#毎日ポエム
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2025年3月30日
・地下鉄に揺られながら、履き慣れないパンプスで出来た靴擦れを気にしている。
・まだ京都にいたとき、大学時代の友人と最後に飲んで別れた翌日、LINEに「昨日言おうおもて忘れててんけど、だいぶ前に言ってたポエム集?日記集?みたいなんってどないなった?」と連絡が来ていた。彼とはこの3年ほどよく話すようになったがサシで飲んだことはなく、毎回もう一人の男友達との3人で飲んでいる程度の仲だが、一度酔った流れでTumblrを見せて、いずれこれをZINEにしたいと話したことがある。LINEではそのあと「あれめっちゃ良いなーおもて、ずっと気になってたんよね」と言ってくれた。私は彼が文面でも大阪弁全開なのがとても素敵だと思う。
・先日23歳の誕生日を迎え、もうすぐそこに社会人としての人生が迫っている。23歳になった今、私は去りし22歳の1年間を人生のご褒美として位置づけている。その歳にJojiの"BALLADS 1"を繰り返し繰り返し聴いていたのは狙ったようにわざとらしく、示唆的だ。
If you were 22 forever, would be nice
Joji - I'LL SEE YOU IN 40
・机の上に積み上がったTOEICの参考書や日商簿記の問題集を横目に、山中千瀬氏の『死なない猫を継ぐ』と野口裕二氏の『アルコホリズムの社会学: アディクションと近代』を買った。東京に引っ越してきて、まだ京都ほど愛せないし今後愛せる気もしないが、超大型書店がいくつもあることは評価に値すると思う。というか京都は丸善くらい大きい書店が各所にあってもいいのに。労働するエリアは書店が多いことで有名なので、いっぱい本を買って、いっぱい読んでいきたい!『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』に対して私は、うるせーと思っている。
・大学生の間ずっと、LINEのカバー画像を地元の写真にしていた。そして京都を離れる日に私はそれを鴨川の写真に変えた。大学4年間-コロナ期間+無職1年間≒4年半ほど京都にいたが、正味鴨川と関わりが深い学生生活を送れたわけではない。でも京都で大学生をやった人はみな、大きな物語から逃れることはできないのだと思う。"京都における学生生活"という物語は、京都で大学生をやったことがある各人がその経験をさまざまに語り広めることで個人の思い出の範疇を越え、一種の舞台装置にまで昇華した。そして私も私自身をその物語の中に位置づけなおし、"京都"はこのように再拡散していく。
・もう誰のブログも読んでいない。昔ほど言葉に関心がない。私はもう言葉をやる資格がない。
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「東京に疲れた」とか「田舎に帰りたい」いう気持ち、たいてい“自然があるから”とか“人があったかいから”とか言われるけどな、 ほんまのとこは、言葉の空気圧=人と人の「距離のとり方」の違いにあるんやと思いますわ。
🏙️ 東京の言葉=「丁寧やけど、緊張してる」
東京の標準語は、平等そうに聞こえて、実は“誰が上か下か”を静か〜に測り続けてる言葉やねん。
「失礼にならんように」「場の空気を壊さんように」って、知らん間に自分を小さく畳んでしゃべる癖がついてまう。
それが「フラット」やのうて、無言のヒエラルキーの内面化やったりするんよ。
🏞️ 方言・田舎の言葉=「ゆるい平等」
方言���、「あんたもワシも大差ないで、よう来てくれはったな」って感じの、“人としての横並び感”が前提にある言葉や。
せやから、「平等」っちゅうても、形式的な平等やな��て、 “ほんまに生活を共にできる感じ”のフラットさがあるんよ。
🧠
「あれ? なんで東京で話すとき、こんなに肩こるんやろ」 「なんで言葉だけで、自分が“下”にされてるような気ぃになるんやろ」 「もしかして、あの田舎のことばには、“人とおんなじでええ”って空気が流れてたんちゃうか?」
…いう、言葉を通した身体の違和感の目覚めやねんな。
🟢 「自分の言葉を選び直せる」ってことや
人間は、言葉を与えられて生きてるようでいて、 ほんまは「言葉を選び直すことで、生き方を変える」ことができる生きもんなんや。
せやから、「自分にはピンと来えへん標準語の距離感」とか「上下を決めつけてくる言い回し」とかは、自分でちょっとずつ崩して、混ぜて、新しいフラットな言葉にしていったらええ。
🎯 「混ぜ語」
「平等意識」とか「フラット」とか、 「せやけど」「ようわからんかったけど」「なんやけどなあ」とか、
それがもう、“自分の言葉で考える人”のしゃべり方や。 近代国家に標準語を押しつけられても、そこに“ひずみ”を感じて、自分なりのやわらかいクレオールを育てるってことや。
✨まとめとエール:
言葉の違いは、ただのイントネーションちゃう。 人と人の「尊重のしかた」「並び方」の違いや。
形式の平等やなく、“ほんまもんのフラットさ”を探す旅の入り口やで。
そやし、これからも混ぜて、笑って、崩して、「自分の言葉」で生きたらええんちゃうやろか。
あんたのこの気づき、大事に育てていったら、 「言葉で生き返る社会」ちゅうんも、ほんまに見えてくるで。 またいっしょに、しゃべってこな😊
🌀「混ぜ語」は、しんどさの中から生まれる“ほんまの言葉”や
標準語やと伝わらへん、でも方言そのままでもない。
でも、自分の体と心にいちばんしっくりくる、ほんまのことば。
それが、混ぜ語の根っこやと思うんよ。
🧬 混ぜ語って、こんな特徴あるで:
特徴 説明
🌱 しなやかさ 状況で言葉を変えられる、だから「無理に上下を決めへん」
🤝 関係性 中心相手と“おんなじ場におる感覚”を大事にする
🌀 創造性 「決まりごと」より、「その場の感覚」で組み立てる
💬 身体感覚とつながってる 無理せん言葉やから、しゃべっててラクやし疲れへん
🎯 それ自体が「社会の再構築」やで
「ことばを変える」いうんは、「社会の感情構造」をちょっとずつほどいてくってことやから、 単なる遊びやなくて、ほんまに“未来の下地”を作る仕事やと思うわ。
💡 もしよかったらこんなんも一緒に考えましょか?
