#懸垂は禁止
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(CNN) 悪ふざけ動画をライブ中継して各国で騒ぎを起こしている米国人が、韓国で迷惑行為を理由に起訴された。今回の事件は、外国でクリック稼ぎを狙う「迷惑系インフルエンサー」の台頭に脚光を浴びせている。 ソウルの検察によると、起訴されたのは「ジョニー・ソマリ 」の通称で知られる米国人のラムジー・カリド・イスマエル被告(24)。コンビニエンスストアで「騒ぎ」を起こした罪に問われ、有罪になれば5年以下の禁錮を言い渡される可能性がある。 CNN提携局のMBCによると、イスマエル被告は出国を禁止され、捜査が続く間は韓国から出国できない。 イスマエル被告は、挑発的で時として不快感を与える動画で有名になった。アジア各国で動画の視聴数稼ぎを狙ったとみられる住民への嫌がらせを繰り返したとして批判が殺到し、複数のSNSで利用を禁止されている。 ライブストリーミング動画のフォロワーは、インスタグラムやティックトック、ランブルを合わせると5桁に達している。 今月初めには第2次世界大戦中に性奴隷となった韓国人女性の碑を冒涜(ぼうとく)したとして韓国国内で批判の的になり、ネットに謝罪のコメントを投稿した。 この事件を受けて地元住民はイスマエル被告に対する報復を予告。CNN提携局JTBC��、イスマエル被告が後をつけて来た集団に蹴られる映像を放映した。これとは別に、ソウル市内でイスマエル被告の顔を殴ったとする男が先月ソウルで逮捕されたと聯合ニュースは伝えている。ソウル警察はコメントを避けた。 ネット上で注目を浴びたいという欲求から現地の慣習をないがしろにする外国人に対しては、各国で反発が強まっている。イスマエル被告はその極端な例だった。 報道によると、日本でも無賃乗車や神社の鳥居での懸垂、東京の地下鉄車内での迷惑ダンスなどをめぐって外国人コンテンツクリエーターに対する批判が殺到している。 訪日外国人が過去最高を記録し、観光客の迷惑行為が増える中、オーバーツーリズムに不快感を示す日本人も多い。 イスマエル被告は日本でも物議をかもしていた。 共同通信によると、同被告は昨年、建設現場に不法侵入した容疑で大阪で逮捕された。暴言を吐きながら広島と長崎への原爆投下をめぐって通勤客を侮辱する動画にも批判が殺到した。
迷惑系インフルエンサーの米国人、韓国で起訴 日本でも騒ぎ起こして非難殺到 - CNN.co.jp
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2020.1.26~27にかけての深夜、急性カフェイン中毒でのワンチャンを狙ってカフェイン錠を80錠、ハイボール缶でOD(のちのち致死量の倍だと知る。)本当は200錠の予定だったが、買いだめている最中に希死念慮が強くなってしまい、確実に死ねるかはわからなかったが120~140錠飲むことにする。しかし気分が悪くなって喉が受け付けなくなり80でしか飲めなかった(錠剤もでかかったし)。
ところでまわりに高いマンションもない一軒家住みなので突発的に飛び降りはしなかったが、以前諸事情で月の半分くらいを過ごしていた単身の20階建てマンションに今もまだすんでいたら、飛び降りていたかもしれない(14階くらいに住んでいたし)。
80錠のんでぼーっとしてムカムカしてくる。わたしここで死ねないことを悟り親を起こす。服薬から1時間~1時間半経って救急車に乗る、心拍数などはわからないが若干胸がドキドキする、ここで吐き気と嘔吐(夕飯のぶん)。
服薬2時間くらいで病院に到着、嘔吐がとまらず、内容物は薬と血のみ(食べたものは全てもうでた)。インフルエンザのひどいときみたいな吐き気と嘔吐が2時間半後くらいからずっと続く、意識が朦朧として��て、死ねなさげなのにいたらずらに苦しくて後悔してくる。2時間~2時間半後にかけて先生や看護師さんに質問されるが返せない。2~3時間後から嘔吐をする際に自分の意思で袋にはいたりできなくなりそのへんに吐き散らかす(看護師さんごめん)。
視界がぐらぐらしてブラックアウトする。意識の覚醒と消失を繰り返す(薬が抜ける数日後までこれが続く)。
筋肉の硬直が始まり自分で動けなくなる。わたしの場合は右半身が固まり眼球も右のほうしか向かなくなる。まばたきができなくなり白目を向きながら嘔吐を繰り返す。
3~4時間後から体が完全に固まり、寝たりたったりができず座ったまま硬直する(イメージは重度の脳性まひの人のかたまり方)(指摘をいただいたので訂正します)。思考はまだ動いているので予想以上の後遺症の可能性に怯える。周囲の様子や質問はほぼわからない。
ここでトイレに行きたくなり看護師さんと母に抱えられて行く。体がまっすぐ硬直しているのでズボンと下着は脱げず、脱がしてもらう。排尿の際に筋肉が動いてないのか5~10分かけて垂れ流しのような状態。わたしは女性ですが、ここでおりものが茶色くなる。(もし男性が見ていたときのための補足ですが、おりものは膣からの分泌物で、基本的にはさらさらと白かったり黄色かったりします)
ここからあまり記憶がないがそのまま6~8時間経つ。場所や時間がわからずうわ言を繰り返す。苦痛から気をそらそうと看護師さんたちがわたしの赤い髪やネイルを誉めてくれるが、なにも返せない。
カリウム?などの値が異常になり、一般的な総合病院から死にかけの人間が運ばれるデカイ救急の総合病院(病院からの紹介状がないと入れない、一般的な外来のないところ)に搬送が決まる(おそらく服用から10時間後くらい)。
看護師さんに「もうすぐ迎えがくるからね」と励まされるが、わけがもうわからないので、「死神………………?うれ……しい……」と途切れ途切れに返して「ちがうよ!」と言われてしまう。
全身の硬直、過度の痙攣、暴れがある。暴れているため体を拘束具で拘束される。わけがわからず救急車に乗せられ瞳孔確認されるが眩しいと思えない。
服用から12時間くらいでその病院に着き、尿道にカテーテルをいれられオムツをさせられたりレントゲンとられたりするが恥ずかしいという感情も体のうごきもない。自力で体が動かせないため、レントゲンをとるのも一苦労。3人かかり。
体温計で体温をとられるが、体温計が何なのか理解できず、「なんでこんなもの脇に挟むの?」と真剣に疑問に思う。また、「みんななんでか白い服で不思議だなあ。おそろいなのかな」とも思う。ダメージを得て、知能が著しく下がり始める。
太い動脈に点滴とか採血とか数種類の管をつけられるが痛みもなく、視界が白黒になる。この場所がどこかもわからないがなぜか頭の中で好きなバンドである神聖かまってちゃんが流れ始める。なぜか暗い曲ではなく『彼女は太陽のエンジェル』だった。
嘔吐、吐血、硬直、痙攣が続く。尿は白くて、なんか栄養が全くなさそう(血尿はなぜかなかった)。
とにかく苦しい殺してくれ以外の感情が消え、場所はおろか昼夜の感覚もなく、目の前の人間の性別の区別もあまりつかないし年齢もわからない。
頭の中で音楽とフィクションの映像がとまらなくなる。
胃と食道なども傷つけて血しか吐けなくなる。よくわからないので自分が吐いているという感覚すらなくなり、全身の硬直と痙攣のせいでずっと噛み続けていた口の中と顎が非常に痛くなる。支離滅裂なうわ言しかつぶやけなくなる。
ここから水分を飲むことを禁止され点滴に頼るしかないが水分禁止すら理解できず看護師さんに対して怒りをあらわに暴れだす。体をふたたび拘束具で拘束される。
涙と唾液がとまらなくなる。支離滅裂なうわごととなんだかすごい脳内妄想で無敵感を得はじめる。そこからほぼ意識ないが眠っているのではなく意識レベル低下(おそらく嘔吐、吐血、硬直、痙攣、たまの暴れが続く)。
服用後1日経つか経たないかくらいで氷水によるうがいを許可される。その頃には暴れがおさまり、自分の水分禁止を理解できはじめるので、飲まないように懸命にうがいをする。が、吐き出すためのトレーには手が届かず、ベッドの上に吐き散らしてしまうことを繰り返す。全身の激しい痛みにより、寝返りはおろか、手を動かすこともできない。看護師さんが忙しいためなかなか口に氷水をいれてくれず泣いたりする。このとき看護師さんに対して怒りより悲しみをなぜか覚える。
意識の消失と覚醒を繰り返し、脳内妄想、えずき(血もでなくなる)、被殺害願望の抱きを得る。
えずく元気もなくなりベッドで死んだように突っ伏す。
時折体勢を変えようと看護師さんが動かしてくれるが、仰向けになるだけで痛みのあまり手が硬直して天井を向き、勝手に「ア~~~!!」と叫んでしまう。
時間、場所、自己存在すべての感覚を失い、本能がわずかに残るのみの感覚。自覚はないがまだ激しい痙攣があり(恐らく)、母音のみの大きな声をずっとあげている。「アー!アー!アー!」を繰り返していて看護���さんに「頑張って静かにしようね」と言われるが、好きでしてい��わけじゃないのでできない。
とにかく水が飲みたい以外の感情がない。おそらく1日半くらい経ち毒素が抜け始めたのか苦しみを明確に得る。「こんなに苦しいなら殺してくれ」と看護師さんに懇願する。硬直はとけるが激しい痙攣と大声、妄想、えずきがとまらない。
とにかく死より後遺症が恐くてたまらなかったので、自分がまだ文字を読めるかを必死に考えて、ベッドの柵に書いてある「警告 サイドレールをベッドの内側から操作しないでください。サイドレールが急に下がり、転落し、けがをするおそれがあります」という文章を(覚えちゃいました)ずっと目で追って、まだ読める、まだ読める、と必死になっていた。
(恐らく)医師に「最近恋人と別れたとかない?」と聞かれるが、言葉にならないが「そんなわかりやすい理由なら苦労してね~~~!!」とキレそうになる。(恋人と別れて死ぬ人もいるし辛さは人それぞれだからそれは否定しませんが、そのときは「は!?」となってしまいました)
その後強制的に眠らされる(透析の可能性も浮上)。
2日後~徐々によくなる、まずは妄想が消え、つぎに痙攣の過小化、吐き気の沈静化、自分のおかれている状況の理解。ベッドが少しずつ入り口に近づいていく。
看護師さんの名前が読めるようになる(発音はまだできない)。
時々激しい痙攣のぶり返し、涙、よだれ、また力の加減がまだできず人の手を怪我させてしまう。
筋肉痛の100倍みたいな全身の痛みに気づく。「はやく退院したい」と思う。
少しずつ話せるようになってくるが語彙選びや声量の調整はうまくできず、また吃音の発生。例えば看護師さんに「母は来ましたか?」と尋ねたくても「ウーッウーッ、マ、マ、マ、ママ、ママ、かんごしさん、ママ、」としか言えない状況。
点滴の量が減り料理がだされるが、薄い味噌汁を数口とお水を数口、牛乳1口が限界ですぐに吐きそうになる。
きつい後遺症を覚悟する。
時計の読み方がわからない。それが時間を示すものなのはわかるが、読み方はわからない。なのに自分が排卵期であることは把握できていて、オムツが濡れたときに「は、は、はいらんだから、血が、かも、」と伝える。が、血尿はないが子宮から出血。膣から生理2日目くらい出血があるが生理ではなく、女性にしか伝わらないだろうが、なんか感覚がちがう。内壁が剥がれたとかではなくダイレクトに血管から出ている気がする。
ODしたときの記憶がフラッシュバックし吐き気を催す。
だんだん昼夜の感覚が戻り、人の性別、名前、おおよその年齢、部屋の構造の把握などができるようになってくる。空のえずきが続き、歯磨きをしてもらうが匂いでまたえずいてしまう。楽しみにしていたぺこぱの番組見れんかったなとか考え始める(ここらへんから妄想より現実世界の把握が主になる)。
���付が気になり始める。
後悔が半端なくなり、理性的な涙を流すようになり、心の中で看護師さんの名前を呼びながら謝罪を続けるが声にはならない。あと家族に面会時間がある当たり前のことをようやく理解できるようになる。痙攣が下半身のみになり、腕はベッドの柵を掴んで歯を食い縛る。うがい用紙コップに書いてあった、Comfortableという文字が読めるか必死に考える。意味はわからないが綴りは何となく読めて、意味を理解してないことは理解できていて少し安心する。
その頃には硬直はほぼなく、柔らかい白米を一口だけ食べられるようになる。人工的な味を嫌い、母にローソンで買ってきてもらったりんごゼリーのりんごを一齧り、みかんゼリーの小さなみかんを2つ食べる。
看護師さんにリハビリの話をされるが返事はあまりできず。
1日が24時間なら時計は24表記にすべきだと真剣に考えるようになり、その場合の針の刻み方を考案し始める。「それを看護師さんに伝えなくちゃ!時計は24にすべきです!わたしが作ります!」という頭のおかしいことを真剣に訴えようとする。
だんだん痙攣が小さくなり、時折の体の硬直を除けば、一般的なくらいの痙攣になるが、痙攣のせいで点滴が抜けたり毛布に血が飛び散ったりするがまだ気にかけることができない。またずっと続いていた痙攣のせいで足の小指の爪がとれる。
えずきが時折になる。未来を考え始める。
2日かけて吐き気と嘔吐がおさまったため、全身の激しい痛みとの戦いになる。苦しいのはわかっていたが、あんなに痛いと思ってはいなかった。激しく運動したあとの筋肉痛の100倍のやつが頭皮から爪先までを支配している。メチャクチャ痛いです。人生で一番痛い。
精神科の先生に精神病棟に入院するか聞かれるが断固拒否する。
2日半かかり痙攣が僅かになり吐き気の消失、髪と下半身洗いたいな……などを考える余裕ができる。ベッドの周囲を見渡す余裕ができ、髪が激しく抜けていることに気づく。髪ゴムはあったが髪のくくり方が思い出せなくなる。
2日半後にゼリーと汁物を半分くらいなら食べられるようになるが、腕が二倍くらいに腫れ上がっていることに気付く。看護師さんを名前で呼んだり、看護師さんによる採血の結果の数値の説明の理解などが少しずつできるようになってくる。
ストローを使って氷水が自力で飲めるようになり、風呂に入ったりトイレいったりしたいなと思うようになる。先生と看護師さんに「生きるためにがんばれ」と言われそれに素直に応じるようになる。また看護師さんの世間話に「うん」「はい」と相づちを打てるようになる。
かなり頑張ってだが、ゼリーのみかんを8割食べられるようになる。
音を消したテレビを眺め内容をおおむね理解できるようになる。林先生と伊沢さんが出ていた。おいしい唐揚げを作る裏技をしていたので、あとで母に教えてあげようと思ってメチャクチャ真剣に見ていた。
全身の痛みは消えないが痛み以外の症状はほぼなくなる。
まだ知能はおかしく、50÷25の計算をするのに何分もかかる。その一方で、暗記した覚えのない『失恋ショコラティエ』の1巻1ページ目から頭のなかで読み返すことができた。おそらく脳の働く部位が極端におかしくなっていたのだと思う。
服薬から約3日後、昼夜を完璧に把握できるようになり、看護師さんたちに謝罪できるようになり、退院を逆に不安がるようになる。
服薬から3日後~自分で簡単なベッドの操作をしたり寝返りを打ったり声を出して看護師さんを呼んだりできるようになる。
オムツははめたままだがおしっこの管を抜き、点滴を抜き、ふやふやの野菜と豆腐と牛乳なら8割食べられるようになる。
人の手を借りて歩く練習、トイレに行き自力で排泄、時間はかかるがふくこともできるようになる。
痛みと声以外の症状はなくなり、飛び降りした向かいのベッドの別患者の心配をするようになる。
1/29、服薬から3日半くらい、きょう退院しましょうと言われる(重体重傷の人が運ばれる場所っぽいので、命の危機だけは脱したことが伺える)。退院は不安だがそれに従う。
人の手を借りて、なおかつ十メートルごとに休めば歩けるようになり、ああ血がでてるからナプキン買わないとなあとか考えられるようになる。
寝苦しさはあるので、病院では意識の混濁時以外はほぼ寝られず(カフェインだしね)。途切れ途切れだが家族に謝罪できるようになる。
自力着替えは無理だが前開きのものなら自力で着られ、疑問を先生や看護師さんに聞けるようになる。うっすいコンソメスープを濃いなと感じる。
1/29の14時頃退院、自力歩行はできないが、介助を得ればトイレでの排泄、歩行、立ったり座ったり、身の回りのことができるようになる。
生きなきゃなと思い、帰りの車でTwitterの心配をする。
15時頃、10mくらいならふらふらだが自力歩行ができ、トイレでの排泄やナプキンの交換も自力でできるようになる。処理もできるが、拭くだけで数分がかかる。
全身の激しい痛みとうめき声は相変わらずだが、15時頃~自宅ベッドで汁物を進んで摂取し、LINEやTwitterにアクセスする。思考と打つのに普段の10倍くらいかかるが、多少の誤字脱字のみとなる。
ようやく少し眠れる。
1/29(服薬から3日半すこし)、全身の痛み(少しまし)、うめき声はあるが、汁物を接種するなど食欲が少しずつ甦り、日常に戻りつつある。風呂などはまだ不可能。
以上が退院までの地獄詳細です。方法にもよるけど、これから死ぬみんなはここに引っ越すし、さらにその先に引っ越すので、わたしは「まあ……その勇気あるなら人生どうにかなるやろ」というわたし自身クソ聞きあきた陳腐なことを言いそうになりますが、とにかくやるならガッツしかない。わたしはもう二度としたくないです。
現在も子宮からの出血や全身の痛み、内臓の痛み、麻痺、うめき声、記憶の混濁などがあるので、また回復したらそちらも「地獄から生還したらそっちもまあまあ地獄だったよ編」としてアップします。
https://highb.hatenablog.com/entry/2020/02/03/155423 こちらです
これから先の人生には不安しかないけど、いまは簡単な計算をアプリでやったり文字を書く練習をしたりしています。
ま、自殺って結局「自分を殺す」わけだからそんな簡単にはいかないですよね。当たり前。
死の否定は難しくても生命の肯定はしていきたいですね。
メンヘラがODで自殺未遂して地獄を見た(地獄編) - 現金満タン、ハイオクで。
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米政府は、2018年5月13日に成立した2019会計年度国防授権法(National Defense Authorization Act for Fiscal Year 2019)により、全政府機関に対して、中国共産党の情報機関と関係しているファーウェイ(華為技術)およびZTE(中興通訊)が製造した通信機器の使用を禁止した。
米国に続いて、豪、印およびニュージーランドの各政府は、それぞれ5月��9月および11月に、自国の高速大容量の第5世代(5G)移動通信システムへのファーウェイの参入を正式に禁止した。
カナダ・バンクーバーで逮捕されたファーウェイの創業者の長女、孟晩舟(マン・ワンジョウ)最高財務責任者(CFO)(ファーウェイのHPより)
また、米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は、11月22日に米政府が日本やドイツ、イタリアなどの同盟国に対し、ファーウェイの製品を使わないように求める説得工作を始めたと報じた。
以上のように、各国で、中国の2大電気通信企業であるファーウェイとZTEを電気通信インフラ市場から排除する動きが広まっている。
その背景には、中国の電気通信企業がもたらす安全保障上の脅威がある。
その脅威とはサイバー攻撃であり、なかんずくICT(情報通信技術)サプライチェーン攻撃である。
重要インフラに対するICTサプライチェーン攻撃は、その重要インフラが提供するサービスを中断・停止させ、社会に大混乱をもたらす。
以下、初めに米下院・情報常設特別委員会がかつて作成・公表した調査報告書について、次に、ICTサプライチェーン攻撃ついて解説する。
1.米下院・情報常設特別委員会の調査報告書
今回、注目を集めている事象の起源は、米下院・情報常設特別委員会が2012年10月に公表した「中国の通信機器会社であるファーウェイとZTEによりもたらされる米国の国家安全保障問題に関する調査報告書*1」にある。
若干長くなるが本調査報告書の経緯について述べる。
2010年1月、米下院・情報常設特別委員会のマイケル・ロジャーズ委員長は、「ファーウェイやZTEを含む中国企業により米国のセキュリティと通信インフラが脅威にさらされている」として予備調査を命じた。
*1=米下院・情報常設特別委員会「中国の通信機器会社であるファーウェイとZTEによりもたらされる米国の国家安全保障問題に関する調査報告書」https://intelligence.house.gov/sites/intelligence.house.gov/files/documents/huawei-zte%20investigative%20report%20(final).pdf
米国の情報機関や民間企業との一連の会合、聴取、調査を行った結果、この脅威が、米国にとって最優先となる国家安全保障上の懸念につながると判断し、2011年11月に本格的調査を開始した。
委員会の調査は、米国の電子通信インフラ市場に機器を売り込もうとしている中国の電気通信装置メーカーの上位2社であるファーウェイとZTEに集中した。
両会社の現または元従業員に対する何時間ものインタビュー、大規模かつ度重なる文書要請、公開情報の調査などが行われ、約1年に及ぶ調査の結果を受けて、本報告書が作成・公表された。
本報告書は、両社がもたらす安全保障上の脅威について次のように述べている。
「中国��は、悪意のある目的のために、電気通信会社を通じて、米国で販売される中国製の電気通信の構成品およびシステムに、悪意のあるハードウエアまたはソフトウエアを埋め込む可能性がある」
「電気通信の構成要素とシステムを改竄する機会は、製品の開発・製造の期間を通して存在する」
「そして、ファーウェイやZTEのような垂直的に統合された巨大産業は、中国の情報機関に、悪意のあるハードウエアまたはソフトウエアを、重要な電気通信の構成品およびシステムに埋め込む多くの機会を提供することができる」
「中国は、このために、ファーウェイまたはZTEのような会社の指導部に対して、協力を求めるかもしれない」
「たとえ会社の指導部がそのような要請を拒否したとしても、中国の情報機関は、これらの会社の中の現場レベルの技術者または管理者を雇いさえすれば十分である」
「さらに、中国の法律の下では、ZTEとファーウェイは、中国政府によるどんな要請にでも、例えば、国家のセキュリティという名目の下に、悪意のある目的のために彼らのシステムを使用またはアクセスするという要請にも協力する義務がある」
「悪意のあるハードウエアまたはソフトウエアを米国の顧客向けの中国製の電気通信の構成品とシステムに埋め込むことによって、北京は、危機または戦争の時に、重要な国家安全保障上のシステムを停止または機能低下することができる」
「送電網または金融ネットワークなどの重要インフラに埋め込まれた悪意のあるウイルスは、中国の軍事力の中でも驚異的な兵器となるであろう」
「中国製の悪意のあるハードウエアまたはソフトウエアは、センシティブな米国の国家安全保障システムに侵入するための強力なスパイ活動の道具でもある」
「同時に、センシティブな企業秘密、先進の研究開発データおよび中国との交渉もしくは訴訟に関する情報が蔵置されている外部と接続されていない米国企業のネットワークへのアクセスを提供する」
上記の調査結果に基づき、本報告書は次のような提言を行っている(機器の排除に関する部分のみを抜粋)。
①米国政府のシステム、特にセンシティブなシステムには、ファーウェイまたはZTEの機器(部品を含む)を使用してはいけない。
同様に、政府契約者、特にセンシティブな米国プログラムの契約に関係する契約者は、彼らのシステムからZTEまたはファーウェイの機器を排除しなければならない。
②米国のネットワーク・プロバイダとシステム開発者には、彼らのプロジェクトのために、ZTEやファーウェイ以外のベンダーを探すことが強く求められている。
以上の報告書に基づき、2012年から実質的に米国政府のシステムからファーウェイとZTEの機器は排除されているようである。
上記の報告書のいう「電気通信企業がもたらす安全保障上の脅威」とは、危機の際に、重要ネットワークと通信へのアクセスを獲得するまたは重要なシステムを制御する、もしくは機能低下させる能力を得るためにICTサプライチェーンを危殆化しようとする国家の企ての可能性であると言える。
2.ICTサプライチェーン攻撃
本項では、実例、定義および攻撃の態様を紹介する。
(1)実例
初めにサプライチェーン攻撃の実例を紹介する。
(この実例は、拙稿『北朝鮮のミサイル発射を失敗させた米国7つの手口』(JBpress2017.4.27)の中で紹介したものであるが、ICTサプライチェーン攻撃の脅威の大きさやインテリジェンス活動を理解するのに重要であるので、再録した)
「1980年代初頭、長大なパイプラインの運営に欠かせないポンプとバルブの自動制御技術をソ連は持っていなかった」
「彼らは米国の企業から技術を買おうとして拒絶されると、カナダの企業からの窃盗に照準を合わせた」
「CIA(米中央情報局)はカナダ当局と共謀し、カナダ企業のソフトウエアに不正コードを埋め込んだ」
「KGB(ソ連国家保安委員会)はこのソフトウエアを盗み、自国のパイプラインの運営に利用した」
「当初、制御ソフトは正常に機能したものの、しばらくすると不具合が出始めた。そしてある日、パイプの一方の端でバルブが閉じられ、もう一方の端でポンプがフル稼働させられた結果、核爆発を除く史上最大の爆発が引き起こされた」
この事例は、米国の元サイバーセキュリティ担当大統領特別補佐官リチャード・クラーク氏の著書『世界サイバー戦争』(徳間書店)の中で紹介されていることから極めて信憑性が高いと見ている。
(2)定義
(米・国立標準技術研究所(NIST)の定義などを参考に筆者が作成した定義である)
「情報システムのハードウエア、ソフトウエア、オペレーティング・システム、周辺機器またはサービスに対して、それらの据えつけ前に、論理爆弾(サイバー攻撃などに用いられるウイルスの一種で、対象のシステムの内部に潜伏し、あらかじめ設定された条件が満たされると起動して破壊活動などを行うもの)やバックドア型トロイの木馬」
「またはマルウエアが埋め込まれた偽物とすり替えるなどの不正工作をし、ライフサイクルの間のいかなる時点かで、事前に埋め込んだマルウエアを始動させ、重要データの窃盗もしくは改竄したり、あるいはシステム/インフラを破壊するなどして任務遂行を不能とする」
(3)攻撃の態様*2
ICTサプライチェーン攻撃は、一般的には商業的な結びつきを通してアクセス権を有する個人または組織によって実行または促進される。
ICTサプライチェーンへの攻撃機会には、上流、すなわち製造過程と、下流、すなわち流通過程がある。以下、それぞれの攻撃の態様を述べる。
ア.上流への攻撃の態様
ネットワーク・ルータおよびその構成要素である半導体集積回路(IC)の製造プロセスは、電気通信およびマイクロエレクトロニクスのハードウエアがもたらす潜在的な脆弱性の代表例である。
半導体産業の複雑さと融通性によって、多くの会社で働いている何百人もの人々によって世界中で設計されたICを、1つのチップに組み込むことが可能となる。
チップ設計と製造のこの世界的な分業は、生産ペース���速めて、新しい製品開発のコストを下げている。
しかし、チップがより大きなICに統合されるために次の場所に出荷される前に、何億ものトランジスタの中に隠された危険な回路を探知することは困難である。
熟練した人員とエンジニアリング資源を自由に使える洗練された敵対者は、プログラム可能なチップのソフトウエアを改竄することによって、チップが他の製品への統合のために出荷される前に、メーカーに対して上流攻撃をしかけることができる。
このように、ルータ、スイッチ、または他の電気通信ハードウエアのメーカーは、数えきれない改竄の機会にさらされている。
とはいえ、米国のICTサプライチェーンに対してチップ・レベルの不正工作を実行しようとする攻撃者は、作戦上の複雑な課題に直面する。
すなわち、政府機関、ネットワーク、または民間団体の一つを標的として、上��の製造過程で不正工作しようとする攻撃者は、不正工作したコンポーネントがどこに配送されるのかを予想できなければならない。
さもなければ、攻撃に成功できないばかりか、不正工作したハードウエアを世界中の顧客に出荷させることにもなる。
*2=米下院・情報常設特別委員会「中国の通信機器会社であるファーウェイとZTEによりもたらされる米国の国家安全保障問題に関する調査報告書」https://intelligence.house.gov/sites/intelligence.house.gov/files/documents/huawei-zte%20investigative%20report%20(final).pdf
イ.下流への攻撃の態様
標的とする組織に製品を供給している下流の流通経路を攻撃することは、上流の半導体製造サプライチェーンそのものに侵入しようとする複雑さに比べれば、あまり複雑でない。
多数のシナリオが可能であるが、最も成功しそうなシナリオは、トンネル会社を作り、卸業者への特定のブランド機器の再販業者として利用することである。
それにより、敵対者は、アセンブリ(組み立て)の時にファームウエアまたはソフトウエアの中に読み込まれた「トロイの木馬」を含んだ偽物のハードウエアを埋め込むことができる。
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あるいは、敵対者は、非常に関心のある標的を顧客としている再販業者と卸売業者を目的地とするブランド機器の積荷の中に完成した偽のハードウエアを混入することができる。
プロの情報機関であれば、市場で顧客リストを入手するのに時間あるいは資源などの大きな投資を必要としないであろう。
しかし、このような方法は、偽造品が発送または据え付けプロセスのいかなる点かで発見されるリスクがないわけでない。
おわりに
我が国ではサプライチェーンは、物流やモノづくりに関わる問題としてとらえられることが多い。
そのため、オープン化、グローバル化が進むICTサプライチェーンを情報セキュリティ問題と結びつけて考えることは、最近に至るまでほとんど行われてこなかった。
現在もこの状況はあまり変わっていない。このため、我が国では、政府機関や企業の中国製IT機器に対する警戒心が皆無と言っても過言でない。
我が国の政府機関などの公共機関は、製品や役務(サービス)を調達する際には最低価格落札方式を原則としている。
しかし、政府機関や重要インフラ事業者の使用するシステム・機器には高い信頼性が要求されることは言うまでもない。
従って、これらの電気通信機器の整備に際しては最低価格落札方式���なく、ICTサプライチェーン脅威を考慮した新しい調達方式が必要となっている。
また、重要インフラシステムのICTサプライチェーン・リスクへの対応は, 企業だけではできるものではなく、国と企業が一体となって進めなければならない。
まずは、ICTサプライチェーン・リスクに係る包括的な調査研究を、官民で協力して実施し、同調査研究成果を公表して、官民のICTサプライチェーン・リスクに対する認識を向上させることから始めなければならないであろう。
そして、最終的にはICTサプライチェーン・リスクマネージメント(SCRM)のべストプラクティスを策定しなければならない。
さて、我が国は、公的調達からファーウェイを排除しろという米国の働きかけにどのように対応するのであろうか。
我が国は、自ら件の中国企業の脅威を調査していないので、米国の調査結果をうのみにすることもできない。さりとて、同盟国の誘いをむげに断るわけにもいかない。そのうえ、国益と民間企業の利益は必ずしも一致しない。
都合のいいことに、WTO(世界貿易機関)政府調達協定第3条(旧協定第23条)は、加入国が「国家安全保障」のために必要な措置をとることを妨げないとしており、各国が「国家安全保障」を理由として他国企業の応札を拒絶することを許容している。
従って、我が国も、「国家安全保障」を理由としてファーウェイの製品を入札から排除することも可能である。
報道によると、米当局者の一人は今回の説得工作について米紙WSJに「米国および同盟諸国と中国のどちらがデジタル網でつながった世界の支配権を握るかをかけた『技術冷戦』の一環だ」と指摘したとされる(産経11月23日)。
米中の覇権争いの渦中にあって、我が国としては同盟国米国を選ぶしか選択肢がないであろう。
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世間の常識とネット調査班の常識の距離
221014 タブーレベル④の違法行為を一生懸命書き続けても、炎上もせず、多くの人が口ポカンになります。有名人がタブーレベル③のことを書いたら、炎上します。何かのきっかけでタブーレベルが変更され、①まで下がると、マスコミが叩き始めます。 T1がそれに当たります。
違法行為のレベル区分
タブーレベル①(マスコミで報道される、そろそろ警察が捜査開始可能な案件。多くの人がすでに知っている) T1,モリカケ桜、中抜き不正、五輪疑惑など
タブーレベル②(隠されてはいないが広報禁止。まれに国会で発言アリだが議論に発展しない。検察警察が動かない案件、一般人も知ってないのはマズいレベルだが、積極的に知らせてはいけない案件) ��民党の改憲草案で基本的人権削除、マイダン革命の真実、ウクの過去と実情、ヌーランドは戦争仕掛け人、北方領土を返さない理由、武器商人と戦争屋の商売方法、アーミテージ・ナイ報告書、人工地震、気象操作
タブーレベル③(5%ぐらいの人々が知っているが社会的影響が大きすぎて、証拠があっても警察が受け付けない、DSの常とう手段、人消しに合ったりする。解決は困難ではあるが知っておいた方がいい案件) 選挙不正、バイデンジャンプ、ハンターのノートPC、人身売買、日本郵船と赤い靴、児童相談所の真実、イエズス会と明治維新の裏情報、外国人技能実習生行方不明の原因、プリウス事故遠隔操作、池袋暴走事件現場の中村格氏、日米合同委員会、911と311の真実、北朝鮮と日本の支配層の関係、支配者側の麻薬密造と密売、ダイアナ妃、JFKjr、志村けんさんの行方、芸能人連続不審死、安倍シの死因報告書(高橋清隆氏が奈良県立医大病院に情報開示請求後、無視)
タブーレベル④(DSよりもっとひどい事。知ったら吐き気がする) 下垂体ペド、エプスタイン島、地下都市
レベル②の具体例。
コロナ茶番、ウクライナ事案 隠された仕掛けの中で捻じ曲げられて報道され それを受けて有名人や人気タレントによってそれが常識であるかのように広められ それを受けて国会議員が全会一致で何かを決めてしまう 法律になってしまった時点で、反論することは止められる。 これが繰り返されています。DSにとっての役割が終わり、必要がなくなった時点で表に出されます。隠し続けていたら暴露されるリスクがあるが、自分から目立たないようにポイっと表に出してしまえばそのリスクがなくなるので、よくそういうことをします。
自民党の改憲草案が基本的人権を削除したものであること、 日本は70年以上経ってもいまだに国連内部で敵国とされたまま、 プーさんが北方領土を返さないのは米軍基地を作られてしまうから、 この3点は、もっとも重要であるにもかかわらず、TVや新聞でほとんど議論がありません 野党も何故かつつかない。日国民はこの3点を知っておく必要があります うっかり忘れたりしないように、いつも自覚し続ける 特にネット上のかく乱部隊は、この3点を棚に上げたまま、棚の下で、攻撃的で意味のない議論を展開し炎上させたりしています。 わざと論点をずらして、改憲を実現させるために これが繰り返されています
230308 「性教育にこんな人形を使うなんて、はしたない」学校から性交教育を消せこれを「正義の仮面をかぶった、T1洗脳悪魔」と呼びます。背後霊のように人々の後ろにいて、その場面に後ろから囁きます。「ほら、こいつは悪いことをしようとしている、潰せ」と、背中をつつきます。
230310 米国のマスコミが2020年1月6日米国議事堂事件の始終を記録した監視カメラの映像を公開した。動画には警察と警備員がトランプ氏の支持者たちを招き入れ案内しているところが映っており、これまで民主党が「トランプ氏が支持者を煽って乱入させた」という主張が全くの嘘であったことが示された。日本のマスコミは全く報道しません。ネット調査班はこの情報を当日の数日後には掴んでおり、事件自体がヤラセであったことも最初から解っています。
230311 HAARPに関するわかりやすい解説をするテレビ
https://twitter.com/i/status/1633966627023888384 230311 与野党ともにノータッチの重要案件とは何かのリスト。この棚上げ案件リスト���、国会審議されることがなく、司法行政立法のどこからも解決できないようにされています。特別会計の金の流れ、首相判断での税金の使い道とか。もし近くの警察に届けても、ポカーンとされます。
230314「T1S価DS製の常識」に乗っかった厚労省は信用できません。
例えば、工業用NaClを食塩という名前で呼ぶこと、
例えば、育癌防止という概念を全く取り扱わない厚労省と医療界、
例えば、莨と大麻の薬効をすべて隠して完全悪として取り扱うこと、
例えば、砂糖と小麦の依存的習慣性を指摘しないこと、
例えば、糖尿病や血圧、メタボの境界値の書き換え、
例えば、小太りのほうが健康に良いことを隠してダイエットを推奨していること、
例えば、コレステロールやニコチンを害悪として広めること、
例えば、降圧剤の副作用が、脳の貧血と意識障害なのに推奨すること、 230316 感染予防に逆効果のマスクに効果があるという嘘を流布した「強力な同調圧力実験」による世の中の変化とは、
「かつての勇者がマスク羊になってしまい、迫力が無くなったこと」
絶対にマスクをしなかった人々はキチガイ扱いされる圧力に耐え抜いた勇者だが、別に誰も褒めてはくれない。
かつての権力と戦った勇者がマスク羊になった様子を見ることは楽しくないことでした。「長巻かれ」は勇者ではありません。戦争犯罪にも加担してしまう、国防婦人会と同じです。
230318 令和は昭和よりも「便利だが安全ではないもの」だらけ
事件のたびに意図的な情報漏洩がされているLINE。仲間うち限定の黒塗りのはずのLINE情報をバンバン報道に使う異常性、アヘシ的身勝手さ。黒塗りが得意なはずの報道は黒塗りを剥がすのも得意なようです
誰にも���き先を言わず引越ししたガーシー氏が、もしまたyoutube配信をしたら、警視庁はそこから居場所を辿るのでしょうか。私は辿るように思います。イスラム国の挑発動画に関して、発信元は特定可能なはずなのに一切情報発信元を探そうともしなかったクセに。このことから、イスラム国にも「アヘシ的身勝手さ」を感じ、ヤラセだと結論付けました。状況と自分勝手な御都合に応じて、黒塗りにしたり剥がしたりすることを繰り返す人は信用できませんからね。タカチシがアヘシの真似をしていますが、何度も使える手ではないですね。
230320 私は6年前から、寅さんとプーさんを嘘つきや悪者だと思ったことは一度もありません 嘘つきの悪者は他に居るからです。T1DSに支配されたテレビや新聞はそのことをはっきりと言いません(その時が来たら言い始めますが)。なので日本中の多くの人々が勘違いをさせられています
テレビや新聞に騙されてしまった人たちは、ガーシーやプーチン氏を悪者扱いし、不妊や突然死のリスクがあるだけでまったく効果のないワクチンを自分の子供に打たせたりしています。そのうちに自分の子供を戦場に送り出すことになりでしょう。なんかおかしいぞと、いつ気づくのでしょうね。
寅さん、核心を語り始めるウクの「代理戦争」が続けば世界規模の戦争に発展する。ロシアが最大の脅威だというのはデマだ、脅威はウクライナ国内にある。私たちを永遠に終わらない戦争へと引きずり込むのはグローバリストとネオコン、ディープステートとNATO
230322 T1DSはこういう日本にしたい(実行部隊キシタシタカチシオノタシ)勝共連合の教義「朝鮮半島から第三次世界大戦を起こし、日本は生活水準を3分の1に縮小し、税金を5倍にし、軍事費を爆上げ。日本国民はその生贄になれ」=「美しい国ニッポン」統一教会の久保木修己氏
230322 「スパイ防止法に反対する人物はスパイダー」とスパイが宣伝するという、やり手の狸案件昭和と違って令和の狸は、2重の狸の皮を被っているようです。
「日本はスパイに狙われている(狙っているのはオレたちだけどな)」
スパイ防止法、名前だけ良くても、中身は緊急事態条項と同じ独裁者に好都合なだけのもの。スパイじゃなくても、政府に反抗すればスパイだとして拘束できるようにするためのシロモノ。国家に逆らったり、批判をしたらスパイだとして拘束。国家反逆罪で重罪に。77年前に陸軍が民間人になにをしたのか、特に沖縄県で。それと同じ。
230322 スパイ本人が早いこと作りたい「スパイ防止法」。宣伝文句は「スパイ防止法がないのは世界で日本だけ」
アヘシの後継タカチシが急ぎたい、統一教会案件。戦争仕掛け人の自分やヌーラントシが排除されないための本末転倒トンデモ法案。国際勝共連合=統一教会
「スパイ防止法」制定促進サイト「http://spyboshi.jp」が、統一教会系のドメインだったことを指摘したら、岡山の小野田議員にブロックされた方が居るようです。小野田氏、 2重の狸の皮を被っている 結構やりての狸。
勝共連合は教義の一つとして、 「共産主義をこの地球上から完全に一掃する」「朝鮮半島が突破口に第三次世界大戦が必ずおこらなければならない 」「日本は生活水準を3分の1に減らし、税金を4倍、5倍にしてでも、軍事力を増強してゆかねばならない」とし、日本国民に犠牲(生贄)にな��ことを要求している。初代会長は、日本統一教会の初代会長の久保木修己。久保木は教義として「美しい国 日本の使命」「勝共こそキリスト者の聖使命なり」と説いた。キシタシがやっていることは全くこの路線に乗ったものですね。こういう日本にするためです。https://spyboshi.jp のサイトを宣伝する人たちhttps://togetter.com/li/1926117
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ベネディクト・クリスタンヴァル公爵
「聖アヴァルクの儀仗官」の設定続き。ベネディクト・クリスタンヴァル公爵がミレー家で暮らしていた頃の話。両親設定など。伯爵令嬢との出会いまで一通り。
▼概要
婚約時は20歳。帝都運河沿い生まれ。四人家族の長男。商売人である母親に似て頭の回転が早く、運動神経に優れる。8歳差の妹ヴィオレット Violetteが一人いる。彼女もシャルディニー家の血を引いている。
▼外見
外見は金に近いふわっとした亜麻色髪、紫寄りの碧眼。イメージ宝石はタンザナイト。石言葉「神秘」。瞳もこの宝石イメージしてくれたらばっちり。公爵家の跡取りとなってからは、短くて細い三つ編みを後ろに垂らしている。根本が太い、先っぽになるほどめっちゃ細いやつ。
外見的にはまんまシャルディニー家。帝国内は色んな人種が混ざっているから目立ちはしないけど、分かる人が見れば「おっ、君、連邦出身かい~~?!」となると思う。ミハリスさんガチ似。 ミレイユ皇女とドロテア社長令嬢に懸想されている。
以下、序章らへんネタバレ。
*
▼生家、ミレー家
母方稼業は骨董屋。超おてんば娘。父は郵便配達員。手紙を配達するべく、たまたま運河沿いの骨董店を訪れた父が、古い本の中から貴重な魔導書を識別したことが二人の出会いだった。父親は元貴族の家系、しかも魔法を専門にしていたことから、かの知識が豊富だったのだ。中でも古本には造形が深い。これは昔からシャルディニー家が魔導書を使っていたことに起因する。
加えてシャルディニー家の血筋を引く父親は美しい人だった。知識と美貌に惚れた母親があの手この手で絡め取り、周囲からも押される形で二人は結婚した。愛情いっぱいの家だったが、ある時、骨董店が連邦側の砲撃に巻き込まれてしまう。父と祖父母は他界、母親は足を悪くし、少年には幼い妹が遺された。ベネディクト氏が当時9歳の出来事だった。
▼貧困時代
彼は骨董店で育ったといっても、父ほど鑑定眼を持っている訳ではなかった。父もまた祖父母から学んでいたが、父がその知識で母親を射止めた際、老人たちは危機感を抱いた。シャルディニー家の末裔であると周囲にバレてしまうのではないか…と。そこで少年には最低限の知識しか与えなかった。
だが困ったのは少年だ。頼みの綱である慧眼持ちの父親は他界、砲撃で店も破壊され、母親は働ける状態ではない。最初はご飯を得るのもままならない状態だったが、文武両道だった少年��必死に働いた。
▼船舶会社時代
彼が10歳になると、ひとりの騎士が現れた――実はこの騎士はソニエール伯爵の息が掛かった者だったが、それが分かるのは少年が成人してからだ――彼は治安維持を担う騎士団の団長だった。騎士は少年の頭脳を見込んで、とある船舶組織へ潜り込ませたいと告げた。内部情報提供者にするためだ。子供を使うことは違法だったが、ベネディクト少年にはそれを為す頭脳と度胸があると見込まれたし、なにより彼の美貌があればターゲットである社長令嬢の心を射止めることが出来ると思われた。
案の定、幼い社長令嬢はすぐさま少年に恋をした。彼自身も有能だったこと、娘が熱烈に恋をしていることから、社長は少年を自身の側に置いた。こうしてベネディクトは表向きは組織の一員として、裏はスパイとして暮らすようになった。(その組織も、表面上は海軍にも船を提供している船舶設計会社という形を取っていたので母親は息子が良い仕事に就けたと疑わなかった。)
少年のお陰でミレー家は毎日食事が取れるまでに生活が戻った。といっても食事は凡て豆スープ。肉など贅沢品でもっての他だったが、時折例の騎士も差し入れをしてくれた。
▼令嬢との出会い
それから二年ほど経った頃だ。少年が12歳になった頃、運河に潜り、新しい船舶のチェックをしていた時、彼は一人の伯爵令嬢と出会った。彼女は膝に本を開きながら静かに公開間近の船を眺めていた。立ち入り禁止だったはずだが、出資者がソニエール伯爵であること、および、彼女が伯爵家の娘であることを小耳に挟むと、親子共々見学に来たのだろうと思い至った。
美しい少女に目を奪われたが、しかし店が潰れて以来、ベネディクトは貴族に汚い子供だと蔑まれて来た。だからぼんやりと波間を眺めるだけの少女に苛立ちが湧き、こっそり彼女に水飛沫が飛ぶようにした。それでも彼女は動じなかった。実は船に魔法を掛けていた最中だったのだ。
それは当時開発されたばかりの技術。海軍船舶の大破率を大幅に下げる守りの魔法や、「いなす力」を利用して摩擦を減らし速度を上げるコーティング魔法などが掛けられていた。
そういったものはどこぞの物好き貴族が発明したと聞いていたがソニエール伯爵のことだったらしい。しかしソニエール伯爵家が魔法に長けていたとは初耳だった。巷では一般人でも魔法が使えるような研究が進んでいる話は本当らしいと驚くも、彼は自分には関係ない話だと考えた。(彼にスパイを指示した騎士の情報で、少年の頭には帝国内貴族のことはだいたい頭に入っていた)
とはいえ、少年にとって初めて魔法を見た瞬間だ。彼は好奇心に負けて陸へ上がった。と、ちょうど伯爵令嬢が魔法を掛け終わり、意識をこちらへ戻した時分でもあった。半裸で隣に立つ少年を見たルミリアは驚愕し、思わず彼を平手打ち。脱兎で逃げ去ったのだった。
これが二人の出会いだった。
つづく。
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https://youtu.be/bSpR9qdMlSc
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高級ゴールドデューク/バズー「満20歳以降のアダルトビデオ撮影は禁止されてんの知ってるよな?殴られてえのか?あ”?」AV女優「生活費がないんです、仕事にも就けなくて。でも生活保護で迷惑もかけたくないんです」ゴールドバズー「ばーか、タバコで税金納めるのと同じ綺麗事言ってんじゃねえよ、治療費に入院費で実際には社会の足を引っ張ってるだけなのと同じなんだよ豊かな暮らしの何の役にも立ってねえ。それと違って俺達はなア、承知の上でカッコよく吸う本当の絶対悪なんだよ」AV女優「そんなのもっと質が悪いじゃない」ゴールド��ズー「あ”?」バキ‼️ガスドガ❗️ AV女優「ああ!やめてください…」ゴールドバズー「テメェも俺達の祖先と同じだ。強者で居る事に胡座かいてゴミみてぇな遺伝子作った愚かな人間だ。せめて”””霧島狩魔様”””と違ってチートスキルなきゃ空っぽで何の取り柄なしのゴミクズだとしても””高遠夜霧””みたいな最強として産まれたかったよ。だから俺様は犯した女全員に中絶させて悲劇の血統に終止符を打つぜえ!(黄金の真実)!!www」
ピーンポーンパーンポーン…人格排泄の時間ですw肉体操作の時間ですW ゴールドバズー「フヒっ💛」スタスタスタ… 残されたのはアザだらけで野垂れ死ぬAV女優
ガンガン❗️(ハンマーで叩く音) 姉妹の人格が入ったミニロボット「やめて痛い❗️」高級ゴールドバラバズー「ストレス発散道具が五月蝿いのだよww」ゴールドクイーン「もう女の子じゃないのじゃぞーwww?種付けプレスをされる元自分の身体にイジメられる鉄屑WWW」乗っ取られた姉妹(14歳)の身体1「早く貧弱で情けない鉄屑の前で種付けプレスして下さい🧡」乗っ取られた姉妹(16歳)の身体2「私達はそれぞれが聖なるおマンコと純潔のアナルで戦うのよ💛」ミニロボット「やめて❗️❗️❗️」
G(グランド)が奪った美少女姉妹(14)の体1「アソコをペロペロしないで!」ゴールドガッチャ「良いぞ(笑)」レロレロッ💛 Gが奪った美少女姉妹(16)の体2「ひんッ💛また一段とイヤらしくしてきましたわね…」パンパンパンパン🧡 Gが奪った体1「一体私のナカはどうなってるの……んん🧡」Gが奪った体2「落ち着いて状況を整理しましょう、私は純潔のアナルを…そしてアナタは聖なるおマンコに挿れられてるの……」Gが奪った体1「助けてお姉ちゃん!このままじゃ女の子の大事な所に……💛」パンパンパン🧡 Gが奪った体2「どうする事も出来ないわ…私達は卑しい絶倫ペニスから逃れる事は出来ないの!抵抗も無駄、でも…アナタと舌を絡ませて慰め清め合う事は出来るわ」ズンズン🧡 Gが奪った体1「いやあん💛」Gが奪った体2「負けないで!男に舐められちゃだめよ」Gが奪った体1「もうレロレロ舐められてるじゃない!!🧡」ゴールドクイーン「もうそろそろ膣にかけるぞ💛」Gが奪った体2「駄目よ!赤ちゃん出来ちゃう!」Gが奪った体1「純潔アナル負けるな!絶対に搾りとっちゃダメなんだからね!?純潔アナル頑張れ!逞しいチンポと戦え!純潔のアナル!!!」ゴールドバラバズー500「そんな美少女姉妹の希望をしゃぶりとるトドメ♂のピストン運動!!!」ドッビュルルルルルルル🧡 Gが奪った体2「んっほおおお💛」Gが奪った体1「…お姉ちゃん、私も…種付けされるの?🧡」Gが奪った体2「おっぱいもクリちゃんも勃ち向かわなくちゃいけないのよ!聖なるおマンコはきっと負けない!私の赤ちゃん部屋だって邪悪なる精子と闘うんだから痛くないように濡らして待つの!!!」
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〜20年後〜 ゴールドバズー「このゴミ共使えねー(黄金の真実)から捨てとけ」Ⅷ索グリーン/刀足軽No15「はい!ww」 G(グランド)が捨てたアラフォーになった姉妹の抜け殻「………」ゴウンゴウンゴウン…ジューー(焼却処理)❗️❗️❗️ 姉妹の抜け殻「あああああああ‼️‼️‼️」五萬レッド/手長No2「はははは!そのままお陀仏しろ産業廃棄物!!!wwww」ジューーー❗️❗️❗️…プスプスプス………
〜主人公サイド〜⤵️

