#稲荷鮨
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イナリズシ
稲荷寿司(いなりずし)は、日本の寿司の一種であり、甘辛い炊いたご飯を厚揚げ(揚げ豆腐)でくるんだものです。一般的には、くるんだ厚揚げの上に甘辛い味付けをした酢飯を詰め、上に刻み海苔を散らして作られます。時には、中に具材を詰めることもありますが、基本的には厚揚げと酢飯が主な材料です。稲荷寿司は、神社の稲荷神を祀ることからその名がつけられました。独特の甘辛い味わいと、食べやすい手軽さから、日本の家庭やお弁当、寿司屋などでよく食べられています。
手抜きイラスト集
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12月15日、イオンモール浜松市野の近くの沼津魚がし鮨で夕食に食べたお寿司。
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今朝のお鮨🍣寿司と鮨の違い
〜風の谷農苑にて〜
寿司は江戸時代中期以降に生まれた言葉とされ、寿を司るの意味で、食品としてのすし全体を包括し、かっぱ巻き、稲荷寿司など、ネタが魚でない場合にも使われます。鮨は魚に旨いと書くように、魚介と酢飯で構成される早ずしを意味する言葉で、握り鮨、江戸前鮨、押し鮨、棒鮨などに使われます。
今朝は築地市場で買った本マグロの中トロ&赤身、ボタンエビ、鱧、キングサーモン、妻が釣って来た太刀魚と真鯵、玉子焼��を握り鮨です〰😋
美味しく健康に、自然の恵みに感謝して頂きます(合掌)。
#鮨 #築地市場 #釣り名人渡辺さん #風の谷農苑 #松井宏之 #大地の宴 #sushi #tsukijifishmarket #daichinoutage #utage_jp #tokyo #japan
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隈笹[Kumazasa] Sasa veitchii var. veitchii
隈[Kuma] : Shading; style of kabuki makeup
笹[-zasa|Sasa] : Bamboo grass
There is a food product called 助六寿司[Sukeroku-zushi], which is 稲荷寿司[Inari-zushi], sushi wrapped in 油揚[aburaage](stuffed tōfu) and 太巻[Futomaki], thick sushi roll wrapped in seaweed, packed in a single food box. Sukeroku is a leading role in some of the Kabuki plays, and had a girlfriend, an 花魁[Oiran](courtesan) named 揚巻[Agemaki]. This is where the name came from. https://www.nsouzai-kyoukai.or.jp/sushi-roll-and-inari-stuffed-tofu-pockets/ https://en.wikipedia.org/wiki/Sukeroku https://collections.artsmia.org/art/22553/the-prostitute-agemaki-kitagawa-utamaro
The name Inari-zushi came from that foxes are messengers of 稲荷神[Inari-no-kami|Inari-shin](the deity Inari) and were believed to prefer aburaage. Sushi is written as both 寿司 and 鮨. Kumazasa is used for wrapping or placing food on. https://www.youtube.com/watch?v=kVdeB_G60wM
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2023年8月5日(土)

今年の夏のミニ旅行、第一弾は夫婦としては5年ぶり(?)の東紀州訪問である。尾鷲市の<三重県立熊野古道センター>で特��展を学び、隣接する<夢古道おわせ>でランチをいただく。熊野市へ移動して友人たちとの再会、夜は<浜峰商店ファミリー>と<鮨割烹 徳川>で会食(もちろん一方的にご馳走になる)。美味しく楽しい1日はあっという間に更けていったのだ。

2時30分起床。
日誌書く。
二度寝する。

朝食を頂く。

今日は久しぶりの東紀州訪問、ところが朝から名神は事故渋滞、いつもの京都南ICから渋滞の中へ突入するのは避けたい。MK石油で給油の後、稲荷山トンネルを抜けて山科へ、本当に久しぶりの京都東ICから名神高速道路・新名神高速道路・東名阪道・伊勢自動車道・紀勢自動車道・熊野尾鷲道路を経て、昼前には尾鷲市に到着した。

まずは夢古道おわせ・イサバヤでランチ、迷わず海鮮丼を頂く。ついで熊野古道センターへ移動し、御浜町の写真展を興味深く拝見する。
熊野市へ移動、晴れてはいるが雨が降り出した。
浜峰商店・浜街道店でK夫婦・T兄と久しぶりの近況報告、互いの加齢情況を確認しあった。

新宮市へ移動して速玉大社へ参拝、神木の大梛はいつ見ても凄い。

コンビニで寝酒用に🍷を購入してから今夜の宿の<フェアフィールド・バイ・マリオット・三重御浜>にチェックイン、もちろん初めてお世話になる。

浜峰夫妻に迎えに来ていただき、新宮市へ移動していつもの店で歓待を受ける。帰路はファミリーでホテルまで送っていただく、大感謝!
シャワーで汗を流し、テレビで女子サッカーの勝利を知り、少し🍷をいただいて大満足の1日を閉じたのだ。

