#新今宮駅
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hankgon · 1 year ago
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yutakayagai · 7 months ago
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翌日、会社からマンションに帰る途中、信也はJR上野駅向かい側のビジネスホテル「М」に近いところに、たまたまゲイ総合サイトからアクセスして見つけたバラエティショップ「B」に立ち寄った。いざゲイビデオに出演するとなると、モデルがどんなシチュエーションで相手と絡んでいるのか研究しなくてはと思ったのだ。しばらく��美は漫画の〆切が近いと仕事場の方に泊まり込みになると、昼休み中にラインがきた。全く、〆切そっちのけで飲みに歩いているからだと、彼は呆れた。アシスタントの香織も、よく子持ちでありながらあちこち出掛けるよなと、未だに学生気分が抜けないのが不思議だった。
色々と小言を呟いてはいたが、少しは下半身の穴も「開発」しなくてはと、信也は真純にラインをし、「サ◯ソンビデオ」に出演することは伏せつつ、もっと気持ちよくセッ◯スをするにはどうしたらよいかと相談した。すると、真純から返ってきた言葉がこれだった。
「雄マ◯コで感じる様になれば沢山イクよ」
と文末にハート印が付いていた。彼は、
「信ちゃんとまたイッちゃいたいな」
と今度はハート印が三ケ付いていた。余程やりたいンだなと信也は苦笑した。
一方、憲一にも同様の質問をしたが、やはり「ア◯ル」が最高だとの回答だった。直腸と大腸の裏側に前立腺があり、そこを刺激されると普通に肉棒をしごいて淫液を出すより気持ちいいと話していた。彼は、三社祭の前日に真純と寝た時のことを思い出した。嗚呼、確か「潮吹き」をしたな…。あんな状態にオレもなるのかと信也は想像しただけで恥ずかしかった。しかし、問題は挿れるまでの下準備が大変そうだった。まるで鼻の穴にごぼうを突っ込む様なものだし、自分が経験した限りでは痛いの一言しかなかった。 そのことも相談したが、
「まずはラヴオイルで相手の『雄マ◯コ』で濡らし、最初は一本、徐々に二本、三本と拡げていけば大丈夫」
と、憲一からメッセージが返ってきた。また、
「あまりに好きだったら『雄マ◯コ』を舐めちゃうな」
ともきた。「舐める」!? 所謂「ケツ」の穴を!? 信也は生理的に無理と思った。元々、大きい方を排泄する為にあるものを舐めるだと!? オレにはできない! 彼は、縦線の入った『げッ!?』と言葉を放つイラストのスタンプを押した。それに対して憲一は、
「オレは信ちゃんのならペロペロしたいなァ〜」
とハート印を付けて返信した。
そんなやり取りを東西線と銀座線での移動時にしていた。今日は憲一も真純も休んでいるから、まァ、こんな時間にラインしても大丈夫だろうと思ったが…。時折、二人は昨日「Kバー」やホッピー通り、ゲイバー「Z」で撮った写メを添付していた。信也は泰典とずっと過ごしていたが、その間に二人は褌越しに他の客と「兜合わせ」をしたり、舌を絡ませ合ったりと好き放題やっていた。仕舞には、恐らく今朝ビジネスホテル「C」の部屋の中なのか、二人が「フィニッシュ」した後の様子もアップされ、かえって信也の方が赤面した。そのうちに下半身が反応し始め、彼はブリーフケースで股間を隠した。まるで、裸同然の透けた下着だけで卑猥なポーズをとったグラビアの女を見てオ◯ニーを隠れてやろうとする男子中学生の様だ。
信也は、先走り汁がスラックスにまで染み出していないか心配しながら上野駅で下り、バラエティショップ「B」を目指した。雑居ビルの二階に上がってすぐ左手にドアがあったが、開けると奇抜なデザインの下着や褌が陳列され、奥の方には無数のDVDが置かれていた。所謂「ケツワレ」が視界に入り、彼はハンガーに掛けられたものを手に取った。嗚呼、アメリカンフットボールやラグビーの時に穿くやつだなと思ったが、どういうシチュエーションの時に使うのか解らなかった。
一方、DVDの陳列棚に目を移すと、一見ゲイとは無縁な、黒髪を五分分けにした紺色のスーツを着た痩せ型の男が色々とパッケージを見ていた。彼は「エ◯ティックスキャン」のDVDをメインに探している様だった。二、三十代のスーツ姿のモデルがワイシャツのボタンをはだけさせ、比較的筋肉質な肉体を見せながらシースルーのビキニ越しに股間を「もっこり」させている。信也は「如何にも」感を漂わせているので、全然萌えなかった。彼は寧ろ、「Mr. H◯t」の様な普通の中年男が恍惚の表情を見せている方に欲情した。憲一も真純も、見た目は普通のおっさんだからだった。
Mr.H◯tのDVDを二本買うことにし、信也はディ◯トと「ペ◯ローション」の置いてある棚に歩いて行った時、先刻からDVDを探している男の携帯電話が鳴った。何処かで聞いたことがある声が聞こえてきた。
「大輔君、どう〜? カッコいい男の子があんあん言いながらお尻掘られてる様なもの、あったァ〜?」
「いやァ、パッケージだけじゃ解らないスよ! それっぽいの、何本か買って来ますよ」
「一応『レディース���雑誌だから、『ガチ』ゲイでもダメだと思うのよォ〜。いっその事、男だけど妊娠しちゃうファンタジー物にしちゃおうかしら?」
「先生、男に『子宮』はないスよ!」
「そうよねぇ〜、まさか『キ◯玉』に子どもできちゃエイリアンだもンねぇ〜」
この調子の喋り方とい、このトーンの声とい、嗚呼、彼が裕美の担当者なンだなと思った。家に置いてあったDVDは彼が買って来たンだなと、信也は思った。彼は、大輔には声をかけずにレジへDVDや「大人の玩具」を持って行った。チェック柄の紙袋に入れられ、外から見られない様に考慮はされていたが、何となく「ついに買っちまった」感が付きまとった。
途中、下谷神社にお詣りをした後、どうせ独りだしと信也はマンション近くのラーメンチェーン店「H」で日本酒も付け、夕食を済ませた。あまりに近所なのでなかなか来る機会がなかったなと、彼は餃子と野菜たっぷりラーメンを食べた。嗚呼、このまま風呂も済ませちゃおうと、「K湯」にも寄り、日替わり湯にどっぷり浸かりながらしばらく頭の中を空っぽにさせた。マンションに戻ると、彼は新しい下着に取り替え、部屋着のTシャツとスエットパンツに着替えた。そのままベッドに身を投げ、しばらく天井を見上げていたが、彼は枕の横に置いたバラエティショップ「B」で買った諸々を開封することにした。袋から出すと、真っ先にディ◯トと「ぺ◯ローション」が転がってきた。ピンク色のディ◯トは、意外とリアルにできていた。男の肉棒を模したものだが、キチンと血管が浮き出ているところまで再現されていた。大きさがあるらしく、まずは最小のものから始めることにした。しかし、これを「雄マ◯コ」に挿れるのは抵抗があった。汚れてはいけないと思い、念の為に「コ◯ドーム」も箱で買った。
「オレは何やってるンだろ…」
と、内心バカバカしく思えたが総てはビデオ撮影の為だと割り切ることにした。
信也は、ベッドの上にバスタオルを敷き、とりあえず用を足すことにした。ディ◯トを挿れるのだからまずは「雄マ◯コ」の中をキレイにしなければと、トイレに向かった。数分後、用足しをすると彼は再びベッドに横たわり、タブレットで気になる動画をアプリで探しながらスエットパンツを脱ぎ、ブリーフ越しに一物を弄り始めた。時折、向かい側の姿見に映る自分自身の姿に視線を向け、内腿を開きながら腰を突き上げ、何度も股間を愛撫した。動画には、ワイシャツをはだけさせた中年風の男が白いビキニ越しに一物を弄っていた。ネクタイをだらりと襟に垂らし、如何にも仕事帰りという表情を見せながら、時折ビキニの端を引っ張り、勃起してきた「ムスコ」に欲情している。早くも信也は硬く太くなっていくのを感じ、Tシャツをたくしあげた。乳房を弄りながら、動画の男と一緒にオ◯ニーをしているかの様な錯覚に陥った。
「あん、ああん…」
おのずと信也はディ◯トに手が伸び、ブリーフ越しに己の肉棒に押し付けた。腰を左右に動かしながら、そのディ◯トを徐々に「雄マ◯コ」に移していき、突いた。すでにコ◯ドームは付いており、いつでも挿れることができた。彼は憲一か真純に絡まれているというシチュエーションでオ◯ニーにふけた。次第に肉棒の先端も先走り汁で濡れ始め、彼はブリーフを脱いだ。ぺ◯ローションで手指をヌルヌルにし、まずは雄マ◯コに人差し指を挿れ始めた。直腸を越えたところに「Gスポット」はあった。確かに、しこりの様なものを感じた。彼は中指も挿れた。微かに痛みはあるが我慢できるものではあった。チ◯ポはいったん萎えるも、先端からは先走り汁が滴っていた。そう言えば、ゲイビデオではしごいていたなと彼はチ◯ポの裏側を愛撫した。嗚呼、今のタイミングならディ◯トを挿れられそうだ。
コ◯ドームを被せたディ◯トにぺ◯ローションを塗りたぐり、そっと雄マ◯コに挿れていく。信也は恐る恐るだったが、見事に奥まで挿れることができた。
「嗚呼、入ってる…」
それをゆっくりと上下に動かしていく。彼は声を上げずにはいられず、
「あッ、あッ、あン…」
と、おのずと天井に下半身を上げて開脚した。もし裕美が偶然帰って来たら悲鳴を上げるだろうなと、彼は帰って来ないことをただ祈った。
グイグイとディ◯トを押し込み、信也は理性が麻痺していくのを感じた。じんわりと汗をかき始め、チ◯ポを弄っている左の手指が先走り汁でヌルヌルになっていくのを感じた。嗚呼、女になった気持ちだと彼は思った。そっとディ◯トを引き上げると、
「あッ、あああん!」
と黄色い声を上げた。この様子を憲一や真純にも見せたいと、いったん左手指を枕元にあったティッシュで拭い、近くに置いた携帯電話で動画を撮った。他人に痴情を見られることにエクスタシーを感じるのかもと、彼は自分自身の意外性を見出した。身体が火照り、片手に持った携帯電話を操りながらラインでオ◯ニーする様子を憲一と真純に送信した。三人は三社祭を共に行動するのに先立ち、予めグループラインをつくっていた。
尿意に近い切迫感を経験した挙げ句、
「イ、イク! イク! イク!」
と声を上げた。これまでにない、チ◯ポの先端から止めどなく乳白色の淫液が流れ、一部は跳び散った。右手指はベトベトに汚れ、もう一度シャワーを浴びなければと思った。もう片方の手でデ◯ルトを引き抜こうをしたが、
「いやァァァァァン!」
と、再び黄色い声を上げた。ズルズルと脱腸しそうな感じだった。一番小さいものを買ったつもりが、やはり用を足すだけの穴に突っ込むのはキツいと、信也は思った。下腹部や両太腿に跳び散った淫液をティッシュで拭い、用済みのコ◯ドームをトイレのゴミ箱に捨て、彼はもう一度シャワーを浴びることにした。
浴室から出ると、携帯のラインアプリに赤丸が付いていたので確認すると、憲一や真純��らだった。二人共、信也の動画を見て「抜いた」のか、硬直したまま淫液を垂らした二人のチ◯ポが写メで送られていた。コメントはいずれも、
「信ちゃん、サイコ〜!」
「こんな気持ちイイの、初めて!」
と大絶賛していた。すでにライン自体が「ハッテン場」と化していた。まァ、スタンプ一つでも押しておこうと、信也はお気に入りのイラストレーターが描いた「ありがとう」というスタンプを送った。
彼は、いつ撮影の話が来ても良い様に、一日おきにア◯ルセックスの疑似練習をした。
-À suivre...
