#木を見て森を見ない官邸記者
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日米開戦の3カ月前、官僚や陸海軍、民間から選抜した若手エリートからなる「模擬内閣」が導いた結論は、「日本必敗」だった。このシミュレーションを行った首相直属の「総力戦研究所」では、何が議論されたのか。なぜその提言が黙殺され、日本は破滅へ向かったのか。 「必敗」の分析、東条英機らは耳貸さず 国力無視の発想が行き着く先 総力戦研究所が創設されたのは1940年秋だ。「近代戦は武力戦のほか、思想や政略、経済など各分野にわたる全面的国家総力になる」との見立てのもと、研究所の目的に、国力を踏まえた総力戦に関する「調査研究」と、戦略眼を養う「教育訓練」の二つを掲げた。 同研究所は、近衛文麿首相直属の機関と位置づけ、軍事に偏らず各官庁横断、軍・官・民横断の優秀な人材が招集された。資料によれば、「人格高潔・知能優秀・身体強健」で「将来、各方面の首脳者たるべき素質を有する者」を抜擢(ばってき)。年齢も「なるべく35歳まで」とされた。 第1期生は35人が選抜され、41年4月に入所した。所長を務めた飯村穣陸軍中将は同年夏に「模擬内閣」を組織し、石油資源を求めて日本が南方に侵攻し、日米開戦に至る想定で「総力戦机上演習(シミュレーション)」を行った。 「模擬内閣」で、「日銀総裁」役を務めた佐々木直は、戦後に日銀総裁に就任。ドラマ「虎に翼」の登場人物のモデル・三淵乾太郎も「司法相・法制局長官」役で参加し、後に最高裁調査官となるなど、優秀な人材が集められた。 「国力上、日本必敗」 シミュレーションでは、出身官庁から経済や貿易、資源などのデータを極秘情報も含めて取り寄せ、同年6月から8月にかけて精査した。結論は、「日本敗戦」だった。 終戦時に陸軍少佐だった森松俊夫の著書「総力戦研究所」には、「海軍大臣(模擬内閣で海相役を務めた志村正海軍少佐)は、対米長期消耗戦は、国力上、日本必敗と論じ、他の閣僚もこれに同調した」と記述されている。 同研究所について作家の猪瀬直樹氏が記した「昭和16年夏の敗戦」でも、模擬内閣の出した結論を次のように記している。 〈奇襲作戦を敢行し、成功しても緒戦の勝利は見込まれるが、しかし、物量において劣勢な日本の勝機はない。戦争は長期戦になり、終局ソ連参戦を迎え、日本は敗れる。だから日米開戦はなんとしても避けなければならない〉 日米開戦直前の8月末、模擬内閣の討議の結果が首相官邸で報告されたが、当時の東条英機陸相(開戦時の首相)は熱心に報告を聞きつつも、「これはあくまで演習と研究であって、実際の作戦とは全く異なる」とこれを黙殺した。日本は40年9月に日独伊三国同盟を結んでおり、もはや後戻りできなかったのかもしれない。 結局、総力戦研究所は、敗戦が色濃くなってきた45年3月、立ち上げから4年半の活動に終止符を打ち、廃止された。 「日独伊3国条約締結記念大会」で、それぞれの国旗を背にあいさつする東条英機首相(当時)=1942年9月、東京の日比谷公会堂 真剣に考えているか疑った 日米開戦後の戦況は、東京大空襲や、ソ連の対日参戦など、「模擬内閣」が描いた通りのシナリオをたどった。 総力戦研究所の所長を務めた飯村元陸軍中将が戦後、自らの著書「兵術随想」で記した内容が、示唆に富んでいる。 飯村は、参謀本部内や総力戦研究所でシミュレーションを実施した理由を「(日本などの艦艇建造を制限するロンドン)海軍軍縮問題に起因(原文は「基因」)して、米国と戦うべしとの意見が盛んに行われ」「米国と戦ったならば、どうなるかを真剣に考えているかを疑」ったからだと明かし、「王手のない、敵との戦争がいかに困難であるかを知ってもらうため」だったと述懐した。決して王手に持ち込めない戦いというメッセージを、軍と政府の中枢が正面から受け止めていたら、その後の歴史はどうなっていただろうか。 また、日本が起こした行動に相手がどう反応するか、「『動と反動』の原則」を考える重要性を指摘し、こう短慮を戒めている。 「私どもは(中略)動を起こすに当り、起こるべき反動を考え、この反動の先々の先々まで考え、根気よく反動の行く先々を見守ったのであろうか。(中略)特に大東亜戦争以後、今日ただ今までの歴史は、われわれに何を教えているのであろうか。反省して見る。考えて見る。最も価値のある問題ではなかろうか」
「虎に翼」にも登場した総力戦研究所 黙殺された「日本必敗」の予測:朝日新聞デジタル
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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2025/5/16 16:00:24現在のニュース
「コメを米国に差し出すな」 官邸前で農畜産品の輸入拡大反対訴え | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/5/16 15:54:39) 「ミュゼ」負債は300億円か 給与未払い常態化 元従業員が破産申請 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/5/16 15:54:39) 古賀誠氏の長男側との取引実態、全国の空港ビル会社に報告要請へ…「利益供与」疑惑受け([B!]読売新聞, 2025/5/16 15:51:22) 煙突の製造技術生かした「箱わな」寄贈 早速クマを捕獲 青森(毎日新聞, 2025/5/16 15:49:50) 「大きく育ってね」 静岡・沼津特産のタカアシガニ41匹を放流(毎日新聞, 2025/5/16 15:49:50) アミューズ社長に大里洋吉氏 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/5/16 15:48:34) 立民・野田佳彦代表「これはありがたい」 持論の「女系天皇」提言の読売記事を高評価([B!]産経新聞, 2025/5/16 15:45:11) ニュース知りたいんジャー:ベルリンの壁崩壊から30年 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/5/16 15:42:33) 選択的夫婦別姓「裏切った党や議員を忘れない」 今国会で実現難しく、当事者ショック「参院選で…」:東京新聞デジタル([B!]東京新聞, 2025/5/16 15:39:27) 読売に何が起きているのか、「皇統の安定」提言は「立法府の総意」をぶち壊す 八木秀次([B!]産経新聞, 2025/5/16 15:39:08) 誰もが知る死刑執行さえ「あったか言えない」 訴訟で見えた国の姿勢(朝日新聞, 2025/5/16 15:36:39) 博多駅で痴漢疑われ…専門学生を殴った疑い 福岡市消防局職員を逮捕 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/5/16 15:36:16) フジHD、新取締役候補に沢田貴司ファミリーマート元社長 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/5/16 15:36:15)
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1月
年女。元旦から地元の友人2人とデニーズに6時間居座り、年末年始限定メニューの存在を知る。卒業式ぶりにネイルをした。魂24周年にバリチルで開催したパーティーで初めてオーダーケーキを頼んだがかわいくて大満足。こうきとまなみと神田大明神と湯島天神に初詣に行き、一瞬リョータに会う。シネマカリテで『そばかす』を観た。
まなみと日産グローバル本社でSAKURAの試乗をし、帰りに寄った中華屋で居眠りをした。あゆみさんとすえぴとネロの店で新年会をする。
THE FIRST SLAM DUNKの衝撃。三井への恋心を15年振りに思い出す。
すみちゃんとの大人の休日倶楽部が発足し、蔵前〜合羽橋あたりを散歩。観音山フルーツパーラーでももちとあゆみさんとすえぴが初対面。帰りにみんなにつかあってもらって、Tnewtiesで靴とワンピースを買った。
ことごとくおみくじの引きが悪い。

2月
休職中の同期に久しぶりに会えた。元気そうで一安心。こうき主催のスイーツ会兼合同お誕生日会。ダロワイヨでケーキをたくさん食べた。工場の同期と遊んでザファを一緒に観た(THE SECOND SLAM DUNK)ら、同期は24時間経たないうちに2回目を観に行っていた。代官山のあたりをプラプラ散歩し、無数のトイプードとすれ違ったり旧朝倉邸に住みたがったりする。自主的Tłusty czwartekでミスドを食す。
かなこと海を見てカラオケ。バリチルで三井の寿の宴を行う。21卒22卒23卒になった高校の友達と卒業旅行で箱根へ。富士屋ホテルで豪遊し、星の王子様ミュージアムに涙ながらの別れを告げる。
テニミュ青学vs氷帝が���日の公演中止でぴよと残念会。

3月
同期とご飯に行ったら2ヶ月ビハインドで私のお誕生日プレートをオーダーしてくれていて、この子たちのことは何があっても守ろうと思った。私お姉ちゃんだから。
大学の部活の先輩同期とかなり久しぶりに会った。大手町有楽町エリアで昼から夜まで遊んで、現役の時もこんなに遊んだことないから新鮮だった。私はちゃっかり途中の大丸でコスデコのアイグロウジェムをタッチアップし購入していた。
妹と母と受験お疲れ様の一泊2日熱海旅行。恋愛おみくじに「六歳年下が良い」と言われてじゃあ、三井寿か。と思う。月曜有給旅行の良さを感じたが穏やかな春の熱海の空気に当てられて情緒が不安定になる。
念願の姫鶴一文字を初顕現。宝箱からかなり早い段階で飛び出してきてくれて嬉しかった。
THE THIRD SLAM DUNKで横断幕特典シールをもらう。すみちゃんとピューロに行き、バツ丸のカチューシャを買ったらマレフィセントになった。三井を応援するネームプレートを作る。
在宅後ダッシュで駒沢に向かい、まおとA東京の秋田ノーザンハピネッツ戦を観る。なまはげがいたり、ありえない技(天井ダンク)を持つマスコットキャラがいたり、選手の概念車を教えてもらえたり、SDGsがボコボコにされたりと見どころ満載。ザファのおかげでプレーの解説がしやすい。ありがとう井上雄彦。
本社の同期4人ですみだ水族館にお出かけ。大阪人の登場シーンが肩揺らしすぎ歩くの早すぎ治安悪すぎで爆笑。いつの間にか水族館に墨田区の伝統アピールとして大金魚ゾーンができており不意打ちを喰らう。その後浅草寺で引いたおみくじ:凶。
かなこと銀河劇場でマリー・キュリー観劇。すごく良かった。韓国作品らしくフェミニズムのベースに労働者の健康被害問題や企業の製造責任、資本主義批判まで織り込んでおり見事な構成力。そうこうしていたらミューマギの第二公演情報解禁があり、まさかの山﨑昌吾ジャーファルに椅子から転げ落ちる。
ぴよのお誕生日@バリチルを開催。調子に乗ってバカのバースデーケーキを買ったら大変な目に遭った。
ももちとすみちゃんの作った和風シナリオを通過。知人の作ったシナリオは初だったが手癖を感じて面白い。バカ男子大学生コンビだったのでロールプレイが楽しかった。ガチ恋粘着獣の影響でYouTuberの探索者にした。
客先から一部品番値上げOK連絡をもらい、祝いにケーキを買って帰る。ここまで足掛け半年。


4月
まおとBunkamuraのマリー・ローランサン展を観る。ローランサンとシャネルのメディアを介したラップバトルの話やテニミュのような前衛映像で爆笑。
閉館前の三菱一号館美術館に駆け込み、グッズを買う。そのまま散歩してヒューマントラストシネマ有楽町で『ジョージア 白い橋のカフェで会いましょう』を観る。すごくリラクシングでおおらかな映画で良かった。お国柄かな。
カイザーの話をされすぎてブルロ原作を読み始める。何もかもがめちゃくちゃすぎて読んではTwitterを開き、読んではTwitterを開くハメになった。おかしすぎる漫画。
はるかさんのお誕生日会があり、ウォカジンのヘアピンで爆盛り上がり。まったく、兄貴は意外と抜けてるところがありやすからね。
すみちゃんとラシーヌの苺アフタヌーンティーに行き、ノリタケの加州安定ティーセットが届く。
アニメのオペラオーが良すぎてメロメロになる。本当に彼女のことが大好きだしこの手の人間に弱い。ウマ娘は人間ではないが。
品川区民として初めての選挙(区議会議員選挙)。出張ついでにTさんと京都で遊んで私が行きたかった京都府立植物園に付き合ってもらう。何故か28,135歩も歩いた。
わが、まお、あゆみさん、すえぴと日本橋でピザを食べてから千葉ジェッツのA東京戦を観戦。冨樫を初めて生で観た。千葉なのに東京のイキリ中学生たちがコラボしていて何故?と思う。今回は席が取れなすぎてバラバラに座ったから観ながら話せなくて残念。観戦後の焼肉で炎の男の写真撮影に興じる。

