#沼津御用邸記念公園
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御用邸めめコラボ
沼津御用邸記念公園コラボ『めめぬりえコンテスト』に参加しました。 https://twitter.com/chimohama/status/1711298363008983169
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御用邸の鎧兜
2012年、沼津御用邸記念公園。端午の節句飾りと鯉のぼりがあるとのことで行ってみた。
沼津かぁ。遠くまで行ったんだなぁw。
#Lightroom#VSCOfilm#photographers on tumblr#lensblr#original photographer#original photography#original photography on tumblr#Nikon#Nikon D90#D90#沼津御用邸記念公園#鎧兜#端午の節句
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ありんこ #沼津御用邸 #沼津市 #紫陽花 #沼津御用邸記念公園 #hydrangea #nostalgia #ant #ありんこ #japan_of_insta #instagram #numa_1 #沼津市役所観光戦略課 #沼津市役所 (沼津御用邸記念公園) https://www.instagram.com/p/CfG7P2GvKqk/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#沼津御用邸#沼津市#紫陽花#沼津御用邸記念公園#hydrangea#nostalgia#ant#ありんこ#japan_of_insta#instagram#numa_1#沼津市役所観光戦略課#沼津市役所
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[2017.11 沼津:沼津御用邸記念公園]
花(キク)
すっごいひさしぶりに行った御用邸 ボーっとするのにちょうどよい
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沼津御用邸で開催した 「珠流河もののふ祭り」より 流鏑馬での師匠と和駒とわたし もののふ祭りということもあり 一部40キロ近い大鎧を纏っての "うまゆみ"でした。 紋付との時代感に違和感はありますがw このうまゆみは、武人と日本の馬にて行われた唯一正真正銘の日本之形です。 また、開催したいですね! 間も無く新元号! 日本弥榮🎌 #流鏑馬 #うまゆみ #沼津御用邸記念公園 #騎馬武者 #珠流河もののふ祭り #倭式騎馬會 #和駒 #鹿島流 #甲冑 #兜 #剣術 #大鎧 #武道 #武士道 #日本刀 #新元号 #emperor #shrine #japanesesword #yabusame #japanesehorse #armor #kacchu #kenjutsu #ooyoroi #bushido #samurai #mononofu #jgrenkenta #拳太 (沼津御用邸 珠流河もののふ祭り) https://www.instagram.com/p/BvqjPZ8HVia/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=5flecewmt0d0
#流鏑馬#うまゆみ#沼津御用邸記念公園#騎馬武者#珠流河もののふ祭り#倭式騎馬會#和駒#鹿島流#甲冑#兜#剣術#大鎧#武道#武士道#日本刀#新元号#emperor#shrine#japanesesword#yabusame#japanesehorse#armor#kacchu#kenjutsu#ooyoroi#bushido#samurai#mononofu#jgrenkenta#拳太
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📸沼津御用邸記念公園 東附属邸・茶室“翠松亭” / Numazu Goyotei Park Higashi-Fuzokutei Garden, Numazu, Shizuoka ② 静岡県沼津市の国指定文化財庭園『沼津御用邸記念公園』は「東附属邸」も素敵…! 明治時代に造営され、大正天皇・昭和天皇・上皇陛下も度々訪れた皇室/皇族の別邸“沼津御用邸”…圧巻の広さの近代和風建築“西附属邸“と更にもう一つ、国宝茶室『待庵』の写しを備えた“東附属邸“。“旧沼津御用邸苑地”として国指定名勝。 ...... 続き。その一角にある茶室🍵が“翠松亭”と“駿河待庵”。これらは公園になった後、平成年代に新たに建立されたもので、“駿河待庵”はその名前の通り千利休による京都・大山崎の国宝茶室“待庵”の写し。 . この周辺の露地庭園が沼津御用邸記念公園の中で最も「日本庭園っぽい」エリアで、翠松亭の前からの沼津アルプスの山々の借景も美しい!