#米海軍横須賀基地
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私の手元に、古ぼけた書類の束がある。手製の表紙をめくると目に入ってくるのは軍の最高機密を意味する「軍機」の朱印だ。昭和16年12月8日、日米開戦の象徴となった真珠湾攻撃に関する詳細な計画、命令書である。なぜこんなものが私の元に来たのか、そして軍の機密のその中身とは――。 「進藤三郎」という男 昭和15年9月13日、圧倒的勝利に終わった零戦のデビュー戦を指揮し、漢口基地に帰還した進藤三郎大尉 平成12(2000)年2月2日、ひとりの元海軍少佐が88年の生涯を終えた。その人の名は進藤三郎。太平洋戦争に興味のある人ならまず知らない人はいないであろう戦���機乗りである。 進藤は昭和15(1940)年9月13日、制式採用されたばかりの零式艦上戦闘機(零戦)13機を率い、中国・重慶上空で中華民国空軍のソ連製戦闘機33機と交戦、27機を撃墜(日本側記録。中華民国側記録では被撃墜13機、被弾損傷11機)、空戦による零戦の損失ゼロという鮮烈なデビュー戦を飾った。続いて、昭和16(1941)年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃では、空母赤城戦闘機分隊長として第二次発進部隊制空隊の零戦35機を率いた。その後、激戦地ラバウルの第五八二海軍航空隊飛行隊長、空母龍鳳飛行長などを歴任し、筑波海軍航空隊飛行長として派遣先の福知山基地で終戦を迎えた。 戦後はトラック運転手や福島県の沼沢鉱山長などの職を転々としたのち、生家のある広島に戻って東洋工業株式会社に入社、出向した山口マツダで常務取締役まで務めた。 戦争中はその華々しい「活躍」がしばしば新聞にも載るほど著名な海軍軍人だったが、戦後は一転して平凡な会社員生活で、戦争の話はよほど心を許した相手にしか、最後まですることを好まなかった。 進藤が保管していた書類に入る前に、進藤自身の「真珠湾攻撃」について、1996年から99年にかけての私のインタビューをもとに再現しよう。 突然の転勤命令 昭和16年4月、新編された当時の赤城戦闘機隊搭乗員たち。中列中央・飛行隊長板谷茂少佐、その右・分隊長進藤三郎大尉。このメンバーのうち数人は、のちに第五航空戦隊に異動した 昭和14(1939)年、ドイツ軍がポーランドに侵攻したことに端を発する欧州での大戦は、日本がドイツと軍事同盟を結んだことで、もはや対岸の火事とは言えなくなっていた。日米関係は悪化の一途をたどり、昭和16年7月28日、日本軍の南部仏印進駐を機に、アメリカは日本への石油輸出を全面的に禁止、イギリス、オランダもこれに同調する。世にいう「ABCD包囲網」である。 この制裁措置は、石油その他の工業物資の多くをアメリカからの輸入に依存してきた日本にとって、まさに死命を制するものだったった。米英蘭との戦争は、もはや不可避と考えられた。海軍も、極秘裏に開戦準備に入る。 航空母艦赤城、加賀の第一航空戦隊、蒼龍、飛龍の第二航空戦隊を主力に、第一航空艦隊(一航艦=司令長官・南雲忠一中将)が新たに編成されたのは、昭和16(1941)年4月のことである。一航艦は、空母と少数の駆逐艦だけで編成されたが、実戦に際しては、臨時に配属する速力の速い戦艦、巡洋艦、駆逐艦などを合わせ、これが世界初の試みとなる「機動部隊」として作戦に従事することになっていた。 進藤は、機動部隊の編成にともなう人事異動で、南雲中将の座乗する旗艦赤城の戦闘機分隊長に転勤を命ぜられた。進藤の直接の上官、赤城戦闘機隊の飛行隊長は板谷茂少佐である。 「支那事変での長く続いた戦地勤務で、私の体は疲れ切っていました。できれば今度は内地の練習航空隊の教官配置につけてもらえないかと思っていた矢先の転勤命令。空母乗組は“搭乗員の華”、誰もが羨む配置なんですが、正直なところ、はじめはうんざりしましたね」 と、進藤は振り返る。 猛訓練で体が悲鳴を上げていた 機動部隊の旗艦・空母赤城。巡洋戦艦を建造中に空母に改装。当時世界最大級の航空母艦だった 空母搭載の飛行機隊は、洋上訓練や出撃のとき以外は、陸上基地で訓練を行うのを常としていた。搭乗員が揃うと、赤城戦闘機隊は、鹿児島・鴨池基地を拠点に、飛行訓練を開始した。 まずは、搭乗員全員の零戦での慣熟飛行から始まり、着艦訓練の前段階として、母艦の飛行甲板を想定した、飛行場の限られた範囲に飛行機をピタリと着陸させる定着訓練が行われる。5月になると空戦、無線電話、着艦訓練と、訓練もより実戦的になり、空戦訓練は、1機対1機の単機空戦よりもチームワークを重視する編隊空戦に重点が置かれ、2機対3機、3機対6機の編隊同士の空戦訓練が、実戦さながらに行なわれた。吹流しを標的とする射撃訓練も、さかんに行われた。 9月に入ると空母翔鶴、瑞鶴からなる第五航空戦隊が新たに機動部隊に加わり、赤城の搭乗員の一部は五航戦に転勤する。進藤の回想。 「猛訓練が進むにつれ、疲労がどうしようもないほど蓄積してきました。体がだるく、食欲もない。8月には黄疸の症状も出始め、周囲から『君の目は黄色いじゃないか』と言われるほどでした。これはもう、海軍をクビになっても仕方がない、休暇療養を願い出ようと決心したんですが……」 ところが、そう決心した矢先の、進藤の記憶によれば10月1日頃、各航空戦隊の司令官、幕僚、空母の艦長、飛行長、飛行隊長ク���スの幹部が、志布志湾に停泊中の赤城の参謀長室に集められ、ここで南雲中将より、「絶対他言無用」との前置きのもと、真珠湾攻撃計画が伝えられた。航空参謀・源田実���佐からは、この作戦に対応するための訓練を急ピッチで進める旨の指示もあった。 少佐の本音 揚子江上空を飛ぶ零戦一一型。進藤大尉が撮影した 「しまった。これを聞いたからには、休ませてくれとは言えないな」 と、進藤は観念したと言う。傍らにいた板谷少佐が、やや興奮の面持ちで、 「進藤君、こりゃ、しっかりやらんといかんな」 と、声をかけてきた。だが、解散が告げられ、基地に帰る内火艇に乗り込むときに、 「俺たちはただ命令通りに死力を尽くして戦うだけだが、その後始末はどうやってつけるつもりなのかな」 と、誰にともなくつぶやいた板谷少佐の言葉がいつまでも心に残った。こちらのほうが本音なんだろうな、と進藤は思った。 昭和16年10月には、戦闘機隊の訓練は仕上げの段階に入りつつあった。訓練項目に航法通信訓練が加えられ、コンパスと、波頭を目視して判断する風向、風力を頼りに長距離を飛ぶ三角航法、無線でモールス信号を受信する訓練などが行なわれた。高高度飛行の訓練も実施され、耐寒グリスを塗った20ミリ機銃による、高度8000メートルでの射撃訓練も行われた。一航戦では、18機対18機の大規模な空戦訓練も実施された。二航戦は9機対9機、五航戦は3機対3機までしかできなかったという。 