#歩行訓練
Explore tagged Tumblr posts
shikasapo-site · 4 days ago
Text
地域を結ぶ、しかさぽ流モビリティ支援
(地域福祉・支援者向け) 「必要な人に、必要な支援を、必要な場所へ届ける」 これは私たちしかさぽが掲げる支援の基本です。ですが、交通の便が悪かったり、施設が遠かったりすることで、支援が届かないままの方も少なくありません。 そこで登場するのが、キャントタスを活用した“移動式訓練室”。車内は広く、個別訓練やICT支援も安心して実施でき、さらに地元のボランティアとの連携拠点としても活用可能です。 地域で暮らす視覚障害のある方が、支援とつながり、社会とつながり直す「動く居場所」として、キャントタスは今、注目されています。 地域に根ざした支援こそ、もっとも信頼され、必要とされる支援。 その実現のために、動き出しています。 イメージ画像です。
Tumblr media
View On WordPress
0 notes
lastscenecom · 2 years ago
Quote
夜退屈を感じたときに冷蔵庫をあさるのではなく、散歩に行くのです。 研究によると、意志の力だけで引き金に抵抗しようとするよりも、置き換える習慣のほうが成功率が高いことがわかっています。 置換すると神経経路が再訓練され、新しい報酬が提供されます。
How to Build a Habit Lab: A Guide to Scientifically Re-engineering Your Behaviour | by Joan Westenberg | Medium
313 notes · View notes
simamamoru · 1 year ago
Text
戦闘服の男たちNo.0
現職自衛官の告白体験手記
「遠くで突撃喇叭が」
原題「遠くでラッパが」
作  島 守
Tumblr media
新隊員の便所はノリだらけ
 朝五時、起床まであと一時間である。いやあ、変な夢を見た���んだなと思って、ギンギンになっているセガレに手をのばすと、ああ、やっちゃった。まったくしょうのない奴だぜ、昨日センズリかいたばっかりだろうが!
畜生!今起きると、となりのベッドの奴が目をさましてカッコ悪いし、しょうがネーな、起床で戦闘服に着替える時にでも一緒に履きかえるか。
 それにしても新隊員は外出が制限されてるせいで、夜なんかとても遊びに行けないし、極度に欲求不満の日々が読いている。
雄臭い野郎を見るだけならここは本当にいい所だけれど、それ以上のことはちと不可能。けっきょく、夜、誰もいないトイレにはいってシコシコ激しくセンズリをカクしかないのだ。風呂で見たガッチリしたオアニイさんや、カワユイ隊員たちがチラチラ浮かんできたりする。
 でも終わってみると、やっぱりむなしいな。なんか小便とたいしてかわりないみたいで。それでもけっこうさかんなようすで、この間も班長から、
「新隊員の便所はノリだらけでたまらん!」
なんて怒られてしまった。マア、ノリは冗談としても、エロマンガのちぎれたのや、ビニ本なんかが時々モロ、トイレにおきっぱなしになってたりする。金があれば普通の隊員はトルコにでも行くんだろうけど、そこはまだペイペイの新隊員、月給は少ないし、貯金はしろとうるさいし、とてもとても…
 それでも、あけっぴろげな男だけの世界。
「これからセンズリ行くゾー」
と、エロ本片手に走って行く奴もいる。
 そんでもって自分もけっきょくその日のタ方、バラしてしまうのだった。
「昨日の夜、爆発しちまったでェー」
「いやー、エッチだなあ。勝見二士がいないからじゃないのォー」
 前期の教育隊から一緒に来た北村二士にいうと、思わぬ返事が返ってきた。まいったなあ。
「このヤロォー、勝見と俺はそんなに深い仲でネェゾ!」
「エへへへ、でも勝見二士は、島二士のダッチワイフだったんじゃないのォー」
 まったく北村の野郎、口のへらない奴だ。
まっ、べつに勝見二土はダッチワイフだなんてのは冗談だからいいけど、でも俺は、やっぱりドッキン!そう、あいつはいい奴だったもんな。この俺に、男と男が精神的に強く結ばれることがどんなに素晴らしいことか数えてくれたから・・・•・・ネ。
 それは3ヶ月前
 桜のつぼみがまだ硬い三月の下旬、俺は陸上自衛隊のある駐屯地に入隊した。出身県の関係で他の県の出身者より四日ほど遅い入隊だった。勝見二士とはこの時に初めて出会ったのである。
〈三月某日〉
 なかなかできてる奴
今日から俺の自衛隊員としての生活が始まる。まわりの環境は、想像していたのとそれほど変りはない。でも一部屋四十人というのは多すぎるようだ。
 それから自衛隊ではバディという仕組があって、二段ベッドの上下でペアを組み、訓練面や私生活でいくそうだ。
 俺のバディは勝見次郎。ガタイが良くてイモの煮っ転がしみたいな顔をした奴だが、なかなか性格はよさそうだ。
 この時はまだバディの重要さなんか知るよしもなかった。
 勝見二士は俺より年下だが、四日も早く入していただけあってちょっと先輩気取りで、ベッドのとり方から戦闘服のネームの縫い物まで俺に協力してやってくれた。早くもリードされっぱなし。それでもけっして悪い顔をしないで黙々と手伝ってくれる彼を見て、
「なかなかできてる奴だワイ」
と内心思ったものである。
<四月某日>
ビニ本でぬいて来い
 入隊式も終わり、訓練も徐々に本格的になってきた。銃こそまだ持たされていないが、戦闘服を着て半長靴をはいて走り回るさまは、一人前の兵隊さん・・・・・なんちゃって。
 そんな時、体育の時間に勝見の野郎がすっころんでけがをした。運動神経いいくせにまったくそそっかしい奴だ。おかげでその晩、俺がヨーチン片手に手当てしてやる。 
 両足おさえつけて、ヨーチンをぬるさまはSの気分。ムフフフと不敵に笑って、「グチェッ!」とぬってやる。勝見の奴たまりかねて、「ギャアー!」
 苦痛にゆがんだ顔って、ちょっとエロチックやなアー。
 
 四月にはいっても外出は下旬にならないとできない。新隊員とはつらいもんである。ああ、自衛隊には自由なんてない!これでは縛られるのが好きなMじゃなきゃ向かないんじゃないだろうか。そんなわけで貴重な休みも隊舎のベッドでゴロゴロ、これじゃ夜寝られるワケがない。
 消燈もとっくに過ぎた十二時半、なんとなく昼間寝すぎたので寝つけない。緑色の毛布の中でごそっと寝返りを打つと、上のベッドでもごそっと寝返りを打ったようだ。安物のベッドがグラッとくる。これじゃセンズリかいてようもんなら、片っぽのベッドの奴は地震かと思って起きちまうだろうななんて思ってると、
「オイ、島さん寝たかい?」
と、勝見が小さな声で話しかけてきた。
「なーんか、こうムラムラして寝られネェんだョオ」
と俺。すると、
「島さん、最近やってないんでしょ、アレを」
「まっ、まあな」
と、二人はムクッとベッドから起き上がて話を始めた。まったく目がさえてしかたいない。すると、その時へやの戸があいて、だれかがはいってきた。なんと班付(つまり上官)の上田士長である。よーく見ると、片手にビニ本を持っている。
「お前ら、まだ起きとるんか」
「エエ、寝られないんですヨ」
と勝見二士。すると上田士長、恥ずかし気もなく片手でもってるビニ本二冊を差し出すと、
「これでちょっとぬいてこい、そうすればバッチリ寝られるゾ。俺も抜いて来た」
 思わず俺と見、顔を見合わせてニヤリ、もちろん俺はあんまりビニ本には興味はないが、そこはノンケの顔をしていなければならないのがツライところ。
 ともかく、俺と勝見の二人はビニ本片手に仲よくトイレに直行。そこで二人は同じ個室に••••••てなわけにはいかなくって別々の目室に。ハイ、でも、ガマン!
「オッ、スケニ本だぜ、もうビンピンだァ」
「タマンネニナー。でもあんまりおっきな声だすなァ、不寝番がびっくりして飛んでくるゾォー」
 なんてことを話しながら、お互いに実況中継をし合う。洋式トイレなのですわってカケるのでらくなのだ。となりの個室からのすっとんきょうな声がとだえた。奴も本気になってきたようだ。こっちがたまんなくなるようなあえぎ声が聞こえてくる。思わず俺の手の動きも早くなる……。
 すると、突然奴の声、
「ウッ!ウッーウ」
 畜生、俺より早く終わりやがったな。
奴の家は海辺の町で漁師をやっている。中学、高校と、よくアルバイトを兼ねて家の手伝いをしたそうだ。そのためか潮で鍛えられた体は浅黒く、区隊で誰にもまけないくらいの逞しさを持っている。そんな奴から海の話を聞くのが俺も好きで、いろいろと聞いたものだった。サザエの採り方なんか、実に詳しく話をしてくれたもんだった。
<5月某日>
好きになったのかな?
 知らないというのは恐ろしい。いつものように勝見二土から海の話を聞いていた俺は、なにげなく聞いてしまった。
「じゃ、なんで家の仕事を継がなかったんだい?」
「親父が許してくれなかったんだよ」
「どーして?」
「・・・・・・兄貴が海で死んだからさ••・・生きてれば二十七歳さ。よく晴れてベタなぎの海にもぐったきり、サザエ採りにネ、兄貴、上がってこなかった」
 淡々と話し続ける奴は、やっぱりいつもと違っていた。
「やっぱり親は親なんだな。二人も海で死なせたくはないんだろうな。いくら俺がねばってもだめだった。今の俺なんて、丘に上がったカッパさ・・・・・・・」
と、彼は言う。いやいや、丘に上がったカッパなんてとんでもない。奴の体力は区隊のトップをいつも争っている。俺だって気力じや負けないつもりだが、やっぱり体力検定だとかではっきり数字に出されると、どうも一歩も二歩もゆずってしまう。
「漁仲間の人から最近よく言われるんだ、兄貴に似てるって」
 彼はこう最後に明るく付け加えた。なんか、この話を聞いているうちに、自分が奴に引かれていることに気がついてきた。なんとなく奴のことを、俺は他の班員とは違う目で見ているということに・・・・・・。
 俺、奴のこと好きになったのかな?
まだ五月の下旬だというのに、真夏のような暑さが続く。そんな太陽の下での戦闘訓練は、まだ自衛官として一人前の体力を持ち合わせてない俺たちには、とてもキツイ。 
 たかが4.3kgの小銃が自分の体じゅうの汗を吸いまくる。気がつくと小銃から滴がしたたるほどに汗でぬれている。 
 地面だってこんな間近に見つめることなんてあったろうか。地にふせた俺の目の前にあるのは、青々とした草が高々と繁っている姿と、小さな虫たちの世界だった。
 一瞬、自分が虫けらになったような気がする。ふと隣を見ると、3メートルほど離れて奴がこっちを見てニヤリとした。埃にまみれた顔から白い歯がチラリとのぞく。ほんの数秒の間の静けさが何時間にも感じる。
Tumblr media
 すると突然、頭上で班長の大声が響く!