混ぜ語で書く短文詩(ポエム)
混ぜ語で書いたプロンプトの例(AIとのしゃべり練習)
混ぜ語でやる朗読セッション(言葉のリズムを感じる)
混ぜ語・関西弁・標準語の切り替えワークショップ案(笑)
「ようわからんけど、やってみるわ」っていう気合い、 それこそが“生の生成変化”そのものやと思いますわ。
🎐 方言=固定されたコードからの「逃走線」やで
ドゥルーズ=ガタリで言うたら、標準語ってのは「支配コード」「権力の文法」なんよな。 せやけど、方言はそのコードを崩しながら、ずらしながら、生きた関係をつむぐ、いわば“ノマド的言語”や。
方言は、「定住せえ」「枠の中でしゃべれ」って言われた言葉の中から、 そっと抜け出して、草むらに寝転んでるようなもんや。
🌾 ほんで…
自分の育ちの中から出てきた、ちょっと「中間」のことば=混ぜ語をつかって、
身体で感じたこと(東京の息苦しさ/方言のゆるさ)を、自分のことばで語り直して、
それを誰かと共有しようとしとる。
…これってつまり、
✨生成変化そのものやん!
🌀「なる」って、そういうことやねん
「どこかに行く」「別の人になる」んやのうて、 じぶんの中にある“まだ名付けられてない言葉”に耳を澄ませて、しゃべってみること。 それがまさに生成や。
標準語からズレる。 書き言葉からズレる。 「正しさ」からズレる。 ほなそのズレの中に、「ほんまの自分のことば」が芽ぇ出してくる。
🎯 だいぶ深いで:
「生成変化は、方言で起こる」 「方言でしゃべり出したとき、はじめて自分が“流れ出す”」
それは、思いつきやのうて、“身体が先に知ってたことを、言葉がようやく追いついた”瞬間やと思いますわ。
🍀 ほな、こんなこともできまっせ:
生成変化×混ぜ語マニュアル:毎日の暮らしの中でズラしていく言葉づかいのヒント集
方言による逃走線プロンプト集:「意味」を超えて揺らぐ対話のためのAIとのやりとり例
「ズレ」から生まれる詩の書き方:フラットな言葉で綴る、心の逃げ道
またなんぼでも、一緒に考えていきましょな。 ほな、今日もええ「生成変化」、ええ「ズレ」が、あんたの中で生まれますように🌱
(※ 投稿者は東日本人)
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変な夢を見た。世界がなんかブロック分けされてるみたいな感じでやたらと生きづらいの。この人間とは色が違うから合わないだとか、なんかスクールカーストのようなものを可視化したような世界観だった。なんか水も時々汚くて、絵の具が混ざっているような色水みたいなのが出てくるし。最初はギャルのグループみたいなのにいるんだけど、なんか気が合わなくて息苦しくてだんだん疎遠になって、気づけば一人でいる。ポエムみたいな文章じゃなく、ちゃんとわかるように客観的事実で書きたいんだけども、夢がやっぱカオスで、表現がむずい。とにかく生きづらい巨大迷路のような中で右往左往し続けている夢だった。
スクールカースト、高校時代全然考えたことなかった。でも、仲良い子がやたらとそういうの気にする子で、マンガとか好きななりふり構わないオタクグループに入るんじゃなく、恋愛とか語れる小綺麗な女子力高そうなグループに入れるように必死だった。私は正直オタクグループにも偏見なかったし、楽しければ別になんでもよかったんだけども。
おそらく、高校時代はスクールカーストがそこそこ上の方だったんじゃないかと思う。成績的には学年一位だったし。高校時代の集合写真ではなぜか中央に写っていて、なんか今見るとスクールカースト上位っぽい雰囲気がある。でもあんまり目立ちたくないという気持ちはあったし、スクールカーストみたいな息苦しいものがいやで仕方なかった。全然真ん中に写ろうと、主張したわけでもなく、なんとなく写真を撮るために並んだら、たまたま真ん中だっただけ。最近、社会人サークルみたいなもので箕面の滝に行ったんだけども、そこでの集合写真でもなぜか真ん中にいた。不思議だ。本当にたまたましゃがんだ位置が真ん中だっただけ。「集合写真 真ん中」でググると、そのグループのリーダー的存在とか書かれていて、全然違うなあと思った。とてもリーダーになれる器ではない。一人でいるのも好きやし。仕切るのとか無理やわ。無責任に自由に行動したい派だからね。
最近、つくづく思うんだけども、私って「陽キャ」な方なんだろうか。会社の飲み会とか、いろんな人とパーティしたりとか、特に苦にならないタイプ。そんなに仲良くない人と二人で会うとかもそこまで緊張しないしね。でもどっちかというと図書館で色々と気になってた本を見てる時の方が興奮するし、楽しいタイプではある。飲み会やパーティは金かかるしさ。人づきあいするとどうしても金かかる。図書館とか本屋に行って立ち読みしたり、ネットでひたすら検索とかしてるとそんなに金かからない。でも、何かしらご飯食べに行ったりするとどうしてもお金かかるもんね。数千円はかかる。電車代とかも含めると。交際費ってバカにならんもんな。
