#復刻公演幕を上げよ
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「米国経済は破綻し今まさに不況に突入しようとしている」「これからスタグフレーションが起きる」元ブラック・ロック、エドワード・ダウド氏【インタビュー】——「バイデン、クラウス・シュワブなどの悪役がお払い箱になり美男美女の『救世主』が現れる時は要注意」
エドワード・ダウド氏が、先週、人気ネット番組InfoWarsのライブ配信に出演し、今起きている経済的、社会的な変革について自論を語った。ダウド氏は、全米の主要生命保険会社が集めたデータを分析し、高齢者や病人を含む一般的な人口よりも健康的であるはずの労働人口の間で、より多くの超過死亡が起きていることを告発して一躍有名となった。ダウド氏は、世界最大の資産運用会社ブラックロック・グループで株式ポートフォリオ・マネジャーを10年間務めた経験を持つ。
昨年8月にエドワード・ダウド氏へ行われたインタビューは、ここで紹介した。
先週行われたインタビュー部分を切り抜いた番組動画(以下)は、1月18日(水曜)に公開されている。
▼ なぜ今、「情報解禁」になったのか?
ジョーンズ司会者:・・・今、ダムは完全に決壊しました・・・しかし、彼ら(ダボス会議に集まるグローバリストたち)は絶対に諦めません。そこで疑問となるのは、「彼らは次に何をするつもりだろうか?」ということです。エドワード・ダウドさん、私たちが今置かれた状況についてアップデート情報を伝えていただけますか?これは主流メディアですら報じたことですが、ダボス会議には招待された半分が出席しなかったそうです。ジョージ・ソロスや、ビル・ゲイツなどです。これが意味することは何なのでしょうか?
明らかに主導権を握っているのは彼らではありません。彼らは腹話術ショーで物を言わされている代弁者にしかすぎません。ボスは他にいて、彼らはその単なる操り人形であり、アバターです。これから、彼らは何をするつもりなのでしょうか?・・・彼らは次に何をしでかすつもりでしょうか?・・・時代を先取りした思考を行うエドワード・ダウドに聞いてみましょう。
ダウド氏:・・・あなたがイントロでおっしゃったように、ダムは決壊しかかっているように見えます。私は6月にツイッターによってバン(利用禁止)されていましたが、今は戻ることができています。私はオーブリー・マーカスのYouTube番組(タイトル:「Why Are Healthy People Dying Suddenly Since 2021? w/ Ed Dowd(訳:なぜ健康な人たちが2021年以降、突然死しているのか?withエド・ダウド)」)に出演したのですが、その動画は口コミで広がっています。5日間ですでに100万回の再生数を記録しています。YouTubeに何が起こったのか、私は興味があります。以前であれば、彼らはこの種の動画を削除していました。
このような情報は、公開するのが許可され始めたように見えます。こうした情報がなぜ公開されるようになったのか、私たちは疑問に思う必要があります・・・突然、私の書籍(「“Cause Unknown”: The Epidemic of Sudden Deaths in 2021 & 2022 (訳:『原因不明』:2021年&2022年における突然死の蔓延)」)が飛ぶように売れ、私と話がしたいという人々から問い合わせがあり、2月に私は(FOXニュースの)タッカー・カールソンの番組に出演する予定です。なぜ今なのか?と自問する必要があります。なぜダムは決壊しかかっているのか?と。
その理由の一つは、あまりに多くの死亡者数と健康障害が報告されているからだと思います。また、これから多くの人間が尻尾切りに遭い、お払い箱になる予定だからだと思います。私が以前、あなたの番組に出演したときに話したように、人々が本当は何が起こったのかに気がついた後、それに続い��起こるであろう混沌(カオス)に、私たちは注意しないといけません。
ジョーンズ司会者:1年半前、あなたは「来年ダムは決壊するだろう。そしてマーケットは下落するだろう」と話していました。まさに今、私たちはそこにたどり着きました。
ダウド氏:ようやく到着です。これは私の憶測ですが、グローバル政府を倒す一つの方法は、彼らの信用を失墜させることです。彼らは人々を死に追いやり、障害を負わせるワクチンをもたらしました。ですので、このことを主導していたと思われる操り人形師(黒幕)をお払い箱にするのです。それはクラウス・シュワブや、ジェームス・ボンドに登場する悪役、悪のパロディーのような人間たちのことです。そして人々は勝利を宣言する。
▼ 2023年上半期に深刻な不況へ突入
ダウド氏:しかし、経済はあまりに破綻しています。話がそれますが、私たちは今まさに不況に突入しようとしています。第1四半期(1月~3月期)、第2四半期(4月~6月期)は厳しい不況です。株式市場もそれに追随するでしょう。今はまだ下げ止まりを待っている段階です。あらゆる種類の経済的理由による解雇が行われるでしょう。また、多くのモノ不足が起きるでしょう。引き続きエネルギー不足が続くでしょう。そしていずれ彼らは、チャイナと台湾との間で戦争を起こすのではないかと私は疑っています。
しかし「なぜ今なのか?」と自問する必要があります。なぜ、今、私たちは(不都合な真実を)話すことが許されるようになったのか?そしてそれが公に広まるようになったのか?私は「バン」されていたのが、突然、口コミで広がるバイラル動画になったことに私は疑念を抱いています。YouTubeはこの手の動画を厳しく制限していました。それなのに今ではそれを行っていません。なので、こうした情報が公に広まるようになっていることについて私は疑ってかかっています。「私は、このこと(ワクチンによる被害)を暴露することで、知らず知らずのうちに混沌(カオス)を引き起こす代理人に仕立て上げられているのだろうか?」と。
ジョーンズ司会者:だから私はあなたのことが気に入っているのです。あなたは非常に頭がいい・・・彼らは、今、バイデンをお払い箱にしようとしています・・・そんな中、なぜ突然(真実を暴露しようとする人たちの)アカウントが次々と回復しているのでしょうか?左翼の精神的シンボルになっている私は例外ですが。諜報機関が私たちの側を乗っ取ってしまったのでしょうか?それとも、これはより大きな計画の一部なのでしょうか?
▼ 悪役たちも「捨て駒」ーー本当の頭脳戦は他にある
ジョーンズ司会者:そして彼らがウイルスをばら撒くより2年前の『SPARS文書』を読んでみると、どのように政府の信用を破壊し、そしてグローバリストが『救世主』として興隆するかが説明されています。ただし(今回の計画の)例外は、政府に非難の矛先が向かうのではなく、操り人形たち、ダボス会議の人間たちに非難の矛先が向かうということです。バイデンやダボス会議のニュースを見ているとそれがわかります。
私はクラウス・シュワブや他の人間たちのボディー・ランゲージを観察しています。彼らは、導火線に火がついたダイナマイトの山の上に座っているかのようにナーバスになっています。彼らは怯えているように見えます。彼らは逃げ隠れしようとしている・・・彼らは自信あるように自分たちを見せようとしていますが。私は彼らの恐怖が目に見えます。彼らは怯えています。初めて、彼らの傲慢さが消えました。彼らは、すでに「お前たちは吊し上げられる(秘密が公にされ罪が問われる)」と聞かされているのだと思います。ここで鍵となるのは、これよりも上位で展開している「3次元チェス(頭脳戦)」とはどういったものなのか?ということで、それを議論しないといけません。
ダウド氏:繰り返し言うように、これは私の憶測にしかすぎませんが、もし私が悪魔的な天才だったとしたら・・・・クラウス・シュワブやユバル・ハラリ(*)、ファウチなどの“デュープス(利用されるバカ)”がいかに邪悪かを考えてみると気が遠くなります。彼らは極めて自信満々でした。しかし、彼らへの支援が急に打ち切りになり、足がすくわれた状態です。彼らはこれから吊るされる(秘密が公にされ罪が問われる)ことになります。そしてグローバル政府への信頼が失われることになります。いろいろな物が崩壊し、状況は悪化します。
(*歴史家であり未来学者。世界経済フォーラムのアドバイザー。21世紀の現代技術がある今、「我々はこれほど多くの人口はいらない」と発言している。)
私たちは、まだ見ぬ人間たちに注意する必要があります。美しく、ハンサムで、口のうまい、解決策を与えてくれる人たちが現れます。まだ世界的な舞台には登場していないかもしれないし、すでに登場している人たちかもしれません。彼らは、これからやってくる避けられない混沌(カオス)への解決策を与えるでしょう。こうした人たちが必ず現れるだろうということに私は賭けます。しかし、「解決策」を持って現れるような人たちを、みんなで注意して見張っていましょう。彼ら(世界経済フォーラム)は、「あなたは何も所有しないが幸せになる(You’ll own nothing and be happy)」、「昆虫を食べることになる」ということを売り込むために登場しました。実は彼らは「わら人形(身代わり)」なのかもしれません。そして他の人間が持ち出してくる「別の解決策」のほうがよっぽどましに見えるという状況が作り出される可能性があります。しかし、それ(ましな解決策)はまた別の奴隷制度でしかありません。
ジョーンズ司会者:全くおっしゃる通りです。彼らはヘーゲル弁証法の状況を生み出しています・・・全く対極にある2つの選択肢を用意し・・・一方では「昆虫を食べろ、下水を飲め。皆殺しにしてやる」と言い、そこに救世主が現れて、「いやいや、そんなことはしない。生活水準を40��切り詰めるだけだ。そして全員の行動は追跡されないといけない。しかし、少なくとも昆虫を強制的に食べさせるようなことはしない」と言うのです。
ダウド氏:その通り。それが「売り込み」をするときのやり方です。「私たちはジェームス・ボンドの悪役を倒した!」と思ったとしても、その悪役というのは「愚か者(利用されるバカ)」であり最初から操り人形でしかないということを理解していなかったからそう思うのです。
繰り返しますが、これは私の憶測です。もし私が新たな通貨制度(金融制度)を導入し、皆に受け入れられるグレート・リセットを実行したいと思ったなら、そうするだろうということです。
ジョーンズ司会者:あなたは多少、控えめで穏当な言い方に留めていますが、理解できます・・・100%明白です。こうしたソシオパス(社会病質者)や、ハリウッド・スターになりたいと憧れるクレイジーなナルシストたちを取り込み、明らかに彼らをヘーゲル弁証法のやり方に利用しています。彼らを「悪役警官」にし、それから「ヒーロー役の警官」を登場させるのです。ですが、「ヒーロー役の警官」が導こうとしている行き先こそが、彼らが本当に���めたい方向なのです。これは単純な話です・・・
彼らの手先・子分たちは「香ばしい」人たちで、確かに私たちをそそります(インタビュー中の画面に、昆虫を食べる女優ニコール・キッドマンなどセレブの動画が表示される)。ですが、彼らは人の心を巧みに操作しようとしているので私は大っ嫌いです。胸糞が悪くなる。彼らは火にくべられるべきだ。ですが、彼らはより大きな計画の一部でしかないということがわかります。
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相変わらず猛暑が続いていますが、お元気でしょうか。気候変動の影響に伴なった豪雨や落雷などのリスクも高まっています。山形県や秋田県を中心に被害の拡大が心配されていますので、お近くの方は十分に注意してください。
夏真っ盛りの今週、パリオリンピック・パラリンピックが開幕しました。史上最もサステナブルな大会として、使い捨てプラスチックの使用禁止や選手村や観客席での食事にかかる二酸化炭素排出量の減少も重要なテーマだそうで、一部の競技会場では史上初の『ベジタリアンメニュー・オンリー』となっているのも話題となっています。その他、既存のスタジアムを最大限に使用し、チケットを全てデジタル化するなど、大会に関わるカーボンフットプリントを2012年と2016年の両大会平均値と比較して50%削減することも目標に掲げているそうです。
パリといえば芸術の街、オープニングセレモニーの芸術監督を務めたト��・ジョリー氏は史上初のスタジアム以外の場所、セーヌ川をセレモニーの舞台に選びました。公式スローガン『Games wide open ー 広く開かれた大会』にぴったりな試みですね。
他に史上初といえば『出場選手数における男女平等』、『選手村に託児所を設置』、『大会期間中にオリンピック選手と同じコースを走る市民マラソン大会の開催』もあり、まさに開かれた大会となりそうです。また、パリ市内にはオリンピックにちなんだインスタレーションがいくつか設置されていて芸術の街の面目躍如たるものがあります。
20世紀半ばまでオリンピックは『スポーツ競技』と『芸術競技』に分かれていました。オリンピック発祥の地、古代ギリシャでは芸術とスポーツは密接に結びついており、肉体と精神を磨くことが理想的な生き方だとされていたからです。『芸術競技』には建築、彫刻、絵画、音楽、文学の5部門があり、メダルも授与されていました。建築部門では都市計画カテゴリーも設けられ、彫像やレリーフなどの彫刻部門やデッサンやグラフィックアートなどの絵画部門、オーケストラや器楽、独唱や合唱などの音楽部門、そして演劇や叙情詩や叙事詩などを含む文学部門など、カテゴリー別に細かく分けられていました。
1948年のロンドン大会まで『芸術競技』は正式競技として続いていましたが、1949年の国際オリンピック委員会(IOC)総会で、『芸術競技』の参加者のほとんどがプロであるため、当時のオリンピック憲章で定められた『アマチュアリズムの精神』を反映していないという結論が出されました。
時代は移り変わり、「プロ選手がオリンピックで活躍しているところが見たい」という人々の要望が出てきたり、「トップアスリート達の姿を世界中の人に届けたい」というIOCの意向もあり、1974年にオリンピック憲章から『アマチュア』という文言が削除され、1988年のソウル大会で初めてプロ選手がオリンピック競技に出場することになりました。
また、古代ギリシャのオリンピックにはエケケイリア(ギリシャ語で『手を繋ぐ』という意味)と呼ばれる『オリンピック停戦』の伝統がありました。元々オリンピックは平和運動ですから、停戦は聖なる大原則です。IOCは1992年にこの原則を復活させ、加盟国全てに ”オリンピック開会の7日前から閉会の7日後まで停戦を守ること” を強��訴えましたが、完全には守られていません。そして、そのルール違反は今日現在も公然たる事実として受け入れられています。
時代の流れと共にオリンピックに新競技や新ルール、多様性が加わってゆくのは当然の成り行きでしょう。でも、時には立ち止まってよく考えてみることが必要です。私たちは時に、複���に糸がもつれたような困難な状況に陥り、判断力を失うことがあります。
オリンピック・パラリンピックの出場選手達は、そうした困難を克服するヒントを与えてくれます。私たちは皆それぞれ特別な存在だということ、夢を諦めないで努力し続けること、ベストな自分でいると同時に限界を決めないこと、イメージ力の大切さ、そして失敗から教訓を得ること。晴れの舞台に立つ選手達には、厳しい状況を切り抜けて得たそれぞれ独自の貴重な経験があります。そうした独自の貴重な経験をAIは持てません。肉体を通して導かれる判断や知恵、インスピレーションは人間だけに与えられた特権です。
世の中の流れや他人の意見、ありとあらゆる情報に揺さぶられ、出口や突破口が見えない時はシンプルに初心に戻り、何が本当に大切なのか、自分は何を求めているのか、何が自分を突き動かしているのか、良心の声や直感に耳を澄ませてみましょう。時にはそうして原則に立って自分自身の内側にある光に問いかけてみましょう。AIは良心を持ったり原則に立ちかえることができません。内側の光を通して導かれる判断や知恵、インスピレーションは人間だけに与えらえた特権です。
Spirit of Wonder 〜シックスセンスと六大要素〜
8月24日(土)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
8月26日(月)10:00~17:00(1時間のお昼休憩あり)
料金:1回 8,000円(アイイス会員・税込)・10,000円(非会員・税込)
どなたでもご参加いただけます
最少催行人数:3名
私たちの周りにある五大要素ともう一つの元素、そしてそれらと自分自身の中にある五感と直感との関連について学びます。あなたの外側と内側にあるエネルギーについて理解を深め、その学びを日常生活に��いて実践し、継続しながら、さらなる霊性開花を目指す6時間ワークショップです。レクチャーやゲーム感覚で楽しめる実習やカルマの法や輪廻思想などの哲学を通した内観を通して、ご自身の中にある光をさらに見出していただきたいと思います。
あなたの中に潜在する能力を探り、知り、育み、五感や直感の中で特化した感覚をさらに伸ばして磨き上げましょう。そして同時に自分の苦手分野を知り、それを伸ばす方法も試してみましょう。
私たち全員が生まれついた時点で履修する、人生においてずっと学び続けることのできる共通のカリキュラムが霊性開花です。それは私たちが永遠の可能性を秘めていること、大いなる存在に近づき、さらに明るい光になること教えてくれます。けれど、霊性開花は1人だけでは学べません。あなたの霊性を導いているスピリットの介在、その指導や協力があってこそ、あなたの魂は磨かれ、輝くことができます。スピリットとのコミュニケーションに欠かせないのが自分の感覚を伸ばし、育むことです。このワークショップでは五感や直感、インスピレーションやアイデアのアンテナをさらに伸ばしながら、霊であり光である本来の自分に出会っていただくお手伝いをしたいと思います。
レクチャー内容
・五大要素と最初の元素
・シックスセンスと直感
・大宇宙と小宇宙
・チャクラとオーラ
・聖なるマトリックス
・ミディアムシップにおける六大要素
実習
・シッティング・イン・ザ・パワー
・六大要素を感じ、活かす
・マトリックス内観
・直感と指導霊により深く繋がるための各実習
このワークショップは以下のような方に向いています
・六大要素への理解を深めたい
・直感の練習、経験をしてみたい
・人体とオーラ、チャクラ、元素、世界との関連を知りたい
・指導霊との繋がりを深めたい
・本当の自分の人生の目的を探りたい
・自分自身の可能性や能力を探りたい
・霊性開花を通して人の役に立ちたい、社会に貢献したい
このワークショップは、2019年夏イベントで開催した同タイトルのワークショップを一部変更し、内容を加えたりアレンジしてアップデートしています。
詳細・お申し込みはこちらからどうぞ。
ショップからも直接お申し込みいただけます。
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秋学期クラスへのお申し込みを受付中です。クラスの詳細とラインナップはサイトとショップからご覧いただけます。(アイイスのサイトでも告知されています)
秋学期は春に種を蒔き、夏に大切に育てた果実を収穫する季節です。十分に栄養が行き渡った今年の霊性開花の学びの成果を皆で味わいながら共に分かち合いましょう。皆さまのご参加をお待ちしています!
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アウェアネス・ベーシック前期 Zoomクラス
土曜日:19:00~21:00 (後期も土曜日・同じ時間に開催) 日程:9/7、9/21、10/5、10/19、11/2
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アウェアネス・ベーシック後期 Zoomクラス
火曜日:10:00~12:00 日程:9/3、9/17、10/1、10/15、10/29
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アウェアネス・ベーシック通信クラス
開催日程:全6回 お申し込み締め切り:9/15
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アウェアネス・オールレベルZoomクラス
火曜日:19:00~21:00 日程:9/10、9/24、10/8、10/22、11/5
木曜日:10:00〜12:00 日程:9/5、9/19、10/3、10/17、10/31
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アウェアネス・マスターZoom クラス
火曜日:19:00〜21:00 日程:9/3、9/17、10/1、10/15、10/29
金曜日:19:00〜21:00 日程:9/13、9/27、10/11、10/25、11/8
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サイキックアートZoomクラス
日曜日:17:00~19:00 日程:9/8、9/22、10/6、10/20、11/3 水曜日:16:00~18:00 日程:9/11、9/25、10/9、10/23、11/6
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インナージャーニー 〜瞑想と内観〜 Zoomクラス
月曜日:16:00~17:00 日程:9/16、9/30、10/14、10/28、11/11
土曜日:10:00~11:00 日程:9/7、9/21、10/5、10/19、11/2
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マントラ入門 Zoomクラス
土曜日:13:00~15:00 日程:9/14、9/28、10/12、10/26、11/9
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トランスZoomクラス
水曜日:10:00~12:00 日程:9/11、9/25、10/9、10/23、11/6
土曜日:19:00~21:00 日程:9/14、9/28、10/12、10/26、11/9
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サンスクリット・般若心経 Zoomクラス
月曜日:13:00~15:00 日程:9/16、9/30、10/14、10/28、11/11
水曜日:19:00~21:00 日程:9/11、9/25、10/9、10/23、11/6
クラスの詳細はサイトのこちらのページをご覧ください。
継続受講の方は直接ショップからお申し込みください。
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サマーフェスティバル&ヒーリングサマーフェスティバル2024
8月11日(日)13:00~16:30
今年のアイイスの夏祭りはタイトルのとおり、「サマーフェスティバル」と「ヒーリングサマーフェスティバル」を同時開催します!皆様は上記2つのフェスティバルに参加でき、この間を行ったり来たりしていただけます。この日は夏の暑い日差しを避けて、アイイスの光の祭典に参加しませんか?私たちが集まると、光の世界の仲間も集まってきます。光は、集まれば集まるほど大きくなり、光の世界も無視できなくなります。私たちの光を大きくして世界中に広げませんか?今、世界は私たちの光を必要としています。アイイスから光を発信しましょう。「サマーフェスティバル」では光の世界から送られる愛と光を受け取り、「ヒーリングサマーフェスティバル」ではたくさんの癒しを受け取り、この夏を乗り切りましょう。ぜひお知り合いやお友達をお誘いの上、ご参加ください。
プログラム、参加ミディアム・ヒーラなどの詳細はこちらから。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
サマーフェスティバル用URL
ヒーリングサマーフェスティバル用URL
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サンデー・サービス(日曜 12:30〜14:00)詳細はこちらから。
9月29日 担当ミディアム:惠子・森
11月17日 担当ミディアム:松山:森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
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ドロップイン・ナイト
10月17日(木)19:00〜20:00 会員限定・参加費2,500円
指導霊(スピリット・ガイド)のサイキックアート
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ。
過去の開催の様子はこちらからご覧ください。
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モーニングワーシップ&コミュニオン(目覚めと祈りと瞑想)
10/27(日)9:00〜10:30 担当ミディアム:開堂・森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
#mediumship#spiritualism#awareness#psychic art#spirit communication#unfoldment#meditation#art#guided meditation#demonstration#霊性開花#スピリチュアリズム#スピリチュアル#ミディアムシップ#霊界通信#アウェアネス#瞑想#ワークショップ#直感#オリンピック#パリオリンピック
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「機動警察パトレイバー the Movie 1+2 SET Blu-ray」パトレイバーの日に発売!!
パトレイバー35周年×EMOTIONレーベル40周年記念! 「機動警察パトレイバー the Movie 1+2 SET Blu-ray」8月10日(「パトレイバー」の日)に発売!!
押井守による劇場版2作品が特別パッケージで復刻!! 監督・押井守による劇場作品『機動警察パトレイバー 劇場版』『機動警察パトレイバー2 the Movie』2作品をそれぞれ収録した「機動警察パトレイバー the Movie 1+2 SET Blu-ray」(8,910円(税込)/8,100円(税抜))が、2023年8月10日(「パトレイバー」の日)に発売される。

