#目的は適度に変更しないと脳や体がおっかしくなる
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ひとつのベスト道順を設定することは、その脇を全部通らない場所に設定すること
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「企業のネットが星を 被おお い、電子や光が駆け巡っても」国家や民族が消えてなくなるほどではない近未来が舞台の『攻殻機動隊』などで、後のクリエイターに多大な影響と衝撃を与えた漫画家、士郎正宗さん(63)。デビュー40年を迎え、世田谷文学館(東京都)では初の大規模展が開催される中、読売新聞の単独書面インタビューに応じ、これまで生み出した作品や創作の秘密、AI(人工知能)がもたらす人間の未来などについて縦横無尽に語った。近年ほとんどメディアの取材を受けていない士郎さんの貴重な語録をご覧あれ。(文化部 池田創) 展覧会では、『攻殻機動隊』の主人公の素子の印象的なセリフが印刷されたのれんが来場者を出迎える(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 世田谷文学館で大規模展 ――デビュー40年を迎えられて、どのようにお感じになっていますか。 そもそも寡作な上、諸事情による中断・未発表・ボツ作品が多過ぎて読者諸氏に申し訳ないものの、何とかここまで生き残る事が出来て大変に幸運だったと思っています。活動が東京や他業種に広がるに連れて「水中を歩いて進むかの様な状態」になり、40年、色々と大変でした。また書籍などの荷物が転居や避難に適さない分量になっています(笑)。 ――代表作「攻殻機動隊」は海外でも熱狂的な人気が続いています。 最初期に出版物の海外展開を頑張りました。望外に細長く継続しており、ありがたい限りです。 ――今回の世田谷文学館の展覧会は大量の原画が間近で見ることができ、充実した展示内容です。 士郎正宗さんのコメントとともに作品世界を振り返る巨大な年表(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 今回このような機会を頂き大変感謝しております。僕程度の小規模 傭兵ようへい 型漫画家でこういった事が可能なら、日本のコンテンツ業界はもっと多様多彩な作家・作品を、深掘り探索・開発活用出来るのではないかと思います。 ――「攻殻機動隊」をはじめ、ご著書は情報化社会を予見していると言われます。 たまたま運良くタイミングや関係者の都合に合致し話題として取り上げて頂いているだけで、僕以外にもそういった作家・作品は多数存在していると思います。情報化社会の好ましくない側面があまり大きくならなければ良いですね。物騒、殺伐、トラブルは架空妄想物語の中だけで十分です。 ――AIの発展についてどのように感じていますか。 利便性と損害可能性は表裏一体、これまで考えられなかったレベルの明るい未来の可能性が開ける一方で、悪用や視野 狭窄きょうさく が起き、見えざる支配も容易になっている。研究開発に係る方々には頑張って頂きたいなと思います。 簡易強化外骨格、遠隔操作系ロボット類の開発が現実的 ――幼少期に親しんだマンガや小説はどのようなものがありますか。 デビュー作『アップルシード』のラフスケッチなどが並ぶ展示室(東京都世田谷区の世田谷文学館で) アニメ版の「鉄人28号」や「エイトマン」から入って、雑誌「りぼん」(一条ゆかり氏、大矢ちき氏、弓月光氏などなど)、松本零士氏、永井豪氏、細野不二彦氏の影響が大きいですね。大学以降は諸星大二郎氏、星野之宣氏、大友克洋氏の存在が大きいと思います。 ――「攻殻機動隊」で描いた人間の身体と精神の関係はどのように感じていますか。 脳や体が一体として機能している中では、脳が優位の制御系があったり、体が優位の制御系(例えば副腎とか脊髄反射系とか)があったり、交換可能な部分や欠損許容部分(例えば昔は虫垂や 胆嚢たんのう を結構普通に切除していた)があったり、複雑で不思議に出来ていると思います。 義体化のような、身体交換は僕が生み出した要素ではありません。スタニスラフ・レム氏の『君は生きているか?』や、日本のマンガアニメ界においては石ノ森章太郎氏の『サイボーグ009』などの有名作品がすでにありました。サイバネティクスの一般的な目的は医療や軍事だと思いますが、今後は老化・劣化対策というのも存在感を増すかもしれません。個人的には年々増加中の災害現場における簡易強化外骨格や遠隔操作系ロボット類の開発を進める方が現実的かなとは思います。 ――ご著書に細かく書き込まれた欄外文章の役割や狙いを教えてください。 リズム感が単調になりがちな説明セリフや会話を物語内部から減らせる、それによってキャラの練度・演出を高めに設定出来る、物語と読者の距離の調整ができる、などでしょうか。昨今、いや昔もこういう方法は 流行はや りではありませんが……。 ――押井守監督のアニメーション映画版のご感想をお聞かせください。 個人的には原作に気を使っている部分が押井氏にしては多めの1作目より、押井氏節全開の『イノセンス』の方が好みです。いずれも一生懸命作って頂いてありがたいなと思っております。 ――ネット社会の広がりやAI技術の発展をどう感じておられますか。 人工知能の偏向学習、悪意ある人 達たち による人工知能活用と、対策する側の人工知能活用の格差、オンライン上に無い膨大な情報の無視や軽視など、課題は山積しているのではないかと感じています。世界は 繋つな がって狭くなると同時に、逆に分断細分化が進んで互いの距離が開き、問題解決の可否、明暗の格差も広がっている様に感じています。今まさに『言葉が通じなくなってバベルの塔が崩壊し始めている』状態でしょうか。人工知能育成では可能な限り、真実や実態に近い情報を得て優先解とするような、何らかの情報検証機構が必要でしょう。 コスパタイパ重視では驚きや発見も無い ――ネットに常時接続することが当たり前になりました。そのことをどのように感じてらっしゃいますか。 一般的なネット通販をほぼ利用しておりませんが、ネット社会になってからの方がサービスの質が低下&商品を探しにくくなったように感じています。便利、合理的、コスパタイパ重視の姿勢は内向きになりがちで、冗長性や余白が少ない分、周囲を見渡す余裕が減少し続けるし、ひいては驚きや発見も無く窮屈ですね。昔のSFでは「監視管理社会」は人々の敵として描かれるのが一般的だったのですが、現代では意外とそういう管理監視社会の利点も許容されているように思います。とはいうものの、今後もDXが進み常時接続が常識常態化し、行政サービスやインフラなどの分野で、高度化し便利で安全で充実した幸福度の高い世の中になっていくと良いのですが……。 ――「攻殻機動隊」ではサイボーグ化しても人間の内にある「ゴースト」という概念が存在します。「ゴースト」とは何でしょうか。 展示室の中央には『攻殻機動隊』の原画が並び、迫力のある筆致を間近で感じられる(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 正確か否か、定義可能か、とは別にして、宗教や哲学や文学昔話の分野で古くから使われている「たましい」「霊魂」「ソウル」などの単語が印象として一般的には伝わりやすいのではないかと思います。「何だかよくわからないが、存在しているように思えるモヤっとしたものを『ゴースト』と呼ぶ」のも娯楽分野では分かりやすくて良いかな、ということで単語を使用しています。 犬や小鳥も感情を有することが一般的にも知られており、感情は人間だけが持つ最上位の機能・特別な評価対象ではない、という観点から、マンガ版ではゴーストという単語において「感情に特別な意味を持たせていない」つもりです。当然ながら人の価値観はそれぞれなので、僕と他のアニメ版の監督諸氏とでもこうした諸々に対する考え方に違いがあるわけですが、その事自体も含めて、作品を異なる角度から捉えて楽しんで頂ければ良いなと考えています。 神話は魅力の塊なのだが… ――ご著書はシリアスな展開と迫力のある戦闘シーンの間にギャグが挟まりますね。作中におけるギャグの効用とはどのようなものでしょうか。 シリアスとギャグの挟み方や割合、そもそも混在を容認するか否か、など受け取る方々の価値観も観点も実に多様なので「万人にとって満足できる作品」というのは僕には難しいなと考えています。僕の取り扱うキャラクターたちは明日をも知れぬ立場なので、悲観的に備え楽観的に対処する、冗談でも言っていないとやっていられない、といったタイプが多めになっています。会話の軽さと行動、判断の速さ厳しさのギャップを楽しんで頂ければ良いかと思います。 ――『仙術超攻殻ORION』は日本神話をモチーフにしたファンタジーです。神話の魅力を教えてください。 神話と呼ばれる物語達は限られた要素と根源的な思考や解釈と想像力で織り上げられ、時代や民族の壁を越えて生き残っている、「選び抜かれた精鋭達」です。人々の心情や思考型や文化を映す鏡として、魅力の塊と言っても良いですね。一方で歴史を振り返ると、建築や芸術や情報戦において支配者や宗教組織や抵抗組織の都合や思惑と深く関わったと思しきものも多く、純粋に「素晴らしいか?」と問われると、答えに困る側面もあります。 ――『攻殻機動隊』のフチコマや、『ドミニオン』の小型戦車ボナパルトなど、作品からは戦車愛を感じます。 正義感にあふれる女性警察官のレオナが活躍する『ドミニオン』のコーナー(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 「頑丈で壊れにくくて安全度が高い&移動以外にも何か作業が出来る乗り物」が好きですね。作品内に描く機会はなかなかありませんが、消防関連や港湾作業用の特殊車両、土木建築系や農林作業系の特殊機能車両なども同じように楽しくて興味深いと思っています。 気負わず欲張らず、自己ベスト更新維持 ――現在はイラスト制作や、画集���行に活動の比重を置いておられますね。 マンガやアニメやゲームの企画書・プロット・シナリオなども色々と作っているのですが、なかなか最終商品の形にまで進める事が出来ておらず、イラストや画集は関係者や予算が少なくても実現可能な 為ため か商品の形になりやすい、というのが理由かと思います。 ――女性のエロチシズムを感じさせる美麗なイラストを生み出されています。 展示室の後半は、雑誌に発表した色鮮やかなカラーイラストが目を引く(東京都世田谷区の世田谷文学館で) モノクロでは描写しにくいがカラーでは比較的描写が容易で、競合が起きにくいと思われる光沢の肌にこだわっています。近年の画集においては、似た構図やポージングの微差バリエーションを連続、重複して描くことで、アニメの原画をパラパラと連続で見る時に近い印象や効果の誘発が起きないかと工夫しています。 ――近況を教えてください。 今も40年前も変わらず東京ではなく関西にいて不規則不健康な生活をしながら昼夜延々と絵やプロットや駄文を描き続けています。視力体力の減少により、未読書籍が積み重なっています。 ――今後の執筆への意気込みや読者へのメッセージをいただければと思います。 気負わず欲張らず、自己ベスト更新維持で変わりなく、他にしたい事も無いので、ダラダラ延々と何かを作る日々を送ると思います。読者諸氏にはまた次の作品でお会いした際に、何らかの形でお楽しみ頂けると幸いです。
「攻殻機動隊」士郎正宗、ネット社会・AI発展に警鐘「言葉が通じなくなってバベルの塔が崩壊し始めている」 : 読売新聞
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前の記事で話した合宿から帰宅した。
学位プログラムの履修要件である授業の一環として行われたのがこの合宿だったが、なんとびっくり、内容はコミュニケーション能力増強合宿だった。大学からバスで1時間程度揺られ、昔ながらの古い合宿所で、1泊2日の合宿がはじまる。メンバーは前回の授業ではじめて顔を合わせただけの、ほぼ初対面どうしだった。研究室の同期(教授に詰められてよく泣く子)しか知らない状態だ。
言ってしまえば人間関係を構築するために必要なこととか、アイコンタクトとか、傾聴の仕方とか、そういうことに関する講義と演習を通して、コミュニケーションスキルを高めましょう、みたいなかんじ。コミュ難のわたしにはぴったりだった。
だがひとつ、気になることがあった。合宿のために来てくれた特別講師が、若干スピっていたのだ。スピというか、思想強め、みたいな感じだ。
その講師はべつに大学教授というわけでもない、フリーのマナー講師みたいなひとだった。企業の新人研修などによく呼ばれているらしい。最初、そのひとに対しては、やさしそうなオバチャンだなあ、くらいのイメージしか抱いていなかった。
だが、初日午前中の講義がおわって昼食を食べているとき、同じ班のYくんが言った。「あの先生、ヤバいひとらしいよ」と。どうヤバいのか。尋ねると、元気の「気」という字を、旧字体の「氣」を使って書くひとらしい。あと、脳力開発みたいな、そういうワードチョイスを好むらしい。ぞわ、とした。
とはいえ、授業自体はふつうだし、勉強になることもあった。授業は滞りなく進み、そこそこ得られたものもある。山の中にある合宿所のなかで、メンバー同士の連帯感もそれなりに強まった。
だが、最終日に違和感を覚えた。
先生が言う。「わたしたちは幸せになるために生まれてきたんです」と。嘘をつけ。幸せは結果であって目的ではないはずだ。だがみんな頷いている。わたしと同期以外はほぼ理系だ。論理のズレに気付かない。その時点で警戒心を強めた。
さらに先生が言った。
「暗病反(あんびょうたん)、明元素(めいげんそ)というものがあります。暗病反はネガティブな言葉、明元素はポジティブな言葉です。暗病反は使わないようにしましょう。特に、忙しい、という字は、心を亡くすと書きます。使わない方がいいですよね。こういった暗い言葉は、明元素で置き換えましょう。では、みなさんで明元素の言葉を音読してみましょう!」
全員で音読をさせられた。「明るい! 楽しい! 元気だ! 素晴らしい! 満足だ!」……等。
こわこわこわこわ。カルトのはじまりみたいでガチこわ。山奥の合宿所に閉じ込められて、みんなの連帯感が高まってきたところで、人間は幸福になるために生きているという意識を刷り込んで、ポジティブなワードリストを音読させられる。こわいよ、すごくこわい。はじまりは些細なものだけど、抵抗するのがマイノリティになる。みんなその歪みに気づかない。ネガティブな言葉を使ってはいけないと刷り込むことは、とても危険だと思う。自分の本当の気持ちを無視するのだから。生活がつらい人がいたとして、本当は精神疾患があるかもしれないのに、「ポジティブな言葉しか言ってはいけない」という意識のせいで、適切な機関に助けを求めるのが遅くなってしまうかもしれないのに。そんなこと、心理学をやってたらあたりまえだ。なぜこんな講義が、うちみたいな名門国立大でまかり通る? なぜ? こわいよ。ほんとうにこわい。それに対して誰も意を唱えないのがこわい。でもわたしだって言えなかった。糾弾されるのがこわいから。
講義後、「あの先生スピってるよ」と教えてくれたYくんの姿を見た。Yくんは熱心に、先生に質問をしていた。ドン引きした。おまえこっち側じゃなかったんかい。なに毒されてんの。きも。
同じ合宿に参加した研究室の同期の子に、「ちょっと最後の授業やばくなかった?」と言ったら、深く頷いていた。「音読させられたあたりから雰囲気変わったよね」と。よかった。それだけで安心した。
はじまりなんて結局どれも些細なことなのだろう。オウム事件だって、あの教団の最初はただのヨガ教室だったのだ。徐々に人々が連帯して、毒されて、過激になっていく。とくにメンバーのプライドが高いと尚更だ。あの事件だって、教団員の幹部のほとんどが高学歴。この合宿の参加者は、博士課程の院生。「おれたちはすごいのに、世間が認めてくれない」と思ってる人ほど毒されやすい。ほら、同じだ。この合宿に感じた違和感の正体はこれだった。ほんとうにきもちわるい。
合宿はぶじに終わったけれど、合宿メンバーでの講義は夏までまだ続く。学位プログラムの必修単位なので行かないわけにはいかない。それがひどくおそろしい。コミュ力なんてなくていいから、おまえは二度とうちの大学で授業をするな。
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「最高の不自由を生きる』——動物的自由を超えて
・洗脳と自由のパラドックス
人は生きる限り、何らかの価値観に影響を受け、それに基づいて行動する。家庭、教育、社会、宗教、文化、国家──これらは私たちの思考や生き方を無意識のうちに形作っている。
この影響を「洗脳」と呼ぶならば、完全にそこから自由になることは、悟りのような超越的な境地に至らない限りほぼ不可能と言える。
この『洗脳状態』は、一見すると安心感や社会的な連帯感をもたらすが、その代償として、深い��索や自己への問いかけを阻害する要因ともなりうる。安全で快適な環境がもたらす「満足感」は、一種の精神的停滞を招き、変革への原動力を弱める。たとえば、現代のメディアや教育システムは、一見すると客観的で普遍的な真理を提示しているように見えるが、その多くは特定の価値観や枠組みに基づいており、一面的な見解を「唯一の正解」として刷り込む作用を持つ。
こうした状況下で、「洗脳を拒否する」ためには、既存の枠組みを批判的に検証し、自らが信じるべき価値を積極的に選択する必要がある。これは、単なる反発ではなく、自己の内面に根ざした真の自由を追求するプロセスと言える。
しかし、ここで重要なのは、単なる反抗ではなく、何を受け入れるか、何を選び取るかという意識的な行為である。
ただ無自覚に洗脳され続けるのではなく、「意識的にどの価値を選ぶか」を考えること。そして、それこそが人間として自らを高める道のひとつではないか。
周囲から無自覚に洗脳されることも、単なる反発によってすべてを否定することもせず、『より良い価値を選び取る』という構え。
それが、現時点でできる最良の選択だろう。
ミルダッドが説いたように、人間は自らの「牢獄」の看守であり、その鍵は自分自身の手の中にある。すなわち、洗脳を全く拒絶することはできなくとも、自らがどの洗脳を選び、内面化するかで「生きる自由」は大きく変わるのだ。単に既存の枠組みに従う(というより自動機械)のではなく、意識的に「より良い洗脳」を選ぶことで、自分自身の本質を磨き、内面の自由を手に入れる。そのための試みこそが、我々人間にとっての自由への道、主体的な生の探求といえるだろう。
・どの価値を選ぶべきか?
