#浦上記念館
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21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa
1年ぶりくらいの21世紀美術館。
ゴールデンウイークなので人出が凄くて吐きそう。
(尋常ではないくらい人が沸いている)
今回、有料コーナーは見たい作品がなかったので無料で鑑賞できる「POP UP ART」を鑑賞。
写真最初のインスタレーションは米国コロンビア大学の視覚芸術教授Sarah Sze��サラ・ジー)の作品「喪失の美学」。
大量生産される製品のみで制作されているらしく、建築的構造の中に自然のプロセスを表現しているそうで、巨大な未来都市の形をしたシャンデリアのようでちょっと素敵。
次のコンクリート作品は、支配構造への反発たるパンクの精神で作品を制作するスイス人作家ユニットのペーター・フィッシュリ(Peter Fischli ) ダヴィッド・ヴァイス(David Weiss)で「
無題・コンクリート・ランドスケープ」。
21美の中にこれだけ客がいるのに何故かここだけ一人も客がいない(笑)。
そっとガラス越しに作品に近づくと案内係の美術員さんがアイコンタクトで奥へと手招き(笑)。誘われるまま、誰もいない外の広いフロアにポツンと佇むこちらの綺麗な長方形のコンクリートを鑑賞開始。
しかし、不思議だ。
何の変哲もないコンクリートの塊なのに、誰もいないところでひとりで鑑賞していると、あらゆる雑念が消えて無の境地というか禅の世界観というか、不思議な感覚を覚える(笑)。
屋外で展示されると、時間と共に雨や光にさらされて埃がたまり、苔が生え、表面に凹凸が生じ、自然の変化が反映される風景表現となるということらしい。
なるほど、このコンクリートの塊から「詫び寂び」を感じ取った自分のセンスは間違いはなかった。
(なんやねん。笑)
2003年のヴェネチア・ビエンナーレで金獅子賞も受賞しているほどのユニットだけあって、こんなありきたりのコンクリートで哲学するパンキッシュなペーター・フィッシュリ& ダヴィッド・ヴァイスには今後も注目。
その他にもいろいろなアーティストの作品があったけど、今日はここまで。
帰り際、美術館前の石浦神社から上下黒の法被を着た子供中心の和太鼓奉納演奏が聞こえてきたけど、リズムが普通の「和」のリズムではなくベリーダンスなんかで有名な「アラブリズム」(笑)。
(なんとセンスのいい子供たちなんだ!)
このリズムに気が付いた自分のセンスの良さに再び感動。
そして、観光客にいつものように記念撮影を頼まれて、いつものように笑顔で��解する。
そして夕日を浴びながらフランス人とイタリア人とブラジル人とドイツ人とロシア人でごった返す長町武家屋敷を通って実家に帰宅。
(中国人はほとんど見かけなくなった)
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2025年3月16日(日)

西本願寺の宿泊施設・聞法会館では、<おてらくご>という落語会を(コロナ前までは)時々開催されていた。今回久しぶりの開催ということで、会場へ行くつもりであったが(天気が悪いので)YouTube配信を楽しんだ。今日は笑福亭松喬師、本願寺に関わりの深い「お座参り」を初めて聴かせていただいた。画面でおわかりの通り、Appleの教職員割引の最後の戦利品=iPadMiniの初めての出番でもあったのだ。

4時45分起床。
日誌書く。
ツレアイの起床を待って、洗濯開始。

朝食には、昨晩の鍋の残りの野菜をいただく。
珈琲をいれる。
洗濯物を干す。

noteから5周年記念のバッジが届く。コロナによる在宅ワークを意識して、<私と落語>というメモを書き始めたのが最初だった。4月からは、noteの役割についても、再考しないといけない。

ライフ西七条店で買物、特売のハウスの袋麺、2割引の鶏もも肉。
BSでカーリング世界選手権予選(女子)を観つつ、iPadをセットして<おてらくご>の開演を待つ。
笑福亭松喬師の「お座参り」「テレスコ」の2席を楽しむ。

ランチは2色スパ、タマゴとブロッコリー・ベーコンとピーマン。
録画番組視聴、土曜は寅さんから
第22作 男はつらいよ 噂の寅次郎
旅の途中、静岡県の大井川にかかる蓬莱橋で雲水(大滝秀治)に、“女難の相”があると見立てられた寅さん。早速、失恋した小島瞳(泉ピン子)を慰める。さらに、木曽路をゆくバスの中で、博の父・飈一郎(志村喬)と再会。「今昔物語」を例えに“人生の儚さ”を教えられ、柴��へ戻ってくる。ちょうどその頃、とらやには、美しい女店員・荒川早苗(大原麗子)がつとめていた。美人の出現に「今昔物語」もなんのその、張り切る寅さんだったが… 離婚を決意して別居中の美しき人妻、荒川早苗に大原麗子。早苗と二人きりのとらやでの寅さんのリアクションがおかしい。第1作、第8作に続いて、これが三度目となる志村喬演じる、博の父と寅さんの絶妙のやりとり。コミュニケーション不全の博よりも、飈一郎と寅さんとの関係は濃密である。「今昔物語」が、いつしか「コンニャク物語」になってしまう寅さんにとって、やはり美女の出現は、人生そのもの、という展開の妙。早苗のいとこで、彼女に密かな好意を寄せている高校教師・添田肇を、東映の室田日出男が好演している。
軽く午睡。

セントラルスクエア花屋町店で買物、煮出しパック・削り節・小麦粉・アスパラガス・茄子。
今夜は天ぷら、手羽中・アスパラガス・サツマイモ・ナスを揚げる。

食事しながら録画モードでサラメシ、今夜が最終回。
(最終回)首里城の漆職人▽小豆島しょうゆ蔵▽ドクターイエロー
初回放送日:2025年3月13日
14年にわたってお届けしてきたサラメシもいよいよ最終回!▽2019年、火災に見舞われた沖縄の首里城。再建に携わる漆職人の仕事ぶりとサラメシを拝見!▽香川県・小豆島で150年以上続くしょうゆ蔵。昔ながらの木おけ仕込みのしょうゆづくりにこだわる中、5代目が始めたのが…▽1月末に引退したJR東海のドクターイエローT4編成。引退目前の検測にお邪魔し、共に歩んできたベテラン検測員の仕事とサラメシを見つめる。
日本の話芸から、
春風亭一之輔 落語「笠碁」
初回放送日:2025年3月16日
春風亭一之輔さんの落語「笠碁」をお送りします(令和7年2月28日(金)千葉県袖ケ浦市民会館で収録)【あらすじ】とある大旦那、子どものころから仲がいい別の店の大旦那と、へぼな碁を打つのがなによりの楽しみ。ある日、「待ったなし」にしましょうと決めて打ち始めたのだが、やはり待って欲しいと言い出してしまう。相手は待てないと拒むので、あの手この手で説得するのだが…
刑事コロンボ
(10)「黒のエチュード」
何度見ても新しい!ミステリードラマの金字塔。映画監督としても活躍した俳優のジョン・カサベテスが、愛人のピアニストを殺害した指揮者を演じる。 一流楽団の理事長の娘を妻に持ち、楽団の指揮者を務めるアレックス・ベネディクトは、愛人のピアニスト、ジェニファーから離婚を迫られていた。離婚すれば今の地位を確実に失うアレックスは、コンサート本番前に楽屋を抜け出し、ジェニファーを殺害。用意しておいた遺書をタイプライターに残して自殺に見せかける。だが、タキシードの襟につけていた花を現場で落としたことに気づく。
片付け、入浴、体重は2日で1,100g増。
パジャマに着替え、スコッチ舐めながら日誌書く。

辛うじて3つのリング完成。
明日からは、退職後の生活リズム形成のための2週間、頑張らねば。
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一言だけ^ ^
webコンサート🎵素晴らしかった。涙
牧師たちのメッセージ、
一致のある賛美。
ただ感動でした!
それと、実は会堂建設のための献金で
お祈りしたら、なんとなく、
この額かなと思って
約束献金の紙に書いてみました。
そして、神様においのりして
6月30日までに、この額をください!
とお祈りしていたらなんと、
ピッタリの額が6月28日に与えられて。
そんなこと、今までないのに!
なので、
今日、神様に献金することができました😭✨
感謝です。
今は母が来てくれていて、
��と共に、母の助けも受けています🙇
バイオリンの練習など、
みんなが子供たちを見ていてくれなければ
参加できないので、
神様にこのことも感謝しています^ ^
母は保育士だし、
姉も幼児のプロ👶
.
さて、
明日から初北海道です!^ ^
ルークが夏休みに入ったので、
8月はこころごすぺるやら、作詞作曲などで
忙しくなりそうなので、
行ってきます!
お祈りしたら、なぜか今回は
北海道だったので
マイルでゲットできました🙏✨
父も北海道大学出身らしく、
クラークさんのところです。
少年の大志を抱け、キリストにあって!
あと、三浦綾子の記念館も石狩にあるとか。
今回、機材を持って、路上ライブができたらなと思って、行ってきます。
札幌の大通りと、旭川、
小樽と、富良野。
全部できたら嬉しいです。
イスラエル人として、
いま、この地に遣わされているので
やるべき神様の働きを全うできますように^ ^
ではw
(長いじゃないかww
それと、あと数時間後に出発なので
パッキングが、、、
みんな寝ておる。
そのことも感謝します^ ^
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たどり着かなかったおおくの未来たちへ
文フリ東京だった。 土曜日開催のイベントってなんだかんだ言いながらはじめてのような気がする……労働が土日祝休めなかったころはなんでイベントは平日にやらないんだろうと思っていたし、土日が休みだったころはイベントは土曜日にしてほしいと思っていたが、日月休みになると、イベントは日曜日がいいなと思ってしまう。日月は宿泊料金がやすい。
そんな自分本位な「この日がいいな」をわたしはいくつも持っている。
文フリ東京は、土曜日の朝に出発した。車内販売がなくなってしまって、でもまあ新幹線のホームとか購買にシンカンセンスゴイカタイアイス(シンカンセンモウカタクナイアイスだという噂だが)が売っているらしいから、それを食べようと思っていたが、朝、名古屋駅で見つけることはできなかった。 しょんぼりしながら新幹線に乗る。新幹線の中ではほとんど寝ていた。
東京駅・浜松町・流通センター。いつもの乗り換えで会場に向かう。来年の12月の文フリはビッグサイトでやるらしいから、この行程で向かうのはあと一回。
会場前に八束さんのスペースで不穏なフライヤーをもらう予定だったのでもらいに行ったら、八束さんがさいたま文学館で開催中の『澁澤龍彦の文学世界』のフライヤーも一緒にくれた。 ので、スペースが出入り口の真ん前だったこともあって、これはたくさんのひとに見てもらえるんじゃないか…!ということで、出口に向けて配置した。完璧である。

