#木造十一面観音立像
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伊勢神宮へ 酔いと音の古殿地
先日、友人のピアニストであるふじいさんと伊勢神宮に行った。初めて観光地で昼間からお酒をのむということをし、今までの観光のなかでいちばん心地よく頭のまわらなさ、とてもよい小旅行だった。またわたしは偶然、京都の伏見と混号になっている伊勢特集のブラタモリを所持しており、これが今回とても役に立った。前の週に予習として読んだときは(ふ〜ん、)というくらいだったが、伊勢までの電車の中で読むと既に実感を伴い、(知識にも入れどきってもんがあるのよ〜)となった。わたしの人生初のお伊勢参りは午前中だったからか観光地としては非常にちょうど良いくらいの人の多さ(多くなく)で、曇り雨予報もお伊勢参り中は全く降られることなくとても良かった。神宮のつくりと見かけ、また観光地としての佇まいはとても美しく、気高く、tidyな賢さのある観光地であった。おおきく見ていてうれしかったポイントとしてはふたつある。
ひとつめは古殿地のシステム。古殿地というのは、伊勢神宮は20年毎に1回式年遷宮という正殿を筆頭にいくつかの社殿を真横にそっくりそのまま建て替えるということをする。古殿地とはそのための土地、要するにholyな空き地である。この20年を節目にして建て替えられるというのは飛鳥時代の620年あたりからで、ここまでのべ62回の造り替えが行われてきたそうだ。社殿に使われる装具品なども全て作りなおされるので、伊勢神宮はトラディショナルだが常に新しいということである。して、それの何がよかったのかというと、完成された社殿に開発できるスペースが常にあると言う状態がこの神宮の格式の高さだと思えたからだ。これをふじいさんに伝えようと思ったときに何に例えると良いだろうかと参道を歩きながら考えた。大抵いつもこういう感動を伝えやすいのはエンジニアの友人であるカイくんで、彼だったらプログラミング、書ききったコードにあらかじめバッファを残すやり方とかそういうものがありそうだな、、とか思ったが、その辺のプログラミングの素養がわたしにはないし、プログラミングに例えてもわたしもふじいさんも納得感が薄い感じ〜となりそうと思うと、ピアノのスケールに例えられる気がした。スケールというのは順当に並んだ音階のこと、単純言うとドレミファソラシドという音列(これはCメジャースケール)のことで、これをたとえば片手で1オクターブ分のスケールを引くときには、(右手で弾く場合)15音に対して指は5本しかないので運指を少し工夫する必要がある。ドレミまで123(親指から番号を振り)の指で引きファの音で指を潜らせて1の指で引いてやると次のドまでの音階を残った2345の指で弾いてやることができる。これを左手で行うと(小指から逆順に番号を振り)5432/1321の運指でありここまではとても美しいシステム、指の運びだなとわたしは思うのだが、わたしが気にしているのは2オクターブ以上引くときの運指である。音の始めはいずれにしても1の指からなのだが1オクターブ上のドに辿り着く指はいずれも345の流れである。つまり2オクターブ以上引くときには間で指を潜らせたり跨がせる所作をさらに加えて行う必要がある。具体的には右手の場合は123/1234/123/12345。左手だと54321/321/321/4321となる。このときの右手の運指に問題がある。1オクターブ引き切る前に2オクターブ目のスケールに向かうための運指の変化があるのだ。つまり1オクターブのスケールを弾くときと2オクターブ引くときの指を流れが違う。1オクターブ弾き切ってから(ア!もう1オクターブいきたいかも)にシステムとしては対応できていない。というようなことをつい先日スケールの練習をしているときにそういうことを考えていたことを思い出した。たとえばクラシックではそんな場面はあまりないかもしれないが、たとえばジャズでインプロビゼーションなどするのであれば土壇場でもう一音階上がりたいという場面があってもおかしくないのではと想像したのだ。前置きが長くなったが、どこまでも上がり下がりする音階をつくるためには一般的な運指ではなくあらかじめ次の音階に上がれる「音(指)の古殿地」が必要かもしれないということ。それを彼女に話すと、よくそんなこと思いつくと言ったあと、でもそういった場合たとえばペダルを併用したりもう一方の手でカバーを入れたりして澱みなく繋ぎ直す方法もあると教えてくれて、わたしはとても愉快になった。ふじいさんはとてもピアノが上手いし、いつも話を聞いているとピアノに対しての甘えのない人だ。そしてこの彼女がシステムを超えるためのアドホックな技巧があること、またそう言ったときの(おそらく演奏というものは必ずしもそういうことではない)というような毅然とした態度に、わたしは増してわくわくした。
ふたつめは終点の標識。伊勢神宮には愛知から名古屋を経由し国道23号線をずっと走ってくると伊勢神宮までたどり着くことができ、そこには国道23号の終わりがある。標識の23の文字の下には白地に黒文字で終点と書かれており、ことは内務省より「東京より伊勢宗廟に達する路線」 として国道9号が指定されたのが1885年、1920年には旧道路法に基づく変更にのり国道1号となり名実ともに日本を代表する幹線道路だったわけだが、終戦後に再び何度かの道路改正があり、一級二級といった区別がなくなり今の一般国道23号線になったのは1965年のことだそうだ。この終点の標識ひとつとっても、当時からの伊勢神宮の位の高さが伺える。神宮としてあり続けるために観光面においても、御司という平安から明治の初めにかけて多くいた伊勢神宮への参拝のための旅行コンシェルジュのような存在や、江戸の街並みを再現したおはらい町など、伊勢神宮の気高さは街全体がつくってきたのだ。そして終点もそのひとつ。観光地が維持されながらも同時にアップデートされていく一端を見れてとてもうれしい心持ちであった。なんといっても「終点」 というのが良い、目的地のなかでも終点と言われてしまえば(真に目指す必要のある場所だ!)と思うのも頷ける。
とりあえず外宮と内宮を見て周り、初お伊勢参りとしては十分及第点だろうといったところで、そのまま横に流れ、おはらい町へ。てこね寿司を食べようと思ったが、ふじいさんがそんなに乗り気ではないように思われたので、とりあえずコロッケのおいしいという店でコロッケとメンチカツを頼んだタイミングで、焼酎をのもうと言われ2号をふたりで飲んだら、すごくきれいに酩酊。わたしは観光地ではいつも専ら学習モチベーションが高く、神宮でも、最高な巨木!美しい五十鈴川。気高き社殿群と、直感的には伊勢の空気に触れつつもしばしばブラタモリを開いてはふむふむしていたお昼まで、初めて旅行先の外でしっかり酔っ払いとても愉快であった。神宮に行く前に伊勢うどんを食べたこともあり、めちゃくちゃ腹減りという感じでもなく、すっかり機嫌の良いわたしたちは観光地とはおおよそ関係の希薄そうなアイスクリームを食べ、こちらは子供サイズというひと巻きかふた巻きほど少ないのが大きさのものがあり、一個は多いが、というニーズにぴったりであった。その後は本店の赤福を食べ、ふじいさんの友人の谷さんいわくお土産の赤福とは一線を画すとの前情報であったが、たしかに、食感においていつもの赤福より餅が柔く、餡も心なしかみずみずしいように感じられた。このあたりでは少し酔いが覚めてきて、非常にちょうど良さではあったが、良さのもう一段上、更なる心地よさへの高みに想像がはたらき(酔いの古殿地)、別のお店であともう一杯だけ日本酒をのむと、それはなんとも贅沢な昼の心地であった。そうこうしているとおおよそ帰路に着く時間に近づいてきていたので、わたしのリクエストでバスで宇治山田駅へと向かう。かく宇治山田駅もお伊勢参りの後援として一役買っている重要な場所である。1931年に建てられたこのモダン調の駅舎は近鉄電車、大阪のなんばから宇治山田駅間を2時間ほどで繋いでおり、関西から参拝にくるひとの多くが利用するルートのひとつである。ちなみにブラタモリには駅舎のテラコッタ色のタイルが印象的であると書かれていたのだが、わたしが見る限りではどこにテラコッタ色のタイルはなく(見つけられず)、それは少し悔やまれたが、しかしそんなことはどうでも良いと思わせるほどのサプライズがあった。なんと宇治山田駅にはストリートピアノなるものが設置されていたのだ。開けた構内には普段であればちょっとピアノ弾くか迷うくらいのひとの多さがあったが、ここで追い日本酒がほどよく効いていたのもあり、純粋に突如現れたグランドピアノにテンションがあがった。思いもしないタイミングでふじいさんの演奏を直に聴くことができるのがうれしい。確実に演奏家として彼女の方がはるかに上手に弾くだろうと思ったので、先に私から演奏する。すこし音をならすと、非常に良い調律というか鍵盤の硬さで(あとでピアノの写真を見返すとYAMAHAであった)、初見でこんなに手に馴染むピアノがめずらしく、また酔いも助けてわたしはとても良いモチベーションで演奏できた。楽しく弾くことができたし聴き手からしても楽しさ〜という演奏になっていたように思う。あとからあれはBLUE GIANTの2巻でダイが、「音楽はいいな〜音楽はスゲェな〜を吹きます」 のシーンの心持ちだった。それからふじいさんの演奏。連弾用に椅子が二脚あり横に座って聴いたのだが、彼女の演奏はとても流暢で、酔いのなか、彼女としてはどんな出来だったのかは分からないが、とても軽やかで流れのある水を撫でているような心地よさ、砕けたいうにはいささか繊細な粒子の細かいフランクな音でとてもよかった。彼女の手の動きは見ていてもおもしろかったし、途中からは音楽に身を委ねて目を瞑って聴いたのであった。彼女は2曲(だったと思う)弾いてくれ、一曲はラヴェルだと言っていた(もう一曲はなんだったんだろう)そのあとは少しだけふたりでポロポロと弾いたり弾かなかったりした。あらためてとても良い旅であった。
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我が国の未来を見通す(86)
『強靭な国家』を造る(23)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その13)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
話題が少し古くなりましたが、ウクライナ戦争をめ
ぐる最近の動きとして、9月19日、ゼレンスキー
大統領が国連に乗り込み、初めて対面で演説し、
「侵略者ロシアを打倒するための団結」を訴えまし
た。
しかし、ビデオ参加した昨年に比べて出席者の数は
減って、空席も目立ちました。これについては、ウ
クライナに対する“支援疲れの表れ”との分析に加
え、発展途上国は「アメリカとロシアの対立に巻き
込まれたくないという思いから欠席する国が多かっ
た」とする見方もかなりありました。
しかし、最大の問題は、拒否権を持つ常任理事国の
ロシアが戦争の当事者であることから、ウクライナ
やアメリカなど西側諸国の立場を反映した提案は、
ロシアと中国によって全て葬り去られる公算が大で
あること、すなわち、国連が“平和の維持のための
機能を果たさなくなった”という“現実”を改めて
さらけ出したことにあると考えます。
ロシアによるウクライナ侵攻から1年半以上が経過し、
ウクライナ東部3州への反攻は、黒海艦隊司令部へ
のミサイル攻撃などが話題になっていますが、当初
の計画よりかなり遅延していることは間違いないで
しょう。その主な原因は、戦術行動としての「攻撃」
自体が難しいオペレーションであり、そのための物
心両面の準備が十分でなかったことにあると考えま
すが、最近は、ウクライナ国内に汚職が蔓延し、国
防相や国防次官らが更迭されるなどウクライナ軍の
“タガ”の外れていることやポーランドとの関係も
ぎくしゃくし始めたことなども背景にあるのかも知
れません。
アメリカやカナダは、さらなるウクライナ支援を約
束したようですが、反攻の進展は不透明ですし、国
連が“機能不全”になっていることなどを考えれば、
「停戦合意」などはますます遠のくことを覚悟しな
ければならないでしょう。
ウクライナ戦争の経緯を分析すると、今回、本文で
取り上げる「文明の衝突」を回避したり、拡大を防
止する“特効薬”はなかなか見つからないと認識す
る必要があると考えますが、虎視眈々と様々な企み
を計画している国は、“同じ失敗をくりかえさな
い”ことを最重視しつつ、戦争に絡む軍事・非軍事
あらゆる視点から詳細な分析をしていることでしょ
うから、将来はまた違った“様相”になることも頭
に入れておかなければならないでしょう。
このたび岸田首相もまた、国連で「人間の尊厳」と
か「核軍縮」とか「国連改革」など“理想論”のオ
ンパレードのような演説を行ないました。「理想」
とか「正義」に対して誰も表立って反論はできませ
んが、大多数の国はそれらよりも自国の「国益」確
保を優先しますし、時に「理想」や「正義」さえも
“したたかに活用する”ことを躊躇しないでしょう。
それが「普通の独立国の本質である」と認識した上
での演説なのかどうかは不明ですが、立場を異にす
る国々にはどのように響いたのでしょうか。
話は変わりますが、若干、前回の「教育」を補足し
ましょう。9月27日付の「正論」で藤岡信勝氏が
教科書検定制度の歴史を取り上げ、最後に「今日ほ
ど文科省官僚の権限が強大化し、しかもその官僚機
構に左翼・反日勢力が浸透してしまった時代はない」
と結んでいました。
信じたくないですが、その結果として、我が国の
「国力」増強にさえ反対するような若者が大量に輩
出されるようなことが続けば、「国家100年の計」
として“我が国の未来はますます危うくなる”と感
じざるを得ません。日本の大学の国際的なレベルダ
ウンについては(武士の情けで)あえて取り上げな
かったのですが、それらの改革を含め、「教育改革」
も“任重く道遠し”であることがわかり、気が重く
なっています。
▼「文化」が「国力」に及ぼす影響
さて「文化」です。「文化」こそ、私など素人が立
ち入ることができない分野なのかも知れませんが、
「歴史」を学ぶ過程において、「歴史」と「文化」
が互いに“影響し合っている”ことを何度も実感し
ました。歴史的な出来事や変化が「文化」を形成し、
一方で「文化」がその社会の歴史的経験や進路に影
響を与えているようなことです。
たとえば、大東亜戦争を境に我が国の「文化」が大
きく変わったことなどからもわかるように、戦争と
か革命はしばしば「文化」の変化を引き起こし、逆
に、芸術や音楽などの「文化」が「歴史」に反映さ
れたり、時に社会変革の“触媒”になっているよう
なこともしばしば発見しました。
それでは、この「文化」とはどのようなものか、か
ら入っていきましょう。一般に、「文化」は「人間
が作り出した全てのもの」を指す場合が多いようで
すが、具体的には、「食生活・暮ら��方・文字・言
語・農業」など社会の仕組みを担うものから、「哲
学・芸術・道徳・宗教・科学・価値観」など、具体
的な形がない精神的なものまで「文化」と呼ばれて
います。
歴史の例を挙げれば、毛沢東が「文化大革命」とい
う名前をつけた理由は、当時、毛沢東は、中国が資
本主義の復活の危険に直面していると認識し、共産
主義という社会制度やイデオロギーのみならず、
“人間がつくりだす”価値観、つまり「文化」その
ものを根本的に変革することを目指したためと言わ
れております。
さて、「文化」としばしば混同される「文明」は、
「人々の生活を豊かにするための物質的なもの」を
指し、具体的には、「建築・工業製品・交通手段」
などが含まれます。したがって、「文化」は“心を
豊かにするため”のものであり、「文明」は“生活
を豊かにするためのもの”とも定義されていますが、
一般的には、「文明」は“「文化」を含むもっと広
範な概念”であると解釈されているようです。
冷戦が終焉した時、フランシス・フクヤマは、『歴
史の終わり』を上梓し、「リベラルな民主主義が普
遍的になる」ことを主張し、一世を風靡しました。
そのような考えの対極にあったのがサミュエル・ハ
ンチントンの『文明の衝突』でした。ハンチントン
は、「西欧的な民主主義が普遍的になることはなく、
西欧と非西欧、合わせて8つの『文明』が時に対立、
または共存していくのが人類の未来である」と説き
ました。日本版は550ページに及ぶ大作ですが、
私も当時、夢中になって読破したことを覚えていま
す。
ハンチントンは、国際政治の視点から、「文明」は
「広範な『文化』のまとまりである」と解釈しつつ、
「社会制度や宗教など、人間が社会の中で自らのア
イデンティティを定義する決定的な基盤を含む」と
捉えました。一方、「文化」は、「『文明』より具
体的な概念であって、特定の地域やコミュニティに
おける生活様式や価値観を指す」と解釈していたよ
うです。
したがって、「文明の衝突」という表現は、「異な
る社会制度や価値観を持つ大きな集団間の対立」を
強調するために用いられ、国際政治における対立は、
“単なる文化的な違い以上のものである”というハ
ンチントンの視点が反映されているようです。
実際の冷戦後の国際社会は、ハンチントンが予告し
たとおり、異なる「文明」の対立や衝突、時には、
ウクライナ戦争のように「文明内の衝突」を繰り返
しながら、現在に至っていることは説明を要しない
と思います。
さて、ハンチントンが分類した8つの「文明」とは、
西欧、中国、日本、イスラム、ヒンドゥー、スラブ、
ラテンアメリカ、アフリカを指します。つまり、日
本を独立した��つの「文明」として扱っています
(この点も、同書が日本で人気があった理由でもあ
ると考えます)。
ハンチントンは、「日本文明」を日本という中核国
と同一(つまり、“一国家一文明”)として捉え、
その理由として「日本の独特な文化を共有する国は
なく、他国に移民した日本人がその国で重要な意味
を持つほど人口は多くないし、かといって、日系ア
メリカ人のように移民先の国の文化に同化すること
もない。日本の孤立の度がさらに高まるのは、日本
文化は高度に排他的で、広く支持される可能性のあ
る宗教とかイデオロギーを伴わないという事実であ
り、そのような宗教やイデオロギーを持たないため
に、他の社会にそれを伝えてその社会の人々と文化
的な関係を築くことができない」と解説しています。
まさに“しかり”でしょう。
さて、読者の皆様は、「日本文明」を構成している
「日本文化」というと何を思い出すでしょうか。だ
れもが真っ先に日本人が持つ精神性を表現する言葉
として使われる「和の文化」を思い出しそうですが、
具体的には、歌舞伎、茶道、華道などの「伝統芸能」、
寿司、天ぷらなどの「食文化」、地域ごとに行なわ
れる「祭り」がお盆や正月などの「行事」、神道や
仏教などの「宗教」、木造の伝統建築や庭園などの
「建築」、それに最近は、アニメ、マンガ、ゲーム
などの「ポップカルチャー」でしょうか。
最近、「食文化」や「ポップカルチャー」などは世
界各地に普及し始めていますが、その他の「文化」
が国内から外に出ることはほとんどないでしょう。
よって、ハンチントンは、このような日本を「最も
重要な孤立国である」とも付け加えています。
改めて、「国力」を構成する要素としての「文化」
や「文明」の国際比較は、これらが非常に複雑で多
面的なものであり、その全てを包括的に比較するこ
とは難しいことがわかります。
つまり、その国や地域のアイデンティティや価値を
他の国や地域から区別することは可能であっても、
特に「日本文化」の「孤立性」のような特性を有す
る場合、他の国や地域に対する「影響力」とか「地
位」を高めることなどは不可能に近いのです。
一方、中国のように、「中華民族の偉大なる復興」
を掲げ、東アジア地域のみならず、国際社会に対す
