゃん、という音が地球の裏まで響き渡って、俺は少しはみ出していた脚を強く打ち付ける羽目になった。脛である。人体の急所である。
「原稿は来週の水曜日には仕上げておく!」
 その叫びは、家の中へと走り込みながら発されたのであろう。俺が顔をあげた時に、後に残るは舞い上がった砂と哀れな男、則ち、俺のみであった。
「逃げ足、早すぎるだろ……」
 ああ言われてしまえば、俺は来週の水曜以降に訪れることしかできない。基本的に、困難には拳で立ち向かっていくような男だと思っていたのだけれど、流石に同性に告白されて、尚立ち向かうことは出来なかったか。
 しかしそれにしても、ハテ、「俺がお前の告白を勘違いする」というのは、どういう意味なのだろう。
 勘違いの仕様が、無いではないか。勘違いする筈が無いのである。何故って、「高尾和成が緑間真太郎のことを友情として好きである」或いは「恋愛として好きである」のどちらの解釈をしたとしても、それを「勘違い」と、真ちゃんが思う筈が無いのだ。「『高尾和成が緑間真太郎を恋愛として好きである』という『勘違い』をしてしまう」ためには、それには、つまり、真ちゃんが、俺のことを、好きでなくては、いけないじゃないか。そうでなくては成立しない。己の内に秘めた恋心に、迂闊に触れられそうになった時、「勘違いしてはいけない」と、人は己を守るのだろう。
 真ちゃんが、俺のことを好きで、好きだから、俺からの告白を「これは友情の告白なのだから勘違いしてはいけない」と解釈したの、だと、すれば。
「ええ……」
 顔が、首から段階を踏んで熱くなっていく。今すぐこの門を乗り越えて会いに行きたいのだけれど、恐らくそんなことをすればあの先生は本当に拳で殴ってくるに違いないので、此度は大人しく退散するより他に無い。
    *
「二科展に行く」
「珍しい」
「どうしても野暮用でな」
 覚悟をして出向いた水曜日、出不精である筈の男が珍しく外套などを着て、今にも発たんや、と謂わんばかりの出で立ちで門を開けてくるので、すわこれはまた逃げられるのか、と思いきや、どうやら本当に用事らしい。珍しい。
「紫原の作品が出ているらしい」
「紫原ってあの?」
「あのがどのかは知らないが、そうなんじゃないか」
 紫原といえば、これもまた古くからある名家の一つである。一つであるが、最近はそこの嫡男が、春季賞を二期連続で受賞したと新聞に載り、そちらの方が有名である。
「俺の家の茶器は全てあいつのものだぞ」
「やめてやめて知りたくありません。俺、普通に脚で押したりしていた」
「茶菓子が好きだったから、それが高じてそこまで行き着いたらしいが、詳細は知らん」
「知らないのかよ」
「黄瀬と青峰が話をしていたのを聞いただけだからな」
「今、日本国軍陸軍長官の家名が聞こえた気がするのは無視させて頂きますよ俺は」
 玄関先の立ち話で、出すような名前では無い。つくづく、目の前の男は、圧倒的な権力の知己が多過ぎる。数える程しか友人などいない癖に。
「真ちゃんの交友関係が恐ろしいのだよな、俺は」
「そうか?」
「あらゆる世界のトップと繋がっているだろう」
「腐れ縁だ」
「腐れ縁って」
「初等部の時に同じ組だった」
「恐ろしい場所だなそれは」
 別に、五歳だか六歳だかの子供に、何が出来たということも無いのだよ。肩をすくめながら、真ちゃんは奥の書斎へと消えていく。原稿は案の定仕上がっているらしい。このままここで待ちぼうけても良いのだが、何とはなしに落ち着かず、後を追いかけて書斎へ入った。途端、投げて寄越された原稿用紙の束。
「『改題、春の目覚め』?」
「以前お前に『春について』を渡しただろう。まだどこにも出していないな? あれは捨てておけ。こちらに差し替えろ。書き直した」
「あゝ、自分で削ったのか」
「そうだな、それに、少々足した」
 以前の原稿は既に下読みを終えてあるが、半分削るというのはそう簡単に出来る作業でもなく、未だどこにも出されず俺の机に眠っている。最初の数ページを読めば、出だしから既に変わっていたので、これは削ったというよりほぼ書き直しに近いのであろう。
「今回の原稿」
「何だ」
「珍しく、こう、表現が柔らかいというか、迷っているというか、これはこれで人間味があって俺は好きなんだけど、真ちゃんらしくないというか」
「五月蝿い」
「これってもしかして俺のせい?」
「五月蝿いと言っている」
 俺を無理矢理押しのけて、真ちゃんは出かけようとする。構いはしない。どうせこの家に戻ってくるのだろうし、緑間真太郎は書かずにはいられない。それを載せるのは俺の仕事だ。けれどしかしまあ、成程。知っていなければ書けないと、真ちゃんは何度も繰り返し言っていたが、他人から聞いていたものが、いざ自分のものとなると、文章はここまで変わるものだろうか。
「認めちゃいなよ。俺のこと好きでしょ、先生」
「うるさいうるさい黙れ死ね」
 春はうるさい、と真ちゃんは叫ぶ。もう既に桜は殆ど��り終えて、木には濃い紅の萼を残すばかりだ。それでも空気は柔らかく、庭の雑草は軒並み空に向かって体を伸ばしている。春。春。この世の春。
「世界も広がるんじゃないの。今までに無い恋愛体験、禁断の恋、参入の余地が」
「…………それでどういう話を書けというんだ」
「ううん、そうだなあ。お話にするなら悲恋? 考えようによってはね、相当の悲劇を演じられるとは思うけど」
「周囲に理解されず心中?」
「そうそう、そんなの」
「つまらないな。つまらない話だ。そんなもの」
「ありゃ」
 ばっさりと、切って捨てられ俺は思わず笑ってしまう。まあ、己の告白を悲恋に昇華しろというのもノンセンスな話ではあった。門を開けば、悲劇など起こりそうに無い、春の一途。
「俺はな、人間が強いという話を書きたいのだよ。どれだけ脆かろうが弱かろうが、最後には立ち上がり、己が道を掴むという話だ。俺はそれが好きだ」
「俺には好きって言ってくれない癖に」
「馬鹿だな。たった今、お前が好きだと言ったのに」
 読解力を養った方が良いんじゃないか、とおもしろそうに笑って、真ちゃんは俺を置き去りに、馬車を呼び止めて乗り込んでいってしまった。滝のような言葉に、俺はただ呆然と立ち尽くしている。春が五月蝿いと文句を言っていた男は、それこそ、その象徴のような嵐であった。
 門の内側に取り残された俺は、彼が帰ってくるまで、良い子に留守番などしていないといけないのだろう。手の中に残された原稿を、めくる。改題、春の目覚め。もともとは三百枚あった原稿は、随分と薄くなっており、俺はあっという間に半分以上読み進めてしまう。
 「……あ、誤字」
  皆が浮かれて騒ぎ立てる、春は今、目覚めたばかり。
   ―――春の陽気を長閑等と形容する者も居るが、私にはどうもそれが理解し難く感ぜられる。先ず、目を開けた瞬間の眩しさがいけない。冬などは慎ましく、夜明けは暗闇��らじわじわと染み入って来るものを、春に成った途端、光は遠慮無しに襖の紙を透かして部屋の中を踊ってゐる。それではと硝子戸を開けてみれば、庭には繁縷や鬼田平子が我先にと手を延ばし、虫の羽音や近所の子供の数え歌、此方は一人だというのに、彼方からも其方からも、やれ花の香りだ絹の空気だと、全身に春を訴えて来る。之を如何に長閑と形容しよう。私は春に対し五月蝿いとしか思わない。穏やかと云う優しさは、冬にこそ已、赦される可きで或る。冷たく密やかに息づいていた心は、有無を言わさず起出され、其処ら中を跳ね回って、己が物とは思えぬ程掴み難く辟易する。口は勝手に賛美歌を歌い、足は気が付けば屋根へと登る。其れ等全て、春の成す業で或る。春の所業で或る。此れを五月蝿いと形容せず如何に成ろう。私はこの五月蝿さを、愛してゐるに違い無いのだから。
緑間真太郎著『春の目覚め』より抜粋
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kisanebacci · 6 years ago
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掏替悪の段十箇条追加
百七箇条版
キーサン革命極意
ひらたく言やぁいきついたんよ
キーサン革命心得 三柱本基
狂柱
一本義
狷基
キーサン革命基本十二本
止の段六本
電気ショックを止めろ
四肢拘束を止めろ
保護室を止めろ
看護士の暴力を止めろ
大量薬物投与を止めろ
閉鎖病棟を止めろ
欲の段六本
治して欲しい
楽にして欲しい
衣食住を保障して欲しい
苦手なことを支援して欲しい
話す相手が欲しい
行くところが欲しい
初伝極意 九想
「電、拘、毒」
「殺、逆、讐」
「凶、鬼、怨」
展開組型仕受当否二十四本
治す、それでいいのか
治される、それでいいのか
楽にする、それでいいのか
楽にされる、それでいいのか
衣食住を保障する、それでいいのか
衣食住を保障される、それでいいのか
苦手なことを支援する、それでいいのか
苦手なことを支援される、それでいいのか
話す相手をやる、それでいいのか
話す相手をくれる、それでいいのか
行くところをやる、それでいいのか
��くところをくれる、それでいいのか
中伝極意 五夢想
「原則と基盤」「行動と信頼」
「利用と注意」「自信と未来」
「自立と補足」
敵捕り三十六箇条
露見悪の段八箇条
電気ショック
四肢拘束
保護室
看護士の暴力
大量薬物投与
閉鎖病棟
強制移送
保安処分
善意悪の段八箇条
可哀想ね
寂しそうね
苦しそうね
貧乏そうね
汚そうね
友達いなそうね
話したそうね
なんとかしてあげようね
難見悪の段十箇条
適正手続化
国家資格化
客観点数化
積極治療化
社会復帰化
社会福祉化
近代主義化
機能分化
第三者機関設置
法改正
掏替悪の段十箇条
無理矢理減薬の煽り
発達障害概念
発達特性
依存サセ屋スタッフ
当事者スタッフ
サポートチーム
健病者
処方薬依存
医療従事者のストレス解消
無責任断薬の煽り
極意皆伝
 九怨二重捕十八怨
詳細口伝
「福祉復讐」「精神病院壊滅」「学会カチ込み」
「看護士殴打」「精神医飛蹴」「心理士脅迫」
「自主独立」「自存自営」「自問自答」
「自炊会食」「自由自レク」「自陣自闘」
「怨念執念爆発」「狂気炸裂」「我意自意貫徹」「自尊自衛」「仁義通信」「居直り居座り」
以上
キーサン革命極意本伝百七箇条
ニンゲンの煩悩の数より一つ少なきは、狂人為るが故也
極意外伝 
外物化物一巻
あぁーーあ、気づいてシモタ。とうとう、気づいてシモタ。
タネがわかってしもた。
結局カネやがな。暮らし向きやがな。
ポックリ死ぬんがいいんやがな。
ハンパ者が福祉職医療職になるんよ。
予後のいいのは、そのせいやがな。
自立支援法もイラン。介護保険法もイラン。生活保護法もイラン。ナントカ基本法もイラン。ケンポーだってイラン。イランイランイランイラン、いるのはなぁぁぁーーー。
「三人で十億ありゃあすむハナシよ」
環境変えたらいいんや。そうやそのとうり。でも、環境変えるだけのカネはどうするんや。引っ越し代は、どうするんや。自宅にリフトかエレベーターありゃあ、いいんよ。静かな部屋があったらいいんよ。一人になれる空間あったらいいんよ。だいたいそもそも、その自宅がないがな。。。。。。
