#涙袋が可愛くて愛嬌ありまくり
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wqslll · 13 days ago
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久しぶりに韓国ドラマを観てきゅんきゅんして、私も貴方の言葉に触れようってDMだったりカカオを開いて遡ったりしたの。沢山のスクショもあるけど、もう一度初めから振り振り返えようって。そしたら、韓国ドラマなんかよりとんでもなくきゅんきゅんして、ドキドキして、どうにもならなくなって昼間?と言うか午後?からお酒なんて飲んじゃったんだけど…?私じゃ有り得ない行動をしてて笑っちゃったよね、思わず。その当時も今も話してるときゅんきゅんするし、ドキドキしてどうにもならない気持ちが溢れるのに、それは今も変わらず何度読み返しても色褪せない。もうどこスクショ撮ったらいいのか分からないくらい、全部貴方の愛に言葉に包まれていて……フォルダがいっぱい。それも幸せ。いつだってこんなに愛しくて私をどうしようもない気持ちにさせるのは、貴方だけなんだと実感したの。幸せな毎日を一緒に過ごしてくれてありがとう。貴方の言葉に触れられて、抱き締められて今日も私は幸せです。
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newyorkdiary7th · 7 months ago
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STILL
DECEMBER 9-10th
地下鉄に乗って図書館を目指す。思えば初めてのことだ。今日はもう本当に霧が濃くて別にわざわざ出かけなくても良いような天候なのだけれど、わたくしはなかなかにテンションが高い朝なので、何はともあれ出かける気分。
地下鉄は結構混んでい��、人間観察が楽しい。そうか、自転車だとこんなに人が密集している環境に身を置く瞬間がほとんどないんだなという事に気がついた。あちらからもこちらからもラテンを語源とした言語が聞こえてきて、その向こうに中国語が聞こえる。と思えばすぐここではリール?携帯電話の画面からの音が大きい。一車両に一人はそういう人を置いておく暗黙のルールでもあるのだろうか?今日も椅子で横になっている男がいる。半袖半ズボンの色白の青年の白黒ストライプのハイソックスが可愛い。彼のスマホの画面が1歳児でも目を見張るほどあっぱれなまでにバキバキに割れている。目の前のグレーヘアーが素敵なおばさまが空を見つめて微笑んでいる。こちらの頬まで緩みそうになって、目を逸らしたけれど、思考が“何か楽しいこと考えているんだろうな~”と働きはじめちゃったのでもう一度様子を見たら、微笑みはもっと大きくなって、クスッとしてから、あ、いけないいけない、と律していらっしゃった。仲の良さそうなイタリア語を話している女の子たちの爪の色、メガネのフレーム。迷彩柄のコートが似合うブロンドのお姉さん。今乗り込んできた黒人さんのニット帽に縫われている「supreme new york」のフォントはアメリカドラマ『ユーフォリア』と同じフォントだ。あ、42nd st 着いた。
なんかもう知覚のフィルターが解像度を上げすぎている!!!全部目に止まって、思考に辿り着く。
いけないいけない、余計なこと書いている場合じゃないのです。
12月9日、NY生活で限りなく数少ない夕食の予定。平日は仕事がなぁ~と思ったけれど、食事の相手は私のボスとは15年来の仲だそうなので、ご愛嬌。久しぶりに昼間に仕事した。
昼間は雨が降っていて、止んでくれないとアクセスが悪いな~と思っていたけれど無事に止んだので自転車でいくことができた。ハーレムのカフェに行くことはあったけど、ハーレムにあるレストランは初めて!レストランがある通りを通ったのも初めてで、やっぱり、ハーレムは怖い、という定説が今ひとつピンとこない。NYに来てからずっと同じことを思っていて、ここが怖い場所、という内情はまだまだ私には理解が及ばない見えづらいものがあるのかもしれない、と。ホームレスの方も、ハーレムよりもむしろレキシントン通りの方がたくさんいる。
いかんいかん、また余計な話��文字数を費やしてしまった。
スパニッシュタパスのお店で待ち合わせ。奥様初めまして!
楽しかったなぁ。お二人はもうそれはそれは美食家たちなので、ともかくレストランのおすすめが尽きない。経てきたたくさんの旅の話し、テント泊が嫌なので土の上で寝袋で寝る話し、星空のこと。食前酒でVermouthを嗜む楽しさ~!数えたら3時間半が経っていた。
ぜひまた帰る前に、食事かハイキングに行きましょうという明るい別れの言葉を交わしてみんなでレストランを出た。
今日は異様にあたたくて、夜になっても冷え込みきらず心地良い。 「今日は暖かくて気持ちの良い夜だねぇ」と私。 「ほんとだよ。でも明日は冷えるねきっと」とジムさん。 奥さんがちょこんと毛糸の帽子をかぶって素敵。 「自転車はどこに停めたの?」ジムさん。 「自転車できたの!?」奥さん。 「そうなんだよ、自転車買って乗り回しているんだよ」ジムさん。 「あの辺に停め…」私。 あれ?ない。自転車がない。なんかこう、1秒くらいで、直感がスコーン!と理解した、盗られた、と。でも思考が追いついていなくて、「あれ?ここに停めたはずなんだけど、盗られたっぽい」と言う。みんな結構ワインが染みている脳みそで、「本当に?」「オーノー」「あぁこれ私の鍵だ」これでもかと言うほど見事にワイヤーの鍵がすこやかに切断されて息の根絶えました、という様子で落ちていた。 「まぁでもたったの80バックスだったから」と私。 「still…」と悲しそうなスーザン。 「覚悟はしてたんだよね、いつも店から出てくる時は、まだあるかなってビクビクしてた」 ジムさんが私の無惨な鍵の残骸を拾っていた。「本当にこれがそう?」って。 いやもういい加減私のです、拭いようのない現実ここに爆誕。あたりはとても静かな暗闇だったので、爆誕というふざけた言葉はあまり似つかわしくはないかも。
不思議なくらい、残念な気持ちが少なくて、まぁまぁまぁ、という感じ。あまりにも幸福なムードだったから、自転車が盗まれたという事実を持ってしても、STILL!全然気にならないくらい幸福度が満腹だったのかもしれない。
むしろ二人がオーノー、ってずっと言っててなんかごめんな気分。
「でもちょうど先日計算してたんです、もうすでに、地下鉄を使い続けていたら80ドル超えてたなって」というとスーザンが私の言いかけていた、元は取った、を汲み取って「元は取れたのね~、still…」と悲しそう。
「どこで買ったの?」「Craigslist」アハハハハ
「でもなんだか、本当に今夜が幸福で、だからあんまり残念じゃない」私がもう一度言ったらジムさん、「もう君は本当のニ��ーヨーカーだね!」って。それならそれで嬉しいー!
とりあえずタクシーで帰って、タクシーデビュー!こんな形でイエローキャブデビュー!
翌朝目が覚めて、割��酔っ払ってたんだなとシラフになった実感があった。
とはいえ、自転車を盗まれてしまった、という事実については相変わらずあんまり悲しさや悔しさとかが湧いてこない。なかなか仏なマインドなり。
で、かすみさんから届いたおすすめのクリスマスソングアルバムをかけて、チーズトーストを焼いてコーヒーを淹れ、なんとなくカレーを作りはじめながら、一体どうしてこんなにも悲しさや悔しさが湧いてこないのかについて精神分析を愉しんだ。
これはひょっとして自己防衛反応?ショックを直視していない?んんー全然そんなんじゃなさそうなのよねぇ。
そもそも安かったから。それは間違いない。
あとは昨晩も言ったけど、やっぱりあまりにも楽しい時間を過ごしたところなので、ちょっとの残念なことはあんまり気にならないタイミング。
あとあと、もうあっという間に来週から西海岸に行くので、自転車を倉庫に持っていくつもりだったけど、その面倒が省けたというのもある。1月の残りの20日間については、また考えましょう🚲
ヒマラヤ日記について和己ちゃんから愛溢るる感想文が朝起きたら届いていて、正直そちらが嬉しすぎて自転車盗難被害にかまっていられないというのもある。
そして、ここ数週間自分の中で燻っていた大きな問いが、ジムさんご夫妻という素敵な二人を前にして解決したというか吹っ飛んだので、心のモヤモヤが晴れてとにかく気分が良いから、というのも関係しているなぁ。
ただ一つだけ、とても悲しいことがあって。
それはお世話になったあの自転車にお別れが言えなかったこと。これは昨夜の帰りのタクシーでも感じたし、玉ねぎを炒めながら(!一つ絶対書いておきたかったこと思い出した)もこれだけは悲しいなぁと、じわじわじわじわ悲しみがさざなみを立てている。
別れはいつも突然、みたいな格言あるっけねー。
映画や本が好きで、いろんな感情を見聞きしたつもりでいた。 でも何回繰り返しそう思っても、やっぱり実体験には到底及ばないという思いをまた何百回か目に感じている。お別れの言えなかった別れ、というどこにも放つことの出来ない悲しみについて。
自転車だったからまだこうしてへっちゃらに今日を楽しんでいるけれど、交通事故死はやっぱり計り知れないなぁ、と思考が流れながらマッシュルームを追加した。
さて、玉ねぎなのですが。 NYで買う玉ねぎを切った時の目の痛さはものすごく強烈なのです。NY到着翌日から心底感じている���が、こちらの玉ねぎは日本の玉ねぎよりも涙がすごい出る!今朝、そういえばいつも感じているこのことについてどこにも書いていないなと思ったのでした、精神分析の合間を縫って。
