#宮古民謡
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tonchii · 7 months ago
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12/11(宮古島) GOODLUCK! ウタサミャーク
UTASA MYAHK / ウタサミャーク 
-開催日 : 2024年12月11日【水】 -時間 : OPEN 18:00 / START 19:00 -料金 : Adv ¥4,000 / Door ¥4,500( ワンドリンク込 ) 小学生以下無料 / 中高生¥1,000 -会場 : GOOD LUCK! -駐車場:駐車スペースが限られているため、お車でお越しの際は乗り合いのご協力をお願いいたします
-Myahk Artist-
與那城美和
川満七重
池村真理野
池村綾野
砂川たかゆき
荻野鉄矢
トンチ
棚原民謡研究会
-Ainu Artist from 阿寒湖アイヌコタン-
日川キク子
床みどり
下倉絵美
郷右近富貴子
渡辺かよ
床州生
GUEST ARTIST 中村佳穂
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1992年生まれ、ミュージシャン。20歳から京都にて音楽活動をスタートし、音楽そのものの様な存在がウワサを呼ぶ。ソロ、デュオ、バンド、様々な形態で、その音楽性を拡張させ続けている2021年7月に公開された細田守原作、脚本、監督のアニメーション映画『竜とそばかすの姫』の主人公すず/Belle の声、うたを担当し、同年末、millennium parade×Belleとして『第72回NHK紅白歌合戦』に出演。最新アルバムは2022年3月リリースの『NIA』。2024年個人事務所「Yapi合同会社」を設立。ひとつとして同じ演奏はない。見るたびに新しい発見があるその姿は、今後も国内外問わず、共鳴の輪を広げていく。 阿寒湖のアイヌとは、2023年のウタサ祭り以来の共演。
主催 UTASA MYAHK実行委員会協力 PALI GALLERY / ウタサ祭り実行委員会
お問い合わせ [email protected]
ウタサとは、アイヌ語で「交わる」こと。ミャークとは、宮古の言葉で「宮古島」のこと。
「ウタサミャーク」は、宮古のアーティストと北海道の先住民族アイヌのアーティスト、互いにつながりのあるアーティストを交え、音楽を中心に、新たな交わりを模索し、発信する時間。
Visual Art work / DAICHIRO SHINJO and TOKO SHUSEIVisual Design / KEITA TAKAYAMA
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lierrelearns · 2 years ago
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写真提供: 小田原市立図書館発行[一枚の古い写真]より
明治憲法と民法を起草、初代の内閣総理大臣 伊藤博文 (1841-1909) 1] 伊藤博文公胸像 (本町四丁目) 伊藤博文の別邸[滄浪閣]跡で[民法発祥の地]として知られます。 *民有地ですので立入りはご遠慮ください。 写真提供: 国立国会図書館
幕末の志士で、宮内大臣等を歴任した政治家 田中光顕 (1843-1939) 2] 小田原文学館、3] 白秋童謡館 (南町二丁目) 田中光顕が構えた2棟の別邸を、小田原文学館と白秋童謡館として有料公開しています。 *建物は国登録有形文化財 写真提供:多摩市教育委員会
三井物産等を設立した明治財界の指導者、大茶人 益田孝 (鈍翁) (1848-1938) 鈍翁in西海子(南町二丁目) 茶器など鈍翁ゆかりの品々を展示しています。 写真提供: 国立国会図書館
秋山真之と親父があり、海運業で財閥を築いた実業家 山下亀三郎 (1867-1944) 5] 対潮閣跡 (南町一丁目) 山下亀三郎の別邸[対潮閣]跡で、秋山真之の終焉の地です。後に、田中光顕の歌を彫った[釣鐘石]が置かれました。 *民有地ですので立入りはご遠慮ください。 写真提供:山下真一郎氏
福岡黒田家13代目、貴族院副議長を30年務める 黒田長成 (1867-1939) [6]清閑亭 (南町一丁目) 黒田長成が明治末期に構えた数奇屋風の別邸。周辺の庭園めぐりの案内をしています。 *建物は国登録有形文化財 写真提供: 国立国会図書館
日露戦争における仁川沖海戦等で活躍した司令官瓜生外吉 (1857-1937) 7] 瓜生海軍大将之像 (南町一丁目) 山角天神社の境内に瓜生大将の胸像があります。 8] 瓜生坂 (南町一丁目) 高台にあった瓜生外吉の別邸に通じていた坂道です。 写真提供:瓜生家
多数の詩や童謡を創作した国民的詩人 北原白秋 (1885-1942) 9] 木兎の家跡(伝肇寺境内)(城山四丁目) 北原白秋が大正7年から8年余りを過ごした[木兎の家]が伝肇寺境内にありました。 写真提供: 小田原市立図書館
皇族出身の陸軍軍人で、昭和激動期の参謀総長 閑院宮載仁親王 (1865-1945) 10] 三の丸外郭新掘土塁(南町一丁目〜城山四丁目) 閑院宮載仁親王の別邸跡。広大な敷地の一部は史跡小田原城跡��土塁に重ねっていました。 写真提供: 小田原市立図書館 H25.12 小田原市観光課
Vocab 提供 (ていきょう) providing, donating 発行(はっこう)publication 憲法(けんぽう) constitution 民法(みんぽう) civil code, civil law 起草(きそう) (drafting (a bill, etc.), drawing up 内閣総理大臣 (ないかくそうりだいじん)prime minister (of a cabinet government) 伊藤博文 (いとう・ひろぶみ)Itou Hirobumi 公 (おおやけ)official, governmental, formal 胸像 (きょうぞう)half-length portrait 別邸 (べってい)secondary residence, vacation home 滄浪閣 (そうろうかく)Sorokaku 発祥の地(はっしょうのち) origin, birthplace 民有地 (みんゆうち)private land ご遠慮ください(ごえんりょください)please refrain (from) 国立国会図書館(こくりつこっかいとしょかん)National Diet Library 幕末(ばくまつ)Bakumatsu period 志士 (しし)imperial loyalist samurai of the Bakumatsu-era 宮内大臣(くないだいじん)Minister of the Imperial Household 歴任 (れきにん)successive/consecutive jobs 政治家(せいじかん)politician, statesman 田中光顕(たんか・むつあき)Tanaka Mitsuaki 文学館(ぶんがくかん)literary museum 白秋(はくしゅう)Hakushu (see below) 童謡(どうよう)nursery rhyme 構える(かまえる)to build, set up 棟(とう)counter for buildings 有料(ゆうりょう)fee-charging 公開(こうかい)open to the public 有形文化財(ゆうけいぶんかざい)tangible cultural properties 多摩市(たまし)Tama City 三井物産(みついぶっさん)Mitsuri & Co. 