では、「より良い価値」とは何か。それは単なる快適さや都合の良さではなく、自分自身をより深く理解し、世界との関わり方を豊かにするものでなければならない。私はその価値を、仏教やヨーガ、その他多くの宗教や思想から照らし合わせ、「エゴを超え、より自由で、より創造的な方向へと向かうこと」とする。
また、ただ「エゴを捨てよ」と言うのは簡単だが、実際にはそれ自体が新たなエゴの温床になりかねない。「私は利他的である」「私は高尚な道を歩んでいる」と自負することが、かえって自己満足や承認欲求につながることもある。
あるいは、老子の説く「無為自然」や禅における「無心」を誤解し、それを単なる放任や本能のままの生にすり替えてしまうこともある。実際には、それは「意識的な超越」とは異なり、単に受動的な無自覚へと堕する危険を孕んでいる。
動物は完全に無為自然・無心の境地に達している。赤子も同じだ。しかし彼らの説く「無為自然」や「無心」の境地がそれらと異なることは自明だろう。言葉にすることは容易くないが、あえて説明するならば、動物や赤子は無意識的な無心(環境に従順)であり、我々凡人はエゴに支配された選択(快楽や恐れに従う)である。
無論動物の生き方は、一つの完成形だ。
しかし、人間はそれを意識的に選択する可能性を持つ。
そして老子や禅でいうところの無為自然や無心の境地とは、それらを更に超え、意識的な無心(全てを超越しながら世界を生きる)の境地ということができる。
・エゴを意識し、より良い方向へ使う
仏教の「無我」の教えによれば、そもそも固定された「私」というものは存在しない。私たちの存在は縁によって成り立ち、常に変化し続けている。しかし、それを理解したからといって、すぐに無我の境地に至るわけではないし、エゴを完全に手放せるわけでもない。だからこそ、エゴを敵視するのではなく、「意識的に利用する」という発想が求められる。
たとえば、『人の役に立ちたい』という気持ちが芽生えたとき、その奥にある『人から認められたい』『自分は善い人間でありたい』という願望を冷静に見つめる。そして、それを抑圧するのではなく、「より良い価値を生きるためのエゴ」として活かす。
重要なのは、その行為が深い内省を伴い、意識的に選択されたものであるかどうかだ。たとえそれが道徳的なものであれ、社会的なものであれ、宗教的なものであれ、自己満足や盲目的な従属ではなく、「主体的に選ばれた価値」として生きられるかが問われる。
これは、ヨーガの「カルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)」にも通じる考え方だ。つまり、「結果に執着せず、ただ適切な行為を選び、それを淡々と実践する」という態度。我々凡夫にとって今為すべきことは、「エゴを持たないこと」ではなく、「エゴを自覚し、より良い方向へと昇華すること」なのだ。
・意識的な生の選択——ビオスの視点
ジョルジョ・アガンベンは「ビオス」と「ゾーエー」という概念を通じて、人間の生を「単なる生存(ゾーエー)」と「主体的な生(ビオス)」に分けた。現代社会では、管理された生存(ゾーエ)が優先され、主体的な生の選択が抑圧される傾向にある。
この視点から考えるならば、「意識的に洗脳を選ぶ」とは、「どのように生きるか(ビオス)」を選び取る行為そのものだ。与えられた価値観を無自覚に受け入れるのではなく、「どの価値を採用し、どの価値を手放すか」を能動的に決定すること(その決定も別角度からの洗脳であるという意識しながら)。
これはミルダッドの思想とも響き合うが、彼の説く悟りのような完全なる超越ではなく、あくまで「現実の只中において、いかに意識的に生きるか」という問いである。
※尚、あくまでアガンベンはビオスを社会的生と位置付けた。
・ニーチェの超人——価値の創造者として生きる
ニーチェは「神は死んだ」と宣言し、従来の価値体系の崩壊を指摘したが、これは時代ごと、否刹那ごとに新しい神(ニーチェのいう一神教的な神のみでなく凡ゆる社会的洗脳を含む)、"広義の神"を殺すこと。そして「新たな価値を自ら創造する存在」として「超人(Übermensch)」を提示した。「超人」とは、盲目的に価値を受け入れるのではなく、自らの生を主体的に設計する者のことだ。
この超人の思想は、単に「洗脳を拒否する」のではなく、「どの価値を選び、それをどう超えていくか」を意識することに繋がる。私たちは社会の中で生きている以上、何らかの価値観に影響を受ける。しかし、それを無批判に受け入れるのではなく、「自分にとって本当に価値のあるものは何か?」を問い続け想像すること。そして不屈の精神力と絶対的な生の肯定。それこそが、超人としての生き方なのだ。
またニーチェから強い影響を受けたバタイユ、そのバタイユと長い交流のあった岡本太郎は「芸術は爆発だ」と語り、既存の価値観を破壊し、生命の爆発的な創造を肯定した。彼の言う「爆発」とは、単なる衝動的な行為ではなく、生命を全力で表現すること。この生き方は洗脳を選択するという段階を超え、創造へとジャンプする表現であり、「まったく新しい生を創造する」という方向性だ。
・自らを超える意志——選択する力の重要性
ここまでを総合すると、私たちが目指すべきは、ただ無自覚に無為自然といって流されるのではなく(流れられるのは仏陀のみであるから)かといって無自覚に自身の価値観を確固たるものとして見るのでもなく、常に自らの内面と向き合い、何を信じ、どのように生きるかを自らの意思で決定するということだ。
これは、単なる自己満足や反抗ではなく、厳しい自己研鑽と内省の結果として生まれるものである。ミルダッドが説いたように、人は常に自らの内に秘めた可能性を持っている。しかし、その可能性に気づき、現実の中で実践するためには、意識的な選択と努力が不可欠である。
・結論—より良い価値を生きるという選択
今まで述べてきたように完全に洗脳から自由になることは難しい。しかし、無自覚に流されるのではなく、「どの価値を選ぶか」を意識的に決定することはできる。そして、その選択の基準は、単なる快適さや社会的承認ではなく、「自分自身をより深く理解し、より豊かに生きるための価値」であるべきだ。
私たちは、自らを高めることを求めながら、同時に今できる最良の生き方を選ぶことができる。未来の超越を夢見るだけでなく、今この瞬間に自身が過去に受け取ってきた社会的洗脳から何を選ぶかを意識すること。それこそが、「より良い価値を生きる」という選択であり、現実の中でできる最も確かな一歩なのだろう。
そして動物(完全な無知)と超人の間にある我々人間は、凡ゆる洗脳から脱却するために、「意識的に」生きることが必要だ。これは、一見すると世間一般で言われる「自由」とは正反対の道のように思える。
しかし人間における自由や自分軸というものは、洗脳され切った価値観や好き嫌いを無自覚なまま「これがワタシだ」と自身を無闇矢鱈に曝け出すことではない。そうではなく、「これが私の価値観だ」と思う価値観は如何に形成され、本当にそうなのか。果たしてそうあるべきなのか。と常に自己に問いかけ、内省し、より良い価値を生きようとする選択である。
畢竟するに、最高の生き方とは、単なる目標達成ではなく、生そのものを目的とすることである。
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FF16プレイ雑記 1周目
バルナバスが好きだ、という話を綴りました。
ネタバレを含むので、本文は以下に畳みます。
アルティマニア未読、公式情報も含めて解説の類はまだ追っていないので、「何をいまさら」もしくは「全く的はずれ」と思われるようなことを書いている可能性が高いです。
その他、うろ覚えな部分も理解に至っていない部分も大いに含みます。
と、事前にいろいろ言い訳をはさみつつ。本文はフォトの下のリンクからお進みください。

バルナバスが好きだ。
初登場シーンでの第一印象は、「顔色悪いなこの人、大丈夫なのかな」だった。その後もちょいちょい意味深な登場をするものの、どれにも特に惹かれることはなく、かなり終盤まで「よくわからない気味の悪いやつ」くらいにしか思えなかった。発売前のキャラクター紹介からは主役級インパクトを感じて期待していたのに、実際にはイマイチ薄味な感じじゃないか、とすら思ってた。それが最後の最後で覆され、一気に好きになった。
きっかけはクライヴとの最後のバトル。突然の高笑い、声のトーンやそれまでのテンションとの差から「狂気!」という言葉が脳裏に浮かんで、「こんな一面もあったのか!」という驚きと共に興味を引かれた。陳腐な言葉を敢えて使うなら、ギャップ萌え、なんだろう。薄味に見えていた人物の中身は濃厚な狂気に満ちていた。クライヴと対峙することでその濃厚な狂気は更に密度を増し、遂に溢れ出してきた。これはすごくいいぞ、と思わず身震いするほどに。
高笑いを聞いた瞬間に感じた狂気は、生理的に受け付けないものに近かったかもしれない。でもクライヴに語り聞かせる話の内容から、バルナバスの狂気は決してエゴイズムから来るものではないとも感じて印象が変わっていった。もちろん彼の行動が人類の救済だと思い込んでること自体はとんでもなく独り善がりなのだけど、自分さえ救われれば他はどうなってもいいという類のものではなく、むしろ他人も含めて皆が等しく救われるべきという考えには彼なりの正義があったはずだし、少なくとも救われるべき他人に対する何かしらの愛もあったんじゃないかと思う。そのことがすごく琴線に触れた。誰かのために動いてる。愛がある。それが人類のためなのか母様のためなのかはわからないし、クライヴとは絶対にわかりあえないだろうけど、ただ愛のある人だったかもしれないという可能性に心を動かされた。
教団がらみのサブクエでウォールードを訪れた際、そこで出会った民がアカシアになることを望んでいたことには、心底驚いた。民は、完全に自我を捨て去ることが救いだというバルナバスの教えを信じていた。辛い現世から解放されて無垢な存在になりたいという願いは、結局は現状に対する不満の現れであるはずなのだけど、民はその不満を王にぶつけようとはしていなかった。それが許されないような圧政だったのか、そんな気力も起きないほど暗く絶望的な状況だったのか、その背景はわからない。でももし少しでも王に対する不信があったなら、王の教えに従い信仰を貫くようなことはしなかったはず。そう考えると、バルナバスは民を導く王として十分な信を得ていたということにならないだろうか。実態はどうあれ良き王としての素質をもっていたのならば尚更、アルテマのためだけに動いていたのはもったいなかったんじゃないかと思えた。
もちろん彼の行動の結果としての民の犠牲を考えると、決してバルナバスが良き王であったとは言えない。ただ彼にとっては犠牲ではなく救済であったわけだし、私利私欲を捨てて救済のためだけに動きそれを半ば実現させていたことを考えると、もし彼がもっと違った形の救済を目指していたら類稀なる名君にもなり得ていたのでは、なんて考えずにいられないのだよ。
件の高笑いを見せたバトルシーンで、血が沸いてる、みたいなことを言っていた気がするけれど、バルナバスは生来戦いが好きな質なんじゃないかと思っている。(別の場面ではスレイプニルも、クライヴとの戦いを楽しんでる様子を見せていたけど、あれも主が元々持っていた性質が反映されていたせいなのではないかなと。)楽しくてテンションが上がっちゃうなんて、すごく人間らしいじゃない。自分なりの正義を持っていて、愛があって、それゆえに狂気も孕んでいて、楽しいことには高揚してしまう。このシーンではバルナバスの新たな一面を立て続けに見せつけられた。なんだ、バルナバスも人間だったじゃないか、そう思える一幕だった。それまで感じていた薄味な印象は、バルナバスが既に自我を捨ててアカシアに堕ちていたことによるものだったのだろう。ただ、それでもこの人は人間だったのだと思えた。捨て去ることのできない人間味が残っていた。それを垣間見てどうしようもなく切なくなった。もしその行いが誰かのためのものだったなら、そこに愛があったのなら、そのせいでアカシアになりきれなかったのだとしたら、この人には他に人間として幸せに生きる道もあったんじゃないか。もっと幸せになってもいい人だったんじゃないか。どうせなら幸せになってほしかったな、なんて。
以前別の記事で、「ミュトス」という呼び名は人々の話題に上る立場であることを示しているのでは、と書いた。その点、外大陸からふらっとやってきて圧倒的な強さで灰の大陸を統一し新たな王国まで建ててしまったバルナバスこそ、「ミュトス」の呼び名にふさわしい条件を備えているんじゃないかと考えたことがある。建国から50年経っても歳を取っていないなんてまさに生ける伝説だったはず。更にはアルテマに対する信仰心も厚く、思念の楔も無いに等しいことも加えれば、器として最適な人材だったんじゃないか、と。
彼自身、そんな風に考えたことはなかったんだろうか。自分がイフリートのドミナントでさえあればと悔しく思ったり、クライヴに嫉妬したりしたことはなかっただろうか。もしも召喚獣に関係なくアルテマに器として求められたとしたら、バルナバスは喜んでそれに応えていただろうか。時々そんなことを考えてみたりする。
どちらにしてもバルナバスは悲しい人だ。悲しい運命の中で必死に生きた人なんだ。そう思うにつけてバルナバスに対する愛おしさが湧き上がり、好きにならずにはいられなかった。この気持ちは2周目以降で変わるかもしれない。だから今のこの思いをここに書き残しておこうと思った。
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世の中��空前のサウナブームらしい。各種情報メディアを駆使して街の銭湯にたどり着いた全国の猛者たちが昼夜問わず約50 - 120 ℃の高温室内で肌を触れ合わせる姿を想像してゾッとしない訳がない。合言葉は「整いました」とのことで、僕はこれを珍奇サウナ偏愛者による「型に嵌ったフロー」と誤読して勝手に溜飲を下げている。チンコだけに、風呂だけに。これはなにもサウナ好きを揶揄しているのではない。むしろ彼らは街の銭湯の隆盛に大いに貢献している。そんなサウナブームを皮切りにして、いまでは銭湯での音楽ライブやDJイベント、更にレコードや書籍を販売する催事までもが行われて、みな一様にそれなりの賑わいをみせているようだ。この数年で銭湯を舞台にしたMVや楽曲がどれだけ製作されたことだろう。これについても、関わった人たちは広義の意味でのリノベーションに一役買っている。公共性の再編とでも形容しておこうか。因みにカセットテープレーベル”Ital.”を主催するケイタくんはサウナ好きではなく、古参にして無類の(ただの)風呂好きである。とある書籍の記述により誤解を招いている可能性があったので、一応。かくいう僕も幼少期に住んでいた家の並びに銭湯があったので週の半分くらいは利用していた。お尻に石鹸を塗りたくって誰が一番速く床を滑ることができるかを競い合う「尻軽レース」に挑戦したり、友人とタッグを組んで肩車をする、もしくは自力で壁をよじ登って女湯を覗くなどの愚行三昧で、いずれも店主にこっぴどく叱られた。16-18歳の頃にはいまも豊津駅の近くにある福助温泉で深夜の清掃アルバイトもさせてもらっていた。誰もいない時間帯の業務目的とは言え、禁断の女湯に足を踏み入れるのは、性欲みなぎる多感な時期の男子として、当たり前にドギマギした記憶がある。ロッカーの片隅に置き去りにされた下着を見つけたときは興奮を抑えきれなかった。いま思い返せば老婆が使用している類の肌色のそれであったが、当時の自分としては貧相な妄想に薪をくべるものであれば、なんでも良かったのだ。バイト終わりにはトイレにこもって自身の陰茎を握り締めた。そんな日の翌朝は決まって寝坊してしまい、定刻の登校に間に合わなかった。そういう小さな欲望の積み重ねが、人を大人にするのだ。僕はいまでも家族で福助温泉に通っている。番台では当時と変わらぬ寡黙な女将さんが節目がちに帳面を捲っている。いまも昔もこの人に向かって性器をさらしているかと思うと、未熟な僕は今更ながらに不思議な感慨に浸ってしまう。女将さん、俺はちゃんとやれただろうか?やるべきこと、果たすべきことを全うできましたか?女将さんは大人になった僕を認識している筈だが、なにも言わない。もともと極端に口数の少ない方だったので、僕の方からも敢えて話題を持ち出すこともない。30年前、父親と一緒に股間を露わにしていた僕がいつしか父親になり、今度は自分の息子たちと共に股間を露わにしている。女将さんはすべてを見て、知っている。心底かなわないと思う。数十年間ずっと変わらぬ姿勢でペンを握る女将さんの手許にある帳面、あそこに世界の秘密、いや、もっと言えば「世紀の発見」がしたためられているのではないかと勘繰らせるほどの圧倒的な寡黙。安易に適温を求めてはならない。静寂の裏側で、湯は激しく沸いている。

もう一件、自分が子どもの頃から足繁く通い、お世話になっていた近所の銭湯、新泉温泉があったのだが、昨年惜しくも閉館してしまった。電気風呂の横に鯉が泳ぐ大きな水槽があって、息子たちも一番のお気に入りだったので、残念で仕方がない。隆盛と没落。この世の均衡が保たれたことなど、かつて一度もなかった筈だ。そもそもフロー(風呂)強者が言うほど簡単に物事が整う訳がない。新泉温泉の最終営業日、もちろん親子で最後の湯に浸かりに行った。しかしそんな日に限って長男がロッカーの鍵を紛失してしまい、浴室や脱衣場を血眼になって探し回るも見つからない。僕ら家族の異変に気がついた店主やその場にいたお客さんも誰が言い出すともなく、一緒になって鍵を探してくれた。床を這いずって探しているうちに銭湯の老朽を伴う歴史が手のひらを通じて伝わってくる。今日限りでもうこの場所には通うことができないことがわかっているので、自ずと込み上げてくるものがあった。鍵は古びた体重計の裏側から発見された。その瞬間、店主以外の全員が全裸のまま快哉を叫びハイタッチした。長男もほっと胸を撫で下ろしていた。これこそが裸の付き合いというものだ。帰り際、息子たちは自分たちで描いた新泉温泉の絵と手紙を店主に手渡した。僕は「実は子どもの頃から通っていたんです」と伝えると店主は「わかってたよ、自転車屋さんのとこの」と言ってくれた。適温を求めてはならない。いつだって現実は血反吐が出るほど残酷だ。それでも僕たちは新泉温泉の湯を忘れない。店主はその日の入浴料を受け取らなかった。

このように僕個人にとっても銭湯には様々な思い入れがあり、いまでも大好きな場所に変わりはないが、それは昨今のサウナブームとはまったく関係がないし、死んでも「整いました」とか言いたくない。そもそもが自分の性器を他者にさらすことも、他者によってさらされた性器を目の当たりにすることも得意ではない。むしろはっきりと苦手だ。世の男性の数だけ多種多様な性器が存在する。サイズ、形状、カラーバリエーション、味、ニオイ等々、どれをとってもふたつとして同じものがない。股の間にぶら下がっているという設置条件がこれまた滑稽で、あのルックスのあの人にあんな性器が、とか、あのガタイのあの人にあんな性器が……みたいな、得たくもない新規情報が視覚を通して脳内に流し込まれるので、煩わしいことこの上ない。挨拶を交わす程度だった近隣の人々とばったり銭湯で遭遇してしまったら、その日を境にして、顔を合わせるたびに性器が脳裏にチラついてしまう。実際に息子の同級生の父親数名と銭湯でチンコの鉢合わせしてしまったのだが、以降、なかなかパパたちのチンコの造形を払拭できなくなる。これはまさに不慮の追突事故、ごっチンコというやつだ。会社員時代、憧れの上司と出張先で入浴を共にする機会があったのだが、どちらかと言えば華奢に分類されるであろう上司の股間には目を覆いたくなるくらいに巨大なふたつのフグリがblah blah blah、いや垂れ下がっていたのだ。洗髪の際にバスチェアに腰掛けておられたが、信じられないことに巨大すぎるフグリはべちゃりと床に接地していた。以来、上司がどれほどの正論を振りかざそうが、客先でのプレゼン時に切れ味鋭くポインターを振り回そうが、どうしたってスラックスの内側で窒息しかけているであろう巨大なフグリを想起してしまう。程なく僕は退職した。とにかく性器というのにはそこにあるが故に素通りすることが難しく、極めて厄介なシロモノである。それが「ない」ことで逆に「有して」しまう諸問題と真摯に向き合ったOBATA LEOの最新作『目下茫洋』は、数多あるフェミニズム関連のテキストとは一線を画する。あまりにグロテスクでおぞましい、だからこそ美しいなどという常套句を粉砕する「弱さ」に貫かれた思考の遍歴。貫く我々♂ではなく、貫かれる♀の身体から滴る分泌液で書かれた紋様のようで、誌面に一定の形状で留められている訳ではない。読む者の素養に左右されるようにして、その形状は刻一刻と微細に変化するだろう。こちらは無数に排泄するが、あちらはたったひとつで対峙している。なにも戦地は彼の地だけではない。戦場は僕やあなたのすぐそばで、いまもネバっこく股を開けている。

臍の下に埋め込まれた爆弾を抉りとるための努力を続けながら、同時にあるのかわからない最終地点に向けて爆弾を運ぶ。本当は抉り取ることはできないとわかっていても、背骨を曲げて運び続けることが、すなわち生きることになっている。『目下茫洋』
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TEDにて
デイヴィッド・エプスタイン: アスリート達は本当により速く、強くなっているのだろうか?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
過去、数十年のスポーツでの競技実績を見てみると、まるで、人間のあらゆる運動能力が進化して来たかのような印象を受けます。
デイヴィッド・エプスタインは、この爽快で反直感的なトークで、私達が、過剰な自画自賛を思いとどまってより一層、謙虚になるべき理由を指摘します。
テクノロジーや脳科学などの裏ずけによるメンタル面のメカニズムの解明、競技場のインフラ分野のテクノロジーの整備の充実など、様々な要因が多重に重なり新記録に貢献して来ました。
人間に本来備わる能力の発達や進化は、そのほんの一部なのです。むしろ、退化している可能性があるかもしれません。
オリンピックのモットーは 「キティウス、アルティウス、フォルティウス」「より速く、より高く、より強く」です。スポーツ選手たちは、このモットーを急速に実現して来ました。
2012年。オリンピックマラソンの勝者は、2時間8分で走り終え、1904年オリンピックマラソンの勝者ともし競争したなら、1時間半近くの大差をつけて ゴールしていたでしょう。
私達は、皆こう感じています。人類は、容赦ないまでに確実に進化し続けている。しかし、この1世紀で人類が新しい種へと進化したわけではありません。では、何が起こっているのでしょう?