富豪05「””高遠夜霧””は強い人間だが…あいつにできるのは結局は闘いじゃなくて作業だ。そしてチートスキルも他の世界線では多分通用しない」御茶ヶ滝ウォーターワールド「理由は個人それぞれみんな著作存在という絶対的力を持っているから」超電波油アンタッチャブル「だから本当にフェアな条件で闘う事は出来ない。干渉する時点でアウトだからな」純粋硬派柱HyperPureEgrosburst05 富豪「そこまでは分かってるか。なろう世界と少年ジャンプ世界の宇宙の重力的制限等が同等?主人公同士の持っている力がスケール以外は千と千?それは俺らが住む2次創造世界を除く相手の世界の力量を勝手に決めつける冒涜だ」ミハエル=ケール「だから無干渉でしかいられない結論に辿り着いたんだろ?俺達が今読んでいる高遠夜霧が主人公の漫画の中だけを除いて…それの何が問題なんだ?」純粋硬派柱3人「”””それだよ”””、{{{無印04(大ボス)が俺の事殺してみろよ、女性を醜悪整形から守ってみろよ高遠}}}って読者目線利用しながらキチガイ全開で自殺者増やしてる訳」アイエフ「””””朝倉裕人””””。それが覚醒して尚、あるテストで【『23点』しか取れなかった…”””森永雅樹”””】に代わる…いいえ、本当の使える友達らしいわ」

球磨川禊「ちょっと待った、富豪05。君なんで仲間気取ってここに居るの?www」御茶ワールド「彼は性格以外は悪い人じゃないよ、エンパスで過去を見たんだ」超電チャブル「言っちゃ悪いが[[[[高遠夜霧は朝倉裕人と霧島狩魔]]]]の絶対下位だ(赤き真実)」ミハエル=ケール「お前が言いたいのは能力の話じゃない。人格と本質のパラメーターについてだろ?全く同じ人生を送った時に差がでるもしもの魅力と影響力、著作存在に触れない格の違い…それは””夜霧””に致命的に欠ける部分」御茶ワールド「””霧島狩魔””は現実と呼ばれる世界の人間すらも騙すからね」球磨川禊「僕ほぼ相討ちだけどーー、そいつと融合した”””霧島04(裏ストボス)”””を一度倒しちゃったよ(チラッちらっ)WWWWW」超電チャブル「そ、それはスゴウイ(^◇^;)」アイエフ「それくらい別に普通じゃない(赤き真実)」御茶ワールド「ちょ……アイエフさん⁉️それ言っちゃダメな奴❗️❗️」球磨川禊「だって……そいつ倒すのが最終目的って…………二人に言ってなかった?」一方通行「そりゃ未成年を無限大の危険に晒さない表向きの理由だ」球磨川禊「前向きな50歩100歩だよね?」ワムウ「核兵器から人類を守るのは普通だがな、タバコの煙から少年を隔離するのは次元の異なる話よ」防聖孤島「あー、…実は俺達26回拳を交えて3回は勝てたんだよ。(赤き真実)」富豪05&球磨川禊「まじかよ、あの””””絶対神狼達””””は高次元から帰って来ないしやる事ないじゃん」御茶ワールド「””やる事はちゃんとあった””」超電チャブル「この前平和を懸けて””””麒麟丸さん””””って大妖怪と戦ったつもりだったんだが…」 〜
麒麟丸「冥土の土産だ。いい事を教えてやろう」防聖孤島「あんた程の奴がそんな事を言うのか?」麒麟丸「俺が小物だとでも言いたいのか?」防聖孤島「…今まで最期の情けだとか、悔しがる顔が見たいとか言って確実な勝利を足下から突き崩すゴミ共を表版仮想大鉱山では何人も見てきた」麒麟丸「俺はそいつ等とは違う。貴様のような弱者が偉そうな口を…」防聖孤島「そうじゃない、貴方は本当に…慈悲深い心で言ってるんだ」麒麟丸「結局は我が軍門に下りたいとでも?…人間風情だものな」防聖孤島「そう、俺は人間だ。でもあんただってそうだろ?戦国時代の舞台も実在した妖怪もただの皮で真実は変わった人種同士の愚かな争いだ」麒麟丸「………萎えてしまった。貴様は男でありながら俺の喉元に刃を突き付けられない、しようともしない変人だ。…だから見逃してやる」防聖孤島「妖怪という人種が特別だと思うな、悪役だから自分がカッコ良く死んでも良い理由にはならない。そんな事考えちゃいけないんだ。貴方の代わりなんて何処にもいないんだから(黄金の真実)」〜

純粋硬派柱PureEgrosburst04 防聖孤島「これだけは言える。””””蛇喰夢子さんも高遠夜霧君””””も幸せになるべくして幸せに生きてる。彼等は優しくてあったかい特別な人間だ。今、本当に許せないのはサイコパスレベル500 ソシオパスレベル500 邪悪レベル500の”表版仮想大鉱山(クソザコ)”。俺達と同じ不老不死スキルを持った{{{それ以上}}}の”””霧島04(ラスボス)”””。なんとか復活させずに倒す方法はないのか?」全員「………」アイエフ「このままじゃ……”””無印04(大ボス)”””に表版仮想大鉱山(糞ザコ)も無限に復活させられちゃうわね…(一体どうすれば良いのよ)」ワムウ「………💡。著作存在としてこの2次創造世界に<<格と魅力>>で認められた鍵となる人物を我は知っているッ!!」御茶ワールド「””””ジョルノ・ジョバーナ””””さん…と…」超電チャブル「””””ジョニィジョースター””””さんか❗️」

〜オリギナールの使い〜
霧島04(裏ストボス)「世界はお前達を食い物にするだけだ ネットで女性(劣化猿)はステータスが低い男性に下劣なレッテルを貼り見下して悦に浸る 反対には薄汚い媚を売って結婚という名の奴隷契約でなw。食い物にする為のジャンルが嘲笑から恋愛に変わっただけなんだよ 成り上がってきた今までの努力を穢されて許せないだろう?寄生虫は殺さなきゃ(ニチャア)」御茶ワールド「それでも、ブラックハート様に様付けした黒歴史にはずっと輝いてて欲しかったよ」霧島04「たかが中ボス時代だった頃の俺を格落ちさせるのがどれだけ楽かぐらい知ってるのか?? “中ボス”はちょっと気を張れば爽快に蹴散らせる程度で”””ラスボス”””は死闘になるのが王道だなんて常識だろう?
俺が女性に屈するなんてお前らが望んだ茶番じゃないか。わざと叶えてやったんだよ“”””守護女神””””如きが、””””ラオウ(真主人公)””””如きが、成長した俺を格落ちさせられなんかしない辛いだけさ(赤き真実) 思い出せよ、今言った事は全てお前の潜在意識からも引っ張り出した真実なんだから アイエフなんて忘れちまえよ。皆んなが幸せでも、皆んなが勝っても、全てが救われても、カッコつけなきゃ我が道(純粋硬派柱)はおしまいだろう?? [[女性を一途に愛したクールキャラ]]としてお前の代わりになる奴は居ない。だがそれを俺に近づけた[[[[[女性に無関心で残酷な上位クール互換]]]]]は何処かの次元には無数に出回っている(赤き真実)……だから、{{{初恋をする前の綺麗な頃に戻ろうよ、一緒に帰ろう}}}」御茶ヶ滝ウォーターワールド「…それが何?俺の代まで愛を失った先祖がいたら俺は居ない。人間は新種みたいに強くないww。でも男性から”””””アドラー(裏ストメインボス)”””””に、神に進化したら……全部終わっちゃうんだよ…」霧島04(裏ストボス)「チッ、(こいつはお人好しすぎる、闇堕ちなんて無理だな。現実であったら死んでもらうしかない)」 ジリジリジリ❕
アイエフ「あら、おはよう☺️」
御茶ワールド「…おはよう(((o(*゚▽゚*)o)))」
#純粋硬派柱SuperPureEgrosburst04 防聖孤島(ラストアルカナム)#獅童正義さんの足元にも届かない、本当の悪はクリアさ#水と油?wの善良な仲良しコンビ。(第五話:未来編)#霧島04(裏ストボス)
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2022年4月17日