る影響力を“力づくでも”拡大しようとすると目論
む国も存在しています。その中には、社会制度や経
済的影響力に加えて、中国の「文化」まで包含され
ていると考える必要があるでしょう。
▼「文明の衝突」を回避する要件と日本の役割
もう少し続けましょう。私の読み込みが足りないせ
いかも知れませんが、ハンチントンは、ウクライナ
戦争のような“「文明内の衝突」を回避する処方
箋”については具体的な提案をしていません。
『文明の衝突』という書籍名からして、“異なる
「文明」間の衝突”に焦点��絞り、「文明内の衝突」
については、それぞれ相対する国が知恵を絞って解
決しろ、ということなのだろうと推測しています。
一方で、ウクライナ戦争は、ロシアの立場からすれ
ば「文明内の衝突」でしょうが、ウクライナはNA
TO加盟をめざす、つまり、「文明圏の移動」を望
んでいるのですから、この戦争は「文明の衝突」と
も解釈できるでしょう。
同じことは台湾問題についても言えるでしょう。中
国からみれば台湾は国内問題ですが、台湾はすでに
西側の一員とも解釈できますので、かつて「台湾は
中国の一部」と認めた事実はあっても、アメリカや
日本は「中国の国内問題」と簡単に割り切ることは
できないのです。その背景には、中国の野望が“台
湾に留まらず”、やがて世界を2分するような「文
明の衝突」に発展することを警戒し、何としてもそ
れを阻止したいと考えていることもあるのでしょう。
話を戻しましょう。ハンチントンは、来るべき時代
の「文明の衝突」を避けるために重要な3つの要件
を提案しています。
第1の要件は「それぞれの文明国が他の文明内の衝
突への干渉を慎むこと」、第2の要件は「それぞれ
の中核国が交渉を通じて文明の断層線で起こる戦争
を阻止すること」、そして第3の要件は「それぞれ
の文明の普遍主義を放棄して文明の多様性を受け入
れ、その上であらゆる文化に見いだされる人間の
『普遍的な性質』、つまり共通性を追求していくこ
と」としています。
その上で、「それぞれの文明に基づく国際秩序こそ
が、世界戦争を防ぐ最も確実な安全装置である」と
結論づけました。
昨今の国際情勢をみるに、現実の世界はこの提言を
全く無視していることがわかります。第1と第3に
反することは、冷戦終焉後、アメリカが先頭に立っ
て何度も繰り返し、その反作用が今日の対立を生ん
でいるという見方もできるでしょう。また、そのよ
うな歴史的事実をなんら顧みず、近い将来、手段を
選ばず、同じよう干渉を目論んでいるように見える
国もあります。
私は、「文化」や「文明」自体が大きな影響力を持
たない日本が果たすべき役割は、ハンチントンが提
案する第2の要件の「粘り強く交渉を続け、文明の
断層線で起こる戦争を阻止すること」にあるのと考
えます。
歴史をさかのぼってみても、覇権国・中国に「日出
ずる国」との書簡を送り、「日の本」から「日本」
という国名の由来にもなったことをはじめ、福沢諭
吉がアジア諸国との連携を諦め、「脱亜入欧」を唱
えたことなど、我が国は建国以来、中国や朝鮮半島
とは別の“路線”を歩んできました。
昭和初期には確かに“行き過ぎた”部分もありまし
たが、我が国は今後とも第2の役割を演じる宿命に
あるのではないでしょうか。それこそが、東アジア
の東端に��置し、依然、他の文明と違い、孤立した
“一国家一文明”の「日本文明」を8文明の1つと
して残したハンチントンの国際政治学者としての理
性を超えた、ある種の期待感さえあるような気がす
るのです。
実際に、ハンチントンは、『文明の衝突』に続いて
上梓した『引き裂かれる世界』の中で、「日本は、
その文明の境界が国家の境界と一致している唯一の
国だ」として「自動的に助けてくれる“家族”がい
ない」とする一方で、「日本は独立した調整者とし
ての役割を果たせるユニークな位置にある」と「世
界は日本に『文明の衝突』を調整する大きな機会を
もたらしている」との期待感を滲ませ、「日本はも
っと外向きにならなければならない」と強調してい
ます。
しかし、文明的な孤立国の日本がその自覚と能力を
保持し、“調整者”として役割を果たせるかという
観点に立つと、相当厳しいことも明白です。実際に
は、「文明」は孤立していても、価値観や志を共有
できる「同志国」と連携しつつ、経済力、政治力
(外交力)、そして軍事力など「国力」の他の要素
を存分に活用できるか否かにかかっているのでしょ
うが、「文明」は異なっても“アメリカ寄り”にな
っており、それによって“独立性”を確保できない
ということも足かせになる可能性もあるでしょう。
現下の情勢をみるに、ハンチントンの予想した「文
明の衝突」が現実のものになっていますし、近い将
来、日本自体が当事国になる東アジア地域の「衝突」
も覚悟しなければならないでしょう。
とは言え、まだまだ本格的な「衝突」には至ってい
ませんので、「文明の断層線で起こる戦争を阻止す
る」ため、「日本文明」の中核国として責任の行使
ができるか否か、我が国は人類社会の未来を左右す
る“重要なカギ”を握っているのかも知れないので
す。
▼「日本社会」の現状と課題
繰り返しますが、実際問題として、我が国が上記の
ような意思や資格を含めた“能力”があるかどうか、
について真剣に考えるととても悩ましくなります。
再度、「文化」の定義に戻りますと、冒頭に紹介し
ましたように、「文化」には「哲学・芸術・道徳・
宗教・科学」など、具体的な形がない精神的なもの
まで含みます。我が国にあっては、「自由」「民意」
「平等」「ヒューマニズム」のような形に見えない
ものが「日本文化」を支配しています。つまり、日
本の「社会全体」を指すと言っても過言でないでし
ょう。
作家の三島由紀夫氏は、割腹自殺をする約半年前に、
「このまま行ったら日本はなくなって、その代わり
に、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間
色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東
の一角に残るのであろう」との言葉を残し、将来の
日本を憂いました。
あれから50年余りが経ち、日本は���くなりはしま
せんでしたが、今の日本は、三島氏の予言以上に国
家の基盤も経済状態も一層苦しくなって、日本社会
や国民全体が向かうべき方向を失い、混乱している
ようにも見えるのです。
また、前回も引用した京都大学名誉教授の佐伯啓思
氏も2013年に『日本の宿命』を上梓しましたが、
その動機として「今日の日本社会のありように対す
る絶望的なまでのいらだちを感じ、その真因がどこ
にあるのかを自分なりに確かめてみたかった」と
「あとがき」に本音を披露しています。本書の帯に
は「偽善栄えて、国滅ぶ。」とありましたが、それ
らの細部は省略します。ただ、当時の私には、佐伯
教授の“いらだち”がどこから来ているのか、明確
には理解できませんでした。
しかしこのたび、『我が国の未来を見通す』と題し、
可能な限りのデータを逐一明らかにして、我が国の
未来を見通そうとしましたが、「このままでは、我
が国は人類社会の救済はおろか、数年先の未来さえ
“見通せない”」ことを私なりに発見してしまいま
した。
その原因こそは、「日本社会」そのものにあり、そ
の“ありよう”に対する“むなしさ”とか“やるせ
なさ”がほぼ頂点に達していることも偽らざる心境
なのです。
三島由紀夫氏の“憂い”から50年あまり、佐伯教
授の“いらだち”から10年余りが過ぎ、「日本社
会」は当時よりもはるかにひどくなっており、もは
や限界に近づいているとさえ思うようになって、今
では、両氏の“憂い”や“いらだち”にほぼ完全に
共感できる自分がいるのです。
さあどうしましょうか。次回以降、「国力」を構成
する「ハード・パワー」を総括し、いよいよ「ソフ
ト・パワー」としての「国家戦略」と「国家意思」
を取り上げたいと考えています。「日本社会のあり
よう」の次元を超えて、「国の形」そのものを議論
する必要性を感じています。一個人の知見をはるか
に超えるテーマですが、少なくとも、「問題提起」
まではトライしてみたいと考えています。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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各地句会報
花鳥誌 令和7年2月号

坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年11月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
船だまり濁れば冬の匂ひかな 和子 秋簾上げてあいさつ船番屋 昌文 時雨るるを亀の貌出す船溜り きみよ 冬菊を咲かせ運河に棲んでゐる 和子 釣船は沈まず冷えてたゆたひて 軽象 花魁の高き塗り下駄すさまじや 毬子 冬近し下駄に鼻緒の穴三つ 緋路 秋の蠅かつて不夜城だつた街 久 踏切の音織り交ぜて初時雨 順子 秋雨の音に艀の朽ちゆける はるか
岡田順子選 特選句
秋簾上げてあいさつ船番屋 昌文 傘に触れ秋霖に音生まれたる 緋路 街道のしるべや松の色変へず はるか すげられぬ鼻緒は秋霖に置かれ 季凜 冬菊を咲かせ運河に棲んでゐる 和子 炉火恋し品川宿へ止まぬ雨 毬子 品川宿の空は映さず冬の水 和子 鯨塚とは鉄に時雨つつ 俊樹 退助の墓碑に秋の蚊とまりけり 緋路 霧の香は花街の眠りの中に きみよ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年11月2日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
空小春鉄路に音の残りゆく 成子 古井戸は地震観測点蚯蚓鳴く 睦子 菊の酒男励ます女たち 朝子 小春かな夫のわがまま許せる日 光子 待たされたあげくの返事つづれさせ 久美子 長き夜エンドロールは最後まで 修二 夕露の触れたる指に紅をさす か��り 人知れずそれぞれの修羅十二月 孝子 幼子の肩やはらかし指小春 成子 我が証並ぶ書棚に秋日入る 修二 背凭れに秋冷重き服垂れて かおり 深秋の祈りに透きしペンダント 同 木の実降る淋しくなると窓を開け 美穂 倖せと来て翅収む赤とんぼ 朝子 秋刀魚食ぶB面の曲流れをり 修二 小春日や黒留袖の猩々緋 美穂
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年11月4日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
街騒にあ��ど露けき虚子の句碑 かづを 山中に偲ぶ人あり深む秋 同 萩の寺影にも風の棲みてをり 同 仏舎利塔故山の紅葉侍らして 同 秋祭朝より晴れて御輿出る 匠 池の面に紅葉且つ散る藩主邸 笑子 紅葉落つ風の調べを携へて 千加江 夜の帳金木犀の香をもちて 雪 いさゝかの雲も情けや後の月 同 今日の月長き手紙を書きにけり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年11月8日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
二階より少し見ゆ海冬の波 すみ子 紫蘭咲く長き不在の牧師館 佐代子 菊日和産着干す風隣から 悦子 毛糸編むたぶん少し淋しいから 都 採血の針ためらひて霜の朝 悦子 ぽつりはらり立冬の雨鍬先に 美智子 藪枯手繰れば蔓の二階まで 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年11月9日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
花びらを重ねて薫る野菊叢 三無 残菊の香の供華愛し陽子墓碑 亜栄子 山門も開け放たれて石蕗の花 美枝子 冬日背にひとり拝する年尾句碑 秋尚 小春日や背丸くして影二つ 多美女
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年11月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
夕の灯のふとゆらぎたる落葉して 三無 厨より笑ひ声洩れ花八手 秋尚 落葉して遠く港のネオンみゆ ます江 暮れなづむ細道八つ手白々を 和魚 汲み置きの桶に落葉のニ三葉 怜
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年11月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
大根を炊きおき明日は入院す 実加 庭の石蕗も少し待てば花日和 令子 冬初め頑固爺さん星となり みえこ 小春日や声賑やかき美容室 あけみ 木枯や珈琲飲んでゐる夕べ 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年11月12日 萩花鳥会
臀ポケット光るスマホや冬ほたる 健雄 もう一杯注ぐ手の皺秋長夜 俊文 大根のまるき厚切りおでん種 恒雄 苔に散る山茶花しばしそのままに 美恵子 湯気向こう大根頬張る母卒寿 綾子
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令和6年11月15日 さきたま花鳥句会
杜の秀に残照として冬紅葉 月惑 曖昧な季節移ろひ冬の宿 八草 七五三絵馬をはみ出す鏡文字 裕章 吊革の軋む重さや冬めける 紀花 神無月巫女の鈴舞ひ厳かに ふゆ子 新聞の社説読みつつ大根煮る としゑ 今朝の冬猫背の影を濃くのばし 康子 衣も食も風も音たて冬に入る 恵美子 凩の去りて夜明の星数多 みのり 父見舞ふ施設の駅や冬の月 良江
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令和6年11月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
大寺の誦経とよもす実南天 幸風 神の留守句碑に微睡む雀どち 月惑 日の欠片程に山茶花綻びし 斉 福耳の虚子像和む七五三 三無 散るときの造花めきたる冬薔薇 千種 蝶上りゆける小春の青天井 同 虚子像に日のあたりたる初冬かな 月惑 波郷忌や天日遠く雲流れ 千種 虚子像の彫り深くして冬日影 月惑
栗林圭魚選 特選句
大寺の誦経とよもす実南天 幸風 冬薔薇の残る重みを支ふとげ 久子 丹精を花名に込めて菊花展 三無 枯れ園になるに間のある日射しかな 同 福耳の虚子像和む七五三 同 散るときの造花めきたる冬薔薇 千種 冬鳥の森の高さを鳴き渡る 斉 波郷忌や天日遠く雲流れ 千種 炒り豆の食べる手止まぬ夜長かな れい
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年11月20日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
菊人形夜の魂のあり所 雪 此の世の火使ひ果して近松忌 同 煮大根語り継がれし母のこと 笑子 冬の蝶番もつれて黄を零し 同 切妻の吉江の里の近松忌 同 大根まだ役者然にはほど遠し 数幸 存問の吐露するほどに石蕗の花 同 山茶花に初恋の日々顧みる 隆司
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年11月16日・21日 柏翠館・鯖江花鳥合同句会 坊城俊樹選 特選句
手に触れし物に一人の秋惜しむ 雪 ありつたけの包丁研ぎて爽やかに 同 山門を入りし一歩に雨の萩 同 夏場所の粋に崩れし大銀杏 同 小鳥来て明るき声頭上より 同 北国の空の深さを夜々の月 同 身ほとりに秋蝶何を告げんとて 同 人形は人形の顔菊着ても 同 留守を守る阿吽の二匹神は旅 かづを 爽やかや空を画布とし描く雲 同 注連作り終へて屑藁焚かれけり ただし 大鳥居三叉路にあり冬日向 同 甕墓の千年杉や落葉道 同 灯る窓灯らぬ窓の里時雨 真喜栄 雪囲ひ百万石といふ気品 同 御城下の落葉踏みしめ踏みしめて 洋子 流れ星幼き祈り如何せん 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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書物礼賛①
ヨーゼフ・ロート/聖なる酔っぱらいの伝説 他四篇/岩波文庫2013
「フランツ・クサーヴァーには、はじめ、この不快な見世物の意味がさっぱり呑みこめなかった。ただその一団がいかなる連中でなりたっているかは感じとった。はれんちな老人���も(裾をまくりあげたマネキン女つき)、休日にハメを外している女中たち、シャンパンの売り上げ金と自分のからだを給仕と分けっこしているバーの女たち、女と小切手を売り買いする遊び人、肩をふくらませた背広に、スカートのようにひらひらした幅広ズボン。唾棄すべきブローカーともであって、家、店舗、市民権、旅券、免許、わりのいい縁談、洗礼証明書、信仰告解、称号、養子縁組、娼家、ヤミのタバコ等々、なんであれ斡旋しようというものだ。敗戦のうき目をみたヨーロッパの首都にあって、死体を食らって大きくなり、それでもいっこうに食いたりず過去をしゃぶり、現在の汁を吸って、高らかに未来を謳歌している。この手の連中が戦後このかた、肩で風切ってのし歩いている。モルスティン伯爵には、この自分が死体のような気がした。わが墓の上で、彼らが踊っている。かかる徒輩に勝どきをあげさせるために数知れない人びとが苦しみつつ死んでいった」
こんなに面白い、自分のことが描かれていると感じた海外小説は初めて。今夏に体調を崩し、リフレッシュを兼ねて大量の本を整理・処分するなかで、どうせ岩波の翻訳小説でしょ、でも最近の出版だしちょっとチェックするかと電車内で読み始めた「蜘蛛の巣」(5つの中短篇が収められた最初の中篇でナチ党に参加して成り上がる元兵士の男を描く)、流麗な日本語訳で読みやすく、まるでナチの暴動に居合わせたかのような臨場感で止まらなくなった。
引用したのは4つ目の短篇「皇帝の胸像」からで、円安が進み外国人が増えてきた今の東京に通じる新自由主義的な世界に、取り残された主人公の老伯爵の境遇が切実。5篇すべて傑作。

弓月光/お助け人走る!・全3巻/集英社マーガレットコミックス1980
処分するつもりで読み始めたら夢中になったというのは前項と同じ。最初にコミックス1巻を買って胸を熱くした80年夏がよみがえるかのよう。少女マンガ時代の代表作『エリート狂走曲』は連載から1年ほど遅れて出会って強く惹かれ、次の連載の本作からほぼリアルタイムで読めるように。週刊連載の過酷なスケジュールや人気競争も、弓月さんにとってはガソリンだったのか、ご本人がノリにノッて楽しくお話を組み立てているという熱気。今回の再読で特に感心したのは大願寺誠という大男のサブキャラのかっこよさ。そもそも矢口��ん江口さん魔夜さんなどと同様に作者自身もギャグの一環としてしばしば作中に顔を出す作風であるが、このキャラにもご自身の投影が含まれているのではと思わせる力のみなぎりようでした。
藤原マキ/私の絵日記/ちくま文庫2014・原著1982
飲食時の娯楽として最近くりぃむしちゅーに次ぐ重要な存在になってきているのが中川家のラジオ。メディア上の印象とは逆に、学生の頃は兄の剛さんが社交的・積極的、弟の礼二さんが内向的でもの静かな性格だったそうで、ラジオでは剛さんが庶民の本音をうかがわせる毒舌やぼやきでトークを引っ張っていく場面がしばしば。互いを熟知し、持ち味の違いが完璧に噛み合っているコンビネーションの気持ちよさはくりぃむしちゅーと共通。