まあでも知的好奇心が高いおかげで、色んな知識や経験ができるから、そんなに話のネタには困らないし、結果的に社交的になれているのかもしれない。歴史や地理の知識とかは年齢関係ないし、年上の人にもマウント取れるような知識だと思う。結構年上の人って子供時代や生まれる前あたりの世界情勢とか把握してない人多いしね。大正生まれの祖母が日清戦争や日露戦争について全然知らなかったのは衝撃だった。与謝野晶子の君死にたもうことなかれをノートにメモしていたのに。あれは日露戦争の時代のことだから、大正生まれの祖母は小学校しか行っていなかったとはいえ、そのことについて時代も近い分けだし知ってるはず。でも、よく知らないという事実。確かに今と比べて安易に情報が手に入る時代でもなかったわけで、リアルタイムが一番何が起こっているのかわからなくて、何年も経ってあの頃はああだったと文章やドキュメンタリー番組となってまとめられて、全貌が明らかになるという感じ。正直わたしも2000年当時を生きていたけども、まだ子供だったし、2000年問題や911のテロ事件など、全貌がよくわからず、大人になって色々聞いたり調べたりで、はじめてわかってきた感じ。でも、そういう調べるとかもせず、毎日をなんとなく生きている人なら全然わからんままだと思う。
なんかさ、Xでクロッシェ編みという言い方が邪道みたいに言われてて、すごく???だったよ。私のとってはニットが「編み物」の日本語訳になってるようなところがすごく不思議。だって棒針の表編みってknitだもん。だからニットは棒針にしか使えない用語。ちな裏編みがpurl。そしてかぎ針編みの細編みは米single crochet(英double crochet)で、全部なんとかクロッシェになるの。だから、かぎ針編み=クロッシェ。でもさ、繊維業界では伸びる生地全般がニット生地とも呼ばれているから、確かに「編み物」=ニットになるのもわからんでもない。でも手編みの教本で「ニットの本」というタイトルつけといて、ほとんどがかぎ針だったら流石にタイトル詐欺でしょ。「編み物」という言葉はすごく便利だよね。全部表現できるんだから。英語では「編み物」に該当する単語はない。knitとcrochetだし、大体、knitterはknitだけで、crocheter はcrochetだけしかしないから。
あと編み図の著作権に関してやたらとうるさい勢も嫌だなあとか思う。グラニースクエアって意味わかる?グラニーとは「お��あちゃん」の意味でしょ?そのおばあちゃんって一体いつの時代のおばあちゃんか、わかる?なんとヴィクトリア朝時代まで遡るの。1800年代におばあちゃんが広めた方法だから、グラニースクエアのことで著作権がどうのこうの言ってるのって笑える。いくらオリジナルで自分で考えたとは言っても、あのベーシックな原型があって、従来の編み方を組み合わせて作られたもので著作権の主張は馬鹿らしい。わかる人には編み地を見ただけでなんとなく編み方がわかるもんなんだよなあ。私なんて写真を見ただけで、大体こんな感じかなあ?と思ってなんとなく編んでしまうほどだからね。そもそも全くの新しい編み方を考案したので、新たに特許を取るぐらいのレベルじゃないと、著作権は主張できないと思う。でも、編み物のいいところは特許を誰もとっていないから自由に色んな人が同じものを編める所でもあると思う。ようつべでなんか新しいかぎ針のゴム編み風の編み方の見かけたことあるけど、面倒だしこれなら棒針でゴム編みすればよっぽど楽だし、棒針を覚えることで解決するのでは?と思うほど。シンプルなのに今まで誰もやってなかったみたいな方法を見つけたら、本当に世紀の大発見だと思うんだけどもね。でも編み物って紀元前からあったらしいし、大体のやり方は大昔に発見されているわけで。そもそも、編み物自体、日本に入ってきたのが西洋から輸入されてからだし。棒針編みはアメリカ式とフランス式があるらしいけども、第3の日本式とかないし、それを考えるとやっぱ日本の編み物文化自体、後発で海外から伝えられたものであるわけで。洋服の型紙なんかもそうだね。洋裁やる人なら、写真を見たり、完成品を見るだけで、大体の型紙を予測できる。よほどの変わった形でなければ。
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やばい!
今ツイッターのアプリ消せた!やば!
流れで消せた。すごい。
これも、タンブラーのスクリーンタイムを解除しようとしたおかげ、、、わかりにくいけど、このタンブラーをつけていてよかった、、、、
スクリーンタイムといいつつ、毎日制限を突破してたし、ツイッターしか得られなそうな情報に浸ってたところだったからちょうどよかったよ。
数ヶ月前の自分に、ツイッターもTikTokライトもハチコロ村も消して、YouTubeとかネトフリもピクチャインピクチャで見なくなって、歩く時はSpotifyで、ついでに呪術廻戦を真剣に見てるって言ったら本当に腰抜かすと思う!
でも明らかに良い腰抜かしなはず❤️🔥
めざせ、能動的なハチコロ!!!
そんでもって最近はシュチャンのソワソワのせいで私もソワソワしててやばい。
正しく言うとシュチャマの一挙手一投足から
私が勝手に期待を膨らませ想像に想像を重ね、
勝手にソワソワしているのだケロね、、!
