#御朱印使い終わったら
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tomoshiha · 28 days ago
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五月にみたもの覚え書き
 世がゴールデンウィークだからといって別に休みでもないのは毎年のことなのだけれども、なんもせんのもなんなのでなにかしらやることにしている。今年は東洋美術史をざっくり勉強する、と決めて、4月の末に武蔵野美大出版局の『東洋美術史』を買ってきた。ゴールデンウィーク中に通読することを目標にしていたものの、すっとろくて半分もいかず、五月も終わろうかという頃にようやっと読み終わった。ついでなのでずっと積んでいた美術出版社の『東洋美術史』も併読して、こちらも完走した。
 で、先日、用があって神戸に帰省した。ついでなので奈良に寄ったりして、あれこれ見てきた。その覚え書き。 
 大和文華館にはずっと行きたいと思っていたのだけれどもなかなか機会がなく、あっても逃し、行きたいな行きたいなと思っているうちに十年くらい経っていた。行けてうれしい。老若男女がバランスよくおり、そのどの層も、出されているものを信頼してじっくり見ているかんじがあってよかった。健全な集中力が展示室内をひたひたにしている。
 静かな衝撃だったのが北魏の石造二仏並坐像で、字の通り、仏と仏が並んで坐っている。こういう形式の仏像をはじめて見た。ほんのわずかに顔がお互いの方に傾いている。小ささも相俟って、閉じた、親密なかんじがする。とてもいい。
 青花双魚文大皿。二匹の魚のまわりに水草を二種描いている。一種は金魚藻みたいな形のやつで、もう一種は一枚一枚の葉の長いもの。前者が星を散らしたみたいな効果を出しているのに対し、後者はストロークの長い有機的な曲線が水の流れを感じさせるような効果を出していて、この取り合わせの妙がいい。外側は陸の植物複数種が切れ目なくぐるりと囲む(四季の花を組み合わせることで永続性を象徴させているらしい)。魚は、描かれている見込みの面積からすると小さめなのだけれども、背びれをグッと立てて全開にし、胸を張っるようにして頭のほうを起こし、口をギュッと結んで、上げた顎ごしに下を睨みつけるような、気合の入った顔をしている。でも小さい。小さい体に大きいガッツというかんじがして、いい。真横から描かれているが、胸びれも腹びれも左右両方が見えるようにズラしてあり、それが動きと若干の立体感を感じさせて、イキイキして見える。「魚」は中国語の発音がと「余」と音が同じなので縁起がいい、ということらしいけれども、たとえ縁起が最悪だったとしてもぜひ見たい、いい絵。
 『大和文華館所蔵品目録』として矢代幸雄直筆の書類が展示されていた。使われている紙が大和文華館仕様の原稿���紙なのだけれど、これがとても素晴らしくて、上部に広くスペースが設けられているので図なり註なりをたっぷり書き(描き)込める。一枚あたりがA5くらいの縦長で、ふつうの原稿用紙��ハーフサイズ(だから200字?)になっている。もしやミュージアムショップに売ってやしないかと覗いてみたけども、なかった。売るべきだと思う。売ってください。
 国宝展開催中の奈良国博は噂に違わぬ大混雑。奈良国博が、というより奈良がもう全体的に大混雑で、鹿にしても飽食状態なんかして人間に対する関心がやや薄く、煎餅差し出されても「まあそんなに言うんやったらもらってやってもいい」くらいの反応でしかない。しんどいので、見たかったやつだけじっくり見た。
 百済観音は細身な印象が強いが、腕は案外太い。肩の丸みがそのまま腕の太さになって、そのまま肘までおりるかんじ。本体のS字のシルエットに共振するように、装飾の曲線がつく(耳飾りと袖)。全身のシルエットそれ自体が蝋燭の灯のようにも見える。
 宝菩提院願徳寺菩薩半跏像。ウナギの群れのごときぐりゅんぐりゅんの衣文がすごい。衣自体にはほとんど嵩がなくて、濡れた布が体にまとわりついているようでもある。滝を描いた山水画をなんとなく彷彿とさせる。菩薩の体を源として、なにかが激しく流れ落ちているかんじがする。この作品を取り囲む人だかりからおじさまがひとり、「ピカイチやな……」と呟きながら出てきた。ほんまやね。
 中宮寺菩薩半跏像。この一軀のために一室設けられている。白い空間の真ん中に、黒い仏像が置かれている。シルエットの簡潔さが際立つ。パッと見は安らいだ表情のようにも思えるのだが、単眼鏡で眺めてみると小鼻の上あたりの肉にやや緊張したかんじがあり、差し迫った表情のようでもある。左目の下に筋状に漆の乱れがあるようで、これが涙の跡ようにも見える(同展出品の法隆寺地蔵菩薩立像の左目下にも筋みたいなものを見つけたけどなんなんだろう)。肘の位置が左右でけっこう違うが、肩は水平で、前後にもずれない。後ろ姿がいい(今回の展示では360°どこからでも見ることができる。一生分見とくつもりで、長いこと真後ろに立ってボーっと眺めていた)。肩甲骨などの凹凸は彫り出されず、中央の溝だけが一本、すばらしい微妙さで彫られていて、背中のなめらかな曲面の連なりをつないでい���。やや前側にかがみこむような姿勢なので背中がわずかに丸まっていて、そのことによって高い集中力を感じさせる。尻は体重で潰れることなく、高さを保ったまま小ぶりに締まる。それで腰の位置が高く見え、上半身に若干浮遊感が生まれているように思う。
 神戸にいる間に空いた時間で白鶴美術館にも行ってきた。ここは春季と秋季だけ開館していて、対する私は夏と年末年始くらいしか帰省しないので、行きたいな行きたいなと思っているうちに十年くらい経っていた。行けてうれしい。阪急御影から山側に十数分くらい歩いたところにある。
 おもに本館一階の展示室の古代中国の青銅器をじっくりみた。図版で見るといかにもいかめしいかんじがあって、近寄りがたく思っていたのだが、実物を見ると案外まろやかな印象を受ける。表面がなめらかな部分なんかは翡翠みたいに見える。単眼鏡で細部を観察するのがとても楽しい。饕餮夔龍文方卣は特にのびのびとしたかんじがあって、把手のつけ根のひょうきんな顔(キリンのツノみたいなのが生えている。顎がしゃくれていて、ちょっと口角が上がって見える)とか、フタの持ち手の犬の顔がついた鳥みたいな造形とか、見ていて飽きない。象頭兕觥は字の通り象の頭が象られていて、おもしろい。
 西周時代の車馬具のなかに「節約」という名称のパーツがあっておもしろかった。綱紐をつなげるのに使う、K字状のもの。
 金象嵌渦雲文敦は足とフタのついた球形の青銅器で、器形がまずたいへん愛おしい。三本足(動物の足のような形。こどもの虎のみたいなかんじ。かわいい)に二つの把手(虎?の顔)がついていて、顔に正面から向きあうようにして見ると足の一方が近く、もう一方が離れて見えることになり、そこにリズムが生まれている。なおフタには環が三つついていて、今回は足の位置に揃えて置かれていたけれども、ズラしてみるとまた違うリズムが生まれそうで、妄想していると楽しい。この環というのがやや外向きに開くように配置されていて、その点でも大らかさというか開放感みたいなものが感じられ、好きにさせられてしまう。
 二階は漢から唐ぐらいまでの金工作品が出ていた。
 鍍金花鳥文銀製八曲長杯は八辨の花形を横に引き伸ばしたような変わった形をした器で、杯というには浅いようにも思えるけれども、皿というには深さがある。外側側面は、銀色の地の上に金色の植物と鳥の文様がたっぷり詰めこまれている。他にも唐代の小品がいくつも出ていたけれども、いずれもたいそう趣味がよくて、なんという時代であろうかと思った。自分��遣唐使だったらたぶん、船に積む品物が選べなくて泣いちゃう。
 二階の展示室の端っこの小さい区画(昔は貴賓室だったらしい)が次の展示の予告のコーナーということになっていて、出品予定の南宋と明のやきものが出ていた。次は陶磁器の名品展的なことをやるらしい。自前のコレクションであれこれ展示を組み立てて回していけるからこそできることなんだろうなと思う。賢い。
 新館ではコーカサスの絨毯をみた。閉館間際であんまりゆっくりはできなかったのだけれども、眼福だった。V字型の鳥がたくさん織り出されたカザック絨毯が特によかった。絨毯の真ん中の淡い緑色の菱形の区画に、クリーム色、黄土色、朱色、こげ茶色の鳥がわんさかいる。絨毯の縁の枠の部分にもちらほらいる。
 帰りは住吉川沿いを少し歩いた。それからどういう道を通ったのかあんまり覚えてないのだけど、途中に時間が止まったような小さい公園を見つけた。一度は通りすぎたものの、やっぱり気になったので引き返し、写真を撮った。近くのどこかの部屋からピアノの音が聞こえていて、同じフレーズがつたない指で繰り返し練習されているようだった。
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kaarijajpn · 1 year ago
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ROAD TO Käärijä-フィンランド旅レポ-②
※前回のレポ①はこちら
■ライブ参戦準備編
まだ準備編!と思われた方、すみません。笑 でも肝心のライブに向けて、どういうふうに何を準備したかを先にまとめさせてください! 1.チケットの買い方
Käärijäのライブのチケット購入ページは、基本的にはワーナーのカーリヤ公式サイトから飛ぶことができます。
各ライブ日程のとこに書いてる"OSTA LIPUT"が「チケットを買う」の意味(Liput=チケット)。ここから飛ぶと、だいたい各イベントの公式サイトのチケット案内ページにたどり着きます。 もしここにないライブがあれば、ライブのタイトルなどで検索していただくか、もしくはこのTumblrから探していただければと! なおフィンランド国内のライブであれば、ほぼチケット販売サイトはLippu.fiまたはtiketti.fiというサイトです(日本で言うぴあとかローチケみたいなプレイガイド)。あとは、各イベントの公式ホームページから直接買う場合もあります。 上記プレイガイドのサイトやフィンランド国外の公演公式HPは英語ページありますが、それ以外はないことも多いです。ただチケットの購入に必要な情報くらいであれば、ブラウザの自動翻訳で対応可能ですので大丈夫かと!
今回私は7/5AllasはLippu.fiから、Ruisrockはフェス公式サイトからチケットを買いましたので、その例をご参考まで。
①Allasのチケット
オールスタンディングですが、日本と違い整理番号などありません。当日は戦場です。笑
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Lippu.fiから購入する際は、ユーザー登録が必要となります(日本からも登録できます)。
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2番目のQuick sign upを選択してアドレスを入力し、continueを選択。ほかにも住所とか名前とか聞かれるのでそれを埋めていって、最後にContinue to paymentをタップ。 ライブによって違うようですが、Allasのときは、チケットの受け取り方法はアプリのみでした。
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ほかのライブだと、印刷できるPDFで受け取れる方法(1€かかる)、HTMLで受け取る方法(無料)なども選べるようです。 Lippu.fiのアプリは日本のユーザーでもDLできます��で、購入時にDLしておきましょう。 最後に、支払方法の選択肢はこんなかんじ。
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これで購入完了。あとはアプリにログインしてチケットを表示するだけです。 ②Ruisrockのチケット こちらはRuisrock公式サイトからの購入となります。 すみません、購入したときのスクショがなく…これは現在表示できる2025年の早期チケット購入画面です。Ruisrockはフィンランド最大級のフェスだけあって、ホームページも完全英語対応です。
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Ruisrockの参加にあたり、KIVRAというアプリの使用をおすすめされますが、これはフィンランドの銀行やモバイルバンクなどに口座がないと使えないアプリですので、大半のジャパニーズの皆様は1€出してモバイルチケットもしくはPDFチケットを選択することになります。(私はPDFチケットを選択してスクショ&印刷していきました) あとはだいたいLippuと同じ流れで、住所やメールアドレスなど必要情報を記入(アカウント登録は不要です)、支払いが終了すればメールでチケットが送られてきます。 支払方法はこんな感じ。
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2.今回のライブのために準備したもの
以前こちらでもお知らせしましたが、今回はKäärijäにジャパニーズファンからのプレゼントを届けるという重大ミッションがありました!
たくさんのジャパニーズカーリヤファンからいただいた温かいメッセージを印刷し、日本ならではの物というのを考えた結果、御朱印帳にはりつけました。ちょっとした和紙などで飾り付け、メッセージ帳の完成!ご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました!
