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ジャニーズ新会社社長に“のん(能年玲奈)のエージェント”社長(58)が急浮上
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ベニテスとイラク現代史
この投稿は、2025年6月8日にTwitterで話したスペースの原稿です。元のスペースは下記にリンクを貼っておきます。

前回スペースをしてから随分時間がかかってしまいましたが、今回はイラクについて喋ります。前回同様、私は専門家ではないので、調べが足りていない部分、勘違いや元資料の誤り、情報が古い、などで間違っている部分もおそらくあります。なので、訂正コメントいただけたら助かります。
人物名は敬称略で呼び、またアラビア語の冠詞の変化について理解できていないため、人名の冠詞は省略します。人物や地名の発音をうまくできないことがあります、ごめんなさい。
まずはイスラームの基礎知識を整理しましょう。紀元六一〇年、ムハンマドの前に天使ジブリールが現れ、アッラーの啓示を受けアラビア半島のメッカでイスラーム教を始めます。
宗派は細かく見ていくといくつもありますが、ここでは二大派閥スンナとシーアをざっくりと説明します。ムスリム人口の約八割以上がスンナとされています。スンナとは「慣行」に由来する言葉であり、三代目カリフ、カリフとはムスリム共同体の支配者、そして預言者ムハンマドの後継者のことです、が暗殺され、四代目のカリフの預言者ムハンマドのいとこアリーと、ウマイヤ家のムアーウィヤの間に対立が発生します。
預言者ムハンマドの血縁関係にあるアリーとその子孫のみが後継者とするのがシーア、ムアーウィヤのカリフ就任を支持した人々がスンナとなっていきます。
ちなみに、シーアはシーア・アリーの略であり、意味は「アリーの党派」。なので、シーア「派」では派が被っています。ただ、伝わりやすさを優先してシーア派と言うのも可能でしょう。今回のスペースでは極力シーアで統一します。
イラクにはナジャフとカルバラーというシーアの聖地があり、一八世紀半ばからシーア人口が増え、現在は人口の約六割がシーアです。もちろん前述したように、ムスリムの約八割がスンナなので、周辺の状況は隣のイランやアゼルバイジャン、バーレーンを除くとシーアが多数派である国はありません。
ムスリム人口の次に現在のイラクの基礎情報について。イラクは多数の民族や宗派が集まっているため、国の分断を招かないよう政府による公式の民族別人口統計はありません。ただ、CIAなどによるデータからおおよそを把握することができます。
世界銀行の二〇二三年のデータではイラク共和国の人口はおよそ四五五〇万人。民族比はCIAの一九八七年と古いデータですがアラブ民族が約八割、クルド民族が約一割。その他にトルコマン語を話すトルコマン民族。イラク北部にカルデア教徒やシリア正教徒などのキリスト教諸民族が居住しています。オスマン帝国で行われた虐殺から逃れてきたアルメニア人、同じく弾圧を逃れてきたアッシリア人な様々な民族がイラクには存在します。
イラク地域の歴史は膨大すぎるため、イギリスの委任統治時代からの話を始めます。一九二四年にイギリスがオスマン帝国支配下にあった湾岸都市のバスラ、中央部のバグダード、北部のモースルの三州を占領下に置きました。ただこの三州は共通の国という意識がなく、イギリスによって強制的に「イラク」としてまとめられてしまいます。一九二〇年の四月にイギリスの委任統治が始まりますが、反英デモから大規模な武装反乱、暴動が各地で起きていました。
この反乱の鎮圧には多くの戦費がかかり、イギリスは早々にアラブ人ムスリムをトップに据えた独立政府の樹立を目指します。イギリスに協調的なハーシム家のファサイル王子が一九二一年八月にイラク王国初代君主に即位します。この即位はイギリスの要請に応じたものであり、ファサイル一世はメッカ、サウジアラビア���王族であるためイラクからしたら外国人でした。ただ、ファサイル政権ではイギリスの委任統治に反対し、イラクの独立を求めます。
イギリス本国ではイラクからの撤退を視野に入れていました。占領により蜂起は絶えず、鎮圧のために多くのイギリス人兵士が死亡していました。こうして、一九三二年にイラクは独立を迎えます。しかし、当時のイラク王国はイギリスという後ろ盾なしに国を成り立たせることは難しい状況でした。
イギリスの影響下にあったイラク王国の終わりは一九五八年七月一四日、王国軍部隊がバグダードでクーデタを起こし滅亡します。クーデタを扇動したカーシム准将により、イラク共和国の樹立を宣言されます。
このクーデタの立役者はアブドゥルカリーム・カーシムと共に、アブドゥッサラーム・アーリフという将校がいました。アーリフはエジプトのナセル大統領に心酔しており、アラブナショナリズム運動のナセル主義に懐疑的なカーシムによって政権から追放されます。権力をひとりで握ったカーシムは単独支配体制を築きます。
追放されたアーリフ側についていたのが、この後政権を掌握するバアス党でした。
バアス党の根幹であるバアス主義は、二〇世紀前半にシリアで生まれたアラブナショナリズムに通じる思想です。バアスとはアラビア語で「復活」「復興」を意味し、イギリスやフランスによる委任統治を拒否し、アラブ世界の統一を目標としていました。
アラブ世界の統一を目標とするため、バアス党は各地に支部を設立していき、一九五二年にイラク支部が始まります。
一九六三年にアーリフとバアス党は政権を奪います。しかし、恐怖政治を敷き、シリアのバアス党本部が介入するなどの混乱のため、今度はアーリフがバアス党を追放します。ちなみに、私はベニテスの生誕年をこの一九六三年にしています。
追い出されたバアス党は一九六八年、アフマド・ハサン・バクルを中心にクーデタを起こし政権を握ります。バアス党はクーデタ後、軍への依存を減らすために党内厳粛を行いました。その担い手が当時三〇代の若きサッダーム・フセインです。フセインはバクルの親戚であり、着実にバアス党での地位をあげていきました。一九七九年にバクル大統領を辞任させて、大統領に就任、フセイン政権を始めます。
ちょうどその頃、隣国イランでは、シーアのルーホッラー・ホメイニーを中心にイラン革命が起きていました。イラン革命は親欧米路線であり世俗主義の皇帝、モハンマド・レザー・パフラヴィーに対し、イランのイスラーム化を目指し革命が勃発。王政は廃止され、シーアの最高指導者ホメイニーによるイラン・イスラーム共和国が成立します。
先述の通り、イラクの人口の六割はシーアです。しかし、バアス党は社会主義、サッダーム・フセインはスンナであり、イラクの世俗化を目指していました。ちなみに世俗主義とは国家の政策などが特定の宗教に影響を受けないという、政教分離の方針のことをいいます。
イスラーム主義の広がりを危惧したフセイン政権は、国境を流れるシャットゥルアラブ河の領土問題もあり、一九八〇年九月にイランへ戦争を仕掛け、イラン・イラク戦争を始めます。
この戦争でレーガン政権下のアメリカはイランへ武器を売って、その売り上げで中米にあるニカラグアの反共ゲリラ「コントラ」の援助を行っていました。
若干余談になってしまいますが、イラン・イラク戦争の少し前、ニカラグアでは一九七九年に「ニカラグア革命」が起こり、左翼政権が樹立します。新政権はキューバなどの共産圏とも関係を築き、その動きにアメリカは警戒を強め、コントラの支援へと繋がりました。そしてニカラグアは一九八四年、国際司法裁判所にアメリカを提訴します。判決はアメリカの違法性を認めたものでしたが、アメリカは賠償せず、一九九一年にニカラグアが請求を取り下げて裁判は終わりを迎えます。
こういったアメリカの行いを、当時はメキシコにいた若いベニテスは見ていたはずです。そして、ベニテスはおそらくアメリカ占領下のイラクへ行き、そこで行われていることも見ました。ベニテスは歴史の目撃者でもあります。
話をイラン・イラク戦争に戻します。アメリカがイランへ武器を売っていたところ、イランがバグダードまで侵攻する可能性が出てきました。アメリカはイランのイスラーム政権拡大を恐れ、今度はイラクを支援します。
こうして不利になったイラン最高指導者ホメイニーは、一九八八年七月一八日に国連安保理による停戦決議を受け入れます。こうして翌月の八月にはイラン・イラク戦争は終結。シャットゥルアラブ河の問題は、国境線を河の中心線とするアルジェ合意を基礎とすることを受け入れました。
八年続いた戦争による死者はイラク側で二五から五〇万人、イラン側は一〇〇万人とみられています。
イラン・イラク戦争から二年後の一九九〇年八月二日、イラクはクウェートへ侵攻します。侵攻の理由はクウェートはバスラ州の一部なのに、イギリスにより切り取られた。また、クウェートが不当に石油価格を引き下げているとイラクは主張していました。
イラクによる侵攻でクウェートの政府は倒れ、その後樹立された傀儡政権によりクウェートはイラクの一九番目の県として併合されます。
このイラクの侵攻に対し、アメリカ、イギリス、フランスから、クウェート、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、シリアなど三七か国による多国籍軍が一九九一年一月一七日に「砂漠の嵐作戦」を開始。湾岸戦争が始まります。
空爆と地上作戦によりイラクは撤退し、クウェートは解放されました。四月にクウェートへの賠償、大量破壊兵器の破棄、国境の尊重などの安保理決議をイラクが受け入れて湾岸戦争は終結します。
イラク軍の死者は二万五〇〇〇から三万五〇〇〇人、イラク市民は一〇万人以上。クウェート市民は一〇〇〇人以上、クウェート軍を除く多国籍軍側の死者は五六九人でした。
イラクによるクウェート侵攻の一九九〇年八月二日から四日後、国連安全保障会議はイラクへの全面的禁輸措置を採択します。これによりイラクと各国の間のモノの輸���入、ヒトの移動、すべてが止められる経済制裁が始まります。
経済制裁の当初の目的は、イラク軍をクウェートから撤退させることでした。しかし、湾岸戦争によりクウェートから撤退したイラクへ、戦争終結のため安保理は兵器の廃棄、核開発の停止、クウェート人捕虜の解放、補償金支払いなどを求め、イラクもこれを受け入れます。こうした要求が満たされなければ経済制裁は解除されず、続いていくことになります。
この経済制裁により困窮するのはイラク国民でした。石油を輸出できなくなり、輸入も激減、為替レートの急落、物価上昇などが起こります。政府は食糧不足に対して一九九〇年九月から食糧配給制度を開始しますが、全く足りていませんでした。市民の生活が困窮する一方で、ヤミ経済にアクセスできる商人や政権幹部だけが得をしていました。
食糧の他に医療面でも深刻な問題が生じていました。乳幼児の死亡率は増加、伝染病は広がり、医療品は不足します。
経済制裁の重要な論点である大量破壊兵器は、イラク戦争後の調査で一九九〇年代にすべて破棄されたことが明らかになります。ただ、フセイン大統領は査察団を長年拒み続け、協力姿勢を見せ始めたのは九・一一テロの後、二〇〇二年頃でした。イラクへの軍事攻撃が行われる直前であり、イラク戦争を止めることはできませんでした。
二〇〇三年のイラク戦争でフセイン政権が倒されるまでの約一三年間、経済制裁が解かれることはありませんでした。
二〇〇三年三月一九日にアメリカ、イギリス、オーストラリア、スペイン、ポーランドが��戦布告し、イラク戦争を始めました。完全に制空権を掌握した上での空爆、地上部隊の進行により、各地の部隊は降伏していきます。五月一日にはブッシュ大統領が終戦宣言を行いますが、その時点ではサッダーム・フセインを拘束することができていませんでした。
湾岸戦争での一方的な停戦宣言を行ったのはジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ、イラク戦争を始め、一方的に終戦宣言を行ったのはジョージ・ウォーカー・ブッシュの親子でした。
イラク戦争は、湾岸戦争の停戦を定めた安保理決議にイラクが従わず、大量破壊兵器の破棄に協力せず、アルカーイダなどのテロ組織とつながりがあり、国内のクルド民族を弾圧しているとの理由で開始しました。しかし前述したように、大量破壊兵器は既に処分されており見つからず、アルカーイダとフセイン政権のつながりもなく、アメリカは戦争の正当性を問われました。
二〇一一年一二月一四日にオバマ大統領は再び終戦宣言を行い、イラクに駐留していたアメリカ軍は撤退しました。
二〇〇三年から二〇一一年までの、占領下イラクを詳しく見ていきましょう。
イラクの民間人死亡率のデータはそれぞれ違いがあり、完全に正確なことはわかっていません。ただ、非政府組織の「イラク・ボディ・カウント」やイラク内務省、アメリカ軍の統計の推計によると、開戦から一二年六月までの間に一一万六四〇九人の民間人が死亡したといいます。
死者の増加にはいくつかの段階があり、まずイラク戦争が始まった二〇〇三年は突出して人が亡くなりました。その突出した時点を除くと二〇〇三年五月から二〇〇六年二月にかけて増え続けます。ピーク時の二〇〇六年一〇月は一ヶ月の間に二七〇九人が死亡したとされます。アメリカ軍による占領下イラクでなぜ死者数が増えたのか、順を追って説明します。
政権を倒したアメリカはイラクという国を破壊します。政府が失われたイラクにアメリカはまず、軍を中心とした連合国暫定当局(CPA)を作りました。この組織の目的はイラクの政府を再建することです。
二〇〇三年五月、CPAはイラクの国軍と治安機関を解体し、約四〇万人を失職させました。CPAは新しいイラク軍を三年以内に設立することを発表しました。新しい軍の兵力は四万人、戦車も火砲もなく、主に国境警備を担うことになる予定でした。とことが反体制暴動が激化し、アメリカ軍の死者が増えると治安要員を増やさねばならなくなります。二〇一二年一月時点で、イラクにおける治安部門の雇用数は約九三万三〇〇〇人。当初の予定の二〇倍以上の数になりました。
フセイン大統領は自身の独裁体制を強化するために多くの国民を公務員として雇っていました。一九八〇年代には公務員の数は約八二万八〇〇〇人に増やします。この数字は当時の人口の約四.九%を占めていました。
アメリカはサッダーム・フセインの復権を防ぐため、彼の政党であるバアス党に属する職員を追放します。正確な数字はわかっていませんが、脱バアス党政策により公務員の二万~一二万人が失職しました。フセイン政権により公務員が増加していたため、膨大な数の人間が職を失います。戦争、国軍の解体と脱バアス政策により上昇した失業率は、この後の治安悪化の一因だった可能性があります。
また、フセイン政権時に弾圧していた反体制派重要人物の帰国なども、要員の一つとされています。この反体制派の最大派閥はイスラーム主義勢力です。イスラーム主義、ここでは特に政治的なイスラーム主義はイスラーム法であるシャリーアの秩序に基づくイスラーム国家・イスラーム社会を目指す活動をいいます。
話を整理するため再三になりますが、フセイン政権およびバアス党はアラブナショナリズムかつ世俗主義的な部分がありました。イスラームは文化であり、宗教と国家は切り離すべきという姿勢のあるバアス党の姿勢と、イスラーム主義は相容れないものでした。
イラクのイスラーム主義勢力の中で代表的なのがダアワ党です。一九五〇年代、社会の急激な近代化と世俗化に危機感を抱いたシーアのイスラーム法学者であるウラマーは立ちあがります。
ウラマーのムハンマド・バーキル・サドルと支持者たちは一九五八年に「イスラーム・ダアワ党」を結成します。イスラーム主義政党であるダアワ党は、思想の根幹であるシャリーアの秩序によるイスラーム国家建設を目標に掲げます。
しかし、一九六八年に与党となったバアス党政権はダアワ党を弾圧しました。一九七九年にはイランでイスラーム革命が起こり、自国での革命を恐れたフセイン政権はダアワ党の指導者バーキル・サドルを処刑します。弾圧によりイスラーム主義者はイランへ亡命しました。
亡命、イラン・イラク戦争などによりバラバラになってしまったイスラーム主義勢力は「イラク・イスラーム革命最高評議会」として再統合します。���名はSCIRIです。このSCIRIは大きな組織であり、およそ一万五千人ほど の兵力を持つバドル軍団と呼ばれる軍事部門が存在し、後にイラクで暴力の一端を担います。
フセイン政権の終わりと共に、弾圧を受けていたダアワ党員、SCIRIなどのイスラーム主義勢力が帰国しました。そして、かなりの厚遇を受けます。脱バアス政策を推し進めたCPAはイラク人による暫定統治のため、イラク統治評議会を組織します。反フセイン体制派 だった二五名のメンバーの中に SCIRI やダアワ党のメンバーが入っていました���
また、シーアの武装組織マフディー軍も治安悪化に無視できない存在でした。ダアワ党の創始者ムハンマド・バーキル・サドル の親類であるムハンマド・サーディク・サドル は、バーキル・サドルの亡き後シーアのウラマーとしてイラクで活動していました。禁止されていた金曜礼拝を再開させ、イスラームへの信仰心を説いたカリスマ的な指導者サーディク・サドルもバーキル・サドルと同じようにフセイン政権により暗殺されます。この暗殺によりサドルの支持者は地下に潜り、二〇〇三年にフセイン政権が倒されると表舞台へ躍り出ます。それがサーディク・サドルの息子、ムクタダー・サドルです。
ムクタダー・サドルは特にバグダードのサドル・シティ、死後も尊敬を集める親族の名前を冠した貧民街で活動を始めました。この街の旧名はサダム・シティ、低所得者が集まるサドル・シティで生活必需品の配布や清掃活動を行い、若者たちをリクルートしてマフディー軍を組織します。