そういう事になりまして、地下鉄に乗って、人間観察が楽しくて、グランドセントラルステーションで感嘆のため息をつきながら人々を見下ろし、何度来ても良い場所だなぁとひとりごちて、そろそろ滑走ばかりしていたタイミングは終わって、地に足つけて過ごすのが良い時期かもね、と信号待ちをして、いつも停める図書館の裏門の前の通りの自転車停めに自分の(だった)自転車が停まっていないという事実を目視しながらふと、なんとなく図書館に直行するのではなくてブライアントパークのクリスマスマーケットをもう何度目かわからないけどまた通ろうかなと寄り道をして、初めて店に入った。これまでは自転車をひいていたから通過するだけでお店には入らなかった、買い物の気分にもならなかったし。そしたらすごく好きなお店に出会っちゃって、音楽と本と食材以外に初めてNYで買い物をした。いつ会えるのか未定中の未定だけどあかりさんにお土産も買った。New York Diaryをこうも楽しませてくれているのは本当にあかりさんのおかげなので。
さてと。
別れは突然にやってくる、という感触がとても強い今のうちに、やるべきことやっておかないと!という気分に漲っている、そんな感じの12月10日(火)昼過ぎでございます。
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と、ここまで書いて、投稿しようとしたら図書館のWi-Fiの調子が悪かったので帰宅したらで良いや、と帰路に着く。
正面玄関をいつものように通り過ぎようとして、はたと気がつく。もう自転車を停めてある裏の出入り口に行く必要は無いんだ、と。そうして初めて正面玄関から出た。人が多くて退出のセキュリティに並んだ。裏口では並んだことがなかった。
いつか、とのんびりリストにしている物事を、いつまでもそのままにしないようにしようというモードに入ったので、とりあえず有名と言われているロックフェラーのクリスマスツリーを見て帰ろうと思った。ロックフェラーはいつも自転車で通っている道から一本ずれているので(マンハッタンはほぼ全ての道が一方通行。自転車も車道に合わせて上りか下りで通りが決まる)、行ったことがなかった。
5th Aveは狂ったように混んでいた。そしてたどり着いたクリスマスツリーのセンスの心惹かれ無さにおったまげた。えええー!となった。配色の投入具合間違えていないだろうか???まぁセンスなんてのは人それぞれの価値観だから、きっと私がズレているのでしょう。びっくりしたわぁ、通り抜けるのも一苦労なほどの混雑の向こうにあったカラフルすぎるツリー。
あっけないほど一瞬で寄り道が終わったので、もう少し散��をする事にした。通りはずっとアップルシナモンの香りがした。歩くのはとてつもなく楽しいという事に気がついた。そのまま5th Aveを上っていると大きな教会があってふらりと入る(St. Thomas Church)。重厚な扉の向こうに、感動的な静けさがあった。ホッとした。通りがどれほどの騒音なのか改めて気がついた。
自転車は車よりも運転に神経を使う。段差が怖いし、信号は守らないし。基本的に運転で視野が集中している。だから、大きい店の看板には気がつくけれど、アパートの入り口の中のロビーの様子までは見えない。ショーウィンドウの様子も、教会の張り紙も、通り過ぎていくだけでしっかり見てはいない。ここにBarbourがあるんだ〜と思って通過するけど、徒歩だとシーズンものの様子まで感じ取れる。ひと月の間、自転車で滑走し続けた挙句の果てに、今度はディテールを目にする楽しさを知った。いつもNYCの景色だなぁ~と走りながら思っていた地下から上がってくる湯煙を、心ゆくまで撮影する。気に入ったシーンを全部撮る。自転車だと、わざわざ止まるほど気に入った時しか撮影はしない。歩くことを底が抜けるほど楽しんでいたら、真っ暗になって、50ストリート全部歩いた。近所にドーナツ屋さんがあることを、もう20回は通ったであろう通りで初めて知った。自転車ではドーナツ屋さんの反対側しか走ったことがなかったのと、店の看板が目立たないので見逃していた。喜び勇んでドーナツを買って帰った。
ソルトレイクシティから帰ってきていたサティアが鴨鍋を作っていた。信じられないわ、色々。鴨鍋って。しかもアメリカで。なにこのいと素晴らしき出汁の香り。春菊なんて買えるんだ!ここはNYだった!自転車を盗まれたという報告をする隙がなくて、鴨鍋の経緯を聞いた。
崇とは、今日なに食べよっか、という話をしてから買い出しに行く。サティアとは完璧なシェアメイトの距離感で、食事はそれぞれ。作っている時にそこにいたら、ちょっと食べてみる?っていう流れが生じる。(私は基本肉を家で食べないのだけれど、サティアはむしろ肉がメイン。週3ステーキライフ)かかかか鴨、、、。好きすぎるけどここで鴨が大好きと言うと くれ!って言ってるみたいだから言わなかった。そしたら出来たからちょっと味見してみてってくれた。途方もなく美味しくておったまげた。無類の鴨好きだと告白したら なんでそれ先に言わないの!って鴨追加でくれた笑
ちょっと鴨鍋が美味しすぎて作り置きカレーを食べるの時間置いたしドーナツ食べるタイミングは先延ばしになった。
ところでチャリ盗まれたって言ったら、「俺だったら相当凹むなー」と言っているのを聞いて、そうか、凹む、という感情とも無縁だなぁと思った。歩きながら、ところで怒りも全然無いんだよな��実感していた。昔自分のロードバイクが盗まれた時は、盗んだ奴に対する怒りがあった。でも今回は全然湧かない。なんかNYってそういうところっていう受け入れ態勢がある、自分の中に。むしろ好奇心が湧いていて、あれ盗んだ人どうしたいんだろう?って気になっている。今もこの街のどこかにあの自転車があるんだなぁ~という感覚が面白い。できれば誰か楽しく乗ってくれる人の元へ辿り着いたら良いなぁ、そんな感じで、12月10日の夜には、もうすっかり別れを受け入れた次第であります。薄情だなぁと思いながら、今はもう街を歩くことの楽しさにかまけている。
とか言って、写真見直してたら切なくなってきた。
バイバイ、サイズが全然合っていなかったアンティークのラレーさん。本当にたくさんのところに連れて行ってもらいました。
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e-ecoqlog · 8 years ago
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もふ..赤黄
※中学生赤司とおきつね黄瀬のふわっとしたパラレル     もふ。  つやつやのきらきら、こがねいろの立派な七尾が決して狭くはない部屋を占拠していた。屋敷に帰ってきてから、そのただならぬ雰囲気からおそらくそうだろうと察してはいたが、やはり実物を見れば抗えない混乱が赤司をおそった。  日本でも有数の名家である赤司家のセキュリティというのは生半可なものではないのだけど、しかしそれをまるでないもののようにこうして彼は赤司の部屋のベッドに寝転がっている。それは、彼がヒトではないなによりの証拠だった。勝手に本棚から取り出したらしいバスケットの雑誌を退屈そうにめくっている。まるでそれぞれが生き物のように奔放に動く尻尾は彼のやり場もない鬱屈とした感情をそのまま主張しているみたいだった。  ぱたん、と背でドアが音をたてて閉まる。すると頭からぴょこりと生えるさんかくの大きなきつねの耳が跳ねたかと思うと彼はがばりと身を起こした。赤司の姿をそのきんいろのひとみにとらえると、まるで主人を待ちわびていた愛犬のようにすり寄ってくる。拒もうとして拒み切れずに抱きとめてやると、やはり体格の差かその衝撃に赤司はよろけてしまう。 「赤司っち! おかえりなさい」 「……ああ、ただいま」  赤司の戸惑いを知ってか知らずか、当たり前のように言ってにっこりと笑う彼に、赤司はすっかり絆されて返事をしてしまう。順応してしまっているこの状況と自分がすこし怖い。赤司が複雑な表情をしているからか、彼はきょとんとした顔をしたが、すぐに撫でてほしいとばかりに長身の体躯をかがめる。絹のような金糸にそうっと指を差し入れると、嬉しそうに目を細めた。つややかな髪は触れるているほうがこそばゆくなってしまうほどにやわらかい。知らない花のような芳香がかすかにかおって、どこか懐かしく、けれどひどく遠い世界を赤司は感じた。  しばらく撫でられて満足したのか、彼は身軽にベッドへと舞い戻った。束になった尻尾を気まぐれに揺らすと数冊の雑誌が押し出されて無造作にばさばさと落ちてしまう。彼はそれに気がつかなかったか、じいっと赤司を見つめている。今日もばすけっと? 慣れない言葉をなぞるくちぶりは、いとけない子どものようだった。 「そうだよ、バスケットボール。……あと、本をちゃんと拾わないと、もう撫でてあげないよ」  赤司はわざわざ本を拾うことはせずに、彼の前を通り過ぎた。制服の白いジャケットを脱いで、ハンガーにかけながら彼を横目で見る。ベッドの上に座り込んで、きんいろのひとみがいまだまっすぐに赤司を見ていた、先ほどまでだらしなく寝そべっていたくせに彼の纏う着物に皺や乱れは見られない。けれどそれはふしぎではない、なぜなら彼はふつうではないからだ。それなら、通常あるべき事象がねじまがってしまってもなんらおかしいことではないだろう。赤司も、おそらくそれに巻き込まれたもののひとつだ。  しばらく呆けていた彼は、なでてあげない、と赤司の言葉をもごもごとくちのなかで繰り返した。そうすることで言われた意味をどうにか呑み込めたようで、はっとしたようにあたりを見回す。振り返った拍子に豊かな毛並みの尻尾が、枕元の置時計をひっかけてカシャンと音を立てて落とした。その音にもかわいそうなほどに彼はびくついて、次は慎重に身体を動かしてゆっくりともとの位置に戻した。  数ヶ月前、桜吹雪の日に赤司の前にあらわれた彼は自分のことを、かみさま、だなんて言ってのけた。理由はわからないけれどなぜかすっかり懐かれてしまって、彼はことあるごとに――というよりなにごともなくとも――赤司のもとを訪れるようになった。