#碑文谷八幡神社
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新たなる春色
2025年、碑文谷八幡神社。
かつては大きな染井吉野が並んでいた参道だった。老木のためか伐採されてしまい、新たに桜が植えられた。付けられている札を見ると「越の彼岸」「陽光桜」となっている。
植えられた頃は若い木であったので、それほど木が小さく花は少なかったけど、ようやくたくさんの花を咲かせるようになった。
好みで言うとこの2品種の花の色はちょっと色が濃すぎる気がするけど、こうみると華やぐ参道になってきていいですね。
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"イチ"をめぐって:『犬王』作中における当道座の拠点どこやねん問題
劇場アニメーション『犬王』のいわゆる「聖地」のひとつに挙げられる当道職屋敷址。仏光寺通に面する洛央小学校の敷地内にその碑はある。のだが、この「職屋敷跡」は近世のものらしい。では中世、殊に『犬王』の舞台と思われる1370年代の当道座の拠点はどこか。インターネットで拾える情報がやや錯綜していると感じたので整理しておきたい。
関連スポットの地図を作りました。ていうかこれが伝わればだいぶ満足です。Google Mapもあるよ(https://maps.app.goo.gl/Qqe48CYHHGXKvGSi9?g_st=i)。
はじまりのイチ:『犬王』の時代の当道座はどこにあったか
まずこの問題、手がかりになる情報の多くは兵藤裕己『平家物語の歴史と芸能』(吉川弘文館、2000年)から得ることができます。岩波新書『琵琶法師』で『犬王』ファンにはおなじみの兵藤先生の単著! 現在は入手困難ぽいのででっかい図書館とか駆使して読もう。特に関連するのは以下の箇所。
第一部 第一章「覚一本の伝来―源氏将軍家の芸���―」pp.8-30(初出:「覚一本平家物語の伝来をめぐって」『平家琵琶―語りと音楽』ひつじ書房、1993年)
第二部 第三章「当道の形成と再編―琵琶法師・市・時衆―」pp.157-173(初出:「琵琶法師・市・時衆」『一遍聖絵を読み解く』吉川弘文館、1999年)
こちらを参考にすると、結論からいえば『犬王』の時代の当道座(一方派)の拠点は平安京の東市周辺だったとみてよさそう。『琵琶法師』でも言及されているように、『梁塵秘抄異本口伝集』巻十四にみえる「さめうしの盲目ども」のエピソードから、仁安年間(1166-69)の段階で東市北辺にあたる佐女牛小路付近を拠点とする琵琶法師の集団が形成されていたとみられる。その後、明石覚一を派祖とする一方派の拠点がどこに置かれたかははっきりしないけど、定一の次の代の総検校・慶一の在名が"塩小路慶一"(塩小路は東市の南辺)であることから、この頃まではまだ東市周辺に彼らの拠点があったと考えられるようです。
さらに絞り込むなら、以下は私の推測ですが、『犬王』の時代には、東市周辺でも佐女牛側(北側)ではなく塩小路側(南側)が拠点だったのではなかろうか。すなわち、先に触れた慶一の在名が塩小路であることに加え、(1)律令制の衰退とともに東市は廃れ、その東南側、七条大路と町尻小路の交差点付近を中心とする"七条町"に商工業地帯が展開すること、(2)空也と一遍が布教をおこない市屋道場・金光寺となったのは東市の南半であること(参考:リーフレット京都No.65「東西の市」)などをふまえると、慶一よりも前の世代から、一方の拠点は市の南側に移動していたと考えてよさそう。
ということで、『犬王』の時代の当道座の拠点は京都駅の北西から西本願寺の南側にかけて…くらいの場所と考えておくのがよいのではないでしょうか。(東市の位置はおおむね現在の西本願寺にあたるわけですが、2022年10月に西本願寺で『平家物語 犬王の巻』の朗読イベントやったのエモすぎません?!)
イチの痕跡:佐女牛八幡と市姫神社
現在の西本願寺周辺には当道座そのものの痕跡は残らないけれど、東市と周辺の人々に思いを馳せることができる場所はいくつかある。ここで��兵藤の��琵琶法師』でも言及がある佐女牛八幡と市姫神社に焦点をあてたい。

「さめうしの盲目ども」の拠点とみられる佐女牛八幡=若宮八幡は、東市から北東に位置する。源頼義(八幡太郎義家の父)がその邸内に営んだことに始まり、以降、源氏の氏神として深い信仰を集めた。豊臣秀吉の京都改造によって五条坂に移ったが、旧地にも小さな"若宮八幡宮"が再建されている(写真)。移転先の五条の若宮八幡には足利義満寄進の手水鉢が残る。
ほかに「佐女牛」の名を残すスポットとしては、やはり源頼義の邸内にあったとされる佐女牛井(さめがい)がある。京の名水に数えられた井戸らしいけど、第二次世界大戦後に埋められ、西本願寺の北側、堀川通沿いに跡地の碑が立つ。また、西本願寺の北西にある緑のタイルが印象的な"井筒佐女牛ビル"5階には風俗博物館が入る。平安貴族の復元衣装や人形展示が見られるけど、日祝休館でタイミングによっては長期休館もあるので注意。

市姫神社は東市に祀られた市の守護神。やはり秀吉の京都改造で河原町五条に移っている(市比賣神社)。旧地は西本願寺の寺域になっており何も残らないけど、JR山陰線を越えて西側、京都中央卸売市場の付近にも"市姫神社"がある。これは何なんやと思ったら、中央卸売市場の開設にあたって市比賣神社から分祀されているらしい。現代の市もお守りされているの、なんかいいですね。
移転先、五条の市姫社は女人厄除で有名で、マンションと一体化した入口も面白い。その西側には、やはり東市で空也と一遍が活動した市屋道場に端を発する市中山金光寺がある。非公開寺院。市姫神社とセットでこの地に移転しているわけで、東市と時衆の関係の深さがわかる。
京都観光Navi「若宮八幡」
フィールドミュージアム京都「佐女牛井跡」
京都観光Navi「市比賣神社」
その後のイチ:浄教寺と当道職屋敷跡
この文章の早い段階で、いや中世の当道座って浄教寺にあったんちゃうんかい、と思った方もいらっしゃると思うので、当道座の拠点が近世の職屋敷跡、仏光寺の北に移るまでの歩みも整理しておきたい。
兵藤の『平家物語の歴史と芸能』では、永享4年(1432)に「惣検校城存」が錦小路富小路の東頬に屋敷地を賜ったこと(『室町家御内所案』巻下)、永享9年(1437)に慶一の後を継いだ井口相一が「山法師戒浄」の屋敷を賜ったことを挙げ、15世紀初めには四条・五条の町地区へと移ったとしている。(ただ、城存は「城」の字からみて八坂方だろうし、山法師戒浄がどんな人で屋敷がどこにあったかまでは私は��べられていないです...。)
また、『職代記』には応仁の乱の際に当道の文書類が浄教寺で失われたという記載があるそうで、この頃には浄教寺に座務期間がおかれていたとされている。現在の浄教寺は四条寺町にあるけれど、これもやっぱり秀吉の京都改造で移ってきたもので、その前の所在地は五条東洞院。浄教寺は元は平重盛が小松殿に営んだ燈籠堂に端を発すると伝えられ、五条東洞院には"燈籠町"の地名が残る。なお、本来の重盛の燈籠堂は『平家物語』巻三にもあるとおり東山の小松谷にあった。現在、七条のフォーシーズンズホテル敷地内となっている"積翠園"は小松殿の庭園遺構であるとか。

近世の当道職屋敷は、微妙な位置の変化はありつつも基本的には仏光寺の北にあったらしい(職屋敷址の碑は写真の植え込みのなかにあり)。絵図から位置が抑えられるのが寛永14年(1637)から。このあたりは以下の梅田論文に詳しいです。
梅田千尋2008「近世京都惣検校職屋敷の構造」『世界人権問題研究センター研究紀要』
なお、この論文では、永禄11年(1567)の当道座宛ての禁制文書の宛先が「四条かんこく惣けんぎやう町」となっていることから、戦国期には四条の函谷鉾町が拠点だったのではという指摘もされてる。
さて、ここまでつらつら書いてきましたが、『犬王』作中での描かれ方をみると、ラストの友有疾走シーンが四条室町っぽい(通りの描写の参考にしたと思われる国立歴史民俗博物館の復元ジオ��マがここ。洛中洛外図屏風が描かれた頃の繁華街)ので、イメージとしては四条の街なかに位置していると捉えてもいいんじゃないかなと思います。平安・中世の東市周辺にしても、中世後半〜近世の四条・五条にしても色んな人がごちゃごちゃいて新しい音楽が生まれるのにふさわしい場所だったことは確かそう。私は劇場アニメーション『犬王』の、都市の物語でもあるところが大好きです。
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一早訓醒看到市內景觀還不錯。

今日會開始遊走山口県,県內景點之間既距離唔算遠,時間尚早就去酒店附近既資さんうどん 幸神店食早餐。

早餐都有唔少選擇。

清早時間人流不多。

雖是清早但已有關東煮在等客人。

關東煮夠入味,唯獨蘿蔔不夠軟淋。

蜆肉湯帶鹹鮮。

米香白飯跟簡單配菜已夠吸引,而牛肉烏冬也十分滑溜。


上網剛好見到麵包店シロヤ 黒崎本店剛開門,去到已見有人在排隊。

開業超過70年既シロヤ不賣隔夜麵包外,也只用高級麵粉但定價卻是出了名的低廉。

既然如此也支持一下,買個名物煉乳法包サニーパン試下。

一旱已食到咁飽就先開車到THE OUTLETS 北九州行下。

呢個係新開既outlet,店��都唔少。

除左商店重有俾小朋友放電既設施。

買左俾主子既玩具後,行左一輪都冇收鑊,決定開車直上山口県。

第一站先食午餐,來到人氣旺盛既川棚本館。川棚本館既本館係修復過既過百年建築,去到已經有唔少人在本館等候。


等檯時樹下走出親人白貓。

人太多之下決定轉去後面既川棚南本館用餐。

出品應該跟本館分別不大吧。

上檯一刻見到大舊麵團放係一大塊燒熱既瓦片上都幾震撼。

麵身有點咬口但冇味道,配埋肉片同醬汁同吃就感覺不錯。

吃到底部燒得較乾既麵口感香脆。

食完麵向下一景點進發,途中經過道の駅「北浦街道 豊北」就落去shopping一下。


呢個道の駅可能因為近海,有唔少海鮮同海膽有關既產品手信。

唔睇清楚以為係海狗丸之類既野。。。原來又係海膽。

室內有位置供遊人買杯飲品坐低睇下海景。

三月天氣和暖,直接走到室外睇海景更寫意。

隔離有個小山丘,原來係個古墓。

係上面可以一覽整個海灣景色。

離開道の駅再向北不遠處就係角島大橋。角島大橋係不少汽車廣告及日劇拍攝地點。

望住海岸風景加上藍天白雲,構圖的確美得令人出神。角島其實其都有景點,但時間關係只可係展望台上欣賞一下影張靚相。


下一站係元乃隅神社。

神社錢箱位置竟然放係入口牌坊上,遊人想捐獻都要花力氣將銀幣扔上去。

神社放上123座鮮紅色既鳥居,用來保佑漁業同海上安全。

鳥居依山而建。


鮮紅色鳥居跟海天融成一體。
睇完神社已不早,係時候去今晚住宿既溫泉旅館大谷山莊。大谷山莊位處湯本溫泉區,鄰近長門市約15分鐘車程,而長門湯本溫泉已是六百年祕湯,係山口県內最古老既溫泉。

