#木片の絵
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青い鳥と黄色い蝶
---木片の絵
伊豆高原へ🌱
共に飛んだ♩
壁画と合わせて。
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変わらず美しいお庭の2024夏バージョン🌿
アーティチョークの造形素敵な花や
軽井沢で沢山会えたアナベルのピンク絶妙な色味の花々、ハーブの爽やかな花たち、鳥たち猫たち…みんなお元気♩
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お久しぶりの楽しい車窓🚃
魅力的なトタン度々現れ、ずっととても不思議な空模様だった帰り道☁️
帰ってきても尚不思議だった☁️☁️
キンメ電車、今回は見るだけ👀
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童心にかえる(あとがき)
2024年12月22日(日)
足元には黄色から土色に染まる枯れ葉が散り、冬の寒さは感じるものの見上げれば常緑樹が多いのか緑の清涼感がそこにはあった。歩みを進めるにつれ滝音が聞こえてくる。さて、目を閉じて自然の空気を肺いっぱいに巡らせ、頭の中の車を運転する部屋に施錠し、写真を撮る部屋の鍵を開ける。
リュックを下ろして、滝を色んな角度から眺めて構図をイメージしていく。画家ならばとカンバスを前に筆を立てている様子を思い浮かべる。自分の想像に応じたレンズに付け替える。カメラを三脚に取付け、センターポールを外すのに少しまごつく。三脚の3本の足を1番低くできるよう角度を変える。思った構図の位置へ設置し雲台の3点を操作し調整する。フィルターの有無を決め、木や岩のてかりを確認し調整していくが、ある程度残す事にした。ディスプレイと、にらめっこ。頭の片隅で急に言葉が踊りだす(カメラから生み出される絵から言葉へ変換する作業)。・・・童心、無邪気、笑み、公園の遊具、泥遊び、絵本、神話の世��、グングニル、巨人の腰掛け、枯れ葉踏み、苔苔、孤独、侘しさ、キリが無いのでetc・・・。色んな思いを詰め込んでいると、滝の飛沫が何���か顔を叩き、我に返る。僕自身はあまりお喋りな方ではないが、頭は反してよく喋る。一旦、変換を止めて景色と向き合うことに集中する。水の流れの強さを目で確認する。水量はさほど多く無い。流れは規則正しく動いているようで、同じ動きはしてくれない、一度きり。だからこそ丁寧に撮りたいと思う。シャッタースピードを軸に感度と絞りを再調整を数回繰り返しシャッターを切る(2秒タイマーで)・・・よしよしまずまずだ。
グリップ付きの長靴を履いてきていたため、滝から駐車場まで水の流れを追っていくことにする。自分の動きと同時に小気味よく熊鈴が凛と鳴り、歩くことを楽しくさせる反面、水面の光の照り返しが眩しく、水深を確認しながら用心深く進む。人とすれ違う度、あいさつを交わす(確か6名だった)。相手側は木陰の遊歩道、僕は渓流の凹凸道で妙なコントラストだ。目的が違えば辿る道も違う。曇り空の中から晴れ間が差し、水面が青くなったり白くなったりする。水中には木の葉や木の実が落ちていて、幼い頃のどんぐり拾いを思い出す。形の丸い木の実や、どんぐりの帽子ばかり探す子どもだったような気がする。相変わらず頭の中で踊り続ける言葉たちを手懐けながら写真を撮ったり、休憩したり、のんびりと過ごす。
結果的に駐車場から滝までは数分なのに2時間も滞在していた。それだけ雰囲気が心地良かったのだ。身体中に目に見えない青や緑を纏わせて帰る。思考し続けたせいか、運転は車間距離だけ取りほぼオートパイロットモードだった。帰宅後、キッチンで湯を沸かし3種類ある豆から深煎のを選びじっくり挽いて、熱いコーヒーを淹れる。あったかい。
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は、連日の快晴です。
昨日は朝一の漆濾しからスタート。
その後は歯医者さんへ定期検診。
帰宅後からは、桜樺細工茶筒の2回目の中塗り作業。
お昼過ぎからも続きの作業やら、
お昼からは根曲り竹の皮剥きやら、前日からの続きの作業やら、木地師さんと蒔絵師さんとの打合せやらで一日が終了。
そして昨夜のオラ家の晩ご飯は、川連漆器で茹で根曲り竹のカレー。
晩酌と晩ご飯終了後、お酒好き⁉︎なお客様より、一合片口縄文を気に入って下さり、早速嬉しいコメントを頂きました。
早速使って頂き、ありがとうございました。
今日もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今日も、良い一日と成ります様に。
https://jujiro.base.ec
#秋田県 #湯沢市 #川連漆器 #川連塗 #川連 #国指定伝統的工芸品 #伝統的工芸品 #秋田工芸 #秋田の物作り #漆 #うるし #ウルシ #髹漆 #寿次郎 #山散策 #秋田県の春山菜 #根曲り竹 #竹の子 #オラ飯 #オラ家の晩ごはん #川連漆器でカレー #一合片口縄文 #ぐい呑縄文 #kawatsura #japanlaquer #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro
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250126
朝、日記の絵の描き方を変えてみようと思いたち、紙を切る。 一昨日、夢に見た山のかたちが頭から離れない。
中学生の頃の友人と電話する。 話すたび、ひさしぶりだけれど、かけがえのない。 あのころとは違うけれど、あのころと同じ声で話している。
彼が出張だから、ひ��りで簡単に晩ごはんをすませて、ねた。
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250127
身体がつかれているのか、気持ちがしんどい。 立て直すために、クエン酸入りのレモン飲料を買って飲む。 その酸っぱさだけで目覚めるよう。 仕事。 新しくいろんなことを教えてもらえて、たのしい。 たのしい気持ちが感じられて、嬉しい。
夜、洗濯物を干し終えて、床でねてしまう。 やっぱり疲れていたみたい。
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250128
朝、肩こりがひどい。 重たい身体のまま、朝ごはんを食べる。 皿洗いをして、掃除機をかけて、ごみを捨てる。 すっきりとした気持ちで家をでる。 絵を描いたり、本をつくったりはできなかった。 朝に、制作をするのと家事をするのと、どちらがいいのだろう。 ずっと迷いながら過ごしている気がする。たぶん、どちらがいいということもなく、ひっくり返ることもあって、その時その時で流れていけばいいのだと思う。 今は朝に家事をするリズム。 仕事をして、家に帰って、風呂に浸かる。 こころが動く。 こころが動いて、ここ1、2年、こころが動いていなかったんだ、と思う。 楽しいこともあったけど、素直にただ楽しいと感じられていなくて。 あかるい気持ちをあかるい方へ押し出す力が弱まっていた。 なぜだろう。生活を取り戻してきただろうか。
夜、日記を書いて、あしたが楽しみな心持ちでねる。 あぁ、わたし、大丈夫だ。
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250129
朝、まだ暗い。 暗いうちに起きることができたのに、iPhoneをみてしまって、後悔。 時間が過ぎていく。
