#新宿お茶漬け
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2025年1月26日(日)

三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、今回も平飼い有精卵(30個)・特別栽培米(5kg)・畑無農薬野菜・手作りパン・地鶏・手打十割蕎麦が届いた。大きな白菜が入っていたので、明日は鍋にしていただこう。手打蕎麦、冷凍保存したものを1把ずつ解凍して朝食にいただく。糖質制限のためにそば湯は我慢しているが、冬の寒い朝などネギと天かすを利かせて熱い汁でいただくと体が温まる。奥川さん、いつもありがとうございます!

5���30分起床。
洗濯開始。
朝食準備。

朝食は温かい蕎麦・野菜あれこれ・フルーツとヨーグルト・牛乳。
洗濯物を干す。
珈琲をいれる。
露の新治師匠から着信、今日午後の落語会のネタについて、配慮ご無用と返事する。
奥川ファームから定期便、蕎麦は冷凍庫へ、タマゴは冷蔵庫へ。大きな白菜があるので、明日の夕飯は鍋に決定。
早めのランチは辛ラーメン+残りご飯、バスで阪急桂駅、天下茶屋行き準急で日本橋、地下鉄千日前線に乗り換えて鶴橋まで。

今日は<先発完投型落語会〜露の新治の巻〜>、鶴橋駅から徒歩2分程度の会場は細長いビルの6階、折しも国際女子マラソン開催中、ヘリコプターの音がけたたましいが、一席目のマクラの途中で収まってホッとする。「狼講釈」「風呂敷」「柳田格之進」の三席、久しぶりの柳田が秀逸、ディテールの説明が丁寧、登場人物のキャラクターがとても克明な描写で素晴らしい。
終演後は<茶話会>とのことだったが、お先に失礼する。
いつも通り、阪急桂駅の<御膳>で揚げ物購入して帰宅する。

鶏の唐揚げ・竜田揚げ・イカの磯辺揚げ、残りもののイカの天ぷらにレタスとトマト、キュウリのぬか漬け、干し芋。
録画番組視聴。
サラメシ(32)福岡・真夜中のごみ収集▽テレメシ▽三重・ラッコ飼育員
初回放送日:2025年1月23日 真夜中に家庭ごみの収集が行われる福岡市。深夜、ごみ収集車が出発し作業員たちがごみを収集していく。サラメシタイムは休憩時間に車の席で。真夜中のサラメシで選ぶ食事は?▽テレワーク中のランチにお邪魔する「テレメシ」。オフィスは東京、でも自宅がある三重県で週5日在宅勤務という男性のサラメシ▽三重の鳥羽水族館で40年以上ラッコを飼育してきたベテラン飼育員。昼のサラメシタイムも気になるのは…。
男はつらいよ 葛飾立志篇 公開日:昭和50年12月27日 / 上映時間:100分
寅さんを訪ねた女学生���最上順子(桜田淳子)は、もしや寅さんが実父ではないかと、さくらたちを困惑させる。ひと騒動あって、寅さんはまたもや旅の人。その間に、御前様の親戚の大学助手の筧礼子(樫山文枝)がとらやに下宿することになる。柴又に戻ってきた寅さんは、俄然向学心に燃え、礼子が家庭教師となる。伊達眼鏡をかけて猛勉強する寅さんは、やがて礼子の恩師・田所教授(小林桂樹)と意気投合する。その田所は礼子に思慕を寄せていた… 寅さんが決然と「己を知るために」学問を志す。その動機はなんと、美しきマドンナという不謹慎さ。喫茶店で寅さんが初対面の礼子に「何のために学問をするのか?」と質問をするが、それは旅先で出会った僧侶(大滝秀治)の言葉を鵜呑みにしたもの。マドンナに樫山文枝を迎え、映画やテレビの『日本沈没』で地震学者を演じていた小林桂樹が、役名も同じ田所先生として登場! 巻頭で寅さんを「瞼の父かも?」と、訪ねてくるのは、人気アイドルだった桜田淳子。
片付け、入浴、体重は50g増。
パジャマに着替え、ホワイトホースのハイボール舐めながら日誌書く。