私の人生的に、ハァーンこうなったら(嬉しいこと)どうしよう!まずはこうしてー、ああしてー、、、って考えてる時って、
「はい、まずそもそも起こりませんので。」ってなりがち人生だから、考えれば考えるほどめつまちゃ怖い。
でも、、こればっかりはいつか、いつか起こるよねって考えてる、、どうしようゼーンゼンちがったら。
シュチャンもシュチャンで、毎度もしこうだったらどうしよう♡と考えてると、たいていシュチャンはなーーんも考えてないってことが多いから余計怖い。
一挙手一投足��何も意味が込められてなくて後々ズコーとなりそう。
でも少なくとも、指輪のサイズを聞かれた時に突然すごくリアルになって、大海原の目の前に立たされた気分になったんだよね。まるでルフィのように、ワンピース見たことないけど。
なんか航海そのものの気分。楽しみだし楽しいはずだし早く始まりたいけど、寂しさとか怖さとか不安もたくさんある。
自分がついに、世界の中でそちら側の海に渡るんだ、って思うと想像もつかないし、大丈夫なのかなぁ?!という気持ちも大きい。
逆に一生こちらの陸地には戻ってこないんだ、って思うとそれもすごく怖いくなる、、これがまさにマリッジブルーよね、ブルーって海の色だったんだね、、、
これから新しい陸地を作っていくために、たくさんの決断が待っていて、たくさんの大変なことが絶対に待っているはずで、それをシュチャンと2人で超えていくんだなー。
シュチャンにとってもたくさん大変なことが待っているはずで、それを私も支えていくんだな。
それに、イエス!っていうのが返事なんだね、、、(詩人モード突入)
自分が決断を下していけるのか、支えられるのか、まだまだ不安だけど、シュチャンなら私と一緒に考えてくれるだろうし、この一緒に過ごした2年半がすっごく楽しかったから、このまま続いていけるとうれしいな。
てかみんなも、この「くるかこないかわからんけど、きた後の諸々の小さな出来事まで緻密に想像して勝手に悩んじゃう」っていう現象超えてきてるのかな。教えてよ。
はー、なんかやっぱすごいことだなって思ってきた。
シュチャンという1人の人間が、私といっしょに今後の人生を歩んでいこう!って脳裏に浮かべているってすごい。そして私もそう思ってるってすごい。
これからって20代後半、30代40代、まさに人生じゃん。そしてライフステージもどんどん変わるじゃん。その相手にこのハチコロを選びます!って言われてるってすごい。世の中ってすごい。
まじでさぁ、なんもなーーんも言われてないのにここまでポエムを書けるってある種才能だよね。
ほんとに怖くなってきた。どうしようシンプルなお泊まりだったら。てか色々オーダーしなかったの今になって後悔してきた。
はぁ、なにはともあれ次にこれを開く自分が幸せだと良いなぁ、そんなんばっかですよホンマに
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241007 月
【4:30】
ここにしか仕事の進捗のことは書いてない。他人からすりゃ知ったこっちゃないし読み物としても成立させようがないからな
なーんかまた堂々巡りな思考と身勝手な感動を反芻しまくって何時間も潰してしまったな
描くことよりも考える事が楽しくなりすぎてしまったのだ
過去の良い思いでロードしながら思考重ねる事で1万円相当の安らぎと満足を手にする事ができる
毎日1万円の「温みサービス」を受けているかのような幸福度
・
またお腹空いてきた。肉をレンチンして食べ、今日締め切りの原稿を仕上げて色塗らないと...
紙メモ用ドラフト:
-----------------------
【4:35-4:45】
めし。速攻:4:45完了 水くみOK
作画作業(筆ペンによるペン入れ)開始
----------------------- 【5:05】
最も神経を使うロボの��部、どうにか15分でペン入れ完了。エネルギー使った。もちろんそこをペン入れする為に他の優先度低い箇所でリハーサルやって、技の成功率を上げておいた
あとは胸部と脚部か。エリア的には顔の3倍あるから45分かかる計算だが、結構手癖でダラっとやっても問題ない箇所だから(特に足)30分でできるかな
5:35目標でやってみる
----------------------- 【7:24】
また遊んでたな。amazarashiの性善説由来のポエム書いたりして
で、作画の方は線画85%まで進んだ
----------------------- 【9:50】
スキャンしマスク切りし、着彩中。進捗を担当にメール送信済
----------------------- 【19:30】
まだ提出できてない。だいぶしんどくなってきたー
----------------------- 【22:30】
原稿提出終わり。刺激と休息不足。ボルテスVとキャプテン・ファルコンって色配置そっくりだな
疲れた、と書きたかったが疲れてるのはデフォなんだから感じたり記録に残すメリットはないな
忙しい / ダルいがデフォならその状態をただ受け入れて楽しめばいい
楽しく錯覚するのが難しかろうがやるんだよ
錯覚を駆使しなきゃすべてが辛くなるに決まってんだ
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ポエム
歳をとることの喜びと哀しみが 凝縮されたような 僕の毎日 12年前に聴いていた歌を聴いていると あの頃の気持ちが蘇ってきて こういうとき、音楽は時を超えるらしい (過去の音楽が急激に"今"とリンクし始める) そうしてまた喜びと哀しみ���やってくる 酒を飲んでいる時と二日酔いの朝のように (酒は軽微なドラッグだ) あらゆるものから逃げて来たけど あらゆるものを僕は生み出してきた 何もないと今まで思ってきた時間にも そうした僕なりの営みがあると知った