さすがに長距離の車移動、3つのリングはこんなもの。水分は1,860ml。
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真鶴駅前の鶴寿司
名物の〝地物���り〟は都内のミシュラン店も敵わない近海物だけで握られた江戸前寿司。
また店のお婆ちゃんの味付けを頑なに守る稲荷寿司は絶品!
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Enjoy your lunch box! 彩が美しい海鮮いなり寿司色々。 春が少し近づくと、毎年ですが、お寿司がいただきたくなります。 そして何より日本の文化的な、お弁当に詰めるお寿司は ワクワクするものです。 ちゃんとお揚げさんから炊いてあげて美味しくいただきましょう。 週末にもおすすめです。おうちでいただく場合は、貝の汁物など添えて。 お写真はレシピ撮影及び料理撮より引用しております。 料理研究家 指宿さゆり ーーーーーーーーーーー #料理研究家指宿さゆり #レシピ開発 #レシピ制作 #レシピ制作専門スタジオ #料理は教養 #食は品性 #ヘルシーレシピ #お弁当 #巻き寿司 #お寿司 #おもてなし料理 #稲荷寿司 #インスタグルメ #鮨 #寿司 #obentogram #いなり寿司 #海苔巻き #ランチ #お昼ごはん #お花見弁当 #japaneseculture e #recipe #グルメスタグラム #おいなりさん #koreanfood #神戸料理教室 #神戸グルメ #lunchboxideas (Kobe, Japan) https://www.instagram.com/p/CoJK8ubSknN/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#料理研究家指宿さゆり#レシピ開発#レシピ制作#レシピ制作専門スタジオ#料理は教養#食は品性#ヘルシーレシピ#お弁当#巻き寿司#お寿司#おもてなし料理#稲荷寿司#インスタグルメ#鮨#寿司#obentogram#いなり寿司#海苔巻き#ランチ#お昼ごはん#お花見弁当#japaneseculture#recipe#グルメスタグラム#おいなりさん#koreanfood#神戸料理教室#神戸グルメ#lunchboxideas
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#寿司 #鮨 #すし #Sushi #アナゴ #穴子 #Congridae #鯖寿司 #さばずし #サバ #鯖 #Maquereau #Mackerel #稲荷寿司 #いなり #Inarizushi #Inari (Tokyo, Japan) https://www.instagram.com/p/By-P-QsjSFm/?igshid=1qrjjxg8xy84w
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世界中で愛される日本食 お寿司
寿司の歴史は、紀元前2000年頃に中国で始まったと言われています。
当時、中国では、魚を米と塩で漬け込んだ「なれずし」と呼ばれる料理が食べられていました。目次
寿司のはじまり
寿司の種類
江戸前寿司ってなに
回転寿司ってなに
最後に
関連
寿司のはじまり

なれずしは、魚を保存するための方法として考案されたもので、米の発酵によって魚が腐敗するのを防いでいました。
なれずしは、中国から日本に伝来し、日本独自の料理へと発展しまし日本では、なれずしは「鮨」と呼ばれ、江戸時代になると、握り寿司や巻き寿司などの新しい形の寿司が生まれまたそうです。
握り寿司は、江戸時代の江戸で、屋台で売られているような手軽な食べ物でした。
握り寿司は、手で握った寿司飯に、生魚や野菜を乗せて食べます。
寿司の種類
寿司には、様々な種類があります。
握り寿司、巻き寿司、ちらし寿司、押し寿司、稲荷寿司など、その種類は多岐にわたります。
寿司の種類によって、使用する魚や野菜、調味料も異なります。
巻き寿司は、江戸時代の江戸で、船乗りが食べていた食べ物でした。
巻き寿司は、酢飯に、生魚や野菜を乗せて、海苔で巻いて食べます。
江戸前寿司ってなに

江戸前寿司は、握り寿司を中心とした、江戸の郷土料理です。
古くは「江戸ずし」「東京ずし」とも呼ばれていました。江戸前の豊富で新鮮な魚介類を材料とした、寿司屋の寿司職人が作る寿司です。
江戸前寿司の特徴は、以下のとおりです。
米酢ではなく酒粕から作られる赤酢を使用する。
新鮮なネタにひと手間加え、よりネタのおいしさを引き出す仕事(仕込み)がなされている。
握り寿司のネタは、季節や魚の状態に合わせて選ばれる。
握り寿司は、一貫ずつ丁寧に握られる。
江戸前寿司は、日本の伝統的な料理と言えると思います。
回転寿司ってなに

