#最後の卒館式
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ousuikan · 4 months ago
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2025.3.2 最後の卒館式
 寒かった2月が終わり、ようやく春めいてきた3月2日、たくさんの御来賓、保護者の方々をお迎えして、倉吉鴨水館12期生、最後の卒館式を挙行いたしました。
 御来賓のみなさま方からは、お一人お一人の思いを言葉に乗せて、温かいはなむけのお言葉��いただき、館生、職員一同、心から感激いたしました。ありがとうございました。
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以下、杉本理事長のはなむけの言葉と卒館生謝辞を紹介いたします。
なお、3月3日(月)の日本海新聞21面に「最後の卒館生に修了証書-倉吉鴨水館23人晴れやかに―」、3月9日(日)の読売新聞29面に「倉吉鴨水館最後の巣立ち」と題して記事が掲載されましたので、ご紹介いたします。
◆杉本理事長はなむけの言葉
 ご卒館おめでとうございます。
 また、本日お忙しい中、多くの御来賓の皆様方にご臨席を賜り、誠にありがとうございます。
 さて、倉吉鴨水館を巣立つ23名の皆さん、一年間よく頑張りました。朝早くから、夜遅くまで、勉強、勉強の毎日でしたね。この間いろいろあったかと思います。しかしながら、皆さんは目標を見失うことなく、懸命に努力を重ね、最後までやり通しました。すごいことです。誰にでもできることではありません。10代の若い時に、志を高く持ち、懸命に汗を流しやりぬいた経験は、人生のあらゆる成功をも決める大きな財産です。また、一方、登下校の折には、玄関の看板に一礼をする皆さんの姿の美しさに、私は胸を熱くしました。
 あなた達の素直な心と熱意と、だれにも負けない努力に心から敬意を表します。そんな皆さんとも今日で��別れです。明日からは新たなステージでより深く学問を修得し、それぞれの人生を歩んでいかれることでしょう。一度きりの人生です。皆さんには、どんな職業であれ、一流を目指して頂きたい。そして、世の為に、人の為に何ができるか、何をしなければならないか、しっかり考え抜いて下さい。とはいえ、そのプロセスは大変です。でも、仕方ありません。生きていれば、苦労は必ずありますから。大切なのは、そのプロセスそのものをみがき砂として、心をみがき、人格を高め、良識ある人間に成長していくことです。世間には、高い能力を持ちながら、心が伴わない為に道をあやまる人が少なくありません。
 倉吉鴨水館は閉館します。最後の卒館生となる皆さんと共に、今日のこの日を迎え、私は感慨深い思いでいます。どうか、鴨水館の一年は忘れないでください。ここで身につけたやりぬく力は必ず、あなた達の明るい未来の扉を開け続ける原動力となります。鴨水館はなくなりますが、鴨水館の精神は生きています。あなた達をあなた達の先輩である500名を超える卒館生達の心に生きています。
 皆さんの人生がより輝きを増し、豊かなものとなりますよう、心より願っています。お元気で!!
 最後になりましたが、保護者の皆様の当館への温かいご理解とご支援に厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。
◆卒館生謝辞
 大雪のあと、急にあたたかくなった日がつづき、私が住んでいる福富のたくさんの雪も少しずつ溶け出して新たな人生のステージへ向かおうとする気力が大きくなっています。この良さ日に私たち倉吉鴨水館十二期生は卒館式を迎えることができました。大変嬉しく思います。
 私たちは自分の目標を実現させるべく、もう一年受験勉強に取り組むという決意とともに倉吉鴨水館に入館しました。この一年間は短くも非常に濃く充実したものだったと思います。勉強を教え合うのはもちろんのこと、朝早くから夜おそくまで勉強に取り組んでいる仲間の存在は自分を奮起させるものでした。生徒同士でしか得られない刺激を受け、精神面で非常に大きな支えになったと思います。毎日が驚きや発見の日々でした。先生方の授業は本当におもしろく高校生のときにはなかった新たな視点や考え方を得ることかできました。安直な表現になってしまいますが、純粋に心から楽しいと思える授業ばかりでした。そして、先生方の全ての生徒に対する常に真摯な姿勢や学問への飽く無き探究心は私たちが目指すべき道です。
 私たちの決断を応援し、常に献身的にサポートしてくれた家族。スタッフの方々、倉吉鴨水館の運営に携わり、整った学習環境を提供していただいた杉本理事長はじめ、全ての方々のおかげで私たちは受験勉強に取り組めました。心より感謝申し上げます。そして、一期生から十一期生」までのOB·CGのみなさん、たくさんの応援と差し入れをありがとうございました。私たちは二十三人しかいませんが大きなカをもらって大学受験にのぞむことができました。浪人生は、世間的には少数派で時にはマイナスにとらえられることもあります。私も同級生より一年遅れることに不安を感じたこともありました。しかし、鴨水館での一年間は遅れなどではなく、間違いなく躍進の一年であり、これから様々なことを経験していく上での大きなアドバンテージになるように思います。
 倉吉鴨水館が今年度で閉館してしまうことは本当に残念ですが、ここで得た学力以上のもの。そして十二年間恵まれた環境づくりに全力を注いでくださった方々がおられたことを忘れることなく、おのおのの目標に向かってつき進んでいきます。
最後に、卒館生のさらなる躍進、倉吉鴨水館に関わり、支えてくださった全ての方々のご健勝とご多幸を心より祈念して、卒館生代表の謝辞とさせていただきます。
令和七年三月二日
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g-men-movie · 2 years ago
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豪華キャストが大集結!公開記念舞台挨拶イベントレポート
このたび、8月26日(土)に映画『Gメン』の公開記念イベントを実施!全国47都道府県・120館でのライブビューイングでも生中継された舞台挨拶に、岸優太、竜星涼、恒松祐里、矢本悠馬、森本慎太郎、瑠東東一郎監督が登場すると会場から大きな拍手が。
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なお、登壇予定だった、りんたろー。の欠席が発表され、MCより到着したばかりというりんたろー。からのコメントが読み上げられました。「天王会の奴らにやられた。俺が行くまで耐えてくれ」という内容に「昨日やられて寝込んじゃったんじゃない?(矢本)」「遅刻って聞きましたよ(岸)」「寝坊でしょ、なにやってんだよ!(竜星)」とまさかの失態に開始早々総ツッコミが起こっていました。
映画初主演となる本作で門松勝太を演じた岸は「ついに公開を迎えられたので一緒に『Gメン』を盛り上げてくれたら嬉しいです」と元気いっぱいに挨拶しました。
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●SNSで事前募集した「#Gメンに質問」の回答コーナー
イベントでは事前にSNS上で質問を募った「#Gメンに質問」に答えていくことに。「共演する前と後で一番印象が違ってた人を教えてください!」の質問に対し全員で一斉に思い浮かぶ人を指差すと、岸と矢本はお互いを指名。岸が「矢本くん、顔が可愛いじゃないですか。でも会ってみたらめちゃくちゃ兄貴肌でみんなを��とめてくれて、想像以上にお兄ちゃんでした。撮影の最初でも話しかけてくれて、矢本くんのお陰で現場に溶け込めました」と述べると矢本も「岸はTVで観てた時はこの人特別だな、見たことない人だなって思ってたんですが、本人に会ってみたら想像以上に見たことなかったですね。よく無事に撮影を撮り終えたなと思う程、奇跡的な日常でしたよ。この先の岸が楽しみで仕方がない」とコメント。すかさず岸が「そんなヤバくないですよ。全然普通ですよ!」と返すと、矢本も「いや基本話し出すと人の話を聞いてないから」と応戦。「めちゃくちゃ言われるんですよ。人の話を聞いてないって。でもちゃんと聞いてますからね!」と反論しました。
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続く竜星と森本もお互いを指名。一番印象が違ったと思うポイントに竜星は「僕は慎ちゃんです。初めて現場で会ったとき短パンにサンダルで、アイドルだけどめっちゃラフで。そこからすごく好きになりました」とコメント。竜星からの話を受けた森本も「僕も同じです。竜星くんもめっちゃラフな服装で親近感があって」と回答すると、岸は「慎ちゃんは、現場に来る際に毎回右手に何か持ってるんですよ」と言うと、恒松も「佇まいがかっこいいですよね。今日現場に来るときもサンドウィッチに飲み物を持っていて。LAみたいな感じでした」と盛り上がっていました。
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さらに「2回目以降はここに注目して観て欲しいというシーンを教えてください」という質問に対して、尾上松也演じる加藤が率いる、凶悪組織・天王会との激しい戦いのシーンを挙げた岸が「2回目の人は蟹挟みのシーンに注目ですかね。アクションの早い流れの中で実は色んな動きを入れているので」とアクションシーンをプッシュしつつ、「3回目の人はどこだろう…何回も観れば着眼点も変わりますよね」と見どころの多い本作をアピール。竜星は「岸優太が笑いを堪えているところですね。いかに素の岸優太を観られるか注目してほしいですね」とコメントすると、監督も「(岸の)素の部分はめちゃくちゃ活かしました。全員が岸くんの素を引き出してくれていた」と添え、岸も「だいぶ笑いを堪えましたよ!良い意味で笑いの絶えない現場でした」と撮影を振り返りま��た。
本作のエンドロールでは、ザ・クロマニヨンズの主題歌「ランラン」とともに、まるで本編の延長戦のような勝太とレイナのシーンが流れるのも楽しいポイント。レイナを演じた恒松は、「勝太とレイナのシーンは2分間くらいのアドリブなんです。でもずっとやっていて体感では10分くらいに思いました」とアドリブで演じていたことを明かしました。岸も「アドリブのシーンはその場で生まれて来ました、なんかいい感じでした���ね」と振り返ると、恒松が「最後のこれ(ハートポーズ)が面白すぎて。普通は絶対出てこないです。さすが岸さんだなって感じました」と思いだし笑いをこらえつつも大称賛!それを受けた岸が「本当は聞きたくないんですけど、どこの話ですか?」といまいちピンと来ていないまさかの発言に、「うそでしょ!?」「ほら!人の話聞いてないじゃん!」とまた全員から総ツッコミを受け会場も笑いに包まれていました。
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●瑠東監督からキャストへ、「Gメン通信簿」発表!
