#澤部は呼び捨てで土田さんさん付け
Explore tagged Tumblr posts
Quote
佐川宣寿さま 率直に申し上げます。財務省はあなたのことを切り捨てていますよ。陰でこっそりと。 2018(平成30)年3月7日、公文書改ざんで追い詰められた赤木俊夫さんが命を絶ち、2日後にあなたは詰め腹を切らされ国税庁長官を辞任しましたね。その後、財務省の官房長だった矢野康治さんが自民党幹部のところへ説明に回っています。そこで矢野さんが何と語ったかご存じですか? 「あれ(改ざん)は佐川さんが独自に動かれたこと。安倍さんに忖度して滅茶苦茶をやったんです。佐川さんのせいなのに“財務省の組織ぐるみ”と言われるのはかないません。私も憤っています」 矢野さんから直接話を聞いた人物が私に明かしてくれました。財務省と縁の深い自民党の有力議員への説明です。矢野さんがこのように語ったことは間違いありません。 つまり「悪いのはすべて佐川さんのせい」で「自分たちは悪くない」。改ざんの発覚直後から、佐川さんに全責任をおっかぶせて財務省に責任はないと逃げているんです。悪いのは佐川さん一人。そういうことでよろしいのでしょうか? こんなことを言ってあなたを切り捨てている財務省が、今後、再就職先を世話してくれるとは思えません。 5年9カ月、再就職しないで身を隠しながら暮らす佐川元長官 佐川さんは国税庁長官を退任してから5年9か月、ずっと再就職していないそうですね。財務省で重責を担っていたのに長年働かずに身を隠しながら暮らすのはお辛いことだと思います。再就職できないから裁判を早く終わらせてほしいという話を、佐川さんの代理人の菅弘一弁護士が裁判の進行協議の場でしていました。佐川さんもそのように思っていらっしゃるのですよね。無理もないことだと思います。 でも、それならなぜ裁判についての赤木雅子さんの申し出に返事をしないのですか? 雅子さんは「夫の墓前か自宅の祭壇で手を合わせ」「改ざんの経緯をお話し」してくれれば「裁判はすぐにやめます」「恨んだりしません」と手紙に書きました。佐川さんの代理人に渡していますからお読みになったことでしょう。お金はいらない、裁判はすぐにやめるというのですから、佐川さんにとっても願ったりの申し出だと思いますが、「返事をしない」理由は何でしょう? もしかして「改ざんの経緯を話す」ことができないからですか? そこまで秘密にしなければならないのでしょうか? 12月19日に赤木雅子さんが佐川さんを訴えた裁判の控訴審判決がありました。結果はご存じの通り、佐川さんの勝訴です���でも裁判長は判決理由の中で次のように指摘しました。 「道義的責任に基づき、あるいは一人の人間として、誠意を尽くした説明及び謝罪をすることがあってしかるべき」 赤木俊夫さんの遺書 ©時事通信 人として、説明と謝罪をするのが当然だ、とまで言われたのに、佐川さんはしていません。それでは“人間失格”だと指弾されたのに等しく、佐川さん一人が悪者にされています。他にも省内で処分された人はいますが、形だけで実際はすぐに栄転しています。財務省は佐川さんだけの責任にしています。それでいいのでしょうか? 始まりは安倍総理(当時)の発言だった 私はそうではないと思います。発端は2017(平成29)年2月17日。安倍総理(当時)が森友学園への国有地巨額値引きをめぐり「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員もやめる」と言い切ったことが始まりです。 森友事件について答弁する安倍首相(当時)©時事通信 その5日後の2月22日、佐川さんは大臣官房総括審議官だった太田充さんや他の官僚とともに菅官房長官(当時)に呼ばれ総理大臣官邸を訪れていますね。その後、菅さんの事務所にも。そこで森友事案について“説明”したそうですが、どんな説明をしたのですか? 焦点は安倍総理や妻の昭恵さんが関与しているのかどうか。財務省に残る当時の決裁文書や調書を確認すれば一目瞭然です。安倍総理の名前は1か所にありました。 財務省がまとめた森友事件の調査報告書 ©時事通信 それは安倍総理が関わる日本会議という団体の幹部を、森友学園の籠池泰典理事長(当時)が務めているという記述で、だから配慮すべきだとは書いていませんがそれを匂わせる記述です。さらにマズいのは昭恵さんについての記述ですね。 なお、(筆者注・籠池理事長と近畿財務局の)打ち合わせの際、「本年4月25日、安倍昭恵総理夫人を現地に案内し、夫人からは『いい土地ですから、前に進めてください。』との言葉をいただいた。」との発言あり(森友学園籠池理事長と夫人が現地の前で並んで写っている写真を提示)。 産経新聞社のインターネット記事(産経WEST産経オンライン【関西の議論】)に森友学園が小学校運営に乗り出している旨の記事が掲載。 記事の中で、安倍首相夫人が森友学園に訪問した際に、学園の教育方針に感涙した旨が記載される。 これは露骨ですね。「総理夫人が共鳴し深く関与している学園だから、国有地を異例の扱いで貸し付けたり売却したりして構いませんよね?」と近畿財務局の担当者が財務本省にお��いをたてている内容です。この文書を見れば「昭恵さんが関与していない」と説明するには無理があります。直接要請はしていないにせよ官僚を“忖度”させるには十分です。この説明を受けたとすれば、菅官房長官は佐川さんにどのように指示したのでしょう? 何も語らないはずはないですよね。 佐川さんはその後、部下に「こんなものは表に出せない」と発言し、これが元で改ざんが始まったと財務省の調査報告書では指摘されています。でも実はその前に、佐川さん自身が菅官房長官から「こんなものは表に出せない」と言われていたのではありませんか? 佐川さんは菅官房長官の指示に従ったということではないでしょうか? 「もっと強気にいけ PM(プライム・ミニスター=総理大臣)より」 その場合、菅官房長官は当然、そのことを安倍総理に報告したはずです。安倍さんも改ざんを承知した上で容認していたのではないでしょうか? だからこそ、後に国会で野党の質問の答弁に立つ佐川さんに、「もっと強気にいけ PM(プライム・ミニスター=総理大臣)より」という安倍さんのメモが差し入れられたのではないですか? これは、判明した事実に基づき考えた私の“推測”です。間違っている部分があるかもしれません。それを指摘できるのは佐川さんだけです。自分一人が悪いわけじゃない、自分もそうせざるを得なかったんだ、そう申し開きできるのも佐川さんだけです。 きょう23日の午前、私はカトリック教会で親族の結婚式に参列しました。そこで十字架にかけられたイエス・キリストの像を見つめながら、ずっと佐川さんのことを想っていました。キリストは全人類の罪を一身に背負って磔になり、永遠の命を得た。今も全世界のキリスト教信者の尊崇を集めています。佐川さんは全財務省と安倍政権の罪を一身に背負って十字架にかけられているように私には見えます。 相澤氏が手紙を書く直前、親族の結婚式に参列したカトリック教会で でも佐川さんのことを尊敬する人はいるでしょうか? 当の財務省の幹部すら「佐川が悪い」と切り捨てています。すべての責任を佐川さんに押しつけたからこそ、佐川さんとともに菅官房長官への説明に同席した太田さんも、「滅茶苦茶をやった」と佐川さんを切り捨てた矢野さんも、事務方トップの事務次官に昇りつめ、その後再就職しています。 佐川さんがいいポジションに再就職できる日は来ないでしょう。自分のしたことを謝罪も説明もせず「人の道に反している」と指弾される人を再雇用するような会社・団体があるとは思えません。そんなの嫌ですよね。
(4ページ目)《全文公開》フリー記者・相澤冬樹氏が佐川宣寿元国税庁長官に出した手紙 「財務省はあなたのことを切り捨てていますよ。陰でこっそりと」 | 文春オンライン
1 note
·
View note
Text
大戦がもたらしたもの 「大戦が 齎 ( もたら ) したもの」と題する講演を聞きに行った。 講演内容の要旨は、次のとおり。 1939年9月に始まったドイツとポーランドの戦争は、近隣諸国を巻き込んで規模を拡大していった。 イギリス・フランスがドイツに宣戦布告する一方、ソ連軍は、火事場泥棒的に、東からポーランドに攻め込んだ。 翌年、ソ連は、フィンランドを攻撃して領土の一部を奪うとともに、バルト三国を併合した。 ドイツは、デンマーク、ノルウェー、ベネルクス三国、フランスなどを制圧した。ドイツは、イギリスを牽制するためイタリアと、ソ連を牽制するため日本と軍事同盟を結んだ。近衛内閣は、軍事同盟に応じ、且つ、翌年、日ソ中立条約を結んで南部仏印に軍を進めたが、これらはスターリン戦略[砕氷船テーゼ]に沿うものだった。

1941年6月、独ソ激突が始まった。 半年後、日本は、アジア植民地解放戦争を開始し、フランス領インドシナ、イギリス領ビルマ、オランダ領インドネシア、アメリカ領フィリピンを占領した。 それに触発された植民地独立宣言の動きは次の通り。

1942年2月、中国共産党の中央党学校開校式で、毛沢東が、学風(学習態度)・党風(党活動)・文風(文書類の表現)の三風を整頓し、党内の主観主義・セクト主義・空言主義を克服すべき旨、述べた。三風整頓運動が起こり、毛沢東 側近の張宗可(康生)は、関係者を拷問して自白を得たうえで、政敵を、スパイ,裏切り者,内通者等に仕立て上げた。拷問は本人だけでなく親族や縁戚にまで及び、拷問に耐えられず、身に覚えのない罪を自白する者も多かった。ソ連人脈の王明,博古,張聞天,王嘉翔,楊尚昆,陳昌浩,杜作祥,沈澤民,張秦秋,王宝礼,王盛荣,王運城,朱自舜,李元杰,汪盛荻,北海道特甫,殷剣,元嘉永,徐義新らは、失脚した。権威主義と官僚主義を率直に批判した王実味は、逮捕され処刑された。 1942年6月頃から、[砕氷船テーゼ]の予言通り、経済力と科学技術力を誇るアメリカを擁する連合国側が優勢に転じた。 1943年5月、ドイツと戦う連合国側に与する必要から、ソ連はコミンテルンを解散した。 1945年3月、日本軍がフランス軍を降してベトナムを独立させた。 1945年5月、イタリアが降伏し、ドイツも降伏した。8月には日本が降伏し、五千万(ソ連2060万,ドイツ950万,日本646万,ポーランド560万,中国318万,アメリカ113万,イギリス98万,フランス75万)人以上の犠牲者を出した第二次世界大戦は終了した。 しかし、「尊皇討奸」の志を受け継ぎ、資本家階級を倒して国家社会主義を目指す陸軍将校らは、敗戦受容れの詔を録音したレコード盤を血眼になって探し求めた。

彼らの狙いは、ソ連軍に依る日本民族解放を待つための時間稼ぎだった。 近衛文麿人脈が占める政権中枢から「ソ連仲介和平」という口実で情報を得ていたソ連軍は、日本降伏に先立って、軍を極東に集結させていた。 アメリカ軍に依る原爆投下を機に日本への攻撃を始めたソ連軍は、武器を持たない無抵抗の日本人を殺しながら、瞬く間に樺太や千島列島を占領した。

占守島 ( しゅむしゅとう ) で樋口中将が抗戦を命じなければ、北海道はソ連軍に 蹂躙 ( じゅうりん ) されていたのだ。

ソ連軍は、朝鮮半島も占領したが、アメリカ軍が上陸してくると、米ソ協定に従い38度線以北に退いた。 ソ連軍は、東ヨーロッパの占領地域でも、社会主義人民共和国政権樹立に力を注ぐようになった。 日本の敗戦でベトナムにはフランスの植民地支配者が戻ってきていたが、1945年9月に革命が起こり、ホー・チ・ミンがベトナム社会主義共和国の建国を宣言した。しかし、フランスは、それを認めなかった。 1945年10月、国際連合(本部:ニューヨーク)が発足した。 イギリスでは、大戦終了直前の選挙で勝った労働党政権が、「ゆりかごから墓場まで」の福祉充実策を実施し、銀行,石炭,通信,航空,電気,鉄道,ガス,鉄鋼などの重要産業を国有化していった。そのため、産業は競争力を失い、[イギリス��]とよばれるほど国力は衰退した。復活には、1980年代のサッチャー登場まで待たなければならなかった。

朝鮮半島では、信託統治(国際連合の信託を受けた国による統治)が検討されたが、まとまらず、アメリカとソ連による分割占領が行われた。 1945年10月10日、中華民国と中国共産党との間で、「内戦を避け、独立・自由・富強の新中国を建設」するための協議が行われたが、双方の思惑は、相手を潰す準備を整えるための時間稼ぎだった。 1946年6月、イタリアでは王制が廃止されて共和政となった。翌年2月にパリ講和条約を結んだイタリアは、エチオピア・アルバニア・リビア・ソマリランドなど総ての海外植民地を失った。 1946年6月、ベトナム南部で、フランス領コーチシナ共和国臨時政府の樹立が宣言された。 1946年7月、中華民国と中国共産党との間で、全面的な内戦が始まった。当初はアメリカの支援を受けた国民党軍が優勢なように見えたが、次第に、ソ連に降伏した関東軍の装備等( 就中 ( なかんずく ) 精鋭将兵の軍事指導)を利用できる中国共産党に形勢が傾いていった。 1946年12月、ベトナム軍とフランス軍の戦争が始まった。フランス軍が優勢だったが、ベトナム社会主義共和国軍はゲリラ戦を展開して頑強に抵抗した。 1947年2月、建国を悲願とするユダヤ人とアラブ人の紛争が絶えなかったパレスチナを持て余したイギリスは、委任統治を放棄し、国連にゲタを預けた。11月、国連総会は、パレスチナの土地の6割弱をユダヤ国家に、4割強をアラブ国家に分割する案を、可決した。倍以上の人口を抱え、殆どの土地を所有するアラブ人側に過酷すぎる不自然な決定は、アメリカ大統領トルーマンのゴリ押しによるものと言われている。

そこから、中東戦争が始まり、長く続くこととなった。 朝鮮半島では、統一政府樹立のための総選挙がソ連の反対で実施できなかったので、1948年5月にアメリカの占領下にある南部だけで総選挙が行われ、李承晩が大統領に当選した。8月15日、大韓民国第一共和国の樹立が宣言され、アメリカ軍政が廃止された。 1948年9月9日、朝鮮半島北部を実効支配する勢力(満州派、甲山派、南労党派、中国共産党、延安派、ソ連派など)が、朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣言した。 1949年1月、中共軍が国民党軍を敗退させて、北京に入城した。10月1日、毛沢東が北京市で中華人民共和国の建国を宣言した。10月25日、中共軍八個連隊は、対岸の 厦門 ( アモイ ) からの砲兵隊の援護を受け、200隻のジャンクで三方向から包囲するようにして金門島に迫った。これに対する国民党軍(三個師団と保衛一個連隊)は、旧日本陸軍中将 根本博氏の指揮を受け、一発も反撃せず、中共軍を上陸させて島内に誘い込んだ。日没後、国民党軍は、ジャンクに火を放って上陸軍への補給と退路を断ち、総反撃に出た。中共軍は、混乱し、包囲網の開いた一方向に雪崩を打つように殺到して海岸に向かったが、追いかける国民党軍と島陰で待機していた海軍の挟み撃ちに合って壊滅した。以後、中共軍は、対岸から砲撃するだけで、金門島に上陸しようとしなくなった。

1949年4月、北米と西欧の30箇国は、軍事同盟NATOを結んで共産圏の脅威に備えた。 1949年6月、ベトナム王国ができ、ベトナム帝国皇帝だったバオ・ダイが国王になった。 1949年12月、南京から逃れ出た蒋介石らは、台湾島の台北に中華民国政府を移転させた。 1950年1月、イギリス労働党政権が、中華人民共和国を承認した。 1950年2月、フランス、アメリカ、イギリスがベトナム王国を承認した。 1950年5月、韓国の総選挙で、李承晩政権に対する不信任の結果が示された。2年後任期満了時の再選を危ぶんだ李承晩は、人気挽回策として、対日戦意を煽り「対馬侵攻」を名目に精鋭軍を南下させ釜山に集結させた。手薄となった首都ソウルは、「国土完整」を唱える朝鮮民主主義人民共和国軍にとって、格好の餌食に見えた。 1950年6月25日早朝、北朝鮮軍による総攻撃が、青天の霹靂の如く、何の前触れも無く始まった。防衛ラインは次々と突破され、韓国軍はひたすら敗走を続けた。韓国政府は非常閣僚会議で、ソウルを捨てて南にある水原への遷都を決め、李承晩は更に南の大田に逃れた。ラジオは「国連軍が助けてくれるから安心しろ」と大統領の肉声を放送し続け、新聞は事実と異なる韓国軍の反攻を伝えていた。大統領が逃げ、国民を欺き続ける中で、北朝鮮の南進を少しでも遅らせる為、韓国軍はソウルを東西に流れる漢江の人道橋を、多数の避難民もろとも、爆破した。後に、橋爆破の現場責任者だったチェ・チャンシク大佐が責任を問われて処刑され、真相は闇に葬られた。 米軍機動部隊が大田に到着し防衛線を築いたが、北朝鮮軍は韓国軍を攻め、それを崩壊させて横にいる米軍を包囲した。韓国軍は大量の米軍装備を放棄して逃げ、それを北朝鮮軍が使い、米軍の装備で米軍兵が殺害される状況になった。 しかし、李承晩は、韓国軍が前線に立つことを主張し続け、状況は改善されなかった。 その結果、米軍主体の国連軍は敗北を重ね、8月末には、北朝鮮軍が釜山まで60キロメートル余の昌寧郡に迫った。 9月2日、マッカーサー元帥が国連安全保障理事会に「国連軍の活動に関する第3次報告書」を提出し、国連軍増強の必要を強調した。また「北朝鮮軍がカムフラージュの為に民家や民間輸送機関を利用しており、軍事目標を識別することは著しく困難である」旨説明し、民間人・施設に対する攻撃の正当性を説明した。民家人を装い、或は、民間人に紛れ込んで、民間人が攻撃しているように見せかけるのは、共産主義者の常套手段。民間人の犠牲を材料とするプロパンガは、彼らの強力な武器となる。9月15日、国連軍は、仁川上陸作戦を成功させ、ソウルを奪回した。

しかし、李承晩の主張に基づき韓国軍を前線に立たせた結果、米軍の装備で米軍兵が殺害される状況が再現され、翌年1月、中共軍にソウルを占領されてしまった。 その後、戦況は、一進一退を繰り返したが、国連は休戦への道筋を作り、両軍の捕虜送還協定が締結された。 6月18日、李承晩は、国連決議を無視し、アメリカに何の予告も無く、抑留中の朝鮮人民軍捕虜二万五千人を北へ送還せずに韓国内で釈放させ、国際世論の非難を浴びた。この釈放は、不法に抑留した日本人の返還と引き換えに、常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として日本の刑務所で収監されている韓国人受刑者に対する放免・日本永住許可付与を要求した手口に相通ずる処がある。 1951年9月、サンフランシスコで吉田茂首相が講和条約に調印し、日本は主権を回復した。朝鮮・台湾・南樺太・千島は放棄し、沖縄と小笠原諸島はがアメリカの占領下に置かれることとなった。調印したのは48カ国だった。同日、日米安全保障条約が結ばれ、アメリカ反共陣営に日本が組み込まれた。 1952年1月、韓国は、 所謂 ( いわゆる ) 李承晩ラインを一方的に設定した。 1953年3月、ソ連の最高指導者スターリンが病死した。 1953年7月、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国が、軍事境界38度線を挟む休戦に同意した。軍事委員会委員長に就任した金日成は、朴憲永、金枓奉、崔昌益、許貞淑、金昌満、武亭、朴一禹、朴孝三、方虎山、尹公欽、徐輝、李相朝、金雄、鄭律成、金元鳳、許哥誼、朴昌玉、金烈、朴義琓、総政治局長、崔遠、金七星ら他派の政敵を次々に追い落とし粛正して、権力を強化しいった。 1953年12月、韓国は、日本海で漁船数百隻を拿捕し、乗組員数千人を抑留した。

そして、抑留者の返還と引き換えに 日本の刑務所 で常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として 収監 されている韓国人 受刑者 の 釈放 を要求した。日本政府 はこれを飲み、在日韓国人犯罪者472人を放免し、日本での永住許可を与えた。 1954年2月、 嘗 ( かつ ) て中国西北部の陝西省で毛沢東らを迎え入れた高崗が「東北部を独立王国にしようとした」という濡れ衣を着せられて失脚し、半年後に毒殺された。 1954年、ベトナム国王バオ・ダイは、首相にゴ・ジン・ジェムを任命した。翌年、ゴ・ジン・ジェムが国民投票を実施し、ベトナムは共和国になった。ゴ・ジン・ジェムは大統領に就任し、アメリカの軍事援助を取り付けた。バオ・ダイはフランスに亡命した。 1955年、ソ連と東欧諸国は、NATOに対抗するため、軍事同盟WPOを結んだ。 1956年、ソ連での個人崇拝批判の影響受けて、北朝鮮でも金日成批判の動きが出てきたが、金日成は、甲山派と組んで政敵を除名し逮捕した。 1956年5月、毛沢東は、最高国務会議で「百花斉放 百家争鳴」を提唱し共産党への批判を歓迎した。翌年2月の最高国務会議でも中国共産党に対する批判を呼びかけるとともに、翌月6日から1週間かけて全国宣伝工作者会議でもさらに中国共産党に対する批判を呼びかけた。知識人の間で中国共産党に対する批判が徐々に出始めるようになり、共産党の中国支配に異を唱えたり毛沢東の指導力を批判する者も出てきた。5月、毛沢東は、新聞に対して党の批判とあわせて「右派」に対する批判も行うよう命じたが、「右派らは有頂天になっている。まだ釣り上げてはならない」と述べた。6月、人民日報は「右派分子が社会主義を攻撃している」という毛沢東が執筆した社説を掲載した。10日後、人民日報は、毛沢東が 嘗 ( かつ ) て「百花斉放 百家争鳴」を呼びかけた演説内容を掲載したが、演説したという内容は、批判を制約するものだった。党を思い切って批判した知識人たちは社会主義政権破壊を画策した[右派]というレッテルを貼られ、知識人の粛清運動(反右派闘争)が始まった。以後、中国共産党批判は二度と行われなかった。
7 notes
·
View notes
Photo

