#織田神社
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2025.04.19(土)
美浜町 織田(おりた)神社と敦賀市 柴田氏庭園(古式書院造りの屋敷は「甘棠(かんとう)館」、「野坂山」を借景とした築山回遊林泉庭園は「甘棠園」と呼ばれている)
織田神社では、染井吉野より遅く咲く八重桜が見頃であった。特に「萌黄色(もえぎいろ)」に色が似ているということで名づけられたという御衣黄(ぎょいこう)が境内の駐車スペース近くにあってすぐ目に入った。
「甘棠館」は江戸時代の豪農 柴田権右衛門(しばたごんえもん)が築いた屋敷で、小浜藩主が参勤交代時の休憩所として利用されたという。
柴田氏は楠木正成公の子孫を名乗っていて、関連した家紋も確認できる。
写真の「鶴の間」からは殿様気分で肘掛に手をおきながら真正面の「野坂山」を眺めていた。
「甘棠」の謂れでもある山桃デザインの「釘隠し」も洒落ていておもしろい。
歴史好きには魅力のある場所だと思う。
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建勲神社【京都市北区】
建勲神社(たけいさおじんじゃ。「けんくんじんじゃ」と呼ばれています)は、1870年(明治3年)創建の織田信長公を主祭神とし子の織田信忠卿を配祀する神社です。 平安京において玄武の山として北の基点となった船岡山にあります。

