#現代日本の差別構造-「健全者」幻想の破産
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anamon-book · 11 months ago
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現代日本の差別構造-「健全者」幻想の破産 高杉晋吾 三一書房
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manganjiiji · 1 year ago
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いつかはぜんぶ幻みたいに思えても
タイトルはSwitchの曲「オモイノカケラ」より。昨日友人と会った際に彼女がこの歌を口ずさんでいて、ああ、この曲も大好きだったなと思い出した。Switchの曲はどれも良すぎる。なんでSwitchはここまで曲に恵まれているのか?恐ろしいほどだ。たんに私の好みに合っているだけかもしれないが。キャラクターのパンチがそこまでではない(いわゆる正統派美形ではない、搦手の3人)ため、曲は厚遇されているのか?などと思ってしまった。そのあたりのバランスはありそうだが、まあわからないことを考えても意味がない。そしてオモイノカケラを叩いていて思ったのだが、宙の顔のモデリングがえぐいほど良いということだ。夏目もいいのだが、あんスタの3Dはやはり小さな子供の顔が基調だと思うので、ということを差し引いても宙の顔のパーツ配置や輪郭が黄金比すぎる。夏目も童顔なのでいい感じだが、追加ユニットゆえのモデリング改良を受けているのだろうか。つむぎは成人男性のため、他のキャラと同じくややアンバランスだが、とにかく宙の顔の美しさが群を抜いている。どの角度から映されてもあまり現実の比率と齟齬がない。Rabbitsには感じたことがない感覚なので、やはりモデリング技術のなんらかの向上があるのか、宙だけ異様にうまくできてしまったのか…とまた考えても答えのないことを考えている(もしかしたらどこかのインタビューに答えがあるのかもしれないが)。そうなるとmusicで追加されたALKALOID、CrazyBの面々のモデリングもかなり改良されていそうなものだが、こちらには童顔(小柄)キャラがいない。一彩、藍良、こはく辺りはやや童顔系だが、宙ほど幼くはないので、やはりいつものやや幼さのある謎のバランスの悪さが発揮されている。成人男性モデル組はそもそも変。私は変だと思っているが、これがあんスタのモデリングなので別にいいと思う。顔も体も、なぜか立ち絵よりも幼く作られているのは、どんなコンセプトがあるのかいつか知りたいところである。というか、アイマスからの「少女型」モデリングをそのまま継承しているイメージでもある。これはモデリングをする人の手癖とかもあるのかもしれない。
SPECTATORS vol.52のアメリカ保守リベラルの年代まとめを終えた。1929年のウォール街大暴落までは、自由奔放な野蛮な(素朴な)アメリカ、その後ルーズベルトのニューディール政策により「大きな政府」=リベラルの時代が約40年続く。1980年代になり、ベトナム戦争の敗北や全体的な生産力の低下、アメリカ内部の分裂が深��になり、「古き良きアメリカ」への懐古と、いきすぎたリベラルへの反動で、レーガンの「小さな政府」へ。ここから現在にいたる約40年間が保守の時代。こうしてまとめると、いろいろと見えてくるものがある。つまり、私が生まれた時代というのは強烈なアメリカ保守への揺り戻しの時代で、まさに自由市場主義が推し進められた、それも過剰に推し進められた「小さな政府」の時代だった。そして、失われた30年間とかなんとか、日本では言われるようになる。が、アメリカでは依然保守が強いので、日本の政党もかなり右傾化したままここに至っている。日本では経済成長が終わり、デフレ真っ逆さまのなか、「小さな政府」路線からなかなか脱却できず、福祉や公助で人々を救うのが遅れに遅れ、その間も自由市場主義によって格差はどんどん拡大した。これが私が生きてきた35年ほどの日本の状況だったように思う。この最悪な状況のなかで、確かに精神を病む大人(親)は多かったし、その煽りを受けて家庭内虐待が大量発生し、私たちの世代(子)もかなりの割合で、若い(子供の)うちから精神疾患を発症している。おそろしい時代だと思う。これから、格差拡大により増加した貧困層にいかに税金を割いていくか、を考えなければならないのに、日本は高齢者への福祉にかなり足を取られている。この状況はあと20年ほどは続くだろう。若い人たちは限られた自分たちに使える税金をいかに分配するか、工夫しなければならない。こんな状況で被虐待児や元被虐待児に支援を、と言っても、とてもそんなところまで手が回らないと言われるのはすごくよくわかる。とくに虐待なんて、誰もが関わりたくないトピックだ。それは、「虐待者が悪い」と言ったときに、その虐待者が権力者であった場合、指摘した側、子供を助けようとする側の立場が悪くなるから。しかし、被虐待者である子供の側には、何の権力の後ろ盾もない。親と子が争った場合、ふつうに負けるのは子供の方である。そして虐待死に至るか、虐待を耐え続け逃げ延びても、その先で精神疾患になり自殺する。または自殺と常に隣り合わせで地獄を生きていくことになる。それでも、そんなことはどうでもいいとばかりに、児相は動いてくれない。これがなぜなのか私には全然わからない。児相がふつうに仕事をしてくれたら、虐待の被害はもう少し減るだろうし、こんなに民間で自助しなければならない構造は変わるだろう。児相が機能していない背景には、やはり、親権規定の強力さがあると思う。親権規定がある限り、児相がいくら子供を助けたいと思っても、親から子供を引き離すことはできない。親の虐待��検挙されるか、親がyesと言わなければ、子供を施設で保護することはできない。加えて施設も里親の数も足りない。日本にはとにかく血の繋がった子でなければ愛せないという神話が未だ��渦巻いており、養子文化は全然ない。またはそれは悪いこと、恐ろしいことと思われている側面さえ感じる。私には理解できないが、血が繋がっていればその子供を愛せるらしいし、血が繋がっていなければ、その子供に対してどこか投げやりになるということなのだろうか。そんな人間ばかりではないと思う。みんな犬や猫を家族として受け入れているんだから、人間だって血が繋がっていなくても家族になれると思う。かかる金の桁が違うが、「自分の子」として受け入れるなら、愛情は注げるはずだし、誰の腹から生まれたかがそこまで重要なのか?と、養子反対の感情は私には本当に理解できない。私がさっさと結婚して養子を育てれば話は早いのだが、そもそも30代後半の精神障害者が結婚することがかなり難しいので、そこを強行突破できればいいのになあといつも思っている。あと30代後半の精神障害者と結婚してくれるような男というか、30代後半の女と番いたいと思う男に基本的にはまともな人は残っていないので、そういう男と結婚するのは憂鬱だなあと思っている。ここで虐待が再生産されたらなんの意味もない。養子縁組や里親は私以外の健全な人間たちにぜひお願いしたいと思っている。私は自分が養子を取るという面においてはあまり虐待問題に貢献できなさそうなので、仕事で被虐待者の支援を請け負う人間になりたいと思う。本当は自分の好きな仕事をして好きな人と結婚して子供を産んでまあふつうの家庭や家族をやってそれなりの人生を送りたかったのだが、それは無理だったので、せめて自分にできることを、と思っている。このような体力のない精神障害者でも、いないよりはいたほうがいい。0よりは、0.1でも、力はあったほうがいいのだと思っている。自分のためだけに生きられる人間だったらもっと楽だったと思う。でもたまたまそうは生まれつかなかった。自分の仕事をして、余暇で趣味をする。本来なら人間の生活とはそれでいいはずだ。でも、私はそうではなく、とにかく子供たちや、今も苦しむ大人たちを少しでも楽にしなくては、と思っている。それは自分にその経験があるから共感しているからなのかもしれないし、過去の自分を救済したいからなのかもしれない、それはどうでもいいのだが、とにかく、1秒でも早く、苦しんでいる誰かを実際的に救わなくては、と思う。この感情に駆られず生きられたらとても穏やかなんだろうなと思うが、たまたまそうは生まれなかったので仕方ないと思う。なんでみんな自分のことだけ考えていられるんだろう、自分が幸せならそれでいいんだろう、と不思議に思う。逆に、私も不思議に思われているはずだ、なぜ他人の救済を義務のように感じているのかと。もうこれはお互い生まれつきなので、お互い根本からの理解は不可能だと思う。
「自分にケアが必要な人ほど、他人を助けたがる」と苦言されたことがあった。でもそれは仕方がないと思う。他人を助けたいあまりに自分がダメージを受け、そのダメージが回復していないとしても、まだ他人を助けようとしてしまう、根源は同じだ。自分のケアをある程度まで進めてからでなくては共倒れになるのだから他人を助けることなど到底できない、と鼻で笑われたとしても、実際その通りなのだが、でも強烈に他人を助けなければという思いは消えない。その為にも私は自分を立ち直らせることを急いでいる。共感性の高い人がそうなりやすいと思う。自分が傷ついた経験から、他人の傷をこれでもかと想像できてしまい、その苦しさがわかるからこそ、助けたくなる。その人が少しでも楽になれば、共感によりこちらも少しは楽になる。その人が苦しんでいればこちらも苦しい。共感性も生まれつきのものだと思うので、これは仕方のないことだと思う。
共感性の高い人間には、おそらく、共感性の低い人間の感覚はわからない、逆もまた然り。利他的な人間には利己的な人間の感覚はわからない、逆もまた然り。これはどちらがいいとか悪いではなく、単に生まれつきが違うだけだからそうなってしまうのだ。そこで分断されずに、ただ、あなたはそうなんだね、とお互いの特質を理解して尊重するだけでいいと思う。私は共感性が高く、利他的な人間に生まれついたが、これがマイノリティであるということはさんざん今までの人生でわからされてきた。そして、自分も、自分と違う感性を持つ人も、別にどちらも悪くないし、どちらも正しい、みんな、自分の生きたいように生きればいいということをわかっている。
2023.1.29
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2ttf · 13 years ago
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xf-2 · 6 years ago
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『機動戦士ガンダム』の生みの親の一人である安彦良和氏は、40年前に「ガンダム」のキャラクターを作り上げた。近年では『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』で登場人物たちの過去、すなわち「歴史」を描いてきた。
71歳の安彦氏は、実際の「歴史」とも向き合っている。目下のライフワークは近現代史をテーマにした作品。『虹色のトロツキー』では中国東北部に存在した日本の傀儡国家「満州国」を描いた。連載中の『乾と巽』では「シベリア出兵」に取り組んでる。
複雑な背景を持つ近現代史をなぜ描き続けるのか。安彦氏は「善悪二元論で歴史を解釈することは、とても危ない」と、歴史との向き合いかたに警鐘を鳴らす。
日本が歩んできた道を問い続ける安彦氏に、歴史と向き合う作法と意義を聞いた。
人間は、トラウマで心にかさぶたを作る
インタビューに応じる安彦良和氏
――安彦さんは『虹色のトロツキー』で、「満洲国」にいた人々に取材を重ねています。戦後74年を迎えた今、近い将来に戦争経験者がいなくなることが現実になろうとしています。
あの戦争で、生きるか死ぬかの経験した人がいなくなる。そういう時代が来る。平和だからこそですが、一方では大変恐ろしいことだなと思います。
僕は1947年生まれで、タッチの差で戦争を経験していない。「戦争は絶対いけない」「どんな戦争もやっちゃいけない」と、生死の境をさまよってきた人たちの言うことを厳かに聞かなきゃいけないという思いがある。
しかし、そこで「お説ごもっとも」と、思��停止をしてもいけない。
「戦争」や「戦い」を一般論化して、何が肯定されるか、また否定されるかというのは、なかなか難しい。ただ、戦争を経験した人が「とにかく戦争はダメだ」と語る証言は、とても貴重だと思うんです。
もっといえば、本当に生死の一線を越えてきた人たちの中には、そのことを語り残さなかった人もいるでしょう。
――過酷な体験は振り返りたくないという人を、私たちが責めることはできない。
「思い出してどうなるのか」「悪いことを思い出すだけ」と、あえて語らなかった人もいたと思うんです。
人間というのは、トラウマで心にかさぶたを作る。それを剥がすのは、残酷なことじゃないかと。それを語らせるのは、非常に微妙な作業でもあります。
そのかさぶたが、ある日突然破れて、感情が噴出することもある。本当に深刻なトラウマっていうのは、必死にかさぶたでふさごうとするけど、癒えないわけですよね。
我々の親の世代は、一種の自己防衛で語らなかったという気もします。語られていない歴史、そこに思いを致すことも必要かもしれません。
『虹色のトロツキー』で描いた「リアルな目線からの満洲国」
『虹色のトロツキー』単行本
――『虹色のトロツキー』の主人公は、ウムボルトという青年学生でした。なぜ旧満洲を描こうと思ったのですか。
そもそもは、ある時期に当時の旧満洲を撮影した写真を見たことがきっかけでした。多くはいわゆる宣伝写真でしょうが、そこからは人々の生活の匂いを感じた。
いわゆる「満洲モノ」と言われるものには2パターンがありました。一つは、加害者として、あるいは被害者の立場から「満洲国」を告発するもの。もう一つは「馬賊」モノのような娯楽作品です。
そのどちらでもなく、「満洲国」という存在を正当化はしないまでも、そこに生きた人たちを描きたい。
なので、等身大のウムボルトという、日本人とモンゴル人との間に生まれた青年学生のリアルな目線で旧満洲を描こうと思いました。
――主人公は無名のキャラクターで、その周りに関東軍の石原莞爾や辻政信、満映理事長の甘粕正彦、女優の李香蘭など実在の人物が出てくる。無名の人の目線からあえて物語を描いたのはなぜですか。
ウムボルトは混血の青年、いわばマイノリティです。その意識は僕の中にもあった。
マイノリティの意識が自分にもあるからですかね。馬の骨の話もそうだし、北海道っていうのはある意味で外地ですからね。北海道は今でも本州を「内地」と言っているくらいですから。
メインストリートではない、辺境の目線から見えてくるものがあると思うんです。
左から李香蘭、甘粕正彦、辻政信、石原莞爾
――「満洲国」は「帝国日本の脆い理想が現実と渡り合った成れの果て」だったと。そこにいた青年たちは、理想と現実が複雑に交錯した時代を生きた。その舞台となったのが満洲建国大学でした。
満洲建国大学は、石原莞爾が唱えた「五族協和」の理想に基づき、石原の支持者だった辻政信が開学させた。新国家に有用な人物を生み出すための国策大学でした。
しかし、その実態はとても多様だった。門戸は様々な民族に拓かれ、中国やモンゴルの人も入学していました。
印象的だったのは、中国や旧満洲の人たちが建国大学に入りたがっていたということことでした。もう日本の敗戦が目の前に迫っているようなときでも、喜んで入学した人がいた。そういう夢があったのかもしれない。
『虹色のトロツキー』2巻(中央公論新社、2000年)、248-249頁
「五族協和」「王道楽土」というのは、単なる空虚なスローガンではなく、彼らなりにあくまで一つのリアリティを求めた言葉だった。実際に、そこを本気で目指していた学生もいたわけです。
建国大学の同窓会の雰囲気や結束の固さを見ていると「この人たちは真面目だったんだ。本気だったんだ」という気がしました。
それらも含めて、全ては世界史の過酷な現実に押し流されてしまった。それが歴史の恐ろしさだとも思うわけです。
善悪だけでは語れない。それが「歴史」だ
「善悪二元論で歴史を解釈することは、とても危ないと思います」
――つまり、善と悪だけでは語り得ないっていうところを表現したいっていうのがあった。
「満洲国」は、軍国主義や日本の大陸侵略を象徴する国家ではありますが、それだけでは語り得ないのではないか。
確かに、旧満洲をめぐる陰謀めいたものが挫折し、否定され、大きな悲劇が起きた。あの国はどうしたってつぶれる運命だった。
しかし、実はそんな単純な話ではなかったのではないかという思いもあるんです。善悪二元論で歴史を解釈することは、とても危ないと思います。
――作品では、独断専行でノモンハン事件の犠牲者を増大させた陸軍参謀・辻政信が登場します。辻はガダルカナル島攻防戦を指導するなど「作戦の神様」と呼ばれましたが、戦後は旧軍の精神主義を体現していた人物とみなされた。そんな「絶対悪」とも評される人を、安彦さんはコミカルに描きました。
『虹色のトロツキー』で困ったのは、取材で当時の話を聞くと「みんないい人だった」という話になることでした。
連載していた頃、辻政信は世間ではそれほど扱われていなかったと思います。もちろん「悪」とされても仕方がない人ですが、実際に関係があった人から話を聞くと、みなが「魅力的だった」と言うんです。
「神出鬼没な人だった」「声がでかかった」とか、懐かしい目で語るんですね。
人間というのは「こいつは超悪い人だった」「こいつは善人だった」と単純に割り切ることはむずかしい。直接会ったりすると意外と魅力的で、コロっと好きになるようなことがあると思うんです。
なので、無���件に悪と断じたりするのではなく、面白いキャラだが基本的にダメだよと。そういうリアリティを反映した描き方をしたほうがいいんじゃないかなと思った���です。
尾崎秀実(左)とリヒャルト・ゾルゲ
―― 一方で、戦時中のスパイ事件(ゾルゲ事件)に絡んで処刑されたジャーナリストの尾崎秀実については、少し不気味な描き方だなと感じました。尾崎は戦後に平和主義者として語られがちでしたが…。
尾崎については中途半端な描き方しました。家族を愛した平和主義者として語られますが、単に平和を愛した人物ではありません。
尾崎は近衛文麿首相のブレーンで、そのための言論活動もしていました。講演では「資源を得るために日中戦争をどんどんやれ」というようなことを言っています。
そして日本の情報をソ連のスパイ、ゾルゲに売っていた。娘たちには「いずれ戦争は終わります。日本が勝ちます。頑張りなさい、堪えなさい」って言うんですが、彼が売った情報で、日本は戦略的に負けたわけです。
それなのに戦後の僕らは、尾崎が獄中で妻と娘に書いたメッセージ「愛情はふる星のごとく」に涙するわけです。「平和主義者なのにこんな目にあって、家族も可愛そうだ」と。この本はベストセラーになりました。
尾崎を戦争の犠牲者として、無条件に平和主義者と定義するのは、戦後的な美化だと思います。
戦後の「マルクス主義」的な歴史観の是非について
幼少期から漫画家になるのが夢だった安彦氏だが、かつては学生運動の闘士だった。1966年、故郷の北海道を離れて青森県の弘前大学に入学。学生運動に身を投じた。 後に弘前大全共闘のリーダーとなったが、大学本部占拠事件の責任を負わされ1969年9月に逮捕、翌年に除籍された。その後、安彦氏は上京。たまたま目にした手塚治虫の「虫プロ」の求人広告をみて応募。採用された。 当時の学生運動を描いた山本直樹の漫画『レッド』の登場人物・安田は安彦氏がモデルとされている。
――戦前は『古事記』の神話さえも史実として教えられましたが、戦後は批判的に読まれるようになった。戦後、歴史の教科書は大きく変わりました。
戦前期は基本的に「悪」の時代。戦後は「善」の時代とされますよね。
民主主義の下、過去を悔い改めない人たちを少数派にし、「善の戦後史」を作れば、日本は世界に輝く平和国家になる。それが戦後の民主主義教育の考え方でした。
でも、なかなかそうはならないわけで、いくら経っても悔い改めない人たちがいるわけです。そして、その色合いはむしろ強まってく。そこに大いなる「なぜ」があるわけです。
――その「なぜ」とは。
戦後の支配的革新思想「マルクス主義」、もっと言えば「社会主義」の敗北につながる問題です。
世界では18世紀ごろから「人��を大事にしよう」という思想が、啓蒙思想として出てきます。そして「世の中は時代が進むにつれて、より人権が尊重されるようになり、必ずよくなる」という考え方あった。それは今でもあります。
でも、ヒューマニズムだけでは力が足りない。それを科学的に立証しなければいけない。歴史には停滞する時期や逆行する時期もありますから。
それを冷徹に分析し、まあ世の中はおおむね「進歩」している。そう捉えたのが「マルクス主義」でした。
この思想は「科学的」であることを売り物にしていた。世の中の「進歩」を信じていた人々は、それにすがった。
やがて「科学的」であるはずの思想を盲信する人が生まれ、「党派」をつくり、それを教団化し、宗教的なものになってしまった。
ただ、それにも終わりがやってきます。1989年にベルリンの壁が崩壊し、90年に冷戦が終結し、91年にはソ連が崩壊した。社会主義の実験は失敗に終わり、「あれあれ、善玉が負けちゃった」となる。
「社会主義は善」「悪は滅び、善は勝つ」という思想が、逆に不幸を招いたような気もするわけです。
撤去されるレーニン像(ソ連・リトアニア共和国・ビリニュス)=1991年8月23日 
――社会主義は、自らが否定した宗教的なものになってしまった。内ゲバもあったし、それこそヒューマニズムが欠如していた。
おっしゃるとおり「科学」という名の神を信仰する宗教になってしまった。
結論を言えば、やはりヒューマニズムを安易に「卒業」してはいけなかった。それが社会主義、史的唯物論的な考え方に置き換えられた時点で失敗したと思うんですよね。
歴史への科学的な姿勢こそ、思想の進化だと我々はずっと思ってきたわけです。ヒューマニズムなんて甘っちょろい。現実に負けてしまうとね。そういう考え方の中で人間的な目線を置いてきちゃったんです。
「ニュータイプ」に憧れを抱くのは危うい
インタビュー場所は安彦氏の自宅の一室。壁には安彦氏が描いた作品が飾られていた。
――安彦さんがおっしゃるように、今を生きる私たちがヒューマニズムを取り戻すためにはどうすれば良いのでしょうか。
ヒューマニズムを、ひたすら素朴に追求することじゃないですかね。
簡単に言えば、階級格差や貧富の差を見すえて、もっと人権が尊重される社会にする。もっと多くの人が幸せだなと思える社会を地道につくっていく。そういうことだと思うんです。
前衛党を作って、戦略的に練り上げた革命を達成して、究極の理想社会に向かって指導されていくべきだ……みたいな部分を否定すればいい。
ヒューマニズムの社会をつくるには、もっとたどたどしくていいんですよ。みんなが「他人の痛みを知ること」「他人の気持ちになること」を意識する。そういう社会を目指そうということです。
――一方で、私たちは心のどこかで「よき指導者」を求めているような気もします。マスコミでも「新たなリーダーが必要」みたいなことが言われます。ともすれば、『機動戦士ガンダム』のギレン・��ビのような、強いリーダーシップを求めてしまいがちです。
リーダーを求めること自体は良いと思います。ただ、リーダーに全権委任するのがいけない。リーダーだって人間で、限界があるわけです。「いい人だと思ったけど案外ダメだな」と思ったら、さっさと見限る分別を持っていればいい。
宗教的なカリスマや、『ガンダム』でいう「ニュータイプ」的なものに憧れを抱くのは危うい。常に権力者を疑いながら、くよくよと迷いつつ、道を探し求め続けるしかない。
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の単行本。12巻の表紙にはジオン公国の総帥、ギレン・ザビが描かれている。
――それは、古代ギリシャのオストラシズム(陶片追放)からずっと続いている。
それで何がいけないんでしょうか。やはり、指導者はほしいですよ。もちろん個々人の能力差は当然ありますし、権力欲で成り上がろうとする者も絶えずいる。
だからこそ、僕らは目を肥やす必要もある。「あいつはろくでもねえ」「この人がいいな」と、ずっと観察し続ける。
「ナショナリズム」と「パトリオティズム」の違い
『虹色のトロツキー』の原画。描かれているのは主人公ウムボルト
――『虹色のトロツキー』の主人公ウムボルトは「五族協和」にこだわっていました。自分は「満洲国人でありたい」と。一方で、民族主義の発露は、時として自民族が優れているという選民思想、偏った愛国心の萌芽となる危険性もあります。
かつて親しくさせていただいていた松本健一さんという思想家がいました。彼は意識的に「ナショナリズム」と「パトリオティズム」を分けていました。「ナショナリズムには乗れないけど、パトリオティズムならいい」と。
「よき愛国心」という定義は難しいけど、愛国心というよりは「愛郷心」というのかな。「国」となると色々な要素が入ってくるんだけど、ふるさとを愛する心みたいなニュアンスをこめておられたと思います。
――「故郷」と書いて「くに」と読ませることもありますね。
パトリオティズムは、同郷心に近いかなと感じます。ウムボルトは、パトリオティズムとしての「満洲国」の可能性を探っていたのだと思います。
もしかしたら「満洲国」というエスニック国家が存在し得たんじゃないかと、僕も思うわけです。無論、それを存在できなくしたのは、当の日本だったわけですが。
「五族協和」という標語の是非は別として、石原莞爾などは「満洲国民になる」みたいなことを一時言ったりしていました。
――作中で、李香蘭が「日本人が中国人になったり、中国人が日本人になったりするって間違っている」「目的が、国が違う同士が仲よくするためにお役に立てるならいいことなんじゃないか」と話すシーンが印象的でした。
「満洲国」というビジョンを示しておきながら、「満洲国」というアイデンティティを形成するのを結局最も強力に妨げたのが日本だった。そこに大きな問題があるんじゃないのかな。
「五族協和」を掲げながら、本当の意味で「満洲人のための国家建設」をし��かったわけですからね。結局は日本のためだったわけですから。
「人と人は、わかり合えない」 だからこそ…
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の単行本。表紙にはガンダムとララア(17巻)、シャアとララア、ララアが搭乗する機体「エルメス」(21巻)が描かれている。
――『機動戦士ガンダム』でも、ジオン公国の選民思想的な「ジオニズム」という言葉が登場しました。
『ガンダム』の舞台は宇宙ですが、そこには地球上で繰り返されてきた争いの構造が埋め込まれています。地球を出て宇宙に移住した彼らは、民族としての結束を保つために「ジオニズム」というイデオロギーを形作るわけです。
ユダヤ教の選民思想や、ナチス・ドイツのゲルマン民族の優越思想、そして戦前日本の純血思想、これらは古代からずっと続いてきた構造です。
自分たちを選民と考えれば、それ以外の人々への差別が生まれ、ルサンチマン(被害者意識)がまた生み出される。
人はルサンチマンを再生産し、他者と争い、それを繰り返してきた。それぞれの時代を生きた人間たちが、何千年にもわたって積み重ねてきた葛藤。それが「歴史」であり、『ガンダム』が提示したメッセージでもありました。
つまりは、「人と人はわかり合えない」ということです。
「シベリア出兵」を扱った連載中の漫画『乾と巽』。安彦氏は、いまも歴史と向き合っている。
――歴史と向き合うということは、わかり合えない他者と向き合うことでもある。
中には「人はわかり合えるはずだ」と信じる人もいるでしょう。人間にとって平和に暮らことが何よりの希望なのに、なぜ戦争をしてしまうのかと問い続ける人もいる。
しかし、実のところ逆だと思うんです。人と人は、わかりあえなくて当たり前なんです。この「人と人」は、「国と国」と言い換えることもできます。
「きっと自分のことをわかってもらえる」という考えは危険です。其処から反感や絶望が生まれる。「ニュータイプ」なんてものも幻想です。「だったらいいな」ということを究極的な夢として表現している。だからアムロとララアの関係は悲劇的に終わる。
もちろん、だからといって、「わかり合えないなら何をしても良い」ということでもありません。
安彦氏のアトリエ
「わかり合えない」という前提を認めた上で「でも、わかりあえたらどんなにいいだろう」と考えること。そうすれば、相手の良いところが見えてきたりもする。私たちの身近な人間関係もそうですよね。
人は、歴史を巻き戻すことはできません。でも、似たようなことが繰り返されるのだったら、「なぜあの時失敗したのか」「あの時、もしもこうしていたら…」と考える。それが、同じ轍を踏まないために必要だと思うのです
【インタビュー後編はこちら】
<安彦良和 やすひこ・よしかず>1947年北海道生まれ。70年弘前大学中退後上京し、手塚治虫の「虫プロダクション」でアニメーターになる。73年にフリーとなり、以後『機動戦士ガンダム』など大ヒットアニメの主要スタッフとして参加。キャラクターデザイン、作画監督、監督などアニメ界でマルチに活躍。79年『アリオン』でマンガ家��してデビュー。90年『ナムジ 大國主』で第19回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。2000年『王道の狗』で第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞。12年『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』で第43回星雲賞を受賞。マンガ作品は『ヴイナス戦記』『神武』『虹色のトロツキー』『イエス』『天の血脈』『ヤマトタケル』など多数、著作は『原点 THE ORIGIN』などがある。
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buriedbornes · 6 years ago
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第30話 『赤子の視る夢 (2) - “異界”』 Fetus dream chapter 2 - “Abyss”
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 目の前の白いガウンの男をじっと見ていると、まるでぐにゃりと地面が揺らぐような錯覚に陥った。私は自分でも不思議になるほど、とんとひとかけらも思い出せないのだ。そんな私に真実とは何かを判断する術は持ちようがない。
 けれど、このような装丁まできちんとした論文を用意してまで、私を騙して何か利することはあるのだろうか。全く想像がつかない。冊子を持て余す私を見かねたのか、ヴァルター博士は私の手からそれを拾い上げ、手早く近くの書棚へと返した。
 そして、別の資料を私に押し付ける。少し角が折れたり、曲がったりした羊皮紙の束だった。私はぐるぐると巻かれた革紐を解きながら、ちらちらとヴァルター博士の様子を伺った。
「……次は、なんです?」
「異界に関する資料です」
「詳しくは分かっていないのでは……?」
「ええ。ですが、『異界』の存在自体は周知の事実と申しましょうか……存在は分かっていて、ある程度調査が進んでいると――、私たちは信じていました。ですが、少なくとも我々が調査してはじめて分かったこともあったわけです」
 羊皮紙にはびっしりと神経質そうな文字が並んでいる。
「読みにくいかもしれませんが……今回の件にまつわるものをまとめております」
「こんなに……」
 私は半ば脅迫的に、その羊皮紙に目を落とした。
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 医療団派遣 嘆願書
歎願者 シェルノ医院医師一同
  当院医師は当該事件についての医師団派遣を希望する。伝染病の恐れあり。至急返答求む。
  6月某日、農業と林業を主たる産業とする山村ロルコールにて、ある青年が亡くなった。清廉潔白で村の青年団を務めたような堅強な青年であるが、前兆無く不帰。家族が農地周辺を探すも姿が見えず、親族と共に周辺を探す。上述の理由から失踪とは考えにくく、事故ではないかと他の村民たちも捜索に加わるが、痕跡なし。
 3日後、青年は帰宅するが、尋常ではない様子。家の隅に座り、壁に顔を向けたままブツブツと何かを唱えているばかり。実妹が心配し、食事を持って行った際にようやく返事をしたものの、会話が成り立たない。よほどのことがあったのか、無理やりにでも医者に連れて行くかと思案するうち、青年の容体が急変。突如苦しみ出し、介抱する間もなく死亡。直前、支離滅裂な発言と共に胸を異様なほど掻きむしっていたため、精神の病ではないかと考えられ、そっと荼毘に付される。(当院医師、看護婦等への連絡はなし、後ほど聴取と解剖行った)この青年をAとする。Aの家は豪農であり、農地を有する裕福な家系であった。
 その後同じ村からまた行方不明者が出る。幼年から親しく付き合う仲だった若者達B、C、Dが、先述のAと同様にブツブツと独り言を繰り返し、三者一様に徘徊する様子あり。B、C、Dは、Aの家の農地を小作する家の出。発狂した青年を慕っていた者たちでもあったため、家族共は相談し、様子を見守っていたが、その内2名B、Cが行方不明となる。Dは家族が取り押さえているうちにぱったりとこと切れた。Dの遺体には暴れた後はあるものの、絞殺に見られる圧迫痕や打撲痕等見られず、この時点では心不全と考えられた。
 当院医師が呼ばれ、死亡したA、D、2名の解剖を行う。解剖の結果両者の首筋に腫瘍状の肉塊あり。この異物の影響で異常行動をとったのではないかと推測。葬儀の許可を与える。
  再度同村から連絡あり、急行。腐敗した子牛大の肉塊が2つあり、村民は先日の行方不明者B、Cだったものだと主張する。
 経緯不明のため確認したところ、B、Cが、突然A、Dの共同葬儀に現れたとの説明を受ける。A宅で行われる葬儀のため、煮炊きする下女が驚いて腰を抜かしているところを通り過ぎ、屋敷の表から入る。B、Cともに、山などに潜んでいたにしては汚れておらず、いなくなっていた時と同様の衣類を身に着けていた。しかし、親しくしていたA、Dの葬儀だというのに妙に陽気に笑っている姿に、変事が続いていた村民は警戒を露わにした。中でも、彼らと年の近い青年Eは2名の変様に異常を察知し、鍬を手に制止を呼びかけ、それぞれ頭部と腰部を柄で強く打ちつけた。
 絶命するほどの強さではなかったとEから証言を得ているが、姿を現した2名はその場で倒れ、全身が急激に腐乱し崩壊したという。この異常な結果を鑑みて、精神の病ではなく何らかの伝染病ではないかと判断し、解剖を担当した医師を呼び寄せる。
 しかし、当院医師が確認しようにも人体とは判断できない肉塊であるが、衣服等の散乱した形跡あり。ほとんどの村民は半ば恐慌状態にあり、村を出て山を降りると主張する者が他の村民と諍いを起こす様子も見られ、口裏を合わせた殺人などの可能性も低い。
 以上が、一連の事件の経緯である。状況を放置した場合、山麓の町々にも影響が出る可能性があると考えられる。至急、派遣・調査を願いたく、報告とする。
  王立医師団への報告書写し
報告者:クラウス 王命監視団付医師、医学博士
 王命監視団団長に任ぜられ、ロルコール村に到着。陛下誠に心が痛むとお答えになり、すぐさま調査団の組織を命ぜられた。伝染病対策のため、看護団とともに入村。異界の門を確認、奏上。
 王命を受け、招聘した2名の博士を含め、監視団を再編。団長職をマティアス博士に委任する。
 マティアス博士:55歳男性、王立魔道学院異界研究室 教授、代表論文『赤子の視る夢』:通達にあった通り、若干視野狭窄が認められる。門への好奇心が極めて強く、門に案内したところそのまま突入しそうになったため、慌てて隊員ふたりがかりで制止している。それ以外はおおむね問題なく体調等変化なし。
 ヴァルター博士:41歳男性、王立魔道学院異界研究室 教授、代表論文『召喚術に於ける被召喚物と現実の交差構造について』:比較的落ち着いているものの、マティアス博士��突発的な行動を警戒し神経質になっている様子。門へのアクションは最小限にしたいという考えを表明している。
 両博士の確認により、門を異界に通ずるものと確定。ロル��ール村の村民の立ち入りを禁ずる。
 同日、調査開始したことを報告する。
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 そこには一枚の集合写真が挟まれていた。十数人の白衣の人間がずらりと並び、中心には目の前にいるヴァルター博士と、穏やかそうな笑みを讃える好々爺然とした男性が立っていた。
「これは私たちが着任した時に撮った写真です。ほら、これがあなたです」
 ヴァルター博士はすぅっと写真の、ヴァルター博士の隣に立つ男を指さした。すらりと均整の取れた体つきの、若い男だった。
 ……これが、私。
 私はきょとんとしたまま、近くのガラスを振り向いた。戸棚にはめ込まれたそのガラスは、透けて薬瓶が見えるものの、うっすらと私の顔が映り込んでいた。
 確かに、写真の男によく似ている、今の私はかなり痩せているようだが、同じ顔をしている……。だというのに、何の実感も込み上げてこない。
「医学者だったあなたとモニカ嬢は陛下の命で結成された調査団のメンバーでした。あなたが指揮を執り、村での不審死が未知なる伝染病か――はたまた、実は単なる殺人なのか、調査していました」
「お、覚えていない……!」
 首を大きく振って、私は否定した。覚えていない、何一つとして。何を言われても、ぴくりとも記憶は蘇ってこないのだ。
「門を覚えておいでですか」
「いいえ……博士にどんなに説明されても、異界も門も、その肉片とやらも思い出せません」
「落ち着いてください、責めているわけではないのです」
 ヴァルター博士は私をなだめるように続けた。
「あなただけが真相に最も近づいているのです。あなたが異界中での出来事を思い出せれば、門や異界の謎に大きく近づく事ができ、門を封じる糸口も見つかるかもしれない……」
「私が真相に……? あなたは博士なんですよね? 専門家のはずじゃ……」
 ヴァルター博士は哀し気に微笑んだ。
「あの時、全員が門に入るわけにもいかず、私はこちらに残っていました」
 笑みは自嘲じ��て歪み、しおれたようにヴァルター博士は小さくなった。
「ですから、私は門の中を知り得ないのですよ。あなたとマティアス博士が門に向かった時、私は一緒ではなかった。……帰ってきたのはあなたとマティアス博士だけでした」
「マティアス博士も一緒に?」
「はい。ご一緒でした。ただ、マティアス博士は帰還を果たした自分達が危険な状態にあると、あなたとご自身を隔離され……私も近づくことは許されませんでした」
「隔離……? どこにですか?」
「監視室です、門を監視するためにこしらえていました。あなただけをそこに残し、マティアス博士は再び門を越えたようです。しばらくして、監視室からの連絡も途絶え、私は博士の言いつけを破り、監視室に踏み込んだのです。そして、我々は監視室で倒れたあなたを発見しました」
「それで私は、あの監獄部屋に……?」
 羊皮紙にびっしり書かれた異界との遭遇事例、ヴァルター博士の淡々とした、だからこそ感じる強い悔恨の声、私はおどおどとみっともなく体を竦めるしかなかった。
「マティアス博士の姿はなく、あなたが倒れている姿を見た時に、まず、保護しなければと咄嗟に隔離する形をとったことは申し訳ないと思っています。ですが、あなたが再び目を覚ました時、何が起こるのか分からず……このような形にしてしまいました」
「私が何かするとでも思ったのですか……」
「どちらかというと、あなたもマティアス博士のように門を超えてしまうことや、ロルコール村の青年たちのように形を失うことを、私は恐れたのです。万が一、あなたが暴れても、誰にも危害を加えないようにする必要もありましたし」
 私はこれ以上羊皮紙に書かれた『異界』や『門』『肉片』『乳母』という言葉を見ていられなかった。元のようにぐるぐると革紐を結わい、ヴァルター博士に返そうとした、その刹那――、
(……あれは、)
 ヴァルター博士の影が動いたのだと、はじめは思った。しかし、そんなわけはない、どこか赤黒い、血のような色をした影が彼の首筋にすぅっと入り込んでいったのだ。ヴァルター博士は私から目を逸らさないが、自分の首筋を這っていた影を気にする様子もなく話し続けている。
「あなたは、思い出す義務があります」
「思い出す、義務……」
「ええ、異界がこれ以上世界に災厄をもたらす前に、唯一帰還した『赤子の異界』を経験したものとして、是非記憶を取り戻していただきたい」
 思い出せない、何も……記憶がない。どうして私には記憶がないのだろう。あれだけ確かに聞こえるモニカの声も聴き間違いだと断じ、私を監視所の責任者だったと言いながらあんな監獄に閉じ込めて…
 この男は、何者だ。先ほどの赤黒い影は……、赤黒い、まるで血の塊のような……あれこそが肉片ではないか……。
「あなたの記憶が世界を救う鍵になるかもしれません。思い出してください」
 私は答えずに紙の束を突き返した。ヴァルター博士はそれを受け取ると、棚に戻すために体を捻る。
 ――……今だ。
 咄嗟に私はそばにあった一番分厚い本を手に取り、素早く振り下ろした。鈍い手ごたえと同時に「ぐぅ」というつぶれた���鳴が聞こえ、ヴァルター博士が天鵞絨の椅子から床に崩れ落ちる。
 お前こそ、赤子に成り代わっているんじゃないか。
 犠牲者の首筋からは、腫瘍状の肉塊が摘出されている。さっき見えた影が、きっと……。
 私は部屋から飛び出した。
 必死で廊下を駆け始めると、ブウウンという音がどこか遠くで高鳴り始める。殺風景な廊下の角向こうから、ピチャリという湿った音と同時に聞こえる。あの監獄部屋に近づいているような気がして、私は足を向ける方向を変えた。
「くそ……っ」
 急に頭が激しく痛み、視界がぐらりと歪んだ。どんどん意識が半濁していくが、私は必死で抗った。
 ドクリ、ドクリ、と痛みが周期となって襲ってくる。
 音を避けながら歩き続けたが、看護婦には会わなかった。
 クラウス、と誰かが呼ぶ声がした気がする。
 濁っていた意識がじわりと浮上する。
 あの女の声は――私を愛しそうに呼ぶ声は、モニカなのではないか。私と一緒に調査に来たという恋人。生憎私は思い出せずにいたが、彼女はあれほど切実に呼びかけていたではないか。
 ヴァルター博士は誰もいないと言った。
 ここは本当に、監視所なのだろうか?