それからこのメッセージ帳のほかに、フランク(カーリヤがよくネタにしてるピンクのフラミングのフロート)柄のうちわを���見したのでそれと、あとは鳥獣戯画柄の緑の風呂敷がたたき売り(笑)されていたので、この2つを個人的なプレゼントとしてセットにしてもっていきました。
また、プレゼントのほかに、せっかく推し活をするんだから、と一念発起し、一緒にいく友人と二人でオリジナル法被を作成!
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市販の法被に、自分でデザインしたロゴと文字をアイロンシートで貼り付けたものです!
このほか日本人っぽく緑と黄色の扇子も買って、完全にジャパニーズ推し活スタイルで参戦しました😂
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ちなみにもし法被推し活やってみたい、という方がいましたらご参考までに…
法被はこちらから→KAMEOKA
アイロンシートはこちらから→graphic
発注しました!印字まで全部依頼するオリジナル法被よりも、こちらのほうが安上がりでした。1着7000円くらい。
さて準備編はいい加減このあたりにして、次から旅レポを始めたいと思います!
→続き:レポ③
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tutai-k · 2 years ago
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幻想の銀河を握りしめる
ぼんやりとしているうちに、八月が終わってしまいそうだ。
今年は、ツバメのねぐら入りを見に平城京へ行くタイミングがなかったし、大台ヶ原も二回しかいけなかった。コマドリの写真はもちろん撮れていない。わたしは結構大台ヶ原の運はよくて、行けばコマドリを見ることができていたのだけれど……鳥というのは、なかなかむずかしい。
代わりに先週、十津川村の「玉置神社」というところに行った。 「呼ばれなければ行けない神社」と言われている。奈良県十津川村は、吉野郡に属するのに三重県からだと、和歌山を回った方がはやくつく。 三時半に家を出て、八時半くらいについたかな……。 山に登るタイプの家族と一緒に行ったので、まずは玉置山にのぼった。のぼりはじめてすぐ、カケスが目の前に飛び出してきた。望遠を引いても見切れるくらいの間近でしばらくたたずんでいて、うごけないままシャッターを切った。びっくりした。 こんな幸運があると、(まずこの神社にたどり着けたことが幸運で、「呼ばれていない」ときはカーナビが壊れたり車が壊れたりするらしいが)この土地の神々は、わたしを受け入れてくれたんだ、と思う。 山頂へ行き、下っているあいだに、鳥はあまりいなかったが、見たことのない花をたくさん見た。ホトトギス、という種類の花らしい。 リスがしきりに鳴いていた。 お参りを済ませてから御朱印をもらい、紙製のお守りと陀羅尼助を買った。お守りは最初はスマホケースに入れていたのだが、トイレとかにも持ち歩くことを考えたら、なんだか神様に狼藉を働いているような気がして、財布に入れ替えた。
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お参りを終えたのがお昼まえで、そのまま熊野本宮大社へ行った。八咫烏のグッズや置物がたくさんあった。八咫ポストというのがあったので、いずれわたしを澁澤の伯母様と呼ぶ予定のおちいさいひとにはがきを送った。自分には、八咫烏のピンバッヂを買った。木曽駒ヶ岳で帽子をなくしてしまい、お気に入りのライチョウとルリビタキのピンバッヂも一緒になくなってしまったので、新しい帽子に付けた。かわいい。
それはそうと、いま田中芳樹の『銀河英雄伝説』を読みかえしている。先々週の台風で仕事を休んだ日に、急に読み返したくなって読み始めた。いまは6巻。ヤンイレギュラーズが結成されたあたり。 社会情勢が日々悪くなってゆき、暗澹とした未来しか見えない。そんな状況でこの物語を読むと、ラインハルト・フォン・ローエングラムの存在を切望し、いないことに落胆する自分がいてぞっとする。 物語に指摘されずともいまの日本の状況には、成人して参政権のあるわたしにも責任がある。それなのに、絶対的な善性を持った、カリスマ性のある誰かに、この状況を打破してもらおうと期待している。そしてそんな人が現れないことに、毎朝、(通勤の電車で読んでいるので)やるせなさを感じてしまう。 社会のかわらなさ、どうにもならなさ、悪化に歯止めのかからなさ、それらに追い詰められている。 わたしにできるのは自分の善性を信じ、また疑いながら、日々を過ごしてゆくことと、それを他者に働きかけること。それはわたしの現在をいますぐ変えてくれることはないかもしれないが、わたしを澁澤の伯母様と呼ぶ予定のおちいさい人が、人生選択をするころには、作用していてくれればいいと思う。 わたしは生きることをつづけて行けるだけの幸運さがあり、まだ生きるという抵抗をやめずにすんでいる。
そんなことを思いながら、今日は伊良子へ渡った。伊良子清白という詩人は、自分が伊良子という姓だから伊良湖岬のことをあえて「伊良子」と書いたらしい。わたしもそれに倣っている。 行きのフェリーで、シェアオフィスの一階のちゃんぽん屋さん夫妻にである。今日から夏休みでお出かけのようだった。少し話をして、わたしは鳥を鳥にサイドデッキヘ。 鳥羽ー伊良子航路は、神島ー伊良子間にオオミズナギドリが多く飛ぶ。水面すれすれを飛び、ときに水面に片翼の切っ先をすべらせて澪を引くその姿のうつくしいこと。 風を得て、羽ばたかずにただ身を風に乗せている、その動きの簡潔さと効率に感動する。いまは「アホウドリ」と呼ばれているオキノタユウをこの航路で見ることはできず、オオミズナギドリの飛翔を見て想像するしかないが、かれらは荒天のほうが生き生きと飛ぶらしい。眠りながらでも飛び続けられるというから驚きで、その姿をこの目で見たいと切望している。 恋路ヶ浜で去年ノビタキを見たので探そうと思っていたが、暑すぎて無理だった。「日本で二番目においしいかき氷」のお店でかき氷を食べた。このお店はシロップが自家製で、田原の特産物を使っている。わたしはいま銀英伝を読んでいるので、ヤンのことを思いながら紅茶シロップにした。 それにしても、暑かった。水温が上昇しすぎた海には魚が減ったと漁師たちが嘆く。渡り鳥の種類も減ったり変わったり(渡りのルートや時期も変わってしまっているらしい)していると、何十年もバードウォッチングをつづけているひとたちは言う。 人間が滅びてしまっても、鳥や魚たちはやはり各々の営みをつづけるのだろうが、それでも、人間による傷跡のことを考える。遠い昔からわたしたち人間という種族が滅ぼしつづけてきた生物、そしていまだ滅ぼすことをやめない生物たちに対して負っている責任のことを。 帰り際、遊歩道でくちばしにルアーが引っかかっているアオサギをみる。このアオサギも、人間によって迷惑を被っている鳥なのだ。そしてその個体を直接的に救うすべを、わたしは持っていない。
復路にもミズナギドリは飛んでいた。フェリーに併走するように飛ぶ鳥は、とてもうつくしかった。
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神島を過ぎ、鳥の姿も見えなくなって、SNSの友人たちに旅の報告をしていたら、TLに自分の本の写真が流れてきた。 千葉の書店「本屋lighthouse」さんが、『ゆけ、この広い広い大通りを』を取り扱ってくれることになった。セーファースペースの取組みをしている書店さんで、この本を並べてもらえることは、ほんとうにうれしい。安心してお買い物できると思うので、本をお求めの方は是非本屋lighthouseさんのショップから買ってください。
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日々、いろんなことを考えている。 考える���けでは、まえに進まないこともたくさんある。それでも、とりあえず考えなければならなくて、考えの果てに、すこしはよい未来がありますようにと思っている。
文フリ大阪が間近だ。 ヨモツヘグイニナからは再録短編集の新刊はあるけれど、どうか日々詩編集室から出る『ゆけ、この広い広い大通りを』をよろしくおねがいします。
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kaneninarananesaki · 2 years ago
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9月締め括り
大きな大きな夏の尾を見上げ続けていたら、小さい秋に気づかないわけ。
「あの頃は」と言って秋を見逃さないように、9月を締めくくっていこう。
ソリティアは自分のバイオリズムを確認する手段として有効である。「紙の本を読もうよ」みたいな。
人はいつの間にか自分がどうやって生きていたかを見失ってしまうことがあります。そんなときは活動的だった時の轍をどこかにとっておいて、その動きをトレースすれば感覚は擦り合わさっていく、もしかしたらだけど。
数独や詰将棋はやや味気ない、上手くいかなくてもそれはそれでいやはや参ったよな思い出ができる。なによりカードをシャッフルして引くだけというお手軽さが調子の悪い時にも負担にならなくていいじゃない、最高点を取っても繰り返し遊べる素晴らしいゲームです。
213日という数字にややビビるよね。だって213日っておめー1年の58%くらいだよ?パーセンテージにすると案外妥当だな、そんなもんです。「今年も早いね」とかも全部錯覚です。ちゃんと今日を生ききってください。
実際35℃前後で追肥等の面倒をしっかり見ていた(とは決していいがたいけども)頃に比べてもそれ以上にポンポコ実ができている。外気35℃~40℃に対応できる生命は結構限られているのかもしれないと思うと地球という星の生命は綱渡りというか、刃の上を歩いているね。なんかの拍子に平均50℃とかになったらドーーーーーーンwwwwwwwwwって感じで何もかも終わっていくよね。はかないね、でも正しいよねそれも。正しいならしゃーなしっていうかさ、まぁちゃんと今日くらいは生ききってくださいよ。ハラペーニョの話をしなさいよ。虫がすげーんで明日からちゃんとやりますよハイハイ。
和歌山県に行ってきました。最初の動機は「天神崎でウユニ塩湖的な写真を撮る」だったはずが色々想像を絶するものであった。すげーや和歌山。
現地更新型の旅行記はなんだかんだで手元が忙しい、ライブ感のままに書き留めようとすると意識がスマホに吸われてライブ感が薄まるというジレンマ、いや、熊野古道の電波が悪いのがいけないのではないか?すげー投稿しなおしたよ確か。
思いのほとんどは記事に書ききってるわけだけど、そんなん言ったらあんた何のための締め括り振り返りなんじゃいって話。差し置いて言うならば本当にクジラが見れて良かった。ずーーーーっと言ってたもんね、クジラが見たいって、なんでクジラがいいんだろうね?多分「必ずしも孤独を嘆かなくていい」というアイコンとして「大洋を泳ぐクジラ」というものを置いているような気がする。その同族意識が「必ずしも孤独を嘆かなくていい」という命題に二律背反になっていませんか?じゃあ正しくないか、よくわかんねーや。
しかし皆さんにお伝えしたいのは和歌山ラーメン、いやさ和歌山��中華の美味さよ。食べたことあるかい?和歌山の中華、もう最高さ。
豚骨醤油というか、醤油豚骨というか、存在感を主張しながらも決して重くない凛としたスープに「これでいいのか」と思わせる中太ストレート麺、豚骨ハリガネ細麺に慣れ切った私にはラーメンのカテゴリーにいながら「和食」のアトモスフィアを感じずにはいられない、やや少なめな丼を開けた後は鯖すしを食べてさっぱり終了、完成されているんだこの一連の流れは、食べたことない?そりゃあもったいない。
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熊野本宮大社に行きながら御朱印はあえて頂いてません、御朱印ほど世俗煩悩に塗れたものはないと考えているためです。帰りの空港で日本航空限定御朱印帳が買えなくて駄々こねてるおじさん見てうわ……ってなっちゃったもん。仮にそれ手に入ったとしてそこに書かれる御朱印そんなに偉いもんか?そんなもん500円払わずとも心に刻めよ。その点スタンプラリーのスタンプを景品目当てでなく手帳に押して帰るのは敬虔な行いです。ていうかインク薄いな。
スーツケースの中でビールが漏れ出たり、バーベキューに馳せ参じたりほら僕達なんて十分適度にドラマチックさ。あるいはバイオリズムはビールで取り戻せということか。
「必ずしも孤独を嘆かなくていい」というのは「如何なる選択も孤独を選べ」ということではありません。十分適度にやっていけばいいんじゃないでしょうか。会合に参加できているうちが花とかなんとか、でも来年の夏は平均50℃とかになるかもよ?そうしたらなにもかも終わりだね。よかったね、正しいね。なんつって。それでも生きてる奴は生きてるよきっと。馬鹿なこと考えてないでさっさと寝な、という意味の歌を52ヘルツの鯨が歌ったのは私だけにしか理解できなかったんです。鯨が好きな理由は、多分そんな感じだ。
イマイチ調子が上がらなくて、「これからの僕ら、一体どうなっちゃうんだろう」と考えてしまうのは年々上昇する夏の気温のせい、だから明日から秋を始めよう、もう今日から10月なんだからさ。
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bankanoao · 7 days ago
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小浜旅行