旧称は健織田社、建勲社。1875年(明治8年)に別格官幣社に列格し、1910年(明治43)船岡山の山麓にあった社が山頂に遷祀されました。
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1977年 映画「西陣心中」
監督・原案・撮影:高林陽一
脚本:高田宏治
配給:ATG(アート・シアター・ギルド)
出演:島村佳江、光田昌弘、土屋嘉男、楠侑子、中尾彬、大泉滉、山田吾一、白川和子、上月左知子、松川勉、三原葉子、名古屋章、成田三樹夫 ほか
「この手を握りしめて、もうはなさない・・」
情念の世界をひたすら追求する京都・西陣出身の高林陽一監督がメガホンをとった沈美的ラブ・スーサイド映画。
主人公の野沢ゆみ(島村佳江)は、会社の上司・井上と無理心中をはかり井上は自ら首を切り命を絶つが、ゆみは上司の手が汚いという理由で心中を思いとどまる。
(スタートからなんちゅうフェティッシュ展開。笑)
滋賀県警の刑事・西川(名古屋章)から福島の故郷に戻ることを進められるが、故郷には戻らず京都のデートクラブで働き始めるゆみ。
ある日、クラブの女将と訪れた京都のデパートで、西陣の美しい帯を見つけ��動したゆみはクラブを辞めて機織りを目指すべく西陣の町へ。
刑事・西川の助けもあり西陣織の工房で働くことになったゆみだが、その工房で美しい手をした職人の博之と出会う。
(フェティッシュ、再び。笑)
デートで訪れた琵琶湖で白鳥のスケッチをする純粋な博之を見て初恋のような幸せを感じるゆみ・・。
ふたりは恋に落ちるが、工房のおかみ・はまに猛反対され、ゆみはとっさに包丁を振り上げる。
刑事に追われ、叶わぬ恋と悟ったふたりは博之の最高傑作である二羽の白鳥が織られた美しい西陣のつづれ帯と共にビルの屋上から飛び降り、永遠の愛を得る・・。
実際に、この美しい帯を織った職人はどんな人なんだろうかと考えながらその織の職人技に感動。
無感情で様々な男と逢瀬を重ねる美しい魔性の女・ゆみのクールな存在感。
主役の周りを固める俳優陣の強烈なパーソナリティー。
デートクラブ時代のゆみを知り、脅迫する宮崎(成田三樹夫)のちょっと抜けた悪人具合がこの映画のエッセンス。
終始、実親のように無償の愛でゆみに優しく接する刑事・西川(名古屋章)が映画の中で唯一のやすらぎ。
今とは違う西陣の街並み、釘抜地蔵で有名な石像寺、東本願寺、玄武神社、本隆寺、智恵光院、琵琶湖、京都タワー、嵯峨野が登場。
映画のエンディング近くで映し出される鬼が主人公の京都三大奇祭のひとつ「玄武やすらい祭」が、ゆみの夜叉(鬼)的な魔性具合と重なる構成力が光る。
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「企業のネットが星を 被おお い、電子や光が駆け巡っても」国家や民族が消えてなくなるほどではない近未来が舞台の『攻殻機動隊』などで、後のクリエイターに多大な影響と衝撃を与えた漫画家、士郎正宗さん(63)。デビュー40年を迎え、世田谷文学館(東京都)では初の大規模展が開催される中、読売新聞の単独書面インタビューに応じ、これまで生み出した作品や創作の秘密、AI(人工知能)がもたらす人間の未来などについて縦横無尽に語った。近年ほとんどメディアの取材を受けていない士郎さんの貴重な語録をご覧あれ。(文化部 池田創) 展覧会では、『攻殻機動隊』の主人公の素子の印象的なセリフが印刷されたのれんが来場者を出迎える(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 世田谷文学館で大規模展 ――デビュー40年を迎えられて、どのようにお感じになっていますか。 そもそも寡作な上、諸事情による中断・未発表・ボツ作品が多過ぎて読者諸氏に申し訳ないものの、何とかここまで生き残る事が出来て大変に幸運だったと思っています。活動が東京や他業種に広がるに連れて「水中を歩いて進むかの様な状態」になり、40年、色々と大変でした。また書籍などの荷物が転居や避難に適さない分量になっています(笑)。 ――代表作「攻殻機動隊」は海外でも熱狂的な人気が続いています。 最初期に出版物の海外展開を頑張りました。望外に細長く継続しており、ありがたい限りです。 ――今回の世田谷文学館の展覧会は大量の原画が間近で見ることができ、充実した展示内容です。 士郎正宗さんのコメントとともに作品世界を振り返る巨大な年表(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 今回このような機会を頂き大変感謝しております。僕程度の小規模 傭兵ようへい 型漫画家でこういった事が可能なら、日本のコンテンツ業界はもっと多様多彩な作家・作品を、深掘り探索・開発活用出来るのではないかと思います。 ――「攻殻機動隊」をはじめ、ご著書は情報化社会を予見していると言われます。 たまたま運良くタイミングや関係者の都合に合致し話題として取り上げて頂いているだけで、僕以外にもそういった作家・作品は多数存在していると思います。情報化社会の好ましくない側面があまり大きくならなければ良いですね。物騒、殺伐、トラブルは架空妄想物語の中だけで十分です。 ――AIの発展についてどのように感じていますか。 利便性と損害可能性は表裏一体、これまで考えられなかったレベルの明るい未来の可能性が開ける一方で、悪用や視野 狭窄きょうさく が起き、見えざる支配も容易になっている。研究開発に係る方々には頑張って頂きたいなと思います。 簡易強化外骨格、遠隔操作系ロボット類の開発が現実的 ――幼少期に親しんだマンガや小説はどのようなものがありますか。 デビュー作『アップルシード』のラフスケッチなどが並ぶ展示室(東京都世田谷区の世田谷文学館で) アニメ版の「鉄人28号」や「エイトマン」から入って、雑誌「りぼん」(一条ゆかり氏、大矢ちき氏、弓月光氏などなど)、松本零士氏、永井豪氏、細野不二彦氏の影響が大きいですね。大学以降は諸星大二郎氏、星野之宣氏、大友克洋氏の存在が大きいと思います。 ――「攻殻機動隊」で描いた人間の身体と精神の関係はどのよう��感じていますか。 脳や体が一体として機能している中では、脳が優位の制御系があったり、体が優位の制御系(例えば副腎とか脊髄反射系とか)があったり、交換可能な部分や欠損許容部分(例えば昔は虫垂や 胆嚢たんのう を結構普通に切除していた)があったり、複雑で不思議に出来ていると思います。 義体化のような、身体交換は僕が生み出した要素ではありません。スタニスラフ・レム氏の『君は生きているか?』や、日本のマンガアニメ界においては石ノ森章太郎氏の『サイボーグ009』などの有名作品がすでにありました。サイバネティクスの一般的な目的は医療や軍事だと思いますが、今後は老化・劣化対策というのも存在感を増すかもしれません。個人的には年々増加中の災害現場における簡易強化外骨格や遠隔操作系ロボット類の開発を進める方が現実的かなとは思います。 ――ご著書に細かく書き込まれた欄外文章の役割や狙いを教えてください。 リズム感が単調になりがちな説明セリフや会話を物語内部から減らせる、それによってキャラの練度・演出を高めに設定出来る、物語と読者の距離の調整ができる、などでしょうか。昨今、いや昔もこういう方法は 流行はや りではありませんが……。 ――押井守監督のアニメーション映画版のご感想をお聞かせください。 個人的には原作に気を使っている部分が押井氏にしては多めの1作目より、押井氏節全開の『イノセンス』の方が好みです。いずれも一生懸命作って頂いてありがたいなと思っております。 ――ネット社会の広がりやAI技術の発展をどう感じておられますか。 人工知能の偏向学習、悪意ある人 達たち による人工知能活用と、対策する側の人工知能活用の格差、オンライン上に無い膨大な情報の無視や軽視など、課題は山積しているのではないかと感じています。世界は 繋つな がって狭くなると同時に、逆に分断細分化が進んで互いの距離が開き、問題解決の可否、明暗の格差も広がっている様に感じています。今まさに『言葉が通じなくなってバベルの塔が崩壊し始めている』状態でしょうか。人工知能育成では可能な限り、真実や実態に近い情報を得て優先解とするような、何らかの情報検証機構が必要でしょう。 コスパタイパ重視では驚きや発見も無い ――ネットに常時接続することが当たり前になりました。そのことをどのように感じてらっしゃいますか。 一般的なネット通販をほぼ利用しておりませんが、ネット社会になってからの方がサー��スの質が低下&商品を探しにくくなったように感じています。便利、合理的、コスパタイパ重視の姿勢は内向きになりがちで、冗長性や余白が少ない分、周囲を見渡す余裕が減少し続けるし、ひいては驚きや発見も無く窮屈ですね。