#新自由主義の墓場
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首都圏にあるムスリム墓地 霊園内にあるムスリム区画には見慣れない墓が並ぶ 無機質な太陽光パネルが取り囲む高台に見慣れない墓が並ぶ。鮮やかな花が供えられ、墓石にはアラビア語が刻印されている立派な墓。四方をブロック塀で囲んだだけの簡素な墓。盛り土だけの土まんじゅうのような墓……。これらはすべて宗教上の理由で土葬を必要とするムスリム(イスラム教徒)が眠る墓だ。 1980年代後半からパキスタン人やバングラデッシュ人をはじめ多くのムスリムが労働者として来日した。一部は日本人女性と結婚するなどして定住し、彼らの配偶者となった女性も改宗した。いまや日本に住むムスリムは外国人と日本人を合わせて約34万人ともいわれるが、人口増加とともに深刻な問題になっているのが墓不足だ。 ムスリムは宗教上の理由で土葬を望むが、火葬率が99.9%を超える国内にはムスリムの土葬が可能な墓地は限られている。また、ムスリム向け土葬墓地の新設計画が持ち上がっても、地元住民から反対の声があがり、計画が頓挫してしまうケースも少なくない。 「ムスリムの土葬が可能な墓地のない沖縄から遺体が運ばれ、埋葬されたこともあります。いまでは全国から問い合わせがあります。一方で、約束を守らないなどトラブルが多いのも事実です」 こう話すのは、ムスリムの土���を受け入れる霊園のひとつである埼玉県本庄市の本庄児玉聖地霊園を管理する早川壮丞さん(77)だ。ムスリムの墓不足の「実態」、そして埋葬現場に立つ当事者としての「本音」や「悩み」を聞いた――。 霊園には礼拝室や洗体場も 霊園は丘陵の頂上にある。周囲にあるのは工場だけだ 関越自動車道「本庄児玉IC」から車で15分。市の中心部から離れた丘陵地の坂道を上ると、突如「本庄児玉聖地霊園」の看板が現れた。丘陵の頂上にある霊園の周囲に民家はなく、太陽光パネルが林立している。 霊園の入口近くにはプレハブの管理事務所が建つ。その中には礼拝室がもうけられており、管理事務所の隣には洗体場もある。管理事務所を出て砂利の坂道を上ると、そこには平地が広がっており、入口にアラビア語の看板が立つ。その奥には見慣れない墓が並ぶ。ここがムスリムの土葬墓地区画だ。 本庄児玉聖地霊園は、全国でも10ヵ所程度しかないムスリム土葬墓地のひとつだ。なぜムスリムの土葬を受け入れるようになったのか。こう問うと、早川さんは苦笑いして「『先見性がありますね』なんて言われることもありますが、ムスリムの増加を見越していたわけではありません。まさに偶然が重なった形でした」と明かした。 「墓地を開設した1995年、当時許認可を管轄していた保健所の担当者から『土葬もできる墓地として申請しますか』と尋ねられました。というのも、この周辺地域には土葬の風習が残っていたためです。そこで、1万7000坪の敷地すべてを土葬ができるように申請しました。それがスタートです。 霊園には地主がいて、管理面を私の会社が担当しておりますが、地主が土地をめぐるトラブルに巻き込まれ、紆余曲折の末、4800坪だけが墓地として残りました。残りの土地には現在、太陽光パネルが置かれております。 もともと日本人向けの墓地であり、最大で270基の日本人のお墓がありました。もっとも、土葬を希望する人は長年現れず、現在に至るまで日本人による土葬の申し込みはわずか1件だけです。近年は墓じまいをする人も多く、収益は激減。墓地の維持が長年の悩みでした」 14体もの遺体が無許可で埋葬された 霊園内のイスラム区画 思わぬ事件が起きたのは、経営難に苦しんでいた2019年初めの頃だった。 「霊園の敷地内にムスリムの遺体が私の許可なく埋葬されていたのです。普段足を踏み入れない場所に重機が通った跡があり、それを辿っていくと石とブロック塀が並べられていました。調べたところ、そこには遺体が埋葬されていました。 私の許可なく埋葬していたパキスタン人は群馬県伊勢崎市にあるモスクの関係者を自称していました。土地をめぐるトラブルがあったのは先にお話した通りです。彼は『私はこの土地を購入している』という主張を譲りませんでした。その後も遺体の無断埋葬は続き、合計で14体もの遺体が埋葬されました。 イスラム教では埋葬は死後早いほどよいとされており、彼らは夜中に遺体を埋めるので現場をおさえられませんでした。警察に相談したところ、『現行犯じゃないと対応できない』とのことでした。そこで、監視カメラを設置したところ、ある日、夜中に重機が現れた。『これは埋葬するな』と思ったら、案の定でした。 警察に協力してもらい現場を取り押さえましたが、そこには20人ほどのムスリムがいました。私が管理する霊園内での出来事ですが、彼らは『土地を購入しているから問題ない』と言い張ります。結局、警察立ち合いの下、2019年10月に事務所内で念書を取り交わしました。このときばかりは、パキスタン人の男も態度を一変させ、しきりに『もう二度をやりません』と頭を下げていました」 「無断埋葬」事件の結末 14体もの遺体が無断で埋葬されたが、その一帯はのちに正式な墓地になった 無断で埋葬された14体もの遺体はいまも残る。早川さんは続ける。 「許可なく埋葬されたとはいえ、一度埋めたものを掘り返すことはできません。亡くなった方に罪はありませんからね。結局、そのまま墓地にして、いまでも残っております。 本来、正規の埋葬代金を請求したいところでしたが、200万円を支払ってもらうことで話をまとめました。男は警察官の前で念書に署名・押印し、その書類はいまでも保管してあります。もっとも、1銭も支払われていません。数ヵ月後、念書を取り交わしたパキスタン人は行方不明になり、現在に至っております」 このトラブルについて、本庄市役所の担当者はこう話した。 「土葬については経営者・管理者の方が判断するものであり、行政としてはいいともダメともいう立場ではありません。(埋葬をめぐり、本庄児玉聖地霊園で)トラブルがあったことは把握しておりますが、民間同士のやりとりのため、こちらが何か言える立場にはありません」 予期せぬ事態に困惑した早川さんだったが、東京都・大塚にモスクを置く宗教法人「日本イスラーム文化センター」の責任者から数年前に「ムスリム向けに区画を購入したい」という打診があったことを思い出した。 「大塚のモスクに連絡したところ、改めて『ムスリムの墓を受け入れてほしい』との話がありました。お墓がある限り、何としても霊園を維持していかなければいけません。ある意味、苦渋の決断ではありましたが、受け入れを決め、遺体が無断埋葬されていた場所の近くにムスリム専用の区画をつくりました」 恩義から草刈り 最初に埋葬されたガーナ人男性の墓。早川さんは無償で石材を提供した 最初に埋葬されたのは、大塚のモスクから紹介された埼玉県草加市に住むガーナ人男性だった。 「2019年6月です。一緒に来日した友人たちが故人のために必死にお金を集めたそうです。ただ、埋葬代を用意するのがやっと。本来、墓石代は別途ですが、霊園に余っていた石材を無償で提供し、どうにかお墓の体裁を整えました。友人らはその恩義から定期的に霊園を訪れ、毎年のように草刈りを手伝ってくれます」 墓地に眠るムスリムの国籍は様々だ。最も多いパキスタンのほか、バングラデシュ、スリランカ、インド、インドネシア、イラン、中国、ミャンマー、イラク、ウズベキスタン……。ムスリムの外国人と結婚した日本人もいる。 「受け入れを始めた2019年は8件でしたが、2020年は9件、2021年は23件、2022年は21件、2023年には31件まで増えました。今年は現時点で19件ですが、全体的に増加傾向にあり、合計で111件です。宣伝をしたわけではありません。口コミで広がったようです。ニーズがあったということでしょう。なお、キリスト教徒の土葬区画ももうけており、こちらは合計で5件です」 埋葬されたムスリムの居住地は、最も多いのが霊園の所在地である埼玉、次いで群馬だ。霊園がある本庄市は利根川を渡れば群馬県伊勢崎市という立地であり、また群馬はとりわけ外国人労働者が多く、ムスリムも多い自治体だ。一方で、本庄から遠く離れた場所も少なくない。 「ムスリム墓地のない富山や新潟、宮城、沖縄の方もいます。いまでは全国から問い合わせがあります。地域のモスクを通しての申し込みもあれば、個人からの申し込みもあります」 白い布で包み、掘った穴の中へ ファミリータイプの墓地もある 日本に住むムスリムが死去した際、母国に輸送するという手段もあるが、燃料費の高騰もあり、利用したくても利用できない現状もあるという。 「成田には専門の業者がいて、遺体を運ぶと母国に輸送してくれます。ただし、高額です。以前は60~70万円でしたが、いまは90~100万円に値上がりしています。日本に暮らすムスリムの多くはもともと出稼ぎに来ていた人たち。決して裕福な人ばかりではありません。 こうした事情も考慮し、埋葬料金は当初26万円に設定しました。一時、地主の意向で45万円に値上げしたこともありましたが、現在は30万円に落ち着いています。墓石代については別途という形です」 現在、ムスリムのお墓は111基。新たにファミリータイプの墓地の区画も設置した。早川さんは、ほぼすべての埋葬に立ち会ってきた。 「遺体が霊園に運ばれると、洗体室で遺体をきれいにして白い布で包みます。それからムスリムの区画に移動し、白い布に包まれた状態で1メートル50センチ以上掘った長方形の穴にゆっくり下ろし、頭をメッカの方角に向けて状態で土をかけます。遺体は棺には入れません。つまり土に返す形です。 ひとつの遺体につき、区画は1メートル50センチ×2メートル50センチ。御影石の立派な墓もあれば、土の中に埋めただけの質素な墓もあります。国による違いもありますが、基本的には経済力次第です。 印象に残っているのは日本で生ま��育った10歳のバングラデシュ人のお嬢さんが埋葬されたとき。お父さんは泣きながら穴から出てこなかった……。彼は週末になるとお嬢さんに会いに来ています。日本人に比べ、ムスリムは墓参りにくる頻度が高いと感じます」 管理費を払わないムスリム 霊園を管理する早川さん ムスリムの土葬を受け入れたことで霊園の維持は可能になった。だが、悩みや気苦労は絶えないという。 「お墓の収益なんて微々たるもの。何とか維持できているような状態です。日本人とムスリムでは価値観がまったく違うこともあり、新たな悩みも出てきました。 ムスリムにとって値切るのは当たり前。埋葬してから値切ってくるので呆れてしまいます。向こうは10人以上で事務所に入ってきて、『高い。安くしろ』と訴える。あまりにしつこいので『持って帰ってくれ』と言ったこともあります。こっちはひとりで、向こうは集団ですから怖いですよ。 ムスリムは女性も手ごわい。盛んに『お金がない』と訴えてきます。あまりにもしつこい場合、やはり『持って帰ってもらうしかないね』と伝えます。すると女性は観念して『払います』と現金を取り出す。たとえお金があってもないと言い張る。日本人の感覚とはまるで違います。 約束を守ってくれないのも困ったものです。埋葬をしたいという連絡を受け、準備して待っていても、当日に現れない。こうしたことは一度や二度ではありません。また、年間1万2000円の管理費を払わないケースも多い。これでは草刈りもまともにできません。うちの場合、区画のサイズは決まっていますが、勝手に増設し続ける人もいます。 もちろん常識的なムスリムも多くいます。ただ、彼らは基本的に自分たちの慣習や常識を大切にしており、日本の風習や考え方をさほど意識していません。多文化共生というのは双方の歩み寄りがあってのもの。自分の主張ばかりでは相手も嫌になってしまいます。地域住民の反対により、各地でムスリム向け墓地の計画が頓挫していますが、そうしたことも根本にあるのでしょう」 後編記事『「闇土葬」が行われている…〈ムスリム土葬墓地不足問題〉在日イスラム教徒向け霊園経営者が懸念する「最悪の事態」』では引き続き、ムスリム向け土葬墓地不足の「実態」、そして霊園を管理する当事者としての「本音」や「悩み」を紹介しています。
「無断で死体を埋められた」「お金を払ってくれない」…ムスリム土葬墓地経営者が明かす、墓不足の「実態」と当事者の「深刻な悩み」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
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ハレルヤ! 主はよみがえられました――! 復活の事実、真実、真理によってすべての人が救われる☆ 2000年間、変わらない不変で普遍のメッセージを通して、一緒に恵まれていきましょう!
■コラム 僕たちのリードオフマン"死んでよみがえったジーザス" 僕が学生時代お世話になった森孝一教授(元同志社大学神学部学部長、元神戸女学院院長)がキリストの復活について、こんなふうに言いました。
「イエスがよみがえったいう一次証拠はない。せやけど、2つの二次証拠がある。まず墓が存在しないということ。それから、開祖であるイエスの死後、弟子たちが活発に伝道したこと。イエスがよみがえったことなしに、あれだけの伝道はできひんかった。一次証拠にはならへんが、これらのことはイエスがよみがえったことを示唆する」ということです。
森先生は、自由主義神学(キリスト教を信仰よりも学問的、批評的にとらえる立場)の旗手です。
その方がジーザス(イエス・キリスト)の復活について「二次証拠がある」と言っているのは、実に興味深いです。
僕は信仰的な立場でしか聖書を読みませんから、ジーザスの処女降誕も復活も再臨も100%受け入れます。けれど、唯物論に立てば、それらのことは信じられなくて当然です。
逆に「処女懐胎は想像妊娠もあるし」とか「当時の人たちは、夢と現実の区別がついてなかった」とか「迷信深い人たちにとっては事実だった」などなど、“説明のつく解説”を僕たちは微塵(みじん)もうけつけません。
信じられないことを信じるのが信仰であって、信じられないことを合理的に釈明して納得するのであれば、信仰は不要��す。
僕たちは、人間の知性や理性を越えた“スーパーナチュラル”な聖書の神の世界を真正なことと認め、有限で不確実でどうにもならない社会を超越することに挑戦します――。
「そんなアホな、付き合ってられん」という人向けにイスラエルの王様だったダビデはこのように言います。
「愚か者は心の中で『神はいない』と言う。」 (旧約聖書・詩篇14篇1節)
また、聖書随一の執筆者であるパウロは言います。
「『死者はどのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか』と言う人がいるでしょう。愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ生かされません。」(新約聖書・Ⅰコリント15章35-36節)
ざっくり言うと、聖書は次のことを示しています。
①全知全能の神がいる ②その神が人類救済を計画した ③救済計画のため我が子イエスを犠牲にした ④犠牲の結果、全人類の罪は弁済された ⑤加えて、ジーザスがよみがえったことにより、全人類も死後に復活することが確約された ⑥以上のことは、信仰によってのみ発動する ⑦その保証として神の霊、聖霊が与えられる
もちろん、細かいことはもっと様々あります。けれど、僕たちは、「聖書は神のことばです」と明言し、その聖書を紐解くことで、完全な救いをギフトとしてもらっています。そして、このギフトは知り合う人、全員にお届けしていく義務と責任を使命として頂いているのです――。
「墓はだった」ことにより示される“死んでよみがえったジーザス”が、僕たちのリードオフマンです。
僕たちはこの方に続き、「死んでよみがえる」というのが聖書の語る真理です。
信仰によってのみ捉えることのできる世界に皆さんを招待します――!