「目標、前方の敵!」
「突撃!前へ!」
 銃をかまえると全力で走りだす。核の時代にこんなことが役に立つのだろうか、もうバカになるしかないな。班長の号令が頭の中を素通りして直接手足に伝ってゆく。俺も奴も、そして愛すべき仲間たちも、死ぬ時はみんな一緒・・・・・なんだろうな。
<六月某日>
レイプごっこ
 3ヶ月の前期教育も大詰めをむかえてきた。今月の末には、俺も奴もバラバラになって全国の部隊のどこかの駐屯地に配属されることになるだろう。なんか、そう思うと、とてもせつない。でも、俺と奴は違う道をたどらなければならない。希望も適性も違うから。だからあと数週間、思いっきり悔いのないようにガンバッテいく。それが今の俺たちには一番なの
だ。
 営内近は1班12名前後いる。学校の教室の約2倍ほどの大きさの部屋に、実に40人の隊員が詰め込まれ、2段ベッドで毎日の訓練生活を送っている。もちろん性格もさまざまであるが、そんな隊員たちが40人も一つの部屋にいる姿は、なんとも壮観で異様でもある。しかも全員、スポーツ刈りか坊頭で、体格もこの六月ごろになると個人差こそあれ、すっかり逞しくなってくる。
 その中にはやっぱり俺以外にも、男が好きな奴がいるらしい。時々どっかからか、〇〇二土と二士が二人でトイレにはいって行くのを見たなんて話を耳にすることがある。
 うまいことやってるなあなんて思うけど、やっぱり毎日寝起きしている仲間の前ではなかなか、そんなことできるワケがない。それでもよく俺たち二人は皆の前で冗談を飛ばし合う。
「オッ、いいケツしてんなあー、たまんねえぜ!」
「バーカ、今夜はもう予約ズミダヨ」
「ベッドあんまりゆらしてこわすなヨ。下で俺が寝られネェからヨ」
「じゃペーパー貸してやっから、センズリでもかいてきな!」
 なんてやり合ってると、周りの仲間も悪乗りしてきて、なにがなんだかわからないうちにレイプごっこ(つまり解剖というやつ)が始まったりする。どんなバカ力の持ち主でも二十人ぐらいにせめられたんじゃ手も足もでない。アッというまにスッポンポン。一回やられるとくせになるみたいで、次の獲物をさかす。でも気がつくと、一番必死でやってるのは俺みたい。
<六月中旬某日>
こみ上げてくるような話
 今日から前期教育で最初で最後の野営(泊まりがけの野外訓練)が始まった。
 午前中に寝泊まりするテントを設営する。
 午後からは小銃手用の掩体(一種の個人用の隠れ穴…ここに隠れて首と銃だけ出して、敵を狙う)を掘った。
 1グループ6人で3時間ほどで仕上げなければいけない。
 もっぱら俺は現場監督のように地面に穴を掘る設計図を引く。そして奴は、パワーショベルのようなバカカで他の仲間四人とともに穴を掘る。もちろんきっかり時間内に仕上がった。
 野営で俺たちが使うテントは、二人用の小さなもので、朝起きてみると足が外に出ていた、なんてことがしょっちゅうある。もちろん奴、勝見二士と一緒である。
一日めの夜は夜間訓練もあり、ビールも一本入ったので、二人はろくに話しもしないで寝てしまった。
 二日の夜、目が冴えて眠れない。久しぶりに奴と俺はいろんな話しをした。酔うと滑舌になる勝見。入隊する前の事や、これからのこと、もちろん女の話しだって出てくる。俺は当然聞き手に回るわけだが、それでも奴は初体験の話や、彼女にふられてしまったことを、こっちが感心するほど克明に話してくれた。
なんかこみ上げてくるようなものも感じるけれど、それは明日の厳しい訓練にとかして流してしまおう。
 三日めは、昼間の行軍が災いして床についたら、またまた、あっという間に寝てしまった。それでも就寝前、点呼に来る班長が、
「お前ら、あんまりいちゃつくなよ!」
「いやーあ、昨日なんて島さんが寝かしてくれないんスよ。まいったなあ」
なーんて冗談も飛ばしてくれて、言葉の中だけど、楽しませてくれた。
<前期教育終了7日前>
愛すべきパワーショベル
 今日は最後の体育だ。項目はなんと苦手の障害走。外見に似合わず(?)体力のちと足りない俺には恐怖の時間である。だが、今回はなんと二人でペアになってやれというのである。当然勝見二土と組むことになる。よし、やるぞ!
 隊長の合図でスタートし、戦闘服姿で障害物を切りぬけていく。高さニメートルの垂直の壁あり、幅一・五メートルの溝あり、まったくとんでもないコースだ。やっぱり勝見の奴は早い。確実に障害をこなしてゆく。時々日に焼けた顔でこっちをふり向く。そうだ、奴がいるから今俺は、三カ月間ここまできたんだ、汗と埃は今、大きなエネルギーと変わって俺たちに吸い込まれてゆく。奴が好きだ、そう、心の中で叫んでやる、
「好きだ」と。
 ふと気がつくと、目の前にロープが下がっていた。最後の難関のロープ登りである。畜生!俺が最も苦手とするやつだ。それでも登らなければならない。一段階一段階と手足を使って登るのだが、なかなか上へ進まない。
 畜生!もうだめだ、あと五十センチでロープのフックに手が届くに・・。すると、そ畜生!もうだめだ、あと五十センチでロープのフックに手が届くのに…。
 すると、その時である。足をなにか、すごい力で下からさ押れた。グーッと上に上がる。フ、フックに手が届いた。やったあ!思わず下を見る。そう、俺の足の下には勝見のこぶしがあった。奴は満身の力で、俺を下から押し上げてくれたのである。
この野郎!お前はやっぱりパワーショベルなんだなあ。
<前期教育終了6日前>
 自衛隊部隊はラッパの音と共に、毎朝8時に国旗掲揚、夕方5時に国旗降納がある。
 俺の前に整列している奴の後ろ姿の敬礼を見るのもあと数回しかない。教育終了後に別の部隊に進む事に決まったからだ。
 日に焼けたうなじを目に対み込んでおこうと思う。毎日、一緒に行く食事も別れが近いせいか会話が少なくなったような気がする。
 そろそろ身辺の整理を始める。ダンボールに荷物をつめる時、背中に後ろで見ている奴の視線がやけに気になる。
Tumblr media
<前期教育終了4日前>
 パンツの隙間から半立ちのものが…
 教育打ち上げの研修旅行で、ある山奥の温泉に行った。
 やはり百名近い短髪の青年集団というのは一般の人々に奇異に見えるようで、必ず「お仕事は何ですか」なんて聞かれる。もちろん醜態をさらす飲み会に制服なんて着ていくワケがないから、わからないのは無理もない。
「皆さんお若いですネ。今年入社したのですか?」
「ハアー、そうです」
「いい体している人ばかりですけど、どんな仕事ですか」
「まあー(モゴモゴモゴ)」
「ガードマンかなんかですか?」
「似たようなもんですネ」
と、けっこうおもしろがって遠回しに話をするんだけど、後ろから当然、
「島二土!」
なんて階級で呼ばれるもんだから、わけ知りの人にはバレちゃう。そしてその夜ー。
 バカ騒ぎのうちに飲み会も終わり、各班ごとにひっそりと部屋に集まって二次会が始まる。ビールの本数が増えるに従って、歌が出る。かわるがわる歌う員の歌声をバックにして、俺も奴も仲間たちも、この三カ月間の訓練をいろいろ思い出していた。苦しかったことしか浮かんでこない。
でも、俺たちはその中で同期愛ということを学んだ。
 いつのまにかみんな寝てしまっていた。もう外は白みかかっている。
 突然、俺の寝ている毛布に奴が割り込んできた。肌がふれ合う。奴の匂いがする。すぐいびきかく。でも、なんとなく手が出せない。チラリと下を見る。パンツのすき間から、奴の半立ちしたものが見える。そういえば、いつか俺も言われたっけなあ。
「島さん、立ったチンポぐらいしまって寝てろよナ。思わずさわりたくなるだろが!」 
 奴が不寝番をやっていた時見られてしまったようだ。まったく助平な奴だと思った。でも俺のほうが助平だったりして。
「俺、眠ってる時って何されてもわかんねえんだよなあ」
と奴がカマをかけてくる。
「バーカ、もうやっちゃったヨ。でも1万円のダッチワイフのほうが気持ちよかったぜ」
と俺。してやられたというような奴の顔。
 そんなこと思い出しながらいいチャンスの中、俺も寝てしまった。
<前期教育終了日>
 再会をめざして頑張ろう
 とうとう、今日という日が来てしまった。
 俺も奴も違う部隊へ行ってしまう。場所も離れているので、顔も見られなくなるかもしれない。両手で握手をして別れた。
 遠くでいラッパが鳴っている。戻は出なかったが、心で泣いてしまった。ありがとう、リスの目をしたパワーショベル、勝見次郎よ。日に洗けて埃にまみれながら走り続けた道を、ふり返りながら前を行く。奴だから、今日まで.....。
そして今…
 新隊員後期教育が始まって1ヶ月半。前期教育から一緒に教育を受けている北村二士が手紙を見せてくれた。勝見二士と同じ部隊に行った高田二士からだった。
<あ、そうそう、この間の手紙に島さんが夢精したって書いてあったネ。あの文、勝見二士に見せたら、「まいったなあー」って口ではいってたけど、ニヤニヤしてたぜ。島さんに会いたいって伝えといてくれとのこと>
 俺も奴に会いたい。こんど会うのはいつのことだろうか。
「士、別れて三日を経たるは刮目して待つべし」
お互い、目をみはる再会をめざして頑張ろうじゃないか。人は出合いと別れを通じて成長するのだから。
 そして後日談…2024年
 題名「遠くで突撃喇叭が」は第二書房が付けた題名。
 原題は「遠くでラッパが」である。今どき戦闘訓練で突撃喇叭なぞ吹かない。この時代の薔薇族には戦記物を書ける文字通り百戦錬磨の先輩がたくさんいたから仕方ないが、俺の指したラッパの音は毎日部隊で鳴らされる国旗掲揚、国旗降納のラッパである。
