#真冬日の薪割り
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本日残りの薪割りをしました。まずは玉切りや薪山に積もった雪掃きから始めました。3日の雪と翌日の雪で計25cmになっていた雪を雪掻き用スコップと竹箒で大雑把に除去。湿った硬い雪だったので完璧になんて絶対無理です。積み上げる場所以外はシカとしました。で、こうして玉切り等が見えるようになるのに1時間半かかりました。

2時間で終える目算が見事に外れ、午後4時10分、ようやく終了しました。3時間ちょっとかかったワケですね。いやあ、シンド。しかし、日中の最高気温はマイナスの冬日だったのですが、3月に入っているので日差しが強く何とか頑張れました。太陽光エネルギーは凄い。

ちょうどお日様が西の山に沈む直前でしたね。ヤレヤレ・・・。 と、ほっとしてはいられません。次の原木が来る前に片付けなくてはなら���い! ああ、休む間も無いなァ。(2025/3/7)
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Finally, it's December.

It's cold, cold, cold! I am so bad at cold weather. The oil heater doesn't warm up the room at all (and the kerosene cost is very high), so we installed a wood stove. I asked a contractor I know well to install a wood stove in a room that requires a hole in the wall, and my husband's record store installed it ourselves. ↓It was very warm that day. He is my son.
あぁ寒い寒い寒い。私は寒さが大の苦手なのです。灯油ストーブでは埒が明かない。ということで薪ストーブを設置。壁に穴あけが必要な部屋はいつもお世話になっているガス屋さんに設置をお願い。 夫のレコード屋の方は自分たちで設置しました。 写真のこの日は暖かかったなぁ。


At first, we couldn't get used to using it and the room was full of smoke, but we gradually learned how to use it.
It's hard to chop firewood every day. It disappears in no time. However, the physical exertion of chopping wood warms me up before I turn on the stove. It also boils water. The ashes can be used as a substitute for abrasives and as fertilizer for the fields. It is also fun to think, "If I put the wood in this way, will it burn better? Inconvenient things are surprisingly convenient.
最初は使い方になれず煙もくもくだったりと苦戦しましたが、最近では料理やおやつまで。レモングラスの効いたカレーは大好物! 毎日の薪割りは大変だしあっという間になくなるし。 でも薪割りのおかげでストーブをつける前に体があったまる。お湯も沸かせる。そして日々、薪の置き方を変えてみたりと工夫も楽しい。不便は楽しい。



I can cook curry and bake snacks on the wood stove!
I have added more curtains to the front door where the drafts are coming in. I made them out of linen that I had dyed with persimmon astringent dye in the summer and an old Japanese check cloth about 100 years old. I will try to get through the winter with modest Christmas decorations with plants around our house.
隙間風が入ってくる玄関にはさらにカーテンを追加。夏のうちに柿渋染しておいたリネンに日本の100年ほど前のチェックの古布をで作りました。植物でささやかなクリスマスの飾り付けをしながら冬を乗り越えようと思います。


see you soon!
#country life#japan life#december#boro#japanese boro#japanese textile#christmas#wood stove#patchwork#sustainable#kakishibu
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本田宗一郎・ざっくばらん
【真理に徹す】
今度うちは三重県の鈴鹿に新工場をつくることになった。
僕は、この工場も浜松や和光の工場と同じように、エア・コンディション付の無窓工場にするつもりだ。
これなら外気の温度や湿度に影響されずにすむからだ。
日本にはずい分のん気な人がいる。
無窓工場なんてトランジスター・ラジオやカメラみたいな精密工業には必要だが、自動車なんてものにはゼイ沢だと思っている。
自動車はそんなにヤワなものではないということらしいが、精度を問題にしないその神経の図太さには恐れ入るほかはない。 それだけではない。
海辺に工場を建てようと考えている人がいる。潮風は、製品に悪影響があるだけでなく、機械そのものを傷める。
日本は島国だから、どこへ行ったって潮風はくるさとタカをくくるのはよくない。
あるピアノ会社が、社長の出身地だからという理由で、海岸のそばにピアノ工場を建てて失敗したことがあるが、これこそ音痴的なものの考え方である。
製鉄所みたいに、精密度はあまり要求されず、運送費の多寡がそのまま利潤の大きな部分を占めるというのなら話も分かるが、自動車みたいに高度な加工をやる工場を、単に運賃が安いとか、土地が安いということだけで海辺に建てるのはどうかと思う。
話を戻すが、エア・コンディションは、機械や製品にいいだけでなく、なによりも工場で働く人たちが気持ちよく働けるという利点がある。
最近は、冷暖房をする会社が多くなったが、それは本社だけ、あるいは重役室だけの話であって、工場の方は旧態依然たる有様である。夏は汗をかき、冬は吹きっさらしの中で仕事をしているところが多い。
これでは自由にして平等だとはいえない。第一、工場で働く人間を大事にしないような企業は長持ちしない。僕は自分が大事にされたいから、みんなを大事にする。
愉快に働いてもらって能率をよくしてもらった方が、どれほどいいか分からない。
設備は一度やれば一生なんだから、充分にしてもたいしたことではないと思う。
日本のように温帯にある国では、夏と冬の温度差が激しいから、余計働く人たちに気をつかう義務がある。
ドイツみたいなところなら、冬はべらぼうに寒くても、夏は窓を開けなくても仕事ができる程度だから、暖房だけあれば事足りる。
外国の工場も暖房しかないとそのままウのみにしては困る。
それから従業員に休息を与えるということを、何かマイナスになるというか、罪悪視する人がいる。
仕事というものは、何か目をつり上げて息もつかせずにやらなければいけないという固定観念にとらわれている人がいる。
TTレースに行ったうちの河島監督が帰って来ていうことには、うちのチームは、日曜も夜遅くまで仕事をやるし、風呂に入るにも順番を決めて、廊下にプラン表をぶら下げていた。
それをみたイギリス人が、日本人は何て能率の悪い国民だろうといったそうだ。
二宮尊徳流に薪を背負って本を読まなければならない国民にとって、団体生活をするときに、入浴の順番を決めることなんて普通のことだが、個人主義が徹底しているイギリス人からみればミリタリズムの変形にみえるのは当然かも知れない。
TTレースの期日は何年も前から分かっているのに、夜明かししなければならないというのでは、非能率にみえるのは無理もない。外国人の考える能率とは、働くべき時間にいかにたくさん働くかということで、休み時間に働くのは能率ではないわけだ。
この間、楠トシ江と対談したときにも話したが、僕が床屋に行って十五分でやってくれと頼んだら、やっと四十分でできた。いつもなら一時間もかかる。
そこで床屋のおやじ曰く
「あんたは遊ぶひまがあるんだから、その時間に床屋に来てくれれば、こうせかせないでゆっくりキレイになる」
そこで僕は 「冗談いうな、遊ぶために働いているんだから、床屋にきて一時間もかかってたまるかい。こんな能率の悪い床屋なら一生来ない」 と言ってやった。
本当のことをいって、人間は八〇%ぐらいは遊びたいという欲望があって、それがあるために一生懸命働いているのでないだろうか。それを働け働けといってヤミクモに尻を叩いても能率が上るわけはない。
よくイミテーション・パーツが問題になるが、イミテーション・パーツが出るのはメーカーの純正部品が高いか、高い割に性能がよくないか、潤沢に出回っていないかの三つの条件が満たされていない場合である。
この点は、うちも大いに反省しなければならない。しかしそのためにかくしナンバーを打つようなことはやらない。
そんなことをすれば、手間が多くなって能率が悪くなる。ならばその分だけ安くする方が先決である。
人間は疑り始めたらキリがない。
コップ一杯の水を飲むのにいちいち毒が入っていないかどうか疑い出したら、自分で井戸を掘って、毎朝水質を調べなければならない。
これはいささか極端な例だが、人は信用した方が得である。
うちは、クレーム部品の判定権をディーラーに任してしまった。
代理店といっても数が多いから、いい人ばかりではないかも知れない。
中には悪い人もいるかも知れない。
しかしそれはあくまでもごく少数である。そのごく少数の人のレベルに合わせて、何かいかめしく、人を頭から疑ってかかるような検査制度をつくっては、大多数のいい代理店は気分を害してしまう。
検査制度なんてものは、警察や検察局がそこら中やたらにあるのと同じことで、気持ちよく仕事はでき��い。
こういうものは非生産的なものだから、生産の中にたくさんあればあるだけ、モノが高くなるのは当然である。
また人間というものは信用してまかせられれば、悪い人も悪いことができなくなるものである。
逆に四六時中疑われれば、反感からいい人も悪いことをしたくなるものである。
そういう意味から、うちはディーラーに判定権をまかせてしまったわけである。
もちろん統計は一応とってあるから、ある一店だけ特定のクレーム部品がべらぼうに多く出るということになれば、チェックできるようにはしてある。
近ごろ、わが社は厳重な検査をやっています、といった広告が新聞によく出る。
しかし厳重に検査をやっているから、品物がいいというのはおかしい。
初めからつくる目的はわかっているのだから、つくってしまってから検査するのを、オニの首でもとったように宣伝するのはうなずけない。
つくってしまったものはあとに戻らないのだから、つくる前に、検査しなくてもいいようにすることがいちばんいいわけだ。
本当は検査なんかやらなくてもミスがないというのが理想である。その理想に近づくために検査員がいるというのならいいが、検査しなければいけないような品物をつくっていて、それを検査しているからといって自慢しているのではスジが通らない。
うちでも検査設備は、もちろん完璧なものにするよう努力しているが、それに頼ってはいない。検査員だってよそよりは相当少ないはずだ。
それに僕は、ミスを出すたびに検査員を一名ずつ減らすといっている。
人間が多すぎると検査はミスが多くなる。シビアな感覚がうすれてくる。
自動車というものは、人命を預かる機械だから、つくる側に徹底した慎重さが欲しい。
科学技術というものは、権力にも経済的な圧力にも���してはいけないものである。
ガリレオが「それでも地球は回っている」とつぶやいたように、権力をもった者が、どんなに真理を否定しても、真理は真理として残る。
真理は一見冷たい。しかしその真理を押し通すところに、熱い人間の面目がある。
工場には、その冷たい真理だけがある。
真理だけが充満していなければならぬ。 こういう体制を押し通していけば、少なくとも機構上の欠陥からくる事故はほとんどなくなるはずだ。
悪いところに気がついても、いま変更したら金がかかるとか、混乱するとか、発表したばかりのものを改造するのはみっともないとか、変な面子がからんで、ズルズルと見て見ぬ振りをするところがある。
うちは面子がないから、悪いところを見つけ次第改造してゆく。ラインに乗せてからも一日に数回変更することもある。
そのために、工作機械の位置を大幅に移動させるようなことも少なくない。工場の連中も、初めは面喰らったようだが、いまでは、いつでも変更に対処できるような準備ができている。
とにかくお客さんには、うちで考える最良の品を提供しなければならないのだから、無理はあくまでも通すつもりだ。
いささか古い話だが、昭和二十八年に、うちの新車につけたキャブレターの性能が思わしくなかった。そこで売ってしまった一万台の車のキャブレターをすぐ取り替えた。
そのときの僕の考え方は頭をペコペコ下げたって、悪いものは悪いのだから取り替えるより仕方がない。
たとえそのお客さんと親戚になったって、夫婦になっても、キャブレターの悪いのが直るわけではない。
このとき、うちが取った処置が実に早かったし立派だったといってくれる人がいるが、僕はまだ遅かったと思っている。
よそとの比較でいえば早いかも知れないが、お客さんにとってはまだ早くない。
比較対照でいえば、カラスが白いのと同じである。いまだに僕はクレームの処理が遅いとどなることがある。
お客さんにとっては、取り替えるのに一分しかかからなくても、壊れれば遅いわけである。待っている時間は永久に帰ってはこない。壊れることは、壊れないことよりも絶対に悪い。
それからもう一つ考えなければいけないことがある。
それは、この工場の製品は九九%の合格率だからすばらしいと賞める人がいるし、賞められて鼻を高くする人がいるということである。
ところがお客さんは、自動車にしてもオートバイにしても、百台も買いはしない。
買ってもせいぜい一台か二台である。
もしその一台の車に、残りの一%の悪い車が当ったとしたら、そのお客さんにとってその車は一〇〇%悪いことになる。
だから工場というのは最低一〇〇%、理想的にいえば一二〇%くらい合格しないと話にならない。
お客さんというのは、金を払って自分が目的地に行くために走っている。
もしエンコすれば、ほかに直す人がいないから自分でいじらなければならない。
それが���里離れた山の中ででもあれば、分らないなりに全知全能を費やしてひねくるわけである。それだけにエンコしたという意識は痛切である。
うちがいちばん最初の五〇ccのバイクエンジンを売っていたころ、お客さんから電話がかかってきてエンコして動かない、こんなものを売りやがってとガンガンどなられた。
慌てて飛んで行ったら、ガソリンがなくなっていた。しかしそのお客さんは、二度とガソリンがないのをエンコと間違う失敗はやらなくなる。そこでそのお客さんは一段進歩したわけだ。したがって、売ったりつくったりする僕らが、お客を馬鹿にしていると反対に遅れてしまう。
ところが工場の連中は、案外こういった感覚が抜けている。
どうしてかといえば、その道の専門家が、その辺にいっぱい控えているからだ。
この故障は電気部品だと思えば、電気屋を引っ張ってきて、自分は知らん顔をしている。みんな技術屋でありながら、依頼心が強い。
そして実際のレベルは低くても、俺たちがつくっているのだということで、いかにも自分たちが専門家であると錯覚を起こしやすい。
お客さんから苦情が出ても、やれ使い方を知らないからだとか、それは一部であって全部ではないとか、勝手な屈理屈をつけて、真剣にその苦情の内容に取り組もうという気を起こさない。
このうぬぼれが技術屋をいちばん危うくする。
会社そのものを危うくする。
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【春仕事】雪中薪割り