「パトレイバー」プロジェクト発足時からアートディレクションを担当する田島照久による、第1作・第2作をイメージした特製ビジュアルスリーブに収納。 映像特典として、『機動警察パトレイバー 劇場版』 劇場特報・予告編、『機動警察パトレイバー2 the Movie』 劇場特報・予告編を収録。音声特典として、劇場公開版(ドルビーサラウンド)とサウンドリニューアル版(1998年発売/ドルビーデジタル5.1ch)が同時収録されている。
「パトレイバー」シリーズについて 1988年4月25日。OVA(オリジナルビデオアニメ)として産声を上げた『機動警察パトレイバー』。全6話からなるそのシリーズは、マンガ家:ゆうきまさみ、メカニックデザイナー:出渕裕、脚本家:伊藤和典、、キャラクターデザイナー:高田明美、演出家:押井守の5人からなるクリエイター集団<ヘッドギア(HEADGEAR)>によって創造された。舞台は20世紀末の東京で、胸に桜の代紋が輝く警視庁のロボットが、街中を闊歩する世界。そこでイングラムと呼ばれるロボットに搭乗し、犯罪者に立ち向かう特車二課の隊員の活躍を、時にはコメディタッチで、時にはシリアスに描写する傑作シリーズ。OVA、劇場版、コミック、TVアニメと次々にヒットを記録している。
『機動警察パトレイバー劇場版』ストーリー 1999年夏。自衛隊の試作レイバーが突如無人のまま暴走するという事件が発生する。しかし、それは相次ぐ事件のほんの幕開けに過ぎなかった!何者かが仕掛けたコンピュータウイルスによって、都内各所で作業用レイバーが次々と暴走。警視庁特車二課第��小隊のはみだしポリスたちは、姿なき犯人を追ってこのメガロポリスを駆け抜ける!
『機動警察パトレイバー2 the Movie』ストーリー 2002年冬。横浜ベイブリッジに謎のミサイル投下…!報道はそれが自衛隊機であることを告げるが、該当する機体は存在しなかった。これを機に続発する不穏な事件は警��と自衛隊の対立を招き、事態を重く見た政府は遂に実戦部隊を治安出動させる!! 東京に〈戦争〉を再現した恐るべきテロリストを追って、第2小隊最後の出撃が始まる!
レーベル40周年記念企画「EMOTION 40th Anniversary Program」 映像レーベル「EMOTION」の40周年を記念して、YouTube公式チャンネル「EMOTION Label Channel」では、特別番組「EMOTION 40th Anniversary Program」を隔週金曜日20時30分に公開中だ。 第5回は『機動警察パトレイバー特集』。7月28日より3回にわたり、本作の推しポイント&キャラクターを紹介、その魅力に迫る。 また、「パトレイバー」シリーズ35周年、そしてEMOTION 40周年を記念して、『機動警察パトレイバー the Movie』第1作&第2作の記念上映も決定している。 詳細は、「EMOTION 40周年記念サイト」をチェックだ。
「機動警察パトレイバー the Movie 1+2 SET Blu-ray」 価格:8,910円(税込) / 8,100円(税抜) 2023年8月10日発売 収録時間:219分 Disc1:103分(本編99分+映像特典4分)+Disc2:116分(本編113分+映像特典3分) スペック: Disc1:ドルビーTrueHD(5.1ch)・リニアPCM(ドルビーサラウンド)・ドルビーデジタル(5.1ch・一部モノラル)/AVC/BD50G/16:9<1080p High Definition>/英語字幕付(ON・OFF可能) Disc2:ドルビーTrueHD(5.1ch)・リニアPCM(ドルビーサラウンド)・ドルビーデジタル(5.1ch・一部ステレオ)/AVC/BD50G/16:9<1080p High Definition>/英語字幕付(ON・OFF可能) 映像特典: ●『機動警察パトレイバー 劇場版』 劇場特報・予告編 ●『機動警察パトレイバー2 the Movie』 劇場特報・予告編音声特典:●劇場公開版(ドルビーサラウンド)とサウンドリニューアル版(1998年発売/ドルビーデジタル5.1ch)同時収録 他 ・田島照久デザイン新規ビジュアルスリーブ
発売元:バンダイナムコフィルムワークス・東北新社 販売元:バンダイナムコフィルムワークス
※本商品のディスク収録内容は、映像特典・音声特典を含め既発の下記商品と同様です。『機動警察パトレイバー劇場版』(BCXA-0003、BCXA-0085)『機動警察パトレイバー2 the Movie』(BCXA-0004、BCXA-0086) ※本商品は、2024年8月9日までの期間限定生産商品となります。
[機動警察パトレイバー公式サイト] バンダイナムコフィルムワークス作品情報サイト「V-STORAGE」
©︎1989 HEADGEAR/BANDAI VISUAL/TOHOKUSHINSHA ©︎1993 HEADGEAR/BANDAI VISUAL/TOHOKUSHINSHA/Production I.G
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劇評など critic
作品をめぐるこれまでのテキスト ※敬称略 ※所属や肩書きは執筆当時のもの
カトリヒデトシ(2010) 平山富康(2010) 亀田恵子(2010) Marianne Bevand(2011) 間瀬幸江(2011) 唐津絵理(2011) 金山古都美(2012) 島貴之(2012)
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カトリヒデトシ(エム・マッティーナ 主宰 舞台芸術批評)
「なぜ日本人がチェホフをやるのか?」と問うのは、かなりダサい。
今までの蓄積に付け加える、新しい文脈・意味を発見し提示するのだという優等生的な答えは間違っていると思っている。それでは、ヨーロッパ文化をきちんと学んだという模範解答になり、単なるレポートになってしまうだろう。
古典を何度でも取り上げることは、芸術の目指す「絶対的有」への敬虔な奉仕である。「有りて在るもの」への畏怖の気持ちは洋の東西といったものは関係ない。芸術へひざまづき、頭をたれることは、芸術家の基本的な資質であるし、それこそが歴史や文化的差異を超えようとする意思の現れにつながっていく。現代から古典を読み直し、古典から現在を照らすことにこそ、古典に取り組む大きな意味がある。
また、孔子は論語で「子は怪力乱神を語らず」といった。これは軽々しくそれについて語ってはならないと理解するべきで、超常現象にインテリは関わらないということではない。芸術は人間を超えた存在、「不可知な存在」を認知することが第一歩であろうから。
第七の演劇には、不可知が全体を包みこもうとする力。またそれに触れた人間の、根源的な「生」への畏怖がよく現れている。
それらの二点で第七劇場は大切な存在だとおもっている。 たとえば、今回の「かもめ」はチェホフの本質に迫ろうとする試みである。
ダメな人間がダメなことしかしないで、どんどんダメ��なっていってしまうのがチェホフ世界の典型である。そこには没落していく帝政時代の裕福な階級を描き続けた、彼の本質が現れている。
それはチェホフには、たれもが時代に「とり残されていく」、乗り遅れていく存在であるという認識があるからである。つまり、「いつも間に合わないこと」こそが人の本質なのだという考えである。
取り残されていくことは悲しい。何も変わらなければ既得権を維持できるものを、時代の変化によって、何もかもが「今まで通り」ではいかなくなる。チェホフはそれを、「われわれは絶えず間に合わず、遅れていく存在なのだ」と確信にみちて描く。苦い認識である。
人間はいつでも誰でも、既にできあがった世界の中に生み落とされる。誰もがすべてのものが現前している中にやってくる。個々人は、養育や教育によって適応をうながされるだけである。人は限りない可塑性をもって生まれるが、時代や地域や環境によって、むしろ何にでも成り得たはずの可能性をどんどん削ぎ落とされていく。
現在ではすたれてしまったが、日本には古代から連綿と続いた信仰に「御霊」というものがある。人は死んだ際に、現世に怨みを残して死ぬと、祟るものだという信仰である。「御霊」は、残った人たちに、天災を起こしたり、疫病を流行らせたりする。やがて人々は天災疫病が起こった時に、誰の「祟り」であろうと考えるようになる。それを畏れるために死んだものの魂が荒ぶらないように崇め拝めるようになっていく。人々に拝まれ、畏怖されるうちに、荒ぶった魂は落ち着いていき、「神」として今度は人々を護る存在へと変わっていく。だから「御霊」はおそろしいものであるだけではない。
「荒ぶる魂」を、第七は「かもめ」の登場人物たちの「遅れ」「取り残されていく」姿の絶望の結果に見る。舞台はその絶望からの荒ぶりに共振し、増幅し、畏怖を現す。
チェホフの持っていた、人に対する「諦観」を大きな包容力で抱え込んこんだ上に、零落していくことへの激しい動揺を、魂の「荒ぶり」として表現する。それは現在の私たちでは到底もち得ない、激しい「生」の身悶えである。
その方法として舞台に遠近法が援用される。 奥行き作り出すことによって、「位相=層=レイヤー」が作りだされる。 後景の美しいオブジェは遥かに遠い「自然」の層で、あたかも人の世を見つめ続ける「永遠」や「普遍」を感じさせる。そして中景は「六号室」のドールンのいる老練の世界、経験に基づいて生きる老人の世界である。患者たちは遊戯する体を持ち、永遠の世界を希求する。その三層を背負って、最前景で「かもめ」の世界が現れる。かれらは都会と田舎、人と人の現世の距離によって引き裂かれていき、苦しみ世界を生きるものとして描かれるのだ。
そう、日本人「にも」チェホフが描けるのではない。 日本人「にしか」描けないチェホフがあるのである。
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平山富康(財団法人 名古屋市文化振興事業団 名古屋市千種文化小劇場 館長)
遡って2010年2月、名古屋市の千種文化小劇場で企画実施した演劇事業『千種セレクション』(同劇場の特徴的な“円形舞台”を充分に活用できそうな演出家・団体を集めた演劇祭)で、第七劇場の『かもめ』は上演されました。企画の立ち上がった頃には、第七劇場は『新装 ���谷怪談』の名古屋公演を既に果たしていて、その空間演出力が注目されていた事から企画の趣旨に最適でした。参加団体は4つ、持ち時間は各60分。それぞれ会話劇・現代劇の再構成・半私小説的創作劇とラインナップが決まる中、第七劇場のプレゼンは“チェーホフの『かもめ』を始めとする幾つかの作品”との事…たったの60分で。一体、どんな手法で時間と空間の制約に収めるつもりなのか。当惑をよそに第七劇場が舞台に作ったのは、さしずめ「白い画布」でした。舞台は一面、真っ白なリノリウムが敷かれ、無骨な机や椅子との対照が、銅版画のように鋭利な空間を立ち上げていました。舞台と同じく白い衣装をまとった俳優(彼女らは『六号室』の患者たち)は静謐な余白のようです。が、幕が開いて、彼女らが見せる不安な彷徨と激した叫びが「鋭利な銅版画」の印象をより強めていきます。この画布が変化を見せるのは、チェーホフの他作品の人物たちが続々と舞台に位置を占めていく時でした。彼らは暗い色の衣装をまとって、これまでの描線とは異なる雰囲気です。こうして、既にある版画の上から幾人もの画家が新たな絵画を描くように芝居は進みました。幾つもの物語の人物が、互いの世界を触れあわせていく現場。彼らが発する言葉と声、静と動が入り混じる身体の動きは、新たな画材でした。時に水墨画、木炭、無機質なフェルトペン。余白を塗り込めたと思えば余白にはねのけられる「常に固定されない描画」のようにスリリングな作劇が、観客の前でリアルタイムに展開されたのです。終演後のアンケートでは“視覚的に美しい贅沢な構成” “話を追いそこねても目が離せなかった” “世界がつくられていく感覚” “難しい様で実はわかりやすい”と、中には観劇の枠に留まらない感想も多々あり、第七劇場が『千種セレクション』で残したのは、限られた空間で無限に絵画を描く様な演劇の可能性だった…というのが当時の記憶です。名古屋市の小劇場で室内実験のように生まれたその作品が、再び三重県で展開され、これから皆さまはどのように記憶されるか。非常に楽しみです。
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亀田恵子(Arts&Theatre Literacy)
第七劇場の『かもめ』を見終わったあと、どうしようもなく胸高鳴る自分がいた。新しい表現の領域を見つけてしまったという心密かな喜びと、その現場に居合わせることの出来た幸運に震えた。彼らの『かもめ』は演劇作品に違いなかったが、別の何かだとも感じた。「ライブ・インスタレーション」という言葉がピタリと腹に落ちた。「インスタレーション」とは、主に現代美術の領域で用いられる言葉で、作家の意図によって空間を構成・変化させながら場所や空間全体を作品として観客に体験させる方法だ。元々パフォーミング・アーツの演出方法を巡る試行錯誤の中から独立した経緯があるというから、演劇との親和性は高いのだろう。しかし、すべての演劇作品が「インスタレーション」を感じさえるかといえばそうではない。
舞台を四方から客席が取り囲む独自な構造を持つ千種文化小劇場・通称“ちくさ座”(名古屋市)。この舞台に置かれていたのは白い天板の長テーブルが1つに、黒いイスが数客。天井からは白いブランコが1つと、羽を広げた“かもめ”のオブジェが吊られており、床は八角形状に白いパネルが敷き詰められていた。役者たちの衣装もモノトーンやベージュといった大人っぽい配色でまとめられ、全体としてスタイリッシュな印象だ。舞台セットの影響なのか、作品中のセリフでは、チェーホフの『六号室』や『ともしび』といった他の作品の一部も引用され、人間の生々しい欲望や絶望を色濃く孕むセリフが続くが、不思議と重苦しさに傾くことがない。むしろチェーホフの描く狂気や人生における悲しいズレが、役者の身体と現実の時間を手に入れ、終末に向かって疾走する快感へと変容していく。役者たちの独自の強い身体性が、無機質な空間の中で描く軌跡は、従来の演劇の魅力だけでは説明が難しい絶妙なバランスを生み出しているのだ。
第七劇場の『かもめ』は、演劇の枠だけで完結しなければ「インスタレーション」作品として押し黙っている存在でもない。戯曲に閉じ込められた時間を劇場という空間に新たにインストールし、生きた役者の身体によって再生する。それは観客との間に「今、この瞬間」を共有する「ライブ・インスタレーション」として新たな領域を創造する行為に他ならない。
「インスタレーション」は、観客の体験(見たり、聞いたり、感じたり、考えたり)する方法をどう変化させるかが肝らしい。この作品は優れた演劇作品であると同時に「インスタレーションの肝」そのものではないかと思うのである。
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Marianne Bevand(フランス・舞台芸術プロデューサー)
2011年3月、パリで第七劇場の『かもめ』を観たとき、このよく知��れたチェーホフの戯曲において何が問題となっているかを、はじめてよく理解できた機会だった。『かもめ』は昨年にあまり成功していないと感じるいくつかの演出版しか観ていなかったが、私の心を奪ったこのロシア演劇の日本人演出を私はたまたま観る機会を得た。
私は演出・鳴海康平の力量に感動した。深く人間性を表現できる俳優への的確な演出があり、とても美しいシーンを舞台上に構成していた。このすばらしいパフォーマンスの中で、私はある種の普遍性を感じた。私の演劇に関する感覚的な願いが実現するためには、この日本の第七劇場を待たなければならなかった。チェーホフ戯曲の人物を演じながら、偉大なる悲劇だけに可能な想像空間のひとつへと、私を連れ去ることに俳優たちは成功していた。この芝居の最初から私は現実の世界から引き離され、登場人物が衝動や欲求や悲しみによってつき動かされることに目を見張った。それは『かもめ』の中心となる感情である。
素晴らしい身体的なパフォーマンスを通して、俳優たちはコンテンポラリーダンスを想起させる一連のムーヴメントを創り、ときに印象的な間の中で静止する。手をあげる彼女たちは、まるで空を飛びその状況から逃げ出したしたいかのようである。しかし、閉じこめられているかのように最終的には彼女たちは地上に留まる。自由への抵抗の中で、もしくは自由が欠けた結果として、白い服を着た3人の女性の登場人物(訳者注:患者2人とニーナの3人)は、狂気の中へ落ちていくように見える。彼女たちは動きが速く、それは視覚的には、黒い服を着た他の人物たちの緩慢な動きと対照的である。舞台の中央から端へとぐるぐると回る彼女たちを見て、彼女たちは自分たちが生きている規定された世界を象徴するある種の領域を爆破したいかのようなイメージが私の心に浮かんだ。黒い服を着た人物たちは、外部の者に自分の居場所を思い出させる支配社会の象徴を思わせる。
このことは私に、チェーホフがこの作品でいかにアーティストが社会の外側に位置し、つらい時代を生きていたかを明らかにすることで当時のアーティスト状況の描写を試みたことを思い出させる。かもめにおいて、3人の女性の人物たちは、ある異なる精神状態の中で、そして目まぐるしい時空の中で彼らがいかに必死に生きるか、また彼女たちがいつもいかに社会の爪に捕えられているかを現している。
この芝居の終わりに私は自問した。「もしあなたが他の誰かとは異なるふるまいをするなら、あなたは気が狂っているとみなされるのだろうか?」いずれにせよ、第七劇場のパフォーマンスが国境を越えて、いくつかの問いを私に起こしたことは確かである。
この美しく芸術的な作品とともに第七劇場が受けるにふさわしい大きな成功を果たすことを、そしてあらゆる世界を横断し、さらに多くの観客の目と心を開くことを、私は願っている。
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間瀬幸江(早稲田大学 文学学術院 助教)
チェーホフは世界を面や立体���してとらえていた。人物という点や、人間関係という線は、それじたい基幹的ではあるにせよ、作品世界全体の構成要素のひとつでしかない。作品世界のこの広がりから何を「切り出す」のかが、舞台づくりの鍵を握る。
今回、第七劇場の「かもめ」(シアタートラム、9月8日~11日 構成・演出・美術:鳴海康平)で中心的主題として切り出されたのは、トレープレフがニーナに演じさせる劇中劇「人も、動物も…」の部分である。母親のアルカージナに「デカダン」と嘲笑され、当の演者であるニーナにも「よく分からない」と距離を置かれてしまうこの一人芝居の内容は、人間がいかに「やさしく」接しようともいずれ寿命を迎えて消滅することが決まっている地球という惑星の命の時間から考えれば、まったき現実である。その「現実」が、舞台奥中央の老木のオブジェによって密やかに具象される。活人画を思わせるこのオブジェは、開場とともに舞台に姿を見せる、ニーナを思わせる4人の女たちの狂気を孕む無造作な動きはもちろんのこと、見やすい席の確保を願うささやかな「姑息さ」を抱えつつ舞台上の彼女たちを横目で眺める観客たちの動きも、暗がりから見つめ続けている。そして本編が始まり、いつからかそこに照明があてられ、雪のようなものがしんしんと降りだすころ、前景では「かもめ」のいくつかのシークエンスが狂乱的リズムで反復運動を始める。母親にも恋人にも振り向いてもらえずに絶望する青年の物語にせよ、成功という幻想にからめとられたまま一歩も進めない女の物語にせよ、息子を愛しながらその愛を届けることに不器用な母親の物語にせよ、ツルゲーネフには勝てないと感じる自意識の牢獄から逃れることのできない小説家の物語にせよ、個別の物語が抱え込む不毛な反復のエネルギーから発せられる絶叫は、しんしんと降り積もる雪の世界に消えていくしかない。トレープレフは、チェーホフの作った物語のとおり、最後にはピストルの引き金を引く。発射音は聞こえない。しかしそれは、弾丸が発せられなかったからではない。観客は、朽木に降り積もる雪の世界から、トレープレフの自殺や、ニーナの破滅を眺めている。人も動物もヒトデも消えうせた孤独な世界に、ピストル音が届くのは、何万光年も先なのだ。
2011年の日本で、「終わり」というブラックホールを概念としてではなく実体としてほんの一瞬でも覗き見てしまった私たちにとって、朽木の住まう冷えきった世界は、もはや象徴主義の産物ではなくなってしまった。しかし、この終末感を100年前にこの世を去ったチェーホフがすでに言いきっていたことにこそ、私たちはかすかな希望をみるのである。「三人姉妹」を演出したマチアス・ランゴフは、「私たちはチェーホフのずっと後ろを歩いているのです」と言った。それ��ら20年が経過した今なお、チェーホフは私たちの少し前を歩いていて、たまにふと振り返りいささか悲しげに微笑んでみせるのである。鳴海康平は、劇中劇を「切り出す」ことで、無数の点と線とが錯綜して作られる立体的な時空間の表出に成功した。その数多の点や線を大事に拾い出しながらもう一度観てみたかったとの感慨を抱きつつ、9月11日のシアタートラムを後にした。演技者たちの凛とした佇まいも素晴らしかった。
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唐津絵理(愛知芸術文化センター シニアディレクター)
私たちの深層心理に迫りくる懐かしさの気配、演劇を超えて広がる舞台芸術への希求、それが第七劇場『かもめ』初見の印象だった。
白のリノリウムが敷かれ、白紗幕が下がった劇場は、ブラックボックスでありながらも、ホワイトキューブ的展示室をも想像させる洗練された空間。そこにあるのは、白い長テーブルと幾つかの黒い椅子、天井から吊られた真っ白のブランコやかもめのオブジェ、そして座ったり蹲ったりしている俳優たちの身体だ。白い空間にじっと佇む身体は、彫刻作品のようでもある。上演中も俳優たちは役柄を演じるというより、配役のないコロス的身体性を表出させている。身体の匿名性は、観客自身が自らの身体の記憶と結び付けるための回路を作り出す。それは抽象度の高いダンスパフォーマンスと通ずる身体。前半は僅かに歩いたり、ゆすったりしていた身体が、後半になるにつれて、走ったり、体を払ったり、震わせたりと、より激しく痙攣的になっていく。演劇的マイム性とは一線を画したこれらの身振りが、絶望的に重苦しく表現主義的になりがちなロシアの物語を今日の日本に切り開いていると言ってもよいかもしれない。
怒涛のラストシーンまで、作品全編を演出家・鳴海の真摯さが貫いていく。しんしんと静かに降り積もる雪のように、一見穏やかに見える身体の佇まいの内には、静かな情熱の灯がいつまでも熱く燃え続けている。それがこの作品の確かな強度となっているのだと思う。
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金山古都美(金沢市民芸術村ドラマ工房ディレクター)
2010年2月千種文化小劇場、12月三重県文化会館で第七劇場の「かもめ」を観劇。時の交錯を感じた千種、閉塞と決壊を感じた三重。どちらについてもその『観後感』は、まったく違っていて。鳴海氏の構築する世界は、その“場所”で変化し、その“人”で変化するようです。“人”とは、役者はもとより、スタッフ、劇場の人々、そして当日来られる観客、すべての“人”を包んでいます。実際観に行った私自身の変化も少なからず影響しあいながら「劇場」という空間が形成されていくのでは。そしてそれは建物の中だろうが、外だろうが、1人だろうが1万人だろうが変わらないのでは・・・違うな。変わらないのではなく、変わることも含めての「作品」なのです。白い床も、テーブルも椅子も、ブランコも「かもめ」のオブジェも、何一つ変わっていない���うなのに・・・。そんな演劇のもつ『その場でしか出会えない幸せ』に皆さんで会いに行きましょう。
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島貴之(aji 演出家)
金沢21世紀美術館にあるジェームズ・タレル作「ブルー・プラネット・スカイ」という作品を見た事がありますか?
四角い白色の天井の中央が四角くくり抜かれ、そこから空が見える。故郷へ帰る度に見上げる空。移ろいやすい金沢の空。晴天、夕刻、曇り空、雨。冬はそのグレイの穴から雪が舞い落ちるのです。
曇り空の四角いグレイのグラデーション。無彩色に見えるグレイに、私は何度もさまざまな色を見た事があります。それを見上げる人の心情がそこに色を齎すのです。天井の枠に囲われた今の自分が、その遠く向こうにあるものを見通す瞬間に—。
この作品では登場人物が纏う衣装を見渡すと白から黒へのグラデーションとなっています。そして劇中では、登場人物の性格や事象に伴う心情があらゆる要素により明確に描かれています。個としての居場所、表情、身体、言葉_そしてそれらが合わさりバランスを変化させる事で、その瞬間にしかない色が次々と生まれては消えて行くのです。
それは、移ろいやすい金沢の空のようであり、また、あなたの心情を映すあのグレイのグラデーションであってほしいと願うのです。
2011年の9月に私は第七劇場の「かもめ」を拝見しました。大胆に再構成されたこの舞台に流れる時間は、キリスト教的な時間感覚の、すでに始まったが未だ終わっていない「時のあいだ」を意識させるものでした。時間は、何分・何秒という座標を流れているとされる概念だけでなく、事件・タイミングによって認識される感覚との2つに分けて考えることができます。あのハイコントラストな世界は、ニーナの事件史のある時点なのだろうと納得して観ました。クロノスでなくケイロス、あるいはゲシヒテによって物語を紡ぐ方法は個に依った場合は有効で、むしろ本質的な問いは、なぜそのように構成したかにあると思われました。それが私には「かもめ」の本体をよく知るために境界線を明らかにしようとしているというだけではなく、ほんのりと漂うロマンチックな印象に隠されているような気がしています。舞台を構成するあらゆる要素は一見、清貧とも言えるほど禁欲的に佇み、それがある種の理想として観客に迫っていましたが、私達は同時にその内側にあるもっと柔らかで繊細なモノも見ていました。その存在が、内側からも外側からもこの作品の再演を促しているのではないかと思っています。
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© Rurouni Kenshin: The Final/the Beginning!!完整版本線上看【HD.1080P】~
© Rurouni Kenshin: The Final/the Beginning!!完整版本線上看【HD.1080P】~ 【ストーリー】 == DOWNLOAD === かつては人斬り抜刀斎 として恐れられた 緋村剣心だ が、新時代の幕開けとともに、斬れない刀=逆刃刀<さかばとう> を持ち穏やかな生活を送っていた。最狂の敵・志々雄真実が企てた日本転覆の計画を阻止するため、かつてない死闘を繰り広げた剣心達は、神谷道場で平和に暮らしていた。しかし、突如何者かによって東京中心部へ相次ぎ攻撃が開始され、剣心とその仲間の命に危険が及ぶ。果たして誰の仕業なのか? 何のために?それは、今まで明かされたことの無い剣心の過去に大きく関係し、決して消えることのない十字傷の謎へとつながっていく。そして、これまで語られることのなかった戦いの理由(ワケ)は幕末へと遡り、剣心の頬に刻まれた<十字傷の謎>に迫る「るろうに剣心 最終章 The Beginning」へ続いていく。動乱の幕末期と明治維新後の新時代の2つの時代を通して描く!2つの作品を通して描かれる「るろうに剣心」史上最高のクライマックス。「るろうに剣心」のすべてがここにある――。 【スタッフ】 監督・脚本:大友啓史/音楽:佐藤直紀/主題歌: ONE OK ROCK/原作:和月伸宏「るろうに剣心?明治剣客浪漫譚」(集英社ジャンプ コミックス刊)製作:映画「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning 」製作委員会 【出演】 佐藤健、武井 咲、新田真剣佑、青木崇高、蒼井 優、伊勢谷友介、土屋太鳳/三浦涼介、音尾琢真、鶴見辰吾、中原丈雄/北村一輝、有村架純、江口洋介 【配給】 ワーナー・ブラザース映画 るろうに剣心 最終章 The Final 2020年7月3日(金)、8月7日(金)に公開を予定していた映画『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』2作品が、新型コロナウイルス影響で公開の延期が決定しました。変更後の公開時期は、2021年GWに2部作連続公開を予定しています。 現在販売中の前売り券(ムビチケカード)は、5月29日から販売中止となり販売再開の時期は公式サイトにて改めて告知予定。また、購入した前売り券(ムビチケカード)は延期後の上映時に利用することが可能です。 また、公開の延期に際して、主演の佐藤健、大友啓史監督よりコメントが到着しました。 ◆佐藤健 映画の公開を楽しみに待っていて下さった皆様に申し訳ない気持ちです。 皆様が安心して映画館に足を運べる日が一日でも早く返ってくることを願うと共に、 そのためにも今後も一歩一歩着実に歩みを進めていくことが大事だと感じています。 そして来年の公開日をお互いに健康で迎え、必ずまたお会いしましょう。 皆様の日々の幸せを祈っています。 ◆大友啓史監督 緊急事態宣言以降スタジオが閉鎖され、すべての作業がストップしてしまい、それ以降も仕上げ作業や公開に至る様々な準備を行うことができませんでした。「エンタメ復活の狼煙を『るろうに剣心』で」という志でいただけにとても残念です。公開を心待ちにしてくださっていた皆さんには、申し訳ない思いでいっぱいです。 新しい公開日に向けて、少しでもクオリティを高める努力をし、多くの方々に楽しんでいただけるような作品を創り上げ、満員の熱気溢れる劇場で観ていただくことが、私を含めスタッフ・キャスト一同の作品に懸けるゆるぎない思いです。 アフターコロナの時代に、よりパワーアップした感動と勇気��希望をお届けできるよう、魂を込めて残りの仕上げ作業に取り組みたいと思いますので、『るろうに剣心 最終章』をぜひ楽しみに待っていてください。 映画『るろうに剣心 最終章 The Final』 フル動画 @R_Kenshin_2020. 