明日は有休取得、原稿執筆再開するのだ。
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今日は店は休みです。久しぶりに奈良に来ています。本籍を奈良に置く身としては、故郷へ戻る嬉しさです。仕事があるとはいえ、合間に興福寺で八部衆の御顔でも拝めるとなおなお嬉しいところですが。
そういえば、本日2023年12月12日はちょうど小津生誕120年、没後60年。小津で奈良、といえば『麦秋』の最後、ふっと差し込まれる麦畑の中をゆく嫁入り風景のシーンですが、あれ、どこなんでしょうか。後ろに耳成山のような山が見えるので、橿原のどこかかな。
ついでの話。このごろ書きものの仕事が多くて、頼まれもの以外の文章なぞつらつら書いている場合ではないのですが、小津についてふと気になってしまったことがあり、書いておかないと本来の仕事ができなさそうなので、合間合間に記していた雑文をここに置いておきます。長いですし、結論はないし、ほとんどの方が興味のない内容かと思います���…。
ちょっとした調べものがあって雑誌『みすず』2001年12月号を読んでいたら、木村伊兵衛が小津安二郎を撮影した写真と文章「上海で小津安二郎氏をうつす」が掲載されていた。時期は1938年1月なので第二次上海事変の翌年。小津は1937年9月に出征して中国に渡り、事変の直後12月から上海にいたようで、その時に偶然木村と出会っている(その後小津は南京・漢口と転戦する)。写っている小津が携えているカメラは、木村の稿に続いて掲載されている田中眞澄氏の文章「ライカという”近代”」によればライカA型。小津関係の文章を読むと、小津は「ご愛用のライカ」をいつも手にしていたと多くの人が書いているので(同文によると山中貞雄はコンタックスだったらしい)さもありなんと思うのだけれど、田中氏の文章を読んでいくなかで、ちょっとしたことが気になるようになった。
小津は1942年から軍の依頼で記録映画撮影のためにシンガポールに滞在し、ただまあ映画製作などできる状況でもないため、自国内では上映が禁止されていたアメリカ映画をひたすら見続け、敗戦を当地で迎えている。そしてそのまま捕虜となり、抑留生活を終え1946年1月に帰国する際に小津はライカを手放しており、「彼が再びライカを所有するのは一九五四年のことである」とある。買った件の典拠はどこにあるんだっけ、と思いつつ近所の図書館に置いてある『全日記 小津安二郎』を紐解くと、なるほど1954年3月22日の項に、
> 「出京 サンにてライカを買ふ 135.000 アメリカン フアマシー 明治屋(燻製)によつて帰る」
とある。と、ここで急に話は脇道に逸れるのだが、ちなみに隣のページ、同年4月8日の項には、
> 「駒場の東大教養学部 民芸館 青山の花屋 それから 車にて銀座に出て なごやかに夕餐を喫す 野田夫妻と江原氏同道」
と日本民藝館に行った旨の記載がある。他にも、1951年11月10日に
> 「宿酔 森昌子さん達と 陶哉 たくみに寄って大船に帰る」
や、1955年5月17日には
> 「駅にて野田氏と待合せ 上野松坂屋の民芸展にゆく」
とも。ほか、パッと目を通しただけでも1952年4月8日、同年6���15日、1953年2月9日、1961年2月2日に銀座たくみに行った記載があるし、志賀直哉や里見弴についての言及は多すぎるので略す。こういうものを読むとつくづく民藝誌において特集「小津と工藝」を組みたいなと思う。白樺派との関係や小津の映画における「巧藝品考撰」について取り上げる特集。『秋日和』で原節子の後ろにかかっている暖簾は芹沢銈介だろうか、『秋刀魚の味』で中村伸郎の後ろに置かれたやちむん?はたくみで求めたものなのだろうか、やちむんであれば誰の仕事だろうか。佐田啓二と吉田輝雄がとんかつ屋で食事をするシーンには確かに芹沢カレンダーが掛かってるな、などといつも気になるので。松竹から写真借りるといくらぐらいかかるかな…。
それはさておき。この時購入したライカが、前掲日記の1961年3月23日の項に「夕方会社帰りの秀行くる ライカ借(貸)してやる」とある通り、のちに小津の甥が譲り受け、現在は茅野駅前「小津安二郎・野田高梧コーナー」に寄贈展示されているライカIIIfとズマリット5cmF1.5なのだろう。と、ここまで長々と記して、まだ前提です。
そこでふと思い出したのが厚田雄春・蓮實重彦著『小津安二郎物語』(筑摩書房・リュミエール叢書)の冒頭。ここには小津が『東京物語』と『早春』のロケハンをしている写真が2葉掲載されているのだけれど、どちらにおいても小津はバルナック型のカメラを携え、光学ファインダーをのぞいたりしている。沈胴レンズにフードをつけている様子から、あれはライカなんだろう、レンズは厚田雄春が『父ありき』において75mmを一場面で使った以外はすべて50mmだったと言っているぐらいだから同径のエルマーやズマール、ズミタールとかかな、などとうっかり思い過ごしていた。むろん『早春』については、製作年やロケハンの写真に記載されている「1955.7.20」という日付からするとまったく問題はない。しかし『東京物語』は1953年製作公開だから「再びライカを所有した」1954年では間に合わない。そう気がついて見直すと、小津が構えているカメラは、ライカIII型に似ているがファインダーの位置が違うし、そもそも1954年にあわせて手に入れたと思しきズマリットは沈胴レンズではない。
妙なことに気がついてしまったと思いつつも、ひとまずは日記記載の「サン」を手始めに調べてみようとしたが、何の会社かわからない。名取洋之助が企画編集した「週刊サンニュース」と関係はあるのだろうか。対��宣伝誌の専門家であり、銀座に店を構える森岡さんに聞いたらわかるだろうか。いずれにせよ1949年以降の小津の日記に「サン」が登場するのは、「1951年1月17日・3月21日・4月24日・11月10日、1952年4月17日、1953年6月16日、1954年3月22日(前述のライカを買った日)・10月14日、1955年4月6日、1960年7月14日、1961年2月2日(”たくみ サンに寄って三越”)」。1953年6月16日は、ちょうど『東京物語』ロケの最中だったことが気に掛かる。ほか、関係しそうな記載としては1953年3月30日に「アサヒカメラ座談会」、1954年11月5日の「シュミットに寄ってから」(当時ライカの総代理店だったシュミット商会か)、1955年2月15日「昼寝をしてゐると小尾がくる ニッコールの85m(ママ)のレンズを頼む 四万五千円を預ける」、同年3月11日「小尾に会ひ105mmのレンズを見る」、同年6月27日「小尾から電話ライカピッド(ママ。入手したライカがIIIfであれば、ライカビット SYOOMか)を頼む」ぐらいか。この「小尾」という人は何者なんだろう。
次に小津が構えているカメラの形状から何かわからないかと思い、あらためて細部を見れば、写っているカメラは戦後キヤノンが作っていたコピーライカであることがわかる。決め手はファインダーの位置。同時期の国産コピーライカであるニッカやレオタックスはライカそっくりに作っているのだが、キヤノンは誠実と言っていいのか「打倒ライカとコンタックス」の心意気の現れか、多少スタイルが違う。なお、小津が用いている機種については、この時期のレンジファインダー機は輸出用に作っていたせいか勢いがあり、すぐ新型が出るうえに、外観がどれも似すぎていて小さな写真では区別がつかない。時期を考えれば、1946年発売のSIIから1952年のIVSbの間のいずれかで、III型以降のように見受けられる。レンズもやはり形状から判断するとズマールに似ているので、1949年発売開始のキヤノン Serenar 50mmF1.9か。そう気づいて改めて調べると、「カメラ毎日」1954年6月号に掲載されている座談会「カラーは天どん 白黒はお茶漬の味」ではカメラの話がもっぱらで、その時に手にしているのはキヤノンである。このキヤノンのカメラとレンズ、そして外付けのファインダー、この時期どういう経緯で小津は使っていたのだろう。いずれにせよ、1953年の『早春』はともかく、なぜ1955年に「ご愛用のライカ」ではなく、キヤノンを用いているのか。
ついでに言うと、小津が鏡の前でカメラを向けて撮っているセルフポートレートに用いているカメラはコンタックス。日記をざっと読んだ限りではわからないけれど、これもいつ手に入れたのだろう。レンズはゾナーの5cmF1.5。明るいレンズがお好みと見える。こ��らは姪が譲り受けたとのことで、今は先のライカと同じく茅野駅前にある。
長々と書いてきましたが、つまりはこれらが今回生じた疑問です。小津に詳しい人、どうか教えてください。
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世界の食文化『自家製 海鮮 薬膳中華おこわ』
中国起源の伝統医学を用いた掲載のレシピです。
私自身は、東洋医学を学びそういった要素を食から上手に取り入れたお料理を
自身の料理教室でもお伝えしてきております。
怪しい(笑)ネットワークビジネスなどではないちゃんとした自分の理論立てて
東洋医学の恩恵を手に入れつつ美味しく仕上げております。
具材はそれはそれは豊富に使っております。
海鮮を中心に贅沢なぐらいの食材たちで。
食べると滋養、栄養がつくのでなんとも身体が喜ぶ美味しさです。
そして見た目にも中国らしい華やかさ。
特別なお料理ですが、このおこわがあるだけで随分と気分も高まることでしょう。
中国茶や中華スープや発酵系のお漬物を添えるとなお、美味し。
ぜひ作ってみてくださいね!
お写真は掲載レシピの試作撮影分を引用しております。
料理研究家 指宿さゆり
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コメダ珈琲店『カリー祭り』2025、新作メニュー「タンドリーチキンホットサンド」「チャイ氷」「チーズカリーとナン」など6品を展開 | 食品産業新聞社ニュースWEB
以下引用
喫茶店チェーン「コメダ珈琲店」は5月29日から、『カリー祭り』を開催する。 「タンドリーチキンホットサンド」をはじめ、ドリンク「ラッシー」、デザート「チャイ氷」など全6種類を取りそろえる。開催期間は7月中旬まで。
コメダ珈琲店『カリー祭り』2025概要〉