↑春のお彼岸には必ずドカ雪が降り積もる。田沢のお年寄りの口癖は本当です。今日は朝からモサモサと雪が降って、各地で除雪車が出動するほど積もりました。猫基地のある田沢は、田沢湖周辺の中でも標高が50mほど高いので、雪が降り積もりやすく消えにくい地域となっておりま��。
お日様が出て道路の雪が消え乾いたのを見計らい、毎年恒例春の薪割り大会開催です。(2024年の様子はこちら)今年はめちゃくちゃ忙しいことが予想されるので、少しでも早く仕事を進めたい。そのためまだ雪が残る中での雪中薪割りとなりました。

↑チェーンソーで分割した後、いつもはまさかりで小分けに割っているのですが、パワーも足腰も消耗するため、今年は薪割り機を導入してみました。地道にコツコツ時間はかかりますが、しゃがんだり立ったりが少ないので体が楽。まさかりによる衝撃がないので手も痛くなりません。こりゃいいや。
この薪はきれいに積んでこのまま乾燥させ、再来年の冬にいぶりがっこの燻製燃料になります。2年後のいぶりがっこの準備を今行っているのです。いぶりがっこ作りはノンストップエンドレストラディッショナルフォーエバーなお仕事なので、全ての作業は繋がっており、ばばのそのまたばばの時代から連綿と続いているのです。
■■■おまけ■■■

↑ぶつ森のお知らせの時に載せ忘れたお写真。
こちらに見えますのは秋田駒ヶ岳になります。左右に見えますのは男岳(おだけ)と女岳(めだけ)です。八合目から見上げた図をイメージしております。春夏は深緑、秋は紅葉、冬は雪山に模様替えいたします。
ちなみに、この「やま」の家具に接近してAボタンを押すと、活火山が噴火してしまいますのでご注意ください。
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こんにちは。登山家の服部文祥です。若い頃は「登山家なんて職業はない」と思っていたので、登山家、と名乗るのはちょっと恥ずかしかったのですが、いいおっさんになって、自分がどういう立場で世界を見ているのか、と考えたとき、何よりもまず登山者として世界を見ていると気がついて、ちゃんと登山家と名乗るようになりました。 私は食料や燃料を現地調達し、できるだけシンプルな装備で山に登る「サバイバル登山」を主な活動にしています。この登山のスタイル――装備を少なくし、できるだけ自給自足を目指す――は、わざわざ自分に負荷をかけて登っていると思われることもあるようです。 私がサバイバル登山を始めたのはフリークライミングの思想に影響を受けたためです。最近、スポーツクライミングがオリンピック競技になって、広く知れ渡りましたが、スポーツクライミングはフリークライミングのトレーニング方法として考案された人工壁(クライミングボード)から生まれたスポーツで、フリークライミングとはちょっと違います。 そもそも近代登山は、高山に人類は到達できるのかという純粋で科学的な試みとしてヨーロッパで生まれました。19世紀後半のことです。その頃は山頂に到達できるなら、どのような科学技術を持ち込んでも構いませんでした。人類はまだ科学文明をほとんど手にしていなかったからです。当時の登山者は現代からはちょっと考えられないようなつたない装備(当時の最新装備)でアルプスの山々や、ヒマラヤの山々に登りました。そして目に付く大方の山を登ってしまうと、今度は、より難しい切り立った岩壁に挑みはじめました。 岩壁を克服するためにいろいろな工夫が考案されます。最初は細長い丸太を岩稜に担ぎあげ、険しい岩の段差に立てかけ、その丸太を助けに難所を越えていました。丸太が木のクサビや鉄のハーケンに変わり、最終的には岩にドリルで穴をあけ、ボルトを打ち込むという方法にまで発展します(これを人工登攀といいます)。このボルトの誕生で、理論的に登れないところはなくなりました。 ところが、この人工登攀に疑問を持つ人が現れました。理論的にどこでも登れて、作業をすれば誰でも登れるなら、そもそもの岩に登る意味があるかという疑問です。人工登攀では、対象が岩壁でもビルの壁でもやることが同じです。究極的には、山にロープウェイを架ければ、誰でもその山に登れます。でも、ロープウェイで山頂に行って、登山をしたという人はいません。登山とはなにかをよくよく考えると、自分の手足で登ったとき、人はそれを登山といいます。 岩壁を登る登山者(クライマー)も、岩を自分に都合のよいように加工すれば登れるに決まっていると気がつきました。それは自分たちが岩登りに求めていることではない。それではクライマーが岩登りに求めていることは何か。それはあるがままの岩をあるがままの自分で登ることなのではないのか。 岩の突起や割れ目など、自然な形状だけを利用して、自分の手足だけで登ることこそが「登ること」と彼らは考えました。フリークライミングのはじまりです。フリークライミングの「フリー」はフリーハンドのフリー同じで、そのまま訳すなら「素登り」になります。 岩の形状を自分の身体でなんとか利用し、バランスが取れる動きを組み立てながら登る。それは身体全体で考える創造的運動でした。 もし登れなかったら(岩を加工するのではなく)、自分を鍛えて(自分の肉体を高めて)出直す。その姿勢はフェアネスの心地よさに溢れていました。 自然環境は有限なので、岩壁を「加工して」登っていては、いつかあるがままの岩は地球からなくなってしまいます(二番目以降に登る人は原始の岩を登ることができません)。でも、あるがままの岩をあるがままの人間が登るのであれば、岩は永遠にあるがままで、誰もが原始の岩を登ることに挑戦できます。フリークライミングは持続可能な行為でもあるのです。 さて、日本の山はどうでしょうか。 山に林道ができたり、ロープウェイが架けられたりすれば、山頂からの風景を誰もが平等に楽しめると喜ぶ人はいます。登山者であっても、道が拓かれたり、山小屋が整備されたりすれば、登りやすくなったと考えます。でも、山を加工してしまったら、あるがままの山をあるがままの自分で登る100パーセントの登山はもうできません。 どうすれば日本の山をフリークライミングのように創造的で、フェアで、持続可能に登れるのか。そう考えて私は、フリークライミングを真似て、できるだけ装備を使わず、登山道も使わず、もちろん山小屋も避け��登ることを考えました。そして日本の山には食料(イワナや山菜)や燃料(薪)があるので、それらを現地で調達しながら登ってみようと思いました。 それは、自分にあえて負荷をかけるのではなく、できるだけ自分の力を発揮するための方法です。道具をシンプルにする、といっても自分の力をよりフェアに発揮するための道具(衣類��鍋や靴やタープ、釣り具など)は積極的に使用しています。 サバイバル登山は、ときにカエルや蛇を食べたりするため、ちょっとキワモノと思われることもあります。ただ私にとってはできるだけ自分の力で登ることを目指すためのやり方です。登頂という目的から見ると、サバイバル登山は「登頂効率」を下げるかもしれません。一方で、自力という点を考えるなら、サバイバル登山は「自力発揮効率」が優れたよりシンプルな登山スタイルといえます。 フリークライミング的に山に登る方法は他にもあります。例えば豪雪地帯の冬山は雪で山の人工物が埋まるため、原始の姿の山に登ることが可能です。 あるがままの山を、できるだけ自分の力で登ろうと考える登山者はあまりいません。その意味でフリークライミング的な登山者は絶滅危惧種といえるかもしれません。そんな、自力登山の先に何があるのか、次回以降紹介してきたいと思います。
【#1】日本の山をフリークライミング。/執筆:服部文祥 | POPEYE Web | ポパイウェブ
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20240625