スポーツ記録の絶え間ない向上の裏側を見てみたいと思います。1936年。ジェシー・オーエンスは、100メートル走で世界記録を手にしました。もし、ジェシー・オーエンスが
去年。100メートル走世界選手権に出場したならゴールするジャマイカ人スプリンター、ウサイン・ボルトの4メートル後ろをオーエンスは、まだ走っていたでしょう。スプリンターにとっては大きな開きです。
ウサイン・ボルトは、スターティングブロックから蹴り出し、走者が人類に可能な限り速く走る事ができるように特別に作られた敷物の上を走りましたが、 一方、ジェシー・オーエンスは
コークスを敷き詰めたシンダートラック上を走り、そのソフトな表面は遥かに多くのエネルギーを脚から吸収してしまいました。
更に、オーエンスは、スターティングブロックの代わりにスタートラインに穴を掘るのに園芸スコップを使いました。オーエンスの関節が動く速度を生体力学的に分析すると
ボルトが走った時と同じ舗装上を走っていれば、4メートル27センチではなく、わずか一歩の差でボルトの直後を走っていたことになります。
明らかに、選手たちは、能力向上薬物についても知識を深め、それはある種の競技で時折、効果を表しましたが、テクノロジーの進歩は、全ての競技で違いを生み出しました。
より速く。滑るスキーやより軽いシューズなどです。100メートル自由型競泳の記録を見てみましょう。タイムは常に短縮され続けていますが、ところどころ突然、大きく記録が向上しています。
最初の劇的な記録の向上は、1956年に導入されたフリップターンが要因です。一旦、止まってから方向転換する代わりに選手は水中でとんぼ返りし、即座に逆方向へ向きを変え泳ぎ出します。
2番目の飛躍は、プールサイドの排水溝の導入が理由です。それにより水が捌け、競泳中の選手の動きを妨げる水流が起こらなくなりました。
最後の飛躍には、全身を覆う低摩擦抵抗性の競泳水着の導入が貢献しています。スポーツの歴史を通してテクノロジーは、パフォーマンスの流れを変えて来ました。
でも、テクノロジーだけが選手たちの後押しをしているわけではありません。確かに、私たちは1世紀で新人類に進化したのではありませんが、スポーツ競技における遺伝子プールは確実に変化しました。
20世紀前半。体育教師やコーチたちは、平均的な体型が全ての運動競技において理想的だという考えを持っていました。
どのような競技であれ、中肉中背が良いとされ、これは選手たちの体つきにも表れていました。1920年代。平均的に優秀な走り高跳び選手と平均的に優秀な砲丸投げ選手は全く同じ体格をしていました。
しかし、平均的な体躯よりもそれぞれの競技ニッチに適した高度に専門化された体躯が好ましいとスポーツ科学者やコーチたちが気付き、古い考えが衰退し始めると一種の人工的な選別が起こり始め
競技ごとに最適な体つきが自然と選別され始め、スポーツ選手の体型は次第に多様化して行ったのです。
バスケットボール等。高身長が好まれるスポーツでは、背の高い選手は更に背が高くなりました。水球選手の腕全体に対する前腕の平均的な長さは、より力強くバネの利いた投球の為に更に長くなりました。
大きな選手はより大きく、小さな選手はより小さく、特徴はより極端に強調され、水泳選手の理想的な体格は長い胴と短い脚です。
水上を速く進むことのできるカヌーの長い船体のように、その逆の体つきは走る事に適しています。長い脚と短い胴。今日のアスリートたちの体格に見られる傾向です。
また、私達がケニヤ人を偉大なマラソン走者と見ているように、ケニアではカレンジン族が優れたマラソン走者だと見られています。
カレンジン族は、ケニアの人口の12%に過ぎませんが、世界の優秀な走者の大多数は彼らです。一般的に、特徴ある体つきでとても長く、極めて細い脚を しています。
これは彼らの祖先が、とても緯度の低いとても暑く、乾燥した気候に住んでいたので、そこに適応するように進化した結果が、非常に長く末端に向かって細い四肢で体を冷やし易いように なっているのです。
ラジエーターに長いコイルが、あるのも同じ原理で体積に比べて表面積を増やし、熱を逃がしています。脚は振り子のようなものなので、末端の下肢が細く長いほどスイング時のエネルギー効率が 良いのです。
このように、進化するテクノロジー。進化する遺伝子。そして、進化するマインドセット。スポーツにおける技術革新。それが、新しいトラック素材。そして、スポーツの民主化。
または、新しい泳法技術であれ。新たな体格の伝播。世界中の人々が新たに参加すること。スポーツにおける想像力。真に人体に可能なことの理解。
これら全ての要素のおかげで選手たちは、より強く、速く、大胆にと向上してきたのです。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
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elements for sport cycling and elements required for competition cycling
先日、以前からある軽い(250g)リムの更に高性能版ができたとリム メーカーさんのお知らせがありました。
同じ断面形状で重量は-10gの240gで、歪み剛性が+7%強化されたそうです。
ただ、実はこれ⬇元の型が数年前から出ているマウンテン バイク用の製品で、それをロード用に転用したリムだったりするので、完全な新製品かと言われると「んーん、なんか微妙」って感じはしています。(^_^;
もちろんディスク ブレーキ専用、一見フックレス風で実際フックが有るのか無いのか微妙な形ですが、一応セミフックドのチューブレスという事になっています。
数年前のマウンテン バイク用リムの仕様が昨今のロード バイクのタイヤ規格にちょうど都合が好いのと、元の設計段階からリム ブレーキの事を全く考えなくてもいいなら、特に安全性を犠牲にしなくても軽くできる分かりやすい例かもしれません。
近い断面構造を持つ下記のアルミ合金製リムに比べると、凡そ半分くらいの重さ(コストは逆に倍以上違いますが…)で出来ている事が分かります。
実際、ここまで軽くするためにはリム自体にブレーキ ストレスが掛からないディスク ブレーキである前提が不可欠で、生地を固定するためのレジンも耐熱性より強度(重量)優先になり、ブレーキ圧縮に耐えるための部位の生地も不要になります。
とにかく軽いリムの車輪が軽快感があって好き!、という方にはオススメかもしれません。
但し、一般的なホビーサイクリストくらいの出力なら重量が2倍でも断面積が3倍くらいある大きなリムを使う方が、登りであってもタイム自体は速く走れる事が多いです。
或る意味では実際のタイムより「軽快感」を大切にされる方向けと言い換えてもいいかもしれません。
昨今のヒルクライム競技では前走者に張り付き(或いは集団化し)、ドラフティング状態を維持することでタイムを稼ぐケースもありますが、そういったドラフティング効果が大きくなる速度域では車輪に求められる要素も重量より流体力学的な効率性が優先されます。
ここ最近のロードやトライアスロンなどのエンデュランス系競技用に仕立てられた車輪は「軽快感」や「反応の良さ」は大して良く感じられなくても、実際にタイムを計ると大抵のケースで、まぐれでもひっくり返す事が難しいくらいの速度(タイム)差が得られる様になっています。
実走時の速度差を考えると、昔からある軽い車輪神話はヒトの脳が強く感じやすい身体感覚に大きな影響を受けた一種の信仰心に近い考え方なんかも…と思っていて、現代ではこの手の超軽量リムに対して、昔の様に速く走る為の道具と言うのがなかなか難しく、乗車時の身体感覚的な嗜好を満足させる為のリムじゃなかろうか、と考えています。
具体的にはフィジカルなフィードバックが明確に感じられる乗車時の操作感や加速時に受ける踏み応えなど、身体的に具体性のある感覚に関しては脳に繊細に強く印象付けられるのに対して、走行後に計測されるタイムに関しては走行中に知覚するのが難しい事との差の様なものでしょうか。
何れにしても身体感覚ほど繊細に時間の概念を知覚するのは多くの場合、難しい様です。
断面積の大きなリムのパッと見でそれらしく思われる理由としては流体力学的な優位性、つまり「エアロ」という部分で、一般的にそれは主に「ドラグの小ささ」を指している事が多いと思いますが、実際には横風を推進力に変える「帆走効果」が大きいと考えています。
単に正面方向からのエアロ ドラグを小さくするのであれば、リムの横幅を薄くすれば、それほど大きな断面積は必要とせず、高さが4cm前後もあれば、より大きな断面のリムと大して変わらないくらいにドラグを小さく出来るそうです。
この理屈を元にデザインされていたのが、高さ36~38mmくらいの昔のCFRP製リムで、細いチューブラータイヤでリム幅も負けず劣らず狭いリムが多かったですが、大して大きくもない断面積のわりに横風安定性があまり芳しくなく、突風に煽られるとエキスパート サイクリストでも走り難さを感じる事が多かった様です。
実際、横幅が薄いリムで断面積が小さいと横風を食らった時���風下になるリムの反対側で気流が剥離し易く、ドラグや不安定さにつながったり、帆走効果による推進力には殆んどなりません。
今回の元マウンテン バイク用リムみたいに横幅が広めでも高さは低いリムであれば、帆走効果は殆んど発生しない代わりに、横から突風を受けても極端な不安定さも起こし難くなり、強風下でも比較的素直な運転特性を得易くなります。
大きな断面積のリムが生み出すもう一つのメリットは、高い真円度と平面の保持性です。
自転車に限らず、車輪はどんな用途でもできる限り変形を少なく真円を維持できる方が小さな力で転がし続けられます。
軽くても断面積が小さく歪み剛性が低い車輪は、荷重が掛かる事によって真円度や平面を保持するのが難しくなり、結果として車輪を転がすのに大きな力が必要となります。
この二つの問題をクリアしやすい荷重あたり必要なリムの断面積の閾値は概ね把握できていて、そこから外れると重量の軽さが乗車感覚の反応の良さとは別に速度の優位性に繋がらない事が出てきます。
これはどちらが優れているか、という問題ではなくて、それぞれ個人の嗜好によって優先すべき要素(最適化の方向性)が違ってくるという話です。
競技用の道具として実際にタイムを削りたいのか、乗り手の身体感覚を満足させられる気持ちの良いサイクリング体験を優先したいのか、既にモータースポーツなどでは一般的な考え方で、レーシングカーとスポーツカーは全く別の哲学でデザインされています。
レーシングカーは快適性や爽快感よりも実際のタイム短縮に繋がる要素を(車両規定のグレーゾーンも含めた範囲内で)優先しますが、スポーツカーは運転する楽しさを優先にデザインするのと似ていると言えそうです。
そういう意味では今回の超軽量リムは、昔であれば「ヒルクライム決戦用」などと謳われて車輪の形にされると思いますが、現代では「純粋なスポーツ サイクリング用」と考えられると、より現実に即していると言えるかもしれません。
それは必ずしもロード サイクリングでの走行速度の向上とは繋がらないかもしれないですが、軽さは「走る、曲がる、止まる」全てにおける反応の良さに直結する要素なので、乗り手に必要な剛性バランスさえ確保できれば、よりキビキビと反応してスポーツ感覚を刺激し満足させやすい車輪に繋がると考えています。
特に慣性モーメントが小さな(外周部が軽い)車輪では、加減速、旋回の開始や収束、全ての動作に対して、より素早いリアクションを可能にします。
タイムや速度を計る事よりも、一瞬一瞬での車体操作に対して、自身の手足の延長の様に感じられるリニアな反応が、ずっと楽しいと感じられるサイクリストに対しては一般的なロード競技用にデザインされた車輪よりも満足感の高いサイクリング体験を実現できるのではないでしょうか。
市販の完成車輪だと適当な例がなかなか思い付き難いですが、一般的な長距離を、或いは長時間走るロード競技ではなく、広いスペースにパイロンなどを配置して急な加減速と旋回動作を繰り返すジムカーナの様な競技をするのに適した車輪であれば、乗り手の意思により素早く反応する車輪と言えそうです。
一貫性のあるタイヤのグリップを確保する事と、より鮮明な路面状況把握の為の剛性バランス、最短の反応時間で加減速や旋回動作を表現できる代わりに操作をミスれば、それも容赦なくダイレクトに表現される、遊びが少なく鋭利な乗車感覚を要する車輪を作るにも都合が好いリムかもしれません。
長時間、長距離を楽に速度を維持するのに適しているとは言い難い特徴ですが、乗り手の操作に対してより素早く忠実に反応する、と言う意味に於いては純粋なスポーツ指向とも言えます。
いつもの様にまた蛇足で恐縮ですが、ロード バイクでジムカーナが適当であるかどうかは別としても、そういった比較的短距離、短時間で楽しめる、加減速や旋回、荷重移動など運転技術の巧拙も含めて競えるミニ レースがあっても面白いのではないか、と以前から思っています。
マウンテン バイクでも目の前で全てが完結するシンプルなスラロームや4Xなどの競技がありましたが、友人や家族で一緒に見に来て応援し易いなど、そういった要素があるロード バイク向けに出来そうな競技ってあっても面白そうではないでしょうか。
例えばレーシング カート用のミニ コースの様な回転半径(R)が小さくタイトなレイアウトで少人数づつの勝ち抜きロード スプリント競争とか、荷重移動も含めた運転技術だけでなく、ターンでのラインどりや、他者との位置どり、ツーリングや公道走行だけではなかなかチャレンジし難い経験も比較的低速で安全にトライできそうな…んーん、どうしてもすぐ話しがコース アウトしがちで申し訳ないです。<(^_^;
尤も、スホーツ サイクリングって競技が全てという訳でもないですし、距離や乗車時間の長短など、その楽しさ面白さとはまた別な話しで、走行そのものだけでなく、景色や風景、道中に立ち寄る場所、それらの経験を共有する仲間など、貴重な思い出となるかもしれない時間を作る為の道具の一つでしかありません。
それぞれの乗り手に必要な要素にも違いがあっていいと思って、いつもお施主の希望を可能な限り構造化できる様に…と考えながらデザインを心掛けています。
そんな大切な時間をつくれるかもしれない道具のほんの一部ですが、作り手として参加させていただけたら嬉しいです。(^-^)
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250224 EXTRA
【5:40 - 7:33】
あれからまた2.5hくらい寝た。これで8.5h睡眠
朝食:チキンハンバーグと豆腐。当然足りない
----------------------- 【8:00 - 10:00】
昨日散々徒労感味わった、パーツ数が異常なPSDにおけるレイヤー別マスク塗りわけ作業
最大8パレットをショートカットで切り替え可能なアクション作ることでどうにか不愉快さを緩和した
-----------------------
「運動系」の脳の回路と結びつけることで擬似的に知力をアップさせ「無力感」に飲まれるのを回避するのだ
「ゲーミフィケーション」というのは基本的にそれだ
行動に対し可笑しみや反復性をもたせる事で脳を興奮状態に持っていき、その作業を「好ましいもの」として脳に認識させ「強固な運動モデル」を作ってゆく
基本、不慣れなことができない理由は脳に「モデル(行動&思考アセット)」が作られていないから
私だって20代前半の頃は理路整然とした論理的思考がほぼできなかった(スクリプト構文は書けたがそれを自分の思考に適用してはいなかった)
ゲーム会社で理不尽な目に合わされて(少なくとも当時はそう感じて)必死になって「理」で物を考える訓練重ねた成果である
--- ◆具体的にどうしたか:
9割の人には興味ないだろうし知っちゃこっちゃないと思うが未来の自分へのリマインド兼ねてメモ
線画オブジェクトをマスク色で塗る際はオブジェクトレイヤーの上にクリッピングレイヤーを作り乗算属性で作り塗りつぶす。んで、その中をさらにエリアごとに塗り分けていく
だからまずクリッピングレイヤー作成→乗算属性変更→描画色で塗りつぶし の基礎アクション作る。ここまではまあすぐ思いつくので作ってショートカットを設定
次に、8色のマスク用カラーパレットを4グループにわける
それぞれを「A / B」「C / D」「E / F」「G / H」とし、左を描画色、右を背景色として設定する
この4グループを即座に切り替えるアクション4つを作り、ショートカットを設定。どこにどの色が入っているかは流石にしばらくは暗記できないのでどこかに色見本を表示しながら切り替えて作業する
それもうスポイトで拾った方が早くないすか? という意見にはNO
都度、細かい判断コスト生じるとそれだけ集中力が削がれてしまう。これは私の脳のスペックの問題だ
今、改めてこの仕組みを利用し塗ってみたが、まあ、楽しい。体感4倍早いし自分が今何をやっているのかを完璧に把握できる。特に背景色に何色が入っているかを把握しておく「緊張感」が心地よい
それを然るべきタイミングで切り替えて「えいやっ」と塗った際の「してやった」感と言ったらない
これは朝ラクガキやっている時に見つけた常時3色をショートカットに入れて描く描き方の発展型だ。速度稼ぐにはとにかくショートカットを作り、それを運動記憶と結びつける
都度前頭葉で計算&判断し思考カロリー不足に陥ってると、自分の仕込みの甘さと習熟不足っぷりに対し超イラついてくる
ま、その苦しみこそが改善欲求を生むのでいいんですけどね
数年前にこの運動モデルを脳内に作っておきゃあ、昨日一日無駄にしなかったでしょ? その前の日も、前の週も、先月も、先々月も、だよ
大事なのは「自分を幸せにする思考アセットと脳内運動モデル」を沢山作ること
怒りを感じたら、次回からその怒りの火種となるストレスを「建設的に消化できる枠組み」を作ること
怒りは信頼や愛を裏切られた気持ちから生まれるものだが、状況改善のモチベーションとして非常に役立つ。ストレスそのものから逃げてしまうと成長もできなくなる
なので努めて「ストレスを緩和し怒りのしきい値越えないレベルの刺激に抑える」工夫をし続ける
その方法論を他者にシェアし、他者からさらに有益な方法論を教えてもらいブレンドし、自分の血肉に変えてゆく
いいねぇ... 想像しただけでワクワクするだろう?