5月
2日にネスの夢小説を読み「ふ〜ん���構ネスのこと好きかもと思った」とツイートしている。

運転練習を兼ねてGWに家族で伊香保に行こうとしたが関越が混みすぎて秒速5センチメートルしか進まなくなったため途中で諦め森林公園へ行く。エゴイストなので別行動して一人だけサイクリングをした。地元のイタリアンで祖父母の誕生日祝いをした。
こうきとポコの再会。この時祖父母がこうきを質問攻めにしており申し訳なかった。
降り頻る雨の中ポラ科とポーランド祭りに行き、帰りに駅のムンバイでチャイをしばく。
金夜のミュージアムナイトですえぴとマティス展に行く。プロヴァンスの映像コーナーがあり、教会の鐘の音を聴いた瞬間幸村精市との存在しない記憶とホームシックの幻肢痛に襲われた。とにかくヨーロッパに行きたい。
ももちとひなと湘北を想う湘南ドライブ。逗子マリーナの駐車場が法外な値段という学びを得る。これがあゆみさんから譲り受けたネスと初めてのお出かけ。
文フリに出かけて東直子とまほぴ、安田茜にサインをもらう。のいちゃんとたほさんにもご挨拶して差し入れを渡す。いつかドームに連れて行きます!と言われて最前行きます!と返した。
こうきとすえぴ、あゆみさんが対面し4人でヴァーミリオンのポップアップへ。この時はオーブのガーネットの指輪を買った。昼食場所を探したが渋谷の人口密度が高すぎてお高めの地中海料理に入る。イスカンダルセットというワクワクセットを注文。
母の日プレゼントで母にageteのネックレスを見繕った。チャーム別売りのやつ。
すみちゃんと劇場版コナン(魚影)を観た。元太のセリフ全てと陰謀論者の目暮警部で爆笑する。観終わった後がってん寿司でうなぎを食べてネスにも見せてあげた。

6月
マンシティvsバイエルンのチケットが当たりまくる。ここから1.5ヶ月ほどチケット捌きに奔走する。チケ取引が中学の先輩や大学の後輩に会うきっかけになったので何だかんだよかった。
すえぴとあゆみさんと六本木ヒルズで薔薇のアフタヌーンティー。スタンドの高さがありすぎて起立して写真撮影。PWCを始める。三笘が来た瞬間ゲームバランスが崩壊し三笘ゲーと化した。
ミューマギの公演が始まり、6公演入る。今回はキャストが増えたのでオープニングとエンディングの厚みがすごかった。まさかの客降りで山﨑ジャーファルさんが数メートル先を歩いて行った。長生きはするものだと思った。マギ、サイコー!でも紅玉ちゃんの個人ブロマイドがないのはまだ納得してない。アクスタが売り切れすぎて買えないかと思ったがぴよが捕獲してくれた。
ネスの夢小説を書く。執筆中は納期にミートするために定時退社していた。わりと気に入っているので続きが読みたい。
部署の奨励金で帝国ホテルのご飯を食べ、その後走って若手による新入社員歓迎会に移動。

7月
前日深夜に母に誘われ、急遽クレイジー・フォー・ユーを観劇。萌さんをリアルで初拝見。エンタメに全力な作品でかなり良かった。衣装もすごい。タイミングよくたかりかさんとも会えた。
ぴよとあゆみさんと東京タワーで迷子のストライカー探し。その後言ったカフェでマスターの爺さんに絡まれ怪しげな成功譚を聞かされる。
はるかとこうきと浦和レッズvsFC東京を観戦。初めてのスタジアムだったのでドキドキだったが色々新鮮で楽しかった。埼玉出身者としてコバトンと写真撮影。試合は0-0で内容もしょっぱい。酒井も3分くらいで怪我したし。翌日に国立でこうきと町田ゼルビア vs東京Vを観戦。シチュエーションが整っておりかなり熱い試合とブーイングが見られた。
リトル・マーメイドをひなと観た。冒頭にアンデルセンの引用があり大事をあげて椅子から転げ落ちる。
あゆみさんが妄言バースの夢小説を書いてくれた。嬉しすぎて仕事中に読みまくる。やってることが10年前と同じ。
すえぴあゆみさんももちとココス呪術コラボを冷やかす。
ポラ科ドライブで秩父へ行きそばを食べる。ポテくまくん邸を表敬訪問。
あゆみさんと渋谷シティの試合観戦。コートが近く、ボールを蹴る音が聞こえてすごかった。妹と国立西洋美術館のスペインのイメージ展に行く。
大学の部活の納会に参加しバスケをした後2次会までこなす。
マンシティvsバイエルンの当日、午後休を取ってネイルを変えてから国立へ向かう。かなりお祭りムードで楽しい。こうきにバイエルンバウンドの服装を褒められて嬉しかった。はるかさんも合流して写真撮影やらトロフィーチラ見やらをした。試合はシティのパスワークのすごさとバイエルンの疲労を感じた。
バリチルでリョータとソーちゃんの誕生日会をした。

8月
地元の祭りで3年ぶりの花火がまさかの強風で打ち上げ中止。同日に花火大会があった板橋では火事が起きていたので妥当な判断だったと思う。
すみちゃんと大人の休日倶楽部有楽町編を実行し、シンガポール料理、プラネタリウム、マリアージュ・フレールを巡る。マリアージュ・フレールで友人の結婚祝いを買った。
友人の結婚パーティーに参加したが、レストランでやる簡単なものだったためか泣かなかった。中学時代のいつメンと会えて嬉しいが、私が恋愛の話題に非対応なためやりづらさはある。最近どう?と聞かれたので順調だよ〜と言ったらいつから付き合ってるんだっけ?と言われる。流れを無視して交際��はなく人生の話をしてしまいすみません。でも結婚した友人のことは誇りに思うし尊敬するし応援してる。私たちもうホグワーツにも帝光中にもいないけど、それぞれの戦場で変わらず戦おうね。
お盆は車を乗り回すためムーミンバレーパークやスタジアムジャポンや伊香保に出かけた。
ひなとまなみと島でバカンス。海で浮いたり原チャリを乗り回したりと満喫。花火もお菓子も買ったのに朝が早かったため夜ご飯後に爆睡。星が綺麗らしかったが当然見れず。護岸されていない箇所で泳ごうとしたら波が激しすぎて引き波の時に足に当たる石で流血した。
ももちこうきあゆみさんと才能の原石たちとで本能のままに餃子を食らった。あゆみさんももちまおとHUBでサバトも開催。
かなこれみかと横浜散策。ダイナーでハンバーガーを取り違えられ、中華街にあるフォーチューンアクアリウムの存在を初めて知る。
ひなとTHE FOURTH SLAM DUNK。