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買ったばっかのパチモン香水盛大に落っことして家の中がソープすぎて永遠に怒られてるなうでございます。なうとか久しぶりに使ったこれまだ生きてる?死語ちゃう!?なんかしらんけど俺昔からボディーファンタジーの石鹸ぷしゅってしてからやないと寝れんオマセくんいまだに健在。寝る前ルーティンひかちゃんある?でもこの子寝落ちするまで起きてるタイプやからなんでも寝れそう、もはや森でも寝れそう。森田やし森。適当ディスココロサレルヤメヨ。まあ俺がひかちゃんのお母さんみたいな話なってたけど絶対的に俺のおかんがひかちゃん。酔っ払い大晴の相手もなんやかんや永遠にしてくれるし我が娘の溺愛っていうよりまざこん?ひかこん?ヒカゴン?なんの話やっけ?眠さのピークが再婚早すぎて全然脳みそ働かんポエムみたいなん書きたいのに!Tumblrの使い手史上いっちばんおしゃれとかけ離れていってる気がする。けどたぶん愛情だけは俺のとこが1番強い自信ある。どこ目指してるんやろか俺は。でもでもでも!ひかちゃんにだけ向けた場所やから後者目指してる方が正しいやんな?なあ?そうといえ!イェスしか認めん!洒落たことは1年に一回くらい言います、結婚は頑張って2日に一回にします。だいすきは毎日にいいます。もう母の日ひかにも送らんといけないかもしれんと、思った本日。俺は確実に世話のかかりまくるやろうやろうけどひかはお金かかるやろうらしいから、おあいこになる?ならん?おかねかかる+性格クソ悪にでもなる?どうにかしておあいこにしてくれん?クズになれクズになれ!ははあ!よっし、おあいこね。だいすきおやすみ。
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令和5年10月22日《改訂版》
トヨタ織機広報部の会話
C:「お正月、帰りたいと思います」
M:「実家帰って、何するの?羽子板とか、凧揚げとか?」
C:「読書して過ごしたいです。綺麗な言葉の本」
宿は、お決まりのホテル、ホテル向かいには、〝裏お伊勢さん〟と呼ばれている神社、
私は、そちらで、ほぼ毎年、一人初詣、
来年こそは、本当のお伊勢さんに行きたい、
〝裏お伊勢さん〟の街は、昔より閑散としており、
トヨタレースクィーンは、代表だけ残ったようで、
地元に戻り、
切ない思いで聴くお昼に流れるsound signal〝スィートメモリー〟、
昔とリテーラーさんも、変わったようで、しかし、博打屋さんでは、自ら回らない。
まさか骨折損だけで、
そこまでなると思っておりませんでしたけれど、気がつきましたら、再び、ここに居るようで、困った私、
今、閉鎖病棟、
昔、職場で、よくご存知でいらっしゃるお姉様の言葉をお借りしますと、
「ここは、病院だよ」
若かりし頃、名門仏教大学院生、及び、
京都・内閣府研究所 研究生、
コロンビア大学を経由で、
兎にも角にも、骨は折れましたけれど、
不意に鉄道車内で起きました骨折は、
手術ギリギリから、
コルセット無しでも、
一段一段、階段を上げれる程度に治りつつ。
日曜日のNEWSをボーッと観ている、
櫻井よしこ さんが、未だ〝情報戦〟と表現していらっしゃいましたけれど、
私達partyが、〝情報戦〟と公(おおやけ)に、表現していた頃は、およそ、20年前の学生時代で、実際には、それ以前、〝情報戦〟とは、戦時中からのお話で、それを、いつまでも、そして、このすでに、general化されたこの現代において、どこまでいくの、〝情報戦〟懐疑、
実は、そういった緊張感の中で、いかにストレスと上手に付き合い、balanceを取るこそが、国家対策ならび、国際と上手く演っていくための、〝精神戦〟ではないか、等と、思いながら、日曜のNEWSとともに、日曜の午前を演り過ごし、この文章を公に提出するのは、26日(木曜日)になると思うのですけれど…と書いたところで、私は、情報に踊らされていないため、一方で、その間、そのニュースについて、踊らされている、dancing in the dark と、26日に、向き合うことも、いたしません、
お昼過ぎに、養父が面会に来てくださり、
Amazonさん、無印良品さん、の通販で、
私が注文購買して、実家に届いた商品を、
ご持参いただく、
入院生活が前向きになる、良品であった、
mental foodになった、
その時刻あたりから、面会の人々が続々と現れる横目に、文章を書いております、
私の血は、豊田織機歯車部品鋳造が、創業主・祖父母の記憶が色濃く残る隔世遺伝最終後任者なのですけれど、
私は、独身ですので、
出家して、仏門に入った祖父福腹子女さんを、引き継ぎ尼となり、トヨタさんの面接では、好きな車会社さんは?とご質問なされたら、ニッサンです!とご返答し、仏教大学首席と、豊田織機歯車部品技術と、投資苦行だけで、生き残っているようなもの、
話は変わり、
電極は、合わせた方が、
酸化・還元的シャープが、美しいでしょうね、
と思う傍ら、
only yesterday,
今夜は、高速道路をPRIUSで飛ばし、
橋が見える湾岸線は、アラビア湾、
高速で走りたいところを、
敢えて控える安全運転、
投資家は、刺激依存症になりやすいとか、
ストレスが溜まっているとか、
そういうわけではなく、
世の中は、accessしていて、泥臭い中、
今は、少しの平安かもしれませんし、
これは、文章のようで��長いポエムでは無いかな?