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There is also the term extras that are used as minor characters with few roles in the film. This differs from the main actors, who have larger and more roles. As an actor and actress, good acting talent must be required that corresponds to the subject of the film in which he plays the leading role. In certain scenes, the role of the actor can be replaced by a stunt man or a stunt man. The existence of a stuntman is important to replace the actors who play difficult and extreme scenes that are usually found in action-action films. Movies can also be used to deliver certain messages from the filmmaker. Some industries also use film to convey and represent their symbols and culture. Filmmaking is also a form of expression, thoughts, ideas, concepts, feelings and moods of a person that are visualized in the film. The film itself is mostly fictional, though some are based on actual stories or on a true story. There are also documentaries with original and real images or biographical films that tell the story of a character. There are many other popular genre films, from action films, horror films, comedy films, romantic films, fantasy films, thriller films, drama films, science fiction films, crime films, documentaries and others. This is some information about the definition of film or film. The information has been cited from various sources and references. Hope it can be useful. ❍❍❍ TV FILM ❍❍❍The first television shows were experimental, sporadic programs that from the 1930s could only be seen at a very short distance from the mast. TV events such as the 1936 Summer Olympics in Germany, the crowning of King George VI. In Britain in 19340 and the famous launch of David Sarnoff at the 1939 New York World’s Fair in the United States, the medium grew, but World War II brought development to a halt after the war. The 19440 World MOVIE inspired many Americans to buy their first television, and in 1948 the popular Texaco Star Theater radio moved to become the first weekly television variety show that hosted Milton Berle and earned the name “Mr Television” demonstrated The medium was a stable, modern form of entertainment that could attract advertisers. The first national live television broadcast in the United States took place on September 4, 1951, when President Harry Truman’s speech at the Japanese Peace Treaty Conference in San Francisco on AT & T’s transcontinental cable and microwave relay system was broadcasting to broadcasters in local markets has been. The first national color show (the 1954 Rose Parade tournament) in the United States took place on January 1, 1954. For the next ten years, most network broadcasts and almost all local broadcasts continued to be broadcast in black and white. A color transition was announced for autumn 1965, in which more than half of all network prime time programs were broadcast in color. The first all-color peak season came just a year later. In 19402, the last holdout of daytime network shows was converted to the first full color network season. ❍❍❍ formats and genres ❍❍❍ See also: List of genres § Film and television formats and genres TV shows are more diverse than most other media due to the variety of formats and genres that can be presented. A show can be fictional (as in comedies and dramas) or non-fictional (as in documentary, news, and reality television). It can be current (as in the case of a local news program and some television films) or historical (as in the case of many documentaries and fictional films). They can be educational or educational in the first place, or entertaining, as is the case with situation comedies and game shows. [Citation required] A drama program usually consists of a series of actors who play characters in a historical or contemporary setting. The program follows their lives and adventures. Before the 1980s, shows (with the exception of soap opera series) generally remained static without storylines, and the main characters and premise barely changed. [Citation required] If the characters’ lives changed a bit during the episode, it was usually reversed in the end. For this reason, the episodes can be broadcast in any order. [Citation required] Since the 1980s, many FILMS have had a progressive change in the plot, characters, or both. For example, Hill Street Blues and St. Elsewhere were two of the first American prime time drama television films to have this kind of dramatic structure [4] [better source required], while the later MOVIE Babylon 5 further illustrated such a structure had a predetermined story about the planned five season run. [Citation required] In 2020, it was reported that television became a larger part of the revenue of large media companies than the film. Some also noticed the quality improvement of some television programs. In 2020, Oscar-winning film director Steven Soderbergh declared the ambiguity and complexity of character and narrative: “I think these qualities are now being seen on television and people who want to see stories with such qualities are watching TV. ❍❍❍ Thanks for everything and have fun watching❍❍❍ Here you will find all the films that you can stream online, including the films that were shown this week. If you’re wondering what to see on this website, you should know that it covers genres that include crime, science, fi-fi, action, romance, thriller, comedy, drama, and anime film. Thanks a lot. We inform everyone who is happy to receive news or information about this year’s film program and how to watch your favorite films. Hopefully we can be the best partner for you to find recommendations for your favorite films. That’s all from us, greetings! Thank you for watching The Video Today. I hope you like the videos I share. Give a thumbs up, like or share if you like what we shared so we are more excited. Scatter a happy smile so that the world returns in a variety of colors.
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映画【るろうに剣心 最終章 The Final】 フル動画 @R_Kenshin_2020. Rurouni Kenshin: The Final/the Beginning完整版本線上看
2020-Rurouni Kenshin: The Final/the Beginning完整版本 720p 【ストーリー】== DOWNLOAD -=== かつては人斬り抜刀斎 として恐れられた 緋村剣心だ が、新時代の幕開けとともに、斬れない刀=逆刃刀<さかばとう> を持ち穏やかな生活を送っていた。最狂の敵・志々雄真実が企てた日本転覆の計画を阻止するため、かつてない死闘を繰り広げた剣心達は、神谷道場で平和に暮らしていた。しかし、突如何者かによって東京中心部へ相次ぎ攻撃が開始され、剣心とその仲間の命に危険が及ぶ。果たして誰の仕業なのか? 何のために?それは、今まで明かされたことの無い剣心の過去に大きく関係し、決して消えることのない十字傷の謎へとつながっていく。そして、これまで語られることのなかった戦いの理由(ワケ)は幕末へと遡り、剣心の頬に刻まれた<十字傷の謎>に迫る「るろうに剣心 最終章 The Beginning」へ続いていく。動乱の幕末期と明治維新後の新時代の2つの時代を通して描く!2つの作品を通して描かれる「るろうに剣心」史上最高のクライマックス。「るろうに剣心」のすべてがここにある――。 【スタッフ】 監督・脚本:大友啓史/音楽:佐藤直紀/主題歌: ONE OK ROCK/原作:和月伸宏「るろうに剣心?明治剣客浪漫譚」(集英社ジャンプ コミックス刊)製作:映画「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning 」製作委員会 【出演】 佐藤健、武井 咲、新田真剣佑、青木崇高、蒼井 優、伊勢谷友介、土屋太鳳/三浦涼介、音尾琢真、鶴見辰吾、中原丈雄/北村一輝、有村架純、江口洋介 【配給】 ワーナー・ブラザース映画 るろうに剣心 最終章 The Final 2020年7月3日(金)、8月7日(金)に公開を予定していた映画『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』2作品が、新型コロナウイルス影響で公開の延期が決定しました。変更後の公開時期は、2021年GWに2部作連続公開を予定しています。 現在販売中の前売り券(ムビチケカード)は、5月29日から販売中止となり販売再開の時期は公式サイトにて改めて告知予定。また、購入した前売り券(ムビチケカード)は延期後の上映時に利用することが可能です。 また、公開の延期に際して、主演の佐藤健、大友啓史監督よりコメントが到着しました。 ◆佐藤健 映画の公開を楽しみに待っていて下さった皆様に申し訳ない気持ちです。 皆様が安心して映画館に足を運べる日が一日でも早く返ってくることを願うと共に、 そのためにも今後も一歩一歩着実に歩みを進めていくことが大事だと感じています。 そして来年の公開日をお互いに健康で迎え、必ずまたお会いしましょう。 皆様の日々の幸せを祈っています。 ◆大友啓史監督 緊急事態宣言以降スタジオが閉鎖され、すべての作業がストップしてしまい、それ以降も仕上げ作業や公開に至る様々な準備を行うことができませんでした。「エンタメ復活の狼煙を『るろうに剣心』で」という志でいただけにとても残念です。公開を心待ちにしてくださっていた皆さんには、申し訳ない思いでいっぱいです。 新しい公開日に向けて、少しでもクオリティを高める努力をし、多くの方々に楽しんでいただけるような作品を創り上げ、満員の熱気溢れる劇場で観ていただくことが、私を含めスタッフ・キャスト一同の作品に懸けるゆるぎない思いです。 アフターコロナの時代に、よりパワーアップした感動と勇気と希望をお届けできるよう、魂を込めて残りの仕上げ作業に取り組みたいと思いますので、『るろうに剣心 最終章』をぜひ楽しみに待っていてください。 るろうに剣心 最終章 The Final / るろうに剣心 最終章 The Final】-HD 線上看小鴨完整版 full movie Online るろうに剣心 最終章 The Final るろうに剣心 最終章 The Final (2020) 完整版 |下載帶字幕的電影 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- singapora(2020) 完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- Chines(2020) 完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- Hongkong(2020) 完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上看電影(2020) ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 免費在線觀看(2020) ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 2020線上看電影粵語-流-下載完整版本 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 免費線上看電影 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 完整版本 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 上看2020HD.BD.1080p るろうに剣心 最終章 The Final ➽るろうに剣心 最終章 The Final- Chines(2020) 完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- Hongkong(2020) 完整版 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上看電影(2020) ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 免費在線觀看(2020) 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 2020線上看電影粵語-流-下載完整版本 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 免費線上看電影 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 完整版本 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- -線上看線上(2020-HD 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 完整版流媒體-(2020-HD )-1080P ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 完整版本-(2020-HD )-1080P 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上看完整版本電影完整版- ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- HD|1080p|4K| 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final-線上看線上(2020)完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- (2020,るろうに剣心 最終章 The Final- -) ➽るろうに剣心 最終章 The Final-台灣上映 2020るろうに剣心 最終章 The Final- — 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上看完整版本電影完整版- 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- (2020)完整版本 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 电影完整版【2020】 singapora(2020) 完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- (るろうに剣心 最終章 The Final- ) ~ 完整版下載[HD.1080P] 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- (るろうに剣心 最終章 The Final- ) ~ 完整版下載[HD.1080p] 漫威隊長【るろうに剣心 最終章 The Final- 】 完整版本 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 免費下載 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上るろうに剣心 最終章 The Final- ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 2020上看 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 免費線上看電影 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 2020線上 完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final-完整版 小鴨 2020るろうに剣心 最終章 The Final- 免費在線觀看 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- [2020] 線上完整版 るろうに剣心 最終章 The Final- ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 线上看(2020)完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上 [2020] 完整版 singapora(2020) 完整版【hd~1080p】線上看 ➽るろうに剣心 最終章 The Final-完整版小鴨 HD ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上看(2020) ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 台灣上映 2020るろうに剣心 最終章 The Final- (線上) 線上看 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上(2020HD) ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 2020電影完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- HD|1080p|4K| 香港流媒體 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 2020完整版 小鴨 (HD.BLURAY) 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 2020線上看電影粵語-流-下載完整版本 singapora(2020) 完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- (2020) 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上看線上(2020)完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final-HD 完整版 小鴨 [2020] 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 上看2020HD.BD.1080p るろうに剣心 最終章 The Final- ➽るろうに剣心 最終章 The Final- youtube(2020) ➽るろうに剣心 最終章 The Final- disney(2020) ➽るろうに剣心 最終章 The Final- netflix(2020) ➽るろうに剣心 最終章 The Final- movie123(2020) Definition and definition of film / film While the players who play a role in the film are referred to as actors (men) or actresses (women). There is also the term extras that are used as minor characters with few roles in the film. This differs from the main actors, who have larger and more roles. As an actor and actress, good acting talent must be required that corresponds to the subject of the film in which he plays the leading role. In certain scenes, the role of the actor can be replaced by a stunt man or a stunt man. The existence of a stuntman is important to replace the actors who play difficult and extreme scenes that are usually found in action-action films. Movies can also be used to deliver certain messages from the filmmaker. Some industries also use film to convey and represent their symbols and culture. Filmmaking is also a form of expression, thoughts, ideas, concepts, feelings and moods of a person that are visualized in the film. The film itself is mostly fictional, though some are based on actual stories or on a true story. There are also documentaries with original and real images or biographical films that tell the story of a character. There are many other popular genre films, from action films, horror films, comedy films, romantic films, fantasy films, thriller films, drama films, science fiction films, crime films, documentaries and others. This is some information about the definition of film or film. The information has been cited from various sources and references. Hope it can be useful. ❍❍❍ TV FILM ❍❍❍The first television shows were experimental, sporadic programs that from the 1930s could only be seen at a very short distance from the mast. TV events such as the 1936 Summer Olympics in Germany, the crowning of King George VI. In Britain in 19340 and the famous launch of David Sarnoff at the 1939 New York World’s Fair in the United States, the medium grew, but World War II brought development to a halt after the war. The 19440 World MOVIE inspired many Americans to buy their first television, and in 1948 the popular Texaco Star Theater radio moved to become the first weekly television variety show that hosted Milton Berle and earned the name “Mr Television” demonstrated The medium was a stable, modern form of entertainment that could attract advertisers. The first national live television broadcast in the United States took place on September 4, 1951, when President Harry Truman’s speech at the Japanese Peace Treaty Conference in San Francisco on AT & T’s transcontinental cable and microwave relay system was broadcasting to broadcasters in local markets has been. The first national color show (the 1954 Rose Parade tournament) in the United States took place on January 1, 1954. For the next ten years, most network broadcasts and almost all local broadcasts continued to be broadcast in black and white. A color transition was announced for autumn 1965, in which more than half of all network prime time programs were broadcast in color. The first all-color peak season came just a year later. In 19402, the last holdout of daytime network shows was converted to the first full color network season. ❍❍❍ formats and genres ❍❍❍ See also: List of genres § Film and television formats and genres TV shows are more diverse than most other media due to the variety of formats and genres that can be presented. A show can be fictional (as in comedies and dramas) or non-fictional (as in documentary, news, and reality television). It can be current (as in the case of a local news program and some television films) or historical (as in the case of many documentaries and fictional films). They can