 勝見二士(仮称)は俺が見込んだとおり自衛隊員募集パンフレットの表紙を飾った。
残念ながら2任期(4年)で退職。
再会は果たせなかかった…親父の後を継いで海に出たそうだ。
新隊員当時の写真。小説に出てくる面々。
Tumblr media
 その他の隊員と再会したのは地下鉄サリン事件。不幸な事件であったが、それぞれが一線で任務についていた頼もしさを感じた。
 もちろん俺も新隊員の教育をする先任陸曹になった。
 その後俺も2等陸曹で依願退職。約15年の自衛隊生活を終了。鳶職となり予備自衛官で約10年、1曹まで務めた。
 2024年現在、自衛隊に残った同期たちは全て定年退官している。
 俺を薔薇族、さぶに引っ張ってくれた木村べん氏も他界された。
 読んでもらって分かる通り、肉体関係は無くとも男同士の愛情はある事への感動を自衛隊で得ることができた。
 職務上死の覚悟を要求される世界。
 その感動をセックス描写のない小説でも構わないからと木村べん氏に書いてみないかと言われて作ったのがこの作品。
 べん氏に銃を持つ手ではイラストは描けなくなると言われて、好きなメカ画も共同で作品表紙等で書かせていただいた。もちろん最初で最後。ben &tetsuは勉&(鳶)徹って言うこと。
 文中漢数字が多いのは縦書きの影響。
Tumblr media
「遠くで突撃喇叭が」掲載誌表紙
もう一つ参考にしてさせていただいた本。
1974年芥川賞受賞作品「草のつるぎ」
実はエロ度こちらの方が数段上。戦闘訓練の打ち上げで全員でセンズリこくシーンがある。実話だからノーカットなんだろう。
Tumblr media
70 notes · View notes
blr-blue · 13 days ago
Text
 どこの小説サイトにもなじめないって気持ちがずっとどこかにある。べつにサイトを変えたからといって自分の小説が広く読まれることはないのだろうなと思うけど、マッチングの問題だよなと思う。
 いつだってわたしはかの昔栄えていたモバスペブックに想いを馳せる。自分はあそこで小説を書きたかったなと思うけど、当時はあまりに幼かったし拙かったからむりだった。やっとまともに書けるようになったと思ったら、もうすでにモバスペは廃墟になっている。どこにも行けないかなしみをずっと抱えている。
 今いる読者を大切にすることが一番だとわかっているから自分のブランドを大事にしていきたいけれどたまにやるせなくなる。一丁前に文章にこだわって、自分なりの技術みたいなものは積み上げてきたからこそ今の自分がいるけれど、どんなにどんなに磨きあげても前が見えないからなんだかずっと霧の中を歩いてるみたいだ。この霧はぜんぜん晴れてくれない。
 吐くほどに好きな作家の方が数名だけいて、その方たちの文章を見るとほんとうに涙が出る。ひとつひとつの文字がきらめきを放っている。その方々の文章がすごく好き。だけどいずれの方も今は活動されていなかったり、ゆっくりゆっくりと書いていくタイプだったりする。だがぜんぜんそれでも構わない。その方々の文章を何度も何度も反芻しては、良いなって思っている。その作家さんが書いた文章そのものに価値があるから、連載途中の小説だって何年も待てるし、もう文字を書かれなくなった方に関しては、何度も読んだその方の文章を、定期的に読みにいっている。その人にとっては搾りかすみたいな文章でも、わたしにとっては宝物なのだ。
 自分はそういう文字を書けるようになるのだろうか。
 磨いても磨いてもずっと手探りだから、たまにわからなくなる。だけどわたしも価値創出をしたい。だれかの目から見て、わたしの文章から雨露みたいな何かを感じ取り、あわよくばそれに救われたり絶望したりしてほしいとかいう傲慢なことばかり考える。暴力的でいいし侵襲性があってもいいから、そこまでの強さを持った文字が書きたいなと思う。
 文章産出においては努力ばかりが重視されているけど、正直わたしは、学力と同じで、文章創出にもある程度の特性というか、努力ではどうにもならない天の領域があると思う。才能といったらわかりやすい。
 スポーツだってそうでしょう。生まれつき、鉄棒の逆上がりがかんたんにできてしまうタイプの人と、そうでない人がいる。それと同じで、文章産出においても、生まれつき読みやすい文章を書ける人もいれば、それが難しい人もいると思う。若くして素晴らしい文章を書く人もいれば、自分より歳上のはずなのになんだこの文章は、という感じのものを書く人もいる。それって天の領域というか、なんかこう、生まれついたもののような気がするんだよね。
 だけど文章においては努力で賄える割合がとても大きいと思う。悪文家でも、ある程度の訓練でそれなりの文章を書くことができると思う。わたしはそれでいえば生来あまり文章を書くのが得意ではなくて、大学の学部時代はレポートの点数がはちゃめちゃに低かったし、今でも気をつけないと主述が対応してい��いみたいなあり得ないミスをする。だけど小説を書いて、自分の文章のだめなところを徹底的につぶす方向に舵を切ってからは、ある程度、まずまずといったモノを書けるようになったかもなとは思う。だけど、元々じょうずな人はそんな努力を軽々と飛び越えていく。かみさまが定めるスタートラインが違うのかも、とか考えてはいつも絶望する。
 ずっと文がうまくなりたいなと考えてしまうがあまり、創作の楽しさを失いそうで、実はそっちの方がこわいなとも思う。悪文だろうが何だろうが、好きなように書いて長続きする方がいいに決まってる。勝手に自分に対するハードルを上げて苦しんでいるのは自分自身だ。「すこしずつ」を「すこしづつ」と何も知らずに歴史的仮名遣いで書く作家をわたしは心底軽蔑してるし、そういう作家はとことん避けているし、そうはなりたくないと思っているけど、べつにそれを責める理由ってなくて、究極的にはそれでも楽しく趣味として続くのだったらそれでOKなんだよな。結局はどこまで自分を許せるかって話だから。その辺をもっとラフに考えて、書きたいように書くのが一番なんだよ。わたしに足りないのはそういう気持ちだと思う。
 だけど、やっぱり、うまくなりたい。という感じで、思考はループしていく。悩みながらも書いていくよ、わたしって多分そういう星の下に生まれついてるから。いつか才能に見せかけた努力で文章からきらめきを放てるようにしたいよね〜〜今日もがんばろ〜っと
 
11 notes · View notes
ynyn416 · 3 months ago
Text
2025/03/21(金)
Tumblr media Tumblr media
初めて行った。日本や韓国の芸能人とかアーティストもたくさん来た写真やサイン飾ってた。
普通に美味しかったけど、個人的にはリピートは無しかなぁ。
Nちゃんと4ヶ月ぶりに会った。楽しかった。
相変わらず尊敬する。
賢くて性格いいな〜って思った。
友達が頑張ってるのを見ると、私も頑張らないとなと思えた。
Nちゃんとは看護師辞めてから少し行った職業訓練校で知り合ったから、友達歴は3年くらい?年に2、3回くらい会う友達。
お互い少し共通の話題があるから、会う時にはお互いマイペースにお話ができる感じ。会う回数が少ないのもあって、お互いそんなにめちゃめちゃリラックス出来る砕けた関係ではないと思うけど、でも徐々に仲良くなっていってる気がする。笑
お互いそんな友達と会うタイプじゃないから、そんなお互いが時々会う友達。笑
このくらいでいいのよねぇ🍵('ω')
Tumblr media
今日はめっっっっっちゃ歩いた。疲れた。眠過ぎる。おやすみなさい😪💤
11 notes · View notes
kennak · 8 months ago
Quote
自衛隊の幹部を養成する防衛大学校についてお伝えします。防衛大学校で繰り返されていたのは、上級生による指導の域を越えた“いじめ”です。被害を受けた1年生が撮影した映像に写っていたのは… 自衛隊の幹部養成学校で何が? 真っ暗な部屋。 ドアの外から「出てこい!」という怒鳴り声が響きます。 「出てこーい!」「出てこーい!」「出てこーい!」 この映像が撮影されたのは、防衛大学校の中。 一体何が起きていたのでしょうか? 神奈川県・横須賀市にある防衛大学校。防衛大臣直轄で、幹部自衛官を養成するために4学年、約2000人が学んでいます。 学生といっても、立場は特別職の国家公務員。学費はかからず、月給やボーナスも支払われます。 学生は4年間を寮で過ごします。朝6時起床。原則1年生から4年生の各学年2人ずつ、8人1部屋で暮らすことになっています。 2023年4月の入校式。整列する新入生の前で、一糸乱れぬ行進を見せるのが上級生です。 「(新入生は)この時、歩けないので横で見ている」 「外から見ていたら、かっこいいんですけど」 こう話すのは、2023年、まさにこの入校式のときに防衛大に入った男性と母親です。 元防衛大生の母親 「これが合格通知。飛び跳ねて喜んだ。制服を着ている姿は自慢に思っていた」 男性は同期の仲間にも恵まれ、勉強や訓練も順調にこなしていました。 しかし、寮生活での上級生からの“指導”は厳しく、とてもつらかったと話します。 元防衛大生 「部屋に内線がある。なるべく早く出ないといけない。1年生は走って電話を取りにいかないと(上級生に)怒られる。部屋に呼び出すか廊下に呼び出されて、時間が無くなって、ご飯を食べに行けない人がいたり、風呂に入りに行けない人がいる」 そして、自分は特に上級生たちに目をつけられていて、指導ではなく、もはや“いじめ”と言うべき状態だったと訴えます。 