#暮らしの彩り~その198
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暮らしの彩り~その198
東京に住む友人が、自身が撮影した桜の写真と、弟さんが撮影した桜の写真を送ってくれました。
まずは弟さんの写真がこちら。『水元公園散歩してます。満開です』とのメッセージ付きだったそうです。

水元公園は葛飾区にあり、私も子どもの頃葛飾区に住んでいて(写真を送ってくれたのはその時からの友人)、水元公園は徒歩遠足の行先でもありました。ああ、でも遠足は桜の季節ではなかったから、こうして桜を見ることはなかったなあ・・・懐かしい場所の桜を見ることができて嬉しいです。
不思議な気分。徒歩遠足は子どもにしてはけっこうな距離を歩いた記憶があり、でも、友達と過ごすいつもと違う時間はやっぱりわくわくで・・・そんなこと思い出している私は、もう娘たちが巣立った大人になっていて・・・時間は実はまっすぐに一��方向に向かって進んでいるわけではない、と言われるけれど、そんな実感はないけれど、こんな時にふと「やっぱりそうなのかもしれない」という気持ちになります。
そして、こちらは友人が先日「井の頭公園」で撮影したという桜の写真。

この写真を見た瞬間「浮世絵みたいだな」と思いました。なんと素晴らしい写真でしょう!
そしたら、その後追伸で『先ほどの写真、広重の亀戸梅屋敷を意識して撮ったの』とメールが来たので「ああ、やっぱり!」と思ってそう返事をしたら『ここ数年、広重の名所江戸百景をたどって、東京を、巡る企画を一人で楽しんでます』とのこと。
桜の写真で一足早くお花見気分を楽しめたこともとても嬉しかったけれど、友人がわくわくする一人企画を楽しんでいると知ったことは、実はもっと嬉しいことでした。大人になるって素敵なことだと思わせてもらえて、すごく幸せな気持ちになりました。
私も自分なりの「一人企画」考えたくなりました。
新年度となり、新しい環境に馴染むことで精一杯な方も多いと思うのですが、「ちょっとお楽しみ企画」が合間合間にあって、心が緩む時間がありますように・・・
いろんな意味で素敵な春を運んでくれた友人に感謝です!
富谷の桜も間もなくです!
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オリーボーレン198円、極みドーナツシュガー198円(すべて税込)/JACK IN THE DONUTS(春日)
オレオ500円(税込)/the BAKE HOUSE(春日)
東京ドームシティの飲食店がほぼ一新した。「DELI&DISH」というゾーンは、ビゴのパン、千駄木腰塚などが入り、お弁当も充実している。いくつか甘いものを扱う店もある。
ジャックインザドーナツは、「多彩な生地のオリジナル品から、外国生まれの伝統的なドーナツまで。」ということで、店頭ではわからなかったが、世界のドーナツが食べられるのが特徴のひとつのよう。
私が選んだ「オリーボーレン」(左上)はオランダ発のドーナツだそう。「外はサクサク中はジューシー!中にはフルーツが入っています」ということで、買った翌朝に実食。硬いね。フワッと感ないね。あっためたら変わるかと思い20秒チン。ややふんわりだね、てかパンだね。アイムドーナツでジューシーなフルーツが入っているものを食べたので、硬いドライフルーツがそのまま入っているのにちょっとがっかり。ただ、これがオランダ本来の感じだからこういうもんなんだよね。極みドーナツシュガーも似たような感じの食感、もちもち食感だったかなぁ…次の日食べたせいかなぁ…。
ザベイクハウス(左下)は、スコーンかなと思って購入したら、ふんわりした食感。調べたらキューブ型のマフィンだった。電子レンジで10〜20秒チンできるようだが、クッキーやアイシングの飾りがあるのでしっかりは温めたりトーストできない。もうちょっとサクッと感がほしいなぁ。
住所:東京都文京区春日1-1-1 LaQua-ラクーア 1F
営業時間:10:00~21:00
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久しぶりに予定日記を書いてみました。と 言う訳で 12月の予定日記でございます。
先日『予定日記』について 書いたんで 超久しぶりに 12月の予定日記 アップしてみました。 2022年も最後まで ぶっ飛ばしますわよ!