設計は京都 #空間創研 。 . …ただ公式サイトに載っているかつての露地の写真と比べると、苔も根付かず飛び石が土に埋もれ(地盤沈下なのかな)当初の美しい姿とは異なる。 . 言って沼津は静岡のいち地方都市、なかなかそんな茶会とかで使われる回数も多くないだろうしなあ…。 それでも西附属邸だけ見て終わってしまうのはもったいない!のでぜひ東附属邸もチェックしてみて。 . 沼津御用邸記念公園 東附属邸・茶室“翠松亭”の紹介は☟ https://oniwa.garden/numazu-goyotei-east-suishotei/ // 【存続のためのお願い】 庭園情報メディア「おにわさん」存続のため、新オーナー(組織)を募集しています。詳しくは「おにわさん」で検索し、ウェブサイトよりご覧ください。 \\ ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #japanart #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #bonsai #landscape #landscapedesign #建築デザイン #庭園 #日本庭園 #庭院 #庭园 #造園 #静岡庭園 #静岡公園 #静岡旅行 #静岡観光 #文化財庭園 #おにわさん (沼津御用邸記念公園) https://www.instagram.com/p/CiBwtYYPSQA/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#空間創研#japanesegarden#japanesegardens#kyotogarden#zengarden#beautifuljapan#japanesearchitecture#japanarchitecture#japanarchitect#japandesign#japanart#jardinjaponais#jardinjapones#japanischergarten#jardimjapones#bonsai#landscape#landscapedesign#建築デザイン#庭園#日本庭園#庭院#庭园#造園#静岡庭園#静岡公園#静岡旅行#静岡観光#文化財庭園#おにわさん
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「怖いの…寒いの…私は哀れな生贄
村人を助ける為、この命、差し出したのに、
囚われの身のまま、私は死の恐怖に苛まなれながら、まだ生きている。
今日限りの命なの?それとも…」
- クシナダ姫

It was an honour to play the role of goddess Kushinadahime for the 50th Anniversary of the Numazu Imperial Villa Memorial Park
I played the role of goddess Kushinadahime who appears in the ancient Japanese texts, the ‘Kojiki’ ( c. 680 AD) and ‘Nihon Shiki’ (c. 720 AD). It was an honour to hold the legendary Kusanagi no Tsurugi sword (a replica of course!!), one of the three sacred Imperial Regalia of Japan. A big deal in Japan!
クシナダ姫の幻影を表現させて頂きました。美しいお衣装のおかげで役に入り込みやすかったです
皇室と深い繋がりがある沼津で、古事記からのワンシーンを演じることができ光栄でした。三種の神器の一つである、草薙の剣を扱う場面は流石に1番緊張しました!!


一度っきりの舞台。もったいないのでまたどこかでお届けしたいものです。素敵な出会いに感謝

##クシナダ姫 ##Kushinadahime #JapaneseMythology #神話 #沼津 #沼津御用邸 記念公園 #KusanaginoTsurugi
#草薙の剣 #三種の神器 #YamatanoOrochi #東儀秀樹 さん #西島数博 さん #鳥居かほり さん #三田和代 さん





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沼津御用邸記念公園 https://www.instagram.com/p/Cl-myYyu377/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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松林の風
2012年、沼津御用邸記念公園。
松の合間を駆け抜ける風に鯉のぼりが泳ぐ。