 モニカは、ここのどこかに、いるはずなのだ。
「モニカ! モニカ、いるんだろう!」
「クラウス! クラウス!」
「ああ、やっぱり君はいるんだな!」
 モニカの声は少し離れたところから聞こえた。彼女の声を頼りに私は見覚えのない監視所なる建物の中を駆け回った。
 山村というだけあって、奥深い山中に監視所はあった。窓から見える鬱蒼とした木々は、清らかな雪を被り、シンとそこに立ち尽くしている。監視所は山を抱くように回廊型で、どうやら中庭があるようだ。
「でも、きっとそうじゃないわ。私の勘でしかないけれど……そうね……ええ……」
 モニカの声がはっきりと聞こえるのに、私はずっと無視をしていたのか。ヴァルター博士に化けた赤子に騙されて、恋人を見捨てるところだった。
 いくら記憶がないからと言って、どう言い訳をすればいいか、モニカは今のように親しげに私の名前を呼び、失われた記憶について優しく語ってくれるだろうか。
「クラウス!」
 声は、あの扉の向こうからする。
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 扉には鍵��かかっていなかった。そして、飛び込んだ私は凍り付いた。
 モニカはおろか、人の姿はなく、そこにあったのは巨大な窓だった。
「――……これが、門、か」
 思い出したのではない、ただ、そう考えた方が自然だっただけだ。窓の向こうには空間を切り裂くように開いた不可解な裂け目があった。荷馬車の幌ほどの巨大さで、怪しく禍々しい光を放ち、赤黒いその内の空間を覗かせている。
 赤子の異界……。
「も、モニカ……?」
 この部屋で間違いないと思った。そのほかに扉はなくて、声がするなら、この扉の向こうだと。
 ただ、そこに人影はなかった。門に面した大きな窓には簡素な数脚の椅子が並び、扉側に置かれた事務机の上には書面が散乱していただけだ。
「……これは……?」
 散乱した書類の上、手帳が置かれている。
 罪悪感よりも、救いを求める気持ちが強かった。この手帳に何かを思い出すきっかけがあるのではないか。
 表紙をめくった中扉には小さくMとサインが書かれていた。そのサインを見た瞬間、私は取り憑かれたようにページを手繰り始める。
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6月7日
 山中の門を確認。報告にあった遭遇事案は近年では稀に見る規模。発見した王命監視団のクラウス隊長に歓迎される。監視団全員の健康状態の確認のため写真をひとりひとり撮影。その際、ヴァルター君の提案もあり、集合写真も撮影する。医学者でもあるモニカ女史の手伝いを受け、私とヴァルター君と手分けし、隊員たちの問診をする。現在赤子の異界への曝露の影響はほぼ見られない。
 6月8日
 門の周囲に仮設キャンプの監視所設営。隊は青年が多く、村人の多くも手伝ってくれる。監視所が完成するまで、問題の村を定宿とす。経緯で『成り代わり』が現れているため、疑わしい場合に隔離する独房の必要性を主張。クラウス君は快諾。スムーズに設営が進む。門を常時監視できる部屋は今のままでは手狭とヴァルター君が主張。
 6月23日
 監視所の設営が完了。監視所に定宿を移す。村、隊、また門に異常なし。
 6月26日
 監視所に移動してから、挙動不審の隊員あり、名前を確認するとテオ隊員とのこと。モニカ女史と診���。身体的な異常は見当たらないが、言動等から赤子の異界の影響を受けている可能性がある。念のため全員の診察を行う。問題なし。テオ君の独房入りはヴァルター博士に反対され、実施できず。危険性を訴えるも、仲間である隊員の幽閉は各隊員たちも抵抗がある様子。一方で、これは間近で観察する好機とも取れる。肉片が孵化しないか……様子を見る。
 6月27日
 テオ隊員がいない。探す。村人に姿を見たものもなく、狩りの罠などにも異常がないとのこと。赤子の異界に行ったのではないか? 距離が近づいたための影響と思われる。クラウス君曰く、防寒具も荷物もそのままで、山中は手ぶらで出ていける状況でない事から門に入った可能性が高いとのこと。
 6月28日
 テオ隊員やはり戻らず。門の中への潜入調査を進言。ヴァルター博士は反対。隊員の身柄を預かっているクラウス君、モニカ女史は賛成。もしやヴァルター博士は二心あって反対しているのではないだろうか……このケースを逃せば、これほどの稀有な遭遇事案は二度とないだろう。この失踪は、千載一遇の好機なのだ。何より何日も放置しておけない、彼を見つけなければ。
 6月29日
 ヴァルター博士の反対を押し切り、有志の隊員――といってもヴァルター博士と医療補助のための看護婦を除いた研究者――で探索に向かう。門はいつも通りに見える。
 7月3日
 生きている。
 7月4日
 少し落ち着いた。しかし、想定外のことが起きた。我々は門をくぐったが、その先は肉片と嚢胞で満ちた、これまで見られたものとは全く異なる異界だった。何人かは嘔吐、他メンバーが介抱する。奥には進めず。内部は異常に暑く、防寒着のまま進むことは困難を極め、装備で何とか肉片をかき分けて進むうち、先頭を進むクラウス君ら若い衆は上半身裸になり、それでも尚異様に汗をかいていた。モニカ女史も肌着ばかりになっていた。非常に暑い。その後間もなく、我々の捜索隊は”乳母”の襲撃を受けた。考えていた理論は概ね肯定される形となったが、異界の乳母は想像以上に危険な化け物だった。抵抗の余地なく、瞬く間に壊滅。目覚めた時、クラウス君とふたりきり門の外に投げ出されていた状態。待機していた医療補助の隊員とヴァルターに保護される。ヴァルターたちに指示を出し、内側に私とクラウス君を残して門を二重隔離する。監視室内には突入以前にはなかった異音が満ちている。幻聴か? クラウス君は目覚めない。確認のため彼の首を切開、腫瘍状の肉片なし。昏睡はしているが無事か、孵化の心配はないだろう。だが、何故?
 7月5日
 理論は肯定されたと考えていたが、それは誤りだった。門の向こうには行ってはいけなかった。赤子の異界は触れてならなかったのだ。門を閉じる方法が見つかるまで放置するべきだったのだ。乳母は確実に人間を狙う意思を持っている。肉片に秘められた力は我々に理解できるものではない。私は既に影響を受け、孵化の時へと近づいていることを感じる。我々には奴の牙が既に突き立てられている。患部ごと切除しなければ。私に出来ることは、これが最後だろう。時間がない。全身にその毒が回る前に、手を打たねば。
 ヴァルター君、君が正しかった。私はもっと慎重になるべきだった。クラウス君のことは任せる。クラウス君とふたり、必ずやこの危険な門を閉じてくれ。
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 心臓が早鐘のように打っている。私は震える手でさらにページをめくろうとした時、背後で扉が軋み開かれる音がした。
 その音に驚き、飛び退るように振り向いた先には、ヴァルター博士に見せられた写真の中央に映っていた男――マティアス博士その人が立っていた。
~つづく~
原作: ohNussy
著作: 森きいこ
※今回のショートストーリーはohNussyが作成したプロットを元に代筆していただく形を取っております。ご了承ください。
赤子の視る夢 (3) - “錯誤”
「ショートストーリー」は、Buriedbornesの本編で語られる事のない物語を補完するためのゲーム外コンテンツです。「ショートストーリー」で、よりBuriedbornesの世界を楽しんでいただけましたら幸いです。
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uchu-household-blue · 4 years ago
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イワンとミーチャの思想の大きな違いが明らかになっていく。時代の狭間にいるという感覚は、3兄弟皆が持つというべきなのか、作者の意図する「ミーチャ」の ..それはちっぽけさなのかな...? 神による黙過に対して神や世界を否定するイワンと、「なぜ苦しみ、貧しい?餓鬼のために何か出来ないか」という自己犠牲の精神から世界を肯定するドミートリー。  善でも何でもないな本当に。。分かりたくないという願いを何よりも強く持ちながら弱いのは、そしてそのままでは行けないまま、きっと第2部小説もある。根気強い。私も嬉々とはないから、しかし普遍的で本質なテーマ沿いなのだよと飲み込まないといられなかった系の。人間な仕事を広く捉えるしかないにしても、やっぱり行く手に自分がいるかどうかなど、願うしかなくないのかな。 何が自滅するとしても、何か疎外を越えないといけないとするのならば、和解が象徴でだけはいられない悲しみが疚しさのように現れる?明るく考えなくちゃだめなの?か? バランス取れない気はする一方になってしまったけれど、キーはいくつか捨てないし古びそうに精査もするしかないんじゃ。苦しみの。ここにあるものだけで回さないべきの。でもそれは内側でだけ入り用の。生産でも製造でも投資でもそんな必要ないはずなんだろうけど。。一生無心に慣れて考えないように関わらせて 何が夢だったかな、どうやっていなくなるのかな。何をするのかな。何をひとりで見つけて無心でどこまでをやるんだっけ。何になら助からなくてもいいんだっけ。心の健康だけがあれば良かったのならどんなところだっけ、内側の、共同の。倫理の外だとしたら何だというんだろう。中だとしたら何を見ればいいんだろう、、
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夢で復活したアレクセイとドミートリーのそれぞれが、考えてみると。ああ、、、餓鬼なのは一生か。一生だった。一生だった.......上手くやれと誰が規範した?何に張り合えた?いずれも、無い。感傷の出方に機嫌なんかなくていいと思えばそれもひとつのカーニバルだというべきなのか... でも入り用にするしかないけど上手く願うことの怖さの強さだったね。夢は生でもあるけど死でもあるのかも。あっ演じてもいくことと踊らされていることの差とかか。それら大地ごしに知るしかない思想的な距離の上の、対比かも。向き合ってもらえなくても向き合えるのかなと思ったりもしたけど、そのままじゃこの夢は見られないのかな。誰かが死ぬみたいに見るかな...。周囲の現実に触れきれないものを夢が代替してくれるかなぁ。泣ける。。!登場人物、誰も上手くないからな。焚きつけだってきっとしないものだもんな。煽って名前つけて悲しいこととどう向き合えばいいんだろう!外向きの成果で終始しないとしても。内向的な課題が解決することもないというならそれにも耐えられない気持ちを見ること、消えなくていいはずにしても。大文字を疑うし、自分の世界に対しての対等も要るというか。何もしたくなくて正しい気がしてこられた。自己対話が残るべく、引き上げてもらうべきというか。 出来なかったこと、傷ついたことを許すのようなことは、敗北の契約を破るようなことは、ほんとに辛いね。新しい傷を覗き込まなくて良い日は来なさそうでも力強さや対等としての共感にしていかないと辛いのだろうか。それこそ、救われるとは社会の広さなの小ささなのか。怖いな。生きていて振り払えたら 感情じゃなくまた何か出来るなら、犠牲の正しさなんてほんとに今は分からないけど。何かが終わる時、自分の認識を広くつつむものなのか、一粒離さずにいられたものなのか。両方かもしれないけど。生きたいと思わなくとも必死のように死ぬようにやっていけるかなと思ったりもする。いま。
「自分の仕事を始めなさい」と「わたしも、あなたと一緒」もしくは「何か自分が代わってあげられないか」。このベクトルの両立をもし考えるなら、結構辛いのではないか。自分も出来るという何かは同一かもしれないけど、何か... 自己否定と肯定どころのこと? プロとコントラ?愛されるという���向性も対比なんじゃないか。今わたしは耐えられない、耐えなくていいのか?いや、貴族性や中心性だけで語れるものだというのだろうか?異化や再定義の幅広さをなぜ、なぜ否定されようものか、いやされてたまるかよ。と。分からない。国家・皇帝という幻想は、何だろう、この大地性から考えるとしたら。王様と威厳。ここの復活は答えではない、これからなのでしょうが。何かすり替わってるだけにしか思えなくもない。神も何も信じられない時の自分の身体性や闘い、一方この物語では「身体も大地の一部」になっていく時のほうと思ってもよさそうか?どうか?ミーチャにとっても、理屈ではないけれど「神も自分も同じ施しの手を持ちうるのでは」というか。重ねていくことでようやくというか、私が今言うのなら すべてではなくても「ここの一部」が助かれば生きていけるのだろうかみたいな。傷のないものはない、誰かの言うように 吠えるだけしか出来ないのかもしれない。やっぱりだだこねで辛抱なのかもしれない、虚栄の世を受け入れるとは何だろう。疚しさと幻想のこと考えていたけど、自我ではなくと引き裂かれて「自ら負債を負っていくことが出来る」から、それに優劣をつけだして現代の何を相手に出来るか、私もまだ分からない。それにも注意深くなっていたのだけど。頭で分かっても。なんてことないとしても。人間という病気に一般事実を刻み付けて、かまけてさえいくのかな。それら幻想をもってしても?私は、その土壌で理解されなくていいよと言われ続けていたわけだ。私は。。変わりたくなくてびっくりしたけど。いいとこどりしようにもモデルにしか無い気もして。言葉から解けないものに捕まえてもいくし鉛も針も消えないけど。真面目に願ってしまったことを、何かもしなかったことにしろと言われても、出来ないかもしれないなと呆然といていた。自分じゃなくても何でもいいはずなのに はずなのに囲い込まれていく内的なものは 私はカーニバルへの嫌悪のような?私は...病に?火に?形になって?焚きつけていくものを、言い張ればそれで個別の健康のことを?エコを、恒常を?何がしたいこといや、影を落とせるべくのものなの、再定義なの、飛躍してでも目的を失うの、、。せめてエゴを逃れたい形を夢みていたかな?生きていられないほどに時間も時代も心の外で。逃れるようにしか形ですらなかったの?とも問うしかなかった。なぜ暗闇で迷ったらいけないの。習慣になっていった探し方で探さなくていいなら、何も。違いあいたいから違いになっただけ、行き来して視野の狭さ知って繰り返すだけ。分かるなんてもの探せない日々だったんだね 何が復活か掴めなくなっちゃったけど、信じてもらうための何かをしぶとさにするほか感情の歴史なのか、離さないだけのことの何を見栄になれるのかも、本当に分からないけど。個別の光、一部のなかにきっといてくれと思うのに。普通��と、名も無いのだと。なのに均一でもないと。理解を無いと思うとき、恐れる気持ちと。それでも向き直りようのない、大地にしかない。アリョーシャは、何にとっての犠牲なの? 共感でもいいかもだし、智情意でもいいか、能力って何に対して問われて健全なの?自分にとっての夢 とは何だろうな。疚しさ以上に自己犠牲の先に?なのなら、でも抱えたいものでもないほどに、辛かったねその頷きを自覚してもいい、誰かも何も、そうして息をしているから。何なんだろう。合本。 頭が心に追いつかないようになって無の無が存在しただけ、それだけ。それだけ。宛先のいや受け取りの不在のままだから?悲しくても普通、きっとそれだけ。不届き
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judachigeiju · 7 years ago
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二〇〇八年の断片集
これは二〇〇八年の断片を集めたもの。二十三歳から二十四歳の記録。二〇〇九年の断片集もある。
七月
何も読まない人は幸いだ。
眼鏡をかけないとほとんどの女性は美人に見える。
金持ちも貧乏人も、感じられる幸せの容量は同じだ。
長く話す人は思慮が無く、短く話す人は愚鈍である。
法律が増えれば増えるほど犯罪は増える。
男は学問をしないと莫迦になる。女は学問をすると莫迦になる。
真面目に生きようとすればするほど不真面目に生きざるをえなくなる。不真面目に生きようとすれば人は自然と真面目になる。
八月
同期の女の子たちが下宿に来たとき、大きな蜘蛛を見つけ、「早くやっつけなきゃ」と言った。でも私は殺さなかった。全ての命は尊い。だからこそ、それを奪うには快楽を求める心が必要だ。恨みや嫌悪感や投げやりな心で命を奪ってはならない。それが命への礼である。
駅前に昼飯を食べに行って戻る途中で中学生くらいの見知らぬ少女に「こんにちは」と挨拶をされて、私は「おっーす」と返事をした。よく日焼けしてぽっちゃりとした女の子だった。記憶にない。
女性の先輩職員。良く言えば女性的、悪く言えば女性的。
大いなる誤算。知的障害児に興味はあったし、今でも興味はある。しかしそれは文学的な興味であって療育への興味ではない。
もし私が心から愛する女性がいるとすれば千人の男に抱かれた十四歳。
人生は無為だ。日本全土を巡る放浪の旅をするか、インドネシアに移住するか。
日々の生活に倦怠を感じたら何かを創作して形に残す。物語でも、絵画でも、音楽でも。それが子供である必要はない。
もっと野菜を食べよう
電車内での痴漢がなぜ罰せられるのかというと、痴漢は数百円から数千円で買うべき「服の上からの臀部の愛撫」や「下半身への性器の擦りつけ」などといった行為を無銭で楽しもうとしたからだ。すなわち痴漢は窃盗と同じ種の犯罪である。同じ理由で強姦も強盗と同じ種の犯罪であろう。
もし誰かが他の人に「あなたの好きなタイプは何?」と質問した場合、質問者は、回答者が異性のあるタイプ(イデア)を追求するために異性とつき合うもののだと予め規定してしまっている。実際には様々な異性の違いを楽しむために異性とつき合う人がいるというのに。そういう人間にとって「好きなタイプ」を定めてしまうことは無意味で味気のない行為だ。例えば私が「好きなタイプ��?」と聞かれて「双子」と答えるのも双子の微妙な違いが好きだからに他ならない。
聞いた話によれば博多は結婚適齢期の独身女性が同年代の男性より多く、若い女性にとっての激戦区だという。或いは独身志向が強いのか。
男は、彼自身に興味のある女を賢いと思い、彼自身ではなく他の男に興味のある女を愚かだと見なす。だから全ての女を愚かだと断定する男は、どの女にも好かれていない、と思い込んでいるのだ。
私は他人の肉体を物質としか見なせない。例えば美女の肉体は何か貴重な物質であり、臭い男の肉体は何か臭い物質である。舌、唇、鼻、耳朶、乳首、陰唇、いずれの他人の肉片も博物館に保管されてしまう。
もし婚約者が元娼婦であっても結婚を完遂できる原動力が真実の愛だとしたら、私は純潔の処女ですら愛さない。
私は思う。仕事が嫌であればあるほど休暇の浮遊感は大きくなる。これは余暇を楽しむ為だけに労働している私にとって、都合の良いことではないか。まとまった休みが定期的にとれて、しかもその余暇が楽しいとしたらこれほど私に合っている仕事は無いんじゃなかろうか、と。
久しぶりに共感できる主人公トマーシュを見出すことができた。彼のように軽く生きたい、その軽さに耐えられないくらいまでに。
どんな社会体制であろうと、それが大勢の人間が集う社会という形式をとる限り、それに馴染めない人間が必ず存在する。そんな人間がとりうる手段は二つ。浮遊するか、絶望するか。あらゆる革命と変革は彼らとは無関係に為されている。
多くの若手経営者は織田信長を崇拝するが、そのうちほとんどの経営者は信長的人物を社員として採用しない。
職���の上司であるA係長は「結婚相手は妥協で選ぶな」と言うが、彼は自分が妥協で選ばれたかもしれない可能性を全く考慮していない凄い奴だ。
文学は少年期の私をどうしようもなく破滅せしめ、青年期においてどん底より救いたもうた。
女性と一緒の職場で、かなり動く仕事なので、よく乳房を触る。私は謝らない、気付かないふりをする。女性が「すいません」と謝ると惚けた顔をして軽く会釈を返す。
娼婦を尊敬できない男はあらゆる女を尊敬できない。
理想の老後。自営業か自由業で京都近郊に住む。東京近郊に、離婚した最初の妻との間に作った娘が夫と住んでいる。一年に一回だけ、娘を訪れる。私は彼女の子供たちから「京都のおじちゃん」と呼ばれ不思議がられている。というのも彼らにとっては三人目の祖父だから。週に一度、五條楽園に赴く。月に一度、長旅に出る。読書は欠かさない。
子供が欲しい、と私が思うときに浮かぶ光景は、一ヶ月に一度、裁判所が許可した時間だけ、まだ幼い娘か息子とレストランで会食し、帰り際にすぐ飽きられることが分かっている玩具を贈る場面。娘であればベッドに並んで忘れ去られる熊のぬいぐるみ。「何であのおじちゃんは熊さんのぬいぐるみばっかりくれるの?」小学生に上がったら絵本にしようかな。
もし私に、成人して未だに童貞の息子がいれば、かつてボルヘスの父がしたように、売春宿へ息子を送ろう。そんな理想の家庭を思い浮かべる。
恥骨が痛い。
美女や美少女をよく見かける街は美人が多いのではない。女性が街を歩いても安全な街なのだ。
人間が知覚できる事象はこの世界の極僅かなことに過ぎない。感覚が鋭敏であればあるほど、その人の知覚世界はより色彩に溢れ音楽に満ちて起伏に富み揺らぎ歪み傾いでいる。現代人が霊的存在について余り語らないのは、現代生活が感覚を鈍くさせているからだ。しかし火はいつまでも物質の揺らぎ、すなわちこの知覚世界の裏側に干渉し続けている。人よ、火を燃やせ、世界を超越せよ。
既に自分が正気と呼ばれるものを喪い、狂気の領域にあることを、数年前から薄々と気付いている。
職場での私は人生の裏を生き、休暇中での私は人生の表を生きる。
私は女性と議論をしない。いくら言葉を交換しても、お互いの思想と志向の違いを再認識するだけだからだ。そしてその段階に至った場合、私はその違いを知ることに興味が持てない。だから私は言う「女性と交換すべきは言葉ではなく、体液のみ」
今一番やりたいこと、中学生のときからの夢。どこからか女児を捕獲してきて、押し入れの中で飼育、調教し、優れた女性に育て上げること。
人間存在の悲劇を噛み締めた。
九月
福祉業は風俗業と同じで、水のような商売である。仕事の結果は形にならずに流れていき、客の記憶の中にだけ残るのだ。
新入社員の陥り易い思想的誤りは、自分に上司を殺害する権利があると思い込むこと。
法律で私の体を罰することができても、私の魂までは罰することができない。
今の仕事を続けるくらいなら、一九四五年四月初頭に大ベルリン防衛地域司令官に任命された方がましだ。
給料とは、働いたがために心を蝕むようになった苦しみと失った幾らかの正気の代償として労働者が得る金銭のこと、サラリー。
子宮のない女性は男性にとって「性の試験管」である。
中絶禁止も同性愛禁止も獣姦禁止も自慰禁止も旧約聖書創世記第三十八章第九節でのオナンの行為に対��る第十節での主の怒りに由来する。しかし、人類はもう子種の浪費を許されるほどに殖えたのではないだろうか?
放浪の旅に出たい。
白地で絵は描かない。すべて黒地の上に描く。
若いときの苦労と快楽は買ってでもせよ。
もし私と結婚して離婚を言い出さない女がいたら、私は彼女の理性を疑う。
「今朝は強姦したかい?」が朝の挨拶代わりになるような都市。その都市でそう挨拶されたのなら私は快活に答えよう「ああ、今朝は女児を二人だけだ」
男根のない男性は女性にとって「お払い箱」だ。
中学生のころはサド侯爵の書く小説の倒錯的な場面を読んでよく興奮したものだが、今読み返してみて、その哲学的記述には感心するが、倒錯性は何も感じなくなってしまった。すなわち、勃たないのだ。
三日に一度は射精しないと健康に悪いそうだ。
女性に懸案事項の説明を請われて私が説明すると、大抵の女性は「私さんは私のせいにした」と非難する。単に私は事実を述べただけなのに女性に内在する被害妄想癖が私を卑怯者に仕立て上げるのだ。ゆえに私は説く「女性と交換すべきは言葉ではなく、体液のみ」
生理痛による発言ならしょうがない。
早稲田大学に通っていたころの記憶が、今は全くない。
私の働くK学園では誕生会と称してその月の誕生者を祝い、誕生カードを送る。先輩職員方はカードに百文字くらいの感動的な文章を綴る。けれど私は、文字は「おたんじょうびおめでとう」と名前くらいで、あとは動物の絵を大きく描く。先輩職員はそれを見て「文字が少なすぎる」と注意する。おかしい。園生は文字が読めないか読めても読み辛い人が殆どなのに、文字を多く書くのは保護者向けに書いているからだ。なんだかんだ偉そうなことを言ったって職員連中は知的障害者のことを考えていないのだ。
産まれるまで気づかなかった。生きることがこんなに大変だったなんて。
少しまともな知能を持っていれば理解できると思うが、この福祉社会は健常者と障害者にとっては生きやすいけれど、その中間に生きる半端者にとってはまことに生きにくい。
放浪に備えて知能指数七十前後の話し方を習得しなければならない。そうすれば同情や施しを得やすくなるだろう。
人の性格はその人の祖先の生業から遺伝を受けると考える。私の祖先は今昔物語にも載せられた鈴鹿峠の山賊であった。すなはち略奪・狩猟・採集・漂泊を生業とする山の民だ。福祉職なんて性分ではない、放浪者こそ最もふさわしい。
職場で大事なことは飲み会や余暇活動などで自分の味方を増やすことであり、それは私が最も苦手とすることだ。むしろ得意とするのは敵を増やすこと。
職場の人間がみな緑色の眼で私を見ている。奴等はまともな人間じゃない。
もしこの学園の職員のまま死んだら、悔やんでも悔やみきれない。
A係長に「やめちまえ!」と罵られたのだから今すぐ辞めても構わないだろう。むしろ辞めた方が有難く思われるはずだ。邪魔な奴がいなくなったと。
「すごい着想力ですね」と言うところを「すごい着床力ですね」と言ってしまった。
失踪を決意した次の日の職場の奴等はなんだか心優しい。
看護婦さんの注射が上手くて、少しも痛くなかった。
心を鬼とせよ。奴等は飢えた猛獣だ。おまえの臀肉を狙っている。
失踪して、日本中の山々を彷徨する。歩兵第三十一聯隊の福島泰蔵大尉が私の師匠だ。
人類は幼形成熟であり全て人類は成形(天使形態)に変態する寸前で死ぬ、という幻想。天使の蝶
地球を覆う現代文明という代物は、依存症ないしは文学的な意味での依存から成立している。
全ての人類が物質的依存から解放され流浪の旅に出た瞬間、現代文明は衰退し、文化とほとんど差の無い放浪文明が萌芽する。
私にとって「衰退」は悪い意味を持たない。なぜなら「進化」と「退化」は「変化」の類義語という認識しか持ちえないからだ。
だって進歩と退歩のどっちがいいかなんて誰にも分からないだろ?
K学園では、遅番勤務上がりの二十二時からミーティングが開かれる。クラスミーティングは三人の担任で開かれ、係長ミーティングは三担任に係長を加えて開かれる。留守録によれば、昨夜ミーティングがあったらしい。でも私はそのことを知らされておらず、その時には疲れ果てて自宅で寝ていた。これが昨今の事態の本質である。同じクラスの先輩職員は新人の私に満足な情報を与えず、それでいて私が「ちゃんとやっていない」と罵るのだ。先輩職員は「分からないことは聞かないとこちらも教えることができません」という態度だが、超能力者でもない私にはいつミーティングが開かれるかなんて知るよしもない。
どいつもこいつも腐りきっている。
九月十五日、新宿駅で下野国住人エーリク氏(「沈黙のソネット」)と出会い、神保町で昼飯を食べて東京駅で別れた。思考する脳と発話する舌の相違の甚だしさが一つの人格を形造る。
たったそのことを理解するだけでこんなにも親しみが湧くというのに。
必ず連絡しよう。
判断を中止してください。理解しようとして下さい。
ひとつの職場やサークルや組織に長くいるということは、陰口を叩かれる人から陰口を叩く人になるということだ。
管理職とは判断しなければならない職務だ。部下の人格さえも、誤解とともに。
仕事をすると人生が色褪せて見える。
曉の空は美しい。夜が怒りと悲しみに溢れていたからこそ
おまえは妊娠したての子宮に夫以外の陰茎を突き立てられて、なんとも思わないのか?
青年は旅の人。道連れは記憶だけ。
映画「Into The Wild」を観た。すなわち「Into The Mind」だった。
新宿を歩く人々は本来の美しさを失っている。
十月
現代文明世界はアリストテレス的人間観の上に立脚している。故に、私のようにポリス的動物であることを捨てて放浪し無宿、社会常識に則った思考は不可能であるために言語的思考のみを行うことで価値の変造をもくろむ「獣」はやがて排除される。
ただし、ディオゲネス的世界市民主義が台頭するのであれば話は変わってくる。
資本主義の豚どもよ、犬となれ!