 4月に福井県の小浜へ旅行へ行った。福井へは以前から東尋坊や恐竜博物館へ行きたいと思っていたが、タイミングが合わず行けずにいた。今回は、小浜が舞台の一つでもある『海のある奈良に死す』(有栖川有栖)を読んだのがきっかけで、旅行へ行くことにした。
 1日目。大阪から敦賀まで特急サンダーバードに乗り1時間半、敦賀でJR小浜線に乗り換え1時間、お昼ごろに小浜駅へ到着する。
 電動自転車を借りて、市内を観光する。暑くも寒くもなく気持ちのいい春の天気だったが、とにかく風が強く、自転車をこいでいると帽子が飛ばされる。  駅から北上するとすぐ海が見えてくる。写真は前述の小説にも出てきた、人魚像のあるベンチ。
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 南西、明治から昭和頃までの木造建築が並ぶ地域へ。平日だからか、観光客は勿論、人ともほぼすれ違わない。
 空印寺という寺の中に、人魚の肉を食べて八百年生きた八百比丘尼が、最期に入定したと言われる洞穴がある。椿の花弁が至る所に落ちていて綺麗だった。
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 その後再び海沿いを自転車で移動して、若狭公房へ。小浜は瑪瑙細工が有名らしい。めのう磨き体験をする。40分以上、紙やすりを使って無心にめのうを磨いていると、以前高野山で写経をした時のことを思い出した。
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 2日目。起床すると足の筋肉痛に加えて、疲労やストレスからか胃腸を壊しており、とても気分が悪い。昼頃までホテルで休んでから出かけることにする。
 この日は、今回の旅行で一番楽しみにしていたと言っても過言ではない、遊覧船「そともめぐり」に申し込む。この遊覧船は、天気が悪いと小浜湾(内海)をめぐるコースに変更になるが、この日は風が強かったものの、さいわい蘇洞門までのクルーズができた。(実際私が旅行した三日のうち、他二日は内海めぐりに変更になっていたので、運が良かったらしい)
 ���御船印」という船の御朱印をもらう。
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 日本海の荒波や風で削られた岩は、巨大な彫刻のようで迫力があり、見ていて楽しかった。
 夕方、暇なので東小浜駅に移動して、若狭歴史博物館へ。諸事情が重なりゆっくりと見られなかったが、仏像の展示が特に良かった。
 折角小浜に来ているのに、名産品を食べていない…ということで、定食屋に入り焼き鯖定食を食べる。脂ののった身、パリパリに焼かれた皮、魚のだしのきいた味噌汁、温かい湯豆腐と白米。
 その後はホテルで読書したりYoutubeで配信を観たり、のんびりと過ごす。
 最終日。起きると体力が回復しているどころか、既に体力の限界を越えている感じがする。しかし今日も行きたい場所があるので、このまま帰るというわけにはいかない。
 東小浜駅で降車し、徒歩で若狭姫神社と若狭彦神社へ向かう。この日は雨が降っており、さら���折り畳み傘も壊れ、40分ほど雨と汗でぐちゃぐちゃになりながら歩く。正直この日のことは疲労のあまり記憶が曖昧なのだが、この二つの神社は自然と一体となった、静かでとても雰囲気のある場所だった。御朱印とお守りを頂く。
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 そして再びJR小浜線に乗り、敦賀駅へ。疲れている上に、入った飲食店があまりおいしくなくて、悲しい気持ちになる。敦賀駅近くでは、夕方以降は屋台ラーメンが並ぶらしい。残念ながら今回の旅行では行けなかったが…。
 最後に氣比神宮へ。大きな鳥居が印象的。お参りをして、御朱印を頂く。
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 そして敦賀駅へ戻り、再びサンダーバードに乗る…。行きは隣の人が車窓のカーテンを閉めていたので、景色を見ることはなかったのだが、帰りは横に誰もいないので外の景色がよく見える。滋賀から京都まで、琵琶湖がずっと見えていた。どこかの端から琵琶湖を見たことはあっても、琵琶湖沿いをずっと走ることは初めてだったので、あまりの大きさに驚く。
 これで旅行は終わり。
◇持って行って良かったもの ・モンベルの折り畳みジャケット ・文庫本
◇持って行くべきだったもの ・レインコート ・良い折り畳み傘 ・日数分の薬(痛み止め・胃腸薬など)
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2025.6.20
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karasichan · 25 days ago
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ここ最近あったことを、何回かに分けてちょっとずつ書いていくね。
\\\\٩( 'ω' )و //// 
〜24日のブログの続き〜①
半年後とか言ってられないから!
いよいよ生活が厳しくなってきて、もう後にはひけない状態なんだよ!
とか必死に悩んで試行錯誤した24日。
なのに、次の日にはなんかケロッとしてた。
お金だってないし、機械音痴も別に変わらないんだけど、なんか、、、なんとかなるでしょって、思っちゃうんだよね。
ま、それは気のせいだろうけど(笑)
そして困ったことに、突然旅行に行きたくなってしまった。
だから、
お金が、
ないって、
言ってるでしょ!
と思うんだけど、うずうずしちゃってしょうがない。
どうしたっていうぐらいの衝動が。
それに行き先すらもう、決まっちゃってるっていうね。
それは、尾道で〜す☆o(^▽^)o
何で尾道なのかというと、実はね、5月のある日、不思議な夢を見たんだ。
車で坂を登ってるんだけど、��でさ、真っ暗なの。
さらに雨がざーざーふってるんだよ。
こんな雨の中、私はいったいどこに向かってるんだろう?
そしたらいつの間にか、車を降りて、歩いて雨の中、ほっそい柵がついた階段を登ってるの。
夜だからはっきりとはわからないけど、階段の素材が、石?コンクリート?みたいなザラザラな感じで、人間が綺麗にそろえた形じゃないような階段だった。
その階段のすぐ横は夜景がキラキラしてて、、それってすごく高い場所じゃない?
登り切ってたどり着いたのは、夜が明けたのか空が明るくなって、雨も止んで、地面に波紋ができるほど水が満ちていて、鳥居がある場所だった。
その鳥居のすぐ横に立つと、絶景が。
美しい川と、街並みが一望できる場所だったんだよ!
すっごい綺麗だったの˚✧₊
幻想的で・:*+.\(( °ω° ))/.:+
目が覚めても、はっきりと覚えてる夢って、多くないんだけど、これはすごく印象的で。
そしてね、不思議なことに行ったことない場所なのに、何故かその川が「尾道水道」だってわかるんだよ。
朝起きた時に頭の中に、「尾道水道」って、言葉がずっとあったの。
だから、尾道に行けってことなんだなって・:*+.
夢見た当日は忙しくて行けなかったけど、今は悩みばっかで、時間はたっぷりある。
尾道のどこかはわからないけど、鳥居があったから、神社かお寺か、とりあえず尾道の川が見えたらいいんじゃないかなって思った。
したらもう、ワクワクとまんなくなっちゃって、さっそく明日行こう!って決めちゃった。
今の私の全財産は3千円。(好きに使ってもいいお金)
これでどこまで行けるのか、ちょっと調べてみよう!
*・゜゚・*:.。..。.:*:.。. .。.:*・゜゚・**・゜゚・*:.。..。.:*・*:.。.
ネットで尾道の川付近の神社を調べてみたら、
七佛めぐりっていうイベントを見つけたんだ☆
本当はそのサイトのURL?っていうのをのせたかったんだけど、やり方がわからない(通常運転)
持光寺、天寧寺、千光寺、大山寺、西國寺、 浄土寺、海龍寺の7つのお寺をめぐって、御朱印を集めようっていうイベントなの。
全部集めたら、先着で干支の蛇のてぬぐいがもらえるんだって(๑˃̵ᴗ˂̵)
先着ならもう終わってるかもしれないけど、面白そうだから、やってみよう!
集めるのは、色紙の小さなスタンプと、天然石と御朱印の3つのコースがあって、この3つの中から1つ選んで7カ所のお寺で集めるんだって。
私は小さなスタンプのにしようかな。
7つ集めるとなると、合計金額が
スタンプは2600円
天然石は3800円
御朱印(宝印紙)は3500円
今の時点でもう、あとの二つは無理だからね。
あとは、どこまで行くか。
明日行っても、昼からだから、7つ全部は無理だろう。
まずはどこにしようか。
持光寺���延命祈願、
西國寺は健脚祈願、
天寧寺は病気平癒祈願か。
健康では特に問題ないし、後でもいいかな。
千光寺は開運厄除祈願。これはいいかもね! 
音痴の才能が少しでもはらえれば!
浄土寺は必勝祈願、
大山寺は合格祈願☆  
病名はついてないけど、頭の悪さも治るかな?
海龍寺は技芸上達祈願。  ( ゚д゚) !!  
これが1番私に必要なんじゃない?       
作品作りするもんね。
じゃあ。千光寺と海龍寺にしようかな。
一応マップでも予習しとこう。
えっと、、位置的には、千光寺と海龍寺って離れてるのか〜。
すぐ近くに浄土寺があるんなら、こっちに変更しよう。駐車場もあるしね!
浄土寺と海龍寺の2カ所に決定!
明日が楽しみだな。(*´◒`*)☆
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nejiresoukakusuigun · 2 months ago
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『よだつ』読書会レジュメ
この記事について
この記事は、文芸同人・ねじれ双角錐群が2023年 文学フリマ東京37にて発表したホラー短編アンソロジー『よだつ』について、文学フリマでの発表前に同人メンバーで実施した読書会のレジュメを公開するものです。 このレジュメには、各作品を楽しむためのヒントがちりばめられているかもしれません。適宜ご活用ください。
表紙・裏表紙
題字の「よだつ」がめっちゃ好きだ
好きすぎる
より集まった髪のような、植物のようなビジュアルが不気味さとかっこよさを両立してる
傷んだ髪の毛を顕微鏡で見た時のようなぞわりとくる感じがある。
虫の足のような枝毛のような触手のような曲線が恐怖を想起させてくれます。
下の方は傷んだ髪のキューティクルっぽいですよね。でも上の方の枝分かれというか、広がってるのが異形な感じがして、抽象的だけど毛ホラーだ、「よだつ」だ、というのがすごくわかるんだよな。
生命を感じる。おれはこの表紙がなければ今回の執筆は諦めていた。
表紙見てから原稿がめちゃくちゃ進んだんだよな。
緒言/エピグラフ
緒言、最後の一文がかっこいい。
最後の一文に定評のある敷島悟桐。
急に親戚のグローバルさが出てきた敷島。
チュニジア共和国の首都なのか。
「えいべさん オーディオコメンタリ版」cydonianbanana
一言
ジャパニーズホラーのじめじめ感。
普通に怖いんだよ。真面目にホラーに挑んだ主宰にリスペクトしかない。
プロレスラーにえべっさんっていたような(関西では七福神の一人である「えびす様」を「えびすさん」→「えべっさん」と呼ぶようになったとか)
映像系感染呪術の系譜なのかな
作中に出てくる『ヘアー』って映画も毛絡みか
いわゆる映像系のホラーだけれど、いわくつきの映像とそれを視聴する側の視点とが同調して異常性をエスカレーションさせている。温度差の管理が素晴らしい���思いました。
うまく言えないけどばななさんの文体でやるくだけた会話好きなんですよね。
ちゃんとしたホラーの狂い方だ……。全部は理屈がつかなそうな曖昧なところがいかにもホラーな怖さに思える。会話がカタカナだらけになるところ、シンプルに「おおっ」となった。
普通に映画関連の知識がすごくて、コメンタリがそれっぽい。
詳細
冒頭の「かえらなきゃ」という不気味な掴みと、ラストの「かえさなきゃ」という一言が狂気の伝染を象徴してるようで上手い。
未明の街をバスで走るという楽しそうなロケの裏話から、そこが視聴者的にも恐怖の現場となっていく過程の変遷。とても自然で恐ろしかったです。
実際ホラー映画にオーディオコメンタリとかいう風習があるのかどうか知らんけれど、内輪語りっぽさがいかにもなのが面白い。
親密さのある会話→ギャップで怖さへ
ホラー映画の作中作という素で怖いパートと、オーディオコメンタリの会話という安全なゾーンが交互に出てきて、そのギャップが出る、そして最後にオーディオコメンタリ側が安全ではなくなるという定番だけど効果的な構成
オープニング~でたらめな経路で走るバス車内
映像を文章で説明するパートの描写力が良い。「閲覧者」から連なる描写しまくり系の技がこなれている感じがする
徘徊対策のバス停は実在するらしい。バス停名に条里制の名残を感じる
老人「かえらなきゃ」
蓼志野の回想:渡良瀬との会話
過去のフィールドワーク(厩神に関する調査)を振り返る。
「ヒアリングしている間、畑の向こう側にずっと立っていた女」
怖い。
過去(渡良瀬が生きてるという意味では、大過去)回想だけど冒頭に挿入される行方不明者アナウンスは現在(七十二歳の蓼志野の捜索)
スピード感の言及もされてるけど、「言葉で説明しない短編映画」らしい圧縮が効いているのをうまく表現しててすごい。(アナウンスは言葉っちゃ言葉だが……)
渡良瀬の死~『えいべさん』ノート
渡良瀬の遺品整理に訪れた蓼志野。
『えいべさん』という題が書かれた黒いノート
えいべさんは厩猿のこと。捕縛した猿の手を御神体とする信仰。
山海経の朱厭が由来なんだろうか? オンコットと関係ある?