11月に入ると、志布志湾に機動部隊の6隻の空母と飛行機が集められ、11月3日、南雲中将より機動部隊の各艦長にハワイ作戦実施が伝達された。その日の夜半、「特別集合訓練」が発動され、翌4日から3日間にわたって、全機全力をもって、佐伯湾を真珠湾に見立てた攻撃訓練が、作戦に定められた通りの手順で行なわれた。 〈十一月四日 「ハワイ」攻撃ヲ想定 第一次攻撃隊 〇七〇〇(注:午前7時)発進、第二次攻撃隊〇八三〇発進。十一月五日 第一次〇六〇〇、第二次〇七三〇。十一月六日〇五〇〇ヨリ訓練開始〉 と、進藤はメモに書き残している。11月6日には、戦闘機隊が半数ずつ、攻撃隊と邀撃(ようげき)隊の二手にわかれ、攻撃隊はいかに敵戦闘機の邀撃を排除して攻撃を成功させるか、邀撃隊はいかに攻撃隊を撃退するか、という訓練も行なわれた。激しい訓練で、攻撃隊の九九式艦上爆撃機のなかには不時着する機も出た。 特別集合訓練が終了すると、赤城、蒼龍は横須賀、加賀、飛龍は佐世保、翔鶴、瑞鶴は呉と、それぞれの母港に入って準備を行い、飛行機隊はふたたび、陸上基地に戻って訓練を続けた。��のとき、戦闘機が洋上で単機になってしまった場合に備えて、無線帰投方位測定機(クルシー)を使っての帰投訓練が熊本放送局の電波を利用して実施されている。 覚悟を決めた日 第二次発進部隊制空隊(零戦)指揮官・進藤三郎大尉の命令書(軍機) 11月中旬には、各母艦は飛行機隊を収容し、可燃物、私物の陸揚げや兵器弾薬、食糧の最後の積み込みを終え、佐伯湾に集結した。 赤城が佐伯湾を出たのは、11月18日のことである。行動を隠匿するため、出航と同時に、各艦は厳重な無線封鎖を実施した。 空母6隻を主力とする機動部隊は北へ向かい、千島列島の択捉島(えとろふとう)単冠湾(ひとかっぷわん)に集結した。湾の西に見える単冠山は、すでに裾まで雪に覆われていた。11月24日、6隻の空母の全搭乗員が赤城に集められ、真珠湾の全景模型を前に、米軍の状況説明と作戦の打ち合わせが行われた。機動部隊の行動についてはもちろん、攻撃隊の編成や各隊ごとの無線周波数など、詳細な作戦計画が、すでにでき上がっていた。進藤が保管していた機密書類はこの日の日付から始まっている。 11月26日、機動部隊は単冠湾を抜錨、各艦、単冠山に向かって副砲、高角砲の試射を行った。凍てつく空気に、砲声が轟いた。艦隊はそのまま針路を東にとった。 「自信を持って戦いに臨める。しかし、今度こそは生きて帰れないだろうな」 と、進藤は、遠ざかってゆく雪の単冠山を見ながら、しばし物思いにふけった。 時化模様の航海が続いた。護衛の戦艦、巡洋艦、駆逐艦、補給船、潜水艦など、総勢31隻もの艦隊を、隠密裏にハワイ北方までたどり着かせなければならない赤城艦上の機動部隊司令部は緊張の連続だった。 12月1日、機動部隊は日付変更線を越えた。機動部隊は日本時間で行動するので、時差で時間感覚がずれてくる。この日の御前会議で、日本は英米との開戦を決定する。 12月2日、「新高山ノボレ 一二〇八」 という暗号電報が、聯合艦隊司令部より届いた。これは、「X日(開戦日)を12月8日とす」という意味である。開戦は、12月8日午前零時と決まった。ただし、日米の外交交渉次第では、まだ作戦が中止になることもあり得る。しかし反転命令は出ず、矢はついに弦を放れた。 12月8日午前1時半(日本時間)。第一次発進部隊が次々と6隻の空母を発艦した。 第一次発進部隊は、零戦43機、九九艦爆51機、九七艦攻89機(うち雷撃隊40機、水平爆撃隊49機)、計183機で、総指揮官は淵田美津雄中佐である。第一次攻撃では、雷撃隊が二列に並んで停泊している米戦艦の外側の艦を攻撃、水平爆撃隊が上空より��側の艦を爆撃する。さらに艦爆隊は飛行場施設を爆撃することになっていた。 そこらじゅうで火柱が 九九式艦上爆撃機。急降下爆撃を行う 機動部隊の各母艦では、第一次の発艦後、すぐに第二次発進部隊の準備が始められた。 第二次は零戦36機、九九艦爆78機、九七艦攻(水平爆撃のみ)54機、計168機が発艦し、うち零戦1機と艦爆2機が故障で引き返している。こんどは、艦爆が第一次で撃ちもらした敵艦と飛行場を狙い、艦攻が敵飛行場を水平爆撃することになっていた。 赤城から発艦するのは、零戦9機と九九艦爆18機。2時13分、進藤の搭乗する零戦、A1(本来はローマ数字だが、機種依存文字のためアラビア数字で表記)‐102号機は、その先頭を切って発艦した。第二次発進部隊の総指揮官は瑞鶴艦攻隊の嶋崎重和少佐、進藤は、制空隊(零戦隊)全体の指揮官を務める。 「第一次の発進を見送ったときにはさすがに興奮しましたが、いざ自分が発進する段になると平常心に戻りました。真珠湾に向け進撃中、クルシーのスイッチを入れたら、ホノルル放送が聞こえてきた。陽気な音楽が流れていたのが突然止まって早口の英語でワイワイ言い出したから、これは第一次の連中やってるな、と奇襲成功を確信しました」 第一次に遅れること約1時間、真珠湾上空に差しかかると、湾内はす��に爆煙に覆われ、ものすごい火柱が上がっていた。心配した敵戦闘機の姿も見えない。空戦がなければ地上銃撃が零戦隊の主任務になる。進藤はバンクを振って(機体を左右に傾ける合図で)各隊ごとに散開し、それぞれの目標に向かうことを命じた。 「艦攻の水平爆撃が終わるのを待って、私は赤城の零戦9機を率いてヒッカム飛行場に銃撃に入りました。しかし、敵の対空砲火はものすごかったですね。飛行場は黒煙に覆われていましたが、風上に数機のB-17が確認でき、それを銃撃しました。高度を下げると、きな臭いにおいが鼻をつき、あまりの煙に戦果の確認も困難なほどでした。それで、銃撃を二撃で切り上げて、いったん上昇したんですが」 頭によぎった最悪のシナリオ 開戦を告げる昭和16年12月9日の新聞紙面 銃撃を続行しようにも、煙で目標が視認できず、味方同士の空中衝突の危険も懸念された。進藤は、あらかじめ最終的な戦果確認を命じられていたので、高度を1000メートル以下にまで下げ、単機でふたたび真珠湾上空に戻った。 「立ちのぼる黒煙の間から、上甲板まで海中に没したり、横転して赤腹を見せている敵艦が見えますが、海が浅いので、沈没したかどうかまでは判断できないもののほうが多い。それでも、噴き上がる炎や爆煙、次々に起こる誘爆のすさまじさを見れば、完膚なきまでにやっつけたことはまちがいなさそうだと思いました。��がすくような喜びがふつふつと湧いてくる。 しかしそれと同時に、ここで枕を蹴飛ばしたのはいいが、目を覚ましたアメリカが、このまま黙って降参するわけがない、という思いも胸中をよぎります。私は昭和8年、少尉候補生のときの遠洋航海でアメリカに行き、そのケタ違いの国力と豊かさをまのあたりにしていますから、タダで済むはずがないことは容易に想像できる。これだけ派手に攻撃を仕掛けたら、もはや引き返すことはできまい。