4時に起きる。
季節は夏あるいは梅雨入りといった様相だが、春を芽吹かせて別れも告げずいつの間にか去っていった冬を偲ぶこととする。
とまあ我ながら気障な書き出しである。春先に書いて下書き保存したままだった日記に成仏してもらおうと思う。
思えばこの冬は薪をたくさん割った。朝は暖炉の火をよく起こした。
比較的に火をよく見た冬だった気がする。
0から始める半野蛮人生活
薪割りで桜の枝から出てきた小さなカミキリムシの幼虫。いわゆる鉄砲虫というやつ。
いつもはそのま放っておくとセキレイやジョウビタキ、最近ではイソヒヨドリが目ざとく見つけてつっついている訳だが、どういう心境の変化かその虫を食べてみようと思った。(どういう心境の変化だろう。)
その昔、海の幸の恩恵に預かれない山間部ではタンパク源として食されていたという。
そもそも虫の存在自体にあまり忌避感はないものの食べるとなると別だ。昔からテレビ番組の『ウルルン滞在記』とか見ながら、もてなしとして食卓に虫を出されたらどうするだろうとかよく考えていた。
一時期謎に流行ったコオロギはイナゴと違って昔の日本人が食べてないんだからやめといたほうが…派である。そもそもコオロギは食性が雑食、いわゆるスカベンジャーだから多分不味い。耐熱性の細菌を持ってるとも聞いた。
それで言えば鉄砲虫は木を食べてるから比較的清潔な感じ。
しかも今回は桜だ。桜の生木は割ると木自体から桜の花の匂いがして、もはや乙な感じすらする。
1.5cmぐらいのを数匹洗ってからなるべく糞を出させるために紙に包んでおいた。しばらく経ってみると分泌された油で紙が透けてしっとりしている。すごい脂肪分だ。蝋状の物質で巣穴を塞ぐため、あるいは掘った穴を滑らかに進むためだろうか。
いざフライパンで空炒ると膨らんでインディカ米のような見た目に変わった。気が変わらないうちに口の中に放り込む。
む…。
ポップコーンですな。完全なるポップコーン。食感はポップコーンの下の方に溜まった少し殻がついてるやつに似てる。
もはや虫というより穀類としか思えなくなり食べた後の心理的な気持ち悪さもない。動く穀類だ。
ただシロスジカミキリとかブリブリのでかい幼虫だったらどうだったかなとは思った。下茹でしてから焼いたらいける気もする。
最近本栖湖にいる大量の小さなエビをもはや野良エビチリとか野良かき揚げぐらいに考えてるのは虫食ったせいだと思う。
この歳になると日常の中で自分の観念の外側に出るような体験はなかなか無くなってくる。大体のことは想像出来てしまうし、あったとしてもトラブルだとかネガティブなものが増えてくる。そういう意味では40年間蓄積されたイメージの外側に出る非常に面白い体験だった。日常の中に冒険がある。
趣味程度に野菜を育てたりはするものの、狩りをしたり鶏を絞めて捌いたりとさっきまで生きていたものを潰して食べる、この身の内に取り込むという行為が日常の中にほとんど存在しないまま40歳まで生きてきた、というか生きてこれてしまった。
これはすごく歪つな、変なことなのではないか。
ちっこい虫を気まぐれに食っただけで何を急にとは思いますものの。
どこかで処理されパック詰めされた見知らぬ記号のようなものではなく、生の倦怠などとはまるで無縁の「生きる」という本能以外を持ち合わせない生き物たちを自分で捕まえて殺して食べる。そこからやってくる生き物としての強度があるのではないか、そんなことを思った。
その強さを文明や宗教でオミットしてしまったが故に、我々か弱き人間の苦悩や矛盾という面白さがあるのかもしれないが。
とはいうものの、釣りを始めたのは眠った���猟本能をほんの少しだけでも目覚めさせるという目的もあった訳だが結局まだ食べてはいない。
あの目。
山羊とかと同じ黒い鏡のようなあの目だ。あれと目が合うと「とりあえず一回パス」を選択してしまう。
決して瞬きしない永遠を湛えた目。
逃がした魚は水の底で眠りにつく時その日の出来事を反芻するだろうか。あの目の中に私はどう映ったのだろう。
怯えていたりあるいは恨んでいるだろうか。
たまにそんなことを考える。
温泉通い ♨︎
去年の秋頃ぐらいから町営の温泉施設に通いだした。300円で入れるので多い時は週3回。結局今は週1回に落ち着いた。
もとは何年か前に通おうとしたのだが一度行った直後にコロナウイルスが流行して休館になったため断念した。
ヨイヨイの爺さんらの病気自慢に聞き耳を立てたり曲がった背中の角度を見ていると案外自分が考えているより早くこうなるんだろうなと思う。
結局人間最後に残るのは健康かどうかぐらいしかない。
温泉。
一年通ったらどんな変化があるだろう。
心身ともに良い変化が起こる気がする。
定期的に人前で素っ裸になるのは良いかも知れない。
虚栄心みたいな要らん日常の垢が落ちる。
そういえばこないだ見たニュースによると今俄かに『湯治』がブームなのだという。週末に温泉に行って風呂に入る以外何もしないのだと。多分コロナ明けの外出疲れが出たとかそんな感じ。
思うにあの訳わからん日々にみんな傷ついたんだと思う。自分は幸いまだコロナに感染していないがあの時期に負った見えない傷を癒しに行ってる部分もどこかにあるような気がする。
それと去年から謎に始めたお灸もその効果が世界で注目されているとNHKの番組で特集していた。
自分の感覚だけに従って行動したつもりが、時を同じくして世の中で流行り始めていることだったり、集合無意識的に同期することを少し不思議に感じる。
またこれは集合無意識的な話なのかわからないが、去年の年末に地震の夢を見た。真っ青な海の上に浮いた厚さ20cmほどのガラス板の上に四つん這いで乗っていてユラユラと大きく揺れる夢。その二、三日後に能登半島で地震があった。
まあ後からなんとでも言えることかもしれない。
お酒
お酒を7年ぶりに飲んだ。
ゆうても薬用養命酒だ。
寝る前に20mlキメて寝る。
効果はまじで謎。
養命酒飲み始めた日は何故かやめた煙草を当たり前にぷかぷか吸う��を見た。マルボロの薄荷煙草。今いくらすんのやろ。煙草やめてもう10年になる。
養命酒は二瓶飲み続けてみたが、お酒は飲んだら飲んだ分だけ脳細胞が死滅するというから継続するかは不明。一本2000円以上すんのもどうなのかというところ。これを切っ掛けにアル中のいわゆる「スリップ」みたいに不毛な晩酌を始めないかが少し気がかりだったが飲みたい気持ちは全く起こらず。
あたしゃ素面で生きますよ。
登山

去年は武甲山の後に北八ヶ岳の蓼科山で山納めして、今年の山始めは奥多摩から御岳山まで縦走して頂上の武蔵御嶽神社に登拝した。
震災の後にNHK・Eテレの『見狼記』というニホンオオカミを探し求める人々を追ったドキュメンタリーを見て狼信仰の山、御岳山に登ったのが自発的に山に登るなどという非合理的行為の始まりだった訳だが、ぐるりと月日は巡り色んなことがあったことを山の神様に報告した。
その後春先に天子山塊の毛無山から雨ヶ岳を縦走、金峰山にも登った。人様に迷惑はかけるまいと個人的に禁じてきた雪山登山だったが登山歴も7年目ということもあり慎重を期して登った。いつもは地下足袋だがアイゼン着けるために久々に登山靴履いた。
誰もいない森の奥で木漏れ日の落ちる雪をザクザクと踏み音を立てて歩くのはとても心地が良かった。
途中立ち止まって踏み跡を振り返りしんと静まり返った森の中にいると昔思ってたより随分知らないところ��で来ちゃったなと思った。ここは一体どこなのか。
この風景の遠い向こうに過ぎてった日々や出会ったり別れた人々や出来事がある訳だ。
みんなそれぞれの新しい日々を暮らしている。家族を作り、あるいはこの世界からもういなくなった人もいるのかもしれない。人の営みの当たり前のことがなんだかとても不思議なことに思えた。
しばらく立ち尽くしていると30mほど向こうの木陰に昔の恋人の幻影を見た。
冬の森の真っ白い光の中で真夏みたいな服を着て立っていた。
なんとなく、そんな気がしただけだ。
もうずっと昔。
いつかどこかの海辺で、真夏の日差しの中、砂浜にぽつんと佇む雪山の中年男の幻を彼女は見たかもしれない。
そうだったらバランスが取れるなと思った。
充電期間もそろそろ終わりだ。
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北軽井沢現場&きたもっく訪問
先週に続き、今週も軽井沢滞在しています。2月以降、雪道の運転を警戒して日にちをずらしたりしていたのですが、3月も残すところあと1週間というところで、まさかの、今冬一番の(人生一番の)雪道運転となりました。

しんしんと降る雪。真冬です。

先週は、リビセンにて資材調達の翌日、上着もいらないような暖かい日曜日、資材搬入とあわせて、お施主様に進捗を確認いただきました。『広い!』と第一声。

間仕切りがないことや吹抜けの高い天井や窓の抜けなどで、実際の面積以上の体感になっている様子。ロフトから眺める。

この日は、北軽井沢で地域資源活用事業を展開している『きたもっく』さんに伺いました。ロフトに置くベッドを地域の材で作りたいというところから、お施主様が連絡をとったことがきっかけで、その事業内容を、とても興味深くサイトで拝見しました。色々お話聞いてみたいという思いもあり、打合せを兼ねて訪問しました。
『きたもっく』は、1994年にキャンプ場��ら始まり、その後、薪ストーブの販売と薪製造、養蜂と展開し、2019年には山を取得し伐採から建築までを行うなど、地域未来創造企業として様々な事業を展開しています。
キャンプ場の『スウィートグラス』もコンセプトパークの『ルオムの森』も名前は知っていて通りかかることもあった場所ですが、すべて一貫した事業のひとつだと知りませんでした。
まずは、製材所のある『あさまのぶんぶんファクトリー』に伺う。

事務所にて、地域資源活用事業部の中川さんと、ベッドに使う樹種やサイズなどの打合せを行いました。中川さんはもともとギターの製造で木材を扱っていた経験から、北軽井沢に移住されたそうです。
参考に見せていただいた地元のナラ材を使った椅子、現在売り切れ中で再販予定なしとのことですが、欲しい!とリクエスト。

その後、ファクトリーへ。地域モノづくりの拠点として2021年にオープン。カラマツや栗などの原木が並んでいます。

こちらで製材。

『浅間ストーブ』の販売とあわせた薪製造のためのボイラー室。

その過程で出る年間100トン以上の端材や木屑を、薪乾燥のボイラーの燃料として再利用し、化石燃料を頼らない循環型の製造プロセスを作り出しているそうです。そして、薪乾燥室。

さきほどのボイラー室からの温風が送られてきて、ふんわりと暖かい。天井に置かれている炭は、現在、乾燥のためにいろいろ試しているところだそうです。

地元の材を使って作られた壁が素敵でした。

多品種少量生産が可能な製材所とのこと。今、ベッドに使える材は、ナラか栗、というような話をしながら。

立派なケヤキの無垢材。(北軽井沢で伐採されたものではないそうですが)前日のリビセンで、幅の広い無垢材を探すのに苦労したので、思わず注目。

今回の山荘に広いデッキがあるという話から、紹介いただいたのが地元の栗材。再塗装を行えば10年くらいもつとのお話。

このあと、実際に地元の材を使った建物を見に、キャンプ場へ移動。
浅間山の絶景を拝める場所に、様々な形のコテージ、キャビン、テント場があるのですが、とにかく広い。

段階的に広がっていったとのことですが、こんなに広大なキャンプ場があったとは驚きでした。

こちらが地元材で作られたコテージのひとつ、手ぶらで泊まれる形でなんでも揃っている。

カーテンで仕切るだけの、半屋外的なしつらえがあるのが魅力的。

全棟薪ストーブつき。

オープン当時からあるキャビンは、家具と薪ストーブのみが実装とのこと。

水場とともに、レンタルスペースあり。お風呂もありましたが、皆さん温泉に行かれるそうです。


かわいいツリーハウスや

焚火暖炉キャビンなど、いろいろな種類の建物が全部で46棟。

食材やテイクアウトもできるカフェ『アサマヒュッテ』は、こんど現場に来た時にランチに利用できそう。


ところどころに薪スペースがありますが、こちらのテントは『コロ薪』ステーション。薪にできず山を荒らしてしまう小さな木枝をカットし人工乾燥不要にした小さな薪を、焚き付けや焚火台で使えるようにしたもの。カートで薪を運んでいる人の姿が楽しげでした。