カネがあったら。
暮らし向きがいいのが一番なんや。
そうやそうや、この際、医者は処方箋の病名の下の欄に現金書くんや。アンタの苦悩や苦しみや病気や傷害は、おおかた三億三千万円で九割方解決しますってな。それで、その処方箋もって薬局行ったらクスリといっしょに現ナマくれるんよ。。。。ありがたいなぁぁぁーーーありがたやありがたや。
ぽっくり死んだらいいのや。
突然死したなかまたちが羨ましいのぉぉぉーー二十代や三十代で死ぬんは、早いわ。哀しいわ。それに、死ぬんやない、コロサレるんやもんな。
でも、キチガイ、チエオクレ、カタワ、歳���って、弱ってきて、ひとりでできんようになってきたら、あれだけ嫌がってた精神病院に戻ることになるんよ。施設に戻ることになるんよ。キチガイもチエオクレもカタワも長生きすると不幸なんよ。フツーのジイサンバアサンだって、癌や糖尿や脳梗塞やボケがでて、十全会に捨てられるんよ。いわんや「障害」抱えて、ジジイババアになって、余病併発したら・・・・併発したら・・・・・
二十代半ばで運良く施設や病院から出られて、なんとか、なかまといっしょに、なんとか、愉しく二十代三十代を過ごすんよ。それで五十代でぽっくりいくんよ。健常者で暮らし向きよさそうでも、歳いってぼけるか脳梗塞やらで半身不随になるかしたら、どうなってる。周りよう見てみよや。いわんや、「障害者」は、よ。家族の中に病人いたり障害者いたりしたら、それはやっぱり、不幸なんよ。不幸、だから、まず最初の差別者は家族になるんだって。で、もしなかまが家族替わりだったら、なかまが最初の差別者になるんだって。もしかしたら最初で最大の。そんでも、ひとりでは生きられんの。
精神分裂病って、ほんとにあったんか。なかったんちがうか、なかったんかもしれん。
でも、発達障害たらACたらADHDたらアスペルガーたらに変えたとして、確かに、このニッポンのイマに、誤診誤処方悪診悪処方で毒もられて虐待されてコロされてるんよ。コロされんようにするためには・・・・特定不能の発達障害たらACたらADHDたらアスペルガーたら半端者ハンパ者半病者病名でいいんよ。イキノビようや。でも、油田と金脈になるで。スクールカウセラーたらいう連中筆頭に油田ジャバジャバ掘削しよる。乳児幼児一歳半になったら、もう、ナンか病名つけよる。新しい誤診と誤処方生みだスンよ。
だから、イマはやりのハンパ病名でイイと、アカンを両方言わなアカンのよ。
油田と金脈になるぞ。なるぞ。なるぞ。なるぞ。
病名変更は、誤診誤処方から一人でも救い出してくるために使うか、己が自身の苦悩や苦痛のアリカを理解するための一助になるときしか使わんの。キチガイでいいんよ。精神分裂病でいいんよ。でも、みんなこのハンパ病名に夢中になるんよ。そのうち、あしもとすくわれることにならなきゃいいんだがなぁぁーーー、もっとも、夢中になるだけのイミはアルしなぁぁぁーーーアルんよなぁぁぁーー
予後がいいんのは、なぜなんや。或いは、ワルイのはなぜなんや。アタラシい苦痛な症状がでないっていうことなんよなぁ。
どうしてまた、同じアスペルガー同士なのになんでアンタ等は医者やPSWやカウンセラーや作業所スタッフ、ディケアスタツフで、で、こちらは、患者なんや。よう言うたもんや「医者よ汝自身を癒せ」とな。そうや、そうやったんよ。アスペルガーやらACたら半端者ハンパ者半病者、みんなこぞって、福祉職医療職研究職教職創造職になるんや。そうなったら、クスリも少なくて。ラクになれるんや。予後がいいのはアタリマえ。自分と同じ苦悩にさいなまれている者の上に「センセイ」として君臨できて、暮らし向きも良くて、外聞も良くて、自己実現もできるしな。よく効く最大のクスリやったんや。
もっといやあよぉ、友の会がやすらぎの里になるときに、通所者側とスタッフ側に別れタンが、運命の分かれ道よ。。。。そうそう女は結婚相手の職業で楽になる可能性が倍になるんや。暮らし向きええのは、羨ましいのぉぉぉーーーほんと
ああ、だから、キチガイはアスペルガーやらACたら半端者ハンパ者半病者らを嫌い抜くんや。そうなんや、当たってたんや、プシ共闘がなんで、なんでコウなるのかも、なるほどなぁぁぁ。
「ハンパ者センセイ五職」とは、このこった。楽になるための最大のクスリとは、このこった。能力のうても、エエええ、職につかいでも、半分がた自分で納得できたらエエのや。だもんで、ピアカウンセラーたら当事者スタツフたら、事務局コーディネーターたら、ナンタラ審議委員たら、音楽家目指すだの、役者崩れだの、作家志望だの研究課程在学中だのが、多て多て。
なるほど、羨ましいのぉぉぉーーキタナイのぉぉぉぉーーアンタ等。自分らだけはラクになるんやなぁぁぁぁ。キッタナイなぁぁぁぁぁぁーー。
だもんで、だっからキーサン革命は、はじめっから「見えにくいアクジ」をテッテー敵に嫌いぬいてキタシ、これからも、糾弾し抜くんよ。リクツやない。ヤツ等は本能的に知ってたんやな、だから、ソッチ側にいるんか。そうなんか。
そうなんや、そうなんや、だからなんとか、
ハンパ者国家テロリストハンパ者団体に
核とサリンとペストを、渡すんよ。
こんな事言うてたらそのうちバチ当たって早死にせんならん。いやぁーバチあたって、かえって、悪態つきながら、世間を罵しり呪いながら、自分も呪いながら、戯言言いながら、長生きせんならん。
ヂゴクに行くには早すぎて
ゴクラク行くには遅すぎる
もう少しこの世とやらで
悪態つこか
罵しろか
以上
キーサン革命極意本伝全百七箇条
並びに
極意外伝外の物化け物一巻
悉く狂伝致候
不許他見他言
能々可在吟味事
   年  月  日   凶 刃軒狂鬼斎 愚怒禿心乱
    在判両手印  
     殿
筆者覚書 2009年10月14日起稿したものの 2010年になっても、
脱稿できないでいる、おそらく、これも、完成はないのであろう、
公表すべきかどうか、と想うものの世に問うた、良かったと、想った
2015年 世の中の流行り、
精神医の気儘についていけず、一部改訂し
「百七箇条版」とした
バカバカしい限りである
えばっちより
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shibaracu · 5 years ago
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●柳田國男の世界
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●柳田國男の世界 この人の本はあまり読んだことがない。 何故か少し恐怖があった。 何ともコトバにしようがないほどの感じである。 民俗学的には良いものを出しているようだ。 でも批判もタダ有るようだ。 下の方の論文などは一度読む価値があるように思える。 折口という人と比較されたり並べていろんな話もあるようだ。 どれが良いのかハッキリしない。 人それぞれの取り方もある。 私は読んでも味方も敵にも成れない。 もともと、柳田が資料に頼らない歴史を民俗学としたから、 そういう学問になっている このコメントが引っかかる。     ◆柳田國男 - Wikipedia http://bit.ly/yTENHp 柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 - 1962年(昭和37年)8月8日)は日本の��俗学者。 現在の兵庫県神崎郡福崎町生まれで、晩年に名誉町民第1号となった。正三位勲一等。 日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行し、初期は山の生活に着目し、著書『遠野物語』で「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と述��た。 日本における民俗学の開拓者であった。   ◆柳田國男の世界 | 福崎町 http://www.town.fukusaki.hyogo.jp/category/3-2-0-0-0.html
   故郷 七十年 [2016年5月17日]    國男 年表 [2014年2月3日]    國男ゆかりの地 [2014年2月3日]    福崎の人々 [2014年2月3日]    柳田國男の世界 [2014年2月3日]    福崎という土地 [2014年2月3日]    其の一 [2014年2月3日]    其の二 [2014年2月3日]    其の三 [2014年2月3日]    其の四 [2016年5月17日]    其の五 [2016年5月17日]    其の六 [2016年5月17日]    其の七 [2016年5月17日]    其の八 [2016年5月17日]    其の九 [2016年5月17日]
森鴎外と出会い、松浦萩坪に師事し、自然主義の文学青年と交流。「文学界」に新体詩を発表、斬新な詩作で仲間を刺激した。 が、「なぜに農民は貧なりや」という言葉に示されるように、社会構造に対する鋭い疑問から、文学への傾倒を絶ち、農政学を志した。
◆福崎町立柳田國男・松岡家記念館 http://bit.ly/zeFzJs 本館は,『後狩詞記』や『遠野物語』などの多くの著作をあらわし,「日本民俗学の父」と 呼ばれる柳田國男(文化勲章受章,福崎町名誉町民第1号)と,医学・国学・言語学・ 美術などの分野で活躍した松岡家の顕彰を目的に,昭和50年に設立された記念館です 。   ◆1144夜『海上の道』柳田国男|松岡正剛の千夜千冊 https://1000ya.isis.ne.jp/1144.html 2006/05/23 今夜は柳田国男の『海上の道』をもって、いったん「千夜千冊」を擱筆するつもりでとりあげようと思っているのだが、その前に少し書いておきたいことがある。何にも煩わされることなく柳田や折口を読んでいたころがひたすら懐かしいということだ。   ◆成城大学 | 民俗学研究所 柳田國男について http://bit.ly/zD7Dft 「日本民俗学」の創始者で、近代日本を代表する思想家でもあった柳田國男(1875~1962) 成城大学民俗学研究所は、日本民俗学の創始者で近代日本を代表する思想家の一人でもある、柳田國男の寄贈書を納めた「柳田文庫・民俗学研究室」を基盤とし、設立されました。我国における民俗文化の研究センタ—としての役割を担うべく、日本の民俗文化及びこれに関連する研究、調査並びに資料の蒐集を行っています。   ◆柳田國男について  https://www.seijo.ac.jp/research/folklore/kunio-yanagida/intro/ 名もなき庶民(常民)の歴史や文化を明らかにしたいと考え、 「常民文化の探求」と「郷土研究」の必要性を説く 「日本民俗学」の創始者で、近代日本を代表する思想家でもあった柳田國男(1875~1962)は、明治8年7月31日に兵庫県神東郡田原村辻川という農村の医者・国学者であった父松岡操の六男として生まれる。