最初はきつねの尻尾と耳によくできた仮装だと思ったのだが、その手触りは決してフェイクファーではなかった。引っ張ってみれば(このときはとてもいやがられた。涙目になったきんのおおきなひとみとその表情を赤司は忘れられない)しっかりとその身に生えている。なによりそのヒト離れした容姿のうつくしさは神々しく、やはり彼がヒトではないのだと感じさせた。神の存在をもとより信じていなかった赤司は、半信半疑のままなかば面倒になって彼の存在を受け入れた。彼はかみさまなのだ、たぶん。  大きな尻尾をできるだけ縮こまらせて、赤司から見れば無意味な努力をしながら彼は落ちた雑誌に手を伸ばしていた。念動力なる、手を遣わずしてものを動かせるという便利なちからを彼は持っている。実際に見せてくれたことだってあるのに、どうしてか彼はそれをつかわない。ううう、と唸りながらも注意深く、ようやく床に散らばる雑誌を拾い集めた。 「これでいい?」  きゅっと胸に数冊の雑誌を大切そうに抱えて、彼は赤司を上目づかいで見つめてくる。赤司よりも彼の身長はゆうに20センチは大きいというのに、どうしてそんな器用なことができるのだろう。どこか震えているような沈んだ声は、彼の真剣さを物語っていた。  赤司はネクタイもほどいてしまうと、ぽんぽんと彼の頭を撫でてやった。雑誌を受け取って本棚に戻すと、満足したように彼の尻尾は嬉しそうにふるふると揺れていた。その動きは無意識なのか、そのうちまた同じ失敗を繰り返してしまいそうだと赤司はこっそりと笑いを噛み殺す。 「うん、ありがとう。……あ、そうだ、ごほうびをあげる」  赤司は彼のためにと用意したものを思い出して、学生鞄を開いた。興味津々のひとみが赤司の動きをあますことなく追っていることに緊張してしまう。わざわざ学校の帰りに利用したことのない駅で下車して、立ち寄ったことのない大型バラエティショップで購入した。  かさかさと袋から出して彼に見せると、満ちていた期待が一気に消沈するのが手にとるようにわかった。赤司が手にしていたのは、大型犬用のブラシだった。ペットを買ったことのない赤司に相場なんてわからないが、お値段税込み2484円なり。 「な、な、なんスかそれ! オレをそこらへんの犬と一緒にするつもり?」  憤慨して頬を赤らめている彼の腕をひいてベッドに腰掛けると、きゃうん、なんてそれこそ犬みたいな啼き声をあげる。やだやだやめて、と情けない声を出しながら逃げようとするが、やみくもな動きを制するのは体格の差があっても簡単だった。もともとつやつやのさらさらとは��え、主人のように自由に動き回る尻尾にはやはり跳ねたり乱れているところがある。  あまりにもいやがられるのはさみしくなってしまって、赤司は動きを止めた。くちをつぐんでうつむくと、彼もつられたように拒むのをやめた。あかしっち、とあまえた声音でおそるおそる様子をうかがってくる。くるくると移り変わる表情はかわいい。 「そんなにいや?」 「べ、べつに、手入れしてくれるのはいいんスよ! でも、でも、犬用なんて……」  犬用とはいえ、彼のために買ったことには間違いがない。一般的な中学生よりは多いかもしれないけれど、赤司だってお小遣い制だ。ひと月に遣える金には制限があって、そのうちの2484円を彼のためにつぎ込んだのだ。  ペットなんて飼っていないのだから、正真正銘彼のためだけに赤司はそれをここで握りしめている。そのきれいな尻尾を梳いてやりたい。しかし相手は確かにかみさまで、こらえきれない不安を胸にわだかまらせたまま赤司は正直にそう告げた。 「オレのために? 赤司っちが?」  気持ちだけはちゃんと通じたらしく、彼は戸惑いと喜びをないまぜにしながら赤司の手の中の犬用ブラシをまじまじと見る。笑みと怒りと悲しみがすべて混ざったような複雑な顔だ。まるいあたまから生えた耳も迷うようにぴくぴくと動いた。プライドと赤司を天秤にかけてしばらく、小さな声でちょっとだけならと呟いた。  緊張が抜けて赤司が笑ってしまうと、彼はちょっとだけだとまた念をおした。決心したようにおずおずと赤司に背を向け、ふかふかの尻尾をしゅるりと差し出す。なめらかな毛並みが気持ちよくて撫でていると、はふ、と彼はため息をついた。 「……顔は一緒なのに、全然違うんスよね」  ぽそりとぼやいた彼に赤司は首を傾げたが、詳しくを話す気なんてさらさらないようだった。誰かと比較をされているのは前々から気づいていたことだ。赤司としては面白くもないのだが、表情もわからない今は何かを言うことはやめた。  一度目は表面を撫でるようにブラシを尻尾にかけるが、たぶんこれではほとんど意味がない。馬にやるのとは違うだろうが、けれどその要領を思い出しながらもう一度根元から尻尾の先へとブラシをかける。 「んっ!」  びくんと肩を震わせて彼は声をあげた。驚いたようにちらと赤司を見遣るが、もちろん赤司はブラシをかけているだけだ。自ら出してしまった声に困ったように彼は自分のくちもとに指先でふれる。しろい指先がさくらいろの艶っぽいくちびるをなぞるのが官能的だった。 「ふあっ、……あ、」  しゅ、しゅっ、とくりかえしやるたびにに彼は甘い声をこぼす。……これではまるで喘ぎ声だ。  逃げてしまいたいのを我慢してか、ぎゅっと彼はシーツにしがみついている。逃げようと腰が浮いて揺れるのを、どうにか耐えてまた座り込む。大きなさんかく耳もぴんと立ったりぺたりと倒れたりとせわしない。気を紛らわそうとしたのか、彼は手近なクッションを抱きしめた。 「ま、待っ��、……んあっ、あかし、っち……あ、や、ああ、っん!」  何度も振り返って彼は懇願した。きんのまつげがぱさぱさと大きな音をたてそうなほどに空気を掻く。いつもひとの願いを聞き届けているであろうかみさまに、そんなふうにこわれることなんてそうないだろう。しかし、赤司はおのれのやるべき仕事があるのだ。待ってみたとしてもなにも変わらない、いやいやと首を振る彼にはかまわずに赤司は尻尾を梳き続ける。ちいさな毛の絡まりを丁寧にほどいて、どこでつけてきたのかわからない埃を払い、きれいなかたちに整うようブラシを何度も通した。  途中からは慣れてきたようで、最初のようなおおげさなほどの反応はしなくなるが、それでも嬌声みたいな吐息をこぼしつづけるので赤司は気が気ではなかった。力をこめられたクッションがへたれて歪んでいる。なんで、あかしっち、あん、やだ。非難するような言葉にも力ずくで跳ねのけられない限りはあまり説得力はない。彼の力があれば、いつだってやめさせることはできるだろう。甘えた声をききながら、赤司は尻尾を梳くことに没頭した。  七尾のうち二尾のブラッシングを終わらせると疲れてしまって、赤司はブラシを置いた。一尾あたりがとにかく大きいのでなかなか骨が折れる。雪丸相手なら時間をかけて全身をくまなく手入れしてやるのだが、このきつねのかみさまにはいつだって会えそうだし、一日の学校生活と部活を終えたあとで身体は疲れているし、……なにより、赤司の精神のために。 「あ、んん……、も、おしまい……?」  毛の流れを確かめるように手で撫でつけるだけの赤司に気づいたのか、物足りなさそうな顔をして彼は振り返った。きんのひとみは零れ落ちそうにとろんと濡れて、先ほどの怒りとはちがう意味を持って頬が朱をさしている。くすん、と情けなくしょげた音を鼻から鳴らした。  はたりと機嫌よく揺れる尻尾は、もともとの毛質のよさも相まってうるりとした艶をもってきらめいた。はじめてだったけれど、なかなかうまくできたと赤司は自負している。ばらばらの動きをする七尾は調子だってよさそうだ。なにかの具合を確かめるようにつるりと赤司の腕を撫でていく。 「今日はここまで。どうだった?」  毛並みの手入れをするたびにこれなら大変だな、とぼんやりと思いながら赤司がたずねると、クッションに半分顔を埋めたままの彼は困ったようにきれいな眉を下げている。答えるのをしばらくためらうが、赤司と目を合わせないようにしながらよわよわしく頷いてみせた。 「ん……たまになら、やってくれても、いーっスよ……」  言ってからたっぷり間をとったあと、顔をあげて赤司の表情を確かめてくる。そういわれるのはなんだか心地がよくて、そう? と赤司はゆるくくちびるを持ち上げて微笑んで見せた。途端にクッションを放り出してあたふたと首を横に振る。うなじにかかりそうなほどの長めの髪がきらきらと舞って、そとのひかりを透かしてまぶしいくらいだ。春の日はあたたかく、いいにおいがする。 「赤司っちだから! 特別な���スからね!」  怒っているのか照れているのかわからない言い方をして彼は赤司に迫ってくる。弱みを見せたとでも思っているのかなんなのか、違うのだと必死に言い訳をしている姿がやっぱりかわいらしい。  彼のくちから特別なのだと言われると、正直嬉しくて舞い上がるような気持ちだ。だって彼はかみさまで、それなのに一介の中学生にこんなにご執心なのだ。くちにしてしまえば彼はたぶん調子にのってしまうので、ぐっとこらえて飲み下した。 「ふふ、わかったよ。ほら、きれい」  なだめすかすように彼がいちばん好きなやりかたでさわってやる。高い位置にある頭を撫でて、つやつやでふわふわの尻尾に手を這わせた。恍惚としながら彼は赤司にもたれかかり、腕や腰にその豊かな尻尾を絡み付けてくる。きれいだと繰り返すと、うん、と彼はうっとりと笑った。      「おはよ」  めずらしく今日は遅刻でも欠席でもない日らしい。豊穣の稲穂の黄金にその髪色はよく似ている。彼もまた数か月前、桜の咲き誇る日に入部届を持って飛び込んできた。目のくらみそうなまばゆさに、赤司はどうしたって焦がれてしまう。  気まぐれな歩調に歩みを合わせてやって、通学路を辿る。試験が終わったばかりだから、最近の練習メニューは厳しめだ。メニューはみずから組んでいるとはいえ、赤司だって辛いことに違いはない。クラスや生徒会の仕事だって、家のことだってある。束の間の、気を緩める時間にだけ赤司はゆるく表情を崩した。  チームメイトやクラスのこと、試してみたいプレイスタイル。そんななんでもない会話の合間に、あれ、と声があがる。彼が立ち止まるので、赤司も同じように歩を止めた。いくらかある身長差を縮めるように、彼は慎重に身をかがめた。赤司の左肩、ジャケットに指先がふれる。きちんと手入れのされた爪先はさくらいろだ。 「赤司っちって、犬飼ってたっけ?」  白い制服についたきんいろの毛をつまみあげて黄瀬はくすくすと笑った。    (2016/01/05)