ハロウィンにUSJいってきました👻 思ったほど人いなくてたくさん乗れて楽しかった🎃 . ハリーポッターのとこで澤部と土田さんをみたよ、写真で伝わるかなぁ . . . #USJ #プリセプティーとヘルプの先輩と知らない先輩と行った #澤部は呼び捨てで土田さんさん付け (ユニバーサル・スタジオ・ジャパン / Universal Studios Japan (USJ))
0 notes
Link
(注)、これは、本編となる別途作成予定ファイルの資料編です。1952年5月1日のメーデー事件から50年以上経った現在も、人民広場における戦闘状況、その前後の様子は、「藪の中」にあります。このファイルは、その真実解明のための第一次資料7篇と解説です。添付地図は4枚とも、『メーデー事件裁判闘争史』にあります。写真9枚は、『昭和史14』(毎日新聞社、1984年、絶版)、『グラフィック昭和史11』(研秀出版、1960年、絶版)、『メーデー事件写真集』(メーデー事件被告団、1967年、絶版)からの複写です。
〔目次〕
1、解説(宮地)
1、芥川龍之介『藪の中』と黒澤明『羅生門』
2、資料編題名『広場における戦闘』 人民広場地図
3、広場の七人が語る〔真相〕
2、資料編
〔真相1〕 日本共産党中央軍事委員会『メーデー事件の軍事的教訓』他 写真3枚
〔真相2〕 警察庁警備局『皇居前メーデー騒擾事件』他 写真2枚
〔真相3〕 メーデー事件被告弁護団『メーデー事件裁判闘争史』 地図3、写真4枚
〔真相4〕 総評常任幹部会『声明』他
〔真相5〕 日本共産党中央委員会『日本共産党の65年、70年、80年』他
〔真相6〕 増山太助『血のメーデー』、『都ビューローの広場突入反対討論・決定』
〔真相7〕 石田雄『「戦争責任論の盲点」の一背景』
丸山眞男のメーデー事件に関する日本共産党批判
(関連ファイル) 健一MENUに戻��
『「武装闘争責任論」の盲点』2派1グループの実態と性格、六全協人事の謎
『宮本顕治の五全協前、スターリンへの“屈服”』7資料と解説
滝沢林三『メーデー事件における早稲田大学部隊の表と裏』
THE KOREAN WAR『朝鮮戦争における占領経緯地図』
石堂清倫『コミンフォルム批判・再考』スターリン、中国との関係
れんだいこ『日本共産党戦後党史の研究』 『51年当時』 『52年当時』 『55年当時』
吉田四郎『50年分裂から六全協まで』主流派幹部に聞く
藤井冠次『北京機関と自由日本放送』人民艦隊の記述も
大窪敏三『占領下の共産党軍事委員長』地下軍事組織“Y”
由井誓 『“「五一年綱領」と極左冒険主義”のひとこま』山村工作隊活動他
脇田憲一『私の山村工作隊体験』中央軍事委員会直属「独立遊撃隊関西第一支隊」
増山太助『戦後期左翼人士群像』「日本共産党の軍事闘争」
中野徹三『現代史への一証言』「流されて蜀の国へ」を紹介する
(添付)川口孝夫著書「流されて蜀の国へ」・終章「私と白鳥事件」
八百川孝共産党区会議員『夢・共産主義』「50年問題」No.21~24
1、解説(宮地)
〔小目次〕
1、芥川竜之介『藪の中』と黒澤明『羅生門』
2、資料編題名『広場における戦闘』
3、広場の七人が語る〔真相〕
1、芥川龍之介『藪の中』と黒澤明『羅生門』
この小説と、それを原作とした映画は、平安の乱世、都に近い山科の藪の中で、旅の武士が殺された事件をめぐるストーリーです。そして、その経過をめぐ���て、7人または4人が、それぞれの視点で語る〔真相〕をそのまま描いて、結論を出さないというユニークな構成になっています。
『藪の中』の7人が語る〔真相〕 登場人物は、木樵り(きこり)、旅法師、放免、媼(おうな)、多襄丸(たじょうまる)の白状、清水寺に来れる女の懺悔、巫女の口を借りたる死霊です。
『羅生門』の4人が語る〔真相〕 映画のシナリオは、それらを、多襄丸(三船敏郎)、真砂(京マチ子)、巫女の口を借りた武士(森雅之)、杣売り(そまうり、志村喬)に絞っています
いずれも、一つの事件について、関係者めいめいが主張する〔真相〕通りに、繰り返し描いています。しかし、かんじんなところでは、全員が食い違っています。人間、誰でも自分をかばうエゴイズムから、どこかで嘘をつき、結局、真実はわかりません。私(宮地)は、気に入った映画を繰り返し観るのがくせで、一番多いのは、エイゼンシュテイン監督『戦艦ポチョムキン』の7回ですが、『羅生門』も5回観ました。黒澤明のダイナミックな演出や、宮川一夫の微妙な光と影を写し撮る撮影技術には、その都度引き込まれます。
1952年5月1日、サンフランシスコ講和条約発効から3日目、米軍占領終結後初の首都メーデー中央集会が、神宮外苑で開かれました。そこから5つのコースでデモ隊が出発しました。そのうち、日比谷公園で流れ解散する予定の中部・南部コースのデモ隊が、人民広場と呼ばれる皇居前広場に入りました。その広場で起きた事件が、メーデー事件です。
このメーデー事件の〔真相〕については、数百の記事、証言が語ってきました。このファイルは、資料編と解説であり、広場の7人が語る〔真相1~7〕を、結論を出さずに提出します。
2、資料編題名『広場における戦闘』
ただ、資料7篇とはいえ、それらの資料選択をした私(宮地)の価値判断をまったく出さずにおくわけにもいかないので、ここに、本編の骨子一部のみを書きます。この内容は、メーデー事件の全体像・真実を描くんだとする、大それた意図に基づくものではなく、私が50年後に主張する〔真相8〕に該当します。私自身を、『藪の中』の8人目として登場させるわけです。その視点は、ソ連崩壊後に発掘された朝鮮戦争をめぐるスターリン・毛沢東・金日成らの膨大な秘密暗号電報・公文書(アルヒーフ)データや、50年間で判明してきた後方基地武力かく乱戦争行動実態資料から、メーデー事件を、ソ連共産党・中国共産党の朝鮮戦争参戦軍事命令に完全従属していた日本共産党の広場突入軍事行動という一側面から捉え直すことです。ソ中両党の思惑とアメリカ「軍」・GHQの動向とを合わせて、国際的視野から、メーデー事件を位置づけることです。その詳細は、本編で分析します。
それを分析する上で、まず、メーデー・吹田・大須事件などの武装闘争を実践した主体は、徳田・野坂分派という分裂した共産党の一部なのか、それとも、“統一回復”をした日本共産党そのものなのかを、明確にしておく必要があります。1951年10月初旬、宮本顕治は、スターリンの「宮本らは分派」との裁定に屈服しました。国際派とは、スターリン直筆の「コミンフォルム批判」の即時無条件受諾=暴力革命路線への転換と武装闘争即時遂行を強烈に主張したスターリン盲従派だったのです。その国際的隷従体質が、国際派と呼ばれる所以(ゆえん)です。なかでも、宮本顕治のスターリン盲従・崇拝度は、あまりにも極端だったので、中央委員の80%、専従の70%、党員の90%が、彼に反発を抱き、国際派は、まったくの少数分派に転落していました。スターリンは、日本共産党を朝鮮戦争に参戦させ、後方基地武力かく乱戦争行動を展開させるために、もっとも熱烈に自分を信奉してくれている“愛すべき”宮本顕治ら10%少数派を切り捨て、ソ連NKVDスパイ野坂参三と徳田球一らの主流派に軍配を上げたのです。
スターリン崇拝者・宮本顕治は、やむなく、自分の少数分派=全国統一会議を解散し、主流派・軍事委員長の志田重男に、「新綱領(スターリンが直接書いた51年綱領)を認める」との自己批判書を提出しました。彼の屈服により、反徳田5分派はすべて主流派に屈服・復帰し、日本共産党は、“統一回復”をしました。
宮本屈服数日後の1951年10月16日、五全協は、軍事方針をさらに具体化し、武装闘争の実践に踏み出しました。それ以後、1953年7月26日の朝鮮戦争休戦協定成立日までの1年9カ月間の武装闘争とは、まさに、ソ中両党の軍事命令に隷従した“統一回復”日本共産党が、朝鮮戦争に参戦した後方基地武力かく乱戦争行動でした。
『武装闘争責任論の盲点』2派1グループの動向、宮本顕治のスターリン盲従度
吉田四郎『50年分裂から六全協まで』たった8字の宮本顕治の自己批判書
人民広場とは、皇居前広場のことで、日本国民は、米軍占領下でも、メーデーなどに40数回使っていました。ところが、吉田内閣とGHQリッジウェイ最高司令官は、スターリン・毛沢東・金日成ら3カ国共産党・労働党が仕掛けた朝鮮侵略戦争が勃発すると、その10カ月後の1951年4月27日、その兵站補給後方基地日本における治安維持のために、人民広場のメーデー使用を禁止しました。よって、それ以来、「人民広場奪還」スローガンは、東京・関東地方における正当な国民的要求になっていたのでした。
一方、アメリカは、日本を反共の永久的な不沈空母基地にするために、占領をやめ、独立させることのほうが上策との東アジア支配・米ソ冷戦戦略に転換しました。そこから、熱い朝鮮戦争最中にもかかわらず、1952年4月28日に向けて、単独講和条約締結の準備を進めました。その日本国内では、ソ中両党が出した朝鮮戦争参戦命令に盲従していた日本共産党の四全協・五全協による武装闘争・軍事方針とその遂行が勃発していました。それだけでなく、北朝鮮系在日朝鮮人45万人と、在日朝鮮人日本共産党員を中心とする祖国防衛隊(祖防隊)が、金日成らによる朝鮮侵略戦争を、祖国解放戦争ととらえて、総決起していました。当時、在日朝鮮人の活動家は、朝鮮労働党ではなく、日本共産党に入党し、共産党中央の民族対策部(民対)の指導下にありました。アメリカ「軍」は、朝鮮半島で、最終的にアメリカ兵3万4千人(アメリカ国防省発表数字)を戦死させる激戦を続けていました。片や、日本経済は、朝鮮戦争特需によって、急速に復興しつつありました。4月28日講和発効後の日本国内治安対策こそ、アメリカの日本占領「軍」と吉田内閣にとって、最重要課題の一つに浮上してきました。なぜなら、まさに、その3日後には、「人民広場奪還」をめざすメーデーが計画されていたからです。政府・警視庁とGHQは、日本共産党が、五全協軍事方針の最大の実践として広場突入軍事行動を決定し、3カ月前から周到に準備し、突入部隊の軍事訓練をしていることを、公安調査や中核自衛隊員・祖防隊員などの中から飼育したスパイ情報によって、刻々とつかんでいました。
『北朝鮮拉致(殺害)事件の位置づけ』北朝鮮系在日朝鮮人組織と運動の3段階
1952年4月末時点、朝鮮半島で、朝鮮侵略戦争を遂行しているマルクス主義前衛党「軍」は、朝鮮労働党人民軍10万人、中国共産党人民義勇軍のべ300万人、ソ連共産党空軍のべ1万数千人でした。後方基地にいるソ中両党従属下の日本共産党「軍」は、結成途上でした。それでも、都市部の中核自衛隊500隊1万人、独立遊撃隊、山村工作隊、在日朝鮮人の祖防隊数千人がいました。共産党の軍事指令が浸透する大衆団体には、全学連・都学連数千人、民青、全日土建労組、産別の金属労組、前進座、および、北朝鮮系在日朝鮮人の在日朝鮮統一民主戦線(民戦)などがありました。
朝鮮侵略戦争を遂行中のソ中両党、および、その完全従属下にある日本共産党北京機関と中央軍事委員会にとっても、1952年メーデー「人民広場奪還」作戦こそは、6カ月前に決定した五全協の軍事方針を実行する最初で最大の後方基地武力かく乱戦争行動会戦に浮上したのでした。アメリカGHQ・吉田内閣・警視庁の7つの方面本部部隊数千人と、ソ中両党・徳田野坂の北京機関・日本共産党軍事委員会とは、それぞれ正反対の思惑を秘めて、五全協後の半年間、メーデー人民広場会戦に向けて、戦争作戦準備と戦闘体制を整え、5月1日、デモ隊鎮圧治安行動と広場突入行動とを激突させたのです。これら準備の詳細については、本編ファイルで分析します。
しかし、共産党の戦闘作戦は、敵=政府・警察軍と共産党「軍」だけによる人民広場会戦ではなく、メーデー参加の一般国民を、どれだけ、いかに巻き込むのか、それによって首都東京で革命的情勢をいかに人為的に醸成するのかという戦略目的を持つものでした。言い換えれば、共産党は、講和3日後に50万人が参加するメーデーこそ、共産党による一般人民利用の絶好の舞台であると設定したのです。なぜなら、共産党は、最初から、広場突入作戦を、自分たちの共産党「軍」だけでやり、警視庁の7つの方面本部部隊数千人との戦闘をやる意図・計画などをまるで持っていなかったからです。
5月1日の人民広場における戦闘の参加者と、その比率を確認します。
第一、共産党系大衆団体を合わせた日本共産党「軍」数千人
中核となる共産党員部隊は、中核自衛隊、独立遊撃隊、山村工作隊、祖防隊です。党中央軍事委員会が、��場先門を突入入口とする中部デモ隊に配備した大衆団体は、全学連・都学連数千人、民青、全日土建労組員、前進座などでした。そして、祝田橋を第2の突入入口とする南部デモ隊の先頭には、一般国民を広場突入に誘導する目的で、産別の金属労組、都学連一部、北朝鮮系在日朝鮮人組織の民戦2000人を配備しました。さらに、前進座には、陣太鼓10個以上を持ち込ませ、その鳴らし方で、広場突入または一時後退の合図とする指令を、各中核部隊に周知徹底させていました。前進座陣太鼓の後に設置した、広場突入指令のメーデー会場内秘密共産党本部には、東京都内5地区・三多摩地区軍事委員会から、各数名づつの軍事レポ要員(各戦闘部隊への連絡員)を配備しました。表にでる本部代表には、岩田英一を任命しました。
桜田門 二重橋
馬場先門
第二、人民広場に入った中部・南部コースのデモ一般参加者2万数千人
中央メーデー大会参加者は、50万人でした。デモ5コース中、日比谷公園で流れ解散予定の中部・南部コースのデモ一般参加者は、十数万人です。彼らは、東京地裁の使用許可決定が出ているのに、なお人民広場を使用させない政府の対応に怒りを持ち、人民広場奪還の要求を正当と認めつつも、大会実行委員会による抗議声明と広場進入をしないという決定に賛成していました。実力で、広場突入をすべきと考えた一般参加者は、日本共産党「軍」数千人を除けば、ほとんどいなかったでしょう。ましてや、彼らは、軍事委員会の広場突入作戦計画の存在などまったく知りませんでした。共産党の扇動・誘導部隊が突入したので、かつ、馬場先門・祝田橋において、警察が阻止行動を謀略的にほとんど行なわなかったので、自然発生的に人民広場に入ったというのが、一般参加者2万数千人の実態です。よって、警視庁の7つの方面本部予備隊が、警棒・催涙弾・ピストルで、3次にわたる違法な先制襲撃をしてくるなどとは、予想もしていませんでした。その激戦になることを予想し、準備していたのは、日本共産党「軍」数千人だけでした。ただ、違法な襲撃を受けた一般参加者が、それに怒って、投石・プラカードなどで反撃したのは、当然で、正当防衛の行為といえます。
第三、政府「軍」=警視庁7つの方面本部予備隊4100人
中部コースからの全学連・都学連数千人、民青、全日土建労組員が、馬場先門から突入しようとしたとき、馬場先門の阻止線に配備されていた警察隊は、450人でした。祝田橋阻止線の警察隊も120人でした。二重橋前の本部でも、210人でした。不思議なことに、馬場先門の警察隊長は、警視庁本部から「先頭部隊である学生集団は、阻止しないで通せ」との命令を受けてい��した。その裁判証言どおり、彼らは、若干の小競り合いを演技しただけで、さっと左右脇に引き下がって、全学連・都学連数千人、民青、全日土建労組員らを、人民広場に“逆誘導”したのです。祝田橋でもほぼ同じでした。
中部コース隊が、人民広場に入っていった時点で、警視庁は、第3の桜田門から、続々と警視庁第2~第7方面本部予備隊を、広場に投入しました。全体で4千人以上の警視庁予備隊・約28個中隊は、警棒・催涙弾・ピストルなどで、完全武装していました。予備隊とは、現在の警察機動隊のことで、7つの方面本部は、この時すでに、その下に各4個中隊の首都治安維持・デモ鎮圧目的の機動隊を結成・配備していました。そして、警視庁本部の襲撃命令に基づいて、3次にわたる違法な先制攻撃という戦闘を遂行しました。そこでの攻撃対象は、日本共産党「軍」部隊と一般国民との区別をまるでしません。それは、まさに、警察側の全武器を使った無差別テロ襲撃でした。
政府・警視庁の意図・目的を露骨に示した証言があります。それは、田中栄一警視総監が、事件の翌日5月2日、東京都議会で行なった報告です(『メーデー事件裁判闘争史』闘争史編集委員会、1982年、P.173)。「各署それぞれ自己の勢力によって自衛体勢をとるということを建前にいたしまして、予備隊その他メーデーに直接関係のある、あるいは出発地、あるいは開催地などの署員を合算いたしまして、大体四千百名の勢力によってこの五つのメーデーを取締りするという計画を立てたのであります。そして皇居前広場にこれを導入いたしまして、やがてこの五つのメーデーが逐次解散をするとともに勢力を引き上げまして皇居広場にこれを注入いたしまして、そしてこの大集団を処理するという予定を立てておったのであります。ところがこのメーデーの行進がきわめて迅速であり、またそうしたために勢力を集中することが時間的に若干ずれが生じました」。
これは、政府・警視庁の意図と具体的な広場戦闘作戦が、「先頭部隊である学生集団は、阻止しないで通」し、「皇居前広場にこれを導入」し、「四千百名の勢力を、順次、皇居前広場に注入」し、「この大集団を処理するという予定」だったことを、翌日、誇らしげに報告したものです。彼らは、共産党「軍」の明白な朝鮮戦争後方基地武力かく乱戦争行動の目的とは別個に、講和条約発効3日後のメーデーにおいて、人民広場突入会戦を仕掛けた側を、わざと皇居前広場に導入しておいてから、完全武装の警視庁「軍」の3次にわたる先制攻撃によって、無差別の集団処理をし、それを通じて、日共の戦争犯罪を国民の前に暴露し、同時に、日本の治安体制を、独立3日目から一挙に打ち立てようという壮大な目的に基づく人民広場会戦にしたのです。
彼らは、警視庁本部に刻々と入る公安・スパイ情報を分析しながら、共産党「軍」が広場突入軍事作戦を決行してくれることを逆手にとり、首都の治安確立をし、かつ、警察予備隊=機動隊28個中隊に暴徒鎮圧大戦闘を初めて実体験させる上で、願ってもないような絶好のチャンス到来であるとして、待ち構えていたのでした。
さらにもう一歩踏み込んだ別の言い方をすれば、日本共産党「軍」は、広場突入会戦において、一枚上手の政府「軍」のわなに見事にひっかかったといえます。なぜなら、メーデー事件の全経過を見��と、政府・警視庁は、警視庁隊4100人を待ち伏せさせ、共産党「軍」を、2つの門の阻止線を空にして、人民広場に突入させるという逆誘導をしておいてから、解散警告なしに警棒を使った第一次先制襲撃をしたのです。そして、桜田門側から続々と注入した新武装部隊による催涙弾・ピストルを使った第二次包囲殲滅・広場追い出し襲撃に移行し、さらには広場外へも大追撃戦を展開して、大量逮捕の第三次掃討戦闘を遂行するという、3段階にわたる緻密な戦闘作戦を、事前に持っていたと推定できるからです。
それにたいして、志田ら共産党軍事委員会は、広場突入後の敵の出方、敵「軍」が3段階にわたって、日共「軍」殲滅作戦をするのではないかという想定をまるでしないままで、一般国民2万数千人を、“自分たちの戦争”の道連れにしたのではないかと推定できます。
戦争において、敵「軍」の侵略・突入作戦計画を事前に十分知りつつ、敵「軍」をして、先に戦争を仕掛けさせておき、国際・国内世論を味方につけ、それから、完璧な戦争システムで“正義の反撃戦争”に進むという手口は、アメリカ「軍」が得意とする常套手段です。第1のケースは、日本海軍によるパールハーバー突入・奇襲攻撃です。ルーズヴェルトが、日本「軍」の暗号電報解読などで事前に知っていて、突入をやらせ、「Remember Pearl harbor!」で、アメリカ世論を参戦に転換させる謀略作戦をとったということは、今や常識に近いでしょう。第2ケースは、スターリン・毛沢東・金日成の共謀による朝鮮人民「軍」10万人の38度線突破侵略戦争です。トルーマン・マッカーサーが事前にその情報を得ていて、先に侵略をやらせたことについては、萩原遼が『朝鮮戦争―金日成とマッカーサーの陰謀』(文芸春秋社)で、アメリカ側データの分析により、完璧に論証しました。
メーデー事件当日は、朝鮮戦争の真っ最中であり、かつ、3日前まで、アメリカ「軍」が日本を軍事占領していました。吉田内閣・警視庁だけでなく、GHQも、アメリカ「軍」がたたかって、5万人ものアメリカ兵が最終的に戦死した激戦状況において、日本共産党「軍」の広場突入作戦が、朝鮮戦争の後方基地武力かく乱戦争行動であり、かつ、それは、ソ連共産党・中国共産党による日本共産党への軍事命令に基づく一大会戦の性格を持つことを認識していました。そもそも、敗戦後40数回も使用してきた人民広場を、朝鮮戦争勃発の10カ月後に、使用禁止の占領軍命令を出したのは、GHQです。GHQは、人民広場使用または突入の政治的軍事的意味を、もっとも正確に理解していました。したがって、このメーデー事件めぐる動向は、アメリカ「軍」の常套手段としての第3のケースになるというのが、国際的視野から見た私(宮地)の見解です。この事件の背景には、GHQと政府・警視庁トップらによる、朝鮮戦争がらみの共同謀議が、メーデー当日前に成立していたと判断できます。
占領・行政・反乱鎮圧体験を豊富に持つ米日権力「軍」にたいして、日本共産党「軍」は、ソ中両党の完全従属下にあり、敗戦7年後で戦争拒絶の国民意識を自主的に分析する能力に欠け、中国共産党「劉少奇テーゼ」という植民地型の人民解放戦争スタイルを、発達した資本主義国日本でやれとの毛沢東・劉少奇の軍事命令に盲従した軍事方針で立ち向かったのです。人民広場における武器量・武装力の違いだけでなく、広場突入会戦の戦略・事前作戦計画・相手方の情報収集戦の段階から、共産党「軍」は、敵の出方のわなにはめられていたといえます。メーデー事件に関するGHQレポートが、アメリカ政府・国防省に送られ、保管されているはずです。それが発掘されれば、『藪の中』の真実解明に一歩近づくでしょう。
3、広場の七人が語る〔真相〕
以下の七人(組織)以外に、マスコミ報道、映像、メーデー参加者の発言、裁判における検察側・弁護側証人の証言、第一審・二審判決文という資料が膨大にあります。それらの内容は、概況的なものから、各個人の断片的な体験記など、それぞれ数百人が語る〔真相〕です。その中から、このファイルでは、広場の七人が語る概況的な〔真相〕のみを、資料編として抽出します。
ただ、芥川龍之介も黒澤明も、各自が主張する〔真相〕のうち、いずれが「真実」なのかを結論づけず、多面的な視点をそのまま提出して、小説・映画を終えています。『羅生門』の視点は、日本国内上映当時、不評でした。それにもかかわらず、ヨーロッパ近代個人主義の風土において、1951年、ベニス国際映画祭グランプリをとったのは、各自が主張する〔真相〕と、事件の「真実」とは異なり、真実は『藪の中』にあり、そのいずれかを絶対的真理と断定することを拒絶するという相対化思考がありました。メーデー事件は、この受賞の8カ月後でした。
私(宮地)も、メーデー事件から50年以上を経過した現在、別ファイルの本編において、〔真相8〕宮地健一『メーデー事件における広場突入軍事行動―志田・宮本が隠蔽した裏側の真相』を書いて、藪の中の「真実」解明の一員に参加する予定です。
2、資料編
〔小目次〕
〔真相1〕 日本共産党中央軍事委員会『メーデー事件の軍事的教訓』他 写真3枚
〔真相2〕 警察庁警備局『皇居前メーデー騒擾事件』他 写真2枚
〔真相3〕 メーデー事件被告弁護団『メーデー事件裁判闘争史』 地図3、写真4枚
〔真相4〕 総評常任幹部会『声明』他
〔真相5〕 日本共産党中央委員会『日本共産党の65年、70年、80年』他
〔真相6〕 増山太助『血のメーデー』、『都ビューローの広場突入反対討論・決定』
〔真相7〕 石田雄『「戦争責任論の盲点」の一背景』
丸山眞男のメーデー事件に関する日本共産党批判
〔真相1〕 日本共産党中央軍事委員会『メーデー事件の軍事的教訓』他
(注とコメント)、これは、共産党中央委員会発行の非合法機関誌『国民評論40号』(1952年7月1日)に、軍事委員メンバーが、ペンネーム大橋茂で発表した論文です。この全文を捜しましたが、私(宮地)の手元にまだありません。よって、大井廣介『左翼天皇制』(ぺりかん社、1976年、絶版)に載っている抜粋文(P.104~108)の全文を転載します。他1篇は、同じく、非合法機関誌『組織者11号』(1952年6月1日)に発表された論文の一部で、大井著書(P.108)にあります。この論文は、日本共産党が、広場突入を、まさに人民広場戦争と位置づけていたことを示す証拠文書であり、その内容は、共産党「軍」側が描いた広場突入会戦の生々しい戦記レポートといえます。
――――――――――――――��――――――――――――――――
『メーデー事件の軍事的教訓』 『国民評論40号』
中核自衛隊、行動隊による宣伝は会場内の空気を変え、全大衆を人民広場へみちびく雰囲気をつくりあげた。……このメーデー事件の全体をつうじて行動隊の宣伝活動がひ��ょうに大きな役割をはたしている。(中略)
○時四十分にデモがはじまった。中核自衛隊、行動隊等は大衆を人民広場へ導くために全力をつくした。日比谷にむかう南部、中部デモ隊のほかに、渋谷にむかう西部デモ隊は七千が渋谷へ、一万二千が人民広場へむかった。北部でも、愛労に指導され新宿にむかうものと人民広場へむかうものとに別れた。……デモ隊はアメ公帰れ、吉田を倒せ、戦争反対等のスローガンを叫び、自由党本部前では石を投げて攻撃し、パトロールカー、首相官邸前交番等へも石による攻撃を行い、革命的に行動した。(中略)
この大衆の人民広場への行動を弾圧するために、敵は周到な計画を立てていた。かれらは日比谷交叉点、GHQ前、丸ノ内署前に、丸ノ内署長の指揮する約三百名の警官を待機させ、馬場先門には三田署長の指揮する水上中隊、祝田橋入口には高輪中隊、桜田門には小田小隊等総数二百をあて、そのほか第一方面予備隊三箇中隊を出動させていた。それらの部隊ではデモ隊をそ止しえないことは明らかである。
かれらの計画は、この少数の警備隊によって、デモ隊を人民広場の中央にゆう動し、ここで包囲攻撃をすることにあった。かれらはそのために、第三方面予備隊四箇中隊、第四方面予備隊四箇中隊、第五方面予備隊四箇中隊、第六方面予備隊四箇中隊、第七方面予備隊三箇中隊を人民広場の周辺に待機させていた。しかも、これらの部隊には、ガス班長の指揮する約十名単位のガス班も数十組も組織していた。
デモ隊は、二時二十分頃日比谷交叉点および馬場先門で警官隊と小ぜりあいを行ない、この警官網を突破して馬場先門から二重橋前に到着した。ここで大衆は万歳を叫びアカハタをたてた。大衆は大会を開き、解散する準備をはじめていた。ところが、敵は皇居警護官約百名、第一方面予備隊三箇中隊、三田署部隊約二百名の他に、さらに第七方面三箇中隊を増強し、これを一つに集中した。かれらは乱暴にもコン棒をふるって攻撃を開始した。大衆はこれを二重橋前に押しつめた。敵と味方の間隔は数米しかない状態だった。
この対峠したなかで、デモ隊から「さがれ」という号令を叫ぶものがあった。大衆はうねるようにしてさがった。官憲は前進してきた。すると大衆は、これを引きずりこみ、プラカード等で攻撃を加えた。あわてた敵の指揮官は「警官隊さがれ」と叫ぶ、敵が後退する。デモ隊はふたたび包囲環を縮めた。このような前進と後退が数回くり返された。そのたびに敵は打撃を受けた。これはまったく創意的な戦術だった。
しかし、この時期は戦術的にはもっとも重要な時だった。敵の兵力は約九百、味方の行動実勢力は約五千とみられる。しかも敵は動揺し、味方の志気はたかかった。したがって、ここで集中した敵の力を分散させ、これを個別的に攻撃することは可能だった。ところが、この有利な条件を戦術的に運用することがなされなかった。弱い敵の集中にたいし、味方の体制も密集体形��ら変化させることができなかった。この結果敵はだいたい八十名よりなる一箇中隊を単位に最後まで組織的に行動することができた。かれらは全滅する条件にさらされ、指揮官自身があわてて発砲するようななかで、部隊として大きな被害を受けなかったのである。
いま一つ味方の弱点は、全体がデモ隊のなかに解消し、予備行動のための強固な遊撃部隊を組織していなかったことである。このために、敵の弱点を機動的に集中的に攻撃することができず、また敵の増強部隊にたいしてそなえることができなかった。
包囲された敵は、不法にも拳銃を発射し、ガス弾を使用した。第一方面の長岡第二、永井第四部隊が攻撃の主力になっていた。かれらはこの時五十発のピストルと六十八個のガス弾を使っている。デモ隊は勇敢にもガス弾を投げ返し、敵に損害をあたえたが、全体としては相当の犠牲を受け後退した。この後退した場合も敵を引きこみ、包囲することは可能だったが、密集体形のまま祝田橋通りを挟んで敵と対時した。この戦闘において味方の弱点は味方の部隊を大きく動員し、敵を包囲する体制に指揮することができなかったことである。
この対峠したなかで、デモ隊は敵にたいして、「お前達は何しに来たのか」「泥棒をつかまえろ」「アメ公の番犬」「どちらが悪いか考えてみろ」「税金つぶし」などと叫んで攻撃を加え、敵にたいする憎しみをバク発させていた。敵がコン棒を振るとデモ隊は石を投げて攻撃した。敵のなかからも「片っぱしからつかまえろ」「あいつをやれ」など号令をかけてきた。とくに、四十歳位の頭髪の薄い指揮官が六尺棒を振って大衆をなぐりながら指揮していた。見物している者もこの官憲の残酷さにあきれ、全体がデモ隊を支持していた。見物の大衆のなかから官憲にたいしてバ声や石つぶてが飛んでいた。先遣デモ隊は人民広場に入ってからこの時まで約一時間にわたって勇敢に闘い抜いたのである。このことは国民武装の可能性を事実によって示した。(中略)
先遣デモ隊がガス弾ピストルの攻撃を受け、祝田橋通りへ後退しつつある時、中核自衛隊の一部は後続デモ隊に急を知らせるために走った。後続デモ隊でも「人民広場へ」「仲間を孤立させるな」が大衆の声となった。社会民主主義者はこの大衆を押え先頭の速力をおとして先遣デモ隊を孤立させようとした。しかし大衆はかれらをツルシあげながら三時二十五分頃から続々と祝田橋を渡り人民広場へ入った。広場の大衆は熱狂してこれをむかえた。新しい部隊を加えてデモ隊は馬場先門通りをはさんで大きく二つの群に別れた。この時、敵もまた増強しつつあった。先ず第六、第七、第三各方面予備隊七箇中隊が桜田門より入り、第一方面予備隊と合流した。大衆は再び体勢を整え、風上へ風上へと向いながら二つの群が一つとなり敵を二重橋前に圧迫した。これによってデモ隊は第二の勝利をかちとった。この闘争の中で最も重要と思われる時機をつかんだのである。しかし、誰も敵を圧迫した重要なこの時に更に何を行なうべきかを大衆に示すことが出来なかった。デモ隊を指揮していた人々も、この瞬間に何をやるのか決断がつかず躊躇した。従って、大衆の意��と行動を一つの方向にむけることができなかった。この結果大きな戦術的な行動を組織する機会はにげ去ってしまったのである。
この時敵の兵力は、予備隊十五箇中隊を主力とする約千五百、味方は敢闘して結集しているもの約一万、同調的なもの約二万合計三万とみられる。従ってここで開いながら革命的な大会を持ち、解散することも不可能でないし、これを妨害し、攻撃する敵を第一回に敵を圧迫した時と同じように分断して攻撃することも可能であった。ところがこの大きな機会を失ない味方を守勢に立たす危険に陥ったのである。この闘争全体を通じてこの高揚した大衆を指導する能力と体制に欠けていた。これが決定的な弱点であった。この弱点をすくったのは、大衆の革命的な行動であった。敵は、再びガス弾とピストルでもって攻撃を開始した。中核自衛隊を中心とする大衆は、この攻撃に勇敢に抵抗した。石、プラカード、旗竿等を武器にして、敵を引きこんではこれを打ちのめし、反撃しては敵に打撃を与えた。敵も味方もここで大きな犠牲を出した。この闘いの中で見物に集まった大衆の数は数万に及び、益々増えつつあった。この大衆もデモ隊に声援を送った。
敵は祝田橋を占拠し、大衆とデモ隊を断ち切り、デモ隊を包囲する作戦であった。そのための行動が数回にわたってくり返された。しかし、これは成功しなかった。この包囲をゆるさなかったのは、デモ隊の勇敢な攻撃力と祝田橋から馬場先門に及ぶ見物している大衆の圧力であった。デモ隊は敵のピストルと闘いながら祝田橋通りを通り抜けようとする占領軍の車輌にもしばしば攻撃を加えた。味方は一つの密集部隊として攻撃しているのに対して敵は一箇中隊を単位として行動していた。このことは敵の弱勢を補った。この戦闘中に敵は更に第三方面四箇中隊、第四方面四箇中隊、第五方面四箇中隊、その他参議院警備中の予備隊等約十三箇中隊を増強した。その他四時過ぎには、各署から召集されたもの約二千名が加わった。この部隊を大きく横隊に組み両翼と中央の三方面から圧迫を加えてきた。大衆は、これを三回はね返した。
四時十五分頃デモ隊から流れでた一部が、日比谷公園側で占領軍の乗用車を襲い、これに火をつけた。これは、人民広場事件の政治的な性格を最もあざやかに示したものであり、大きな意義ある出来事だった。しかもこれは人民広場の中で闘っているデモ隊にとって行動の新しい方向を示したことになった。敵の圧迫によって、デモ隊の一部は祝田橋から電車通りへ退却した。これに続いて全デモ隊が見物の大衆に擁護されながら馬場先門と祝田橋から街頭に流れ出た。敵は残虐にもこの後退するデモ隊を背後からねらい打ちにした。特に見物の少い馬場先門寄りで最も残虐な攻撃を加えた。このためデモ隊には多くの犠牲者が出た。
占領軍の乗用車を焼きはらった経験は、すぐ一般化した。大衆は十五人位が一組にたり、次々と車を倒し、流れるガソリンに火をつけた。このため祝田橋から日比谷までの間に、米軍の自動車十三輌、警察の白バイ一台が焼きはらわれた。この事件の全体で八十三輌の事輌を襲撃している。もえあがる車輌を消火するために、丸ノ内、有楽町、永田町をはじめ各消防署から二十台の消防車と米国消防隊三隊が出動した。しかし大衆はこれを妨害し、ほとんど到着させなかった。デモ隊は丸ノ内一八二中隊の消防車を破壊し、中崎署長、長井司令補等十名をたたきのめした。有楽町一八二中隊のホースはほりに投げこみ、五中隊のホースは切断した。
この人民広場の事件で、敵は危篤四名・重傷七三名・軽傷七四三名・占領軍の負傷者四名と発表している。味方の死者、負傷者等正確な数字はわからないが千名近くにおよんでいる。この大闘争の中で国民救援会は大きな役割を果した。救援会救護班のトラックは、プラカードを立てて、ガス弾とピストルの飛ぶ中で負傷者を収容し、病院にはこんだ。見物の大衆は、カンパを行なってこの救援活動を援けた。
街頭に流れ出たデモ隊の一部は、日比谷公園や三信ビルの横に結集し、ここで小さなしかし鋭い闘いをくり返した。それは夜八時過ぎまでつづいた。(中略)
米帝と吉田の一味共は、この事件によって新しい敗北をなめた。これは全世界の平和勢力を勇気づけ、新しい国際的な実力闘争のノロシになろうとしている。日本の労働者階級は、この闘争によって、勝利の確信を固め、武装行動を目指す実力闘争を前進させつつある。この実力闘争、武装行動に守られ、広汎な国民の民族解放民主統一戦線は前進しつつある。われわれは、この闘争をいろんな角度から分析し、戦術的にも幾多の教訓をくみださねばならない。それによって発展しつつある闘争に役立てることが必要である。
『人民広場を血で染めた偉大なる愛国闘争について』 『組織者11号』
日比谷公園の市街遊撃戦は前後三時間に亘って行われた。敵はジリジリと押してき、遂にその一角をすて日比谷映画附近から有楽町に至り、解散後も全都的に行われたものである。この闘争では、完全に敵をホンローした。敵はつかめないデモ隊に極度に神経を疲らせ、日比谷では映画見物帰りのアベック二組がなぐり倒され、中年婦人が意識不明に陥り、大衆の罵倒の的となった。(中略)
当夜デモ隊側でつかんだ彼我の損害は次の通り、
警官死亡三(うち一名は丸の内久保次席)重傷二八、負傷五三。堀へ投げこまれたもの六。ブル新カメラマン一名のばさる。
アメ兵、水兵二名、GI一、ガード一、堀へ投げこまる。高級車炎上十台、日比谷~馬場先門~都庁前のもの軒なみガラス破カイ。アメ公大型バスガラス破カイ(三台)。
自由党本部、明治ビルガラス破カイ。
デモ隊側死亡-都庁高橋正夫氏、東大一、法大一、をふくむ五名。うち一名はMPに射殺(当夜国救しらべ)。負傷者約三〇〇名(重傷多数を含む)。
〔真相2〕 警察庁警備局『皇居前メーデー騒擾事件』他
(注とコメント)、これは、警察庁警備局『戦後主要左翼事件・回想』(1967年、絶版)に載っている17事件の一つの「メーデー事件の概要」全文(P.132~13��)です。別に、回想として、警察官���人の手記があります。それらの内容は、広場にいた警察官側からのメーデー事件です。共産党「軍」側から見れば、警視庁「軍」は敵であり、警察側から見れば、共産党「軍」と一般参加者は暴徒となります。他一篇は、警察文化協会『戦後事件史』(1982年、絶版)第7章「日本の独立―破防法の成立」にある「血のメーデー・検察側の見解」(P.362~367)です。
ただ、警視庁・東京地検側の『メーデー騒擾事件の総括』に関する極秘文書があり、そこには、メーデー事件裁判でも隠蔽した詳細なデータや、公安・スパイ情報が含まれているはずですが、現在まで、外部に漏れていません。これが、発見されれば、『藪の中』の「真実」にぐっと近づくのですが。というのも、『吹田・枚方事件の総括』に関する大阪府警・大阪地検の極秘文書が漏れ出て、枚方事件被告の脇田憲一が入手し、その秘密データも含めて、『吹田・枚方事件』を執筆・出版する予定になっているからです。
―――――――――――――――――――――――――――
『皇居前メーデー騒擾事件』
昭和二十七年のメーデーは、日米講和条約発効後初めてのメーデーであったが、当時は、破壊活動防止法反対闘争直後のことであり、また、朝鮮人団体は出入国管理法実に強く反対していたなどの情勢に加えて、厚生省が皇居前広場の使用を禁止したことなどもあって、革新系諸団体の気勢が大いにあがっていた。
大会は、午前十時三十分より明治神宮外苑において約一五万が参加して行なわれ、午後零時十分閉会、ついで五コースに分かれて会場を出発し、デモ行進に移った。当初、北部コースに編入されていた日本共産党員、学生、朝鮮人ら約三、〇〇〇人は、デモ出発の直前、急にコースを変更し、日比谷を解散地とする中部コースに加わってその先頭に立ち、途中、各所で投石やジグザグ行進などを行なって日比谷公園にはいった。
その後、この梯団は、気勢をあげながら皇居前広場をめざして不法デモに移り、これを阻止しようとした警察部隊に対し、竹槍(やり)、こん棒をふるって阻止線を突破し、さらにGHQ(連合軍総司令部)前で自動車一九台を破壊するなど、暴徒と化し、一気に皇居前広場に殺到した。さらに、三々五々、皇居前広場にはいった者もこれに合流し、暴徒の数は約四、〇〇〇人に達した。
午後二時三十五分ごろ、各所に配備されていた警察部隊は、急拠、二重橋前に転進集結し排除に当たったが、暴徒は、激しい投石を浴びせ、竹槍、こん棒などをふるって部隊に突入し、ついにけん銃を強奪するという事件にまで発展した。このような状況から警察側は、催涙ガスを使用するなどしてこれが鎮圧に当たり、遭遇戦さながらの状況を呈するに至ったが、暴徒の圧倒的勢力に押され、警察官に多数の重傷者が続出したため、やむを得ずけん銃を発射してこれを威嚇し、午後二時五十五分ごろ、一応、祝田橋通りまで制圧した。
一方、同時刻ごろ、南部コースの先頭梯団にいた朝鮮人約二、〇〇〇人が、日比谷公園から皇居前広場へ向って殺到し、祝田橋でこれが阻止に当たった���察部隊四八人全員に重軽傷を負わせてこれを突破し、さきの暴徒と合流した。このため、暴徒の数は七、〇〇〇から八、〇〇〇人となった。膨張した暴徒は、ますます気勢をあげ、竹槍を構えた朝鮮人約二〇〇〇人を先頭に激しく投石を加えながら攻撃をかけてきたので、警察部隊は、再度、催涙ガスを使用して、一せいに前進、制圧を加え、彼我(ひが)入り乱れて激しい攻防を展開し、ついに午後四時十五分ごろ暴徒を皇居前広場から排除した。
排除された暴徒は、付近に駐車中の外国自動車および警察車両十数台を次々に破壊、または放火炎上させ、日比谷公園内外および有楽町駅付近、馬場先門外等の各所において小部隊の警察官を襲い、重軽傷を負わせるなどの残忍な暴力を振るい荒れ狂ったが、午後七時ごろに至ってようやく平穏に復した。
メーデー騒擾事件における被疑者の逮捕は六九三人にのぼったが、一方、警察官も八三二人が負傷(生命危篤八、重傷七一、軽傷七五三)したのである。
『血のメーデー』 検察側の見解
計画的に会場から 先鋭分子が誘導 秘密会議で決定
皇居前事件について佐藤検事総長は、「デモ隊がコン棒その他をもっていた点などからみて、一部のものの計画的犯行だと思う」むねを語っているが、検察当局はこの事件を左翼先鋭分子の仕組んだ“計画的暴行事件”の色彩が強いとみている。ではデモ隊の一部はどのようにして“デモ終点”の日比谷公園から皇居前広場へ誘導されたか――以下は当局の調べ、目撃者の話などから総合したそのいきさつである。
○警視庁の情報では、今回の事件は去る二十九日、東京工大内で日共系先鋭分子により秘密のうちに決定された予定の行動だという。それによると、同日午前十一時から午後六時の間に同大地下食堂で日共系青年祖国戦線の主催により「反戦権利擁護労働青年全国会議」が開かれ全学連、祖防隊、民青など四十四団隊、七十五名が集って「人民広場を労働者の実力をもって奪取しよう」との決議を行い、全国の日共系先鋭組合と各種団体に指令したという。
○この指令を裏書きするように、この日、外苑の中央会場では午前十一時半すぎ、組合代表の演説が後二、三人で終ろうとするころ、共産系組合員、全学連、日傭労務者とみられる一群の約二百名が中央ステージに殺到「人民広場へ行こう」と騒ぎはじめた。重盛議長が「この度は統一メーデーだから統一的行動をしよう」と説得に努めたが、聞き入れられず、演壇は一時、この一群の人たちに奪われ混乱した。しかし、日共幹部の岩田英一氏が両者の間に入って代表に一席演説させることで混乱は収まり、式は終了した。
○かくて〇時二十分、デモ行進に移ったが、この時に学生、朝連系団体とみられる一群は、外苑の道路にピケラインを張って「人民広場へ行こう」とアジリはじめた。渋谷コースを行進していた西部デモ隊のうち学生を主力とする約二百名の一団は、これと呼応するように、青山四丁目角に差しかかると隊���をはなれ、日比谷の方向へ転進、日比谷コースを進んでいた中部デモ隊も赤坂表町付近にさしかかったころ、全学連の約五千名がデモ隊の先頭を追い越して口々に「人民広場へ行こう」と叫んだので、デモ隊の足並みは乱れてきた。
○虎の門コースを進んでいた南部デモ隊も文部省にさしかかった午後一時半ごろ金日成氏の肖像をプラカードにかかげていた北鮮の一隊が「人民広場へ」と叫びつつジグザク行進に移り、警官隊と小ぜり合いを演じ、外人乗用車に石を投げたりしはじめた。このころ中部デモ隊も永田町付近で自由党本部に小石を投げ、正面窓ガラスを破ったが、先鋭分子ははじめから小石をポケットに相当用意していたと見られるという。
○赤坂表町付近で行進の先頭に抜けがけして行進のイニシアチブを握った都学連、北鮮人、日傭労働者などの一群は、二時ごろ日比谷公園に入ると一応音楽堂付近に集った。この時十五、六のグループに分れて整列していた全学連の五、六番目に並んでいた「民主青年西部地区」というプラカードの一隊が「人民広場へ行こう」という叫びをあげた。これをキッカケに、デモ隊はドッと公園外に流れ出し、馬場先門方面へと濁流のように押して行き、これが時間の経過とともに、ふくれ上がって行ったのである。
正しく血のメーデーとなってしまった。働く者の祭典であるはずが、暴行集団となってしまったことは、世界中の電波に乗った。中でもアメリカ人にすれば恩を仇で返される思いがしたことであろう。メーデーの歴史を汚した事件として記録されている。
〔真相3〕 メーデー事件被告弁護団『メーデー事件裁判闘争史』
(注とコメント)、これは、メーデー事件裁判闘争史編集委員会編の822ページの大著(白石書店、1982年、絶版)から、事件の概要を書いた「序章」(P.12~16)の全文転載です。事件・裁判記録については、被告団長岡本光雄『メーデー事件―昭和史の発掘』(白石書店、1977年、絶版)があり、そちらでも事件概要を詳しく書いています。いずれも、被告・弁護団側からのメーデー事件と裁判闘争史です。検挙1232人、騒擾罪起訴被告261人でした。上記の解説でのべましたが、さらに区別すれば、これは、4種類の被告からなっています。
第一、広場突入軍事命令を遂行した日本共産党「軍」メンバーです。広場に入った3万人中、中核自衛隊員・独立遊撃隊員・山村工作隊員・日本共産党員である北朝鮮系祖防隊員や、それらが突入の指導をした大衆団体は、数千人います。しかし、被告261人において、彼らが何人いるのかは、共産党が公表しないので、分かりません。日本共産党は、広場突入軍事作戦計画の存在を、裁判開始時も、六全協後も、全面否認しました。日本共産党は、共産党員被告だけのグループ会議を秘密に開き、否認を指令しました。共産党「軍」の被告も、その軍事方針については、党中央命令に従って、完全黙秘しました。よって、広場突入軍事命令を出した党中央軍事委員は、誰一人逮捕も、起訴もされていません。
第二、共産党「軍」以外の共産党員で、たまたま人民広場に付いて行き、警視庁「軍」の3次にわたる違法襲撃に怒って、反撃し、逮捕・起訴された被告です。共産党中央委員会は、第一と第二の比率を当然知っています。なぜなら、共産党中央委員会・党中央法規対策部は、共産党員被告の秘密グループ会議を、20年7カ月間の裁判過��で、何回も招集しているからです。もちろん、被告団の共産党細胞指導部(LC=Leader Class)も、党中央法規対策部員と共産党員弁護士・国民救援会細胞とを合わせて、結成し、裁判対策を、一般被告団会議の前に決定していました。この裁判グループ細胞結成は、吹田事件・大須事件においても、常識です。
第三、北朝鮮系在日朝鮮人の在日朝鮮統一民主戦線(民戦)2000人と祖国防衛隊員(祖防隊員)たちで、逮捕された131人の内、起訴された日本共産党員です。彼らは、金日成らが仕掛けた朝鮮侵略戦争を祖国解放戦争ととらえ、朝鮮民主主義人民共和国国旗を先頭に、人民旗数百と金日成の写真プラカードを掲げ、第2の広場入口である祝田橋の先頭部隊の一つとして突入しました。彼らは、1955年の六全協まで、日本共産党員でした。同時期に、民戦は、朝鮮総連に組織転換し、それとともに、在日朝鮮人日本共産党員は、離党し、朝鮮労働党に入党し直しました。日本における朝鮮労働党組織は、学習組(がくしゅうそ)になりました。朝鮮総連も学習組も、本国の朝鮮労働党の直接指令を受けます。よって、1955年以降、メーデー事件裁判被告団は、その中に、朝鮮労働党員被告を含み、彼らは、朝鮮労働党の指導下で行動しました。
第四、共産党の広場突入「軍」に扇動・誘導されて、人民広場に自然発生的に入り、警視庁「軍」の3次にわたる無差別襲撃を受け、それに怒って反撃したが、広場突入作戦などまるで知らなかった一般参加者2万数千人の中で、逮捕・起訴された被告です。261人中、これら4種類の被告の比率は、共産党軍事委員会と六全協後の野坂・志田・宮本らごく一部幹部だけが知っています。メーデー事件の大弁護団も、グループ会議に参加する一部の共産党員弁護士以外は、これらの比率を知らされていないでしょう。
被告・弁護団の裁判闘争方針は、共産党「軍」の広場突入戦争作戦が現実に遂行されたのにもかかわらず、その存在を否認しつつ、騒擾罪無罪のたたかいをすることを強いられました。そこには、かなり無理がありました。なぜなら、メーデー人民広場突入事件の裏側の一側面は、政府・警視庁「軍」4100人の違法な先制襲撃という面だけでなく、ソ中両党の軍事命令に盲従した日本共産党「軍」が、まさに、朝鮮戦争の後方基地武力かく乱戦争行動として行なった最初の大会戦そのものだったからです。2つの『裁判闘争史』を読むと、その苦渋、停滞、被告団内の対立がにじみでています。共産党員以外の第四の被告たちは、警視庁「軍」の襲撃に怒るとともに、共産党「軍」の広場突入戦争作戦の存在と実態を明らかにせよと、共産党に強烈な批判と要求とを突き付けました。
私(宮地)の立場は、『裁判闘争史』の内容について、共産党の広場突入会戦遂行の諸事実問題とそれに関する記述以外では、『裁判闘争史』の見解と、騒擾罪無罪の判決内容を支持するものです。ただ、被告弁護団側が、4種類の被告を抱えて、被告団の統一を維持していくためには、「メーデー事件は、極左冒険主義の実践ケースではない」とする立場を貫かざるをえなかったことを理解します。といっても、それは、共産党が、広場突入軍事行動に関して、具体的な総括をし、それを公表すべきであるという前衛政党としての結果責任の取り方とは、別問題です。その結果責任には、“統一回復”共産党が、自分たちの朝鮮侵略戦争参戦のために、一般国民2万数千人を利用し、道連れにし、被告216人中の何人かを、20年7カ月間メーデー事件裁判の第四の被告にしたという道義的責任も含みます。これは、警察・検察側による弾圧、でっち上げ裁判という問題とは異なる、かつ、それに解消させることのできない共産党側の政治的道義的問題です。
私は、名古屋市生れ育ちで、大須事件の現場を熟知しています。また、愛知県の民青・共産党専従15年間において、大須事件の被告たち十数人を個人的に知り、話を聞いています。その裁判闘争においても、4種類の被告を含み、同様な問題が発生していました。大須事件検挙者は、日本人119人、在日朝鮮人150人でした。実刑判決確定で下獄した3人中、1人は在日朝鮮人でした。大須事件の共産党員被告だけのグループ会議が、私の共産党専従時代、所属する名古屋中北地区・愛知県委員会事務所の3階会議室で開かれるのを、私は何度も目撃しました。私は、騒擾罪判決が唯一確定した7・7大須事件も、5・1メーデー事件と6・25吹田事件と同じく、騒擾罪無罪であると確信しています。それだけでなく、3番目の事件として、警察・検察側による騒擾罪でっち上げの謀略性という面では、大須事件がもっとも悪質だと判断しています。大須事件の一端については、HPファイル『「武装闘争責任論」の盲点』で分析してあります。なお、下記文中の太字は、私(宮地)がつけました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
一九五二年(昭和二十七年)五月一日――首都の労働者は第二十三回メーデーを迎えた。明治神宮外苑のメーデー会場から五つのコースに分れてデモが出発した。中部・南部二つのコースは日比谷公園を解散予定地としていた。いくつものデモ隊がそのまま日比谷公園を通り過ぎ、人民広場(皇居外苑広場)へ向かって進んだ。シュプレヒコールが湧きあがった。ゴー・ホーム・ヤンキー! 人民広場をとり返せ!
三日前の四月二十八日、「単独講和」と呼ばれ、その賛否をめぐって世論を二分した「平和」条約が発効した。七年に及ぶ占領は終った。だがアメリカ軍は帰らなかった。朝鮮戦争が続いていた。占領時代の抑圧政策もそのまま引きつがれていた。メーデー会場に人民広場を使うことは許されなかった。「独立」後最初のメーデー――禁じられていた言葉、いや「占領政策違反」という「犯罪」でさえあった、人民の叫びがほとばしり出た。ゴー・ホーム・ヤンキー! 人民広場をとり返せ!
午後二時二十分過ぎごろ、先頭のデモ隊が馬場先門に到着した。
この時馬場先門には約四百五十名の警官隊が配置されていた。二重橋へ向かう車道入口に阻止線を張った、わずか一個小隊三十数名の警察官もなぜか左右に開いた。デモ隊の前に人民広場への道がまっすぐに通じていた。車道一杯に広がり、スクラムを組んで広場へ入ったデモ隊は、広場へ入ったというその喜びのおもむくまま、やがて駈け足に変って行った。
二重橋前の砂利敷広場は、たちまち、万歳の声と打ち振られる赤旗、そして笑顔、握手、踊りの人波で埋まった。人びとは、二年間禁じられていたこの広場の土をその足で踏んだ。誇らかな満足感、解放感、ほっとした安ど感、疲労感。それぞれにかみしめながら、談笑し、歌い、あるいはひと息入れて、人びとは集っていた。
午後二時四十分。事態は急変した。
全く突如、警���隊が襲いかかったのである。馬場先門からデモ隊を追尾してきた警官隊が、デモ隊の先頭に回り込むやいなや、全体を二重橋側の堀際に押しつめるように、警棒をふりかざして殴り込んだ。一瞬にして起こる大混乱。警棒で頭を割られ倒れろ者、眼前に迫る警察官の形相におびえて後退する者、つまずき倒れる者。逃げまどう者の頭に、背にめった打ちされる警棒、傷つき倒れる者をさらに踏みにじる泥靴。
混乱するデモ隊の中に、二分後催涙ガス弾が、五分後拳銃弾が撃ち込まれた。数千のデモ隊は、多くの負傷者をかかえて、銀杏台上の島から楠公銅像島へ後退した(第一段階)。法政大の学生近藤巨士は、この時警察官に後頭部を強打された。五月六日未明、慈恵医大東京病院で、彼は二十二歳の生涯を閉じた。
午後三時過ぎごろ、新しいデモ隊が祝田橋から人民広場へ入った。中部コースの後続隊と、つづいて南部コースを行進してきたデモ隊である。
祝田橋上には約百二十名の警官隊がいた。一応阻止の隊形をとった警官隊と、デモ隊の先頭のごく一部との間で小ぜり合いがあった。だが、警官隊はすぐ広場の中へ引きあげてしまい、デモ隊の大半はなんの抵抗もなく祝田橋を渡った。中部コース後続のデモ隊の多くは、祝田橋を入ってすぐ右手の芝生、楠公銅像島に上がった。そこには、二重橋前で警官隊の襲撃に会い、追い散らされてきた人びとがいた。
そのころ、楠公銅像島上のデモ隊に対峠(じ)する形で、中央自動車道路をはさむ反対側の芝生、銀杏台上の島には、三個中隊約三百名の警官隊が隊列を整え、警戒配置についていた。つづいて祝田橋から入った南部コースのデモ隊は、この警官隊の前を通って中央自動車道路をまっすぐ行進し、やがて左折中央自動車道路に面した楠公銅像島上のデモ隊に対峙していた警官隊は、この時いっせいに引きあげ始め、二重橋前の砂利敷十字路付近に移動した。二重橋前砂利敷十字路……一九四六年(昭和二十一年)の第十七回メーデー以来、そこが大きな大衆集会の会場となった。つまり人民広場の中心であった。
楠公銅像島にいたデモ隊の中で、警官隊のいなくなった銀否台上の島へと移って行く動きが起こった。「解散集会だ。」「集会に集まろう。」呼びかけが伝わった。銀杏台の島に上がったデモ隊の一部も、銀杏台上の島の方へ移動し始めた。人びとは、この日人民広場へ入ることができたというだけで、満足だった。禁じられていた場所をとり戻した、という勝利感でもあった。目的はもうすぐ達せられる。しめくくりの解散集会だけが残っていた。
その期待で、デモ隊は、二重橋前砂利敷十字路をなかばとり囲むように、銀杏台上の島を中心に、右は銀杏台の島へ、左は桜田濠沿い砂利敷路面へと延びる形で、結集していった。祝田橋から人民広場へと入るデモ隊は、まだあとを絶たなかった。広場にはもう三万を越えるデモ隊の人びとがいた。一方、警官隊も続続と増強されていた。
三つの方面予備隊(当時、全都を七つの方面に分け、それぞれに警備実施を主任務とする予備隊がおかれていた。いまの警視庁機動隊にあたる)から動員された八個中隊約八百五十名が、二重橋前砂利敷十字路に横隊で整列し、その三分の一は桜田門方向に、三���の二は馬場先門方向に面する形をとった。L字型隊形である。後方二重橋の前に二個中隊約二百名が控えた。
二重橋砂利敷十字路に展開 ―→ 警官隊の攻撃開始 ―→ 警官隊の攻撃と
した警官隊のL字型隊形 とデモ隊の崩壊 デモ隊の抵抗
(これら3地図は、『メーデー事件裁判闘争史』P.193、195、199に掲載されたもの)
午後三時二十五分ごろ、再び警官隊の襲撃が始まった。警官隊の前に立った指揮官が、高くかかげた警棒を前に打ち振り、「進め」と号令した。L字型隊形のうち桜田門方向に向かっていた警官隊が、まず前面のデモ隊に殺到した。解散集会をめざして集まりつつあったデモ隊にとって、それは突如始まり、そして全く一方的なものであった。桜田濠沿いの砂利敷にいて、この突然の攻撃を受けたデモ隊は、たちまち蹴散らされた。理不尽な暴挙をまのあたりにしたデモ隊の一部は、警官隊に向かって進み、抵抗した。
だが、この時、密集するデモ隊の中へ催涙ガス弾が撃ち込まれた。攻撃開始前ガス班があらかじめ桜田濠に沿って進み、デモ隊の後方に回っていたのである。催涙ガスが急速にデモ隊の上をおおった。全警官隊がいっせいに警棒を振りかざして突進した。あちこちで拳銃も発射された。
デモ隊全体はまたたくまに総崩れとなり、潰走した。逃げまどう人びとの頭を割り、肩といわず腰といわず、全身を打ちのめす警棒。目をのどを痛めつける催涙ガス。誰かれかまわずに突きつけられ、そして発射される拳銃。倒れる人びとを踏みつけて、警官隊は進んだ。デモ隊の多くは再び楠公銅像島に逃げた。芝生の上のいたる所に負傷者が横たわり、これを介抱する人や、互いにかばいあう人たちの群れがあった。祝田橋から広場を出た人も少なくない。警官隊は銀杏台上の島を猛進し、中央自動車道路の線で停止し、再び隊列を整え直した。この間十数分である(第二段階)。
午後三時四十四分ごろ、日比谷公園に沿う都電通りの祝田橋近くで、一条の黒煙がのぼった。アメリカ軍人の自動車に火がつけられたのである。警官隊の攻撃を受け、広場から逃れ出た人たちのうちごく少数の者が、怒りのおもむくがままにとった行動でもあろうか。しばらくあとのことになるが、都電通りのもっと日比谷交差点寄りに駐車してあった十台近くの自動車が、同様ごく少数の人たちによって、ひっくり返され、火を放たれた。どれもアメリカ軍人の乗用車である。こうしたできごとの中でも、広場内への警官隊の増強がつづいていた。
午後四時。広場の中では、さらに残虐な警官隊の総攻撃が、いっせいに開始された。新たに広場に投入された二つの方面予備隊七個中隊六百名余を加え、警官隊は徹底した暴力で、デモ隊を一人残らず広場から追い出そうとしたのである。二度にわたる警官隊の先制攻撃は、非道な暴力に抵抗する力をさえ、デモ隊から奪っていた。デモ隊はもはやちりぢりにされた群衆であった。
警官隊は、ほんの数分間で、楠公銅像島の群衆を一掃し、その大半を日比谷濠土手に押しあげ、追いつめた。狭く逃げ場もない土手の上で、人びとは混乱し、警棒の乱打を浴び、無気味に向けられる銃口で脅かされながら、やがて最後に、警察官の悪ばを背に馬場先門から追い払われた。それは、文字どおり袋のねずみを追うむごたらしさであった(「掃討戦」)。
この総攻撃開始の直後、東京都の職員高橋正夫は、背後から拳銃弾で心臓を射ち抜かれ、即死した。二十三歳である。
警官隊は、広場から追い立てられ逃げ散った群衆を追って、組織的暴力を市街地にまで拡大した。ただの通行人も、アベックも、老人も、婦女子も、見さかいのない暴力の対象であった。警官隊の暴行脅迫は、日比谷公園、有楽町一帯、丸の内から東京駅付近に及び、午後六時ごろようやく終わった。
この日、警官隊が発射した拳銃弾七十発、投じた催涙ガス弾七十三発。デモ隊側のぎせい、死者二名、重軽傷千数百名である。一九五二年五月一日人民広場の内外で起こったできごと――メーデー事件そのものがまぎれもない政治的弾圧である。
そして、メーデー裁判は政治的弾圧の継続である。その日午後三時四十分ごろ、警視庁と東京地方検察庁は、デモ隊側の計画的集団犯罪として、この事件に騒擾(じょう)罪を適用すると決めた。人民広場の中で警官隊の組織的暴力がまだつづいている、その時である。疾風のように大量検挙が始まった。警官隊がその手で加えた傷害こそ、まずなによりの目印とされた。二週間で逮捕者は八百三十八名にものぼった。総検挙者数千二百三十二名。東京地方検察庁が騒擾罪で公訴を提起した被告人の総数二百六十一名である。
第一審・・・・・
東京地方裁判所は、当初、八合議部による分割審理方式を提示した。被告・弁護団はまずこれとたたかわなければならなかった。獄中被告の出廷拒否、合同面会など新しい経験を重ねながら、ともあ���刑事第十一部による統一審理方式がかちとられた(もつとも不幸ながら「分離組」と呼ばれる人たち二十余名がいた)。
第一回公判一九五三年(昭和二十八年)二月四日。判決まで実に十七年。その間公判を開くこと千七百九十二回。取調べた証人は、検察側五百四十九名(総論関係二百四十四名、各論関係三百五名)、被告・弁護側三百四十四名(総論関係二百七十一名、各論関係七十三名)、合計八百九十三名(延べ千三百二名)に達している。そして、十四人の被告たちが世を去っていた。判決言渡し一九七〇年(昭和四十五年)一月二十八日(「分離組」は二月十三日)。
判決は、二重橋前の第一段階における警官隊の実力行使を違法としたが、第二段階以降についてはデモ隊側に騒擾罪の成立を認めた。無罪百二十名。有罪百十七名(ただし十五名は騒擾罪以外で有罪)。一月二十八日統一して判決を受けたうちの有罪被告は、全員控訴を申立てた。その日の被告団総会は、無罪となった者もそのまま被告団にとどまり、ともにたたかうことを誓い合った。「分離組」で有罪となった中から三名の人たちが控訴を申立て、この被告団に加わった。控訴審における被告人は、結局百名になった。
第二審・・・・・
一九七一年(昭和四十六年)九月三十日東京高等裁判所第六刑事部に控訴趣意書��提出された。第一回公判同年十二月十四日。審理はかなり迅速に進んだ。公判回数二十二回。取調べた証人は、被告・弁寺側の請求した二十六名である。判決言渡し一九七二年(昭和四十七年)十一月二十一日。判決は、第二段階における警官隊の実力行使をも違法と断定し、騒擾罪の成立を全面的に否定し、騒擾罪については全員に無罪を言渡した(公務執行妨害罪などで十六名が有罪となった)。一九七二年十二月五日――騒擾罪全員無罪の判決は確定した。検察官が上告を断念したのである。
二十年七か月――たたかって、たたかい抜いてかちとった勝利である。被告・弁護団が一貫して主張したこと、それは「つくられた騒擾罪」ということである。本書は、「つくられた騒擾罪」とのたたかいの歴史である。
〔真相4〕 総評常任幹部会『声明』他
(注とコメント)、総評常任幹事会声明は、『メーデー事件裁判闘争史』(P.20)にあります。労働界を二分する意見の分裂内容は、増山太助『血のメーデー』に書かれています。これは、〔真相6〕増山太助ファイルから抜粋しました。
―――――――――――――――――――――――――――――――
総評常任幹事会声明 1952年5月2日
五月二日総評は常任幹事会を開いて声明を発表した。その政治部長島上善五郎は第二十三回中央メーデー実行委員長であった。
「(一)第二十三回メーデーは、平和と民主主義を守る国民的行事として全国労働都市において未曽有の大動員をえて、日本民主化の主柱がいよいよ強大となったことを示した。
(二)しかるに中央メーデー行事解散ののち日本共産党分子がおこなった集団的暴力行為は遂に流血の惨事をまきおこした。このことについては総評労闘が何ら関知するところではないが、民主的労働組合の責任において甚だいかんにたえない。
(三)今次事件は民主的労働組合が営々としてつみあげてきた民主主義をいっきょ後退させ、反動ファッショ勢力を誘発するに至る危険があり、明らかに階級的裏切り行為と断ぜざるをえない。われわれは極左極右のいずれをとわず、かかる一切の暴力行為にたいし厳正な批判を加え、断固排撃するものである。
(四)わが総評は今日まで反動資本と共産党支配とに抗争する民主的統一戦線を強化拡大し、破防法案、労働法改惑などにあらわれた吉田政府の逆コースに対して整々たる三〇〇万の労闘ストをもってたたかってきたが、その間共産党勢力のシュン動を許さずいよいよ全国民の信頼をかちえてきたところである。
(五)しかして吉田政府は、必ずや破防法の必須を訴えるであろうが、すでに本事件はソウジョウ罪をもって対処しているのであって、みづから破防法の不要を証明しているではないか。
(六)いまや今次事件を口実として破防法案、労働法改悪等をもつて基本的人権をじゅうりんし総評の打ちだす労働運動を弾圧しようとするならば、いよいよ内外与論に訴え、さらに頑強な実力行使をもつて、これらを阻止するところまでたたかい、吉田政府の反動政策をあくまで追及し対決するであろう。
一九五二年五月二日 日本労働組合総評議会」
労働界を二分する意見の分裂
記者団に囲まれたメーデーの実行委員長、総評政治部長の島上善五郎は、「この事件はメーデー行事が終った後に共産党系分子と、その影響下にあると思われる一団によって行われた不祥事で、実行委員会としては関知しない。これは反労働者的行為である」「しかし、政府が、破防法をはじめとする露骨な弾圧政策をとり、とくに皇居前広場の会場問題について裁判決定を無視した態度は暴力行動に絶好の条件をあたえたもので、さらに警察の発砲、催涙弾の乱射は事態を激化させたもので、政府の反動政策強行には断乎反対する」と語った。なお、総評の高野事務局長は沈黙を守り、「民族感情の爆発だ」といった副議長の太田薫にたいし、炭労の諸富義高は、「予定した共産党の暴動演習だ」とくってかかったのが、労働界を二分する代表的な意見であり、民労連はもちろん、新産別も後者の意見に組した。
〔真相5〕 日本共産党中央委員会『日本共産党の65年、70年、80年』他
(注とコメント)、3つの資料を載せます。いずれも、日本共産党中央軍事委員会が準備・計画し、広場突入指令を出した事実について、完璧に隠蔽しています。そして、軍事委員会作戦・広場突入命令を、下記にある「一部の人」にすりかえる詭弁を使っています。
第一、日本共産党国会議員団声明は、『メーデー事件裁判闘争史』(P.21)にあります。議員団の中に、党中央軍事委員会メンバーはいなかったので、彼らは、広場突入作戦を、事前に知らされていなかった可能性があります。
第二、メーデー事件被告・家族と共産党との懇談会、その内容は、『メーデー事件裁判闘争史』(P.285)に載っています。懇談会に出席した野坂参三答弁は、軍事作戦発令者による真っ赤なウソです。というのも、朝鮮戦争2年目の真っ只中において、後方基地武力かく乱戦争行動の最初で最大の戦闘となる広場突入会戦は、少なくとも3カ月前に決定されており、その最終的作戦計画決定権者は、志田重男一人であるはずがありません。朝鮮半島における激戦を指揮しているソ中両党のスターリン・毛沢東・劉少奇と、北京機関の徳田・野坂、日本国内軍事委員長志田らによる戦争作戦計画だったからです。しかも、この当時、暴露されていませんでしたが、野坂参三は、1945年以来のソ連共産党NKVDのスパイでした。野坂共産党第1書記・軍事委員長志田・指導部復帰者宮本顕治らは、フルシチョフ・スースロフ・毛沢東・劉少奇らから、「六全協で、武装闘争の具体的総括をすることを禁止する。極左冒険主義と抽象的に誤りを認めることだけは許す」との命令に屈服していました。スパイ野坂第1書記は、当然のように、ソ中両党の利益・命令を上に置き、メーデー事件被告・家族をあざむいたのです。
第三、共産党の公認党史である『日本共産党の65年、70年、80年』(80年は、P.120)は、いずれも、この分量しか記述していません。しかも、メーデー事件と広場突入作戦との関連を隠蔽しています。そこから、まったくの第三者的で、広場突入会戦の戦争責任を放棄した書き方になっています。〔真相7〕石田雄ファイルにあるように、丸山眞男が、この事件を念頭に置いて、『戦争責任論の盲点』を書き、日本共産党が、戦前だけでなく、メーデー事件についても具体的な総括を公表して、前衛政党としての結果責任を果すべきと批判したという石田雄の��論は、さもありなんという説得力を持っています。
―――――――――――――――――――――――――――――――
日本共産党国会議員団声明 1952年5月1日
日本共産党国会議員団は、即日「本日の事件は人民広場の使用を吉田内閣が不法にも禁止したことから起こったもので事件の一切は吉田内閣が負うべきものである。今日の弾圧こそ破壊活動防止法案をすでに実行に移したもので、わが党は日本国民の自由の名において厳重に抗議する」旨の声明を発表した。
メーデー事件被告・家族と共産党との懇談会 1955年10月24日
十月二十四日夜メーデー事件被告、家族と共産党との懇談会が産別会館講堂で開かれた。日本共産党から第一書記の野坂参三のほか松本三益、長谷川浩が出席した。
懇談会は、その名に比してはかなり激しく、メーデー事件の評価に関する意見、疑問、共産党に対する批判、不満が交わされる場となった。党員被告を名指しで非難したり、被告同士で論争する場面も見られた。二、三の人から、敵の挑発というだけでは納得出来ない、あの日のメーデーに極左冒険主義の方針があったのではないか、という疑問が出た。野坂らはこう強調した。メーデーに対する党の方針とメーデー事件と呼ばれているものとは客観的に区別して評価すべきである。党が騒擾事件を計画、指導したことは断じてない。「人民広場へ行こう」というのは広範な人びとの当然の要求であった。問題は、これを全体的行動に組織するという観点に立つのでなく、一部の人たちの行動に頼ろうとしたところにあり、極左冒険主義の誤りの影響と言ってよい。権力はこの弱点を利用し、挑発・弾圧を加えた。人民広場へのデモの正当性とともに、警官隊の攻撃に抵抗した行動の正しさも消えるものではない。
日本共産党中央委員会『日本共産党の80年』 2003年1月20日
(メーデー事件に関する全文)……六全協後における唯一の公的な事件評価記述
この闘争のさなかの五二年五月、いわゆる「血のメーデー」事件がおこりました。占領軍と吉田内閣は、五〇年六月いらい、「人民広場」とよばれた会場(皇居前広場)をメーデーその他の集会に使用することを禁止していました。この日、中央メーデーに参加したデモ隊の一部が、この不法な措置に抗議しながら、「広場」に行進しました。警察当局は、デモ隊を「広場」内に誘導したうえで、数千の武装警官隊をもって攻撃し、警官隊のピストルなどで二人が殺害され、千人をこえる重軽傷者がでました。
(『日本共産党の65年、70年』の上記同一記述から削除した文) ……削除の理由は不明
この事件は、占領支配と単独講和にたいする大衆的な怒りと抗議の一つの反映であった。
〔真相6〕 増山太助『血のメーデー』、『都ビューローの広場突入反対討論・決定』
(注とコメント)、ここには、4つの資料を載せます。増山太助は、入党後、党中央文化オルグ・全国オルグを経て、関東地方委員、1950年初頭から東京都委員、「50年分裂」のときには、主流派内の東京都ビューロー幹部であったが、裏側で、武装闘争反対の活動を行なっていました。
第一、彼は、主流派に所属しつつも、当時の日本の情勢、労働運動の状況、国民の意識実態から、武装闘争を遂行することは誤りであると考え、ビューロー幹部5人を中心として、主流派非公然ビューロー内における非公然グループを作り、武装闘争実践を骨抜きにする面従腹背行動を組織し、展開していました。その組織・行動内容については、『武装闘争責任論の盲点』の「2派1グループの実態」で分析しました。
第二、武装闘争を行なった幹部たちについて、8人の人士群像を描きました。これは、HPに転載してあります。
第三、メーデー事件の概況を『血のメーデー』で描きました。これも、HPに転載しました。
第四、増山太助は、メーデー前日の東京都ビューロー会議にも出席して、人民広場突入作戦に猛反対しました。東京生え抜きのビューロー員も、全員が反対しました。激論の末、結局、他のビューロー員も含め、突入方針は否決され、人民広場使用不許可にたいする抗議だけにすることが全員一致で決定されました。その決定を裏切って、志田軍事委員長は、その深夜から5月1日早朝にかけ、規定方針どおり広場突入せよとの軍事委員会命令を徹底させたのです。当時の共産党組織は、4つに分かれていました。(1)北京機関と自由日本放送、(2)合法の臨時中央指導部(臨中)、(3)非合法の地下政治指導部ビューロー、(4)非合法の地下軍事委員会Yです。
非合法地下の都ビューロー会議で、広場突入軍事行動が否決されたのに、志田軍事委員長→非合法地下の東京都軍事委員会Yというルートで、広場突入軍事方針が決行されました。増山証言は、共産党が広場突入軍事行動を行なったことを証明する重要なデータの一つです。この資料は、増山太助『五〇年問題覚書(下の二)、―「柴又事件」の前後から「血のメーデー」へ―』(『運動史研究8』、三一書房、1981年、P.100~125)の内、「五」(P.120~125)を、一部中略して、ほぼ全文を転載したものです。このHPへの転載については、増山太助氏の了解をいただいてあります。
――――――――――――――――――――――――――――――
第一、『武装闘争責任論の盲点』2派1グループの実態=増山太助らの武装闘争反対グループ
第二、増山太助『日本共産党の軍事闘争』軍事闘争の先頭に立ち、指導した8人の群像
第三、増山太助『血のメーデー』メーデー事件の概況
第四、増山太助『都ビューローの広場突入反対討論・決定』
ところで、五二年という年は、年頭から荒れ模様の情勢となった。スターリンは、元旦のメッセージで、日本人民の総決起をうながし、臨中は、これにこたえる声明を発表して呼応した。一方、占領軍と日本の支配階級は、四月二八日に予定された、単独講和・安保両条約の発効と、それにともなう総司令部(GHQ)の廃止にそなえて、つぎつぎと積極的な手をうってきた。労働者階級は、年末闘争にひきつづき、“占領終決”という画期を前にして、いよいよ“不屈な面魂”をもって決起しはじめた。一月一六日、賃金共闘は、弾圧法規反対で、総評と統一行動をとることを決定し、一八日には、労働法規改悪反対闘争委員会が代表者会議をひらいて、当面する情勢の分析と戦術をねった。
ところがその三日後の二一日に、突如、北海道で白鳥警部射殺事件がおきた。そして、これが敵側に利用されて、いっそう弾圧体制が強化され、「新たな従属・支配体制」を強める契機となった。だが、労働者階級は前進しつづけ、二六日には、総評、労闘、官公労共催の弾圧法規反対労働者総決起集会がおこなわれ、三万人を結集した。吉田首相は、三一日に、警察予備隊を切りかえて、防衛隊をあらたに設置��るという、威嚇的な方針を言明。二月一三日には、安保条約に基づく日米合同委員会の設置が本決りとなった。そして、一五日から、日韓両国の正式会談が開始され、米・日・韓の防衛体制を強めながら、国内弾圧諸法規の整備に馬力をかけはじめたのであった。
一方、二〇日には、東大でいわゆるポポロ事件―ポポロ劇団発表会に私服警官が潜入―がおき、京大では第一次京大事件―小林多喜二祭に警官が潜入―が同時多発して、その摘発闘争・弾圧反対のたたかいが燃えあがった。さらに、翌二一日の反植民地闘争デーには、全国二六カ所で高揚した集会が決行され、激しいデモが敢行された。その結果、五七名もの検挙者を出したが、たたかいは持続する様相をしめした。なかでも、東京・南部の反植民地闘争デーの集会には、武器を持った労働者の集団が公然と姿をあらわし、一時、蒲田・椛谷地区を解放地区にした。政府は、二八日に、日米行政協定に調印、日米合同委員会を発足させた。二月末日現在、『アカハタ』弾圧以来の後継紙で発禁処分になった紙種が八一八に達した。まさに、彼我の攻防は目にみえてつばぜり合いの形になってきたのであった。
こうした状況のなかで、二月以降、五全協の「軍事方針」がつぎつぎと具体化され、下部に浸透していった。その代表的なものは、「中核自衛隊の組織と戦術」「軍事行動の前進のために」であり、「組織と戦術」のなかでは、「武力革命」の段階を三つに分け、第一段階では、軍事委員会の指導下に中核自衛隊を組織し、大衆闘争に武装行動の必要性を認めさせつつ、これを革命的闘争へひきあげていくこと。第二段階では、中核自衛隊の指導下に、広範な大衆を抵抗自衛組織に組織していくこと。第三段階では、大衆闘争を国民的規模にまで拡大し、抵抗自衛組織を人民軍に発展させ、武力革命に突入する、という構想をあきらかにしていた。そのために、『栄養分析表』で、(一)時限爆弾、(二)ラムネ弾、(三)火焔手榴弾、(四)タイヤパンク器、(五)速燃紙(硝化紙)などの構造や製法が、軍事委員会の単線指導で下部に流されていった。
前述したように、“単独”講和、「独立」ということは、軍事占領下にあって制約されていた政治的自由を、一定のカッコつきではあるが「国民のもの」にしなければならない、ということであるから、それ以前に、占領軍と日本政府は、革命勢力とその組織を出来るだけ弱体化させておかなければならない。そして、総司令部廃止後、かれらがいっきょに政治的進出をはかれないようにしておかなければならない。だから、この時期におこなわれた一連の弾圧措置は、朝鮮戦争前夜の軍事的予防措置とはことなり、「独立」を保持するための政治的予防措置であったわけだ。したがって、この措置のあとには、当然、党の合法的活動の拡大が予想されていたにもかかわらず、党中央は、むしろ、これを逆にみて、「サンフランシスコ体制と安保条約」による「占領制度の永久化・制度化」に「軍事行動」を対置して、突破しようとしたのであった。
三月に入ると、たたかいはにわかに激動した。一日、総評、労闘主催の弾圧法粉砕総決起大会が開催され、これには一〇万人の労働者が結集、全国的には延一千万人以上の労働者が、事実上ストライキをうって参加した。そして、わが国最大の政治的示威行動を展開した。これにたいし、政府は、二七日に、「治安維持法」の復活といわれた、破壊活動防止法案要綱を発表して対決し、また、これを撃って、翌二八日と三一日の両日、総評、労闘合同拡大戦術委員会が、破防法反対に、断固、ゼネストをもってたたかう方針を決定した。
こうした攻防のなかで、党の「軍事行動」は、いよいよ発動しはじめたのであった。関東地方では、神奈川県委員会が先頭を切り、三月一九日の未明、横浜の進駐軍物資集積所へ火焔ビンが投げ込まれ、二九日の夜八時には、吉河特審局長宅へ火焔ビン投入の襲撃がかけられた。これにたいし、国警は、二八日に、後継紙『平和と独立』の印刷所、配布所など、全国で一、八五〇カ所を捜査。二九日には、三多摩の山村工作隊にはじめて手入れがおこなわれた。これに反発して、三一日には、川崎の米軍資材置場、横浜市の「エリア・2」とよばれる進駐軍住宅付近に時限爆弾をしかける攻撃がおこなわれた。また、同日、総評、労闘は拡大戦術会議をひらき、破防法反対のゼネスト第一波を四月一二日、二波を一八日に決定して、対決の決意を表明した。
私は、この時期、宣伝・教育部門を担当していたが、破防法反対の宣伝活動に全力をあげ、このたたかいを広範な大衆自身のものにするために努力した。(中略)
しかし、四月から五月へかけて、私たちは、ビュー・ロー・キャップの枡井トメを中心に、連日、たたかいの指導に没頭していた。そして、四月一二日の破防法反対の第一波ゼネストには、三〇万人の労働者を結集、破防法案が国会に上程された翌日、一八日の第二波には、政府の恫喝をけって、一一〇万人がゼネストに参加するという、成果をおさめた。また同日、これに同調する都学連一五〇〇人の国会請願デモが組織され、全学連は二八日に破防法反対のストを決行した。いうまでもなく、この日、一九五二年四月二八日は、対日平和・安保両条約が発効した日であり、第二次世界大戦に敗北した日本が、七年間の占領から、沖縄を残して、一応とき放たれた日であった。だが、私たちは依然として潜行をつづけ、この二八日の前後には、メーデーの開催方法をめぐって、都ビューロー内部で深刻な討議をくり返していた。
五二年の中央メーデーは、前年同様分裂メーデーになったが、それだけではなく、会場も皇居前広場の使用が許可されず、結局、神宮外苑に押し込められてしまったことが、破防法反対闘争の高揚のなかで、戦闘的な労働者の憤激をよびおこした。そして、その怒りは、占領時代における軍事的・植民地的支配にたいする反抗のあらわれでもあり、同時に、日本が一応「独立国」になって、占領法規が効力を失った途端に、占領軍を肩代りして前面におどり出た、国家権力の暴力装置にたいする反抗でもあった。それだけではなく、その底流には、反革命戦争としての朝鮮戦争にたいするうっ積した怒り、とくに在日朝鮮人組織の抜きがたい不信と激怒があった。
中央メーデー準備委員会周辺の討論を反映して、都ビューローが討議をくり返した問題点は、戦後“革命期”に、“人民広場”と呼称されて、たたかう労働者・人民の“意志の確認”“決起”の場所となっていた皇居前広場を、「独立」を機に、実力で「奪還すべきだ」という意見にたいする賛否をめぐる問題であった。当初、キャップの枡井は、「占領下の制約はなくなった」「其のメーデーは人民広場で」の主張であり、組織部を担当していた浜武司や、労対の益子正教らもこれに同調していた。しかし、東京はえ抜きの他のビューロー・メンバーのほとんどが、これに反対する立場をとった。私は、メーデーの主力部隊である総評の意向を尊重すべきだと考えていたし、なかでも、「平和四原則」を守り、総評を“ニワトリからアヒル”に変えるために奮闘していた高野実ら左派の立場を強めることが、「独立」後の彼我の状況を有利に展開するポイントであると確信していたから、共産党が系列下の組合や全学連をつかって、「人民広場」に固執し、実力で“奪還”することには反対であった。これにたいし、枡井らは、「少なくとも、共産党の部隊は人民広場に入り、使用させなかったことの不当性を抗議すべきではないか」と主張しつづけた。
しかし、真剣な討論の末、しかもメーデーの前日に終日の討議をおこなった結果、全員の意見が完全に一致し、「人民広場には入らないこと」、「中央コースのデモ隊は、広場側を通過の際、シュプレッヒコールで人民広場使用不許可の不当性を訴えて、抗議の意思表示をおこなうこと」、「人民広場突入を強く主張する自労や学生部隊などをデモ隊の先頭に立たせず、後部に回し、市民を先頭に立てて、予想される敵の挑発から大衆を守るために、金属労働者や官公労の労働者たちによる統制を強めること」などを決定した。私たちは、この決定を生み出してホッとした。そして、「独立」後第一回のメーデーが、労働者、人民の血気さかんなメーデーになることを期待したのであった。
私は、メーデーの当日、会場にいけない無念さを晴らすために、メーデー終了後、妻と娘たちに会い、せめて家族水入らずの祝盃をあげる予定を組み、その連絡をとった。そして、その文面のなかに、「人民広場へは入らないことになった。僕の分もふくめて、先頭に立って堂々と行進して下さい」と書いた。ところが、周知のように、メーデーはいわゆる「軍事行動」を展開して、“血のメーデー”になった。先頭に立っていた妻と娘は、祝田橋よりはるか手前で警官に襲われ、妻は頭部を殴打されて三針ぬう重傷、娘は腰部を打たれて大きなアザをつくった。二人は通りがかりのひとに助けられ、傷の手当をして、私の友人の家に逃げ込み、かくまわれた。私がこのことを知ったのは、夕飯を食べないで待っていた夕刻近くであったが、私は、思いもよらない“血のメーデー”に驚き、家族がそれにまき込まれたことに愕然とした。同時に、「ついに、東京都委員会の決定は守られなかったのか」と残念に思い、ともかく現場近くまでいって情報をつかもうとした。そして、私が友人の家に駆けつけたときには、まだ、その周辺にも、この日の昂奮が無気味な余韻を残していた。みると、友人宅の戸棚のなかにかくれていた妻の顔は青ざめ、娘はおびえてふるえていた。私は二人を見守りながら、まんじりともせずに一夜を過したが、ひさしぶりに会う妻と娘に、こういう状態で会おうとは夢にも思わなかった。やたらと涙があふれ出て、複雑な怒りが全身に充満し、どうすることもできない感情にさいなまれつづけた。
翌日、東京都委員会は緊急ビューロー会議をひらき、善後策を協議した。まだ、現場の情報が十分収集できなかったが、何人かのビューロー員は、「あれほど慎重に討議して決めたのに……。なぜ、東京の党組織はああいう行動に出たのだろう」「これは、Yのひとり歩きではないか」と、Yを兼任していた枡井に、「おばさんだけは知っていたのではないか」と質問するひともいた。しかし、枡井も「知らなかった」といい、「ともかく、こうなったからには……、不当弾圧抗議の声明を出そう」ということになり、枡井が執筆することになった。その内容は、メーデーの日から放送を開始した、北京からの「自由日本放送」と趣旨が一致していたので、後日、枡井は得意気であった。この放送原稿は、NHKをレッド・パージになり、中国へ渡って「自由日本放送」の仕事にたずさわっていた藤井冠次の証言(『伊藤律と北京・徳田機関』)によると、伊藤律が書いたということであるから、枡井と伊藤律の評価は、だいたい一致していたことになる。
また、六全協後の東京都委員会の総括のなかで、私は、“血のメーデー”における「軍事行動」の責任を追及したが、そこであきらかになったことは、前日ひらかれた東京都委員会のビューロー会議終了後、浜武司が中央へよびつけられ、「人民広場へ突入せよ」と指示されたという。これを伝えたのは、志田の命をうけた沼田秀郷であることも、本人の証言によってあきらかになった。浜は、夜を徹して各地区を歩き、「中核自衛隊」の動員手配をおこない、「全く自分の責任で、当日の行動を組織した」と証言していた。
だから、私の推測では、中島誠が書いているような(『流動』一九七八年一一月号)「メーデーをきっかけに、『人民広場』を奪い返し、日本の首都のどまん中に一種の革命的状況をつくり出そうと計画し、動員を組織し、広場へのなだれ込みの順序、入り口の分担、隊列の組み方、そしてそこでの『戦闘』のやり方に至るまで何日も前から綿密に計画を練り、練習をも積み、『人民広場』での革命的状況をさらにどのようなものに展開してゆくかまで展望していた」というようなものではなかったと思う。もし、中央軍事委員会にそのような机上プランがあったとしても、“血のメーデー”は、党の「中核自衛隊」と党員を主力としてたたかわれたもので、大衆の蜂起を党が下から支えて、組織したものではなかった。だから、「革命的状況」を「展開」し、「展望」をきりひらくことは、全く不可能なことであった。
ついでに付記しておくと、この総括会議をおこなっていたときには、志田の「お竹事件」はまだ“闇”のかなたにあり、志田と官本顕治はアベックで全国の党大会に出席していた。したがって、この“協力体制”をくずさないために、「志田の政治的責任は追及すべきではない」というのが、反“主流派”のひとたちの共通した意見であった。つまり、このときには“分裂した一翼”の“極左冒険主義”について、“国際派”のひとたちも“関わらない”のではなく、“不問に付する”態度であった。
(中略) 血のメーデーにつづく「五・三〇事件」記念日の岩の坂、新宿、大阪吹田などの交番襲撃事件―火焔ビン闘争が多発して、ようやく盛りあがった大衆的な労働運動―破防法反対闘争に水をさす結果をもたらした。すなわち、破防法反対闘争の中心部隊を形成していた社会党や総評左派を動揺させ、右派単産幹部を狼狽させて、多数の部隊を脱落させた。(中略) こうして破防法は、七月四日の衆議院において可決成立し、二一日に公布され、同時に公安調査庁も発足したのであった。
〔真相7〕 石田雄『「戦争責任論の盲点」の一背景』
丸山眞男のメーデー事件に関する日本共産党批判
(注とコメント)、これも、HPに転載してあります。石田雄現東大名誉教授は、メーデー事件当日、東大職組の一員として、人民広場に入りました。警察は、東大職組の2人を逮捕しました。丸山眞男は、広場にいませんでしたが、東大法学部教授会として、その対応にあたりました。日本共産党宮本顕治は、丸山眞男の『戦争責任論の盲点』にたいして、異様なほどの丸山批判キャンペーンを13回も展開しました。宮本顕治は、それによって、その丸山論文だけでなく、共産党批判をする丸山眞男の全学問業績の否定とその社会的抹殺を謀ったというのが、私(宮地)の判断です。共産党の丸山批判キャンペーンの実態と本質については、2つのファイルで分析してあります。
石田雄論文は、丸山眞男論文の一背景に、メーデー事件に関する日本共産党批判があったとする証言です。
――――――――――――――――――――――――――――――
石田雄『「戦争責任論の盲点」の一背景』
『共産党の丸山批判・経過資料』13回の丸山批判キャンペーン
『志位報告と丸山批判詭弁術』1930年代のコミンテルンと日本支部
以上 健一MENUに戻る
(関連ファイル)
『「武装闘争責任論」の盲点』2派1グループの実態と性格、六全協人事の謎
『宮本顕治の五全協前、スターリンへの“屈服”』7資料と解説
滝沢林三『メーデー事件における早稲田大学部隊の表と裏』
THE KOREAN WAR『朝鮮戦争における占領経緯地図』
石堂清倫『コミンフォルム批判・再考』スターリン、中国との関係
れんだいこ『日本共産党戦後党史の研究』 『51年当時』 『52年当時』 『55年当時』
吉田四郎『50年分裂から六全協まで』主流派幹部に聞く
藤井冠次『北京機関と自由日本放送』人民艦隊の記述も
大窪敏三『占領下の共産党軍事委員長』地下軍事組織“Y”
由井誓 『“「五一年綱領」と極左冒険主義”のひとこま』山村工作隊活動他
脇田憲一『私の山村工作隊体験』中央軍事委員会直属「独立遊撃隊関西第一支隊」
増山太助『戦後期左翼人士群像』「日本共産党の軍事闘争」
中野徹三『現代史への一証言』「流されて蜀の国へ」を紹介する
(添付)川口孝夫著書「流されて蜀の国へ」・終章「私と白鳥事件」
八百川孝共産党区会議員『夢・共産主義』「50年問題」No.21~24
1 note
·
View note
Text
あ、明けてる
2020年もあと少しで終わりですね。振り返ればこの1年、年代問わず本当に色々な人と出会い、話し、自らの視野や価値観を広げることに徹した年だったように思います。
何もせず、何なら役者紹介も書かず、このまま終わってしまうのもどうなんだともう1人の私が言っているものですから書きますね。書き終わるかな(笑)
30期の皆さんありがとうございました!(以下敬称略)
渡邉あみ
私の初めての舞台であったオムニバス公演で共演した方。この頃、稽古場に全然現れず特に話をするわけでもない私を気遣ってか、良く声を掛けて下さいました。ただ、口下手な私はその気遣いへの対応の仕方を掴めず只々微笑むしかなく、そして時間は過ぎていきました。心を閉ざしてしまった訳ではなく、キャッチボールが下手だっただけです。
スタッフ関係で、全休の日にわざわざ時間を割いて下さったことは今でも感謝しています。お世話になりました!
樹木ききっ…♡
役者として共演することはありませんでしたが、照明班で大変お世話になりました。
ききさんといえば、与えられた役はもちろん、自分と関わりのある役についてもその特徴を考え抜き、どうすれば観客の印象に残すことができるかについて真剣に考えているというイメージを持っています。何故なら彼女が演じる役や脚本はどれを採っても面白く、皆が楽しそうだから。ききさんはお笑いや大阪が好きな方なのかなと思うこともしばしば。人の心に寄り添い痛みが分かるその人��は、本当に尊敬します。これからも頑張ってください!
lulu
彼女は陰ながらちゃうか民を愛し見守っているという印象を私は常に持っている。
ちゃうかに入りたての頃、発声や立ち回りが出来ていない私に度々アドバイスして下さいました。良い意味でオブラートに包まないluluさんの言葉には本心がよく表れており、会話の中だけでなく間接的にでも聞こえてきた時には非常に参考になり有難かったです。なんか、本当に相手のことを考えているからこその台詞なんですよね。周りはびくびくしてましたけど(笑)ご指摘通り、自分でも最近笑えてないなぁとは薄々感じていましたね。まあ、そのうち気付いたら笑っていると思います。
これからも夢を叶えられるように頑張ってください!応援しています。
小澤祐貴
この方は役者だけでなく人としても素晴らしい方だと思います。
私が初めてオッズさんの演技を観たのは2019年の新歓公演でした。「ヒエッ」のひと台詞で笑いを巻き起こし、他の公演においては台詞無くして笑いを取り、彼にしか出せない味を毎公演出している姿は純粋に凄いなと感じました。彼の純粋無垢で優しい人柄は、どこか安心感のある雰囲気を生み出していたように思います。ありがとうございました!
岸田月穂
直近でお見かけしたのはzoom読み合わせ以来ですが、私がちゃうかに入った頃には度々お話させて頂きました。学部が同じなので、留学やその他気になる事をバシバシ質問した気がするのですが、いつでも笑顔で丁寧に対応してくださり嬉しかったです。他の劇団の公演に参加されていたり、留学もされたりと活動の幅が広く、凄いなぁと思います。
これからもその素敵な笑顔でご活躍下さい!応援しています。
東崎望
お名前だけは存じ上げておりました。いつかお会いしてみたいなと思っていたので、12月公演の際お見かけすることができ、少し感激しました。
ゲネ以降よく客席に座っていらした時に、アンさんからの物凄い視線を感じることが多々あったのですがあれは気のせいでしょうか...?
ま、それはともかく、看護学を専攻されており、お忙しいそうですがこれからもお時間あれば公演観に来てくださいね!
木下梨実
きりみさんに可愛い可愛いと言われていた時代が懐かしく感じます。
1年経ちすっかり可愛げも無くなってしまった私ですが、ちゃうかにおいて、照明や宣美、ちゃかさんと、きりみさんとは関わる機会が多かったように思います。外公の帰り道にお話ししながら帰ったことは今でも良く覚えています。どの役を演じる際も観客の印象に残る演技をされており、発声や動き方はとても参考になりました。
お世話になり、本当にありがとうございました!
大不自然 賃夫
多分、秋公演の時に触れるべきだったんですよね、これ。ただちょっとタイミングを逃してしまったので今敢えて突っ込んどきますが、面白い芸名ですね。おはようさぎが現れたかと思ったら今度は賃夫さんが。やっぱりちゃうかって面白いですね。(ただこの名前で呼ばれることに困惑しているとも聞いたのでいらん事言ってたらすみません)
私はオムニバス公演の際、この方の脚本に出た。理由は新歓公演を観た時、古家さんの演技が余りに上手く、関わってみたいなと思ったから。オムニの期間を通じて、彼は異常なほどに人をよく観察しその表情や仕草から性格を見抜いているように感じた。それがあの演技力に繋がっていると感じたし、同時にどこでその洞察力を身に付けたんだろうとも思った。他の人が私の演技を自然な演技だと褒める一方で、彼は私に、経験から感情を持ってくるのがうまいと言い、また急に怒る演技をした際には何で急に切れるんだろうと言っており、全てを見抜かれているような心地になった。まあ、それは今も変わらないが。
きあらには好きなことをして欲しいと度々彼には言われたが、正直あの時自分は好きなことを出来ていると感じておらず、あの言葉を反芻する自分がいたからこそ、今年色々な場所を訪れ今まで出会ったことの無かった人達と対話し経験を積み、今好きなことを出来ていると自覚できているのかなと思う。あの言葉が原点になっているように感じる。
共演は叶いませんでしたが、古家さんの演じている姿をまた観られることを楽しみにしています。本当にありがとうございました!
髙木悠
「デーブデブデブデブデブ~」の印象が余りに強すぎて、ばたけさんといえばあの役というイコール関係が頭の中で成立してしまいました。
彼とはこれまで話すことは正直多くなく、関わる機会もほとんど無かった為、一傍観者として観察していることが多かったのだけれど、12月公演を通じて少し距離が縮まったように私は感じています。心根が優しい一方で、意外とさみしがり屋なのかもしれない(笑)ばたけさんの演技は、ばたけさんにしか出せない物が良く出ていたと思います。お疲れ様でした!
備前桃子
みこさんとはオムニバス公演の際、よくお話しした記憶があります。私が初めて土曜日にかさね裏の稽古場に行った際、誰もおらず困惑していた時、声を掛けて下さいましたね。
あの頃私は眼鏡をかけていたので、「同じ眼鏡どうし、親近感沸くね~」と言いながら、気さくに話しかけ色々とお気遣い頂き、嬉しかったです。
これからのご活躍をお祈りしています。ありがとうございました!
GEO
彼は本当に明朗な性格で、一度決めたら突き進むタイプの人だという印象を持つ。
ブラック企業とか落ち着きがどうのとか、しばしば耳にするが、寧ろだからこそあの演技ができるし、慕われているのだと私は感じる。彼も私がちゃうかに入りたての頃、よく演技についてコメントして下さった。オムニの通しの時に上手くいかず口数少なかった私に声を掛けて下さったこともよく覚えている。
合宿のバスの中ではお互いの留学経験を語り合い、楽しかったですね。またお話しできると嬉しいです。ありがとうございました!
LUCE
お名前も大集にいらっしゃることも把握していましたが、結局一度きりの「こんにちは」の会話だけで終わってしまいましたね。え、ちなみに私の存在は把握されていましたか。あ、存じ上げて頂けていたようで安心しました。
音響オペに携わっておられたそうで、直接的な関わりは無かったものの、間接的にはお世話になっていたと思います。またちゃうかにいらしてくださいね。
三葛麻衣
オムニの際に演補としてお世話になっただけでなく、外公の際にも共演させて頂いた。
前にも書きましたが、本当に真面目で一生懸命な方で、自主練されている姿は見習うべきだと感じていました。面倒見が良いのは兄妹構成も関係しているのかもしれませんが、12月公演で演じられているのを舞台袖から観ている際、きららさんの純粋で正直で、自分を犠牲にしてでも人に何かをしてあげたい、人を信じたいと思う性格が演技に素直に現れていて、なんだかほっこりしました。私はそういう考えは当の昔に捨ててきてしまったので、羨ましくはあるのですが、時々見かける表情に少し心配になる事もあります。多分性格が相まってか色々と傷ついたこともあるのではないかなと。私は色々経験を通して「何事も程々が一番いい」ということに数年前に気付いてしまったので、程々の意味をはき違えてテキトー人間になりつつありますが笑、きららさんはその心優しい性格を失わないで欲しいなと思います。私のファンなのかもしれないと言って下さり、凄く嬉しかったです。1人でも応援して下さる方がいると思うと頑張れます。本当にお世話になりました。ありがとうございました!
渡部快平
寡黙な人なのかなと初めは思っていましたが、頭の中は常に動いている人だと今は感じています。ちゃかさんを通じて初めて話して、わかさんの性格や特徴を色々と発見でき面白かったです。ちゃうからしくない脚本と言われることも多々あったかと思いますが、私はわかさんの作りこまれた脚本、結構好きでしたよ。合宿の時、脚本を書くために何冊も本を読んでいて、何よりも世界観が良いなと思います。期待に沿えなかった部分もありますが、色々とお世話になりました。ありがとうございました!
え
えあさんとは照明作業の時に何度か会話したことがありましたね。謙虚すぎるのではないかと思うくらい常に謙虚で、えあさんの「いいと思います~」をよく耳にした気がします。
回し読みやキャラ読みの際、読み方や声の高さ、抑揚の付け方が本当に上手な方だと感じました。またお会いできることを楽しみにしています。
小林秋人
ハベさんの演技を初めて観たのはこれまた2019年の新歓公演でした。ものすごく大胆にズッコケてはけた役者さんがいらっしゃり、うわ、演技上手だなと思ったのですが、次場面で出てきた2人の表情を見て、あ笑、と悟りました。ご無事でよかったです。
ハベさんとはBSやGSの話で盛り上がりましたね。その話を先に聞いていたので、スタッフの作業時やその他指示を出していらっしゃる際の手際の良さには納得しました。前には出ず、縁の下の力持ちという立ち位置をとられていたのがいいなと感じました。
ありがとうございました!
年の瀬の梅田はどこもシャッター街と化し、���の通りも思いの外少ないものなのだなと感じれば、家の前のスーパーは40%引きや半額に群がる人で賑わっていた。私もその1人ではあるんだけれど。まあそれはさておき、皆さんは来年をどんな1年にしたいですか。
ではまた逢う日まで。
小宮山珠里
0 notes
Text
●●禅(ぜん) ★虚無僧(こむそう)
本文を入力してください
●●禅(ぜん) ★虚無僧(こむそう) 虚無僧 http://w01.tp1.jp/~sr10031313/images/yjimage-5.jpeg 今ここに生きて有る命の真実 この真実を禅では本来の自己という。 本来の自己を表わす業が座禅である。 が禅の心得だそうです。 日本曹洞宗の祖・道元は、ただひたすら坐ることに打ち込む 只管打座(しかんたざ)を唱えている。 タダ座って只管打座(しかんたざ) 「只管」は、ただひたすら。「打座」は、仏教で、座禅すること。 簡単なようで難しい。 昔聞いたのではヨガのように瞑想しなさいとは言わないようだ。 虚無僧が禅宗からの派生とは知らなかった。 子供の頃に深編み笠で回ってくる虚無僧は少し怖かった。 今ではほとんど見かけることもない。 少し形は違うけれども普通の編み笠でも良いようだ。 深編み笠で回って来るので あの編み笠の中の顔が下からのぞいても見ることは出来ない。 だから怖かったのかも知れない。 子供の頃見かけた虚無僧は正式の服装して腰に印籠を下げていたかな。 脇差しは無論していなかった。 遠い懐かしい風景が目に浮かぶ。 ★禅 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/禅 禅(ぜん)は大乗仏教の一派であり、南インド出身の達磨が 中国に入り教えを伝えて成立したとされている。 中国禅は唐から宋にかけて発展したが、明の時代に入ると衰退 していった。 日本に純粋な禅宗が伝えられたのは鎌倉時代であり、 室町時代に幕府の庇護の下で発展した。 明治維新以降は、日本の禅が世界に伝えられた。 日本禅宗24流 曹洞宗 3派 臨済宗 21派 ★虚無僧(こむそう)http://bit.ly/wbnKtX 禅宗の一派である普化宗の僧であり、剃髪しない半僧半俗の存在である。 普化宗は中国(唐)の普化を祖とし、日本には臨済宗の僧・心地覚心が中国に渡り、 普化の法系の張参に竹管吹簫の奥義を受け、張参の弟子「宝伏」ら 4人の居士を伴い、1254年(建長6年)に帰国し紀伊由良の興国寺に 普化庵を設けて住まわせたことに始まる。 「古くは、『こもそう(薦僧)』ということが多く、 もと坐臥用のこもを腰に巻いていたところからという。」 虚無僧の様相については、 「尺八を吹き喜捨を請いながら諸国を行脚修行した有髪の僧」 とされており、 「多く小袖に袈裟を掛け、深編笠をかぶり刀を帯した。」 虚無僧はじめは普通の編笠をかぶり、白衣を着ていたが、 江戸時代になって徳川幕府によって以下のように規定された。 托鉢の際には藍色または鼠色の無紋の服に、男帯をまえに結び、 腰に袋にいれた予備の尺八をつける。 首には袋を、背中には袈裟を掛け、頭には「天蓋」と呼ばれる深編笠をかぶる。 足には5枚重ねの草履を履き、手に尺八を持つ。 旅行時には藍色の綿服、脚袢、甲掛、わらじ履きとされた。 なお、よく時代劇で用いられる「明暗」と書かれた偈箱(げばこ)は、 明治末頃から見受けられるようになったもので、 虚無僧の姿を真似た門付芸人が用いたものである。 江戸時代には、天皇家の裏紋である円に五三の桐の紋が入っており、 「明暗」などと書かれてはいなかった。 江戸期においても偽の虚無僧が横行していたが、 偽虚無僧も皇室の裏門を用いていたようである。 ★曹洞宗の公式サイト http://bit.ly/Akqm83 ★臨済宗・黄檗宗の公式サイト http://bit.ly/zNTYq2 ★曹洞宗大本山永平寺 第78世貫主 宮崎奕保禅師 (道号・法諱) 栴崖奕保(せんがい えきほ). (禅師号) 黙照天心禅師. (もくしょうてんしんぜんじ). (生誕) 明治34年(1901)11月25日. 平成20年(2008)1月5日. (世壽). 108歳. https://youtu.be/SRezHZsNOI8 宮崎奕保禅師の禅のお話し 2018/04/02 ★これが永平寺だ!永平寺曹洞宗大本山永平寺 2011/10/31 https://youtu.be/PLE7Jta6k74 ★新日本風土記「永平寺」道は無窮なり悟りても猶行道すべし 2019/05/10 https://youtu.be/RgIdPQjUZNU 修行というのは何かのためにやるのではない、生活そのものが修行なのです。 ★Zen Dogen the Zen Master https://youtu.be/4T0QbAQXQV4?list=PL8447A93C7DCA0141 http://bit.ly/xJuE8h http://bit.ly/wAOnLq シナ語?英語字幕 http://bit.ly/z7L2Mq http://bit.ly/x7n4HI http://bit.ly/xzWb5k http://bit.ly/ys5HMV http://bit.ly/zL8KzG http://bit.ly/ytDjpH http://bit.ly/y5OVN5 ★財団法人禅文化研究所 http://www.zenbunka.or.jp/ ★人 間 禅 道 場 http://bit.ly/z5mtOX 明治の初頭に山岡鉄舟、中江兆民らの先覚者が、当時鎌倉円覚寺管長の今北洪川禅師(白隠禅師より8世)を拝請し、社会人のための禅会として人間禅教団(旧名両忘協会)は創設されました。 ★大安禅寺 http://www.zazen.or.jp/ 福井県は松平家ゆかりのある、花しょうぶの美しいお寺です。 ★禅文化歴史博物館 | 駒澤大学 https://www.komazawa-u.ac.jp/facilities/museum/ 禅文化歴史博物館情報/開館時間. 駒澤大学 禅文化歴史博物館 (駒沢キャンパス内) 〒154‐8525 東京都世田谷区駒沢1-23-1 入館無料平日 10:00~16:30(最終入館16:15まで). お問い合わせ先駒澤大学禅文化歴史博物館事務室. TEL:03-3418-9610 ★坐禅 - Wikipedia http://bit.ly/x1D7Hp 日本曹洞宗の祖・道元は、ただひたすら坐ることに打ち込む只管打座(しかんたざ)を唱えている。 ★坐禅のやり方(初心者) - 禅-Zen http://zen.halfmoon.jp/zazenn.html 坐禅 やり方、基礎知識. はじめに 坐禅に関しては、最初は何やらとっつきにくいものではないかなあと思います。 個人で自宅でもできるものだとは思いますが、最初はお近くの座禅会などで、 正しい坐禅をご教授していただくのがよいかと思います。 また、一人ではなかなか時間に流されてしまいがちになってしまいますが、 座禅会などはまわりの方々もいらっしゃるので、集中度がちがって くるような気がします。 ただいきなり座禅会などで、初めてのことが多いと、頭がこんがらがって しまうかもしれないと思い、初めてこれから坐禅に挑戦したい・興味がある という方向けとして、坐禅の簡単な組み方の説明を載せてみます。 (世の中にはいろいろととても素晴らしい坐禅の方法の説明サイトや書籍があると思います。本サイトでうまく伝わらないかもしれません。ご不明点とうありましたら別サイトや書籍をお調べになる、座禅会で直接ご指導を受けてみるなどの方法もあります。) ★自宅で座禅、呼吸整える http://bit.ly/wN7tUC 背筋を伸ばし下腹に力 邪念を払い心穏やか 座禅にはともすれば厳しい修行のイメージがつきまというが、寺院が主催する座禅会では若い女性の姿も目立つようになってきた。「気分が引き締まった」との感想に加え、「美容と健康にもいい」といった声も。とかくストレスのかかる現代社会。自宅での日常生活にも、座禅のエッセンスを取り入れてみよう。 ★座禅の仕方 http://bit.ly/wU0CQw 禅とは「禅那」と言いサンスクリット語のdhyanaの音訳で、静慮とか思惟とか 思量するという意味があり、古代インド仏教から伝わる瞑想法です。 座禅は安楽の法門とさえ言われるように、その座法はおしゃか さまのお悟りの姿に見るごとく身体の最も安定した形です。 その座禅とは、静座(せいざ)をして座禅の三要素である 調身・調息・調心による身体を調え、呼吸を調え、心を調えることによって 精神の統一から本来的に備わる真実の自己(仏性)の自覚にあります。 その過程における精神医療的効果や禅定における集中力や不動心や忍耐力の 養成の効用面が広く知られ、企業研修などに活かされています。
・ぜんな 【禅那】 〔梵 dhyāna〕 禅。禅定。 ・せい りょ【静慮】 ( 名 ) スル 心を落ち着けて静かにおもいをめぐらすこと。 ・しい【思惟】 ( 名 ) スル ① 考えること。思考。しゆい。 「其しいする所甚だ卑下にして/明六雑誌 19」 ② 〘仏〙 「しゆい(思惟)」に同じ。 ③ 〘哲〙 「思考(しこう)② 」に同じ。 ・しりょう【思量】 ・しれう 【思料】 ( 名 ) スル いろいろと考えること。おもんぱかること。思慮。 「客人ならんと思量せしかば小腰を屈めて前掛けに手を拭ひ/新粧之佳人 南翠」
★はじめての座禅指導.WMV 2011/01/24 https://youtu.be/sUOJaJh-tIw 平成23年1月22日 座禅講座 ★尺八・虚無僧 http://bit.ly/zk5LXg 虚無僧は普化宗の徒で、出家者として全国を行脚していました。 しかし、お坊さんのように剃髪していたわけではなくまた、お坊さんでもなく 、 徒として所属していたようです。 そして、基本的には武士(浪人)が虚無僧に なれる条件でした。 だから、適当な仕官口が見つかると、再び還俗したようです。 中には、黒沢琴古のように指南役として尺八を教えることを専門に、 江戸などで、一般のお弟子を取っていたようです。 と言っても、これは、庶民の音楽とは 無縁でした。 商業都市が形成され、一般大衆(といっても所謂、中流以上の人でしょうね。 ) の生活と時間に余裕が出来てくると、文化も多様化してきました。 それでも、尺八は庶民には高嶺の花だったのでしょう、と言うのも、 男伊達と 言えば尺八をカッコよく手にした歌舞伎絵が多くあるからです。 庶民の憧れのカッコだったんでしょうね。 いつも、かっこいい男は、少しやくざっぽくて、楽器の一つでも 粋に奏するものです。 しかし悲しいかな、多くの、真の芸術家はそんなにカッコ良くはありません。 いつも、生活の塗炭にもがき苦しんでいるようです。 ・還俗 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/還俗 還俗(げんぞく)とは、僧侶になった者が、戒律を堅持する僧侶であることを 捨て、在俗者・俗人に戻る事をいう。 「復飾」(ふくしょく)とも。 自らの意志で還俗する場合と、教団側から還俗させられる場合がある。 日本では、律令「僧尼令」における刑罰の一つでもあった。 武士・公家の家督や棟梁、氏長者といったものを相続していた当主が亡くなり、謀反防止のためなどの理由で出家していた子弟・縁者などが相続して家名を 存続させる目的のものもあるなど、背景はさまざまである。 また、宮門跡となって入寺得度(出家)した親王が再び皇親に戻り、 宮家を継承することもあった。 特に幕末維新期にはその数は増えていった。 ★虚無僧研究会 http://bit.ly/yRfoEp ★虚無僧(こむそう) [ 日本大百科全書(小学館) ] 尺八を吹きながら家々を回り、托鉢(たくはつ)を受ける僧。 薦(こも)僧、菰(こも)僧というのが本来の呼び名で、 諸国を行脚(あんぎゃ)して遊行(ゆぎょう)の生活を送り、 雨露をしのぐために菰を持ち歩いたからである。 ぼろを身にまとって物乞(ものご)いしたので、 暮露(ぼろ)とも梵論字(ぼろんじ)(梵論師)ともよばれた。 普化(ふけ)僧ともいう。 普化宗は禅宗の一派で、中国の唐代の普化和尚(おしょう)を始祖とし、 法燈(ほっとう)国師覚心(かくしん)が宋(そう)から日本に伝来したという。 覚心は紀伊国(和歌山県)に興国寺を開山し、宗旨も広まり多くの流派ができた。 虚無僧寺としては、 京都の明暗寺、 下総(しもうさ)小金(こがね) (千葉県松戸市)の一月寺(いちがつじ)、 武蔵(むさし)青梅(おうめ) (東京都青梅市)の鈴法寺(れいほうじ)などが著名であった。 普化宗では、心を虚(むな)しくして尺八を吹き、虚無吹断を禅の至境とした。 近世初期には武士以外の入宗(にっそう)を認めず、 また幕府も自由の旅を許すなどの特典を与えたが、 浪人や無頼の徒が身を隠す手段に利用し、乱暴をはたらくなどの弊害が続出した。 普化宗は1871年(明治4)に廃宗となり、88年に京都に明暗教会が設立されたが、 虚無僧は宗教から離れ、尺八修業の方便か物乞いの手段かになって影を潜めた。 僧とはいいながら半僧半俗で、 多くは有髪(うはつ)で、 天蓋(てんがい)と称する深編笠(ふかあみがさ)をかぶり、 着流しで、首から袈裟(けさ)と頭陀袋(ずだぶくろ)をかけた。 手甲(てっこう)・脚絆(きゃはん)なども着けた。 古くは草鞋(わらじ)を履いたが、江戸時代の中ごろから 高下駄(たかげた)を履くようになった。 出没自在、腕のたつこと、無頼性など、不思議な魅力をもつところから、 時代劇では善玉としても悪玉としても、しばしば脇役(わきやく)として登場する。 [ 執筆者:井之口章次 ] ★虚無僧で遊ぶ http://bit.ly/zJqy6i 目次 虚無僧で遊ぶ TRPGで虚無僧を使う 参考文献 ★虚無僧 - AIRnet http://www4.airnet.ne.jp/sakura/blocks_menu/conjyaku_04/komuso.html 【虚無僧】 虚無僧の歴史は古く,七百年以上前にさかのぼる。 法燈国師によって開かれた臨済宗法燈派「興国寺」(和歌山県由良町)は 虚無僧の本山として名高い。 東福寺(臨済宗)の心地覚心(1207~1298)が, 建長元年(1249)入宋,建長六年に弟子四人を連れて帰国, 紀州由良に興国寺を立てた。 興国寺の中に普化庵を建て弟子を住まわせたが,この流れの中から 京都白川に明暗寺が作られることになっていくのである。 禅宗が栄えて,禅宗の中の普化宗は紀伊,伊勢,志摩を中心に 末寺百四十三ヶ寺を数える関南第一禅林(箱根の関より南の 禅宗の寺の第一に数えられるという意味)と言われた。 「・・・大門から入ると二十三坊の坊舎が左右に建ち四十六坊もあった・・・」 と古い文献にあり,当時全国から多くの学僧が集まり”学問の府”の偉容を 誇っていたが,信長・秀吉に焼かれてこれらの堂塔はことごとく消失した。 ★【妙音】虚無僧の行進曲【手の内ご無用】 2010/06/04 https://youtu.be/RlybT_mfNNo 2010年6月、高岡市の国泰時総本山で行われた虚無僧による行進の風景です。 禅宗のお寺である国泰時総本山では外部の宿泊者の受け入れもしており、 また、リクエストをすれば、日帰りで座禅を組むことができます。 お寺の周りは竹の子の名産地で、竹の子料理店が軒を連ねており、 シーズンには行楽客で賑わいます。 ★honkyoku for sampled bassoon 法竹 https://youtu.be/FboLa83-AA0 ★本曲(本曲、「オリジナル曲」)は、屈従と呼ばれる日本の虚無僧が演奏する尺八またはほっちく音楽です。コムソウは、13世紀には早くも啓蒙と施しのために本曲を演奏しました。本曲とは、水前の練習です。この練習を始めたフケ派は19世紀に存在しなくなりましたが、今日では多くの本曲の口頭で書かれた血統が現在も続いていますが、音楽は現在コンサートやパフォーマンスの設定でよく練習されています。 ★竹音空間(ちくおんくうかん)|竹楽器製作者:遠藤健二|法竹(ほっちく) https://otomoribeat.wixsite.com/chikuon 竹音空間では、法竹(ほっちく)と呼ばれている素朴な尺八(地無し尺八、地無し管)を製作しております。 法竹は真竹で作ったシンプルな縦笛ですので、竹が持つ本来の音色が出ます。 尺八古典曲の音色は日本の豊かな自然の中で生まれました。 尺八古典曲の音色は日本の豊かな自然の中で生まれました。 尺八古典曲は音楽的でありながらも自然の様を 写し取ったような表現もあり音楽の枠にはおさまりきらない幅があります。 それは、もともと日本人が鳥や虫の声、自然の音を音楽と同じように親しみ聴いて来たから ではないでしょうか。素朴な竹から奏で出る竹音には、そんな日本の音楽の原点があると思います。 ★尺八癡人街頭表演(捨てられた町`)(悲情的城市) http://www.youtube.com/watch?v=4wwhSlV0ALk&feature=related ★虚無僧 法竹 虚鈴 Komuso Hocchiku KyoRei 2011/04/08 https://youtu.be/8LcG-n1_Zko by 関家悠也(Sekiya Yuya) ★尺八 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/尺八 尺八(しゃくはち)は、日本の木管楽器の一種である。 リードのないエアリード楽器に分類される。 中国の唐を起源とし、日本に伝来したが、その後空白期間を経て、鎌倉時代から 江戸時代頃に現在の形の祖形が成立した。 「尺八」の名で呼ばれてきた楽器は複数あり、狭義には現在使用されている 普化尺八(ふけしゃくはち)を指す。 現行の普化尺八は、伝説では9世紀ごろに唐の禅僧普化の弟子張伯が 虚鐸(きょたく、こたく)として発明し、1254年に心地覚心が日本に持ち帰り、 1400年ごろに虚無(楠木正勝)が広めたという伝承があるが、 史実として確実に遡れるのは17世紀までである。 名称は、標準の管長が一尺八寸(約54.5cm)であることに由来する。 語源に関する有力な説は、『旧唐書』列伝の「呂才伝」の記事によるもので、 7世紀はじめの唐の楽人である呂才が、筒音を十二律にあわせた縦笛を作った際、 中国の標準音の黄鐘(日本の十二律では壱越:西洋音階のD)の音を出すものが 一尺八寸であったためと伝えられている。 演奏者のあいだでは単に竹とも呼ばれる。 英語ではshakuhachiあるいは、Bamboo Fluteとも呼ばれる。 真竹の根元を使い、7個の竹の節を含むようにして作るものが一般的である。 上部の歌口に息を吹きつけて音を出す。 一般的に手孔は前面に4つ、背面に1つある。 尺八に似た楽器として、西洋のフルートや南米のケーナがある。 これらは、フィップル(ブロック)を持たないエアリード楽器である。 ★尺八について(歴史)|公益財団法人 都山流尺八楽会 http://www.tozanryu.com/introduction/shakuhachi/shakuhachi01/ 尺八ってどんな楽器? 尺八は真竹(まだけ)の根に近い部分を7節使うのが一般的です。 しかし近年は廉価な木製、プラスチック製の尺八もあります。 標準管の長さは一尺八寸(約54cm)で、一尺八寸管、略して八寸管とも 呼ばれています。半音(一律)刻みでいろいろな長さの尺八がありますが、 一尺八寸管以外によく使われるのは、一尺六寸管です。 尺八の長さと音程の関係は短いほど音が高く、長いほど低い音が出ます。 同じエアリード楽器に分類される楽器としては「リコーダー」「フルート」「オカリナ」などがあります。 ●尺八の歴史をさかのぼってみよう ・古代尺八(雅楽尺八)の伝来 ・一節切(ひとよぎり)尺八の普及 ・虚無僧の登場 「慷月調」作曲の前年、明治35年(1902)11月 奈良で撮影した虚無僧姿の流祖(右) http://www.tozanryu.com/introduction/shakuhachi/shakuhachi01/images/image05.jpg ・尺八ってこんな楽器です! http://www.tozanryu.com/introduction/summary/ 竹で作られた管楽器です。中国(唐時代)から伝来したものが始まりとされ、楽器の長さ(一尺八寸)がその名の由来とされています。他の楽器には無い奥深い音色を奏でることができます。 ・「都山流」は国内最大と言われる尺八の流派です 120年以上続く尺八の流派です。尺八には様々な流派があり、都山流は「流祖中尾都山」が明治29年(1896)に大阪にて創始しました。現在は京都に本拠を置き、若手からベテランまで多くの著名な演奏家を擁し、教授資格を持つ師匠は約4000名に及びます。平成28年(2016)に創立120年を迎えることができました。