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wankohouse · 3 months ago
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西山田 竹宮神社氏子(西山田天満宮氏子と言った方が良いのやろか)
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西山田 新調屋台お披露目 入魂式 2009年9月22日 竹宮神社に毎年正式に宮入りしているが西山田天満宮が地域の神社。どっちの氏子なんやろう。法被の文字は天満宮になっている物もある。
追加書き加え。
姫路市山田町はだいぶ北に入った播但���沿いの農業地帯。田んぼと瓢箪畑がある。
山手の祭りは浜の祭りみたいに荒っぽくなく、みんな仲良く楽しむ感じ。普通は。
昔は水争いなんかもあって、農村でも隣村の屋台を襲撃したらしいけど、今は練り合うのを楽しみにしている様や。
1地域1神社1屋台の地域は地域だけでは練り合わせ出来ないので、駐車場とか駅前とか広場とか街角とかで他所の屋台と練ったり、氏神やない神社に宮入りしたりして他所と練っている。
そのせいで、屋台が書いてあってもどこで練っているのか判らない。
神社が書いてあってもどこの屋台か判らない。
おまけに同じ名前の神社がいっぱいある。
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ak0gare · 2 months ago
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続・デート記録 0422 夕方に吉田寮に行き哲学博士とトンファンという居酒屋に行った。べたべたと壁中に映画のポスターが貼ってあった。 帰りは雨が降っていた。寮に戻り、中を案内してもらったり中庭を眺めたりしていたがやむ気配はなく、「泊まっていったら」くらい言われそうだなと思ったけれど(彼の部屋は一人部屋だった)雨具を貸してくれたのでそのまま帰宅した。ベッドに入ったら電話が鳴ったので40分くらい会話して眠った。 0423 熊野寮でナンパした忍成修吾にそっくりな建築修士を寮まで迎えに行き、京阪と阪急を乗り継いで桂へ。 あまり話すタイプに見えなかったので前の恋人から教わった建築の話を頑張っていろいろ振ったらはにかみながらこれまでの学生生活について教えてくれた。まだガイドツアーまで時間があったので桂駅のカフェでケーキを食べた。 「私はあまり恋愛とかに興味がないんです」というので「もし**君みたいな人をすきになったらどうやったら付き合える? とにかく我慢強く横にいたらいい? わりきってベストフレンドを目指すべき?」と問うと前者だった。ごり押しすれば付き合えるんだ、とわかってなぜかうれしかった。 西日が差すなか桂離宮を歩いて回った。カメラでバシャバシャ撮りながら建築について教えてくれてかっこよかったけどそれに関しては前の彼氏で履修済みだった。だとしても専門分野がある人って本当かっこいい。 イノダコーヒでお茶して解散。やっぱり186センチ以上ある男の人ってヒール履いても全然抜かされなくていいな、とか俗っぽいことを思いつつ帰宅、寮で友だちにデート報告した。 0425 午後、阪急内で仕事をしながら神戸へ。兵庫県立美術館に行く。 中谷さんを呼びだしたが「ごめん夜空かなくなった」と言われた。むかつく、と思いながらもわたしはこの男が大好きだからいまさらドタキャンくらいでキレたりしない。 展示会場を簡単に案内してもらったのちパウルクレー展をゆっくり楽しんだ。 「次はアンディモリ歌ってよね」と文句を告げるとまんざらでもない顔で「うん、コレクション展もかわるしまた来て。しばらくはここで働いてるし」とちゃっかり営業された。 0426 夜に吉田寮へ行き、自転車で哲学博士と鴨川爆走した後ガボールという地下の喫茶でおやつたべたあと寮へ戻って車を出してもらい天下一品の総本店でらーめん食べて琵琶湖まで走った。アメスピを湯気みたいに蒸かしながら運転していて、まんまと、かっこいい……と思った。 ドラムはどこで習ってたの?とたずねると野良で自分で練習して習得したらしかった。 月が出ていなくて、星明りだけが頼りだった。夜の湖はとても神秘的で、誰かの夢の記憶の中に立ち尽くしているみたいだった。 帰宅すると彼の友人と喫煙所で出くわし、「へー友達?」「ふーん、友達……え、友達でいいの?」とにやつきながら話しかけてきてあまりにもからみ方が大学生過ぎてつれであるこっちが赤面する羽目になった。 客用布団を出してもらい、吉田寮に泊まった。 0427 吉田寮で起床、彼の案内でカフェのテラス席でランチ食べたあとまた琵琶湖に行った。 0428 採卵2回目にあたり、クリニックで検査するため新幹線に乗って東京へ戻った。 雨の中笹塚に行って元彼と鍋家という中華を食べた。吉田寮で会った男の人についてのろけていたら「田舎の30歳くらいの、場末で頑張ってるキャバ嬢がエロく感じるみたいな話?」と言われて全然通じてなかった。 0429 神保町のトロワで富田さんと1年ぶりに会った。 東大の院に進学したらしい。本屋回った後暇になって東大へ行って散歩した。やっぱりこの人の顔すきだな、と思った。 しばらくは板橋にいるというので、今年こそ、告白されない程度にあそんでもらお~と思った。 18時半に京都へ戻る。哲学博士が車で迎えに来てくれた。わたしが予定よりも1時間新幹線を遅らせたことについて「じらされてるみたいでつらかった、あてもなく運転して時間潰してたよ」と零され、メンヘラじゃん♡と思ったけど言わないで「ごめんねありがとう」と返して貝だしらーめんを食べた。
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yoooko-o · 1 year ago
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16/01/2024
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昨年末、ダメ元で申し込んだある講演会に当選し、その講演会で来福しました🏙️ 先持って福岡市の神様にご挨拶です🤲✨ 本当は天神の街中に警固神社という有名な神社があるのですが、ここの御神木が好きなので、真っ先に香椎宮に来てしまいます。
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去年の3月に延伸した地下鉄七隈線(博多―天神南)に初乗車🚆車両もホームも新しくてきれいでした✨ 天神南で降車したので、コロナ以降最初の大丸の地下にあるはじめの一歩で魚のフライ定食を🍴 フライもサクサク、ふわふわで美味しかったし、茶碗蒸しまで付いていました😋
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講演会会場に到着(無料)。
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講演会で使用する書類もろもろが置かれています。 ボールペンはもらって帰れます🖋 既に家に数本あります笑 書き心地が良いので気に入って愛用しています笑 写真撮影は開始前のこの席の様子で終了です。
講演会は双日主催で、双日の前社長(熊本県出身)が地方格差を嘆き、地方にもこういった講演会があってもいいんじゃないか!と言ったのが事の始まりだそうです。 私は第1回目に当選しましたが、途中から倍率が高くなり外れることもちらほら…泣 現社長は久留米出身です笑 別に九州びいきしているわけではないと思いますが、歴代の役員は総じて西日本出身が多いそうです。 来年4月は社長交代しますが、今度の社長は姫路の人だそうです。 毎回質疑応答もでき、私も数年前に質問してみましたが、登壇者がささいなことも丁寧に答えてくれるので、皆さんガンガン質問します。 ちなみに今回の講演会の司会は双日の社員の方で、私と年齢が近い雰囲気のバリキャリの雰囲気の女性。
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帰り際はお土産の受け取り&双日の社員の方たちのお見送り付です笑 その中に司会の人もいましたが、心なしか同年代と思われたようでフレンドリーというか親しみを持たれたような雰囲気でお見送りされました笑 今日は平日、それも昼間。講演会の参加者の中で最年少は私のようでした笑
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講演会終了後、大丸に戻りました🔙
くまモンの展示会が開催中(無料)だったので、見学してきました🐻
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ずっとネットで気になっていたeteのリング。 これまでジュエリーショップはネットで済ませていたので行ったことが無かったのですが、意を決して訪問笑