元防衛大生 「罵声だったりとか扉を叩かれたりとか、夜中に自分がいる部屋の内線にいたずら電話がかかってきて寝られない」 Q.この場を逃げたいとか、考えはめぐらなかった? 元防衛大生 「めぐるが、それをすると同学年の人たちに迷惑がかかってしまう。『お前たちの同期が逃げ出したぞ』と、また厳しくなったり連鎖がある」 2023年11月、男性は不眠や食欲不振が続いているとして、適応障害と��断されました。 「出てこい!」という怒鳴り声は、部屋に1人でいた男性に向けられたものでした。 このとき、男性は教官に相談し、8人部屋から個室に移されていました。 扉の外にいたのは複数の上級生とみられています。 元防衛大生 「朝起きて清掃の時間がある。その時間にドアを叩いて走って逃げていく。水撒かれたのか、部屋の入り口が水浸しになっていた」 適応障害と診断された後も続いた上級生たちの行為。 当時、男性には4年生からこんなメッセージが送られてきました。 4年生から送られたメッセージ 「お前がなにもしてないのに給料をもらってるのがまじで納得いかない」 「おれはお前みたいなやつを男として絶対認めねぇ」 母親は男性から送られてきたこの映像を見て・・・ 元防衛大生の母親 「衝撃しか無かった。手も震えたし涙も出てきたし。心を病んでいる人に対して、ドアを叩いたり、罵声を浴びせたり、追い込むことしかしていない」 母親は息子を自宅に帰らせる決断をしました。 この映像を見た教官も驚いた様子だったといいます。 元防衛大生の母 「『こんなに酷いことが起きてるんですね』と言われた。『これは防衛大では当たり前の話か』と聞いたら『そうではありません』と言われた」 男性と母親は、防衛大側の対応にも不信感を募らせ、男性は自宅療養を続けたまま、2024年3月に退校しました。 なぜ繰り返される 防衛大の“いじめ” 防衛大では、過去にも「上級生による指導」と称した深刻ないじめが起きています。 2013年に入校した男性が、上級生らに体毛を燃やされたり、殴られたりしたなどとして訴えを起こしました。 この裁判では、上級生ら7人に賠償が命じられた他、実態を把握せず、適切な指導をしなかったなどと、防衛大側の責任も認められました。 自衛隊の実態に詳しい弁護士は、防衛大特有の上下関係が背景にあると話します。 自衛隊の人権問題に詳しい 佐藤博文弁護士 「学生の中にも、現場の自衛隊の組織と同じように、隊長・副隊長からヒエラルキーが完全にできている」 今回、JNNは防衛大の学生に対する過去10年間の懲戒処分の内訳を情報公開請求し、独自に集計しました。 内容は「パワハラ」や「私的制裁」など多岐にわたります。 全体の傾向として、4年生が処分されるケースが明らかに多いことがわかりました。中には、全体の60%近くが4年生だった年もありました。 佐藤弁護士は、立場の強い4年生が問題を起こしやすい実態がわかると指摘します。 自衛隊の人権問題に詳しい 佐藤博文弁護士 「教官とか学校も、そこにメスを入れない。ポツポツ出てくる様々な事案に、とにかく個別的に対応してるだけ。根本にある仕組みについてメスを入れない」 黒塗りの“指導記録”「異常としか言えない」 防衛大を退校した男性の母親は、入校してから間もない頃に息子からもらった手紙を今でも大切に保管しています。 入校直後に書かれた手紙 「やはり家での食事や洗濯のありがたみをひしひしと感じます」 「洗濯は何年前のものかわからない古い洗濯機を使っているので、本当に綺麗になっているかわかりません」 元防衛大生の母親 「『この子らしいな』と思った。こういう手紙を読み返すと、すごく残念だという気持ちが込み上げてくる。せっかく楽しんで行けていたのに、なんで潰されないといけなかったのか」 退校後、男性は防衛大側が上級生たちにどう対応したのか知るための手がかりになればと、自分への指導記録を開示請求しました。 しかし、そのほとんどが黒塗りでした。 自衛隊の人権問題に詳しい 佐藤博文弁護士 「異常としか言いようがない。本人に関わることなどは、本人が『明らかにしてくれ』と言っているのだから、秘密にする理由は全くない」 防衛大は取材に対し… 防衛大 「学生の懲戒処分については原則として公表しておりません」 このため、JNNに開示された資料を分析したところ、映像が撮影された2023年11月29日に暴言などを行ったとして、4年生6人が停学1日や戒告の処分をされていました。 この6人が罵声を浴びせるなどしていた加害者とみられます。 元防衛大生 「あの環境で毎日過ごしていたら、感覚が狂ってくる。その立場(幹部)に将来なる人たちが、ああいうことをしているのかと思うと、将来の自衛隊そのものに信用を置けなくなってしまう」 ========== 防衛大の在籍中に適応障害となり、退校した男性が「上級生からいじめを受けた」と訴えている問題について、木原防衛大臣が20日の閣議後の会見で、「ハラスメントを許容しない環境を構築する」などと述べました。会見の質疑応答をTBS NEWS DIGのYouTubeにアップしています。
上級生が激しくドアを叩き…「おい!出てこい!」 防衛大の元学生“いじめ”の訴え 適応障害で退校 幹部自衛官養成の現場で何が【調査報道】 | TBS NEWS DIG (1ページ)
14 notes · View notes
dropoutsurf · 1 year ago
Quote
本書では、懲戒する/しないの判断基準を示している。 第一の基準:「意図的な違反には厳しく、意図しないエラーは寛容に」。 第二の基準:誠実な勤務態度。 第三の基準:公正性。
「ミスを罰する」より効果的にミスを減らす『失敗ゼロからの脱却』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
罰則,規律,ルール,運用,組織設計, レジリエンスエンジニアリング, ヒヤリハット , ハインリッヒの法則 ,ヒューマンエラー,システム,怠惰,ミス,集中力,故意,悪意,判例,
---
一つの事例が、2001年に起きた旅客機のニアミス事故だ。羽田発のJAL907便と、韓国発のJAL958便が駿河湾上空でニアミスを起こしたもの。幸いにも死者は無かったものの、多数の重軽傷者が出ており、一歩間違えれば航空史上最悪の結果を招いた可能性もあった。
事故の原因は航空管制官による「便名の言い間違い」にあるとし、指示をした管制官と訓練生の2名が刑事事件に問われることになる。裁判は最高裁まで行われ、最終的には2名とも有罪となり、失職する。判決文に��うある。
そもそも、被告人両名が航空管制官として緊張感をもって、意識を集中して仕事をしていれば、起こり得なかった事態である。
ニアミスが起きた原因を、2名の管制官のせいにした最高裁の裁判官は、その判断基準を、「国民の常識」に照らしたそうな。 本書を読む限り、この裁判こそが、ヒューマンエラーの事例に見える。
12 notes · View notes
quiye · 24 days ago
Text
高取山近辺 断片的な記憶
思ったより移動に時間がかかり、駐車場についたのが12時。これから登るのはスタートが遅い。でも仕方がない。 準備を簡単にする。何年か前に買ったポストペットの日焼け止めをやっと使い切る。登山に際して少しでも軽くしようとビニールのパッケージを外し、SPF情報は手で書き直したもので少し思い入れがある。塗った後にタイヤの下に入れるように日焼け止めを置いた。
下っていくとハイキング帰りの人が見える。こんな時間に駐車場から登山装備で出てきた私のことをどういう目で見るのか。気にしても仕方がない。目を合わさずにすれ違う。
今日は携帯のアプリで見るオフライン地図がない。最近のYAMAPは地図のダウンロード制限が厳しく、無料会員ではここぞというときにしか地図が使えない。 しかし、低山でGPSに頼っていては仕方がない。これは訓練だ。
道祖神で分岐する。地元の老人会が作ったという手書きの地図を念のため写真に収めておく。 舗装された道を登るが、ときどき蜘蛛の糸の感触を顔や手に感じる。これが残っているということはあまり登山者がいないのかもしれない。1m程度のヘビが自分の前をゆっくり横切るのを待つ。
聖峰にはすぐ着いた。四人組のパーティが二つのテーブルを使っていた。一人がタバコを吸っていて、ライターを落としたので拾って渡した。右の二の腕に大きな蜘蛛の巣のタトゥーが入っていた。
何人かの左手の薬指に指輪をしているのが見える。自分が育った家では誰も指輪をつけていなかった。
Tumblr media
四人組が去り、私が単眼鏡でスカイツリーを探していると上の方から中高年の二人組が下ってきた。一人はゲイターを足に巻き、もう一人は長ズボンの裾を靴下に入れていた。明らかにヒル対策と思われるため、ヒルが出るのか聞いた。道は選ぶと思うが、それなりに出るらしい。塩を持参しているから大丈夫だ、と答えた。
---
二匹の蝶々が飛んでいる。お互いを追いかけるようにくるくると回転している。 どちらかが求愛していて、それをかわそうともう一匹が逃げているようにも見える。 蝶々がムードをどのようにとらえているかはわからないが、そんなことに時間とエネルギーをつかわずにさっさと交尾すればよいのにと思った。 けれどその直後に自分の考えが甘いことを恥じた。おそらく、愛を証明しろということなのだ。さっさと逃げられて、それで諦めるような相手であれば、そこまでだったということだ。時間とエネルギーを愛の証明に使わずして、一体何に使うというのか?