0 notes
Text
NIGHTCALL(柴君)
▽
その日の君下はすこぶる機嫌が悪かった。
元々の鋭い目付きと無愛想な性格が相まって、だいぶ人相が良くない自覚はある。それ故に君下はクラスで浮いている存在だった。親しい友人もいなければ、用がない限り誰も彼に近づこうとしない。通常運転で既にこれだから、今日のように君下が青筋を何本も立てて座っていると、あからさまに教室の空気が何キロも重くなった。
ーー事の発端は前日の練習後に遡る。
すっかり日の落ちきった午後8時過ぎ。
その日鍵当番だった君下は倉庫に備品を片付け終えて、鍵を返しに体育教官室へと向かった。ノックをして「失礼します」と声をかけると、白く烟った教官室の奥から「君下、ちょっと」と顧問である中澤の声がした。グラウンドの脇にある小さなプレハブで、ほとんど体育教師たちの喫煙所と化しているそこは、普段ならば生徒が立ち入ることは許されていない。君下は初めて足を踏み入れる場所に少しドキドキしながら、「ッス」と小さく返して扉を閉めた。
「おう。どうだ、新しいポジションは」
ぎい、と椅子が鳴り、パーテーションの向こうに背伸びをした中澤の頭が見えた。いつ見てもとっ散らかった黒髪にいくらか白いものが混じり、疲労が滲み出ているようだった。
「まあ、ぼちぼちです」
「そうか」
二人の間でゆらゆらと紫煙が燻っている。中澤は咥え煙草のまま、無言で何か言いたげな目を向けていた。そうして暫くの沈黙が続くと、ようやく君下は腹の底で蟠っていた疑問を口にした。
「でもなんで、俺がフォワードなんすか」
数時間前、中澤は部活前の君下を呼び止めて、ポジション変更を告げていた。入学して以来ずっとトップ下を守ってきた君下に、センターフォワードに入れと言ったのだ。
このチームでプレイして半年は過ぎたが、君下には中澤の考えがいまいち分からないままだった。そもそも君下を聖蹟に引っ張ってきたのは他でもない中澤であったが、たかが中学生にエースナンバーをくれてやると約束したこともまた、腑に落ちないことだった。とはいえ当時の君下は、自分の力を過信していたきらいがあった。それに加え貰えるものはありがたく貰う主義なので(俗に言う貧乏性というやつだ)、返すつもりもなかったのだが。
「お前ならできると思ったからだ」
「はぁ」
「まあまだ初日だ。明日も同じ形でいくから、焦らずやってみろ」
中澤は深くヤニを吸うと、ゆっくりとした動きで目を伏せて灰を落とす。それからもう一度まっすぐ君下と向き合った。
「それと大柴のことなんだが」
その名前を耳にして、君下の顔がぴく、と引き攣った。なんとなく、こちらが話の本題なのだろうと思った。中澤もそれに気づいたようで、言葉を区切ると片眉を僅かに上げた。
「なんだ、なにか聞いていたか?」
「いや、なにも」
「そうか」
「で、何なんすか」
「一週間ほど休���そうだ」
「……は?」
君下はぽかんと口を開けながら、なるほど合点がいった。
君下がいきなりフォワードにコンバートされたのは、正規のフォワードである大柴が何かしらの理由でポジションを外れたから。大柴がいない理由などそんなことはどうでもいいが、問題はなぜパサーである君下がそこに入るのかということだ。
選手層の厚いこの学校にはフォワードをやるものはいくらでもいる。それに君下がトップ下を離れるのならば、ふたたび開いたその穴には一体誰が入るというのだろう。
君下の賢い頭脳は一瞬にしていくつもの疑問が浮かべたが、そのどれもが意味のないことのように思えた。中澤の光のない瞳がじっとこちらを伺っている。監督には何か考えがあるのかもしれなかった。
「……ポジション交代はその一週間だけっすよね」
「いや、それはわからん」
「おいおい、俺は嫌ですよフォワードなんて」
よりによって、あいつの代わりだなんて。
そう言い返すのも憚られた。そのぐらい、君下は大柴喜一という男が気に食わなかった。
蘇る中学都選抜時代の記憶。同じチームにいながら味方同士で競い合うようにボールを奪っていたあの頃。たしかに君下は、最初からパサーをしていたわけではない。むしろ今の大柴のように、自分で積極的にゴールを狙うようなプレイスタイルだった。頭も切れて自分で点を取れる。それ故に中学選抜でついたあだ名は「悪童」であり、おそらく中澤もそれを知っているのだろう。そうでなければこの指示には疑問点があまりに多い。
いつのまにか握った拳に汗をかいていた。君下が目の前の男を睨むように立っていると、煙草の火を消した手でぽん、と肩を叩かれる。力強いが、それでいてやさしい手つきだった。
「君下。賢いのは随分だが、そうあまり深く考えるな。俺はこのチームのありとあらゆる可能性を試したいだけだ」
「……」
「やるだけやってみろ。ただ、チームが今のままでは勝てる試合も勝てん。そのぐらい、ピッチに立っているお前なら分かってるだろ」
「ッ……クソが」
君下は昨日のことを思い出して、小さく舌打ちを零した。
結局何も言い返すことができなかった。中澤の突拍子も無い提案はともあれ、言っていることはあながち間違いではなかったからだ。
七月、夏のインターハイは予選決勝で敗退した。
一年生である君下にとって高校最初の大舞台だった。敗因はオフェンス陣が思うように点が取れなかったことと、チームの司令塔である君下との連携がほとんど機能しなかったことだった。
苦汁を舐めることは二度としたくなかった。あんな無様に敗けるのは御免だった。中学時代の大敗を教訓にしてきたつもりだったが、その結果がこれだった。
勝てない。
だから君下は的を絞るために、チームの頭脳であり心臓であるパサーに徹することにした。たとえ自分の得点を捨ててでも。
だがそれでも勝てなかったら、あの努力の日々には一体何の意味があるのだろう。
「おーい君下、寝てんの?」
唐突に声がして、背後から肩を叩かれ君下はハッとした。そこでようやく自分がぼんやりとしていたことに気がついた。
「うぉ、何だよ」
「何だよじゃねーよ、さっきから何回も呼んでるんだけど」
「悪い……」
君下に声をかけたのは鈴木だった。同じサッカー部の一年で、レギュラーではないがそこそこ上手い経験者。地味だが人好きする性格で、部内でも浮き気味の君下に気軽に声をかけてくるような男だった。
「どうした、寝れてないのか? すごい顔してるぞ」
「うるせぇこれは元からだ」
「それは否定しないけど、今日は特にひどいぜ。乾燥した日のグラウンドみたいな顔色してる」
「お前わりと失礼だな……」
あまりにもじっと見つめられるので、君下はなんだか気恥ずかしくなってきた。目を逸らして、「何でもねぇよ」と小さく呟くと、鈴木は紙パックの牛乳を啜りながら「ならいいけどさ」と、さして興味もなさそうに教室の入り口を見ている。
「君下がいつもに増してすげー顔してるから、みんな怖がってるぜ」
そう言われて、君下はようやく周りを見た。昼休みである今、自分の周りの席はおろか、君下の席からきっちり教室半分は人が居なかった。ドアの周辺に佇んでいる、不安げにこちらを見つめるクラスメイトの集団に気づいたところで、再び鈴木に視線を戻す。君下と鈴木を見つめるたくさんの目は、まるで檻の中にいる猛獣でも見ているかのような視線だった。
見た目で勘違いされやすいが、君下はいわゆる不良などではなかった。根はクソがつくほどの真面目であり、寧ろ学業に���ける成績は優秀で、入学以来ずっと学年一位をキープしている。それに加えて強豪サッカー部の特待生で奨学金を貰っている身であるから(君下の家は貧乏な父子家庭だった)、素行不良などどうしたってできるわけがなかった。
ただ大柴と居ると、腹の奥底から湧き上がる得体の知れない感情に左右されやすくなる。あのふざけた態度と面を見ているだけで、どうにも我慢が効かなくなってしまうのだ。
顔を合わせればどちらかがーーどちらかと言えば大柴からの方が多いがーー喧嘩を吹っかけて、その場で睨み合いや口論になる。悪ければ互いに手がでることもあるが、大抵の場合がその場に居合わせた誰かの仲裁で未遂に終わった。そう言うことがしばしば起こり、いつのまにか二人は犬猿の仲として学校中に認知されるようになったのだ。
▽
「あの赤アタマ、とうとうクビになったのか?」
「さぁ、知らね。ともかく1つ席が空いて良かったよな」
「ほんとそれ。ただでさえレギュラーなんて狭き門なのによ、一年が二人も居座っちゃあな」
「最初から先輩に席を譲れってんだよ」
「言えてる」
「つーか君下もだよ、なんであいつがフォワードなんだよ」
「あーあれ監督の指示だとよ。臼井が聞いたって」
「マジ? なんでよ」
「知らん」
「ついにケツでも開いたか?」
「ギャハハあり得る」
「おい! きったねぇなー、飛ばすなよ」
「だってよぉ、夏負けたの、明らかにあいつのせいだったろ?」
「な、流石の悪童もブルっちまったんじゃね?」
「あーあったな悪童とかいう大層なあだ名」
「ハッ、どこでもいいから使ってくれってか、一年坊が。調子に乗りがって」
大柴がいない部活はいつも通りだった。
入学早々レギュラー入りを果たした君下や大柴が、控えの上級生に陰口を叩かれているということはなんとなく想像がついた。今までだって何度も似たような経験をして、その度に結果で黙らせてきた君下だったが、こんなあからさまな陰口を偶然聞いてしまって、素直に気分がいいとは言えなかった。
大柴の不在についてミーティングで中澤は何も言わなかったし、それについてわざわざ聞き返す者もいなかった。君下が大柴の居たポジションにコンバートされた今、大柴はドロップアウトと考えるのが妥当だった。
君下は当然のようにフォワードの練習に混ぜられ、久しぶりにも感じるシュート練習に身を入れた。トップ下でもそれなりに蹴る機会には恵まれるが、聖蹟高校の得点数の8割以上は、伝統である三本の矢からなるフォワードの功績だった。総シュート数で考えても、圧倒的に場数が違う。
加えてフォワードは敵ディフェンダーとのぶつかり合いになることが多い。前線でボールを保持するための身体の強さは勿論のこと、それを振り切るだけの脚力と、飛んできたボールに合わせられるジャンプ力や背の高さも必要になる。
君下はそのどれもを持っていない。背や筋肉量といった先天的なフィジカル面も足りなければ、瞬発力だって左サイドの水樹に比べれば今ひとつだった。だから何も持たない君下が前線で勝負するためには、シュートの精度を上げる以外に道はない。
慣れない雰囲気での練習を終え、君下は日課にしている勉強もそこそこに眠り込んでしまった。一日中気が立っていたこともあり、無意識のうちに疲労が溜まっていたらしい。夢も見ないほどぐっすりと眠り、目が覚めたのは翌朝5時だった。
「……寝すぎたな」
ベッドの上で背伸びをして、ブランケットに包まったままカーテンの外を見る。秋の朝は遅い。空は夜を色濃く残したまま、まだ星がいくつか輝いていた。こんな時間に目が覚めたのはあの夏の試合ぶりだった。
だが起きるのには僅かに早い時間だった。自主参加の朝練には顔を出すつもりだが、それでもあと30分は眠れるだろう。君下はゆるく瞼を閉じて、再び睡魔がやってくることを祈った。
そうして暫くうとうととしていると、ブルッ、と枕元のスマホが振動した。震え続けるスマホに苛立ち、チッと短く舌打ちをしてもぞもぞと手繰り寄せる。
「あ?」
あれからまだ十分も経っていなかった。当然アラームも鳴っていない。ホーム画面に残っていたのは、メッセージアプリからの通知で「バカ喜一:不在着信」の文字。
「電話……あいつが?」
中学都選抜の付き合いで止むを得ず連絡先を交換した記憶はあるが、実際に番号を使ったことなど今まで一度もなかったはずだった。メッセージアプリって電話帳が勝手に登録されるのか? 寝ぼけた頭でそんなことを考えていると、手の中のスマホがもう一度震えだす。また「バカ喜一」からの着信だった。本当に本人なのか怪しいところだが、君下は出るかどうか迷った末、緑の通話マークに触れた。
「……おう」
『お、繋がった。そっち何時だ?』
「はあ?」
『だから、何時だって聞いてんだろ』
電話の相手はちゃんと大柴だった。だが言われた言葉の意図がよく分からない。もしかしてかけ間違いなのか? 偉そうな口調はいつも通りなのに、随分と久しぶりに声を聞いたような気がした。
「朝5時過ぎだが」
『ア? んな早く起きてるとか、ジジイかよ』
「んだとテメェ」
親切に教えてやった挙句に罵られ、カッと頭に血が上った君下は通話を切った。強制終了。二度とかけてくるんじゃねぇと思いながら、ブロックしようと思ったがどうにもやり方がわからなかった。覚えていたらあとで鈴木に聞こうと思った。
へんな電話のせいですっかり目が覚めてしまった。少し早いが支度をして、まだ空が暗いうちに家を出た。その後電話がかかってくることもなければ、人の疎らな電車に揺られてぼんやりとしていると、あれだけ嫌っていた大柴から着信があったことなどすっかりと忘れてしまった。いつのまにか日が昇っている。たくさん寝たからか、昨日よりは少しマシな気分だった。
「お、昨日より元気そうだな」
そう言われて君下が振り返ると、いつのまにか鈴木が後ろの席に座っていた。鈴木はいつものように牛乳パックのストローを噛みながら、片手であんぱんの袋を破っている。この男はたしか君下の隣のクラスだったはずだが、まるで最初から自分の席だと言わんばかりの態度で他人の席に腰掛け、口の端からパンくずをぼろぼろと零していた。
「食い方が汚ねぇ……」
「いやこれパッサパサなんだって。見ろよ、半分食ったのにまだあんこが出てこない」
「やめろ、食いかけを人に向けるな」
「絶対あんこ入ってないよな? チクショウ売店のおばちゃんに文句言ってくるわ」
ドッコイセ、ととても高校生に似合わない掛け声とともに、鈴木はのそりと立ち上がると大きく背伸びをした。くああ、と大きく口をあけて欠伸をする鈴木に向かい、「お前こそちゃんと寝てんのか?」と問いかけると、背伸びのせいではみ出したシャツをスラックスに押し込みながら「いやーホラゲ実況見てたら寝れなくなってさ」とケシの実のついた口でぼそぼそ呟いている。
「あ、」
唐突に声を上げた君下は、そういえばこの男に聞きたいことがあったはずだった。律儀にも椅子を元に戻した鈴木が「ん? なに?」と首を傾げていたが、やっぱり思い出すことができずに「いや、忘れたわ」とだけ返した。鈴木はしばらく不思議そうな顔をしていた。
「君下ってわりとおしゃべりだよな」
「別に、普通だろ」
「なんか色んな噂が立ってるからさ、てっきりヤバいやつかと思ってたけど。口が悪いしちょっと変だけど、思ったより親しみやすいっていうか」
「変って、どこが」
「そのインナーの信じられないほどのダサさとか」
「ハァ? 目ぇついてんのか格好良いだろうが」
「あとそのネックレス、田舎のチンピラみたい」
「お、お洒落だろ……」
「全然。てか普通に怖いからやめたほうがいいよ」
そんな感じでああだこうだと一通り文句をつけて、鈴木は去っていった。不思議な男だった。それでも嫌な気がしないのは、陰口を言う上級生たちとは違い、この男に一切の悪気が感じられないからだろうか。
▽
枕元で長い振動がして、君下は無意識のうちにスマホを手に取ったらしい。枕に顔を埋めたままそれを耳元へ当てると、ガザガザとしたノイズに混じり、男の低い声がする。
『おい、起きてるか』
「んーー……ぁんだよ、」
喋りながら、寝起きの君下は自分が誰と話しているのかわからなかった。頭が重い。昨夜は遅くまで予習をしたから、あまり寝たような気がしなかった。そんな君下の都合など知らない男は、『なんだよ、毎朝5時に起きてるんじゃないのか』と不貞腐れている。
『寝ぼけてんのか?』
「………………っるせーんだよタワケが」
ムニャムニャと呟いて、諦めたように薄っすらと目を開ける。ぼやけた視界が捉えたスマホの通話画面には「バカ喜一」の文字があった。ちょうど朝5時を過ぎたところで、昨日も似たような時間に電話があったこと���思い出した。
「テメェ……ふざけんのも大概にしろよ。こんな朝っぱらに電話してきやがって」
『るせぇな、俺だって暇じゃないんだよ』
「つーかお前、今どこに居んだ」
『イギリス』
「ハア? テメェのほうこそ寝ぼけてんのか?」
『昨日言っただろうが』
「聞いてねぇ。 つか、イギリスがどこか知ってんのかよ」
『当然だろ、馬鹿にするな』
「馬鹿だろうが」
『ブッ殺す』
そこでブチッと通話が切れた。大柴が切ったようだ。
「いや……何なんだよ」
君下はスマホを放り投げると目を瞑り、ごろりと仰向けになった。両腕を額の上に乗せて、はぁーっと長い溜息をついた。
……イギリスだと?
学校も練習も来ないやつが、なんで突然そんなところに居やがるんだ。テメェが練習に来ないせいで、俺はやりたくもないフォワードをさせられているというのに。
ブーッと再びバイブレーションが鳴った。また大柴からの着信だった。自分から切っておいて掛けてくるとは、奴は余程暇なのだろう。電話に出るか迷った君下は起き上がり、のろのろと部屋を出て小用を足しに行った。戻ってくるとまだスマホが健気に鳴っているので、仕方なく濡れた手で通話ボタンに触れる。
『遅い』
「うるせぇ俺はテメーと違って暇じゃねぇんだ」
『せっかく俺様が起こしてやったってのに』
「早すぎだ馬鹿が。そっちは……夜8時ってとこか」
『ああ、結構寒いぞ』
君下は通話開始5秒で電話に出たことを後悔した。どうやら大柴はモーニングコールのつもりで電話を掛けてきたらしい。余計なお世話だ。
だが本当にイギリスにいるのだな、と君下は思った。そもそも日本にいるのならば、大柴がこんな時間に起きているはずがない。
「つーか、なんで急にイギリスに?」
『従姉妹の結婚式だ。俺も練習があるし、最初は行く予定じゃなかったんだが無理矢理母さんが……まあ、いろいろあんだよ。家庭の事情ってやつだ』
「ハッ、金持ちも大変だな」
『そういうお前は、練習はどうだ?』
「あぁ……」
君下は黙ってしまった。あれだけ練習に不真面目だった大柴が、部活のことを気にかけているのが心底意外だった。だからこの男に本当のことを言うべきなのか、少しの間迷ってしまった。
俺が今、お前のポジションをやっていること。俺のいたポジションには、大して上手くもない三年が入っていること。そのせいでなかなか連携が取れずに水樹が苦労していること。皆はお前がもう戻って来ないと思っているということ。
……というか、お前は本当に戻ってくるんだよな?
そんならしくもない疑問までもが浮かんできたところで、電話の向こうから『喜一、そろそろ出掛けるわよ』と彼の姉らしき声が聞こえてきた。
『悪い、もう行くわ。今から夕食なんだ』
「あ、ああ……そうか」
『じゃあな、俺の分までしっかり練習したまえ』
「うるせぇタワケが。お前こそサボってんだから筋トレぐらいしとけよ」
『余計なお世話だバーカ』
ブツリ、そこで今度こそ通話は終わった。
最後、咄嗟に口うるさいことを言ってしまった君下に対し、大柴は本気で怒っている様子ではなかった。どちらかというと仲の良い友人に対して使うような、気安い軽口のような「バーカ」だった。聞きなれない声になんだか胸のあたりがむず痒く、自分のベッドの上だというのに居心地が悪かった。
いつのまにか、普段起床する時間になっていた。アラームのスヌーズ機能を切った君下は、もうすっかりと目が覚めている。
▽
翌朝も大柴から電話が掛かってきた。やはり朝5時ちょうどだった。
『起きてるか?』
「ン゛……んだよ喜一……」
『おい起きろよ、俺は夕食前しか時間が取れねぇんだ』
聞き飽きているはずの大柴の声はどことなく落ち着いていて、寝起きの耳にやさしい、低い声だった。君下は練習の疲労が溜まっているせいか身体が怠く、目を閉じたままごろりと寝返りを打って仰向けになる。
『お前が疲れてるなんて珍しいじゃねぇか』
「別に、いつも通りだろうが」
『あっそ』
「それで結婚式とやらは終わったのか?」
『いや、明後日だよ』
「そうかよ……」
一言二言と適当に話しているうちにだんだんと頭が回ってくる。冷静になった君下は、なぜ俺はこいつとどうでもいい話をしているのだろう、と訳がわからなくなった。思い返してみれば大柴と、こんな友人同士の世間話のような会話をしたことがなかった。
昨日だってそうだった。部活の様子を聞いてきた大柴があまりにも意外だったので、君下はつい本当のことを言い止まってしまった。つまり君下は大柴に気を遣ったのだ。この犬猿の仲である男に、悪童と呼ばれた男が、だ。信じ難いことである。
『そういや今日筋トレしたぞ』
「テメェどうせ腹筋10回とか、そんなしょうもねぇこと言うんだろ」
『なぜ分かった?!』
「バカじゃねーの」
『う……で、でも走ったぞ! ホテルの横にバカでかい公園があって、デカイ犬もいっぱい走ってた』
「へーへー」
『んだよ舐めやがって……フン、まあいい。俺様は今からレストランへ行くからな』
今日はロブスターだ! と電話口で叫ばれ、思わず顔を顰めているとそこで電話は切れていた。ロブスターは羨ましいが、一体あいつは何がしたいんだ。
その日は土曜日で、午後の練習では他校との練習試合が組まれていた。相手は東京でベスト8に残る常連校であり、選手層も厚く、攻守ともにバランスのいいチームだ。そこへ君下が初めてフォワードとして、ボールキックをすることになったのだった。
「君下、お前は無理に取りに行かなくてもいい。が、来たボールは必ず拾え。自分で狙えるなら狙って、無理ならいつも通り水樹か、右サイドの橋本に流せ。俺はお前にフォワードに入れと言ったが、お前のやることは普段と少しも変わりないよ」
試合前に中澤の言葉を聞いた君下は、あぁなるほど、と思った。まだ一年の君下にエースナンバーを与え、トップ下としての才能を見出したのは中澤であり、敗戦が続いた今でもその可能性を見捨てられたわけではないことを理解した。
要するに司令塔のポジションが一列上がっただけだ。とは言えそこはチームの最前線であり、全体の指揮を執るには偏りすぎている。後列を動かすためにはどうしたって中盤、とくにトップ下を経由しなくてはいけない。その為の「大してうまくもない三年生」だった。つまり君下が全てパスで動かせばいい。
結果は、数字だけで見れば引き分けで思うようにはいかなかったが、君下にはたしかに手応えがあった。課題も見えた。後半で蹴ったフリーキックがうまく入ったとき、求めていた何かが満たされる感覚があった。本来ストライカーならば持っているはずの獰猛さを、この練習試合を通して君下はまざまざと思い出したのだった。
「おつかれ〜」
首元をひやりとしたものが触れ、君下は思わず「ヒッ!」と悲鳴を上げた。ゾゾゾ、と鳥肌を立たせながら振り向くと、冷えたスポーツドリンクを片手に鈴木が立っていた。その後ろに佐藤という、いつも鈴木と組んでいる男もいる。
「テメェは……いつもいつも俺の背後に立つんじゃねぇ」
「こわ、どっかの殺し屋みたいだな」
君下が「ほい」と手渡されたドリンクを受け取ると、二人は君下の隣に座り込んだ。試合に出ていない二人は何をするわけでもなく、ただ君下が靴紐を解いているさまをじっと見ているだけなので、どうにも居心地の悪い君下は「んだよお前ら」と渋い声を出す。
「君下、なんか今日は吹っ切れたみたいな顔してる」
「そうか?」
「うん、ちょっと嬉しそうだよ。な、佐藤」
「うーん、ごめん。俺には全然わかんないんだけど」
いきなり話を振られた佐藤は、眉を下げて困ったように笑っている。君下はあまりよく佐藤のことを知らないが、こいつは苦労人タイプだろうなと思った。
「でもお前、あれはまさか狙って打ったのか?」
「あのフリーキックな。相手チームもびっくりしてたよな」
「まあ、あんなのはマグレだ。毎回入るようなもんじゃねぇ」
半分は謙遜だったが、それを百発百中にするための練習をしてきたつもりだった。今日入ったのはそのうちの何割かに過ぎないのだろうが、キックの精度は経験の数に比例すると君下は思っている。しばらくどん底を歩いてきた分、この1点は希望を持つには十分な1点だった。
「ていうかさ、大柴って辞めてないよな」
何気ない佐藤の一言に、君下は飲んでいたスポーツドリンクを吹き出しそうになった。寸でのところで飲み込むと、気管に入ったのか「ゴホッ!!」と大きく咳き込む。鼻の奥がつんとする。
「うわッ大丈夫か?」
「……な、何でもねぇ」
「あー佐藤、こいつの前で大柴の話はナシだろ」
「え、そうなの?」
君下は口元を拭いながら、キッ、と隣の鈴木を睨んだ。当の鈴木は涼しい顔で、しかしぺろりと舌を出している。なんだか嫌な予感がしていた。
「喧嘩の相手がいなくなってさ、ほんとは寂しいんだよこいつ」
「おい、何バカなこと言ってやがる」
「そうなのか?」
「あ、水樹先輩」
「なっ……?! アンタも信じてんじゃねぇ!」
鈴木の両頬をつねる君下の後ろに、いつのまにか二年生である水樹と臼井が立っ��いた。「いひゃい、いひゃい」と抵抗する鈴木の声に、通りかかった他の先輩らも「え、なになに?」「何してんの?」と次々と群がってくる。
君下は咄嗟に鈴木の顔から手を離し、「あ、いや、何でもないっす」と、わざとら��い笑顔を貼り付けて肩を組んでみせた。これ以上鈴木が何も言わないように、肩を組むふりをして首を締めようという魂胆だったが、水樹の隣に立っていた臼井が唐突に「それにしても、今日のお前はすごく良かったよ、君下」と褒め出したので、それがあまりに意外だった君下は「あ、あざす……」と答えることしかできなかった。
「確かにあのキックは痺れたわ」
「わかる、最近めっちゃ蹴ってたしな」
「ポジション変わって大変だったろ? ほんとお前はよくやってるよ」
結果は引き分けで褒められたものではない。だがそれでもきちんと評価してくれる者もいる。その事実にほんの少しだけ泣きそうになっていると、首を大きく傾けた水樹に「今日の君下は、なんか大柴みたいだった」と言われて、君下はその日で一番キレ散らかしたのだった。
▽
電話が鳴っている。
君下はスマホを手に取り、「着信:バカ喜一」の文字をぼうっと眺めた。
大柴がいなくなって既に5日が経っていた。
「おう」
『あ? なんだ、起きてやがる』
「毎日テメェに起こされるのも癪だからな」
自分で言いながら思わずふ、と小さく笑うと、聞こえていたらしい大柴が『なんだよ、気持ち悪いな』と笑っていた。
未だに電話で話していることが幻のように感じるのは、大柴の声が記憶の中よりも柔らかいからだろうか。あの嫌味ったらしい顔も見えないせいなのか、不思議と君下が本気で苛つくことはなかった。
『さっきまで隣の公園で子供たちとサッカーしてたんだ。俺様の圧勝だったけど、でもさすがはヨーロッパって感じだったな。俺らが子供のときより上手いかも』
「へぇ、折角だから負けてくれば良かったのに」
『負けねーよ。俺を誰だと思ってる』
「大人げねぇな」
『それで急に土砂降りになって、慌てて戻ってきたところだ』
「そりゃあ、災難だったな」
『うわ、道が冠水してやがる。酷いなこれ』
大柴の声が遠くなったので、恐らく窓を見に行ったのだろう。そういえば電話に出たときからザーザーと雨のような音がしてた。
「明日なんだろ、結婚式。あ、待てよ、日曜なら今日か?」
『明日で合ってる』
「せいぜい楽しんで来いよ」
『ん。式が終われば明後日にはもう飛行機だ』
あ、帰ってくるのか、と、君下は当たり前のことを思った。中澤にも言われていたので分かってはいたが、なんだか実感がまるでなかった。
大柴は戻ってくる。そうしたら君下はもうフォワードじゃなくなる、かもしれない。元に戻ることは喜ばしいことのはずだった。
だが君下は、昨日の練習試合で何かを掴みかけた気がした。出来ることが増えるということは、単純に考えて良い事のはずなのに、大柴の居ないチームがうまくまわりはじめてなんだか寂しく思ったことを、鈴木に言われた君下は気づいてしまったのだ。
同時に君下はずっと苛立っていたのだ。
大柴がいなくなり、それを受け入れはじめたチームと君下自身に。
当然のように中澤が君下をフォワードに置き換えたことに。
君下に黙って、勝手にイギリスなんかに行ってしまった大柴に。
「ハハッ」
思わず君下は笑った。自分でも気味が悪かった。それでも笑わずにいられなかった。お前がいなくて寂しいと言ったら、この男はどんな顔をするだろうか。そう考えて、今だけは電話越しで顔が見えないことが惜しかった。
「さっさと帰って来ねぇと、寂しくて泣いちまうだろうが」
『……へ? な、なに言って……おま、』
予想通りの反応を見せた大柴がおかしくて、笑い死にそうだった。君下は暫く笑いを堪えていたが、どうしても漏れてしまう吐息を聞いて、本当に泣いているのだと勘違いした大柴が「いや、仕方ねぇだろ……」と慰めのような言葉を吐くので、もう限界だった。笑いすぎて本当に涙が出てくる。
「冗談だバーカ。だがぼーっとしてると、俺がテメーの背番号貰っちまうからな」
『あ゛?! なんでそうなるんだよ!』
「ああ、言い忘れてたが、俺いまお前のポジションしてんだわ」
『ハア?! 聞いてねぇぞ!』
「まあ言ってないからな。お、練習の時間だ。せいぜい旅行を楽しめよ」
『おい待てっ!』
ブツリ。通話を切って、ついでに電源も落とした。
君下はもう寂しくなどなかった。
君下の電話に怒り狂った大柴が帰ってくるのが楽しみだった。
( NIGHTCALL / おしまい )
0 notes
Text
数年分のコピペ005
3月 12, 2016 つい最近まで日本人の多くが、日本が植民地時代に悪いことをしたので韓国人が怒り続けるのも無理はないと思っていた。 左派メディアもこの基本線で報道をしていた。どうも違うようだ、とようやく気づき始めたのが今である。 韓国の反日は、日本が何をしようがしまいが激化していく。 領土問題では奪われた方が騒ぐのが普通だが、奪った方が大騒ぎしている。 李明博前大統領は「聖地」に降り立ち、日本を侮辱する大見得(おおみえ)を切った。 いくら謝罪しても無駄なことは、朴槿恵大統領が「被害者と加害者の関係は千年変わらない」 と宣言し明らかになった。 盗んだ仏像の返還拒否、条約破りの高裁判決、慰安婦像設置など米国での反日活動、 靖国神社に対する狼藉(ろうぜき)と放火未遂、「原爆は神の罰」の新聞報道、朴氏の米国反日行脚、 東京五輪開催決定間際の汚染水問題に伴う日本水産物禁輸処置と、挙げればきりがない。 全国民が集団催眠にかかったように反日にいそしむ姿は異常を超えて戯画的ですらある。 では問題の核心はどこにあるのか。日本の贖罪(しょくざい)や償いとは一切関係ない。 それはひとえに韓国が独立戦争で勝ち取った国でないという韓国人自らの「脛(すね)の大傷」にある。 米軍進駐により棚ぼた式に独立を得た韓国には、そもそも国家の正当性というものがないのである。 その正当性をひねり出し、脛の傷に絆創膏(ばんそうこう)を貼る必要があった。 韓国の歴史認識という「正しさ」の捏造(ねつぞう)である。韓国のいわゆる民族主義観は次の4点から成る。 (1)高度な文明国だった朝鮮が野蛮人とみなされていた日本人に侵略され侮辱された (2)朝鮮統治における「改善」は、朝鮮人を効率的に搾取し支配し同化するため日本が朝鮮近代化を必要としたにすぎない (3)統治時代、朝鮮人民による解放闘争が継続的に行われた (4)日本人が朝鮮人に対する非人道的方策を推し進め一方的かつ高圧的に臨んだため、抵抗運動は活発化し同化政策は失敗した-である。 今日では、韓国の経済史学者、修正主義史観の米学者、日本の地道な少数の学者たちの努力によって、 韓国の民族主義史観は韓国以外の地ではすでに崩れている。 まず李氏朝鮮に高度な文明などなかった。李朝五百年は中国から学んだ朱子学の儒礼の実践、消化に費やされ、 経世済民を思わぬ李朝政権により朝鮮は貧窮に閉ざされていた。日韓の保護条約は高宗王が大臣5人に丸投げして生まれた。 「そちたち良きにはからえ」と王が言った史料が3カ所から出ている。 よって不法ではない。不法なら時の列強がそれを盾にたちまち襲いかかったことだろう。 収奪史観は日本のマルクス主義者たちが教えた方法である。が、貧窮の朝鮮には収奪するものがそもそもなかった。 インカ帝国のように金でも採れれば収奪しようもあったろうが、何もなかったので他の植民地支配のように過酷にはなり得なかった。 労働を知らない彼らにその価値や意義から教えなければならなかったことが日本による「改善」其(そ)の一であった。 別に私は韓国が憎くて書いているのではない。このままでは日本の植民地統治が世界一残酷だったと教えられ、 テロリストや爆弾魔を解放運動の雄だと刷り込まれた韓国の若者が、 海を渡り過激な行動に走る危険性があると指摘せざるを得ないから書くのである。 植民地統治は一応の成功を収めた。巨額の投資が行われ、朝鮮は年々経済成長し、近代教育は一般化し、 1945年以降の教育制度の前提を成した。コメを収奪する必要もさらさらなかった。年々豊かにとれるコメは、 民法で保証された農民の土地で収穫され、経済原理により日本に輸出された。
軍が直接、暴力的に農村から女性を連行した事実を裏づける公文書は発見されていない。 都市では戦後の企業を立ち上げる有能な経営者が総督府や銀行と協力し、民族資本家として育っていった。 だが、これらが実証されたからといって韓国の民族主義史観が放棄される兆しは残念ながらない。 それを認めれば、国家の正当性が崩れてしまうからである。したがって韓国人の考えは変わらない。 それどころか、目や耳をふさぐ集団催眠状態が続いて、日本人が怒っていることにも気づくまい。 加えて、韓国人は日本は地震・津波・原発事故でもう落ち目だと信じ、代わりに中国が助けてくれると思い込んでいる。 戦後約70年間、38度線で韓国が島化し、中国に直接国境で触れることがなかった幸いに思い至らないからだ。 解決策はもはやない。植民地統治が合法的に自然に始まり、独立戦争のないまま米軍の進駐で自然に終わったという、 朝鮮近代化の真実を韓国人が認めることはあり得ないだろう。近代国家が国家理性に傷を持つとは、 かくも大きな結果をもたらすのである。一国の指導者が国内に行けない所があるという、 わが国の靖国神社問題も国家理性の傷であり、韓国をもって他山の石となすべきだろう。(ふるた ひろし) http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20131108/frn1311081131000-n3.htm 【正論】筑波大教授・古田博司「韓国が反日に勤しむのは『棚ぼた独立』で国家成立に正当性ないせい、謝罪も説明も無駄」 (via darylfranz) (元記事: hizayamasan (peckoriから))
3月 10, 2016 意外と知られていないが韓国は日本以上にクジラを食べている国だ。 今も韓国には鯨料理店が多く軒を連ねている。
御存知の通り調査捕鯨には頭数に限界がある。だが、偶然網にかかったり、 座礁した鯨は採っても良いことになっている。 そして不思議な事に韓国で座礁したと称される鯨は��の国の何十倍何百倍もの 不自然な数に及んでいる。
このように偶然()捕まる鯨を日本人以上に大量に食べている韓国だが、 捕鯨協会においては韓国人は日本の捕鯨を批判し、糾弾しているのである。 日本憎しの思惑だけで日本を攻撃し、日本以上に鯨を捕獲している とんでもない腐れ外道が韓国なのである。 シーシェパード 「韓国船を攻撃する」 (via mcsgsym) (元記事: mysmn (umomofarmから))
3月 10, 2016 前回は日本の製造業はアジア各国に多くの工場を建てて、現地での雇用を 大量に生みアジア諸国のGDPを大きくし、高い経済成長を支えていると 書きました。 中国経済に入る前に、もう少し日本の製造業について書いてみます。 日本の製造業はなにもアジアだけに工場を建てただけでなく実は欧米にも 多くの工場を建ててその国の経済発展に貢献しています。 たとえばアメリカに進出した日本の企業の数は、07年で2037社(JETRO の資料)、実際は3000社を超えるといわれています。なぜなら現地で アメリカ企業を買い取ってアメリカ企業になってしまった企業 はJETROの資料には上がってきません。 建設機械のコマツなどは海外で仕事をするとき、現地の会社を買って現地の 会社になります。そのほうが、法人税が安くすむからです。 パナソニックもソニーも売り上げの多くは海外に進出した会社の売り上げ です。日本の税金は高すぎます。アメリカだと30%台で治まります。 日本の高い法人税がアメリカやアジアなどへ積極的に進出する動機に なっています。 グローバル化した日本の製造業は欧州にも数多くの企業が進出しました。 欧州の正確なデーターを持っていませんが、英国投資セミナーの資料が 手元にあります。それを見ていますと、すべての大手電気・OA機器、 自動車メーカーが英国に進出しています。 欧州の中で進出が一番少ないと思っていた英国に285社も日本から進出 しています。資料を見ていますと大手企業以外にも中堅、中小企業の 名前も載っています。 たとえば清国産業、押野電気、丸澤機工、オハラ、弘電社、タムラ化研、 エンプラス、など様々の業種の中小企業が進出しています。なぜ中小企業 まで英国に進出するのかよく分かりません。推測ですが良質な労働者や 英語でのコミュニケーションができるのが理由かも知れません。
無駄なデーターを並べましたが私が言いたいことは、日本の製造業は アジアはもちろんのこと欧米各国にも続々と工場を進出させて、現地での 雇用を大量に生んで失業を減らし、各国の輸出量やGDPの増加 に大きく貢献しています。 つまり日本の製造業は、世界の経済を支える重要な役目を果たしていると いうことを知ってほしいのです。アメリカに進出した日本企業は、雇用の 10%を支え、輸出の11%を占めています。 アメリカからもっとも多く自動車を輸出した企業はGMではありません。 ホンダやトヨタなのです。また欧州の全輸出の11%は欧州に進出した 日本企業です。 しかし残念ながら、アメリカの政治家もエコノミストも日本の製造業の 実力を把握していません。日本の政治家も無知で 先入観でものを言う 日本の評論家の悲観論を信じています。 アメリカや欧州、アジアの政治家たちは「わが国の経済と雇用を支えてくれ てありがとう」という感謝状をもって日本に来なければいけません。 このようなことを書くと日本から製造業は海外に出て行って空洞化がおこり 日本が衰退すると心配する人がいますが、まったく心配いりません。 85年以降日本の輸出は家電や自動車といった耐久消費財は急激に減り 変わりに部品や材料といった資本財が非常な勢いで伸びてきています。 世界の資本財の80%は日本製だといわれています。日本の優秀な資本財が 止まれば世界中の工場が止まってしまいます。日本の技術をパクッて 世界に飛躍した韓国メーカーも日本の資本財を購入しなければ、工場が 動きません。結果韓国の対日貿易赤字は250億ドルの巨額に達しています。 円高になれば無知な政治家や評論家は輸出企業大打撃であると悲観論の コメントを発しますが、ほとんど関係がありません。優秀な資本財は 日本からしか買えないからです。日本の貿易黒字は07年まで毎年10兆円 もあります。 「幻の中国経済」を書くつもりがどんどんアサッテにそれてしまいましたが、 まず日本の実力を知ってもらわないと中国のGDPに追い越されて嫉妬して いるように思われても癪だからです。 中国も日本の真の実力を知りません。だから4日付の中国の環境日報で 「2010年に中国に追い抜かれる日本に焦り」との記事を一面トップで 掲載するのは構わないのですが、勝手に推測で「日本に焦り」と書いたり、 わざわざ専門家のコメントで「中国のGDP規模が、10年で日本を追い越す ことに日本の民衆はどよめいた」など書かせて、いまや中国は得意満面に なっています。 日本人は焦ったり、どよめいたり、などまったくしていません。 日本のエコノミストたちから発信される「日本ダメ論」を信じて中国人は 優越感にしたり、欧米各国は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」は 夢まぼろしだったと哀れみの眼でみています。 しかしちょっと待ってください、データーを見れば、世界経済を支えて いるのは間違いなく日本です。最先端といわれる分野に関しては、日本は 常に世界のトップを走っています。日本はまだこれからますます伸びて��く 国だということがはっきりわかります。 日本がダメに見えるのはきちんとしたデーターを見ずに、イメージと雰囲気 だけで論じる怪しげな評論家のせいです。ただ心配なのは国内しか見ていない バカな民主党政権がまだ4年も続くということに、一抹の不安を感じます。 中国の作られたバブルが崩壊し経済が破綻しても世界はそれほど困りません、 安価な労働力を提供してくれる代わりの国はいくらでもあります。 しかし日本が崩壊すれば、世界の工場が止まり、失業者があふれます、世界 が不幸になります。日本の代わりをしてくれる国はありません。 日本の製造業は一人勝ちといった状態なのです。 私のブログに訪問してくださったお若い方たち、日本の未来に悲観する 必要はまったくありません。21世紀は間違いなく日本の時代です。 日本経済の実力:中韓を知りすぎた男 (via petapeta) (via quote-over100notes-jp) (via masoso)
3月 10, 2016 スコットランドから来ている20代の若者が「選挙の公約に掲げられていた事に反対して国会を取り巻くデモしても遅いよね。その前に投票率低過ぎ」とか「保育園入れなかったら国会デモって何故?東京都の人なら都庁でデモなんじゃないの?」と質問されるのだけれど。その通りなので、本当にとしか。 網野幸子さんはTwitterを使っています (via windsock)
3月 10, 2016 心理学の教授の「ツイッター等で彼氏自慢をしない女性ほど長続きし、結婚に早くたどり着いてますね。ノロケツイートする人なんて彼氏が好きなのではなく、彼氏がいるステータス自慢、一途な私可愛いアピールしたい内心が出てきちゃっているだけなんですよ」という言葉で、うるさかった教室が沈黙した。 かずくん【公式】さんはTwitterを使っています (via acricket86)
3月 11, 2016 気が合う人、こんにちは そうじゃない人、さようなら 人生は気が合う人と出会うための旅でもある。そして気が合う人はそう多くない。 多くないからいいんですよ。友達がたくさんいるという人と、私は付き合いたくない。 ちょっとでいいんです。 気が合う人は、こんにちは。 幸せになっちゃ、おしまい(平 安寿子) (via natsumix723) (via marekoromo)
3月 12, 2016 震災後の韓国まとめ
・震災直後に日韓スワップを頼んできた ・セブンイレブン募金でダントツビリの募金額だった ・震災翌日の韓国メディアは 「日本沈没」 と見出しをつけていた ・日本の競合会社が地震で崩れた今こそ千載一遇のチャンス!と報道 ・韓国ネットユーザーが 「日韓戦同点ゴールより嬉しい」 「久々に暖かい話だ」 などと反応する ・韓国はこれで津波特需になると韓国メディアが報道 ・アメリカブランドが製作した日本海Tシャツに抗議活動をして販売を中止させた ・犬二匹(一匹逃亡)と5人だけ派遣してきた ・韓国国内での募金を70%を竹島保護事業に、10%を慰安婦団体に寄付した ・被災した在日韓国人優先で募金を使った ・集めた寄付金を奨学金に使った ・10年以上凍結されていた竹島のヘリポート改修工事に着手 ・韓国国会議員、北方領土に到着 ・韓国機A380が竹島上空をデモ飛行 ・国際地図大会会場に前例のない広報ブースを準備して東海併記運動を実施 ・震災の津波生中継を 「感動的な光景を目にすることができた!」 と実況していた ・日本沈没論などと言い出して喜んでいた ・震災の混乱に乗じて密航しようとして11人が捕まった ・震災義援金を盗んだとして韓国籍の林成富が逮捕された ・青森県の被災地で窃盗をしていて韓国人が逮捕された ・K-POP総出演の復興支援ライブの入場料が寄付目的だったはずなのに寄付されていなかった ・韓国人の76.5%が 「日本でまた地震が起きても、もう助けない」 と答えた ・AFCのサッカーの試合において、「震災お祝いします」 の垂幕を使っていた 【追悼式欠席】 韓国 「国民こぞって募金活動までし、あれだけ支援した韓国の欠席、本来なら変だと思うはずだ。日本はなぜ確認しない」 (via 46187) (nandemo812から)
3月 9, 2016 他人に攻撃的になってるのは、お金、睡眠、栄養、肯定感、どれかが欠けてる可能性高いからチェックした方がいいし、攻撃されてる方も相手か自分のどちらかが悪いと思わずに距離をとった方が、精神衛生にいい オジョンボンXさんはTwitterを使っています (via quotation22) (yukdから)
3月 9, 2016 今日、近所の公園で超かわいいシベリアンハスキーが散歩されてたから飼い主さんに触らせてもらって犬の名前を聞いたら「シベ超です」と言われた。私が「まさか…あの?」と聞いたら飼い主の女性は「あ、知ってます?…お父さんがシベリア超特急好きで勝手につけちゃって…」と頬を赤らめていた。良い。 Twitter / sakurajimanini (via tkr)
3月 9, 2016 仕事のできない者が駄目な人間というわけではない。間違った場所に置かれているだけである。 ドラッカー名著集13 マネジメント[上] / P F ドラッカー (via ebook-q) (nanahanから)
3月 10, 2016 議論するとき目の前にいる人間は敵ではなくて、共通の問題を解決する仲間だってことは忘れるなよ! 先輩の言葉 (via sokai)
3月 10, 2016 正義を主張していたアメリカ軍の知られざる実態(リンドバーグ日記からの抜粋) *各地の太平洋戦線で日本人捕虜の数が欧州戦線に比し異常に少ないのは( 捕虜にしたければいくらでも捕虜に出来るが、米兵が捕虜を取りたがらないから。( 手を上げて投降してきても皆殺しにするから。 *あるところでは2000人ほど捕虜にしたが本部に引きたてられたのはたった100か200だった。( 残りのの連中にはちょっとした出来事があった。それを知った戦友は投降したがらないだろう。 *捕虜を取らないことを自慢する部隊がいる。 *捕虜を飛行機で運ぶ途中機上から山中に突き落とし、ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告。 ( ある日本軍の野戦病院をある部隊が通過したら生存者は一人もいなかった。 *2年以上実戦に参加した経験がない兵が帰国前にせめて一人くらい日本兵を殺したいと希望し、 ( 偵察任務に誘われたが撃つべき日本兵を見つけられず捕虜一人だけ得た。 ( 捕虜は殺せないと嫌がるくだんの兵の面前で軍曹がナイフで首を切り裂く手本を示した。 *爆弾で出来た穴の中に皆四肢バラバラの状態の日本兵の死体を投げ込みその後で ( トラック1台分の残飯や廃物を投げ込む。 *捕虜にしたがらない理由は殺す楽しみもさる事ながらお土産を取る目的。 ( 金歯、軍刀はもとより、大腿骨を持ち帰りそれでペン・ホルダーとかペーパーナイフを造る、 ( 耳や鼻を切り取り面白半分に見せびらかすか乾燥させて持ちかえる、( 中には頭蓋骨まで持ちかえる者もいる。 *リンドバーグはドイツ降伏後ナチスによる集団虐殺現場を見学した時の日記で( 「どこかで見たような感じ、そう南太平洋だ。 ( 爆撃後の穴に日本兵の遺体が腐りかけ、その上から残飯が投げ捨てられ、( 待機室やテントにまだ生新しい日本兵の頭蓋骨が 飾り付けられているのを見たときだ。 ( ドイツはユダヤ人の扱いで人間性を汚したと主張する我々アメリカ人が、( 日本人の扱い方で同じようなことをしでかしたのだ」と。 http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1356056769/ (via shinjihi) (twinz1999から)
3月 10, 2016 何で、日本で最も多くの人が(無意識レベルででも)信仰しているものを「神道」と呼ぶか知ってる? それは「神道」が宗教ではないから。 宗教として人の都合で固められた教えは、やがては時代にそぐわなくなり、いつか維持できなくなる。そうして形骸化した神(=教え)は求心力を失って“死ぬ”しかない。 その現象を神の死と、キリスト教の人々は捉えたんだと思う。 神道が宗教でないなら、何なのか? 読んで字の通り「道」なんだよ。 言うなれば華道や書道、剣道や柔道や、武士道なんかと同じ。 どの道にも、究める先には必ず美が在り神が宿る。 「教え」じゃないんだ。人から教えられて得られるものなんて、極々最初のほんの僅か。その先は自らが悟り、さらなる先を求め、より高みを目指し研鑽するしかない。終わりも涯てもなく、ずっと続く道。 だから神道には、宗教には必須であるはずの教典がない。 作法は教えられても、その精神��各々が掴み取るものだから。 同じ様に禁忌もない。何をやっても構わない。 ただ、ほとんどの「道」で、ある程度修めた人がおのずから悟るように“やってもいいけど、やらないほうが好ましいこと”ってのはあるけど。 日本人の胸に目に見えぬ神様を畏れ敬う心がある限り、道は続いて行くんだろう。“神の死ぬ日”は訪れないだろうね。 「ど」の字:神が死んだ時期。ニートな2ちゃんねらー日記 (via sqiz) (rd-neohalから)
3月 5, 2016 日本のメディアはどこもかしこも 「AIIBに参加しないとは何事だ!バスに乗り遅れるな!!」 「アベノミクスは失敗!儲かるのは大企業だけで庶民には関係ない!!」 なんて一斉横並びで政権批判キャンペーンやってるから、「あ、政府がやってる事はきっと正しいんだな」と判断されるわけですよ。 Twitter / murachan2671 (via 46187) (quote-over100notes-jpから)
3月 5, 2016 自分で自分に命令する。だから、人間は「自由」なのです。したいことをする、これは自由ではありません。欲望や感情などに支配されています。それでは、動物とおなじです。したいことをがまんして、しなくてはならないことができる、これが人間の「自由」なのです。(カント) balance-meter:
3月 5, 2016 わたしが筋骨隆々として竹を割ったような性格の男が好きっていうのは結局「肉体は成熟していて精神は無垢」というのを求めている点で男の人が「ロリ巨乳がいい」って言ってるのと変わらないよと分析されてぐうの音も出なかった kimijima kumiさんはTwitterを使っています (via windsock)
無垢マッチョはロリ巨乳だった……?
(via tamejirou)
3月 5, 2016 台湾には中華愛国同心会と言う悪名高い中華ナショナリズムのゴロツキ集団が存在する。反台湾、反日本を叫ぶ在台中国人のグループで、メンバーの平均年齢は相当高いが、ヤクザまがいで暴力的だ。 最近は東日本大震災直後、台北で在台チベット人が日本の犠牲者の法要を行ったとき、街宣車で乗り込んで妨害するなどしている。 チベット人の活動に対する妨害はいつものことだが、事が日本に関わるだけ、いつになく狂奔したようだ。 私も昨年目撃したことがある。薄汚れた感じの老人メンバーが薄汚れた街宣車に乗り、中国人観光団が大勢訪れる観光スポットに乗り込んで、「我々は中国統一を主張する」と叫び、観光客から拍手を受けていた。 さてそのグループは現在、沸騰する尖閣諸島問題に反日活動のチャンスを見出し、台北日本人学校に向けて騒音をまき散らしているそうだ。 実に卑劣極まりない話であるが、そうした非道行為に義憤に駆られたのが、市内在住の蔡櫂励氏と言う男性だ。 自身は「台湾政府は尖閣諸島海域で石油が発見されたのち、初めて主権を主張し始めた」とは全く考えていないと語る蔡氏。しかしその一方で「中国は台日関係を破壊するため、わざと尖閣諸島問題を紛糾させている。台湾の親支那団体が尖閣諸島に対して騒ぎを起こしていることを申し訳なく思う」と話している。 そして「話すのも恥ずかしいが、台湾社会はまったくこれら支那人(※在台中国人集団)の悪辣な行為のことを知らない。日本人学校はきっと日台の親善に配慮し、忍耐しているのに違いない」との考えで、台湾最大手紙の自由時報に投稿することを決めたそうだ。 投稿後、担当者から「それは事実か」と確認を受けたと言う。やはりメディアですら、これほどの状況を知らないでいたのだ。 「誰が台湾から出て行くべきか」と題するその寄稿は、七月二十三日に掲載された。 その日本語訳は以下の如し。 ―――先ごろ台湾「保釣団体」が海巡署の護衛下で釣魚台海域に入り五星紅旗を広げて主権を示したことに続き、この二週間は中華愛国同心会や保釣団体が、次々と台北日本人学校へ頻繁に赴き、街宣車や拡声器で、「日本人は台湾から出て行け」「釣魚台は中国のものだ」と叫んでいる。 ―――日本人学校はまだ夏休みに入っておらず、台湾で働く親と共に異郷で暮らす子供たちは、毎日これら政治団体の妨害脅威にさらされている。 ―――台湾の法令は病院や学校は厳格な騒音規制区域と指定しており、警察はこうした騒音行為を取り締まらなければならないことは言うまでもないが、何よりも問題は、これら保釣団体が、政治とは全く無関係の日本の子供たちを標的にしていることだ! ―――これら中学生以下の子供たちは、たんに父母に伴って台湾へ来ているだけなのに、政治的憎悪との恐怖の中で暮らすことになっているのである。 ―――二〇〇八年の釣魚台衝突事件の時も、それから数日後には台中の日本人の小学生が公園で暴力攻撃を受け、何人かの小二の生徒と親が怪我をしている。この事件もまた日本人の父兄らに恐怖を与えた。 ―――台湾政府は一貫して釣魚台は宜蘭県頭城鎮の管轄だとの立場だ。そのため釣魚台主権争議は台湾宜蘭県と日本の沖縄県との間の問題とするべきである。ところが一部の親中団体は五星紅旗を掲げた。釣魚台も頭城鎮も宜蘭県も、そして台湾も中華人民共和国のものだと言うのだろうか。 ―――きっと誰も知らないと思うが、台北日本人学校は正式な行事、式典を行う時、日本の国旗掲揚、国歌斉唱に先立ち、まずは中華民国の国歌を歌い、中華民国の国旗を掲揚しているのだ。 ―――それに比べて親中の保釣団体は、心に五星紅旗があるだけで、中華民国の旗すら持ちたがらない。 ―――日本人学校で日本の子供たちに「台湾から出て行け」と叫ぶ保釣団体に聞きたい。「台湾から出て行くべきは、心には五星紅旗のみの偽保釣、真売国の叛徒たちではないのか」と。 私は日本人の一人として、蔡氏の勇気ある告発に心から感謝したい。また、敬意を表したい。 そしてこのような台湾の人々となら、中国人の宣伝に惑わされることなく、冷静に尖閣問題を語り合えるのではないかと思っている。 追記:蔡氏の文章は、すでにネットでも話題になるなど、台湾人の関心を惹いているようだ。馬英九政権の善処を望みたい。 威嚇される台北日本人学校の生徒たちー尖閣問題で「在台中国人」集団に/勇気ある台湾人の告発で判明: 2012/07/24/Tue (via nandato) (quote-over100notes-jpから)
3月 5, 2016 国内のテロリストもどうにかしろよ9 :名無しさん@1周年:2015/09/29(火) 19:06:07.59 ID:AGtthcrZ0.net >>2 そいつらに「資金」を渡してるのがパチンコ系、中華系、在日系なんだよw アメリカでの活動を制御するために山口組朝鮮系の クレジットカードや銀行口座が次々に凍結されたの。結果、アメリカでの反日活動、ロビー活動が減ったんだぞ。ちなみに「吉本興業」はアメリカでは犯罪組織の一員扱い。傘下団体として認定されてる。だから資金難に陥って資本金下げたの。24 :名無しさん@1周年:2015/09/29(火) 19:18:31.86 ID:AGtthcrZ0.net 日本は電通とか朝日新聞が未だにのさばってて。在日朝鮮人や中華系が資金提供して反日活動してる。吉本興業なんざフジテレビ、ソフトバンクと一緒に映像制作の下請け会社持ってて。マスコミを牛耳ろうとしてきただろ。その吉本興業が「ヤクザの傘下組織」としてアメリカでは指定受けてる。この時点で。「アメリカの指定を受けてる犯罪者組織の下部組織」 である吉本興業も。資金的な制限を受けるの。指定を外すためにはアンダーグラウンドな活動とかヤクザ組織との決別、健全化を図るしかない。日本の政治家なら電通とか大手芸能プロダクション、テレビ局に強気に出れないが、アメリカからの指示や外圧がある。国連の指定ってのは建前でアメリカやイギリスが中心。それを察知した日本共産党や社民党、民主党が必死で反対してきて。 自民党が民主党の暴力行為に対して変に大人しかったのは「こっちが本命」だったから。民主、共産、社民が相乗りして「一つの党に」って言い出したのは 今後の資金難が予想されるからさw ダミー会社経由で献金受けたり窓口作るのも大変になるので「反日グループでまとまりましょう」 ってことになってる。31 :名無しさん@1周年:2015/09/29(火) 19:31:17.52 ID:WfrqCIKU0.net >>9 吉本興業がアメリカにたくさんの現金を残してるってこと? 日本の資金が凍結されて、資金難に陥ったの?69 :名無しさん@1周年:2015/09/29(火) 23:01:59.42 ID:zdWDzTsA0.net >>1 これで、志位るずとかしばき隊とかの活動がピタッと止まったり あるいは発狂したようになる等の変化が出てくれば それはこの法案の影響があったと見ていいわけだw71 :名無しさん@1周年:2015/09/29(火) 23:22:49.78 ID:8PoCw1tC0.net 教えるなよな~ 俺も書き込みガマンしてたのに 施行されてから、ぷぎゃ~の予定だったのにさ74 :名無しさん@1周年:2015/09/30(水) 03:22:17.74 ID:gBvXs8pbO.net 反日勢力を金融面から殲滅だ! 時期的にどうかな、ハードランディングになりそうだなw 株安も手元に現金を置いておきたい奴らが��売り」に走ったからかもね 【速報】在日テロリスト、あと4日で死亡確定!!! テロ資金凍結法が【 10月5日 】から施行クル━━━━━(°∀°)━━━━━!!! - 中国・韓国・在日崩壊ニュース (via nobw2001) (yasaiitameから)
3月 5, 2016 娘はカトリック教会に併設された幼稚園に通っているのだけど、現在インフルエンザが席巻しており 「マリア(組)とイエス(組)がやられた」「いよいよミカエルもやばい」という会話が繰り広げられ、終末っぽさが半端ない。 カトリックの幼稚園でインフルエンザが流行するとこうなる!
。゚(゚^∀^゚)゚。ギャーハッハッハッハッハッハハッハッハッハッハッハ !! なんか、神々の戦い感がすごいな。
(via mayoshima)
(genngakkiから)
3月 6, 2016 浄土真宗系のできかたって、いかにも日本的だと思うんだよなー。 仏教開祖のお釈迦様が、 当時の日本の思想的エリートが導き出した この結論を見たらモニタに茶を噴くのは間違いないと思う。w 比叡山で修行した法然。→浄土宗 「ぶっちゃけ悟って仏になるの、俺ごときでは無理(←このへんが日本人的謙遜) 働いてる一般人なんかもっと無理。 今の仏教は金と暇のある金持ちにしか役立つ可能性がない。 でも安心しる。阿弥陀様って偉いお方が、自分が十分にレベルうpしたら、 おまいらも引っ張り上げてやんよ、ていってる。 これはそこに張るしかないっしょ。はらたいらさんどころじゃないよ。 『あみださまに、全部』 さあ何度でもいいつづけよう」 親鸞→浄土真宗 「法然さまはおおむね正しいけど、阿弥陀様なめすぎ。念仏言った回数で差別するような方じゃねえはずだよ(←このへんが日本人的舶来びいき) 心に思うだけで、修行とか、戒律とか自分をどうにかする必要もないよ。 だから俺なんか結婚だってしちゃうもんね。ただ阿弥陀様に乗ればいいのさ」 おまけ 一遍→時宗 「おまーも阿弥陀様なめすぎ。あの方は信者だろうと何だろうと、一切区別しないの。つまり俺たちは阿弥陀様のおかげで勝ち組。もう決まってんの。(←日本人的暴走) だから感謝の踊りを踊ろうぜ、let’s dance!」 誠天調書: 2chにある無駄な知識を集めるスレ86 (via gkojax) (via hirai) (via msnr) (via aurorae) (via gkojay)
3月 6, 2016 テレビ局はいつも都合悪くなると言論の自由を守れと「騒ぐ」が、電波止められてもインターネットで配信する、殺されても絶対に屈しない、言論の自由のために自ら体を張ると宣言を何故しないのか。とどのつまり特権的立場を守りたいだけなんでしょ? 眉毛さんはTwitterを使っています (via toronei)
3月 6, 2016 プロの作家ともなれば、技巧によって「凄味」を出したりもする。理解不能な人物を登場させたり、舞台設定をあやふやにしたり、ここから先はわからないのだということを強調したり、つまりはその作品世界の底の知れなさを読者に感じさせる。出典:http://amzn.to/1MuTPPp ストーリーの書き方さんはTwitterを使っています (via hutaba)
3月 6, 2016 なにかを選ぶとき 何かを決めるとき、無難かどうかで決めるクセがあると無難な人生になります。どちらが楽しいかで選ぶと 楽しい人生になります。どちらが成長するか、で選ぶと 成長していきます。(心屋仁之助) balance-meter:
3月 6, 2016 注意喚起 プリウスやアクアが事故を起こしている場合は、車に近寄らず119番通報を行いましょう。プリウスやアクアには高圧電流が流れており、レスキュー隊もシステム停止までは手を出せません。消防もこのマニュアルを使用します。 pic.twitter.com/63DmUaGiTp ナナマズん 3e&iQOS 0simJC2さんはTwitterを使っています (via kikuzu) (mc2-eから)
3月 1, 2016 2006年 シャープ(液晶) ソニー(家電)で合併交渉中 ソニー「よう」 シャープ「誰だお前」 ソニー「なんだと」 交渉決裂。ソニーはサムスンと合弁。
2009年 ソニー「サムスンだけじゃ液晶足りねえよ」 シャープ「金出せばうちが足りない分を作ってやるよ」 ソニー「じゃあ部分提携な」 提携スタート ソニー「納入まだかよ期限過ぎてるぞ」 シャープ「うっせーなアクオス作ってんだよ」 ソニー「くそったれ」 サムスン「おら液晶パネルだ期限通り作ってやったぞ」 ソニー「おお偉いなサムスン、もうお前の所で全部頼むわ」 ソニー、シャープから離れる。
シャープ「アクオス売れなくなったぞどうしよう堺工場」 東芝「うちに作ってくれよ」 シャープ「よっしゃ」 東芝「納入まだかよ期限過ぎてるぞ」 シャープ「うっせーなアクオス作ってんだよ」 東芝「うちが先だろ」 シャープ「エコポイント需要がすげえんだって今」 東芝「だからこっちも急いでんだよ」 シャープ「ばーか」 東芝「しね!」 東芝、シャープから離れる
2011年 産業革新機構「ディスプレイで会社作りたいんだけど」 東芝、日立、ソニー「じゃあ10%ずつ金出すね」 パナ「金は出せないけど工場ならあげる」 東日ソパ「三菱電機はよろしくやってるからいいや、シャープ?あそこ生意気だし知らねーよ」 シャープ「た・す・け・て・・・・ホンハイに乗っ取られる・・・・」 東日ソパ「儲からねえもん、もう本気でやってられん、頑張れシャープw」
2014年 シャープ「アクオス売れなくなったぞどうしよう堺工場、助けて」 ホンハイ「しゃーない助けてやるわ」 シャープ「よっしゃ!速攻第三者増資するわ」 シャープ「そういえば伝えてない債務があったわ、契約1週間前ですまんw」 ホンハイ「しねよ。話は無しな。」
2016年 シャープ「もう限界なんだ、嘘偽りはありません、助けて」 ホンハイ「・・・わかったわ、過去のこと水に流す」 シャープ「(3500億円の偶発債務あるけど、契約前日に書類ぶっこんどけばいいかw)」 ホンハイ「さて、いよいよ契約・・・なんじゃこりゃ!ゲキ怒!救済は延期だ延期!」 シャープと鴻海、交渉延長 財務情報を精査、異例の展開 延長期間は1~2週間とみられる|保守速報 (via man-nona)
3月 1, 2016 図書館の分類って、1哲学がおこり宗教が生まれ、2歴史、地理、そして3法律や社会の仕組みが出来、4自然や5技術を知り、6様々な産業がおこり、7芸術や余暇が生まれ、8言語、9最後に架空の物語が生まれる、っていう風に0~9類まで並んでいて、最初それを教わった時はちょっと感動した。 Twitter / yoko0614 (via netinago99)
3月 2, 2016 ■南京虐殺に言及していない蒋介石、毛沢東、国連決議■ 面白いのは、南京事件の翌年、中華民国総統・蒋介石が発表した 声明の中の「日本人の残虐行為」という一章だ。ここで特筆されて いるのは、広東での空襲で何千人もの市民が殺されたという事件で ある。もし、当時の首都南京で数万人を超す大虐殺があったなら、 それに言及しないはずはない。 さらに傑作なのは、毛沢東が事件翌年に行った「持久戦につい て」という講演である。ここで毛沢東は、南京の日本軍は支那兵を 殲滅しなかったため、後に反撃の機会を与えたのは、戦略上のまず さであったと指摘している。 国際連盟の諮問委員会は、南京陥落の半年後に、支那代表の声明 に基づき、「日本軍の侵攻によって脅かされている支那の独立と領 土保全」に奮闘する支那に対して同情の意を表する、という決議を 行った。ここにも、南京虐殺はまったく触れられていない。 【歴史】「南京事件」世界に広めた豪人記者、国民党宣伝機関で活動 台北の史料で判明[4/16] : まとめ安倍速報 (via 774rider)
3月 3, 2016 「メールでアメリカ人に問い合わせをしているが返信がこない」、というのは外資系企業に勤めていればよくある話。その内容が難しければ難しい程、返信率は悪くなる。もちろん、日本人でもレスの遅い人、しない人はいるが、度合いの問題。アメリカ人の場合はかなり気合をいれて、しつこくプッシュしないと返事がもらえないことが多い。 一番良いのは電話をすることで、電話をしてみると「おぉ、あの件ね、見た見た」みたいな感じで話が進むことが多い。メールで聞いていることを一々電話しないといけないのはかったるいし、時差や言語の問題があって容易ではないし、そもそも「お前、見てるんなら返信くれよ」という思いもある。
でも、そういうことで頭を痛めている人は、理解しておいたほうが良い彼らのメンタリティがある。それは「何度もプッシュされないということはきっと大事なことではないんだ」という考え方だ。メールを出して返信がしばらくこないものが、プッシュなしで返ってくることは殆どない。そういう場合は「返信しなくても何も言われないということは、解決したか、大して重要なことではないんだ」と彼らはまず考える。また、アメリカ人は自分が問い合わせ���いることについては、必ず席に立ち寄ったり、電話で念押しをする。そういう直接的な督促に日々触れている彼らは、日本から送られてきた、オリエンタリズムがほのかに漂う英語でかかれた、少し理解の難しいメールは、どうしても放っておきがちになる。 また「何度もプッシュ」というのも大事な要素で、相手に遠慮して一度のプッシュで「答えてくれない、、、」と諦めてはいけない。時差の関係で電話が難しい場合は、毎日「親切に督促してあげる」ことが大事だ。メールへのレスが遅い人でも4日連続プッシュして返信がなかったということはまずない。お困りの皆さん、しつこくいきましょう。 メールに返信をしないアメリカ人のメンタリティ - ktdiskのブログ (via atasinti) (layer13から)
3月 4, 2016 安倍にも負けず 右翼(ウヨ)にも負けず 捏造にも自作自演にも恥じぬ 丈夫な面の皮を持ち 謝罪はなく 決して検証せず いつもお前が言うなと言われている 一日に社説2つと 素粒子と天声人語を書き あらゆることを感情の赴くままに 焚き付け 煽り 叩き そして火病る 特アのための工作機関 日本の左傾化を任務として 東にエビちゃん風のOLあれば、行って若者の右傾化が心配だと嘆き 西に男系を主張するヒゲの殿下あれば、行って黙れと命じ 南に美しい珊瑚あれば、傷つけK・Yって誰だと騒ぎ立て 北にミサイル発射する将軍様あれば、一発だけなら誤射かもしれないと言う 身内の不祥事には目をつぶり チベット問題は見て見ぬふり みんなにバイコクドーと呼ばれ 信用されず 購読もされず そういうサヨに 私はなりたい ∧_∧ ( @∀@)/ ̄/ ̄/ ( 二二二つ / と) | / / / |  ̄| ̄ ̄ 42 :水先案名無い人:2007/03/21(水) 20:15:49 ID:FxhopBxM0 ≫41 いや、もうなってるから。 http://ex20.2ch.net/test/read.cgi/gline/1174059887/41-43
3月 4, 2016 日本がある国の島を武力で侵略して仏像盗んで元首を侮辱してその国に数十万人も不法入国してその国でその国民と同じ権利を主張してその国が女性たちを強制連行をしたと捏造してその国からの借金をして返済せずその国で歌手や俳優をゴリ押ししたら、どう思われるかわからないのだろうか? #韓流 https://mobile.twitter.com/shinjihi/status/590541139901607936 (via shinjihi)
3月 4, 2016 倉山:イギリスに関しては、第二次大戦が終了するまでの歴史を知ることが、とても重要だからです。例えば、日本が行った大東亜戦争は、“大日本帝国と大英帝国が刺し違えた戦い”だったことを知らない人が大勢いる。戦場となったアジアの国々を見れば、インドネシアとフィリピンこそオランダとアメリカの植民地ですが、マレーシア、ブルネイ、シンガポール、ビルマ、インドはすべてイギリスの植民地。つまり、本質はあくまで『英国&(彼らから利益を得ていた)華僑』VS『日本&(白人に支配されていた)被植民地アジア人』の戦いでした。しかも終盤まで日本側の全戦全勝だったわけです。 ――何となく「アメリカと戦って負けた」というイメージが強いです。 倉山:アメリカが介入してきたことのほうが、むしろ謎なんですよ。日本に戦争を仕掛けたところでアメリカの国益につながりませんし、中国問題でルーズベルトが日本を非難する以外は、とくに日本との対立関係もなかったわけですから。とにかく、大英帝国は大日本帝国と戦ったことによって、戦勝国と言いつつ、ブリテン島以外をすべて失う結果となりました。要するに戦後、大日本帝国が日本になってしまったように、大英帝国もただの英国になってしまったわけです。 倉山満「大東亜戦争は大日本帝国と大英帝国が刺し違えた戦いである」 | 日刊SPA! (via gkojax)
24: ダブルニードロップ(東京都)@\(^o^)/ 2016/03/01(火) 17:56:59.78 ID:zdbaxrsy0.net 日本人にとっての神道はOSなんだよ 仏教とかキリスト教とかその他の宗教はOS上で動くアプリ
2月 27, 2016 真っ当な日本人は「政権交代」という言葉に二度と騙されないようにしなければ。あの民主党政権下の暗黒時代は二度とご免だ。 【民主・維新合流】両代表共同記者会見詳報 岡田氏「野合で何が悪い」 #民主と維新は捏造新党 #捏造新党 #新党捏造 #山本太郎といみんの生活が第一の仲間たち #民主党の新しい党名を考える http://www.sankei.com/politics/news/160226/plt1602260040-n1.html
2月 29, 2016 ちなみに我らが日本 1991年の在日中国人人口 17万人 2009年の在日中国人人口 68万人 欧米諸国に負けず劣らず侵食されていることがわかるね ちなみにこれのソースは国勢調査 国勢調査は自己申告なので、外国人は正確に回答していないという調査結果もある なので、実際の在日外国人数は国勢調査より圧倒的に多いそうだ さてどうする? ゆめみがちサロン : 欧米諸国の末路 - ライブドアブログ (via wawawa8888) (dotnukeから)
入管24応援者 色々入管(一部公安も)通報対象団体を見てきましたが、その中でも一番ショックだったのが小さい頃よく見ていた絵本や児童文学の作者が軒並み反日的な活動を行っていた事です。 (ショックと言うのは個人的な心情での意味と、日本の子供たちに与える影響力の大きさ2つの意味があります) その一例が「子どもの本・九条の会」-絵本や児童文学作家がメンバーの九条の会支部です。 http://love.ap.teacup.com/kodomono/ >「子どもの本・九条の会」代表団 >小宮山量平 太田大八 神沢利子 松谷みよ子 松居直 古田足日 >鳥越信 猪熊葉子 小澤俊夫 広瀬恒子 田畑精一 丘修三 「いないいないばあ」「モモちゃん」シリーズ作者の故・松谷みよ子氏や「おしいれのぼうけん」作者の故・古田足日氏が代表メンバーにあります。 同団体が主催した『戦争なんか大きらい!-絵描きたちのメッセージ展-』ロゴには 寺村輝夫氏・作の「ぼくは王さま」シリーズのイラストがあります(ちなみに同会のゾウのロゴも寺村氏のイラスト) http://love.ap.teacup.com/kodomono/img/1445904606.jpg 上記イベント案内にある作家の一覧を挙げます http://love.ap.teacup.com/kodomono/html/o1.pdf -出品作家リスト- 相野谷由起、荒木慎司、あんびるやすこ、飯野和好、市居みか、伊藤秀男、いとうひろし いわむらかずお、うさ、おおくぼヒロアキ、尾崎曜子、おぼまこと、織茂恭子 かこさとし、かさいまり、かわかみ味智子、菊池日出夫、北見葉胡、きむらゆういち 河野あさ子、小泉るみ子、ささめやゆき、佐竹美保、篠崎三朗、篠原良隆、真珠まりこ 杉浦範茂、スギヤマカナヨ、せなけいこ、田島征三、田島征彦、田畑精一、たるいしまこ どいかや、中川純子、中沢正人、長野ヒデ子、中村景児、夏目尚吾、西村繁男 はせがわかこ、長谷川知子、はせがわゆうじ、長谷川義史、浜田桂子、原ゆたか はらだゆうこ、平田景、ひろかわさえこ、ふくだいわお、藤田ひおこ、藤本四郎 ふりやかよこ、南塚直子、宮西達也、宮本えつよし、村上康成、安和子、やべみつのり 山田花菜、山本祐司、ゆーちみえこ、和歌山静子 (50、音順・敬称略) また、会員の浜田桂子氏(「日・中・韓平和絵本 へいわってどんなこと?」作者)は、 会報18号P4で昨年7月の国会前デモに参加した体験談を書いています。
today こんにちは カタログハウスは、元々は社民党、中核派に近いです。 官報で追跡可能です。 カタログハウスと創業者斎藤駿を追いますと、 官報 平成13年9月14日 http://www.soumu.go.jp/main_content/000047173.pdf 2ページ目 社会民主党 カタログハウス 1500万円 3ページ目 社会民主党 斎藤駿 1000万円 以下同様にカタログハウス、斎藤駿が献金 Google 画像検索で カタログハウス や 通販生活で検索すると、通販生活の誌面や掲載された人物がわかります。出てくる人は左翼界隈の方々ばかり。近年、反原発で参議院選挙で山本太郎を中核派が支援したことで、未来の党や生活の党につながっていったのでしょう。
「共謀罪の新設に反対する市民団体共同声明」 【呼びかけ団体】 ・子どもと教科書全国ネット21 ・「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク ・反差別国際運動日本委員会 ・反住基ネット連絡会 ・ピースサイクル全国ネットワーク ・平和を実現するキリスト者ネット ・許すな!憲法改悪:市民連絡会 【賛同団体】 ・ピースボート ・在日韓国民主統一連合 ・民族差別を考える会むくげ ・憲法9条?世界へ未来へ連絡会 ・無防備地域宣言をめざす大阪市民の会 ・アン���をつぶせ!ちょうちんデモの会 ・「日の丸君が代」強制反対の意思表示の会 ・反天皇制運動連絡会 ・神奈川アジア平和連合ジャパン ・教育基本法「改正」反対市民連絡会 ・グリーンピースジャパン ・在日難民との共生ネットワーク ・改憲とあらゆる戦争法に反対する市民ネットワーク21 ・破防法の廃止を求める連絡会 ・教育基本法の改悪をとめよう!岐阜連絡会グループ ・日本キリスト教団 ・東京都学校事務職員労働組合 ・土井たか子を支える会 ・日韓民衆連帯全国ネットワーク ・日本カトリック正義と平和協議会 ・日本キリスト教会横浜長老教会靖国問題委員会 ・多文化共生サークルsmile ・平和をつくり出す宗教者ネット ・杉並の教育を考えるみんなの会 ・週刊金曜日を応援する会 ・厚木基地を考える会 Posted by m at 2016年02月24日 13:31
2月 27, 2016 「よく勘違いされているのですが、戦前の帝国憲法下の天皇ができるのは《警告権、激励権、被諮問権》だけ。つまり言論の自由があるだけで、統治権は行使してはいけません。しかし、政府が存在しないような緊急事態が起これば、統治権を発動するのです。政府機能が麻痺するような緊急事態にだけ登場し、そして元に戻っていく。それを期待されている存在が帝国憲法の天皇です。百年に一度でもあってはならないような危機に備える、その究極の安全保障機関とも言うべき存在が、天皇なのです」 そんな未曾有の状況、緊急事態が、ちょうど80年前の2月26日に起こったのだ。 「この無政府状態の緊急事態に、昭和天皇は統治権を発動し、この日からわずか4日でこの事態を収拾し、元の天皇に戻っているのです。このときの昭和天皇の決断を『ご聖断』といって、まさしく日本を亡国から救った英雄の所作だと言っていいでしょう」 今日、2月26日にあった「二・二六事件」と日本を救った英雄 (週刊SPA!) -
2月 27, 2016 「原因がある」ことと「責任がある」ことは別に考えた方がいい。 例えば、いじめが発生する原因はいじめられる側も含めて多数ある。しかし原因の全てが責任を問われるわけではない。ほとんどのケースで、責任はいじめる側にのみある。 ultraviolet on Twitter (via igi)
2月 27, 2016 もし君が敵からいやな目に遭わされて、鬱になったり落ちこんだりするのなら、それを見た敵は、「わーい、ざまーみろ」と笑って喜ぶだろう。 ゆえに「真の損得」を知る人は、どんないやな目に遭わされようとも、嘆かず平常心を保つ。前と変わらず穏やかなままの、君の優しい表情を見た敵は「ちぇっ、がっかりだ」と落胆する。 皮肉なことに、敵を悩ませるための最高の「イヤガラセ」は君が怒らず朗らかにしている、たったそれだけのこと。 超訳ブッダの言葉 / 小池龍之介 (via ebook-q)
2月 25, 2016 反オスプレイチラシに「日本全土で訓練、岩国基地59,839回0伊江島飛行場6,770回0」合計80,467回の訓練を行ってきたと書いてある。道行く人が「そんなに訓練して事故も無いなら安全じゃねぇか」と呟く。サヨク涙目。 pic.twitter.com/6yDShMwQ7f Twitter / seirouhakou: 反オスプレイチラシに「日本全土で訓練、岩国基地
2月 25, 2016 「人生経験を積むと共感できる歌が少なくなる」そうです。 これは「経験が歌詞を超えてくる」ということのようです。 「しくじり先生」大事MANブラザーズバンドのボーカルのクズっぷりが面白すぎると話題に|ニュース&エンタメ情報『Yomerumo』 (via ingurimonguri) (misteraorから)
2月 25, 2016 天皇というものには、「世界で最高峰の権威」があり、「最古にして最後の皇帝」で、「独裁者防止機能」や「権力のバックアップ機能」があり、「軍事力としての抑止力」がある。個人個人においても、外交能力や人格も良好。 で、どれだけこの皇室や宮内庁に税金を使っているかというと、年間、国民一人当たり「200円」月々なら17円弱。安いか高いかと見るかは個人の主観だけども、決して金では買えないもので、しかも世界に誇れるものだということは覚えておいて欲しいですな。っつーか、教科書で教えろ。 日本人が知らない天皇の価値と役割 (via ken1ymd) (via dannnao) (via gkojax-
2月 24, 2016 二十世紀の後半から現在まで、我が国は西の隣国である朝鮮(北朝鮮と韓国)と中共(中華人民共和国)に文字通り朝から晩まで誹謗中傷され続けた。 二十世紀に、日本帝国主義、日本軍国主義は、悪いことをして自分たちを苦しめた、日本は加害者で自分たちは被害者だという宣伝である。 特に彼らは、アメリカの世論を反日に動かそうと執拗で愚劣な工作を続けている。 アメリカにいるチャイナとチャイナ系アメリカ人は、日本軍の残虐性を訴えた「レイプ・オブ・ナンキン」という偽書をアメリカ国内に頒布し、また映画も作り、中共の意向通りにアメリカの議会筋に献金しロビー活動を展開してアメリカ議会に「反日決議」を出させようと工作を続けている。 アメリカにいるコリアは、ロサンジェルスの街角に「竹島は韓国の領土」という看板を設置し、全米各地に朝鮮人従軍慰安婦が日本軍の性の奴隷にされたという虚偽のプレートを設置し始め民族の恥を晒している。 そして、これら、中共と朝鮮に共通なことは、「ウソをつかなければ生きていけない」ということである。「ウソをつくことが悪いこと」だと思っていないということである。 中共は尖閣諸島は中共固有の領土だと真顔で言い張る。韓国は竹島は韓国固有の領土だと真顔で言い張る。韓国に至っては、日本が黙っているのをいいことに、対馬まで韓国のものと言い始める。 中共も朝鮮韓国も、言っていることは凡て大嘘ではないか。まるでウソつき大陸とウソつき半島である。即ち、日本とは「文明」が違う。 「たちあがれ日本」の中山恭子さんが言っていた。 世界には、子供たちに、「ウソをついてはいけない」と教える民族と、「だまされてはいけない」と教える民族がある。 日本は「ウソをついてはいけない」と教える民族である。中共と朝鮮は「だまされてはいけない」と教える民族である。 なぜ、「いけない」のか。日本では、ウソをつくことが悪いからで、中共・朝鮮では、だまされることが悪いからである。 つまり、日本と彼らとは正反対なのだ。彼らは、ウソをつくことを悪いとは思っていない。だまされたほうが悪いと思っている。 以前、テレビに出演したとき、日本に留学してそのまま日本に居座り、中国に進出する日本企業のコンサルタント業をして大儲けいしている(つまり、日本の中小企業経営者をだまして大儲けしている)中国人が、私の追及に対して「中国人にだまされる日本人が悪いんだ」と言った。語るに落ちたのだ。 このように、チャイナとコリアは、人にウソをつく、人をだますことを悪いこととしない文明圏にある。つまり、ウソつきのプロである。従って、これらの国において政府の名において対外発信をするものは、ウソつきのプロ中のプロだ。中国外務省の男女の報道官の顔を見られよ。 このようなチャイナとコリアのウソつき、人をだますプロが、朝から晩まで、日本は悪い国だ、悪い国だと、アメリカやヨーロッパやアジアで言いふらし、世界における日本の評価にダメージを与え続けているのである。 それに加えて、日本は高齢化社会に突入し、経済的停滞が長引き、第二の経済大国から転落している。 そこで、本論に入る。しかれども、なぜ、日本の通貨である円は高いままなのか。この問いに対するアメリカの学者(ステルツァー博士)の答えを、ジャーナリストの日高義樹氏が次のように伝えている。 「日本の社会は安定しているし、日本人は信用に値する人々だ。日本の金融機関にお金を預けておけば安心だ。騙されることがない。どこかの国のように政府が闇で操作して預金を奪ってしまうこともない。だから世界の人々は日本の国債を買う。その結果、円が高くなる」 要するに、世界における日本の価値は、「信用」なのだとアメリカの学者が言っている。つまり、日本が、「ウソをついてはいけない」という文明を自信を持って貫く限り、この日本の価値は衰えることはない。 近い将来、世界は、チャイナ企業とコレア企業の常習的粉飾決算に驚くであろう。彼らの文明では、帳簿に真実を書くことはありえないからだ。 日高氏は、アメリカの高名な学者の答えを紹介したが、私は、昨年の東日本被災地において救援活動を展開したアメリカ海軍救援物資輸送ヘリの女性機長の話したことを次に紹介する。 「ある学校の屋上にSOSの文字を発見した。そしておそるおそるヘリを屋上に着陸させた。何故なら、アメリカを含む世界の諸国では、救援物資を運ぶヘリに被災者が群がって収拾がつかなくなるからだ。 しかし着陸してみると、年配の男性が一人静かにヘリに近づいてきて、被災者数百人がいるという。救援物資を渡すというと、みな静かに列を作ってバケツリレーをして受け取った。 他の国にある物資の奪い合いなど全くなかった。そして、もうここまででよいという。まだあるといって渡そうとすると、男性がきっぱりと断って、他の場所にいる被災者に渡してくれといって、どうしても受け取らなかった。 さらにけが人を運ぶというと、足を骨折した老人が一人いるので彼を運んでくれといった。そして、老人が申し訳なさそうに乗せられた。 この日本人の優秀さと精神性の高さは、アメリカ軍の公式記録に載せられる。」 我々は、昨年の東日本の被災地の同胞に感謝しなけらばならない。彼らは苦難の中において、文明を失わず、「日本人は如何なる民族なのか」を世界に発信してくれたからである。 そして、わが文明に誇りと自信を持って、いよいよこれから、ウソをつくことを悪いこととは思わない文明に、正々堂々と反転攻勢をかけねばならない。 そのために、まず、国内の異文明人、つまり、チャイナとコリアと同じマインドを持って、国民をだますことを悪いことだと思っていない政党と政治家を撲滅しよう。 日本の価値は「信用」である 西村眞悟 | 杜父魚文庫ブログ: 2012.09.06 Thursday (via nandato)
2月 24, 2016 民主党【増税しません】→法案通しました。 民主党【消えた年金問題を追及】→民主党支持母体の労組がサボったのが原因 民主党【特別会計の無駄遣いを追及】→民主党支持母体の(略) 民主党【高速道路無料化します】→しませんでした。 民主党【ガソリン税を無くします】→無くせませんでした。 民主党【埋蔵金が80兆円はある!】→ありませんでした。 民主党【民主党への政権交代が景気対策。株価三倍!】→株価下落、デフレ継続 民主党【日銀総裁人事にことごとく反対】→白川総裁でデフレ継続。 民主党【原発依存度50%でCO2を削減】→使用期限が2011年2月に来ていた福島第一原発の使用延長の海江田経済産業大臣が許可。無策で、原発事故を拡大。法律で決められたSPEEDi情報の公開せず、間違った方向に避難民を誘導し、被曝拡大。 民主党【秘書の責任は政治家本人の責任!秘書が逮捕なら議員辞職する!】→小沢一郎、秘書が逮捕されるも議員辞職せず。 民主党【政治献金は一円単位でクリーンであるべき。松岡を自殺まで追い込む】→鳩山由紀夫は故人から献金、母親から多額違法献金、脱税。その後、納税するも時効分は返納も寄付もせず。前原誠司、野田、菅直人は韓国人から違法献金受けて、訴追されず。蓮舫なども事務所経費で違法も辞任せず。 民主党【普天間、最低でも県外。腹案がある。トラストミー!】→それまで13年かけて辺野古に地元、米国も合意していたのに、地元、米国に期待と不信感だけ植え付け、何も進展なし。 民主党【尖閣漁船問題】→那覇検察責任を押し付け、船長を釈放。ビデオ公開され、海保職員を事情聴取し辞任に追い込む。 民主党【円高歓迎発言の藤井など】→日本経済が疲弊、倒産増加、失業増加、株価下落、新卒就職率下落。 民主党【マニフェストに無い事はやりません!】外国人参政権、人権侵害法案、などマニフェストに無い事は迅速な検討。金賢姫を都内ヘリコプター遊覧後、別荘で接待。 民主党【麻生は漢字が読めない!】→菅直人は国会演説で【国会】にフリガナの原稿を週刊誌にスッパ抜かれる。 その他、 鳩山由紀夫は「日本列島は日本人だけのものではない」と発言、 韓国に5兆円通貨スワップ、竹島に李明博の上陸を許す、何だか韓国が無くした本の写本を返してあげる、 中井が議員会館に女連れ込み鍵渡す、 国家公安委員会の情報漏れる、 口蹄疫は無策で牛さんなど大量に殺処分、 農水省でも情報漏れ、 ロシア大統領の北方領土上陸を許す、 復興予算の執行が兆円単位で実行できない、 太陽光発電に42円という法外に高い値段で買取りを約束、 秋篠宮に「座れ」と中井が暴言、 天皇陛下の臨席で仙谷が居眠り、小沢一郎は中共に600人を連れて朝貢外交し「自分は人民解放軍の野戦司令官」と発言、 小沢一郎は天皇陛下に周近平とのルール違反の面会をゴリ押し、 小沢一郎は四億円の資金について再三再四も説明を変え起訴される、 仙谷は「文化大革命が始まる。」「自衛隊は暴力装置」と発言、 菅直人はベントを遅らせ疑惑で報告書に被害拡大の一因と明記される、 輿石東は「教育に政治的中立は無い」と発言、 きりないなぁ。誰か足してください(笑) @shinjihi (via shinjihi) (keitzkensingtonから)
2月 24, 2016 民��党政権は過去3年間、日本を混乱と停滞に追い込んできたが、自民党から民主党への政権交代を実現したのも、一部のマスコミだということを小説の形で暴露したのが『真冬の向日葵』である。 これを読みながら当時を思い起こすと、今更ながら、あれが偏向報道だったのか、と気がつく部分が多々ある。その一部を紹介しよう。 なお、小説の形なので、登場人物は本名に近い偽名に変えてあるが、本稿もそれに従う。
■2.「安城もしくは岡崎だったからいいけど」 政権交代前に最後の自民党政権を担った朝生一郎は、自民党総裁選挙の段階から、バッシングを受けていた。 平成20(2008)年9月14日、リーマン・ショックの前日、朝生は名古屋で選挙演説を行い、その前月末に岡崎市を襲った豪雨災害に触れた。 __________ 公共工事を皆、悪の事のように言うけれども、このあいだ、愛知県はどうでした? 岡崎で降った雨、1時間に140ミリだよ、140ミリ。・・・それでこれが、安城もしくは岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら、この辺全部洪水だよ。 これが今、起きている。新しい気候現象に対応して、我々は、しかるべきものをやらなければ。 公共工事は何も田舎だけじゃない。都会でも新しい時代に合わせて、そういう投資を、きちんとした社会資本整備をやらなければいかんのじゃないんですか。[2,p137]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ この発言のうち、「安城もしくは岡崎だったからいいけど」の部分のみがクローズアップされ、失言としてマスコミから猛烈に批判された。 発言全体の文脈を辿れば「豪雨が安城もしくは岡崎だったから、この辺は大丈夫だったけど」という意味だと分かるが、この部分だけを切り取って報道することで、さも「安城や岡崎なら洪水になってもいいけど」と言ったように、世間には伝えられたのである。「失言」を意図的に作り出す偏向報道である。 住民の安全を守るためにも公共工事が必要だという、朝生の本質的な問題提起はまったく無視された。この問題は、後に民主党の「コンクリートから人へ」というスローガンでさらに隠蔽されていく。地震や津波、洪水から「人を護るためのコンクリート」があることは完全に無視されてしまった。
■3.朝生を敵視した理由 朝生が一部のマスコミから敵視されていたのは、おそらく安倍内閣時代に外相として「自由と繁栄の弧」というビジョンを掲げたことが、主な原因だろう。 このビジョンは、日本から台湾、東南アジア、インド、中近東、そして欧州と、ユーラシア大陸の沿岸を囲む弧の形で、「自由と民主主義、市場経済と法の支配、人権の尊重」を旨とする国々が連帯していこうという、壮大かつ明確なビジョンであった。このビジョンは、米国はもとより、欧州各国からも熱烈な支持を寄せられた。[a] この「自由と繁栄の弧」こそは、戦後初めて、日本が国際社会に向けて発信したビジョンであったろう。 しかし、この明確なビジョンは、敵をも明確にする。「自由と繁栄の弧」に包囲されるのは中国である。左翼的な心情から中国に親近感を持つ多くのジャーナリストが、朝生を「敵」と見なしたであろう。 また祖父・吉田茂から「日本はとてつもない国なのだ」と聞かされて育った朝生は、戦後の教育やジャーナリズムを支配した自虐史観からの脱却を目指していた。朝生が首相として存分に活躍すれば、戦後レジームにおける自分たちの既得権益が失われると危惧したジャーナリストも多かったであろう。
■4.「総理! 解散総選挙はいつですか!?」 9月22日の総裁選挙に勝って、朝生内閣が発足すると、野党とマスコミは揃って「選挙管理内閣」と呼び、マスコミは「総理! 解散総選挙はいつですか!?」という質問を繰り返した。 首相官邸で新聞記者たちに囲まれて、質問に答える「ぶら下がり会見」を内閣発足後の1ヶ月の間に28回受けたが、そのうち17回、「解散総選挙はいつか」という質問を受けたのである。 このように、相手に悪しきイメージをもたらすレッテルを貼り、それを繰り返すプロパガンダ手法を「ネーム・コーリング」と言う。 朝生も、当初は早期解散を念頭に置いていた��、リーマン・ショックで経済が大混乱に陥った時期に政治的空白を作る解散総選挙など出来る筈もなかった。 朝生政権は10月には第一次補正予算を成立させた。主に雇用対策や中小企業の資金繰り対策に重点が置かれた。銀行が貸し渋りや貸し剥がしの傾向を見せ始めており、中小企業が資金繰りで倒産し、雇用が失われる事態は何としても避ける必要があった。 さらに民主党による参院での審議拒否に悩まされながらも、翌年初には第2次補正予算を成立させた。今回は定額給付金、高速道路料金の大幅引き下げなど、国民の消費拡大に重点が置かれた。
■5.政策論議を無視したネガティブ・キャンペーン 必死に日本経済を護ろうとする朝生政権の努力を無視して、マスコミは個人攻撃を続けた。 その一つが「漢字の読み間違え」だった。朝生が演説の中で、「未曾有」を「みぞゆう」、「踏襲」を「ふしゅう」と読み間違えたことを受け、マスコミは「朝生は漢字も読めないバカだ」と大キャンペーンを張った。 尻馬に乗った民主党副代表が、国会の場で首相に漢字テストを行うという前代未聞の愚行まで行った。政策論議を行うべき国会を、ネガティブ・キャンペーンの場にしてしまったのである。 また朝生がホテルのバーで酒を飲んでいる事を取り上げ、「朝生は資産家だから、庶民の気持ちが分からない」などと批判した。これも政策とはまったく関係のない個人攻撃である。 マスコミは些細なことで朝生を貶(おとし)め、「総理を批判する『国民の声』が聞こえないんですか!」と叫び続けた。ほとほと呆れた朝生は、ある会見の場で、「それは『国民の声』ではなく、『あんたの声』だろうが」と返答して、記者たちの神経を逆なでした。朝生とマスコミの関係は、ひたすら悪化する一方だった。
■6.財務相の「酩酊会見」 朝生内閣は第一次、第二次に加え、第三次の補正予算に取り組んだ。第三次は次なる景気対策として「公共事業拡大」が中心となると予想されていた。 そこに、もう一つの敵が現れた。今まで公共事業総額を抑え込んできた財務官僚にとって、朝生政権の政策は許容限度を超えていたのである。 特に朝生首相に見込まれて財務相を務めていた中井昭二は、経済・財政に関する造詣も深く、財務官僚が操りやすい大臣ではなかった。中井財務相は、財務官僚にとって、「排除の対象」と見なされるようになった。 2009(平成21)年2月、ローマで開かれたG7にて、中井財務相は、IMF(国際通貨基金)を通じて、金融危機に陥った加盟国への資金提供などのために、日本が最大1000億ドル(約9兆円)を貸し付ける提案を行った。 加盟国による資金提供としては過去最大で、IMFのスタースカーン専務理事は「人類の歴史上、最大の貢献である」と言って、謝意を示した。 大役を終えた中井財務相は、随行した財務官僚やジャーナリストから祝杯を上げようと誘われた。義理堅い中井はそれを受け入れたが、後で記者会見を控えているために、さすがに酒をセーブせざるをえなかった。 しかし、2杯目のワインを飲んだところで、なぜか気分が悪くなった。酒の強い中井がこれだけの量で酔うことは考えられない。 記者会見では、中井はさらに体調が悪化しているように見受けられたが、左右に座る財務官僚は、記者会見をそのまま強行させた。記者会見は大臣が体調不良でキャンセルしても問題になるようなものではなかったのだが。 中井は傍目にはほとんど泥酔者のように見えた。日本のテレビは「酩酊会見」のシーンを執拗に繰り返し、野党やマスコミは一斉に大臣辞任を要求した。それと同時にスタースカーン専務理事が「人類の歴史上、最大の貢献である」と絶賛した事実も、伏せられてしまった。 不思議なことに、随行した財務官僚も、ジャーナリストも、国内での大騒ぎを一切、中井に伝えなかった。中井がそれを知ったのは、成田について妻に電話した時だった。もはや、中井には辞任以外の道はなかった。
■7.「政権交代選挙」 朝生内閣は4月10日に15兆4千億円の財政支出を中心とする第三次補正予算を成立させた。その中には、学校や病院の大規模な耐震化工事も含まれていた。 しかし、マスコミはそういう内容についてはまともに報道せず、わずか117億円の「国立メディア芸術総合センター」のみをクローズアップして、「国営のマンガ喫茶」などと批判した。 朝生内閣の奮闘ぶりは国民に伝えられず、マスコミの意図的なネガティブ・キャンペーンで、支持率は下がり続けた。 7月21日、朝生は衆議院解散を宣言した。マスコミは「政権交代選挙」と繰り返した。一般国民の間では「政権交代」さえ実現すれば、すべてが良くなるというような根拠のない期待が広まっていった。 その「政権交代」の担い手となる民主党の鳩山代表は、外国人地方参政権に関連し、「日本列島は、日本人だけのものじゃないんですから」と語った異様な国家観の持ち主だったが、それが新聞やテレビで取り上げられることはなかった。 民主党のビジョンも「子ども手当」「高速道路無料化」「農家個別所得補償」などのバラマキ政策ばかりで、財源については明確な根拠は示されていなかった。 選挙期間中の朝生総理と鳩山代表による党首討論を、自民党はノーカットで放送するよう各局に求めた。テレビが都合のいいように映像を切り貼りする偏向的な報道の防ごうとしたのである。 しかし、各局はノーカット放映を拒否した。これによって、自民党は国民の前で、民主党政策の欺瞞を暴露する機会を失ったのである。
■8.「裁かれるべきは」 こうして平成21(2009)年8月30日、マスコミの思惑通り、歴史的な「政権交代」が実現し、民主党が政権を握った。その異様な国家観と、財源の裏付けもないバラマキ政策は、日本と国民を3年間、苦しめ続けている。 期待を裏切られたと多くの国民は思っているだろう。しかし、その期待は、そもそもマスコミの作った幻影だった。小説『真冬の向日葵』の主人公である新米記者の雪乃は、こう語っている。 __________ わたしはこれまで、マスコミによる歪んだ報道や、国民に対する刷り込み、根拠のないバッシング、高慢なレッテル貼りに怒りを持ってきた。しかし今、気付いた。・・・裁かれなければならないのは、その情報を受け取る"人"なのだ。 人。マスコミやネットなどの媒体から情報に疑問を持たず、情報の真偽を確認もせず、与えられた情報によって判断をくだす、人。彼らは無責任だ。自分の頭で考えないということは、明白な罪。罪を自覚すべきは、裁かれるべきは、わたしたち人間だったのだ。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 報道が人間の仕業である以上、何らかの意図をもって、情報の受け手を左右しようとする輩は、いつの時代になっても存在するであろう。民主主義国家に必要なのは、そういう偏向報道に操られない国民なのだ。 No.770 メディアが仕組んだ政権交代 国際派日本人養成講座/ウェブリブログ (via chikuri) (chikuriから)
2月 23, 2016 「国語は正しい解答をするのではなく、正解に指定された解答をすると点になる科目なんだ。キミは優れているから、本質が見えすぎてしまうだろうが、出題者のレベルを考えて解答しないと点にならんのだ」 あさぎりるん●2016さんはTwitterを使っています (via c610) (dreaminggilrから)
2月 19, 2016 「申し訳ございません」と「とんでもございません」はいずれも間違いである。正しくは「申し訳ないことでございます」「とんでもないことでございます」。(略)これがすんなりと出てくる人は、敬語を知っている人から見て、よほど敬語に精通していると思われるに違いない。 『日本の礼儀作法~宮家のおしえ~』 (via mmgen)
2月 19, 2016 2000年、シドニーオリンピックの開会式でアボリジニの男女が会場いっぱいになって踊っていた。 「いまでは過去の暗い歴史は清算されて白人もアボリジニも仲良くやっていますよ」というパフォーマンスらしいが、踊っていたのは実はアボリジニではなくて体を黒く塗った白人で、本物のアボリジニは会場の外で「私たちを滅ぼさないで」と坐り込みの抗議をしていた。 それを知らずか朝日新聞は「民族融和、和解の証し」と称賛していた。 あまり笑えない冗談だ。 ところで、日本はオーストラリアと戦火を交えたことがあった。 第二次世界大戦のときだ。 日本は無視していたのに勝手にオーストラリアが宣戦布告してきたかたちになる。 この時も彼等の人種差別意識が剥き出しになった。 捕虜にされた日本軍兵士は射殺されたり、輸送の途中に輸送機から突き落とされたりと、アボリジニと同じように殺された。 なのに、いまでもオーストラリアは日本人は残虐だったと戦勝記念日には反日パレードが行われている。 そのオーストラリアが、いまは捕鯨問題で日本を叩くことに喜びを見出している。 今日も「緊急!世界サミット"たけしJAPAN “2009日本を考えるTV」という番組でオーストラリア人が捕鯨をやめろと日本人を非難していた。 自分たちは今ではカンガルーを殺しまくっているのによく言う。 その中で、あるオーストラリア人が「人間に近い鯨を調査と称して殺す日本人を私たちも調査目的に二三人殺してもいいですか?」というようなシーンがあった。 さすが、アボリジニを虐殺しまくっていた子孫のセリフといったところか。 そういえば、毎日新聞の英語版サイトで日本人を貶める記事を書いていたライアン・コネルもオーストラリア人だった。 その記事の中に「日本人がエクアドルで子供狩りをしている」というものがある。 人を狩るなんて、それは貴方たちの事だろう。 ついでにいえば、皇室を貶める『プリンセス・マサコ』を書いたのも���ーストラリア人だ。 日本人はオーストラリアというとコアラやカンガルー、オージービーフ、エアーズロック、グレートバリアリーフ・・・と好印象を持っているが、オーストラリア観を改めるときかもしれない。 虐殺者としてのオーストラリア人 - あび卯月☆ぶろぐ (via shirakawa-jukucho) (rurinacciから)
2月 20, 2016 しょっぱなから失敗した人の成功者たち
1. ヘンリー・フォード … 自動車王 ヘンリー・フォードは、フォード・モーター・カンパニーを設立するまえに、7回も失敗し、5回失業した。「三度目の正直」という言葉を突破し、まわりの人から見たら「よくがんばる、かわいそうな人」みたいな感じだったかもしれません…。
2. ウォルト・ディズニー … ディズニーランド、ディズニーアニメの創造者 「お前はイマジネーションがない。アイデアもダメだ。」と新聞社をクビになる(ウォルト・ディズニーはイマジネーションとアイデアの男じゃないのか!?)。自分の信じている才能をケチョンケチョンにいわたら、ドーンとショックをうけてあきらめてしまうことだろう。
3. 盛田昭夫 … ソニー創業者 後の「ソニー」となる「東京通信工業」を井深大と設立。はじめて手がけた製品は、ナント炊飯器。これがビックリするほど売れなかったという。もし起業して、一発目の商品が思いっきりスベったら、あなたはどうしますか!?
. カーネル・サンダース … ケンタッキーおじさん レストランにフライドチキンのレシピを売り込んだが、109回も「そんなもんいらん!」と断られた。普通の人ならノイローゼになってしまいそう。
. アインシュタイン … 天才物理学者 5歳までほとんどしゃべらなかった。学校の先生からは精神障害があると思われていた。父親が事業に失敗した。大学受験に失敗した。苦労続きの人生だ。
. ベーブ・ルース … ホームラン王 ホームラン王であると同時に、三振王でもある。
. J.K.ローリング … 「ハリー・ポッター」作者 離婚と生活苦で、うつ病になり自殺も考える。貧しいシングルマザーとして生活保護を受けながら執筆をつづけ、書き上げた「ハリー・ポッター」が大ブレイク。「歴史上最も多くの報酬を得た作家」となる。
8. ソクラテス … 哲学者 アイデアが先を行きすぎて「不道徳で、人を腐敗させる人」とみなされ、ナント死刑を宣告されてしまう。
9. ゴッホ … 画家 生きているうちに売れた絵は、たったの1枚だけだった…。それでも画家をつづけた。 (死後に「ひまわり」が58億円で落札)
10. エジソン … 発明王 学校の先生から「バカすぎて、何も学べない子」と言われる。はじめてやった仕事は、クビになり、その次にやった仕事も立て続けにクビ。電球を発明したときに、1000回失敗したのは、有名な話である。
11. マイケル・ジョーダン … バスケットボール選手 伝説のバスケットボール・プレーヤーは、高校のときは「補欠」だった。
12. スティーブン・スピルバーグ … 映画監督 映画学科が充実している南カリフォルニア大学の入学を希望するが、入学を3回も断られる。普通の人なら「やばい、もうプロになれない…」とヘコむことだろう。
13. スティーブン・キング … 作家(「ショーシャンクの空に」など原作者) 貧しい生活のなかで作家になることを夢見て小説を書くも、30もの出版社にバッサバッサとボツにされ、ついに原稿をゴミ箱に捨ててしまう。奥さんがゴミ箱から、その原稿をひろいあげ、励まし励まし、書き上げた作品が大ヒット・映画化。
「Fail early, Fail often, Fail better」 早くたくさん上手に、失敗せよ。 この見出しの言葉は、ビジネススクールでの起業家育成の授業や、ソフトウェアのプログラミングの分野で、よく紹介される言葉です。 失敗というものは、誰のどのチャレンジにも内包されているものなので、それを「素早くたくさん(Fail early, Fail often)」外に出していくのが「成功の秘訣」ということです。そうしてできれば、試作や検証で「上手に失敗(fail better)」するのがマル。 私たちは、幼稚園のときから減点法で生きているので 「間違えました」 「失敗しました」 といおうとすると恥の感情がわいてくる。なかなか口に出して言うことができません。 まずは、この二つのセリフを平常心をもって誰にでも言えるようになって、少しずつ「Fail early, Fail often, Fail better」の哲学を取り入れていくことで、人生はもっとうまくいくようになるのかもしれません。 失敗しても、暗い顔をしてたらアカン。 ケンタッキーおじさんも、ディズニーも、エジソンも、マイケル・ジョーダンも失敗していた。じっくり休んだら、また元気だしてファイトです。 earth in us. - 失敗してもヘコまなくなれる「13人の偉人の手痛い失敗まとめ」 (via takumi000)
2月 20, 2016 高校の同期に教えて貰った→ 「知的であるかどうかは、五つの態度でわかる。 世の中を見渡すと、あらゆる属性、例えば学歴、職業、資格、言動、経済的状況などが「知的であるかどうか」のモノサシとして使われており、根拠があるものないもの含め、混沌としている。 だが、私がこの先生からお聞きした話はそういった話とは少し異なる。 彼は「人間の属性と、知的であるかどうかの関係はよくわかりませんが、少なくとも私が判断をするときは、五つの態度を見ています」 という。 エピソードを交え、様々な話をしていいただいたのだが、その5つをまとめると、次のようなものになった。 一つ目は、異なる意見に対する態度 知的な人は異なる意見を尊重するが、そうでない人は異なる意見を「自分への攻撃」とみなす 二つ目は、自分の知らないことに対する態度 知的な人は、わからないことがあることを喜び、怖れない。また、それについて学ぼうする。そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。その結果、それを隠し学ばない 三つ目は、人に物を教えるときの態度 知的な人は、教えるためには自分に「教える力」がなくてはいけない、と思っている。そうでない人は、教えるためには相手に「理解する力」がなくてはいけない、と思っている 四つ目は、知識に関する態度 知的な人は、損得抜きに知識を尊重する。そうでない人は、「何のために知識を得るのか」がはっきりしなければ知識を得ようとしない上、役に立たない知識を蔑視する 五つ目は、人を批判するときの態度 知的な人は、「相手の持っている知恵を高めるための批判」をする。そうでない人は、「相手の持っている知恵を貶めるための批判」をする。 知的である、というのは頭脳が明晰であるかどうか、という話ではなく、自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、という話であり、大変な忍耐と冷静さを必要とするものなのだ、と思う。」 http://blog.tinect.jp/?p=16095 (via takigawa)
2月 22, 2016 寿司職人を単なる技術者だとしか見ないからこういうことを言う。 生活習慣から職人気質、全てを身体にしみこませることが弟子入りの目的だ。 それによって衛生管理、品質管理などをクセになるまで叩きこむ。 潔癖症に見えるほどの清潔さを保ち続ける職人気質はネットでは身につかない。 厚切りジェイソン 「寿司職人の徒弟制度は必要ない」 : 2chコピペ保存道場 (via deepspeed) (hiroakisから)
2月 14, 2016 今後マスコミは▼ 報道機関は「三権を監視する使命がある」などという、 傲慢な言葉を、間違っても口にしてはなりません。 とりわけ、護憲勢力の代表のように振舞うマスコミは「報道の自由が伝家の宝刀となっていて」これを振りかざすことで、 誰にも文句を言わせない状況を作り出しています・・・しかし、日本国憲法には、 どこにも報道の自由について「これを保障する!という文言は見当たりません」 マスコミには立法、行政、司法の「三権を監視する使命がある」という報道機関の言動を、よく耳にします。 報道機関(マスコミ)は、第四権力と僭称していますが▼ 三権を監視する使命」とは? いつ? どこで? 誰から?(どこから?・・・中国? 韓国? 北朝鮮?)付与されたのでしょうか? 報道の自由は何に由来するのか? 赤峰 和彦(あかみね かずひこ)2016年 2月14日 (via awarenessxx)
2月 14, 2016 「戦争放棄」は1928年の不戦条約で決まった。起草者のブリアンはノーベル平和賞を受賞している。日本人の無知を世界にさらすのはやめてほしい。|ノーベル平和賞に憲法9条を推薦 実行委、3年連続で:朝日新聞デジタル http://ow.ly/XVpV0 池田信夫さんはTwitterを使っています (via windsock)
2月 14, 2016 昔高校の地学専攻の先生に「幸せって何ですかね」って聞いたときに「明日が楽しみなことじゃない?」って答えてもらったのを覚えてる。素敵な先生だった。
2月 14, 2016 私はうつ病になって、多くの誤解をしていたことを知りました。まず、うつ病は「心の病」ではなく、「脳の病気」だということです。この視点に立つと「気の持ちよう」とか、「心の弱い人がなる」などといった偏見が間違いであることがわかると思います。 仕事休んでうつ地獄に行って��た / 丸岡いずみ (via ebook-q) (cashitsukiから)
2月 15, 2016 シールズとかいう団体が台頭したせいで、「日本の若者は政治に無関心」から「日本の若者は政治に無知」にすっかりクラスチェンジしてしまったな… Twitter / NobNOVA (via netinago99) (netinago99から)
2月 15, 2016 阿久悠の言葉に、こういうのがある。読中、何度もリフレインしていた。 夢は砕けて夢と知り 愛は破れて愛と知り 時は流れて時と知り 友は別れて友と知り だが、遅すぎた。何も始まっていなかった人生であることを、人生の最後になって知るということは、なんと残酷なことか。これが、自分の人生でなくてよかった。確かに日々は短調な積み重なりにすぎず、むなしく時が流れてゆくのみ。 期待と、言いしれぬ不安と、焦燥の中で宙吊りになった苦しみから解き放たれるような“なにか”を待つのが日常である限り、いつまで経っても、“人生”は始まらない。日々の積分が人生であることに気づかない人が多すぎる(もちろん、わたしも含めてね)。時とは、命を分割したものなのだ。 40超えたら突き刺さる『タタール人の砂漠』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる (via drhaniwa)
2月 11, 2016 バイト先でミスをしちゃって落ち込んでいる時、元JRの車掌をやっていた親戚のおじさんが 『俺なんて、昔付き合ってた彼女が騎乗位しようとして俺の上に乗ったとき反射的に「ご乗車ありがとうございます」と言ってしまったことあるんだぜ?』 と励ましてくれてせいで飲んでいたコーラ盛大に吹いた Twitter / tapdw_27 (via kuzira8)
2月 11, 2016 「高度成長期の日本の状況 ・ハワイが一生に一度いけるかどうかの夢の国 ・パイナップルの缶詰がぜいたく品 ・うなぎ、マグロ、牛肉は庶民の口にはめったに入らない。 ・お菓子といえば、焼き米、かきもち ・川は公害で真緑色、海は赤潮で赤色。背骨がグネグネの魚が取れる ・発がん物質DDTを頭からぶっかけ。今は使えない危険な農薬も使いまくり ・公害病が各地で大発生、交通戦争、受験戦争 ・バリアフリーなんかなく、障害者になったら一生病院か蔵の中 ・中共の気違いがぼかすか原爆の空間実験をしていたから雨に濡れると頭が禿ると親に叱られた ・人さらいが横行してたから5時過ぎまで外で遊んでると「サーカスに売られてしまうから」という理由で親に殴られた ・どぶ川はメッキ工場の青酸廃液できれいなエメラルド色がデフォ ・ソーセージ工場からは肉の生残滓がものすごい蒸気とともに排出されて即腐敗 ・とにかく街中工場排煙とドブ泥、腐敗臭が満ちていた ・クラスに2-3人は小児喘息をかかえた同級生がいた ・ジュースの素はなぜか陽の光に当てると色が消えた ・粉末ジュースは甘くて苦かった ・電車に乗ると超汗臭いオヤジが必ずひとりは乗ってた ・はしけから通っている水上生活者の同級生がいた ・上野不忍池の畔にはぼったくり屋台のおでん屋がいた ・大人もヤクザが怖くて馴染の店以外は夜飲みに行けなかった ・川崎球場はガラスでできた1合瓶が後ろから飛んできて普通のサラリーマンが殺し合いのけんかをしていた ・おとなは戦争で人を殺した経験が���るやつがうようよいたからけんかはいつも殺し合いのようだった ・集団予防接種の針は使い回し 信奉やら懐古してる奴はアホ 」 http://2chcopipe.com/archives/51979670.html (via shinjihi)
2月 11, 2016 息子へ おまえにこの手紙を書いたのには3つの理由がある。 1. 人生は幸福も災難も無常だ。いつ死ぬかは分からないので早めに言っておきたい。 2. 私はおまえの父だ。私が言わなければ、誰も言ってくれない。 3. この手紙は私の悲惨な失敗体験から得たものばかりで、おまえの人生に役立つだろう。 今後の人生において、以下のことをよく覚えてほしい。 (1)おまえを悪く扱う人のことを気にしない。私とお前の母親を除けば、誰もおまえによくしてあげる義務はない。だからおまえによくしてくれる人を必ず大切にし、その人への恩を忘れてはならない。 (2)世の中には、居なければ困る人は存在しない。所有しなければ困る物は存在しない。お前が愛しているすべてを失っても人生は何とかなるものだ。 (3)命は短い。今日も浪費しているこの命は、明日にはもう消えるかもしれない。命を大切にしたいのであれば、命を楽しむ時間を増やすとよい。長生きよりも早く楽しむことが大切だ。 (4)愛情は一種の感覚に過ぎない。時間や心境と共に変化する。最愛の人がおまえから離れた場合、慌てずに時間を待つがいい。時間がおまえの心を洗い清め、おまえの苦痛を和らげてくれる。恋に憧れ過ぎないこと。失恋を悲しみ過ぎないこと。 (5)確かに多くの成功者はあまり勉強していない。しかし、これは勉強しなくても成功できることを意味しない。勉強で獲得した知識はおまえの武器だ。人はゼロから富を築くことができるが、何の武器も持たないと無理だ。これを絶対覚えておくのだ。 (6)私の老後はおまえに頼るつもりはない。おまえの老後は私に頼れる訳がない。おまえが成人して独立した時点では、私の責任は終わった。今後、バスに乗るのかベンツに乗るのか、春雨スープを飲むのかフカヒレスープを飲むのかそれは、全部おまえ自身の責任だ。 (7)おまえは自分に信用を守ることを要求できるが、同じことを他人に要求できない。おまえは人に優しくすることができるが、同様なことを人に期待してはいけない。おまえが他人を扱うように、他人がおまえを扱うとは限らない。これを理解できないと人生は苦痛が溜まるばかりだ。 (8)私は26年間、宝くじを買ってきたが、未だに三等賞にも当たっていない。リッチになりたいならば努力して仕事せよということだ。この世にはただのランチなどない。 (9)おまえと私は一回限りのご縁だ。お互いの縁がいつまで続くかは分からないが、共に過ごす時間を大切にしよう。お互い愛があろうがなかろうが、来世にもう出逢うことはない。 「息子への家書」紹介 | gentak.info (via 719043) (元記事: drhaniwa (maniacsarchiveから))
2月 11, 2016 だから、Aという道を行きたければ、Bという道は諦めるしかない。最終的に目的に到達することと、何かを諦めることはトレードオフなのだ。何一つ諦めないということは立ち止まっていることに等しい。 諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない / 為末 大 (via ebook-q) (mishimatchから)
2月 11, 2016 血液っていうすげー生き物の根幹になるものの中心が鉄とか銅で出来てるってみんなスルーしてるけどかなりSF的な事実だと思うんだ。 鉄は恒星内部でしか生成されないので、現在地球にある鉄は、かつて死んだ太陽の残滓。 我々は皆星を継ぐ者でもある。 (via datteowww)
1 note
·
View note
Text
THE ROOM BELOW