設立(せつりん)establishment, foundation 財界(ざいかい)financial world, business circles 茶人(ちゃじん)master of the tea ceremony 益田孝(ますだ・たかし)Masuda Takashi 鈍翁(どんのう)Donnou, an alias he took on as a tea master 西海子(さいかいし)Saikaishi 茶器(ちゃき)tea utensils ゆかりconnection (to a person, place, or thing) 品々(しなじな)various articles 展示(てんじ)exhibition, display 秋山真之(あきやま・さねゆき)Akiyama Saneyuki 海運業(かいうんぎょう)shipping industry, marine transport 財閥(ざいばつ)zaibatsu, financial conglomerate 築く(きずぐ)to build up, establish 実業家(じつぎょうか)business, entrepreneur 山下亀三郎(やました・かめさぶろう)Yamashita Kamesaburo 対潮閣(たいちょうかく)Taichokaku 終焉(しゅうえん)end (of life), death; (peacefully) spending one’s final years 彫る (ほる)to carve, engrave 釣鐘石 (つりがねいし)Tsurigane-ishi (Hanging Bell-shaped Rock) 代目(だいめ)nth generation 貴族院(きぞくいん)House of Peers (Meiji constitution) 副議長(ふくぎちょう)vice-chairman 黒田長成(くろだ・ながしげ)Kuroda Nagashige 数奇屋(すきや)tea-ceremony arbor めぐり tour 教育委員会(きょういくいいんかい)board of education 日露戦争(にちろせんそう)Russo-Japanese War における in, at, on, regarding 仁川沖海戦(じんせんおきかいせん)Battle of Chemulpo Bay (Feb. 9, 1904) 仁川(インチョン)Incheon 活躍(かつやく)activity, great efforts, active participation 司令官(しれいかん)commanding officer, general 瓜生外吉(うりう・そときち)Uryu Sotokichi 海軍大将(かいぐんたいしょう)admiral 之(の)of 山角天神社(やむかくてんじんじゃ)Yamakakuten Shrine 境内(けいだい)grounds (esp. of temples and shrines) 坂(さか)milestone; slope, hill 高台(たかだい)high ground, hill 坂道(さかみち)hill road 創作(そうさく)creative work 国民的(こくみんてき)popular on a national level 北原白秋(きたはら・はくしゅう)Kitahara Hakushuu 木兎(つく)horned owl (rarely used kanji form) 伝肇寺(でんじょうじ)Denjo-ji Temple 皇族(こうぞく)imperial family 陸軍(りくぐん)army 軍人(ぐんじん)soldier 激動(げきどう)turmoil, upheaval 参謀総長(さんぽうそうちょう)chief of general staff 閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう)Prince Kan’in Kotohito 外郭(がいかく)outer fence, outer enclosure 土塁(どるい)earthen walls 広大(こうだい)immense, huge, grand 敷地(しきち)site, plot, grounds 史跡(しせき)historic site
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kennak · 2 years ago
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とっくの昔に旬を過ぎている質問と思われますが、面白そうなので回答します。 一般的に思われている「クラシック」とは、ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽です。古典派の時代くらいから市民階級を対象とした「コンサート」が行われるようになり、レパートリーとして交響曲をはじめとする器楽曲が数多く書かれ、19世紀を通じて隆盛を極めました。はじめは存命の作曲家の作品ばかりが演奏されていたようですが、コンサートの数が増えるにつれ、曲が足りなくなり、「すぐれた作品であれば、故人のものでも演奏しよう」ということになります。数々の音楽雑誌が創刊され、音楽に関する言論が盛り上がります。シューマンが創刊した「新音楽時報」が代表格で、これは現在も刊行されています。音楽雑誌の主要な関心は、「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定」でした。現在コンサートのプログラムを飾る数々のクラシックのレパートリーは、こうした中で選ばれてきたものです。バロック時代の作品はいわば「前史」として、後に発掘されたものです。メンデルスゾーンがバッハを発掘した例はあまりにも有名です。 作曲家たちは、こうした中で勝ち残りつつ、世俗的な成功をおさめようとしのぎを削っていました。みんな「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を目指していた、といっていいと思います。が、19世紀後半に爆発的な数の作曲家が出て、個性を追求しようにも、もはや音の組み合わせが尽きつつあるのではないか…その問題から逃れようがなくなっていきました。そもそもオクターブに12音しかないものを、多くの作曲家が競争して曲を書いて行ったら、可能性を汲みつくしてしまうのではないか…そういう種類の問題です。 その問題の処し方は、ヴァーグナーが切り開いた半音階和声の道や、国民楽派が切り開いた民族性追求の道、フランス人たちが切り開いた旋法や非機能的和声の活用の道でした。 20世紀に入っても、少なくとも第一次世界大戦まではこの延長上で数々の作曲がなされていました。民族性追求はジャズやガムランなど非ヨーロッパ音楽への関心を生み、そのよって立つ民族を広げながら続いていきます。フランス人たちの切り開いた道も、それはそれで継承されていきます。 が、半音階和声の追求の中からシェーンベルクが無調の道を開き、一般の聴衆と決別する傾向が出て来ます。複調を多用した作品でスキャンダルとなったストラヴィンスキーの春の祭典も、同じように言えるかもしれません。新しい作曲技法の追求は、第1次世界大戦前の段階で、「クラシック」の前提であった「市民階級を対象とした芸術音楽」から外れ始めたのです。簡単に言えば、「最新の技法で曲を書くと、市民に聞いてもらえない」「市民を置き去りにしないと、最新の技法を試せない」という状態に陥ったのです。 第1次世界大戦以降、ロマン的な感覚が毛嫌いされ(民族主義を盛り上げる=ナショナリズムに訴える=戦争に結果的に協力する部分があったのは否定できません)、クラシック界は新古典主義の時代となります。シェーンベルクは十二音技法を開拓しますが、これも言ったら無調のシステム化であり、理性的です。中には新古典主義の語法を適度に取り入れつつもロマン的な曲を書いた人もいますし(バーバーとか)、ルネサンス期の舞曲や民謡を編曲した懐古的な作品も見られますが、例外的です。 