『カリー祭り』の販売メニューは以下の通り。価格表記はすべて税込。価格は店舗によって異なる。
〈1〉タンドリーチキンホットサンド(1,100円~1,160円) 〈2〉チーズカリーとナン(700円~760円、追加ナン240円) ・追加チーズカリーソース(300円) 〈3〉チャイ氷(通常サイズ730円~790円、ミニ630円~690円) 〈4〉ラッシー(600円~840円) 〈5〉マンゴーラッシー(620円~860円) 〈6〉カツカリー���ン(910円~1,000円)※通年販売商品
コメダ珈琲店の『カリー祭り』は2年ぶりの実施となる。2025年は、カリーの本場であるインドをイメージしたメニューを展開。「タンドリーチキンホットサンド」「チーズカリーとナン」「カツカリーパン」の3品は、少し辛めに仕上げており、辛いものが苦手な人や子どもは、注意するよう案内している。
◆【新作】タンドリーチキンホットサンド
肉厚なチキンに、キャベツなどの野菜と「新宿中村屋」監修のカリーソースを合わせ、山食パンのトーストで挟んでいる。チキンはヨーグルトに漬け込むことで、中まで柔らかくしっとりとした食感に仕上げた。そこに7種の香辛料(パプリカ・クミン・シナモン・カルダモン・コリアンダー・赤唐・ブラックペッパー)を使い、香ばしく焼き上げた。
◆【新作】チーズカリーとナン
コメダ珈琲店に初登場のナンは、もっちりした食感が特徴。カリーソースは、「新宿中村屋」が監修し、具材のひき肉、じっくり煮込んだ野菜・果物の旨みを感じる味わいに仕立てた。とろりとしたチーズをトッピングし、カリーソースと一緒にナンに絡めて味わう。
◆【新作】チャイ氷
インド発祥のスパイスが香るミルクティー「チャイ」をかき氷で再現したメニュー。かき氷に、4種のスパイス(シナモン・クローブ・ジンジャー・カルダモン)を使ったチャイ風味シロップと、ミルクシロップをかけている。+120円で「ソフトクリーム」のトッピングも可能。
◆【新作】ラッシー
ラッシーは、インド発祥のヨーグルト風味のドリンク。まろやかな甘みとほどよい酸味が、スパイシーなカリー商品によく合うという。
◆【新作】マンゴーラッシー
ヨーグルト風味のラッシーに、マンゴーの甘味を加えたドリンク。果肉の繊維質や果皮の一部が含まれていることがある。
◆【通年販売】カツカリーパン
揚げたてのカツに、キャベツと「新宿中村屋」監修カリーソースをあわせ、コメダ特製のパンで挟んだ定番人気メニュー。複数人でシェアして食べるのもおすすめだという。
■「コメダ珈琲店」公式サイト
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記憶力と私
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昔から暗記する科目が苦手で勉強ができる友人にどうやったら覚えられるのかを尋ねたら関連する事柄をイメージすると脳裏に焼き付けられて覚えやすいことを教わりました。
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神経衰弱や麻雀などが得意な人はどこに何があるのかと言うのをマークや位置の形で覚えているんですかね。
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忘れっぽい人は家を出る時にガスの元栓や家の鍵をきちんと閉めたかを忘れて気になったりしますが、こちらの店では締めて無い生さばが食べられますね。
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と言うわけで本日のランチは #いまがわ食堂 です。青魚好きとしては締めていない鯖なんてなかなか食べられないので気になり初訪問です。
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頼んだのは #ごまさば丼 を定食セットで頂きます。10分ほどで料理が運ばれて来ました。お店の人の説明によると、まずは食前酢を頂き最後にお出しで頂くようです。
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まずは食前の酢は梅の爽やかな味わいでさっぱりと美味しいですね。続いては白と黒の胡麻を予め擦っておいたのでそれを鯖にまわしかけて醤油を加えて頂きます。
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締めていない鯖は味わいもよくって弾力もありいい感じ。黄身を溶かして一緒に食べるのもまたいいですね。ご飯も大盛りにしたのでワシワシと美味しく一緒に食べ進めます。
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季節の小鉢はマグロの煮物でしょうか。これまたご飯が進みますね。味噌汁も具材を選べてアオサにしましたが、海苔の味わいがあっていいです。
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三浦大根の浅漬けもシャキシャキと美味しいですね。最後はお出汁をたっぷりとかけて、お茶漬けにして食べるのも楽しいですね。
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とても美味しい魚を食べれて満足なランチでした。他の魚のメニューもどれも美味しそうで、隣の人が一人で丼を2種頼んでいたのも羨ましいなと思いました。
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#新宿ランチ #新宿グルメ #新宿定食 #新宿和食 #新宿丼 #新宿海鮮丼 #とa2cg
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2025/2/7 14:00:23現在のニュース
トラック運転席を発見か 下水道管内をドローンで調査 埼玉陥没事故 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/2/7 13:54:31) 救急車出動せず男性死亡、岐阜・土岐市が陳謝 過失有無は明言せず | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/2/7 13:54:31) 万博入場券、フリマで転売相次ぐ 協会は購入しないよう呼び掛け | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/2/7 13:54:31) 過激派テロや攻撃を誘発の恐れ トランプ氏の「ガザ所有」発言 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/2/7 13:54:31) ラッセル車の「雄姿」撮りたかった? 線路に盛り雪、JR宗谷線:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/2/7 13:54:10) 米、モノの貿易赤字185兆円 前年比14.0%増 商務省 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/2/7 13:49:14) 兵庫知事買収疑惑、関係先を捜索 捜査当局、公選法違反疑い:東京新聞デジタル([B!]東京新聞, 2025/2/7 13:45:40) 岩屋外相の部屋に侵入した女性「外務省です」と名乗る 他宿舎も訪問 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/2/7 13:43:06) 30年以上「塩漬け」県有地 売却決定もかかった費用は38倍 熊本 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/2/7 13:43:06) アルゼンチンがWHO脱退へ トランプ氏と親密 パリ協定脱退も検討 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/2/7 13:43:06) 「日本は安全で素晴らしい国」 母親が見た来日前のウィシュマさん | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/2/7 13:43:06) ラッセル車の「雄姿」撮りたかった? 線路に盛り雪、JR宗谷線(朝日新聞, 2025/2/7 13:42:36) 「公選法違反していない」 兵庫・斎藤知事、関係先の家宅捜索を受け(毎日新聞, 2025/2/7 13:40:36) クレヨンしんちゃんと愛犬シロは「再会」したが…閉店2カ月の「聖地」イトーヨーカドー春日部店、跡地は今:東京新聞デジタル([B!]東京新聞, 2025/2/7 13:39:35) 維持200万円、家賃30万円だった旧徳島県知事公舎 1.6億円で落札 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/2/7 13:36:59) 日産・ルノー、長引く資本交渉 「悲願」に暗雲? 知財扱いで隔たり:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/2/7 13:36:30) 公立病院で相次ぐ残業代未払い、背景にある「地方���務員の勘違い」:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/2/7 13:30:47) 「ハトがなつかないので粛清した」 動物虐待の疑いで49歳再逮捕 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/2/7 13:30:36) 藤井王将は冷たい狭山茶、永瀬九段はやっぱり… 王将戦午後のおやつ | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/2/7 13:30:36)
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北九州旅行3日目 / 門司港レトロの瓦そばたかせ

