#笠置シヅ子
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【ハッピー☆ブギ】歌詞の意味を考察!ブギウギとは悲しみを笑顔に変える魔法の言葉【中納良恵 さかいゆう 趣里】
【メンタルエイド】BRAND-NEW MUSIC DAYS 今回あなたの心に届けたい楽曲は 中納良恵さん、さかいゆうさん、趣里さんが歌う ハッピー☆ブギです。 Total Playing Time 3:40 ※sourced by.…

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兎に角いつでも大口開けた笑顔のシズ子さん(*^^*)




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【似顔絵】笠置シヅ子さん。
ブログ記事はこちら:https://wp.me/p72NAa-1SL
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🆕🎶 「 東京ブギウギ - Boogie Woogie Age Re-Edit & Remix 」 new single by 笠置シヅ子, DJ 吉沢 Dynamite.jp is now available worldwide! 🌐 Listen now and discover new sounds from Japan on our weekly updated playlist 🎧 https://spoti.fi/3lgjH73
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Artist - 笠置シヅ子 (Kasagi, Shizuko) Song - 東京ブギウギ (Tokyo Boogie Woogie) Release Date - December 1947
Listen 🎶
https://rumble.com/v5kjkd1-shizuko-kasagi-tokyo-boogie-woogie.html
My blog: Showa Music Library https://nobbykun.tumblr.com/
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太鼓は、あの世とこの世をつなぐ命綱みたいなもの。 アフリカやアマゾンで暮らす人々、あるいはネイティブアメリカンのシャーマン(呪術師)が祈ったり踊ったりしてトランス状���になるとき、誰かが必ず太鼓を叩いています。太鼓という現実の音がないと、魂が飛び出してあっちの世界に行ったきりになってしまうから。それを一本の命綱のように、この世につないでいるのが太鼓の音。それはぼくの考えだけどね。 トランス、つまり半覚醒状態とは夢と目覚めの中間で、夢うつつ。金縛り状態といってもいい。金縛りは辛いけれど、音楽で体験できる「心地のいい金縛り」というのがある。この半覚醒をぼくは〝宙づり感覚〟と言ってるんだけれど、人間にはこれがとても大事。 それがどこにあるかというと、たとえば、徳島の阿波踊り。この世に一拍子という考え方はないけれど、ぼくは常々「ブギウギは一拍子だ」と思っていた。ひとつひとつの拍子が独立して、それが無限につながっていく。シャッフルしない。八拍子に偏らない。ちょうど中間。譜面には表せない、まさに宙づり感覚。だから、阿波踊りの三味線を弾く若者が「阿波踊りのお囃子は一拍子なんです」と言ったときにはびっくりした。説明が難しいんだけど、一拍子はひとを高揚させ、踊らせる。だからあんなに長い間踊っていられる。 シンコペーションとか、リズムにはいろんなパターンがあって、若い頃は傲慢にも新しいリズムを自分で発見したと思うことがあった。これは大発見だ、自分しかやっていない、と。でも、今になって思うと、ぜんぶ先人たちがやっていたことで、すべてぼくが生まれる前からある。南米にもアフリカにも、アメリカにも。ただ、それを知らなかっただけで、ぼくはそういった音楽やリズムをつないでいるプロセスの中にいる。ずっと昔からあるものを汲み取っているだけ。 こうしたものがときどき失われることがある。生き物と同じで絶滅種みたいにとぎれたら二度と蘇らない。ぼくはたまたま音楽をやっているから、そういう音楽の種というか遺伝子、とくにリズムが途切れちゃまずいな、という思いがある。たとえば、さっきのブギウギとか阿波踊りのリズム。単純ではない。そういったものをつなげていきたい。 