be educational or educational in the first place, or entertaining, as is the case with situation comedies and game shows. [Citation required] A drama program usually consists of a series of actors who play characters in a historical or contemporary setting. The program follows their lives and adventures. Before the 1980s, shows (with the exception of soap opera series) generally remained static without storylines, and the main characters and premise barely changed. [Citation required] If the characters’ lives changed a bit during the episode, it was usually reversed in the end. For this reason, the episodes can be broadcast in any order. [Citation required] Since the 1980s, many FILMS have had a progressive change in the plot, characters, or both. For example, Hill Street Blues and St. Elsewhere were two of the first American prime time drama television films to have this kind of dramatic structure [4] [better source required], while the later MOVIE Babylon 5 further illustrated such a structure had a predetermined story about the planned five season run. [Citation required] In 2020, it was reported that television became a larger part of the revenue of large media companies than the film. Some also noticed the quality improvement of some television programs. In 2020, Oscar-winning film director Steven Soderbergh declared the ambiguity and complexity of character and narrative: “I think these qualities are now being seen on television and people who want to see stories with such qualities are watching TV. ❍❍❍ Thanks for everything and have fun watching❍❍❍ Here you will find all the films that you can stream online, including the films that were shown this week. If you’re wondering what to see on this website, you should know that it covers genres that include crime, science, fi-fi, action, romance, thriller, comedy, drama, and anime film. Thanks a lot. We inform everyone who is happy to receive news or information about this year’s film program and how to watch your favorite films. Hopefully we can be the best partner for you to find recommendations for your favorite films. That’s all from us, greetings! Thank you for watching The Video Today. I hope you like the videos I share. Give a thumbs up, like or share if you like what we shared so we are more excited. Scatter a happy smile so that the world returns in a variety of colors.
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在线看完整版 るろうに剣心 最終章 The Final-rurouni kenshin The Final (2020) 1080P全高清HD
在线看完整版 るろうに剣心 最終章 The Final-るろうに剣心 最終章 The Final (2020) 1080P全高清HD 【ストーリー】
DOWNLOAD == かつては人斬り抜刀斎 として恐れられた 緋村剣心だ が、新時代の幕開けとともに、斬れない刀=逆刃刀<さかばとう> を持ち穏やかな生活を送っていた。最狂の敵・志々雄真実が企てた日本転覆の計画を阻止するため、かつてない死闘を繰り広げた剣心達は、神谷道場で平和に暮らしていた。しかし、突如何者かによって東京中心部へ相次ぎ攻撃が開始され、剣心とその仲間の命に危険が及ぶ。果たして誰の仕業なのか? 何のために?それは、今まで明かされたことの無い剣心の過去に大きく関係し、決して消えることのない十字傷の謎へとつながっていく。そして、これまで語られることのなかった戦いの理由(ワケ)は幕末へと遡り、剣心の頬に刻まれた<十字傷の謎>に迫る「るろうに剣心 最終章 The Beginning」へ続いていく。動乱の幕末期と明治維新後の新時代の2つの時代を通して描く!2つの作品を通して描かれる「るろうに剣心」史上最高のクライマックス。「るろうに剣心」のすべてがここにある――。 【スタッフ】 監督・脚本:大友啓史/音楽:佐藤直紀/主題歌: ONE OK ROCK/原作:和月伸宏「るろうに剣心?明治剣客浪漫譚」(集英社ジャンプ コミックス刊)製作:映画「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning 」製作委員会 【出演】 佐藤健、武井 咲、新田真剣佑、青木崇高、蒼井 優、伊勢谷友介、土屋太鳳/三浦涼介、音尾琢真、鶴見辰吾、中原丈雄/北村一輝、有村架純、江口洋介 【配給】 ワーナー・ブラザース映画 るろうに剣心 最終章 The Final 2020年7月3日(金)、8月7日(金)に公開を予定していた映画『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』2作品が、新型コロナウイルス影響で公開の延期が決定しました。変更後の公開時期は、2021年GWに2部作連続公開を予定しています。 現在販売中の前売り券(ムビチケカード)は、5月29日から販売中止となり販売再開の時期は公式サイトにて改めて告知予定。また、購入した前売り券(ムビチケカード)は延期後の上映時に利用することが可能です。 また、公開の延期に際して、主演の佐藤健、大友啓史監督よりコメントが到着しました。 ◆佐藤健 映画の公開を楽しみに待っていて下さった皆様に申し訳ない気持ちです。 皆様が安心して映画館に足を運べる日が一日でも早く返ってくることを願うと共に、 そのためにも今後も一歩一歩着実に歩みを進めていくことが大事だと感じています。 そして来年の公開日をお互いに健康で迎え、必ずまたお会いしましょう。 皆様の日々の幸せを祈っています。 ◆大友啓史監督 緊急事態宣言以降スタジオが閉鎖され、すべての作業がストップしてしまい、それ以降も仕上げ作業や公開に至る様々な準備を行うことができませんでした。「エンタメ復活の狼煙を『るろうに剣心』で」という志でいただけにとても残念です。公開を心待ちにしてくださっていた皆さんには、申し訳ない思いでいっぱいです。 新しい公開日に向けて、少しでもクオリティを高める努力をし、多くの方々に楽しんでいただけるような作品を創り上げ、満員の熱気溢れる劇場で観ていただくことが、私を含めスタッフ・キャスト一同の作品に懸けるゆるぎない思いです。 アフターコロナの時代に、よりパワーアップした感動と勇気と希望をお届けできるよう、魂を込めて残りの仕上げ作業に取り組みたいと思いますので、『るろうに剣心 最終章』をぜひ楽しみに待っていてください。 るろうに剣心 最終章 The Final / るろうに剣心 最終章 The Final】-HD 線上看小鴨完整版 full movie Online るろうに剣心 最終章 The Final るろうに剣心 最終章 The Final (2020) 完整版 |下載帶字幕的電影 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- singapora(2020) 完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- Chines(2020) 完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- Hongkong(2020) 完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上看電影(2020) ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 免費在線觀看(2020) ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 2020線上看電影粵語-流-下載完整版本 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 免費線上看電影 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 完整版本 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 上看2020HD.BD.1080p るろうに剣心 最終章 The Final ➽るろうに剣心 最終章 The Final- Chines(2020) 完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- Hongkong(2020) 完整版 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上看電影(2020) ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 免費在線觀看(2020) 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 2020線上看電影粵語-流-下載完整版本 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 免費線上看電影 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 完整版本 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- -線上看線上(2020-HD 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 完整版流媒體-(2020-HD )-1080P ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 完整版本-(2020-HD )-1080P 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上看完整版本電影完整版- ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- HD|1080p|4K| 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final-線上看線上(2020)完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- (2020,るろうに剣心 最終章 The Final- -) ➽るろうに剣心 最終章 The Final-台灣上映 2020るろうに剣心 最終章 The Final- — 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上看完整版本電影完整版- 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- (2020)完整版本 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 电影完整版【2020】 singapora(2020) 完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- (るろうに剣心 最終章 The Final- ) ~ 完整版下載[HD.1080P] 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- (るろうに剣心 最終章 The Final- ) ~ 完整版下載[HD.1080p] 漫威隊長【るろうに剣心 最終章 The Final- 】 完整版本 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 免費下載 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上るろうに剣心 最終章 The Final- ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 2020上看 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 免費線上看電影 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 2020線上 完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final-完整版 小鴨 2020るろうに剣心 最終章 The Final- 免費在線觀看 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- [2020] 線上完整版 るろうに剣心 最終章 The Final- ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 线上看(2020)完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上 [2020] 完整版 singapora(2020) 完整版【hd~1080p】線上看 ➽るろうに剣心 最終章 The Final-完整版小鴨 HD ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上看(2020) ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 台灣上映 2020るろうに剣心 最終章 The Final- (線上) 線上看 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上(2020HD) ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 2020電影完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- HD|1080p|4K| 香港流媒體 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 2020完整版 小鴨 (HD.BLURAY) 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 2020線上看電影粵語-流-下載完整版本 singapora(2020) 完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- (2020) 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 線上看線上(2020)完整版 ➽るろうに剣心 最終章 The Final-HD 完整版 小鴨 [2020] 線上 ➽るろうに剣心 最終章 The Final- 上看2020HD.BD.1080p るろうに剣心 最終章 The Final- ➽るろうに剣心 最終章 The Final- youtube(2020) ➽るろうに剣心 最終章 The Final- disney(2020) ➽るろうに剣心 最終章 The Final- netflix(2020) ➽るろうに剣心 最終章 The Final- movie123(2020) Definition and definition of film / film While the players who play a role in the film are referred to as actors (men) or actresses (women). There is also the term extras that are used as minor characters with few roles in the film. This differs from the main actors, who have larger and more roles. As an actor and actress, good acting talent must be required that corresponds to the subject of the film in which he plays the leading role. In certain scenes, the role of the actor can be replaced by a stunt man or a stunt man. The existence of a stuntman is important to replace the actors who play difficult and extreme scenes that are usually found in action-action films. Movies can also be used to deliver certain messages from the filmmaker. Some industries also use film to convey and represent their symbols and culture. Filmmaking is also a form of expression, thoughts, ideas, concepts, feelings and moods of a person that are visualized in the film. The film itself is mostly fictional, though some are based on actual stories or on a true story. There are also documentaries with original and real images or biographical films that tell the story of a character. There are many other popular genre films, from action films, horror films, comedy films, romantic films, fantasy films, thriller films, drama films, science fiction films, crime films, documentaries and others. This is some information about the definition of film or film. The information has been cited from various sources and references. Hope it can be useful. ❍❍❍ TV FILM ❍❍❍The first television shows were experimental, sporadic programs that from the 1930s could only be seen at a very short distance from the mast. TV events such as the 1936 Summer Olympics in Germany, the crowning of King George VI. In Britain in 19340 and the famous launch of David Sarnoff at the 1939 New York World’s Fair in the United States, the medium grew, but World War II brought development to a halt after the war. The 19440 World MOVIE inspired many Americans to buy their first television, and in 1948 the popular Texaco Star Theater radio moved to become the first weekly television variety show that hosted Milton Berle and earned the name “Mr Television” demonstrated The medium was a stable, modern form of entertainment that could attract advertisers. The first national live television broadcast in the United States took place on September 4, 1951, when President Harry Truman’s speech at the Japanese Peace Treaty Conference in San Francisco on AT & T’s transcontinental cable and microwave relay system was broadcasting to broadcasters in local markets has been. The first national color show (the 1954 Rose Parade tournament) in the United States took place on January 1, 1954. For the next ten years, most network broadcasts and almost all local broadcasts continued to be broadcast in black and white. A color transition was announced for autumn 1965, in which more than half of all network prime time programs were broadcast in color. The first all-color peak season came just a year later. In 19402, the last holdout of daytime network shows was converted to the first full color network season. ❍❍❍ formats and genres ❍❍❍ See also: List of genres § Film and television formats and genres TV shows are more diverse than most other media due to the variety of formats and genres that can be presented. A show can be fictional (as in comedies and dramas) or non-fictional (as in documentary, news, and reality television). It can be current (as in the case of a local news program and some television films) or historical (as in the case of many documentaries and fictional films). They can be educational or educational in the first place, or entertaining, as is the case with situation comedies and game shows. [Citation required] A drama program usually consists of a series of actors who play characters in a historical or contemporary setting. The program follows their lives and adventures. Before the 1980s, shows (with the exception of soap opera series) generally remained static without storylines, and the main characters and premise barely changed. [Citation required] If the characters’ lives changed a bit during the episode, it was usually reversed in the end. For this reason, the episodes can be broadcast in any order. [Citation required] Since the 1980s, many FILMS have had a progressive change in the plot, characters, or both. For example, Hill Street Blues and St. Elsewhere were two of the first American prime time drama television films to have this kind of dramatic structure [4] [better source required], while the later MOVIE Babylon 5 further illustrated such a structure had a predetermined story about the planned five season run. [Citation required] In 2020, it was reported that television became a larger part of the revenue of large media companies than the film. Some also noticed the quality improvement of some television programs. In 2020, Oscar-winning film director Steven Soderbergh declared the ambiguity and complexity of character and narrative: “I think these qualities are now being seen on television and people who want to see stories with such qualities are watching TV. ❍❍❍ Thanks for everything and have fun watching❍❍❍ Here you will find all the films that you can stream online, including the films that were shown this week. If you’re wondering what to see on this website, you should know that it covers genres that include crime, science, fi-fi, action, romance, thriller, comedy, drama, and anime film. Thanks a lot. We inform everyone who is happy to receive news or information about this year’s film program and how to watch your favorite films. Hopefully we can be the best partner for you to find recommendations for your favorite films. That’s all from us, greetings! Thank you for watching The Video Today. I hope you like the videos I share. Give a thumbs up, like or share if you like what we shared so we are more excited. Scatter a happy smile so that the world returns in a variety of colors.
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか? まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。 徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。 ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。