回転寿司は、小皿に盛った寿司を、客席沿いを回るコンベアに載せて供する寿司店です。
お客は目の前を通る寿司を自由に選び取って食事する、半セルフサービス方式をとっています。
回転寿司は、1958年に大阪で誕生しました。
それまで寿司は高級な食べ物であり、一般の人々が気軽に食べることはできませんでした。
しかし、回転寿司は、寿司を安価で手軽に食べられるようにすることで、寿司を一般の人々に広めました。
回転寿司は、現在では日本全国に広がり、世界各国にも進出しています。回転寿司は、安価で手軽に寿司を食べられるだけでなく、種類も豊富で、子供から大人まで楽しめる食べ物です。
回転寿司の魅力は、なんといってもその安さです。
回転寿司の価格は、通常1皿100円から200円程度です。
これは、一般的な寿司店の価格の1/3から1/4程度です。
そのため、回転寿司は、学生や若者、子連れ家庭など、幅広い層の人々に人気があります。
回転寿司のもうひとつの魅力は、その種類の豊富さです。
回転寿司では、マグロ、サーモン、エビ、タコなどの定番ネタから、イクラ、ウニ、トロなどの高級ネタまで、さまざまなネタの寿司を楽しむことができます。
また、巻き寿司や軍艦巻き、ちらし寿司などの寿司以外にも、天ぷらやサラダなどのサイドメニューも豊富に揃っています。
回転寿司は、安価で手軽に寿司を食べられるだけでなく、種類も豊富で、子供から大人まで楽しめる食べ物です。
そのため、回転寿司は、日本全国に広がり、世界各国にも進出しています。
最後に
寿司は、単品で食べたり、お酒のおつまみとして食べたり、定食の一部として食べたり、様々な方法で楽しむことができます。
寿司は、日本食の代表的な料理で
あり、その独特の味と食感��、世界中の人々を魅了しています。
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今日は「初午いなりの日」と いうので、ローカルな回転鮨屋さんに。 でも、殆ど寿司は回ってませんでした!? もはや回転寿司ではない。 それに やっぱ、いなりより 握り鮨 食べたい!! 山陰の いなり寿司は関西風です。狐さんの耳と同じ三角です。東京では俵型でした。 でも、午の日って今日だっけ? と 思い調べてみると、なんと午の日は2月2日でした。 「初午いなりの日 2月11日」と いうのは、全国いなり寿司協会が勝手に決めただけなんだそうです。 やられた~!(>_<) 「いなり」の イは命のイ。ナは名を成すのナ。リは利益のリ。商売繁盛 芸能上達 病気平癒の御利益にあやかる為、二の午は(2月21日)は お稲荷さんにお参りして おいなりさん食べるぞ~! https://www.instagram.com/p/BtvUfJzBRdi/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=yyf3i1t0pzgi
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6/23木
本日店休日でした。
暑い。もうすでに真夏日。梅雨なのか???
あるスーパーの巻き寿司が好きでして、今日も散髪の帰りに寄って、夕方だとお買い得品になっててありがたい、納豆巻きを買って帰りました。助六(巻き寿司と稲荷寿司)も大好きなのですが今日は細巻きで。納豆巻きといえば、美短大の時、隣の駅のデパ地下で鮨屋の納豆巻きを贅沢したい時に買って食べてました。竹の皮じゃないけど紙製で千鳥足の手土産スタイルで持つような、包んで縛って吊り下げて持てる包装。細巻きのお寿司、細長いまんまじゃなくて、食べやすいひと口サイズに切ってくれているひと手間が嬉しかったです。
個展、いよいよ明日の金曜、土曜と、月曜の3日で終わっちゃうんですね。さみしいなあ。
まだ来られてない方、気になっている方、週末ちょっと空きのある方、ぜひお立ち寄りください。お待ちしております。
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Inarizushi. Inarizushi is a kind of sushi or rice ball. Sushi rice is stuffed in seasoned Aburaage tofu pouches. Inarizushi is technically sushi, but it is not something you order at nice sushi restaurants.

A fox spirit living in a shrine who calls himself a divine emissary. After the shrine fell into disrepair, he found that solitary lifestyle too quiet and took to visiting nearby villages and messing with the humans, frequently shifting into different forms to play tricks on them. Sushi (すし, 寿司, 鮨, pronounced [sɯɕiꜜ] or [sɯꜜɕi]) is a Japanese dish of prepared vinegared rice (鮨飯, sushi-meshi), usually with some sugar and salt, accompanying a variety of ingredients (ネタ, neta), such as seafood, often raw, vegetables, and occasionally tropical fruits.
Hey everyone, it's Louise, welcome to my recipe page. Today, I'm gonna show you how to make a distinctive dish, inarizushi. One of my favorites. This time, I am going to make it a little bit unique. This will be really delicious.
Inarizushi is one of the most well liked of current trending foods on earth. It's simple, it is quick, it tastes delicious. It is enjoyed by millions every day. Inarizushi is something which I have loved my whole life. They're nice and they look fantastic.
Inarizushi is a kind of sushi or rice ball. Sushi rice is stuffed in seasoned Aburaage tofu pouches. Inarizushi is technically sushi, but it is not something you order at nice sushi restaurants.
To get started with this recipe, we must prepare a few components. You can cook inarizushi using 2 ingredients and 3 steps. Here is how you cook that.
The ingredients needed to make Inarizushi:
{Prepare 1 of steamed rice.
{Prepare 1 packages of inari.
Inari sushi, or inarizushi, is stickier in texture than traditional sushi and tastes sweet, vinegary, and salty, all at the same time. Some people like myself and my mother love it, while others - Ben I'm. Inarizushi - sushi rice stuffed in sweet soy sauce flavored tofu pouches. Inarizushi is probably the easiest one to make.
Steps to make Inarizushi:
Make a fine batch of steamed rice. https://ift.tt/3zEf0s2.
Fill inari packets with steamed rice..
So simple. So tasty..
It is very popular with kids and is often placed into bento boxes. INARI, meaning fried tofu, refers to Inari Shrine, which enshrines Sadaiko Uka-no-Mitama-Satahiko, the guardian god of rice. People feared that rats. inarizushi. 稲荷寿司. A type of sushi that consists of a pouch of fried tofu (aburaage) filled with sushi rice. The inarizushi was named after a Shinto god, Inari, as legends tell of her fondness for fried tofu.
So that is going to wrap this up for this exceptional food inarizushi recipe. Thanks so much for reading. I'm sure that you can make this at home. There's gonna be more interesting food in home recipes coming up. Don't forget to bookmark this page on your browser, and share it to your family, colleague and friends. Thank you for reading. Go on get cooking!
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各地句会報
花鳥誌 令和3年7月号

坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和3年4月1日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
春彼岸阿弥陀背にして説法を 柏葉 母編みし毛糸のベスト解いて編む 由季子 解く帯に桜一片舞ひ落ちぬ 都 人に酔ひ酒にほろ酔ふ花の園 同 初蝶の行きつ戻りつ旅立ちぬ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年4月1日 花鳥さゞれ会 坊城俊樹選 特選句
天蓋は万朶の桜愛子の忌 かづを 最古てふ天主や花の海に浮き 同 椿落つ秘めたる想ひ絶ち切れず 笑 花の寺御仏こぞりて笑み賜ふ 同 走り根の絡む老木の花淡く 希 鐘楼門栄華の花は盛りなり 同 初蝶の止まつてばかりゐる黄色 雪 ぽつたりと云ふ落ち様の肥後椿 清女 濠は今満月のもと花万朶 数幸 ねむたげな目をして地蔵花の寺 天空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年4月3日 零の会 坊城俊樹選 特選句
花屑の起伏を流れたる音頭 要 あかんばうだらんと垂れて八重桜 いづみ カーブへと都電の軋む花の駅 眞理子 霾やホテルアスカのネオン消え 光子 白き指��れれば老いてゆく桜 順子 花山のお狐さんの花見酒 きみよ 風光る都電カーブに傾けば 光子 花追うてちんちん電車下町へ きみよ 丁字路に男惑へば花ふぶき 和子 貨車つづく花の昼なら長々と 和子 春惜しむやうに各駅停車かな いづみ 花衣花の音頭に揺れ止まず 慶月
岡田順子選 特選句
花屑の起伏を流れたる音頭 要 花吹雪その一瞬の神かくし 久 北病棟梟徘徊する深夜 公 世 山頂は花の冠雪なりしかな 俊樹 春昼の子爵の気配する館 きみよ 動くたび翠玉に化け春の蠅 小鳥 落つ花も落ちざる花も狐憑く 俊樹 お屋敷は棕櫚の置かれし復活祭 いづみ 山吹や古き稲荷に鬼女の謂 千種 都電行く花のレールを懇ろに 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年4月7日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
愛子忌や花の仏の目鼻だち 世詩明 陽炎や聖火近づく靴の音 ただし 尼様の逝かれて久し花の庵 清女 春愁や廊下に邪魔なすべり台 同 屋根の上猫を消し去る花吹雪 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年4月9日 芦原花鳥句会 坊城俊樹選 特選句 塵芥浜に打ち寄す涅槃西風 よみ子 紅椿落ちしまゝなりいくへにも 寛子 朧の夜磨りて薙刀月なりぬ 依子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年4月9日 札幌花鳥会 坊城俊樹選 特選句
亀鳴くや狸小路といふところ 清 子猫には知らぬ値札の差でありき 同 新しき街にもなれて朧月 同 いつの間に少女は乙女初蝶来 晶子 ほつとする出会ひに似たり蕗の薹 寛子 鮨屋出てちよいと歌碑まで啄木忌 のりこ 舞姫の余波の浜の桜貝 岬月 空海の学びし都霾れり 雅春 花は葉に大樹あくまで孤高なる 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年4月9日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
葱坊主砂丘の畑に海を見て 栄子 縮こまりゐしが色めき勿忘草 史子 妹の炊く釘煮の味や春の潮 佐代子 花曇貝殻拾ふ習はしに 幸子 チューリップ閉ぢて乗せゐる細き月 都 払暁の厨に水を撒く浅蜊 宇太郎 大手門潜り落花の畏まる 悦子 鞦韆や正面にある日本海 益恵 大土手に游がせ青き鯉幟 益恵 囀や赤子は喃語はなしかけ 和 子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年4月10日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
もこもこと花に潜りし虻の尻 三無 著莪咲くや十年祭のとしあつ師 文英 石楠花の色の��れて空の青 同 虻戻る宙の一点違へずに 秋尚 野の草も木々も輝く寺うらら 瑞枝 影淡く残しほぐるる牡丹かな 秋尚 若楓日に透けて師の十年祭 文英 蜃気楼より戻りくる大漁旗 三無 手のひらに残花ひとひらとしあつ忌 同 花筏小鷺の暫し石の上 文英
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年4月12日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
笑ひ皺深き自画像山笑ふ 清女 ヘリコプター右往左往の霾ぐもり ただし 一輪の菜の花明り無人駅 英美子 二百羽の白鳥去りて水落とす さよ子 となりからグラタン届く蝶の昼 清女 黒々と土掘り起こす夫の春 錦子 お姉さんと呼ばれし母の古浴衣 清女 昭和史を読み継ぐ窓や冴返る 上嶋昭子 落花浴び二人の会話とめどなく 中山昭子 風光る子の背で踊るランドセル 英美子 霾れり外は砂塵の匂ひあり 中山昭子 日差し受け新樹ふくらみ山太る みす枝 牡丹の土くろぐろとごろごろと 信子 調停を終へて出で来る白日傘 上嶋昭子 四月馬鹿小さくなりし力こぶ 三四郎 豊麗といふ重さあり八重桜 上嶋昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年4月12日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
草団子つかまり立ちし子の笑ふ 実加 花の雲散りては隠れ鳥の群 あけみ 空色のファーストシューズ若草に 登美子 自転車で駆け抜けてみる花吹雪 紀子 花の下貨物列車がゆつくりと 同 リード張る犬の目の先青葉萌ゆ あけみ 草餅を炙るおばあの手の記憶 同 春の灯や見覚えのある泣きぼくろ 登美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年4月12日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
花万朶天守の高さ残し散る かづを 天主てふ高さ支へし花の雲 同 天帝の機嫌のよしや雲雀また 同 散る花に戦争語る皺深く みす枝 はじめての大地歩む児風光る 同 春愁や黒が似合ふと云ひし人 雪 鳥帰る古墳の山を越えて行く 千代子 涅槃図の嘆きの蛇の舌赤し ただし 葱坊主蝶遊ばせて三畝ほど 高畑和子 天に紅地に錆色の落椿 英美子 鯉幟青空支配してゐたる 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年4月12日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
妻の座に一人占めなる春炬燵 世詩明 巣立鳥軒離れるに啼き叫ぶ 同 春水の池も小川も老舗宿 和子 風の中ゆつくり曲がる花筏 千加江 チューリップどんな空にも納まりて 同 吾が前にチューリップ揺れ百八色 昭子 児の描く屋根より高いチューリップ ��子 春塵や踏台見ゆる古本屋 泰俊 義士祭や夕日の端に寺箒 同 黒髪の如くつらつら椿かな 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年4月12日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
とりどりの緑の若葉森太る 三無 淡く透け風を誘ふ栃若葉 秋尚 初蝶は白でありけり水辺ゆく 和魚 地を漁る鳩嬉嬉として躑躅燃ゆ 三無 サッカーの声を散らして若葉風 怜 若芝を歩く足裏に気の満ちる 貴薫 東屋の池の水枯れ著莪の花 せつこ 傾きし午後の日集め山吹黄 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年4月13日 萩花鳥句会
秀吉を偲ぶ醍醐寺春の星 祐子 入寮す荷解きの窓春の月 美恵子 金の座の柔人生花吹雪く 健雄 明日発つ子に取り分ける桜鯛 陽子 春の月言葉少なに客送り ゆかり さくらさくら今は無人となりし駅 克弘
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年4月18日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
囀のやみておくつき土匂ふ ゆう子 鶯の声の滴の落つる句碑 三無 大空を抱きて長閑母の塔 亜栄子 法鼓鳴る終の牡丹のいよよなる 慶月 鯉幟岡本太郎の目がふたつ 千種 武士の如蘖ゆる城址かな 斉
栗林圭魚選 特選句
年尾来よ陽子の墓へ虹架けて 俊樹 シーサーの睨みの門扉松の芯 亜栄子 初蝶来うすむらさきの影を追ひ 久 若楓威を持ちて守る年尾句碑 文英 葉の蔭に香り残して花通草 秋尚 春行くやおほよそおうてゐる時計 久 武士の如蘖ゆる城址かな 斉 枡形の山峡深く藤懸かる 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年4月22日 鯖江花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
うららかや女医に診られてゐる鼓動 一涓 グクと泣く鍬先に詫び畑を打つ 同 訪へば由利に左内に花吹雪 同 ことごとく合掌解きて紫木蓮 同 初蝶の黄のあまりにも濃ゆきこと 雪 雨上がり燕大きく十字切る 信子 天を指す指より甘茶光り落つ みす枝 化粧水顔を叩けば夏めきぬ 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
風光る帆を張る船は膨らみて 佐和 風光る紙飛行機の未知の空 久美子 胸もとへ闇はゆるやか花衣 佐和 風光る臍の緒ほろと母の手に 睦子 花屑を浮かべ流離の水となり 朝子 星月夜帰船に満ちし博多港 佐和 ゆるゆると緋鯉にゆらぐ春の雲 勝利 いつまでも止めぬ石蹴り風光る 久美子 花蘇枋久女多佳子のこゑ聞こゆ 美穂 風光り手押しポンプは水を吐く 洋子 空までも君と一緒の半仙戯 さえこ 炊出しに悪漢もゐて彼岸寺 喜和 かくれんぼいつかひとりの春の暮 ひとみ たちがみの天馬とまがふ仔馬生れ 千代
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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アートフェスティバル/震災/少女像