天皇和總理大臣亦曾到訪這裡。其實附近都有另一間星野集團既界長門溫泉旅館,不過論口碑及受歡迎度似乎大谷山莊更高人氣。

大堂氣勢及等候區景緻令人眼前一亮。

店內通道都裝修得一絲不苟。

不過最驚艷係房內望出去既景色,是到訪過溫泉旅館之中最美之一。

景色美得像一幅風景畫,係唯一一間景色可以跟富士山景色分庭抗禮。

浸一浸溫泉先再去樓下享用晚餐。

晚餐區在一樓。

今晚既餐單。


晚餐先來前菜刺身。

沙律加入河豚肉刺身幾特別。

鍋物中牛肉味濃油香十足。


煮物及炸物味道剛好也對口味。

白飯米粒飽滿帶米香,真係幾飽都要食。總括來說出品唔算大堆頭,份量剛好味道可以。

今晚既宵夜會開車出長門市既居酒屋道くさ。

小店格局好有小型家庭式居酒屋既感覺。

串燒做得不錯,香口又唔會太乾。

燒雞翼看似較乾,吃著卻皮脆肉嫩。

燒蠔是估不到的美味。

蠔身飽滿蠔味濃郁,入口蠔味在口中爆發。

坐到9點左右就埋單,因為book左旅館既9點半觀星時段。

上到頂樓坐低飲杯野,等上一時段既客人完成後就可入埸。

山莊頂樓呢個穹頂建築內,就係天文望遠鏡收藏既地方。

穹頂打開後,加埋天文望遠鏡成件事好有氣勢。從開始到尾都有專人講解同指導,一行人又可以輪流觀星,雖然聽唔明但都係十分好既體驗。
資さんうどん 幸神店
福岡県北九州市八幡西区茶売町3-5
093-644-6788
シロヤ 黒崎本店
北九州市八幡西区黒崎2丁目6-15
093-621-4688
THE OUTLETS 北九州
福岡県北九州市八幡東区東田4丁目1番1号
093-663-7251
川棚本館
山口県下関市豊浦町大字川棚5437
Tel : 083-772-2680
道の駅「北浦街道 豊北」
山口県下関市豊北町大字神田上314番地1
TEL 083-786-0111
角島大橋
山口県下関市豊北町大字神田 角島展望台
元乃隅神社
山口県長門市油谷津黄498
0837-22-8404
大谷山莊
長門市深川湯本2208
0837-25-3221
居酒屋道くさ
長門市東深川911
083-722-4538
2023日本山口県自駕遊第一日
飲食資訊由熱新聞提供 原文連結: 2023日本山口県自駕遊 第2日 (北九州市THE OUTLETS 川棚本館 角島大橋 元乃隅神社 大谷山莊 ) 更多相關內容

2022韓國自由行自駕遊第五日 (仁川)

迷你黑洞 迷你黑洞愛吃,愛睡,愛煲劇。 工作最大的動力就是吃東西,去旅行。任何關於美食。旅遊。烹飪。生活點滴的事與物都不能錯過喔!
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Part3 碑文谷も初参加だったんだけど、同い年の子が友達とかとめっちゃ繋がってて驚き! 世間って狭いw 3日間本当に充実した~ 今週末もワッショイワッショイ! 頑張ろww #祭 #祭り#まつり #お神輿 #神輿 #わっしょい #Festival #Mikoshi #例大祭 #例祭 #大祭 #煌志會 #めうがや #江戸一 #丸五 #中屋 #赤坂氷川神社 #碑文谷八幡宮 #碑文谷八幡 #金王八幡宮 #金王八幡 #恵比寿 #Ebisu #渋谷 #Shibuya #碑文谷 #月光町 #学芸大学 #学大 https://www.instagram.com/p/B2dsDn5FGnV/?igshid=wfszs54mvp2v
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#碑文谷八幡宮 桜新町から🚌があるので碑文谷警察署前から歩いてこちらに。ここも桜🌸の参道が隠れ見どころとして有名な神社😊 やっとこちらも参拝できました。 御朱印は社務所なんですが、インターフォン鳴らすとしまってても出て来ていただけます。 御朱印は全部ハンコでしたが、桜のシールを付けていただけました✨_ _______ 創建年代は不明。 鎌倉時代の #源頼朝 の家臣であった #畠山重忠 の守護神を、その家臣だった #宮野左近 が祀ったのが始まりとされる。本殿の右手に稲荷社が鎮座しているが、こちらは、重忠の家臣: #榛沢六郎 を祀ったもので、この地域 #碑文谷 の名の起こりとも言われている。 #東京都 #目黒区 #碑文谷 #八幡 #神社 #御朱印 #ご朱印 #ゴシュコレ #CASIO #EXILIM #ZR1600 (碑文谷八幡宮)
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杨东泽的诗:西部五十首 (其二)