<3日> 息子その2と 世田谷から丸の内に移転した『静嘉堂文庫美術館』へ。 『曜変天目茶碗』見てこなきゃ。美術館のある『明治生命館』も楽しみだわ。 その後 どうしようかな。
<4日> シルヴプレ 第12回公演『レザニモー、ココにも』@ 横浜人形の家 あかいくつ劇場 シルヴプレ あの スマートさが 良いですよねぇ~。横浜人形の家って 行ったことないので それも楽しみ。
この日は ダブルヘッダー。 お次は りんりんちゃんの『Ring-Ring Party!』@ 青山 fai
前から 行きたかったんだけど スケジュールが合わなくて 今回初参戦。 久しぶりに りんりんちゃんと 会えるな。
<6日> この日は お休みをいただいて 午前中 野暮用を済ませてからの 『中村佑介20周年展』@ 東京ドームシティ Gallery AaMo
この前 映画『四畳半タイムマシンブルース』見てきたし 中村さんの絵 好きなんだよね。
その後は『劇場DEバーレスクショー』@ 新宿ニューアート
お馴染みの After Party Tokyoのメンバーが ストリップ劇場のステージで!
三代目葵マリーProduce『新宿ニューアートSM興行』6日目後半のイベントです。
<10日> またまた ニューアート!6日と同じく『新宿ニューアートSM興行』最終日の昼イベントです。
『ままぴあみほストリップ劇場60分公演』@ 新宿ニューアート
間々田優/中村ピアノ/��林美保の3人が 劇場のステージに登場。間々田優さんと 中村ピアノさんは 初めてだけど どんなステージになるんだろ?
そして この日もダブルヘッダー。 『All That Burlesque Real Reborn vol.4』@ 新宿御苑 ROSSO 198
大好きな踊り子さん 山盛りのイベント。ライスちゃんのステージ 久しぶりだよね。 あっ えびさわくんとも 久しぶりだわ。それから この日 バーレスクデビューのRuby Rabbitちゃん。 ニューフェースから ベテランまで たっぷり楽しめそうだわ。
<11日> 『MAYUKO×3 TRIO LIVE』@ 吉祥寺 Strings
高柳真由子(vo) 菊地まゆ子(pf) 山口真由子(vib) 超久しぶりのまゆこちゃん…って
出演者3人とも まゆこよ!(笑)
吉祥寺でJAZZを聞いた後は 西早稲田 RiNEN で『音楽と演芸の隙間からこんばんは』 ヴォイスパフォーマー中ムラサトコさんと ダンサー振付家の伊藤千枝子さんの即���アートユニット『偶然という奇遇』と『あがさ&空五郎』のイベント。 前の日に見るライスちゃんと 空五郎くんのお姉さんで 素晴らしい ヴォイスパフォーマー 中ムラサトコさん 超久しぶりだなぁ~。 おまけに ユニットの相方 伊藤千枝子さんは 大好きなダンスカンパニー 珍しいキノコ舞踊団の主宰。キノコは 2005年に初めて見て それから すっかりハマって あっちこっちに 見に行ってました。 この二人が 同時に見られるなんて 夢のステージだわ!
<12日> 『アリとヨーエン 師走ライブ』@ 国立 ギャラリービブリオ
松田幸一(Hmc. Gt. Vo.) YO-EN(Vo.Gt.)の ギャラリービブリオ 十松さんお勧めのライブ。 初めて聴くの楽しみです。
<14日> シャンソン歌手のソワレさんが仕掛けた『歌舞伎町シャンソンフェスティバル2022』@ 東新宿 Petit MOA
この5日目に登場するのが『Music Cocktail Club』の主催である 井上彩名さん。 日程が 変わるような話が合ったけど 予定通りなのかなぁ~? この翌日が めぐみういちゃんだし その次の日が 古川真穂ちゃんだし 初日ワカミホさんも出演するんだけど この日しか行けそうもないのよ。(残念)
<17日> くるくるパーマへ行ってから 青山へ。あそこは 南青山になるのか? 『Burlesque Hymn~引退興行公演~』ダニエル・ジュゲム×ゴトウイズミ @ 青山 月見ル君想フ
いやぁ~ 二人ともバーレスク 引退しちゃうんですねぇ。でも パフォーマーを引退する訳じゃないから また別の��で 会えるんですよね。 それから 今回の引退興行で MCやってる POPちゃん(ex.チェリー・タイフーン...その前から知ってるけど(笑))も バーレスク休止してたんだけど やっぱり今回引退宣言するんだって! 最後 パァーっと やりましょう!!