平日でしたが、春休みということもあって賑わっていました、キャンプ場の稼働率は8割を超えるそうです。
地域の資源を活用していく様々な取り組みと、雇用を生み移住を促進している様子に興味津々で見学を終えました。
今回、きたもっくさんの活動を知ることができた出会いに感謝、ベッドの製作も楽しみです。
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風月句会
2020年10月18日

坊城俊樹選 栗林圭魚選
於:生田緑地公園 多摩市民館4F
坊城俊樹 出句
坊城俊樹 出句
秋声と日向ぼっこの寺の猫 寄せ墓の露の童女や江戸に死す 朽ちて崩れし秋声の五輪塔 秋声は菩薩それとも陽子とも 稲毛氏の露の墓とは石の貌 観音の御手に落ちんと木の実落つ 秋の蚊も寄せずのっぺらぼうの墓
坊城俊樹選 特選句
坊城俊樹選 特選句 時々は石仏掠め木の実降る 亜栄子 秋の雲掴みきれずに母の塔 亜栄子 菩提子を手品のごとくぶら下げて 秋尚 秋風や武士の声はるかなる 炳子 草の実といへぬ実袖につけている 和子
入選句
山門の裏を銀杏きりもなく 和子 父と子のとどかぬ空へ秋の塔 幸子 城影のなき山上の秋の声 炳子 小虫ちと遊ぶ日溜り杜鵑草 圭魚 メタセコイヤ見上ぐる果ての天高く 久 棘に触る秋の薊や母の塔 亜栄子 ますかたに集ふ碑のあり年尾の忌 文英 大寺の檸檬色づき信女墓碑 幸風 秋雨の湿り残りし砂を掻く 和子 城跡の旧き径なり木の実降る 貴薫 就中菊新しき墓一基 炳子 秋の蝶縺れ浄土へ吹かれゆく 三無 塀越しの茶花は蕊の深きこと ます江 メタセコイアまっすぐにある秋思かな 幸子 団栗のかちんこちんと客車屋根 三無 山門の風に重たく榠樝の実 芙佐子 紅葉且散る仏足石の指の上 慶月 しづけさに弾けもすなり檀の実 千種 碑一つ離し処ぎす鳴け�� 炳子 青空も作り物めき水の秋 久
栗林圭魚 出句
栗林圭魚 出句
黒セーター弾みて坂を下り行き 山頂の雲に紛るる雪の富士 うそ寒や歪みつ上る墓所の径 谷深し小鳥呼び合ふ声高く 小虫ちと遊ぶ日溜り杜鵑草 秋の日の楓を透きて句碑照らし 杜鵑草盛りの光句碑に添へ
栗林圭魚選 特選句
栗林圭魚選 特選句
白も黃も矜持のありて供華の菊 三無 吾亦紅蕊に埋み火残しをり 秋尚 木端の香あまく山寺冬仕度 和子 ますかたに集ふ碑のあり年尾の忌 文英 悠然と墓碑の天辺疣毟り 幸風 一本の竜胆正室の墓崩れ 慶月 古寺の庵の廂や郁子秘色 亜栄子 隠沼の水辺明るく末枯るる 斉
入選句
銀杏を踏めば近づくほとけ径 三無 崩れをる内室の墓虫細る 眞理子 急磴を登れば母子像天高し 芙佐子 金風に道行く人の足軽く ます江 一と雨の後の光や秋の昼 幸子 雨上がり色なき風を年尾句碑 幸風 稲毛氏の露の墓とは石の貌 俊樹 メタセコイヤ見上ぐる果ての天高く 久 笠雲や富士の真白く秋晴るる 芙佐子 傾ぐまま菩提子囲む石仏 眞理子 秋の雲大東京より筋を引き 慶月 薄紅葉句碑を護りて年尾の忌 ます江 大寺の檸檬色づき信女墓碑 幸風 仰ぎ見るメタセコイアの秋高し 斉 秋霞富士は笠雲被りをり 三無 秋雨の湿り残りし砂を掻く 和子 風抜ける森の丁字路花芒 久子 杜鵑草揺らす風ゆく年尾句碑 貴薫 菩提樹の実下る城主墓辺り 慶月 高らかに小鳥の森となってをり 斉 野あざみの色に誘は��触るる棘 文英 山門の風に重たく榠樝の実 芙佐子 炉を立てて薪割り積むや寺の秋 和子 丸くなり大きく歪む榠樝かな 斉 甍へと伸びて葉のなき枝の柿 眞理子 砂を掻く秋の湿りに触るるまで 和子 年尾碑や俯く萩の深き黙 月惑 うっすらと富士浮き上がる秋の腫れ 秋尚
(順不同 特選句のみ掲載)三無記
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「3密」を避けようがない福祉分野
コロナウイルス感染拡大にともない全国に拡大された緊急事態宣言。私の働く障害者福祉分野は「継続が必要な事業」として休業要請の対象とはならず、業務上何ともしがたい「3密」(密集、密室、密接)環境で今日も仕事でした。
高齢、障害、保育などのいわゆる福祉3分野は、「ご本人」はもちろんですが、その家族の生活や労働を支える社会的な役割を担っている仕事です。学校休業にともなう影響も大きいですが、福祉3分野も一斉に休業することになったら同じぐらい、もしかしたらそれ以上の社会的な影響が出ると思います。しかし、昨日職場から文書が配布され、感染したら自己責任ともいわんばかりの傷病手当対応で給与補償6割との発表。「継続が必要な業務」として3密覚悟で働いてそれはない・・・。施設内感染もありうるので、せめて労災補償対応ではないのかと疑問を抱かざる得ません。
不必要な仕事なんてこの世の中に恐らくないんですよね。休業要請で仕事を失い、給与補償がなく苦しんでいる方がどれだけ多いことか。一刻も早くコロナウイルスが終息して安心して働き暮らしたいと願ってやみません。そして山もキャンプも・・・。
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GWはベランダキャンプを決行予定
もうすぐGW。コロナウイルスにかからなければ、どこにも出かけずに家に籠ることになるでしょう。折角だから狭いベランダにテントを張って、「ベラキャン」をしようと思っています。そのための道具も準備中。外出自粛中ながらも出来ることで楽しみたい。
さて、タイミングを逸してしまいましたが、コロナウイルスの急速な感染拡大がまだ本格化する前���3月3連休の前に行ったキャンプについて記録しておこうと思います。外出自粛要請前の最後のキャンプとなりました。
名古屋から近くて便利な秋葉神社前キャンプ場
3年前、2017年の春先に訪問して以来の静岡県「秋葉神社前キャンプ場」。
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大人1人300円、予約不要、入退場時間フリー、直火可能、目の前には清流「気田川」というキャンプ場。前回訪問した時の様子を記録した記事はよく読んでいただいていて感謝です。前年に事故に遭った長男みーが少しずつ回復しているときに行ったキャンプ場として私も記憶に残っている場所です。
キャンプ場基本情報
住所 〒437-0626 静岡県浜松市天竜区春野町領家345 料金 大人1人 300円・小学生未満 無料 事前予約・キャンセル料 必要なし・キャンセル料なし 入退場時間 制限なし 薪・焚き火 薪400円・直火OK トイレ 水洗トイレ完備
何と言っても利用料の安さ。無料キャンプ場ではありませんが300円を払うことで何となく安心感が生まれるのは何故でしょう?受付なども特になく、夕方頃になるとキャンプ場入口にある「門前屋」さんが各テントを回って料金を徴収していかれます。
名古屋から1時間30分ほどと好立地
名古屋と言っても広いのですが、名古屋の中心部に近い我が家からは高速道路経由で1時間30分ほどで到着します。 東名高速「浜松北インターチェンジ」を降りてから30分ほどで到着します。
初の動画撮影に挑戦
稚拙ではありますが、初の動画撮影に挑戦してみました。
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直前に購入したGoProで撮影。この夏は登山でもと思っていましたが残念です。冬山ではバッテリーが死んでしまいそうなので、使えるのは来年かな??
河川敷の雨キャンプスタート
この日は夕方前まで強めの雨が降り続く予報。ということで、出発はゆっくり。大体こういう時は他の方もスロースタートなので大丈夫でしょう。途中「道の駅 いっぷく処横川」で途中休憩。採れたてのシイタケを購入しました。
写真は翌日撮ったものですが、シイタケの原木も格安で売っていて、買ってくれば良かったと後悔しています。
降りしきる雨の中、今シーズン初のオープンタープ
入口と言っても特にゲートなどはなく、河原に降りていくだけ。結構な雨が降っており、案の定テントは疎らでした。適当な場所を見つけてタープをパッと設営。今シーズン初のオープンタープです。
話は変わりますが、タープを張る際、1人がポールを持ってもう1人がガイロープのペグを打つ姿をよく見かけます。もちろんそれでも張れるのですが、まずメインポールを支える4本のガイロープを地面に打ち、それからメインポールを立ち上げるのが基本です。こうすればタープは1人で簡単に張れます。
まだ少し肌寒い季節でしたが、翌日の天候も微妙だったのでこの時期定番のアトラスはやめて、雨でも焚き火を楽しめるようにオープンタープに。テンマクの焚火タープならばタープ下で焚き火が出来ますからね。
写真だと分かりづらいですが結構降ってます。風もあったので半分を地面に直打ちして風除けと目隠しに。
シンプルに設営完了です。
道の駅で買ってきたシイタケをフジカで炙って食べました。ジューシーで香りも強くて美味しかった!みぃ君はシイタケではなくチョコパイ食べてます(笑)。
雨のキャンプだとなかなかやることはないのですが、2人でストーブにあたりながらお喋りしたり、イカを炙って食べたり。火器を組み立てもらったりとノンビリとその時間をただただ楽しみました。
落ちている石を温めだす人。少しでも空間を温めようと一生懸命考えた結果です。私自身も子どもの頃にやっていたことなので血は争えません。
ゆるキャン△ファンのみぃ君ですから、四尾連湖キャンプ場編で食べていた焼き鳥をいただくことに。遅ればせながらスキレット購入しましたが、とても便利です。
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そうこうしているうちに雨もようやく上がってくれました。
夕闇迫る
夕ご飯は「キャンプ」と言えばのカレーです。クッカー類の片付けに少し手こずるのであまり作ることがなかったのですが、GSIのスクレーパーを使うようになってから片付けのストレスが激減したこともあって、よく作ります。簡単だしよく食べてくれますしね。
外で食べるカレーは何倍も美味しい。
あっという間に日は暮れて。
昼の疲れが出たんでしょうね。19時過ぎには椅子寝でグッスリ。この春から小学校1年生となったみぃ君。この時はまだ保育園卒園式前でしたが、まだ小学校に通ったのは入学式の1日だけ。最近は「がっこういきたいなー」とよく言っています。友達出来るかな~と不安と楽しみで揺れていたと思いますが、これだけ待つと、とにかく早くスタート切りたいでしょうね。
今はキャンプに連れて行って気分転換も出来ない時だけに、休みのたびに家の近所でキャッチボールやら自転車三。おかげで自転車には乗れるようになりました(笑)。オヤスミなさい。
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その後はストーブとランプの明かりに照らされながらしばし読書タイム。霧が発生して星は期待出来そうにないので私も早々にシュラフに潜り込みました。
霧の朝、待望の青空
3年前も目を覚まして外に出ると真っ白でした。
ここは地形的に霧が出やすいのでしょうか?キャンプや登山の楽しさって、同じ所に同じように行っても季節によっても景色が違いったりするところだと思っているのですが、今回はデジャブみたいでした。
おはよう、寝起きの焚き火。
ちょっとわかりにくいかもしれませんが、クーラーボックスに入れていたお茶が凍りました。災害時対応用にも想定して購入したポータブル冷蔵庫をキャンプのクーラーボックスとして使っていますが、夏場でもビールがキンキン!春先ぐらいまでは入れているものが簡単に凍ります。CB缶1本で約20時間動きます。よくそこまで冷えないという声を聞きますが、必ず水平を維持することがコツです。
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しかし、この夏は使えるか・・・どうか終息して欲しいですね。
朝食は手を抜いて前夜のカレーの残りにうどんを投入してカレーうどんです。
待望の青空。予想外の好天で無事に乾燥撤収も出来そうです。光がとっても綺麗な時間でした。
どこに張っても大丈夫というフリーサイト。一段下がった河原にも張れますが、大きな石が多めでちょっと苦労しそう。雨も怖いですしね。張ろうと思えば物凄い広大な敷地だとは思います。
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ちなみに地面は下の方まで石混じりで超硬いですから、アルミペグなどではご覧のとおり。鍛造ペグ一択です。
早くまた一緒に焚き火がしたい。
気田川。清流として名高い川ですが、前回来たときは豪雨の後だったのでかなり濁っていました。今回も雨の後だったのですが、それでもこれだけの青さ。川の流れは速く、深さもありそうなので子どもの水遊びというわけにはいかないのかもしれませんが、とても綺麗な川でした。みぃ君は対岸まで石を飛ばしたくて一生懸命投げ続けていました。
ということで帰りの車に乗った瞬間に爆睡。
コロナウイルス外出自粛要請前の最後のキャンプ。今は1週間先がどうなっているか分からない時だけに、この先がどうなるのか何とも見通せない不安はありますが、いつか必ず山にもキャンプにも家族みんなで出かけられたらとそう願っています。各地の山やキャンプに関係する方々の生活がとても心配ですが、何とか持ちこたえて欲しい・・・。
【キャンプ】秋葉神社前キャンプ場 ー コロナウイルス自粛前、最後のキャンプは静かな雨キャンプ 「3密」を避けようがない福祉分野 コロナウイルス感染拡大にともない全国に拡大された緊急事態宣言。私の働く障害者福祉分野は「継続が必要な事業」として休業要請の対象とはならず、業務上何ともしがたい「3密」(密集、密室、密接)環境で今日も仕事でした。 高齢、障害、保育などのいわゆる福祉3分野は、「ご本人」はもちろんですが、その家族の生活や労働を支える社会的な役割を担っている仕事です。学校休業にともなう影響も大きいですが、福祉3分野も一斉に休業することになったら同じぐらい、もしかしたらそれ以上の社会的な影響が出ると思います。しかし、昨日職場から文書が配布され、感染したら自己責任ともいわんばかりの傷病手当対応で給与補償6割との発表。「継続が必要な業務」として3密覚悟で働いてそれはない・・・。施設内感染もありうるので、せめて労災補償対応ではないのかと疑問を抱かざる得ません。 不必要な仕事なんてこの世の中に恐らくないんですよね。休業要請で仕事を失い、給与補償がなく苦しんでいる方がどれだけ多いことか。一刻も早くコロナウイルスが終息して安心して働き暮らしたいと願ってやみません。そして山もキャンプも・・・。 GWはベランダキャンプを決行予定 もうすぐGW。コロナウイルスにかからなければ、どこにも出かけずに家に籠ることになるでしょう。折角だから狭いベランダにテントを張って、「ベラキャン」をしようと思っています。そのための道具も準備中。外出自粛中ながらも出来ることで楽しみたい。 さて、タイミングを逸してしまいましたが、コロナウイルスの急速な感染拡大がまだ本格化する前、3月3連休の前に行ったキャンプについて記録しておこうと思います。外出自粛要請前の最後のキャンプとなりました。 名古屋から近くて便利な秋葉神社前キャンプ場 3年前、2017年の春先に訪問して以来の静岡県「秋葉神社前キャンプ場」。 大人1人300円、予約不要、入退場時間フリー、直火可能、目の前には清流「気田川」というキャンプ場。前回訪問した時の様子を記録した記事はよく読んでいただいていて感謝です。前年に事故に遭った長男みーが少しずつ回復しているときに行ったキャンプ場として私も記憶に残っている場所です。 キャンプ場基本情報 住所
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. 薪を見るとワクワクする習性がある。 山に住んでいた頃の主たる暖房設備は 当初は半分インテリア感覚で設置した ドイツ製の薪ストーブだった。 住み始めて初めての冬シーズンは 薪ストーブを使うという発想はなくて 石油ファンヒーターをガンガン回して 時には外気温が−10℃を下回る時期を 何とか乗り越えたけれど、灯油代が 目玉が飛び出るほど高くなったので 次の年から薪ストーブが主役になった。 たまにその辺の枝や落ち葉を拾ってきて 燃やして遊ぶだけだったものが 近所の業者からt単位で購入して 薪ストーブの横幅サイズに切ってもらい あとは自分で薪割りをする。 おそらく人生初めての薪割りは それはそれは果てしなく重労働で 1日に割れる量も限られてくるので 少し大げさに言わせてもらうと 一年中割っているような体感だった。 そんなことも今はとても懐かしくて いつかまた薪ストーブのある暮らしを なんて考えたりもするけれど どうせまたヒーヒー言いながら 薪を割る自分の姿を想像して クスッとしてしまうのだった。 . #薪 #薪ストーブ #薪ストーブのある暮らし #単焦点レンズ #yongnuo50mm #instagood #instalike #instagramjapan #lovers_nippon #japan_daytime_view #dairy_photo_jpn #tokyocameraclub #写真好きな人と繋がりたい #写真撮ってる人と繋がりたい #お写んぽ #能勢 #大阪 #firewood #firewoodstove #ファインダー越しの私の世界 (野間の森『MIGIWA』) https://www.instagram.com/p/B3JzK4YDRFD/?igshid=qklzqxwgwxih
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『Day2443-6-090』 Back to the usual life with fire of the wood stove. 日常へ。 朝晩は冷えこみ、まだまだ薪ストーブで暖をとる。 それでも今週は日中気温が上がり、最高気温予想が19°Cなんて日もあるみたい。 家のまわりに雪はあっても、冬の気配は消えてしまった。 この時期になると、「キャンプ場はいつからですか?」とか「コーヒー屋はいつからですか?」といった問い合わせが多くなる。 キャンプ場はきっと4月の半ばくらい?雪消えはもっと早いかな? 春の再開に向けて、まだ決めかねているけれど、実���から何冊か本を持って帰ってきた。 キャンプ場のコーヒー屋の片隅で大好きな本だけを集めた古書店をやりたいな、と思う。 あぁ、でも大好きな本が売れるのはやっぱり僕が寂しすぎるからやめよう。 ならば、コーヒーを飲みながら本が読めるように本棚を作ろうか…。 いやいや、僕の大切な本のページを乱暴にめくるお客さんがいたら、怒っちゃいそうだから、 やっぱりやめよう。みんなが嫌な気分になっちゃう。 それでも、コーヒーを飲みながらのんびり本が読める空間を作りたい。そして、店主の本コーナーも作りたい。 さて、どうしよう。 写真は、今回持ち帰った「星野道夫の仕事、第1巻」(朝日新聞社)。 新聞社の北九州本社に勤めていたころ、会社内の薄暗い売店で社員割で買ったもの。 全4巻で発売日を楽しみに購入した。 構成=三村淳とある。星野さんの本のほとんどの装丁を手がけた憧れのアートディレクターだ。 僕の本の装丁をしてくれている漢のオヤジさんでもある。 人との縁とは不思議なものだ。 #rurallife #slowlife #notslowlife #countrylife #snowcountry #田舎暮らし #スローライフ #ノットスローライフ #6歳 #sixyearsold #あおの棚田米 #移住 #コーヒーとタープ #自家焙煎 #microroastery #microroaster #古民家リノベーション #古民家暮らし https://www.instagram.com/p/CpcjsqWPE95/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#rurallife#slowlife#notslowlife#countrylife#snowcountry#田舎暮らし#スローライフ#ノットスローライフ#6歳#sixyearsold#あおの棚田米#移住#コーヒーとタープ#自家焙煎#microroastery#microroaster#古民家リノベーション#古民家暮らし
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館山小旅行
8月27日(土)