幼少期に体験した飢饉、故郷を離れて見聞きした庶民の暮らしや間引き慣習の悲惨さを思い、「経世済民の学」を志向、東京帝國大学法科大学(現東京大学)で農政学を学ぶ。  「日本民俗学の祖」柳田國男の旧居は、小田急線の「成城学園前」下車3分、駅前の道を北進して2つ目の四つ角を左に折れると、木立の中に洋館があり、現在は、建て直されてご子孫が住まわれている。 柳田國男存命中の大きな書斎を持つ建物は、昭和63年に解体され、柳田家先祖ゆかりの信州飯田にある「飯田市美術博物館」の中に移築され、今は当時の面影はない。   ◆柳田國男館 - 飯田市美術博物館 http://bit.ly/AoL6VZ 「民俗の宝庫」―伊那谷の「生きた学び舎」としての活用をねがうものです。   ◆柳田國男記念公苑 [茨城県利根町公式ホームページ] http://www.town.tone.ibaraki.jp/page/page003532.html 2019/12/04 柳田國男記念公苑は、國男が少年時代を過ごした旧小川家の母屋、土蔵(資料館)で構成されており、著作物や文書等を展示しています。また、会議、講座、宿泊施設として利用できます。   ◆柳田国男 家系図研究にも影響を与えている http://bit.ly/zhfiMj 家系図の分野で有名な丹羽基二氏の大学での恩師にあたるそうです。(「日本人の苗字」にありました。) 神隠しの体験について語っていたりする神秘家としての柳田国男がいるわけですが、遡れば陰陽道の中心地播磨という関連もあるかも知れません。 宮本武蔵とは、赤松 つながりでもあるのですが、養子の宮本伊織の神隠し体験ともなんらかのつながりが あるかも ...   ◆第866回談話会要旨(2012年12月2日=いくつかの「先祖の話」:京都で読む柳田祖霊神学)  2013年5月6日 · http://www.fsjnet.jp/regular_meeting/abstract/866.html 主な登場人物2 ―京大文化史学派の『先祖の話』受容― 京都大学・菊地暁
 今回のシンポジウム「いくつかの『先祖の話』 ―京都で読む柳田祖霊神学―」(日本民俗学会第866回談話会、京都民俗学会第31回年次研究大会シンポジウムを兼ねる)はシンポジウム「京都で読む柳田国男」(2005年、柳田國男の会、国立歴史民俗博物館共同研究「日本における民俗研究の形成と発展に関する基礎研究」、京都大学人文科学研究所共同研究「近代京都研究」共催)の第2ラウンドともいうべき企画である。「京都で読む柳田国男」は、民俗学史をとりまくいくつかの「中心史観」への挑戦だった。柳田中心史観、純粋民俗学中心史観、東京教育大中心史観、そういった一連の偏向をともなう学史叙述は、結果的に、地方や隣接分野における実践の脱落につながった。そこでその偏向を転倒させるため、「京都」という視点の挿入を試みた。すなわち、粗野に対する洗練、野外に対する文献、在野に対する官学といった、「野の学問」の正反対を抱え込む「京都」をあえて前景化させることによって、民俗学という運動の射程と多様性を可視化させようとしたわけである。   ◆ぶく速 柳田国男と折口信夫って どっちのほうが強いの?http://bit.ly/x6R8bG 2011/12/23 ▽英雄の条件  「大人物出でよというのはかつて政界の常套語であったが、これは今いる連中がみな凡庸だという意味の反語であったかもしれぬ」 「丸太棒であれ鸛(コウノトリ)であれ、何か自分たちを統御してくれるものを恋しがっていた者は多いのである。 しかしその適任者が仲間の内に、今まで埋もれていたということはあまり喜ばなかった。英雄はもう少し毛色の変わった馬に乗って、雲の彼方より出現してこなければならなかった」  これは、民俗学の泰斗である柳田国男が1930年に書いた「明治大正史世相篇」の「英雄待望」の章の文章だ。この本には文明時評的なところがあるが、この部分も皮肉で面白い。 柳田とか折口とかの著作って学術書と言えるの?文学とかエッセイ、随筆の類だろ もともと、柳田が資料に頼らない歴史を民俗学としたから、そういう学問になっている   ◆遠野物語の柳田国男、農政の先駆者としての顔: オーライ!ニッポン https://blog.canpan.info/ohrai/archive/82 2019/02/03 遠野市を訪問したことから、遠野物語の柳田国男、民俗学の祖である柳田国男のもう一つの顔、農政の先駆者としての姿を知った。柳田が考える農政とはどのようなものだったのであろうか。 並松信久氏(京都産業大学 大学院 経済学研究科教授)は、論文「柳田国男の農政学の展開」の中で、柳田国男の農業政策の目的は生産量の増加ではなく、それを通して国民総体の幸福を実現することにあり、これは柳田がJ.S.ミル(JohnStuartMill,1806_1873)のイギリス功利主義の影響を受けていることを物語っている。 論文「柳田国男の農政学の展開」(PDF) https://ksu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=1516&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=21
◆水木しげるが漫画化した柳田國男『遠野物語』の“お色気シーン” http://bit.ly/z8x7Oi 作家の嵐山光三郎氏は過去に『水木しげるの遠野物語』(小学館刊)を書評しているが、この原稿で衝撃の事実が明らかになっている。以下、嵐山氏の書評だ。(『週刊ポスト』2010年4月9日号より)
◆柳田國男「ネブタ流し」を読む http://bit.ly/Aqfjb8 柳田國男の「毛坊主考」は、多面的な作品である。表題のとおり、地方の集落で半俗半僧侶生活を送る念仏の徒についての話もあれば、シュクや茶筅などの被差別的な扱いを受けていた人々の生態とその信仰について、また、各地に残る由来のわからなくなった塚や山という異界の周辺にたむろしている者(童子)たちについての話もあった。 この多様性は、「毛坊主考」が「郷土研究」誌上に連載されたものであるということに由来する。 柳田は、地域の口碑や伝承、他の地域の攘却行事を参考にして、ねぶたを“御霊祭”の一種として捉えていこうとしているのだ。   ◆遠野物語 - Wikipedia http://bit.ly/y0ckcQ 『遠野物語』( とおのものがたり)は、柳田國男が1910年(明治43年)に発表した説話集。日本民俗学 の黎明を告げた名著である。   ◆柳田国男 海上の道 - 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/54331_53583.html +一二. +一三. +一四. +一五. +一六. +一七. +一八. +一九. +二〇. +二一. +二二. +二三. +海神宮考. +緒言. +一 昔話の島嶼型 ... それからこの方の記録だけによって海上の交通史を説くのは間違いのもとであろう。 昭和三十六年六月. 柳田国男. [#改丁] ... 日本の海端に、ココ椰子の実が流れ着くということは、決して千年ばかりの新らしい歴史ではなかったはずであるが、書物で海外の知識を学び取ろうとした者は、かえって ... 寄木 ( よりき ) は流木の浜に漂着したものといい、親はこちらで言うならば長者のことである。 「椰子の実」と柳田國男 =流木のロマン= ■ 日本は四方を海に囲まれ、その海岸線の 総延長は3万6千km(地球の9/10周に相当)にも及び、ロシア連邦、オーストラリアに 次いで世界で3番目に長い。日本は紛れもなく海洋大国なのです。   ◆島崎藤村の「椰子の実」は実にロマンチック… | 八重山毎日新聞社 http://www.y-mainichi.co.jp/news/12500 2008/12/02 島崎藤村の「椰子の実」は実にロマンチックだ。愛知県・渥美半島の伊良湖岬を民俗学者の柳田國男が訪れたとき、散策の途中に恋路ヶ浜で拾ったヤシの実の話を友人の島崎に語ったのがきっかけで生まれた叙情詩だという ▼波に揺られ、長い歳月をかけて南の島からたどりついた1個のヤシの実は文部省唱歌となり、多くの人々に親しまれている。その舞台になった渥美町(合併で田原市)は、石垣島沖から毎年ヤシの実を流して自然のロマンを再現、実際に漂着したケースもある ▼ところがどうだろう。八重山に流れ着くのは嫌なものばかりだ。復帰前は爆発物の「機雷」や米軍機の燃料タンク、廃油ボール、そしていまは海外の漁具類やごみだ ▼かつては海岸線を歩くのが楽しかった。珍しい形をした流木や漁具のガラス玉を拾って持ち帰った。だがいまは漂着ごみ量にぼうぜんとなる。プラスチックの容器をヤドカリが抱えて歩いている光景にも出会った ▼先に開かれた環境省の漂着ごみ地域検討会で、観光客アンケート結果として「ごみ回収で滞在日数は0.9日増える」と報告された ▼漂着ごみは静かに島々に負のイメージを広げており、事態は深刻。回収しても次々とごみは流れ着く。その悪循環を断ち切るのが外交力であり、政府に強く望みたい。(黒島安隆)   ◆童謡集/椰子の実(歌詞付き) https://youtu.be/eG1gB5dluU8 2009/08/02 有名な童謡曲集~MillesVents風~シリーズ 第2弾 とても難しい日本語で書かれた歌詞・・・ それを少しでも聴いて頂いた方に理解出来るようにと工夫して歌ってみました・・・。 伝わったでしょうか? ---歌詞の親切な解釈--- (文語調に不慣れな方の為に、歌詞の概略をしるしておきます) ※歌詞そのものではありません
名前も知らない 遠い島から
流れ着いた 椰子の実がひとつ
ふるさとの岸を離れて
お前はいった��何ヶ月 海をただよって来たんだい
お前が育った椰子の木は きっと生い茂り
枝の下に 影ができるほどなんだろうね
僕もまた 波の音を枕に
一人さすらう 浮寝の旅さ
椰子の実を手に取り 胸に当てれば
さすらいの憂いが また新たにわく
海に沈む夕陽をみていると
遠い異郷の地に流れ着いた今の我が身に
涙があふれて流れ落ちる
思いははるか 果てしない波の彼方
いつの日にか 故郷へ帰ろう
いつの日にか 故郷へ帰ろう ~Pucky訳~   ◆日本近代史の中の日本民俗学-柳田国男小論  http://bit.ly/xwOKIY 戦前の大東亜共栄圏の夢が軍事政治的には潰え去ったけれど、経済的覇権として甦ったのだ。 なぜ私たちは「大日本主義」の時代になると「日本」「日本人」を問いたくなるのだろうか。 外部より内部に目を向けたがるのだろうか。   ◆南方熊楠のキャラメル箱サイト内検索:柳田国男 http://bit.ly/wxM9F9 南方熊楠の手紙:神社合祀反対運動の終結、その他(口語訳1)明治44年12月10日   ◆柳田国男と遠野物語 2019/12/28 https://youtu.be/94ZghOx8jXM   ◆柳田国男.mpg  2010/08/16 https://youtu.be/oWm7zXLOBCI