「畑の向こう側に、田舎には似つかわしくない赤いコートを着た女」
怖い。
<コメンタリ>女が立っているカット、アングルがどうなっているのか監督にもよくわからない。
引き続きノート
封印されていた御神体を手に入れる渡良瀬と蓼志野。
しかし蓼志野が「これ���本当にニホンザルの骨ですか?」
モノローグ終わり。蓼志野がノートをめくると紙面が髪の毛で塗りつぶされている。
<コメンタリ>『呪い』は観測問題。
バス車内
バスの中を歩く老人。
「蕷ヶ原まで行きますか?」
蕷ヶ原、は向こう側の地名っぽいよな
「蕷」は、ヤマノイモ科のつる性多年草「薯蕷(ショヨ)(やまのいも)」に用いられる漢字です。読み方は「いも」で、音読みは「ヨ」、訓読みは「いも」です。
黒く細長い曲線が画面に映りこむ。
老人がえいべさんの御神体を取り出す。
「かえらなきゃ」
<コメンタリ>映りこんだ曲線が意図していないものであることがわかる。
ノートに挟まっている(ように最初は見えたが実際には書かれている?)髪の毛を見て呪いに気づく→観測問題としてそれが現実化する、のと重ね合わせるように、映画の画面内に髪の毛らしき線が入っているのに気づいたので……
神社でノートを読む蓼志野(ノート=渡良瀬の独白)
フィールドワーク以来、体調がすぐれず、赤い女が夢に出る。
蓼志野にはそういった事象は起きていないとのことだったが、半年後に蓼志野の訃報が届いた。
ではノートを読んでいる蓼志野は? 老人は?
蓼志野の研究室を片付けていると、えいべさんの御神体を見つけた。
<コメンタリ>撮影に使用した御神体が本物(鵺の手)であることが明かされる。
本物のえいべさんの御神体、というのではなくて、鵺、というのに若干の唐突感があるんだけど、どういうことなんだろう。
蓼志野の調査結果
えいべさんの御神体はヒトであり、その名前は恵比寿様(異邦人)が由来。
解説されてたそれ自体既にちょっと残虐な作り方が、人間相手に行われていたんだ、となってこわ~となる仕掛け。良いね。
<コメンタリ>ここから監督の発言がおかしくなる。マイタリマイタリ。
バス車内~蕷ヶ原着、終幕
蕷ヶ原に着いたが老人は降りず、バスも出発しない。
車内通路に人影、赤いコートの裾。
「かえしにきました」「マイタリマイタリ」
とじるほうの括弧( 》)がないので、ここの発話が、映像から半分現実(コメンタリ側)に派生というか、混じり込んでる感じ?
<コメンタリ>監督「かえさなきゃ」
御神体を?
鵺のほうってこと?
最後に「わたし」が登場している
これまで二重括弧のなかは映像を文章で説明していて、そとはコメンタリーで会話文だけだったところ、その境界が外れている。監督が立ち上がってるところとかが映像で説明されていてカメラが外に出ている?感じ。
真言
オコオシンデ:御庚申
マイタリ:弥勒菩薩の梵名「マイトレーヤ」すなわちいつくしみ、らしいが?
ソワカ:成就
調べてもいまいちわからないけどまあ文言よりもお唱えする行為自体に意味��あるのかな。
意味がわからないので怖さが高まるみたいなのがある気がしますね。たとえば御神体の製作過程で真言を唱えるとかの設定が書かれているとそういうのと繋がって解釈しやすくなるんだけど、そういうのがない。
赤いコートの女
アクサラのイメージで読んでました。
これも謎で全然意味がわからない(えいべさんの話にそれらしい女が登場したりしない)ので解釈できないのが不気味さですよね。
「かえらなきゃ」「かえさなきゃ」
オープニングの「かえらなきゃ」も「かえさなきゃ」だった?
蓼志野と渡良瀬の死がせめぎ合うように、映画とコメンタリが侵し合うように、御神体と老人の意志が重なっているんじゃなかろうか(どちらにも聞こえるし、どちらでもある)
「カルマ・アーマ」小林貫
一言
絶対に映像化してほしい(絶対にしてほしくない)
個人的にはいちばん怖かった。にきびに悩んだ高校~大学生の頃の記憶が…
非常に短くまとめられていて、しかも不気味さと気味悪さが余すことなく描かれた傑作。
ヤバい女を書くのが上手すぎる。
自分は角栓系の動画わりと見ちゃう人間なんだけど、あの手の動画の快楽が余すところなく言語で表現されていて、正直かなりゾクゾクした。
キモくて笑っちゃった
伊藤潤二の『グリセリド』思い出した
ねじれ双角錐群の新海誠
毛=要石
詳細
ひらがな多めに女性を描写するとえっちさが増す発見をしました。
この気持ち悪さ、これ、これが書きたかった……。俺の書きたかった小説だこれは……。
毛巣洞で画像検索しないで下さい。
ピークでそのまま終わる感じがすげえ。
それでいてラストの文章はちょっと切ない感じがする。
ポテサラをあてに日本酒をあおる女。只者ではない。
マヨギさんの容姿はブルアカの古関ウイみたいな風貌を想像したが、どうなのか。
■p28「はじめにその視線に気づいたのは」
小林貫作品の嘔吐率の高さ。
この作品、嘔吐に始まり嘔吐に終わる構造になってるんだよな。
「たしか、三回生のマヨギさん。どんな字で書くのかは知らない」
実際どんな字というかどういう意味の名前なんだ??
間世姫
なんか末魔とかと合わせてサンスクリット語とかなんかあるのと思って検索したら出てきた
「最近あごにできてしまったニキビをすりすりとなでて」
芥川の羅生門の下人のニキビの描写を中学の国語の授業でやるじゃないですか。あれを思い出した。主人公の青少年らしい悩み。
でそう思わせておいて伏線というか、ニキビが後半の展開でメインになってくるの面白いよね。
■p29「結局バーベキューエリアとトイレを往復するばかりで」
「ドアの窓に顔をべったり貼り付けてこちらを見つ���ているうすら笑いのマヨギさん」
こわすぎ
■p30「それからぼくは大学のレポートやバイトに明け暮れ」
p31「その短い言葉にふくまれた意味がぼくの全身の毛穴をきゅっと締めつけ、鳥肌立ったそのひと粒ひと粒に手を触れたら剥がれ落ちてしまうように思えた。」好き。
p31「気づいていたと認めるのが怖くて質問で返した?」小林貫作品でこういうのが出てくると嬉しい。(何目線なんだ)
異常な女の異常レベルがかなり上がってきて、ニキビを潰すのが好きという設定が出てきて(でもこれあとのことを考えるとそう簡単に嗜好の問題ではないんだよね、きっと)、からの「あふれる涙をぼくは必死にこらえている」に至って主人公も相当もうおかしい。展開にスピード感がある。
■p34「「施術は次の日曜、私の家で。」
アルコール抜いとくのなんか、修行的なやつ?
お酒がニキビの原因になる理由は、主に以下の4つです。
糖分の過剰摂取になる
毒素の排出を妨げる
ビタミンB群が消費されやすい
睡眠の質が低下
お酒に含まれている成分や特徴が、ニキビの原因を作ってしまいます。
このケースだとむしろ呑んだ方がいいのでは?
「時計を進めてみたり」普通それで時間は消費されないだろ
■p35「「さっそくだけど、ここに横になって」」
p37「末魔」これここまでの流れが相当ヤバくて気持ち悪く怖いので盛り上げてきて、それでこの後どうするんだと思ったところからのターンにぶち込んできてめちゃくちゃ笑ってしまった。「もうそういう段階じゃない」。
断末魔の末魔ですよね。「末摩」はサンスクリットの「मर्मन् (marman)」の音写。「関節、致命的な部分、傷つきやすい場所」の意[1]。「死節」「死穴」と訳される[2]。体内に存在すると考えられた極小の急所であり、これを断つと激痛を生じ死に至るとされた。
おギュッ!じゃあないんだよ
■p39「やがて膿は床を埋め尽くし」
いや何が行われているんだよ!
マヨギさんの目的は自身の末魔を開き、生と死を繋げること。そのための儀式?として膿(アーマ)が必要で、伊津見を誘った。目論見通り伊津見から取り出した膿を摂取することでその背の粉瘤の埋没毛が抜けるようになり、末魔を開くことに成功。生と死がつながり、二人は「ひとつに混じり合った次の世界」に進む。
エルデンリングってこと?
大学は人生のモラトリアムだし、狭間の地ではあるな…
好きなとこ
「気にしないで。もうそういう段階じゃない」
「マヨギさんと出会��て本当に幸せです」あふれる涙をぼくは必死にこらえている。
「こっちの左頬のやつは自分でつぶしたでしょう。ね、跡になってる。だめ……自分でつぶすのはだめ。皮膚がでこぼこになっちゃう。ああ、すごい。どれもこれも膿アーマでパンパン。ここも、ここも、ここも、ここも、ここも、ここも、ここも、ここも。でもつぶしちゃだめ。触るのもだめ……わかった?」
途端、埋没毛という栓が抜けた粉瘤からマグマのごとく膿が噴き出し、マヨギさんは「おギュ、おギュ、おギュッ!」と人間のものとは思えないうなり声をあげた。
「マヨギさんと出会えて本当に幸せです」あふれる涙をぼくは必死にこらえている。
「取材と収穫」笹幡みなみ
一言
実話怪談というジャンルにフィーチャーしつつ、それが物語のメタ構造を導いているところがクール。
ていうか語り手が笹さんすぎてウケる(いや、語り手は笹さんっていう設定なんだけどそれにしても笹さんすぎるでしょ)。
ツイッターもといXの雑談からぬるりと始まる。実話怪談のセオリーというか、カボチャをかぶった稲川淳二が目に浮かぶようですね
三大盛ってはならないものとして、毒・胸・話がある。
読み終わったあといやあな感じが残るのでよい。
違和感がある現実の短い映像を並べて一つの恐ろしさに仕立てる、という映像作品の手法をうまく小説で出来ている印象。怪談収集家という切り口にはいいアイデアだなと思いました。
普通に構成おもろい。入れ子構造っぽいところは、ちょっとえいべさんとも重なるかねえ。
「三つの怪談がどうつながってくるんだろう?」ってわくわくしながら読んでた。シンプルに物語的に読ませる感じの展開っすよね。
詳細
世にも奇妙な笹物語
消費されていく怪談というコンテンツの側面を冷静に分析していながら、恐ろしさはきっちり担保している手腕が素晴らしいです。
上を見上げたらいる女、真面目に怖かったです。ホラーゲーで出てきそう。
これはマジで怖くて「笹ァ!」って声出た
タメが効いてるのもあり、ここ怖かったですね。
体験者の名前、いち、に、さん、なの、全然気づいてなかった。
マジか
p68からp69に入った瞬間に「読み手(ないしは聞き手)としての自分が消える感じ」がしてかなり不思議な読みごたえだった。
舞台となる事務所は横浜駅から平沼方面へ10分ほど歩いた雑居ビルの二階(高島町と平沼橋のあいだくらいか?)