自分の中には分離した様々な音楽世界が共存している。西洋から見ると〝極東〟の片隅のちっちゃな島国である日本で育ったぼくが、どうしてブギウギなんてやってるんだろうと思うけれど、これは戦後生まれの宿命。ぼくが「GHQの呪い」と呼ぶ占領軍の文化政策のせいかもしれない。戦時中アメリカが戦意高揚のために使ったブギウギが、戦後日本に持ち込まれて、笠置シヅ子とかが歌って和製ブギウギが流行った。そん��時代に生まれたから、すり込まれたんでしょうね。 子供のころ、SP盤がうちにいっぱいあって、軍歌も浪花節も、童謡も映画音楽もあるなかで、四歳か五歳の頃から、自分でこれがいいって選んで聴いたのはブギウギだった。決して与えられたわけではなく、体が反応した。聴きながら飛び跳ねた。それが今も続いているわけで、最近でもライブでブギウギをやると、聴いてる子供たちが目をランランと輝かせて踊っている。ノリが真剣なんです。 ブギウギと同じように、幼児体験から続く音楽の記憶は小学唱歌。一九八〇年代に、アイドルのための楽曲をたくさん書いて提供した。それを聴き直すと「唱歌だな」と自分で思う。それがいますごく気になっていて、アレンジを変えて小学唱歌のようにしたらどうなるだろうと思っている。それはぼくの中に眠っている遺伝子なのかもしれないと思う。でも、唱歌は表面的には途切れてしまいかけている。これについてもそれを持続して、つなげていきたいといまは思う。 ホームレスのような悲惨な暮らしをした経験をもつアメリカの作家、ヒューバート・セルビー・ジュニアという人がいて、『レクイエム・フォー・ドリーム』という映画の原作・脚本を担当しているのですが、彼がインタビューでこんなことを語っていた。脚本を書くとき自分を出さない。自分は媒介者であり、ある物語を人に見せる通過点であるに過ぎない、と。共感した。ぼくの考えもそれに近い。音楽という世界のなかで、自分は媒介者であり通過点に過ぎないのです。 (「考える人」2016年秋号掲載)
リ��ムをつなぐ | 地球の音 | 細野晴臣 | 連載 | 考える人 | 新潮社
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桜林美佐の「美佐日記」(251)
ひたすら「誰かのために」生きた柳澤慎一さん
桜林美佐(防衛問題研究家)
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おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、251回目となりま
す。
現在、放送中のNHKの朝ドラは「ブギウギ」で、笠
置シヅ子がモデルになっているようです。
あくまで「モデル」になっているだけで、事実と
いうわけではないところが複雑で、常にこの手のド
ラマを観る時は注意が必要です。
歌われている楽曲が実際に存在するものであった
りするため、本当の話なのか作り話なのか分からな
くなり、困ったものです。
このドラマには榎本健一(エノケン)と思われる
人物が登場します。そう、言わずと知れた日本の
「喜劇王」です。
実は、私、かつてエノケンと深く関係する仕事を
したことがあり、そのため、朝ドラにそれらしい人
が登場すると興味深く観てしまいます(と言うほど
ちゃんと観ていないのですが・・)。
私がどんなことでエノケンさんと関わったかと言
いますと、さかのぼること2003年(平成15年)、
東京の「浅草演芸ホール」にある「東洋館」におい
て「エノケン生誕100年祭」が開催され、私はな
んとその総合司会を務めたのです。
エノケン夫人を招き、小林のり一さん(三木のり
平の長男)、八波一起さん(八波むと志の長男)、
三波伸一さん(三波伸介の長男)によるコント、前
田憲男さんのピアノで柳澤慎一さんが歌うエノケン
メドレー・・・など、豪華盛り沢山で、最後は私も
皆さんと一緒にステージで「月光値千金」を歌い、
幕を閉じたのでした。
こうした皆さんと丸一日過ごさせて頂いた経験は、
本当に得難いもので、楽屋でのしきたりなどで失礼
があってはいけないと、その日は知人の芸人さんの
付き人に身の周りの世話をお願いするほど気合を入
れました。舞台裏での張り詰めた空気や緊張感を忘
れられません。
なぜ、私がこのような大役を仰せつかったのかと
いうと、かつて俳優や歌手として名をとどろかせた
柳澤慎一さんとの出会いからでした。
柳澤さんは介護のNPOを立ち上げ、老人ホームの名
誉館長をされていて、私がその施設をリポートする
仕事で訪れた際に初めてお目にかかったと思うので
すが、悲しいかな、そこから先が思い出せません!