ここ数日、毎日、辛みが抜けきれなかった紫玉ねぎのマリネを食べている。 口の中に辛みが蔓延する。 ベーグルを食べて、ヨーグルトを食べる。 食べながら読んでいた本に、薪ストーブの話がでてきて、たしかに火は安心するなと思って、キャンドルに火を灯してみたらほんとうにほっとしてしまって、このことを忘れないでいたい、と思った。 日常使いのキャンドルがほしい。
やっとクリスマスツリーを片付けた。 来年はもう少しだけ早く片付けたい。 やり始めてしまえば大した手間ではないのに、ついやらないままにしてしまう。 彼と気になっていたカフェに行き、チョコケーキとコーヒー。 旅の予定を話し合う。 湖をみにいきたいね。 無印良品へ行って、いろいろと買った。さっそくキャンドルを買った。
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250130
アルバイトをやめよう、と思った。 アルバイトをやめよう、と思ったら気が楽になって、続けられそうだな、と思った。 わたしはたぶん、何に対しても真面目に向き合いすぎてしまう。
大学での仕事が終わって、帰り道、木���上から妙な音がした。 見上げてみると、エゾリスがいた。 くるみだろうか、木の実を食べている。 思わず写真に撮る。 車に乗り込んで、全然目にはうつしていなかったことに気づく。 あ、わ、とこころが動くと、すぐに写真に撮ってしまうけれど、ほんとうは、もっとじっとみていたい、と思っている。
通り過ぎてみれば、世界から切り取られた写真のことしか思い出せない。 写真が思い出すきっかけになればいい、と思うけれど、その写真が世界と違うコントラストで枠に収められていたら、わたしの記憶は塗り替えられる。
夜、ひとり暮らしをしたい。 ひとりで整えたリズムがたやすく崩れる。 ひとりだと感じられる自分がふたりだと、薄くなる。
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21024.05.18(土曜日)
大塩八幡宮(おおしおはちまんぐう、福井県越前市)
入母屋造杮葺拝殿が有名(杮(こけら)は「木片」を意味しているとのこと。世界でも類を見ない日本独特の技術、国指定重要文化財)
平安時代末期の武将 木曽義仲が陣を構えた場所。
御朱印は通常のものの他に、木曽義仲と巴御前が同じ馬に乗っている絵と藤の傍で筆を持つ紫式部が描かれている絵の3種類がある。
拝観料は取られない。
「木曽義仲本陣跡伝承の地」の標識の先に大塩山への遊歩道が続き山頂には、義仲が築いた「大塩城址」があるという。
拝殿は一見の価値がある神社です。
さて先月買った白龍���「米てきてき」を飲み終えたので、5月のお酒は鯖江にある加藤吉平商店さんまで出向き、酒造好適米 五百万石によるに日本酒「梵(BORN) 無濾過 純米大吟醸」 と梵の猪口を購入。
「ふくい酒蔵ある記」にラベル貼ってもらい黄金色のとっくり印を押してもらう。
HPによると「キリっと透明感のある果物のような素晴らしい香りと、(中略)深くてなめらかな味が抜群」とある。
飲みやすいお酒で、一口飲んで気に入りました。
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【個展開催中】
28日は、様々な方にお会いでき(初対面も多々)ました。 見る人がいて初めてその石はそこに在り、光も音も匂いも、その波動が当たって響く媒体があってこそ伝わる。心と石との響き合いも、版木に当て、それを紙に反響させてこそ形になり、それを誰かが受けとめるたび、こだまが生じる。でもこだまは、そうそう滅多には起こらない。だから貴重。有難うございます。
速くも最終日です。 よろしくお願いします。
画像1:《星の木》 木口木版 2025 ———————————————————— 戸次祥子個展「震える石」
於:ギャラリーサンセリテ (豊橋市向山大池町18-11) www.sincerite.info
2025年4月11日(金)〜29日(火・祝) (4/16,23はclose) 11:00~18:00 在廊日:4/11,12,28,29 ————————————————————
限定部数のこと: 版画には通常は限定部数があり、シートの端に鉛筆で、1/30とか3/50といった分数でNo.を書き入れるのが慣例です。でも最近私はどうも、版画をこだまと捉えるようになりました。こだまの発生は、予測のつかない言わば運命的なもの。とすると、それを便宜的な数字で先に限定してしまうのは、なんだか変な気がして、限定部数というものを決めあぐねていました。 硬質な木口木版は、版の状態がよければ、100部1000部にも耐えるので、仮に10, 20, 30,…と限定したとしてそこに必然性はなく、便宜的な数字にすぎない。 ただ、限定部数がない場合のリスクの一つとして、オンデマンドになってしまう可能性がある(注文があった時だけ刷る。一枚でも、また、注文があれば大量に)。
版画は版があればハンコをポンポン押すみたいに増やせるような代物ではなく、まして原稿を入れて待っていればコピーが次々出てくるような複製品でもない。版木はもちろん、インクの調合から紙の裁断、刷りまで、一枚一枚、身体を使い、微妙な調整、勘、塩梅が必要な作業で、一枚刷ってシートに仕上げるだけでも大変な労力だから。だから、私一人が責任を持って刷れる数には限界があるのも事実。分業の江戸時代とは違い、一人で、元絵の描き手、彫り手、刷り手、すべてを担うので。
それに、こんなしがない作り手でも、版画は出版、という意識を頭の片隅に置いてやっています。発信したい何かがあるから(少し先へ向けて種をまくように)出版は成り立つのであって、完全にオンデマンドになってしまったらそれは出版とは言えないのではないか。 だから、版元として��責任(責任を持ってこれだけは刷りますよという数)と目標値(小部数でもこれだけの人には届けたいという数)を示す意味で、やはり限定部数は必要と思いなおし、一旦は決めてつけることにしました。画像1のものも、当初分母がありませんでしたが、2/25と入れています。会期中、ギャラリーでもご意見を頂いたのを機に、頭から火が出そうなほど考えました。25��いう便宜的な数字には、現実的なまた個人的な、いくつか理由があります。
本音をいうなら、限定部数などではなくて、版画シートの裏に、一つひとつ、"何年何月何日、何番目のこだま生ず、〇〇さんとの間に" というような書き込みを入れたい感じ。次にまたどこかで展示があるときまでに(あるか分かりませんが)、この構想はなんらか形にできたらな、と思います。まあ受け手からしたらどうでも良いことかもしれませんが、有限なるものを、最大限の状態にしたい、とは思っています。あくまでこちらの気持ちです。
つい長くなってしまいました; でもまだ無知なことも多く、考えていきたいテーマです。
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今日(水曜日)は元同僚のKさんとおしゃべりしてきた。
先日シルバニアファミリーのお店に行ったという話から、Kさんの娘さんは小さい頃どんな遊びが好きだったか聞いてみると、やっぱりシルバニアファミリーは大好きだったそうで、ほかにはメルちゃんのお世話やぬいぐるみとのピクニックなど、可愛らしい遊びの話がたくさん聞けました🎀👶🏻🧸きゅんです。
うちは息子なので3~5歳くらいはトミカとウルトラマン命で、もう少し大きくなるとポケモンカード、妖怪ウォッチのメダルなどを収集してたなあ。
私自身は、子供の頃こえだちゃんと木のおうちが大大大好きで、髪型までこえだちゃんの真似をしていたんです。そんなことを思い出していたら当時のこえだちゃんが恋しくなって、先月フリマサイトで探して買っちゃった🤭
私が遊んでいたのは1977年発売(私と同い年!)の2代目こえだちゃん。↓この子です。男の子はみきちゃん。