インタビュイー:村住知也(THE ROOM BELOW オーナー)
THE ROOM BELOW 石川県河北郡津幡町東荒屋186 2013年よりアーティストが運営するギャラリーです。人間の創造性はどこから来るのか、この考えに基づき独創的なクリエーターと美術作品を国内外に紹介しています。
▮ 大切なものは人の目に触れないように隠しておきたいもので、隠されている場所がいわゆる地下室とか、下の部屋、なんじゃないかという意味も含めました。
名前の由来はなんですか?
ルームビローは「下の部屋」とか「地下」という意味です。2013年に金沢市扇町で長屋に住んでいて、二階を事務所、下をギャラリースペースにしていたんですね。二階から下の部屋、という風にギャラリー部分を呼んでいたのがそのままギャラリー名になりました。大切なものは人の目に触れないように隠しておきたいもので、隠されている場所がいわゆる地下室とか、下の部屋、なんじゃないかという意味も含めました。
扇町の長屋には一年いて、そのあと兼六園下にあったKAPOに移転し、さらにそこが駐車場にするため取り壊しになるということで、真福院に移動、子供が生まれたのをきっかけに三年前に住まいだけ津幡に越してきたのですがなかなか思うように通えなくて…。2015年9月26日にここ津幡に完全移動しました。