本書は82年の原著に、文春と学研、過去の2度の文庫化で加筆されたあとがきなどを増補しており、特に2003年の学研M文庫版のあとがきとなった夫・つげ義春さんの「妻、藤原マキのこと」では、既に亡くなったマキさんの日記での主張に本気で反論しているのが、逆に家族の濃密な愛と歴史をのぞかせて印象的。「本当のこと」しか描きたくないから、『無能の人』では貧しい暮しにもかかわらず執筆依頼を断る様子が描かれたり、本書もマキさんにとって本当の日々が描かれているからこそ、ずっと後になって海外で表彰されることになった(2024年・アイズナー賞���最優秀アジア作品賞)のだろう。
梶原一明 x 徳大寺有恒/自動車産業亡国論/光文社カッパビジネス1992
「確かに日本の自動車産業というのは、世界の自動車産業と比べて先進性がある。カンバン方式に代表される(中略)卓越した先進性は即、卓越した国際競争力につながる。 ところがこの先進性は、非常に特殊な先進性なのだ。かつてフォードが考え出した流れ作業、コンベア方式に代表されるアメリカの先進性は普遍的先進性だった。だからどこの国でも受け入れられるものなのである。日本の特殊先進性は、簡単にいえばほぼ単一言語、単一人種、単一価値観という特殊な前提、環境に支えられているといっていい」
「豊田章一郎氏の『七割が商社機能』という答えに関しては、まさに詭弁でしかない。(中略)その最後の最後は本当に地方の家庭のいわゆる三チャン労働者にまでいっている。電球のコネクターにハンダをちょこっと盛るという内容の仕事を、すでに日本の貨幣の単位ではない何十銭仕事でやっているのだ。おばあちゃんが『今日は二千円できたね』という、これはおよそ商社機能とはいえない」
「日本では通用しても世界では通用しない。いや、今日ではすでに日本でも通用しなくなっているのではないだろうか。たとえば企業エゴの問題で、他企業から名指しで批判を受けるケースがいちばん多いのは、トヨタと松下だという話を聞いた。この指摘は、トヨタや松下の商法が、それぞれトヨタ保護区、 松下保護区へお客を囲い込むことに執着するあまり、日本あるいは日本人全体に対して、トップメーカーは何をなすべきかという視点を欠落させていることを証明している。トヨタがもしお客さまは神様と思っているのであれば、本当にお客のためになること、たとえば車検制度の問題などに関しても、率先してユーザーの代弁をするべきなのである」
先日高校時代の友人K宮くんM原くんと歓談する機会があり、私が本書によるうろ覚えの知識をもとに「トヨタはじめ日本の近代工業は江戸の封建制を引き継いだ軍国主義の成功例で、今は同じ要因で没落している」と持論をぶったところ、トヨタ内部で社員証を持って働いた経験のあるM原くんが猛反論してヒートアップ。彼によれば国=運輸省・国土交通省から最も冷遇され、距離を置いて自分たちのやり方を洗練させてきたのがトヨタであり、既に自動運転やスマートシティ構想についても実現可能な技術力を蓄えているが、国が認めないから日本を出ていくことも視野に入れているという。信憑性のある話であり、今も世界各国を走っている自動車業界が、銀行・商社・家電・NTTや特に大学・マスコミなどの国民を人質に取った護送船団方式と一味違うことは頷ける。興味がある、もっと知りたいと彼に話したところ、彼が後日トヨタはじめ自動車産業の成り立ちをレポート形式でレクチャーしてくれるというので楽しみにしているところです。
鈴木直人/うつは「体」から治せる/BABジャパン2017
「副交感神経はリラックスしたり休んだりするだけでなく、『人と良好な関係を作る』という能力を持っている神経であるということです。(中略)副交感神経の感情である『悲しみ』が出せる人ほど副交感神経が活性化しているため、オキシトシンが出やすくなっています。そのため、悲しみをきちんと出せる人ほど幸せを感じられるようになるのです」
「自律神経は空想と現実の区別がつきません。また、時間の感覚もありません」
先日、やっとパソコン作業のための椅子など環境が整ったとホッとしていたら、翌日の昼ころパソコンに向かっていると少し体調が悪くなって。どうやら「睡眠が若干足りない」「明け方悲しい夢を見た」のに加え、午前中洗濯するので履き替えた新品のパンツのゴムがキツ過ぎて、血液やリンパの流れを阻害したのが決定打になったようだ。着替えてウォーキングをしたら調子が戻ったのですが、そんな些細なことからクヨクヨと思い悩んでしまう、神経過敏な性格の方が問題なのかも分らない。
今夏に自律神経失調に見舞われ、たくさんのユーチューブを見たり整体に通ったり健康本や道具を買っては捨てる、期待と失望の連続でしたが、それらを総合して分ったことは、体は生命の億万年の歴史を記憶していて脳より賢い、むしろ脳が勝手に過去に縛られたり、取り越し苦労をして体に嫌がらせをしている面が強く、痛みや発疹をはじめ体の発するサインに耳を澄ませて、自分の体のことは自分が一番知っている、医師や整体などに助けてもらうにしても最短距離で回復できるよう真面目に今を積み重ねていかねばということです。
そのためにも、gooブログから引っ越して再スタートするにあたり、これまでのような悪口・ヘイトはやめ、批判するにしても個々を良くない方へ導くような構造や歴史こそを見据えていきたいと考えています。
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まえがき
相打ち / 合言葉 / 合図 / 愛想づかし / アイデンティティ / 赤ん坊 / 赤ん坊(天界の) / 赤ん坊がしゃべる / 悪魔 / 悪魔との契約 / 痣 / 足 / 足が弱い / 足跡 / 足跡からわかること / 足音 / 仇討ち(兄の) / 仇討ち(夫の) / 仇討ち(主君の) / 仇討ち(父の) / 仇討ち(妻の) / 仇討ち(動物の) / 仇討ち(友人の) / 仇討ちせず / あだ名 / 頭 / 後追い心中 / 穴 / 兄嫁 / 姉弟 / 尼 / 雨音 / 雨乞い / 天の川 / あまのじゃく / 雨宿り / 雨 / 蟻 / あり得ぬこと / アリバイ / 泡 / 合わせ鏡 / 暗号 / 暗殺 / 安楽死 / 言い間違い / 息 / 息が生命を与える / 息が生命を奪う / 生き肝 / 異郷訪問 / 異郷再訪 / 異郷の時間 / 異郷の食物 / 生霊 / 生贄 / 遺産 / 石 / 石に化す / 石の誓約 / 石の売買 / 石つぶて / 椅子 / 泉 / 板 / 一妻多夫 / 一夫多妻 / 糸 / 糸と生死 / 糸と男女 / 井戸 / 井戸と男女 / 井戸に落ちる / 従兄弟・従姉妹 / 犬 / 犬に転生 / 犬の教え / 犬婿 / 猪 / 命乞い / 衣服 / 入れ替わり / 入れ子構造 / いれずみ / 入れ目 / 因果応報 / 隕石 / 隠蔽 / 飢え / 魚 / 魚女房 / 魚の腹 / 誓約 / 動かぬ死体 / 動く首 / 動く死体 / 兎 / 牛 / 後ろ / 嘘 / 嘘対嘘 / 嘘対演技 / 嘘も方便 / 歌 / 歌の力 / 歌合戦 / 歌問答 / うちまき / 宇宙 / 宇宙人 / 宇宙生物 / うつお舟 / 馬 / 馬に化す / 海 / 海に沈む宝 / 海の底 / 裏切り / 占い / 占い師 / 瓜二つ / ウロボロス / 運命 / 運命の受容 / 絵 / 絵から抜け出る / 絵の中に入る / 映画 / 映画の中の時間 / エイプリル・フール / ABC / エレベーター / 円環構造 / 演技 / 縁切り / 宴席 / 尾 / 尾ある人 / 王 / 扇 / 狼 / 狼男 / 大晦日 / 伯父(叔父) / 教え子 / 教え子たち / 夫 / 夫の弱点 / 夫の秘密 / 夫殺し / 落とし穴 / 踊り / 鬼 / 鬼に化す / 斧 / 伯母(叔母) / 親孝行 / 親捨て / 泳ぎ / 恩返し / 恩知らず / 温泉 / 蚊 / 貝 / 開眼 / 開眼手術 / 外国語 / 改心 / 怪物退治 / 蛙 / 蛙女房 / 蛙婿 / 顔 / 画家 / 鏡 / 鏡が割れる / 鏡に映らない / 鏡に映る遠方 / 鏡に映る自己 / 鏡に映る真実 / 鏡に映る未来 / 鍵 / 書き換え / 書き間違い / 架空の人物 / 核戦争 / 隠れ身 / 影 / 影のない人 / 駆け落ち / 賭け事 / 影武者 / 過去 / 笠(傘) / 重ね着 / 仮死 / 火事 / 貸し借り / 風 / 風邪 / 風の神 / 火葬 / 仮想世界 / 片足 / 片腕 / 片目 / 語り手 / 河童 / かつら / 蟹 / 金 / 金が人手を巡る / 金を拾う / 鐘 / 金貸し / 金貸し殺し / 壁 / 釜 / 鎌 / 神 / 神に仕える女 / 神になった人 / 神の訴え / 神の名前 / 神を見る / 髪 / 髪(女の) / 髪が伸びる / 髪を切る・剃る / 神がかり / 神隠し / 雷 / ��� / 仮面 / 蚊帳 / 烏(鴉) / 烏(鴉)の教え / ガラス / 川 / 川の流れ / 厠 / 厠の怪 / 癌 / 漢字 / 観相 / 観法 / 木 / 木に化す / 木の上 / 木の下 / 木の精 / 木の股 / 記憶 / 帰還 / 聞き違い / 偽死 / 貴種流離 / 傷あと / 犠牲 / 狐 / 狐つき / 狐女房 / 切符 / きのこ / 木登り / 器物霊 / 偽名 / 肝だめし / 吸血鬼 / 九十九 / 九百九十九 / 経 / 狂気 / 競走 / 兄弟 / 兄弟と一人の女 / 兄弟殺し / 兄妹 / 兄妹婚 / 凶兆 / 凶兆にあらず / 恐怖症 / 共謀 / 巨人 / 去勢 / 切れぬ木 / 金 / 金貨 / 禁忌(言うな) / 禁忌(聞くな) / 禁忌(見るな) / 禁忌を恐れず / 銀行 / 禁制 / 空間 / 空間と時間 / 空間移動 / 空襲 / 偶然 / 空想 / 盟神探湯 / 釘 / 草 / くじ / 薬 / 薬と毒 / 口から出る / 口と魂 / 口に入る / 口二つ / 唇 / 口封じ / 靴(履・沓・鞋) / 国見 / 首 / 首くくり / 首のない人 / 熊 / 熊女房 / 雲 / 蜘蛛 / 繰り返し / クリスマス / 車 / 系図 �� 契約 / けがれ / 毛皮 / 下宿 / 結核 / 結婚 / 結婚の策略 / 結婚の障害 / 月食 / 決闘 / 仮病 / 剣 / 剣を失う / 剣を得る / 幻視 / 原水爆 / 碁 / 恋文 / 恋わずらい / 硬貨 / 交換 / 洪水 / こうもり / 高齢出産 / 声 / 氷 / 古歌 / 誤解による殺害 / 誤解による自死 / 五月 / 子食い / 極楽 / 心 / 子殺し / 誤射 / 子捨て / こだま / 琴 / 言挙げ / 言忌み / 言霊 / 五人兄弟 / 五人姉妹 / 小人 / 殺し屋 / 再会(夫婦) / 再会(父子) / 再会(母子) / 再会(盲人との) / 再会拒否 / 最期の言葉 / さいころ / 妻妾同居 / 最初の人 / 最初の物 / 裁判 / 財布 / 催眠術 / 坂 / 逆さまの世界 / 逆立ち / 作中人物 / 桜 / 酒 / 酒と水 / さすらい / さそり / 悟り / 猿 / 猿神退治 / 猿女房 / 猿婿 / 三者択一 / 山椒魚 / 残像・残存 / 三題噺 / 三度目 / 三人兄弟 / 三人姉妹 / 三人の魔女・魔物 / 三人目 / 死 / 死の起源 / 死の知らせ / 死因 / 塩 / 鹿 / 仕返し / 時間 / 時間が止まる / 時間旅行 / 死期 / 四季の部屋 / 識別力 / 地獄 / 自己視 / 自己との対話 / 自殺願望 / 自傷行為 / 自縄自縛 / 地震 / 紙銭 / 死相 / 地蔵 / 舌 / 死体 / 死体から食物 / 死体消失 / 死体処理 / 死体変相 / 七人・七匹 / 歯痛 / 自転車 / 死神 / 芝居 / 紙幣 / 島 / 姉妹 / 姉妹と一人の男 / 姉妹と二人の男 / 死夢 / 指紋 / 弱点 / 写真 / 写真と生死 / シャム双生児 / 銃 / 周回 / 十五歳 / 十三歳 / 十字架 / 醜女 / 醜貌 / 手術 / 入水 / 出産 / 出生 / 呪的逃走 / 寿命 / 呪文 / 順送り / 殉死 / 乗客 / 肖像画 / 昇天 / 娼婦 / 成仏 / 食物 / 処刑 / 処女 / 処女懐胎 / 処女妻 / 女装 / 女中 / 初夜 / 虱 / 心中 / 心臓 / 人造人間 / 人肉食 / 神仏援助 / 人面瘡(人面疽) / 心霊写真 / 水死 / 彗星 / 水没 / 水浴 / 頭痛 / 鼈 / すばる / 相撲 / すりかえ / すれ違い / 寸断 / 精液 / 性器(男) / 性器(女) / 性交 / 性交せず / 性交と死 / 生死不明 / 成長 / 成長せず / 性転換 / 生命 / 生命指標 / 切腹 / 接吻 / 背中 / 背中の女 / 背中の死体 / 背中の仏 / 蝉 / 千 / 前世 / 前世を語る / 前世を知る / 戦争 / 洗濯 / 千里眼 / 僧 / 象 / 像 / 葬儀 / 装身具 / 底なし / 蘇生 / 蘇生者の言葉 / 空飛ぶ円盤 / 体外の魂 / 体外離脱 / 太鼓 / 第二の夫 / 太陽 / 太陽を射る / 太陽を止める / 太陽と月 / 太陽と月の夢 / 太陽と月の別れ / 鷹 / 宝 / 宝が人手を巡る / 宝を失う / 宝を知らず / 宝くじ / 宝さがし / 竹 / 多元宇宙 / 蛸 / 堕胎 / 畳 / たたり / 立往生 / 立ち聞き(盗み聞き) / 脱走 / 狸 / 旅 / 旅立ち / 玉(珠) / 卵 / 魂 / 魂と鏡 / 魂の数 / 魂呼ばい / 樽 / 俵 / 弾丸 / 誕生 / 誕生(鉱物から) / 誕生(植物から) / 誕生(卵から) / 誕生(血から) / 誕生(動物から) / 誕生(母体から) / 男性遍歴 / 男装 / 血 / 血の味 / 血の力 / 知恵比べ / 誓い / 地下鉄 / 力くらべ / 地球 / 稚児 / 地図 / 父子関係 / 父と息子 / 父と娘 / 父の霊 / 父娘婚 / 父殺し / 父さがし / 乳房 / チフス / 地名 / 血文字 / 茶 / 仲介者 / 蝶 / 長者 / 長者没落 / 長寿 / 追放 / 通訳 / 杖 / 月 / 月の光 / 月の満ち欠け / 月の模様 / 月旅行 / 辻占 / 土 / 唾 / 壺 / 妻 / 妻争い / 妻食い / 妻殺し / 爪 / 釣り / 鶴女房 / 手 / デウス・エクス・マキナ / 手紙 / 手ざわり / 手相 / 鉄 / 掌 / 手毬唄 / 天 / 天狗 / 転校生 / 天国 / 天使 / 転生 / 転生(動物への) / 転生する男女 / 転生と性転換 / 転生と天皇 / 転生先 / 天井 / 電信柱 / 天地 / 天人降下 / 天人女房 / 天人の衣 / 電話 / 同一人物 / 同音異義 / 盗作・代作 / 同日の死 / 同日の誕生 / 投身自殺 / 同性愛 / 逃走 / 童貞 / 動物援助 / 動物音声 / 動物教導 / 動物犯行 /
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演劇人コンクール2024 参加団体を募集します。
昨年度、一旦休止したコンクールを再開するにあたって「新しいコンクールのあり方」を検討し、2024年度は主に若手(原則35歳以下)を対象に小規模な形で再開することといたしました。
参加にあたっての負担軽減と、コロナ禍の影響を特に大きく受けていると考えられる若手の団体・演劇人への支援の意味も含め、「書類審査(第一次審査)」を通過した団体には「45万円の舞台制作費補助」を事前に支払います。
「上演審査(第二次審査/作品上演による審査)」の賞金は最大で総額50万円。 その他、「豊岡演劇祭への参加���等、受賞者への継続的な支援を予定しております。
審査員には一部「公募審査員」を導入。 固定化を避け、舞台芸術関係者に限らず、より多くの方へ機会提供を行います。
全国の演劇人の皆様のご参加をお待ちしております。
演劇人コンクール事務局
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少しずつ形を変えながら、新しい時代に合った、新しい演劇コンクールのあり方を模索していきたいと考えています。 演劇人コンクールは2000年に公益財団法人舞台芸術財団演劇人会議主催によって開催された、わが国初の演出家を対象としたコンクール〈当時の名称は利賀演出家コンクール〉として注目を集めてきました。2008年からは受賞対象を舞台創造を担う各部門全体に拡げ、舞台を構成するさまざまな表現に関してその力量を競い合うコンクール〈利賀演劇人コンクール〉となりました。 2020年、本コンクールは豊岡の地に引き継がれ、コロナ禍の中でもなんとか継続をしてまいりました。2023年度はいったんコンクール事業を休止し、コンクールのあり方を検討する催しを行い、コンクール経験者、未経験者の双方から、いま求められるコンクール像をヒアリングしてきました。
豊岡ならではの新しい形でのコンクールを持続できるように最初の一歩を踏み出します。ぜひ、ご参加ください。
演劇人コンクール 代表 平田オリザ
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★応募を希望する方は、下記より応募用紙をダウンロードし、必要事項を記入の上、ご提出ください。
□応募用紙(Google Drive Word形式・PDF形式)
・応募書類の提出先 [email protected]
・応募〆切:2024年7月15日(月)
※郵送での提出を希望する場合は事務局までお問い合わせください。
※7月17日(水)を目処に、ご応募いただいた全団体にメールにて申し込みの確認連絡を行います。 メールが届かない場合は、事務局までご連絡ください。
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■応募の条件 ・過去に上演歴があり、今後演出家として継続的に活動していく意思のある者。
・上演審査の演出家が原則35歳以下の者。 ※病気やケガ・出産・育児・介護等の事情で活動休止期間がある場合は、考慮いたします。
■審査
書類審査(第一次審査) ※7月15日(月) 応募〆切 応募作品について、提出された参加申込書・演出プラン・映像資料などに基づいて審査を行います。 これまでの活動の実績も参考とします。この審査では、上演審査への参加資格を得る合格者を選考します。
上演審査(第二次審査/作品上演による審査) 最大4団体を予定 期間:11月7日(木)〜11日(月)を予定。(移動日を含む4泊5日を予定。上演日は11月9日(土)・10日(日)。) 場所:江原河畔劇場
■賞
優秀賞・観客賞 賞金総額 最大50万円 + 一部、賞品にて支給
この他、豊岡演劇祭への参加/利賀芸術公園等でのレジデンス制作/BeSeTo演劇祭・静岡県舞台芸術センター(SPAC)・鳥の劇場等、国内外の劇場プログラムでの上演、舞台芸術フェスティバルへの参加などの支援を行います。
■課題戯曲 コンクールの応募者には、下記の課題戯曲より1作品を選択し、作品を演出・構成していただきます。
A:『マッチ売りの少女』 別役実 B:『楽屋』 清水邦夫
【作品の上演に関する規定】 上記の作品は、一部抜粋あるいはテキストレジを行うことができる。台詞の変更は不可。 上演は、日本語で行う。
上演時間は、60分以内とする。(時間に収まらない場合は選考対象になりません)
*課題戯曲は、書店、図書館などで入手してください。どうしても手に入らない場合は、事務局までお問い合わせください。
*Aの作品は以下の出版社から刊行されています。 ・『マッチ売りの少女』別役実(日本劇作家協会 二十一世紀戯曲文庫) https://www.jpwa.org/main/books/21st-century#betsuyaku
■審査員 事務局側で依頼する審査員が決定いたしました。