<18日> 『裸的群像伝特集【記録映像】上映会』@ シネマハウス大塚
元ストリップ劇場の小屋主である 川上譲治さんの「ストリップに愛をこめて」秘蔵の映像の上映会です。 『ラスト・ストリップ』(1986年) 池袋スカイ劇場(さよなら公演)/プロデュース:ジョウジ川上 『ストリップ・パフォーマンス』(2002年~2005年) DX歌舞伎町劇場/SHOW‐UP大宮劇場 『割腹・早乙女宏美』(1990年/2005年) /鶴見新世界劇場/DX歌舞伎町劇場 『SMコント・盆&正月+石川亜美』(1984年) 新宿モダンアート劇場/シアターパラダイス 『恐山の女』(1992年) 鶴見新世界劇場/原作:伊藤裕作/演出:流山児祥/瑠花 この中で 残っているのは 新宿モダンアートだけかぁ~。
お次は『Le petit cabaret de cirque vol.13』@ 竹芝桟橋 Bank30
12月の11,18,25日と開催されるんだけど スケジュールの都合で 18日だけ。 11日は ジュゲさま 25日は Erochicaさんが出るのに~! でも この日は 京都から うのちゃんが出演するのよ!
<22日> 『PaParrots ライブ』@ 渋谷 7th Floor
PaParrots と オナンちゃん と 一緒に クリスマスだって! まさかの「The Nightmare Before Christmas」?
<24日> 『FANTASTIC CABARET』@ 歌舞伎町 FANTASTIC LOUNGE
ポーランドを活動拠点にして世界中を飛び回ってる ボーイレスカー UMA SHADOWちゃん 登場! 馬ちゃん なかなか 会えないんだよ。久しぶりねぇ。
<25日> 『銀の宝石達1周年イベント』@ 銀座 銀の宝石達
オープンのご案内 頂いてたんだけど 行く 行く 言っているうち 1年経っちゃいました。 キャァ~ ジャスさまぁ~ やっと 伺えるわ!
<29日> 『RED LIGHT BURLESQUE in Yokohama 2022』@ 横浜 クリフサイド
RED LIGHT BURLESQUE は 2回目かな? 今回も 大好きな踊り子さんたちが 勢揃い! 今年最後(多分)を飾るに ふさわしいイベントだな。
今年は 初めのうちはコロナ騒ぎで イベントが キャンセルになったり オンラインになったりしたけど 最後は目一杯 リアルイベントで埋まりました。(埋めすぎ)
まぁ 予定日記も これが最後かな。
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アリ・フォルマン監督『コングレス未来学会議』 原題:The Congress 原作:スタニスワフ・レム 制作:フランス、2013年
東浩紀『観光客の哲学』による理解の試み
アリ・フォルマン監督『コングレス未来学会議』を観ました。テクノロジー進��に翻弄され、幻想世界へと変貌した未来社会。欲望や怠惰そして自意識が生み出す幻想社会を、現役女優ロビン・ライトと同名の主人公が、ハリウッド映画界への皮肉を込めて描いています。主人公ロビン・ライトは自由を愛し恋多き実在の本人の化身であると同時に、発展を求め仮想社会へと歩む、人類の象徴でもあるのでしょう。
科学が発達し、クスリを吸引するだけで、自分の思うがままの世界に住めるようになった時代が舞台です。すでに旧来の映画の作り方は過去のものとなり、俳優の全データをスキャンし映画会社に売り渡すだけで、自在に映画が作れるようになっています。このあたりの設定は、CGが多用され、ドラッグの使用が囁かれるハリウッド映画界を揶揄したものでしょう。 主人公のロビンは才能を認められながらも、プライドや倫理観のせいで映画会社と折り合いがつかないまま40代を迎えています。その彼女が、スキャンデータと引換にクスリで可能となったアニメ社会と現実の往来を経て、難病に罹った息子アーロンとの再会を果たすまでが描かれています。一風変わった再会の風景は、『コングレス未来学会議』の重要な結末を伝えるものとなっています。 映画のタイトルとなった「未来学会議」は、人類がアニメ化へと進む宣言の場として登場します。おそらく、映画の半分近くがアニメで描かれています。本稿の後半では、東浩紀氏の『ゲンロン0 観光客の哲学』を手がかりに、この映画の意味を考えてみたいと思います。あくまで素人の意見です。読み違いはご容赦下さい。 ●現実と仮想に二分された社会 映画を見た午前中に、たまたまジャン=ガブリエル・ガナシアの『人工知能の真実』を読んでいたせいか、テクノロジー予言の背後に潜む欲望の話を想像しました。