◆遠野の昔話 『オシラサマ』  2015/04/04 https://youtu.be/h0hVjjrd5Gc 川崎市立日本民家園 佐々木家住宅 語り部 大平悦子氏   ●とおの物語の館 - 遠野市 http://www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/48,23855,166,html 2013/04/25 昔話の世界を体感  とおの昔話村が、平成25年4月27日、「とおの物語の館」としてリニューアルオープンしました。  昔話を映像や音声で楽しむことができる「昔話蔵」や、語り部による昔話を聞くことができる劇場「遠野座」などのほか、お食事処やギフトショップも充実。見て、聞いて、食べて遠野をまるごと満喫できます。   ◆遠野の語り部   2008/12/08 https://youtu.be/96rY_9SQEWE 遠野の語り部、カッパの昔話 岩手の方言をお楽しみください   ◆柳田國男「神道は、太古の昔から現在にいたるまで連綿と続く、自然発生的な日本固有の民族的宗教である」 幕末の国学、柳田國男の「国家神道」批判、http://bit.ly/A5bfro   ◆第4回講座-神道研究入門- http://yamaguchi-gokoku.jp/subupage4.html 神道を敵視する立場から神道を研究するわけですから、そうした人たちの神道の研究書に従えば、天皇は人民統治手段として神道を用い、神も支配したという結論に導かれる論理になっており、神道は超国家主義的宗教とされました。
◆補足 「国家神道」がムラを壊した 04 09/10  http://bit.ly/xLHSWv 近代国家としての日本は終始一貫して「国家神道」を、国民の国家への忠誠と献身とを引き出す道具として利用した。 このような国家的計略を「日本に固有のものとはとうてい言えない」と批判したのは官僚出身の民俗学者、柳田国男であった。   ◆民俗学 - Wikipedia http://bit.ly/xOE6LS 民俗学(みんぞくがく、英語:folkloristics)は、学問領域のひとつ。高度な文明を有する諸国家において、自国民の日常生活文化の歴史を、民間伝承をおもな資料として再構成しようとする学問で、民族学や文化人類学の近接領域である。   ◆国家神道批判 [柳田国男の昭和]  http://bit.ly/xbZnG6 国男にとって、神道とは神と人とが交感し、���歓する祭にほかならなかった。その原風景が残るかぎり、たとえ国家が敗れても、くには残ると信じていた。   ◆祭政分離はとうぜん [柳田国男の昭和]  http://bit.ly/xKz8M5 記事はGHQの検閲をへている。 国男の発言は、明治憲法と国家神道を廃絶しながら、政治から切り離された国の祭祀者としての天皇を認めるというマッカーサーの考えを側面から支援するものとなっていた。 だが、それだけでは終わらない。 国男はさらに進んで、政治に利用されることのない神道の再生をひそかに構想していたのである。   ◆【日本近現代史】歪められた日本の歴史 | 日本人の信仰と聖書 ... http://nihonjintoseisho.com/blog001/2019/06/06/history-of-japan-2/ 2019/06/06 「高校生のためのおもしろ歴史教室」というウェブサイトを大変興味深く読ませていただいております。「日本を不思議の国から当たり前の国にいま、周辺国の陰謀によって悪化しつつある国際的評価に正しい主張をしてまいりましょう」日本を美しくする会相談役 鍵山秀三郎(月刊「致知」平成27年10月号「巻頭の言葉」/致知出版社) という文章が紹介されていましたので、一部をご紹介させていただきます。   ◆戦後日本 : 柳田国男らの民俗学による歴史学の破壊 file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/symp_012__39__27_36__39_48.pdf A・N・ メシェリャコフ ロシア国立入文学大学 (日本語訳 ・土田久美子) 二十世紀はユートピアの世紀であった。ソビエト連邦でも、ナチス・ドイツでも、そして日本でもユートピアを建設する試みが見られた。 すなわち、ソ連は共産主義 、ドイツは「新秩序」、日本は「大東亜共栄圏」の建設を試みたのである。 ユートピアの思想を実現させる為 、いずれの三力国でも一社会的・文化的相違はあるにせよ一「全体主義」として特徴づけられるべきシステムが構築された。 いずれの三力国でもユートピアの建設は、国内外に対する広範囲の武力行使によて 実現された。 二十世紀はユートピア建設の世紀であるだけでなく、その破綻の世紀でもあった。 前述のいずれの国家もこの運命を免れることは不可能であった。 ドイツと日本は戦争に敗北し占領下に置かれ 、ソ連は第一に非効率的な経済システムの為に崩壊した。 全体主義が破綻した後 、いずれの三力国でもより民主的・個人主義的な社会を創り出す政策がとられ 、それは「全人類的」価値への参加として理解されたそれと同時に、かつての希望の破綻に伴い 、厳しいアイデンティティの危機が生じた。 危機には解決を要する。 新しいアイデンティティを創造した日本の経験はかなりの独自性で際立っており、あらゆる観点からの研究がなされる必要がある。
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kanata-bit-blog · 7 years ago
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天ヶ瀬さんちの今日のごはん3
『アジフライ』with Altessimo
 天ヶ瀬冬馬、弱冠十七歳。片親であったりアイドルになったりと、普通とは言い難い人生を歩んできた自覚はあるが、それでも経験においては頭一つ抜けているものだと思っていた。315プロダクションに所属するまでは。  孤高たれ、王者たれと刷り込まれ続けてきた961プロダクション時代もそこそこに面白い経験を得ることはあった。それこそ、バラエティ番組の企画でドッキリを仕掛けられてみたり、分類すら分からない謎の動物と触れ合ってみたり。  しかし、そんな数年を送ってきた冬馬ですら315プロダクションに所属してからというもの、毎日が初体験ばかりである。  そして今日も初体験をした。
 突然いなくならないように人を凝視しながら歩くということを、体験した。    おかげで家に着く頃には冬馬の瞳はかぴかぴに乾いていて、冷蔵庫に入れていた目薬を久しぶりに使用した。ぱちぱち、ぱちぱちと瞬きを繰り返している間にいなくなってしまわないかと冬馬は念入りに確認したが、幸いなことに都築は消えることなくそこに存在している。  後ろ手で玄関ドアのカギをかけると、都築は「お邪魔します」と慎ましやかに靴を脱ぎ、慎ましやかに上がり、慎ましやかに歩いて行った。  何と言うか、自主的にアイドルをしている自分で言うのもなんだが、都築圭という人は不思議で形成されていると思う。纏う空気感のようなものがアイドルらしからぬ気品に溢れている。と、思いきやどこか抜けていて、一度風が吹けば消えてなくなってしまうような儚さも持っていた。  キャラが強いと言われるJupiterの三人には無いそれに、冬馬はどう関わるべきか決めあぐねていた。結局は事務所の仲間として話をすればいいだけの話なのだが、仮にも都築は年上である、多分。それも、‪一時‬は音楽の道を歩いていた北斗が「凄い人だよ」と大きく褒め称える人間だ。違う畑の超超超超有名人、そんな人と何を話せばいいのだ。  麗が困っていたからと連れてきてしまったのは自分自身であるが、こういう時こそ呼ぶべきだったと現在進行形でドラマの撮影をしているであろう北斗のことを思った。  しかし、ここで諦める冬馬ではない。何せこれから突如行方不明になりかねない都築を放置しながらも料理を作らなければならないのだから。  携帯電話を取り出し、電話をかける。三度、四度の音楽の繰り返しの後、電話口から『もしもし』と疑問を孕みながらも透明感のある美しいアルトが聞こえてきた。 「もしもし。旬か。悪い、今って時間大丈夫か?」 『あまり長くは話せませんが……何かありましたか?』  耳に当てたスピーカーから聞こえるのはHigh×Jokerの冬美旬の声だ。微かに布擦れの音が聞こえるのは、彼が着替え中だからだろうか。すっ、とネクタイを外す音と思しき音が耳に触れる。 「いや、ちょっと俺の代わりに話してて欲しい人がいてよ。話す、というか……いなくならないように見張っててほしいんだ。多分そんなにかかんねえから頼んでいいか?」 『ええと、いまいち状況が理解できていないんですが……』 「俺もなんて言えばいいか分かんねえんだよ。とりあえず話しててくれればいいから、後は頼んだ! テレビ通話にするぞ」 『えっ冬馬君、ちょっ……わっ!? つ、都築さん!?』
 半ば無理矢理旬を都築の前に連れ出すと、未だかつて見たことないほど動揺の声でスピーカーがバリッと悲鳴をあげる。一方の都築は「やあ、旬さん。久しぶりだね」なんてほのぼのと笑っていた。  悪い、旬…………このお詫びはいつか猫で返す……! 温度差の激しい会話を背に、冬馬はキッチンへと向かった。
 さて、今頃大急ぎでこちらに向かってきているであろう麗が来るまでにある程度料理を形にしておきたい。とは言え、普段からどこでどのようなことをして生きているのか皆目見当のつかない都築は、果たして何を食うのだろうか。旬だからという理由だけでアジを買ってし���ったが、苦手ではなかっただろうか。  気になって道中目をかっぴかぴにさせながら「アジって嫌いじゃないスか」とか「普段何食べてるんスか」など明らかに何かを案じているような白々しい質問をしてみたものの、彼はおっとりと悩み、ごく当たり前のように「水は飲むよ」と言った。  思わず反復してしまったその単語に、都築はやはりごく当たり前のように「そうだよ」と言った。  つまり、結論から言えば普段何を食べているのかは分からなかった。いくら聞いてもどう切り込んでみても彼の口からは水という言葉以外出ず、好きな物すら分からない。お手上げ状態になった冬馬はせめてとアジや小麦粉などにアレルギーは無いかということだけ聞き、献立を決めるところまで漕ぎつけた。  まさか水だけで生活しているなんて、そんなファンタジーみたいなことないよなあ。なんて考えながら冬馬は買ってきた食材一式をビニール袋から取り出す。  アジフライだけでは味気ないと思い、出来合いの漬物を買ってきた。これとしじみの味噌汁を付ければ一応は定食と言う形になるだろう。 「アジフライだと味気ないって、天道さん言いそうだな」  自分以外誰もいないキッチンで冬馬は自重した。自分も相当事務所に毒されてるなあと愛用の包丁にそっと水をかける。  自室からは細々と会話が聞こえてくる。残念ながら離れている為その内容は曖昧で、聞き取ることは叶わなかったものの、都築がそこにいるということだけは分かるので良しとしよう。  数多く存在している食べられる魚の中でも非常にメジャーに分類される魚、アジ。旬は五~七月であり、旬に獲れるアジは脂のノリが良いらしい。そしてそのアジの仲間にだけ見られる特徴が尾の両側にある「ゼイゴ」と呼ばれるウロコ。アジの鱗を処理する際はここから外すのが手始めである。  側面に一線引かれている一際硬いそれを、尾の方からノコギリを使うように切り取っていく。片方が終われば反対側。そして二匹目、三匹目と冬馬は黙々と作業をこなしていく。  正直に言ってしまえば、この作業はあまり好きではない。というよりも、魚と言うものを加工すること自体得意ではないのである。鱗を取り、内臓を出し、洗い、物によっては三枚おろしにする。その一連の作業が面倒で仕方がないのだ。  とは言え、カレー作りなどからも分かるように、凝る時は凝る性質の冬馬にとっては昨今のスーパーで見られる所謂加工済の品を使うのは極力控えたい考えがある。実際自分で作った方が美味いような気がする。 よって、冬馬は時間が無い時と、家では到底作れそうもないものであることなどを除けば出来るだけ自分で作るというスタンスを貫いていた。