いずれにしても、きっかけは全く関係のないこと
だったのですが、柳澤さんは、私の恩師が脚本家の
西澤實であり、西澤門下で朗読の活動をしていたこ
とや、懐メロに詳しかったことで「大抜擢」して下
さったのだと思います。
柳澤さんは戦後、信徒ではなかったようですが、
通っていた教会で宣教師の方と出会い、奉仕活動に
目覚めたといいます。
進駐軍クラブでジャズを歌い始めたのは、戦災���
児や障害者の慰問費用を捻出するためでした。
エノケンに可愛がられ「柳澤をオレの二代目にす
る」と言われていたほどだったといいます。数多く
の映画やドラマに出演していますが、私がリアルで
知っているのは「奥様は魔女」のダーリン役の吹替
です。
福祉活動をしていたことは秘匿していたといい、
老人ホームの受付にいてもその人だと気付かれるこ
とはなかったようです。
そんな方が「エノケン100周年」の時だけは恩
返しということでステージでスポットライトを浴び
たのですから、実に貴重な場面に私はご一緒したの
です。
柳澤さんが一昨年2022年の3月24日に89
歳で召天されたと知ったのは昨年になってからでし
た。
亡くなってから1年間も公表されなかったのも、
柳澤さんの遺志だったのでしょうか。とにかく「善
行を見せびらかさない」という、手本のような方で
した。
家を売却して福祉活動に投入したという逸話に驚か
されましたが、そもそも芸能界に入ったのは福祉活
動のためだったといいますから、その意味では柳澤
さんが人のためにタダ働きをすることはこれ以上に
ない自己実現だったということになります。
一流のオーラを持ちながら、絶対に目立たないよ
うにして、ひたすら「誰かのために」生きた柳澤さ
ん。今やその名前を知る人も少なくなっているかも
しれませんが、日本人が忘れないように、こういう
方の物語を朝ドラにしてはどうなのでしょう(ご本
人は嫌がるでしょうけど)。
それにしても、朝ドラのおかげで柳澤さんの命日に
合わせてこのような思い出を書けたわけですから、
観ていて良かった!ということですね。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございまし
た。どうぞ良い1週間をお過ごし下さい!
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服部吉次さん(俳優・音楽家/78歳) 今年3月に英公共放送BBCが報じたジャニーズ事務所の創業者・故ジャニー喜多川氏の性加害問題のドキュメンタリーを契機に、元ジャニーズJrでシンガー・ソングライターとして活動するカウアン・オカモト氏(27)が実名でジャニー氏を告発するなど、その衝撃は日本中に広がっている。今回、俳優で音楽家の服部吉次氏が小学生の時に受けたジャニー氏からの性被害を告白する。吉次氏は「別れのブルース」「東京ブギウギ」「銀座カンカン娘」などの和製ポップスで知られる国民栄誉賞受賞作曲家・服部良一の次男。長兄は作曲家の故・服部克久だ。(独占インタビュー前後編の前編です) ◇ ◇ ◇ ──なぜ、今過去の性被害を公表する気になったのでしょうか。 「ひとつは、カウアン・オカモト氏ら実名で告発した方たちに対する敬意です。ジャニーの悪行にはかつて(2000年代に)司法の明確な裁きが下ったんです。にもかかわらず、それから30年経った今に至るも、主要なメディアはジャニーズ事務所の数々の非道の兆候を明確に指摘することをためらい、忖度し、温存する側に回ってしまった。 なぜか。この国ではむ��だしの怒りを相手にぶつけることを避けてしまう。人々はこの世の歪みに気づかないふりをする。でも、少しずつではあるけれども、勇気ある告発は増え続け、海外からの声も追い風になり『おかしい』という声は大きくなってきた。それだけに行動する人に対するバッシングも大きくなる。今回こそ、真正面からその圧力と向き合おう、この機会を失うと、もう二度と発言の機会は失われてしまうかもしれない。そんなやむにやまれない思いで、今回の告白に踏み切りました」 ■父の米国巡業の縁で姉弟が服部家に ──被害にあったのはいつ頃でしょうか。 「まず、ジャニーと私の父・良一の出会いから話します。1950年に、父が歌手の笠置シヅ子さんと『ブギ海を渡る』を持ってアメリカ巡業ツアーをしたのです。8月11日にハワイ公演、9月1日から3日間はロサンゼルス公演でした。会場は高野山ホールという高野山真言宗の直営ホールで、当時の高野山真言宗米国別院の第3代主監が喜多川諦道氏。ジャニー喜多川の父です。 諦道氏は『ボーイスカウト第379隊』の結成に尽力したり、プロ野球球団『ゴールドスター』のマネジャーも務めていたという多芸多才な方だと、今回ネットで知りました。