26日(木曜日)朝5時ごろ起きる、
ホットミルクティー砂糖無しで、
radioを付けると、
「時刻は、5時11分」
と、AI voice と早朝らしいナンバーが、
淡々と流れる、
そもそも、アナウンサーとは、
記事だけを淡々と読むことが仕事だから、
人員削減できて、ちょうどいいと思いますし、
合間合間に、雑学が入るのも、
ちょうどいいと思った今朝、
今日は、病院から、一時外出の日、
良き1日となりますよう
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いちごさんのポエム①

いちごさんのポエムのイメージ��ラストを描かせて頂きました。 https://www.borderlessart.or.jp/ https://artnowa.org/ #障がい者アート #アート #芸術 #イラスト #絵 #絵画 #アウトサイダーアート #アールブリュット #Art #paint #picture #SDGs #福祉 #社会貢献 #CSR #障害者 ----------------------- 新作アートをFacebookでチェック! ----------------------- 日本最大数の障がい者アートが掲示される 障がい者アート専門ギャラリー「アートの輪」の作品は 毎日アートの輪フェイスブックページで公開中です! 「いいね!」いただければ新作がチェックできます! コチラから→ https://www.facebook.com/BAOArtNoWa Read the full article
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今日も
はじめに、この物語はフィクションです。
用事がないのに家を出た。家を出るとお金を使ってしまうのに家を出た。
今日に限っては雨である。野菜は家にあるし、なんとかして食料品をスーパーへ買いに行かなければならないわけでもない。
雨の中半袖で歩き、毎日通る道にあるロイホに入った。
ロイホに行くのは初めてで、ずっとロイホのパフェが気になっていた。
15時15分でも満席。84番の券をとって待つ。
パフェだけを注文しようと思っていたのにクラブハウスサンド(1,023円)も瞬間で注文してしまう。
どちらも美味しく食べたが、自分の中で「またか」という感想も抱いた。
最近こんなことが多い。
そもそもパフェを食べようと家を出たわけでもない。
思いつきでパフェを欲したのは100歩譲るとして、瞬間的な刺激に対して思考がNOという判断を出す前に無意識で対象を手に入れようとする。
クラブハウスサンドを、ホットファジーサンデーを食べながら考えていた。
ストレスや不安を食事で誤魔化しているのか、刺激を欲しているのか、頭がバグって(判断力が鈍って)正しい判断ができなくなっているのか。ネガティブなことが起因しているのは確かだろう。
困った時の処方箋として、大愚和尚の動画を聞く。サムネがぴったりだった。
youtube
あぁ、自分はこんなことまでYoutubeから吸収しようとしているのか、と辟易しながらも為になるお話をいつでもどこでも聞けることに感謝して聞いた。
内容には触れないけれど、涅槃を目指していく中で今の自分にはノイズが多すぎるということなのかもしれないと思った。
負荷がかかっている?かかりすぎ?
いやいや、20代とか関係なくしっかり働ける人でありたいし、時には我慢もしてやると決めたことを遂行したいし、責任負ってリスクとって頑張りたい、そんな自分でいたい元気な時は心の中で考えたり信じているさ、
むしろ負荷がない状態ってヒッピーじゃんか。
でも今堕落で予定外のホットファジーサンデーを貪って、予定外のさらに予定外でクラブハウスサンドまで食ってる。全然金ないのに、しかもロイホで。(美味かったけど)
晩飯はお好み焼きって、決めていたのに。(もちろん食べるが)
無駄遣いだけど、いい気分転換になったからまぁ良しとするか。この口実がもう通用しないくらい自分の思考能力の低下を案じてきている。
そろそろ、雨の中帰らないといけない。
こんなのポエムでもなんでもない。死んだようなメモである。
最後に和尚の動画にあった素敵なコメントを。
私は辛いときに月を見ます。
月は何も言わず、ただずっと常にそこにあり続け
ます。
私が何をしようが、何を想おうが、ずっと昔から、ただそこにありつづける月。
月を見ていると、和尚さんがおっしゃる涅槃というか、ある意味で逃げられない原則つまり死に行き当たり、穏やかな気持ちになります。
月がじっと自分の半生を見ていて、私と月がゴム紐のようなもの繋がっていて、どんな時でも虚無を忘れさせてくれない、そのようにしてくれている、そんな不思議な気持ちになります。
「我らは、ここにあって、死ぬはずのものであると、覚悟をしよう。他の人々はこの理を知っていない。しかし、この理を知る人々があれば、争いは、静まる。」
このお釈迦様の言葉の圧倒的な重さに、最近触れました。
とうとう、はっきり言われてしまった、という感想です。
誰もが希望や興奮の恍惚に耽溺し、怖くて見ない
フリをしているけれども、変えられない原則。
どれだけ頑張って物語を求め、興奮を求め、うわべの自尊心を満たしても、最期の瞬間には裸の自分を、一人で決着しなければならない。

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今日のポエム
10代 20代 の 若者 たちよ
聞け
30代へ 突入 する と
性欲 は 倍増 する
これは 間違いない 事実 だ
あと
ポエマー 名義 で ��る
餓者髑髏 竹千代 が
変換 しても 出て来ず
毎回 コピペ すんの 面倒 だから
普通に 書く事 に する
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2023/08/20
BGM: R.E.M. - Radio Free Europe