戦争は行くところまで行くだろう、そうなれば日本は…………負けることになるかもしれないと、このときふと考えました」 空襲を終えた攻撃隊、制空隊は、次々と母艦に帰投し、各指揮官が発着艦指揮所の前に搭乗員を集め、戦果を集計した。進藤は、赤城の艦爆隊と合流して帰還した。南雲中将が、わざわざ艦橋から飛行甲板上に下りてきて、「ご苦労だった」と進藤の手を握った。 ほどなく、最後まで真珠湾上空にとどまっていた総指揮官・淵田中佐の九七艦攻が帰艦する。大戦果の報に、艦内は沸き立った。しかし日本側にとって残念なことに、いるはずの敵空母は真珠湾に在泊していなかった。 艦上では、第三次発進部隊の準備が進められている。蒼龍の二航戦司令官・山口多聞少将からは、蒼龍、飛龍の発艦準備が完了したとの信号が送られてきた。しかし、南雲中将は、第三次発進部隊の発艦をとりやめ、日本への帰投針路をとることを命じた。 激しい戦闘の代償 日本機の空襲を受けるハワイ・真珠湾の米艦隊 「当然もう一度出撃するつもりで、戦闘配食のぼた餅を食いながら準備をしていましたが、中止になったと聞いて、正直ホッとしました。詰めが甘いな、とは思いましたが…………」 体調不良を押してここまできたが、ようやく任務が果たせた。緊張の糸が切れた進藤は、そのまま士官室の祝宴にも出ず、私室で寝込んでしまった。 真珠湾攻撃で日本側は、米戦艦4隻と標的艦1隻を撃沈したのをはじめ、戦艦4隻、その他13隻に大きな損害を与え、飛行機231機を撃墜、あるいは撃破するなどの戦果を挙げた。資料によって異なるが、米側の死者・行方不明者は2402名、負傷者1382名を数えた。いっぽう、日本側の損失は、飛行機29機(第一次9機、第二次20機。うち零戦9機、九九艦爆15機、九七艦攻5機)と特殊潜航艇5隻で、戦死者は64名(うち飛行機搭乗員55名。別に、12月9日、上空哨戒の零戦1機が着艦に失敗、搭乗員1名死亡)。米軍の激しい対空砲火を浴びて、要修理の飛行機は100機あまりにのぼった。 ――ちなみに、真珠湾攻撃当時、連合艦隊司令長官・山本五十六大将57歳、機動部隊指揮官・南雲忠一中将54歳、航空参謀・源田実中佐37歳、攻撃隊総指揮官・淵田美津雄中佐39歳、第二次発進部隊指揮官・島崎重和少佐33歳、雷撃隊指揮官・村田重治少佐32歳、第一次制空隊指揮官・板谷茂少佐32歳、第二次制空隊指揮官・進藤三郎大尉30歳、加賀戦闘機分隊長・志賀淑雄大尉27歳、そして昭和天皇40歳だった。 真珠湾攻撃の帰途、二航戦の蒼龍、飛龍は、ウェーク島攻略作戦に参加するため、本隊を離れた。残る赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴は、12月23日から24日にかけ瀬戸内海・柱島の泊地に投錨する。各艦の飛行機隊は、零戦隊は佐伯基地経由で岩国基地へ、艦爆、艦攻は鹿屋基地経由で宇佐基地へと向かい、ここでしばしの休養が与えられた。 進藤は、12月25日、岩国基地から呉海軍病院に直行し、軍医の診察を受けた。診断の結果は、「航空神経症兼『カタール性』黄疸」、二週間の加療が必要とのことで、そのまま入院することになった。十二月三十日付で赤城分隊長の職を解かれ、さしあたって任務のない「呉鎮守府附」の辞令が出る。この日から広島の生家での転地療養が認められ、進藤は、ひさびさに正月を両親と迎えることができた。 再び始まる苦しい戦い 昭和17年11月、進藤大尉がラバウルに向け出発直前、東京駅にて 「海鷲・進藤大尉」の帰郷は誰からともなく近所に伝わり、毎日のように真珠湾の話をねだりに客がやってくる。子供たちは、道で進藤の姿を認めると、憧憬のまなざしで、直立不動になって挙手の敬礼をした。 真珠湾攻撃から帰った進藤は、療養生活を送ること2ヵ月半、ようやく黄疸の症状もおさまり、昭和17(1942)年2月12日、〈大分海軍航空隊司令ノ命ヲ受ケ服務スベシ〉の辞令を受けて大分空に着任。四月一日、戦闘機搭乗員の訓練部隊として徳島海軍航空隊が新たに創設されると、その飛行隊長兼教官に補せられた。 最前線・ニューブリテン島ラバウルで作戦中の第五八二海軍航空隊飛行隊長兼分隊長への転勤辞令が出たのは、昭和17年11月8日のことである。処分しそびれていた真珠湾攻撃の軍機書類の保管を元海軍機関大佐の父に託してラバウルに向かう。五八二空に着任したとき、進藤は新たに部下となる隊員たちに、 「海軍戦闘機隊のモットーは編隊協同空戦だ。搭乗員が戦果を挙げる陰には、整備員や兵器員といった裏方の努力が不可欠である。けっして一人の手柄を立てようなどとは思わず、より長く、より強く、一致団結して戦い抜くように」 と訓示をした。そして、進藤の長く苦しい戦いがここから始まる。
1941年12月8日の「真珠湾攻撃」に「零戦35機」を率いて参加した当事者の「貴重な証言」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
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2025/6/26 18:00:19現在のニュース
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米兵が小銃持ち基地外で警戒 市民団体が抗議 神奈川・横須賀(毎日新聞) https://u.lin.ee/BaBBuJK?mediadetail=1&utm_source=line&utm_medium=share&utm_campaign=none
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横須賀 散歩 / Yokosuka Walk
2025.4.20 Sat
前回遊びに行ったときを調べたら2022年3月で、なんと3年ぶりの横須賀です。
結構、頻繁に行っている印象だったので、確認してびっくりです。
I checked the last time I went there and it was March 2022, which is three years since my last visit to Yokosuka.
I had the impression that they went there quite frequently, so I was surprised when I checked.

私事ではありますが、横須賀に行くときは��気が悪いというジンクスがあり、今回も曇り空、時々、小雨が降る日となりました。
まぁ、いつも通りってことです。
This is a personal matter, but I have a jinx that the weather is bad when I go to Yokosuka, and this time it was cloudy with occasional light rain.
Well, that's just the way it always is.