かわいい…❤️50年近く前のものとは思えないかわいさ。
Kさんもこえだちゃんが好きだったようで、木のおうちの設備の話で盛り上がりました🌳
おもちゃって本当に夢があって楽しいなあ。
最近、おもちゃとかお菓子とか、昭和58年から昭和63年くらいに好きだったものを懐かしむのがすごく好き。老いた証拠かなあ🙄⃤(←なんだこの絵文字?!と思ったので打ってみた。見えてますか?)
✂
帰宅途中からやけにだるくて、膝のあたりがゾワゾワするので帰って熱を測ったら微熱。
これはまずい!と思って今日は夕飯準備も片付けも夫に任せて、はちみつ飲んで寝てたらあっという間に回復した。
で、こんな時間に元気になって困ってるところです。本でも読もうかな📖⚯˶
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託す夢、託せる希望
ORIGINSの推し語りを今更。今回は水鏡の絡みで興奮、なかでも龐統先生との赤壁戦前の会話が堪らんかったです。地を這う獣!
以下、だらだら感想とサイトに上げてる↓の絵の言い訳書きます。ほんとは淡く塗りたかったよー

先生も孔明さんも、徐庶殿を認めているのは多分徐庶殿も判っていると思うんです。人の話を聞ける人だし、世辞かどうかくらいは。 過去作で徐庶殿は「龍にも鳳凰にもなれない」と二人と比較しがちで。身の丈を知りつつも二人と比べたがるのはなんだろうかと思っていました。それが今作では劉備殿を心底敬愛してる描写をみて納得できました。
二人への憧憬も相まって、彼らのように劉備殿の力になりたい思いが強い。同じく学び問答を繰り返しあってきた自分にも何かできるのではないか。でも、かの人を太平の世へ導きたくても、自分は目の前の石を取り除くことはできても道筋を作ることはできない。同門の二人なら時には非情な策も採るだろうけど、自分には劉備殿の想いに反する策は採れない。この点は、主従間の感情の緩衝材/舵取りとして蜀に残っていたらなあーと妄想��きる部分ですよねー。もずくさんのレポがズバリなんですが、自分では力不足だと思い知らされる過程が垣間見えて辛��。彼らには無い自分の美点に気づいて...!
徐庶殿の、無名君と別れる時の顔が良い顔しててよかったです。母を犠牲にする選択はできないけれど、情に流されずに後悔のない選択をしたと言える強さ。…強さ?吹っ切れた訳でも納得できた訳でもない、でも自分がこうと決めて行動したことだけど、それは自分一人が我慢したら丸く収まる的な…。だから赤壁で龐統先生に会ったとき、ふと感情が漏れてしまい、それを先生に見透かされた?きっと、戻ってこないと判って、先生は餞に言ってくれた…?…夢見すぎですね。無名さんにポロっと打ち明けてくれないか… 母上を助けて戻るIFもこのシナリオライターさんで見てみたいですが、「曹操殿」と呼んでいるところに其の気はないという決意が見えるというか、義理堅い徐庶殿。今作の母上は存命なのだろうか…亡くなってて後悔ないと無名くんに言ってたなら強すぎるよ元直さん…
なに書いてるかわからなくなってきましたが、そんなこんなで感想として書いたのが「四照花」です(四照花だとハナミズキの方を指しちゃうのか…!?) ヤマボウシは街路樹に使われるくらい、虫も付きにくく成長もゆっくりで手間のかからない木。葉が茂ってから花が咲く、その花も真ん中の丸い部分という控えめなくせに、白い総苞片が緑の葉の上で目を引く。 しっかりと学び知識を増やし(枝葉)、遠慮がちなところもありつつ時に凛とした男前になるギャップ(花と総苞片)、知識の吸収には貪欲(葉より後から伸びて少し高い場所で咲く姿)な辺りが徐庶殿ポイントだと推してみたり。 下の方に緑が混じっているのは「守りたかったもの」を抱いて生きていくという彼の想い。その希望を思って心穏やかでいるところ、という感じです。同門はずっと同門、劉備殿は庶民の輝ける星…! 以上、だらだら垂れ流しを読んでくださりありがとうございました!
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高取山近辺 断片的な記憶
思ったより移動に時間がかかり、駐車場についたのが12時。これから登るのはスタートが遅い。でも仕方がない。 準備を簡単にする。何年か前に買ったポストペットの日焼け止めをやっと使い切る。登山に際して少しでも軽くしようとビニールのパッケージを外し、SPF情報は手で書き直したもので少し思い入れがある。塗った後にタイヤの下に入れるように日焼け止めを置いた。
下っていくとハイキング帰りの人が見える。こんな時間に駐車場から登山装備で出てきた私のことをどういう目で見るのか。気にしても仕方がない。目を合わさずにすれ違う。
今日は携帯のアプリで見るオフライン地図がない。最近のYAMAPは地図のダウンロード制限が厳しく、無料会員ではここぞというときにしか地図が使えない。 しかし、低山でGPSに頼っていては仕方がない。これは訓練だ。
道祖神で分岐する。地元の老人会が作ったという手書きの地図を念のため写真に収めておく。 舗装された道を登るが、ときどき蜘蛛の糸の感触を顔や手に感じる。これが残っているということはあまり登山者がいないのかもしれない。1m程度のヘビが自分の前をゆっくり横切るのを待つ。
聖峰にはすぐ着いた。四人組のパーティが二つのテーブルを使っていた。一人がタバコを吸っていて、ライターを落としたので拾って渡した。右の二の腕に大きな蜘蛛の巣のタトゥーが入っていた。
何人かの左手の薬指に指輪をしているのが見える。自分が育った家では誰も指輪をつけていなかった。
四人組が去り、私が単眼鏡でスカイツリーを探していると上の方から中高年の二人組が下ってきた。一人はゲイターを足に巻き、もう一人は長ズボンの裾を靴下に入れていた。明らかにヒル対策と思われるため、ヒルが出るのか聞いた。道は選ぶと思うが、それなりに出るらしい。塩を持参しているから大丈夫だ、と答えた。
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二匹の蝶々が飛んでいる。お互いを追いかけるようにくるくると回転している。 どちらかが求愛していて、それをかわそうともう一匹が逃げているようにも見える。 蝶々がムードをどのようにとらえているかはわからないが、そんなことに時間とエネルギーをつかわずにさっさと交尾すればよいのにと思った。 けれどその直後に自分の考えが甘いことを恥じた。おそらく、愛を証明しろということなのだ���さっさと逃げられて、それで諦めるような相手であれば、そこまでだったということだ。時間とエネルギーを愛の証明に使わずして、一体何に使うというのか?
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梅の風味ののど飴を口に入れる。最適な登山ペースというのはギリギリ口の呼吸をしない程度であると前本で読んだ。 飴をなめている間は口で呼吸することが難しいのでペース管理に役立つ。 放っておくとすぐにペースがあがり、結果バテることになる。自分のことは自分が一番知らない。
高取山山頂はすぐだった。木の間から少しだけ大山方向が見える。大山の中腹に雲がかかっている。ほのぼのとした絵本のような山。先ほどの四人組とまた会った。会うのが二回目になると挨拶をするのは野暮だ。疲れていないので休まずそのまま大山方面の尾根を進む。 ちょっとだけ歩くと林道に出るはずで、今日はそこまでは見ておきたかった。いつかこの林道から大山に上ることができれば、自分の歩いた道筋で大山山頂までをつなぐことができる。