ただ、この新古典主義ですが、形式への回帰とロマン的な感情表現の否定、下手をするとオリジナリティの否定(民謡と現代的な作曲技法を結びつけたりしています)ですので、大物は出て来にくいです。最大の大物はラヴェルとバルトークだと思いますが、フランス6人組といっても一般的には知られていないでしょうし、コダーイやカゼッラやマリピエロも通常は知らないでしょう。 何より、第1次世界大戦が、それまでの「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定を行う市民階級の共同体」に物理的・経済的に深刻なダメージを与えたことは間違いないでしょうし、それまでのようにナイーブに共同体の共同主観を信じることも難しくなったでしょう。ナイーブに自国の素晴らしさと誇りを信じた結果、破局的な大戦に至り、ドイツ・ロシア・オーストリア・オスマンの4帝国は解体となりました。フランスは人口構成が変わるほどの大ダメージです。ロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」という理想自体が、技術的にも理念的にも疑わしくなったと言えるのではないでしょうか。 悪いことは続くもので、ソ連では社会主義リアリズムが叫ばれるようになり、音楽は大衆に奉仕するものとして、人為的に古めかしい様式で書くことを強制されるようになりました。ナチスは実験的な音楽とユダヤ人の音楽を抑圧しつつ東方に勢力を広げました。ここでもロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を試みるための自由が奪われたわけです。結局、そうした自由が残っているのは実質アメリカだけのような状態になりました。ガーシュウィンやグローフェやコープランドやバーバーやケージなど、アメリカだけがかなり元気に見えるのは、絶対に偶然ではないでしょう。 要するに、戦間期の段階で、すでに「クラシック」を生み出してきた種々の条件が大幅に崩れています。オリジナリティの余地は狭まり、オリジナリティ自体の正当性が疑われ、クラシックを支えてきた市民階級の共同体は物理的・経済的・精神的に力を失い、やがては全体主義国家による抑圧も行われるようになった、ということです。こうした時代に、ベートーヴェンのような素朴な市民共同体の信奉者や、ショパンのような詩人や、ヴァーグナーのような誇大妄想狂が伸び伸びと作曲できたでしょうか。 さらに、凄惨な独ソ戦はドイツ以東を滅亡の淵に突き落とします。一応戦勝国のはずのフランスも、ドイツに率先して協力した者を糾弾するなどで戦後は内輪もめです。クラシックを支えてきた市民階級の(ある意味のんきな)共同体など、大陸諸国では崩���したものと思われます。おまけに戦後は鉄のカーテンで、東欧は全てソ連の影響下となり、抑圧体制となります。社会主義リアリズムは粛清を伴う形になり、自由な創作は生命の危険を伴う状態にすらなりました。社会主義リアリズムとは「強制されたロマン主義音楽や民族主義音楽」と言えると思います(ショスタコーヴィチやハチャトゥリアンを聞けばわかります)。ソ連の音楽界は、西側諸国から離れ、ガラパゴス的な世界となりました。 対抗上、西側諸国では、いわゆる前衛音楽が各国政府によってバックアップされ、自由のアピールとされました(ロマン主義・民族主義・新古典主義のどれをやっても、社会主義リアリズムと被ってしまいます)。前衛音楽は新しくていいのですが、一般市民にアピールする力はありません(ヨーロッパの音楽愛好者が、「前衛音楽は、風変わりな音が古い城の大広間などで演奏される様が最初は非常に新鮮で面白かったが、すぐに飽きた」などと書いています。一番好意的な反応でこのくらい、と考えられます)。受け取り手の共同体が崩壊し、作品をつくる側が市民階級から背を向けていたとしたら、巨匠が出てくる余地があるわけがないではありませんか。 一応、メシアンだのブーレーズだのケージだのライヒだのと、主要な作曲家を挙げることはできますが、おそらく一番影響力があって楽壇をリードしていたブーレーズが、ある時期からほとんど作曲をしなくなり、指揮ばかりするようになってしまったのが象徴的です。要するに、「クラシック」を生み出してきた種々の条件が完全に崩れてしまったのです。質問に対する直接のお答えは、これです。 戦後に起きた大きな変化としては、世界の中心がヨーロッパからアメリカに移ったこと、旧体制(ナショナリズム的な国家体制)が若者世代から各国で猛反発を食らい無視できなくなったこと、貴族主義やエリート主義の崩壊(といって悪ければ地下化)などがあるでしょうが、これもすべてクラシックの首を絞めています。代わりに台頭した音楽が、アメリカ起源のロックで若者対象の音楽であることが象徴的です。 それでもクラシックに関心のある層は、クラシックの新作ではなく、指揮の巨匠によるレコードの演奏の違いに関心を寄せるようになりました。が、徐々に生演奏のハッタリ要素は自粛され、レコードにしても傷のない演奏をコンサートで行うのが当たり前になり、クラシックは新作という意味でも、演奏という意味でも、活力を削がれる形になっていきます。1960年代くらいのライブ録音など聴くと、相当にロマン的な無茶をやっていて楽しいですし、各国のオーケストラにもまだ明確にエスニシティがありますが、70年代以降どんどんそれは消え失せていきます。演奏に全く傷のない録音とそれとそん色ない生演奏の極北は、シャルル・デュトワとモントリオール交響楽団だと思いますが、あれはあれで尖った個性だったと思います。しかし、もはやその���線もありません。クラシックのCDは、どれをとっても似たような穏健な解釈とそこそこ傷のない演奏により、聴く人の「既存の曲のイメージ」をほぼ再確認するだけのものになっているように思います。おまけに値崩れも甚だしく、昔の巨匠と世界的オーケストラの録音が、500円くらいで投げ売りされていたりします。 それでも、宮廷料理に起源のある高級料理が滅びないのと同様、クラシック音楽が絶えることは一応ないでしょうし、また映画音楽などのネタ元として、クラシック音楽は活用され続けるでしょう。もしかしたら、一応西欧文明の影響下にある国々に普遍的に流行する音楽も書かれる余地はあるかもしれません(クラシックではありませんが、Let it goが世界43か国語に訳されて歌われたのはなかなかエポックメイキングだと思います)。が、その時に使われる作曲技法は絶対に最新の前衛的な技法などではなく、多くの人にわかりやすいロマン的あるいは民族的あるいは新古典的な様式でしょう。 クラシック的(あくまで「的」ですよ)な作曲法で大流行した例としては、パーシー・フェイスとか、ヘンリー・マンシーニとか、ポール・モーリアとかが挙げられるでしょう。映画音楽は後期ロマン的な様式で書くというルールがハリウッドで確立されており、ジョン・ウィリアムスはその巨匠です。日本だと久石譲ですね。こうした音楽は、おそらく今後も書かれ続け、一定程度の人気を得る曲も出てくると思われます。 が、クラシックの系譜に直接つながる音楽=ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽で、作曲家が世界で自分にしか書けない鮮やかな個性を目指して最新の技法で書き、多くの人に受け入れられた上、歴史の審判を経て残る音楽=はもはや、存在しえないと思います。
なぜ、現代に、クラシックの大作曲家が輩出されないのですか?大昔の作曲家のみで、例えば1960年生まれの大作曲家なんていません。なぜでしょうか? - Quora
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miyakojimaeventtimes · 8 months ago
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msgmzh · 9 months ago