犬どもよ、広場で自慰をせよ。
本当にエコを実現したいのであれば、冷蔵庫も車もクーラーもあらゆる文明機器を捨ててディオゲネスのように生きればよい。それ以外のエコは全て偽者のエコだ。
真実のエコは全人類の穏やかなる自殺である。
たぶん、文明機器を捨てた現代人は、亡命先で奴隷マネスに逃げられたディオゲネスのようになるだろう。
「おかしな話だよ、マネスのほうはディオゲネスなしにも生きていけるが、ディオゲネスのほうはマネスなし���は生きていけないだろうとすれば」
文明社会とは人間をひたすらに脆弱な動物にさせる機構だ。もう二度と野生には戻れないほどに。ここでは人間はひたすらにちっぽけになるだけだ。
青年よ、常に己の中の獣を調教しておけ。そしていざという時には牙を剥き、爪を立てて、おまえを侮辱した奴らに目にモノを見せてやれ。
かつて大学時代に海驢という女に言い寄られた季節のことだ。ふと私の中に「あの女に会いたい」という感情が起こった。その感情を確かめるために、私は自慰をした。すると面倒くさくなって余りその女に会いたくなくなった。私は重ねてもう一度自慰をした。すると全く会いたくなくなった。二、三日して袋に種が満ちると再び私の中に「会いたい」という感情が芽生えた。ゆえに私は結論付けた。恋愛とは性欲の文学的表現に過ぎないと。
私と彼女とは違う地平に立つ人間であった。前者は「人間の地平」に立ち、恋愛は蔑ろにしても人間は尊んだ。一方、後者は「恋愛の地平」に立ち、人間は蔑ろにしても恋愛は尊んだ。そのため後者は私にメールで別離を告げた上に自意識過剰な主張を何度も送りつけて来た。彼女流の恋愛観ではそれが至極正しく、真っ当なことのように思えたのだろう。それに対し前者はあくまでも人間としての防衛線を保つことしかできなかった。
彼女は自分の精神的あるいは肉体的欲求を充たすためだけに私を利用したにすぎなかった。そのために「恋愛」という文法を用いた。それに対し、私は人間であるという前提の上に立っていた。ゆえに二つの歯車が歯をあわせることはなかった。
『百年の孤独』のブエンディーア一族は愛なくして繁殖した。一族の最後の者は叔母と甥の近親相姦によって産まれたためにその呪いとして豚のしっぽを持って産まれ、蟻のむさぼるところとなった。しかし百年に及ぶ一族の歴史の中で「豚のしっぽ」は初めて愛��よって産まれた子供であった。
『百年の孤独』は単行本を三冊買い、合わせて六回読んだ。私が長編小説をここまで繰り返して読んだのは他に例のないことだ。
琉球美人は琥珀色の肌、引き締まった細い肢体と小顔を特徴とするけれど、秋田美人は朱を散らした色白の肌、ふくよかな肉体と顎先を集約点として突き出た面長を特徴とする。
選びがたく、悩ましい。
一夫一妻婚という制度の発明は多くの人間を罪人とした。つまり、一夫一妻婚という制度を継続する限り、社会は姦淫罪を量産せざるをえないのである。
法律の数だけ、罪がある。
あらゆる家庭の災厄は、一夫一妻婚が生んだ。
一夫一妻婚が形作る「家庭」は、ある種の子供たちにとっての牢獄である。
私にとっても、「家庭」は牢獄だった。
ディオゲネスは人間をよく理解していた。ゆえに彼は結婚を否定した。そして、彼は女性の共有と当然の結論としての子どもの共有を主張した。
女が産んだ赤ん坊の父親が誰か、なんてことはどうでもいいじゃないか。
私は沖縄から奄美に至る航路で、仰向けに寝ながら「死の恐怖」を超越した。超越したとき、肩から背中にかけて熱いモノが走った。目からは涙が溢れ、こめかみを濡らした。
そのとき、私は一度、死んだのである。
「死の恐怖」は小学二年生の私を捕え、十五年に及び、私の心を鷲掴みにして離さなかった。それは常に無感覚への恐怖、偉大なる世界が消滅することへの恐怖であった。
死によって他人が私を忘却するとか、そういったことは恐れなかった。「死への恐怖」はきわめて個人的な問題であった。
死後に感覚があるのならば、人間はその新しい感覚で永遠を生きるだろう。もし、死後に感覚がないのならば、死は何ら思い悩むことではない。マルクス・アウレリウス・アントニヌスの思想の私なりの解釈である。
「死への恐怖」は克服した。しかし、私はまだ完全に「死」んだわけではない。
今までは常に捕われてきた人生だった。これからはこちらが捕える人生である。
蟹田駅で特急に乗り、青函トンネルを通って木古内駅で降りた。すると、もう電車がなかった。しょうがないので駅近くの公民館の前で野宿をした。二十三時に寝て五時に起きた。小雨が降っていて、寒かった。吐く息が白い。
北海道では寝袋の下にアルミシートを敷いて大地に体温を奪われるのを防がないと危険だ。今の寝袋は零下十度まで快眠、零下二十度まで生存できるそうだが、零下二十度でも快眠できるようにしたい。
『闇の左手』の、アイとエストラーベンの氷原越えを復習しよう。
北海道の面積はオーストリーより広く、北海道の人口五六〇万人はデンマークより多く、道内総生産額GDP約二十兆円はマレーシアやチェコよりも大きい。また、道内の陸上兵力は三万七千人でベルギー・ポルトガル・南アフリカ。キューバの陸軍と同規模である。そして道内だけの食料自給率は二百パーセントに届こうとしている。
北海道は数値上では充分に一国として独立できる。独立後の国名はもちろん「アイヌモシリ」、人間の大地。
私は、その大地を歩く。
さすがに放浪する資金に先が見えたので札幌市南区澄川にアパートを借りた。
まだ鍵をもらえない夜に、不動産会社の女性社員が自宅に泊めてくれた。北海道の人はやたらと親切だ。
ちなみに私は女性社員宅で、晩飯を食べてから朝までいびき一つかかずに熟睡していたようだ。
どうやら寝言の癖は治ったらしい。
PHSを買った。
もし宇宙の果てまで行けるという宇宙船があるのならば、地球上で想定しうるあらゆる幸福を諦めてでも、私は宇宙飛行士になる。
そして、私の死体は永遠に宇宙をさまようだろう。
ある人が言っていた「全ての女性は男でふさがっており、あぶれた男は彼女たちの体が空くのを待っている」という感覚を今日、はじめて味わった。
那覇の人と札幌の人は語尾に「さー」をつける。なぜ?
ちなみに私は一日の大半を欲情して過ごし、半日は半勃し、四分の一は勃起している。というのも私の神経はズタズタになっていて、脳が異常なまでに興奮物質を分泌するからだ。
物理的に、私は「狂人」である。ゆえに小学4年生の私を「気が違っている」と評したあの女性教諭は正しかったのだ。
まず買わなくてはいけないのは掃除機、それと便座カバー。
尊大な解釈だが、中学生の私は自分のことを「桁外れの出力で凍結してしまった電算機」に喩えていた。今ならさしずめ「お祓い箱」と喩える。
大した運動もしないのに疲れやすい人というのは、たいてい脳内で体力はおろか生命力さえも過剰消費しているものだ。
ハローワークで調べたところ、私の適職は技能職か芸術家だという。
北海道のスーパーでは玉ねぎとじゃがいもがそれぞれ一個十円で買える。食うのには困らなそうだ。
中古パソコンを買った。ネットを繋げば、さぁさ始まる楽しくも愉快なNEET生活。
野菜を凍らせないために冷蔵庫を買った。
近所の澄川若草公園のベンチに男子高生が腰掛け、女子高生が前から枝垂れかかり、野合していた。北海道はおおらかだ。
夕方になると近所でやたらと陸自将校を見る。昨日は将校さんがスピードくじを買っていた。
今、私の中で福満しげゆきが熱い。
『コレラの時代の愛』を手に取った途端に涙が溢れてきた。さすがガルシア・マルケスである。本を持つ者にも訴えかける。ましてや読む者へは。
宇宙の最果てを超え、宇宙化以前空間の有り様を地球に報告する使命を帯びた超光速航宙船「エスペラント」
推進機関は決まっている。原子力だ。
はてさて、膨張しているという宇宙の辺涯はどのようになっているのだろう?
乗組員は地球に未練のなくなった七人の若者、日本国から二十八歳、タンザニア人男性二十五歳、イスラエル人男性二十三歳、フランス人女性二十七歳、インドネシア人女性二十五歳、ペルー人女性二十二歳、国籍不明少女十九歳。それと修理用ロボット三台。
航宙船の大きさ、全長二四〇メートル、幅三〇メートル。乗組員は訓練により、航宙船を自力で組み立てることが可能である。
船内には恒星熱で駆動する五つの栽培室、三つの畜産室、三つの水槽室があり、その他にも食料加工機が装備されている。船内で半永久的な食料生産が可能である。
凍眠室では肉体を凍結することで老化を遅らせることが出来る。しかし完全に止めることはできない。
この銀河は今、宇宙のどのあたりを漂っているのだろう?
船内の娯楽は様々で、読書・運動・遊戯・音楽・絵画など地球上でできることはほぼ船内でできる。
これは娯楽というより使命に近いが、性交が七日おきに違う相手と行われる。ただし自分の遺伝子を継承した異性とは性交しない。
宇宙化以前空間についての報告書をまとめるのは私の何世代か後の子孫になるだろう。
図書室には地球人類の叡智の集約である五十万冊が書籍と電子文書とで保管されている。
本の記述言語も船内共通語も人工言語である。
乗組員は医療知識を身に付けており、簡単な外科手術なら執刀可能である。また薬剤、輸血用血液も完備されている。
酸素は栽培室や庭園内の植物で生成される。水は使用後に循環、濾過、消毒される。糞尿は堆肥となり栽培室に回される。
トイレ、洗濯、洗浄では水を一切使わない。
航宙船は地球に帰還することはない。可能であれば宇宙化以前世界で居住惑星を見つける。
もし、宇宙膨張説が誤りで、宇宙に果てなどなかったとしたら、彼らの人生の意味とは?
いずれにせよ彼らも他の死者と同じように忘れさられるだけだ。
甜菜の糖度は水に浮かべて量る。
もし私が四十年後、人生について語るとすれば、「人生は語りえないこと」と「人生を語るのは恥さらし以外の何物でもないこと」を語るだろう。
大朋めがね、最高。
よく映画などで「この街に知り合いは誰もいない」なんて主人公が出てくるけれど、今の私がそれだ。
「マシニスト」はけっこう凄い映画。
昼下がりの真駒内公園は心地好いが、日が翳ると寒い。
カレーはインド人にとっての味噌汁である。
私の安アパートの一階には若い女が二人の幼女と住んでいる。1Rに女三人、そして幼女のうちの一人は養護学校に通っている。見たところ知的障害ではない、身体的な障害だと思う。
私は酒を飲まないし、酒が嫌いだけれど、時々飲みたくなる酒がある。一つは黄酒、もう一つはサングリア。そして大抵すぐ飽きる。
ローマ帝国時代は葡萄酒を水割りしないで飲むことは下品なことだった。
葡萄酒一に対し蜜柑果汁を三か四の比率で混ぜ、小さく切ったバナナを入れて冷蔵庫で冷やして飲む。これが我流サングリア。底に残ったバナナが一番おいしい。
日本の宗教、寺院や神社が信仰を失った理由は落ち着いて座れる場を市民に提供しなかったからだ。私もそうだが、現代の若者で休日に仏前や神前の座敷へ行き、無料で何時間も座っていられる者は何人いるだろうか?
ポテトチップスを食べながら歩いていたら四羽の烏が数キロメートルも私の跡をつけてきて、途中で烏同士の縄張り争いが始まった。ブランコに乗った女児が、烏の襲撃から走って逃げる私を見て笑っていた。
まだ仕事が決まらない。やはり職業適性診断システムの通り、「工」のつく職業を目指した方がいいのだろうか?
そうだ。私は稼業に生き甲斐は求めないのだから、工場の歯車になることに悔いはない 。
そういえば、小学生のころの放課後は主に炬燵で横になってテレビを見ていた。学校生活で甚だしく疲労していたのだ。
人と向き合う仕事ではどうしても甚だしく疲労せざるをえない。
近所から藻岩山が見えるけれど、どうやらそこで初雪が観測されたらしい。もう札幌は冬だ。
こんな自堕落な生活がいつまで続くのだろう?
「命の続く限りだ」
日能研札幌が私に試練を与えた。小学五年生のテキストを使って模擬授業をして、出来が良ければ私を雇うというのだ。
真冬日の存在にびびり、紅衛兵が被るような帽子と電気ストーブを買った。
夜間の水抜きは十二月から始めよう。
札幌市中央図書館へ行く。蔵書は充分ではないものの悪くはない。
岩明均は古代ギリシャ世界に主題を置いている。塩野七生は中世イタリアが主題だった。赤羊は十九世紀のヨーロッパに主眼を置いているという。私も時代と地域を特定した主題があるといいなぁと思っているけれど特に思い浮かばない。
まぁ私には「帝国」という物語世界があるし。
敢えて言うなら、二十世紀エスペラント運動に携わった奇特人を取り上げると面白そうだ。
母の私への愛情が、一般の母子愛のようなものではなく、所謂「共依存」の一方通行であるならば、これまでの二十四年弱を説明しやすくなる。
十一月
戦争がなくて女性を共有できて食べる物に困らず各成人に満足な住居が割り当てられ、言論と思想と信教の自由がそこそこあり、働けば働いた分だけ暮らすのに困らない給料を貰えて老後は年金が保証され、学費と医療費が無料の国。それが私の政治的目的だ。
つまり空想的社会主義。
それと人類人主義だか世界市民主義だかよく分けられない個人のあり方が私の基幹思想だ。
よって、ここに「空想的社会主義人類人党」を掲げる!
政権交代は選挙によるもの、そして政体の転換は民主的な投票によるものが好ましい。
思想を根拠とした暴力と殺害は厳しく禁止する。
キリスト教的異性独占行為である結婚制を廃止し、十八歳以上の労働者あるいは学生である男女が抽選で定められた相手と三日毎に共同交配所で生殖行為をする交配制を敷く。妊娠から出産までは人類人政府が完全に支援し、交配に因って誕生した父親不明の子どもたちは人類人政府が「人類の子どもたち」(filoj de homaro)として十八歳まで養育する。ただし母親は六歳まで自分の子どもを育てる権利を有する。もちろん義務ではないので育児放棄も可能だ。
同性愛者は「特殊交配所」を利用できる。
「人類の子どもたち」への教育は「人類人主義」(homaranismo)と「性欲の賛美」に基づいて行われる。
資本主義的異性寡占行為である恋愛の宣伝行為や過剰な恋愛賛美は個人的な趣味と芸術的表現以外ではこれを制限する。
いかなる場所であっても人類人は抽選で定められた相手以外の人類人との性交を禁止される。十三歳以上十八歳未満同士の性交、及び十三歳以上十八歳未満の「人類の子どもたち」と人類人との性交は性欲の解消と自己存在の確立のための行為としてこれを許可する。
すべての人類人は共同食堂を有する共同住宅が付与され、その見返りとして都市部では共同職場、近郊部では共同工場、農村部では共同農場にて労働する義務がある。
労働には対価として報酬と七十歳以降(もしくは退労勧告後)の年金が共通通貨ステーロ(stelo)で、そして交配する権利が与えられる。労働者及び退労者は医療費が無料である。
十八歳で全ての「人類の子どもたち」は人類人となる。人類人になった次の一月から、人類人は希望とそれまでの学校成績、そして試験を考慮した上で各種大学校に入学できる。そこで四年間、学問或いは職業訓練などに励む。学費は無償。もちろん、大学校に通わずそのまま労働者となる選択もある。
共同住宅での居住が困難な各種障害者は共同食堂を有する共同施設に入所でき、施設付属の工場や農場での労働を行うことによって労働者と同じく報酬と年金を得ることができる。もちろん交配する権利も与えられ、その対象は障害の程度により共同施設内の異性と施設外の異性とに分けられる。
刑務所では付属の工場や農場で労働している者に限り報酬と年金、そして刑務所内の異性と交配する権利が与えられる。
共同交配所は感染症の恐れがない限り、病院の患者も利用できる。
全ての「人類の子どもたち」はエスペラントを国際補助語として学ぶ。また全ての「人類の子どもたち」は各人の母語によって教育される権利を有し、母語による教師のいない学科は国際補助語エスペラントで教育される。第一外国語、第二外国語以下の外国語は個人の選択によって決定される。
共同住宅は一棟につき三十~五十戸(三十人から五十人)を収容し、共同住宅が十棟前後集まって一つの島を形成する。そして島が幾つか集まって区が形成され、区が幾つか集まって行政単位として、都市部の市、近郊部の町、農村部の村が形成される。区が設けられない場合もある。共同交配所は島単位で運営される。
人類人政府が統治する領域内で、島から島への移動は自由である。すなわち「空想的社会主義人類人共和国、日本群島」東京市世田谷区第三粕谷島第五棟第二十三号から「空想的社会主義人類人共和国、パリ盆地」パリ市第三区第十八島第一棟第十二号への移住は共同住宅の空きさえあれば誰でも可能である。必要なのは法律的処理と引越し作業だけだ。
移住先での行政サービスは母語で行われる。不可能な場合はエスペラントが用いられる。そのため人類人政府が統治する領域であれば善き人類人はどの共和国のどの島へ行っても行政サービスの内容を理解することができる。またどの人類人政府でも共通通貨ステーロ(stelo)が用いられているので、身元証明書と共通通貨を携帯していれば人類人はどの人類人政府へも簡単に旅行することができる。
死ぬと遺体は共同墓地に葬られる。遺産は全て人類人政府が没収し、家財道具は再利用される。
地球があますことなく全て空想的社会主義人類人共和国によって統治されたとき、(自己主張が激しく自意識過剰な反体制者どもは未だに音楽やテロで抵抗しているのだろうが)現生人類は己の種族の性欲の激しさに驚くことだろう。
複十字健診センターで肺のレントゲン写真を撮った。
私は中一から中三までツベルクリン反応は全て陰性で、そのためにひどく膿の出る注射を六回射った。
体育祭の度に注射されたところが膿んでぐちゅぐちゅになるので、体育祭の練習は嫌いだった。
それほど嫌な思いをしたのに、結核にかかっていたら笑える。
子規も啄木も同じ鳥のことを表す漢字だ。その鳥の口の中は赤い。
まるで結核患者の吐血のように。
札幌の地下鉄には網棚がない。
私は幼稚園に年中組から入った。そして最初の登園日に幼稚園のおもちゃを家に持って帰った。もちろん私に悪気はない。誰も「持って帰っちゃダメ」とは言わなくて、家でもそのおもちゃで遊びたかったから持って帰ったのだ。
私はそういう子どもだったし、今も多分にそういう人間だ。これを我が儘と呼ぶのは勝手だが、私は自身を「暗黙の了解のわからない人種」だと解釈している。
悪いのは「暗くて黙っているのになぜか了解している人種」だ。黙っていないで話せばいいのに。
シャルル・フーリエの『四運動の理論』を読み始めた。愉快だ。
十二月
買ってあったのに神聖なるアスパラガスを食べ忘れていたため、尿が臭い。
北海道の靴底は内地と違うらしい。
鶏の心臓と肝臓が半額だったので臓物カレーを作った。まずかったし、臓物である必要性がなかった。
半月弱だけ働いた九月分の給料が六万円だけ振り込まれていた。時給制の契約社員だから当然だが、奇特なことよ。
それでドミノピザを頼んだら、配達員が茶髪で小柄で猫を連想させる女の子、アキモトさんだった。お釣りを数える指先のたどたどしさがバイト経験の薄さを物語っている。思わず「ゆっくりでいいよ」「ご苦労様」などと優しい声をかけてしまった。
これが逆の立場であれば、私はアキモトさんの食べるであろうピッツァの上に己の白濁精子をバタァの如く振りかけたであろうに。
水商売とは「やったことが形に残らず水のように流れていく商売・仕事」の意である。
「福祉業は水商売なんです」と某知的障害児施設の幹部が言っていた。
かつて医師であった渡辺淳一が小説家になると決めたとき、母に「そんな水商売はやめなさい」と言われたという。
しかしよく考えれば、小説家の仕事は文章という形で残される。もし医師が医学研究を行わなければ、接客業である医師の方こそ水商売である。
水商売と非水商売のと境界は生産物の永続性や仕事の複数性について思考せざるをえず、曖昧である。ゆえに水商売の定義は難しく、渡辺淳一の例のように単なる負の意味を持つ言葉としてしか使われていない。
第三次産業はそもそも水商売である。
映画「レッドクリフ」を観た。「赤壁」に非ず。
九月までハリウッドのアクション映画だろうと私が思っていたのは事実だ。
蜀三将が強すぎて、かつ格好良すぎる。
官渡の戦いと赤壁の戦いは三国志の二大盛り場だけれど、まだ三国鼎立はなっていないんだよね。小学生のころは赤壁の戦い時の情勢がよくわかっていなかった。
中村師童(甘寧)が頑張っていた。
八卦陣には身震いがした。
規制が入って乳房は映せない。
前半は戦闘と外交の連続で、主線の通っていない名場面の羅列映画、すなわち駄作かな?と思ったけれど、お茶の場面で一本の線がすうっと引かれた。
赤壁の戦いは三国志版トロイ戦争だったのだ。
趙薇(尚香)の演技が浮いている。喜劇向きだな。
一番良かった場面は、次回の予告。次の主題は火と風だ。
この映画を観たあとの私なら一騎当千である。
滑舌が余りよくないので「公序良俗」と言おうとすると「公女凌辱」となってしまう。
ネットに繋がっていないパソコンはただのゲーム機だ。
電話窓口「私さまは、テレビの地上デジタル移行への対策はどのようになさっておいででしょうか?」 、私「テレビを買わないようにしています」
夜の狸小路は面白い。
まだ二十代も前半なのに、新しいことを始めるのにさえ「腰が重い」とは。
負けたいと願う心は知りたいと願う心である。
小麦は米より必須アミノ酸の量が格段に少ないので、パンだけで必要な栄養を摂るのは難しく、どうしても肉が必要になるのだ。
逆に言えば米は必須アミノ酸を多く含むので、一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べただけで栄養は充分なのだ。
日本人女性が段々と痩せ形になったのは食事の洋風化のお蔭なのだ。
中古冷蔵庫のホース接続部から水が漏れるので調べたら、ゴムが弱くなっていた。仕方ないのでヨドバシカメラで四七二円の替えを買って付け直した。
じゃがいもを四つに切ってサランラップでくるみ、七五〇Wで三分チン。それにマヨネーズと青海苔をかけたものを小腹がすいたら食べている。二キログラムを一九八円とかで売るのが悪い。
札幌の良いところ。東急ハンズとハローワークとブックオフとヨドバシカメラとアニメイトととらのあなとメロンブックスと紀伊國屋書店とドンキホーテとダイソーがお互い歩いて行ける距離にあること。(毎日一巡している)なのに人通りが渋谷や秋葉原よりも少ないこと。
そういえば、私が高校二年生のときはアニメイトとメロンブックスは狸小路の雑居ビルの二階にあったような気がする。
時計台はいつ見てもしょぼい。でも旧北海道庁は素晴らしい。
奄美大島もそうだったけれど母娘や母子をよく見掛ける。
朝起きて、今朝は特にしばれるさーと思ったら、粉雪が降ってたさー。
藻岩山の山頂付近に雪が積もっていた。風が吹くと皮膚に刃を当てたように冷たい。
昼になると雪の粒が大きくなって降りしきる。この分だと積もりそう。藻岩山が見えなくなった。
昼過ぎにはまた粉雪に戻った。
ローマ教会は一二八二年に全シチリア島民を破門したことがある。
ガブリエル・ガルシア・マルケスの登場人物は名を替えてあちこちにいる。
ガブリエル・ガルシア・マルケスはノーベル賞受賞講演中に、スペイン語文法の単純化と文法規則の人間化、そして正字法の撤廃を訴えた。
今日、たい焼きを食い逃げした女の子に体当たりされたような感覚を味わった。
国際補助語エスペラントを図書館で借りた入門テキストで復習している。新たな発見もあり奥深い。 ベネズエラの正式名称は「ベネズエラ・ボリバル共和国」である。
将来日本で福祉戦争が起こる。福祉をする側(貧困層)と福祉をされる側(富裕層)の間の闘争だ。
大学二年生のころ、札幌市北区出身の友人が「そのゼミの先輩の彼女は風俗嬢なんだよ」と馬鹿にしたように言っていた。確か業種はヘルスだったと思う。
私はしかし生粋の文学青年であったので、その先輩は「本物の愛とは何かを知る男」だと感心したものだった。
世に云う恋愛には三種ある。一に肉体的征服感、二に精神的連携、三に依存。いずれも正しい。
女性や青年はこれら三種に序列をつけたがるが、本能より出る感情ではない。
もし恋人が風俗嬢の場合、肉体的征服感を主とする者は悶え苦しみ、精神的連携を主とする者は仕事を応援し、依存する者は依存し続けるだろう。
江戸時代、豪商や文人は吉原の高級娼婦を正妻に身請けしたし、仏蘭西にも『椿姫』という高級娼婦との恋愛を描いた小説がある。
何も人生は女性のために生きるのではなく、自分自身のために生きるのだから先進的な近代人たちはあまり妻の過去や職業にこだわらなかったのだ。
ましてや現代人をば。
札幌で諸兄が遊ぶとしたら薄野ではなく、南六条東三丁目の交差点を豊平橋の方へ行って右手にある二つの会館はどうだろう。
少なくともその豊平川沿いの会館群は十九時くらいから薄野の風俗店が閉まる〇時以降も午前三時まで営業している。脱法営業だからだ。今日までなら行くことはないけれど、明日の幕開けとともに始まった空白の三時間でなら行く価値はある。
カネマツ会館と五条東会館とあり、黄色地の看板で飾ってあるのですぐ分かる。共に二階建平屋風となっていて中には小さな飲み屋が軒を連ねている。
坂口安吾は高校生のときに読んで挫折したが、さもありなん。小僧っ子にはわからんさ。
手に職じゃないけれど前の住居からアクリルガッシュを持ってきたのでアクリル画を再開した。
私は全て絵画は部屋の装飾のために描かれると信じ、絵画による自己表現というものを信用していない。
掛軸はそもそも飾るものであるし、ルネッサンス期のアトリエでは壁画を製作していた。
絵画は装飾品であるからこそ芸術であり、美術なのだ。
私の部屋には本棚がなく、また買わない予定であるから、寂しい白壁が広く空いているのだ。
街のあちこちに水色の函がおかれ、滑り止めの砂が満載だ。冬支度である。
これは「常に凡ゆる断片」
私の現在の研修生という立場は気楽だ。職場へ行く義務はない、しかし職場へ行って研修するとただ呆っと座っていただけでも給料が出る。七時間いれば日給は一万を超すが残念なことに交通費は出ない。
結局、履歴書を出して面接したところ、全てに受かっていた。
大学五年間で一度も病院にかからなかったし、四、五年生のときは特に無病息災だった。それは生活が閉塞的であったからだ。しかし小学生どもと触れ合う職場ではいつ伝染されるか怖くて堪らない。
結核ではないことを証明しなければならない。
ミニシアター系の映画は気取った芸術学生や頭��悪い女子大生が「こんな映画を観る自分っておしゃれ!」と観るものと相場が決まっているが、私も観る。今日はシアターキノで「敵こそ、我が友」を観た。
私はフランス人気質でフランス映画がよく合うので、フランス映画を多く上映するシアターキノは選ぶ苦労がない。
政治はえげつない。民主制であろうが、独裁制であろうが国家が人間の集合体である限り、醜い。
クラウス・バルビーは残忍な性格だったろう。しかし悪だったのだろうか? 悪とはきっと温和な性格をしていると思う。
風呂に入らないまでも足だけでもお湯に浸らせるだけで眠り心地が全然違う。
北海道では小学生でも棒を「ぼっこ」、唐揚げを「ざんぎ」と言う。
電車を「汽車」と言うのは分かる。というのは汽車と呼んでいた時代と今とで利便はほぼ同じだし、電車は山手線や京王線こそが呼ばれるに相応しい。
職場を二十一時に出発し歩いて自宅まで帰ると一時間半でつく。もちろん手袋、帽子(フード)、マフラーは必要だが。
「かたわ少女」という障害者の女の子を攻略するゲームが海外で製作中らしい。
しかし知的障害児が登場しないのが残念だ。白痴少女は萌えるのに。
男は女が弱い立場にあるときだけ、女を守ろうとするし、大切にして真剣に愛そうとする。
それは彼女たちが「この人がいないとこの先自分を愛してくれる男が現れないかもしれない」と不安に思っていることを男が知っているからだ。
男は女が自分より弱い位置に立っていないと安心できない。
というのは男は、一度男を知った女は男なしではいられないこと、そして女は常に男を乗り換える機会を伺っていることを知っているからだ。
女にとって男は靴と同じである。足裏は一度靴になれると直接地面を踏む痛さには耐えられないし、履き古した靴は履き替えたいと思うだろう。あるいはまだ新しくても見栄のために違う靴を物色したりする。それにサイズが大き過ぎてもダメだし、小さ過ぎてもダメだ。
だから、賢明な男は、いわゆるまともで競争相手のいそうな女は遊び感覚でしかつきあわないのだ。
つまり、障害を持つ少女或いは女性というのは現代社会では稀に見る「愛され女」なのだ。
死は恐れるに足らず。人間は死なない。なぜなら死ねば人間ではなくなるから。
怒るな、褒めよ。大事なことはチンパンジーが教えてくれる。
日本の大衆文化が幼稚なのは、大衆文化を形成するための大衆、つまり充分に余暇のある人々が生徒と学生に限られていて、成熟した大人は仕事に追われて忙しく文化どころじゃないからだ。
すると数の論理で中学生、高校生、専門学校生や女子大生に受けの良い番組、音楽、小説、漫画があたかも日本中の注目を浴びているかのように見える。或いは情報媒体がそう見させている。
いわゆる恋愛主義が社会を支配する主流思想に思えるのはそういった中学生や高校生の未熟さや幼稚さが大衆文化の前線を陣どっているからだ。
少しでも文化に興味のある人であれば仕事に就いて余暇を奪われることを恐れるだろう。そして無職への風当たりの強さに怯むのと同時に大衆文化の幼稚化を憎まなければならない。
まともな大衆文化を形成するには充分な数の大人が充分な量の余暇を持つ必要がある。そうやって数の論理で生徒・学生文化を日本大衆文化の一分野へと押し戻していかなければならない。
恋愛主義を一派閥へと駆逐し、男女の関係を“人間の地平”に立脚するものにしなければならない。
とりあえず私はキノカフェでフランス映画を観て、市立図書館で坂口安吾と旧共産圏とラテンアメリカの文学を読もう。
皇帝、国王、大統領は偉大で、豪華な外見をしていなければならない。たとえ黒革金銀細工の財布の中身が空であっても。
職場を出ると粉雪。
十一月二十日の札幌市内における最高気温、零度以下。
つまり真冬日。
そして、朝起きると人生でかつて経験したことのないような積雪。
水抜きしないと水道管が凍る。
起床時の室温、三度。
湯たんぽを購入。
氷雪上を歩くため、靴にスパイクをつけた。
そんな晩に狸小路で演奏している音楽愛好家がいる。
零下三度の札幌で、私は豊平川沿いを自宅まで歩き、やっと帰宅する。
帰宅時の室温、一度。
私を雇った職場が入っているビルに北海道で一番有名な政治家が所属する個人政党の本部がある。
だから今日は政治の話をしよう。
狸小路で日本共産党のDVDをもらった。
それはまさに志位書記長のファン・ディスクだったが、つらつらと全編を鑑賞してしまった。
あやうく共産党のファンになりそうだった。しんぶん赤旗日曜版を定期購読して、日本共産党に入党しそうになった。
旧共産圏を生きた人の小説を読むと、共産主義もそれほど悪くはないと思えてくる。
悪いのは共産主義じゃなくて独裁的な指導者と我が儘で自己主張の激しい反体制者だけだ。
けれど、そもそも私は人間集団が嫌いなんだ。
だからどこかの政党に入ることはまずしない。
それに大学時代に身近に見てきた「共産党」は醜悪だったし、第一に私はデモとか行進とかの集団行動が嫌いなんだ。団結しようとするのは現実から逃げ��いるからだ。
もっとやり方がスマートなら、話を聞いてくれるかもしれないのに。やり方が顕示的で、目的へと努力する前から諦念が感じられる。まるで知的障害児や駄々っ子のようだ。
つまり私は共産主義には興味があるが、共産党はあまり好ましく思っていない。
しかし一国を動かすためには何かしらの政治学を学ばねばならない。大学の政治学部に入学するか既存政党に入るか、独学で習得するか?
よし、独学しよう。そして政党は私が自ら創ればいい!
大学四年生の夏、就職活動を諦めたときから生きている感覚に乏しくなってきたんだ。だんだんと。
早口でまくしたてる人は苦手だ。いや、人ではなくて早口が苦手で、早口で喋られると泣きたくなる。特に女性に多い。
早口な人と吃っている人のどちらを選べと言われたら間違いなく吃っている人を選ぶ。
早口な女性は別に頭の回転が速いのではない。なぜなら思考によって、ではなく記憶と憶測だけで話すからだ。
つまり早口の女性は言葉を持たない。彼女たちは壊れかけたテープレコーダーに過ぎないのだ。
職を探す度に共産主義を羨望する。
自動的に職は与えられて然るべきだと思う。
働く時間というのは私にとって死の時間である。
なぜ己の死を自分で探さねばならない?
私は常に余暇か副業が生きている時間なのだ。
これは逃げ、なのか? 或いはそういう生き方なのか?
「辞めさせた、或いは辞めた職場は労働者の次の仕事を見つける義務がある」という法律を作って欲しい。
逃げられた職場も。
「よく働こう」とするのではなく「よく生きよう」とする者にとって資本主義は残酷だ。
ニートさんとかフリーターさんを問題視する人は、まず面接で若者を見捨てる人を問題視した方がいいよ。とブックオフとパン屋チェーンのアルバイト面接に落ちた私が言う。やっぱり大学時代のバイトと同じ業種しか雇ってくれないのか? なんだ、この職業カースト制は?
私だって美味しいパンを作って主婦層や職業婦人からモてはやされたいのに。
生きているのかなぁ、本当に? 自分。
佐賀県からこの一週間、このブログへのアクセスがなかった。
その程度の教養レベルか!佐賀県の教育委員長は職務怠慢により死刑!
或いは佐賀県にパソコンは無いのか?
中学生のころ、スナッフビデオは都市伝説だと聞いて、「ならば自分たちで作ればいいんじゃないか」と思った。
抑圧された子供は、一人暮らしをすればできるかもしれないことを妄想するものだが、私の場合、その全てが犯罪がらみだった。
さて、私はこの見知らぬ百五十万都市で市民記者に登録した。
仕事における電話の秘訣は、相手に電話したことを後悔させないことだ。
空想的社会主義者の食卓。【切り餅(磯辺か餡)三個と納豆】【玄米フレーク五十グラムに牛乳かけ】【蒸し馬鈴薯と野菜スープ】【インスタント麺と蒸し馬鈴薯】【御飯と魚介缶詰と味噌汁】【ピザトースト二枚と野菜スープ】【カレーライス】【食パン二枚と目玉焼き】
空想的社会主義者の食事への心得。粗食、同一性保持、昼食は朝食と夕食のつなぎ。
空想的社会主義者の主要飲料は【牛乳】で、【野菜ジュース】や【珈琲】や【茶】は嗜好品として飲む。牛乳を多く飲む日は必ず納豆などの大豆食品を食べるべきである。
空想的社会主義者の栄養補給剤は【エビオス錠】である。
これは決まりではないが、豚肉と鰭や鱗のない魚は食べない。肉製品と乳製品を一緒に食べない。血を食べるのはダメ。
イスラエル国歌「ハティクヴァ」は物哀しい。
ラーメン! フライングスパゲッティモンスター。
実家にいたころは飽食気味で、私はやや肥満��った。
母は愛情を食事でしか表現できない人だったからだ。
学園時代はよく食べた。しかしよく戦ったので痩せた。
今は粗食で痩せた。
今日、昨日、一昨日は図書館(徒歩五分)とスーパーマーケット(徒歩三分)に行く他はずっとパソコンの前で過ごした。
おかげでウンコが硬い。
二ちゃんねる系のサイトに今更ながらはまっている。
もう仕事とかどうでもいいや。面接とかで人間性試されるの嫌いだし。
ほら、お外は怖いし。寒いし。
いつの間にか雪降ってるし。
火星に土地でも買って移り住もうかな?