続いて瑠東監督より、撮影から宣伝まで怒涛の日々を駆け抜けたキャスト陣一人ひとりに「Gメン通信簿」と題した成績発表のコーナーへ。まずは寝坊で舞台挨拶に間に合わず、不在のりんたろー。は「今日は遅刻で残念でした。退学です!」と、ねぎらいの言葉が出るかと思いきや、まさかの退学宣言を受けることに!続いて森本へ「みんなのムードメーカーで、ハードな撮影でも盛り上げ、楽しませてくれました。昭和のヤンキーがハマりまくって、机も壊し、大変よく暴れてくれました」とコメントし撮影用の壊れやすい机ではなく、普通の机だったことを明かしつつコメント。森本は「最後のアクションシーンで本当に机を真っ二つに割ったので。自分でもびっくりしました。2回目鑑賞時にぜひ注目してください!」とすかさずアピールしました。矢本には「初日からガンガンアドリブで攻め、みんなを笑わせ、スイッチを入れ、空気を作ってくれました。とにかく芝居の尺が長く、編集で困り大変よくやり過ぎました」と告げると、矢本が「自分が面白いと思うことをやっただけなんで」とかっこよく決めてみせました。
恒松に対しては「岸くんとの恋愛シーンは大変キュートでした。下ネタもコメディも凄く品があり、アクションも自ら志願し頑張りました。大変可愛らしかったです」と告げると、恒松も「助けられるばかりじゃなく自分からも戦っていけるヒロインでいたいなと思って」と喜びつつもキャラクターへ込めた思いをコメント。竜星へ「ワークショップの時から、みんなを引っ張り、アクションも天然キャラも久しぶりのイケメンも大変よくやり切りました。岸くんの天然もよく引き出してくれました」と発表。竜星も笑顔で受け止めつつ「良い話ですね。これ泣かせに来てるからね」と反応すると、岸も「卒業式っぽい、しっとりした感じもいいですね」と監督のコメントへ期待を寄せた。監督から岸に「映画初主演、全力以上の全力、常に120%で駆け抜けてくれました。期待通りの天然ボーイが連日炸裂しつつも、現場の熱を上げる素敵な愛され座長、大変よく頑張りました」とねぎらいました。岸は「みんな良いメッセージいただきましたね。嬉しいけど、瑠東さんとはいつも楽しいことばかり話している印象だから、マジなコメントいただくと恥ずかしくて」と照れながらも、喜びを実感していた様子でした。
●「Gメンポイントキャンペーン」で集まったポイント=G(グラム)にちなんで、皆の想い(重い)が詰まった60kgの米俵を岸が担ぐ!?
フォトセッションでは公式で開催された【Gメンポイントキャンペーン】で参加者たちが貯めたポイントの合計「60,726Gメンポイント」にちなんだ、60.726kgの米俵を用意。映画公開を楽しみにしていたファンの想いそのものであり、「末広がりに運が開けていく」縁起物であるお米の詰まった、特別な米俵を、岸が担ぐことに!いざ挑戦してみたものの20cm程度しか持ち上げられなかった岸は、思わず「これはだいぶ重いです…もう一回いいですか」とリベンジすることに。客席からの熱い声援を受け、再び米俵を持ち上げると「確実にさっきよりは上がりました。でもめっちゃ重いですよ、ただの60キロじゃない重みを感じました」とコメント。参加してくれたみんなの想い(=重い)を噛みしめながらも見せ場をやり切った岸の発言に、会場が温かい笑いに包まれました。
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最後には全員を代表して岸からの挨拶が。「みなさんにとっての夏の思い出になってほしいです。老若男女楽しめる作品なので、幅広い方に楽しんでほしい。“Gポーズ”も拡散して一緒に盛り上げてくれたら嬉しいです」とメッセージを送りイベントの幕が閉じました。
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koch-snowflake-blog · 1 year ago
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中井 りかは、日本のタレント、女優、YouTuberで、アイドルグループ・NGT48の元メンバー。愛称は、りか姫、りかちゃん。富山県富山市出身。太田プロダクション所属。 ウィキペディア
出生地: 富山県 富山市
生年月日: 1997年8月23日 (年齢 26歳)
音楽グループ: NGT48 (2015年から)
テレビ番組: 青春高校3年C組、 ふわり愛、 今日から友達になれますか?、 さらに表示
身長: 156 cm
事務所: 太田プロダクション
活動期間: 2015年 -
富山県の立山連峰が見える郊外の住宅地で育った。幼稚園の頃は人前に立つのが好きな「何をしても目立つ子」であったが、小学生になると、周囲となじめなかったことから、なるべく地味にしていようと心に決めていた。そのような環境の中で慰めてくれたのが、AKB48などのアイドルたちであり、自分もアイドルになりたいと思うようになったが、高校では保育士を目指し勉強していた。しかし、アイドルの夢を捨てきれず、2014年 AKB48 Team8 全国一斉オーディション富山県代表に応募。最後の2人まで残ったとの連��は受けたが、その後の電話連絡に出られず次点となり落選。
翌年、高校3年生の時にNGT48第1期生オーディションに応募。 最終審査に残った場合、次回の48グループのオーディションは最終審査まで免除になるが、それを忘れ書類審査から参加。 2015年7月25日、NGT48第1期生オーディション最終審査に合格し、同年8月21日に新潟市歴史博物館(みなとぴあ)でお披露目された。
2016年1月10日、『NGT48劇場グランドオープン初日公演』に出演。同時に他の15名とともにチームNIIIを結成。同年11月16日発売のAKB48の46thシングル「ハイテンション」で初めてAKB48のシングルの選抜メンバーに抜擢。同年12月、ライブストリーミングプラットフォームSHOWROOM上で2016年に視聴者から多くの支持を得たパフォーマー(SHOWROOMER)を表彰する『SHOWROOM AWARD 2016』における「BEST AKB PERFORMER」を松井珠理奈(SKE48)、野村奈央(当時AKB48)とともに受賞した。同年12月31日、第67回NHK紅白歌合戦に投票企画「AKB48 夢の紅白選抜」で33位に選ばれ、AKB48として出演。
2017年4月12日発売のNGT48のデビューシングル「青春時計」ではセンターポジションを務めた。同年5月30日から6月16日にかけて投票が実施された『AKB48 49thシングル選抜総選挙』において23位になり、アンダーガールズに選出される。同年11月17日にAKSから太田プロダクションへの所属事務所移籍を自身のSHOWROOMにおいて発表し、同年12月、太田プロダクションの公式ホームページに掲載された。
2018年1月15日に自身初のソロコンサート『中井りかソロコンサート〜中井りかキャンペーン中〜』をTOKYO DOME CITY HALLにおいて開催した。
2018年4月2日から「青春高校3年C組」の副担任(サブMC)としてレギュラーで出演(月~金、2020年3月27日まで)。番組内で出演者からは、りか先生と呼ばれていた。その後も様々なバラエティ番組のMCとして出演。
2018年6月16日に発表された『AKB48 53rdシングル 世界選抜総選挙』では37位となり、ネクストガールズに選出された。
2022年6月29日発売のNGT48 1stアルバム「未完成の未来」に収録のリード曲「しそうでしないキス」では、小越春花とダブルセンターを務めた。
2023年4月12日、デビューシングル『青春時計』リリース6周年記念イベントにて、グループ卒業を発表。卒業時期は同年夏ごろを予定しているとした。 同年8月2日発売のNGT48 9thシングル「あのさ、いや別に...」では、2度目のシングル曲センターポジションを務めた。
同年8月5日、「中井りか卒業コンサート〜推し変禁止は絶対命令〜」を新潟県民会館��ホールにて開催。 同月31日、NGT48劇場での卒業公演をもってNGT48から卒業
幼稚園のころからアイドルが好きであったが、小学生の時いじめられていた時期とも重なり、AKB48が出てきたころは自分は「アイドルになんてなれない」という思いや嫉妬心から「AKBなんて嫌いだし」と思っていた。しかし、心を動かされていることは自分でもわかり、ファンになっていった。
AKB48グループでは板野友美、小嶋陽菜を応援していたが、渡辺美優紀が「絶滅黒髪少女」のセンターで踊る姿に惹かれて以来、渡辺一本になったという。中井は渡辺を彷彿とさせるといわれ、NGT48に加入した当初は「釣り師」と呼ばれていた。性格はネガティブであり「豆腐メンタル」である。
  
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yu-en · 9 months ago
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2024.09.28
10月に地元で会う約束をしているYから、彼女の好きな小説家のサイン本を買ってきてほしいと頼まれた。それで、今日の昼から池袋の本屋を回ったけれど、どの店でもとうに売り切れているようだった。時間を持て余して、大学図書館へ向かう。
大学時代の同級生と数年に一度出している同人誌の次号を、今年の12月に発刊することになった。私はもう短歌をやりたくなく、短歌以外に何を出せばいいのかも分からない。そのまま同人誌用には何も書かないで過ごしていたのだけれど、主宰が面白がったので、数日前に書いた自室の記録を加筆修正して寄稿することにした。卒業生カードで入館し、しばらく文章を直していた。こども園で働くFさんを幼稚園教諭と呼ぶことが正しいか分からず、「あなたの職業って何て書くのが正しい?」とメッセージを送る。正式には保育教諭というのだと教えてくれた後「カリスマ保育教諭とか?」とおどけた台詞を付け足すのがFさんらしかった。
ペンを持つ右手が疲れてからは散歩に出かけた。好きな本屋を経由して、自由学園明日館へ行った。正面入口に着くと「“本日は結婚式で貸し切りのため外観のみの見学”ですって、あらあ、おめでとうございます」と看板を読み上げている人がいた。その声色に少しの落胆も滲んでいないことが良かった。芝生や窓を眺めて、売店でポストカードを1枚買った。
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明日館を出てから、Hと落ち合うまで��東京芸術劇場で過ごした。その場所で長い時間を過ごすのは、大学の入学式以来だった。地下1階から最上階までを目的もなく往復して、何枚か写真を撮った。最近はカメラを持つのが楽しくて、写真���撮っては投稿している。その頻度を自覚すると、自分の饒舌さに嫌気が差してくるので、記録しておきたい写真を一度に残すためにこれを書いている。この投稿は写真まみれです。
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芸劇の椅子に座っていると、目の前のエスカレーターで降りてくるHと目が合い、手を振る。外では何かのお祭が開かれていて、その賑やかさから逃げるように東へ向かった。目的地とした喫茶店が閉まっているのを確認し、散歩に切り替える。テーブルと椅子を外に出しているミニストップを見つけ、カフェオレを買ってそこに腰かけた。テーブルを指差しながら「いい店知ってるんだよね」と自慢げに話すと「ダセ~」と笑われた。京都のお土産を渡した。Hと一緒に暮らすWさんの分も含めて、少し量の多いお香にした。
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今日は曇り空で、街全体が白く見える日だった。電線や工事現場の壁が落書きのように浮いていた。途中、ワインの空き瓶を入口に並べている店があり、「テイクフリーかな」とふざけると「喧嘩用じゃない?」と返される。酒瓶を持って殴り合うジェスチャーをする。
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都電荒川線の駅に行き着き、降りる駅も決めずに乗車する。「電車というよりは線路を移動するバスと呼ぶほうが近いね」と話しながら、googleマップ上で路線をなぞる。飛鳥山公園という場所に城のような山型遊具があることを知り、そこを目的地とした。
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飛鳥山公園は、とても良い公園だった。目的としてい��城は、遊具と呼ぶには気が引けるほど大きかった。かつて実際に走っていたらしいSLや子供用の船、頭を垂れた幾種もの動物たち、遊びきれないほどの遊具があった。すべり台よりも象が主体になっている遊具を見て、三崎亜記の『象さんすべり台のある街』という短編を思い出した。城の中で遊びたかったけれど、子供やその親たちが楽しそうにしているのを邪魔したくなく、また違う時間帯の様子を見たかったこともあって、「夜にまた来ましょう」と決めて公園を出た。
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喫茶店で一杯ずつ酒を飲み、Hの喫煙のために王子駅まで歩く。Hが「めっちゃ良い公園だったな」と呟くので「過去形にしないで」と返すと、「めっちゃ良い公園であり続けるだろうな」と訂正してくれる。それがツボに入り、しばらく笑っていた。私と同じくHもこの街が気に入ったらしく、「ここは住み良いのかな」と引越しまで検討しているようだった。