そんな素敵な設営をして、開場。
遠方からきてくれたフォロワーさんに展示のフライヤーを見せ澁澤龍彦の話をし、「若い頃にわたしも全集読みました!」と言ってもらうなどしたり、痛覚の麻子さんにはえんえんと「この写真見てくださいやばくないですか?羽田に楯の会の制服を着て見送りに着た三島の帽子をかぶっておどけているときの写真でこれが二人が実際にあった最後になるんですよ……」と一生終わらないんじゃない勝手くらいの話をしつづけてしまったり、このフライヤーに気づいてくれた通行人のひと(「澁澤龍彦だ…!」という声が聞こえた)に「裏面も見てください!そしてよろしくお願いします!」とさっと差し出したり……。こんなに充実した文学フリマ東京は、2014年から参加していて初めてじゃないかと言うくらい充実していた。

惜しむらくは、澁澤龍彦のフライヤーと一緒に不穏なフライヤーを挟んでいたにもかかわらず、だれも「澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制があるんですか?」と聞いてくれなかったこと…。澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制は果たして存在するのか……?
とまあ、こんな感じなのだが、そろそろ皆さんも不穏なフライヤーとは?と思っているところだろうと思うので、ご紹介致しますとこういうやつです。
「父親の死体を棄てに行く」アンソロジー。家父長制を棄てに行きたい方はどうぞ2024年5月の文学フリマ東京をお待ちください。
イベントが終わってからは、八束さんとヒマラヤ鍋を食べに行った。 お店の予約時間まで過ごしていたドトールで渋沢栄一の話になり、「ああ、向こうは傍家で、本家はうちなので」と話したら「いまうちって言いました?」と聞き返される。うちです。 ヒマラヤ鍋屋さんはめちゃくちゃすてきな楽隊(?)のお誕生日パレードがあったり、びっくりするような美味しい鍋を食べられたりと大満足だった。

打ち上げを終えて、翌日のさいたま文学館に備えて埼玉に宿を取っていたので、移動をはじめたら電車がいきなり止まった! 電車の沿線で人身事故があったとのことで、近くのハブ駅みたいなところで電車を降ろされてしまう。こんなこと担ったのは初めてなのでびっくりしていると、とりあえず一時間くらいしたら電車は動くからね~とアナウンスが入り、事なきを得る。
都会ならではの体験だな…と思いながら、ホテルにたどり着いて泥のように寝た。
そしてさいたま文学館へ。

張り切って出てきたら開館まえについてしまった…。図録を買って、老人クラブの展示があったので見せてもらったりして(ヤツガシラの俳句があってとてもよかった)、10時になる。
貸し切り状態……。
展示は、埼玉と澁澤の関係から始まっていて、浦和高校時代の写真(浦和高校同窓会が出しているものだった)があるのがとてもよかった。 限定本も展示がたくさんあり、原稿も、文学館が所蔵しているものが4、5点。 サド裁判のときに澁澤が三島に書き送った手紙に、争点が「わいせつか芸術かを超え、表現の自由/検閲への抵抗である」ことが書かれていることを指摘していたり、『高丘親王航海記』の原稿用紙、最初は「了」と書いてあったのを、推敲の段階で文字を自ら消したことを指摘していたり、「澁澤龍彦」という人物を表現との向き合いかたから見せているのが良いと思った。 面白かったのは三島の写真の使い方で、「血と薔薇」の「男の死」の三島の写真、あと、メインビジュアルが羽田に見送りにきた三島の帽子をかぶっておどける澁澤の写真だったからか、「楯の会の制服を着た三島由紀夫」の写真が展示してあったりした。
展示をひとしきり見た後は、図書室に今回の展示の関連本がまとめてあるとのことだったのでそれを身に。「作家のおやつ」「作家の食卓」といった本の紹介や、山﨑ナオコーラが文豪の墓参りにいく本に澁澤の項目があった。山﨑ナオコーラの澁澤へのまなざしにはわたしにもおぼえがある。よい本だった。そしてその本で、先月わたしが緑色のインコに夢中になっていた霊園に中島敦の墓があることを知った。敦、ごめんな……墓のことなんて全然知らなかったから、緑色のインコのことしか考えてなくて……。


その後は文学館併設の「けやきカフェ」で澁澤龍彦コラボメニューをたべる。黒糖と胡桃のパンケーキ。澁澤が好きだった胡桃や黒糖のお菓子をイメージしてつくられていて、とてもよかった。 思い出したのは、今よりもっと貧乏だったころ、いろんなところでやっている澁澤の展示に行けなくて悔しい思いをしたことだった。いまこうしてたどり着くことができるようになったことを、なんだかとても、自分が、自分をなんとかしているように思えた。
パンケーキを食べ終えてから、「武蔵野うどん」に挑戦することにした。「伊勢うどんとは対極にあるうどんだ」という事前情報しかなかった。 桶川駅ちかくのお店はかなり人気店のようでたくさん人が並んでいて、お店に入れたのは並び始めてから一時間後くらいだった。 つけ麺(うどんのことをつけ麺というのか?)システムで、つけ汁とうどんは別々の皿に載っている。なるほどこういうやつなのか、となにも考えずにがっと箸でつかんで汁につけてすすりはじめたはいいが、うどん、めちゃくちゃかたいんですけど?!��みちぎれない��やばい、全部すすって口の中に入れるしかない……と思ったが、これがまたすさまじく長くて……永遠にうどんがおわらない……。 こんなに硬くて長いうどんはじめてなんですけど?!おれたちは箸で持ち上げただけでへたしたらブツッといく伊勢うどんの民なんだということを再確認し、「これは風邪を引いたときに食べるうどんではなく、体力が有り余っているときに食べるうどんだな」と確信しました。きっと武蔵野のひとたちは、風邪をひいたときにはおかゆを食べるに違いない。(伊勢志摩の人間は風邪をひいたら伊勢うどんを食べます)

二口目からは一本ずつ食べることで武蔵野うどんのおいしさを堪能し、また是非食べたい、顎の力を試したい、と思った。
武蔵野うどんを噛み砕くのに体力のほとんどを持って行かれて、疲れ果てたので、そのまま帰宅することに。 購買にシンカンセンスゴイカタイアイスを見つけたので購入し、席に着くと、隣のひともおなじシンカンセンスゴイカタイアイスを持っていた。しかもおなじチョコレート味。