宿泊していたホテルの向かいが人気観光スポットの門司港レトロ。荷物を預けてすぐ観光に出発♪


山口名物 瓦そばのお店を発見✨下関まで船で5分の距離だから、門司港で食べてもいいよね🙄w

まだ11:20だったけど、混むだろうと予想して先にお昼食べちゃいました😋 (1時間後には行列でした)

親日韓国人YouTuberさんの動画で観た、ビジュ良すぎなお蕎麦です✨

熱々の瓦の上に乗ったお蕎麦は、下の方が焼けてカリカリパリパリ美味しい〜!😳

湯気モクモクの状態で運ばれてくるので火傷に注意。
お抹茶色のお蕎麦に錦糸卵、お肉、海苔、レモン、もみじおろしがトッピングされめちゃ豪華。そして福岡と言えばの明太茶漬けもセットで破格の1700円!

神奈川にこのお店が出来たら、2700円でも大行列だよ🥹
下関で食べようと思っていたふぐの唐揚げもフライングでオーダーしてしまった。小骨が凄いけどふぐの���白な味がめちゃくちゃ好きだ❤︎

新薬で腸の調子が良くなってきたおかげで、食べることが楽しくて食欲止まらない旅行でした...福岡のお米と明太子美味し過ぎる〜😭✨

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2025.01.06
今日から新年初の学校。起きてからだらだらと過ごし、しばらくしてご飯を炊く。何度炊飯のボタンを押しても反応せずにいたので、ついに壊れたかと諦めた瞬間炊飯が押せた。もう少し頑張ってくれ、炊飯器。炊き立てのご飯を茶碗によそい、納豆キムチを乗せて食べる。これが一番美味しい。おみ漬けご飯も食べた。残りのご飯でおにぎりを作り学校へ持っていく。9個できた。
外は雨が降っていた。遅刻ギリギリの電車で向かう。新宿三丁目駅から歩いているとたんちゃんとれいなさんに会った。あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。と丁寧に挨拶をして一緒に教室に向かう。
教室��着くとみずきちゃんがお土産をくれた。くろ玉という、名前の通り黒くて丸いインゲンのペーストを黒糖餡で���んでいる和菓子。はじめて食べたけれど、とても美味しかった。私は大阪のお土産を配ってまわり、年明けユニバの過酷さを話した。授業は想像以上に眠たく、どうしようもなかった。なんとか耐えて、土砂降りの中帰路に着く。
帰宅。こやさんは寝ていた。少し休んでから明日のお昼の鮭を西京焼きにしようと仕込んでいると起きてきた。昨日の残りのチーズケーキを食べようと伝える。コーヒーを淹れケーキを半分にして一緒に食べる。起きてから食べている時以外は荷造りをしているこやさん。会話もせず自分のことばかりで何だか楽しくない。私はシャワーを浴びる。終えてリビングに向かうとこやさんは部屋にこもってしまった。きっとゲームだろうな。少しポートフォリオを進め、眠ろうとすると再びこやさんが部屋から出てきた。また荷造り。私はお休みと言って部屋に行く。
最近一緒にいても楽しくない。私ももっと自分のことばかり考えていたいのに。衛生観念も合わないな。少し泣いた。
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【〈千年村〉研究ゼミ】 前期活動報告⑹〜韓国調査篇
韓国千年村調査3日目(8月23日)
中谷研究室学部4年の小谷さくらです。韓国調査3日目の様子をお伝えします! 今日からいよいよ千年村比定地の集落調査が始まります~
<8月23日のスケジュール> 09:00 燕山郡燕岐県 調査 10:30 比豊郡赤鳥県 調査 12:00 昼食 13:00 熊津山城 見学 14:00 扶餘郡悦城県① 調査 15:30 扶餘郡悦城県② 調査 16:00 国立扶餘博物館 18:00 ロッテリゾートホテル到着 19:30 夕食 / 調査の振り返り
7時15分に起床。3日目ともなると朝の準備も手早く終えられるようになります。
ホテル内のレストランで朝食をとり、8時にバスに乗りこんで調査に向かいます~!
9:00- 燕山郡燕岐県 集落調査
図1 燕岐郷校(撮影:2024/08/23 碓井颯)
朝一番で韓国初の集落、燕山郡燕岐県にて調査です!
山と河川に挟まれ、まさに背山臨水の��形に展開されたその集落には李氏朝鮮時代に儒教の学校として各郷に置かれていた郷校がありました。
門が閉まっていて入ることはできませんが、威厳のある朱色の門と立派な建造物は、当時の人々が儒教教育を大変重要視していたことが分かります。 門は3つの扉から構成されていますが、向かって右が入口、左が出口、そして真ん中は祖先や先代の先生方などが通る扉として普段は閉め切られ、祭事などの際に開かれるようです。
燕岐郷校を基点に3グループほどに分かれて集落調査を行いました。
途中で幼稚園に出会ったのですが、石垣を模した塀で囲まれていました。昔ながらの韓国住宅は石垣で囲われていますから、石垣が韓国建築におけるアイデンティティであるという意識がある程度現地の方々の中にあるのではないかと推測してみたり、、 ちなみにこの塀のデザインは、この後様々な集落や都市で目にすることになるので次第に慣れていくのですが、普遍的であることに気づく前の自由な想像も楽しいものですね!
図2 幼稚園の石垣(撮影:2024/08/23 小谷さくら)
少し経って、幼稚園から西北方向へ同行していただいた早稲田大学文学部の植田先生と韓先生が、これは寺院ではないかと立ち止まられたのです。しかし私たちの目には民家にしか見えません。しかしよく見ると神社の屋根に確かに「卍」がありました。事前調査でもこの場所に寺院があると記されています。
図3 100年の歴史を持つ寺院(撮影:2024/08/23 戸田剣) 日本でよく目にするような建物ではなく、人々が日常生活の中で気軽に足を運べそうですね!
偶然お坊さんらしき方が通ったので聞いてみたところ、この建物はなんと100年ほどの歴史を持つようです。
寺院付近の住宅は比較的新しいものが多く、道もまっすぐ整理されているので近年形成された住宅地だと推測できます。 玄関扉に以下のような煌びやかな装飾が施されている家が多くありました。先生方によるとこのデザインは近年の流行りだそうです(^^)
図4 新興住宅の玄関扉(撮影:2024/08/23 小谷さくら)
大通り沿いは郷校や寺院の周辺とは異なり、陸屋根の民家や3,4階建てのアパートばかりでした。陸屋根は60年代にブームとなりましたが、結局雨漏りなど不備が多くさらに切妻屋根をかけているそうで、、
図5 大通り沿いの景観(撮影:2024/08/23 戸田剣)
また、村(マウル)の入り口を示す石碑が2つほど見つかったため、少なくとも二つ以上の村が集落内に存在していることが分かります。石碑がつくられた年代にばらつきがあり、一斉に造られたわけではなさそうです。
図6 村の入り口を示す石碑(撮影:2024/08/23 口石直道)
10:30- 比豊郡赤鳥県 調査 小学校の北側の山際に展開された集落です。一つ目の集落と同様に私は植田先生と韓先生とご一緒させていただいておりました。
お二人が東屋で立ち止まって何やらお話されていたのでどうも気になるのですが学生はとりあえず歩いてみようということで、航空写真で発見できた集落の境のため池まで歩くことにしました。
日本の千年村調査あるあるとして犬に吠えられるということがありますが韓国でもそれは変わらないようです。犬の良く吠える村は良い村だと先生がおっしゃっていたのでまあいいかと思いながら歩みを進めていると時折り古い蔵があったり、集落の端には樹齢年の大樹を発 見したり。
図7 民家の様子(撮影:2024/08/23 戸田剣)
図8 村の端に位置する大樹(撮影:2024/08/23 小谷さくら)
時間になってしまったので急いでバスへ戻ると、植田先生と韓先生が比定のデーターベースが間違っていたとおっしゃっていました。すべてを信用できるデータというのはないものですね。
韓国千年村研究、なかなかに道のりは険しい、、、(T_T)
燕山郡燕岐県の集落をあとにして次なる目的地、熊津山城へ向かいます。
12:00- 昼食
正午を回っていたので熊津山城のふもとで昼食をとることに。韓先生も以前いらしたことのあるお店だそう。前菜が8種類ほどテーブルに並び、いざ食べようと思いきや前菜の後にメイン料理がくるそうでそのボリュームに日本勢は圧倒されてしまいました笑メイン料理は白身魚と緑茶のお茶漬け。和食と変わらないように思えますが、中には味付けが独特なものも。
図9 昼食のお茶漬け(撮影:2024/08/23 碓井颯)
12:30- 熊津山城 たらふく食べてエネルギー補給をしたのでいよいよ熊津山城へ。
前日に見学した上党山城とは異なり、山の頂上を囲むような形で築かれた山城です。
図10 下から見上げた熊津山城(撮影:2024/08/23 小谷さくら)
頂上には王宮址だとされる発掘現場があり、ふもとから見上げた山城の姿と王宮址から眼下に臨める景観は、当時の山城の威厳を十分に想像し得るものでありました。
14:00- 扶餘郡悦城県① 集落調査 熊津山城を後にして本日3回目の集落調査へ。 牛小屋やため池、寺院を示す標識など様々な構造物を発見。しかしそれらのつながりや村の構造をいまいち掴めないという声があがりました。
図11 集落の景観(撮影:2024/08/23 碓井颯)
千年村ではないのだろうか、、少し気を落としながらバスの停車の場所まで歩いていきましたが、バスが停車する前の村役場に集っていた地域の方から暑いからと招き入れていただき飲み物や村史をいただきました。現地の人々の暖かさを体験できました(^-^)
図12 村役場でおもてなしを受けている調査メンバー(撮影:2024/08/23 碓井颯)
15:00- 扶餘郡悦城県② 調査 その後、協議をした上で直ぐ近くに位置する郷校のある集落に向かうことになりました。ここでも郷校を基点に集落を調査しました。
しかし、1番初めに向かった集落より規模が小さく、山と大通りの距離が短かったのでより近代化がみられる集落でした。
図13 郷校の横にそびえたつ大樹(撮影:2024/08/23 小谷さくら)
郷校から少し登ったところには古い家が多くありました。
図14 郷校に近い民家(撮影:2024/08/23 戸田剣)
郷校の隣には現在の小学校が建てられており、この位置関係は様々な集落で普遍的にみられるようです。
図15 郷校の隣に建てられた小学校(撮影:2024/08/23 戸田剣)
郷校の横には樹齢年ほどの大樹が位置していて、関係性が考察できました。大樹の先にはお墓が位置していて、典型的な韓国集落の構成要素が実際にどのように配置されているかを体験できた集落でした。
扶余邑を走るバスの車窓からは、広大な錦江の景観が臨めました!川幅はもちろんのこと、河川敷のスケールも日本とは大違いで思わず見惚れてしまいました。
図16 車窓から臨む錦江(撮影:2024/08/23 碓氷創平)
16:00- 国立扶餘博物館 国立扶餘博物館に到着し、解説を聞きながら鑑賞しました。扶余で出土し、韓国の国宝として各地で様々なモチーフに使用されている「百済金剛大香炉」も目にすることができました。
当時の人が残したものを見るだけでもその技術や使われ方にまで想いを馳せれば当時の生活景を鮮やかに思い描くことができますね。
図16 百済金剛大香炉(撮影:2024/08/23 口石直道)
18:00- ロッテリゾートホテル扶余
博物館を後にして、本日の宿泊場所へ。ロッテリゾートホテル扶余は今回の調査に同行していただいているguga都市建築の趙先生が設計されています!
図17 ロッテリゾートホテル扶余(撮影:2024/08/23 碓井颯)
19:30にホテルの地下にあるフードコートで調査チーム全員で夕食を食べながら今日の調査の振り返りをしました。
同行していただいた先生方から様々なご意見、アドバイスをいただき、明日以降の調査の方針、そして今後の韓国千年村の在り方について再考する機会となりました。
夕食後、部屋に戻って韓先生に絵地図の見方を教えていただきました!(^^)
日記を書いたり、調査資料を修正したり、コインランドリーに奔走したりしているとあれもうこんな時間?となり、あたふたと3日目が終わっていきました。
以上、韓国調査3日目、8月23日の日記でした!
明日は今日の反省を生かして引き続き集落調査です!4日目となろうともやはり異国の地です。目に映るものは何もかもが新鮮です。
待ち構えているであろう新たな発見が楽しみですね!
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動じない
8月16日。できたことを中心に。 つみたてNISAがようやく黒字に戻った。8月は初頭から暴落が続いていたのだが、今日、運用収益率+1.7%、収益額+492円にまで戻った。が、その反面また円安が少し進んでいるらしいので、まあ南無三という感じだ。私は1ドル90円ぐらいでいいと思う。無責任に書いてしまうけども。日本は高級な嗜好品であるというぐらいでちょうどいいと思うのだ。 体組成計の結果は今週はあまり良くない。筋肉量-1.1kg、体脂肪量+0.9kgと出ている。食事の内容などさほど変えてはいないんだけどね。アップダウンはあってもこちらは粛々と続けていければ。つみたてNISAもそうだけどね。動じないで続けよう。 昨日は、G監督に会ってきた。新宿のLUMINE 1のSmithで買ったRolbahnのノート(新宿限定モデル)を手渡してきた。その後で、台風対策グッズを買いに新宿の南口のL-Breathに行ってきた。G監督はお金持ちだ・・・。いやまあそうだろうとは思っていた。日本に1ヶ月滞在するだけのお金があるってそりゃあ経済的に潤っている人のすることだよな。映画も自費でほぼ全部賄っているのだし。 帰りに同じくLUMINE 1の「出汁茶漬け えん」でお茶漬けを食べた。私たちはタチ同士であるだけでなく、星座が牡牛座同士であることがわかった。そりゃあもう。気が合うわけだ。毎度、会うたびに信頼感が増していく。なんかこう少なくとも、遠くに住んでいるベストフレンドでいられたらいいなぁとは心の底から思っている。 タチ同士で牡牛座同士。悪くないと思う。何かこう、もう、期待しすぎないようにとは思っているのだが、別れ際に新宿駅に南口改札でキスをして別れるぐらいのことはしている。もっとなんか、伝えられるようにしたいと心から思っている。あなたのことを見ているし、聞いているし、信じているよというサインがきちんと届けられるように。 音楽にも着手できている。夏休みもあと1週間を切ってしまったのだけどね。Sub Focusの"Endorphins"のビートパターンを組んでいる。���構緻密に再現しているように思う。ビートパターンが終わったら、上物に入る。キーは2、3度上げるかもしれない。ボコーダーに任せようかなと思っていたのだが、意外と生歌でもなんとかなる気がしてきている。録音して、自分のへなちょこな歌唱力に落胆したらその時は全編ボコーダーにすると思う。 今日、天気次第で何をするか決めようと思っていたのだが、結局台風のせいで、一日家で音楽を作っただけで終わった。筋トレには行ったが。つまりよく休めたいい1日だったということではあるのだが。本当は歯医者の定期検診を消化しようと思っていたのだが、今日は台風のため早く閉めることになったそうで、明日の12時15分に延期になった。まあしょうがない。明日、歯医者を消化しよう。 新宿区から来ている定期健康診断は一旦スルーで考えている。もし本当に必要になったら冬休みでもよかろうと思っている。 MOTとアーティゾン美術館に行くというのが残っているが、おそらく8月20日火曜日になると思う。その日はストレッチデーでもあるので、時間的にも余裕を持って行ってこられるだろう。 19日は中国の親友Cちゃんとお出かけをする予定だ。まだどこに出かけるかは決めていない。どこへ行こうか。 明日も平和に過ごせる1日になるように。 少しサボっていたのだが、本をもっと読もう。食事中とかだけでも。 これを読んでくれた方もどうか、素敵なお盆休みを過ごしてもらえれば。
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2024年11月16日(土)