前置き(あまりにも笹さんすぎるパート)
主人公:笹
怪談収集家:桐谷さん
毛に纏わる怪談#1(バーベキュー場のトイレ)
体験者:市倉
つかみっぽいやつ。
《引き算ならば認められている》この物語の大枠自体もレティサンスがある
毛に纏わる怪談#2(上を見上げたらいる女)
体験者:仁科
でかい女性系は怖い。
ちえりの恋は8メートルや八尺様��どをみるに、巨大な女ブームというのは定期的に訪れている。
《死は禁じ手》死者��体験談だと大川隆法の霊言になっちゃうからな 毛に纏わる怪談#3(肉を欲しがる男と豚肉の毛)
体験者:三反田
千反田は存在しない苗字らしいが、三反田は全国に540人くらいいるらしい
「一切れも分けてもらえないですか」やな言い方だなー。
《実話怪談ならではの未決感》オチると怖くなくなる。オチがないと空中分解するお笑いとは真逆の性質がある
4(#1~3の取材相手の消失) 
体験者:桐谷
どこからどこまで?
白くて硬い動物の毛
このあたりちゃんと読めてないかもしれない。
P45「横浜駅から~」とその後いくつかの部分、怪談を批評したり、次の怪談を要求したりしている章が、最後に消えた男視点になってるっぽい
最後に消えた男=毛に纏わる怪談収集をする怪異?
笹さん(便宜上の呼称です)が取材した/させられたことで桐谷さんの語りがまるごと「毛に纏わる実話怪談」になってしまったので、次は笹さんのところにも取りにくるかもしれないというオチですよね、ですか?
「消えていったということは、怪談に一応満足してくれたのだろうか」(p.69)
満足しなかったら……
「恢覆」国戸醤油市民
一言
グランドキャニオンでチキンレースの話を聞かせてくれ!!!
語り手に割と感情移入して読んだので、後半の展開は「これどうなっちゃうんだ」というハラハラ感がある。自分がおぞましい存在になってしまう系ホラーとして面白かった。
映像化しづらそうというか、小説ならではという感じがしていい。
いつだって国戸さんは僕の前を走っている。追いつけるのか、その背中に?
寝たきり状態の主人公は乙一の『失はれる物語』を想わせる
それはさておき警備員がいちばん旨かったのは、たぶん肝臓の太ったおっさんだったんだろう
紹介文がすごい。
「全部うまく行くよ。僕を信じて!」
これめちゃ好き
アメコミとか特撮とかのクリーチャーが出現する場面をうまく演出したような作品で、怖さの中にも迫力がありました。理性を半端に残した人間こそが一番なホラーだと考えているので、とても設定や筋立てが好きです。
毛ライジング
起こってることはモンスターパニックっぽい感じだけど、その当事者目線の語りなのがおもろいよな。ちょっと『寄生獣』とか思い出したな。あと、スピード感がすごい。
詳細
手術詳細を読んだ時に「育毛を重ね合わせてるのかな」と思いました。
イヤホンから喘ぎ声聞かされるシーンのディテールなんなんだよ。
不妊治療での精液採取みたいだ(DLsite���音声作品的なのを聴かされた?)
最後は意識ごと食われて乗っ取られてる感じ、で解釈。すると物語のエンドと語り手の意識のエンドが完全一致する鮮やかな終幕だ。
p78真ん中「身の危険を感じたからか、僕を包んだ繭は〜」
ここから"僕"が入りはじめている。
あーなるほど。初読時気づいてなかった。
と思ったけどあんまり自信なくなった。
“私”は”僕”にとっての繭ってことか
私が主人公で、僕(p78真ん中と、p79最後に出てくる)が受精卵の方?
「僕を信じて!」
「なんだ?」と体を起こすと――体が? 動く!
リズム。
p79末尾は、「これで治すところは最後だ」のほうが「僕」=受精卵のセリフで、僕の方が「千切り捨てた」と言ってるけど、受精卵が毛(p78でほどけたあとどういう状態になっているのか描写がない)を使って千切ったということ?
「僕」サイドが「私」を無用なものとして切り捨てて殺した的な展開かと一瞬思うんだけど「これで治すところは最後だ」と言ってるから治してるという意識?
「僕」が役目を終えて自己犠牲というか、自分自身が「私」にとって不要な存在であるとして切り離して死んで終わる的なエンドなのか?
石井さんが書いているように、「私」の意識が「僕」に乗っ取られて、もともと「私」の身体だったほうに意識が移った上でもともと「僕」だった受精卵の容器を破棄しているというエンド。これだと、それまで腹が減っていたのは「私」の側だったのが「満腹になり」というのも整合する。一番怖いな。でもハッピーエンドだな(?)。これが正しい解釈だろうか。
恢覆の「覆」が「くつがえる」なので乗っ取られたんでしょうね、ちなみに「おおう」でもある
そういうことか!
「毛想症」Garanhead
一言
静かに暮らしたい殺人者というと吉良吉影っぽさがある(ので森川智之ボイスで脳内再生された)
全体的に痛そうな感じがしてひええってなった
拙者抑圧された闇の人格的なやつ出てくる話好き侍
スプラッタ系でちゃんと怖いんだよな。痛え!となる。
身体改造してるのびっくりした。あと一旦VRに行くという展開にもびっくりした。
詳細
主人公の顔が、素人整形の繰り返しでぐずぐずになっていることが終盤で明らかになるが、それにより石川さんが本当に神社仏閣が好きで純粋に同好の士として接することができる人なのだなとの感慨が生じる。
石川さん、いい子っぽいよな。ただ赤口の発話が常に描かれるのに対して、石川さんの発話は一切ないことからもわかるように、主人公からしたらどんだけがんばってもやっぱり欲望の対象としての石川さんなんだよな……。ああ……。
(これは将来読書会レジュメ公開するときには非公開で)草稿を読ませていただいた��きからの感覚でいうと、改稿によって主人公の咎たる赤口がその咎性を増しているというか、裏人格みたいな存在であるからこそ本人の欲望を知り尽くしている感じが強まったのがいいなぁと思います
p82「俺と赤口桐枝との出会いは、」
赤口桐枝の赤口は苗字としては「あかぐち」読みでいいのか?(一応実在苗字っぽい) 由来は「しゃっこう」のほうとして……。
(著者コメ)執筆中はずっと「せきぐち」で考えていたような気がしますが、そんな苗字は存在しないっぽいので「あかぐち」ということにしておきましょう。赤口(六曜において仏滅の次に演技の悪い日とされている。血や刃物を想起させる)のイメージが伝わったのならば何よりです。
p84「グロさだけがホラーではないのよ。人の咎も時にはね、ホラーの柱になるの」咎をホラーの柱にしてるからこれ暗示というか伏線なんだけど、グロもやっとるやないかい!と思ってじわじわきた
p86「やってしまった。」
p87「枕には女性の頭が乗っている」俺は頭を抱えたのコピペみたいでニヤニヤしてしまった
p91「家に戻ると素早く荷物をまとめ、」 (著者コメ)ここのすぐに住処を引き払う展開、結構無理があると思っていて、いきなりこんなこと出来るか? たとえ備えていても……と悩んでました。結局、「月一で蒸発訓練をしている」という設定でお茶を濁しました。
p97 肉体改造を明かすパート。痛い。
p99「赤口が俺に紹介したのは」 p103「翌日、また仏閣のエリアに向かっていた。」 p105「半年後、石川さんとVR上ではなくて」 p107「あるいはここも一つのセーフハウスだった。」
p107「あるいはここも一つのセーフハウスだった」段落の書き出しとしては、かなり含みのある言い方で好きです。これあもう物語最終版だな、語り手が腹くくっちゃってノスタルジーモードに入ってるぞ、って感じがめっちゃする。
ここの書き出し好き。
「 」
気配。
p113「意識が鮮明になってきた。」
p113「意識が鮮明になってきた」以降で「ちゃんと物語を終わらせるぞ」という感じがあって、小説の書き手として尊敬……。
顔がぼろぼろになってるのまさにホラー映画の殺人鬼っぽい。
(著者コメ)コンシーラーで傷を隠しているのだとしたら、それが汗か雨かでどろりと剥がれ落ちるシーンはあっても良かった気がします。素人整形を繰り返した結果をイメージとして持続させ続けられなかったので、美味しいところを逃しました。よくない。
読者が男性であったり髪が短かったりした場合でも赤口によりメジャーアップデートされて対応するようになったからお前の所にも来る、というカバーの手厚さが良い。
(著者コメ)笹リスペクトです。事前に笹さんの読ませてもらった際、「やがて災厄がやって来るかもしれない恐怖」をオチで感じたのでパクらせていただきました……。
「��ざし」 鴻上怜
一言
メチャクチャいい小説だ。小説をやっている感じがする。
不安感の中に身を置きながら日々の暮らしを送る話も、ジャンル小説としてのホラーの怖さからは外れるけれど、十分に恐ろしさを感じさせる話になると感じました。日常系ホラー。流行るはず……!
これは21世紀の写実主義文学だ!
最初から最後まで重苦しいな。
読み終わったあとに、もう一回見つめる「きざし」というタイトル、めっちゃ渋くてめっちゃ良い。
こわくはない。いや、こわいのかもしれない。いい小説。
詳細
「まるで若ハゲ博士だね」と、妻が検索欄に「ハゲ、なおし方」好き。
夫婦の枕とベッド事情が切実。まずは枕から別々のものになり、それからきっと次はベッドが別々になるだろうと予測する所から、冷え切った関係のうまい暗喩になっている。
仕事辞めて無職だった時期のことを思い出して懐かしくなりました。
会話のやり取りのそっけない感じが好きです。
ラスト3行が、さらっと書かれているけれども、ばっちりと決まっていてすげえ。髪の毛と自分の関係性、妻と自分の関係性を、重ね合わせて出されるリアルな結論が沁みる。巧みな締めくくり。
これバッチリ決まっていて巧みで���ごいことを言っているようにも、ちょっと酔ってるだけのようにも読める雰囲気になってるのすごいよなと思いました。
仕事を辞めて半年。応募先の面接が終わって二週間経つが連絡はない。
妻から病院でみてもらうのを提案される。
「心療内科だの精神科だの」
抜け毛の量を指摘され、ハゲ治療をすすめられる。
p127「翌日」
排水溝の掃除、抜け毛との対話。
「えっ、おまえ信長公なの?」よすぎる。
帰宅した妻とワイン。
採用通知「今日は来なかったね」、連絡しなかったの「今日のところはね」
悲しくなってくる。
「髪、少し増えてきたね」
抜け毛の指摘をした翌日に、治療が既にはじまっている体で妻が話している。
カレンダーの方に目を向けている。
排水溝掃除のあと(もしくは前)で日付がとんでいる! けど地続きのように書かれている。こわい。
はじめ「妻が狂ったのか? そういうホラー?」とちょっと思ったが、そういうことではなさそう。
キーマカレーで繋げてる?