6時半起床。車に荷物を積み込み、館山に向かう。今日は義弟家族と館山一泊旅行。漁師料理たてやまで朝食を食べてから海に行く。今年最後の真夏日かってくらいカンカンに晴れてて最高に気持ち良い。子供たちは水遊び。自分は岩場で黙々とカニを追いかける。すばしっこくてなかなか捕まえられない。
15時前に海から上がり、宿に向かった。海沿いの道から一本入って少し山を登ると宿に到着。広々とした原っぱにかわいい建物が二つ。オーナーの手作りらしい。設備や建築方法の説明をしてもらった後、目の前の原っぱに椅子やテーブルを出して夕飯の準備をした。
オーナーから子供達に薪割りをやらせても良いかと聞かれたので快諾。斧の持ち方や危険な行為について丁寧に説明してくれた。ちょっとした工夫で小さな子供でもスイスイと斧を持ち上げられる。コツを掴んだ娘はゾーンに入ったようで、ひたすら薪を割っていた。
割った薪で風呂を沸かすことにした。水を張ったドラム缶の下に火を焚べて湯を沸かす。準備が整ったら男三人、水着に着替えて湯に浸かる。底は熱いが火傷するほどじゃない。なんて気持ちが良いんだ〜。
海水と汗を流してサッパリした後、BBQ開始。オーナーが用意してくれた猪の肉が美味かった。妻はスープカレーを作った。妻曰く、鳥手羽は牛脂で焼き目をつけたり、溜まった油をナスに吸わせたりした程度で凝ったことは何もしてないというが、無茶苦茶美味かった。
BBQ後は全員で宿の近くにあるスーパー銭湯に向かった。なかなか立派な施設。身体を洗った後、湯に浸かる。日焼けした肌がヒリヒリ痛い。火照った身体を冷やそうと、サウナと水風呂に入ることにした。水風呂が気持ち良い〜。その後、外のベンチに腰掛けてボーッとしていると、サウナ好きがよく言う「整う」を体験できた。冷水でバクバクした心臓が時間と共にペースダウンしただけだと思うが妙に心地良い。心と身体がピタッと一致するような感覚。
風呂を出て宿に戻る。小さくなったキャンプファイヤーをチクチクいじったり、満点の星空を眺めたりした。然は流れ星を見たと言って喜んでいた。12時ごろ就寝。
8月28日(日)