8月上旬。仙台出張から足を伸ばして石巻市へ向かった。
目的はリボーンアートフェスティバルの志賀理江子である。 私には3.11が何年前の出来事だったのかさえわからない。
震災を黙殺する
業務を終え、仙台駅で車を借り、石巻を目指してアクセルを踏む。 自分が3.11を無視し続けてきたことについて、高速道路で140km/hの恐怖に手汗をかきながら考える。ハンドルを切り間違えて塀に衝突する様を想像しながら、震災のことを思う。「考える」ができるほど知識がないので、ただただ、思う。無視し続けてきた長い時間のことを思う。
青い案内板に気仙沼の文字が現れると、びく、と体がこわばった。何も知らない私ですらその土地がその場所だと知っている。 今、私が土地の名を見て胸を痛めているのは欺瞞にすぎないかもしれない。それでも胸は痛み、泣きそうになって眉根を寄せた。 これは悼みではないかもしれない。これは後悔と恥の苦痛かもしれない。私はどこまでいってもみっともないほど自分本位のはずで、涙する権利をもっていない。
高速道路を降りると景色は一気に変わり、のどかな山の緑と広々と若稲を揺らす水田に囲まれた。新しく造られたらしいきれいな二車線道路をゆるゆると走る。 すれ違う車のほぼ半数が大型トラックだった。���体の正面に目立つオレンジ色のゼッケンをつけている。漁港や道路を修繕するための資材を載せている旨が書かれていた。すれ違うたびに、うおんと車体が揺れる。