「……………………………………………………」
 昔、一度だけ母と一緒に台所に立った記憶がある。随分と昔のことなので記憶も定かではないのだが、自分よりもずっと高い所に見える母の顔が優しかったのだけはよく覚えていた。  最早何を作ったかすらも覚えていないあの日、母に教えてもらいながら拙い手つきで作った料理を食べた。今にして思えば8割くらいは母が作っていたのでそれは自分が作ったというには微妙な品だが、それでも自分の手で何かを生み出すことは楽しくて、完成したものを見た時には胸を張っていた気がする。  子供用のおもちゃみたいな包丁で切った食材は切ったというよりも押し切ったというのが正しいほどぐちゃぐちゃで、それでも「美味しいね」なんて言って母が食べてくれたのが凄く嬉しかった。胸がほうと温かくなった。  今思えば、あの時人に何かを食べてもらうことを好きになったのかもしれない。
「………………!」  差し当たって最後の一匹まで丁寧にゼイゴを切り落としたところで玄関チャイムが鳴った。来訪者らしい、来る人間と言えば一人しかいないのだが。  生臭い手を洗って玄関へ駆けていく。念のために人物だけは確認してから扉を押し開いた。 「よく来たな、麗。入れよ」 「天ヶ瀬さん。この度は……」 「そう言うの良いって。そろそろ旬もそろそろ限界だろうし、都築さんのこと頼んだ」 「?」  首に汗を滲ませた麗を家の中に招き入れ、今なお画面の向こうで百面相をしているであろう旬を救うべく自室に入った。  しかし、予想に反して都築と旬の会話は穏やかで、杞憂に過ぎなかったのだと冬馬は胸を撫でおろす。聞くと、この機会を使って旬が都築に聞きたいと思っていたことを聞いていたのだという。  そう言えば旬はHigh×Jokerの五人で家に来た時も随分勉強熱心だったなあ、と冬馬は一週間前のことをつい昨日のことのように思い出した。勉強熱心なことと、都築に対してアイドル、仲間以外にも憧れという感情を抱く彼からすれば、この機会は絶好であったのだろう。  無理矢理ではあったが、その手助けになれたなら良かったと冬馬は息を吐く。 「都築さん!」 「やあ、麗さん。いらっしゃい」  画面から目を離して汗だくの麗に微笑みかける都築、旬も彼の言葉を聞いて小さくお辞儀をした。 「ここでは天ヶ瀬さんの邪魔になってしまうので、場所を変えましょう」 「気にすんなよ。ここ使って打ち合わせしてくれてても良いからよ」 「そんな、」 「晩飯用意するって言ったろ。麗、アジは大丈夫か?」  今から移動して店を探すよりも、このまま冬馬の部屋を借りて打ち合わせを始めてしまった方が時間的にも良いだろう。  少し戸惑ったように視線を揺らし、麗は申し訳なさそうに眉毛を落とす。 「アジは大丈夫ですが……そうですね……では、お言葉に甘えて場所をお借りします」 「おう。何かあったらキッチンにいるから呼んでくれ」 「分かりました」  麗がおずおずと荷物を下ろし、中から筆記用具と資料一式を取り出したので、冬馬は安心してキッチンから足を踏み出した。
「……悪かったな。巻き込んで」 『いえ、都築さんとはゆっくりお話したいと思っていたので、ありがとうございました』  キッチンカウンターにスパイスを入れた瓶を置き、立てかける形で携帯電話を添えた。旬が机に向かって何かを書いている。時間が無いと言ったのは勉強をする予定だったからか。 「……家で勉強なんてしたことねえんだけど」 『いえ、これは先程都築さんに教えていただいたことを実践してみようと』 「曲か?」 『そうです。ある程度固めてから明日にでもハヤトのところに持っていこうと思います』 「そっか」  315プロダクションには15ものユニットが存在しているが、全て作詞作曲振り付けを兼ねているかと言われれば、そうではない。Jupiterもフリー時代でやっていた時には振り付けを自分達で考えていたが、作詞作曲については他人の力を借りなければ形にすることが出来ない。  しかし、High×JokerやAltessimoのように音楽に精通したものがいる場合その限りではない。例えば旬や都築のような楽器を嗜んでいる人間である。  ……そう言えば北斗は曲を作ることが出来るのだろうか。深くは聞いたことが無いまでも、彼が十代半ば頃までピアノに執心だったことは知っているし、腕の怪我を機に離れてしまったことも知っている。だが、以前ドラマやライブの中で弾いてみせたピアノの腕は並よりもずっと上手いと、その方面においてはめっきり素人の冬馬は聞き入ってしまった。  男にしては細くしなやかな指先が叩く音色はどこか切なくも熱を感じる美しさで、なんとなく、本当になんとなくだが、かつての北斗自身に語り掛けようとしている気がして。  あの音と北斗の性格から紡がれる曲はどんなものになるのだろう。 『すみません、冬馬くん。そろそろ晩御飯のようなので、今日の所は失礼します』 「おう、ありがとな。また事務所で」  通話が切れ、キッチンの中は再びの静寂に包まれる。冬馬は背伸びをし、特に誰かに言うわけでもなく「よし」と呟くとアジの処理の続きをするべく包丁を握った。  包丁の背で鱗を取り除く。最近では鱗取り専用の器具が販売されているようだが、生憎と他の物を優先しているせいでまだ買えていない。それがないと出来ないというものならば致し方なく優先度も上がるだろうが、包丁で事足りる上に、ネット���くペットボトルでも代用が利くというのだからわざわざ買おうとは思えなかった。  ウロコを引き終えた後は包丁をエラの中に入れ、曲線に沿う形でエラの付け根を内側から切断する。切れたことを確認した後、腹に一線入れてアジの中央にある内臓を取り出す。と、内側から出た魚の体液で牛乳パック製のまな板が赤く濡れた。 「……よし、」  六匹全てに一連の処理をするのは随分と骨が折れるが、楽を覚えれば二度と戻っては来れない。我ながら褒めたくなる程に丁寧に取り除けたと思う。  一匹一匹水道水で流し、うろこや内臓、体液、内側の粘膜などを綺麗に洗い流す。ついでにまな板も洗った。  いくらか綺麗になったまな板の上に六匹並べ、冬馬は思案する。背開きにするか、はたまた三枚おろしにしてしまうか。 「このサイズなら三枚おろしで良いか」  気前の良いおっちゃんが大きめのを入れてくれたらしく、購入してきたものはどれも立派なサイズのものばかりだ。  あのおっちゃん、齋藤社長にどこか雰囲気が似ていたな、なんて今更ながら思い出す。  フリーで活動していた時に執拗に追われたことは若干トラウマだが、いい思い出でもある。冬馬は「もしかしたら本当に斎藤社長だったりしてな」なんてありえないことを考え、鼻で笑った。あの人のことだ、どうせ今もパッションだなんだとのたうち回って初対面の人間を困らせているだろう。
「天ヶ瀬さん」 「麗? どうした」 「いえ、打ち合わせが終わったのですが、場所をお借りした手前何もせずに食事までさせていただくわけにはいきません。力になれるかは分かりませんが、お手伝いだけでもさせてください」  真剣な眼差しを向けてくる麗に、冬馬は内心「真面目だな」と笑う。ついさっきまで同じような真面目の塊と通話をしていたが、音楽を嗜む人間はこうも真面目かつ礼儀正しい人間になるのだろうか。ピアノを嗜んでいた北斗のことを思えば、なるほどそうかもしれないと確信に近いものを得た。  ……折角手伝ってくれると言うのだ。断るのも彼にとっては失礼なのかもしれない。 「じゃあ、アジフライを頼む、俺が教えるようにやってくれればいいから」 「分かりました。よろしくお願いします」 「そういや、都築さんは?」 「都築さんなら先程プロデューサーから電話が来たのでそれで、恐らく新曲についてのことでしょう」 「なるほどな。じゃあ、ぱっと作っちまうか」 「はい」  ソースや醤油を零せば一発でお亡くなりの白を着ている麗に予備用のエプロンを貸すと、「ありがとうございます」と美しい角度のお辞儀を見せた。 「よし、まずは開いたアジに塩をかけるところなんだが……悪い、一匹だけまだ切ってねえんだ。すぐやるから他を先にやってくれ」 「これくらいでしょうか?」  つまんだ塩をぱっぱと振りまき、全体に満遍なく落とす。冬馬が頷いたのを確認し、二枚目、三枚目とこなしていく。冬馬もその間に最後の一匹の処理を終えた。  麗が塩を振りかけている間に味噌汁の準備をしてしまおう。味噌汁用の鍋に水を入れ、火にかけると、今度は冷凍庫から中身の凍ったジップロックを取り出した。  以前、砂抜きをした後に冷凍したものだ。これならば本来‪四時‬間程度はかかるしじみの下準備をカットすることが出来る。お湯に入れて味噌を溶かせば味噌汁が完成するので多忙な冬馬の食生活に採用された。曰く、冷凍することで旨味が上がるのだというが、味としてはせいぜい美味くなったような気がする程度だ。  塩をかけおえたらしい麗に、今度はバッター液と呼ばれる揚げ物下地を作ってもらうべく、卵と小麦粉を渡した。 「卵と水を混ぜたものに小麦粉を入れるんだ。ちゃんとダマが無くなるまで頼む」 「はい」  真面目だな、と冬馬は苦笑しながら味噌汁の薬味に使用する長ネギを切り始める。  しばらくして、味噌汁用の鍋がカタカタと沸騰を知らせると、冬馬は冷凍しじみを塊のまま投入した。後は勝手に出汁を出してくれるだろう。そうしたら味噌を入れれば完成だ。 「出汁を、出して……」  小さく呟き、頭を抱える。  一体何だと言うんだ今日は、絶好調……いや、絶不調にも程があるだろう。今日の助手が麗で良かった。ここに翔太と北斗がいたならば、間違いなく笑いものにされていた。 「天ヶ瀬さん、これでいいですか?」 「あ、ああ、良いんじゃねえか? そしたら次はパン粉を出してくれ」 「分かりました。パン粉はこの棚の中にいる物でしょうか」 「あれはもう古いと思うから新しいの使ってくれ。ビニール袋に入ってると思うから」  何事もなかったように料理を進める麗を見て、冬馬は先程の戯言が聞かれていなかったと察し、心の底から安堵した。ここ数か月で一番安心したかもしれない。  いそいそとパン粉を振い出している麗を横目に、冬馬も揚げ物鍋を火にかける。中で油が重みを持って揺れる。 「よし、アジをバッター液に浸して、パン粉付けていくぞ」  油が適温になるまで手持ち無沙汰になってしまった冬馬も横並びで作業に参加する。麗がバッター液に浸したアジを受け取り、パン粉をまぶす。受け取り、まぶす。出来た物から器の上に並べていき、後は揚げるのみとなった。