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傾いてる… #奥駿河を拡めたい #奥駿河 (at 沼津御用邸記念公園) https://www.instagram.com/p/CffK2foB-hU/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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散策研究会 Cadavre K 「徘徊する観察者 Vacant Lot」
散策研究会 Cadavre Kによる展覧会
「徘徊する観察者 Vacant Lot」
をTABULAEで開催いたします。
※散策研究会 Cadavre Kとは、2011年から開始された、美術家北川裕二によるプロジェクトの名称です
–
|会場|
TABULAE (墨田区向島 5-48-4)
|会期|
2018/11/24 (土) - 12/16 (日)の金土日
- 金 15:00 - 20:00
- 土、日 14:00 - 20:00
※曜日によって開場時間が異なりますのでご注意ください
オープニングレセプション
11/24(土)18:00 - 20:00
|イベント|
第5回 漂流教室 「まわり道してTABULAEに向かう」
12/8(土)14:00 - 17:00(終了時刻は前後する場合があります)
集合場所 東武スカイツリーライン/東武亀戸線 曳舟駅改札口付近
定員 5名
参加費 無料(要予約 参加申込み締切12月6日)
東武曳舟駅に集合し、3時間ほどかけて墨田区京島、向島エリアを散策しながらTABULAEに向かいます(台風・雷雨・地震・大雪など災害級の天候以外は、雨天でも決行します)。
>漂流教室について
��こちらのイベントは定員に達したためご予約の受付を終了いたしました
アーティストトーク
12/15(土)18:00 - 19:00
ゲスト 沢山遼(美術批評)
定員 15名
参加費 1000円(要予約 参加申込み締切12月14日)
美術批評家の沢山遼氏をゲストに迎え、アーティストトークを行います。ゴードン・マッタ=クラーク展図録に掲載された沢山氏の論考「都市の否定的なものたち ニューヨーク、東京、1972年」を参照しながら、都市、写真、散策と介入といったトピックについて議論します。
沢山遼 1982年生まれ。美術批評。武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程修了。2010年「レイバー・ワーク──カール・アンドレにおける制作の概念」で『美術手帖』第14回芸術評論募集、第一席。主な論文に「ニューマンのパラドクス」田中正之編『ニューヨーク 錯乱する都市の夢と現実(西洋近代の都市と芸術7)』竹林舎、2017年。「ウォーホルと時間」『NACT Review 国立新美術館研究紀要』第4号、2018年。「都市の否定的なものたち ニューヨーク、東京、1972年」『ゴードン・マッタ=クラーク展』(東京国立近代美術館、2018年)など。
※両イベントは予約制となっております。参加をご希望される方は、件名を「漂流教室予約」または「トーク予約」とし、①お名前②ご連絡先③希望日時④人数 をご記入の上、[email protected]までメールをお送りください。
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『徘徊する観察者 Vacant Lot』開催にあたって|散策研究会 Cadavre K
散策研究会 Cadavre Kとは、2011年3月11日の東日本大震災に強烈な衝撃を受けたアーティスト北川裕二によって、同じ2011年から開始されたプロジェクトの名称です。今回のTABULAEでの新作展が、散策研究会 Cadavre Kとしては初の個展になります。あれから8年が経ったとはいえ、むろん福島第一原子力発電所は「収束」などまったくしておらず、同じように大地も揺れ続けています。したがって今回展示される作品は、そのどれもが3.11以後に制作されたものであるとしても、 むしろ“3.11下”のそれであるといってよいでしょう。
散策研究会 Cadavre Kは、以来、痙攣するこの世界を継続的に観察・記録しつづけてきました。しかし、その観察対象は福島県や岩手・宮城県などではなく、意外にもいま私たちが立っているこの場所でありました。観察対象への姿勢は当初、何よりもまず、直立二足歩行する私たちの、この足元の地面への関心から始ったのです。そのうえに築かれたあらゆるものは幻想なのではないか。であるとするならば、幻想はいかにして自然との関係を取り結んでいるのか。対立関係にあるものどもの、相反する構造(システム)と構造(システム)が、否が応でも接せざるをえない境界線、エッジが、あるいは「構造(システム)」の回収し得ない外部的なものが、観察対象として注目されました。