アートフェスティバルの小積エリアをめざして、仙台駅から車で2時間弱、公共交通機関なら3時間。バスの本数がとても少ない。
居住する者のごく少ない土地らしかった。少なくとも現在は。 小積浜に近づくにつれ、普通車は減り、大型トラックが増える。3台に2台が大型トラックになった。まだ壊れたままの港があるのか。壊れたまま、何年経ったのだろう。
*
これまで私は私の人生から、徹底的に3.11を排除してきた。震災をないものとしてきた。あの出来事に対して、一切の思考を割かずに暮らしてきた。一切の感情を動かさずに過ごしてきた。 情報は、自ら取りにいこうとしない限り、ほとんど入ってこなかった。あんなにも大きな出来事について、私は何も知らずにいられた。津波の映像を見たことすらない。何も知らない。 3.11について考えることを放棄して、私は安全な場所でのうのうと暮らしてきた。 自ら放棄しさえすれば、これほどまでに無知でいられるのだ。意識的に避けてきたわけでさえない。考えようとしなければ、知ろうとしなければ、これほどまでに「なかったこと」にできるのだ。無知でいられる。おぞましいことだ。ぞっとする。
3.11を放棄したことに何か確固たる理由があったわけではない。ただ、すごく面倒だった。たくさんの人が亡くなったという現実に向き合うことができなかった。たくさんの人が亡くなったことにきちんと思いを馳せるのが、ただ、とても重荷に感じられて、いやだった。息苦しかった。しんどくなりたくなくて逃げた。逃げて、3.11以前と変わらない生活をのうのうと送った。 震災と関係なく就職し、震災と関係なく失恋し、震災と関係なくペンを握った。震災と関係なく友情を育み、震災と関係なく���を読み映画を観た。震災と関係なく病気をし、震災と関係なく仕事をした。 それが、可能だった。
小積エリア、〈鹿に導かれ、私たちを見るとき〉
ようやく目的の小積エリアに辿り着くも、人っ子一人いない。 狼狽えて立ち尽くしていると、黒い犬が首輪の鈴を鳴らして出迎えにきてくれた。後で聞いたところによると、猟犬なのだという。人懐こい黒犬で、私の足の周りをくるくる回って来訪を歓迎してくれる。

唯一扉の開いていた小屋を覗き込むと、山で鹿を狩猟して暮らしている小野寺さんが招き入れてくれた。今日はフェスティバルの定休日だよ、と笑う。まあ、せっかくきたし、涼んで行きなよ。そう言ってとても美味しいアイスコーヒーを出してくれた。 志賀理江子を観るためにはるばる来たのだと話すと、彼女の作品は屋外インスタレーションだから観れるよ、と教えてくれた。よかった、としゃがみこんだ。小屋には《ヒューマン・スプリング》展の図録があったので、めくりながら小野寺さんの狩猟の話をきいた。
せっかくだから鹿でも見ていく? と冷蔵庫に誘われて、喜んでついて行く。狩られて解体された鹿が吊るされてあった。 首も内臓も取り除かれた鹿は、それでもまだ生命の輝きを宿しているようだった。正しく循環しているためだろう。生命の循環が健康で、過不足のない土地。 ある生命にとっての死が他の生命にとっての幸福として迎えられる、そのような場が醸す見慣れぬ生の輝きが、そこにはあるように思えた。

エリアのテーマは〈鹿に導かれ、私たちを見るとき〉である。鹿を狩り、首を落とし、血を抜き、内臓を落とし、食して生きている小野寺さんの生き方をその言葉が言祝いでいるように思える。
志賀理江子のポストヒューマニズム
〈私たちを見るとき〉、私たちを見ているのは何者なのだろうか。
志賀理江子の作品は山の斜面を広々と利用していた。 《Post humanism stress disorder》と題されている。「人間主義のその後の、重圧による無秩序」?