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doanob1 · 6 years ago
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あいちトリエンナーレに行ってきた
あいちトリエンナーレに行ってきた。
夏休みにどこか行こ。電波の入らない離島に行って(コナンくんが来たら死ぬだろうな〜)って想像するのと、大阪に行って昔から興味があったみんぱくに行ったり美味しいものを食べたりするのとどちらがいいかな、と考えていた。
ぼんやり色々考えているうち、名古屋在住のフォロワーさんが東京に来た時、「ご飯を一緒にどうでしょう」と連絡をくださった(とてもうれしい)。そうして一緒に食事をしたりお散歩をしたり、なによりたくさん話したりした。
そして後日、その方が「自分の目に新宿がどう見えたか」を文章にして公開していて、これが新鮮で面白く、今思えばこのとき自分が見たものを書いておく・公開するってことの魅力にちょっと興味を持ったのだ。
今回私が名古屋に行って、また同じ方とお食事をしたりおはなししたりしたのだが、今度はその方の絵日記を少し見せていただいて、これもとても素敵だと思ったのだった。
私はいま新宿に住んでいるが、ここに住んでいるといろいろなことがわからなくなると思う。こんなにオリンピックの看板が出ていること、地下鉄で窓の代わりに光るモニターの広告、そうしたものにもう慣れてしまった。「こんなにオリンピックの広告がたくさんあって驚きました」と言われ、はじめて、「そうかこんなに広告があるのは異常だな」と気づいた。
自分が立っている場所のことは自分では見えない。だから、他の人と一緒に自分が住む街のことを聞いたり話したりすると、新鮮で面白くて、自分がどんどん鈍くなっていることを知って恐ろしい気持ちになる。
むかし、地方の天候不順や災害のニュースを見たとき、「今年は野菜が高くなるわね」と言った人がいた。私はこれを聞いて(地方はお前の畑じゃないぞ、住んでいる人間も誰かの生計もあるんだぞ)と思ったものだが、だんだん、私は都市の生活に慣れて、こう言いはなつ人間になってしまう気もする。
近しい人間に「私がこういう無神経な人間になったら頭を打ち抜いて欲しい」と頼むのは、半分冗談で半分本気だ。私が無神経な人間になってしまったとき、自分ではそれと気づくことができないだろうから。ゾンビのように、生きているように動いてももう人の心もなく、ただ他人にかみつこうとする存在はいくらでもいる。じぶんがそうならないなんて言い切れない。
旅行先は愛知にしよう、と決めたのはこのときだ。
ちょうどこの頃、あいちトリエンナーレに対しての脅迫が連日報道されていて、わたしは脅迫する側の気持ちがまったく理解ができなかった。ただ少女が座っているだけの平和的な像が「反日」で、戦時下の性暴力に反対する行為が「国に対する侮辱」?いまでももちろんまったくわからない。でも、いずれ私も彼らのような振る舞いをしないと言い切れるだろうか?この国は貧しくなりつつある。来月から消費税は大幅に増え、生活は確実に苦しくなる。その状況で心まで貧しくならないなんて言い切れない。いずれ私もゾンビになるかもしれない。
隣の国でも、遠くの地方であっても、どこであっても人間が住んでいることを忘れていたくはない。が、いずれわからなくなってしまうかもしれない。
私が毎日なにかを書いているのは、漂流中の人間が書く航海日誌のようなものだ。たったひとりで暮らしながら、正気を確かめながら書く。 書いている途中に、自分でも気づかないまま、もう人の心をなくしてしまうかもしれない。 そのときに、昔の自分が書いたものを読んで、少しでも思い出せればいいと思う。 これから書く旅行の話も、いずれ自分がゾンビになってしまったときに、人間(だった時代)を思い出すために書いていた日記をまとめたものであって、もともと公開するつもりはなかったがせっかくなので載せておく。冗長な描写が続くが元が個人的につけている日記なのでご容赦ください。
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1日目。 7:30にバスタを出て13:30にささしまライブ着。 今回はバスで行ったんだが、名古屋市内に近づくにつれて巨大な船舶が泊まる港が見え、整然と並ぶ輸出用の車が見え、そして現実味の希薄な原色のレゴランドが見え・・・という光景に妙な感慨を覚えてしまった。その後バスが走った市街地でも、看板が大きかったり(走る車からでもよく見えるようにだろう)、店の規模も駐車場も大きかったり、そ���そも道路自体が大きかったり、車社会を感じる。この車社会・そしてトヨタとの関係は、トリエンナーレを巡る今回の旅程を通して実感することとなるのだが、それはまた後ほど。
ささしまライブに着き、ホテルまで歩いて荷物を預けて、名駅地下の適当な店で味噌カツを食べる。「味噌カツを食べた」という事実が欲しいがために適当な店に入ってしまったのだが、味噌カツ、高級なソースかつみたいな味がした。駄菓子のアレ。私が貧乏舌なのか、その店に原因があるのかは永遠の謎。
ホテルは安さだけを重視して選んだら「オーバールックホテルからオシャレさと清潔感を抜きました!」みたいなところだった。ホテル名をグーグルに入れると「(ホテル名) 幽霊」とサジェストされる。きっと実際に何かしらの事件があったんだろうな・・・怖くてクリックしてないけど・・・まあ泊まってみたら双子の幽霊も血まみれエレベータもなかったからヨシとしよう・・・。立地は名駅西側のところで、周りも水商売のお店が多く、あとで「西側は治安悪いところですよ」と言われる。新宿にも水商売密集地帯はあって、年季の入った建物の感じや路地裏の感じは似ているが、同じ古い風俗街でもちょっと印象が違うなと思った。新宿の場合、建物自体は古くとも、店の入れ替わりが激しく看板だけは新しかったりするのだが、名駅西側のあたりは「昔からあるのだろうな」というフォントの大きな看板が目立ったからだろうか。
そしてこの日は月曜日だったんだが、月曜はトリエンナーレ全体がお休みなのを忘れていて一度円頓寺会場まで行ってしまったよ。あほ。ホテルに引き返して、持ってきた仕事をしたりごろごろしたりしてたら夜。
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円頓寺の通り。
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円頓寺のかっこいい佇まいの一例。
夜。フォロワーさんと円頓寺で待ち合わせてご飯に行く。「連れて行きたいお店があるんですけど怖いおばあさんがいて・・・お酒を頼まないと怒られるんですよね・・・私はお酒が飲めないんですが、のぶさんお酒飲めますか?飲める人がいないと行けないので・・・」と聞かれたので元気よく「飲めます」とお答えして連れて行ってもらう。連れて行ってもらった先の居酒屋さんは、手の跡が残っているような木でできた煤けたたたずまいであった。店内から曇りガラス越しに見える通行人の影が、舞台装置のようでとてもよかった。通行人の影が傘を差しだして「あ、雨が降り出したんだな」とわかる光景。演劇の演出のようだった。
どて煮と手羽を食べ「これでナゴヤ飯を食べたと言えます」とフォロワーさんから太鼓判をいただく。やったね!「お酒飲んでもらってありがとうございます」とも言われ、(お酒飲んで褒められるなんて生まれて初めてだな!甘やかされてる!)と思った。
このお店で、隣り合わせたおじさんに話しかけられ、手羽からを食べろと渡されたり無視しても声をかけてきたりしたんだが、なんだかすごく寂しいおじさんだな、と思った。お店の人に「飲み過ぎだ、帰った方がいい」と言われても「帰ってもすることないねん」と答えていて、なんてさみしいひとなのか・・・と思ったのだが、この翌日、私ひとりで食事に行ったときも似たようなおじさんにまた話しかけられるのだった。この話も後述。
居酒屋さんのあと、ベトナム料理屋さんに行って、チャーっていうあのあまいやつを飲む。フォロワーさんと政治の話や芸術の話をたくさんできてうれしかった。SHERLOCKをきっかけに19歳からTwitterをはじめてもう八年経とうとしている。現実で出会っていたとしたら、こんなにいろいろな話をするまでに多くの時間がかかるであろう人とも、いやそもそも出会っていないであろう人とも、こうして会って食事をして政治の話をできることが不思議だ。
Twitterがあってよかった。
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2日目。
八時頃ホテル出て電車で名古屋城へ。 名古屋城、堀の幅が広くて深くてびっくり。整然とした石組み。お城へ行く道々に、忍者のかわいいお菓子がたくさん看板に載っていた。 この日は天守閣に入れず、本丸御殿に行ったのだが、本丸御殿だけでも十分���足してしまった。ゴテゴテしているわりに、描いてある鳥獣は間が抜けてたり廊下は異様に質素だったり、全体を通すと上品に見えるのが不思議。ネコ科の動物大集合のお部屋と金具のリスがよい。天井がきれい。質素な廊下を抜けるとキラキラ豪華絢爛な空間が現れて、森の中の滝やお寺みたいだ。
以下は本丸御殿の内部。これはネコ科の動物づくしという素晴らしいテーマのお部屋。トラやヒョウやジャコウネコがいるよ!