東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月��四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。

アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。 掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。 通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三��区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。

わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。 人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか? そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか? あるいは都市は既に死んだ? 人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける? このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。 実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもか���わらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?

白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。 午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。 こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか? 都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?

いやぁ、 未来都市ですね、
ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。 未来都市? だってこんなの、見たことないですよ。 ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市? ここは現在なのに? ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそ��とき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。

ようやく気づいたか。 ああ。 それで? おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと? どうかな、 本当は都市なんか存在しないのか? どうかな、 すべては幻想だった? そうだな、 どっちなんだ。 まあ結論を急ぐなよ。 おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。 知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。 あんたは誰なんだ。 まあ息抜きに歩いてこいよ。 息抜き? いつもやっているだろう。あの循環だよ。 ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。 キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする? 豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。 リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。 と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。

それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。 なあ、そうだろう? 応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。 コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。 さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明���この空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。

ほら、 幕は上がらないだろう、 お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ? あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか? それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか? 胸を抉られるような気持ちだったはずだ。 そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか? もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。 では、お前は想像の世界に満足したか? そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。 結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう? こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。 とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。

実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。 あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。 この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく��りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。 長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう? 一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。

まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。 わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。 どうかな、 で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう? そうだな。
もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。

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香港
200万人デモで、中国への警戒感を一層強める台湾。「香港独立運動の父」と呼ばれる台湾の独立派政党党首・陳奕齊(チェン・イーチー)氏は「世界各国が中国の国家転覆工作に警戒しているのに、日本はあまりに鈍感すぎる」という――。
6月16日、香港の金鐘(アドミラルティ)で行われた大規模デモの様子。デモ隊は「加油(ガーヨウ=がんばれ)」「不撤不散 (バッチーバサーン=撤回するまで解散しない)」と声をあげながらあたり一面を覆い尽くした(撮影=的野弘路)
■“台湾人よ、香港人の屍を乗り越えて”
「一国二制度」を信じたために、「刀把子(ダオ バア ズ)」を中国に握られてしまった……香港人はみずからそう言う。刀把子とは、「包丁の柄」のことである。要するに、今後は中国という料理人に好き勝手に切り刻まれるだけ、と言う意味である。
中国人が香港に続々と流入し、香港の市民権を取得した新香港人の数は150万人以上までふくらみ、今や香港の人口の5分の1に達している。その過程で、香港人は安心安全な生活をうばわれ、市民としての権利を行使できない状態に追いやられた。とうとう選挙権まで奪われた今、中国は香港の司法まで乗っ取ろうとしている。香港人は言論の自由と、法の正義を剥奪されようとしているのである。
デモに参加した香港の中年女性は、「中国と商売をすれば儲かると思い、お金につられて1997年の中国への返還を受け入れた。しかし、それによって香港人は自由や自尊心を奪われてしまった」と訴えた。そして、彼女は台湾人に「今天的香港是明天的台湾(今日の香港は、明日の台湾だ。気をつけてほしい。私たちの失敗を台湾は繰り返さないで)」というメッセージを送っている。
今回のデモの中でも「台湾人よ、香港人の屍を乗り越えて、中国から遠ざかって」というメッセージの書かれた垂れ幕が多く見受けられた。
“200万人デモ”が一段落した6月17日に、2014年の「雨傘運動」学生リーダーだった黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏が、出所した。その時、彼は出所会見の最後に広東語ではなく、中国語で台湾人に対して「今回のデモにおいても、台湾の多くの友人有志の支持支援に感謝します。『今天的香港今天的台灣』。今日の香港、今日の台湾は同じ状態だ、台湾のみんなも今後も努力を継続してほしい、一緒に北京の習近平の圧政に対抗していきたい。みなさんありがとう」と述べている。
■世界を震撼させた4月のスパイ事件
今年の4月18日ニューヨーク東部地区連邦地方裁判所でとある中国系アメリカ人女性の証言が世界の注目を浴びた。その女性は中国国際航空(エアチャイナ)の元職員、林英(リン・イン、女性、48)被告で、彼女は2002年から16年4月までニューヨークの中国国際航空の空港カウンターで勤務していた。その間少なくとも2010年から2016年までの数回、国連駐在の中国軍関係者の荷物検査をパスさせて北京への密輸を手伝い、駐ニューヨーク中国総領事館の職員から小包を無関係の乗客名で北京に送り届けていたのである。
林被告は「私は中国高官と私の雇用主であるエアチャイナの指示に従った。このことは米国司法長官に通知しなかった」と認めたと同時に、「中国当局から、報奨として、外交官特権の付与と自宅のリフォームなどを無償で受けていた」ことも自白したのである。今後、彼女は審議や調査にかけられ、最高10年の懲役と14万ドル程度の罰金、さらにアメリカ国籍剥奪の可能性もある。
■アメリカ政府は激怒
米国運輸保安庁(TSA)は、航空機に搭乗していない人の手荷物預かりを禁じている。さらにこの行為は「外国代理人登録法(FARA)」に違反する事件として、アメリカ政府を激怒させた。この法律は1938年にコミンテルンなどの外国権力のプロパガンダ活動家を焦点に当てて作られたもので、現在は政治的ロビー活動を行うエージェント(ロビイスト)の登録と監視を行うための法律である。外国政府や外国団体の権益を代表するエージェントは、アメリカ司法省へ届け出を行う必要がある。
米国議会、ホワイトハウス、連邦政府内などには、このような届け出を行い外国から依頼を受けたアメリカ人もしくは外国人が堂々とロビー活動をしている。アメリカはこの「外国代理人登録法」と「ロビー活動公開法」とでアメリカの不利益になる外国人の活動を抑制している。
そして、リン被告は裁判官の問いに対して、「中国政府と軍の代理であることを隠ぺいした」と自身の罪を認めた。スパイ行為にもあたる可能性があり、アメリカに帰化した一般の中国人を、中国の権益のためにスパイとして利用する手法が露呈したのである。
■国家安全のための「護台防中」6法
林英スパイ事件に、敏感に反応したのが台湾だ。台湾でも、中国との民間交流が進むなか、多くの中国人が台湾に観光に来るようになった。台湾への留学・就労・婚姻などによる移民なども増加している。その中国系民間人もしくは買収された台湾人が、中国当局のために何らかの活動を行っている可能性を、真剣に考慮しなければならない事例がアメリカで明るみになったのである。
蔡英文総統は2016年5月に総統に就任すると、真っ先に「護台防中(守護台湾 中国化防御)」の基本政策の下、すぐに国家安全に関する6つの法案の整備・立法化を進めていたのである。それが、以下の6法案である。
2016.11 陸海空軍軍士官服役条例(陸海空軍の軍士官の服役条例の強化)
2017.12 組織犯罪条例(組織犯罪条例の整備)
2018.05 証人保護法(証人保護法の整備)
2019.05 刑法外患罪(外患罪の刑法整備)
2019.05 国家機密保護法(国家機密保護法の強化)
2019.06 国安法 修正(国家安全法の修正、スパイ法の強化)
今回の「香港200万人デモ」が起こったのは、ちょうどこの6法案の整備が完成したのとまさに同じタイミングだった。台湾人も、香港の司法が乗っ取られようとする事態を目の当たりにした。
■台湾で行われた「親中メディアへの反対デモ」
そもそも、この蔡英文総統の対中国共産党の工作を想定した国家安全の一連の法整備と強行姿勢は、中国の猛烈な反感を買い、両岸関係は冷え切った状態になった。それに対して、台湾国民は蔡英文政権に不満を覚え、昨年2018年の統一地方選挙で民進党は大敗を記したのである。しかし、この地道な取り組みが、ここに来て正しかったと評価されることになるとは、蔡英文総統自身も想定外だったに違いない。
さらに、基進党党首の陳奕齊氏や民進党の立法議員は、アメリカにならった「外国代理人登録制度」の成立をさらに要望している。そのための行動が6月23日、台湾で雨の中、大々的に行われた。日本では「親中メディアへの反対デモ」として小さく報道されているが、真の台湾愛国派の目的は、「反境外勢力干預法(反国外勢力介入法)」の立法化なのである。
立法化が成就した場合、最初にそのターゲットとなるのが「紅色媒体(中国寄りメディア)」、次が「親中政治人物(中国寄り政治家)」だ。とくに現・高雄市長の韓国瑜(カン・コクユ)氏は、その矢面に立っている。昨年末の市長選挙の際の、特定メディア(3局)の韓国瑜候補への好意的に偏った報道がひどかったことが原因だ。さらに、韓国瑜市長は香港デモについて、当初「香港のことはよく知らない」などと曖昧な発言を行い、それがさらに中国寄りであるとの批判を受けている。
■世界中で進行する中国共産党への警戒の動き
こうした動きは、中国と常に緊張関係にある台湾だけではない。
2018年6月にオーストラリア議会は、「反外国介入法」として、外国のスパイ活動や内政干渉の阻止を目的とした複数の法案を可決した。可決された法案は「スパイ行為に対する罰則の強化」「オーストラリアの内政に影響や害悪を与えようとする外国当局による秘密工作、欺瞞(ぎまん)工作、脅迫行為の取り締まり(国家安全立法修正案)」だ。さらには外国による政治干渉を透明化するため、「外国の政府や企業の代理人となる個人や団体には、登録の義務化(外国影響力透明法=外国代理人制度に類似)」を制定した。
この法案が成立したきっかけは、2015年にオーストラリアの最重要軍事基地のダーウィン港が、不透明な経緯を経て中国企業と99年のリース契約を結んでしまったことに、オーストラリア国民が一斉に危機感をあらわにしたからだ。
2017年には、中国からの収賄や癒着を疑われたオーストラリア労働党のサム・ダスティアリ上院議員が辞職した。当時のオーストラリアには、現地中国系住民、留学生、新移民、駐在ビジネスパーソンなどからなるセミプロ諜報員が500人以上、中国人民解放軍の総参謀部、国家安全部、公安部から派遣されたプロの諜報員が300人以上潜伏していたとも見られている。
オーストラリア政府は2018年6月の法案可決後、「スパイ活動および外国の干渉はオーストラリアの安全保障と国防のうえで重大なリスクとなっている」「敵対的な外国当局が、機密情報の入手やオーストラリアの民主的手続きを逆手に取り、影響力を行使するためにさまざまな手法でオーストラリアの国益に反する活動を積極的に行っている」旨の声明を発表した。特定の国こそ名指ししなかったが、どの国を指すかは明らかであった。
一時期、中国寄りに傾いているとみられていたオーストラリア政府は、こうしてまともな方向へ軌道修正し直したのである。
■台湾基進党党首が語る中国の対外工作
筆者は、「港独之父(香港独立運動の父)」と香港中国系新聞に言わしめた台湾の基進党党首の陳奕齊(チェン・イーチー)氏に、オーストラリアをはじめとする海外諸国における中国の工作の実情について聞いた。
陳氏は台湾在住の台湾人だが、香港返還の翌年である1998年から2002年まで2年間香港に駐在し、早くから香港の危機を理解・憂慮し、香港の中国圧政からの自主独立を訴えはじめた。そのため、2005年には香港へ入国できなくなった。帰国後も香港の現状を台湾で蔡英文総統(当時党主席)に報告し、多くの香港独立運動の若者との交流や指導を行い、2016年11月の香港大公報に「台湾の香港独立の父」と報じられた。(「香独之父」と呼ばれている人物は複数いる)。
「彼らは外国にいる中国人留学生、中国系住民の団体や法人、駐在ビジネスパーソンを使い、外国政治家、有力者、企業、メディアへの働きかけを行い、間接的献金、優位な商取引などを持ちかけて関係を構築します。工作の目的は、主に①資源、②技術情報、③対中政策の緩和優遇、④領土問題(台湾・南沙諸島・チベット・ウイグル・そして尖閣諸島を含む)です」(陳氏)
このように、中国の世界への覇権行動・情報操作・地下ロビー活動は活発であり、先のアメリカやオーストラリア以外にも、カナダやヨーロッパなど世界的に中国の国家転覆工作への警戒を強めている。
台湾と中国両岸の政治的綱引きは、1996年の「ミサイルによる威嚇」からはじまり、「経済(お金)と人的交流(観光)の懐柔策」で緩み、そして昨年の台湾選挙でようやく中国は「情報(メディア)と心理戦による選挙への影響力を手にした」のである。実際、米ワシントン・ポスト紙も「中国は台湾民主選挙への干渉に成功した」と報道した(2018年12月18日付)。
■「外国法人のみを監督する時代は終わった」
当の習近平主席本人ですら、2018年12月18日の「慶祝改革開放40周年大会」の席上、「中国政府はすでに両岸関係の主導権と主動権を握ることができた」と発言したのである。これは、中国側が台湾の香港化を着実に進めていることを示唆しているものと、台湾有識者は危機感を強くしたのである。
「中国共産党は、資金融資、経済優遇、観光交流、文化交流からはじまり、軍事交流そして政治干渉にまで手を伸ばそうとする。そのためには、中国企業、団体を使って、中国での旅行の接待、性的接待、親族への金品の贈与や中国留学での奨学金や特別入学枠の確保などありとあらゆる便宜を相手に与えます」
「そして、最後に欲しがるのが、中国への『犯罪人引渡条約』なんです。これは、その国の司法に介入できる最終手段だから。中国の法で裁きたい人間の請求権を認めたら、それはもう独立国ではなくなるからです」(陳氏)
オーストラリアでも、この「犯罪人引渡条約」が批准の方向で一時動いたものの、2017年3月に撤回されている。
香港の自治を認める「一国二制度」の崩壊や、世界各国における中国の暗躍は、台湾をはじめ多くの国々に、中国の野望と中国の手法を教訓として残したのである。
陳氏は、「今までのように、外国法人のみを監督する時代は終わっています。移民者から本国人までのすべての一般市民、政治家、そして第四権力であるメディアまでも監視しなければいけない時代に来ています。しかも、第四権力としてのメディアは、無垢な一般市民までもフェイクニュースで操作できる時代なのです」と警戒感をあらわにする。
■風見鶏と二枚舌は日本を「信頼できない国」に
筆者は陳氏に、日本に対するアドバイスを求めた。
陳氏は、「まだまだわれわれは中国との情報戦、心理戦、国内の共産党勢力の排除に勝ったわけではない。台湾をはじめ世界の共産党勢力への戦いはまだまだ続くだろう」と述べた後に、「実は、一番心配しているのは、今の日本かもしれない」と口にした。
「スパイ防止法も外患罪も、ましてや外国代理人登録制度や外国人影響力透明法など、外国の工作に対してまったく無頓着なのが日本ではないか?」と問いかける陳氏。筆者との討論が進む中で、以下の問題点が共通の認識となった。
「沖縄や北海道などの国土を中国資本に買収されていても、それを経済活動の一環として放置している」
「日本の政財界は、一方的に中国市場への依存度を高める行動を取っている」
「日本の大学や専門学校は、無節操に中国人を日本の大学に入学留学させて、経済活動(お金儲け)を行っている」
「労働者不足と称して、(上記のような)法整備も不十分な状態で多くの外国人を入国させている。しかも、多くの外国人が行方不明になっている事実もある」
などなど、彼との討論からは、日本の鈍感と、経済的に活性化されるなら仕方がない、という拝金主義でしか動かない現代日本と日本の政財界の在り方を思い知らされた。
■世界で一番手に入りやすい日本のパスポート
筆者も毎月、日本と台湾を往復しているが、空港で明らかに日本人でない人が日本のパスポートを持っているのをよく目にする。以前もあるパーティーで「山本」と名乗る人と話をしたとき、日本語が少しおかしかったので、中国語で話しかけたら、上海出身の中国人だということが分かった。
彼の中国名は「李(仮)」だったが、帰化とともに日本名を使うことを日本の法務省から勧められたそうだ。うわさによると、日本の有力な国会議員の口利きで、パスポート所得や帰化申請に便宜が図られたケースもあると聞く。日本のパスポートは、ビザなし渡航可能国が世界一を数える世界で最も便利なパスポートではあるが、転じて世界で一番安い、手に入れやすいパスポートになってしまったのだろうか。
陳氏の目には、日本の姿勢が不可思議に映るようだ。
「2018年に中国へのODAを中止したと思ったら、スワップを再開した。アメリカへ追従して対中貿易戦争に協力すると思ったら、静観・傍観している。中国の一帯一路政策にも賛成したり、しなかったり。風見鶏的、悪く言えば二枚舌であり、最も信頼できない状態になる可能性があります」(陳氏)
「安倍首相は、台湾が天災など有事の際には必ず、励ましの応援メッセージ(つぶやき)をくれる。これには感謝するし、蔡英文首相も必ず返信する間柄だが、中国からの抗議や批判がないのも引っかかりますね。日本の外交のブレが、こういう形で疑心暗鬼を生むのです」(同)
■スパイ対策が進まない3つの理由
陳氏との厳しい討論は、なぜ日本で国家機密や技術情報、スパイ工作についての保護や対策が進まないのかにまで及んだ。2人で同意したその理由を列挙する。
1.すでに述べたとおり多くの政治家、官僚、監督官庁、業界団体、有力企業、メディアの中に、中国の権益を守るグループが存在しているのではないか(冒頭の香港の中年女性と同じ後悔が待っていそうだ)。
2.中国以外の、中国の傀儡(かいらい)国家の勢力も日本の政官財といった中枢に入り込んで、多くの操作をしているのではないか。
3.中国とのパイプや利権権益を、自分たちだけは保持・保有していたいという利己主義者が日本には多数いるのではないか。
とくに、第四権力であるメディアへの中国資本の影響力は増している、という見解が完全に一致した。2018年9月、台風21号による関西空港の台風被害に関する中国のネット発のフェイクニュースによって、台湾の外交官が自殺に追い込まれた事件があったが、そこからもわかるように、どこから発火・炎上し、どう操作されるかわからない。世界では報道、ニュース、マスコミ、インターネットの在り方が改めて見直される時期に来ているようだ。