でもそれ、全部他の職人アンド・プロが15年前に通った道なんだ
ね。オールウェイズそういうもん。今気づいた私はそれをとりあえ���等身大で喜んで食べてゆく。まだまだ学べる、まだまだ自分の成長に感動できると思ったら、全然幸せでしょう
「まだ噛んでない新しい味のガムあったんだ!」ってさ
ガムのそのものの味には飽きてどんだけ大きく膨らませられるか競うだけの「無感動競争フェイズ」に入ってたとしても、���抜けてデカい風船作れるガムあるの分かったら「噛みて~!」 ってなるじゃん。なれよ。もういいよ法則視えたよ、何やっても一緒、って言うなよ
都度、過去の記憶忘れて「今」を新鮮に味わっていけよ
徒労ワークに向き合う決意を新たにしたさあ
だから自信+0.04V 総合2.0V よし、ようやく「健常モード」に戻った。ちまちま刻んでいくぞ
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「タンバリン」とはもう呼ばない!? いつの間にか呼び名が変わったモノ30選 - Peachy - ライブドアニュース
以下引用
日常で使ったり耳にしたりする言葉の中には、実は意味を間違えて使っているものが意外にたくさんあったりします。例えば、「さわり」という言葉を「話の冒頭部分」と思っている人が多いですが、本来は「話の要点」を指します。 こうした身近な言葉にまつわる常識や雑学を、人気インフルエンサーのけんたろさんが分かりやすくまとめた図表が、「見るだけで覚えられる!」とXで大好評! 本記事では、誤解されやすい言葉、知っていると一目置かれる難読漢字、知っているようで知らない身近なモノの正式名称などを図表と解説で紹介します。 「なるほど、そうだったのか!」という発見や驚きを通して、言葉の知識が楽しく広がり深まります! ※本記事はけんたろ著の書籍『けんたろ式“見るだけ”ことば雑学辞典 図解とクイズで広がる教養』から一部抜粋・編集しました。
■いつのまにか呼び方が変わったモノ
同じものなのに、親と子で呼び方が変わっていることがありますよね。その度に「ジェネレーションギャップだな」と少し切ない気持ちになるわけですが…。背景にはさまざまな理由があります。
■巻き戻し⇒早戻し
記憶媒体がテープからDVD などに変化したことで、テープを巻き戻すことがなくなったため、2000年頃から各社変更に。お手元のリモコンを是非チェックしてみてください。
■肌色⇒うすだいだいorペールオレンジ
「肌の色はこの色」という先入観を子供たちに与えないようにするため、2000年頃から各クレヨンメーカーが変更してきました。ちなみに「ペール」というのは「淡い」を意味しています。
■体育の日⇒スポーツの日
2020年に予定していた東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて、同年から世界的に使われている「スポーツ」という語を採用し、「スポーツの日」に変更されました。元々「体育の日」が制定されたのも1964年の東京オリンピック開会式が行われた10月10日を記念したためでした。
■マッキンリー⇒デナリ
アメリカ・アラスカ州にある北米最高峰の山です。これまでは第25代米国大統領ウィリアム・マッキンリーの名に由来していました。理由はオハイオ出身のマッキンリーが大統領候補者だった1896年当時、採鉱者がマッキンリーという名称を提案したから。2015年からアメリカ政府は現地で使われている「デナリ」に名称変更しました。
■日射病⇒熱中症
日射病は熱中症の一種で太陽光が原因で起こるものです。以前は炎天下で発症するものを日射病と呼んでいましたが、現在は高温になった屋内でも発症することが多いため、2000年から全体を含めた名称である「熱中症」に統一されるようになりました。
■スチュワーデス⇒キャビンアテンダント
元々は英語で執事などを意味する“steward” から来た言葉で、女性客室乗務員を指していました。1980年以降、差別や偏見を含まない言葉を使用しようという考え方が進み、言い換えが進みました。日本では略して「CA」や「客室乗務員」とも言います。一方で海外では、「フライトアテンダント」や「キャビンクルー」もよく使われています。
■プータロー⇒ニート
厳密には意味が異なり、プータローは就労意志はあるが就労できない者、ニートは就労意志がなく就労していない者を指します。プータローの語源は諸説あり不確かですが、「浮浪者」や「poor(貧乏)」からプーが来たと言われています。ニートは“Not in Education, Employment orTraining” の頭文字から来ています。
■助教授⇒准教授
2007年の学校教育法の改正により名称変更されました。漢字的に教授のアシスタントというイメージがありましたが、「准教授」とすることで独立した教育・研究者としての位置づけをより明確にする意味合いを持たせています。同時に「助教」という新しい肩書も生まれていますが、こちらもアシスタントの意味合いはなく、若手の独立した研究者に与えられる役職です。
■カロチン⇒カロテン
以前から専門家の間ではカロテンと呼ばれており、2000年に食品標準成分表の表記が変更されたため広がっていきました。カロテンは動植物に含まれる色素で、動物の体内ではビタミンAに変化する物質です。ニンジン、ホウレン草、ピーマン、カボチャなどに多く含まれます。
■ロスタイム⇒アディショナルタイム
サッカーで「試合が中断された分を延長する時間」を意味します。ロスタイムという言葉が和製英語だったことから、日本サッカー協会が2010年に「アディショナルタイム」に統一しました。
■OL ⇒女性社員
OLはオフィスレディの頭文字ですが和製英語です。ジェンダーフリーの流れの中で使われなくなってきました。欧米では元々「オフィスワーカー」という性別に関係のない言葉が使われています。
■成人病⇒生活習慣病
年齢よりも生活��慣に原因があるという見方から1996年に「生活習慣病」と改称されました。生活習慣病は、食習慣・運動習慣・休養・喫煙・飲酒などの生活習慣に深く関与し、日本人の死因の上位を占める、がん・心臓病・脳卒中は、生活習慣病に含まれます。
■ドキュンネーム⇒キラキラネーム
粗暴な人や迷惑行為をする人を「ドキュン」と言いますが、これはテレビ朝日系列で1994年~2002年に放送していた「目撃! ドキュン」という番組に由来するそうです。ここに人生相談で登場していた若者たちに非常識な人が多く、そういう人たちを「ドキュン」と呼ぶようになったようです。そこからこれまでにないような奇抜な名前がドキュンネームとネット上で呼ばれてきましたが、2010年代に入りメディアなどが批判要素を少なくした「キラキラネーム」という語を使い始めました。
■歯舞諸島⇒歯舞群島
北方領土の1つですが、以前は歯舞諸島と歯舞群島が混用されていました。そこで2008年に国土地理院が「歯舞群島」に統一し、マスコミなどもこちらを使用しています。
■センター試験⇒大学入学共通テスト
古くは「共通一次」と呼ばれ、その後長らくセンター試験と呼ばれていましたが、2021年から名前が変更となり、一般的には「共通テスト」と呼ばれるようになっています。内容はセンター試験よりも思考力・判断力・表現力が問われるものになっています。
■タンバリン⇒タンブリン
文部科学省から発行されている「教育用音楽用語」という冊子で音楽用語に関する基準が示されており、そこには「タンブリン」となっているため教科書では現在これに統一されています。
■pH(ペーハー)⇒ pH(ピーエイチ)
酸性、アルカリ性、中性のうちどれなのかを表す指数です。元々はドイツ語由来の読みでしたが、JIS(日本産業規格)の方では以前から「ピーエイチ」を正式なものとしており、最近はそれが優勢になってきています。
■終戦記念日⇒終戦の日
一般的にはまだまだ「終戦記念日」が使われていると思いますが、敗戦は記念するようなことではないため、「終戦の日」という言葉をメディアは使用しています。
■エアーズロック⇒ウルル[/SHEAD]
オーストラリアにある世界最大級の一枚岩で世界複合遺産です。かつてエアーズロックの名前は、その存在をヨーロッパに紹介した旧南オーストラリア植民地総督のヘンリー・エアーズにちなんでいました。現在は先住民が昔から呼んできた名前に変更されています。
[SHEAD]NHK 教育テレビ⇒ Eテレ
2011年から名称変更となっています。このEには教育の“Education”と、NHKの教育テレビ放送時間の短縮や自然保護の取り組みから“Ecology”の意味が込められているそうです。
■看護婦⇒看護師
2002年に「保健婦助産婦看護婦法の一部を改正する法律」が施行され、看護婦は看護師、助産婦は助産師、保健婦は保健師に名称変更となりました。また、以前は「看護士」という漢字が使われていましたが、これは看護婦に対する男性を表すものであったため現在は消滅しました。
■保母⇒保育士
1977年から男性も資格を取得できるようになり呼び名が変わっていきました。一時は保母に対し「保父」という通称もありました。
■下駄箱⇒靴箱
現代では下駄を履く人はほとんどいないため死語となってきています。ただし、「靴箱」と言うと、靴を入れる紙製の箱のことも意味するため、「シューズボックス」という言葉も使われています。
■競艇⇒ボートレース
2010年に日本モーターボート競走会は言い換えを発表し、競艇選手を「ボートレーサー」、競艇場も「ボートレース場」に変更されています。背景としては、名称変更によって若年層へのイメージアップを図り、ボートレースの発展を目指すためです。
■自殺点⇒オウンゴール
サッカーで味方のゴールにボールを入れてしまい失点することです。表現として不適切とし、1994年に日本サッカー協会が英語由来の表現に改めました。
■チョッキ⇒ベストorジレ
明治期に袖なしの短い胴着を「チョッキ」と呼ぶようになり、1970年頃からベストという言葉が広がりました。最近ではフランス語由来の「ジレ」という言葉も広がっています。
■痴呆⇒認知症
「痴呆」の漢字の意味が侮辱的な意味合いを持ち、家族に呼ばれると感情やプライドを傷つけられるため不適切とし、2004年に厚生労働省が認知症への言い換えを発表。その後、医学会を中心に広がっていきました。
■シンクロナイズドスイミング⇒アーティスティックスイミング
2017年に国際水泳連盟が種目名を変更しました。理由は、曲や人に同調することを意味する「シンクロナイズド」という語が芸術性を求める演技にふさわしくないためです。
■官製はがき⇒郵便はがき
郵政事業が民営化されたため「官」の字は使われなくなりました。現在は日本郵便が販売しているはがきを「郵便はがき」と呼んでいます。またはがきの中で、85円の郵便はがきは「通常はがき」とも呼ばれています。
■AV 女優⇒セクシー女優
メディアが「AV女優」という露骨な表現を直接口にするのに抵抗があり、「セクシー女優」と言い換えたのが始まりのようです。
【著者】けんたろ
国公立大学院卒業後、営業マンとして社会人生活をスタート。趣味のクイズや読書を通じて言葉の奥深さを実感。「昨日よりちょっぴり賢いあなたへ」をモットーに、会話が苦手な方の話のネタや、勉強が苦手な方の興味を引く言葉の知識やクイズを発信中。Xフォロワー8.7万人(2024年11月時点)、メディア紹介多数。Voicyパーソナリティとしても活動。
X https://x.com/kenlife202010
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著=けんたろ/『けんたろ式“見るだけ”ことば雑学辞典 図解とクイズで広がる教養』
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人型ロボット「シン・アトラス」が人間と同じように職場で働いているだとぅ!
著者D・パルモ
公開:2024-11-06・更新:2024-11-06
より人間めいた身のこなしで間違ってもやり直す。ただ異様な動きがちらつくあたりに不気味さも。ボストンダイナミクスの人型ロボット、アトラスが今年4月に旧型から新型に転生した件をご存じだろうか?
このたび公開されたのは、見ためからしてずいぶん変わったニュータイプのシン・アトラスが、自律運転で部品を移動させる作業の様子だ。
かつては華麗なるダンスを披露するなど、魅せるパフォーマンスが得意だった旧型よりも、いかんせん地味な絵面になってるけども、よく考えたらこれこそが人に役立つロボットの本領発揮になるような?
自動車工場で自律的に作業するシン・アトラス こちらの映像は、自動車工場で試験的に自律的作業を行うシン・アトラスをとらえたもの。今回はコンテナにある部品を棚に移し替える作業だそう。
保管用のコンテナにあるエンジンカバーを1枚ずつつかみ出し、右の部品棚に納めてゆくシン・アトラス。その姿はまるで人間そのものだ。
この画像を大きなサイズで見る ちなみにアトラスは、棚の空いてるところに適当にカバーを入れているわけではない。
ただ単純に移し替えているだけではなく、並び替えも行っており、間違いないよう気をつけながら慎重に作業を進めているのだ。
ときには途中で失敗してビクッ!ってなるシーンも。まさに人間じみている。
こっちまでドキッとする動揺ぶりだが、そのあとちゃんと入れ直したよ。
この画像を大きなサイズで見る この失敗は、カバーの一部が隣の仕切りに引っかかったせいだ。
だけど、そこで動作がストップしたり、無視して無理やり突っ込んだり、カバーを放して落としたりせずに、もう一度やり直してるところはすごいかも。
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自律的にオンラインで生成される動き なお、すべての動きは、自律的にオンラインで生成される。つまり動作に関しては、事前プログラムされた動作や遠隔操作なしで行われているそう。
しかもシン・アトラスは、環境の変化やアクションの失敗に直面すると、その都度、顔も兼ねてるカメラからの視覚と力覚、自己感覚センサーの組み合わせから、自身の動作を検出したのち、反応するようになっている。
全体的には人間っぽいが、特に奇妙な動きも 相変わらずスローだけれど、シン・アトラスの人間とそっくりな動きに感心する。
低いものを取るために、きちんとしゃがんで取り出して、立ち上がって歩けるとことか、角度を調整しながら物を納めるところとか。
この画像を大きなサイズで見る でも一方で不気味な動きもちょこちょこあったり。首や腰くるりと回せて、関節も自在に曲がるアトラスの場合、体の向きの変え方とかがなかなかに異様だ。
スピードが上がるともっとぬるりとしそうな予感もある。
この画像を大きなサイズで見る 人間と違い、先に頭が右回りして後ろ向きになり、歩き出す下半身の向きに上半身が左回りで追いつくシーンとか脳がバグりそう。
目鼻がなく、つるりとまるい顔の怖さとこの動きとが相まって、得体のしれなさが増幅するというか。
まあなんだ。作業自体は地味だけど、旧型とうってかわって堅実なお仕事路線でいくのかな?
Atlas Goes Hands On 新型は旧型よりも小柄でスリムな完全電動型 2020年から韓国の自動車メーカー、現代自動車の傘下にあるボストンダイナミクスによると、柔軟な2足歩行の新型アトラスは商業活動用に設計されたもの。
そのため旧型よりも小柄でスリムな完全電動型になり、すでに多様な現実世界に対応できるという。
一方、宙返りやパルクールをしていた旧型は、新技術やアイデアの実現性を検証する研究プロジェクトとして開発されていたもので、重さ約90kgある油圧式だった。
人型ロボットが人間社会の工場で働く日は遠い? 動画のように自動車工場で働く人型ロボット(ヒューマノイド)は、各自動車メーカーで開発が進んでいる。
今年はドイツのBMWもフィギュアAIの人型ロボットの実験導入を発表し、テスラも「オプティマス」というロボットを独自開発中だ。
これらの二足歩行ロボットを支持する層は、開発がうまく進んだあかつきには、先進的な大規模言語モデルと統合することで、人と会話しながら危険な作業や重労働をこなせるヒューマノイドロボットが誕生する、と期待している。
とはいえ、もし人間ぽくて有能で安全な自律型ロボットができたとしても、それを工場に導入するには解決すべき問題が数多くある。たとえその問題を解決できたとしても、政治家や労働団体の反対に直面する可能性がある。
SFではありふれたシーンでも、根本的に人と異なるロボットが、現実の人間社会で普及するには、相当な時間がかかるかもしれない。
References: Oh good, the humanoid robots are working on their own
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AIロボットに最後まで仕事を奪われないのは配管工と電気技師(アメリカ) #びっくり #ヒューマノイド #作業 #ボストンダイナミクス #アトラス
(人型ロボット「シン・アトラス」が人間と同じように職場で働いているだとぅ!|カラパイアから)
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自分は多数の子宮頸がんの患者さんに関して、告知や治療やお看取りを行ってきた産婦人科専門医(医学博士)です。 日本のマスコミが決して報じないこの裁判の実態を、以前からツイートしています。 今回で傍聴記録は8回目です。 これまでのHPVワクチン薬害訴訟傍聴記録も、遡ってnoteで順次上げていきますので参考にしてください。 これまでで最も衝撃的な事実が明らかになりました。 “HPVワクチン後遺症”の診断を現在進行形で量産している唯一の大学病院である鹿児島大学病院。 しかしその診断の実態は、鹿児島大学病院放射線科が作成した読影レポートでは異常がないと判断されたにも関わらず、鹿児島大学病院神経内科が独自に脳血流の画像を異常だと判断していました。 新規疾患の存在を証明するための臨床研究としては、極めて非常識です。 最終的に鹿児島大学病院で ”HPVワクチンによる脳血流の異常” と診断されてしまい、HPVワクチン薬害訴訟の原告となった女性たちの脳血流画像���、今回の法廷の証人である畑澤順先生(大阪大学医学部核医学診療科のもと教授・日本核医学学会前理事長)が確認した全例において、異常なしの診断。 にもかかわらず、鹿児島大学病院神経内科医たちの独自の判断により ”HPVワクチンによって脳血流障害が生じた被害女性” に対して、鹿児島大学病院が被ばくを伴う検査や免疫吸着療法を施行していた事実が、法廷にて明らかになりました。 前回、畑澤順先生が証人として法廷に立った福岡地裁のレポートはこちら。 https://x.com/tanuk_ichi/status/1883897806471225818?s=46&t=aKCnQ_jX0p0aWhyp8OMJ0w マスコミが大々的に取り上げた"HPVワクチン後遺症"は、法廷でも今回を含めて複数の医師(近畿大学医学部微生物学講座角田郁夫教授、東北大学病院総合診療部もと教授本郷道夫先生、行岡医療大学三木健司特別教授、北里大学大村智記念研究所中山哲夫特任教授、大阪大学病院核医学診療科もと教授畑澤順先生など)から誤診の疑いやワクチン接種と無関係だと指摘されています。 例によって法廷では録音録画が禁止されているので、自分のメモからの書き起こし。 なので、一字一句が正しい記載ではない点はご了承ください。 非常に長文です。 特に途中の中西弁護士登場から盛り上がりますが、結論だけを読んでも十分に衝撃的な結果かと思います。 今回は以前の畑澤順先生の証言に対して、原告側弁護士が反論する形で裁判が進行。 以下からは形式的に、畑澤先生は畑、原告弁護士は弁と記載します。 裁判傍聴の抽選は全員通過 法廷は9割ほどが埋まっており、そのほとんどが原告支援者の中高年世代 いつも通り、江戸川大学マス・コミュニケーション学科教授の隈本邦彦も登場 もとNHK記者であり、薬害オンブズパースン会議という団体のメンバー 日本各地で謎の反HPVワクチン講演会を開催している人物 畑 (深々と原告席へ一礼) 弁(若い女性弁護士・うつむき気味でやや不慣れそう) 証人がグラクソスミスクライン(GSK)から証言の依頼を受けたのはいつですか? 畑 2年前くらいです 弁 その前から平井論文を知っていましたか? 補足:帝京大学病院神経内科平井利明による未査読論文、脳SPECT検査でHANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)の存在を主張 以前の法廷で畑澤先生が論文の問題点を複数指摘し、科学的価値のない”ただの読みもの”と評価 畑 今回依頼されてから読���ました 弁 荒田論文は? 補足:鹿児島大学病院神経内科荒田仁による未査読論文、脳SPECT検査でHANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)の存在を主張 以前の法廷で畑澤先生が論文の問題点を複数指摘し、科学的価値のない”ただの読みもの”と評価 畑 同様です 弁 脳SPECTに関する、この松平論文(静岡てんかんセンター松平敬史医師の論文、おそらく未査読)は? 