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受講メモ:さいたま市民大学 文学Ⅰコース
〔講座名〕さいたま市民大学 文学Ⅰコース 風景と創造力―景観・地理と日本文学 〔講師〕竹中朗氏
〔日時〕6月18日・8月20日 14時00分~16時00分
〔会場〕さいたま市立大宮西部図書館
第1回:古代から近世へ 第2回:近代的風景概念と日本文学
・万葉集 国見(望国)の歌 春の初めに高いところに登って国土自然を見渡して、讃える歌を謡う。天の香具山、藤原京
・古事記 ヤマトタケルノミコト望郷の歌 能褒野墓
・万葉集 庶民の歌 防人の歌 多摩の横山 歌碑
・伊勢物語 歌枕としての三芳野 想像の風景 三芳野神社 東山道武蔵路があり知られていた
・源氏物語 五島美術館
・俳諧 芭蕉稲荷神社(深川芭蕉庵跡) 蛙には山吹という定型
・江戸漢詩 高野蘭亭 三叉口(参考)失明の心象風景
・大田南畝(蜀山人)「調布日記」 多摩川治水視察 江戸名所図会
・志賀重昴「日本風景論」 風景ナショナリズム 日本人の景観意識に現代も影響
・夏目漱石「草枕」実際の旅程 ありのままの風景描写
・武蔵野「欺かざるの記」 国木田独歩 境山野緑地
・正岡子規 俳句の革新者 中村不折(中村屋の字の人)ら西洋画の影響、闘病の人
・歌川広重「東海道五十三次 由井 薩埵嶺」と、浮世絵光線画の小林清親「薩た之富士」 作られた構図から見たままの風景へ
・石川啄木「雲は天才である」校歌による地域再発見 長野の県歌
・徳冨蘆花 「自然と人生」独自のキリスト教的感性による自然文学、反ナショナリズム。蘆花恒春園 兄はナショナリズム。徳富蘇峰旧居 住居も対照的
・島崎藤村「破戒」山岳の風景美 差別の現実
・柳田國男「遠野物語」身近にある異界の風景
・和辻哲郎「古寺巡礼」ナショナリズム対反ナショナリズムの落ち着き
・太宰治「津軽」心象を作り上げていく風景
・中上健次「風景の向こう��」「路地」の風景
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mazelnakiken-1 · 1 year ago
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【杉並区のイベント情報】
一人ひとりが輝く男女共同参画をめざした社会づくりフォーラム
「すぎなみ超春トク区民まつり」が開催されます
主催: 青少年育成連絡協議会
こども 無料(対象年齢:0歳~)
S席 8,000円  A席 1,000円  B席 1,000円
新生活 にぴったりな歌手が盛りだくさん!
お知り合いの親子や親戚を誘って来てね〜!
日程:4月2日火曜
@高円寺無力無善寺  https://muzenji.web.fc2.com  杉並区高円寺南3-67-1    開場18時  開演18時5分 
料金:千円(ドリンク付き)
出演(あいうえお順): 及川耕碩+西平匠杜 和水・ゐ忌レ・魔ゼルな規犬のコラボ
終末亭厄丁さんの枠 そにっくなーす 大河もん土 謎の超能力者戸田 ZOYO WAVWAV
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===時間割予定====
18:00開場 18:05~「終末亭厄丁」  18:45~転換 18:50 ~「謎の超能力者戸田」
 19:20~転換 19:25~「和水・ゐ忌レ・魔ゼルな規犬・???」  19:50~転換 20:00~「WAVWAV」
 20:25~転換 20:35~「そにっくなーす」
 21:00~転換 21:10~「ZOYO」 
 21:35~転換 21:45~「及川耕碩+西平匠杜」
 22:10~転換 22:15~「大河もん土」
===出演者詳細===
18:05~「終末亭厄丁」
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”テレフォンドール @TelephoneDoll Dr?
/シ作/アマチュア占術師。四柱推命、姓名判断、
タロット等...鑑定の御依頼はDMにて承ります。
誕生日: 1998年7月10日
2019年11月からTwitterを利用しています”
(ゴキブリパラノイアくん曰く「終末亭楽太郎のほうがいい」
18:50 ~セミナー講師「謎の超能力者戸田」
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"謎の超能力者戸田です。 銀河系に住むオセロ七段。
催眠、気功、伝授できます。「催眠サークル人間失格」の代表
有料noteあります https://note.com/todatomoya111 ”
19:25~「和水(Kazumi)・ゐ忌レ・魔ゼルな規犬・???」
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和水(Kazumi)
和水ソロ,the部族,幻想曲,LIFE,nossa casa,4971?, アイヌと沖縄の歌も歌う心眼ソングライター 牛チラハンター 祈り 太鼓&卓球パーカッション、踊り 水関連
「ゐ忌レ」
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ノイズ、絵、人形制作 自主イベント「新迷信」主催 自主レーベル「夏ゴミ屋敷CD-R」 映画と音楽と絵と暗黒舞踏等が好きです 元、睡寂舞踏家、夜勤、くそリプ対応保証、自らの罪を認め贖罪をしていきます。(月)(火)休み。悪人
20:00~「WAVWAV」
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東京都荒川区結成! wavwav(ワブワブ)
Gt./Vo. ふぉにまる @phonnnny
Key./Vo. 展翅零 @attacusatla
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Gt. 95 @asrazng
Ba. 神宮司 @MJinguji
Pa. 仏陀 悟リラ @AIBuddhaGorilla
Dr. ぐっちょむ @gutchom
20:35~「そにっくなーす」
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ひのはらみめいです 代表作『グランジナースの死』
詩の朗読(詩人戦隊ポエーマンズ西日/詩歌坂48)弾き語り、
小説書き。生クリームが苦手 文鳥は永遠 文鳥は最高
アイコンはあらたようさん作
21:10~「ZOYO」 
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𝓛𝓘𝓥𝓘𝓝𝓖 𝓘𝓝 𝓞𝓛𝓓 𝓘𝓝𝓣𝓔𝓡𝓝𝓔𝓣
♡2003✩.*˚ ☆。.:WEB CUTE CORE
全員圧縮☆zipファイルに してゃる
21:45~「及川耕碩+西平匠杜」
及川耕碩
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Progressive Fastcore Band TERRO TERRO(Vo,Sax)
企画「東京Alien」「TERROIR」主催
Radiotalk 「本トの話 」 https://radiotalk.jp/program/62823
ライブオファーなどこちらへ[email protected]
西平匠杜
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空論city/ 依頼などはこちらへ: [email protected] (a.k.a.西平由美子)
22:15~「大河もん土」
昭和歌謡、シャンソン、明治大正の流行歌など
主に日本の古い歌を歌います 早稲田大学文構二年
O2(新宿ゴールデ��街)金曜日どうぞご贔屓に!