やれやれ
人間は今でこそ呼吸し、食べ、排泄し、寝て、思考している。
しかし数年後か数十年後には思考は消え去り、記憶もなくなるだろう。
私はもしかしたら今までの人生の四倍の時間を生きるかもしれない。しかし決して五倍は生きないだろう。
思考と記憶の消滅、それを人は「死」と呼ぶ。
症例はいくつもあるにも関わらず「死」の問題は医学によっては解決されていない。ただ宗教だけがこれを信仰により解決させようとしている。
人はこう思うだろう。なぜ必ず「死」ぬ人間に思考が与えられたのか?と。思考さえなければ「死」を思い悩むことはなかったのに、と。
私はこう考える。誰かがこう仕組んだのだ「人間よ、その『死』とやらについて思考せよ」と。
で、私は考えた。人間は「死」ぬ、ゆえに有限だ。しかし人間の集合体である人類は半永久的に存在する。この違いに意味が存在する。
人間が「死」ぬのはなぜか?それは人類全体に更新を与えるためだ。つまり個人の人生というのは人類という種族全体の繁栄のためにある。
恐竜は失敗した。しかしあの時代にはあの形態が最適だった。今の時代は人類の形態が最適である。しかしいつ人類の絶滅が訪れるかわからない。
個人やある人間集団の私欲のために人類が犠牲になるとしたら、死んでいった人類はもとよりその個人やその人間集団の人生も無駄になる。なぜなら彼らは人生を無駄なことに使ったからだ。或いはそれも人類の試行錯誤なのか?
ゆえに私は結論付けた。人間の人生を活かすには常に自身のためではなく人類のために生きよ、と。私の宗教的信条でもある。
私が二〇〇七年二月に生み出した「人類意志こそ神」という真理は今もゆるぎない。
その結論ゆえに私は人類人主義と世界市民主義を支持する。
世界連邦を唱えるバハイ教はある意味では正しい。世界中心都市論と世界政府論を除いては。
ゆえに私は「宗教団体に所属しているか?」に関しては無宗教だが、「信仰を持つか?」については有信仰だ。
人類全体へのゆるぎない信仰。
警察犯処罰令第一条第三号「一定の住居または生業なくして諸方に徘徊する者は、三十日未満の拘留に処せられる」。私、危なかったなぁ。
ちなみに昨日は十五時すぎでマイナス三度だった。気温がプラスになることはなかった。
フードか帽子を被らないと顔が凍る。
キブツの子供は母親と離れて暮らす生活を強いられるので就学前は夜尿や指しゃぶりなどの情緒的未発達が見られる。
しかし子供の家での十八年間に及ぶ集団生活を経て、青年期になると非神経症ともいうべき環境適応能力と高い社会奉仕意欲を示すという。
人口の十%にも満たないキブツの人がイスラエルを率い、パレスチナ人どもから国を守ってきたと言っても過言ではない。
キブツはどこかスパルタと似ている。
母親の愛にくるまれてすくすく育ち、教育を終えて社会に出る際に新しい環境に適応できず引きこもりになったり神経症を患ったりする日本とは正反対である。
また家族という、気の違った両親の作る牢獄に囚われることなく、子供は成長することが出来る。そのことの、なんという幸福。
キブツ制度が全く善くて素晴らしいと賞賛するわけではないが、日本人はキブツなどの社会主義制度を少しは見習うべきだよ。
なぜ働けるし、働く意志のある人間が働けないのだ?労働力の余剰をどうして解決しようとしないのか?
ギリシャ的な暴動を起こしたいさね。ヘルメット、鉄パイプ、ナイフ、クロスボウ、火炎瓶を装備してさ。戦うんだ。
見えない何かと。
そのために私は筋トレを欠かさない。
正しい太り方をしよう。正しく太った人は美しい。
正しく太った人は、間違って痩せた人より美しい。
皆さんも親になれば分かると思うが、愚かな親は「子供は家庭にさえいれば良く育つ」と信じ、施設に預けられた子供を見ると「可哀想に!」なぞと言う。
これは親の傲慢であり、怠慢だ。
ある種の家庭に産まれた子供にとって、家庭とは牢獄に過ぎない。
悪しき家庭は普通の施設にさえ劣る。
もちろん、部下に怒鳴りつける上司がいるような施設は失格である。やたら怒鳴りつける父親がいるような家庭が失敗であるように。
家庭は人生の不条理の始まりである。結婚がそうであるように。
不倫の存在は結婚制度の不完全さと失敗を裏付けている。
なぜ男性は一人のやがては醜く老いる女性と共に生きねばならず、女性は一人の頑固で我が儘な男性に肉体を支配されなければならないのだ?
ならば結婚制度をなくし、複数の男性と複数の女性が乱交する交配を制度化すればいい。
そして交配を道徳とする。
これで家庭は消滅し、家庭起源の不幸も消え去る。
女性と子供を家庭という牢獄から解放しなければならない。
これはおいしいぞ
不満があるなら耐えてはならない。叫ばなければ、心弱き者はいつまでも弱いままだ。
INTER LUPOJ KRIU LUPE!
祖父の最初の記憶は航空機である。私は祖父の住む福岡まで航空機で遊びに行った。
両親の結婚式のときに某Hグループのエレベーター専門子会社の社長に就任したと聞くから、その時は既に退職していたのだろう。
それから祖父は奈良の西大寺に引っ越した。奈良での記憶はあまりにも大きい。
遊園地へ車で行く途中で私が寝てしまい、目覚めたら祖父宅の前だった。
祖父は三重県の山奥の出身で、憲兵として猿田彦神社を守っていたら終戦になったという。
カメラ好きで本好きだった。本好きは私まで遺伝したが、カメラ好きは父までの遺伝で止まってしまった。
最近、腰を痛めて歩行困難になったので東京区内に引っ越した。
父から連絡があり、今から急遽、私はAIRDO二十便で羽田空港へ向かう。
明日を迎えるかどうかは、分からないという。
こんなに揺れた飛行はチュニス・カルタゴ空港からシャルル・ド・ゴール空港への飛行以来だ。
連絡から二時間半で私はすでに機上の人だったため、荷物が近所徒歩五分の図書館へ行く際と同じ量である。
東京は雨が降っていることもあるけれど蒸し暑い。
この三ヶ月で私は巨大大陸辺縁にある弧状群島の知床から那覇までを一往復分移動したことになる。
私は行動する直前にはその行動について考えない。そのために行動に躊躇はない。
そのせいで今まで様々な困難があったけれど、今回は良かったのかもしれない。
考えてみれば祖父は昨日で八十四歳である。私があと四日で二十四歳であるように。
まだまだ十分とは言えないが神々に文句はつけられない年齢だ。
容態は少し落ち着いたようだが、まだ危ないらしい。
十二月六日に、大阪の釜ヶ崎で暴動事件が起こっていたという。引き金をひいたのは暴力的で犯罪的な西成警察署による労働者への暴行事件だった。
「連れて行かれた西成署の三階の個室で、四人の刑事に代わる代わる顔を殴られ、紐で首を締められ、足蹴りされ、挙句の果てに両足持たれて逆さ釣りにされた。気が遠くなると、スプレーをかけられたと言う。生活保護を打ち切ると脅かされて、その店に近づかないという始末書まで書かされている。」(西成署警察官の暴行に抗議する!)
年末における雇用問題の原因は、報道をみるかぎりでは労働者の選択肢の狭さに原因がある。
いや、労働者はそもそも選択なんてしたくはないのだ。だって仕事のために生きているわけではなく、生きるために仕事をしているのだから。
経営者はもちろん「仕事にために生きる人」を求めるだろう。已むをえないことだ。しかし従業員もそれに右に倣え、では自分で自分の首を絞めているようなものだ。面従腹背が必要である。
そういう意味で、日本の労働者は正社員も派遣社員も労働意識が低い。
企業が、「お客様のためにある」時代は終わりを告げた。これからは「従業員のためにある」企業が求められている。
労働力の均衡という面から見れば、学業を終えた健康な成人には自動的に職が与えられてしかるべきなのに。
情況の囚人という心理実験によれば、派遣社員も正社員になれば正社員ばりの働きをするし、正社員も派遣社員になればそれだけの働きをする。あらゆる面接や選別は無意味であって、人事が行うべきはしかるべき職を与え、仕事の結果を見て評価を与えるのではなく、「こういう結果であってほしい」という仮定の評価を実際に与えてしまうことだ。
十二月二十二日には札幌に帰る。
トロヤ点への新たなる月の飛来、止まない月震、超未来人類と新興恐竜との共存などについて有機的に考えようとしているが、果たせない。
六百円で大根サラダ・鴨肉三切・味噌汁・鳥肉たっぷりの丼物・アイスが食べられる地下一階のカフェ・ダイニングバーを見つけた。
十二月二十日に開店したジュンク堂へ行った。池袋級書艦だった。エスペラント関連書籍は十冊以上、なんと『百年の孤独』のスペイン語版も置いてあった。
札幌はジュンク堂、とらのあな、アニメイト、ブックオフの並びが熱い。
JRタワーのヴィレヴァンが狭いなぁ、嫌やなぁと思っていたらロフトの中にもあった。でも、ヴィレヴァン下北沢店の足元にも及ばない。
アリストテレスは貨幣を万物の尺度とする資本主義的世界を想定した。その一方でディオゲネスは貨幣を変造した罪でシノペを追放され、世界市民となった。彼は貨幣(常識、慣習)を変造したのだ。
純連のみそラーメンは美味しかった。
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takahashicleaning · 5 years ago
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TEDにて
ラリー・ブリリアント: パンデミックで求められる世界の協力
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
疫学者のラリー・ブリリアントが、TED代表のクリス・アンダーソンとの対談で、現在のコロナウイルス感染爆発についての正確な情報を確認しつつ世界の対応の評価をします。
ブリリアントは、このパンデミックを終わらせるための明確なプランを示し、その実現のために政治的・地理的な分断を越えて一致協力する必要がある理由を語ります。
「これはゾンビによる世界終焉の話でもなければ、大量絶滅の話でもありません。私達は、自らの最善の面を見せる必要があります」と彼は言います。(2020年4月22日収録)
(ヘレン・ウォルターズ)1人目は誰かしら?
(クリス・アンダーソン)生涯にわたってパンデミックを大変心配してきた人物です。
40年以上前。世界で天然痘が撲滅されたときに重要な役割を果たしました。2006年には、TEDに登壇し、パンデミックが起きる危険を警告し、我々がどうすべきかについて語りました。ラリー・ブリリアント博士です。
(ラリー・ブリリアント)どうもありがとう。
(クリス)あなたは、あの講演でパンデミックがどのようなものかシミュレーション映像を見せてくれました。ここでまた見たいと思います。あれには寒気がしました。
(TED2006講演)パンデミックが、どんなものか、シミュレーションをご覧に入れましょう。何の話をしているのか分かるように、ここではアジアの南の方で発生したものとします。最初はゆっくりと離れた2、3か所に飛び火します。
それから、二次的な感染爆発が起こって、病気が国から国へと瞬く間に広がり、あまりの速さに何が起きているか分からないでしょう。3週間の内には、世界の至る所へと広がっています。
もし「元に戻す」ボタンがあって、時を巻き戻し始まった時点で隔離できたなら、早期発見と早期対応をしてウイルスをみんな 捕らえることができたなら、それがパンデミックのようなものに対処する唯一の方法です。
(クリス)あの講演は「早期発見」「早期対応」というのがテーマでこの言葉をみんなに復唱させましたよね。今でも、それがパンデミックを防ぐ鍵なんでしょうか?
(ラリー)そうです。指数関数的なスピードで広がるパンデミックに対しては、最初の2週間を無駄にし、2週間出遅れたなら失うのは最初の2週間分の死者や患者ではなく2週間で済んだピークです。早く動いていれば防げるものなのです!早期対応が重要であり、そのためには早期発見が必要です。
(クリス)COVID-19に対する世界の早期発見・早期対応状況はどう評価されますか?
(ラリー)この質問は事前にもらっていたのでいろいろ考えてみました。各国の査定をし、実際リストを作ってみました。島国の台湾やアイスランド。それに、ニュージーランドはAです(日本も同じ)島国の英国や島国ではありませんが、島国みたいに見える米国は落第点です。
韓国とドイツはBです。各国の対応は様々です。全世界が対応に躓いており、現状はあまり褒められたものではありません。
(クリス)発見はかなり早かったですよね。少なくとも中国の一部の医者は早くから気付いていました。
(ラリー)2002年のSARSより早かったです。あの時は6か月かかりましたが、今回は6週間でした。発見というのは気づくだけでなく、病原体が何か突き止めることです!!その点については高く評価��きます。透明性や情報伝達はまた別の話ですが。
(クリス)落第点の国が犯した大きな間違いは何なのでしょう?
(ラリー)恐れや政治的無能さ。干渉の存在。深刻に受け止めるのが遅れたこと。とても人間的なことです。
歴史を通じてどのパンデミックにせよ、最初は否定され疑われたものです。しかし、そういった国々も素早く反応し、韓国のように出だしは遅れても挽回して健闘している国もあります。私達は2か月を無駄にしました。ウイルスに2か月間。爆発的に広がる機会を与えてしまいました。これは、いい考えではありません。
(クリス)確かに、このウイルスについては今でも情報が混乱しています。科学的なコンセンサスは、最終的にどうなりそうですか?例えば、重要な2つの数字である感染力と致命率などは?
(ラリー)念頭に置くべきものとして、ウイルスの活動にかかわる3つの要因があります。
1つ目は基本再生数で、1人の感染者が何人に感染させるかということ。今回の場合は、2.2とか2.4だと言われてきましたが、3週間前に重要な論文が Emerging Infectious Diseases誌で発表され、武漢のデータを振り返って調べたところ、実は5.7 だったのだと。言われています。
ここでの議論では、ウイルスは指数関数的なスピードで広がり、その基数は2.2~5.7だとしておきましょう。
重要な要因の2つ目は、潜伏期間ないしは世代時間と呼ばれるものです。それが長いほどパンデミックは、ゆっくり現れることになります。6日というように短い場合にはとても早く広がります。
そして、3つ目。見落とされがちですが、最も重要なのが感染しやすい人の割合です。いわば、ウイルスに潜在顧客がどれだけいるかということですが、今回のは新しいウイルスなので、80億人が対象になります。
世界が直面しているこのウイルスにとって、人間はみな同様に感染しやすく、免疫もないので肌の色も人種も貧富の差も関係ありません!!皆、平等です!!
(クリス)あなたが挙げられた数字はどれも近年現れた他の感染症と変わらないように見えますが、どういう組み合わせで、それが破壊的なものになっているんでしょう?
(ラリー)短い潜伏期と高い感染力という組み合わせです。
これを見ている誰もが、この病気に罹った人を知っているでしょう。多くの人が愛する者を失っています。重症化すると酷い病気です。世界中の救急救命科の医師や集中治療室で治療に当たる医師たちから問い合わせを受けていますが、皆、同じことを言います。
「誰を救うかをどう選べばよいのでしょう?あまりにリソースが不足しています」これは、人工呼吸器に繋がれて孤独に死ぬ恐ろしい病気ですがあらゆる臓器に影響します。
これを呼吸器疾患と言うのは誤解を招きます。流感みたいなものと思ってしまう。実際は、多くの患者が、腎臓の障害で血尿を出し、胃腸炎を患い、高い割合で心不全を起こし、味覚や嗅覚(嗅神経)に影響することも知られています。
もちろん肺の問題もあります。むしろ、血管のある臓器で影響を受けない臓器が、あるのかが疑問で、その点で天然痘を思わせます!!
(クリス)窮地ということですね。ここからどう進めばいいのでしょう。
(ラリー)対処法は変わりません。早期発見に早期対応。すべての感染者を見つけ接触者をみんな突き止めます。
接触者の追跡のための優れた新技術があります。検査キットや抗ウイルス薬やワクチンを作るため、素晴らしい科学者たちが迅速に取り組んでいます。みんなで流行を減速させねばなりません。
仏教では、精神統一のために時を遅くすると言いますが、私達は、ウイルスのスピードを遅くする必要があり、そのため社会的距離を取るのです。はっきりさせておきますが、ソーシャルディスタンスを取って、グラフをなだらかにしても感染者の絶対数は変わりません。
しかし、富士山みたいなピークをなだらかにして、病院のベッド不足で人命が失われることがないようにするのです。
心臓発作を起こした人や化学療法が必要な人。難産の人が入院できるようにし、限られたリソースでやりくりできるように、発展途上国では特にそうです。流行のスピードを落とし、波が来るごとに力を込めて踏みつけ、すべての感染者を見つけすべての接触者を追跡し(基本的人権は尊守が前提)
すべての症例を検査し、隔離が必要な人だけを隔離し、それをワクチンができるまで続けるのです。
(クリス)単に全般的な活動休止に努め、被害軽減を図る段階から個々の感染者を再び特定し、接触者の追跡をし、個別に対応する段階へと進めねばならないと。そのためには一段と多くの協調と意思と組織と投資が必要になりますが、そういう動きの見られない国もあります。できますか?どうすれはできるのでしょう?
(ラリー)もちろんできます。台湾もアイスランドも見事にやっています。ドイツや韓国。それぞれ異なる戦略を取っています。それには優れた統治能力と深刻に受け止めることが必要で、政治家ではなく、ウイルスに詳しい科学者の意見を聞く必要があります。
もちろん可能なことです。思い出してほしいんですが、これは別にゾンビによる世界の終焉ではないし、大量絶滅するわけでもありません。98%とか99%の人は生き残ることができます。やれると分かっている方法で対処する必要があり、みんなが最善の面を出す必要があります。家にいる人も科学者も政治家もそうです。
(クリス)将来、もっと酷い病原体が現れるというのはあるんでしょうか?備えをしておくべきもっとたちの悪い数字の組み合わせを思い描くことはできますか?
(ラリー)天然痘の基本再生数は、3.5~4.5でCOVIDもたぶん同じくらいになるでしょう。天然痘では、人類の3分の1の人が死にましたがワクチンがありました。そういう違いがあります。
「コンテイジョン」という映画を作ったのも懸念してのことです。見ている人がいるかもしれませんが、あれはフィクションですからね。映画ではずっと致命率の高いウイルスが出てきます。
(クリス)あの映画はNetflixで人気になってますよね。アドバイザーを務められたんだとか。
(ラリー)ええそうです。あの映画は本当のパンデミックがどんなものかを示すために作ったので、すごく恐ろしいウイルスにしました。あの中でウイルスが、コウモリからリンゴ、豚、料理人を経て、グウィネス・パルトローへと伝わっていきますが。
これは、スピルオーバーとか人獣共通感染症と呼ばれ、動物の病気が人間へと感染するのです。これまでとこれからの30年を考えると過去30年の間にはエボラ、SARS、ジカ熱、豚インフルエンザ、鳥インフルエンザ、西ナイル熱。
そういう耳障りな名前を全部挙げることもできますが、人間にうつるようになった新たなウイルスが30~50ありました。残念ながら、これからはパンデミックの時代に入っていきます。
それに応じた振舞いをし「ワンヘルス」の考えを実践する必要があります。人間と動物と環境は、同じ世界の中にあって生きていることを理解し、自分たちは特別な種だという幻想を捨てる必要があります。ウイルスにとって違いはないのですから。
(クリス) なるほど、ワクチンに触れられましたが、ワクチン開発を加速するすべはあるのでしょうか?
(ラリー) あります。コンピューター科学でだけの話と思っていたことが、現実に行われていてワクワクします。これまでそういうものとされてきた何段階もの直列的なプロセスが変わりつつあるのです。安全性のテス。それから、有効性のテスト。それから、効率のテスト。
それから、製造と。そういう3つとか4つのステップを直列でなく同時並列的にやっているのです。ビル・ゲイツは、アメリカで7つのワクチン製造ラインを作ると言い、最終的に作るワクチンが、まだ分からない段階で製造の準備に取り掛かっています。
安全性と有効性のテストも同時並列的に行っています。これには、国立衛生研究所も喜んでいるでしょう。とてもワクワクすることです。
(クリス) ワクチンができるのはいつになるのでしょう?1年後とか1年半後というのは可能なんですか?
(ラリー) それについては、アンソニー・ファウチが、第一人者ですが、12~18か月と言っています(2020年12月の段階���はRNAワクチンが大量生産可能な状況になっています)
最初のワクチンは、もっと早くできると思います。ただ、聞いているかもしれませんが、このウイルスでは、天然痘の時のような長期的な免疫は得られないかもしれません。
そこで、病気に勝てる強い免疫が付く、抗原性補強剤を加えたワクチンを作ることで長期的な免疫が獲得できるようにしようとしています。そのため少し長くかかるんです。
(クリス) 最後の質問です。
2006年にTEDプライズを受賞された時にお聞きした願いは、パンデミックに備えるシステムを作り、今起きてるようなことを防ぎたいということでした。世界に失望されたのではと思いますが、今また願い事をするとしたら何を願いますか?
(ラリー) 発見の早さの点では、失望どころかむしろ喜んでいます。
2006年。当時は、動物から人間に感染したウイルスが分かるのに、平均で6か月かかっていました。最初のエボラなどがそうです。今では、最初の症例を2週間で見つけています。
これには不満はありませんが、発見までの時間を潜伏期間の長さにまで縮めたいですね(数日程度)。それより、大きな問題があります。天然痘根絶計画では、あらゆる肌の色。あらゆる宗教。あらゆる人種の人々。非常に多くの国々が力を合わせました。
パンデミックを克服するために、世界が一丸となって取り組んだのです。今の我々は遠心力の犠牲になっているように感じます。ナショナリズムの垣根に隔てられています。特定の分野では、みんな一緒だと思わなければ、パンデミックを克服することはできません。
これは別にお花畑の理想論ではなく、パンデミックによってそう認識せざるを得ないのです。世界的な問題に対する世界的な解決のためにみんなで力を合わせる必要があります。それ以外に道はありません。
(クリス)ラリー・ブリリアント。どうもありがとうございました。
(ラリー)ありがとう。クリス。
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
<おすすめサイト>
日本経済と世界経済(KindleBook)- 東京都北区神谷高橋クリーニング
ウーリ・アロン:新型コロナウイルス感染症(COVID-19)出口戦略、ロックダウン終了と経済活動再開を目指して
クリスタリナ・ゲオルギエバ:パンデミック後の世界経済を立て直すには?
<個人的なアイデア>
アメリカのノーベル賞受賞経済学者ミルトン・フリードマン、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」も言うように、金融危機2008、コロナショック2020などの急落に直面する対策として、ゼロ金利、マイナス金利、金融政策が出尽くした後に、よく登場する最速実行再分配政策が、個人への緊急的な現金給付!!!
各国によってスピードは異なるが、政策閣議決定後、人間の限界を遥かに超えるスピード。1秒以内で現金到着が理想。各国競争してみれば、今後の恒久対策として中央銀行のデジタル通貨なども考慮しつつ、新産業が産まれプラスサムになるかもしれません。
MMT(Modern Monetary Theory)によると、現状の貨幣での現実的なアイデアとして、社会保障に還元される日本の消費税は現状維持しつつ、現金給付額にも消費税がかかるので現金給付額を上げて、毎月給付にすると消費税率と社会保障費下支えとが均衡状態になる?と同時に、実体経済の経済成長率「g」の下支えにも寄与する?
これらの総量が、急激な不況時の資本収益率「r」以上なら、もしかして?回復して正常な経済環境に戻る期間も短縮できるかもしれません。
スペイン風邪から国民皆保険を構築した岸総理(他には、国民皆年金、最低賃金法もあります)現政権の安倍総理、母方の祖父を見習いコロナウイルスから、毎月の国民皆給付を構築すれば歴史に残る業績になるし、継承する権利もある!
現政権の安倍総理、麻生副総理。この二人でしかできない天命を果たせ!アベノミクスの最終地点がコレだ!この絶妙のタイミング!
天命と言わずにはいられない!
感染症との戦いは、人類の宿敵とも言っていい未知のウイルスとの戦争です!
今までは、パンデミック時の対策としてデータのないスペイン風邪の書物や言葉を参考にしていたが、インターネットの発展やCPU、GPUがムーアの法則によりスーパーコンピューターの領域に現代は突入している。
情報技術が発展し、スマートフォンとして手のひらサイズに収まり、ウイルスを感染予防するための距離を広げながらも、データとして全世界と光速で共有できるため、そのスピードとウイルス伝播のスピードと伍している?
局面ごとに対策を適性に行えば伝播速度を上回りコントロールできる感じもある!ラリーブリリアントが構築したシステムの功績もあります。
量子コンピューターも量子超越性を達成してることもプラスです。
ジョンズ・ホプキンス大学のシステム科学工学センター(The Center for Systems Science and Engineering:CSSE)感染者ダッシュボード
新型コロナウイルスの場合、新規感染者数が、2倍になる日数が10日以上になれば、R0(アールナート)が1以下に減衰してピークアウト状態になると理解できる。
日本の場合、PCR検査の結果が判明する14日後より短いから、検査結果日数を10日以下にできれば、ヤキモキせずスピード感ある判断が可能になりそうだ。
つまり、未知のウイルス。アウトブレイク発生確認後の緊急事態宣言発動は、クラスターが発生しやすいチェーン店などの大規模な場所から早期閉鎖が原則とデータから判明した!
日本の場合、アウトブレイク発生確認後から緊急事態宣言発動までの余裕日数は、新規感染者数が、2倍になる日数です。例えば、5日で2倍なら、5日以内で初動初速最大化発動しないと危険ということ!
R0が2.5付近では、発動日から10日でピークアウトが最速値。7、8割の人の外出制限要請StayHome(元々、人がいない地域での7、8割削減は意味ないし不可能だから政令指定都市だけにすること)ソーシャルディスタンス。などの初動初速最大化すれば、収束までさらに10日で計算上は20日で解除可能領域に近づける目安となります。
生産管理手法のクリテカルチェーンもリアルタイムの感じた感覚で考慮すると余裕バッファーをもう10日で、ひと月。えっ。ここまで自分で書いてよく見ると現実の数値にかなり符号する。
休業要請解除を10段階くらいに分けて地域ごとに段階的に基準を決めて行う。
日本の場合。緊急事態宣言、休業要請は現金給付や保証とセットで最速実行が原則。
日本の場合、透明性を持たせて休業要請解除の基準を決め、きめ細かく設定しないと現在の都知事とか権力者の気分で権力濫用されたり選挙に悪用される危険性がある。
���後の医療崩壊回避のため、医者を含めた疾病や保健所などの医療従事者を単純に現在の倍に育てて増員したら余裕バッファーが半分くらいになりそうな直観が出た。
今後は、休業要請解除!スペイン風邪同様第二波三波、第四第五の小波に備え、国からの現金給付支給をもう数度実行してもいい。Rtが1以下になり次第、休業要請解除!の後に、緊急事態宣言を機動的に解除。
この局面でもっとも効果的なソーシャルディスタンス領域をかんたんに実行。かんたんに実現できる小規模な所から。
時間軸のあるR0をRtとした都道府県別。新型コロナウイルスリアルタイムデータ
クラスター発生地点の見守りを継続する。再びアウトブレイクになり次第。最速で緊急事態宣言を再び発動して、1年かけて5、6回繰り返し、新規感染者数をピークアウトさせて分散、減少させていく!
何度も言うが、スペイン風邪同様第二波三波、第四第五の小波に備えるため!
小池百合子都知事という悪徳政治家は即刻辞職して、後世の女性への権力に固執しない手本を示し、的確に新型コロナウイルス対策できる人間に変われ!以下の指摘3つを真摯に受け止めて瞬時に改善しろ!(全世界に拡散希望)
1)休業要請緩和の各ステップの目安日数(1週間の平均感染者数:20人未満、感染経路の追えない感染者の割合:1週間平均が50%未満、1週間単位の感染者の増加比:1以下)をごまかして各段階を具体的数値で表現しない。クソロードマップだ!!今回の都知事選挙のために政治悪用してるのは明白!!��確に新型コロナウイルスに対策できる人間に変われ!
2)再要請の目安(1日の感染者数:50人、感染経路の追えない感染者の割合:1週間平均が50%以上、1週間単位の感染者の増加比:2以上)も隠すように表示してるクソロードマップだ!今回の都知事選挙のため政治悪用してるの明白!!的確に新型コロナウイルスに対策できる人間に変われ!
3)2週間単位じゃなく1日単位にしないと一つずつ緩和のステップを進めていく意味がないクソロードマップだ!!今回の都知事選挙のために日数伸ばすために政治悪用してるのは明白!!的確に新型コロナウイルスに対策できる人間に変われ!
具体的には、2020年5月中旬に、緊急事態宣言を1日単位でスピード解除(現都知事は、説明責任をせず気分で言葉を変えて言葉で惑わし政治悪用するので、数値を基準にした休業要請を1日単位でスピード解除)を早期に行う。
こうすることで、マクロ経済的にもバランスを維持していく。
前提として、直近1週間10万人あたり新規感染者0.5人位?(わかりやすく言うと、1400万人いる東京都は7 日間で、70 人位。一日7人位)で緊急事態宣言解除。
他には、神奈川県は46人位一日6人位。埼玉県は37人位一日5人位。千葉県は31人位一日4人位。とざっくりとした目安になります。
以降は、30日間経過観察し2回目に備える。オーバーシュートし始めたら2回目の緊急事態宣言を再び発動(現金給付とセット:一回目の延長の分も含めて一律20万円)し、1回目と同じように繰り返し、50日でスピード解除。つまり、最速80日周期で1年かけて4、5回繰り返し、新規感染者数をピークアウトさせて分散、減少させていく!
データから判明した6割程度の人の接触制限(元々、人がいない地域での削減は意味ないし不可能)で増加しないフラットな均衡状態を維持できる。
しかし、わかりやすく言えば、10人を4人にし続けたら商売にならないのは明らか。これでは、マクロ経済活動を維持できないため、その減少分を法人は、巨額な内部留保があれば、それを金融工学で資金繰りを下支えしつつ
国民皆給付で一律毎月10万円の庶民生活を下支えし続ける!(ボーナスも危ういので多少なりとも毎月気持ち分補助してもらう)これがベスト。
新規感染者を数人位の緊急事態宣言解除直後の低水準で均衡させつづければ、6割程度の人の接触制限してマクロ経済を維持できそうな感じは現時点ではする。
7月になり、小池百合子は公約も実現してないのに再選した稀代の悪女!自ら辞めて責任もとらない。昨年は、モンテスキューの「法の精神」も言う権力分立の原則を無視して国政と都知事を兼務しようとする悪い女性の見本と判明(全世界に拡散希望)
新規感染者も四月の水準に数の上では迫っている!
しかし、検査数と新規感染者の割合を見ると七月の水準では四月ほどではなく、さらに、退院者数を引いて見る。医療提供キャパシティ数が不明で数値を出して欲しいが、これらを考慮すると•••
再びの緊急事態宣言は、新規感染者が現状4桁到達。人口規模が大きい東京都が1000人以上なら実行する価値はある!現金給付とセットで!(検査数、医療提供キャパシティ数が増えれば2000、3000でも耐えられるかも?これはまだ未知の領域)
7月の重傷者数も4月の水準ではないので、4月の水準に近づき次第。再びの緊急事態宣言で良いのではないか?そんな感じもします。
海外の結果は、アメリカ、ヨーロッパは速めにロックダウンした(日本は緩いロックダウン)
スウェーデンは独自の社会実験でパンデミック中に行政府がほとんど行動制限を加えず、通常の生活を続けるとどんなことになるか?結果は変わらない。
自ら感染を広げただけで、経済的に何の得にもなっていないらしい。人口100万人当たりの死者数が世界的にも高い水準になってしまった。重症者増加悪化する。ロックダウンが経済悪化の原因ではないこと。すべての原因はウイルスそのものの伝播力と判明。
日本は湿気の多い夏の時期でも、この伝播力の怖さが明らかになる。実効再生産数1.5から2くらい。
歴史の経験が実証されデータが得られワクチンや治療薬が重要という昔のパンデミック時の教訓が正しいことが世界中で再認識された。
PCR検査などを抽出から全数に変えても統計上はあまり変わらない。前提として、数値の量や正確さにこだわらず測れるのが統計。量子力学に多用されてる。統計には、全数と抽出がある。
むやみに、感染者を排除しても基本的人権を侵害するだけで感染者差別を産む可能性もある(マスクの有無で既に差別的になってる)
ハンセン病患者の強制隔離政策。第二次大戦の教訓が無視され弱者に対して権力濫用に繋がり、日本では、権力者を縛る憲法により結論を示し、ついに決着した。非常に重い最高裁判所の判例や現実が大きくあり、パンデミックの最中には、混乱するだけで導入は難しい。
現に、検査数が日々変動してるため、新規感染者数が過去の数値と単純比較できずに陽性率で比較するプロセスも必要となるから、この時間差や感染者集計の時間差を権力者に言葉巧みに悪用されてる。
つまり、この元凶の権力者とは現在2020年の再選した政界風見鶏と言われる都知事小池百合子!過去には、行政府、警察に拡大解釈され強欲マスメディアがあおり第二次大戦に至りました。
未知のウイルスは、医療従事者や専門家も素人同然に成り下がるのは、東日本大震災2011の地震学者(こちらは理論破綻)で証明されてる。
にもかかわらず、今回、新型コロナウイルス2020でも、プライド、特権意識が邪魔をして、アマチュアの意見も引用して受け入れないため、未知のウイルスの伝播力で後手に回る。
現場で経験したアマチュアを含めて知見が集まるまでの人の手でデータにするまでの時間は、 CPU、GPU、量子コンピューター、インターネットで情報を光速で共有できるメリットを最大化できなくなると判明もした!
理論も大事だが現場経験が先!まぁ、カントも言ってることだから専門家、教授レベルなら熟知してると思うけど、知らないのかな?
日本の場合、ウイルス感染力低減対策のひとつ。緊急事態宣言後、最速で、高速道路、鉄道の法人であるJR、私鉄が協力体制をとって、都道府県内で折り返し運転をして他県に移動しづらくする方法。
それか、違う効果的なアイデアがあればいい?たしか、東日本大震災の時も実行してたような?
サブスクシェア経済は、具体的に言うとウイルスをベタベタな手で撒き散らすような強欲不潔感なイメージ。
食品扱うなら公衆衛生は最高レベルで!
公衆衛生の義務を厳格徹底し、感染症に欲のスキを突かれるため、強欲不潔な法人を規制して、事業停止を保健所は機動的に強制執行できるように法律を改正。
デフレスパイラルも危険なので、最低賃金以上を義務化、公衆衛生の義務を厳格徹底することで、抑止力をサブスクシェア経済に与えること!
さらに、人間を追跡する人工知能のストーカーアルゴリズムのみを今後禁止にして、ベンチャー企業がサブスクを開発したら高額罰金を与えるのはどうだろうか?
すでにある企業にも、悪用予防で高額罰金をかけていく。個人情報保護法に追加。GAFAは、指摘を受け止めて改善するが、それ以外の中小規模がより危険。
Uberなどは、その一つです。ドン・タプスコットが「ブロックチェーンレボリューション」の中で、UberやAirbnbやTaskRabbitやLyftといった。共有経済について話題にしています。対等な個人がいっしょに富を生み出し、共有するというのは。とても強力なアイデアです。
でも、私に言わせるとそういった企業は本当に共有をしてはいません!!実際、これらの企業が成功しているのは、まさに共有しないことによってなのです。さらに、高インフレの国でないとデフレスパイラルが起きてしまい、次第に賃金が上昇しなくなります。
現在の唯一の解決法は富の再分配でデファクトスタンダードをとっているプラットフォーマー企業に課税して広く配分するということです。ここが重要!!と言っています。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
キャシーオニールによると・・・
思考実験をしてみましょう。私は、思考実験が好きなので、人種を完全に隔離した社会システムがあるとします。どの街でも、どの地域でも、人種は隔離され、犯罪を見つけるために警察を送り込むのは、マイノリティーが住む地域だけです。すると、逮捕者のデータは、かなり偏ったものになるでしょう。
さらに、データサイエンティストを探してきて、報酬を払い、次の犯罪が起こる場所を予測させたらどうなるでしょう?