杨东泽,(Yang Dong Ze,1993-)中国当代诗人、专栏作家、90后诗歌锐评人。发表后作品部分收录:公众平台“东泽先生”及 tumdlr博客“诗人杨东泽”。
那拉提草原(记伊犁)
毡房外驼铃声响起,哈萨克人
我知道,远行的你沿独库公路归来
古尔邦节将至,杏花虽已开过
但蜂箱里的蜜依然香甜
在伊犁的那拉提山下,烹羊宰牛
有多少人盘算着远走他乡
把手抓羊肉带到七水之外的部落
到头来,总还是没走出这片草原
姐姐,那拉提的空中草原醉美
哈萨克族人在这的河谷,割礼抢亲,喝茶吃肉
油炸着包尔萨克,带上冬季挤下的马奶
他们在草原覆盖连绵的山谷处等你
姐姐,你说这里有清澈的鞏乃斯河
你说这里是瑞士
你说这里草原的牧草
每一颗都可以最先看到太阳
毡房外驼铃声响起,姐姐
今夜你从远处归来
烹羊宰牛,我把最肥的羊作为聘礼
——杨东泽2022年07月03日于新疆伊犁那拉提
独山子(记克拉玛依)
越过草原,穿过高山
我们在千年的冰川上滑雪
看戈壁滩下奶白色的天上圣湖
从悬崖绝壁的河谷里走来
带着暴雨和雷电
在独山子的峡谷公路上
以两百公里的时速追逐夕阳
于是影子便成了我们的伴侣
独山子晚上十点的黄昏
城里有彩虹,险崖边有咖啡
街道上有新疆的拉皮子和大盘鸡
越过草原,穿过高山
独山子晚上十点的黄昏
带着暴雨和雷电
忘不了圣湖山上的雪,忘不了险峻的高峰
你说今天我去夜宿奎屯
——杨东泽2022年07月04日于新疆克拉玛依市独山子区
乌鲁木齐城记
乌鲁木齐,我为你流浪
我是远方来的开普达(鸽子)
流浪在天桥边,喝着卡瓦斯看着阿凡提
流浪在你雅玛克里山,吃着烤肉看着日落
我在天山脚为你弹起热瓦普
乌鲁木齐 从库车县到那拉提
从伊犁河谷到迪化城,他们叫你
优美的牧场,我愿称你为中亚的彩虹
乌鲁木齐走,我为你流浪
往北走,往北走
国际大巴扎里有我想念的尕妹
我流浪在二道桥,流浪冬不拉
优美的牧场,我愿称你为乌市
我愿称你为中亚的彩虹
——杨东泽2022年07月05日于新疆拉萨国际大巴扎
达坂城记
日子日子慢慢老去
他们说你是一片戈壁
而你和我,已然远在天际
传言你的大风吹翻了火车
达坂城,你在干嘛,你在干嘛
快给我讲述你的过去
戈壁,黑羊, 白高粱、托克逊拌面
他们说去你的一路全是白色风车
达坂城,达坂城
你古城墙头石头高堆
你的葡萄又大又圆
是天山山脉审视人间的眼睛
黑石堆出了克尔咸自来井的信仰
达坂城,达坂城
吐鲁番盆地的白高粱黄了
去你的一路全是白色风车
而你和我,已然远在天际
——杨东泽2022年07月05日于新疆拉萨达坂城区
哈密城记
我从吐鲁番,吃着葡萄干
穿过满是果实的葡萄架和晾干房地方
烤着火焰山七十度高温(听说那里有个大温度计)
过坎儿井,到哈密
啃���便宜的西瓜
吃最好的哈密瓜(香且糯)
哈密城,除了古老的回王府
还有最全的满汉全席(奇石做成)
有优美的黑走马舞蹈、木卡姆文化
和最爱吃酸奶的最可爱的你
千沟万壑,沙石遍地
我在东天山上看
看巴里坤湖边大草原,看无际雅丹魔鬼城
我从吐鲁番,穿过
满是果实的葡萄架和晾干房地方,到哈密
吃最香且糯的哈密瓜,看优美黑走马舞蹈
亲爱的,从伊吾国东进
今日我们便要离开新疆
——杨东泽2022年07月06日于新疆哈密回王府
德令哈城记
德令哈,你离逝去诗人太远
在今夜,又离我太近
我从你的外星人遗址,再到你的大街
我从你的百年烧烤店,再到你的客栈
今夜,我在德令哈,寻找一切生长的东西
寻找石头里的石头,寻找青稞芽下的青稞
德令哈,四十年前火车,你还在开
几年前的轻轨,却已废弃
白云下的羊群,翠湖旁的草甸
德令哈,我在你的初晨出走
在你的沼泽地边,在你的白昼里,
今夜我在德令哈
——杨东泽2022年07月08海西蒙古族藏族自治州德令哈市
青海湖记
我曾经到过青海湖
我曾经到过青海
见过草原上的经幡
见过落日从帐篷的纱窗上滑落
蒲公英随风,飞鸟与土拨鼠欢唱
青海湖边,我是从拉萨出走的六世达赖
为了心里的信仰,永不下雪域
我愿在高原上与西海的湖神相伴
循入那神秘幽深的湖底黑洞
指挥着回游的每只湟鱼前行
听仓鼠与与牧民畅聊
在佛国的异域,在错温布
每当油菜花开放,每当草原上的青稞成熟
我便是日月山下海心岛里的活佛
我愿地当灶,土为锅 ,让蜜蜂飞满湖畔
佑护着我雪域高原上的虔诚的信众
我愿再次隐下我的身后无形的脚印
——杨东泽2022年07月08日于青海海南藏族自治州青海湖畔
西宁城记
我明晃晃把青海湖,当作了家乡
青稞,草原,油菜,雪山
常常在欢乐之时,久久地凝视
青藏高原,我看不惯雪山大河
看不惯风沙大漠,唯独却看开了离别
披星戴月地奔波,一个个
一样样都从身后流走
昨日宿在德令哈
今夜便已在青海湖边伤感
月光把爱恋洒满了湖面
两个人的篝火 ,照亮整个夜晚
旅途中,我愿写着诗催��人入眠
坐着或躺着,成为帐篷里唯一的人
愿把我的磨牙声声与她分享
听鼠,听浪,听夜鸟在沼泽地流放
在青海湖边,我的一切
就是让我的诗句沸腾,这耗尽了我的生命
也衰老了你的容颜,但是帐篷里的人啊
今夜微凉,要把睡袋扎牢
——杨东泽2022年07月09日于青海西宁兴海路美食街
敦煌月牙泉
今夜我月下独行
不想山,不想水,不想沙漠
只愿在敦煌,只愿在月牙泉边
夕阳西下,穿街过市,骑骆驼而去
在芦苇荡里放歌
——骆驼儿啊你慢些走,慢些走
闲庭信步,在月牙阁里温老酒一壶
月红如血,酒烈如刀
长廊里流水曲殇,邀姑娘,笑谈风月
月下对饮,风沙如酒
一半敬你,一半独酌
鸣沙风吹,酒杯坠地
在无尽的黑夜里,我们起死回生
再一起从鸣,沙山丘边滑落
——杨东泽2022年07月07日于甘肃敦煌
兰州城记
往事匆匆,你被别人视为过客
我在人群中,追随你的背影
了解,一张旧报纸,书写种种过去
这铁桥边,埋藏多少辛酸往事
蓦然回首,多少繁华是我
白塔山下,流水声声,你的心越来越寂寞
但你可记得雪山下,那一坛白色湖水
我们流连忘返,在班公湖边
这一生一世,你突然出现
燕子归来,玫瑰再开,有太多来不及
你来我的怀里或我去你的心间
王权富贵,戒律清规,时间太短
月光撒在索道上,我沿黄河岸往事匆匆
徘徊在白云观边,把古老的歌谣轻唱
千缕万缕的愁绪,除了寂寞,谁又能将我挽留
——杨东泽2022年07月09日于甘肃兰州中山桥
过西秦岭记
绿水悠悠,白龙江,你最近好吗?
天色渐暗,人们开始等待,开始分别
深夜里,我不知道去往何方
不知道还有多少爱恨离别
当汽车慢慢驶过大山
驶进秦岭深处,看着窗外
微风吹动脸庞,那姑娘已经睡着
独留我,诸葛亮的复国大计中
我曾在白龙河边歌唱
悲伤的,难过的,疲倦的
都唱给西秦岭听
眼泪低垂,灯火阑珊,直到天明
绿水悠悠,白龙江,你最近好吗?
风吹过来,谁爱了你独一无二的灵魂
——杨东泽2022年07月10日于甘肃陇南城关镇
��人物(重���城记)
嘉陵江边,我是一个掉队的小人物
渴望,迷茫,抗争,无奈
歇斯底里地向着朝天门呐喊
爬梯过坎,上解放碑,下洪崖洞
在凛冽的风中,站在一座座连通心脏动脉的搭桥
茫茫然,承受不了大城市的繁华
在不断的坚守中慢慢失守
在不断的合群中慢慢被边缘化
社会也好,友情也好,爱情也好,亲情也罢
我随着整个社会迷失了自己
四处寻找出路,在十八梯做他们嫌弃的棒棒
金钱祟拜的整个社会我无力的迷失了自己
春去春又来,在长江边,在磁器口
我是一个无人注意的人
那些年,那些事,那些人,那些梦
撞倒了我,忽略了我,然后辗过了我
嘉陵江边,我是一个掉队的小人物
爬梯过坎,上解放碑,下洪崖洞
四处寻找出路,在十八梯做他们嫌弃的棒棒
春去春又来,在长江边,在磁器口
我是一个无人注意的人
我就是那个在时代变迁中的小人物
—-杨东泽2022年07月11日于重庆解放碑
梵净山记
我是一条鱼
在梵净山清澈见底的河谷里闲荡
每日吃斋念佛,日日涉台阶而上
年复一年,日子浑浑噩噩
有时走错方向,有时忘记了天凉
向上向上,石阶石阶
有人中途放弃,有人累弯了腰
有人在山顶上乘凉
我是一条鱼,每日在梵净山吃斋念佛
有时走错方向,有时忘记了天凉
但是我从未怀疑,他说梵净山会有神仙
——杨东泽2022年07月12日于贵州铜仁梵净山
记西江千户苗寨
我从木房乌瓦处,沿青石板路向前
千户苗寨,第一次
我从一个苗族姑娘那里听得
苗寨里的姑娘,她说她最喜欢贵州
喜欢贵州的苗寨,那里密密麻麻
过白水河,跨风雨桥
今夜我在稻草里寻找泥鳅
把往逝者装进木桶,曾经我们在夜郎相遇
世事变迁,如今
她已为人妻,她已为人母
脚上乌皮肤是否消除,是否到过西江
是否如我般到中心剧场
是否听苗歌伴着芦笙,是否看苗舞响着银饰
一切一切,我无人知晓
斗转星移,今晚
我也有陪我在西江里闲逛的姑娘
酸汤鱼把她养得那么又美又壮
能在舞台上既歌又舞,也能下稻草里插秧
白水河畔,我也曾在这河边成长
今夜,我想留住你的容颜
又怕这世间怨我是那多情的情郎
——杨东泽2022年07月13日于贵州黔东南西江千户苗寨
荔波小七孔
他们都说你是世界遗失的绿宝石
他们都说你是人间的秘境
可是啊,你这水,你这桥,红尘如顾
心便也陌路了,今夜除去疲惫,于我只剩下孤独
响水飞瀑,我怀着莫大的悲悯之心
今夜到你的六十级跌水瀑布
在樟江边谋划一场不甘平凡的逃亡
在瑶山镇,寻找灵魂的出路
荔波,万水千山,远渡重洋,可是啊
到了你的大小七孔桥,我却觉离你越发遥远
卧龙潭边,白银滩前,我向你呐喊
我向你抱怨,走在流水的前列
亦或追逐潮头,如何在山水间安放自己
拉关的水,翠谷的风,曲终人散,我也未能知道
他们都说你是世界遗失的绿宝石
你这水,你这桥
今夜除去疲惫,于我只剩下孤独
卧龙潭边,白银滩前,我向你呐喊
曲终人散,我却离你小七孔桥越发遥远
—-杨东泽2022年07月14日于贵州荔波小七孔镇
柳州城记
弯弯的柳江,高高的马鞍山
风尘仆仆的来,风尘仆仆的去
在柳州,行色匆匆,行千里的人
如愚溪先生,不想闻河东的病事
还记得那年,孤身留在远方
对别人的爱卑微到骨子里
大大小小的机会于我如彩票般缥缈
可是,这便耗尽了我人生
我也曾从满是螺蛳粉店的古街道走过
行色匆匆,在苦凉的夜里睡过天桥
一日三餐,吃着最便宜的食粮
住着廉价的出租房,坐最便宜的公交
流水线的工人,他们称我为打螺丝的人
孤身留在远方,对别人的爱卑微到骨子里
一日三餐,吃着最便宜的食粮
坐最便宜的公交
——杨东泽2022年07月15日于广西柳州
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【富山県謡曲古跡めぐり呉西編】2��目2箇所目 2021/3/23・4/4
能「木曾」