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元々指は太いので、当初は上の画像(スレンダー)をピンキーリングの候補にしていました。つけてみたら ゆるゆる…⁉️ お店の人も 「指輪、ゆるくないですか❔💦」 そして、この指輪の一番小さいサイズが私がつけているサイズだったので、下の画像の別デザイン(レイヤード)を紹介してもらいました。 可愛いデザインでこちらはさっきよりも小さいサイズがあったので、つけてみたら、まさかのピッタリ✨
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お値段もしたけれど、大満足💖 毎日つけます🥰
そして、これを投稿しているのはまたも博多駅のホームomg 早く寝たいです…💧
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europiumoooon · 3 months ago
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目が覚めるとポピーの花びらが散っていた。
花瓶の周りに花びらと共に花粉のついた雄蕊が落ちていたので丁寧に拾った。鮮やかなオレンジ色の花びらはティッシュと新聞紙に挟んで押し花にした。花は恋人からのホワイトデーだった。
昨晩は3時半に寝て9時に起きたのでまあまあかなと思う。最近の週末のルーティンが疲労によって崩れている。完璧主義な彼女は許せないものの、「髪の毛がしっかり乾かせないなら翌朝に入ればいい」と渋々自分に言い聞かせて寝ている。そのため土曜の朝に風呂に入る。
昨日はYouTubeであたしンチを観ているとふと弟のことを思い出し外出に誘った。私の最寄駅で待ち合わせ飯田橋に向かう。なんとなく東京大神宮に行きたかったのと、青森のアンテナショップに行きたかった。前にぶらり途中下車の旅で見たチャイも気になっていた。ここ暫く彼女は青森と新潟に想いを馳せていて周りから教えてもらう食べ物が気になっていたらしい。数人から教えてもらった商品を手に取り弟と半分こした。春の陽気のおかげで暖かく過ごしやすい日で、東京大神宮も人に溢れていた。桜も咲き���り春がまた来たと思った。弟に進捗状況を聞くと「もう少し」と言っていたので咎めもせず応援することにした。クタクタのUVカットの帽子を被っていたが風でいよいよイライラしてきたと思ったら弟が提案してくれたmont-bellの帽子が思いのほか良くて急な出費だったけど、やむを得ん、と彼女は思った。結局その日はウォーキングで右往左往して疲れたと思ったのに最近進めている逆転検事に思いのほかのめり込んでしまったせいで3時半に寝た。ふと思うと仕事のことばかり考えているのでやめたいと考えている。
3ヶ月溜めたレシートの整理に1時間半かかって終始イライラしていた。「ものを買うな!」と自分に言い聞かせながらも、やり抜いた自分を褒めていた。冬服をしまい春服をベッドの下から取り出した。春はなんだか憂鬱になるので得意ではない。クボタカイの春に微熱を聴いてこの時期はなんとかやり過ごす。一通り家事を終えて出かける準備をしていたらイベントは昨日までだったことを知りとりあえず寝ることにした。寝るまでまた仕事を思い浮かべていたのでとっとと寝ろと自分に言い聞かせた。春眠暁を覚えず。ふと目を覚ましたら窓から溢れていた光は消え夜の帳が下りていた。洗濯物を取り込むとまだ外は暖かかったので買い物しながらアイスを食べようと思い立った。ラーメンの具材を買い、サーティーワンでポッピングシャワーを選び外の広場で1人食べた。昔みたいに口の中で弾けないことがもう子供ではないのかもと思った。
そんで今この文章を書いている。
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ラーメン作るぞ〜〜〜
青森のチョコQ助美味しかったのでシェアハピです。
おしまい
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narihira8 · 2 years ago
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新今宮駅前の元ドヤ宿ホテル
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kennak · 2 months ago
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(3/26追記) たくさん見ていただいてありがとうございます。事前準備は大変でしたが、それでも現地で苦労したこともありました。しかし、それを上回る食事の良さと観光地の壮大さが味わえました。中国は怖い、と思ってる人も多くいると思いますが、現地で言葉がわからず苦労している我々に一生懸命手を差し伸べようとしてくる親切な人も数多くいたことをお伝えしておきます。 ・3世代の続柄がよくわからない →増田を起点に母、増田、子の3世代です。修正しました。 ・ホテルの値段を知りたい →追記しました。日本のHilton系よりも安いと思う。 ・中国プリペイドSIMはLINE使える? →使えます。Google/Facebook/Xも問題なしでした。 ・スマホないと無理レベル? →旅行者は無理だと思う。ただ同行者全員がこの準備をする必要はない。今回は大人数でタクシー2台移動もあるため、増田夫婦2人がWeChat PayとAlipayを準備しておいた。(DiDiで2台同時に呼べない) ・Trip.com、タクシーに関する情報を追記 以下本文 -------------------- 2025年3月に増田母/義母(後期高齢者)、増田夫婦(アラフィフ)、増田子(未成年)の3世代で中国北京に5泊6日で旅行してきた。事前にネットで情報収集したが、ガイドブック含めて日本語でアクセスできる最新情報が少なく苦労したので、誰かの役に立つことを願って備忘録として記載しておく。 目次 ・事前準備 ・ホテルの予約 ・交通状況 ・観光地(次回) ・食事(次回) 事前準備 ・中国電話番号付きSIMカード(プリペイド)の契約 WeChat Pay、AliPayは日本の携帯電話番号でも登録して、支払いのアクティベーションまで完了することはできるが、DiDiの利用や故宮の予約などを考えると中国電話番号が欲しいと思い契約した。私が契約したのはamazonでも売っているChina UnicomのeSIM「中国電話番号付きシーズンSIM」。中国本土だけでなく日本でも中国電話番号宛てのSMSが受信できるところがミソで、このおかげでBaiduのアカウントも作成できたし、故宮の予約も日本で取得できた。 90日間有効でデータ容量は6GBだが、1週間程度の旅行であれば十分かと思う。足りなければチャージ&期間延長できる。GoogleのサービスやLINEも使えた。今回宿泊したHilton系ホテルのWiFiでもLINEなどは制限されていて利用できなかったのでこれがあってよかった。 私のスマホ(Google Pixel 8 Pro)は物理SIM利用なので、このeSIMを追加して2本差し状態にしておけば現地で特に何もすることなくすぐに使える。 ・WeChat(微信)とAlipay(支付宝) 支払いはこの2つのアプリをそれぞれインストールしておき、アカウント登録(要パスポート)とクレジットカード紐づけまでを日本で完了させておく。ほとんどの店でどちらも使うことができるが、バックアップ用として両方ともが望ましい。紐づけるクレジットカードは別会社にしておくと更に良い。私は旅行中にAMEXに不正利用確認として2度止められてWeChat Payが利用できなくなり、JCBを紐づけたAlipayで支払って難を逃れたことがあった。 支払いだけでなく、それぞれのアプリからミニプログラムを起動して故宮などの観光地の予約やDiDiでのタクシー配車をするので、これがないと何も始まらない。逆に現金はまったく不要だった。今回の旅行では中国元への両替を行わずにすべての観光ができたし、なんなら硬貨、紙幣含めて使われているのを見てもい��い。 ・百度地図 Google Mapは中国だとまったく役に立たない(地図の内容と位置情報が合っていない)ので、百度地図か高徳地図のいずれかを使わないといけない。私は百度地図しか使わなかったので高徳地図のことはわからない。百度地図が使いやすいか?と言うとそんなことはなく、中国語以外の言語は選択できないのでGoogleレンズの翻訳とにらめっこしながら後は慣れで乗り切るしかない。また、Baiduアカウントがないと地点の「お気に入り登録」ができず、Baiduアカウントは中国の電話番号がないと作成できないという問題もある。今回は日本でもSMS受信可能な中国電話番号付きSIMを購入したのでBaiduアカウントの作成に成功し、Google Mapに近い感じで利用することができた。 なお、Google Mapでホテルの場所を確認するとまったく別の場所を表示されるので自力で行こうとするとホテルにたどり着けない可能性もある。ホテルの場所は百度地図で確認しておくとよい。 ・Trip.com 中国国内の高速鉄道が予約できる。Web版もあるがアプリを入れた。今回は雲崗石窟(大同南)と万里の長城(八達嶺長城)の往復2回、高速鉄道に乗ったが、GUIもわかりやすく日本語表示可能なのであまり苦労しないで列車予約できると思う。