あら不思議。マイノリティーの地域になります。あるいは、次に犯罪を犯しそうな人を予測させたら?あらら不思議ですね。マイノリティーでしょう。データサイエンティストは、モデルの素晴らしさと正確さを自慢するでしょうし、確かにその通りでしょう。
さて、現実は、そこまで極端ではありませんが、実際に、多くの市や町で深刻な人種差別があり、警察の活動や司法制度のデータが偏っているという証拠が揃っています。実際に、ホットスポットと呼ばれる犯罪多発地域を予測しています。さらには、個々、人の犯罪傾向を実際に予測しています。
ここでおかしな現象が生じています。どうなっているのでしょう?これは「データ・ロンダリング」です。このプロセスを通して、技術者がブラックボックスのようなアルゴリズムの内部に醜い現実を隠し「客観的」とか「能力主義」と称しているんです。秘密にされている重要で破壊的なアルゴリズムを私はこんな名前で呼んでいます「大量破壊数学」です。
民間企業が、私的なアルゴリズムを私的な目的で作っているんです。そのため、影響力を持つアルゴリズムは私的な権力です。
解決策は、データ完全性チェックです。データ完全性チェックとは、ファクト(事実)を直視するという意味になるでしょう。データのファクトチェックです!
これをアルゴリズム監査と呼んでいます。
人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
未知のウイルス。新型コロナウイルスでは、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
しかし、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
さらに、2020年5月21日。ついにリリースしました。AppleとGoogleが、協調してプライバシーに配慮し高いセキュリティの、APIを提供してます(中国のアプリは危険なため)
以下は、iOS、Androidアプリの作成に当たってライセンス上、守るべきガイドラインです。
第一に、アプリは公衆衛生当局が自ら作るか、外部機関に依頼して作らせたものでなければならず、しかも「COVID-19対応」以外の目的では利用することができないライセンスになっている。できるだけ多くの人が、同じアプリを使用し分断が起きないようにAPIの利用は1カ国1アプリのみ。
第二に、Exposure Notification API(濃厚接触通知API)の利用の前に、ユーザーの同意を得る必要がある。
第三に、利用者のCOVID-19感染が確認された場合、結果を共有する前に、必ず利用者の同意を得る必要がある。(同意を得ると当局が利用者のデバイスにひも付いた「Diagnosys Key : 診断鍵」に対して「陽性」の情報を登録する。二段階でキー生成がなされます。)
第四に、アプリは、利用者のスマートフォンから可能な限り最小限の情報しか獲得してはならず、 その利用はCOVID-19対策に限られる。ターゲティング広告を含め、それ以外のあらゆる個人情報の利用は禁じる。
第五に、アプリは、スマートフォンの位置情報獲得を求めてはならない。
などの個人を特定しにくくする工夫が加えられている新型コロナウイルス「濃厚接触通知」のプライバシー強化がほどこされています。
具体的に、AirDropやApplePayの仕組みを応用し、通信方法はBluetooth経由で、暗号化された毎日ランダムに15分単位で生成されるお互いのキー情報のみを相互接続します。
ApplePayの仕組みについて(当店サイトからも曲購入にて対応しております)
GPS情報、ユーザーの氏名や性別、年齢も原則取得しない
ユーザー同意のもと感染報告者の「キー(その1)」は、政府か保健機関が提供するアプリを通じてサーバーへ送られる。
続いて、API対応アプリは、定期的に全国から報告される「キー(その1)」をダウンロードする。そして、端末上で、誰かと会ったときの「キー(その2)」とマッチするかどうか判定し濃厚接触の可能性を判定する仕組み。
日本では、行政府の厚生労働省チームが進めるアプリ開発で同APIを利用します。このAPIは、常にAppleとGoogleが改善して全世界同時アップグレードされます。
1、2ヶ月程度で、1000万ダウンロード達成は、他のアプリと比べても平均くらいの普及率です。いや、でも、速い方かな?
メルカリなども1年くらいは必要としていたし、Lineもこのくらいだったかな?1000万ダウンロードでモンスターアプリと言われる世界。
その他のSNS、Twitter、FaceBookなどは、2000万前後のダウンロード数を誇っているアプリはほんの数%。cocoaも数ヶ月で達成しています。
2020年の4月と7月の違いは、新型コロナウイルスの場合、空気感染ではなく、飛沫感染という性質を考慮すると•••原則は、常にマスク着用、ソーシャルディスタンス。
検査数の量と陽性率でも見ると、東京都は、陽性率2、3%、200人前後で重症者数もバランスよく維持すれば、新型コロナウイルスを最小限に抑えつつ経済を持続できそうだ。
最新の研究によると、不織布のサージカルマスクなどは、感染予防にならないが、他人への拡散を抑える効果、ウイルス摂取量を抑える効果があるから、周囲の人たちが7、8割以上が行えば、実効再生産数を低下させ集団免疫に近い低減効果が得られるかもしれない。
ワクチンと同じくらいの防御効果がありそうだ。安全性の高いワクチンができるまでの実行再生産数を、1 より少なくする時間稼ぎに有効ということだけしかない。油断は禁物です!
吐く息の場合。不織布マスクは80%カット。布製マスクは70%カット。フェイスシールドは20%カット。マウスシールドは10%カット。
吸う息の場合。不織布マスクは70%カット。布製マスクは40%カット。フェイスシールドは効果なし。マウスシールドは効果なし。
続いて、日本国憲法尊守を前提で!
新型コロナウイルス2020に対応したFRBの金融政策と財政政策に異次元な変化が生じてる?
マネーストックとは「金融部門から経済全体に供給されている通貨の総量」のこと。
具体的には、金融機関・中央政府を除いた法人、個人などが保有する通貨(現金通貨や預金など)の残高を集計したもの。
日本銀行のベースマネーをコントロールするゼロ金利、量的緩和とは別枠で、ベースマネーからマネーストックへの橋渡しをする機関が弱いのでボトルネックになっていた。
ここで新型コロナウイルス2020が起きた!
将来の設備投資である個人デジタル貨幣型ベーシックインカム活用も含めて•••
アメリカのノーベル賞受賞経済学者ミルトン・フリードマン、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」も言うように、金融危機2008、コロナショック2020などの急落に直面する対策として、ゼロ金利、マイナス金利、金融政策が出尽くした後に、よく登場する最速実行再分配政策が、個人への緊急的な現金給付!!!
各国によってスピードは異なるが、政策閣議決定後、人間の限界を遥かに超えるスピード。1秒以内で現金到着が理想。各国競争してみれば、今後の恒久対策として中央銀行のデジタル通貨なども考慮しつつ、新産業が産まれプラスサムになるかもしれません。
MMT(Modern Monetary Theory)によると、現状の貨幣での現実的なアイデアとして、社会保障に還元される日本の消費税は現状維持しつつ、現金給付額にも消費税がかかるので現金給付額を上げて、毎月給付にすると消費税率と社会保障費下支えとが均衡状態になる?と同時に、実体経済の経済成長率「g」の下支えにも寄与する?
これらの総量が、急激な不況時の資本収益率「r」以上なら、もしかして?回復して正常な経済環境に戻る期間も短縮できるかもしれません。
世界的な流れから各国政府経由で手厚い給付金を全国民に支給することになる。
日本も世界同時で協調し、国民皆給付を行うがスピードが世界に比べて同水準になってないことが判明した!そのうち改善するでしょう。
スペイン風邪から国民皆保険を構築した岸総理(他には、国民皆年金、最低賃金法もあります)安倍政権時代の安倍さんは、母方の祖父を見習いコロナウイルスから、毎月の国民皆給付を構築すれば歴史に残る業績になるし、継承する権利もある!
安倍政権時代の安倍さん、麻生さん。この二人でしかできない天命を見事果たした!アベノミクスの最終地点がコレだ!
この絶妙のタイミングで緊急的に構築した!天命と言わずにはいられない!
国民皆給付は達成したが、世界的な流れである毎月の国民皆給付には到達していない!
次善のアイデアとしては、三ヶ月に一回給付金。つまり、春夏秋冬に一回ずつ給付金も検討する価値はあります。
誰が発展させて引き継ぐのか?本人自身が行うのか?今後の継承を期待します。引き継いだ人間は、確実に人類の転換点に成し遂げた歴史に残る業績として記録されることでしょう。
将来は、官庁から量子暗号運用へ移行するための期間の長いデジタル化を始めてするも良し、庶民が行政手続きする際の���請だけにするなら資するかも?
金融機関への紐付け解除プロセスは現状維持として、まだアナログで十分!
前提条件として、基礎技術にリープフロッグは存在しません。応用分野のみです!
金融機関への紐付け?義務化は憲法違反。許可選択制にしろ!紐付け解除もできるようにしないと基本的人権侵害。
歴史の浅いコンピューターは、人間ではないし基本的人権は適用外だが、人類は違う!何千年もの構築した概念や法体系、歴史があり憎しみの連鎖も生じる。
中央値で一人年収600万円以上は給付金分年末に減税して、それ以下の年収は給付金支給にすればいい。日本国憲法尊守を前提で、こんなアイデアはどうだろうか?幸福がポイント。
ベーシックインカムは、現在の社会保障にプラスしていくことを前提条件として考慮しています!
もう一度。ベーシックインカムは、現在の社会保障にプラスしていくことを前提条件として考慮しています!
そして、テレワークの普及は諸刃の剣!
少ないから価値あるが誰もができると価値がなくなり、逆に一極集中加速する危険!アメリカ2020が、今そうだ!
GAFAなど。特にIT産業などは独占化しやすいから別枠で高税率にしてベーシックインカム用に再分配システム構築できないなら独占禁止法強化する世界的な流れになっている。
アメリカとは国土の大きさが違う!ので、マクロ経済学でいう小国開放経済の日本に、そのまま適用しても、新型コロナウイルスもあるし、現在の日本の普及率くらいが最善。これ以上は逆効果。
基本的人権という歯止めがないと薬が毒になる。
税の公平性はよく言われるが、時代が変わり、一極集中しやすく不公平が生じてるなら、産業別に税率を上昇させてバランスよくすればいい?
自由という概念を悪用するので簡単に言うと、自由権とは、18世紀のヨーロッパ市民革命、マグナカルタによってプロトコルを源にし言葉の定義を決めてから基本的人権の一つとして提唱されました。
憲法として日本にも導入されます!何でも自由に行うことではありません
これもその一つ。
「兵は詭道なり」戦いは、所詮騙し合いで、いろいろな謀りごとを凝らして、敵の目を欺き、状況いかんでは当初の作戦を変えることによって勝利を収めることができるものだ。
ということだが、誤解があって、憲法ある現代では、戦いの後に公開厳守が、法人も含めた権力者の原則です。
日本では、医療関係は、法律で個人情報の秘匿を義務化されてますが•••
国内法人大手NTTドコモは、本人の許可なく無断でスマートフォンの通信データを警察機関に横流しをしてる!
GAFAのように対策しない違法な法人?まさか、他にも?独占禁止法や法律を強化する?デフレスパイラル予防。このような国内大企業、中堅法人も危険。傲慢。
日本国憲法に違反しているので、アメリカのカリフォルニアやヨーロッパのGDPRのようにデータ削除の権利行使。
他に、再分配するデータ配当金を構築してからでないと基本的人権侵害になるため集団訴訟を国民は起こすべきだ。
税の公平性は、よく言われるが、時代が変わり一極集中しやすく不公平が生じてるなら産業別に税率を上昇させてバランスよくすればいい?
特に、IT産業などは、独占化しやすいから別枠で高税率にして、ベーシックインカム用に再分配システム構築できないなら独占禁止法強化。
自動的にディープフェイクをリアルタイムの別レイヤーで、防犯カメラの人物に重ね録画していくことで、写る本人の許諾が無いと外せないようなアルゴリズムを強力に防犯カメラの機能を追加していく。
防犯カメラのデータを所有者の意図しない所で警察機関他に無断悪用されない抑止力にもなります。
防犯カメラのデータを所有者の意図しない所で警察機関他に無断悪用されない抑止力にもなります。
防犯カメラのデータを所有者の意図しない所で警察機関他に無断悪用されない抑止力にもなります。
サミット警備時、死者数が微小なのにテロ対策と称し厳戒態勢!
経済活動を制限した時に、警視庁職権濫用してたが、死者数が甚大な新型コロナに予算増やした?
警察権力悪用!庶民弱者に圧力やめさせないの?オリンピック前にも圧力あったから予算削除しろ傲慢警察!
警察機関に個人データを保存するなら、至急データ配当金を創設して、毎月警察予算から配当金を庶民に給付する仕組みにしろ!
嫌なら、個人情報を削除する権利が庶民には、あるから行政府は行使できるようにしろ!予算削減がいいか!データ削除がいいか!
ヨーロッパのGDPRを参考にして仕組みを創設しないなら、基本的人権の侵害で日本国憲法違反だ!
みんなで国と集団訴訟だ!誰かが起訴すれば歴史に残る偉業になる。
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。権力濫用��口実に注意!
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。権力濫用の口実に注意!
SDGsや気候変動対策は、再生可能エネルギーのことではありません。パンデミック対策の一環です!それ以外の活動は派生物。権力濫用の口実に注意!
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
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tak4hir0 · 6 years ago
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INSIGHT 2019.06.23 SUN 19:00きみは「ラディカルである自由」を、まだ手放していないか?:『ラディカルズ 世界を塗り替える〈過激な人たち〉』日本語版解説 現代社会において何かを絶対的に間違っていると考え、自分たちはそれを改める方法を知っていると信じている人たちがいる。彼/彼女らは既存の社会通念を受け入れず、市民的不服従を実践することで、無視され、迫害され、否定され、メディアに誤って取り上げられる。でも、そんな過激な人々(ラディカルズ)が明日の主流派となるかもしれないことを、歴史は繰り返し教えてくれる──。心地よい「常識」に異議を唱える人々を描いた『ラディカルズ 世界を塗り替える〈過激な人たち〉』に、『WIRED』日本版編集長の松島倫明が寄せた解説の全文を紹介する。 TEXT BY MICHIAKI MATSUSHIMA PHOTOGRAPH BY WIRED JAPAN いまか���50年後、2070年の社会において、ぼくらが「50年前には社会がこんなことを容認していたなんて、まったく信じられない!」と思うことは何だろうか? 米オンラインメディアのVoxは、先日そんな特集を組んでいた。識者や専門家の答えとして、肉食や中絶、性産業の規制から、職場における上司の存在や、「合理的主体としての人間」という考えまで、いまは(まだ)ノーマルだと思われている数々の事象が挙げられた。日本で考えれば、プラスチックの使用や同性婚の禁止、真夏のオリンピックなんかも挙げられるかもしれない。 本書で著者ジェイミー・バートレットは、「オヴァートンの窓」という概念を紹介している。「特定の時代において、国民の大部分が尊重すべき常識的なものとして受容する考え方の範囲」を指す言葉だ。本書『ラディカルズ』で彼は、現代においてその窓枠をズラし、そこから見える人々の常識という風景を変えようとする人々を描きだしている。 ラディカルズとは誰か?例えば本書は、リベラル派の哲学者で英下院議員を務めたジョン・スチュアート・ミルが、150年前に選挙権の主体を示す単語を「men(男)」から「persons(人)」に改正しようとして怒りと嘲笑の猛反撃にあったエピソードから始まる。その後の急進的な運動によって女性の参政権が認められるのは、やっとそれから60年後のことだった。 このエピソードは教科書にも載っているかもしれない。でも、もし例えばあなたが女性でランニングが趣味だとしたら、マラソン大会に自由にエントリーできるのは、50年前のボストンマラソンで当時20歳の学生だったキャサリン・シュワイツァーが、レース中の妨害や制止を振り切り女性として初めてゴールテープを切ったからだということは知っておいてもいい。いま世界に拡がる#MeToo運動も、いわばその延長なのだ。 あるいは、昨今ダイヴァーシティがまことしやかに語られるけれど、人種に関係なく誰もが公共交通機関を使えるのは、1955年に当時42歳のデパート従業員だったローザ・パークスが白人にバスの席を優先的に譲るのを拒み、逮捕されることを承知で人種分離法に異議を唱えたからだ。それが今から50年前の公民権法制定につながり、そして#blacklivesmatter(ブラック・ライヴズ・マター)運動として今も続いている。 本書のタイトル 「ラディカルズ」とは、「現代社会において何かを絶対的に間違っていると考え、自分たちはそれを改める方法を知っていると信じている人たち」のことだ。彼/彼女らは既存の社会通念を受け入れず、市民的不服従を実践することで、無視され、迫害され、否定され、メディアに誤って取り上げられる。でも、シュワイツァーやパークスのように、今日の過激な人々が明日の主流派となるかもしれないことを、歴史は繰り返し教えてくれる。 本書で著者バートレットが関心を向けるのは、「人間らしさ」とは何か、「公正な社会」とは何かについて、現代の西欧的民主主義国家(日本も含む)が概ね共有している心地よい「常識」に、異議を唱える人々だ。けっして偉人やヒーローでもなければ「Think Different」を唱えるイノヴェイターの類いでもない。正直に言って、50年後ならともかく、今の時代に誰もがすんなり受け入れられるようなことを言っている人々ではない。 彼は米大統領選に立候補する「トランスヒューマニスト」の選挙運動に同行し、化石燃料の使用増加を阻止する環境活動家に混ざって英最大の炭鉱に侵入して操業を停止させ、ペギーダ(西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者)の移民排斥活動家とともにヨーロッパじゅうの街頭やパブでデモをし、幻覚剤を使って「宇宙と一つになる感覚」を目指すオランダでのセッションに参加し、リバタリアンの理想郷として「建国」されたリベルランドに上陸するまであと数メートルというところでクロアチア警察に拿捕されそうになり、パートナー以外とも自由に性的関係をもつフリー・ラブがなぜ世界平和へ通じる道なのかをポルトガルのコミューンで学び、インターネットが生み出した直接民主主義がはらむポピュリズムやファシズムの可能性をイタリアの「五つ星運動」から紐解く。 そこに通奏低音として流れているのは、過激であるがゆえに時に憎しみや暴力を煽る可能性さえある思想に対して「わたしたちはどこまで寛容であるべきなのだろうか」という問いだ。これは、ソクラテスが「神々を敬わないように」と若者に教えたとして罪に問われて以来、自由主義社会をずっと悩ませてきた問いであり、「本書を悩ませる問いでもある」とバートレットは吐露する。 わたしたち vs. テック本書は、不死やセックスやドラッグといったいわば人類普遍の「過激さ」に迫る一方で、政府の監視プログラムやポピュリズムといった喫緊の政治問題を、その最も過激な視点からえぐり出していく。それは、バートレット自身が英有数の社会政策系シンクタンク、デモス(Demos)においてソーシャルメディア分析センターのディレクターを10年にわたって務め、特に政治とテクノロジーの関係を専門にしてきたからだろう。実際、本書刊行の翌年には『The People vs Tech』という一冊を上梓している(邦訳『操られる民主主義』秋山勝訳/草思社)。 ソーシャルネットワークが普及したこの10年、アメリカでトランプ政権が誕生し、イギリスがブレグジットを決めるもっとずっと前から、バートレットはネットで拡がるフェイクや陰謀論について調査し、ポピュリズムの台頭を追いかけ、急進右派の伸張をネット言論から予言し、急激に変化するデジタルテクノロジーによって起こされる新たな社会問題に対して、慣習とルールと規制に縛られたアナログで古臭い民主主義制度が「噛み合わない」ことで巻き起こるカオスに対峙してきた。 そのカオスは、いまやますます目につくようになっている。本書にも登場するリキッドデモクラシーといった新しい仕組みを実現するプラットフォームが、政治の上位レイヤーとして実現するのをいまや多くの人間が待望している。もしかするとテック企業のほうが、一般意志2.0なり3.0を瞬時に反映し、アルゴリズムがそれを合理的かつ公平に定量化し、合意形成を迅速にして社会実装までもっていけるのではないか、と。 関連記事:民主主義に代わる“本物さ”とは?:伊藤穰一 もちろん、アルゴリズムが幻想としての「公平性」を担保する以上に社会的スティグマや差別/格差を固定化し助長するものであることはいまやよく知られている。それに、行き過ぎたプラットフォーム資本主義やナチュラルモノポリーに対しては、規制をかける存在が必要だ。それが国家なのかどうかは別として。 2019年現在、「フェイスブック解体論」の類いがどこに着地するかはわからないけれど、プライヴァシーや個人のデータ保護と資本主義との噛みあわせが悪いなら、そこは政治の出番となる。EUが制定したGDPR(一般データ保護規制)のように、世界はいまや、テックというレイヤーの上にもう一度、民主主義を据えようとしているのだ。 その動きは一見、健全な軌道修正なのだけれど、それも国家が行き過ぎた規制をかけなければの話だ。たとえば著者のお膝元である英政府は今、「ネットの有害投稿規制」の法制化を進めている。虚偽情報やテロにつながる情報の拡散、ヘイトスピーチ、児童ポルノの配信などを規制し、政府が違法あるいは有害とみなしたコンテンツを削除するようシリコンヴァレーのテック企業などに義務づけ、違反サイトを閉鎖する権利をもつものだ。これは、民主主義国家としては最も厳しくかつ広範囲に及ぶインターネット上の規制のひとつとなる。 問題は、違法ではない場合に何をもって「有害」とするのかの線引きがとても難しいことだ。例えば本書で描かれるように、イスラム過激思想はその過激さゆえに監視対象にされる一方で、西欧のイスラム化に反対するペギーダは、暴力に走らない限りにおいて言論の自由が保障されている。そこでは「暴力をふるうことと暴力について書くことは違う」という建て前がダブルスタンダードで運用されている。 今回の規制が、表現の自由とのバランスに欠くのは明らかだ。それに、表現の自由やプライヴァシーについて、企業に判断の権限を与えることになるという指摘もある。これまでもプラットフォーム企業(に限らないけれど)は「あなたが何を考えているか」に踏み込むことで莫大な広告収入を得てきた。それが今度は国家の意向のもと規制する権限まで与えられるわけだ。国家はいまや、テクノロジーによって拡散されるミームやイデオロギーをコントロールしようと、人々の頭の中にまで手を突っ込もうとしているのだ。 楽観主義というラディカルバートレットは著書『People vs Tech』のなかで、デモスのディレクターだった10年についてこう述懐している。「2008年以降、どうしようもないほど疲弊した政治システムに、デジタル・テクノロジーがどのようにして新しい命の息吹を吹き込むのか、私はそれに関する記事を書いてきた。私が抱いていた当初の楽観主義は年とともに現実主義へ横滑りし、やがて居心地の悪さへと変わっていった。いまでは軽度のパニック状態に陥りつつある」。 この告白は奇しくも、ぼくがいま編集長���務めるテックカルチャー・メディア『WIRED』の軌跡に重なっている。まさに本書にある通り、「情報が無限に与えられ、すべてがつながることで、もっと豊かな知識を持ち、偏見も減り、全体としては寛大になる」という理想を抱いてきたからだ。SNSによって人種の壁を超えたアメリカ大統領が誕生したことを寿ぎ、彼を表紙にまで登場させた。率直に言って、ヒラリー・クリントンが負けるその時まで、WIREDは1993年の創刊以来の姿勢である楽観的なリバタリアニズムを堅持してきたのだ。 関連記事:バラク・オバマが伊藤穰一に語った未来への希望と懸念すべきいくつかのこと 本書で彼が「デジタル社会について90年代に予測されたことはすべて間違いだった」と断定し、「高慢なWIRED誌の編集者や華々しいメディアラボのディレクターのようなマクルーハンの信奉者たち」とあげつらうとき、そこには著者自身も含む、社会的にマジョリティに属し、高学歴で政治的にはリベラルな人々が、現実社会でテクノロジーが引き起こすポピュリズムと分断に敗北し続けてきたことへの痛烈な悔恨と批判があるのだろう。あるいは、周縁にあってサブカルチャーやカウンターカルチャーの担い手を自負してきたメディアが、いつの間にかオバマ大統領を表紙に据えて社会の真ん中にいることへの当てこすりもあるかもしれない。 だけれど、ぼくはその予測がすべて間違いだったとはまったく思っていない。2018年の『WIRED』日本版リブート号で特集した「ニューエコノミー」とは、90年代に予見され、ドットコム・バブルが弾けたことで忘れ去られたまま、今まさに現実になっている経済構造のことであり、デジタルテクノロジーによる数十年単位でのパラダイムシフトを見通すことの重要さと難しさを示している。本書と同じタイミングで刊行される最新号の特集「ミラーワールド」は、もともと91年にコンピューター科学者のデイヴィッド・ガランターが提唱したビジョンで、マインクラフト・アースが発売されるこの2019年に、やっとその片鱗が見え始めてきたと言えるだろう。 INFORMATION 雑誌『WIRED』日本版VOL.33は来るべき第三のグローバルプラットフォーム「MIRROR WORLD」を総力特集。これまでインターネットがすべての情報をデジタル化し、SNSが人々のつながりをデジタル化してきたように、ミラーワールドは物理的世界すべてをデジタル化する。そのすべてが、いま明らかに。 急いで付け加えるならば、ニューエコノミーもミラーワールドも新たなビッグパラダイムのことであって、それが人類にとって有用なものになるかどうかはまさにぼくたちの手にかかっている(率直に言って、エコノミーについてはこれまで相当しくじってもきた)。だからこそ、『WIRED』は「闘う楽観主義」を掲げている。テクノロジーが政治もプライヴァシーも経済も牛耳ろうとする時代にあって、その現実を直視した上で、それを解決する手段もまた、テクノロジーを使う人間の側のアイデアとイノヴェイションによって見つけられるはずだ、という意味での楽観主義だ。 テック・バックラッシュの時代に敢えて楽観主義を掲げるのは、まさにそれが現代において「ラディカル」な行為だと思えるからだ。本書が「周縁にあって過激な主張を社会にぶつける人々」を主題として召喚することで、袋小路に嵌ったかにみえる人類を前に進めようとする「希望」の書であるのと同じように、ぼくは『WIRED』編集長就任の時にこう書いている。 「これまで『WIRED』は、常にマジョリティによるカルチャーではなくサブカルチャーに注目し、ときとしてそれがスーパーカルチャーになるのを支えてきた。既存の体制の側ではなく、新しいムーヴメントを始めようとする人々の側を応援してきた。安易に答えを提示するのではなく、誰もが見過ごしている根源的な問いをメインカルチャーに突きつけ、周縁にあって、次の時代のイノヴェイションを起こそうとする若者たちがメインステージへと躍り出るのを応援してきた」 ぼくらはいつだって、周縁にあってラディカルであることのなかに次のイノヴェイションがあると信じられるからこそ、楽観的でいられるのだ。 関連記事:DIGITAL LOVE & PEACEな未来へ:編集長・松島倫明から読者の皆さんへのメッセージ 「窓」を壊す覚悟本書がいまの時代状況に置かれたぼくらに最も響くのは、取り上げた個別のラディカルな思想が正しいかどうか自体を問うのではなく、それを社会が許容できるかどうかに、「自由な社会」の意味と本質を切り取ろうとするからだ。 自由な社会に住むということは、ラディカルな人々に「永遠に悩まされ続ける運命」にあるということだ。バートレットはその懐に飛び込み、一緒に時間を過ごし、時に冷静なカウンターをぶつけることによって、そんな社会のあり方を示して見せる。「極右であれ、自由主義者であれ、自由を利用してややこしいことをいいだす人たち」こそが、理想的な社会に欠かせない構成員なのだと。 なぜなら、「自分たちの生き方を批判的に見たり、体制にたてついたり、面倒を起こしたり、やっかいな物の見方をしたり」といったことのどれもが、自由で民主的な社会がこれまで守ろうとしてきた価値に他ならないからだ。バートレットはその社会の役割として、「人々が批判的、懐疑的に物事を考えて、自ら判断する能力」を養うことを挙げる。もし、国家やプラットフォーム企業の規制によって急進的、過激なコンテンツがすべて削除されたら、やがて人々は「自分では何も決断することができない、ぼんやりした貧弱な市民」に成り下がるだろうし、社会は「退屈で単調な、誰も疑問に思わない定説と一般通念にとらわれ」たものになるだろう。ネット規制とアルゴリズムによる最適化の果てにぼくらの社会がいま進もうとしているのが、まさにこの方向だ。 その先にあるのは、「自由か、さもなくば幸福か」という議論だ。自由であることが幸福を保障するような近代自由主義的な社会像はもはや、ユヴァル・ノア・ハラリが言うところの「虚構」であることに誰もが気づいている。自由と幸福が対立構造にあるのだとすれば、「面倒でやっかい」な自由を追求するのか、あるいは過激な外れ値を排除したアルゴリズムの最適化に身を委ねて衝突も自由もない「幸福な」社会を保障してもらうのか、その岐路にぼくらは立たされている。「ニューエコノミー」特集でまさに問うたように、そこで突きつけられるのは、「幸福になる自由」ではなく、「不幸になる自由」だ。それは本書において、「ラディカルになる自由」と読み替えられるだろう。バートレットは言う。「もしもうまくいかなくなるとしたら、それはきっと〈過激な人たち〉がいるせいではなく、〈過激な人たち〉がいなくなってしまったせい」なのだ。 ぼくらは得てして、「Think Different」といった思想を崇め、日本社会においても出る杭になれとうそぶく。でも本当に出た杭を、ぼくらは社会として受け止める覚悟があるのだろうか? バートレットをパニックにしたようなテクノロジーによる社会の変容はますます加速していく。たとえシンギュラリティが起こらなくても、AIやロボットが指数級数的に発達し、ぼくらを「人間らしさ」とやらの聖域へと追い込んでいくだろう。国連が予測するように2050年までに世界人口が100億を超え、その半数が深刻な水不足に直面し、2億5,000万人が気候変動によって難民となるかもしれない。バイオテクノロジーの発達は、経済だけでなく身体能力の格差を増大させ、「死なない富者」による固定化され死ぬほど退屈な社会が到来するかもしれない。 この予想もつかない大きな変化の中から生まれる次の「過激な思想」は、同じようにぼくらの「オヴァートンの窓」をはるかに逸脱したものであるだろう。その時にぼくたちは、ますます最適化されたフリクションレスな社会の中で、ラディカルな人々を受容するだけの「自由」を抱き続ける覚悟があるだろうか? 本書はその問いを、ぼくらに突きつけているのだ。 『ラディカルズ 世界を塗り替える〈過激な人たち〉』(2019年6月21日発売 1,944円/ジェイミー・バートレット:著、中村雅子:訳、双葉社刊) 「今日の過激派が明日の主流派となることもままあることを、歴史は教えている。 本書は、将来ありうるかもしれない世界を発見する旅となるだろう」(プロローグより) 。トランプ政権に英国EU離脱、ネット国家にイスラム嫌悪に環境過激派、欧州を席巻する右派ポピュリズム……従来の「当たり前」を揺るがす〈過激な人たち〉はなぜ生まれ、そしてわたしたちに何を問いかけるのか? わたしたちの日本も含む民主主義社会や近代国民国家の限界と「ありうるかもしれない」拡張可能性を問う、いま必読の一冊! ジェイミー・バートレット|JAMIE BARTLETT アナリスト、ジャーナリスト。政治とテクノロジーに関する英国での研究の第一人者として、2018年12月までの10年間、シンクタンクDemosでソーシャルメディア分析センターを率いた。またThe Spectator、The Sunday Times、Guardian、Foreign Policy、The Telegraphなどの媒体で、インターネットによる政治や社会の変容について執筆している。「BBC2」のドキュメンタリーシリーズ『Secrets od Silicon Valley(シリコンバレーの秘密)』のほか、著書に『闇(ダーク)ネットの住人たち デジタル裏世界の内幕』『操られる民主主義:デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか』がある。ダークネット技術がサイバー犯罪の性質をいかに変えているかについてのTEDトークは、これまでに300万回近く視聴されている。 RELATEDTAGS SHARE
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itokenichiro · 8 years ago
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トロールに関する書籍のLondon Review of Booksによる書評の和訳:"Schadenfreude with bite"
(お願い)改善中です。あきらかな誤訳、不正確な点、アドバイス等がありましたら遠慮なくご指摘ください。よろしくお願いします。英語できる人は原文にあたるのがてっとり早いです
London Review of Books, 15 Dec.2016
Whitney Philips, Why We Can’t Have Nice Things:Mapping the Relationship between Online Trolling and Mainstream Culture Karla Mantilla, Gendertrolling:How Misogyny Went Viral Benjamin Radford, Bad Clowns John Lindow, Trolls:An Unnatural History
原文リンク http://www.lrb.co.uk/v38/n24/richard-seymour/schadenfreude-with-bite
(訳文) トロールはネットにおける「いたずらっ子」を自称し、スキのある獲物を挑発することに関しては機会を逃さない。そして奴らは引き起こされた憤激をみて歓喜するのである。ミネソタ州出身の12歳の少年ミッチャル・ヘンダーソン君が2006年に自殺した際、トロール達は、少年の友人や親類らの悼辞が並ぶMy Spaceのページに襲撃をかけた。トロールらは特に、自死の数日前に少年がiPodを紛失していた事実に着目し、彼の死を軽薄で消費者的な欲求不満と示唆するような投稿をおこなった。彼の死は「裕福な資本主義的な問題群(first-world probles)」というわけだ。ある書き込みは少年の墓石の横にiPodが配置されたコラージュを含むものだった。