THE ROOM BELOW 外観
ご出身はどちらですか?
北海道旭川の出身です。
世の中に美大があると知ったのは高校三年でした。当時は意味もなく周りの大人や社会に嫌悪感を持って生活していました。単純に大人になることの不安の裏返しだったのだけれど、、、 そんな時に画家フィンセント・ファン・ゴッホの人生を知りこういう生き方をした大人がいたんだと驚きました。高三の夏に初めて札幌にある美術系の予備校の夏期講習に行き、結局一浪して金沢美術工芸大学に入学しました。ゴッホのように生きようと思っていました。
▮観客側も、障がいを持っていてもこんなことできるんだという見方しかしてくれなくて、福祉という土俵のなかでしか作品を紹介できない、という壁がありました。 それで、作品をフィルターなしに見てもらい、個人を浮かび上がらせ美術の土俵の中で見せるには自分がギャラリーをやるしかないのではないかと考えはじめたのです。
最初2013年にスペースを作ったきっかけは?
1998年に金沢美術工芸大学を卒業したのですが、大学で学んだ美術史の文脈を踏まえ、正統派美術史の上に乗っかったところで活躍したいという思いがありました。ところが2000年に偶然メルシャン美術館の展示「突き上げる創造力 アール・ブリュット=生の芸術」を見て、大きなショックを受けました。いわゆるアウトサイダーアート、美術史からは違う文脈とされているものに心が揺さぶられ、信じていた価値観がガラガラと崩れていきました。彼らの作品をもっと知りたいと思いました。
彼らとコンタクトをとる接点として福祉施設を訪ねることにし、美術教室をさせてくれと頼んだのが金沢市北袋にある「愛育学園」でした。ボランティアでなら、ということでしたが、2004年から美術教室をさせてもらえる事になりました。そして彼らの作品をみんなにも見てもらうために、金沢でスペースを借りて展覧会を企画したのですが…
いざやろうとすると、作り手の名前を出せない。本人以外のたくさんの人の許可がいる、福祉の現場に協力を頼んでも人手が足りないので仕事を増やしてくれるなと言われてしまう。道具を買いたいといってもそのお金はどこからでるのかという問題もありました。
観客側も、障がいを持っていてもこんなことできるんだという見方しかしてくれなくて、福祉という土俵のなかでしか作品を紹介できない、という壁がありました。
それで、作品をフィルターなしに見てもらい、個人を浮かび上がらせ美術の土俵の中で見せるには自分がギャラリーをやるしかないのではないかと考えはじめたのです。できることからしようと、自宅スペースを使いギャラリーをスタートしました。