イラク戦争直後、二〇〇三年の暴力、略奪はまだ混乱した個人の範囲でした。ただ、アメリカ軍が完全にイラクを制圧しきっていないと知られ始めると、組織的な暴動に変化するのには時間がかかりませんでした。
組織的暴力の初期段階はアメリカ軍への抵抗運動です。二〇〇三年に路上爆弾攻撃により死亡したアメリカ兵は一二人を下回っていましたが、次の年の二〇〇四年には一ヶ月に少なくとも二〇人が殺害されました。
組織的暴力にはこうしたナショナリズム的抵抗運動と、もうひとつ、イスラーム主義勢力に二分することができます。
先述の通り暴力的な組織はフセイン政権後に帰国するか再起動し、それはSCIRI のバドル軍団、ムクタダー・サドルのマフディー軍、イラク・イスラーム軍、アンサール・スンナ、そしてアルカーイダなどでした。アメリカはフセイン政権とアルカーイダは繋がっていると疑い、戦争を始める理由としました。しかし、結局のところフセイン政権とアルカーイダに繋がりなどありません。バアス党とアルカーイダに共通するのはスンナ派ムスリムの組織といったくらいで、世俗主義な前者とイスラーム主義のアルカーイダとは相容れない存在同士でした。
イスラーム主義勢力は主に自爆を用い、二〇〇三年から二〇〇六年までの間に五〇〇件以上の自爆テロを仕掛けました。占領に抵抗するため、アメリカ以外に中東諸国の政府機関や国際組織も標的にします。二〇〇三年八月にはヨルダン大使館と国連事務所が爆破され、一〇月には赤十字国際委員会の事務所もテロの被害にあいました。国連事務所や赤十字への攻撃により、人道支援を行っていた非政府組織は撤退せざるを得なくなります。
個人的に、ベニテスはこうした組織への攻撃後にイラクへ渡ったのではと考えています。外国人宣教師が国外へ避難している状況を知り、ベニテスが自分から名乗り出たのかもしれません。無数の武装組織が活動し、何の解決もしていないものの二〇〇三年七月にコンゴ戦争は一応の終わりを迎えます。性暴力を受けた女性のための病院建設も行い、区切りや導きがあってコンゴからイラクへ移動した、と私は考えています。移動する直前に自身の身体のことを知り、葛藤を抱えながらバグダードへ移動し、闇のなかを生きていたのかもしれません。
話を自爆テロに戻します。自爆攻撃はシーアの聖地なども標的にし、このテロ行為はイラクの内戦に繋がります。宗派対立の始まりというべき事件は、二〇〇三年八月にSCIRI 議長のムハンマド・バーキル・ハキームが暗殺された事件です。また、二〇〇四年三月にシーアの聖地、カルバラーが攻撃を受けます。この年の五月以降は、イラク人だけでなく外国人労働者の誘拐・殺害事件が発生し始めます。
そしてアメリカ軍統治下のイラクで必ず語らねばならない場所がファッルージャです。ファッルージャはバグダードから西へ五〇キロメートルへ行ったところにあります。だいたい、この二都市は東京と鎌倉の距離感です。そしてファッルージャは保守的なスンナ住民の多い土地でした。
二〇〇四年四月、その街でアメリカ軍にデモを行っていた一七人が、アメリカ兵に殺される事件が発生します。これをきっかけに暴動が始まります。二〇〇四年三月にアメリカの民間軍事会社、ブラックウォーター社に務める四人が殺害されると、海兵隊およびアメリカ軍がファッルージャに対する攻撃を開始します。
ちなみに、アメリカ政府は軍で補いきれない部分を、民間民間軍事会社や民間警備会社に頼っています。これはイラクだけでなく、アフガニスタンに対してもです。こういった企業は時に事件を起こすこともあり、イラクでは二〇〇七年九月にブラックウォーター社 が民間人を一七人殺害し、問題となりました。
話をファッルージャに戻します。大規模な空爆によりファッルージャの人々の大半が避難民となります。ファッルージャを逃れ、近郊大都市のバグダードへ移動し、スンナの避難民はスンナの多いバグダード西部へ居住しました。この中で過激化した人々がシーアの住民を追い出す事態になります。そして、スンナのテロ組織アルカーイダが自動車爆弾や自爆テロでシーアの居住区域を攻撃。シーアのマフディー軍などがスンナのムスリムを殺害や誘拐を行います。この時期、二〇〇五年の一月から六月までの間に一三〇件の自爆テロが発生し、その大半はアメリカ軍ではなく、他の宗派を狙ったものでした。
こうして、二〇〇五年五月にはバグダードは内戦状態に陥ります。バグダードの殺人事件発生数は増加、、一日平均一一件から三三件に増えました。
殺人はアメリカ軍や民間武装組織によるものだけでなく、イラク政府によるものも含まれていました。
イラク政府の内務省には特別警察突撃隊がありました。当時の内務相はイラク統一同盟のバヤーン・ジャブル。ジャブルはSCIRIの幹部で、かつてバドル軍団を率いていました。そして彼は治安機関にバドル軍団の構成員を可能な限り雇い入れます。
二〇〇五年以降、特別警察突撃隊は殺人、拷問、宗教浄化を繰り返す集団と化します。二〇〇五年一一月に内務省が設けた施設へアメリカ軍が捜査を行い、劣悪な環境で収監されていた一七〇人を発見しました。この施設では国家機関が拷問、処刑を日常的に行っていた証拠となりました。ただ、このことが発覚してもジャブルは内務相を辞任することなく二〇〇六年までその職に留まっています。
ただ、こういった市民の誘拐、処刑はイラク政府だけが行っていたものではありません。二〇〇三年にアメリカ軍はアブグレイブ刑務所で収容者へ拷問、男性女性どちらへにも性的虐待を行っていました。
イラク人への虐待は二〇〇四年四月にCBSが実態を写した写真を公開し、ようやく世界的に広がります。しかし、このような事件が発生しても、依然として大量破壊兵器が発見されなくても、二〇〇四年一一月二日にブッシュは再選し、イラク占領は続きました。
元々のバグダードではスンナとシーアが共生していました。トラブルがなかったとは言えません、フセイン政権がシーアを弾圧し、アーシューラーなどの宗教行事を禁じていたのは事実です。ただ、スンナとシーアは真っ二つに分かれていた訳ではなく、異なる宗派同士で結婚もあり、家族の半分がスンナ、半分がシーアという家庭もあります。
内戦状態に陥ったイラクに対応するため、アメリカは二〇〇七年二月に増派を始めます。増派、英語ではサージ、とはイラクに派遣する兵士を一時的に増やすことです。兵力の増強、開戦以来最大規模の軍事作戦、アメリカ軍は内戦状態のイラクに対応を行いました。
二〇〇七年一月の民間人の死者数は二五〇〇人だったけれど、六月は一九五〇人、一二月は六〇〇人と減少しました。ただ、死者数の減少がアメリカ軍の軍事作戦によるものなのかは検証が必要であり、効果があったと断言することは難しいことです。
死者数の減少に関係しそうな大きな要因はいくつかあり、その内のひとつがマフディー軍の活動休止です。おさらいになりますが、マフディー軍はシーアの指導者、ムクタダー・サドルが率いる兵力約六万の武装組織です。
ムクタダー・サドルの影響力は大きく、マーリキーの首相就任に寄与するほどでした。そのため、アメリカ軍のサドルを標的とした作戦にマーリキー首相は制限を課し、マフディー軍の主要人物の逮捕を禁じます。
国の中枢に食い込むほど影響力を持っていましたが、マフディー軍は分裂していきます。まず、ムクタダー・サドルは増派が発表されると、イラクを脱出してイランへ逃れました。サドルが国外に脱出後、マフディー軍はバグダードから部隊を引きあげます。シーアのムスリムの中ではマフディー軍を批判する人々も増え、組織内の不良分子を追放し、徐々に活動を縮小せざるを得なくなっていきます。
それに加えて、マフディー軍とISCIのバドル軍団の間の対立が激化します。ところで、イラク・イスラーム革命最高評議会は二〇〇七年五月に党名を「イラク・イスラーム最高評議会」と改名し、略名もISCIになりました。
二〇〇七年八月、宗教行事のためシーアの信徒が集まっていた聖地カルバラーでバドル軍団とマフディー軍の銃撃戦が起こりました。この銃撃戦により五二人が死亡します。この事件によりサドルは六ヶ月の休戦を宣言し、その後も休戦を継続させます。
今回のスペースの参考文献は『イラク戦争は民主主義をもたらしたのか』トビー・ドッジ 、『地図で見る アラブ世界���ンドブック』マテュー ・ギデール 、『現代イラクを知るための六〇章』酒井啓子編、『バグダッド・バーニング イラク女性の占領下日記』リバーベンド 、『兵士は戦場で何を見たのか』デイヴィッド・フィンケル です。
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安倍晋三「あの件さえなければ、今ごろ昭ちゃん(中川昭一氏)が自民党総裁だった」
12年前、こんな記事を書きました。いま振り返っても、思い出は尽きません。小泉政権ができて間もなくだったか、超党派の保守系議員の非公式会合が憲政記念会館であると聞きつけ、現場で中川さんに「どうも」と挨拶した際、
「なんであんたがいるんだ?…まあ、いいか。あんたは記者じゃないし」
と冗談で答えられたことやあれこれ、これほど印象、心に刻まれる政治家はめったにいません。酒好きなのはつとに知られていますが、禁酒を決めると、2時間半にわたって目の前で私と同僚がビールを飲み続けても、一切飲もうとせず、こちらの言葉からヒントを得ようとメモを続けていました。惜しい人をなくしたという言葉が、これほどぴったりくる人はいません。
中川昭一氏死去 保守伸長、シャイな推進役
【評伝】 シャイな人だった。何より、繊細な人だった。衆院当選8回、農水相、経済産業相、財務相、自民党政調会長…と要職を歴任した大物政治家であるにもかかわらず、はにかんだ笑顔のよく似合う、子供のような純真さを持ち合わ��ていた。 「おれは子供には『おれがいつか襲われて殺されても驚くな』と言い聞かせてあるんだ」 中川昭一氏は拉致議連会長を務めていた当時、政治家としてのこんな覚悟を語っていた。だが、死はもっと皮肉な回り合わせであっけなく訪れた。56歳という若すぎる最期には、ただ言葉を失うしかない。 「あの件さえなければ、今ごろ昭ちゃん(昭一氏)が自民党総裁だった」 盟友の安倍晋三元首相は故人を悼む。「あの件」とは中川氏が財務・金融相時代の今年2月、先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後の記者会見で「酩酊(めいてい)」したかのような姿を見せて、引責辞任したことを指す。 この一度の失敗で、中川氏が長年積み上げてきた実績も名声もはかなく吹き飛んでしまった。先の衆院選で落選し、議席も失った。 確かに中川氏は酒席で、ときにはめを外し深酒することもあった。それも、強すぎる感受性をまひさせたかったからだろうと思う。素顔は、少し人見知りのまじめな勉強家だった。 平成9年、中学歴史教科書のすべてに慰安婦記述が載ったのをきっかけに、安倍氏らと自民党「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成した。左派イデオロギー色満載だった教科書が是正されていく第一歩だった。 14年には超党派の拉致議連会長に就任したほか、永住外国人への地方参政権付与や民間の言論抑圧につながる人権擁護法案に反対した。一方、靖国神社参拝を推進するなど、常に保守系議員活動の前面に立った。 今や保守系の諸運動は衰退期にあるようなありさまだ。その中で忘れられるか過小評価されているが、10年代の保守勢力の勃興(ぼっこう)と伸長は、中川氏が安倍氏らとともに推進役を担ったのは間違いない。 一方で、現実を見据えたリアリストでもあった。20年6月、日中両国が東シナ海のガス田共同開発で合意した際には、表向き「日本のものを向こうにあげて資本参加するのでは互恵にならない」と厳しいコメントを発表した。だが、その裏では担当外交官らを集め「よくここまでこぎ着けたな」と慰労もしていた。 対中強硬派と目されてきた自分が、仮に交渉結果を評価しても、甘い顔を見せると中国側に「日本側では、あの中川氏まで喜んでいる」というメッセージが伝わる。それは今後の交渉、駆け引きのハードルを上げ、足を引っ張ることと理解していたからだ。 対中姿勢では、こんなことも語っていた。 「中国批判はたやすいが、��しろ『誠意を持って話せば分かる』と言うばかりで行動しない日本側の方が問題だ。私が中国の政治家なら、やはり今の中国のようなやり方をする」 本当に惜しい人が亡くなった。せめて自民党の中では、中川氏の志が受け継がれていくことを願ってやまない。(阿比留瑠比)
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)11月27日(水曜日)
通巻第8523号
法廷戦、トランプ場外で勝利、検察、訴追取り下げ
DEI を「MEI」(メリット、卓越性、知性)に置き換えも開始
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2020年大統領選で自らの落選を覆すために選挙手続きに違法に干渉した等と言いがかりをつけられ、左翼司法当局から起訴された案件で、捜査を指揮したスミス特別検察官はワシントン連邦地裁に起訴取り下げを申し立て、受理された。
トランプが退任時にホワイトハウスから持ち出した機密文書起訴も取り下げた。
法廷戦によってトランプ陣営の印象を悪化させ、同時に選挙資金枯渇に追い込むなどの巧緻に長けた選挙妨害戦術は、そもそも最初から司法の武器化であり無理筋の裁判、これらを取り下げたことは米司法にも良識、というより法の常識が通用することが分かった。
スミス特別検察官は「犯罪関与の容疑者が大統領に在職中は刑事責任の追及は行わないとする司法省の従来の方針に沿った」とし、「起訴取り下げは「被告人(トランプ氏)への訴えに利益があるかないか、立証の強弱で判断されたものではない。容疑が晴れたわけではない」と強調した。
スミスはトランプから馘首される前、1月の第2次トランプ政権発足前に辞任する見通しである。これでディープステーツの一角が崩れる。
トランプ次期大統領は、自身に「予防的恩赦」を与えると観測されている。
トランプはNY州地裁で「不倫口止め料」に絡む不正会計事件で有罪評決を受けているほか、ジョージア州地裁でも起訴されていた。
機密文書事件ではフロリダ州地裁が既に7月に、「起訴は無効」と判断したもののスミス側はこれを不服として上訴していた。ジョージア州の裁判では検察のスキャンダルが暴かれ、起訴取り下げになった。
残るNY州は検察官の任命、否認は大統領ではなく、州知事に属するため、つぎはホークル知事(民主党、女性)の判断に焦点がうつる。
▼反WOKE運動はDEI否定、MEIに
ロビー・スターバックは、アメリカの企業環境を[狂気と虹]から「正気と中立」へと訴え、広範な対企業運動を展開してきた。「物言うインフルエンサー」のチャンピオン、保守層の支持が厚いポッドキャスターが、ロビー・スターバックだ。
かれのSNS投稿がきっかけで、複数の米企業が環境施策などの方針変更を迫られた。ネット上の影響力を使い、一夜にして大規模な運動を引き起こすインフルエンサーが標的にした企業のWOKEからの離脱が目立つようになった。
一番乗りはホームセンター大手、トラクター・サプライだった。一部の環境保全や社会貢献に向けたプログラムの廃止を決めた。
ついで、スターバックはトラクター・サプライ、ハーレー・ダビッドソン、ポラリス、インディアン・モーターサイクル、フォード、クアーズ、ジャック・ダニエル、キャタピラー、ボーイング、トヨタなどの企業の極左迎合姿勢に圧力をかけ、「DEI(多様性、公平性、包括性)とかの奇妙でキャンセルカルチャー的な慣行から脱却させた」と反WOKE運動の成果を発表した。
就中、ウォルマート経営陣と「解決策を見つけるための建設的な話し合い」を行った結果、ウォルマートはWOKE(目覚めた政策)を終了すると決定した」と、スターバックはXに書いた。「ウォルマートが約束した改革はアメリカ企業全体に衝撃を与えるだろう。左翼活動家が仕掛けた『企業の覚醒』を終わらせたいと願う同社の幹部らは称賛に値する」と付け加えた。
ウォルマートが約束した変更点は以下のとおり。
(1)ウォルマートはHRCの企業平等指数に参加しない。
(2) ウォルマートのマーケットプレイスを監視し、子供に販売されている不適切な性的製品やトランスジェンダー製品を特定して削除する。助成金の資金提供を回避する。イベントへのすべての資金提供を見直し、子供を対象とした不適切な性的コンテンツへの資金提供を避ける。
(3)特別取り組みとして設立された人種平等センターを延長しない。サプライヤーの多様性プログラムを評価し、これらに基づいてのサプライヤーに優遇措置や利益が提供されないようにする。融資の適格性については、特定の人口統計データの提供を前提としない。
(4)ウォルマートは今後、公式コミュニケーションでDEI用語を使用しないし、また人種平等研究所を通じた研修を中止する。
(5)ウォルマートは、敬意と協力のある環境を確保しながら、DEI という用語の使用を中止し、従業員と顧客の帰属意識を重視する。
かくしてバドワイザ��、ディズニー等で始まったWOKE企業へのボイコット運動は実を結んだといえる。
スターバックは続ける。
「企業の状況は急速に正気と中立へと移行しています。私たちは今や例外ではなくトレンドなのです。アメリカ企業に正気を取り戻していきます」。
ディープステーツノ資金��でもあったDEIが崩壊し始めたが、さて「かれら」は次に何を考案するだろうか?