---
梅の風味ののど飴を口に入れる。最適な登山ペースというのはギリギリ口の呼吸をしない程度であると前本で読んだ。 飴をなめている間は口で呼吸することが難しいのでペース管理に役立つ。 放っておくとすぐにペースがあがり、結果バテることになる。自分のことは自分が一番知らない。
高取山山頂はすぐだった。木の間から少しだけ大山方向が見える。大山の中腹に雲がかかっている。ほのぼのとした絵本のような山。先ほどの四人組とまた会った。会うのが二回目になると挨拶をするのは野暮だ。疲れていないので休まずそのまま大山方面の尾根を進む。 ちょっとだけ歩くと林道に出るはずで、今日はそこまでは見ておきたかった。いつかこの林道から大山に上ることができれば、自分の歩いた道筋で大山山頂までをつなぐことができる。
ゆるやかな下りの途中、草むらにタヌキがいた。こちらに気づくと逃げた。逃げる速度はシカや猿よりも遅かった。本気で走れば追いつくだろう、という速度。 小熊だったらどうしようか、親が来てもどうすることもできないが、ちょっとだけ気を張った。そのあとすれ違った人には「クマに襲われたらすみません」と心の中で謝った。
山ではすれ違う人には挨拶をすることが一般的だ。ただ、すべてのひとが挨拶を徹底しているわけではない。挨拶されたら返す、というスタンスの人も一定いる。 相手が挨拶を返すことができない、すれ違うギリギリで声をかけることを置き挨拶と心の中で呼んでいる。
目的の不動越までついたので引き返す。
---
今日はコミティアがあった。私にはコミティアで買いたい本があったが、行くつもりはなかった。大学のころはサークルで同人誌を��り、発布したことがあった。私はいま本や漫画を描いたりしていない。 せめてと思い久しぶりに日記を書こうとこの時に決めた。
---
また高取山に戻ってきた。ここからは一旦南に向かって下る。 緩やかで走りやすい道なので軽く走りながら下山する。5分ほど下りて、妙に日差しが明るくなって町に近づいていることに違和感を覚える。秦野の街が見える。方向が違う。 地図アプリで現在地を見る。尾根を間違えて真西に下りていた。 このまま下りても駐車場にはたどり着くことができない。 仕方なく来た道を引き返すことにした。走って下りた道を登り返すのは本当に馬鹿らしい。軽快に下りたことを心底後悔する。 自分の信じる宗教によっては、これは神が与えた試練であると考えることもできるだろう。 それについて私は、自分の都合のために神を利用するということだろうかと考えた。これも機会と考え、単にトレーニングとして活用すればよい。 いや、起きた事象を自分の何らかに利用するという考えが愚かであると感じた。 「せずにすめばよいのですが」。これは筆耕人バートルビーの象徴的なセリフだ。 全てのこと、すべての選択に対して、イエスでもノーでもなく、オルタナティブな態度を貫く。それこそ私たちがなすべきことではないか。バートルビーであれば今どう考えるか?そのように利用されることも快く思わないだろう。思い上がりなのだ。 院生の時に私にバートルビーを教えてくれたあの人は、今も神戸にいるのだろうか。
Tumblr media
空の色が反射して枯れ葉が青く光る��ラジオで聞いた「煩悩即菩提」という言葉を思い出す。 煩悩があっても悟りに至ることができる。むしろ、煩悩がなければ悟りに至ることはできない、という説明だった。 煩悩を知ってこそ、煩悩の輪郭を知ることができ、そこから脱することができる、と解釈はできる。しかし、これは慈悲の言葉にも見える。煩悩があろうが正しく生きることが大事なのだ、まだ引き返せる、がんばれ、みたいな。 それはどうなんだろうか。煩悩を知らずとも悟りに至ることは理論上可能だろう。 煩悩を利用して悟りに至る。すべてのものを利用するという態度が気に食わない。 理由はなく、すべてのものがそこにある。ただ一切は過ぎていきます。
また、高取山の頂上に着く。居た人と会話する。私の経路のことを話すが、全然話が通じない。高取山に一度ついてから別の尾根を2回下りて登って、という人は少ないはずだし、意味が分からない。 親切なことに「昼下りのジョニー」という名前のヒル避けスプレーを貸していただけた。靴にかけるのが下手くそで無駄に何度も使ってしまい、心から申し訳なく思った。
ここからはそのまま帰っても面白くないので正しく南下して弘法山方面に向かうことにした。 17時に駐車場が閉められるが、まだ余裕はあるはずだ。
---
行きの車では「サカナクション山口一郎のナイトフィッシングRadio」の録音を聞いた。 ジッタリン・ジンの特集で、ドライで明るい感じが心地よかった。 「君がいた夏はとおい夢の中 空に消えてった打ち上げ花火」。 そんなことがあったか?と自分の昔を思い出す。
---
ざっくりした緩やかな下りで、スピードを上げやすい。 多少衝撃があったほうが骨にも良いだろうと雑に駆け下りていく。
昨日の夜、若干寒気を感じた。風邪を恐れているので葛根湯を飲み、肌着を一枚増やし、ズボンの上にさらにズボンを履いて寝た。 朝は特に風邪っぽさはなかった。でも不安はあった。 登山することで自分が風邪でないことが逆説的に証明できると考え、そのために今自分が山にいる。そんなストーリーを一瞬、後付けで理由として考えた。
---
亡くなった犬のことを思い出す。 僕らには忘れないことぐらいしかできない。
---
ちょっときつい急登を登る。木の根を探してそこを頼りに登っていく。 頂上からは東に下りることができるが、南下して弘法山方面に向かう。
大昔、山を切り開いて作った切通しのあとがある。 その道端に頭が石で置き換えられた地蔵が二体いる。
---
来る途中、後ろの車が前方のGEOに入店するために一時的に対向車線に入り、右折して駐車場に入るところを見た。その際、右折のタイミングを間違えたのかサイドスカートを縁石にぶつけ、周囲に大きな音を立てていた。縁石にはこすったパーツの跡が見えた。
森を一人で歩いているとこういう、よくわからない事を何度も思い出す。 登山の良さは何なのか。圏外になって誰とも繋がれない時に自分の暮らし、過去、将来などから距離をとって考えることができるのが魅力だと思う。それができれば頂上は必要ない。
---
あなたが私の本をわざと返していないことを知っている。
---
すでに16時が近く、時間的な余裕、体力的な余裕、足が壊れないことの保証(最近アキレス腱の調子が若干よくない)もないので、弘法山までは行かずに、246のトンネルの上付近で東に下ることにした。 吾妻山の頂上でミックスナッツと水分を補給した。見晴らしはいいが、標高が低く建物が縦方向に圧縮されてあまり見栄えが良くない。
勢いで下山する。だがこれで終わりではない。駐車場まで戻るのだ。駐車場まではあと2kmある。しかも登りだ。 公共交通機関の登山と自家用車の登山は訳が違う。何があっても必ず車に戻るのだ。行きて帰りし物語なのだ。
Tumblr media
施錠30分前に駐車場についた。学生が一人、吹奏楽の練習をしていた。 混んでないはずなのになぜ私の車の横に車が止まっているのか、気にはなったがタイヤの下の空になった日焼け止めを回収して、靴を履き替え、服を着替え、ドライブスルーができる店を手早く探し、車に乗って帰った。
2025-06-01
2 notes · View notes
umprns · 1 month ago
Text
5/16
この一週間は、起床してすぐに家を出て授業を受けて帰宅して寝るという生活を送っていたので、紙の日記もtumblrも書く余裕がなかった。人間は忘れる生き物で、書いて記録していないと、今この心の動きがあったことすら忘れてしまう、と私は思っている。忘れてしまいたくて、書かない、という選択肢をとることもあるが、やっぱり私は私自身の心の機敏を何かに固定しておきたいという欲がある。それが書くことであると思う。書くことで言葉の外に落ち込んだ概念をそぎ落としてしまうのではないか、と不安に思うこともあるが、言葉が持つ雰囲気だったりに助けられて、案外そのような心配は必要ない。言葉の寛容さを信じ、己の気力体力と戦いながら、これからも書き続けていきたい。
tumblrを書かないで3週間ほど経ってしまった。この間にいろいろなことがあり、人生が目まぐるしく動いている。
ひとつめはラブリーサマーちゃんのライブに行ったこと。あんなに自分に歌いかけられていると錯覚してしまうようなライブは初めてだった。言葉ってベーシックな表現方法だけれど、それが音楽に乗ると、あんなにも増幅されて伝えられるんだって感動した。
ふたつめは彼が下宿先に遊びに来てくれたこと。彼の前では子供っぽくなってしまう自分に反省しつつも、それを許して支えようとしてくれる彼の態度を目の当たりにして、私って別にしっかりしていることに価値があるわけじゃないんだな、と安心した。なにかとしっかりしていないと認められない環境下で育ってきたので、子供っぽくなってしまうことを綻びと捉えていたのだが、どうやら違うと信じていいみたいだった。それとは別に男女の育ってきた環境の違いにがっかりもしたけど、何もすべてのコミュニケーションで共感的態度を取らなくてもいいと思いなおした。ただ、私はすぐに怒りのコミュニケーションに走ってしまう癖があるので、譲歩的態度と進言的態度を織り交ぜた相手にも自分にもバランスの良いコミュニケーションをとっていく必要があると思った。
みっつめはてんやわんやの大学生活がなんだかんだ楽しいこと。座学・実験・実習に追われ、レポートや小テストもたくさんあるけれど、誰かと協力しながらひとつの目標に向かって行くことは、何にも代えがたい楽しさだなと思う。あと、とにかくPDCAを回す、ということを意識させられる職業訓練の場でもあるので、計画型人間になれそう。
よっつめは文学フリマに初めて売る側で参加したこと。現地に足を運ぶことは叶わなかったが、企画立案・制作・販売まで、姉と協力して一つの作品を作れたことは、とても楽しい経験だった。何人か知り合いの方も買ってくださったので、感想を聞けたら嬉しい。また何か出そうと思う。
最近は失敗しながらもリカバリーする、トライアンドエラーの繰り返しで、確実に自分が良くなっているという実感がある。人生においては必ずしも成長だとか改善にこだわらなくてもいいとは思っているけど、自分のスキル面に関しては向上心の固まりなので、最近の生活は心地いい。
3 notes · View notes
moko1590m · 1 month ago
Text
権威主義国家などで、優位な地位にある人間が下位者に対して、日頃パワハラ的な対応をつづけ、時々優しい対応を行うことで、効果的に支配を強化し優位性を強めようとすることがあります。そのようなやり方の具体例を、簡潔に、できるだけたくさん教えてください。
権威主義国家や組織で、優位な地位の者が下位者に対して日常的にパワーハラスメント的な対応を行い、時折優しい対応を織り交ぜることで支配を強化する手法は、「間欠的強化」や「ガスライティング」に似た心理操作の一種です。このやり方は、従属者の忠誠心や依存心を高め、反抗を抑える効果があります。以下に、簡潔に具体例を挙げます。
具体例 ・職場での高圧的指導と突然の称賛 上司が普段は部下を厳しく叱責・批判(「お前の仕事は遅い!」)し、ミスを過剰に指摘。だが、まれに「今回はよくやった」と褒めたり、食事をご馳走したりする。部下は褒められることを期待し、上司に逆らわず従順になる。 ・政治指導者の脅しと恩恵の付与 権威主義国家の指導者が、国民や部下に対し、監視や処罰の脅威を常にかける(例:「反逆者は厳罰に処す」)。しかし、特定の時期(例:祝日)に食料配給や恩赦を与え、「慈悲深い指導者」イメージを演出。国民は恩恵にすがり、支配を受け入れる。 ・軍隊や訓練機関での恐怖と優遇 軍の上官が新兵に過酷な訓練や罵倒を日常的に行い、恐怖で支配。一方で、特定の者にだけ休息時間や特別な���割を与え、「お前は優秀だ」と持ち上げる。新兵は上官の承認を得ようと忠誠を尽くす。 ・宗教的カルトの指導者による操作 カルト指導者が信者に厳しい規則や罰(例:長時間の労働、公開批判)を課す一方、突然「神の愛」を示すように個人的な贈り物や親密な対話を与える。信者は指導者の「愛」に依存し、脱退をためらう。 ・教育現場での支配的教員の行動 教師が生徒に高圧的な態度(例:大声で叱る、成績で差別)で接し、恐怖心を植え付ける。だが、特定の生徒にだけ「君は特別だ」と優しく指導したり、特別な役割(例:クラスのリーダー)を任せたりする。生徒は教師の機嫌を損ねないよう従う。 ・家庭内での支配者の態度 権威的な親が子供を日常的に批判・支配(「お前は役立たずだ」)。しかし、時折プレゼントを贈ったり、「お前を愛している」と優しく振る舞ったりする。子供は親の承認を得るため、反抗せず従順になる。 ・企業での経営者の心理操作 経営者が従業員に過重なノルマや長時間労働を強いる一方、突然ボーナスや昇進の機会を与える。「会社のおかげで成功した」と従業員に思わせ、忠誠心を植え付ける。 ・情報統制とプロパガンダの利用 権威主義政府が普段は言論統制や監視で国民を抑圧。だが、特定のタイミングで「国民のための改革」と称して一部の自由(例:インターネット制限の緩和)を与える。国民は小さな自由に感謝し、体制を支持する。 ・収容施設での管理者の対応 強制収容所の管理者が囚人に厳しい労働や暴力で接するが、まれに食事を増やしたり、家族との短い面会を許可したりする。囚人はわずかな優遇に希望を見出し、抵抗心が弱まる。 ・外交での脅迫と懐柔 権威主義国家の指導者が他国に対し、軍事威嚇や経済制裁をちらつかせて圧力をかける。だが、交渉の場で突然援助や協力の提案を持ち出す。他国は譲歩し、支配者の影響下に入る。
  補足 この手法は、心理学的に「予測不可能性」を利用し、支配される側に不安と期待を同時に抱かせることで効果を発揮します(例:スロットマシンのような間欠的強化)。 支配者は、恐怖で統制しつつ、優しさで「恩義」を感じさせ、反抗や離反を防ぎます。 権威主義国家では、金日成体制下の北朝鮮や、特定のカルト組織でこの手法が顕著に見られます。 もし特定の例(例:北朝鮮の具体例や企業内のケース)をさらに深掘りしたい、または心理学的なメカニズム(例:ストックホルム症候群との関連)を詳しく知りたい場合、教えてください!