 すると、電話を終えたらしい都築さんがひょっこりとキッチンに顔を出した。お揃いのエプロンをする冬馬と麗を見て「ああ」と微笑む。 「僕にも何かできることはあるかな? 大したことは出来ないと思うんだけど」 「有難いっスけど、もうあと揚げるだけなんで都築さんは休んでてください」  言うと、都築は「一足遅かったみたいだね」と仄かに残念がりながらも並んだアジフライに目を細めた。  鍋の中に挿していた温度計が180度を示し、すかさず菜箸を差し込む。周囲に気泡のようなツブツブが現れ、じゅわっと音がした。頃合いのようだ。麗も顔を覗かせないようにしているものの小動物のように鍋を見つめている。  油を跳ねさせないよう、置くようにアジを落としていくと、触れた先から先程よりもずっと大きなじゅうという音が響く。油が弾ける音も相まって合唱のようである。  ぱちぱち、じゅうう、ぱちぱち。軽快な音が鼓膜を叩き、揚げ上がりを想像して胸が躍った。  ふと、目に入った都築が目を閉じて頷いているので冬馬は首を傾げる。麗も気付いたようで、「都築さん?」と声をかけた。 「もしや、眠いとか、」 「いいや、初めて聞く音だったから新鮮でね。少し聞き入ってしまっただけだよ」 「やっぱり作曲家って、こういう音も俺達とは違うものに聞こえるんスか? なんつうか……日常の音も音階に聞こえるみたいな」 「それは絶対音感の人さ。もちろん僕や麗さんは楽器を弾いているから、この音も音階にすることは出来るよ」  麗が頷く。冬馬は感心しながらも鍋の中のアジフライをひっくり返した。 「専門家にはJupiterの歌ってどう聞こえるんだ?」 「そうですね、Jupiterは個々が力を持っていながらも音がお互いにぶつかり合わず、それぞれの力をいかんなく発揮している素晴らしいユニットだと私は感じました」 「うん、僕もそう思うよ」 「二人に言われると照れるな……けど、まだまだだ」  ぱこぱこと音は姿を変え、沈んでいたアジフライが表面に浮かんできていた。クリーム色だった外見はすっかりキツネ色に変わり、突くと固い触感が返ってきた。そっと掬い上げて鍋の上で数度振る。纏っていた油がぽたぽたと鍋の上に落ちて跳ねて、器に置くと、敷かれたキッチンペーパーにじわりと滲んだ。 「やべっ、忘れてた。悪い、ソース作り頼んでも良いか?」 「はい、どうすればいいですか」 「その棚に小鉢があるだろ。それで白ゴマ潰しておいてくれればいい」 「分かりました」 「それじゃあ僕はお水を出しておくね、それくらいなら僕にも出来ると思うから」  アジフライの第二陣を揚げる間に味噌汁を完成させてしまおうか。  おたまに適量味噌を落とし、菜箸で解いていく。薄濁り程度だっただし汁に味噌の色が溶けていく。塊が無くなったのを確認しておたまを鍋に戻す。ある程度混ぜてから小皿に掬い啜る。舌先に触れた味に、冬馬は小さく頷いた。  ざりざりとゴマを潰す音が聞こえる。見ると、麗が酷く真剣な顔ですり鉢を押し込んでいるので、冬馬は少しだけ様子を伺ってから白米をよそうべく動き出した。
 アジフライが揚がり終わるのと麗がゴマをすり潰し終わるのはほぼ同時だった。小鉢のまま自室のテーブルに運び、白米と皿に移し替えた漬物もセットする。  うん、どこからどう見ても定食だ。小鉢が無い分少々素朴だが、それでも揚げたてのアジフライが照明を受けて黄金色に輝いているものだからあまり気にならない。  麗はどことなくそわそわと食卓を眺めていて、「楽しみか?」と聞くと少しだけ照れながらも頷いた。 「あまり指を傷つけるようなことはさせてもらえなかったんです。だから、料理を手伝うことが初めてで……」 「じゃあ、今日が初料理だな。自分で作ったメシはうめえぞ」  そう言えば、彼は315プロダクションに入る以前はヴァイオリンを弾いていたんだったな。冬馬は指を傷つけてはいけない理由を思い、仕方ないよなあと内心でぼやく。  冬馬も若くしてアイドルというものになった人間だが、人前に出ると決めた時から自分の中で定めた規約のようなものがあった。喉を壊さないように炭酸ジュースを飲みすぎないとか、あまり夜更かしをしないとか、そういうのだ。おかげでクリームソーダも満足に飲めず、たまのご褒美に喫茶店に行って飲む程度だった。しかし、その道を望んだのは間違うことなく冬馬自身なのだ。  あまり他の家庭のことをとやかく言うつもりはないし、楽器を扱う職に就いていた以上はその道を脅かすものは全て排除し、避けるのは仕方のないことだろう。
 ……もしも怪我で夢を失ってしまったら。
 そこから先を考えるのはやめた。
「……っし、いただきます」
 上品な挨拶が重なり、冬馬は早速アジフライを一つ掴んだ。ソースは先程麗がすり潰してくれたゴマの小鉢に中濃ソースを垂らしたものである。即席のものではあるが、アジフライとの相性は最高である。  さくり、口の中から揚げ物を潰す軽快な音が響いて、すぐに鼻腔を揚げ物特有の香ばしさとソースに入れたごまの風味が駆け抜ける。追って感じたのはアジの身の柔らかさだ。一噛みで邪魔をしない程度の白身の柔さは決して油が多いわけではなく、アジ本来の性質だろう。  下処理のおかげで魚の独特な臭みは消えているが、肝心のアジらしいにおいはきちんと残ってアジフライという料理を形作っている。  おっさん、今年のアジは最高だぜ。なんて、届くことは無い言葉を胸に抱く。  隣を見ると、麗がさくさくと口を遊ばせながらも顔を綻ばせている。一方の都築も表情は然程変わらないまでも、満足気に箸を勧めるのだった。 「なんか、都築さんが飯食ってるの、不思議っスね」 「普段はあまり食べないからね」 「ははは、また水しか飲まないって奴スか」  冬馬がバラエティで得た微々たるトーク力で都築の話を掘り返す。と、麗がけろっと「本当です」と口を挟んだ。は、え?とにわとりのような声が冬馬の口から漏れて、麗は再度本当ですと押し込む。 「都築さんは水だけで一週間を済ませることもあります」 「水って、この水か?」  グラスを持ち上げると、中の透明な液体が揺れる。無色透明、何一つ加えてないただの水である。頷く麗に、冬馬は呆然とすることしかできない。 「液体以外の物を食べると疲れてしまうんだ」 「えっと……マジっスか? 俺てっきりなんかの冗談かと思って固形の、しかも揚げ物なんて重いもん作っちまって……」 「いいんだよ、とても美味しかったから。旬さんも言っていたけれど、冬馬さんは料理が上手なんだね」  都築はアジフライを一切れだけ食べ終え、「ごちそうさま」と微笑む。冬馬は一連の流れを今も信じることが出来ず、動揺を隠すように味噌汁を啜り、無意識に頷いた。  うん、出汁がよく出ている。これは冷凍も侮れない。まあ、一応これも熱い水ではあるから、水だけで生活することも……いや、無理だな。冬馬は自問自答を繰り返し、出た結論に首を傾げる。  疲れやすいというのは本当のようで、都築は箸を置いてから少しするとうつらうつらしていた。麗もそれを日常茶飯事だと言って彼の代わりに謝罪するので「気にしないでくれ」とかぶりを振った。生憎、食事の前後に寝られるのは慣れている。
 六月に向かおうとしている日の夜の気温は過ごしやすい。長袖を捲っても良し、半袖で過ごすも良しである。寒くもなく、かといって暑くもない完璧な気温の中で冬馬は欠伸をしながら歩いていた。歩く度に右手に提げたビニール袋ががさがさと音を立てる。中に入れたタッパーの蓋が空いていないかと不安になって覗き込み、無事を確認しては再び歩き出すという行為を家を出てから何度も繰り返している。  結局あれからAltessimoの二人は明日もまだ仕事があるということなので、長居させてはなるまいとタクシーを呼んだのだった。タクシーに都築を運ぶというイベントをこなした後、がらんとなった自室を見て冬馬は無性に人恋しくなった。と、言うよりも、音楽家たちの話を聞いていく中で頭をちらつく男の名前が頭から離れなかったのである。  十中八九原因は別れ際都築に言われた「北斗さんと一緒にいる時の冬馬さんの音はとても優しいね」という一言だろうが、そもそも触れ合うならば電話で済ませればいいものを。どうせ明日は仕事も午後からだし、今週に入ってまだ顔を見ていないからと勝手に自分の中で言い訳を重ね、気付いた時には余ったアジフライをタッパーに詰めて家を出ていた。  把握しているスケジュール通りならば仕事終わりは‪20時‬。少し押して帰宅は‪21時‬過ぎになる。あいつのことだからきっと「この時間だし、別に飯はいいか」と家でのんびりしていることだろう。明日は二人とも午後から打ち合わせ。行くなら今しかない。  インターフォンを押し、特に意味もなくその場で跳ねる。つま先に力を入れてぴょこぴょこと上下する度にビニール袋が鳴く。「やべっ」と動きを止めた瞬間、固く閉じられていた扉がゆっくりと開き、透き通った碧色が冬馬の姿を認めた。 「……よお」 「冬馬? どうしたの、こんな時間に」 「その、さっきAltessimoの二人が来て作ったんだけど、余ったから持ってきた。……アジフライと、米」  がさりとそれを掲げると、北斗はきょとんと見つめた後「ふふ、」と微笑む。 「こんな時間に揚げ物かあ」 「うっせ、別に食わなくても良いんだぞ」 「いや、頂くとするよ。丁度晩御飯を食べようかどうか迷っていたとこなんだ。夜も遅いし、ココアで良いかな?」 「ん」  タッパーの袋が北斗に取られ、そのまま中に案内される。連れて行かれるがままに居間のソファに座らされて、冬馬は一息ついた。  いつ来てもこの家は寂しい。本来父もいるはずの家を一人で使用する冬馬の家も大概だが、ここはそれとは違う、一言で言うならば無機質な部屋であった。必要最低限の家具と、妙に高級そうに見える装飾類。無音の中心に構えるグランドピアノ。北斗の家。 「そう言えば、さっきプロデューサーから電話が来たけど冬馬はもう聞いた?香川ロケの話」 「香川ロケ? なんのことだ?」  タッパーの中身をそのまま移し替えた皿をテーブルに置いて北斗は着席する。冬馬も荷物はそのままに、正面の椅子に座った。 いただきます、その言葉を合図に食べ始めた北斗を横目に携帯電話を見ると、一件プロデューサーから不在着信が入っていた。歩いていた時にかかってきていたらしい。 「なんでも、来月バラエティ番組でTHE 虎牙道の三人とJupiterで香川ロケをすることが決まったんだと。地元の人に協力してもらいながらうどんを作って、どちらが美味しかったかを決めてもらう予定らしい」 「ってことは、対戦形式なのか」 「一応は。だけどまだ検討中だから、変わるかもしれないな」  さくっ。時間が経過しても歯ごたえが残るそれを口にして北斗が「うん、美味しい」と呟く。  初めて料理に触れてからというもの、興味を示したものについては時間と金の許す限り作ってきたつもりだ。しかし、うどんは流石に簡易的にしか作ったことがない。 バラエティの、それも現地に行くということは十中八九全て作らされるんだろうなあ。 「……まあ、やってみるしかねえよな。お前も翔太もいるんだし」 「ふふ、そうだね。俺達も負けてられない」  そう言って微笑む北斗と目が合う。「おう」と冬馬は歯を見せて笑った。