ゆるやかな下りの途中、草むらにタヌキがいた。こちらに気づくと逃げた。逃げる速度はシカや猿よりも遅かった。本気で走れば追いつくだろう、という速度。 小熊だったらどうしようか、親が来てもどうすることもできないが、ちょっとだけ気を張った。そのあとすれ違った人には「クマに襲われたらすみません」と心の中で謝った。
山ではすれ違う人には挨拶をすることが一般的だ。ただ、すべてのひとが挨拶を徹底しているわけではない。挨拶されたら返す、というスタンスの人も一定いる。 相手が挨拶を返すことができない、すれ違うギリギリで声をかけることを置き挨拶と心の中で呼んでいる。
目的の不動越までついたので引き返す。
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今日はコミティアがあった。私にはコミティアで買いたい本があったが、行くつもりはなかった。大学のころはサークルで同人誌を作り、発布したことがあった。私はいま本や漫画を描いたりしていない。 せめてと思い久しぶりに日記を書こうとこの時に決めた。
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また高取山に戻ってきた。ここからは一旦南に向かって下る。 緩やかで走りやすい道なので軽く走りながら下山する。5分ほど下りて、妙に日差しが明るくなって町に近づいていることに違和感を覚える。秦野の街が見える。方向が違う。 地図アプリで現在地を見る。尾根を間違えて真西に下りていた。 このまま下りても駐車場にはたどり着くことができない。 仕方なく来た道を引き返すことにした。走って下りた道を登り返すのは本当に馬鹿らしい。軽快に下りたことを心底後悔する。 自分の信じる宗教によっては、これは神が与えた試練であると考えることもできるだろう。 それについて私は、自分の都合のために神を利用するということだろうかと考えた。これも機会と考え、単にトレーニングとして活用すればよい。 いや、起きた事象を自分の何らかに利用するという考えが愚かであると感じた。 「せずにすめばよいのですが」。これは筆耕人バートルビーの象徴的なセリフだ。 全てのこと、すべての選択に対して、イエスでもノーでもなく、オルタナティブな態度を貫く。それこそ私たちがなすべきことではないか。バートルビーであれば今どう考えるか?そのように利用されることも快く思わないだろう。思い上がりなのだ。 院生の時に私にバートルビーを教えてくれたあの人は、今も神戸にいるのだろうか。
空の色が反射して枯れ葉が青く光る。ラジオで聞いた「煩悩即菩提」という言葉を思い出す。 煩悩があっても悟りに至ることができる。むしろ、煩悩がなければ悟りに至ることはできない、という説明だった。 煩悩を知ってこそ、煩悩の輪郭を知ることができ、そこから脱することができる、と解釈はできる。しかし、これは慈悲の言葉にも見える。煩悩があろうが正しく生きることが大事なのだ、まだ引き返せる、がんばれ、みたいな。 それはどうなんだろうか。煩悩を知らずとも悟りに至ることは理論上可能だろう。 煩悩を利用して悟りに至る。すべてのものを利用するという態度が気に食わない。 理由はなく、すべてのものがそこにある。ただ一切は過ぎていきます。
また、高取山の頂上に着く。居た人と会話する。私の経路のことを話すが、全然話が通じない。高取山に一度ついてから別の尾根を2回下りて登って、という人は少ないはずだし、意味が分からない。 親切なことに「昼下りのジョニー」という名前のヒル避けスプレーを貸していただけた。靴にかけるのが下手くそで無駄に何度も使ってしまい、心から申し訳なく思った。
ここからはそのまま帰っても面白くないので正しく南下して弘法山方面に向かうことにした。 17時に駐車場が閉められるが、まだ余裕はある��ずだ。
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行きの車では「サカナクション山口一郎のナイトフィッシングRadio」の録音を聞いた。 ジッタリン・ジンの特集で、ドライで明るい感じが心地よかった。 「君がいた夏はとおい夢の中 空に消えてった打ち上げ花火」。 そんなことがあったか?と自分の昔を思い出す。
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ざっくりした緩やかな下りで、スピードを上げやすい。 多少衝撃があったほうが骨にも良いだろうと雑に駆け下りていく。
昨日の夜、若干寒気を感じた。風邪を恐れているので葛根湯を飲み、肌着を一枚増やし、ズボンの上にさらにズボンを履いて寝た。 朝は特に風邪っぽさはなかった。でも不安はあった。 登山することで自分が風邪でないことが逆説的に証明できると考え、そのために今自分が山にいる。そんなストーリーを一瞬、後付けで理由として考えた。
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亡くなった犬のことを思い出す。 僕らには忘れないことぐらいしかできない。
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ちょっときつい急登を登る。木の根を探してそこを頼りに登っていく。 頂上からは東に下りることができるが、南下して弘法山方面に向かう。
大昔、山を切り開いて作った切通しのあとがある。 その道端に頭が石で置き換えられた地蔵が二体いる。
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来る途中、後ろの車が前方のGEOに入店するために一時的に対向車線に入り、右折して駐車場に入るところを見た。その際、右折のタイミングを間違えたのかサイドスカートを縁石にぶつけ、周囲に大きな音を立てていた。縁石にはこすったパーツの跡が見えた。
森を一人で歩いているとこういう、よくわからない事を何度も思い出す。 登山の良さは何なのか。圏外になって誰とも繋がれない時に自分の暮らし、過去、将来などから距離をとって考えることができるのが魅力だと思う。それができれば頂上は必要ない。
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あなたが私の本をわざと返していないことを知っている。
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すでに16時が近く、時間的な余裕、体力的な余裕、足が壊れないことの保証(最近アキレス腱の調子が若干よくない)もないので、弘法山までは行かずに、246のトンネルの上付近で東に下ることにした。 吾妻山の頂上でミックスナッツと水分を補給した。見晴らしはいいが、標高が低く建物が縦方向に圧縮されてあまり見栄えが良くない。
勢いで下山する。だがこれで終わりではない。駐車場まで戻るのだ。駐車場まではあと2kmある。しかも登りだ。 公共交通機関の登山と自家用車の登山は訳が違う。何があっても必ず車に戻るのだ。行きて帰りし物語なのだ。
施錠30分前に駐車場についた。学生が一人、吹奏楽の練習をしていた。 混んでないはずなのになぜ私の車の横に車が止まっているのか、気にはなったがタイヤの下の空になった日焼け止めを回収して、靴を履き替え、服を着替え、ドライブスルーができる店を手早く探し、車に乗って帰った。
2025-06-01
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2025年4月10日(木)