6時半起床。みんなはまだ寝てる。BBQの後片付けをしたり、コーヒーを入れたところで妻が起床。今日は天気が悪そうだ。荷物を車に積んで全員で集合写真を撮って宿を出た。今度は冬に来ようと思う。
朝食は定番のだいぼにした。アジやサバ、ホタテを焼いて食べる。13時ごろ帰宅。楽しい旅行���した。
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ラブリー・ラブリー・フィーリング
「小さいころから、絵は好きだったんだよね」 そう、周子さんは言った。少し背をまるくして鉛筆を削っている、その横顔に銀色の、清らかな光がそっと影を落としていた。 「まあ、おかたい家だったから習い事とかいろいろやらされてさ。だいたいほっぽりだしたけど、けっこうハマるのもあって」 錆色のだるまストーブ、その上のまるまるとした薬缶がしゅうしゅうと心地良い音を響か���ていた。この部屋ではまた、時おり屋根から雪の滑り落ちる重低音が聞こえた。 「高校のとき、いちばん描いてたかなあ。美術室に入りびたってたら入部しろって怒られて、流してたらそのうち言われなくなったけど」 周子さんは、よく削られたため著しく芯の露出した鉛筆をなぞり、満たされたものの静けさをもってほほえむと、一瞬ののち木くずを吹きちらした。それは精霊が運ぶ極北からの風にまかれたように、まばゆいばかりの光をはじいた。 「まあいいや。で、上京してからあんまり描けてなくてさ。せっかくの機会だし、ね、文香ちゃん」 このとおりです、と彼女は大仰ないきおいをつけて手のひらを合わせた。火花が弾け、散るような音が響くと、短い髪がさらさらとその頬を撫でた。 私は少し、窓の外を眺めた。 空はよく晴れており、なにものにも妨げられない無垢の陽光が降り注いだ。冬枯れの森は雪冠に彩られ、多様なる色のすべてを純白がその無限の包容力で包み込んだ。一面の、起伏を失ったなだらかな雪景色は、家人をうしなった家々に垂れ込めるかなしみを感じさせた。 「こうして、かけていればよいのですか」と私はたずねた。 「そう、それでオッケー」と彼女は答えた。 「姿勢などは、崩しても?」 「平気へいき。イスけっこう固いからね。楽にしてて」 「書があるので、問題ないかとは思います」 「あはは、うらやましい。あたしのがしんどいかもなあ」 「ではお互い気をつけましょう。ひとつ、伺ってよいでしょうか」 「いくつでも」 「どうして、私なのでしょう」 「……描きたいから?」と彼女は答えた。そうしてから、「いや、静物はいまいち合わなくて」とか「文香ちゃんはいいモデルだから」とかあいまいに続けたあと、真っ白なキャンバスの誠実さで「描いてみないとわかんないや」と言った。 「わかりました」と私は答えた。書を開くと、間をおかず周子さんは絵を描きはじめた。ページをめくって聞こえる音と、鉛筆を滑らせて聞こえる音と、私たちはまるで交響楽の奏者のようだと思った。
あるおやこの物語だった。父は大陸極東の岬にて、巡礼の徒のために建造された灯台を守っており、数多の迷えるひとびとのため光をともし続ける役割を背負っていた。娘は絶えず彼のそばに寄り添い、いかなるときも離れようとしない、そういうおやこだった。 彼は少女を背に抱き、胸のうちに抱き、そしてすべてのひとびとを隔てなく歓待した。陸路にて訪れる旅人には、ぬくい湯を際限なく施した。海路にてたどり着いた旅人には、新鮮な野菜や果実を惜しげなく分け与えた。彼は清貧を善性の最たるあらわれと信じており、ひと掴みのパンより一度の祈りを優先した。しかし少女にそれを押しつけることをよしとせず、その瞳が飢え乾きにくもることはなかった。ふたりはよく笑い、汗を流し、旅人の語る未知なる景色に胸躍らせた。 大陸中央の高原に横たわる、まるまると太った竜。 地溝より姿をあらわす、溶岩泥の巨人。 気まぐれに航路を知らせる光帯と、それを形成する白光球。 旅人の語ることはときにいたずらな恐怖を伴い、少女はそのたび父の話を乞い願った。彼は記憶のうちより、とびきり優しい物語を語って聞かせた。少女がすっかり眠ってしまうまで、ガラスのランプが吹き消されることはなかった。 私はこれを、犠牲についての寓話だと思いはじめた。
こころよい香りが、ふと感じられた。記憶より、畳や湿ったナラ材の香りが呼び起こされ、それは祖母の住まう家の風景を伴った。きわめて小さな集落ではわずかなひとびとが密接なつながりを保っており、それぞれの家を結ぶ小径をゴムの長靴がつよく踏み固めた。足りたものを分けあい、足りないものを与えあい、炭焼きの竈からはくろぐろとした排煙が絶えず昇った。 「いる?」と周子さんがたずねた。彼女が差し出したものは、若草色をした湯のみだった。もうもうとした蒸気が、私たちの間で立ちのぼっては消えていった。「ほうじ茶、あたしのはうまいよー」 「いただきます」と私は答えた。湯のみに口をつけると、温もりは唇よりじんわりと体内にしみ入った。実際、ほうじ茶は彼女の言うとおりたいへんおいしく、何より適切に整えられた温度をすばらしいと感じた。「……よいものですね」 「でしょ。あと甘いもんでもあったらね」 「でしたら、たしか鞄に……」 「あるん?」 「ミルクキャンディ、ですが」 「ありかな」 「どうでしょうか」 「いけたら儲けもんだね」 「では、どうぞ」 「ありがと。いただきます」 そうして飴玉を口にして、「なしやわ」と周子さんは言った。私が「悪くはないと思います」と答えると、彼女は「まじか」と小さく笑った。 おもての景色は、日の向きが変わったせいか、ずいぶん違って見えた。陰影のかたちが変わり、遠近をはっきりさせる立体感が生まれていた。どうやらあたりは田畑であるらしく、均一な畦と耕地の起伏がさながら格子のような模様を描き出していた。よくよく目をこらせば、雪の覆いの奥より顔を覗かせる河川の水の反射さえ、うかがうことができた。 「進捗は、いかがですか」と私はたずねた。 「見る?」と彼女はたずね返した。 「見ても、よいのでしょうか」 「ぜんぜんいいけど、なんか気になる?」 「……伝わればよいのですが」 「うん。あたしも努力するよ」 「ありがとうございます」 それから私は、こんなふうに言った。絵画とは、完成に至るまで人目に触れてはならないものではないだろうか。私が見ることで、あな��の純粋で、孤独な祈りのようなものが消散されてしまうのではないだろうか。しかし、そのおそれとともに、私は描きかけのそれを見たいと思っていた。あなたの筆致がどのように私を描いている、私を見ているのかを知りたいと望んでいた。つまり私は、雪の一片がかたち作る氷晶を手のひらに乗せて観察するような、子どもじみた好奇心を抱いていた。 周子さんは、じっと聞いていてくれた。しずかに頷いて、時おり私の言葉に補助線を引いて、決して自分の意見をはさまず、わが子に相対する母の誠実さをもって、私の言うことを聞いてくれた。 「たぶん、わかったと思う」と彼女は言った。ゆっくりとほうじ茶をかたむけ、閉じられたまぶたをゆっくりと開くと、「でも、あたしはもうひとりじゃないからなあ」と笑った。 おもてを見て、こんなふうに続けた。 あたしはいつも、まっしろな雪の原に放り出されたみたいな気持ちでいた。そこはよく晴れてるのに、あたりにひとの姿はない。あたしは、誰でもいい、誰かに会いたくて歩いたり走ったりするけど誰にも会えない。たまに吹雪がやってくると、体をまるめて凍えるしかない。やっと晴れた、そのときにはあたしの足跡なんてぜんぶ消えてて、絶望的な気分でまた歩きはじめる。 それで、十何年か歩いたらいきなりぽつんと明かりが見えた。最初はひとつ、でもそのひとつが見えた途端あたりに次々明かりがともりはじめた。すごいってあたしは思った。夜だって寂しくなくなった。でも、どうしても吹雪はやってくる。たくさんあった明かりがひとつずつ見えなくなっていって、そんなもんかって思ったとき、消えない明かりに気付いた。ひとつ、ふたつ。それであたしは、もう永遠に孤独になれなくなった。 「つまりなにが言いたいかっていうとさ」周子さんは不意に立ち上がり、私の肩に腕をまわした。やや粗雑なふるまいが、おし隠されようとした情熱をかえって鮮明に伝えた。「この絵は、最初からあたしたちのものなのよ」 私は、取りこぼしかけたほうじ茶の、焼けた黄金の色をした水面を眺めた。それがしずまるのを待つと、湯のみを置いて、「見せてください」と言った。胸のうちにかがやいた温かな光は、周子さんの持つ吹雪の夜を照らしたものと同じであるように感じられた。 彼女はいまさら面はゆげにほほえみ、手の動きのみで促した。私ははやる心をおさえ、激しく胸を揺さぶる初めてのこのたかぶりが私たちの作品を変容させてしまわないよう、新雪の野に向ける態度で歩いた。そうしてキャンバスを前にすると、ああ、とこぼした。
灯台が焼け落ちたのは、いかずちの精霊の手落ちでしかなかった。彼らは稲妻の季節をよろこび、あふれる雨の雫の甘露に酔い、そのみだれた軌道が幾度か灯台を射抜いた。一度めには尖塔の頂上を横断し、数多の巡礼者を導いた単閃光レンズをばらばらに破壊した。広野の巡礼者は永遠の光が消えたことに驚き、涙し、地に伏したが、まだ幸いであったといえる。彼らは、やがて立ち上がるとふたたび聖なる地を目指す。もしくは、みずからの生まれた家へ帰っていく。 二度めのいかずちは灯台の側面なかほどをかすめ、三度めにはうずたかく積まれた薪に落ち、それを焼いた。炎はまたたく間に燃え広がり、灯台をなめ尽くした。父はまず、娘を連れ出し、そののち巡礼者の金品や祭具を懸命に運び出した。みずからの持てるものについて、彼は一度たりとも省みなかった。 そうして、すべての巡礼者の安全をたしかめると、彼は娘の姿がないことに気付く。彼は聞いてまわった。少女を見た者はいなかった。彼はぼろ布を水たまりにこすりつけ、火口のごとき炎のうちへ踏み入った。 果たして、少女はそこにいた。小さな身をまるめ、いまにも暗澹とした炎の重みにおし潰されてしまいそうだった。彼は少女に覆い被さり、その呼吸がはっきり続いていることをたしかめた。顔を上げると、ただ一つの出口が焼け落ちた梁により塞がれる様子を目にした。彼は少女を抱きかかえ、炊事場を突っ切り、浴室を目指した。そこはやはり炎にまかれていたが、陶製の浴槽は堂々としたかたちをとどめていた。 父は娘を浴槽に押し込むと、持てる力を尽くし、空になるまで井戸の水を流し入れた。そうして彼もまた体をまるめると、少女を抱きしめた。「どうして戻ったんだい」と彼はたずねた。少女はぷっくり膨れた衣服のうちより、ガラスのランプを取り出した。そうか、と彼は声をあげて笑い、彼の知るいちばん優しい物語を、星々の向こうにある国にあまねく満ちるというまっしろな明かりについての物語を話しはじめた。