区内外どなたでも大丈夫、 出入りも自由で予約もなしです
まだ空席あるそうです。 お近くの方ぜひ!
TEL090-9170-6967
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na1129 · 1 year ago
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きんようび通信No.682📚
2024年1月12日
~能登半島沖地震について(1)~
▲テレビで流される能登半島沖地震の被害を観ていると、阪神淡路と東北大震災の状況が重なってきます。立ち尽くす人たち・懸命に救助活動を続ける消防や医療従事者等の姿に、心がざわついてなりません。福祉事業所への支援物資の提供が、関係者の努力によって進められています
▲先日、「なぜ日本は原発を止められないのか」(青木美希/文春新書)を読みました。丹念な取材で明らかにされた事実・証言に強い衝撃を受けました。安全神話に加担した人たちの罪は本当に大きい。今回、志賀・柏崎刈羽原発のことが報道されるたびにおそろしさを感じています
▲SNSによって混乱とデマが拡散されていることに対して、「以前の災害時よりも悪化している」とのコメントを読みました。憤りと同時に、情報を受け取った時に一呼吸おいて考えるこ��が必要と思い直しました。荀子(じゅんし)<中国戦国時代末の思想家>の言葉を知りました
▲ 「共感と気づかいに満ちた災害救援者からの支援は初期反応の苦しみをやわらげ被災者の回復を���けます(サイコロジカル・ファーストエイド)との言葉を胸に、岩手沿岸部に向かったことを覚えています。今できることは何か・すべきことは何かを考え行動することが求められます
▲今回の震災報道の中では、福祉避難所のことがよく紹介されています。知られるようになってきているからこそ、要配慮者や支援者に注目した本来のありようから考えることが重要だと思います。実態に目を向け、願いや思いをつなぎ合わせ支援を進めることが必要だと感じています
*荀子(じゅんし)/「流言は智者に止まる」
【今日は何の日📌】
【今週の一句🔖】
酒飲み🍶🥃川柳
裏金を
作った議員
辞めるべし
【今週の歌🎸】
・Cat Power…Mr. Tambourine Man
キャット・パワーによるボブ・ディラン伝説の「ロイヤル・アルバート・ホール」を再現したアルバムから。ピーター・バラカンさんの番組でその存在を知りました。知っていたら、昨年のマイセレクトソングスに入ったいたかも😌
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【今週のグルメ情報😋】
・島唄居酒屋「喜山」-沖縄県宮古島市平良西里244
昨年10月に初めて行った宮古島。一日目の夜の2次会で行ったお店。宮古島民謡が聴けず残念でしたが、料理も泡盛も美味しかったです。また行きたいお店です😆
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【追伸✨】
通常国会が1月26日に召集されることとなりました。復興に向けた確かな手立てを決定できるか・広がる政治不信に向き合った対応できるかなど、冒頭から内容が問われる国会になるのは間違いなしです。大阪万博、やっている場合ではありません😤
#きんようび通信 #能登半島沖地震 #脱原発 #荀子 #福祉避難所
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habuku-kokoro · 2 years ago
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(名古屋能楽堂試演会) 乙姫のせつなさ、情念―ひとり文芸ミュージカル「乙姫」を観て ー 川名淳子
愛知学院大学文学部教授   川名淳子
 乙姫は静かに橋がかりを歩み異界へと消えていった。緞帳もカーテンコールもない能舞台であるゆえに、いっそうその後ろ姿が余韻を残す。誰もがよく知る浦島伝説において、はたして私たちは、乙姫の本当の心の内を見つめたことがあっただろうか…
 猛暑が続く名古屋での上演。能楽堂でのひとときに、水底に迷い込んだかのようなひんやりした感覚を覚えた。それは乙姫様を演じた源川瑠々子さんの清らかな歌声と鬼気迫る情念を湛えた語りと舞によるものであろう。そして大海原を思わせる水の音や音楽、ことばの数々が心地よく響くのは、脚本と演出の賜物であろう。「常世(よこよ)の国」は、やはり南方にあるのだろうか、琉球民謡の調べを思わせる敷丸さんの歌声が海の彼方へと観客を誘う。
 能の所作を取り入れ、すべてをそぎ落とし、浦島さえ不在の舞台には、乙姫の情念が満ち満ちていた。衣をひるがえし、追いすがるかのように舞台上を動く乙姫。が、ふと立ち尽くし、せつなくく。そこから先には確かに、乙姫と浦島を隔てる「海界(うなさか)」があることが幻視される。
  唱歌でもおなじみの亀の一件は、本舞台では終盤、乙姫の回顧という趣向で語��れる。『万葉集』の原話では亀は登場せず、浦島は漁の途次、乙姫と出逢う。魚をむやみに捕る人間への海の神の戒めだろうか、浦島は嵐の海に投げ出されてしまう。その青年こそが、かつて乙姫が亀に化身し海浜で戯れていた折、自分を救ってくれた少年だとわかった時、乙姫は浦島との結婚を切望する。竜宮の時の流れが、地上とは異なるならば、乙姫は運命の再会まで、途方もない長い年月、浦島への思いを温めてきたことになろうか。浦島との永遠を寿ぎ、悦び謳い、舞う乙姫の姿は、たいそう可憐で可愛らしい。それゆえに、彼が去った後、身もだえし、怒り嘆き、悲しむ姿がいっそう際立つ。そして私たちも乙姫と共に、あらためて「永遠」の怖さを思い知るのである。
 かぐや姫は昇天の際、地上での記憶も人の世の感情も喪失した。しかし、乙姫の慟哭は果てしなく続くのであろう。理想郷から去る浦島を『万葉集』の長歌は、「愚人(おろかひと)」と表現し嗤(わら)うが、不老不死への憧憬こそがそもそも人間の傲慢さなのであった。人を愛する心を持った者は、愛しい人を喪った時、「永遠」が、どれだけ残酷なものであるかを悟る。乙姫は終わりのない絶望の中で、今も恋い焦がれているのであろうか。胸がしめつけられる思いがする。
  ひとり文芸ミュージカルを初めて鑑賞させていただいた。東海地方では初演とのことだが、是非とも多くの方たちとこの感動を共有したい。また源川瑠々子さんが演じる他の文学作品も堪能したいと願っている。たとえば、古語にいう「あやにく」なる心情をかかえた『源氏物語』の女君たちを、源川さんはいかに演じられるのであろうか。また壮大な物語を紡ぎ出す紫式部の内面をどのように吐露されるであろうか。…次々と、期待に胸がふくらんでゆく。