愛育学園での美術教室の様子
▮僕はどこかで、人は芸術がなくても生きていけるし困らないのではないかとも思ってたんです。 でも彼らの創作活動は、信仰と同じように人生と共に歩むものに見えました。
美術教室を行う中で、作家を発見していくのですか?
最初の出会いは美術教室でのものでしたが、実はそれは彼らともっと深く知るための隠れ蓑でした。美術教室で出来た作品より、みんなが寝静まったときに私室で隠れて作られたものとか、美術教室に参加していない人が、こんなの作っているんだけどちょっと見てくれないか、といって見せてくれたのがとても良い作品だったりするんですよね。 彼らの作品に衝撃を受けたのは、生きることと表現が一緒になっていて、作らざるを得なくて作っているところなんです。
僕は日常生活から生まれたものを作品にすることはありませんでした。現状を批判し新しい提案をするものが美術であって、美術史の文脈に乗るために何をすべきかということを理論的に考え過ぎていたのです。新しくおしゃれな、今よりちょっと先を表現すべきだと。僕はどこかで、人は芸術がなくても生きていけるし困らないのではないかとも思ってたんです。
でも彼らの創作活動は、信仰と同じように人生と共に歩むものに見えました。ぼくのできなかったことを彼らはしていると感じましたし、それに対しての尊敬がありました。彼らを知ると人生経験が豊富で大きな出来事を経験していて、多くの場合それは悲劇なんですが、それを乗り越えるために作品を作り始めた人もいます。作ることは癒しにもなるんだと、彼らを通じて知らされました。