昔のSFでは「監視管理社会」は人々の敵として描かれるのが一般的だったのですが、現代では意外とそういう管理監視社会の利点も許容されているように思います。とはいうものの、今後もDXが進み常時接続が常識常態化し、行政サービスやインフラなどの分野で、高度化し便利で安全で充実した幸福度の高い世の中になっていくと良いのですが……。 ――「攻殻機動隊」ではサイボーグ化しても人間の内にある「ゴースト」という概念が存在します。「ゴースト」とは何でしょうか。 展示室の中央には『攻殻機動隊』の原画が並び、迫力のある筆致を間近で感じられる(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 正確か否か、定義可能か、とは別にして、宗教や哲学や文学昔話の分野で古くから使われている「たましい」「霊魂」「ソウル」などの単語が印象として一般的には伝わりやすいのではないかと思います。「何だかよくわからないが、存在しているように思えるモヤっとしたものを『ゴースト』と呼ぶ」のも娯楽分野では分かりやすくて良いかな、ということで単語を使用しています。 犬や小鳥も感情を有することが一般的にも知られており、感情は人間だけが持つ最上位の機能・特別な評価対象ではない、という観点から、マンガ版ではゴーストという単語において「感情に特別な意味を持たせていない」つもりです。当然ながら人の価値観はそれぞれなので、僕と他のアニメ版の監督諸氏とでもこうした諸々に対する考え方に違いがあるわけですが、その事自体も含めて、作品を異なる角度から捉えて楽しんで頂ければ良いなと考えています。 神話は魅力の塊なのだが… ――ご著書はシリアスな展開と迫力のある戦闘シーンの間にギャグが挟まりますね。作中におけるギャグの効用とはどのようなものでしょうか。 シリアスとギャグの挟み方や割合、そもそも混在を容認するか否か、など受け取る方々の価値観も観点も実に多様なので「万人にとって満足できる作品」というのは僕には難しいなと考えています。僕の取り扱うキャラクターたちは明日をも知れぬ立場なので、悲観的に備え楽観的に対処する、冗談でも言っていないとやっていられない、といったタイプが多めになっています。会話の軽さと行動、判断の速さ厳しさのギャップを楽しんで頂ければ良いかと思います。 ――『仙術超攻殻ORION』は日本神話をモチーフにしたファンタジーです。神話の魅力を教えてください。 神話と呼ばれる物語達は限られた要素と根源的な思考や解釈と想像力で織り上げられ、時代や民族の壁を越えて生き残っている、「選び抜かれた精鋭達」です。人々の心情や思考型や文化を映す鏡として、魅力の塊と言っても良いですね。一方で歴史を振り返ると、建築や芸術や情報戦において支配者や宗教組織や抵抗組織の都合や思惑と深く関わったと思しきものも多く、純粋に「素晴らしいか?」と問われると、答えに困る側面もあります。 ――『攻殻機動隊』のフチコマや、『ドミニオン』の小型戦車ボナパルトなど、作品からは戦車愛を感じます。 正義感にあふれる女性警察官のレオナが活躍する『ドミニオン』のコーナー(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 「頑丈で壊れにくくて安全度が高い&移動以外にも何か作業が出来る乗り物」が好きですね。作品内に描く機会はなかなかありませんが、消防関連や港湾作業用の特殊車両、土木建築系や農林作業系の特殊機能車両なども同じように楽しくて興味深いと思っています。 気負わず欲張らず、自己ベスト更新維持 ――現在はイラスト制作や、画集刊行に活動の比重を置いておられますね。 マンガやアニメやゲームの企画書・プロット・シナリオなども色々と作っているのですが、なかなか最終商品の形にまで進める事が出来ておらず、イラストや画集は関係者や予算が少なくても実現可能な 為ため か商品の形になりやすい、というのが理由かと思います。 ――女性のエロチシズムを感じさせる美麗なイラストを生み出されています。 展示室の後半は、雑誌に発表した色鮮やかなカラーイラストが目を引く(東京都世田谷区の世田谷文学館で) モノクロでは描写しにくいがカラーでは比較的描写が容易で、競合が起きにくいと思われる光沢の肌にこだわっています。近年の画集においては、似た構図やポージングの微差バリエーションを連続、重複して描くことで、アニメの原画をパラパラと連続で見る時に近い印象や効果の誘発が起きないかと工夫しています。 ――近況を教えてください。 今も40年前も変わらず東京ではなく関西にいて不規則不健康な生活をしながら昼夜延々と絵やプロットや駄文を描き続けています。視力体力の減少により、未読書籍が積み重なっています。 ――今後の執筆への意気込みや読者へのメッセージをいただければと思います。 気負わず欲張らず、自己ベスト更新維持で変わりなく、他にしたい���も無いので、ダラダラ延々と何かを作る日々を送ると思います。読者諸氏にはまた次の作品でお会いした際に、何らかの形でお楽しみ頂けると幸いです。
「攻殻機動隊」士郎正宗、ネット社会・AI発展に警鐘「言葉が通じなくなってバベルの塔が崩壊し始めている」 : 読売新聞
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各地でカスハラ防止条例が施行され、組織として悪質クレーマーに毅然とした対処をする方針を示すところが増えてきたのは実にいい流れですね。とくに行政は民間の店舗とは違い、市民を「出禁」になんてできませんから、電話口で暴言を吐く相手からの電話を切る根拠ができただけでも充分な進歩でしょう。 働く人を精神的に追い込み、場合によっては刑法に抵触するような行為に至る悪質クレーマーなんてほぼ犯罪者ですからね。カスタマーじゃなく単なるカス。仮に「お客様なんだから神様だろ!?」なんて言い出したら、そんなのは貧乏神か疫病神の類でしょう。全世界で出禁になればいいんですよ。 これまで、面倒な客でも神様扱いされ、丁寧に対応してもらえてたのは、あくまで「若い労働力が」「安い賃金で」「いくらでも雇える」という一時的な人口ボーナスタイムの恩恵があったからです。 しかし、今や「若い労働力」というだけで希少価値な時代に突入しました。豊富な労働力を前提に回っていた社会の様々な仕組みが回らなくなり、今まで若い店員さんが対応してくれていた業務は、自動発券機、自動配膳ロボット、そして自動精算機に置き換わりました。 ただでさえ少人数で対応しないと運営が回らないお店では、店員さんに文句をつけて手間をかけさせる客や、ましてや暴言や怒号、理不尽クレームをつけるような客はどんどん切られていくことになるでしょう。 ただ、「理不尽なクレームやカスハラには毅然と対処せよ」と命じるのは簡単ですが、結局「現場従業員にカスハラ客の対応を丸投げして押し付けているだけ」みたいなケースもよくあります。本来あるべき「毅然とした対応」とは、経営者や組織の長が「理不尽クレーマーやカスハラ加害者はウチの客じゃない!」と宣言して従業員を守ることですからね。ぜひ、カスハラ防止ガイドラインを策定して啓発を進めて頂ければと思います(当方の専門分野なので、宜しければご用命ください)。 とはいえしばらくは次のような混乱が生じると思われるので、行政側でもできる限りのサポートをお願いしたいですね。 【予想される問題点】 (1)「著しい迷惑行為」の解釈に曖昧さが残り、「正当なクレーム」と「カスハラ」の線引きが困難である故に、現場判断に依存せざるを得ず、対応が属人化してしまうリスクがあること。 (2)規定やガイドライン、対応マニュアルの作成や従業員教育のためにリソースやお金を割かざるを得ず、とくに中小企業にとっては対応負担が増大すること。 (3)「クレーム対応を拒否された」「店員側にも問題があった」などとカスハラ客が逆ギレし、更なる加害行為や批判がエスカレート、SNS等で拡散する等の炎上リスクがあること。 (4)カスハラ行為への罰則が存在しないため、結果的に悪質顧客に抑止力が働かず、繰り返し被害が発生するなど、実効性に限界があること。 【行政・自治体に期待したいこと】 (1)悪質カスハラ加害者名の公表制度 三重県桑名市のように、反復的で悪質なカスハラ行為者の氏名を自治体サイトで公表。 (2)刑事告発支援 カスハラ客の加害行為が脅迫罪等に該当する場合は、企業の代行として警察へ通報。 (3)啓発教育キャンペーン ガイドライン策定、従業員向けの研修などに助成金を支給したり、自治体主催の無料法律相談会を実施するなど。 (4)定期的な条例見直し 6ヶ月~1年ごとに業界団体と協議し、ガイドラインを改訂。段階的な罰則導入など、現場の要望を反映。 カスハラ対策は、疲弊する現場への救いとなり得ます。ぜひこの取組が全国的に広がり、働く人がカスハラ被害からしっかり守られる社会となることを強く望みます。