ほとんどの散策は、日中のほぼ一日をかけて台地や低地をひたすら歩いて横断していくというものでした。“下町”と呼ばれる沖積低地、“山の手”と呼ばれる洪積台地、あるいは武蔵野平野、奥多摩山間地など。地形学の地形区分に従っていえば、 多摩面(T面)、下末吉面(S面)、武蔵野面(M面)、立川面(Tc面)の特徴と、それらが接する際に発生する崖線等の境界線や河川についての知識が事前に取り入れられもしました。定点観測ならぬ、歩行による動線観察が何度もくりかえされ、各地域・エリアにそれぞれ漂う特有のアトモスフィア、ムードは、散策者の心理状態の変化に影響を及ぼすことが確認されました。そうして、しだいに「東京の自然史」(貝塚爽平)が把握されていったのです。散策研究会としての散策は、これまでに123回を数えます。
また、同時に、踏み固められた地面の上に存在するあらゆるもの、すなわち植生・気象・家屋との関連全般が観察対象となり、写真に記録されていきました。散策またその写真記録は、当初、アートとしてはまったく考えられてはいなかった。むしろ、3.11の衝撃は、自然災害においてのみならず、政治的・文化的にもアートの「創造」的な「表現」による「生産」を不可能にしたように思えたからです。したがって、今回の展示においても、それへの疑いが根底にはあることを記しておきます。
地形・植生・気象・家屋の全般を観察対象にするということは、いかなる些細な事象も見落とすことなく全体を知覚・認識するということ。世界のすべてを対象にするということです。生態学的に言えば、個体のみならず、個体群、群集といった階層を異にするもの全般を、そしてまた、位階秩序の異なるそれらの影響関係をも観察・記録対象にするということでもあります。身の回りの環境や社会、つまりは生活を成り立たせているアレコレは、そのようにアレやコレやソレとして一括りにされて���記憶・記録から排除されてもきました。散策研究会が関心をもったのは、まさにそのような無数のアレやコレでありました。衝撃とは、近代化の名の下に隠蔽・排除されたものどもが、「原発震災」(石橋克彦)によって再び私たちの世界に回帰してきた、そのことにあったというわけです。
写真というメディアは、このような研究にはうってつけの道具でした。なぜなら、カメラの眼は原理的にいって、ヒトの眼と違い、“すべてのものを等価なもの”として扱うことができたからです。眼で見ていたときには見えなかったものが写真には写りこんでいたというのは、カメラのこの等価性、すなわちあらゆるものを平等なものとして、なんでも選ばず記録してしまう、このアナーキーな機能によるところのものではないでしょうか。
本展は、こうしたカメラ・写真の可能性を再び抽出しようとする試みでもあります。そこには、“すべてのものが等価なもの”として記録されている。しかし、そうであるがゆえに、その可能性は、他方で、ブレもピンボケもなく構図もしっかり撮れているにもかかわらず、“誰が、いかなる目的をもって、誰のために撮影したのか、皆目見当のつかない、まったく不明なる写真”という、実に奇妙に倒錯した(不)可能性の窓をも同時に開いてしまうのではないでしょうか。この点に、写真の機能が孕む矛盾が見てとれます。そこに提示されているのは、いわば世界の「無名性」のことにほかなりません。実現しているかどうかはさておき、このような写真の(不)可能性を本展では模索しています。
セレクトされた写真と映像は、昨年から今年にかけて撮影されたものに限られています。撮影箇所は主に武蔵野面(M面)の東端であり、区としては、中野区にあたります。中野区の同じエリア、環境をくりかえし何度も徘徊する。そのようなことはこれまでに一度も試みたことがありませんでした。
そしてこのことは、先程「武蔵野面(M面)の東端」と書きましたが、本展においては、地形的特徴への関心が次第に後方へと退き(薄らいだわけではありません)、かわって植生(主にヒト)と家屋、そして何よりも気象への関心が全体に配されてくるものへと推移してきたことと関連しています。くりかえし同じエリアをおとずれる散策スタイルは、写真の機能をより自覚的に操作しようということに、何らかの影響を与えていると感じています。
本展のコアとなる作品群は四部構成となる予定です。 ①独立した1点ものの「写真作品」 数点 ②数点の写真が組み合わされた「写真作品」 数点 ③液晶ディスプレイもしくはプロジェクターで鑑賞する「スライド作品」 ④液晶ディスプレイもしくはプロジェクターで鑑賞する「映像作品」 ①~④の作品にはシリーズとしてのメインタイトルと、各作品としてのサブタイトルが付されています。各メインタイトルは、①Survey Point (測量点) ②Photogrammetry(写真測量法) ③Voronoi Diagram(ボロノイ図) ④Skid Movie(横滑りの映画)となっています。また、参考資料として、本展の作品に関係する散策ルートを図解したパネルも展示する予定です。
また、本展覧会としてのメインタイトルとなった“Vacant Lot”ですが、これは日本語では空閑地のことです。一時的に未使用になった空き地。英語名にしたのは、“Vacant Lot”という言葉に興味をもったからです。この“Lot”には、くじ、運、運命という意味があるようで、それが一時的に空き地となった区画を指す言葉にも使用されているというのがおもしろかった。“偶々割り当てられたもの”としての空閑地。文字通りに訳せば、“空っぽの運命”です。