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okuboa · 3 years ago
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❣️クイズ❣️ あい&あかりの新曲は何でしょうか👘✨ 🌟ヒント🌟 ①掛軸&掛軸に書かれている七福神👼 ②歌の中に①が出てくるよw #大久保麻衣 #孝藤麻衣 #麻宮あかり #孝藤あかり #日本舞踊 #パフォーマー #日本舞踊のお稽古 #日本舞踊家 #ダンサー #文化人 #dancers #performer #japan #文化体験 #民謡 #歴史 #aiokubo #okuboai #孝藤流 #日本文化 #travelphotographer #日本芸能 #traditionaldance https://www.instagram.com/p/CcDcPxDJ9St/?utm_medium=tumblr
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tonchii · 5 months ago
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『Wonder Culture Trip-FACT-』。1/28(火)22:00~22:30
安田章大(SUPER EIGHT)が様々なカルチャーを探り、次世代に繋ぐべく思索、探索する番組『Wonder Culture Trip-FACT-』。 第一回は北海道を舞台に、アイヌ文化を探求する旅を北海道文化放送にて12/31に放送、そして第二回は宮古島を舞台に開催される『Utasa Myahk(ウタサミャーク)』に舞台を移し、スペースシャワーTVにてオンエア。 第三回は宮古島を舞台に開催された『Utasa Myahk(ウタサミャーク)』のライブの模様を中心にオンエアします。
https://youtu.be/kVrzwlnmNKU?feature=shared
第一回の番組情報はコチラ https://www.uhb.jp/program/wct_fact/
出演・ゲスト
安田章大(SUPER EIGHT)、中村佳穂 -Myahk Artist- 與那城美和、川満七重、池村真理野、池村綾野、砂川たかゆき、荻野"88"鉄矢、トンチ、棚原民謡研究会 -Ainu Artist from 阿寒湖アイヌコタン- 日川キク子、床みどり、下倉絵美、郷右近富貴子、渡辺かよ、床州生 (諸事情で変更になる場合があります)
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delorean · 6 years ago
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宮古島の地下にある、見えない「巨大ダム」(夏休み前半3)
シュノーケリングを3時間楽しんだ帰り道、もう1つ見ておきたい場所へ向かいました。広島大の市川教授から特に勧められた「福里地下ダム」です。
宮古島はサンゴ礁の隆起によって島ができたため、地層のかなりの部分を琉球石灰岩で占められています。まるでスポンジのように隙間だらけなので、雨がすぐに浸透。地下水も使われないまま海に流れていたそうです。当然、川もありません。
そこで水を通さない、石灰岩の下の層までコンクリートの壁を打ち込み、地下水をせき止めます。つまり町や畑がある土地の地下、琉球石灰岩の地層内に地下水を貯め、そこから汲み上げた水が人々の生活や農業を支えていると聞きました。面白いと思いません? 自然の特性を生かした、世にも珍し��「見えないダム」です。ただしダム本体は地中にあって水位の確認ができないため、目視で観測できるよう一部を露出させているのが、写真の場所なんだそうです。へー。
このブログを書くためにネットで地下ダムのことを調べていたら、高校生が作ったWebサイトを見付けました。とても説明が秀逸なのでご紹介。ダムカードも発行しているとは知りませんでした。
離島の場合、どれだけ島内での生活が自立できるかが重要なポイントです。具体的には、エネルギーと水の自給にかかっていると思います。宮古島では主要産業サトウキビからバイオ燃料を作って発電しているほか、太陽光発電も普及しています。水の方は地下ダムで対処。島だけで自立可能な環境を整えつつあります。エコライフを考える上で、改めて宮古島から学ぶことが多いと感じました。
この日の夜は、沖縄民謡を満喫♪ 楽しかった!
【夏休み後半「EVデロリアン神戸アタック」につづく】
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artbooktsuru · 6 years ago
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宮岸雄介先生講義録
中国芸術史におけるロマン主義の変遷①
~南朝の文化と山水詩、ロマン主義の萌芽~
中国の芸術史は文学史の要素が濃ゆい。絵画では山岳、樹木、岩石、河川を描いた山水画が有名であるが、山水詩(さんすいし)と呼ばれる山水を愛でる詩と一体になっている部分が多く、現実の風景を模写するのでなく山水詩による型によって解釈された景色を再構成した内容となっている。
 山水画は、4C~5Cごろの南朝の六朝(りくちょう)時代に広まった。六朝とは、呉(三国志の時代、建業を都とした国)からはじまり、晋(西晋から東晋)、南宋(劉宋)、斉、梁、陳の6つの王朝であり、いずれも南京を首都とするも100年も保てずに交代した。黄河文明の直系である漢民族は古来、中原と呼ばれる洛陽か長安(現在の西安。始皇帝の咸陽もその近郊)を都としていたが、BC3Cごろから強大化しつつあった北方の異民族が三国志の時代の直後の西晋の時代に長安・洛陽を制圧し、異民族の王朝を建てたため、漢民族の貴族階級は南京に逃れてそこで王朝(南朝)をつくったのである。異民族の王朝は軍事政権が入り混じれ、五胡十六国として言われることが多い。大部分の漢民族はそれらの異民族の王朝の支配下に組み込まれたが、漢民族の歴史の記録に残ったのは南朝にのがれた貴族たちであった。
 南朝は貴族たちが政治の中心であったため、西洋のバロック時代を連想させる装飾的で華麗な文化が花開いた。北の異民族から逃れてやってきた貴族たちにとって南の地は温暖湿潤で、景色は新鮮で魅力的であった。そのため風景を題材に、山水画や山水詩が盛んにつくられた。