べつに示し合わせてはいないがふたり一緒に食べることになってしまい、こんなに好きなひとがいるのに、もうシンカンセンスゴイカタイアイスは車内販売されないんだな……と悲しくなる。 そして、乗車15分まえに買ったし、シンカンセンモウカタクナイアイスだった。
アイスを食べ終えてからは、記憶がない。気づいたら名古屋だった。
名古屋駅で、近鉄のホームに来たら、電車を待つ人は無秩序にホームにたたずんでいて、車両のドアとか何も気にしていなかったし、電車が着いても「先に並んでいたひと」という概念がないので、運良くドアの近くにいたひとから電車に乗りこんだ。東京とかから帰る途中、この近鉄のホームの無秩序さを目の当たりにすると、まだ名古屋から三重まで帰らないと行けないのに、「帰ってきたなあ」と思うのだった。
名古屋駅から最寄り駅までも、寝ていたのでほとんど記憶がない。
帰宅したら、夕食は焼きそばだった。焼きそばの麺は、どれだけ頬張っても簡単に噛みちぎれた。武蔵野うどんは硬かった。
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天守閣 小田原城天守閣 「天守」とはお城の象徴ともいえる建物で、お城の内外を見張るための物見櫓や蔵などとして用いられました。江戸時代までは「殿主」「殿守」などとも記され、「天守閣」と呼ばれるのは明治時代になってからのことです。江戸時代の小田原城は江戸の西を守る要の城とされ、徳川将軍家の宿所としても用いられました。寛永11年(1634)には、京都へと向かう途中の三代将軍徳川家光が天守に登り、武具を見たり展望を楽しんだりしたという記録が残っています。 元禄16年(1703)の大地震で、天守を含めた小田原城のほとんどの建物が倒壊・焼失しますが、天守は宝永2年(1705)に外観三層内部四階の「天守櫓」、入り口の「付櫓」、両者を結ぶ「続櫓」の三棟からなる櫓群として再建され、明治3年(1870)の廃城・解体までその姿を保ちました。 現在の天守閣は、昭和35年(1960)に市制20周年の記念事業として鉄筋コンクリート造で復興されたものです。復興に際しては、江戸時代の天守引図(設計図)や模型を参考に外観が復興され、最上階には周囲の景色を楽しめるように高欄が設けられました。 そして、平成28年(2016)には耐震改修工事と展示の全面的なリニューアルが行われました。天守閣内部では古文書や甲冑・刀剣、発掘調査による出土品などを展示し、小田原城の歴史を紹介しています。 ���高約60メートルの位置にある最上階からは相模湾が一望でき、晴れた日には三浦半島や伊豆大島、遠く利島、房総半島までを望むことができます。
“Tenshukaku” means “Castle tower”, the symbolic structure of a Japanese castle. This castle tower served as storehouse, watch tower, or others in Edo period. Having a role to protect the west of Edo, the capital of Japan, the Odawara Castle was a special castle that even the Tokugawa shogunate family stayed at. Although having been demolished during the Meiji period, it was restored in 1960. Since a large-scale renewal completed in 2015, various historical materials such as armors, swords, etc. have been exhibited inside the structure. From the topmost floor of the Castle tower, the superb view of the entire Sagami-wan Bay can be enjoyed.
[Chinese]
文久図(小田原城天守閣蔵) 文久年間(1861~1864)に作られたとされる絵図で、幕末期の天守の姿が描かれています。
天守閣入場料 Admission fee 個人 - person | 団体 - Group (more than 30 people) 大人 - (over 15 years old) 500円 (500 en) | 400円 (400 en) 小中学生 - Elementary/Junior high school student 200円 (200 en) | 160円 (160 en)
開館時間:AM9:00~PM5:00 (入館はPM4:30まで) 9:00A.M. - 5:00P.M. (Last admission 30 minutes before closing time)
Vocab 天守閣(てんしゅかく)castle tower, keep, donjon 天守(てんしゅ)castle tower 象徴(しょうちょう)symbol, emblem, representation 内外(ないがい)interior and exterior 見張る(みはる)to stand watch, guard 物見櫓(ものみやぐら)watch tower 用いる(もちいる)to use, make use of 殿主(でんす)(Buddhist) priest in charge of a temple’s clerical duties 殿守(とのもり)palace guard [same for 主殿(とのも)] 記する(きする)to remember, to note とされる )…is considered to… 将軍家(しょうぐんけ)family positioned to accede the shogunate 宿所(しゅくしょ)address, lodgings, accomodations 途中(とちゅう)en route 徳川家光(とくがわいえみつ)Tokugawa Iemitsu 武具(ぶぐ)arms, weapons 展望(てんぼう)view, outlook 元禄(げんろく)Genroku era (9.30.1688-3.13.1704) ほとんど almost all (of) 倒壊(とうかい)destruction, collapse 焼失(しょうしつ)destruction by fire, being burnt down 宝永(ほうえい)Hoei era (3.13.1704-4.25.1711) 外観(がいかん)outward appearance 付櫓(つけやぐら)attached turret/watchtower 両者(りょうしゃ)pair, two people, two things 続櫓(ぞくやぐら)a row house watchtower that continues from the gate watchtower)(櫓門) 棟(とう)counter for buildings 群(ぐん))group 廃城(はいじょう)abandoned castle 解体(かいたい)demolition, taking down 保つ(たもつ)to keep, preserve 市制(しせい)municipality 鉄筋コンクリート(てっきんコンクリート)reinforced concrete 復興(ふっこう)reconstruction, restoration に際して(にさいして)at the time of, during 設計図(せっけいず)plan, blueprint 模型(もけい)model 最上階(さいじょうかい)top floor 高欄(こうらん)railing 設ける(もうける)to prepare, provide 耐震(たいしん)resistant to earthquakes 改修工事(かいしゅうこうじ)repair work 展示(てんじ)exhibition, display 全面的(ぜんめんてき)total, complete, extensive 古文書(こぶんしょ)historical document, archives 甲冑(かっちゅう)armor and helmet 刀剣(とうけん)sword 発掘(はっくつ)excavation 出土品(しゅつどひん)artefact, archaeological find 標高(ひょうこう)elevation 相模湾(さがみわん)Sagami Bay 一望(いちぼう)sweeping/unbroken view 三浦半島(みうらはんとう)Miura Peninsula 伊豆大島(いずおおしま)Izu Oshima 利島(としま)Toshima Island 房総半島(ぼうそうはんとう)Boso Peninsula 望む(のぞむ)to expect, hope for, look forward to 入場料(にゅうじょうりょう)admission fee 入館(にゅうかん)entrance (into a library, museum, etc.)
#日本語#japanese language#japanese langblr#japanese vocabulary#日本#japan#japanese history#日本歴史#odawara#小田原城#Odawara castle#小田原市#and with that I'm through with Odawara :D Pics from Tokyo will be next
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
通巻第8070号
AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩���文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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裏金問題で揺れる自民党が、公明党の協力を得て政治資金規正法を改正した。残念ながら改正とは名ばかり。「政治にはカネがかかる」という前提を放置したままでは、何の解決にもならない。永田町で25年以上の経験を積んできた議員秘書が、その実態について余すところなく語った。 ◆ ◆ ◆ 政治資金パーティー券の公開限度額や政策活動費等々、抜本的な政治改革が求められているが、そもそも「裏金」を撲滅する方法があるのだろうか。おそらく、どんな厳しい法律を作っても「裏金」は存在するだろうし、それが表に出てくるのは「内部告発」がある時だけだろう。 薗浦健太郎議員の関連政治団体が、政治資金パーティーで得た収入を政治資金収支報告書に過少記載した問題も、東京地検特捜部の捜査開始後、薗浦氏が政治団体の会計責任者を務めていた公設第1秘書に、通帳に記載された収支のメモ書きを消去するよう求めたとされ、秘書はその際のやり取りを録音して特捜部に渡している。秘書との信頼関係が無い。 今回の裏金事件発覚の具体的捜査が始まったきっかけは、池田佳隆議員と元秘書とのトラブル。その件の捜査を皮切りに清和政策研究会の裏金事件に発展した。 政治団体の収支報告書に外部監査が入っても、パーティー券の販売数を知っているのは秘書か議員本人だけで、実態を確認することは出来ない。監査人は会計責任者(大体が議員秘書)から渡された領収書や資料と銀行��残高を確認するだけだ。 国会では代表者(政治家)と会計責任者とを「いわゆる連座制」にするべきだなどと騒いでいるが、「会計責任者」という制度自体を廃止すればよいのであって、議員(または候補者)が全ての責任をもって自分の名前で提出すればそれで済む。 政治資金処理は政治家にとってはイロハのイ。責任の所在が明確になり、違反があった場合の捜査もやりやすい。もっと言えば、信頼できない秘書しか雇えないような議員は辞めてしまえばいい。 改正後の政治資金規正法での収支報告関係の罰則も相変わらず甘い。最高刑で「5年以下の禁固又は100万円以下の罰金・公民権停止」というだけで、今回の清和政策研究会会計責任者も100万円の罰金程度で幕引きされる見込みだ。被告人の松本事務局長にとっては痛くもかゆくもないだろう。 「裏金を数年間机の中に保管していた」などと証言して、過失を装うかのような修正申告が数多く出されているが、これも雑所得の申告漏れと判断して追徴課税すればよいのであって、国税の捜査は怠慢だともといえる。無申告加算税の税率は15~20%であり、民間企業なら厳格に徴収される。 エコノミストで一橋大学名誉教授の野口悠紀雄氏も「政治資金であれば記載する必要があるのだから、『記載しなくてよい』というのは、『政治資金ではない』という意味だと解釈せざるを得ない。相続税法第21条の3の3は、《宗教、慈善、学術その他公益を目的とする事業を行う者で政令で定めるものが贈与により取得した財産で当該公益を目的とする事業の用に供することが確実なもの》が非課税としている。後になって領収書を出してきて、『公益を目的とする事業の用に供した』といっても駄目だろう。したがって、キックバック裏金収入は課税所得だと考えられる。だから、税務申告する必要があると考えられる」 と述べている。 もし国税の捜査がやりにくいのならば再度、政治資金規正法を修正して、1年を超える「記入漏れ」があれば「雑所得」として認定し申告漏れとして追徴課税すればいい。 ドタバタの末決定した「パーティー券購入者」の公開基準を「5万円」とすることにも、たいした意味があるとは思えない。 元閣僚の某議員などは、2ヶ月ごとに朝食会を開いて多額の収入を得ているが、購入者の多くは1~2枚しか買わないので何の支障もないし、「朝食会」や「昼食会」と称するパーティーを年に数回行えば公開基準などあってないようなものだ。一方で、パーティー券購入者公表のあり方も見直さなければならない点がある。 現在の収支報告書では、購入者の「氏名・住所・職業」が記載されているが、公表の段階で住所の番地や部屋番号まで公表している現状には問題もある。例えば、女性実業家がストーカー被害に遭ったりする例も発生している。プライバシーの点は考慮しなければならない。 政治資金パーティーを巡る裏金事件を発端とする「政治と金カネ」について、昨年末から多くの新聞記者やテレビ局から政治資金についての問い合わせが続いている。その中でも、「何故政治にカネがかかるのか」を問われることが多い。 選挙活動と政治活動の二つに分けて考えてみる。 ①選挙にカネがかかる 選挙にかかる費用は、選挙の種類や地域・選挙区の規模などによって大きく異なり、一般的な市議会議員選挙の費用は200万円~800万円。参議院選挙では6,000万円以上とも言われている。何にカネがかかるのか。立候補するに当たって供託金という制度があり、衆参の比例代表で600万円、衆参選挙区や知事選挙で300万円、市区議会選挙で30万円などと定められている。一定の得票数を満たすことができれば返却され、規定の得票数に達しなかった場合は没収される。 選挙ハガキ(法定ハガキ)や選挙ポスター、選挙ビラ、看板などの印刷代は公費負担があり、供託金を没収されなければ無料で作ることが出来るのでカネはかからない。候補者本人が支出しなければならないのは、選挙運動に携わる事務員や労務者への報酬だ。 選挙運動に関する事務をするために雇用した人や、葉書の宛名書きや発送作業、看板類の運搬作業、自動車の運転、ポスター貼りなど、単純な労務の報酬を支払わなければならない。意外と思うかもしれないが、選挙運動員として、直接「有権者に支持を訴える人」はもちろん、「選挙事務所の幹部」などには報酬・アルバイト料を支払うことは違法とされている(実際に守られているのはレアケースであるが……)。 選挙で最もおカネがかかるのは、「ポスター張り」と「ビラへの証紙張り」である。衆議院の小選挙区では、およそ600カ所あるいはそれ以上の掲示板にポスターを貼ることとなるが、一日で張ろうとすると相当な人数が必要となる。東京都の知事選や参議院選挙となれば、およそ14,000カ所の掲示板に貼ることとなるので、400人以上必要となる。組織を持たない候補者は業者に委託してポスターを貼っているが、高額であり厳密には違反となるケースも少なくない。 選挙に使うビラの証紙張りも、参議院比例代表では25万枚、衆議院小選挙区でも10万枚以上張らなければならないなど人件費がかかる。ボランティアにもお願いするが、とても追いつく数ではない。 昨年から何度も記者の人たちに、選挙にカネをかけないためには「ポスター掲示板の廃止」と「ビラの証紙廃止」が必要だと説明してきたが、どのメディアも書かないし、テレビ局からの撮影があ���ても放送では全てカットされてきた。 候補者の主張は全戸配布されている広報を見れば分かるし、ネットでいくらでも調べることが出来る。どうしてもポスターを見たいのなら、投票所に指定された場所にポスター一覧を置けばいい。税金で莫大な額を払ってポスター掲示板を設置する必要など全くない。(うがった見方をすれば、選挙管理委員会と看板設置会社が結託でもしているんじゃないだろうか?) 選挙ビラも、選挙管理委員会が認定した印刷会社に枚数を管理させて制作すれば証紙張りの必要は無い。 そんな矢先、東京都知事選挙で24人を擁立した政治団体「NHKから国民を守る党」が、ポスター掲示場の枠を事実上「販売」していることがわかった。1口2万5千円を「寄付」すると、都内約1万4千カ所のポスター掲示場のうち1カ所を選び、候補者枠に自ら作成したポスターを貼る権利が与えられ、候補者とは関係のない人物やイラスト、裸の女性写真やQRコードで風俗への勧誘なども張られる事態となった。「掲示板ジャック」は、供託金を没収されても掲示板を全部売れば収入が大きく上回り、ポスターを貼る様子を動画投稿するなど、選挙をビジネスとして利益を得ようとする狙いがある。たしかに公選法の規定では選挙ポスターは虚偽内容でない限り自由で、チェックするための仕組みはない。 公職選挙法にはカネに関わる問題が数多く放置されたままとなっており、他にもメスを入れなければならないことがたくさんある。同法の規定では、事務員・車上運動員についての支給上限額(事務員一日1万円・車上運動員一日1万5千円)が定められているが実態にそぐわなくなってきている。 選挙期間中の朝8時から夜の8時まで運動すると、各地域の最低時給を下回ることになる。プロのウグイス嬢が一日1万5千円で働くわけがない。事務員・車上運動員の弁当も一食1,000円、一日3,000円以内と定められているが、住宅地郊外を回っていると、ファミリーレストランでも税込み1,000円以内の食事は難しい。 法令遵守しようとすればボランティアを募ることとなるが、そんなことが出来るのは大きな組織を持った候補者か宗教団体しかない。 このように公職選挙法は現実を無視した多くの問題を抱えているにもかかわらず、改正しようという声が全く聞かれてこなかったのは、国会の怠慢と言わざるをえない。この点も裏金を生じさせた一因となっている。 ②政治活動にカネがかかる いつ本会議があって、いつ委員会があるという国会日程を把握し、調整し、国会議員のスケジュールを管理する秘書がいなければ、国会議員は仕事ができない。議員会館で最低でも1~2人は必要となる。国会議員には国が給料を負担する「公設秘書」が3人いるが、3人だけでやりくりしている事務所はほとんどない��ごく希にはいるが)。 大抵の議員は地元の要望回り、陳情回りなどの活動をする秘書が必要になり、地元秘書や事務員など4~5人以上は置くことになる。私設秘書に社会保険料や交通費も払うと、だいたい30万円× 5人で150万円。その他事務所費や通信費が毎月必要経費としてかかる。 政治活動にはポスターや、活動報告のチラシなどが必要で、移動する人たちのガソリン代も馬鹿に出来ない。地元での新年会や忘年会など、数多くの会合に呼ばれれば参加し、参加費も払う。地元の方が亡くなられた際には香典を持参するし、出席できない場合は弔電を送るなどの経費もかかる。 なぜ多額の経費がかかるのかといえば、その政治家が次の選挙で当選したいからで、次の選挙を考えなければカネはかからないが、そんな政治家は落選してしまうだろう。 以上の政治活動を行うためには政党助成金の1,000万円と、月額100万円支給される「調査研究広報滞在費」(旧文書通信交通滞在費)だけでは足りず、パーティーを開いて政治資金を集める必要が出てくるというわけだ。 多くの議員からは「他党の候補が地元活動に力を入れる中、自分だけやめたら落選してしまう」といった声が聞かれるが、こうした地元活動を求め、評価する有権者の意識も改めたい。 改正政治資金規正法は、政治資金パーティー券購入者の公開基準額を「5万円超」に引き下げるなど自民党が提出した法案を一部修正して成立したが、世論調査でもはっきりしたように、中途半端な法改正は国民の政治不信をさらに高めている。
現役国会議員秘書の本音|法改正でも「裏金問題」は解決しない | HUNTER(ハンター)
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開館20周年記念展/帝国ホテル二代目本館100周年 フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築
会期 2024年1月11日(木)〜 3月10日(日) ※会期中、一部展示替えします。前期1月11日─2月13日、後期2月15日─3月10日。2月15日以降に再入場の場合は、半券ご提示で100円割引となります。 開館時間 午前10時~午後6時(ご入館は午後5時30分まで) ※2月2日(金)、3月1日(金)、8日(金)、9日(土)は夜間開館 午後8時まで開館(ご入館は午後7時30分まで) 休館日 水曜日(ただし3月6日は開館) 入館料 一般:1,200円、65歳以上:1,100円、大学生・高校生:700円、中学生以下:無料 ※障がい者手帳をご提示の方、および付添者1名まで無料でご入館いただけます。
アメリカ近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライト展は26年ぶりということもあるが、こんなにも建築ファンが多いのかと、到着時から思い知らされた。2月17日以降は漸く日時予約制になるそうだが、私の来館時は整理券制だったため、開館時間に到着したが、入場可能は11:45からという混雑ぶり。
目の前の旧新橋停車場を初めて鑑賞したりなどし、改めて入館。
長生きされていた(享年91)のも理由のひとつかもしれないが、資料が膨大。ドローイング作品展示が日本初ということで、これが観たい方もたくさんいたと思う。いわゆる建築図面ではなく、絵画なのだ。
彼の弟子である土浦亀城邸が好きなので、師匠の自邸を見たいなとは思っていたが、タリアセンと呼ばれる彼の理想や実験を詰め込んだ建物は、なかなか面白い。彼の作品でやはり邸宅、つまり他所様のお宅が好きな私は、個人住宅のパネルも興味深く見たが、陽光の取り入れかたや暖炉、セントラルヒーティングをもってしても、ちょっと床から底冷えしそうだな。。と思ってしまった。
来館者がライトのどの辺りがツボなのかそれぞれだと思うが、ライトといえばやはり帝国ホテルなんだと思う。現在は明治村に一部が移築されているがそれは二代目。初期のデザインや調度品が展示されていて、あの○や□の幾何学が特徴な模様を組み込んだ食器など見ると、テンションが上がる。あの幾何学模様は、過去に建築した幼稚園のステンドグラスなどにも使われていて、会場でも展示されていた。
ライトの人生を帰宅してからネットで調べ���、波瀾万丈過ぎて驚愕したが、その頃に来日して帝国ホテルに携わってくれたおかげで、世に残っているのだ。 他、自由学園明日館やヨドコウ迎賓館は近代建築ファンにはよく知られている。
後に企業のオフィスなどの建築も手掛けているが、実際のデスクと椅子を見て驚いた。デスクに椅子が作り付けになっている。触れ��ことができないので未確認だが、バネ式だろうか。大広間の真ん中に役員席のようなものがあり、見渡せるように各デスクが配置されていた。
かねてから多少不便でも近代建築をオフィスにした建物で働いてみたいなと思っていたが(地方に行くと役所や銀行にあるような)、こういうのもイイナア。。とても近代的だった。
撮影は1ヵ所のみ可能。
ライトが1930年代後半に取り組んだ、一般的なアメリカ国民がすむことができる安価で美しい住宅「ユーソニアン住宅」の原寸モデル。
玄関から居間の空間を体験できる。コンパクトで落ち着く感じ。