畑 日々多くの論文を読んでいますので、今から読みます 少し時間を下さい 、、、、、読んだことはありません 弁 ではこちらの別の松平論文は読みましたか? 畑 また時間を下さい 、、、、、読んでません しかし論文の方法などを見る限り、画像の専門家から見れば大きな問題のある論文です この論文を読んでいるかいないかで、調書に変更はありません 弁 池田修一先生の脳SPECTに関する論文は? 補足:信州大学神経内科もと教授池田修一らによる未査読論文 池田修一はマスコミに対してHPVワクチンに関する不適切な研究発表を大々的に行い、厚労省と信州大学から厳重注意を受けたのちに開業医に転身 現在に至るまで、査読を受けたHPVワクチンに関する論文はゼロ 画像 マスコミが大々的に取り上げた池田修一の発表 畑 核医学に関して方法論を含めて様々な問題がある この論文をもとにして調書を作成するのは無理がある GSK弁護士 それは“調書”ではなく”意見書”ですね 畑 失礼しました、そうです 弁 原告の脳SPECTは何例確認しましたか 畑 鹿児島大学病院の診断で異常があるとされた方のうち、提供を受けた3-4名の画像を確認しました 異常はありません 弁 その他の原告の脳SPECTは? 畑 提供されていないので確認していません 弁 証人は患者を実際に診察していますか? 畑 大阪大学病院放射線科では、産婦人科や内科などから依頼を受けて画像検査・診断を行います 検査の必要性・有用性を協議することもあります 大阪大学病院ではHPVワクチンの後遺症診断で依頼を受けた例は1例もありません 弁 証人は、脳SPECTは脳血管障害・認知症・てんかんに対して施行する検査だと主張していますね 畑 90%はそうです 弁 脳SPECTとアルツハイマーに関する論文を書きましたか? 畑 2012年ですね 3D-SSP(統計的画像解析法)の使用法に問題がある論文が多く、正常人のデータベースも不十分 その不十分なデータベースを使用して、異常がないにもかかわらず異常だと判断している医師がいる カメラでの撮影条件が一定でなく、そのためにZ scoreが高くなったり低くなったりというエラーが生じる そういった臨床の場での問題を指摘する必要がありました 長くなりましたが、これでよろしいでしょうか? 弁 はい、いいえで答えられる質問には、はい、いいえでお答えください 放射線科医はどのように3D-SSPを使いますか? 畑 主にアルツハイマー型認知症で使用します 原画像の処理を行うために使用するが、あくまで補助診断です 原画像を優先して診断すべきです 繰り返し述べていますが、3D-SSPだけを見て判断してはいけません 弁 証人の論文では、3D-SSPは臨床的に有用性が高い、と述べていますね? 畑 はい、そうです ただし様々な条件をクリアしてなければなりません 対象とする特定の疾患、主にアルツハイマー型認知症では有用性が高いことが世界的に判明しています 弁 3D-SSPはあくまで正常と比較して用いるのですか? 畑 そうです 平均的な血流量やそのばらつきを見ます ある特定の疾患では、異常の有無の基準に用います 白髪の原告側男性弁護士(のちに何度も登場、乞うご期待)が大きな声で割り込む つまり、質問への回答は「はい」ですね! 畑(無視して継続) 健常人の数・年齢・性別などを測定した上で、解析を行う必要があります 白髪の原告側男性弁護士 つまり!「はい」ですね! 畑 ご質問がきちんと数・年齢・性別などを勘案しているのであれば、回答は「はい」になります 別の控えめな原告側男性弁護士 時間がないので、はい、いいえ、のどちらかで答えて頂けると、、、 畑 可能な限り正確に述べる必要があるかと思いまして。 それなら「はい」です 弁 次にデータベースに関する証人の論文についてお聞きします 畑 2012年には多数の論文でノーマルデータベースに問題がありました 撮影するカメラの機種が異なる画像が、データベースに混在していることもあり、これを問題視してきました 撮影の条件には一定の基準が必要です シャッタースピードも統一されていなければ、エラーが混在してしまう そういう論文です 控えめな原告側男性弁護士 あのー、これ以上の説明はもう結構ですので、、、、 弁 現在ではデータベースの問題は? 畑 大阪大学病院では自施設でそういった問題をクリアしたデータベースを構築しています 他の大学病院がどうなっているかまでは分かりません 弁 データベースを使用していれば、ある程度は正しい結果が得られるのでは? 畑 典型的な誤った考えです アルツハイマー型認知症においては、世界的に有用性が認められている ただ、精神疾患や未知の疾患に使用するのは不適切 大阪大学病院ではそんなことはしないし、他の医療機関でも普通はそのような不適切な使用はしていません 弁 特定の疾患だけでなく、脳の機能を評価する際に3D-SSPを使用することもある ここにはそう記載されています 畑 読みますね、、、、 はい、そのように書いています ただし前提として、臨床試験や倫理委員会などを通して評価することが必要です それを経て有用性が確認できれば、診断に有用と言うことが可能です 弁 証人は脳SPECTの教科書執筆にかかわっていますね? そこでアルツハイマー型認知症以外にも、脳SPECTを用いてますね? 畑 はい 弁 前頭葉型認知症にも有用で、アルツハイマー型認知症との鑑別にも有用ですか? 畑 はい、そうです アルツハイマー型認知症、前頭葉型認知症、移行型や混合型の認知症、それぞれ20-30%ずつありますが、有用な検査です ただし移行し得るので、必ずしも判断が変化しないわけではありません 弁 ハンチントン病では脳SPECTで尾状核・前頭葉の血流低下がありますね? 畑 はい、ただし非常にまれな疾患であり、自分も実際に診断したことはありません 弁 ハンチントン病が非常にまれならば、どのように診断しますか? 畑 その場合は診断基準など、、、(メモが追い付かず、書き取りできず) 弁 脳炎などのまれな疾患や新規の疾患の場合には、脳SPECTは使用しますか? 畑 既に知られている疾患の診断に、あえて脳SPECTを使うことはないです 新規の疾患を疑っても、その診断のために行う検査でもないです 弁 質問の回答は「はい」でよろしいでしょうか 畑 もう一回質問を伺えますか? 白髪の原告側男性弁護士 「はい」と答えて頂ければいいんです! 畑 質問が限定的過ぎます 誤解があってはならないので、説明が必要です 別の女性弁護士 時間の節約のために協力をお願いします 裁判長 申し訳ありませんが、可能な限り簡潔にお願いします 畑 分かりました 弁 脳SPECTで所見が乏しい疾患もありますね 2017年の報告では、橋本脳症では脳SPECTで64%は正常と判断されると 畑 最近知りました ただし頻度や割合に関して述べる際には、感度・特異度を合わせて判断する必要がある その論文では、病気でない人の所見がどうかの記載がなく不適切な論文です 傍聴席から、そんなのどうでもいいじゃん!、とヤジが入る 弁 ムラマツ先生が抗NMDA受容体脳炎や橋本脳炎において、3D-SSPを用いた解析を行って、特徴的な所見を報告しています 畑 その報告もノーマルデータベースの記載が不十分であり、世界的なコンセンサスもありません 信頼性が高い報告とは言えません 弁 しかしこの論文は”ユーロピアンニューロロジー”の査読論文です 医学界で評価された論文ですね? 畑 その解釈は正しくありません 査読のプロセスが不透明で、他の研究者による論文引用もされていない 医学界の中で評価されるには、そういった積み重ねが必要です 橋本脳症の知見としては確立していない あくまでそのプロセスにあると判断します 弁 アルツハイマー型認知症やてんかんでは長い歴史の中で脳SPECTの意義が確立している、ということですね 畑 そうです 弁 患者の脳機能を確認するためにも脳SPECTは行われるのでは? 畑 そういった研究には研究チームやプロトコルを揃える必要がある あくまで研究目的で、精査したうえで知見として確立します 新規の疾患を疑ったから試しに検査をしてみよう、という手法は非常によろしくありません 例えば脳波に異常などがあるから、その裏付けとして脳SPECTを行うのはあり得ます しかし脳波などに異常がないにもかかわらず、とりあえず施行するような検査ではありません 弁 保険診療では脳SPECTや脳シンチグラフィーは、脳炎・脳症が保険適用とされています 有効性が認められた検査ではありませんか? 畑 誤った解釈です 保険適用だから脳炎・脳症を疑ったら脳SPECTを施行する、というのは誤りです 統合失調症やうつ病や解離性障害などでも保険適用ですが、脳SPECTは行いません 科学的な意義が不明だからです 保険適用の話をするならば、脳死でも脳SPECTは保険適用です しかし脳死患者に脳SPECTは行いません そういったことは10年以上前に議論されて、既に決着がついています 保険の適応疾患をそのように解釈すること自体が誤りです あくまで診療報酬が支払われるかどうかという話です 弁 それはあくまで先生のお考えですよね 分かりました 次は土田先生による報告です 新型コロナ後遺症のブレインフォグに対して、脳SPECTを221人に対して行ったところ、その全例で脳血流が低下していました この報告を知っていますか? 畑 初めて聞きました そもそもブレインフォグの定義などは医学的には確立していません 弁 新型コロナに関して、、、、、、(10秒ほど言葉に詰まり、書面を目で追う) 新型コロナ後遺症の診断において脳SPECTは広く利用されている、ということでよろしいでしょうか? 畑 えーと、新型コロナのワクチン後遺症でしょうか? 弁 ワクチンではなく、新型コロナ後遺症へ脳SPECTは行われていますか? 畑 一般的にはありません 傍聴席から:いやー、あるでしょうよ! ここまでで午前中の尋問が終了 90分間の昼休憩へ 傍聴席からは、高嶋先生の診断を否定したくてしょうがないんだろうなぁ、誠実さが足りないよ、などの声 補足:高嶋博 鹿児島大学神経内科教授 HPVワクチン接種後神経障害を提唱して脳SPECTで多数の患者を診断するも、その謎の疾患に関して未だに査読論文はゼロ 前半はまだ落ち着いた展開だが、後半はハチャメチャが押し寄せてくる ワクワクを100倍にして読んでほしい 特に白髪の原告側の男性弁護士に注目 法廷再開5分前 係員が傍聴の注意点を説明するが、中高年世代の原告支援者の雑談がうるさすぎて聞こえない あの界隈って非常識な大人が多いんだよね 思春期からずーっと、”支援者”たちに囲い込まれてきた”被害女性”たちが、本当に気の毒です 質問を行う原告弁護士が交代 既に何度も登場している白髪の男性弁護士へ(中西弁護士、以下中西と表記) この裁判において、常に笑いと涙を提供してくれる有能な弁護士である ぜひ、カプコンの名作ゲーム『逆転裁判』に登場してほしい 中西 まずですね、質問には、はいかいいえ、でお答えください 回答しているうちに、質問が何だったかよく分からなくなる場面もありましたよね 時間もありませんので 製薬会社弁護士 ご存じのように専門性が高い領域なので、はい、いいえ、だけでは答えられないこともあります 前提条件などを確認する必要があります 裁判長 証人はできれば簡潔にお願いします ただ、それが難しいこともあることは理解しています 一方で原告は、質問の導入で”記載があるかどうか”を証人に確認するのは不要かと思います 中西 平井論文に関して証人は”読み物に過ぎない”と言いました。 覚えていますか? 補足:帝京大学病院神経内科平井利明による未査読論文、脳SPECT検査でHANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)の存在を主張 以前の法廷で畑澤先生が論文の問題点を複数指摘し、科学的価値のない”ただの読みもの”と評価 畑 はい、そうです 査読を経た原著論文ではありません 中西 著者らはその論文の中で、脳SPECTによってマウスの脳炎を示した平井・黒岩論文を注釈して引用しています これは2016年の日本自律神経学会の雑誌”自律神経”において、査読を受けています これを読んでいますか? 畑 はい、読んでいます 査読があっても、きわめてレベルの低い論文です 中西 査読を経た論文を引用しているのに”よみものに過ぎない”と評するのは、アンフェアです 畑 もともと提示された論文は、査読を経ていないただの読み物です 引用された論文も読みましたが、通常の査読を通るレベルに達していない 解析は不十分で、採択されるには、、、 中西 (畑澤先生の証言を遮って) いや、そんなことはないでしょう それ以上は必要ない 製薬会社弁護士 異議あり、必要です 裁判長 続けてください 畑 この論文が採択されるまで、8日間という異例の短さです 私は査読誌の編集長を務めてきましたが、査読者の選定などを含めて、通常は早くても2週間は必要です そしてこの論文は、核医学の専門家の査読を通っていません 中西 端的に答えてほしいんですよね! 前回、証人は査読論文ではなく”読み物だ”と主張していたでしょう 製薬会社弁護士 誤誘導です 証人が”読み物”と言ったのは査読を受けていない平井論文の方です 中西(ヒートアップして) じゃあ、アンフェアだと私は感じたんです! それは言わせてもらいます 次に、脳SPECTを判断するには専門家が必要だと言っていましたね? 畑 はい 中西 平井論文の共著者の内山眞幸、慈恵医大放射線部所属 知っていますか? 畑 知っています 専門家の一人ですが、専門は呼吸器の悪性腫瘍です 脳SPECTの専門家ではありません それは強調させていただきたい 中西 日本核医学学会が発足・推進させた会の役員 内山眞幸 そうですね? 畑 はい、私が理事長としてこの会を発足しました 中西 では、内山医師は核医学の専門家でしょう 畑 はい、内山先生は核医学領域では脳神経ではなく呼吸器の専門家です (ここからの展開は、さらにカオスに突入) 中西 改めて平井論文です 脳SPECTの論文作成に当たって放射線部の協力を得る必要がありますね 平井論文の共著者には平瀬技師、太田技師という方もいて、この方々は他にも論文を書いています 畑 放射線技師の役割を誤解されているかもしれません 検査の条件を整える専門家ではあります 撮影された画像の診断を行う役割はありません 技師が論文を書いたり論文に名前が記載されているからと言って、その論文の正しさを担保するものではありません 中西 技師が論文に関わっていれば、信頼度が高いのでは? 畑 技師は放射線画像の撮影を、責任をもって行う職種です 平井論文からは、統計画像解析の信頼性は読み取れません 中西 平井論文には放射線部と技師に対して、協力して下さった、と謝辞が記載されています なので、検査の信頼がおけるのではありませんか? 畑 謝辞を述べるのは論文の作法であり、謝辞があることと論文の信頼性は無関係です 中西 それはあくまで証人の感想に過ぎませんよね 次は先ほどの雑誌“自律神経”の論文です これには東大病院の黒川清先生も関わっています、日本学術会議の 知っていますか? 畑 知っているが、会ったことはありません 中西 本研究の目的は脳SPECT・内分泌・脳波などと中枢神経疾患の関連を見つけること そう記載されていますね 畑 はい 中西 提唱されているHANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)の診断基準を提示します 他覚的所見として、脳SPECTでの異常、これが挙げられていますね 畑 私はその医師たちのように脳SPECTの所見だけで診断することはありません 客観的に診るためには、科学的エビデンスに基づいた正しい手法を使うべきです 多数の画像診断をしてきた専門家としての経験上、脳SPECTから結論を導くのは不可能です 中西 科学的エビデンスと言っていますが、このような蓄積がエビデンスが確立する過程なのでは? 畑 既に言いましたが、HANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)という研究の過程や手法に問題があれば、それには意義はありません 脳SPECTはあくまで特定の疾患の補助診断に用いられるべき検査であり、新規の疾患を疑ったから撮影してみるという検査ではありません HANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)に関して脳SPECTを使用することで、有意義なエビデンスが得られるような研究デザインがなされていません 誤った結論が導かれてしまうことを危惧しています 中西(明らかにイライラいている) 次は教科書からの記載です 3D-SSPを使用して健常者と有病者の脳血流を比較することで、異常を検出できる そう書かれていますね! 畑 本の一部分だけを抜粋しても、、、 中西 (話を遮って)書かれていますね!! 畑 この部分だけではなく、全体を読んで判断する必要があります 中西 実臨床では特定の疾患に対して脳SPECTを行うことがあり、3D-SSPを用いることもある それには倫理委員会などを通す必要がある、午前中はそのように言っていましたね? 畑 午前中は答える時間が無さ過ぎました 臨床研究では、例えばアルツハイマー型認知症と診断された方に対して、経時的に観察したうえで治療を行い、脳血流が変動するかを確認しています 既に診断がついている既知の疾患に対して用いる検査であり、新規の特定の診断を行うために用いる検査ではありません 中西 脳血流の異常を脳SPECTで見つけて、それを知見として積み上げる そういった方法を用いても良いのではありませんか? 畑 それはきちんとした研究として、倫理委員会を経てプロトコールを作成し、、、 中西(怒鳴り声で割って入る) だから〇〇(聞き取れず)とはですね! 畑(無視して進める) 実臨床の場ではそのような手続きを踏んだ上で脳血流を見ています 中西 平井論文では、脳梁や脳の広い範囲での血流低下が認められると記載されていますね 畑 はい、記載はあります ここで別の若い女性弁護士へ交代 明らかに慣れていない様子で、発言に詰まって固まったり、言い間違いなどが多い ここからは、赤い・青いについて謎の論争が始まる、、、 弁 視床基準を用いると、画像では赤い部分が多いように見えます これは異常ではないのでしょうか? 畑 そう判断するのは間違いです というのは、、、 中西 (話に割り込んで)赤��見えるか見えないかを聞いているんだ! ワイの心の声(いやそうではなく、女性弁護士は赤く見える部分が異常かどうかを聞いてたやろ、、、マジでやばい弁護士やな) 製薬会社弁護士 異議あり 不適切な質問です 赤いのは確かに赤いですが、赤いかどうかを証人に確認する意義は何ですか? 弁 では、赤いように見える、それで回答はよろしいでしょうか? 畑 赤く見えることの解釈は別として、赤いか赤ではないかといえば、赤が正しいです 弁 では赤いところは相対的高灌流であり、血流低下がある それは違うのでしょうか? 畑 説明が必要です 視床が正常という前提が必要であり、3D-SSPでは正常な部位を基準とします なのでこの手法で3D-SSPを用いるというのは、そもそもやってはならないのです GSK弁護士 原告弁護士は相対的低灌流を相対的高灌流と誤って発言したと思われます 弁 失礼しました ご指摘の通りです 畑 3D-SSPは1つの元データを、全脳平均・視床・小脳・橋の4か所の基準で確認する必要があります 弁 視床基準だけで異常が見られた場合 これをもって異常と判断してもよいのではないでしょうか? 畑 誤りです 脳SPECTでは視床基準のみ異常が見られた場合、エラーを見ているだけと判断すべきです 中西(期待を裏切らない再登場) はい!わかりました! 証人はもう結構です 製薬会社弁護人&裁判長 証言を遮らないで下さい! 畑 100%のケースでこれが正しいわけではないですが、視床を正常と仮定すべき この画像をもって異常と判断することは誤りです 中西 私は納得ができないがね 多くのHANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)患者でのZ map分析では、相対的低灌流域が見られている ここに記載のある患者は異常と言えるのでは? 畑 そもそもそこに記載されている “減弱像のZ map” という言葉の意味が不明であり、私は使ったこともなければ聞いたこともない むしろこの意味を私に教えてください 中西 方法、に書いていますけどね この全脳基準でも、19名のHANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)患者では特定の領域で有意な灌流量低下が見られています これも見たことがない? 畑 この論文のデータベースの使用法そのものが不適切 ノーマルデータベースを用いて患者1人1人をそれぞれ解析して、ここに異常、ここにも異常と挙げている 通常のエビデンスのある手法とは著しく異なるので、この解析では何の推論もできません 中西 それこそが科学的データの集積では? 