この町は米軍基地の影響を多分に受けていて、異国と日本の世界感が良い感じで混じった街だと思っています。
ただ、今年になってトランプ大統領が世界に発信する情報のおかげで、アメリカへの安心感が不安感に変わっている自分がいました。
そのせいか、いつも見えていたこの街のグルーブ感が、少し失われているように思いました。
This town is heavily influenced by the US military base, and I think it's a nice mix of foreign and Japanese worldviews.
However, thanks to the information that President Trump has been disseminating to the world this year, I have found my sense of security about America turning to anxiety.
Perhaps because of this, it seemed like the town's usual sense of groove had been lost a little.



ヴェルニー公園では「オクトーバーフェスト」が開催中で、音楽を聴きながらビールを楽しむ人たちで賑わっていました。
4月だというのに、どうしてオクトーバフェストなの?ってつっこみたくなる部分はありますが、楽しければ気にしない日本人気質なのだと思って、気にしません。
ドイツのビールはもちろん、地元のビールも揃っていて、天気が良ければここで一日過ごしたかもしれません。
The Verny Park was hosting the Oktoberfest, and the place was bustling with people enjoying beer and music.
I was tempted to ask, "Why Oktoberfest in April?" but I didn't mind, thinking it was just the Japanese character that doesn't care if the people are having fun.
There was a wide selection of German beer as well as local beer, and if the weather had been nice, I could have spent the whole day here.



以前と変わったところを見つけました。
「横須賀ポートマーケット」がリニューアルです。
市場の雰囲気だった施設が、道の駅みたいな観光色の強い施設に変わっていました。
私は以前の市場っぽいほうが好みでしたが、今のほうが子供たちが楽しめる雰囲気なので、成功していると思います。
I found something that has changed since before.
Yokosuka Port Market has been renovated.
The facility, which had a market atmosphere, has been transformed into a more touristy facility, more like a roadside station.
I preferred the old market-like feel, but the new atmosphere is more enjoyable for children, so I think it's a success.


以前の事、コロナ禍の中でここを訪れたときは、こんな子供たちがいない寂しい街でした。
でも、今回は街角から街角を歩く中で、たくさんの子供たちが帰ってきたと実感できました。
人間って馬鹿だなって思うのは、あの頃のことをすっきり忘れていたことです。
町の元気な子供たちを見て思い出しました。
When I visited here before during the COVID-19 pandemic, it was a lonely town without children like these.
But this time, as I walked from street corner to street corner, I realized that many children had returned.
What makes me think how foolish humans are is that I had completely forgotten about those days.
Seeing the lively children in the town reminded me of them.



楽しい散歩の最後に、幸運にも、横須賀カレーの店ベンガルを発掘できました。
実は、以前に別の店でレトルトカレーみたいな横須賀海軍カレーを食べて以来、横須賀カレーになにも期待しないようにしていました。
でも今回、偶然立ち寄って食べたビーフカレーで期待度がグンとアップ。
ほかのカレーにも挑戦したくて、もう次回が楽しみになっています。
リピータになること宣言しちゃいます。
At the end of our enjoyable walk, we were lucky enough to discover a Yokosuka curry restaurant called Bengal.
To be honest, ever since I had previously tried Yokosuka Navy curry, which was like a pre-made curry, at another restaurant, I hadn't had any expectations for Yokosuka curry.
But this time, when I happened to stop by and had the beef curry, my expectations were greatly increased.
I want to try their other curries, so I'm already looking forward to my next visit.
I'll definitely be a repeat customer.

バイクのエンジン音がこの町に似合います。
The sound of motorcycle engines suits this town.
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中国スパイ船が活発化している理由
盗んだ電子情報で、海上自衛艦にミサイル攻撃し、日本からのミサイル攻撃を妨害するためだ。
各国は、自国の領域内に情報収集施設を建造し、飛来する通信電波情報をそこで収集している。
また、情報収集機を使う場合、2国間の中間線を越えない範囲で警戒監視区域を設定し、あくまでその区域内で飛行して情報収集する。
西太平洋に面する国々で、情報収集艦を保有しているのは中国とロシアだけだ。
日本、韓国、台湾、東南アジア諸国は、そのような艦船を保有していないばかりか、中国やロシアの領海近くまで接近し情報収集する意図もない。
米国の場合は、1968年にプエブロ号が北朝鮮の元山沖で情報収集していたところを北朝鮮に拿捕されてからは、情報収集艦を保有していないという情報がある。
ところが、中国の情報収集艦や情報収集機は中間線を越え、日本の領空・領海まで接近、時には領空・領海に侵入し、情報を収集している。
特に、情報収集艦は、領海ぎりぎりまで接近し、日本の全域を1周しているのである。
図1 中国情報収集艦による日本接近と日本1周の動き

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情報収集艦の航行は、海洋法に照らせば船の航行自体は無害航行であることから違法ではない。
だが、その艦の内部で実施している情報収集は極めて悪意があり、我が国の安全保障を脅かす行為である。
以下に、どれほど悪意ある行為なのか、安全保障を脅かす行為なのかを説明する。
そして、この行為を行う国をどのように評価すべきか、日本の国策はこのままでよいのかを考察する。
参照: JBpress『戦争準備を急ぐ中国、日本の領空侵犯に続き領海侵犯で詳細データ収集』(2024.12.18) Jbpress『台風襲来時を狙って日本の領空を侵犯、中国軍情報収集機の狙いとは』(2024.8.30)
1.中国領土内での通信電子情報収集の実態
米バージニア州アーリントンに本部を置く「プロジェクト2049研究所」は、アジア太平洋地域における外交政策と安全保障問題、とりわけ中国と台湾に焦点を当てた超党派の研究所である。
ここで2015年7月27日にマーク・A・ストークス氏が発表した論文 「The PLA General Staff Department Third Department Second Bureau」によれば、中国には、黒竜江省、上海、香港、雲南に、「像の檻」(直径約200m)とも呼ばれる大型の通信電子情報収集アンテナを備えた基地(通信基地)が4か所ある(図2参照)。