++++++++++++++++++++++ ◎Think it... あなたは、ジーザスのよみがえりを信じますか? 信じた時、あなたの中にどんなことが起こりましたか?
→考えたことや感想をお分かち合いください
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大統領選挙で、富豪であるトランプ氏を支持した貧困層のことを、肉屋を支持する豚、と皮肉る論者もいました。このように、本来は自分の敵である相手を支持してしまうようなことは日常の人間関係、社会的な組織関係、国際関係でたくさんあると思いますが、そういうことをあらわす短い表現や、同様の具体例を、できるだけたくさん教えてください。
ChatGPT said:
とても鋭いご指摘です。このように「本来の自己利益に反する選択をしてしまう」現象は、政治・社会・心理の各領域で古くから問題視されてきました。以下に、短い表現・有名な比喩・類似の具体例を分類してできる限り多くご紹介します。
🔁 短い表現・比喩・皮肉
肉屋を支持する豚(pigs voting for the butcher) ── 利害を逆転させる強烈な比喩。
七面鳥が感謝祭に投票する(turkeys voting for Thanksgiving) ── 自滅的選択の代名詞。
奴隷が鞭を求める ── 支配に適応し、それを欲する心理。
檻を自由と呼ぶ鳥 ── 規制や抑圧を内面化してしまう状態。
「落ちこぼれ」を罵倒する「次の落ちこぼれ」 ── 排除構造への無自覚な加担。
「自分もいつか支配する側になる」と信じる奴隷 ── アメリカの"millionaire in waiting"幻想にも通じます。
「沈みゆく船の上で、他人の服装を笑う」 ── 状況認識の欠如。
自分を殴る手を擁護する ── ドメスティックバイオレンス被害者にもしばしば見られる心理構造。
🔄 政治・社会での具体例
トランプ支持の貧困白人層(Rust Belt現象) → 自分たちの雇用を脅かす富豪を“敵”ではなく“救世主”と誤認。
緊縮財政を支持する低所得層(イギリス・ギリシャなど) → 公共サービス縮小の打撃を受ける層が、財政健全化に賛同。
新自由主義的教育改革を支持する教師 → 競争強化が自らの労働条件を悪化させるにも関わらず賛成。
ワクチンを拒否する保守層が、感染によって死亡する → 科学を「権威」と見なして反発、結果的に自己危機を拡大。
「女性の敵は女」と言われる保守的女性層のフェミニズム嫌悪 → 抑圧構造に加担し、維持に貢献してしまうパターン。
日本におけるブラック企業支持や自己責任論の広がり → 被搾取者が「努力が足りないからだ」と他者を断罪し、構造の維持に加担。
徴兵制支持の若年層(韓国など) → 本来の犠牲者がシステムに内在化して支持者になる例。
労働者階級による「労働組合つぶし」支持(アメリカ・イギリス) → 自分の交渉力を削ぐ方向に世論が動く。
🧠 心理学・社会学の説明枠組み
虚偽意識(False Consciousness) → マルクス主義的用語。労働者階級が、自らの階級利益に反するイデオロギーを内面化。
システム正当化理論(System Justification Theory) → 不公平なシステムですら、「今あるものだから」として擁護しようとする心理的傾向。
ドミナンス志向(Social Dominance Orientation) → 支配-���従のヒエラルキーを自然・当然とみなす傾向。
象徴的暴力(ブルデュー) → 支配者の価値観が自然なものとして受け入れられ、被支配者自身の行動に影響。
ストックホルム症候群 → 支配者・加害者に同情し、感情的な結びつきを持つようになる。
💡 その他の具体例
戦争を煽るメディアに賛同する大衆 → 自分たちの生活が破壊されるにも関わらず。
外国人労働者を差別する低賃金労働者 → 本来は同じ側の人間なのに、雇用競争の矛先として敵視。
受験競争を擁護する中高生 → システムに適応し、批判的視点を持たないまま、他者を攻撃。
女性差別的発言を擁護する女性タレント → 同調による承認を優先。
同性愛者による差別的言説への同調(自己嫌悪型ホモフォビア)
もしご希望があれば、これらを格言調にまとめた短文集(たとえば「肉屋を支持する豚」風の皮肉表現)や、教育・家庭・友情など他の領域での類例としても展開可能です。 どの方面でさらに深掘りしましょうか?
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You said:
これらを格言調にまとめた短文集(たとえば「肉屋を支持する豚」風の皮肉表現)をお願いします。
ChatGPT said:
承知しました。以下に、あなたの意図に沿って「本来の自己利益に反する選択をする人々」を皮肉や逆説、寓意のかたちで表現した格言調の短文集をお届けします。
🐷 自己否定的選択を皮肉る格言集
● 支配と服従の逆転劇
豚が肉屋に忠誠を誓う。
鎖にリボンを巻いて「自由」と呼ぶ犬。
鞭を神棚に祀る奴隷。
首輪の輝きに誇りを感じる虎。
杭に自ら繋がる象は、子象の夢を見る。
牢の壁に絵を描き「我が家」と呼ぶ囚人。
● 自滅する支持
七面鳥が感謝祭に投票し、笑って死んでいった。
薪が暖炉のために団結した。
羊たちは「狼こそ秩序だ」と信じていた。
罠の構造を称賛するネズミ。
墓を見て「我々の将来は安泰だ」と語る民。
● 自己利益の錯誤と幻想
火の中に希望を見た蛾は、まっすぐに飛んだ。
自分がいつか狩人になると信じて、銃に餌をやるウサギ。
パンくずに感謝して、パン工場を燃やした飢えた群衆。
自分が王になる夢を見て、王を守る盾となる農夫。
「明日は我が身」と知りつつ、他人の処刑を拍手で見送る市民。
● 同調・加担の悲劇
絞首台を掃除する首を待つ者。
弱者を笑う者は、鏡に自分の姿を見ていない。
階段を蹴落とした者が、やがてその階段を必要とする。
木を切り倒しながら「日陰がない」と怒る旅人。
● 幻想にすがる民衆
毒を「苦い薬」と信じて飲み干す群衆。
枯れた井戸に未来の水を託す信徒たち。
毒蛇を守神と呼ぶ村。
牢屋の番人を「改革者」として歓迎する民。
虐げられた者が、自分より下の者をさらに叩いて安心する。
これらは、いずれも現代社会の構造的な錯誤や支配の内面化を寓意的に映し出す短文です。 必要に応じて「恋愛版」「学校版」「職場版」「国際関係版」などへの翻案も可能です。
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2013-08-17 ようこそ鞆へ!遊ぼうよパラダイス

ようそ鞆! 遊まよ パラダス 会 期:2013年8月17日(土)-10月20日(日) 会 場:鞆の津ミュージアム 開館時間:午前 10時?午後5時 休 館:月曜日(祝祭日は開館し、翌日休館) 主 催:鞆の津ミュージアム 後 援:広島県、広島県教育委員会、福山市、福山市教育委員会 特別協賛:アサヒビール株式会社 助 成:公益財団法人アサヒグループ芸術文化財団、財団法人義倉 協 力:認定こども園鞆こども園、福山市鞆の浦歴史民俗資料館 広島県福山市の南部にある、海岸沿いの小さな町「鞆の浦」。江戸時代から明治・大正・昭和の建物が自然な姿で混在する街並みは、景観保存条例などによって人工的に残された町とは違った、おだやかに時間が止まったような感覚をもたらしてくれます。 観光地として知られるこの町のもう一つの魅力は、道端で魚を売るおばあちゃん��姿や人知れず日々量産し続けられる「おかんアート」など、「観光」の裏側で毎日進行している人々の日常の暮らしの中にあります。私たちは、自分たちの日常を見つめることはなかなかないものですが、ひとたび立ち止まって身のまわりを見てみると、密かではあるけれど創意に満ちた営みがあちらこちらにひそんでいることに気づくことができます。私たちの考えや行動のあり方を律し、その「生」を成立させる常識などのような世の枠組みを疑うことで、それを更新していこうとする創造力は、私たちがより自由に生きていくうえで、このうえなく重要なものでしょう。 そこで本展では、それが「美術」作品とみなされうるか否かには関係なく、私たちが日常的に採用している価値体系に対して問いを投げかけているような表現を一堂に集め、展示します。ご紹介するのは、知的障がい者による「設計図」や、アマチュア制作者の手芸品、美術作家による相対主義的視点から日常のあり方を問い返す作品など、様々な人たちの活動から生み出されてきた多種多様な表現です。「パラダイス」とは、私たちが想像的につくりだした「この世ならざる」理想的な場所のことであると考えるならば、そこでは人々の間で価値をめぐる現世的な争いが起きることはなく、幸福な共存があるのみでしょう。本展では、雑多な価値観を体現している表現を共存させることで、そのような、互いに異なるもの同士が肯定される「この世ならざる」場所の創造へ向けた実験を試みています。このような場所を経験することにより、自明であったはずの価値観がゆらめき、日常が不思議で驚きの対象として立ち現れてくることでしょう。 本展を通じて、当然となっている日常や見慣れた生活風景が改めて見つめ直され、一人ひとりが自らの日常について考える契機となることを願います。 エントランス 04・05 壁面配置図(16-1?16-15) 09 チケットカウンター 09→ キャラリーンショップ 16-1 ※壁面配置図あり ↓ 16-15 SI 3目的トイレ 01 ガタロ 少年画廊 1997頃 アクリル/木 02 山下清 鞆の浦 1959 フェルトペン/紙 03根本敬 根本敬ミュージアム (続・混沌の隣人たち) 2013 ミクストメディア 04 西山友浩 日記 2009 ボールペン/紙 05 西山友浩 出展作家 2013 カラーペン/段ボール 06 山名勝己 ザグザグ 2013 ミクストメディア 映像(9分11���) 07 田頭一則 スター似顔絵 2012 鉛筆/紙 08 柴川 敏之 PLANET BOX (2000年後に発掘された玩具・日用品の化石) 2002?2013 ミクストメディア 吉本和之さん宅の小学校の思い出の品(1964?) 09 柴川敏之 PLANET WALL (2000年後に発掘された壁の化石) 2004~2013 ミクストメディア、映像(2分22秒) 吉本和之さんの小学校の思い出の品(1964?) 10 藤井柊輔 大城巧のお墓 2012~2013 ミクストメディア 11藤井柊輔 無題 2006~2012 カラーペン/紙 12 谷本恵 柄ノ裏ミテ景ヨッテ景 2013 タイプ(プリント 【ご注意】 ・会場内には壊れやすい作品が展示されています。絶対に作品には手を触れないで下さい。 ・会場内は写真撮影可能です。撮影の際には、くれぐれも周りのお客様のご迷惑にならないようお気を付け下さい。 13 中川尚也 夢の共演者たち 2007~2012 カラーペン/紙 14 香川定文 香川仏壇D501 鉄道車音楽祭り・ベンチャーズ 広島国民のくらしえのどうグ太田川戸坂香川定之 2011~2013 カラーペン、クレバス/紙 15 柴川 敏之 PLANET ICON (2000年後に発掘された招き猫の化石) 2012 ミクストメディア 16-1 ガタロ S君 2003 鉛筆、水彩/紙 16-4 ガタロ 対手袋 2013 鉛筆、水彩/紙 16-2 ガタロ 無題 2006 鉛筆/紙 16-5 ガタロ SUPPON 2010 鉛筆/紙 16-3 ガタロ S氏 2005 鉛筆/紙 16-6 ガタロ S氏くたびれた 2006 鉛筆、水彩/紙 16-7 ガタロ いつもおる男 1983 鉛筆、水彩/紙 16-8 ガタロ 棒ズリ 2002 クレパス/紙 16-9 S氏 制作年不明 鉛筆/紙 16-10 ガタロ S氏 2006 鉛筆/紙 16-11 ガタロ 防寒着 制作年不明 鉛筆、水彩/紙 16-12 ガタロ 飯 2006 鉛筆、水彩/紙 16-13 ガタロ あんぱん 2006 鉛筆/紙 16-14 ガタロ 雜巾 1997 鉛筆/紙 16-15 ガタロ 地底からの叫び 2013 クレパス/紙 17 大塚チエ子・杉原キクヨ おかんアート 2007?2013 毛糸、キューピー、フェルトなど
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2025/3/6 11:00:11現在のニュース
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TEDにて
ゲリー・スラトキン: 銃による暴力を伝染病として捉えよう?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
医師のゲリー・スラトキンは、アフリカにおいて結核、コレラ、HIVといった伝染病と10年に渡って戦ってきました。
アメリカに帰国した際は、残忍な伝染病による死から逃れられるだろうと思っていました。
しかし、銃による暴力に目を向け始め、その拡大が伝染病のネットワークに関するパターンと同じであることに気付きます。
驚いたことに多くの地域が当たり前のように暴力を受け入れていたことに直面します。
スラトキン博士は「人類が多くの病気が引き起すネットワークの影響を食い止めてきたように同じことを銃による暴力にも適用できる」と訴えます。(TEDMEDにて撮影)
さらに、この成果を、神経科学からも検証しようとしていて、道徳的なアプローチから科学的な方法に昇���しようともしているそうです。
更に、私に思い起こさせたのは古代の伝染病の流行です。以前は、完全に誤解されていました。科学が未熟だったからです。
ペストや発疹チフス、ハンセン病などの流行の当時、一般的に考えられていた原因とは人が悪い、体液が悪い、環境が悪いでした。
明らかになったのは 、先行する暴力事件が第2の暴力を引き起こすということ。インフルエンザの症例がある場合、インフルエンザや風邪が人から人に移るとことや結核に感染する最大のリスクは、結核患者との接触であることに似ています。
ですから、暴力はある意味で伝染病のように振る舞うのです。皆さんもお気づきでしょう。
日常の経験やドラマ(日本の場合)、テレビ(日本の場合)、新聞記事から喧嘩がさらなる暴力に発展したとか、抗争や内戦、集団虐殺までもがそうなんです。ですが、良いニュースもあります。
伝染を食い止める方法があって、たった3つのことを実践するだけで伝染を食い止められます。
1つ目は、伝染を妨ぐこと。暴力も。2つ目にやるべきこと。明白ですが、隔離してさらなる拡大を防ぐこと。
3つ目は、標準の環境を変えること。そこで、私たちは2000年にこれらのことを実行するために新しいカテゴリーの人材を採用し、まず、暴力を阻止する人材を作ることにしました。暴力的な人を心理療法のもとに置き、6か月から24か月間
彼らを見守る役割です。結核治療のようですが、こちらの目的は行動変化です。おかげで発砲と殺人が45パーセント減少しました。
ここから説明することは、自殺や死を媒介するナショナリズム。増幅していくマスメディアの恐ろしさが垣間見えます!