我が家の冷蔵庫には、昆布水が2L常備してあり、調理や炊飯にとても重宝している。きっかけは、ずいぶん前のことだがNHKの朝の番組で<昆布革命>が紹介されたことだ。出汁昆布を小さくカットしたものが小さなパッケージに入っており、専用ボトルに入れて一晩経てば昆布出汁が出来上がる。もっとも、私はプラゴミがいやなので大きな徳用袋に入った物を愛用している。セールが始まったので注文したのだが、開封すると来年のカレンダーが入っていた。そうか、もうそんな時期か、遅れている宿題を早く仕上げねば。

5時30分起床。
日誌書く。

今朝もカレーうどん、これで伊勢うどんを何とか消化出来た。
洗濯物を干す。
珈琲を入れる。
<びーんず亭>に珈琲豆を発注する。
コレモ七条店へ買い物、このところ気に入っているカレーうどんの素とセールのミートソース、値引のいなり寿司など(¥1,185)。

ツレアイが近所の農家の直売所できれいな葉の付いた大根購入、早速ちりめんじゃこと炒め煮、ご飯に良し、酒に良し。
彼女は早めにランチを済ませ、午後から研修に出かける。
私はいなり寿司で簡単にランチ。

息子たちのランチ、コレモで購入したミートソース利用、起床時間に差があるときにはⅠ人前パックが重宝する。
夕飯用に、大根の下処理をする。
軽く午睡。
資料整理、本はすべて処分するが、CD・DVDをどうするか悩む。
彼女が帰宅、まずはココに点滴、続いて卵焼きをお願いする。

息子たちの夕飯、昆布締めポークステーキ・卵焼き、あれこれ炊き合わせ、レタスとトマト・キュウリのぬか漬け、スパークリングワイン。
彼女はWebミーティング、20時に終了してから晩酌開始。
録画番組視聴、
林家菊丸「辻占茶屋」
初回放送日:2024年11月16日 土曜の早朝は関西の笑いをたっぷりと!▽今回は林家菊丸の落語「辻占(つじうら)茶屋」…お囃子さんとの“掛け合い”をたっぷりお楽しみください▽30分まるごと林家菊丸
(2)「死者の身代金」
何度見ても新しい!ミステリードラマの金字塔。やり手の弁護士が夫を殺害!誘拐事件をでっちあげ、巧妙な計画でコロンボを翻弄する。 弁護士レスリー・ウィリアムズは、夫を射殺後、30万ドルの身代金を要求する脅迫状を自分宛てに郵送し、誘拐事件をでっちあげる。生前の夫の通話を録音したテープとタイマー装置を利用して、夫から自宅に電話がかかってきたように細工したのだ。だが、市警本部とFBIとの連絡係として現場に居合わせたコロンボは、彼女の電話の受け答えに違和感を覚える。
今夜も途中で睡魔に負ける。