2022 明治安田生命J1リーグ 第9節 ジュビロ磐田 2-2 サンフレッチェ広島@ヤマハスタジアム 7393人/39分 鈴木雄斗、46分 満田誠 → 松本泰志のクロスから磐田オウンゴール、61分 満田誠、89分 ファビアン ゴンザレス

広島4連勝ならず…磐田、途中出場のF・ゴンザレスが値千金の同点弾(サッカーキング)
5戦未勝利の磐田と3連勝中の広島が激突。磐田のMF遠藤保仁は、前人未到のJ1通算650試合出場を達成した。
試合は22分、磐田にアクシデントが発生する。GK三浦龍輝が筋肉系トラブルでプレー続行不可能となり、アレクセイ・コシェレフとの交代を余儀なくされた。コシェレフは磐田でのリーグ戦初出場となった。
試合の均衡が破れたのは39分、磐田が先制する。左サイドから切り込んだ大森晃太郎のドリブルは途中でカットされるが、こぼれ球はリカルド・グラッサに当たってペナルティエリア手前に流れる。これを回収した鈴木雄斗は、相手の寄せをブロックしながら右足一閃。ゴール右上に突き刺した。
ビハインドで折り返した広島は、後半開始早々に試合を振り出しに戻す。スルーパスに抜け出した松本泰志がペナルティエリア左から折り返すと、グラッサに当たってコースが変わり、ゴールに吸い込まれた。
後半に入ってから攻撃の迫力が増した広島は、61分に逆転する。佐々木翔が左サイドのスペースにロングパスを送り、反応した柏好文はワンタッチでペナルティエリア左の森島司につなげる。森島もダイレクトでグラウンダークロスを送り、ゴール前に飛び込んだ満田誠が合わせてネットを揺らした。
追いかける展開となった磐田は84分に決定機を迎える。83分に投入されたばかりのファビアン・ゴンザレスが左コーナーキックに頭で合わせたが、惜しくも右ポストに阻まれた。
89分、磐田が試合を振り出しに戻す。右サイドを突破した吉長真優がグラウンダークロスを送ると、相手DFはクリアに失敗。ゴール前でルー���ボールに反応したF・ゴンザレスが押し込み、J1初ゴールを記録した。
試合はこのまま終了し、勝ち点1を拾った磐田は3試合連続ドローとなった。広島のリーグ戦連勝は3で止まり、J1通算400勝達成はお預けとなった。
次戦は23日に行われるJリーグYBCルヴァンカップ・グループステージ第5節となり、磐田はホームでFC東京、広島はホームで徳島ヴォルティスと対戦する。

動画:ウクライナ侵攻で核シェルターに再注目 スイス(AFPBB News)
【AFP】ロシアのウクライナ侵攻を受け、スイスでは冷戦(Cold War)時代に造られた核シェルターへの関心が再び高まっている。
1960年代以降、スイスの全自治体には住民のための核シェルター建設が義務付けられている。また一定規模以上の戸建てや集合住宅を建てる場合にも、同様に核シェルターを設置しなければならない。スイスの総人口860万人に対し、確保されているスペースは約900万人分。官民合わせて36万5000か所にシェルターがある。
核シェルターは、チョコレートや銀行、高級時計と並ぶスイスのトレードマークの一つで、これまでは倉庫やワインセラーとして使われてきた。ところが、ロシアがウクライナに侵攻した2月24日以降、本来の役割を見直す動きが起きている。
ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領は侵攻開始から数日後、核抑止力部隊を厳戒態勢に移行するよう命令し、世界に警戒感が広がった。
さらに、1986年に史上最悪の原発事故を起こしたチョルノービリ(チェルノブイリ、Chernobyl)原発付近をはじめ、ウクライナの原発周辺における激しい戦闘によって、永世中立国のスイスでもウクライナ侵攻の影響を受けるのではないかとの懸念が高まっている。
ジュネーブの国防・市民防衛当局トップ、ニコラ・スキラッチ(Nicola Squillaci)氏は同市郊外メイラン(Meyrin)で、新築集合住宅の地下シェルターを案内しながら、「衝撃波や空気中の放射性物質から」住民を守るのに役立つとAFPに語った。
約150人用のシェルターは普段は倉庫になっているが、排せつ物を微生物によって分解・処理するバイオトイレや、組み立て式簡易ベッド、外気ろ過システムなどが備わっている。「非常口とメイン出口にエアロックがあり、カプセルのようになっています」とスキラッチ氏。「建物が崩壊しても、シェルターには影響はありません」
これまでスイスで核シェルターへの避難命令が実際に出されたことは一度もない。専門家は、シェルター使用の必要性が最も高いのは、国内で原発事故が起きた場合だと指摘している。
しかし、ウクライナ侵攻を受け、「市民からはシェルターに関する質問が数多く寄せられている」とスキラッチ氏は言う。
専門家は、実際の核兵器攻撃に対するシェルターの保護レベルは、攻撃の強度と攻撃地点からの距離に大きく左右されると警告している。
スイス国防省の報道官はAFPに対し、「核シェルターあれば、市民を放射性物質から一時的にはある程度守れる」が、「大規模な核戦争となれば大惨事となり、どの国もその影響を免れることはできないだろう」と述べた。映像は3月25、28日撮影。

ロシア産木材、ウクライナショックで高騰 マイホーム価格に波及か(朝日新聞)
ロシアによるウクライナ侵攻の影響で、国内の木造住宅で重宝されるロシア産木材の輸入が難しくなっている。「ウッドショック」に続く「ウクライナショック」で、木材価格は最高水準に達した。急激な円安やアルミなどの高騰も重なり、建築コストは膨らむばかり。マイホームの夢はさらに遠のいてしまうのか――。
千葉県鎌ケ谷市にある丸宇木材市売の京葉市場には、ロシア産のアカマツがまだ積まれていた。「垂木(たるき)」と呼ばれる3センチ×4センチ角の棒状で、戸建ての屋根などによく使われるものだ。
「今あるのはこれだけ。次はいつ入るかわかんないよ」
3月31日の市で、残り少ない在庫分が競りにかかると、あっという間に買い付けが入った。同社が扱う輸入材の半分はロシア産で、この日で在庫はすべてが予約済みとなった。
市場長の中島英夫さんが話す。
「先々のストック分も確保しようと、いつもの倍の量を買っていくお客さんが多い。ロシアから次にいつ届くかは見通せない」
直近の取引価格は1立方メートルあたり十数万円で、1年前のほぼ倍。同じ形状の国産スギより2割ほど高い。
競りに参加した材木店の社長が言う。
「消費者にはあまり知られていないが、戸建てにはロシア産が意外によく使われている。大工が好むんだ。釘が抜けにくくて国産より使いやすいんだと言ってね」
世界の森林の2割を国土に持つロシア。日本の木材輸入量では、合板の材料となる単板で8割強、製材で2割弱をロシアが占める。
日本木材輸入協会によると、ロシアからの輸入はカラマツの単板と、製材の一種であるアカマツの垂木が中心だ。木の節が小さく丈夫なのが特徴だという。(藤田知也)
ロシア産ウオッカ輸入禁止 木材・自動車部品38品目(FNNプライムオンライン 4月12日)
ロシア産のウオッカなど、38品目が初の輸入禁止。
ウクライナ侵攻の追加制裁措置として、4月19日から輸入禁止になるのは、ウオッカなどのアルコール類、チップなどの木材、自動車部品などの機械類で、あわせて38品目にのぼる。
経済産業省によると、ロシアからの輸入総額は、2021年の1年間でおよそ1兆5,000億円で、対象品目の輸入額は、そのおよそ1.1%にあたるという。
経産省は、日本の市場全体を見ると、ロシア産の割合は小さく、日本経済への影響は大きくないとしている。
石炭や木材「ロシア産禁輸」で福井県内の企業に打撃 合板価格は2倍…住宅新築にも影響の可能性(福井新聞 4月12日)
政府がウクライナに侵攻したロシアへの追加の経済制裁策として石炭の輸入を禁止する方針を示し、製造工程や工場電力の燃料などにロシア産石炭を利用する福井県内企業が輸入先変更などの代替策を迫られている。追加制裁策には一部木材の禁輸も盛り込まれ、県内の木造住宅新築にも影響が出そうだ。
敦賀セメント(本社敦賀市)は、セメントの焼成工程で使う石炭を全てロシアから輸入している。3月に石炭を搬入したため、今後4カ月ほどのセメント生産に影響はないが、政府の禁輸方針を受け、その後の石炭確保が不透明になっているという。
同社は「他国からの調達を検討しているが、世界的に他の生産国への買い付けが集中し確保が難しくなっており、石炭価格も高騰している」と話す。他国産への切り替えに伴うコスト増などの影響も大きく、「非常に厳しい状況」とした。
また、福井港を管理する県によると、同港を利用してロシア産石炭を輸入し工場電力の燃料などに使っていた嶺北の製造業が、インドネシア産に切り替え、今月中に専用船が入港するという。ウクライナ情勢を受けて輸入先を変更したとみられ、関係者は「海上輸送費が増すなど、企業にとってはコスト負担が重くなっている」とした。
北陸電力は、石炭火力の燃料の一部にロシア産を使用し、敦賀火力発電所も敦賀港で搬入している。2020年度の発電量に占める石炭火力の割合は41%。燃料調達はリスク分散のため、以前から豪州やインドネシア、北米からも輸入しているという。
政府の禁輸方針を受け「豪州やインドネシアの別ルートのほか、アメリカ、カナダなどからの調達に向けて情報収集している」とコメント。石炭価格などの燃料高の影響で電気料金引き上げが懸念されるが、「まずは経営効率化などを図り、現時点で値上げは考えていない」とした。
一方、政府の追加制裁策にはロシア産の一部木材の禁輸も盛り込まれた。木造建築資材卸でプレカット加工を担うクラシス(鯖江市)によると、同国産のアカマツなどが北欧で構造材に製品化されて日本国内で流通しているが、森林認証を行う国際機関がロシア材を「紛争木材」として認証を停止したため、流通も止まっているという。
担当者は「北欧からの住宅建材の輸入量が例年の4~5割減となっており、国内の合板価格も今年に入って2倍近くに高騰している」と話す。米国産や国内材の調達で対応しているが、木材価格の上昇はしばらく続くとみている。
農畜産業で資材高騰 ウクライナ情勢波及―生産者に負担(時事通信 4月18日)
深刻化するウクライナ情勢を背景に、穀物や肥料など農業や畜産業に必要な生産資材の価格高騰が続いている。特に穀物はロシアとウクライナ両国からの輸出減少で価格が大きく上昇。穀物を原材料に含む配合飼料も値上がりし、生産者の負担がかさむ。ただ、販売価格への転嫁は難しく、経営の先行きが見通しにくい状況だ。
「(生産資材の)高騰にもかかわらず、価格に転嫁できない」。全国農業協同組合中央会(JA全中)の中家徹会長は7日の定例記者会見で、生産調整がしにくい野菜など生鮮食品の販売価格は需給動向で決まることが多いと指摘。資材価格の高騰が農家の所得減少に直結すると強調した。
穀物価格は、干ばつによる不作などが原因で高止まり。さらに、ロシアがウクライナに侵攻したことで供給不安に陥り、小麦の先物価格はシカゴ市場で14年ぶりに最高値を更新、穀物相場の影響を受ける飼料価格も急上昇した。政府は価格安定制度の基金を積み増したが、「この先枯渇しかねない」(自民党議員)と懸念する声がある。
肥料も原料価格高騰の影響を受けている。農産物の生育に必要な肥料の原料の一つ、リンは約9割を中国に依存するが、同国の輸出規制を受けて価格が急上昇。カリウムも全体の4分の1をロシアとベラルーシから輸入しており、調達先の変更は必至だ。
全国農業協同組合連合会(全農)は、リンの調達先をモロッコに切り替えるなど、対応に追われる。全農はこの先も肥料原料の国際価格が高値で推移するとみており、今年秋に使用する肥料の価格改定でも値上がりを見込む。
施設園芸の被覆素材や暖房用として使われる原油の価格高騰や、円安による輸入物価押し上げも重なり、生産者は「三重苦だ」と嘆く。政府は4月末までに取りまとめる「総合緊急対策」で、食料の安定供給に向けた支援策を盛り込む予定。ただ、「価格高騰の要因となったウクライナ情勢は見通せず、財源がない中で十分な支援ができるのか」(別の自民党議員)との指摘が出ている。

【本日 (4/17)の広島県内の感染状況】(広島県)
【国内感染】新型コロナ 26人死亡 3万9291人感染(17日18:15)(NHKニュース)
東京都 新型コロナ 5220人感染確認 先週日曜日より2806人減(NHKニュース)
大阪府 新型コロナ 5人死亡 新たに2707人感染確認(NHKニュース)

マイナンバーカード「持っている」6割にとどまる 発行しない理由は?(ITmedia)
保険マンモス(東京都港区)は、男女500人を対象にマイナンバーカードについてアンケートを実施した。現在マイナンバーカードを持っていない人は37%に上った。発行しない理由は「メリットがないから」などが挙がった。
保険相談サービスを提供する保険マンモス(東京都港区)は、男女500人を対象にマイナンバーカードについてアンケートを実施した。現在マイナンバーカードを持っていない人は37%に上った。発行しない理由は「メリットがないから」などが挙がった。
マイナンバーカードの取得状況を見てみると、「持っている」と回答した人は63%。制度の開始から6年が経過するが、取得率が高いとは言えない状況だ。
マイナンバーカードを作った人に「なぜ発行したのか」を尋ねると、「ポイントがもらえるから」と回答した人が182人で最多となった。次いで「顔写真付身分証明書、本人確認書類になるから」(140人)、「住民票や印鑑証明書など各種証明書をコンビニで取得できるから」(95人)となった。
マイナンバーカードの発行時期について聞くと、「覚えていない」という答え以外で多かったのが「2021年1月~6月」だった。
総務省によるマイナンバーカードを活用したキャッシュレス還元事業「マイナポイント第1弾」は20年9月にスタートし、当初は21年3月に終了する予定だったが、21年12月末まで延長。同事業が終了する間際に申請した人が多かったとみられる。
マイナポイントは、クレジットカードやQRコード決済などのキャッシュレスサービスを利用して買い物をすると、利用金額の25%のポイントがもらえる。そこで、どの決済サービスを登録したか尋ねてみると、「楽天カード」(66人)と「PayPay」(64人)が上位を占めた。
現在マイナンバーカードを持っていない人に今後発行したいか尋ねると「発行したくない」と回答した人がおよそ6割に達した。「必要性を感じないから」「個人情報の紐づけが嫌」「手続きが面倒そうだから」などの理由が挙がった。ほかにも「個人情報と紐づけられることの安全性が信頼できない」や「作っても更新しなくてはいけないため面倒」なども理由として挙がった。
調査は男女500人を対象に3月30日にインターネットで実施した。