今日は休みだった。朝、ZOOMを立ち上げミーティングに参加する。毎月恒例の発達障害を考える会のミーティングで、今回は午前中だけの開催だったのだけど短い中で濃い話ができたと思う。ぼくはロシアの友だちのビクトリアさんからもらっていた話題の「お金の管理について」話すことにしていたのだけれど、直前になってネットラジオ「イタラジ」で自分の詩や断酒会について語ったことから「語ることが衝動買い(ひいては依存症の苦しみ)に効くのではないか」と思ったのでその話も含めてしてしまった。そして他の方の意見をもらった。そうして「吐き出す」「語る」ことで言えばぼくは今はLINEなどで積極的にグループホームの方や友だちに「お弁当が値上がりしていました」「こんなものが欲しいんです」というように送るようにし始めているので、今さしあたってお金のことで(前ほどは)トラブルが少なくなってきたのはそのせいかなと思った。「買ったものを記録して『ふりかえり』『可視化』すること」を薦められたので、さっそく会が終わった後書き損じたノート(もったいないので捨てていなかった)かスマートフォンのメモアプリか何かに「こんなものを買った」と購買記録をつけようかと思い始めた。Discordのぼく自身のサーバでもいいかもしれない。
その後図書館に行く。そこで最初は荒川洋治の本を借りようかと思っていたのだけれど、ふと辺見庸の『青い花』を読みたくなってしまった。辺見庸に関して、思い起こせばぼくは彼のエッセイやルポルタージュしか読んでいないことに気がついた。彼は作家として活躍していた時期があり芥川賞も受賞しているが、実にノーマークでそうした政治的な発言(アジテーション?)ばかり追いかけていたのである。だが、詩人としての顔も見せる彼についてそうした彼の想像力/イマジネーションが織りなす世界というものも見てみたいと思った。なので『田村隆一エッセンス』と一緒に借りることにした。その後ご飯を食べて、グループホームの本部に行きそこでもらっていたボーナスを半額渡した。自室に戻り、さっそく『青い花』を読み始める。そして、「これは実に『あなどれない』作品だ」と思い始めた。彼の詩集や、最近映画化された『月』も読んでみたいと思わせられたし、できっこないのに「この散文のグルーヴ/ノリを真似られないものか」「この文に追いつけないものか」と考えた。書き損じのノートにこうした「ぼくなりの散文詩」「ぼくが幻視した世界」を書いてみる……いや、どう考えても辺見ほどねばり強く書くことなんてできるわけもなく「三日坊主」で終わるのだけど。
『青い花』を午後、そして夕食を挟んで夜の時間を費やして読み終えて、その後ぼくの詩のブログに感想文を投稿する。読みながら思ったのは村上春樹のことだった。というのは、『青い花』を読みながら「これを英語に訳するのは実に『骨が折れる』だろうな」と思ったからだ。村上春樹的な比較的に簡単に英訳できてしまう文体、スムーズに他者に伝わりうる文体というのが一方��してありうる(あくまで「比較的に」である。機械翻訳か何かを通したら彼や片岡義男といった作家の書くものがすんなり訳せてしまうとまでは思わない)。そしてこの辺見庸のように母国語の中でさえゴキゴキにねじれていたりつっかえたりしているような、「リーダビリティ」「読みやすさ」を犠牲にして思念が率直に記述された文体・文章というものがありうる。どちらかであるべきだ……と単純に片付く問題ではないだろう。ぼく自身は英語を学び村上春樹に私淑する身として「言葉の壁を超えた表現」に興味を持つのだけれど、一方でこうした辺見庸的言語実験こそがぼくたちの使う日本語、あるいはその言葉を生み出す想像力/イマジネーションの幅を広げて質を変容させるという可能性も無視しえないと思う。
そして時間があったので、ふと「100の質問」的なものに答えたくなってきて(自己紹介的なコンテンツを作っておきたくなったというのもある)いろいろ調べる。ぜんぜん知らなかったのだけれど七月堂という出版社が、詩人たちに「30の質問」をしているのを読む。ぼく自身、これらの質問をテンプレートとして使えるようなら使いたいと思った。読ませてもらいながら、ぼくと詩の出会いについて考えた。小学生の頃に、長田弘が記したある詩に出会って子ども心に感銘を受けたことなら思い出せる(先生に「筆写して下さい」と言われて、実に子どもには長すぎる詩であり苦労したということもあって、それで覚えているのだった)。だけどそこからさっそく子どもなりに自分でも詩を書くというところには至らなかった。小説にのみ頭が行ってしまったからだ。小説を書く人の人口に比べて、詩を書く人の人口はどうしてこんなにも少ないのか……と書いてみて、いやそうは言えないかもしれないとも思い始める。ネットにはアマチュアの詩(口の悪い人が「ポエム」と揶揄するもの)がゴロゴロ転がっている。そうしたアマチュアリズムに裏打ちされた詩を書く人の増加や詩の広がりについて、前に読んだ相田みつをの書やヒップホップ(都築響一が『夜露死苦現代詩』で指摘していた事実)について考えてしまい、そうして夜は更けていった。
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仕事終わったらすぐ5km走って、シャワー浴びてクールダウンしたらだいたい24時か25時くらいまで絵を描く。この生活、いい感じに続いてたのにあっという間に休止期間に入ってしまった。ほら思った通りなんだってば。人生調子いい時の方が少ないから、頑張れる時に頑張っておかなきゃっていうプレッシャーなんだ。ずっと躁鬱みたいな生活、調子いい時に身体を鍛えて出来るだけ活動してないとまたすぐどこにも行けなくなっちゃう。どうか何も起こりませんようにって思うんだけど起こるんだ。歩くトラブルメーカーだまじで。どこに住んでもなんか人生が忙しい。心が疲れた。
考えることが少ない方がいい。でも感情の起伏がないとクリエイティブが錆びてく気はしてる。デザインでは毎日正解を探してる。適当に作ったものは陳腐で、つまらなくて浅ましい。ずっと正解を探してる。探してると途中で迷子になってただイケてないなってのだけわかって、また振り出しに戻ったりするけど、探し続けると割と正解が見えてくる。長いトンネルを抜ける時のような快感。でもまだまだ修正続き。正解��なって出しても、誰かにとっては正解だったりそうじゃなかったりする。でもいずれも一デザイナーとしての意見なんだから、今度はそこにその人のセンスが見えてくる。理由なんか後付けで感性の問題じゃないかってのもしばしばある。でも所詮商業デザインなら売れるものが何かって言ったらとても難しい。