その要素はあったものの、やはりスタニスワフ・レムの原作らしく、人間の意識や意志がどのように現実に作用するかをテーマにした作品でした。 人間の意識が外界にどう影響するか。本作での設定は明確で、外界とは結局のところ、自分の意識が作りだす仮想であり、自分もまたそのなかで化身に過ぎないというものです。 この、世界は意識の投影にすぎないという考え方は、めずらしいものではありません。例えば、ここ数年で観た映画では、記憶をテーマにした『インセプション』や『サロゲート』、現実と仮想の混在をアニメっぽく表現した『リザとキツネと恋する者たち』、テックな未来の天国と地獄を��いた『エリジウム』などがあります。あえて例示するまでもなく、たんに想像世界でくくれば、たいていの映画はみなそうです。 ●二つの世界を往来する客人 現実と仮想、過去と未来、天国と地獄。これらに共通する対立世界のなかで『コングレス未来学会議』が特徴的なのは、ロビンがそのどちらにも安住できず、二つの世界を往来する客人として描かれていることです。過去と現在、仮想と現実、時間的にも空間的にも同時には共存できない二つの世界を、ロビンは意識の定住を求めて訪ね歩きます。 ロビンはやむを得ず自分のデータをアニメ社会に売り渡しながらも、仮想社会になじめない矛盾を抱えています。彼女の精神の拠り所は、愛する息子アーロンです。その想いから逃れられないロビンは、いったんは仮想世界に入ったものの、来賓として招かれた未来学会議の挨拶でアニメ世界との決別を宣言し、ふたたび現実にもどります。ロビンは、自分のデータが活躍する人気映画のソースとして、アニメ社会の主催者から招待されていたのです。しかし、アーロンは、19年間ものあいだロビンとの再会を待ちながら、入れ違いで仮想社会に旅立った後でした。 ロビンがアーロンを探す手がかりは「赤いカイト」です。現実世界で母と子がともに過ごした遊びの記憶こそが、ロビンにとって最高の意識であり、現実だからです。しかし、仮想世界で特定の人物を探すことは容易ではありません。なぜなら、仮想世界の化身は意識の投影であるため、探し求める人物がどのような姿でいるかわからないからです。 ●息子への愛を投影したアニメの世界 仮想世界にもどったロビンは、赤いカイトに導かれるように旅をつづけます。その旅の行先でロビンは、大形カイトを整備するアーロンの姿を目にします。その昔アーロンは、大形カイトを作ることを夢見ていたのです。ロビンは、子供のころの記憶のままに、息子アーロンとの再会を果たしたように見えます。 この再会の前後で描かれる、ロビンを取り巻く風景描写は特徴的です。ロビンが経験した家族との過去が、そのままの姿で、アニメに置き換わっているのです。金持ちや強者であることを望み、そのような化身になるのではなく、現実のなかで過ごした過去の世界がそのまま、アニメに姿を変えています。 これは、仮想世界が意識をそのまま投影したものだと考えれば、合理的な結末に思えます。ロビンの意識は昔のままの愛するアーロンと家族に注がれており、その思いが仮想として出現したと思えるからです。結果的にロビンは、アニメ社会に定住することを、つまり「未来学会議」の決定を受け入れたことになります。アニメ社会を拒否した��うにも見えるロビンも、結局はアニメ社会のなかで家族への愛を生きる人生を選んだというのが、この映画の結末の描き方です。 ●アニメ社会と接続する現代思想 ざっと、以上のように受け止めた『コングレス未来学会議』ですが、実写とアニメが交錯する一見ハチャメチャな作品ながら、全体として、現代思想との強い親近性を覚えました。社会の二極化やアニメ化がもたらす印象だけでなく、家族構成が社会の特���に強く影響するというエマニュエル・トッド氏の考え方や、観光客や二次創作を通じて現代が抱える問題に解決の糸口を見出そうとする、東浩紀氏の『ゲンロン0 観光客の哲学』1) を思い出したからです。 『コングレス未来学会議』には父親が出てきません。しかし、クスリは強引な影響力を持つものとして描かれており、テクノロジーの象徴として、父性的な強さを暗示しているように見えます。その力に対抗するようにロビンは、最小単位の家族のつながりである母と子で結束します。 これは、トッド氏のいう絶対核家族と直系家族の関係を思わせます。社会のアニメ化は、テクノロジー進化がもたらしたアングロサクソン的な世界観として、その本質を絶対核家族に求めることができます。