埴生護国八幡宮 《富山県小矢部市埴生》 木曽(源)義仲が埴は生にゅう八幡の加護によって越中砺波山に陣取った平維盛が率いる平家の大軍を、世に名高い火牛の計をもって打ち破り大勝。その経緯を題材にした能「木曽」から一部〝願書〟だけを取り出したもの。底本は平家物語巻第六条第63句〝木曽の願書〟で、義仲が陣中で祐筆の智将・大夫坊覚明に命じて書き上げ、埴生八幡の神前に献じて読み上げた願書。流儀では安宅の〝勧進帳〟、正尊の〝起請文〟と共に〝三読物〟として重く扱われる。原本は今も什じゅう宝ほうとして埴生八幡宮に保管されている。|地図番号⑳|22熊くま坂さか(能シテ佐野玄宜〈蔦玄会主宰〉)ゆかりの地・○石加賀市加賀I・C近く○福あわら市金津I・C近く熊坂長範は、石川五右衛門と並んで歴史上の代表的な盗賊とされるが、伝説的な人物で能では本曲と「烏帽子折」に登場し、「熊坂」は美濃国の赤坂・青墓・垂水辺りを根城とした大盗賊の最後を描いた尾キリ能。悪党��も義賊とも評価は区々、原典は「義経記」など。この長範の出自は勿論定かではないが、曲中に〝加賀の国には熊坂の長範究く竟きょうの痴しれ者もの〟とあり、加賀と越前の国境に牛ノ谷峠を挟んで熊坂という集落があって、この地を出身地とする説が伝承され、今も亡霊が出没すると伝わるが、古蹟らしきものは何もない。地獄谷硫黄の噴煙で荒涼とした谷(S42.8)埴生護国八幡宮と駒札(H14.6.28撮影)加賀熊坂 加賀I・C近く(H26.10.10撮影)越前熊坂 金津I・C近く(H26.10.10撮影)
国道八号線で石川富山の県境の倶利伽羅トンネルを抜けると小矢部市石動に入ります。すぐ陸橋を渡って小矢部インターへ出る道を行くと、五分で「埴生」という村にでます。高速小矢部インターからだと、インターを出て左へ曲がり小矢部市の方へ一直線。突き当たりが埴生の村です。 この村の真中に八幡宮があり「護国八幡宮」とも言われています。戦勝を祈って神に願書を捧げる、謡曲「木曾」の舞台となっているのがここです。
木曾義仲戦勝祈願の図 きそよしなか せんしょうきがんのず 宮縁起によれば奈良時代養老年間に宇佐八幡宮の御分霊を勧請【かんじょう】(お迎え)したのに始まり、天平時代に越中の国守大伴家持が祈願したと伝えられる。天平時代の末、寿永二年(1183)五月木曾義仲は埴生に陣をとり、倶利伽羅山に二倍の軍勢をしく平維盛【たいらのこれもり】の大軍と決戦するにあたって当社に戦勝を祈願し、八幡神の霊験を得て大勝利を果たした。このことは、平家物語、源平盛衰記、謡曲木曽など多くの古典文学の中に語られている。
佐々成政や、武田信玄、豊臣秀吉など戦国武将の信仰も篤く加賀藩前田家によって建てられた社殿は 大正13年に国宝となり、現在は国の重要文化財に指定されています。
戦いの中で、絆を深め、永遠の愛を誓った義仲と巴御前の絵馬に願いを込めれば 「恋愛成就」「勝負運」もアップしそう。
寿永二年五月、利伽羅峠で平惟盛との合戦前に、木曾義仲はこの神社に願書をあげ戦勝を祈願しました。以来武将の崇敬厚く今の社殿は前田氏の寄進で重要文化財です。宝物殿があり願書などが見せてもらえます。後ろの山が源平の古戦場で、ドライブウエイが通じています。巴塚・葵塚などあり惟盛本陣跡の猿ガ馬場に「義仲の 寝覚の山や 月かなし」の芭蕉の句碑があります。八重桜の名所です。宝生流では残念ながら能は廃曲になり謡曲「願書」だけが三読物として残っています。
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六郷満山文化散策
六郷満山文化散策コース 熊野磨崖仏、富貴寺、真木大堂など田染地区内の文化財を地元ガイドが お客様のご希望に合わせてガイドいたします。 地元ガイドならではの 案内で、千年の歴史が息づく六郷満山文化を肌に感じることができます。 今回ご紹介する場所 【真木大堂】 真木大堂の名で知られる馬城山伝乗寺(まきさんでんじょうじ)は、大分県豊後高田市田染真木にあり、国東半島に点在する天台宗の寺院と同様に、八幡神の化身であるとされる 仁聞菩薩により養老2年(718年)に開基されたと伝えられています。 当時は六郷満山最大の寺院として、僧達が修行に励む長講所であったと伝えられています。 江戸時代の建物である本堂とは別に、昭和40年代に新造された収蔵庫内には、平安から中世にかけて花開いた六郷満山文化の栄華を色濃く残す本尊阿弥陀如来坐像、 不動明王立像、大威徳明王像、二童子立像、四天王立像の9体の平安仏が残されています。 旧本堂 永い間仏像を安置してあった真木大堂旧堂で江戸時代のものとされています。 本尊他仏像は収蔵庫に移されていますが、正面には国東半島では極めて珍しい木造の仁王像が今もお堂をお守りしています。 古代公園 国東半島には六郷満山文化の遺産として国東塔、宝筐印塔(ほうきょういんとう)、庚申塔(こうしんとう)、五輪塔、板碑、石仏等多くの石造文化財が残されています。 これらの文化財は半島全域の寺院や山岳地に散在している為手軽に観賞する事が出来ないので主に市内田染や河内の方々のご協力により真木大堂内の園地に遷仏しています。 【富貴寺】 富貴寺は、平安時代に宇佐神宮大宮司の氏寺として開かれた由緒ある寺院です。 なかでも国宝に指定されている富貴寺大堂は、宇治の平等院鳳凰堂、平泉の中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつであり、現存する九州最古の木造建築物です。 堂内に収められた本尊の阿弥陀如来像も国重要文化財に指定されており、日本四壁画の一つとされる阿弥陀浄土変相図は、極楽浄土の世界を描いているとされています。 富貴寺には、久安3年(1147年)の銘のある鬼神面があり、このころまでには寺院として存在していたと思われるが、 それ以前の詳しいことはわかっていない。宇佐神宮大宮司・到津(いとうづ)家に伝わる貞応2年(1223年)作成の古文書のなかに 「蕗浦阿弥陀寺(富貴寺のこと)は当家歴代の祈願所である」旨の記載があり、12世紀前半 - 中頃、宇佐八幡大宮司家によって創建されたものと推定されている。 現存する大堂は12世紀の建築と思われ、天台宗寺院にしては、浄土教色の強い建物である。富貴寺を含め六郷山の寺院では神仏習合の信仰が行われ、 富貴寺にも宇佐神宮の6体の祭神を祀る六所権現社が建てられていた。 天正年間(1573年 - 1592年)、キリシタン大名大友宗麟の時代に、多くの仏教寺院が破壊されたが、富貴寺大堂は難をまぬがれ、 平安期の阿弥陀堂の姿を今に伝えている。 田染の荘 国東半島の西側にあたるこの地には田染郷があった。 743年の墾田永年私財法などによって、開墾した田畑の私有が認められるようになると、田染郷でも雨引神社や宇佐神宮によって水田が開墾され、11世紀前半には田染荘が形成された。 やがて田染荘は宇佐神宮に支配されるようになり、宇佐神宮の「本御荘十八箇所」と呼ばれる荘園のひとつとして重視された。 田染荘の小崎地区には、国東半島の谷筋にあるため、狭隘な谷間に細かく区画された棚田が形成されている。 この景色は、平安時代あるいは鎌倉時代から集落や水田の位置がほとんど変わらずに残されているものであるという。 現代に入っても、田染荘の景観を維持・保存する努力が続けられている。2010年には「田染荘小崎の農村景観」の名称で国の重要文化的景観として選定された。
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お囃子 #tokyo #東京 #japan #日本 #landscape #鐘 #太鼓 #笛 #shrine #神社 #architecture #お囃子 #雅楽 (碑文谷八幡宮) https://www.instagram.com/p/BvqhzX1H24q/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=v6xn298avmgb
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2020
世界遺産、奈良・薬師寺。 穏やかな年の瀬を迎えました。 本尊は薬師三尊像。体や心の病気を癒やす仏様です。 1300年間人々の祈りを受け止めてきました。 薬師寺で、奈良時代から 変わらない姿を残している建物が東塔です。 柱や瓦などをすべて解体して修理を行い 先月、8年ぶりにその姿を現しました。 (除夜の鐘) 奈良時代の姿を取り戻そうと これまで復興の取り組みを進めてきた薬師寺。 人々の静かな祈りが復興を支えてきました。 新年を写経で迎えようという人々が大勢集まっています。 写経とともに納められたお金は建物の復興に充てられてきました。 つづられた写経は50年で870万巻に上ります。 (除夜の鐘) 奈良時代から令和の世へ。 祈りをつなぐ鐘の音です。 (除夜の鐘)
千葉県成田市にある成田山新勝寺です。 ことし、千葉県は大型の台風に 相次いで見舞われました。 新勝寺でも、本堂の屋根が剥がれるなどの被害が出ましたが なんとか修復を終えました。
こんばんは。 2019年は皆さんにとって どんな年だったでしょうか。 ことしの「ゆく年くる年」はここ新勝寺から全国各地を中継でつないでお伝えします。
こちらは東京・渋谷に先月開業した、地上47階建て 渋谷スクランブルスクエアの屋上です。
大みそかのきょうはカウントダウンイベントが行われています。
そして見えてきたのが先月、完成した国立競技場。 東京オリンピックパラリンピックのメインスタジアムです。
次は平成から令和になったことし 一躍、話題となったあの場所です。
こんばんは。 新元号・令和ゆかりの地として注目された坂本八幡宮です。 10時を過ぎてから参拝する人の姿が 多くなってきました。 新元号が発表されてから1000人以上が訪れる日もありましたが多くの人が 記念撮影をする場所が、こちら。 令和の石碑です。 元号・令和のもとになった「万葉集」に出てくる、うたげが この近くで開かれたとされ10月には、こうして記念碑も作られたんです。
令和初めての年越しに向けてにぎわいが増しています。 ことし自然災害が相次いだ日本。 ここ千葉県館山市の布良(めら)地区では9月の台風15号で記録的な暴風に見舞われおよそ8割の家屋が損壊しました。
地区にある布良崎神社では屋根が崩れ 傾いた拝殿を柱などで支えています。
倒れてしまったご神木。
そうした中でも地区の人たちはここで新年を迎えようと集まってきています。 拝殿に置かれているのは人々が100年にわたって担ぎ続けてきた神輿です。
倒壊した倉の下敷きになり壊れてしまいました。 ほとんど無傷で残ったのが子どものために新調したばかりの小さな神輿でした。
大きな神輿がわが子をかばうように小神輿を守ったのです。