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櫻井よしこさんの論考をシェアさせていただきます。
政治家「安倍晋三」に残された使命
8月28日金曜日、早朝からシンクタンク「国家基本問題研究所」の研究会に出席し、午後1時過ぎに事務所に戻った。その日の夜の「言論テレビ」に向けて準備を始めたとき、そのメールは飛び込んできた。
「安倍首相、まもなく辞任表明」というものだった。
「あー、遂に」という想いと「やはりそうか」という想いが同時にこみ上げてきた。しかし、感慨に耽ってはいられない。慌ただしくメールと電話が行き交い始めた。即決したのが言論テレビの番組差し替えである。
その日夜、文在寅政権の混乱振りを伝える予定だったのを、安倍総理辞任の特別番組に切り換えた。情報収集しながら「産経新聞」の元政治部長、有元隆志氏と石橋文登氏に連絡し、両氏の番組出演を要請した。
公表された日程を見ると、その間の午後1時57分に安倍晋三首相は官邸を出発し、自民党本部に向かっている。それまでは武漢ウイルス対策本部の会合に出ており、自民党本部行きは突然の動きだった。
だが総理が自民党本部に向かったことで、永田町のベテラン達は即座に「辞任決定」と覚悟した。私がメールを受けたのはこのタイミングだった。
さまざまな想いが渦巻く中、私は言論テレビのプロデューサー、安藤信充氏との打ち合わせに入った。首相辞任は多くの人にとって本当に残念なことだ。日本の国益にとってあらゆる意味で大きなマイナスだ。
安倍首相だから出来たことは山程ある。だがまだ果たしていない課題もある。安倍首相抜きの日本の政治はどうなるのか。日本の命運を左右する日米関係はどうなるのか。虎視眈々と日本を狙う中国に相対峙していけるのか。頭の中でそんなことを整理していたその時、携帯電話が鳴った。安倍首相からだった。
首相は短く語った。
「すみません、御心配下さったのに。新薬が効いたんですが、定期的に治療が必要ということで。ギリギリまで待つと、13年前のようになります。途中で辞めるのでなく、自分で区切りをつけました。辞任を決めました」
要点だけの短い会話だった。確認すると2時52分、3時からの自民党臨時役員会の直前だった。
「総理辞任」と聞いたその瞬間、半分信じられない面もあった。他方、もう半分のところで予想をしていたといえば、後づけの理屈と思われるだろうか。少し状況を振り返ってみる。
総理は6月の定期検診で再発の兆候を指摘された。7月��頃から体調に異変が生じ、体力をかなり消耗する状況に陥った。このことは辞任表明の会見で述べている。その後の8月17日の慶応大学病院での診察・治療は7時間半にわたった。首相は会見でこのときに「潰瘍性大腸炎の再発が確認された」と語っている。
この病気の大変さを、13年前の突然の辞任から暫く時間が過ぎたとき、2008年2月号の『文藝春秋』で首相自身が語っている。発病は17歳の高校生の時だったという。自分の免疫が自分の腸の壁を攻撃し、腸壁が剥落して潰瘍となりただれる。激しい腹痛と夥しい下血が続く。夜中もほぼ30分毎に下血が続き到底熟睡できない。
こんな辛い症状が新しい薬によってようやくおさまった。にも拘わらず何年もの間コントロールできていた難病指定の病がぶり返した。それを確認したのが8月17日の検診だったと総理は明かしたのだ。
安倍事務所はその翌日、私も関係する大きな会合をキャンセルした。その理由について、この病気は1週間休んだからといって治るものではない、総理自身が一番よく識っている。新薬投与の効果はあったが、継続的な処方が必要で、病気が快方に向かうという保証はない、予断は許さないという説明を受けていた。信じたくはなかったが、そのとき私はある意味、覚悟した。
そのときの説明と、28日の総理の短い電話連絡の内容は丁度重なる。間違いなく首相はこの8月17日に辞任を決意したのだ。
思いがけない勇気
さて、首相辞任が明らかにされた28日、私は再び同じような考えに引き戻されていた。総理にはとにかく体を大事にして十分に休んで回復してほしい。しかし、これからの日本が心配だ。相対的に弱くなっている米国の影響力を安倍首相は豪州やインドを巻きこみながら戦略的に補完してきた。日欧の経済連携協定、及び環太平洋経済連携協定(TPP)もまとめて強い指導力を発揮した。その安倍首相後の日本も世界もどうなるのか。よく見通せない。そんな想いで作業をする内に、夕方5時からの会見が始まった。
首相の辞任表明会見は実に印象的だった。冒頭発言で首相は二度にわたって国民に心からの感謝を表明したうえで、辞職することを心より詫びた。質疑には最後まで非常に謙虚で丁寧に応えた。
謙虚であるだけでなく首相は冷静で忍耐強かった。己れを無にして国家・国民の為に働く姿がそこにあった。謙虚、冷静、忍耐強さは武士道精神の核を成す資質である。これらが一体となったとき人間には思いがけない勇気が湧いてくる。自分の力以上の力が与えられる。
私はこの会見に無私の境地にある首相の真摯さを読みとった。多くを成し遂げたとはいえ、道半ばで辞職する無念さが、国民と日本国の安寧を願う純粋な気持ちと共に伝わってきた。
だが首相会見を見ていてどうにも納得できないことがあった。難病をコントロールしながら、最善を尽くした首相とは対照的な、官邸詰めの記者の姿だった。彼らの質問は彼らの問題意識の在り方を示している。記者としての矜恃も能力も質問から明らかになる。彼らは首相の努力も功績も殆ど認めていない。個々の記者が首相の成し遂げたことの意義を知ったうえで認めないのであればそれもいいだろう。しかし、会見での彼らの質問は、安倍首相の功績を真に理解した結果発せられたというより、単に勉強不足だったり視野が狭いからではないかと思えてならない。
必要とされる日
世界はいま米中二大国の尋常ならざる対立局面に陥っている。にも拘わらず、記者の中でなぜ一人も、米中問題や北朝鮮のミサイル問題、中国の脅威などについて質問しないのか。100年に一度と言われる厳しい国際情勢に関するわが国の備えについての質問がなぜ、出てこないのだ。
日本の中枢に陣取る官邸記者クラブはジャーナリズムの役割を果たしているのかと、疑ったのも当然だろう。彼らは総裁選挙の細々とした情報について多くの質問をした。政局の詳細情報も大事だ。しかし、安倍首相が実践してきた地球を俯瞰する外交や、日々刻々と変化する安全保障環境について質さないのは、どう考えても奇妙だ。官邸記者クラブ所属なら、もっと誇りと知性を示せ。大局から見た日本国の針路を問い、首相の掲げる国家戦略を議論するくらいの力を見せよ。
また、日本国の中心で働く記者であれば、日本人らしい配慮や礼節も示してほしい。会見終盤で中国新聞社の下久保記者が「総理、お疲れさまでした」と労(ねぎら)ったのがせめてもの救いだったが、身心をすりへらして歴代最長政権になるまでに勤め上げた首相に対して、その他の社のどの記者も感謝と労いの言葉を発しなかった。取材者以前に人間として、或いは社会人としての常識の欠落だ。
木を見て森を見ない類いの質問に終始する彼らの、時に不条理な批判に晒されながら、7年8か月、安倍晋三首相は獅子奮迅の働きをした。無論、首相の足跡の全てが100点満点とはいえない。それでも首相は8年近く、日本国と国民の為に本当によく働いて下さった。私は国民の一人として、心から労い、感謝したいと思う。
そして感ずるのだ。激動の国際社会で日本のみならず世界の道しるべとして安倍首相の視点と力量が必要とされる日が必ず、また来る。首相は退いても世界から求められる貴重な日本の政治家であり続けるだろう。
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モチヅキって新聞記者に必要な素養でさえ欠いている上に、人間としてもダメなことがますますはっきりしていた
まあ、官邸の記者会見で稚拙なご高説を延々とぶってご満悦だったことからわかっていたことだが
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★ 武村元官房長官は北のスパイ?
11月9日公開のチャンネル桜討論番組に出演し、アメリカ政府が「武村正義元官房長官は北朝鮮のスパイ」と指摘した事実を冒頭で紹介したところ、「知らなかった!」「ガックリくる思いだった」と知人数人から言われました。国家の存立にかかわる極めて重大な事件であるにも関わらず、意外と知られていません。YouTubeで動画をご覧いただけます。 https://youtu.be/UtMdRp-FsWw?t=54m22s
1994年2月12日夜(日本時間)のことです。日米包括協議のためワシントンを訪問中の当時の細川護煕首相から、高輪の衆議院議員宿舎にいた小池百合子議員に電話が入りました。細川氏は困り果てた声でいいます。
「武村さんは問題だっていうんです」
アメリカ政府高官は細川氏に、
武村官房長官から北朝鮮に情報が洩れる危険性
を指摘しました。つまり
武村氏はスパイ
だということです。細かいやり取りは明かされていませんが、当然のことながら更迭しない限り今後情報は出せないという意味です。同盟国の首相に対して「あなたの女房役は敵のスパイだ。アメリカなら終身刑になる極悪犯罪者だ。切らないなら同盟国として付き合えない」と実質的に宣告したのですから、アメリカが
確たる証拠
を持っていたことは間違いありません。
細川氏は内閣改造で武村氏を切ろうとするものの失敗し、94年4月に退陣を表明しました。小池氏によれば細川氏は「北朝鮮が暴発すれば、今の体制では何もできない。ここは私が身を捨てることで、社会党を斬らなければダメなんです。それで地殻変動を起こすしかないんです」と述べています。
これはすべて小池氏が『正論』2002年7月号に掲載された「細川首相退陣の引き金は『北朝鮮有事』だった」と題した論文で明らかにしたことです。当時内閣情報調査室室長だった大森義夫氏も著書『日本のインテリジェンス機関』(文春文庫)でアメリカ政府の指摘に触れています。それに対して武村氏からは有効な反論は出ていません。事実確定です。 あの当時日本は国家の体をなしていなかったといっていいと思います。官房長官はナンバー2で、ありとあらゆる情報が集まるポジションです。その官房長官が敵のスパイだと同盟国にいわれたのです。秘密も何もあったもんじゃありません。
日本ほどの大国がこのレベルまで浸透されたのは世界史上例がないと思います。諸外国で超大型スパイ事件として大騒動になり、本に書かれ映画になるのは情報機関幹部クラスが敵国に通じていた話です。有名なキム・フィルビーにしてもオルドリッチ・エイムズにしても官僚です。イスラエル情報機関員エリ・コーヘンはシリア国防副大臣になる手前までいきましたが、なったわけではありません。それらと比べると、官房長官が北朝鮮スパイというのがどれほど凄い事態かお分かりいただけると思います。
このような日本の甘さ・不作為は、私たちがテロで殺される危険性を高めています。諸外国は「日本は信用できない」と判断します。自国情報機関が命懸けで収集したテロリスト情報を提供することに躊躇してしまうのです。その結果IS等の情報が日本に入ってこなくなれば、東京オリンピックで大規模テロが発生する確率が高まります。なんの罪もない日本の一般国民が代償を払わされるのです。
残念ながらスパイ防止法はできそうにありません。自分が捕まることを恐れる国会議員が決死の覚悟で抵抗するからです。まずは出来ることから実現していかないといけません。
★ 安倍総理に強制送還を直訴しよう!
前回記事で書いたように、政府は特別永住者の朝鮮総連幹部であっても国連制裁に基づく強制送還をすぐに実現できると答弁しました。安保理決議第2270号パラグラフ13の規定により、在日北朝鮮当局者で国連制裁破りに関わったと政府が認定した者は強制送還されることが明らかになりました。報告を受けた朝鮮総連幹部は震え上がったことでしょう。 本ブログ2019年11月2日付記事
答弁書リンク(衆議院HP) しかしパラグラフ13の規定には制約があります。「政府の代表又は北朝鮮政府の立場で行動するその他の北朝鮮国民」が対象なのです。当然のことながら制裁破りを指摘された朝鮮総連構成員は「自分は当局者じゃない」「韓国籍になったから『北朝鮮国民』じゃない」と必死で抗弁します。いま朝鮮総連のかなり��部分が韓国籍になっていて対象外となります。
それでは強制送還は夢で終わってしまうのか? ご安心ください。国連決議はそんな甘くありません。続くパラグラフ14が「自国の国民でない個人」について定めています。すべての外国人ということです。政府が国連制裁破りを認定すれば「国籍国への送還を目的としてその個人を自国から追放することを決定した」となります。必ず強制送還しないといけないということです。 政府公式訳リンク(pdf)
これには国連制裁破りに関わる韓国籍の者のほかに、中国人密輸屋も入ります。チャンネル桜討論番組で少し触れましたが、北朝鮮密輸に関わる中国人が東京・神田に事務所を構え、中央区の高級マンションに住んでいることを私のほうで確認しています。本当にトンでもない男で、日本の国際的信用を悪用するため日本風の社名を複数使っています。中には日本の大手企業子会社と同じ社名もあります。いずれ強制送還の憂き目に遭わせてやりたいものです。
在日本朝鮮青年同盟機関紙『セセデ』2017年9月号
ここで皆様にお願いがあります。ほんの少しだけお時間をください。首相官邸ホームページ「ご意見募集」から「対北朝鮮国連制裁破りに関わる者を強制送還してください。安保理決議を履行してください」と安倍総理宛にメールをお送りいただきたいのです。
http://www.kantei.go.jp/jp/iken.html
同様の意見を内閣官房、国家公安委員会・警察庁、法務省、外務省にもお送りください。各省庁に一斉送信できるページがあります。
https://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose
スパイ防止法制定が難しくても、現在の国際法・国内法でできることがあります。国民から多数の要望が届けば、米朝関係の推移をみて安倍総理・菅官房長官は強制送還を指示するでしょう。そもそも安保理決議は必ず履行しないといけないことです。あなた様のメールが北朝鮮・朝鮮総連に甚大な打撃を与えます。メール送付をよろしくお願いします。
「不法入国者、密輸入者、共産党の手先になっている者など好ましからざる朝鮮人は強制送還をぜひとも断行する」
(吉田茂首相・1952年8月4日の全国知事会議で)
「不良朝鮮人を強制送還せよというのは国を挙げての世論といってよい」
「現在生活保護法による扶助を受けている朝鮮人は6万人におよぶ。その一部が破壊活動資金に流れているとの噂もある」
(木村篤太郎法務大臣・1952年8月12日の記者会見で)
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終息宣言2021好評開催中!!森発言に絶賛抗議中!!オンライン集会はいよいよ本日!!
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[オリンピック終息宣言2021]は神楽坂セッションハウスにて2月14日まで。いよいよ折り返し。まだまだ内容はてんこ盛りです。
てんこ盛りの原因は、なんといっても森発言。開催2日前にうんざりするようなニュース。いかにもオリンピックなさ別発言(森はオリンピックにはふさわしくない、というのは間違い)、そしていかにもTOKYO2020などたばたな事態。
私たちはもともと展覧会までにTOKYO2020の中止が決定しなければ、抗議声明を出すつもりでした。そして森のせいで緊急に文章を追加。[TOKYO2020開催強行と森組織委会長発言に対する抗議声明]となりました。
現在、おことわリンクさんの出した声明とともに会場に掲出し、両方とも賛同人を集めています。ぜひご来場の際は賛同人になってください(文面は本記事末に掲載しましたが、例によってイケガミアツコによる朗読ビデオが速攻完成しました。会期中に深夜晴海まで行くという無謀な撮影です)。
そして待望のオンライン集会[311まであと一ヵ月、オリンピックをちゃんと理解する会]は、本日2月11日(木)19:30より!!配信はこちらから!!
https://www.youtube.com/watch?v=GbY14Tvzgr0
イケガミより[文学vsオリンピック・デスレース2020]では外苑(JOC)~市ヶ谷~神楽坂というルート上にナショナリズムのテキストがちりばめられている、との主張があり、配信が電波不良だったり、夜で風景が見えなかったりした分のフォロー動画が届きました。いきなり三本。
これはサテライト企画のさらにフォローなので、Un Official動画として紹介します。オリンピックや、ナショナリズム、建国記念の日を「ちゃんと理解する」手がかりになるか?
1.外苑内:建国記念文庫
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2.市ヶ谷駐屯地:檄文(イケガミは三島が大嫌い)
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3.東京監獄:金子文子尋問調書
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さらに会場風景の紹介続きです。