・平田オリザ(劇作家・演出家/青年団主宰/江原河畔劇場芸術総監督)
・小川絵梨子(翻訳・演出家) ・川崎陽子(KYOTO EXPERIMENT共同ディレクター)
併せて、「公募審査員」の募集を行います。 詳細は後日お知らせいたします。
■参加条件・人数 1)仕込み、リハーサル、上演に参加できる人数の上限は8名。宿泊場所は、男女別の相部屋となります。 2)作品製作への補助 上演審査に参加する方には、舞台費、照明費、音��費、衣裳費、移動交通費などを対象とする舞台製作費を支給します。
参加にあたっての負担軽減と、コロナ禍の影響を特に大きく受けていると考えられる若手の団体・演劇人への支援の意味も含め、 「45万円の舞台制作費補助」を参加者からの請求書に基づき、事前に支払いを行います。
※当コンクールでの上演は「文化芸術振興費補助金 舞台芸術等総合支援事業 芸術家等人材育成」による、コンクール事務局の主催事業となりますので、その他の助成金への申請は行なえません。
■上演する劇場について 上演審査の劇場は、青年団の新たな拠点として2020年に開館した江原河畔劇場となります。 音響・照明については、コンクール側での共通仕込を準備します。 照明については、各団体からのプランを元にコンクール側で共通仕込を設定いたします。その際、全ての希望に応じることはできませんので、ご了承ください。 置き道具・小道具・衣装の搬入・搬出も含め、30分ずつの仕込み・バラシ時間の中で作業可能な範囲であれば、共通仕込からの変更も可能です。 上演中は、劇場スタッフが立ち会いますが、照明、音響のきっかけ(キュー)や操作など、作品の演出にかかわる作業については、参加者側のスタッフで行ってください。
演出プランの参考用に360°カメラの画像を公開いたします。 https://photos.app.goo.gl/JjDzqFTRsPhSWNtbA
会場の図面が必要な場合は、事務局までご連絡ください。
演劇人コンクール事務局 [email protected]
■会場と会場の利用日数について 江原河畔劇場を会場に、順に上演を行っていただきます。 上演後に演出家と審査員による意見交換の場を設ける予定です。
・スケジュール(予定) 1日目:豊岡入り 江原河畔劇場での全体説明会 打ち合わせ・場当たり 2日目:打ち合わせ・場当たり、ゲネ 3日目:ゲネ、上演(2団体を予定) 4日目:上演(2団体を予定) 5日目:豊岡発
上演日は、30分ずつの仕込み・バラシで順に上演を行っていただきます。 与えられた課題戯曲と、江原河畔劇場の空間の中で、演出家(及び、集団を形成する演劇人一人ひとり)が力を発揮できるかどうかという点が、コンセプトでもある「地域を越え、国際的に活躍できる演出家の発掘と養成」に繋がると考えております。
上演順は選んだ戯曲のバランス等も見ながら、審査員が判断・決定いたしますので、ご了承ください。
復帰に影響が出るような演出・使用はできませんので、その点も考慮した上で演出プランをご検討ください。 演劇人コンクールでは、課題戯曲を読み解き、条件や上演環境と向き合いながら、優れた作品を上演していただくことを第一にしています。言い換えれば、コンクールの公平性と上演環境を傷つけないことを前提に、上演団体からの要望には可能な限り柔軟に対応しています。
■ハラスメント防止対策について 演劇人コンクールではハラスメント防止対策にあたってガイドラインを作成し、 事務局スタッフ・審査員を含む全ての参加者に誓約書をいただいた上で実施いたします。
■感染症等の対応について 感染症等により、コンクール全体を中止とする場合には舞台製作費補助の返還は求めません。 ただし、座組側の都合による上演中止の場合、全額返金となる場合もあります。
■応募・審査の流れ ・応募書類の提出:締切:7月15日(月) ・書類審査(第一次審査)審査結果通知:8月頭 ・会場下見(代表2名):事務局が指定した日程での実施(交通費支給) ※会場の利用状況から8月頭・10月上旬での実施で検討・調整中です。 ・上演審査(第二次審査):11月7日(木)〜11日(月) ※上演日は11月9日(土)・10日(日) ・審査結果通知:全ての上演審査終了後、最終審査会を挟み、審査結果��発表・公開。
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■応募書類
下記の資料を提出してください。
1.参加申込書・演出プラン(2000字以内・書式自由[スケッチなど含む]) 2.映像資料 演出作品1作品の映像データを、youtube等に限定公開もしくは公開してください。 その上で、URL及び特に観て貰いたい3分間を応募用紙にご記入ください。 映像データのない方は、それに代わる何らかの資料をお送りください。
■応募締切 2024年7月15日(月)
■応募書類の宛先 [email protected]
※郵送での提出を希望する場合は事務局までお問い合わせください。
※7月17日(水)を目処に、ご応募いただいた全団体にメールにて申し込みの確認連絡を行います。 メールが届かない場合は、事務局までご連絡ください。
■お問い合わせ先 E-MAIL [email protected]
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〈演劇人コンクール〉について
舞台芸術財団演劇人会議による、2000年から2007年までの「利賀演出家コンクール」、2008年から2019年までの「利賀演劇人コンクール」では、数々の才能を発掘、支援してきました。 20年を一つの区切りとし、昨年から新しく豊岡の地で「演劇人コンクール」としてスタートしました。 「地域を越え、国際的に活躍できる演出家の発掘と養成」をコンセプトに、今年もコンクールを開催します。
●演出力によるコンペティション
演出家を受賞対象とします。演出家の知的構想力・造型力が求められるのはもちろん、それが俳優・スタッフとの共同作業により実現されていることが望まれます。また、優れた俳優・スタッフの仕事に対しては奨励賞として表彰します。
●受賞者への継続的な支援
コンクールでの授賞を、受賞者のその後の演劇活動のプロセスの中で捉え、2~3年間の期間を念頭に継続的に支援していきます。具体的には、
・豊岡演劇祭への参加 ・利賀芸術公園等でのレジデンス制作 ・BeSeTo演劇祭・静岡県舞台芸術センター(SPAC)・鳥の劇場等、国内外の劇場プログラムでの上演、舞台芸術フェスティバルへの参加
このほか、これまでのコンクールで蓄積してきたネットワーク、有形無形の協力関係のなかで、創作と制作の両面にわたり、受賞者のその後の活動に相応しい支援を検討していきます。 今日、舞台芸術のあり方はますます多様化し、その可能性も広がっています。自由な発想力、課題戯曲への的確な取り組み、演技・スタッフワークの創造性を生かした上演により、演劇の可能性を押し拡げるような、優れた作品が上演されることを願ってやみません。
■利賀演出家コンクール/利賀演劇人コンクール 2000年から、舞台芸術財団演劇人会議の主催により、利賀の夏のプログラムとして行われてきた。これまで、ペーター・ゲスナー(うずめ劇場)、関美能留(三条会)、中島諒人(鳥の劇場)、神里雄大(岡崎藝術座)、仲田恭子(空間アート協会ひかり)ほか現在でも国内外で活躍している演出家が最優秀演出家賞を受賞、若手演出家・演劇人の登竜門となっている。
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ジャンボトロンの下で
2024年5月6日
アナヒド・ネルセシアン
4月25日、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の大規模な学生グループが、キャンパスのメイン広場に野営地を設営した。四方をベニヤ板のバリケードで囲まれた「パレスチナ連帯野営地」には、寝泊まり用の小さなテントのほか、食料、応急処置、電子機器(携帯電話の充電器、バッテリー)、楽器、画材などを置く大きな囲いもあった。図書館もあり、木に貼られた紙の標識には、2023年12月にイスラエル軍の空爆で死亡したパレスチナ人作家であり教師にちなんで、「リファート・アラリア記念図書館」と記されていた。
アラリアはジョン・ダンについて博士論文を書いた。YouTubeでは、彼がガザのイスラム大学で学生たちに英語で講義している様子を見ることができる。ある講義は、ホラティウスの『詩論』について、そして、芸術作品には教えるという役割と同時に楽しませることもしなければならないという考え方についての議論から始まっている。「『形而上学的』という言葉には何の意味もない」とそのすぐあとで彼は言い、それはダンのような詩人に、批評家たち、とりわけジョン・ドライデンやサミュエル・ジョンソンが押し付けたものだからだと説明して、彼らの批評をホワイトボードに映している。講義はダンの詩『餌(The Bait)』の分析へと進むが、アラレアが説明するところによれば、この詩は一般に『恋する羊飼いがその恋人に寄せて(The Passionate Shepherd to his Love)』として知られるクリストファー・マーロウの詩のパロディである。何かをパロディにするということは、「読者に別の可能性、もうひとつの世界観、別の世界観を提供しようとしている。人々に、これだけじゃない、ほかにもあるんだ、と伝えようとしている」とアラリアは言う。
彼の死後、アラリアは「If I Must Die(もし私が死ぬことになったら)」という詩の作者として広く知られるようになった。この詩は、彼を偲んで凧を作り、爆弾で焼かれた父親を持つ子供の前でそれを揚げるよう読者に求めている。その子供が「天使がそこにいて/愛を取り戻してくれる」と想像することができるように、と。学生たちがUCLAに野営地を設営した翌日、アラリアの娘、シャイマーが夫と生後3カ月の息子とともに空爆で死亡したことが伝えられた。
何よりもこのキャンプは、人間に���して、甚大な規模で残虐行為が行われ、その強制移住、拷問、不法拘留、殺人がアメリカによって資金提供されているているときに、通常通りに日常を送るという考え方に対する非難の表明だった。アメリカの大学は、ガザに落ちるミサイルを製造している兵器メーカーや、占領下のヨルダン川西岸に工場を持つ企業に資金を投資していることが多いため、パレスチナの人々の大規模な殲滅というイスラエルの目的を支持していると思われている。
最初に野営が始まったコロンビア大学から、カリフォルニア州立工科大学フンボルト校まで、全米に渡るキャンパスでガザ戦争に抗議している学生たちは、彼らの主な目的が、アメリカ政府に即時��つ恒久的な停戦を確保するよう圧力をかけること、そして大学やカレッジにイスラエルと関係のあるあらゆる金融資産から手を引くよう圧力をかけることだと明言している。イスラエルとの関係切り離しに関しては、1980年代に学生たちがアパルトヘイト下の南アフリカで活動する企業との関係を断ち切るよう学校を説得した際に確立された手法を参考にしている。反戦キャンペーンとしての野営は、オハイオ州兵によるケント州立大学での4人の学生殺害事件後に大きく発展した1970年の学生ストライキを含む、ベトナム戦争に対する抗議活動を想起させる。
野営地はまた、アラレアの言う意味でのパロディでもある。大学内部から出現した彼らは、大学とは何か、という別の可能性を提示している。野営地から流れてくるイメージの中でも強烈なものの一つに、「コロンビア大学は、エドワード・サイード教授を課題図書にしている、それならそこに書いてあることを生かしていいはずだ」というサインを持った学生の写真がある。抗議行動によって明らかになったのは、文系学部が淘汰の波にもまれ、ますます高価な学位工場として運営されているアメリカの大学が、依然として人々が真実とは何かを学び、その知識に基づいて行動できる場所であるということだ。言い換えれば、若者たちに試験のために歴史、経済学、政治学、道徳哲学などを暗記させ、暗唱させながら、そこで得た教育を実践に移すことを規制することはできない。
週末、野営地が形成された後、抗議に反対する大規模なグループがキャンパスに到着した。その中にUCLAの学生らしき人物はほとんどまたは全くいなかった。彼らは学生たちに向かって叫び声をあげ、人種差別的な中傷や性的な脅迫(「レイプされればいい」)を浴びせ、キャンプ地近くの地面に(何かの薬物を投与されて肥大した)生きたネズミが詰まった袋を開けた。反対派のデモ隊が退散するとき、彼らはキャンパスの真ん中にジャンボトロン(高さ3メートルほどの巨大な薄型テレビ)を、野営地の方に向けて、金属製の防護柵で囲んで置いていった。雇われた警備員が防護柵の内側に残り、スクリーンを守っていた。それから5日間、ジャンボトロンは10月7日のテロの映像と、レイプや性暴力を露骨に描写した音声をループさせて繰り返し流した。映像の中には、イスラエルへの無条件の支持を誓うジョー・バイデンのスピーチや、「Meni Mamtera(メニ・マムテラ)」と呼ばれる、うんざりするほど繰り返される子供の歌が混じっていた。今年の初め、イスラエル国防軍の兵士が、その曲をパレスチナ人の人質に対する音声による拷問の一環として使っている映像がSNSで拡散された、その曲だ。
火曜の朝、バイロンの『ドン・ファン』の授業を担当するためにキャンパスに到着すると、ジャンボトロンの音が大きすぎて、授業はおろか、自分の思考も聞こえないほどだった。私はその映像を撮影しようと、同僚と一緒にそこまで歩いていった。こんな寓意はなかなかない。一方には、ガザの人道的大惨事に注意を喚起するために、学位や将来の就職先、心身の健康を危険にさらしている若者たちでいっぱいの野営地がある。もう一方には、瑣末なセレブたち(彼らは自らの貢献を誇らしげにインスタグラムに投稿している)が資金を提供した高価なメディアマシーンがある。雇われた3人組の警備員以外は無人で、警備員たちは質問されるとシオニストの大義とは何の関係もないことを認めた。
同僚と私は、セクシャル・ハラスメントの苦情処理を管轄する「タイトルIX」のオフィスに連絡した。何十人もの教員も同じことをしたが、何の反応もなく、ジャンボトロンは5月2日木曜日までそこにあった。別の同僚は言った。「マーガレット・アトウッドを教えるときには、シラバスに(不快な感情や記憶を思い起こす可能性があるという)トリガー警告を書かなければならない。そうしないと学校当局に規制される。でも、これを何日も聞かされるのか?」 ここ数年、学生の感受性と反発する右翼のヒステリーに当たり障りのない対応をしてきた結果、イスラエル批判はシオニストの気分を害するから反ユダヤ的だとみなされる状況になってしまった。実際のところ、大学は学生を守ること、反ユダヤ主義やその他のあらゆる種類の憎悪と闘うことなど、寄付者のことほど重要視していないのだ。大学は資金を失いたくないし、訴えられたくもないと考えている。
4月30日午後11時、ほとんどが中年で、その多くがハロウィーンのマスクをかぶった男たちの大集団が、ナイフ、バット、木の板、催涙スプレー、熊撃退用のスプレーなどを携えて野営地に現れ、非武装の学生たちを襲撃した。彼らは野営地に花火を打ち込み、そのベニヤ板のバリケードを使って学生たちを地面に押し倒した。ABCニュースの映像では、半ダースの反対派がひとりの学生を殴ったり蹴ったりしている。独立ジャーナリストや現場にいた人々の映像には、「第二のナクバ」を求める声が収められていた。
ABCのニュース映像では、リポーターが信じられないというふうに叫んでいる。「警察はどこだ? 警備はどこだ? 当局はどこにいるんだ?」 最初の2つの質問に対する答えははっきりしている。警察もキャンパスの警備部隊もそこにいたが、彼らは介入しなかった。むしろ、およそ5時間もの間、彼らは程よい距離を保ち、暴徒たちと笑い合い、時折和やかに談笑していた。その暴徒は、自称元イスラエル国防軍兵士だけでなく、白人のナショナリストもいて、1月6日の連邦議会議事堂襲撃事件に関与したとして元リーダーが禁固22年の判決を受けた極右組織「プラウド・ボーイズ」のメンバーも含まれていた。白人ナショナリストは原則としてユダヤ人を敵視しているため、ユダヤ人学生を多数含む野営地に対する彼らの襲撃が、なぜ大学当局によって反ユダヤ的と裁定されないのか、その理由を問う価値がある。
夜が明けると、数人の生徒が病院に運ばれていたが、野営地はまだ残っていた。授業は休講となり、管理側は、なぜ介入することなく自分たちのコミュニティを狼の群れに投げ出したのかを説明しようと奔走した。非難の矛先はジーン・ブロック学長に向けられた。学長は反ユダヤ主義を非難するメールを定期的に送っていたが、公式にガザに言及したことはなく、11月にバーモント州で起きたパレスチナ人学生3人の射殺事件など、米国内のイスラム教徒に対する恐ろしい攻撃については一言も発言していなかった。野営地が襲撃される数時間前、ブロックはこの野営地を「無許可のもの」と呼ぶEメールを全員に送信していた。野営地は、「私たちのコミュニティの人々がいじめられ、脅かされていると感じさせ、恐れさせている」と彼は続けた。その後このメールは、部外者に対しての、ここへ来て野営地を解体せよという犬笛だったと解釈されるようになった。
結局、UCLAはコロンビア大学に倣い、機動隊を投入して野営地を撤去し、200人の学生と教職員を逮捕することにした。5月1日の夕方から2日の早朝までの約8時間、学生や教職員はプラスチックのゴミ箱や段ボールで作った盾で野営地を守り、その数と勇気で警察の侵入を2度にわたって撃退した。対照的に、警察はスタングレネードとゴム弾で武装してやってきていた。これは、至近距離から発射されれば骨を折ったり、目をつぶしたり、実際に殺傷能力のある「比較的殺傷能力の低い」(という宣伝文句の)武器である。マードック所有のフォックス・コーポレーション傘下で、大学生にもパレスチナにもほとんど同情的でないフォックスⅡで放映された映像では、ヘルメットをかぶった3人の特殊作戦警官が、彼らの真正面に立っていた学生の顔にゴム弾を撃ち込んでいる。少なくとも25人が病院に運ばれた。
しかし、最も不穏だったのは、野営地に隣接するロイス・ホールの屋上に狙撃兵がいる画像がX(旧ツイッター)で出回ったことだ。インディアナ州警察の警視総監は、インディアナ州立大学で行われたパレスチナ支持派の抗議行動で狙撃手が呼ばれたことを確認し、ニューヨーク市警は、コロンビア大学のハミルトン・ホールに突入した際、学生が1月初旬にイスラエル軍に殺害された6歳のヒンド・ラジャブちゃんにちなんで「ヒンド・ホール」と��名した建物内で、警官が実弾入りの銃を発砲したことを確認した。全米のキャンパスでは、1970年のケント州立大学のように、学生が殺されるのは時間の問題だというのが一般的な感情だ。学生も大学も、まったく異なる理由から、その代償を払う覚悟があるようだ。
学生たちは、90%の学校とすべての大学が破壊されたガザのためにそこにいるのだと言うだろう。その一方で、大学は、結局はイスラエルを批判から守るために、ネオナチと手を組むことを厭わない過激派以外誰も守ってこなかったその方針の道徳的空虚さに直面せざるを得ない。理念も計画もなく、暴徒に権威を譲り渡したのだ。学生たちは、彼らの大義を支持してきた職員たちとともに、責任者たちに見捨てられた大学の将来を方向づける立場にある。
週末、ブロックは、緊急事態管理局とキャンパス警察局を監督する新しい「キャンパス安全局」の設立を発表した。この原稿を書いている間にも、警官が学生、記者、法的オブザーバーを含む44人が、私が教壇に立つ日に車を停める駐車場で拘束されている。
*写真キャプション:5月1日、UCLAにおけるパレスチナ連帯の野営地
London Review of Booksに掲載