しかし、台湾やオーストラリアといった民主主義国で違和感なく行われているこの手法を、同じ民主主義国である日本で仮に行おうとすれば、そんなマスメディアも含めた既得権者は「戦前回帰」「外国人差別」と称してアレルギーを起こす公算が高い。アメリカをはじめ、オーストラリア、台湾、そして香港が、外国勢力に侵食されている一方で、今の日本が唯一無傷でいるとは到底考えられない。その克服のためにも、一般市民も含めわれわれはひとごと、無関心、鈍感であってはならない。日本も一刻も早く見えない呪縛を断ち切らねばなるまい。
「日本でもこの危機を、香港、台湾、豪州、アメリカの例を通じて、正確に報道してほしい」と陳氏は訴えた。「日本の歴史やわれわれが知っている日本精神からすれば、日本はアジアの民主主義の盟主として、香港そして台湾、さらには中国の侵略に苦しむ国家の指導的立場になる国だと思うし、そう信じている」――陳氏はインタビューをそう結んでくれた。
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藤 重��(ふじ・じゅうた)
アジア市場開発・富吉国際企業国際顧問有限公司 代表
1967年東京生まれ。86年成田高校卒業、91年台湾大学卒業。92年香港で創業、アジア市場開発設立。台湾 資訊工業策進会 顧問(8年)。台湾講談社媒体有限公司 総経理(5年)などを歴任。現在 日本と台湾で、企業顧問業務、相談指導ほか「グローバリズムと日本人としての生き方」などの講演活動を行っている。
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(アジア市場開発・富吉国際企業国際顧問有限公司 代表 藤 重太 撮影=的野弘路、FUJI JUTA 写真提供=基進党)
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歴史創作古典音楽家の小話練習
「それは嘘だよ。根もはもない噂だ。その証拠に僕の他にも多くの人が疑われたし、その度に無実と彼の病死を証言するものが現れた。けれど想像してほしい、夭折の天才が病に倒れた台本と、何者かによって暗殺された台本ならどちらのほうがセンセーショナルか、興味を書き立てられるか…」
サリエーリは目を伏せ痛みを堪えるように囁いた。それがあまりに頼りなげな声で枩は言葉を失った。
「暗殺はおもしろいものなのか」
六花が感心したようにいうと、サリエーリはため息混じりに挑戦的に笑ってみせた。
「少なくとも僕なら、実は陰謀と暗殺が渦巻いていたと言われた方が面白いよ、シンプルすぎるはなしはウケが悪いもん。すこばかり小難しくひねった展開を持ってきた方が客は喜ぶ。”嘘は大胆に、事実は繊細に”ってね」
モーツアルトがいつもの早口でまくしたてていく。
僕らの間には、好機と悪意のどす黒い糸で繋がれている。この意図が薄れることはあれ消えることはない!僕は過去を糾弾できなず彼は過去を証明できない!僕は運命にたいしてあまりに無力だ。けれど僕らは自由を得ている!五線譜のなかに描かれた自由が!時間を越えて君たちに届くだろう!土地を越えて歌い次がれるだろう!僕の思惑を越えて鳴り響く音色は僕がしらない自由の音だ!さぁ諸君、唇に歌を!手のひらに音楽を!
復刻公演を始めよう
それはひどく寒い日だった。僕は一向に良くならない体調不良に生命の危機を感じていた。こういうことは今までもあったしなんとか持ち直してきたのだから今回もなんとかなると思う反面子供の頃のように病寮に専念することも出来ない事情が…曲の締め切りが…あってベッドのなかに五線譜を持ち込んでちびちびと書きすすめていた。頭の中で鳴り響くメロディーも音符に書いたとたん味気なくなるあせりを必死にしのいで行くのが僕のスタイルだ。思うままにやり過ぎれば聞き手から理解されなかったりどんな楽器でも演奏不可能な音を、誰にでもわかってすぐに演奏できる音に言い換えていく。これがなかなの重労働だというのに、あまり理解してもらえたことがない。友人に訊いてみると、大概の人間はそれ以前の段階で行き詰まり心地よい旋律とはなにかを探して袋小路に入るのだ、と語った。その感じはわからないけど君にもあるの、と僕がいうと彼は、無知を取り戻すことは出来ないのだから気にするな、と答えた。意味はわからなかったけれど気を使われたのだとおもう。
発熱でぼんやりして音に集中できないばかりか空想と過去の出来事が混ざった気持ちの悪い夢がいつまでも続いている。夢の中で書いているのか、書いているうちに悪夢をみたのかもはっきりとしない。
そうこうするうちに、コンスタンツェが出掛けると声をかけてきた。買い物に行くのだというけれど、僕は幼い息子二人と家に閉じ込められてしまう。でも、彼女が子供たちを連れて出れば誰もいない部屋に僕は一人きりになってしまう。それはいやだ、行かないで、傍にいて、身支度をする彼女いいすがるけれどちっとも聞いてはくれない。明日のパンがないの、言うことをきいて、とまるで幼い子供のように僕をあやしている。子どもじゃないんだ、とムカムカしているのに、ただただ行かないで一人にしないでと追いすがるしかできなかった。熱に浮かされた頭の片隅のすこし残った冷静な僕からの無様を見下ろす視線を感じながら、僕は明日の食卓にパンやコーヒーがないのも嫌だしコンスタンツェのいない家に取り残されるのも嫌だといい続けていた。
彼女がいよいよ怒り出す気配を感じた頃、ドアをノックする音が僕の耳にも、おそらくコンスタンツェにも届いた。
「誰かしら」
コンスタンツェは僕をひっぺがして玄関ドアへ向かうと、誰かと親しげな挨拶を交わした。
「取り込み中に、申し訳ありません。奥さん。ご主人がすっかり滅入っていると噂に聞いてすこしばかり気付けになれば、と本を借りてきたのですが…忙しいようでしたら、こちらだけお渡しして、私は失礼させてもらいます」
友人にして上司の声が聞こえて僕は口論の現場となっていた寝室から飛び出した。
「サリエーリ!」
コンスタンツェの脇をすり抜けて彼に抱きつくと、叫び声をあげながらなにか大事そうな荷物を抱え直した。
「モーツァルト。寝ていたんじゃないのかい」
「あなたの声が聞こえて飛び起きたんだ。サリエーリ、 聞いてよコンスタンツェが僕をおいて出掛けるっていうんだ、病気の僕を一人きりで家に閉じ込めるつもりなんだ!まるで毒を盛られたように苦しいのにタンツェはわかってくれない、僕の話を聞いてくれないんだ!」
「パンとチーズを買いにいくだけじゃない!すぐに戻ってくるっていっているでしょ」
「うそだうそだ!そういって僕を厄介払いするつもりだ!赤ん坊みたいにめんどくさいボォルフガングの世話焼きなんて懲り懲りなんだ!」
「そんな風には言ってないでしょ!」
「サリエーリ!僕を助けてよ、タンツェが怒るんだ!」
僕はなに口走っているのかもわからなくなって目の前に現れた人にすがった。僕ら夫婦は確かに富と栄光を手に入れたけれどそれを管理しきれるほど大人ではなかった。けれど彼は違う、自分のことだけじゃなくて他の楽団員や憐れな身の上の子どもにも親切にして、身を持ち崩すこともない。
「わかった、わかったよ、モーツァルト。君のリクエストを述べてもいいよ。でも、その前に離してくれないかい。借りてきた本を痛めてしまう」
困ったように彼がいうから僕もはっとして恐る恐る体を離した。幸運にも彼は本を落とさ���かったし、僕を抱き返すことがなかった両腕はそのかわり何冊かの古めかしい本を大事に抱えていた。
「以前いっていた楽譜を借りてきたんだ。君は病気をしているときいて、そんななかで渡していいものかとも思ったのだけれど、僕が君に見舞えるものなんてこれ���らいしかないし、僕が考える一番元気になるものがこれなんだ」
「ありがとう、やはりあなたはたよりになる。音楽の法皇のあだ名は飾りじゃないね。先生、どの楽譜なのかゆっくりみせてよ。特別に寝室にいれてあげるから。ピアノの前でもいいよ。先生はチェンバロのほうが好みかな」
「楽譜は、これだよ。先に行って準備をしてきなさい。僕もすぐにいくから。わかったね」
先生とかお父さん、というのは僕が時おり彼のような年上の男を親しみを込めてからかっていう愛称だ。嬉しくなった僕は彼からほとんど引ったくるように楽譜をもらってピアノへ向かった。彼はすこし妻と話をしたようだったけれど、すぐに僕の弾くピアノにつられて部屋に入ってきた。
「君が弾くと、どんな曲も音楽の喜びを知ったばかりの子供達の歌声のようだね」
彼はしみじみといいながらピアノにもたれかかった。あまり知られていないことだけれど、彼はところどころ行儀が悪いしとても悲観的な人生観を持ちながら陽気な歌を歌う。そういう姿を見ると、彼もイタリア人なのだなぁと感心したりする。僕のような典型的なゲルマン民族はなかなかそういったことに思いきりがよくない。決められたことは決められたこととして守らねばならないとおもっているし明日をよくするための努力をするべきだと考え新しい規則を試して回る。僕はあまり決まりを守らないけれど守る必要がないから守らないだけだ。
彼が借りてきてくれた楽譜を1つ読み終わる頃には僕はすっかりと疲れ果てていた。たいしてなが曲じゃないのにこうもぐったりするのかと自分でびっくりしていると、彼はゆっくりとした動作で僕のそばに来て楽譜を片付け始めた。
「今日の分は、満足しただろう?一度休憩すればいい」
穏やかに微笑んだ顔が二重にぼやけてみえたから、僕はうなずくことにした。椅子から立ち上がれないでいると、僕の肩を抱えて助けてくれて寝室まで運び込んでくれた。眠たくなってきた頭の隅で、優しい人なのだなとすこし驚いたし、驚いたことに驚いた。
もともとベッドで寝ていた僕は簡単な部屋着姿でいてこれ以上脱ぐべきシャツも着ていなかったから、運ばれた先でモゾモゾと気持ちのいい定位置を探して立ち尽くす彼を枕元に呼んだ。書きかけの楽譜を彼に手伝ってもらうことをひらめいたんだ。彼の字はわりときれいな方だし、僕の手が震えてインク瓶をひっくり返してしまうことを思えばとてもいいアイディアに思えた。
続きをいうから書き留めて。と僕が告げると渡された楽譜をめくりながら
「僕がこの素敵な音色を出し抜いて、自分のものにしてしまう、とは考えないのかい」
と呟いた。
だから、思わないよ、と答えてあげた。だって君は君のハーモニーに誇りをもっているだろう。そういってあげると彼はそうだね、盗作には興味はないけれど、ひょっとしたらいつか君の曲を参考にさせてもらうかもしれないよ、と言った。
「それだけすてきな曲ってこと?光栄なことだよ」
「モーツァルト。言いにくいが、君は休養に専念するべきだよ。今だって、ペンを持てないほど弱りきっているんだろう?完成を急ぐ気持ちはわかる。けれどこれで倒れてしまっては、元も子もないよ。君が眠るまでそばにいることを約束するから、無謀な執筆作業なんてやめて、いまはひとまず、眠りなさい」
「いいや、サリエーリ。君は僕の指示を聞きながら続きを書くんだ。僕には時間がないんだわかってよ」
「これ以上体調を崩すと、戻ってこれなくなる」
「もどるってどこへ?音楽以外に僕が生きて行ける場所なんてあるの?変わり者の僕に?それとも君が口添えをして僕を第2楽団長くらいにしてくれるの?」
「君が望み、責務を全うできるのなら、それも考えよう」
「ごめんね、僕はもう宮廷には興味がないんだ。パトロンに飼われるのもまっぴらだ!どっちにいたって僕は僕の音楽を奏でられない!ならどうすればいいの?僕ずっと考えていたんだ。考えてやっと見つけた自分の曲を売り込めばいいんだ今時いろんなところで演奏会はあるし市民のための音楽を奏でたっていいんだ!そうすれば僕はもっといろんなことができる。いろんなひとに見てもらえる!ねぇパパ、僕はすごいでしょう。今に世界中の熱視線を集める売れっ子になるんだ!そのための第一歩だよ、レクイエムを書き上げなきゃ。もう構想はまとまっているのだから」
彼はため息をついた。それからチェストに投げ出されたペンとインク瓶をどけて楽譜を広げた。手頃な椅子を引っ張ってきて浅く腰掛け、ベッドの縁ギリギリでクッションに埋もれた僕に呼び掛けた。
「君の気が落ち着くまでだよ。いいかい、少しだけだよ」
僕はうわ言のように曲を呟いていった。頭のなかで組上がった美しいものをどうにかして吐き出したくてしかたがない。これは素晴らしいものになるという自信があるのにそれを書き起こすのがまどろっこしくてしかたがない。彼が、もう少しゆっくり、とか、もう一度、とかいうたびに僕はイライラとしてひどいことばを交えたけれど彼は気にせずに必死に僕のメロディを書き留めていた。
この曲は今までになく壮大な祈りの歌だ。死者の魂を慰め、同時に残された者に音楽の感動でもってあらゆる悲しみも怒りも喪失もすべての報われるべき感情を美しいものへと押し上げる音になるはずだ。そうであってほしい。そうなると僕は信じている。
「これは、きっと、人類のたからに、なるよ」
筆を止めることなく、きっと意識することすらなく滑り落ちた訛りきついイタリア語に彼は底抜けにいい人だなぁと思ったところで急に疲れてしまった。総譜を一気に書き上げるせいであのパートもこの部分もとあちこちをいったり来たりしたから1フレーズも進んで着ない気がする。
「Du アントニオ」
僕が音を止めてなお、追い付けていないパートを書き足していく彼は僕の最愛の呼び掛けをすこし聴き逃したのかすこし遅れて顔をおこして、ちょっとまって、と子供のような口調でそういった。
「アントニオ、やっぱりすこしおかしいや。たったこれだけで疲れてしまった」
彼はようやく顔をあげた。寒い日だというのに額で汗が光っているのが窓から差し込む夕日のおかげでよく見える。
「だからいったんだよ。ほら、満足したなら休むといい」
「まって、僕が寝たらすぐに帰っちゃうつもりでしょう。僕わかるんだからね。絶対にいやだからね。ずっとそばにいてくれなきゃいやだよ。僕が寝て起きるまでずっとだよ」
「モーツァルト。じきに夫人が帰ってくるよ。それまでは僕がそばにいるよ」
「いやだね、やだ、起きるまでいてくれると言ってくれなきゃいやだ。それまで寝ない」
意味もない駄々をこねているのはわかっているのにどうしても口を止められないでいた。それぐらい一人になりたくなかったし僕は弱っていることをだんだんと自分でもわかってきた。頭はいたいし身体中がきしむんでいるし熱を持っている気がするし、腹はムカムカしてきてどこがどうわるいのかもわからないありあさまだ。
「子供みたいなことをいうんだね、モーツァルト」
「ヴォルフィと呼んでくれなきゃいやだ」
「ヴォルフガング。君が子供みたいに振る舞うのなら、僕も子供みたいにあやしていいのかな」
「かまわないからそばにいてよ、いやだよいかないで」
僕が握りしめているジャケットの裾に彼は気づいていないようだった。絶対に離さないようにぎゅっとしていると、彼はすこし楽譜を片付けてインク瓶に蓋をして、僕に身を屈めて頬と額とまぶたにキスを落とした。これは親愛の挨拶なのは知っている。さすがに唇をつけることはなかったし、キスをしたような音を立てただけだったけれど、いつのまにか父親として子供達や妻にするばかりでされることのなかったものだから僕は嬉しくなった。彼に、あの彼に、僕は愛されているんだ!そういう暖かな気持ちが大人になりきれずに腐っていた僕の足元を照らして温めて、ともかく安心した。
「君のレクイエムは、素晴らしいものになると予感しているよ。ほんとうに。だから、君はきっとあれを、君の手で書き上げるんだ。今回僕が手伝ったのは、なかったことにしてくれ。できるだけ似せてかいたけれど、僕の字が混ざるのはいやだからね、ちゃんと清書してほしい。君はこんなに苦しみながら作曲したことなんて誰にも知られたくはないと、僕はおもっているんだ。うん、眠いのならば寝てしまっていいよ。君が寝て、起きるまで、となると長丁場だだろう?僕の独り言だと思って、寝る前のお伽噺とはいかないけれど、そういうものだと思って、聞いてくれよ。君が困っているなら、僕は融資をしてもいい。実はね、奥方に渡したのと別にすこし、包んできたんだ。これは君のために使うんだ。医者にかかって薬をもらって、もしそれであまりが出たなら、遊びに使ってくれても構わないよ。これは僕の私的な、妻にも内緒で貯めた分だから、まるごと君にあげるつもりだよ。でも僕は強欲だから、その辺りは君がよく知ってのとおりだよ、君が健康回復した暁には君の公演で、僕をピアニストに指名してくれないかな。君ほどではないけれど、僕もピアノ��弾けるからね。でもあんまり難しいのは、やめてほしいな。最近指が動かなくなってきて、困ってしまうよ。添え物くらいのピアノがいいな。それで、君が指揮を振るって僕がピアノを弾いて、ウィーンで一番の演奏家と、一緒に演奏なんてしたらきっとみんな目を覚ますよ、君のような型外れな音楽があっってもいいんだって。面白いとは思わないかい。僕は王宮仕えが性に合っているけれど、時々すごくどうしようもないくらい退屈だからね。君のような音楽家が活躍できる場所を、作らないといけないよ。…モーツァルト?…ヴォルフガング。眠ったかい?」
彼は一通り語り終えると何度か愛称を呼び掛けて、そのころようやくしっかりと捕まれたジャケットに気づいてひっぺがすのに苦労して、そのうち諦めて、約束通り妻が帰宅して強引に手のひらをほどいてかわりに彼女の小さな手のひらを握らせるまでそばにいた。僕はまどろみながらそれを見ていた。
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世界選手権2019 公式練習・男子SP
2019.3.21.Thu
1億年ぶりくらいのTumblr更新です。記憶の鮮度が落ちる前に、ワールドの感想を認めておこうと思います。全日程全カテゴリーについて詳細に語りたいのは山々なのですがとんでもない長さになってしまうので、一先ずは主に羽生さんに関してのことを。
3/18の公式練習から1週間毎日さいたまスーパーアリーナに通っていたのですが、3/18は丁度羽生さんが帰国した日、3/19は仕事の為男子の公式練習に間に合わず、おれが今大会で初めて羽生さんの姿をこの目で拝むことが出来たのが3/20の練習リンクでの公式練習でした。海外観戦の経験が少ないおれは、公式練習の観覧は初めてでした。一度この目で見てみたいとずっと思っていた念願の羽生さんの練習着姿。FaOI静岡以来の生羽生さん。その時間が刻一刻と迫る度に自然と心拍数が上がり、掌に汗が滲む。そして目の前に現れた、夢にまで見た練習着姿の羽生さんが氷の上に乗って滑り出すのを見て、それだけでもう胸がいっぱいで泣きそうになってしまった。もう何度も何度も生でその姿を見ているのに、見る度に羽生さんが余りにも綺麗できらきらしていて、本当にそこに存在しているのか毎回目を疑ってしまう。エッジが氷を削る音やジャンプを踏み切る音・着氷する音、風や重力を感じてああ本当にそこにいるのだなあとやっと実感する。そしてぴったりとした黒い練習着に包まれている無駄なく鍛え上げられたその身体のラインは、まるで芸術品かのように美しくて双眼鏡でじっくりと眺めてしまった。音なしでオトナルさんを通して滑った後、曲かけでオリジンさまを見られるという贅沢さ。練習中は終始程よく肩の力が抜けた良い緊張感の中、4Loを何度も念入りに確認していた印象。ああ羽生さんが試合の舞台に戻ってきたんだなあ、おかえりなさい、ずっと待ってたよの気持ちで胸がいっぱいになってしまい既に感無量。そしてここが日本だからかは分からないけれど、Y字バランスしてみたりちょっとふざけてみたりファンサ多めでつい頰が緩んでしまうのを抑えられなかったよね…とても可愛かったです…おっと練習だけでこの文量はヤバイですね、そろそろ試合編に移りましょう。
3/21男子SP。おれにとってはこのワールドが平昌オリンピック以来の試合生観戦。最終Gの6練開始時刻が迫ってくるにつれて緊張で心臓が早鐘を打ち、手に汗が滲み指先が冷えていく。この日の席は400レベルで、そんな遠い席から目にしたオトナルさんは、薄氷のようなひんやりとした水色をたっぷりと覆ったストーンが照明を反射して、少し動く度に眩いくらいにきらきらと煌めいて、まるで青く透き通る多面体の宝石のようでした。6練中はなかなかジャンプを跳びに行けない、跳んでも上手く決まらないというシーンが目立ったけれど、「羽生さんなら絶対出来る、大丈夫」を心の中でおまじないのように繰り返す。6分間はあっと言う間に過ぎ、選手達がリンクから引き上げていく。平昌オリンピック男子SPの時と同じように、羽生さんただ1人を残して。
名前がコールされリンクの中央へ向かう羽生さんに、沢山の、本当に沢山の声援が降り注ぐ。皆この瞬間をずっと待ち望んでいたのだ。羽生さんがスタートポーズにつくと、会場は水を打ったように静寂に包まれる。ピアノの旋律がその静寂を破って、アルバムのページをめくるように羽生さんが動き始める。するすると氷を撫でるようにあっと言う間に加速して、4Sの軌道に入る。跳び上がった瞬間、息を飲む。抜けた。2Sになってしまう。まだ、まだここから。手をぎゅっと固く握り締め、祈るように見つめる。多くの観客が落胆の声を漏らす中、羽生さんがイーグルで気怠げにリンク中央をすっと横切っていくと、再び緊張感の糸がピンと張り詰め会場は息を潜める。カウンターからの3A、そしてすぐにツイズルへ。一連の動きには全く淀みがなく美しく流れていく。全てが完璧としか言い様のないそれは、GOE+5が付いてもおかしくない。そして演技は中盤へ。演技時間の半分を過ぎ後半に入ったところで大きな得点源であるコンビネーションジャンプが待っている。ここは何としてでも決めてほしい…!手に力が入る。鋭い4Tから、両手を上げて3Tのコンビネーション。大歓声。着氷はやや詰まってしまったものの、上手くイーグルに繋げた。よし、よし、後はスピンとステップだけ…!まずはFCSp、SPでは大好きなドーナツポジションが長く見られるのが嬉しい。この日もとても美しかった。続いて間髪入れずにCSSp、曲を見事に捉えた多様な腕の振付が素晴らしい。さあ、いよいよStSq、クライマックスだ。力強く両腕を振り下ろし顔をバッと上げてさあ刮目せよとばかりにステップ前に"溜め"を作るその姿からは溢れんばかりの気迫が目に見えそうな程で、ニースロミオのステップ前に雄叫びを上げる若かりし頃の羽生さんの姿が重なって見えた。複雑なステップを踏みながら見事に緩急をつけて、激しく、美しく、リンクを駆け抜けていく。美しいCCoSpで演技は締め括られ、アルバムをそっと閉じるように羽生さんが動きを止める。
頑張ったね、素晴らしい演技をありがとう、おかえりなさい、色んな気持ちが込み上げる。無事に復帰初戦を滑り終えた羽生さんに、スタンディングオベーションと拍手で精一杯の賞賛を送る。勿論サルコーの回転が抜けてノーカンになってしまうという大きなミスもあったし、その他のジャンプも羽生さん比でベストではなかった。しかし実際これまでに何度もこのパターンは経験している。あのヘルシンキワールドだって、SP5位と出遅れながらFSではルール変更前の世界最高得点を叩き出す圧倒的な演技で劇的な逆転優勝を果たした。追う立場にある羽生結弦は、強い。これはFSの日、間違いなくさいたまスーパーアリーナは灰になるまで燃やし尽くされるぞ。燃えてさいたま…!羽生さんなら絶対に大丈夫、そう信じてSPの日は幕を閉じたのでした。
いや〜長いですね。すみません。本当はFSとEXについてもひとつにまとめるつもりだったんですけど、余りに長すぎたので分けました。因みにこの日はソチ後からずっと仲良くしてくれてるフォロワさんと一緒の観戦だったので、休憩中も含め1日とても楽しく過ごせました。競技の合間に食べたクアアイナのめっちゃ大きいハンバーガーと、ロイヤルホストの噂の苺のブリュレパフェがとてもおいしかったです。おいしいものを沢山食べてカロリーを大量に摂取したお陰か、この日は帰るまで元気モリモリで過ごせました。やはり試合観戦はとてもパワーが要るので(推しが出場している場合は特に)、遠征先でおいしいものを食べるのは理に適っているのだなあとしみじみ思いました。そして羽生さんはやはり雪肌精の擬人化というか、最早雪肌精そのものでしたね。400レベルから見ても分かる、あの透き通るような濁りのない美しさ。透明感。それは、美しさの原点。