「新田くんのこと」石井僚一
一言
またハゲの話か!? と思ったら違った……。
新田はちょっと変なやつなのかな? からすこしずつ、こいつマジのやつじゃん となっていく感覚がいい。
高橋さんの髪の毛を抜いて並べる場面で、漱石が鼻毛を抜いて書きかけの原稿に植え付ける癖があったのを思いだしました。
頭頂葉は、外界の認識、触覚、空間認知、視覚認知、運動機能などに関わっている
信頼できない語り手的な要素(この語り手は何者なんだ?)と、映画的な要素(構成と、フラッシュバックする過去の場面が頭の中で映像的に再生されること)を感じた。
そう、この作品が語り手が一番怖いと思う。収録順最後にあることでさらに効いてくる。
何度も脱線しながら自分で「戻ろう」って言ってるのがじわじわ怖い。
「髪の毛の話に戻る」ところの使い方が絶妙で、リズムよくイメージが並べられる演出になっている。新田くんの印象が、最初はちょっと神経質なやつだなというところから、徐々にそれをもう越えているなと思わせて、異常さがやがて物質的な外界にまで影響を及ぼすほど滲んでいるのが、好みの展開でした。
脳のくだりは「痛い痛い痛い!」となり、かなりのホラーだった。
こういうパターンのホラーもあるんだ、という感想。自分がホラーを狭く考えすぎだったのかもしれないが、このアンソロジー一冊で随分ホラーって広いなと思わされた。
たのしく書いた。(作者談)
詳細
語り手によると新田くんは初めての出社の日の朝に息絶えていることになるが、職場の飲み会での証言があるので、どれかが嘘ということになる。
髪の毛を全部抜いたら死ぬというのは、実際検証した人がいそうでいなさそうでいそうなフィクションギリギリのラインを攻めていてホラー(都市伝説的な?)でした。
髪の毛の話をするという主題を、「」の用語解説のような叙述で肉付けしながら持続させていて、面白い構成だなと感じました。
p141「ぶにゅぅぃ」
これしかない音だ。
このへんの頭蓋をほじくる表現かなり気持ち悪くてぞくぞくする。
高橋さんに恋人がいるのを知ったときは実際には膝からくずれ落ちてないけど自分の最後の髪を抜いて息絶えるときひざからくずれ落ちたのは紛れもない事実なの、なんかおしゃれ(?)だ。
初出社の日に息絶えた新田
後年に職場の飲み会に出ている新田
後年に刑務所で語る新田
単純に時系列の矛盾っぽい情報にまずは気を取られるんだけど、改めて振り返ると最初の方だと新田くんはなんだか神経質で小心者のイメージだったのが、後半出てくる情報がそれとは噛み合わないというか別人っぽいのも面白い。
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dicorakomyu · 2 months ago
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青い海と太陽に抱かれる楽園の旅 - 沖縄本島3日間のトロピカル体験
先日、待ちに待った沖縄本島への旅行に行ってきました!エメラルドグリーンの海、白い砂浜、そして温暖な気候に包まれ、まさに楽園のような時間を過ごすことができました。3日間という短い期間でしたが、沖縄ならではの文化や歴史、そして美味しいグルメも満喫し、心身ともにリフレッシュできた旅となりました。このブログでは、そんな私の沖縄本島3日間の旅の記録を、2000文字以上でたっぷりとご紹介したいと思います。
一日目:那覇の街並みと美ら海との出会い - 国際通り、美ら海水族館、そして沖縄料理
那覇空港に降り立つと、本���とは違う蒸し暑さと、どこかゆったりとした空気を感じました。まずは那覇市内のホテルにチェックインし、沖縄のメインストリートである国際通りへ繰り出しました。
国際通りは、お土産物屋さんや飲食店が軒を連ね、活気にあふれています。色とりどりの琉球ガラスや、沖縄らしい柄のTシャツ、ちんすこうなど、見ているだけでも楽しいお店がたくさんありました。沖縄そばやゴーヤチャンプルーといった沖縄料理の店も多く、どこで食事をするか迷ってしまうほどでした。
国際通りを散策した後は、今回の旅の大きな目的の一つである美ら海水族館へ向かいました。那覇市内からは少し距離がありますが、レンタカーを借りてドライブすること約2時間。青い海を眺めながらのドライブは、それだけでも最高の気分でした。
美ら海水族館に到着すると、そのスケールの大きさに圧倒されました。ジンベイザメやマンタが悠々と泳ぐ巨大な水槽「黒潮の海」は、まさに圧巻!目の前を通り過ぎる巨大な魚たちの迫力に、言葉を失いました。他にも、色鮮やかな熱帯魚やサンゴ礁など、沖縄の豊かな海の生態系を間近に見ることができ、感動の連続でした。イルカショー「オキちゃん劇場」も必見で、賢いイルカたちのパフォーマンスに大人も子供も楽しめます。
水族館を満喫した後は、那覇市内に戻り、夕食は沖縄料理を堪能しました。ゴーヤチャンプルーや海ぶどう、ジーマミー豆腐など、沖縄ならではの食材を使った料理は、どれも独特の風味があり、とても美味しかったです。特に、泡盛と一緒にいただく沖縄料理は、旅の疲れを癒してくれるようでした。
二日目:歴史と文化に触れる南部巡り - 首里城、斎場御嶽、そしてひめゆりの塔
二日目は、沖縄の歴史と文化に触れる南部エリアを巡りました。まず訪れたのは、琉球王国の王城であった首里城です。鮮やかな朱色の正殿は、その壮麗な姿に目を奪われます。残念ながら、以前の火災で一部が焼失してしまいましたが、復旧作業が進められており、その歴史的な価値を改めて感じました。城内を見学しながら、琉球王国の歴史や文化について学ぶことができました。
次に訪れたのは、世界遺産にも登録されている斎場御嶽(せーふぁうたき)です。琉球王国最高の聖地とされ、自然の中に神秘的な雰囲気が漂っていました。緑豊かな参道を歩きながら、神聖な空気に包まれているのを感じました。自然の力強さと、古の人々の祈りが感じられる場所でした。
午後は、太平洋戦争の悲劇を伝えるひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館を訪れました。戦争の悲惨さや、若い女性たちが経験した苦難を目の当たりにし、平和の尊さを改めて深く考えさせられました。資料館に展示されている遺品や証言は、胸に深く突き刺さり、言葉を失いました。
夕食は、地元の人にも人気という沖縄そばのお店へ。あっさりとした出汁と、もちもちとした麺が絶妙に絡み合い、何杯でも食べられそうな美味しさでした。お店の人との温かい触れ合いも、旅の思い出の一つとなりました。
三日目:楽園の海を満喫する北部へ - 古宇利島、備瀬のフクギ並木、そしてサンセットクルーズ
最終日は、沖縄本島北部にある美しい海を目指しました。まず訪れたのは、絶景の橋で繋がる古宇利島です。橋の上から見下ろす海の透明度は抜群で、まるで絵画のような美しさ!白い砂浜とエメラルドグリーンのコントラストは、まさに息をのむほどでした。島をドライブしたり、ビーチでゆっくりと過ごしたりしながら、楽園の海を満喫しました。
古宇利島を後にし、次に向かったのは備瀬のフクギ並木です。緑豊かなフクギの木々がトンネルのように続く道は、散策するのにぴったりの場所でした。木漏れ日が優しく差し込み、静かで穏やかな時間が流れていました。まるで別世界に迷い込んだような、神秘的な雰囲気に包まれていました。
旅の締めくくりは、サンセットクルーズに参加しました。船上から眺める夕日は、言葉では言い表せないほどの美しさでした。空と海がオレンジ色に染まり、ゆっくりと沈んでいく夕日を眺めていると、旅の思い出がじんわりと心に染み渡りました。船上では、三線の演奏も披露され、沖縄の音楽を聴きながらのサンセットクルーズは、最高の思い出となりました。
三日間の旅を終えて
今回の沖縄本島への旅は、本当にあっという間でしたが、美しい海、豊かな自然、そして独自の文化に触れ、心身ともにリフレッシュすることができました。那覇の賑やかな街並みから、北部や南部の歴史的な場所、そして離島の絶景まで、様々な表情を持つ沖縄の魅力を感じることができました。
特に印象的だったのは、やはりその海の美しさです。どこまでも続く青い海と白い砂浜は、まさに楽園そのものでした。また、沖縄料理の美味しさや、人々の温かさも、この旅をより素晴らしいものにしてくれました。
3日間という短い期間では、まだまだ体験できなかったことや、訪れることができなかった場所もたくさんあります。次回はもっとゆっくりと時間をかけて、沖縄の様々な島々を巡ってみたいと思っています。
この美しい楽園での思い出を胸に、また日々の生活に戻りたいと思います。ありがとう、沖縄!また必ず戻ってきます!
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sorearekore · 3 months ago
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3/16
9時半に目覚めてとりあえず私は化粧して準備してレッツラ神社アンド寺巡り!まず諏訪神社行ったんだけど階段がエグすぎてたね。朝飯でおもわずおはぎ2個食っちゃった美味かった笑 で、そっからは電車使わずにブラブラ歩き回って、有田焼の鳥居のところでは小一時間くらい神主さんの話止まらんくて笑った笑 となりの海上自衛隊医者���キも多分最後の方は飽きてたけどごめん置いて逃げた笑 でそっからはお寺巡り!中国系のお寺多くて面白かった!でっっかいソテツあるしその時めちゃくちゃ天気良くなって降ったり止んだりだったしほぼ曇りだったのにそこでだけめちゃくちゃ晴れてとても良かった!!入るのに300円かかったけどめちゃくちゃ良かった!んで御朱印貰ったけどあのイケメンだった!イケおじって感じ。ありがとうごちそうさまです全体的に。で、途中でメンチカツ売ってるパン屋さんあって入ったらちっっちゃいバーガー売ってて思わずメンチカツバーガーと照り焼きチキン買っちまって食っちまった。はちゃめちゃに美味かった、、、でお寺一通り全部回って、一応眼鏡橋も見て付近のお店もブラブラして商店街通ってえりと合流中華街!チマキ食べて待ってて、んで合流して小籠包と角煮マン食べて胡麻団子食べてお店入ってちゃんぽん(麻辣)食べて、まあまあまあって感じの味だった。えりは炒飯とチーズと茄子の麻婆食べてたまじ美味そうだったてか美味かった。小籠包も頼んだけど微妙だったな笑 で、食べ終わっておりてお土産ブラブラ見て私はフルーツ飴食べて電車乗って駅戻って、でも一個行きそびれたお寺あったから行って、そこもデカソテツとデカカメ&観音像あったカメオンザカンノンゾウだった。デカかったなあ、、あと門おもろかった顔ついてた。で、駅でえりとまた合流して電車乗って車拾って伊万里のあたりでお風呂入ったんだけど泉質がなよく分からん私でも分かるくらいヌルヌルでな。めちゃくちゃ良かった!ちゃんとサウナにも入ってバッチリ風呂600円で、呼子移動したんだけど風がえぐくて!!ねれるか、!?ってなったけどこの道の駅意外と静かで良い。寝れそう。だが寒い。昼間食べすぎたので夜は味噌汁とオートミール。それも我慢しろよってくらい食っちまったけどな!笑
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iecy30 · 5 months ago
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2月のつなくん
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2度目まして。元からあった別の予定にプラスして前乗りして残って1日くれました。ありがとう。前回同様自分のために残しとこうと。そういうことです。
今回は待ち合わせで絶対先見つけたいって想いがあったらしく負けました。短い距離走って来てくれた。最高。前から一緒に行きたいと思ってたお寿司屋さんに連行。案の定並んでてんけど、心理テストで時間潰ししてたら自分達の写真撮り忘れた。これ次の日に思い出して反省しました。店気に入ってくれたぽくていっぱい頼んで美味しさを共有して。お酒で顔赤くて熱くなってたつなくん。知らん間に中トロ食べ終わってたらしい、短い時間の記憶なくなってる。まあそこも可愛いので良しとしましょう。で、喜ぶ顔が見たくて準備してたプチサプライズ。寒空の中自転車走らせた甲斐あった。喜んでくれてなにより。成功しました。
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ここで終わりません。ホテルでまたサプライズ!前回一緒に見たものとか電話で話してたものとか、伏線回収を畳み掛けて来ました。終始にやにやしてるつなくんが目の前に。何回も角度変えて写真撮っては首傾げてたけど。有難いことにつなくんからもプレゼント貰えた。黙ってられへんからなんかあるのはわかってたけど、俺も気になってたやつをお揃いでくれてめっちゃ嬉しかったな。貰ったお菓子は保管してます。勿体無くて食べられへんって初めて思ってます。ほんまに食べたくない!て、幸せすぎるやろこの時間。今後のために2人で頑張ろうと改めて思えた。テレビ見ながらコンビニで見つけた気になる酎ハイ分けてアイス食べて、この何気ない時間も楽しかったな。長旅お疲れ様でした。あ、今回は寝かしつけ成功しました。つなくんの営業妨害になるのであまり多くは語りませんが、寝てる時でも可愛かったです。
2日目。つなくん別予定があったから駅まで送り届けて俺も別予定に。夜駅に迎えに行ってんけど、それも同棲してるみたいで楽しかったよな。何回「ただいま」「おかえり」を言い合ってたか。色んな話聞かせてもらって、嬉しいことにお土産まで。ピュアすぎるエピソードも可愛すぎて。���た一緒に行こうねってすぐ言ってくるところ愛おしすぎて降参。そのあと会う前から話してた節分行事しました。2人で黙って恵方巻き食べて、豆撒きも。食べてる最中におもしろくなって笑ったり地面に落ちる豆の音がシュールで笑い合って。アホなことしてんなって思いながら一緒に過ごす時間が楽しくて。そのあと1時間以上お風呂に入りたくないって駄々こねるつなくんVS抱き上げてでも入れようとする俺の戦いも。寝ないって言いつつ布団入って「YouTube見る…。」て付けた後2分以内に熟睡されてました。トータル我儘やったかって我に帰るとこもセット。あ、この日ももちろん寝かしつけ成功しました。寝てるつなくんを見ながら永遠にこの時間が続けと願ってました。まあ続かせるんですけど。写真探したけど、この日載せれるような写真ないから買った福まめ載せときます。