展覧会グッズも興味深かったが、自由学園のA5クリアファイルを。

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【有志演奏会 in 気仙沼 DAY2】団員レポート
気仙沼有志演奏企画、2日目のレポートになります!
最初にご紹介するのは、いよいよ本番を迎えて、緊張の面持ち…?の後発部隊の皆さまです。
2日目の目的地は「気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館」です。
階上地区にそびえるこの施設は、震災発生時に津波被害を受けた気仙沼向洋高校を、そのまま遺構として改修した施設で、教室や敷地内の様子を当時のまま保存しています。
参加者がついに全員集結したところで、当時の記憶を語ってくださる語り部の方々と共に施設見学へと向かいました。今回アテンドしてくださったのは、三浦秋男さんと近藤公人さんのお二人です。同級生コンビで案内していただきました。
冷たい風が吹きすさぶ中、集中して展示を見学します。
左は校舎三階に飛び込んできた自動車、右は校舎4階にぶつかった倉庫がつけたへこみです。津波襲来時に、周辺にあった冷蔵倉庫が校舎に向かって流されてきましたが、偶然校舎の端にぶつかったことで、屋上に避難した方々は助かったそうです。想像もできない状況ですね…
見学を終えた一行は、、、腹ごしらえです!
今回昼食のご用意をしてくださったのは、企画発案者でもある奏者のPerc.三浦瑞穂さんのご家族です!2種のおこわ、つみれ汁、芋の子汁、特製のお漬物などなど、地元のものを使ったご馳走をいただきました!LAFFOOの方、伝承館の皆さんと一緒に、いただきます!
お昼の後は、いよいよ本番にむけてリハーサルスタートです。
実は、今回の会場は有志演奏会としてはかなり大きい規模なんです!真っ黒な衣装に着替えて、いざ練習へ。会場にはOBの狩野さんも応援にいらっしゃいました!
いよいよ開演が迫ってきました。
演奏が始まりました。1曲目は「ラストエンペラー」、指揮はHr.菊野奏良くんです。超満員のお客さんの前で、威風堂々の演奏を見せてくれました。