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近年、「外国人の生活保護受給」が注目を集めています。ネット上でもこれに関連する話題が出ればだいたいコメント欄は炎上。極端な意見であふれかえります。この話題は「生活保護制度のあり方」「外国人の権利」「国民意識」「官公署の裁量」といった多くの問題提起の材料となっています。 その中でもよく見かけるのが「日本人にはなかなか生活保護を出さないのに、外国人にはすぐに生活保護費を出す」といった言い回し。 生活保護に関する実務を扱う行政書士の立場からみると、こういった言葉はどこをどう切り取っても「間違い」でしかない上、統計的な裏付けもまったくないのですが、このような誤った見方が生じるきっかけになったと考えられる一つの出来事が、14年前に大阪市で起きました。 今回は、その事件が発生する背景にあった問題と、外国人に対する生活保護制度の実際のあり方について解説します。(行政書士・三木ひとみ) 大阪市で2010年に起きた「中国人生活保護大量申請」問題 大阪出入国管理局 2010年に大阪市で、来日直後の中国人48人が生活保護を行ったことが問題になりました。 同年5月から6月にかけて、中国・福建省出身の残留日本人孤児の姉妹の親族とされる中国人48人が「老人の世話をする」という理由で来日しました。彼らは日本に入国直後に、大阪市内の5つの区役所において「定住者」の在留資格で生活保護の受給を申請。 大阪市は同年7月、48人のうち32人に対して生活保護の支給を決定、うち26人に保護費を支給しました。しかし、大量申請の発覚後、大阪市は「生活保護受給目的の入国」との疑いを強め、保護費支給済みの26人に対して支給を打ち切る方針を明らかにし、8月に過去5年間に遡って同様のケースがないか調査を開始。9月には、生活保護を申請した48人全員が辞退したことが明らかにされました(31人が取り下げ済みのところ、残り17人も新たに受給を辞退)。 なお、大阪市は入国管理局に対し、48人が取得した在留資格の再調査を要請しました。その結果、入国管理局はこの件に関する中国人全員の在留資格を「定住者」から「特定活動」へと変更しています。 法制度上の“扱い”はどうなっているのか? この事件の問題点について説明する前提として、様々な「感情論」や「思想」を抜きにして、そもそも法制度上、日本国籍をもたない「外国人」が生活保護を受けられるのかを確認しておきましょう。 生活保護法は、生活保護の対象となる資格について明確に「すべての国民」と定めています(同法1条、2条)。「国民」とは「日本国籍を持つ者」をさします。 これだけを見ると、「外国籍の者は誰も生活保護を受けられないのでは?」と思いますが、そうではありません。ここで登場するのが1954年に厚労省が発出した通知「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について」です。 この通知により、日本国籍を持たない外国人にも「一般国民に対する生活保護の決定実施の取扱に準じて」「必要と認める保護を行うこと���とされ、現在に至るまでその取り扱いが継続しています。 この行政の扱いは、最高裁の判例とも整合したものです。すなわち、最高裁は外国人について「生活保護法に基づく保護の対象となるものではなく(中略)同法に基づく受給権を有しない」と判示する一方で、「行政庁の通達等に基づく行政措置により事実上の保護対象となり得る」としています(最高裁平成26年(2014年)7月18日判決。この事件では原告は敗訴したものの、後に自治体の裁量により受給に至りました)。 なお、昨今、この最高裁判例を引き合いに出して「外国人に生活保護を与えるのは違法(あるいは違憲)」とする言説を見かけるようになりましたが、明らかな誤解または悪質な曲解によるものと断じざるを得ません。 生活保護を受給可能な「在留資格」は限られている もちろん、当然ながら全ての外国人が日本の生活保護を受けられるわけではありません。2025年3月現在、「生活保護に準ずる保護」を受けられるのは下記の在留資格に該当する外国人のみです。 ・身分系在留資格(永住者、定住者、永住者の配偶者等、日本人の配偶者等) ・特例法の特別永住者(在日朝鮮人、在日韓国人、在日台湾人) ・入管法上の認定難民 これら以外の在留資格、一般的な就労ビザである「技人国」「技能」「経営管理」等については、日本で働き収入を得るための在留資格である以上、生活保護の受給をすることはできません。また、難民認定されていない人(難民認定申請中の人、仮放免の人)も生活保護は受けられません。 あくまでも「日本人と同じ生活実態を有し、日本人と同様に税金や社会保険料を納めることになっている人」「人道上、あるいは国際協調主義の見地から日本人と同等の保護を与えるべき人」のみが対象とされているということです。 また、更新がある「身分系在留資格」の場合、生活保護を受給することができても、在留資格更新時に「生計を維持できない」とみなされ、認められない可能性が高くなります。 これが「現実の法制度」です。 ずさんだった入国管理局の「在留資格の認定」 2010年の「中国人生活保護大量申請」に話を戻しましょう。来日した48人が認定された在留資格は「定住者」。これは「法務大臣が特別な理由を考慮し一定の在留期間を指定して居住を認める者」です。 具体例として挙げられるのは、「第三国定住難民」「日系3世」「中国残留邦人」等です。 そして、在留資格認定申請書には、申請人の職業、滞在費支弁方法(日本での生活費を誰が賄うか)、扶養者・身元保証人等を記載しなければなりません。 ところが、当時の新聞記事には以下のように書かれています(※)。 「市によると、自らの収入欄に『生活保護』と書かれた申請が3件あったほか、扶養者の職業欄に4件、身元保証人の職業欄にも2件、『生活保護』と記されていた。扶養者欄に生活保護の申請先である『区役所』と書かれたものもあった」 ※日本経済新聞2011年(平成23年)4月27日「入国外国人、収入欄に生活保護 大阪市『入管審査ずさん』」 ここから、入国管理局による在留資格の認定審査がずさんだったことがわかります。 職業欄が「無職」というのは、身分系在留資格においてはよくある話なので、そこまで問題ではありません。ただし、日本で生活していくにあたり、経済的基盤をどうするかは重要な審査事項です。 だからこそ、入管法(出入国管理及び難民認定法)は、上陸を拒否すべき外国人の類型の一つとして「貧困者、放浪者等で生活上国又は地方公共団体の負担となるおそれのある者」を挙げています(同法5条3項)。 したがって、ほとんどの在留資格認定申請においては、申請者本人が働いて収入を得るのであればその予定の証明、誰かの扶養を受けるのであれば扶養者の収入の証明等が必要となります。 ところが、本件で入国管理局は、本人の収入・勤務先の予定や扶養者の職業欄が「生活保護」、扶養者欄が「区役所」となっているような申請書に対し、許可をしています。 普段から入管業務を取り扱っている行政書士の立場からみて、かなり不思議に思います。 なお、私の行政書士事務所でも、生活保護受給者の方から「海外の人と結婚したいので、『配偶者』として呼び寄せられないか」という相談を受けたことがあります。私としては入管法5条3項の規定がある以上、「まず収入を得られるようになって、生活保護を廃止してからの話になりますね」としか言いようがありませんでした。 何が問題だったのか? 大阪市がおかれた「難しい立場」 当時、生活保護申請を受け付けた大阪市の立場はかなり難しいものであったと推察されます。本件においては2つの問題がありました。 第一に、前述の通り、入管法5条3項の上陸拒否事由に該当すると疑われるような状況で入管の審査をすり抜けてしまったこと。 第二に、大阪市がより深く調査できる仕組みがなかったことです。 「定住者」の在留資格で日本に滞在している以上、大阪市としては「適法に日本に滞在している外国人」が生活保護申請を行ったとして扱うほかありませんでした。 「定住者」で、収入もなく預貯金・資産がなく支援者もいなければ、生活保護受給の要件は満たすことになります。そして、「問題なく在留資格を取得していたのであれば」生活保護の開始決定をせざるを得なかったのです。 結果として、大量に申請されたもののうち多数の生活保護開始が一旦決定しています。これはなぜかというと、「定住者」の在留資格を持つ外国人については、前述のように、通達で「一般国民に対する生活保護の決定実施の取扱に準じて」「必要と認める保護を行うこと」とされているからです。 最終的には「生活保護の支給打ち切り」「全員が辞退」ということに落ち着いたわけですが、その間も大阪市は裁量権のない中でどうにか対処できるように法務省や厚労省に掛け合っています。 当時の平松邦夫市長は2010年(平成22年)7月の記者会見で以下のように述べています。 「言葉が過ぎるかも知れませんけれども、結果的には、国が無責任な法律の運用をすることにより、大阪市が何の裁量権もなく、生活保護法を適用しなければならないということになるんであれば、市民の理解も得られませんし、4分の1の財政負担を余儀なくされる大阪市としても納得できるものではございません。 (中略)生活保護の運用の���非という観点だけで、大阪市に判断を委ねられるのは大きな間違いです」 現在、「入国間もない外国人の生活保護申請」には高いハードル 今回取り上げた大阪市の事件はかなり有名な話なのでご存じの方も多いかと思いますが、その後、こういった「入国間もない外国人の生活保護申請」に関しての取り扱いがどうなったかはあまり知られていないと思います。 事件後、2011年(平成23年)に厚労省より「外国人からの生活保護の申請に関する取扱いについて」という通知が出されました(平成23年8月17日社援保発0817第1号厚生労働省社会・援護局保護課長通��)。 この中で「入国間もない外国人の生活保護申請」については、通常の生活保護申請に必要なものに加えて、在留資格認定申請時に地方入国管理局に提出した以下の資料の添付が義務付けられました。いずれも、日本で生活するうえである程度の経済的な基盤があることを証明する資料です。 ・雇用予定証明書等、入国在留中の一切の経費をまかなえることを証する文書 ・本人以外の者が経費をまかなう場合にはその収入を証する文書 ・日本に在留する身元保証人の身元保証書 ・その他、生計維持能力を有することを証する資料 また、これらの資料の提出を拒んだ場合には、役所は生活保護申請を却下できることとなっています。 同時に同じ書面の中で、法務省より各地方入国管理局に対し、申請者もしくは身元保証人や扶養者の生計維持能力についてより一層厳しく審査するように通知もなされています。 現在ではこのように、生活保護目的での入国を防ぐ体制ができ上がっています。「入国間もない外国人の生活保護申請」については、現実にはきわめて厳しいハードルが設けられているということです。 昨今、「ヘイトスピーチ」「排外主義」と「生活保護バッシング」がないまぜになり、出どころすらあやしい真偽不明の情報が簡単に信じられ、広まってしまうようになっていることが憂慮されます。 また、「外国人」に関することに限らずとも、「生活保護」についてはSNS等を中心に真偽不明の情報や思い込みによる言説、デマ等が容易に、まことしやかに流布することがあります(前述した、判例の誤解・曲解に基づく「外国人に生活保護を与えるのは違法(あるいは違憲)」とする言説もこの類です)。 生活保護を考えるうえで重要な視点はあくまでも「明日はわが身」ということです。「自己責任」が過度に強調されがちな今日では、誰もがある日、不測の事態に見舞われ、生活保護を受給しなければ生きられなくなるリスクを抱えています。 真偽不明の情報や、今回紹介したような極端、かつ現在は発生しにくい不正事例に惑わされ、いざという時に誰でもセーフティーネットとして頼りにできる生活保護制度の存在意義を損なうことがないよう、政治家はいうまでもなく、私たち国民にも冷静な態度が求められます。 ---------------------------- 三木ひとみ 行政書士(行政書士法人ひとみ綜合法務事務所) 官公庁に提出した書類に係る許認可等に関する不服申立ての手続について代理権を持つ「特定行政書士」として、これまでに全国で1万件を超える生活保護申請サポートを行う。
中国人48名“来日直後”に「生活保護」申請…行政が「保護開始決定」せざるを得なかった“法制度の欠陥”とは【行政書士解説】(弁護士JPニュース) - Yahoo!ニュース
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初めてご依頼を戴いたときに、思わず「え、私でいいんですか」って訊き返してしまった案件です。 https://komeiss.jp/ 【動画】作家・山本一郎氏に聞く 作家・山本一郎氏の取材動画です。「経済・社会の持続可能性を高める」をテーマに、公明党の哲学観についてトークを繰り広げます。 dcontents.komei-shimbun.jp 公明党支持に至る経緯 国重徹さんという公明党の議員さんがおられまして(大阪5区)、ちゃんとお会いしたことは無いんですが、妹さんが若くして急死、ご尊父もがん闘病中に司法試験合格、その後刑事事件の弁護で名を馳せ、現在は議員として活躍というヤバい先生なんですよ。ヤバイ。まともすぎてヤバイ。 東京に生まれ育ち、住んだ選挙区ではどちらかというと動物園の人気投票になりがちな私からしますと、こんなちゃんとした候補者を政治家として選べる大阪5区民は羨ましいなって思うんですよね。 そんな国重さんの人柄を思わせる素敵なYoutubeの再生回数が330回とか世の中おかしいよと感じます。お前らもっと観ろ。 本記事は、ワイ(山本一郎)がなぜか公明新聞に呼ばれてお話したり、誌面に論考を月刊公明に寄せたよって告知です。が、プロテスタント(なんちゃってキリスト教徒)である山本が何で公明党や創価学会に心を寄せてるのって話をよくされます。先に、その話をちゃんとしとかんとと思いまして。 先日、私の実父が長年の闘病・介護の果てにようやくくたばって魂が神の御許に召されたのですが、親父やお袋が大病して介護生活に入ったとき、ちょうど家内との間に次男が生まれまして。また、義父も膵臓がん闘病に、義母も具合が悪くて4人介護、さらに新たな命を授かり三男と長女が誕生しました。結局、山本家は介護4名、子育て4名、さらに何やかやあって、私自身が常勤の仕事を辞めざるを得なくなり、セミリタイヤして家族との時間を優先する決断をしました。介護、足掛け14年ぐらいですね。長かった。 【動画】作家・山本一郎氏に聞く 作家・山本一郎氏の取材動画です。「経済・社会の持続可能性を高める」をテーマに、公明党の哲学観についてトークを繰り広げます。 dcontents.komei-shimbun.jp 幸いそこそこ投資も仕事も順調に推移していましたので私には資産があり、コンサルやその他収益で経済的には安定しているものの、カネで解決できないことはたくさんありました。人間、カネがあればあったで面倒は多いのです。会ったこともない親族が突然湧いて出るとか、工場の設備を盗んで逃げる元取締役や中国人幹部が出るとか。ま、先方にも事情もあるだろうし仕方ないんですけどね。 実父は旧中選挙区制時代に自民党の古き良き議員さんたちとの交流も深く、地元では故・与謝野馨さんらを応援していました。ただ、実父もバブル崩壊とそれに伴う住専問題などで破産しかかり、経営していた事業から引退してこの政治界隈から疎遠になってしまいました。カネの切れ目が縁の切れ目とはよく言ったもので、自宅に招いて盛大に飲み食いしていたはずの地元の政治家の皆さんも、自宅介護中はともかく入院したり施設に入ったりしている実父に見舞に来ることなんて、ついぞ無かったですね。 そして、具合を悪くして本格的に介護が必要だというとき、かつて実父が世話をしていた仲の良かった政治家の皆さんも、落選やご病気などご自身の都合ですでに政界から離れていたり、亡くなった後の世継ぎに難があって関係が途絶えていたりと、頼りようがない状態になっていたのです。 困り果てて、かなり藁にもすがる気持ちでネット繋がりで交流のあった公明党の新宿区議・豊島あつし先生に思い切ってご相談をしたところ、すぐに父のいた中野区の白井秀史先生をご紹介くださいました。その後、いままでの私の苦労は何だったのかと思うぐらいの素早さで地域包括支援(当時)に繋いでいただいた経緯があります。そして、何とかしていただいた一週間ほど後に、私が某北国に海外出張中に実父が自宅で倒れ、かなりギリギリの状態で救急搬送されて助かったりもしました。この白井先生のご対応が無かったらと思うといまでも心臓がキュッとします。もうこの時点で感謝しかありません。 山本家も古い自民党筋の繋がりの末席におりましたので(重要)、この手のことを政治家に頼むとどういうことになるのかは私なりに肌感として持っており、ご要請があれば何かしないとなあとあれこれ準備したりもしてました。世の中の仕組み的にはそういうものだ、そんな風に思っていた時期が俺にもありました。ところが… つつがなく上手くいったという御礼の連絡を豊島先生、白井先生にさせていただいた後も、特に何もないのです。本当に、何もありませんでした。 変な言い方ですが、本来の政治、あるべき姿ってこういうことなんだと、40代にして、私も気づかされることになりました。何言ってんだよという気もしますけど、しかし、本音です。これは心でつないでいただいたお話なのだから、心でお返しするしかないのだと、(柄にもなく)思うようになりました。 戦後をずっと生きてきた親父の追憶…14年間続けた“4人の介護”から少し解放されて感じたこと | 文春オンライン 先般、92歳まで生きた親父が永眠しました。 残念だと思うよりは、ようやくくたばったかという気持ちが先に立ちます。 破産し bunshun.jp 浜四��敏子さんの話 与太話をもうひとつすると、私が慶應義塾大学に上がり「文化団体連盟(文連)」という、サークル総員4,000人ぐらいを束ねる塾生自治団体の委員長に就任したころ、ちょうど世の中は日本新党ブームでした。出馬した大学の先輩に選挙応援で塾内でボランティアを集めたり日本新党の選挙応援に駆り出される一方、前述の通り山本家は中小企業のオヤジらしく自民党と読売ジャイアンツと千代の富士を熱く応援していました。バブル崩壊後は父親の事業の経営状態も悪く、山本家内は政治どころじゃなかったのですが、私が自民党ではない議員を応援していることをしった親父は案の定激怒。しかし私はこれに強く反発し、世の中も混乱して低迷しているのだし、これを打開するには当時は日本新党もいいんじゃないのと思っておりました。 ある時期、旧公明党ののぼりを立てて淡いベージュのスーツに身を包んだ浜四津敏子さんが中野区北口のサンプラザ広場近くの駐輪場で街頭演説をされていました。演説というか絶叫であって、ただその話の大半を子育てや子どもの権利について割いておられたのをいまでも鮮烈に覚えています。その当時、公明党というものを良く分かっておらず、ちょうどバブルも弾けて世間が大変になりつつあったところで、経済どうすんだとみんな困っているところで子どもとか人権とか何言ってんだこのおばさんはと受け止めておりました。まあ私もガキだったわけです。 