「なんとか未来を守ってくれた」。 そう考えた布良の人たち。
倒れたご神木で札を作り寄付を募ることにしました。人々の決意が木札に刻まれています。
境内には新しいご神木を植えました。 復興を誓い、新年を迎えます。
山口県下関市です。 古くから韓国のプサンとを結ぶ玄関口にもなってきました。 日韓関係の悪化によりフェリーでやって来る韓国からの団体客がほぼいない状況が続いています。
下関には、およそ3000人の 在日韓国・朝鮮人の人たちが住んでいます。 その信仰を集めている韓国仏教寺院の光明寺です。 天井からつるされたはすの花を模した飾り。 信仰心を表す韓国の伝統様式です。 祈りをささげる本尊は日本でも、なじみ深い阿弥陀仏像です。 地域の人たちと親しい関係を築いてきた皆さん。 日本人と韓国人どちらの気持ちも分かる。 日韓の交流が細くなるほど心が痛むと言います。 (除夜の鐘) 平和の大梵鐘(だいぼんしょう)
ソウルオリンピックが開かれた31年前に韓国で造られました。 ハングルの「ピョンドゥン ピョンファ」。 意味は「平等と平和」。 願いを込めた鐘の音が下関の街に響きます。 (除夜の鐘)
年越しを待つ各地の様子を見てきました。
この1年、本当にさまざまなことがありましたが なんとか、穏やかな新年を迎えたいと願う 皆さんの姿が印象的でしたね。 成田山新勝寺ではこのあと寺の本尊にちなんだ歌舞伎の技が披露されます。
本尊の不動明王は厄よけの御利益があるとされ 1000年以上前から 信仰の対象となってきました。 左右の目はそれぞれ天と地を見つめ すべての人を救うとされています。
この表情を表したのが歌舞伎で演じられる、にらみ。 このにらみを見ると、1年間健康でいられるといわれています。 披露するのは歌舞伎俳優十一代目・市川海老蔵さんです。 先祖の衣鉢を力草に型ばかりではござりまするが ひとつ、にらんでご覧に入れまする。(つけ打ちの音) 市川海老蔵さんによる にらみでした。続いては、京都・知恩院です。
えーい、ひとーつ。えーい、ひとーつ。 そーれ。 (除夜の鐘)
京都は時折、小雨の降る除夜となりました。 浄土宗総本山、知恩院です。 重さ70トン、直径2.8m。
日本最大級の鐘を17人の僧侶がつきます。
この1年の人々の悩みや苦しみを打ち払おうと 心を一つにします。えーい、ひとーつ。えーい、ひとーつ。 そーれ。 (除夜の鐘)
浄土宗を開いたのは法然上人です。 南無阿弥陀仏と唱えれば 誰でも救われる。 その教えは800年間 人々の心のよりどころになってきました。
ことしも数万の人々が鐘がつかれるのを一目見ようと 長い列を成しています。
2020年が希望に満ちた年になりますよう ことし最後の鐘です。
えーい、ひとーつ。 えーい、ひとーつ。 そーれ。 (除夜の鐘) あけましておめでとうございます。 2020年の幕開けです。 新勝寺では年越しの瞬間に歓声が上がりました。 カウントダウンで盛り上がりましたよ。 そして、皆さん一斉に本堂に向かって 進んでいます。初詣が始まりました。 この三が日だけで300万人以上の参拝者が訪れるということです。皆さん、どんな思いで新年を迎えたんでしょうか。 それでは全国各地の新年の様子を見ていきましょう。
北海道上富良野町です。 ラベンダーの町、農業の町として全国的に知られています。 現在の気温はマイナス8度。 スキー場のゲレンデを赤く彩るのは、北の大文字です。 町を盛り上げようと 商工会青年部が33年前に始めました。 大文字を見ないと1年が始まらない。 そう話す人たちも増え今では新春の風物詩です。
(太鼓の音) 祭りを盛り上げるのは太鼓の響き。 高校や大学進学を機に町を出る人も少なくありませんが その一方で豊かな自然に憧れ町に移り住む人も多くいます。 その一人、札幌から移住してきた西尾奈緒さんです。 夫と有機野菜を作っています。 地元の農家に一から農業を教わった西尾さん。 今では、町の未来を担う一員になっています。 新しく町に来た人と 地元で生まれ育った人たちをつなぐ、大文字の炎です。 300本のたいまつに火がつきました。 (花火の音)
豊作になりますように。 町が、にぎわいますように。
炎に希望を託し新しい年が始まりました。
再び令和ゆかりの地にある坂本八幡宮です。
年が明けてからも参拝者が 続々と訪れています。ここは宮司の常駐していない 小さな神社です。急増する参拝者の対応に 奮闘してきたのが地元の氏子会の皆さんです。 こちらの社務所も急ごしらえで建てました。 御朱印や、お守りも去年、初めて準備しました。
多くの方は60代以上です。 せっかく来られた方々に少しでも満足して帰ってほしいと 精いっぱいもてなしを続けてきました。 氏子会会長の木原一臣さんです。こんばんは。 ことしはどのような1年にしたいですか。
氏子会といたしましても 今後、若い人に引き継ぎまして 末永く、このお宮を 守っていきたいと思っております。
ありがとうございます。
徳島県中部。 四国山地に抱かれた吉野川市山川町の 山崎忌部(いんべ)神社です。 例年よりにぎやかな年越しを迎えました。
去年、地域を挙げての大事業が30年ぶりに行われたからです。 去年11月 天皇陛下即位のあとに行われた大嘗祭に 麁服と呼ばれる麻の織物を献上しました。
かつて麻植郡と呼ばれ 平安時代から麻を生産し献上してきた、この地域。
改元のときだけ特別に麻を栽培し麁服を織り上げてきました。 神社の社紋には麻の葉が描かれています。
麻は地域でとても大切にされています。
これは地元の高校の校旗。 昭和の大嘗祭に合わせて 麻で手織りされました。今も、学校の宝として 受け継がれています。
今回、麁服の織り子に名乗りをあげたのは この校旗を見て育った若い女性たちです。 その一人、白山晴菜さんです。 年配の人たちと一緒に 地域の輪の中で 作業を続けていくにつれ ふるさとの大切さを実感しました。
多くの人に町の宝を知ってもらいたい。 麁服に携わった人たちは 地元の学校で報告会を開こうとしています。 地域の絆を確かめ合う特別な新年です。
名古屋市中心部にある東別院です。 初詣に訪れた参拝者で境内はにぎわっています。
本堂に映し出されている光の模様はデジタル掛け軸。 仏教の教えにもつながる 一期一会の世界を表現しています。 模様の組み合わせはコンピューターで 無作為に選ばれます。
そのため、同じ模様を見ることは二度とないんです。 このイベントお寺に、なじみのない方にも 来てもらいたいと 7年前から始まりました。 そして、こんな場所もあるんです。 こちらにもあるんです。こちらの室内です。
室内にもデジタル掛け軸が映し出されています。 ここは、この日のために特別に用意されたバーなんです。 中ではホットワインですとかオリジナルカクテルが 提供されています。お話を伺いましょう。
お寺のバーで迎えた新年です。どんなお気持ちですか?
歴史のあるお寺の中に こんなにすてきなバーがあって 楽しくお酒飲みながら 年が越せて、新鮮な気持ちです。
お寺にいることを忘れてしまいそうですが 一方で昔から変わらない風景もあります。 (鐘の音)
新年を感謝とともに迎える初鐘です。 イベントを始めてからは 多くの若い人たちも鐘をつきに来るようになりました。 (鐘の音)
江戸時代から続くこのお寺。 新しい文化を取り入れながら古きよきものを 次の世代に手渡そうとしています。
全国各地の新年の様子をお伝えしました。
いよいよ、ことしの夏には 東京オリンピックパラリンピックが開幕します。
その選手たちの 活躍を願って多くの人が 集まっている場所があります。
東京・江東区にある亀戸香取神社です。 おたき上げの火の周りに人が集まっています ここは、もともと戦の勝利を祈願する神社でしたが 今は、スポーツの神社として親しまれています。 ふだんから、試合に勝ちたい全国大会に出たいと 多くの人が祈願に訪れますが早くも、東京オリンピック パラリンピックへの期待も高まっているんです。 絵馬にはさまざまな願いが書き込まれていますが こちら「いくぞ!!2020東京パラへ」。 そして、そのお隣。 「パパがとうきょうおりんぴっく きまりますように」。こちらは近代五種の 岩元勝平選手の娘さんが書いた絵馬なんです。
2週間後、代表権を獲得しました。 参道脇に並ぶのはスポーツ灯籠。 アスリートたちに心の支えになったことばを聞いて 50基を手作りしました。
体操・内村航平選手が寄せたことばは「無心 無欲」。 その隣は東京パラリンピック出場が 内定している競泳・木村敬一選手のことば 「人生一度きり」。 2020年にかけるアスリートたち。 活躍を願う灯籠の光です。
福島県南相馬市相馬太田神社です。 3月26日から国内で始まる東京オリンピックの聖火リレー。 福島は、その出発の地です。 初日、走ってきた聖火を迎えるのは 陣羽織の、この人たち。 相馬野馬追の騎馬武者です。
毎年、年明けとともに 安全と安寧を祈ってほら貝を吹き鳴らします。 (ほら貝の音)
相馬野馬追は、この地で 1000年にわたって続く神事です。
夏には、400の騎馬武者が馬にまたがり駆け回ります。 9年前の東日本大震災と原発事故。 南相馬の人たちは避難を余儀なくされ 今も5000人以上が町を離れたままです。
かつて500騎いた騎馬武者の数も 一時、5分の1にまで激減。 それでも、この9年間欠かすことなく続けてきました。 野馬追でほら貝を吹く人たちをまとめる 木幡守さん。 3月、オリンピックの聖火も この、ほら貝で迎えたいと考えています。
避難を続ける人たちが町に戻るきっかけにしたいと 木幡さんは野馬追を支え続けてきました。 復興五輪を掲げる東京オリンピック パラリンピック。 福島の復興はまだ道半ばです。 ふるさとを取り戻す。 その思いを乗せて 聖火は福島から全国へとつながれていきます。
人と人とがつながっているからこそ 地域の今、そしてこれからがあると感じました。 さまざまな思いがあることを忘れずにオリンピックパラリンピックを 迎えたいと思います。
2020年。
日本にとって節目となる、この年が…。
皆さんにとって…
素晴らしい年となりまうように。
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七福神巡り、多くの参拝者にぎわう 県内各地15カ所を紹介 七つの災難が免れ、七つの幸福が授かる