Xユーザーの新田 龍さん: 「各地でカスハラ防止条例が施行され、組織として悪質クレーマーに毅然とした対処をする方針を示すところが増えてきたのは実にいい流れですね。とくに行政は民間の店舗とは違い、市民を「出禁」になんてできませんから、電話口で暴言を吐く相手からの電話を切る根拠ができただけでも充分な進歩でしょう。 https://t.co/AzjrGRLbQV」 / X
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三若神輿会、四若神輿会、錦神輿会 八坂神社 祇園祭
三若神輿会 八坂神社 祇園祭 中御座神輿
薄らヒゲの兄ちゃんかわいい♥ 三若
鳴環(なりかん / なるかん)を振り鳴らす三条台若中(わかじゅう)三若神輿会(さんわかしんよかい)
四若(しわか)神輿会 八坂神社 祇園祭 東御座神輿
錦(にしき)神輿会 八坂神社 祇園祭 西御座神輿
古写真:祇園祭の神輿洗の晩、三若神輿会を構成する十組織の一つ祇藤会(前身:三若組奥田会)の若衆
三若神輿会の弁当打ち 「昔は輿丁(よちょう)全員ふんどし姿で弁当を打っていましたよ。50年程前までかなぁ」
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Scan and transcription of the Persona 3 part of Otomedia February 2016
●第4章2016年1月23日より新宿バルト9、梅田ブルク7ほかにて全国ロードショー/2016年1月20日第3章Blu-ray、DVD発売
©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
HP http://www.p3m.jp
STAFF 原作/「ペルソナ3」 (アトラス)、脚本/熊谷 純、スーパーバイザー/岸 誠二、キャラクターデザイン/渡部圭祐、ぺルソナデザイン/秋 恭摩、プロップデザイン/常木志伸、色彩設定/合田沙織、美術監督/谷岡善王 (美峰)、美術設定/青 木薫 (美峰)、コンポジット&ビジュアルディレクター/高津純平、編集/櫻井 崇、音楽/目黒将司・小林哲也、音響監督/飯田里樹、第4章監督/田口智久、制作/A-1Pictures
CAST 結城理/石田 彰、岳羽ゆかり/豊口めぐみ、伊織順平/鳥海浩輔、桐条美鶴/田中理恵、真田明彦/緑川 光、山岸風花/能登麻美子、アイ��ス/坂本真綾、天田乾/緒方恵美、イゴール/田の中勇 (特別出演)、エリザベス/沢城みゆき ほか
◀スイートピーの花言葉は「優しい思い出」。滅びの運命の中、理は“奇跡”を掴むことができるのか⋯⋯?
ゆ う き まこと
結城 理
声/石田 彰
4月に月光館学園に転入した2年生。類まれなるぺルソナ能力を持ち、「特別課外活動部 (S.E.E.S.)」のリーダーを務める。
バレンタイン ホワイトデー
ペルソナ使いのV&W予想
チョコをもらっても、ホワイトデ一は全無視しそう (笑)、周囲に「あんだけもらっといて返さないのかよ!」と怒られて、しぶしぶコンビニとかで気を使ってない感じのお返しを買ってそう。(田口監督)
▶両親を失った幼い日の事故の様子が明らかに!?
夜の女神が微笑む甘くほろ苦いV&Wの運命
思わぬ人物から滅びの運命を突き付けられた理。下した決断は―。全4章にわたる超大作がついに終幕!第3章での理&綾時の様子を見ていると、今作での関係の変化が気になるところですが⋯⋯?「理と綾時の関係は、一言では表せないですね。友達以上ではあると思うのですけど、親友ともちょっと違うし、兄弟とも言えない。アイギスも理にとって重要なポジションにいますが、それでもこの二人の間には入っていけないんです。関係は変わってしまいますが、お互いがどんな立場でも、強い絆で繋がっている気がします」と語るのは最終章を担う田口智久監督。しかし滅びの時が刻一刻と迫るなか、理たちのバレンタインはどうなっちゃうの!?
▲見所のひとつはコロマル(のプリケツ)!「今作中唯一の癒しポイント!」と太鼓判です
●作画/山田裕子 仕上げ/合田沙織
真冬のラブFIRE!!
LOVE
❤️💙💛本命男子サーチ&バレンタイン💚💜🩷
◀自らの正体を知り、理に重大な決断を迫る
も ち づ き りょう じ
望月綾時
声/石田 彰
理たちのクラスに転入してきた謎の少年。明るく朗らかな性格で、何かと理に接し、交友を深めていくか⋯⋯。
ペルソナ使いのV&W予想
女好きが浸透してしまって、意外ともらってなさそう。というより、むしろ配ってそうですね!気の利く男です (笑)。ホワイトデーは大盤振る舞いで、大量のお返しを用意してそう。(田口監督)
S.E.E.S.のV&W予想
本命大量!?
さ な だ あ き ひ こ
真田明彦
声/緑川 光
月光館学園の3年生。2年前からシャドウ討伐隊として活動している。トレーニングを欠かさないストイックな人物。
本命チョコをたくさんもらうのに、行事に疎くてなんでチョコをもらえるのかわかってなさそう⋯⋯。(田口監督)
お返しは手作りで
あ ら が き し ん じ ろ う
荒垣真次郎
声/中井和哉
月光館学園の3年生で、真田の幼馴染。S.E.E.S.の一員だったが、ストレガとの戦いのなかで命を落とした。
寮の女子たちすら、渡すのをためらいそう (笑)。ただ、もらったら手作りのお返しをくれそうですね。(田口監督)
見栄っ張り侍
い お りじゅんべい
伊織順平
声/鳥海浩輔
月光館学園の2年生で理のクラスメイト。時折悪のりもするが、気のいいS.E.E.S.のムードメーカー的な存在。
義理チョコ多そうですね!ホワイトデ一はもらった以上の数のお返しを用意して、見栄を張ってそうです。(田口���督)
律儀な紳士
あ ま だ け ん
天田 乾
声/緒方恵美
月光館学園初等部の5年生。S.E.E.S.最年少のためか、少し背伸びをして大人っぽく振る舞おうとする一面も。
本命多そうですね。お返しはきっちり準備して、周囲に「まだ用意してないんですか?」って言いそう (笑)。(田口監督)
みんなのアイドル
コロマル
長鳴神社の“忠犬”として話題の柴犬。長らく野良犬だったが、ペルソナ能力を覚醒させS.E.E.S.の一員となる。
街を歩くだけで、いろんな人から犬用のおやつとかもらいそうですね!ホワイトデーももらってそう。(田口監督)
#persona 3#p3#ryomina#tried so hard to get the scan to look good...#had to stich together 4 different ones#only for them to be too big for tumblr aagggghhhhhh......#i mean it still looked bad anyway...#since i edited them i saved them as a png instead of my usual png
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風景的螢幕實踐 第1回 中平卓馬與西澤諭志的權力=風景論【前篇】
風景的螢幕實踐|佐佐木友輔
第1回 中平卓馬與西澤諭志的權力=風景論【前篇】
由影像創作者暨媒體研究者佐佐木友輔執筆,圍繞電影、攝影、美術與動畫中的「風景」與投射風景的「螢幕」為主題,縱橫論述各式作品的連載文章���以1970年前後的「風景論」爭辯為出發點,企圖加以更新。本篇首回將攝影師中平卓馬與西澤諭志對照,以大阪萬博為關鍵轉折點,思索現代社會中權力=風景的樣貌。 中平卓馬——風景的殘骸(Detritus)
中平卓馬與《風景的死滅》
1971年10月25日發行的松田政男著作《風景的死滅》(田畑書店)封面,使用了中平卓馬拍攝的海景照片。這張照片也出現在中平於1970年出版的《為了未來的言語》一書中,為書中跨頁照片右側經裁切後使用的版本。畫面上方三分之一為天空,下方三分之二則為白浪翻湧的海面,水平線略為右斜向下。水面上的複雜紋理、拍攝當下的模糊與晃動、粗顆粒感等元素交織在一起,構築出難以分割的視覺關係。再透過高光澤的銀墨印刷,反射出帶有物質感的黯淡光澤。
取下書衣後,書本本體的封面也同樣使用了海景照片,這次是取自《為了未來的言語》跨頁左側經裁切後的圖像。畫面中省略了天空,以海面全面覆蓋畫面為設計。印刷質地比封面更為粗糙,一眼看去甚至難以辨認是否為海洋。既像是沙灘表面的紋理,也彷彿是印表機故障所致的錯誤印刷。