さらに、93年宮澤喜一内閣嘘つき選挙で、慶應義塾内で創価学会による投票キャンペーン(いまでいうフレンド票ってやつでしょうか)が展開され、当時日吉で我が文化団体連盟も管理に携わっていた塾生会館で「宗教勧誘が行われている」「地方から出てきた下級生が食い物にされている」という話が出て、慶應の自治界隈で騒ぎになりました。実際には、創価学会というより、翌年大変な事件を起こしたオウム真理教や学生相手に法外なローンを組ませる原理研究会(旧統一教会)がカレー愛好会や自作PC同好会など一般のサークルに偽装して塾生を勧誘していました。非常に危機的です。特に地方から慶應義塾に進学してきた無垢な世間知らずを根こそぎ連れて行ってしまうのです。仲の良かった語学のクラスの友達が何人もハメられたり入信したりしていますが、その後音信不通になるやつもいました。 応急の対策として、義塾の地方出身塾生を束ねていた全慶連なる団体に地方民をひとつのバスケットに入れてダミーサークルの情報収集したり新興宗教���流れないようにその活動の嫌がらせしたりして塾内の風紀規律を守るという活動を自治会としてしていました。 当時は私も原理研と並んで創価学会も立正佼成会も手かざし何とかも一緒くたに「良く分からない宗教」からの勧誘と思っていたうえ、慶應義塾のキャンパス内で堂々と創価学会員が「選挙に行って、公明党に投票しましょう」って堂々とやるもんだから、なんてことしてんだと思い、ずっと創価学会が嫌いでした。宗教は全般的にアカンのやろということで、相談窓口を作ったところ、いろんな宗教が入り込んでいたようで、霊験あらたかな掛け軸とか壺とか漬物石とか無垢な貧乏塾生がローン組まされて買わされている相談は10件では留まらなかったと記憶しています。 さらに、慶應義塾に塾外(法政とか明治とか)から共産党系や全学連のような赤い輩がやってきていて、義塾敷地内で禁止されている大きさの立て看板を勝手に撤去したとかいうどうでもいい理由でキャンパス入口前で創価学会員と集団で殴り合いをするという事件まで発生しました。自治会活動を通じて、私も宗教とレッズには本当に苦労をさせられたのですが、最後には人畜無害な塾生サークルの入り口鍵が勝手に入れ替えられ部室が占拠されたり、三田キャンパスの旧校舎地下に『塾風』なる媒体を発行する団体が乗っ取られてアジビラを撒かれるなどの騒ぎが拡大していました。体育会や慶早戦支援委員会など各有力自治団体と鳩首会談の末、『全塾協議会』のような塾生の自治活動全体を司る会議体を作らないと対応できないという話にまで発展しました。 とはいえ、各方面から迫りくる何だか良く分からない連中をいちゃもんつけて実力で全部排除するのもほぼ不可能なので、せめて話の分かる連中はいないのか、いるとしたらどの団体なのかとほうぼう交渉した結果、大学当局立ち合いのもと話し合いに応じてくれたのが創価学会の塾生団体でした。 いまでもよく覚えていますが、旧A棟102教室に体育会代表、支援会幹部と3人で学ランを着て伺ったとき、義塾の創価学会の人8人と二時間ぐらい話しました。なんかいつもルーマニア国旗みたいなのを担いで得体の知れない活動しているけど、直接落ち着いて話してみると割といいやつなんじゃないかと思うようになりまして。で、話し合いも終わるころ、義塾出身の公明党の人が「挨拶」に来られたというのでお伺いしたらピンクみの明るいスーツに身を包んだ浜四津敏子さんその人でした。 30分ぐらいだったでしょうか、一方的に浜四津さんのお話を伺う形にはなったのですが、どちらかと言うと塾生自治会の代表として塾生の安全や風紀のために目の前のことを手掛けてきた私からしますと、政治家というものは、こうも広く世の中を見て、多くの人たちのために考えて行動しようとしている存在なのか、山本家で普段見ている、山本家に上がり込んで親父と酒を飲んでいる議員ってのを標準と思っておりましたので、なんか雰囲気が全然違うぞ、って支援会のやつと顔を見合わせたりしました。 当時は私もまだガキだったのと���潰れそうな実父の事業をうまくやりながらいかにうまく単位を取り卒業するかを考えていたため、残念ながら、そのとき手渡されたパンフレットや本は文連本部の戸棚に置いたまま誰かがもっていってしまいそれっきりになってしまいました。ただ、思い返せばあのとき初めて、リアルに政治に携わるべき人の資質や、本当に考えて政治家をやっている人の話を伺って、立体的に、日本の政治を知ることができたと感じています。もっとも、そのときは「宗教と言っても、いろんなのがあるんやな」っていう受け止め以上のものはありませんでしたが、その後も塾生会館の部室から偽装サークルを追い出したり勧誘の看板を強制撤去したりしてる中で、このとき定めた「塾キャンパス内での集票・政治活動は控えてください」の取り決めを、少なくとも私が卒業するまで守ってくれたのは創価学会ぐらいのものでした。 28年のときを経て『月刊公明』で何を書いたか そんな私は、実父のこしらえた借金を返したり、2ちゃんねる運営に携わって黒歴史を築いたり、しょうもない人生の回り道もかなりしてきました。けれども私の人間としての本質は大学時代からほとんど変わることなく、現場を愛し、力作業の人足をかき集めたり段取りを組んだりして目の前のことがうまく回るよう手配することに力を注いで、幸いにして素晴らしい女性と巡り合って結婚し、子どもを4人儲けて日々を真面目に生きています。 ただ、嫌な経験や修羅場も踏んで結果、多少は知恵がついて、結婚前はゲーム開発やコンテンツ投資に血道を挙げていたはずが、巡り合わせから新潟大学の大学院に進学して修士を取りアカデミアの端っこの末席にいる傍ら、ご縁あって投票情勢や各種政策などの調査業務なども担当させていただくようになりました。こんな私を信頼してお声がけくださり、ご依頼をいただけるのは、何よりもありがたいことです。 その中で、やはり有権者として、家長として、強く感じることはあります。我が国の人口減少とそれに伴う地方社会・経済の衰退は覆い隠すことのできない状態にまで陥り、何不自由ない生活をしている日本人は多いけど、しかし明るい未来を展望し希望を持って生きることもなかなか大変だという「撤退戦」の時代に差し掛かりました。 私が投票行動分析というニッチな学問を齧ったころは、国民の関心事は「景気」と「雇用」であって、健やかに働ける経済が日本社会を支えられていれば良いという右肩上がりの時代の名残を残していました。それから日本経済を支えた多くの日本人が引退をするようになると、いまや有権者の関心は「年金」や「社会保障」へと移り変わっていっています。国民が政治に期待することは暮らしを良くすることであって、良くするための手段が働くことから年金をもらうことにシフトしつつあるのが実情です。 私が社会に出た1996年は実父も巻き込��れて倒産しかかった住専問題から失われた10年、いや20年、30年と称される氷河期であって、いまなお私と同世代の日本人たちは非正規雇用や未婚、おひとり様などネガティブなキーワードと共に救済されることなく暗い人生を送っている割合も多くいます。と言いますか、私らの世代以下の日本人は、一人として、景気の良い、明るい日本をついぞ経験することなく結婚適齢期を過ぎ、中年になっているのです。 この氷河期世代、団塊ジュニアを境目として、下の世代の社会保障負担は少子化の進展もあって急激に重くなっていくなか、少なくとも日本全体の人口で言えば2040年ないし2042年ごろまでは、父親世代である団塊の世代の後期高齢者入りで社会保障費は自然増していきます。もはや、いまの日本の人口構成で現状の繁栄を維持することは極めて困難な状態にまで追い込まれてしまいました。 いまの日本には、そういう困難を乗り越える方策・政策と、それを支える哲学・政治思想が必要になっているとも言えます。「日本をこうすべき」「こうあるべき」という確固とした価値観や「いまは大変でも将来これをやればきっとうまくいく」という根拠と哲学に基づいたグランドデザインが、いま求められているのです。政治改革の重要性は、もちろん政治とカネの問題を早急に解決して国民の政治への信頼を取り戻すという一丁目一番地の足元のことも踏まえ、その上に、過去の政治のあり方の延長線上に新しい明るい未来は描きづらいという難題を抱えているのです。 そのように考えると、奇しくも浜四津敏子さんが小僧だった私に語った子どもの人権のあり方や、男女同権の実現、若い人の社会進出を果たす、という話こそが、大事な道しるべだったと思えます。28年もの歳月を経て、いまなお日本社会が解決するべき課題として浮かび上がっていることを考えれば、実はここに我が国が目指す指針のヒントが隠されているような気がして仕方がないのです。 誰のための、どこに向かう政治なのかの再定義を そして、公明の立党の精神として、絶対的な平和主義と並んで故・池田大作氏が語った「大衆」の概念こそ、分断されがちな我が国の社会をまとめ直し、自民党政治ではおこぼれに預かれない人たちと、労働組合の傘の下にはいない非正規就労者や高齢独身者、シングルマザーなどの属性を包み込むものなのではないのかとも思います。 政治不信の根幹も、これら自民党政治や労働組合、各種業界団体などの庇護下になく、いい目を見ることなく暮らしている人々になかなか光が当たらないまま人口減少で経済縮退に至ってしまった怨嗟があるのではないか、と強く感じます。一人ひとりは一隅を照らすように立派に人生を慎ましく送っていても、拠って立つ大樹もなく希望も持てない社会ってマズいんじゃないでしょうか�� これらの状況を綺麗事ではなく現実のものとして受け入れてどうにかするには、人間愛というか人類愛のようなものをベースにした絶対的平和の希求は重要なテーマとして、世界に日本がいかに平和を担う存在であるかを考えていく必要があります。いま世にある安全保障・外交問題も、世界における日本の役割を示し、機能を果たすことに軸足が置かれており、これこそが与党自公政権における公明党の効能でもあろうと思います。 私も51年生きてきて、いろんな経験もあって初めて公明党大事じゃねえかと気づき、また、地味に真面目に議論をして政権与党内で正論を言い、ややもすれば暴走することも少なくない自民党の適切な相談役、ブレーキ役としての公明党の果たしてきた役割は貴重なんですよ。むしろ、これが自民党単独政権だと思うとゾッとしませんか。 自民党からすれば、公明党と連立を組む意味はあくまで戦略的なものであって、議員によっては憚らず「当選のために」と集票マシーンとしての創価学会のみを評価する場合さえあり、踏まれても自民党に付いていくしかない下駄の雪と揶揄されながらも、ある種のドM的な存在として調整弁になってきた点は再認識していかなければならないと考えます。 他方で、池田大作さんも亡くなられ、党勢の維持・拡大という内向きな話も公明党の内外から聞かれるようになってきました。ただ、ポスト池田さんというのは、むしろ優秀だけど地味な政治家が正論を与党内で言い自民党の暴走を抑える聖人的な役割という土台の上に、何を載せていくかが問われているのではないかと思うのです。 結党の根幹でもある通り、大衆のために、絶対的な平和を希求し、多くの国民に希望を与えられる政策の実現は何なのかというグランドデザインを築く必要があります。今後、国民に多くの痛みを強いることになる社会保障改革を断行しなければならない自公政権にとって、国民に明るい展望を見せられる政策目標を考えなければならないのです。その回答は大衆にあると思っていて、大衆と平和を掲げた立党精神に立ち返り、より分かりやすい言葉で池田大作さんの思想を未来に向けて再定義しないといけないのではないでしょうか。 ついでに公明党に期待したいこと 冒頭にも書きましたが、優れた真面目な政治家を擁し、政策議論でも与党を割とリードしているはずの公明党が、ある意味でしっかりとした支持層である創価学会との関係性の中で閉じていて一般にはあまり知られていないように見えるのはもったいないなあと思います。 かくいう自民党でも、これはと思う若手や中堅もやっぱり地元での活動を優先して有権者との関係に閉じてしまっているのもまた残念に感じます。 小泉純一郎政権から麻生太郎政権ぐらいまでまあまあ強いはずであった都市部で自民党が目下壊滅的な支持状況になっているのも(本来自民党大阪府連をベースにした第二自民党的扱いのはずの旧大阪維新に近畿は完全にやられていることを筆頭に)、知名度や発信力が手堅い支持層に閉じてしまう状況があるからでしょう��� 伊佐進一さんによる維新の社会保障改革案への反論などを見ても、ものすごくオーソドックスかつ丁寧に提言内容の矛盾を突き、維新の考える低負担低福祉と一線を画した高負担高福祉の政策主張と現実的対応について手堅くまとめているのに、真面目過ぎて本来届くべき人に届いていないのかなとも思います。 そして、昨今では公明党代表の山口那津男さんのご勇退と、石井啓一さんへのスイッチも取り沙汰されています。ただ、そうはいかんざき以降一般の有権者が、親しみやすかったり、面白かったり、分かりやすかったりといった、真面目さや堅実さとは異なるフックを欠いてしまうと固有の支持層以外の広がりを欠いてしまうのではないかと危惧します。 また、去年は自民党都連の故・高島直樹さんや東京12区支部長になった高木啓さんらが派手にやらかした一件では、自公連立の根幹が揺らぎかねない問題へと発展してしまいました。政治への信頼を取り戻すための政治資金規正法の改正議論で自民党と公明党との間に考え方の違いが浮き彫りになるなど、24年も一緒に頑張っているとやっぱりどこかしらパイプ役や調整弁の損耗が著しくなるものなのかなと思わないでもありません。 見ている側からしますと、やはり公明党もまた岐路に立っていて、述べた通りグランドデザインを大きく掲げて国民に希望を抱いていただける政策を分かりやすく大きく述べていくか、���たは本来の公明党の役割は大衆の生活に根差した地道な地方議員の活動に集約して国政に関わる部分は落としどころを考えながら徐々に縮小するかの二択になるんじゃないかと感じます。 正直考えどころだと思いますし、しかし公明党には担うべき何かがまだまだものすごくある団体であることは間違いないとも感じていますので、節目を受け身で迎えるのではなく蛮族のように仕掛けることもまた道なのではないかなあと信じる次第です。 思わずいっぱい書いちゃいましたが、こちらからは以上です。
月刊『公明』24年6月号に「退縮する地方で取り組む撤退戦」について寄稿しました|山本一郎(やまもといちろう)
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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真実の口の手相占い、100円なのでやってみたが割と当たってる。まあこういうのは誰にでも当てはまるようなものを適当に文章化しているだけで、あくまで一時的に楽しむ物だと思うが、なんせ100円でこのおもしろ体験ができることがうれしい。
あなたは大量の仕事をすることよりも精神的に豊かになる作業を好みます。
確かにそう。仕事嫌いやし、精神的に豊かなクリエイティブなことするのがいい。でもこれって全員当てはまらない?たとえ仕事好きな人でも大量にするのはちょっと違うだろうし、確かに「精神的に豊かになる作業」が一体具体的に何のことかわからないから、��うにでも自分を納得させることができるかとおもう。
あなたは時として本能のなすがままに身を任せ攻撃的になる傾向のある人です。
これも確かにそう。私は結構辛辣なところあるから、お局にも怖がられたりする。でもこれも全員に当てはまることじゃない?「時として」だから、常に攻撃的じゃないところがミソだな。どんなに普段穏やかな人でも誰しもたまには攻撃的になるんじゃね?それは「自己防衛」でもあるしね。
あなたは精神的もしくは肉体的ストレスに対しての抵抗力があまりありません。
これはどうなんだろうね?確かにストレス耐性なんて、ないと言われればない気もするし、あると言われればある気もする。ちなみに私がBIG5やった時は「打たれ強い性格で他人に無関心な人です」と出た。そしてストレス耐性の偏差値は48で平均的だった。人並みに解決能力があるらしく、不安や緊張に囚われにくいとある。ストレスの原因から逃げることなく受け止められるとか。確かに自分が悪い時は自分を客観的にみて、ここがダメだったなと自分のことなのにまるで他人事のように判断することができる方かな。なんか悩み相談とか聞いていると、大体の人は自分のこと客観視できてないな、この人…って感じだけど、私は客観的に見すぎて冷静すぎて我ながらどこが悪いのか分析済みですから、他人に聞くまでもないですね、という感じで報告をする感じやな。自分のここがダメだったとか全く隠さず平気で言うし。
職業や住居、生活スタイルに大きな変化があなたに見られます。
これはまあそうだろうね。だって私日本とカナダを行き来しているから。そりゃ生活スタイルに大きな変化があるわ。国も違うんだし。でもさ、これはたとえば新卒で就職してずっと長年働いてたけど、結婚で辞めて、夫の地元に行くとか、そういう結婚することでも生活スタイルに大きな変化があるわけやよね。地元から全く離れていないように見える友達も、まあ地味に隣の市に引っ越して新築一軒家建てたりしてるから、それはその友達にとっては大きな変化だったわけだし、それに職業って職場で部署異動なんかしても、まあ他人からしたら同じ会社にいるから小さな事に思えるけど、本人からしたら新たに仕事覚えるとか新たな人間関係を築かなきゃいけないわけで、大きな変化があると言ってもいいかも。どんな些細なことでも、その人にとっては大きな変化ではあるよな。
あなたは精神的疲労や不安から心配症になりやすく、あなた自身平穏な生活をとてもできないと思いがちです。
そんなこと思ったことないけどなw私の人生、基本的に平穏な生活やけどな。色々とあるけど、いつも事故になったりせず無事に過ごしてる。まあ交通事故一度あったけど、大した怪我でもなく、大きな病気などもなく、身体の弱い通院や入退院を繰り返している人たちに比べると、めちゃくちゃ平穏に暮らせている。でもまあこれもそりゃ全員に当てはまることでもあるかな。精神的疲労や不安から心配症になるって当たり前のことやん?そりゃ���でもそう思うときあるよなーって感じ。
あなたは物質的なものに縛られない最高の結婚運の持ち主です。
これは当たってる。ガチで最高の結婚運やと思う。ロバートと結婚してよかったと思うことがいっぱいあるし、毎日非常に幸せだ。たとえ亡くなっても、不動産が受け継がれるわけだし、ある程度の遺産はあるようなので社会に繋がるために、ゆるーく働くみたいな生活スタイルで生きていけるという。「物質的なものに縛られない」と言うのが謎やけど、確かに今お金があるからこそ物質的なものに縛られず、ご飯なんかも外で食べてきたりするから、キッチン道具も最小限でいいわけだし、食器は本当に最小限にしか用意していない。処分しても何も思わないような百均の食器やし。生地をたくさん買ってるけど、それはこれから色々作る可能性を買ってるという感じで、なにか高級ブランド品とかは馬鹿馬鹿しくなってきたところ。今までの自分は、なぜあんなに高級ブランド品に憧れを持っていたのか?それは今まで自分を持っていなかったから。自分が作るものは、この世にたった一点しかないし、生地の在庫がなく、頼まれても同じものを二点も作れないし、作る主義でもない。この世に唯一無二のもの。これって最高ではないか?