2曲目はHr三重奏で「6つのホルンのための三重奏曲」です。優しく、華やかに会場全体を包みます。3曲目は木弦アンサンブルで「海の見える街」。強く時には恐ろしく、それでいて美しい気仙沼の海を思い浮かべながら演奏します。
4曲目は坂本龍一監督作品「litany」のTrp三重奏。過去にも有志演奏会で演奏したこの曲をぜひ届けたいということで、演奏させていただきました。続いて弦楽アンサンブルで「aqua」。優しいメロディが特徴的なこの曲は、団員達も大好きな一曲です。
最後は「ふるさと」。みんなの心に響く美しい音を響かせました。
なんとなんと、その後は万雷の拍手をいただくことができ、アンコールとして「ラストエンペラー」を演奏しました!聞いていた皆さんの笑顔を見ることができ、団員達もうれしい気持ちでいっぱいです。
今回の有志演奏会は、大成功で幕を閉じました。
もちろん、”おうちに帰るまでが有志演奏”ですよ!
というわけで、最後に大谷海岸にもう一度寄って、お土産購入&もう一度記念撮影!
ここで各方面に解散となりまして、今回の企画は終了です!
聞きに来てくださった方々、伝承館やLAFFOO関西支部の皆さまをはじめご協力をいただいた皆さま、ありがとうございました!
そして何より、参加者の皆さんお疲れ様でした!3月の演奏会に向けても頑張っていきましょう
今回の企画は、東北ユースの有志演奏活動でも過去最大規模のものになりました。最大級の震災被害を受けた気仙沼を訪問することで、私たちが「東北」ユースオーケストラである意味、音楽で��信する意味など、様々な思いを今回の活動で確かめられたではないかなと思います。
能登半島地震をはじめとした自然災害に社会が向き合っていくために、東北ユースオーケストラが何を発信していけるのか。常に自問しながら、これからも有志演奏活動を続けていきたいです。
東北ユースオーケストラ有志演奏係 Tb.福澄茉音
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1967年臺灣
H:「 棄我 去者,昨日之日不可留。」昨日不曾紀錄則只能拼凑,1967年是怎樣的日子,查查。國小之開始,識字之旅的開始。20240125W4
網路資料:
[出典] 李白 《 宣州謝脁樓餞別校書叔云》
注:
1、 宣州謝朓樓餞別校書叔云 李白
棄我 去者,昨日之日不可留;
亂我心者,今日之日多煩憂。
長風萬里送秋雁,對此可以酣高樓。
蓬萊文章建安骨,中間小謝又清發。
俱懷逸興壯思飛,欲上青天攬明月。
抽刀斷水水更流,舉杯銷愁愁更愁。
人生在世不稱意,明朝散發弄扁舟。
1967年12月,蔣決定實施九年國民義務教育,所需經費極為龐大,為籌措財源,乃實施加稅計畫,以達成預算平衡。自1968年台灣開始實施九年國民義務教育,為學制之重大改革。[14]:187高等教育以研究高深學術,培養專門人材為宗旨。[14]:187提倡建教合作及技藝訓練。[14]:187
維基百科介紹:
政府
國家正副元首
總統:蔣中正
副總統:嚴家淦
五院首長
行政院院長:嚴家淦(副總統兼任)
立法院院長:黃國書
司法院院長:謝冠��
考試院院長:孫科
監察院院長:李嗣璁
省政府主席
臺灣省政府主席:黃杰
福建省政府主席:戴仲玉
大事記
胡金銓執導之《龍門客棧》及張徹執導之《獨臂刀》,開啟武俠電影熱潮[2]:744。
1月
1月12日——丘念台病逝東京(廣東鎮平縣人,為臺灣先賢丘逢甲之子,曾任臺灣省民政廳長、中國國民黨臺灣省黨部主任委員,為臺灣耆宿。)[2]:734。
1月13日——金門東北激烈空戰,空軍擊落中共米格十九型機2架[2]:734。
1月15日——南投縣第五屆縣長補選由林洋港當選[2]:734。
1月17日——越南共和國國防部長阮友固訪臺(1967年4月2日,商業部長阮景天恩訪臺;4月29日,外交部長陳文杜訪臺;6月20日,教育部長阮文詩訪臺;7月31日,農業部長林文智訪臺。)[2]:734。
1月27日——臺灣省政府主席黃杰簽訂興建曾文水庫工程顧問合約(10月31日,曾文水庫動工興建;12月7日,行政院核准臺灣省發行糧食債券,作興建水庫經費。1969年4月14日,決定降低水庫大壩10公尺,發電量由10萬瓩減為5萬瓩。)[2]:734。
1月30日——國防部長蔣經國著《風雨中的寧靜》一書出版[2]:734。
1月31日——經濟部長李國鼎率團參加在西貢開幕之「中、越經濟合作會議」[2]:735。
2月
美國駐聯合國首席代表高德柏謁見蔣中正,討論當前世界局勢[3]:116。
2月1日——公布設置動員戡亂時期國家安全會議,以黃少谷為秘書長,原國防會議撤銷[2]:735。
2月3日——臺、日簽訂食米外銷協定,日本購臺米5萬公斤[2]:735。
2月6日——發布周至柔、蔣經國、袁守謙分別為國家安全會議建設、動員、戰地政務三委員會主任委員[2]:735。
2月13日——特任唐縱、劉增華、陳嘉尚、孫秉乾分為駐韓國、賽浦路斯、約旦、多明尼加等國大使(3月1日,唐縱呈遞到任國書;5月17日,孫秉乾呈遞到任國書。)[2]:735。
2月18日——行政院決定成立人事、事務、法制、研究等四機構,訂定中央與地方權責劃分方案[2]:735。
2月19日——韓國國防部長金聖恩(韓語:김성은 (군인))訪問臺灣[2]:735。
2月21日——特任保君建、王世明、劉藎章等分別為駐土耳其、科威特、伊朗等國大使(5月17日、5月20日、5月22日,劉藎章、王世明、保君建分別呈遞到任國書。)[2]:735。
2月22日——韓國國會議長李孝祥(韓語:이효상)抵台訪問[4]。
2月27日——臺灣省政府通過桃園中壢鎮升為縣轄市[2]:735。
3月
蔣經國巡視馬祖列島及金門縣[5]:83。
3月1日——中華航空公司與香港當局商定開闢臺北-香港航線;國家建設計畫委員會成立;特任薛毓麟為駐加拿大大使[2]:735。
3月4日——外交部聲明反對任何國家承認外蒙,外蒙是領土[2]:735。
3月11日——土地改革紀念館在臺北市落成[2]:735。
3月16日——陸軍總司令部宣布:陸軍軍歌已由蔣中正核定,今起啟用;任命關鏞為駐賴索托王國大使[2]:735。
3月18日——特任劉宗翰為駐秘魯大使[2]:736。
3月20日——日本經濟調查團訪臺,與財經部門交換意見[2]:736。
3月22日——國防部與美軍協防臺灣灣司令部宣布,特種部隊自4月1日開始舉行為期一月之同舟演習[2]:736。
3月27日——國家安全會議科學發展指���委員會(簡稱科指會)成立,吳大猷為主任委員[2]:736;泰國國務院長他儂·吉滴卡宗訪問臺灣[6](4月1日,蔣中正三度接見,發表聯合聲明,強調清除共產威脅,確保亞洲安全。)[2]:736。
3月30日——經濟部長李國鼎訪問日本(3月31日,拜會日本首相佐藤榮作及外相三木武夫,商建鋼廠計畫並討論造船問題;4月19日,返抵臺北。)[2]:736。
4月
4月1日——中華航空公司港臺航線正式開航[2]:736。
4月4日——澳大利亞總理荷特(Harold E. Holt)訪問臺灣3天(4月6日,與蔣中正兩度會談,發表聯合公報。)[2]:736。
4月9日——前美國副總統尼克森訪問臺灣(4月11日,結束訪問臺灣。)[2]:736。
4月12日——美國宣布:中共國立音樂學院院長馬思聰投奔自由(1968年3月31日,來到臺灣。)[2]:736。
4月17日——千里達及托巴哥總督何才夫婦乘國泰航空飛機經東京抵達臺北展開為期兩星期的訪問,時任考試院院長孫科、時任外交部部長魏道明夫婦和時任僑務委員會委員長高信等人皆在機場歡迎[7];訪臺期間,何才夫婦除了勘查了臺灣中、南部各處的經濟、軍事和教育等設施以外,並特地於4月20日前往參觀國立故宮博物院,隨後與時任副總統嚴家淦夫婦、前行政院院長何應欽一級上將夫婦、魏道明夫婦、時任司法行政部(今法務部)部長鄭彥棻夫婦、時任中國國民黨中央委員會秘書長張寶樹夫婦和時任外交部次長楊西崑夫婦及夏功權夫婦等人共同在圓山大飯店慶祝何才的62歲壽辰[7][8]。何才夫婦臨走時,魏道明、何應欽、時任僑務委員會副委員長何宜武和時任外交部次長桂宗堯等人皆前往機場送行[8]。
4月21日——漁業考察團訪問菲律賓,為中、 菲漁業合作奠定基礎[2]:737。
5月
5月1日——經濟部核准設立「中、日合資」臺灣畜產公司[2]:737。
5月4日——美國國務卿魯斯克及助理國務卿彭岱在美國眾議院作證,盛讚臺灣經濟繁榮與農技援外成就[2]:737。
5月6日——副總統兼行政院長嚴家淦啟程經日本赴美訪問21天(5月7日,與日本首相佐藤榮作就中國大陸動亂及越南問題會談;5月9日,與美國總統詹森兩度會談;5月11日,發表聯合聲明,同意互相諮商應付中國大陸情勢發展;5月26日,返回臺灣。)[2]:737。隨行人員包括:經濟部部長李國鼎、外交部政務次長沈錡暨夫人、行政院國際經濟合作發展委員會祕書長陶聲洋等。並前往阿靈頓國家公墓獻花致意、謁甘迺迪之墓。之後亦參訪派屈克空軍基地、甘迺迪太空中心、紐約聯合國大廈等地。訪問期間爭取到美援停止之後,各項經濟合作計畫,使美方同意加強科技交流,在駐華大使館中,設立科技參事,中華民國政府則在行政院之下,成立國家科學委員會,以促進產業升級[9][10]。
5月11日——行政院通過臺北市自7月1日改制為院轄市,並將景美、木柵、內湖、南港、士林、北投6鄉鎮併入[2]:737。
5月20日——中國農民銀行在臺灣復業[2]:737。
5月23日——美國助理國務卿斯柯(Joseph J. Sisco)訪問臺灣3天[2]:738。
5月29日——反共救國軍部隊登陸山東支援敵後游擊作戰,與解放軍發生戰鬥[2]:738。
6月
蔣經國再度巡視馬祖列島及金門縣[5]:83。
6月2日——美國驅逐艦「金伯利號」正式移交臺灣海軍[2]:738。
6月7日——「中、日貿易經濟會議」在臺北揭幕,商討農產品進出口及機械人纖維原料價格,並研討保護工業所有權問題(6月14日,閉幕。1968年7月23日,第二屆會議在東京揭幕。);臺灣與聯合國共同合作發展食品加工計畫實施方案簽字生效[2]:738。
6月11日——臺灣省政府發布「優待僑商來臺投資辦法」[2]:738。
6月14日——蔣中正主持首次國家安全會議,指示建設要有遠大目標和計畫,須以具現代知識科學人才為基礎;美國將新型U-17A輕航空飛機一批移交陸軍使用[2]:738。
6月16日——經濟部長李國鼎代表與聯合簽訂「社區發展公共衛生設施改善計畫」[2]:738。
6月19日——臺灣經濟發展會議在臺北揭幕,為臺灣經濟發展提出建言[2]:738。
6月20日——戚烈拉(Richard G. Ciccolella)任美軍援華顧問團團長[2]:738。
6月28日——蔣中正調動高級軍事首長:黎玉璽、高魁元分任參軍長與參謀總長,陳大慶、賴名湯、劉廣凱、劉玉章分任陸軍、空軍、聯勤、警備總司令[2]:739。
6月29日——協助港澳僑胞到臺灣投資聯絡小組成立,並制定實施「港澳僑胞來臺投資事項」,僑商到臺灣投資達到高峰(9月13日,政府組成協助港澳僑胞回國投資工作小組。)[2]:739。