如眾所周知,這種模糊晃動的照片正是中平卓馬在《Provoke》時期的典型風格。拍攝��或被攝者的移動造成的晃動與模糊、粗顆粒、曝光過度或不足、無視水平線的不穩定構圖……這些靜止畫面中卻具有動態特質的風景,既可視為中平攝影行為的刻印記錄,也強烈主張那是由「攝影機之眼」——與人眼截然不同的視角——所捕捉的風景。中平排斥那些如內心反射或意識形態投影般的主觀、感傷攝影,致力於將攝影作為如實記錄事物的工具。
《風景的死滅》收錄了許多與1960年代末至70年代初「風景論爭」有關的松田重要論述。而中平也是這場論爭的中心人物之一,透過攝影與言說雙重實踐,發展出獨自的風景論。若讀者對當時論述不甚熟悉,聽到「風景論」一詞,或許會以為是探討「以風景為主題的攝影」或「應該記錄哪種風景?哪種風景最美?」這類直觀問題。但對中平而言,「風景」是如同「一層塑膠膜般的面紗」,遮蔽了應真正凝視之物的存在。
某個夜晚,或許是清晨,我匆忙爬上地鐵的階梯。就在轉角處,與兩位少女不期而遇。她們短暫地愣住,確實是兩位少女。高個子的是姊姊,矮個子的是妹妹——這也無誤。但當我開始凝視她們,她們迅速失去「姊姊」、 「妹妹」、「少女」的特質。我急促地、盡可能大聲地喊著:「少女們、 姊妹們、建築物、工業區,這是少女啊!」若不這麼做,這些事物就會被 從我頭顱頂部下垂的那層塑膠面紗所吞噬——這層面紗才是將我眼前一切事 物還原為所謂〈風景〉的元兇,這點已不言自明。
當某物乍現於眼前,人往往將自身內在或意識形態投射其上、賦予意義,並用「風景」這層面紗將之覆蓋,從而無法看清真實的現實。為對抗此現象,中平選擇捨棄嚴格的取景與構圖,有時甚至不透過觀景窗,任憑直覺與偶然拍攝,即所謂的「模糊晃動攝影」實踐。他的目標不是捕捉風景,而是在風景將其覆蓋前搶先按下快門,揭露其背後真正存在之物。
進一步來說,中平的風景論也受到了松田政男提���的「作為權力批判的風景論」的影響。松田曾針對1968年連續槍擊事件犯人永山則夫的動機提出見解,認為永山是被國家權力強加的均質化風景所逼迫,才開槍試圖撕裂那景觀。中平亦呼應此說,指出:「若要撕裂被權力均質塗抹的『風景』,只需一聲槍響,一道閃爍的刀光便已足夠。」那份模糊晃動所帶來的粗暴感,正蘊含著如刀劍揮下的軌跡或子彈命中的衝擊。中平的攝影,是風景的屍體,是風景被殺害現場的記錄。 無止盡的貓捉老鼠遊戲
然而,「模糊晃動攝影」迅速樣式化與形式化,不僅無法再撕裂風景,反而變成模糊投射拍攝者內在的手段。具體實例便是中平對「發現日本(Discovery Japan)」(以下簡稱D・J)活動的猛烈批判。D・J 是國鐵(今JR)於1964年東京奧運與1970年大阪萬博後為避免旅遊熱潮冷卻而發起的觀光推廣活動。初期的幾張海報(如第2號、第3號),以模糊晃動手法拍攝結合了現代都市女性與鄉村風景的畫面,營造出「美麗日本」、「美好舊時代日本」、「故鄉」等難以具體指認的匿名式、抽象式圖像,激起觀者的旅遊情感。中平尖銳指出:「就如1970年萬博成功地轉移了我們對70年安保的關注,最終讓民族主義獲得歡呼,這個D・J活動亦具有將我們的視線自現實中的種種問題引開,並持續鼓吹民族主義的政治功能。」