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ネコ科のお部屋パノラマ。
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↑これは鳥のお部屋。写りが悪いけれども鳥が色々描いてある。
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金具のリス。
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綺麗な天井。
帰りがけに忍者がいた。「よく参った!」と言われて笑ってしまった。名古屋城は忍者がおもてなししてるのね。そういえば昨日はフォロワーさんから「おもてなし武将隊」というライトな観光アイドル的なものも教えてもらったのだった。 私はいつも旅先からお手紙を送るのだが、ジャコウネコとや虎のポストカードを買ったので、明日、フォロワーさんに教えてもらったキッテで発送しよう。名古屋にもキッテがあるらしい。 ポップオーバーというお店でお昼を食べて移動。芸術文化センターへ。このあたりから暑さと日差しが辛くなってくる。 名古屋は車社会で道路が幅広な分、簡単に横断できず、歩道橋や立体通路や地下を経由する必要があってちょっと移動が大変。見えてるのに簡単にいけない感じがRPGっぽい。まあ近くなのに移動が面倒、という点に関しては東京もよそのこと言えないか・・・。
芸術文化センターの展示について。
慰安婦像の対応をめぐり、作家さんの意思で展示中止措置が行われたため、見られない作品も数多かった。その一連を報道した新聞で全体が覆われて隠されている作品もあった。
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これらの新聞記事は全て慰安婦像に対する抗議とその対応を書いた記事が載っている。
ウーゴ・ロンディオーネのピエロの作品、造形のみならず薄くて伸縮性のある布が表面を覆ってる感じとマスクの塗装が超リアル。入った瞬間ぞくっとした空間。でも、彼らの間を歩くうちにだんだん親しみがわいてくる。愛嬌のある一体、自分に近い一体を見つけていって、部屋を出る頃には最初の小さな戦慄がなくなっていた。
ペルーの作品は展示していなかった。クラウディア・マルティネス・ガライのやつ。見られなくて残念。とても興味深いディレクションが記してあったので。
あとラテンルーツの人びとがパーティする映像も公開されてなかったけど、暗い空間の中に残されたパーティグッズのもの悲しさそのものがいまの事態に対する静かな悲しさを示した展示のようだった。
石場文子の作品は自分のパートナーを思い出した。一部がマジックで強調してある日常の風景を移した写真。一見ただの写真に見えるが、一部が人為的に強調してあるので、ぱっと見たときに違和感があって詳しく見ていくとそれがだんだん明らかになってくる。 あれは本人/当事者たちにしかわからない「思い出」「時間」を強調して可視化しているのかしら。 人と暮らしていると、ただの日常の道具や風景でも、私たちにしかわからない特別な意味が生まれてくるものだなーと実感しているので、(おそらく)誰かと暮らしているのであろう風景をあのように表現した展示に自分たちの暮らしを思った。
永田康祐の三つの料理の映像は、レヴィストロースの料理の三角形論と、ローストビーフの由来を持たないローストビーフ(分子料理)のところがすごくすき!なるほどと思った! 私自身の住んでいる場所が多国籍な地域なので、いろんな国の料理屋さんに入った時のメニューを見ている感覚を思い出した。メニューに現地の文字による原語名と、日本語に翻訳した言葉が載っているけど、例えばタイ料理屋でも中華料理屋でもミャンマー料理屋でも日本語では「チャーハン」って書いてあるものがあって不思議だったんだ。日本語にするとそれが一番伝わりやすいからこう書いてるんだろうけど、実際葉もちろんそれぞれ別物なわけで、頼んでみるまで実際のものがわからないドキドキ感も思い出した。
田中功起の四人の家族の物語は自分の仕事や生活と重なる部分もあって、とても興味深かった(職がバレるので感想は割愛)。ただ、映像はいいと思ったけどドローイング部分がちょっとよくわからない。
伊藤ガビンのプロジェクションマッピングは、ちょっとネットノリな感じのギャグの部分と、揺れるカメラや遠近感を表現したような部分とで好みが分かれそう。私は後者の部分が好き。鉄骨のなかを降りるような映像が、ゴーグルをつけない空間VRって印象。
ヘザーデューイハグボーグのDNA再現は、過去の遺体を再現するような(アイスマン等)のロマンもあって怖さや気持ち悪さのみでない魅力も感じる。あとやっぱガタカを思うね。かつてここにいたけれど�����いない人の痕跡をたどっていくのは、歴史や捜査ドラマのようで、少しわくわくするよ。
ガラスのドローイングは異様な奥行き感があって、「なんでこんなに立体的に見えるんだ?」とうろうろして眺めてしまった。ガラスに書いているという構造だけではなくて、直線と曲線を組み合わせているからあれほど立体的に見えるのだろうか?立体的に見える最大値を全部計算して書いているんだとしたらものすごい手間だ。
「その先を想像する」の大量の単純な映像、見ているうちに恐怖や怯えの予感に身構えてしまうような感覚を覚えた。殴られる前に身構えてしまう予感というか。例えば対面した相手が手を上げれば殴られると思って身構えてしまうが、それはある程度自分の学習に基づく予測なんだな、と考える。
「10分の遺言」日本的というか世界系というかエモい系というか、今回一番サブカル的わかりやすさを内包した作品だったなと思う。十分の時間制限をつけて、ネット上の不特定多数から「死ぬ前の文章」を収集してる作品なんだが、完成した文章そのものではなくそれを打ち込んでいる過程を映像にしてすべて流してるのね。削除したり、カーソルを戻したり、言葉を選んでいるのかためらったり、そういうての後を全て映像で記録して流している作品。映像キーロガー的なシステムはとても興味深かった。ああいう形で人が文章を書くのを記録できるのね。
ステルス機の白い枠線は、事件現場の死体をかたどった白い跡のようだった。(これが落ちてきたらみんななくなるんだろうな)とか(見えないけどいまも頭の上にあるのか)とか、DNA再現の展示でも感じた「痕跡の再現」を思った。
シルクスクリーンを一万回繰り返したやつ、3Dプリンターと同じ構造だけど遙かに手のにおいがするところが、アナログとデジタルの交差点という印象。
誰もいない台湾の町を延々とるやつ、ゾンビ映画の冒頭のようだった。(「28日後・・・」の全裸キリアンマーフィです)映像を見てから作品撮影の背景(軍事的な訓練のため誰も外出しない日であるため、街が無人)を知るとそれも含めてさらに映画的な印象を受ける。爆発する遊園地のほうは、ループものの作品のようで、まどマギを思った。
リングホルトの大きな時計は裏の構造が簡潔で理解しやすくてよい。ずっと見ていられる精神安定作用がある。
ガラスの箱を段ボール箱に入れて、輸送中に破損した実物を展示しているやつ、「これしか壊れないのか!」という驚きがあった。空輸であれだけしか壊れないなら御の字では?なにも梱包せずあれだけの損傷にとどまるのか。
空港のX線で現像した写真の展示は手法に納得し、中身に戦慄した。シリア大��館の荒れ果てた内部だったのか。見ることにできないはこの中をX線で現像して見せている。映画「アルゴ」の映像を思い出す。
木版画の巨大な虫たちの絵は、古代から伝わる壁画のような荘厳さがあった。神話的だ。細部まで書き込まれていて好み。
手にインクで番号を押すやつが閉鎖されていて残念。フォロワーさんが「国際的にも有名な展示で、匂いがするんです」と教えてくださっていたので期待していたんだけど、匂いって「涙を流させる仕組み」のことだったのか。涙を流すべき事態にも泣かない人間のための装置、という説明があった。香港のデモの催涙弾使用のことを連想して、この作品が展示中止されている事態と香港の事態は地続きだなあ、と思い至る。
写真の中の謎の物体を調査するやつは、ちょっと構成がわかりづらくすぐ移動しちゃった。あんまり立ち止まってみられる感じでもなかったのが残念。
ミリアムカーンの美しい青、実に美しかったが、難民というテーマとあの人の他の作品と並べられていると異質に映ってしまう逆転現象。
キャンディスブレイツの「ラブストーリー」は、六人の難民の抱く壮絶な背景に圧倒されると共に、役者のスキル、そして人間の持つ先入観について見事に表現していると思った。俳優さんの演技力がすごい。すごい。「本物」の難民が持つ、どこか意識が遠くにいるようだったり少し曖昧だったりといった要素が剥ぎ取られて、説得力を与えるようコントロールされている役者の演技の方が「本物っぽい」矛盾。面接やなんかにも通じると思うが、よりそれらしい、本物っぽくみせる技術はお金を払ってまで習得するスキルとされている。でも、それを「見ている」側のジャッジってめちゃめちゃ一方的だ。それにしても役者さんの演技がすごかった。表情も仕草も言葉も間合いも、あんなにコントロールできるものなのか。どう見えるか・どう見せたいかを完璧に解体しそして表現するまでが役者の能力なのかと思うと、途方もない仕事だ。
このあと名古屋市美術館に移動。あつい。顔が溶ける。ヒースレジャーのジョーカーみたいになる。退館した後で気づいたけど、国旗が印刷された野外のゴミ袋も作品だったのか。オシャレな袋がかかってるゴミ箱だな~としか思ってなかった。
空から垂れ下がるオーガンジーの刺繍、一見ファンシーで商品のような明るい魅力があるけど、DNA構造に基づき一対になっているデザインや作品背景に気づくと深みが増す。シャーレの構造もそう。清浄で真っ白な空間と生命を生むシャーレが病院のような斎場のような雰囲気だった。
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陶器の展示、とても面白かったー!陶器としてのデザインと、静物や風景が立体化しているあの作品群は、今回のトリエンナーレでもっとも万人に通用する明確な魅力があると思った。いつまでも見ていられる立体的なだまし絵のような発想、繊細な古典的表現!わたしにとっての付喪神ってこんな感じだな。あと刀剣乱舞。山口晃さんの作品への好感につながる魅力を感じる。
いっぱい写真撮っちゃった〜。
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モニカメイヤーのピンクの付箋の作品、すでに書かれたものを破ったのではなく白紙のものを破ったのか。もはや書くことができない、声を上げられないという状況の表現。新しい作品表現。視覚的に痛々しい光景だった。
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ホドロフスキーの展示。 ホドロフスキーが考案したという心理療法を実践する様子をおさめた記録映像と、書簡、そして小冊子の三点で構成されている展示。 映像のなかでホドロフスキーの指導のもとセラピーを受けているのが白人ばっかりで驚いた。 ビートルズにしろホドロフスキーにしろ、芸術分野がスピリチュアルな組織構造と結びつくのはまったく珍しくないけど、広々とした古典芸術的な劇場の中で白人だけが集まって手を繋いだりトランス状態に陥っているのはちょっと異様な光景である印象。