THE ROOM BELOWでの展示風景
▮ アーティスト視点のプロジェクトである、という考え方はいつも根底にあるんです。福祉施設がやっているようなアプローチは自分らしくない、というのがあります。
The Room Belowはひとことでどういうギャラリーですか?
実は僕自身どんなギャラリーなのか、最近はわからなくなって来ています。(笑)
アーティストラン、すなわちアーティスト視点のプロジェクトである、という考え方はいつも根底にあるんです。福祉施設がやっているようなアプローチは自分らしくない、というのがあります。
普段どのような活動をされていますか?
2014年に「セルフトートアート 独学の研究者たち」というタイトルで、金沢市民芸術村で展覧会を企画しました。また、外でのいろいろな反応を確かめたいという思いから海外のアートフェアなどにも参加し、フィンランドやスウェーデンなどにも行きました。
そこであった出来事なんですが、観客に、「彼らは障がいを持っていて、作品を作っている」と紹介すると、「その情報は私には必要ないんだ。作品をニュートラルに見て感じたりしたいのにその情報は心を濁らせる。」という人がいて。それから障がいを持っていようがそうでなかろうが、良いものは良い、という作品の絶対的な評価はあるのではないか、と思い始めました。それもあって、迷い始めてもいるのです。

スウェーデンのアートフェアのブースの様子
▮ いいなあと思う作品はだいたい彼らのプライベートのところで生まれたものなんですけれども、それは本人にとって大切なものなので譲ってくれないというジレンマもあり、思うようには作家を増やせない部分があります。
芸術村や他での展示はどういう人が見に来られます?
福祉関係者の方が多いです。 作家さんの担当職員とか。アート関係者は少ないです。
なんだかんだ施設の方が多いんですね。取り扱い作家はいらっしゃいますか?
展覧会の時には展示を依頼するひとは数人います。関係を継続している作家は一人です。
いいなあと思う作品はだいたい彼らのプライベートのところで生まれたものなんですけれども、それは本人にとって大切なものなので譲ってくれないというジレンマもあり、思うようには作家を増やせない部分があります。
継続している一人というのは最近福祉施設から出て、アーティストとして活動したいと言っている米沢実です。今は生活保護を受けて生活しています。建築現場から5センチくらいの角材をもらって木工ボンドでつなぎ合わせて、彫刻刀と簡単な小刀で、布団の上で彫ってるんですよ。 月に一度くらい彼の家を訪ねるのですが、木くずに囲まれた環境で生活しています。まさに生活と制作が同居しているわけです。

米沢実
▮ 福祉施設側もいままでは価値がないとみなして捨てられていたものが評価を受けることもあるんだと、少しずつ理解してくれるようになり、状況が変わってきてているのを感じます。
施設側の反応は10年で変わりましたか?
アートフェアに参加して作品が売れ、金沢アートグミの紹介で橋場町のホテルHATCHiで展示させてもらっている状況を福祉施設の職員には大げさに紹介しているんです。その甲斐があったのか、福祉施設側もいままでは価値がないとみなして捨てられていたものが評価を受けることもあるんだと、少しずつ理解してくれるようになり、状況が変わってきてているのを感じます。以前から比べると積極的に協力してくれる機会も増えました。
作品の売買に関していうと、福祉施設に入所している人たちには公的援助を受けている方もいるので、収入があると面倒なことになってしまう場合もあるのです。それでも作品を販売して彼らの収入を得られることがよりよい状況につながるのではないか、と考え始めている職員もいます。
アートや表現活動に力を入れている先進的な福祉施設の中には、入所者の作品を原画として、別なデザイナーが製品化する、ということをしている所もあります。作業場での作業に埋没させず、彼らの個性を開いているように思うのですが。
奈良のたんぽぽの家がすばらしい活動をされていますね。あそこの活動も初めは「これはもしや、アートなんじゃないか。表現なのでは?」と気が付く人がいたからはじまったのだと思います。気づいた人が見せることを繰り返し、いろいろなところでそういうことが立ち上がっていくといいなあと思います。
一般のアート関係者が来るようなスペースでもあり、福祉関係者も来るようなスペースでもある、交差点になるような場所であったらいいのではと思いますが。いかにも美術の歴史に乗っかっているもの、その隣に規定の枠にはまらないというものがあって、むしろその方が面白いし社会のどこかをひっくり返すようなことになるのではないかと。それこそThe room Below らしい活動になるのでは。 ほかの福祉施設で先進的な事例をやっているところと繋がって、一番興味を持つはずのアート関係者たちに集まってもらって話す機会を作るようなことも一つかなと思いますが?
その通りだと思います。そういってもらえると考えがクリアになってきました。
そして僕一人の責任ですべて負えることでもないなあと思い始めています。今42歳で、この活動を引き継いでくれる次の世代に受け渡していくような活動もしなくてはならないと考えています。