近くへの買��だけでは、到底3つのリング完成は無理。
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【ベイファスリンクスの街にて】 作/いずるは
『生きた鉱脈』、『無限の宝』、『不死の源泉』、呼び方は多々あれど、それらはいずれも一つの種族を指す。
彼らは強靭な肉体を持ち、永遠ともあだ名される程の長命、そしてその鮮やかな瞳からこぼれる涙は、美しい宝石になったという。
採取されるそれらの石は装飾品、魔導具、果ては薬にまで使用され、その希少性、有用性故に狙われ、奪われ、滅んだとされている。
――表向きには。
--*--*--*--
大きな街は良い。人が多く、物も多く、周囲は適度に関心が薄く、情報は集まりやすい。
その中、雑踏をかき分けながら二人組が大通りを進んでいた。長い外套を羽織る青年と、顔を隠すように頭巾を被った小柄な人影。
「今日はこの辺りで宿を取ろうか」
傍らに立つ連れ合いに青年は声を掛け、やがて一軒の宿屋に入る。
慣れたようにやり取りをし、二階にある一室に通されたところで、少女はようやく頭巾を外した。
透き通るような白い肌。鮮やかな色の瞳が、窓からの陽光を反射して美しく輝く。
「今日は混んでるから、一部屋しか空いてないってさ」
室内は簡素なものだ。寝台が一つと長椅子、机、古びた角灯に衝立。
「寝るときは君がそっち使ってね」
寝台を指差しながら青年が窓を開けると、ふわりと風が入り込み、淀んだ空気をかき回していく。
「いいの?」
「数日だけだし俺はこっちで大丈夫。毛布もあるから」
元よりそういう使い方をすることもあるのだろう、手慣れた様子の店主からは毛布を渡されている。
必要最低限の荷解きをし、さて、と腰を伸ばした。
「外見てこようと思うけど、一緒に来る?」
「行く」
再び彼女が頭巾を被るのを確認してから扉を開けた。
馴染みの行商人から仕入れた認識阻害つきの外套は、少女の外見や存在自体を薄くさせ、なかなかに重宝している。
特殊な出自であることは、往々にして隠しておいた方が都合が良い。窮屈? という青年の問いには首を振る。
「今日も素材探しから?」
「そうだね。良いの見つかるかな」
「この間もそう言って高いの買ってたけど」
「あはは」
--*--*--*--
階下は酒場になっており、片隅では早々に管を巻く客が見えた。昼食には遅く、夕食には早い時間帯。
客足はまばらだが厨房からはこれからの仕込みか、賑やかな音、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
ふと、少女は立ち止まり青年を見上げた。この先のことを思うと、今言っておかねば後悔する。
「お昼、食べてからにしない?」
「確かにね。そろそろおなかすいたかも」
道中、携帯食を口にしてはいるが必要最低限だけだ。落ち着いて食べられるならば、それに越したことはない。
名物だという料理は、衣をつけて揚げた肉に甘辛いたれをかけ、小麦粉を練って焼いた生地に挟んだ料理だった。些か大きく、少女の手には余るほどの大きさ。
綺麗に三等分されたうちの一つにかぶりつく。揚げたての熱さと、肉の脂の甘み、共に挟まれた野菜は瑞々しい。
手軽で美味しいと評判だという店員の言に偽りはなかった。
「おいしいねぇ」
自身の分をぺろりと平らげた青年が楽しそうに少女を見ている。
小さい口を一生懸命動かし咀嚼し飲み込むが、二切れを食べたところで、最後の一つが残ってしまった。食べたい気持ちはあるが、どうにも入りそうにない。
「食べようか?」
と笑う青年に皿を渡す。どうやらこの店は大きさも売りらしい。
「おいしかったけど、せっかくなら少ない量もあればいいのに」
「量が多いのは、色々な人に食べてもらいたいかららしいよ」
少し食休みしたら行こうか、という青年に頷き、手持ちの水で喉を潤した。
生ぬるいが、あらかじめ含ませておいた薬草のすっきりとした香りが口内の脂を流してくれる。
この腹の満ち具合だと、消化するのに大分かかりそうだ。
--*--*--*--
外は抜けるような青空、日差しは穏やかだが、季節外れなほどに少し汗ばむような気温。
大通りには所せましと露店が並ぶ。競うように軒先を連ね、客を呼び込もうと声を張る。
見慣れぬ果物や野菜、調味料に漬け込まれた肉、手入れされた武具や防具に、美しい織物。
そのうちの細工物が並んだ店で、青年は足を止めた。舶来の品だという首飾りには大きな石が留められている。
「きれいだね。どれかいる?」
即座に少女は首を振った。
「持ってるから、大丈夫」
そっと胸元に手を添える。外套の下には、大事な首飾りが収まっている。
見る角度によって水色や紫に色を変える石、透き通り、青みを帯びた花びら。蕾のような飾りに繊細な銀細工。見ずとも思い返せる程には眺め、大切に身に着けてきた。
「遠慮しなくていいのに」
「遠慮じゃない。それより、素材屋さん行かなくていいの?」
「そうでした」
彼の本職は細工師だ。店は持たず、旅をしながら様々な街で素材を仕入れ装飾品に仕立てる。
些か路銀調達の冒険者稼業の方が時間は長いような気もするが、その生活を変えるつもりはないらしい。探し物があったから、と聞いたこともある。
細工物の店主に別れを告げ、大通りを振り返ると時間帯のせいか先ほどより人が増えているようだった。
「はぐれないようにね」
と、差し出された手を握り、再び雑踏に戻る。
--*--*--*--
いくつかの店を回り、いくつかの資材を仕入れ、軽く夕食を済ませて宿に戻ってくる頃には、月が昇っていた。
「さすがに夜は涼しいねぇ」
少女は一階の酒場で貰ってきた温かいお茶をゆっくりと口にする。じわりと胃の腑まで温かさが落ちていく。
「今日は良いの買えた?」
「まぁまぁかな。ほら、このあたりの素材とか綺麗じゃない? 特殊な貝から作られるんだって」
戦利品を並べていく彼は楽しそうに見える。そして決まって言うのだ。
「何か作る?」
「いい」
飽きずにほぼ毎回、同じようなやり取りを繰り返している。
細工師として気になるからというのも理解はできるが、少女は新しい装飾品を必要としていない。今あるもので十分だ。
「ずっと同じのだと飽きない?」
「飽きない」
「効果付けたりとかもできるよ」
「今もついてるから大丈夫」
「そういわず」
なおも食い下がる青年の目を、少女はじっと見る。
「リートスが最初にくれた、これがいいの」
「ユウェル……」
リートスと呼ばれた青年は少し困ったような笑みを浮かべた。
確かに少女、ユウェルが身に着けている首飾りは、出会った当初に渡したものだ。それがこんなに気に入られるとは。
嬉しい反面、気恥ずかしくもある。だからこうして何かにつけて、新しいものを勧めるのだが彼女は取り付く島もない。
「明日もあるんでしょ。私、そろそろ寝るね」
冷めてしまったお茶を飲み干し、ユウェルは立ち上がる。
「わかった。俺はちょっと作業してからにするから、もう少し明かりはつけておくね」
衝立の向こうから少しだけ少女が顔を出した。
角灯の揺らめく炎が、彼女の瞳に反射する。
「おやすみなさい、リートス」
「おやすみ、ユウェル」
--*--*--*--*--*--*--*--
「たとえば、そうだな。枯れない花を探しに行くのなんてどう? 融けない氷や、手に収まる星空を見るのも良いね」
そう言って、細工師の青年は、うずくまる少女に手を差し伸べた。
窓から薄く差し込む光が埃に反射し、周囲に金粉を散らしたようにも見える。青年の浮かべる表情は柔らかく、少女が見てきたどの顔とも違う。
伸ばされたその手を取れば、きっとここから抜け出すこともできるだろう。
けれど身体は錆びつき、空気は泥濘のようにまとわりつく。重い。動けない。それでも。
恐る恐る手を伸ばし、そっと彼の手を握る。暖かく、優しく握り返される。緊張が、硬直が、解けていく。
「本当に、連れて行ってくれる?」
干からびた喉からは、かすれた小さな声しか出ない。
「君が望むなら」
跪いた彼が頬を撫でた。眩しさに、目が染みる。涙など、とうに枯れたと思っていたのに。
「これから、よろしくね」
少女は小さく頷く。陽の光が、穏やかに二人を照らしていた。
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ご当地グルメをこどもが楽しむ
豊橋駅店 『知立名物大あんまき藤田屋』
あんまきといえば、母が大好物だったということを
山ほど聞かされており、それをふと思い出したので
子供に『好きなの買っていいよ』とお金を握らせ、購入。
季節ものの桜餡は、私の大好物なので
一つよけいに購入してもらいました。
カスタードとあんこのものと、あとボリュームありそうでしたが『天ぷら』なるものを。
家でいただいたので、レンジで温める方が美味しい。
桜の餡は塩気がきいてブラックコーヒーにぴったりです。
甘さもちょっと甘めに仕上げつつも桜の塩漬けの味わいが引き立つものです。この季節にまた買う機会があれば良いですが。
あとは子供が。
天ぷらは面白いですね!中にあんこが入っており、揚げたものであまり甘さもくどくないけど、ボリュームある一品。
これも温めるとなお美味しく、これは抹茶入り知覧茶が合います。
キレイに並んだあんまきは、なんとも美しい。
スイーツはあまり頂かなくなった私にとって久しぶりの
和菓子でした。おいし。
料理研究家 指宿さゆり
ーーーーーーーーーーー
#料理研究家指宿さゆり
#レシピ開発
#レシピ制作
#レシピ制作専門スタジオ
#料理は教養
#食は品性
#桜餡
#電車
#神戸料理教室
#和菓子
#豊橋駅
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#新宿グルメ
#鉄道グルメ
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#あんまき
#立ち食い
#豊橋グルメ