1.三木祥子、花田伸
2.宮田昌作、平井勝正
3.吉川和江、戸山灰
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TOKYO2020の開催強行と森組織委会長発言に対する抗議声明
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組織委員会会長 森喜朗
TOKYO2020組織委員会
日本オリンピック委員会 山下泰裕
JOC
内閣総理大臣 菅義偉
首相官邸
オリンピック担当大臣 橋本聖子
文部科学省 スポーツ・青少年局競技スポーツ課 オリンピック・パラリンピック室
東京都知事 小池百合子
東京都オリンピック・パラリンピック準備局
宛
TOKYO2020の開催強行と森組織委会長発言に対する抗議声明
私たちはオリンピック・パラリンピックの終息を宣言する。
これはTOKYO2020の中止だけでなく、今後予定される北京、パリ、ミラノ、ロス、そしてよもやの2032年東京、のすべてである。
しかし、今、私たちがもっとも重要と考えるのは、TOKYO2020の中止である。これを止めることが「オリンピックはやめられる」ことの先例となるからだ。
中止すべき最大の理由はもちろん新型コロナウイルス感染症COVID-19の拡大である。
この一年、全てのひとびとの生活が、そして文化芸術活動やそのための施設が多くの制約を受け、破壊的な打撃にさらされてきた。美術、音楽、映画、舞台、一部のスポーツイベントも、文化のひとつに「食文化」も含めると飲食店も。公演や興行、作品制作の中止、延期、施設の休業、時短。そのことの経済的なダメージによって閉鎖した施設もあまたある。
それに対しての政府・東京都の補償は不十分だったり、見当違いだったり、業界から是正を求め、提案をしても、まったく聞き入れない。
私たち[オリンピック終息宣言]展は2月6日から14日まで神楽坂セッションハウスで展覧会を実施した。しかし、開催を選ぶにしても、いくつもの企画の縮小・変更を余儀なくされ、アルコールやマスク、定員制限といった物理的対策、なによりも精神的な不安の中開催するのだ。この負担はきわめて重い。
にもかかわらず、TOKYO2020、もう2021年なのに、こればかりはまったく中止決定せず、費用を無限にふくらませ、医療や補償にまわすべきリソースを食いつぶし、世論調査で8割もが「開催はムリ」と言っている声も聞かずに、政府、東京都、JOC、組織委員会は
「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証としてワクチンなしでも安全安心やらないというご意見があれば聞いてみたい3月には福島第一原子力発電所のすぐそばから聖火リレーをスタートし子どもたちの笑顔のための希望の灯とします毎日毎日神に祈る」などと言い続けているではないか。
たとえば、開会式の半年前の1月23日を例にとると、この日の東京都新規感染者数は1070人。オリンピックまであと181日。このふたつの数字の並びに、なぜ矛盾を感じないのか。
そもそもこの大会は、2013年安倍首相がIOC総会で「福島原発はアンダーコントロール」と大噓をついて招致したものだ。2011年3月11日から、まもなく10年。放射能汚染で帰還できない人は5万人に及び、政府は増え続ける原発敷地からの汚染水を海洋放出しようとし、聖火リレーのコースのすぐ外には汚染土のフレコンバッグが山積みされている。
そして今度は「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証」として、いまだワクチン供給体制の確立すらできていないのに、世界的感染拡大からの「復興」を言い出している。
日本以上に感染者、死者数の多い国々、オリンピック参加国とされている国々に、これらの発言はどう思われるのか、考えたことがあるのか。
さらに国際的常識から乖離した発言が、日本のオリンピック推進のトップから飛び出した。
2月3日森喜朗組織委員会会長の「女性がたくさんいる会議は話が長い」である。
私たちも展覧会会期直前のこれから、という時にあまりのことに愕然となったが、国内のみならず、全世界も騒然となっている。
現在の国際的な女性差別撤廃の合意から大きく後退した時代遅れのミソジニー発言であり、同時に会議による合意形成を否定し、独断をよしとする発言だからだ。
しかしこれは、近代オリンピックの祖、クーベルタン男爵の女性のスポーツに対する「非実用的で、面白くもなく、見苦しい上に、はっきり言うと下品である」「女の栄光は、彼女が生んだ子どもの数と質を通して勝ち取られるもので、スポーツについていうなら、女の最大の功績は彼女自身が記録を目指すことではなく、彼女の息子が卓越するよう励ますことである」という思想以来、脈々と続いているものではないか。オリンピックの根底には差別の構造が存在する。だから私たちは、森会長の辞任は当然として、オリンピックそのものの中止・廃止が必要と考えている。
TOKYO2020における差別の問題、国際的常識からの乖離・遅れはそれだけではない。
昨年アメリカで大きなうねりとなったBLM、人種差別に対する抗議行動。この先駆けとも言えるのが1968年メキシコ五輪のブラック・パワー・サリュートだった。クーベルタン男爵は「スポーツで植民地先住民を教化する」という思想も持っており、そもそもオリンピックこそが差別の場である。しかし今、スポーツ界でも多くの人種差別抗議が拡がっている。全米オープンでの大坂な��み選手しかり、BLMのシンボルのひとつでもある、アメリカ・プロスポーツでの膝まづき(ニーリング)行動しかり。抗議パフォーマンスによって弾圧されたメキシコ五輪の黒人選手たちや、ニーリングをはじめたコリン・キャパニック選手への連帯が人種を超えて拡がっていった。
それに対してJOC、組織委はどう対応したか。「TOKYO2020での政治的パフォーマンスは禁止」と、改めて発表。さらにはあろうことか、会場への旭日旗の持ち込みを「まったく問題ない」としているのだ。この日本、東京でも卑劣なヘイトデモの際に振り回される、あの1940年東京五輪当時の大日本帝国の軍旗が。
世界が、人類が、スポーツ選手もアーティストも、人種差別をなくそうと闘っているのに、この逆行はなんだ。
政府、東京都、JOC、組織委はひとの命と健康と生活、そして尊厳をどこまで軽視するつもりなのか。
TOKYO2020は、ひとびとに「オリンピックとは健康や生命を脅かし、差別をまき散らすおそろしい疫病だ」と知らせる機会となった。政府、JOC、組織委員会の迷走と開催への異常な固執により、今や多くのひとびとに、その正体は見抜かれている。
オリンピック・パラリンピックは健康を、生活を、文化・芸術を破壊する。オリンピックはスポーツの敵ですらある。オリンピックは人類の命を奪う疫病だ。
これをやめることこそ、真の「希望の灯」である。
終息せよ、TOKYO2020、終息せよ、オリンピック。
2021.2.15
オリンピ���ク終息宣言2021実行委員会
オリンピック終息宣言2021出品作家一同
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2020オリンピックとVOVID-19 -TOKYOなど各開催都市抜きの「延期」と「中止」-
2020年に入ってからのCovid-19とオリンピックにまつわる出来事を時系列にまとめました。今後も追加していく予定です。


2020オリンピック延期とCOVID-19 -開催都市TOKYO抜きの決定-
2月 21日 オリパラ組織委森喜朗会長「マスクをしないで最後まで頑張ります」 27日 IOCバッハ会長 電話会見で「予定通り開催」
3月 1日 東京マラソンが一般参加ナシで開催 2日 安倍総理大臣 小中高へ臨時休校するよう要請 11日 WHO「新型コロナウィルスはパンデミック」と発表 森「2020五輪計画変更ナシ」発言 12日 ギリシャで聖火の採火式開催 参加した外務省職員ウィルス感染 IOC「7月に予定通り開催」 13日 米国大統領トランプ「一年延期した方がいい」と発言 14日 安倍「感染拡大を乗り越えて通常開催」と記者会見 19日 ギリシャで聖火を引継つぐ予定だった森会長、他、急遽取りやめる 20日 宮城県で聖火到着式 国際メディア「予定どおり開催できるかのように進めるのは無責任」と批判が高まる 24日 安倍が記者会見「森会長、小池東京都知事同席の元、バッハIOC会長と電話会談を行った。1年程度延長し遅くとも来年夏までに開催すると提案し合意を得た。開催国としての責任を果たす。」と発表 バッハ「東京五輪は人類が、いまだかつてない難局を乗り切ったお祝いの場となる。世界の団結の象徴にしよう」 25日 翌日26日からスタートする聖火リレーが延期
5月 22日 IOCコーツ調査委員長「開催可否は10月が山場」 29日 安倍「五輪開催にはワクチン開発がとても重要」
7月 29日 タイ、ベトナムとの間で入国制限措置を緩和し往来を再開。 23日 森喜朗「中止はまったく考えていない。毎日神に祈るような気持ちだ」と発言。
8月 8日 森喜朗「(五輪中止は)考えてない。コロナに負けたら人類が滅亡する。五輪は実現させていかないといけない」 20日 オリンピック・パラリンピックについて望ましい形「中止」27.8%、「開催延期」25.8%という企業調査結果が発表される。 24日 国際パラリンピック委員会(IPC)のアンドリュー・パーソンズ会長「感染対策が改善されなければ実施はできない」 28日 安倍晋三が首相辞意表明
9月 1日 日本オリンピックミュージアムで東京2020オリンピック聖火を展示開始(~11月1日) 3日 政府、オリンピック・パラリンピック代表選手に対する入国制限措置の緩和策として、入国後2週間の待機を求めないなどとした方針検討。 4日 首相官邸で第一回「東京オリンピック・パラリンピッ ク競技大会における新型コロナウイル感染症染症対策調整会議」が開かれる。東京都からコメント無し。 マレーシアなど5か国との間で入国制限措置を緩和し往来を再開。 7日 コーツ「コロナがあろうとなかろうと開催される。来年7月23日に始まる」 8日 橋本聖子「何としても開催しなければならないと思っている」 16日 菅義偉首相就任 21日 バッハ「ワクチンがなくてもスポーツ競技大会を開けることが最近分かってきた」と発言 25日 IOCと東京組織委が「大会の簡素化」を発表 IOC関係者への豪華待遇の予算削減 26日 国連総会で菅義偉がビデオ演説「来年の夏、人類が疫病に打ち勝った証しとして、東京五輪・パラリンピック競技大会を開催する決意」 28日 聖火リレーリート日程発表
10月 1日 バッハ「新型コロナウイルスのワクチンを大会に参加する選手団ら関係者全員に平等に行き渡るようにしたい」 日本政府、原則として全ての国・地域からの新規入国制限を緩和。ビジネス関係者に加え、中長期の在留資格を持つ外国人の入国を許可。 (イギリスやEUで第2派襲来、3月より悪化、米国は第1波のアウトブレイクが継続と報道) 7日 安倍晋三、オリンピック・パラリンピック名誉顧問に就任 10日 国際体操連盟(FIG)が11月8日に体操の国際大会を東京・国立代々木競技場で開催すると日本体操協会が発表。 15日 神奈川県、満員に近い横浜スタジアム(横浜市)のプロ野球の試合で、新型コロナウイルス感染症対策の実証実験を行う方針を発表。 16日 東京都で連日感染者数200人超。 菅が東京五輪を「何としても実現したい」と発言 21日「IOCがオリンピック中止を通達した」との一部報道 22日 組織委が中止報道を否定。 23日 政府、東京ドームでの新型コロナウイルス感染症対策の実証実験を行う方針を発表。 菅「(オリンピック・パラリンピックは)人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として開催する」と発言。 橋本聖子、中止報道を否定。 28日 バッハ「(中止報道は)単純な推測にすぎない」と否定。 30日 組織委、11月10日~30日まで観戦チケットの払い戻しを行うと発表。
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「主権者が主権者であるために。今、ジャーナリズムと民主主義を考える」『i-新聞記者ドキュメント-』再上映初日シンポジウムレポート!!

10月13日(火)21時より、この日のシンポジウムの様子をChoose Life Project のYouTubeチャンネルにて配信しております! 是非ご覧ください!
『i-新聞記者ドキュメント-』再上映特別シンポジウム Day1 動画視聴はこちら!! 『新聞記者』のプロデューサーが、私たちが生きる“今”と“メディアの正体”に警鐘を鳴らす、新感覚ドキュメンタリー『i-新聞記者ドキュメント-』。本作は、オウム真理教を題材にした『A』やその続編『A2』、そしてゴーストライター騒動の渦中にあった佐村河内守を題材にした『FAKE』などで知られる映画監督で作家の森達也監督が、東京新聞社会部記者・望月衣塑子の姿を通して日本の報道の問題点、ジャーナリズムの地盤沈下、ひいては日本社会が抱える同調圧力や忖度の正体に迫る社会派ドキュメンタリー。第32回東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門で作品賞を受賞しました。 昨年公開され、大ヒットを記録したのも記憶に新しいが、菅官房長官時代の菅首相をこれほど捉えた作品はございません。菅政権の誕生でにわかに注目が集まっていることを受け、今回10月9日(金)から15日(木)の一週間限定で、新宿ピカデリーにて再上映が決定致しました。 初日となる10月9日(金)には、テレビの報道番組やドキュメンタリーの制作を行なっているディレクターや映画監督らで立ち上げた映像制作チームChoose Life Projectとコラボでトークイベントを開催。シンポジウム詳細は下記のとおりです。 ■日時: 10月9日(金)18:00~19:00 ■場所:新宿ピカデリー シアター3 (東京都新宿区新宿3丁目15番15号) ■登壇:望月衣塑子(東京新聞・記者)、高橋純子(朝日新聞・編集委員)、蓮舫(参議院議員) MC:津田大介(ジャーナリスト/メディア・アクティビスト) ■主催:Choose Life Project
菅政権の誕生でにわかに注目が集まっていることを受け、再上映となった『i-新聞記者ドキュメント-』。10月9日~11日の3日間は、各界の有識者を集めシンポジウムも開催される。初日の10月9日(金)には、司会をジャーナリストの津田大介さんが務め、官房長時代、記者会見で連日質問を投げかけてきた菅総理の“天敵”とも言える望月衣塑子さん、朝日新聞の政治面コラム「政治断簡」を担当していた高橋純子さん、そして立憲民主党参議院幹事長の蓮舫参院議員を迎えシンポジウムが開催された。