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『吉田 五十八』 - 吉田建築における「いき」の構造 - (2017)
吉田五十八の建築を九鬼周造の『いきの構造』に沿って論じたく思う。
なぜ、『いきの構造』によって吉田の建築を論じたく思うかといえば、かの建築に「いき」性が感じられるとの直感ゆえである。具体的には、軽やかさ、明朗さ、すっきりさ、しゃんとしていること、多分な含みをもっていること、などが感じられた。また、吉田が日本橋の薬問屋の生まれということもあり、その心身のうちに江戸の気風が宿っているだろうという想起に背中を押され、吉田建築のもつ座標を構造的に確認することは妥当性のあることだと思うのである。吉田五十八(1894 - 1974)。九鬼周造(1888 - 1941)。彼ら二人の日本人は、ともに近代化による西洋との対峙を求められた。時間の流れの偶然と必然のもと、語り、記述され、定位される歴史の中で、同時代の空気を吸い生きた人びとの織りなす色あやはどのようなものであったのだろうか。
九鬼周造は東京帝国大学で哲学をロシア人哲学者・音楽家ラファエル・フォン・ケーベルに学び、1921年から1929年のあいだヨーロッパへ留学する。『いきの構造』は1926年12月、留学先のパリにおいて書かれ、帰国後の1930年に雑誌『思想』1月号と2月号により世に問われた。九鬼の留学先はフランスとドイツであったが、フランスではベルグソンに面識を得、ドイツではハイデガーに師事し、彼ら二人に高く評価された。『いきの構造』において、九鬼は西洋の論理スキームに沿って、日本語民族に特有の意識現象としての「いき」の構造を分析した。
1925年、吉田はヨーロッパへ旅行した際、ロンドン、オランダ、ドイツのモダニズム建築を見て失望する。しかし、フィレンツェでのルネサンスやゴシックの建築を見て感銘を受ける。そしてそれらの様式はヨーロッパの血肉から生まれ出でたものであり、日本人である吉田自身が取り組む必然性はないと踏んだ。そうして、近代以降の時代意識を持ちつつも、日本に生きる感性から生まれる建築の姿を求めた。
私には彼ら二人の人物が一対の鏡像のように見える。九鬼は西洋の論理により日本の生を見つめ、吉田は日本に心身を置き西洋を見つめた。西洋的方法により現れる日本の姿と、日本的方法により照射される西洋の相対的な姿。
ここでは、吉田が九鬼の論文を実際に手に取っていたか、それを自身の建築的方法とすることに意識的であったかの如何は問題とせず、吉田建築に受肉した感性としての「いき」について確認したい。
まずは、九鬼による「いき」の概念の措定について記述する。九鬼の論じるところを要約するならば、「いき」とは”対立する二元のあいだのゆらぎによる、多義性と緊張”である。「いき」の意識現象は、男女の間の媚態や、言葉づかい、身振り、状況、所作、顔の表情、衣服、衣服の模様、色、建築や音楽などの形式芸術などに認められる。それは、男女の間のやり取りでは執着しない諦め、しなやかでしゃんとした身振り、湯上り姿、流し目・目配せ・伏し目などの表情における媚態などであり、その特徴を言い換えて言明するならば、”平衡をやぶり常態を崩すこと”、“可能性を可能性のままにし硬直させないこと”と言える。吉田建築にはいくつもの概念的な層において、二元の間のどちらともつかないバランスがあり、九鬼による「いき」の措定が当てはまるように思える。それを以下、いくつかの項目において確認してゆきたい。
『いきの構造』では「いき」な建築の分析として茶屋建築が精査されている。そのような、「いき」の意識にかなうとされる建築的表現においても、”対立する二元のあいだのゆらぎ”という「いき」の構造的な特質が認められる。例えば、竹材や杉皮材ときめ細かな木材との二元的対立であったり、天井と床の対立が両者の材料の相違により強調されていたり(竹天井・黒褐色の杉皮の天井・天井を不均等に二分して大きい部分を棹縁天井とし、小さな部分を網代天井とする・一部分は平天井とし、他の部分を懸込天井とする)することなどである。
吉田建築にあっては、西洋近代建築の構成と日本建築の構成との二元の間をゆらいでいた。そうして、そのような上位構造(西洋近代建築と日本建築の二元の間のゆらぎ)の流入が吉田建築の表現においても認められる。そこでは西洋近代という鏡により日本自身の姿が映し出され、対象化され、認識され、反省が生まれた。その省察により生み出された態度は様々な価値を生み出した。
まずは建築表現上の技法である。第一に、日本建築の線の多さを減算・単純化した点がある。これは物質性から観念性への上昇であり、明朗さが生まれる。”目を細めてテクスチュアをころして建築をみよ”との吉田の言葉にもあるように、そこには抽象性への志向がある。ここには近代化され装いをすこし変えてはいるが、明朗ときっぱりした態度を是とする「いき」の命脈が確かに息づいている。図式的には従来の線の多い日本建築を野暮とし、吉田建築を意気とした二元がある。
次に原理と事象に関するものである。そのことに関して、かたちとして大壁を用いたことに触れたい。吉田が大壁を用いたのは関東大震災の悲惨を受けた、防火や耐震構造上の必要からであった。これは構造表現主義をうたう当時のストレートなモダニズムからは反立し、建築家の浜口隆一から”シャム・コンストラクション” = 偽の構造との批判を受けた。しかし、このことは、生活の中で起きる事象や与条件を受け止めたしなやかさがあり、建築家として誠実な態度であると思われる。ここには、建築形式の原理的整合性と生活の営みの中での状況の多義的な不整合とのゆらぎがある。
また、面的な大壁の表現は、建築を経験する主体と建築との関係を簡素で明朗なものとし、このことにも軽やかな「いき」の様態が見て取れる。加えて、面へと還元された構成は重層的な構成であり、多義的なシークエンスを生む。建築形式としては人の動きを予測し、計画されてはいるが、それはすべて先回りして機能として予定調和し補完されているのではなく、創発的な行為へと開かれた多義的な余白を持ち構成されている。これは“可能性を可能性のままにし硬直させないこと”と言える。
そして、寝殿造のようなおおらかさや、「家のなかに庭がある」のではなく「庭のなかに家がある」というような、自然の中に溶け込んで主体性が消え去るような日本性も吉田建築の特徴と言える。それは、丹下健三のような構造合理主義、理性原理主義、大陸的な国際性でもない、単なる日本の民家でもない、ケネス・フランプトンならばクリティカル・リージョナリズムと分類するだろうアティチュードが見て取れる。建築家の富永譲は日本におけるアルヴァ・アアルトであろう、と述べている。
『いきの構造』にはこうある。「いき」は過去を擁して未来に生きている。
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『クラユカバ』『クラメルカガリ』


『クラメルカガリ』『クラユカバ』を公開初日に続けて観てきた。面白かった。以下ネタバレがある。上の写真は3月末に閉館してしまった地元の映画館で撮った。二度と足を運ぶことのできないクラガリになってしまったが、たくさんの名画に出逢わせてもらった。
まずクラガリが「亜炭堀りの坑道」を広げる途上で発見された正体不明の地下世界である、という設定がめちゃめちゃ良い。亜炭は我々の世界でさかんに用いられていたのは昭和40年代ごろまでだったそうだが、『クラユカバ』『クラメルカガリ』の人々にとっては過去の話ではない。地下世界発見の経緯や箱庭の成り立ち、懐かしいようで見覚えのない奇妙な街並みを舞台に生き生きと描かれる人々の暮らしぶりを観て我々が抱くのは、亜炭が「現在」の彼らの生活を支える身近な資源であるという実感だ。しかしそもそも亜炭とは、かつて地上に生息していた木々や植物が腐敗する前に土の下に埋もれ、そのまま地中で何十何百何千万年という永い時間をかけて変質していった結果できあがる代物だ。あの人々の生活から匂い立つ(亜炭は燃焼すると甘酸っぱいような独特の匂いを発したらしい)亜炭の存在感は身近かもしれないが、亜炭のもとになった木々は人類がまだ生まれてもいない数千万年前から地上にいた、と考えると途端に途方もなさが際立つ。 亜炭とは人間の文明以前からそこに在り、亜炭が埋もれている深部の地層もまたそれだけ古い時代からそこに存在し続けてきた。つまり亜炭が眠り続けていた深さの地下世界とは、人知も神秘も及ばぬ遙か遠くの「過去」の世界、ということだ。 木々のように腐敗もせず水のように流転もせずただただ地中に横たわり続けた「過去」が、永い時のなかで亜炭のごとき変容を果たし「過去」ではない何か、暗がりではではない何かに変容してしまったのだとしたら。それが亜炭堀りたちの見つけてしまった世界のきざはし、見世物一座が「くらゆかば」と消え去った暗渠の向こう、あるいは虫喰いを辿った先にある未踏の暗がり────「クラガリ」の始まりとするならば。タンネやトメオミの装束が博物館を司る機関の制服に似ていること、クラガリに「曳かれた」人間が過去にまつわる譫言を吐くばかりになっていたこと、「クラガリの端にしてほとりのクラブチ」で荘太郎が過去の幻影に囚われかけたこと。これらの理由を想像するのが個人的に楽しくなってくる。
クラガリに「惹かれるな」ではなく「曳かれるな」、なのはクラガリがすすんで誰かを呼んでいるわけではないという意味かもと思う。過去を求めた人間が地下へ、あるいは自分の内側へ深く深く潜っていった結果クラガリに接触してしまう。クラガリが「せり上がってきている」時ですらクラガリに何かを惹きつける意志はなく、何かを曳いたところでクラガリが変わることはない。暗がりで道を選ばされるのはつねに曳かれたほうだ。 加えて暗がりで人が観るものといえば夢、映画、幻灯の類いだろう。荘太郎も大幻灯を浴びて人形劇や紙芝居やメリエスの無声映画のごとき幻影を彷徨ううち、父と母と平穏に暮らしていた幼い頃の「過去」へと歩き去ってしまいそうになる。父の帰りを待ちながら老いて亡くなった荘太郎の母は人形劇の世界で身体の色が金から白に変わっていったし、過去の幼い姿でどこかへ歩いていこうとする荘太郎の世界は色がなく、その背後に並びはためく幟も白い。金とか灯りは生きてる人間の色、白はクラガリに行ってしまったひとの色なのかもな、と思う。そこに見世物一座の「千里眼」の少女によく似た、白い髪の幼いタンネがやってきて、「これ、忘れ物」と掌を差し出す。 色々あってサキを福面党から取り戻すことはできたものの、見世物一座は「くらゆかば」と去り、父は帰らないままだ。それでも荘太郎が思い出したように探偵事務所の引き出しを開けると、そこには幼いタンネが届けてくれたあの金色の巻き鍵がある。それは事務所の壁にかけられた時計の巻き鍵だ。荘太郎が子どもの頃クラガリに行ったことがある記憶をちょっとしゃべる冒頭のシーンで、荘太郎の後ろの暗がりが映り込む演出があったけど、あの事務所は荘太郎の過去が留まり続けたクラガリでもあったと思う。だから巻き鍵によって再び動き始めた時計が時を刻む音の響くラストは、過去は取り戻せないままなれど、止まっていた時間をようやく進めることのできた荘太郎にとって明るいものだった気がするのだ。
クラガリに曳かれながらもクラガリから抜け出でて自分の道を進む人間たちの話が『クラユカバ』であるならば、クラガリの真上で変わり続ける街とともに変わりながら生きる人間たちの話が『クラメルカガリ』なのだろう。物語の序盤で「箱庭紡ぎ」は街の「点と点を繋いで紡いでいく」仕事だと飴屋が言うが、それは『クラメルカガリ』という物語の構造そのものでもある。クラガリに曳かれる人間、曳かれた人間、街の変化を愛する人間、街を日々変えていく人間、変わっていく人間。それらひとりひとりの足取りが繋がり合いクラガリの上にひとつの物語が編まれていく。その変容を地図に、あるいは自分の内側に留めていく少女カガリの足取りは日々に翻弄されながらもまっすぐで迷いがない。作中でははっきりと描かれないが、虫食いの話になるたびカガリの顔が曇ったりなにか言いたげな顔をするのは彼女の両親の死んだ理由が虫食いに関係あるからではと思うのだが、それでも紡ぎの仕事は「嫌いではない」と彼女は言う。ユウヤの地図をすごいと評したカガリの、虫食いのことは書いてあったけど鉱泉の川に通じてるあの道のことは書いてなかった、との指摘も彼女なら至りうる。 というか『クラユカバ』でクラガリの端にふれると『クラメルカガリ』で地下の「虫食い」に潜ってまで地図を作りしかもその生き方を楽しんでいるカガリの生き様がちょっと異様であることが分かる。亜炭の鉱脈の上に成り立つ「泰平さん」と「箱庭」、そのさらに地中深くから時折湧いて出る虫食いを辿ればおそらくクラガリに行き着くのだし、特に映画の時系列は伊勢屋曰く「今は時期が悪すぎる クラガリがせりあがってきている」のだ。「箱庭」は日々様相が変わる街だから地図が必要なのだと飴屋は語るが、街がどれだけ変わろうとクラガリは変わらないのだろう。変わっていくのは地上にせり上がるクラガリに「曳かれ」る街のほうでしかない。 そういう街で箱庭紡ぎの仕事を担うふたりの街に対する思いが対比になっているのが面白い。ユウヤが日の当たる場所に行くまでの繋ぎに過ぎないと思っていた「紡」の仕事がカガリにとっては人生の楽しみであるというすれ違いは、カガリが記憶していた地下の脇道を「こんな細い道 俺だったらいちど地図にしたら忘れてる」と呟くユウヤの台詞にも表れている。ただしカガリがその道を覚えていたのは紡の仕事を気に入っているからだけではない。「もったいない、一緒に歩いたの大事な思い出だよ」と笑ったカガリにとって、ユウヤはこの街の記憶ごと大事にしたい存在なのだろう。この台詞にはカガリの街への思い入れと日々紡いでいるものへの意味が宿る。日の当たる場所に行きたかったユウヤが街を一時去るとき、「わたしユウヤくんの地図、好きだから!」と橋の上から笑顔で手を振るカガリには昇り始めた陽の光が当たっている。カガリとは地中のクラガリを行くための篝火であり、ユウヤにとっても日の当たらない場所=箱庭=クラガリを照らす篝火だったのではなかろうか。
ところで『クラユカバ』で荘太郎を福面党の一員と勘違いしてしょっぴこうとしたおっさんと『クラメルカガリ』でシィナ総長に声をかけていたおっさんが同一人物なのでこの二作はそんなに時間が離れてないんだろうな。『クラユカバ』で福面党にまぎれていたムジナの男が『クラメルカガリ』では髪が伸びた風体で石猿一家をけしかけていたあたりほぼ同時期というわけではなさそう。にしても福面党のボスが「御多福」なのは洒落がきいてる。ムジナと福面党の関係も気になるところだ。 演出面では、『クラユカバ』で車両から逃げる荘太郎が「じょうぶ~!!」て叫んでたシーンを『クラメルカガリ』のカガリがアブラムシから逃亡するときセルフオマージュしてたのが楽しかった。それと『クラユカバ』では荘太郎のお父さんが荘太郎になぜ探偵をやっているのか聞かれて「ここがむかし川だったことは知っているか?」、そんなふうに世の中に隠れている謎が好きで父さんは探偵をしているんだと答えたり、クラガリの入口を探していた荘太郎が街のじいさんに「トンネルを掘るときは一旦土地を開けてから埋める だから地図を見ればトンネルがどこを通ってるか分かる」と教えてもらったりと、『クラメルカガリ』ほどではないけど地図や土の記憶が大事なモチーフとして取り上げられてたのが良かった。荘太郎の降り立った橋のあたりとカガリが坑道から抜け出て川に流れ出たあたりはぱっと見近いかなって思ったけど実際はまったく関係ない景色なのかな。観直したさがある。 にしても『クラユカバ』を観るとこの深い深い世界のどの要素から『クラメルカガリ』が構築されたのか分かって楽しいし、『クラメルカガリ』を観てこの世界をもっと深く知りたいとおもった人に『クラユカバ』は当然充分応えてくれる。『クラユカバ』の停留所には「成田亭良悟」の名前が書かれたポスターが貼られているのだけれど、栄和島と伊勢屋とおなじく「まったくの別人」ながらもこの世界に成田良悟先生の言葉もまた息づいているのだなと思えて嬉しかった。伊勢屋に自分の留守を任せていく栄和島と任された伊勢屋の反応、原作を知ってても知ってなくても激アツだったな…… そういえば自分が映画館でこれを観ていたとき、伊勢屋の店が画面に映った瞬間後方の席から「カストリ…!?笑」て困惑した男性のデカめの声が聞こえてきて面白かった。かくいう自分は自律機関が出てきた瞬間「蒸気王じゃん!?」て叫ぶところだった。閑話休題。
ムジナの男がタンネ達と出くわす前に「ナマズとご対面だ」て言ってたのが気になってる。ナマズ=鬼(鬼灯色の瞳のタンネ)の由来がちょっと思いつかないし、地下を這う車両をシンプルに喩えた可能性はあるけれど、ナマズは地震を起こすと信じられてきた生き物だからムジナにとっては地下をわずらわすめんどくさい勢力としてナマズと呼んだのかな。だとしたらムジナたちって亜炭堀りに発見されるよりずっと昔からクラガリに潜んでる勢力なのかも。石猿一家が失敗したときも地下に帰る的なこと言ってとんずらこいてたし、新聞には浮世絵じみた絵で紹介されてるし。今後続編が制作されてムジナの行動理念が明らかになったら楽しそうだ。 ちなみに『クラメルカガリ』では蛙を鳥と云って出す屋台について「あれむしろナマズっぽいよね」とコメントしてた。箱庭はナマズ食が珍しくない文化なのか…?あとカガリとユウヤがごはん食べてた屋台の壁のお品書きに「目玉の甘」てあったけどあれなに?目玉の甘煮? 『クラユカバ』で荘太郎と稲荷坂が呑んでたお店もちょっと不思議で、荘太郎が生の中を追加したら新しいジョッキが来るんじゃなくて瓶から次いでくれるんだよね。「お兄さん!」て呼ばれた荘太郎が「ああもうそんくらいで」って止めたあと何かを継ぎ足して飲んでるあたり量でお代が決まるのか?と知りたくなった。というかあれ多分ビールじゃないよな(泡の載った金色だった覚えがない。自分が覚えてないだけかも)。テーブルにあった瓶のラベルにはホッペルと書かれてた。 『クラメルカガリ』のシィナが通信傍受機と同じ鞄に箱キャラメル入れてるのもめちゃいいし、シィナと飴屋の射的のシーンもなんてことないのに良さしかなかったな。ところでシィナさんと情報屋の伊勢屋はなんで知り合いなの?気になりすぎる。
管使いのタンネが管(たぶん管狐)のことを今いる地下より「ちょっと深いところ」の生き物だって言ってたけど、カガリも「ちょっと深いところ」の話してたんだよね~どこだったかな。管の色が金色なのも荘太郎が陥りかけたクラガリの過去の幻影に関係ありそう。そもそも見世物一座の人間たちがみんな白狐の面を被ってたからな……探訪記者の名前は稲荷坂でクラガリに近い人間の名前ぽさがある。 どちらの作品もいろんな生き物の名前や意匠が取り入れられてるの面白いよね。荘太郎に情報提供した男は兎の面つけてたし、朽縄博士(くちなわは蛇と書いてもくちなわと読む)の子どもたちは牛蛙だったり虫の姿だったり公園にはザリガニがいたり。ササラちゃんはササラ電車からの命名だったりするんかな。あとアブラムシよける機械のデザインが電動の蚊遣り��かったなと思ってそこだけパンフ見たら名前が「ムシヨケ」だったしよく見たらデザインも蚊遣り豚だったので笑った。朽縄おじいちゃんが朽縄博士だと明らかになるシーンの真打登場感も良い。 真打といえば荘太郎を演じた六代目 神田伯山さんは講談師の方なんだよね。『クラユカバ』『クラメルカガリ』はどちらも台詞回しがきもちよいけど荘太郎の語り口は抑揚の良さも相まってなおさら好きだった。あと活弁士と稲荷坂と石猿親分を演じてる坂本頼光さんは本職の活弁士の方だし、女性声優さんたちが演じるタンネやトメオミやカガリといったクラガリを探る少女たちのまっすぐに発せられる声と、クラガリとともに生きてきた男性キャラクターたちの物語ることを宿命付け��れたような声が双璧を成す、両作品のキャスティングも外せない良さだと思う。寺田農さん演じる朽縄が、老兵は去らず此処にある的な台詞を最後にクラガリじみた研究所へ帰っていくのも印象的だった。 もし今後続編が制作されるのなら「僕にもわからないんだ 自分が何者でどこへ行くのか」と語っていたタンネの来た道や行く道のこと、トメオミが珍妙な慣用句を引用するたび添えていた「その道に曰く」の「その道」の意味(クラガリに繋がってる余所の道だと思う)、「轍」や見世物一座の正体が語られたらいいなと思うし、「泰平さん」の「テリヤス工業」時代の話やこのあとの箱庭の姿もまだまだ観たい。パンフに載っていたインタビューでは、監督は『クラユカバ』『クラメルカガリ』の両作品で「まだ語られていないこと、解かれていない謎」について「世界を閉じたくない」「モヤっとしたものを残すことで観た方の記憶に残したい」から謎を残していると述べているし、成田良悟先生との対談では「ちゃんと考えてはいるんですけど」「もっと面白い設定を思いつくかもしれない」から「前もってテキストに書き起こさない」とも話している。だからここまで自分が書いた感想はあくまでも現時点で得られる情報からの推察に過ぎないし、正解は監督の頭の中にしかない。いつか続編で明かされるクラガリとその周辺の世界の正体が、今回の自分の想像よりも遙かに深く面白く最高であることを楽しみにしている。『クラユカバ』『クラメルカガリ』を観たあの日の映画館の暗がりは、それでようやく自分にとっての美しき「クラガリ」になるのだから。