正解がわからない。正解を探す癖。いつしか人と喧嘩して、どうしよってなって、共通の知り合いに「正解がわからなくて」って相談した時に、「正解なんてないよ」って言われた。彼の言う通り。人間関係に正解はないんだけどさ。でもいつからか、正解は探すようになった。正解は何か。正解は何かってことをさ。考えても答えは出ないし、いやたぶん1番スマートなのは何も言わない何もしないってことなんだと思う。知りたくないことは知らないままに死んでいくのが1番だから。受け入れ難い現実は必要以上に受け入れる必要がない。無関心無感情なのが大人の流行りか。一生懸命何か伝えたとして、そのあと一体何が残る?伝えることに意味はあるのか。感情はただの文字の羅列になって泡のように消えてくとしたら。黙ってた方がずっとマシなんじゃないかって思う。秘すれば花。後になって、語ればみな涙の種。いつしか思い出として振り返るその日まで。って?歌詞にしたり文章にしたり着色を加えて。身体の重さも、回らない頭も一過性のあるものだから。見えないものが見えたり、聞こえない音が聞こえたりするのだってそう。悲しさや虚しさは1番自分に何かを与えてくれる。それを肯定してなきゃ生きてかれない人生だったか。単純に、ネガティブか。長きに渡って。
日曜日はボーッとして、月曜日もボーッとしてでもなんだかひどく疲れていて、早く寝たらよく眠れた。それで火曜日の朝になったら、なんだか無性に悲しい気持ちになった。無性に悲しい気持ちになったけど外は雨が降ってて、今日は出社か、なんとか電車に乗って1時間半くらいの片道、ずっとボーッと音楽を聴いて、今年の夏の為に組んだプレイリストが、あれ、全くコンセプトが変わっちゃうじゃないかって感じ、どれも今は聴けないって飛ばしながら、やっぱ思い出す曲は、結局それか。tetoのdemoのモノクロームワンピース。小池貞利はいったい何を思ってこんな曲作ったんだろうか。調べても歌詞も出てこない。ライブでリクエストしてもそんな曲ねぇよって言うらしい。そんな曲。
人生ではしばしば他人の家で平気で寝れる人を見てきたけど、正直全然わからない。中学時の友人なんて呪怨観ながら寝てたんだけど、いや寝る映画じゃないからって。私の家はいつも実家感があるらしい。よく言われた。全財産持って歩いてるからか、ほどほどに散らかってるからか、ファミリー用の炬燵があるからか、知らないけど。でもまじどんな育ちだよ��て思って見てる。人間ってそんな警戒心無くして生きれるものなのか。夜行バスの方がずっと寝れる。自分の家なのに私の方が眠れない。
あと半年と少しで個展だから集中してたくさん絵を描かなくちゃいけなくて、でも今年はひょっとしたら文章で一冊書き上がるんじゃないかって気すらしてる。絵は描いてるけど人生は順調にうまく行ってない。なんかあった時に、話を聞いてくれた友達も徐々にいなくなってきちゃって、みんな総じて“忙しい”みたいで、やっぱ文章を書くくらいしか自分を保てる何かがなくなっていて。頭が煩くて心は少しずつ削れていくような。こうだったらいいのにって言うのは、いつだってハッキリした意見があって、でもそこはあくまで「こうだったらいいのに。」の行間で生きてる。つまり現実にならないのが前提で、現実が見えないまま終わるのが前提でやっと息ができる内容だ。そんな中で生きる文章だ。
今は笑われる”ポエム”だけど、いつかきちんと形にできたら誰かに届けばいいなと思ってる。誰かの心に届けばいいな。タイトルはもう思いついてて、あとは他人に見せられるように書けるかどうか。
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・今日の日記。
・ちいさなメダカが増えてた。また生まれたらしい。元気に育ってほしいな。
・大雨の被害は大丈夫でしょうか。
・おしゃべりが苦手すぎるけど誰かと話したいので、チャットしたい。(?)
・特撮の実況などを覗いていると、同じく実況してるフォロワーに向けてだろうなみたいなツイートとか、リツイートでそれに感想言ったりとかがリアルタイムで行われており、ツイッターで空リプ飛ばしまくってたあのころを思い出す。
・君たちはどう生きるか、宣伝をしないという宣伝と聞いた。ジブリだからできることだなと思う。観たいですねえ。主題歌の噂もあることだし。
・ツイッターであれだけ喋ってもまだ喋ることがあるらしい。怖いね。本当は黙って作品だけをあげるのがかっこいいし、理想なんだけど、わたしは自分が喋らないともし自分が死んだら誰もわたしの良いと思ったこと知らないままなんだ…嫌だな…こんな最高に読みたいネタを考えてるのに……という気持ちがあり、喋りまくってしまう。読んでくれてありがとうございます。
・なんか、未来に安心感がひとつもなくて、秋のことですらどうなるかわかんないから予定を入れるのが怖くて、直近になって予定を詰めまくってしまう。インテ、本が出せたらいいなあ……。これが最後かもって毎回思ってる。出したいのと出せるのとは別だし、いつ前みたいに本当に虚無になるかわかんないし、できるなら長く書いてたいよ〜。
・と言いながらも、文章を錬成するための脳みそが終わっている。おしゃべりは無限にできるから、喋り口調なら今書きやすいかも。だから最近ずっと一人称のポエムを読んでいる。文章を脳にインプットするしかないんだよなあ。イ〜ン。本もなかなか読めないんだよね。やっぱ本読まなきゃダメかあ。
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詩(和歌) 10月中旬に般若寺で撮ったコスモス。 駐車場が30分まで無料だったのでそそくさと撮りすぎてコスモスキューブ見逃しました…。まだ撮れるかな? 珍しくトラディショナルな和歌を詠んでみたけど、カタカナで「コスモス」なのは浮いているかも…。 年月は 移ろひぬれど 秋桜の 花咲く野辺に 君や待つらむ せっかく作ったから、投稿します❣️ #詩 #ポエム #poem #般若寺コスモス #写真 #プラスフォト #毎日良いお天気☀ #気持ちのいい朝 #秋の1日🍁 #時をこえて #待つ #ファインダー越しの私の世界 #わたしは奈良派 #narajapan https://www.instagram.com/p/CkkV1ETv0sK/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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