それらの基地では、そこまで届く電波(長距離通信用)は収集できるが、中国には届かないレーダー波や短距離通信などは取得できない。
図2 中国の電波情報収集機関と情報収集イメージ

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このため中国は、中国には届かない日米韓の通信電子情報や衛星からのデータを取得するために、情報収集機や情報収集艦を接近させているのである。
2. 日本防衛用の情報を盗む中国のスパイ艦
中国の情報収集機(スパイ機)は、搭載量に大きな制約を受けるので、特定の通信電子情報を取得できる機器しか搭載できない。
だが、情報収集艦(スパイ艦)は、通信基地のほとんどの能力を備えている。つまり、通信基地そのものが艦に乗って近づいてきていると捉えてよい。
その中国のスパイ艦が日本に接近し、日本の周りを回り、電子情報を盗んで帰投している。
この艦が盗んだ電子情報は、いずれ戦争になれば、米軍空母を含む軍艦、日本の護衛艦、海上自衛隊司令部を攻撃する対レーダーミサイル開発に利用される。
そして、この開発されたミサイルが日本のあらゆるレーダー施設に向かって飛んで来ることになる。
さらに、日本の巡航ミサイルの誘導に使用されるGPS信号が妨害され、目標に向かって飛翔できなくなるのである。
ウクライナ戦争では、「電子情報を利用したミサイルが、防空ミサイルのレーダー、電子妨害装置、長距離防空レーダーの多くを破壊している」のが現状である。
電子情報が取られるということは、電子戦に敗北することになる。
この艦の真ん中にあるドームは、観測用ではなく、測地衛星などからの電子情報をキャッチして盗んでいくものだ。
日本の防衛省は、「中国の情報収集艦が○○海峡を通過しました」と、ホームページに発表するだけで、「防衛上重大な通信電子情報を盗んでいる恐れがある」などという警告は発しない。
だから、日本の政治家も国民も注目しない。日本のメディアもこの事実を取り上げて報道しない。
中国が「この艦はスパイ艦です」「日本にスパイ艦を近づけて情報を盗んでいます」とは言わないから、日本人は気付きませんでしたでは、あまりに危機意識が低すぎるのではないか。
3.日本へ接近し全周を回り軍事情報収集
東調級(ドンディアオ級)タイプの情報収集艦は、日本列島を年に1~2回、日本の周りを航行し帰投している。
また、日本の南西諸島や対馬付近を航行することもたびたびある。この航行は、私の記憶では10年以上も続いている。
写真 東調級(ドンディアオ級)情報収集艦「艦番号794」

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中国海軍の東調級(ドンディアオ級)情報収集艦(中国語名815型电子侦察船)が2024年に日本に接近し、日本の全周、南西諸島、対馬海峡~日本海を回って情報収集を行った活動と、電子情報を盗む事例を統合幕僚監部の情報を基に説明する。
2024年3月から4月対馬海峡から日本海を往復、 2024年6月から7月対馬海峡を通過し日本を1周、 2024年9月から10月にかけて北海道の宗谷海峡を通過し日本を1周、 2024年12月から25年1月にかけて宮古海峡~南西諸島周辺~大隅海峡を通過し、沖縄に接近した。
これらの活動は主に、沖縄、佐世保、舞鶴、陸奥、稚内、根室、三沢、横須賀の米軍の海空軍基地や艦艇、海上自衛隊の司令部や艦艇の電子情報を収集している。
日米や米韓海軍の合同演習、米軍、海上自衛隊独自の演習が行われている場合には、その海域に接近する。
そして、演習で使用されるレーダー等の電子情報や巡航ミサイルを誘導するGPS信号を収集する。
情報収集艦は、ミサイル追跡艦、海洋観測艦と同様に、ドーム型のレーダーを搭載しているが、その役割は全く異なる。
ミサイル追跡艦や海洋観測艦は、ロケットの打ち上げやミサイル発射後にミサイル等が発信しているテレメトリー信号を受信する。
一方、情報収集艦はその能力も有しているが、この艦が収集する電子情報は、今まで述べてきたように自衛隊のミサイル妨害や自軍の護衛艦への対艦ミサイル対応に大きな役割を果たしているのである。
情報収集艦はミサイルや機関砲を搭載していないので、日本国民から見れば、さほど脅威を感じないかもしれない。
4.電子情報収集のための具体的方法
中国が行う電子情報収集のための具体的方法は、以下のとおりである。
①港または航行中の艦に電子情報を捕捉できる位置まで接近する。
②海軍基地司令部や軍艦が発するレーダー波電子信号を受信し、記録する。
このレーダー波の電子信号の特性を解析できていれば、艦の位置、種類、艦名を特定できる。
③軍艦と測地衛星間の軍事用GPS信号を受信し、録音する。
GPS信号を選別し、レーダーに向かって飛翔する対レーダーミサイルを開発する。
有事には、日本の各種レーダーに向かってミサイルが飛んでくる。
④軍艦と軍艦、軍艦と基地司令部間の通信を受信し、録音する。
交信内容を入手する。
図3 電子情報収集のための具体的方法(イメージ)

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5.ウクライナ戦争を左右する電子戦情報
電子戦信号は、ウクライナ戦争でどのような場面に使用されたのか。
ロシア軍はウクライナへの侵攻と同時に、対レーダーミサイルやおとりを使って、ウクライナ軍の防空ミサイル用レーダーや監視レーダーを破壊した。
侵攻と同時に、破壊され、燃えている監視レーダーを見て、衝撃を受けたものだ。
一方、ウクライナ軍は、米国からロシアの電子戦信号情報を得て、ロシアの防空ミサイルレーダーや監視レーダーが発する電子戦信号の位置を特定し、対レーダーミサイルや対地巡航ミサイルを撃ち込み破壊している。
ロシアの防空ミサイルレーダーが破壊されているので、ウクライナの長距離自爆型無人機の石油関連施設への攻撃では、ロシアは多くを打ち漏らし、大きな被害を出している。
このように戦争になれば、中国の情報収集艦が取得した通信電子情報は、防空ミサイル用や監視用のレーダーを攻撃するために使用される。
そして、レーダーが破壊されれば、ミサイルや自爆型無人機の攻撃を防ぐことはできなくなるのだ。
6.中国が敵性国家である現実を認識すべき
通信電子情報を収集する重要性を認識している中国は、対象国やそれらの海軍演習に接近し、2010年以降、東調級815A型の情報収集艦を8隻建造して情報を収集している。
その中で、1年に1~2回は日本を1周し、南西諸島付近や台湾には頻繁に接近して来ているのである。
なぜ、中国領土内の情報収集施設だけで収集するのではなく、毎年何度も接近してきて情報収集するのか。
日米韓国が新たな通信電子機器を装備しているか、あるいは、機器の諸元を変更していないかを探り、さらに、それぞれの通信電子データや交信内容を収集しているのである。
中国は、日本と日本の領土で戦う準備を行っている敵性国家である。 西太平洋に面する国々は、中国・ロシア・北朝鮮を除き、日本に対して���敵対行為を実施してはいない。
日本は、日本に対して、実際に敵対行為を実施している国(敵性国家)とそうでない友好国とは区別して、対応すべきだろう。
友好国と敵性国家の人々を同じように処遇するのは、すぐに問題が発生することはないだろうが、十年~数十年経過するうちに、安全保障上重大な問題に発展する恐れがある。
7.友好国への対応と同じでいいのか
敵性国家の人々に日本の土地を購入されるのは、友好国の人々に購入されることとは安全保障上全く異なる。
極端な例として、ウクライナとロシアの関係として考えてみる。
ウクライナ戦争前に、ウクライナがロシア人に土地を購入されていれば、ロシアへの協力者がその土地を使ってウクライナの防御を妨害することなどから侵略に協力することになる。
また、ロシア人留学生に税金を使って教育の補助金を出していれば、侵略する人々の能力向上に寄与していることになる。
このように、置き換えて考えれば分かりやすいのではないか。
日本の中国との関係について、「友好関係が重要だ、首脳会談を行い友好関係を深めるべきだ」と言われてきている。
また、中国人の日本への旅行客を増やすための入国基準を甘くし、中国人留学生に奨学金を補助するという。
これでいいのか。
日本の土地やマンションが多数購入されているようだが、まだその実態も掌握されていない、十分な対策もない。
このような中、中国は日本に対して、友好の動きの陰に隠れ、侵攻のための情報収集を着々と進めているのである。
収集した情報により日本侵攻計画は具体化され、有事に日本の軍艦や基地を攻撃する準備を行っていることを、架空のことではなく現実に認識すべきなのである。
このことが、十年~数十年続けば、日本は知らないうちに乗っ取られることになる。
日本人は、中国が密かに実施しているこの恐ろしさを知るべきである。
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日本が アメリカの植民地になった日です ♪
1945年9月2日9時から東京湾横須賀沖のアメリカ海軍の戦艦ミズーリ甲板上で 「降伏文章」に調印した
日本政府代表は 「重光 葵 外相・梅津 美治郎 陸軍参謀総長」でした
これからの若者は
1 アメリカ基地権 2 アメリカ指揮権 3 日米合同委員会 4 最高裁(砂川判決)
を無くして アメリカから独立して欲しい (無理だろうな !)