埼玉新聞 https://this.kiji.is/452623335831651425?c=39546741839462401 参拝すると七つの災難が免れ、七つの幸福が授かるといわれる七福神。県内各地にも恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋尊の七福神巡りが設けられ、新年になると多くの参拝者でにぎわう。中にはスタンプラリー形式や甘酒の無料配布など、楽しみながら巡れるところも。新春のまちの空気を感じながら巡り、健康や長寿などを願ってみては。 ■三郷七福神 厄除け銀杏がお出迎え 三郷市内の全24寺院が参加する三郷七福神めぐり。「彦成めぐり」「八木郷戸ケ崎めぐり」「早稲田めぐり」と三つのコースがあるのは全国的にも珍しく、ウオーキングを兼ねて歩いて回る人も。彦成コースの安養院境内には、樹齢600年の「厄除大銀杏」の大木があり、その銀杏の実を正月に食べれば1年間災いから逃れられるとされている。 来年1月1日~7日までの7日間は七福神めぐりスタンプラリーを実施。スタンプ台紙は各寺院で販売している。 問い合わせは、三郷市観光協会事務局の市商工観光課(電話048・930・7721)へ。 ■日光街道すぎと七福神 料理や買い物ツアーも すぎと七福神は東武線杉戸高野台、東武動物公園、姫宮駅を拠点に、古利根川に沿いに福正院、永福寺、全長寺、宝性院、延命院、来迎院、馬頭院を巡る。 七福神巡りと共にうなぎや和菓子、そばや地酒など、地元のグルメを楽しんでほしい。年明けにはガイドと料理、ショッピングを盛り込んだ七福神ツアーも。来年1月19、26の両日は徒歩で(参加費1人2千円)、2月2日はタクシーで(同4千円)で。 問い合わせは、すぎと七福神事務局宝性院(電話0480・32・0342)か、杉戸町観光協会(電話0480・32・3719)へ。 ■くりはし八福神 ふるさと自慢のコース 通常の七福神に吉祥天を加えた「くりはし八福神」。コースは埼玉ふるさと自慢100選に入選し、年明けのJRの「駅からハイキング」にも指定されている。 約10キロ2時間半ほど、平坦で気軽に楽しめる点が人気だ。JR宇都宮線、東武日光線栗橋駅を起点終点に、栗橋宿の街並み、昔ながらの田園地帯を歩く。足を延ばして、八坂神社や栗橋関所跡碑、静御前墓所など、地域の名所・旧跡を訪れることもできる。御朱印押印期間は来年1月3日~15日午前9時~午後4時。 問い合わせは、久喜市観光協会(電話0480・21・8632)へ。 ■草加宿七福神 宝船も加えた寺社巡る 日光街道の宿場町として栄えた旧町地区にある7カ所の七福神に宝船を加えた8カ所の寺社を巡る。歴史情緒あふれる町並みを歩きながら、布袋尊の回向院や毘沙門天の東福寺など、七福神巡りを楽しむ。 来年1月1日~7日までスタンプラリーを実施。スタンプ台紙は各寺社のほか、草加駅構内、市物産観光・情報センターで配布する。開催時間は午前9時~午後4時まで。1日はお休み処草加宿神明庵で、3日は東福寺境内でいずれも午前10時から甘酒の配布を行う(なくなり次第終了)。 問い合わせは、草加市観光協会事務局の市文化観光課(電話048・922・0151)へ。 ■小江戸川越七福神 蔵造りの街並み味わう 小江戸川越七福神はJR、東武の川越駅や川越市駅を起点にするコースがある。全行程は約6キロ。途中には蔵造りの街並みや時の鐘、菓子屋横丁などがあり、至るところで江戸情緒や城下町の面影を感じながら回ることができる。 7カ所全ての寺には、地中に埋められた甕(かめ)の中に水滴音を反響させてその音を楽しむ「水琴窟(すいきんくつ)」を設置。それぞれの音の違いを楽しむこともできる。絵馬など、オリジナル七福神グッズの販売も行われている。 問い合わせは、小江戸川越七福神霊場会(電話049・222・6151)へ。 ■武蔵野七福神 台紙手に日帰りコース 飯能、入間、所沢市の寺社を巡る七福神。武蔵野の自然を満喫しながら電車、バスを上手に乗りこなし、日帰りで回れるコースとなっている。 効率よく七福神を巡るなら、円泉寺(福禄寿)から飯能恵比寿神社(恵比寿)、観音寺(寿老人)、浄心寺(毘沙門天)と飯能市内の寺社を回り、入間市の円照寺(弁財天)、長泉寺(大黒天)、所沢市の山口観音(布袋尊)へと参拝するのがモデルコース。 台紙の色紙にご朱印(1回100円)を集めながら7寺社を巡るのも楽しい。 問い合わせは、山口観音(電話04・2922・4258)へ。 ■与野七福神 開運願う仮装パレード 与野七福神は、さいたま市中央区の本町通り周辺を徒歩約2時間で巡る人気コース。日光街道岩槻への脇往還の宿場として栄えた街の名残を今も感じられる。 同区本町東の氷川神社(福禄寿)をスタート。冬至祭で知られる一山神社(恵比寿神)から天祖神社(寿老神)、御嶽社(弁財天)、円乗院(大黒天)、円福寺(布袋尊)、鈴谷大堂(毘沙門天)でゴールする。各寺社の押印受付は元日~3日の午前9時~午後4時。3日午前11時半からは「七福神仮装パレード」も行われる。 問い合わせは、与野七福神奉賛会の岩崎さん(電話048・853・9798)へ。 ■武蔵越生七福神 梅の郷で甘酒たしなむ 「梅の里」として知られる越生町。武蔵越生七福神は越生駅の西側一帯に点在する。起伏に富んだ約13キロのコースは、豊かな自然を体感しながら七つの寺院を巡る趣向だ。周辺には越生梅林や自然休養村センターもある。 来年1月4日に開催される「新春武蔵越生七福神めぐり」は法恩寺を出発し、全洞院までを巡る。ゴール会場の東上閣駐車場では甘酒の無料配布や福引を楽しむことができるほか、干支(えと)のオリジナル缶バッジがプレゼントされる。 問い合わせは、越生町産業観光課(電話049・292・3121)へ。 ■武州川口七福神 早春をつげる安行寒桜 川口市で七福神と言えば、外せないのが安行原の深い緑に隠れた密蔵院(川口駅東口から峯八幡行バスで終点下車)の大黒天だ。 550年の歴史を誇り、本尊は平安時代の地蔵菩薩という。堂々とした黒門は幕末の江戸で薩摩藩のものを移築したと伝える。本堂への真っすぐの石畳を歩けば歴史の空気を感じることができる。早春に咲く安行寒桜でも名高い。 武州川口七福神は密蔵院のほか、戸塚の西光院(弁財天)、東本郷の傑伝寺(恵比寿様)、元郷の正覚寺(布袋様)、本町の錫杖寺(福禄寿)、南町の吉祥院(毘沙門)、宮町の正眼寺(寿老人)。ともに地域との絆、歴史を誇る。 問い合わせは、川口観光物産協会(電話048・228・2111)へ。 ■武州本庄七福神 徒歩3時間で全て巡回 武州本庄七福神はJR本庄駅北口に点在する10寺院に設置。銭洗い弁財天は慈恩寺、大正院、佛母寺の3カ所、大黒尊天は城立寺と普寛霊場の2カ所にそれぞれある。 全工程は約4キロで、3時間もあれば徒歩で巡れる。本庄駅から大正院(銭洗い弁財天)―円心寺(福禄寿)―開善寺(布袋尊)―慈恩寺(銭洗い弁財天)―普寛霊場(大黒尊天)―安養院(毘沙門天)―佛母寺(銭洗い弁財天)―金鑚神社(恵比須尊)―泉林寺(寿老人)―城立寺(大黒尊天)を巡るコースがお薦め。 問い合わせは、本庄市観光協会(電話0495・25・1174)へ。 ■深谷七福神 北から南へ市内を横断 深谷七福神は、旧深谷市内を南北に横断しているのが特徴。どの寺にも秋の七草が植えられている。 JR深谷駅を起点とする全工程は約22キロ。距離が長いので、車やバスを利用する人が多い。同駅出発なら瑠璃光寺(大黒天・ハギ)―泉光寺(恵比寿天・オミナエシ)―正伝院(毘沙門天・クズ)―惣持寺(弁財天・オバナ)―全久院(寿老人・フジバカマ)―宝泉寺(福禄寿・キキョウ)―一乗寺(布袋尊・ナデシコ)と北から南下するのはいかがでしょうか。 問い合わせは、瑠璃光寺(電話048・571・1945)へ。 ■秩父七福神 1市4町、根強い人気 秩父七福神は秩父札所34カ所観音霊場とは異なる古刹(こさつ)寺院で構成され、秩父、長瀞、皆野、小鹿野、横瀬の1市4町に点在し、総距離は約56・1キロ。歴史は40年以上で、根強い人気を誇る。 熊谷方面からは今月8日にシンボルの「多行松」が伐採された長瀞の総持寺(福禄寿)が出発点。皆野の大浜円福寺(大黒天)、小鹿野の鳳林寺(毘沙門天)と続く。秩父は田村円福寺(寿老人)、惣円寺(弁財天)、金仙寺(布袋尊)の3カ所で、横瀬の東林寺(恵比寿)が最後だ。 問い合わせは、秩父七福神会事務所の総持寺(電話0494・66・2665)へ。 ■武州寄居七福神 露座に光る豪快な存在 武州寄居七福神は寄居町の寄居、用土、男衾駅周辺の5カ寺にある。ご神体を露座で祭り、御像の大きいのが特徴。各寺でご朱印を集められ、色紙は千円で授与されている。 一回り約25キロ。存在感あるのが蓮光寺の布袋尊で高さ約4・5メートル(台座含める)、幅約3メートルと豪快な笑顔で福を招き、福禄寿も設置。極楽寺は高さ約3メートル(同)の毘沙門天と高さ約2・7メートル(同)の弁財天がある。 ほかの七福神は恵比寿神(常楽寺)、寿老尊(長昌寺)、大黒天(常光寺)。 問い合わせは、寄居町観光協会(電話048・581・3012)へ。 ■行田忍城下七福神 名所旧跡を一緒に堪能 「行田忍城下七福神」は1周約20キロ。忍城址や埼玉古墳群など、行田の名所旧跡を見学しながら楽しみたい。 花で有名な遍照院(福禄寿)、難病封じの行田八幡神社(大黒天)、大仏様の大長寺(毘沙門天)、縁起の良い寺名の宝積寺(恵比寿)、三重塔がある成就院(寿老人)、弘法大師作の弁財天を祭る遍性寺、利根大堰(ぜき)近くの興徳寺(布袋尊)で構成。七福神絵図(千円)は7寺社で、スタンプ巡り用の宝船台紙(200円)は行田八幡神社、大長寺、成就院、興徳寺、遍照院で販売している。 問い合わせは、連絡事務所の「忍藩堂」(電話048・577・8058)へ。 ■北本七福神 日本一のおみくじ好評 2015年9月に北本市高尾の阿弥陀堂に布袋尊が建立され、七福神がそろった。「北本七福神」はJR北本駅をスタート。ゴールまでの行程約12・8キロのお薦め散策コースがある。 寿老人が祭られている須賀神社では、日本一大きいとされる八角形のおみくじが300円で引ける。このおみくじを目当てに来る人は多い。 1月13日午前9時半~午後3時まで、新春「北本七福神めぐり」が行われる。各所でのご朱印は300円。スタンプラリーは無料で、スタンプを7個集めると先着800人に記念品がもらえる。 また各所ではおしるこや、まんじゅうなどのおもてなしがある。 問い合わせは、北本市観光協会(電話048・591・1473)へ。 埼玉新聞 https://this.kiji.is/452623335831651425?c=39546741839462401
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一早訓醒看到市內景觀還不錯。