思ったより発券手数料がかかるが他に選択肢がないのでどうしようもない。 (追記)利用登録にはパスポートが必要。また同行者のチケットを購入するときも同乗者のパスポート情報が必要なので、何度も購入するのであれば事前に同行者情報を登録しておくと便利。あと、1回の発券では5人分までしか購入できない。今回の旅は大人数のため2回に分けて購入が必要だった。 ホテルの予約 私はHilton Honors会員なので、今回はHilton系しか調べていない宿泊していないので参考にならないと思う。HiltonのWebサイトから北京(Beijing)で調べていくと、ラグジュアリー系のウォルドルフ・アストリア、コンラッドから、ヒルトン、ダブルツリーのアッパー系、アッパーミドルのHilton Garden Inn、Hamptonなど10個以上が見つかる。後述するように地下鉄が安く、タクシーが便利で安いので、ものすごく辺鄙な場所でなければ、あとは予算や志向に合わせて決めれば良いと思う。 今回の旅は、Hilton Garden Inn Beijing Guomaoに3泊、Conrad Beijingに2泊した。北京市内でホテルをはしごするのは面倒ではあったが、アッパーミドル→ラグジュアリーとグレードアップすることで終わりの印象がよい旅になったと思う。 Hilton Garden Inn Beijing Guomao(北京国貿希尓頓花園酒店) 2025年3月上旬に開業(おそらくHiltonブランドへの変更リニューアルと思う)したばかりだったので、設備も新しくキレイだった。トイレもウォシュレット完備だが、バスタブはなくシャワーのみ。朝食ビュッフェ(60元/人)、無料ランド���ー、トレーニングマシン室もあるので、長期滞在でもリーズナブルかつ便利に過ごせると思う。スタッフはごく一部しか英語を話せないが、一生懸命理解しようとしてくれるし、日本人ならではとして漢字で筆談できるのでなんとかなる。最寄り駅は国貿(Guomao)ではなく永安里から徒歩5分ちょっと。永安里は1路線(地鉄1号線)のみだが天安門や王府井から3〜4駅と近く拠点としても優秀な部類だと思う。レストランの併設はないが近くに四川料理店があるのと、DiDi呼んで食べに行けばよいので困らない。 (追記)3部屋3泊で約7,700元(朝食付き)だったので、1部屋(2人ないし3人まで宿泊可)の1泊分は約18,000円。 Conrad Beijing(北京康莱德酒店) Hilton系列のラグジュアリークラスだが、繁華街の王府井にあるHilton Hotel やウォルドルフ・アストリアに比べたら安価。ラグジュアリーではあるが2013年開業なので設備はあまり新しくない。トイレもウォシュレットはなかった。シャワー室のほかバスタブが窓際にセパレートであるのでゆったりと過ごせる。地下にプールがあるらしいが今回は行かなかったので不明。朝食はさすがの高級ホテルのビュッフェという感じ。上記のHilton Garden Innも悪くなかったが、比べてみると種類、質とも圧倒的。あと市街観光していても西洋系、アラブ系の外国人をほとんど見ることはなかったが、Conradにはいっぱいいた。みなさん、ここにいたのね。 (追記)3部屋3泊で1部屋はエクストラベッド追加で約11,000元(朝食付き)だったので、こちらは1部屋1泊分は約38,500円。 交通状況 ・Beijing PASS いわゆるSuica/PASMOと同じような非接触型のチャージ式切符であり、ガイドブック等を読んだ限りでは便利そうだと思い空港で購入したが、買う必要はなかったなと思う。人数も多かったのでいちいち1枚ずつチャージするより、切符を券売機でまとめて購入するほうが楽だったので、チャージが切れたあとは使っていない。少人数で地下鉄中心で移動する場合は購入してもよいかもだが、WeChat PayやAlipayで直接改札で支払い可能なので、個人旅行だとやっぱり不要。 ・地下鉄(地鉄) ものすごく地下鉄網が発達していて南北東西に走る線路のほか、環状線が大小あり至る所で乗換駅がある感じ。そして安い。初乗りは3元からで乗換含めて40〜50分地下鉄で移動しても6元とか。お金はあまり使いたくないが体力がある人には地下鉄がおすすめ。ただ、古い路線(1号線とか2号線)はエレベータどころかエスカレータもなく、年寄や足が悪い人には向かない。タクシーも日本に比べてずっと安いので、体力に自信のない人はタクシーを活用したほうが良い。私たちは朝は地下鉄で目的地まで行って、その後は無理をせずタクシーを使って移動していた。あと、だいたいどんな駅でも入口でセキュリティチェックを受ける。 ・タクシー 日本だとタクシー配車アプリを使ったことはほとんどないが、中国ではDiDiというアプリ一択の状況。WeChat、AlipayのそれぞれのアプリからミニプログラムとしてDiDiが起動できるので、DiDiアプリをダウンロードしておく必要もない。使い方は英語画面だが直感でなんとかなる。自分の位置情報が表示されるので”Where to go”から行きたいところを検索して指定して、どのクラスの車を呼ぶか(複数選択可)を選べば、あとは数秒で自動でマッチングして自分の居場所まで来てくれる。アプリには車のナンバーだけでなく、メーカーや車種なども表示される(されない場合もある)し、どこから向かってるかなどの位置情報もわかるので、あ、あれかも?とナンバーが見えなくてもなんとなくわかる。車が来ているのにこちらが見つけられないと、SMSや電話がかかってくる場合もあるが、中国語が話せないとわかると向こうからキャンセルされる。その場合は、落ち着いてもう一度配車申し込みすればよい。 値段は20kmぐらい移動しても50元(1,000円)いかないぐらい。中心部にある観光地から周縁部のホテルに戻るぐらいの距離なら20〜30元でいける。3人旅であれば地下鉄よりもちょっと高いぐらいで楽々移動できる。 (追記)空港や主要駅などでは、タクシー(白タクではない正規のもの)も客待ちしている。DiDi配車の待ち合わせスペースに行こうとすると必ずタクシーの運ちゃんの客引きに合う。彼らは私が”I can't speak Chinese”と言ってもお構いなしにずっと声がけしてきてつきまとってくるので、かなりうざい。 声がけには白タクの人も混じってくるので無視するに限るが、正規のタクシーで目的地が有名どころではっきりしていれば特に問題ないと思う。 DiDiは目的の車が来たら自分で助手席を開けて、自分の携帯電話番号の下4桁を運転手に伝えることで確認完了となる。WeChat PayやAlipayに登録した番号がそのままDiDiに連携される仕組み。増田は中国SIMの電話番号に登録変更していたのでそっちを伝える。英語だと通じないことがあるので、そこだけは中国語の数字を覚えるか、紙に書いて見せるのでもよい。数字は麻雀知ってる人はそんなに苦にならないと思う。リン、イー、アル、サン、スー、ウー、リュウ、チー、バー、ジュウなので、0834なら「リン・バー・サン・スー」とはっきり言えば伝わらないことはなかった。 ・高速鉄道(高鉄) 長距離移動の場合は、高速鉄道(新幹線)を使う。北京にはいくつかの高速鉄道駅があるが、今回は北京北駅と清河駅の2つしか使っていないので、それ以外はよくわからない。パリやロンドンと同じく行き先別で駅を使い分ける感じなんだと思う。(東京は東京駅に行けばどこにでも行けるのと対照的��) そして高速鉄道駅はものすごくでかい。庇のついた巨大な駅舎で内部も余裕があり、こんなに大きくする必要もないだろうと思うが、中国の人口を考えると繁忙期には激混みするのかもしれない。 チケットの購入はTrip.comで行った。他に方法があるのかは不明だが、日本語表示可能で直感的に使えるGUIなので発券手数料高くても不満はない。チケットの予約は2週間前から可能だが、それ以前から購入予約をすることができる。春節などの繁忙期は列車が満員になることもあるらしい。 座席は1等席、2等席のほか、ビジネス席やファミリー席などがある列車もある。1等席以上は座席数も少ないので希望する場合は早めに予約を。あと1等席は飲み物(今回の旅では”お湯”だった)とスナックがついた。 (追記)セキュリティチェックも厳重で駅の建物に入るとき、出発待ちの待合室に入るときの2回のチェックがある。
2025年3月北京旅行備忘録
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myonbl · 3 days ago
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2025年6月24日(火)
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私の住まう地域は、生活するには大変便利が良い。徒歩1分でウェルシア、2分で総合病院、3分でコンビニ、5分で銀行・スーパー・郵便局と、すぐに用を足せるのだ。バスを使えば、JR京都駅まで10分、阪急京都線桂駅まで15分、大阪へも(天満天神繁昌亭)神戸へも(新開地喜楽館)気軽に(落語を聴きに)いくことができる。で、何が言いたいかというと、退職して3カ月、歩く距離が極端に少なくなって体重が漸増気味なのだ。梅雨が明ければ頑張ろう・・・かな?