なんかでもこの結果がどう見ても幸せに思えない結婚をした友達にも出たとすると、それはそれで友達は納得すると思うんよな。そう思い込みたいんだと思う。自分の選択は間違ってなかったと。親も正直あの子はどうなん?て感じだったらしく、なんとか押し切って結婚してしまった今、何かあっても親には絶対に相談できないとか言ってたから。結婚して間もないのに不倫願望がある時点でやべえだろ…と思うんやけど。まあ確かに高校時代から憧れてた彼との結婚やし、そんな人と大人になってから結ばれて結婚なんてほんま一見ドラマチックで少女マンガみたいやしな。実際、ケチで色々間違った選択をしまくってるクソ男なんやけども。なんか、高校時代はあの男は私のことが好きだった時期があるらしく、時折友達に嫉妬されて嫌味のようなこと言われてたんだけども、私がもし彼のことが好きになって、私が彼と結婚していたらと思うと、ゾッとする。彼のケチエピソードは貧乏芸人のネタかと思うほど面白いんやけど、ロバートにその話をすると気分悪くなるから辞めてくれ!と言われるほどwでもこれほんまに事実で、友達から聞いた話を私の妄想抜きで色々省略して軽めに話してるだけだからな。なんかでも割とお嬢様育ちで、実家が元旅館ですごく大きな家で、姉が二人もいるのに新品の服を常に買ってもらったり、食べ物とかもいつも高級食材でお母さんが美味しいのを用意してくれて苦労したことなかった子が、結婚してからあんな貧乏くさい底辺な衣食住で我慢しなきゃいけないって、私は実家まあそこそこ広いけど祖母が死んでから年々ゴミ屋敷化して狭くなってるし、子供の頃の服は基本全部姉のお下がりだったし、なんか水回りが不潔でスプーンやお皿がベタついているのは普通で、米も虫が沸いたやつを洗って、保温しまくったり冷やご飯を食べたりしてたから、実家の米は恐ろしく不味くて苦手だったんだよな。こんな感じで生活レベルが割と低かったから、意外と馴染めそうな気はするんだよな。でも生活レベルどうせならあげたいし。恵まれた生活してた子って、それが当たり前やと思ってるから、この人と結婚してしまうと生活レベル下がるという自覚があまりない人が多い気がする。
米は鍋で0.5合ぐらい都度炊くようにするのが一番美味しくいい感じに食べれるし、浸水時間とか実際そこまで気にしなくてもいいんよな。浸水しないと、ご飯のかさが減る上、堅めに炊けるから0.5合で茶碗一杯分くらいになって一人分にちょうどいい量で炊けるから。米自体は私は好きなんやけど、実家の米がほんとわざとか?ってくらい米を不味くしてる。ていうか米がまずいのは炊飯器のせいと思ってる。炊飯器じゃなくて鍋で炊いてますけどね。炊飯器全然洗わないからそれが米が臭くなる一因なんだよ。掃除できないなら鍋で炊けよ。火加減なんて火を起こすところからやるわけでもないんだから全く難しくないし。食器が無駄にたくさんあっても管理が行き届かないんだから、多少足りないぐらいでいいんだよ。
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スダチの不登校サポート!進学や就職成功の秘訣に迫る
▼本記事はこんな人におすすめ!
「不登校支援のスダチって具体的にどんなサポートをしているの?」 「不登校の子どもにどのようなサポートをすればいいの?」
今回は『不登校のお子さんの未来はどうなるのか』についてお答えしたいと思います。
不登校の親御さんにとって、進学や就職の将来がどうなるのか、とても気になるポイントだと思いますので、詳しく掘り下げていきます。
それでは、詳しく見ていきましょう。
▼記事を読むとわかること
・不登校のお子さんの進学状況について ・通信制高校の現実と課題について ・不登校のお子さんの就職や課題について ・親子のサポートの重要性について
スダチでは、学校で問題を抱えて行き渋りや不登校、ひきこもりとなったお子さん方を平均3週間で再登校に導いています。
2024年1月時点で1,000名以上のお子さんが再登校に成功しています。
お子さん方はみなさん主体的に再登校を果たし、その後は学校生活を自ら楽しんでいます。
お子さんが深く悩んでいる様子のときには、行き渋りが始まる前に一度スダチへ相談いただけたら幸いです。
現状の様子をヒアリングさせていただき、今お子さんが抱えている問題を根本解決していくために必要なアプローチをお話しさせていただきます。
無料オンライン相談は、1対1で顔出しも不要のため、この機会にご活用ください。
1.不登校でも8割が高校進学!スダチが考える進路サポートの必要性
ここでは、不登校のお子さんの進学状況についてご説明します。
ますい「文科省のデータによると、不登校のお子さんの85.1%が高校に進学しています。ただし、その中で全日制高校へ進学している割合は不明確ですが、定時制や通信制が大部分を占めていると推測されます。高校進学率が高いのは親御さんが進路を真剣に考え、なんとか高校に入学させたいと願っているからだと思います。ただ、その進学先が適切かどうかが問題です。」
小川「そうですね。全日制高校に進学できるのは、勉強が非常にできる子や、特定の私立高校に進学するケースが多いです。ただ、多くの場合は定時制や通信制高校が選択肢となります。特に通信制高校に進学した場合、その後の進路が問題になることが多いです。文科省のデータでは、通信制高校に進学した生徒の32%が進路未決定、6%が退学しているという現実があります。」
ますい「通信制高校があるから大丈夫、という認識は危険ということですね。」
小川「進学率22.8%と、大学や短大に進む割合が低いことも大きな課題です。この数字を見ると、不登校の影響は高校以降の進路選択にまで大きく影響を与えていることがわかります。また、通信制高校に通ったとしても継続的に学習する習慣がないと、卒業後の進路がますます厳しくなる傾向があります。」
不登校のお子さんの約8割が高校に進学しているものの、定時制や通信制高校が大部分を占めていることがよくわかりますね。
また、大学進学率もそのうち約2割と低く、不登校がその後の進路にも影響を与えることが明らかですね。
そのため、スダチでは進学後の継続的な学習習慣のサポートや、親子での進路計画の立案等も見据えたサポートに取り組んでおります。
2.自由度が高い通信制高校で失敗しないために必要なサポート
ここでは、通信制高校の現実と課題にする理由についてご説明します。
ますい「通信制高校に進んでも、自己管理が求められる環境で挫折するケースが多いです。親御さんのサポートがなければ、継続的な学習が難しくなる現実があります。通信制の環境は自由度が高い分、自己責任が重くのしかかります。」
小川「実際に通信制高校を選んだお子さんがモチベーションを保つのは非常に難しいです。たとえば、1年に1回だけの登校でも、毎日しっかり勉強するのは大人でも難しいですよね。こういった現状を親御さんも理解されているからこそ、スダチに相談に来られるケースが増えています。」
ますい「通信制高校に進んだ場合でも、親子の関係がしっかりしていて、お子さんが自分で学びたい意欲を持っていれば、立ち直ることは可能です。ただ、そのためには生活習慣の改善や親子の信頼関係を構築することが重要です。それがないと、通信制高校を選択しただけで安心するのは危険です。」
通信制高校は自由度が高い一方で、自己管理能力が求められるため、多くの生徒がモチベーションを維持できず挫折するケースもあるのですね。
今後は、親子の信頼関係を築きながらサポートする仕組みの整備や、生活習慣改善プログラムの導入が課題解決の鍵となるでしょう。
3.採用のカギは継続力!不登校期間をポジティブに変える具体策
ここでは、就職の可能性と課題についてご説明します。
小川「次に就職についてですが、少子高齢化の影響で、求人は増えています。しかし、条件を選ばなければの話です。良い条件の職場を選ぼうとすると、一定の学歴やスキルが求められるのが現実です。不登校の影響が長引くと、これらの条件をクリアすることがさらに難しくなります。」
ますい「そうですね。ハローワークの求人情報を見ても、給与が非常に低い場合も多く、生活できる水準を確保するのが難しいこともあります。また、不登校の経験が就職活動でネックになるケースも少なくありません。採用する側としても、学校や職場で継続的に頑張れた実績があるかを重視するため、不登校期間中の状況が採用に影響を与えることがあります。」
小川「就職ができたとしても、すぐに辞めてしまうケースも多いです。それは、これまでの生活習慣が影響していることが多いですね。会社勤めでは時間やルールが厳格に求められるため、規則正しい生活が送れないと長続きしません。親御さんが今のうちからサポートをして、基盤を整えることが大切です。」
【関連記事】 不登校の小学生の家での過ごし方については下記で詳しく説明しています。
親子で作る不登校の小学生の家での過ごし方とは?経験者が解説します!
4.やる気を引き出す褒め方のコツ!スダチ流のコミュニケーション術
ここでは、親子のサポートの重要性についてご説明します。
小川「不登校のお子さんの進学や就職を成功させるには、親子でのサポートが非常に重要です。特に生活習慣やデジタル機器との付き合い方、運動や食生活を整えることが欠かせません。これらを改善することで、自己管理能力や社会に適応する力を養うことができます。」
ますい「そうですね。スダチのサポートでは、生活リズムの改善やデジタルデトックスの実施、そしてお子さんのやる気を引き出すための褒め方や声かけの方法もお伝えしています。これらを取り入れることで、お子さんが社会に出て自立するための土台を築くことができます。」
小川「また、親御さん自身が正しい知識を持つことも重要です。不登校への正しい理解があれば、焦らずに対応することができます。親御さんが安心してサポートできる環境を作るためにも、私たちのような専門機関を頼っていただきたいです。」
生活習慣やデジタル機器の適切な管理、運動や食生活の改善が自己管理能力を高め、社会適応力を養う基盤となります。
そこで、スダチのサポートでは、生活リズムの整え方やデジタルデトックスの方法、子どものやる気を引き出す声かけの手法を提供しています。
今後も、親御さん自身の不登校理解を深める教育や、親子のサポート体制を強化するサポートを提供してまいります。
5.進学・就職を可能にする親子の連携!スダチのサポート実例
小川「現実は厳しい部分もありますが、不登校のお子さんでも進学や就職の可能性を広げることは十分可能です。そのためには、親子での正しいサポートが必要不可欠です。」
ますい「スダチでは、不登校のお子さんと親御さんが共に成長できるよう、さまざまなサポートを提供しています。もし、現状を改善したいと思われた方は、ぜひ私たちの無料相談にお越しください。一緒に解決策を考えていきましょう!」
いかがでしたか?
スダチでは、不登校のお子さんが進学や就職の可能性を広げるために、親子でのサポートを大切に考えています。
生活習慣の改善や正しい知識の提供を通じて、親御さんとお子さんが共に成長できる環境を整えてまいります。
私たちは、ただ結果を求めるのではなく、お子さんと親御さんが納得し、自立への道を歩むことが重要です。
そのため、現状を改善し未来への一歩を踏み出したい方に、最適なサポートを提供し続けていきます。
この記事でご興味を持たれた方は、ぜひスダチの無料相談をご利用ください。
今回の記事についてYoutubeでも確認できます。ぜひご覧ください。
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まさに、ランドリーやフィットネスを本格展開していこうとしていた2018年に、ファミリーマートという企業体の根幹を変えるほどの激変があったことが分かります。 人員削減についてはここでは詳細を避けますが、800人への退職奨励をしていたにも関わらず、希望者が予想よりも多いことが判明し、一転して人によっては退職を認めない「適用否認」プロセスが設けられました。ここで「辞めてはいけない」と否認された人には求めに応じて退職希望を出したにも関わらず、退職しても割増退職金が支払われない、という後付けルールが適用され、社内は大パニックになったそう。 更に、割増退職金が支払われないなら退職しない、残留すると決めた人は「一度、退職すると表明した時点で忠誠心が低い」と見なされて、その後に降格人事が行われたそう。こうなるともう働き続けるのが厳しいと感じてしまうのは私だけでしょうか? そんな混乱状態だったと思われる社内状況を想像しながら出来事リストを眺めると、2021年3月の細見社長が就任して間もなく、「ランドリー事業からの撤退」が意思決定されたのではないか、という推測が立ちます。 なぜなら、当初の計画には及ばないに��ても、ファミマランドリーは2021年までは出店ペースを徐々に上げて来たにも関わらず、それ以降は新規出店は2軒に留まり、しかもその新規オープンもニュースリリースもされずに、その後の事業売却に至ったからです。既に契約済や着工していた引き返せない案件を除き、遅くても2021年早々に他の投資案件はすべてキャンセルされたと考えるのが自然です。
【事業売却】結局、ファミマランドリーとは何だったのか? | 自宅兼コインランドリー経営奮闘記
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2024年5月5日

【速報】岸田内閣の支持率29.8% 前回調査より7.0ポイント上昇 5月JNN世論調査(TBS NEWS DIG)2024年5月5日
岸田内閣の支持率が前回の調査から7.0ポイント上昇し、29.8%だったことが最新のJNNの世論調査でわかりました。
不支持率は前回の調査から7.1ポイント下落し、67.9%でした。
また、政党支持率では、▼自民党の支持が前回の調査から1.6ポイント下落し、23.4%、▼立憲民主党は4.1ポイント上昇し、10.2%、▼日本維新の会は0.3ポイント上昇し、4.6%でした。
【調査方法】 JNNではコンピュータで無作為に数字を組み合わせ、固定電話と携帯電話両方をかけて行う「RDD方式」を採用しています。
5月4日(土)、5日(日)に全国18歳以上の男女2143人〔固定850人、携帯1293人〕に調査を行い、そのうち47.3%にあたる1013人から有効な回答を得ました。その内訳は固定電話508人、携帯505人でした。
インターネットによる調査は、「その分野に関心がある人」が多く回答する傾向があるため、調査結果には偏りが生じます。より「有権者の縮図」に近づけるためにもJNNでは電話による調査を実施しています。無作為に選んだ方々に対し、機械による自動音声で調査を行うのではなく、調査員が直接聞き取りを行っています。

政権に忖度するテレビ朝日に「株主提案」で問題提起 勝算はあるのか…田中優子さんに聞いた(日刊ゲンダイ 5月6日)
【注目の人 直撃インタビュー】 田中優子さん(法政大前総長)
昨年発足した市民グループ「テレビ輝け!市民ネットワーク」がテレビ朝日ホールディングスに株主提案を行い、話題を集めている。権力による報道介入を防ぐため、定款変更を求めるというもの。過去10年間に圧力を受けたり、放送番組審議会が機能不全に陥っている場合などには、独立した第三者委員会を設立して調査・公表する▽番組審議会委員らの任期に上限を設ける▽共同代表を務める元文科次官の前川喜平氏を社外取締役に就ける──とする議案を出した。なぜ今、こうした手法で問題提起をしたのか。勝算はあるのか。前川氏と共に共同代表を担う法政大前総長に聞いた。
──在京キー局を抱える持ち株会社は5社あります。どうしてテレ朝なのですか。
テレビ朝日の報道姿勢は、ある時を境に大きく変わってしまった。政権に対する忖度が露骨になった。そうした認識を私たちが共有しているからです。
──「ある時」というのは?