世間では、chatGPTを使って画像をジブリ風に加工するのが流行っているのだとか。それならと、実際の写真2枚とアプリで作った似顔絵を加工するとこうなった。ううむ、他のメンバーはそれなりに理解出来るのだが、私だけがエイジング過剰となってはいないだろうか。自分でいうのもなんだが、人の良さ(=バカさ加減)についてはよく捉えられていると思う。しかし、こんなに老けているのかなぁ・・・。

5時45分起床。
洗濯開始。

朝食を頂く。
珈琲を淹れる。
洗濯物を干す。
プラゴミ、30L*1。
彼女を職場まで送る。

以前、溜まっていた衣類の処理に<古着deワクチン>を利用したことがあったが、今回は食器の処分に<キッチンde給食>を使ってみた。届いた段ボール箱に新聞紙でくるんだ食器を詰め、上鳥羽の佐川急便へと持ち込んだ。廃棄処分よりも、少々心安まる行き先となることを祈ろう。
夕飯用に、ストウブで無水地鶏カレーを仕込む。
麺つゆを仕込む。

コレモで買物、昨日テーブルコショーの蓋を壊してしまったので新しいものを買い求めた。

ランチ、息子たちのきつねうどんを用意し、AM勤務の彼女を迎えに行く。
戻ってから彼女にはアオサうどん+🍷で慰労。
少し呑みすぎて、軽く午睡。
4月からApple Intelligence が機能し始めて、メールアプリの使い勝手がずいぶん良くなった。それに合わせて、これまでメインで使用していたGoogleAccountからAppleに移行することにして、あれこれ作業する。各種アカウントのメールアドレスを変更し、受信箱を項目毎に用意してルール設定、ずいぶんとスッキリとして使いやすくなった。
いつも通り、カレーの味付けは彼女にお願いして夕飯準備。

無水地鶏カレー・サラダ・リンゴ・スパークリングワイン、我々は🍶+🍷。
録画番組視聴、名探偵ポワロから
第4話「満潮に乗って」/ Taken at the Floodシーズン 10, エピソード 4 世界的富豪ゴードン・クロードの別荘でガス爆発事故が発生。ゴードン本人は死亡し、ゴードンの新妻ロザリーンと、その兄デビッドは奇跡的に一命を取り留め る。それから2年が経ち、ロザリーンとデビッドの厳しい遺産管理により、クロード一族は苦しい生活を強いられていた。そんな一族にとってロザリーンは邪魔 者。一族の反感の矢面に立たされたロザリーンは、日に日に憔悴の度を深めていく。
片付け、入浴、体重は200g減。
パジャマに着替え、残りのワイン舐めながら日誌書く。

いか���いかん、もう少し動かねば。
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2月のきりん組
<雪遊び>
10数年に一度の寒波がやってきて、園庭には大きな雪山が!天気のいい日には(多少雪が降っていてもですが)雪遊びを思う存分楽しんでいます。





19日はなごみこども園に行って、そり滑りや雪合戦をして遊んできました。
<氷づくり>
ひな祭り制作で使用した色水が残っていたので、色水で混色をしていると「氷つくってみたい!」と色水の氷づくりががスタート。



「凍るといいな!」と期待をこめ、テラスから外に容器をおいて数日。


なんと、氷になっていました!!光にかざしては「きれいだね!」と喜ぶ子どもたち。

立派なつららもできていて、つららを室内に持ってくると・・・「見て、牙みたいだよ」

<遊びの様子>
給食を食べた後は好きな遊びを楽しんでいます。
レゴブロック、カルタ、折り紙、積み木、写し絵・・・女の子は人形を使って「こども園ごっこ」も楽しんでいました。ちょっと耳をすますと・・「○○先生から写真撮っていいって言われました」と保護��役の子がスマホを片手に写真を撮る姿も。よくみていますよね☺








卒園式まで14日・・・残り少ない園生活をみんなで楽しんでいきたいと思います!!
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青い山と 黄色い太陽
木片の絵
7月はじまりは、旅先にて🕊
帰ってカレンダーめくると、
夏色の富士山がいた🌞
・
心地良い&美味しい時間を思い出す✳︎
@shozocoffee_karuizawa でお茶中、目の前にトコトコ可愛い鳥---1度ばさっと羽を広げて…またトコトコ歩いて行った♡
@ehongohondou では、前回出会えて喜んだ詩と絵の本をゲット。沢山並ぶ本の中から吸い寄せられるように手にした1冊は、昔から好きだったフジコヘミングさんの絵と、同じく好きな祖父江慎さんデザインの本で嬉しい出会い⭐︎
緑の窓辺の特等席で読みながら
飲んだ地元の白ぶどうジュースがとても美味しかった😍
ここから見えるしなの鉄道の車両の紹介に、湘南電車があるのが毎度びっくり‼️走っているのを見た時の驚き👀
@_01bakery_ で野菜たっぷり美味しいカレーパンと、オリジナル晩柑ジュースをテラスで楽しんでいたら、、水色の背中と黒い帽子の大きな鳥がとまって喜ぶ♡
オナガと分かり更にびっくり。
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魅力的な石垣も沢山目撃✨
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揺れる木漏れ日シルエット美しい👏
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暑い日々はじまる、、、💨
#memo#illustration#calendar2024#july#painting#drawing#art#たじまひろえ#hiroetajima#木片の絵#birds#mountain#flowers#summer#cafe#軽井沢#karuizawa
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映画『からかい上手の高木さん』
公開日は公開初日舞台挨拶があったので、公開の次の日の6月1日に映画館に行ってきました。予約をするときにファーストデイってことに気付いて『こんにちは、母さん』のときのデジャヴ…と思ったけど、2回観に行く予定もなかったので前売り券で鑑賞しました。映画の宣伝期間が長かったこともありしっかり宣伝させていただいたので、その分役への移入が大きくて〝感想〟よりも〝体感〟に寄っている部分がありますがご了承ください。今回も映画を見てから、ながのによるながの視点のながのの為の感想文(ネタバレ含む)を読んでいただけたらと思います。皆さまからの感想もお待ちしております。