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5時起床。
昨日の日誌書く。
6時、ツレアイの起床を待って洗濯開始。
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朝食を頂く。
洗濯物を干す。
珈琲を淹れる。
可燃ゴミ、10L*1&30L*1。
8時20分、彼女が自転車で出勤、午前は訪問1件。
9時、コレモ七条店で買物、手羽中を使って今夜は唐揚げにしよう。
シミズ薬局本店、黒ラベル6本を購入すると、20円引きのクーポンが出た。
キュウリのしょうゆ漬け仕込む。
彼女が仕事の後、買い物して帰宅。
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<れいわ新選組・西郷みな子事務所>から選挙用ハガキ届く、5枚に友人の名前を書いて返信用��筒で投函、ハガキ届いた方、よろしくお願いします。
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ランチ、彼女には残りものカレー仕立て、息子たちには鶏天きつねうどん。
12時35分、彼女を職場まで送る。
14時36分、西大路七条から13系統乗車、四条烏丸へ。
西村歯科の予約は15時30分、10分前に受付するとすぐに呼ばれる。いつも通りチェック&クリーニング、地雷を抱えているので1カ月毎に見ていただく必要があるのだ。特に深刻な問題はなく、次は7/22(火)15時30分。
16時前に外に出ると酷い雨、地下道を通って四条烏丸へ、目の前に来た207系統に飛び乗る。七条大宮で乗り換えて帰宅、さて、夕飯準備だ。
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このところ、揚げ物は薄口醤油をベースに使う。
録画番組視聴、呑み鉄本線の再放送から
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彼女が片付けしている間に、私は夢の中へ。
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四条へ出たので、久しぶりに3つのリング完成、歩数は11,293。
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hangorin · 4 months ago
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反万博フィールドワークに参加!
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1月18日、大阪・関西万博反対のために立ち上がったバビロン解体企画のお招きで、反万博フィールドワークに参加するため訪阪した。
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新大阪駅を降りるとさっそく駅構内に万博プロモーションが登場。商店街にも、数メートル感覚で万博ののぼりが並ぶという異様ぶりである。
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集合場所の扇町公園に集まった約10名ほどの参加者たちは、皆、思い思いのプラカードやバナーを作る。これを、これから訪れる万博関連施設などで掲げフォトアクションを行うのだ。
まず私たちは扇町公園を出て淀川へ向け歩いて北上。途中、ストリップ劇場「東洋ショー劇場」を通り過ぎる。ここでは2024年11月にダンサーら10人が逮捕されるという弾圧が起こった。東京五輪前の2021年にも上野のストリップ劇場が弾圧を受けたように、これも万博前の「社会浄化」の一環と目されている。メガイベントに際したストリップ劇場の弾圧と、抗議や文化としての裸体についてはバビロン解体企画のzineにある「ハダカとバンパク」が興味深いので是非読んでほしい。
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町内会の看板も万博仕様。
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続いて訪れたのは国分寺公園という小さな公園。ここには万博開催中の1970年4月に起こった大阪地下鉄建設中のガス爆発事故の慰霊碑が建っている。死者79名、負傷者400名余り、26戸48世帯が焼失するという大惨事だったという。慰霊碑には「今後都市の建設工事を実施するにあたってはさらに安全性の確保に努め再びこのような惨事を引きこ起こすことのないように」と書かれている。ところが、現在推進されている2度目の大阪万博では既に2024年3月にメタンガスによる爆発事故が発生。ゴミの埋立地であった夢洲では、またいつこのような事故が起こってもおかしくない。過去から学ばず、開発を優先し過ちを繰り返すこの国の情けなさがここでも見て取れる。
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さらに歩くと、なんと万博仕様のマンホールが登場!東京五輪のときもありましたね!くだらないことに税金を使うんじゃないよ!
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ここは淀川河川敷。広々とした風景を切断するように白い鋼板が建てられ、何やら工事をしている。これは淀川左岸線延伸部整備事業といい、2011年に政府の都市再生プロジェクトとして位置づけられた全長8.7㎞の道路建設計画である。しかし、この一部が万博の際に大阪駅や新大阪駅から万博会場を結ぶシャトルバスの専用道路として暫定的に利用される予定だという。
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また、この工事の一部は大深度地下を活用している。つまり、地中深くであるから地表の地権者の了承は必要ないというものである。しかし、この大深度地下を活用した工事においては既に2020年東京で外環道の工事によって地面の陥没事故が起きている。
この淀川河川敷を散歩コースとして拠り所としていたフィールドワーク参加者は「散歩を返せ」と強く憤っていた。
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私たちは電車を乗り継ぎ湾岸部へ。ATC(アジア太平洋トレードセンター前)周辺は、まるで東京の湾岸エリアのよう。荒涼とした空間の中に、大阪入管もそびえている。
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建物の中には万博オフィシャルショップや万博支援自動販売機!(東京五輪のときもあった!やっぱりコカ・コーラである。)この自販機の売り上げが、万博の機運醸成活動に利用されるのだという。誰が買うか。
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ATC内に掲示してあった万博作文コンクールのポスター。東京でもオリパラ教育が強要されたように、万博もまた子どもたちを洗脳しようとしている。
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万博の初日に皆で「第9」を歌いましょうというチラシ。なんと参加者は2万円支払ったうえに3回のレッスンを受けなければならないらしい。こんなのやりたい人いるのか。
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展望台に登ると、西側に万博会場である夢洲が見えてくる。344億円かけたという空しいリングでそこが夢洲だとわかる。手前はコンテナふ頭、右手の更地はカジノ建設予定地だ。既に各所で言われている通り、夢洲に出入りするには夢舞大橋か地下トンネルの2つしかない。事故や災害があったらどうやってこの島を脱出するのか、考えただけで恐ろしい。
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ここでもバナーを掲げ、反万博をアピールする。あちこちに貼られた万博ポスターは「すごいぞ!」などの空虚な言葉ばかり。
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衝撃的だったのはこちら。大阪メトロの各駅に設置されている顔認証自動改札機(!)。東京五輪の際も、五輪会場のゲートでNECの顔認証システムが採用されていた。また、JR東日本は2021年7月から主要駅や車両基地、変電所、線路沿線などに約8350台もの監視カメラを設置して通行人の顔情報を取得し①過去にJR東日本の施設内で重大な罪を犯して服役した人、②指名手配中の容疑者、③うろつくなど不審な行動を取った人を検知していた。批判を受け、①については検知を見直したが②と③は継続しているという。メガイベントのたびに監視システムはどんどん強化され、私たちの個人情報は奪われていく。大阪万博でも同じことが起ころうとしている。
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最後は12月1日に強制執行があったばかりの釜ヶ崎へ。JR新今宮を挟んで向かい側、かつて遊園地フェスティバルゲートが撤退して以降長らく空地だった場所には、いま高級ホテル・星野リゾートがそびえたっている。労働者の街・釜ヶ崎を、観光客やミドルクラスのための街に変容させようというジェントリフィケーションの象徴のような場所に、大阪万博を宣伝するきらびやかなプロジェクションマッピングが施されている。私たちはこの場所で、万博反対の最後のアピールを行い、フィールドワークを終えた。
実際に街を歩いてみると、メガイベントがいかに私たちの生活に侵食しているかがよくわかる。たとえ興味がなかったとしてもだ。東京五輪のときも酷かったことをありありと思い出した。その中で、反万博を訴え、プラカードやバナーを掲げ、街の景色を少しだけでも変えることができた。この一日に参加できたことを有難く思う。                                                                    
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ari0921 · 11 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024年)8月13日(火曜日)
    通巻第8365号
 バングラ政変の黒幕に米国が関与? 『南アジアの春』?
  インドから見れば、周りのスリランカ、ミャンマー、モルジブに政変が起きた
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 筆者の印象ではバングラデシュの人々はたいそう親日的である。国旗をみても、日本の国旗そっくりのデザインで、白地がみどり、日の丸は赤。小学生でもまっさきの覚える国旗だ。
 1971年の戦争でパキスタンから独立後、日本が最大の支援国だったこともある。
 そのバングラ人が日本にあきれかえった事件は、ダッカ空港日本赤軍ハイジャック事件で、凶悪犯人の出鱈目な要求を当時の福田政権は「命は地球より重い」と言って身代金にも応じ、ハイジャッカーの言いなりになったことだった。
日本には武士道があったのでは?
 2015年に筆者は関空からダッカへ向かった。飛行場で登場寸前に継体電話が鳴り、うっかり或る新聞コラムの原稿締め切りを忘れていたことを知った。原稿の督促、それも24時間以内。
機中で書き上げ、ダッカのホテルから、FAX送稿して間に合った。間一髪だった。原稿用紙を持っていないので、同行した家内に下書きの字数を数えてもらい、1200字にまとめた。強烈に思い出すのはダッカの三流ホテルからでもFAXが通じたからだ。
 機内で隣に座ったのは若いバングラデシュの男性。日本ではタイル工務店で働き、一年ぶりの里帰り、親方がボーナスを呉れたからと嬉しそうな笑顔だった。「おみやげも沢山買えた」。
 先般のバングラ政変はシェイク・ハシナ首相がインドへ逃亡し、欧米が保護していた銀行家のムハンマド・ユヌス(ノーベル平和賞。グラミー銀行創設)を暫定政権のトップの据えることで、混乱は一時的に収まった。超法規的措置だが、最大野党BNPと軍が納得したからで、軍は出来るだけ早い時期に民主手続きによる選挙を行うと宣言した。
 バングラデシュの軍隊はエリートで陸軍13万2000人、海軍1・7万、空軍が1・4万の陣容である。
 さてバングラ政変の「黒幕」は誰なのか?