ロスの日系社会で声望が高かったそうです。息子のジャニーは当時19歳。姉のメリーと共にコンサート会場を駆け回り、大人顔負けの接待役を発揮し、父や笠置さん、服部富子(叔母で『満州娘』の大ヒットで知られる歌手)、スタッフたちのマスコット的存在だったそうです」 ──服部家とはその縁で? 「同じ年の6月に勃発した朝鮮戦争で、ジャニーはアメリカ国民として徴兵され、従軍するのですが、ある日、突然、彼が新宿区若松町の家にカーキ色の軍服姿で現れました。パパ(良一)と叔母は、それを見るなり『ヒーボー(ジャニー氏の本名・擴からこう呼んでいた)! ウワー、大きくなって』と歓声をあげて出迎えました。 それから、何回か若松町に遊びに来ました。今でも忘れられない光景があります。玄関にうずくまり、軍靴をゆっくりと編み上げている彼の姿です。家族はそれを囲んで一言も言わずじっと見つめていました。それから彼は立ち上がり、私たちに別れの挨拶をするでなく、『あー、行きたくないなー』と一言。 今思うと、2世差別の残る戦場へ向かう彼の姿を中国戦線での慰問経験をもつパパと叔母は、どんな思いで見ていたのだろうと思います。ジャニーは朝鮮戦争から���還し、その翌年日本に戻り、除隊後には米大使館軍事顧問団に勤務したといいます。それで再び、服部家に出入りするようになったのです」 ──どんな印象でしたか? 「ジャニーはワシントンハイツ(代々木にあった進駐軍宿舎)に住んでいて、時々、お土産をもって服部家を訪ねてくるんです。ハーシーのチョコレートやハンバーガー、フライドポテト、アイスクリームなど。PX(基地内の売店)で手に入れたものでしょう。当時の日本は皆貧しいですからね、ハーシーのチョコなんて高根の花でした。うちは比較的裕福とはいっても、進駐軍の物資の豊かさは別世界です。 ある時、冷蔵庫が運ばれてきたのでびっくりしました。父が彼に頼んで買ったものでしょうけど、当時は氷を置いて冷やす簡易冷蔵庫しかない時代です。冷蔵庫・洗濯機・テレビが三種の神器と呼ばれて主婦が憧れたのは1960年代の初めですからね」 ──ジャニー氏の性癖を知ったのはいつですか? 「私は当時8歳。小学2年生ですから、チョコレートやお菓子を山のように持ってきてくれて、一緒に遊んでくれるヒーボー(ジャニー氏)は優しいお兄さんですし、大好きでした。ある日、いつものようにふらりとやってきて、確か“キャナスター”というトランプゲームなどで遊んでくれたヒーボーが、『もう遅くなったから今日は泊まっていこうかな』と言うんです。母も、『そうね、どうぞ泊まっていって』と言う。 ヒーボーが『どこに寝ればいいかな?』と聞くと、『よっちゃんの部屋がいいんじゃない』と母。『よっちゃん』というのは私の愛称です。 それでヒーボーが私の部屋に泊まることになりました。2階が子供部屋で4部屋あるうちの2つは兄と私、1つは姉3人が寝るようになっていて、一つは布団部屋みたいになっていたと思います。 パジャマに着替えた私が布団に入ると、彼が『肩揉んであげる』と言うんです。私も子供のくせに肩こり性なので、言う通りうつぶせになると、ヒーボーの手が虫みたいに体中をはいまわるので『なんか変だな』と思ったけど、私にとっては優しいお兄さんですからね。 そのうち、下半身をまさぐってきて、パンツをめくって股間のあたりに手を入れてくるんです。指でさすられているうちに生温かいものに包まれたと思った瞬間、今まで知らない突き抜けるような快感があって。それが初めての射精でした。何がなんだかわからず、びっくりしていると、今度は肛門をいじり始め、舌がはい回ってくる。そのうち舌とは違う硬いものが入ってくる感触がするけど、さすがに痛いので身をひねったら、諦めたようで、指で自分を慰めている。それを見て怖いというよりも、8歳だから何がなんだかわからない状態です」 ■姉��らは「汚らわしい」と言われ… ──母親には話さなかった? 「その翌朝、起きたらすでにヒーボーの姿はない。何も知らない姉が笑顔で『どうだった? 昨夜は大好きなお兄ちゃんと一緒に寝て楽しかった?』と聞くので、『うん、ヒーボーは僕の体を揉んでくれるんだけど、だんだん、手がパンツの中に入ってきて、おちんちん触るんだよ。おちんちんって汚いよね。ぼく、なんだか気持ち悪くて……』と言ったら、姉が、『やめなさいよ、そんな話。汚らわしい』とすごい剣幕で言う。 姉がそんなに怒るのは昨夜のことはやっぱりいけないことだったんだと思って……母親に話すことはできないし、まして普段からあまり会話が少ない父親に話すなんて無理。そこで思考停止しちゃったんです。 