まず現段階での菅政権について、望月さんはついに学術の世界まで来たなという「人事独裁政権」

高橋さんは陰険、陰湿、陰謀の「陰」、蓮舫議員は見た目だけでその先に何があるのか全く分からない「パンケーキの甘さが全くない素顔」とフリップに一言でまとめた。

司会の津田さんから、「日本学術会議が推薦した候補を菅総理が任命拒否した問題が大きかった。菅政権の本質が垣間見れる非常に重大な出来事だと思う。何が問題だと考えるか」と問いかけられると、望月さんは「人事を掌握されることで、合理的矛盾を感じながらも官僚が官邸に従わないといけないという雰囲気になってしまっている」と語り、高橋さんは「説明が全くされないこと。政治的手法として権力の力でいじめを躊躇しない人なのでは」と菅総理のふるまいを批判、蓮舫議員は「超法規的解釈で何でもやってしまう。法律にないことを閣議決定で決めてしまう、さらに法律を変えようともしてしまう。官僚は今すごく委縮してますよ」と痛烈に批判し、「学問の自由」への政治の介入についてや、論理のすり替えや説明しない菅政権、そして官僚人事権も含めた権力の掌握術などを熱く議論した。

メディアに対するコントロールについて問われると、望月さんは「オープンな場での記者会見は極力減らして、密室でのグループ会見ですましたいんだろうなと思います」と言い、高橋さんは「国会議員、ましてや総理が説明責任を果たしていない。メディアは一丸となって記者会見を要求すべきだと思う。メディアの分断状況が進んでしまっている」とメディアの問題点をあげ、蓮舫議員は「記者として時の権力者にどれだけ切り込んでいけるかはすごく大事だと思う。記者クラブが一丸とならない要因を作っている。」と語り、メディアと権力のあるべき関係についてまでも議論は及んだ。 また、メディアの置かれている立場として、「紙媒体からWEB媒体に移行してVIEWを稼ぐためにはいかに裏話を入手できるかになってしまい、権力監視から記事の価値軸がずれてきてしまっている。ジャーナリズムを持ち続けることがすごく大事」と高橋さんは時代の変化によるメディアの在り方などを語った。

菅政権のメディアコントロールを含めた、官僚、学者といった恣意的な人事権の介入が続いていることを受け、主権者である私たちが主権者であるために何が必要なのかを問われると、望月さんは「私はずっと叩かれ続けてますけど、どこに立って、何を報道していくのか、ということが大切だと思う。我々は市民や読者の応援もあって頑張り続けられている。フリーランスやWEBメディアの方や応援してくださっている方と連帯して、これからも政府の暴挙に立ち向かっていこうと思う」と熱く語った。

高橋さんは「私たち主権者は力がある。もう一度思い出さないといけない。社会全体が自由でないと個人は自由になれない」、そして蓮舫議員は「安倍政権下で私たちは慣らされてしまっていた。自分たちのなすべきことをぶれずに守り抜くことが必要。これからも私は自分のポジションで戦っていこうと思う」と語るなど議論はヒートアップ。

最後に司会の津田さんから「この映画は、ある意味、菅さんに望月さんがずっといじめ続けられる映画なんです。そしていつの間にか森監督に望月さんが乗り移っていくという。今観ることでさらに楽しめる作品だと思う。ある国会議員が菅さんと食事したとき、菅さんが“権力って面白いですよ”と発言されたということを聞いたことがあるんですが、まさに菅政権はそうなりつつある気がする。僕も僕の立場で頑張って発信して生き続けます」と〆の言葉で、初日のシンポジウムは終了となった。