對D・J的批判進而演變為對自己過去風格的反思與否定,中平捨棄原先的模糊晃動攝影,徹底排除個人情緒或意義投射,嘗試捕捉事物本來面貌。例如他在1971年巴黎青年雙年展中展出的裝置作品《循環——日期、地點、行為》,每天拍攝並當天沖印、展示,照片填滿整面牆、地板與接待台,營造出多視角、多元空間,對抗「我與世界」這種從單一視角理解世界的西方式遠近法構圖。他於1973年將這些實踐概念化為「植物圖鑑」,主張應該捕捉的是物對人的注視,而非人對物的情感投射。此過程中,中平的照片也逐步由模糊晃動轉為清晰、由夜晚轉向白晝、由黑白轉為彩色。
若硬要借用風景論的詞彙來說,中平可謂窮其一生,不斷切裂眼前出現的風景。然而,當他撕開破爛的面紗、試圖捕捉真實時,那景象轉瞬間又凝固成新的風景,視野再次被不可見的面紗覆蓋。若欲以另一手段再度撕裂,又會有新的風景湧現並阻擋視線。如此周而復始,宛如無盡的貓捉老鼠遊戲……
其實這不僅是中平作家的個人問題,或權力過於強大的證明,更關乎「風景」概念本身的侷限。文學評論家加藤典洋指出,「風景」的混亂來自於兩種相反行為同時被「風景」一詞涵蓋:一是將某地經驗對象化所形成的「風景化」;另一是風景本身被視為觀看對象而廣泛定著的「風景」。依此劃分,中平的攝影終究仍是「風景化」的範例——只是另一種尋找新風景的嘗試。即使是清晰的彩色照、多視角的裝置作品,一旦發表,就會被定型、樣式化、對象化,進入應被觀看的「風景」之列。只要繼續使用「風景」這一概念,我們就永遠無法真正逃脫風景。若真有自由的一刻,那也僅是舊有風景被新的風景取代前,那段短暫的過渡時期而已。
風景的殘骸——回顧展《中平卓馬 火―氾濫》
自2024年2月6日至4月7日,在東京國立近代美術館舉辦了中平卓馬的回顧展《中平卓馬 火―氾濫》(策展人為攝影評論家暨攝影史學者增田玲)。對這場展覽,我懷有一絲擔憂——是否會將中平卓馬整個人生對象化,作為某種凝固成型的「風景」來呈現?從模糊晃動的攝影風格到「植物圖鑑」的創作,歷經急性酒精中毒導致的失憶,最終成為如純粹攝影機般,持續記錄現實的偉大攝影家——這樣的神話。或者,被視為投入與「風景」之間一場注定無法獲勝(同時也無法完全敗北)的戰鬥之中、悲劇又英雄的攝影家——這種浪漫化的想像。如果將中平對風景不斷切裂的苦行姿態加以通俗化,那他也可能被歸類為「一位不斷逃離陳腔濫調表現的攝影家」,成為另一種陳腔濫調。
然而,這些不安終究只是杞人憂天。毫無諷刺地說,在展場中,我一張也沒有看到能被稱為「如實記錄現實」的照片,也幾乎沒有見到任何企圖偽裝那類影像的展示設計。映入眼簾的,是龐大的風景殘骸——中平所切裂、撕成破布的風景面紗的碎片,有的作為「作品」,有的則作為「資料」或「記錄」呈現。