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年始からいろいろ大変だった1月(2024年1月の日記)
■2024/1/1 元日の月曜日。はじまりましたね2024年。奥さんの実家へ向かうためまぁまぁ早起き。ここで現在のInstagramのポスト数をメモしておきましょう。いま2370ですね。2024年が終わったときにこの数を引けば一年間に見た映画のトータルが簡単にわかるはず。便利。家族で奥さんの実家である流山へ。今年は電車なので移動しながら『孤独のグルメ』の大晦日SPを見たり。奥さんの実家へ新年の挨拶。お寿司や唐揚げをご馳走になる。お腹いっぱい。午後、サッカーの代表戦が見たいけど、僕にチャンネルの選択権はありません。帰りの電車では録画しておいた『魔改造の夜』を見たり。ドラマがありますよねぇ毎回。石川県で大きな地震。こういう時、無駄な発信はしない。帰宅してからWOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』E5を見る。U-NEXT『Bico』を見る。WOWOWオンデマンド『SMILE/スマイル』を見る。
■2024/1/2 まだまだ正月休みな火曜日。娘は冬期講習が再開。お疲れ様です。僕はのんびり起床し渋谷へ向かう。移動しながらWOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』E6を見る。ヒュートラ渋谷にて、A24の知られざる映画たち『ゴッズ・クリーチャー』と『アース・ママ』観賞。これでこの特集をトータル3本観たのでA24グッズをGET。新宿へ移動。新宿の会場で冬期講習 正月特訓を受けている娘と娘の塾友達をピックアップ。ぎりぎりで拝島ライナーに間に合ったのでそれに乗って最寄り駅まで帰宅。勉強して疲れてるだろうに2人は電車で楽しそうに話していた。夜はNetflix『チキンラン: ナゲット大作戦』を見る。U-NEXT『Valimo』を見る。
■2024/1/3 まだ正月休みの水曜日。娘は今日まで正月特訓で新宿へ。僕は朝食に餅を食べはじめる。うまいですよね、餅。U-NEXTにて、カウリスマキの短編映画の『ロッキーⅥ』を見る。そしてシネコン集中映画観賞をするために昭島へ。MOVIX昭島にて『サンクスギビング』観賞。こうゆう作品の字幕もやる松浦美奈さん。続いて『PERFECT DAYS』観賞。ラストカットのアイデアが昨日観た『ゴッズ・クリーチャー』に似てる。そしてこの映画観終わってからタイムフリーで先週のジミソラジオを聴いてたらAl Greenの「Perfect Day」カバーが流れました。鹿島さんこれって?スピってますね。WOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』E7を見る。そしてMOVIX昭島でもう1本『宝くじの不時着 1等当選くじが飛んでいきました』観賞。小雨の中帰宅。家でU-NEXT『さらば映画の友よ インディアンサマー』を見る。バカリズムのドラマ『侵入者たちの晩餐』も見る。やや早めに寝る。
■2024/1/4 まだ休みの木曜日。娘、正月特訓は終わったけど、冬期講習は7日まであるとのこと。大変だ。U-NEXT『Oo Aina Ihminen』を見る。立川へ。シネマシティで午前十時の映画祭13『カサンドラ・クロス』鑑賞。fスタ極上音響上映で。移動しながらWOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』E8を見る。帰宅してからAmazon Prime Video『87分の1の人生』を見る。U-NEXT『ブルービートル』を見る。Netflix『ブラザーズ・サン』E1を見る。明日は仕事かー。ちょっと早めに寝る。
■2024/1/5 出勤の金曜日。めんどくせー。通勤しながらU-NEXT『俺らのペンギン・ブーツ』を見る。意外とみんな出社しているな。1週間近く休んでいたわりにはメールは少ない。まぁ海外もけっこう休みですからね。会社の先輩に娘の描いた年賀状のイラストを誉められた。これは娘に伝えてあげよう。お昼は丸亀製麺にて、かに玉あんかけうどん。今年もよろしくたのみます、丸亀。会社の近所のサイゼリヤが昨年末で閉店してしまったので、僕のランチは丸亀とマクドナルドとOKのローテーションになるでしょう。あとたまにココイチ。Apple TV+『モナーク:レガシー・オブ・モンスターズ』E9を見る。17時半で仕事を切り上げようとしたら、ぎりぎりで席まできていろいろ聞いてくる人がいて大変困りましたがなんとか帰りました。昭島へ。MOVIX昭島にて『レザボア・ドッグス デジタルリマスター版』鑑賞。これでタランティーノの長編映画10作すべてを劇場観賞達成。いやー嬉しい。急いで帰宅。風呂に入ってからClubhouseにてU-NEXT『犬神家の一族』同時視聴に参加。10年以上ぶりに見ましたけど、想像以上に『ゲゲゲの謎』でしたね。
■2024/1/6 土曜日。ここから3連休だ、ありがたい。娘と同じ時間に家を出て、娘は塾へ、僕は映画鑑賞へ。すまん。錦糸町へ向かう。移動中にWOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』E9を見る。『シャクラ』観賞@ TOHOシネマズ錦糸町楽天地。上映後トークにアクション監督の谷垣健治さん、ギンティ小林さんが登壇。映画秘宝で最初に読むのが谷垣さんの連載だったぐらいなので谷垣のトークは大好き。ドニーの話、最高です。せっかく錦糸町まできたので前から行ってみたかった町中華のお店に行ってみたけどがっつり行列ができていたのであきらめ。14時ぐらいだったんですけど。マクドナルドにて、スモーキーペッパーチキンを食べる。渋谷へ移動。『彼方のうた』観賞@シネクイント。上映後舞台挨拶には、杉⽥協⼠監督、⼩川あんさん、中村優⼦さん、眞島秀和さん、荒木知佳さん、Kayaさんが登壇。やはりトークの内容がそれぞれ面白い。うっかり荒木さんが話した内容は、前からそうなのかなぁと思っていたことだった(公にしていないようなので秘密ですが)。Q&Aの時間もあったので気になっていたことを聞けました。帰りにロビーにいた杉田監督が僕に気づいてくれたので一言だけ挨拶する。帰宅してからWOWOWオンデマンド『彼女が好きなものは』を見る。WOWOWの配信が終わってしまうからあわてて見たのですが、Netflixにあるんですね。まぁいいか。
■2024/1/7 3連休の日曜日。娘は冬期講習最終日、がんばれー。僕は日比谷へ。移動中にWOWOWオンデマンド『メイヤー・オブ・キングスタウン』E10を見る。これで完走。いやー、最後は大変なことになっちゃったな。ちなみに本日はジェレミー・レナーの誕生日のようですね。日比谷公園のベンチに座りながらU-NEXT『悲しき天使』を見る。野外で味わうカウリスマキ短編。kataru最終回「Poster Strangelove(ポスターストレンジラブ)」@日比谷図書文化館 日比谷コンベンションホール。POSTER-MAN小野里徹さんと、宇多丸さんが実際の映画ポスターを見ながら映画と映画ポスターについて語るトークイベント。これは面白かった。僕はkataruの前身である「語る会」の「オールタイムベスト映画」回に参加したんですけど、あれがもう2016年。主催であるりかさんは僕らがやっているMCTTにきてくれたこともあった。りかさんが前節しているときに、久しぶりだなぁと思っていたら、りかさんが僕の方を向いて「お久しぶりですね」と云うもんだからドキッとしてしまった。覚えていただいていて恐縮です。ポスターの話を中心にがっつり映画のトークとなっていて、宇多丸さんも何のポスターが出てくるかわからない、という構成が抜群に良かったです。紹介された作品で唯一僕が未見であったのは『重犯罪特捜班ザ・セブン・アップス』。見てみようと思います。近くの席で見ていたまるゆさん、さっちゃんさんと感想を話しながら会場を出る。二人とは近々オンラインで再会するでしょう。帰る前にちょっと銀座へ。長野のアンテナショップにてアトロク2で紹介されていた「すんき」という漬物を購入。実家へ。明日使う車を借りる。実家にもすんきをお土産にあげる。夜遅くからClobhouseにて、同時視聴仲間の2023年年間ベスト映画を聴く会に参加。僕は自分のベストについては一切話さず、みなさんのベスト1にこれをおくのがオススメです、という映画を紹介する謎の役割。面白かったです。
■2024/1/8 祝日の月曜日。3連休ありがたい。車に乗って家族で昭島のモールへ。娘のブーツをGUで購入。僕もここぞとばかりに靴下を買ってもらう。深刻な靴下不足におちいっていたのだ。かわいい靴下をGETしたぞ。娘と僕はさらに図書館へ。娘の本を借りたり返したり。そのまま実家へ行ってのんびり過ごす。娘はずっと冬期講習だったのでやっとだらだらできる1日なのです。お昼には中尾ちひろさんのカラオケツイキャスを聴く。WOWOWオンデマンドにて『長ぐつをはいたネコと9つの命』を見る。これは娘もいっしょに見てた。U-NEXT『ワイヤーを通して』を見る。Amazon Prime Video『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』を見る。これも娘といっしょに見る。夜は娘のリクエストにより手巻き寿司。いやーお腹いっぱい食べました。ご馳走さまでした。帰宅してからWOWOWオンデマンド『タルサ・キング』E2を見る。夜遅い時間から、clubhouseにて同時視聴仲間の2023年映画ベストを聴く会に参加。昨夜に続き僕は一切自分のベストについては話さず、これをベスト1にするといいですよ、というオススメを話すという謎の役割で参加。あとゲストで出たPodcast「Talking Square」の良い感想を聴けたので嬉しかったです。
■2024/1/9 火曜日。あぁ出勤ですか。今日から本格的に仕事ですね。午後のMeetingに使う資料の作成が間に合うかどうか。ランチに外に出てる余裕はないと判断してお昼ご飯はコンビニで買っていく。さみしい。急ぎの仕事に対応したり、別のMeetingには出つつひたすら資料を作り続けなんとか間に合う。新年早々ががんばったがんばった。仕事終わりで昭島へ。松屋にて、“炙り”十勝豚丼。うまい。そして肉が多い。WOWOWオンデマンド『タルサ・キング』E3を見る。MOVIX昭島にて『エクスペンダブルズ ニューブラッド』鑑賞。すごいスタローン大好き人間みたいな鑑賞になってしまった。帰宅してからU-NEXT『Melrose: Rich Little Bitch』を見る。そして寝る前に録画したテレビとかを限界まで見るぞー、と思っていたのに最初の番組見てる途中で寝落ち。疲れていたんですかね。。
■2024/1/10 水曜日。あースマホ用のモバイルバッテリーを家に忘れて出てきてしまった。ちょっと不安になりますよね。お昼はマクドナルドにてバタースコッチパイを食べる。帰宅してからDisney+『エコー』E1を見る。Amazon Prime Video『女王陛下の007』を見る。やっと(映画観賞的)余裕ができて007を再開。僕モテメルマガに画伯が復帰。これは嬉しい。ラロッカさんとDiggin' Netflixを収録。今年もよろしくお願いします。
■2024/1/11 木曜日。立川への病院へ行くので午前半休。時間が早い。つらい。いつもの血液検査と、年一でやってる骨密度検査。骨密度はまぁ良くもなっていないけど悪くもなっていない感じ。2年ぐらい前に骨粗しょう症レベルの値からは脱しているけど、通常レベルまではもう戻らないんだろうなぁ。しょうがない。病院はまぁまぁ早く終わったけど薬局が時間かかってしまった。やはり午前中の出社はムリか。お昼ははミスドで、misdo meets GODIVA プレミアムショコラコレクションのガレット・デ・ロワ ショコラを食べてみる。さすがゴディバ。さすが高いだけはある。Disney+『エコー』E2を見る。U-NEXT『ハロー!?ゴースト』を見る。午後から出社して仕事。仕事終わりで昭島へ。配信のはじまった『テッド』のドラマのやつを見ようかと思ったけど、後から吹替がくるみたいなのでそれを待つことにする。MOVIX昭島にて『コンクリート・ユートピア』鑑賞。お客さんは僕を入れて2人。さみしい。しかも客席がかなり寒くて僕はコートを着ながら映画を観ていた。だがこれが映画の内容的に合っていたんですよね。そういうサービスですかね(絶対違う)。コヨイチの『女王陛下の007』回を見る。豆知識と小ボケの量がすごい。Lukeさんのボケをラフランスさんがまだひろいきれていないところがありますね。帰宅して遅い夕飯を食べたけどもう眠い。朝早かったからなぁ。
■2024/1/12 金曜日。寒くなってきて朝ベッドでだらだらとそろそろ起きるべきか否か、を迷っている時間が至福。朝ウォーキング時にはだいたいradikoでラジオを聴いていますが、昨年末あたりから深刻にこの視聴タイミングが遅れている。今朝も聴いていたのは先週の土曜のラジオ番組。radikoタイムフリーの視聴期限は1週間なのでかなりギリギリである。どっかで挽回しないとまずいですね。お昼はマクドナルドでハッピーセットを食べてすみっコぐらしのおまけをもらう。2024年はマクドナルドの新商品のリリースの勢いがすごい。とにかく新商品食べたい人間としては大変である。Apple tv+『モナーク:レガシー・オブ・モンスターズ』E10を見る。これで完走。ちょっと途中間延びした感じもありましたが面白かったですね。つっこみどころを作ってる感じもいい。帰宅してからDisney+『エコー』E3を見る。音源を1本編��。けっこう遅い時間からイシヤマさんとDiggin' U-NEXTを収録。深夜まですいません。
■2024/1/13 土曜日。のんびりできる土曜日。何も予定がないと思っていた娘は試験があるらしい。お疲れ様です。朝から途中まで見ていたWOWOWオンデマンド『キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱』を見る。昭島図書館に行って娘の本を借りたり返したり。Disney+『エコー』E4を見る。音源を1本編集。午後からMOVIX昭島へ行き『アクアマン/失われた王国』鑑賞。映画観終わって映画館を出るとがっつり雪。いや、降るという予報は見てたんですけどまさかここまでとは。自転車できてしまったのでがんばって帰る。ゴーグルがほしい感じでした。夜はオンラインで僕モテメルマガ読者仲間が集まって2023年の年間ベスト映画を語る読者サミットに参加。たぶん映画鑑賞に対する考え方とかがとても近い人たちの集いで、半年に1回加減なしで映画の話をできる感じで、今回も参加できて嬉しかったです。
■2024/1/14 日曜日。娘は今日もなんかの試験を受けに行くそうです。試験ばっかだな。僕のんびり起きてスーパーへ。豚肉とキャベツを買ってきて、Instagramでよく流れてくる手抜きとん平焼きみたいのを作ってみた。けっこう美味しくできましたがお好み焼きソースがほしかったなぁ。中濃ソースだとちょっと違うんだなぁ。昼からMOVIX昭島へ行き『カラオケ行こ!』観賞。帰宅してからDisney+『エコー』E5を見る。これで完走。かなりフィスクについても掘り下げるドラマでした。音源を1本編集。Netflix『マエストロ その音楽と愛と』を見る。DAZNでサッカーアジア杯の初戦、日本×ベトナム戦を見る。予想以上に面白い試合。U-NEXTで「円都LIVE」を見る。ひかえめな歌詞字幕がいい。寒いので布団をかぶってごろんとしていると早めに寝てしまう。しょうがない。
■2024/1/15 月曜日。先週合併号だったので今週はジャンプがありませんよ。キン肉マンは更新されていますので要チェックです。通勤途中でU-NEXT『破局』を見る。お昼はOKのロースかつ重を食べる。いやぁ美味しいですよね。週一ぐらいで食べたいぐらい。安いし。仕事終わりで立川へ。WOWOWオンデマンド『タルサ・キング』E4を見る。悪性リンパ腫のキャラクターが出てきたんですけど、スタローン作品でやたらこの病気出てくる気が。kino cinéma 立川高島屋S.C.館にて『ビヨンド・ユートピア 脱北』鑑賞。帰宅して寝る前に録画したアニメやドラマを見進めようとするが、予定の半分も見れずに寝落ち。
■2024/1/16 火曜日。なんだか昨夜座った状態でかなりの時間寝落ちしてしまったようで身体が痛い。お昼は中尾ちひろさんのカラオケツイキャスを見る。キリエの曲を歌っていた。仕事終わりで新宿へ。移動しながらWOWOWオンデマンド『タルサ・キング』E5を見る。テイラー・シェリダンにしてはほのぼのした話かと思っていたけど、やはり不穏な感じになってきた。U-NEXT『絶好調』を見る。テアトル新宿にて『市子』を見る。帰宅してから録画していたアニメなどを見る。観る映画の予定を立てるために各劇場のスケジュールをチェック。とにかく旧作上映が怒涛の勢いでくるのでどれを観るか考えないと。閉館する吉祥寺プラザで『もののけ姫』を観たいけど、何時ぐらいにチケット買いに行けばいいのか、何時ぐらいから並べばいいのかがまったく予想できない。でもこれに行ければ、整理番号もない自由席の劇場で映画を観るという体験が、もしかしたら最後になるのかもしれない。できれば行きたいなぁ、ヤックルにのって。
■2024/1/17 水曜日。午前中にミーティングが集中していてぐったり。マクドナルドにて、スパイシーチキンマックナゲット 黒胡椒ガーリック カマンベール&パルメザンチーズソースとキャラメルミルクティーフラッペ。WOWOWオンデマンド『タルサ・キング』E6を見る。U-NEXT『幸福な結婚記念日』を見る。帰宅してからU-NEXT『アリバイ・ドット・コム カンヌの不倫旅行がヒャッハー!な大騒動になった件』を見る。音源を1本編集。録画したドラマやアニメを見る。僕は自宅にあるトルネで録画したテレビ番組をスマホアプリにWi-FiでDLして見る、という方法で基本的にテレビ番組を見ているのですが、どうやらそのDL待ちをしている間に寝落ちしたらしい。そんなに疲れている感覚はないのに、どうにも寝落ちしてしまうんですよねここ数日。