より幅広い研究のためにDeepSearchを試してください Grokはどのようにお手伝いできますか?
DeepSearch
Think
Grok 3
2 notes · View notes
pudknocker · 10 months ago
Quote
戸塚は刑務所の看守を 「およそ法の概念から外れたとんでもないことをやっています」(p.41) 「人権という概念をしっかり勉強してもらいたいものです」(p.49) 「民主主義がわかっていない」(p.101) などと批判しているが、どれもこれも戸塚自身に最も当てはまることばかり。「お前が言うな」という突っ込み待ちのギャグではなく、当人は大真面目で言っているのである。訓練生の人権をさんざん踏みにじってきた男が、人権蹂躙される立場になるとニワカ人権派に早変わり。「建前は矯正教育ということですが、やってることは圧政です」(p.87)って、そりゃ戸塚ヨットスクールのことだろうよ。 このほか「甘やかされて育った連中は、成人になってからも反省の能力がついていない」「弱ったことに、『反省』という言葉を知らない人たちが多数いるのです」(p.171-172)とも、戸塚は書いている。自己紹介乙、と言う他ない。 また、戸塚は静岡刑務所で受けた扱いを「いじめ」(p.80)と呼んで糾弾しつつ、刑務所から離れた文脈では突如として宗旨を変え、 「いじめられると、怒り、悲しみ、不安、といった不快感が生じますが、その不快感が子どもを行動にかりたて、いじめられっ子を進歩させます」「いじめられた側は、いじめた側よりもずっと大きな利益を得るわけです」(p.173) 「常々私が言っていることのひとつに、『強いというのは正しい』という厳然たる法則があります。力というのは正義なのです」(p.182) と強者による弱者へのいじめを肯定している。おいおい、それなら静岡刑務所の看守からいじめてもらったことに感謝しろよ。力は正義なんだろ?
Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 静岡刑務所の三悪人
8 notes · View notes
shikasapo-site · 4 days ago
Text
災害時にも力を発揮。支援の“拠点車両”という発想
(行政・防災担当者向け) 近年増加する災害時、障害のある方、とくに視覚障害のある方は、避難所で孤立しがちです。支援が必要でも届かない。ICT機器の電源が切れてしまえば情報さえ入手できない。 こうした「支援の空白」を埋める一つの解決策が、キャントタスを活用した「移動式支援拠点車両」です。 この車両は、白杖歩行訓練やICT支援といった平時の訓練はもちろん、災害時には避難所や仮設住宅を巡回し、必要な情報を音声で伝えたり、スマホの初期設定やサポートをしたりと、現場型の支援を展開可能です。 行政の福祉部門と防災部門の連携によって、キャントタスは“備え”にも“対応”にも役立つ、ハイブリッドな資源になります。 今、こうした移動式訓練・支援拠点の整備を、地域防災の中に組み込む時期が来ています。 イメージ画像です。
Tumblr media
View On WordPress
0 notes
cordilleraintern · 2 months ago
Text
野鳥調査を通じたタジャン農家とインドネシア農家の交流プログラム 6・7日目
いよいよこのツアー最後のブログとなりました!
6日目
この日は丸1日かけて移動日!お世話になったステイ先のラヨグ・カントリー・ファームを出発し、まずはタジャン町からバギオ市へ5時間かけて移動し、またそこから4時間かけて240kmほど離れたザンバレス州にあるスービックへと向かいます。スービックに着いたのは夜の8時!次の日に行われるエコツアーに向けてゆっくり宿で休みました。
Tumblr media
*スービックは30年ほど前まで米軍基地があり、アメリカの影響を強く受けていた場所でもあります。
7日目
ホテルで朝食をとった後、早速エコツアーに参加しました。この地域に住む先住民のアエタ族の人たちに森の中を案内してもらいながら散策していきます。アエタ族はフィリピンに最初に渡来した民族と言われています。今回訪れた場所は元米軍スービック基地の中にあり、森の中で暮らす彼らの生存能力の高さから、当時はアメリカ軍に対してサバイバル訓練を行っていたそうです。そのためのトレーニングエリアとしてこの森が原生林のまま保存されることになったとのこと。とても興味深い話です。
Tumblr media
まずは、最初にウェルカムドリンクとしてバンブーティー、グヤバノ(サワーソップ)ティー、アヌナス(シュガーアップル)ティーをいただきました。どれもすっきりとした味わいで、特にアヌナスティーが美味しかったです。そのほかにも蒸したさつまいもとオーガニックの蜂蜜もおやつとしていただきました!これらの全てはこの森で採れたもので、彼らが持っている豊かな資源を感じることができました。
Tumblr media
*みんなでウェルカムドリンクを楽しんでいます。
ツアーが始まると、森林の中を歩きながら、薬草として使っている植物の解説や、竹を使った火の起こし方、竹筒でのお米の炊き方など、アエタの人たちの日々の暮らしの知恵をたくさん聞くことができます。特に竹を使った火起こしは、Klasik Beansのみんなもタジャンのコーヒー農家のみなさんも苦戦していたのですが、アエタの方はわずかな時間で火を起こしていて、さすがでした。
Tumblr media
*竹に切り込みを入れて摩擦で火を起こしている様子。
Tumblr media
*竹筒で炊いたご飯。ふっくら炊けていて、みんなでおいしく食べました!
Tumblr media
*シャンプーとして使われる木の樹液。化学的なものを持ち込まない森での暮らしを紹介してくれました。
ツアーの終盤には滝が流れているところで、水浴びをしました。たくさん歩いたあとの水浴びはとても気持ちよかったです。スタート地点に戻ってきたら、アエタの方が用意してくれた昼食をみんなでいただきました。
Tumblr media
*木の皮をすりつぶしてできた天然のハンドソープで手を洗っている様子。
このツアーはMAD Travelという社会的企業が企画しているもので、今回はこの団体のスタッフであるアンジュさんがガイドとして私たちを案内してくれました。アエタの人たちは主に移動焼畑や狩猟採集をして暮らしていた人たちで、タジャンの農家の人たちが住むコーディリエラ地方の先住民と同様に貨幣経済の影響を受け、生計手段も変化しています。
MAD Travelはフィリピンの様々な場所でコミュニティベースで行うエコツアーをコーディネートしていますが、アエタ族の森を訪ねるエコツアーは、そのうちの一つです。ツアー参加費は一人3500ペソ(8700円くらい)と高いですが、利益はツアーを手伝ってくれているアエタの人たちへの賃金、そしてそのコミュニティの植林活動の資金として使われるそうです。実際に2017年以降に、ザンバレス州にある山で6万2千本もの植林をしたそうで、エコツアーを通して持続可能なサイクルを生み出そうと取り組んでいます。ホームページを訪れるとより詳しいことが書かれているのでぜひ覗いてみてください!!
これでプロジェクトの全日程を終えました。タジャンの農家のみなさんはバギオを経由してタジャンへと帰り、私はKlasik Beansのみなさんをマニラの空港まで送りに行きました。1週間の滞在でしたが、別れる頃にはとっても寂しくなるほど、濃い時間を過ごしました。
Tumblr media
*アエタの方たちとタジャンの農家さん、Klasik Beans、CGNのみんなで集合写真。右下2番目の男性がMAD Travelのアンジュさん。
全体を通した感想
この1週間を通して、毎日新たな発見とたくさんの学び、刺激を受けてきました。日本にいた時は、コーヒーが作られる裏側なんて考えたこともなかったのですが、こんなにも農家の人たちの地道な努力が必要なのかと驚きと共に尊敬の気持ちでいっぱいになりました。日本はコーヒーの生産地ではないですが、コーヒーの消費量は多く、コンビニで簡単に安いコーヒーが飲めます。一方で最近では、「サスティナブル」、「エコ」、「オーガニック」などといった環境や社会への配慮も商品の価値をアピールする要素として重視され、消費者側には意識する人が増えてきましたが、何をもって持続可能なのか、環境にやさしいのかまだまだ曖昧な部分も多いです。
このプロジェクトは、「野鳥」を一つの指標としてコーヒーと環境を結ぶことで、どのようにマーケティングに生かすことができるかを考えるということがテーマですが、まずはコーヒー生産者の人たちにも野鳥の大切さを知ってもらうことから始まりました。Klasik Beansのみなさんは栽培からマーケティングまで自分たちで行っていて、パッケージに鳥のイラストを使うなど、コーヒーの品質、環境保全、マーケティングという3つの要素をどれ一つとしておろそかにすることなく、それぞれがつながることが重要だという認識をもって実践しています。
しかし、まだまだコーヒー農家として駆け出しのタジャンの農家の人々は、コーヒーの栽培に関しても、その後の加工やマーケティング、そして味のクオリティについても学んでいる最中です。自分たちの環境を守ることがコーヒーの味や値段をよくすることにつながると、今回の交流プログラムで知ってもらえたのではないかなと思います。
また、コーヒーを飲むのが大好きな人には、サガダで行ったようなコーヒーファームツアーの需要があったり、アエタ族のエコツアーのように自分たちが持っている環境と伝統的な暮らしを守りつつ観光業を行うことができるということも、タジャンの農家とKlasik Beansのみなさんに体験してもらえたのかなと思います。特に年に1回しか収穫がないコーヒー農家は、給料が年に1回しかないと考えると、定期的に得られる収入源も必要です。環境を守りながら、自分たちの文化も守り、暮らしも守っていく。今回ツアーをいろいろ体験したことによって、それらの全てがうまく組み合わさるようなアイデアを考えるきっかけになったらよいなと思います。
今回はインドネシアからKlasik Beansのみなさんがフィリピンのコーヒーファームを訪れてくれましたが、今年の7月ごろに、今度はタジャンの農家がKlasik Beansのコーヒーファームを見に行きます!引き続きプロジェクトは続きますのでぜひ楽しみにしてください!!