畑 誤ったデータを集積させても、それはむしろ有害です というのは、、、 中西 !!!(怒鳴って話を中断させる) 製薬会社弁護士 明らかに話の途中で遮るのは不適切です 中西 話が長すぎる! 製薬会社弁護士 いや、明らかに、、、 裁判長 いえ、この点に関してはもう大丈夫です それに証人の話の長さは、午前中よりも改善していますし(会場・畑澤先生を含めて笑) 中西 別の専門家が出したデータに対して、それが有害になるというのは言い過ぎでは? 畑 誤った方法で誤った結論を導くのは有害です その論文の話ではなくとも、これは科学の一般論です 先ほどの明らかに慣れていない女性弁護士へ交代 弁 再び荒田論文に関して伺います。 証人はこの論文の問題点として、カラースケールがない点や、原画像を確認すると異常とは言えないと証言していますね? 補足:鹿児島大学病院神経内科荒田仁による未査読論文、脳SPECT検査でHANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)の存在を主張 以前の法廷で畑澤先生が論文の問題点を複数指摘し、科学的価値のない”ただの読みもの”と評価 畑 はい、そうです 弁 「臨床医・RI技師のための脳SPECTパーフェクトガイド」 この教科書を作成しましたね? 畑 作成しましたが、詳細な内容までは覚えていません 弁 右内頚動脈血栓の術前術後のカラースケールを見ると、赤に近ければ血流が上昇し、青に近ければ血流は低下している それでよいですね? 畑 カラースケールには種類があります これは治療前後の比較をしていますが、一概に赤だから血流増加で青だから血流低下ではない 色分けは目的に応じて使います あくまでもこの画像は脳血管障害による大きな血流差を見ています 弁 次は単純ヘルペス脳炎の項目です こちらはモノクロ画像ですが間違いないですか? 畑 これは白黒だと、、、分かりにくいですね、、 弁 証人は意見書ではこの項を引用していますが、、、、(明らかに困惑) 畑 ずいぶん前のことなので、はっきりとは、、、、(お互いに困惑) 弁 ここではコントラストを比較しており、カラースケールはないですね 畑 教科書のこの部分ではそうですが、実際の診断時にはカラースケールも用います 弁 荒田論文が投稿された雑誌”臨床核医学”の投稿規定には、カラースケールの有無はありませんね 製薬会社弁護士 異議あり 論文が投稿された時期に、その投稿規定があったか不明です 裁判長 証人は当時の投稿規定を知っていますか? 畑 はい、知っています この雑誌の投稿規定には、投稿された論文に事務局が手を入れることが許されています 普通の医学雑誌ではありえないことであり、そういうジャーナルだろ理解しています 私の投稿にも手を加えられていたことがあります 裁判長 規定の時期は分かりますか? 畑 分かりません 長期間かと 弁 ご自身の文献で、てんかんの発作時と間欠時の脳SPECT画像を使用していますが、カラースケールは使用していませんね 畑 脳の左右の血流差を見ている文献ですが、カラースケールを使用する必要がなかったからです 目的に応じて使用します 弁 では発作時と間欠時をどのように判断していますか? 畑 まずは原画像で判断します そしてこの文献は原著論文ではなく、画像を広く知ってもらうために書いた文献です 目的が異なります ここで10分間の休憩 原告支援者たちからは、、、 ・なんかよくわからない ・薬害を起こしたのに誠実さが足りない ・オンラインでまたカワバタ先生(?)に教えてもらいましょう、いつもすごくわかりやすく教えてくれるの 毎回毎回、原告支援者たちは休み時間のたびに「よく分からない」と連呼しているが、それでも傍聴に来るのは偉いですね 非科学的で煽情的な反HPVワクチン報道を繰り返してきたマスコミも、少しはその姿勢を見習ったら??? 慣れていない感じの女性弁護士で継続 弁 検査時の部分容積効果についてうかがいます 大雑把に言えば、赤・青で血流量を判断してもよいのですか? 畑 そうですが常に変動しています 体温など同様と考えていただければ 弁 健常者でも青く見えてしまいますか? 畑 1秒ごとに揺らぎが生じます 大脳皮質には1秒で80ccの血流があります 脳SPECTの画像では解像能力に差が生じます なので、”画像で血流が低下しているように見える”からと言って実際に血流が低下しているとは限りません 弁 実際に血流が低下している場合には、脳SPECTではどのようになりますか? 畑 その場合、脳SPECTではもっと明らかに低下しているように見えます 大脳皮質の薄い部分では、適切な画像ソフトウェアを使うという方法もあります 弁 より青ければ、血流低下はあると判断できるということですね? 畑 一般的にはそうです 弁 この画像では? 畑 異常に低下しているように見えているだけです 実際にはあったとしても数%の差なので、その画像を見て異常だと判断する方が危険です 弁 紙ではなくディスプレイで見ても、そうなのでしょうか? 畑 そうです 信号の強度をより正確に確認するために、白黒の画像を用います カラーの場合はわずかな差でも大きな差に見えてしまうことがある点に、注意が必要です 弁 この論文では血流低下は評価できないのでしょうか? 畑 正しく診断するには、多数の正常・異常の画像パターンが頭に入っていなければなりません この方の脳血流は正常です 弁 シルビウス裂の血流に異常が指摘されている、免疫吸着療法の前後の脳SPECT画像です 解剖学的標準化を行っていればシルビウス裂の評価は可能ですね? 畑 シルビウス裂は位置や大きさの個人差が大きく、脳SPECT・3D-SSPではエラー信号が生じやすい 異常や正常の判断基準から外す必要があります 原画像を確認して判断すべきです 弁 橋本脳症の3D-SSP画像です ここがシルビウス裂でしょうか? 畑 そうです 弁 解剖学的標準化を行えば、シルビウス裂の評価ができるのではありませんか? 畑 申し上げたように、もともと個人差が大きい部位であり、さらに加齢によってその差は増大します 弁 しかし画像を見ると、血流が低下していると解釈できるのではありませんか? 畑 誤っています この画像ではシルビウス裂だけではなく、側頭葉先端・前頭葉下部にも信号が見られます エラーが出ている状態です この場合も、原画像を確認したうえで推論されるべきです 弁 荒田論文では免疫吸着療法を行う根拠として、シルビウス裂での信号増幅を挙げています 以前の法廷で、証人はこれを批判していますね? 畑 批判ではなく、画像を評価するにあたって正確な手法を用いることを勧めているのです 弁 解剖学的標準化を行えば、3D-SSPで評価は可能だと思うのですが、、、 畑 違います 画像撮影時の頭の位置、あごの位置などの差によって、同じ患者でも3D-SSPの結果は異なります なので、免疫吸着療法の前後で3D-SSPを用いて評価することそのものが不適切です 原画像を見て判断すべきです 弁 マーカーなどを設置すれば、大丈夫なのではありませんか? 畑 20分間程度の検査でも、微妙な動きやずれは生じます そのため、検査の前後でも異なった画像になります 弁 証人は正常データベースの年齢との不一致を問題にしていますが、年齢が一致していれば3D-SSPを用いてもよいのでしょうか? 畑 同じ人物であっても、治療前後の評価に3D-SSPを用いることそのものが不適切です 原画像を比較する必要があります エラーが生じている3D-SSPのみを使用して判断することは、正しくありません 弁 治療効果を判断するためのサブトラクションは、てんかん発作に有用でしょうか? 畑 はい 原画像にそのように用いることで、てんかん発作の部位、焦点を判断するのに有用です 弁 原告27番の画像です 鹿児島大学病院で脳SPECT・3D-SSPによって脳血流に異常があるとされています 原画像を確認しましたか? 畑 ここに提示されているのはあくまで原画像の一部です もっと細かいのが原画像です その原画像は全て確認しました ここで提示されているのは、ごくごく一部の画像に過ぎません (いつものことだが、ここで傍聴席の原告支援者には睡眠に突入している人々が散見。いびきがうるさいおっさんもいる。勘弁してくれ。あんたら真面目に原告女性たちを応援する気、本当にあるん?) 弁 脳血流SPECTでは、必ず原画像が必要ですか? 畑 3D-SSPは補助診断にすぎません あくまで原画像の所見を優先します 弁 右後頭葉・側頭葉の血流低下はありませんか? (鹿児島大学病院で脳の血流異常と診断された原告の画像に対して) 畑 はい、まちがいありません 弁 鹿児島大学病院の報告では、RI検査の結果でも軽度の左右差ありとのことですが? 畑 どのようなプロセスでそのような判断に至ったのかが分かりません 弁 報告書は見ましたか? 畑 血流異常があると鹿児島大学病院で判断されて、鹿児島大学病院から提供されたすべての画像を確認しました 全例において異常はありませんでした 弁 鹿児島大学病院で異常があると読影した医師は、解剖学的標準化を行っていましたか? 畑 記載がないのでわかりません 弁 鹿児島大学病院では解剖学的標準化を考慮したのでしょうか?無視したのでしょうか? 畑 わかりません ただ、解剖学的標準化を行われなかった結果で出てくることの多い典型的なエラーに見えます 弁 HANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)に関しての池田修一論文ですが、読みましたか? 補足:信州大学神経内科もと教授池田修一らによる未査読論文 池田修一はマスコミに対してHPVワクチンに関する不適切な研究発表を大々的に行い、厚労省と信州大学から厳重注意を受けたのちに開業医に転身 現在に至るまで、査読を受けたHPVワクチンに関する論文はゼロ 畑 はい、画像分野に関しては それ以外の領域は私は専門家ではないので 弁 池田修一医師はHANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)と診断された163人をもとに、診断基準を作成しました 診断基準を確認します 補足:信州大学神経内科もと教授池田修一 池田修一はマスコミに対してHPVワクチンに関する不適切な研究発表を大々的に行い、厚労省と信州大学から厳重注意を受けたのちに開業医に転身 現在に至るまで、査読を受けたHPVワクチンに関する論文はゼロ ① 前提条件 HPVワクチン予防接種後(期間は限定しない) HPVワクチン接種前には明らかな異常がない ② 症状 広範な痛み、関節痛、全身疲労感、起立性障害、月経異常など合計10項目 ③ 他覚的所見 脳SPECT検査を含む合計6項目 脳SPECTが含まれていますね 畑 全く理解ができない!(この法廷で唯一、畑澤先生が語気を荒くした瞬間) 脳SPECTを加えるべきではない この診断基準がどのような根拠をもって作られたのか、エビデンスがないです 弁 HANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)の確定診断には脳SPECTも使用される、そう記載されていますね 畑 はい ただ脳SPECTを使用する根拠はありません “脳SPECTの異常”の定義も定められていません 大変、深い憂慮を感じております 弁 脳SPECTだけでは、判断できないのでしょうか? 畑 池田修一医師や、それに属するグループがなぜこのような基準を作ったのかが分かりません 補足:信州大学神経内科もと教授池田修一 池田修一はマスコミに対してHPVワクチンに関する不適切な研究発表を大々的に行い、厚労省と信州大学から厳重注意を受けたのちに開業医に転身 現在に至るまで、査読を受けたHPVワクチンに関する論文はゼロ 私は核医学のことならわかります 脳SPECTが本当に有用ならまだよいのですが、かなり無理があります 医学の世界で到底受け入れられる主張ではありません ここで最終弁論へ向けて10分間の休憩 寝ていた支援者たちも目が覚めた模様 ・のらりくらり言っててよく分からない ・あーあ、イライラするわ などの愚痴が聞こえる この方々が理解できる日は、永久に来ないでしょうね ここからはGSK弁護士が畑澤先生に質問し、これまでの内容を補完する形になる 製薬会社弁護士 証人が全く分からないと、途中で話に出た”減弱像Z map分析”に関してです 英語だとdecrease viewのことで、Z scoreは2を基準とされているようです 畑 それなら分かります 血流低下部位を判断するために用いられます 製薬会社弁護士 それを踏まえて、今回の3D-SSPではどうでしょうか? 畑 これだけでは血流低下を判断できません 製薬会社弁護士 ノーマルデータベースとHANS(HPVワクチン関連神経免疫異常症候群)患者を比較した場合に、違いはありますか? 畑 ノーマルデータベースを作成するには、対照群として多数の健常者が必要になります また、同じカメラ、撮像パラメーター、フィルターなどの条件を統一する必要があります それができていなければ、3D-SSPやZスコアはいくらでも変化してしまいます 今回の論文ではそれができていません 製薬会社弁護士 今回の論文では、他の病院での19人分のデータも併せていますが 畑 ゼネラルエレクトリック社のカメラでノーマルデータベースが作成されていますが、そこに併せられた19人分の他院のデータに関しては、撮影条件が不明です 製薬会社弁護士 鹿児島大学病院で脳血流に異常があると診断された原告27番を含めると、3人か4人分のデータの提供を受けましたね 結果はどうでしたか?また、鹿児島大学病院放射線科の作成したレポートは見ましたか? 畑 まずは鹿児島大学病院放射線科の読影レポートを確認せずに、原画像を含めて読影しました 全例で異常は見られず、正常な脳の画像と判断しました その後に鹿児島大学放射線科の読影レポートを確認しました 鹿児島大学放射線科も異常なし、と診断していました 異常の可能性も疑われるという旨の記載がされているレポートもありましたが、私が確認したところ異常はありませんでした 製薬会社弁護士 検査においては感度と特異度が重要とお話しされていましたね 畑 感度というのは、ある病気の検出を行う指標です 特異度というのは、実際には病気ではない人を判断する指標です 100人中50人が病人、50人が健常者という集団があったとします ある検査を行ったところ、この全員に陽性反応がでた場合には感度100%で特異度0%になります 精度は50%です 病気でない人も、病気であると判断してしまう検査になってしまいます 検査では感度・特異度はともに高いことが望ましいです 製薬会社弁護士 感度100%、特異度0%の検査があったとして、それには意義はありますか? 畑 コイントスと同じです 検査に意義はありません もし院内で他の診療科の医師からそういった意義のない検査を依頼された場合、私たちは断ります 検査の意義を説明して、再考を促します 製薬会社弁護士 証人は、今も脳SPECTの診断を行っていますか? 畑 私は1970年から放射線科の医師として多数の画像を診てきました 2019年に大阪大学病院の教授職を退官したのちにも、今も大阪大学病院で勤務をして医療現場で診断業務を行っています 本当なら、本日月曜日も勤務日なのですが(笑) 画像診断はこの裁判での中心的な問題の一つです 新しい科学技術が開発されて、それが医療現場に応用されてきました 3D-SSPもその一つです 日本人である箕島聡先生がアメリカに渡って開発し、世界に広まった技術です 認知症、特にアルツハイマー型認知症において非常に有用な検査です ただしあくまで補助診断なので、その利用においては原画像を確認することが重要です 専門家へ相談せずに誤った使用を行えば、誤った結果が導かれてしまいます エビデンスの積み重ねの失敗につながります 中西(久々の登場、やったぜ) 今回の論文でのDecreased viewに関してですが、脳SPECTの撮像条件や他院を併せて19例のデータは、診断にあたって満足できる数でしょうか? 畑 2016年の大西論文では、ノーマルデータベースは多ければ多いほど望ましいと判断されています 20例以上が望ましいのですが、19例であれば数だけなら絶対にダメというほどではありません 男女が混ざっているので、精度の限界はあります 中西 ノーマルデータベースを作成するにも、健常者に放射線を浴びせる必要があります なのでどうしても制約はあります それはご存じですか? 畑 はい 日本では健常者と判断された上で、データベースに登録をしていただいたのは5例です その困難さはよく分かります それを考慮した上で、解析には十分に注意すべきです 画像を見て、異常に見えたから異常にする、というやり方は好ましくありません 中西 こちらが提示した論文では、HPVワクチンを接種していないノーマルデータベースを作成している それに、撮影にあたっての薬剤の投与量や撮影条件も詳しく記載されていますがね? 畑 専門家から見れば、何も書いていないに等しいと言えます カメラの機種や感度やフィルターや組織減弱係数など これらは核医学の論文では必ず記載されるように、2012年から公表されています この法廷で提示された研究には再現性がありません 科学的エビデンスとは、再現性の積み重ねが必要です そういったデータとはいいがたい 中西 私は、この論文の記載は詳しいと思うんだけどね 製薬会社弁護士 異議があります あなたの個人的感想は聞いていません 中西(だったか、後半で出てきた女性弁護士か記憶が曖昧) 最後に質問です ハンチントン病の脳SPECTでの感度・特異度はご存じですか? 畑 この場でハンチントン病の脳SPECTの感度・特異度を思い出して、答えることはできません 向かって右の裁判官が初めて口を開く(以下、右と略) 既知の疾患では、例えば脳血管障害・認知症・てんかんでは、脳SPECTでの感度・特異度は判明していますか 畑 しています 右 新しい疾患が疑われた際に、脳SPECTでは感度・特異度をどのようにして出すのでしょうか 畑 初めのころは感度も特異度も分かりません 脳血管障害に関しては、MRIでの血流低下を確認して、その後に補助的に脳SPECTを施行する過程で確立したデータが得られるようになりました てんかんでは約10%に難治性てんかんがあり、病巣を特定して手術を施行する過程でデータが確立してきました IDG-PET検査を含めたその後の追試を得て、現在に至る過程で感度や特異度は判明していきます 新しい疾患への検査というのは、多くの病院で実施されてから、ガイドラインが確立していきます ここで傍聴席の中年男性から唐突に 「おう、ひっくりかえしてやるよ!」との声 治安が悪いですね 右 脳炎や脳症の診断に脳SPECTが適切ではない理由は、感度・特異度が不明だからですか? 畑 そういった疾患は極めて稀であり、症状が多様です 少数の症例報告などはあっても、エビデンスとはいいがたいです 医学の世界でのコンセンサスが確立するのを待つしかなく、感度や特異度は現状では不明です 閉廷 (畑澤先生は開廷時と同様に、深々と原告席に一礼して退席) 以下:以前記載した傍聴感想文に加筆・修正 これが今回のHPVワクチン薬害訴訟です。メモが追い付かない、理解できていないなどの点もありますが、ほぼ全容といってもよいかとは思います。 ある程度以上の理解力がある方ならば、このHPVワクチン薬害訴訟と弁護団の実態も伝わったかと思います。 医者から見れば、開いた口が塞がらないレベルの茶番に見えるでしょう。 この薬害弁護団を正義の味方として祭り上げてきたマスコミの方々も、まさかここまでとは思っていなかったのではないでしょうか。 マスコミ報道だけを鵜吞みにしていた一般の方々は、騙されたと思うかもしれません。 しかし、これがこの裁判の実態です。 HPVワクチン接種後に体調を崩した少女たちに向けてマスコミが旗を振って、結果的にこの裁判へと導いたのです。その責任は甚大ですが、反省や謝罪を表明したマスコミは皆無です。 もちろん厚労省にも大きな問題があります。 鹿児島大学病院や、信州大学病院の責任は、紛れもなく甚大です。 自分が直接お話を伺ったところ畑澤先生も憤慨していましたが、特に鹿児島大学病院のガバナンスには間違いなく大きな問題があります。 現在、日本中の産婦人科外来では数多くの日本人女性が子宮頸がん・前がん病変と診断されて通院されています。そのうち、若い世代の女性たちは本来HPVワクチンを適切に接種していれば、そんな事態を避けられた可能性が極めて高いという事実も判明しています。 この裁判は2016年から開始され、既に10年間が経過しています。それぞれの地方裁判所の���決が出るのは2027-2030年ですが、タミフル薬害訴訟のように最高裁までいくならばまだまだ長期に渡ります。 原告やその関係者の方々も、一度はフラットな目線で上記の記録を参考にして頂いてもよいかとは思います。 超長文でしたが、ここまでお読みいただいてありがとうございます。 これは日本の数多くの女性たちの健康や命に直結する問題です。 一人でも多くの方やマスコミの方々が、この問題に関心を持つ契機になれば幸いです。 最後に、今回の法廷終了時に原告支援者たちがの呟きを紹介して、今回の傍聴記録を終了します。 マスコミや鹿児島大学病院やHPVワクチン薬害訴訟弁護団などによって訴訟に巻き込まれてしまった女性たちに対して、このような発言や考え方をする事が本当に適切なのかを、再考する必要があると思います。 “確かにSPECTではワクチン後遺症の判断ができないことは分かったよ。でも、エビデンスエビデンスって言うけどさ、ワクチンを打ったらこうなっちゃったという事実がすべてなんだよ。だから国や製薬会社はワクチン後遺症を認めて、治療方法を開発する姿勢を見せないと誠実じゃないよ。” なおこの記事は、自分が自腹で交通費・宿泊費などを負担し、丸一日を傍聴に費やし、8時間ほどかけて書き起こしました。 ここまでお読みになって良記事だと感じた方は、投げ銭も頂ければ非常に嬉しいです。 頂いたお金に関しては、今後の傍聴レポート作成の経費にさせて頂きます。 投げ銭は以下からお願いします↓