人工授精と刺繍の展示。私はこれが今回一番よかった。 18歳の時、自分が人工授精で生まれたことを知って、史上初のクローン羊・ドリーに関心を抱いて実際に海を渡って取材したり、出産や育児について表現したりしている作家さんの展示。 ドリーが生まれた街の写真が拡大されて一面を覆っていて、その上に金糸銀糸のきらきらとした刺繍が施されていて、部屋の中央には人形の家のような小屋があり、内部を除くと家庭的な居間が見える。展示場所やその居間の中や至る所に、ゾートロープによるアニメーションで羊や作者自身の姿がゆっくりと回転している。 18歳の時に自分が人工授精で生まれたと知って以降、「幼い頃からの過剰な愛情が理解できた」「女である自分もいずれ出産することを期待されている」と書く作者の言葉に、私は今回のトリエンナーレの中で一番心からの共感を覚えた。 今回は「しんかぞく」といい家族や出産に関わる展示が多く見られたが、これも津田さんによる「男女同数の作家を呼ぶ」取り組み成果だと思う。
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部屋の壁の前面を覆う刺繍の様子。
知らない言語を書き取る様子を撮った映像作品では、言語の学習過程や異国になじむ過程のようだと思った。まったく知らない音や言葉を、すでに自分の中にある言葉で置き換えて咀嚼しようとする行為。学生時代に語呂合わせで英単語を覚えようとしたことや、自分の素地になんとか近づけて多言語を習得しようとしたことを思い出した。これもまた「異国に生きる」ということとつながっているんだな。
GIFの繰り返しの展示、ヨシキさんがトークイベントでよく紹介してくれたyoutube動画のようで、映像式現代版ドラッグのようだった。ずっと見てしまう。
終盤に、愛知県内の小学生とともに作った段ボールのお部屋があって、それが細部までずっと見ていられる空間だった。
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入り口を入ったところ。
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種々のダンボールから切り取ったらしきロゴが貼られたボード。これを作った子はロゴ���フォントに興味があって気になって作ったのだろうか。
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おそらくシャチホコ。尻尾の表現が好き。
ここまでの展示は会場が美術館だったので、トリエンナーレの作品以外にも美術館の常設展示が観覧できた。この常設展示で裸婦像が多く展示されていたが、男女同数を実現し差別に関する問題や出産・育児についても多く扱っているあいちトリエンナーレと対称的だ。古典芸術世界における、女性の客体化と、それに対する問題提起としての現代美術。女性の意思を扱っているトリエンナーレ作品がある一方で、美術館の常設として古典的な裸婦像が山ほど飾られている部屋という、その対称性も象徴的だった。
ほかにも、常設展示では、児童文学の挿絵のような、会社に絡みつくドラゴンの像もあってこれがおもいがけず大好きになってしまった。紙幣=消費者から得た金で作られた、大量生産品を扱う会社とドラゴン。よく見ると窓や道にそれぞれ人間がいる。窓の清掃員やビルから現れる作者自身。ロアルドダールやティムバートンの作品のようだった。
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ここで円頓寺へ移動。あつすぎる・・・
一丁目長屋の中の古い写真を拡大したものは、祖父母のことを考え���にはいられなかった。祖父母のこうして誰かの持つ写真の中に背景として映っているのか。私の誰かのスマホで撮った写真に映り込んでいるのか。祖父母のことが大好きなんだけど、誰かのアルバムのなかでこうやって残っていてくれたらいいなと思うよ。ちょっとでも。
葛宇路は発想が好き。きっとこうやって生まれた道ってたくさんあるんだろうな。昔から。勝手に公共空間に作用していく人の行動が面白いと思う。古代から道の名前ってこうやって決まってたんじゃないだろうか。人の名前も、町の名前も。
移動する洋品店の展示も祖母を思わずにはおれなかった。それとここに限らず、展示場所が超狭い雑居ビルの二階だったり、趣ある巨大な古いお屋敷だったり、距離は大して離れていないのにまったく異なるのが面白い。異世界感。
弓指さんの、自動車事故の犠牲者である小学生六人をモチーフにした展示は、超車社会でトヨタ車がたくさん走っているのを見てここまで来た身からするとチャレンジングな展示だと思った。毒山さんの映像の中でも「トヨタ王国」「愛知からトヨタがいなくなったらやっていけない」との言及があったし。途中で運転席からの景色が見える展示構成がよい。
毒山さんの展示、おそらく私の祖父母と同年代の人びとの映像だが、その老人がいまでも子どもの頃に殴られたり屈辱を受けたりした経験を泣きながら語る様子がつらくて、見ながら泣いてしまった。いまでもこれを書きながら泣いてしまう。今回の展示のなかで唯一泣いてしまった作品。自分たちの祖父母だったら、と思うとつらくてつらくて仕方がない。 本人たちは「いい教育だった」と言っていても、それが本心だとは限らないし、それを疑う余地もない教育を施されたのだろうし、いまはもういない彼ら自身の父母の世代はどれほどつらかっただろうと思う。
円頓寺は最後に寄った伊藤家住宅がすごくよかった。中庭の感じとか蔵と蔵の間の空間の怖さとか。津田美智子の作品は不具合で見れなかったけど、蔵の中の岩崎さんの作品は緻密ながら空襲後の世界を思わせる光景で見入ってしまった。燃えた家財道具と建物と炭。どこかに通じる橋のような構造物がすき。三人しか入れない極小空間という処も含めて、秘密基地のような、子どもの頃にしか出会えない何かが住んでいる空間のような、魅力的な展示だった。
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全て炭で作られた作品の様子。
ゆざーんの演奏は、修行というのでもっと簡潔で寺院っぽい空間を想像していたら地下にあるライブハウスみたいなカラフルな壁画があってちょっと意外。タブラの音ってきれいだ。
ホテルに戻って、外食しようと思って外に出たらまたもや知らないおじさんに話しかけられ、「明日は絶対外に出ないで何か買い込んで宿で食べよ・・・」と堅く心に誓う。
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三日目。
朝起きて九時くらいまで昨日の日記書く。ポメラ毎日使ってるけど買ってよかった。旅行先でもいつもと変わらず書けるしバッテリーの持ちが最高。
チェックアウト後キッテへ。ハガキを発送して名古屋駅から東山線で栄駅、舞鶴線に乗り換えて豊田市駅へ。ホテルに荷物を預けて喜楽亭へ。
喜楽亭は建物自体も面白かった。料亭のようなことをしていたらしい。お寺のようだった。古くはあるけど清潔で使い込まれた空間。進むにつれてだんだんと輪郭や映像の出典がわかっていく構成と建物がよく合っている。映像の書簡形式。特に二階の構成がよい。日本のアニメ・漫画作家による二次大戦中のプロパガンダ作品と、それらが彼の記念館に収められていないこと、そして彼自身も特に後悔はしておらず「また政府から要請があったら同じことを行う」「国民としての責任を果たした」と語っている映像。そして、小津安二郎と彼の作品について論じ、作中の幼い兄弟が「大きくなったら軍人になりたい」と語っている映像とプロパガンダアニメが同時に背景に映り込む演出は素晴らしかった。小津安二郎の墓に「無」と刻んであるのはこの展示ではじめて知った。奥の巨大なプロペラの展示は舞台装置っぽい。カタカタ鳴る装置も舞台演出的だ。
ここから豊田市美術館へ。激坂のぼるの熱くてつらかった・・・。
美術館のレストランでお昼ごはん。
空から落ちる花が開くような展示は、みんなが上を見上げたり床に寝転がったりしながら作品を見て笑って話している空間自体が好きで、ずっと見入ってしまった。シャーレの展示もそうだが、美術館の広くしろい空間になにかが上から下がっているって独特の非日常。
豊田市美術館から歩いて近くの高校のプールの展示を見る。これもフォロワーさんから「��人がとても褒めていた」とのお話を伺っていたので期待して向かう。 実際に目にすると、青空にプールと廃校と夏の濃い緑、というのがすばらしい。エモい。バンタンの撮影に使用して欲しい。私はスクールもの時代のバンタンが好きだ。 垂直に立ったプールの壁面が真っ青な空に伸びている、という、飛び込みや空に落ちること・そしてもしかしたら飛び降りを連想させる光景がとてもよい。バンタンの撮影に使用して欲しい(2回目)
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青ずぎる空と校庭と合成のような鳥居が異世界っぽい。
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豊田市駅に移動して、架空のトヨタの遺跡モニュメントの展示三点としんかぞく(レンタル家族)を見る。 しんかぞくは正直、「実際に死産を経験したり子どもを失っている人から見たら残酷すぎる」と思った。流産を扱うことそのものを問題視しているわけではない。テーマパークという形にして、「エンターテイメントとして見せていること」・そして「実際に死んだわけではない想像上の子どもを作り出して、(おそらく)本物の水子と一緒に作品の題材にしていること」がちょっとひどいと思った。水に流す演出の意味や、最初に押すキーボードの意味などは「なるほど」と思ったけれど、原宿の店先に並んでいそうなポップな色合いで作品にするにはあまりに敬意がないのでは。 架空のトヨタの遺跡を再現する展示、発想と映像のなかのとってもうさんくさいおじさんのインパクトが強烈。最初あの胡散臭おじさんが作家さんかと思った。人為的に作られた出土品を見ているのが楽しく、また、「現実にも出土品を偽造していた考古学者がいたけど、こういう感じだったのかな」と想像を巡らせた。
なにかを売り出したいときや権威づけたいときに、古くからの神話や土地の歴史に絡めるのは常套手段だけど、これは逆にトヨタ神話を皮肉っているようでもあって、単純な「この土地と切っても切り離せないトヨタ」を礼賛しているわけではないと感じる。
アンナヴィッテのトヨタのダンスの映像も同じことを思った。あのダンスの映像は発想がとても好き。(明言はされていないがおそらく)トヨタの工場労働者たちを集めて複数回お互いの仕事について話し合う様子を撮っている。彼らは流れ作業で部品の点検等単純な労働に従事していて、「これから自分たちの仕事はどうなるか」「仕事は楽しいか」「なぜ仕事をし��いるか」といったことがらについて各々の意見を述べていく。そして、彼らが毎日繰り返している仕事の動作を再現してもらい、それを元にダンスを作り上げる。彼らが踊る映像と、自動制御のロボットがラインで単調な動作を繰り返しつつ車を作り上げていく映像が流れる。
ホテルに戻り、もうおじさんに話しかけられたくないなと思ったのでトヨタ駅近くの松坂屋地下でご飯を買って部屋で食べる。文章を書いて本を読んで眠る。
------------------------------------------------------------------------------------------- 四日目。 六時に起きてご飯食べてこれの下書きを書く。 チェックアウトして東岡崎駅へ。閑散とした駅にタピオカのスタンドがあり、まったく繁盛していないのを見て諸行無常を感じる。おごれるものは久しからず。高速バスでバスタへ向かう。 バスに乗ったら顔を覆うシェードがあった。はじめて見た。しかし使ってみると超快適で爆睡。隣の人の顔が見えない、見られないってこんなにもノーストレス!