今日會開始遊走山口県,県內景點之間既距離唔算遠,時間尚早就去酒店附近既資さんうどん 幸神店食早餐。

早餐都有唔少選擇。

清早時間人流不多。

雖是清早但已有關東煮在等客人。

關東煮夠入味,唯獨蘿蔔不夠軟淋。

蜆肉湯帶鹹鮮。

米香白飯跟簡單配菜已夠吸引,而牛肉烏冬也十分滑溜。


上網剛好見到麵包店シロヤ 黒崎本店剛開門,去到已見有人在排隊。

開業超過70年既シロヤ不賣隔夜麵包外,也只用高級麵粉但定價卻是出了名的低廉。

既然如此也支持一下,買個名物煉乳法包サニーパン試下。

一旱已食到咁飽就先開車到THE OUTLETS 北九州行下。

呢個係新開既outlet,店鋪都唔少。

除左商店重有俾小朋友放電既設施。

買左俾主子既玩具後,行左一輪都冇收鑊,決定開車直上山口県。

第一站先食午餐,來到人氣旺盛既川棚本館。川棚本館既本館係修復過既過百年建築,去到已經有唔少人在本館等候。


等檯時樹下走出親人白貓。

人太多之下決定轉去後面既川棚南本館用餐。

出品應該跟本館分別不大吧。

上檯一刻見到大舊麵團放係一大塊燒熱既瓦片上都幾震撼。

麵身有點咬口但冇味道,配埋肉片同醬汁同吃就感覺不錯。

吃到底部燒得較乾既麵口感香脆。

食完麵向下一景點進發,途中經過道の駅「北浦街道 豊北」就落去shopping一下。


呢個道の駅可能因為近海,有唔少海鮮同海膽有關既產品手信。

唔睇清楚以為係海狗丸之類既野。。。原來又係海膽。

室內有位置供遊人買杯飲品坐低睇下海景。

三月天氣和暖,直接走到室外睇海景更寫意。

隔離有個小山丘,原來係個古墓。

係上面可以一覽整個海灣景色。

離開道の駅再向北不遠處就係角島大橋。角島大橋係不少汽車廣告及日劇拍攝地點。

望住海岸風景加上藍天白雲,構圖的確美得令人出神。角島其實其都有景點,但時間關係只可係展望台上欣賞一下影張靚相。


下一站係元乃隅神社。

神社錢箱位置竟然放係入口牌坊上,遊人想捐獻都要花力氣將銀幣扔上去。

神社放上123座鮮紅色既鳥居,用來保佑漁業同海上安全。

鳥居依山而建。


鮮紅色鳥居跟海天融成一體。
睇完神社已不早,係時候去今晚住宿既溫泉旅館大谷山莊。大谷山莊位處湯本溫泉區,鄰近長門市約15分鐘車程,而長門湯本溫泉已是六百年祕湯,係山口県內最古老既溫泉。

天皇和總理大臣亦曾到訪這裡。其實附近都有另一間星野集團既界長門溫泉旅館,不過論口碑及受歡迎度似乎大谷山莊更高人氣。

大堂氣勢及等候區景緻令人眼前一亮。

店內通道都裝修得一絲不苟。

不過最驚艷係房內望出去既景色,是到訪過溫泉旅館之中最美之一。

景色美得像一幅風景畫,係唯一一間景色可以跟富士山景色分庭抗禮。

浸一浸溫泉先再去樓下享用晚餐。

晚餐區在一樓。

今晚既餐單。


晚餐先來前菜刺身。

沙律加入河豚肉刺身幾特別。

鍋物中牛肉味濃油香十足。


煮物及炸物味道剛好也對口味。

白飯米粒飽滿帶米香,真係幾飽都要食。總括來說出品唔算大堆頭,份量剛好味道可以。

今晚既宵夜會開車出長門市既居酒屋道くさ。

小店格局好有小型家庭式居酒屋既感覺。

串燒做得不錯,香口又唔會太乾。

燒雞翼看似較乾,吃著卻皮脆肉嫩。

燒蠔是估不到的美味。

蠔身飽滿蠔味濃郁,入口蠔味在口中爆發。

坐到9點左右就埋單,因為book左旅館既9點半觀星時段。

上到頂樓坐低飲杯野,等上一時段既客人完成後就可入埸。

山莊頂樓呢個穹頂建築內,就係天文望遠鏡收藏既地方。

穹頂打開後,加埋天文望遠鏡成件事好有氣勢。從開始到尾都有專人講解同指導,一行人又可以輪流觀星,雖然聽唔明但都係十分好既體驗。
資さんうどん 幸神店
福岡県北九州市八幡西区茶売町3-5
093-644-6788
シロヤ 黒崎本店
北九州市八幡西区黒崎2丁目6-15
093-621-4688
THE OUTLETS 北九州
福岡県北九州市八幡東区東田4丁目1番1号
093-663-7251
川棚本館
山口県下関市豊浦町大字川棚5437
Tel : 083-772-2680
道の駅「北浦街道 豊北」
山口県下関市豊北町大字神田上314番地1
TEL 083-786-0111
角島大橋
山口県下関市豊北町大字神田 角島展望台
元乃隅神社
山口県長門市油谷津黄498
0837-22-8404
大谷山莊
長門市深川湯本2208
0837-25-3221
居酒屋道くさ
長門市東深川911
083-722-4538
2023日本山口県自駕遊第一日
飲食資訊由熱新聞提供 原文連結: 2023日本山口県自駕遊 第2日 (北九州市THE OUTLETS 川棚本館 角島大橋 元乃隅神社 大谷山莊 ) 更多相關內容