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旅 【後編】
私がシネマジャック&ベティさんで母僕を観てる頃には、優しい友人はもう舞台開場の1時間前にKAATに到着。2人分の当日券の買うために。二枚のS席のは無かったので、A席でも構いません。行けたら幸せだと思った私。どうせ土曜日はかなり前の席だから。24列は一階の最後からの2列目の列だったが、出口に近いから、休憩時間に早くトイレに行ける。悪くない。席を座る前にまずプレゼントを置いて行った。収納ボックスの中結構いっぱい。隼也くん宛のプレゼントも。そうして迷わず噂のパンフレット2冊を購入!絶対ヤバいから覗く気もなく、すぐ持ってきたクリアファイルの中に。日本の演劇舞台鑑賞は初めてだったが、アメリカでは色々観た経験がある。遠い席はステージ全体を観られるから、原作を読んだ事ない私、遠くからの鑑賞でストーリーを分かりやすくなるからいいかもしれない。右は友達。左の隣席は18:20も誰も来なかったから、足元に置いたカバンは横のスペースに。もし誰かが来たらもちろんどかす。後ろからの2列目。この時間はもう来ないだろうと。いきなり現れたイライラおじさんにちょっと怒られ、すぐカバンを移動した。2階のB席は見に行ってなかったが、1階であんなに後ろの席だから、隣が空いてると思いきや、ほぼ満席の1階の金曜日。予想外でした。関係者じゃないけど、沢山のお客様が来て貰って良かったね!ありがとうございますと皆さんに言いたい。笑。観劇のため新しく買ったオペラグラスを友達が調整してくれて、準備万端。幕が上がる瞬間、列車を見えた。始まるぞ!隼也くんが出た瞬間、オペラグラスアップ。今日は舞台の全体を観るつもりだったが、やっぱり隼也くんの表情も見たいし。いやいや、自分でウソついてどうするの。イケメンお顔を見たい。生のお声を聞きたい。立ち居振る舞いを見たい。演技を堪能したい。結局オペラグラスを使わないと表情も観られない距離だから、沢山使った!でも表情を見なくても役の岬慎吾くんの感情を良く感じるお声、本当に素敵だったね。観月さんを遠く見ても綺麗すぎる。アップして見たら悪魔の役なのに天使のような美しさと豊かな表情の大女優さんの圧倒的な存在でした。彼女のテレビドラマは観たことあるけど、生でこんなにパワフルは知らなかった。発声がすごくクリアで聞きやすい。普段の日本語も全部分からない私、彼女のセリフは全部聞こえました!主演である観月さんはやっぱりこの舞台のリーダーでした。えー?どして幕が下がるの?気づいたらもう休憩の時間。1時間半どこに行ったの?面白かったから時間も早かったと感じた。後半は高島さんとのシーンに感動させました。自分がいつかこの世を去ったのは誰も分からないこそ、周りの人に大切にしなきゃ!そうして自分のこともたまには甘えてもいいじゃないかなぁ。有意義な人生を生きろう!Live your life to the fullestこの舞台が私にくれたメッセージだと思います。
トイレを行って、劇場に出た頃はもう22:00過ぎ。夕ご飯まだ食べてない寒い夜にお腹がめっちゃ空いて来ました。顎半分をマフラーの中に埋めて、夜風と戦いしながら友達と劇場の反対側の交差点に信号を待っていた。突然後ろに男達の会話で「白石くんが…」何とか何とかを聞こえて。私の耳は宇宙人のアンテナみたいにあるお名前だけにとても敏感で、向いて見たら、先ほどステージにいたぼんちおさむさんでした!喜んでた私、直ぐ笑顔でお疲れ様ですってご挨拶。ぼんちさんも「どうも」って笑ってくれて。信号まだ変わってなかったから、私が握手をお願いしたらしてくれました!おまけに頭を叩くフリをしながら舌を鳴らすまでして貰いました!優しい!同行2人の若いイケメンお兄ちゃん達は誰か知らないが、交差点を渡ってから、私の握手の行動を観た若い男女カップルの女性は金髪のお兄ちゃんに同じお願いを。そっちも握手してくれました。なんか寒い夜に暖かく感じました。横浜駅に戻ると決めた私と友達は、レストランほぼ閉まった時間にスタバでもいいから、とりあえずどっかに空いたら直ぐ行きたい。結局駅の中のドトールコーヒーにアイスラテを頼んでサンドイッチを食べながら、お話を盛り上がった。時計を見たらびっくりする時間でした。駅のインフォメーションに聞いたら、昼に使った線はもう終わった!もう一本線は7分後終電です!人生初の終電ギリで友達と乗れた。良かった!もしタクシーで新宿まで戻ると何枚のS席のチケット分だろう!お風呂を入って、会社のメールチェックして、寝るは真夜中の2:30でした。寝不足アゲイン。
土曜日は横浜でファン友と早ランチ。舞台の開場は13:30だから。連日の疲れが取れてなかった私が久々美味しいとんかつランチセットを食べてもあんまり進まなかった。でも今日は4列目!頭の中は元気いっぱい。劇場に着いたら、今までTwitterで声を掛けてくれる方々に初めて会う事。皆さんの温かさに感動され、ハグしまくってました。席の所に入ったら、ステージに近い!昨夜のA席との差がかなり感じた。1列目には知ってるファン友もいたのが、自分にとってこの下手の4列目の通路側は神席でした。通路だから、左隣にはイライラおじさんがいなかったし。真すぐには席がない。ズレてるから、足も伸びれる。カバン置くスペースも余裕があって。ハッピーガールな気分でした。でも一番ハッピーのは何度も何度も真正面に隼也くんが目の前に立っていた事だ!ほんの数メートルの距離。カッコよかった!なんであんなにカッコいいの?超美人の観月さんに負けず小顔!そしてスタイルが良くて。ずっとあの下手の一ヶ所に立ってもいいよ、全然飽きないから。何を考えてるの!それは困るでしょう。お芝居してるのに!あの役は下手にいる事が多くて本当にラッキー。上手にいる時は道具用カメラで写真を撮るフリのお芝居があって、ちょうど下手の私の方向に撮ってるよ!嬉しい!岬くん、こっちこっち!数秒間妄想の世界へ行ってしまう距離と位置だった。豊かな表情を肉眼で見られて幸せでした。ステージに近かったから、足音も聞こえたし。先日が分からなかった内容も復習できて今日はちゃんと理解できた。3時間またあっという間に。その夜、���ァン友が綺麗な夜景ある聖地まで連れて行って。最後は6人で和食。精霊に魂を取られて最悪疲れた顔の私がとりあえずサラダ以外お吸い物かお茶漬けしか食べたくない時、何と究極のメニューが目に入った!鯛茶漬け!!これは異議なしで全員分の締め料理をしました。笑。めっちゃ美味しかったよ。付き合ってくれた皆さん、本当にありがとうございました。楽しかった。
翌日も舞台だった。毎日KAATに通う事が日課になってきた。今日のランチは中華街で。前にファン友さんがツイートでご紹介したワンタン麺が食べたくて、Googleマップで調べたら、簡単に場所を見つけたが、まだ準備中。並ぶもイヤだけど、今からラインアップしないと、多分食べられない覚悟。その時私が直接に広東語で聞いたら、優しいご主人が11:30に戻れば3人分の席をセーフしてくれるって。ラッキー。45分間もあって街ブラできる。イエーイ!美味しそう食べ物を揃ってる道道には、手相占いのお店が目に留まった。遊ぶ心半分だったが、まさかテレビ番組でさんまさんとキムタクが仮装して訪れてた有名な手相先生でした。言われた事と過去がびっくりする程当たってて、ここに公表したくもないんだが、一応私のことはチャーミングで頑固な性格を認めます。笑。結局ワンタン麺のお店に遅れて半分走って戻りました。11:35にお店の外は長蛇の列。中に入ったら、小さい店内でテーブルを用意してくれた。遅刻して本当に申し訳ない。ワンタン麺は香港の本場のレベル。細めんは歯ごたえがあって、ワンタンはえびたっぷりで、本当に美味しかった。翌日がちょうど旧暦のお正月だったから、帰りはご主人にちゃんとお礼と新年のご挨拶を申し上げました。
神奈川の千秋楽にはどうしてもスタンディングオベーションする事に決めた私。例え誰もしなくても一人でも絶対するって友達に言いました。気のせいじゃないと思うけど、千秋楽の隼也くんのお声は金土の公演より一段と激しくなって来た。今よく考えたらあの純粋な岬くんが舞台公演前に福岡の色気満載のダー子ちゃんを演じた人だよ。あの頃のタイミングでレスリー・キーさんが呼んでくれてセクシーダイナマイトオトコの写真も撮って貰ったでしょう!ギャップの大きさに感服しました。役者さんは本当に大変だと改めて思った。隼也くんの携帯アドリブはとてもナイスアイデアで前の席のファン友さんと興奮しちゃって、何回も無意識で彼女の腕や肩を握ってたと思う。カーテンコールは予定外にスペシャルカーテンコールをしてくれた。役者さん全員1人1人で自己紹介や感想を。そういう場合いつも照れる隼也くんは例外なく自分が神奈川出身の事を話してて可愛かったね。2回目のカーテンがちょっとだけ上がった瞬間、私はまだ立ってなかったのに、遠くで他の方もう立ち始まって、私も直ぐ立ちました。そうしたら、徐々に会場のお客さん全員がスタンディングオベーションしました!当時は泣いてなかったが、今、思い出して余りの感動で皆さんに感謝感激です。夜は友達と2人で渋谷に夕ご飯。若い人が集まる町に歩いたら、若い頃の自分が思い出して。もし20代の自分が戻ってくれたら、どんな新しい人生を送るだろうと。20代の時は一日中遊んでも疲れないのに、それだけは確かです。めっちゃ疲れた体が直ぐお鍋屋さんを見つけた。しかも豆乳鍋!また隼也くんのブログ内容を思いながら、ぴったりの料理を食べて満足した最後の夜。
帰る日やってきました。弾丸旅もうそろそろ終わり。お土産を買わなきゃ。ホテルをチェックアウトしてから、荷物を預けて貰って、新宿駅方面に歩いて行った。西口に近い所で赤い帽子と赤いベストを着てるおじさんを発見。あれビッグイシュー売るおじさんじゃん!今まで日本に何十回も来たのに、隼也くんのブログに教えてくれてなかったら、ビッグイシューの雑誌の存在すら知らなかった私。おじさんのところに「こんにちは。雑誌を買いたいです。」見せてるのはボン・ジョヴィさんの表紙の352号。「これもありますよ。」おじさんがフレディ・マーキュリーの表紙の351号を指差した。全部私の好みの人物!「両方も買いたいです!」お釣りを丁寧にくれてから、背が小さいおじさんとバイバイ。最後まで隼也くん思いだらけの旅でした。
今回の旅、沢山の人と出会った。機内でお隣さんの老夫婦、KAATへ向かう迷子した着物の貴婦人、信号待ちのぼんちさんと同行のイケメンくん2人、ワンタン麺のご主人、手相占いの先生、ビッグイシューのおじさん、そうしてやっと会えにできたファン友の皆さん。ご縁は本当に素晴らしいモノ。これからも大切にするつもりです。この旅は自分が隼也くんファンになってなかったら、歴史はきっと変わるだろう。隼也くんのおかげです。名古屋の舞台も頑張ってください。ありがとう。
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福島事務局の大塚真理さん、大いに語る。
東北ユースオーケストラ結成のきっかけは、スイスの世界的に高名な音楽祭、ルツェルン・フェスティバルから東日本大震災のための復興イベントを行いたいとの相談を受けたことからはじまります。
大震災直後から被災三県の学校の楽器を点検、修理し、音楽活動を支援してきた「こどもの音楽再生基金」では、発起人である坂本龍一さんから「子供たちによるオーケストラができないか」というアイデアが出ていました。
2013年のルツェルン主催の宮城県松島での音楽イベントに「東北ユースオーケストラ」という混成オーケストラを編成して指揮者グスターボ・ドゥダメルさんや坂本龍一さんと共演する機会があれば、日本のみならず世界に復興途上の現地の子供たちの姿が発信されるのではないか。
この大きな構想を受け止めてくださったのが、当時福島市のテレビ局、福島テレビが運営されているFTVジュニアオーケストラで事務局を担当されていた大塚真理さんでした。大塚さん無しには、「ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ 松島2013」で「東北ユースオーケストラ」が生まれることはあり得なかったでしょう。そういう意味でも、大塚真理さんはTYOの母であります。
以来、2015年の団員募集ではチラシを抱えて地元を駆け回ることから、合宿での急病人の対応から、福島市での毎月の合同練習会で団員が出したゴミの後始末から、何から何まで気の効くサポートを受け続けて来ています。時に原発事故の話題になると、国や東電の対応や深刻な影響について声を荒げて話されることがあり、折に触れお話を伺ってきました。しかし、これまで一度もいわゆる「インタビュー」をしたことがなかったと気づきました。そこで、今年も311が近づく2月の1泊2日の合同練習会で二日に渡ってお話を聞いてみたのです。
ー 今日はあらためてお話を伺いたいと思います。まずは福島テレビ(FTV)に入社された頃の話からでいいですか?
FTVには1977年、昭和52年に入社しました。最初は営業管理部で、スポットデスクに配属されました。
(注:「スポットデスク」とは番組と番組の間に入るスポットCMの管理を行うセクションです)
その後は、制作部でサブディレクターになりました。県庁担当で「市政たより」やお母さんのための幼児教育番組「小さな世界」などの制作をしていました。弁当やお花の手配ばかりしていたので、自分のことを「弁当ディレクター」と言っていました。
鼓笛隊パレードとか、当時はジュニアオケの番組もありました。毎年土曜日午後の1時間半番組でスポンサーもついていたんです。昔は自社制作番組が結構ありました。
ー 今では地方局は東京のキー局の番組ばかりになってますからね。福島テレビは当時からフジテレビのネットワーク局だったんですか?
その頃はフジテレビとTBSの2局のネット局だったんです。最強だったですよ。ドリフターズの「8時だよ、全員集合」も「花王名人劇場」も「ザ・ベストテン」も「夜のヒットスタジオ」も金八先生のドラマも「なるほど!ザ・ワールド」も同じ局で放送していたんですよ。
ー それはすごい!わたしが子供の頃に見ていた番組ばかりです。きっと仕事も面白くてしょうがなかったでしょうね。
はい、楽しかったですから結局結婚まで10年勤めました。当時の福島だと30過ぎると結婚が遅いほうなので周りに心配されました(笑)
ー ということは今や珍しい寿退社ですね。一旦お辞めになってからまた復職されたのですね。
わたしの主人が亡くなった時に戻ってこないかと声をかけてもらいました。15年ほど前、いまとにかく困っているから事務を手伝ってくれと言われたんです。
ー 困った時には大塚さんですね(笑)
平成15年、2003年に福島テレビの事業部一年間、契約社員で働きました。そうしたら翌年の2004年からFTVジュニアオーケストラの事務局をやってくれとなりました。その頃には福島テレビの女性社員はほとんどいなくなってたんです。
ー オーケストラとは昔からつながりがあったんですか?
制作部時代、ジュニアオケの番組収録の時にタイムキーパーとして何度か手手伝ったくらいでした。だから頼むれた時も「え、オーケストラ? 音楽は知りませんよ、でも事務はできますよ、予算管理ならできますよ」と言いました。
社内の人たちはよく知ってるし、社内交渉はできる。それに営業と制作で鍛えられたので、段取りはよくわかっている。人生何事も経験で無駄なことは無いとつくづく思います。若い頃の経験が役立ちました。
ー それは大塚さん、適任ですね。でもオーケストラの運営には専門知識も必要ですよね。どうされたんですか?
そもそもトランペットとトロンボーンの違いもわからないくらいだったんです。だから必死で本を読みました。「音楽の友」など音楽雑誌を毎月読んで、フルトヴェングラー、カラヤン、ウイーンフィルなどについての本を気の向くままに読みました。特にNHK交響楽団のオーボエ奏者茂木大輔さんの本は役立ったと思います。
指導していただく先生方の話もチンプンカンプンだったので、楽譜を読めるようにドイツ語とイタリア語の対照表も自分でつくりました。「やさしいクラシック」のような入門向けのCDも片っ端から聴きましたね。
— オーケストラの運営となると、この世界ならではの業務もありますよね。
まずは一所懸命に楽譜の整理をしました。もうそれはそれは楽譜がバラバラだったんです。東京から指導に来ていただいていたパーカッションの先生、大塚敬子先生に教えていただいて、パートごとの並べ方や番号の方を教わったり、それはとても助かりました。
3年やってようやく慣れたかな。予算のこと、楽器のこと、テクニカルタームもわかるようになってきました。だんだん実務が楽しくなってきて、自分から企画が出せるようになってきたんです。
— 大塚さんにとってジュニアオケでの転機となるようなことはありましたか?
6、7年目かな。福島県文化センターでクリスマスコンサートとして竹内ひとみバレエ団とチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の全幕をやりました。この企画を出した時は、子供たちがオーケストラピットに入って演奏するから脇役になると、先生方は反対でした。でも子供たちはやりたいと言うんです。だから押し切った(笑)。前半と後半に分けて負担を減らすようにしてね。
— 一番思い出深いコンサートとなると、どうですか?
ベートーヴェンの第九ですね。わたしがFTVジュニアオーケストラの事務局を辞める年、2013年12月30日でした。会場が福島県文化センターという県の公共施設ですから、年末は通常28日で仕事納めなんです。それを「開けてください」とお願いして、ホールの歴史で初めてのことでした。 この時も大人は反対でした。「忙しいから駄目だへ、無理だべ」とさんざん言われました。でも、子供たちに聞くと「やってみたい」と言うんです。実際やれるんです。子供は「やるよ」と言ったら、やるんです。大人が決めてはいけないんです。
このことは、子どもたちに教えられたことです。子供たちってすごいんですよ。わたしは若い人たちにパワーをもらって生きてきた、助けられて生きてきたんです。大震災から2年経って、福島の復興への想いもありました。
わたしはジュニアオケの仕事も10年で辞めるからと言っていました。わたしの子供も大学を卒業するし、60歳から先は自由に生きるのだと決めていた。だから「歓喜の歌」である、第九をやって締めくくりたいと思ったんです。第九の合唱団も公募で大変だろうと言われたけど、好きなことだから頑張れるんです。そしてサポートしてくれる、先生や周りの人に恵まれていました。
おかげさまで演奏会は大成功となりました。
— いつも団員インタビューで聞いている質問です。311の時、どこで何をしていましたか?
福島テレビの旧館5階の事務局に一人でいました。いつも2時40分が仕事のひと区切りがつく時間だったんです。だからその日もコーヒーを淹れようと立ち上がったら、携帯の地震警報が鳴りました。もう激しく揺れだしてびっくりしました。逃げようと廊下を走ったけど思うように前に進めないんです。すると壁が部分的に崩れてきた。譜面台は一斉にバタバタと音を立てて倒れ、階段を降りることもできず、エレベーターの角の柱につかまっていました。すると、わたしの背後でコピー機が左へ右へと走ったんです。もうびっくりして、あの時はこのまま一人で死ぬんだと思いましたね。
2回目のほうが揺れが大きくて、長く感じました。そうこうしていると、4階の秘書室の部長が上がってきた。バタンバタン大きな音を立てて動いていた防火扉を止めるためにです。
それで揺れもおさまって3階の事業部に戻ったところ、危ないので外に出ろと言われた。外に出たら、こんどは雷と吹雪になりました。 報道と制作が入っていた新館は、それほどの被害は無かったのですが、旧館が酷かった。あらゆるガラス、窓ガラスがほとんど割れたから、そのあとずーっとベニヤ板で覆うような状態が続きました。よく怪我人が一人も出なかった、奇跡に近いと言われましたね。もう壁もひび割れて「メロンハウスだね」と言って笑うしかなかった。
— 外にしばらくいたのですか?
いったん家に帰れと言われました。家族の安否を確認するために連絡を取りました。そしていったん5階の事務局に戻ったら、テレビもファックスも吹っ飛んでいましたね。ようやく鞄と靴を探して、コートを持って車に乗りました。車内のラジオで津波が発生と聞きました。被害が出てると言うけども、よくわからなかったです。車を��転しても、信号が止まっているので、渋滞はしてなかったけど、道路を渡ることすら思うままにできなくて、交差する車同士で「ごめんなさい」と道を譲ってもらったり譲ったりで、踏切の無い道を選んで車を走らせました。 水道管が破裂したところは、もう道路がわからない状態で、運転しながら足が震えました。もう自分の家が無いのではと思いながら、運転するのに必死でした。道路が陥没して軽自動車が落ちてる脇を通って抜けた時の恐怖。あの時のことを思うといまだに怖いです。 おかげさまで家はあったし、屋根も損傷受けずでしたが、電気ガス水道が止まりました。
— ご家族はみなさんご無事だったのですか?
当時23才だった上の娘が勤めていた銀行がたまたま仕事休みで、いつもはぼーっとしてる娘がセブンイレブンに買いに走ったけど、ほとんど何も無かったと報告してくれました。 78才の父は犬が飛び出さないよう抱えて、いったん家を出たそうです。 80才の母は玄関で動けないでいた。あまりにびっくりして、記憶が無いと言っていますね。もう、ぼーっとしてるしか無かったと。 家族と家は大丈夫だと実際に安否確認でき、会社に報告したらしばらく出社しなくていいと言われました。ちょうど金曜日だったので、それからしばらく家にいましたね。
— 津波のことは後から知ったのですか?
ラジオだけの情報でした。だから津波の悲惨な状況を聞いても想像できなかったですね。電気が戻ってから、テレビの映像で津波を見てショックを受けました。まるで映画のワンシーン。こんなことが起きるんだと思いましたね。家族でみんな生きているに感謝しました。
— 避難所には行かれました?
結局、避難所には一度も行かずでした。2000年問題の時に電気が止まると言われていたので、ストーブがあって、灯油もあったので寒さはしのげました。あと近所の飲めない井戸から水をもらって、ストーブでお湯を沸かして湯たんぽをつくり、その水を利用してトイレも使えました。 近所の井戸水で飲める水があるとの情報を聞きつけ、ガソリンあるうちは車を走らせてもらっていました。 やはり困ったのは水、電気でした。夜は庭の太陽光で発電する照明を家に持ち込んだり、ロウソクの生活が続きました。テレビも見れなかった。 ガスが最初に復帰して、1週間もかからなかったですね。水道は1週間かかりました。そしてうちは電気が一番最後に復旧しました。道路の反対側まで電気が来てるのに、あともう少しなのにとせつない思いになりましたね。街の中は電気ガス水道ともに全然大丈夫だったんですが。
— 原発の事故はいつ知られましたか?
大震災の週明け火曜日に会社に行って、はじめて原発がたいへんなことになっていると知りました。それまで、そんな重大なことと思わなかったです。家に帰って「どこに逃げようか、どっち方向だろう、貴重品を持ち出せるように、いつでも避難できるようにしよう」としましたね。 水をもらうために外で2時間とか平気で並んでました。原発が深刻だと思わなかった。学校行ってないから子供が外で並んでたんですよ。もうちょっと教えてくれたらと今になって思いますね。もっと広報の仕方とか方法が無かったのかと。確かにそれどころでは無かったかもとは思います。誰も経験したことの無いことだったから。福島は災害が無かったから、災害の無い県と思い込んでましたね。それに「原発は安全だ」と思い込んでいました。地震はともかく、津波の恐ろしさ。あの津波さえなければと思いますね。
— 福島市から逃げようとはされなかった?
逃げて行っても、生活の場が無いですしね。できるだけ外には出ない、窓は締める。ガソリンがあるうちは車で移動。必要以外は外に出ないとしました。 それでもしばらく余震が続きました。地震警報におびえる生活が続きました。家の中でも寝る時もジャージで、一階の和室で生活をしすぐに外に出られるようにしていました。 いつから普通の生活に戻ったんだろう。記憶はあいまいになっていくものですね。
— これもいつも団員インタビューで聞いている質問なのですが、311で変わったことは何ですか?
日々何事も無く過ごしている有り難さを感じるようになりましたね。電気ガス水道の有り難さ。そして、なにごとにも感謝です。
平凡が一番、普通が一番。
なにごとにも「ありがとう」感謝の気持ちを持てるようになり、気持ちが穏やかになったと思います。
それから、普段からの災害への備えをするようになりました。それでも、またあったらうろたえるのだろうなとも思いますけど。
— FTVジュニアオーケストラの団員の子供たちに変化はありましたか?
ジュニアの子どもたちのうち、自主避難でいなくなった子が3人いました。逆に浪江町から避難してきた子が一人入団しました。福島テレビの社員でも小さなお子さんのいる方は3人は辞めました。
福島県でも飯館村とか、伊達市とか、思わぬところで放射線の線量が高いです。出て行った若い人は戻らないでしょうね。もう年寄りばかりです。避難した地域は生活ができないですから。店や病院もありません。
— 今の福島についてどのように思われていますか?
福島県に中高一貫校を新設するとか言っていますが、世間の目を欺くためではないかと思ってしまいますね。政府などへの不信感もあります。東京にオリピックを呼ぶために安倍総理がいくら「原発事故はコントロールできている」とプレゼンしても、「嘘つけ!」と思ってしまいました。
除染したと言っても限界があると思います。イノシシ、豚とか、山の中を動き回って、汚染された餌を食べている訳ですから。
— つい最近、除染が来たとおっしゃっていましたね。
ようやく去年の暮れに家の近所の側溝の除染に来ました。いまだに除染土が家の庭にありますよ。大きい袋ですからね、目に入ると気が重いです。なかなか持って行ってくれないんですよ。
(大塚さんご自宅の庭に置かれたままの除染土の写真です)
線量が高いところからはじめて、一年くらい後にうちの家に来て、「今ごろやっても無意味なんじゃない」と、みんなそう言ってますよ。気休めのような気がする。
— 実際のところはどうなんでしょうね。
噂では癌患者が増えてると聞きますが、あまり表には出て来ないですね。最近の国の「不正統計問題」を見ても、情報に対する信頼度が落ちてると思います。都合がいいことだけ発表して、情報統制しているのではと思ってしまいますね。
沖縄の人に「福島の人はおとなしいね」と言われました。沖縄なら毎日デモだよって(笑)
— 政府や国の行政にこれだけはお願いしたいということはありますか?
本当のことをしっかり発表して欲しい。今、現在どうなってるかを知りたい。福島の街にいくら線量計があっても気休めなんだと思うんですね。
それにこれだけの事故を起こしながら、原発を、海外に売ろうとしたでしょ。いったい福島のことをどう思ってるのかと。
国ってなにを考えているのかなと悲しくなります。
ヒロシマ、ナガサキ、唯一の被爆国ですよ。
今の日本が悲しいですね。
— そんな状況の中で東北ユースオーケストラの活動はあります。どのようにお考えですか?
主役は子どもたちのことだから、大人は政治的なことを押し付けはいけないと思いますね。
でも代表・監督の坂本龍一さんは、はっきりものをおっしゃいます。偉い。勇気があると思います。影響力のある人が発信することが大事なんです。
坂本さん、凄いなって、いつも尊敬してます。
— 震災のあともFTVジュニアオーケストラの活動が続いてきたからこそ東北ユースオーケストラが生まれましたね。
震災の後、ジュニアオケは活動をやめたらどうかという話になりました。でも子どもたちはやりたい。しかし、毎週練習に使っていた福島テレビの旧館の社屋は、使えない。2011年の5月の連休明けからしばらくして練習を再開しました。もうあちこち転々と1週間ごとに楽器を運んで練習を続けました。時には関連会社の会議室で練習しました。そして、7月に定期演奏会ができたんです。よくできましたね。子どもたちが絶対やりたいて言うからね。親御さんのサポートもありました。おかげさまで福島市音楽堂が再開してすぐのコンサートを開くことができました。
— 2013年のルツェルン音楽祭の復興イベントから東北ユースオーケストラは始まりました。その立役者が大塚さんだったわけですが。
2013年のルツェルンのイベントは、無我夢中でした。自分でもよくできたと思う。子供たちのために今やらなきゃというエネルギーですね。何かをやっていたほうが、自分も楽な時期でした。止まっちゃうと駄目なんです。
わたしとしては、機会があれば子どもたちをどこかに福島の外に連れて行きたかった。そして、世界に眼を向けさせる。いろんな人を知る。ルツェルンの復興イベントは、そんな絶好の機会だと思ったんです。
しかし、FTVジュニアの先生方からも反対されました。子供たちの負担になると言うんです。大人はいつも安全パイを選んでしまう。こんな、世界とつながれる機会はないですよ。行ける子どもだけでもと、FTVジュニア以外にも近隣の高校の吹奏楽部などにも声をかけました。
ドゥダメルや坂本龍一という世界��通じる人と、松島の特別な場所で、いい経験が積めたと思いますね。
子供たちが坂本さんにサインをもらってうれしそうに笑っているのを見て、うれしかったです。
— そのルツェルン音楽祭で好評だったため、東北ユースオーケストラは一般社団法人化しました。
組織がしっかりすることはいいことです。続いていくことは、有難いことだと思ったし、何より親御さんからの信用、社会的信用が生まれます。
最初はゼロから募集をかけて人数を集めるとなった時に、集まるか不安でした。140通を超える応募の数には正直びっくりしました。
— かれこれ組織としては、東北ユースオーケストラは5年が経ちましたね。感慨深いです。
何しろ最初の夏合宿が沖縄県の宮古島だったでしょ。行動力がすごい。いろんなことを1つづつ叶えていく、その実行力には頭が下がります。最初は運営も危なっかしくってね、どうなることかと思いました。ただ夢中で子どもが演奏だけに集中できる環境をつくろうとしていました。もう大丈夫ですよ(笑)
— 最後に、これもいつも団員インタビューで聞いている質問です。今後、東北ユースオーケストラでどんな活動をしたいですか?
卒団した子どもが練習や演奏会にやってくるじゃないですか。そういう場があることが素晴らしいと思いますね。だから長く続けて欲しい。
海外公演も実現して欲しいです。よちよち歩きから始まった東北ユースオーケストラが、ルツェルン音楽祭で凱旋公演できるといいですね。あの2013年の松島のルツェルンのイベントの時のオーケストラがこんなに立派になって、と言われたら最高じゃないですか。
いち早く多額の支援をしてくれた、親日家の多い台湾公演もできたらいいですね。
東京オリンピック・パラリンピックでは何かしないんですか?
このインタビューを行なったのが先月の1泊2日の合同練習会だったもので、土曜日の練習を終え、JA共済さんにご手配いただいた宿泊組の宿へと向かうバスを見送る団員、大塚さん、そして同じく福島事務局で団員の演奏指導もお願いしている竹田学さんです。
あらためて大塚真理さんのお話を伺って考えさせられたのは、強い使命感と子供たちへの無償の愛です。通奏低音として「大人は子供のことを、子供の可能性をわからないのだ」という姿勢があって、だから大��さんの子供へのまなざしには上から目線が微塵もありません。とてもふらっとです。だから子供たちも大塚さんのスタンスを動物的に嗅ぎ取って自然と寄って来るんだと思うのです。
「大人の都合で子供のことを考えるなよ」は、肝に命じたいフォームです。とと同時に「子供も大人の事情を考えろよな」と言いたくなってしまうのは、大人気ないことなのでしょう。反省反省。
実際にお聞きした内容にはとても刺激的なことも含まれていて、本当はノーカット無編集で「大塚さん大いに語る」を掲載したかったのですが、それはそれで品位に悖るような気がしまして、細かな配慮ができたかどうかは別として編集をいたしました。
311から8年です。大震災は続いています。そのことを知って欲しいと思います。それが東北ユースオーケストラの存在意義の一つであるからです。
引き続き東北ユースオーケストラへのご支援をお願いいたします。
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Bunkamura30周年記念シアターコクーン・オンレパートリー2019
DISCOVER WORLD THEATRE vol.5『罪と罰』
2019.2.17(大千穐楽) 森ノ宮ピロティホール
春馬クン出演の舞台、『キンキーブーツ』も観に行く予定なのでどうかと思ったけど、結局DMの乗せられ🎫購入してしまった💦
<あらすじ> 舞台は、帝政ロシアの首都、夏のサンクトペテルブルク。 頭脳明晰な貧乏青年ラスコリニコフ(三浦春馬)は自分が「特別な人間」として、 「人類が救われ、その行為が必要ならば、法を犯す権利がある」という独自の理論を持っていた。
そして強欲で狡猾な質屋の老婆を殺害し、奪った金で世の中のために善行をしようと企てている。 そんな中、酒場で出会った酔っぱらいの退職官吏、その後妻カテリーナ(麻実れい)ら貧乏な家族を見ると質入れで得たお金をすべて渡してしまうのであった。 ついに殺害を決行するが偶然居合わせた老���の妹まで手にかけてしまい、罪の意識、幻覚、自白の衝動に苦しむことになる。 そうして意識を失い数日間も寝込んだ彼を親友ラズミーヒン(松田慎也)が見守り、 結婚のため上京してきた妹ドゥーニャ(南沢奈央)と母プリヘーリヤ(立石涼子)も心配をする。 一方、老婆殺人事件を追う国家捜査官ポルフィーリ(勝村政信)はラスコリニコフを疑い心理的に追い詰めていき、 さらに謎の男スヴィドリガイロフ(山路和弘)の登場に翻弄されていく。 そして退職官吏の娘・娼婦ソーニャ(大島優子)の家族のためへの自己犠牲の生き方に心をうたれた彼は... 数々の普遍的なテーマに触れながら、 人間回復への強烈な願望を訴えたヒューマニズム大作! (公式より引用)
博のない言葉足らずの私には、この舞台をどう説明したら良いのか考えあぐねる。どんな感想の書き方をしているのかネットを漁っている時にエンタメステーションのサイトにフォトコールの記事を見つけた。 舞台内容がわかりやすく記してあったので、これを引用させて頂く事にした。
三浦春馬の“狂気”を大島優子の“慈しみ”が救う。舞台『罪と罰』フォトコールで感じた今年最初の傑作の予感 【es】エンタメステーション https://entertainmentstation.jp/357338