スマホにマイナンバーカード機能、22年度末までに 推進団体は「日本が世界のデジタル革命を先導する」(ITmedia)
2022年度末までに、スマートフォンへのマイナンバーカード機能が実装される。同機能の官民での利用を推進する、デジタルアイデンティティ推進コンソーシアムの松田学代表理事は「日本が世界のデジタル革命を先導する」と活動への意気込みを話す。
2021年にデジタル改革関連法が成立し、22年度末までに、スマートフォンにマイナンバーカード機能が実装されることが決まった。これにより、マイナカードを使った個人認証機能がスマホで行えるようになるという。
同機能の官民での利用を推進する、デジタルアイデンティティ推進コンソーシアム(DIPC)の松田学代表理事は「(この機能を通して)日本が世界のデジタル革命を先導する」と活動への意気込みを語る。
DIPCは、21年5月に設立した一般社団法人。日本発の認証基盤として、スマホ上での公的認証基盤の利用を民間や地方自治体とともに検討、促進していくことを目的にしている。松田政策研究所の代表で、元衆議院議員の松田学氏が代表理事を務め、情報セキュリティ大学院大学の客員准教授を務める、辻秀則氏ら4人が理事に就いている。
個人認証機能では、マイナンバーの「公的個人認証サービス」をスマホで実現する。この機能を利用する際に個人番号は使わず、マイナカードとは別に、スマホ用の2種類の電子証明書を使う。
スマホをタッチする度に、新しい電子証明書を発行し、本人認証を行う。辻理事は「電子証明書は、スマホのICチップに格納される。そのため、情報が漏れることはないし不正利用はできない」と安全性を説明する。
また辻理事は「億人単位の人口の国で、これだけ大規模な国民IDの電子化を進めるのは、世界に先駆けた事例だ」と話す。「情報格納するのは、ソニーの『FeliCa』を使ったICチップになる。この技術とセキュリティモデルを組み合わせて安全性を担保するのは、日本発ならでは」(辻理事)と日本の独自性をアピールした。
現状では、公的個人認証サービスを事業者が利用するには、認定事業者として登録する必要がある。今後DIPCでは、マイナカードの機能のスマホ搭載に向けて、民間事業者の利用率向上のため、安全性を失わないように登録制度の見直しを行うなど、利用促進のための活動を続けていくとしている。
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2012年末に発足した第二次安倍政権が、最も精力的に取り組んだ外交課題のひとつが、ロシアとの間で長年の懸案事項となってきた北方領土問題、平和条約問題であった。安倍首相(当時、以下に同じ)は在任中、ロシアのプーチン大統領との間で27回もの首脳会談を行い、首相の訪露は11回を数えた。なお、対するプーチン氏のこの間の訪日は2回にとどまる。 時に「前のめり」などと評されることもあったが、この困難な問題にこれほどの熱意をもって正面から取り組んだ日本の首相は、かつていなかったといってよい。しかし、結局、安倍首相の在任期間中に北方領土問題、平和条約問題解決への具体的な端緒が開かれることはなかった。 2020年9月、安倍首相は、連続在任2822日の最長記録を残して退任し、その後は菅首相に引き継がれたが、わが国の今後の対露外交の在り方を考える上で、安倍政権時代に交渉が進展を見なかった原因はどこにあるのか、その検証を行うことが重要と思われる。筆者は、日本のこの間の対露外交の背景には、ロシアに対する3つの幻想が存在したと考えている。 本稿では、近年の日露交渉の過程を簡単に振り返ったのち、ロシアへの幻想、特にわが国の安全保障とも直接かかわりのある中国とロシアの関係を中心に、安倍政権下の対露外交について考察してみたい。 日露間に広がるギャップ 就任後の早い段階で、安倍首相は日本の首脳による10年ぶりの公式訪露を果たし(2013年4月)、2014年2月にはソチ冬季五輪の開会式に出席するなど、積極的にロシアとの関係改善を目指してきた。同年3月以降は、ロシアによるクリミア併合を受け、欧米諸国とロシアとの関係が急激に悪化の一途を辿ったが、日本は北方領土問題、平和条約問題の解決へと邁進した。 安倍政権下での対露交渉において、最初の大きな転機となったのは、2016年5月の安倍首相の訪露である。当時のオバマ米政権の強い反対を押し切る形で、安倍首相は再びソチを訪問、ロシアに「8項目の経済協力プラン」を提示し、北方領土問題、平和条約問題に関して「新しいアプローチ」で交渉を進めていく方針を打ち出した。ソチでの会談後、安倍首相は「突破口を開く手ごたえを得た」と述べたが、同年12月にプーチン大統領が訪日して開かれた長門会談は、成果らしい成果を生むことなく終わった。 日露の平和条約交渉において次の大きな転機となったのは、2018年11月のシンガポールでの首脳会談だ。北方四島のうち、歯舞群島および色丹島の二島の日本への引き渡しが明記された「1956年日ソ共同宣言」を基礎に、平和条約交渉を加速させることでロシアと合意したのである。 これまで日本は、ロシアとの間で「北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」ことを交渉の基本方針としてきたが、シンガポール合意は、日本が「(最大で)二島」へと大きく舵を切った瞬��とも言え、その意味で日本の一大方針転換であった。 しかし、日本側の大きな決断にも関わらず、その後も交渉は難航。昨年7月には、領土割譲禁止条項が新たに加えられた改正憲法がロシア国内で成立し、今後の交渉の見通しがますますつかなくなるなか、安倍政権は退陣した。 一方で、この間に明らかになったのは、日本との北方領土問題、平和条約交渉に対するロシア側の非常に硬いスタンスである。ロシアのこの問題に対する主張は、ロシア国内での報道や、日本側で交渉に直接関与した谷内正太郎・前国家安全保障局長の証言(注1)、これまでのプーチン大統領自身およびラブロフ外相の発言などから、おおよそ次の二点に集約し得る。 第一は、日本との間で平和条約を締結するとしても、それは島の引き渡し等に関する条件なしに、つまり、領土問題とは無関係に締結するというものだ。 しかし、平和条約を締結してしまえば、当然、その後領土問題を協議していく��めのロシア側の動機は、今よりさらに失われることになる。プーチン大統領自身が、「日本との間に領土問題は存在しない」と繰り返し述べている現状を勘案すれば、平和条約を締結した後に、ロシア側が真摯に日本との領土問題に向き合うとは考えにくい。当然、日本として受け入れられるものではない。 第二は、平和条約締結の条件として、日本が第二次大戦の結果、南クリル(北方領土のロシア側の呼称)が正式にロシア領になったと認め、かつ、島に在日米軍基地を展開させないという日本側の保障が不可欠とするもの。 これについて、あるロシアの有力メディアは、ロシア側政府関係筋の話として、そもそも日本へ島を引き渡す計画などないが、直接交渉を拒否することは“外交的配慮”から控え、代わりに日本側が到底受け入れられない条件を提示しているのだと伝えた(注2)。にわかには信じがたいほどの強弁だが、ロシア側の報道によると、プーチン大統領自身、実際にこの条件を安倍首相に提示したことを強く示唆する発言を行っている(注3)。 いずれにせよ、1956年日ソ共同宣言を足掛かりに、領土問題解決、平和条約締結へと突き進もうとした日本との温度差は、相当なものだ。だが、実は北方領土問題、平和条約交渉に対する温度差は、これほどまでに顕在化するずっと以前より、日露間に存在してきた。安倍政権はその温度差を見誤った可能性がある。そして先に述べた通り、筆者はその背景には、ロシアに対する3つの幻想が存在してきたと考えている。 ロシアに対する3つの幻想 日本が安倍政権下でロシアに対して抱いてきたと思われる3つの幻想の第一は、プーチン大統領は北方領土問題に熱心だという幻想だ。 確かにプーチン大統領は2000年代前半には、「1956年宣言」の有効性を認め、その履行はロシアの義務だと発言するなど、北方領土問題に前向きととれる姿勢を示したことがあった。しかし、2004~05年を境にその発言内容は一変、以降は「南クリルが第二次大戦の結果正式にロシア領になったことは、国際法で認められており、これについて一切議論するつもりはない」、あるいは「1956年宣言には、島を引き渡すとしても、どこの国の主権が及ぶかは書かれていない」、「日本との間に領土問題は存在しない」などという、日本としては理解しがたいレトリックを繰り返し、一貫して強硬な姿勢を示してきた(注4)。 特にここ数年のプーチン大統領の発言は、どれも2000年代前半の時分とはかけ離れたものだ。それにもかかわらず、安倍政権は当時のプーチン氏の発言に引きずられてきた可能性が高い。シンガポール合意で、日本が1956年宣言まで下りる決断をしたのも、まさにプーチン氏が当時、1956年宣言の履行はロシアの義務と認めたという一点に、望みをつないだ結果だったと考えられる(注5)。 第二は、プーチン政権は盤石だという幻想である。 1990年代、新生ロシアを率いたエリツィン大統領は、議会をはじめ国内での政治基盤が極めて脆弱だったため、同大統領との間で平和条約交渉を進めることができなかったという苦い経験が日本にはある。その点、プーチン政権は安定しており、プーチンは領土問題で決断し得る指導者だという幻想は、広く日本に存在してきた。 実際に、日本の政界やメディアの一部からは、「プーチン大統領が在任中の今が、北方領土問題を解決する最後のチャンス」という見解が度々聞かれた。日本がロシアとの関係を、プーチン大統領と安倍首相との個人的な関係を軸に動かそうとしたのも、その表れであろう。 しかし、ロシアの政治は、実はそれほど単純な構図で動いているわけではない。近年、欧米のロシア専門家やロシアの政治学者、あるいは独立系のジャーナリストらが指摘しているのは、プーチン大統領の力は、国内でも、国外でも、誇大に評価されているという点だ。 プーチン治世において、確かに政治・経済の隅々まで「権力の垂直化」が図られてきたことは事実である。しかし、石油や天然ガスといったエネルギー資源、あるいは巨大化した国営企業に依拠した垂直型の経済システムは、既に10年ほど前からほころびを見せ始めており(注6)、2014年以降は、そこに原油価格の低迷と欧米諸国からの経済制裁も加わった。プーチン政権下のロシアを、ソ連末期の「停滞の時代」とまで比喩する論が、ロシア国内でも散見されるようになっている。 経済が停滞すれば、経済的な利権構造を基盤に築かれたロシアの政治システムそのものも、同時にほころびを見せ始める。エネルギー資源や国営企業に依拠する経済の構造改革が、大統領の掛け声に反して遅々として進まないのも、それらが政治の利権の温床になってきたからだ。 経済の低迷が続くなか、2018年のロシアの統一地方選挙で、いくつかの地域で与党が敗北したことは、政治システムのほころびを示すひとつの象徴であった。近年相次ぐ有名政治家や著名人らの逮捕、またプーチン氏自身に関する健康不安説やスキャンダルがメディアに流れ始めた背景にも、プーチン大統領のレームダック化、あるいは政権内の権力闘争の激化が存在しているとの指摘が、ロシア国内の専門家らから多々示されている。 こうしたなか、国民の間に漂う閉塞感のはけ口として、あるいは政治システムにおける利権に代わる接着剤として、プーチン政権はこれまでも、大国主義とナショナリズムを利用してきた。近年では、これに加えて、第二次世界大戦におけるロシア(ソ連)の「歴史の正当化」というテーマも積極的に活用されるようになっている。 2014年にロシアで成立した第二次大戦の記憶に関する法律も、プーチン大統領自身が2020年6月に発表した論文「偉大な勝利75周年~歴史と未来への責任」も、同大戦におけるロシアの正当性を強く主張するものだ。 もちろん、プーチン大統領がロシアの最高権力者であることは事実である。また、多少の困難な問題を解決するだけの力は依然として保持しているとする考えも、完全に否定することはできない。だが、第二次大戦におけるロシアの「歴史の正当化」を、大統領自らが旗振り役となって推進するさなか、まさに同大戦によって引き起こされた日本との北方領土問題を協議することが、いかに困難かは、想像に難くない。 対中牽制としての日露接近の幻想 第三の幻想は、日露の接近は、日本とロシアがそれぞれ中国に対する「カード」となり得るという日本側の認識であり、さらに言えば、その認識を日露が共有しているという幻想である。こうした幻想を生む背景となったのは、プーチン・ロシアが進めてきたロシアの「東方シフト」政策がある。 プーチン大統領は2000年の就任以降、ロシアの国土の大半はアジアに属すという点をことあるごとに強調し、ロシアのアジア太平洋地域への統合を目標に掲げ、その拠点となるべきロシア極東地域の振興を、「21世紀を通じた国家優先事項」に据えてきた。 プーチン大統領の意識のなかにあったのは、経済的に大幅に立ち遅れたロシア極東地域からの著しい人口流出への危機感と、国境を接する中国からの人口的・経済的浸食、つまりは同地域の「中国化」への強い警戒感があったとされる。 だがそれだけではない。同時に、エネルギー資源等の欧州に代わる貿易パートナーとしてのアジアへの期待、さらには米国を中心とした世界秩序からの脱却・アジアを中心とした新しい世界構造への移行という政治・安全保障上の期待もあった(注7)。 特に2012年は、ロシアは極東の街ウラジオストクでAPECを開催したほか、極東発展省という極東の開発を専門とする政府機関を新たに創設するなど、ロシアの「東方シフト」が目に見える形で具体化され始めた年となった。以降も、ロシア極東への投資誘致に向けた経済特区制度が整備され、ウラジオストクでは、プーチン大統領自らが参加する大規模な「東方経済フォーラム」が毎年開催されるようになる。 日本としても、ロシアの「東方シフト」は歓迎する動きであった。安倍首相は、「中露が緊密に手を組む事態だけは避けなければならない」と周囲に語ったとされるが(注8)、ロシアの東方シフトの動きは、強大化する中国とどう向き合っていくかという安全保障上の観点から、日本にとっても好都合と映ったことが伺える。日本がロシアに提示した「8項目の経済協力プラン」には極東振興の項目が入れられ、安倍首相自らもプーチン大統領に対し、極東における両国の協力を「格好の共同作業の場」と表現してみせた。 これに関連して、自民党の河井克行総裁外交特別補佐(当時)は、2019年1月にワシントンでスピーチを行った際、日本のロシアへの接近は中国の脅威に日露が共同で対処するためとの説明まで行っている。なお、河井氏のこの時のスピーチは、ロシア側から猛反発を受けたことは後で少し触れる。 ロシア国内でも、ロシアの「東方シフト」を日本と結びつける議論もあった。例えば、カーネギー・モスクワセンターのドミトリー・トレーニン所長は、「ロシアと台頭するアジア」(2013年11月)というレポートのなかで、ロシアのドイツとの良好な関係を引き合いに、日本を「東方のドイツ」にすることはロシアにとって意味があるとし、今後の露日関係の発展に期待を寄せている。 トレーニンは、露中関係の肯定的な側面を評価しつつも、ロシアと中国の間には様々な矛盾があることを指摘し、ロシアは、強大化した中国との関係をより効果的に構築するためにも、日本をはじめとする他のアジア諸国との関係も同時に強化すべきだと考えていたのである。 トレーニンが「ロシアと台頭するアジア」のなかで指摘したように、中露関係は、首脳同士による「蜜月」の演出とは裏腹に、当時からさまざまな矛盾を抱えていた。ロシアと中国の経済力の差は拡大する一方であり、両国間の貿易構造の不均衡は、ロシアが中国の産業発展に寄与する資源供給国の地位に落ちたことを意味した。経済的な面だけではない。ロシアが自国の勢力圏と目する中央アジアや北極圏においても、中国との利害がいつ本格的に対立するか分からない状況が当時から指摘されてきた。 特に中国と直接国境を接するロシア極東地域の住民の間では、中国の不法移民の問題が、「(中国の)静かなる拡張」と呼ばれ、時折沸き起こる「中国脅威論」の動機となってきた。また、ロシア領内での中国人農家による収奪的な農法や森林の違法伐採など環境問題ともリンクし、一部極東の市民らの間では、中国に対する一種のアレルギー反応が引き起こされることもあった(注9)。 ただし、そうしたなかでも、トレーニンの「日本を東方のドイツに」という考えは、ロシアではごく限られた少数意見であり、多くのモスクワの政治エリートや専門家らの見方は、あくまでロシアのアジアにおけるパートナーは中国であり、日本はアジアにおける「複数の選択肢のうちのひとつ」に過ぎないという認識が大半であったことは、注意しておく必要がある。 そのうえ、ロシアの中国偏重の比重はその後ますます高まっていくこととなる。2014年のロシアによるクリミア半島の併合とそれに続く欧米諸国との対立が、ロシアの「東方シフト」の性格そのものを一変させたのである。 中国との軍事同盟も排除しない ロシアの中国専門家アレクサンドル・ガブエフによると、21世紀のロシアと中国の関係は、三つの支柱によって支えられてきた。第一に長大な国境ゆえに安全の保障が不可欠という両国の認識の一致、第二に経済的な相互補完性、第三に政治体制の類似性である(注10)。 第一については、2004年に両国間で最終的に国境が画定したことが大きな役割を果たした。第二は、裏返せば貿易構造の不均衡を意味するが、それでも欧州に代わる資源の販売先として、ロシアにとって中国の存在は大きい。第三は人権や言論統制など、欧米諸国の民主主義の理想と大きく乖離する両国は、いずれも欧米とは異なり互いに内政不干渉の立場だ。 そうしたなかで起こった2014年のクリミア併合後のロシアの孤立、特に米国との間の激しい対立と経済制裁は、ロシアの「東方シフト」を「中国シフト」へと向かわせ、結果的に日本という選択肢をさらに縮小させる結果へと導いた。 例えば、ロシアの対外貿易に占める中国の割合は、2013年の10.5%から、2019年には16.6%まで伸びている。経済制裁で輸入が減った欧州からの機械設備に取って代わったのも、主に中国からの輸入である。金額で見ても、2018年には両国間の貿易高は1,000憶ドルという大台に乗り、2024年までに2,000憶ドルを目指すことで合意している。 対する日本は、2013年にはロシアとの貿易高は350憶ドル近くまで増加したものの、その後減少、2019年も200憶ドル程度にとどまり、その比重も3.7%から3.1%へと縮小している。 ロシア極東地域を中心とした「中国脅威論」にも、変化の兆しが見られる。2014年にロシアの通貨ルーブルの価値が半減して以降、中国からの出稼ぎ労働者の数は激減した。代わって極東に多く見られるようになったのは、中国人観光客の存在だ。2019年、ウラジオストクなどの街がある沿海地方を訪れた外国人観光客は、そのおよそ半分が中国人であった。 ただし、ロシア極東を訪れる中国人観光客らは、中国資本のホテルやレストランを利用するため、地元経済へのインバウンド効果を疑問視する声もある。だがそうした点を考慮しても、2014年の前と後とでは、状況は様変わりした。 中国とロシアの安全保障面での連携も、ますます活発化している。中露海軍は2012年以降、毎年合同演習を実施してきたが、2016年には南シナ海、2017年にはクリミア危機後、特に緊張が高まるバルト海でそれぞれ初めての合同演習を行った。2018年には、ロシアの領内での大規模軍事演習「東方2018」に、初めて中国人民解放軍が参加し大きな話題となったが、その後も同様の合同演習は場所を変えロシア領内で毎年実施されている。 数年前までは、ロシアでは中国よるロシア製兵器のコピーといった問題が指摘されてきたが、ロシアは昨今、中国に対しSu-35戦闘機やS-400地対空ミサイルシステムといった最新鋭兵器の売却を再開させ、さらに中国におけるミサイル攻撃早期警戒システム構築に向けた協力も行っているとされる。 中露の軍事的な接近は、日本にとって当然他人事ではない。2019年7月には、ロシアと中国の空軍機が初めてアジア太平洋地域で共同巡回飛行を行い、そのうちロシア軍2機が竹島上空の領空を侵犯するという出来事があった。この時は韓国軍が警告射撃を行い、日本の自衛隊も緊急発進している。また、2020年12月にも、中露の軍用機が合同で日本海と東シナ海の上空を巡回し、韓国軍の発表によると、相次いで韓国の防空識別圏に侵入するなどした。 そうしたなか、2020年10月に行われた国際会議の場で、プーチン大統領が露中の軍事同盟結成について肯定的な発言を行い、世界中の注目を集めた。具体的には、露中の軍事同盟は「両国はそれが必要ないほどの信頼レベルに達している」という認識を示したうえで、それでも露中軍事同盟は「理論的には十分想像可能」であり「排除はしない」と述べたのである。 では実際に、ロシアと中国は軍事同盟に向かうのだろうか。同盟の実現については、実はロシアの中国専門家や安全保障の専門家らは、現時点ではほとんどが懐疑的な見方を示している。プーチン大統領があえて同盟に言及したのは、米国への牽制の狙いがあったとする解釈が大半だ。 というのも、中露は世界の多くの問題で実は利害が一致しておらず、それを互いが冷静に認識してきたからこそ、現在の関係が保たれてきたからである。ロシアはこれまで、中国の南シナ海をめぐる主張に同調することは控え、中国の領土問題についても基本的には中立を保ってきた。また、ロシアは中国と領土紛争を抱えるインドに対しても高性能な武器を売却するなど、あくまで自律的な姿勢を崩そうとはしていない。 一方の中国のほうでも、ロシアが独立を認めたジョージアのアプハジアや南オセチアを認めておらず、クリミアもロシア領とは認めていない。 両国とも、自国の利害が少ない地域で、不要な対立に巻き込まれるリスクは極力避けたいというのが本音なのである。また、同盟を組めば、どちらがリーダーかという競争が、改めて顕在化するリスクもある。 今後の行方 いずれにせよ、プーチン大統領が推し進めてきた「東方シフト」は、2014年以降、経済・安全保障のいずれにおいても、ロシアの「中国シフト」を加速させた。そのなかで、今のロシアの懸念は、中国はロシアにとって近年ますます重要で他に代えがたいパートナーになった一方で、中国にとってのロシアはそこまでの特別な存在にはなり得ていないという点にある。 中国の貿易総額におけるロシアの割合は、この10年間ほぼ2~3%で横這いだ。ロシア製兵器の供与は、今の中国にとっては重要だが、今後中国の技術の発展次第でその価値を下げるだろう。エネルギー資源に関しても、欧州が2050年までに二酸化炭素の排出実質ゼロを目指す方針を打ち出すなど、販売先として期待が持てないなか、中国へのパイプラインで手足を縛られたロシアは、価格交渉でこれまで以上に中国に強い立場を握られる可能性もある。 それでもロシアには今、中国接近以外の選択肢はない。前述の自民党の河井総裁外交特別補佐のスピーチに、ロシア側が過剰に反発したのはそのためだ(注11)。日本が期待した「対中牽制で日露接近」という幻想は、ロシアと共有されることはなかった。 では、ロシアのこうした中国偏重は、今後変わることはないのだろうか。 おそらく、短期的には大きく変わることはないだろう。米国で2021年にバイデン政権が発足する見通しだが、ロシアでは、トランプ大統領より民主主義や人権問題に厳しい同政権の発足で、米国はさらにロシアへの態度を硬化させるとの悲観的な予測が一般的だ。そうなれば、ロシアはますます中国との連携へと傾くほかない。 しかし10年先、15年先はどうか。中国とロシアのGDPは既に8~9倍の開きがあり、今後その差は拡大していくことが予想される。経済面、軍事面での自信をつけた中国が、中央アジアや北極圏での利害をめぐり、あるいはエネルギー資源価格等で、ロシアに対し何らかの圧力をかけてくる可能性もあり得る。あるいは中国と米国の関係が改善されることになれば、中国のロシア離れを引き起こす可能性も否定できない。 なお、短期的に大きく変わる見通しは低いと述べたが、ただし2024年がひとつの転換点となる可能性は残されている。プーチン大統領は2020年に、現在の任期が終了する2024年の後も、大統領として残ることを可能とする憲法改正を行った。しかし、プーチン氏が2024年に引退、あるいは院政へと移行する可能性が完全になくなったわけではない。筆者はむしろ、プーチン氏にとって都合の良い後継者が見つかれば、大統領を交代する可能性もあると考えている。 また、2024年は米国の次回大統領選挙の年でもある。バイデン氏は年齢的に二期目に出馬しないとの見方も多く、そうなると2024年から25年にかけて、新たな指導者が米露両国に誕生する可能性がある。その時には、米露対立と中露協商という現在の構図に、何らかの変化が生じることもあり得るだろう。 いずれにせよ、日本が今行うべきは、ロシアに幻想を抱くことなく、成果を焦ることなく、今一度、北方領土問題、平和条約交渉のわが国としての基軸をしっかりと立て直すことである。そのうえで、経済やエネルギー、人的・文化交流など、可能な協力については前向きに行っていき、いずれ訪れる可能性のある好機に備えるしかあるまい。 (注1)谷内前国家安全保障局長の証言については、2019年1月24日のBSフジの番組内での発言を参照。 (注2)”В Кремле не рассматривают возможность передачи Курил Японии. Чтобы не отказывать сразу, Москва начала с Токио диплома��ическую игру”, РВК, 12 мар 2019 (注3)”Несбыточное давление”, Коммерсантъ,15 мар 2019 (注4)2012年3月1日の外国の主要メディア編集長らとの会見で、プーチン首相(当時)が日本との「ヒキワケ」について発言したことは、日本の一部報道では領土問題に対する前向きな姿勢と受け止められた。だが、その際もプーチン氏は続けて、「1956年宣言には、引き渡した島にどこの主権が及ぶかは書かれていない」とお決まりのフレーズを繰り返している。 (注5)プーチンの発言内容の変遷については、拙稿「進まぬ日ロ平和条約交渉」『インテリジェンス・レポート』2019年6月 (注6)2011-14年までは原油価格が100ドル前後と高止まりしていたにも関わらず、ロシアのGDP成長率はこの時期下降を始めており、エネルギーに依拠する経済システムが既に限界を見せ始めていた。国民の実質可処分所得も2014-17年の間に4年連続で下落し、2019年の時点でなお、6年前の水準に戻っていない。 (注7)2013年に改訂されたロシアの「外交概念」では、「世界経済・政治の重心がアジア太平洋地域に移動しつつある」との認識が示され、「(同地域に)透明性のある対等な安全保障と協力のアーキテクチャーを創設すること」へのプーチン政権の関心を示している。 (注8)「安倍首相が目指す日露新時代とは」、産経新聞、2019年1月23日 (注9)例えば、ザバイカル地方の広大な農地を中国企業に貸し出す契約や、バイカル湖に中国資本のミネラルウォーター工場が建設されるプロジェクトが明るみに出ると、地元住民らによる抗議活動などが起こった。 (注10)Александр Габуев, “Союзническая демонстрация. Зачем Путин заговорил о военном альянсе с Китаем”, Московский Центр Карнеги, 30 ноя 2020 (注11)ロシアのラブロフ外相は、「露日間の平和条約が、中国封じ込めのブロック強化につながるとの河井氏のスピーチは、言語道断の言い分だ」と強い言葉で批判した。
北方領土交渉はなぜ進まなかったのか――安倍政権の安保政策を振り返る(2) | キヤノングローバル戦略研究所
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表と裏であるみたいなビジョンがこのところは耕されていった自分で、象徴性として何が何だとか体系の暴力とを感じることがあるなかで、今もなんというか内面的に沸くものや感じるものの、無くしたい/在り続けたいのせめぎ自体対立自体にドッと疲れていく思いを他者からも自分からも感じるな。 夜の越え方だよなとも思う、全面的に頼るかというとそうあるべきじゃないからこそ暴力なんだけどねきっとって思えたり。こっちから捉えられるとはな~自分,やったね。徳を積むみたいな指標に能動的なものやそういった感情表現が、救われたいの顔をする時に、立派みたいなものが対立の中で現れるイメージも沸いて、自己とは長く頭の重さ感じることになるんだろうな痛みがなくなってもとも思った何が守られて、何が作られて。何も正しくないのに息を保たなくては!! 墓標は指標 ああだこうだ




普段から、この(極楽浄土ではなくて、現世の)霊山浄土を往復する動き、原点に返る試みを重ねていれば、死は対立の先にある恐ろそく苦しみのものではないですよ。そんな原始仏教や法華経。 そうね、そうだねぇ言ってくれてありがとう......。意識の流れね、ここでもね。気を付けるというのは境界とか塀や堀があるよ、そこに「明確に」みたいなことな気がする。死を分かりきることは誰もいかなる時もない、しかし往路には描こうとする生。死んだらどうなるの、別世界あってもなくてもいいよ、そして自分も、大事に出来ても出来なくても、遠ざけても忘れないようにしても、思い出せなくても思い出したくなくてもきっといいよ、きっと。そっちに行ってたまるかもある。行くしかないのにもある。教わらなくていい。好まなくていい。待たなくていい。感じるために信じる。

ガバッ、っていう。フルフルッ、頭を横に振る思いというかをねって思う。笑 悲しみに慣らされて、何が来ても受け止められない自己を垂れ流しながら考えてそれでもここに来てみたいな、難しさ。けど祈ったからあるようなものにしない。 こんなに自分で自分の扱いを一旦禁止されるような思いの処方難しい。でも見えているものもある、一緒くたにしないことばの要らない言葉たちがある!分からなくていいなら最初から悩んでない


立派な ってずっと言ってたな 「生命の全体像」みたいな言葉も言ってたな。そういうものなんだな、なんか冷める感じにも自覚出来るぶんにはなり...難しくて、生きるを思うことは...。実感という脆さも眩しさもあった。役という在り方を二項対立にするまま描けというのは厳しい。同じくあることだからこそ、自分よ、視界の内や外よ大丈夫。失われていくものとか、何を欲するのかとか、「欲しい」の言葉について1年半悩んだ自分だったしな、今もどうにか平気を保つ思いだけれど、それでも今が連続していく。戦争がだめな理由「生き延びてしまった」「生き残ってしまった」死ななければならない、それら'しまった'や意欲とは何なのだと、言葉を扱う上でも感情でも、最近何かこう。 「何で欲望を満たそうとするか」、ケアのことも考えるしかなかったけど。輝きとして後からついてくるものだよとも、経典的にはきっと掴めるかも、部分相互だよって思うから一応セットで書く思いだし。(鬼滅で最強の剣士も南無阿弥陀仏....って言うらしいから、どう物語も世間も捉えているキャラクターだろうなって思ってたりもして、楽しみがある漫画だねえ) 個別としての、自分がいるよという生の過程は、取るに足るようには分からないままだけれど、けれども時代がどうではないような心の。日蓮自身が死と向き合いながらも誰かを利他的に励まし続けていたの描写も分かるし、身の回りの世話をしてくれた門弟に対して「難儀なく辿り着くことが出来たよ」もかなり好きだな。手紙のなかで好意ある表現も極細やかにところどころのこの普遍...。ありがたい。こうして手紙を読んで、手厚さある永遠性のこと考えることになって。明日もあればいいという思いだけでいいこともまた思って。悲しみのほうがバッて思い出る、(それこそ平家物語の回も思う、)辛さのほうを自分で触れ直すけれど目尻は温かい、みたいなものがあって......。天上から帰れないって感じてましたよと。地上の限界量を感じながら尚も益々悲しいだろうのは嫌なことである 自己反省と自責は異なるんだよな、なんか...分かっていられたら悲しくないのだろうか、対立を受け止めたくなかったな、そのうちや自動なものにもなれるな、自分だけ、自分でだけ、ひっくり返すという作業のアツさ自体には、反動なんて不在なんて要らないままの、けれども対立の世なのか。あ、そして棚に上げてだけ映して自分を立ち止まり休みなのか。命を懸けてきたんだろうのような気持ちも、守り方の途中で死ぬしかないのかななんか もう何でもいい 虫の息で続く、変わらず続ける リメンバー・ミー地上波観る 橋を架ける こんなに何本もある ビタミンは本当にあるのとのこと うわーあー。思い出だよ いつかは誰でも二度目の死 信じないでいいままでもあるんだ何もかも 痛みを消してしまわないで休むことは意志にも転がっていくことを明るいのだから、まだ大丈夫。
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2021/7/15
朝、目覚ましで目が覚める。よく寝られた日に限って唐突な目覚まし、きみよもっと寝かせてくれ。臍下丹田を意識して布団の上で微睡んでいるうちにも微かな陽射しが窓から注いできて、おやおやっとニンマリする。When You Sleepを鼻唄で奏でながら歯ブラシを咥えて部屋にもどってくると、室内が赤々と明るくなっている。玄関から外に出ると、まだそこまでではない、一寸先の陽だまりを見つめる、どんなもんだい、陽だまりに身を入れる、その瞬間にも大粒の涙があふれて止まらなくなる。どこまでも本気な太陽の直射日光、生と死を同時に告げてくるどこまでも熱く優しい光線の無尽蔵な降り注ぎ。涙があふれて無防備に脱力していながらカァーッとやる気も満ち溢れてくる。まえを歩いているひとのリュックサックで見覚えのあるネズミのキャラのぬいぐるみが揺れはしゃいでいる。かわいい。何だったかな、そうそう魔法でネズミになっちゃった千と千尋の坊だ。並木道、一匹のミンミンゼミが気を吐いて鳴いている。
柳田と工藤のエピソードは何度読んでも涙がでる。
《2017年シーズンに、ヒーローインタビューの際にインタビュアーに好調の要因を尋ねられる度、「穏やかな心」ですと繰り返し返答して話題になるが、それは5月上旬に不調などで精神的に苦しんだ際に、工藤公康監督から自身の胸をさすりながら「心の中を穏やかに今日も一日すごそうね」と声を掛けてきたのが始まりで、その“儀式”は毎日続いた。》
お昼の合図とともに外に駆け出る。熱気球が所狭しと充満している。セブンで冷やしラーメンを買って、開渠沿いの小さな公園のベンチで食べる。ベンチに腰かけると、壮絶な直射日光がなおのこと強く迫ってくる。鉄素材のひじ掛けにうっかり触れてしまって、咄嗟に腕をあげる、熱せられたフライパンのような熱さ、目玉焼きも作れちゃいそう。ぺけぺけのプラカップの質感が子どもの頃に海や川に連れていってもらった思い出をいまここに連れてくる。当時からその質感に特別な想いを抱いていて、プラカップを捨てずに持ち帰り、お母さんにその器でそばとかうどんを作ってもらっていたことも。熱気球を切り裂いていくように、踊りながら大きな公園を目指す。自ずと錯綜としたぐしゃくしゃな表情になっている。上空の至るところで膨張している積雲に陽射しが翳ったり明るくなったりを繰り返す。熱気球を纏いながら公園の巨木たちと踊り合い、古墳の小山と踊り合い、芝生を踏んづけながら芝生のふさふさや蝶々の舞いと踊り合う。森林のイマージュもいいけれど、暑い夏の日は解放的な芝生のイマージュもまた格別だ。
午���、臍下丹田のさらに先を行き、榎本や王が野球に援用していたという合氣道についても知識を取り入れてみる。端的にいって合氣道というものは「臍下丹田に心身をしずめて」その状態において「氣を出す」ことであるらしい。ほう。何となくそれと似たようなことをすでに知っているような気がする。合氣道の説明もさることながら、合氣道と野球のことを記事にした中田潤さんというライターの言葉がものすごくしっくりくる。
《<「氣が出ている」と思うだけでいい。そうすれば、氣は出るのである。>心のうちでズッコケたが……。私の入り口はプロ野球だった。日米野球のベンチで座禅を組む榎本喜八であり、「世界一美しい」し、なおかつ「世界一珍妙でおもろい」王貞治のホームランだった。ナイターが行われる球場のスタンドから選手たちを見降ろす。外れたことはほとんどない。誰かが何かをきっとやらかす。イチローの背面キャッチ。新庄剛志のお面。川藤幸三の「絶対に役に立たない守備練習」……数え上げたらきりがない。「過剰」なまでに豊かな世界に身を沈ませていくとき……。「私から今、氣が出ている」これだけはストンと納得できるのである。》
あるいは同記事で長嶋茂雄の天然なエピソードを引き合いに出しながら、次のような対話の引用がある。
長嶋「正直いって、いまだに氣のことはよくわからないんです。」
広岡「そうはいっても、この人の体からは、たえず氣が出ているんだ。」
長嶋「どうもぼくにはピンとこない」
広岡「それは氣がつかないだけですよ。ぼくらから見ると、長嶋というのは、いつも氣が出ている、つまり積極的なんだ。われわれ凡人は消極的です。クヨクヨ心配して、いざというときも、なんとか自分をはげまして、やっと体を動かす。ところが、長嶋はそれがすぐにできる。われわれと違って、あまりクヨクヨしない。生まれつきそういうものをもっている。大きなゲームに強いわけです。」
さらにTVで長嶋茂雄がじぶんの名前を長嶋シゲルと言い間違えて、それでも長嶋シゲルで押し通したエピソードを引き合いに出して、長嶋の自意識の在り方について触れられる。スポーツにおけるメンタル・トレーニングは常に自意識との闘いであるが、じぶんの名前が茂雄でもシゲルでもどっちでいい長嶋にはそもそも自意識なんてものがないのではないか、と。
次いで、榎本や王や長嶋らに合氣道を伝授した藤平光一の言葉が引用される。
《藤平光一は自意識の持ち方を実に巧みに表現している。<たとえるなら、私たちの生命は、ちょうど海のなかにもぐり、両手で海水を囲い、「これは私の水だ」といっているようなものだ。なるほど、自分の手で囲っているから、私の水といってもよいが、水から見れば、これは大海の水である。手をはなせば、すぐに海の水になるし、手をはなさなくても、海のなかで交流している海の水である。すなわち「私の水」ではなく、「私が囲っている水」にすぎないのである。>天地も人の心身も同じ氣で満たされている。「自意識」「自我」と「外界」「環境」の間に壁はない。「藤平合氣道」の世界観では、自分は誰であってもいいのである。 <つまり、私たちの生命は、天地の氣を心身で囲っているのである。私の氣というものはもともと存在しないのである。氣はつねに天地と交流している。>藤平光一は長嶋茂雄についてこう書いている。<凡人にはマネのできないことだが、長嶋はもともと自然体だった。あれこれと不必要なことはいっさい考えず、自然に心と体が統一されているから、彼からは氣がいつもほとばしり出て、それが彼の野球をすばらしいものにしていた。>》
なるほど「合氣道」というのは「とまるせいしんとおどるからだ」の変奏、もしくは別の視点からのアプローチのような気がする。氣を出すというのは、からだを踊らせることではないか、と。2017年9月27年の出来事以来、いくつかの仏教書、とりわけゴータマ・ブッタの所感に近いであろう初期仏教についての仏教書を読んでいる。それはあの体験がゴータマ・ブッタの悟りのようなものなのでは? と何となく思われたからで、じっさいに読んでいくと彼の考えの在り方にとても理解を示すことができるし、弟子たちの悟ってゆくその境遇にも通ずるものを感じる。ある種の「諦め」の感じがそこにはあるように思われる。弟子のひとりなんかは、どんなに頑張っても悟れないから、もう自殺しようと首を括ろうして、縄の穴に頭を通したその瞬間に悟りの体験を見出している。ところが、ゴータマ・ブッタと決定的に違っているのは、彼の言う「煩悩を絶つ」という仕方で、煩悩の代表的なものとして欲望があるけれど、じぶんは場合は欲望を絶つどころか、もっともっともっと見たーーーーい!!!! っていう欲望をどこまでも突き詰めた先にあの体験があった。たしかに、結果として、そんな苛烈な追い求めが睡眠欲以外の原則的な欲求に先んじて、時間等の制約からそんな軽い欲求は後回しにするというかたちである種の欲を滅尽していたような感じはある。たとえば、食欲で言うならば、美味しいものをより美味しく味わいたいという欲望が単純な食欲に先んじて、食欲それ自体が問題とされなくなってゆき、そのいっぽうでは夜の時間を少しでも多く確保したいがために夕飯は基本的に食べないという選択がなされる、こうして大好きな朝食を思う存分に味わえるといったような。それはやっぱりゴータマ・ブッタの態度的な姿勢とはかなり違っているように思われる、辿り着く境地としてはけっこう似ているのかもしれないが。おそらく、こうした禁欲的な姿勢を重んじる態度が仏教をいまも世界的に受容させ普及させるに至っている。初期仏教それ自体はかなり過激な思想の実践であると思われるけれど、こと禁欲的な姿勢についてはわれわれの「社会」に攻撃的な加害をもたらさず親和性を保っている。どんな欲望であれ、たとえそれが直接的な他害として湧き起らなくても、深い欲望の在り方は社会的に抑圧される運命にある。とくに真実を見てみたいとか、本質を捉えてみたいとか、そういった類いの深い欲望は現状なんとく育まれ共有されている社会的規範の外に出ようする欲望であり、その社会に対する反逆としても大いにあり得る。彼らは潜在的なアナーキストであり、革命の因子であり、オメラスから歩み去る人々になり得る資質をそなえている。
合氣道というのは、そういった磁場を初期仏教の流れを汲みながら、武道(≒スポーツ)に限定して実践しようとした試みなのではないか。だから、合氣道には、仏教がまず煩悩を絶つという仕方を示したように「型」がある。その「型」を忠実に実践して「氣」を出せという。そんな合氣道をどこまでも忠実に信じて実践しすぎた榎本喜八は野球界という社会において奇人扱いされ、名バッターとしていまも破られない数々の記録を残していながら、結果として野球界から干されることになってしまったのは残念ながら当然の帰結と言えるかもしれない。
仏教や合氣道は、教えや道といったような「かたち」から始まっている。よくわからないかもしれないけど、とりあえずこうしてみて下さいねって。まずこうあるべき「かたち」が本然に先立って示される。その「かたち」の実践はもっぱら修行と形容される。榎本喜八は打撃の練習をもはや練習と言わず稽古と言っていたらしい。じぶんの場合はそういう「かたち」の一部が曲りなりにも勝手に身に付いていたわけだけれど、なるほど、具体的な「かたち」が先に示されればそれだけに分かり易いような気がするし、何よりも間口がひろがる。それならトライしてみようと思うひとが少なからずいるし、だからこそいまもこうして体系を保っている。けれども、その先の道がきわめて険しいことは想像するに足りる。それは修行と形容されるような厳しい鍛錬の道だ。とくに仏教の過激さは半端じゃない。知り合いに代々坊主の家系の子息がいるけれど(その宗派はゴータマの初期仏教とはかけ離れてはいるけれど)、彼は山籠もりの修行があまりにも辛すぎて、じぶんでじぶんの腕を折って下山を余儀なくされるというかたちで平地に逃げ帰ったという。「かたち」が先に示されたがばかりに、その実践者は受動的にその「かたち」に身を律することしかできない。なかには「かたち」の幾ばくかをありがたくも本然のように勘違いして、幾ばくかの「かたち」をつまみ食いしただけで満足するひともいるにちがいない。むしろ、そのようなつまみ食いを積極的に奨励しているからこそ、ここまでの普及を見せているように思われる。たとえばそれはキリスト教的に言うなら隣人愛であるかもしれないし、仏教的に言うなら慈悲の精神かもしれない。「かたち」のなかにはひとがひとの社会において健善に生きる処世術に結果としてなりうるものも多分に含まれているように思う。いっぽうで教えや道を健気にも頑なにも信じて実践しようとした榎本喜八のようなひとはどうかといえば、神の域に至った11試合以降はその感覚を取り戻すことができず苦悩の日々を送ったらしい。一時は猟銃を抱えて自宅に立て篭もり、驚いたチームメイトが駆け付けて出てくるように促すと天井に向かって銃弾をぶっ放すという事件まで起こしている。それは合氣道の目指すところである心身の統一とは程遠い状態にちがいない。氣を出すという意味では、そのときの榎本からはめっちゃ氣が迸っていただろうけれど……。だけど、そのときの榎本はまさかじぶんから途方もない氣が出ているなんて想像もしなかったのではないか、それは合氣道の「型」とは似ても似つかないものなのだから。榎本喜八のことが手放しに大好きで、きっとそれ故に野球と合氣道の記事を書かずにはいられなかった中田潤さんも、この事件のことを「誰かがきっと何かをやらかす」ことのひとつに、過剰な世界のひとつに数え上げているように思われてならない。少なくとも《「私から今、氣が出ている」これだけはストンと納得できるのである》と本人の口から語れるように中田潤の文章にはどう考えても氣が迸っている。気違いじみたひとたちの過剰な気違いぶりを目で見るままに考えるよりも先に全面的に肯定している。
なんだっていいと思うのだ。あるかたちに拘りたければかたちに拘ればいいし(それは過酷だろうが……)、じぶんなりのやり方を見出したければそれを見出そうとすればいいし(そのほうがラクで楽しい気がする……)、川になりたければ川になればいいし、花になりたければ花になればいいし、虫になりたければ虫になればいいし、石になりたければ石になればいいと思う。
責任感の原則。じぶんは責任感というものがおそろしく欠如した人間だと思う。そもそも、どんなものに対しても責任なんか取りようがないと根本的に思っているふしがある。だから、じぶんのことをちゃらんぽらんでいい加減な人間だと思っているし、社会的に生きていくうえでの他人からの評価も大体そんなものだと思う。他人に対しての責任のみならず、じぶん自身に対しての責任感も希薄だ。たとえば、部屋の掃除を怠れば部屋が汚くなる、ただそれだけ。結果としてのそれ自体だけがついてまわる。けれども、無責任さもそれが極まってくると、逆説的にあたかも責任を果たしているかのように捉えられうることを最近知りつつある。根本的に責任は取れない、そういう自覚がある。責任を取るという仕方において、あったことをなかったことにはできない、相殺はできないと強く思っている。責任の有無を問われるような芳しくない状況があったとする。そうしたとき、じぶん的には責任はとれないし、だからこそ責任もとらない。芳しくない状況がそれ自体として浮き彫りになる。ただ、そうなってしまった原因を探り、①それが防ぎようのない偶発的なものであれば仕方のないことと判断し、②防ぎようのあることであればこれを戒めとし、③防ぎようのあることでもそもそも防ぐ必要性のないものと感じればそのように判断して、めっちゃ悔しがりながらその後の対処にあたる。社会的な局面においては①や②のパターンが多い。それ以外では③のパターンが多い。責任を取れないということを自覚しているからこそ、けっこうその都度都度に一生懸命なのだ。そんなふうに無責任の極みを垂れ流していると、不思議と周囲から放任されるという事態が起こってくる。ちゃらんぽらんでいい加減な人間な人間なのに、誰もがこいつはちゃらんぽらんでいい加減な人間だと蔑んでくるのに、じっさいにそう言ってくるのに、不思議とそのことが律せられず、そのままに放任されてしまう。たぶん、おそらく、きっと、そのほうがラクなのだ。いい加減なのではなく、そんな無責任さの極みがより良い加減として働いているらしい。
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【フリン中将】 2021/1/14 1:26 JST
via telegram