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https://www.instagram.com/p/C6A5AcKy4bI/?igsh=cWl0eXQyZ2h0bjdt
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五篇 下 その七
東海道を離れ伊勢の参宮道に来ている弥次郎兵衛と北八。 明星村の茶屋で、上方者が話しかけてきた。
上方者に、二人が下で馬に乗っていかないかと誘われた弥次郎兵衛は、 「そういえば昨夜、夜道を歩いたんで疲れている。 ちょうどいい。北八、俺は、乗っていくぞ。」 と、弥次郎兵衛が言うと北八は、 「そんなら、この荷をつけてもらおう。」 と、自分の荷物を渡す。 ここで馬の相談も決まり、上方者と弥次郎兵衛は、二人がけで馬に乗って出かけることにした。 北八は、その後ろを、ぶらぶらついて来ている。
馬が 「ヒヒン。」 と、いなないている。 「お前さんがたは、江戸の衆じゃろな。」 と、上方者が弥次郎兵衛に話しかけてきた。 「ああ、そうさ。」 と、答える。 「江戸はいいところじゃが、わしは去年行ってえらい目にあった。 あの江戸には似合わんが、どこへ行っても便所がとてつもなくむさ苦しくて、むさ苦しくて。 わしゃ百日ほどおったんじゃが、ほとんど便所にいかんかった。」 と上方者は、話始めた。 「それから江戸をたって、鈴が森というところまで来てからやれやれと海の中へ、ためにためた小便をいっきに風呂にいっぱいばかりしたが、いい気持ちだった。 あそこは、綺麗でえらく大きな便所であったわいな。ははは。」
弥次郎兵衛は上方者の言いように、ちょっとむっとして、 「京では小便と菜を、取り替えっこするんだろう。 その大切な小便をお前、海の中へ捨てるなんてもったいない事をしたもんだ。 ドラム缶にいっぱいなら五、六頭の馬でも乗せられないくらいの菜になるだろうに。」 と言うと、更に思い出しというふうに、 「そう言えば京では、屁が出そうになるとさっと裏の畑へ駆けていって、植えてある大根や菜の上に屁をするということだが、なるほどこれも肥やしになるだろう。」 と、笑いながら言う。 「そうじゃないわいな。 その屁をした菜をよう刻んで土にまぜて、壁をぬりおるがな。 京ではその土を、へなつち(屁の土)というわいな。」 上方者は、真剣に答える。 「総じて京というとこは、けちな所よ。 前にもわしが行った頃は三月で、ちょうど花見の最中。」 と、弥次郎兵衛は、更に続ける。 「自分勝手に幕をうって、何段にも重ねた蒔絵の重箱などを取ちらしたまではいいが、その重の中には何が入っているかと覗いてみると、残り物を混ぜ合わせたようないろんな漬物におからの煮たやつばっかりだ。 まいった。まいった。」 「いやそれよりか、お江戸の衆が吉原の桜はえらいといたく自慢するさかい、わしゃわざわざ吉原へいって見たが、なんの桜はありゃせんがな。」 と、上方者も負けていない。 不思議に思いながら、弥次郎兵衛は、 「そりゃお前、いつごろ行ったんだ。」 と、上方者に問いかけると、 「わしが行ったは、たしか十月ごろ。」 「当たり前だ。十月に桜があるわきゃない。」 「はあ、そうかいな。 それでも京の小室や嵐山には、年中さくらがちゃんとあるがな。」 と、上方者は、すまして言う。 「そりゃ木ばかりだろう。花は年中ありゃしめい。」 と弥次郎兵衛は、上方者をにらむ。 「そりゃそうじゃが。」
上方者はちょっと黙り込んでから、 「いや又、江戸の衆は長唄をよう歌ってじゃが、京の宮園や国太夫は又、格別なもんじゃわいな。」 「くにだゆうというは、どのような歌だ。」 と根っから歌が好きなので、弥次郎兵衛が聞くと、 「国太夫はこうじゃいな。」 と、真面目に声を張り上げて、国太夫を歌い出した。
「やがて~、私の年季があけて~、お前と夫婦に~、なるならば~、 苦労を供にすることも~、苦労と思わず~、添いましょう~。 ちんちん、ちんちりん。」
「いいな。面白い。ちょっと私にも、一段落教えてくれなさい。」 それを聞いて弥次郎兵衛は、歌ってみたくて仕方がない。 「そりゃ、簡単なことじゃわいな。わしについてやりなされ。」 と上方者が、歌い出す。
後ろ黙ってついてきていた北八は上方者が、あ���まりに高慢ちきなので馬から突き落としてやろうと、細長い竹を一本を拾うと馬の後ろから狙っていた。 上方者はそんなことは露ほども知らないで、夢中になって国太夫を歌っている。
「ちんちりっん、ちんちりっん、ちんちん。 ほんに~、おなごは執念深い~、というは嘘じゃない~。 死んでも、責め苛む~夜叉羅刹、杖ふりあげて、頭打つ。」
というところで北八が、手をのばしてさっき拾った竹で、上方者の頭をぴしゃりと叩く。 その後さっと、上方者から見えない方の馬の尻にさっと隠れる。
「やあ、こりゃ、どやつじゃい。人の頭を鞭うちおるがな。」 と、上方者が、叩かれた頭を抑えながら言うと、 「はははもう一度、今の文句を。」 と、弥次郎兵衛が催促する。 上方者は、痛む頭をさすりながら、
「ほんに~、おなごは執念深い~、というは嘘じゃない~。 死んでも、責め苛む~夜叉羅刹、杖ふりあげて。」 というところで又、北八がぴしゃりと、叩いて隠れる。
「あいたたた、どやつじゃ。滅相な。なんで、ぶち叩くな。」 と、上方者は、振り返ってみたが、北八は隠れているので見えない。 「おもしろいがどうも、節が難しい。もう一度やってくんなせえ。」 と弥次郎兵衛が、催促するが上方者は、 「そりゃなんぼでも、やるはやるが又、頭を叩かれやしよまいか。」 と、何度も後ろを振り返っている。
「俺が、見ていよう。心配するねえ。」 と弥次郎兵衛が、上方者を見る。 「そんなら、今一度、やりましょかい。」 と、上方者が歌い出す。
「死んでも、責め苛む~夜叉羅刹、杖ふりあげて。」 またまた、北八が上方者の頭を叩こうとして、何を慌てたのか弥次郎兵衛の頭をぴしゃぴしゃと叩いてしまう。
「あたたた。北八、俺の頭をどうしてなぐるんだ。」 と弥次郎兵衛は、後ろ振り向きながら言うと上方者が、 「はあ、さっきから、わしが頭を叩いたのもお前さんじゃな、なんして叩いた。」 と、竹を持ってうろちょろしている北八に言う。 「わしは、叩いた覚えはない。」 と北八が、目の前で竹をふると、 「なにがないだ。その竹をみろ。やってないとは、言わせんわいな。」 と上方が、竹を指差す。 北八は慌てて竹をそこにほっぽりだすと、 「はて俺は知らねえ。しつこい野郎だ。」 すっかり開き直る。 「野郎とはなんじゃいな。貴様はえらい勝手なことを言う。」 と上方者は、怒っている。
「なんだ、このべらぼうめ。さっきから思ってたんだが、まったく気に食わない野郎だ。 あんまりふざけた事ばかり言うと、その馬から引きずりおろすぞ。」 北八が、けんか腰で言うと、 「おもしろい。さあ、おろして見やんせ。」 と、上方者も負けていない。 「おお、まっさかさまに、落っことしてやろう。」 と馬の尻をぴっしゃりと叩く。 馬は、驚いて跳ね上がる。 「やあこりゃ、たまらん、何するのじゃ。」 と上方者は、びっくりして馬にくくりつけてある荷台にしがみつく。 「ひゃ、なにをする。」 と 弥次郎兵衛も、上方者と同じようにしがみつく。 馬かたが、 「ええ、畜生め。どうどう。」 と必死になだめてどうにか、落ち着いた。
その後、黙って歩いていって、新茶屋、明野ガ原と通り過ぎて小俣町に着いた。 ここで弥次郎兵衛と上方者は馬をおりて、三人で茶屋に休む。
上方者は、北八に向かって、 「これお前は、なんしてわしが頭を叩かした。」 とまた、さっきのことを蒸し返そうとする。 「もういい加減にしなせえ。お互いに旅先じゃ、色んな事があるもんだ。 もう、いいじゃねえか。わしが、一杯おごろう。 もし女中、何ぞ肴があらば、ここへいっぱい出してくんな。」 と弥次郎兵衛が、中を取り持ちこれより酒盛りとなる。
上方者も一杯のめる口なので、だんだん酔いが回ってきた。 「こりゃえらく酔うたわいな。これ弥次さんとやら、わしゃお前が、えらい好きになったが、この野郎はい��んぞや。 うんいかん。しかしお前の連れじゃ、しかたがない。 そうじゃ、こうしようじゃないか。 これから山田の妙見町にいっしょに泊まって、古市をおごろかいな。」 上方者は、いい気分で、弥次郎兵衛に話しかける。 「わしゃ、あそこでは、顔がきくので、 千束屋(ちずかや)の鼓(つづみ)の間でも、柏屋の松の間でもわしが案内するさかい、行かんせか。どうじゃいな。」
弥次郎兵衛は酔って気が大きくなったのか、上方者がやたらに驕り高ぶるので、こいつをおだてあげて遊ぶつもりに胸算用して、 「古市とは、遊郭のことじゃな。なるほど、それはいい。 どうぞ、よろしくおたのもうします。」 と、頭を下げる。 「これからその山田の松坂屋で腹ごしらえして、妙見町の藤屋に宿をとろうじゃないかいな。 さあさあ、もう行こわいな。」 と上方者は、えらく上機嫌である。
弥次郎兵衛は北八と顔を見合わせて、ニヤリと笑うと、 「そうだな、どりゃ、出かけましょう。」 とここの酒��を払い、立出る。 この町の出はなれに、宮川という渡船に着いた。
宮川で 神に機縁を 結ばんと すくった水の かげの白さよ
ここより、中河原を通り過ぎると、山田の町に着いた。
これで、五篇 下は終わりです。五篇 追加に続きます。
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思い出を振り返る
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Tuesday 11 February 2014