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日の暮れたころに公園へ戻ると、昼にいた子供たちは姿を消していて、代わりに大学生くらいの年頃の集団が点在していた。うち1つのグループが手持ち花火をしていて、遠くからその火を眺めていた。城の中へも入って、物見へ立ってみたり、すべり台で遊んでみたりした。ずっと楽しかった。もう営業終了していたけれど、小さなモノレールの駅もあった。“飛鳥山山頂駅”と看板の出ているのを見つけて、「下は“麓駅”なのかな」とHが言うのを確かめに行くと、“公園入口駅”と掲げられていた。冬にも来たいね、早朝も良いだろうね、ここで花見をしたら楽しいだろうね、と話をした。どの季節のどの時間にも、自分たちの楽しそうにしている様子が想像できた。
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Hと別れて部屋に戻り、撮った写真を眺めていた。動物たちの写真を見て、新しい部屋でここへ来たいと思う。皆それぞれ好きな動物がいて、その動物たちと彼らとが近くにいるのを見たかった。「いつかみんなで行きたいです」とメッセージを書きながら、象は何頭かいたけれど、イルカはいなかったことを思い出す。オットセイはいた。城の写真も併せて送ると、Rさんから「籠城したい」と返信があり、それがRさんらしくて好きだった。
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fa-cat · 1 year ago
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元NHKアナ・鈴木健二さん死去 95歳 老衰 「クイズ面白ゼミナール」などで人気
 「クイズ面白ゼミナール」の司会やベストセラー本「気くばりのすすめ」の著者で知られる元NHKアナウンサーの鈴木健二(すずき・けんじ)さんが3月29日、老衰のため福岡市内の病院で死去した。「NHK首都圏 NEWS WEB」などが発表した。95歳だった。関係者によると30日に通夜、31日に告別式が近親者で営まれた。
 文字通りテレビ放送とともに歩みを重ねた昭和を代表するアナウンサーだった。東京の下町に生まれた生粋の江戸っ子で、東北大卒業後、テレビ放送開始の前年の1952年にNHKに入局。報道ジャンルで活躍していたが、66年に生活情報番組「こんにちは奥さん」の司会で主婦層の人気も得ると、81年から「クイズ面白ゼミナール」の司会として活躍。最高42・2%(82年9月12日)を記録するなど高視聴率を誇った。抜群の記憶力で台本やセリフを頭にたたき込む一方、当意即妙の受け答えをちりばめ、人気アナウンサーとしての地位を不動のものにした。
 82年に執筆した「気くばりのすすめ」は文庫本を含めると400万部を超える大ベストセラーになるなど、アナウンサーとしての枠を超えて活動。83年から85年までNHK紅白歌合戦の白組司会で出演者よりも派手な衣装で登場するなど、注目を集めた。84年、引退する都はるみにアンコールをお願いする際の「私に1分間時間をください」という言葉は流行語にもなった。
 その後、理事待遇となったため当時の定年より2年延長して59歳で定年退職。NHK退局後は、講演活動を行う一方、熊本県立劇場館長や盛岡県立図書館長などを歴任した。
 兄の映画監督・鈴木清順さん(2017年逝去、享年93)も卒寿となるなど長生きの家系でもあった。鈴木さんは平成が終わる2019年2月に90歳で「昭和からの遺言」を執筆、反戦への誓いを訴えていた。
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kennak · 7 months ago
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上記シリーズが好きなので、コロコロ大好きっ子の自分も書いてみた。 コロコロは小学生をターゲットとしているため、「自分が子供の時に読んだ時代の作品が一番で、それ以外の作品はそもそもほとんどor全く知らない」となりがちと思われる。そのために「なぜこの作品が入っていないんだ!」という感想を抱かれやすい可能性はあるかもしれない。なるべく公平に選んだつもりだが、あくまで独断と偏見による10選であることをお断りして��く。 掲載は年代順で、数字は順位ではありません。 先達にならい、1作家最大1作品のみとしています。 殿堂入り:ドラえもん/藤子・F・不二雄 連載期間1977年~ いきなりの番外扱いで申し訳ないが、コロコロコミック自体が『ドラえもん』の総集編本として創刊された歴史があり、以降現在に至るまでコロコロコミックにとって『ドラえもん』はいつの時代も特別な存在である。他の雑誌にこのようなスペシャルofスペシャルな作品が存在している例ってあるのだろうか? その存在感と功績��他と比肩できるものではなく、殿堂入りという形で別枠とさせていただく。 ちなみにコロコロコミックに掲載された『ドラえもん』は基本的に「小学一(~六)年生」といった学年誌などで発表された作品の“再録”で、藤子Fの生前コロコロ向けに新作が描かれたのは実は数話のみである。(『大長編ドラえもん』についてはコロコロコミック描き下ろし) 1 ゲームセンターあらし/すがやみつる 連載期間1979年~1983年 コロコロコミック史だけでなく、マンガ史に燦然と輝く画期的な「ビデオゲーム」漫画の始祖。 単に「ビデオゲーム」を題材とした作品というだけでなく、その後コロコロコミックは「ラジコン(RCカー)」や「ファミコン」「ミニ四駆」といった子供向けホビーを題材としたヒット作品を多数生み出すが、その礎を作った記念碑的作品である。企画はコロコロ編集部発案によるものだが、この題材をすがやに描かせた慧眼も光る。 2 つるピカハゲ丸/のむらしんぼ 連載期間1985年~1995年 「つるセコ」などの名台詞を生み出し、アニメ化もされたのむらしんぼ最大のヒット作。元よりギャグ作品の多かったコロコロの中でも当時際立ったヒット作となったが、この作品の画期的なポイントとして「4コマ漫画」という点も見逃せない。当時でも4コマ漫画は“古典的”な形式と見られており、当時では新聞はじめ大人向けマンガ以外で見かけることは意外と少なかったが、児童誌にこのフォーマットを定着させた功績は大きい。 3 おぼっちゃまくん/小林よしのり 連載期間1986年~1994年 後に『ゴーマニズム宣言』などの大人向け作品で名を馳せる小林よしのりだが、言うまでもなく元はギャグ漫画家である。常識外れに大金持ちのおぼっちゃまが主人公で、ち○こやウ○コなど下ネタも多く小学生男子のハートをガッシリと掴む。「ともだちんこ」「こんにチワワ」などの茶魔語も子どもたちの間でブームとなり、平成初頭のコロコロコミックを牽引する大ヒット作品となった。 4 ダッシュ!四駆郎/徳田ザウルス 連載期間1987年~1992年 ホビー漫画に力を入れるコロコロは田宮模型(タミヤ)とのつながりは深く、同社とのタイアップによるメディアミックス戦略は『ラジコンボーイ』(大林かおる/1983~1989年)を嚆矢とするが、その戦略が大きく花開いたと言えるのがこの作品。田宮模型の「ミニ四駆」も、そしてこの作品もお互いの相乗効果で大ヒットを果たした。当時のミニ四駆ブームを牽引。 5 炎の闘球児 ドッジ弾平/こしたてつひろ 連載期間1989年~1995年 熱血主人公の多いコロコロコミックだが、シンプルにスポーツを題材とする漫画は意外と少ない。 その中で、スポーツ漫画といえば「野球」「サッカー」が多くを占めていた時代に、小学生には非常に馴染み深い「ドッジボール」をテーマにした新規性は、意表を突かれながらも「なるほど!」と唸らせられる。アニメ化のほか、ファミコン・スーファミ・ゲームボーイ・PCエンジン・メガドラ・ゲームギアと、当時発売されていたありとあらゆるゲーム機でゲーム化もされている(すげえ)。 6 スーパーマリオくん/沢田ユキオ 連載期間1990年~連載中 コロコロコミックにゲームのコミカライズ作品は非常に多い。ヒット作も数多いが、その中でコロコロを代表する作品をどれか一作を選べと言われたら、これしか無いだろう。 任天堂の人気キャラ・スーパーマリオを題材とした沢田ユキオの超ロングランギャグ作品。連載開始は1990年で、なんと現在も連載中である。昭和末期~平成以降に生まれた子どもなら、きっと誰もが一度は読んだことや目にしたことがあるであろう。 7 コロッケ!/樫本学ヴ 連載期間2001年~2006年 コロコロの歴史を語るうえで、80年代から活躍し『江戸っ子ボーイ がってん太助』『学級王ヤマザキ』などアニメ化されたヒット作も数多い樫本学ヴ作品を外すわけにはいくまいが、その中から『コロッケ!』をセレクト。一話完結ギャグやタイアップ作品の多いコロコロコミックとしては珍しい、連続冒険ストーリー漫画である。2年にわたるアニメ化、そして樫本学ヴはこの作品で小学館漫画賞児童部門を受賞した。 8 絶体絶命でんぢゃらすじーさん/曽山一寿 連載期間2001年~2010年(続編連載中) 21世紀のコロコロコミックの『顔』である。じーさんと孫が織りなす子供向け不条理ギャグの大ヒット作品。表題作は2010年で連載終了しているが、続けざまに『でんぢゃらすじーさん邪』『なんと!でんぢゃらすじーさん』と20年以上に渡り、コロコロの看板作品として現在も続編が描き続けられている。 9 ケシカスくん/村瀬範行 連載期間2004年~連載中 強烈で個性的な文房具のキャラクターが繰り広げるギャグ作品。2004年連載開始、現在も続く超絶ロングラン作品である。でんぢゃらすじーさんと並び、長らくコロコロの2大ギャグマンガとして君臨。一話が短めでサクッと読める。SNSを見ると、コロコロコミックは卒業しても、このマンガだけは読み続けているという声もちらほら見られる。 10 怪盗ジョーカー/たかはしひでやす 連載期間2008年~2017年 どんなものでも盗み出す怪盗ジョーカーを主人公としたたかはしひでやすのヒット作。魅力的なキャラクターたち、一部では強引とも評される(?)トリックも含め子どもたちの大きな支持を得た。 別冊コロコロに連載開始され、その後月刊コロコロに移籍。根強い人気でアニメもシーズン4まで続く。別コロ時代を含めると10年以上という長期連載で、連載開始時に小学校高学年だった子どもは連載終了時にはもう大人だが、最終話は見届けられたのだろうかと気になる。 次点 一作家一作品縛りのため選外としたものも含め、次点作品を挙げておく。他の方の意見も聞いてみたい。 ・とどろけ!一番(のむらしんぼ)1980-1983 ・ラジコンボーイ(大林かおる)1983-1989 ・がんばれ!キッカーズ(ながいのりあき)1984-1989 ・ファミコンロッキー(あさいもとゆき)1985-1987 ・あまいぞ!男吾(Moo.念平)1986-1992 ・かっとばせ!キヨハラくん(河合じゅんじ)1987-1994 ・ビックリマン(竹村よしひこ)1987-1990 ・おれは男だ!くにおくん(穴久保幸作)1991-1996 ・爆走兄弟レッツ&ゴー!!(こしたてつひろ)1994-1999 ・爆球連発!!スーパービーダマン(今賀俊)1995-2001 ・学級王ヤマザキ(樫本学ヴ)1995-2001 ・ポケットモンスター(穴久保幸作)1996-2002 ・超速スピナー(橋口隆志)1997-2000 ・うちゅう人 田中太郎(ながとしやすなり) 1998-2004 ・ドラベース ドラえもん超野球外伝(むぎわらしんたろう)2000-2011 ・ペンギンの問題(永井ゆうじ)2006-2013
月刊コロコロコミック史上、最も重要な漫画10選
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yutakayagai · 10 months ago
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午後十二時、浩志は上野駅にいた。正面改札の前で、壁に寄りかかりながら猪熊弦一郎が描いた絵を見つめていた。彼は、大学を卒業して帰郷することになった時のことを思い出していた。あの日、幸雄とはしばらく会えないと何度も上野駅のホームで抱擁と接吻を交わし、発車直前の電車に乗ったっけ。当時は未だ特急がなかったから上野から水戸まで二、三時間かかった。脳裏に渡辺はま子の「夜のプラットフォーム」が流れ、ホームが途切れるまで幸雄は手を振りながら見送ってくれたなァ…。再上京した時も彼は抱擁し、おかえりと言ってくれた。
そんな記憶が次から次へとよみがえり、浩志はため息をついた。過去と現在が彼の中で交差する中、生天目が手を振りながら走ってきた。一緒に働いていた時より腹が出ているなと、浩志は思った。生天目は言った。
「久しぶりだな、元気か?」
「あぁ。しかし、お前…太ったか?」
「実は、お前が学校を辞めた後に結婚したンだ。嫁さんが料理好きで…。子どもも二人いるンだ」
嗚呼、幸福太りかと浩志は思った。結婚すると男も変わるンだな。オレは結婚したとしても、あぁはなりたくないなァ…。そう思いつつ、二人はこの界隈で食事をすることにした。交差点を渡ってすぐのレストラン「J」で、二人は定食とビールを注文した。この日は家族連れで混雑していた。恐らく、「上野動物園」へのお客さんが殆んどだろう。浩志は子どもの声が嫌いだが、まァ、生天目は酒に「飲まれる」質だからとすぐ食事が済んだら喫茶店でも行くかと思い、我慢することにした。
互いに���杯をし、一口飲むと生天目はハァ〜と笑顔で、
「美味いなァ!」
と声を上げた。すっかり「デブ」と化してしまったなと、浩志は苦笑した。嗚呼、もし「ノンケ」じゃなければ連れ込み宿でいじめてやりたいと、彼は思った。
生天目は、忍が卒業してからも文通をしていることを話した。東京には月イチで来ては上野の美術館を観て回っており、あの忍の裂けてしまった学生服のスラックスを縫った家庭科の女性教師と結婚したのだそう。浩志はあの、スラックスの後ろが上から下まで縫い目がほどけ、弾けるほどに肉付きのよかった忍の真っ白なブリーフを思い出した。やはり、忍も話していたが、浩志の代わりを務めたラグビー部の新しい顧問はあまり熱心でなく、最終的には廃部になった様だった。浩志が教えていた時には英語が好きだった生徒も、担当が変わったことで嫌いになってしまった者もいたらしかった。生天目は、