これは、今年国立近代美術館で回顧展が開かれたゴードン・マッタ=クラークの仕事を想起させます。カタログに掲載された美術批評家沢山遼氏の論文にマッタ=クラークの発言が引用されていて、瞠目しました。以下、孫引きですが引用させていただきます。
「グリーン通り112番地でやったアナーキテクチャーの展覧会は[…中略…]なんらかの強い形式性によって固定されることのない、固定化した建築的ヴォキャブラリーの外部にあるものについてのものだった。[…中略…]ぼくたちが考えていたのは、隠喩的なヴォイド、空隙、残余的空間、未発展的な場についてだった。[…中略…]たとえばそれは、立ち止まって靴紐を結び直すような、日常的な動作がふと遮られるような場だ。そのような場は、知覚的な重要性を帯びていると思う。なぜならそこで人は動的な空間に触れているんだ。」 (「ゴードン・マッタ=クラーク展」カタログ p.265)
つまり、“Vacant Lot”とは、この解けた靴紐のことなのかもしれません。紐が解けて固定された意味が一時的に宙吊りとなる時。場所。その瞬間はおそらく、九鬼周造のいう偶然性のごとく「現実性へスルリと滑ってくる推移のスピード」を持っているに違いない。“無”が偶然性によってもたらされるということ。環境、生活、世界への認識を深め、未来を洞察するにも、このような人と自然の接するエッジに現象するささやかな出来事に対する認識をさらに深めていく必要がありそうです。今回の展覧会がそのような世界への見方、感じ方、考え方に寄与できれば幸いです。
最後に、Cadavre KのCadavreはフランス語で、日本語では死骸のことです。したがって、Cadavre Kは、死骸キとなります。“キ”とはキタガワの“キ”のことです。3.11以後のプロジェクトにそう名付けたのは、このプロジェクトがそれまでの作品とはまったく異なることもありましたが、同時に、3.11以後、偶々生き残った=生き延びているという感覚を今も持ち続けているからにほかなりません。それは、どこか幽霊的に仮���された作者名といえるでしょう。
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散策研究会 Cadavre K
2011年から開始された、美術家北川裕二によるプロジェクト
漂流教室
第一回 霊岸島から埋立地へ (2015/milkyeast) http://ur2.link/N8ZH 第二回 河岸と下町低地(2015/milkyeast) http://urx.red/N901 第三回 山の手の<むらぎも>を巡る(2016/路地と人) https://rojitohito.exblog.jp/22767074/ 第四回 崖線上のカフカ──中野区を歩く(2017/路地と人) https://rojitohito.exblog.jp/23871177/
散策研究会 これまでの主な散策エリア
001 2011_06_11 新宿御苑 002 2011_06_18 等々力渓谷 003 2011_06_25 赤坂見附 004 2011_06_29 丸の内線・四ッ谷駅 005 2011_07_02 下末吉台 006 2011_07_06 迎賓館・明治公園 007 2011_07_09 市ヶ谷・飯田橋 008 2011_07_16 お茶の水・神田川・隅田川 009 2011_07_22 野川 010 2011_08_06 新木場 011 2011_08_11 高尾山 012 2011_08_20 隅田川・スカイツリー 013 2011_08_25 菊名・獅子ケ谷・下末吉台 014 2011_09_02 渋谷川 015 2011_09_08 皇居・日本青年館 016 2011_09_11 新宿・原発やめろデモ 017 2011_09_17 渋谷川・古川 018 2011_09_19 さようなら原発・渋谷川 019 2011_09_24 赤坂 020 2011_10_01 善福寺川 021 2011_10_07 港の見える丘公園 022 2011_10_13 山手 023 2011_10_22 宇田川跡 024 2011_11_03 御岳山・ロックガーデン 025 2011_11_09 巣鴨・田町・谷中 026 2011_11_12 神田川・小日向台 027 2011_11_17 都電荒川線・王子・荒川 028 2011_12_03 愛宕山 029 2011_12_14 上野・根津・谷中 030 2011_12_15 弘明寺 031 2011_12_21 荏原台 032 2011_12_30 立川段丘 033 2012_01_01 狭山丘陵 034 2012_01_05 三殿台遺跡 035 2012_01_12 目黒自然教育園 036 2012_01_19 明治神宮 037 2012_01_26 清瀬 038 2012_02_04 