之所以產生這樣的印象,是因為展場中陳列的,多半並非強調藝術品獨一性與原真性的底片或原始印刷品,而是刊登於雜誌或書籍封面、裝置藝術的記錄照片等——這些反而強調攝影為複製技術媒介之性質的物品。其中甚至包含了一些在二手書店或拍賣網站上仍可購得的資料(雖然可能價格偏高)。這些大量生產的媒體,有些甚至原本就不以長期保存為前提,有的會被隨意翻閱、塗鴉、裁剪。借用電影與電視研究者保羅・格雷因奇(Paul Grainge)的用語,這類媒介可稱為「短暫媒體(Ephemeral Media)」。
“Ephemeral”這個詞原意��短暫、稍縱即逝,在媒體研究中還帶有邊緣性、一次性與可拋棄性等含義。或者,為了更進一步強調這些短暫媒體雖薄弱但仍具有物質性的特質,也許應採用電影與媒體研究者阿梅莉・海斯蒂(Amelie Hastie)提出的「殘骸(Detritus)」概念——原意為「碎片」或「有機堆積物」*。
將中平的照片視為「風景的殘骸」,其意義之一在於,將這些影像作為過去實踐過程中所產生的副產物或廢棄物來對待,有助於避免過度神話化與理想化,同時分析當時人們所處的「權力=風景」的動態樣貌,以及對其各種抵抗實踐的方式。
中平經常選擇以偽裝成他所刊登媒體的方式呈現自己的攝影。舉例來說,在名為〈囚禁之旅〉的報導中,他在看似觀光地的照片角落加上說明文字,例如「就像DISCOVER JAPAN海報中那樣的摩登打扮」、「再次不斷拍攝證據照片,反覆獲得安心」等,對觀光客的視線加以諷刺。
表面上看來,這與中平自己曾批判攝影被用作語言插圖的言論似乎相互矛盾,但他並不執著於原則與主張的一貫性,而是優先因應「權力=風景」每次變形後的樣貌,展開如游擊戰般的實踐——偽裝成敵人、寄生於敵人體內,從內部動搖、破壞之。
特別是當他偽裝成雜誌等短暫媒體時,實際上是在拒絕讓自己的攝影成為具永恆價值的紀念碑,而是鼓勵觀者將這些影像作為暫時性文獻,使用一次即丟,最好在它們凝固成「風景」之前就丟棄。
引入「殘骸」概念的另一個意義,是透過強調攝影的物質性,使本應是個人且僅一次性的風景經驗、或原本抽象且無形的權力得以具體化,從而能夠被收集、組合、改造與破壞。即便只是殘骸,中平的照片也非歸於虛無,而是作為具有短暫物質性的「物」留存至今。若非如此,我們便無從得知中平過去所身處的「權力=風景」為何,也無從理解他進行了怎樣的抵抗。
透過觀看那些具實體的照片——重複翻閱、塗鴉以創造新風景、收集後並列於桌上仔細比較、依時間順序排列來追蹤權力變化的樣貌——我們便能嘗試想像那些殘骸出現之前的風景原貌,或構想出與既有風景不同的風景。透過這樣的「接觸」體驗,我們不只是以知識方式理解歷史,而是以身體實感,體會自過去至今那層層堆積的歷史厚度。這些「風景的殘骸」所堆砌而成的土壤,正是我們當下觀看世界的視角與新風景之所以能構築其上的基礎。
*在這裡,也讓人聯想到阿梅莉・海斯蒂(Amelie Hastie)為說明「殘骸(Detritus)」概念而舉的便利貼(Post-it)例子。便利貼是用來記下靈光一閃或備忘的東西,當完成其功能後就會被丟棄,具備短暫媒體的特性。然而,海斯蒂也關注於便利貼上遺留的無數思考碎片——這些片段如何被解釋、翻譯、拼接,最終形成一個完整的想法或概念。媒體研究中的「殘骸」亦同樣如此:它們是某種經驗或記憶所留下的知識碎片,透過蒐集、組合與銜接這些碎片,我們得以重建它們在變為殘骸之前的樣貌,以及使用這些媒體的經驗歷程。 出處:Hastie, op. cit. p.171.
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温泉のお湯を6カ月間入れ替えなかったことと、50年間何百人もの子どもたちを触ったり、口腔性行したり、肛門性行を強要すること、どちらが重大な罪だろうか。日本のメディアにとって答えは明白のようだ。 日本のテレビ局の幹部らは、今すぐ自分の名刺にこう刷るべきだろう「弱きを挫き、強きを助ける」。 テレビ局に対して長きにわたって娯楽を提供してきたジャニー喜多川という男が、世界最悪級の連続児童性加害者の1人であったということに対して、日本のジャーナリズムはことごとく「無力」だった。人的、財務的、物質的資源が豊富にあるにもかかわらず。 海外のテレビ局が日本のテレビ局についてつねに驚くのは、日本の同業者がヘリコプターを惜しげもなく使うことだ。東京都庁前での50人規模の東京オリンピックに対する反対デモや、各大臣の靖国神社参拝、カルロス・ゴーンの釈放などを撮影するためにヘリコプターを使う。だが、ジャニー喜多川の被害者には金を使って取材をしようともしない。 昨年、福岡の温��経営者である山田真は、半年間ホテルのお湯を入れ替えず、温泉の衛生記録を改ざんしていたとして摘発された。テレビカメラは、まるで彼が麻薬組織のリーダーであるかのように、段ボール箱の撤去を伴う警察の家宅捜索を取材した。この国民的嫌がらせ(コクハラと言っていい)、緩慢な大衆リンチは、山田が自ら命を絶った時ようやく収まった。 すぐさま、メディアは次のターゲットを見つけた。それは、寿司をなめる自分の姿を愚かにも撮影したティーンエイジャーだ。メディアは彼を赤軍の一員であるかのように「寿司テロリスト」とのレッテルを貼った。次のターゲットは誰だろう? 仕事中に同僚の運転手に「こんにちは」と言ったバスの運転手? 鼻に指を突っ込んだ少年?
海外記者が見た「日本のジャニーズ報道の異常さ」 「弱きを挫き、強きを助ける」歪みまくった構造 | メディア業界 | 東洋経済オンライン
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翌日、信也は午前八時に起きた。神輿の宮出しは大抵五時半頃で、恐らく浅草界隈は賑やかだろうなと思った。
結局、裕美は昨夜は帰って来ず、今朝になってラインが来て、仕事場の方で寝ていると入ってきた。香織や大輔も一緒らしく、何処まで飲み歩いていたのかと、信也は内心呆れていた。二十代前半でありながら、二人の中年女の面倒をみている大輔もスゴいなとも思った。
朝食を摂り、シャワーを浴び、腰にバスタオルを巻いて寝室の姿見の前に立つと、信也は着物ハンガーから浴衣を取った。まずはVネックのシャツを着て、それから通販で買った赤い「豆しぼり」の六尺褌を締め始めた。股間に褌の布地を当て、それから腰の部分からねじっていく。一周巻いたら今度は反対側をねじり、腰のあたりで解けない様に締めた。グッと尻の谷間に食い込み、信也は言葉で言い表しにくい感覚に襲われた。
姿見には、最近減量の為に入谷の方までジョギングをしていたからか、若干引っ込んだ腹に六尺褌の豆しぼりが冴える。このヴィジュアルにゲイは「萌える」のかと、信也は思った。トランクスからブリーフに替えてから、彼は所謂「ビキニライン」に生える陰毛を整える様になった。たまにハミ出ているとカッコ悪く感じた。最近は尻の谷間に生える体毛も気にし始めた。自分の外見を気にかけることは愛することにも通ずるのだなと、彼は悟る様になっていた。
信也はズボン下を穿き、浴衣を着付けた。帯は「貝の口」に締めたが、何故か一度で決まった。これでいつ脱ぐことになっても戸惑うことはあるまいと、彼は安堵した。
合財袋を片手に取り、出掛けようとした時、ラインの着信音が聞こえた。携帯を出し確認すると、憲一からだった。玄関のドアを施錠しながら読んだが、
『おはよう。元気? しばらく音沙汰なしだったから淋しかったよォ〜! 今、浅草寺の境内にいるけど、超混雑してて大変! 今、相方待ちだから片手に缶チューハイ持ってマス。早く来て、待ってるわ 』
と文末にはハートマークが付いていた。「音沙汰なし」といっても一昨日、六尺褌が届いたのを写メ付きで送信したばかりだが…。余程、思いが募っているのだろう。彼は、恐らく地下鉄は入口が混み合うだろうと、大した距離でもないので徒歩で浅草へ向かった。
国際通りに出ると、すでに神輿を担ぐ男衆やお囃子を披露する女性や子どもがあちこちに見られた。外国人観光客も、日本独特の文化の一つである祭りに皆関心を持ち、携帯電話で写真や動画を撮っていた。この雰囲気が信也は好きだった。彼が今の稲荷町にマンションを買ったのも、それが理由だった。彼も複合ビル「R」の周辺を散策しつつ、伝法院通りを仲見世方面に歩いて行った。
インバウンドの影響か、伝法院通りも食べ歩きができる飲食店が増え、特定のところでは行列ができるほど繁盛している。一方、ビルの老朽化で昔ながらの喫茶店が一時閉店するなど、変化もみられる。たまにコーヒーを飲みに行っていた「R珈琲店」も、建て替えの為にビルが取り壊されていた。信也は多少淋しさを感じながら、ようやく浅草寺の境内にたどり着いた。早くも神輿を担ぐ男衆や女性の声があちこちで聞こえ、勢いがあった。観光客は一斉に携帯電話を向け、その一部始終を撮影していた。信也は浅草寺の中に入り、まずは浅草観音に日頃の安寧に対し感謝する為、人混みで賽銭を投げる様に入れ、合掌した。お詣りが終わると、彼は浅草神社の方へ行こうと東門に向かった。階段を下りようとしたその時、浴衣姿の男に声をかけられた。憲一だった。彼は、白地に紺色の吉原つなぎをあしらった浴衣を着ていた。なかなか似合っている。
「信ちゃん! 会いたかったァ〜!」
と彼は喜んだ。なかなか男前である。二人は階段を下り、浅草神社へ歩いて行った。
浅草神社は、境内の右側に「一ノ宮」「二ノ宮」「三ノ宮」の神輿が収められているのが、この日は浅草界隈を担がされているので何もなかった。三社様にお詣りをすると二人は藤棚の方へ向かい、空いているベンチに並んで座った。憲一は微かに浴衣の裾をめくってみせた。ズボン下は穿いておらず、真っ白な六尺褌だけが覗く。信也は、
「何も穿かないと裾さばき、悪くないの?」
と聞いた。すると、
「ズボン下なんて穿けないよ〜。こっちの方がエッチでしょ?」
と憲一は言った。三社祭と隅田川花火大会の時しか浴衣は着ないが、ズボン下や肌着は身に付けないとの事。どうせゲイバーのパーティーでは脱ぐんだからと、あっけらかんとしていた。
信也は、憲一の浴衣から覗かせた六尺褌に生唾を飲み、下半身が熱くなるのを感じた。合財袋をのせた股間あたりが隆起し、内腿を力ませた。嗚呼、オレもすっかり「ゲイ」の一人になってしまったと、彼は思いがけない「チラリズム」に興奮してしまった。
憲一は、もう少しで相方が来ると言った。藤棚の下は、巷の食べ歩きの飲食店で買ったのか、観光客がペットボトルのお茶を片手に飲み食いしていた。イチゴの甘く、また台湾風唐揚げの香ばしい、色んな匂いが漂っている。この匂いだけで信也はお腹いっぱいになった。一方、憲一は相方にラインを入れているのか携帯電話の方に目を向けていた。数分後、浅草寺の方から紺色の小千谷縮の単衣を着た男が憲一に手を振って向かってきた。信也はどこかで会ったことがあるなと思ったが、なんと真純だったのだ。真純は信也を見るや、
「嘘ッ、憲ちゃんの知り合いって信ちゃんなの!?」
と驚きの表情を見せた。憲一は、
「えッ、知り合い?」
と聞いた。
まさか、出逢った場所は違えど肉体同士の交流だけでこんなかたちでめぐり逢うとは、信也は「現実は小説より奇なり」と思った。三人は仲見世やその他の界隈を練り歩く神輿を見物しては、憲一と真純は恰幅のよい男衆をさりげなく携帯電話で撮影した。そんな二人に対し、
「それって『盗撮』じゃ…」
と思った。半纏の裾から覗く尻とその谷間に食い込む六尺褌、その褌の柄も多種多様だった。また、神輿を担ぐ合間に談笑する彼らが無防御に内腿を開き、褌だけで隠した股間も、二人には堪らなかった。嗚呼、ゲイがこの時期になると全国各地から集まってくる理由が、これなンだなと信也は思った。
こうして「目の保養」を飽くほど満喫した二人は、
「さて、飲みに行きますか!」
と雷門を抜け、Kバーへ向かって行った。
Kバーは、昼時でもあり満席だったが流石に三人は常連客だったからか、すぐに空いている席を見つけ、食券を買い求めた。デンキブランをカラフェで注文し、賑やかに乾杯した。真純は、何気に信也の太腿に触れ、
「信ちゃん、浴衣似合うね!」
と上機嫌だった。真純の長襦袢から時折、うっすらと胸毛が覗いた。襟止めは使っていないらしかった。やっぱり誂えだろうか? 信也は密かにそう思った。テーブルには、もつ煮込みやミックスピザなどが並んだ。憲一は二杯目からは日本酒を頼み、真純も信也もグラスを傾けた。
店内に六尺褌の男衆も数人来店し始めた。一人、奥さんと思しき女性を連れた中年の男もおり、流石に直接生尻のまま椅子に座るのは憚れると思ったのか手拭いを敷き、腰を下ろした。そんな思慮のある男の様子に憲一は感動し、
「あんなジェントルな男(ひと)と一緒だったら、惚れっちゃうなァ〜」
と言った。真純も、
「まァ、たまにドカッと座る男(ひと)もいるけど、ちょっと幻滅だよね〜」
と共感した。このやり取りに、信也はただベッドの中で戯れればイイ訳ではないンだなァと、二人の共通した意外性を見出した。
そのまま三人は「ホッピー通り」に繰り出した。真純は途中、ショウウィンドウの前で襟の開いた襦袢や長着を整えた。その様子が何気に、信也にはカッコよ��思えた。一方、憲一は酔いが回っているのか信也に必要以上に絡み、浴衣の襟も乱れていた。それを見ると真純がさりげなく直し、
「ほらッ、ダメよ! きちんと着こなせてこそ、和装は素敵なのよ!」
と何故か女言葉だった。
こうして三人はホッピー通りでも三軒をはしごし、憲一は呂律が回っていなかった。意外と酒は弱いらしい。一方、真純は主にレモンサワーやウーロンハイなど、アルコール度数が弱いものに途中で切り替えていた。それでも女言葉が直ることはなかった。彼は、
「いッつもそうなの! 憲ちゃん、酒弱いのに場の雰囲気でグイグイ飲んで『へべるけ』になっちゃうのよォ〜。これから『Z』でパーティーなのにどうするンだろ!?」
と言い放った。
信也は、元々酒に飲まれない性質だったので、平然としていた。途中、六区ブロードウェイから外に出たところにあるコンビニでペットボトルの水を買い、憲一に勧めた。三人はそのままゲイバー『Z』を目指した。
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戦国時代の日本を舞台にし、主人公の一人を織田信長に仕えた黒人の「弥助」とした、フランスのユービーアイ(UBI)ソフトのゲームソフト『アサシン クリード シャドウズ』の問題が初めて、国会で議論された。ゲーム内で弥助が実在する神社の祭壇などを壊す映像が動画配信サイトで公開されたことについて、19日の参院予算委員会で自民党の加田裕之氏が質問。石破茂首相は「その国の文化や宗教に尊敬の念を持つのは当然で、そうでない行為があったら許さない、と発信することは重要だ」と答えた。シャドウズは20日に発売される予定だ。 加田裕之氏「観光公害にも懸念」 内部が破壊される映像が公開されていたのは、兵庫県姫路市の「播磨国総社 射楯兵主(いたてひょうず)神社」。シャドウズの先行プレイ映像では、弥助が神社の中で暴れ、置かれている物を刀で壊していく動画が話題となった。これはプレーヤーがそのように操作した場合の映像だが、神社側は不快感を示していた。
海外反応! I LOVE JAPAN : 石破首相「こういうことは許さない!」アサクリ問題に大激怒か!? 海外でも話題に。
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金ヶ崎城跡
敦賀湾に突き出した海抜86mの小高い丘に築かれた山城。源平合戦で平通盛が木曾義仲との戦いのためにここに城を築いたのが最初と伝えられる。別名敦賀城