私たちは同じ交響曲を奏でる楽隊の一員であったため、必然、書を読み終えるときと絵を描き終えるときとは重なった。私は書を畳み、周子さんは筆を置き、内なる指揮者がうやうやしくホールへ礼をしてようやく、はあーと弛緩した息をはくことができた。 日の色が、変わりはじめる時間だった。あとはもう一瞬のうちに過ぎていく、と私は思った。 「ありがとね」と彼女は言った。大きく伸ばした腰や腕の関節が気持ちのいい音をたてた。「文香ちゃんのおかげで、楽しかった」 「こちらこそ」と私は答えた。彼女をまねして体を伸ばしてみると、指先の関節の数本のみがなんだか遠慮がちな音をたてた。「得難い、きっと、何度も思い返すような体験でした」 「はは、おおげさ」 「心から、そう思いますよ」 「そらおおきに」 「信じていただけませんか?」 「いや、信じてるよ、あたしは文香ちゃんのぜんぶを信じてる」 「……私も、そうです」 「照れた?」 「いささか、ですが」 「かわいい子やねえ」 そう言って、彼女は私の頬をそっとなでた。あなたもです、と私はどうにか言い、その手のひらに込められた優しさが肌にしみこんでいく様子に集中した。 それから、完成した絵をたしかめて、私たちは帰り支度をはじめた。やはり見る間に日は沈み行き、おもての景色は眺めるごと魔術のようにそのかたちを変えた。ぼうっと見とれたのち、陶のシンクに視線を落としたとき、「よかったら、どういうはなしだったか聞かせてくれん?」と彼女が言った。ちらと見ると、彼女はキャンバスをやわい布でくるみ、革の紐を結んでいるところだった。私は、きゅうすや湯のみに茶しぶが残らないよう心をくだきながら、父と娘の物語について彼女に話した。 結局、おやこが生き延びたのは精霊同士のいさかいが引き起こした偶然に巻き込まれたために過ぎなかった。水の精霊はいかづちの精霊の粗野なふるまいを嫌っており、その力が及ぼした余分な影響をなきものとするため、地に豪雨を与えた。燃え盛る炎は鎮められ、父はさんざめく雨のもとへ踏み出すと、娘を強く抱きしめ、何度も背をたたき無事を祝福した。巡礼者たちは口々に感謝を告げ、おやこへ衣類や食物を提供した。父はそれをこころよく受け取り、ほとんどを娘に、わずかをみずからのために用いた。 おやこの新たな住まいを築くと巡礼者たちは去っていったが、彼らはうしなわれた灯台の代わりに、ゆく道々に石塔を築いた。石塔はまた新たな巡礼者をおやこのもとへ導き、父はそれまでと同じように彼らを歓待し、送り出すようつとめた。石塔の連なりに沿った足跡は、やがて踏み固められ道となり、その一つひとつは家となり、岬には小さな街が生まれた。そのころ父は老い、娘はもう少女ではなかったが、ふたりはともに穏やかな日々を暮らすと、数十年ののちにこの世を去った。かつての灯台、おやこの住まいはふたりの亡き後も街のひとびとにより丁重に保存され、なかでも小さなガラスのランプは大切に扱われており、いま現在も年に一日だけ、寒気の最も厳しい折にともされているのだという。 「信じる者は救われるってこと?」と彼女はたずねた。 「情けはひとのためならず、ということでもありますね」と私は答えた。 「家族は大事にしましょう」 「自然を前にひとは無力だ、とも」 「神さまは残酷だ」 「しかし、私たちはなにかを残すことができます」私は続けた。「私は、あなたは、吹雪の夜にともる明かりの一つひとつなのだと思います」 彼女はふむと頷いて、布ですっかり覆われたキャンバスを眺めた。そうして、「これ、文香ちゃんから奏ちゃんに渡してほしいんだけど」と言った。 私は拒んだ。しかし、彼女が言い出してはきかないひとだと、よく知っていた。やわい口論を交わし、ほとんど負けを認めるかたちでその理由についてたずねた。 彼女はこう答えた。奏ちゃんはあたしが好き。奏ちゃんは文香ちゃんが好き。好きなひとの描いた好きなひとの絵を、好きなひとから受け取って、それってなんか、めちゃくちゃ愛ってかんじがする。 私はここで、声をあげて笑った。これまで感じたことのないよろこびが、腹の底からわき上がると全身をすみずみまで行き渡り、おさえようもなく唇からあふれ出しこの世界を満たしていく様子を感じた。 彼女は続けた。奏ちゃんはまじめだから、たぶんお返しをしようって文香ちゃんに提案すると思う。そしたら文香ちゃんは奏ちゃんを描いてほしい。あたしは奏ちゃんからそれを受け取って、そのうち奏ちゃんにあたしを描いてもらう。そんなふうに、いつかあたしは、あたしたちを文香ちゃんに贈るよ。 私は頷いた。嬉しくて笑いながら、こんな景色を思った。吹雪の夜に、ひとつの明かりがともる。いまにも消えそうに凍えていたそれは、遠くにかすかな光を見つけると、少しだけ寂しくはなくなる。やがて、ふた��を結ぶようにもうひとつの明かりがともると、それらはそっと寄り添いはじめる。互いが互いを守るよう、みっつの明かりが身を寄せ合うと、あたりをもう少し照らすだけの光が生まれる。それはまた遠くの明かりへ届き、光は次第に、たしかに広がり続ける。そうして、そのうち誰かがふと気付き、冬の終わりを口にする。明かりは一つひとつ、ゆっくりと立ち上がり、新雪の野を見渡す。まるみを帯びた地平の果てより、朝日が昇りはじめる。あたりはどこもまばゆくきらめき、おとずれた新世界を誰もが歓喜のうちに迎え入れる。そのときには、はじめにともった明かりは消えている。ふたつめも、みっつめも、もういない。けれど明かりは寂しくない。私たちはもう、寂しくはないのだ。 私がいっこうに笑いやまないので、いよいよ心配になったらしい彼女が背中をさすってくれた。私は「大丈夫、大丈夫です」と答えたのち、きれぎれの息の合間から、「あなたに、触れてもよいですか」とどうにかたずねた。 彼女はぽかんと口をあけたままでいた。あんまりにも長くそうしているので私は、「親愛の……つまり、そういうことです」とつけくわえた。 すると途端に、彼女は笑いはじめる。「はは」とこぼし、なにか巨大な堰が崩れひと冬のあいだ溜められた雪融け水があふれ出すように、おなかをおさえたまま晴れやかな笑い声をあげ続ける。西日が頬をあかく染める。まなじりの涙がきらきらと光る。そうして、大口をあけたままいつまでも笑いやまない様子に私が呆れはじめたころ、「おいで」と答えた。 私は、彼女の頬に手で触れた。そうして、「愛というかんじがします」と言った。 そうだね、と彼女は答えた。私の手をそっと包むと、おどろくほど優しい声で「愛というかんじだ」と続けた。
奏さんの帰りは遅くなった。私たちはああでもない、こうでもないと議論を戦わせ、結局はいちばんシンプルな方法を選んだ。ものごとはだいたい、透明の球体がそうであるよう、単純なものがいちばん美しい。 「ただいま」と奏さんが玄関を開いた。暗くした部屋のなか、私がどきどきして返事を遅らせたので「文香? 周子、いるの?」と彼女は続けた。私は「帰っています」と言って(なんて不自然なこたえだろう!)、彼女を待ち受けた。胸に抱きしめたキャンバスが、周子さんとともにラッピングをほどこしたそれがかすかにふるえた。 「文香、どうして……」と奏さんがリビングに踏み込むやいなや、私は照明をつける。ぱっと室内が明るくなり、彼女はまぶしそうに目を細める。その、ほとんど鼻先へ「贈り物です」とキャンバスを差し出すと、いきおい造花のばらの飾りがこぼれ落ちた。 奏さんはばらを拾い、室内の明るさにゆっくりと目をならしているようだった。花弁に触れ、その最も優雅に広がったきわを指先でなぞると、「ええと、なにかあったかしら?」と首をかしげた。 「いえ、なにもありません」と私は答えた。 「じゃあ、贈り物って?」 「贈りたくなったのです」 「そういうもの?」 「私は、私たちはそう思いました」 「……周子は?」 「少し、買い物に出かけています」 「ふたりから、私に?」 「そのとおりです」 「……うん。ありがとう」 あけていい、とことわりを入れて、奏さんはラッピングを開きはじめる。あわただしく用意した、ほとんど急ごしらえのそれを、彼女は数十年の別離を隔てた家族より届いた便箋の封に向けるような手つきで開いていく。金糸にふちどられた赤色のリボンは折り目ひとつなくほどかれ、白と銀の格子模様の包み紙は決して破られることなくはがされ、革の紐とややくたびれた布さえ丁寧にたたまれると、キャンバスがあらわれる。彼女はいかにも不思議そうに、ここにいる私と絵の中の私を何度か見比べて、「すごくきれい。文香が自分で描いたの?」とたずねた。 私は話した。周子さんが描きたいと言ってくれたことや、ふたり過ごした時間について。私は話さなかった。私たちの期待や、ちょっとした計画について。 奏さんは聞いてくれた。美しいほほえみを浮かべ、時おりささやかな笑い声をあげ、嬉しそうに、私たちのことを聞いてくれた。 「ありがとう。大切にするね」と彼女は言った。それから、神妙なおももちを浮かべてつぶやきはじめた。「次は私が文香を描かせてもらおうかしら。でも、なんだか不公平ね。それより……文香、私を描いてくれる? そうしたら、私が周子を……」 そのとき、寝室よりくぐもった、しかしあからさまな笑い声が聞こえた。続けて「やば」という声が聞こえたと思うと、奏さんがとてつもない速度でリビングを横切りドアを開いた。 果たして、周子さんの姿はない。 奏さんが「十、九、八……」と数えはじめると、「わかったわかりました」と彼女はクローゼットより姿をあらわし、「すいませんでした」と有無を言わせない早さで言った。 「心底思うけど、隠れる意味はあったの?」と奏さんは呆れたふうにたずねた。 「クローゼットこと? この部屋のこと?」 「どっちもよ」 「びっくりさせた方が、喜んでくれるかなって」 「サプライズ?」 「それそれ」 「ほんとは?」 「その方が面白いかなって」 「あなた、ほんとうはばかなの」 「そうかもしれん」 私は、ふたりのやり取りを眺めた。そうしていると、とてつもなく温かな、巨大なおもいが胸のうちで膨れ上がっていく様子を感じた。 私は嬉しかった。泣いてしまいそうだった。笑い声が喉もとまでせり上がり、叫びたくなるような心地をおさえることに必死だった。どこへでも行ける気がした。彼女たちのとなりから、いくつも銀河を飛び越えてたどり着く彗星の尾の先にまで、心は広がった。 これはなんでしょう、と銀河の果ての私がたずねた。 わかりません、とここにいる私が答えた。 だから描くのだ、と私は思った。
絵のなかの私は、椅子に腰かけている。ひざにストールを敷き、畳んだ書の上に手のひらを重ねている。ささやかなほほえみをたたえた横顔を薄明光線が照らしており、そのまなざしはまっすぐ前へ向けられている。 私が向く先にはただ、茫漠たる雪原のみが広がっている。しかし、私は見ている。私は目を細め、幸せそうに笑っている。私が見るものは、存外近くにあるのだとその表情が伝える。 「お手本ばっかり見てないで」と奏さんが言った。「放っておかれたら、私、いなくなっちゃうかも」 「ですが、奏さん」と私は答えた。「ものごとには準備が必要です。特に、このような場合にあっては」 「だからって、いつまでもは待てないわ」 「わかっています。もう少し……」 「がんこ。いじっぱり」 彼女はそう言って、脚を組んだ。手のひらに顎を乗せ、いたずらを覚えたばかりの仔犬みたいに、「おくびょうもの」と愛らしく吠えた。 臆病者! あなたが、それを! 私は胸がどきどきと高鳴り、息がうまくできなくなるのを感じた。彼女は私をじっと見て、うまくいったとばかりに鼻歌を口ずさみはじめた。「ちゅっちゅーちゅちゅちゅ」と、この世界のなにものよりも美しい少女が、あかい唇をとがらせほほえんだ。 しゅうしゅうと、薬缶が蒸気をあげる。 窓の外に、雪原をわたる鳥の群れの影が落ちる。 『難しいのははじめの線だけだよ。あとはもう、息をするのとぜんぜん変わらん』と周子さんは言った。『ちゃんと、奏ちゃんを見れば大丈夫』と、人生への態度をささやく母のように、絵を描くためのとくべつな鉛筆の削り方を私に教えてくれた。 私は息を吸う。しっかりと削った鉛筆を握り、キャンバスにはじめの点を落とす。 奏さん。その黄金の瞳には、女王の気高さと孤児の悲しみが同居する。けれどあなたは、私のおもいが正しいのであれば、出会ったころよりずっとやわらかく笑うようになった。黄金のかがやきはやや鈍り、しかし夜空の月のあおじろさはずいぶんと薄らいだ。あなたはコーラルピンクのドレスをまとい、波うち際でほほえんだ。あなたを照らすのは夕日でなく、清らかな朝の光だった。 奏さんはややお行儀わるいかっこうで、どこか挑発するような視線を私に向ける。そこには少女がいて、いつかうまく泣いたり笑ったりできなかった少女が、いま、いたずらにその瞳をかがやかせている。 私には、それが嬉しい。幸せになりたいと、あなたがほほえむたび思う。 私は、みずからの手がある種の霊性に駆られ動くのを感じた。はじめの線だけが難しい。けれどそのあとは。私の手は、とどまることなく動き出した。描きたい。その衝動は彗星の尾のように描くべき線をしろいキャンバスへ落とし、私はそれを追いかけ続ける雪原の野兎だった。 鉛筆のすべる音が、指先から響きはじめる。それは巡礼者の絶えることのない足音にも聞こえる。奏さんは鼻歌を、しずかに口ずさむ。それは敬虔な祈りの声にも聞こえる。私たちはそうして、この世界で最も美しい交響楽の奏者となる。 それは鳴り止まない。私たちが描き終えようと、決して。 まっしろな野に、響きわたる。
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【春仕事】薪割りと猫