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3日目。前回学んだから早く準備して朝ゆっくりしよ!て言ってたのに、全然動かん俺とつなくん。今回は間に合わんくて1時間延長するという事態になりました。次に生かしましょう。水族館行く前に腹ごしらえ。いけるやろ!て余裕かましてたけど、想像より米多い海鮮丼で。まあお腹いっぱいなったとこで目的地に。つなくん見たかったの見れてめっちゃ楽しそうで、ほっこり。座って魚眺めたりタイミング良くエサやり見れたりアザラシの喧嘩も見れて充実してたなー。ガチャガチャで欲しいのでたのもラッキー。そして今回はリベンジでつなくんにお土産買えました。気に入ってくれたでしょうか。使ったらまた感想ください。いやー、楽しかった。一緒に来れて良かった。またナイトツアーとかで行きたいな!ラッコもカメもおらんかったし!見つけてないだけかもしらんけど。
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水族館を後にして恒例にしたい御朱印集めに。向かってる途中(もう着く直前)につなくんから「この時間に空いてる?」て聞かれて、大焦り。そういえば神社閉まるやんって思い出した。忘れてたよな。なんとか30分前に到着。滑り込みセーフでいただけました。お参りも出来たしちゃっかり絵馬書いて、おみくじもして。水につけたら文字浮かぶやつやってんけど、中吉の俺と大吉引いたつなくん。まさかのまさか、結ぶ時におみくじ破けてました。一瞬で大吉やったことぶち壊してたな。最高やったわ。こういうことも一緒やと残念ってならずに笑い話になって楽しかった思い出に変わるからいいなと実感。
気付いたら結構いい時間に。案外お腹空かんくてカフェで帰りまでの時間を過ごしました。俺らすぐカレンダー捲って先のこと考えるんやけど。次いつ会える?て決めたりGWどうする?とか年末はさ、って話してたら気付けば年越しの話してた。まだ2月始まったところやのに。でも2人とも前向きやから今後の計画立てて。先の話したら寂しさ紛れるってつなくんが言ってたけど、普通に寂しかったですね。バイバイするんやって思うとしんどくて。もうこの時間から泣きそうやったよな、実は。最終見送った時も泣きました。はじめて。気付いたら涙出てたよな。自分でもびっくりした。何時間居っても足りひんし、やっぱり好きは増していくし困った話やわ。ずっと一緒におりたいって気持ちがより一層強くなりましたね。色んな表情見れて嬉しかったけど、つなくんの喜んだ顔見るためにまた仕事も頑張れるし自分磨きも頑張りたいと思えた。休みの中来てくれて、幸せな時間をほんまにありがとう。3日間も。贅沢でした。次を楽しみに毎日一緒に乗り越えよう!早く次会える日になって!てつなくんも思ってくれてたらいいな。
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psalm80-lilies-iv · 5 months ago
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興福寺
【3,868字・7分】
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泉谷康夫『興福寺』(吉川弘文館)
大和の大寺・興福寺の創建から明治時代までを扱った通史である。ありていに言って「貴賤の信仰を集めた」とは言い難い興福寺が歴史(少なくとも大和国の)の中で注目を集めるのは中世である。中世の興福寺は僧兵を擁し大和一円に検断権を行使する大勢力だった。なぜそうなったのか、その後どうなったのか、といったことが興福寺の歴史のハイライトだろう。
興福寺の歴史を左右したもっとも大きな要因は「藤原氏の氏寺」だったことである。
摂関政治の最盛期において、興福寺は摂関家に依存しながら勢力の伸長をはかったが、摂関家の側から興福寺に依存するところはあまりなかったようである。それが院政期に入ると一変し、摂関家は子弟を別当に就任させ、興福寺のことを「御寺」と称し、興福寺への支配力を強化しようと試みるのである。
(「第二 興福寺の創建と発展」より「一 興福寺と藤原氏」)
貴族の子弟が僧侶として興福寺に入ることは10世紀からあったが、11世紀後半(つまり院政期)になると貴種・良家の子弟が興福寺に入ることが常態化してくる。そこで生まれたのが「院家」である。
興福寺の住僧達は最初ここ(引用注:東西と北の三面僧房)に居住していたと思われるが、十二世紀に入ると、堂舎を寺域内に建立しそこに居住する僧侶が現れ、やがてそのような居住形態が一般化してゆく。すなわち諸院家の成立である。
財力があり都での華やかな生活を見聞していた彼等(引用注:貴族出身の僧侶)にとって、三面僧房の狭い部屋での質素な生活はおそらく不自由に思えたに違いない。
(「第三 興福寺の変質」より「一 院家の成立」)
こうして藤原摂関家と興福寺との間に院家というパイプが成立すると、それを頼って在地土豪が興福寺に集まってくる。その目的は、今風に言えば、律令制下における「脱税」である。大和の大寺というだけなら東大寺も薬師寺も大寺だったが、院家という藤原摂関家とのパイプが興福寺を特別な存在にしていく。
一般的にいって在地土豪層が保護を求めて結集するのは中央貴族と赴任してきた受領であるが、大和国の場合、中央貴族や受領だけでなく、大寺の中心的学侶が加わっており、この学侶の比重が大きかったのが、他の国々と非常に異なる点であったといえるようである。
このような大寺の僧侶が在地土豪結集の中心となりえたのは、その有する宗教的権威によるものであったことはいうまでもないが、寺内には国司の検断権が及ばなかったこともその一因だったと思われる。すなわち、寺院は国司による追求からのがれる絶好の場所だったのである。一方、律令制の崩壊に伴なう国家的保護の減少は、寺院に住む人達の生活を圧迫してくる。そこで寺僧達は経済的基盤を確立する必要があった。そこに、寺僧の側からも在地土豪層との結びつきを求めてゆく必要があったのである。
やがて興福寺が、藤原氏の氏寺として、特に摂関家との深いかかわりから、受領や他の諸大寺に優越する力をもつようになると、在地領主の結集の中心は次第に興福寺僧に集中し、寺僧領が多く成立して寺僧達の経済的基盤を形成していった。このように寺僧と在地土豪は、相互依存の関係を保ちながら大和国で勢力を伸ばしていったのである。
(「第四 興福寺の大和国支配」より「一 在地の動向」)
こうした在地土豪ははじめ興福寺の中で学侶の下働きを務めていたが、興福寺全体が豊かになるにつれて自ら学侶として修行に加わる余裕が出てくる。のちの時代に大和国の戦国大名となる筒井順慶などもこうした興福寺の衆徒だった(だから僧形なのである)。
このように経済力と軍事力を貯えた興福寺は、同様に藤原家とゆかりのある多武峰寺(鎌足の墓所といわれる、現在の談山神社)と大和国の支配権をかけて抗争を繰り広げ(当時の多武峰寺は延暦寺の末寺で抗争には延暦寺の援助があった)、最終的に勝利することで大和国一円の支配権を確立する。
平清盛は寺僧領からも官物を徴収する方針を取り、興福寺をはじめとする寺社がこれに反発すると平重衡に南都を焼き討ちさせる。これを恨みに思った南都諸寺は源氏方につくが、源頼朝と義経との間に対立が生じると南都諸寺は義経をかくまい、義経を討った頼朝は、係争地に地頭を配する形で、大和国にも少しずつ圧力をかけていく。
室町時代になると興福寺の中にも下剋上の機運が生まれる。
室町時代になると、興福寺は歴史の主役から退き、代って衆徒・国民(引用注:「衆徒」は興福寺に拠った、「国民」は春日社に拠った、それぞれ在地土豪)が登場してくる。彼等は武士であり、興福寺の武力として活躍してきたが、次第に独自の公道をとるようになり、興福寺の命令にそのまま従わないようになってくるのである。すなわち、下剋上である。しかし、彼等は興福寺を倒すことはできなかった。
興福寺は、摂関家を通して、京都の朝廷とも不可分に結びついていた。周知のとおり、朝廷と室町幕府は一体の関係にあった。このような中で興福寺を倒すことは、京都の朝廷、ひいては幕府を敵に廻して戦うことであった。衆徒・国民は、自身の成長のため、積極的に幕府の要人と結びついていった。その限りにおいて、中世的な興福寺の呪縛から彼等は逃れることができなかったのである。
(「第六 下剋上と興福寺」より「一 衆徒と国民」)
足利義満が衆徒・国民に直接支配を及ぼすようになって以降、衆徒・国民は興福寺の支配を離れて独自の道を歩み内紛と和合を繰り返すようになる。この流れを決定的にしたのが松永久秀の登場である。彼は大和国に侵入すると多門城を築いて大和国を支配したが、その際知行割を行い、大規模な給人の入れ替えを行った。
久秀は寺社成を保障する態度を保持してきたが、この大規模な給人の入れ替えは、従来の興福寺の諸荘園における在地支配を事実上断ち切る役割を果したようである。すなわち、寺社成が否定され、新しい給人達は、他国におけるのと同様、荘園領主に年貢を渡さなくなったのである。
(「第六��下剋上と興福寺」より「二 室町・戦国期の大和国」)
信長は久秀を駆逐し筒井順慶に大和国の支配を任せる。信長の代官としてだったが、興福寺はこれを「衆徒筒井の復活」と考えた。この信長が光秀に倒されたあと、順慶は秀吉によって大和の「守護」と認められ20万石の大名になる。だが順慶が死ぬと子孫は国替を命じられ、興福寺と衆徒・国民との関係は断ち切られる。
こうして興福寺は、新しい知行体系の中に組み込まれてゆき、中世的な収取の在り方は、豊臣政権により完全に払拭されてしまったのである。秀吉の寺社に対する政策はそれだけではなかった。興福寺はもちろんのこと、奈良の諸大寺は武器の提出を命じられた。寺社の活動は宗教面に限定されたのであり、宗教活動に専念する限りにおいて、朱印地が与えられ、保護されるようになったのである。
(「第六 下剋上と興福寺」より「二 室町・戦国期の大和国」)
江戸時代には奈良奉行所が置かれ興福寺以下南都諸大寺はその検断権に服した。中世に誇った興福寺の権威は払拭されたのである。
南円堂は観音に現世利益を求める信仰によって庶民と深く結びついていたが、興福寺自体は、庶民と直接かかわりのないところに聳え立つ大寺院であり、農民にとっては年貢を納める「お殿様」であった。
(「第七 近世から明治維新へ」より「一 近世の興福寺」)
さて明治時代になると興福寺は一山復飾(還俗)願を提出し自ら廃寺とする。摂関家を通して明治政府と近過ぎたことによる勇み足に見える。
維新政府と興福寺との情報の伝達は早かったようで、すでに慶応四年三月には、新政府によって神仏分離政策の実施されることが興福寺に伝えられている。これに応じて、一乗院・大乗院両門跡は一寺一体の復飾願を提出することを決め、衆徒一同にも意見を徴した。三月二十一日、衆徒達は、自分達も従来より春日社に奉仕してきたのであるから、一緒に復飾し、勤王のために尽力したいと申出ている。こうして四月十三日、興福寺は一山復飾願を提出し、この願��はただちに許容された。興福寺僧達は新宮司と称して春日社に奉仕し、社頭の仏具等はことごとく取除かれることになった。
(「第七 近世から明治維新へ」より「明治維新と興福寺」)
この一山復飾は神仏分離・廃仏毀釈政策に対する興福寺僧侶たちの生き残り策だったのだが、明治5年に春日社が官幣大社春日神社となると同社の神職は官吏扱いとなり定員の枠も作られて、復飾により神職となった元僧侶たちは結局失職する。このような中で明治10年代に入ると興福寺再興を唱える声が盛り上がり、明治14年に再興の正式認可が内務省から下される。
神仏分離令とこれから派生した廃仏毀釈の嵐によって興福寺は大きな打撃を受けたが、政府の宗教政策も漸次変り、明治十三年には古社寺保存金の給付がはじまり、同三十年には「古社寺保存法」が制定され、興福寺では、北円堂・三重塔・五重塔が保護建造物の指定をうけ、弥勒菩薩坐像など一一点が国宝に指定された。境内地も徐々に公園指定を解除、返還され、現在はほぼ二万五〇〇〇坪が興福寺の所有になっているという。こうして、現在の興福寺は成立した。
(「第七 近世から明治維新へ」より「明治維新と興福寺」)
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81044home-note · 1 year ago
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出店のベビーカステラって美味しいよね。
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明けましたおめでとうございます。 連休の間はほぼ外出せずにお絵描きとゲームです笑 唯一外出したのは初詣ぐらいでお参りして御朱印頂いて出店のベビーカステラ食べて人混みに巻き込まれる前にスタコラサッサと帰宅しました。 明日から出勤なのが億劫だけど1日だけだしまぁ良いや~でも次の大型連休の日数がめちゃくちゃ短いのよね。 🎮クライマキナクリアした かなり久し振りにプレイしたのでアクション操作に慣れるのに時間掛かった。ラスボス戦でスキル使いまくって倒したせいか処理落ちしてしまい戦闘後の一部のシーンのキャラの動きがカクカクした状態になってしもーた結構シリアスな展開だったのにナンテコッタイ。(最終的には元通りになりました)
あとED後のイラストお気に入り、ストーリーが綺麗に終わったなという感じがします。ネタバレになるので閉じておきます。