私のyoutube (4,400本) も見てね ♪
お願いよ ♪


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590 名前:水先案名無い人 (ワッチョイ 8b76-Ffk1)[sage] 投稿日:2024/03/20(水) 19:34:53.13 ID:1Ld9uBjR0
57 渡る世間は名無しばかり sage 2024/02/09(金) 00:21:21.95 LY5yeIBp
空母って落ちたらなんメートルくらいあるんや
189 渡る世間は名無しばかり sage 2024/02/09(金) 00:21:49.99 Y6qxLDhD
>>.57
落ちたら普通に死ぬ高さ
91 渡る世間は名無しばかり 2024/02/09(金) 00:21:29.35 o2KqtVWM
あれ相当な高さだろ
369 渡る世間は名無しばかり sage 2024/02/09(金) 00:22:49.81 kfc63cbO
>>.91
たしか30m以上あるはず
落ちた海兵隊が死ぬ事故があったはず
591 名前:水先案名無い人 (ワントンキン MMd3-fs+q)[] 投稿日:2024/03/20(水) 20:10:56.23 ID:85mXtPGYM [2/2]
>>590
2021年に米海軍横須賀基地の空母ドックに停泊中の英海軍の空母"HMS Queen Elizabeth"を
撮った写真だけど、
R08って書かれた艦橋の手前の一番縁(へり)の部分に人がいるからそれから高さ割り出すといいかも


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米海軍横須賀基地、一般開放に2万3千人 原子力空母レーガンの艦内見学も | カナロコ by 神奈川新聞
https://www.kanaloco.jp/news/social/article-1065599.html
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トランプ関税で「日本は自動車関税ゼロなのか」って言ってる人が多くて気になった。 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20250215/k10014723331000.html 自動車だけじゃないよ、日本は工業産品全て輸入関税ゼロだ! ある時期まではそれでも勝ってきたのだね。というか、勝ってきたので関税を下げていったのだ。 いつからゼロに?遥か70年代前半からだ。 誰の指導で?そりゃ勿論アメリカさ。 長ったらしいからよ結論先に書くぜ。 1.日本は工業産品関税ゼロ 2.世界的にも工業産品は関税撤廃に向けてすすんでいた 3.農産品関税撤廃で紛糾したのがグローバリズム批判の嚆矢 日本の復興と経済成長というのは相当とんでもないもので、焦土から25年くらいで世界トップレベルの工業力を持つに至った。 そうなると今度は工業の保護政策は必要ないから税率下げなさいとアメ様より指導を戴く。優等生路線に切り替えた戦後日本はそれに従い、70年代には税率ゼロになったってわけ。 この「指導」は日米貿易協定で対米関税失くせっていう要求だけじゃなくて、他の国とも貿易協定(EPA)を結んで関税無くして行きなさいというのも含むわけ。 別に毎度直接そう言われたわけじゃないが最早それが戦後の常識だったからそうやって来た。 関税の一覧は税関が公開しているんで暇な時に見るといいぜ。 https://www.customs.go.jp/tariff/2024_04_01/index.html 工業産品はあら方ゼロ。数パーセント掛かってる品もあるが、日本と良く取引があるASEAN諸国、EU、環太平洋、中��台などは協定でゼロとなっている。 色々調べると戦車とか野戦砲とか兵器だけには高関税掛かってるのとか発見できるぞ。でも兵器買うのって国家しかいないので関税の意味無いね。 ウルグアイラウンドまで こんな風に輸入障壁は撤廃しようという流れで来て、先進国は大抵どこも工業産品関税ゼロになっている。 工業部門の障壁は撤廃出来た。それじゃ今度はITや頭脳労働などサービスと農産品の輸入障壁を撤廃して関税ゼロにしようず!となったのが、GATTウルグアイラウンドだ。WTO(世界貿易機関)もこの時の合意で出来た。 だけどウルグアイラウンドはGATT史上初のつまずきになった。農業部門などで妥結出来なかったのだね。 なんで妥結出来んかったのよ? 農業ってのは国の根幹だし付加価値が低い産業なのであんま儲からない構造の所が多いのよ。それで補助金出して買い上げたりと各国保護政策を採ってる。 それに農家ってのはどこも保守的。なので保守政党の支持層なわけだ。 その農家を不安定な状態にしてしまうと政治も不安定になるってわけ。ぶっちゃけ自由化しちゃうと個人事業主の農家が全滅して国際農業メジャーが全部かっさらって各地の農場はプランテーション、みたいな事になりかねない。 だから各国反対で農業部門の合意は流産。これが現在までの経緯。 戦後がパックス=アメリカーナと呼ばれていたわけ 第二次大戦の原因は 1.ドイツ、日本のようなならず者国家の本質的特性にある 2.直前の保護貿易にある 連合国の総括は2.だった。1だったら日独は分割占領したままで二度と復活しないように主権を制限すればよいな。 でも2だと民生中心の工業国として立て直す支援をすべし、となる。 また戦勝国側も同じ轍を踏まないように経済のブロック化を防止しよう、という事で貿易協定を国家間のものから、多国間一般の協定にしようず、という流れになったわけだ。 ここで大事なのは、植民地争いを復活させる意図はないから産業未発達の途上国は除外された。工業未発達なのに外国製品と競争しろ!とかは言わないってこと。 人民元ってどういう意味やろな 急に話が変わるが、中国の人民元ってあるじゃん?なんで人民って付くんやろな? それは以前は旅行者用の元ってのがあったからなのだ。 社会主義では生産量も価格も国家が決めていた。そこで海外からの旅行者が勝手に通貨を使うと不安定要素になってしまう。そこで旅行者には普通の通貨と違う通貨を持たせた���。そのレートも国家が決める。 個人も会社も輸出入は独自で出来ない。輸出入出来るのは国家だけ。 ところが鄧小平以後の開放政策では市場経済を導入したので旅行者用元を発行する必要が無くなったわけ。旅行者が持ち込むカネは不安定要素じゃなくて市場の調整に任せるから。だから旅行者にも人民元持たせて法人も人民元で他国と決済出来るってなった。 脱線するが元は略字であって元は圓。日本の円も韓国のウオンもベトナムのドンも圓を各国読みしたものなんよな。人民元と日本円の通貨記号が¥で同じなのはこういうわけ。 つまり共産勢力も貿易自由化協定に参加したんだけど国家運営の都合上かなり制限があった。そして冷戦激化によって自由陣営と共産陣営の2ブロックに分れてしまっていた。 その共産陣営の方は行き詰って統制経済を放棄。自由主義陣営の旗振り役は?アメリカだ。 だから改革開放、ドイモイ、ペレストロイカでパックス=アメリカーナは決定的になったってわけ。 日本の復興と西欧の没落 日本は世界最大の鉄鋼輸出国。知ってた?日本は鉄の国なのだ。 日本の工業力が復興して急成長した原因は、朝鮮戦争の特需なんかもあるが、元々のスターターは軍港の解体なんだな。 