この絶対核家族世界では、親子はともに独立的ですから、ロビンとアーロンはこの世界で安住することができません。そのいわば解決策としてロビンが選んだのが、アニメ社会の片隅に母子による家族を幻出させることだったと思えるのです。 トッド氏によれば、絶対核家族の対極にあるのは親子関係の同居です。この同居関係はさらに、兄弟関係の平等・不平等により、外婚制共同家族と直系家族に分かれるといいます。ロビンには、もうひとり長女のサラがいますが、サラとの関係は希薄です。これは兄弟関係の不平等を意味するものでしょう。結局、トッド氏の考え方によればロビンは、アングロサクソン的な絶対核家族から、アーロンとの関係を中心とする直系家族に移行したといえるのではないでしょうか。2) また、ロビンはアニメ世界と現実を行き来しどちらにも所属しない、両方の世界を旅する客人に位置づけられています。これは東氏のいう「観光客」を思わせるものです。しかし、たんに観光客のようだというのではありません。 ロビンの化身は、アニメ社会の公衆のまえで反意を表すことで、いわば帝国にたいするテロリストを演じています。これは、「テロリスト自身が観光客になっている」という東氏の記述を、3) 倒置したものです。また、アニメ社会の歓楽街で享楽を過ごす化身には動物を思わせるものが多く、これは「与えられた環境に自足して快楽を求める」という意味で、「動物の戯れ」を想起させます。4) さらに、東氏が二層構造を生きる道として、「関係が切れない以上、覚悟を決めて愛を育てるしかない」5) と述べていることは、アニメ社会で家族愛を育てる道を選んだロビンの生き方を思わせます。 しかし、ライト家(ロビンの家族)はアニメ社会に属しているかといえば、そうではないように思えます。なぜなら、ロビンたちの生活は、アニメ社会が必要とするであろう欲望の生産や消費とは異質な、家族愛を幻出させながら暮らしてるからです。その意味でライト一家は、帝国的アニメ社会でも過去のような現実でもない、中間的な空間に位置づけられています。東浩紀氏はこのような出現の仕方を「誤配」と呼んでいます。これは、帝国的なアニメ社会と現実を行き来するロビンの、観光的性質が流動化して生まれた抗体といえるかもしれません。流動的な抗体が生き延びる場所が隙間であることも、この経緯を物語っています。 さらにロビンは、従来のヒロインのよう��、どちらの世界が正しいかの真贋を求めるわけでも、世界の改善をはかるわけでもありません。アーロンとの再会を果たす最後の場面がロビンにとって見慣れた世界のアニメであるのは、家族愛という真実の価値の前では、現実かアニメかはすでに問題ではないからです。しかも、ロビンが定住する家族の世界は、愛と家族とカイトだけの最小国家です。これは、東氏がいう、帝国と個人の問題を超えるための、ヘーゲル的ではない問題解決を思い起こさせます。 このように、『コングレス未来学会議』に散りばめられたさまざまな要素や特徴が、現代の思想家エマニュエル・トッド氏や東浩紀氏が着目している視点や考え方と、多くの点で重なるように見えるのです。これは、わたしの曲解でしょうか。 ●アニメ社会に接続するテクノロジーの未来 現代思想との親近性だけではありません。『コングレス未来学会議』には、現在の社会状況との類似性をうかがわせるさまざまな要素があります。映画の表現は極端に誇張されているものの、わたしたちの現実の少し先を強く予見させる作りになっています。 映画のなかで世界は、大きく異なる三つの様態に描き分けられています。アーロンが子供だったころの過去の現実、20年後のアニメ社会、そしてその裏側(アニメ社会を運用する側)の三態です。これをわたしたちの現実に当てはめれば、社会の分断があまり意識されなかった1900年代の社会、テクノロジーによる世界の分断が疑われはじめた2000年以降の帝国と個人、あるいは富裕層と貧困層などの二極分化が思い浮かびます。 他にも、わたしたちの現実とこの映画の近さを思わせる要素があります。映画の中核となるアニメ社会自体がそうです。映画のアニメ世界では、クスリを吸引することで景色がかわり、自分も分身となって景色に取り込まれてしまいます。これは、ドラッグの比喩であるだけでなく、現在のAR(拡張現実)やMR(複合現実)で体験する世界とよく似ています。わたしたちは、クスリの代わりにゴーグルを着用することで、足元に広がる、実在しない絶壁に足を竦めてしまいます。 ゴーグルなしの映像表現はどうでしょうか。