カイヨワは、社会システムの形態の変化が戦争の形態を規定すると考え、階層化された身分社会を土台にした古代の戦争と平等な民主社会システムを土台にした近代の戦争との質的な違いを指摘し、それらを大きく4つに区分、整理。
そして、天才的なナポレオンの出来事を契機に、全体戦争と言う領域に踏み込んでいきます。
それによって、戦争は、国家システムと切り離せないものになり、その国家が国民を統合することになります。政治形態が君主制であれ共和制の大統領制であれ、そこでは人々の運命が帰属する国家システムの命運に結びつけられてしまいます。
国民の義務として、戦争にかり出されることがある一方、進んで国家システムのために尽くすと言う意識も強制的に作られます。あるいは、国家システムのために死ぬことが美徳とされるように極端に変質していきます。
それが、ナショナリズムです。
このナショナリズムは、負に振幅すると社会システム的に不合理な生贄(若い女性などが多い)を捧げようとする���向がある。
つまり、死を媒介にしています。
権力者を縛る憲法の基本的人権が、弱者である庶民と言う立場からは、重要性が増加します。
過去の歴史では、ポピュリズムという、モデルのオンリーは失敗している現実があります。ハンナアーレントの書籍「全体主義の起源(The Origins of Totalitarianism)」「イエルサレムのアイヒマン- 悪の陳腐さについての報告」にもあります。
産業革命後、強制的に、社会システム内でバラバラにされてしまった庶民!
そして、バラバラになった要素を工場と市場が結びつけ配置していく。そのように組織化された社会に人々は生きるようになります。それが、近代の産業社会です。
バラバラになった個人を結びつけるのは、新聞や噂話などのマスメディアです。コミュニティと言う共生の場がなくなり(同時に、しがらみ、村八分の負の側面も無くなります)、共有される情報が、人々のコミニケーションの場になり、素材になる。
ただし、その場は、ナショナルなものです。例えば、フランスのマスメディアは、フランス語でフランス人に情報や娯楽を提供します。
だから、それは、必然的にドメスティックな国内的なものになります。それが、フランス人と言う同質性の意識を作り出すのです。
バラバラになった個人には、それがアイデンティティーの拠り所になって、国民と言う共通意識の、言い換えれば、ナショナリズムの温床となるのです。
カイヨワが着目するのは、全体戦争において、古典的な戦争との完全な逆転が起きている点です。
いかなる意味においても、戦争における英雄像や誰かの戦功といったようなことが語り草にならなくなり、むしろ、無名のまま国家の礎として石垣のように、死ぬ事こそが、人々の栄光になったと言う点です。
全体戦争において、兵士は大量に消費される砲弾と同じように使い捨てられ、大量に死んでいきます。
一神教では、無名戦士の墓?多神教の日本では、靖国神社?
戦争論の第二部は、戦争のめまいと題されています。
めまいとは、この場合、目が回り頭がクラクラして、そのうち立っていられなくなる。でも、頭の中は恍惚(こうこつ)として、何かに憑かれたようなある種の興奮状態にもなります。
全体戦争の場合、負の連鎖として、人間社会システム全体が、この状態に陥るということです。
カイヨワは、これを聖なるものと表現するが、これは神聖だと言うわけではないとしています。むしろ、暴力的、破壊的な要素さえ帯びています。
カイヨワは、このことを忘れません!!
身分制度から解放されて、平等が社会の原則になっても、結局、それが国民として、一元的に国家の統制の下に置かれるとその消費への傾きは、国家によって締め付けられ、方向づけられることになるでしょう。
それが、負の連鎖に傾くと戦争と言う形で血わき肉躍る祝祭として爆発してしまうのです。
戦争と祭りには共通点があります!
テーラワーダ仏教でも危険性を指摘している怒りのエネルギー場?
カイヨワは、戦争と祭りには、また、道徳的規律の根源的逆転がともなう。戦時(有事)には、人は人を殺すことができ、また、殺さなければならないが、平和時には、殺人は最大の罪とされる。と言っています。
このように、法律によって言葉の定義を厳密に行わないと何でもありのニヒリズムに陥いります。
この負の連鎖を断ち切ることが、重要!
マスメディアは、同じ権力者なので歯止めの役割を行う義務があります。
(個人的なアイデア)
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
<おすすめサイト>
エピソード11 Episode11 - 東洋のカルマと西洋の自我は一身同体のエネルギー?(その1)「デヴィッド・R・ホーキンズ<わたし> 700〜1000「悟り」の領域 - Amazon」
タキス・S・パパス:現代ポピュリズムの誕生
ディック M.カーペンター2世:いかに「利益を求める拡大解釈した警察活動」があなたの権利を脅かしているのか
ケイド・クロックフォード:顔認証による大衆監視について知る必要のあること!
ブライアン・A・パヴラーク:セイラム魔女裁判で何が起こっていたのか?
トム・ティーブス:マスメディアは死亡事件などの犯人を有名にしてはならない!
ロジェカイヨワ戦争論と日本の神仏習合との偶然の一致について2019
Japan TV of Secret(日本のテレビの秘密)Kindle版
バリー・シュワルツ:選択の自由パラドックスについて語る
グレン・グリーンウォルド: なぜプライバシーは重要なのか!
ダン•ギルバート:私���ちが幸せを感じる理由
スティーブン・ピンカー: 暴力にまつわる社会的通念
イギリス保守党。党首デービッド・キャメロン: 政府の新時代
<提供>
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250205 水
【0:30】
妻の月命日。義父が線香上げに来るというので家を片付けに戻る
ああ、ご飯食べてないな。かつ、眠くもない。日中3h寝たしな
-----------------------
2:00までこのままやって、そこで炭水化物ブーストかけて4:00までやって、5時間寝て9:00に起きて自宅に戻る。うん、そんで片付けとか終わったら夕方の娘の送り迎えまで仮眠してたらいいだろう
仮眠前は炭水化物をあえて摂取。むしろその方が早く起きれるんだ
なんだこの裏技はマジに
寝る前に炭水化物が胃に入っているとそれを利用して高速回復を行い、胃が空っぽだと脂肪や筋肉を分解して栄養に変換している
後者の方が変換エネルギーロスが発生するし健康度が下がるしいいことない、というわけか
そういう仕様だったんだこのボディ。ご飯食べてすぐ寝ると牛になるとか言われたけど全然そっちが正しいじゃねーか
とはいえ仕事中の3時間ロスはお話にならんから日中に炭水化物を摂るのはその後3.5h以上眠れる時のみ
そしてそれやっちゃうと夜寝るタイミングを逸するから基本的にはやらん方がよい。だが、もう容易にリカバリー可能だろこれ
だって睡眠時間、基本6h以下、3hを切り分けて全然運用できるんですよ??
KKのシャチョーはずっとそんな感じの生活しててバケモノか思ったけど、食って即寝て分眠って超簡単な覚醒テクじゃあないの
そうか、そうか、シャチョーは社長という立場だから食べたい時に思い切り食べてその後スカっと寝るというメチャクチャが可能なんだ
フリーランスもそう。なんでもっと早く気づかなかった??
いや、盲点。めちゃめちゃ盲点。これ、俺以外の人間の肉体もそうなのか?? たぶんそう、食ってすぐ寝るとすぐ起きれる
胃にもの(特に炭水化物)が入っていない方が睡眠時間は確実に長くなり、体力も消耗する
ああ、これが全部妄想で実はぜんぜん違う要因で覚醒している場合も全然ある
でもさ、だとしたら俺、「気分」で睡眠時間コントロールできすぎだろ。何もかも思い込みがすべてなのかよ
薄々そうかもな、とは思ってる
できると思ったからできているだけで、できないと思っている時はその想像、思い込みを実現する為に無意識のうちに内側と外部に働きがけている
私が大事にしていること
それは常に国内業界最大手と関わり世界的に有名なクリエイターの近くに居続けること
そうすりゃ「決意と覚悟のおこぼれ」が貰えるんだよ
勇気のカ���ラがポロポロ落ちてるんだよ、強者が歩いたあとにはよ
だから私はそれを拾って食ってる
私はそういう動物
----------------------- 【2:15】
進捗、まずまず(自信+0.03V 総合2.1.3V)。そろそろ弁当食べてブーストかけるか
----------------------- 【2:25】
カップヌードルチーズカレーとアンガス牛焼肉定食を温めている... これだけで自分に取っちゃこれまでの5日分くらいの炭水化物量だ
米、麺類は一週間に茶碗1.5杯分以上食べないように縛りまくってた
それを一晩で食べても許される(能率が低下しない)なんてな
シンプルに「寿命が伸びた感」がある。嬉しいぞこれは
頼む、今日もショートスリープと快眠成功してくれ。これが成功したらいよいよ寝る前炭水化物ブーストは「再現性アリ」だろ
----------------------- 【2:40】
ふたつとも食べ終わった。正直これの2倍余裕で食べられる
だが、私は食事の物足りなさ抱えたままここ7年くらい禁欲的に生きてきた。戦わなきゃいけない時に寝落ちしたら元も子もないからな
もうそんな禁欲生活も限界か、と思っていたところに大逆転のチャンス
「食べたいもの思い切り食べてもいい眠気回避法」があるなんて
私の食事制限はダイエットの為ではない。集中力維持のため
だから別にこれで太ったとしてもなんも困らない
いや、それはそれで健康に害が出て結局そっちで詰む、か...
まあ、でも妻の弟がその食生活ずっと続けてて元気かつ痩せたままなんだからいけるだろ、私も
----------------------- 【5:00】
キリが悪すぎて1時間延長して仕事してた。進捗報告完了(自信+0.02V)
寄せラクガキ会のにぎやかし配置スキルが仕事でも使えすぎる
要するにアレは「デコ」だ
令和の女子高生のスクバデコ(平成ギャル文化のリバイバル)と似た文脈のなんかだ
液体の垂れ表現みたいのもある。それはグラフィティアートやロウブロウアートの文脈
なんにせよこのカテゴリーは汎用性高い。素材とその運用レシピを作り貯めておけばめっちゃアドバンテージになる
やってよかった寄せラクガキ会!!
———
【9:45】
電車移動中。なんも眠くないし身体も重くない
ありゃー…20代並の寝覚めの良さだぞこりゃ
こんなの生きてるだけで面白い
例えるならレーシック手術もしてないのに視力0.01から1.8になったくらいの面白さ
おお、まさに自信の上昇値と一致してる
「補完」できてるじゃんまさに。見出し通りのサイトになってるな
そうか、いま私はお絵描き祭りの実現と子育てという二軸のモチベーションで動いている
最愛の妻を失い先日まで欠けていた生きる目的の一つが新しい目標により埋まったんだ
ああ。これも元気な自分に理由をつける為に捏造した屁理屈。元気な人間が元気なのは「なんか元気だから」だよ
無理矢理サイエンスな理由つけるなら「腸を労っている」から元気なのだ。腸を虐待している人間は押し並べて元気がない。生き物の肉体とは腸が移動能力得る為に作った乗り物で、脳はその乗り物のお抱えタクシー運転手
客としてタクシーに乗ってんのにガレージに篭りっきりで出発しない、カーナビ使わずわけわからん回り道ばかりして無駄にメーター回す、運転中に寝る、交通事故起こす、トイレに寄るのが面倒という理由で客に断食を要求する…
そんな運転手は腸にとって最悪だ
今日は夜まで地元で過ごす。PCがないから仕事にならんが一応iPad持っていく。これで仕事できるようになればな。自信2.0なんだから新しい環境で創作チャレンジできるだろ
定刻通りに起きて動けたので自信+0.2V 総合2.3.5V
なあ、本当にこれは自力か? 違う
シャチョーに会食に誘われ古巣のメンバーに会って「仲間」と「居場所」の存在を実感したから
独りじゃないって思えたから
あとシンプルにそん時の飯が美味かったから
私がチームフルメカのメンツに再会できたら、彼らと共にもう一度仕事ができたなら、私の魂はどれほど活性化するのだろう?