NEXT→『うどん』with THE 虎牙道
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yurars · 8 years ago
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日本美術のススメ─キーワードと巡るぶらり古画探訪─ 2017年7月15日[土]-8月27日[日] 群馬県立近代美術館 群馬県高崎市の実業家であり文化人であった井上房一郎氏が寄贈した「戸方庵井上コレクション」。いつも常設展内の一室で小企画としてこの戸方庵コレクションが内容を変えて展示されているのですが、「お?こんな人のまで蒐集してたの?」という幅の広さなんです。中国の南宋から清、日本の平安から江戸時代まであるそうです。江戸絵画で有名な板橋美術館に貸し出ししていることもあるんですよね。とても好きなコレクションです。 今回はそのコレクションに県内外の作品を加え、さらに群馬出身の画家・金井烏洲と小室翠雲に注目した、近世〜近代を幅広く紹介する展示です。前半では天然顔料・人口顔料・筆などの日本画材や、実習帖や写生画など絵を描く際に用いるものや基礎を紹介。狩野永納の本朝画史や北斎の画本色彩通などが展示されていました。わたしは速水御舟や小室翠雲の写生に興味津々でした。メインとなる中盤では「日本絵画のきらめき」と称して、狩野元信の室町絵画、長谷川宗宅や永徳の桃山絵画、江戸は探幽・安信などの狩野派、白隠・仙厓の禅画、宗達から中村芳中までの琳派、池野大雅・金井烏洲などの文人画、谷派の谷文晁、南蘋画の椿椿山、円山派の応挙、西洋絵画を意識した司馬江漢・亜欧堂田善に、浮世絵は広重や英泉と、時代を追いながら代表する流派と作家を紹介しています。たらしこみなどの技法もパネルで紹介していたり、同じ富士山図を流派・作家別に並べて比較しやすい工夫がされていました。けして大きくはない展示会場ですが、その制限の中で日本絵画を過不足なくコンパクトにまとめつつ、さらに密度も維持している充実した企画だと思いました。 この展示で「行ってよかったぁ〜」「出会えてよかった」と思ったのは、白隠の「座頭渡橋図」と椿椿山の「歳寒三友図屏風」です。前者は墨絵で、渓谷にある橋をわたる盲人を描いたシルエットの世界です。これまで見たどの白隠とも異なる作品で、線ではなく面で仕上げた直線的な仕上がりで、盲人が目の見えない中で命綱のない橋を渡る緊張感、体の強張りまでが伝わってくる、人体の動きの捉え方と表現力が極めて高い作品でした。ストップモーションのように2足で渡り始める盲人と半ばで恐怖のあまり四つ足で歩く盲人が描かれています。白隠の画風を尊敬していましたが、さらに知らない面を知り、幅の広さに驚きました。椿椿山もこれまで見たことがない作品でした。椿山にしては荒々しく寂寥感のある絵で、基本は墨一色で歳寒三友(松竹梅)が描かれています。激しい吹雪が起きているのか、松は斜めに走るように素早く描かれ、梅は小さく淡い色で咲いています。桐生市の個人が依頼したものだとか。たしか師の渡辺崋山の娘が桐生に嫁いでるので、その関係でつながりがあったんですかね。ちょうどキュレーターさんが安村敏信さんに解説しているところに居合わせ(登壇にいらしてた日でした)、「椿山らしくない作風ですよね」と話すのを聞きました。キュレーターさんからみても珍しいんだ。いいもの見ました。 前期後期ともに鑑賞して、後期は安村敏信さんの記念公演会に合わせて観ました。公演会では、安村さんが展示テーマ(桃山から近代までという幅広さ)に合わせながら、90分の時間ほぼきっかりに終演させて、日本絵画の魅力・歴史・各作家の魅力・研究者らしい視点での深みのある見解まで話されたので、それに何より感動してしまいました。他の公演会ではテーマから逸れてたり、時間配分を失敗している場面にもよく遭遇するので。安村さんの講義受けている学生は幸せ者ですわ。 この公演では、独学虫食い状態の知識が繋がったりと得るものが多かったのですが、おもしろいなあと思ったのは若冲です。絵画史からすると随分と変種で外れているんでしょうね。「なんで、このモチーフ描いたんだろうね」「もう15年近く人気だけど、なんでなのか分からない」「不思議な人です」みたいなことを、安村さんが若冲に関しては口にしていました。「墨絵から始まって、墨絵をみると巧みさがわかりかすよね」とも言っていて、若冲の彩色画より墨絵が好きな私は強く頷いてしまいました。若冲は来年・再来年も何か展示があるみたいです(規模はわからないけど)。 また、金井烏洲を「関東を代表する(一番の?)文人画家」として取り上げていらっしゃいました。金井烏洲は、わたしの出身の市の画家なんです。まったく地元民は知らない有り様なんですけど(笑)。わたしも数年前に戸方庵コレクションでしり、さらに最近になって文人画の良さを感じ始めたので、誇れる画家が活動した地にいることがちょっと嬉しくなりました。烏洲はIターン者で、わたしもそうなので親近感を感じます。地方でも活躍もできるし、腕も磨けるんですね。自分も怠けず、磨こ。 ◼︎お気に入り作品 座頭渡橋図/白隠慧鶴/江戸時代 朝顔図/酒井抱一/江戸時代/紙本金地着色 四君子帖/金井烏洲/紙本墨画/墨書一帖 歳寒三友図屏風/椿椿山/絹本墨画淡彩 富士山図/尾形乾山/江戸時代/紙本着色 秋月書屋図/金井烏洲
公式サイト http://mmag.pref.gunma.jp/exhibition/index.htm
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genron-tomonokai · 8 years ago
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[友の会メール] 『ゲンロン5』刊行記念トークショー開催決定!カフェは物販コーナーリニューアル!
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[友の会メールvol.275]  『ゲンロン5 幽霊的身体』の刊行記念トークショーが開催決定!  ゲンロンカフェでは物販コーナーをリニューアルしました!   (2017年7月18日配信)
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みなさまこんばんは、はじめまして! 5月よりゲンロンカフェで働きはじめました水野です。 これから編集部の小川と交代で友の会メールを担当することになりました。 どうぞよろしくお願いいたします!
先週に引き続き、ゲンロンカフェはイベント盛りだくさんです。 8月9月のイベントも続々と決まっております。 「発売中の会場チケット」欄、要チェックです!
また、カフェでは最近物販コーナーをリニューアルいたしました! ここでしか買えないサイン入り『ゲンロン0』や『ゲンロン3.5』なども販売しておりますので、 カフェにお越しの際はぜひご覧ください。
 * * *
●『ゲンロン5』刊行記念トークショー開催!
青山ブックセンター本店さんで『ゲンロン5』刊行記念トークショーを開催します。 美術家梅沢和木さんと東浩紀が「幽霊的身体」を激論。ご来聴お待ちしてます!
8月6日(日)14:00- 「視覚から指先へ」 梅沢和木×東浩紀 トークショー+サイン会 http://www.aoyamabc.jp/event/genron5/
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●『ゲンロン5 幽霊的身体』選書フェア引き続き開催中!
『ゲンロン5』刊行記念選書フェア、 全国の書店さんで絶賛開催中です! 三省堂書店札幌店、ジュンク堂書店岡島甲府店 青山ブックセンターなどで開催されています。
今回のフェアでは、佐々木敦さん、鴻英良さん、 木ノ下裕一さん、渡邉大輔さん、東浩紀が選書し、 各書にコメントを寄せています。 お近くの方はぜひご来店くださいませ!
『ゲンロン5』取り扱い書店一覧は、以下のリンク先の 下部「本屋で買う」からご覧いただけます。 https://genron-tomonokai.com/genron/
もちろんゲンロンショップでも絶賛発売中です!
ゲンロン5【日本国内向け/For Domestic】 https://shop.genron.co.jp/products/detail.php?product_id=375
ゲンロン5【日本国外向け/For Overseas】 https://shop.genron.co.jp/products/detail.php?product_id=376
お得な「友の会『ゲンロン5』『6』セット会員」もおすすめです!
https://genron-tomonokai.com/7th/
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★刊行記念動画配信中!
『ゲンロン0』の内容を著者本人が解説した動画を公開中です! 最初から順に見ていくと、最後の「付録」ではあっと驚く仕掛けが……。 ぜひご覧ください!
第1章:観光 https://youtu.be/La3zpvRTlWI
付論:二次創作 https://youtu.be/EzhpqO_EPgI
第2章:政治とその外部 https://youtu.be/W2zdfGo2DEQ
第3章:二層構造 https://youtu.be/KUNuKzbsJi8
第4章:郵便的マルチチュードへ https://youtu.be/sNgUNFnKW9c
第5章:家族 https://youtu.be/UZsy73Lo7Jg
第6章:不気味なもの https://youtu.be/jSrXzpMrRAk
第7章:ドストエフスキーの最後の主体 https://youtu.be/FZTCul16f3g
付録 https://youtu.be/1gIee8t1tQI
☆『ゲンロン0 観光客の哲学』特設サイト情報更新中☆
『ゲンロン0 観光客の哲学』特設サイトでは メディア情報などを随時更新しています! 刊行記念動画もすべてご覧いただけます。
https://genron-tomonokai.com/genron0/
★『ゲンロン0』ご購入はこちら!