南朝の貴族の家柄として王(ワン)家と謝(シエ)家が有名であり、詩にも「王謝(おうしゃ)の堂前の燕」などと謡われた。山水詩といえば最も引用される、謝霊運(しゃれいうん)も謝家の一族である。彼らの詩は四六駢儷体であり、美しい言葉を定型詩の対句のなかに織り込むことを重視していた。
また、一方の王家には、書家として非常に有名な王義之(おうぎし)がいる。王義之の書は音楽的で流麗であり、唐の太宗が非常に好んだことで知られている。
 この南朝の時代は、文化の成熟を花で例えると最も蕾が膨らんだ時期であった。芸術への批評や文学論もみられ、たとえば、中国古典唯一の文学論である『文心雕龍』(ぶんしんちょうりゅう)、詩人の格付け行った『詩品』、唯一の絵画論である『歴代名画記』が記された。
 そのような南朝のなかで南宋の時代の陶淵明(とうえんめい)は異色であった。彼は田園詩人であり、ほかの同時代の山水詩人とは異なる。自然を愛でる感性は持っていたが、同時に、山水詩のような駢儷文では無視される、人民の生活の実感への共感性をもっていた。陶淵明の詩は、「盧を結んで人境にあり」の『飲酒』などが有名であるが、しみじみした生活感が現在でも広く親しまれている。ちなみに、盧(いおりのこと)を結んでとあるが、山の中ではなく町の中にひっそりとした心境で住むことを選んだため、「市隠(しいん)」という言葉が生まれた。漱石も草枕などで引用している。陶淵明はもと同僚であった劉裕の建てた南宋には加わりたくなかった。官職に五たび就いては辞めている。
 駢儷体や陶淵明の話はあるにせよ、南朝は総じて耽美的であったり人間的な感情に価値をおいたりするロマン派的な傾向があった。この傾向は儒学でも顕著で、南朝の儒学は老荘思想も取り入れているといわれ、北の異民族の王朝のもとで官僚主義的な価値観をもつ漢民族のクラシックな儒教とは異なってしまった。つづく後の時代では文化の面では南朝の影響が強くなるが、そのさらに後の時代には逆に北の漢民族の儒教が正統派として所望されるようになる。
 (つづく)
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2ttf · 13 years ago
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na1129 · 2 years ago
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きんようび通信No.673📚
2023年11月10日
※10月28日~30日、宮古島・沖縄平和ツアーに参加しました。多くの学びがありましたが、今週の通信ではその一部を紹介します。
▲5回以上訪問している沖縄ですが、宮古島に行ったのは今回初めてでした。自衛隊配備・強化が進んでいるのは報道等で知っていましたが、すぐ目の前に戦争がある・起こる状態に驚きました。「多くが秘密裏に進められ住民への説明がない」、戦時中と同じ状況が進行しています
▲宮古島に飛行場が3か所設置されていたこともあり、沖縄戦では十・十空襲等で大きな被害を受けています。日本兵は約3万人いましたが対応できるはずもなく、飢えとマラリアで多くの人が犠牲に。慰安所は16ヶ所、戦後・その歴史を消し去る動きを止める闘いがありました
▲アメリカの戦略に組み込まれ、自国民のいのちと暮しを守ろうとしない政府に改めて強い憤りを感じます。保良訓練場前で反対行動を続けている下地さんの言葉が心に強く響きました。「(宮古島は)無人島ではない。わたしたちはここにいる。人権の問題として訴えている」と
▲ハンセン病療養所・宮古南静園、元入所者で裁判原告として闘った方の言葉も心に突き刺さりました。「偏見と差別を無くす闘いのことを毎日考えている。まだまだある」。優生思想・内なる差別についてもっと向き合い深く考えないといけないのではないか、自分自身に問いかけました
▲沖縄本島では、沖縄戦・米軍基地について凝縮して学びました。「オール沖縄(普天間基地閉鎖・辺野古埋立反対・オスプレイ配備反対)では対応できない事態が進む中、新たな組織づくりが始まっている」との話を聞きました。憲法をしっかり学び沖縄に連帯し運動していこうと思います
追記…
沖縄本島では「ネーネーズ」のライブを楽しみました。古い民謡からスピッツまで幅広く楽しめるセットリスト。メンバーが代わっても、あれだけ声の響きを合わせられる音楽ユニットはそうないと思います。「おしえてよ亀次郎」がとてもよかったです。
【今日は何の日🔖】
【今週の一句📝】
酒飲み🍺🍶川柳
秋が来た
と思っていたら
夏が来た
【今週の歌🎸】
・岡林信康…私たちの望むものは
今年6月に発売された「URC銘曲集①戦争と平和」の1曲目に入っている岡林信康の曲。今、聴き直しています
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【今週のグルメ情報😋】
・らんぷ若蔵…京阪本線「寝屋川市」駅から徒歩5分
この近辺にきたら必ず行きたいお店。今回はカレーうどんにしました😊
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【追伸📣】
今年の流行語大賞の候補が発表されて、そろそろ年末を意識する時期に入ってきました。みなさんの予想はいかがでしょうか。
#きんようび通信 #宮古島 #沖縄 #平和ツアー#優生思想 #内なる差別 #オール沖縄
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wasite · 2 years ago
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WASITE.store 2023/03/15 now OPEN 今日の海 「彼ほど沖縄を識った人はいない  彼ほど沖縄を愛した人はいない  彼ほど沖縄を憂えた人はいない  彼は識ったが為に愛し  愛したために憂えた  彼は学者であり愛郷者であり  予言者でもあった」 こんな辞が浦添城跡の顕彰碑に刻まれたのが 1876年の今日誕生! 伊波普猷(いは ふゆう)(~1947) 日本の民俗学者・言語学者であり、 人々は彼をこう呼ぶ。。。 「沖縄学の父」!!! 沖縄がまだ琉球藩だったころに生まれ 今の東大=東京帝国大学で言語学を専攻。 帰郷し沖縄県立図書館の館長にGet Job。 館長しながら、 沖縄研究資料の収集に尽力しまくる! とくに 『おもろさうし』研究への 貢献は多大っ!!! この『おもろさうし』 首里王府が収録した歌謡集ですが 数少ない第一級の史料のひとつ!!! これらの民俗資料研究から 「沖縄・琉球とは?」 とアイデンティティの形成を模索です。 それは生き方に誇りを見出すこと。 そのことに昔から羨ましく感じています。 