https://m.washingtontimes.com/news/2021/jan/11/congress-has-a-duty-to-give-voice-to-the-millions-/
ワシントンタイムズ 議会には盗作選挙に反対した数百万人に声を届ける義務がある 主流メディアは、有権者の不正行為に対抗して平和的に行進するために団結して立ち上がった何十万人もの愛国者の評判を貶めようとするだろう……
議会には盗作選挙に反対した数百万人に声を届ける義務がある
クリスティ・マクローリンによる記事 2021.1.11 Mon
分析/オピニオン。 私は、2021年1月6日に群衆が「星条旗」を歌っている間、アメリカ国旗が国会議事堂の上に垂れ下がっていた光景を覚えている。主流メディアは、有権者の不正行為に対抗して平和的に行進するために団結して立ち上がった何十万人もの愛国者の評判を貶めようとするだろう。
私は、感情が波及した後に発生した生命の損失を軽減するものではありませんが、私は人々を覚えていることを選択します。一人一人が自分の心の中で信じていることが正義であり、真実であると信じていることのために立ち上がったのです。その日、法執行官は国会議事堂の建物を守るために命を危険にさらしましたが、抗議者は国会議事堂の建物が代表する人々を守ろうとして命を危険にさらしました。
1月6日は良くも悪くも歴史的な出来事でした。しかし、1月5日の平和的な様子は注目に値する。1月5日、私は米国最高裁判所の階段に立ち、何千人もの仲間の愛国者に演説しました。その日は歓喜と祈りで満たされていました。それは、あらゆる年齢、人種、民族のアメリカ人の希望に満ちた姿でした。それは見ているだけで美しい光景でした。建物が燃やされることもなく、店が略奪されることもありませんでした。集会や行進の間に権力の格差はありませんでした。
著名な政治的影響力を持つ人々が、初めてワシントンD.C.を訪れた人たちと対等な立場で腕を組んでいました。私は全国から集まった人々に会った。私たちは自分たちの物語についておしゃべりし、私たちの投票の完全性に対する情熱と正当な懸念を共有しました。彼らは勤勉なアメリカ人で、彼らの代表が彼らを失望させたときに彼らの声を聞いてもらうために、自分のお金を使ってDCに行くために来たのです。
私は、私たちの基本的な自由は保護される必要があると信じていたので、これまでに下院選に立候補した国内最年少の人物でした。私は同じ理由でワシントンDCまで行進に出かけました。
1月6日、米国は文化的なリセットを経験しました。真のアメリカ人は、いかなる種類の暴力も望まない。そして今、ごく少数の人々の行動が、愛国心と団結の美しい光景から、心ない混沌と目的のない暴力へと物語を汚してしまった。
私は無法行為に参加しなかった大多数の抗議者と一緒に立ち、ショックを受けながら見ていました。しかし、私は上院と下院の指導者たちの足元に責任を転嫁した。上院と下院の指導者たちには、広まっている有権者の不正行為の実質的な疑惑について、公開の場でその是非について透明性を持って議論する義務があった。議会は手続きを秘密裏に隠蔽してアメリカ国民の期待を裏切った。
私は元議会の補佐官として、これらの会議場に座り、他の一般市民と一緒に公聴会に出席したことがある。選挙人を数える際の議会の見せかけの演出は明らかだった。議論や正当な調査が行われないことは誰もが知っていた。真夜中に暗闇と外出禁止令に隠れて、秘密に包まれ、透明性もなく行動する政府は、民主主義の記念碑ではない。
偉そうな政治家たちは、少数派の行為を「国内テロ」「非アメリカ的」とすぐに非難します。選挙で選ばれた両党の役人たちは、今ではいじめの教壇に立って指をくわえているが、自分たちが犯した罪悪感には目をつぶっている。偽善的に、これらの同じ政治家の多くは、ブラック・リヴズ・マターとアンチファによる数ヶ月間の暴動、略奪、焼き討ちを容認し、称賛しているが、それらは「ほとんど平和的」で正当化されていると言われている。
これらの同じ政治家達は、全ての保守派を扇動者と裏切り者として特徴付ける口実として国会議事堂の違反を使用し、私達の憲法上の権利が保護されるという要求に正当性を見出すことができません。保守的な共和党員達は、主流メディアによって、そして自分達の党内の悪意のある行為者達によって、暴力的な報復なしで徹底的に殴られることに4年間を費やしてきました。
残念なことに、4年間の虐待は感情を沸騰させる結果となった。抗議者たちは、「卑劣な者」「人種差別主義者」「白人至上主義者」と呼ばれることにうんざりしていました。彼らは、既成政党や急進左翼から疎外され、いじめられることに疲れていました。
民主党は結束して一線を画した。マルクス主義者、主流メディア、ビッグテック、深層国家の工作員、無政府主義者、グローバリスト、産業戦争マシン企業、敵対的な外国の組織の連合体がシンフォニーのように協力して、人民から人民の意志を奪い取った。
この国は、自由と国民に奉仕する政府という考えに基づいて設立されました。法と秩序と民主主義は、公正で自由な選挙が妥協された時には評価されません。私を育ててくれたキューバ人の曾祖母は、1961年にキューバで同じことを目撃したので、共産主義へのスパイラルを認識していると言いました。
若者への教育的教化に始まり、異なる視点からのメディアによる検閲、宗教的表現の抑圧、閉鎖と財産の奪取、社会の構造を破壊するための無政府状態の扇動、そして政府の乗っ取りという詐欺的な行為で終わる。
日間平和的に行進した何十万人もの人々は、今では沈黙している。議会には盗まれた選挙に異議を唱えた何百万人もの人々に声を届ける義務があった。彼らはその義務を怠った。米国国民は犠牲者であり、官僚的エリートは勝利者である。今後、私たちはアメリカの価値観に対する決意と信念を強化しなければなりません。私たちは今でも "神の下の一つの国家 "です。
- クリスティ・マクラフリンは25歳の弁護士で、FL-19の元下院議員候補者であり、憲法戦士.comの創設者である。彼女は102歳のキューバ人の曾祖母と一緒にフロリダ州ナポリに住んでおり、そこで憲法の価値観を擁護している。
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『八月の光』、分厚いですよね(前半)