壽司郎居酒屋 : 杉玉 Sugidama

迷你黑洞 迷你黑洞愛吃,愛睡,愛煲劇。 工作最大的動力就是吃東西,去旅行。任何關於美食。旅遊。烹飪。生活點滴的事與物都不能錯過喔!
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Part2 学芸大学のお神輿も今年初参加 めっちゃちっちゃい頃から食べてたおでんやの本店!?があってビックリ! 大好きなはんぺん食べたらおばあちゃん思い出して泣きそうになった...(涙) 思い出の味!! 渋谷は年1皆大集合! 毎年恒例のデヴィ夫人ww 皆で和気あいあいで最高の時間! 来年も宜しくお願いします!!! Part3に続くw #祭 #祭り#まつり #お神輿 #神輿 #わっしょい #Festival #Mikoshi #例大祭 #例祭 #大祭 #煌志會 #めうがや #江戸一 #丸五 #中屋 #赤坂氷川神社 #碑文谷八幡宮 #碑文谷八幡 #金王八幡宮 #金王八幡 #恵比寿 #Ebisu #渋谷 #Shibuya #碑文谷 #月光町 #学芸大学 #学大 ##神谷町 #デヴィ夫人 #デビ夫人 #デヴィスカルノ #DewiSukarno https://www.instagram.com/p/B2dr7G3lGzh/?igshid=qe7iuedwj5tz
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目黒大鳥神社へ
昨日は目黒通りと山手通りが交差するところにある大鳥神社へ。 ここで元旦にお祓いを受けないとなんだか新年が始まった!と いう気分にならない。 冷静に考えると、東急バスには大鳥神社に行く時以外ここ数年 乗らない。新年は碑文谷八幡近くのバス停から乗る。ここだと バスが止まって待っていることが多いのだ。 今回は、地味に都立大の本田病院前のバス停から乗車。バス停、 非常に寒かった。大鳥神社まではあっという間。15分はかかって いないんじゃないかな? 大鳥神社で通常の入り口の左側に、専用の受付があるんだったよな! と移動。インターフォンで呼び出すのかな?と思ったら、若い方が 座っていらっしゃった。座っているとは思わなかった。家族の形代を 渡して、新年のお祓いの予約をとる。 昨年は11時半。今年は11時の初回の予約をとることができた。 新年のお祓いを受ける人は年々多くなっているような気がする。
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【福井県謡曲古跡めぐり越前/嶺北編】6箇所目 2021/3/22
能「鉢木」「藤栄」「花筐」
鵜甘神社
《福井県今立郡池田町水海》
池田町役場の西2Kmほどの水海に鎮座。
476号線を北上し、水海川に沿って南東へ1Kmほど。
集落の奥に境内がある。
参道��は鳥居が立ち、参道を進むと石畳。
さらに進むと、境内入口の鳥居があり、
「式内 鵜甘神社」と刻まれた社号標。
社伝によると、
雄略天皇七年(463)二月十五日の創祀。
継体天皇が越前に御潜龍の時
「足羽の水源神」として祀られた古社。
鎌倉時代、幕府執権の北条時頼が当地で越年の時
(1250頃)、能舞を教授されたといい
今日まで継承されている。
鎮座地である水海について。
水海川流域は断層面が活発で地滑りなどがあり一時期、川がせき止められ湖水化した時代があったという。
もとは八幡社と称していたためか、拝殿には鳩の紋が付けられていた。鳩は八幡神の神使なので、これが当社の神紋だろう。
鵜甘神社
当社は雄略天皇七年(四六三)の創建と伝えられる古社で、応神天皇、神功皇后、 武内宿禰を主祭神としている。江戸時代までは八幡社であった。
毎年二月十三日には「ばいもしょ」とよばれる初春の予祝神事が行われる。
この「田遊び」は明治期に合祀した賀宝五所社の御田植神事をそのまま継承してい る。この神事では、拝殿から撒かれた五本 の棒を激しく奪い合うことから、「棒ちぎり」ともいわれている。
また、二日後の二月十五日の春大祭には 田楽と能が奉納される。
四番の田楽と五番の能があり、演目は毎年変わらない。
全国的にも類希なこれらの伝承芸能は、田楽や能の起源や伝播を知るうえで貴重な ものとされ、「水海の田楽・能舞」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。
「建長2年鎌倉幕府、前の執権北条時頼公、諸国廻りの折り急ぎ帰館の途時、当地にて降雪に会い越冬のやむなきにいたりぬ。何故に最明寺入道時頼公が、当地に来られた理由は、水海を通り大野郡西谷村熊河より温見を経て、岐阜県大河原村に至る表日本に通じる、最短平易の重要な道程であった。公は、当地の雪消えまで鵜甘神社に滞在中、日毎に社前に参篭し天下泰平、国家安穏、五穀豊穣を祈願せりと言う。たまたま滞在中の2月15日、春大祭の古事を御感有って、村人舞人などに能舞を教え、以後併せて奉納する様に確約して、公は雪消えを待って急ぎ帰領された。帰領後、水海で世話になった人々を鎌倉に招いて賞賛されたと言う。」
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107 倭国王帥升ら、後漢の安帝に生口を献上:「後漢書」東夷伝
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592 蘇我馬子崇峻天皇殺害
592 推古天皇即位
593 聖徳太子摂政就任
603 冠位12階の制定
604 17条の憲法制定
607 遣隋使の派遣
607 法隆寺建立
618 唐建国
645 大化の改新
646 改新の詔
630 遣唐使の派遣
663 白村江の戦い
667 大津京遷都
668 天智天皇即位
672 壬申の乱
683 富本銭の鋳造
684 八色の姓制定
694 藤原京遷都
701 大宝律令制定
708 和同開珎:元明天皇
元明天皇の事柄の整理
710 平城京遷都:元明天皇
712 古事記編纂:元明天皇
713 風土記編纂:元明天皇
718 養老律令:元正天皇
720 日本書紀:元正天皇
723 三世一身法:元正天皇
729 長屋王の変
741 国分寺・国分尼寺建立の詔
743 墾田永年私財法の制定
743 大仏造立の詔
752 東大寺大仏開眼供養
754 鑑真来日、律宗を伝える
聖武天皇のまとめ
8世紀 このころ万葉集ができる
奈良時代の争いのまとめ
784 長岡京遷都
794 平安京遷都
797 坂上田村麻呂、征夷大将軍に就任
802 胆沢城:桓武天皇
804 最澄・空海が唐に渡る
805 最澄、天台宗をはじめる
806 空海、真言宗をはじめる
810 薬子の変
858 藤原良房摂政就任
884 藤原基経関白就任
894 遣唐使の廃止:菅原道真
901 菅原道真、大宰府に左遷
10世紀 この頃竹取物語ができる
905 古今和歌集編纂:紀貫之
935 平将門の乱(承平・天慶の乱)
939 藤原純友の乱(承平・天慶の乱)
960 宋建国
988 尾張国郡司百姓等解文
1000 枕草子・源氏物語ができる
1016 藤原道長摂政就任
1017 藤原頼通、摂政就任
1051 前九年の役
1069 延久の荘園整理令
1083 後3年の役
1086 白河上皇(院政開始)
1124 藤原清衡中尊寺金色堂建立
奥州藤原氏の順番
1156 保元の乱
保元の乱の歴史的な意義
1159 平治の乱
1167 平清盛太政大臣就任
源平の戦い(治承・寿永の乱)
1185 源頼朝、全国に守護・地頭を設置
1192 源頼朝、征夷大将軍に就任(鎌倉幕府成立)
1203 実朝将軍就任 時政執権就任
1205 新古今和歌集
1206 モンゴル帝国建国
1219 源実朝、公暁に殺される
1221 承久の変
1232 御成敗式目
1271 元建国
1274 文永の役(時宗)
1281 弘安の役(時宗)
1297 永仁の徳政令
1318 後醍醐天皇即位
1324 正中の変(後醍醐天皇)
1330 吉田兼好 徒然草を著す
1331 元弘の変(後醍醐天皇)
1333 鎌倉幕府滅亡
鎌倉6仏教の覚え方
1334 建武の新政(後醍醐天皇)
1336 南北朝分裂
1336 建武式目制定
1338 足利尊氏 征夷大将軍に就任(室町幕府成立)
1341 天竜寺船 1342 天竜寺船を元に派遣
足利尊氏 関連年代の覚え方
三管領の覚え方
四職の覚え方
1368 明建国(朱元璋(太祖・洪武帝))
1368 足利義満 将軍就任
1378 足利義満 室町へ移る
1391 明徳の乱
1392 足利義満 南北朝合一
1392 李氏朝鮮建国
1397 足利義満(鹿苑寺)金閣造営
1404 勘合貿易開始
1428 正長の土一揆
1429 琉球統一
1439 足利学校の再興
1457 コシャマインの戦い
1467 応仁の乱
1485 山城の国一揆
1488 加賀の一向一揆
1489 足利義政(慈照寺)銀閣造営
1543 鉄砲伝来
1549 キリスト教伝来
1553 川中島の戦い
1560 桶狭間の戦い
1568 足利義昭を奉じて上洛
1570 姉川の戦い
1570 石山合戦がはじまる
1571 比叡山焼き討ち
1573 室町幕府滅亡
1575 長篠の戦い
1582 天正遣欧使節
1582 本能寺の変
織田信長 関連年代の覚え方
1582 太閤検地
1583 賤ヶ岳の戦い
1584 小牧・長久手の戦い
1588 刀狩令
1592 朱印船貿易
1592 文禄の役
1597 慶長の役
豊臣秀吉 関連年代の覚え方
1600 リーフデ号豊後に漂着
1600 関が原の戦い
徳川家康に関連する年代の確認
1603 江戸幕府を開く
1605 秀忠、征夷大将軍に就任
1612 禁教令(直轄地)
1613 禁教令(全国)
1614 高山右近 マニラに追放
1614 方広寺鐘銘事件
1614 大阪 冬の陣
1615 大阪 夏の陣
1615 武家諸法度制定 禁中並公家諸法度制定
徳川家康 関連年代の覚え方
1624 スペイン船の来航禁止
1629 踏絵(絵踏)をはじめる
1635 参勤交代が定められる
1635 海外渡航と海外在留日本人帰国禁止
1637 島原・天草一揆が起こる
キリスト教関連のまと���
1636 清建国
1639 ポルトガル船の来航禁止
1641 鎖国の完成
鎖国関連のまとめ
1649 慶安のお触書
1651 慶安の変(由井正雪の乱)
1657 明暦の大火
1685 生類憐みの令が出される
1689 松尾芭蕉「奥の細道」の旅に出発
1690 湯島の聖堂をたてる
1709 正徳の治(新井白石)
徳川綱吉
徳川家宣
徳川家継
1716 享保の改革
1732 享保の大飢饉
1742 公事方御定書の制定
徳川吉宗 関連年代の覚え方
1772 田沼意次、老中に就任
1774 解体新書
1782 天明の大飢饉
1787 寛政の改革
1792 林子平「海国兵談」絶版
1792 ラックスマン来航
1798 本居宣長、古事記伝を著す
1804 レザノフ来航
1808 フェートン号事件
1821 伊能忠敬日本地図作成
1825 外国船打払令
1828 シーボルト事件
1833 天保の大飢饉
1837 大塩平八郎の乱
1837 モリソン号事件
1839 蛮社の獄
1840 アヘン戦争
1841 天保の改革
1853 ペリー来航
1854 日米和親条約
1856 タウンゼント・ハリス来日
1858 日米修好通商条約
1858 安政の大獄
1860 桜田門外の変
1861 南北戦争
1862 生麦事件(→薩英戦争)
1863 薩英戦争
1864 四国艦隊下関砲撃事件
1866 薩長同盟
1867 大政奉還
1867 王政復古の大号令
1868 明治時代の始まり
1868 戊辰戦争
1868 五箇条のご誓文・五榜の掲示
1869 東京遷都
1869 版籍奉還
1871 郵便制度がはじまる
1871 廃藩置県
1871 岩倉具視使節団
幕末のまとめ
1872 琉球藩設置
1872 学問のすすめ・学制公布・鉄道開通・富岡製糸場設立
1873 徴兵令
1873 キリスト教解禁
1873 地租改正
1873 明治6年の政変
1873の出来事のまとめ(花見シリーズ)
1874 民撰議院設立建白書・佐賀の乱他
1874 民撰議院設立建白書
1875 樺太千島交換条約
1875 江華島事件
1877 地租改正
1877 西南の役
1877 大森貝塚発見
1879 沖縄県設置
1881 国会開設の詔
1881 開拓使官有物払下げ事件
1881 自由党結成
1882 立憲改進党の結成
1883 鹿鳴館完成
1884 秩父事件
1885 内閣制度
自由民権運動のまとめ
1886 ノルマントン号事件
1889 大日本帝国憲法発布
1891 足尾銅山鉱毒事件
1891 大津事件
1894 条約改正(治外法権撤廃)
1894 甲午農民戦争(東学党の乱)
1894 日清戦争
1895 下関条約
1895 三国干渉
1898 隈板内閣
1900 義和団事件・北清事変
1901 八幡製鉄所操業開始
1902 日英同盟
1904 日露戦争
1905 ポーツマス条約締結
1905 日比谷焼打事件
1910 大逆事件
1910 韓国併合
1911 条約改正(関税自主権回復)
条約改正の流れ
1911 辛亥革命
1912 中華民国建国
1912 大正が始まる
1912 第一次護憲運動
1914 第一次世界大戦始まる
1915 対華21か条の要求
1916 吉野作造「民本主義」
1917 ロシア革命
1918 シベリア出兵
1918 米騒動
1918 原敬内閣誕生
1918 第一次世界大戦終わる
1919 3・1運動 5・4運動 ベルサイユ条約
1920 国際連盟の成立
1921 ワシントン会議
1922 全国水平社設立
1922 ソビエト社会主義共和国連邦成立
1923 関東大震災
1924 第二次護憲運動
1925 ラジオ放送がはじまる
1925 治安維持法・普通選挙法制定
1926 大正が終わる
1929 世界恐慌
1930 ロンドン会議
1931 満州事変
1932 満州国の建国
1932 リットン調査団
1932 5・15事件
1933 国際連盟を脱退
1936 2・26事件
1937 日中戦争(盧溝橋事件)
1938 国家総動員法
1939 第二次世界大戦はじまる
1940 日独伊三国同盟
1940 大政翼賛会
1941 日ソ中立条約
1941 太平洋戦争始まる
1945 第二次世界大戦終わる(太平洋戦争・日中戦争終わる)
1945 GHQ設置(マッカーサー) 財閥解体 婦人参政権の実現
1945 国際連合発足
1946 天皇の人間宣言
1946 極東国際軍事裁判
1946 日本国憲法の公布(11.3)
1946 婦人参政権
1946(清志郎)のまとめ
1947 教育基本法・学校教育法 労働基準法・独占禁止法
1947 日本国憲法施行(5.3)
1948 朝鮮が分裂(朝鮮民主主義人民共和国・大韓民国)
1949 中華人民共和国
1950 朝鮮戦争がはじまる
1951 サンフランシスコ平和条約
1951 日米安全保障条約調印
1953 朝鮮戦争、休戦協定が結ばれる
1954 第五福竜丸、ビキニ水爆実験で被爆
1954 自衛隊発足
1955 バンドン会議
1956 日ソ共同宣言の調印・日本、国際連合に加盟
1960 日米新安保条約・安保闘争が起こる
1964 東海道新幹線が開通・東京オリンピック開催
1965 日韓基本条約の締結
1968 小笠原諸島が返還される
1972 日中共同声明調印
1972 沖縄が返還される
1973 石油危機が起こる
1976 ロッキード事件
1978 日中平和友好条約
1989 平成がはじまる
1989 消費税導入
1990 東西ドイツ統一
1991 湾岸戦争
1991 ソ連の崩壊
1992 PKO法成立
1993 55年体制が終わる
1995 阪神淡路大震災
2000 沖縄サミット開催
2001 9・11事件(アメリカ同時多発テロ)
2002 平壌宣言
2009 オバマ大統領誕生
NATO・ワルシャワ条約機構
EEC・EC・EU
徳川将軍の覚え方
室町将軍の覚え方
内閣総理大臣の覚え方
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