大切な人に関わろうとする時、気持ちを伝えようとする時、理解しようとする時、人にはそれぞれ自分の中で面倒臭い手続きや自問自答があったりするわけで…そんな可笑しくて、淡くて、ピュアで、愛おしいぎこちなさが詰まった、10年越しの2人の初恋(からかい)の物語。 〝学校〟は生徒が学ぶ場だけど、生徒に学ぶこともたくさんある。伝えたいことは勇気を持ってきちんと言葉にして相手に伝えること!たったそれだけなのに大人の私たちにはできなかったりする。からかいかわかわれる2人の物語と同時並行で動く登校拒否の町田くんと女子生徒の大関さんが、高木さんと西片の行動に大きな変化を与える。伝えたいことは勇気を持って相手に伝えた方が好転する!本作を観て、行動に移す人がいたら応援したいと思う。
監督は恋愛映画の名手、今泉力哉監督。今回初めてご一緒したのだが、あまりお芝居について演出を受けることはなく基本的には「一度やってみてください」と役者に委ねてから意見をくださる、淡々と静かに映画を作っていく方だった。最近の日本の恋愛映画は、突然相手がいなくなったり、実は既にこの世にいなかったり、難���に侵されていたりと、悲劇や不幸の先にあるサプライズで涙を誘うようなものばかりで嫌になりそうだったけど、純粋で真っ直ぐな恋愛作品をこうして綺麗に映像化してくれて本当によかった。ただ、実写化故の弊害が顕著に現れており、今泉監督独特の行間に生まれる感情や空気感や一風変わった恋に対する向き合い方はあまり発揮されていなかったように思う。難を言えば、今泉監督らしい強引な絵や文学的な美しさが欲しかった…が、漫画原作の枷がある中で、コメディ、恋愛、ドラマ、どの要素も少し行き過ぎると壊れてしまう絶妙な匙加減の作品にはなっていた。 高橋文哉くんが演じるのは西方。一歩間違うとファンタジーにもなりそうなくらい中学生がそのまま大人になったような純真さを持っているキャラクター。そんな西片の落とし込み方は完璧だったように思う。「からかい」「からかわれる」というその関係性を体現できたのは、ながのと文哉くんがカメラがないところでも「からかい」「からかわれる」関係でいられたからだと思う。本人曰く「いつもはこうじゃない!」とのことですが。本来、恋愛映画はドキドキやキュンキュンがテーマであることが多いが、今作のテーマはニヤニヤ。からかわれる西片にニヤニヤ、真っ直ぐすぎる西片にニヤニヤ、少しドジな西片にニヤニヤ。テーマである〝ニヤニヤ〟は全て西片を通して感じられるように作りこまれていた。 そしてながのが演じる高木さん。最初は原作漫画とアニメを意識していたけど、今泉監督から「永野さんが演じている高木さんを見たいから、もう少し崩してもらって大丈夫です」と言っていただいて自分なりの〝高木さん〟を模索した作品。高木さんが笑っていると西片が嬉しい気持ちになる。この「からかい」「からかわれる」関係性が、ただの意地悪ではなく愛のある〝からかい〟だということがきちんと伝わる、愛情深い高木さんを演じることがながのにできていただろうか。「高木さんにとって、からかいとは何ですか?」と、本作のテーマである〝からかい〟について台詞で高木さん本人の口から答えさせるのはいかがなものなのか…と、考えながらも思うがままに感情に乗せて台詞を発すると、高木さんと西片にしかわからないとても幸せな時間…要するに〝いちゃついてる〟だけなんだよーってニヤニヤが止まらなかった。きっとそれも「はっきり言わないと伝わらない」、そんなメッセージの一部。
ラスト、いつもの教室いつもの席での長回し。BGM無し、回想シーン無しの二人の会話。たどたどしく絞り出される台詞。固唾をのんで見守る。普通なら考え込まずに飛ばしてしまうようなことに丁寧に真摯に向き合い、「好き」とは何なのかを面倒くさくなるほどに突き詰める。西片と高木さん、二人きりの静かな時間の中に見える「好き」の絶妙なグラデーション。愛の形はきっと無数にあるから、他者の「好き」を覗き見するような気持ちで、身構えずにクスッと笑ってください。「好き」を伝えること、片想いも両想いも、人と人が分かり合うことがシンプルに素直に映っていますように。
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は快晴です。
昨日は朝一の職人さんとの打合せからスタート。
その後は昨日の続きの作業をしようと思っていたら、山川海師匠からの一報で、急遽山散策へ…
お昼からは根曲り竹の皮剥きやら、前日からの続きの作業やら、木地師さんと蒔絵師さんとの打合せやらで一日が終了。
そして昨夜のオラ家の晩ご飯は、川連漆器で茹で根曲り竹のカレー。
晩酌と晩ご飯終了後、お酒好き⁉︎なお客様より、一合片口縄文を気に入って下さり、早速嬉しいコメントを頂きました。
早速使って頂き、ありがとうございました。
今日もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今日も、良い一日と成ります様に。
https://jujiro.base.ec
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241021