深大寺・府中 039 2012_02_08 江戸前島 040 2012_02_15 江戸前島 041 2012_02_24 浜離宮 042 2012_03_03 吉見百穴 043 2012_03_15 江東区・運河 044 2012_03_17 江東区・運河 045 2012_04_07 神楽坂 046 2012_04_14 渋谷川・明治神宮 047 2012_04_20 町田・自由民権資料館 048 2012_04_28 市ヶ谷・早稲田 049 2012_05_17 町田・自由民権資料館 050 2012_05_26 江東区・戦災センター 051 2012_06_07 全生園・滝山団地 052 2012_06_14 清瀬 053 2012_06_16 京島 054 2012_06_23 玉川上水・首相官邸前 055 2012_06_29 首相官邸前 056 2012_07_12 神��� 057 2012_07_13 首相官邸前 058 2012_07_16 代々木・さよなら原発 059 2012_07_02 新富町 060 2012_08_08 六郷土手 061 2012_08_12 日野 062 2012_09_08 本郷台地 063 2012_09_15 東京湾・葛西臨海公園 064 2012_10_06 生田緑地 065 2012_11_10 青梅・横田��地 066 2012_12_01 大山 067 2013_01_12 渋谷・元麻布・六本木 068 2013_01_14 獅子ケ谷 069 2013_04_13 日本橋川 070 2013_04_27 小平・玉川上水 071 2013_05_25 赤坂・六本木 072 2013_06_06 代官山 073 2013_07_07 東京駅地下通路 074 2013_07_13 王子・吉原・スカイツリー 075 2013_07_27 多摩丘陵・百草団地他 076 2013_08_17 中央防波堤埋立地 077 2013_08_24 仙川 078 2013_08_26 谷中墓地 079 2013_10_26 渋谷・地下道 080 2013_11_09 京島 081 2013_12_28 山手 082 2014_04_24 池袋 083 2014_05_17 高田馬場・神田川・淀橋 084 2014_06_27 駒込・田端 085 2014_07_13 平林寺 086 2014_09_06 秩父 087 2015_05_16 湾岸埋立地 088 2015_07_20 白山 089 2015_11_22 深川 090 2015_12_11 武蔵五日市 091 2015_12_12 武蔵五日市・城山 092 2015_12_18 戸山公園 093 2015_12_26 板橋・赤塚 094 2016_01_06 深川・森下 095 2016_02_02 国分寺崖線 096 2016_02_26 立川段丘 097 2016_04_03 日立研究所 098 2016_05_31 水道橋・小石川・白山 099 2016_10_18 神楽坂・近美・湯島 100 2016_12_06 佐伯祐三・熊谷守一美術館 101 2016_12_13 南青山 102 2016_12_20 原宿・渋谷 103 2016_12_23 戸山公園 104 2017_04_04 野方 105 2017_04_07 江古田 106 2017_05_12 上高田 107 2017_06_09 上高田・野方 108 2017_08_15 池尻大橋 109 2017_08_17 池の上・高円寺 110 2017_08_29 桃園川 111 2017_09_15 中野区南台 112 2017_09_20 新宿住吉町 113 2017_09_22 所沢 114 2017_10_10 中野区中野台地 115 2017_10_20 野方 116 2017_10_27 新宿末吉町 117 2017_12_15 沼袋 118 2018_04_24 鷺宮 119 2018_05_29 中野区中心エリア 120 2018_06_12 野方・沼袋 121 2018_06_15 杉並・堀の内 122 2018_07_06 野方・中野区中心エリア 123 2018_09_11 野方
北川裕二
1963 東京に生まれる
主な個展
1990『形のローカリズム』 ギャラリー現(東京) 1991『A PALASITE/READY-MADE SUIT MIX』 ルナミ画廊(東京) 1992『短絡的接合体』 モリス・ギャラリー(東京) 1992『分裂機械としての身体』 ルナミ画廊(東京) 1992『暮らしの変換』 モリス・ギャラリー(東京) 1993『格子/闘争』 MARS GALLERY(東京) 1993『歴史改造パズル』 GALLERY・GEN(埼玉) 1996『What is a hole?/Make a revision of…』 SHIKI FUJIMORI GALLERY(東京) 2005『Random Open Textured』 MARU GALLERY(東京) 2006『Dust passes through the window』 GALLERY OBJECTIVE CORRELATIVE (東京)