記憶が次々に蘇る。私は幼少期に手相占いで首を傾げられ「生命線が消えかかってる」と言われ、別の占星術かなんかでは「若い内は苦労する事が多いですが後年持ち直すでしょう」言われた
若いうちから楽しいのがいい! 思ったし主観としては10代から30代初期まではひたすら楽しかった。KKに入ってから過去のツケ一括で払う羽目になってヌケサク老人化した
だが、KKで苦労した絵描きは皆成功してる。びっくりするくらいそうなのだ
げみくんなんか中学校かなんかの教科書の表紙任されてたもんな。生半可な運では座れない椅子だ
無駄なことなどなかったってのは結果論だとつくづく思う。あの当時の私はただただ「選択ミスった、失敗した」と自分をなじりつづけてたし、外の人々も同様に「あいつ可能性をドブに捨てたな」思っていたことだろう
わかんねーもんだほんと
けど、私��はずっと妻がいた。妻がいなければ全部投げ出してたし、妻は娘がいない世界は生きてても意味がないと常に言っていた
妻に生かされ、娘に生かされ、会社に生かされ、ファンに生かされ生きてきた
それでも私は贅沢だから気分で気ままに腐る
もといゾンビだから最初から腐ってる
だが最近は足の速い近代型ゾンビに進化した感あるし噛みついていい人間とダメな人間の区別もついてきた。もとい、もしかして人って噛んじゃ駄目? って思い始めてる
電車暇だから駄文が止まらねー
おじさんだから最近ヤマトを履修しようと思ってる。ホラ、庵野さんもヤマトやるしね…
おじさんオタクはヤマトとガンダムとエヴァとウルトラマンと仮面ライダーの話してればよい
大友克洋4℃周辺と押井作品と今敏作品の話ばかりするオタクは厄介度高いから駄目
———
【11:45】
家につきサラダとチキンハンバーグ食す
部屋の散らかりがなかなかヤバイが片付けやるとするか
自宅は墓。妻の気配が強く残る墓
もしなんの前触れもなく妻がこの家にリスポーンしたら、私は何も尋ねずただその存在を受け入れさめざめと泣くだろう
どういう経緯で、どんな奇跡で妻がそこにいるのかはどうでもいい。重要なのはそこに最愛の妻がいると言う事実だけなのだ
ずっとずっと、そうでしかなかった
自分の近くに、近づいても逃げない温かい命があること。それが嬉しいのだ
一緒に歩いてくれてありがとう
手を繋がせてくれてありがとう
心電図の波形がだんだん弱々しくなり最後にはピーッてなるやつ
今の時代のはちょっと違う
血中酸素濃度が低下し生命維持に問題が出た段階でアラーム音が鳴り止まなくなる
だから最期はずっとピリリリリ、ピリリリリ、という音を聞き続ける事になる
ドラマであるような穏やかな感じではない
3つくらいあるバイタルラインが一個ずつフラットになっていき、最後に心臓が止まるのだ
当たり前だが妻と過ごした時間の中で最も現実味の薄い時間だった
あ、悪い夢だ、忘れようと思って忘れたくなるやつ
———
【13:30】
片付け終わらぬ状態で義父が来たので二人で散らかりを片付けた
———
【16:30】
娘が今日は疲れてて習い事行きたくないと言うので許可して会社へ戻る
来週は行くからと言っていた
手を繋いで歩く機会を逸した。幸せチャージできてない
駅でカリカリ梅と野沢菜のおにぎり買って食べる
睡眠時間4h未満だと流石に少し眠い。新宿まで戻ってきた
どうする? 仕事このまましてみる? ネカフェで寝る? 自信残量、遊べるほどのチャージはない
———
【17:10】
眠気の加速を感じたのでネカフェへ
キレ良く目覚める為オムライスとごつ盛りワンタン醤油を食し、寝る。2.5h目標
20:00に起きれればパーフェクト
無事起きれたら睡眠制御達成ボーナスで自信を+0.2してもよい
3.0到達する頃には案件二つ終えてたい!
———
【20:25】
時間内に起きて疲れも頭痛もなくアニメスタジオ戻り
うおーっ、肉体制御パーフェクト‼︎ サンキュー世界
このセルフコントロール感。ADHD人間とは思えねぇ、まるで健常者‼︎ ユーカリ食べるのやめた肉食コアラ オア、笹の葉食うのやめた肉食ジャイアントパンダ
気分はもう走れるゾンビ
自信+0.2V 総合2.5.5V
再現性ある快調ってこんな気持ちいいんだ
しかもよー、どんな本や動画でも見た事ないかんね、炭水化物とタンパク質多めに食べて即寝るこの技
多分、なんかの格闘技のトレーニングマニュアルの中で眠気回避に使えるとは明記されず効率的な体力回復法として組み込まれてるようなやつ(実践した人間達はその副次効果に気づいているが主目的に意識が向きすぎてて価値が矮小化されてるやつ)
アスリートスタンスの人間がやってるルーティーン、ダメ人間が真似するとそれ系の発見多いんだよ
ったくもー、こんな便利な技あるなら早く教えろよー、ケチ
食べてすぐ寝るルーティーン繰り返してるアスリートといえば力士。だからこの生活続けたら理屈上は太る
だんだん運動量も増やしていこう
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興福寺
【3,868字・7分】

泉谷康夫『興福寺』(吉川弘文館)
大和の大寺・興福寺の創建から明治時代までを扱った通史である。ありていに言って「貴賤の信仰を集めた」とは言い難い興福寺が歴史(少なくとも大和国の)の中で注目を集めるのは中世である。中世の興福寺は僧兵を擁し大和一円に検断権を行使する大勢力だった。なぜそうなったのか、その後どうなったのか、といったことが興福寺の歴史のハイライトだろう。
興福寺の歴史を左右したもっとも大きな要因は「藤原氏の氏寺」だったことである。
摂関政治の最盛期において、興福寺は摂関家に依存しながら勢力の伸長をはかったが、摂関家の側から興福寺に依存するところはあまりなかったようである。それが院政期に入ると一変し、摂関家は子弟を別当に就任させ、興福寺のことを「御寺」と称し、興福寺への支配力を強化しようと試みるのである。
(「第二 興福寺の創建と発展」より「一 興福寺と藤原氏」)
貴族の子弟が僧侶として興福寺に入ることは10世紀からあったが、11世紀後半(つまり院政期)になると貴種・良家の子弟が興福寺に入ることが常態化してくる。そこで生まれたのが「院家」である。
興福寺の住僧達は最初ここ(引用注:東西と北の三面僧房)に居住していたと思われるが、十二世紀に入ると、堂舎を寺域内に建立しそこに居住する僧侶が現れ、やがてそのような居住形態が��般化してゆく。すなわち諸院家の成立である。
財力があり都での華やかな生活を見聞していた彼等(引用注:貴族出身の僧侶)にとって、三面僧房の狭い部屋での質素な生活はおそらく不自由に思えたに違いない。
(「第三 興福寺の変質」より「一 院家の成立」)
こうして藤原摂関家と興福寺との間に院家というパイプが成立すると、それを頼って在地土豪が興福寺に集まってくる。その目的は、今風に言えば、律令制下における「脱税」である。大和の大寺というだけなら東大寺も薬師寺も大寺だったが、院家という藤原摂関家とのパイプが興福寺を特別な存在にしていく。
一般的にいって在地土豪層が保護を求めて結集するのは中央貴族と赴任してきた受領であるが、大和国の場合、中央貴族や受領だけでなく、大寺の中心的学侶が加わって��り、この学侶の比重が大きかったのが、他の国々と非常に異なる点であったといえるようである。
このような大寺の僧侶が在地土豪結集の中心となりえたのは、その有する宗教的権威によるものであったことはいうまでもないが、寺内には国司の検断権が及ばなかったこともその一因だったと思われる。すなわち、寺院は国司による追求からのがれる絶好の場所だったのである。一方、律令制の崩壊に伴なう国家的保護の減少は、寺院に住む人達の生活を圧迫してくる。そこで寺僧達は経済的基盤を確立する必要があった。そこに、寺僧の側からも在地土豪層との結びつきを求めてゆく必要があったのである。
やがて興福寺が、藤原氏の氏寺として、特に摂関家との深いかかわりから、受領や他の諸大寺に優越する力をもつようになると、在地領主の結集の中心は次第に興福寺僧に集中し、寺僧領が多く成立して寺僧達の経済的基盤を形成していった。このように寺僧と在地土豪は、相互依存の関係を保ちながら大和国で勢力を伸ばしていったのである。
(「第四 興福寺の大和国支配」より「一 在地の動向」)
こうした在地土豪ははじめ興福寺の中で学侶の下働きを務めていたが、興福寺全体が豊かになるにつれて自ら学侶として修行に加わる余裕が出てくる。のちの時代に大和国の戦国大名となる筒井順慶などもこうした興福寺の衆徒だった(だから僧形なのである)。
このように経済力と軍事力を貯えた興福寺は、同様に藤原家とゆかりのある多武峰寺(鎌足の墓所といわれる、現在の談山神社)と大和国の支配権をかけて抗争を繰り広げ(当時の多武峰寺は延暦寺の末寺で抗争には延暦寺の援助があった)、最終的に勝利することで大和国一円の支配権を確立する。
平清盛は寺僧領からも官物を徴収する方針を取り、興福寺をはじめとする寺社がこれに反発すると平重衡に南都を焼き討ちさせる。これを恨みに思った南都諸寺は源氏方につくが、源頼朝と義経との間に対立が生じると南都諸寺は義経をかくまい、義経を討った頼朝は、係争地に地頭を配する形で、大和国にも少しずつ圧力をかけていく。
室町時代になると興福寺の中にも下剋上の機運が生まれる。
室町時代になると、興福寺は歴史の主役から退き、代って衆徒・国民(引用注:「衆徒」は興福寺に拠った、「国民」は春日社に拠った、それぞれ在地土豪)が登場してくる。彼等は武士であり、興福寺の武力として活躍してきたが、次第に独自の公道をとるようになり、興福寺の命令にそのまま従わないようになってくるのである。すなわち、下剋上である。しかし、彼等は興福寺を倒すことはできなかった。
興福寺は、摂関家を通して、京都の朝廷とも不可分に結びついていた。周知のとおり、朝廷と室町幕府は一体の関係にあった。このような中で興福寺を倒すことは、京都の朝廷、ひいては幕府を敵に廻して戦うことであった。衆徒・国民は、自身の成長のため、積極的に幕府の要人と結びついていった。その限りにおいて、中世的な興福寺の呪縛から彼等は逃れることができなかったのである。
(「第六 下剋上と興福寺」より「一 衆徒と国民」)
足利義満が衆徒・国民に直接支配を及ぼすようになって以降、衆徒・国民は興福寺の支配を離れて独自の道を歩み内紛と和合を繰り返すようになる。この流れを決定的にしたのが松永久秀の登場である。彼は大和国に侵入すると多門城を築いて大和国を支配したが、その際知行割を行い、大規模な給人の入れ替えを行った。
久秀は寺社成を保障する態度を保持してきたが、この大規模な給人の入れ替えは、従来の興福寺の諸荘園における在地支配を事実上断ち切る役割を果したようである。すなわち、寺社成が否定され、新しい給人達は、他国におけるのと同様、荘園領主に年貢を渡さなくなったのである。
(「第六 下剋上と興福寺」より「二 室町・戦国期の大和国」)
信長は久秀を駆逐し筒井順慶に大和国の支配を任せる。信長の代官としてだったが、興福寺はこれを「衆徒筒井の復活」と考えた。この信長が光秀に倒されたあと、順慶は秀吉によって大和の「守護」と認められ20万石の大名になる。だが順慶が死ぬと子孫は国替を命じられ、興福寺と衆徒・国民との関係は断ち切られる。
こうして興福寺は、新しい知行体系の中に組み込まれてゆき、中世的な収取の在り方は、豊臣政権により完全に払拭されてしまったのである。秀吉の寺社に対する政策はそれだけではなかった。興福寺はもちろんのこと、奈良の諸大寺は武器の提出を命じられた。寺社の活動は宗教面に限定されたのであり、宗教活動に専念する限りにおいて、朱印地が与えられ、保護されるようになったのである。
(「第六 下剋上と興福寺」より「二 室町・戦国期の大和国」)
江戸時代には奈良奉行所が置かれ興福寺以下南都諸大寺はその検断権に服した。中世に誇った興福寺の権威は払拭されたのである。
南円堂は観音に現世利益を求める信仰によって庶民と深く結びついていたが、興福寺自体は、庶民と直接かかわりのないところに聳え立つ大寺院であり、農民にとっては年貢を納める「お殿様」であった。
(「第七 近世から明治維新へ」より「一 近世の興福寺」)
さて明治時代になると興福寺は一山復飾(還俗)願を提出し自ら廃寺とする。摂関家を通して明治政府と近過ぎたことによる勇み足に見える。
維新政府と興福寺との情報の伝達は早かったようで、すでに慶応四年三月には、新政府によって神仏分離政策の実施されることが興福寺に伝えられている。これに応じて、一乗院・大乗院両門跡は一寺一体の復飾願を提出することを決め、衆徒一同にも意見を徴した。三月二十一日、衆徒達は、自分達も従来より春日社に奉仕してきたのであるから、一緒に復飾し、勤王のために尽力したいと申出ている。こうして四月十三日、興福寺は一山復飾願を提出し、この願いはただちに許容された。興福寺僧達は新宮司と称して春日社に奉仕し、社頭の仏具等はことごとく取除かれることになった。
(「第七 近世から明治維新へ」より「明治維新と興福寺」)
この一山復飾は神仏分離・廃仏毀釈政策に対する興福寺僧侶たちの生き残り策だったのだが、明治5年に春日社が官幣大社春日神社となると同社の神職は官吏扱いとなり定員の枠も作られて、復飾により神職となった元僧侶たちは結局失職する。このような中で明治10年代に入ると興福寺再興を唱える声が盛り上がり、明治14年に再興の正式認可が内務省から下される。
神仏分離令とこれから派生した廃仏毀釈の嵐によって興福寺は大きな打撃を受けたが、政府の宗教政策も漸次変り、明治十三年には古社寺保存金の給付がはじまり、同三十年には「古社寺保存法」が制定され、興福寺では、北円堂・三重塔・五重塔が保護建造物の指定をうけ、弥勒菩薩坐像など一一点が国宝に指定された。境内地も徐々に公園指定を解除、返還され、現在はほぼ二万五〇〇〇坪が興福寺の所有になっているという。こうして、現在の興福寺は成立した。
(「第七 近世から明治維新へ」より「明治維新と興福寺」)
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書物礼賛①
ヨーゼフ・ロート/聖なる酔っぱらいの伝説 他四篇/岩波文庫2013