トロール行為(trolling)の何がそんなに面白いのか。「すべてのジョークはそれ自体の公衆を作り出す。同じジョークに笑うということは、精神的な一体性の広がりの証左である」とフロイトは語った。あるジョークを理解することは文化を共有することである。より正確には、それは任意の敵対関係において同じサイドに属することを意味する。トロールの行動の目的は、launghing out loudを意味すLOLが転化した「lulz」に置かれている。lulz=嘲笑とは、他人の不幸から派生するような楽しみのひとつの形である。複数年に及ぶ、トロールの参与観察を経たWhitney Phillipsの研究によると、嘲笑(lulz)とは 他人の不幸を楽しむ感覚に攻撃性が加味されたもの(shadenfreud with more bite)である。ミッチェル少年の家族が憤怒すればするほど、トロールはそれを面白いと感じるのである。
2011年、そのような「RIPトロール」〔訳者注:RIPとは、「安らかに眠れ」を意味するRest in Peaceの略語〕の一人であるレディング出身のSean Duffy(25歳)は、亡くなった10代の少女らに関する複数の投稿によって刑務所送りとなった。彼は、15歳で自殺したNatash MacBrydeを「売春婦」と呼んだ。また、14歳で癲癇症で亡くなったLauren Drewの追悼サイトに「ママ助けて!地獄はとても暑いわ!」と母の日に書き込んだ。しばしば、トロール達はターゲットに群がる。著者のPhillipは、レイプ殺人の被害者であるカリフォルニアの10代女性Chelsea Kingの事例を取り上げ、彼女の親戚らがトロールの格好の獲物になったこと、また義憤を感じて介入してきた協力的な人々らもそれぞれ身元を「特定」され、「狩られた」様子を詳細に記述した。
RIPトロールは悲哀を搾取可能な状態と見なす。トロールは死んだ人を何らかの形で気にかけているわけではない。むしろ、彼らは何らかの対象を気にかけすぎること自体を、罰されるべき失敗(a fault deserving punishment)と考えているのである。この点に関する証拠は、トロール行為のサブカルチャー(trolling subculture)の全域を通して、――より他愛もないケースにおいても――見出すことができる。ある事例では、トロール行為の参加者らは複数のゲーム販売店に電話をかけ、とある時代遅れのゲームのありもしない続編の在庫の有無を問い合わせた。彼らがあまりにもしつこく電話をかけるので、店員らはそのゲームの名前を聞いただけて怒り出すようになる。トロールらはその様子を楽しむのである。トロール行為の至高の通貨は搾取可能性であり、最大の悪徳はものごとをシリアスに考え過ぎることである。悲哀にくれる親、というのはもっとも容易に搾取できる対象である。彼らの悲しみや怒りは極めて明白である。とはいえ、弱みのない人間などいない。
計算ずくの冷酷な嫌がらせ、というものは別にトロールが発明したものではない。とはいえ、インターネット以前の時代においてはそれらは少しは無邪気に見えたかもしれない。Jeremy Beadleは『Candid Camera』で不運な人々をだました。不注意な被害者の抑えきれない怒りは、ある種の人にとっては常に滑稽であり、そういった楽しみの中には、サディスティックで冷笑的な態度(sadistic detachment)がどうしても存在する。トロールが新しいのは、計算された非論理性、意図的なスペルミス、文化的な憧憬の再利用、幾重にも積み重なった隠微な参照や内輪ネタといったナンセンスでどうしようもない事柄に、歓喜の感覚delightを付け加えたことである。Phillipsによれば、トロール行為とは、ポピュラーカルチャーの「ラトリナリア」(latrinalia)すなわち便所の落書きなのである。
トロールはまた、限度を知らないように見受けられる点において、彼らの先人とは異なる。嘲笑にはある種の反社会的な力がある。馬鹿にされると人はたいてい黙り込む。なので、会話やコミュニティを継続させるためには、ジョークにもある一定の限度というものが存在する。ジョークはどこかで終了せねばならなず、そこで被害者は笑いの種を明かされる。一方で、トロールは、オフラインの人格の境界を超えた逸脱的なサディズム(transgressive sadism)のまさにその延長上にコミュニティを形成する。このことは、そうしたコミュニティがほぼ完全に匿名の個人(anons)によって構成されている事実からも部分的に了解される。あたかもトロールにとって、個々のトロールの笑いは副次的であり、もっとも重要な目的はその匿名の集団(anounumous collective)の享楽を維持することにあるかのようだ。
大半のよく組織化されたトロールにとって、はっきりとした政治な関与や道徳的な理想を持つことは、嘲笑(the lulz)以外の対象に向けての傾倒を胡散臭いものとする彼らの基幹的な原則と矛盾する。しかしである。Karla Mantilaの造語である「ジェンダートロール」は反フェミス���であることを明確に標榜している。彼らの目的は、群衆的な嫌がらせや女性差別的な侮辱(たとえば「まんこ」や「あばずれ」などの罵倒語)、晒し行為、殺人やレイプの脅迫などによって、公然と主張を行う女性を黙らせることである。Mantilaが考察するように、そうした行為に一切の独創性はない。これは「インターネット」とは無関係であり、「男が、潜在的な競合相手である女を周辺化するべく、嫌がらせや侮辱を行うという長い歴史」の延長に位置付けられるべき事象である。それは、「それまで男性優位的であった領域に女性が進出してきたことに対する、「ひとまとまりの文化的な反応」なのである。
明らかにインターネットに由来する新しい変化とは、オフラインの「リアル」な自己とネット上の匿名性との間に厳密な境界線をひくことによって、トロールらが道徳的な責任を否認することが可能となるような環境を創出したことである。ネット上であれば、私のしていることは私とは関係ない、というわけである。しかし、トロールらは、彼らが自称するように「誰でも平等に攻撃対象としている」わけではない。Phillipsが指摘するように、ほとんどの嘲笑は「とくにアフリカ系アメリカ人などの有色人種、女性、ゲイ、レズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー、クイア」に向けられており、トロール共同体は歪なほどに高い比率で英語圏や北欧の若い白人の男性によって構成されている。Phillipsは、オバマ大統領に対するレイシスト的なトロール行為や、彼らがしょっちゅう使う「おかま」といった言葉などを挙げ、トロールらが自身の白人性やある特有の男性性を行使する様子を詳しく記述している。男性優位主義はトロール文化に埋め込まれている。トロールの非-道徳性を、男性の揺るがない優位性に関する男権主義者らのお馴染みの幻想と結びつけたとしても、拡大解釈ではない。何はさておき、すべてのトロール達はジェンダートロールであるかも知れないわけである。
仮にそうであるなら、Phillipsが真剣に論じるところの「トリックスター」としてのトロールの自己像は批判的な検証に耐えることができないだろう。トリックスターとは、善と悪との境界を帳消しにしたり、価値を破壊することが唯一の価値であるような存在である。Phillipsがそのアナロジーに説得されたのは、おそらく彼女がトロールらのジョークを理解したからであろう。「私は彼らのあるタイプのトロール行為を面白いと感じる。そして場合によっては正当化可能であるとも思う」と彼女は書いている。たしかに、サイエントロジーなど、トロールの攻撃対象の中には明らかに同情できないものあり、その際のトロール行為はある種の熱意とともに実行される。しかし、Phillipsがトロールの意図を既存の道徳的秩序を「転覆させる」あるいは少なくともあれこれいじくり回すものとして描写する際、彼女は道徳的秩序を崩壊させる事と、その秩序を転覆させる事と、いじくり回す事の違いはそれほど大きくないかのように語っている。
もしトロール行為が不当な扱いに憤慨した者たちが上げる抗議の声から発生するのだとしたら、それはまったく価値の保全に依存していることになる。トロールたちは、十分に多くの人々が十分に多くの事柄について真剣に考えているという状況に依存している。そこでは、興味なさ気に肩をすぼめる仕草が失敗を意味するからだ。被害者の選択は、ほとんどの場合、多かれ少なかれ 何に対して思いやりを示すのが適切であるかについての道徳的な立ち位置を教えてくれる。(→本文:The choice of victim almost always conveys a moral position on what it is more or less appropriate to care about. )RIPトロールらは明らかに、裕福な白人層の自殺に対してもっとも強い怒りを表す。彼らはそうした死を自己陶酔的なものとし、人々による悲哀の表現をうわべだけのものとみなす。あるトロールはそうした営みを「退屈さと注目を浴びることへの病的な渇望」のため、と語った。一方で、たとえば国家安全局による大規模な盗聴が暴露された後に起きた組織的なトロール行為などは、彼らにとっての極めて重要な罪とは、情報を抑圧したり誤用することであることを示唆している。
トロールは相反する二つのことを同時に行う。トロールは、彼らが嘲笑のために侵犯するところの社会的な規範に対して見事なまでに無関心であると同時に、執念深い懲罰人でもある。その意味で、トロールはジョーカーであり、バッドマンでもある。Benjamin Redfordによるとトロールはピエロや道化師に連なる「自称文化評論家」として行動しつつ、一方では「もっともらしく、すべては楽しいジョークなので(あんまり)本気にしないように」とも主張する。John Lindowのトロールの「不自然な歴史」によると、北欧神話に出てくる本来のトロールは、不適切な行いに罰を与え、社会的規範を擁護する存在である。仮にあなたが冷笑(lulz)の行動原理を真に受けて、社会規範への一切のコミットメントを消し去ったとして、残るのはより純化した形での糾弾のロジックである。悲嘆にくれる者さえも罰しうるのだとしたら、一体誰を罰することができないというのだろう。「誰も我々ほどまでに冷酷にはなれない」、これが彼らの決めゼリフである。この原則こそがトロール共同体のアイデンティティの核となる。「われわれはアノニマスである。そして我々は決して許さない。」そして彼らが許さないのものとは、とりもなおさず「弱さ」なのである。
ネット上の逸脱性に関する社会学的分析は、そうした特徴をマキャベリズムやナルシシズム(自己愛)、病理学的な症状、サディズムなどの特性などに注目しがちである。Phillipsはこうしたすべての見解の誤りを指摘する。それらは、「逸脱」や「性格型」といったカテゴリーの意味深さを当然のことと見なすように読者に要請しつつ、特定の道徳的なアクセントでもって現象を記述しなおしたに過ぎない、とPhillipsは主張する。むしろ彼女は主流文化の影響を強調する。トロールとは「文化的な消化吸収作用の代理人」( ‘agent of cultural digestion’  )なのである。
トロール行為というサブカルチャーの分裂症的で超然としたユーモアは、おそらく9.11に関する膨大な種類のジョークやミーム(文化的遺伝子)に最もよく現れているであろう。Phillipsは、こうした事態をアメリカの極めてメディア化された文化に浸透したシニシズムの必然的な結果だと考えている。9.11とその余波に関するTV報道は、引き伸ばされた一連の「ゴミ」に挟まれた15秒間の恐怖と悲惨の断片的映像によって構成されていた。この状況はアイロニーに満ちた無関心を引き起こさずにはおれない。ブッシュ政権はこの分裂状態へと人々を誘い入れる役割を果たした。たとえば、ラムズフェルドは、占領下のイラクで起きたカオス的な混乱状態について、病的なまでの機嫌の良さで「いろんなことが起こるもんだ」と語った。ブッシュは、ゴルフ場でのインタビューでテロとの戦いの必要性に関する真面目な調子の演説を行ったのちに、スイングに戻り「では、このショットをご覧あれ」と言った。「道徳的な真剣さ」の隙間的な時間が終了するや、ブッシュ政権は肌の色によってコード化されたテロの危機を煽りつつ、人々に娯楽とショッピングへと戻ることを促した。この時期に形成された情感的な分裂はトロールらによってさらに拡張されたかも知れない。しかし、分裂を創出したのはトロールらではないのである。
2015年4月、Tiziana Cantoneと呼ばれる31歳のナポリの女性が、自身のセックス映���を少数の友人らに送信した。そのうちの誰かが動画をネットに上げ、動画は急速に拡散した。動画からは顔が見えないセックス相手に向かって彼女が発した「あなた、撮影してるの?いいね。」というフレーズは、SNS上で大人気のパンチラインとなった。そのフレーズは、Tシャツになり、携帯カバーになり、広告のスローガンにも用いられた。誰もが自分のことを知り、政治家によっても非難されるようになったCantoneは仕事を辞め、名前も変え、トスカーナに引っ越し、ネットからの件の動画の削除を求める法廷闘争を開始した。彼女はFACEBOOKから自身の明示的な写真を消す事には成功したものの、すでに何千回もコピーされ配信されていたポルノサイトの映像を消す事はできなかった。複数のサイトに合計20000ユーロを支払うことを命じられた彼女は、9月に自ら命を絶った。
冷笑的なあざけり、すぐさまビジネス化されるミーム、道徳的な装いの悪意など、Tiziana Cantoneへの対応は、まさに集団トロール行為そのものである。Jon RonsonがSo You’ve Been Publicly Shamedにおいて教えてくれているように、こうした行動パターンというのはインターネットに特有なものではない。電話盗聴スキャンダルによって倒産するまで、News of the World紙は定期的に匿名の個人の性生活を暴露する記事を掲載しており、何人かを自殺に追い込んでいる。イギリス人シェフのBen Strangeは、仮に自身の破廉恥行為が公開されてしまったら二度と子供らに顔向けできないと考え、同紙に懇願した。しかし結局、記事にされていまい、氏は自殺した。同じような目にあったウェールズ人の教師Arnold Lewisは、NoW紙のレポーターにもし暴露されるとしたら自殺すると���げた。しばらくして彼の記事が掲載されると、氏は一酸化炭素中毒で自殺した。
SNSはこうした種類の捕食行動の可能性を大きく拡大している。Justine Saccoに対する粘着的な行為は、Ronsonが伝えるもっとも有名な事例だ。南アフリカへのフライトの直前に、Saccoはツイッターで「アフリカに行きます。エイズにならないといいな。冗談よ、私は白人だからね」と投稿した。わずか170人のフォロワーいない彼女は、まさかこのツイートが注目を集めるとは思いもしなかった。しかし、彼女が現地に到着する頃には、白人の愚かさを笑うジョークとしてではなく、文字どおりにレイシストの発言として受け取り、彼女を糾弾する意見でツイッターは炎上していた。到着と同時に、心配した友人から知らせが届き、彼女は事態を把握した。新聞やテレビが報道した。Rupert Murdochが経営するNew York Postは彼女を尾行するためにジャーナリストを派遣した。彼女の過去のツイートから意図的に悪趣味なジョークの数々もBuzzFeedによって掘り起こされた。ある下手に言葉選びをした、あるいはあまりにも言葉を選んだがゆえに逆に的確に対象を攻撃してしまったツイートによって、彼女は仕事を失うことになり、数ヶ月にわたってジャーナリストにつけ回された。
Ronsonは、彼女が破滅に向かっている様子を楽しみにしながらツイッターを眺めていた人々の中のシャーデンフロイデschandenfreudeを認めている。彼自身の当初の感想は、「他愛もないちょっとした「あぁ、誰かがやらかしたな」」というほどのものであった。彼はまた、懲罰的なほくそ笑みの背景にある超然とした感覚(detachment)についても指摘している。「集団狂気だろうが何だろうが、その時の激しい喜びは圧倒的なもので、そうした楽しみには代償が付き物であるという事実と向き合う事で、その楽しみをダメにしようとする奴なんていないんだ」ということである。ネット上のシェイマー(道徳的な叱責を繰り返す人々)を偽善者とみなすことには、抗い難い魅力がある。そうすることで、人は憤りか喜びのいずれかを感じることができる。しかし、別の視点から見るなら、個々のツイッターユーザーの憤りというものは、副次的で代理的なものであり、彼らの主要な役割とは、とりもなおさず匿名集団に燃料を投下することなのである。この場合、トロールとシェイマーとの違いは、前者が自分たちは道徳的な責任を持っていないと間違って理解しており、後者は自分たちが道徳的な責任を持っていると間違って理解している点に求められることになる。
Saccoは比較的穏健な小規模のトロールとして活動を開始した。しかし、彼女がその対象となった糾弾の合唱は、いくつくかの点で、大規模なトロール作戦のように見えた。おそらく、このトロール行為と魔女狩りの間の相互作用がダイナミックであり、その光景にわれわれが大きな喜びを感じるのは、それはすでに私たちが私たち自身に向けて行使する事柄の変形であるからだろう。フロイト的なうっかり発言や失言というのものは、私たちのうちなる魔女狩り将軍の怒りを刺激し、その怒りを楽しむという意味で、まさに自分自身をトロールするひとつの方法なのではないだろうか。あるいは、別の言い方をするなら、トロールは、われわれが日頃あまりにもシリアスに捉えている諸アイデンティティや諸価値への無意識の反感によって駆動されているのではないか、ということである。一方で、ネット上のウイッチハンターは、私たちがすでにそうした反感でもって自身を罰している方法を、過剰な形で肥大化させているのである。この視点からすると、トロールは単なるサディストではなく、人を惑わすマゾヒストである。「トロールに餌をやるな」とは広く流通したネットの知恵である。その論理的な帰結はおろらく「道徳家に餌をやるな」であろう。トロールと道徳家は同一の螺旋構造の部分なのだ。
新聞等による、個人に対する破滅的な嫌がらせの事例は数え切れないほどあるにも関わらず、インターネットは今や、これまでは抑制されてきた攻撃性を解放したことの責任をしきりに問われている。ネット上の底レベルの書き込みは悪意の代名詞となっており、メディアが提供してきたコンテンツの副産物ではなく、ネットの民主化のダークサイドと見なされている。新しいメディアはまた、ヨーロッパや米国での支配的なコンセンサスの崩壊の責を負わされてもいる。ドナルド・トランプの成功や彼のポストトゥルース政治(post-truth politics)は、他の何にも増して、旧来のイデオロギー的な独占が崩壊し、人々がそれぞれが抱く偏見に迎合した情報や意見を探すようになるにつれ、既存メディアの編集部が担保してきた基準が崩壊するといった事態の影響と見なされている。そうした状況下で、政治的な言説は事実ではなくて感情に訴えかけることによって形成される、という風に議論は進められることになる。とするなら、トロール行為は理性的な議論を邪魔するための方法がひとつ増えただけ、ということになる。仮にトロールやネットの性差別主義者か陰謀論者に共通点を探すとするとしたら、それは、彼らが「笑いのため」か「女を黙らせるため」あるいは「自身の妄想を押し付けるため」に会話を脱線させる点であろう。これは、トロールが必然的に「右翼」であるということを意味しないし、実際、多くの場合トロールは右翼ではない。しかし右翼がますますトロール的になっていることは確かである。租税回避が彼の賢さのアピールになるのか否かにせよ、抵当流れから利益を得ようとする計画が「なんっていうか、アメリカのためになる」のか否かにせよ、あるいは戦死者の母親を侮辱することにせよ、トランプ自身が嘲笑(the lulz)のために放った言葉から、いかにして切り抜けるのが良いかを探っているような印象を受けるのである。オルターライトのある著名な支持者らがガーディアン紙に語ったところによると、「われわれはトロールの軍団だ。われわれは勝利する!われわれは獰猛だ」ということである。
極右が、真実の劣化から最も利益を得ることができる政治傾向であると考えらているのには理由がある。PhillipsはFOXニュースとトロールらとの共生関係について詳述している。FOXは道徳的混乱(moral panic)を煽ると同時に、トロールが繁栄する文化的な培養基を提供する。ラディカルは右派は常に、人々を行動に向かわせるようなコミュニケーションの積極的な部分に敏感であった。増殖を目的としたコミュニケーションの一形態であり、トロールをされる人々に対するトロールの権力としてのトロール行為は、そうした戦略にまさしくぴったりなのである。
そうした意味で、6月にTwitter社によって下された、人種差別的罵倒で有名なもっとも悪質なユーザーのひとりのアカウントを凍結するという決断は、そうした流れを食い止めるにあたって効果があるか否かは別として、最初の一歩であり、象徴的な意味を持つものであろう。そのユーザーとは若いオルターライトのコラムニストのMilo Yiannopoulosである。彼は彼の注意深い炎上マーケティングのためのニュース番組のレギュラー出演者であった。彼は映画『ゴースト・バスターズ』の女性チームの中の唯一の黒人メンバーを演じたLeslie Jonesに対して、人種差別的嫌がらせを率先したことを理由としてアカウントを凍結された。Twitter社の前CEOであるDick Costoloは、彼はツイッターのユーザーが減少していることや株価の下落の理由のひとつに、こうした弱者への攻撃をしっかりと撃退できなかったことを挙げ、「われわれは虐待やトロールの扱いに失敗した。長年に渡って失敗し続けたのだ。」と語った。
Yiannopoulosは自覚的にトロールであり、なおかつイデオローグであり、オルターライトの典型的な産物であり、その模範である。アカウント凍結に対する彼の反応は下手に隠された喜びを表明しつつ、「自分たちと違う意見を受け入れることのできない、感情的な左翼のガキども」に対する怒りをぶつけることであった。彼はBusiness Insiderに「私のしたことは、ちょっとジョークを言っただけだ」と語った。彼は、「女は新しいルールに同意する時に限り、男のインターネットへの入場を許される」という彼の提案に対する評判を聞くためにChannel 4ニュースのCathy Newmanを番組に招くなど、大統領選でのトランプの勝利以降、同じ決まり文句を繰り返した。表向きは「嘲笑」lulzのためにやっているという表明によってシリアスな政治的な議題をはぐらかす、という計算された両義性において、オルターライトの心理的秩序(psychic economy)にトロール行為はぴったりと適合する。ヤノプロスが定期的に見解を発表する媒体であるBreibartは、トランプ政権の効果的な前哨地となっている。Breibartニュースの代表Stephan Bannon氏は、FOXニュースの前経営者Roger Ailesがトランプのアドバイザーに就任した翌日、選挙戦をたたかうトランプ陣営と契約を結び、近々、新大統領の「主席戦略官」に就任する予定である。
Breitbartの最もよく知られている二つのスクープは、2009年のAcornというリベラルなNGOに対してのものと、2010年の農務省のアフリカ系アメリカ人従業員であるShirley Sherrodへのバッシングである。いずれの場合においても、Breibartは取材記録を不正に加工している。最初のケースに関しては、Acornの従業員らへのおとり捜査を通して、第二のケースについては、SherrodがNational Association for the Advancement of Colored Peopleでおこなった演説を操作し、あたかも黒人が白人社会の敵であるかのような印象を作り出そうとした。Acornは資金を失い、1年後に債務整理に追い込まれた。Sherrodは失職し、政府役人やNAACPから厳しく叱責されたが、実のところ彼らはダマされていた。ホワイトハウスは謝罪し、農務省は彼女に新たな職を用意した。一連のAcornの事例に責任を負う保守派の活動家は、Acornが「あらゆる手段が正当化されうるような、革命主義的で、社会主義的で、無神論的な世界にいる」とし、であるがゆえに、それに対抗するために彼ら保守派にはあらゆる手段を用いることが許されると主張した。Andrew Breitbartは、NAACPにティーパーティをレイシスト呼ばわりする権利はないと主張するためにSherrodのスピーチを「レイシスト」認定し、また、そうであるからこそ、ティーパーティに存在意義があると力説した。
この、トロールとウィチハンターの双方の役割をこなす能力――あるいは欲望――こそがトランプ主義の情感的な基盤のひとつである。そしてトランプ自身がそもそも最大のトロールである。巨大で、皮が分厚い攪拌者であり、ベルルスコーニ級に屈託がなくそして反道徳的である。多くのトロールと同様に、彼はターゲットを熟知しており、リベラルの粗悪な良心に狙いを定める。ヒラリーとの大統領候補者討論の際、トランプは――ほかの共和党候補はそうはしないであろう――オバマはこれまでのどの大統領よりも多い250万人の人を国外追放にした、と主張して自身の国外追放政策を擁護した。普段はあまり大っぴろげに言われていない事を言う、というはトランプ主義の逸脱的なスリルを形づくっている。これこそ、「ポストトゥルース政治」の批判者が見落としている点である。トランプが飛んでもない嘘をつく時でさえも、トランプはメディアの欺瞞を暴露しながら重要な真実を表明しているに違いない、とトランプの支持層は考える。その一方で、オルターライトはトランプ主義に、興隆しつつある新しい白人ナショナリズムの基盤を発見している。ここで言う白人ナショナリズム(white nationalism)とは、搾取可能な人々――つまるところ「保守的で裕福な白人男性」以外のすべての人――をニヤニヤしながら攻撃する態度を指す。彼らは権力を握ろうとしている。とはいえ、彼らこう言うだろう。「ホワイ・ソー・シリアス?」〔訳者注:"Why so serious?” は映画『ダークナイト』の悪役ジョーカーのセリフである。〕
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yaminabedoh · 7 years ago
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小説:空白と痛み
C94の新刊『Re:Bloom』に同一世界観の新作「Re:Bloom ~幻想と渇き~」が出るのを記念して、『Log in』(2014)に掲載された「空白と痛み」を全文Web公開いたします。
◯空白と痛み
汚染された荒野の中に立つ巨大情報都市。過去そこにあった超高度文明の遺産を解析しながら発展してきたその街は、無から有を生み出すように、技術を糧に資源を生みだしていた。発見から二百年が経った今でも解析出来ないその超技術の心臓部、“ブランク・ルーム”の秘密に都市は血眼になっていた。その影で痛みに震える少女アイリスと、静かにそれを見守る天才ハッカー、ミコトがいることも知らずに――(伊万里楽巳)
作者の中では「サイバネティカ」シリーズとして正統続編も構想中というSF作品。どうぞお楽しみください。
Scene 1 :
 深い深い海の底のような暗い部屋にキーボードを叩く音が響いていた。ディスプレイの明かりによって映し出されるのは、まだ幼さを残した顔。ディスプレイ上では複雑なプログラム・コードが高速でスクロールしていき、眼鏡をかけた目は複数のスクリーンの間を行き来しつつも安定したリズムでコマンドを次々と入力していく。
 殺風景な部屋だった。内装と言える物はほとんどなく、ところどころ鉄骨がむき出しになっている。窓はなく、代わりに壁を這うのは無数のコードやパイプなど。それらは壁から床へ、あるいは天井へと経由しながらこの部屋の中心に鎮座する大きなカプセルへ収束していく。赤みを帯びた液体で満たされたそのカプセルーー生命球を連想させる閉じた空間の中には一人の少女が浮かび、そして苦しんでいた。
『っ……』
 歯を食いしばり、身体をよじるたびに水槽の中に細かい気泡が発生する。乱れた長い髪は一拍遅れて液体の中を泳ぎ回り、華奢な身体にまとわりつく。カプセルの上部から伸び、背中へと続いている大小二本の太いケーブルは彼女を磔にしているようにも見えるだろう。
『……んっ! 』
 苦悶の表情を浮かべ続ける彼女、その右手の指先から更なる異変が始まった。少しずつ、しかし確実に。酸の海に溶かされるがごとく少女の指先は小さな泡となって消えていく。蝕まれるように消えていく。
 少年はその傍らで淡々と作業を続けていた。時折様子を確認するようにカプセルに目を遣る以外はディスプレイ上に展開される情報に集中している。感情を殺した無表情と冷たい瞳はマシンのように決められた動作を繰り返す。
 少女の侵蝕は既に肘の手前にまで達していた。痛みの間隔は狭くなり、押さえきれなかった喘ぎ声がスピーカーからこぼれ出る。一際大きな悲鳴が上がって、ようやく彼女の異変は収束した。
『はぁ……はぁ……』
「何度聞いてもキミのその声は慣れないな、アイリス」
 少年は椅子から立ち上がり、カプセルの近くへと歩み寄った。そっとガラスの面に手を添える。
『……ごめんなさいね、ミコト。おさえようとは、思っているのだけど』
 痛みが治まっていないのだろう。スピーカーから出るその声は途切れ途切れだ。ミコトと呼ばれた少年は、気にすることはないと首を横に振った。
『システムの方は、どう? 』
「問題なしだよ。上手く行っている。少し休むと良い……もう休眠に入ったか」
 少女アイリスはミコトの返事を聞く前にその目を閉じていた。先ほどまでとは打って変わった穏やかな表情で目を閉じているが、だからこそ肘から先を失った右腕が痛々しい。どういうわけか傷口はすでに癒え、きれいに塞がっている。
 ミコトは先ほどまで自分が座っていたところへ目をやった。三つ並んだディスプレイの内左右の二つはブラックアウトしており、動いているのはセンターのそれだけだ。ディスプレイは白い文字で簡潔に、システム移管シークエンスが滞りなく終了したことを告げてきている。
「『誰にも迷惑をかけずに死にたい』か」
 ミコトはもう一度カプセルの中に浮かぶアイリスを見上げた。静かに微笑む少女の寝顔は初めて会った時と同じように穏やかで、だからこそ残酷だった。
Scene 2 :
 荒野の中に立つ巨大都市。周辺他都市とは比べ物にならないほどの高度な科学技術を誇るこの都市だが特に情報技術に関しては飛び抜けていた。ありとあらゆるインフォメーション・テクノロジーがすべて市庁舎の巨大システムに統合され、管理されている。
 高度に情報化された街。だが一歩外に出てみれば、そこで生きる市民の日常は案外変わらないということが分かるだろう。相も変わらず路上に店を出し、威勢のいいかけ声を上げ、品物を売りさばこうという気持ちのいい熱気にあふれている。ミコトはそんな繁華街の中を一人で歩いていた。右手には茶色い紙の袋をぶら下げている。
「はいはいはい、そこの兄ちゃんも姉ちゃんも!  天然肉のうちのホットドッグ買っていきな! うまいよ! 」
「新鮮採れ立て! 今朝工場から出荷されたばかりの青物野菜だ。お安くしとくよ! 」
 ふと立ち止まって空を見上げる。灰色のビルに切り取られた空は、それでも気持ちのいいほどに青く澄んでいる。埃っぽいこの地上とは別の世界だ。
「あれ、ミコトじゃねぇか。元気にしてたか? 」
 たたずむミコトに声をかけたのは近くの屋台の店主だった。オレンジ、アップル、グレープフルーツ。移動式のワゴンの中に所狭しと派手なフルーツが並んでいる。日ざしを受けて瑞々しく輝いていた。
「まあな……ターミナルの調子は? 」
「お前さんの調整のお陰で絶好調だよ。あれが動かないと売り上げの管理も出来ないからなぁ」
「そりゃよかった」
 ミコトの横で果物を品定めしていた主婦が「これくださいな」といって青りんごを指差した。はいよと答えててきぱきと重さを量る店主。アナログなバネばかりがぎぃという軋んだ音を立てる。手慣れたようにバイオプラスチックのビニール袋に詰め込むと愛想の良い笑顔とともにお客さんに渡したのだった。
「商売の方は? 」
「ぼちぼちだな。この前市長が変わっただろ。あれで工場の方に新しい規制がかかるんじゃないかって噂があるんだが、ひどい話だよまったく」
 店主はふんと鼻息をならして腕を組んだ。土地が汚染されたこの街では、食料生産はそのほとんどを工場ーーバイオプラントでの栽培にたよっている。よけいな物が入り込まないよう外界と隔絶されたボックスの中、産業用ロボットによってオートマチックに育てられる植物たち。その生産量、出荷量、税率などなどは何もかもが当局のコントロール下に置かれているのだ。
 街の中心に立つ巨大な総合庁舎、オベリスク。真っ青な空を縦に切り裂くその塔は、遥かな高みから市井の生活を監視していた。
「おっと、噂をすればだ」
 店主が向かいの電器屋を指差した。デモで置かれているいくつものテレビジョン。すべて同じチャンネルに合わされ、新任のキングストン=メイヤー市長の演説の様子が映し出されている。褐色の肌に短く刈り込んだ白い頭髪。大柄な身体をさらに大げさに動かしながら市民に語りかけるその顔には自信と野心があふれていた。
『ーー市民の皆さん。偉大な先人たちの努力によりこの街も多大なる発展を遂げてきました。しかしそれは未だ十分なものとは言えません。皆さんの更なる生活向上のため私キングストン・メイヤーはこの職に就きました。ありとあらゆる技術の発展、十分で安全な食料供給、行き届いた行政サービス。そしてなにより長年にわたり我々を悩ませ続ける”ブランク・ルーム”の解析を成し遂げることを、ここにお約束いたします』
「”ブランク・ルーム”の解析ね。どうなることやら」
 この街を支える技術は実は自分たちで生み出した物ではない。荒野に打ち捨てられた廃墟、そこにまだ生きているネットワークシステムが発見されたことがこの街の始まりだ。廃墟の至る所に張り巡らされたネットワークと、莫大なテクノロジーのデータが詰まったセントラルサーバー。そういった名も知らぬ者たちの遺産を利用しながらこの街は発展してきた。
 残されたシステムの解析を少しずつ進め、応用し、自分たちが使えるレベルに落とし込む。他の都市とは不釣り合いなほどの情報管理、交通管制、防衛体制などはそうやって生み出されてきたのだ。
 しかし街の再発見から二百年以上が経った現在に置いても、システムの中枢に解析不可能な領域が残されていた。外部からの干渉をことごとく跳ね返す強固なプロテクトが張り巡らされたブラックボックス。都市の心臓とも言える存在。現在利用されているシステムも最終的には全てそこに集約、処理されている。いつ頃からかそれは”ブランク・ルーム”と呼ばれ、この街の更なる発展を妨げる大きな障害になっていた。
「ミコトは興味ないのか? お前さんほどの天才ならちょちょいのちょいと解析できちまうと思うんだけどなぁ」
「無茶をいわないでほしいね。そんなに簡単な仕事なら今まで残ってる訳ないだろ? 」
「そういうもんかね。どっちにしろお前さんがその気になればもっと稼げると思うんだけどな。その紙袋だって角のバーガー屋のだろ。だめだめそんな不健康な物ばっか食ってちゃ。ちょっとまってな」
 店主はそういうと手近にあった果物を無造作にビニール袋につめ始めた。あっという間に袋がオレンジでいっぱいになる。
「ほいよ、持ってけ。プレゼントだ」
「おいおい、いいのか。簡単に商品渡しちゃって」
「いいっていいって、この前のお礼だ。少しは良いもん食べてまた活躍してくれよな。お前らエンジニアが俺たちの生活を支えてくれてるんだしよ」
 混じりっけのない善意を断る訳にも行かず、ミコトは少し困った顔をしながらもその袋を受け取った。みっちりと詰まった袋は結構重く、あやうくバランスを崩しそうになる。
「おっと」
「大丈夫か? 」
「平気さ。ま、ありがたくもらっとくよ」
「たくさん食べて、でっかくならねぇとなぁ」
「痛てっ! 」
 はっはっはと豪快に笑って、店主は小柄なミコトの肩を叩いたのだった。