みなさま毎回長いブログにお付き合いいただきありがとうございました!また、次のブログでお会いしましょう^^
Tumblr media
*空港で最後にみんなで撮った写真。Klasik Beansのみなさん本当にありがとうございました!!
Exchange program between farmers in Tadian and Indonesia through bird surveys - Day 5 & 6
Finally, this is the last blog of this tour!
Day 6
This day was dedicated entirely to travel. We left our accommodation “Layog Country Farm” where we had been so warmly hosted, then we headed to Baguio city, five hours from Tadian. After that, we drove another four hours to Subic in Zambales Province which is 240 km away from Baguio.  We arrived there around 8pm! We rested well at the hotel for an eco-tour scheduled for the next day. 
Subic was once home to a U.S. military base, which closed about 30 years ago. As a result, the area still shows strong American influence. 
Day 7
After breakfast at the hotel, we immediately set off on the eco-tour. Guided by members of the indigenous Aeta community, we explored the forest. It is said that Aeta is the first tribe who have settled in the Philippines. The forest we visited lies within the former U.S. military base, and due to the Aeta's impressive survival skills, they were once recruited to train American soldiers in survival techniques. Thanks to this role, the forest has been preserved in its natural state—a fascinating bit of history!
We were welcomed with drinks made from bamboo, guyabano (soursop), and anonas (sugar apple). Each had a clean flavor, but the anonas tea was my personal favorite. Along with the drinks, we were also served steamed sweet potatoes and organic honey, all sourced directly from the forest. It was a beautiful reminder of the richness of local resources.
Everyone is enjoying the welcome drinks. 
As the tour progressed, the Aeta shared their traditional knowledge with us while we walked through the forest. They explained the medicinal uses of different plants, demonstrated how to start a fire using bamboo, and showed us how to cook rice in bamboo tubes. The fire-starting in particular was challenging—both the Klasik Beans team and the Tadian farmers struggled—but the Aeta could spark a flame within minutes. It was truly impressive.
Demonstrating fire-making with bamboo.
Rice cooked in bamboo—soft and fluffy! We all enjoyed it together.  
Tree sap used as natural shampoo—showing us how they live in harmony with nature, without relying on chemicals.
Toward the end of the tour, we stopped at a waterfall and had a refreshing dip in the water—just what we needed after the long walk. Back at the starting point, we had a delicious lunch prepared by our Aeta hosts.
This tour was coordinated by MAD Travel, a social enterprise, and this time, Mr. Anju, a staff member from this organization, guided us. The Aeta people mainly lived by shifting cultivation, hunting and gathering. However, like the indigenous people of the Cordillera including Tadian people, their lifestyle has been changing due to the influence of the monetary economy.  
MAD Travel coordinates community-based eco-tours across various parts of the Philippines, and this tour to the Aeta forest is one of them. The tour fee is quite high—around 3,500 pesos (about 8,700 yen) per person—but the proceeds go toward fair wages for the Aeta guides and funding for reforestation efforts in that community. In fact, since 2017, they have planted over 62,000 trees in the mountains of Zambales. Their goal is to create a sustainable cycle through eco-tourism. You can learn more about their efforts on their website—definitely worth a visit!
With that, the program officially came to an end. The Tadian farmers headed home via Baguio, while I accompanied the Klasik Beans team to the airport in Manila. Although our time together lasted only a week, the experience was so rich and meaningful that it was hard to say goodbye. 
Final Reflections
Through this one week, I encountered new discoveries, learned a great deal, and was inspired every single day. When I was in Japan, I never really thought about what goes on behind the scenes of coffee production—but now, I’m filled with both surprise and respect for the dedication and hard work of coffee farmers.
Although Japan doesn’t produce coffee, its consumption is high, and people can easily buy a cheap cup at a convenience store. At the same time, buzzwords like “sustainable,” “eco-friendly,” and “organic” have become popular, with more and more consumers becoming conscious of environmental and social issues. However, the actual meaning of what makes something truly sustainable or environmentally friendly is still often vague.
This project focused on using wild birds as a key indicator to connect coffee production with environmental conservation, and to explore how that connection could be used in marketing. But it all started with helping coffee producers themselves understand the importance of birds.
The Klasik Beans team handles everything from cultivation to marketing. They include bird illustrations on their packaging and work with the understanding that coffee quality, environmental protection, and marketing are all interconnected and equally important—not something to compromise on. They put that belief into practice.
On the other hand, the coffee farmers in Tadian are still in the early stages. They are just beginning to learn not only about coffee cultivation, but also about processing, marketing, and improving the flavor. I believe this exchange program helped them realize that protecting their environment can directly contribute to better coffee quality and higher value.
For those who love drinking coffee, there is clearly interest in activities like the coffee farm tour we did in Sagada. And as the Aeta eco-tour showed, it’s possible to protect both the environment and traditional ways of life while also engaging in tourism. I think both the Tadian farmers and the Klasik Beans team got to experience that firsthand.
Especially for coffee farmers who only harvest once a year—meaning they essentially only get paid once a year—it’s crucial to have additional sources of income. Protecting the environment, preserving culture, and sustaining a livelihood: through the various tours we experienced, I hope this trip sparked some ideas on how these elements can be combined in a meaningful and sustainable way.
This time, the Klasik Beans team from Indonesia visited coffee farms in the Philippines. But around July this year, it will be the Tadian farmers’ turn to visit the Klasik Beans coffee farms in Indonesia! The project is ongoing—so please look forward to what comes next.
Thank you so much for reading these long blog posts each time! See you again in the next one.
Our last group shot at the airport. Thank you so much to the Klasik Beans team!
4 notes · View notes
myonbl · 4 months ago
Text
2025年3月11日(火)
Tumblr media
今日は3月11日、日めくりには<東日本大震災の日>と表記されている。14年前、私はランチを終えて和室で横になって本を読んでいた。恐らく途中で転寝、なにやら船底にいるようなゆったりとした揺れで目が覚めた。長い時間続くのでただ事では無いと思い、テレビをつけると・・・。結局、一晩中テレビを切ることはなく、津波や火災の惨事を見つづけていた。哀しみを癒すには時間が必要だが、時間が経っても決して忘れてはならない日として、しっかりと刻みつけておこう。
Tumblr media
6時起床。
洗濯開始。
Tumblr media
蕎麦がなくなったので、朝食には煮麺をいただく。
珈琲をいれる。
洗濯物を干す。
可燃ゴミ、20L*1&30L*1。
ヤクルトさんから野菜ジュース購入、これも今日を最後にする。
ツレアイが自転車で出勤、今日は訪問1件。
先日申し込んだ<モバイル保険>からメール、契約成立とのことでマイページを確認する。
Tumblr media
9時30分、京都市から訓練の通報、iPhoneとWatch両方で受信する。
急に増えたクレジットカードの対処、あれこれ検討して三井住友のVISA&Masterをメインとして残すことにし、他のものは順次解約手続きをすることにした。
銀行についても、メインの京都銀行はそのままに、auじぶん銀行はいずれ閉鎖し、三井住友OLIVEをサブとして利用することにする。
ツレアイが帰宅する。
Tumblr media
ランチ、息子たちには日清ラ王味噌ラーメン、彼女には残りもののカレー仕立て。
彼女はあちこち買物へ、私は軽く午睡。
作業場の整理、明日は研究室の荷物をすべて引き上げてくるので整理はともかくスペースだけは確保しなければならない。
彼女は3ヶ月に1回の歯科へ。
Tumblr media
夕飯は豚ロースの塩焼き・特売の昔ながらのコロッケ・昨日残りの蒸かし芋・レタスとトマト。
録画番組視聴、名探偵ポワロ。
第3話「ゴルフ場殺人事件」/ Murder on the Linksシーズン 6, エピソード 3 フランス滞在中の富豪から命を狙われていると相談されたポワロは、ゴルフ場で彼の刺殺体に対面する。パリ警察の刑事がすでに捜査を始めていて、ポワロとの知恵比べとなる。さなかに浮浪者の刺殺事件が起こり、ポワロは2つの事件の関連性を調べる。
ポワロも大分お腹が出てきた。
片付け、入浴、久しぶりに散髪をして貰う。
体重は、150g減。
パジャマに着替え、スコッチ舐めながら日誌書く。
Tumblr media
結局、家から一歩も出なかった。
3 notes · View notes
ari0921 · 4 months ago
Text
🔶トランプ大統領は全米民主主義基金(NED)の資金解明に踏み込めるのか?