「お前のいない県立M高校は、本当につまらなくなってしまった」
と話した。彼は続けた。
「オレが今の県立J高校に異動する前、実は忍のお姉さんが直接話に来たな。彼女はてっきり佐伯が忍に手を出したと思ったらしく、教育委員会に告発してしまったと。しかし、親父さんから『忍には手を出していない』と言われたンだろうな、彼女は自分の勘違いだと思って謝罪したそうだよ」
この言葉に浩志は、何を言うンだと思った。どれだけオレが傷付いたのか解っているのか?と、彼はビールをもう一杯注文した。生天目も、オレもと追加を頼んだ。おいおい、大丈夫か?と浩志は心配そうに生天目の表情をうかがった。ビール一杯で顔はうっすらと赤くなっていたが、急に彼は真面目な顔つきになった。
「…佐伯。また教壇に立つ気はないか?」
一瞬、浩志は周囲のざわめきが聞こえなくなった。え、何だって? 彼は酔った勢いで言いやがったンだなと思い、
「おいおい、冗談はよせよ。オレ、二度と教師はやらねぇよ。学習指導要領だって変わっちまったッぺよ。それに、いったん懲戒免職になったンだ。何処も使ってくれねぇよ」
と、彼は揚げだし豆腐を口に運んだ。しかし、生天目は急に正座をし、頭を垂れた。
「お願いだ、また戻って来てくれ!」
二人のすぐ隣に座っていた数人がびっくりして振り向いた。浩志は、土下座するンじゃねぇよ!とあたふたした。ここではちょっと無理だなと、とりあえず食事を済ませて他でじっくり話すことにした。
現在はマルイとなっている通りを二人は入り、ちょうど御徒町駅の間に位置する純喫茶「O」に向かった。古めかしい、今の言葉でいえば「レトロ」なシャンデリアが室内を照らす空間で、二人は先刻の話の続きを始めた。生天目は、恐らく独身の頃から着ているのだろう、歩いているうちにはみ出したワイシャツをスラックスのホックをいったん外して直した。チラッと赤と青のラインがはしったブリーフのウエストゴムが見えた。浩志はその様子を見ながら、
「生天目、少し痩せないとヤバいぞ」
と言った。彼は、
「…嫁さんからもそう言われてるンだよ。一度、学校で忍みたいにスラックスがケツのところで裂けちゃって…。授業中でのハプニングで恥ずかしかった」
と話した。
コーヒーを片手に、二人は話を再開した。こんなオレを使ってくれる学校があるのか?と浩志は聞いた。すると、
「実は、水戸駅南にある私立S高校ってあるだろ? まァ、私立だから『滑り止め』だけどね。大学時代の友だちが勤めているンだが英語が教えられる教師を探してるらしいンだ。でも、名前を書けば入れるところだからレベルは低い。よほどタフな精神力がなければならないらしいよ。お前、大学時代からラグビーをやって全国大会までチームを導いた実績もあるし、適任かな?と思って」
と生天目は言った。私立S高校…昔からある学校ではあるなァ。親父が再三バカにしてたっけ。浩志は若干気持ちが向いたが、この東京での生活も申し分ないし、迷った。それに、幸雄とまた離れるのは辛い。彼は、コーヒーをスプーンでかき混ぜながらしばらく沈黙した。今夜、幸雄に相談してみるか…。
「…ちょっと考えさせてくれ」
浩志は生天目にこう言った。
午後三時に浩志は生天目と上野駅で別れた。生天目は、連絡を待ってると電話番号を書いたメモを渡した。今住んでいるのは常北町らしかった。随分、田舎の方に住んでいるなと、浩志は思った。
正面改札で生天目を見送ると、浩志は営団地下鉄の方に向かい、浅草まで銀座線、東武鉄道で向島へ行った。幸雄はこの日はずっとアパートにいると、予め公衆電話からかけた時に言っていた。たどり着くと玄関で幸雄は待ってましたと言わんばかりに浩志を抱きしめ、唇を奪った。あれよあれよと彼はワイシャツのボタンを外され、スラックスも脱がされてしまった。幸雄も欲情のままに下着だけになり、ブリーフ越しに己の股間を浩志のものに押し付けた。
喘ぎ声と、何度も愛の囁きを呪文の様に繰り返しながら、二人は絡み合った。職場は同じでも、ここ二週間は情事が殆んどなかった。浩志も幸雄も、これまで溜めていた愛液を枯れるまで跳ばし合い、快楽の極地まで流されていった。
午後七時を回っていた。二人は最寄りの銭湯で身体をキレイにし、少し散歩でもしようかと言問橋の手前で階段を下り、隅田公園を歩いた。大学時代、一秒でも一緒にいたいとよく散策をしたのを浩志は思い出した。水戸に戻る前日もそうだった。未だ、ちらほらと梅の花が散らずに残っていた。微かに沈丁花の香りもし、もうじき春を迎えるなと浩志は思った。背後から幸雄の姿を追いつつ、彼は言った。
「…実は」
なかなか次の言葉が言い出せずにいた。あんなに沢山愛してくれた後に再び別離の話をするのは、正直心苦しかった。幸雄は振り向くとこう言った。
「…もう一度、教師を目指すのか?」
えッ!?と、幸雄には一言も話していないのにと浩志はびっくりした。彼は、
「な、何で知ってるの…!?」
と聞いた。すると、幸雄は近寄って浩志身体を両腕の中に包み込んだ。グッと引き寄せながら、
「先刻、君が途中泣いてたし、何度もオレの名前を呼びながら強く抱いていて、何となく…」
と言った。彼も、浩志が東京を離れる前のことを思い出していた様だった。胸の中で抱かれながら、浩志は幸雄のぬくもりにふと涙した。彼は言った。
「昔の同僚が知り合いのいる高校で英語を教える教師を探してるって話をされ、一昨日は昔の教え子も来て…。何か、行かなくちゃならないかなって…。幸雄とまた離れるなんて…」
「…否、オレはいつでも待ってるよ。また辛くなったら来ればイイ。オレは君が幸福に生きてくれればそれでイイんだ」
「…幸雄!」
翌日、浩志は勤めていた新聞社に辞表を提出した。間もなく私立S高校で面接もあり、浩志は四月から正式に勤めることになった。みいは、また水戸に戻ることに半ば淋しさを感じながらも祝盃を共にした。幸雄も、水戸に戻る前日に銀座の「Lビヤホール」で一緒に飲んだ。そして、向島の下宿で朝まで愛し合った。
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tobenaihituji · 2 months ago
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2025/5/2 卒制プレゼン(記入日:5/3)
昨日帰ってすぐ寝てしまったので、一日おきになってしまいましたが以下にリンクを載せておきます。(デモリール映像は https://youtu.be/I5KZ04h4Ix8 のリンクから飛べます。)
https://1drv.ms/p/c/1ae860cac4327b23/EZYWCw5MveZClWWV4tLADrMBcRCRdXyYoqvP84CyOwT-XQ?e=D8nZhK
さて、頂いた質問とそれに対する考えをまとめておきます。 まず、造形に重きを置くのか、内容に重きを置くのかという点について。こだわりたい部分はおそらく造形面ではありますが、そこをこだわるには世界設定を重視する必要があると考えています。そのため必然的に内容にも重きを置くことになるのでは…とも思ったため、これらの要素は切り離して考えるものではないのではとも考えています。(私の行っている造形と内容の定義が質問者の意図と合っていない可能性もありますが) そこで別の質問でもあった、デザインの部分とメッセージ性の��立について考えてみました。結局デザインで描きたいものは何なのかという点ですね。自分の好きな物の深堀が出来ておらず、これがないから基盤もなくふらふらしてしまっているのだと思います。今まで制作してきたデザインは歯車や幾何学的な要素を含むデザイン(スチームパンク等)や、要素と要素をかけたデザイン(擬人化やキメラなど)などがありますが、スチームパンクはもともと蒸気機関が発達した場合の世界という設定なので現実が基盤になっていますし、キメラなども既存のモチーフをもとに制作したものなので、結局何かしらに影響されてはいるんですよね。逆に描きたくないものは何かと考えてみましたが、中東系は避けている傾向があります。自分の住んでいる地域よりも、外部に憧れを抱いているのかもしれません。(西洋とか北欧とか)どちらにせよ、もう少し自分が描きたいテーマについて考える必要があると感じました。ここら辺はやはり、手を動かさないと見えてこない部分かもしれません。 次に、ファンタジーの定義について考えてみます。一応プレゼンを発表する前に自分の中の定義と一般的な定義がずれているのではないかと考え、一般的な定義を調べてはみたのですが、恐らくまだずれている部分があります。これはひとえに、参考にした作品数が足りていないのだと思います。今日slackで先生に色々と資料をいただいたので、まずはこれらを視聴し、図書館でも資料を調べようと思います。ただ、一から10まで見まくるのも時間がかかるので、映画などはともかく、なるべく短時間で済むような工夫はしたいです。 最後に、忘れてはいけないのが映像部分についてです。(また頭から抜けていました)形式として、映像作品にするのかインタラクション作品にするのかといった部分について考えなくてはなりません。VRに関しては前々から興味はあったのですが、機械がなくセットする知識もないので避けていました。とはいえ仮にそれを目標とするなら今後独学する必要も出てくるので、早めに決めていきたいです。一応映像でこだわっていた理由としては、もともとストーリー前提で考えていたことに加え、自身の代表作となる映像を制作したいと思っていたからです。後者に関しては別の形式でも応用できるので(また材料さえあれば卒制終了後に自作することも出来るので)今回は無視できますが、前者に対しては自分が何を作りたいのかに付随する部分だと捉えています。ファンタジーの条件にあった倫理観的な部分にも触れていきたいと考えるなら当然必要となってきますし、それではなく造形的な要素のみ取り入れたいなら映像の必要性は薄まります。(質問で頂いた「ストーリーがない場合の発表物」として、抽象性を取り入れたり映像技術的な部分で魅せる方向性にシフトすることは可能ですが)何はとも��れ、こちらも早めに決める必要がありますね。 ひとまずあと2週間は調べまくる期間とし、自身の手も同時に動かしていく所存です。そして技術面からは、以前Zbrushで制作したモデルは十数時間で顔が出来たので、全体を作りリギングもするとなると3日以上かかると考えています。(学びながら制作していたので慣れてきたら早まるかもしれませんが)加えて背景や小物、その他人物も含めるとなると1,2か月以上必要だと思うので、遅くとも6月には制作に入りたいです。(レンダリング時間も恐ろしいので…。VRにするならこの要素はリアルタイムとなるためまた変化しますが) 頑張ります。
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myonbl · 3 months ago
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2025年3月14日(金)
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2004年4月から21年間勤めた職場、今日が学位授与式(卒業式)、そして私にとっては最後の出勤日だ。阪急北千里駅から徒歩10分強、緑に囲まれた静かなキャンパス、久しぶりに電車通勤で周辺の光景をその変化とともにしっかりと目に焼き付けた。もう会うこともないであろう卒業生、お世話になったスタッフの方々、すべての方に感謝して長い一日が終わろうとしている。みなさん、どうかお元気で!
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5時起床。
AppleからiPhone15の下取り額が、アカウントにチャージされていた。
まずは洗濯開始。
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朝食を頂く。
珈琲をいれる。
洗濯物を干す。
可燃ゴミ、10L&1,20L*1,30L*1。
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ポイ活に伴い急増したクレジットカード、その一つの<VポイントカードPrime>のファーストプレゼントに応募、10万円利用で5,000ポイントが付与される。6月にはポイント付与を確認して退会するつもりだ。
JCBが展開するタッチ決済の電車利用キャンペーン、期間が明日までなので、今日はJCBの物理カードで電車を利用する。
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千里中央駅での待ち合わせは11時、今年も妙齢女子と卒業式ランチ、今回は<梅の花>で<春の特別ランチ>をいただいた。和食なのでやはり熱燗を呑まねばならない、アイコンタクトの結果2合徳利を2本いただいた。
モノレールで山田駅まで戻り、タクシーで職場へ、まずは生協で出資金の返還(20.000円)をいただき、そのまま会場へ。
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式は50分程度、部屋に戻ると同僚3名が記念品を持って挨拶に来てくださった。その後、かつて館長を務めた付属図書館へ挨拶、いずれも記念写真を撮っていただいて帰路につく。
往路は阪急西院駅〜モノレール千里中央駅まで670円、千里中央駅〜山田駅まで200円。帰路は北千里駅〜桂駅まで410円、計1,280円をJCBのタッチ決済で利用、後日384円がキャッシュバックされる(予定)。
阪急桂駅の<御膳>で息子たちに唐揚げ購入、帰宅してカバンを開く。
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妙齢女子からは<感謝状>、教育学部からは花束とメッセージ集、それにSOU・SOUの小物あれこれ、みなさん、ありがとう(涙)。