朝、寒くなればなるほど、布団が愛しい。
気持ちが低空飛行。無気力。 寒いからということにする。 最高気温13℃、最低気温は-1℃。
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241022
曜日感覚がずれている。 今日は火曜日、と言い聞かせる。 アルバイト。アルバイトに行くと気持ちが疲れる。
帰宅して試作。 ほんとうはもう本番をつくり始めていないといけないのにまだ試作している。 なかなか決められない詩のタイトルがひとつあって、ずっと悩んでいた。
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241023
朝、たっぷり雨が降っている。 ずっと本をつくっていた。
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241024
朝、あたらしくしたカーテンから陽の光が透けている。 カーテンはまだ部屋に馴染んでいない。 部屋を片付けた方がいいかもしれない。
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241025
絵と本を発送して、選挙の期日前投票をして、車の運転の練習をした。 こわくて早く帰りたかった。
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241025
カーテン。 新しいレースカーテンをリビングの窓にかけてみたらよい雰囲気になって、嬉しい。 わたしの部屋には合わなかった。 絵を描くことも、詩をかくことも何にもならない。 それでも絵を描いていると癒されて、これはやめられない、と思う。
そういえば今日、アルバイトで一緒の人に、友人と世界がずれてきてしまったと話をした。わたしより、たぶん、10歳くらい年上の素敵な人。 そのときそのときで、同じような状況にいる人といることになるんだよ、と言っていた。 主婦になったら主婦と。 大人になってしまった。 日記を書きながら、でも、今は違うところ立っていたとしても、その人をみて話ができるようでありたい、と思った。 いろんなまとうもの、関係なしに。
日記を書く前、ふて寝してしまっていて、そんな自分が嫌になって、落ち込んだ気持ちで今日を終わりにしてしまいそうだったけれど、食器を洗ったし、布巾も煮沸した。 気持ちよくねむれそう、と思って、ねた。
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241026
朝、身体がかたい。 全身に力を入れたまま、ねてしまう。 疲れがとれなくて、目の下にクマ。
アルバイト。 わたしがわたしじゃないみたい。 でも、動いている。話をして、笑顔にもなる。けれど、空っぽだ。 アルバイト終わり、パンをもらう。 アルバイト先の人の娘さんのバイト先の豚丼豚かつの店の店長が趣味で作っているパン。 それにアルバイトの余りものをのせて作ってくれた。せっかくだから、とコーヒーも淹れてくれた。 やさしい世界で生きている。 それなのに、毎日ハッピーとはならないのはなぜだろう。 駅前のベンチとコパンとコーヒー。 木漏れ日も落ち葉もきれいと思えたから、大丈夫。
映画をみた。 映画をみると、ここじゃないところにいる。 北海道に来る前の生活をしているみたいな錯覚。泣きそうになる。 映画館から家まで1時間、歩いて帰った。 自分の場所を確かめたかった。
夜、身体が熱っぽい。 そういえば今日はある程度の気温があるのに、寒がっていた。 芯が冷えている。
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241027
朝、肩が重い。 お腹がすいた。 昨日の晩ごはんは春雨スープ。ご飯を考えることが面倒で、残り物のわかめスープに春雨とハムを加えただけでよしとしたのだった。 彼が出張に行っている。 ひとりだと、ダイエットをしているわけではないのに、ダイエットメニューのようになってしまう。 このままではほんとうに体調を崩してしまう。
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241028
いろんな人に連絡したり、本をつくったりしていた。 次につくろうとしている本のタイトルがさくっと決まって、嬉しい。
今日は母の誕生日。 53歳になったらしい。 親も年をとることが不思議でならない。 わたしの中で母は36歳で止まったままだ。
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241029
アルバイト。 のんびりとした日で、おしゃべりをしていた。 いつもこうだったらいい。 フォンダンショコラを買って帰る。
とにかく気持ちが悪く、うまいこといかなかった。
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2024/5/5