6月30日——嚴家淦祝賀韓國大統領朴正熙就職,呈遞國書(7月2日,與美國副總統韓福瑞、日本首相佐藤榮作、韓國總統朴正熙等領袖在漢城舉行非正式高峰會議,談論中共核爆、越戰及經濟合作等問題;7月3日,返國。)[2]:739。
7月
7月1日——臺北市改制為院轄市,市長高玉樹、議長張祥傳同時就職;省立臺灣師範大學改制為國立臺灣師範大學;停刊19年之《東方雜誌》復刊;三軍總醫院在臺北成立;吳修齊、高清愿合組統一企業[2]:739。
7月4日——外交部長魏道明抵達曼谷出席亞太理事會第二屆部長級會議;美國海軍軍令部長穆勒(Thomas H. Moorer)訪問臺灣3天[2]:739。
7月5日——臺灣省政府通令各縣市應即恢復設置國語推行委員會[2]:739。
7月7日——教育部長閻振興表示,明年秋天延長國民義務教育至9年(8月3日,行政院通過「九年國教實施綱要」。)[2]:739。
7月8日——體育界耆宿江良規(1914-1967)病逝(浙江奉化人,為馳譽國際之體育家,著有《體育學原理》等書。)[2]:739。
7月9日——外交部次長楊西崑第19次訪問非洲[2]:739。
7月17日——邱約翰(John L. Chew)接任美軍協防臺灣司令[2]:740。
7月22日——臺灣拆解廢船工業超過日本,躍居世界第一[2]:740。
7月24日——樞機主教田耕莘(1890-1967)病逝(山東陽谷人,曾任輔仁大學復校後第一任董事長,為遠東區第一位樞機主教。);美國運通銀行臺北分行開業[2]:740。
7月28日——中華文化復興運動推行委員會成立,蔣中正擔任會長(11月2日,委員會擬定「中華文化復興運動推行計畫」;11月3日,臺灣省政府訂定「推行中華文化復興運動實施要點」;3月29日,《中華文化復興月刊》創刊。)[2]:740。8月,聘孫科、王雲五、陳立夫為文化復興委員會副會長[3]:116。
8月
8月4日——任命丁懋時、沈祖潯、李興南與黃正分別為駐剛果、盧安達、尼日及加彭等國大使[2]:740。
8月6日——副總統嚴家淦向梁實秋致賀其翻譯《莎士比亞戲劇全集》功成[2]:740。
8月7日——行政院發布「國家科學委員會組織規程」,由吳大猷任主任委員(8月14日,由長科會改組之國家科學委員會成立;10月13日,改組完成,設自然及數學、人文及社會、生物及醫農、工程及應用、科學及教育等五委員會。)[2]:740。
8月12日——蔣中正主持國家安全會議,通過由總統依照臨時條款,以命令規定延長九年國民教育年限(8月26日,行政院頒令自1968年起實施九年國教;12月3日,國際經濟合作發展委員會撥款新臺幣7億餘元,補臺灣省及臺北市推展九年國教;12月13日,行政院決定中美基金撥6億8千餘萬元,作為建國中教室之用。1968年1月2日,由中央指撥公地建校;1月4日,成立延長國民教育工作小組;1月9日,決定統一編印國中教科書;1月26日,78所國中破土興建。);監察院投票同意15位大法官,張金蘭成為第一位女性大法官[2]:740-741。
8月15日——總統府資政孔祥熙病逝紐約(山西太谷人,曾任行政院長、財政部長,長期主持國民政府之財政。)[2]:741。蔣中正馳電弔唁,並手撰「孔庸之先生事略」[3]:116。
8月29日——教育部在美國教育文化事業顧問委員會主任委員郭秉文逝世(江蘇青浦人,曾任東南大學校長、財政部次長兼中英貿易協會主任等職,為中國現代高等教��事業之先驅。)[2]:741。
9月
世盟第一屆會議在台北舉行,共有64個國家與地區、以及12個國際反共組織參加,谷��綱當選第一屆理事會主席。大會通過了世界反共宣言與世界反共聯盟共同綱領[11][12][13]。
9月7日——日本內閣總理大臣佐藤榮作訪臺(9月8日,兩度與蔣中正會談;9月9日,發表聯合公報,強調加強團結,實現亞太區域和平與繁榮。)[2]:741。佐藤榮作兩度晉見蔣商討臺日共同問題,並就當時世局及中國大陸中共情勢交換意見[3]:116-117。
9月12日——蔣接見日本記者發表談話,指出中共內部必陷長期混亂,盼日本人尊重東方傳統,不使共產主義有滲透之機會,唯有臺日加強合作,始能達到此一目的[3]:117。
9月16日——人事行政局成立(7月27日,蔣中正明令設置;8月4日,任命王正誼出任人事行政局長。)[2]:741。
9月17日——美國總統科學顧問賀尼克(Donald F. Hornic)率專家到臺灣,協助臺灣發展科學(9月23日,離臺,建議增加科技經費及培植人才;11月16日,訪臺後建議政府應以土地改革精神,全力加速科學與技術發展。)[2]:741。
9月19日——駐越大使館遭越共爆炸,房屋三分之一被毀(9月26日,暴徒供稱係越共主謀,企圖殺害大使胡璉。)[2]:741。上午10時30分,有兩匪徒混入大使館,將爆炸物安放於胡璉二樓辦公室下面引爆,一時轟然巨響,大使館樓板全部震塌[14]:250。大使館建築物一樓全毀,大使胡璉倖免於難[15]。
9月25日——世界反共聯盟第一屆大會在臺北舉行,67國及13個國際反共組織代表與會(9月29日,通過「世盟共同綱領」與「世盟宣言」後閉幕。)[2]:742。
9月28日——史學家錢穆夫婦自香港飛到臺北定居[2]:742。
9月30日——經濟部長李國鼎與世界糧食組織簽訂「臺灣東部農地開發計畫」實施方案[2]:742。
10月
10月5日——中華航空公司增闢至新加坡、曼谷、馬尼拉及漢城4條國際航線[2]:742。
10月6日——行政院副院長黃少谷代表蔣中正赴加拿大訪問(10月9日,與加國總理皮爾遜(Lester Bowles Pearson)會商兩國加強合作問題;10月17日,返回臺灣。)[2]:742。
10月13日——臺灣與美國簽訂紡織品兩項新協定[2]:742。
10月20日——「中、日貿易協進會」第一次會議在東京舉行(1969年11月17日,舉行第三次會議,臺方代表促成日方採有效措施,縮小貿易差距。)[2]:742。
10月21日——日本外相三木武夫表示對臺政策保持「吉田書簡」精神[2]:742。
10月30日——慶賀越南共和國阮文紹就職,參謀總長高魁元率特使團呈遞國書[2]:743。
11月
11月2日——美援贈臺灣海軍之驅逐艦安陽號抵達臺灣[2]:743。
11月12日——中國國民黨第九屆五中全會揭幕(11月23日,閉幕,選出嚴家淦等19位中央委員。)[2]:743。
11月19日——反共游擊隊突擊廣東惠陽縣平潭機埸,毀中共米格十九型機八架[2]:743。
11月23日——蔣經國再度連任中央常務委員會委員[16]:521。
11月27日——國防部長蔣經國訪問日本(12月2日,返回臺灣。)[2]:743。日本天皇裕仁接見蔣經國時表示永不忘懷蔣中正寬大德意;日本國民1萬5千餘名在東京舉行感謝蔣大會[3]:117。
11月28日——聯合國大會表決「中國代表權問題」,以58對45票,17票棄權,擊退共黨及不結盟國家欲使中共進入聯合國之企圖[2]:743。
11月29日——蔣中正發布行政院長局部改組:俞國華任財政部長,查良鑑任司法行政部長,孫運璿任交通部長,蔣彥士為行政院秘書長;考試院副院長程天放逝世(江西新建人,曾任安徽省教育廳長、浙江大學校長、駐德國大使;政府遷臺後,先後任教部長、考試院副院長等職。)[2]:743-744。
7月30日——行政院通過「中、美資源交換計畫」[2]:744。
12月
12月5日——副總統兼行政院長嚴家淦指示各機關,提高改進行政效率,推行分層負責制度,政府並頒實施準則[2]:744。
12月8日——前日本首相岸信介訪問臺灣;陸軍總司令陳大慶代表政府接受美國贈送之最新型戰車一批[2]:744。岸信介率團謁見蔣中正[3]:118。
12月12日——「中、美農產品協定」在臺北簽字,美國繼續提供臺灣農產品兩年3,750萬美元,半數為協助友好國家之用[2]:744。
12月13日——歷史學家湯恩比訪問臺灣[2]:744。
12月16日——臺、日簽訂5項貸款協定,計979萬1,000美元,購置設備用於建設[2]:744。
12月22日——駐賴比瑞亞大使楊繼曾代表與賴國簽訂「中、賴農技合作新協定」[2]:744。張群任慶賀賴比瑞亞總統、副總統就職典禮特使,順道訪問象牙海岸,歸途訪問美國[17]。
出生
參見: 1967年出生
1月8日——
陳明真,女歌手。
劉醇逸:政治人物,是移居美國的台灣人。
1月10日——林靖傑:導演。
1月13日——徐薇,英文補教名師。
1月15日——羅明才:政治人物,是羅福助之子。
1月17日——玉尚:演員,是呂盈瑩前夫。
1月21日——安幼琪:新聞主播、主持人。
1月22日——蔡淑惠:政治人物。
1月25日——吳蒙恩:導演。
1月30日——黃榮山:力學家。
1月31日——王祖賢,演員、歌手。
2月1日——
賴有賢,漫畫家。作品有《真命天子》、《小和尚》。
秦偉:主持人、通告藝人。
2月2日——
劉櫂豪,法官、政治人物。現任立法委員。
林有志:政治人物,曾任花蓮市市民代表、花蓮縣議員、行政院客家委員會諮詢委員。
2月5日——
拾方方:登山家,是首位在聖母峰遇難的台灣人。
簡余晏:政治人物。
2月6日——陳孫華:造型設計師。
2月8日——
牛爾:化妝師。
張正憲:棒球捕手,現被終身禁賽。
2月11日——陳政賢:棒球選手。
2月16日——顧玉玲:作家、社會運動人士。
2月22日——溫士凱:作家、講師、廣播主持人。
3月1日——蕭淑麗:政治人物。
3月2日——詹雅雯,知名臺語歌手。
3月3日——沈慧虹:政治人物、鐵道站務員,曾任奮起湖車站站長、新竹市交通處處長、新竹市副市長。
3月7日——歐崇敬:教授。
3月11日——
方季惟:歌手、演員。
郭國文:政治人物。
侯駿逸:角力運動員。
3月12日——尹乃菁:主持人。
3月21日——車宜靜:文化工作者,現任世界至孝親篤舜裔總會秘書長。
3月26日——張信哲,歌手。
4月2日——宋明宗:政治人物。
4月11日——王自強:演員。
4月15日——陳宗彥:政治人物,曾任行政院發言人、內政部政務次長、中央流行疫情指揮中心副指揮官。
4月21日——
蔡秋鳳:歌手。
劉志昇:棒球領隊。
4月24日——賴義鍠:政治人物。
4月26日——九孔,本名呂孔維,藝人、諧星。
4月28日——
包小松:歌手、主持人、音樂製作人,是張雅婷之夫、包小柏之兄。
包小柏:歌手、演員、主持人、音樂製作人,是包小松之弟。
4月29日——平凡:漫畫家。
4月30日——
張宇,男歌手。
田麗:演員、主持人、果農。
5月13日——徐超斌:醫師。
5月16日——楊朝偉:政治人物。
5月18日——李慶鋒:政治人物。
5月19日——趙詠華:歌手。
5月25日——
辜仲立,企業家,出身鹿港辜家。辜濂松三子。其兄辜仲諒、辜仲瑩。
吳鈞堯:作家。
5月28日——康康,本名康晉榮。綜藝節目主持人和歌手。
5月30日——丁國琳,女演員。
6月6日——
林美秀:演員、主持人。
楊靚姝:編劇。
6月7日——謝榮雅:工業設計師。
6月13日——陳文治:政治人物,曾任新北市議會副議長。
6月19日——陳震:歌手。
6月21日——馬維欣:演員、主持人、通告藝人,是馮光榮前妻。
6月24日——劉志宏:音樂製作人。