主なグループ展
1990『Bゼミ展』 横浜市民ギャラリー(神奈川) 1992『Project for O.T』 ギャラリー・サージ(東京) 1993『In Between』 FLOATING GALLERY(東京) 1993『CONSTRUCTION IN PROCESS』 ARTIST'S MUSIUM(ウッジ、ポーランド) 1994『身体美術感』 ハラ・ミュージアム・アーク(群馬) 1995『The Age of Anxiety』 The Power Plant(トロント、カナダ) 1996『ATOPIC SITE(On Camp/Off Base)』 東京ビッグサイト(東京) 1996~98『Maniacs of Disappearance』 国立美術館(ブエノスアイレス、アルゼンチン)、Austrian Musium of Applied Arts (ウィーン、オーストリア)、その他オランダ、イタリアなど巡回 1999『第34回今日の作家展 APPROACHING REALITY』 横浜市民ギャラリー(神奈川) 2010『City Beats + Live explosions』 BankART1929(神奈川) 2015『無条件修復—UNCONDITIONAL RESTORATION』 milkyeast(東京)
散策研究会──地殻を近くで知覚する
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Numazu Goyotei is an imperial villa that was built in Shizuoka in 1893. It was used by emperors in the Meiji, Taisho and Showa Era. It was abandoned in 1969, and reopened to the public as “Numazu Goyotei (Imperial Villa) Memorial Park” in 1970. Very interesting blend of traditional Japanese and western styles!
沼津御用邸記念公園2
西付属邸内部。御用邸で使われていた扇風機と電気ストーブ。





他に湯船のない流し場だけの浴室や、台所(別の呼び方だったですが失念しました。)も興味深いものでした。ビリヤードの台が置いてある玉突き堂もありました。
邸内で日本画家の画展が開かれていて思いがけず美しいものを何点か見ることができたのが幸いでした。その場所は写真撮影は禁止だったのでチラシをどうぞ。

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📸沼津御用邸記念公園 / Numazu Goyotei Memorial Park, Numazu, Shizuoka ② 静岡県沼津市の国指定文化財庭園『沼津御用邸記念公園』が素敵…! 明治時代に造営され、大正天皇・昭和天皇・上皇陛下も度々訪れ長く利用された皇室/皇族の別邸“沼津御用邸”…圧巻の広さの明治時代の近代和風建築にインテリアと、駿河湾を望む“旧沼津御用邸苑地”として国指定名勝のランドスケープ。 ...... 続き。で、ここから「西附属邸」について。「附属邸」という名前だけれど、めっちゃくっちゃ広い…。日本各地には新旧多くの別荘があるだろうけど、「附属屋」がここまで広い別荘はさすがに無いかも。 . 本邸・東附属邸に次いで1905年(明治38年)に後の昭和天皇のために設けられた西附属邸。その一部は元々は前述の川村純義伯爵の別荘として建てられていたものなので、建築年代は更に古い。 . その別荘を買い上げた上で順次増築を重ね、大正11年に御玉突所(ビリヤード場🎱)の増築をもって現在の姿となりました。 . その部屋数は26、平屋建ての建築の広さは1,270平方メートル。庭園みたいな広さの単位。 全体的には純和風建築で、近代和風建築によくある数寄屋風の凝った意匠…とかはほぼ見られないのですが、シャンデリアなど洋風のインテリアで飾られた“謁見所”、庭園に面しソファーの置かれた“御座所”等からはその格式の高さが伝わってくる! . 西附属邸から駿河湾へ向けて庭園が広がります。ザ・日本庭園というよりは比較的シンプルな庭園で… 海の中の島々を表現するかのような庭石が配されてはいるけれど、それらの主張も強くなく(唯一、温暖さを感じさせるソテツだけ主張が強め)、松林の景観を最大限に活かつつ、松林越しに駿河湾〜対岸の山々をのぞむ眺望が重要視された庭園。 . 公式サイトの昭和年代の写真で見ると建物の前はも少し芝生の広場って感じだったのかな。 . なお2016年に文化財指定を受けた際に名前が「庭園」ではなく「苑地」となったのは、建築から眺められる庭園だけでなく、松林や駿河湾の眺望といったランドスケープ全体、貴重な御用邸の石積なども含め評価・保存の対象となったため。 . 明治時代の和風建築も重要文化財級の価値がきっとあるんだろうけど、国指定名勝で公園全体を保護することで建築も対象になっている…的な事例です。 東附属邸に続きます。 . 静岡・沼津御用邸記念公園(西附属邸)の紹介は☟ https://oniwa.garden/numazu-goyotei-memorial-park/ // 【存続のためのお願い】 庭園情報メディア「おにわさん」存続のため、新オーナー(組織)を募集しています。詳しくは「おにわさん」で検索し、ウェブサイトよりご覧ください。 \\ ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #japanart #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #landscape #landscapedesign #ランドスケープ #建築デザイン #庭園 #日本庭園 #庭院 #庭园 #静岡庭園 #静岡旅行 #静岡観光 #近代和風建築 #近代建築 #文化財 #文化財庭園 #おにわさん (沼津御用邸記念公園) https://www.instagram.com/p/Ch_8apNPdw9/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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浮島沼形成過程を学ぶ
市民歴史講座 瀬川裕市郎さんに黙祷
高尾山古墳を守る会(杉山治孝会長)は26日、市民歴史講座を金岡地区センターで開いた。静岡地学会東部地区代表の増島淳さんが沼津周辺の地形の変遷について話したほか、会事務局により古墳保存と道路整備両立のための設計競技(デザインコンペ)に対する見解が示された。
増島さんは「浮島沼はこうして形成された」というテーマで田子の浦砂丘の形成と気候変動の関係について話した。
田子の浦砂丘は富士川左岸より沼津御用邸記念公園付近まで広がる砂丘で、周辺と比べて土地が盛り上がっている。この砂丘の形成には、富士川から駿河湾に流れる土砂と気候変動が関係しているという。
地球ではこれまで、気候が寒冷化する氷期と温暖化する間氷期が交代で訪れていた。これは太陽と地球の位置関係が影響している。氷期には海面が低下して陸地が増え、間氷期には海面が上昇して陸地が狭まる。海面上昇による陸地の減少は海進と呼ばれている。
縄文時代には氷期の終わりによって大規模な海進が起き、現在の沼津市内の平野部や田方平野などは海中に沈んでいた。このころ、富士川によって駿河湾に流入した土砂が浅い海底に沈殿し、現在の大瀬崎や戸田御浜岬のような砂嘴(さし)と呼ばれる地形が形成されていた。
その後の弥生時代には、寒冷化によって海面の低下が始まり、市内平野部や田方平野の陸地化が始まった。この陸地化で砂嘴が砂丘になり、砂丘と陸地に挟まれた低地が浮島沼になったという。
このほか増島さんは近世以降の地図や写真を紹介し、近代になっても浮島沼が残っていたこと��解説した。
講演終了後、守る会役員によりデザインコンペに対する見解が示された。
現在、コンペは1次選考が終了し、7案の中から4案が選抜されている。同会では、4案のうちの「築土構木へ立ち返る」と題する案(受付番号4)が望ましいと考えているという。
その理由として、ガイダンス施設(説明施設)が最も充実していると考えられることが挙げられた。
◇
講座の冒頭、守る会副会長を務めた故瀬川裕市郎さんに対し、参加者約40人によって黙祷が捧げられた。
瀬川さんは元市教委学芸員で、専門は考古学。2015年5月に高尾山古墳の保存問題が始まると、守る会の前身組織の1つである「高尾山古墳を考える会」を結成し、保存要望運動の牽引役の1人となった。
専門家としての立場から、様々な市民向け古墳学習会を企画して運動の興隆に努めたほか、昨年6月に沼津市内で開催された文化財保存全国協議会第50回大会の準備にも奔走した。
瀬川さんと共に保存要望運動に携わってきた杉山会長は、瀬川さんは活動の当初から参加され、活動への思いが強かった。郷土史の専門家として様々なアイデアを出してくださっただけでなく、その人脈を生かして守る会と多くの専門家をつなぐ役割も果たされた。亡くなられて本当に残念。彼の遺志が生かされ、沼津の誇りとなるような古墳の保存と活用が行われることを希望します」と話している。
【沼朝令和2年1月29日(水)号】
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久しぶりだ (沼津御用邸記念公園) https://www.instagram.com/p/Cl-lSaNOGJf/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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