・ゲンロンショップで買う (国内) http://shop.genron.co.jp/products/detail.php?product_id=357 (海外) https://shop.genron.co.jp/products/detail.php?product_id=356 ・Amazonで買う http://amzn.to/2oPHDj3 ・友の会に「『ゲンロン0・5・6』セット会員」で入会する https://genron-tomonokai.com/7th ・こちらから試し読みもできます。 https://issuu.com/genroninfo/docs/genron0issuu/36
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それでは以下、今週のカフェ&編集部からのお知らせです。
◆◇ ゲンロンカフェからのお知らせ  ◇―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆
◇◇ 今週の放送情報 ―――――――――――――――――――――――――――
◆7/18(火)18:00- 【再放送】千葉雅也×東浩紀 「思弁的実在論の展開について――メイヤスー『有限性の後で』刊行直前対談」 (2016/1/15収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv301472942
◆7/19(水) 19:00- 【生放送】菅付雅信×西谷真理子×平川武治 「ファッションはオワコンか?」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv302559841
◆7/20(木)13:00- 【再放送】山縣良和×坂部三樹郎×黒瀬陽平 「世界を動かすファッション――「ファッションの魔法」を取り戻すために」 (2014/4/23収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv301473251
◆7/20(木)22:00- 【生放送】長谷敏司×大森望「第2回」【ゲンロン 大森望 SF創作講座 第2期】 http://live.nicovideo.jp/watch/lv302656016
◆7/21(金)13:00- 【再放送】大森望×東山彰良【大森望のSF喫茶 #22】 「終末後の世界を描く――『罪の終わり』刊行記念トークイベント」 (2016/6/1収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv301473945
◆7/21(金)19:00- 【生放送】小松理虔×津田大介×東浩紀 「福島は思想的課題になりえたか――浜通り通信全50回完結記念トーク」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv302656274
◆7/22(土)19:00- 【生放送】大森望×豊崎由美 司会=植竹公和 「『文学賞メッタ斬り!』ライブ in 五反田 part2 ―― 第157回芥川賞・直木賞徹底総括SP」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv302652732
◆7/25(火)18:00- 【初再放送】久田将義×東浩紀【ニッポンの闇 #1】 「山口組分裂、野球賭博、続出するスキャンダル……ニッポンの闇を掘り下げる」 (2016/5/11収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv301473584
★「ゲンロン完全中継チャンネル」今後の放送予定の一覧表 https://goo.gl/ay9ey7
◇◇ 現在視聴可能なタイムシフト ――――――――――――――――――――――
◆7/18(火)23:59まで 【生放送】佐藤健太郎×大山顕 「国道は謎だらけ――道路を行けば日本が見える?!」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv300645970
◆7/20(木)23:59まで 【再放送】千葉雅也 「ドゥルーズとマイノリティ――紀伊國屋じんぶん大賞受賞記念講義」 (2014/2/6収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv301472496
◆7/20(木)23:59まで 【特別配信】高間響 × 東浩紀 「笑いと観光は政治を変えるか? ――『ゲンロン0』『ゲンロン5』刊行記念トークショー」 【ゲンロンカフェ2017夏出張版 おまけ京都編】 (2017/7/2収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv301149830
◆7/21(金)23:59まで 【再放送】小泉義之×千葉雅也×東浩紀 「サイコパスの哲学へ――欲望と暴力について」 (2014/4/4収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv301472733
◆7/21(金)23:59まで 【生放送】千葉雅也 聞き手=入江哲朗 「勉強、モテ、権威――コミュニケーション論としての『勉強の哲学』」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv300646339
◆7/25(火)23:59まで 【再放送】千葉雅也×東浩紀 「思弁的実在論の展開について――メイヤスー『有限性の後で』刊行直前対談」 (2016/1/15収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv301472942
※ご視聴は23:59まで可能ですが、ご購入できるのは視聴終了日の18:00までです。ご注意ください。
◇◇ 今週のおすすめアーカイブ動画 ――――――――――――――――――――――――
◆【vimeo】小松理虔×東浩紀【福島はいま #2】 浜通りから考える新しい公共性――原町無線塔展クロージングトーク (2014/08/09収録) https://vimeo.com/ondemand/genron20140809
◆【vimeo】小原一真×東浩紀×上田洋子 写真が伝える未来の幻影――30年後のチェルノブイリとフォトジャーナリズム (2016/04/14収録) https://vimeo.com/ondemand/genron20160414
◆【vimeo】市川真人×大森望×佐々木敦×東浩紀×海猫沢めろん×吉上亮 『火花』『絶歌』、そしてテロの時代――芥川賞からSF���ステリまで、縦横無尽ジャンル無視の2015年文学全面総括徹底座談会! (2015/12/26収録) https://vimeo.com/ondemand/genron20151226
◆【vimeo】市川真人×いとうせいこう 謎解き「いとうせいこう」――ラップから『想像ラジオ』 (2014/10/03収録) https://vimeo.com/ondemand/genron20141003
★ゲンロンカフェ Vimeo On Demand 公開動画一覧 https://goo.gl/ycdtJe
◇◇ 発売中の会場チケット ―――――――――――――――――――――――――
◆7/19(水) 19:00- 菅付雅信×西谷真理子×平川武治 「ファッションはオワコンか?」 http://peatix.com/event/279559
★注目イベント!★ ◆7/21(金)19:00- 小松理虔×津田大介×東浩紀 「福島は思想的課題になりえたか――浜通り通信全50回完結記念トーク」 http://peatix.com/event/271440
◆7/22(土)19:00- 大森望×豊崎由美 司会=植竹公和 「『文学賞メッタ斬り!』ライブ in 五反田 part2 ―― 第157回芥川賞・直木賞徹底総括SP」 http://peatix.com/event/278565
◆7/28(金)19:00- 木ノ下裕一×東浩紀 「小松左京が復活する?! ――SFアマチュア読者2人がそれぞれの仕事と絡めて考える偉人の現代的可能性」 http://peatix.com/event/280945
◆8/4(金) 19:00- 佐藤大×さやわか×東浩紀【さやわか式☆現代文化論 #30】 「サイバーパンク・リバイバル ――復活した没入(ジャック・イン)的想像力とその可能性」 http://peatix.com/event/280818
◆8/8(火) 19:00- 三浦基(地点)×佐々木敦【ニッポンの演劇 #9】 「現代演劇の到達地点――舞台上の言葉、舞台上の身体」 http://peatix.com/event/280140
◆8/10(木)19:00- 原武史×速水健朗×東浩紀 「鉄道の思想と観光の思想――『ゲンロン0 観光客の哲学』から考える、第3弾!」 http://peatix.com/event/283149
★New!★ ◆8/17(木)19:00- 広中一成×辻田真佐憲 【愛国コンテンツの未来学 #8】 「『忘れられた』戦争・日中戦争のすべて(1937〜1945年) ――最新研究で主要戦闘・主要事件総まくり」 http://peatix.com/event/284539
★注目イベント!★ ◆9/1(金)19:00- 三中信宏×山本貴光×吉川浩満 「分ける、つなぐ、で考える ――分類と系統樹から見える世界」 http://peatix.com/event/283174
★New!★ ◆9/14(木)19:00- 井手口彰典×椎名亮輔×菅野恵理子 「人を育てる音楽とは ――プラトンから現代までのリベラル・アーツとしての音楽を考える」 http://peatix.com/event/285087
◆◇ 五反田アトリエからのお知らせ   ◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇
今後の展示予定 ◆8月11日(金)-8月27日(日)15:00-20:00 ※月曜休廊 藤城嘘 個展「ダストポップ」(仮)
7月はギャラリーはお休みです。 五反田アトリエでは現在、カオス*ラウンジが出展予定の 「Reborn-Art Festival」(http://www.reborn-art-fes.jp/)の準備が進んでいます! 8月は、藤城嘘の約4年ぶりとなる個展を予定しております、どうぞお楽しみに。
(藤城嘘/カオス*ラウンジ)
◆◇ 編集部からのお知らせ   ◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆
◆『ゲンロン5 幽霊的身体』発売中! (国内) https://shop.genron.co.jp/products/detail.php?product_id=375 (海外) https://shop.genron.co.jp/products/detail.php?product_id=376
◆『ゲンロン0 観光客の哲学』発売中! (国内) https://shop.genron.co.jp/products/detail.php?product_id=357 (海外) https://shop.genron.co.jp/products/detail.php?product_id=356
★ 友の会第7期入会はこちら(『5/6』セット会員あります!) https://genron-tomonokai.com/7th/
◆7/15(土)発売の日本経済新聞朝刊にて、 ゲンロンカフェを紹介していただきました! http://www.nikkei.com/article/DGKKZO18873910U7A710C1MY5000/
◆7/7(金)発売の『文藝』2017年秋号に、 『ゲンロン0 観光客の哲学』の書評を掲載いただきました! 評者は作家・キュレーターの上妻世海さんです。 http://amzn.to/2tPjmyo
◆7/7(金)発売の『新潮』8月号に、浅田彰+東浩紀+千葉雅也 「ポスト・トゥルース時代の現代思想」が掲載されています! 3月25日にゲンロンカフェで開催された、 浅田彰さん還暦記念トークイベントを記事化したものです。 http://amzn.to/2tOS8rF
◆7/5(水)発売の『ソトコト』に、先日ゲンロンカフェで公開収録された 「田中康夫と浅田彰の憂国呆談2 ゲンロンカフェ出張版」が記事化・掲載されています。 http://www.sotokoto.net/
◆7/3(月)発売の『読売新聞』朝刊1面「編集手帳」で『ゲンロン0 観光客の哲学』が取り上げられました!
◆『ゲンロン』でエッセイ「新しい目の旅立ち」を連載中の タイの作家、プラープダー・ユンさんが、ご自身のブログで『ゲンロン5』を取り上げてくださいました! http://prabda.com/home/essay-series-published-in-azuma-hiroki-s-genrontriannual
◆7/2(日)発売の『東京新聞』朝刊8面(読書面)の、 藤沢周さんによる「3冊の本棚」で、『ゲンロン0 観光客の哲学』が紹介されました!
◆イタリアの国際翻訳Web雑誌「Specimens.press」に、 ゲンロンの上田洋子がロシア文学の新しい翻訳を寄稿しています。
ワシリー・アフチェンコ(上田洋子訳) 『透明な枠のなかの結晶 水と石についての物語』 http://u0u1.net/En0X
◆人文出版・月曜社の小林浩社長が運営する「ウラゲツ☆ブログ」にて 『ゲンロン5』が取り上げられました!
http://urag.exblog.jp/237120563/
◆6/25(日)放送のTBSラジオ「文化系トークラジオLife」にて、 情報社会学者の塚越健司さんに『ゲンロン5 幽霊的身体』をご紹介いただきました! 放送は以下からご聴取いただけます。
http://radiko.jp/#!/ts/TBS/20170626034141
◆6/18の『日本経済新聞』朝刊29面(読書面)に、 斎藤環さんによる『ゲンロン0 観光客の哲学』評が掲載されています。
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO17757250W7A610C1MY7000/
◆6/15発売の『週刊文春』2017年6月22日号「文春図書館」で、 「今週の必読」として『ゲンロン0 観光客の哲学』を取り上げていただいています。 評者は批評再生塾や『ゲンロン』シリーズでもおなじみの佐々木敦さんです!
以下から全文お読みいただけます。 http://bunshun.jp/articles/-/2924
◆「ゲンロン友の声」サイト、質問募集中です! 知られざるTumblrサイト「ゲンロン友の声」では、 友の会会員のみなさまからお寄せいただいたご意見・ご質問に対して、 東浩紀をはじめとするスタッフがお返事を差し上げております。ご要望などもお気軽に! http://genron-voices.tumblr.com/
(最近の更新) ・ベルナール・スティグレールと東浩紀の思想的「対立」について https://tmblr.co/Zv9iRg2MgRjrg
◆◇ 東浩紀 執筆・出演情報   ◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆
◆7/12(水)発売の『産経新聞』朝刊12面(文化面)に、東浩紀へのロングインタビューが掲載されました! http://www.sankei.com/life/news/170712/trv1707120001-n1.html
◆6月21日付の朝日新聞でインタビューが掲載されました!
「観光客」、人つなぐ新たな思想 批評家・東浩紀さんが哲学書 http://digital.asahi.com/articles/DA3S12998383.html
◆「ニコニコニュース ORIGINAL」に、東浩紀が参加した座談会の記事が掲載されています。
「オフパコは未成年でなければ問題ない」「そもそもネット時代以前からあった」 ——ネット配信者たちがイベントでのワンナイトラブ問題を徹底討論 http://originalnews.nico/25310
◆6/9発売の『中央公論』に、遠藤乾さんと東浩紀の対談が掲載されました! 「可視化された大衆の欲望が民意を歪める」テーマで、 現在の国際的な政治状況などを語り合っています。
http://amzn.to/2sJBBT2
◆6/5の読売新聞に東浩紀への長文インタビューが掲載されました!
◆『AERA』の巻頭エッセイコーナー「eyes」に、東浩紀が隔週で連載中です! 最新の第14回は「メディアは反権力の気骨と反劇場の冷静さを」です! http://publications.asahi.com/ecs/12.shtml
これまでの記事は朝日新聞のウェブサイト「.dot」で全文をお読みいただけます。
第13回は「豊洲も築地も、の『奇策』 劇場化させた知事の責任」 https://dot.asahi.com/aera/2017062700032.html 第12回「『他人任せ』の核のごみ 思考停止は許されない」 https://dot.asahi.com/aera/2017061400072.html 第11回「『共謀罪』に国民の無関心 『安倍以外』なしのツケ」 https://dot.asahi.com/aera/2017052900064.html
第10回以前も以下の記事一覧からお読みいただけます。 https://dot.asahi.com/keyword/%E6%9D%B1%E6%B5%A9%E7%B4%80/
◆◇ その他のお知らせ  ―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆
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