初回限定版でこんな感じのイラストあったけど今思えばEDの伏線?だったのかな。
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yurashiseitaiotsuka · 4 years ago
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御朱印帳使い終わったらどうするの? 【保管の場合は】 ・神棚・仏壇に置く ・御朱印帳用の箱や置き場所を作ってそこに置く 【処分の場合は】 ・お焚き上げしてもらう 御朱印は、『寺社に参拝した証』という意味と、 『神様・仏さまを書き表した一種のお守り』という尊い意味があります。 だからこそ、最後まで丁寧に扱うことが理想的ですね。 保管方法としては、『神棚・仏壇に置く』方法と『御朱印帳専用の箱や置き場所を作る』方法があります。 もしかしたら、家に収納できない等で、どうしても御朱印帳を処分しなければいけない時もあると思います。 ですが、いらなくなったからといって、普通にゴミ箱にポイッはやめてくださいね…!! 御朱印は「神様や仏さまを書き表した一種のお守り」なんです!お寺や神社で買ったお守りをゴミ箱に捨てることはないですよね。 御朱印帳の正しい処分方法として適しているのが『お焚き上げしてもらう』ことです。 #御朱印 #御朱印使い終わったら #御朱印帳ケース ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 今すぐ吉方位を⠀ 知りたい方は(*^_^*)⠀ ⠀ 今だけ公式LINEご登録で⠀ 10月の吉方位を無料プレゼント中🎁⠀ ⠀ 公式LINEご登録は⠀ インスタトップページをご覧下さい!!⠀ ⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⠀ ⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡ ・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・⠀ ⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡こんなお悩みありませんか?⠀ ⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡/⠀ ✅「出会いがないが口癖」⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⠀ ✅パワースポット巡りしたけど何も変わらない⠀ ✅開運グッズ部屋に置いてみたけど効果がない⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⠀ ⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡✅恋愛、結婚、企業いいタイミングが分からない。⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⠀ \ ⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⠀ ⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡✨今だけ限定✨⠀ 公式LINEご登録の方に⠀ ⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡【パワースポット一覧・九星別10月開運方位一覧・誕生月別おススメパワーストーン一覧】プレゼント⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⠀ ⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡詳しくは⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡↓プロフィール⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⠀  @aki_twins_luck のリンクから(*^_^*)⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⁡⠀ ⠀ ・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。⠀ ⠀ #家相⠀ #家族みんなで開運⠀ #風水インテリア⠀ #風水師⠀ #風水置物⠀ #風水鑑定⠀ #気学⠀ #九星気学風水⠀ #四柱推命⠀ #開運日⠀ #開運スポット⠀ #開運メッセージ⠀ #姓名判断⠀ #双子のママ⠀ ⠀ ⠀ https://www.instagram.com/p/CVNH8aVFsbM/?utm_medium=tumblr
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yamada50 · 2 years ago
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江戸時代まで唯一勅許を得て伊勢の神宮から勧請された山口大神宮 西のお伊勢さま山口大神宮です 外宮と内宮がそれぞれ鎮座していますが神宮以外で式年遷宮のための古殿地を持つ神社は見たことがありません 創建当初は神宮同様20年毎に式年遷宮が斎行されましたが直近では平成12年に10回目の遷宮と諸々事情で延期や縮小、中止となっています 時は戦国時代、周防大内氏の15代当主大内義興が永正16年(1519)に外宮、翌年に内宮を造営し、第104代後柏原天皇の勅許を得て神宮より勧請し創建されました 応仁の乱後、神宮は財政難により朝廷よりの勅使参向の停止や大祭の中止、式年遷宮の中断など衰えていた時期でした 一方庶民による伊勢信仰が広がり今神明や飛び神明が流行し各地に神明神社が創建されている流れの中で勅許を得ての勧請は前例がなくはじめてのことでした 当時周防大内氏は周防長門の他に筑前、豊後、安芸の守護を担い、その経済基盤は明や李氏朝鮮との交易独占と石見銀山の銀産出によってすでに日本一で西国一の戦国大名でした 応仁の乱で荒廃した京より公卿を招き入れ山口は小京都ともよばれる町並みから後の義隆の時代には山口遷都計画すらあったほどです 義隆も筥崎宮再興、現在の厳島神社の初代大鳥居、宇佐神宮の再建など寺社再建を多く行っていますが最終的に周防守護代陶晴賢の下剋上により自刃、大内氏は実質的に滅亡します その陶晴賢も後に毛利元就によって滅ぼされました 大神宮号を持つ神社は現在の東京大神宮を筆頭に明治期の神宮教院(のちの神道神宮派、神宮奉賛会、神社本庁)の出張機関の後継が多いですが皇大神宮より勧請した神社も大神宮号を称することも多いです 一方出雲大神宮や伊野皇大神宮、日向大神宮など例外もあります また伊勢原大神宮や芝大神宮など江戸期以前の伊勢からの奉斎の由緒を持つ神社もありますが勅許を含め確かな記録が残るのは山口大神宮のみといわれています #山口大神宮 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 山口大神宮(やまぐちだいじんぐう) 鎮座地:山口県山口市滝町4-4 主祭神:天照大御神、豊受大御神 社格:県社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#神社フォトコンわたしと神社#神社とわたしの思い出#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#神社仏閣#パワースポット#山口県#山口市 (山口大神宮) https://www.instagram.com/p/CnPF418PpWl/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tutai-k · 3 years ago
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雑記的なもの
先週、横浜に行った。新幹線に乗るのは三年ぶりだろうか、そのときも新横浜で降りた。三年前、何をしたかと言えば、澁澤龍彦の墓参りである。菩提寺の浄智寺で御朱印をもらい、塗香を買って帰ってきた。鎌倉文学館で「澁澤の展示はありますか」と尋ねたら、「栄一さんの展示は……」と言われたっけ。その鎌倉文学館が、今期、高丘親王航海記の展示をしているらしい。
先週の横浜は、この展示に出かけたわけではない。もうすぐ転職するので、それの下準備……というか。
横浜へ行くには名古屋駅にまず立ち寄らなければならないので、少し早めに行った。
買い物をした。 同じくらいの時期にいまの労働を辞めて進学するという新採二年目の子へのプレゼントに、ロットリングのシャーペン。 自分には、12月始まりの手帳。手帳って、ときどきほしくなってかうのだけれど、一年間使えたためしがない。そもそも、出張や会議もない毎日決まったことを淡々とこなしているだけの労働に書いて調整すべき予定なんてないし、日常生活も、特筆するような予定がなかった。買った本や日記でもつけようと思うのだが、それも長つづきしない。 新しい仕事は、いろんな予定が入りそうだから、手帳をいよいよ、一年通して使うことができるかも知れない。でも、できないかも知れないから、400円の、文庫サイズの大学ノートみたいなのを買った。 他には、『トランスジェンダー問題』、左手中指につけるのに白い指輪。白い指輪って、なかなか売っていなくて、名古屋駅を歩き回って、地下街で300円のを見つけたのでこれを買う。
ぴよりんが食べられるカフェジャンシアーヌでお昼を食べようと思っていたら、すさまじい人が並んでいたので諦めてしまった。
新幹線では、シンカンセンスゴイカタイアイスを食べた。
横浜の小さな街を歩く。小さな街と言っても、関東の大きな駅からすぐのところだから、何でもある。私たちの村ではもう見ないような、いかにも「八百屋さん」という、軒先に段ボール箱やカゴを並べて野菜を売っているお店もあった。 こういうお店があるのは、田舎のような気がするけれど、案外ないようなきがする。小さな商店を支えられるだけの人口がないのだ。
立ち寄った書店でも『トランスジェンダー問題』があった。都会の駅ビルの中の巨大な書店じゃなくて、ここで買えばよかったなあと少し後悔する。フェミニズムや、LGBTQ+の本が充実していた。
終電に間に合うように帰る。夜の九時前に新横浜をでても、なんとか帰ってくることができることにおどろく。 よるめしに崎陽軒のシウマイ弁当を買おうと思ったら、お弁当はそもそも軒並み売り切れていて、「山弁当」「海弁当」というお弁当しかなかった。都会に来てまで魚を食べたくなかったので、当然山弁当をえらぶ。鶏飯がおいしかったけど、次こそはシウマイ弁当を買うと心に決める。
帰路、また「本を作ること」について考える。近頃はこのことばかり考えている。 大きな出版社が差別を助長するような本を作り、その宣伝をしている。批判をすれば、「だから言ったじゃないか」というような構造の売り方。 ある呼びかけに対しては誠実そうに見えた出版社が、実際の被害者がいる本を出版したことに対して、対応があまりにも不誠実であること。 出版という、数と知名度に恃む声明や立ち位置の表明に、いかに抗っていくか。押しつぶされかける自分の属性や、そのほかのひとの声をいかに守っていくか、そればかり考える。 それは「本を作ること」だけでなく、「本を買うこと」「本を読むこと」「本を書くこと」すべてにつながっている。 電車を降りて歩く。『トランスジェンダー問題』と石牟礼道子の本が入っているリュックが重かった。
気づけば昨日から十二月が始まっている。 原稿は相変わらず進まない。予定が詰まりすぎていて、十二月に、ゆっくり原稿と向き合える休日がおそらく締め切り前日の25日しかない。それでも、ギリギリまで粘ろうと思う。
明日はまた旅に出る。
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eccjrtamuracho · 4 years ago
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ECCジュニア田村町教室の中村です。
はぁ(*´Д`)、GW終わってしまうってよ。と言う感じで、いつもの事ながら、休みと言うのは素晴らしく早く流れていきます。
やりたかった仕事の、今回は2割くらいはやったかも😋 ・・・2割かよ!!
じゃあ、何をしていたのだ!と言われると、GW中の穏やかな天候だった2日は、久しぶりにライド🚴‍♂️に出ました。 気になっていた七か所参り、花手水を見る事ができました。 今回は七福神の散華帳に御朱印も頂きました。 書いていただくときの筆の動きが、なんとも美しい✨ これは、教室の神棚にお供えしておきます。うちは和室🧡
車も人も出来るだけ少ない道を、独りで走って寺まわりなんかしていると・・・、色々と考えるものです。 ま、一人で考えても答えが出る事でもないのも分かった上で、心中で問答を繰り返すのも、悪くはないかな。
それにしても、ふくらはぎの筋肉痛がやばい😭 3か月くらいのブランクで、この有様かよ、という情けなさorz 知ってます、英語も筋肉も、コンスタントに使い続けることが大切。 落ちた筋力、コツコツ使い続けて、また以前くらい踏めるように頑張るのだ。
アニ活、漫活も当然怠らなかったGW。 プライムで見たかったアニメ、めっちゃ見たね。 もう、それ専用のアカウントを立ち上げた方が良いのではと思うほど、見たね。 因みに今は、どろろ見ながら、泣いてるね。
というわけで、しっかりリフレッシュしたお休み。 明日からのレッスンも、楽しくやっていきますよー👍
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