山の斜面に砕いた牡蠣の殻を敷き詰めている。会場の小積浜が、位置と標高からみて、波に飲まれた土地だったことは明らかだ。木々の表皮は剝されて白く塗られ、黒々と無数の穴が穿たれている。津波の激しい力になすすべもなく剝ぎ取られた生。

山肌に敷き詰められた牡蠣の殻もまた、生命を剝ぎ取られた死骸である。死してのち波に粉々に砕かれて海底の砂へと戻る、はずが、山へ打ち上げられてなすすべもなく干からびている。海は奪っただけではなかった。海もまた、奪い取られたのだった。天災は自然がわれわれに振るう暴力ではない。自然もまた天災という暴力に晒される。


先ほどの小屋に居合わせた二人組の女の子たちもこの作品を観ていた。 なんかすごい、けど、どんな意味なんだろう、わかんないね、と話し合っているのが聞こえる。 彼女たちも定休日だとは知らずにここまで来たのだという。小野寺さんの小屋でコーヒーを飲みながら、定休日のうっかりを慰め合っていたとき、「私たち、毎年こうして、旅行でアートフェスティバルに出かけているんです、二人で」と話してくれた。 「志賀を観にきたのに」とへたりこんだ私を励ましてくれた彼女たちは、わざわざこれを観に来たくらいなら何かわかっているのだろうと期待したらしい。二人がじっとこちらを見るので狼狽えた。ええと、これは多分震災のことで、森にあるはずのない牡蠣がね、と自分の解釈をしどろもどろに説明すると、それで少しは��点がいったようで感謝された。 そっか、ここ、震災のとこかあ。二人はその時初めて気づいた様子だった。
*
仙台出張が決まった時、私もまた、何も気づいていなかった。 せっかく行くから何か美術を観ようと調べていたら、アートフェスティバルをやっているらしい。ふーん、リボーンアートフェスティバル。って何だろ。再生ねえ。開催地がやけに仙台市街から遠いな。名和晃平の鹿、見たいけど遠い、行くか迷う。微妙かも。 まあいいや、あ、せっかく行くなら土地のうまいものも食べたいな。食い道楽の年長者に相談したら、それこそ鮨だよぜひ貝を食えと言って、すらすらと店の名前がでてきた。 詳しいねと驚く。仙台は何度も行ったよ、特に通っていた時期もあったんだ、震災のことがあったからね、と言う。 それで初めて、自分はかの地に行くのだと気がついた。愚かなことに、私はそこでようやくリボーンの意味に気づいたのだった。
そのとき初めて3.11が、向き合うべき現実として目の前に現れた気がした。
芸術祭についてよくよく調べてみると、志賀理江子が出展している。恵比寿で観た《ヒューマン・スプリング》の衝撃はいまでも生々しく甦る。 あれもまた震災後の東北の姿を写した作品群だった。3.11にかんする情報をほとんど持っていない私は、志賀理江子が写真で突きつけるものを言語に落とし込むことが一切できず、それがゆえにかえって肌に焼きついていた。



言葉では拙い表現しかできなかったが、こういう衝撃だった。 志賀が用いたように思われたその「人間にとっての春、人間の春、人間的春、春(人間の場合)」という視点は、リボーンアートフェスティバルの《Post humanism stress disorder》においてのびのびと拡張されて表現されていた。 実際の場所、実際の大地を用いて、荒々しく、力強く。
何か驚異的なものを表現できる人だ。そして私はそれを感受したい。 志賀理江子だけは観なければと思って、新幹線の時間をずらしてレンタカーに乗り込んだ。
私は志賀理江子が出展してくれていたから石巻市に行けた。 逃げはじめてから何年たったかわからないが、何年もたって、何年も何年も逃げて、逃げてそれで、ようやく今。

「それに心を割くことも、思考を費やすことも、今の自分の能力では難しい」と判断して、あのとき以来ずっと避け続けてきた震災のこと。
巷はあれほど震災にかんする情報と言説であふ��かえっていたのに、私はそれらを一切無視することができた。拒絶することができた。 考えたくなければ、無視してしまえるのだ。誰がどんなに大きな声をあげていようとも。どんなに悲痛な叫びを発していようとも。
その黙殺の無慈悲と無知性を、私は身をもって知っている。 人は、耳をふさぎ心を閉ざし、考えるのをやめることができる。自分の意志で。とても身勝手な、とてもいいかげんな、自分の意志ひとつで。 それなりにものを考えることができるはずなのに、その考える力を、こうやって「排除」のために使えてしまう。こういうことがあって、私は自分の知性を一切信用しない。保身のために、自己都合で、この世界の姿をいくらでも捻じ曲げて受け取れるのだと、身をもって知っている。 そしてこれは、私だけではなくて、誰にでも起こりうることだと思っている。
アートツーリズムへの反省
小積エリアで偶然出会った女の子たちが口にした、「そっか、ここ、震災のとこかあ」という言葉が、猛烈な自己反省を呼んだ。 あのとき気づかなければ、私もまた、「そっか、ここ、震災のとこかあ」であった。いや、それすらなかった。「野生の名和晃平ちょっと見たいかもー」だったわけで、「なんで牡蠣が敷き詰めてあるの(笑)」だったわけだ。でもって、「わ、鹿思ったよりおっきい!夏空と海に映え♡」であり、「あー楽しかった、海と空とかっこいいアート♡」である。最悪すぎる。