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息子たちには唐揚げとスパークリングワインで夕飯用意、私は町内会の年度末総会へ。
資料の不備と進行のまずさに辟易しながら30分で中座、後半は新年度の役員だけなのでかまわない。待っていてくれたツレアイと1合の燗酒、グラス2杯の赤ワイン。
録画番組視聴、今夜も名探偵ポワロ。
第2話「エッジウェア卿の死」/ Lord Adgware Diesシーズン 7, エピソード 2 引退をとりやめたポワロはロンドンへ戻り、ミス・レモンと仕事再開の準備をする。そこへ、アルゼンチンからヘイスティングスも帰国。ジャップ警部も交えて再会を祝うが、翌朝、殺人事件の一報が。エッジウェア卿が書斎で首を一突きにされた状態で発見される。
片付け、入浴、体重は600g増、今日ばかりは致し方なし。
パジャマに着替え、今日の日誌書く。
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長い一日も何とか終了、お疲れさまと言っておこう。
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twililight · 4 months ago
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吉本ばなな+中村一般「僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ」
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日程:2025年3月26日(水)
開場:19時 開演:19時30分
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F /三軒茶屋駅徒歩5分)
定員:28名さま
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中村一般さんの日記マンガやイラストをまとめた『僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ』(シカク出版)のタイトルは、吉本ばななさんの小説集『なんくるない』(新潮文庫)に出てくる登場人物のセリフから引用されました。
「僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ」は、「わたしにもやってみることができる」の言い換えのようにも感じています。
「なくなっていくもの」をどうすればなくさないでいられるのか。
何か新しいことを始めようとする時に鳴り響く「そんなの無理だよ」という声に、どう反応すればいいのか。
吉本ばななさんの最新長編『下町サイキック』(河出書房新社)は、下町に残るささやかだけれど大切な連帯、人がそれぞれの力を発揮して生き抜くための知恵と哲学が描かれています。
ばななさんは新しい小説を書くたびに常に何か新しいものを入れたいと仰っています。その力はどこから湧いてくるのでしょうか。
お二人に今考えていることを語り合っていただきます。
人生が少し拓くようなひと時になるのではと思っています。
終演後にはサイン会も開催します。ぜひご参加ください。
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《料金》
来店参加:2000円
来店+吉本ばなな『下町サイキック』1870円=3870円
来店+中村一般『僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ』1650円=3650円
来店+『下町サイキック』1870円+『僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ』1650円=5520円
配信参加:1000円
配信+吉本ばなな『下町サイキック』1870円=2870円
配信+中村一般『僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ』1650円=2650円
配信+『下町サイキック』1870円+『僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ』1650円=4520円
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《予約》
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《プロフィール》
吉本ばなな(よしもと・ばなな)
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photo by Fumiya Sawa
1964年、東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で第6回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。88年『ムーンライト・シャドウ』で第16回泉鏡花文学賞、89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で第39回芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で第2回山本周五郎賞、95年『アムリタ』で第5回紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』で第10回ドゥマゴ文学賞(安野光雅・選)、2022年『ミトンとふびん』で第58回谷崎潤一郎賞を受賞。著作は30か国以上で翻訳出版されており、イタリアで93年スカンノ賞、96年フェンディッシメ文学賞<Under35>、99年マスケラダルジェント賞、2011年カプリ賞を受賞している。近著に『下町サイキック』がある。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。
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中村一般(なかむら・いっぱん)
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イラストレーター、漫画家。1995年東京生まれ。主に書籍の装画、カードゲームのイラストを手がける。主な著作は『僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ』(シカク出版)、『えをかくふたり』(小学館)、『ゆうれい犬と街散歩』(トゥーヴァージンズ)、『中村一般作品集 忘れたくない風景』(玄光社)。最近は自費出版でイラストのZINEやマンガ旅行記の本を作り、コミティアや個人書店さんで販売している。また、本名の中村雅奈名義で絵画の展示も行う。
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ari0921 · 1 year ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
   通巻第8118号
 孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
  吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
*************************
 自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
 孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
 高杉晋作も久坂玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評註』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究の集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)。
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
 
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の書とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にとっては必読文献だった。
 
 吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大家といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
 ▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
 孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
 孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているのである。
 戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要とするのが『天』である。『地』は遠交��攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
 「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き、欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
 吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい���り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
 つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強さを増せる」。ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
 江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
 「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
 つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
 ▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
 孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
 上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させることであり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
 議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェイク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し合いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モンゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
 中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋をかけるプロジェクトが本格化して居る。
 下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
 中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。だからこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
 ▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
  『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知らざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
 「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
 いまの日本の政財官界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
 アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防止法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
 (十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
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houteiyugi-movie · 2 years ago
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先行上映舞台挨拶&全国同時生中継の実施が決定!