2日目の10日(土)は、司会を安田菜津紀さんが務め、政治学者の三浦まりさん、政治アイドルの町田彩夏さんテレビ朝日元「報道ステーション」チーフプロデューサーも務めた松原文枝さんをパネリストに迎え開催。菅政権の経済政策や女性政策について議論する。 3日目の11日(日)には、再び津田大介さんが司会を務め、元経済産業省の官僚である古賀茂明さん、映画にも登場する朝日新聞記者の南彰さん、そして本作の監督を務めた森達也監督が登壇する。 劇場初公開の再編集・ディレクターズカット版の『i-新聞記者ドキュメント-』は10月15日(木)まで新宿ピカデリーにて限定公開中。 映画公式HP 映画予告編はこちら! Choose Lile Project 公式YouTubeページはこちら! Choose Life Project 公式Twitterはこちら!
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「獅子身中の虫鈴木貞一」より
…皇道派の連中は概して陰性な者が多かった。真崎(甚三郎)、柳川(平助)、小畑(敏四郎)、鈴木(率道)、秦(真次)などは蛇の肌に触るようなつめたい感じがした。荒木(貞夫)は秘書官と酒のみ競争するような茶目気があり、比較的陽気なところがあった。青年将校の信望を集めたのも、一つはそのせいであったと思われる。…
皇道派の変わり種として、いま一人の珍しい人物を紹介しておこう。鈴木貞一である。第二十二期だから鈴木率道と同期だ。支那駐在から任満ちて参謀本部に戻ったが、肝心の支那班で「彼は支那班に置くような者ではない。もっとしかるべきところに」といって収容しない。他の部課でも「ああ、こちらにはいらないよ」とみな敬して遠ざける。頭脳もよし手腕力量ともに凡庸ではないが、どういうものか同期生から好まれない。同期生といえば同胞よりも親しい。血をすすりあった盟友だ。それから排斥されるんだから、よほどの大器に違いない。それを聞いた軍事課長の永田鉄山が「それじゃ、俺のところにもらおう」という。軍事課の者が「ゲテモノ食いもたいがいにしなさい。彼を抱えこんでは課長が食われますよ」と散々忠告したが「まさか」といって採った。
駑馬も騎手が良ければ駛る。いわんや鈴木は千里の馬だ。騎手は古今の名手と来ているから、正に天馬天をいくごとく見えた。「鈴木はいいだろう」と永田は鼻をうごめかしていた。鈴木も永田の知遇に感じたか、御奉公第一と勤めているうち世の中が変わって来た。荒木が陸相としてその一党を率いて乗り込んで来た。永田と意気投合していた小磯(国昭)は軍務局長から次官に棚上げされた。荒木の髭の塵を払わねば立身出世かなわぬ雲行になった。永田は新軍務局長山岡重厚が素人だから、従来より一倍骨を折ってこれを補佐しているが、山岡は事務などはどうでもよい。永田の言動を厳重監視するのが役目である。
永田は人からはゲテモノ食いなど冷やかされるが、どんな者でも一芸一能に秀でている者ならばりっぱに使いこなす。鈴木など好例であるが、その他の軍事課員も一癖も二癖もある。腕に覚えのある侍どもだ。大臣がかわろうが局長が動こうが、俺は俺の道をいくという構えでジタバタする者はない。それぐらいの面魂は持っているのである。ところで、某日、筆者が山岡を訪れた。その頃はすっかり仲よしになっていた。
「おい、珍しい物を見せようか」
山岡は応接室から自室に引き返して持って来たのは汚い鞘に納められた短刀である。
「拝見します」
と抜いてみるとさびついている。銘はない。むろん筆者にはわからない。「何ですか」ときくと「俺にもよくわからないが、関もので兼房あたりではないかと思う。物は大したものではないが、まあ窓をあけるぐらいの価値はあろう」と卓子の上に載せ、「問題はこれを持って来た者だ。誰と思う」わかりませんと答えると「貞一だよ、鈴木貞一だよ」と言って笑う。「彼が北京とか天津とかの古物屋のガラクタの中にあったのを発見して、掘出物ではなかろうかといって持って来たんだ。彼は平素刀などひねくりまわしているのかい」と愉快そうに笑う。山岡は皮肉屋である。彼には鈴木がどういう意味でこんなものを持参したかを知っているのだ。それを筆者に言わせて拍手しようという魂胆だ。山岡が刀剣以外には何の趣味も道楽もない木強漢であることは部内周知の事実だ。酒を持ちこんでも菓子折を持参しても何の効顕もない。もし、刀剣を持ちこめば相好をくずして喜ぶ。この点はまことに弱い。持ちこむといっても贈物ではない。鑑定だ。贈物となれば少なくとも山岡の所持している以上のものでないと喜ばないだろう。現に長光とか国安とか稀代の国宝級のものを持っている。それに匹敵する物は、まず手に入るものではない。そこで鈴木はこの山岡最大の弱点をついたのである。
山岡が積極的に悪口を言わなくなれば、皇道派の連中は大抵信用する。面と向かっても罵倒するし、陰での批判など痛烈無比だ。皇道派とは因縁のない板垣征四郎を呼ぶに、まともに言ったことはない。「板(パン)」である。「板」がまた支那人にだまされてウンと金をとられた。「彼は板じゃなくて白(パイ)だよ。白痴だよ」という。金をとられたという事件の内容は忘れたが、おおむねこの類だ。彼の口に上らなかったのは武藤、荒木、真崎の三守護神くらいだが、それでも荒木については善意の悪口はのべていた。鈴木はその後も、長いもの短いもの幾口かを持ち込んでいた。山岡は役所でもろくな仕事はしていないんだから、役所に抱えて行って局長室に投げこんでおけばよいのを、わざわざ自宅に持参するところに彼の狙いがあった。かくて、皇道派のメンバーの一人の如く振舞うようになってから、永田に対する態度は次第に冷ややかになった。つめたくなるばかりではすまない。皇道派に永田の悪口を注進する。
鈴木はしばらく新聞班長をしたことがある。上着の内ポケットがいやに硬直している。「機密費でもしこたま入れてるのかい」というと、「ばかを言え、これだ」と取り出したのは短刀だ。見ると月山貞一の作である。「僕と同名だし、なかなかいいできだろう」と得意である。 月山は帝室技芸員か何かになって、晩年は知られたが、日清戦争頃までは鍛刀の依��者も少なく、やむなく古刀の擬物を打っていたと伝えられる。擬物でもすぐ発見されるようなものでなかったから、その技術は高い水準にあったらしい。それにしても贋物作りをするような人物は感心できない。それはそれとしても、何のために新聞班長が懐ろに短刀を呑んでいなければならないか。それほど彼の身辺は危険だったのか。真に護身用なら赤の他人に誇示するようなことはないはずである。また、手をのばせば届くところに、日本刀を仕込んだ軍刀を置いている。どこから見ても不必要だ。それを見せるキザな態度に筆者は、しばらく胸の悪くなるのを覚えた。
斎藤内閣のとき、何かの要件で鈴木は高橋(是清)蔵相を訪れた。大いに気おって蘊蓄を傾けて老蔵相を説き、ことに陸軍予算のみならず、国家予算全体についても話したらしい。高橋は鈴木の階級も何も知らず、おそらくポストも知らなかったろうが、ともかく数字をならべて説くところがなかなか堂に入っている。感心して鈴木が出て行ったあとで、次官か秘書官かに「今来てしゃべって行った兵隊はあれは主計か」と尋ねたそうだ。この話が陸軍に伝わり鈴木の耳にも入った。「君は主計に間違えられたそうだね」というと怒るかと思いのほか、満悦である。大蔵大臣に主計と間違えられるほど、俺は数字にも明るいんだと誇りたいんだ。渋谷美竹町の彼の自邸は、佐官級としては過ぎたりっぱなものであった。応接室も広く、周囲に飾られている物はみな中国のものだ。新聞記者が行くと、なかなかの御馳走を出す。ウィスキーなんか本場物を幾種類か出し、時には上等の中国の酒を振舞う。酒好きの記者はしばしば鈴木邸を夜襲したらしい。そういうことをするのが弘報宣伝だと心得ていたのだ。
さて、世の中はまた変わった。荒木が引っこみ林(銑十郎)が出て来た。その直後のことである。筆者は毎朝犬の運動のため、渋谷、駒場方面から方角違いの中野、杉並、八王子近くまで自転車で走りまわっていた。その途中に知りあいの家があれば、遠慮なく叩き起こす。仲には「どんなことでもきくから朝起こすのだけは勘弁してくれ」と泣きつく者もいた。家を出るのは薄暗い頃だから、運のわるい者はほんとうに夜半のつもりでいる。渋谷方面では永田も被害者の一人だ。しかし、その頃は旅団長をしていて、夜ふかしは少ないはずだから、帰途に垣根の外から「永田さん」と呼ぶ。美しい夫人が縁側に三つ指つくときは、まだ起きていない証拠だから素通りする。ところで、その朝は筆者の行ったのが少し遅くなってはいたが、珍しく庭に出て楊子をくわえている。そして先方から声をかけた。
「オイ、ニュースがあるぞ、こっちに入れ」
永田がそんなことをいうのは稀有だ。「何ですか」と犬をつれて庭に入って縁に腰かけるとこういうのだ。
「鈴木貞一が来たんだよ。御近所まで参りましたからといってね」
「鈴木は美竹町ですぐ近所じゃありませんか。今まで訪ねなかったんですか」
「来るものか、そして省内の事情や何かをききもしないのにいろいろしゃべって行ったよ」
「閣下が軍務局長にでもなると見たんですね。ほんとうにそんな気配が感ぜられますか」
「いろいろの情報や脈引きに来る者はあるよ、だが御免だよ、毎朝馬に乗って軍隊のことばかり考えていればよい旅団長は、めったにやめるわけにはいかないよ、ことにこんな御時世ではね」
林が就任すると間もなく、永田軍務局長説が出た。筆者は渡辺(錠太郎)から、林はつっかえ棒なしでは乗りきれない。永田は迷惑だろうが軍務局長になってもらわねばなるまい。林もその気でいる。しかし、実現するまでは新聞に書いてくれるなよ、書けば彼らが騒ぎ出すからと堅く差し止めされていた。しかし、部内でも永田出馬説がでるし、他の新聞にも書き立てている。そういう際だったので永田の真意を打診したのだが、やはり永田は出ないと言っている。けれども渡辺が強引に林を説得しているから、所詮出なければならなくなるだろう。渡辺のことは伏せておいたが、結局引っぱり出されるだろうことを話した。永田は「困る、困る」を連発して、憂鬱そうだった。
昭和九年三月の異動で、永田は軍務局長となった。鈴木貞一は永田の下で羽ぶりをきかせたかったらしかったが、こんどは永田もそうはしない。陸大主事に追った。小畑幹事の下だからうまく行くはずだが、林陸相出現以来の鈴木の豹変振りが皇道派を痛く刺戟した。彼は何をするかわからぬという疑惑がある。俊敏な小畑がそれを見損ずることはない。新聞班長時代には千客万来だった鈴木邸にも、雀が門前に巣をかけるようになった。だが、それぐらいのことで尻尾をまくような鈴木ではない。小畑にはつとめて媚態を呈するとともに、新聞班長時代に開拓した政界という新分野に鎌首を突っこんで行った。侯爵井上三郎は砲兵大佐で現役を退き貴族院にいる。現役時代から接近している。西園寺公の秘書原田熊雄は以前から食い込んでいる。原田から近衛、木戸の方につながる。
五・一五事件のあとではあり、政治家はみな陸軍のことを知りたがっている。それには鈴木は最もよい情報屋である。原田日記にも鈴木の名はところどころに出ているが、林が陸相辞任騒ぎをおこしたときでも、鈴木は原田に荒木、真崎らの動向を伝え、こういう風に西園寺公に報告してくれなど注文している。政友会の方では、五・一五事件が政治家のだらしなさに対する警告だったことなど忘れ、また軍部をのさばらせることが、いかなる結果を招来するかも慮らず、いたずらに政権をとりたい野心から、しきりに軍部の機嫌をとる。森恪などその第一人者だった。鈴木は森恪の存在を重視しないはずはなく、ここを窓口として政友会に近づく。かくて政界で流行児になった。現役軍人としているのもよし、退いて政界にいづるも不可なしと、彼の地盤は漸次強固になる。ここらの手腕は実に鮮やかなものであった。
永田軍務局長時代であるが、小磯は第五師団長として広島にいた。筆者は満州からの帰途にはいつも小磯を訪問することにしていた。広島は急行列車が不便で、夜半でなければ通過しない。小磯は起きて待っている。大きな玄関を入ると上り口にりっぱな果物籠が置いてある。小磯は出迎えに出た夫人を顧みて「籠はまだ捨ててないじゃないか」となじっている。夫人は困ったという顔つきで笑っている。どうしたのかときいてみると
「その籠にはふれるな、けがらわしいんだ。名刺かなにかはさんであるだろう、それを見ればわかる」
という。電灯の光でのぞいてみると鈴木貞一の名刺だ。
「鈴木が広島を通過したが、次官の関係でお伺いできないから、閣下に宜しく伝えてくれといって、多分駅にいた憲兵にでも頼んだんだろう、俺の留守中に届けられているんだ。胸糞が悪いから捨ててしまえと言って置いたのに、まだそこに置いている」
なるほどそれでわかった。その頃は小磯が中央部に出て、航空本部長になるかという噂がたっていた。その先物を買ったのだろうが、小磯としては次官、関東軍参謀長時代の鈴木の仕打ちには我慢ならぬものを感じていたのだ。
「捨てるのはもったいない。名刺さえ捨てておけば中身は上等な果物ばかりです。一つ食いましょう」
と名刺を土間に捨てて、籠を持って応接室に入った。小磯は機嫌がわるい。
「そんなものを食うより、今夜は虎の肉を食おう。山下亀三郎が朝鮮か満州かで仕留めたと言って、虎の肉を送って来ているんだ。この方がさっぱりしとっていいよ」
とさっそくすき焼きにして食ったが、肉が堅くてだめだった。それよりこの方がいいと、メロンや何かを食った。先物を買ってまた一儲けしようと考えたのだろうが、小磯は中央にもどらず、朝鮮軍司令官になった。果物は贈り損をしたわけだが、彼にもたまには目算違いがあった。…
(高宮太平『昭和の将帥』、1973年、190-197頁)
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訴状に書かれた訴訟の目的を知りながら、その意思に反して強制的に裁判を終わらせたのが岸田文雄首相である。そもそも政治家・岸田文雄氏の森友学園事件に対する態度はブレブレだった。自民党の総裁選に名乗りを上げていた2021年9月2日、BS-TBSの番組のなかで森友学園問題の再調査の必要性について問われたところ、「調査が十分かどうかは国民側が判断する話」「国民が納得できるまで説明を続ける。これは政府の姿勢として大事だ」と言い切り、疑惑に切り込む姿勢を見せたかのような態度を示した。しかし、安倍晋三元首相が高市早苗元総務相を担ぎ上げる動きを見せると、9月7日には「すでに行政において調査が行われ、報告書も出されている」と述べた上、「再調査等は考えていない」と一気にトーンダウンする。2021年10月4日、岸田氏は内閣総理大臣に指名された。赤木雅子さんは10月6日、「夫が正しいことをしたこと、それに対して財務省がどのような対応をしたのか調査してください」と、公文書改ざん問題の再調査を求める手紙を発送する。岸田首相は10月8日の夜、官邸で記者の取材に応じた際、雅子さんからの手紙について問われたところ、「届いております。読みました。しっかりと受け止めさせていただく」と述べたものの、再調査の有無には答えなかった。少なくとも岸田首相は赤木雅子さんの気持ちを「しっかり受け止めた」はずだった。ところがそのわずか2ヵ月後、真相究明のために起こされた訴訟を強制終了させるべく、認諾に突き進む。
公文書改ざん訴訟で赤木氏の控訴棄却 税金で森友事件の真相究明を阻止した岸田文雄首相の言行不一致を追う(赤澤竜也) - エキスパート - Yahoo!ニュース