【必読記事:薬害を捏造する医師・弁護士たち】2025年4月14日 HPVワクチン薬害訴訟傍聴記録⑧|たぬきち
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北海道の北に移住してはや2年。(北海道にも北があるんですか?!)日常のあまりの美しさに感動して、これを記録したいと FX30 を購入してしまった。
ふつうに無金利ローンで最大分割だが、さすがプロフェッショナルモデル、機能が多すぎて使いこなせていない。設定がうまくいかないと全然 iPhone でいいじゃんとなる。iPhone も高級ですが。
なんならめちゃくちゃ吟味してカメラより iPhone のほうが便利と思って同じ年に iPhone 15 Pro にしてます。買い物が下手すぎる。
SONY の一部のカメラには S-Log3 というダイナミックレンジで撮影できる機能があります。全然理解できていなかった僕は "動画版のRAW撮影か?" くらいに思っていた。全然違います、忘れてください。
この S-Log3 設定を間違えるとめちゃくちゃノイズが乗る。信じられない量で乗ってきてマジで使い物にならない映像になる。高いお金出してそんなのおかしいので調べまくって検証した結果、だんだんと理解できてきた。
YouTuber の説明では、露出を +1.3 ~ +2.0 にしましょうとか、彩度をすべて最大にするとノイズが目立たなくなるとか言ってましたが嘘です。嘘というか S-Log3 を経験則だけで語っている。自分の経験を語ることが、この先の社会での価値が高まるだけに、こういうやっかいなことが増えるんだなと思いました。(彩度に関してはモニタの発色を高めることで、無意識に露出を下げているのではないでしょうか)
S-Log3 の話
ようやく本題。
S-Log3 はダイナミックレンジを広く記録できる技術です。そうすることで明るすぎる部分(ハイライト Highlight)の白飛び(Clip)と暗すぎる部分(シャドー Shadow)の黒潰れ(Crush)を防ぐことができるそうです。
S-Log3 ではそのダイナミックレンジが 15ストップ記録されます。要するに明るいところと暗いところを同時に見ることができるということになります。
実は人間も同時に見ていません。脳みそはそれを瞬時に切り替えたり、想像や記憶でおぎなっているのでピンとこないかもしれないですが、カメラ自身がどこを見たいのか判断できるわけではないので、それを撮影者が設定してあげる必要があります。
そのダイナミックレンジを最大限に発揮するために記録できる ISO(Base ISO) が低感度の 800 と高感度の 2500 のどちらかに固定されています。
ISOが固定されて上手に記録できるのか?(混乱1)と思ってしまうが、センサーを固定された ISO に合わせて調整しているということなんだと思います。
ただそれだとBase ISO からズレた環境であればあるほどノイズが発生し、やっぱ S-Log3 なんて使わなければよかったということになる。
そのために EI(露出指標: Exposure Index)を使います。
説明では「記録は Dual ISO で固定され、EI は見た目のみに反映されるので、編集時に調整する必要があります。」というようなことが書かれている。(混乱2)
だとしたら、EI って使う意味なくないですかとなりませんか。僕はなりました。そしてノイジーな映像へ……。
でもそんなのおかしいので検証しました。暗い環境でテストしていたところ Base ISO に対して 800 のとき EI 200、2500 のとき EI 640 でとんでもなく綺麗にシャドーが撮れたのです。(このとき、各EIに対して適切な露出にしています。これが根本的な理由です。)
2500 は高感度だからわかるとして、どうして 800 でも?そして数値が低い方が暗いところを撮れるのってどういうこと?(混乱3)
EI 関係あるじゃん……
混乱2の「記録は Dual ISO で固定され、EI は見た目のみに反映されるので、編集時に調整する必要があります。」は正しいが、適切じゃないことがわかってきたので EI の資料を探すことにしたらトップ画像のようなものを見つけた。(トップ画像のものは、資料を参考に作成したものです)
この画像が読み取れるひと向けに書いておくと「Base ISO に対して EI を変更することでダイナミックレンジを調整して記録できる。」ということになります。
なので "Base ISO に対して 800 のとき EI 200、2500 のとき EI 640 でとんでもなく綺麗にシャドーが撮れ" たわけです。(混乱3の解消)
画像の説明
縦軸 z: 撮影できるダイナミックレンジの長さ。上部分はクリップ、下部分はクラッシュを防げるようになる。
横軸 x: EI 各ISO に対して 5つずつ
奥行き y: ISO Base の 800 と 2500 のみ。感度が高くなるほどダイナミックレンジが長くなる。(ストップ数は同じ)
右上: 説明資料は Base ISO 800 と 2500 を別々のグラフにして説明していた。同じグラフで説明するには 3軸にしないといけないので作成したもの。
右下: Base ISO と EI の数字が等しいところを中心にして、横並びにしたもの。低感度よりも高感度の方が広い。そのためノイズは比較的多くなる。(たぶん x1.6)
左下: EI 位置��並べたもの。近い EI でも低感度のときはクリップ、高感度のときはクラッシュを防ぎやすくなるので、環境にあわせて Base ISO を設定する必要がある。(混乱1の解消)
左上: ダイナミックレンジを揃えたもの。どちらも同じようなバランスになるように調整してあるので、EI の使い方は Base ISO で分ける必要はない。片方を覚えればそのまま応用できる。
Exposure Index(EI) とはなにか
歴史の話。かつて撮影時の光量を調整するためには物理的な板を差し込んでいたそうです。1枚つかうことを 1ストップ。2枚なら 2ストップと呼んでいました。つまり光を物理的に止めていたわけで、1ストップで光量が半分になります。
設定されている EI をわかりやすく5つで説明すると
Base ISO 800: 200, 400, 800, 1600, 3200
2500: 640, 1280, 2500, 5000, 10000
つまりそれぞれに必要な光量は x4, x2, x1, x1/2, x1/4 になり、ストップ数(板の枚数)だと -2, -1, 0, +1, +2 とカウントできます。(640 と 1280 は ISO 80 からの換算のため純粋な半分ではないですが、これはフィルムの ISO の慣例から来てます。)
つまり、EI はストップ数を調整することでダイナミックレンジのバランスを調整し、意図した露出で撮影をするための指標、ということになります。
マスターまでもう少し、EV の話
この -2 とか +1 の数字は EVで使われていますよね。EV は Exposure Value、つまりずっと露出の話をしていたということになるわけです。なので最後は EV で調整します。
どういうことかというと、撮影のときにはズラしたストップ数分だけ EV を調整して ±0 にしてあげる必要があります。
ストップ数が -1 ということは、Base ISO に光量が -1ストップということになります。そのため EV +1 にすることで適切な光量で撮影できます。
これは EI でズラしたダイナミックレンジの E/L 部分に情報を与えるということになります。
反対に ストップ数がプラスであれば、露出はマイナスにしてダイナミックレンジの E/H の情報量を減らします。
つまり、意図した露出に調整する作業です。これを行わないと、記録される映像は ±0 ストップの EI と同じになります。(Base ISO 800 は固定なので EI 1600 にしていても EI 800と変わらない)
実際に撮影してみるとよくわかると思うので試してみてください。
あとは撮るだけ
設定は3段階です。
Base ISO を決める 晴天や曇天など、全体的に明るければ 800。夜や暗い室内など、全体的に暗ければ 2500
EI でダイナミックレンジを調整する 残したい部分を考えて、明るい部分であれば 800 - 1600 or 2500 - 5000、暗い部分であれば 400 - 800 or 1280 - 2500 バランスを考えたら 800 or 2500 で良い。 逆光の影の部分、星の光などの極端な場合は 200 や 10000 を使う。
EV で補正する ズレたストップ数だけ EV を調整する。あわせてゼロにするとよいです。(更に保護したい側に調整してもよいそうです)
たとえば晴天の雪景色(Base ISO 800、EI 3200、EV -2.0: ハイライト部分が残り、シャドーがクラッシュ)、暗い室内(2500、640、+2.0: ハイライト部分がクリップして、シャドー部分が残る)、曇天の街の様子(800、800, 0: どちらもバランスよく記録される)、星の光(2500、10000、-2.0: ハイライト部分が残り、シャドーがクラッシュ)、キャンプファイヤーの様子(2500、1280、+1.0: ハイライト部分も残しながらシャドーの階調も撮れる)、逆光での人々の様子(800、400、+1.0: 同様)
というような感じになります。経験的によほどの暗さでない限り、Base ISO 800 がベストかなと思います。
まとめ
Base ISO は S-Log3 を最大限に活かすための設定値で EI 200 ~ 10000 から逆算した適切な位置
EI はダイナミックレンジを調整するための指標でクリップを防ぐのかクラッシュを防ぐのかを反映することができるが、バランスよく使いたければ ±1 ストップで十分使えそう
変更したストップ数だけ EV を調整することで調整したダイナミックレンジに対して正しい露出となる
ということだと思います。ISO を調整すると EI と EV がオートに調整されるとかになりませんかね……。(Flexible ISO ではないです。)
追記
人間は明るいところの変化量よりも暗いところの変化量に敏感なため、露出をプラス側で記録することで豊かな階調に見えるそうです。その変化量にあわせて記録するのが log 撮影という技術なんですね。(暗闇に潜む危険を察知する能力が高いひとが生き残ってきた)
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2024年の話
1月 PERFECT DAYS 高校の友人の結婚式 種自由
2月 音楽ベスト振り返りの会 コナン展 日帰り偕楽園旅行
4月 不可逆廃棄孔イド 100万ドルの五稜星 旧朝香宮邸見学
5月 漆黒のシャルノス 仙台旅行 Outer Wildsにハマる
6月 葛西臨海公園へ メトロイドプライム4発売年決定 新時代の扉
7月 PC死亡により買い替え ポケモン工芸展へ 宇多田ヒカルSSA
8月 2回目のコロナ 千葉旅行 奪還のロゼ
10月 AIS03 バベル
11月 飯能へ 慈悲光塔 牛尾憲輔
12月 エクスアストリスクリア ホムカミ モンテ・クリスト伯読了
今年の〆としてネガポジアングラーというアニメを観終えた。借金やら病気やらアパート立ち退きやらで人生詰んだと落ち込む男子大学生が釣り好きの集まりと知り合って、月島でどうにか前向きに生きようと立ち直るアニメだ。主人公をしばらく居候として自分の部屋に住まわせる躑躅森貴明というピンク髪の男が出てくるのだが、こいつがなかなかのくせ者で、過去に自分の不用意な言動で傷つけ、それが遠因となって事故死してしまった弟の面影を主人公に見出していたことが最終回では語られる。迂闊に共感出来ない話だが、自分はこの展開で9年前に心臓発作で亡くなった大学時代からの友人のことをうっかり思い出してしまい、変に感情が高ぶってしまった。
彼とは大して気心が通じ合った間柄ではなかった。単にオタク仲間で、実家が関東圏にあって、お互い卒業後の就職先が決まってなかった組で、といった共通点から何となく交流が続いていただけで、おそらく私以上に彼を深く知る友人は何人もいただろう。ただコミケが近付く時期になると現地で会おうと連絡を取り合ったり、たまにアニメ映画の誘いをしたりと、何となく会おうと思えば会える、気安い関係を保てる相手は今思えば自分にとっては大切だった。夏コミの後、「せっかく東京に来たのに有明周辺だけ歩いて帰るのは勿体ないだろうから」という驕りから、月島散歩に付き合わせたりもした。ネガポジアングラーの終盤では主人公と躑躅森が些細な苛立ちから喧嘩をして、その結果躑躅森が部屋を出て行ってしまい、しばらく交流が途絶えてしまうのだが、その際主人公は「釣りをしていれば(躑躅森)貴明に合える。貴明の居場所は今、釣り場しかないんだから」と助言を受ける。そういう考えは不健全だと断じてなるべく遠ざけていたが、居場所としての趣味という捉え方には心当たりがあった。私は事前にリストバンドを購入しておくぐらいには今年の冬コミに久しぶりに足を運ぶ意欲が湧いていたのだが、結局悪夢を見て寝坊してそのまま家にいた。ただ、彼がいれば買い物を頼めないか連絡を取ることも出来たのだ。生きていればどうだったかは知らないが、(少なくとも私の目に映る)当時の彼はコミケ遠征を何より楽しみにしていたのだから。デレマスをやっていないけど佐久間まゆが好きだった彼の影を追うように同人誌を購入していた時期があったけれどそれもいつの間にかやめてしまった。多分、停まったままだと思い込んでいた過去がもうそこにはないものだと(3月に亡くなったいのまたむつみさんについても同様に)無意識に気持ちの整理を付けたのだろうと考えている。……考えていたのに、ネガポジアングラーには不意打ち気味に心を抉られた。そんな年末も時にはあるものだ。
趣味の友人の話をもうちょい引っ張ると、私は社会人になってから気軽に会って趣味の話をする友人を全然作れていない。当然パートナーもいない。これには単に私の人格に問題があるのだが、6年程前からホモソーシャル的な関わりを忌避するようになったというのもある。だって気持ち悪いだろう?集団の曖昧な連帯に自意識を預けるなんて仕事でだってやりたくないのに……。特にオタク趣味は近年のインターネットの治安も影響して、同好の志でもどんな偏向思想に足を突っ込んでいるか分かったものではないので一層警戒してしまう。かといって自分の思想信条にそこまで自信を持てないのでなるべく本や文章を読むようにしているのだが、他人からどう見えているか聞きようがないのでどんどん袋小路に陥っている感覚に囚われつつある。まぁ、高校時代『人間失格』の主人公よろしくウケを狙ってわざと奇矯な振る舞いをしていたら友達にも影で「アイツ頭おかしいから」と嘲笑された人間だしぃ?生き恥を晒し続けるしかないんだろなってカンジ。
同人誌についてもここで書いておこう。ひとまず今年も(小説同人誌にあるまじき薄さだが)どうにか即売会で本を出せた。『群蟻附羶』という、アークナイツで実装から3年経って尚もプロファイルの掘り下げがほぼ皆無なアンドレアナを主役に据えた小説本である。アークナイツ本は原作にあやかって四字熟語をタイトルにする縛りを設けており、話を積めてる最中にレユニオン残党としてシロアリを出す事にして、それに紐づいて自分でも読めないのに蟻に絡めたタイトルにした。こういう時にしょうもない見栄張るのは高校時代からだったりする。実際ロドスの作戦行動ってどんなもんだろ。アニメ観た限り輸送機は保有してるけど、どのくらいの頻度・規模で各地に出動するんだろう……等と設定や話のタネ自体は1年以上前から脳内で育ててはいたものの、今の自分は小説執筆をそんなに楽しんでやれないので、特に情報を小出しにすることもなく、パッと書いてサッと出した。そんな体たらくでも当日は隣のスペースの方に差し入れを頂き、更には後日DMで感想を頂いた。沈黙を恐れる身としては非常にありがたいことである(だっていうのになんで感想送り返す程度の礼儀も出来てねぇんだボケが)。何だかんだ2022年から年イチで活動が続いた訳だが、来年は貯めてるネタが特にないので何もしないと思う。人生やんなきゃだし。まー、でもアレね、長い長い夜の後にはきっと夜明けが訪れますからね。いつ��アンドレアナの相方のインキャンデセンスが登場したり、彼女にアビサルに適合する実験を施した深海教徒の正体(推定アウルス)が明かされたりするかもしれないし。気長に待ちまさァ。あ、アークナイツは来年もやります。始めてからずっと面白いので。
後は読もうよもうと思っていたモンテ・クリスト伯を遂に読み終えた。物語としての勘所は6巻に集中していたなと思う。エデの鬼気迫る糾弾、愛によって復讐と命を諦めんとするエドモン、と思いきや同じく愛によって復讐と命を助けられるエドモン。アンドレア=ベネデットが結婚を間近に逮捕されるところも1巻のマルセイユでのエドモンと対比する構成になっていて熱い。自分は神の裁きを遂げようとしているのだと驕るエドモンが、ヴィルフォール家の悲劇と嘗て囚われたシャトー・ディフ再訪によって人として復讐に向き合う7巻も勿論読み応えたっぷりだったけれど。
その他、生活については、去年書いた引っ越しやら母親の失職やらで数年後には経済的に危うい状況に置かれる予感をひしひしと感じているのだが、特に転職や資格取得などの進展はしていない。相も変わらず平日5時間睡眠で往復2時間かけて職場と家を行き来している。これについては来年何らかの進展をさせたい。少なくとも労働組合の執行委員長の座を誰かに委ねたい。
大体書きたいことはこんなものである。そういえば今年は例年に比べて映画館に行く頻度が減った。多分業界に対して期待が薄れたのが大きな原因だろう。きっかけは忘れたけど、エンタメの中に少し問いかけを混ぜるクセに、まさに今その問いかけによって失われる人間の尊厳を軽視していやしないか?みたいな事を感じてしまったのよね。勿論今でも観たいものは観るけれど。来年は今の人間関係を大事にしつつ、短慮に流れず、あとは勉強をしたい。
『どうぞ心なさい。尊さは脆く、地獄は近い』――米澤穂信『王とサーカス』
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TEDにて
スチュワート・ファイアスタイン:無知の追及について
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
さて、真の科学的研究とはどういうものでしょうか?
理路整然とした科学的手法というよりは、むしろ実際、最先端の現場では暗闇で無為の時間を過ごして、その範囲の中で黒猫を探索することに近い。というのは細胞分子神経科学者のスチュワート・ファイアスタインのジョークです。
ファイアスタインは、この機知に溢れる講演で、サイエンスの核心が実践される様子に触れていきます。
さらに、彼は、私たちは、認識できないような知らないものごとを、あるいは「高品質高純度の無知」を実験や事実で解明された既知のものごとと同じくらいの未知の領域を切り開く開拓者として評価すべきであると提言しています。
こんな古い諺があります「暗い部屋で黒猫を探すのは、とても難しい。特に、猫が居ないならなおさらだ」
科学とその仕組みを説明するのに適した諺です。暗い部屋の中で、動いて何かにぶつかれば、ぶつかったものの形やそれが何かを解き明かそうと試みます。どこかに猫がいるらしいという報告もあるが、信頼できるのやらできないのやらというありさまです。
一般に考えられている科学とは違っていますね。科学は普通こう説明されます。整然とした仕組みによって世界を理解したり、事実やデータを得るものであり、ルールに基づいたものである。
科学者はいわゆる科学的手法を用いるもの。14世代にわたって適用されている科学的手法とは、一連の規則によってデータから揺るぎない冷厳な事実を得るものだ。それは事実ではないと申し上げたいのです。
確かに科学的手法はあります。しかし、ある程度は有効。これが実情です。
<科学的手法、あるいは無為の時間>
そして、こう続きます。
<科学的手法、あるいは無為の時間を暗闇で過ごす>
ならば、私が信じている科学の追及と人々の認識とでは、何が違うのでしょうか?