Scene 3 :
 光と影。活気のある露店街が光の世界なら今ミコトが歩いている裏道は影の世界だ。薄暗く、じめじめとしている。背の高いビルに囲まれ日の光も満足に届かない。そんな道を彼は静かに進んでいく。
 いくつかの角を曲がったミコトは錆び付いた鉄の扉の前で立ち止まった。腰のホルダーからカードキーを取り出し、扉の脇の壁のひび割れに差し込む。ロックの外れるかすかな音。人目のないことを確認すると、ミコトはわずかな隙間にその身体を滑り込ませた。
 カードキー、指紋、声帯、虹彩。いくつもの認証をパスして下層への階段を降りていく。暗闇はだんだんとその濃度を増し、地上の喧噪から遠ざかる。ミコトはここに来る度に自分が深い海の底へ沈んでいくような錯覚を感じていた。最後の扉を開けると、目に入るのは部屋の中心に鎮座するほのかに赤く光るカプセル。ミコトが足を踏み入れるとカプセルからの明かりが少し強さを増した。
『ミコト? いらっしゃい』
「こんにちはアイリス。……寝てたか? 」
『ううん、平気』
 紙袋とビニール袋を作業用のテーブルに置く。手元を照らす最低限の照明をつけると、腰のケースからメディアキーを取り出しラップトップタイプのパソコンを起動させた。冷却用のファンが回りだす低い音。いくつかの認証を経てOSが立ち上がる。そのあいだ、ミコトは紙袋からハンバーガーと紙コップに入ったソーダを取り出していた。包装紙を剥き、ディスプレイに向かいながらかぶりつく。
『珍しいわね、ここで食事だなんて』
「まあな」
 軽く答えて左手一本でキーボードを操作した。ラップトップのディスプレイ上ではいくつものウィンドウが消えたり現れたりを繰り返している。時折ケースから別のメディア取り出して差し替えつつ、何かプログラムを組んでいるようだ。
『今日は何の用? それともお仕事かしら? 』
 カプセルの中からアイリスが話しかける。
「小遣い稼ぎさ。リニアトレインの運行システムの不具合が最近目立つんだと。バグだしと修正を頼まれたんだけど、リメイクした方が早そうだ」
『そんなにひどいの? 』
「素人がその場しのぎにいじりすぎてめちゃくちゃだよ。ったく、こんなざまじゃ作り手も浮かばれないな」
 ミコトはアイリスに目をやった。十字架にかけられた聖女はカプセルの中、一糸もまとわぬ姿で漂っている。その身体からは右下腕だけでなく、すでに左足全体と右足首が失われていた。
『でも、ミコトならもっとキレイに直してくれるでしょ? わたしはその方が嬉しい』
「ふん」
 微笑みかける彼女の表情は邪気を知らず、どこまでも純粋だった。
『それは? 』
「ん? これか? 」
『違うわ、そっちよ』
 アイリスが左手で差したのは丁寧に畳まれたハンバーガーの包装紙が入った紙袋���ーではなくその隣に無造作に置かれた白いビニール袋だった。
「フルーツだよ。オレンジだったかな。知り合いの店の店長がくれたんだ」
 答えるミコトの目は眠そうだった。まぶたを半分落としながらも、自由になった両手のタイピングは途切れることなく続いている。
『オレンジ……この辺りに出荷されているのだと二〇三ファクトリーのやつかしらね。ちょっとまって』
 彼女はそう言って目を閉じた。オリジナルシステムの管理者でもあるアイリスはその気になればシティのあらゆるネットワークにアクセスできる。外部デバイスを介さない意識レベルでのネットワークとの同化。現実ではカプセルの外に出られない彼女にとって、世界はどう見えているのだろう。
『……やっぱりそうね。糖度高めにおいしく出来たみたいよ』
「甘いのか。それじゃ食べてみるかな。単調すぎると眠くてかなわない」
 ミコトは小さくあくびをしながら立ち上がった。ツールボックスから折り畳みナイフを取り出し、アルコールを吹きかけて滅菌消毒。袋から適当なオレンジを一つ選び出しナイフの刃ををそっと滑らせると宝石のように輝く断面が現れた。食べやすい大きさに切りかぶりつく。
「……うまい」
『よかった。甘すぎるんじゃないかと思ったんだけど、安心したわ』
「……」
 ミコトは何も言わずに二口目を食べる。一切れ食べ終え、次の一切れに手を伸ばそうとしたところでステータス・ウィンドウがイエローアラートに変わった。
『っ! 』
 カプセルの中のアイリスが声を漏らして身体をのけぞらせた。水槽中の気泡が増えていく。アラートはイエローからレッドへ。市当局からのハッキングだ。
 すぐにワークステーションの方に椅子を移し、スタンバイ状態から起動させる。次々と更新される情報の奔流。眼鏡越しに目だけを小刻みに動かしながら必要なデータを読み取り、コマンドプログラムを即応状態へと持っていく。
「少しペースが上がってきたか。今度はどこだ」
『……右脚。交通ネットワークの、管制領域』
 喘ぐようにアイリスが答える。侵蝕はすでに始まっていた。足首から先だけでなく、その上までも培養液の中に溶かされて消えていってしまう。
 メディアディスクを差し替え、ほとんど書き上がっていた新システムのデータをワークステーションに読み込ませる。コマンドスタンバイ。システム移管シークエンス起動準備。
『ねぇミコト』
「なんだ? 」
 すでに弱々しくなってしまった声でアイリスが話しかける。右脚を襲う苦痛を押し隠しつつ、彼女はミコトに微笑んだ。
『お願い、ね』
「……まかせとけ。僕を誰だと思っている」
 軽やかな音とともにキーボードに命令が入力される。天才とまで称された稀代のハッカーは少女の願いを叶えるため、今日も全てを統括するネットワークの中を駆けてゆく。
Scene 4 :
 この街を支配する総合市庁舎オベリスク。市街のどの建物よりも、それどころか見える限りのあらゆる物よりも高く大きいそれは今日もシティを監視するようにそびえ立っている。その足下、オベリスクに隣接したセントラルホテルの一階ラウンジでミコトは柱に寄りかかりながら行き交う人々を眺めていた。
 市直営のこのホテルの下層階は市民のための空間だ。最上のサービスをリーズナブルな価格で提供している。単調な生活の中に少しばかりの潤いを。市民の間では自らへのご褒美としてこのホテルを利用することがステータスとなっている。
 あくまで市民サービスの一環としての下層階、それに対し上層階は市が接待するVIPのための宿泊フロアだ。政治家の密談、経済界の大物たちの会合、市外からの外交官の受け入れなどに利用される。彼らは空中回廊を通ってオベリスクと行き来するため、下層の宿泊客とは交わることはない。
 ミコトは腕の時計にちらりと目をやった。アナログかつアナクロな機械式時計の針は九時を少し回ったところだ。ラウンジを行き交う人の流れも少し落ち着きを見せ始めている。軽くため息をつきながら、窮屈なスーツのジャケットの襟を直した。
「……お」
 正面玄関から一人の男が入ってくるところが見えた。守衛にも親しげに挨拶するこの男は足早にラウンジの中へと進んでくる。ホールの中心でぐるっとあたりを見渡しーー柱に背を預けるミコトと目が合うとにんまりとした笑みを浮かべた。
「よおミコト」
「遅かったな、グレン。五分遅刻だ」
「わるいわるい。出がけに急な仕事が入ってな」
「相変わらず忙しそうだな」
「おかげさまでな」
 ミコト=カツラギとグレン=カミンスキー。CCIC(市中央情報技術カレッジ)の同期である二人は再開を祝して軽く握手を交わした。
 グレンに連れてこられたのはホテル最上階のバーラウンジだった。途中でエレベーターを乗り換え、ガードマンに見送られながらたどり着いたここからはシティを一望することが出来る。オベリスクに次ぐ超高層建築物、その最上階からミコトは街を見下ろしていた。
「何でも好きな物をたのんでくれ、ミコト。今日は俺のおごりだ」
「任せるよ。軽めのやつにしてくれ」
「まだ酒は苦手か? 」
「毎回入り口で年齢確認くらうんだ。めんどくさいから最近は行く気にもならない」
「はは。お前さん、いまだに高校生にも間違われそうな顔してるもんな」
 グレンはカウンターの方に寄っていてバーテンダーに二言三言話しかけた。壮年のバーテンダーは慣れた手つきでシェーカーを操り、あっというまに二杯のカクテルが出来上がる。グレンはそれを受け取るとミコトと並んで街を見下ろせる席に腰掛けた。
「お前が市の技術局をやめて以来だから、直接合うのは二年ぶりか? 今日は来てくれて感謝してるよ」
「堅苦しいのはいいよ。もっとも格好はそうもいかないみたいだけどな」
 わざとらしくジャケットの襟を直す。元々ミコトはこういうばっちり決めた服装が苦手なのだ。
「悪い悪い。さすがにここでTシャツジーパンはないだろうと思ってさ。ま、なにはともあれ乾杯しようぜ」
 グラスを軽く持ち上げる。ぶつけられたグラスは澄んだきれいな音を立てた。赤みを帯びたカクテルを口に含み、ミコトは感心したように呟いた。
「……悪くないな。さすがはセントラルホテルといったところか」
「だろ? ここで飲むと他の店のが物足りなくなっちまう。ま、俺もまだここに来るのは二回目なんだが」
 くっとグラスを持ち上げあっという間に空けてしまうグレン。背が高く彫りの深いこの男はミコトとは対照的に良く飲む。アルコールに強く、悪酔いせずに味を楽しめる本当の意味での愛飲家だ。
 豪快で人当たりのいいグレンと小柄で皮肉屋なミコト。貧乏な母子家庭から二十歳を過ぎて奨学金を得て入学してきた努力家と圧倒的な知能と技量で飛び級を繰り返してきた天才。カレッジ時代は好対照な二人として学内では良く知られた存在でもあった。
「髭、のばすようになったんだな。昔はおっさん臭いとかいって嫌ってたのに」
「嘗められないようにな。若造が年功序列すっとばして昇進していくのが気に入らないってやつもいるってことだ。特にこれからはいっそう大変になってくる」
 グレンは顎の髭を撫でながらそう答えた。
 ミコトは特例として在学中から、グレンも卒業後には市のシステムエンジニアとしてオベリスクに勤務していた。ミコトの方は二年前に技術局をやめてしまっていたが、残ったグレンは順調にキャリアを重ね若くして行政システム保守の責任者になったのだと人づてに聞いていた。
「……知っているかもしれないが、実は今度市長直属の主席エンジニアに抜擢されることになったんだ。メイヤー市長がまだただの議員だった頃に知り合ったんだが、腕の良さを覚えていてくれたらしい」
「……噂では聞いていたよ。それに、こんなところに入れるのは限られた階級だけだからな。下っ端公務員のままじゃむりだ」
 主席エンジニア。市長直属のこの役職は他の一般エンジニアとは異なる職務を割り振られている。市の存在、その根幹をなすシステムと未知の領域”ブランク・ルーム”。歴代の主席エンジニアはそのセキュリティを突破・解析することを使命とし、数十万のシステムエンジニアの頂点として市長から特権的な地位を与えられているのだった。
「まだ三十にもなってない若造の抜擢は異例だそうだが、俺はやってみせるさ。先生も破れなかった”ブランクルーム”の謎、絶対に解明してやる! 」
「……」
 グレンは強い口調で言い切った。二人の恩師、ジョン=スチュワート教授もまた主席エンジニアとして”ブランク・ルーム”の解析にあたっていたのだが、ついにその夢を叶えることはなく職を辞したのだ。
『あの中には人類の希望が詰まっています』
『この街、ひいては人類の発展のためにはあの”ブランク・ルーム”の解析が不可欠です。残念ながらわたしはその夢を果たすことは出来ませんでしたが、優秀なあなた方ならきっと出来ることでしょう。わたしの目が黒いうちに、全ての謎が解き明かされることを願っています』
 講義中、年に似合わぬ熱っぽい口調でそう語った教授の姿と今目の前にいる親友グレン=カミンスキー。ミコトには二人の姿が重なって見えていた。
「今日ミコトに来てもらったのはほかでもない。勧誘にきたんだ」
「勧誘? 」
「ああ。お前、まだフリーでこまごまとした仕事をやってるんだろ? 別にそれが悪いこととは言わないが、お前ほどの実���があるんだったら他に使い道があると思わないか? 」
 ミコトはグラスに口を付けた。透き通る、それでいて血のように赤いカクテル。アルコールの苦みが舌と脳を刺激する。
「部下になれといっているんじゃない。俺と同格の待遇で迎え入れられるよう市長に掛け合ってみるつもりだ」
 ミコトは答えない。黙ってグレンの言葉を聞いている。窓の外、街はネオンに照らされ妖しく輝いている。
「なあミコト、俺と一緒にやってくれないか? ”ブランク・ルーム”を突破するにはお前の力が必要なんだ」
 グレンの目は純粋で、だからこそ危うさをはらんでいるようにミコトには感じられた。あるいは少し前の自分も同じような目をしていたのかもしれない。静かにグラスをテーブルに置く。
「グレン。悪いがその話を受けることは出来ない」
「……なぜ? 」
「やりたいこと・・・・・・やらなきゃいけないことがあるんだ。お前の仕事は他の人でもできるかもしれないが、こっちの方は僕にしか出来ない」
「……」
「僕が、やらなきゃいけないんだ」
 二人は無言でお互いを見つめていた。初めて出会ってから七年。別々の道を歩き始めてから二年。長い年月は親友だった二人の立ち位置を大きく変えてしまっていた。
 ふぅ、とグレンは張りつめていた息を吐く。バーテンダーに三杯目のカクテルを注文し、軽くあおってから崩れるようにだらしなく座り直した。
「そこまでいうんじゃしかたないか。お前が隣にいてくれれば百人力だったのに」
「すまない」
「いや、気にするな。そっちにはそっちの都合があるだろうよ」
 そういってグレンは唇の端を上げた。グラスを目の高さまで持ってきて、きらめきを楽しむように青のグラスをゆらゆらとさせる。
「なあ、最後にもう一つだけ聞かせてもらっても良いか? 」
「ん? 」
 視線はグラスを眺めたまま、気安い口調でグレンがミコトに話しかける。七年前、カレッジのカフェでたわいもない話をしていて時の口調で。
「そのやらなきゃいけないことってのは……女か? 」
「そんなたいしたもんじゃないよ。でも……」
「でも? 」
「放っては置けない。それだけだ」
 そっけない口調とは裏腹にその口もとが小さく笑っているのを、グレンは見逃さなかった。
Scene 5 :
「……コード認証、ダミー・プログラム適用……よし。シーリン、回線をこっちにまわしてくれ。直接仕掛ける」
「了解」
 部屋の空気はまるでピアノ線のように鋭く張りつめていた。オベリスク上層階、オペレーション・ルーム。シティを代表する腕利きのエンジニアたちが真剣な面持ちでディスプレイの前に座ってキーボードを叩いている。グレン=カミンスキーはその中心として周囲に的確な指示を飛ばしながら自らも最前線で戦っていた。  
「プロテクト五五六七七番から五六九二三番までクリア。最終フェイズに入ります」
 この日のために綿密に組み上げた攻性プログラム群はその能力を存分に発揮していた。次々とセキュリティ防壁を突破し、”ブランク・ルーム”の扉の鍵を開けていく。
(順調だ。これなら……)
 グレンはとっておきのツールを起動した。量子演算を応用した解析プログラム。オベリスクの超集積コンピュータ、その処理能力の大半を使用するこの重量級プログラムが”ブランク・ルーム”の扉を打ち砕かんとする。一撃、また一撃。そして……
「……最終プロテクト解除確認。第六六五ブロック、完全に解放されました」
 オペレーション・ルームに歓声が上がった。わき上がる拍手。ある者は握手を交わし、ある者は抱き合っている。
 一人のオペレーターが立ち上がり、グレンの元へと歩み寄っていった。脱力したように椅子に深く身体を預けていた彼だったが、その姿に気づくと軽く右手を上げて答える。
「やあ、シーリン」
「おめでとうございます、カミンスキー先輩。おつかれさまでした」
「ありがとう。それにしても肩が凝ったよ」
「ふふふ。ゆっくり休んでください」
 大きめの眼鏡越しにシーリンはにっこりと笑いかけた。エンジニアの女性は概して無愛想だったり容姿に無頓着だったりするのだが、彼女は非常に可愛らしい。つられてグレンの口元も緩んでしまう。
「そうだな。よければ今度一緒に……」
「カミンスキー君」
 引き締まった声がグレンの台詞を遮った。大柄な身体、褐色の肌、刈り込んだ白髪。発するオーラはこの部屋の誰よりも鋭く、歴戦の風格を漂わせている。グレンはすぐに立ち上がり姿勢を正した。
「メイヤー市長、いらしていたのですか」
「君を選んだのは私だからな。見届ける義務もあろうというものだ」
「光栄であります」
 シーリンはグレンの大きな背中に隠れるように一歩引き下がった。先日選挙で前職のスティーブン=スミスを破り当選したこの市長に対し、彼女は何となく敬遠した想いを抱いていた。メイヤーとは直接目の合わない位置に立ち、二人の会話に耳を澄ます。
「君が主席エンジニアに就任してからの進展には目を見張るものがある。私としても誇らしいよ」
「すべてここの設備とすばらしい仲間たちのお陰です」
「仲間か……」
 メイヤーはオペレーション・ルームの中を眺めた。市長に就任した際、私財を投じて設備を増強したこの部屋は従来を遥かに上回る処理能力を獲得している。そのスペックとグレンの能力が重なり合い、この一ヶ月で”ブランク・ルーム”のプロテクトの突破と解析は飛躍的に進んでいた。
「仲間と言えば、君が以前言っていたエンジニアはどうしたのかね。カツラギとかいったか」
「……残念ながら個人的な事情により協力することは出来ないとのことでした。彼がいればより早く、あるいは二週間もあればここまで到達できていたかもしれません」
「ほう」
 市長はそう呟いて自らの髭を撫でた。顔の輪郭部に短くのびたその髭はメイヤーの顔立ちをより精悍な物にしている。
「まあいい。その彼がいなくてもここまで来れたのは事実なのだからね。残りはどうなっている? 」
「事前の分析に寄れば、あと一つです。予定通り五日後には最後のアタックを開始できるでしょう」
「よろしい。君の働きには期待しているよカミンスキー君。お母上にもよろしくな」
「はっ」
 グレンの肩をポンと叩き、多くの秘書官を引き連れながら市長はオペレーション・ルームを後にした。
「いや、大変なお方だな、メイヤー市長は。プロテクトを相手にするよりも疲れたよ」
 グレンは大げさに肩をすくませながらおどけた顔を見せた。わざとらしく汗など拭いてみたりもする。強ばっていたシーリンの表情もついつい緩んできてしまう。
「市長に失礼じゃないんですか、それって? 」
「いやいや、敬意の表明のつもりだよ、俺としては」
「ふふ。そういえばさっき言ってたエンジニアって、ひょっとしてあのミコト=カツラギですか? 」
 名門CCICを史上最年少、それも主席で卒業した天才の名前はこのシティでは広く知れ渡っている。現在の動向についてはあまり情報が入ってこないが、てっきりどこかの企業の顧問エンジニアとして活躍しているのだとシーリンは思っていた。
「大学の同期なんだよ。この前久しぶりにあって勧誘してきたんだが、ものの見事に振られちまった」
「……ミコト=カツラギと言えば、あの噂って本当なんですかね? オベリスクの基幹システムに侵入したっていう」
 シティの全てを管理するオベリスク。最高の技術がつぎ込まれ、そのセキュリティは”ブランク・ルーム”にも引けを取らないといわれている。しかしそんなオベリスクも過去に一度だけ外部からの干渉を許したことがあった。その“犯人”として噂されたのが当時情報技術局の副局長であったミコトだ。ろくな証拠もなく結局捕まることはなかったものの、彼女たちエンジニアたちの間でまことしやかにささやかれているこの噂がミコトの名を業界の中で忘れがたい物としていた。
「……真偽は知らないが、その実力はカレッジの時点ですでにあったと思うね。うちのカレッジの管理システムにも容易く侵入できちゃうようなやつだったし」
「そんな人がどうして不参加に……? 」
 グレンは大きく首を振った。
「さあね。あっちにはあっちの都合があるんだろう。放っておけない女が出来たとか言ってたしな」
「それじゃ、ひょっとして今もデートの最中だったりして? 」
「どーだろうねぇ。そうだったらただじゃ置かないけどな。俺がこんなに苦労してるってのに! 」
 グレンはいたずらっぽくにやりと笑い、笑顔がすてきなシーリンは再びふふふと微笑むのだった。
「ふぅ……」
 仄かな赤い光に照らされる暗闇の中、ミコトはため息をついて背もたれに身体を預けた。ディスプレイは休む間もなく更新され彼に情報を送り続けている。
(さすがだな。ハッキングのペースが早い。予想通り……いやそれ以上か)
 カプセルの中に浮かぶアイリスの身体はそのほとんどがすでに失われていた。右腕、左腕、右脚、左脚。四肢はとうに溶け去り胴体の方も胸部より下は残っていない。長い髪が顔にまとわりつき表情を隠しているため、呼吸の度に上下する肩のかすかな動きがなかったら死んでいると思われてしまったかもしれない。
『はぁ……はぁ……』
 侵蝕が進むにつれアイリスが苦しむ時間も長くなっていった。彼女がどれほどの痛みを感じているのか、ミコトには知るすべもない。彼は自分の出来ること、自分に託されたことをするだけだ。ーーたとえそれがどのような結末をもたらすことになっても。
 ミコトはキーボードを軽く操作してテレビ・チューナーを起動した。ディスプレイの隅に小さく新たなウィンドウが現れ、会見場の様子が映し出される。画面の中ではキングストン=メイヤーがいつかのように、市民に向けて熱弁を振るっていた。
『ーーついにここまでたどりつきました。あと一歩、あとほんの一歩です。我々は歴史の瞬間に立ち会おうとしています。未だかつて誰も見たことがない”ブランク・ルーム”、その秘密を解明する直前まで我々は来ているのです。五日後日曜日の午後七時、我々は最後の挑戦を”ブランク・ルーム”に対して行います。その挑戦が終わったあと、この街の歴史は新たなステージへと突入していることでしょう』
 会見場で歓声が上がった。だれもが市長の巧みな弁舌にアジテートされ、熱狂している。おそらく家庭で、職場で、あるいは街角で。これを見ている市民も神経が興奮するのを感じているに違いない。彼は大衆をその主張に巻き込む��とにかけて天才的な能力を持っている。そんなスクリーンをミコトは相変わらずの無表情で眺めていた。
『……ミコト』
「アイリス、起きて大丈夫なのか? 」
 いつの間に目覚めたのか、アイリスが頭を起こしてこちらを見ていた。
『いよいよ、ね』
「……」
『ごめんね。こんなつらいこと頼んで。でも……』
「言わなくていい」
 ミコトは乱暴にキーボードを操るとチューナーのウィンドウを閉じた。他のインフォメーションボードも次々と終了させ、あとにはブラックアウトしたディスプレイだけが残る。
「これは僕の義務だ。。キミが気にすることじゃない」
『……そうね、ごめん。でも一つだけ言わせて』
「……」
『ありがとう。今まで私の我がままにつきあってもらって、感謝している』
 カプセルからの光が弱まった。アイリスが休眠モードに入ったのだ。要求される休眠時間は以前に比べ長くなってきていた。
 穏やかな顔だった。寝ている彼女はいつだって静かな表情をしている。彼女は夢を見るのだろうか? ミコトは今までそんなことも考えなかったことに驚いた。
「……ふん」
 大きく背中を後ろに投げ出すと、椅子のリクライニング部分がぎしぎしという音を立てた。頭上には暗闇が広がり、その先には何も見えない。
Scene 6 : 
 最後の五日間はあっという間に過ぎていった。。アイリスの消滅後、オリジナルシステムがクラッシュしないようにつなげるバイパスプログラムの構成と検証。ハッキング誘導経路の確認。緊急時の干渉ルートの確保。計画に一分の隙も出ないよう、いつも以上に繊細にコードを確認していく。
「大丈夫、だよな」
 準備は怠っていないはずだった。千を越えるハッキングのパターンとその対処法はすでに用意している。さらに言えば以前までと違い、今では相手の顔が見えている。グレンの手法については誰よりも詳しいはずだ。それでもミコトの首筋にはちりちりと嫌な感触が焼き付いている。拭えない悪寒。思わず身震いしてしまったところをアイリスに見とがめられてしまった。
『ミコト、寒いの? 』
「……平気だよ、これくらい。多少寒い方が頭が冷えていい」
『私のせいで風邪なんて引かないでね。そんなの、イヤだから』
 アイリスはまだ心配そうな表情で赤い液体の中に浮かんでいた。肉体の八割を失った、もはや人間と言えるのかさえ疑わしい状態の聖女。ミコトは顔を向けずに答える。
「僕のことは良い。それよりも、そろそろ時間だ」
 ディスプレイの端に表示させたデジタル表示の時計が十八時五十七分を示している。ミコトはワークステーションを起こし、必要なアプリケーションを展開し始めた。最終チェック。あそこまで大体的に発表した以上、時間をずらしてくるということはないだろう。しかし時刻が予告されているというのは時限爆弾のタイマーを見せつけられているようで、かえって落ち着かなかった。
『……んっ! 』
 アイリスの喘ぎ声とともに、カプセルの中が俄に騒がしくなった。細かい泡が次々と彼女の周りに立ち上る。
 幾重にも張り巡らされたセキュリティ防壁がもろいところから突破されていく。だがこれはミコトの筋書き通りだ。
「よし、行くか」
 十九時〇〇分ジャスト、最後のハッキングは定刻通りに開始された。
 キーボードを操るグレンの額には汗がにじんでいた。ハッキング開始から既に二時間が経過している。”ブランク・ルーム”の最後の砦、第六六六ブロックはそう容易くは扉を開いてくれないようだ。
「……先輩、少し休んだらいかがですか」
「いや、変に流れを変えたくない。作業自体は順調だしこのまま行こう」
 シーリンが声をかけるが、グレンは首を振った。差し出されたボトルだけを受け取り水分を補給する。疲労は隠しきれないが、それを上回る充実感が顔に表れていた。
「もう少しだ、もう少しで突破できる。休んでいる暇なんてないよ」
 そういう間も手はキーを叩き続けている。ディスプレイは二八九番目のサブ・ブロックを開放したことを告げていた。
「キミも席に戻ってくれ、シーリン。終わったら何かおいしい物でも食べにいこう」
「……はい、楽しみにしています」
 ぺこりと挨拶をして定位置にかえっていくシーリン。グレンはそれを見送るとよしと気合を入れなおしてディスプレイに向き直った。
「進行度九八パーセント、了解。残るサブ・ブロックももうわずかか……」
 ミコトはインフォメーション・ボートからのメッセージを確認した。事態は順調に進んでいる。あと少し、最後までトラブルなく扉が開かれたときにミコトの仕事は終わる。
 アイリスは今、声を上げることもなくケーブルに吊られてカプセルの中で目を閉じている。腕と胴の外縁部が僅かに溶けたあとはごくゆっくりとしか侵蝕は進んでいない。これはシステムの中核が彼女の頭胸部に集中しているためであり、これもまた予想通りだ。
 予想通り、予想通りではあるのだが、ミコトはあのときに感じた嫌な感触を未だ拭えずにいた。
『……あっ』
 ごぽっ、と大きな気泡が生まれてアイリスの下胸部が崩れ落ちた。肉の欠片は底につくまでに溶かされ、何も残らない。剥がれ落ちたあと、生身の人間であれば心臓があるであろう場所には赤く不気味に輝く結晶体が埋め込まれていた。
 宝石のような煌めき。固形質の殻の内側にもやもやとしたものが閉じ込められている。彼女を磔にしていたケーブルは背中を貫通し、そのクリスタルに直結していた。アイリスの顔が苦痛に歪む。
「アイリス……」
『見ないでミコト。ちょっと恥ずかしい、かも』
 笑おうとするその努力が痛々しい。彼女の見えないところで唇をかむ。最後のサブ・ブロックが突破された。残されたのは最後の領域、”キー・ストーン”だけだ。せめて彼女がこれ以上苦しむことのないように、ミコトはバイパスブログラムを接続する準備を開始するーーその時だった。
 クリスタルの中のどす黒い物が急に実体を持ち始めた。それまで霞のようにぼんやりとしていた物がはっきりとした輪郭を持つように凝縮していく。ドクン、ドクン。本物の心臓のように脈拍を刻み始める。鳴り響くアラート。
「……なんだ? 」
 こんなパターンは想定していない。ディスプレイはしきりに警告を訴えてくる。ドクン。自分の脈拍も早くなってくるのも感じる。アイリスが泣きそうな声で叫んだ。
『ミコト、おかしなプログラムが起動してる! システムの管理権が奪われそう! 』
「なに? 」
 ミコトは素早くステータス・ウィンドウを開いた。外部からのハッキングではない。グレンの攻撃はまだ”キー・ストーン”の外側に向けられている。
(どういうことだ……? )
 シティの総合管理システムの状態をモニターするウィンドウを開きチェックする。
……イースト・ステーションで信号トラブル、リニアのダイヤに乱れ……ウェストブロック、エンド地区で小規模の火災、通報と避難誘導を実施済み……セントラル・バンク第二支店で警報に反応、ガードマシンを派遣……
 数百万の人口を抱える都市から溢れ出る情報の奔流。その中の一点に目を止めたミコトは吐き捨てるように呟いた。
「……お前を作った奴らはよほど意地が悪いらしいな、アイリス」
『どういうこと? 』
「内側から自壊プログラムが走り始めている。このままお前が消されると連動して総合管理システムがクラッシュする仕組みだ」
 シティの全機能を統括する総合管理システム、それが機能不全を起こすということはこの街が終わることと同じだ。データサーバーは全て飛び、リニアトレインや無人フライヤーはコントロールを失い墜落、社会インフラは全て停止する。いや、それだけにとどまらない。農業や畜産のプラントが止まれば食料がなくなり、濾過装置が止まれば水がなくなる。数少ない生活物資を巡って暴動が起きるのはさけられない。
『そんな……』
 グレンのハッキングは今も続いていた。完全に制圧されるのも時間の問題だ。そして今回の場合、それが破滅への引き金となる。
 ミコトはラップトップPCを有線でワークステーションに接続した。極限までチューンした特注のハイエンドモデルだ。瞬発的な処理能力ならワークステーションにも負けない。
 ワークステーションのリソースは今もシステム移管シークエンスに使われている。これ以上のことをこなすには多少のリスクは負わなければならないだろう。
「……オベリスクに干渉してハッキングの進行を遅らせる。時間を稼いでいる間に自壊プログラムへの対処だ。クラックするかループ回路に押しやって自滅させる」
 ハンデというには大きすぎるビハインドだった。一人が背負うにはあまりにも重すぎる。
『……できるの? 』
「できるさ。伊達に天才やってる訳じゃない」
 ミコトは彼女の不安を振り払うように不敵に笑うと、電子の海へとその意識を沈めていく。
「……ハッキングです! 攻性プログラムの能力六〇パーセントダウン! 」
「なんだって! 」
 シーリンの悲鳴のような報告にオペレーション・ルームの空気が一変した。偉業達成を前にしたざわつきから、これからどうなるんだという混乱へ。伝搬した不安は一気に室内を覆い尽くそうとする。パニック寸前になったメンバーを引き戻したのはグレンの力強い声だった。
「落ち着け! まだ失敗した訳じゃない! ーーシーリン、ハッキングの発信元は!? 」
「はっきりとはわかりませんが……おそらく市内です。ローカルネットに直接割り���んできています」
「アルファチームは攻撃を続行。ベータチームはシステムを守れ、サーバーのリソースを一部まわす。シーリン、キミはガンマチームと発信源の探知だ」
 元々ハッキングに対する防御なんて考えていなかったプログラムたちだが、それでも一度に六割も無力化されるとは想定外だ。いや、そもそもオベリスクのセントラルサーバーに置かれたこのプログラムが攻撃を受けているということがすでに異常なのだ。
(……オベリスクへの侵入か)
「まさか、な」
「先輩? 」
 シーリンが心配げな視線をグレンに向けてくる。彼は首を振ってそれを打ち消した。
「……なんでもない。ベータチームの指揮は俺が直接執る。俺の目が黒いうちはここのシステムに好き勝手はさせない」
 ミコトは自分の身体がだんだんと火照ってくるのを感じていた。こんな感覚はカレッジのシステム侵入を巡ってグレンとやり合ったとき以来だ。
 焼き切れるまで頭のエンジンをまわし続ける。一瞬たりとも気は抜けない。付け込まれ、蹂躙される。相手はそのグレンと、この街の創造主とも言える存在なのだから。
「・・・・・・強制アクセス、フラッグナンバリング変更。よし」
 画面の端に小さいウィンドウがポップアップする。送り込んだジャミング・プログラムからの救援信号だ。
「こんどはこっちか。プログラム二五八番から二八七番まで再展開」
 グレンの力量は予想以上だった。妨害プログラムは送り出す端から無力化され逆襲を受けてしまう。偽装のためのサーバーを噛ませる余裕すらなさそうだ。
(ーーもとより覚悟の上だ。好きなだけ暴れてやるさ)
 自壊プログラムの一部を切り離し、コマンドラインをループさせる。少しずつ自壊プログラムの攻撃能力を削ぎ落す。地味ながらも有効な戦術ではある。しかしーー。
『まただわ。いくら消しても次々発信されてくる』
��プログラムのマスターデータを直接クラックしないかぎり、コピーをいくら壊したとしても際限なく修復されてしまう。相手は起動条件が揃えばオートマチックに動くアルゴリズムだ。持久戦を挑めば勝ち目がないのは分かりきっている。
「選択の余地は無い、か」
 八十七回目のクラックを終えたあと、ミコトは吐き捨てるように呟いた。ため息をつき、電子キーを腰のケースから取り出すとワークステーションのメモリスロットに差し込む。
『……ミコト? 』
 「ーー五分だけ時間を稼いでほしい。総合管理システムを一時的にダウンさせてその隙に”キー・ストーン”に侵入する」
 自壊プログラムの本体を叩くにはそれを発信している”キー・ストーン”のプロテクトを突破しなければならないが、グレンとの二正面作戦ではここの設備はあまりに貧弱だ。向こうの動きを何とか封じ、全てのリソースを費やして初めて勝機が見えてくる。
『でも、それじゃ、街が全部止まっちゃうってことに……』
「だからキミに頼むんだアイリス。構造上、”ブランク・ルーム”の領域は外部からダウンさせることができない。オベリスクのシステムを止めている間、必要最低限のライフラインはキミが維持してくれ」
 ”キー・ストーン”から離れたアイリス自身の処理能力がどれほど残っているか。それはミコトにも分からない。あるいは彼女に大きな負担をかけてしまうことになるかもしれない。それも全て踏まえた上でアイリスは静かに頷いた。
『……わかったわ。街は任せて』
「すまないな。結局こんなことになって」
『いいの。みんなを守るのが私の仕事だから』
 まだ痛みはあるはずだった。速度が落ちてきているとはいえ、身体の分解は続いている。
(ーーどうして彼女が苦しまなければならない? )
 幾度となく繰り返してきた自問。答えは未だ見えてこない。これが彼女にとって最後の苦しみとなるようにと願いながら、ミコトはブレイク・プログラムの実行キーを入力した。
グレンはハッカーからの攻撃を跳ね返しながら、予感が確信に変わりつつあるのを感じていた。高度で洗練されたアルゴリズムは通常では考えられない速さでオベリスクの基幹部に侵入してくる。だが画期的なその手管も手の内を知ってしまいさえすれば対処は容易だ。グレンのカウンターアタックは徐々にではあるが侵入を跳ね返し、むしろ押し込みつつあった。
「すごいな……主席エンジニアに選ばれるだけのことはある」
「……」
隣では年上の部下が驚嘆の声をあげていた。主席エンジニアはそれには答えない。眉間にシワを寄せたままディスプレイを睨んでいる。 
  どれだけ優れたアルゴリズムだからといってそれがそのまま彼が組み上げたという証拠にはならない。むしろ元となるアイデアさえ共通ならば洗練させればさせるほどその姿は似通ってくるものだ。
(だが……)
プログラムに限らず、人が作ったものにはその端々に作り手のクセが出る。これは消そうと思ってもそう簡単に消せるものではない。
理性ではわかっていた。ただ感情が、積み上げてきた信頼がその事実を否定していた。
「……なんだ? 」
 オペレーション・ルームの照明が不意にちかちかと瞬いた。故障か? だとしたらずいぶんとタイミングの悪い……。
 グレンの嘆きは長くは続かなかった。照明の明滅が予備動作だったかのように、次の瞬間には照明を含むほとんどの電子機器の電源が落ちた。窓一つない室内が暗闇に覆われる。
「どうした! 」
「わかりません! システムが全部止まっています! 」
 叫び声での応酬は非常電源が作動するまで続いた。非常灯の頼りない明かりが室内をかすかに照らす。いくつも並べられたディスプレイが一斉に再起動を始めた。エラーログを読み取った各班から報告が上がってくる。