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さて、今週の第1位は文春のトップ記事。 久々に安倍昭恵の話題である。森友学園を巡る財務省の公文書改ざん訴訟が7月15日、大阪地裁で始まった。 当時の佐川宣寿理財局長から改ざんを強要され、それを苦にして自裁した赤木俊夫近畿財務局職員の妻・雅子が「(佐川が=筆者注)指示していないなら指示していないと、本人の口から聞きたい」と考え、起こした訴訟である。 森友学園への超格安国有地払い下げ問題は、籠池理事長(当時)と親しかった昭恵が、その国有地に案内されて、「いい土地ですね。話を進めてください」と語り、国有地をバックに籠池夫妻と笑顔でスリーショットを撮ったことに端を発している。 その後、「神風が吹いた」(籠池)ように近畿財務局の態度が一変し、とんとん拍子で大幅に値引きされ、払い下げられたことはよく知られている。 夫の赤木が亡くなった“元凶”は昭恵といってもいいはずである。雅子は、今年の4月に、昭恵に宛てて、夫が改ざんをさせられ命を絶ったことをどう考えているのかという趣旨の手紙を出したが、返事は来なかった。 赤木の遺書をスクープした相澤冬樹大阪日日新聞記者が文春で、ある筋から昭恵の携帯の番号を入手したと書いている。雅子が電話したが留守電だった。 雅子は、携帯電話の番号からLINEの「友達の自動追加」をONにした。そしてこうメッセージを送った。 「赤木雅子です。LINEでも失礼します。お返事いただけましたら嬉しいです。よろしくお願いします」 普通の感覚では、森友学園問題で追及されている当人が、自分の不始末の処理をさせられ自裁した妻からのLINEに返事を返すということは考えられない。だが、この女は並みの神経ではない。 1時間ほどして返事が来た。 「お手紙のお返事をせず申し訳ありません。ご主人様のご冥福を心よりお祈り申し上げます」 雅子が「お手紙読んでいただきましたでしょうか?」と送ると、「はい」と返ってきた。 だが、「どうお感じになられましたでしょうか?」と送ると、返事は戻って来なかった。 しばらくして、雅子が「コロナや色んなことがおさまったらぜひ神戸の自宅にお越しください。夫が喜ぶと思います」と送った。6日後、昭恵から、LINEがご本人かも確信がなく、また内容がマスコミに報じられると疑っていたという前置きで、「色々なことが重なり人を信じられなくなるのは悲しいことですがご理解ください」という返事が来る。 感激した雅子が、「大変な中お返事をありがとうございます。(中略)マスコミの報道に負けないでください!」と書き送ると、ありがとうございますという昭恵をモデルにしたスタンプと共に、「いつかお線香をあげに伺わせてください」という驚くべき返事が返ってきたというのである。 ここまで読んできて私は頭が混乱する。雅子が提訴している理由は、不透明な国有地払い下げの経緯をまとめた文書の中から、昭恵の痕跡を消すことだったと、佐川の口からいわせることだったはずである。もし佐川が喋れば、亭主の安倍共々、マスコミから指弾され、総理辞任にまで発展するかもしれないのだ。 それなのに「マスコミに負けないで」とは、いささか首を傾げざるを得ないが、昭恵の浅慮、口から出まかせの実のない言葉には、呆れるより、怒りが湧いてくる。 この女は自分の置かれた立場をいまだに理解できないのだろう。SNS中毒患者で、LINEを送られると、深く考えずに手が自然に動き、心にもないことを書き連ねてしまうのだろう。 このところの報道で、首相官邸のネット・SNS戦略を担っている4人の「広報調査員」のうち、1人が電通から出向している人間だということがいうことが明らかになっている。 しかも4分の1ではなく、この電通の人間が実質的に取り仕切っているといわれる。 昭恵のこうしたSNSに対しても、広報の人間が何らかのアドバイスをしていると考えられる。 「人を信じられなくなるのは悲しい」と、自分も被害者であるかのように泣いて見せる。「いつかお線香をあげに伺わせてください」と、時期を切らずに、私には十分その気があるんだけど、気持ちだけはわかってねと、相手の感情に訴えかける。 このやりとりは必ず文春に出る。読者の中には、昭恵は赤木の死を悼んでいるようだと“錯覚”する者もいるかもしれない。平易だが、なかなか文章作法を心得ている人間のように思う。 佐川側は「公務員の不法行為について公務員個人は損害賠償責任を負わないとする判例がある」と反論しているそうだ。この裁判、裁判長の覚悟も問われている。(文中敬称略)
|日刊サイゾー
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国会審議結果 5月16日(木)
衆議院 09:00 農林水産委員会 質疑無し 09:00 憲法審査会 質疑無し 13:00 本会議 議事日程 第 一 戸籍法の一部を改正する法律案(内閣提出) 第 二 障害者の雇用の促進等に関する法律の一部を改正する法律案(内閣 提出) 第 三 放送法の一部を改正する法律案(内閣提出) 第 四 食品ロスの削減の推進に関する法律案(消費者問題に関する特別委 員長提出) 第 五 船舶油濁損害賠償保障法の一部を改正する法律案(内閣提出) 第 六 中小企業の事業活動の継続に資するための中小企業等経営強化法等 の一部を改正する法律案(内閣提出) 第 七 学校教育の情報化の推進に関する法律案(第百九十七回国会、遠藤 �� 利明君他六名提出) 討論 一、「平成三十一年度以降に係る防衛計画の大綱」及び「中期防衛力整 備計画(平成三十一年度~平成三十五年度」に関する報告について 質疑者 熊田裕通(自由民主党) 本多平直(立憲民主党・無所属フォーラム) 渡辺周(国民民主党・無所属クラブ) 濱地雅一(公明党) 赤嶺政賢(日本共産党) 森夏枝(日本維新の会) 広田一(社会保障を立て直す国民会議) 参議院 10:00 内閣委員会 会議に付する案件 国会議事堂、内閣総理大臣官邸その他の国の重要な施設等、外国公館等及 び原子力事業所の周辺地域の上空における小型無人機等の飛行の禁止に関 する法律等の一部を改正する法律案(閣法第三四号)(衆議院送付) 内閣の重要政策及び警察等に関する調査 質疑者 和田政宗(自由民主党・国民の声) https://youtu.be/hrxqjTs_akM 福島みずほ(立憲民主党・民友会・希望の会) https://youtu.be/V_BTlAWIgP8 木戸口英司(国民民主党・新緑風会) https://youtu.be/uPDsjQfxvIg 竹内真二(公明党) https://youtu.be/keJbo7YeUwo 清水貴之(日本維新の会・希望の党) https://youtu.be/afkegRN_WJ8 田村智子(日本共産党) https://youtu.be/_J0MZPI7fBk 10:00 法務委員会 会議に付する案件 表題部所有者不明土地の登記及び管理の適正化に関する法律案(閣法第三 〇号)(衆議院送付) 法務及び司法行政等に関する調査 質疑者 元榮太一郎(自由民主党・国民の声) 小川敏夫(立憲民主党・民友会・希望の会) 伊藤孝江(公明党) 石井苗子(日本維新の会・希望の党) 山口和之(日本維新の会・希望の党) 仁比聡平(日本共産党) 糸数慶子(沖縄の風) 10:00 外交防衛委員会 会議に付する案件 中央北極海における規制されていない公海漁業を防止するための協定の締 結について承認を求めるの件(閣条第三号)(衆議院送付) 外交、防衛等に関する調査 質疑者 小西洋之(立憲民主党・民友会・希望の会) アントニオ猪木(国民民主党・新緑風会) 高瀬弘美(公明党) 浅田均(日本維新の会・希望の党) 井上哲士(日本共産党) 伊波洋一(沖縄の風) 10:00 財政金融委員会 会議に付する案件 金融機能の早期健全化のための緊急措置に関する法律の一部を改正する法 律案(閣法第一六号)(衆議院送付) 財政及び金融等に関する調査 質疑者 松川るい(自由民主党・国民の声) 風間直樹(立憲民主党・民友会・希望の会) 大塚耕平(国民民主党・新緑風会) 熊野正士(公明党) 藤巻健史(日本維新の会・希望の党) 渡辺喜美(無所属) 大門実紀史(日本共産党) https://youtu.be/QL5zQgih8n0 10:00 文教科学委員会 会議に付する案件 学校教育法等の一部を改正する法律案(閣法第二二号)(衆議院送付) 教育、文化、スポーツ、学術及び科学技術に関する調査 質疑者 今井絵理子(自由民主党・国民の声) 杉尾秀哉(立憲民主党・民友会・希望の会) 新妻秀規(公明党) 高木かおり(日本維新の会・希望の党) 櫻井充(国民民主党・新緑風会) 吉良よし子(日本共産党) 10:00 厚生労働委員会 会議に付する案件 女性の職業生活における活躍の推進に関する法律等の一部を改正する法律 案(閣法第三八号)(衆議院送付) 社会保障及び労働問題等に関する調査 質疑者 自見はなこ(自由民主党・国民の声) 吉良よし子(日本共産党) 宮崎勝(公明党) 山本香苗(公明党) 石橋通宏(立憲民主党・民友会・希望の会) 川田龍平(立憲民主党・民友会・希望の会) 磯崎哲史(国民民主党・新緑風会) 伊藤孝恵(国民民主党・新緑風会) 東徹(日本維新の会・希望の党) 薬師寺みちよ(無所属クラブ) 10:00 農林水産委員会 会議に付する案件 農地中間管理事業の推進に関する法律等の一部を改正する法律案(閣法第 二三号)(衆議院送付) 農林水産に関する調査 質疑者 岩井茂樹(自由民主党・国民の声) 進藤金日子(自由民主党・国民の声) 小川勝也(立憲民主党・民友会・希望の会) 徳永エリ(国民民主党・新緑風会) 里見隆治(公明党) 儀間光男(日本維新の会・希望の党) 紙智子(日本共産党) 10:00 経済産業委員会 会議に付する案件 経済、産業、貿易及び公正取引等に関する調査 質疑者 真山勇一(立憲民主党・民友会・希望の会) 浜口誠(国民民主党・新緑風会) 石井章(日本維新の会・希望の党) 辰巳孝太郎(日本共産党) 10:00 国土交通委員会 会議に付する案件 道路運送車両法の一部を改正する法律案(閣法第三九号)(衆議院送付) 国土の整備、交通政策の推進等に関する調査 質疑者 赤池誠章(自由民主党・国民の声) 野田国義(立憲民主党・民友会・希望の会) 増子輝彦(国民民主党・新緑風会) 矢倉克夫(公明党) 室井邦彦(日本維新の会・希望の党) 山添拓(日本共産党) 平山佐知子(無所属クラブ)
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散策研究会 Cadavre K 「徘徊する観察者 Vacant Lot」
散策研究会 Cadavre Kによる展覧会
「徘徊する観察者 Vacant Lot」
をTABULAEで開催いたします。
※散策研究会 Cadavre Kとは、2011年から開始された、美術家北川裕二によるプロジェクトの名称です
–
|会場|
TABULAE (墨田区向島 5-48-4)
|会期|
2018/11/24 (土) - 12/16 (日)の金土日
- 金 15:00 - 20:00
- 土、日 14:00 - 20:00
※曜日によって開場時間が異なりますのでご注意ください
オープニングレセプション
11/24(土)18:00 - 20:00
|イベント|
第5回 漂流教室 「まわり道してTABULAEに向かう」
12/8(土)14:00 - 17:00(終了時刻は前後する場合があります)
集合場所 東武スカイツリーライン/東武亀戸線 曳舟駅改札口付近
定員 5名
参加費 無料(要予約 参加申込み締切12月6日)
東武曳舟駅に集合し、3時間ほどかけて墨田区京島、向島エリアを散策しながらTABULAEに向かいます(台風・雷雨・地震・大雪など災害級の天候以外は、雨天でも決行します)。
>漂流教室について
※こちらのイベントは定員に達したためご予約の受付を終了いたしました
アーティストトーク
12/15(土)18:00 - 19:00
ゲスト 沢山遼(美術批評)
定員 15名
参加費 1000円(要予約 参加申込み締切12月14日)
美術批評家の沢山遼氏をゲストに迎え、アーティストトークを行います。ゴードン・マッタ=クラーク展図録に掲載された沢山氏の論考「都市の否定的なものたち ニューヨーク、東京、1972年」を参照しながら、都市、写真、散策と介入といったトピックについて議論します。
沢山遼 1982年生まれ。美術批評。武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程修了。2010年「レイバー・ワーク──カール・アンドレにおける制作の概念」で『美術手帖』第14回芸術評論募集、第一席。主な論文に「ニューマンのパラドクス」田中正之編『ニューヨーク 錯乱する都市の夢と現実(西洋近代の都市と芸術7)』竹林舎、2017年。「ウォーホルと時間」『NACT Review 国立新美術館研究紀要』第4号、2018年。「都市の否定的なものたち ニューヨーク、東京、1972年」『ゴードン・マッタ=クラーク展』(東京国立近代美術館、2018年)など。
※両イベントは予約制となっております。参加をご希望される方は、件名を「漂流教室予約」または「トーク予約」とし、①お名前②ご連絡先③希望日時④人数 をご記入の上、[email protected]までメールをお送りください。
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『徘徊する観察者 Vacant Lot』開催にあたって|散策研究会 Cadavre K
散策研究会 Cadavre Kとは、2011年3月11日の東日本大震災に強烈な衝撃を受けたアーティスト北川裕二によって、同じ2011年から開始されたプロジェクトの名称です。今回のTABULAEでの新作展が、散策研究会 Cadavre Kとしては初の個展になります。あれから8年が経ったとはいえ、むろん福島第一原子力発電所は「収束」などまったくしておらず、同じように大地も揺れ続けています。したがって今回展示される作品は、そのどれもが3.11以後に制作されたものであるとしても、 むしろ“3.11下”のそれであるといってよいでしょう。
散策研究会 Cadavre Kは、以来、痙攣するこの世界を継続的に観察・記録しつづけてきました。しかし、その観察対象は福島県や岩手・宮城県などではなく、意外にもいま私たちが立っているこの場所でありました。観察対象への姿勢は当初、何よりもまず、直立二足歩行する私たちの、この足元の地面への関心から始ったのです。そのうえに築かれたあらゆるものは幻想なのではないか。であるとするならば、幻想はいかにして自然との関係を取���結んでいるのか。対立関係にあるものどもの、相反する構造(システム)と構造(システム)が、否が応でも接せざるをえない境界線、エッジが、あるいは「構造(システム)」の回収し得ない外部的なものが、観察対象として注目されました。
ほとんどの散策は、日中のほぼ一日をかけて台地や低地をひたすら歩いて横断していくというものでした。“下町”と呼ばれる沖積低地、“山の手”と呼ばれる洪積台地、あるいは武蔵野平野、奥多摩山間地など。地形学の地形区分に従っていえば、 多摩面(T面)、下末吉面(S面)、武蔵野面(M面)、立川面(Tc面)の特徴と、それらが接する際に発生する崖線等の境界線や河川についての知識が事前に取り入れられもしました。定点観測ならぬ、歩行による動線観察が何度もくりかえされ、各地域・エリアにそれぞれ漂う特有のアトモスフィア、ムードは、散策者の心理状態の変化に影響を及ぼすことが確認されました。そうして、しだいに「東京の自然史」(貝塚爽平)が把握されていったのです。散策研究会としての散策は、これまでに123回を数えます。
また、同時に、踏み固められた地面の上に存在するあらゆるもの、すなわち植生・気象・家屋との関連全般が観察対象となり、写真に記録されていきました。散策またその写真記録は、当初、アートとしてはまったく考えられてはいなかった。むしろ、3.11の衝撃は、自然災害においてのみならず、政治的・文化的にもアートの「創造」的な「表現」による「生産」を不可能にしたように思えたからです。したがって、今回の展示においても、それへの疑いが根底にはあることを記しておきます。