現在すでに数多くの映画で、物理ベースのレンダリングが利用されています。これらは、運動方程式や熱力学にもとづく計算結果に色彩表現が与えられたものです。そこに描かれる爆発や洪水は現実ではなく、まさに制作者が意図した仮想そのものです。 インターネット空間と実社会の境目も、ますます曖昧になってきました。自然現象や社会現象がネットに入り込み、経済や情報に大きな影響力を与えはじめています。例えば、現実の世界では経済的に折り合わなかったために「死に筋」と言われていたロングテール商品が、アマゾンでは売上の半分を占めるようになったといわれます。6) ジップの法則は、著作物の単語のデジタルな扱いを飛躍的に向上させ、検索やデーターベースを通じて、わたしたちの生活に欠かせないものになってきました。7) このように、映像表現や物理学の法則のみならず、人間や社会の経験則(ここではべき乗則)までもが、テクノロジーを通じて意識のなかに取り込まれ、それらが再びわたしたちの意識に拾われることで、ネット上に二次的な制作物が生まれてくる時代なのです。本作のアニメ社会は大きく誇張された表現だとはいえ、わたしたちの状況も、映画が描いたアニメ社会と決して無縁ではない現実があります。 ●アニメ社会とのあたらしい戦いの行方 このような理解から、『コングレス未来学会議』は、アニメ社会にたいする主人公ロビンの戦いの記録であり、近未来のわたしたちの生き方を暗示した、ひとつの未来物語だというのがわたしの見方です。そこにあるのは帝国化する世界との、武器に頼らない意識による戦いの姿です。拮抗する意識ともいえます。 現代社会は日増しに、映画が描いたアニメ社会に近づきはじめています。現実の政治や経済も大きく変化してきました。『観光客の哲学』のなかで東浩紀氏はハンス・ロスリングが2010年に示した、まさに仮想現実風のプレゼンに触れ、つぎのように述べています。
「(グローバリズムによる国家間格差の減少を)否定的に見るか肯定的に見るかはともかく、ひとつだけ言えるのは、いまや世界は急速に均質になりつつあるということである。 観光客の哲学的な意味を問うことは、この「フラット化」の哲学的な意味を問うということに等しい。」8)
人類がクスリを服用しアニメ社会を生きる姿は、東氏のいう「フラット化」に通じるようにも見えます。ロビンの足跡が戦いであるのは、クスリがもたらす大規模な価値体系に共感していないからです。彼女はいったんはアニメ社会に入るためにクスリを服用しますが、そこで見た「動物の戯れ」を受け入れることができなかったのです。 そしてロビンの戦いがあたらしいのは、二極化したどちらに安住するかを問わず、二極のあり方の更新も求めず、アニメ社会のドームのなかに家族愛という隙間を見出したからです。その二極を往来する「観光」からアニメ社会の隙間へと、ロビンは「誤配」されたのです。アニメ社会にとってそれは自らの一部でありながら、反旗を翻した者への関心も届かないであろう隙間です。 しかし、母親が息子に愛を注ぎつづけるだけの家族に、いったいどのような未来があるのでしょうか。アニメ社会と現実の隙間で社会への欲望を持たない最小国家は、積極的に駆逐されるものではないとしても、ただ静かに、死に絶えていく存在に思えてきます。 ロビンは、なぜこれほどまでにアーロンに愛を注ぐのでしょうか。東浩紀氏は『観光客の哲学』の事実上の結末をつぎの言葉で結んでいます。
「観光客の哲学とは、誤配の哲学なのだ。そして連帯と哀れみの哲学なのだ。ぼくたちは、誤配がなければ、そもそも社会すら作ることができない。」9)
アーロンは子供のころ、聴力と視力が徐々に失われていく難病を罹い、このときすでに言葉を聞き違え、視力も���いはじめていました。ロビンはそのアーロンの記憶を携えたまま20年を旅人として過ごしています。その愛の持続を支えたのは、難病の子を想う母親の深い憐れみだったはずです。ロビンの足跡に、東氏のいう「連帯と哀れみ」がだぶります。 しかし、映画の最後のシーンで大形カイトを整備する男に「アーロン、アーロンなのね」と呼びかけるロビンの姿は、なんとアーロンなのです(冒頭の画像)。想いの果てに、ついにロビンは自らをアーロンの化身に転移させたのです。 こうしてロビンは究極の愛によって、アーロンだけが住む極小国家に終の棲家を見つけました。しかし、いったいこのどこに、連帯のためのつながりが残されているというのでしょうか。過剰な誤配は哀れみを覆いつくし、連帯という郵便の機能を失わせる、意識の魔物からの届けものなのかもしれません。 