「フランツ・クサーヴァーには、はじめ、この不快な見世物の意味がさっぱり呑みこめなかった。ただその一団がいかなる連中でなりたっているかは感じとった。はれんちな老人ども(裾をまくりあげたマネキン女つき)、休日にハメを外している女中たち、シャンパンの売り上げ金と自分のからだを給仕と分けっこしているバーの女たち、女と小切手を売り買いする遊び人、肩をふくらませた背広に、スカートのようにひらひらした幅広ズボン。唾棄すべきブローカーともであって、家、店舗、市民権、旅券、免許、わりのいい縁談、洗礼証明書、信仰告解、称号、養子縁組、娼家、ヤミのタバコ等々、なんであれ斡旋しようというものだ。敗戦のうき目をみたヨーロッパの首都にあって、死体を食らって大きくなり、それでもいっこうに食いたりず過去をしゃぶり、現在の汁を吸って、高らかに未来を謳歌している。この手の連中が戦後このかた、肩で風切ってのし歩いている。モルスティン伯爵には、この自分が死体のような気がした。わが墓の上で、彼らが踊っている。かかる徒輩に勝どきをあげさせるために数知れない人びとが苦しみつつ死んでいった」
こんなに面白い、自分のことが描かれていると感じた海外小説は初めて。今夏に体調を崩し、リフレッシュを兼ねて大量の本を整理・処分するなかで、どうせ岩波の翻訳小説でしょ、でも最近の出版だしちょっとチェックするかと電車内で読み始めた「蜘蛛の巣」(5つの中短篇が収められた最初の中篇でナチ党に参加して成り上がる元兵士の男を描く)、流麗な日本語訳で読みやすく、まるでナチの暴動に居合わせたかのような臨場感で止まらなくなった。
引用したのは4つ目の短篇「皇帝の胸像」からで、円安が進み外国人が増えてきた今の東京に通じる新自由主義的な��界に、取り残された主人公の老伯爵の境遇が切実。5篇すべて傑作。

弓月光/お助け人走る!・全3巻/集英社マーガレットコミックス1980
処分するつもりで読み始めたら夢中になったというのは前項と同じ。最初にコミックス1巻を買って胸を熱くした80年夏がよみがえるかのよう。少女マンガ時代の代表作『エリート狂走曲』は連載から1年ほど遅れて出会って強く惹かれ、次の連載の本作からほぼリアルタイムで読めるように。週刊連載の過酷なスケジュールや人気競争も、弓月さんにとってはガソリンだったのか、ご本人がノリにノッて楽しくお話を組み立てているという熱気。今回の再読で特に感心したのは大願寺誠という大男のサブキャラのかっこよさ。そもそも矢口さん江口さん魔夜さんなどと同様に作者自身もギャグの一環としてしばしば作中に顔を出す作風であるが、このキャラにもご自身の投影が含まれているのではと思わせる力のみなぎりようでした。
藤原マキ/私の絵日記/ちくま文庫2014・原著1982
飲食時の娯楽として最近くりぃむしちゅーに次ぐ重要な存在になってきているのが中川家のラジオ。メディア上の印象とは逆に、学生の頃は兄の剛さんが社交的・積極的、弟の礼二さんが内向的でもの静かな性格だったそうで、ラジオでは剛さんが庶民の本音をうかがわせる毒舌やぼやきでトークを引っ張っていく場面がしばしば。互いを熟知し、持ち味の違いが完璧に噛み合っているコンビネーションの気持ちよさはくりぃむしちゅーと共通。
本書は82年の原著に、文春と学研、過去の2度の文庫化で加筆されたあとがきなどを増補しており、特に2003年の学研M文庫版のあとがきとなった夫・つげ義春さんの「妻、藤原マキのこと」では、既に亡くなったマキさんの日記での主張に本気で反論しているのが、逆に家族の濃密な愛と歴史をのぞかせて印象的。「本当のこと」しか描きたくないから、『無能の人』では貧しい暮しにもかかわらず執筆依頼を断る様子が描かれたり、本書もマキさんにとって本当の日々が描かれているからこそ、ずっと後になって海外で表彰されることになった(2024年・アイズナー賞・最優秀アジア作品賞)のだろう。
梶原一明 x 徳大寺有恒/自動車産業亡国論/光文社カッパビジネス1992
「確かに日本の自動車産業というのは、世界の自動車産業と比べて先進性がある。カンバン方式に代表される(中略)卓越した先進性は即、卓越した国際競争力につながる。 ところがこの先進性は、非常に特殊な先進性なのだ。かつてフォードが考え出した流れ作業、コンベア方式に代表されるアメリカの先進性は普遍的先進性だった。だからどこの国でも受け入れられるものなのである。日本の特殊先進性は、簡単にいえばほぼ単一言語、単一人種、単一価値観という特殊な前提、環境に支えられているといっていい」
「豊田章一郎氏の『七割が商社機能』という答えに関しては、まさに詭弁でしかない。(中略)その最後の最後は本当に地方の家庭のいわゆる三チャン労働者にまでいっている。電球のコネクターにハンダをちょこっと盛るという内容の仕事を、すでに日本の貨幣の単位ではない何十銭仕事でやっているのだ。おばあちゃんが『今日は二千円できたね』という、これはおよそ商社機能とはいえない」
「日本では通用しても世界では通用しない。いや、今日ではすでに日本でも通用しなくなっているのではないだろうか。たとえば企業エゴの問題で、他企業から名指しで批判を受けるケースがいちばん多いのは、トヨタと松下だという話を聞いた。この指摘は、トヨタや松下の商法が、それぞれトヨタ保護区、 松下保護区へお客を囲い込むことに執着するあまり、日本あるいは日本人全体に対して、トップメーカーは何をなすべきかという視点を欠落させていることを証明している。トヨタがもしお客さまは神様と思っているのであれば、本当にお客のためになること、たとえば車検制度の問題などに関しても、率先してユーザーの代弁をするべきなのである」
先日高校時代の友人K宮くんM原くんと歓談する機会があり、私が本書によるうろ覚えの知識をもとに「トヨタはじめ日本の近代工業は江戸の封建制を引き継いだ軍国主義の成功例で、今は同じ要因で没落している」と持論をぶったところ、トヨタ内部で社員証を持って働いた経験のあるM原くんが猛反論してヒートアップ。彼によれば国=運輸省・国土交通省から最も冷遇され、距離を置いて自分たちのやり方を洗練させてきたのがトヨタであり、既に自動運転やスマートシティ構想についても実現可能な技術力を蓄えているが、国が認めないから日本を出ていくことも視野に入れているという。信憑性のある話であり、今も世界各国を走っている自動車業界が、銀行・商社・家電・NTTや特に大学・マスコミなどの国民を人質に取った護送船団方式と一味違うことは頷ける。興味がある、もっと知りたいと彼に話したところ、彼が後日トヨタはじめ自動車産業の成り立ちをレポート形式でレクチャーしてくれるというので楽しみにしているところです。
鈴木直人/うつは「体」から治せる/BABジャパン2017
「副交感神経はリラックスしたり休んだりするだけでなく、『人と良好な関係を作る』という能力を持っている神経であるということです。(中略)副交感神経の感情である『悲しみ』が出せる人ほど副交感神経が活性化しているため、オキシトシンが出やすくなっています。そのため、悲しみをきちんと出せる人ほど幸せを感じられるようになるのです」
「自律神経は空想と現実の区別がつきません。また、時間の感覚もありません」
先日、やっとパソコン作業のための椅子など環境が整ったとホッとしていたら、翌日の昼ころパソコンに向かっていると少し体調が悪くなって。どうやら「睡眠が若干足りない」「明け方悲しい夢を見た」のに加え、午前中洗濯するので履き替えた新品のパンツのゴムがキツ過ぎて、血液やリンパの流れを阻害したのが決定打になったようだ。着替えてウォーキングをしたら調子が戻ったのですが、そんな些細なことからクヨクヨと思い悩んでしまう、神経過敏な性格の方が問題なのかも分らない。
今夏に自律神経失調に見舞われ、たくさんのユーチューブを見たり整体に通ったり健康本や道具を買っては捨てる、期待と失望の連続でしたが、それらを総合して分ったことは、体は生命の億万年の歴史を記憶していて脳より賢い、むしろ脳が勝手に過去に縛られたり、取り越し苦労をして体に嫌がらせをしている面が強く、痛みや発疹をはじめ体の発するサインに耳を澄ませて、自分の体のことは自分が一番知っている、医師や整体などに助けてもらうにしても最短距離で回復できるよう真面目に今を積み重ねていかねばということです。
そのためにも、gooブログから引っ越して再スタートするにあたり、これまでのような悪口・ヘイトはやめ、批判するにしても個々を良くない方へ導くような構造や歴史こそを見据えていきたいと考えています。
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ダマスカスの夜明け
カリーム・シャヒーン
私が最後にシリアの地を踏んだのは2017年、今は退陣したバッシャール・アル=アサド政権が行った化学兵器による攻撃を取材するためにカーン・シェイクンの町を訪れたときだった。アブドゥル・ハミッド・アル=ユセフという男の隣に座ったことを覚えている。彼はその前日に妻と二人の幼い子供を埋葬していた。彼が負傷者を助けるために飛び出し、失神して近くの病院で目を覚ましたときには、妻と子供は毒ガスで窒息していた。
追悼式に参列した一人が、預言者ムハンマドの言葉のひとつを彼に語った。審判の日、すべての人は地獄を越えて楽園へと続く 「アル・シラト 」と呼ばれる橋を渡らなければならない。悪人はつまずき、落ちるだろうが、善人には、その橋は広がり、楽に渡れる道になる。しかし、幼くして子供を失い、耐え忍んだ人には、その幼い子供が翼のある天使として生まれ変わり、橋の向こうまでいっしょに飛んで渡らせてくれるのだ。
悲しみで呆然としていたアル=ユセフが、覚醒した。「そこには妻もいるのか? いとこたちも?」
その後、急ごしらえで作られた彼の一族の墓地のシナモン色の土の前に立ったとき、私はその話を思い返した。私は彼から彼の悲しみの話を聞いたことを、恥じていたと言ってもいい。なぜなら私は心の奥底で、彼がこの世で正義を経験することは決してないだろうと思っていたからだ。来世まで待たなければならない。���れがあの話の救いの、真の意味だった。死においてのみ、そして神が存在する場合にのみ、正義は果たされるのだ。わからないことが多すぎた。そしてそれを熟考する勇気は私にはなかった。私はエッセイを書き、次へ移った。難民たち、樽爆弾攻撃の犠牲者たち、イスラム国グループの犠牲者たち、人類が考え出した中で最も残忍な全体主義的警察国家の犠牲者たちと話をした後で、いつもそうしてきたように。
でも、今は? 今はと言えば? 正義が想像できるということ、良心の宇宙の弧が続いているということ、包み込むような暗闇の中で目を細めさえすればトンネルの先にいつもあった光がほんとうにあるということ。その可能性があるのか? 私には言葉が思い浮かばない。
そもそも言葉とは何だろう? 言葉とは意味を伝えるもののはずだが、シリアの反体制派が史上最大の反乱を起こし、60年にわたるバース党支配を終わらせたこの10日間に起こったことの意味を、どうやって抽出するのだろうか? 世界最古の都市のひとつであるアレッポの解放をどう表現するのか? 1980年代のリファト・アル=アサドの凶悪な行動によって徹底的にトラウマを植え付けられ、男性、女性、子どもたちを哀悼するまで40年もかかったハマの解放をどう表現するのか? キリスト教のサハナヤで教会の鐘が 「ひとつ、ひとつ、ひとつ、シリア国民はひとつ 」という調子で鳴り響くのを聞く感動をどう捉えればいいのか? あるいは、ダマスカスのウマイヤド広場の中心で、亡くなった著名な反体制派で元ゴールキーパーのアブデル・バセット・アル=サロウトが革命歌「ジャンナ・ジャンナ」を歌っている声が響き渡っているのをどう捉えればいいのか? ハマのアッシ広場やホムスの時計塔周辺に集まった数十万人の大合唱を?
10年間追放され、解放者として戻ってきた息子を初めて見る母親や父親の涙、玄関で両親の足にひざまずいてキスをし、放心状態で涙を流す息子の武勇伝をどう捉えたらいいのだろうか?
解放された抑留者の喜びと苦しみに満ちた顔。10年、15年、20年、40年ものあいだ、新鮮な空気を吸うこともなく、夢も意味も奪われ、アサドの地下牢で、結局は何の刑にも服していなかったのだ。アサドは逃げた。彼の非合法な催眠国家を維持するために国を燃やし尽くすという誓約を果たしてきた彼の支持者たちに、一言も言葉をかけずに。
彼らはほんとうに国を焼き尽くした。人口の半分が避難し、数え切れないほどの人々がスターリン主義の地下牢のネットワークに拘束された。妻と夫を、兄弟姉妹を、父と息子を敵対させるよう仕向ける有害な監視システムによって補強されていたシステム。囚人を拷問する70種類以上の方法を発明した懲罰システム。40万人以上の死者。化学兵器による攻撃で殺された何千もの人々。さらに数千人が樽爆弾で殺された。TNTを詰めた樽爆弾は精度が非常に低く、誤って自軍を殺さないように、反乱軍の戦線のはるか後方でパンの列を作る市民に向けて投下されたのだ。永続的で人を麻痺させる恐怖。西側諸国の政治を再編成することになった難民危機。そしてイスラム国の設立と繁栄の条件が生み出された。このあとで、これ以上悪いことが起こるとは考えにくい。
今はほんとうに言葉がない。私の妻はアレッポ出身で、ここ数日は感情の壁や区画で築かれたダムが激しく崩れ落ちているようだった。妻の、故郷の家族や、世界中のシリア人たちとの会話、故郷に帰りたい、失われたものを取り戻したいと気が急いている様子が耳に入ってきた。信じられないという気持ち、幸福感、そして溢れ続ける涙を行ったり来たりしている会話だ。
「いなくなった! いなくなった! いなくなった!」
言葉の連想。
「ふるさと! 私の家! 私たちになんて多くのことをしたんだ! なんてことをしてくれたの! 我が家! 神よ! 自由になったんだ!」
私自身���言葉を見つけようと手を伸ばしても、うまくいかない。この瞬間を捉える言葉は見つからない。心の奥底で言葉を探して格闘している最中に、拘禁されていた人の1枚の写真を見て、頓挫してまたやり直す。私はシリア人ですらない。幸運にも彼らの旅に少しだけ参加できただけの人間だ。なぜ私の心は破裂しそうなのだろう?