いい旅行だったな。
街の中、しかもこれほど複数の場所に点在したトリエンナーレに初めて行ったので、土地と干渉し合う作品鑑賞も初体験で多く発見があった。
まず、炎天下を歩いて回って、歩く道々で見る建物や風景や、だんだん暑くてボーッとしてきたころ突如現れる作品や、全て込みで作品のようだった。特に円頓寺は一区画入ると全く趣の異なる建物・作品が現れて、街の中に潜む異世界をめぐるようであった。
そして、トヨタに関わる作品も数多くあって、トヨタの影響が色濃い街を歩く中でそれらを鑑賞して「これはこの土地で見るからこそ意味があるな」と思った。単純にどこか別の都市の美術館に全部入れていてもこんなに意味合いを考えたりしなかっただろう。
バスに乗って愛知に来たとき、ミニカーのように整然と並ぶ大量の車や、輸出入の船がたくさん止まる港や、突如現れるレゴランド、幅の広い道、超車社会、等々を見て「あートヨタのちからよ…」と思った。事故の犠牲者6人を追悼する作品で「加害者、被害者、クルマ」を提示していて(トヨタのお膝元でやるにはチャレンジングだな)と思ったけど、酔客にグローバル企業のロゴをかぶせる映像展示では「トヨタがなかったら名古屋はやっていけない」と行ってたり、豊田市駅の展示では架空のトヨタの遺跡を発掘する展示があったり、そしてその会場に向かう駅の歩道には「交通死亡事故一位の汚名返上!」という(展示ではなく警察やトヨタによる本物の)巨大な横断幕があったり、街中を巡ってみる展示だからこその効果を感じた。街中を歩いて車社会を実感しながら作品に会いに行き、そしてその作品たちが相互に作用していく体験が初めてのもので、「自分の目が変わっていく」過程が新鮮だった。土地を体験した自分の目が作品に向ける眼に影響していく。人間はどんどん変化していくけど、これほどの短期間で明らかに変わっていくのがわかる体験は、あいちトリエンナーレの素晴らしい強みだと思う。これからいく方にはぜひ、なるべく多くの作品を歩いて巡ってみてほしい。
それから、私が道中でさびしいおじさんとフェミニズム作品について。1日目二日目と、夕食を食べに行ったら知らないおじさんに声をかけられ、うんざりして三日目はビジネスホテルでもそもそご飯を食べたのは前述の通り。はっきりいって不愉快だし、心底不快だけれど、それ以上に「この��たちはさびしいんだろうな」という気持ちが先に立った。これは愛知に限らず、東京でもあまた経験しているので、今から書くのは今回の旅だけではなく普遍的な話。
旅行先で食べてみたいものがあっても、おじさんに話しかけられると思うとうんざりする。男の人ならどこでも好きなところへ好きなものを食べに行って、話しかけられて嫌な思いをするかもなんて微塵も考えないのかしら。ここでわたしが「旅行先で隣になった人とめっちゃ盛り上がった笑笑笑!おごってもらった笑笑笑」って書くタイプならむしろ旅のいい思い出になるだろうし、「こう感じるタイプの方が生きやすいんだろうね」、って話はフォロワーさんともしたけれど、私がこうやって知らないおじさんに話しかけられてめちゃめちゃ不愉快になるのは、「さみしい」という気持ちを検知するからだと思う。たまたま隣に座った私に話しかけ、少しでもさみしさを埋めたい、というのは侮辱ではないのか。一方的に話したり、相手が立場上・性格上反論できない局面で話を押し付けたりするひとってめっっっっっっっちゃいる。
私は今回のフェミニズム作品、そして作品中止に至るまで作家さんの行動の一連も根本は「対話を行わない」という侮辱に対するものだと思っている。一歩的に作品の撤去を求めること。それに対し、作家さんたちと十分な対話を行わず、実際に撤去をしたこと。
侮辱されている、舐められている、と察知する能力は人間にとって能力だなmと今強く思っている。このまま私は進もう・・・
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shi-el-k · 6 years ago
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熱の確証
 元は自分のせいとはいえ、血まみれの格好のままで警察に行くわけにはいかない。幽に上着を借りて急いで帰宅した蛍は、シャワーを浴びて着替えて警察に行こうと考えていたが、帰宅してすぐ、靴を脱ぐ暇もなく後ろから抱き締められた。
「おい、幽」  名前を呼んでも返事はない。むしろ強まった腕の力に、蛍は息を吐く。幽の腕を撫でた。 「……悪かった」 「蛍くんは悪くないよ」  震えている声の幽に、そんなわけがあるか、と思う。最後に、地獄を選んだのは蛍だ。手帳を読んで真剣に考えた結果でもあるが、確かにあの時蛍は、共に行けるのなら地獄で良いと思っていた。 「汚れるから一度離せ。せめて風呂入ってから、」 「ごめん」  ぐい、と強引に顔を幽の方に向かされたと思えば、次の瞬間には唇が塞がれていた。やわい感触に目を細めれば、舌が滑り込む。あっという間に絡め取られた舌に目を瞑った。少しばかり無理な角度ゆえ首が痛むが、今は幽の方が心配だ。  強引な仕草だったものの、キス自体はねっとりとしたものだった。丁寧に歯列をなぞられ、口腔を余すところなく愛撫される。唾液が溢れて唇の端から落ちていった。皮膚にかかる互いの呼吸が思考を乱す。上顎を舐められて肩が跳ねた。ねちっこい動作に呼吸が苦しい。 「っ……ん、んっぅ……」 「……蛍くん」  ぷは、と口で空気を吸い込む蛍に、幽は濡れた唇を舐め取った。けいくん、ともう一度呼んだ幽に溜息を吐く。 「……」 「……ここは嫌だからな」  せいぜいエスコートしろ。そう囁けば、うん、と湿っぽい声で返事をされた。
 もつれ込むようにしてベッドに押し倒された。幽の上着のおかげでシーツは汚れてはいないだろう。せっかく幽に選んでもらった服を駄目にしてしまったのは心苦しいし、これ以上別のものまで汚したくないが、どうせ汚れるのだ、もう考えるのはよそうと、近づいてきた幽の唇を受け止めた。舌を迎え入れてやれば、幽は蛍の口内を荒らしながら服を脱がせていく。  こちらも負けじと幽の服を脱がせて、滑らかな肌を撫でた。唇を離した幽はさっそく首筋にキスを落とす。痕はつけるなよ、と普段なら言うところだったが、ぐっと我慢した。目に見える執着は嫌いではないのだ。隠すのが面倒だから隠れるところにしろ、というだけの話であって。吸い付かれた首から、不埒な手へと意識が移る。 「っう、ぁ」  ゆっくりされることに慣れているせいで、いきなり胸の尖りを摘まれて声が漏れた。愛撫され慣れている身体は素直に幽の手つきに応えようとして、身の内に熱が溜まっていく。いくつも痕をつけながら下りた唇にぱくりと含まれて熱い舌でべろりと舐められてしまえば、蛍にできるのは与えられる快楽を享受するくらいだった。  左手と口で胸を愛で始めると、自由な右手はするすると下へ向かう。片手で器用にベルトを外した幽は乱雑に引き抜いたそれをベッドの外に投げ捨てて、ずるりと下穿きをまるごと下ろした。 「幽、そこ……!」  じゅう、と乳首を吸われて頭をシーツに押し付ける。竿を扱く手に急かされて、集められていた熱がどんどん上昇していくような心地がした。なんとなく、やりたいことは分かっている。が、基本的に優しく抱く男だから、ずっと黙ってこんな風に蛍を責め立てる姿に慣れなくて混乱した。声を抑えていれば硬くなった乳首に軽く歯を立てられ、右手が亀頭をぐちぐちと刺激する。 「ぁ、あっあ、ん……っう」  幽の首に腕を回して、けれど爪を立てないようにぎゅっと手を握りこむと、自然と目を瞑っていた。蛍くん、と久しぶりに聞いたような声がする。厚く涙膜の張った目を開ければ、眼前に迫っていた幽はしかし、唇ではなく耳に口付けを落とした。外殻をなぞられてぞわぞわと電流に似た感覚が背骨を這い上がる。 「耳、やめ、っひ」  先端に軽く爪を立てられてしまえば、蛍は簡単に白濁を吐き出した。ぜえ、と息を荒げる。白い欲望を片手で受け止めた幽は、その手にくちくちと液体を広げて、蛍の後孔へと伸ばした。 「うっあ、ゆう……!」  蛍の吐き出したそれを潤滑剤代わりに、幽は狭いそこを拓いて行く。元々そちらの嗜好があったわけでもなかった蛍の初めてを持っていったのは幽だ。