「報道ステーション」のコメンテーターだった(元経産官僚の)古賀茂明さんが降板した2015年です。(過激派組織)イスラム国による日本人人質事件をめぐり、古賀さんは政府の対応を「I am not ABE」という言葉で批判したため、2カ月後に番組から降ろされてしまった。チーフプロデューサーも異動を命じられた。官邸がテレビ朝日側に圧力をかけたと古賀さんらからも聞き、とんでもないことが起きていると危機感を抱き始めました。
──安倍首相が中東歴訪中に「ISIL(イスラム国)と戦う周辺各国に総額2億ドル程度、支援をお約束します」と発言。反発したイスラム国が人質殺害を警告する事態となり、古賀発言���つながっていきました。
■耐えがたかった卒業生殺害
拉致された末に殺害されたフリージャーナリストの後藤健二さんは、法政大学の卒業生なんですね。私は総長として、悲しく耐えがたい出来事を特に卒業生たちに報告しなければならなかった。とても、とてもつらいことでした。ですから、古賀さんの発言の真意はよく分かりましたし、深く共感していた。後藤さんを救出したい一心のご家族は、水面下で必死の交渉を続けていたんです。にもかかわらず、安倍政権が待ったをかけた。なぜあんな結末を招いてしまったのか。政府の対応は疑問だらけだし、テレ朝の動きもおかしい。そうした疑念を裏付けたのが、(昨年明るみに出た)総務省の内部文書でした。
──総務省文書には、放送法が定める「政治的公平性」の解釈変更をめぐり、2014年から15年にかけて官邸が総務省側に圧力を強めていった記録が克明に記されています。
やり玉に挙げられていたのが、テレビ朝日とTBSでした。(TBSの)「サンデーモーニング」には私自身が出演していましたが、特に変化はなかった。関口宏さんが3月末にお辞めになったのは、世代交代が理由でした。それはそうなのでしょう。だけれども、テレビ朝日で明らかに大問題が起きた以上、番組の質を注視していく必要はあると思っています。
大手ほどやらない調査報道
──テレビ朝日HDの株主総会は6月。市民ネットワークは昨年9月末までに48人で計4万株(400単元=約6000万円分)を購入し、会社法に基づく議題提案権行使に必要な「300単元以上の議決権を6カ月継続保有」をクリア。他の株主に提案を開示させる道筋をつけたほか、株主名簿の閲覧謄写も請求できるそうですね。
提案できる態勢を整えたのは、すごく大事なこと。テレビの影響力はまだまだ強い。信頼しているがゆえにしっかりしてほしい。資金もマンパワーもある大手メディアこそ調査報道に力を入れるべきなのに、大手ほどやらない。おかしいでしょう。私たちは批判するのではなく、励ますための提案をしているんです。
──前川氏は官僚時代、安倍官邸から強い圧力を受けました。社外取締役への推薦は、テレビ朝日に果たし状を突きつけたように見えます。
前川さんはふさわしい人物だと思います。社外取締役は取締役会などを通じて経営に助言したり、監督する立場。テレビ朝日HDの大株主である朝日新聞を含む報道機関としての経営のあり方、政権との関係をちゃんと見ておくことが必要なのであって、「公正にやってください」と言っているに等しい。番組制作の現場に直接口を挟めるわけではありません。取締役会の決定を覆すこともまずできないので、果たし状でも何でもない。それでも、テレビ朝日は私たちの提案にはなかなか応じないでしょうね。
──議決権比率の問題ですか。
そのあたりは事務局の阪口徳雄弁護士が詳しいのですが、米国では株主の10%以上が賛成した提案について、会社は何らかの対応をしなければならない。相当な発言力を得られるんですよね。私たちもそこを目指したいのですが、とても遠い。さらに200倍を超える資金を投じなければならなくて。
──200倍! テレビ朝日HDの時価総額は2190億円超に上ります。いかに賛同を広げるかが今後の展開を左右しますね。
この運動は今年限りのものではありません。これを機に「そういう方法があったのか」と知っていただき、来年に向けて多くの方が「一緒に株を買いましょう」となれば、大きなうねりになる可能性はあります。政府は22年末、閣議決定で安全保障関連3文書を改定しましたよね。安保政策を大転換し、大軍拡に舵を切った。それを受けて23年1月に「平和を求め軍拡を許さない女たちの会」を立ち上げ、一連の動きを俯瞰したいと思って年表を作ったんです。自民党は野党時代の12年4月に改憲草案を発表し、12月に政権復帰。13年に特定秘密保護法、15年に安保法制、17年にいわゆる共謀罪法が成立した。第2次安倍政権以降の10年あまりで軍拡の流れは確固としたものになり、その間にマスコミに対する圧力を次第に強めていったのではないか。そうした思いを強めました。
■「◯◯政権」と呼ぶ意味がない
──確かに、深掘り報道がグッと減りました。
沖縄に関する情報は本土では全然報じられない。自衛隊の南西シフトに対し、沖縄の人々はどう反応しているのか。メディアが伝えなければ、一般市民は正確な情報を知る術がないでしょう。それともうひとつ、企業の存在も大きい。提供(広告)を通じてテレビ局に影響を及ぼしています。軍拡に関与している企業は少なくありません。一方で、企業は消費者の声やプレッシャーを無視することはできない。そうした関係を踏まえながら、報道を望ましい方向へ持っていくアプローチを始めたということなのです。
──タカ派の安倍政権、菅政権の9年。当初はハト派と目された岸田政権は、3年を待たずに馬脚を現しました。
状況はどんどんひどくなっている。首相の名前を取って「◯◯政権」と呼びますけれど、私は全く意味がないと思っているんです。自民党政権は首相が誰であっても中身は同じですから。米国の傀儡であり、抱き込まれるままなのが既定路線。訪米した岸田首相は米軍と自衛隊の指揮統制の連携強化で合意しました。その先に主権制限があるのは明白ですが、それも自民党政権は織り込み済みなのでしょう。
──主権の一部を切り離す方針は米軍の公式文書に明記されています。
民主主義を担保するのは選挙です。それなのに、投票行動の前提となる情報が圧倒的に足りない。政府が、自民党が何をしようとしているのかが判然としない。だから、私たちはちゃんとした報道を求めているんです。(聞き手=坂本千晶/日刊ゲンダイ)
▽田中優子(たなか・ゆうこ) 1952年、横浜市生まれ。江戸文化研究者。法政大文学部日本文学科卒、法大大学院人文科学研究科博士課程満期退学。法大社会学部教授、社会学部長、第19代総長を歴任し、現在は名誉教授。著書「江戸の想像力」で芸術選奨文部大臣新人賞、「江戸百夢」で芸術選奨文部科学大臣賞とサントリー学芸賞を受賞。2005年に紫綬褒章受章。
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プロフィール
こんにちは😃
先日から能登半島地震で被災されたり、JALの事故に居合わせた方々の参考になればと思い、PTSDに関して辛い体験を話すことも大事かも💡という内容引用をしてきました。
話すこと ・ 話すこと2 @過去の記事
辛い経験を話したい方が話せる場所があるといいなぁとは思っていたのですが、色々と考えて、思いきって自分で体験のシェア会をボランティアで始めてみることにしました!
誰も来ない可能性大ですが😭、スポーツクラブのオンラインレッスンを担当していた時は北海道から大分ぐらいまで全国の方がいらっしゃってくださったので、SNSのフォロワーさんやそのお友達、親族にお一人ぐらいは該当の方もいるかなぁと思いまして… でもやっぱりいないかな😭 ぜひ皆様シェアしてくださると嬉しいです🙏💦💦
さて、詳細は後日発表予定ですがその前に、オンラインで初めましての方には私があまりにも馬の骨なので、詳しいプロフィールを書くことにしました🦴
が、全然読まなくて大丈夫です!😅
詳しく調べてから通いたい慎重な方向けですので、ご興味あれば… という感じでよろしくお願い申し上げます🙏
エピソードを全部を書いてたら長くなるので、今の私に影響しているかな?ということだけかいつまんだけれど、それでも長いので暇で死にそうな時があったら読んでくださいませ〜♡
ではさっそくプロフィールです↓

(右が私です)
濱崎みき
福岡県出身
同志社大学 文化情報学部卒業
製薬会社にて医薬情報担当者(MR)を経てヨガインストラクター
修了
RYT200、ジャネットラウ 陰陽ヨガインストラクター養成講座、ポールグリリー YOGI’s guide to chakra meditation、他
レッスン実績
HOT 40 YOGA、ACEアクシスコア、gift(カフェヨガ、古民家ヨガ)、コラーゲンスタジオ ルキナ、昭和記念公園(パークヨガ)、studio BOWSPRING、スポーツクラブNAS、セントラルフィットネス、東急スポーツオアシス、NASLIVE、マタニティヨガ、溶岩ヨガ 美温
はじめまして。濱崎みきと申します。千葉でヨガインストラクターをやっております。
ここからは今までの私について目次の順番で書いていますが、ホントに読まなくて大丈夫な内容が無いやつなので😭、お忙しい皆様は⑥のメッセージのところまで飛ばしてくださいませ〜💦
よろしくお願いいたします🙏
目次
①子供時代
②大学生
③会社員
④ヨガ
⑤プー時々フリーター
⑥メッセージ
①子供時代
私は福岡県出身で高校卒業までは福岡の田舎で育ちました。子供の頃のことで特別だったのは信仰についてです。
両親のルーツは長崎県で、私は敬虔なカトリック(伝統的なキリスト教)の家庭で育ちました。
幼児洗礼を受け、物心ついた時からはほぼ毎週ミサに通っていました。日曜学校という子供向けの聖書の勉強会にも参加していました。
今は色々ありキリスト教やその他宗教も信仰していませんが、普通に過ごしていたら気にならないであろう、愛、罪、神などについて小さい頃からよく考えていました。
また祖父母は被爆者で、原爆資料や被爆した教会を見に行く機会も多く、それらにとても心を痛めていて、子供ながらにラブアンドピースを探求するジョンレノン系でもありました。
これらは私がインド神話やヨガ哲学、ヨガ的な心の持ち方に興味を持つきっかけになったと思います。
②大学生
その後、大学入学を機に京都に引っ越しました。
大学は文化全般を学べる珍しい学部に行き、芸術、身体論、言語学など、人間の精神的な活動である文化について広く触れました。
卒業時には、京都国立美術館で美術室長、京都文化資料研究センター長を歴任された狩野博之教授の研究室で、日本美術(浮世絵)を専攻しました。博物館学芸員の国家資格も持っています。
憧れていた学芸員には結局なれませんでしたが、今でも芸術に触れることが大好きです。
③会社員
卒業後は製薬会社に就職しました。営業として医師や薬剤師の先生達と面会する仕事をしていて、転勤で東京にやってきました。
病気や薬、医療制度についてとても勉強になり貴重な経験もさせていただいたのですが、性格的に全く向いていなくて… たくさんの方に助けていただいたけれど体調を崩して6年で辞めました。
④ヨガ
その頃は色々と迷走していて、ベジタリアンになったり、山ほど漢方を飲んだり、怪しいマントラを唱えて瞑想したり、健康法やスピリチュアルなことをたくさん習いに行きました。
その中で “あるヨギの自叙伝” というパラマハンサ・ヨガナンダの本に出会いました。ヨガナンダは映画化もされた、アメリカにヨガを伝えたインド人です。
その影響で、ヨガナンダが提唱した “クリヤヨガ” を習うべく“Babaji’s KriyaYoga” という、カナダの団体のイニシエーションをレベル2まで受けました。それがヨガを本格的に始めたきっかけです。
(当時、ヨガナンダが作ったSRFでは英語でしか学べなかったので内容が近そうなところから学びました。今は翻訳された通信コースがあります。)
その後もクリヤヨガを続けながら、伝統的なヨガから新しいヨガ、歌うヨガや食べるヨガも!色々習いに行きました。
結局今はベーシックなハタヨガと陰陽ヨガが好きで続けています。
⑤プー時々フリーター
退職後は千葉に引っ越して、ヨガスクールに通ったり、カフェで働いたり、タイ古式マッサージ店で働いたり、薬膳やアーユルヴェーダ、太極拳、カッサ、アレキサンダーテクニーク、フェルデンクライスメソッド、ヴィパッサナー瞑想、マインドフルネス瞑想、チャクラ瞑想、TFT(思考場療法)も習いました!
ヨガスクール卒業後は細々とクラスもしながら今に至る、という感じです。
全くバラバラでまとまりのないように見えますが、私にとっては意外と一貫性があります。
それは “健康に興味津々!” ということです!
それも、ボディ、マインド、スピリット、コミュニティを含む統合的な健康です。
芸術や信仰は魂の栄養ですし、薬やアーユルヴェーダは身体の健康に、食事やマッサージは心の健康にも関係がありますね。
そして、ヨガは “ボディ、マインド、スピリット、全ての栄養になる!” と私は思っています!ヨガのためにみんなで集まるのも、コミュニティの健康に繋がりそうです。
⑥メッセージ
一昨年コロナ禍でまだ先が見えなかった時に、ヨガがトラウマセラピーに使われていることを知りました。
そしてヨガ以外にも体を使った心に働きかけるセラピーがたくさんあることを知ってとても興味を持ち、気の向くままに色々と習いに行きました。
その中でTFTというツボをトントンすることで、重たい感情が軽くなるようなセラピーに出会いました。
辛い時に何かに救われた経験は皆様あると思います。私はヨガにも救われましたが、TFTにもかなり救われました。
そこでもう少し深めるために、今はTFTや次の段階のHRV呼吸法という心拍数を測りながら行う呼吸法を習っているところです。
そして、昨年末にTFTパートナーという辛かった経験を聞いたり一緒にツボをトントンしたりするライセンスも取りました。
身近な人で練習してから活動を広げて行けたらいいかなと思っていた矢先に、能登半島地震やJALの事故が起きました。
そこで未熟ではあるけれど、勇気を出してTFTお茶会をしてみることにしました。毎週やる予定なので、辛い話したいことがある方は是非リラックスしてたくさん来てください♡
今までもヨガクラス後にヨガ哲学に関する体験や日々の嬉しかったことや悩みをシェアする対面のお茶会、コロナ禍にみんなで励まし合うオンラインお茶会を5〜10人くらいでやったことがあってけっこう好評でした💡(たぶん😭)
でも来てくださった方がどうというより私が1番励まされました。私はみんなで体験をぺちゃくちゃシェアしあうことが大好きです。
TFTはまだ勉強を始めたばかりで、できることはセラピストの先生達に比べると少ないけれど、その中でも何かお役に立てれば💦 と思っています。
辛いのに周りの方を気遣って弱音を吐かず、明るく振る舞っているような方もいらっしゃると思います。でも、そういうのはちょっとだけお休みしてご自分らしく悲しさや怒りを表現する時間もあってもいいんじゃないかな〜と私は思います。
そしてみんなで怒ったり悲しんだり気持ちもシェアして、ツボをトントンして、お茶を飲んで、解散する。
そんな会になるよう頑張ります!
私のいいところはとにかくゆるーいところで、それゆえヨガクラスもなんとも締まりのない感じですが、気負わず来れる場所を作れているのでは?と思っています。
そんな私とちびパンダのパン太でお待ちしています。ぜひぜひお気軽にお越しくださいませ🐼 ��越しくださる全ての皆様を歓迎いたします♡
よろしくお願い申し上げます🙇♂️
という感じです!ホントに長くなってしまいました〜😭🙏
TFTお茶会の詳細はブログにまた書きますので、該当しない方でも思い当たるお知り合いが浮かんだ方はシェアしてくださると嬉しいです🙏
ではでは、最後までお読みくださりありがとうございました🙇♂️
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます〜✨
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フリーランス一年目を振り返り今後やりたい事、自分の絵について考える✍
こんにちは、紅葉です。イラストレーターとして
フリーランス1年目の2020年12月の振り返り日記になります
―――
これまでのヘッダービシュアルについて思うこと

上記はサイトTOPや名刺用に年明け最初に制作したイラスト請け負い用のオリジナル絵です。
ゲーム業界では主に背景とアイテム制作・キャラ彩色などを中心に制作していましたが、
個人的にはアニメ・デフォルメテイストのコミカルでポップな可愛い系の作風が好きな為
自分を親しみ易い絵柄で制作しヘッダーと名刺に使用していました。


こちらが実際にデザインし1月にクリエイター交流会やイベント・セミナーで配り歩いた名刺になります。
イラストレーターとして名乗り、初めて制作した名刺の為
🍁『イラスト何でも描きます!!なんでも任せてください!!!!』
感が強く情報も多いのでちょっとバラエティー豊かですね。😅
(”デザインは余白が大事”と聞く中で詰め詰め賑やかに入れてしまっていますが色合いは今でも自分らしく好みです!)