■2024/1/18 木曜日。7時間以上、たっぷり寝たはずなのに朝はだらだらしてしまう。まぁ寒いからでしょう。最近、朝ウォーキング中に鷺パイセンを見てない気がするな。今年は病院の待ち時間以外にも読書をする時間を作りたいと思っていたのですが、どうやったらその時間を作れるのか。すでにいま見ているものや、聴いているもので日々の時間はぎりぎりな気がしています。お昼は丸亀製麺にて、かけ並とかしわ天。うどん札10枚までリーチ。WOWOWオンデマンド『タルサ・キング』E7を見る。なんかいいところまできたけど明日からは『ストレンジ・ニュー・ワールド』S2を見てしまうなぁ。帰宅してからU-NEXT『ぼくの伯父さん』を見る。音源を1本編集。寒いから布団をかぶる。暖かい。寝ちゃう。しょうがない。
■2024/1/19 金曜日。軽く寝坊。眠すぎる。朝ウォーキング中に白鷺を見かけてテンション上がる。拝島駅構内の書店でミュージックマガジン購入。ZAZENBOYS特集だ。お昼休みにWOWOWオンデマンド『スター・トレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』S2E1を見る。どうやらこのシーズン2は毎週金曜日に1エピソード配信されていくようです。気になるのはクリスティンの発言。一度エンタープライズを離れるのかな。このシリーズで一番好きなキャラクターなんですけど。17時を過ぎてから「遅い時間にすいません」という前書きの、つまり「今日中に対応してくれよな」というメールががんがんくる。大きな顧客の契約更新が佳境なのだろう。集中して対応。サッカーまでには帰るぞ。なんとか仕事を切り替え、帰宅して夕飯食べてからDAZNでサッカーアジア杯 日本VSイラク戦。負けたなー。うまくいかなかったなー。ぜんぜん攻撃がはまらず。残念。U-NEXTにてMyFFF『ジャンヌと七面鳥』を見る。
■2024/1/20 土曜日。ちょっと寝坊、したが僕が一番早きじゃないか。朝ごはん食べてからWOWOWオンデマンド『タルサ・キング』E8を見る。雨が降らないうちに自転車で昭島図書館へ。昼は武蔵野館の舞台挨拶回チケ取り。こんな時間の発売なのに、がっつりアクセス集中。繋がる(復旧する)のに30分以上かかってしまったけどなんとかチケット確保。WOWOWオンデマンド『ブラックライト』を見る。天気が微妙、歩いてMOVIX昭島へ。『ゴールデンカムイ』鑑賞。YouTubeで短編映画『AI Detective 探偵をインストールしました』を見る。Netflix『ハロー!?ゴースト』を見る。けんす君、なんすけ君とDiggin' Amazon Prime Video収録。今年もよろしく。
■2024/1/21 日曜日。うーむ、予報通りの雨ですね。でも行く行くしかないな。とゆうわけで朝から吉祥寺へ。まずおにやんまにて、かけ並とホタテ天を食べる。そしていざ吉祥寺プラザへ。たぶん『野球少女』観たとき以来かな。閉館上映となる『もののけ姫』のチケット発売に並ぶ。チケット買ってすぐロビーへ入る。もう入場したら退場はできないがもう入ってしまう。先にチケットを買った人が100人ぐらいいたと思うのだけど、意外にも誰も入場していない。みなさんシステムを理解しているのだろうか。僕は入場してロビーの椅子に座って待機。人が集まってきたら列を作るらしい。整理番号ですらない映画観賞なんて、これが本当に最後かもしれない。昔はこれが普通だったし、シネマシティですら初期はこのシステムだったんですよね。いまでは信じられないけど、映画館が指定席化されていくのに対しけっこう反対の声すらあった。楽なのに。ロビーで椅子に座って待つこと30分ぐらい、観る回の上映開始まではまだ1時間半ほどあるけど、入場列が作られはじめた。列を作りはじめる時、映画館のスタッフさんが一番乗りでロビーに入っていた僕に声をかけてくれて、入場列の先頭に並ぶことに。なんか気合いが入っている人みたいで恥ずかしいが、嬉しい対応ですね。劇場内からは朝一で上映がされている『君たちはどう生きるか』の音が漏れ聴こえてくる。そしていよいよ入場開始。列の先頭にいたのでもちろん好みの席で、予告編なしでの『もののけ姫』鑑賞。97年に試写と一般公開で観て以来となるスクリーン鑑賞。たまに子供の話す声や、お菓子のがさがさ音のある満席の客席。鑑賞環境まで当時のようで大変良かったです。ありがとう吉祥寺プラザ。閉館する映画館の上映に人が集まることに批判的な人もいるのはわかりますが、人が集まらないより集まった方が劇場側にとっても嬉しい気はするんですけどね。せっかくの吉祥寺なので「さとう」のコロッケを買って帰る。移動中にWOWOWオンデマンド『タルサ・キング』E9を見る。これで完走。近作の映画がイマイチなスタローンですがこれは面白かったと思います。帰宅してから音源を1本編集。BSSTO『よき仕事』を見る。Disnery+『アントマン&ワスプ クアントマニア』を見る。録画したアニメとかドラマとかをできるだけ見て寝る。
■2024/1/22 月曜日。昨日買ってきた「さとう」のコロッケでサンドイッチをつくる。これが本日のランチ。これがうまいんですよ。お昼休みにU-NEXT『特殊作戦部隊:ライオネス』E1を見る。またもテイラー・シェリダンのドラマ。しかもE1の監督はジョン・ヒルコート!仕事はMeetingの連続。通常の仕事をする時間が削られる。仕事終わりで新宿へ。移動しながらU-NEXT、MyFFFの短編『私に触れた手』を見る。WOWOWオンデマンド『事故物件 歪んだ家』を見る。シネマート新宿にて『悪魔のシスター デジタルリマスター版』鑑賞。シネマート新宿の小さい方のスクリーン、久々だったな。録画していた「世界!ニッポン行きたい人応援団」を見たらすごいおでんが食べたくなってしまった。
■2024/1/23 火曜日。通勤しながらU-NEXT、MyFFFの短編『2匹は友だち』を見る。オチが途中でよめたけど、楽しい短編だ。出勤してから強烈な偏頭痛。なんか久々。一応カロナールを飲んでおく。お昼は丸亀製麺にて、かけ並とほっけ天。U-NEXT『特殊作戦部隊:ライオネス』E2を見る。急ぎの、とてもめんどくさい依頼に対応。えらいぞ自分。仕事終わりで高田馬場へ。松屋にて、カットステーキのハッシュドビーフを食べる。早稲田松竹にて『グッドフェローズ』鑑賞。劇場でははじめて観れた。あまりに旧作上映、リバイバルのラインナップが魅力的なので、油断すると旧作鑑賞ばかりになってしまいそう。新作、しっかり観ていかないとな。U-NEXT『男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく』を見る。僕が月一の007と寅さんを見れているときは、自宅映画鑑賞スケジュールに余裕があるときです。日付が変わってZAZENBOYSの新譜『らんど』がリリースされた。前作から12年。この12年の間に音楽を聴く環境はすっかり変わってしまい、この『らんど』もリリースされた瞬間にSpotifyで聴いている。聴きこんでLIVEに行きたいな。
■2024/1/24 水曜日。通勤しながらU-NEXT、MyFFF短編『ふたりは姉妹』を見る。この短編アニメもいいアイデアでした。お昼はマクドナルドにてマックチキンのセット。ドリンクはキャラメルラテで。U-NEXT『特殊作戦部隊:ライオネス』E3を見る。マーティン・ドノヴァン出てきた。ちなみにこのお昼休みに会社の周辺でGoogle mapの撮影車とすれ違った。そのうちmapで僕の姿が確認できるだろうか。DAZN(docomo)の強烈な値上げのお知らせがきてしまった。これはさすがに解約だなぁ。僕はFC東京の試合のために契約してたんですけど月4試合ぐらいのために3000円は出せないよ。帰宅してからそのDAZNでサッカーアジア杯 日本×インドネシア戦を見る。ワクワクするスタメンでしたがそれほどうまくいかず。決勝トーナメントで持ち直してほしい。音源を1本編集。日付変更と同時にジョニー・トー監督の舞台挨拶回チケ取り。これが意外にもあっさり取れた。キャパが大きいからかな。まぁ良かった。寒いので布団をかぶって録画の『相棒』を見ようとしたけど5分ぐらいで寝てた。もう横になった時点で寝ちゃう。
■2024/1/25 木曜日。通勤中にU-NEXT、MyFFFの短編アニメ『ダンスの中に』を見る。お昼はCoCo壱にてグランド・マザー・カレー(一辛)。久々のグラマ。スプーンのくじはハズレ。12時半に発売となったジョニー・トーのもう1作品も問題なくGET。土曜はジョニー・トー映画のハシゴだ。仕事終わって帰宅してからU-NEXT『特殊作戦部隊:ライオネス』E4を見る。そしてMCTOS『マエストロ:その音楽と愛と』回に参加。いやぁ散歩しながらMCTOSには寒い季節になってきましたね。平塚さんの知識が凄すぎるのでnoteに書いていただけると嬉しいです。Netflix『エレクション 黒社会』を見る。徐々に香港映画モードに突入。
■2024/1/26 金曜日。通勤中にU-NEXT、MyFFFの短編『女と犬』を見る。午前中はMeetingで終わる。お昼はマクドナルド。そろそろ販売が終わりそうなゴジラバーガーなので肉厚ビーフ&ザク切りポテトを食べようとしたらこれだけもう販売が終わっていた。不覚。。しょうがないのでまだ試していなかった焦がしにんにく醤油ソースでナゲットを食べる。これはガツンとくるソースだ。仕事終わりで新宿へ。移動しながらApple TV+『マスターズ・オブ・ザ・エアー』E1を見る。昔ながら『〜ジ・エアー』って表記だったでしょうね。武蔵野館で『白日青春-生きてこそ-』観賞。上映前舞台挨拶にアンソニー・ウォン!また武蔵野館にきてくれて嬉しい。香港映画好きおばさん達にまぎれてかけつけました。きっとジョニー・トーも東京にきてるだろうから一緒に飲みに行ったのかな。帰宅してやや頭痛があったので早めに寝る。
■2024/1/27 土曜日。僕だけ早起きしていざ新宿へ。移動しながらU-NEXT、MyFFFの短編『アトミックチキン』を見る。ジョニー・トー 漢の絆セレクション『エグザイル/絆』と『エレクション-死の報復-』鑑賞@シネマート新宿。それぞれにジョニー・トー監督の舞台挨拶付き。生ジョニー・トーに感動してしまった。ジョニー・トー監督の映画をいつから観てるだろうか。たぶん2003年のフィルメックスで『PTU』を観てから東京で観れる作品はできるだけ観ようと追い続けている気がするんですけど、やっと生のジョニー・トーの姿を見られてとても嬉しかったです。帰りの電車でAmazon Prime Video『エクスパッツ ~異国でのリアルな日常~』E1を見る。なんとこれも香港の話だった。帰宅してからU-NEXT『あくなき挑戦 ジョニー・トーが見た映画の世界』を見る。U-NEXT『シャンドライの恋』を見る。もう僕モテメルマガの情報コーナーを仕上げてしまう。仕事が早いな、自分。録画してたドラマとかドキュメント72時間とかを見れるだけ見て寝る。
■2024/1/28 日曜日。娘は朝早めの時間から塾の試験に向かったようだ。僕はのんびり起きる。BSSTO『励ましの言葉』を見る。今年は積極的に短編映画も見ようとしているので無料で見れる短編はありがたい。自転車で昭島図書館へ行き本を借りたり返したり。ATMでお金をおろす。お昼を食べてから渋谷へ。移動中にApple TV+『マスターズ・オブ・ザ・エアー』E2を見る。なるべく通りたくない渋谷駅前スクランブル経由してタワレコへ。もうタワレコに行くのが久々ですけどZAZENBOYSが掲載されているbounceをもらう。ヒュートラ渋谷へ。未体験ゾーンの映画たち2024『アリバイ・ドット・コム2 ウェディング・ミッション』と『犬人間』鑑賞。未体験ゾーン作品は短いのでハシゴしても余裕ですね。帰宅してからWOWOWオンデマンド『ONODA 一万夜を超えて』を見る。Netflix『バッドランド・ハンターズ』を見る。
■2024/1/29 月曜日。娘は本日学校が休みとのこと。まぁゆっくり休んでください。通勤中にU-NEXT、MyFFFの短編『フェアプレー』を見る。お昼は丸亀製麺のかけ並とコロッケ。Amazon Prime Video「エクスパッツ ~異国でのリアルな日常~』E2を見る。仕事終わりで昭島へ。しまった、常備しているバタピーの補充を忘れてしまっていた。しょうがないのでセブンイレブンで高級なバタピーを購入。グラム価格で云えばヤオコーのバタピーの倍ぐらいしますよ。MOVIX昭島にて『哀れなるものたち』鑑賞。帰宅してからWOWOWオンデマンド『プアン/友だちと呼ばせて』を見る。
■2024/1/30 火曜日。基本的に耳が空いてる時間はだいたいradikoを聴いているんですが、今朝から急にバックグラウンド再生ができなくなったようだ。ちょっと調べてみたらアプリの位置情報を「常に許可」にしていないとバックグラウンド再生できなくなったらしい。云ってくれよ。通勤中にU-NEXT、MyFFFの短編『新凱旋門』を見る。お昼は丸亀製麺にて、牡蠣たまあんかけうどん並。仕事終わり、夕飯にからやまにて、カレーからあげのカレーうどん定食を食べる。カレーからあげが普通にうまい。あきらかに提供順間違えて待たされていたと思うけど許します。WOWOWオンデマンド『スター・トレック:ストレンジ・ニュー・ワールド』S2E2を見る。法廷もののすごい良いエピソードだ。U-NEXT『捜索者』を見る。日付変更と同時にル・シネマのバス・ドゥヴォス映画のチケ取り。チケット取れてホッとしたらもう眠い。冬は活動限界がすぐにきてしまう。バッテリーと同じであります。
■2024/1/31 水曜日。朝ウォーキング時に鴨をたくさん見れて嬉しい。体調不良で2日ほど仕事を休んでいた会社の先輩が在宅勤務で復帰。コロナもインフルも陰性で高熱だったらしい。なんかこういうのよく聞きますね。お昼はマクドナルドにてアイコンチキン ソルト&レモン。U-NEXT、MyFFFの短編『スピード』を見る。やや遅め時間になった中尾ちひろさんのカラオケツイキャスを見る。帰宅してからU-NEXT『特殊作戦部隊:ライオネス』E5を見る。DAZNでサッカーアジア杯のベスト16 日本×バーレーン戦を見る。ついに三苫登場。本調子じゃなくても違いを見せつけてくれた。そして久々にコヨイチの収録に参加。編集大変そうですが。配信お楽しみに。とゆうわけで1月も終わりなのですが、タランティーノ10作コンプ、『彼方のうた』杉田監督にQ&Aで質問できた、Poster Strangelove、『もののけ姫』、アンソニー・ウォン&ジョニー・トー、と映画関係のトピックがいきなり充実の1ヵ月でした。
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1月締め括り
なんか今月長くなかった?締め括りってどうやってたっけ?ってなる程度にはさ。
忙殺の片手間色々手を出していたような、新年というのは新しいこと��始めるのにはちょうどいいタイミングです。色々って?ほら、色々やったじゃん。
いつからか、毎年SNS上ではこの平沢進の年賀状で新年のごあいさつをしている。日々は地続き、だからこそ節目が大切です。
ブログ名を変えたらしいよ、「Recyclable」っつって。「1円にもならない時間の使い方」はここに書き記す全てにおいてあまりにそのまますぎる、かつ暫定のつもりでつけた名前なのでここいらでひとつ。まぁ悪くないんじゃないでしょうか、資源ごみ。
将棋指しは決着がつくと相手を否応なく圧し折ってしまうので勝負の初めに「お願いします」と挨拶をする。その実闘志に溢れているわけだけど、ゲームセンターの対戦台に100円を入れる心はそれに似ていると思う。
初詣というイベント、だいたい毎年三が日に浅草寺のライブカメラをみてウワアアアァァァアアアアァァアァってなるだけで満足していた。「神社にPS5のコントローラを持ち込んで祈念する」という真剣5おもしろ95の仕草でもなければ絶対行かない。5%でも真剣にやってる自分が恐ろしいよ。でもSF6ちゃんと上手くなりたいのは真剣だから、だからあんま怒んないでよ将門。
写真を用いないでひとつ書ききってみようという試みと、おそらく必要のない減量の試みの話。
実はひと月以上経過したこれを書いている時点でおよそ-2kgで表記上体脂肪およそ-2%ということで、実は記事中の皮算用に大体到達しているというオチ。見た目変わんない割りに随所で感じるパワー不足を思えば損しかないね。70kgくらいまでは全然増えてもらっていい。
一見必要ない試みではあるが自分主観の自分史においてはエポックメイキングを産みうる、こういう回り道がないと深みがでないんだよきっと。でも深みを出そうと思ってする回り道は本当に無駄な努力になってしまうよね、きっと。
このようにラーメンを食べていても体重は落ちるのです。
「自転車で秋葉原に行く道中でこのラーメンを食べて向かったりしたものです。」って話、本当に懐かしい、夜8時過ぎに面白そうな同人誌を見つけたら自転車こいで とらのあな 行ってたもんね。脂乗ってたなぁ当時の姉崎は、今あるかなそんなエネルギー。負けたくねぇな、勝負しようぜ。
私的イチオシラーメンということで紹介したところ、あるフォロワーも結構行っていたらしい。いやはや、おいしいラーメンは積極的に世に押し広めるべきだな、視野が広がるというか、思いがけずつながっていく楽しみがあるものな。
奇しくも170円くらいのビールと、300円くらいのビールという組み合わせになりました。単純比較でどちらが強い弱いという話ではなく、低コスト帯の強さと高コスト帯の強さの評価価値って変わってくるじゃない?「稲妻」と「約束された終焉エムラクール」どっちが強いの?と言われてもそれぞれ強いというだけの話、インスタントとクリーチャーだし。なんの話だって?MtGの話だよ。
やれることをしたまでよ、つってね。
深夜営業のファミレスがなくなってしまったことで居場所を失ってしまった人はいないのだろうか、澄んだ河川が無くなったことでめっきりホタルが見られなくなってしまうような寂寞を感じる。ホタルのように美しくはなかったかもしれないが。
でもまぁ人は人で上手くやるもんだよ、深夜のファミレスが無いなら家で過ごせばいいし、なんなら早く寝ればいいのだ。あるがままファミレスを享受せよ、「もしも」に後ろ髪を引かれることはない。だからこの部屋にへばりつく、いつまでたっても満たされない地縛霊みたいなファミレスへの未練はとっとと忘れて資源ごみの日に出してしまうのがいいんだよ。
そんな訳でそんな感じ、始めた覚えもないのに勝手に始まった今年に強がったりして、改めて本年もどうかお願いいたします。
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『ゴジラ-1.0』鑑賞後は、華やかなストロベリードリンク
皆さん こんにちは。
近くの結婚相談所 ハッピータイム桐生相生
婚活アドバイザーの金子です。
来年2024年には「ゴジラ」が誕生してから70年になるそうです。
日本で制作された実写版「ゴジラ」映画としては30作目、前作
からは7年ぶりの新作となる「ゴジラ-1.0」。早速観てきました。
1作目の公開日と同じ11月3日に上映開始としたそうです。
監督・脚本・VFXを担当したのは山崎貴さん。
ALWAYS 三丁目の夕日、永遠の0、海賊と呼ばれた男、ルパン三世
THE FIRST、アルキメデスの大戦 等を手掛けています。
主演の特攻隊の生き残り敷島浩一を演じるのは、妖怪大戦争、
るろうに剣心等に出演の神木隆之介さん。
ヒロインの大石典子を演じたのは、アルキメデスの大戦、シン・
仮面ライダーでもヒロインを演じた浜辺美波さん。
吉岡秀隆さん、佐々木蔵之介さん、安藤サクラさん、青木崇高さん
等が脇を固めます。

太平洋戦争の敗戦による深い爪痕が残る我が日本。
絶望や悲しみを乗り越え戦後復興に勤しむ人々を更なるどん底に
陥れたのは、アメリカの水爆実験の影響により誕生したゴジラの
日本襲来。
「無・ゼロから負・マイナスへ!」
連合国軍の指示により武装解除している日本。
ゴジラ襲撃に対し、日本を占領していたアメリカは、ソ連との兼
ね合いがあるため兵器の使用は出来ないから自国で対処しろとの
通達。果たして日本の人々はどのような手段でゴジラに立ち向か
うのか・・・・・?