「アルファチーム、システムの強制終了のため接続がカットされました。制圧達成は未確認」
「ベータチームから報告、外部からの妨害は止まりましたがディフェンスプログラムにもエラーが発生しています。復旧までは時間がかかりそうです」
「ガンマチームは……」
 シーリンが報告を述べようとしたところでエアロックのドアが開いた。足音も荒々しく、キングストン=メイヤーが秘書官を引き連れ入ってくる。
「カミンスキー君、なにが起きた? 」
「……オベリスクの基幹システムがダウンしています。しかし、正副予備の三系統が同時に不具合を起こすとは考えられません。おそらく外部からの攻撃です」
 それもかなりの腕前の、とグレンは心の中で付け足した。心当たりは一人しかいない。
「それは先ほど解析の妨害をしてきたのと同じ輩かね? 」
「……確証はありませんが」
「ーーふむ。それなら……」
「あ、あの」
 シーリンが二人の会話に割り込んだ。傍らに控えていた秘書官が露骨に嫌そうな顔をするが、意外にもメイヤーが続きを促した。
「どうした、コール技術官? 」
「さ、先ほどの大規模攻撃のお陰で侵入者の居場所が分かりました。サウスブロック第九地区、ウィークストリートからで間違いありません」
 声は上ずっていたが端的に纏められた報告だった。メイヤーの顔つきが変わる。グレンが不可解そうに問いただした。
「フェイクという可能性はないのか? いくらなんでも特定が早すぎるが……」
「それがどういう訳か全く偽装がなされていなくて……」
 ミスか? グレンは自問する。まさかあいつほどのやつがそんな初歩的なミスを犯すはずがない。ということは……
(ーーなにか向こうにとっても予想外の事態が起きている……? )
「市長……」
「この件はこちらに任せたまえ、カミンスキー君。君たちエンジニアにはシステムの復旧と、何より”ブランク・ルーム”へのアタックを再開をしてもらわなければならない」
「攻撃の再開ですか? しかしこの事態です、まずは市内の安全がどうなっているか確認しなければ……」
「カミンスキー君、考えても見たまえ。敵がオベリスクにハッキングするだけの技術力をもっているとして、どうしてこのタイミングなんだ? 」
「それは……」
「向こうは明らかに我々の解析を妨害したがっている。ここで引くのは敵に無駄に時間を与えるだけだ。今解き明かさなければ永遠に機を逸することになりかねない」
 メイヤーの主張がもっともだということはグレンにも理解できた。あいつの目的が何であれ、”ブランク・ルーム”の中身を守りたがっている。次に相対したときにはさらに強固なプロテクトを築いていることだろう。
「ーーセントラルサーバー、一部ですが復旧しました! 情報処理能力平時の六〇パーセントまで回復しています! 」
「行きたまえシティ主席エンジニア、グレン=カミンスキー。私が何のためにキミを選んだのか分からない訳ではあるまい? 」
 わずかな沈黙があった。シーリンの場所からはグレンの表情が伺えない。しかし彼は背筋を伸ばし、市長に向けて恭しく敬礼を捧げた。
「わかりました。攻撃を再開させていただきます」
 シーリンが気遣わしげな目でこちらを見ているのが分かったが、グレンは気づかない振りをした。先ほどまでと同じように周囲に指示を飛ばし攻撃の準備を整えいく。市長はその様子を確認すると、足早にオペレーション・ルームを後にした。
 かつかつと廊下に革靴の音が響き渡る。早足で進むメイヤーの顔は冷たく、険しいものになっていた。非常灯のみの明かりの中、落としたトーンで秘書官が彼に話しかける。
「……市長」 
「”ハウンド”を出す。生け捕りが望ましいが最悪の場合射殺しても構わん」
 秘書官は無言で頷くと暗がりの中へ消えていった。
 エレベーターホールでメイヤーは立ち止まった。ガラス張りになった壁からは市街が一望できる。彼は窓際に立ち、数百万の市民の顔を思い描きながらそれを眺めた。
「ーーこの街は私たちのものだ。いつまでも掌の上で踊らされていると思うなよ」
 常に明かりがともり不夜城とも称されるこの街が今では暗く沈みきっている。もう何年も見たことのない月と星が夜空の中に浮かんでいた。
『……』
 アイリスは先ほどから目を閉じたまま一言も発していない。ライフラインの維持に集中しているのだろう。そしてミコト自身にも彼女を気にかけるような余裕は全くなかった。
 シグマドライバ。大学時代にグレンと思いつ��たアイデアを元に生み出したとっておきのツールだ。それを駆使して”キー・ストーン”の中を、深く深く潜行していく。
 システムダウンの影響はこの砦の中にも及んでいる。街の蠢きすら聞こえないしんと静まり返った部屋の空気は深海のように二人の身体を包んでいた。着底。システムの中の最古の記憶領域にミコトは辿り着く。
 残された日付はもう何百年も昔の物だ。埃にまみれた記憶領域の中を慎重に探索する。潜行開始からすでに二分、時間はない。逸る気持ちを抑えつつも、先へ先へと進んでいく。
「……あった」
 プログラム・アポトーシス。生命が個体をより良く保つために自らの細胞を死に至らしめてしまうという機構。そんな名を付けられたプログラムが深部階層に丁寧に格納されている。発動すれば数百万といった人々を殺しかねないそれは気が抜けるほど簡潔なアルゴリズムで記述されていた。
 これを消せば終わる。コードを選択し、デリートキーを押し込んでーープログラムは消えなかった。
 カチッ、カチッ。何度試してみてもプログラムは消えない。あざ笑うかのようにそこに存在し続けている。
「このっ……! 」
 それなら上位階層ごと消し去ってやる。ミコトは選択範囲を広げようとするが、「彼女」の声がそのその動作を押しとどめた。
『無駄だよ。それは大事なシステムの一部だからね。消させるわけにはいかない』
 声がしたほうにミコトは振り返った。赤い培養液に満たされたカプセルの中で、「彼女」はかすかに笑っていた。目は開かれ、身体の侵蝕も止まっている。確かに彼女の顔だった。確かに彼女の声だった。だがそこにいるのはミコトの知る少女ではなかった。
「アイリス……? 」
『アイリス、か。なるほど、確か前世紀の神話の中にそんな名を持つ女神がいたな。良い名だが、これにつけるには少々もったいない気もするな』
「誰だ、お前は」
 問いつめる声が震えていた。得体の知れないおぞましさをミコトはこの声の主に感じていた。そんな彼の心のうちを知ってか知らずか、「彼女」は口の端をわずかにと持ち上げてにやりと笑った。
『ここまで来たのは私が生み残されてから初めてだ、ミコト=カツラギ。たかだか二百年程度でここまで辿り着けるとは想像もしていなかった。称賛に値するよ』
 定型文のような祝辞を述べてから「彼女」は部屋の中をきょろきょろと見回し始めた。あちらからこちらへ。そっちから向こうの隅へ。興味深そうに眺め回す。
『よしよし。まだ設備自体に痛みは来ていないようだな。私の設計に誤りはなかったということか』
「さっきから何の話をしているんだ」
『おや、キミともあろうものがそんな質問をするのかな? どうせ察しはついているのだろう? 』
 ミコトは顔をしかめた。
『分かってはいるが認めたくないーーそんなところかな。誰しも直視したくない事実というのはあるものだ』
「黙れ。お前には言ってやりたいことが山ほどある」
 ほう、と「彼女」はわざとらしく目を大きく見開いてみせた。
『何かなーーといいたいところだが、まあ想像はつくよ。これのことだろう? 』
 これーーもう胸から上しかなくなった少女の身体を示しながら答える。カプセルの中、ケーブルに繋がれた聖女。何もない場所(”ブランク・ルーム”)を守るために捧げられた生け贄。
『しかしこれは仕方のない犠牲なのだ、ミコト=カツラギ。優れた技能をもつキミなら分かるだろう』
「分からないね、分かりたくもない」
『まあそう言うな。ここは一つ昔話をしようじゃないか』
「……」
 何も言い返さないのを了解の証と受け取ったのか、「彼女」は幾分芝居がかった口調で語り始めた。この街にとっての創世、その神話とも言うべき話を。
『あるところに、非常に科学が発達した街があった。彼らには作物を育てるための豊かな土地も、工業製品を作るために使える資源もなかった。ただ優れた頭脳と技術だけがそこにあった』
『街は技術を売り物にして生きてきた。人が生きるためには例外なく技が必要だ。技があればなんだって生み出せる、作り出せる。モノではなく技術を使い、街は偉大な発展を遂げた』
『ところがある日、街の中で諍いがおこった。技術は街の人々の生きる糧であり、富の源泉でもある。技術を独占しようとする人々とそれに反抗する人々の間の争いはほんの少しの火種のせいで大きく燃え上がった』
『街を守るための技術は街を焼くために使われた。人々を飢えから救うための技術は人々に毒を飲ませるために使われた。不釣り合いな技術に囲まれた人々は自分たちがどんなことを出来るモノを生み出してしまっていたのか、まったく自覚していなかった』
『街は滅び、人々は散り散りになった。後に残されたのは技術だけ。謝った使われ方をした可哀想な技術たちだ。数百年経ってーーそれを人々はまた手に入れようとしている』
 「彼女」はそこで言葉を切った。哀れむような、あきらめたような、そんな不思議な目でミコトを見つめる。
『我々はキミたちに同じ過ちを繰り返して貰いたくないのだよ。技術は残す。だが管理しなければならない。過ぎたる炎はその身を焼く』
「ーーアイリス一人に罪を負わせてもか? 」
『最高のプロテクトのためには必要だったんだ。生体分子の振る舞いはもっとも解析が難しい物の一つだったからねーーもっとも、そのプロテクトもキミたちの前に破られてしまいそうだが。独自に発展したのはハッキング技術ばかりとはね。まったく人間というものは欲深い』
 嘆くように「彼女」は言う。
『隠せば隠すほど暴こうとし、少しでも役に立ちそうなら何が副産しようが顧みない。そして今も技術を巡って争いを繰り広げている。何年何百年経とうが人間というものは変わらない』
「……なるほどね、アイリスが死にたがった気持ちも分かる気がする」
 ミコトは立ち上がった。声はまだ震えていた。恐れではなく、怒りのために。
『キミの同情は理解できるよ。だが無闇な争いを起こさないためにもーー』
「言い訳は寄せ。お前らのつまらない自己顕示欲につきあう気はない」
『自己顕示欲? 』
「ああ。お前らはなんだかんだいって自分たちが作った技術を抹消するのが惜しかったんだよ。だからこんな回りくどい方法で封印した。使いたくなったらいつでもまた引っ張りだせるように。僕が彼女に同情したのはそのつまらないエゴにつき合わされているからだ」
 ミコトはカプセルの中の彼女を見つめた。彼女の口を借りてしゃべっている「彼女」ではなく、だれよりもこの街と人々を愛していたアイリスを。誰にも知られることなく犠牲になっていた少女を。
『わからないね、ミコト=カツラギ。技術は富の源泉だ。何もないこの土地に人が生きるためには技が必要だった。我々の遺産がなければこの新たな街は存在しなかっただろう。もちろん、キミもだ』
「なければ良かったんだよ、この街なんて。過ぎた技術は世界を歪ませるーーお前の言った通りだ」
 ミコトはキーボードを操作した。起動したハッキング・プログラムはいとも簡単にロックを打ち破る。創造主は今、ミコトの目の前で無防備な姿で晒されていた。「彼女」の顔が驚愕に歪む。
『そんな……! 』
「どうした。ここの人間がハッキングが得意だと言ったのはお前だぞ? 」
『……私を消去するというのかね、ミコト=カツラギ』
 ミコトは答えない。
『いずれその決断を後悔することになるさ。パンドラの箱を開けてでてきたものが何か、知らない訳ではあるまい』
「でも最後に希望が残った」
 かたんと軽い音を立て、エンターキーが入力された。強制終了、メモリ・フォーマットスタンバイ。再起動を開始します。
「……」
 ミコトは無言でアイリスを見上げていた。ハッキングは再開され、わずかに残っていた身体の部分も分解が再び始まっている。まだ目は閉ざされたままだが、お陰で彼女が痛みを感じなくてもすむのならそれも良いだろう。
 自壊プログラムはデリートされ、システムのダウンも回復した。妨害のなくなったグレンの解析は順調に進んでいる。使ったラップトップやメディアディスクは記憶媒体部分を粉々に砕いたのでデータの復元は不可能だろう。今度こそミコトのやることは残っていない。
 長いようで短い二年間だった。心にぽっかりと穴があいてしまったような喪失感が身体の中を流れていた。
『……ミコ、ト? 』
「おはよう、アイリス」
 彼女が目覚めたようだった。眠たげな目がゆっくりと開かれ、綺麗な虹彩が現れる。まだ夢の中にいるようなぼんやりとした眼差しをミコトに向けながら、彼女は呟くように話しだした。
『良い夢を、見ていた気がするの。街の中を自由に歩き回って、みんな笑顔で、風のにおいがして、それでーー』
 不意に口をつぐむ。自嘲を感じさせる微笑みは諦めと憧れが入り交じっていて、ミコトは何も言えなかった。
『ごめんね。おかしな話をしちゃったみたい。忘れて』
「アイリス……」
 侵蝕はやむことなく淡々と続いていた。美しい身体は美しく、煌めくように消えていく。
『どうしてかしらね。もう痛くないの。だから、心配しないで』
 言葉が見つからなかった。ミコトは口を真一文字に強く結んだ。
『あなたにはいくら感謝してもしきれない。私の代わりに生きて、幸せになってほしい』
「……約束する。キミが安心して眠れるように」
 アイリスは最後に花のように笑い、泡の中に消えていった。彼女を長い間戒めていたケーブルは、カプセルの底に落ちてカランという音を立てていた。
 一人いて、二人になって、また一人になった。機能を果たしたカプセルはもはやその動作を止めている。静寂と余韻。苦闘の末に与えられた平穏。だがそれは長くは続かない。
「ーー突入! 」
 キャットウォークの上の入り口扉がけたたましい音とともに蹴破られた。総勢七名、ライフルを構えた黒ずくめの男たちが無遠慮に入り込んでくるのをミコトは冷めた目つきで眺めていた。
「ハウンドか。市長も容赦がないな」
「ーー動くな、システム不正アクセスおよび国家反逆罪の疑いで逮捕する」
 七つの銃口は訓練された動きでミコトの周りを取り囲んでいた。テーブルが押し倒され、上においてあった物が散乱する。床にぶつかったオレンジは無惨に砕けてその中身をさらけ出した。
「おいおい、あんまり汚さないでくれよ。ここの掃除は大変なんだ」
「黙れ! 必要とあれば射殺の許可も出ている! 」
 リーダーの男が脅すように銃を構え直した。しかし彼はたじろがない。薄ら笑いさえ浮かべている。
「投降しろ。おとなしくしている限り身の安全は保証する」
「ーーいやだね。彼女を裏切るくらいだったら、約束を破る方がましだ」
「っこの! 」
 ミコトはベルトに挟んでいた小型の拳銃を取り出しこめかみに押し当てた。乾いた銃声が、主のいなくなった部屋に鳴り響いた。
Scene 7 :
 街は今日もいつも通りだった。今日という日を生き抜き、明日という日を迎えるため。人々は相も変わらず路上に店を出し、威勢のいいかけ声を上げ、市場には品物を売りさばこうという気持ちのいい熱気があふれている。グレンはそんな通りのオープンカフェの席に座り、売店で購入した新聞を広げていた。
「……」
ーーメイヤー市長ブランク ・ルームの完全解放を宣言。主席エンジニアのカミンスキー氏は特別表彰へーー
 広場で演説する市長の写真がトップを飾り、紙面には長年の悲願がなされたことに対する威勢のいい言葉が並んでいる。しかし無表情なグレンの目は社会面の片隅に注がれていた。
「はぁはぁ、すみません。遅れてしまって」
 駆け寄ってきたのはシーリンだった。いつもより少しだけ華やかな装い。走ってきたせいかその顔はほんのり上気している。
「いや、気にしなくていい」
「 でも……」
 グレンは新聞を畳むと近くにあったゴミ箱の中に無造作に投げ込み立ち上がった。
「行こう、シーリン。時間というのはあっという間に過ぎてしまうよ」
 二人連れ立って賑やかなストリートを歩く。ふとグレンは立ち止まって上を見上げた。真っ青な空を切り裂く総合市庁舎オベリスクは今日もそこにそびえ立ち、街のすべてを監視している。
「グレンさん? 」
「……いや、なんでもない」 
 グレンは巨大な墓標に背を向けると、シーリンと共に街の人混みの中へと消えて行った。  
fin. 
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xf-2 · 7 years ago
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「当時、ルソーを語らないやつはダメでした。僕は哲学専攻でしたから特によくルソーを読み込んだ。女の子の前でフランス革命を語るのが、一番カッコよく見えた時代です」
元中国人の評論家・石平に若い頃の話を尋ねると、そう言って笑みを浮かべた。
1962年に中国四川省で生まれた石平は、幼少期に文化大革命を経験。やがて1980年、北京大学哲学系に入学し、学内で民主化運動に熱中した過去を持つ。中国が改革開放政策に走りはじめた当時、キャンパスでは誰もがルソーを読み、国家の未来と民主主義を語るのが流行だった。
卒業後、石平は中国国内で大学講師になったが、学生に民主化運動のオルグをやりすぎて上司に睨まれ、新天地・日本に留学。神戸大学大学院で博士号を取得している。1989年に六四天安門事件が発生したときには、彼は関西地方の中国人留学生グループのなかでも相当にアクティヴに動き回った。
私は先日、彼のような天安門世代の中国人たちの「その後の人生」を追いかけた『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(KADOAKWA)という本を刊行した。天安門事件が起きたとき、日本は平成元年。この約30年間で、かつての若者たちの人生は大きく変わったが、それはいまや「元中国人」の保守評論家となった石平も例外ではない。
石平の心のなかにある、往年の民主化青年の素顔に向き合ってみたい。中国の若者が、カネ稼ぎや就職の心配よりも国家の未来を心配していた時代の記憶に触ってみたい。そこで今回の記事では、石平にそんな過去への思いを存分に語ってもらうことにした。
この記事を読んでいる日本の大部分のネットユーザーはきっ��知らない、もうひとりの石平の姿。どうぞご覧いただきたい。
革命神話が生きていた時代に
安田 いわゆる天安門世代に該当するのは、1960年代生まれの中国人。中国語で「六〇後(リョウリンホウ)」と呼ばれる人たちです。彼らの青年期後半と日本のバブル絶頂期は重複していて、中国国内のエリートがいちばん多く日本に留学していた世代でもあります。
結果、現代の「有名な在日中国人」はみんな天安門世代です。石平さんをはじめ、財界ではソフトブレーンの宋文洲氏やラオックスの羅怡文氏、芸能人では周来友氏や李小牧氏、小説家の楊逸氏など、非常に濃い面々が揃います。日本で教鞭を執る中国人大学教員も、この世代がいちばん多いでしょう。
石平 そうですね。日本にいる中国人留学生の質が高かったのは1980年代なんです。90年代前半期も、天安門事件に失望した中国のエリートが大勢日本に来ています。
安田 天安門世代は、ほかにもIT企業アリババの創業者のジャック・マー(馬雲)やバイドゥ創業者のロビン・リー、シャオミ創業者の雷軍、暴露大富豪の郭文貴など、中国財界の大物たちも数多く該当します。中国共産党の高官だと胡春華や孫政才(2017年7月失脚)もそうですね。この世代の中国人の、心の原風景みたいなものを知りたいんですが。
石平 いいでしょう。たとえば僕の場合、4歳で文革がはじまり12歳で終わった。物心ついたときはまだ、革命神話が現役だった時代です。「偉大なる中国共産党により解放された祖国は素晴らしい」「諸君は世界で最も幸せに暮らしているんだ」「日本人民やアメリカ人民は悪しき資本家の抑圧のもとで食うや食わずやの生活である」と教わりましたよ(笑)。
殺伐を越えて
安田 往年の石平少年も、胡春華少年もジャック・マー少年も、みんな毛主席の紅小兵だった。中国人民より “不幸”なアメリカ人民や日本人民を、共産主義の光で解放するのが使命だと教わってきた。
石平 ええ(苦笑)。しかし、文革で社会はメチャクチャになる。そして70年代からは、農村に送り込まれた紅衛兵の一部が無許可で都市に戻り、仕事がなくて犯罪に走るようになった。70年代の中国は貧しくて閉鎖的なだけではなく、治安も悪くて暗い時代でした。
※来日して早大大隈講堂でトークセッションをおこなったアリババ創業者、ジャック・マー。今年3月末時点で時価総額世界8位の巨大IT企業を率いる彼も1964年生まれであり、世代的には「天安門世代」だ。2018年4月25日、大隈講堂内で安田撮影
安田 そんな殺伐とした時代の後に、ようやく毛沢東が死んで雪解けがはじまる。石平さんが北京大学哲学系に入学したのはこの時期(1980年)です。どんな学生だったんですか?
石平 当時、鄧小平の新体制のもとで、毛沢東時代がある程度は否定された。そこで登場したのが、文革の悲劇を暴露する「傷痕文学」という小説ジャンルです。私は高校から大学にかけてむさぼるように読んで、強く影響を受けた。当時は娯楽が少ないので、他の同世代も似たり寄ったりだったでしょう。
僕らが子どもの頃は「素晴らしい政権の下に生まれている」と教育された。それが大人の入り口に立つ頃になって、自分たちの社会の残酷さ、恐ろしさを知る。両親や同級生からも、文革当時のひ��い話をたくさん聞く。この時期にいちど、世界観を完全に壊されるんです。
安田 日本だと昭和一ケタ世代みたいな感じかもしれませんね。軍国主義教育を受けて育ったのが、戦争が終わったとたんに「真相はこうだ」「総懺悔」みたいな話を突きつけられるという。
石平 近いかもしれません。そこで80年代に大学生になった僕らの世代は、みんな一気に民主化にはしるわけです。非常に高揚感のある時代で、外国の情報も入るようになって。当時のキャンパスはそういうパラダイムのなかにあったんですよ。
安田 1989年の天安門デモだけが有名ですが、実は80年代の中国では大小の学生運動が頻発し、経済だけではなく政治の自由化も盛んに議論されていた「学生運動の時代」です。ところで、日本で学生運動が盛んだった60〜70年代には、『資本論』を読んでないやつはバカにされるみたいなのがあったそうですが。
石平 うちらもそう。当時、ルソーを語らないやつはダメでした。僕は哲学専攻でしたから特によくルソーを読み込んだ。女の子の前でフランス革命を語るのが、一番カッコよく見えた時代です(笑)。
安田 実に安保闘争っぽいなあ(笑)。ちなみに日本の60年安保のときの大学進学率は10%すこし。いっぽうで1980年の中国の当時の大学進学率は2%未満です。
地獄を見た人たち
石平 そう。当時の中国で大学に入れたのは非常に限られた人間だけでした。しかも社会主義が残っていた時代で、学費も寮費も食費もほぼいらない。われわれが民主化運動に没頭できたのは、ある意味で「中国共産党のおかげ」だったのですよね。
安田 当時の中国ですと、卒業して学士様になれば大学の講師ぐらいにはなれた。少なくとも職には決してあぶれなかった。石平さんを含めて、80年代の中国で民主化を叫んでいた若者は、非常に限られた特別な人たちだった。
石平 完全に恵まれた人たちの、温室のなかの贅沢な革命です。いまから考えると幻想に過ぎないのですが、みんなが天下国家を語り、「自分の力で中国を変える」という気負いがあった。当時の最高指導者の鄧小平は理解不能だったでしょうね。「君たちをこれだけ優遇してやったのに、なぜ逆らうんだ?」と思ったはずです。
安田 それに、みなさんから一世代上(1950年代生まれ)の人たちも腹が立ったでしょう。彼らは文革のまっただなかに青春時代を送った紅衛兵世代です。習近平みたいに幹部の子弟でも農村に送られて、地獄を見た。ろくな勉強もできなかったわけですから。
石平 その通り。習近平たちの世代から見れば、僕たちは単なる生意気な青二才にみえるのです。農村など低層のことは何も知らずにして民主主義ばかりを語っているアホどもが、という感じです。しかし彼らの世代は、毛沢東独裁政治の被害者でもあるのに、今になって独裁体制作りに躍起になっているのも、私たちから見れば摩訶不思議です。   安田 紅衛兵世代と天安門世代の仲の悪さは、『八九六四』の取材でも感じました。たとえばあるデモ学生OBに「何が不満だった?」と聞いたら、「俺は大学まで出ているのに、紅衛兵世代で小学校しか出てないやつの下で働くのがイヤだった」とか言うわけです。気持ちはわかりますが、当時の中国社会の現状から考えるとかなりの「わがまま」ですよね。
石平 われわれの運動は、失敗に終わるべくして終わったということですよ。中国がなんたるか、社会がいかなるものかも理解しないまま、理想だけを持っていた。もちろん、それでも青春時代の情熱を燃やしたことに悔いはない。命を捧げた人たちもいる。僕たちが体験した1980年代というのは、そういう時代だったんです。
安田 現在の中国からは想像もつかないような、学生運動の政治の季節ですね。
石平:そんな僕たちの時代は、1989年の天安門事件をもって終わりました。そう。あの事件ですべてが終わったんです。
愛国心は「逃げ場」だ
安田:終わった後に残ったものはなんだったんでしょうか、
石平:僕たちの世代は、自分の中にある毛沢東時代までの価値観をすべて壊しました。結果、中国共産党も人民日報も中国中央電視台(CCTV)も、あらゆる権威を信じなくなった。
いっぽうで従来の価値観を壊した結果、次はどんなことがはじまってもいいと思って、自分の頭で考えてルソーやフランス革命に接近していった。80年代を通じて、僕たちの世代を唯一まとめていたものは、民主主義という理想だったんです。
安田:しかし、それは天安門事件で壊された。
石平:はい。すると、僕たちの世代にはもはや共通点がないんです。みんなが好き勝手なことをやるようになる。なかには理想にあくまでもこだわって、理想のままで生きていく人もいないではない。でも、ニヒリズムに陥って、やがて立身出世や金儲けだけに走っていったやつも大勢出ました。
安田:『八九六四』にも、天安門事件の理想が破れて拝金主義者になってしまった青年の話が出てきます。もとは爽やかな好青年だったのに、すっかりイジけてカネの話しかしなくなった人が。
石平:イジけ方にもいろいろあります。中国国内の愛国主義者になっていったやつらもいる。例えば、ゼロ年代前半頃から中国ではネットの掲示板にやたらに愛国的なことを書く人が出てきましたが、どうやら初期の時期のそういう連中の一部は、僕と同じ世代みたいなんです。
安田:石平さんの初期の著作(『中国「愛国攘夷」の病理』小学館文庫、2002年)で書いていた、2001年ごろに人民日報傘下のネット掲示板『強国論壇』に集まってタカ派的な発言を繰り返していた人たちですね。当時の中国で、ネットを使えた人はエリートに限定されていたはず。彼らの正体は、すくなくとも一部については天安門ニヒリズムを抱えた世代だったと。
石平:金儲けと出世に走るやつがいる。あるいは、ごく少数ですが、純粋な気持ちを内面に持って反共産党の立場を永遠に貫いていくやつもいる。でも、どっちにもなれないやつがいるんです。そんなやつの逃げ場は愛国心になる。
天安門と「反日」
安田:なるほど。天下国家を論じたい理想主義者だったのに、民主化の夢は破れた。でも、開き直ってカネ儲けをすることもヘタクソ。そんな人たちが、中国のネット黎明期の反日言説の源泉のひとつになっていったと。
石平:僕の同級生にもそんなやつがいました。1980年代は、口を開けば中国の民主化を語っていたのに、1990年代になると反日的なことばかり言うようになった(笑)。ただ、こういう連中は弁が立つし文章も上手いし、語彙力もありますから、文章を書くとずいぶん迫力のある「反日言説」ができあがる。
安田:なるほど。後年に中国でネットが普及してから出てきた憤青(中国版のネット右翼)みたいに「小日本のバカ」「中国バンザイ」と一行レスを書き残すだけならバカでもできる。でも、いびつに歪んだイデオロギーであれ、それを長文で論理的に弁じ立てていくのは、やっぱり賢い人間じゃなきゃできません。
石平:そういうこと。2001年ごろの『強国論壇』の愛国反日的な文章を眺めていると、ピンとくるときがあるんですよ。こいつは僕と同じ世代なんだろうな、って。
安田:この論理構造は、かつて80年代の北京大学で見たアジビラとそっくりだ! みたいな。
石平:そうそう(苦笑)。文章それ自体は、実にガッチリと論理を構築して書かれている。
安田:政治理論みたいな抽象的な理屈を文章にして、理路整然と論じていく能力って、近年は世代が下るほど弱まっていますよね。これは中国だけではなくて、日本でもそうですが。
石平:そうです。仕事でやっているわけでも、自分の生活上の利益とも直結していないのに、理屈をこね回して抽象的な長文を書くような人は、日本ではほとんど絶滅しているんじゃないかな。中国でも、私たちの世代が最後なんです。
安田:一昔前までは、エリートでも哲学や文学を専攻する人が多くいたので、そういう「政論」を書くことが趣味みたいな人が大勢いました。でも、ここ20〜30年は社会が変わって、エリートはITや金融みたいに実学的な学問を勉強するようになったので、そういう趣味を持つ人も減ったように思います。
石平:そう。僕たちはそういうことをやる、最後の愚かな世代といいますか。僕たちよりも若い中国人のエリートは、もっと世故に長けていて賢いでしょう。ネットに「政論」を長々と書くような、非生産的なことはしませんよ。
反日とはなんだったのか
安田:ところで、70年代〜80年代生まれの中国人のエリートは、石平さんたち天安門世代と違って学校で反日・愛国主義教育を受けているはずです。でも、彼らは日本旅行が大好きだし、無印良品みたいな現代日本っぽいライフスタイルや、日本食やジャパンコンテンツのよき消費者となっています。全然反日的じゃないですよね。
昨年、『君の名は。』の聖地巡礼のために飛騨古川にやってくる若い中国人個人旅行者を取材したんですが、彼らは実にお行儀がよくて物静かで、日本に対して健全な親しみを抱いている。正直、中国政府が天安門事件後にはじめた反日・愛国主義教育とは何だったのかと思えてきます。
石平:中国の反日・愛国主義教育は、バカが信じればそれでOKなんですよ。日本に個人旅行に来るくらい生活に余裕を持てる人は頭のいい人間だから、学校で教わるイデオロギーなんか真面目に信じない。
安田:逆説的に言えば、政府のプロパガンダを本気で信じて「反日」になるようなバカは、中国の社会は成功できないし金持ちにもなれない。
石平:そういうことです。一方で、格差の末端に追いやられた「持たざる者」は、潜在的な体制への不満分子です。そういう連中のフラストレーションを溜めず、高揚感を持たせてやるために中国政府が与えているのが、反日や愛国主義というオモチャなんですよ。
安田:中国の政府にしてみれば、社会で負け組になった「バカ」の不満がお上に向くことなく、「小日本め!」と日本を憎みながら大国意識に酔っていてくれれば天下は泰平である。
石平:そう。いっぽうで現代の中国では、金持ちや賢いやつは体制に反抗しない。だから、彼らが反日・愛国主義教育を信じてくれなくても政権の脅威にはならない。結構巧妙なんですよ。
天安門世代はなぜニッポンを愛するか
安田:日本に帰化した元中国人は少なくありませんが、石平さんは彼らののなかでも特に日本のナショナリズムに親和的で、靖国神社にも参拝しています。いっぽう、学識から考えても、ご本人と向き合ってお話をしていても、石平さんはナショナリズムを相対化して考えている人だと思うのです。
石平:もちろんですよ。日本のナショナリズムについても、例えば僕は昭和の初期の日本の戦争については基本的に批判的な立場です。ああいう全体主義的なナショナリズムは行き過ぎている。これは僕のあらゆる本で書いているんですよ。
安田:最近でも『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか』(PHP新書、2018年)の終盤で、がっつり書かれていますよね。
石平:ええ。もっとも、戦後の日本でその問題が逆になって、国を愛したり国旗を掲げることすらタブー視されたのもいけません。戦前も戦後も、方向性は真逆ですが極端な誤りがあると思っています。
安田:とはいえ「日本人・石平」の政治的立場は、平均的な日本人と比較しても右に位置するはずでしょう。なぜでしょうか。
石平:正直なところ、僕は最後まで理想主義者なんです。要するに、なにか理想的なものの中にいないと、自分はもたない。かつての理想の枠組みは中国への愛国心にもとづいた、中国のための民主化だった。でも、それは永遠に破れてしまった。ならば当然、僕の新しい理想の枠組みは日本に置かれるんです。
安田:天安門事件で空っぽになった理想の器は、別に何かで満たされなくてはならなかった。
石平:ええ。僕は幸いにして日本に来て、長く生活してきましたが、いい体験ばかりなんです。僕は中国の古き良き文化が好きな人間ですが、それは現代中国で失われたものすらも、日本には存在している。例えば今日、ここに来て――。
安田:大阪から滋賀県までお越しいただいてすいません(注���この対談は安田の実家の寺院でおこなわれた)。
石平:いやいや。ここで寺の庭を眺めて、お茶を飲んで風の流れを感じてと。そこで私が感じるのは古き良き中国であり、それを美しく昇華させた日本の伝統文化への愛着なんです。ある意味で、僕にとっての理想の世界は日本にこそある。日本料理も大好きです。
もちろん僕も、日本が抱えている様々な問題は知らないわけじゃない。しかし、それは別の問題です。僕にとって日本は、理想的なものでなくてはならない。そうなっちゃった。ある意味において、僕が日本を愛するのは自分のためのことでもあるんです。
理想の世界を守るため
石平:そして僕は日本人としての意識を持つ。例えば靖国問題にしても、僕は昭和初期の戦争には否定的です。しかし、あの戦争で国のために命を投げ出した人は美しい。それを決断した人間はバカであっても、若くして純粋にこの国のことを思って、亡くなった方は美しい。だから僕は、自分が日本国民になった以上、彼らが眠る場所には参拝するべきだと考えている。
安田:新天地の国を愛して、精神的に一体化することを望む結果、現地では右派的とされる立場にコミットしていく心理は理解できます。例えば天安門の学生リーダーだった熊焱は、アメリカで帰化後に(従軍牧師としてですが)軍籍に入って、イラク戦争に参戦しています。かつてトランプ政権の仕掛け人だったスティーブン・バノンの幕友にも、中国民主派の在米華僑が少なからず混じっていました。
石平:僕はこの日本の伝統と文明に一体化して、人生における最後の安息を得たいと考えています。だから逆に、日本を攻撃して貶めるような言説は容認できない。なので、僕が左翼を批判するのも本気なんですよ。自分の心と精神における、最後の理想の世界を守らなくてはならない。   安田:なるほど。とはいえ私は「日本を貶める」というか、一定の適切な批判は必要かと思います。例えば中国でも、天安門のデモの学生が中国の国家体制や政治を批判したのは、別に祖国が嫌いだったからじゃない。むしろ一種の愛国心ゆえでしょう。日本においても、こういう立場からの批判は健全なものだと思うのですが。
石平:それは当然。民主主義の社会ならば、それは存在するべきです。ただ、僕は政策を批判することも賛成することも必要だと考えています。例えば安倍総理の日韓慰安婦合意は、例え他の右派の人たちがナアナアで納得していたとしても、僕はあくまでも反対して批判する。逆に改憲や安保法制の整備には賛成するんです。
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日本にはもうすぐ、平成最後の夏が訪れようとしている。1989年に幕を開けた時代の終焉である。しかし中国もまた、この約30年間で人も社会も一変し、往年の天安門のデモに熱狂した青年たちも考え方を変えた。石平の人生遍歴もそのひとつだろう。
かつての民主化青年たちは、天安門事件で空っぽになった理想の器を何で満たしたのか。『八九六四』では、そんな彼らの後半生に密着している。社会のありかたを変えた事件が、当事者たちにもたらしたものとは。それは、結果的に日本に何を与えたのか。
平成元年に北京で起きた大事件から、中国と日本のいまが見える。
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