横須賀、呉、佐世保が戦前の主な軍港だったが、その規模は今と全然違う。 例えば横須賀だと今なら街があって海の方が自衛隊と米軍の基地になっているが、戦前だと駅前から始まって全てが軍港。ドック、宿舎、軍需工場、軍需工場工員向け宿舎/飯屋、軍に関係が無いものは一切ない。 敗戦後に軍は解体されるんで軍港都市であった3港はどうするかね?って事になった。そこで海沿いの海軍基地は民間船の造船ドック、製鉄所に転換されることになったわけ。 因みにこん時に旧軍港市転換法という法律を作ってやったわけだが、施行されたばかりの日本国憲法には95条:一の地方公共団体のみに適用される特別法は住民投票での同意を必要とするって項目がある。そこでこの3市では住民投票を行ったわけや。 こういう感じで軍港を廃止して造船所と製鉄所に転用した事が起爆剤になって各地い造船所が林立。日本は一気に造船と鉄鋼の国になったわけ。鉄は工業の基礎だからな。ここを押さえておいたのは強い GHQのプロパガンダで戦艦などの兵器を溶かしてビルや鉄道などの民需品になるっていうポンチ絵があるがその通りになったてわけ。 その後家電や自動車などの民生品、エレクトロニクスといった軽薄短小産業にシフトして行って造船トップの座は韓国に移った。因みに極東アジアは韓中日と造船トップ3国が密集する異常地帯なんだな。この三国で世界の船の9割を造ってるんだぜ、いかれてるよな。 こうやって産業シフトに成功した日本は工業産品輸出量をメキメキ伸ばし、70年代初頭にはかなりとんでもないレベルになった。世界の港湾扱い量のランキングの上の方が全部日本の港って具合だ。1位横浜、2位神戸、3位門司みたいに日本の港がずらっと並びその下にアメリカのが出てくるって具合だ。日本スゴイとか嫌いなんだが、20年前は焼野原なんだぜ?イカれた復活具合だよな。 一方この頃アメリカや欧州はっていうとかなり停滞していた。アメリカは世界一の経済大国ではあったが国内が疲弊し、ベトナム戦争長期化で病んだ若者が増え、日本製品に国内産業が負けつつあった。 欧州では植民地の独立問題で揉め、労組の抵抗で産業転換が進まなかった。植民地が独立したら産業構造が変わって国内経済にダメージがあるのは当然。それを引延ばして軍事介入などを続けていたので建て直しに時間が掛かった。 一方日本は負けてとっくに植民地を手放していたのでこういう問題に拘わずに済んだ。 もう一つは吉田ドクトリン。憲法9条があるから武装できません~と紛争に一切拘わずに防衛費負担も軽く、一方で日米安保で防衛力は確保しておくという良いところ取りで全てを経済発展に注力するって算段。吉田は吉田 ヨシオじゃなくて吉田茂だぞ。ただ吉田茂は経済発展が出来た後の日本は再軍備して海洋国家として海軍力を高めるべしって考えだったけど。 同様に西ドイツも異常な発展を遂げていたので戦後は「負けるが勝ち」だったんやな。戦争を仕掛て負けたせいで信用されないという条件を奇貨としたってわけや。 で、現在 欧州の方はいつまでも停滞してグダグダやってたんやが、EUの前身のECのせいで持ち直していった。EU発足後は急成長。70~80年代の貧乏臭いヨーロッパはどっかに行ってしまった。 なんで、無関税無障壁の貿易自由化が全体の利益になるっていうのは前提なんだな。だがそのせいで国内に矛盾が出��からやり方考えた方がいいぜっていうのがちょっと前まで各国が立っていた立ち位置。 因みにEU圏内では無関税どころか税関自体がないんだが、域外からの輸入には工業産品で10%の関税を掛けている。 今のアメリカのアレは全方面でおかしいけど、関税関連で言えば、そもそもこういう前提で今まで国際社会がやってきたって事を政権中枢が判ってねえんじゃね?ってところなんだ。国益の為に関税掛けたくても、それをやると国益を棄損するからやらなかったってこと判ってるのか?ってこと���な。 関税合戦になると貿易が冷え込むから巡り巡って国益に反するしアメリカの場合はパックス=アメリカーナによる国益を失うという問題もある。 いや、共和党のやつらは判ってるよ。だって対外的に先頭に立ってやってきたのだから。だが新しい共和党人士、バナナリパブリカン達はそこを判ってないから反米的な政策を国益と信じてしまうし、古いリパブリカンはパージが怖くて言えないって状態じゃね? この辺、昔オバマと対立するまで安倍さんが「戦後レジーム打破」を連呼していたのと被る。戦後政治やって作ってきたのって自民党なのに、その内容分ってないんじゃね?という疑念しかなかったな。 特に「農業産品自由化で紛糾」のところを判ってるのか?というのも疑問で、例えばイーロンマスクが全連邦政府廃止すると言ってるがそうなると農産品も市場原理で取引されて補助金は無くなる。穀物メジャーは農家より強いから買取価格も引き下げられるだろう。農業はお天気商売だから価格のバッファが必要だが資本がそれをやるつもりはないだろう。そうなると農家は窮乏して小作化するんじゃね? よくある質問 自動車関税に報復関税掛けなくていいんですか? アメ車って日本で売れてないっしょ?掛けても余り効果が無いんじゃね? そもそもこの関税のせいでアメリカの自動車メーカー潰れるんじゃないんですかね?原料費跳ね上がるわけで。 それにトランプ政権の「信用の無さ」のせいで効果が無いと思われ。関税掛けると国内産の方が価格優位性が出るから国内に工場が作られ、ラストベルトは救われるわけです。 でもさ、工業っていうのは原料を加工して利益を乗っけて売る訳だけど、工程の下の方ってその付加価値って極小なわけですよ。つまり製鉄業の利益率は低い。一方プラントは数百億円と超高額なわけで、20年くらい稼働させて元取るって感じ。 この時途中で需要が止まってしまうと投下資本が回収出来なくなって借入の場合は倒産しちゃう。だから先行き不安な件では設備投資しない。 Amazon荷物で飽和してる時、ヤマト運輸は物流拠点増やす投資しないで仕事断ったじゃないですか。あれってAmazonがいつでも他社に乗り換える可能性があるから投資出来なかったわけです。 本件でも同じで、トランプ関税がずっと続くと考える人はいないわけ。すると製鉄メーカーは新製鉄所を建てる事が出来ない。 しゃーないから関税払って同じ鋼板を2.5割増しで買うか、もっと安い地域の鋼板に切り替えるかってなる。安い鋼板に切り替えて失敗した例は70年代イタリアにあって、フィアットと新たに半国営化したアルファロメオの鋼板を安いソ連製に切り替えたら防錆処理されてなくてあっというまに車は錆で腐ってブラン��価値低下となったことがある。 商売に信用が大事なのは国家も同じ。経済的信用って「履行してきた」ことで蓄積されるものでしょ?急に政策を変更する、前の政策の影響、意味を判ってるか疑問となればネットナードは騙せても商売人は無理なんじゃ? だから鉄鋼メーカー設備投資して増産出来ない→自動車メーカーコスト高解消できないって状態が続くと思います。 日本の特長っていうのは天才の芽は出にくいけど底上げされてる事ってよく言われる。文盲いないし教育程度が満遍なく高い。アメリカは高校まではかなり緩いし街中で常識問題出して何も知らないのがネタにされたりする。 自分のいる場所が社会的にどうやって構成されているか、直情的以外に利益判断できる基礎を叩き込むという思想で社会科の教育課程は作られている。 だから基礎的な社会の構造を無視して自尊心を鼓舞するような旗振りが現れた時の耐性は日本の方があるんじゃないかと思うんだ。グローバリズム批判しながら農業補助金カットや農家瓦解みたいな未来を提示された時に「そっち行くわけないだろばかかお前」と言えるってことだ。野菜になっちゃう人もいるけどな。 反グローバリズムにもちゃんと意味はあるんよ。だがそれが言葉が遊離して農業保護に反する事をしようとしても気が付かずに、DSだのウォークだのというように成ったら義務教育の意味がないじゃん。 あっちは光の速さでもう26世紀を生きているが日本は順当に500年掛けて行けばいいと思うのだ。野菜の栽培にはスポーツドリンクじゃなくて水上げればいいという知識が重要なんだ。 今の工業関税率がほぼセロで農業分野で紛糾して止まってるという知識は水だ。水はつまらん飲み物だ。 だが水を大事にしないと関税競争仕掛ければ国内保護というスポーツドリンク栽培法に飛びついてしまうってこった。