おそらく蛍よりも幽の方がよく知っているそこを、いつにないスピードで拡げていく指に息苦しさを覚えた。本来はただの排泄器官であり、怒張したものを受け入れるような場所ではない。拡がるまでの我慢だ。息を噛み殺せば、差し込まれた指がある一点を押した。 「――あぁ、あ、んんっ」  指はいつの間にか本数が増えていて、ばらばらとそこを押しては内部をぐう、と拡げるようにして指が動く。触られてもいないのに勃ち上がった蛍の陰茎は先走りを零していた。短く切りそろえた、大して痛くもない爪が皮膚に食い込む。ゆう、と繰り返す名前に返る声はない。  零れ落ちそうなところでぎりぎり持ちこたえていた涙が、ぽろりと零れた。たくさん心配をかけた自覚はしている。幽が一人で調べている間、必死になって文字を読もうとして血まみれになって、服を駄目にしてしまったし、幽はきっと持っていなかったはずなのに、蛍だけは幽を殺す術を持っていた。不安にさせたくなかったから隠したことも、後ろめたくて隠したこともあった。何度目か分からないが、幽、と名前を呼ぶ。指が引き抜かれた。埋まっていたものがなくなって、どっと寂寥感が増す。 「いれるね」  告げられた言葉に、向けられた熱視線に、ああ、と応える。きてくれ、と乞うた。ひたりと宛てがわれたものが侵入してくる。太くて熱くて、こんなものが内部に入るなんて到底ありえないと思うような、けれど、今まで何回も受け入れてきたもの。幽が蛍を求めている。いつの間にか甘くなった声が口から出る。蛍の首に顔を埋めた幽をぎゅっと抱き締めれば、応えるようにして歯を立てられた。それにさえ嬌声を上げる。ぐ、と深くなるそれに、いっそ食いちぎってくれと、幽の背中に爪を立てた。
 朝起きた時に、愛しい人は隣ですやすやと眠っていた。晒された白い素肌に、夥しいといっても過言ではないほどの鬱血痕が残っていて、失敗した、と寝起きの乱れた髪をぐしゃりと掴んだ。残っている歯型だってそうだ。全部自分がつけた。  痛かっただろうな、と思う。昂りすぎると、理性を上手く保てないと、どうしても噛んでしまう。気にしていない、痛くない、とは言うけれど、治るまでの間、時折服の上から擦っているのを見ていると申し訳なさが消えることはなかった。  起き上がって見てみれば、必要最低限の後処理しかされておらず、ベッドの下に撒き散らされた衣服はそのままだった。未だ眠りの中の恋人をちらりと見て、物音を立てないようにベッドから降りる。  脱ぎ散らかされた服を回収し、もう着られないであろうものは潔くゴミ袋へと放り込んだ。似合うから、と買った服だが、着られなくなったならまた買えば良いだけの話だ。洗面所へ向かい、顔を洗って見られる程度に手櫛で髪を整えた。格好悪いところなんて何度も見せた。だから、それよりも、彼が起きた時にそばにいたい。  軽い朝食を拵えて、そこでようやく気付いて時計を見れば、普段の起床時間はとうに過ぎていた。これが平日だったらとんでもないことになっていただろう。自分は良くても、会社勤めの彼は家を飛び出て行かなければならなくなる。  準備を整えて寝室へと戻れば、ちょうどごろりと恋人が寝返りを打ったところだった。ベッドに腰掛け、小さく唸る愛しい男の顔を覗きこむ。 「おはよう、蛍くん」  ゆるやかに開かれた瞳に、心底安堵した。ちゃんと、生きている。昨日あんなに無体を働いておいて言うことではな���と分かっているけれど、ようやく気が抜けた感覚がした。 「ああ……おはよう」  可哀想にかすれた声に、そっと額に口付けを落とした。 「朝ごはん、一緒に食べよう」
(December 25th, 2016 11:54am)
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jakepupmadigan · 7 years ago
Text
それは片想いからはじまって
独特な空気感を持つ作品、The SIMS 4……
Tumblr media
きっと、興味ない人にとってはこれ以上ないほどに退屈なゲーム……
いえ、そういう方にとっては
ゲームと呼べるかすら怪しいものなのかもしれません。
しかし、そこに何かを見出すことさえできれば、
つまり空想妄想の類いが得意な方々であれば……!
プレイスタイルによっていろんな楽しみ方ができる、
無限の可能性に満ちたモノと
捉えることもできるのではないでしょうか。
みなさまには私とともに、
しばしシムズについて今一度考えていただきたいと思います。
「ゲームですらない」とは、
シムズが他のソフトに劣っているということなのでしょうか。
いいえ、「ゲームですらない」ということは、シムズ最大の強みなのです!
シムズは、ゲームという大地を力強く踏み締めるにとどまらず、
この果てしなく青く澄み渡った大空へさえも力強く、
そう、地をゆくよりさらに力強く羽ばたくいて行くことのできる、
そんな存在なのです!
(これ、誰に向けてのスピーチなんだろう……)  
と、いうことで(どういうことだ)、
シムズ4をはじめるにはまず、シムを作りましょうね。
「新しいソフトをはじめる」という
あの童心にかえる独特のハイテンションで、
鼻歌交じりに無心で心の赴くまま、男性シムを作ってみました。
それが、なんていうのかな……そう、大惨事。
そのシムの外見を簡潔に説明いたしますと……
スクショは撮り忘れましたが、
ズバリ、ハリウッドスター張りのお顔立ちに仕上がってしまいまして。
シムっぽい、愛嬌のあるちょっと間の抜けた表情はどこへやら。
このとき出来上がった男性シムが、
もし現実世界でバンドマンやコメディアンなら、
例えどんなに実力があろうとも
各種批評家たちから「顔で売れてる」と袋叩きにあうでしょう。
彼に向けて「イケメン」と言っても、
もはや当然過ぎて逆に悪口でしかない……
そんなレベルのお顔立ち。
顔のパーツをそれぞれ作ったときには
全体像なんて想像してなかったんで気がつかなかったんですけど、
カメラをひいてそのご尊顔を拝借したときには……悶絶しました。
そもそも別に「イケメンつくろう」だなんてこれっぽっちも思ってなくて。
単にスコットランド系の姓をつけたので目鼻立ちもあわせて
スコティッシュルーツをイメージしただけのはずなんですけど。
完成した彼を見た瞬間、
(ハァー、見れば見るほどタメ息が出そうなほど完璧なイケメンだなぁ。
これが俺の理想の顔かぁ。……ヤバい、迫りたい)
だなんて心の中で呟きましたね。
あれ? これってもしかして、恋?
だけどおかしいな。
俺の知る限りじゃ、
俺自身もトイレは立ってするほうの性別だと思って
四半世紀以上生きてきたのに……。
思い返せば、スクショを撮らずに彼のデータを消したのは、
ちょっと惜しいことしたかな。
たとえ撮ってあっても、ここには載せませんけど。
だって、自分の理想の顔(同性)を公の場にアップするなんて、
恥ずかしすぎるもーん (//ω//)キャッ
一人部屋に閉じこもって、夜中にひっそり眺めます、
決して届くことのないこの切ない想いを抱いて涙に暮れながら。
もし、スクショ撮ってあったならねw
話は逸れましたが……。
最終的に彼のデータは消した���ですが、
リアル時間で1~2時間分ほどは一応彼でプレイしました。
でもね、高すぎる自由度の中で、
なんだかんだでプレイヤー思い通りにはならないのが、シムズ。
他のシリーズもつまみ食いしたことあるから、
そのことは重々承知していたつもりだったんだけど。
彼の無邪気な自由さが、俺の心を傷つけるんですよ……。
俺のイケメンがご近所さんと仲良くお喋りしてたり、
俺のイケメンが女性シムとイチャイチャしてたり、
俺のイケメンが俺じゃない他の男にまで興味を示しだしたりして
……おいこら待てそこのお前、ソイツは俺の男だぞ。
これ以上続けるのは精神衛生上よろしくないというか
単に俺の発想が不健全というか、
とにかくそんな諸々の事情があって、
俺は泣く泣く初めての彼(意味深)に別れを告げました。
……途中からちょっとウケ狙いで脚色が入った気もするけどつまり、
次に作るシムは、もうちょっとユルい感じにしたいなー、と。
とりま、明日は仕事なんで今日はもう寝まーす。
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