――――
今年1年の月別概要
※私の略歴について
💡2018年年末務めていたゲーム会社倒産、失業を切っ掛けに2019年職業訓練校で新たにwebデザインを学んだ後イラスト受注会社にアートディレクター就職、残念ながら社内悪環境の為2019年年末をもって退職・フリーランスイラストレーターとして活動を始める。
2020年
1月 フリーランス準備 名刺にサイト、人生初のクリエイター交流会やSNS創作垢✊
2月 ストックイラストで新たな出会い・交流の楽しさや知識を沢山増やして行く😊
ブランディングについて、自問自答の自己分析がはじまる
3月 WEB面接打合せなど初の体験、個人で色々請け負っていく📝
4月 コロナが蔓延し新規受注案件が0になり不安定に😓
5月 SNS経由でつながった方の攻撃的な言葉に傷付き人生を見つめ直す✍
6月 新たな継続案件クライアント様と出会い高評価と自信を得る😊
7月 イラストレーターとして大きなご案件ご相談・高評価を得る😳
🎊7月7日に個人事業主として正式開業致しました㊗💡
8月 コロナの影響でドタキャンが発生しだしまた不安定に。😭
9月 自身のやりたい方向性の仕事を平行で請け負いスケジュール帳が埋まり出す
10月 毎日何かしらの提出・納品日となり過労スケジュールに..😇(成果物評判は良好
今後の為にクリエイターエキスポに下見に行きました💡 様々なイラストレーターの方々の活動がまた一歩良い刺激になりました
11月 仕事の合間に相場感や契約書・交渉・著作権利問題について知識を深める
クライアントワークのみで直面する様々な問題、低単価案件や収入を見つめストックイラストの良さを改めて感じ検討しだす
12月 今後の活動、来年に向けて 今年の自己分析の結果、方向性をまとめる
――――
会社員時代の安定とは程遠い波乱万丈な感じに怒涛に過ぎ去った1年でしたが、
その分自分で考え、これまでの経験を活かしたり新しい出会いや先人のクリエイターの方々の経験談や知識を取り入れ学ぶ事で会社員時代では中々得られなかった部分の知識・行動力・視野が広がった1年でした😊
今年よく考える事になったテーマが自分の今後やりたいこと 自分の本心から目指したい目標についてでした。
いろいろ挑戦してみて伸ばしていきたいと見つけたやりたい事について、
そんな1年を振り返る目的でこの日記を記録しています。
1~2月
完成した上記の初名刺を持参しいざ!初の交流会やセミナーなどで名刺やポートフォリオを見て頂いて
様々な方とお話した際にお褒め頂き恐縮したりする中で(会社員時代は特に視野が狭かった為たとえお世辞でも褒められなれておらず、とても嬉しかったです😊💦)

と質問いただく事が増えました。
企業勤めの間は自身の絵柄・オリジナリティでは無く企業の求める絵柄・要望に沿う物を制作し続けていたので、自分自身の好きなもの・やりたい描きたいと思う物を具体的に言えず、
言えても胸を張って心から【私はこうです!】という自信が無かった為、春先に出会った方々と対話する度に

と、悩みながらもブランディングという言葉と出会い
今年は度々、今後自分はどういう風になりたいのかな..と自己分析と自分理解を深めるきっかけを頂きました。
3~5月
自分が本当にやりたい事、得意な事…
苦手だし、不得意な事 ×
好きな事、好きだけど不得意な事 △
得意だけどやりたいと思わない事 〇
得意で普通と思う事 ◎
得意であり好きな事 ◎
――――――
絵仕事はどれも苦痛なく引き受けていた為、
背景もアイテムもキャラもミニキャラもどれもこれも自身の中では好きな物の一部でありこれまでの成果物・経験は全て自分が歩んできた武器⚔です。
なので”やりたくないな..”というのがあまり湧かず、本心と向き合い自問自答していました🤔
――――――
そんな中、春先のある日SNSの知人からDMに
知人『あなた背景得意って書いてあるけど、正直パースも効いて無いしそのレベルじゃ生きていけないよ。』
と成果物や私の経歴についてわざわざ貶す事柄が送られてきました。。
(『あなたの事を心配してるんだよ』という趣旨であった為、私の事を想い送ってくれてるんだなぁ..としばらくはやりとりを続けていましたが、度重なる脅迫DM・ストーカー行為が悪化した為こちらからはご縁を断ちました。読んでも気分の良い話では無いので詳細は割愛します😓)
当時は悩みましたが、
よくよく考えると過去の仕事に対してクライアントとその顧客以外の第三者から下手だと罵られても(赤ペンなどの具体的なアドバイスではなく純粋なただの中傷です)
その方個人の主観であり他人評価な為、気に病む必要は無いと今では吹っ切れています
まぁでもその際SNSに絵を載せる事も嫌になったのですが、
なによりも否定された以降背景制作を請け負う気になれず
(あぁ…私背景好きだった訳では無いんだなぁ…)
とそこで1つ消去法で見つかりました..👀
―��――
私が好きな事は誰かの役に立つ事!
褒められる事・助かったよと人の役に立ち喜ばれる事に自己肯定感と喜びを感じます😊
ゲーム会社内で背景担当が多かったのも、
そもそも背景を描こうと思うデザイナーが少ない(ほぼ居ない)
元からちょっと描ける&綺麗な背景を見るのが好き・キャラ同様に描ける様になりたいと憧れて居る
業務でやってみたら褒められ喜ばれた
⇒喜ばれると嬉しい(単純)⇒ゲーム背景担当者に落ち着く
という流れだったので、元から職人レベルの美麗背景職人までの実力は目指して居ませんでした。
それでもやはり、あまり知らない人に心無い言葉で否定されるのは良い気分しませんよね..😓
否定されるのが嫌・褒められるのが好き なのは人間誰でも一緒の感情だと思います。
―――
どんな事でも上には上が沢山居るのも理解していますし
SNSでも背景制作の前線でご活躍なさってる方々と恐縮ですが相互フォロー頂いたり、美麗な背景の一枚を見る度に今でも感動します😊💕
(綺麗なご作品を制作されてる方々は���さんリプ交流でもとてもお優しいです
ありがとうございます!)
🍁「受注自体は暫く控えてますが、背景に憧れ好きな気持ち自体は本物なんだろうなと思います。また自然に描きたくなってきたら仕事外でも挑戦します!🌱」
―――
6月~11月
―――
背景を一度置き(ついでにアイテムもきっと同様に得意で役立てただけで違うのだろうと置き)
自分の得意なこと・やりたいこと・好きなことを見つめ直しながら色々な絵に関するお仕事を頂いて経験しておりました📝
主な仕事
マンガ動画・広告漫画 (アニメ風・TL風)
教材キャラコンペ (ミニキャラ)
PR用劇画風イラスト (劇画風)
企業用ゆるキャラ制作 (ゆるきゃら・アニメ風)
企業用イケメンキャラクターデザイン・イラスト (乙女ゲーム風)
公式グッズデザイン(企画書~制作まで)
ソーシャルアプリ衣装制作 (女の子)
企業グッズ用ミニキャラ制作|数社 (~2頭身)
etc…
🍁『箇条書きにすると共通点まったく無くてビックリですね😲』
夏から秋に掛けて多種多様に活動し打ち合わせやご提案・交渉も徐々に慣れて行きました
ちなみに7月7日を開業日にし屋号:イラスト制作所もみじ亭として正式に個人事業主になりました
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褒められる事・助かったよと人の役に立ち喜ばれる事に自己肯定感と喜びを感じます😊
また、先に述べていたこちら、度を過ぎなければ良いんですが
他人評価に自己肯定感を委ねるのは危険と心理学でも言われているので、あまり依存し過ぎず
様々なクライアント様との案件経験を積んでいく事で、実績と共に自信と相場感や契約・著作権利についてなどの必要知識を平行で蓄えていきました📝(日々勉強です✎)
自己評価と自己肯定感はどんどん育てていきたい✊脱ネガティブwelcomeポジティブ
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12月⛄
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早いものでもう12月ですね
今年1年は本当にあっという間の一年でしたが未知への挑戦ばかりで成長する機会も多く、
またよく悩む年でもありました👀
が、悩むという事はそれだけ行動し頭を使っている結果なので良い事です💡
コロナ禍の中無事感染する事なく無事に年を越せそうなのにも安心しています。
12月にしている事
イラスト受注サイト作り(1つ前のサイト)
来年に向けてこれまでの振り返りと自己分析
書類、事務整理
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やりたい事探しで見つけた自分の方向性
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①ミニキャラ・ゆるキャラ、ポップイラスト
私自身がゲーセンのプライズ景品やフィギュア収集が趣味の根っからのヲタクなのと過去にグッズ制作を趣味にしていたので、やはり可愛い系のモノが好きなんだと再認識しました。
ゆくゆくはアニカフェやコラボ商品などのグッズ用ミニキャラを手掛けたり出来るグッズイラストレーターになりたい、お菓子のパッケージ等の公式キャラデザインなどを手掛けたいと改めて思い1つの目標になりました😊
この絵柄で思い浮かぶ仕事
IP系グッズ用イラスト
LINEスタンプ
オリジナルPRキャラクター
書籍やwebの挿絵、カット
アプリ内ミニキャラクター(SD/ちびきゃら)
②美形キャラクター制作・イラスト、マンガ
TRPG創作やイケメンキャラクターデザインなどを請け負う中で、やはり背景やアイテムも好きだけれどキャラクターをより魅力的に描ける様になる為の演出・手段の一つであり、
やりたい事は魅力的なキャラクター作り(デザイン制作・作画)だな..
昔からえがいたキャラクターがゲーム内や動画内でCVが付き喋って動き、生きている姿を見るのが夢で目標だったのを思い出しました。
この絵柄で思い浮かぶ仕事
企業キャラクターデザイン
Vtuber制作
ゲーム原画
ライトノベル表紙/挿絵
マンガ/カット
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と、こんな感じで明確に【今後これのみでいく!!】と絞りきった訳では無いですが、
来年に向けて今後強化していきたい絵柄の方向性、やりたい仕事が見えてきた様に思います😊
今後IP案件系の仕事も獲得していく為、ヘッダーのビジュアルも近々もう少しアニメ・ゲームタッチな絵柄に変更します。
今年を振り返って
2020年は行動力の年
去年末退職時に掲げた2020年の目標が上記だったのですが
トライ&エラー精神であちこち挑戦したり飛び込みに行った今年は自分の中では行動出来て居る方なのではないでしょうか。
(クリエポで誰にも話掛けず帰ったりもしたので『もう少しコミュ力発揮頑張りましょう🙅』とも思いますが😅)
コネも伝手も貯金も無いまま退職しイラストレーターとして1から始めた為、
今年人生初めての事だらけでしたが初体験の中でも下記は全てやって良かった事です🙆
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名刺制作、webサイト制作
交流会、セミナー、もくもく会、クリエポの下見
webセミナー、さぎょいぷ交流、オンラインコミュニティ、創作用SNS垢
ストックイラストの素材登録、やり方を学んだ事
エージェント登録
開業届、青色確定申告申請
メール営業
電話打ち合わせ、ビデオ通話での打ち合わせ、交渉
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交流会やオンライン通話で喋る度に、これまでの10年間会社では社内しか見えてなく外との交流(外部打合せ以外無く)を考える余裕もこういう物がある事も全く知らず;
無知なまま小さい世界に居たなぁ…と思うと共に
様々な人生経験を積んだ方々と対話する事で自分一人では知らなかった事も沢山知る事・学ぶことが出来て、また、フリーランスという道で生きて居る人が多い事も知り視野が広がり
とても心強く1年間が過ぎました😊
今年知り合いお話してくださった方々全てのご縁に感謝しています!😌
本当にただの日記なのでこの日記を最後まで読んでくださってる方が居るのかちょっと解りませんが、
まだクリエイター交流会や名刺交換会・セミナーなどに行った事が無い方がいらっしゃったら楽しいし視野も知識も広がるのでオススメですよ!
私もぼっちで特攻しましたがやらずに悩むよりやってみて実態を知ると案外想像より余裕なこともあるので、一歩ずつ頑張りましょう!