ジャニーがしたことがオーラルセックスだというのは大人になってわかるんですが、変なことをされたという気持ちとそれを自分が受け入れた後ろめたさが子ども心にも複雑な心理状態になるんですね。 アイスやチョコをくれて、性的な快感を味わわせるということで、こちらに後ろめたさを持たせ、その一方で加害者としてその快楽を使った口封じをしているわけです。性に関する問題は『支配と奉仕』の二重構造があるのだと思います。でも、それで終わったわけではなかったんです」(後編につづく) ▽服部吉次(はっとり・よしつぐ) 本名・服部良次。1944年生まれ。父は作曲家・服部良一。劇団黒テントの創立メンバー。「翼を燃やす天使たちの舞踏」「上海バンスキング」「阿部定の犬」ほか多数の舞台に出演。妻は女優の石井くに子。次男はハンブルク・バレエ団で東洋人初のソリストで、バンクーバー五輪の開会式に出演したバレエダンサー・服部有吉。兄は作曲家・服部克久。甥は作曲家・服部隆之。隆之の娘はバイオリニストの服部百音。 (取材・文=山田勝仁)
(2ページ目)国民栄誉賞作曲家の次男がジャニー喜多川氏からの性被害を告白 「8歳の時に自宅部屋で…」|日刊ゲンダイDIGITAL
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2024/2/27(火)
「のぞかれた花嫁/杉狂児」が入っていた「オリジナル盤による古賀政男傑作歌謡全集」(1972テイチク、LP3枚組)の近くにあったLPから、二日目。 1 コーヒー・タンゴ/ゼッキーノ・ドロ合唱団 (1972) LP 「コーヒータンゴ・ちびっこのど自慢 ここから、同じのど自慢の二年前の入賞曲で日本でヒットした「黒猫のタンゴ」の元曲を探そうとして見つからず、「黒ねこ」から台帳つながりで「黒田節」に脱線。 2 ロック黒田節/平尾昌晃 (1959) 福岡県民謡 編曲:平尾昌晃、津々美洋 3 黒田ブギー/笠置シヅ子 (1951) 詞:村雨まさを 曲;服部良一




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NHK Osaka station should be reorganized

Sennari Gourd
The morning drama Ranman, which is currently on air, is a rare masterpiece. The closing episode of the first half aired on June 30th was a good finale to a generally good drama. It probably depends on the skill of Ikue Nagata, who is in charge of the screenplay. I am looking forward to the second half. All in all, it's a future-oriented show.
By the way, it seems that the next morning drama will feature Shizuko Kasagi in the hands of the Osaka station. Well, it is easy to imagine that they would say, "I like Osaka" and "I can't lose to Tokyo."
"Regional love" sounds good, but in other words, it is narrow-minded "self-love." Just as Osaka Prefecture still uses Toyotomi Hideyoshi's flag, "Sennari Gourd," as its prefectural emblem, NHK's Osaka station continues to drag on from the past. A natural loser who was a villain: There is no salvation in the sense that the identity is placed on Toyotomi Hideyoshi.
NHK Osaka station should be reorganized. By the way, I was born in Osaka Prefecture and raised in Gunma Prefecture.