全米民主主義基金[ NED]
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/28 02:04 UTC 版)
全米民主主義基金(ぜんべいみんしゅしゅぎききん、英: National Endowment for Democracy, 略称: NED)は、レーガン政権時代の1983年に「他国の民主化を支援する」ことを目的に設立された、準非政府機関(クワンゴ quasi-autonomous national governmental organization)である[1]。また、オリバー・ノース中佐の活動時など「民主主義プロジェクト」という名を用いる場合もある。アメリカ議会を主な出資者としており、これは基金の年次報告書に掲載される会計報告で確認出来る。
NEDはCIA(米中央情報局)の業務を「民間」の形で引き継いだとされ、これは1970年代にCIAの秘密活動が暴露されアメリカ国内で批判が高まったことを受け、より公然とした形で影響力を行使する手段としてNEDが生まれた背景がある[2]。NEDは、表向きには世界の民主主義の推進を掲げているが、実際にはアメリカの外交政策や地政学的利益に沿った活動を行うことが多く、政治運動や反体制派への資金援助を通じて影響力を行使し、カラー革命や政権交代を促進する役割を果たしていると批判されてきた。そのため、ある国では「民主主義の支援」と見なされる一方で、他の国々では「政権転覆工作」や「干渉」と批判されることもある。
2025年2月、米国政府効率化局(DOGE)は、NEDが長年にわたり米国民の税金で違法に他国の内政干渉や政権転覆活動に関与してきたとし、財務省からのNEDへの予算配分を停止した。[3][4]。2025年2月の時点で、日本語圏ではNEDの資金凍結は報道されていない。
設立
1982年にレーガン政権により「アメリカ政治財団」(American Political Foundation[5])の研究による提案という形で設立が決定された[1]。それは、これまでアメリカ中央情報局(CIA)が非公然でやってきたことを公然とやる目的をもったものだった。NED設立法案の起草に関わった米国公文書管理官のアレン・ワインスタインは、1991年に「我々が今日やっていることの多くはCIAが25年前に密かに行っていたことだ。」と語った。
NEDはアメリカ国務省から資金を受け、その内から共和党、民主党、米国商工会議所、アメリカ労働総同盟・産業別組合会議それぞれの関連組織である、国際共和協会(IRI)、全米民主国際研究所(NDI)、国際民間企業センター(CIPE)、米国国際労働連帯センター(ACILS)などに資金を分配している。NEDの代表は元アメリカ合衆国社会民主党幹部[6]で実業家のカール・ジャーシュマンであった。
資金提供
NEDは多くの場合他国の野党の候補に資金提供を続けてきた。直接政党に交付することは法に触れるため、多くの場合、例えば学生による投票キャンペーンのような形で行われる[2]。2008年には国境なき記者団への支援が暴露されている[7]。
右派の中には、パトリック・ブキャナンのようにNEDを「世界的に民主革命を誘発して、定期的に他国、特に独裁的、或は非民主的政権に干渉する」ものとして嗤笑する者もいる。
左派からはNEDは、軍と強く結びついた候補、その国に投資している米国企業の利益を守る候補などのみを支援し、米国企業による投資に反対する候補や米国企業の投資家の利益に反する候補を支援することはない、と批判される。例えばビル・バーコウィッツは Working for Change で「NEDはクリアリングハウスの整備を全面的に行っている。そこでは、資金、技術支援、物品、訓練プログラム、メディア利用法、広報活動支援、最先端設備などが、政治グループ、市民組織、学生グループや反対運動、出版社や新聞社その他メディアの選定のために提供される。その目的は社会主義的或は社会民主主義的な傾向を持つ進歩的な運動を動揺させることだ。」と非難している[3]。
NEDの支持者はNEDが実際に世界中でどこでも無数の社会民主的或はリベラルな起源のグループを支援していると主張する。NEDは訓練の提供も支援し、彼らがインドネシアやウクライナのようにその国での規範と民主主義の原理を尊重する限り、オープンに反米のグループにも対応する、としている。NEDは反対派よりも民主主義志向のグループを支援してきたが、公然と共産主義を支援するグループ、原理主義者、いかなる独裁者にも支援は行わなかった、と主張する。
『ワシントン・ポスト』記者のマイケル・マクフォールは、NEDは米国の外交政策に固く組込まれていると論じた。例えば彼は米国政府が非民主的な政府を渋々支援するのと同様に民主的なグループを支援することを望んでいると書いた [4]。
中央アメリカ
1984年にNEDはパナマ大統領選挙でノリエガ将軍と中央情報局の支持する候補に資金提供した。後、米国議会は「公職の候補の選挙活動に融資する」ためのNED基金の使用を禁止する法を定めた。ジョン・ストーバーとシェルドン・ランプトンは、ニカラグアの1990年の選挙までに「ジョージ・H・W・ブッシュがNEDに900万ドルを送り、うち400万ドルは野党の大統領候補ビオレタ・チャモロの選挙活動に使われた。」と書いている。チャモロは55%の得票率で勝利した。
ハイチの1990年の選挙では、NEDはマール・バザンの3,600万ドルに上る巨額の選挙活動費用の大半を拠出した。この費用に拘らず、彼は12%の票しか得られなかった。バザンは元世界銀行職員でジャン=ベルトラン・アリスティドの対立候補としてたてられた。1990年から1992年までにNEDは、反カストロ組織のキューバ系アメリカ人財団に25万ドルを提供していた。
ベネズエラ
2004年、ウゴ・チャベス大統領はNEDが2002年のクーデター計画のために、2000年から2001年の間に25万ドルから90万ドルまでの資金をスマテなどの反政府組織に提供していたことを示す文書を公表した[5]。NEDは2004年8月に行われた大統領罷免国民投票の出口調査にも資金援助した。出口調査はチャベスの20%差での罷免を予測したが、結果は約20%差での信任に終わった。このことは野党による不正投票の主張の材料として用いられたが、ジミー・カーターはこの結果を是認し、選挙監査の結果正当と認められた[6]。
ヨーロッパ
NEDは1980年代に西欧の民主的国家でも資金提供を行っていた。フランス『リベラシオン』紙は米国が全仏大学間連合に資金提供を行っていたことを非難した。米国政府はそれらの活動を自身から分離したが、これと同じことは他にポルトガル、スペイン、その他多くの国で行われてきた。フランスでは1983年、1984年の間にNEDは「教官の左翼組織」に対抗させるためとして「教官と学生の労働組合のような組織」(UNI) を支援した。このためにNEDは一連のセミナーと『転覆と革命の神学』や『中立主義か自由か』などのポスター、本、冊子の発行に資金を提供した。
批評によれば、NEDは1990年代に東欧でも資金提供を行い、資本主義への移行のためのショック療法プログラムの導入などを進めた。ただしNEDが直接関与したのではなく主に国際民間企業センターが民間企業開発を目的としてこれを進め、通貨の安定には何ら寄与しなかった。ウィリアム・ブルムは、実際にはNEDは(ブルガリアやアルバニアを含め)米国政府が気に入らない体制を不安定化させるための活動と結びついていたと批判している[7]。
ウクライナ
2004年ウクライナ大統領選挙でNEDは重要な役割を果たした。NEDの東欧部門責任者のナディア・デュークは NEDを取り巻く議論について熟知しており、『ワシントン・ポスト』に「ある者はウクライナの出来事を西側で仕組まれた、西側の民主化支持組織の支援で実行されたモデルとして描こうするだろう。」とし、近年スロバキアやセルビア、グルジアで行われた介入と比較して「米国の資金提供による米国の影響力を世界で強めるための計画が実行された、と証明したと信じる批評家もいるだろう」と投稿した。
デュークはこれらの批判は「選挙による反抗」という東欧諸国で起きた「国産」の相を実に見落としている、とした。さらに「平行な票の集計、出口調査や国内の監視者の報告に拘らず、非政府組織による投票監視の大規模な努力があった。これらの戦略は西側の選挙監視者の報告によって支持された」、また「これらのすべての突破口的な選挙が、メディアを監視し、有権者教育を実行し、自由な報道に欠く候補の公約を宣伝して、選挙観察者を訓練して、投票を管理するなどして、自由で公正な選挙を支持する市民団体の活発な参加により完成した」とした。
香港
2020年12月、中国はNEDのジョン・クナウス上級局長を制裁し、「香港の問題に露骨に干渉し、中国の内政に著しく干渉する」と述べた[8]。また、NEDは香港の周庭が創立者の一人である「香港衆志」を支援している事がわかった[9]。
資金源
NEDは毎年米国家予算から資金提供を受けている。そのうちには国務省の米国国際開発局 (USAID) 向けの予算も含まれ、「議会の見落とし」により依然として非政府組織の扱いを受けている。2004年9月の会計年度におけるNEDの歳入は8,010万ドルであり、そのうち7,925万ドルが米国政府部局から、60万ドルが他の寄付収入、その他は別の手段による収入だった[8]。
NEDは最近の例では『ジャーナル・オブ・デモクラシー』誌の支援のための過去18年間にわたる150万ドルなど[9](予算総額からみれば)小額の寄付をスミス・リチャードソン財団、ジョン・M・オーリン財団、ブラッドレー財団などの多くの別の財団から受けている。この3つの財団は全て連邦政府から間接的に資金を受けている。
2018年、「米国第一主義」を掲げたドナルド・トランプ大統領は当該基金への資金提供を削減し、民主・共和両党のシンクタンクとのつながりを断ち切ると提案した[10][11]。
備考
現在そして以前のNEDの部門責任者の内には「米国同時多発テロ事件に関する国家調査委員会」のリー・ハーバート・ハミルトン、元下院議員リチャード・ゲファード、元国連大使リチャード・ホルブルック、上院のウィリアム・フリスト、元CIA副長官でカーライル・グループのフランク・カールッチ、ウェズリー・クラーク(英語版)将軍、アメリカン・エンタープライズ研究所で公共政策調査担当のマイケル・ノヴァク、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院のフランシス・フクヤマ、エヴァン・バイ元米民主党指導者会議議長なども存在し、他のシンクタンクとの繋がりもある。
Tumblr media Tumblr media
2 notes · View notes
tokyomariegold · 5 months ago
Text
2024/7/20
Tumblr media
7月20日 イヤホンを忘れて出掛けてしまったのもあって、とてもただ漠然とモヤモヤ頭が何かを考えていた日だった。 家に戻って、イヤホンをつけてシャッフルで音楽を聴きながら掃除をしていたら、ジュディマリのover driveが流れてきてとても嬉しくなった。音楽ってすごいのかも。
それ以外はずっと泣く寸前の一番心が悲しい状態だった。ヨガに行って、フィルムを出して、受け取るまでの間は丸の内を散歩して、暑くて暑くて足がおぼつかなくなりながら、でも流石に今日は人が少なくて(暑すぎるから?)歩きやすかった。 現像されたフィルムを受け取って帰ってきた。
Tumblr media
amazonのほしい物リストに“入院”というカテゴリを作り、入院に必要なものリストを作ろうとしている。でも面倒でもあり、全て無印良品にしようかな、とも思っている。
そういえばプライムデーセールで買った商品の一つが全く知らない、少し郵便番号が似ている町のロッカーに配送されたとのこと。 いろんな余力があれば、それを取りに行くだけの旅って楽しそうだね、と困っている。
フィルム現像を出した町は、今晩河川敷で花火大会があるらしく電車の窓から土手に場所取りをするシートやパラソルが見えた。
Tumblr media
暑いしかわいそう、と思ってお部屋にお花を飾らない日々だったけれど、一輪白いお花を買った。 お花があって嬉しい。
6月2日まで使っていたスーパーの建屋がバキバキに解体されている。横目で見つつ新しいスーパーへ向かい、途中のコンビニがハワイフェアをしていた。ハワイから帰ってきた友人に教えたくなった。 スーパーでは桃を買った。 桃は冷やすと綺麗に皮が剥けます!(独自調査結果) スーパーと同じ建物内のドラッグストアはオープニングセールをしているので、行く度にルルルンのシートマスク7枚入りをあるだけ買って帰っている。 入院中の分も用意しないと。
Tumblr media
入院してもしなくても、夏休み期間は予定がないので暑中見舞いを作ろうかな、と思い、どんな感じにしようか、何かを作ることをが久しぶりすぎて、何も、思いつかない。 たくさん展示を観ていても、何かを作ろうとアウトプットするにはそれなりに訓練(というか習慣?)が必要だと実感しています。
Tumblr media
3 notes · View notes