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🍁「まだまだ安定とは言いがたい不安定な収入ですが来年も引き続き自分のペースで頑張っていきます!」
2020.12.15 紅葉あすか
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社会保険労務士としてデビューして十年目である。 開業当初は不安で仕方なかったが、今思えば大したことはない。もっと早く飛び出していればよかった。 自分の裁量で大変な仕事をやって、自分で責任を取るというのは「生きている」という感じがする。 いや、一人親方ではあっても、周囲の力なくしては仕事は成り立たないのだが。 はてな利用者の中では高齢である。黄金頭の人の数個上になる。若い頃は勤め人だった。 人材派遣会社で数年働いた後、労働基準監督官として関東地方で任官した。その頃の思い出を語ってみようと思う。 守秘義務には最大限配慮する。元国家公務員でいうと、高橋洋一や山口真由など、あれくらい力のある人だったら、守秘義務まで含めて好きに本などを書いて主張できるが、私にそんな実力はない。 はてなブックマークで取り上げられた公務員日記を読んだ限り、一線を超えない限りは表現の自由の範疇となるようである。偉大な先達の方々と、はてな運営の寛大な措置に感謝したい。日記タイトルも先人に肖っている。 どんなことを話そうか、実はこれから考えるところである。ひとつだけエピソードを選んで掘り下げる格好を取りたい。字数が余れば、ほかの記憶も脳裏から取り出してみる。 あれは、30代手前の頃だった。採用五年目で、一年目はずっと労働大学校での研修のため、現場歴は四年目だった。主担当として違法賃金労働(サビ残)の現場を押さえた唯一の経験だ。 それまでは先輩や上司と一緒に臨検(臨検監督。会社に立ち入って調査)に出向いていたが、一人立ちできつつあった時期である。 なお、労基の採用パンフレットでは現場二年目から一人立ち~といった記述を見ることがあるが、そんなことはない。ほかの官公庁や民間企業と同じである。登記官と同じく独任制ではあるものの、20代だと普通に若手扱いである。 上記の「臨検」では何をするのか……管轄区域内に数多くある企業の中から、いくつかの基準・目安に則って抽出した事業所に出向いて、労基法違反がないか確認を行い、必要に応じて注意・指導や是正勧告を行う。近年では違法賃金(サービス残業)対策に重点を置いている。 私が勤めていた頃は、土木建設現場での事故防止や、下請けいじめの是正が叫ばれていた。 その現場では、経営者かその委任を受けた者に対して質問をして、必要事項を聞き取っていく。 最初は正式な社名や、所在地など基本的な事項から始まり、就業規則の確認に、従業員の名簿や、その雇用別の区分であるとか、元請下請関係、労働行政関係の補助金申請、賃金台帳や労働時間記録、終わりの方になると実務上の文書ファイルまで開いて法令との適合を確認する。 次第に深いところに踏み込んでいく。採用面接と似ているかもしれない。最初の質問は「今日の朝ごはんはなんでしたか?」から始まったりするだろう。 上記の結果による勧告は、いずれも行政指導(法令に適うように啓発・行動を促すこと)であり、処分性はない。 法的拘束力はないが、従わない場合は刑事処分に移行することがある。若手監督官の月の半分は臨検を含んだ監督業務に費やすことになる。 ※よほどのことをしない限り刑事処分に移ることはない。「指導を行いました」の報告書は保存年限まで残る。そこまで長い期間でもないのだが。 具体的なエピソードに入る。 あの時は定期の臨検で、とある縫製会社(衣料品メーカー)を訪問した。総従業員は千人未満で、売上高は数百億円。社歴からすると伝統企業といったところ。東京から遠く離れたところに本社があり、この都内には支店とはいえ立派なビルが建っていた。 いつものように「事前にこの資料を準備してください」と依頼してあった。支店代表者と、本社経営陣の家族役員が私たちの対応をしてくれた。 最初は違和感がなかった。就業規則は法令に則ったテンプレートであり、賃金も書類上は適正に支払われていた。 事業所内をくまなく見て回ったが、原反(衣服の原料のロール。とても重い)の受入場も安全基準に問題なし、倉庫内も大量の衣料製品をカートハンガーで吊ってあったが、やはり問題ない。製品出荷場も糸くずひとつ落ちていない。トイレの数は、労働衛生法令の当落線上にあった。すべて和式。 ところ変わって、原反を長大な作業台の上に広げてCAD操作で裁断する現場でも、従業員は電動工具類を適切に取り扱っていた。職場に危険はないし、廊下もきれいに磨いてあった。 しいて言えば、ビール会社のキャンペーンガールのカレンダーが飾ってあったのだが、2025年現在では環境型セクハラに該当する。当時はギリギリセーフといったところか。 違和感があったのは……臨検というのは大体半日程度で終わるのだが、最後にもう少し時間を使ってみた。 「抜き打ちのようですいませんが、最後に一度、一人で周らせてもらいます。必要があれば呼びます」と言って、事業所内を再度歩いてみた。 すると、何点かの違和感があった。つい立ち止まることもあった。 ・すれ違う従業員に元気がない。多くの年代がいたが、特に外国人労働者 ・終業が近いのに、ほぼ全員が忙しなく動いている ・出荷場には本日付け伝票で、尋常でない数の段ボール箱 ・女性役員が管理職と厳しいやりとり。「あの若い子はいつも定時に帰る。辞めてもらえば?」など ※家族経営の会社にはありがち。そこまで気に留めない ・タイムカードの退勤時刻があまりに連続的。定時以後にまとめて全員分を押している? 「怪しい」と思ったが、定期��督の域を出ないよう、支店代表者さん方に挨拶をして帰った。 帰庁後は、上司に感じたことをそのまま述べた。「必要なら追加調査すべし」というのが指示だった。 その日の退勤後、私は自家用車でその縫製会社の前を通ってみた。やはり気になったのだ。 手ごろな駐車スペースがなかった���め、路肩に停めた。パトカーが来ないことを祈りつつ、会社敷地に入ってみると……。 「やっぱり」 という感想だった。午後八時を過ぎていたが、出荷場のある棟の1階部分にバッチリ明かりが点いていた。言い逃れできない次元だった。ご丁寧に、カーテンをかけて明かりを漏れにくくしている。 そして、私は裏手に回って確認した。出荷場の板目を踏む音からして、何十人も仕事に従事しているのがわかった。現場を見なくても、建物内に多くの従業員が残っているのは明白だった。 従業員の平均的な退勤時刻と全く合っていない。違法賃金労働(以下「サービス残業」という。)である。計算するまでもなく、賃金台帳と合っていない。 それから私は、毎日夜にその会社の前を通って、サービス残業の状況を確認していった。 するとどうやら、毎日に渡って行われていた。あれから10日分、毎日夜にあの縫製会社の前を通って、出荷場の裏手に回って聞き耳を立てた。 常套的なサービス残業だった。当時は若く、使命感に燃えていた。どうにかして、あの従業員たちを救ってあげたいと願っていた。私自身がサービス残業をしているのは突っ込まないでほしい。 後日手に入れた縫製業界の情報によれば……どうやら4月~6月の業界繁忙期に毎日サービス残業を行わせ、冬季の暇な時期にはそこまでさせていないだろう、という推測が立った。 そこまで情報を整理したうえで、再度あの支店代表者に架電してみた。「御社が違法賃金労働をしているという申告があったのですが~」という優しい嘘からやんわりと入って、早めに事実を認めていただきたい旨を暗に伝えたが……やはり想定どおりの回答だった。 「タイムカードの記録と、実際の退勤時効は一致している」 というのが向こうの言い分だった。 だとしたら、こちらも準備を整えたうえでやってやろうと思った。 五月の下旬だった。夜七時半を回った頃である。その縫製会社の前に、私と、当時所属していた監督署の若手約10人と、管理職2名(責任を取る人)と、他所の応援職員5人がいた。サービス残業の現場を抑えるために人を集めたのだ。 実際に現場を押さえても、授業員が蜘蛛の子を散らしたようになることが多く、相手方の管理職も証拠隠滅に走るおそれがある。最低でもこれくらいの人数が必要である。 この日の夜、以下の図のように、監督官全員で出荷場を取り囲んだ。 概略図(スマホの人すいません) ○○○○ |――――| ○ | | ○ | 出 | ○ | 荷 トラック ○ | 場 搬入口 ○ | | ○ ∥ | ○ 扉∥ | ● | | ○○○○ |――――| ↑会社敷地内↑ ___________________________ 正面道路(都道) ___________________________ ●……監督官 約17人 〇……私 概ね、以上のような位置関係である。 「労働基準監督署です!」 私は大きい声とともに、出荷場の扉を開けた。中には……30人はいただろうか。 その出荷場では、出荷する商品の検品と、箱詰された荷物をトラック運転手に受け渡す作業を行っていた。 従業員は全員、疲れた表情をしていた。覚えているのは、還暦ほどの人がヨロヨロと段ボール箱をカートに載せていたのと、製品の検査をしていた外国人労働者達である。彼らが一番ぐったりしていた。 「これから指示に従ってください。全員動かないように!」 「労働基準監督官」の文字入りの証票を提示した直後、私達とその後ろに続いていたほかの監督官も出荷場に突入した。管理職は別の入口から事務所を抑えにいった。 抜き打ちの臨検監督はおごそかな雰囲気で進んだ。従業員を早く帰したかったのもあるが、当日のタイムカードをその場で押収し、誰かが全員分のタイムカードをまとめて切っていたことを速やかに確認した。 サービス残業をしていた一人ひとりに簡易な聞き取りを行い、対象者のタイムカードのみ抜き出すと、従業員を帰宅させた。 縫製会社の管理職数人と、あの家族役員が社内に残っていた。深夜まで社内で取り調べを行った。 すべてが終わると監督署に帰庁し、参加者全員に(主に私の上司が)感謝の意を述べて、その日の記録をまとめて……臨検及びサービス残業の捜査は終わった。深夜2時を回っていた。 それからも長年、監督官としての業務に従事した。事務も企画も監督業務も、一通りやらせてもらった。 字数が余った残りだが……読み手の心に残りそうなものが2つある。2つとも、2025年から数えると20年以上は昔のことである。現行の労基対応とは異なる可能性があるので留意願いたい。 1件目は、スーパーマーケットでのことだ。高島屋か伊勢丹かは覚えていないが、百貨店の中にある食品スーパーだった。 ある日、私の職場にいきなり通報があったのだ。警察か消防(※救急)の人かはわからなかったが。精肉コーナーの中で、食肉をパック詰めにするために加工していた現場でのこと。 食肉加工機械(ミートスライサー)を使って作業をしていたアルバイト従業員の若い子が、指を切断したという内容だった。労基案件の可能性があるので現地に来てほしいとの電話だった。 現場は悲惨だった。私たちは遅れて参じたものの、警察官ができるだけ証拠保全をしていた。グロテスクであるため、どれだけ血が飛び散っていたとか、どういう体勢で事故に巻き込まれたのかなど、通報直後の様子までは描写しない。 ただ、指切断という次元ではなかった。一本の指を残して、後4本が手のひらごとミートスライサーに巻き込まれてミンチになっていた。 当時の私は20代半ばである。手や足元が震えて止まらなかったのを覚えている。現場には肉片が残っていた。証拠保全を終えるまで、掃除したくてもできないのである。 原因は、ミートスライサーの安全装置だった。会社にあるような業務用シュレッダーであれば、わざとケガをしようとしてさえも、ケガをしないような――安全装置等が付いている。 その精肉コーナーでは、安全装置が取り外されていた。そのうえで、作業用の特厚ゴム手袋を従業員に着用させていなかった。完全に自由に作業させていた。社員も指導しない。それらが原因だった。 結果として、食品スーパーの経営者が労働安全衛生法違反として書類送検された。使用者は、従業員に対して業務上の危険回避や、健康障害を避けるための措置を講じる義務がある。 ほぼ上限の罰金刑となったが、義務違反が強ければ懲役刑もありうる。この事例は、従業員側にも若干の非があると認められた。安全装置のくだりだが、経営側ではなく現場判断で取り外していたことが起訴前の段階で立証された。 もう1件だが、飲食店で働いている人からの申告案件である。 飲食店というのは、夜に接待を行う店舗だった(夜職分類だとガールズバーが最も近い)。いわゆる、有給不行使(結果としての賃金不払い)案件だった。 通常の申告・相談の場合、労働者側からの聞き取りに加えて、可能な限り証拠物を集めてもらう。そのうえでクロが濃厚となったら、使用者側に連絡を取る。 その際は、厳しい言い方ではなくて、「こういう申告があったのですが、もし本当にそうなら、(~法令の説明~)未払い賃金を支払ってください」などと電話をする。 あくまで行政指導である。従わなかったからと言って罰則はない。使用者が無視することもありうる。その場合は……残念ながら、機会的な対応(オポチュニズム)をならざるを得ない。やむを得ない時の裁量的判断であり、本来はよろしくない。公務員は常に法令をベースに動くべきだ。 一例として、違反レベルが小さい場合、労働者には自ら解決するよう監督官が助言・アドバイスを行うのが一般的である。もし、労基に強い対応を求めたい場合は、複数人で相談するか、よほど強い根拠書類を用意するなどしてほしい。 さて、この申告案件の詳しい内容だが……。 ・相談者は夜に接待する店舗の女性従業員。学生 ・約一年働いたところで退職したい ・職場の後輩と一緒に辞める際、二人で有給休暇を取得しようとした ・運営会社が有給取得(有給分の賃金支払)を拒否 という流れだった。 半年以上勤務していれば、非正規雇用者であっても有給休暇を取得できるし、彼女らは給与明細その他の根拠書類を揃えていた。タイムカードのコピーも。 私は、そういう夜のお店に行った経験はほぼゼロだった。業界知識もない。先輩方に相談したところ、「あいつらは難しいよ」と言う人が複数いた。 証拠付きで相談を受けている以上は、相手方に連絡すべき場面である。そして実際に、相手方にとって都合がいいであろう夕方頃に電話をし、事実確認及び有給取得の制度を説明したのだが、いい答えは返ってこなかった。 以下;相手方の主張の要約。 (主張①) うちの会社に有給休暇制度はないし、この業界にそんな会社はない (主張②) あの二人は就業態度がそこまでいい方じゃなかった。お客からの評判もいまいち。もっと会社に対して貢献とか、貢献できなくても努力した姿勢を見せてくれれば可能性はあった (主張③) どの業界にもルールがある。あの二人は大学生で、若いから知らないかもしれない���、その業界に入ったなら、そこでの常識に合わせられないとダメ。そんなのだと今後社会で通用しない ということだった。先輩方に相談したとおりの結果になった。相手は風俗業界の慣習を盾にしている。 だが、私もそんなに折れなかった。当時は若く、企業側を守る社労士となった今(※実は自著を上梓しています)よりも正義感に溢れていた。社会正義を実行する立場であるという自惚れに近い感情もあった。 引き続き、粘り強くその会社と交渉(※非弁行為には当たりません)を繰り返した結果、有給は本来10日のところを、月末までの5日であれば取らせてくれるということで妥結した。一応は全員納得の結果だった。 これで一応終わりである。
労働基準監督官だった頃の思い出
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昨日から、ほうぼうから「西田さんの石破おろしの話、同���者あんまり出ていませんがどうなりそうですか」と半笑いで訊かれ、議員でもないのになんでこちらに話を聞きに来るのかと思ったら各社手持ちの石破茂政権支持率が大きく下がっているんですね。 私が思っているのは「自由民主党は、最後に党としての決定がされるまでは、どんな意見を持っていても、それを表明しても、原則として緩く許される組織である」という点です。それが議員であろうが職員であろうが出入り業者であろうがお手伝いさんであろうが、正論かつ本音であれば割と何でも言っていい文化があり、今回の西田昌司さんの話も「まあ、そう感じる人もたくさんいるだろうな」とか「筋論としては、誰かがそれを言う役割を担うだろうから、それが西田さんだったんだろうな」などの感想を抱きます。 当然、昨年2024年の衆院選で大敗し、大事な多くの議員を失った自民党が、派手に公明党さんを巻き込んでしまってなお、選対本部長として就任したてだった小泉進次郎さんだけに詰め腹を切らせて石破茂さんや幹事長・森山裕さんがついぞ明確な責任を取ることなく現在まで来ている、というのは批判というより筋論として「おっ、そうだな」と捉える人は多いでしょう。 他方で、総裁として石破茂さんが自らお辞めになることはない選択となりました。国会論戦でも諸氏ご承知の通り、数多批判はあれど堂々と総理大臣として前線に立ち答弁をしっかり応じられ、総裁・総理としての職責を立派に果たしておられます。総理が意欲をもって政権運営にあたっておられる以上は、本来的な意味で、党全体で石破茂さんをお支えし、少数与党となってなお自由民主党が政権を公明党さんと担うことで、自民党を通して国民生活がより良く安全・快適で少しでも未来の明るいものにできるよう努力するのも筋論と言えます。 もちろん、現場では「石破茂さんが総裁では参院選が戦えない」や「都市部・勤労層男女の有権者の皆さんからの支持が薄すぎて、前哨戦となる東京都議会選挙(都議選)では惨敗が見込まれるのではないか」という、内なる恐怖とも戦っています。参院選で大きく負け越すと、必然的に自由民主党は再び下野することになるでしょう。なし崩し的に、参院選での敗戦と衆目が一致するようであれば、石破茂さんも今回は自ら進退をお決めになられるのではないかとも思います。 ただ、いまの国会論戦もそうですが、他党を見渡すと、やはり国内政策にも外交にも多難な状況に於いて、仮に野党大連立政権が成立して自民党が下野した場合にいま以上の政策的な混乱をきたす可能性が強くなります。海外を見渡しても、国際秩序を守るために一定の役割を果たしてきた政治勢力が左右からの攻撃の前に敗退し、かなりいかれた連立政権が不思議政策を連発して大変なことになっている民主主義国家が見受けられます。確かに自民党にも反省なくだらしないところは多々見受けられるけど、うっかり政権を失ったらまともな外交ができる人も国家財政の方針を示せる人も内政各法規に詳しい人も乏しい野党の中から人材を探して大臣に据えなければなりません。これは、野党を侮(あなど)っているのではなく、野党が選挙に勝ち連立で与党になったとき、今度はそれを国民有権者のために支えられるような準備もまた、私たちはしなければなりません。 それもこれも、パー券を含めた政治資金収支報告書への歳入未記載問題に端を発した自民党への拭い去りがたい不信感を国民が抱き、さらに国民生活を守っていくための諸政策を希望の持てる形で打ち出すことができてこなかった失点をカバーできる状況にないからこそ、石破茂政権と共に自由民主党の支持率も低迷傾向から脱却できないのです。 「そんなことは分かってるよ」と仰る先生方も多いなかで、来たる都議選においてをや、いまだパー券収入の未記載議員がなぜか第一次公認をこの1月に取ってしまい、公認見送りとなる都議候補との間で地元で抗争を繰り広げている状態です。本来、国民有権者の報に向けられるべきパワーが、どういうわけか党内にいる同志に向けられている現状と、その象徴が今回の西田昌司さんの発言の中にすべて盛り込まれているように思います。 これは、インフレ・高金利時代を迎えそうな時期の国家財政をどうするのか、団塊の世代が続々後期高齢者入りする社会保障(社会保険料含む)をどう考えるのか、トランプ時代の安全保障は、闇バイトほか生活安全は、新産業や大学・企業のイノベーションは、輸出入や為替も含めた物価高対策は、実効性ある少子化対策は、などなど、国民のいまの生活と未来の子どもたちにどういう社会を引き継ぐかを考えるべき時期に、内輪の論理で闘争し、未記載がいまだ裏金と誤解されながらも反省と脱却が進められず国民有権者の理解がなかなか得られない状況というのは最悪です。このままいくと、都議選では友党・公明党さんからですら、自民党は推薦を得づらく、また、場合によっては小池百合子都議会与党から自民党は外され国民民主党と都民ファースト、公明党各党の与党になりかねません。 前線を守る者として、やはり敗勢においてこそ、真価が問われる時期に差し掛かっているという責任は感じます。向き合う先は国民有権者なのであり、国民有権者のために未来に資する政策の実現と、その有望な政策を国民有権者に分かりやすく伝えるための技法や努力を惜しまず進めていく研鑽が必要です。政治の本来の職分に正面から取り組むこと無しに、前哨戦も本戦も戦い抜くことは不可能です。 本音では、自由民主党を選挙互助会と捉え、人気のある総裁が前に出て選挙戦をやれれば簡単に勝てるのになあ、という気持ちがあるのは分かります。選挙で勝たなければ政策もへったくれもありませんから。いままでがそうであったように、それがなんだかんだ自民党が与党にあって国家がまあまあうまく運営できるという国民有権者のなんとなくの請託があれば、勝てるのかもしれません。ただ、現状がこうである以上、やっぱりちゃんと地道に国民有権者に向き合って政策を実現していこうという姿を見せるしかないんじゃないでしょうか。 必要なのは、自由民主党らしさや、組織、各構成員の「締め直し」からなのではないかと感じました。残念ながら、石破おろしの話で名前が出たのが西田昌司さんであったというのもまた、寂寥感を覚えます。泣ける。ただ、私としても与えられた職責を全うするためにも乏しい資源で戦い抜けるよう戦線を一部畳み、同盟先との関係を見つめ直し、最低限、ここだけは守るぞという防衛ラインを敷いて、士気と装備を整えて準備を続けていきたいと思います。
西田昌司さんの石破茂退陣論が物議を醸している件で|山本一郎(やまもといちろう)
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