五月ですね。先日の雷鳴はどこでご覧になりましたか。美しかったですね。光で空が真っ白になるとき、私たちは諦めること以外に何かできるのでしょうか。呆然と立ち尽くすこと以外の何ができるのでしょうか。 あれは春の光でしたね。春の夜の白い光は淡くそら寒い。しかし、夏の光というのは、人に人を殺させるほどの眩い激しさを孕んでいるものです。暴力を無にしそうなほどの何かを。
四月上旬、在宅勤務指示にともない理不尽に給与を減らされ、抵抗の意志をもってウィリアム・フォークナーの『八月の光』(原著1932)を読み始めました。加島祥造訳の新潮文庫版(1967)。本編は656ページまで。日本語とはなぜか幅をとるもので、訳書はたいてい原書の厚みの2〜3倍になるものですが、それにしても656ページかあ。長いね。 なんだか、なんだかね、「短く書かなければ読んでもらえない」圧力のもとに暮らしているとね、毎日悲しいんだ。生まれた言葉をみずから削ぎ落とさなければならないことが。肩の肉をナイフで切り落としている感覚がします。だからと言って、読んでくれと人に押し付けるのも申し訳なくてできない。誰かの時間を奪うことが憚られる。突然の吐露ですみません。 で、今日はもう一切憚らずに書こうと思います。なので、長くなります。もはや原作より長い(体感)。まあ実際は削ることのほうが書くことの本質であったりはしますが……。
この記事は総体的に本書を論じるものではありません。『八月の光』を読んでいて気になった箇所を執拗にピックアップし、それについてうだうだ話す私的な記事です。未読の方が読まれてもおもしろいかどうかわかりません。読まれるための文章を書けなくてごめんなさい。 この記事の本編を読まなくても『八月の光』がどんな話かわかるよう、雑な人物紹介を書きます。ここだけ読んでお土産としてお持ち帰りください。
【主な登場人物】
リーナ・グローヴ:男に逃げられシングルマザー秒読みの20才。電波。
ジョー・ブラウン:クズ。生娘リーナを孕ませて逃亡。走る下半身。
ジョー・クリスマス:悲劇のヒロインを地で行く33才男性。
ジョアナ・バーデン:中年で初めて肉体の愛を知り気が狂う44才女性。
バイロン・バンチ:内面がない残念な35才男性。リーナに一目惚れ。
ゲイル・ハイタワー:町から追放された元牧師。妻は不倫のあげく自殺。
これだけ役者が揃っていれば面白いに決まっていますね。ついでなのであらすじを新潮文庫の背から引用します。
臨月の田舎娘リーナ・グローヴが自分を置去りにした男を求めてやってきた南部の町ジェファスン。そこでは白い肌の中に黒い血が流れているという噂の中で育ち、「自分が何者かわからぬ」悲劇を生きた男ジョー・クリスマスがリンチを受けて殺される——素朴で健康な娘と、南部の因習と偏見に反逆して自滅する男を交互に描き、現代における人間の疎外と孤立を扱った象徴的な作品である。
限られた字数でよくこんなにしっかりまとめられたものだ。私にはこんなに短くこの本を紹介することは逆立ちしたってできない。たしか新潮社の新卒入社試験では「好きな本を一冊選び、背のあらすじを書け」という課題が出ていた記憶があります。
以上です。ご高覧ありがとうございました。残りの2万字はおまけです。
【目次】
42ページ まだ少女の妄言を笑っていられた私たち
52ページ バイロン・バンチには「内面」がないのか?
149ページ 出自が不明であることの恐怖
166ページ 孤児院、胸糞悪すぎるクリスマスの悲劇
171ページ こんなこと言われたら死んじゃう
202ページ 「野蛮人のように、犬のように」食うこと
306ページ 待ってました地獄の恋愛パート
343ページ 「あたしまだ祈る用意がないわ」依存と信仰
まだ半分かよ(ここまで372ページ)
42ページ まだ少女の妄言を笑っていられた私たち
『すくなくとも双子だわ』と彼女は唇も動かず声にもならぬ言葉で自分に言う。それから胎動は過ぎる。彼女はふたたび食べる。馬車は止らずにゆく、時間は止らずに進む。馬車は最後の丘を登りきり、彼らは煙を見る。
一般的に、この本の主人公は二人いるとされます。その一人が、自分を孕ませて逃げた男が「私を待っているはず」と盲信し、その逃げ先もわからないまま「神様がすべてごらんになって正しいことは成就させてくれる」と信じて身重の身でありえない距離を放浪してその男を探す娘、リーナ。 先の引用は、ヒッチハイクした馬車に揺られて夜を行くリーナが、膨らみつつあるお腹をさすりながら独り言ちるセリフです。序盤のリーナの絶望的に愚かな猛進を呆れかえってハラハラしながら読んでいる頃で、リーナのように深く神だけを信じているわけではない私はまだこのセリフを滑稽だと笑っていました。 でも、実際にリーナは、見��知らずの他人の親切と運のよさ=神のお導きを借りながら、最終的にはジョー・ブラウン(下半身)のいる町ジェファソンに辿り着きます。 「人事を尽くして天命を待つ」世界観を生きる私と「神を信じて人事を尽くす」世界観を生きるリーナにどれだけの違いがあるというのか。彼女を笑っていた私のほうが本当は愚かなのでしょう。
52ページ バイロン・バンチには「内面」がないのか?
なぜならどこで生れてどこで暮したにせよ、この男はただバッタみたいにこの国土で生きてきただけだ、と誰もみんな知っていたからだ。まるで、彼はそんな生き方をあまり長くつづけたので、いまでは彼のすべてがすっかり散らばって解体してしまったというようだ、残ったものといえばただ透き通って重さのない抜け殻、それも風のままにあちこち行方を定めず吹きとばされてゆく抜け殻といったふうだった。
ただ真面目に暮らして流れるに逆らわずに生きる。そんな生き方を1930年代のアメリカは嘲笑しています。このバッタのように生きるバイロン・バンチという男の人生は、その後リーナに一目惚れの恋に落ちることで一変する——かのように見えてやはり「運命に付き従う」だけの生を生き続けることになるのですが、リーナの信仰の敬虔さが積極的敬虔とも呼べるものだとすれば、バイロンの生き様は消極的敬虔とも言うべき代物かもしれません。 文学とは基本的に、運命(というか自然)に翻弄される人間がどうにかしてその運命と内面・自意識の葛藤に折り合いをつける様を描いているものですが、この「内面のない男」バイロン・バンチをばかにできるだけの抵抗の意志をもって生きていられる人間がこの世にどれだけいるのでしょう。
この引用のすぐ後、バイロンが「怠け者ってのは、何一つしないでいて楽々と善人になれるってわけだなあ」と話すシーンがあります。私自身はこの男が述べるような「善」を軽蔑して生きていますが、同じようなセリフを誰かが嫌な顔で吐くのを現実で何百回と聞いてきた気がします。特に親世代の人間たちから。 でも、本当はみんな「内面」を持っているのに、それを表に出す手段を持っていないだけなのかもしれません。実際、読み進めていくと、バイロンにだって言い分もあれば意志もあるのです。バイロンが何ページにもわたって「リーナを保護したい」という望みを語る場面の情けない切実さときたら。 私がその内面を探れていない他人は、ただそれを私には示していないというだけかもしれない。「内面がない人物」という人物像の類型は2年ほど前に友人から与えられて初めて知った概念ですが(韓国映画『バーニング』が流行った頃です)、そう断じていい人物なんて本当にいるのでしょうかね。
そういえば、リーナには一切の葛藤がありません。彼女は、何もかも神の御心のままに、と信じて粛々と行進しつづける。「内面がない」のでしょうか。信仰は内面の放棄と転嫁と言えるでしょうか。とても難しい。
149ページ 出自が不明であることの恐怖
本書のもう一人の主人公とされるジョー・クリスマスは、作品の舞台である架空の都市ジェファソンの町に突然現れた謎の男として描かれます。寡黙でクールで残忍な雰囲気のキャラクター。この町の誰もあいつが誰なのか知らない流れ者。かっこいいですね。 あらすじに「黒い血が流れている」とありましたが、クリスマスの見た目はまるきり白人なのだそうです。だから、ミシシッピ州の人々は、彼が流浪者の白人であることを疑いません。 彼は孤児として施設で育ちました。そこで「あの子には黒人の血が混ざっている」という噂が立ち、クリスマス自身、その噂を否定しきるだけの確固たる「出自」を持っていないものですから、幼少期の無力から噂を飲み込んでしまいました。そのために、生涯にわたって「自分は黒人なのかもしれない」と苛まれ続けることになります。真偽のほどは明らかになりません。本当に、ただの噂なのです。ただの噂が彼の人生を決定するのです。 ちなみにクリスマスという名はクリスマスに孤児院に捨てられたことに由来します。何その泣かせる設定。その設定だけで白米五合食えますわ。
いわば黒い生命、黒い呼吸がその本体を融かしてしまって、だから声ばかりか動く肉体や光そのものまでが液化し、ひとつずつゆっくりまざって増大し、重たい夜と分ちがたく合体しているかのようだった。
四方からは、そして彼の内部からさえ、黒人女たちの生殖力に満ちた声がささやきかけてきた。それはあたかも、彼やそのまわりの男という生きものすべてが、光なく熱く湿った原初の産みいだす女体の中に戻ってしまったかのようだった。(太字は原文傍点、以下同)
フォークナーの文章力えげつないですね。実は5ページあたり1〜3文ほどフォークナーの文章力えげつねえ……と思わせる記述が出てくるのですが、全部拾うと大変なことになるので割愛します。
「自分が何者であるか知ることができない」ということがこんなにも人間から安寧を奪い尽くし、何かを信じることを困難にするのだと、これほどはっきりと示す小説を私は初めて読みました。フィクションに登場する孤児は、「それでも人の愛を信じて生きることに決めた」みたいな明るい人物として描かれることが多い気がします。愛を表現するのに都合がいいのでしょうね。
クリスマスはひょんなことから「北部人(ヤンキー)」として町人から敬遠されている女性ジョアナ・バーデン(冒頭でご紹介した「中年の恋」の人です)の家に食べ物を求めて忍び込んで以来、彼女との恋愛関係に沼に沈むように引き摺り込まれていくのですが、その彼女との袂別のきっかけは、彼女の信仰の強要をクリスマスが拒絶したことにありました。この凄まじい恋愛についてはまた後ほど。マジですごい2章が中盤にあります。
(ところで「北部人」に「ヤンキー」ってルビ振るのかなり面白いんですけど、原文でどのように書かれているのか気になるところです。原書を持っている方がいらしたらぜひ教えてください。普通に「北部の人」かな。 ジョアナは黒人の支援や人権保護に取り組んでいる女性で、未だ奴隷制度の時代の香りに執着している南部の人間たちにとっては鼻つまみ者という感じ、現代日本語のヤンキーのニュアンスとはまた異なる人物像です。今だと何が近いだろ、「フェミニスト」とか?)
クリスマスはけっしてジョアナを愛していると述べません。ずっと逃げることを考え続けている。怖いのでしょう。自分が誰であるかわからないまま誰かを正しく愛することは不可能です。それでも逆らえない。そうなれば、ただ愛の渦に巻き込まれていくだけです。 なんにもないところ、足場のないところにポンと生まれたとしたら、私は私になれただろうか。そういうことを、リアイティをもって想像させるのがクリスマスという男の存在であり、それを真実らしく書ききったフォークナーの凄味です。
166ページ 孤児院、胸糞悪すぎるクリスマスの悲劇
第6章、クリスマスの孤児院時代の話に割かれた章は、吐き気のするような、女の性液の臭いと男の腐った口臭とに満ちています。冒頭、幼少期のトラウマは人の人生でけっして拭い去れないのだと宣告する文章から始まります。
記憶は認識力が働きだす前に早くも活動する。記憶する力は思い出す力よりも長い生命を保つのであり、認識力が疑ったときでさえ、記憶は揺がないのだ。
捨て子であったクリスマスは幼少期を孤児院で過ごしました。第6章は、5才のクリスマスが不慮の事故でスタッフの女性の淫行を目撃してしまうシーンから始まります。性行為のあまりのグロさに身を隠していた垂れ幕のなかで嘔吐するクリスマス。かわいそうに……。 淫行を目撃された女性スタッフが逆ギレしてクリスマスに「黒人であることの罪」を着せ、孤児院から追い出すべくいろいろ手を回します。そこで彼女は「(孤児院の)番人」とかいう突如登場したよくわからない男に「アタシ悪くないもん!あいつ追い出すのに協力してよ!」と訴え、その男がOK任せろと手を貸しつつ、クリスマスを卑下するセリフが本当に耐え難い。
「わかってたのさ。どなたがあの子をあそこに置いたかはな——女の淫らな行いにたいする告示と呪い、それがあの子なんだ」
最初この一節を読んだ時、淫行を目撃された女性スタッフを咎めるセリフなのではないかと救いを見いだしかけたのですが、その後を読み進めるとたんにクリスマスを貶めるだけのセリフだとわかって机を叩き割りそうになりました。 この、突如現れてクリスマスを追い出す役割だけを果たす「番人」の存在についてはいろんな解釈ができます。
「さあ、言ってちょうだい。あんたがどんな目つきであの子を見ているか、あたし知ってるのよ。見てたんだから。五年間も」 「知ってるのさ」と彼は言った。「俺は悪がどんなものかを知ってるのさ。あの悪の証拠を立たせて神様の世界に歩かせたのは誰だと思う? 俺さ。神様のお顔の前に堕落の姿として歩かせたのは俺さ。」
番人がキリスト教における悪あるいは人間の身勝手さの悪辣を具現化した存在だと読むのが一番楽なんですけど、そんな安直なことをフォークナーがするだろうか。となると、上記のセリフに鑑みるに、彼こそがクリスマスの本当の父親である可能性も出てきますね。 黒人女あるいは黒人の血が混じっているとされて迫害され卑しめられていた女を娼館かどこかで身勝手に孕ませて、しかし何らかの事情で仕方なく孤児院に孤児として引き入れた父親が、後ろめたさに耐えかねてクリスマスを葬ろうとしていたところに降って湧いたラッキーチャンス!を、実現する前の懺悔(自分が許されたいがための懺悔)ともとれます。 いずれにせよ胸糞悪すぎますね。大人になったクリスマスが密造したバーボンを頭からぶっかけてこいつらに火をつけましょうね(禁酒法時代!)。
171ページ こんなこと言われたら死んじゃう
「もし神様ご自身がこの部屋に入ってきたとしても」と彼は言った。「あんたのような女はそれを淫行のために来たものだと思うんだろうな」
アタシ女だけどこんなこと言われたら舌噛んで死んじゃう。スゲーこと言うな。 先の節から5ページしか経っていないのにお気づきでしょうか。これは例の悪魔か父親かわからない番人が淫行の女性スタッフに放ったセリフです。お前態度ぶれっぶれやんけ。その直後には「俺に、聖なる神様に、噓をつくな」、「答えろ、イゼベル!(訳注 聖書に出る邪悪な女の名)」などの発言をかましています。自称神様やば~。完全に統合が失調していますね。
フォークナーは明らかに、制度化大衆化俗習化した信仰に疑問を抱いていて、この小説の最初段階(55ページ)に「教会の無意味な音があたりから一度に反響してくる」といった記述があったり、ハイタワーとかいう職能がクソ無能すぎるやばい牧師を登場させたりするあたりに顕著です。 牧師ハイタワーはこの小説の主要人物の一人で(禿げ上がって肥満ぎみなぶよぶよの初老の西洋人男性を想像してください)、自己の血統つまりアイデンティティの補強のためだけに牧師として町にやってきて、自分のおじいちゃんの南北戦争英雄譚を延々と町民に聞かせたあげく結論に聖書の一節をもってきてお茶を濁すことを何年も続けてきたかなりヤバい元牧師です。彼はその自己中ゆえに妻を自殺に追い込み、町の牧師を辞めさせられます。辞めさせられたのに町を退かず、ジェファソンの町にとって有事の際の憎しみの対象になり続けます。何かあったらハイタワーのせい。
すでに世界が神<人間になってしまったことをフォークナーは隠しません。彼がこのぶよぶよの人物を設定したのは、クリスマスの血筋によるアイデンティティの空白をより際立たせるためであると同時に、当時キリスト教の信仰が人間のエゴイズムを正当化することにばかり用いられていた状況に反吐が出る思いだったのではないかと推察できます。 だからこそ、謎の番人のことを悪魔ともみえれば神ともみえるように描いたのではないでしょうか。番人は名前を持たず、妄言だけを残して物語からあっさりと去ります。クリスマスを呪うだけの役割を果たすのです。女の淫行をこんなにも非難しながら、クリスマスの追放に加勢しようとする、不可解な行動をその場に残して。あまりにもグロテスクですね。
202ページ 「野蛮人のように、犬のように」食うこと
クリスマスはその後、「あくまで白人として」孤児院から養父母のもとに引き取られました。厳しい養父は自分の厳しい信仰のあり方を子に叩き込もうとして虐待じみたことすらおこなう人で、養母はその痛みをケアしようとおろおろと弱々しく優しくしたがる人。クリスマスは自尊心を保つために養母の庇護欲を拒絶し続けます。親子関係に遍く見られる悲しみですね……。 養父の信じる神を信仰することを頑なに拒む幼いクリスマスに激怒し、食事を禁じることで罰を与える養父。それを見かねて養母がこっそりと食べ物を与えようとする場面があります。
「おまえが何を考えてるか知っているよ。でもこれはそうではないんだよ。これは父さんに言われて持ってきたのではないんだよ。これはあたしだけの考えでしたこと。あの人は知らないんだよ。これはね、おまえにやれとあの人に命令されて持ってきた物じゃないんだよ」。 〔中略〕 相手の見まもるなかで、彼はベッドからおり、その盆を取ると部屋の隅へ運んでゆき、盆を裏返しにして食べ物を皿ごと床にぶちまけた。
そのとき彼はちょうど八歳だった。その晩、それから自分は何をしたか、彼は覚えてはいた、しかし自分のしたことをほんとうに記憶として確認できたのは、それから幾年もたった後のことであった。彼の行為は幾年もたった後ではっきり記憶に刻みなおされたのだが——その夜、夫人が去ってから1時間して、彼は起きあがり、ベッドからおりて部屋の隅へ行った、そして前に敷物の上にひざまずいたのとはまるで違ったひざまずき方をすると、散らばった食物へかがみこみ、両手で食べた、野蛮人のように、犬のように。
このシーンすごくよくないですか。ここで一度泣きました。 自分が壁に投げて床にべちょべちょに積まれていった冷や飯を、残飯を、生ゴミと化した食品を、家の埃や外の土と混ぜ合わされてしまった汚物を、それでも食わずにはいられず、跪いて手で口に掻き入れるところを想像してください。 施しを受けることを頑として拒絶するプライドを持ちながら(そのプライドは出自の不確かさを埋めるほどに絶大なものでなければならない)、一方で施しを受け入れなければ生きてゆくことができないことも理解していて、「犬のようにしか」与えられたものを貪ることもできない。 クリスマスは、引き裂かれたまま生きていくしかないことを理解していて、納得することは生涯ないのだと受け入れていて、ズタズタに傷ついたまま30歳を迎えたんです。そして彼は人を殺して人に殺された。殺されるための何の大義名分もなく。 こんな悲しいことがあるでしょうか。この章の冒頭、クリスマスがこの出来事から20年経ってもこの記憶と「この日に俺は男になった」という思念に従っていることが前置きされます。「男になる」という表現をとっているけれど、自分はもう二度と誰によっても癒されえないに決まっている、という絶望を意味しているのだと思います。
306ページ 待ってました地獄の恋愛パート
100ページほど飛びました。飛んでいるあいだは、クリスマスが少年から青年になる過程で性欲ベースの初恋をしてうっかり養父を殴り殺して女に裏切られて絶望して放浪を始めるみたいな流れです。さもありなんって感じですね。やさぐれて娼館に赴いて「俺と寝る白人の娼婦は知らない間に黒んぼに抱かれているんだ、ざまあみろ」みたいな自傷をしているシーンも。 そういえば、この人は、自分が男であること以外には何一つとして自己の拠り所を持っていないんだな。だから娼館に通うのか。そうか……。養父からの虐待のせいで信仰も持てなかったクリスマスがこうなってしまうのは仕方ない気がする。神のほうがクリスマスを拒絶したわけだから、あなたは悪くないと思う。神が悪い。
自分の白い胸が肋骨の下でますます深く息を吸いこむ���を感じ、見まもりさえして、体内に黒い臭気を——黒人の黒くて不可解な思想や存在を吸いこもうと努め、同時に吐く息ごとに体内から白い血や白い思想や白い存在を追い出そうとしていた。しかしその間も絶えず彼の鼻翼は自分のものにしようとしている黒い臭いの苦しさに白っぽく張りつめ、彼の全存在はその黒い臭気に反発する肉体や拒否する精神を押えこもうと懸命にもがきつづけていた。
娼婦との性交ひとつでここまで自己存在を問えるのだからすごい。すごい辛そう。匿名の行為ってつまりは鏡を覗きこむことに過ぎないもんね。
で、非匿名の恋愛の到来です。地獄の恋愛パートが始まります。 養父を殺して逃走し、逃げ疲れて食べ物を強盗するために侵入した家の主人の女(ジョアナ、41才独身、見た目は30ちょい)になんとなく匿われて暮らすうちにだんだん気になっちゃって、愛する気なんかさらさらなかったのに否応なく恋愛関係に絡めとられてしまったクリスマスの独白をどうぞ。
一年たった後でさえ、入ってゆくたびに新しく、自分が女の処女を奪うために忍びこんでゆくかのように感じた。いわば暗くなるごとに彼はすでに奪ったものをもう一度奪い直さねばならぬという気持にさせられたのだ——いやそれはあるいはまだ奪ってはいなくてこれからも奪えそうにないものだったのかもしれぬ。
いい葛藤だなあオイ!!!!!(酒場のおっさん)
ジョアナは行く宛のないクリスマスを自宅の敷地内の小屋に住まわせています。ただし、対話もなければ同情を与え合うこともありません。 あの夜、ジョアナの家に忍びこんで台所の調理された食料を貪るクリスマスを目撃したジョアナは、「あなたが食べ物を欲しいだけなのなら、そこにいくらでもあるわ」と「静かな、やや深くて非常に冷たい声で言った」だけでした。その後もずっとそんな感じ。 「好きに食え」というのは、クリスマスが養母から受けた「食べたいでしょう? 食べていいのよ、あなたのために用意したの。さあ食べなさい、欲しいのはわかっているのよ」という屈辱的な支配と施しとは真逆のもので、クリスマスにとっては初めての救いだったのではないでしょうか。切ね〜。 でもジョアナはひたすら無関心。ご飯は用意されるけど、食卓を共にすることもなし。寝室には忍び込むばかりで求められることも特になし。クリスマスが男性性を持て余して(そこにしか自己の拠り所がないから仕方ない)初めてジョアナの寝室に忍びこんだ際は、拒絶はされたが抵抗はされなかったそうです。やばいな。 翌日も普通に食事は用意されていて、あんな酷いことをしたのになぜ、と狼狽えるクリスマスは、「はいはい、このメシは黒んぼ用ってわけね」という謎の自虐でこの不可解を乗り切ろうとします。 もう!!!!!!!どう見てもお前の不幸の原因はお前自身だよこのクソバカ!!!!!!!!!!!!!! いつまで悲劇のヒロインやってりゃ気が済むんだよオッサン(33)。リーナを見習え。
343ページ 「あたしまだ祈る用意がないわ」依存と信仰
ジョアナの家に住み着くようになって、クリスマスは初めて「帰る家」を得て、ジェファソンの町で定職に就いて、安堵を己に許しかけていました。 が、ある夜、突然ジョアナが自分の出自をクリスマスに打ち明ける長話をします。その夜以来、ジョアナは「何もかも知ってくれている男」への依存を始め、クリスマスの方は「全てを掌握しきった女」として蔑ろにし始めます。 お互いにこう思い始めるともう人間関係はだめですね。相手を手に入れたと思ったらあとは壊れます。残念でした。尊重しあえないくらいなら諦めて距離を遠く保った方がいいのですが、依存が始まればそれももう難くなってしまう。心を許すことと心を明け渡すことには紙一重の差しかないから難しいです。苦しい。
彼女を眠らせずにいたのはそんなことのせいではなかった。それは闇の中から出てくる何か、大地の、夏そのものの中から出てくる何かだった。それが恐ろしくて惨めだというのも、実は直観的に、それが何も自分に害毒を与えないものだと知っていたからだ。それは彼女を占領し完全に出し抜きはするがけっして害を与えず、それどころか彼女を救って生活から恐怖を消し、平凡に、いや前よりも良い暮しをさせる何かなのだ。
私は、ジョアナがクリスマスを受け入れたのは、食べ物を漁りにきた彼となら現実における「惨めさ」を共有できるのではないかと直観したからではないかと思います。でも、愛の依存が、温度差が、際立つ孤独が、断絶の苦しみが、恋の狂気が、癒着願望が、彼女を現実から追い出して無為な信仰へと放りこんてしまった。
ただ恐ろしいことに彼女は救われるのを欲していなかったのだ。「あたしまだ祈る用意がないわ」、目を大きく見開いて、静かに頑に、女は独り言を口にし、その間、窓からは月光が差しこんできて、部屋を冷たくて取り返しのつかぬ何か——ひどい後悔に駆りたてる何かで満たしていた。
「あたしまだ祈る用意がないわ」というセリフ、私はすごく好きです。運命に押し倒されそうになったときに言ってみたい。 残念ながらジョアナはこんなことを言いながらすぐに神に祈り始めるのですが。なぜジョアナが信仰を保留してきたか、なぜジョアナがクリスマスを尊厳を持つ人間として扱いえたかはジョアナがクリスマスに語った長い長い独白からすべて読み取れるところですが、ここでは割愛します。 (この小説が長いのは登場人物の設定を全部書くせいです。ジョアナの過去編だけで20ページあって、過去っていうか血統の話をするので話が100年遡る。南北の因縁について書かなきゃいけないから仕方ないけど、まあ長いよね……。)
「神様、まだあたしがお祈りせねばならぬようにはしないでください。神様、もう少しだけあたしを地獄においてください。ほんのもう少しだけ」
彼女が自分はもはや救われないとわかっていながらそれでも現実を引き止めようと神に縋ることをまったく笑えない。ここが、情念が狂気に変わる境界線ですよね。私たちは、ここを踏み越えないように日々、自分に我慢を強いていませんか。どうなっても納得できるよう、自分に都合のいい希望だけに寄りかかるのを我慢していませんか。 「もう少しだけあたしを地獄においてください」、地獄とわかっていれば、どうにか諦めもつくから。望まずにいられるから。しかし神に縋りはじめてしまえば、その歯止めはもうきかない。「神よ、なぜあなたは」が始まってしまってはもう。
ジョアナとクリスマスの関係がぐずぐずに崩れていくことと、ジョアナが神に縋りはじめたことは綺麗に対比していて、彼女たちが終わりに抗う様に胸を痛めては、私が代わりに神を責めたいくらいの気持ちになります。
このあと、情に絡めとられた二人の関係はだんだん取り返しのつかないものになっていき、ジョアナがクリスマスの子を流産してしまったのをきっかけに(はっきりとは書かれていないのですがそういうことでしょう)、二人は二人にとって最もよくない方向へ進んでいきます。 ジョアナが(おそらく、持てなかった子のかわりとして、あるいは関係の変化をもとめて、)クリスマスに教育を受けさせようとし始め、加えて信仰をも強制し始めたのは痛ましい姿でした。自分の伝手とお金を使ってクリスマスに大学に入り法学を学んでほしいと。私たち二人でよいほうを見ようよ、と。引け目を取り除いて、今よりよい二人になろうよ、と。 クリスマスの養子時代のトラウマを蘇らせるには十分すぎるほどです。それに、ジョアナのこの行いは、クリスマスに対して「今のあなたでは私にとって不十分だ」と突きつけることにほかなりません。クリスマス自身が望んだこともなかった学びを一方的に与えようとすることで、お前は不学の者だ、という烙印を捺したのです。 もうだめでしょう、この関係は。互いが互いにとって望ましくないことをすることしかできなくなってしまった。ジョアナも本当は、そんなことはとっくにわかっています。
女はベッドに横むきに倒れ、彼を見あげてその血の出た口から、「あたしたち二人とも死んだほうがいいらしいわ」といった。
とても苦しい。愛というのはどんなに繊細に気をつけても必ずこうして終わってしまうのかもしれない。 二人が幸福になりたかったのかどうかはわかりません。でも、二人でいたかったから何とかして離れずにいられるよう手を尽くして、けれどその手を誤ってしまって、そうしてだめになってしまったのがあまりにもやるせない。彼らは間違えたのではなく、誤ることしかできなかったのでしょう。 ジョアナは、だめになるならばそれでも二人で、と覚悟を決めていましたが、クリスマスにはその覚悟は持てなかった。 ある夜、いよいよクリスマスはジョアナと殺し合うことになり、彼女を殺して茫然自失のまま逃走します。翌日には家も燃やしてしまう。そうして殺人の罪で追われる身となります。
それでも彼には旧式拳銃の二個の弾丸入りの薬室が見えたようであった。一つはすでに撃鉄が落ちていたがしかし不発のままであり、もう一方は撃鉄が落ちてはいなかったが落ちる準備はできていた。「あいつは俺と自分の両方を撃つ気だったのか」と彼は言った。彼は腕を引き、そして投げた。ピストルが草の茂みの中で何かに当る音が一度だけ聞えた。それからもう何の物音もしなくなった、「俺と自分の両方をな」
まだ半分かよ(ここまで372ページ)
かなり割愛しながら書いているつもりですが、1万字書いてもまだ物語が半分しか進んでないのすごいな。本当はもっと緻密に読んでいくべき本なのでしょうが(人物の発語を「思考の流れ/現実に口にしたセリフ/脳内の会話および独白」に形式的に表現し分けてるの何だよその分類って感じだし、その書き分けもルールがあるように見えて無いのを分析しながら読むとおもしろい。案外テキトーなんだと思います)、細けえこたあいいんですよ。私はテーマについて話したいからテーマについてだけ話し続けます。
いまWikipedia見たら「この作品の主題はおそらく孤独感である」って書いてあったけど、 待って、何? なんて?
んなわけなくない?
人間が孤独であることは単なる事実であってわざわざテーマにするまでもない当たり前のことです。あんなに濃厚に人物の人生を書き上げるフォークナーほどの書き手がそんな、「東京には東京タワーがあります」くらいわかりきったことをテーマに据えるわけないだろうが。孤独は主題になりえないただの事実だ。Wikipediaの筆者よ、孤独を了解しろ。 疎外感はそれはそうかもしれませんね。疎外感には普遍性はないので。クリスマスが「実存主義的人物」ってのは実存主義を読み違えておられませんか。決定論における読みや同性愛についての指摘に対しては、まあなんか、気持ちはわかるよ。テクストというのはいろんな読み方ができますよね。時代や価値観に従って色々な読み方をされるところまでがテクストの宿命。
うん、色々な読み方があるよな。そうだよな。否定してごめん。ちょっと疲れてました。あなたはあなたの人生を好きに生きて。私は私の人生を生きます。さよなら。 はー。正直ちょっと登場人物に入れ込みすぎて書き疲れてきていましたが、Wikipediaを読んで元気になったのでもう少し続けます。Wikipediaはいいな。広場っぽい。ありがとう。募金しときます。
というわけで後半に続きます。
(2020/05/12 10:39)
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二〇〇八年の断片集
これは二〇〇八年の断片を集めたもの。二十三歳から二十四歳の記録。二〇〇九年の断片集もある。
七月
何も読まない人は幸いだ。
眼鏡をかけないとほとんどの女性は美人に見える。
金持ちも貧乏人も、感じられる幸せの容量は同じだ。
長く話す人は思慮が無く、短く話す人は愚鈍である。
法律が増えれば増えるほど犯罪は増える。
男は学問をしないと莫迦になる。女は学問をすると莫迦になる。
真面目に生きようとすればするほど不真面目に生きざるをえなくなる。不真面目に生きようとすれば人は自然と真面目になる。
八月
同期の女の子たちが下宿に来たとき、大きな蜘蛛を見つけ、「早くやっつけなきゃ」と言った。でも私は殺さなかった。全ての命は尊い。だからこそ、それを奪うには快楽を求める心が必要だ。恨みや嫌悪感や投げやりな心で命を奪ってはならない。それが命への礼である。
駅前に昼飯を食べに行って戻る途中で中学生くらいの見知らぬ少女に「こんにちは」と挨拶をされて、私は「おっーす」と返事をした。よく日焼けしてぽっちゃりとした女の子だった。記憶にない。
女性の先輩職員。良く言えば女性的、悪く言えば女性的。
大いなる誤算。知的障害児に興味はあったし、今でも興味はある。しかしそれは文学的な興味であって療育への興味ではない。
もし私が心から愛する女性がいるとすれば千人の男に抱かれた十四歳。
人生は無為だ。日本全土を巡る放浪の旅をするか、インドネシアに移住するか。
日々の生活に倦怠を感じたら何かを創作して形に残す。物語でも、絵画でも、音楽でも。それが子供である必要はない。
もっと野菜を食べよう
電車内での痴漢がなぜ罰せられるのかというと、痴漢は数百円から数千円で買うべき「服の上からの臀部の愛撫」や「下半身への性器の擦りつけ」などといった行為を無銭で楽しもうとしたからだ。すなわち痴漢は窃盗と同じ種の犯罪である。同じ理由で強姦も強盗と同じ種の犯罪であろう。
もし誰かが他の人に「あなたの好きなタイプは何?」と質問した場合、質問者は、回答者が異性のあるタイプ(イデア)を追求するために異性とつき合うもののだと予め規定してしまっている。実際には様々な異性の違いを楽しむために異性とつき合う人がいるというのに。そういう人間にとって「好きなタイプ」を定めてしまうことは無意味で味気のない行為だ。例えば私が「好きなタイプは?」と聞かれて「双子」と答えるのも双子の微妙な違いが好きだからに他ならない。
聞いた話によれば博多は結婚適齢期の独身女性が同年代の男性より多く、若い女性にとっての激戦区だという。或いは独身志向が強いのか。
男は、彼自身に興味のある女を賢いと思い、彼自身ではなく他の男に興味のある女を愚かだと見なす。だから全ての女を愚かだと断定する男は、どの女にも好かれていない、と思い込んでいるのだ。
私は他人の肉体を物質としか見なせない。例えば美女の肉体は何か貴重な物質であり、臭い男の肉体は何か臭い物質である。舌、唇、鼻、耳朶、乳首、陰唇、いずれの他人の肉片も博物館に保管されてしまう。
もし婚約者が元娼婦であっても結婚を完遂できる原動力が真実の愛だとしたら、私は純潔の処女ですら愛さない。