2003年5月号・雑誌「リラックス」 の背に載ったコピー 「オキナワの人が  オキナワのことを話す。  その感じをいつも  羨ましく思います。」 これよ、これ。 私が沖縄に移住する前に めちゃくちゃ読み込みまくって ここに載っている人たちに その後会うことになるなんて! さて、出会う沖縄の人たちと 移住してきた私たち。 または逆に 本土に移り住む沖縄の人たちと 他県の人たち。 以前はそこにあった溝も、 次第にそれも埋められつつある。 というのも「沖縄人のルーツは?」 と、よく語られるテーマ。 これ、 マックス・プランク人類史科学研究所 を中心とした国際チームが 2021年11月10日に『ネイチャー』誌で 発表した論文によると、 宮古島の先史時代の人骨を DNA分析しました! 結果。。。 「100%縄文人でしたー!」 つ ま り 「沖縄方言となる言語を持った  農耕民が本土から移民した。  と、いうことは、  これまで強く支持されていた  『日本人二重構造論』  を否定するという点で  大変に貴重!」 以前「めんそーれ」の語源は 日本の古代〜中世貴族の話し方が 沖縄風にアレンジされたまま 保存されたという説も紹介しました。 私たちはもともと同じ縄文系の日本人。 そこに各地の土地柄の特性が 個性(県民性とか)を育んだってこと! まぁ、すべての民族は、 みんなアフリカ大陸から出てきた 「人類」ってわけだけどね。 広く大きな、今流行りの 「メタ」的視点でみれば、 現代人は地球人としても誇りを持てるはず。 宇宙に人が行く時代です。 外から地球を見る時代です。 かつての人類の夢が現実になってますやん。 そんな夢をたくさん描いてきたのは 名作・ドラえもん。 1980年にドラえもんの映画第1作目 「のび太の恐竜」が公開。 ドラえもんも歌ってるじゃん。 「ぼくたち地球人」by 堀江美都子 ドラえもん50周年時のエンディング歌 人の集団をより大きく形成するには これまで人類の進化上 「コミュニケーション」 の進化があったと考えられます。 言葉ができて、文字ができて、 紙ができて、印刷ができて、 発信・放送ができて、 映像が映し出せて、 今はインターネットの影響で 社会が変革してます。 ものすごい速さで! 次! 地球全体を一つに連帯させるには どんなコミュニケーションが求められる? 古代、人類を分断させたのは、 「バベルの塔」の出来事による 「言語」 次世代は古代からの分断 「言葉の壁」を超えられたら お互いを分かり合える、 「愛」! じゃないのかなと思います。 ITによる翻訳アプリなど、 どんどん進化していますが、 もっともっと進化して、 学校で語学を勉強する必要ないくらい デバイスやソフト開発が進めば、 人類は地球人になるのかなと思いますが、 そうなると、 また別のところに敵を作りだし、 ガンダムのような世界になったりするのかな、 とSF妄想が広がりますw うーん、 こんな話にするつもりはなかったんだけど、 伊波さんの話でいい感じにまとめたかった! けど、書いてしまったものは仕方ない。 どーぞ、ゆたしく というわけで、今日も ストーーーーーーップ!!!ロシア!!! 今日も良い1日を! #WASITE #ワシテ (WASITE) https://www.instagram.com/p/Cpy8j2zvRjy/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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【福井県謡曲古跡めぐり若狭/嶺南編】14箇所目 2021/3/18
能「鵺」「頼政」
観音堂
《福井県小浜市矢代》
真言宗醍醐派。
所在 小浜市矢代10号9番地
本尊 聖観世音菩薩
境内坪数 210坪
堂の建坪 35坪
由緒。当堂ノ創立ハ大同元年丙戊二月ナリ 是ヨり先天平宝字元年丁酉春二月ノ初丿 唐船一艘風波ノ難ヲシノギ萍流浮転シテ遂ニ此海浜ニ漂着ス 土人就テ其国所ヲ訊問スレドモ言語互ニ不通 船中ヲ伺ヒ見ルニ異裝ノ婦女六人品格甚ダ貴嬌ナルヲ覚ユ 男子ト相像スル者二名共ニ咽喉ヲ撫テ食ヲ乞フノ状アリ 土人糧及薪木ヲ給ス 此ニ泊スル事数旬其ノ状土人ヲ試が如ク居ラント欲スル如シ 然シテ村民船中所載ノ貨物ヲ利セソガ為忽チ悪念ヲ起シ 其ノ三月船ニ迫リ終ニ一行ノ人ヲ刺害シテ 所載ノ貨財什器ヲ掠奪スルニ船中扇ヲ設ケテ観世音ノ像ヲ奉スルニ在り 又奪ヒ去ツテ柴ノ庵ヲ造リ之ヲ安置ス 是ヨリ大同元年ニ至ル迄五十年間災厄頻リニ至ルヲ以テ 村民前非ヲ悔悟シ亡霊ヲ招魂スルニヨリ又当堂ヲ創建シテ亡人ノ遺幸セル観世音ノ像ヲ安置ス 実ニ是レ人皇五十一代平城天皇ノ御宇大同元年丙戌春二月也当観世音臨産ノ感験明ナルヲ以テ著名ナリ(以下略)以上由緒は矢代栗駒操 「仏堂礼拝施設存続届」(昭和17年5月30日宗教団体法による届出書)による。
 「観音堂 在二矢代浦一 相伝 古此地領主源頼政創建 一説大同年中創建本尊仏白二異域一来者」若狭国志。
「矢代観音堂 矢代浦にあり、頼位山福寿寺と号す、従三位頼政郷此地を領する時之を創建す、本尊は観世音の像なり。一説は大同年中の草創にして本尊は支那より来ると、今世は金谷村万徳寺の僧堂事を司どる」若狭郡県志。
古来稲富浦と称されていたが、従三位源頼政が平治2年(1160)禁庭で怪獣ヌエを射止めた賞として朝廷から稲富を賜わり、その時使用した箭羽が稲富産であったことから、以後稲富を矢代と改称したと伝える。 
矢代観音
 矢代浦は、もと稲富浦といって、源頼政の領地であった。そのころ高倉天皇はふしぎな病気にかかった。毎晩夜がふけてから、どこからともなく怪物か雲に乗って現われ、御所の上へ来て、天皇を悩ませした。朝廷では源頼政に怪物退治を命じた。
 頼政が、どうして怪物を退治ようかと、心をくだいていると、ある夜の夢に観音様が現われ、「わたしはお前の領内の稲富浦にある観音である。お前が怪物を退治しようと思うならば、わたしに願をかけよ。」といった。さっそく領内を調べると、はたして稲富浦に観音堂があった。頼政は大いに喜び、はるばる京都からこの地に来て、観音堂に断食七日の願をかけた。
 七日七晩の満願の夜、また観音様か夢に現われ、「山鳥の羽で矢羽を作ったならば、必ず怪物を射とめることができよう。」と告げた。翌朝稲富浦の山中で山鳥を捕えて羽をとり、宮川村の竹やぶで矢竹をとって矢を作り、その矢を射て、みごとに怪物を退治した。
 頼政は稲富の観音様にお礼参りをして、稲富の一部と外面(そとも)を観音様に寄進した。これから稲富を矢代と呼ぶようになった。今も宮川村に頼政を祭った堂があり、矢代には頼政の屋敷跡がある。また矢代では山鳥を食べない。 
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