11月5日(日)、映画「法廷遊戯」先行上映舞台挨拶<「愛し生きること」LIVE TOUR 2023~ピース~STAGE Ver.>上映&全国同時生中継の開催が決定いたしました! 舞台挨拶の模様を全国の劇場(一部劇場を除く)で生中継いたします。
■実施日時 11月5日(日) 17:45の回上映終了後 ※こちらの上映回にはマスコミ取材が入ります。映り込む可能性がございますので、予めご了承ください。
■登壇者(予定) 永瀬廉(King & Prince) ※登壇者は予告なく変更する場合がございますこと、予めご了承ください。
■会場 ・本会場:丸の内TOEI①(https://toeitheaters.com/theaters/marunouchi/) ・ライブビューイング劇場:実施劇場一覧は後日改めてお知らせいたします。
【チケット料金(1枚につき)】 本会場:2,200円均一(税込) ライブビューイング劇場:各劇場通常料金(前売券・無料券・招待券使用不可)
≪チケットの購入方法について≫ 【本会場】 本会場の座席指定券は「チケットぴあ」のみでの販売となります。チケットぴあにて残席があった場合のみ劇場販売を行う予定です。
<先行抽選販売「プレリザーブ」> ■ 申込受付期間:10月21日(土)AM11:00- 10月27日(金)AM11:00 ■ 抽選結果発表:10月27日(金)PM18:00以降 ●プレリザーブとは? http://t.pia.jp/guide/prereserve.html ◆お申込み https://w.pia.jp/t/houteiyugi-movie/
≪先行抽選販売に関する注意事項≫  ※ チケットのお申込は、お一人様2枚までとさせていただきます。 ※ 前売券からのお引換は出来ません。ご注意ください。 ※ チケット当選後の変更・払戻は出来ません。予めご了承ください。 ※ プレリザーブとは、事前のお申し込みの後、チケットを購入できるサービスです。 ※ 必ずしも優先的に良いお席をご用意するものではありません。 ※ お申込多数の場合は抽選にて当選者を決定します。(先着順ではありません) ※ 受付期間中ならいつでもお申込み可能です。(メンテナンス時間をのぞく)
<一般発売> ■10月28日(土)AM10:00 発売開始 ■購入方法 ・インターネットでお求めいただけます。 ・チケットの販売は、お一人様2枚までとさせていただきます。 ・前売券からのお引換はいたしかねますのでご注意下さい。 ・お席はお選びいただけません。 ◆インターネット購入 https://w.pia.jp/t/houteiyugi-movie/ ●チケットのお問合わせは、 チケットぴあヘルプ https://t.pia.jp/help/index.jsp
【ライブビューイング劇場】 生中継付き上映会チケットは、各劇場にて順次販売予定です。
<当イベントの注意事項> ■ご来館前の検温など体調管理および発熱、咳などの症状がある場合は、体調を最優先いただき、ご来場をお控えください。 ■手洗いや備え付けの消毒液のご使用、咳エチケットにご協力ください。 ■今後の情勢や主催者の判断により、舞台挨拶の開催中止や、登壇者などの内容が予告なく変更になる場合がございます。その場合も、交通費や宿泊費などの補償はいたしません。また、映画上映が行われる場合はチケットの変更や払い戻しもできませんので、予めご了承ください。 ■全席指定席となります。チケットをお持ちでない方はご覧になれません。 ■いかなる場合においても舞台挨拶中の途中入場は固くお断りいたします。 ■場内でのカメラ(携帯電話含む)・ビデオによる撮影、録音等は固くお断りいたします。当日は荷物検査を行わせていただく場合がございます。 ■会場内ではマスコミ各社の取材による撮影、弊社記録撮影が行われ、テレビ・雑誌・ホームページ等にて、放映・掲載される場合がございます。また、イベントの模様が後日販売されるDVD商品等に収録される場合がございます。予めご了承ください。お客様の当催事における個人情報(肖像権)については、このイベントにご入場されたことにより、上記の使用にご同意いただけたものとさせていただきます。 ■インターネット・オークションへの出品その他の転売目的での入場券の購入及び転売はお断りします。 ■営利を目的として転売された入場券及びインターネットを通じて転売された入場券は無効とし、当該入場券による御入場はお断りします。 ■イベントの予定は、急遽変更になる場合がございます。あらかじめご了承ください。 ■いかなる事情が生じましても、ご購入後・お引き換え後の鑑賞券の変更や払い戻しはできません。 ■車椅子をご利用のお客さまは車いすスペースでのご鑑賞となります。車いすスペースには限りがありますので、ご利用人数によっては所定のスペース以外でご鑑賞いただく場合がございます。また、イベントの内容やマスコミ取材により、所定のスペースからご移動いただく場合がございます。あらかじめご了承ください。
以上、ご来場いただくお客様におかれましては、何卒ご理解とご協力のほどよろしくお願い申し上げます。
公式サイト
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runpenparis · 8 months ago
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るんぺんパリ【RunPenParis】
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自己紹介 2024年11月4日追記 6116文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 今年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件回って、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて上野天神祭へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 夜の19時から同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったガキさんは すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので閉店の1時までカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の20(日)は上野天神祭に参加している同級生のオデに会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く紅梅屋でおみやげを結構買って 桔梗屋で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そ���な森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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goldsumo · 1 year ago
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脳裏に蘇ったのは、東日本大震災の記憶。
「仮設住宅が建つまで、なんで3カ月も6カ月もかかるの? 大学の先生なら、来週建ててよ」
トルコ政府は北川さんを歓待し、この訪問以降、人道支援用インスタントハウスの正式採用に向けて本格的に動き出した。しかし、北川さんは悔しさを噛みしめながら帰国した。
その後悔が、新たなアイデアをもたらしたのかもしれない。北川さんはコロナ禍に、感染症対策として使えるのでは、と屋内用のインスタントハウスを作り始めた。当初は屋外用のインスタントハウスを小型化したものを想定していたのだが、用途を考えると手間と時間がかかり過ぎているように感じて、開発が止まっていた。
トルコから帰った後、北川さんは「原点に返ろう」と、「宝物」というノートを開いた。それは、石巻中学校に行った翌日、飛行機のなかで「40項目」を書き記したノートだ。そのノートを見返しているうちに、閃いた。
「ダンボールで作ろう!」
思いついたら、一直線。1カ月もたたないうちにダンボール製のインスタントハウスが完成し、12月6日、7日に名古屋で開催された防災展で展示した。そして2024年1月1日、能登半島地震が発生した。名古屋の自宅にいた北川さんは展示の際に用意していた10棟分の屋内用インスタントハウスをレンタカーに積み込み、翌日には卒業生の山田さんとともに石川県に入った。
いくつかの避難所を巡ったなかで、最も過酷な環境だったのが輪島中学校だった。
特にアリーナは2階のガラスが割れ、凍えるような冷たい風がアリーナのなかに吹き込み、冷蔵庫のようだった。避難所の職員にインスタントハウスの話をすると、「ありがたい」ということだったので、着替えやオムツ交換、授乳スペースとして屋内用インスタントハウスを建てることにした。
1月4日、ダンボールをアリーナに運び入れて作業を始めると、物珍しそうに被災者が近寄ってきた。最初の1棟に屋根を上げた瞬間、アリーナ全体から少しずつ拍手が起きた。「これなに?」と聞く子どもたちに、「みんなのお家だよ」と答える。
「一緒に作っていい?」
「いいよ」
その場にいた数人の子どもたちが、手伝ってくれた。2棟目が完成した瞬間、3歳の女の子が大きな声で「お家ができた!」と叫んだ。隣りにいた母親から、今回の地震で自宅が全壊してしまったと話を聞いた北川さんは、アリーナの外に出た。そこで堪えきれず、涙を流した。
その後、子どもたちは屋内用インスタントハウスに絵を描いて遊ぶようになった。そこには、「ちょっとせまいけど いえかんせえ」と書かれていた。この絵と文字は、3歳の女の子と小学校1年生のお兄ちゃんが描いたものだ。取材の日、その子たちのお母さんに話を聞いた。
「初めて見るデザインで最初はなんなのかなと思ったのですけど、メルヘンチックな感じですごくいいと思います。子どもたちも一緒に作ったりして、楽しそうでした。かわいい家が完成した後も出たり入ったりして遊んでいましたよ」
その後、校舎の1階と2階、屋内型広場などに計10棟を建てた北川さんは、翌日、名古屋に戻った。その際、ダンボール業者やテント屋、断熱材メーカー、運送会社と協議し、屋内用インスタントハウス110棟分の資材を調達。屋外用インスタントハウス3棟の資材と合わせて、再び輪島中学校に向かった――。
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shredderwastesnow · 1 year ago
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長々と「ゴーストワールド」考
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私がテリー・ツワイゴフ監督の映画「ゴーストワールド」と出会ったのは、2000年代中盤のことだった。映画館ではなく、ツタヤでDVDを借りて実家のリビングで観た。コロナ禍によってビデオ・DVDレンタル屋としてのツタヤが街から消えた今になって振り返ると、あの日からずいぶん遠くに来てしまったことを実感する。
映画冒頭、アップテンポなジャズが流れ出し、こぶしの利いた男性シンガーの声が重なる。「シャンフェケシャンフゥ」--何語だか分からないが、気分を高揚させる陽気なグルーヴ。しかし、映像はアメリカ郊外の白いマンションで、音楽の古めかしさと不釣り合いな印象を与える。
カメラはマンションの外から窓の中を捉えつつ、右へと移動する。それぞれの窓の向こうにいる住人たちが部屋でくつろいだり食事をしたりといった光景がいくつか展開された後、濃いオレンジの壁紙の部屋が映し出される。部屋の中央で、黒縁眼鏡をかけたぽっちゃりめの女の子が、黒髪のボブを振り乱して踊っている。傍らには昔ながらのレコードプレーヤー。そこから大音量で流れる「シャンフェケシャンフウ」--アメリカにおけるサブカル眼鏡女子の強烈な自己主張は、無機質な郊外の光景へのレジスタンスのようだ。