 ハシナ前首相は亡命先のインドでメディアの取材に応じ、「明らかに黒幕はアメリカよ」と言っている。
 中国では? と切り返す暇を与えず、アメリカ黒幕説の理由を「セント・マーチン島をアメリカは軍事基地として租借し、ベンガル湾で睨みを利かそうとしていましたが、私が拒否し続けたからです」と説明した。ハシナは親中派である。
 セント・マーチン島はチッタゴンから南へ、ミャンマー沿いのリゾート島で、バングラの国内観光では人気もあるが、インフラが整っていないばかりかアクセスが悪く、外国人はほとんど行かない。
そもそもバングラは日本の四割しかない面積に一億八千万の人口を抱えて、世界一の稠密度をほこり、そのうえ国土の半分が湿地帯、海岸線はマングローブ、人が住める土地は限られている。
▼軍事要衝の確保を急いでいるのは中国である。
 米軍が、いくら地政学的要衝にあるとはいえ、この島を租借して空軍基地をつくるとは考えにくいのではないか。
とはいえ当該島の北にあるチッタゴンは中国がねらっているし、南のミャンマーのチャオピーはすでに中国の石油とガスのパイプラインの拠点化し、将来は港湾近代化を予定している。
筆者は、このチャオピーにも行ったことがあるが、ミャンマーの仏教原理主義過激派が70万人のロヒンギャをバングラに追いだした拠点でもある。中国が大工業団地を造ると言って土地の買い占めをしていた。
 一方、インドの心配事は何かと言えば、バングラ国内に19000人のヒンズー教徒、その安全である。バングラではヒンズー教徒への謀略事件が目立ち、8000人のインドからの留学生は政変前後に帰国した。カナダのトロント等では、ヒンズー京都を守れという集会とデモが行われている。
 バングラの政治はAI(アワミ連盟)とBNP(バングラ民族党)の対立構造で、最大野党BNPは過去二回の総選挙をボイコットした。
BNP総裁のジア元首相(殺害されたジア将軍未亡人)は自宅監禁を解かれたばかりで、これから政治力量を発揮できるか、どうか。
BNPには過激派JEI(ジャマート・エ・イスラミ)を抱えており、さらにこの分派の過激派が昨今のバングラ暴動を仕掛けたとされる。
 ハシナが去って、ラーマンミュージアムは破壊された。ハシナの邸宅は民衆が押し入り、手当たり次第に家具、備品を持ち去った。
エアコン、応接セットから扇風機、絨毯、植木鉢から家畜まで。陽気に歌を唱いながらの略奪だが、新聞も余裕を持って写真グラビアを特集したが、罪を咎める風情はまったくなかった。
 ▼バングラの産業は繊維だが女工哀史、ユニクロも撤退
 さきのグラミー銀行と組んでバングラに繊維工場、店舗を展開したのがユニクロだった。
そのグラミーユニクロは経営方式などで意見が合わず、撤退した。
 また日本が援助し、JICAが中心となって、ダッカ市内を縦断する地下鉄は部分開通していた。ところが、さきの暴動で駅や改札などが破壊され、メトロかいつの目途は立っていない。日本企業も新たな難題を抱え込んだ。
 日本に住む外国人は増えるばかりで、中国の82万人を筆頭に、二位ベトナムが57万人、三位韓国が41万人。犯罪件数もこの順番である。
 四位以下はフィリピン人が32万、ブラジル22万、ネパール18万、インドネシア15万、ミャンマー8・7万、台湾、アメリカ、タイ人とつづき、ミャンマー、ペルー、インドスリランカのあと、第十五位がバングラデシュ人の27962人(23年度末統計)。
そういえば日本のコンビニ店員は十数年前までは中国福建省閥が多かった。
いまではスリランカ、バングラ、ミャンマー勢にカザフスタン、ウズベキスタンなどの新顔。つまり他の国からの出稼ぎ組はコンビニや居酒屋より給与の高いところへ移動したのである。
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hankgon · 2 years ago
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instagram
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samantha-dan564 · 4 months ago
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https://note.com/human_llama7851/n/ne99b9bcf748f
上記の想像はあながち間違っていない。 そうなると、もうJRも思い腰を上げざるを得ない。大回り乗車は禁止だ。今の技術を駆使すれば、大回りの乗客を検知することなどは容易い。
平井から東京に行く際、錦糸町での快速の乗り換え(8.2km)を避けて(東京地下駅から上がるの面倒だしね)秋葉原で乗り換え(8.8km/階段降りるだけ)たら運賃は同じだけど「大回り乗車」になるのだけど、これを禁止できるだろうか
ほかにもたとえば横浜~大宮を湘南新宿ライン経由(62.9km)か上野東京ライン経由(59.1km)で行くかなんてのも湘南新宿ライン経由は「大回り乗車」になるわけだ
もちろんリンク先の人は「感性」で語ってるから的外れな仮定なのは承知している。だけど感性を規則に落とし込むのはとても難しいんだよね、という話。そもそも大回り乗車の規則はいちいち経路通りにきっぷを発見するのは旅客にも職員にも大変だからと手続きを簡略化した制度なわけで、ってこれは感性を規則に落とし込んでいるのか。すーな
個人的には人間の「意図」を検知したり規則化するのはけっこう難しいと思う
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iamnothizanourahayao · 5 months ago
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ザーヒーのいちばん長い日~ハムちゃんはもっと長かった日~
 令和七年のはじめ、小春日和の陽気が消えようとしている夕方に息子(ハード上男児であるため、特段上の理由がない限り、以降もそう表記する。なお、この文章の時間軸上においては胎児として存在している場合も同様に表記する)が生まれた。
 あっけなくすとんと、というわけには全然いかなかったので、ひとりの新米父親として、ざっとレポートしようと思う。
 まず、いくつか、前提としてここまでのハムちゃんの情報を書いておく必要がある。
 ハムちゃんは結局37週に入って妊娠高血圧で入院し、そのまま2週間近く入院していた。入院時に子宮口が1センチ開いていたが、そこからあまり伸びず、2週間かかってようやく3センチ弱だったので、ラミナリアという棒状の海綿のようなものを挿入され、子宮口を拡げる処置をされた。そういう処置があるかもしれないとは最初に説明があったものの、いつまでにどういう条件だったらそうなるのかがわからないまま突然処置をされ、ハムちゃんはたいそうショックを受けたし、実のところおれも病院の説明体制にかなり疑問を持ったところだった。
 ただ、結局その処置によってその日の深夜に子宮口5センチまで拡がったため、ラミナリアを抜いて、LDRという陣痛を耐えて分娩を行う部屋に通された。ちなみに、ここに入れる部外者は立ち会い研修を受けた配偶者、つまり夫であるおれだけである。
 そういうわけでハムちゃん本人からLDRに向かうよう指示されたわけだが、時刻はちょうど零時をまわったところで、ハムちゃんのいる病院までの交通機関などあるわけがなく、タクシーを使わざるを得なかった。さすがのおれも歩いて1時間以上かけて向かうほどの無鉄砲なことをやっている場合じゃないと思ったので、必要そうな装備(ゼリー飲料とか、カロリーメイトとか)をあらかたそろえてアプリでタクシーを呼んだ。
 タクシーの運転手はかなり若いギャルっぽい人で、5人乗りのでかめのタクシーを軽々と乗りこなしながら、病院まで淡々と乗せてくれた。実を言うと、身近でよしおより運転が巧いひとを知らないし、運転技術で言えばよしおはたいていのタクシードライバーにもひけをとらないだろうと思ってはいるが、さすがにこのギャルドライバーはよしおより巧いんじゃないかと思った。ごく普通のタクシー用ワゴンでよしお号と同レベルの乗り心地なのかなりすげえと思うんだよな。そんなわけでアプリでチップを送ってあげた。
 LDRに到着するとハムちゃんは分娩用の病院着になっていて、分娩台もかねるベッドに寝かされていた。すでに陣痛は来始めていてしんどそうだった。ブレスを深く吐いて陣痛を逃がそうとしていた。ハムちゃんいわく、寝れはしないけど知らない痛みじゃないし、全然耐えられるとのこと。おれはそこで少し安心したのを覚えている。
 なお、おれたちは、このときのハムちゃんの痛みが「陣痛」ではなく、いわゆる前駆陣痛の大きいやつ程度のものであったことをあとで知ることになるわけだが、もちろん今、この時点ではそんなことは知るよしもなかった旨付け加えておく。
 どちらにせよ、子宮口が全開、つまり10センチ開大しないことには分娩ができないので、それまでは子宮口を拡げるためにどうにか陣痛を耐えていかなければならず、このLDRという部屋はまさに「赤ちゃんが出てくるまで出られない部屋」そのものであった。
 もっとも、おれは医療的な管理が全く必要のない、いわゆる面会者扱いの人間なので、例えば病院の中にある売店とかでおにぎりやお茶を買うことはふつうにできる。明け方くらいまでは陣痛は5分おきから10分おきを前後しており、かなり余裕があったので、隙を見て売店に行ったり、トイレにいったりできた。また、翌朝の診察で子宮口の進捗がいまひとつであった場合、陣痛誘発剤を打っていくという説明も受けていたので、陣痛タイマーでその間隔をつぶさに観測していた。