▮ もちろんみんなそれぞれコマーシャルギャラリーに所属できるようなアーティストを目指してはいるのだけれど、サバイバルの仕方は1通りではありません。 彼らとの出会いによって、いろんなやり方があるのだと知りました。アーティストランのスペース・ギャラリーに可能性を感じています。
今後の活動の予定はどのようなものですか?
今後もアートフェアに参加していこうと思っています。アーティストの創造性をサポートする、そして海外のギャラリーの活動を知るためでもあります。世界とつながっているという実感が持てて、同時代性を感じるんです。日本人の作家しか紹介しないのかと言われてもいるので、海外作家も紹介したいです。
11月に金沢アートグミでアートスペースリンクが開かれるときには三名の作家を紹介します。
アートスペースで気になるところはどこかありますか?
素晴らしい活動をしているアートスペースがたくさんあります。アーティストランのスペースしか参加できないアートフェアに参加した時、そこで出会うアーティストは私と同じような課題を抱えていることを知りました。多くは継続的に続けていくための金銭的な問題です。 もちろんみんなそれぞれコマーシャルギャラリーに所属できるようなアーティストを目指してはいるのだけれど、サバイバルの仕方は1通りではありません。彼らとの出会いによって、いろんなやり方があるのだと知りました。アーティストランのスペース・ギャラリーに可能性を感じています。
アーティストでありながらアートスペースをやっていくことの問題点を共有しているということですね。今の金沢でのアート状況について思う事はありますか?
金沢美大を19年前に卒業した時とは確実に違っています。発表するギャラリーも限られていて、ほとんどは貸し画廊だったし世界とつながるには東京だと、殆どの美大の先輩たちは金沢を離れました。
今美術館ができて、金沢アートグミができて、アートスペースリンクでつながる人もいれば、たくさんの人たちが卒業後にも残り、外から移住すらしてきます。いくらでも世界と繋がれますし、東京と比べてポテンシャルが高いと思います。情報を発信してみてもらえる都市になったかな、と。この19年で変わってきたので、ますます期待できる気がします。
もし経済的・時間的・空間的なすべての条件がクリアできたら、何をしたいですか?
ギャラリーの運営にもっと力を入れていきたいですね。チャンスが来たら仕事を全部やめ専念したいと考えています。今は少しずつ準備しているところです。
アーティストの立ち位置を知り尽くしたギャラリー、その都度疑問に思ったら変えていく勇気も持ち合わせていきたいです。
一同 ありがとうございました。
2017年7月7日 THE ROOM BELOWにて 質問者:黒澤/書取り:中森/撮影:上田
0 notes
Text
黎明、即ち再開の空の下で/10/2011
どこをどうして迷い込んだのか、今となっては思い出せない。
百合子は広すぎる洋館のしんと静まった暗い廊下を一人で歩いていた。 女中も召使いも誰もおらず、先ほどまで一緒だった兄さえもいなくなっていた。
普段からお転婆がすぎると母から怒られてはいたが、今日ばかりは深く反省した。 廊下は広く長く、一歩一歩進むごとに暗闇が深くなっているような気がする。 じんと鼻先が痛み、涙が溢れそうになるのを百合子は堪えた。
しばらく行くと暗い廊下にぽつりぽつりと灯りがつきはじめた。 百合子はほっとしたが、それらの灯りはより深く暗いところへ行くための目印だったのだ。 そうと走らない百合子はその灯りを頼りに、階段を降りる。
下階の方からは、ごうんごうんと音が聞こえてくるので誰かいるのかもしれないと思った。 階段を踏み出せば不思議な匂いがした。それは苦いような青臭さだった。 しばらく行くと古い扉が��らわれ、音も匂いもその中からしているようだった。 その取っ手に手を伸ばし、引いてみるがぎしりと金属音がするだけで開かない。
百合子は何度か押したり引いたりしてみたりしたが、どうやら鍵がかかっているらしくびくともしなかった。
「誰かいないの?」
声をかけてみても同じで、がっくりと諦めて更に続く階段を降り始める。 階段は行き止まりにまた扉があって、百合子はそれを押して開けてみた。
瞬間、あふれる光りに百合子は思わず目を瞑った。 さわさわと何かが風に揺れる音がして、甘い香りが鼻孔をくすぐる。 ゆっくりと目を開き、何度かぱちぱちと瞬きをしてようやくそこが花いっぱいの温室だと分かる。
「まあ……」
先ほどまでの寂しさを忘れ百合子はその花々に見蕩れた。 白や朱に黄色、薄紫に紅といった様々な色の花が百合子の背丈ほど伸びているのだ。 花壇はきっちりと区切られ、脇には水路がちょろちょろと流れている。 そして更に上を見上げると、ガラス張りの天井に魚が泳いでおり、その透明な天井から差し込む陽の光はとても明るかった。 まるで夢のなかのようだと思う。
「きれいね」
百合子はそう言って花に触ろう手を伸ばした。
「ダメですよ」
急に声をかけられて振り返った。 そこには下働きらしい少年がおり、厳しい顔つきをして百合子を見ていた。
「あの……あ、わ、私、迷ってしまって……」
とっさに口をついて出たのはそんな言い訳だった。 花を盗もうとしたのだと思われたのではないかと不安になる。
「それに……花をとろうとしたのではないわ。みたかっただけなの」 「花が――お好きなんですか?」 「ええ、好きよ」
少年の顔つきが幾分か柔らかくなった気がして、ほっとしながら百合子はそう答えた。
「ここの花はダメですけど、庭園にはもっといろいろな花があります。 それなら、良いですよ」 「本当?」 「はい」
少年はそういうとすたすたと部屋を出る。 百合子もそれに遅れまいと追いかける、二人が部屋を出るとがちゃんと音を立てて扉がしまり暗い廊下に戻る。 暗い階段を少年の後をついて歩きながらそれでもどこからかあの花の匂いがした。 そして、それが少年から香っていることに百合子は気がついた。
がたん、と自動車が揺れる。 うとうととうたた寝をしていた百合子は窓硝子に額を打ち付けた。
「っ……」
不意の痛みに思わずぶつけた額を押さえて苦悶の声をあげる。 じんじんと痛む額をおさえつつ、何か夢を見ていたような気がしたのだが、どんな内容だったか思い出せなくなってしまっていた。 掬い上げては指の隙間からこぼれ落ちる砂のように、夢の記憶が遠ざかる。
「あともう少しで到着しますよ」
運転手が百合子に声をかけて返事をするときには、すっかりと夢の内容は思い出せなくなっていた。 深い緑が続く車道。 百合子は、神奈川県の山奥に建つある洋館に招待されていた。 事の起こりは数週間前、百合子のもとに不思議な手紙が送られてきたことから始まった。
/-/-/-/-/-/
名探偵、野宮百合子嬢に告ぐ。 貴方が真の名探偵であるというのならこの家に伝わる財宝を探し当てよ。
「随分と挑発的な手紙だな」
斯波の服装はすでに病院の用意したものではなく、自前のいつもの洋装だった。 まだ退院は早いのか、それでも会社への指示だけは出すようになっていた。 前日にあのようなことがあったばかりだというのに、百合子はその手紙をもって斯波の病室を尋ねている。 考え始めたらだめなのだ、深く考えてしまうと今でも顔から火が出るほど恥ずかしいし手も震える。 心臓の鼓動は鳴りっぱなしになるし、まともに斯波の顔を見られなくなる。
「そうなの、それでねこの差出人がまた奇妙なの」 「蔵元澤三郎っていうと、数年前に死んでるじゃないか。 たしか心の臓が弱っての病死だったか――それにしても面白い偶然だな」 「偶然?」
きょとんとした百合子に斯波は知らなかったのかとばかりに驚きながら言った。
「真島芳樹は蔵元邸の庭師だったんだぞ」 「蔵元邸の?――藤田は蔵田家の庭師だったと言っていたわ」
百合子はそれを聞いてわずかに戸惑う。 確かに藤田に確認した時はそう言っていたはずだ。 藤田は真島よりも長く野宮家に仕えていたから、情報は確かなはずだった。 その情報を知ってから一度だけ蔵田家を訪れたがすでに邸は売買され、違う住人が住んでいた。 手伝いのものや女中などもすっかり人が変わっていたためそれ以上足跡をたどることはできなかったのだ。 その事を斯波に伝えると、なるほどなと頷きながら説明し始めた。
「蔵元は、元々蔵田家の番頭をやっていたんだ。 江戸時代末期、蔵田は水田開発だの塩田開発だので土地持ちになって、更に質商や金融業も営んでの豪商となった。 そして、当時多くの豪商が私札を発行することになる――ところがだ、私札を発行した家は大名に賃金を支払不能にされたりして没落の道をたどった。 ただ、蔵元は私札発行には目もくれず東京近隣の土地を買い上げた。 だから、あの頃の蔵田家といっても実質は借金まみれの没落家だったはずだろう。 蔵元は恩返しのつもりかいくつか蔵田の借金を負っていたはずだから……東京にある蔵田の邸はほとんど蔵元の所有と思っていいだろう」
そこまで喋って斯波は百合子の視線に気がついた。 じとりと湿り気の帯びた瞳が、不審そうに斯波を見つめている。
「何だお姫さん」 「どうしてそんなに詳しいの?」
百合子が不審がってそう問うと、斯波はにやりと口の端を釣り上げて答える。
「敵情視察は基本ですからね、真島とやらのことを聞いてからは人をやって調べさせた」 「探偵の助手が別の探偵を雇って?」 「別の探偵じゃない俺の部下だ。――それでこの挑戦受けるのか?」 「……まだ、受けないわ。だってまだ斯波さんも本調子じゃないし、 仮に今受けると言ったらあなた無理やりにでもついてくるでしょ?」
白いシャツの下にはぎゅうぎゅうときつくさらしが巻いている。 毎日包帯を取り替えて抜糸もされていない傷口を日に何度も消毒する。 夏も終わりようやく涼しくなってきたものの、斬りつけられた傷口が化膿しなかったのは運が良かったのだろう。
「傷はもう塞がってるが……」 「いいえ、そんな状態でついてこられたら逆に足手まといですからね。 あなたの性格はよおく知っているもの、斯波さんの傷が癒えるまでは保留にするわ。 それに、いまだに記者が家の周りをうろついていて……何を書かれるか分からないものね」 「ああ、それは英断だな」
斯波は手紙を折りたたんで百合子に手渡す。 秋の涼しい風が開いた窓から入り、白いカーテンをはためかせる。 百合子が見舞いにと持ってきた花がそよそよと揺れた。
(そういえば斯波さんのために花を選ぶ日がくるとは思わなかったわ)
百合子は自分の髪が長かった頃のことを思い出していた。 自分も斯波もあの頃から随分と変わってしまったような気がする。 そう思ってちらりと斯波を盗み見ると、斯波も百合子を見ていたようで一瞬目があう。 百合子はどきりと心臓が跳ね、ゆっくりと顔が紅潮していくのがわかった。 そんな百合子に対して斯波はどこか気の抜けたような顔をして笑った。
「ところで、今日は林檎を食わしてくれないのか?」
重湯が物足りないと文句を言っていた時に、差し入れにと市場で買った林檎をもってきたのだが、 刃物の扱いが苦手な百合子は随分と苦労して皮を剥いたのだ。 ごつごつと見た目も悪く、買った店が悪かったのかすかすかと海綿のような林檎だった。
「私がやるよりも、斯波さんがやった方がお上手だったじゃない」
見かねた斯波が一つ試してみたらするすると器用に林檎の皮を剥いていくのだ。 まるで職人技のようだと百合子は感動したが、何をやらせても器用にこなす斯波を少しだけ憎らしく思った。
「なんだなんだ、連れない人だな。俺はお姫さんが切ってくれた林檎を食いたいんだ」 「もう、そんなに言うのならやりますけど」
そう言って机に置かれた籠を取る。そこには水果千疋屋と書かれていた。
/-/-/-/-/-/
(結局、斯波さんを騙して一人で来てしまったけれど……まさか後から追っては来ないわよね)
斯波にはしばらく親戚の家で大人しくしているつもりだから、当分見舞いに行けないかもしれないと伝えておいたのだ。
東京から神奈川まで自動車でだと半日もあればつくが、そこから山奥の別荘へと向かう道は悪路が続いていた。 こんな山奥に邸を建てるなどと酔狂なことだと百合子は考えながらぼんやりと車窓を見つめる。 そして、木々の間から見え始めた塔を見て絶句する。 とても山奥に建っているとは思えないほどの、別荘と呼ぶには些か大きすぎる建物が見えてきた。
「あの、あれが……」 「蔵元邸です――まあ地元の人間は蔵元城と呼んでいますけどね」 「そう、城……」
聳え立つ塔をもち、外堀をめぐらせ跳ね橋をかけている様は城と形容するのが一番ふさわしいだろう。
「何でも英吉利の有名な建築家を呼んで作らせたっていうほど��代が英吉利贔屓らしくてね。先の災害にも耐えたそうですよ」 「先代っていうと、数年前に亡くなった?」 「そうそう、港の辺りの土地を持っていたらしいし、土地開発と貿易なんかで儲けたらしいけどね。 この辺りじゃどこぞの議員さんやら華族さまよりも有名だよ。ところでお嬢さんはどういった用事なんだい?」 「雑誌の取材です、こう見えて編集者なので」
運転手は何も知らされていないのか、呑気に問いかける。 百合子もとっさに答えたが、どうにも”探偵”です、とは言えなかった。
「へえ、東京からわざわざねえ。へえ、雑誌の記者さんか」
ミラー越しに検分されるように見られているのを感じる。 百合子は気にもしないと言う風に軽く髪の毛を触った。 薄紫のモダンな洋装に手首までの白い手袋、流行りの帽子を被ってタイを結んでいる。 どこからどうみても東京のモダン・ガールであり、職業婦人である。 そしてミラーの視線に今気がついたという風に、にっこりと笑って見せてから問いかけた。
「蔵元家は地元の皆さんにも慕われていたみたいですね」 「そうだねえ、俺の曾祖父さんがよく言っていたけどほら天保の飢饉には金何両だかを献じたって。 先代で一時期ちょっと雲行きが怪しくなった時があったらしいが、やはり商才だろうね。 すぐに立ち直って――まあ、その矢先に先代さんはお亡くなりになったんだけどね」 「そうなんですか、えっとじゃあ今は――」 「跡取り息子の宗太さまって方が継いだらしいけど、どうだろうね。 北海道あたりの――何と言ったかな室蘭だったかな……とにかくそのあたりに製銅所が出来るという話があってそれの投資に躍起になっていたと聞くよ」 「そうなんですか」
興味深そうに相槌を打ったのが気になったのか、運転手の顔が曇る。
「あ、今の雑誌に書くつもりかい?まずいなあ……」 「いいえ、大丈夫ですよ」
運転手は困ったように頬を掻くと、それきり黙ってしまった。 もう少し話を聞きたかったが、仕方が無いと諦める。 百合子も自分で下調べをしてはみたものの、さすがに限界があった。 今はもう新聞社に立ち入ることもできないし、斯波を頼りにすることもできない。 けれど、今まで詳細のつかめなかった真島の過去に何か触れられるのなら、と思うと居ても立ってもいられなくなったのだ。 斯波はきっと怒るだろうな、と百合子は思った。 何も告げずに一人で行動することに、眉根をよせて作るしかめっ面を思い出す。 くす、とわずかに笑みが溢れるのを居住まいを正す事でどうにか誤魔化した。
/-/-/-/-/-/
病室の扉が開く。 現れたのは山崎だった。 しゃくしゃくと瑞々しい林檎を頬張りながら、斯波は山崎を一瞥して確信したように頷いた。
「山崎、行ったか」 「ええ、社長の仰るとおりでした」 「やはりな――。よし、ではこの中から一番目を引く見出しを選べ」
斯波は寝台にあぐらをかき、敷物の上にに筆文字で書いた半紙を並べた。
一、怪奇!死人からの挑戦状、野宮百合子最後の事件! ニ、T氏の埋蔵金を探せ!美人探偵百合子の事件帖! 三、華族探偵野宮百合子と呪われた洋館の謎! 四、名探偵野宮百合子、危機一髪!~呪われし財宝と最後の事件~
それに全て目を通して、しばし考えこむ。 そして、どこか誇らしげにしている斯波に率直に聞いた。
「社長、これは一体……」 「もちろん、各新聞社に送るタレコミだ」 「なぜ、新聞社にこれを送る必要が?」 「山崎、良い質問だな。真島芳樹にお姫さんを見つけさせるためだ」
自慢気に言う斯波の顔を今度は心配そうに山崎は見つめた。 その視線に気がついたのか、ばつの悪そうな顔をする。 眉根をよせてしかめっ面を作ると、少し気分を害した様な声を出した。
「何だその目は、ん?」 「いえ、三日三晩の高熱の後遺症かと……」 「馬鹿者。いいか、真島とやらはお姫さんに見つからないように逃げてるんだぞ。 それを見つけようと探すのははっきり言って無理だ」 「左様で……」
山崎はほっと胸を撫で下ろす、どうやら頭が茹だってしまったわけではないらしい。 それを見て斯波も調子がついたのか、自らの作戦の構想を語りだした。
「だからだな、今の華族探偵ムーブメントにのるであろうこの記事を真島が目にするとだな。 真島がこれは一大事とお姫さんの様子を窺いに現れるかもしれん。 何しろこの蔵元家はかなりきな臭い。政治家に心酔しおかしな投資に大金を突っ込み傾きかけたはずが、貿易で急に盛り返したりとまあ何とも動きが怪しい」 「それはまあ社長の仰りたいことは分かりましたが……いいのですか? お二人が出会ってしまったら、恋心が再燃して愛の逃避行に走る可能性も……」
その言葉に斯波はぴくりと眉尻をあげた。 そして少しだけ考えこむように沈黙するが――。
「まあ、もちろんその可能性も考えなかったわけではない。 しかしお姫さんは俺に”嫁になってもいい”と言ったんだ。 どうだ、これはかなり俺を好いている、いや俺のことを着実に愛し始めていると言っても過言ではないぞ? (あまりの可愛さに理性がぶち切れてつい手を出しそうになってしまったがな、はは) こうなると――禍根は、この真島だけなんだからな。 まあ、俺もこんな記事を打ちつつも真島がお姫さんの前に現れる確率など五分……いや、いいところ二分くらいなものだろうと考えている。 探しても見つからない、炙り出しても現れない、そうなってようやくあの頑固者――いやいや意思の固いお姫さんも諦めるというものだ。なあ」 「仰るとおりで」 「さあ、ぐずぐずしていられないぞ。 記事の方にもそれとなく蔵元家の存在を匂わしつつ真島に伝言を入れ込まねば。 いいか、場所や個人名が特定されてしまって記者が嗅ぎつけたら元も子もないからな、塩梅だぞ塩梅。 よおし、まずは熱い茶だ。茶を入れろ!」 「はい」
山崎はそう命ぜられて一旦病室を出る。 中ではああでもないこうでもないと原稿を推敲する斯波の声が聞こえる。 側仕えの女中に熱い茶を入れるように言うと、深くため息をついた。
(百合子さんが関わられると急に人がお変わりになる……)
斯波の作戦が成功しようが失敗しようが、山崎の心労が晴れることは無さそうだった。
/-/-/-/-/-/-/-/-/-/-/-/
衰退する蔵田家の一方で、蔵元家が急成長した理由にとある共同経営組織の存在があった。 これは元は清と英吉利の貿易を代行している会社で、貿易の中継地点として日本での拠点になる会社の経営を蔵元に願い出たのだった。 日本での活動をより円滑にするために財界や政界にも顔が広い蔵元に支援を受けていた会社が、いずれ蔵元を内側から食い荒らすほどの巨大な組織であった事は蔵元の当主であった先代しか知らない。 毎年毎年生み出される莫大な利益が何から生まれているのか、それを知ったときにはもはや後戻りはできないほどの闇の深みへと沈んでいたのだ。 人の欲を食って膨らみ続ける金――権力や富をもう欲しいとは思えなかった。 だから、共同経営者の使いから火急の要件を聞いた時、何十年ぶりかに心の休まる思いがした。
それは、組織が蔵元から手を引くというものだった。 蔵元名義の会社や工場、港は全て閉鎖か転売するという内容だった。 手元に残るのはほんの少しの資産とわずかな土地くらいなものだろう。 いつ、政府や役人にあの恐ろしい罪が暴かれるかと不安に思う日々に比べれば多少の不便など目を瞑ることが出来た。
こうなると、悩みの種は一人息子のことだった。 そんな内情を知らない息子は、会社の権利書や土地の証明書などを引っ張り出しては調べ上げている。 何をどう勘違いしたのか資産を隠し持っていると考えているようだ。 ふ、と例の共同経営者について全て洗いざらいを話して、説得してみようかと考えてみるもすんでで思いとどまる。 それが共同経営者の男との盟約だったのと、何よりこの邸の秘密を知った息子は恐れるよりも喜び勇んで利用するだろう。 だから、やはりこの邸は男の言う通り、朽ちるに任せるのが一番いいのだ。
ずぎり、と心臓が痛む。 もうずっと、体調が思わしくない。 ふるえる手で水差しを探すが、ぶるぶると震えて焦点が定まらない。 手の甲が硝子に触れ、勢い余って机から水差しが落ちる。 絨毯に水差しが転がる重い音がして、水を散らしながら転がる。 ぜいぜい、と額に脂汗を浮かせて床に倒れ込んだ。
その音を聞きつけた秘書が扉を開けて駆け込む。 ぼんやりとした意識の向こう側で必死に名前を呼ぶの分かる。
「この邸だけは……」
震える舌は最後の言葉をどうにか紡ぎ出し、糸が切れたようにそのまま力が抜ける。
/-/-/-/-/-/-/-/-/
城には二つの種類がある。 一つは敵の侵攻を防ぐ要塞としての城、ぐるりと囲む城壁や堀にかかる跳ね橋は城塞としてのそれである。 そしてもう一つはマナーハウスと呼ばれ、貴族たちの別荘としての建物で広く美しい庭をもつものだった。 蔵元の城はその二つを兼ね揃えていた。
威圧感のある城壁に、跳ね橋をみてよくも政府などに目を付けられなかったものだなと思ったが、一歩跳ね橋より中に入ってみるとそこは美しい庭が広がりその中央に噴水が輝いていた。 開けた道が一本噴水まで続く、そしてその奥に欧州の絵本の挿絵をそのままそっくり建築したようなマナーハウスが建つ。 道なりに両脇には動物を象った木の葉が刈りこまれており、造形は躍動する馬だとか跳ねる兎だとかで、午後の日差しも相俟って庭は不思議な雰囲気が漂う。 マナーハウスは薄いクリーム色をした建物で、外壁を緑の蔦がからみつくように覆っている。 背後には森が続いているようで城壁が見えないほど広い。 自動車が止まり、運転手にドアを開けられて外に出ると城壁によって外界と遮断され、まるで本当に別の国に迷い込んだようだった。
「お待ちしておりました、名探偵殿」
百合子にそう声をかけたのは30代半ばほどの男だった。 焦げ茶色の洋装に撫で付けた髪に口髭、微笑んでいるが目の奥は百合子を検分するように光る。
「素敵な招待状をありがとうございます、ご依頼はどのような?」
男は苦笑して答える。
「招待状の通りです、私の父は数年前に病気で亡くなったのですがその際遺産を屋敷に隠したと遺言を残したんです、遊び心の多い人でしたので。 最近、貴方のご活躍を耳にしましてね、是非我が邸の謎も解いてもらおうと思ったんですよ」 「それにしても、亡くなったお父上のお名前を使うなんて……」 「これは賭けだったんですよ、なあ?」
男は後ろに控えている秘書に笑って同意を求める。 50代前半ほどの老紳士風の秘書は無表情のままかしこまって礼をした。
「ここではそれほどでないが、東京では今や貴方の名前を知らない者はいない。 そんな有名な探偵殿に普通に依頼を出しても選り好みをして受けてはもらえないだろう?」
得意そうに弁舌を振るう当主。 百合子が依頼を受けたのは全く別の理由だし、嫌味な言い方にかちんとくるも微笑んで同意してみせた。
「旦那様、野宮様もお疲れのことでしょう」 「ああ、そうだな。兎に角、貴方の手腕が発揮されるのを楽しみにしているよ。 依頼の説明や身の回りの世話は秘書の日野に任せてある」 「まずは宿泊のお部屋にご案内を」 「ええ、では失礼いたします」
自動車に積んだ荷物を持ち秘書の男が邸を案内する。 残された当主は内懐から煙草を取り出し火をつけ、興味深そうに百合子の後ろ姿を目で追った。 ふうと煙を吐き出して、吸殻を捨てる。ぎゅっぎゅと革靴の底で踏みつぶしながら今度こそはどうだろうと思案に暮れる。
(本当に遺産なんてあるのか?)
父親が病死して土地という土地、遺品という遺品を総ざらいしてみたもののそれらしい遺産は何もなかった。 傍から見ればあれほど土地持ちだ資産家だと思っていた邸は空蝉のごとく何も残っていない。 財界を唸らせるほどの金と権力が父親の死によって、全て見せかけだったと気付かされる。
(いや、そんなはずはない――)
では、あれほどの金はどこから出ていたのか。 やはり何か隠してあるに違いない、否、そうでなければならない。 当主を継いだ宗太は焦りを感じていた。 北海道の投資に失敗して以来、それの損失を補填しようと様々な事に手を出した。 どこそこの土地に線路が走るだの、土地開発案があるだのと仲間内からの情報を信じて買ってみれば全て嘘の情報であったり値を吊り上げられていたりし、急かされて金を渡せば仲買人が金を持ったまま失踪したりした。 先日もまた戦争があるからと儲け話を持ちかけられ、唯一残っていた不動産やら証券を整理して逐次注ぎ込むも利益は全く上がらなかった。 どれもこれも最初だけは上手く運用出来て潤沢な配当があった、それが日が経つに連れ雲行きが怪しくなりそして損失を補うために次に次にと財産を注ぎ込むことになるのだった。
そして勝手に土地を抵当に入れているのが、当時当主だった父親の知るところになったのが運の尽きだったように思う。 当主とはいってもどうしてかすでに半分隠居したような暮らしをしていた父親に、金の無心をせまるも無下に断られる。 これから戦争で世界が動く、日本だって動かざるをえない状況になる、そうすれば人も金も物も動き絶好の機となると何度説得しても応じなかった。 宗太は慌てた。他の仲間達は我先にと儲け話に乗っているのに、自分だけはただ借財が増えるばかりだ。 蔵元の財産と呼べるものはこの邸以外にはもうほとんど残っていなかった。 土地も山も、田畑も、不動産も、貿易会社工場も――全て名義だけが蔵元で実質は色々なところに切り売りされていた。
もはや宗太が頼れることは死に際の父親が繰り返した、この邸だけは人に売るな――。というその言葉だけだった。これが遺言らしい遺言ともとれる。 英吉利の建築家が設計したという城を、これまで何人も探偵を雇って調べさせてはみたが何もでない。 本当に父親の遺産は全て幻だったのだろうか。 もう二年半も人をやっては調べさせている、しかし何もでない。 潮時を感じていた、この邸を売るなという遺言はあれどこのあたり一帯、背後の山も森も湖まで含めての残された唯一の土地。 売ればいったいいくらになるだろうと考えていた。
「申し訳ございません」 「いいんです慣れてますから」
秘書が百合子に頭を下げる。 先ほどの当主の無礼な言動を思ってのことだろうが、こういった事は初めてではない。 形式通りに邸を一巡案内される。 広すぎる廊下、広間、書斎、渡り廊下を経て玄関からテラスに出た。
「あの噴水は裏手の湖から直接水を引いています。 日中はあのように陽の光を受けて虹色になるように設計されています」
説明を受けて噴水を覗き込むとたしかに清らかな水が流れ、鮮やかな色をした魚が放されていた。 中央から吹き出す飛沫が美しい虹を作る。
「使用人の方にお話を伺っても?」 「それは構いませんが先代の頃にだいぶ人を減らしまして今残っているのは本当に少数です」 「その、先代様が資産を整理されて寄付をされた――というのは何か理由があったんですか? それに、人員の整理をするなんてまるで全てから手を引くような印象を受けたんですが」 「それは――私にも分かりかねます」 「そうですか……」 「ではお食事をこちらの部屋まで運ばせて、その後に使用人をお呼びしましょうか」 「ええ。――いえ、皆さんお仕事で忙しいでしょうから調査も兼ねて私が伺います。 なのでお話だけ通しておいてください」
斯波の情報が正しければ、真島はここで庭師をしていたのだ。 使用人たちに聞けば何か分かるかもしれない、ふと秘書の日野に真島のことを聞こうと顔を上げるが僅かなためらいの後に言葉を飲み込んだ。 そんな百合子の様子に気がつかず、秘書が部屋から去ってからほっと一息つく。 何だか一挙手一投足を監視されているようで居心地が悪い。
(あの秘書は食えないやつだ、お姫さん気をつけたほうがいいぞ)
今ここに居ないはずの助手がそう言うのが目に浮かぶ。 そう、当主などよりもよっぽど切れ者であるあの秘書こそ一番気をつけたほうがいい人間だろうということを百合子も薄々感づいていた。 先代の秘書と言うのなら財政には一番詳しかったはずである。 帳面などの管理や資産運用も先代に代わって取り仕切っているはずの秘書が、なぜ先代が資産の全てを寄付したのかという問いに「教えられない」「答えられない」ではなく、「分からない」と答えるはずがない。 食事を終えて紅茶を飲むと、調査も兼ねて邸の散策に出かけた。
(皆、言うことは先代様は素晴らしい方だったということばかりなのよね)
判を押したような答えに不思議に思いながらも、庭師の老人を訪ねて番小屋へ向かった。 ざくっざくっ、と土を掘り返す音が聞こえそちらへ向かう。 邸の使用人は洋装で統一されているのか、庭師の老人も汚れたシャツを来ていた。 年齢は勿論、格好も違うのに、百合子はなぜか少しだけどきりとした。 土を耕すその姿がどことなく真島と重なって見えたからだ。
「あの――」
振り返った老人は白髪で日に焼けた顔にはたくさんの皺がきざまれていた。 真島とは似ても似つかない姿形だった。 呼びかけた声に額の汗を手ぬぐいで拭きながら腰を上げ、老人は百合子を見て微笑んだ。
「ああ、噂の探偵さんか――ご苦労様で」 「お仕事中に申し訳ないですが、いくつかお聞きして良いですか?」 「ええ、勿論。まあ、私が知っていることと言ったらこの庭のことぐらいなものですけどね」 「以前勤めていた真島芳樹という男を知っている?」
蔵元の遺産関連の質問にこの邸の使用人はまるで回答を用意しているかのように、百合子の質問に答えた。 遺産があるとすればそれは全て寄付された、先代様は偉い方だ。――と。 思い切って別の質問に切り替えようと思ったのはそのためだった。 そこから会話を切り崩そうと考えて、あえて真島のことを話題にした。
「は?ええ、――たしかに、真島という男がいました。 けれど、なぜそれを?」 「私の邸の庭師だったの」
するりと百合子は答えた。
「とすると、貴方……もしかして野宮子爵の……?」 「そう、もう爵位は返上してしまったけど……」 「そうかい、それは懐かしいねえ。あの小さな姫様が」
老人の返答に驚くのは百合子だった。
「お前、私を知っているの?」 「ええ、一度だけお会いしましたよ。姫様はたぶん覚えていないでしょうが……」 「私、この邸に来たことがあるの?」
それは老人に向けた言葉だったが、同時に自分にも問いかけていた。 老人はいつだったかなと想い出すように空を見上げた。
「そう思い出しました、昔は先代様がハウスパーティーをよく開いていたんです。 その時に――確か皆様でいらっしゃいました。若様が十になるかどうかで姫様はまだ五つかそこらだったと」 「そうなの?全然――思い出せない」
どうにか思い出してみようとするも何も思い出せなかった。 もどかしさばかりが胸につのる。
「あの子は私もびっくりするほど植物を咲かせるのが上手でね、今も元気にしてるのかい?」 「……爵位を返上して邸を手放した時に真島とも別れました。 そう、ではやはり彼はここで庭師をしていたのね」 「ああ元々は先代様の共同経営者の下働きをしていたらしいんだが、彼がそうだな十二、三のころかな一時期ここの庭師の手伝いとして雇われるようになってね。 すごく腕が良かったから私もこれでようやく弟子が出来たと喜んでいたんだが――すぐにまた別の仕事につかされたらしくてね。 まあ、頭の良い子だったから庭師にはもったいないと思ったんだろうね」 「では、ずっとここで働いていたわけではないの?」 「そうさね、それから十年も経ったかなあという頃にまた戻ってきてね。 その頃にはしっかりとした青年になっちまってて見違えたよ、それで庭師の仕事も相変わらず見事でどこで修行を積んできたんだと笑ったよ」 「じゃあ、その頃に私の父にその庭師の腕を気に入られて?」 「そうそう、蔵田の邸に移ってすぐね」
真島はその空白の十年の内に復讐に必要な全てを用意したのだ。 そしてそれはこの実体の見えない蔵元家の内情に深く関わることのようにも思えた。
その日の夕方、当主は最後まで姿を現さなかった。 百合子としてもこれ以上嫌味な言葉を言われる心配がなくなり少しだけ安堵した。 夕食も部屋で取る。 食前酒のアルコールがきいたのだろうか、百合子は強い眠気に襲われた。
(何か思い出せればいいんだけど――)
百合子はうとうととしながら、記憶の底を覗き見る。 そもそも五つか六つの頃の記憶などあってもちらほらとしたものばかりだった。
(真島が下働きをしていたという会社は何をしていたのかしら――)
先代の書斎にある名簿などを調べればまた違う糸口が見つかるかもしれない。 そう���いながら百合子は眠りについた。
/-/-/-/-/-/
夢の中で百合子は五つだった。 猫がぐるぐると百合子を取り囲み、その三日月のような瞳が不気味に笑う。 すると、次は黒い影が伸びて馬の影絵が現れる。 ウサギがぴょんぴょんと飛び跳ねて百合子の背を叩く。
Gone to get a rabbit skin, To wrap his baby bunting in♪
外国の言葉など何一つ知らないのに百合子にはそれが恐ろしい呪いの歌のように聞こえて耳を塞いだ。 じっとうずくまり、海底に沈んだ石ころのようにぎゅうとからだを縮こませて。 ふわりと、花の匂いが漂ってそれにつられて目を開けると、動物たちは消えていた。
どこをどうして迷い込んだのか、今となっては思い出せない。 百合子は広すぎる洋館のしんと静まった暗い廊下を一人で歩いていた。
Purple, yellow, red, and green♪
百合子は色とりどりの花を摘みながら歌う。 誰かに教えてもらった詩を口ずさみながら。
/-/-/-/-/-/
悪夢にうなされるようにして百合子は目覚めた。 ぐっしょりと寝汗をかき、身体が硬直して動かせない。 まだ身体は夢を見ている状態なのだ――。指を動かそうともぴくりとも動かず、息も浅く緩く繰り返す。 ただ、頭だけは冴え渡っていてとっさに身体が動かない事がもどかしい。 視界もまだぼんやりとしており、真っ暗な天井に差すわずかな月の光がちらちらと見えるだけだ。
働き過ぎて疲れた夜に同じようなことを体験した。 百合子は半ばあきらめて、先ほどの夢を思い出していた。 あれが夢の出来事なのか、それとも何かしら昔の記憶が混ざっているのか判断がつかなかった。 ただ夢の中で流れていたあの奇妙な歌には覚えがあった。
特有の残酷な詩が百合子は苦手だった。 あの詩を教えてくれたのは兄だっただろうか――。 それも思い出そうとするが、教えてくれた相手は顔に靄がかかっている。 それに、あの兄が外国の動揺を歌って聞かせてくれただろうか、と。
氷が溶けるようにゆっくりと百合子の身体もほぐれ、 凝り固まっていた体の節々がぐぐぐと引きつるように伸びた。
ぎしりと寝台の音をたてて起き上がり、カーテンの隙間から夜の庭園を望む。 月光を受けた噴水の水がきらきらと光っていた。
翌朝、先代の書斎に入り従業員名簿などを調べてみたが、そこに真島の名前はなかった。 共同経営者だったという男やその会社について調べてみても同じだった。
「この共同経営者という男に、遺産を全て騙し取られたと考えるのが妥当だと思いますが――」 「ではなぜ父は、この邸だけは手放すなという遺言を残したんだ?」 「それは――例えばこの邸が凄く気に入っていたとか……」
百合子の答えに現当主は嘲笑した。
「遺産は必ずある――。依頼を受けたからにはきちんと調査ぐらいはしてもらいたい」 「この邸に、動く壁だとか回る本棚だとかそういった仕掛けがあるとは思えないんですが」 「ふん、ならば遺産ではなく、父がこの邸に執着した理由を探ってもらいたいな」 「執着――」 「そう、父のこの邸に対する思いはそれこそ異常だった」 「それは例えば――どんな風にですか?」 「とにかく、人の手に渡らせるなだの朽ちるに任せろだの。 死に際はそんなことばかり言っていたな」 「それで、あなたは先代様が何か遺産を隠していると?」 「他に何がある?」
どうやら、現当主はその逆のことは考えもつかないようだった。 百合子には先代の執着はまるでこの邸を恐れているかのように感じた。 現当主の後ろに控えている秘書に目を向けて問う。
「どちらにしろ、この共同経営者とやらが何者かが気になりますわ」 「それは――私共も気になって何度も調査をしていたのですが、 先代様はその会社のことについては蔵元家の者は一切関わらせず社員の多くは共同経営者側の人間だったようです」 「その代表の方のお名前と会社名を教えていただいても?」
百合子はその名前を書き取り、使用人に案内され電話を借りた。 交換手に取次ぎ、斯波の入院している病院にかける。
「ああ、お姫さん。どうだ、親戚の家はゆっくりできてるか?」 「え、ええ。まあね、も、もちろんよ。 それよりも、ちょっと調べて欲しいことがあるんだけど――」
百合子は斯波に現状を悟られないように、詳細を説明した。
「その会社と代表なら知ってるぞ。――なるほどな、そういう事か」 「どういうこと?」 「その会社も代表もそっくり蔵元と同じような状況なんだよ」 「どこかの会社に買収されていた――ってこと?」 「そうだ。いくつもの会社を経由して元締めの組織を隠しているんだ。 よほど表に出たら危険な組織なんだろうな……」 「それでも、たどっていけばいずれは分かるのでしょう?」 「それは分かるが――ここまで用心深いんだちょっとやそっとじゃ尻尾を掴ませないだろうな。 まあ、調べてはみるが……」 「ええ、ありがとう」 「いいのか、真島はその中枢にいるんだ。 調べたら知りたくない事実を知らなくてはいけないかもしれない」 「……いいわ。毒を食らわば皿までねぶれ、よ!」 「お姫さん……」
勇ましすぎる百合子の言葉にうなだれるような斯波の声が聞こえた。
/-/-/-/-/-/
その日は午後からまた庭師の老人を訪ねて、階下に降りた。 虹を作る噴水の横を通り、動物の形に刈り込んだ植樹の通りをまっすぐに歩く。 その時に百合子は違和感を覚える。 しかし、それが何なのか分からないまま庭師の番小屋へ向かった。 小屋の周りには食用の小さな菜園があり、脇には大きな井戸がある。 菜園を見てそこに茄子や南瓜と言った野菜が植えられていて百合子は真島を思い出さずにはいられなかった。 番小屋の扉を叩いてみても反応がなく、どうやら庭師はどこかへ出かけているようだった。
少しだけ散歩をしようと花々の咲き誇る庭園を歩く。 その時、ふとある香りが漂った。 それは昔の記憶を呼び起こす鮮烈な香り――。
「真島?」
振り返り、背後を見る。 ひらひらと蝶蝶が舞い、午後の日差しに咲く花があるだけだった。 太陽の香り、花の香り――何とも形容しがたいあのあたたかく甘い香りに脳が揺さぶられる思いがした。
ふ、と記憶の一部分が蘇る。
目の前を歩く少年の姿。 百合子は暗い階段を少年の後をついて歩きながらそれでもどこからかあの花の匂いがした。 そして、それが少年から香っていることに気がついた。
「これは、記憶なのかしら――それとも私が勝手に作り上げた幻想?」
それでも確かに、あの少年は真島なのではないかと思えた。 庭を一周する。次第に日が傾き、木々の黒い影がぬるりと伸びる。 それ以上の収穫らしい収穫はなく、また遊歩道を通って邸へ向かう。
足元に、動物の影が落ちて一瞬ぎくりとする。 それは猫の形をしており、尻尾がくるりと巻き、あくびをするように身体を伸ばしている。
百合子はどうしてかゆっくりと、動物の影を作る植樹に近づく。 葉は刈りこまれて、綺麗に整えられている、誰かが毎日世話をしている証拠だった。 横には馬が、そしてその向かいにはウサギの植樹が並ぶ。
確かに子供の頃、この植樹を追ってどこかに迷い込んだはず……。
百合子は遊歩道を引き返して番小屋に向かっていた。
/-/-/-/-/-/-/
「もしもし。 そちらにお邪魔している野宮百合子嬢の助手の斯波というものだ。 彼女に話があるんだが」 「申し訳ございませんが、そのような方はおりません」 「何を馬鹿なことを言って――」 「お掛け間違いでしょう、それでは失礼致します」
日野は電話を切ると現当主の居る書斎へ向かった。 扉を叩く暇もなく、部屋へ入る。
「どうやら、あの女探偵が遺産の隠し部屋を見つけたようです」 「本当か?」 「はい、どうやら庭園の一角に入り口があったようで――」 「庭?……庭とは盲点だったな。ようし、行く���」 「はい」
喜び勇んで部屋を出る現当主の後に日野も続いた。
/-/-/-/-/-/-/-/-/-/
リンゴみたいにまあるくて、コップのように深くって、 王様の馬が集まっても持ち上げられないものってなあんだ?
庭園の一角にある東屋で人々が集い午後の茶会を開いている。 ハウスパーティと銘打たれた茶会に百合子はうんざりとしていた。 茶会に参加している他の子供達はやれ流行り着物だの新しいドレスだのと自慢ばかりしているし、 同じ年頃の男の子はどうしてか百合子に意地の悪い言動ばかりかませてくるしと、 百合子は兄と一緒に茶会を抜けだして庭園を散策する方が楽しかった。
着せられた新しい洋服が腹に苦しくて一刻も早く脱ぎ捨てたいと思う。 少し年上の女の子には「あまり似合ってないわね」とからかうように笑われたのも屈辱だった。 思い出しただけでも恥ずかしさに顔が赤らむ。 そして今もまた妙に作り上げた猫なで声で兄の名を呼んでいるのがそうだ。 馴れ馴れしく瑞人さんなどと呼び、大胆にもにっこりと微笑んで向こうに何々の花がありますのよとしなを作ってみせていた。 兄も悠然と微笑みそうですかなどと答えて、百合子にお前も一緒に行こうという。 おじゃま虫の百合子を例の少女はじとりと嫌な目で見た。
百合子はとっさに、私はもう少しこの花を見てます、ともごもごと答えてその場から逃げる。 兄の呼ぶ声が聞こえたが今更戻るのも癪だった。 当て所なく庭園を彷徨っていると、美しい蝶が一匹ひらりと目の前を舞う。 色は黒く、わずかに深い瑠璃色が模様で入っている美しい蝶だ。 それが風に乗ってふわりと飛ぶと、甘い花の香りがした。 花の蜜の香りに誘われるように、百合子もその蝶を追う。 どうぶつのかたちの植木を撫でて、遊歩道を外れる。
背の高い草木が生い茂る道を横切ると、一瞬、蝶を見失う。 どこへ行ったのかときょろきょろと視線を泳がせていると、がさりと草を踏む音がした。 百合子は人がいるとは思わず、ぎょっとしてそのまま固まる。どうしてか、息を殺してそっと見を屈めた。
百合子のいる場所の少し先に一人の少年が居た。 向こうは百合子に気が付かず、がさがさと背の高い草をかき分けてまたどこかへ消えてしまった。
蝶が消えた瞬間に、入れ替わるように少年が現れたので百合子は彼が蝶の化身のようにも思えた。 なにより、ちらと見えた少年の顔に表情はなかったがその横顔ははっと息を呑むほど美しかった。 そしてやはり、花の蜜のような甘い香りがあたりを漂う。
(一体何の花かしら……)
こんなにも芳しい香りを放つ花を百合子は知らなかった。 気がつけば先ほど少年が歩いていた道をたどるように百合子も歩いている。 そして開けた場所に出たと思えば、そこには大きな井戸があった。
(リンゴみたいにまあるくて、コップのように深くって、 王様の馬が集まっても持ち上げられないものってなあんだ?)
周りに先ほどの少年の気配はない。 井戸に近づくと先ほどの甘い香りとは打って変わって、苦いような青臭い匂いが一瞬ぷんと立ち上る。 百合子は後退って、再びきょろきょろと周囲を見渡した。 ふわふわと蝶が井戸の周りを舞う。
「この中?」
聞いてみても答えはないと分かっていても百合子は蝶に問いかけてみた。 すると蝶は、そうだ、と言う風に百合子の肩に止まる。 井戸の蓋をとってみる、想像以上に重くて百合子は新しい洋服の袖が汚れてしまったがすでに足元は泥や草花の種で汚れているので気にしないことにした。 ささくれだった木の蓋の枠に気をつけながら、ずりずりとずらして半分井戸の入り口が開く。
「誰かいないの?」
暗闇を覗き込んで呼ぶ。 足元の石ころを拾って井戸に投げ入れるとすぐにからんころんと音がして、中に水がないこととそれほど深くないことがわかった。 そして奥のほうから苦い胸のただれるような匂いに混じって、ふわと甘い香りがした。 その香りで百合子は先程の少年がこの中に入っていったと確信する。 井戸の縁を見れば底に続く梯子がかかっていた。お転婆の百合子ですらも、一瞬は躊躇せざるを得ない闇と深み。
「深いと言ってもコップくらいだわ」
自分に言い聞かせるように言うと、汚れた袖をまくりあげて井戸の縁に足をかけた。
/-/-/-/-/-/-/-/-/
とっぷりと日が暮れて、ぱつぱつと遊歩道脇の街灯が明かりを灯す。 邸を振り返ってみれば、あの僅かばかりの住人が住む部屋の窓からも明かりが���れている。 迷路のようになった庭園を早足で駆け抜けて、番小屋を目指す。 庭園の奥深くへと入ってしまうと、そこにはもう街灯の明かりは届かなかった。 雲の切れ間に挿し込む月の光だけを頼りに、百合子は進んだ。 あの日のような甘い香りも、青臭い苦い香りもしなかった。 ただ、夜露に濡れる草花の匂いだけ。
開けた場所には井戸が、そして今は番小屋が建っている。 百合子の背丈ほどもあると思った背の高い草は今はもう胸元ほどであの日のようには青々とはしていない。
井戸の蓋を軽々と持ち上げて中を覗く。 そこにひっそりと沈む闇と深みはあの時と同じだった――いや、むしろ以前よりももっと濃く底のない無限の穴に見えた。 ごくりと唾を飲み込み、あの日のように袖をまくって井戸の縁に手をかけた。
底まで降りて見上げると小さな丸い入口が見えた。 目を凝らしてみても真っ暗で、百合子は手探りで壁に触れてその凹凸からどうにか入り口を見つけた。 ようやく暗闇にもなれると薄っすらと周囲が見え始めた。 井戸の底から扉を開けて一旦中に入ってしまえば、そこは狭いしんとした廊下だった。 横にいくつか部屋の扉があるが、施錠されていて開かなかった。 ざらざらとした壁を手で伝いながら、かつこつと石畳の廊下を歩く。
一歩、一歩と歩みすすめるたびに霞となっていた記憶が実体を持ち始める。
長い廊下を一人で歩き、いつしか行き止まりまで来ていた。 そこから下は階段になっている――古くなった燭台は埃が被っている。 真っ暗なまま、階段を一段、また一段と降りる。
しばらくいくと古い扉が現れる。 取っ手に手を伸ばし、ぐいと押す。ぎしぎしと音がして緩く扉が動く。 もう一押し、百合子は力を込めてその扉を押すと、がりがりと擦れる音をさせながら扉は開いた。
中は広い工場のような作りになっており、銅色に鈍く光る天井まで届くほど巨大な太い筒が三本伸びている。 そしてそれに配管のようなものが無数に繋がり、壁や天井を這いまわる。 今はしんと静まったそこが、過去にはごうんごうんと音を立て青臭い匂いを発しながら阿片を製造していた部屋だということは百合子にも分かった。 暗闇に浮かぶ物言わぬ機材たちを見てぞくりと震える。 日本の政府は日本への阿片の密輸、密売を徹底的に取り締まる動きを見せている。 それなのに、東京にも近いこの土地にこのような製造工場があり、それこそ十数年前は確実に稼働していたのだ。
ぼんやりとした記憶の中で、あの夢の中の光景を思い出す。 あの時の少年は真島だったのだともう確信を持っていた。 庭師の老人の言葉が頭の中で反芻する。 百合子はその先に待ち構える漠然とした不安を振り払うように強く目を瞑って頭を振った。 その時、背後の扉が音を立てて開いた。 現れたのは蔵元の当主とその秘書、どうやら百合子の後を追ってきたらしい。
「なんだここは?」 「……おそらく、阿片の製造工場だと思います」 「あ、阿片?!」
思いがけぬ百合子の言葉に当主は素っ頓狂な声をあげた。 色々な情報が錯綜しているのか、そのまま呆然と立ち尽くす。 本当に一切知らされていなかったのだ。
日野と当主はひと通り部屋の中を歩き、今は動かぬその機械を見上げる。
「先代の遺言通りこれはこのまま――朽ちるに任せた方が」
百合子の言葉にはっと顔をあげて、青ざめた顔で頷く。
「そう、そうだな――」
当主言い終わるのよりも早く、日野が当主の後頭部を殴りつけた。 その手には黒光りする拳銃が握られており、無表情のままそれを百合子につきつける。 当主は呻き声を二、三あげてがくりと膝をつき、そのまま床に倒れこんだ。 痛みに悶える当主に日野がちらと目をやった隙に、百合子は床を蹴って配管の裏に回った。 威嚇するように一発、地面に向けて撃つ。 薄暗の闇にチカリと銃弾が床に撃ち込まれて爆ぜる花火が浮かぶ。
(ほ、本物――)
ひやりと冷や汗が首筋を伝う。 買ったばかりの皮のブーツ、ここに来るまでに泥や埃で汚れてしまったが踵が石畳のくぼみに足を取られ苦労した。 百合子はそれを脱ぎ、配管ごしに日野に投げつけた。 当たりはしないし、当たっても傷にもならないだろうが、日野は音のする方へ拳銃を向けてまた一発銃弾を放つ。 鈍い音にそれが配管に当たってしまったのだと日野も気がついたのだろう、舌打ちをする。 百合子は裸足のまま扉にむかい走る、足の裏がごつごつとしざらざらとした石の感覚に痛むが、弾を込める隙にどうにかその部屋から脱出出来た。 扉を乱暴に閉め、その背後から日野の怒鳴るような声があがる。 百合子は咄嗟に階段をかけ降りた。
螺旋状の階段に息の上がった百合子の吐息が反響する。 がつがつと追いかけてくる日野の足音が次第に迫っているのが聞こえた。 心臓は追い立てられる恐怖にどくどくと痛むほど打つ、壁を伝う手のひらも足も擦り傷だらけになりじくじくと痛んだ。
日野は恐らく、同じ事をしようと思っているのだろう。 当主を傀儡にして、もう一度阿片を製造し密売しようと。 そのためには表に出すための当主はまだ必要だ、ただ真実を知る百合子を始末すれば――と。
百合子はついに最後の扉にたどり着いた。 取っ手を回す余裕もなく身体をぶつけるようにして、扉を開ける。 転がり込むように部屋��入ると、そこは月の光が差し込む庭園だった。 今までの暗い部屋とは違いくっきりと薄闇に光が差し込んでいる、地下なのになぜと上をあおぎみると上はガラス張りになっていた。
「噴水?」
天井を色とりどりの魚が泳ぐ。 ぼうぼうと伸び放題の草花はもうここに何年も人の出入りがないことを教える。 整然としていた花の区画は曖昧になり、それでもちょろちょろと清水がどこから湧き出し床を濡らす。 管理する庭師を失った庭園でも花々は生命力たくましく生き続けていたのだ。 その花の蜜は人々の心を壊す毒だというのに、ただ生きるために繁殖し、床に壁に伝う様は神々しくもあった。
「さて……」
背後で日野の声がした。 百合子がゆっくりと振り向くと、ぐいと腕を掴まれた。 日野はただ拳銃を背中に突きつけて百合子の反応を見る。 陳腐な悪者にありがちな交換条件などは一切口にせず、このままここで百合子を殺してしまうつもりなのだと思った。
「私がここに居ることは助手が知っているわ、それに私の死体なんかがあがってみなさい。 どの新聞社だってほうっては置かないわよ」 「確かに、今この時期に死体があがれば――そうでしょう。 人の存在を確実に消すのは行方不明にしてしまうこと」
淡々と告げる言葉に百合子は震え上がる、殺されてたまるものかと百合子はぎりと奥歯を噛み締めるも固く掴まれた腕はびくともしない。 頭の中が恐怖でいっぱいになり、止めどなく溢れる思考を整理するまもなく、がちゃりと音がして撃鉄があがる。
その時ゆらりと目の前が揺れて、百合子は幻を見た。
「誰だ――」
二人の前に現れた人物を見て、日野がまっさきに声をあげた。 ぐいと背中を押す力が増すも、わずかに震え動揺しているのが分かる。
「お前が助手か? 一歩でも動いて見ろ、この女を撃つぞ」
そう言うと百合子の額に拳銃を突きつけた。
「取引のつもりか知りませんが、俺は助手なんかじゃありませんよ。 まあその女ともどもここで始末するつもりだから、手間が省けてちょうどいい」 「な、では、お前は――」
思わぬ第三者に日野の声が上ずった。 蔵元の者でもなく、探偵の助手ではない――そうなると必然的に残るのはこの阿片組織の人間だった。 日野ははあはあと息が上がり、現状を脱却する術を探す。
「わ、ま、まて! 私は蔵元の秘書で……」 「待つと思うのか?」
嘲笑するように言う。 日野は怒りにぶるぶると震え百合子を盾にしたまま、男に拳銃を向け直した。
その時、どんと大きな揺れが起こった。 足元から救われるような大きな揺れにふらつき、百合子は屈み込んだ。 瞬間に、だんと音がして日野の身体が弾け飛ぶ。 まるで揺れが起こることを知っていたのかのように男は冷静だった。 わずか数秒ほどで揺れは収まったが、建物の揺れは続いていた。
「な、地割れ……?」 「いいえ、仕掛けた爆薬が爆発したんです」
百合子の腕をそっと掴み起こす。
「私も殺すの?真島……」
百合子は真島の顔を見て問いかけた。
「いいえ、ああ言わないと貴方が危ないと思ったんです。 ――ここも危ないですよ」
この衝撃に天井の硝子も鉄骨も耐えられない事は一目瞭然で、しかも上にある噴水は裏手の湖から水を引いているのならばこの地下は全て水没してしまうだろう。 百合子は真島に言われるがまま手を引かれ、上へ上へと階段を登る。 階下で轟音が響く。 あの美しい庭園が水の底にたゆたい、魚たちが自由に泳ぎ回るさまを百合子は見たような気がした。
お前は、なぜここにいるの。 お前は、阿片組織の人間だったの。 お前は、今、どうしているの――。
百合子は聞きたい気持ちが溢れ、胸が詰まってしまった。 ただもくもくと階段を駆け上がる、時折ずずんと建物自体が沈みぱらぱらと砂が降ってきた。 ぜいぜいと息を繰り返し、苦しさで胸が痛む。 もう考える暇もなく、ひたすらに真島に手を引かれて階段を登っている。 聞きたいことをひとつひとつ足場に落としながら。
「そろそろ出ます」 「え?」
そう言うと、びゅうと風がふいた。はたはたと裾がはためき、夜風が肌に染みる。 苦しさに痛む胸を抑えつつあたりを見回すと、そこは城の一角にある塔だった。いつの間にか城を見下ろすほど高いところまで登っていたのだ。 ごうと瓦斯の燃える匂いがして、そちらをみると巨大な風船があった。 それは気球だろうということは知識としてだけ知っていた。 真島は網かごに乗り込み機材の調整をし、初めて見る気球に驚いている百合子に声をかける。
「乗ってください」 「こ、これに?」
じりじりと炎の調節をする真島。炎に照らされた横顔は何の表情もない、いや、むしろ――。
「真島、怒ってるの?」 「……久しぶりに再会して聞くのがそれですか。 ええ、まあ。怒ってます。いいですか、置いて行きますよ」 「ま、待って」
慌てて網かごに足をかけてのぼる。 すでに裸足だったし、裾はどろどろに汚れていたし、と思っても顔から火が出るほど恥ずかしい。 真島は百合子が乗ったのを確認すると、塔と気球をつなぎとめる太い縄をためらうことなく拳銃で撃ちぬいた。
真っ暗な闇空を、ゆっくりと気球が舞い上がる。 眼下には蔵元の邸が広がる。 爆発により地下が埋まり、そこに噴水の水が流れ込んだらしく大騒ぎになっていた。 暗闇にゆらゆらと松明の火のようなものが見えた。
「あ、当主が……」 「気絶していたので運び出しました。 あの辺りは前の災害で地盤が緩み始めていたので時間の問題だったんですが。 聡い割に傍迷惑な探偵が余計な事をしてくれたおかげでこの様です」 「な、私はただ単に依頼を――。 だって、私は……! わ、私……どうしても……お前に会いたかった」
別れを一方的に告げられて、ぽっかりと心に穴が空いてしまった。
「会って、それでどうするんですか?」 「私は、――莫迦みたいだけどお前を幸せにしたいと思ってた。 何も知らない子供だったから――そんな残酷なことを考えられたのね」
幸せであるということは絶対だと思っていた。 けれど、様々な事件にめぐり合う度に幸せとは何かと考えざるを得なかった。 実の妹を殺した姉、復讐に取り付かれた鬼、出生を呪う男――。 妬みや恨みと言った物を何一つ知らず、ぬくぬくと暮らしてきた百合子にとってそういった感情を理解するのは難しかった。
幸せの形は違うのだ。 ましてや真島は百合子を――野宮一家を心底憎んでおり、その人間から幸せにしたいなどと言われるなど屈辱以外のなにものでもあるまい。
「それでも私はお前が幸せでありますようにと願わずにはいられない」
真島が大好きだったから。 その言葉は決して口にできないし、言うつもりもない。 だから、百合子にはそう願うしか出来なかった。 人間とは不思議な力があって、何でも出来るような気がした。 強く願えば、そしてそれに怠らぬ努力をすれば、きっと何か奇跡のような事が起こせると信じていた。
「姫さま……」 「な、泣いてないわよ。これは――」
百合子は我慢しきれずに瞳に涙を浮かべていた。 対等な人間として話をしたかった。だから、決して泣くまいと思っていたのに。 自分の弱さに歯がゆさを感じてわざと乱暴に目元を拭う。
「――俺はね、絶対に幸せにはなれないんだと思っていました」
真島がぽつりと漏らす。 その顔には微笑みが浮かんでいて百合子は驚いた。 山の端が白み始め、夜明けが近づく。 新しい陽の光が山々に差し込み、闇空を照らす。
「俺は愚か者です。幸せとは去った後に光を放つのだと――ずっと後になって気がつきました。 姫さまと過ごした日々を失って初めてあの日々こそが幸せだったのだと知った。 俺も――あの日からずっと祈っています、姫さまが幸せであるようにと」 「――っ、わ、私は、――わたしは、幸せよ。……幸せ、だわ」
こらえ切れなくなり嗚咽をあげて泣く。 おそらく、これでもう本当に二度とは会えないだろうと言う気がしていた。 あの日、一方的に別れを告げた真島に百合子は答えられなかった。 真島のさようなら、と言う言葉に同じように返してしまったら別れを認めなくてはならないから。 これはきっとさようならと真島に言うための道のりだったのだ。 拒否し続けてきた別れを、今こそ受け止めるための長い道のり。 今の百合子ならこの別れに耐えられる、だからせめて少しでも笑って――。
「真島、さようなら」
/-/-/-/-/-/-/-/-/
「お姫さああん!」
自動車の窓から身を乗り出して斯波は叫んだ。 上空を漂う気球に百合子がいると信じて疑わない。
「や、や、山崎!もっと速度をあげろ!」 「しゃ、しゃちょう無理です!道も悪いですし何しろ向こうは空を飛んでいるわけで……」 「ええい、何を情けのない声を出してる!代われ莫迦者!! お姫さん今行くぞ!!!」
山崎を押しのけて運転席に座るも、ぐんとアクセルを踏み込んだ途端にハンドルが言うことを聞かなくなりきゅるきゅるとタイヤが空回りする。
「社長!気球が下降しています!」 「何?!ようし、あの方向は牧場だな、掴まれ!」
がたがたがたと揺れながら自動車は道を外れて牧場を爆走する。 途中に放牧された牛と正面衝突しそうになるが、ぐぐっとハンドルを切りぎりぎりの所でかわした。 しかし、何か石のようなものに乗りあげてバスンと嫌な音がして速度が急激に落ちる。
「社長!パンクしました!」 「くっ、仕方ない。山崎、そこの拳銃をよこせ!」 「どうするおつもりか聞いても?」 「最悪、あの気球を――撃ち落とす!」 「……」 「……冗談だ。相手はあの阿片王だぞ? 備えあって憂いはない」
そんなやり取りをしているうちに、気球が再び上昇する。
「ほら見ろ!いいから、拳銃を貸せと言っているんだ!」 「社長、向こうから人が歩いてきてますが……」 「何?!」
斯波が目を細めて牧場の丘陵を見据えると確かに人がこちらに向かって歩いてきてる。 遠目でもそれが百合子だと分かるやいなや、自動車に急ブレーキをかけた。
「お姫さん!無事か?!」 「斯波さん!どうしてここが?!」
斯波は百合子に駆け寄り躊躇なく抱きしめた。 顔を確かめるように少しだけ上体を離して、両手で頬を包み込み額の泥を拭う。 そして、今は小さい粒になった気球を見上げた。
「あの気球は真島か?」 「ええ」 「貴方は裸足じゃないか……!」 「これは、靴を日野という秘書に投げつけて……」 「ふ、服に血が……」 「これも――たぶん、日野という秘書の……」 「遺産探しだと思っていたのに、どんな危険な目にあったんだ!」 「話すと長くなるのだけど……」 「いや、良い!今はまだ聞きたくない、俺の心臓がもたんからな。 しかし、どうして真島と一緒に行かなかったんだ?」 「それも話すと長くなるのだけど……」 「いやいやいや。分かってるぞお姫さん」
斯波の表情がすっと引き締まり、真剣味を帯びる。 思わず百合子はどきりとしてその瞳を見つめた。
「社長~~~お忘れ物ですよ」 「山崎……なっ、それは持ってくるなと言っただろうが!!」
山崎が後から追いかけて持ってきたものは紙の束だった。 百合子はそれに見覚えがあった――原稿用紙だ。
「あの、これは?」
ミミズがのたうつような文字がいっぱいに書いてある。 紙であれども束になるほど多いので、腕にずっしりと重い。
「はあ、あの社長の所に編集長という方が来まして……」 「勝手に辞表を出すとは何事か、と怒っていたぞ。俺に辞表を押し返された。 ――それで、タイプライターで文字を打つならどこぞの自宅でもできようと……これを」 「そうだわ、私には借財返済という大きな目標があったわ……」
これからどうしようなどと途方に暮れる暇もない。 夜が明けて、日の出の眩しさに目を細める。 疲れきって身体は思いし、あちこちの擦り傷も痛む。 それでも心は晴れやかだった、束になった原稿を抱えて朝日に向かってぐっと拳を握る。
「私の夜明けはこれからよ!」 「お、お姫さん……」
斯波はその場にがくりと膝をついた。
数年も経てば、あの騒ぎもすっかりと忘れ去られていた。 ようやくタイピストから編集へと復帰して、探偵の依頼もまた少しづつではあるが受け始めていた。 大きな事件は少なく、失せ物探しや人探し素行調査と言った事件ばかりではあったが、それなりにこなしていた。
そして今日もまた鏡子婦人に呼び出されてホテルの一室に向かっている所だ。 他にも用事がある、それはようやく鏡子婦人の借財を返済するめどがついたことだった。 婦人はきっちりと貸し、そして百合子はそれをきっちりと返しきった。 その関係が、信頼で結ばれている証だった。 いつもはホテルのラウンジなのに、今日に限ってホテルに一室をとるということは恐らく借財の話などもあるのだろうと、百合子は感じながら案内された部屋を叩く。 すると、中から聞こえた声は鏡子婦人のものではなかった。
「あら、斯波さん早いのね」
扉を開けてみるとやはりソファに腰掛けていたのは斯波だった。 相変わらず派手な洋装を見事に着こなしている。 それにしても助手の斯波も呼び寄せているということは、なかなか難しい依頼なのだろうかと考えていると斯波がごほんと咳き込んだ。
「ああ、今日の依頼人は俺なんだ」 「……斯波さんが?」
ふと、最初の事件を思い出す。斯波が依頼を出すことなどあの事件以来初めてのことだ。
「どんな事件なの?」 「いや、事件じゃない。ちょっと人を探していましてね」
促されるまま百合子はソファに腰掛けた。 斯波の微笑んでいる目元に、僅かに不安を感じる。 入れたばかりの珈琲に口も付けず、少しだけ斯波は目を瞑った。 よほど難しい事件なのだと百合子は思い、居住まいを正して背を伸ばした。
「その人に、この手巾を返したいんだ」
胸元のポケットから取り出したのは一枚の真っ白な手巾だった。 とても大切な物を扱うように、そっと机に置く。
「手巾?」
それを手に取った瞬間に、百合子の時は止まった。 真っ白な手巾、それに見覚えがあった。 頭の芯の方から記憶が洪水のように溢れ、光のように周囲を照らす。 息が上がり、言葉が詰まる。
「これ、――私の、だわ」
そう、その手巾は百合子のものだった。 仏蘭西の特注品であまりにも白くて美しくて、一度も使ったことがなかった。 それと同時に、もう一つの記憶が呼び覚まされる。
「あ――」
その曖昧な記憶が逃げてしまわないように、目の前の斯波を見つめる。 確かに、昔、この手巾を一人の少年にあげたのだ。 その少年は泥にまみれて汚れていたことはかすかに記憶にあるが、顔には靄がかかり思い出せない。 浅く呼吸を繰り返す。
「あなた、なの?」
斯波がゆっくりと頷くと、百合子は初めてあった夜の斯波を思い出す。 妙に自分に執着する男――ただ単にそういう印象しかなかった。 斯波に気を許せるようになってきたのも、探偵業を初める前後ぐらいからでそれまではむしろ不審に思っていた。 百合子はどうして、と聞けなかった。きっと斯波はそういう男なのだから。
「ずっと貴方を愛していた」
その言葉は重く、百合子は不安になる。 自分はそれ程までに強く想われて良い人間なのだろうかと。 その気持ちを察知したのか、斯波は更に言う。
「貴方を知れば知る程にその思いは強くなった。 俺はもう貴方なしの人生など考えられない」 「私――もう歳だし、沢山子供生めないかもしれないわよ」 「ああ、俺は貴方がいればそれで十分だ」 「それに――たぶん、仕事も辞められないわ」 「分かってる」 「あの時からずっと私のことを想っていてくれたのね」 「そうだ」 「どうしてもっと早くに言わないの!!! 私だけが何も知らなくて、これじゃあただの莫迦みたいじゃない!!!」
混乱する百合子を斯波が優しく抱きしめて耳元で謝る。
「すまない――すまない」 「謝ってほしいんじゃないわ!いいえ、謝ったって許してやらないから!」 「そうか……」
きっと百合子は斯波を見上げて睨む。
「もっともっと強く抱いて、沢山愛してると言ってくれなきゃ許さないわ。 それも、ずっとずっとよ。貴方か私かのどちらかが老いて死ぬまでずっとよ」 「ああ、百合子さん愛してる」
百合子の言われる通りに強く抱きしめて搾り出すようにそう言うと、わなわなと震えている百合子の唇に唇を押しあてて吸い上げた。
「ああ、貴方の唇はなんて甘いんだ――」 「も、もう嘘ばっかり」 「嘘なものか、もう一度確かめさせてくれ」
恥ずかしさに俯いた百合子の顎を持ち上げて更に深く口付ける。 息をつく暇もないほどの激しい口付けに百合子は腰が抜けてソファに崩れ落ちる。
「あ、あの斯波さ――私もう……」 「部屋をとって正解だったな」 「だ、だ、だめよ。あああ、貴方まさかそのつもりで?」 「なぜ駄目なんだ」 「私たちまだ結婚していないのに。 それなのに――こんなこんな昼間から……ふ、ふ、不埒だわ」 「結婚していて夜ならいいんだな?」 「そ、それは、ふ、夫婦の営みとして――」 「分かった、では今日は貴方の口を吸うだけで我慢しよう」
ソファに横たわる百合子に覆いかぶさって、再び口を吸う。 オーデコロンの香りがふわりと降り注ぎ、葉巻の苦い香りが鼻を突く。 心地の良い重みに、服を隔てた皮膚がじんわりと熱を帯びた。 どんどんと息が上がり、口付けだけで快感に震える身体に怖気付いた。
「は、は恥ずかしくて……心臓が壊れてしまうわ」 「あまり可愛いことを言ってくれるなよ――」
どくどくと脈打つ百合子の心臓の音を確かめるように胸に触れる。 首筋まで真っ赤になった百合子が可愛くてそこを吸うと、ふわりと甘い香りが立ち上る。 それを吸ってしまってはもう斯波には我慢など出来なくなっていた。
洋装のタイを緩めてシャツの襟元を開ける。 がしがしと頭をかき、おもむろに立ち上がって部屋のカーテンを閉めた。
「百合子さん」 「は、はいっ」
百合子が上ずった声で返事をする。
「――俺の妻になってくれるか」 「はい……」 「よし」 「だ、だめ――私、下着が……」 「下着?」 「あ、ああ、洗いふるしたやつで――」 「大丈夫だ、暗いからしっかりとは見えん。 ――他には?」 「え?」 「もう、心配事はないか」
色々と言いたいことはあるはずなのに、その場の雰囲気に押されてか、多少の興味もあってか、この血が沸くほどの緊張の心地よさのためか――。 百合子は何も無いとばかりに首を振った。 二人ともおかしな熱病に浮かされているのだ、正気であってはこんな事は決して出来ない。 百合子は自分にそう言い聞かせた。
/-/-/-/-/-/
「あらあら、うふふ……」
鏡子は扉の前で意味ありげに微笑を浮かべた。 どんな塩梅かと心配して見にきたものの、大きなお世話だったようだ。
「差し詰め、野宮百合子の事件帖、終幕といったところね」
ちょいちょいと癖のように項の髪を持ち上げると、足取り軽やかに廊下を後にした。
0 notes
Text
余命コメントの抜粋1246〜
余命三年時事日記さんのブログです http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/2016/12/28/1423-%e4%bd%99%e5%91%bd%e3%82%b3%e3%83%a1%e3%83%b3%e3%83%88%e3%81%ae%e6%8a%9c%e7%b2%8b1246%ef%bd%9e/ 引用 1246 東京地検アラカルト ちょっと熊本 .....この関係の情報は早くから関係機関に伝わっていた。民進党代表戦の時には公然の秘密状態だったと思う。それぞれに思惑があって、告発に至っているが、知らなかったのはおそらく当人だけだったのでないだろうか。 行動する女性軍団花時計が話題になっているが、まあ、とんちんかんな論評が多い。しかし調べてみると驚くぞ。組織の大きさと情報網、そしてバックが半端ではない。 余命との連携?「ありません」今回の告発を知っていた?「知りませんでした」本当? 「本当です。余命は嘘をつきません。」 注、たまに嘘をつくことがあります。 .....日韓議員連盟の額賀をつぶしたからね。竹下派へ回帰かな。 .....25日に余命が外患誘致罪で告発しているから、とりあえず受け取らざるを得なかったのだろう。受理=起訴ではないからこれからだな。 ただ、個人の告発とはまったく違って、方や団体、方や委任状を添付という集団刑事告発事案であるから、そう簡単に不起訴とか起訴猶予というわけにはいかないだろう。 もうすでに、そのような処理は外患誘致罪のスパイラルとして巷間、認識されつつあるから崩れるとしたら一気だな。メディアは必死に無視を決め込んでいるが、さすがにここまで来ると支えきれないだろう。 通名報道が韓国本名になったり、中京新聞などはねつ造報道の謝罪と社員の処分をしている。これは明らかにTBS告発の影響でアリバイ作りである。 メデイアの告発は、いつでも誰でもできるようになっているから、これからは、すでに告発されている弁護士集団に加えて、反日、在日組織と連携している勢力のあぶり出し色づけと告発に重点が置かれる。これは官公庁も例外ではない。 沖縄の政情を見て、中国が武力牽制に出てくる可能性や、韓国の政情を見て北が動く可能性も否定できない。いずれのケースも日本国内においては中韓ともに国防動員法が発動されるためテロゲリラ、便衣兵への対応が急務となる。 そこで、大きく組織に網をかけている。トップ、あるいは幹部という具合だ。全体で反撃してくるなら全員を告発対象にすればいい。それこそ一網打尽である。 なにしろ戦後71年間の蛮行、ねつ造、隠蔽の歴史が日本国民の前にさらされようとしているのだ。国民の一割でも目覚めれば在日や反日勢力は一気に駆逐される。彼らが今一番恐れていることはその点で、全力を挙げて隠蔽に狂奔している。 余命がすでに告発している事案は約30ほどで、毎日少しずつ開示している。今週中にまた10程度追加される。この状況が実に静かに何事もなく進行している。しかし、これがとんでもない異常事態であることは誰の目にも明らかである。 告発されている関係を見てみよう。 川崎デモ関係で弁護士5名、横浜地裁判事、川崎市長、TBS幹部およびキャスター、沖縄新聞2紙と基地反対勢力、朝日新聞、有田芳生、福島瑞穂、蓮舫、全国都道府県知事、日本弁護士連合会、神奈川県黒岩知事、大坂ヘイトスピーチ条例関係者、神奈川新聞、東京弁護士会、福岡弁護士会、全国司法書士協議会、関東弁護士連合会etc. 告発済みがあと15ほどと、今週告発予定が8ほどある。 これはみな、事実関係に争いのない事案で有罪確定=死刑確定というとんでもない刑事告発である。ところが、もう一週間になろうとしているのにただの一人も、ただの組織一つも動きがない。すべてが見事に、ひたすら沈黙である。 余命のよの字、外患罪のがの字、そして現在、この外患誘致罪が適用可能な国際状況であることを日本国民に知られないよう必死になって編み出した戦術が無視と沈黙である。ようするに、彼らは現状が有事外患罪が適用下にあるということを知っているのである。そして通名在日はテロゲリラ、便衣兵であることも認識しているのである。 日ごと追い込まれてのじり貧状態にどこまで耐えられるかな。 .....添田君はしばき隊。しばき隊の野間君の反日行動やグループの傷害事件、通名在日のテロゲリラ、便衣兵活動はまとめて告発するが、神原君が私撰弁護士なら一緒だな。ただ、この御仁は川崎デモでも告発されている。頑張れ!頑張れ!カンバラ! 外患罪には時効も聖域もないということで、だいぶ古いが本日は熊本である。 1248 茨城県弁護士会告発状 .....お気持ちは大変ありがたい。ただ現状はそこまで手が回らない。ブログではこういう方たちで告発しましたと簡単に記載しているが、この告発状にはとんでもない証拠書類や写真、映像が添付されている。TBS告発状など、TBS放送はもとより、こちらの映像班が撮影したDVD10数枚が分析され何月何日何分何秒まで書き込んでいて、事実関係では争いがないように徹底している。これだけでも一人で数日かかっているのである。 これは有田や瑞穂の告発でも同様で、参加、シットインの映像等が添付されている。また川崎デモの申請や横浜地検のデモ禁止命令書その他の資料はA4300pにもおよぶ分析をしているのである。 告発の背景にはこういう徹底した作業をしており、メデイアだけでも処理にはまだまだ時間がかかるので、ご提言のレベルに至れば、またブログでお知らせするようにしたい。 1250 埼玉弁護士会告発状 .....朝鮮戦争再発時の邦人引き上げについて、民間人の避難が公的に話し合われたことは80年代まではなかった。米韓の関係がぎくしゃくし始め、ブッシュの在韓米軍撤退が決まったあたりから日本政府関係者の引き上げについて米軍との交渉が始まった。 一昨年の日米2+2でも具体的な順位が検討されシミュレーションも行われたと聞いている。有事における避難順位は米軍関係者の次に日本人ということがなぜか外部に漏れて、韓国人がなぜ除外されているのかと韓国政府高官が激怒したそうだが、祖国を捨てていったいどこへ帰るのだろうか。 最も朝鮮戦争が始まってすぐに山口県に韓国亡命政権の打診があって、5万人の受け入れ準備にかかっていたというから、まあ逃げ足は速い。 日韓協定の人質作戦で夢よもう一度はない。有事引き上げの責任はすべて自己責任として処理される。まあ気をつけることだ。 .....都が禁止して区が施行する流れは可能性としてはあるが、もうそのときはかなり嫌韓が進んでいて平穏な社会情勢ではないような気がするがね。 .....余命のせいではないと思うが。なむー...。 1254 神奈川弁護士会告発状 .....とにかくバラバラだ。しかし、沖縄にまとめて好き放題させて、一気にかたづけるのが安部戦略だから、これはシナリオ通り、順調だね。告発は余命の担当となる。 1256 岡山弁護士会告発状 .....ありがとう。資料として十分だ。記載しなかったのは個人住所その他が完璧なので、いくら公人とはいえ、いちゃもんつけられる可能性があったからだ。別途保存した。使わせていただく。 .....一通りの告発が終わったら、次のステップはこの委任状告発事案についての告発状闘争となる。現状の官邸メールのように、告発状を積み上げる闘争である。先般朝日新聞は2万5千の原告団だったそうだが、これを5万、10万、100万に積み上げる。 検察が起訴すれば一発で終わるが、彼らも命がけだ、もう検察のレベルで押さえ込むしか方法がないところまで来ているから国民の意思を数で表すしかない。 別に検察組織が全部、反日ということではないから崩れだしたら一瞬でかたがつく。 今年いっぱいが山だね。 .....余命本を置いてないところは、ここまで来ると100%反日書店だからね。 1年近くも反日の看板を掛けていたら、まあ、真っ先に狙われるのは当然だろう。 何か衝突でもあれば国民感情の問題だけに、歯止めがきかない。慌てるよな。 ☆印は余命様のコメントのボリューム、重要な長文引用や赤字箇所などから全文推奨です。 ☆1258 共産党川崎市議団のレベル ☆1260 負けるな北星の会 ☆1261 負けるな北星の会2 ☆1263 11/5アラカルト ☆1265 共産党にだまされた 1257 反日スパイラル .....在日利権や、反日ビジネスは数兆円規模のぼったくりだから徹底的に追い込まれるまでは抵抗するだろう。なにしろ生活保護にしろ朝鮮人学校関係の補助金、各種福利厚生手当など、本来もらえないものを不正に受給しているのである。年に何百万というただ銭に慣れた生活が一転、ゼロになるのである。当然、命がけで抵抗するだろう。 .....弁護士も在日や反日相手の乞食ビジネスに落ち込んでいて、司法書士相手にテレビ広告で宣伝合戦している状況だから「差別、人権」は絶対に外せない。花より団子! .....立命館も有名になったものだ。有田芳生の出身校で猛烈なイメージダウンしたばかりだが、今度はあほ教授とは、大学不況対策の究極の一手かな。 .....「そのまま使える外患誘致罪告発状綴り」はいいね。委任状の次のステップは告発状だから、もしかすると検討を始めてるかも。(笑い)ジャパニズム34に10枚綴りつけたらどうだろうって青林堂に提案してみようかな。マジで。(大笑い) .....もう、兄弟のことはほったらかしで、青林堂には本当に申し訳ないと思っているのだが...。まあ、とにかくありがたいね .....過去ログで何回も記述しているが、一見、別の組織で何の関係もないようだが、実はみんなつながっていたというのが、反日組織である。ある一つの郵便口座を社会党、共産党、在日、しばき隊のような組織が共通で使っていたという嘘のようなつながりが実際にあるのである。共同事務所とか同じビル、あるいは拠点にいくつもの組織が同居している西早稲田の施設など典型例である。 そういう中で一見、人畜無害なスタイルでどこにでもあるのが書店である。いざというときの安全のために、反日書店に駆け込むことがないように注意喚起しているのである。 .....この件は日本ではまだ禁止されていない典型的なスラップ訴訟である。それも外患罪事案である。この件を単独で扱うか、植村隆朝日新聞ねつ造記事と関連づけるかはまだ決めていない。 単独事案として告発する場合には、被告発人の欄に(告発状別紙告発人目録に記載の)348人の告発人(道内154名・道外194名)と、阪口徳雄弁護士、澤藤統一郎弁護士、郷路征記弁護士など5人の告発人代理人共同代表を含む(別紙告発人代理人目録記載の弁護士)438人の弁護士(道内165名・道外273名)と記載すれば細かな個人情報は必要がない。 ただ事案が単なるスラップ訴訟ではなく、外患罪未遂、それも生活保護や朝鮮人学校補助金事案とは違って、直接、日本人を貶め、攻撃したという点できわめて悪質であり、許されるものではないので別途、対応を考えている。 少なくとも弁護士には、告発と同時に所属する事務所や組織への不買(不利用)運動は必要であろう。当然、顧問契約企業も対象として協力してもらう。できなければ反日企業として認定するだけの話である。そういう戦術であるから、弁護士の事務所、所属組織の情報があればありがたい。 .....上毛新聞は来週告発予定である。 1259 人権擁護局と公明党 .....2012年、民主党野田政権が突如として政権を放り投げた。巷間、驚きとともに勝ち目のない選挙になぜ?という中で一番可能性があったのが自衛隊クーデターの噂であった。選挙が自民党の圧勝となったあと、民主党のかなりの政治家が当選落選を含めて亡命打診に走り回ったというから、かなり悪さをしたという自覚があったのだろう。そりゃ国家機密を垂れ流ししていれば逃げたくもなるだろう。 この時に民主党が韓国とペアで進めていたのが人権法であり、外国人参政権の付与の問題であった。自公政権のもとであからさまな動きができず、民団との約束事が遅々として進まない状況の中で、裏ではいろいろと細工はしていたようだ。それが法務省とタッグを組んだ人権擁護局である。 ここを公明党で固めてこっそりと、という段取りが、民団の仕掛けで崩されてしまった。山口代表としてはあくまで水面下でと思っていたのだろうが、お礼を名目に民団が本部に乗り込んだ。民団としては共産党と公明党を巻き込んで競争させる狙いがあったのだろう。山口はみごとにはめられた。今も気がついていないだろう。 今後、公明党は政権与党という恩恵はなくなり、単なる反日政党という扱いになる。 .....公明党という政党はバックが創価学会である。政教分離と政権与党を巧みに利用してここまで来ているが、その基盤ははっきり言ってきわめて脆弱である。 政治の流れは不透明である。はっきりとした政教分離となった場合、この政党はもたないだろう。宗教基板の政党には限界がある。公明党は宗教と政治が運命共同体となっているのだ。この政治の部分で競合しているのが共産党で、川崎では共産党を押さえ込んで主導権を握りたかったのだろう。人権問題では走りすぎというよりはフライイング気味だ。 6月5日のデモは「日本浄化第三弾」「共産党糾弾」というものでヘイトデモとは無縁であったので、公明党の関係者は表だっては顔を見せていない。しかし、川崎市議会の異常さを起点に公明党も巻き込まれることになる。 人権法と外国人参政権は公明党に致命傷を与えるだろう。公明はやり過ぎた。 .....とにかく安倍総理はツキの塊のような人物だからな。余命が2015は極限値として、国内外の問題は2015年をもって収束し、2016年は精算の年としてきた。これは安倍総理の中韓は放置しておけば2016年には破綻するという見方とまったく同じである。 余命は安倍総理とも自民党ともまったくつながりはないが、この3年間というもの同じレール上を走っている。 安倍、麻生が日本立て直し、中興の名宰相として歴史に刻まれそうな流れとなっている。 人物の大きさは近くにいるとわからない。富士山も太平洋も遠く離れて大きさが理解できるものだ。まあ、相手が小さすぎるのかもしれないが.....。 1262 慶応大学、弁護士、蓮舫 .....全部、済んでいる。すでに告発されている方がおられて、その告発状もすべていただいているのだが、告発理由が外患罪ではなくテロ法なので、みなさんからお預かりしている委任状が使えない。こちらで独自に告発はいつでもできるが、そういうわけで調整中である。 .....自分が告発されていてどの面下げて委員会に出るのかねえ....。 .....たぶん裁判にはならないだろう。少なくとも日本を蚕食している在日にとっては、在日特権セレブから乞食になり、日本を追い出されることになるが、とりあえず韓国、北朝鮮という帰る国がある。 だが韓国の実情と北朝鮮の実態を見る限り、日本とは天国と地獄の差があることは歴然としているから、土下座か武装蜂起かはわからないが、あらゆる手段で日本にしがみつくことになるだろう。安倍総理が機動隊を重武装化して自衛隊の編制を機甲師団から普通化編成にしたのも、彼らのテロ化、ゲリラ化に備えてのものだ。 問題は反日勢力だが、それについては直接安倍総理に聞いてくれ。 .....在日、共産党、日教組、九条の会というような組織の正体がバレバレになって、猛烈な危機感を持ち始めたのだろう。沖縄、大阪、神奈川、持てる組織と力を在日とタッグも隠さずに動き始めた。表に出てきたゴキブリはもはや脅威ではない。 .....国策というものは簡単に変更できるものではない。在韓米軍撤退という米国の方針は単に米韓の問題ではなく米国の世界戦略に則っているから大統領がどっちになろうとも既定通り進められるだろう。日本の日米安保を基軸とした国防方針もすでに10年前から民主党政権の抵抗のもとでも着実に進められてきた。民主党政権での成果は唯一自衛官1000名削減だけだった。空母タイプの大型護衛艦も続々と進水し、いつでも核武装がOKな潜水艦と、固形燃料タイプ中距離ミサイルもスタンバイである。 何も心配することはなかろう。安倍総理はしたたかだ。 .....ありがとう。大丈夫だよ。繰り返しは意識して問題点を強調しただけだ。眠気は超越している。スタッフもめいっぱいだからねえ。 読者からは委任状が束で送られてくるし、手袋、マ��ラー、酒、米、うどん、お菓子etc. これ委任状以外はストップをお願いする。気持ちだけで十分である。いただいた食品など危なくて手がつけられないのだ。繰り返すがお気持ちだけで十分である。 .....わかりにくいと思ったので、ああいう形になった。引用赤字も意識して繰り返しと重要部分をピックアップしたのでみなさん心配されたらしい。大丈夫今のところ正常だ。 外患誘致罪で告発されていることにはみじんも触れていない。弁護士の能力はこの程度かと恥さらしの見本。 1263 11/5アラカルト いくつかお願いがある。 まず異常裁判官についての情報の件であるが、このたびお願いしているのは告発可能な事案である。 平時においては裁判官の異常判決を正すには、裁判か弾劾しかないので、まさに裁判官という職は聖域になっている。しかし、現状の日本と東亜三国との関係は外患罪が適用される条件下にある。日本や日本国民を貶める行為はすべて対象となる。よって裁判官であろうとも告発が可能として情報提供を呼びかけているのである。 従って、異常判決ではあっても東亜三国に関係ない事案や外患罪の適用対象とならない事案は除外していただきたい。振り分けるだけで大変な作業なのだ。告発を前提にしているのでよろしくお願いしたい。 また川崎デモに関する川崎市議会決議リストの件だが、たとえ公人といえども個人の住居の掲載は問題がある。これは入管集団通報リストの第三次リストから指摘されていた問題で法的に微妙ということで避けている。 ご承知のように、外患誘致罪での告発は、有罪→死刑の刑事事案である。ヘイトデモでないものを決めつけて動いた事実は否定ができないので事実関係で争えないのである。 そのため慎重に、1名ずつチェックしている。終わり次第告発することになる。 とくに自民党市議団が賛成という点について疑念があり、調べていたが、すべて日韓議員連盟と関係があり、確信犯であることがわかったので、一括告発ということになる。 また第一次告発は約30件で幅広く告発しているが、これは治安関係の捜査に大きな助けとなる。沖縄を例にとると、すでに新聞二紙と基地周辺で反対活動をする者や組織が告発されている。そのため立件が困難な事案が生じた場合でも、捜査に別件ではなく着手できるという保険がかかっているのである。 逮捕された山城議長の収入から福島瑞穂の献金が明るみに出て大きな問題になっているが、これも外患罪からの着手が可能である。 .....沖縄関係の被告発人 基地周辺で反対行動をとる者および組織 沖縄タイムス社 代表取締役社長 豊平良孝 琉球新報社 代表取締役社長 冨田詢一 .....米国の国防総省もそうだが日本でも国防に関しては国体護持というバックボーンがある。精神的支柱ということだ。これを現実に保障し担っているのが自衛隊である。 そもそも平時において活躍されては困る存在でなければならないのだが、最近は災害という場面で出動することが多い。8月からは中国の脅威が具体的になってきて東亜三国すべてに注意が必要になっている。 第二次安倍政権からは朝鮮傀儡民主党の悪夢をいい経験にして、二重三重の国体護持体制を構築し、対外的にも国防能力を飛躍的に向上させている。 日韓関係における軍事的な協力についていろいろと話が出ているが、現状の自衛隊3軍の実戦部隊の指揮官クラスはすべて嫌韓であると言っていい状況である。これは彼らの実体験から来ている。余命の自衛官とのつながりはかなり広いが、親韓は一人もいない。 要するに、現状、日韓関係がよくなる要素は全くない。とても残念だ。(本当だよ) .....朝日もTBSも時間稼ぎだろう。変わらないというより、もう変えられない体質になっている。日本や日本人のためにという自浄能力を完全に失っている。つぶれるかつぶされるかは時間の問題だろう。 .....どんどん出てくるね。あきれるほどつながっている。安倍総理が一括処理を目指すわけだ。こんな組織やつながりを一つ一つつぶしてたら100年はかかる。 .....蓮舫は完全に標的になっているからね。最後は捨てられるだろう。本人は亡命まであるな。これから二重国籍問題は他の帰化議員についても追及が始まるから逃げは厳しいだろう。 引用以上 拡散希望します。
0 notes
Link
先の三月二十二日付け「時事通信」 「火山の噴火口の上にいるのが分からんのか」に続き、 戦後の連合軍による占領下で誕生した「日本国憲法」を如何にするか、 について記すことにする。 まず、二月二十一日付けの「時事通信」 「御譲位は、真の日本、真の日本人を取り戻す恩寵」 に次のように書いた。 ・・・ 平成三十一年四月の今上陛下の御譲位と新帝の践祚は、 大正十五年十二月二十五日午前一時二十五分の 大正天皇の崩御と昭和天皇の践祚の情景から 如何に変容されたものなのかを見つめねばならない。 そうすれば、 その変容をもたらした「日本国憲法」とは何か? という戦後の根本問題、 即ち 戦後の根本的疑念に帰着することになる。 ここに、「日本を取り戻す」つまり「日本の再興」という 我が国家の存亡をかけた課題があるのだ。 斯くして、我らには、 今上陛下の御譲位を、「国家の再興」に結びつける責務がある。 それは、まず第一に、「日本国憲法」第一条の 「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、その地位は主権の存する国民の総意に基づく」というこの規定、 これは、そもそも真実なのかウソなのか���と問うことだ。 この第一条には、ウソが書かれている。 これが、答えであろう。 天皇の地位は、 天照大神の「天壌無窮の神勅」に基づいているのである。 日本人とは、神話に淵源するこの真実を確信をもって公言する者のことだ。 そもそも、 我が国が大東亜戦争の降伏文書に調印した昭和二十年九月二日から 日本国憲法が起案され施行される同二十二年五月三日までの 一年八か月の間に、 天皇を誰にするかどうかの「国民投票」でもしたのか?! 「日本国憲法」第一条はウソだ。 D・マッカーサーというGHQ(占領軍総司令部、以下同じ)のトップ自身が 昭和二十年九月二日、戦艦ミズーリ号艦上に 「大日本帝国天皇陛下及び日本政府の命によりかつその名において」来訪した 外務大臣重光葵を受け入れて大日本帝国の降伏文書調印式に臨み、 さらに、同月二十七日に、 天皇陛下の訪問を受けて謁を賜り、 退出される陛下を見送るとき、 彼は天皇陛下を 「ユアー・マジェスティー」 と呼んでいたではないか。 要するに、 昭和二十二年五月三日に「日本国憲法」が施行されて、 天皇が国民の総意で誕生したのではないのだ。 ・・・ 本稿を読まれる前に、 是非、この二月二十一日付け「時事通信」を再読していただきたい。 この通信では、 この度の今上陛下の御譲位と新帝の践祚という 「日本国憲法」が想定していない事態を 「日本国憲法」に盲従する安部内閣が如何に扱うかを述べたうえで、 「日本国憲法」が我が国の「憲法」ではなく 「GHQの日本統治基本法」であることを明らかにしたと思っている。 さて、現在の我が国には、 「日本国憲法」に関する護憲論と改正論があるわけだが、 両論共に、「日本国憲法」が、 日本の「憲法」として有効であることを前提としている点で一致しているようだ。 しかし、この度の、 今上陛下の御譲位によって、 「日本国憲法」の「GHQの日本統治基本法」という本質が より一層鮮明になっているのに、 「日本国憲法」が、 我が国の「憲法」として有効なのか無効なのかの「戦後最大の課題」に目を閉ざして、 一途に護憲論や改正論だけを論ずるのは、 真実への背信であり、法律家としても不誠実で怠慢であろう。 三月七日、 大阪で産経新聞の「正論大賞」受賞記念大阪講演会があり、 受賞者の西 修駒澤大学名誉教授と、百地 章国士舘大学特任教授両氏の 「憲法改正論」を拝聴してきた。共に立派な改正論である。 しかし、 日本の存立を確保するという実践者の立場からは、 「そもそも、「日本国憲法」は、日本の憲法として有効なのですか?」 と質問したくてうずうずした。 この有効か無効かの決断に、 我が国の興廃がかかっていると確信しているからである。 私が、 一身の当落がかかる体験のなかで、肌で感じてきたものは、 ①我が国を占領統治したGHQ(連合軍総司令部、以下同じ)の実施した検閲が如何に巧妙に現在も我が国の言論を統制しているか、 そのGHQの言論統制のなかで、 ②GHQの日本国民に対して行ったWGIP(日本の戦争が悪であったというプロパガンダ)が未だに分厚く日本国民を洗脳し続けている、 ということである。 この中で、私は、 GHQの言論統制を突破して真実を訴えることを我が任務としてきた。 非難囂々だった。 そして私や田母神俊雄閣下は、共に危険人物とされながら、総選挙を戦ったのだ。 それ故、 次に私が言う結論に耳を傾けて欲しい。 憲法改正は、間に合わない! よって、 憲法無効を宣言して、 「日本国憲法」ではなく、 国際の法規及び慣例に従って 我が国家を防衛し国民を守る! 即ち、「日本国憲法」を有効とした前提で、 チンタラ議論を重ねて国民投票にかけて「改正」しようとしても、 間に合わず、 我が国家の危機を克服できないということだ。 GHQの検閲とWGIPに洗脳された状態で国民投票など無理だ。 亡国の結論しか出ない。 国が滅びて日本がなくなっても、 「日本国憲法」が残ればいいのだ、と確信している者は論外であるが、 「日本国憲法」が「現実」より「現実的」だと洗脳されている国民はわんさといる。 従って、このような状況下で、 「日本国憲法」の「改正」さえすれば、 「日本を取り戻せる」、「国家の安泰を確保し得る」と思っている政治家(実践者)は無責任だ(学者はともかく)。 「日本国憲法」を前提にして「改正」すれば、 さらに悪くなるのが落ちだ。 無効なものを「改正」すれば必ずそうなる。 現内閣は、 我が国の歴史と伝統による「譲位と践祚」 そして三種の神器の継承である「剣璽渡御の儀」と 「新帝による元号の裁可」という神事ともいうべき不可分一体の儀式を、 「譲位」ではなく「退位」とした上で、 その不可分一体性を無視して神事性を消去してバラバラに分解している。 その理由は、「日本国憲法」を、 我が国の皇位の継承という神聖な儀式よりも上位に置き優越させているからである。 もっと、露骨に言えば、 現内閣は「日本国憲法」を盲信して、その枠内でしか動けないのだ。 この現内閣の首班である安倍総理、 靖国神社に参拝できない安倍総理が唱える「改正」で、 「日本を取り戻し」危機を克服することができると思われますか? ここで確認しておきたいことは、 私は、以上のことを、 「日本国憲法」の次元では克服できない危機が襲来することを前提にして書いているということだ。 つまり、私は、憲法九条、そして、安部さん主導で改正された憲法九条、では克服できない危機が我が国を襲うことを前提にしている。 即ち、これから来る危機は、「改正」の次元ではなく、 「日本国憲法」を捨て去らなければ克服できないと言っているのだ。 何故なら、 先の三月二十二日付け時事通信で書いたように、 我が国は「活火山の噴火口の上」に乗っているからだ。 私は、いたずらに危機を煽っているのではない。 一千年に一度の津波を予見すべきであるとして東京電力の責任を認定した判事がいるし、一万年に一度の地震を前提にして原発の運転禁止を命じた判事もいる。 これらの判事の判断を大真面目に受け入れるならば、 私の指摘する危機は、 明日に起こっても不思議ではない直近の具体的危機であると判断されるべきだ。 仁徳天皇陵の西に、 大阪府立の農学校跡地の公園がある。 その公園の桜の木の下に三坪ほどの地面を囲って人が入れなくしてある土地がある。 その理由は、土壌からヒ素と鉛が検出され、 その濃度が「土壌溶出量基準値」を超えて危険であるからだという。 その危険か安全かを分ける基準値は、0.01㎎/ℓで、 それは、 「七十年間、毎日、2リットルを飲用しても健康に対する有害な影響がない濃度」だという。そして、その場所はヒ素が0.011㎎/ℓで基準値より0.001㎎/ℓ多く、 鉛が0.027㎎/ℓで基準値より0.017㎎/ℓ多かったので立ち入り禁止だという。 散歩の途中に、 我が国の行政が使っている危険か安全かを分ける 「70年間毎日2ℓ飲み続けて健康に害がない基準値」の説明を見て、 行政が、ここまで国民の健康に気をつかうならば、 国民の命がかかった国防力強化にさらに何十倍も気をつかってしかるべきだと思った。 既に、何度も、 「日本国憲法」の「無効宣言」は、 古来のアレキサンダー大王の[ゴルディアスの結び目]を切断する伝説を引用して説明した。 To Cut The Gordian Knot! 「日本国憲法無効宣言」は一挙に可能だと! これは、 手に負えない難問を誰もが思いつかなかった大胆な方法で一挙に解決してしまうこと、 難題を一刀両断に解くこと、 である。 アレキサンダーは、 何世紀も、誰も解くことができなかったゴルディアンの結び目を剣で一挙に切断して解き、ゴルディアンの予言通り、アジアの大王になった。 日本を永遠に武装解除されたままの状態に閉じ込める為に憲法九条を書いた と起案者チャールズ・ケーディス本人が言っているのだ。 このように、 明確にGHQの日本統治目的達成の為に書かれた「日本国憲法」の鉄格子からの脱出は、 内閣総理大臣および日本人有志が、 「日本国憲法」の無効を宣言することによって一挙に成る。 占領下に外国人が書いた憲法の無効宣言、 これは、当然のこと、簡単なこと、ではないか。 そして、これこそ、救国なのだ!
1 note
·
View note
Text
役者紹介というよりは…
ちゃうか民紹介?だから極力皆読んでよね!
おひさしぶりでーす!オムニ以来なので、実に4ヵ月ぶりですかね。覚えてらっしゃる方いるんかな…今回は引退ということで、恐らく現時点でちゃうかに在籍しているであろうメンバーを紹介しまーす!役者紹介、同期紹介も兼ねてるので熱量に差があるのはご了承願いたい!!
《31期》
○ちゃわんちゃうか?(メタフィクション:ザ ゲーム)
何処から、とは言わないが使者。彼の親しみやすさは★5。ついでに言うとレア度は★4。1回くらい共演してみたかったなぁ…けど稽古場が違うからこそ彼の演技を純粋に楽しむことができるんだよね、どっちも捨て難い。そんな彼の見所はその存在感とそれを活かした言動諸々。取り敢えず凄いので是非とも観て頂きたい所存。
○youtarak(純情コンフリクト)
割と早い時期にちゃうかに入団してくれた(と聞いている)。おそらくこれから照明を引っ張っていってくれるであろう人。よくツッコミを入れているイメージがあるけど違うかもしれない(どっちだよ)。先輩であろうと容赦ないあの感じにハマる。最近…というか仕込み入ってから結構絡むようになった。謎のノリに付き合ってくれるし、逆に謎のノリをふっかけてくることもあるから面白い。よく他の人のパートのキャスパを踊ってる。
○伊東涼之介(純情コンフリクト)
共通の別のサークルで元々うっすら知ってはいたが、ちゃうか入団を切っ掛けによく絡むようになった後輩。真摯に演劇に取り組んでいる模様。稽古場ではよく台詞の練習をしているし、音楽が鳴ればキャスパを練習するという真面目な人。努力できる人なんだろうな。きっとどんどん上手くなっていくであろう人。今後の活躍が楽しみです。そういえばこれから宣美チーフの道を歩んでいくんじゃなかろうか。幕も一緒なので親近感半端ないって!
○小宮山珠里(スタッフ)
体験稽古後一緒に帰ったのがファーストコンタクトになるのかな?うん、確かそうだった気がする。教職やバイト等忙しい中ちゃうかに時間を割いて立て看作業にも来てくれてるらしい。ええ子や…留学した時の話とか色々聞かせてもらったのはいい思い出。個人的にオムニの時の役結構好きだった。新人公演での活躍を期待してる。
○尾形莉奈(メタフィクション:ザ ゲーム)
皆が認める不思議ちゃん。何が、どこがと聞かれる��説明に困るがとりあえず不思議ちゃん(大事なことなので2回言った)。そこまで喋ったことないのにこんなこと書いて大丈夫だろうかと実は内心ヒヤヒヤしてたりしていなかったり…これからのちゃうかの引き締め役よろしく。
○Anna(メタフィクション:ザ ゲーム)
オムニ、外公を経て確実に演技が上手くなっていると感じる今日この頃。やっぱり真面目に取り組んでるからだろうな。この人に対する最初の記憶は土下座してるんだけど、何だろう?何故だろう??稽古場が違うのであんまり見かけない気がするが、今回もやってくれると信じてる(何が?)。
○国分栞(純情コンフリクト)
やーっと同じ稽古場になって喋れるようになった人。箱に行ったら割と会う気がする。よく衣装してる。私は衣装作れない系人間なので素直に凄いなって思う。それに加えてメタフィクション:ザ ゲームの方で照明オペをするのだとか。チャレンジャーで且つ頑張り屋さんなんだろうな。今回はそこまで大きい役じゃないかもしれないけど、いつか主役やって欲しいこの一人。あと話は飛ぶけど「しおり」って名前可愛いよね。芸名上手いなって思った。
○津島ヨモツ(純情コンフリクト 演出)
シンプルに学祭で演出ってすごくね?色々大変そうで、これを書いてる今も私の隣で眠っているとかいないとか。梅田に着いたら起こしてあげるからゆっくり寝てな。いじられ役だけどその実めちゃくちゃしっかりしてると思う。頑張り屋さん。よく嘆かせてしまう。ごめんな、あんまり稽古行けなくて…でも絶対素敵な作品に仕上げようね!成功させよ!!
○島﨑愛乃(純情コンフリクト)
現ちゃうかのアイドル。異論はないことでしょう。今回みたいな役はきっとレアだろうから目をかっ開いて見逃さないようにね。でもこれを機に演技の幅も広がってこれからに活かしていけるんだろうなとも思う。それと忘れちゃいけない、純情コンフリクトのキャスパの振り付けをしてくれた。あ〜この子っぽいな、可愛いなっていうのが第一感想。え?この可愛いのを踊るのか?っていうのが第二感想。完成版をお楽しみに!
○夕稀次
オタク仲間。色々忙しいらしい。野垂れ死ん出るんじゃないかと思うこともしばしば。美人さんだと思う。ちゃうかではあんまり関わることが出来なかったけど、もっと舞台に立ってる姿を見たいので次公演に期待。
○須田颯人(スタッフ)
映像の希望の星。前回の公演のPV見ました?凄くないですか?アレ。今回だって作って欲しいぐらいだったのに…っ(余計なお世話)私は映像の彼しか知らないけど他のスタッフでも大いに活躍しているのでしょう。ちゃうかを陰で支える縁の下の力持ち。
○西岡克起(メタフィクション:ザ ゲーム)
温厚そうな顔して実は腹黒い…?嘘です、多分性格も温厚です。結局あんまり関わること無かったな…ローカルな話ができる数少ない同県出身者。彼の魅力はあの人畜無害そうな笑顔ですよーさて、メタフィクション:ザ ゲームではその笑顔が見られるのでしょうか?私も知らん!(通し前)
○西田幸輝(メタフィクション:ザ ゲーム)
今回の大道具チーフなので、仕込みでは大活躍だったのではなかろうか?先代・先々代のチーフが暖かい目で見守ってたのを見てこっちもほっこりしてた。よく可愛いと言われてる印象がある。まぁ、可愛いのではないでしょうか?どうか癒しになってくれ。
○なしもとはな(純情コンフリクト)
この芸名可愛くない?センスあるよねーわかる。合宿ぐらいから喋り始めた人だけどわりと人懐っこくてフレンドリーっぽい。とあるゲームの仲間だと分かったので、趣味の話が出来る!ってことで調子乗ってさらにもう一歩踏み込むか否か迷ってるなう。今まであんまりこの手の話できる子がいなかったから結構、いやかなり嬉しい。あとね、今回宣美で一緒に作業できて嬉しかった。よければこれからも宣美をよろしくね。
○橋本悠樹(メタフィクション:ザ ゲーム)
オムニの時から劇団員を魅了してきたイケメンタイプ。ちゃうか外部なもファンはいることでしょう。エモい表情は彼のマネしたらいいよ、と本人のいない場所で囁かれていることは秘密。ワールド●リガーの申し子で最近結構布教しているらしい。
○福島亜理紗
学部が一緒でかつ私が習ってた先生に今チャイ語を習ってるっていう共通点がある。箱で時々遭遇する。あんまり喋ったこと無かったけど面白さが滲み出てた。お菓子が好きらしい。ハロウィンの日遊びに来てくれた。新人は参加するんだろうか?今後色々な役が見れることでしょう。
○でぃあ(メタフィクション:ザ ゲーム)
スタッフでめちゃくちゃ活躍してる人。箱に行けばミシンを使いこなし、照明を習い、稽古に行けば全ての出ハケを記憶しているというスーパーガール。負担がデカそうで逆に心配になるくらい。上手いこと分散・発散していってくれ。メタフィクション:ザ ゲームではめちゃ活躍するのでお見逃しなく!
○堀文乃(メタフィクション:ザ ゲーム)
この人もマジですごい。色々なことを着実にこなしていってる。演技力が素晴らしいのはこれまでの役者紹介なり公演なりでご存知の人は少なくないことでしょう。分析できるほど近くにいないから分からないけど、演劇すぎない自然な演技ができるタイプだと思う。
○山内一輝(純情コンフリクト)
名字呼びで愛されてる。なんかこの人のこと皆好きだよね。かく言う私もいいキャラしてんなとは思ってるんだけど。ちょっかいかけたくなる可愛さがある。同じ稽古場になってから分かったんだせど。これはもはやカリスマでは?そんな彼は純情コンフリクトに参加しているわけですが、実はメタフィクション:ザ ゲームにも関わってるんです。もう公開されてますよ?是非見てください。
○若林理想郷(スタッフ)
彼のあだ名を呼ぶ時どうしてもターミネ●ターのリズムに合わせて呼びたくなる。時々そう呼んでいる人もいる。人伝に聞いたところ、最近はバイト三昧らしい。そうそう、そういえばちゃうか唯一のピアス男子じゃない?私が他に知らないだけ?
○ガウス(メタフィクション:ザ ゲーム)
第一の家→部室、第二の家→下宿先、第三の家→実家と言っても過言ではないくらい部室に入り浸っている模様。授業、稽古以外大体いるのではないだろうか。気さくで話しかけやすくかつ男前というよく分からんスペックを持つ男。「き」の付くとある漫画を布教中(私が)。今までネタキャラとして大成してきたが今回や如何に…?
○カーメン(純情コンフリクト)
実は私の密かな推しだったりする。合宿の時とかバスで隣に座ったよね。一生懸命喋ってくれたの超可愛かった。個人的にね、仕草がね、可愛いと思う。あと話し方ね。とある人物から聞いたんだけど、今回の役の関係上どんどん画像ロールに写真が溜まっていくらしい。消してっていいんだよ…つくづく思うけど、留学生なのに他言語で演劇するって凄いよね。私は絶対英語で演劇なんか出来ないしやろうとも思わないもん。あとダンス上手い。教えて…
《30期》
○あみ(純情コンフリクト)
君どっからそんな高い声出てんの?って言うくらい高音を発する。そのうち超音波出せるようになるんじゃなかろうか。高確率で高音で名前呼ばれる。あと謎のダンス踊ってくる。曰く「コリンさんダンス」だそうだ。但し伝播することは無い。私はやらないからな?そしてとあるシーンの代役をしすぎて、そこに出てる役者全員の台詞を言えるかもしれない等と供述している。極めれば一人でそのシーンを完成させられるのでは?見てみたい気がする。
○樹木キキ
1回は演出つけてもらいたかった人ランキング堂々の1位(※あくまで個人の考えです)。この人の脚本好きなんです。そしてその脚本に出てる人皆楽しそうに演技してるし…憧れないわけないじゃない?あと噂に聞くところによると、彼女は照明チーフとしてもすごく頼りになるのだとか。照明のセンスもいいんすよ…
○lulu(メタフィクション:ザ ゲーム 演補)
人当たりいいし頼りになるし、非の打ち所がないとはまさにこの人のような人間を指すんだろうなぁ。演技力も高いしよくメイン級の役を当てられているイメージがある。でもってイメージ通りの役を仕上げてくる。あとダンス上手い。よくキャスパ作ってる気がする。今回も然り。今度遊びに行く約束をしてる。絶対行く。
○小澤祐貴(純情コンフリクト)
スイッチの入り方がすんばらしい。演出の「3,2,1,パンッ」でコロッと変わる。よく誰やお前って思う(褒めてる)。ツッコミもボケもこなす優れもの。でも自分がボケたらツッコんで欲しいらしい。私はそのボケに便乗してしまうんや、すまんやで。そんな彼とは最後にして今回初共演では無いだろうか。正直めちゃくちゃ楽しいです。当公演もおおいに盛り上げてくれることでしょう。
○岸田月穂(純情コンフリクト)
教職取りーの夏には留学行きーの今回の公演出ーのバイト行きーのと何だか常に忙しそう。というか彼女のルーティーンと私のルーティーンが合いにくいっぽい?しかも外語だからキャンパス移動しーのって器用だな…この人の演技の幅は広く、オムニの時とはまた全然違う役を演じます。でも結構それっぽいのではないかと思う次第でございます。1回お抹茶デートをしたことがある。多分スイーツの好み合うからまた何処かしら行けたらいいなぁ
○木下梨実(純情コンフリクト)
きりみちゃん!私の跡を継ぐ者!!何事にも一生懸命なので勝手に応援してたりする。けどそれと同時にオーバーヒートしてしまわないか心配にもなる。後輩にも慕われていて良い先輩だけど私からしたら妹的後輩。つい構いたくなっちゃうし頭撫でたくなる。前に役者紹介でも言ってくれてたけど、割とこの子とセットの役をしてきた。共演するたびどんどん上手くなってるのをじかに感じてたりする。そろそろヒロインやってみないか?
○古家健作(純情コンフリクト 演補)
森中社とセットのイメージ。演出演補コンビ。いやでもね、こいっつはマジですごい。こいつなんか言っちゃいけないかな…古家様?いや知ってたんだけど。とあるシーンを演出つけてもらったのですが劇的ビフォーアフター。演出もびっくり。「古家さんなにしたんですか?!」は名言でしょ。面白い上に演劇に精通してるって強すぎない?これからのちゃうかの戦力となることでしょう。
○小林秋人(純情コンフリクト)
センスが化け物。あ、いや、その、褒めてるのよ?去年のオムニの時からずっと宣美に常駐してくれている唯一の後輩。初めっからこいつは凄いぞと思ってたけどそれは変わらず今も舌を巻くほど。1ミリでもいいのでその才能分けてくれませんかね?演技面でも滑舌が良くなってまぁ…純情コンフリクトの見どころを作る1人。そういやぁキャンパス移動してからチャリで通っているらしい。稽古前にチャリが壊れて直してからチャリに乗ってきたのだとか。スギョッ
○髙木悠(メタフィクション:ザ ゲーム)
稽古で1回も見なかった気がする。体調が優れないのかな?ちょっと心配。彼の魅力は堂々たる演技、かな。一言一言丁寧に発する。早口になりがちな私が見習うべき点でございます。さて私は今回脚本が違うのでまだ彼がどんな働きをするのか知りません。楽しみですね。
○東崎望
30期の秘蔵っ子。如何せん忙しくてあんまり出演出来ないようですが、出た時の存在感はちゃうかの一二を争うレベル。1回だけ急遽私が彼女が演じていた役をやることになったんですがこれがどうして中々出来ない。うーん共演したかったよう…次の出演に期待。私の彼女(概念)。
○中戸太一(メタフィクション:ザ ゲーム)
いつか脚本が通って欲しいと思うくらいには、私はこの人の物語が好きです。演じてみたかったなぁ…スタッフとしては小道具と映像を極めている模様。引退したら会わなくなるかと思いきや同じ講義を取っているので週1程度で顔を合わせるのでは?と思い至った。
○岡山桃子(メタフィクション:ザ ゲーム)
みこたん、みこりん諸々呼ばれてる。彼女が推しの29期が割りといたりする。気持ちはわかる。この人は掘れば掘るほどポロポロ個性的な何かが出てきそう。可能性が無限大。舞美のお姉さんとして活躍中。あま���よく知らないけど今回はキーパーソンを演じていたはず?
○GEO(メタフィクション:ザ ゲーム)
バイクを乗りこなす爽やか元気溌剌おにーさん。「ファイ●一発!」でお馴染みのあのCMに出てても気づかないかもしれない。行動力があり、いつの間にかエキストラとして映画の撮影とか参加しててもおかしくないレベルだと勝手に思ってる。
○ルーチェ(スタッフ)
出身県が同じということでこちらが一方的に親近感湧いてる後輩。あくまでスタオンなのでお客さんはあんまり知らないんじゃないかな?勿体なーい!影で公演を支える重要人物。いつか牛耳っていたらどうしよう、いや、それはそれでなかなか面白いのでは…
○三葛麻衣(純情コンフリクト)
演劇に真摯に向き合う努力家。演技ものっそい上手いです。いろーんな役を演じてるけど、どれも楽しんでるなっていうのが分かる。ハイスペックで演技もキャスパ(ダンス)もスタッフも全部綺麗にこなしてくる。え?どうなってんの?本当に人間?1人でスタッフ抱えがちだったけど最近は緩和してきたようで私はちょっと安心。くれぐれも無理だけはしないでくれ。以前後輩を見て、「私もこういう風に見られてたんだな…」と言っていた。良き先輩。
○渡部快平(メタフィクション:ザ ゲーム)
役に引っ張られがちと有名なこの方。脚本が違うので今回はどうなのか全くわからないです。ですがきっと楽しんで演じてくれることでしょう。「俺が演じるとコメディじゃなくなる」と言っていたそうだが、きっと彼ならできると信じてる。次の公演ぐらいで出オチキャラしてたらどうしよう。
○Airman(メタフィクション:ザ ゲーム 演出)
腰が低い。とにかく腰が低い。そんなに頭下げなくていいのよ?演出だしもっとガツンといかなきゃ行けない時もあるのよ?そこには先輩同輩後輩の境界ないからね?でもって照明チーフも担ってる。そんなこと出来るの…?せいぜい同時に3つのスタッフしか出来ない私にはこなせない所業でございます。
《29期》
○遠藤由己(メタフィクション:ザ ゲーム 座長)
またの名を29期唯一の金髪枠。(とか書いてたのにいつの間にか金髪が増えた)。どうやら試行錯誤しここに落ち着いたらしい。去年の秋公演と比べるとえらい違いよう。いいね。(とか書いてたのに役作りで髪の色変えるんかーい)。普段はさながら稽古でもちょいちょいギャグ要素を突っ込んでくる。数日前の稽古でドツラでキャスパとは全く関係の無い変なダンス踊ってた。しかも本人もツラ(舞台の前後)を間違えてたらしい。おもろ。愉快愉快。
○大林弘樹(メタフィクション:ザ ゲーム)
部室にいがち。引退したらこれから箱行けないじゃん!と嘆いてた。前公演では台詞全くないのに異様に存在感のある役で観客を湧かせていた。それと比べると今回は…っと危ない危ないネタバレするところだった!彼は体の使い方が上手く、よくマイム?(みたいなやつ。何だっけ?)をやってる。そしてそのおかげか動きにキレがある。ヌルッと動くことがないので密かにリスペクトしてたりする。
○石英(メタフィクション:ザ ゲーム)
私が唯一共演しなかった同期。絶対楽しいじゃん一緒にやりたかった…!卒公(仮)に期待。スタッフでは照明で初田の補佐を務めていた。照明の講習会なども自ら発案し、後輩の育成もバッチリのしっかり者。役者としては、何度も脚本を読み込み自分の役作りを徹底してるイメージがある。真面目なんよなぁ。そういう所、いいと思う。あと…なんだ?あれはミール奴隷に値するのか?なんかそんな感じ。
○久保伊織(メタフィクション:ザ ゲーム 副座長)
男も女も手篭めにする才能を持つ男。嘘です。脚色し過ぎました。だけど人気者なのは事実です。聞くところによると、制作のおにーさんでもあり、小道具のプロフェッショナルでもあるらしい。超人かよ。プラスちゃうかの筋肉枠(何それ)。ちゃうかだけでなく、外部のプロデュースにも進んで参加するなど結構演劇演劇してるんじゃなかろうか。あと、殺陣の人。色んな名義持ちすぎじゃね?そして金髪にバージョンアップしたのはこの人。要素が渋滞。
○児��桃香(メタフィクション:ザ ゲーム)
ザ・演劇ガール。中学(?)の時から演劇しているようでとにかく演技が上手いのなんのって。役の幅が広い。ある時は女子高生、ある時はヒロイン、ある時はヤンキーと数えたらキリがないのではなかろうか。どんな役でも楽しそうに演じるので見ているこちらもにっこりしてしまう。外部のプロデュースにも積極的に参加するその姿勢は演劇関係なく発揮して頂きたい所存(何様?)。後輩にも人気がある。それは彼女の人の痛みにも寄り添えるほど優しい性格故だと思う。かく言う私も助けられたことは少なくない。ありがとう!大好き!!
○佐々田悠斗(純情コンフリクト 演補)
隣に立ちたくないくらいには演技が上手い。何なの?うますぎでしょ。今回は役者をしながら2年下の後輩の演補として携わっている。が、今セメは授業が詰まっているらしく、5限後参加が多い様子。前になかなか稽古に来ず、演出が部室に様子を見に行ったところ爆睡していたのだとか。寝るのはいいけど稽古の時間にはせめて起きよう、な?去年の秋公演当日の朝シャン事件は伝説。語り継いでいこう。
○サミュエル・ツヤン(メタフィクション:ザ ゲーム 演補)
29期の留学生枠。日本語で演劇どころか脚本を書いて演出までしてしまうという言語の化け物(褒めてる)。日本語で脚本を書くことすらままならない私には眩しすぎて直視できません。いや、まぁ書こうと思ったこともないんだけど。そんな彼は今回オムニで初演出をつけた後輩の演補として活躍しているらしい。「あはれなり」というか「いとをかし」というか…子の成長を見守る親的な気分になりますね。
○武田聖矢(メタフィクション:ザ ゲーム)
叫ぶ人。初出演の「畜産」の時からの伝統だったけど、もしかして前公演では叫ばなかった?まぁそれは兎も角この人は生粋の自由人。それでいて良くも悪くも自分の意見を言える人。仕込みチーフになった暁には従わざるを得なくなる。優柔不断な私にとっちゃ、先導してくれるのでありがたいわけですが。ゆるふわなオーラ醸し出しといて結構毒を吐くギャップ持ち。今までに合わなかったタイプなので結構楽しかったりする。写真撮影の時私の肩に肘をつく慣習がある。仲良しやねん。
○野井天音(スタッフ)
ハープ姉さん。29期女子唯一の理系女(母数3)。それなのに壮大な脚本を書いて2度の演出を務めた強者。脚本を書く時にはテーマを決めてそのテーマに沿う文学を読んで…ときちんと勉強しているらしい。素敵だよね。最高の演出説濃厚。演出でなくともその人となりで人を惹き付るようで、オムニに参加していないはずなのにちゃうかランキングにランクインするほど。生息地の影響でヤンキー弄りされてるけど、そのような事実は一切ございませんので、ご安心を。彼女のような友達がずっと欲しかった。ハープ大好き!
○初田和大(メタフィクション:ザ ゲーム)
ちゃうか随一の五月蝿い芸人。素の声が既にでかいが存在感もでかい。4DXとか行ったらずっと喋ってるかリアクションしてるかしてそう。…間違っても連れていかんとこ。後輩からの支持が熱く、後輩からも弄られている。人徳ってやつかなぁ…それが初田。彼のハイテンションによって強制的にテンションが上がるので、実は助かってる時もあったりする。絶対言わんけど。稽古場が静かな時は十中八九この人がいない。
○音川(純情コンフリクト)
私。つまりこれ書いてる人。ちゃうか民の名前を打ちはじめた時点で人数の多さに後悔し始めたけど何とかここまで来ました。3日に分けて書いてるのでテンション・文体が変わってるかもしれない。自分のことなので紹介などありませんが、入団時点ではまさか演劇を引退まで続けるとは思ってなかった。
○森中社(純情コンフリクト)
ちゃうかで最も演出として選ばれし男。ちゃうかの看板。立て看として立てといても遜色ないのでは?因みにその数なんと驚異の5公演(オムニ含む)。そんなことあるん??確かにこの人の書く脚本は面白い。やっぱりストーリー構成やキャラ設定、演説その他諸々が上手いんよなぁ…そんな彼は最後ということもあり、役者参加。共演出来て嬉しい。役者としても勿論上手いので、観てて楽しい作品に仕上がります。お楽しみに。一時期大根のはちみつ漬けを持ち歩いては配っていた。
○町民I(純情コンフリクト)
個人的に宣美や映像、私情諸々で1番助けられた人。頼り過ぎかな?と思うことでも、彼が許してくれるのでついつい寄りかかってしまう節がある。その点に関してはほんとに感謝してる。ヤバい一面もあるけど。優しいし面白いしツッコミもボケもできるので(?)後輩にも人気があり、合宿では後輩女子をはべらせ「トムトムランド」を築き上げていた。うん…、ね!言わん方が良かったかな?まぁいいよね!私は彼のスマホの画像欄が気になる。色んなものが出てきそう…
え?終わり?終わった??やった!!何人よ?52人?!結構大所帯だったのねびっくり!こんな素敵な人達と一緒に舞台を築き上げてこれて良かった!!最高の出会いだったと思う!ちゃうかに入ってなかったら絶対に出会わなかった人がほとんどなわけで、これはもうある種の奇跡だと思うんですよね!ここで築いた縁は一生の宝物でしかないでしょ!!楽しかった!!因みにここまでの本文の字数を確認したところ、8,500字超!原稿用紙400字詰め25枚相当。下手なレポートよりも長い始末ですよ。全員分を読む人なんていないと思いますが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました!今までありがとうございました!!是非公演でお会いしましょう!!
ではさらば!!!
0 notes
Text
◆寿限無(じゅげむ) 落語
本文を入力してください
◆寿限無(じゅげむ) 落語 落語の中だ普通あまり演目として取り上げないのに一番有名な 演目(ネタ)ではなかろうか。 落語は古い演目などの名前は変わらない。 「竃(へっつい)」などは今はないので解からない人が多い。 竈(かまど)の事である。 かまども知らない人は居るかな。 知らない人は下の(くど)に写真があるから見て下さい。
その時の時勢を取り入れて話を膨らませたり縮めたりしている。 だから聞くたびに笑いの場所が変わったりする。
古典落語/新作落語(創作落語)合��せてどのくらい有るのかな。 新作落語は次々と作り出されるから自然 数は増えてくる。
古典落語は下のページに一覧がある。 ざっと百近くだったけど実数は判らない。
三遊亭圓歌だったかなの何とか学校は何十回も聴いた覚えがある。 昔はラジオしか無いから聞いていてよく父に怒られたもの。 うどん屋の店の客が聞きたいものと違うことが多かったから。 大人と子供の思いは違うからね。 でも「山の穴アナアナ」なんて始まると大人でも引き込まれたもの。 今は浪曲(浪花節)なども聞く人は居ないのかな。 ラジオでは��良くしていたけど最近は余り無いと聞く。 残念ながら私はラジオもテレビも持っていない。
世捨て人みたいだね。
それでも毎日は楽しい。 日本の良い部分ばかりをネットで見れるから。 日本は楽しい国である。 ◆落語 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/落語 落語(らくご)は、近世期の日本において成立し、 現在まで伝承されている伝統的な話芸 の一種である。 最後に「落ち(サゲ)」がつくことをひとつの特徴としてきた経緯があり、 「落としばなし」略して「はなし」ともいう。 「はなし」は「話」または「噺」とも表記する。 都市に人口が集積することによって市民・大衆のための芸能として成立した。 成立当時はさまざまな人が演じたが、現在はそれを職業とする 落語家によって演じられることが多い。 能楽や歌舞伎など他の芸能と異なり、衣装や道具、音曲に頼ることは 比較的少なく、ひとりで何役も演じ、語りのほかは身振り・手振りのみで 物語を進め、また扇子や手拭を使ってあらゆるものを表現する 独特の演芸であり、高度な技芸を要する伝統芸能である。 ◆古典落語(こてんらくご)http://bit.ly/ym1cUu 落語の演目のうち、一般に江戸時代から明治時代に作られたものを指す。 それよりも新しい時代に作られた演目は、新作落語と呼んで区別される。 なお、創作落語は関西の落語家による造語であり文献によっても広く古典と対比されるのは新作とされる。 ◆新作落語 https://ja.wikipedia.org/wiki/新作落語 新作落語(しんさくらくご)、創作落語(そうさくらくご) 日本の話芸のひとつで、古典落語に対して用いられる落語の分類である。 現在では主に大正時代以降に創作された落語を指す。 明治期における三遊亭圓朝による「牡丹灯篭」「真景累ヶ淵」や オペラを翻案した「死神」、 後に上方に伝わって昭和戦後期に「ぜんざい公社」となる「御膳しるこ」 などをその嚆矢(こうし)とすることができる。 ◆嚆矢(こうし) https://ja.wikipedia.org/wiki/嚆矢 ・先端に鏑(かぶら)という、飛行時に大きな音を出す装置を付けた矢。 会戦の始まりを知らせる用具として使われた。鏑矢を参照。 ・上記の意味が転じて、ものごとの始まり。wikt:嚆矢を参照。 嚆 矢(こうし) wikt https://ja.wiktionary.org/wiki/嚆矢 嚆 矢(こうし 歴史的仮名遣い:かうし) 1.鏑矢。 2.(会戦において鏑矢を互いに放って戦を始めたことから転じて)物事の始まり。 ・「それでキリスト教の演説会で演説者が腰を掛けて話をするのはたぶんこの講師が嚆矢であるかも知れない」(内村鑑三『後世への最大遺物』) ◆鏑矢(かぶらや)(鏑から転送) https://ja.wiktionary.org/wiki/鏑矢#鏑 鏑矢(かぶらや、希に蕪矢とも書く) 矢の先端付近の鏃の根元に位置するように鏑(後述)が取り付けられた矢のこと。 射放つと音響が生じることから戦場における合図として合戦開始等の通知に用いられた。 日本列島に於いては鎌倉時代には既に記述が見られる(保元物語)が、初期の頃は名称も定まっておらず起源、いつ頃から使われていたのかは解っていない。 ◆上方落語 https://ja.wikipedia.org/wiki/上方落語 上方落語(かみがたらくご) 大阪・京都を中心とする畿内の上方で主に演じられる落語の総称である。 ◆竈(くど) http://ja.wikipedia.org/wiki/竈_(くど) 竈(くど)とは、 ・竈(かまど)のうち、その後部に位置する煙の排出部を意味する(原義)。 この意味では特に「竈突」「竈処」と表記されることもある。 また『竹取物語』には「かみに竈をあけて…」という一節が存在する。 ・京都などでは、竈(かまど)そのものを意味し、「おくどさん」と呼ぶ。 また、土間など住居の中で、煮炊きを行う空間そのものを意味することもある。 山陰地方などでは、煮炊きの設備を「かまど」、 空間そのものを「くど」と呼んで区別している地域も存在する。 ◆寿限無(じゅげむ)http://bit.ly/A0v5O9 『寿限無』(じゅげむ) 早口言葉あるいは言葉遊びとして知られる古典的な噺であり、落語の前座噺である。 上方落語では古くは別題を「長名」という。 ・以下はこの噺の主人公である赤ん坊に付けられる「名前」の一例である。 日本で最も長い名前、としてしばしば語られる。バンコクの正式名称より長い。 寿限無、寿限無 五劫の擦り切れ 海砂利水魚の 水行末 雲来末 風来末 食う寝る処に住む処 やぶら小路の藪柑子 パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助 なお、落語家によって一部細かい部分での違いが見られる。 ・解説 ・寿限無 限り無い長寿のこと。 ・五劫の擦り切れ 本来は「五劫の摺り切れず」が正しい。言い回しのために「ず」が省略されてしまうことがあるらしい。 天女が時折泉で水浴びをする際、その泉の岩の表面が微かに擦り減り、それを繰り返して無くなってしまうまでが一劫とされ、その期間はおよそ40億年。それが5回擦り切れる、つまり永久に近いほど長い時間のこと。別の落語では、天女が三千年に一回、須弥山に下りてきて羽衣で一振りして、須弥山がなくなるまでが一劫である。 ・海砂利水魚 海の砂利や水中の魚のように数限りないたとえ。 ・水行末雲来末風来末 水・雲・風の来し方行く末には果てがないことのたとえ。 ・食う寝る処に住む処 衣食住の食・住より。これらに困らずに生きて行ける事を祈ったもの。 ・やぶら小路の藪柑子 やぶらこうじのぶらこうじ、とも。「やぶらこうじ」とは藪柑子(やぶこうじ)で生命力豊かな縁起物の木の名称。「ぶらこうじ」はやぶこうじがぶらぶらなり下がる様か(?)単に語呂の関係でつけられたようにも思える。 ・パイポ、シューリンガン、グーリンダイ、ポンポコピー、ポンポコナー 唐土のパイポ王国の歴代の王様の名前でいずれも長生きしたという架空の話から。グーリンダイはシューリンガンのお妃様で、あとの2名が子供(娘)達という説も。 ・長久命 文字通り長く久しい命。また、「天地長久」という読んでも書いてもめでたい言葉が経文に登場するので、そこからとったとする説も。 ・長助 長く助けるの意味合いを持つ。 ◆寿限無 - ODN http://bit.ly/w3sxMl もともとは、落語の前座咄(ばなし)の代表作。 毎日毎日 「にほんごであそぼ」の放送を見ていたら 二歳の子どもでも(つまり仮名が読めなくても) 丸暗記。 さらに ジジババの前で唱えだし おどろきもものきさんしょのき! 話題騒然のこのことば 大人は意味が付いてないと覚えられないとか…… じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ くうねるところに すむところ やぶらこうじの ぶらこうじ パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの ちょうきゅうめいのちょうすけ もともとは、落語の前座咄(ばなし)の代表作。 生まれた男の子に、ぜひともめでたい名前を付けて欲しいと、男(ちなみに名字は杉太とのこと)がお寺の坊さんに頼んだ。めでたいことがらをめいいっぱい重ねられたこの名前、便利なこと、不便なこと多々あった。最後に井戸(関東地方の話では川になっているところも面白い)に落ちた「寿限無寿限無……長久命長助」を助けようとしたのだが、名前が長すぎて助けられなかったという笑えない話。 ◆書きまくるトレーニンク にほんごであそぼふぁんさいと http://www2.odn.ne.jp/~nihongodeasobo/ 文章力養成コーチのぶい先生こと松嶋有香です。 子どもにも大人にも国語、文章の書き方などを教えています。
子どもにとって国語の力を付けることは、全ての科目で学力強化に通じること、 大人にとっても「書く力」は、仕事、プライベートなど、様々なシーンで大切な力となっています。
オンラインというスタイルで 同じ志を持つ仲間と一緒に またはマンツーマンで 「書く力」を鍛えてみませんか。 ◆たらちね 長文落語 http://bit.ly/ypogzz 江戸落語の演目の一つである。 漢字表記は『垂乳女』。上方落語で『延陽伯』(えんようはく)という題で演じられているものを東京に移植した。ストーリーは、大家の紹介で妻をもらった八五郎だが、彼女の言葉づかいがあまりにも丁寧なために起きる騒動を描く。 前座噺としても寄席で頻繁に演じられる。 上方落語で『延陽伯』(えんようはく)という題で演じられているものを東京に移植した。 ストーリーは、大家の紹介で妻をもらった八五郎だが、彼女の言葉づかいがあまりにも丁寧なために起きる騒動を描く。 得意としたのは5代目三遊亭圓楽。 ◆東西落語特選 http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/fulllist.php 2015/04/08 ・上方落語「貧乏神」 貧乏神...取り憑かれたら貧乏に...なるわけではない。その実態は... ・上方落語「阿弥陀池」, 『子ほめ』『青菜』と同系列の「愚か者が人から聞いた話しを他でやって失敗する」モノです。 ・上方落語「祝いのし」, お馴染み喜六のおお ... をモチーフにした噺。読み比べてみて。 ・落語「寿限無」, みんな知ってる、あの噺です. http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/view.php?file=jugemu 古今東西、いろんな神様がございます。 外国の神様、キリスト教やイスラム教の神様なんかは人間どもの雑事を 一手に引き受けて、全責任を負ってらっしゃるそうで、 まことにご苦労な話でございますな。 ◆昔昔亭笑海(せきせきていしょうかい)の寿限無(じゅげむ) https://youtu.be/jEmvzVUKJ7o ◆東中亭どテ珍「寿限無」 https://youtu.be/y9iXsyJGSD8 https://youtu.be/bxZ0rDAQPq8 ◆落語 立川談志 黄金餅 2015/04/12 https://youtu.be/6Ogl3ZWiBmY ★あらすじ 【黄金餅】 西念という坊主が病気になったと聞き、見舞いに来た隣部屋の金兵衛。 西念があんころ餅を食べたいの言うので買ってきたが、一人で食べたいからといって部屋を追い出される。金兵衛が怪訝に思ってこっそり覗くと、西念は今までしこしこため続けた金銀を餅に詰めて丸のみし始め、そしてついに力尽きる。金兵衛は西念の腹の中の金が欲しくなる。 ◆立川談志:源平盛衰記:昭和57年6月 2013/03/01 https://youtu.be/elpHO6_gNJY ◆立川談志 勘定板 https://youtu.be/ZrnU51dQCbE あらすじ とある、トイレの文化がない田舎の村では、糞便は海のそばにある紐のついた板の上でやり、用が終わると紐を引き海に流すという様式がとられ、この糞便をすることを「カンジョウをする」といい、糞便をするための板のことを「カンジョウ板」と呼んでいた。 ◆柳家花緑 2015年12月5日 独演会より 2017/09/29 https://youtu.be/L_62UF668BQ ◆源平盛衰記(落語散歩600) http://sakamitisanpo.g.dgdg.jp/gennpeiseiduiki.html あらすじ 「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、・・・」(平家物語) 平治の乱で敗れた源義朝の愛妾の常盤御前は三人の子どもを抱えて悲しみに暮れている。 そこへ訪ねて来たのが平平宗清で、「うちの大将はお前さんにぞっこん惚れこんでいるよ。大将の意に従えば三人の子どもの命は助かけてもらえる。これが”操を破って操を立てる、破る操が真の操”ということだ」と説得され、平清盛に身をまかせて世話になる。 ◆610報恩記念大会 落語 2013/01/02 https://youtu.be/lL1FH0nk3Dg 本門佛立宗 妙深寺、法深寺が6月10日に開催した「東日本大震災復興祈願 開導会併先住御十三回忌 報恩記念大会」での柳家花緑師匠による落語です。 ◆三遊亭圓歌 授業中 2016/08/09 https://youtu.be/OgYXCEArRFI 昭和23年作、昭和25年発表の創作落語。1982年の貴重な音源(当時53歳) ★三部作 ①授業中(山のあな) https://youtu.be/OgYXCEArRFI ②月給日 https://youtu.be/QUCvM5jjiF8 ③浪曲社長 https://youtu.be/ACdYxcUJwGg 【落語チャンネル】ネット寄席 ⇒ http://rakugo-channel.tsuvasa.com/jyugyoutyu-enka-3 ◆情報商人裏話し いつも動画をご覧いただき有難うございます。 天才落語家 立川談慶師匠が会話の悩みを解消し、毎日の暮らしに好循環をもたらすコミュニケーション講座 http://bctiecc.com/tatekawa/you/ 【関連動画】 情報商人裏話し~懐かしい上方落語 懐かしい上方落語を集めてみました。 https://www.youtube.com/channel/UC8pNlZ2wZYul6-AHGt2iQcw 中沢家の人々「三遊亭圓歌」 - YouTube 2017/04/24 https://youtu.be/nyzOk7mA208 ★概要 【中沢家の人々】 国鉄職員から噺家、そして僧侶。息子をあっさり勘当しておいて、売れた途端何食わぬ顔で扶養となる両親。義理の親4人。計6人の老人との爆笑エピソードを交えて自らの人生を語る、圓歌渾身の創作落語。 ★演者について 【三遊亭圓歌(三代目)】 1929-2017。東京都墨田区向島出身。本名は中澤 圓法(信夫)。 国鉄職員を経て1945年、二代目円歌に入門。二つ目時代の三遊亭歌奴の頃から黎明期のテレビ番組に多く出演し、新作落語「授業中」などが好評を博し、売れっ子芸人となる。 黒以外の紋付きを着る、メガネをかけて高座に上がるなど、これまでの江戸落語界の常識を破ったことでも知られる。落語協会副会長、会長を歴任し、2002年、勲四等旭日小綬章受章。 2017年4月23日 死去。享年88。(Wikipediaより抜粋) ★補足 「近親相姦」と答えたのは弟子の小円歌(現:二代目立花家橘之助)師匠だそうです。 三遊亭円歌・中沢家の人々 2016/01/28 新作・創作落語
静止画でごめんなさい 新作・創作落語(地噺・枕)のチャンネルです. 三遊亭円歌・中沢家の人々 2016/01/28 新作・創作落語 1:05:27 https://youtu.be/yqYhnevfC78 落語「月給日」三遊亭圓歌 by RAKUGO1 エンターテイメント 音声のみ、中沢家の圓歌さんです。 銀行振込みが広まったお陰でかけにくくなった演目ですが、 個人的には日本のある時代風景を切り取ったネタとして残して欲しいお噺です。 ちなみに写真の紙っぺらは私の自作なんぞでなく、 駄菓子屋で売ってる月給袋とその中に入ってる明細書です。 そのうちこういう商品もなくなっちゃうのかな… https://www.nicovideo.jp/watch/sm9221343 2009/12/28 25:09 落語「月給日」三遊亭圓歌 [エンターテイメント] 音声のみ、 中沢家の圓歌さんです。銀行振込みが広まったお陰でかけにく ... ◆【坊主の遊び】 三代目三遊亭 圓歌 2017/02/11 https://youtu.be/-RsZHyJfdCA 令和2年2月に再生回数が100万回に達しました。ありがとうございます。 平成4年の高座 三代目三遊亭圓歌師匠は平成29年4月23日、お亡くなりになりました。 (享年:満88歳)心よりご冥福をお祈りいたします。
0 notes
Text
多けりゃ良いってもんじゃない
おはようございます。僕です。座長です。
今公演最初で、ちゃうかちゃわんとしては最後の稽古日誌になるかと思います。多分長くなるかと思いますが良ければお付き合いください。
とりあえず役者紹介、否、団員紹介をしていきます。きちんと紹介したいと思います。
30期
・網本健吾…オムニで演出をつけた30期1人目。最近はもっぱらアイドルを追っかけてるらしい。オムニで自ら笑いをもぎ取った凄いやつ。笑いを取るセンスを感じるのでいつか化けると思う期待の新人。
・小澤祐貴…そろそろ被ってる殻を破り捨てそうな30期。独特な雰囲気を醸し出してる。ゆるキャラ感ある。ボコボコにするぞ?一回マジでブチギレさせて感情を解放させたいゆるい新人。
・樹木キキ…一番芸名がお気に入りの30期。どの役でも面白おかしくしてる、しようとしてる有望株。今公演では前座コントで関わったけどやっぱりユーモアを感じる。あとツイッターがうるさい。新人公演ではちゃめちゃに暴れてほしい新人。
・岸田月穂…なかなか名前が覚えられなかった30期。岸田月穂って名前かっこいいね。丁寧で包容感のある演技をする。多分今後はちゃうかの母として活躍して行くんだろうな。ちゃうかを優しく見守っててほしい新人。
・木下愛梨…なんか結婚しちゃうことになった30期。この件に関してはあまり触れないでおこうと思う。ふと見ると笑顔が真顔かしてる。笑顔率が上がればいいね。いろんな役を器用にこなす新人。
・古家健作…年齢が同じなおじさん30期。初対面の会話がすごく緊張してキモい感じになった気がする。ややこしい年齢してんじゃねーぞ。でもその年季の入り方は流石で舞台上での自由度はピカイチ。その調子でちゃうかを引っ張っていってほしい老人。
・小林秋人…変なあだ名をつけちゃった30期。この子はねー、真面目な子やねー。ものすごく真面目。良い子。たまに真面目すぎて頑張りすぎてる所あるから肩の力抜いて深呼吸してね。大道具を盛り上げていってほしい新人。
・高木悠…最近よくいじっちゃう30期。お前のキャラはいじってなんぼやぞ。傷ついてたらホンマにごめん。でもその色々を武器にバンバン笑いとってけ。これからもそのキャラで頑張り続けてほしい新人。
・田中桃子…オムニで演出をつけた30期2人目。この子も真面目で頑張り屋さん。とっても良い子なだけにオムニとかで振り回して申し訳ない。これからも寝坊助な舞美の先輩を支えてあげてね。もっともっといろんな演技を見てみたい新人。
・東崎望…常に酒飲んでそうな30期。え、成人だよな?まーよく知らんけどお酒のトラブルには気をつけて。この子はまだ公式に舞台に出てない秘密兵器。新人公演でお披露目されることはあるのかな。ちょっぴり期待な新人。
・中戸太一…幸せな家庭を築きそうな30期。もうなんか善人オーラがヤバすぎて逆に怪しい。最近たまにだる絡みしちゃう。ごめんね。この子は良い演技をする。平凡から狂気まで演技の幅が広そうな新人。
・三葛麻衣…だいたい笑ってるイメージのある30期。ただ舞台上に立つと顔つきが変わる。のほほんキリッな良い役者。ダンスもとても上手かった気がする。これからバシバシにちゃうかを引っ張っていきそうな新人。
・ルーチェ…数年後音響の鬼と呼ばれそうな30期。ふと見るといつも音響の仕事に関わってる気がする。勉強熱心。しっかりと先輩から技術を引き継いで頑張っていってほしい新人。
・渡部快平…かっぺいって呼びたくなる30期。イケメンすぎて困っちゃう。いつか全裸の役をやらせたいね。顔もだけど声がいい。やっぱり全裸でオリーブオイルを体に塗りたくる役をやらせたい。阪大にファンクラブができたらおもろいなーって思う新人。
・Airman…とりあえず話が長くなりがちな30期。いろいろ考えすぎで1人でにパンクしてそう。まぁ人生楽しんでね。演技はとてもアクが強くそのアクを存分に発揮できる役なら最強なんじゃないかと思う。その調子でちゃうかに混沌をよろしくな新人。
・GEO…ちょっと眩しくて目を瞑っちゃう30期。すごいモテそう。ちゃうか唯一の陽キャラ。数年後はちゃうかの部室でパラパラしてそう。生まれながらの主人公感あるからそれを生かして頑張ってほしい新人。
・KIM YOUNG JOON…ある意味深い因縁のある30期。面白い、お前がナンバーワンだ。なんか声が好き。お酒はほどほどにね。もっともっと舞台での活躍を見たいお気に入りの新人。
・lulu…THE演劇感のある30期。もう演技面で言うことないんじゃないかな、知らんけど。素ではキツイ姉さんキャラなのでそれを舞台上で見てみたい。割と本気で小澤とかをビンタしてほしい。ちゃうかに留まらずいろんな所で活躍しそうな新人。
29期
・遠藤由己…静かでうるさい29期。オンオフが激しい。今公演では主役を張ってる。いいね。五分五分で笑いをとったり滑ってたりしてる。もっともっと笑いをとってってほしい。部屋とり議長頑張ってね。
・大林弘樹…ちゃうかちゃわん野球漫画に出てきそう人ランキング1位な29期。なんか熱く友情語ってそう。いろんなことでお世話になってる。ありがとう。これからもいろんな人を支えてあげる良き舞監であり続けてね。
・久保伊織…そろそろ殴られるんじゃないかって思う29期。ダル絡みがすごい。どんまい。かっこいいのに可愛い憎めない後輩。ずるいぞこの野郎。これからはダル絡みする方になるんやぞ。あと金返せ。
・児玉桃香…実はちょっと怖い29期。ふわふわしてるけどスパスパしてる。オムニの時から上手かった。自分の武器を生かしてる感。これからは陰でちゃうかちゃわんを支配してください。
・佐々田悠斗…寝坊助な29期。最近ただただ暴言を吐いてる気がする。ごめんね。お前は一生悪役や。天性のもんや。これからもちゃうかの悪役として堂々と演技しろよ。あ、ちょっとマイペースすぎるからちょっと周り気にしろよ。
・サミュエル・ツヤン…マルチリンガルな29期。一番有能説。日本語で脚本書くって普通にやべーと思う。ちゃうかちゃわんのどの世代にもいる留学生。その強みを今後も生かしていってね。そして、留学生いっぱい入れてね。
・石英…口調と年齢が一致していない29期。後輩が入って少しフランクになった。お前もクセのある演技をするね。とても良いと思う。そのクセを弱めず強めて笑いをとってね。あと初田を支えてあげてね。
・武田聖矢…1番あだ名が似合ってる29期。つぶらな瞳をしてる。こいつの発狂芸には誰も勝てない。羨ましい。お前は毎公演発狂しろ。あともう少し謙虚になった方がいいと思うぞ。どーでもいいけど。
・町民I…誰やねんな29期。よくわからん芸名使いやがって。乙女にするぞ。何故かだる絡みしちゃう。いろんな人にだる絡みするけどそのダルさはダントツかも。丁寧な深みのある演技をする。ベテラン感あっていいね。
・音川…ちっこい29期。でもパワフル。最近はとても先輩感が出てきたとおもう。この子は入団当初から安定感のある演技をする。見てて心地よい。ちっこいながらも姐さん感が出てきたとおもうので29期姐さん3人衆で、ポンコツ29期男子を引っ張ってあげてね。
・野井天音…元ヤンな29期。多分元ヤン。釘バットが最も似合うオンナ。もっと暴力振るっていいんだよ。でもそんな素行に相反したとても繊細で緻密な脚本を書き、演技をする。見てるとなんかエモくなるよね。さすがです姐さん。
・初田和大…あーうるさい奴が来てしまった。わーーーー。あ、対抗して僕もうるさくしてます。こいつは本当に出来が悪い。けどその出来の悪さを努力、量でカバーしようとするから本当に凄い。立派。あとすげー良い先輩。これからも頑張れよ。頼んだぞ。
・森中社…こいつは何期かよー知らん。とりあえずプーさんだと思ってる。良い後輩ランキングダントツの1位。あと今回すげー面白い脚本書いた。悔しい。これからもちゃうかちゃわんをもっと面白くしろ。これは命令です。
28期
・アエギュプトゥス…ほんま誰やねんお前な28期。けどちゃうかちゃわんに入って1番迷惑かけたかも。何度もこういう場で謝った気がするけど恥ずかしいから面と向かっては絶対謝らんからな。でもこれからも仲良くしてください。こいつの演技はすごい。こんなモブで輝けるやつおらん。もっともっと役者姿が見たいね。
・飯田結湖…めちゃくちゃ成長した28期。なんか上から目線でごめん。でも本当に頼れる制作チーフになった。この子がいないと何度公演が中止になったか。本当にありがとね。お疲れ様。前座コントも面白かった!
・市川萌…頭が上がらない28期。本当に副座長を頼んで良かったと思う。いつもいつも迷惑かけたし助けられた。なんかいつか奢ろうとおもう。そういえばオムニで共演した。感慨深い。ワタナベミツヒロ最高。副座長だけじゃなく、舞監、演補と本当にお疲れ様。ゆっくり休んでね。また遊ぼうね。ありがとう。
・岸本絵里香…スウェーデンに行ってしまった28期。何しとんねんほんま。お前おらんと28期しまらんぞ。ということでね、いつもおもろかったこの子は今公演は見守りタイムです。その分きっと充電を貯めてます。後輩たち、卒公でちびるなよ。また演劇しようね。燃やそうね。
・倉本隆成…僕はそこまでイケメンじゃないと思います28期。でもなんか入団からどんどんイケメン度が増してる気がする。クソだね。仲が悪そうなのは愛情の裏返しじゃねーからな。たぶん。でも月の土地は今までもらったプレゼントで1番嬉しかったよ。マジで。
・黒島めぐみ…実は1番破天荒な28期。たぶん。散々言われてると思うけど敬語がガバい。思い切ったド派手な演技で笑いをかっさらっていく。ずるい。正直まだまだ彼女を掴めてない不思議な女の子。たぶん思ってるよりもシンプル。
・竹中小百合…何回か本気で怒られたことある28期。たぶん本気で怒ってた。その度に割と真面目に反省してるから許して。ヒロイン感がすごいよね。溢れ出るヒロイン感。今回も流石のヒロイン。これからもたぶんヒロイン。新人の時のキレてる演技が一番好き。
・壇上翼…僕です。さて、皆さん気づいたでしょうか?そうです。つちへんになってます。これに気づけた団員は素晴らしい。僕も心置き無く引退できます。これに気づけなかった団員は今日中に反省文を僕まで提出してください。1,000時前後となります。よろしく。
・寺田倫子…何となくフワついてる28期。喋り方がね、フワついてるよね。中身はそんなにフワついてないけど。けどなんか和むよね。こいつもオムニで共演した。あの時は恥ずかしくて全然喋れなかったけど今はちょっとは喋れるようになったかな。ゆるふわな演技とても良い。
・中本星伍…まごうことなき質量な28期。最初はだいぶ距離を感じて、距離が縮まって、なんか女できてまた距離ができて、また縮まった気がする。話しててちょー楽しい。パワーのある演技凄くいい。もっと肥れよ、何遊んでんだ?100キロ超えてから出直してこい。あ、おじさん。
・藤崎友理…イモ焼酎が最も似合う28期。今日もイモを飲んで欲しい。今飲んでる姿見たことないけど。最近は写真撮りおばちゃんになってる。でもとても楽しそうでなにより。楽しいのが一番だよ、これからも人生楽しんでいこ。あ、めっちゃ演技上手い。さすが宝塚。
・松岡玄…ゴリラ。うほうほほうほ、うほほうほうふほほほ?ほふほふへふへ。ひひんひひん。ううーううー。ほっほほほほほ。うほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほうほ。
・水谷菜奈…あーまだふわついてる奴いたわー28期。一番ゆるふわ。でもなんだかんだいろいろ考えてるよね。計算されたゆるふわ?この子は竹中とは違ったヒロイン感がある。とてもヒロイン。どっちがよりヒロインかは知らん。でもやっぱり新人のもーみんなゴミ!が一番好き。
・三宅雄太…え?こんな奴同期におったっけ?たぶんおったとおもうけどよーわからん。こういうくだりをすると本当に凹んでるのか喜んでるのかよくわからん反応する。ある意味一番演技が好きかもしれない。キラキラキラキラうるせー。黙ってろ。
・山内。…あーやっと最後だ。えっとね、この子はね、見てて楽しいね。すげー楽しそうかすげーしんどそうかしてる。僕もいろいろ振り回されたけど今ではいい思い出だね。そういえば今のちゃうかで一番キャスパを作ったんじゃないかな。本当にお疲れ様。いいキャスパばっかだったよ。
はい、ということで団員を紹介しました。こんなにいたんですね。こんなにいたのに誰一人として被ってない。個性の塊たち。こんな奴らと演劇やってるんだから楽しいに決まってますよね。
思えばちゃうかちゃわんに入団を決めたのはささいな隣人トラブルでした。それがまさかこんなことになるとは。何はどうあれ、本当に入団してよかったです。とりあえずちょっとエモいこと言っときます。
演劇は楽しいです。ずっとやってずっとずっとやって自分で劇団立ち上げたりして、何でそこまでってくらいのめりこんでしまいました。それはお客さんの笑顔が見たいから、終わった後の達成感を味わいたいから、いろいろあると思いますが、僕の場合、一番は稽古が楽しいからです。ちょっと変なことを言うと本番より稽古の方が楽しいです。みんなで稽古して、時にふざけて時に真面目に。そんな時間が何よりも大好きです。その延長線上に本番があり、この楽しさ、かっこよさ、感動をお客さんに伝えたい、一緒に分かち合いたい、てな気持ちで本番に臨んでます。だから、引退する僕から後輩に偉そうに言えることは、楽しむ、これだけです。稽古も作業も仕込みも本番も、全部全部楽しんでください。笑ってください。そうして初めて人を笑わせれる、楽しませれると思います。もちろん辛い時しんどい時もあると思います。けどやっぱ、何で演劇やってるかって言ったら、楽しいからだと思います。そのことを思い出して頑張ってください。そして、たまにこの稽古日誌を思い出して、檀上恥ずかしいこと言ってんなって笑ってください。僕も一人で何書いてるんだろうって今笑ってますから。
はい、マジで恥ずかしいこと書いちゃったので、その恥ずかしさをごまかすために僕の初演出のワタナベミツヒロさんが本番前日に送ってくれた言葉の一部をここで記したいと思います。
「本番は何が起こるかわかりません。今までウケていたネタがウケなかったり、何でもないシーンでお客さんから笑いが起こったり…でもどんなことがあっても僕たちがやってきた一ヶ月間は嘘をつかないと思います。
ウケてもウケなくても、全力でやりきって、楽しみ切ってください。楽しんだもの勝ちです。自分達が楽しんでいるのを見てきっとお客さんも楽しんでくれるはずです。」
長いですね。これで1/3くらいです。ほんと、良い人ですよね。この文にあるように楽しむこと、これが大事です。
最後になりましたが、劇団員のみんな、先輩方、そしてちゃうかちゃわんを見に来てくださったお客様、本当にありがとうございました。楽しく幸せな2年半でした。これからもちゃうかちゃわんをよろしくお願いします。僕は老害になるので後輩は面倒をみてください。
そして、あと1ステージ、めちゃくちゃ面白い脚本が上演されるので来るかどうか迷ってる方は是非来てください!そして、役者やオペは全力で楽しんでください!!
引退ダーーー!!!
0 notes