ひとつ、見つけた。アサド支持者たちには唱えていた言葉があった: 「Qaedna lel abad(リーダーよ永遠に)、バッシャール・アル=アサド」
「永遠が終わった」 とシリア人たちが何度も何度も唱えていた。
永遠の終わり。美しい幕引きだ。
それから、レバノンの伝説的歌手ファイルーズが投稿した詩的な一節を目にした。彼女は解放されたダマスカスに夜明けの光が差し込む中、この一節をツイートした。私は英語が大好きだが、彼女のセリフを読んだ瞬間、アラビア語を知らない人たちは本当に可哀想だと思った。彼女が投稿した元々の言葉の美しさを感じることができないからだ。今私には、翻訳の安っぽい模倣のようなものしかできない。しかし、それでいいのだと思う。私の言葉もまた、陶酔と動揺の深い海の、安っぽい模倣なのだから。ファイルーズはこう言った:
「ダマスカスよ、私の目はあなたを見つめている。朝は、あなたから流れ出でる」
カリーム・シャヒーンはニューライン・マガジンの中東およびニュースレター担当編集者)
New Lines Magazine 12/8, 2024掲載
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅷ
花鳥誌2024年8月号より転載

日本文学研究者
井上 泰至
14 道のべに阿波の遍路の墓あはれ
初出は『ホトトギス』昭和十一年四月号「句日記(昭和十年四月)」。「四月二十二日。風早西ノ下に句碑を見、鹿島に遊ぶ。伊豫松山、黙禅邸。ホトトギス会」と前書き。『五百句』にほぼ同文の注記あり。
この句の詠まれた事情については、『ホトトギス』昭和十三年十二月号巻頭に虚子自身が書いた「阿波のへんろの墓」の一文がある。虚子が新田宵子夫妻・池内友次郎夫妻・高濱(当時)章子と故郷西ノ下を訪ねた消息を書いたものである。まずは決まって訪れる大師堂の大きな松に佇み、裏手にある「阿波のへんろの墓」を確認したが、なかったのであった。虚子の証言によれば、江戸時代の標準的な書体である御家流で書かれた古いものであったという。
虚子は碑が無くなっているのを嘆きつつ、恐らく行き倒れの曰くなどがあろうことを想起し、子供時代に目撃した遍路の一行を回想している。二、三歳の頃、遍路の女に抱き上げられ、大師堂まで連れていかれた想い出を語り、おそらくその女は、自分と同じくらいの子供を無くしていたのだろう、と語っている。このエピソードは、その後自分の人生を振り返った『虚子自伝』(昭和二三年刊)でも書き記されており、虚子のふるさとの記憶として刻印されていたことがうかがえる。
「遍路」は『ホトトギス』雑詠欄によって季題になった。一見古そうに見えて新しい季題である。西村睦子『「正月」のない歳時記』(本阿弥書店)によれば、大正十三年に三句登場して以来、昭和九年までに二六〇句も載る人気の季題となったと指摘されている。虚子が季題を選んだ改造社版『俳諧歳時記』春の巻(昭和八年刊)に、虚子の詳しい解説と例句の二七が確認でき、出典はすべて『ホトトギス』からである。虚子編『新歳時記』(昭和九年刊)にも同様に詳しい解説付きで立項され、例句二二を数える。つまり、伊予出身の虚子によって「遍路」は季題になったのであり、この句はその例句として加えられ、そのトドメを打ったのである。
『俳諧歳時記』の解説につけば、春の、しかも女性の景物としてのこの季題のイメージが確認できる。弘法大師の巡礼にあやかって、四国に散在する八十八か所を順拝する全道程一二〇〇キロ、日数四〇日余りを要する。宗旨・老若男女を問わず、服装は軽いが、三月から四月の季節がよくなる時期に、菜の花・青麦・紫雲英の鮮やかに彩られた道をぞろぞろと通る。この風景との一体化が単なる「巡礼」でなく、季語としての「遍路」の拠って立つところであると特記する。
特に若い娘たちは華やかなセルの着物に、白木の納札挟みを胸高にかけ、鬱金や浅黄色の手甲脚絆をつけ、同じ色の姉さま冠りの上に真っ白な菅笠をかぶり、緋の腰回しもあらはに裾を端折り、白木の杖をついた姿を虚子は詳細に活写している。高濱年尾の次の句などは、この虚子が特記した美しさの方に拠ったものであろう。
お遍路の美しければあはれなり
虚子の句にもどれば、山本健吉『現代俳句』に的確な評��ある。まず「遍路の墓」とだけあって無名であることがかえって叙情を増すこと、「阿波」の地名から、浄瑠璃でよく知られた、長年別れた母と出会うもそれと気づかない巡礼お鶴(「傾城阿波之鳴門」)の連想で、���別れの哀話が想像されることを指摘する。
さらに健吉は重要なことを言っている。「遍路の墓」そのものに、春の季感はない。むしろ春の季語「遍路」が置かれることで、子供時代の春遍路の記憶と現在の春とが結び合わされるのであって、新興俳句の中でも有季定型を守った水原秋櫻子の流れの季感主義を批判している。季語は言葉そのものに意味があるのか、言葉の背後にある季感に意味があるのか? これは有季定型俳句の一大論点である。
過剰な、「今」「此処」にこだわる季感主義では、この虚子の句などは取り落とされてしまう。言葉が残ることによって、過去の季感を学び、それを想起し、対話する。下手をすると昨今頻出する「昭和の日」俳句の甘い回想句の氾濫のような惰性に堕ちてしまうのだが、言葉の由来や歴史性を無視しては、多くの俳句の財産を無くすことも自覚しておくべきだろう。掲句はその文脈において、今日重要な意義を持っていると言えよう。
15 白酒の紐の如くにつがれけり
この句の成立は若干の問題を含む。『ホトトギス』昭和二十年六月号の「句日記(昭和十九年三月)」には、「三月四日句謡会。鎌倉要山、香風園」の前書に「白酒の餅の如くに濃かりけり」「瓶のまま白酒供へ雛は粗画」と併記される。
しかし、『六百句』には、前日の「(昭和十九年)三月三日 家庭俳句会。日比谷公園。丸之内倶楽部別室」と注記され、〈洋服の襟をつかみて春寒し〉と共に掲載される。
「句日記」では、「洋服の」の句の他、「春草を踏まえて鳩の足あかし」「斯く行けば春風寒し斯くは行く」「その中に大樹芽ぐは物々し」といった吟行句が並び、「白酒」句はない。
すなわちこの句は当初、雛祭を題詠的に詠んで四日の鎌倉の句会に出したものだったが、後に三日の家庭俳句会での作、ということにしてしまったものなのである。
虚子の句集における注記は、必ずしも実際に忠実なわけではなかったことが知れるが、これは掲句を三日の発表ということにした方が、効果があると考えたからであろう。なお、家庭俳句会は、婦人俳句会などとともに『ホトトギス』に立ち上げられた、女性中心の句会で名句が多く生まれている(『俳壇』二〇二四年七月号「座談会」(西村和子・井上・堀切克洋)。そのこともこの発表時期の変更という「操作」の理由ではなかったかと思う。
掲句は、端的にして的確な比喩によって、「白酒」の様態を鷲つかみにした写生句で、間然とするところがなく、名句としてはよく引かれるものの、解説は意外に少ない。
ポイントは「白酒の」の「の」である。これが「や」では、なぜいけないか?「や」「けり」と切れ字が重なることを嫌ったのは、すぐわかる。
降る雪や明治は遠くなりにけり 中村 草田男
この句のように上五とそれ以下の間に「飛躍」があるなら、切れ字が重なっても問題はないが、「白酒」の句は典型的一物仕立てで、「や」では煩い。
「の」の効果はそれだけではない。「紐の」と「の」を畳みかけることで、「白酒」の様態に焦点を当てることができる。
鴨の中の一つの鴨を見てゐたり この庭の遅日の石のいつまでも 蛍火の今宵の闇の美しき 立秋の雲の動きのなつかしき
以上のような虚子の作例につけば、上五の下に「の」を軽くつけて、以下で「の」を繰り返して、リズムを作り、対象にフォーカスを当てていったことに気づかされる(井上『俳句のマナー、俳句のスタイル』)。
「白酒」の句の主題は、液体の動きにあるので、「つがれけり」と用言でまとめた。虚子は「眼」の詩人ではあるが、これをことさらに強調せず、さりげなく、品よく提示してみせる。鷲づかみの「写生」にありがちな生々しさを包むデコレートの感覚(井上「品格ある写生」『俳句』二〇一九年四月号)こそ、作家虚子の「写生」を代表するものとして、ここに指摘しておきたい。
*先月号記事に脱落がありました。「紅梅の苔は固し不言」の句は『ホトトギス』九年二月号で『五百句』同様「二月二十二日。臨時句会。発行所。」と前書きされています。記してお詫び申し上げます。(筆者)
『虚子百句』より虚子揮毫
15 白酒の紐の如くにつがれけり
16 紅梅や旅人我になつかしき

国立国会図書館デジタルコレクションより
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井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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(注意: つらい内容が含まれます) ヨギタ・リマエ、BBCニュース 丘の上、木々の合間に、ミャンマー軍キャンプの廃墟がある。眼下に、特徴的なハートの形で地元で有名な、絵のように美しい湖が見える。足元には、地雷の薬筒や使用済みの弾丸が散乱している。兵舎があった場所では、散らばるトタン屋根の隙間から、黄色い花をつけた野草が顔を出している。キャンプの一角には、急いで掘られた塹壕(ざんごう)がある。 赤、白、青の横じまの中央にサイチョウという鳥が描かれた旗が、曇り空の下で風になびいている。ミャンマーの西部チン州で同国の軍事政権と戦う���民族武装組織「チン民族軍(CNA)」の旗だ。 CNAは7カ月前、地元の武装住民グループとともに、インドとの国境貿易の町リクホーダルにあるこのキャンプと、チン州の他の地域からミャンマー軍を追い出した。チン州の武装勢力は、2021年のクーデターでミャンマーのぜい弱な民主主義を粉砕した軍事独裁政権と戦ってきた。その彼らにとって、前例のない成果だった。 国軍がこの地域で支配権を失ったのは初めてだ。BBCは今回、同国西部で反政権勢力の躍進を目にするという、めったにない機会を得た。 リクホーダルでの勝利は、決して簡単ではなかった。武装勢力は1年以上にわたり、何度も攻勢をかけた。一部の家族は、耐え難い犠牲を払った。 画像説明,武装抵抗運動に加わったラルヌンプイさん ラルヌンプイさんはダンスが大好きな17歳だった。彼女のソーシャルメディアのアカウントは、人気映像のダンスをまねる彼女の動画でいっぱいだった。 「彼女はいつも自信たっぷりに踊っていた。でも、着飾ることには興味がなかった。兵士に憧れ、国のために命を捧げた兵士についての歌を一日中聴いていた。勇敢で強く、怖いもの知らずだった」。ラルヌンプイさんの母ラルサントルアンギさんは、そう話す。 クーデターが起こると、ラルヌンプイさんは両親を説得し、家族が暮らすハイムアル村で武装住民運動に加わった。その理由を、学校で手書きした英作文の中で、次のように説明していた。 「ミャンマーはいま、壊れている。(中略)ビルマ兵は私にとって敵だ。情けがないからだ。(中略)私の将来は国民防衛隊にあって、私はそれが好きだ」 2022年8月、彼女の村の武装住民らは他のグループとともに、リクホーダルの軍キャンプに攻撃を仕掛けた。 「私たちは13日間連続で、相手側にドローン(無人機)の雨を降らせた。爆弾のほとんどは私が作った。私が部隊で一番の溶接工だったので」と、ラルヌンプイさんの父ラルジディンガさんは言う。彼はクーデター前はトラック運転手だったが、ハイムアルで何人かと国民防衛隊を組織するようになった。 この時の攻撃では、軍キャンプを奪うことはできなかった。双方に犠牲者が出た。 ミャンマーの地図 2022年8月14日、ミャンマー軍は報復攻撃としてハイムアル村を急襲した。住民の話では、民家十数軒に火が放たれた。私たち取材班は、そのような家屋の残骸をたくさん目にした。ミャンマー軍は、北部と西部で抵抗勢力を抑え込むため、何万軒もの民家を焼き払ったと非難されている。 この報復攻撃で、17人が軍に人質に取られた。ラルヌンプイさんと、弟のラルルアトマウィアさん(15)も含まれていた。その後、この2人を除いて全員が解放された。2人の父親に軍が仕返しをしたのだと、家族は考えている。 2日後、ハイムアルの外れにある森の浅い墓の中に2人の遺体があるのを、村人たちが発見した。 どちらも残忍な拷問を受け、銃床で殴り殺されていた。ラルヌンプイ��んはレイプされていた。弟の胸、腕、性器には熱湯によるやけどの跡があった。BBCは、遺体の詳細な写真と検死報告書を確認している。 BBCはこの件でミャンマー軍に質問を送っているが、まだ回答はない。 ラルヌンプイさんの弟ラルルアトマウィアさんはまだ15歳だった 「子どもたちに何が起こったのか、考える勇気がない」。父ラルジディンガさんはしばらく黙った後、言葉を探すように言った。「子どもたちは殉死者だ。私よりずっと立派だった」。 少しの間を置いて、彼は続けた。子どもたちのことを愛情をこめて語る、誇らしい父親の姿だった。「息子は私より5センチ背が高くなっていた。話し好きで、家の手伝いを何でもいやがらずにやった」、「2人は切っても切れない仲だった。人が集まっているところに娘が行けば、みんな楽しく笑顔になった」。 母ラルサントルアンギさんは、涙を拭いながら末娘のハダシちゃん(4)を抱きしめ、こう話した。 「夫には、子どもたちの死で落ち込まないように言っている。これは私たちだけの問題ではない。将来の世代も自由は必要だ。何の権利もなく、軍の言いなりになるような、そんな状態で暮らすのは正しくない。命をかける価値がある戦いだ。私は自分の子どもたちを誇りに思っている」 私たちはミャンマー滞在中、戦闘服に身を包んだ人たちに会った。半自動小銃などの銃器を携えている人もいた。ただ、職業軍人ではない。野蛮な紛争に直面し、見事なまでに意を決している農民、学生、一般住民たちだ。 国民防衛隊のヴァラ司令官は、ハイムアルの眼下に広がる緑豊かな谷を指さしながら、ミャンマー軍はこの全域から撤退し、最も近い基地でも直線距離で50キロ以上離れていると笑顔で説明した。現地の墓地では、ピンクと白の造花で覆われた新しい墓へと私たちを案内した。 「軍事政権と戦って死んだ人たちのものだ」と、ヴァラ司令官は義理のきょうだいの墓のそばに倒れている花束を戻しながら言った。私たちは、ラルヌンプイさんとラルルアトマウィアさんの墓も見つけた。 