Rei Morishita
NHK大阪局を改組すべし
現在放送中の朝ドラ「らんまん」は、稀に見る傑作である。6月30日放送の前半締めくくりの回は、一般的にも優れたドラマのフィナーレと言ってもよい出来だった。脚本担当の長田育恵氏の力量によることも多いだろう。後半も楽しみである。総じて、将来志向の番組だ。
さて、次の朝ドラは大阪局の手になる笠置シヅ子特集らしい。まあ、「大阪すきやねん」「負けたらあかん東京に」の乗りだろうことは容易に想像できる。
「地域愛」というのは、聞こえは良いがつまりは偏狭な「自己愛」である。大阪府が豊臣秀吉の旗印「千成瓢箪」を未だに府章としているのと同じで、NHK大阪局は、過去を引きずり続けている。悪漢だった当然の敗残者:豊臣秀吉にアイディンティティを置いているという意味で救いようがない。
NHK大阪局は、改組されるべきである。ちなみに私は大阪府生まれの群馬県育ちである。
#Ranman#らんまん#rare masterpiece#osaka#Shizuko Kasagi#NHK#I can't lose to Tokyo.#Regional love#self-love#Toyotomi Hideyoshi#villain#NHK Osaka station should be reorganized.#Sennari Gourd#Rei Morishita
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「まず、ジャニーと私の父・良一の出会いから話します。1950年に、父が歌手の笠置シヅ子さんと『ブギ海を渡る』を持ってアメリカ巡業ツアーをしたのです。8月11日にハワイ公演、9月1日から3日間はロサンゼルス公演でした。会場は高野山ホールという高野山真言宗の直営ホールで、当時の高野山真言宗米国別院の第3代主監が喜多川諦道氏。ジャニー喜多川の父です。
諦道氏は『ボーイスカウト第379隊』の結成に尽力したり、プロ野球球団『ゴールドスター』のマネジャーも務めていたという多芸多才な方だと、今回ネットで知りました。ロスの日系社会で声望が高かったそうです。息子のジャニーは当時19歳。姉のメリーと共にコンサート会場を駆け回り、大人顔負けの接待役を発揮し、父や笠置さん、服部富子(叔母で『満州娘』の大ヒットで知られる歌手)、スタッフたちのマスコット的存在だったそうです」
「同じ年の6月に勃発した朝鮮戦争で、ジャニーはアメリカ国民として徴兵され、従軍するのですが、ある日、突然、彼が新宿区若松町の家にカーキ色の軍服姿で現れました。パパ(良一)と叔母は、それを見るなり『ヒーボー(ジャニー氏の本名・擴からこう呼んでいた)! ウワー、大きくなって』と歓声をあげて出迎えました。
それから、何回か若松町に遊びに来ました。今でも忘れられない光景があります。玄関にうずくまり、軍靴をゆっくりと編み上げている彼の姿です。家族はそれを囲んで一言も言わずじっと見つめていました。それから彼は立ち上がり、私たちに別れの挨拶をするでなく、『あー、行きたくないなー』と一言。
今思うと、2世差別の残る戦場へ向かう彼の姿を中国戦線での慰問経験をもつパパと叔母は、どんな思いで見ていたのだろうと思います。ジャニーは朝鮮戦争から帰還し、その翌年日本に戻り、除隊後には米大使館軍事顧問団に勤務したといいます。それで再び、服部家に出入りするようになったのです」
「ジャニーはワシントンハイツ(代々木にあった進駐軍宿舎)に住んでいて、時々、お土産をもって服部家を訪ねてくるんです。ハーシーのチョコレートやハンバーガー、フライドポテト、アイスクリームなど。PX(基地内の売店)で手に入れたものでしょう。当時の日本は皆貧しいですからね、ハーシーのチョコなんて高根の花でした。うちは比較的裕福とはいっても、進駐軍の物資の豊かさは別世界です。
ある時、冷蔵庫が運ばれてきたのでびっくりしました。父が彼に頼んで買ったものでしょうけど、当時は氷を置いて冷やす簡易冷蔵庫しかない時代です。冷蔵庫・洗濯機・テレビが三種の神器と呼ばれて主婦が憧れたのは1960年代の初めですからね」
国民栄誉賞作曲家の次男がジャニー喜多川氏からの性被害を告白 「8歳の時に自宅部屋で…」
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笠置シヅ子* - 東京ブギウギ / 買物ブギー (7", Single, Mono)