この違いについての初めて思い当たったのは、コロンビア大学で役職を2つ兼務した時でした。私は、教授であり、同時に、神経科学の研究室を率いています。脳の働きについて研究しています。匂いの研究を通して取り組んでいます。
つまり、嗅覚についてです。研究室においては、それは大きな喜びであり魅了させられる仕事です。院生や博士研究員と一緒に嗅覚の働きや脳の働きを理解するために、面白い実験を考え出すのは刺激的で率直に言ってわくわくする仕事です。
一方、同時に、学部生に大教室の講座で脳について教えることも私の職務です。脳は大きな題材であり、準備には時間がかかります。大変やりがいがありますし、とても興味深いものでもあります。しかし、わくわくするものではないと言わざるを得ません。
その違いは何でしょうか?私が教えた、またいまだに教えているその講座は、細胞分子神経科学と言います。その1、です。25コマの講義で様々な事実をたくさん含み、講義ではこの分厚い本を使います「神経科学の基礎」という本で3人の有名な神経科学者の著書です。
この本は1414ページあり、ずっしりと重くて7ポンド半もあります。違った言い方で表現すると標準的な人間の脳2つ分の重さです。
この講座の終わる頃に私は思い到りました。生徒達は、脳について知るべきことは知り尽くすべきだと受け止めたかもしれません。それは明らかに真実ではありません。またこんなふうに考えているようなのです。科学者は、データを集め、事実を集めて、こんな分厚い本に仕立てるものだ。
実情は、違っています。私が会議に出て会議の一日が終わった後でバーで集まってビールを飲んでいる時に、同業者とは「知っていること」の話は決してしません。私達は「知らないこと」について語ります。
未だ残っているすべきことについて語り、実験室で何をすることが重要なのかについて語るのです。マリ・キュリー夫人が、いみじくもこう述べています「人々は、成されたことは語らない。残された成すべきことのみを語る」これは、彼女が兄に宛てた手紙にありました。二つ目の学士号を取得した際にと付け加えておきましょう。
ちなみに、このキュリー夫人の写真が気に入っています。なぜなら、彼女の背後の光。これは写真効果ではないと確信しているからです。本物(放射能)なのです。確かに、彼女の論文は、今現在もフランス国立図書館の地下にある鉛で覆われたコンクリート部屋の中に収められ研究者としてこれらのノートを閲覧したい場合は、完全放射能防護服を着用しないといけません。結構怖いことではあります。
ともかく、これこそが、私達の講座が見失っていたもの。研究者としての社会との交流で見失っていたものだと思います。解くべき課題の残りは何か。これこそがわくわくし面白いことなのです。
この、言うなれば「無知」これこそが欠けていました。
そこで私は思いました。何か卓越したことについて講義するなら「無知」について教えるべきかもしれない。そこで「無知」についての講義を始めてみるととても興味深いものでした。是非ウェブサイトをご覧ください。あらゆる情報がウェブで広く公開されています。
そして私にとって、とても興味深い時間でもありました。他の科学者に会い彼等が知らないことについて話してもらうのです。
さて、この「無知」という言葉をもちろん意図して少し挑発的に使っています。なぜならば、「無知」には、悪い意味合いも多く、そういうことを意図してはいないからです。
つまり、愚かさだとか、未熟ゆえに事実や根拠やデータに無関心だとか、ということではありません。
無知な人は、明らかに未啓発で注意不足。知識も不足しています。それとは別の「無知」の話です。
この「無知」には、悪い意味あいは薄く。人類全体の知識の不足として認識されるものです。
知っているべきなのに欠けている知識やまだ知るに至らない知識や予測もできない知識です。その「無知」をうまく言い表しているのは、多分、マクスウェルの言葉でしょう。彼はニュートンとアインシュタインの間。最も偉大な物理学者で。こう言いました。
「無知が十分に認識されることは、あらゆる科学的な進歩の前奏曲である」素晴らしい考えだと思います。徹底的に自覚された「無知」 今日はそんな「無知」の話をします。
現代では、Google、Wikipediaがある中、大量の知識は必要ですが、絶対ではありません。
まず、先に片づけたいのは「事実」について、どう考えるかということ。確かに 驚くべき速度で科学���識は積み上がっています。私達は、皆、事実を積み上げたものが科学だと感じています。
これは科学知識の蓄積モデルと呼ばれ、難攻不落で手に負えないように思われます。全てを知ることなどできません。確かに、驚異的な速度で科学文献は膨れ上がっています。
さて、どうすればいいのでしょう?しかし、科学において多くの知識が重要なのではありません。しかし、多くの知識は、そこからより多くの無知に到達するのに役立ちます。
カントも新たな知識は、新たな疑問が産まれ、伝播、拡���していく危険な傾向があると説いているそうです。
偉大な量子物理学者であり、哲学者ともいうべきシュレーディンガーが指摘したことですが、期限を定めず「無知」を受け入れなければならないのです。
この 「無知」を受け入れる。ということをいかに行うか?習得するべきです。これは少し難しいことです。簡単なことではありません。
手始めに、2013年時の現実を見ましょう。Google、Wikipediaの時代に、大学はとにかくビジネスモデルを変えねばなりません。事実を売っても時間が経ていくにつれ生きていけなくなってきます。
マウスのクリック一つで手に入るのです。これらあらゆる情報源を隠すことは無駄なことです。忍耐強くパズルのピースを組み立てて、何らかの大きな体系を解き明かすという教育システムの改善も重要です。
そこまで考えますと、更に、もう少し考えることになります。科学についてよく用いられるモデルを検討して、見方を改めていただこうと思います。最も一般的な誤解は、科学者とは、忍耐強くパズルのピースを組み立てて何らかの大きな体系を解き明かすというもの。
これは明らかに違います。まずパズルですが、製造者は何らかの解があると保証しています。私達にそんな保証は全くないのです。そもそも製造者も良くわからないという人も多いです。パズルのモデルは当てはまりません。
その次に一般的なモデルは、科学者は玉ねぎをむくようにして物事の解明に励んでいるというものです。一枚一枚玉ねぎを剥いていくと何か核となる真実に至るというモデルです。科学はそういうものでもありません。
また、氷山もよくあるアイデアです。ほんの一部しか見えていない氷山の下に大部分は隠れているのです。しかし、これらのモデルは全て事実の膨大なかたまりであってもやがては制覇できるという考え方です。
氷山を削っていけば、理解が進みます。最近だと待っているだけでも溶けてしまいます。でもいずれは氷山全体を終えられるのです。ですよね?管理していけるという考え。これも違うと思います。
私の考えでは、科学の実際は、魔法の井戸のようなモデルであってどれだけバケツですくいだしてもつねに水が残っているのです。私がとりわけ好きなのは、結果や様々な面で池の波紋に例えたものです。
知識をどこまでも広がる池の波紋であると考えますと、私達の「無知」すなわち知識の限界が、知識とともに大きくなっていくという大事なことに気づきます。
ですので、知識が「無知」を生むのです。
バーナード・ショーの言葉が、大変うまい表現だと思います。アインシュタインの功績を称える晩餐で乾杯のあいさつとしてアインシュタインをたたえる言葉の中で彼は述べました「科学は、答え以上に多くの疑問をつくりだす」
愉快な話です。彼はまさに正しいと思います。さらに、仕事も安泰です。
実は、哲学者のイマヌエル・カントが、すでにこのことを言っていました。100年以上前に疑問の伝搬。すなわち、全ての回答は更に疑問を引き起こすと気付いていました。私はこの「疑問の伝播」という言葉が好きなのですが、この疑問が伝播するという考え方が大好きなのです。
私達が選びたいモデルは「無知」から始まり、事実を集めて知識を得ていくのではありません。実際、むしろ逆方向なのです。私達は、この知識というものを何に使うのでしょうか?私達は集めた事実を何に使うのでしょうか?
より良い「無知」を生みだすために使います。いうなれば、高品質の「無知」を得るためです。なぜなら「無知」には低品質から高品質まであり、一様ではありません。
科学者は、いつもこのことを議論しています。ときには雑談として、ときには研究予算申請として、いずれにしても議論の的となっているもの。
それが「無知」です。私達が知らない何かなのです。そこから良い疑問が生じます。
では、疑問はいかに生ずるのでしょう?グラフをお見せしましょう。様々な科学部門の懇親会で目にするポスターみたいなものです。このグラフが示す関係は、あなたが知っていることと、どの程度それを知っているかを表します。
何を知っているか?「皆無」から「すべて」まで幅がありどこまで知っているかも「わずか」から「沢山」まで幅があります。ではプロットしていきましょう。
学生はここです。知識は少ないが、興味の幅は広く、ほぼ何にでも興味を持ちます。修士の学生は、少し教育が進んで知識は少し深まり、しかし、その幅が狭まります。そして、博士号を取ると驚異的に深く知るものの知っている対象は無きに等しいのです。
一番心配なのは、傾いた線の延長線上です。なぜならば、ゼロから更に下がれば、当然マイナスの領域です。私などは、残念ながらこの位置にいます。
重要なことは、これはすべて変えられるということです。この見方は、x軸のラベルを変えるだけでがらりと変わります。どれほど多く知っているかではなく「何について聞くことができるか」と言いかえられます。科学者は多くを知っている必要がありますが、それら多くを知っていなければならない。
その目的は、多く知っていたり、マニアになることではありません。多くの物事を知ることの目的は、多くの疑問が生み出せるようにすることです。考え抜かれた興味深い疑問を問うことができるようにです。
それこそが本当の研究だからです。
幾つかこういった疑問の簡単な例をご紹介しましょう。神経科学者として、いかに神経科学の問いに至るのでしょうか?なぜならば、必ずしも簡単ではないのです。
例えば、脳は何をするのか?と考えてみましょう。脳の働きで、私達は動き回ります。私達は二本の足で歩きます。わかりやすいですね。なにしろ、生後10ケ月以上になれば、ほぼ誰でも二本の足で歩きますよね?それほど興味深くなりませんね。
それでは、もう少し難しい材料を選びましょうか。たとえば視覚系などどうでしょうか?これがそうです。視覚系です。私達は視覚系が大好きです。素敵なことがたくさんできます。事実、一万二千人以上もの神経科学者が、視覚系を研究しています。
網膜から視覚野まで視覚系の理解だけにとどまらない試みで同時に、一般的原則として脳が、どう働くのかを理解しようとしています。しかし、ここに問題があります。私達の技術はかなり優秀で視覚系が行うことを再現することができます。
テレビや映画があります。アニメや写真があります。パターン認識やさまざまなものがあります。時には私達の視覚系とは違った機能の場合もありますが、私達の視覚系と同じようにはたらく技術がうまくできています。しかしながら、百年あまりのロボット工学がありながら未だ二本の足で歩くロボットは見当たりません。
ロボットが二本足で歩行しないのは、簡単にできることではないからです。百年研究しても数歩以上歩けるロボットはなかなかできないのです。斜面を登らせようとすると倒れてしまいます。向きを変えても倒れます。
難問なのです。
では、脳にとって最も難しいことは何でしょうか?何を研究すべきでしょうか?二本足歩行か運動系かもしれません。
私の研究所からの例をご紹介しましょう。とりわけ鼻につく疑問です。私達は嗅覚を研究していますからね。図に5つの分子を示します。化学の記号の一種です。これらはただの単純な分子ですが、これらの分子を顔についている二つの小さな穴から嗅ぐとはっきりとバラを感じるのです。
実際のバラがあれば、これらの分子を伴います。でもバラがなくても分子を覚えているのです。分子は、どうやって知覚されるのでしょうか?どのような過程で可能になるのか?他の例です。単純な分子が2つあります。別の化学の記号を使っています。こちらのほうが分かりやすいでしょうか。
灰色の丸が炭素原子で白いのは、水素原子で赤いのは酸素原子です。二つの分子の違いは、炭素原子が1つとそこに付いた小さな水素原子2つだけです。このうち一方は、酢酸アセテートではっきりした梨の匂いですが、酢酸ヘキシルのほうはまぎれなくバナナです。
ここに、2つの興味深い疑問があると私には思えるのです。第一に、いかにしてこんな簡単で小さな分子が、脳にもたらす知覚は、はっきりと梨やバナナだとわかるのでしょうか?
2つ目は、一体、どうやって炭素原子ひとつだけが違っている分子を区別しているのでしょうか?これはまったく驚異です。地球上で最も優れた化学物質検出器に違いありません。そのようなこと考えたことありませんよね?ありますか?
私が好きな引用があります。そこから「無知」と疑問の話に戻りましょう。引用を好むのは死者たちも会話の仲間にできるからです。そしてまた、この会話は、相当長く続いているということも重要だと思います。
さて偉大な量子物理学者であり、哲学者ともいうべきシュレーディンガーが指摘したことですが、期限を定めず「無知」を受け入れなければならないのです。
この、「無知」を受け入れるということをいかに行うか習得するべきです。これは少し難しいことです。簡単なことではありません。結局は教育システムの問題でしょう。では「無知」と教育についてお話ししましょう。なぜならそこで勝負すべきと思うからです。
手始めに、現実を見ましょう。グーグルとウィキペディアの時代に大学やたぶん中等学校もとにかくビジネスモデルを変えねばなりません。事実を売っても、生きていけません。マウスのクリック一つで手に入るのです。これらあらゆる情報源を隠すことは無駄なのです。
どうすべきでしょう?
生徒たちに境界線を体験させ、限界の外側のもの事実の外にあるもの。事実の届かない先を考えさせるべきです。
それにはどうするのでしょうか?
やはり、問題の一つはテストでしょう。とても効率的な現在の教育システムは、よくない面で効率的なのです。二年生では、女の子も男の子も子供たち全員が、科学に興味を持っています。分解するのが好きです。好奇心のかたまりです。調査するのも好きです。科学博物館にも行きます。何でも遊びにします。
二年生はこうです。彼等は興味を持っているのです。しかし、高校の2年や3年では、科学に対して何か興味を持っている人はわずかで10パーセント以下で、まして生涯の仕事として科学を志すものなどいません。私達には素晴らしく効率的なシステムによって皆の頭から科学についての興味を消し去っているのです。
これが私達が望んでいることでしょうか?同業者である教師の言葉だと思うのですが、これを「拒食症方式の教育」と呼んでいます。イメージできますね。一方で、膨大な事実を喉から詰め込み、他方で、それを試験で吐き出すのです。
知識は肉にも血にもならずに帰されるのです。こんなことを続けてはいけません。どうしましょうか?
遺伝子学者が拠っているこんな原則をお話します。スクリーニングすれば常に求めたものが得られる。これは、警告としての言葉です。スクリーニングすれば常に求めたものが得られるのです。何をスクリーニングするか。それは試験の方法の一部でもあります。
確かに、試験と評価の話は良く聞きますが、試験については注意深く考えねばなりません。これは評価なのか、選別なのか、選別してはじこうとしていないか、何かを切り捨ようとしていないか、評価は別の話です。
最近の教育誌などでは、評価の話が溢れていますが、本来、評価とはフィードバックと試行錯誤の機会を意味します。このようなフィードバックについては、長い時間をかけて取り組むべきなのです。それは選別とは違います。
苦言を呈しますが、人々が評価について語るとき、生徒を評価するとき、先生を評価するとき、学校を評価するとき、課程を評価するとき、実は、選別について話しているのです。それは良いことではありません。スクリーニングすれば求めたものが得られるからです。
私達が今いま直面している現在のことです。今必要な試験とは「Xとは何か?」というものです。その答が「知りません。誰も知らないからです。」とか。
「問いは何ですか?」となれば、一層良いでしょう。または「調べてみます。誰かに聞いてみて、電話してみて、解明してみます」こういうふるまいを望むなら、そうなるよう評価するべきです。
そして、もしかしたら飛び級のクラスには「これが解答です、次の問は?」でもいいでしょう。これこそが特に好きなやつです。
イェイツの引用で終わりにしたいと思います「教育はバケツを満たすことではない。火をともすことなのだ」ですから、ともにマッチを持っていきましょう。
ありがとうございました。
カントとは、16世紀のドイツの哲学者。
イマヌエル・カントのことです。「純粋理性批判」でも上記のことがより詳しく論じられています。
人間は何をどこまで知ることができるのか?ということをデカルトやスピノザが提唱した大陸の合理論とイギリスのロックとヒュームが提唱した経験論の欠陥を認識、洞察しつつも経験からの独立した認識能力への批判を融合して。
すなわち、純粋理性能力の意味と限界を統合した書籍です。
超越論的制約である空間と時間を通じて、人間が認識して理解できるものの限界はどういうことなのか?という認識論を説明しています。
シュレーディンガーとは、シュレーディンガー方程式を構築した物理学者。
シュレーディンガー方程式とは、1926年にオーストリアの物理学者エルヴィン・シュレーディンガーが量子力学の理論の整合性をとるために波動力学という体系を提唱した際の基礎方程式として提案された。
当時は、波動性と粒子性の問題が持ち上がっていて、実験事実を丁寧に方程式の形式にまとめあげた物理学の巨人のひとりです。
なので、一般式なシュレーディンガー方程式は、ディラック方程式から場の量子論まで量子力学全般で使う事ができます。基礎方程式といわれるゆえんです。
アインシュタインの光電効果仮説(1905年)。アインシュタイン・ドブロイの関係式や量子からマクロ世界のニュートン力学に拡張する過程で、古典力学での方程式は量子力学から導出されるとも言われる(プランク定数をゼロに近似したとき)
ボーアの量子条件やハイゼンベルクの不確定性原理でも整合性がとれています。
(個人的なアイデア)
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたい道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
ピータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。
現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権なので
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴がありますが、ここまでにします。
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「あれ、猪狩じゃん、久し振り。」
「え、… アー、誰だっけ。」
「ハ!?いやいや、覚えてねぇのマジ …?」
「嘘だよ、冗談、何焦った顔してんだよ、久し振り。元気だった?」
聞き覚えのある声だとは思っていた。… というか、忘れるはずも無い声だった。そりゃあ勿論、元恋人というレッテルがついているニンゲンと遭遇したからで。焦った顔をしているのは絶対にオレの方なのに、そんな事を隠すかのように言葉を紡ぐ。嗚呼、そのくしゃっと笑う笑顔、何にも変わってねぇんだな。あの日から時が止まったままのオレには、刺さり過ぎて、もう、顔も合わせたく無かったのに、そんなズケズケと、オレの心にもう一度触れてくんなよ。
「いや、マジでさ、久々にアイツらと逢ったんだよ!なんかさ、あんなに大人しかった奴が金髪とかになってたらイメチェンしすぎて一瞬誰か分かんなくなるじゃん?オマエ、マジかよー!ってさ!」
「マジ?へー、知らなかったわ、オレもアイツとあれ以来何にも逢ってねぇし、連絡先も知らねぇからな。」
そんなこんなで世間話に花が咲き、そこら辺の飲食店に入ってマンツーマンのお食事会。人と目合わせて話すタイプなのも変わってねぇな、照れるからそんなに見んなよって言ったのに、そうじゃないとちょっとした異変に気づけないじゃん、何にも見逃したくない、なんて小っ恥ずかしい事言われたんだっけ。そんな真っ直ぐな所も好きだったな。
「… ア、これ、猪狩が好きなアーティストじゃん。」
「え、… アー、もう聴いてないんだよな、このアーティスト。」
「え!?何で!?滅茶苦茶オレに勧めてきたじゃん、このアーティスト!これが良くて!って!」
「いや、2年前ぐらいに路線変わってさ、アー、好きだった頃は戻ってこねぇんだなー、ってなって、あっさり聴かなくなったわ。」
「マジかよー、ドラマの主題歌とかに抜擢されてて、ア、猪狩が好きなとこじゃん、って思ってたのにー … 」
まだ覚えていたんだ。付き合っていた頃に、イヤホンを半分こして、半ば強制的に聴かせていたオレのお気に入りのアーティスト。もともと名は知れていたけど、なんとなく、SNSでバズった曲は、そのアーティストらしくない曲で。そこから路線を変更して走ってしまった。オレを置いて、次々と出されていく新曲に着いて行けなくなって、まもなく、そのアーティストを聴くことを辞めた。これなら、あの曲でバズらなければ良かったのに、なんてオレの口癖のように呟く毎日も懐かしい。なんなら今でも思っているけど。… それは、オマエも同じだよ。あの頃のままで時が止まっていたら、どれだけ良かったんだろうな。何時からか、オレがオマエに着いて行けなくなって、優しかったオマエが、振ってくれた。プライドばかり高いオレを、守るかのように。好きじゃなくなったんだ、なんて、嘘つくのが下手くそだったよな、オマエは相変わらず。声震えてたし。こうしてちょっとオレに関する話題の話をチェックして、提供してくれる所、大好きだった、なんて。言ってやんねぇよ。
「そういえばオマエ、… そんなキーホルダーの趣味あったっけ。」
「アー、これ、実は、… 恋人、今、居るんだよね。」
「え、… アー、そうなんだ、」
「猪狩は?居ないの?」
「居たら、もっと幸せそうな顔してると思わねぇ?恋人居るって聞いた時に。」
「アハハ、確かに!うわ、リア充かよ最悪、みたいな顔してるよオマエ!」
「うるせぇなぁ、マジで!クリぼっちに煽る言葉かけんなよ!アァ゙!?」
「猪狩も良い奴なのにね、まだ魅力に気づいて貰えないのか、寂しいね、」
嗚呼、なんだ、そりゃそうだ、恋人なんてすぐに出来るはずなんて、自分が一番分かっていたはずなのに、悔しい。誰よりも気が遣えて、優しくて、何よりも眩しかった。自分ばかりが焦って、オマエに釣り合おうと必死に走るのがしんどくて、言い訳をして、オマエを傷つけてばかりだったのに、分かってるよと言わんばかりに、抱き締めてくれたあの日々が、痛い程蘇る。辞めてくれ、そんな愛おしそうな瞳を向けないでくれ。外でキリストの生誕祭を祝うかのようにキラキラと輝く木々達と同じように、美しい瞳に吸い込まれそうになる。
「何泣いてんの、ほら、どうしたの、」
「… そういうとこ、マジで昔から嫌い、」
「はいはい、知ってるよ、何回も言われてきたからさ。」
「… 幸せになれよ、」
「アハ、思ってなさそうなんだけど?ん、有難う、猪狩はオレの何倍も幸せになって。」
溢れる涙の理由も見透かしたようなその言葉と余裕が、昔から嫌いだった。幼い自分を、自覚せざるを得なかったから。大人になりたいと、背伸びをしても、既に大人なオマエには何も適わなかった。恋人がいるくせに、そんな事、すんなよ。嗚呼、降りしきる雪のように、オレも、溶けてしまえたら良いのに。出逢いたかったけど、同じぐらい二度と出逢いたくも無かった。何時まで、オマエに縛り付けられれば良いのさ。そろそろ時効になって、オレの事を離してくれ。思考が全て持っていかれて味のしない食事に、スパイスをかけすぎて、胃が、脳が、身体全てが、混乱している。見ているはずなのに、見ないフリをしていた。何となく、恋人が居るんだろうなって事も、分かっていたのに。自分から地雷を踏んで、馬鹿みたいだ。オマエ以外に、こんな馬鹿を、誰が慰めてくれるんだよ。オレはオマエじゃなきゃ駄目なのに、オマエは、オレじゃなくても良かったなんて。これだから、神様なんて、信じるもんじゃねぇんだよ。そもそも、キリスト教信者でもねぇのに何、クリスマスにわざわざ飾り付けして盛り上がってんだよ。誰ももう目的なんて果たしてねぇだろ、能天気に特別な日を作りたいだけだ。全て、世の中が皮肉に見えて、オレは、オレは、。どうすれば、オマエみたいに、何時か、光になれるのだろうか。
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