私は思う。仕事が嫌であればあるほど休暇の浮遊感は大きくなる。これは余暇を楽しむ為だけに労働している私にとって、都合の良いことではないか。まとまった休みが定期的にとれて、しかもその余暇が楽しいとしたらこれほど私に合っている仕事は無いんじゃなかろうか、と。
久しぶりに共感できる主人公トマーシュを見出すことができた。彼のように軽く生きたい、その軽さに耐えられないくらいまでに。
どんな社会体制であろうと、それが大勢の人間が集う社会という形式をとる限り、それに馴染めない人間が必ず存在する。そんな人間がとりうる手段は二つ。浮遊するか、絶望するか。あらゆる革命と変革は彼らとは無関係に為されている。
多くの若手経営者は織田信長を崇拝するが、そのうちほとんどの経営者は信長的人物を社員として採用しない。
職場の上司であるA係長は「結婚相手は妥協で選ぶな」と言うが、彼は自分が妥協で選ばれたかもしれない可能性を全く考慮していない凄い奴だ。
文学は少年期の私をどうしようもなく破滅せしめ、青年期においてどん底より救いたもうた。
女性と一緒の職場で、かなり動く仕事なので、よく乳房を触る。私は謝らない、気付かないふりをする。女性が「すいません」と謝ると惚けた顔をして軽く会釈を返す。
娼婦を尊敬できない男はあらゆる女を尊敬できない。
理想の老後。自営業か自由業で京都近郊に住む。東京近郊に、離婚した最初の妻との間に作った娘が夫と住んでいる。一年に一回だけ、娘を訪れる。私は彼女の子供たちから「京都のおじちゃん」と呼ばれ不思議がられている。というのも彼らにとっては三人目の祖父だから。週に一度、五條楽園に赴く。月に一度、長旅に出る。読書は欠かさない。
子供が欲しい、と私が思うときに浮かぶ光景は、一ヶ月に一度、裁判所が許可した時間だけ、まだ幼い娘か息子とレストランで会食し、帰り際にすぐ飽きられることが分かっている玩具を贈る場面。娘であればベッドに並んで忘れ去られる熊のぬいぐるみ。「何であのおじちゃんは熊さんのぬいぐるみばっかりくれるの?」小学生に上がったら絵本にしようかな。
もし私に、成人して未だに童貞の息子がいれば、かつてボルヘスの父がしたように、売春宿へ息子を送ろう。そんな理想の家庭を思い浮かべる。
恥骨が痛い。
美女や美少女をよく見かける街は美人が多いのではない。女性が街を歩いても安全な街なのだ。
人間が知覚できる事象はこの世界の極僅かなことに過ぎない。感覚が鋭敏であればあるほど、その人の知覚世界はより色彩に溢れ音楽に満ちて起伏に富み揺らぎ歪み傾いでいる。現代人が霊的存在について余り語らないのは、現代生活が感覚を鈍くさせているからだ。しかし火はいつまでも物質の揺らぎ、すなわちこの知覚世界の裏側に干渉し続けている。人よ、火を燃やせ、世界を超越せよ。
既に自分が正気と呼ばれるものを喪い、狂気の領域にあることを、数年前から���々と気付いている。
職場での私は人生の裏を生き、休暇中での私は人生の表を生きる。
私は女性と議論をしない。いくら言葉を交換しても、お互いの思想と志向の違いを再認識するだけだからだ。そしてその段階に至った場合、私はその違いを知ることに興味が持てない。だから私は言う「女性と交換すべきは言葉ではなく、体液のみ」
今一番やりたいこと、中学生のときからの夢。どこからか女児を捕獲してきて、押し入れの中で飼育、調教し、優れた女性に育て上げること。
人間存在の悲劇を噛み締めた。
九月
福祉業は風俗業と同じで、水のような商売である。仕事の結果は形にならずに流れていき、客の記憶の中にだけ残るのだ。
新入社員の陥り易い思想的誤りは、自分に上司を殺害する権利があると思い込むこと。
法律で私の体を罰することができても、私の魂までは罰することができない。
今の仕事を続けるくらいなら、一九四五年四月初頭に大ベルリン防衛地域司令官に任命された方がましだ。
給料とは、働いたがために心を蝕むようになった苦しみと失った幾らかの正気の代償として労働者が得る金銭のこと、サラリー。
子宮のない女性は男性にとって「性の試験管」である。
中絶禁止も同性愛禁止も獣姦禁止も自慰禁止も旧約聖書創世記第三十八章第九節でのオナンの行為に対する第十節での主の怒りに由来する。しかし、人類はもう子種の浪費を許されるほどに殖えたのではないだろうか?
放浪の旅に出たい。
白地で絵は描かない。すべて黒地の上に描く。
若いときの苦労と快楽は買ってでもせよ。
もし私と結婚して離婚を言い出さない女がいたら、私は彼女の理性を疑う。
「今朝は強姦したかい?」が朝の挨拶代わりになるような都市。その都市でそう挨拶されたのなら私は快活に答えよう「ああ、今朝は女児を二人だけだ」
男根のない男性は女性にとって「お払い箱」だ。
中学生のころはサド侯爵の書く小説の倒錯的な場面を読んでよく興奮したものだが、今読み返��てみて、その哲学的記述には感心するが、倒錯性は何も感じなくなってしまった。すなわち、勃たないのだ。
三日に一度は射精しないと健康に悪いそうだ。
女性に懸案事項の説明を請われて私が説明すると、大抵の女性は「私さんは私のせいにした」と非難する。単に私は事実を述べただけなのに女性に内在する被害妄想癖が私を卑怯者に仕立て上げるのだ。ゆえに私は説く「女性と交換すべきは言葉ではなく、体液のみ」
生理痛による発言ならしょうがない。
早稲田大学に通っていたころの記憶が、今は全くない。
私の働くK学園では誕生会と称してその月の誕生者を祝い、誕生カードを送る。先輩職員方はカードに百文字くらいの感動的な文章を綴る。けれど私は、文字は「おたんじょうびおめでとう」と名前くらいで、あとは動物の絵を大きく描く。先輩職員はそれを見て「文字が少なすぎる」と注意する。おかしい。園生は文字が読めないか読めても読み辛い人が殆どなのに、文字を多く書くのは保護者向けに書いているからだ。なんだかんだ偉そうなことを言ったって職員連中は知的障害者のことを考えていないのだ。
産まれるまで気づかなかった。生きることがこんなに大変だったなんて。
少しまともな知能を持っていれば理解できると思うが、この福祉社会は健常者と障害者にとっては生きやすいけれど、その中間に生きる半端者にとってはまことに生きにくい。
放浪に備えて知能指数七十前後の話し方を習得しなければならない。そうすれば同情や施しを得やすくなるだろう。
人の性格はその人の祖先の生業から遺伝を受けると考える。私の祖先は今昔物語にも載せられた鈴鹿峠の山賊であった。すなはち略奪・狩猟・採集・漂泊を生業とする山の民だ。福祉職なんて性分ではない、放浪者こそ最もふさわしい。
職場で大事なことは飲み会や余暇活動などで自分の味方を増やすことであり、それは私が最も苦手とすることだ。むしろ得意とするのは敵を増やすこと。
職場の人間がみな緑色の眼で私を見ている。奴等はまともな人間じゃない。
もしこの学園の職員のまま死んだら、悔やんでも悔やみきれない。
A係長に「やめちまえ!」と罵られたのだから今すぐ辞めても構わないだろう。むしろ辞めた方が有難く思われるはずだ。邪魔な奴がいなくなったと。
「すごい着想力ですね」と言うところを「すごい着床力ですね」と言ってしまった。
失踪を決意した次の日の職場の奴等はなんだか心優しい。
看護婦さんの注射が上手くて、少しも痛くなかった。
心を鬼とせよ。奴等は飢えた猛獣だ。おまえの臀肉を狙っている。
失踪して、日本中の山々を彷徨する。歩兵第三十一聯隊の福島泰蔵大尉が私の師匠だ。
人類は幼形成熟であり全て人類は成形(天使形態)に変態する寸前で死ぬ、という幻想。天使の蝶
地球を覆う現代文明という代物は、依存症ないしは文学的な意味での依存から成立している。
全ての人類が物質的依存から解放され流浪の旅に出た瞬間、現代文明は衰退し、文化とほとんど差の無い放浪文明が萌芽する。
私にとって「衰退」は悪い意味を持たない。なぜなら「進化」と「退化」は「変化」の類義語という認識しか持ちえないからだ。
だって進歩と退歩のどっちがいいかなんて誰にも分からないだろ?
K学園では、遅番勤務上がりの二十二時からミーティングが開かれる。クラスミーティングは三人の担任で開かれ、係長ミーティングは三担任に係長を加えて開かれる。留守録によれば、昨夜ミーティングがあったらしい。でも私はそのことを知らされておらず、その時には疲れ果てて自宅で寝ていた。これが昨今の事態の本質である。同じクラスの先輩職員は新人の私に満足な情報を与えず、それでいて私が「ちゃんとやっていない」と罵るのだ。先輩職員は「分からないことは聞かないとこちらも教えることができません」という態度だが、超能力者でもない私にはいつミーティングが開かれるかなんて知るよしもない。
どいつもこいつも腐りきっている。
九月十五日、新宿駅で下野国住人エーリク氏(「沈黙のソネット」)と出会い、神保町で昼飯を食べて東京駅で別れた。思考する脳と発話する舌の相違の甚だしさが一つの人格を形造る。
たったそのことを理解するだけでこんなにも親しみが湧くというのに。
必ず連絡しよう。
判断を中止してください。理解しようとして下さい。
ひとつの職場やサークルや組織に長くいるということは、陰口を叩かれる人から陰口を叩く人になるということだ。
管理職とは判断しなければならない職務だ。部下の人格さえも、誤解とともに。
仕事をすると人生が色褪せて見える。
曉の空は美しい。夜が怒りと悲しみに溢れていたからこそ
おまえは妊娠したての子宮に夫以外の陰茎を突き立てられて、なんとも思わないのか?
青年は旅の人。道連れは記憶だけ。
映画「Into The Wild」を観た。すなわち「Into The Mind」だった。
新宿を歩く人々は本来の美しさを失っている。
十月
現代文明世界はアリストテレス的人間観の上に立脚している。故に、私のようにポリス的動物であることを捨てて放浪し無宿、社会常識に則った思考は不可能であるために言語的思考のみを行うことで価値の変造をもくろむ「獣」はやがて排除される。
ただし、ディオゲネス的世界市民主義が台頭するのであれば話は変わってくる。
資本主義の豚どもよ、犬となれ!
犬どもよ、広場で自慰をせよ。
本当にエコを実現したいのであれば、冷蔵庫も車もクーラーもあらゆる文明機器を捨ててディオゲネスのように生きればよい。それ以外のエコは全て偽者のエコだ。
真実のエコは全人類の穏やかなる自殺である。
たぶん、文明機器を捨てた現代人は、亡命先で奴隷マネスに逃げられたディオゲネスのようになるだろう。
「おかしな話だよ、マネスのほうはディオゲネスなしにも生きていけるが、ディオゲネスのほうはマネスなしでは生きていけないだろうとすれば」
文明社会とは人間をひたすらに脆弱な動物にさせる機構だ。もう二度と野生には戻れないほどに。ここでは人間はひたすらにちっぽけになるだけだ。
青年よ、常に己の中の獣を調教しておけ。そしていざという時には牙を剥き、爪を立てて、おまえを侮辱した奴らに目にモノを見せてやれ。
かつて大学時代に海驢という女に言い寄られた季節のことだ。ふと私の中に「あの女に会いたい」という感情が起こった。その感情を確かめるために、私は自慰をした。すると面倒くさくなって余りその女に会いたくなくなった。私は重ねてもう一度自慰をした。すると全く会いたくなくなった。二、三日して袋に種��満ちると再び私の中に「会いたい」という感情が芽生えた。ゆえに私は結論付けた。恋愛とは性欲の文学的表現に過ぎないと。
私と彼女とは違う地平に立つ人間であった。前者は「人間の地平」に立ち、恋愛は蔑ろにしても人間は尊んだ。一方、後者は「恋愛の地平」に立ち、人間は蔑ろにしても恋愛は尊んだ。そのため後者は私にメールで別離を告げた上に自意識過剰な主張を何度も送りつけて来た。彼女流の恋愛観ではそれが至極正しく、真っ当なことのように思えたのだろう。それに対し前者はあくまでも人間としての防衛線を保つことしかできなかった。
彼女は自分の精神的あるいは肉体的欲求を充たすためだけに私を利用したにすぎなかった。そのために「恋愛」という文法を用いた。それに対し、私は人間であるという前提の上に立っていた。ゆえに二つの歯車が歯をあわせることはなかった。
『百年の孤独』のブエンディーア一族は愛なくして繁殖した。一族の最後の者は叔母と甥の近親相姦によって産まれたためにその呪いとして豚のしっぽを持って産まれ、蟻のむさぼるところとなった。しかし百年に及ぶ一族の歴史の中で「豚のしっぽ」は初めて愛によって産まれた子供であった。
『百年の孤独』は単行本を三冊買い、合わせて六回読んだ。私が長編小説をここまで繰り返して読んだのは他に例のないことだ。
琉球美人は琥珀色の肌、引き締まった細い肢体と小顔を特徴とするけれど、秋田美人は朱を散らした色白の肌、ふくよかな肉体と顎先を集約点として突き出た面長を特徴とする。
選びがたく、悩ましい。
一夫一妻婚という制度の発明は多くの人間を罪人とした。つまり、一夫一妻婚という制度を継続する限り、社会は姦淫罪を量産せざるをえないのである。
法律の数だけ、罪がある。
あらゆる家庭の災厄は、一夫一妻婚が生んだ。
一夫一妻婚が形作る「家庭」は、ある種の子供たちにとっての牢獄である。
私にとっても、「家庭」は牢獄だった。
ディオゲネスは人間をよく理解していた。ゆえに彼は結婚を否定した。そして、彼は女性の共有と当然の結論としての子どもの共有を主張した。
女が産んだ赤ん坊の父親が誰か、なんてことはどうでもいいじゃないか。
私は沖縄から奄美に至る航路で、仰向けに寝ながら「死の恐怖」を超越した。超越したとき、肩から背中にかけて熱いモノが走った。目からは涙が溢れ、こめかみを濡らした。
そのとき、私は一度、死んだのである。
「死の恐怖」は小学二年生の私を捕え、十五年に及び、私の心を鷲掴みにして離さなかった。それは常に無感覚への恐怖、偉大なる世界が消滅することへの恐怖であった。
死によって他人が私を忘却するとか、そういったことは恐れなかった。「死への恐怖」はきわめて個人的な問題であった。
死後に感覚があるのならば、人間はその新しい感覚で永遠を生きるだろう。もし、死後に感覚がないのならば、死は何ら思い悩むことではない。マルクス・アウレリウス・アントニヌスの思想の私なりの解釈である。
「死への恐怖」は克服した。しかし、私はまだ完全に「死」んだわけではない。
今までは常に捕われてきた人生だった。これからはこちらが捕える人生である。
蟹田駅で特急に乗り、青函トンネルを通って木古内駅で降りた。すると、もう電車がなかった。しょうがないので駅近くの公民館の前で野宿をした。二十三時に寝て五時に起きた。小雨が降っていて、寒かった。吐く息が白い。
北海道では寝袋の下にアルミシートを敷いて大地に体温を奪われるのを防がないと危険���。今の寝袋は零下十度まで快眠、零下二十度まで生存できるそうだが、零下二十度でも快眠できるようにしたい。
『闇の左手』の、アイとエストラーベンの氷原越えを復習しよう。
北海道の面積はオーストリーより広く、北海道の人口五六〇万人はデンマークより多く、道内総生産額GDP約二十兆円はマレーシアやチェコよりも大きい。また、道内の陸上兵力は三万七千人でベルギー・ポルトガル・南アフリカ。キューバの陸軍と同規模である。そして道内だけの食料自給率は二百パーセントに届こうとしている。
北海道は数値上では充分に一国として独立できる。独立後の国名はもちろん「アイヌモシリ」、人間の大地。
私は、その大地を歩く。
さすがに放浪する資金に先が見えたので札幌市南区澄川にアパートを借りた。
まだ鍵をもらえない夜に、不動産会社の女性社員が自宅に泊めてくれた。北海道の人はやたらと親切だ。
ちなみに私は女性社員宅で、晩飯を食べてから朝までいびき一つかかずに熟睡していたようだ。
どうやら寝言の癖は治ったらしい。
PHSを買った。
もし宇宙の果てまで行けるという宇宙船があるのならば、地球上で想定しうるあらゆる幸福を諦めてでも、私は宇宙飛行士になる。
そして、私の死体は永遠に宇宙をさまようだろう。
ある人が言っていた「全ての女性は男でふさがっており、あぶれた男は彼女たちの体が空くのを待っている」という感覚を今日、はじめて味わった。
那覇の人と札幌の人は語尾に「さー」をつける。なぜ?
ちなみに私は一日の大半を欲情して過ごし、半日は半勃し、四分の一は勃起している。というのも私の神経はズタズタになっていて、脳が異常なまでに興奮物質を分泌するからだ。
物理的に、私は「狂人」である。ゆえに小学4年生の私を「気が違っている」と評したあの女性教諭は正しかったのだ。
まず買わなくてはいけないのは掃除機、それと便座カバー。
尊大な解釈だが、中学生の私は自分のことを「桁外れの出力で凍結してしまった電算機」に喩えていた。今ならさしずめ「お祓い箱」と喩える。
大した運動もしないのに疲れやすい人というのは、たいてい脳内で体力はおろか生命力さえも過剰消費しているものだ。
ハローワークで調べたところ、私の適職は技能職か芸術家だという。
北海道のスーパーでは玉ねぎとじゃがいもがそれぞれ一個十円で買える。食うのには困らなそうだ。
中古パソコンを買った。ネットを繋げば、さぁさ始まる楽しくも愉快なNEET生活。
野菜を凍らせないために冷蔵庫を買った。
近所の澄川若草公園のベンチに男子高生が腰掛け、女子高生が前から枝垂れかかり、野合していた。北海道はおおらかだ。
夕方になると近所でやたらと陸自将校を見る。昨日は将校さんがスピードくじを買っていた。
今、私の中で福満しげゆきが熱い。
『コレラの時代の愛』を手に取った途端に涙が溢れてきた。さすがガルシア・マルケスである。本を持つ者にも訴えかける。ましてや読む者へは。
宇宙の最果てを超え、宇宙化以前空間の有り様を地球に報告する使命を帯びた超光速航宙船「エスペラント」
推進機関は決まっている。原子力だ。
はてさて、膨張しているという宇宙の辺涯はどのようになっているのだろう?
乗組員は地球に未練のなくなった七人の若者、日本国から二十八歳、タンザニア人男性二十五歳、イスラエル人男性二十三歳、フランス人女性二十七歳、インドネシア人女性二十五歳、ペルー人女性二十二歳、国籍不明少女十九歳。それと修理用ロボット三台。
航宙船の大きさ、全長二四〇メートル、幅三〇メートル。乗組員は訓練により、航宙船を自力で組み立てることが可能である。
船内には恒星熱で駆動する五つの栽培室、三つの畜産室、三つの水槽室があり、その他にも食料加工機が装備されている。船内で半永久的な食料生産が可能である。
凍眠室では肉体を凍結することで老化を遅らせることが出来る。しかし完全に止めることはできない。
この銀河は今、宇宙のどのあたりを漂っているのだろう?
船内の娯楽は様々で、読書・運動・遊戯・音楽・絵画など地球上でできることはほぼ船内でできる。
これは娯楽というより使命に近いが、性交が七日おきに違う相手と行われる。ただし自分の遺伝子を継承した異性とは性交しない。
宇宙化以前空間についての報告書をまとめるのは私の何世代か後の子孫になるだろう。
図書室には地球人類の叡智の集約である五十万冊が書籍と電子文書とで保管されている。
本の記述言語も船内共通語も人工言語である。
乗組員は医療知識を身に付けており、簡単な外科手術なら執刀可能である。また薬剤、輸血用血液も完備されている。
酸素は栽培室や庭園内の植物で生成される。水は使用後に循環、濾過、消毒される。糞尿は堆肥となり栽培室に回される。
トイレ、洗濯、洗浄では水を一切使わない。
航宙船は地球に帰還することはない。可能であれば宇宙化以前世界で居住惑星を見つける。
もし、宇宙膨張説が誤りで、宇宙に果てなどなかったとしたら、彼らの人生の意味とは?
いずれにせよ彼らも他の死者と同じように忘れさられるだけだ。
甜菜の糖度は水に浮かべて量る。
もし私が四十年後、人生について語るとすれば、「人生は語りえないこと」と「人生を語るのは恥さらし以外の何物でもないこと」を語るだろう。
大朋めがね、最高。
よく映画などで「この街に知り合いは誰もいない」なんて主人公が出てくるけれど、今の私がそれだ。
「マシニスト」はけっこう凄い映画。
昼下がりの真駒内公園は心地好いが、日が翳ると寒い。
カレーはインド人にとっての味噌汁である。
私の安アパートの一階には若い女が二人の幼女と住んでいる。1Rに女三人、そして幼女のうちの一人は養護学校に通っている。見たところ知的障害ではない、身体的な障害だと思う。
私は酒を飲まないし、酒が嫌いだけれど、時々飲みたくなる酒がある。一つは黄酒、もう一つはサングリア。そして大抵すぐ飽きる。
ローマ帝国時代は葡萄酒を水割りしないで飲むことは下品なことだった。
葡萄酒一に対し蜜柑果汁を三か四の比率で混ぜ、小さく切ったバナナを入れて冷蔵庫で冷やして飲む。これが我流サングリア。底に残ったバナナが一番おいしい。
日本の宗教、寺院や神社が信仰を失った理由は落ち着いて座れる場を市民に提供しなかったからだ。私もそうだが、現代の若者で休日に仏前や神前の座敷へ行き、無料で何時間も座っていられる者は何人いるだろうか?
ポテトチップスを食べながら歩いていたら四羽の烏が数キロメートルも私の跡をつけてきて、途中で烏同士の縄張り争いが始まった。ブランコに乗った女児が、烏の襲撃から走って逃げる私を見て笑っていた。
まだ仕事が決まらない。やはり職業適性診断システムの通り、「工」のつく職業を目指した方がいいのだろうか?
そうだ。私は稼業に生き甲斐は求めないのだから、工場の歯車になることに悔いはない 。
そういえば、小学生のころの放課後は主に炬燵で横になってテレビを見ていた。学校生活で甚だしく疲労していたのだ。
人と向き合う仕事ではどうしても甚だしく疲労せざるをえない。
近所から藻岩山が見えるけれど、どうやらそこで初雪が観測されたらしい。もう札幌は冬だ。
こんな自堕落な生活がいつまで続くのだろう?
「命の続く限りだ」
日能研札幌が私に試練を与えた。小学五年生のテキストを使って模擬授業をして、出来が良ければ私を雇うというのだ。
真冬日の存在にびびり、紅衛兵が被るような帽子と電気ストーブを買った。
夜間の水抜きは十二月から始めよう。
札幌市中央図書館へ行く。蔵書は充分ではないものの悪くはない。
岩明均は古代ギリシャ世界に主題を置いている。塩野七生は中世イタリアが主題だった。赤羊は十九世紀のヨーロッパに主眼を置いているという。私も時代と地域を特定した主題があるといいなぁと思っているけれど特に思い浮かばない。
まぁ私には「帝国」という物語世界があるし。
敢えて言うなら、二十世紀エスペラント運動に携わった奇特人を取り上げると面白そうだ。
母の私への愛情が、一般の母子愛のようなものではなく、所謂「共依存」の一方通行であるならば、これまでの二十四年弱を説明しやすくなる。
十一月
戦争がなくて女性を共有できて食べる物に困らず各成人に満足な住居が割り当てられ、言論と思想と信教の自由がそこそこあり、働けば働いた分だけ暮らすのに困らない給料を貰えて老後は年金が保証され、学費と医療費が無料の国。それが私の政治的目的だ。
つまり空想的社会主義。
それと人類人主義だか世界市民主義だかよく分けられない個人のあり方が私の基幹思想だ。
よって、ここに「空想的社会主義人類人党」を掲げる!
政権交代は選挙によるもの、そして政体の転換は民主的な投票によるものが好ましい。
思想を根拠とした暴力と殺害は厳しく禁止する。
キリスト教的異性独占行為である結婚制を廃止し、十八歳以上の労働者あるいは学生である男女が抽選で定められた相手と三日毎に共同交配所で生殖行為をする交配制を敷く。妊娠から出産までは人類人政府が完全に支援し、交配に因って誕生した父親不明の子どもたちは人類人政府が「人類の子どもたち」(filoj de homaro)として十八歳まで養育する。ただし母親は六歳まで自分の子どもを育てる権利を有する。もちろん義務ではないので育児放棄も可能だ。
同性愛者は「特殊交配所」を利用できる。
「人類の子どもたち」への教育は「人類人主義」(homaranismo)と「性欲の賛美」に基づいて行われる。
資本主義的異性寡占行為である恋愛の宣伝行為や過剰な恋愛賛美は個人的な趣味と芸術的表現以外ではこれを制限する。
いかなる場所であっても人類人は抽選で定められた相手以外の人類人との性交を禁止される。十三歳以上十八歳未満同士の性交、及び十三歳以上十八歳未満の「人類の子どもたち」と人類人との性交は性欲の解消と自己存在の確立のための行為としてこれを許可する。
すべての人類人は共同食堂を有する共同住宅が付与され、その見返りとして都市部では共同職場、近郊部では共同工場、農村部では共同農場にて労働する義務がある。
労働には対価として報酬と七十歳以降(もしくは退労勧告後)の年金が共通通貨ステーロ(stelo)で、そして交配する権利が与えられる。労働者及び退労者は医療費が無料である。
十八歳で全ての「人類の子どもたち」は人類人となる。人類人になった次の一月から、人類人は希望とそれまでの学校成績、そして試験を考慮した上で各種大学校に入学できる。そこで四年間、学問或いは職業訓練などに励む。学費は無償。もちろん、大学校に通わずそのまま労働者となる選択もある。
共同住宅での居住が困難な各種障害者は共同食堂を有する共同施設に入所でき、施設付属の工場や農場での労働を行うことによって労働者と同じく報酬と年金を得ることができる。もちろん交配する権利も与えられ、その対象は障害の程度により共同施設内の異性と施設外の異性とに分けられる。
刑務所では付属の工場や農場で労働している者に限り報酬と年金、そして刑務所内の異性と交配する権利が与えられる。
共同交配所は感染症の恐れがない限り、病院の患者も利用できる。
全ての「人類の子どもたち」はエスペラントを国際補助語として学ぶ。また全ての「人類の子どもたち」は各人の母語によって教育される権利を有し、母語による教師のいない学科は国際補助語エスペラントで教育される。第一外国語、第二外国語以下の外国語は個人の選択によって決定される。
共同住宅は一棟につき三十~五十戸(三十人から五十人)を収容し、共同住宅が十棟前後集まって一つの島を形成する。そして島が幾つか集まって区が形成され、区が幾つか集まって行政単位として、都市部の市、近郊部の町、農村部の村が形成される。区が設けられない場合もある。共同交配所は島単位で運営される。
人類人政府が統治する領域内で、島から島への移動は自由である。すなわち「空想的社会主義人類人共和国、日本群島」東京市世田谷区第三粕谷島第五棟第二十三号から「空想的社会主義人類人共和国、パリ盆地」パリ市第三区第十八島第一棟第十二号への移住は共同住宅の空きさえあれば誰でも可能である。必要なのは法律的処理と引越し作業だけだ。
移住先での行政サービスは母語で行われる。不可能な場合はエスペラントが用いられる。そのため人類人政府が統治する領域であれば善き人類人はどの共和国のどの島へ行っても行政サービスの内容を理解することができる。またどの人類人政府でも共通通貨ステーロ(stelo)が用いられているので、身元証明書と共通通貨を携帯していれば人類人はどの人類人政府へも簡単に旅行することができる。
死ぬと遺体は共同墓地に葬られる。遺産は全て人類人政府が没収し、家財道具は再利用される。
地球があますことなく全て空想的社会主義人類人共和国によって統治されたとき、(自己主張が激しく自意識過剰な反体制者どもは未だに音楽やテロで抵抗しているのだろうが)現生人類は己の種族の性欲の激しさに驚くことだろう。
複十字健診センターで肺のレントゲン写真を撮った。
私は中一から中三までツベルクリン反応は全て陰性で、そのためにひどく膿の出る注射を六回射った。
体育祭の度に注射されたところが膿んでぐちゅぐちゅになるので、体育祭の練習は嫌いだった。
それほど嫌な思いをしたのに、結核にかかっていたら笑える。
子規も啄木も同じ鳥のことを表す漢字だ。その鳥の口の中は赤い。
まるで結核患者の吐血のように。
札幌の地下鉄には網棚がない。
私は幼稚園に年中組から入った。そして最初の登園日に幼稚園のおもちゃを家に持って帰った。もちろん私に悪気はない。誰も「持って帰っちゃダメ」とは言わなくて、家でもそのおもちゃで遊びたかったから持って帰ったのだ。
私はそういう子どもだったし、今も多分にそういう人間だ。これを我が儘と呼ぶのは勝手だが、私は自身を「暗黙の了解のわからない人種」だと解釈している。
悪いのは「暗くて黙っているのになぜか了解している人種」だ。黙っていないで話せばいいのに。
シャルル・フーリエの『四運動の理論』を読み始めた。愉快だ。
十二月
買ってあったのに神聖なるアスパラガスを食べ忘れていたため、尿が臭い。
北海道の靴底は内地と違うらしい。
鶏の心臓と肝臓が半額だったので臓物カレーを作った。まずかったし、臓物である必要性がなかった。
半月弱だけ働いた九月分の給料が六万円だけ振り込まれていた。時給制の契約社員だから当然だが、奇特なことよ。
それでドミノピザを頼んだら、配達員が茶髪で小柄で猫を連想させる女の子、アキモトさんだった。お釣りを数える指先のたどたどしさがバイト経験の薄さを物語っている。思わず「ゆっくりでいいよ」「ご苦労様」などと優しい声をかけてしまった。
これが逆の立場であれば、私はアキモトさんの食べるであろうピッツァの上に己の白濁精子をバタァの如く振りかけたであろうに。
水商売とは「やったことが形に残らず水のように流れていく商売・仕事」の意である。
「福祉業は水商売なんです」と某知的障害児施設の幹部が言っていた。
かつて医師であった渡辺淳一が小説家になると決めたとき、母に「そんな水商売はやめなさい」と言われたという。
しかしよく考えれば、小説家の仕事は文章という形で残される。もし医師が医学研究を行わなければ、接客業である医師の方こそ水商売である。
水商売と非水商売のと境界は生産物の永続性や仕事の複数性について思考せざるをえず、曖昧である。ゆえに水商売の定義は難しく、渡辺淳一の例のように単なる負の意味を持つ言葉としてしか使われていない。
第三次産業はそもそも水商売である。
映画「レッドクリフ」を観た。「赤壁」に非ず。
九月までハリウッドのアクション映画だろうと私が思っていたのは事実だ。
蜀三将が強すぎて、かつ格好良すぎる。
官渡の戦いと赤壁の戦いは三国志の二大盛り場だけれど、まだ三国鼎立はなっていないんだよね。小学生のころは赤壁の戦い時の情勢がよくわかっていなかった。
中村師童(甘寧)が頑張っていた。
八卦陣には身震いがした。
規制が入って乳房は映せない。
前半は戦闘と外交の連続で、主線の通っていない名場面の羅列映画、すなわち駄作かな?と思ったけれど、お茶の場面で一本の線がすうっと引かれた。
赤壁の戦いは三国志版トロイ戦争だったのだ。
趙薇(尚香)の演技が浮いている。喜劇向きだな。
一番良かった場面は、次回の予告。次の主題は火と風だ。
この映画を観たあとの私なら一騎当千である。
滑舌が余りよくないので「公序良俗」と言おうとすると「公女凌辱」となってしまう。
ネットに繋がっていないパソコンはただのゲーム機だ。
電話窓口「私さまは、テレビの地上デジタル移行への対策はどのようになさっておいででしょうか?」 、私「テレビを買わないようにしています」
夜の狸小路は面白い。
まだ二十代も前半なのに、新しいことを始めるのにさえ「腰が重い」とは。
負けたいと願う心は知りたいと願う心である。
小麦は米より必須アミノ酸の量が格段に少ないので、パンだけで必要な栄養を摂るのは難しく、どうしても肉が必要になるのだ。
逆に言えば米は必須アミノ酸を多く含むので、一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べただけで栄養は充分なのだ。
日本人女性が段々と痩せ形になったのは食事の洋風化のお蔭なのだ。
中古冷蔵庫のホース接続部から水が漏れるので調べたら、ゴムが弱くなっていた。仕方ないのでヨドバシカメラで四七二円の替えを買って付け直した。
じゃがいもを四つに切ってサランラップでくるみ、七五〇Wで三分チン。それにマヨネーズと青海苔をかけたものを小腹がすいたら食べている。二キログラムを一九八円とかで売るのが悪い。
札幌の良いところ。東急ハンズとハローワークとブックオフとヨドバシカメラとアニメイトととらのあなとメロンブックスと紀伊國屋書店とドンキホーテとダイソーがお互い歩いて行ける距離にあること。(毎日一巡している)なのに人通りが渋谷や秋葉原よりも少ないこと。
そういえば、私が高校二年生のときはアニメイトとメロンブックスは狸小路の雑居ビルの二階にあったような気がする。
時計台はいつ見てもしょぼい。でも旧北海道庁は素晴らしい。
奄美大島もそうだったけれど母娘や母子をよく見掛ける。
朝起きて、今朝は特にしばれるさーと思ったら、粉雪が降ってたさー。
藻岩山の山頂付近に雪が積もっていた。風が吹くと皮膚に刃を当てたように冷たい。
昼になると雪の粒が大きくなって降りしきる。この分だと積もりそう。藻岩山が見えなくなった。
昼過ぎにはまた粉雪に戻った。
ローマ教会は一二八二年に全シチリア島民を破門したことがある。
ガブリエル・ガルシア・マルケスの登場人物は名を替えてあちこちにいる。
ガブリエル・ガルシア・マルケスはノーベル賞受賞講演中に、スペイン語文法の単純化と文法規則の人間化、そして正字法の撤廃を訴えた。
今日、たい焼きを食い逃げした女の子に体当たりされたような感覚を味わった。
国際補助語エスペラントを図書館で借りた入門テキストで復習している。新たな発見もあり奥深い。 ベネズエラの正式名称は「ベネズエラ・ボリ��ル共和国」である。
将来日本で福祉戦争が起こる。福祉をする側(貧困層)と福祉をされる側(富裕層)の間の闘争だ。
大学二年生のころ、札幌市北区出身の友人が「そのゼミの先輩の彼女は風俗嬢なんだよ」と馬鹿にしたように言っていた。確か業種はヘルスだったと思う。
私はしかし生粋の文学青年であったので、その先輩は「本物の愛とは何かを知る男」だと感心したものだった。
世に云う恋愛には三種ある。一に肉体的征服感、二に精神的連携、三に依存。いずれも正しい。
女性や青年はこれら三種に序列をつけたがるが、本能より出る感情ではない。
もし恋人が風俗嬢の場合、肉体的征服感を主とする者は悶え苦しみ、精神的連携を主とする者は仕事を応援し、依存する者は依存し続けるだろう。
江戸時代、豪商や文人は吉原の高級娼婦を正妻に身請けしたし、仏蘭西にも『椿姫』という高級娼婦との恋愛を描いた小説がある。
何も人生は女性のために生きるのではなく、自分自身のために生きるのだから先進的な近代人たちはあまり妻の過去や職業にこだわらなかったのだ。
ましてや現代人をば。
札幌で諸兄が遊ぶとしたら薄野ではなく、南六条東三丁目の交差点を豊平橋の方へ行って右手にある二つの会館はどうだろう。
少なくともその豊平川沿いの会館群は十九時くらいから薄野の風俗店が閉まる〇時以降も午前三時まで営業している。脱法営業だからだ。今日までなら行くことはないけれど、明日の幕開けとともに始まった空白の三時間でなら行く価値はある。