関税と貿易について復習しようず
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2025/3/22 20:00:32現在のニュース
ILO基本条約を批准へ、労働安全衛生法改正で 未批准は残り一つに:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/22 19:57:51) 旧統一教会解散命令請求 東京地裁が25日にも判断示すか 審理は1月に実質終了([B!]産経新聞, 2025/3/22 19:57:45) [社説]私大は円滑な再編・縮小を - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/22 19:57:39) イスラエル軍「レバノンからのロケット弾を迎撃」 ヒズボラの攻撃か(毎日新聞, 2025/3/22 19:52:44) 高安3敗、大の里と首位に並ぶ 優勝争いは千秋楽へ 大相撲春場所(毎日新聞, 2025/3/22 19:46:12) 高安3敗、大の里と首位に並ぶ 優勝争いは千秋楽へ 大相撲春場所(毎日新聞, 2025/3/22 19:44:52) 「体が反応した」聖光学院のサヨナラ呼び込んだバスター センバツ(毎日新聞, 2025/3/22 19:39:03) 米海軍横須賀基地でスプリングフェスタ 艦内見学に長蛇の列:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/22 19:33:24)
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#横須賀市観光協会 #日米親善ベース歴史ツアー に参加して #米海軍横須賀基地 に潜入 日本では #米軍基地 内でしか食べられない #Popeyes でランチ 日本初寄港となる #ズムウォルト級ミサイル駆逐艦 もいた #DDG1000 #USSZumwalt #USNAVY #UnitedStatesFleetActivitiesYokosuka (U.S. Naval Base Yokosuka, Japan) https://www.instagram.com/p/CjLE8-jrFzP/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#横須賀市観光協会#日米親善ベース歴史ツアー#米海軍横須賀基地#米軍基地#popeyes#ズムウォルト級ミサイル駆逐艦#ddg1000#usszumwalt#usnavy#unitedstatesfleetactivitiesyokosuka
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海上自衛隊のサマーフェスタ行って米軍のフレンドシップデーイベントへ参加🇯🇵🇺🇸すっごく暑かったけど楽しかった!艦船にもヘリにも陸の車にも乗れて良い体験したなぁ〜☺️夕方からは米軍基地に行ってクリスタル・ケイのライブ観たー!ピザを食べたかったけど列が長くて断念😢最後には花火をみて最高だった❤️10年ぶりくらいに日焼けしてヒリヒリしてるけど満足💓#横須賀 #海上自衛隊 #米海軍横須賀基地 #ヨコスカサマーフェスタ #フレンドシップデー (at 海上自衛隊横須賀地方総監部)
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横須賀と言えば、軍港巡り。この日は、空母ドナルドレーガン、陸上自衛隊のヘリコプター🚁まで 😲 米海軍基地、海自の基地が並ぶ港は、イージス艦、潜水艦が揃い踏み。45分の遊覧船の案内人💁♂️さんの軽快なトークも楽しいです❗️ #マップトラベル #神奈川 #横須賀 #横須賀グルメ #横須賀ランチ #横須賀観光 #どぶ板通り #どぶ板食堂perry #どぶ板fuji #どぶ板通り商店街 #米軍基地 #アメリカ #navy #ネイビーバーガー #海軍カレー #よこすか軍港めぐり #yokosuka軍港めぐり #yokosuka #usnavy #ドナルドレーガン #空母 #遊覧船 #軍港クルーズ #軍港めぐり #軍港めぐりクルーズ #軍港ツアー #イージス艦 #drydocks (YOKOSUKA軍港めぐり) https://www.instagram.com/p/B5AcCP3nLNk/?igshid=pstrenqod9ov
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昨日は 日本が アメリカの植民地になった日です ♪
1945年9月2日9時から東京湾横須賀沖のアメリカ海軍の戦艦ミズーリ甲板上で 「降伏文章」に調印した
日本政府代表は 「重光 葵 外相・梅津 美治郎 陸軍参謀総長」でした
これからの若者は
1 アメリカ基地権 2 アメリカ指揮権 3 日米合同委員会 4 最高裁(砂川判決)
を無くして アメリカから独立して欲しい (無理だろうな !)
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この裁判の原告は、米海軍横須賀基地の従業員だった50代の女性。2014年7〜9月にかけて、ひと月当たり100〜120時間ほどの長時間残業を強いられ、精神疾患を発症した。2017年に労災認定を受けており、国に賠償を求めて2019年3月に提訴した。請求金額は現時点で約7500万円になるという。 10月11日に起きた今回の事態は、和解に向けて非公開の手続きが進められていた中で発生した。録音機は、国側の指定代理人のひとりが開いたままにしていた書類ファイルの裏側に置かれていた。 笠置弁護士によると、裁判所に問われた指定代理人は、「うっかり」だったとしながら、「本日だけ」「内々の打ち合わせでしか利用していない」などと矛盾する弁解をしていたという。 実際に裁判所が確認したところ、2022年7月と9月の弁論準備期日の録音が発見され、裁判所の指示によりその場で削除されたという。なお、法務省によると、この指定代理人は防衛省の職員だったという。 この裁判では米軍関係者も傍聴に訪れることがあったといい、日本国単独で解決する事案ではなく、情報共有を密にするために録音をしていた可能性も考えられそうだ。
国の「盗聴騒動」は米軍関連の事件、情報共有のためか 原告側弁護士「率直な話ができなくなる」 - 弁護士ドットコム
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