私たちが会った住民らのほとんどは、ハイムアルの南にあるチン民族軍のヴィクトリア基地で訓練を受けていた。私たちは、緑深い森と山間部を通る、曲がりくねったでこぼこ道を進み、同基地を訪ねた。 そこでは、制服を着た何百人もの若者が新兵となって、広々とした平原を行進していた。 行進が終わると若者たちは、「私たちの祖国、愛する土地、私たちは血と命をかけてそれを守る」と歌う。 そして、武器の訓練へと続く。銃声が響く。 全員18歳以上だと説明されたが、もっと若く見える人も多い。2011年のミャンマーの民政移管で、大勢が自由を味わった。それだけに、もはや軍事政権は受け入れられないと考える10代の若者たちが、それぞれの夢を捨てて、抵抗運動に加わったのだ。 サン・ダール・リンさん(19)は教師を目指していた。 「クーデター後の最初の1年は、それほど悪くなかった。けれども、やがて軍が私たちの村を砲撃し始めた。私たちの家は壊されて、村に入って来た兵士は家を燃やし、人や動物まで殺した。私たちはジャングルに逃げた。かなりの人数がいたので、ジャングルがそのまま村になった」 「おじは無残に射殺された。私は軍が大嫌い。自分の国と国民を守るため、CNAに加わった」 私たちは行く先々で、ミャンマーの若者たちが革命の波に巻き込まれているのを目にした。 ビルマ国家のために働いていた何千人もの人たちもまた、支持する対象を変えた。 ヴァンラルペクタラさん(22)はかつて警官だった。 母親のモリー・キアンさんは、息子が警察で訓練を受けていたころの古い写真を3枚差し出すと、「彼はそこそこの月給をもらっていた。私たちは幸せで満足していた。そうしたらクーデターで政府が倒され、彼は抵抗運動に参加することを決めた」と説明した。 モリーさん自身は青春時代を軍事政権下で過ごした。「当時は楽しい日なんて1日もなかった。軍がとても怖かった。だから私は息子の決断を支持した」。 息子ヴァンラルペクタラさんは2022年3月に抵抗運動に参加。その6日後に殺害された。 モリーさんは胸と首を指さしながら、「息子はこことここを刺された」と言った。「残忍に襲われた。片足は切り落とされていた」。さらに話を続けようとしたが泣き崩れた。「この話をするのはつらい」。 ヴァンラルペクタラさんが死んだ時、彼の妻は妊娠していた。もうすぐ1歳半になる男の子は現在、遠く離れた難民キャンプで暮らしている。 軍が村から追い出されたときの気持ちを尋ねると、モリーさんは拳を突き上げた。「とてもうれしい。でも完全な勝利が見たい」。 彼女の次男も国民防衛隊の一員となっている。 国軍に比べれば弱い複数の反政権勢力が、この紛争の流れを変え、はるかに強力で装備の整ったミャンマー軍を守勢に立たせた。それができたのは、一般国民の幅広い支持があるからだ。 「最初は軍が勝っているように見えた。しかし、戦争であれ政治であれ、国民の支持がなければ誰も勝てない。軍は武器では優位かもしれないが、民衆を味方につけられていない」。チン州の反政権グループが設立した並行政権の「首相」に指名されている政治家、パ・サンさんはこう話す。彼はアウンサンスーチーさんが率いる国民民主連盟(NLD)のメンバーでもある。 並行政権は、チン州全域の80%近くを掌握していると主張する。しかしミャンマー軍は、州都を含め戦略的に重要な町のほとんどを今も支配している。 それでも、反政権勢力には勢いがある。今週初めにはトンザンという町を奪った。 チン民族軍のフテト・ニー広報官画像提供,AAKRITI THAPAR/BBC 画像説明,チン民族軍のフテト・ニー広報官 「ここは私たちの土地だ。ビルマ軍の土地ではない。私たちは勝利を収めつつある。この土地の隅々までよく知っているからだ」。チン民族軍のフテト・ニー広報官はそう言う。 民族軍側が戦果を挙げている理由は、ほかにもある。国内各地の反政権勢力が協調し、軍が力の入れどころを選ばなくてはならない状況を作っているのだ。チン民族軍によると、自分たちはカチン独立軍やカレン民族解放軍、カレンニー軍と協力関係にあるという。 反政権勢力が直面する最大の課題は、グループ同士の内紛だ。チン州だけでも数多くの派閥が活動しており、その多くは従来から敵対している。 前出の政治家パ・サンさんは、結束を維持するのは可能だと主張。クーデター後に軍によって投獄されたアウンサンスーチーさんが率いる、選挙で選ばれた文民政府を代表する国民統一政府(NUG)の下で活動することに向けて、将来的な計画があると話す。 「私たちは鋭意、法律と憲法を作成している。NUGの一員として、チン州から大臣2人と副大臣1人を出す予定だ。ミャンマー軍が敗北を認めるときに向けて、あらゆる準備をしている」 私たちが会った人たちには、明らかな共通点があった。自分たちは勝てると、全員信じているのだ。 「もう、それほど長くはかからない」とパ・サンさんは言う。「こういう予測をするのは良くないが、私たちがあと2〜3年以上戦うような、そんなことにはならない。そう信じている」。 (追加取材:アアクリティ・サパル、サンジェイ・ガングリー) (英語記事 The devastating cost of fighting Myanmar's military dictatorship)
【ルポ】 ミャンマー軍事独裁政権と戦う人たち その途方もない犠牲 - BBCニュース
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#1
【復活祭は誰のため?】
2025/04/20(日) 僕たちのジーザスがが十字架で死んでよみがえったことを記念する「復活祭特別礼拝」あります!
僕が学生時代お世話になった森孝一教授(元同志社大学神学部学部長、元神戸女学院院長)がキリストの復活について、こんなふうに言いました。 「イエスがよみがえったいう一次証拠はない。せやけど、2つの二次証拠がある。まず墓が存在しないということ。それから、開祖であるイエスの死後、弟子たちが活発に伝道したこと。イエスがよみがえったことなしに、あれだけの伝道はできひんかった。一次証拠にはならへんが、これらのことはイエスがよみがえったことを示唆する」ということです。 森先生は、自由主義神学(キリスト教を信仰よりも学問的、批評的にとらえる立場)の旗手です。 その方がイエス・キリストの復活について「二次証拠がある」と言っているのは、実に興味深いです。 僕は信仰的な立場でしか聖書を読みませんから、イエス・キリストの処女降誕も復活も再臨(*)も100%受け入れます。けれど、唯物論に立てば、それらのことは信じられなくて当然です。 逆に「処女懐胎は想像妊娠もあるし」とか「当時の人たちは、夢と現実の区別がついてなかった」とか「迷信深い人たちにとっては事実だった」などなど、“説明のつく解説”を僕たちは微塵もうけつけません。 信じられないことを信じるのが信仰であって、信じられないことを合理的に釈明して納得するのであれば、信仰は不要です。 僕たちは、人間の知性や理性を越えた“スーパーナチュラル”な聖書の神の世界を真正なことと認め、有限で不確実でどうにもならない社会を超越することに挑戦します――。 「そんなアホな、付き合ってられん」という人向けにイスラエルの王様だったダビデはこのように言います。
愚か者は心の中で「神はいない」と言う。(旧約聖書・詩篇14篇1節)
また、聖書随一の執筆者であるパウロは言います。
「死者はどのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか」と言う人がいるでしょう。愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ生かされません。(新約聖書・Ⅰコリント15章35-36節)
ざっくり言うと、聖書は次のことを示しています。 ①全知全能の神がいる ②その神が人類救済を計画した ③救済計画のため我が子イエスを犠牲にした ④犠牲の結果、全人類の罪は弁済された ⑤加えて、イエスがよみがえったことにより、全人類も死後に復活することが確約された ⑥以上のことは、信仰によってのみ発動する ⑦その保証として神の霊、聖霊が与えられる もちろん、細かいことはもっと様々あります。けれど、僕たちは、「聖書は神のことばです」と明言し、その聖書を紐解くことで、完全な救いをギフトとしてもらっています。そして、このギフトは知り合う人、全員にお届けしていく義務と責任を使命として頂いているのです――。 「墓はだった」ことにより示される“死んでよみがえったイエス・キリスト”が、僕たちのリードオフマンです。 僕たちはこの方に続き、「死んでよみがえる」というのが聖書の語る真理です。 信仰によってのみ捉えることのできる世界に皆さんを招待します――!
#2
■イースターと復活祭、正しいのはどっち?■
毎年訪れる、春分の日から起算して、最初の満月の次の日曜日。 キリスト教の暦では、「イースター」と呼ばれるお祝いですが、もともとユダヤ教の過越祭(すぎこしさい)を下敷きにして、「イエス・キリストの死と復活」を記念するものです。
キリスト教がローマ帝国で国教化されるに伴い、ゲルマン人の宗教で祀(まつ)られていた“Eostre(エオストレ)"という女神が春を司っていたことにちなんで、宗教混淆(こんこう/シンクレティズム)した結果、その名前からイースターという呼称が生まれました。
つまり、聖書の神様が嫌う偶像礼拝とのミックスです。
そのため、エオストレの眷属(けんぞく)である「卵を産むウサギ」がモチーフとなって、イースターエッグやイースターバニーが我が物顔で(?)まかり通ることになりました――。
なんでも、ごちゃまぜにして文化として受容しやすい日本人には何ら抵抗ないのかもしれませんが、純粋を大事にする僕たちクリスチャンには「そりゃ、ちゃうやろ」と突っ込みどころありありです。
そんなわけで、重箱の隅をつつくようなこと――と思われがですが、「×イースター」、「○復活祭」と表現しているわけです☆
と・こ・ろ・が、日本では「ディズニーで当たれば、日本中ではやる」という法則があって、世の中でも<イースター>という呼び方は、やや定着していきている感は否めません。。。
しゃーないので、適宜<イースター>という呼び方も織り交ぜながら、「本当はこうだよ」ってことを皆さんに伝えたいと考えてます。
■復活祭のメインテーマは何?■ イースターと復活祭の違いについて、指摘し��ところで、そもそも「復活祭って何やねん?」ってことです。
一言でいうと、“キリスト教の奥義中の奥義”です。 先に登場したユダヤ教の過越祭では、イエス・キリストの贖罪の死が暗示されているのですが、復活については秘匿事項でした。
かつて、エジプトでいいようにこき使われていたイスラエル民族がモーセに導かれ、真の神様の約束の土地目指して出立した奇跡体験を風化させないため、神ご自身が特別な祝祭として記念するよう定めたのが過越祭です。 好き放題使える労働力を手放したくないエジプト王ファラオと民の代表として対峙するモーセが、神の預言者として次々と9つの災害を予告し、その通りになります。 極めつけに発動された10番目の災害が「長子を打つ」というものです。 エジプト人にとって、長子は主神(ホルス)の化身であり、ファラオの権力基盤と考えられていました。 ですから、エジプト人家庭にとって長子が打たれる、というのは単に世継ぎが亡くなるということではなく、ファラオの権威失墜という意味がありました。 方や、イスラエル人家庭では、とある印(マーク)をつけることによって、災いが「過ぎ越し」ていきました。 その印(マーク)が、「子羊の血で家の入口を染める」というものでした。日本の鳥居が赤(もしくは朱色)で染め上げられるのは、その習わしが伝わったものという説もあります。 ここで大切なのは、赤という色ではなく、子羊が犠牲になる、という事実です。
イエス・キリストが十字架にかかって血を流したのは、このことと二重写しになって描かれます。 もちろん、偶発的なことではなく、父なる神様の計画に則(のっと)ったことです。 ここに旧約聖書を基礎にするユダヤ教の延長線に新約聖書を基礎とするキリスト教の”祭り”が祝われることの大事さがあります。 しかも、犠牲となって死んだイエスが、死んだままではなく、よみがえって「永遠に生きる存在」の原型として私たちに提示されているのです。 気づいてみると、これらのことも旧約聖書に預言されているのですが、その整合性は新約聖書を紐解かないとクリアにならないという仕掛け(謎解き?)になっています。
この「永遠に生きる存在」であるイエス・キリストを原型(教会の中では"予型"と言います)として認め、信じ、一体化していくのが、キリスト教の奥義です。
「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(新約聖書・ローマ人への手紙10章9-10節) 「今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(新約聖書・Ⅰコリント人への手紙15章20節)
これらの手紙を書いたパウロはここで、麦畑をイメージしています。 畑にたくさん生えている麦の中で、最初に穂に実をつける株があれば、次から次へどの麦も穂に実をつけることになります。 同様にキリストが死者の代表としてよみがえったのであれば、他に眠った(死の婉曲表現)人たちも当然よみがえるでしょう、という光景を描いているのです。 そして、その畑の麦に加わる秘訣は「信じる」ことと述べられています。
これが聖書独特の論理です。 仮に「ようわからん」と言う人がいても、このように描かれる内容こそ”真理”であって、キリストともによみがえり(復活し)、永遠に生きることが神様の与える「新しい契約」、略して“新約”です。 このように“旧約”土台にして“新約”が成り立つというのが聖書の構造であり、“キリスト教の奥義中の奥義”です。
復活祭はこのことを大事にし、祝います――。