 ハムちゃんが臨月にさしかかる頃から、なんとなく、おれは「息子が異次元空間から自分でロケットを組み立てて、それに乗って脱出することでこの世に登場する」ようなイメージをもっていた。ロケットに点火され、強烈な噴射とともに、(概念上の)息子が生きていた次元から離れた状態がハムちゃんに陣痛を起こさせているようなイメージである。オンラインの両親セミナーで、「赤ちゃんも頭蓋骨を折り畳んだりして狭い中出てくるから、赤ちゃんも相当頑張っているんですよ」みたいな話を聞いたときから、なんとなく頭に浮かんでいた。ロケットの推進力に身体を押されるような理不尽な苦しみを受けながら、ようやく住み慣れた異次元空間を旅立つ息子の心細さを思った結果のように思う。
 しかし、この陣痛(正確に言えば前駆陣痛であるがおれたちにとってはどっちも陣痛だと思っているので以降同様に表記する)に耐えるため、ハムちゃんの腰をさすったり、痛いところを懐炉を包んだ手ぬぐいで温めてあげたりしながら、イメージがちょっとずつ変わってきた。ロケットはどうにも始まりが急で、しかも着地点がわかっているような感じがする。今のこれは予想していたものよりもずっとおだやかで(もっとも、これは本陣痛ではなく、あくまで前駆陣痛の域を出ないものだったのでおだやかなのは当たり前なのだが)、ただ波が無数に来ていて、終わりが確実にあるのはわかっているが、肝心のそれがいつ、どのような形でくるのかわからない。さらにいえば、ハムちゃんはそういった「終わりがわからない」ものに対して非常にネガティブな感情を抱きやすく、実際に朝の時点ですでにその際限のなさに心が折れかけていた。ハムちゃんの子宮に息子が宿ってから、実際に出てくるまでおれができることは、ハムちゃんが無事に息子を産みだすために支えつづけることだけなので、少しイメージを変えてみようと思った。息子が会いに来るわけではなくて、おれたちが息子に会いに行くと考えよう。おれたちが鈍行列車に乗って、息子のいる終点まで迎えにいく。例えば、熱海から浜松までを走っている東海道線の鈍行を想像する。青春18きっぱーたちにはおなじみであるが、鈍行列車で東海道・山陽本線を移動するとき、乗っている列車がどこまで行くのかいちばんわからなくなるのがその辺で、とにかくそれなりの間隔で駅がある割に長距離なので、どこまで走るのかが全くわからないが、ずっと乗っていればいつかは終点にたどり着くだろうと思って乗っている、あの感覚を思い出したかったし、ハムちゃんに伝えたかった。つまり、「今を耐えて次の駅に向かいつづければ、必ず終点にたどり着く」というイメージを共有したかったのである。ハムちゃんはおれが鉄道好きだということを知っているから、そういうことにしようと言ってくれた。
 結果的に、子宮口はそこからあまり開かず、朝9時ごろから誘発剤の点滴が始まった。徐々に点滴量を多くしていき、量を調節していくとのことで、NSTという、子宮の張り具合や息子の心拍を確認するためのモニターをつながれ、ハムちゃんはだいぶ身体の自由度が下がった。許可なく分娩台からは降りられず、トイレに行くのもナースコールが必要になった。
 誘発剤を投与しても、陣痛の波はあまり安定せず、10分おきになることもあれば、3分くらいでやってくることもあった。ただ、おれから見ると、ハムちゃんは徐々に苦しそうな仕草をすることが増えてきたので、おそらくではあるが痛みは増えてきているだろうと思った。
 陣痛というものは波があって、非常に痛い時間と、痛みが引く時間が交互にくるのが正常な陣痛らしい。ただ、おそらくは誘発剤の影響か、昼に近づくにつれて痛みは増え、その波もかなり不規則になってきていた。ひどいときには波がきて、その痛みが引ききらないうちに次の波がくるような、痛みの無間地獄のような時間もあり、ハムちゃんはかなり消耗していった。誘発剤の量もそういった経緯をたどり増やしたり減らしたりしながら調整していったが、肝心の子宮口が5センチから進んでおらず(診断としては非常にゆっくり進んではいる、とのことではあったが)、結果だけみるとおれが入ってから12時間で、子宮口は1センチ程度しか拡がらなかった。
 この時点でおれは、自分の予想がいかに軽いものであったかを痛感し始めていた。正直な話、ハムちゃんは、管理入院こそしてはいたものの、栄養管理やもともとの体質、これまでの検診の結果から考えてもお産のリスクが高いとは思えず、むしろ、陣痛さえきてしまえば意外とすぐに産まれるんじゃないかとすら思っていたのである。ハムちゃんはもとより、おれもかなり体力を消耗しはじめていた。なにしろ売店までモノを買いにいけるような暇はなく、ひたすらハムちゃんの背中をさすったり、臀部や会陰を圧迫したりしていきみ逃しをしたり、アクティブチェアという、陣痛を呼び込んだりするための椅子に座ってもらったり、いろいろな方法でとにかく痛みに耐えながら子宮口を開くための努力をし続けた。
 午後3時くらいになって、子宮口が7センチくらいまで拡がった頃、それはやってきた。
 ハムちゃんが「あああああああああああああ」と絶叫し始めた。もう叫ばないとやってられないくらいの痛みになっていて、息を長く吐くためにあえて声を使うことにしたらしい。
 いきみ逃しのために会陰を思い切り拳で圧迫したとき、明らかに息子の頭部であろうものと触れた。相当な力だった。元来腕の筋肉がつきにくく胴の割に異常に細い腕であることでおなじみのザーヒーくんであるが、まさか産まれる前の息子の頭にすら押し負けそうになるとは思わず、少し情けなくなった。また、この作業をすでに何十回何百回とくり返しているので二の腕が限界に近づいていた。その様子を見ていたハムちゃんが、別件で訪れた助産師さんに「夫が限界です」とこぼすくらいにおれの表情はひどかったらしい。助産師さんは笑いもせずビニール袋に包まれたテニスボールを差し出して「これで押して」と言って去った。出産なめてんじゃねえぞ、と言われた気分だったが、実際におれが出産をなめていたことは(残念ながら)事実であったし、なにしろ痛みに絶叫するハムちゃんが「押せえええええええええええ」というのだからやることはひとつである。テニスボールを装備して押し込んでやるしかない。
 おれはハムちゃんの絶叫に負けじと「うおおおおおおおおおお」と声を張り上げ、ハムちゃんの会陰にテニスボールを押し込みつづけた。LDRの外にも響いていたかもしれないが、助産師さんに聞かれて恥じることはないと思っていた。おれとハムちゃんは大学の合唱団の先輩と後輩、もっといえばおれはベースの一番端でハムちゃんはソプラノの一番端という組み合わせである。現役時代共演した定期演奏会はたったの一度であるが、その一度の両翼を担った夫婦ということになる。だから一定の声量と呼吸の質を長時間維持することにかけてそこそこの自信があったし、なによりとにかく陣痛を耐えるためには息を長く吐き続けることが重要だと助産師さんたちから耳にたこができるほど聞かされていたので、声があろうがなかろうが息を吐き続けて耐えることが重要で、おれはハムちゃんがそうできるように積極的にアシストすることが最重要課題だったから、恥もへったくれもなかった。
 おれが、文字通り全身全霊で息子の頭と力(と体力)比べを重ねる様は端からみたら滑稽そのものかもしれないが、この時、たしかに、おれのなかに入っていた「父親になること」に対する、よどんだ邪念のようなものが消えた。出ようとしている「もの」はどう考えてもこれまでハムちゃんのおなかで動き回っていた「奴」そのものだったし、おれはどうやったってその父親であるのだ。その事実は、おれや息子がいつ何時どう思おうがもはや覆らない。であるならば、もうこいつを「息子」にしてやるほかないのだ。おれにとって最も大切なのは自分ではなくハムちゃんなのであるが、そのハムちゃんが今まさに産み出そうとしているこいつも、今まさにおれの「息子」として産み出されようとしていて、おそらくはハムちゃんの最も大切なものになろうとしている。そういう意味で、おれはふたりが今築こうとしている強固な関係性の中に入れないことを実感した。けれども、入れないからこそ、ここで踏ん張って二人を助けてやらねばならない。そんな思いがよぎった。ここでこいつに負けるということは、最悪の場合ハムちゃんの子宮が圧力に負けて裂けてしまい、ハムちゃんはもちろん息子も死んでしまう。だからおれは必死にテニスボールでハムちゃん越しにこいつの頭を押さえ続けた。
 こうして本物の陣痛と格闘していくうち、明確な波をお互い察知できるようになり、陣痛がおさまっている間にハムちゃんにペットボトルを渡し、ハムちゃんは力を抜ききって休むことに専念できるようになった。
 猛烈な陣痛の波をどれくらい超えたかわからないうち、ハムちゃんが「破水したかも」と叫んだ。確かにそれらしい液体が出てきていたので、ナースコールして確かめてもらった。医師は破水は間違いないと告げたが、それでも子宮口は全開になっていない旨も告げた。「もうすぐだから」と言われても、あとどれくらいで全開になるのかわからずほんの少し呆然とした。とはいえ実際は呆然としている暇などなく、陣痛が来ればさっきと同じようにテニスボールでやつを押さえ込むしかなかった。最初に腰が限界になった。立て膝で押し込んだ。次に腕が限界になった。おれは両手を使うことにした。
 「出る出る出る出る!」
 ハムちゃんが叫んだ。今にも出てきそうだという。これは抑えるのは無理だと。すぐさまナースコールをして見てもらうと、全開になっていたらしく、すぐに分娩の準備が始まった。今まで1、2名くらいしか入室していなかったのが、4、5名の助産師、医師が入れ替わりたちかわり入ってきて、めいめいにガウンを着てビニールシートなどを用意していく。午後5時を過ぎ外が薄暗くなってきたので部屋の照明がつけられ眩しかった。これならわかる。終点が近づいてきたことが。
 分娩台と化したベッドで両足を開き、分娩の態勢にしてもらった。おれは急に役目を終えてしまったのと、終点が近づいたことがわかったこと、急に眩しくなったことで涙がにじみ、全く前が見えなくなった。さりとて、ただ突っ立っているだけでは立ち会っている意味がない。おれはハムちゃんの頭に近づいて、扇風機をあててあげた。お産は医師や助産師といったプロが淡々と準備を進めていっているので何もする必要がないし、素人はかえって邪魔になるような雰囲気だった。