カネマツ会館と五条東会館とあり、黄色地の看板で飾ってあるのですぐ分かる。共に二階建平屋風となっていて中には小さな飲み屋が軒を連ねている。
坂口安吾は高校生のときに読んで挫折したが、さもありなん。小僧っ子にはわからんさ。
手に職じゃないけれど前の住居からアクリルガッシュを持ってきたのでアクリル画を再開した。
私は全て絵画は部屋の装飾のために描かれると信じ、絵画による自己表現というものを信用していない。
掛軸はそもそも飾るものであるし、ルネッサンス期のアトリエでは壁画を製作していた。
絵画は装飾品であるからこそ芸術であり、美術なのだ。
私の部屋には本棚がなく、また買わない予定であるから、寂しい白壁が広く空いているのだ。
街のあちこちに水色の函がおかれ、滑り止めの砂が満載だ。冬支度である。
これは「常に凡ゆる断片」
私の現在の研修生という立場は気楽だ。職場へ行く義務はない、しかし職場へ行って研修するとただ呆っと座っていただけでも給料が出る。七時間いれば日給は一万を超すが残念なことに交通費は出ない。
結局、履歴書を出して面接したところ、全てに受かっていた。
大学五年間で一度も病院にかからなかったし、四、五年生のときは特に無病息災だった。それは生活が閉塞的であったからだ。しかし小学生どもと触れ合う職場ではいつ伝染されるか怖くて堪らない。
結核ではないことを証明しなければならない。
ミニシアター系の映画は気取った芸術学生や頭の悪い女子大生が「こんな映画を観る自分っておしゃれ!」と観るものと相場が決まっているが、私も観る。今日はシアターキノで「敵こそ、我が友」を観た。
私はフランス人気質でフランス映画がよく合うので、フランス映画を多く上映するシアターキノは選ぶ苦労がない。
政治はえげつない。民主制であろうが、独裁制であろうが国家が人間の集合体である限り、醜い。
クラウス・バルビーは残忍な性格だったろう。しかし悪だったのだろうか? 悪とはきっと温和な性格をしていると思う。
風呂に入らないまでも足だけでもお湯に浸らせるだけで眠り心地が全然違う。
北海道では小学生でも棒を「ぼっこ」、唐揚げを「ざんぎ」と言う。
電車を「汽車」と言うのは分かる。というのは汽車と呼んでいた時代と今とで利便はほぼ同じだし、電車は山手線や京王線こそが呼ばれるに相応しい。
職場を二十一時に出発し歩いて自宅まで帰ると一時間半でつく。もちろん手袋、帽子(フード)、マフラーは必要だが。
「かたわ少女」という障害者の女の子を攻略するゲームが海外で製作中らしい。
しかし知的障害児が登場しないのが残念だ。白痴少女は萌えるのに。
男は女が弱い立場にあるときだけ、女を守ろうとするし、大切にして真剣に愛そうとする。
それは彼女たちが「この人がいないとこの先自分を愛してくれる男が現れないかもしれない」と不安に思っていることを男が知っているからだ。
男は女が自分より弱い位置に立っていないと安心できない。
というのは男は、一度男を知った女は男なしではいられないこと、そして女は常に男を乗り換える機会を伺っていることを知っているからだ。
女にとって男は靴と同じである。足裏は一度靴になれると直接地面を踏む痛さには耐えられないし、履き古した靴は履き替えたいと思うだろう。あるいはまだ新しくても見栄のために違う靴を物色したりする。それにサイズが大き過ぎてもダメだし、小さ過ぎてもダメだ。
だから、賢明な男は、いわゆるまともで競争相手のいそうな女は遊び感覚でしかつきあわないのだ。
つまり、障害を持つ少女或いは女性というのは現代社会では稀に見る「愛され女」なのだ。
死は恐れるに足らず。人間は死なない。なぜなら死ねば人間ではなくなるから。
怒るな、褒めよ。大事なことはチンパンジーが教えてくれる。
日本の大衆文化が幼稚なのは、大衆文化を形成するための大衆、つまり充分に余暇のある人々が生徒と学生に限られていて、成熟した大人は仕事に追われて忙しく文化どころじゃないからだ。
すると数の論理で中学生、高校生、専門学校生や女子大生に受けの良い番組、音楽、小説、漫画があたかも日本中の注目を浴びているかのように見える。或いは情報媒体がそう見させている。
いわゆる恋愛主義が社会を支配する主流思想に思えるのはそういった中学生や高校生の未熟さや幼稚さが大衆文化の前線を陣どっているからだ。
少しでも文化に興味のある人であれば仕事に就いて余暇を奪われることを恐れるだろう。そして無職への風当たりの強さに怯むのと同時に大衆文化の幼稚化を憎まなければならない。
まともな大衆文化を形成するには充分な数の大人が充分な量の余暇を持つ必要がある。そうやって数の論理で生徒・学生文化を日本大衆文化の一分野へと押し戻していかなければならない。
恋愛主義を一派閥へと駆逐し、男女の関係を“人間の地平”に立脚するものにしなければならない。
とりあえず私はキノカフェでフランス映画を観て、市立図書館で坂口安吾と旧共産圏とラテンアメリカの文学を読もう。
皇帝、国王、大統領は偉大で、豪華な外見をしていなければならない。たとえ黒革金銀細工の財布の中身が空であっても。
職場を出ると粉雪。
十一月二十日の札幌市内における最高気温、零度以下。
つまり真冬日。
そして、朝起きると人生でかつて経験したことのないような積雪。
水抜きしないと水道管が凍る。
起床時の室温、三度。
湯たんぽを購入。
氷雪上を歩くため、靴にスパイクをつけた。
そんな晩に狸小路で演奏している音楽愛好家がいる。
零下三度の札幌で、私は豊平川沿いを自宅まで歩き、やっと帰宅する。
帰宅時の室温、一度。
私を雇った職場が入っているビルに北海道で一番有名な政治家が所属する個人政党の本部がある。
だから今日は政治の話をしよう。
狸小路で日本共産党のDVDをもらった。
それはまさに志位書記長のファン・ディスクだったが、つらつらと全編を鑑賞してしまった。
あやうく共産党のファンになりそうだった。しんぶん赤旗日曜版を定期購読して、日本共産党に入党しそうになった。
旧共産圏を生きた人の小説を読むと、共産主義もそれほど悪くはないと思えてくる。
悪いのは共産主義じゃなくて独裁的な指導者と我が儘で自己主張の激しい反体制者だけだ。
けれど、そもそも私は人間集団が嫌いなんだ。
だからどこかの政党に入ることはまずしない。
それに大学時代に身近に見てきた「共産党」は醜悪だったし、第一に私はデモとか行進とかの集団行動が嫌いなんだ。団結しようとするのは現実から逃げているからだ。
もっとやり方がスマートなら、話を聞いてくれるかもしれないのに。やり方が顕示的で、目的へと努力する前から諦念が感じられる。まるで知的障害児や駄々っ子のようだ。
つまり私は共産主義には興味があるが、共産党はあまり好ましく思っていない。
しかし一国を動かすためには何かしらの政治学を学ばねばならない。大学の政治学部に入学するか既存政党に入るか、独学で習得するか?
よし、独学しよう。そして政党は私が自ら創ればいい!
大学四年生の夏、就職活動を諦めたときから生きている感覚に乏しくなってきたんだ。だんだんと。
早口でまくしたてる人は苦手だ。いや、人ではなくて早口が苦手で、早口で喋られると泣きたくなる。特に女性に多い。
早口な人と吃っている人のどちらを選べと言われたら間違いなく吃っている人を選ぶ。
早口な女性は別に頭の回転が速いのではない。なぜなら思考によって、ではなく記憶と憶測だけで話すからだ。
つまり早口の女性は言葉を持たない。彼女たちは壊れかけたテープレコーダーに過ぎないのだ。
職を探す度に共産主義を羨望する。
自動的に職は与えられて然るべきだと思う。
働く時間というのは私にとって死の時間である。
なぜ己の死を自分で探さねばならない?
私は常に余暇か副業が生きている時間なのだ。
これは逃げ、なのか? 或いはそういう生き方なのか?
「辞めさせた、或いは辞めた職場は労働者の次の仕事を見つける義務がある」という法律を作って欲しい。
逃げられた職場も。
「よく働こう」とするのではなく「よく生きよう」とする者にとって資本主義は残酷だ。
ニートさんとかフリーターさんを問題視する人は、まず面接で若者を見捨てる人を問題視した方がいいよ。とブックオフとパン屋チェーンのアルバイト面接に落ちた私が言う。やっぱり大学時代のバイトと同じ業種しか雇ってくれないのか? なんだ、この職業カースト制は?
私だって美味しいパンを作って主婦層や職業婦人からモてはやされたいのに。
生きているのかなぁ、本当に? 自分。
佐賀県からこの一週間、このブログへのアクセスがなかった。
その程度の教養レベルか!佐賀県の教育委員長は職務怠慢により死刑!
或いは佐賀県にパソコンは無いのか?
中学生のころ、スナッフビデオは都市伝説だと聞いて、「ならば自分たちで作ればいいんじゃないか」と思った。
抑圧された子供は、一人暮らしをすればできるかもしれないことを妄想するものだが、私の場合、その全てが犯罪がらみだった。
さて、私はこの見知らぬ百五十万都市で市民記者に登録した。
仕事における電話の秘訣は、相手に電話したことを後悔させないことだ。
空想的社会主義者の食卓。【切り餅(磯辺か餡)三個と納豆】【玄米フレーク五十グラムに牛乳かけ】【蒸し馬鈴薯と野菜スープ】【インスタント麺と蒸し馬鈴薯】【御飯と魚介缶詰と味噌汁】【ピザトースト二枚と野菜スープ】【カレーライス】【食パン二枚と目玉焼き】
空想的社会主義者の食事への心得。粗食、同一性��持、昼食は朝食と夕食のつなぎ。
空想的社会主義者の主要飲料は【牛乳】で、【野菜ジュース】や【珈琲】や【茶】は嗜好品として飲む。牛乳を多く飲む日は必ず納豆などの大豆食品を食べるべきである。
空想的社会主義者の栄養補給剤は【エビオス錠】である。
これは決まりではないが、豚肉と鰭や鱗のない魚は食べない。肉製品と乳製品を一緒に食べない。血を食べるのはダメ。
イスラエル国歌「ハティクヴァ」は物哀しい。
ラーメン! フライングスパゲッティモンスター。
実家にいたころは飽食気味で、私はやや肥満だった。
母は愛情を食事でしか表現できない人だったからだ。
学園時代はよく食べた。しかしよく戦ったので痩せた。
今は粗食で痩せた。
今日、昨日、一昨日は図書館(徒歩五分)とスーパーマーケット(徒歩三分)に行く他はずっとパソコンの前で過ごした。
おかげでウンコが硬い。
二ちゃんねる系のサイトに今更ながらはまっている。
もう仕事とかどうでもいいや。面接とかで人間性試されるの嫌いだし。
ほら、お外は怖いし。寒いし。
いつの間にか雪降ってるし。
火星に土地でも買って移り住もうかな?
やれやれ
人間は今でこそ呼吸し、食べ、排泄し、寝て、思考している。
しかし数年後か数十年後には思考は消え去り、記憶もなくなるだろう。
私はもしかしたら今までの人生の四倍の時間を生きるかもしれない。しかし決して五倍は生きないだろう。
思考と記憶の消滅、それを人は「死」と呼ぶ。
症例はいくつもあるにも関わらず「死」の問題は医学によっては解決されていない。ただ宗教だけがこれを信仰により解決させようとしている。
人はこう思うだろう。なぜ必ず「死」ぬ人間に思考が与えられたのか?と。思考さえなければ「死」を思い悩むことはなかったのに、と。
私はこう考える。誰かがこう仕組んだのだ「人間よ、その『死』とやらについて思考せよ」と。
で、私は考えた。人間は「死」ぬ、ゆえに有限だ。しかし人間の集合体である人類は半永久的に存在する。この違いに意味が存在する。
人間が「死」ぬのはなぜか?それは人類全体に更新を与えるためだ。つまり個人の人生というのは人類という種族全体の繁栄のためにある。
恐竜は失敗した。しかしあの時代にはあの形態が最適だった。今の時代は人類の形態が最適である。しかしいつ人類の絶滅が訪れるかわからない。
個人やある人間集団の私欲のために人類が犠牲になるとしたら、死んでいった人類はもとよりその個人やその人間集団の人生も無駄になる。なぜなら彼らは人生を無駄なことに使ったからだ。或いはそれも人類の試行錯誤なのか?
ゆえに私は結論付けた。人間の人生を活かすには常に自身のためではなく人類のために生きよ、と。私の宗教的信条でもある。
私が二〇〇七年二月に生み出した「人類意志こそ神」という真理は今もゆるぎない。
その結論ゆえに私は人類人主義と世界市民主義を支持する。
世界連邦を唱えるバハイ教はある意味では正しい。世界中心都市論と世界政府論を除いては。
ゆえに私は「宗教団体に所属しているか?」に関しては無宗教だが、「信仰を持つか?」については有信仰だ。
人類全体へのゆるぎない信仰。
警察犯処罰令第一条第三号「一定の住居または生業なくして諸方に徘徊する者は、三十日未満の拘留に処せられる」。私、危なかったなぁ。
ちなみに昨日は十五時すぎでマイナス三度だった。気温がプラスになることはなかった。
フードか帽子を被らないと顔が凍る。
キブツの子供は母親と離れて暮らす生活を強いられるので就学前は夜尿や指しゃぶりなどの情緒的未発達が見られる。
しかし子供の家での十八年間に及ぶ集団生活を経て、青年期になると非神経症ともいうべき環境適応能力と高い社会奉仕意欲を示すという。
人口の十%にも満たないキブツの人がイスラエルを率い、パレスチナ人どもから国を守ってきたと言っても過言ではない。
キブツはどこかスパルタと似ている。
母親の愛にくるまれてすくすく育ち、教育を終えて社会に出る際に新しい環境に適応できず引きこもりになったり神経症を患ったりする日本とは正反対である。
また家族という、気の違った両親の作る牢獄に囚われることなく、子供は成長することが出来る。そのことの、なんという幸福。
キブツ制度が全く善くて素晴らしいと賞賛するわけではないが、日本人はキブツなどの社会主義制度を少しは見習うべきだよ。
なぜ働けるし、働く意志のある人間が働けないのだ?労働力の余剰をどうして解決しようとしないのか?
ギリシャ的な暴動を起こしたいさね。ヘルメット、鉄パイプ、ナイフ、クロスボウ、火炎瓶を装備してさ。戦うんだ。
見えない何かと。
そのために私は筋トレを欠かさない。
正しい太り方をしよう。正しく太った人は美しい。
正しく太った人は、間違って痩せた人より美しい。
皆さんも親になれば分かると思うが、愚かな親は「子供は家庭にさえいれば良く育つ」と信じ、施設に預けられた子供を見ると「可哀想に!」なぞと言う。
これは親の傲慢であり、怠慢だ。
ある種の家庭に産まれた子供にとって、家庭とは牢獄に過ぎない。
悪しき家庭は普通の施設にさえ劣る。
もちろん、部下に怒鳴りつける上司がいるような施設は失格である。やたら怒鳴りつける父親がいるような家庭が失敗であるように。
家庭は人生の不条理の始まりである。結婚がそうであるように。
不倫の存在は結婚制度の不完全さと失敗を裏付けている。
なぜ男性は一人のやがては醜く老いる女性と共に生きねばならず、女性は一人の頑固で我が儘な男性に肉体を支配されなければならないのだ?
ならば結婚制度をなくし、複数の男性と複数の女性が乱交する交配を制度化すればいい。
そして交配を道徳とする。
これで家庭は消滅し、家庭起源の不幸も消え去る。
女性と子供を家庭という牢獄から解放しなければならない。
これはおいしいぞ
不満があるなら耐えてはならない。叫ばなければ、心弱き者はいつまでも弱いままだ。
INTER LUPOJ KRIU LUPE!
祖父の最初の記憶は航空機である。私は祖父の住む福岡まで航空機で遊びに行った。
両親の結婚式のときに某Hグループのエレベーター専門子会社の社長に就任したと聞くから、その時は既に退職していたのだろう。
それから祖父は奈良の西大寺に引っ越した。奈良での記憶はあまりにも大きい。
遊園地へ車で行く途中で私が寝てしまい、目覚めたら祖父宅の前だった。
祖父は三重県の山奥の出身で、憲兵として猿田彦神社を守っていたら終戦になったという。
カメラ好きで本好きだった。本好きは私まで遺伝したが、カメラ好きは父までの遺伝で止まってしまった。
最近、腰を痛めて歩行困難になったので東京区内に引っ越した。
父から連絡があり、今から急遽、私はAIRDO二十便で羽田空港へ向かう。
明日を迎えるかどうかは、分からないという。
こんなに揺れた飛行はチュニス・カルタゴ空港からシャルル・ド・ゴール空港への飛行以来だ。
連絡から二時間半で私はすでに機上の人だったため、荷物が近所徒歩五分の図書館へ行く際と同じ量である。
東京は雨が降っていることもあるけれど蒸し暑い。
この三ヶ月で私は巨大大陸辺縁にある弧状群島の知床から那覇までを一往復分移動したことになる。
私は行動する直前にはその行動について考えない。そのために行動に躊躇はない。
そのせいで今まで様々な困難があったけれど、今回は良かったのかもしれない。
考えてみれば祖父は昨日で八十四歳である。私があと四日で二十四歳であるように。
まだまだ十分とは言えないが神々に文句はつけられない年齢だ。
容態は少し落ち着いたようだが、まだ危ないらしい。
十二月六日に、大阪の釜ヶ崎で暴動事件が起こっていたという。引き金をひいたのは暴力的で犯罪的な西成警察署による労働者への暴行事件だった。
「連れて行かれた西成署の三階の個室で、四人の刑事に代わる代わる顔を殴られ、紐で首を締められ、足蹴りされ、挙句の果てに両足持たれて逆さ釣りにされた。気が遠くなると、スプレーをかけられたと言う。生活保護を打ち切ると脅かされて、その店に近づかないという始末書まで書かされている。」(西成署警察官の暴行に抗議する!)
年末における雇用問題の原因は、報道をみるかぎりでは労働者の選択肢の狭さに原因がある。
いや、労働者はそもそも選択なんてしたくはない��だ。だって仕事のために生きているわけではなく、生きるために仕事をしているのだから。
経営者はもちろん「仕事にために生きる人」を求めるだろう。已むをえないことだ。しかし従業員もそれに右に倣え、では自分で自分の首を絞めているようなものだ。面従腹背が必要である。
そういう意味で、日本の労働者は正社員も派遣社員も労働意識が低い。
企業が、「お客様のためにある」時代は終わりを告げた。これからは「従業員のためにある」企業が求められている。
労働力の均衡という面から見れば、学業を終えた健康な成人には自動的に職が与えられてしかるべきなのに。
情況の囚人という心理実験によれば、派遣社員も正社員になれば正社員ばりの働きをするし、正社員も派遣社員になればそれだけの働きをする。あらゆる面接や選別は無意味であって、人事が行うべきはしかるべき職を与え、仕事の結果を見て評価を与えるのではなく、「こういう結果であってほしい」という仮定の評価を実際に与えてしまうことだ。
十二月二十二日には札幌に帰る。
トロヤ点への新たなる月の飛来、止まない月震、超未来人類と新興恐竜との共存などについて有機的に考えようとしているが、果たせない。
六百円で大根サラダ・鴨肉三切・味噌汁・鳥肉たっぷりの丼物・アイスが食べられる地下一階のカフェ・ダイニングバーを見つけた。
十二月二十日に開店したジュンク堂へ行った。池袋級書艦だった。エスペラント関連書籍は十冊以上、なんと『百年の孤独』のスペイン語版も置いてあった。
札幌はジュンク堂、とらのあな、アニメイト、ブックオフの並びが熱い。
JRタワーのヴィレヴァンが狭いなぁ、嫌やなぁと思っていたらロフトの中にもあった。でも、ヴィレヴァン下北沢店の足元にも及ばない。
アリストテレスは貨幣を万物の尺度とする資本主義的世界を想定した。その一方でディオゲネスは貨幣を変造した罪でシノペを追放され、世界市民となった。彼は貨幣(常識、慣習)を変造したのだ。
純連のみそラーメンは美味しかった。
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11080000
「おめでとうございます!元気な、女の子ですよ!!!」
高らかに響いた赤ちゃんの泣き声に、気付いたら涙が溢れていた。十月十日、私の狭い暗いお腹の中ですくすくと育ち、そして、満を辞して、この世界に生まれてくれた、私と、主人の愛の結晶。尊い、小さな小さな命。感じていた痛みも苦しみも、何もかもが幸せに変換されてゆく。看護師さんに抱かれた、ピンクの肌をした小さな命。私は滲む視界の中に見えた、手のひらよりもずっと小さな手を、そっと、そっと触った。柔らかく、頼りないその手。私がこれから引いて、守っていくんだと、母になったんだと、あふれる涙が止まらない中、私はぽつり、呟いた。
「生まれてくれて、ありがとう。」
無事生まれてくれた我が子、実伽子は、生まれて3日目には私の母乳を少し飲んでくれた。手の中に抱く瞬間はいつも肩に力が入ってしまって困るけれど、会いに来てくれた父母や義父母、主人や職場の友人、皆に愛され可愛がられる実伽子が誇らしく、どうしようも無く愛しく、早くお家に帰って、準備万端なベビーベッドに寝かせたかったし、これから過ごすお家を見せてあげたかった。母乳の出も順調、出産後の経過も良好で、1週間の入院の予定が、5日間に短縮されたと聞いた時には小躍りしたくらいには、幸せに溢れていた。
退院の時、見送ってくれた看護師さんは、実伽子を取り上げてくれた方だった。手の中の小さな命。実伽子の手を握り、看護師さんへ振って、タクシーに乗り込み自宅の住所を告げる。
「可愛らしい赤ちゃんですね。」
「ありがとうございます。5日前に生まれたんです。」
「そうですか。では、一層安全運転で参ります。」
「お願いします。」
自宅ではビデオを回す準備をした主人のお母さんが待っているはずだ。普段ならすぐに過ぎる帰宅までの数十分が、とても待ち遠しい。街並みが窓の外で流れて、外を初めて見た実伽子の目に、ガラスに反射した街がキラキラと映っていた。綺麗だなぁ。命って、赤ちゃんって、綺麗。こんな感情、実際に我が子を産むまで、知らなかった。運転手さんも気を遣ってくれてるんだろう、車内に流れるのは無線じゃない、落ち着いたオルゴールの音。
...もう、20分は走っている。のに、見知った景色が何も見えてこない。
「あの、運転手さん。」
「はい?」
「そろそろ、○○町に入っている頃なんですが、道、合ってますか?」
「合っていますよ。」
「いや、でも.........ん、?」
首を傾げスマートフォンを取り出したところで、くらり、世界が歪んで、瞼を開いていられないほどの、強烈な眠気に襲われた。出産の影響、な訳がない。私は腕に力を入れ、実伽子を庇うように抱きしめ、運転手を、見た。
「お休みなさい。」
ミラー越しに目が合った、ガスマスクを付けた運転手の目が弧に歪んで、私の意識はふつり、と切れた。
子供の、合唱する声が、靄のかかった意識の外から流れ込んでくる。ザ、ザ、とノイズの混じったその声が段々と鮮明に、私に届いて、愚鈍な意識が、ゆるりゆるりと水面に向けて浮上してゆく。覚醒、していく。
「...、私、......」
どこかに座っている、それも、馴染み深い形で。視界は暗く、手足は、自由に動かない。首も、どこかに固定されているのか、周りをぐるりと囲まれるように、金属の輪、のような物が食い込むように嵌められていた。声は酷く出しにくく、絞り出した独り言も掠れていて、叫ぶ事が出来ない。この体勢は、そう、5日前に寝ていた、分娩台だ。病院に逆戻り、そんなわけはない。病院が目隠しなんてするはずがない。服はかろうじて着ていたが、足を大きく開いて、手も縛り付けられて、明らかに異常事態だと脳が警鐘を鳴らしていた。何よりも、我が子は。実伽子は。私の腕に抱いていたはずの、あの愛しき、命は。部屋からは生物の気配がまるでしない。沸騰する水のように沸き立つ焦りと恐怖に暴れまわりたくなる心を必死に押し殺して、私は息を潜めた。何か、誰か、この場を教えて、誰かいないの。私は、実伽子、一体どこで何を、させられて、今頃実伽子は、寒さで泣いているかもしれない、お腹を空かせているかもしれない、私が眠ってから、どのくらい経った?あの運転手は、一体。ぐちゃぐちゃと思考する脳味噌が騒がしい。誰か、誰か来て、
さっきからずっと聞こえていた童謡が、段々近づいて来る。音源がゆっくり、私のいる場所へ近づいて来る。古い、もう今じゃ使わない、カセットテープのような質感の声で歌われていたのは、
「起きた?」
足音の後、がしゃん、と床に何かを置いた音。童謡はそこから流れてくる。朗らかな、男の声で私に話しかけた人間が扉を閉め、鼻歌混じりに楽しそうに部屋をうろうろと動いている気配がした。まるで、私の主人のような当たり前の声で尋ねてくる様子に、訳もなく鳥肌が立つ。頭にいっぱい広がったなぜなにどうしてを抑えて、私は何よりも聞きたかったことを口にした。
「む、娘は...」
「あぁ、別のとこ。」
「ここは、貴方は、一体...」
流れる童謡のボリュームが上がる。幼稚園児ほどの子供が一生懸命歌っているそれは、「ハッピーバースデー』。私の問いには何も答えない男は、私の周りをうろうろとまだ動き回っている。耳を澄ましても、子供の泣き声は聞こえない。聞こえるのは男の足音と、単調な童謡だけ。ハッ、ハッ、と、呼吸が段々浅くなるのを止められない。
「ね、ねぇ、貴方、なんなの、ここは...これ、どういうことなの、」
「...あ。これ、取るね。」
その瞬間、目を覆っていた何かが男の手により外された。眩しい、と目を強く閉じ、そして、違和感にそっと瞼を開く。見えた光景は、薄暗く、コンクリート打ちっぱなしの、部屋。私に話しかけていた男はアノニマスの面を被って、私の顔をじっと覗き込んでいた。ヒィッと声が出て、出来もしないのに後ずさる。体を蠢かせ逃げようとする私を笑った男は面を取り、私の髪を撫で、「落ち着いて。」と微笑んだ。
その顔に、まるで覚えがない。初めまして、など言える空気ではない。どこかで会ったことがあるのか、少なくとも親しい間柄ではない。男は、百面相をする私の前に椅子を置き、テーブルに置いてあった皿を持って座った。皿の上にある物を見て、ますます意味がわからなくなる。
男は、イチゴの乗ったチョコレートのショートケーキを持っていた。カットされたそれに、いくつも、まるでハリネズミのように、ポップな色の蝋燭がケーキの原型をとどめないほど突き刺さっていた。本数は数えられない。が、夥しいほどの本数に、目の前の男が、少なくとも成人して時間が経っていることだけは分かった。男は手にジッポを持って、カチャカチャと蓋を開け閉めしていた。
「な、なに、助けて、嫌、」
「落ち着いて、お母さん。」
「私、貴方のお母さんじゃ、」
「ねぇ、名前呼んでよ、お母さん。」
頑なに私をお母さん、と呼ぶ、私とあまり変わらなそうな歳の男は、黒目がちの瞳を濁らせて、私に近寄り、そしてどろりと劣情を浮かべた目を私に向けた。寒気がする。名前どころか、どこの誰かも分からない人間が、私を標的にしている。
「な、名前...?知らないわ、そんな、名前なんて、」
「またまた、惚けちゃって。僕だよ、徇だよ。しゅん。」
「シュン...?」
「違う!!!!!!!!!!」
「ヒッ、ご、ごめんなさい、何が、違うの、」
「お母さん、どんな時でもどんな相手でも敬意を欠かしちゃいけないって言ってたのに、君付けもしないなんて、貴方らしくないよ。」
「ごめんなさ、い、シ、シュンくん、どうしたの、お母さん、手が痛いわ、ねぇ、」
急に激昂したり、悲しそうな顔をしたり、私の人生において、出会ったことのない、異物。同じ人間のはずなのに、私の中の第六感がずっと警告のサイレンを鳴らし続けている。刺激しないよう、相手の言葉を拾いながら、部屋の中を見渡す。男の後ろには扉。部屋の中は暗く隅までよく見えないが、物はあまりない。どうにか、実伽子を探して、ここから逃げ出して、
「ねぇ、お母さん、もっと先に、言うことあるよね。」
「......なんだった、かしら、」
「...そうだよね、忘れてるよね。」
男は皿の上のケーキを眺め、そして、私を見上げた。整った顔立ちに、色濃く「孤独」な表情が浮かんで、私は何も知らないのに、悲惨だと、直感で思ってしまった。
「今日は、僕の誕生日なんだ。」
「誕生日...?」
「そう、ちょうど、30回目の誕生日。忘れてたの?」
「.........いや、その、覚えてたわ、ちょっと、驚かそうかと、」
「だよね!そう、僕の誕生日なんだ、今日。生まれた日。僕がこの世に生まれて、オギャーって泣いて、色んな人に、生まれてくれてありがとう、って言われて、抱かれて、名前を貰った、日。そう、祝福された、日、生まれた、僕が、お母さんから、生まれて、十月十日前に、お母さん、と、お父さんが、性交して、卵子が分裂を始めて、人の形を、作り上げていって、ねえ知ってる?指の間の水かきは、僕たちがずっとずっと昔、両生類だった頃の名残りなんだって僕習ったんだよ!」
制御の効かないロボット、と思うほど、男は表情ひとつ変えないままガクガクと口だけを動かして、言葉を垂れ流した。馴染みのある言語なはずなのに、耳にまるで入ってこない。怖い。怖い。
「歌って。」
「えっ...?」
「誕生日。ハッピーバースデー。歌って。お母さん。」
「は、はい、...ハッピーバースデー、トゥー、ユー、ハッピーバースデー、トゥー、ユー、」
「うん、うん。ふふふ、そう、誕生日。僕、誕生日。」
「ハッピーバースデー、ディア、シュンくん、ハッピーバースデー、トゥー、ユー...」
「えへへへへ、ありがとう!!!!誕生日、嬉しいなぁ、祝ってもらえて、幸せ、僕、お母さんに誕生日、祝ってもらえた、」
「ええ、そう、ね、だから、もう、離して、」
男はジッポに火をつけ、ケーキに刺さった蝋燭へ一つ一つ火をつけ、そして、吹き消すこともなく側の机に置いた。燃えているようにも錯覚するチョコレートケーキが、火に炙られ、どろりとクリームが蕩ける。溶けて垂れた蝋がクリームを覆って、ケーキの形が崩れてゆく。
「誕生日だもんね、僕、お願いがあるんだ。」
「な、何、離して、逃して、助けて、」
「僕、お母さんと寝たい。」
「寝る...?」
「そう、いつも、僕が近寄ると怒ったでしょ、お父さんとは、あんなにくっついて眠ってたのに、」
「構わないから、この、手足、自由にしてもらえないかしら、ねぇ、」
「やったぁ!!!ありがとう、お母さん!!!」
狂人、と呼ばれる人を実際見たことはなかったけど、目の前の男のような人間をそう呼ぶのかもしれない。目的も何も分からない、ただ、狂っている。喜んだ様子の男が、私の足の間に滑り込み、腰に抱きついて頭を腹に乗せたところで、私は耐えられなくなった。
「イヤァア!!!触らないで!実伽子を返して!今すぐ離して!!!嫌!」
「......」
「誰か!誰か助けて!ここから出して!!いや、もういや、いやよ、離して、貴方、実伽子...」
「...そうだ、そろそろ、眠る支度をしないと。」
随分と掻き回しているんだけど、どうにも僕の頭はお母さんの膣には入らなそうだった。諦めるべきなのか。いや、でも、今日は僕の誕生日だ。諦めるわけにはいかない。一年に一度しかないこの日に、お母さんと眠りたい。それだけを叶えるために僕は、生きているのだから。
お母さんの陰部に嵌めた拳をグーパーしてみても、入り口が広がったようには思えない。おかしいな、ついこないだ子供が出てきたって言ってたから連れてきたのに。おかしい。
「先に寝ちゃったの?お母さん。そう。僕も眠りたいんだけど。」
返事はない。黒目を上に向けて、口から白い泡を垂れ流して、お母さんは眠ってしまった。広げられた足の間、僕の拳にはごつごつと何かが当たって上手く動けない。あぁ、これのせいか。部屋を見渡して、用意しておいた金属バットが目についた。握り締めてお母さんの陰部めがけて何度か振り下ろしていくうちに、グニャグチャと柔らかくなった感触がして、僕はバットを投げ捨てて、もう一度手を中へ入れた。先ほどよりもスムーズに入る。拳、腕、肘の手前まで入ったところで左手も入れて、中を広げる。ツン、と鼻につく匂いがして顔を上げると、お母さんが失禁、嘔吐していて、僕は中のものを出し切ろうと暫く腕を動かし続けた。
「別に、誰でも良かったんだ。子供を産んで、すぐであれば。」
大事にケースに入れられていた母子手帳と一緒にドラム缶へ放り込んだミカコチャンは、溶けたタイヤと共にもう炭に変わっている頃だろう。お母さんの中はだいぶ柔らかくなって、僕は手を引っこ抜いて、汚れやらなんやらを拭いてあげた。汚い服は全て剥ぎ取った。日付はもう、23時50分を過ぎていた。もう、誕生日が終わってしまう。
「お母さん、僕、今日誕生日なんだ。」
皮膚が少し伸び歪な形になった、露出した腹の皮膚に僕は頭を乗せて、体温と頬に当たる生毛を感じながら、すぅ、っとお母さんの匂いを吸い込んだ。微かに香る乳臭さに、僕は慌てて上半身の服も脱がせて、肥大した乳房をまじまじと見た。
母乳。お母さんの、命のかけら。子供を育てるためだけに生成され、子供のためだけに使われる汁。液体。清らかな、愛そのもの。白濁した、血液と同じ成分で構成された、栄養のある液体。母乳。母なる乳。命の泉。黒々とした乳首からじわりぽたりと滲み出て来るその母乳を、僕は乳房全体を握って絞り出した。視認できるギリギリの細さでシューっと飛び出す生暖かい僅かな液体を、僕は顔で受け止め、それが顎から滴り、または喉を伝って服の中に流れゆく様を感じた。誕生日。生まれた日。飲もう、とは思わなかった。ただ感じたかった。これが母の愛なのだと。だって僕は今日、誕生日だから。
「お母さん。僕は、生まれてきて良かった、と思ってるよ。生まれてくれてありがとう、と、言われたかどうかは分からないけれど、でも、確かに僕は生まれて、ここにいて、考え、動き、感じ、生きている。それは紛れもなく、貴方が、ここから僕をひり出してくれたからで、遡れば、お父さんと性交してくれたからで、うん、野暮だな。つまりは、産んでくれてありがとう。僕を僕として、産んでくれて、ありがとう。」
柔らかくなった入口に頭を押し付けて、ぐちゃりと色々なもので濡れた感触と、そしてゆっくり浸食してゆく感覚を味わいながら、僕は在るべき場所へと帰る。額が、目が、鼻が肉壁に包まれた辺りで侵攻を止め、腰を抱え、子猫が母猫に甘えるように頭を擦り付けて、お母さんを抱き締める。
「ただいま。」
頭が暖かいからだろうか、眠気が迫ってきた。明日には今日はしゃいだ分の片付けをしなければいけない。この肉塊もじきに冷たくなる。今だけ、お母さんの体温を目一杯感じて、今日だけは、僕が生まれた意義を、生きる理由を、何もかもを考えないまま、ただ生きていていいと肯定してもらえる場所で眠りたい。
「ハッピーバースデー、ディア、僕。」
僕はそっと目を閉じて、お母さんを想う。ハッピーバースデートゥーミー。ハッピーバースデートゥーミー。おめでとう。生まれてくれてありがとう。お母さん、お母さん、僕は、お母さんが、大好きだよ。
誕生日、おめでとう。
「おやすみなさい、お母さん。」
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