地形・植生・気象・家屋の全般を観察対象にするということは、いかなる些細な事象も見落とすことなく全体を知覚・認識するということ。世界のすべてを対象にするということです。生態学的に言えば、個体のみならず、個体群、群集といった階層を異にするもの全般を、そしてまた、位階秩序の異なるそれらの影響関係をも観察・記録対象にするということでもあります。身の回りの環境や社会、つまりは生活を成り立たせているアレコレは、そのようにアレやコレやソレとして一括りにされて、記憶・記録から排除されてもきました。散策研究会が関心をもったのは、まさにそのような無数のアレやコレでありました。衝撃とは、近代化の名の下に隠蔽・排除されたものどもが、「原発震災」(石橋克彦)によって再び私たちの世界に回帰してきた、そのことにあったというわけです。
写真というメディアは、このような研究にはうってつけの道具でした。なぜなら、カメラの眼は原理的にいって、ヒトの眼と違い、“すべてのものを等価なもの”として扱うことができたからです。眼で見ていたときには見えなかったものが写真には写りこんでいたというのは、カメラのこの等価性、すなわちあらゆるものを平等なものとして、なんでも選ばず記録してしまう、このアナーキーな機能によるところのものではないでしょうか。
本展は、こうしたカメラ・写真の可能性を再び抽出しようとする試みでもあります。そこには、“すべてのものが等価なもの”として記録されている。しかし、そうであるがゆえに、その可能性は、他方で、ブレもピンボケもなく構図もしっかり撮れているにもかかわらず、“誰が、いかなる目的をもって、誰のために撮影したのか、皆目見当のつかない、まったく不明なる写真”という、実に奇妙に倒錯した(不)可能性の窓をも同時に開いてしまうのではないでしょうか。この点に、写真の機能が孕む矛盾が見てとれます。そこに提示されているのは、いわば世界の「無名性」のことにほかなりません。実現しているかどうかはさておき、このような写真の(不)可能性を本展では模索しています。
セレクトされた写真と映像は、昨年から今年にかけて撮影されたものに限られています。撮影箇所は主に武蔵野面(M面)の東端であり、区としては、中野区にあたります。中野区の同じエリア、環境をくりかえし何度も徘徊する。そのようなことはこれまでに一度も試みたことがありませんでした。
そしてこのことは、先程「武蔵野面(M面)の東端」と書きましたが、本展においては、地形的特徴への関心が次第に後方へと退き(薄らいだわけではありません)、かわって植生(主にヒト)と家屋、そして何よりも気象への関心が全体に配されてくるものへと推移してきたことと関連しています。くりかえし同じエリアをおとずれる散策スタイルは、写真の機能をより自覚的に操作しようということに、何らかの影響を与えていると感じています。
本展のコアとなる作品群は四部構成となる予定です。 ①独立した1点ものの「写真作品」 数点 ②数点の写真が組み合わされた「写真作品」 数点 ③液晶ディスプレイもしくはプロジェクターで鑑賞する「スライド作品」 ④液晶ディスプレイもしくはプロジェクターで鑑賞する「映像作品」 ①~④の作品にはシリーズとしてのメインタイトルと、各作品としてのサブタイトルが付されています。各メインタイトルは、①Survey Point (測量点) ②Photogrammetry(写真測量法) ③Voronoi Diagram(ボロノイ図) ④Skid Movie(横滑りの映画)となっています。また、参考資料として、本展の作品に関係する散策ルートを図解したパネルも展示する予定です。
また、本展覧会としてのメインタイトルとなった“Vacant Lot”ですが、これは日本語では空閑地のことです。一時的に未使用になった空き地。英語名にしたのは、“Vacant Lot”という言葉に興味をもったからです。この“Lot”には、くじ、運、運命という意味があるようで、それが一時的に空き地となった区画を指す言葉にも使用されているというのがおもしろかった。“偶々割り当てられたもの”としての空閑地。文字通りに訳せば、“空っぽの運命”です。
これは、今年国立近代美術館で回顧展が開かれたゴードン・マッタ=クラークの仕事を想起させます。カタログに掲載された美術批評家沢山遼氏の論文にマッタ=クラークの発言が引用されていて、瞠目しました。以下、孫引きですが引用させていただきます。
「グリーン通り112番地でやったアナーキテクチャーの展覧会は[…中略…]なんらかの強い形式性によって固定されることのない、固定化した建築的ヴォキャブラリーの外部にあるものについてのものだった。[…中略…]ぼくたちが考えていたのは、隠喩的なヴォイド、空隙、残余的空間、未発展的な場についてだった。[…中略…]たとえばそれは、立ち止まって靴紐を結び直すような、日常的な動作がふと遮られるような場だ。そのような場は、知覚的な重要性を帯びていると思う。なぜならそこで人は動的な空間に触れているんだ。」 (「ゴードン・マッタ=クラーク展」カタログ p.265)
つまり、“Vacant Lot”とは、この解けた靴紐のことなのかもしれません。紐が解けて固定された意味が一時的に宙吊りとなる時。場所。その瞬間はおそらく、九鬼周造のいう偶然性のごとく「現実性へスルリと滑ってくる推移のスピード」を持っているに違いない。“無”が偶然性によってもたらされるということ。環境、生活、世界への認識を深め、未来を洞察するにも、このような人と自然の接するエッジに現象するささやかな出来事に対する認識をさらに深めていく必要がありそうです。今回の展覧会がそのような世界への見方、感じ方、考え方に寄与できれば幸いです。
最後に、Cadavre KのCadavreはフランス語で、日本語では死骸のことです。したがって、Cadavre Kは、死骸キとなります。“キ”とはキタガワの“キ”のことです。3.11以後のプロジェクトにそう名付けたのは、このプロジェクトがそれまでの作品とはまったく異なることもありましたが、同時に、3.11以後、偶々生き残った=生き延びているという感覚を今も持ち続けているからにほかなりません。それは、どこか幽霊的に仮構された作者名といえるでしょう。
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散策研究会 Cadavre K
2011年から開始された、美術家北川裕二によるプロジェクト
漂流教室
第一回 霊岸島から埋立地へ (2015/milkyeast) http://ur2.link/N8ZH 第二回 河岸と下町低地(2015/milkyeast) http://urx.red/N901 第三回 山の手の<むらぎも>を巡る(2016/路地と人) https://rojitohito.exblog.jp/22767074/ 第四回 崖線上のカフカ──中野区を歩く(2017/路地と人) https://rojitohito.exblog.jp/23871177/
散策研究会 これまでの主な散策エリア
001 2011_06_11 新宿御苑 002 2011_06_18 等々力渓谷 003 2011_06_25 赤坂見附 004 2011_06_29 丸の内線・四ッ谷駅 005 2011_07_02 下末吉台 006 2011_07_06 迎賓館・明治公園 007 2011_07_09 市ヶ谷・飯田橋 008 2011_07_16 お茶の水・神田川・隅田川 009 2011_07_22 野川 010 2011_08_06 新木場 011 2011_08_11 高尾山 012 2011_08_20 隅田川・スカイツリー 013 2011_08_25 菊名・獅子ケ谷・下末吉台 014 2011_09_02 渋谷川 015 2011_09_08 皇居・日本青年館 016 2011_09_11 新宿・原発やめろデモ 017 2011_09_17 渋谷川・古川 018 2011_09_19 さようなら原発・渋谷川 019 2011_09_24 赤坂 020 2011_10_01 善福寺川 021 2011_10_07 港の見える丘公園 022 2011_10_13 山手 023 2011_10_22 宇田川跡 024 2011_11_03 御岳山・ロックガーデン 025 2011_11_09 巣鴨・田町・谷中 026 2011_11_12 神田川・小日向台 027 2011_11_17 都電荒川線・王子・荒川 028 2011_12_03 愛宕山 029 2011_12_14 上野・根津・谷中 030 2011_12_15 弘明寺 031 2011_12_21 荏原台 032 2011_12_30 立川段丘 033 2012_01_01 狭山丘陵 034 2012_01_05 三殿台遺跡 035 2012_01_12 目黒自然教育園 036 2012_01_19 明治神宮 037 2012_01_26 清瀬 038 2012_02_04 深大寺・府中 039 2012_02_08 江戸前島 040 2012_02_15 江戸前島 041 2012_02_24 浜離宮 042 2012_03_03 吉見百穴 043 2012_03_15 江東区・運河 044 2012_03_17 江東区・運河 045 2012_04_07 神楽坂 046 2012_04_14 渋谷川・明治神宮 047 2012_04_20 町田・自由民権資料館 048 2012_04_28 市ヶ谷・早稲田 049 2012_05_17 町田・自由民権資料館 050 2012_05_26 江東区・戦災センター 051 2012_06_07 全生園・滝山団地 052 2012_06_14 清瀬 053 2012_06_16 京島 054 2012_06_23 玉川上水・首相官邸前 055 2012_06_29 首相官邸前 056 2012_07_12 神田 057 2012_07_13 首相官邸前 058 2012_07_16 代々木・さよなら原発 059 2012_07_02 新富町 060 2012_08_08 六郷土手 061 2012_08_12 日野 062 2012_09_08 本郷台地 063 2012_09_15 東京湾・葛西臨海公園 064 2012_10_06 生田緑地 065 2012_11_10 青梅・横田基地 066 2012_12_01 大山 067 2013_01_12 渋谷・元麻布・六本木 068 2013_01_14 獅子ケ谷 069 2013_04_13 日本橋川 070 2013_04_27 小平・玉川上水 071 2013_05_25 赤坂・六本木 072 2013_06_06 代官山 073 2013_07_07 東京駅地下通路 074 2013_07_13 王子・吉原・スカイツリー 075 2013_07_27 多摩丘陵・百草団地他 076 2013_08_17 中央防波堤埋立地 077 2013_08_24 仙川 078 2013_08_26 谷中墓地 079 2013_10_26 渋谷・地下道 080 2013_11_09 京島 081 2013_12_28 山手 082 2014_04_24 池袋 083 2014_05_17 高田馬場・神田川・淀橋 084 2014_06_27 駒込・田端 085 2014_07_13 平林寺 086 2014_09_06 秩父 087 2015_05_16 湾岸埋立地 088 2015_07_20 白山 089 2015_11_22 深川 090 2015_12_11 武蔵五日市 091 2015_12_12 武蔵五日市・城山 092 2015_12_18 戸山公園 093 2015_12_26 板橋・赤塚 094 2016_01_06 深川・森下 095 2016_02_02 国分寺崖線 096 2016_02_26 立川段丘 097 2016_04_03 日立研究所 098 2016_05_31 水道橋・小石川・白山 099 2016_10_18 神楽坂・近美・湯島 100 2016_12_06 佐伯祐三・熊谷守一美術館 101 2016_12_13 南青山 102 2016_12_20 原宿・渋谷 103 2016_12_23 戸山公園 104 2017_04_04 野方 105 2017_04_07 江古田 106 2017_05_12 上高田 107 2017_06_09 上高田・野方 108 2017_08_15 池尻大橋 109 2017_08_17 池の上・高円寺 110 2017_08_29 桃園川 111 2017_09_15 中野区南台 112 2017_09_20 新宿住吉町 113 2017_09_22 所沢 114 2017_10_10 中野区中野台地 115 2017_10_20 野方 116 2017_10_27 新宿末吉町 117 2017_12_15 沼袋 118 2018_04_24 鷺宮 119 2018_05_29 中野区中心エリア 120 2018_06_12 野方・沼袋 121 2018_06_15 杉並・堀の内 122 2018_07_06 野方・中野区中心エリア 123 2018_09_11 野方
北川裕二
1963 東京に生まれる
主な個展
1990『形のローカリズム』 ギャラリー現(東京) 1991『A PALASITE/READY-MADE SUIT MIX』 ルナミ画廊(東京) 1992『短絡的接合体』 モリス・ギャラリー(東京) 1992『分裂機械としての身体』 ルナミ画廊(東京) 1992『暮らしの変換』 モリス・ギャラリー(東京) 1993『格子/闘争』 MARS GALLERY(東京) 1993『歴史改造パズル』 GALLERY・GEN(埼玉) 1996『What is a hole?/Make a revision of…』 SHIKI FUJIMORI GALLERY(東京) 2005『Random Open Textured』 MARU GALLERY(東京) 2006『Dust passes through the window』 GALLERY OBJECTIVE CORRELATIVE (東京)
主なグループ展
1990『Bゼミ展』 横浜市民ギャラリー(神奈川) 1992『Project for O.T』 ギャラリー・サージ(東京) 1993『In Between』 FLOATING GALLERY(東京) 1993『CONSTRUCTION IN PROCESS』 ARTIST'S MUSIUM(ウッジ、ポーランド) 1994『身体美術感』 ハラ・ミュージアム・アーク(群馬) 1995『The Age of Anxiety』 The Power Plant(トロント、カナダ) 1996『ATOPIC SITE(On Camp/Off Base)』 東京ビッグサイト(東京) 1996~98『Maniacs of Disappearance』 国立美術館(ブエノスアイレス、アルゼンチン)、Austrian Musium of Applied Arts (ウィーン、オーストリア)、その他オランダ、イタリアなど巡回 1999『第34回今日の作家展 APPROACHING REALITY』 横浜市民ギャラリー(神奈川) 2010『City Beats + Live explosions』 BankART1929(神奈川) 2015『無条件修復—UNCONDITIONAL RESTORATION』 milkyeast(東京)
散策研究会──地殻を近くで知覚する
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