6月30日——王中平:歌手、演員,是余皓然之夫。
7月1日——
簡郁珊:音樂家。
單承矩:演員、導演、編劇、製作人。
7月3日——游梓翔:教授。
7月6日——
鄭文燦,政治人物。曾參與野百合學運,2014年當選桃園市長。
萬芳:歌手、演員、廣播主持人。
高景炎:籃球運動員。
7月18日——林錦昌,小說家、政治人物。曾任台北市政府新聞處處長。
7月19日——
李興文,男演員。曾參與電影《報告班長》、電視劇《流氓教授》、《意難忘》演出。
周可平:圍棋棋士。
7月21日——黃奕睿:會計師。
7月23日——楊潔玫:演員。
7月24日——宋少卿:相聲、演員、主持人。
7月31日——蔡海如:藝術策展人。
8月1日——
陳建年:歌手、警務人員,曾任蘭嶼分駐所副所長。
曾貴章:棒球選手,現被終身禁賽。
8月2日——王光熙:棒球選手,是王光輝之弟,現被終身禁賽。
8月5日——顧婕:演員。
8月10日——曲全立:導演。
8月11日——鄒兆龍:演員,是翁慧德之夫,曾在好萊塢參與電影《駭客任務》第二、三集演出。
8月12日——
黃俊傑,棒球選手,曾經效力於中華職棒時報鷹隊。
傅家森:消防員。
8月14日——曾淑勤,女歌手。
8月17日——
王耿豪:演員。
孟廣美:演員、主持人、模特兒,是台灣首位登上好萊塢的女藝人,現移居北京。
8月19日——胡一虎:新聞主播,原是華視主播,後轉赴香港鳳凰衛視。
8月23日——陳耀川:音樂製作人。
8月26日——蘇昭旭:鐵道研究家。
8月29日——邵昕:演員。
9月4日——四方:演員。
9月7日——吳小莉:新聞主播,原在華視擔任主播,1993年後轉赴香港鳳凰衛視。
9月8日——張萬康:小說家。
9月16日——
趙豐邦,花式撞球運動選手,有「冷臉殺手」之稱。
屈中恆:演員、主持人、配音員。
9月17日——楊秀玉:政治人物,現任基隆市議會副議長。
9月18日——
徐輔軍:導演,以2004年電影《夢遊夏威夷》獲得杜維爾影展最佳影片獎。
陳明義:政治人物,是陳世軒之父。
9月19日——
許淑蘋:演員,是張傑勛之妻。
盧秀芳:新聞主播,是盧秀燕之妹。
9月22日——張傑勛:演員,是許淑蘋之夫。
9月26日——林玉珍:新聞主播。
9月28日——朱國珍:作家、主持人、新聞主播。
10月1日——簡文彬:指揮家。
10月6日——汪用和:新聞主播,是周守訓之妻。
10月7日——林俊泓:導演。
10月8日——吳建樟:翻譯家。
10月11日——劉小芸:配音員。
10月12日——黃忠義,棒球選手。
10月16日——韓羅賢:音樂製作人、經紀人。
10月17日——
林小樓:演員。
黃國華:小說家。
10月19日——賴芳玉:律師。
10月22日——徐佳青:政治人物。
10月24日——劉增鍇:相聲。
10月25日——姚可傑:歌手,是東方快車主唱。
10月29日——徐承義:演員、企業家,是瓦城泰統集團創辦人。
10月31日——
黃柏霖,政治人物。現任高雄市議員,叔叔黃啟川曾任議長。
何淑峯:政治人物。
劉海若:新聞主播,原是TVBS晚間主播,2000年後轉赴香港鳳凰衛視。
11月1日——
洪敬堯:歌手,是洪一峰之子、洪榮宏之弟。
汪平雲:律師、政治人物,曾任蒙藏委員會委員。
11月4日——柯淑勤,女演員。代表作《孽子》。
11月6日——
宋達民:歌手、演員、牧師,是宋逸民之弟。
宋逸民:歌手、演員、牧師,是宋達民之兄。
11月7日——焦恩俊,藝人演員。
11月9日——江國賓,男演員。代表作《台灣霹靂火》、《台灣龍捲風》、《金色摩天輪》,早年以飾演反派角色較具代表性。
11月10日——沈懷一:歌手、社會運動人士。
11月17日——王美雪:演員。
11月18日——劉亮佐,藝人,曾主持三立電視台節目『在台灣的故事』。
11月19日——
侯志堅:鍵盤手、音樂製作人,是東方快車成員之一。
游素蘭:小說家、漫畫家,是喬英之姊。
桑茂森:籃球教練。
11月20日——周奕成:政治運動人士,曾任中華民國總統府諮議、行政院政務顧問。
11月21日——陳思安:歌手。
11月25日——謝采妘:歌手,現移居馬來西亞。
11月27日——陳湘琪:演員、教授,現任教於國立臺北藝術大學電影創作、劇場設計二系。
12月14日——卓天麟:棒球選手。
12月15日——陳進益:配音員。
12月16日——周玲妏:政治人物,曾任高雄市政府觀光局局長。
12月17日——王文華:作家。
12月20日——
陳文山:演員。
蕭雅全:導演。
12月21日——李哲華:幕僚,曾任台北市民政局機要秘書、葉金川副秘書長辦公室主任、林益世立委辦公室主任。
12月23日——陳淑芬:漫畫家。
12月24日——沈玉琳,藝人、電視節目製作人及主持人。
逝世
1月12日——丘念台,政治人物,丘逢甲之子。(1894年出生)。
3月11日——楊仲鯨,政治人物,首屆民選花蓮縣長。(1898年出生)。
3月27日——吳新榮,醫師、作家及政治人物(1907年出生)。
吳燕生 詩人 °吳鸞旂孫女、吳子瑜女兒°大正三年出生於北平,得年 62歲°
參考來源
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 ���� 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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2025/6/25 8:00:08現在のニュース
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句会のお知らせ
令和7年6月
諸事により、句会が中止、変更になる場合があります。 詳しくは各句会担当者までお問い合わせください。 ________________________
【東京都】
零の会 (坊城俊樹選・岡田順子選)
6月7日(土) 締切午後1時30分
ありすいきいきプラザ 講習室
連絡先:渡辺 光子 ☎090‒9812-4161
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風月句会 (坊城俊樹選・栗林圭魚選)
6月15日(日) 締切午後1時30分
成城コミュニティホール
連絡先:飯川 三無 ☎090‒4742‒4503
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花鳥月例会 (坊城俊樹選・岡田順子選)
6月22日(日) 午後1時より
九段生涯学習館
連絡先:花鳥発行所 haiku-kachou.jp
________________________
【神奈川県】
なかみち句会 (栗林圭魚選)
毎月第2月曜日 締切午後1時
ユニオンビル
連絡先:山川 ます江 ☎044‒877‒4346
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枡形句会 (栗林圭魚選)
毎月第2土曜日 締切午後1時
川崎市多摩市民館
連絡先:武山 文英 ☎044‒911‒6002
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【埼玉県】
さきたま花鳥句会
毎月第3金曜日 午後1時より
浦和駅前パルコ9F会議スペース
連絡先:鈴木 月惑 ☎090-6947-4944
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【福井県】
三日の月花鳥句会 (坊城俊樹選)
毎月第1木曜日
鶉公民館
連絡先:高島 信義 ☎0778-51-1579
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立待花鳥俳句会 (坊城俊樹選)
毎月第1水曜日
立待会館
連絡先:髙島 信義 ☎0778-51-1579
………………………………………………………………
武生花鳥俳句会 (坊城俊樹選)
毎月第2月曜日 午後1時より
越前市生涯学習センター
連絡先:山岸 世詩明 ☎0778‒52‒8198
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福井花鳥句会例会 (坊城俊樹選)
毎月第3水曜日
福井市地域交流プラザ アオッサ5F 501号
連絡先:山岸 世詩明 ☎0778‒52‒8198
………………………………………………………………
柏翠俳句記念館句会 (坊城俊樹選)
毎月16日 午後1時30分より(常設俳句ポストに投句も可)
鯖江市東鯖江3丁目5の3(鯖江インター付近)
連絡先:山岸 世詩明 ☎0778‒52‒8198
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鯖江花鳥俳句会 (坊城俊樹選)
毎月21日(休館の折は翌日) 午後7時より
鯖江公民館 ☎0778‒51‒3010
連絡先:山岸 世詩明 ☎0778‒52‒8198
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花鳥さざれ会 (坊城俊樹選)
毎月(和尚より案内) 締切午後1時30分
安養寺
連絡先:奥 清女 ☎0776‒66‒8631
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さくら花鳥会 (岡田順子選)
毎月第2火曜日
坂井令子宅
連絡先:坂井令子 ☎0776‒36‒5215
________________________
【鳥取県】
鳥取花鳥会 (岡田順子選)
6月13日(金)
鳥取市高齢者福祉センター
連絡先:鍜治屋 都 ☎0857‒54‒1172
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【山口県】
萩花鳥句会
毎月第2火曜日 午後7時より
サンライフ萩
連絡先:田村 美惠子 ☎090-4651-1463
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【福岡県】
色鳥句会 (坊城俊樹選)
毎月第1土曜日 午後1時より
福岡市市民福祉ふくふくプラザ
連絡先:天野 かおり ☎080-9572-2810
________________________
句会への参加
句会へ参加ご希望の方は、上記各句会の連絡先(係)までお電話ください。
または、下記「花鳥編集部」まで、お名前(フリガナ)・郵便番号(7ケタ)・住所・電話番号・年齢・性別をご記入のうえ、はがき、ファックス、メールのいずれかにてお問い合わせ下さい。
〈お電話でのお問い合わせは各句会の担当者までお願いいたします〉
花鳥編集局
〒276-0046 千葉県八千代市大和田新田905-11-306 岡田方
TEL: 047-752-1552
Mail: [email protected]
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2018-12 吉祥寺マンダラ2