その後南北朝時代には新田義貞と足利氏の戦い、戦国時代には織田信長の金ヶ崎の退き口でも有名

現在は整備されて公園となっている。結構急な階段😅


階段を登ると新田義貞と足利氏の戦いで敗北した新田義貞側の恒良親王と尊良親王を祭神とする金ヶ崎宮がある



尊良親王とその妻の伝承から別名「恋の宮」

その尊良親王の墓所跡

険しい曲輪跡


往時と変わらぬ敦賀湾の夕景

麓にも神社


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今日明日、25・26日と店はお休みをいただきます。このところ働き過ぎてずいぶんくたびれました……。
昨日の朝は宿から日本基督教団・弓町本郷教会を訪ねて主日礼拝に参加するとともに、けやき通り近くの福岡警固教会から転任された西岡牧師にもご挨拶。弓町本郷教会・福岡警固教会はともに新島襄にゆかりを持つ(つまりは同志社系の)教会であり、かつ会堂の設計を中村鎮が担った、という共通点があります。現存する弓町本郷教会の会堂は関東大震災後の1926年に再建されたもので、つまりは「民藝」と同じくもうすぐ100年(福岡警固教会の会堂は1929年)。長い歴史を踏まえつつ今を生きる素晴らしい教会でした。
こういう話を書いているのは、僕が(信仰薄い)基督者であるからというよりも、弓町本郷教会の設立にあたって重要な役割を担ったのが海老名弾正という人物だからです。
1923年の関東大震災によって『白樺』が終焉を迎え、その後京都に移住した際、柳は同志社で英文学を講じていました。この当時、同志社の総長だったのが海老名弾正です。柳は学生時代から植村正久・海老名弾正・内村鑑三といった人々の説教を聞いており、彼らから柳が影響を受けたことについては関西学院大学名誉教授の神田健次先生が指摘しています。
学習院の恩師であった服部他之助や、朝鮮半島と柳を結びつけた浅川伯教・巧兄弟、先週訪ねた愛媛・西条栄光教会にも関わった倉敷民藝館初代館長にして機織る伝道者でもあった外村吉之介、國際基督教大(ICU)初代総長の湯浅八郎、芹沢銈介の弟子であり、型染め版画『ルツ物語』によって日本民藝館賞・国画賞を受賞した染色家・渡辺禎雄など、柳と民藝運動の歴史においてはキリスト教との関わりが随所に存在します。
世によって〈小さくされたもの〉、制度に抑圧される存在に寄り添う視点を持つ民藝運動は、思想と用語、論理構造においては仏教からの援用が多いですが、社会における実践としてはむしろ明治期の基督者たちの動きを踏まえているのではないか、と思うことがあります。前日の多文化間精神医学会においてうかがった精神医学の歴史や、西岡牧師が語った「残されたものに希望を見いだす」お話など伺っていると、今も「民藝」は〈小さくされたもの〉の側に立てているだろうか、「健康」な仕事を育てようとしてかえって「制度的な美」としての振る舞いをしていないだろうか、などと考えながらの帰途でした。
いずれにしても、お目にかかれた皆さま、ありがとうございました。

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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲��。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、��880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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炎上とリスクマネジメントの専門家です。宝塚の記者会見を見ましたが、組織としてまったく誠意が感じられず、「よくこんな内容で世に出したな…」と呆然でしたね。今年世の中を騒がせた記者会見といえばビッグモーターが記憶に新しいですが、あちらは「あの会社と社長なら、あれくらいやりかねないな」というある意味想定の範囲内でした。しかし今般の宝塚は、「歴史も名声もある組織なのに、これほどまでに遵法意識に欠け、隠蔽と保身に走るのか…」という幻滅に近い印象ですね。とくに気になったのは次の点です。 ・冒頭「ご遺族の皆さまに誠心誠意対応する」と宣言しておきながら、「故人に対するいじめやハラスメントは確認できなかった」と遺族の訴えを真っ向から否定 ・劇団側の調査報告は第三者委員会方式ではなく、単一の法律事務所に依頼しており、客観性・公平性に欠ける印象 ・発表者はうつむいて報告書を一方的に棒読みしているだけ。「報告書の○ページをご確認ください」と言われても、視聴者には分からない。 ・故人がヘアアイロンを額に押し付けられてやけどを負った件について「ヘアアイロンでやけどをすることは一般的」 ・週刊誌報道にあるような「『嘘つき野郎』と面罵された」等については伝聞情報のため確認できないが、(故人に対して)嘘をついてないか何度も確認されていたことは把握している ・そもそも組織全体として、公演スケジュールが過密で、休みなく稽古に入るうえ、稽古自体も複雑化して精神的余裕が奪われがちな状況であることを把握しながら、今般の事故が起きるまで積極的な対応をしてこなかった ・記者からの「ハラスメント的な体質を見逃してきたということはないのか」との質問に対して回答がしどろもどろ 劇団側としては、今般の会見に先立っておこなわれた劇団企画室長のメディアコメント「劇団としては“いじめ”という事案があるとは考えていない。加害者も被害者もおりません」との見解と整合性をとる必要があったのかもしれませんが、とにかく責任回避と保身の姿勢があからさま過ぎました。情報の受け手からの理解は得られず、危機管理として失敗でしょう。逆に、 「劇団員とは業務委託契約とのことだが、実質的に過密なスケジュール対応を要求している。実態としては雇用契約であり、偽装請負に当たるのではないか?」 「嘘をついていないか何度も詰問される行為は、実質的に『嘘つき』認定も同然であり、それによって心理的負荷がかかっていたのであれば、精神的攻撃にあたるパワハラそのものではないか?」 「週刊誌報道が事実無根、もしくは事実と相違があるなら、劇団が週刊誌側を名誉毀損等で訴えればよいのに、そうしないということは、やはり事実だったのでは?」 「業務量の多さは昔から変わらないはずなのに、劇団として把握できていなかったというならば、職場の安全配慮義務違��として管理責任が問われるのでは?」 といった具合に、余計な(でも真っ当な)ツッコミや疑念を生じさせてしまうことになります。もし劇団側が本当にいじめやパワハラという認識がないならば、劇団側が反省の弁として述べた「ルールを見直して改善していく」という約束も怪しいものとなるでしょう。何しろ、何がいじめでパワハラなのか認識がないわけですから、認識��ないところから改善などできるはずがないのです。 私自身は宝塚歌劇自体についてド素人なもので、一部の熱心なファンの方にとっては「宝塚のことを何も知らないヤツがうるさいことを言うな!」と思われるかもしれません。しかし、どんな伝統やしきたりがあったとしても、ワークルールやハラスメントの基準は共通です。至らない点は真摯に改めて頂きたいものですね。
新田 龍 / X
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鐵砲洲大祭 鉄砲州稲荷神社 例大祭

鐵砲洲大祭 鐵砲洲稲荷神社 東京都中央区湊1丁目 鐵砲洲稲荷で半纏を脱ぐ人は普通見かけない
鐵砲洲稲荷神社氏子 17 町
宮元(町会ではないが実行組織の一つ)
湊一丁目
湊二丁目
湊三丁目
明石町
入船一丁目
入船二丁目
入船三丁目
新富(8町会)
銀座一丁目東
銀座二丁目東
銀座三丁目東
銀座四丁目東
銀座五丁目東
銀座六・七丁目東
銀座六・七丁目西
銀座八丁目東
新川二丁目越一町会(しんかわにちょうめえちいちちょうかい)のうち南高橋から隅田川までの地域。ℹ️越一町会のうちこれ以外の地域と、八重洲中央口から八重洲通りに沿って1km少々の新川二丁目霊一町会は水かけ祭り(深川祭)の富岡八幡宮の氏子。
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