今日はぽかぽか春の陽気。道端に「カンゾウ」が顔を出していました。天ぷらにするとうまい。

↑こちらは「フキノトウ」。地域によって「ばっけ」「ばっきゃ」とも呼びます。天ぷらやばっけ味噌にするとうまい。

先日に引き続き、薪割りの続きをしました。薪は約1年半にわたって使用する重要な燃料。とにかく大量にあるので、数日に分けて割り、収納していきます。

割って、運んで、積む。丸太がなくなるまでひたすらこれを繰り返します。
重労働だけれど、春のお日様を浴びて、体を動かして、春の空気を吸い込んだら、とても気持ちいい。元気が湧いてくる気がする。

↑薪用丸太の中から厳選した、なめこ栽培用の「ほだ木」。これになめこの種を打ち込んで、原木栽培しています。(2021年の様子はこちら)

↑次はお米の種の消毒です。

↑「あきたこまち」の種は消毒された状態で届くのですが、「ゆめおばこ」と「たつこもち」は未消毒なので、自分たちで消毒します。

↑お薬プールにどぼん!一晩漬けてから、本格的な「芽出し」に移行します。

作物には「積算温度(せきさんおんど: 毎日の平均気温を合計したもの )」という仕組みがあって、積算温度がある温度に達すると芽が出ます。つまり発芽のためには「毎日の気温の積み重ね」が重要ということ。

↑少しでも発芽しやすくなるように、ビニールで覆って保温します。ビニールハウス作戦。
春はいろんな作業が同時進行なので、とにかく忙しいです。次の冬分の燃料確保・田んぼの準備・畑の準備・きのこの準備などなど、やることが……やることが多い………!!!秋田黒猫屋シーズン3、がんばり中です!
■■■以下、全部猫■■■

↑くまちゃん。大好きなばばについてきました。パトロール中なう。

↑ばばの足にしっぽすりんすりん。

↑ばば、しゅき。

↑ギロリ!何見てるですか!

↑ふう。ちょっと寝っ転がろ。

↑ふう。ちょっとしっぽまっすぐにしたろ。

↑ふう。ちょっと道のど真ん中で日向ぼっこしたろ。

↑ふう。猫背だけど背筋伸ばしてきりっとしたろ。

↑くまちゃんのしっぽマフラー。

↑にゃむちゃんもパトロール出動!

↑にゃむちゃんもばばにすりんすりん。ばば大好き。

↑じゃあの。行っちゃった。

↑と思ったら、めちゃめちゃかわいいしましまの丸太ちゃんがおった。

↑ギロリ。

↑にゃむちゃんは丸太の上で日向ぼっこするのが好きです。丸太でワイルドに爪研ぎするのも大好きです。(2020年の様子はこちら)

↑にゃむちゃんのしっぽマフラー。

↑ギロリ。
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雪 と 停電 「冬が早くきて雪が降るのも早いかも」と京都 美山で稲を育ててる方からの言葉↑ 「大根の葉が長く伸びてるから 今年は雪が降るかもねえ」 美山の家のお隣に住むおばあちゃんの 言葉↑ 「カメムシが家の外壁一面覆うくらい秋には出るんですけど 今年少ないから 雪多いかもやねえ」 と言ってた美山の家のお隣のマダム↑ 人生初の積雪50センチ超え 同じ京都なのに 美山 凄いです 自然は 雪の多さを語ってた 凄いなあ そして雪の倒木による約5時間の停電 カセットコンロと プロパンガスのガスストーブで お湯沸かしたり お餅を焼いたりして ゆっくりお昼ご飯 火を見ながら作るご飯は やっぱり良いなあ 雪に大喜びの娘 足がかじかんで大泣きの娘 共に色々経験できた一日でした 暖をとること 色々経験してきました 京都の南のお家で取り付けた 初の薪ストーブ お料理も出来るし火の癒しは最高^_^ ただし街中だから 薪の確保に毎月3万円ぐらいはかかるし 初期費用も100万を超えてますから 暖房費としてどっちが良いのか?と言う旦那さん 確かに、、、 フランス語で調理できる薪ストーブのことLe poêle à bois ル ポエール ア ボワというそうです ポエールはフライパン でも女性名詞だからla ラ ポエールのはず? でも薪ストーブはle 男性名詞なの〜と教えてもらいました。不思議。 でもやっぱりこういう停電のときに変わらずにいれるっていい 兎もよる昔のガスストーブ お湯も料理もできる 髪乾かすのはやめて方がいいデス 焦げかけました まるで薪ストーブのようなガスストーブ これもお湯もわかせるし お鍋も保温できるし ユラユラ炎がみれて 結構便利幸せでした 服も乾かせました 初期費用50万ぐらいしたけど 長く愛せてるので おススメです♫ フランスの家で人生初の暖炉 フランス語でla cheminée シュミネ お部屋はかなり暖かい 石の家ならではの良さでした ガラス面はすぐ真っ黒になるから灰を布につけて湿らせて拭かないと 炎が見えなくなります ガラス面を開けるとより暖かいけど 天井がススですぐ真っ黒になります 炭で古い暖炉では お湯の保温をしてたら 煙はマシで 部屋が少し温まってました でも古い暖炉は古すぎるから使わない方がいいかもとアドバイスを受けて 薪を燃やしたことはありませんでした。 フランスのお城にあった 広いキッチンにあった暖炉 お肉を焼いていたそうです ススで真っ黒 大きい暖炉 どれだけ薪がいるのかしら? フランス ロワールの家は 湿気が京都よりは無いから 意外にもオイルヒーター1つで 部屋が温まるし 服を着込めがなんとかなる 海が近いから凍るけど積雪があまりありません パリは美山並みに(以上かな?) 寒いし雪も積もるから パリでかりたアパルトマンには 銅管にオイルが入ってるラジエーターが お部屋に着いてて 電気で温めるタイプなのか 窓際に着いてて かなり暖かい でも電気代が結構高い気がするフランス 薪ストーブから電気に変えたメオン村のマダムは 今年の11月300ユーロも電気代かかったの〜とスカイプで話してました。 美山のお家で初の導入 コタツ 頭は冷えてても 足が暖かいと割と過ごせる 底冷え京都 美山のお家のお隣のおじさまは 炭小屋があって 自分で炭を作ってられて 電気が止まった時にそれでコタツを温めるそうです。 いつも薪でお風呂もたいてられて 夕方になると煙があがっています 自然の中で暮らしてる皆さんは凄い フランスのお隣家族も薪で暖をとって生活してるから 木の伐採から薪割りもされてて チェーンソーの音が鳴り響く 雪で知った炎の暖かさと 停電の時の日々の感謝 電気に頼らない生き方をしたい でも 今話題の遠赤外線ストーブ サンラメラが欲しい 私でした https://www.instagram.com/p/CXtQDngF2boiMri-0fZYcw38tvRl48kmzo0i2s0/?utm_medium=tumblr
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