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2024年12月16日 12時05分 「なぜGoogleのプロジェクトは失敗するのにMetaのプロジェクトは成功しているのか」を分析してわかった3つの問題とは? GoogleやMetaなどの大手IT企業は大規模なプロジェクトをたくさん推進していますが、それらのプロジェクトは必ずしも成功するとは限りません。AI関連製品のコンサルティングを行っており、かつてMetaで機械学習に取り組んでいたこともあるジェフリー・リュウ氏が、「なぜGoogleのプロジェクトは失敗するのにMetaのプロジェクトは成功するのか?」という疑問について分析しています。 Google's Lost Moonshots · Jerry Liu https://www.jerry.wtf/posts/googles-lost-moonshots/ リュウ氏は、Googleはかつて製品を作るだけでなく「未来を定義する」会社でもあり、Googleが生み出したイノベーションやスローガンは世界に大きな影響を及ぼしてきたと指摘。たとえばGoogle マップはナビゲーションの世界に革命をもたらし、Gmailはそれまでの電子メールサービスを古いものにしてしまい、Chromeはブラウザの可能性を再定義し、Androidはスマートフォンを「民主化」することに寄与しました。 また、仕事時間のうち20%は好きなことに使えるという「20%ルール」はGoogleが始めた施策として知られ、この自由時間によって大胆な新規事業が生み出されるのだといわれていました。 自分の好きなことに仕事の時間を使える「20%ルール」をフル活用するためのちょっとしたテクニック「BASEDEF」 - GIGAZINE ところが過去数年間にわたり、Googleはかつての輝きを失っているようだとリュウ氏は指摘しています。たとえばマルチモーダルAIのGeminiは競合他社のAIより遅れて登場し、「フォロワー製品」と呼ばざるを得ないものだとリュウ氏は主張しています。 Googleの買収戦略も近年は不調であり、2021年にはフィットネストラッカーのFitbitを約21億ドル(当時のレートで約2300億円)で買収したものの、依然として画期的なヘルスケア製品をリリースできていません。また、2011年に125億ドル(当時のレートで約9600億円)で買収したMotorolaのスマートフォン事業は、後に29億1000万ドル(当時のレートで約2960億円)で売却されました。他にも、スマートグラスのGoogle GlassやクラウドゲームサービスのStadiaといった製品の終了は、記憶に新しい失敗例といえます。 一方でMetaは、当初懐疑的にみられていたInstagramやWhatsAppを見事に成功させ、両サービスは今やMetaにとって欠かせないものとなっています。それに加え、近年はAR/VR分野に年間数十億ドル(数千億円)規模の投資を行っており、巨額の損失を被っても前進し続けています。 こうしたGoogleとMetaの違いについて分析したリュウ氏は、Googleには以下の3つの体系的な問題があると主張しています。 ◆1:不完全なインセンティブ Googleのイノベーションを推進するプレイングマネージャー(PM)のキャリアは、定期的に行われるパフォーマンスレビューによって左右��れます。PMにとっては、失敗する可能性のある大規模なプロジェクトに何年も費やすより、パフォーマンスレビューで見栄えのする小規模なプロダクトをリリースした方が安定するため、野心的なプロジェクトにリソースを費やすインセンティブが小さいとのこと。 この問題についてリュウ氏は、「任期が4年に制限されていて次の選挙に勝つ必要がある政治家と一緒に、10年にわたる気候変動プロジェクトに取り組もうとしているようなものです」と述べています。 ◆2:ムーンショット型予算 ムーンショット(偉大なプロジェクト)を成功させるにはそれ相応のリソースが必要ですが、近年のGoogleが投じる予算はせいぜい「資金豊富な実験」程度にとどまっている一方、Metaは野心に見合った規模でリソースを投入しているとのこと。実際、MetaのVR・AR研究部門である「Reality Labs」には、これまでどの企業も費やしたことがないほどの資金が投入され続けています。 2023年第4四半期には、Reality Labsの収益が過去最高となる10億7000万ドル(約1565億円)を達成しましたが、投じられたコストはそれを上回る57億2000万ドル(約8370億円)に達しているとのことです。 MetaのVR部門・Reality Labsが史上最高の収益10億ドル超えを達成、Meta Quest 3ヒットの影響で - GIGAZINE ◆3:企業全体としての学習 GoogleもMetaもプロジェクトを失敗するのは同じですが、「失敗を学習してその後に生かせるかどうか」に差が出ているとリュウ氏は考えています。Googleでは、たとえばGoogle Glassが終了した後にチームが解散して一部の内部文書を除いたコンテキストが失われてしまったほか、ソーシャルネットワーキングサービスのGoogle+が終了した後もその遺産がうまく生かされてないとのこと。 一方、Metaは2014年にOculusを買収した時点でAR・VRに取り組むことを強く意識しており、その後のMeta QuestからスマートグラスのRay-Ban Metaに至るまで、明確な学習曲線を描いていると指摘。リュウ氏は、「ほとんどの場合でチームや組織が何らかの形で存続し、コンテキストが維持されます。すべての失敗が次の試行に直接反映されるのです」と述べました。 そもそも、ムーンショット的なプロジェクトを管理するには長期的な信念を貫くことが必要ですが、これはリーダーが定期的に交代する一般的な企業にとって困難なことです。これに対し、Metaはマーク・ザッカーバーグCEOが一貫してリーダーシップをとり続けており、批判にさらされようとも自身の信念を貫いているため、組織が学習・進歩し続けられるのだとリュウ氏は主張しています。リュウ氏は、「結局のところ、この規模で最大のリスクは失敗することではなく、コミットすることを恐れることだと思います」と述べました。 この記事のタイトルとURLをコピーする ・関連記事 Googleの終了したサービスやプロジェクトを弔うGoogleサービスの墓場「The Google Cemetery」 - GIGAZINE Google社屋に「終了したGoogleサービス」の墓が本当に登場 - GIGAZINE Googleの「Stadia」はいつ突然死するかとゲームの開発者は戦々恐々 - GIGAZINE GoogleがクラウドゲームサービスのStadiaを終了、ゲーム&ハードの全額返金に対応 - GIGAZINE 「誰もGoogleを信じていない」からStadiaのサービスは終了したという指摘 - GIGAZINE Googleに買収されたスタートアップの元CEOが「Googleに買収されると一体どうなるのか?」を証言 - GIGAZINE FacebookのInstagram買収は「競争相手の無力化」が目的だったことを示す文書が暴露される - GIGAZINE Facebookは水面下でどれほどの買収をメタバース構築のため推し進めているのか? - GIGAZINE Metaのマーク・ザッカーバーグCEOがクローズドソースでAIを開発する競合他社を「神を創っているとでも思っているのでは」と批判 - GIGAZINE ・関連コンテンツ MetaのVR部門・Reality Labsが史上最高の収益10億ドル超えを達成、Meta Quest 3ヒットの影響で AppleはなぜApple Watchなどのウェアラブルデバイスで世界をリードしているのか? 「iPhone」「過去の失敗」「Appleの未来」についてAppleのティム・クックCEOが答える Metaは2022年6月以降VR部門で毎月1600億円もの損失を記録している Metaは単体動作可能なARグラスを2024年に発売し「初代iPhone」のようなインパクトを起こすことを目指している なぜGoogleはクラウド分野で2023年までにAmazonとMicrosoftを上回らなければならないのか? Apple Watchよりも先に登場したスマートウォッチ「Pebble」はなぜ失敗したのかを創業者が語る YouTubeの2023年第2四半期における広告収益は約1兆800億円で前年同期比は約4.2%増、YouTubeショートの躍進が大きな勝因か
「なぜGoogleのプロジェクトは失敗するのにMetaのプロジェクトは成功しているのか」を分析してわかった3つの問題とは? - GIGAZINE
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未確認飛行デカダンス
2023/02/24
twitterで、UFOで検索するとUFOみたいなのが飛んでる動画がたくさん見れる。
フェイクかどうか、もはやわからない。
この世界に本当の不可思議があって、それをインターネットの海に放流してフェイク扱いされたら勿体ないなと思った。
そういうのは肉眼で見るしかない。
昔、スカイフィッシュみたいなものを見た。
新聞配達のバイトをしてたとき、深夜3時から5時くらいのあいだ。墓場の隣に立ち並ぶ家たちに新聞を配達してるとき。街灯の下を、墓場に向かって飛ぶ細長いヒダみたいなものを見た。
たった1つの小さな惑星に、たった数千年しがみついてるだけの自分たちが、永遠にも似たこの宇宙のすべてを知っているはずがない。
この世界には本当の不可思議は絶対にあるけど、それがとても希少で、滅多に人前に現れないものだとしたら、それを妄想や幻覚や夢ではないことを証明することはほぼ不可能だ。ましてやそれについて研究してるわけでもない1個人なら尚更だ。目の前に世界の常識を揺るがすような何かが現れたとしても、それが見間違いじゃなかったかどうか、証明するのは難しい。UFOを見たと言っている人を怪しく思ってしまうのは、見たことがない人が過半数を占めてるから。そして、見た人だって、そう何度も見られるものじゃない。
地動説誕生のときよりはずっと、人類は変化に対して寛容になっている気はする。
不可思議だったはずのものが結構解明されまくり日常に組み込まれまくっているから。
もし誰もがUFOを頻繁に遭遇するようになれば、案外それは劇的なドラマもなく、ふわ〜っと希少だった頃のざわめきが薄れていき、別の名前を与えられ、日常に組み込まれて終わりかも。そして一部の人だけがマニアになって研究を続けたりして。
最近、量子力学をちぎっては食べ、ちぎっては食べ、をしているが、3次元空間は閉じていて、その表面に3次元の情報が全て書き込まれていて、おれたちはホログラムとして存在してるかもしれないらしい。過去も未来も全部、量子真空に書き込まれていて、それをなぞってるだけらしい。
科学を突き詰めてSFやファンタジーやオカルトみたいな話になっているのがおもしろい。
魔術や、精神世界、念波とか、風水とか、超常現象とか、そういった胡散臭いものもある程度は、解明されてないだけの科学なんじゃないかと思う。
シュレディンガーの猫で揶揄された重なり合った光子の状態だって、正直ずっと何言うとるんやと思っているが、現段階ではそうとしか言えないらしい。「見る」という人間の意識が、光子の動きを確定させる。観測してないときは様々な動きをしている光子の状態が重ね合わさっているが、人間が「見た」瞬間、1つの動きに確定する。
今のコンピュータは全部0と1で処理してるけど、スーパーコンピュータはその素子が持つシュレディンガーの猫的な性質を利用して、0と1が重ね合わさっている状態、確定していない状態で演算処理するからすげ〜早いらしい。スパコン、今はまだ幼稚園児レベルだから、たくさん教え込まれてるらしい。がんばれ。
そんなふうに、よくわかんないことさえもすでに日常の中に入り込んでいる。
話逸れたけど、スカイフィッシュも、シャッター速度遅く切ったときに写り込んだ蛾という説が有力とか言われてた。そう言われると、自分が見たスカイフィッシュも、すごいスピードで虫か鳥が街灯の下を飛んでっただけかもと思えてくる。
でも、絶対に見たことのない動きをしながら水平移動する、変なモノだった記憶がある。
量子力学を少しちぎって食べると、一見ありえなさそうなコトやモノを、頭ごなしに嘘だ非現実的だと否定するのもまた現実を見誤ることになりそうだと思った。
だから、UFOみたいな意味不明のものが飛んでてもおかしくないかも。
でも心霊系の話は、金縛りのときによく見る幻覚に似てるから、創作か、人の脳が産んだ幻覚だろうと踏んでいる。たとえ幻覚だとしても、本人にとっては現実との差はわからないのである意味真実だが…。
現実はいつも不可思議にただ佇んでいる。それを言葉にしたり、科学で翻訳して、なんとなくわかった気になってるだけ。本当の意味では全部、意味がわからない。冒頭でも言ったけどどんな不可思議も、希少性をなくして頻繁に目撃されるようになったら、いずれ当たり前になって、名前を与えられ、日常に組み込まれる。その異常性について、脳と時間はすぐ忘れてしまうようにできている。たまに全部意味がわからなくてすごい怖くなる。
果てしない闇にいろんな玉がたくさん浮いてて、そこに住んでるって何…?!この怖さは自分が生み出した思想や性質によるものでしかなく、世界に意味なんか元々ないし、全部たまたまこうなってるだけなのに、何が怖いの?と言われることもある。そっちの感じ方のほうが自然で、いいなと思う。意味なんて虚無に屈した人間が作り出した気休めの概念だから。自分の考えは「全部に目的や理由はあるはずだ」というような、どこか人間主義的でなんかちょっとイヤな性質も孕んでいる。
全部ただ、泡のようになんとなく生まれて、消えてくだけ。諸行無常とか、色即是空とか、頭では分かってても、世界が怖くて、色々考えてる時間が嫌いじゃない。なんの生産性もなくて、無駄なことだと思うけど。生活よりも、世界そのものが怖いほうが安心するから。大は小を兼ねる。怖さは、ワクワクに成る。SFや創作された話が好きなのは、世界の煩雑さを理解できる範疇に落とし込んで少しでも理解できた気になれるからだと思う。
終わりのない闇のなかで、ちっぽけな豆粒みたいな光の中で、泣いたり笑ったり、歌ったり踊ったり、殺し合ったり慰め合ったりしてるのがすごいヘンな感じ。
いつかUFOも日常になり、「また飛んでるな〜」とみんながピースしてUFOと自撮りした写真をSNSにあげまくる時代が来るかもしれない。それを見てまた、ヘンなの、って思うかもしれない。
そんな妄想をしてたら、学者が「UFOはいるかもしれないが、広大な宇宙の中でわざわざ地球を選んでやってくる可能性はかなり低い」と言っているのを見た。
そっか…。
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