前作「シン・ゴジラ」がとても優れた作品だったので、山崎貴
監督は、かなりのプレッシャーの中での制作となったのではない
かと思われますが、庵野さん樋口さんとはまた違った視点で
ゴジラ映画を構成し、「生」をテーマとしたと思われるストーリ
ーで、登場人物の心理描写も丁寧に描いた感動的な作品に仕上がっ
ていました。やはり「ゴジラ」映画は、ハリウッドの作品よりも
日本の作品の方が優秀だと思います。

ゴジラの造形も素晴らしく、例の音楽と共にゴジラが現れるシーン
には鳥肌が立ってしまいました。
VFXによる下からゴジラを見上げる映像やゴジラのアップ、ゴジラ
が青白い光を放ちながら下から上へと徐々に背びれを逆立て放射線
を口から吐き出すシーン等、迫力満点です。


「ゴジラ-1.0」鑑賞後に飲んだのは、クリスマスシーズンに向けて
スタバから新発売された紅白の色合いが華やかな
「ストロベリーメリークリーム フラペチーノ」
上部にはマスカルポーネ入りで、ほんのり酸味のあるホイップ
クリーム。ストロベリーパウダーとキラキラと輝くシルバー
シュガーが振りかけてあります。
バニラ風味のクリーミーなミルクと果肉入りのストロベリーソース
が相性抜群でした。
クリスマス第1弾との事なので、12月頃には第2弾もあるのかな。
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【レビュー】「答え合わせではない」というequality 丘田ミイ子

撮影:菅原康太
Q&ときたら、通常次にくるのはAである。しかしながら世に起こるあらゆる出来事や事象への問いかけに対していつも明確な答えがあるとは限らないのではないか。 そういった通常の形式や規範への疑い、問いかけそのものを問い直すような手つきで想像と思考を巡らすパフォーマンスを発表しているのが演出家・俳優の橋本清と批評家・ドラマトゥルクの山﨑健太によるユニットy/nである。ユニット名は「yes/noクエスチョンに由来し、二項対立や矛盾、答えに達する以前の状態を意味する」とあるが、5月にアトリエ春風舎で上演された『Q&Q』という新作パフォーマンスには、まさにそんなユニットの趣意が色濃く反映されていたと感じる。 テーマは、法律の定めるところ権利でも義務でもある「教育」。あらゆる規範に則って遂行される「教育」をまっさらなところから見つめ直すような試みには、かつて教育を受けた者としても、今まさに我が子に教育を受けさせている保護者としても強く興味を惹かれた。
教室を模した舞台上で公演は行われたのだが、その空間が箱庭的であったことがまず興味深かった。上部から「黒板らしきもの」がかけられており、床にはチョークで教室の木床を彷彿させるデザインが施されている。その空間にゲームのアイテムが点在するようにタバコとペットボトルの水とノート、吊るされたバナナと怪獣のフィギュアがあり、これらは折々の話から派生してある時は連動的に、またある時は皮肉的に使われる。劇場空間が黒であることもいっそう教室をバーチャルな趣に仕立てている。開場中から「黒板らしきもの」には日本国憲法第二十六条の文言が映し出されていた。 「黒板らしきもの」と書いたのには訳がある。これは黒板を模したスクリーンであり、そこにプロジェクターによって映し出された文言を見ている私も当然そう了承してその場にいたはずであった。しかし、ものの10分その空間に身を置くと、私の中では「教室の奥にかけられているのだから黒板である」という意識がすっかり固まってしまったようで、開演と同時にその文言が一気に消えた時に僅かな戸惑いすら覚えたのである。バーチャル的であるにもかかわらず、いや、だから��そかもしれないが、私はこの時点ですでに教室の住人、さらには「黒板を眺める側の椅子に座っているのだから」という前提で自らを“当然のように”生徒に見立てていたのだ。それは、あらゆる演劇が仕掛ける劇世界への没入とはまた違った手触りであり、自分の中に教室における一定の規範が刷り込まれていることを暗に気付かされるような瞬間でもあった。これには本作がレクチャーの体をとったパフォーマンスである、という情報も影響していたように思う。 y/nのパフォーマンスを観るのは今回が初めてのことであり、「レクチャー」と聞いてわずかに緊張してしまったのもまた事実であった。それは、誰でもない私が、誰に言われたわけでもなく、本作における作り手と観客の関係を、教室における教師と生徒のような関係に“自ずと”置換してしまったからだと思う。しかし、観劇を終えてみると、『Q&Q』という作品はそういった構造にはなっていなかった。作り手も観客も等しく“A=答えのない状態”で考えを巡らすこと。その手引きのような形で上演が執り行われていく様は全く新体験であり、これまで劇場で得たことのなかった発見と思考に導かれた。
黒板から憲法の文言が消え、舞台上に俳優の橋本清が現れる。開口一番いかにも教師然としたセリフを話すこともあり、この時点ではまだ前述した「客席に座る自分は生徒である」という刷り込みが抜けない。しかし、その後橋本は佇まいを変えて「というのが、中三になって最初の日、新しい担任が教室に入ってきて一番はじめに口にした挨拶の言葉でした」と本人として話を始めるのである。 そこからは、セリフめいたものがほとんど排された状態で橋本が「学校」や「教育」に関する話をする。話題が変わる前には「語り」といったいわば糊付け面が用意されており、その切り出しのどれもが私的な記憶であったこともまた、話をする/聞くという関係にフラットさをもたらしていると感じた。例えば、始業のベルについて。橋本の学校では始業ベルが非常ベルのような音をしており、最初は驚いたもののいつしか非常ベルが日常になったこと。または、あいうえお順で配置される席順について。「は」で始まる橋本の新学期が始まるのは、大抵黒板に向かって左辺りの席であったこと。そんな風に記憶に横たわる普遍的風景に紐づけるような形で話がされていくのであるが、通った学校が各々違うことを差し引いても、これらの「語り」は観客も類似した自身の記憶を追体験するような感触があり、まるで難しくも、堅苦しくもない。私自身がある種の思い込みをしていたからこそここで敢えて言っておきたいのだが、y/nのレクチャーパフォーマンスは、観客の一定の知識や素養のようなものを想定して作られてはいない。だから身構える必要もないのである。矢継ぎ早にただ話をしていくのではなく、話の継ぎ目で長めの間がとられていたり、件のベルが鳴ったりとその「余白」のような部分にも、本作が思考と想像のパフォーマンスであるということを知らされるような体感があった。

撮影:菅原康太
「教育」をさらにさらにと細分化/解体し、現行の「規範」に対し絶えずQ=問いかけを持ちながら話は進められるのであるが、私が最も興味深かったのは、現行の性教育に関する問いかけであった。 多くの校則に設けられている「不純異性交遊」の定義や学習指導要領における「生きる力」というコンセプトを紐解くところから話は極めて丁寧に進められるのだが、丁寧に紐解けば紐解くほどに、現行の教育におけるロジックの破綻、定義とそれが意味する事柄との間に生じるバグが詳らかになっていくのである。学習指導要領≒「生きる力」の中には「妊娠の経過は取り扱わない」といった「はどめ規定」なるものが存在すること。「妊娠の経過」=セックスを教えることを避けているにもかかわらず、「不純異性交遊」=セックスを禁止する校則があるという矛盾。細分化/解体したものが縫合できないとなった時、Q=問いかけは、実感のある疑いへと変幻する。私的な語りこそあれども、話の中には(おそらく意図して)作り手の主観はほとんど織り交ぜられてはいないにもかかわらず、話が進めば進むほど、歪みが鮮明になっていくのだ。現行の教育を闇雲に批判するのではなく、どこから矛盾が、破綻が、バグが生じているのかを分かりやすく伝えるといった点において、本作はやはり“レクチャー”、一人では辿り着けない“解説”がしっかり取り付けられたものであると痛感した。
本編終了後には「Q&A」の時間も設けられていた。しかし、ここでもまた作り手と観客は平等に思考を続ける立場にあった。平たく言うと、質問をする者がいて、それに対する答えを告げる回答者がいるといった関係ではなかったように思うのだ。���客の質問や意見や感想をもとに、作り手が創作の折にどんなことを思考し、想像したか。または、それらをもとに新たにその場で考えを巡らすといった、Aを定義しないQの時間であったように思う。挙手をしなくてもオンラインフォームから観客が参加できる仕組みも配慮を感じるもので、私は初めて上演後のイベントを意義深く感じた。演劇について書くことのある人間がこんなことを言ってはいかがなものかと思われるかもしれないが、私は演劇のアフタートーク的イベントに抵抗があった。もちろん、作品への理解を深める上で重要な機会であることは理解ができる。しかし、自分で噛み砕き、解釈する。想像し、思考する。そういった余韻を大切にしたいという気持ちや、作り手当人に作品に忍ばせた意図を聞いてしまうことで生まれるある種の「答え合わせ」感、その絶対性みたいなものが自分の感じた劇世界をさらってしまう怖さ、もう少し思い切って言うならば、多様性を阻む恐れすら感じていたのである。しかしそれは、誰でもなく私自身が作り手を能動体に観客を受動体に、ある種平等の立場ではないとどこかで定義してしまっていたからなのかもしれない。私自身が多様であることにブレーキをかけていたからなのかもしれない。『Q&Q』、その後の「Q&A」によって、私はそんな風にこれまで自分が知らぬうちに“当然”としてきたあらゆることに対しても疑いや気づきを手渡されたように感じた。無論、疑いも気づきも問いかけとそれを経た想像と思考なくしては生まれない、ということも含めて。 「答えはまだここにはありません」と予め言ってくれているy/nのようなパフォーマンスがあることは、今の世においてとても心強いことだと思う。「答えがない」ということは探すことが、考え、想像し続けることができるということだ。それも一人で、ではない。少なくとも劇場に行けば、二人の作り手がいる。数人の観客がいる。そして、その思考や想像は多様でいい、ということでもあるのではないだろうか。 『Q&Q』の問いと問いをつなぐ「&」はなんだろうと考えた時、それもやはり「問いかけ」なのではないだろうかと今思っている。そしてQ&の次にくるのがQである限り、舞台と客席は「=(equal)」で同等に結ばれる。どれだけのことを言うかではなく、どれだけのことを言わないか。どこまで「問い」そのものを問いかけ、答えを容易に合わさずいられるか。そうして膨大に積み上がったQについて、作り手と観客がともに想像し、思考をすること。当然とされている形式や当たり前のように扱われている規範に疑いを持つこと。その行為によって50分のパフォーマンスは劇場を出た後も日常の中で長く続いていく。だってQに対するAはまだここにもなく、そして一つでもないからだ。

撮影:菅原康太
丘田ミイ子 2011年よりライター活動をスタート。『Zipper』『リンネル』等の雑誌で主にカルチャーページを担当した後、2014年より演劇の取材を本格始動。『SPICE』、『ローチケ演劇宣言!』、『演劇最強論-ing』等で執筆。小説やエッセイの寄稿も行い、直近の掲載作に私小説『茶碗一杯の嘘』(『USO vol.2』収録)、『母と雀』(文芸思潮第16回エッセイ賞優秀賞受賞作)等。「CoRich舞台芸術まつり!」2023春審査員。。
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TEDにて
バスティアン・シェーファー:3Dプリンターで作るジャンボ・ジェット飛行機?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
デザイナーのバスティアン・シェーファーが、未来の航空機のすぐれたデザインを紹介します。その骨組みは、丈夫で柔軟性のある自然界の形と世の中のニーズから産まれました。
たっぷりの自然光を取り入れて、十分なスペースを有した航空機を想像してみてください。しかも、3Dプリンターから生み出された部品を使用しています。
この生み出された部品の性質によっては、さらに自身の重量を軽減することが可能になります。なぜかというと、比率的に見ると、飛行機は紙ヒコーキより軽いということが計算で導かれます。
鉄の塊の飛行機が、飛べるのか?という直観的な常識もデータによる事実には通用しません。
まず、最初に、飛行機は鉄でできているわけではなく、アルミ合金という金属が主体です。現在では炭素繊維による複合材料にバージョンアップしています。
なお、最初の飛行機は木と布でできていました(ライト兄弟の頃です)また、紙飛行機をジャンボジェット機と同程度の大きさに拡大すると1000トンほどの重さになります。
ジャンボジェット機は約300~400トンだから、紙ヒコーキのほうがずっと重いことになります。
つまり、離陸のときに飛び上がる力を与えることさえできれば、紙ヒコーキが飛ぶのと同様にジャンボジェット機が軽々と飛ぶことができます。
現在、一番大きい飛行機は、エアバスA380。かなり大きくて沢山の人々を運ぶことができます。先ほどお見せした海上飛行機とは、技術的にも完全に異なります。
私はエアバスとチームを組んで、もっと持続可能な未来の航空機の姿を創造しています。私たちにとって持続可能性を考慮するのは、社会的にとても大切ですが同時に、環境や経済価値も重要です。
そこで、私たちは、自然界に見られる骨や骨格のデザインを模倣したとても斬新な構造を考案しました。そんなわけで、少し奇抜な外観になりました。
ものづくりの構造に携わっている方は、特にそう思われるかもしれません。でも、少なくとも様々な未来の可能性について模索するための一案になります。
そこで考えたのが、最新のマン・マシン・インターフェースを航空機に搭載して、一つの製品にすることでした。最先端の技術と乗客のニーズを統合しました。機材に関しては、合成生物学の利用も考えられます。
機体を設計する際の重要なポイントは、構造です。ですから、これから機体の構造に組み込めるような新素材がどんどん出てくるでしょう。
まずは、現在の様子からご覧いただきます。これはA380に見られる取り付け用の金具。とても重いですし、旧式の設計基準を 遵守しています。こちらは、同じ目的で使う部品ですが骨の構造を利用しています。
設計方法が全く異なります。旧式は、1.2キロで新式は0.6キロです。ですから、3Dプリントと新しい設計基準によって機体の重量を減らすことができます。
このアイデアを掘り下げてみましょう。自然界では、構造やその構成要素はどのように作られるのでしょうか?自然界は、とても賢いですから、全情報を小さな塊に集約してしまいます。
DNAです。そこから、より大きな骨格が形成されます。全情報はDNAに集約されているので、ボトムアップの手法が取られています。
それが、トップダウンの手法と結合しているわけです。私たちが普段やっているとおり、筋肉や骨を鍛えることで強化されていきます。テクノロジーにも同じ手法を適用できます。
例えば、機体には、カーボンナノチューブを使用しますが、これが大きなつなぎ目のない機体の骨格になります。具体的に、ご覧いただきましょう。3Dプリンターの中でカーボンナノチューブが成長していく姿をご想像ください。
これをプラスチックのマトリックスに埋め込んで部品にかかる力に対して強化されます。莫大な本数があるので、これを何本もまとめて最適な形態にすることができます。
つまり、電気やデータを仲介できる構造や基礎構造が作れます。そして、これを素材にトップダウンの手法でより大きな部品を組み立てることができます。
では、未来の飛行機を見てみましょう。未来の乗客の体型に合わせて座席が変形します。異なる人体測定に適応します。機内には社交の場があり、バーチャルゴルフなんかができるでしょう。
最後に、機体の生体工学の構造は、透明のバイオポリマーの膜で覆われていて飛行機の未来像を根本から変えてしまうことでしょう。
ナノテクノロジーは、物質をナノメートル (nm)の領域すなわち原子や分子のスケールで、自在にコントロールする技術のことである。
この技術によって、原子や分子の一個一個を単独でつまみ上げ、移動し、築き上げ���ことも可能になっています。現在は、新素材やコンピューターのCPUの製造過程で現実に応用されています。
電子回路のトランジスタは、だいたい数十nm程度の大きさで、カーボンナノチューブなども同様です。物質を数ナノメートルの大きさにすると、量子効果と呼ばれる特殊な現象が発現する。
例えば、電子の閉じこめによるエネルギー準位の離散化があらわれる大きさや、トンネル効果など。量子力学を応用することでコントロールが可能になっています。
その他の応用として・・・
音速旅客機、スーパーソニック輸送機(Supersonic transport)は、音速の速度で飛行し、旅客や貨物を輸送する航空機。
ツポレフTu-144やコンコルドが商業飛行を行っていたが、生活環境に影響を与えてしまうことからTu-144は1978年までに、コンコルドは2003年に商業飛行を停止しています。
地上では、ハイパーループ輸送という次世代の音速輸送システムを計画しています。これは、古くからある考え方で通信テクノロジーの進歩とムーアの法則によるCPUの処理速度の向上。
もう一つ、アルテミス計画について・・・
NASAが計画している有人による月での活動計画。古代ギリシャ神話で登場する月の女神と同じ名前で名付けられている。アポロの双子。
これは、アポロ計画以来の壮大な計画で、最速で2024年までに、月面にアメリカの宇宙飛行士を着陸させる計画。月を周回する宇宙ステーション「Gateway」を新しく建造。
そして、月面基地、月面車(LTV)などのモビリティーシステムなどが整備される予定。
この計画には、SpaceX、Blue Origin、Sierra Nevada、Ceres Roboticsなど11社がすでに激烈な入札競争の上で受注している。
このアルテミス計画は大きく3つのミッションからなっている。
アルテミス I は、無人による計画で、スペース・ロンチ・システム(SLS)ロケットとOrion宇宙船を地球から月へ輸送するためのテストだ。26日から42日のミッション期間をかけて行われる予定。
地球から打ち上げ後、月を周回する宇宙ステーション「Gateway」を経由して月面に着陸する。「Gateway」から地球に戻ります。
アルテミス Ⅱ は、アルテミス I を有人にする計画で、ミッション期間10日の予定。
アルテミス Ⅲ は、アルテミス Ⅱ の計画後の月周回プラットフォーム「Gateway」の機能アップの整備などを経て、2024年までに、宇宙飛行士を月面に着陸させる。
2028年までに月面基地の建設を開始する。そして、この月面基地を起点として、火星への輸送計画も視野に入れている。
月を周回する宇宙ステーション「Gateway」とは、正式には「月軌道プラットフォーム・ゲートウェイ(Lunar Orbital Platform-Gateway)」と今のところ呼ばれている。
国際宇宙ステーション(ISS)のように、モジュールを複数回に分けて月に材料を打ち上げ、月を回る軌道上でランデブーさせてドッキングさせることで建造する。
そして、有人月探査の中継地点として、また深宇宙で宇宙飛行士が長期間滞在する訓練施設として、さらに有人火星飛行に向けた土台にもなるという、壮大な計画である。
月を周回する宇宙ステーション「Gateway」の建造は2022年から始まり、最初に、「電力・推進要素(Power and Propulsion Element:PPE)」が打ち上げられる。ロケットは、SpaceXなどの民間のロケットを使うことが予定されている。
SpaceXは「Gateway」への補給のため「Dragon XL」という新型の無人補給船を開発するとしている。同社は、ISS(国際宇宙ステーション)へ補給を補給する無人補給船「Dragon」を開発、運用しており、その技術やノウハウをもとに、さらに発展させた補給船になるとしている。
「Dragon XL」は、自動でドッキングができるNASAドッキング・システムをもち、従来の無人補給船「Dragon」とは異なり、地球への帰還は想定されていないため帰還カプセルはない。
打ち上げには、「Falcon Heavy」を使う。
「電力・推進要素(Power and Propulsion Element:PPE)」とは、巨大な太陽電池で、月を周回する宇宙ステーション「Gateway」の電力を自前で作り出し、また、電気推進エンジンを搭載し、軌道変更などを行うことを目的としている。開発はNASAが行う。ドッキングの起点。
その後、2024年に、「エスプリ(ESPRIT):ヨーロッパのESAが開発」とUS利用モジュール。国際パートナー居住区をドッキング。さらに、2025年にはUS居住区を、そして、2026年には、多目的モジュールを打ち上げ、これを次々とドッキングさせ、ゲートウェイは完成する。
月を周回する宇宙ステーション「Gateway」の建造の前に、「NRHO」と呼ばれる、特殊な月周回軌道へ探査機を2021年に投入する予定。運用した例がない最初の事例のため、その実現可能性や運用上の課題などを探るため、NASAは超小型衛星「CAPSTONE(キャプストーン)」を送り込むことになった。
2022年11月16日。
ついに打ち上げ成功です。現実に、これから月に行きます。
アルテミス1は、無人のテスト飛行でデータを収集して有人の成功確率をさらに上げます。
先端に搭載されてるオリオン宇宙船は今回、月を周回する「DRO(Distant Retrograde Orbit)」と呼ばれる軌道に投入されます。
月のDRO周回軌道では、少ない燃料で安定した状態を維持することができます。
これは、先行して打ち上げた超小型衛星「CAPSTONE(キャプストーン)」探査機でわかったためです。
飛行6日目(11月21日)に、オリオン宇宙船は月のDRO周回軌道への移行を開始します。
飛行10日目(11月25日)に、月面に最接近したのち、月の引力を利用して月のDRO周回軌道へ入ることになります。
現実に・・・
月の周回軌道を周る中で地球から272,514.9マイル離れた場所に到達しました。
これはアポロ13以来、有人宇宙船規格設計された中で最も遠い距離を通過した新記録です。
飛行16日目(12月1日)に、月のDRO周回軌道を離脱。
飛行20日目(12月5日)には、再び月面に接近し
適切なタイミングでサービスモジュールのエンジンを再点火して月の重力を利用しつつ地球へ向いました。
飛行26日目(12月11日)に、地球の大気圏に再突入し、パラシュートを使って降下していき太平洋へ着水。
回収されたデータは、アルテミス2の有人飛行に活用されます。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
(個人的なアイデア)
他の条約アイデアとして
もし、仮定として、各国が、地球や月の周回軌道で軍事衝突を起こすなら、核兵器並みの危機が、人類に降り注ぎ滅亡する危険性があるため
太陽などの恒星近くでのみ戦いを可能にする各国合意の許可性と言う条約アイデアがひらめいた!
もし、戦いの後に残骸がでても太陽に吸収され思う存分戦えるし、太陽に吸収されて地球に被害はないかもしれない。
<おすすめサイト>
グウィン・ショットウェル: 30分で地球を半周するSpaceXの旅行プラン
スカイラー・ティビッツ: 世界を変える4Dプリンティング
アンソニー・アタラ:臓器の培養という発明
リサ・ハルーニ:3Dプリント入門
Voltera: Your Circuit Board Prototyping Machine
MoonRay - World’s Best Desktop DLP 3D Printer
リサ・ニップ:宇宙での生存に備えて人類が進化する方法
ネリ・オックスマン:テクノロジーとバイオロジーを融合したデザイン
<提供>
東京都��区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
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