Vinyl(VG++) Sleeve(VG++) / more than VG+ conditions, in good shape / コンディション 盤 : Very Good Plus (VG+) コンディション ジャケット : Very Good Plus (VG+) コンディションの表記について [ M > M- > VG+ > VG > G+ > G > F > P ] レーベル : Columbia – NK-36 フォーマット : Vinyl, 7″, 45 RPM, Single, Mono 生産国 : Japan 発売年 : 1977 ジャンル : Jazz, Blues, Pop スタイル : Boogie Woogie, Ryūkōka 収録曲 : A. 東京ブギウギ 3:02B. 買物ブギー 3:14 Orchestra – Columbia…
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憧れの場所と私
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「オー・シャンゼリゼ」という楽曲を聴くと、なんとなくフランスの華やかな街並みをイメージします。
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そんなフランスに対する憧れからついた名前のお店と言えば「Paris吉祥寺」。本店はパリでも吉祥寺でも無く田無にありましたが、田無市もなくなり西東京市になりました。
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日本だと多くのミュージシャンに歌われることが多いのが東京。古くは笠置シヅ子の「東京ブギウギ」だったり最新のものだとVaundyの「東京フラッシュ」でしょうか。
・
市ヶ谷勤務のサラリーマンからすると、ここはランチ不毛地帯と思い始めていましたが、自分以外でもこの地名を聞いて間違いないと思うのでしょうかね?
・
というわけで本日のランチは「あの新橋の名店」と自らうたっている #あぶり清水 #あぶり清水市ヶ谷店 です。
・
いっとき新橋のリーマンだった頃には一度も訪れたことがありませんでしたが、久しぶりに見かける「新橋」というキーワードに惹かれて入ってみることにしました。
・
頼んだのは「好評」と書かれた #特製塩もつ鍋Set です。ご飯大盛り無料なので、お願いしました。待つこと8分でぐつぐつの鍋がやって来ました。
・
キンキンに冷え切った会議室だった後のこのご飯なので、望んだ通りです。まずは #もつ を頂きます。かみごたえのある部位と脂身の塩梅が最高です。
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これに、まんが日本昔話で見たような盛り付けの山盛りご飯がよく合います。そして何よりも塩だれが、シンプルなのに旨みがあって、後を引きます。
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にらの食感やキャベツの甘さもいい味を出しています。そして豆腐も入っていて、全体的に優しい感じなのに所々で垣間見れるパンチのある味わいが不思議な感じです。
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よくみるとニンニクのかけらがあったり、ゴマがあったりするので、それらが少しずつ食べながら風味を加速していくからなのかも知れません。
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他の人が頼んでいたメニューも気になったので、またお邪魔したいなと思います。
・
#市ヶ谷ランチ #市ヶ谷グルメ #市ヶ谷鍋 #市ヶ谷和食 #市ヶ谷もつ鍋 #新橋ランチ #新橋グルメ #新橋鍋 #新橋和食 #新橋もつ鍋 #とa2cg
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朝ドラ「ブギウギ」消息不明のチズさん(ふせりえ)らに不安に声続々 SNS「回収期待!」「歌い続ければ会える」
NHK連続テレビ小説「ブギウギ」の第89話が7日、放送され、主人公の福来スズ子(趣里)から、下宿先の主人、小村チズ(ふせりえ)・吾郎(隈本晃俊)夫妻と、おでん屋台の店主、伝蔵(坂井聡)が消息不明であることが明かされ、SNSに、視聴者から不安の声が寄せられた。 戦後の大スターで「ブギの女王」として人気を博した歌手、笠置シヅ子さんをモデルに、趣里演じる主人公が多くの困難を乗り越えて歌手の道を突き進み、人々に勇気と希望を与えていく姿を描く「ブギウギ」。ドラマは現在、第19週「東京ブギウギ」(第87~91話)が放送されており、この日の放送で、香川県からスズ子をたずねて父の花田梅吉(柳葉敏郎)が上京した。
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