それでもなお、このような誤配が、はたして極小国家に閉ざされたまま終わるのか、それとも集団的無意識として誤配の連帯へとつながっていくのか、『コングレス未来学会議』の結末には問いが残されたままです。はたして「フラット化」はどのように超えられていくのでしょうか。これは同時に、わたしたち自身への問いなのです。 『コングレス未来学会議』は観るものの意表をつくハチャメチャな映画です。しかし、読んだばかりの『観光客の哲学』のおかげで、その現実とアニメが交錯する世界は自分自身への問いなのだという、小さな気付きを得ることができました。得がたい経験を与えてくれたアリ・フォルマン監督と東浩紀氏に感謝して、本稿を終えたいと思います。
1)東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』ゲンロン, 2017. 2)このあたりの解釈は主に、鹿島茂『エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層』(KKベストセラーズ, ベスト新書, 2017)を参考にしました。 3)東, 前掲書, p.37. 4)東, 前掲書, p.100. 5)東, 前掲書, p.126. 6)Erik Brynjolfsson, Michael D. Smith, Yu (Jeffrey) Hu 2003. Consumer Surplus in the Digital Economy: Estimating the Value of In creased Product Variety at Online Booksellers. ManagementScience/Vol. 49, No. 11, p.1589. http://ebusiness.mit.edu/research/papers/176_ErikB_OnlineBooksellers2.pdf 7)エレツ・エイデン&ジャン=バティースト・ミシェル『カルチャロミクス』草思社, 2016. 8)東, 前掲書, pp.33-34. 9)東, 前掲書, p.198.
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心の交流の場として~懐かしい春~
『暮らしの彩り~その198』で、東京に住む友人と弟さんが撮影した桜の写真を紹介しました。
友人が撮った浮世絵みたいな井の頭公園の桜がこちら。

弟が送ってくれた写真に姉が「いいね」するってすごく素敵だな、と思い、日常の中で「自分を取り戻す時間」をつくっている弟さんの姿にも心打た���るものがあり、そのことをメールで伝えました。
私の想いを弟さんにも伝えてくれたそうです。弟さんもすごく嬉しかったようで、一緒に住んでいるお母さんにも伝えてくれたらしいことを知りました。
子どもの頃、友人のお母さんにはとっても可愛がっていただきました。私はしょっちゅう友人の家に遊びに行っていました。冷え性だったので冬には足にしもやけができ、それを気の毒がって足湯をしてくれたことが忘れられません。時々、友人の家に向かっている夢を見ることがあります。なぜ向かっている途中なのでしょう?私にとって友人宅は安全基地で、そこに向かっている時は少しずつ心が解放されていき「もう大丈夫」と思える時間だったのかもしれません。
そのお母さんにも報告してくれた、と知って、胸がいっぱいになりました。この日早番だった弟さんから「今晩は、新ぶりの刺身と、黒カレイの煮つけを作りました。Eちゃん(私)によろしくお伝えください」とメールが来たとのこと。さらに胸がいっぱいになりました。
こちらは当時私が住んでいて、今でも弟さんとお母さんが住んでいる町の駅前にある美味しいお煎餅屋のおせんべい。(懐かしいだろうと、東京に住む姪がお正月に買ってきてくれたもの)


もしかすると、今私はこれまで私を支えてくれた方たちやものごとにあらためて感謝する時期にあるのかもしれません。
弟さんは、春の桜と秋の紅葉を見に行くのが何よりの楽しみらしく、「三春の滝桜」を見に行く計画を立てているそうです。ぜひぜひ、また写真を送っていただきたいな。
こちらは、先日も紹介した弟さん撮影の葛飾区水元公園の桜です。

この春は、なんだか過去と現在と未来が境なくまじりあった不思議な、懐かしい、嬉しい、幸せな春になりそうです。
友人と弟さんに感謝です!
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