アートが綺麗だったり美しかったり写真映えしたりするのは、鑑賞者を作品に引っ掛けるための手段であって、それ自体は目的ではない。 というか、そもそもアートは別に美しいものではない。衝撃的なものだ。グロテスクであったり、不気味だったり、異様だったりと、つい目を背けたくなるようなものであることの方がずっと多い。作品は違和であることを至上命題として造られ、為される。 日本において地域振興の手段として奨励されたアートフェスティバルは、より多くの旅行客を招く事業として成功をおさめた一方で、日本におけるアート鑑賞の倫理あるいは方法を毀損した。破壊し尽くしたと言ってもいい。
地域振興を謳う「善性にあふれた」(より正確には「善性にあふれることを強制されがちな」)アートフェスティバルに訪れる人々は、綺麗なものと美しいものと真剣な応援を期待して、旅行的に・観光的に・快いものであることを誂えられたツーリズムとして、その地に足を向ける。 あいちトリエンナーレもまた、そこに巻き込まれたように思える。アートの本来的な存在意義からして、『表現の不自由』展のコンセプトは快哉をもって迎え入れられるはずのものだった。しかしそれも「市民」によって「不快である」として却下された。 反射的・感情的に、かつ妙な正義感を確信したような態度でなされた《平和の少女像》への反発は、この国においてアート鑑賞の倫理が取り返しもつかないほど破壊され骨抜きにされてしまったことの現れだったのかもしれない。
*
《平和の少女像》を展示することにアレルギー反応を起こすように反発していた人々は、なぜあんなにも怒り狂っていたのたろうか。事件当初から今に至るまで、私にはその理由がわからないままだ。 しかし、アートの存在意義について問い、考え、曲がりなりにもその意義を肌身で感じたことがなかったとしたら、あるいは、人が表現することについて身を以て向き合った経験をもたずに生きたとしたら、私もまた確固たる理由をもって反発を表明したのかもしれない。 人間が信を置く先は本当にさまざまだ。 「わからない」に応えてくれて、話し合うことが叶うとすれば、《平和の少女像》が果たした役割はアートの本懐であると思う。
対話をよぶ装置として
今回のリボーンアートフェスティバルで、志賀理江子が震災から逃げていた私を動かしてくれたことは、特殊な偶然がいくつも重なって生じた、ごく個人的な出来事だった。 特殊で個人的な出来事ではあったが、アート作品を介して、誰にでも起こりうる出来事でもあると思う。
アートが対話をよぶ装置であることは、さまざまなレベルで機能する。 志賀理江子がその作品によって、震災と対峙することから逃げ、震災と対話することを拒否してきた私をようやく震災と向き合わせてくれたことも、その一例にかぞえられるだろう。
私たちが芸術作品を好むのは、それが自身との深い対話を導いてくれる、その気持ちよさがゆえではないだろうか。 それは、「綺麗」とか「かわいい」のような表層的な気持ちよさとはまったく異なる、潜水の心地よさ、暗闇を沈む心地よさ、輪郭から解放されてゆく心地よさではないだろうか。
感覚に訴えかけるアート作品に対峙して、表層的なところにとどまってしまっては、その作品の与えてくれるはずの快楽の本質的な部分を取り逃がしてしまう。そんなふうに終わってしまうことは、表現者にとっても、鑑賞者にとっても、作品にとっても、このうえなく悲しいことに違いない。 そして、それは往往にして起こりうる悲しい事態だ。考えることを拒絶すれば、人は一切考えずにいられてしまう。考えるのをやめることで、軽んじてはならないものを軽んじ、毀損し、破壊してしまうことだってできる。
その作品を場として、一体何が起こっているのか。その作品を場として、自分に一体何が起こるのか。 感じた先に進んで、考えて、考えて、考え抜いたところに新たな世界が広がる。そこにいる新たな自分に邂逅する。 その歓びをアートの存在意義とすることを、その存在への感謝とともに、私は現在の新たな私をもってごく個人的に表明したい。
おまけ 2014年に震災に乗り遅れたことについて書いた記事がありました。情けない限りです。 ☞窓から虹色の吐瀉物を投げ捨てた
(2019/08/14 17:14)
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クマ散歩:三島スカイウォーク南エリアで品行方正なクマは昼食を The Bear had lunch in Mishima Skywalk South Area (港あじ鮨 Horse Mackerel Sushi、うなぎ太巻・わさび稲荷 Eel Sushi Roll, Sushi Pocket with Wasabi、みしまコロッケ Mishima Croquette)!♪☆(*^o^*)
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11820 お稲荷さんをいただく 鮨飯にちりめんが入ってて美味しく食す。冬土用の入り 立春の文字がちらつく 今日明日 最後のセンター試験 https://www.instagram.com/p/B7cImdYgXoO/?igshid=y6ar9v0ktcdl
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