5月5日 とてもとても眠いのと身体がずっとへとへとなのとが重なって、そんな日が重なり続けたゴールデンウィーク5日目。 お出かけをしても体が新しい気候に追いつけず不安が募り「早く帰って昼寝をしよう!」と帰宅して、いろいろ片付けをして過ごしてしまい、今はもう19時。 片付けで目は覚めたけれど、ここにきて明後日からのお仕事の不安で気持ちがいっぱいになり、泣きたくて大パニック。思い出すだけで不安で生活に支障が出ているのはよくない。生活をするためのお仕事が、お仕事をして生活ができなくなっている。 でも、ここまで不安が募るのは、ただ眠れていないのと今日はまだ1日何も食べていないことが原因なのかもしれない。(でも、この原因の原因はお仕事の不安なのかもしれない。いたちごっこの堂々巡り。)

今日は新橋にできた、お〜いお茶ミュージアムに行って、こんかものか、と落ち着いた。 お茶の博物館は次回にとっておいた(でもあまり長く続く感じがしないので早めに行ったほうが良いのかも)。 日比谷公園でバラを見て、大阪でも見たバラを思い出す。いつもは近寄れないシュロの木の周りにハンモックが設置されるイベント中で、少しだけ乗ってジャンプをした。

永山裕子さんの作品だったらしい。 資生堂ギャラリーで展示を観て、行列(とんかつ屋さんとフジ子・ヘミングの絵画展とヴィトン)をすり抜けて帰ってきた。

スーパーでは、私が日々買っていたアイテムの取り扱いが、また一つ終わってしまった(梅肉チューブ)。

大阪での日記を更新して、いつも大阪で会ってくれる友人達との別れ際、2人がいつまでもこちらを気にしてくれる様子に、嬉しくて寂しくなることを思い出した。 2人の帰路は違う路線なのに、改札やホームまで私を届けてくれて、姿が見えなくなるまで見届けてくれる。 (私は誰との別れ際でも振り返りがちなので、いつも、!!…まだ見送ってくれてたの!と嬉しくなる。)

先日会ってくれた神戸の友人も、「まだ次の電車まで時間があるから」と、彼女の帰路と反対方面のホームで、私が電車に乗って、その電車がホームを離れるまで見送ってくれた。 写真や日記をしていると、こうゆうことを思い出せるので救われる。今回の旅行も、4ヶ月後の自分の何かになればいいな。 フィルムの現像を取りに行くのを忘れていたので、明日行きたい。

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