5 水 歌歩 the Band /コンコルド 上野茂都と別天地楽団 6木 7 金 吉祥寺バンド 秋山克館(tS)福田(Sax&EWI 田中七緒子(Key)給木酸塩(g) 野波 克己(ds) 渕和8(b)M-M(VO) 【おおたなおこワンマンライブ?年会 2018?】 8土 田中裕之(pf) まっきー(g) おおたなおこミ) (b.mandrin) 辺あさひこ(ds.perc)guestPan-T 9日 知久寿焼3?) 月洪栄龍マo.g)スペシャルゲスト有り 尖 水 大竹創作o.p7 浦横ベイビーズ大割性(0.g)大村&中(g.cho) 【川口義之55バースデイ・プレライブ】 桜井芳?中尾勘】(/tb/cs) 栗コーダーカルテット 川口親之(as)栗原正(recorder)関島(tuba) GTWo.8) トリックモンド スペシャルゲスト:に角すい=(vo.pt)平沢なつみ(VO) 中本礼子( sakana pocopen 西脇一弘 「クリスマスの思い出】 bikkevo.g) 近畿道館(key) かわいしのぶ(b) ゲスト:向島ゆり子(vin) 【中村賢一追悼ライブ!VoL.23】 WARUMONO / kojiro 18:00/18:30 2日 3月 4火 Romulus&Remus るーずぱんていーしげとよ 【RADIO CLASH presents〜孤高の醤橋本進 東名ツアー2018?】 梅原貴子 の変子 (vo.mountain dulcimer) クインテット ゲスト:飯塚菌(recorders &per) 前売¥2500 18:00/18:30 前売¥3000 当日¥3500 【?リクエスト大会?】 なぎら健壱 なぎら健格(vo.g) 松本典明(g) 古沢住明タルスティールキター 【~MUしろうの忘年会〜】 る*しろう 井筒好治(@)金源美也子(Key.vo )沼道路(ds) MUMU +根室(b)本太(key)植材場:(ds) 【カウントダウンジャンボリー「アフターミッドナイト」】 鈴豆(Vo)大山哉(ds) 鈴木健1(g Sherry.平本産部(6)部後費(5ax)山下大島(key 浦横ベイビーズ大朝性(70.8)大村※中(gch) 前売¥3000 18:00/18:30 18:00/ 前売¥3000 前売¥3000 we0300 "drink 木 18:30/ 14:30/15:30 18:00/18:30 月 前売¥2500 WBV3000+drink 木 19:00/19:30 尖 [乙=のマンスリーディvol.48】 大竹制作(vo.pf)大竹平(g)江守マサユキ(b) 【水中、それは苦しい26周年!ジョニー大蔵大臣バースデーライブ2018| ●水中、それは苦しい )セクシーバスタ林三win) 【黒色すみれクリスマスイヴ演奏会「浄夜2018」】 黒色すみれ wikonecd) lI guess presents 「聖夜触る歌」】 guess 本はじめ+水館子 田村キョウコ(*ンタラ)/竹内一成 Sen 千成子(Vo.g)吉田茂生(g)税込明(steelpan) 九食事・田産一※/麻香しえり(0.g) 銀座せぶん MoMo(wo.key.Voco)田一袋(g)田線*3(0)高(05) 斎藤すみれ/伊藤悦士:o.g) 加藤千晶とガッタントンリズム 21:00/22:00 ¥3500+drink ¥2500 当日¥3300 Y3500 drink 出演希望の方は、デモテープ・写真をご用意の上ご来店下さい。 時間:開場 18:30/開演 19:30 〒180-0003 東京都武蔵野市吉祥寺南町2-8-6 MANDALA GROUP INFORMATION・ 18油岡ビル 吉祥寺駅 MAND ALA http://www.mandala.or.ip ライブ終了後 AM0:00 まで営業しております。 ソング・ライターの密味あさい 南壽 あさ子 日 【中川海presents「山と海のともだちVoL.4」】 ママクリオ/ふらむきりん 中川櫛海 【special [ive】 丸本達也.:.g竹内大輔3又吉康人38) SERIKA AUF-KINO MICHA 島崎智子(p/永井Lee og)/メビウス 【「濯に行っちゃおうvol.20」20回目記念】 18:00/18:30 前売¥3000 仮 前売¥2500】 当日¥3000 当日¥3300 当日¥3500 当日¥3700 当日¥3000 料金:¥2200+ドリンクオーダー(異なる場合はスケジュール表内に表記してあります。) NEXT MONTH studio Leda 0422-23-1227. 京都武蔵野市吉祥寺東町1-11-18 M-ビル2F 1/1…お休みさせて頂きます 1/2…るーずぽんてい新年会 1/3…白くまアリス・パンタジア・ 1/11…松井まさみち・江豚あや 1/13…真実人新年会 1/20…・滝本現可 1/21.THE KANGA/ ザバエレクトロ/汗 2018 DECEMBER LIVE SCHEDULE MANDALA 2 City Hole's Bar 12.23 SUIN 12.29 SAT 『水中、それは苦しい26周年! ジョニー大蔵大臣バースデーライブ2018(仮) 水中、それは苦しいジョニー大蔵大臣(vo.ag) セクシーバスタ林三(win)アナーキー吉田(as) スペシャルゲストレオちゃん(ショートコント係) リクエスト大会 なぎら健壱+OWN RISK なぎら健壱(vo.g) 松本典明() 叶沢宿明(ベダルスティールギター) 雨宮直己(b)鈴木"Coboh"茂行(ds)
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「筑波海軍航空隊戦闘機隊」展 開催!

企画展「筑波海軍航空隊戦闘機隊 蒼空へゆき去りし群像」
【会期】2025年5月21日(水)~8月31日(日) 【場所】筑波海軍航空隊記念館 新展示館1階 企画展示室

このたび筑波海軍航空隊記念館では、書籍『筑波海軍航空隊戦闘機隊 蒼空へゆき去りし群像』の発刊を記念して、筑波海軍航空隊の“戦闘機隊”および使用された戦闘機に注目した展示を行います。
1934(昭和9)年に創設された霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊を源流とする筑波海軍航空隊は、練習機や実用機の練習航空隊として活動しました。1944(昭和19)年11月に東日本における本土防空戦が始まると、教官・教員をもって邀撃に出動。さらに翌年4月に沖縄航空作戦が始まると、南九州へ進出して戦いました。
当企画展では、戦いの前線で活動した零式艦上戦闘機・通称『零戦』の形式変遷や、筑波海軍航空隊の塗装の特徴といった機体について掘り下げる展示から、筑波海軍航空隊とその基地がどのような役割をもっていたのかを紹介します。 戦後80年の節目の年である今、ご覧いただいたみなさまが平和について考え、想いを馳せるきっかけとなれば幸いです。
制作・協力 吉野 泰貴 氏
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