2014年1月9日(木)夜10時4分、おかあさんが92歳で亡くなった。おかあさんは、自分の母のことではない。ハルオは、26歳の時人生のターニングポイントを迎えた。それはカメラマンになる修行を始める時だった。キーパーソンは、カナダ人のジョン。ジョンとの出会いは、ハルオが当時勤めていたカメラ量販店(24〜26歳)でのことで販売員(ハルオ)とお客(ジョン)の関係から始まった。そのジョンにカメラマンになりたいと伝えるとジョンはある女性を紹介してくれた。その女性は、ハルオが師事する事になったカメラマンGが手掛けていた雑誌の編集者をしていた。ハルオは、ジョンを介してその女性と会いまもなくカメラマンGを紹介してもらい彼の元で働きながら写真を学ぶことになった。
ハルオは、当時国分寺に住んでいた。カメラマンGの仕事場は中目黒にあった。一方ジョンは中目黒に近い下北沢のアパート「葉隠荘」に住んでいた。そのアパートは、いわゆる外人ハウスで管理人がいなくある意味無法地帯のアパートだった。そのアパートがあった敷地内におかあさんが営む一杯飲み屋「小料理 小千谷」があった。ハルオは、国分寺のアパートをキープしながら葉隠荘(3畳部屋)に移り住んだ。そしておかあさんと出会った。おかあさんは、当時70歳だった。1991年のことだ。「小千谷」とはおかあさんの生まれ故郷新潟県小千谷のことだ。「小千谷」カウンターに5席ほどの小さい飲み屋でおかあさんが一人で切り盛りしていた。メニューは、300円と600円のみ。瓶ビール(大瓶)500円。おかあさんは、自分のことを『昔はあばずれ、今は聖母マリア』と言った。そして『おかあさん』と呼んでと言われる。おかあさんは、外国人しかいない葉隠荘に日本人がやって来たことが嬉しかったのだろうかハルオとおかあさんはすぐに打ち解けて仲良くなった。「小千谷」は夕方から12時まで営業していたので仕事が遅くなった時でもお店は開いていてよくハルオはおかあさんに会いにお店に寄った。おかあさんは昔の下宿屋のおばちゃんみたいな存在だった。おかあさんは世田谷区に住まいがあり旦那さんと暮らしていたが葉隠荘にも1室部屋を持っていた。その部屋はジョンの部屋(6畳部屋)の隣りだった。ジョンもハルオも20代後半の血気盛んな時期で週末となればどこからともなく外国人たちがジョンの部屋に集まりテクノミュージック(後にトランス)を聞いて騒いだ。ボロアパートの葉隠荘だから音は筒抜けでおかあさんは最年長でテクノを聞いていたことになるだろうか。聞くだけならともかくその音はおかあさんには不快でよくジョンの部屋に来て『うるさいよ〜』と注意に来た。
「小千谷」には、常連のお客さんがたくさんいて当然おかあさんのファンでもあった。おかあさんが道で拾った鶏をカゴに入れて飼っていた時があった。そのカゴは「小千谷」の店先に置いてあってある日おかあさんはそのコメコと名付けた鶏を写真に撮っている女の子Aと出会う。そして「うちにも写真を勉強しているハルオ君という子がいるよ』と伝えハルオはその女の子と「小千谷」で会った。ハルオは、その女の子を気に入りやがて2人は付き合う様になった。おかあさんは愛のキューピッドをし他にもおかあさんがお客さんとお客さんの縁を取り持ち結婚までしたカップルがいた。ハルオには、18歳で上京して以来2番目に仲良くなったTという友人がいるがそのTも「小千谷」が気に入り常連になった。そのTもやはり常連だった女性と恋に落ちその縁は今でも続いている。
ハルオが葉隠荘にいた期間は3年間だったがその間に「小千谷」が30周年を迎えた。近くの北沢八幡宮の宴会場を借りて大勢の人が集まり盛大に開催された。おかあさんは、得意のかっぽれを踊った。おかあさんはハルオに葉隠荘の外観写真を撮ること依頼しその写真を使い記念テレフォンカードを作った。おかあさんが何かの病気になり病院に入院した。それは大したことではなかったが退院の日ハルオはおかあさんに頼まれて迎えに行った。当時ハルオは400ccのバイクに乗っていておかあさんをシートの後ろに乗せて葉隠荘まで連れ帰った。そのことは後々までもおかあさんの記憶に残っていて時折そのことを懐かしんでハルオに話した。
「小千谷」には焼き飯というメニューがあってとても美味しく量がありハルオはよく好んで食べた。他には、刺身や漬け物、焼き魚等のメニューがあった。時折ハルオが朝仕事に出掛けると葉隠荘の入り口におかあさんからハルオに宛てたメモがありお店で残ったメニューの焼き飯やおにぎり、惣菜、を詰めてハルオに弁当を持たせてくれた。おかあさんは"お母さん"だった。ハルオは、バイクで交通事故に遭い肩甲骨と鎖骨を折って入院したことがあった。その際にはハルオの母も看病にやって来たのでハルオの母とおかあさんは顔を合わせている。その後年賀状のやり取りも続く。
ハルオが葉隠荘に住んで約3年後葉隠荘が取り壊しになる話が進められていた。丁度ハルオはカメラマン修行も終えた頃で立退料を大家の代理から30万円貰って早々に羽根木公園の近くのアパートに引っ越しをした。その後も暫く葉隠荘も「小千谷」もそのまま健在だったが遂に取り壊しをする時がやって来た。おかあさんが75歳前後のことだろうと思う。ハルオは、葉隠荘が取り壊される日、ドキュ��ント写真を撮った。その後まだ元気だったおかあさんは世田谷区上町駅近くの商店街に「小千谷パート2」を開店させた。ハルオは、定期的におかあさんに会いに行った。さてその店が何年続いたか?2〜3年?ハルオには記憶にない。下北沢という好条件にあった時に比べ上町ではお客さんが少なくなっていた。それでもおかあさんはお店を続けたかったんだと思う。
おかあさんは、水泳を好んで良くプールに出掛けていた。『ハルオ君、今度私が泳いでいるところを撮って』とおかあさんに言われたことがあったが実現には至らなかった。『小千谷パート2』が終りかけた頃、おかあさんは、自分史を書いた。その文章を常連のお客さんたちが小冊子に纏めた。その中にハルオについての話を書いてくれた。
2006年、ハルオは、写真展「十人十ゑろ」を開催した。しばらくおかあさんとは会っていなかったがおかあさんに写真展の話をすると行きたいと言ってくれた。しかしおかあさんは足が悪くなっていて自力では来れない。ハルオは、タクシーをチャーターしておかあさんの送迎をした。「十人十ゑろ」は10人の女性の素肌(殆どがヌード)をキャンピングテントの中で撮影した作品だった。その後おかあさんとのやり取りは年賀状や時折の電話で続いて行った。
2008年、ハルオは25年間住み慣れた東京から静岡に引っ越しをした。この年の前後(記憶が乏しい)におかあさんに会いに行った。場所は下北沢から近い世田谷区の淡島通り付近の喫茶店。おかあさんの住まいは一戸建だったがとても小さく人を迎い入れるには難があった。おかあさんの足は更に悪くなっていた。その時は、ハルオはおかあさんがキューピッドをして付き合うことになった女の子Aと行った。Aとのお付き合いは半年も続かなかった。しかし元々Aはカメラマンになりたかった女の子でハルオに触発されてか付き合っている頃から写真学校の夜間部に通い晴れてカメラマンになっていた。ハルオとAは、友達として連絡を取り合っていたのでいい機会と一緒におかあさんに会いに行ったのだった。ハルオは、写真を撮って後でおかあさんにその写真を額に入れて贈った。おかあさんはその後世田谷の住まいをそのままにして小千谷に近い新潟県長岡市に身を寄せた。始めはおかあさんだけでその後旦那さんも。
2011年、おかあさんからハルオに手紙が届いた。その日は偶然にもハルオの誕生日だった。手紙が入った封筒には、現金2万円と写真も入っていた。その時何故現金が入っていたのか分らずハルオは、誕生日プレゼントだと勝手に思った。(しかしそれは後で気付いたが新潟までの往復の交通費だった。)そして写真だがそれが驚いたことにおかあさんのヌード写真だった。おかあさんが50〜60歳位の頃の温泉の露天風呂に入っている写真で下半身はタオルで隠れていて上半身は裸で乳首は見えそうで見えてはいなかった。手紙に『ハルオ君の個展か何かに出せるんじゃないかと勝手に考えました。自分のうぬぼれかも知れないけどそんな風に役立てて下さい。お願いします』とあった。随分大胆だなとハルオは驚いた。ハルオは、この時以前プールの写真を撮ってとリクエストされたことを思い出した。
手紙を貰った後中々新潟までおかあさんに会いには行けなかった。 ハルオは、それがはがくゆく気になっていたのでおかあさんに会いに行く決意をする。 おかあさんに貰った交通費2万円を使い時がやって来たのだ。
2013年春、 その旨をおかあさんに伝えようと身を寄せていた新潟県長岡市のお宅に電話すると旦那さんが危ないからまたの機会にして欲しいと言われ延期した。おかあさんには2人のお子さんがいて長女さんは大阪に住んでいて息子さんはすでに亡くなっていた。その息子さんの奥さんがおかあさんと旦那さんの世話をしていたのだ。間もなく旦那さんは亡くなられた。そして10月の始め、おかあさんに会いに静岡から車で出掛けた。久しぶりに会ったおかあさんは、すでにガンに侵されていた。部屋の中で2時間ほど話した。写真も撮った。しかしおかあさんの笑顔は撮れなかった。おかあさんは、長年の伴侶だった旦那さんが亡くなり生きることよりも死ぬことを願っている様に見えた。ハルオは、おかあさんと別れた後おかあさんの勧めで小千谷にも寄って来た。おかあさんの実家は小千谷駅近くにあった。甥っ子さんが寿司屋を経営し、その同じ通りにおかあさんの幼馴染みが住む金物屋があって両方訪ねた。幼馴染みの方はご健在で写真も撮ることが出来た。
『おかあさん、これから手紙を定期的に送っていい?』そうハルオはおかあさんに尋ねると承知してくれたのでその後迷惑にならない様に気を使いながら手紙(葉書)を送った。しかしおかあさんはそれから3ヶ月後に帰らぬ人になってしまった。
おかあさんのご冥福を心からお祈り致します。 長い間本当にありがとうございました。 安らかにお眠り下さいね。
2014年2月21日(金) ハルオ
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