 扇風機とペットボトルの麦茶、タオルをもって、常に扇風機の風をあて、喉が渇いてきたら麦茶を飲ませ、汗がにじめばタオルで拭いた。本当にそれくらいしかやることがなかった。
 すぐ隣のLDRでは一足先にお産が進んでいて、遠くで新生児の産声があがった。元気そうだった。息子もそうなるといいな、と思ったことをよく覚えている。
 何度か検診でお世話になった、若い産婦人科医がガウンを着て現れた。この病棟ではたぶん一番若い医者で、最初見たとき、多分おれより年下なんじゃねえかと思うような感じだったが、この時ばかりはそこそこの貫禄があるように思えた。ちなみにこの病院の産婦人科医は全員女性であるし、助産師も当然に全員女性であるうえ、なぜか若い人が多いものだから入る度におれは少しだけ居づらさを感じることがあった。
 ハムちゃんは順調にいきみ続け、助産師にいいですよその調子と褒められながらお産を進めた。モニターを見ていた助産師がなんだか心配そうな表情で医師に耳打ちしているのが気になった。しばらくして、酸素配管とマスクが据え付けられた。どうやら、息子の心拍が落ち気味で、臍帯から酸素が十分にいっておらず、酸欠になっている可能性があるから、高濃度の酸素を吸入してもらって息子に酸素を送って欲しいとのことだった。ゆっくり深呼吸してくださいね、とマスクをはめた助産師が言った。ちょうどこの時、すぐ横を見慣れない男性医師が通り過ぎた。少し後に小児科医であることがわかった。この時点でおれは、どうもこのお産に「万一のこと」が起きる可能性があるらしいということを察知していたが、そんなことをハムちゃんに言えば、不安でお産が進まなくなってしまう(現に、この場の全員がそれをしていない)し、それをおれが「考えること」自体に、そうなる可能性を大きくしてしまう要素があるような気がして、考えないことにした。
 ここまで読んでいただけばおわかりの通り、陣痛を耐え、分娩が始まったLDRは、これまでとはうってかわって相当数の人間が出入りしており、非常に混沌とした場になっていた。とにかく多くの医療者がいれかわりたちかわりおれたちの様子を見ていく。その中に、痩せぎすで赤い服を着たボブカットの医師がいた。産婦人科医たちのリーダーとなっている医師であり、明晰だが人間味が少し欠けたような言動が印象的で、おれたちは陰で「ボス」と呼んでいた医師である。ボスは担当医と二、三言会話すると別の現場へ行ったが、モニターとハムちゃんを少し注視したような気がした。いやな予感が頭をよぎった。
 おれの予感とは逆に、ハムちゃんのお産は順調に進んでいるように思えた。ただ、徐々に現場の人数が増えていっており、最後には助産師が5、6人になっていた。いよいよというところで、ひとり恰幅のいい助産師が「もうちょっとだからお手伝いしますね」と言って、ハムちゃんのお腹を大きく押した。頭出ました、いきまなくていいですよ、と声が聞こえ、担当医が何かを引き���げた。この時、おれは現実に息子と対面した。担当医、助産師、小児科医がくちぐちに「でか」とぼやいた。確かに思っていたよりも大きかった。
 この時、息子は産声をあげることなく身体が紫色で、おれが「予習」していた新生児の姿とは少し異なっていた。しかし、事前に別の(転院前の)クリニックで見せてもらった4Dエコーの顔そのものだったことに少し驚いた。ただ、とにかく息子に何らかの異変が起きていることは明らかで、おれは対面したことよりもそちらに感情が引っ張られてしまった。
 小児科医は息子を用意していた装置に寝かせ、長い管を口に挿入し、液体をかきだしていた。おそらく羊水だろうと思った。それにより息子はようやく産声をあげた。隣で聞いたものよりずっとか細く、余計に心配になった。
 心配といえば、ハムちゃんの方も、担当医が「ちょっと傷が出てきて出血が多いから縫合します」と言ってずっと糸で縫っているのも気になった。かなり長い。最初麻酔なしだったのが、痛み止めの点滴が入り、局所麻酔が入り、と規模が大きくなってきて、気がついた時には担当医の隣にボスがいて、ふたりがかりでハムちゃんの股を縫っていた。どうも出血している部分が非常に多かったようだ。
 息子は徐々に血色を取りもどしていった。泣き声もだんだん大きくなり、ふつうの赤ちゃんになっていった。小児科医は口や鼻に小さな管を入れて何かを吸引したり、マスクを当てて口に何かを 吹き込んだりをくり返していた。そういった地道な処置によって、息子はようやく赤ちゃんたりえるようになるのか、と思った。
 あとからわかったことだが、息子は3200グラム余りくらいの体重で産まれてきたが、これ自体はそこまで大きな身体ではなかったにせよ、医師たちの事前診断とかなり異なっており(これがぼやきの理由と思われる)、またハムちゃんの体格や初産婦であることを考えるとかなり「立派」な大きさであったことから、ハムちゃんの産道に想定以上に大きな負荷がかかり、ずたずたになっていたようだった。実際、ハムちゃんを縫っている時、ボスは「ずいぶん産道が狭いね、こりゃ大変だ」とぼやいていた。
 息子の側に立てば、誘発剤でいきなり子宮を追い出されたかと思ったら狭い産道を通り抜けざるを得ず、ハムちゃんの懸命ないきみにもかかわらず、それでもなかなか酸素が行き渡らなくて苦しかったのだろうと思う。
 縫合と息子の処置にだいぶ時間がかかり、息子が産まれてきたのは午後6時すぎだったが、息子がハムちゃんの胸に抱かれ初乳をあげる頃には午後7時を回っていた。
 出てきた当初から感じていたが、息子の顔には「我が一族」の人間という面影が強くでている。どうやらみんなそう思うらしく、ここにいた助産師さんや何人かの友人はもとより、ハムちゃんやハリネズミ先生(注:ハムちゃんの母親。つまり義母)ですら父親(つまり、おれ)に似ていると評していた。もちろん、すべてがおれに似ているわけではなく、たとえば口元なんかはハムちゃんそっくりなわけであるが、全体としてやはり「我が一族」の風貌があるというのが不思議でしょうがなかった。
 そこから夕食をとって片付けを始めて、これからのスケジュールの説明などを受け、LDRを出ることが出来たのは午後11時ごろであった。丸一日近くこの部屋にいたことにおれは驚いた。しかも、助産師さんたちいわく「相当な安産」の範疇に入るということにさらに驚かされた。
 これで、おれのいちばん長い日は終わりである。いや、本当にいちばん長い日だったのかどうかはまだわからないが、少なくとも、この日がおれにとってそういう日であったことをここに書き記す。
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pixiewired · 1 month ago
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駅前にこだわったのには理由があります。大宮駅前のサラリーマンを観察していると、弁当ではなく、新聞や週刊誌を持ち歩いている人が多い。これは昼間、どこかで外食をしているはずだと気付きました。  また、夜の駅前では、ラーメンとおでんの屋台に深夜まで人だかりができていました。私は、需要の高さと同時に、道路を占拠する屋台は、いつかなくなるのではないかと感じたのです。  そこで、「屋台のように気楽に立ち寄れる店構えで、安く一杯飲んで食べられる中華料理店」を駅前に展開することを決めました。  今、日高屋が成功している理由の一つは、昼はランチ需要、夜はちょい飲みでお客さんが来てくれるからです。これがランチだけ、夜だけとどちらかに需要が偏ってしまったら、ここまでうまくいかなかったでしょう。
日高屋を生んだ「眠れないほどの失敗」 “普通のラーメン”で大繁盛のワケ:日経クロストレンド
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yoooko-o · 1 year ago
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09/01/2024
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今日は箱崎方面に用事があったので、福岡市に来ました🚋 筥崎宮近くにある十一で昼食をいただきました🍴最初に出てきたサラダは珍しくパイナップル入り🥗🍍 メインの豚ステーキも美味しかったです🥰✨本当は豚スープカレーが評判なのですが、1辛でも結構な辛さと聞き、豚ステーキにしました。
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筥崎宮⛩️
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香椎宮⛩️
今日はまだ新年の余韻が残っている筥崎宮と香椎宮にも参拝させていただきました✨⛩️🤲
去年の12月は頻繁に夢を見ていた中で印象深い夢のひとつが香椎宮の御神木(綾杉)でした🌳それだけに年始詣はしたかったので良かったです🤲✨今年は自宅の神棚に祀るお札は香椎宮にしました⛩️
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今回もJR1日乗り放題のチケットを利用しているので、調子に乗って勢いのままに篠崎八幡神社にも参拝すべく小倉(南小倉駅)まで来てしまいました⛩️
※さて、これを投稿している時、博多駅ホームで電車が来るのを待っていて、まだ帰宅できずにいます。正直言うと、眠いです😪💤 自分の意思で遠出しましたが、早く帰宅して布団の中で眠りにつきたいです泣
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