【三浦春馬の時空を超越した演技に感嘆】
公開されたフォトコールは冒頭から十数分といったところだったが、客席に着き、まず驚かされたのがマックス・ジョーンズの美術だった。天井から吊り下がった蛍光灯がステージの上手・下手・中央に直列に3本、奥の方にかけて4列並んでいる。つまり12本の蛍光灯が、色を変え、明滅しながらアップダウンし、当時のうらびれた貧民街を照らし出す。帝政ロシア時代の貧困、暴力、差別、生活が鋭敏にあぶり出され、リアルに伝わってくるようだ。一方で、使い古しのベッド、テーブル、バケツ、丸太木に突き刺さった斧などがいたるところに置かれ、時代がかったガジェットが溢れかえることで、街を賑やかに表現している。

舞台上は階段、踊り場、再び階段と踊り場といった3段構造で、最上段の踊り場の奥はコンクリートの壁のようなもので囲まれており、壁面にはロシア語の文字が刻まれていたり、スプレーのいたずら書きがあったりする。これらはタイポグラフィにも見え、前近代のイメージをしっかりと踏襲しながらも現代の要素を盛り込んだ、2010年代の最先端の舞台美術のようだ。

ラスコリニコフ(三浦春馬)がボロボロのベッドに寝転んでいる。別場所でラスコリニコフを殺人容疑で追い詰めることになる国家捜査官のポルフィーリ(勝村政信)がタバコを吸うシーンから物語は始まる。マッチをこすり“シュッ”と火をつける音とタバコを吸う仕草がとにかくやさぐれていて、たったひとつの所作で客席の視線をすべてさらってしまう勝村の演技がかっこいい。

そこからうらびれた街の雑踏に早変わりする。アンサンブルがクラリネットやチェロ、アコーディオンを奏でて街の喧騒を彩る。公開されたフォトコールでは、基本的にほとんどのキャストは舞台袖に“ハケる”ことがなく、どの役者もアンサンブルになって存在する。いわば街のひとりの人間となる。そうしてキャスト全員で街の貧民窟にあるような騒乱めいた雰囲気を醸し出していく。
パディ・カニーンによる音楽が高らかに鳴る。ハイトーンな耳障りにも感じさせる現代的な音楽が、舞台『罪と罰』の一種の“救いのなさ”を巧みに表現している。そこにラスコリニコフが、これからしようとする自らの行為(ここでは善か悪かはわからない)に対して、ひたすらに自己肯定をする台詞が繰り広げられる。彼の性格が垣間見えるわけだが、それ以上に、翻訳の木内宏昌の手腕が光る。三浦春馬が喋る台詞は、聞き取りやすいし、リズムとテンポも抜群だったけれど、何より言葉の意味がわかりやすくて、すっと脳内に入ってくる。木内の言葉選びの妙技も味わえるだろう。

そしてラスコリニコフは、真ん中の踊り場に現れるドアベルを鳴らす……丸太木に突き刺さった斧をこげ茶色のロングコートに忍ばせて。彼の手がすでに血のように真っ赤に染まっているのも象徴的だ。そこに金貸の老女アリョーナ(立石涼子)、その娘リザヴェータ(南沢奈央)も登場し、家賃の支払いに困ったラスコリニコフといざこざを始めるのだが、“暴力と金”という即物的で刹那的な匂いがプンプンする緊迫感のある芝居が続く。
ベルの音が鳴り、シーンが変わる。おそらくドアベルの音が舞台の転換を意味しているようだ。このドアは“向こう側”と“こちら側”、それは“生”と“死”の境界であり、さらにはラスコリニコフを殺人へと駆り立てる、踏み越えてはならない入口として存在していたのではないか。とてもシンボリックな演出で、フィリップ・ブリーンの手腕がオープニングから存分に発揮されていたと思う。

シーンは転換し、ベッドに寝転がっているラスコリニコフは母のプリヘーリヤ(立石涼子)からの手紙を受け取る──妹のドゥーニャ(南沢奈央)に結婚相手が見つかったことが報告され、「お前はお前で神の御許に従い頑張れ」といったことが書かれている。要は「お前には援助はできない。期待するな」という宣言でもあると思うのだが、唯一の頼みの綱と思っていたであろう母親にも見限られ、焦りで次第に追い込まれていくラスコリニコフの精神がここでは描かれる。舞台の上手奥ではドゥーニャの結婚祝いが行われ、ラスコリニコフのどん底の生活と同居させることでとで“ハレ”と“ケ”のコントラストの明度を高め、彼の絶望感をマックスまで膨らませている。

そして再びベルが鳴り転換すると、“ケバい”といっていいほどの派手な赤いドレスを着たソーニャ(大島優子)が、酒を飲んでいる男にすがって体を売ろうと必死の形相で立っている。しかし、男たちはむげに扱い、“娼婦”が堕落した存在であることをまくし立てる。それをBGMにソーニャの父親でマルメラードフ(冨岡 弘)とラスコリニコフの会話が繰り広げられる。ここでの会話は、帝政ロシアという時代の空気を一心に体現しており、歴史の証言として目をみはるものがあった。フォトコールでのソーニャの登場はこの場面がメインだったが、大島優子は男にすがりながら、それでいて男との共依存関係を拒否するように強く生きようとする女性をたくましく体現しながらも、時代に抗えない憂いのようなものも感じさせた。極彩色の衣装もあいまったエロティックなオーラを小柄な体躯から漂わせつつ、虚飾を脱ぎ去った先にある、何かに取り憑かれたような恍惚とした表情も艶っぽかった。

その後、ソーニャにある想いが芽生えたラスコリニコフが、有り金を彼女に渡してしまう。そしてベルの音が再び鳴る……。
フォトコールで公開されたシーンは以上だったが、カンパニーの全員が舞台上に登場し、群像劇として展開していく人いきれの満ちた舞台に、悪意、憎悪、生活、現実、宗教、金、暴力、時代への批評、自己顕示欲、自己肯定、救済の予感、そういった原作のエッセンスがフルに注ぎ込まれ、マッピングに頼らず、“肉体”を使った原初的だからこそリアリスティックな表現方法だった。
その中で中心に存在するラスコリニコフの三浦春馬は、夜郎自大にみえそうな危うい自問自答を、時空を超越してあらゆる時代(それが歪んでいようがいまいが)に対する肯定に見えてしまう説得力のある演技を見せて感嘆するし、痩せこけてほっそりとした透明なフォルムも本当に美しかった。

この後物語はラスコリニコフの殺人、彼とポルフィーリとの丁々発止のやり取り、ソーニャとラスコリニコフの関係など見どころが続くのだが、原作を知っていても知らなくても、テーマは普遍的で、誰でも楽しめる。演出・演技・美術・音楽は隙のないつくりで、カンパニーの結束力の高さも感じさせる。おそらく千秋楽を迎えたときには、「今年の演劇界の大きな収穫になるのでは」と予感させてくれた圧巻のフォトコールであった。

一応、私の感想も…。 春馬クン、ずっと出ずっぱりでした。この舞台の為に減量された様で頬もこけ、狂気に満ちた表情、台詞も捲し立てる様な長台詞。凄かったです😱 圧巻でした👏 だた、いつからあんな声になったんだろう…っとふと思ってしまいました。『キンキーブーツ』でローラを演じられてからでしょうか❓ あの時はドラァグクイーンだからこんな声なのかと思っていましたが、今回の舞台でもあのローラの声のままでした。

大島さんもかなりの長台詞ありました。特にラスコリニコフに聖書を読み聞かすシーンはとても良かったです😊

捜査官ポルフィーリ役の勝村さん。いったいいつ声を発するのだろうと思う程、前半は台詞無し。1幕後半から罪を犯したラスコリニコフを笑いも誘いながら飄々と追い詰めていきます。勝村さんの真骨頂と言える演技です。叶わないですねぇ~😆

金貸し役の立石涼子さん、とてもお声が印象的な方。たまたま前日『ヘンリー五世』を観劇して、冒頭『ヘンリー四世』を振り返るべき映像が流れたんですよ。『ヘンリー四世』に出演されていたんですね、立石さん。ちょっと懐かしくなりました。

視覚的にも引き込まれる✨ 木製のドア(扉)を使い、空間移動を表現したり、アンサンブルが動作をシンクロしたり視覚的にも効果的な演出でした。 この舞台、演者が台詞が無いからと袖に下がる訳でもなく、ずっとステージに上がっていて役を演じているんです。なので、例えば春馬クンが台詞を喋ってる舞台の奥で勝村さんが演技をしていたり。視線をあちらこちらに向けないとならないので、個人的には少し鬱陶しかったかな😅

(画像はSPECE,ステージナタリー,シブヤ経済新聞,シネマトゥデイ,TOKYO HEADLINE,ローチケ,エンタメステーションより引用)画像が多すぎてどこのサイトから引用したのか、わからなくなっちゃった💦

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「太陽の塔」の謎に迫るドキュメンタリー映画が公開!
Casa Brutus
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今春、48年ぶりに内部公開が始まって話題になった岡本太郎「太陽の塔」。1970年大阪万博の文字通り「顔」となった作品です。見れば見るほど「ベラボー」な造形に太郎が込めた思いとは? 気鋭の監督が迫るドキュメンタリーが公開です。
「得体の知れない怪物がそこにできあがった、みたいな」。「太陽の塔」の設計担当者だった植田昌吾は振り返る。その言葉の通り、今見てもその造形は異様だ。 ドキュメンタリー映画『太陽の塔』では、当時の記録フィルムのほかに岡本太郎記念館館長の平野暁臣、人類学者の中沢新一、美術批評家の椹木野衣、アーティスト集団のChim↑Pom、探検家の関野吉晴らが太郎と「太陽の塔」について語る。チベット言語学者、密教学者、チベット仏教僧侶、考古学者、学芸員といった人々も。監督は1976年生まれの関野光才。もちろん彼は万博をリアルタイムでは見ていないが、実際に「太陽の塔」を見たときにはその大きさと裏側にある「黒い太陽」の冷酷さに驚いたという。

▲高層ビル群の向こうに忽然と現れた「太陽の塔」のイメージも、映画内に登場する。
「太陽の塔」の高さは70メートル。これだけのものになると建築家の協力が不可欠だ。彼らは太郎から届いた100分の1の模型のレプリカをつくり、1センチ刻みでスライスして、そこから図面をおこしていったという。設計を担当した植田は「日本人が持っている曲線とは違う」と感じたという。
「寺社仏閣の建築にあるようなそり、むくりといった合理的な線とは違う」というのだ。さらには「決して図面上は美しいものではなかった」とも振り返る。ショットコンクリート技術者だった嵩英雄も「グロテスクだなあ、と思いました」と語る。さらに岡本は「もっと凹凸をつけたい」と言ったという。 「泥の塊を握って投げつけたような形にしたい、というんですね。工業的でない、自然に近いテクスチャーにしたかったのではないでしょうか」(嵩英雄)

▲大阪万博の記録フィルムから。万博には磯崎新や黒川紀章、菊竹清訓らも関わっていた。
「太陽の塔」は丹下健三が設計した「大屋根」を突き破って立っていた。大屋根は「丹下が考えた空中都市のプロトタイプだ」と平野暁臣は言う。これは当時、黒川紀章らが提唱していたメタボリズムの思想と関連するもの。彼らは国土が限られた日本では海上や空中などに構造物をつくり、それを延長していくことが有効だと主張した。また部屋などのユニットを順次入れ替えていくことで社会の変化に対応できる、とした。映画にはその大屋根に開いた穴から「太陽の塔」よろしく顔を出す太郎の写真も登場する。

▲大屋根の模型から頭を出す太郎。丹下はこのほかに〈旧東京都庁舎〉や〈国立代々木競技場〉でも太郎とコラボレーションしている。
「穴が開けられたことで、大屋根の裏と表がつながる。つまり、価値観が転覆してしまう」と美術批評家の椹木野衣は指摘する。

▲川崎市岡本太郎美術館学芸員の大杉浩司と佐藤玲子。同館では太郎に関する資料を丹念に研究、企画展などで発表している。
川崎市岡本太郎美術館の学芸員、大杉浩司は「地下が過去、地上は現在、空中の大屋根が未来の世界を象徴する」とも言う。赤い色が印象的な内部にそびえ立つ「生命の樹」は生物の進化の道筋を示すとされているが、体内のいろいろな器官を表すと考えることもできる。

「▲太陽の塔」内部にそびえ立つ「生命の樹」。アメーバ、は虫類、恐竜から人類に至るまで292体の生物模型が取り付けられている。
塔全体が宇宙の理(ことわり)を表した曼荼羅である、という見方は興味深い。パリで太郎と交流があった文化人類学者のマルセル・モースや作家のジョルジュ・バタイユ、粘菌の研究で知られる南方熊楠、禅学者の鈴木大拙らの思想とどう共鳴しているのかがさまざまな人の口から語られる。

▲ダンサーの菅原小春は太郎のエネルギーがそのまま身体から溢れるようなダンスを披露する。
太郎はあらゆる境界を越えていく人だった。精神と物質、人間と動物、縄文と現代。龍谷大学世界仏教文化研究センターの唐澤太輔らは「縁起の理法」や「無碍(むげ)」という言葉に言及する。「縁起」はいろいろなものが関係し合っているという考え方。「無碍」とは妨げがない、壁がないという意味だ。

▲渋谷駅連絡通路に設置されている壁画「明日の神話」。メキシコで行方不明になったものが発見され、2008年に渋谷に恒久設置された。東日本大震災後、Chim↑Pomが原子力発電所のイメージをつけ足したことで物議に。
分析することは何かを理解するためには有効だけれど、現代の人々はそこに行き詰まりを感じている。太郎は「ぶつかり合うことが調和なんだ」と言った。壁を壊すことで浸透性を持たせ、さまざまなものと衝突し、つながりあうこと。太郎が「太陽の塔」で具現化したメッセージが50年近く時を経た今、改めて重要な意味を持つ。

▲「太陽の塔」の前に立つ岡本太郎。彼は万博のテーマ「人類の進歩と調和」へのアイロニーとして、「人類は進歩などしていない」という立場をとったのだ、と美術史家の春原史寛はいう。
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『太陽の塔』
2018年9月29日より渋谷・シネクイント、新宿シネマカリテ、シネ・リーブル梅田ほか全国公開。監督:関根光才、エグゼクティブプロデューサー:平野暁臣、出演:中沢新一(思想家)、西谷修(フランス思想・哲学者)、 椹木野衣(美術批評家)、Chim↑Pom(アーティスト集団)、 土屋敏男(テレビプロデューサー)、糸井重里(��ピーライター)、舘鼻則孝(アーティスト)、赤坂憲雄(民俗学者)、小林達雄(考古学者)、春原史寛 (美術史研究者)、並河進(ソーシャルデザイナー)ほか
現在、大阪の〈あべのハルカス美術館〉では展覧会『太陽の塔』を開催中(〜11月4日まで)。今回の「太陽の塔」内部公開でも復元されなかった地下展示を再現し、万博閉幕後に行方不明になった「地底の太陽」の原型を展示している。
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