細かい台詞やキャラクターは忘れてしまっても、このシーンだけは鮮烈に頭に残っている。この映画が何を描こうとしているのか、冒頭を観ただけで分かった。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさ。そんな存在を愛おしむ監督の眼差し。
2時間弱の物語の中では、高校を卒業したものの進路が決まらない主人公イーニドが迷走に迷走を重ねる。そして、彼女が何かを成し遂げるようなラストも用意されていない。
ありがちなティーンエイジャー文化に埋没する無個性なクラスメイトや郊外の退屈な人々を馬鹿にしている割に自分自身もぱっとしないイーニドの姿は痛々しいが、十代の自分にも確かにそんな一面があったことが思い出され、いたたまれない気持ちになる。それでも、映画を見終えた私の心には温かい余韻が残った。監督が最後までイーニドに寄り添い続けていることが伝わってきたから。
2023年下旬、何の気なしに見ていたX(旧twitter)で、ゴーストワールドのリバイバル上映を知った。絶対に行かなければと思った。あの名作と、映画館で出会い直したい。 上映が始まって約1ヶ月後の2024年1月、再開発によって円山町から宮下に移転したBunkamuraル・シネマの座席で、私はイーニドたちと再開することになった。
改めて観てみると、最初に観た時の感動が蘇ったシーンもあれば、初見では気付かなかった要素が見つかったシーンもあり、希有な鑑賞体験になった。 これ以降、個人的に気になった部分を列挙してみる。
自由という試練
物語の序盤で、主人公イーニドと幼馴染みのレベッカは、揃って高校を卒業する。式が終わると、イーニドとレベッカは会場から走り出て、卒業生が被る伝統の角帽を脱ぎ、校舎に中指を突き立てる。二人とも大学には進学せず就職もしないので、これからは受けたくない授業を受ける必要もなく、大人として自分の道を選ぶことができる。スクールカースト上のポジションに惑わされることもない。
しかし、コーヒーのチェーン店で働きながら親元を離れて暮らすためアパートを探し始めるレベッカとは対照的に、イーニドは将来のビジョンを持てないまま高校の補講に通い、髪を派手な色に染めてみたり、映画館のアルバイトを一日でクビになったりしている。ルームシェアをする約束を果たす気があるのかとレベッカに問い詰められれば「自立、自立って馬鹿みたい」と滅茶苦茶な言葉を返して怒らせ、家に帰ってからベッドで泣く。イーニドは自由を満喫するどころか、自由を持て余しているように見えた。
高校生の頃は、学校の教員たちが決めたルールに従い、与えられたタスクをクリアすることが求められていた。経済的に親に頼っている分、親や家族というしがらみもある。大人の介入を避けられない年代にいるうちは、人生の問題を大人のせいにすることもそれなりに妥当だ。
しかし、高校を卒業してしまえば、もう人生の諸問題を安易に大人のせいにできない。複雑な家庭の事情に悩まされていても、「もう働ける年齢なんだから、お金を貯めて家を出ればいいんじゃない?」と言われてしまう。
自分の進路を選び、やるべきことを見極めて着実に実行することは、何をすべきなのか指示してくる人間に「やりたくない!」と反抗することよりもはるかに難しい。与えられた自由を乗りこなすだけの自分を確立できていないイーニドの戸惑いと迷走は、滑稽でありながらも、既視感があってひりひりする。
シスターフッドの曲がり角
この映画には、イーニドとレベッカのシスターフッド物語という側面もある。十代を同じ街で過ごし、お互いの恋愛事情も知り尽くしている二人が、高校卒業という節目を境に少しずつ噛み合わなくなってゆく過程が切ない。二人とも、相手を大切に思う気持ちを失ったわけでは決してない。それでも、環境の変化が二人の違いを鮮明にし、今まで通りではいられなくなる。
イーニドもレベッカも、世界をシニカルに見ている点は共通している。派手に遊んでいたクラスメイトが交通事故で身体障害を負ってから改心し、卒業式のスピーチで命の尊さを語っていたことに対して「人間そんなに簡単に変われるわけない」と陰で批判したり、卒業パーティーでも弾けたりせずぼそぼそ喋っていたりと、どこかひねくれた態度で生きている。世の中が用意する感情のフォーマットに素直に乗っからない低温な二人の間には、確かな仲間意識が見て取れた。
しかし卒業を契機に、二人の関係はぎくしゃくし始める。 イーニドは仮に卒業できたものの、落第した美術の単位を取得するため補講に出なければならない。スムーズに卒業したレベッカはカフェのチェーン店で働き始め、アルバイトではあるが社会に居場所を得る。卒業したばかりの頃はイーニドと一緒にダイナーに行き、新聞の尋ね人欄に出ていた連絡先にいたずら電話をするといった行動にも付き合っていたレベッカだったが、アルバイトも続かずルームシェアの部屋探しにも消極的なイーニドに徐々に愛想を尽かす。イーニドが中年男性シーモアとの関係を隠していたことが、さらに二人の距離を広げてしまう。
イーニドは古いレコードを集めるのが好きで、一癖あるファッションを身に纏い、多少野暮ったい部分はあるにしても自分の世界を持っている。バイト先でも、上司の指示に違和感を覚えれば分かりやすく態度で示す。表面的にはリベラルな国を装いつつ水面下では依然として差別が行われているアメリカ社会に対しても、批判的な眼差しを向けている。
しかし、それを表現した自分のアート作品が炎上した際、イーニドは作品を批判する人々に対して展示の意義を説明せず、展覧会の会場に姿を見せることすらしなかった。どんなに鋭い感性があっても、表現する者としての責任を全うする姿勢のないイーニドは、アーティストにはなれないだろう。黒縁眼鏡の媚びない「おもしれー女」ではあってもカリスマになる素質はなく、かといってマジョリティ的な価値観への転向もできないイーニドの中途半端さは、何とも残念である。
一方レベッカは、シニカルな部分もありつつ、現実と折り合いを付けて生きてゆけるキャラクターだ。店に来たイーニドに客への不満を漏らしながらも、上司に嫌味を言ってクビになったりすることはない。経済的に自立して実家を出るという目標に向かって、地に足の着いた努力ができる。
そして、レベッカは白人で、イーニドより顔が整っている。二人がパーティーに行くと、男性たちはユダヤ系のイーニドに興味を示さず、レベッカにばかり声を掛ける。 どう考えても、社会で上手くやってゆけるのはレベッカの方なのだ。
卒業を契機に、高校という環境の中ではそれほど目立たなかった二人の差が浮き彫りになる。置いて行かれた気持ちになるイーニドと、現実に向き合う意欲が感じられないイーニドに苛立つレベッカ。どちらが悪いわけでもないのに、高校の時と同じ関係ではいられない。絶交するわけではないけれど、何となく離れてゆく。
人生のフェーズに応じて深く関わる人が変わってゆくのはよくあることだし、どうにもならない。それでも、楽しかった長電話が気まずい時間に変わったり、昔だったら隠さなかったことを隠すようになる二人を見ていると、人生のほろ苦い部分を突きつけられるようで、胸が締めつけられる。
シーモア:大人になりきらないという選択肢
冴えない中年男性シーモアは、この映画におけるヒーローでありアンチヒーローだ。平日は会社員だが、休日は音楽・レコード・アンティークオタクとして自分の世界に耽溺し、友達も似たような同性のオタクばかり。せっかくライブハウスで女性が隣に座っても、音楽の蘊蓄を語って引かれる。そのくせ「運命の出会い」への憧れをこじらせている。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさを、これでもかと体現しているキャラクターだ。
イーニドとシーモアの出会いは、イーニドのいたずら電話がきっかけだった。新聞の尋ね人欄を読んでいたイーニドは、バスで少し会話をした緑のワンピースの女性にまた会いたいと呼びかける男性の投書を発見し、この気持ち悪いメッセージの発信者を見てやろうと、緑のワンピースの女性を装って電話をかける。会う約束を取り付け、待ち合わせの場所に友達と共に向かうと、呼び出されたシーモアがやって来る。
待ちぼうけを食らうシーモアを陰で笑いものにするイーニドだったが、別の日に街で偶然見かけたシーモアを尾行して、彼がレコードオタクであることを知り興味を持つようになる。シーモアのマンションで開かれたガレージセールで、イーニドはシーモアが売りに出した中古のレコードを買い、会話を交わし、徐々に距離を縮めてゆく。
シーモアが自宅でレコードオタクの集まりを開いた日、イーニドはシーモアの部屋に入る機会を得、彼のコレクションと生き様に驚嘆する。
恐らくイーニドは、シーモアという存在から、アーティストやクリエーターにはなれなくても自分らしさを手放さずに生きられると学んだ。たとえ恋愛のときめきが去ったとしても、シーモアの残像はイーニドの中に残り、社会と折り合いを付けられない彼女の行く先をささやかに照らすのではないだろうか。
(そして、シーモアの姿が、一応仕事や勉学などで社会と折り合いを付けながらも、家庭を持たず読書や映画鑑賞や執筆に明け暮れる独身中年の自分と重なる。その生き様が誰かの未来を照らしたりすることはあるのだろうか。もちろん作家として誰かの人生に言葉で貢献するのが一番の目標ではあるものの、映画を観た後、最低限シーモアになれたらいいなという気持ちになった。初見の時と感情移入するキャラクターが変わるというのは、なかなか新鮮な体験。)
矛盾を抱えたアメリカ社会への言及
最初に観た時はイーニドや一癖あるキャラクターたちが織り成す人間模様にしか目が行かなかったが、二度目の鑑賞では、画面の端々に映り込むアメリカ社会への皮肉もいくつか拾うことができた。
ライブハウスのシーンに、ブルースに影響を受けたと思われる白人のボーイズバンドが登場する。ヴォーカルは「朝から晩までcotton(綿花)を摘む毎日さ」みたいな歌を熱唱する。確かにブルースにありがちな歌詞だ。しかし、綿花を摘む労働をさせられていたのは主に黒人であり、白人は黒人をこき使う側だったはず。労働者の心の拠り所として作られたブルースという文化を、ブルジョワである白人が無神経に簒奪しているという皮肉な現実が、この短い場面にそっと描かれている。
また、イーニドとレベッカが一緒にパーティーに行くとレベッカばかりが男性に声を掛けられる件には既に触れたが、声を掛けてくる男性はほぼ白人だ。アジア系の男性や黒人男性などがレベッカをナンパすることはない。たまたま二人の住む街が白人の多い地域という設定なのかもしれないが、このようなキャスティングが決まった背景には、制度上の人種差別がなくなっても人種によるヒエラルキーが社会に残っているという監督の認識があるのではないかと感じた。
そして、個人商店がチェーン店に取って代わられ、住宅地が画一的なマンションで占められ、街が少しずつ個性を失ってゆく描写もある。レベッカが働くカフェ(ロゴがスターバックス風)やイーニドがバイトをクビになるシネコン内の飲食店は、無個性なチェーン店そのものだ。モノやサービスが画一的になり、雇用や労働のスタイルも画一的になり、マニュアル通りに動けない人間が排除される世界へのささやかな批判が、様々なシーンの片隅にそっと隠されている。
この映画は、十代の葛藤を単なる自意識の問題として片付けず、矛盾だらけで個性を受け入れない社会にも責任があると言ってくれていた。改めて、監督や制作者たちのティーンエイジャーに対する温かい眼差しを感じた。
ラストシーンをどう解釈するのか
ネタバレになるので詳細は伏せるが、この映画のラストシーンは比喩的で、どう受け止めるのが正解なのか分からない。イーニドの人生に希望の光が差すことはなく、かといって大きな絶望が訪れることもなく、自分を命がけで守ってくれた人の思い出を胸に強く生きることを誓うみたいな展開にもならない。とにかく、分かりやすいメッセージのある終わり方ではないのだ。
(映画館を出た後にエレベーターで乗り合わせた若いカップルも、やはりラストの解釈が難しいという会話をしていた。)
私自身は、このラストを、イーニドが他力本願な自分から卒業することをようやく決意したという意味に捉えている。
これまでのイーニドは、心細くなれば友人のレベッカやジョシュを呼び出し、映画の中盤以降ではシーモアにも絡んでいた。人生に行き詰まれば、誰かを頼って気を紛らわす。偶発的に何かが起こって道が開けないかな、みたいな感覚で生きているような印象だった。 しかし、物語の終盤で、一時はイーニドにとってヒーローだったシーモアが、突然遠のく。レベッカとも既に疎遠になっているイーニド。そして、不思議なラストシーン。イーニドは、私たちに背中を向けている。
イーニドは、自分を導いてくれるヒーローも、どう生きるべきか教えてくれる天使も、どこにもいないということに気付いたのではないだろうか。 人間は最終的には孤独で、自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかない。ラストシーンのイーニドからは、彼女が紆余曲折の果てに辿り着いた人生の真理が滲んでいるように思える。
そして、イーニドの後ろ姿は、スクリーンのこちら側にいる私たちに対しても「自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかないよ」と語りかけている気がする。どう生きるべきか、映画に教えて貰おうなんて思うなよ。自分で行動して、傷ついたり恥をかいたりしながら、自力で見つけるんだ。
以上が私なりの解釈だが、違う見方もあるのかもしれない。他の人の批評も検索してみたい。
おわりに
Bunkamuraル・シネマでの「ゴーストワールド」上映は明日で終わる。しかし、各地の名画座での上映はまだ続くようだ。これからも沢山の人がイーニドたちに出会うことを想像すると、自然と笑いがこみ上げる。
イーニドの冴えない青春は、観た人の心に何をもたらすのか。
これを読んで少しでも気になった方は、是非スクリーンで、ラストシーンまで見届けてください。
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kanglo · 2 years ago
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第13回常陸の国・里山&野外ワークショップ&マインドフルネスアート合宿【初秋特別編】(2023年9月18日-19日 in 茨城県常陸太田)
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第13回常陸の国・里山&野外ワークショップ&マインドフルネスアート合宿【初秋特別編】 (2023年9月18日-19日 in 茨城県常陸太田) https://kanglohoops202309.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/690266253005922
今年で12年目を迎えたオープン合宿。今回は、初秋特別編です。「160年の古民家荒蒔邸、300年の菊地邸などの里山古民家、1000年古神社で過ごす心鎮めるマインドフルネス、本格有機農体験、手仕事ワークショップ、深い森と滝散策リトリート、参加者との交流ダイアローグ、創業200年八幡太郎義家ゆかりの湯で心と体を癒すなど、今年もゆったりと過ごす企画にする予定です。
茨城県の常陸の国は、元は日高見国とされていた土地。7世紀に令制国として常陸国が誕生。『常陸国風土記』によれば大化の改新(645年)直後に創設されました。ここは、古い里山だけに多くの文化遺産が残っています。昨年には、NHKの朝ドラマのあの「ひよっこ」の舞台にもなりました。今回は、天候、状態にもよりますが、御岩神社への巡礼も行う予定です。
そして、160年古民家荒蒔邸を拠点に、ゆったりとマインドフルネスな時間を体験をします。地元でも秘境の深い森や滝、古神社でゆっくりと過ごします。また、就農25年目となる布施大樹さんと美木さんご夫妻の経営する有機栽培農園「木の里農園」の有機野菜と共に、夜は本物の火や囲炉裏を囲んだ談義と自分達で仕込んだ自然食を頂き下鼓を打ち、焚火の灯で温まりながら、夜の思い出を刻みます。今も住人が住み続ける300年を超える古民家「菊地邸」(ご主人の話を聴けるかな?)で安土桃山時代の空気を味わいます。
このような素晴らしい里山で2日間共に過ごす程、贅沢な時間はないでしょう。里山の人たちとの交流や自然・大地の恵みを得ながら、ライフコーチ、スピリチュアルカウンセラー、アーティストの森夕花先生と共に人生の本来の目的を思い出し、明日への道を見出したいと考えています。今回も素晴らしい機会となることを確信しています。ご参加をお待ちしております。
主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.facebook.com/hoops.kanglo
■旅の案内人: ★マインドフルネス&ライフコーチング担当:森夕花(もりゆうか)先生 ●ライフコーチ/アーティスト/カングロ(株)取締役執行役員、尚美高等音楽学院ピアノ科卒業 京都芸術大学芸術学部卒業。ピアノ、声楽、シナリオ、演劇、ジャズダンス、日本舞踊などの自己表現を通して自分自身を探求する。1993年ドイツ、イタリアへの留学。その後、21世紀に入り、ハワイ、セドナ、インドのアシュラムを巡礼する。心理学、哲学、美学、手相、インド占星術、代替医療(中医学・ヒーリング)などを学び、 ヒーリングカウンセラーとして23年間、企業のライフコーチとして9年間、セッション、研修を行う。現在、「大人のためのアート思考講座」「Philoarts研究会」を主宰。趣味は、声楽、読書、人間観察、そば栽培、ヨガ、瞑想。特技、人・動物の心を読む、直観力、探求。好きな言葉は、「自由」「日日是好日」
★企画&案内人担当:藤井啓人(ちょろお) ●茨城県東海村出身。高卒後、上京し新聞配達をしながら予備校に通い筑波大学に入学。4年間、体育会硬式野球部に所属し選手と2軍監督を経験。1992年に株式会社リクルート入社。12年間、組織・人事コンサルティング事業に従事し、約2000社の企業の変革に携わる。社内表彰制度で全国MVP・部門MVPの受賞計8回。2004年に独立し、事業再生コンサルティングのマネジメントリコンストラクション社を設立。2010年5月カングロ株式会社 代表取締役に就任。独自のサステナビリティ・イノベーティブ・コンサルティング事業を開始。米国で「今最も羨望の注目を浴びる企業」とされるオンライン・リテーラーのザッポス社のハピネス経営、「社員をサーフィンに行かせよう」「レスポンシブルカンパニー」の題材となっているアウトドア用品メーカーの米パタゴニア社を研究し続け、約1000社3000名のビジネスパーソンにセミナーや勉強会等でその真髄を伝えている。2013年には西アフリカのナイジェリア連邦共和国にて合弁会社を設立し、水問題、エネルギー問題、食糧問題、環境問題を日本のテクノロジーで解決するソーシャルビジネス事業も行う。実地の中から発信される指南は、斬新・先駆的でかつパワフルであり、魂を揺さぶるものとなっている。2013年以降、システムD研究会、自転車事故防止委員会、セブメディの会を設立。2015年より同士と共に「懐かしい未来プロジェクト(HOOPS!)」「サステナ塾」を開始し、持続可能な地域社会の実現のために人間本来の役割を思い出すためのあらゆる「体験」の場と機会を提供している。自転車のある生活をこよなく愛し、年間約1万kmを走破する。マラソンランナー、トライアスリート。趣味はゴミ拾い、俺のベランダ菜園。
★有機野菜:木の里農園 http://konosato.com/
■開催日:2023年9月18日(月)- 19日(火)1泊2日 ※下記集合場所に10時頃に集まり、翌日16時頃に現地解散予定です
■集合場所:  道の駅さとみ(茨城県常陸太田市小菅町694-3) http://www.hitachiota-michinoeki.jp/page/dir000003.html
■スケジュールイメージ: ※天候などの状況により変更となる場合があります <8月26日(土)>  *10時:集合場所(道の駅さとみ)   ※電車組は、JR常磐線東海駅からの送迎有り  *10時15分~:手打ち蕎麦ワークショップ  *12時~13時:自分の打った蕎麦で昼食&オリエンテーション  *13時15分:大中町の荒蒔邸へ移動しチェックイン   ・1000年以上前に建立された大中神社にご挨拶  *13時30分~22時頃:  ※概ね下記のメニューをゆるりと実施していきます。   ・里美の滝散策(美しい秘境の滝を巡ります)   ・300年古民家「菊地邸」訪問   ・全員で夕食準備&自然食料理での夕食&片付け   ・荒蒔邸の囲炉裏と焚火を囲んでのダイアローグ(対話)   ・横川温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は���別清算)  *22時頃:自由時間  *23時頃:就寝
<8月27日(日)>  *06時:起床~朝のさんぽ(朝陽を拝むマインドフルネスウォーク)  *07時:全員で朝食準備&朝食(禅イーティング)&片付け  *09時~:森夕花先生のマインドフルネスアートセッション  *11時~:清掃・片付けをし移動  *12時~:御岩神社巡礼  *14時~:ゆっくり昼食&対話&クロージング  *16時頃:解散(電車組は近場のJR常磐線内の駅まで送迎します)
■宿泊場所: 里美 160年古民家の宿「荒蒔邸」 茨城県常陸太田市大中町1547 【地図】https://www.aramakitei.com
■当イベントの参加資格:どなたでもご参加可能です。  お気軽にお申し込みください。以下は参考です。  どなたでもご参加可能です。お気軽にお申し込みください。 ※エコビレッジ、パーマカルチャー、トラジションタウン、半農半X、  スローライフ等に関心のある方 ※マインドフルネス、スピリチュアル、メディテーション、ヨガ、  リトリート等に関心のある方 ※お子様は、小学生高学年以上が良いと思います(過去参加有)。  お子様を同伴されたい方は、事務局に事前にご相談下さい。
■参加料:お一人様 3万800円(税込)※小中大学生は1万5400円(税込) ※上記には、参加費、宿泊費、夕食のBBQ及び翌日の朝食付き代が含まれています (アルコールは最低限用意をしますが、多めに飲まれる方は持参頂いています) ※上記には、交通費、夕・朝食以外の食事、入湯料、工芸料などは含まれておりません ※小中高大生はお一人様半額となります(お子様同伴の方は、事前にご相談下さい) ※必要に応じ、領収書をご用意致します
■注意事項:※必ず目を通しておいて下さい ※コロナ対策のご準備をお願い致します ※当企画は、現地集合・現地解散企画です ※電車組は、JR常磐線「東海駅」にてピックアップ致します ※宿泊は、状況に応じ、女性専用部屋を用意します(枕、敷/掛布団あり) ※横川温泉 中野屋旅館 で入浴(入湯料は500円、個別清算となります)  http://www.satomi-nakanoya.com ※工芸ワークショップは「常陸蕎麦・本格手打ち蕎麦教室」を予定(昼食込みで一人2000円程度) ※参加者同士、車での乗り合いをお勧めしております ※参加料は、事前振込制となっております(申込後にお知らせ致します) (前日キャンセルは50%、当日100%のキャンセル料を徴収致します)
■定員:8名限定 ※先着順。定員になり次第締切ります。 ※最小携行人数は5名。参加者が5名を下回る場合、開催を見送る場合があります。 ※小学生未満同伴の場合は、事前にご相談下さい。
■当イベントの申込方法【重要】: ※ 下記をご一読いただきお申込み下さい。 ①下記URLの申込フォームにより正式エントリー 申込フォーム https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSft1YNO6SP4C-YGlgpacoHgGK-wLQ9t-NOybyJuhsVg8sNbjg/viewform
②お申込後、24時間以内に参加受付受領のe-mailを事務局よりご返信させて頂きます。 e-mail: [email protected]
③②の返信メール内にある振込み先に前日までにご入金
(現地でのお支払いも可能です)
④これにて「申込完了」となります。
■協力:木の里農園さん、地元の仲間たち ■主催:カングロ株式会社 HOOPS!事業部 https://www.kanglo.co.jp
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