#美辞麗��と現実の戦乱混乱
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moko1590m · 8 months ago
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社会主義の敗北、サヨクがバカにされる、ハリスの敗北、 ざっくり共通点 いいこと言っててもなんか料簡が狭いなー(その理想、実現手段が足りてない感じ、今、実際は無理っぽいなー)、だから
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ari0921 · 2 years ago
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我が国の未来を見通す(81)
『強靭な国家』を造る(18)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その8)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
2週遅れになってしまいましたが、8月15日、7
8回目の「終戦記念日」に感じたことをまとめてお
きたいと思います。
式典において、天皇陛下は「戦没者に対する慰霊、
人々のたゆまぬ努力によって平和と繁栄が築かれて
いること、さらには過去の反省と再び戦争を繰り返
さないこと」などのお言葉を述べられました。
岸田首相は天皇陛下と同趣旨の式辞の最後に「積極
的平和主義の旗の下で、国際社会と手を携え、世界
が直面する様々な課題の解決に全力で取り組む」
「今を生きる世代、これからの世代のために国の未
来を切り開いていく」旨の言葉を付け加えました。
細田衆院議長は「日本国憲法の精神を体して恒久平
和の実現に全力を尽くす」、尾辻参院議長は自分の
体験談を述べられた後に「犠牲となられた方々のこ
とを忘れない」「戦争を絶対に起こしてはならない」
と結びました。
8月のこの時期になると、日本人として戦没者に対
する鎮魂は当然としても、「平和」(「戦争」は起
こさない)という言葉がそこはかとなく“一人歩
き”をして、多くの国民をして、“こうして念仏の
ように「平和」を口にしておれば、「平和」が向こ
うからやってくる”という錯覚に陥らせている(思
考停止というべきか)と考えるのは、うがった見方
なのでしょうか。
15日当日、各政党の談話も発表されました。談話
の全文は読んでいませんが、新聞紙上に発表された
その要旨だけでも考えさせられるものがあります。
紙面の都合上、紹介する価値があると考える政党談
話のみをさらに要約します。読者の皆様は、ぜひそ
れぞれの番号の談話がどの政党の談話かを想像して
お読みください。ウクライナ戦争などの厳しい安全
保障環境に対する認識はほぼ共通していますが、当
然ながら、その後に続く主張は各政党によって違い
ます。
唯一の被爆国として、「核兵器のない世界」の実現
に向けて現実的・実践的な取り組みを進めていく。
必要な防衛力を整備しつつ、国際協調と対話外交、
多国間協調を深め日本周辺の平和を守り、地域の緊
張を緩和させる努力をする。
他国に侵略を思いとどまらせる抑止力の確保、我が
国の主権と国民を守り抜くために積極防衛力を抜本
的に強化、整備する。
核兵器による威嚇など現実の脅威にさらされている。
「核の先制不使用」の議論を、今こそ日本が主導す
べきである。
食料やエネルギーの自給体制の強化を含めて「自分
の国は自分で守る」という現実的な安保政策を進め
ていく。
二度と戦争に巻き込まれないために、国のまもりに
対する国民の意識を高め、抑止力の構築が現実的な
手段との認識が必要である。
これらから、どの談話が与党で、その与党の安全保
障・防衛政策に反対の立場を主張する野党の談話が
どれなのか、混乱し、考え込み、そして安堵し、ま
た呆れもしました。
安堵したのは、「日頃、色々反対しているが、案外
分かっているではないか」と感じた野党に対してで
あり、呆れたのは、「相変わらず、足元を見ないで
とぼけたことを言っている。それが本心なのか」と
思ってしまう与党に対してでした。
各談話の正解は、(1)自民党、(2)立憲民主党、(3)日
本維新の会、(4)公明党、(5)国民民主党、(6)参政党
です。
総括すれば、(特に与党に対してですが)「国会議
員であることをもっと自覚して、我が国内外に起き
ている様々な事象をよく勉強して、危機意識を持っ
て国の舵取りをしていただきたい」の一言です。
(6)の参政党の冒頭には「恒久的な平和は美辞麗句を
並べるだけでは実現しない」とありましたが、その
ようなことを国民に最も声高に訴え、理解を促す必
要がある与党が「保守」の看板を下ろし、「リベラ
ル」のような主張をすることは、我が国にとって決
して幸福なことではないと思います。百田尚樹氏が
「結党宣言」し、保守の論客諸氏がこぞって現政権
を批判する訳もこのあたりにあるのでしょうし、最
近の世論調査からすると、国民の多くも見抜いてい
るのでしょう。読者の皆様はどう考えるでしょうか。
▼我が国の「防衛力」の“急所”─同盟
 
気を取り直して本題です。本メルマガでもすでに紹
介しましたが、私は、愚書『日本国防史』((※)に
おいて、「我が国の歴史から学ぶ4つの知恵」をま
とめ、その筆頭に「孤立しないこと」を上げ、人も
国家も仲間を選び、失わないことの大切さを強調し
ました。
(※)『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』
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その内容を要約すれば、「日米同盟」の強化・対等
化、「日米豪印戦略対話(QUAD)」や「自由で
開かれたインド太平洋戦略(FOIP)」などを対
中国包囲網として同盟化まで引き上げることなどに
加え、本メルマガにおいても、貿易や食料・肥料な
ど経済的な“中国依存”から速やかに脱却すること
なども提唱してきました。
今回、改めて、我が国の「防衛力」の“急所”とし
ての「同盟」について考えてみたいと思います。た
だし、この「同盟」にからむ様々な論点を子細に紹
介しますと、本メルマガ数回分に及び、本来の「国
力」分析の視点から外れてしまう可能性もあります
ので、私の問題意識を簡潔に紹介することに留めま
す。
島田洋一氏は、自書『腹黒い世界の常識』(※)の
第1章冒頭に「同盟とは何か」と題して、「同盟は
一瞬にして敵対関係に変わる。共に戦う限りにおい
てアメリカは日本の同盟国だが、日本が中国に降伏
した途端、敵の戦略拠点として使われないよう、ア
メリカは日本を攻撃対象にしてくる。『血を流して
守る』以外に、『破壊して去る』という選択肢もあ
る。それが国際常識である」と述べています。
(※)
これまで、様々な戦争の歴史を勉強して、島田氏の
指摘のようなことがたびたび繰り返されてきたとい
う事実を知っている私でさえ、この文章を読んだト
タン、ハッとして背筋が凍りました。
我が国には、軽々に「中国が攻めてきたら、白旗を
あげればよい」と口に出す人がいますが、そのこと
は即、アメリカを敵にまわすことであり、最悪の場
合、アメリカの攻撃によって陸海空自衛隊の基地や
装備が攻撃され、国土が再び“焦土と化す”ことま
でを考えなければならないのです。
島田氏も実例として取り上げていますが、第2次世
界大戦において、フランスがドイツに降伏し、パリ
無血入城を許した時、イギリスはフランス海軍が
(海上兵力が弱点だった)ドイツ海軍に組み込まれ
ることを防ぐため、フランス海軍の艦艇を空爆で破
壊し、1000名を超える兵士も犠牲になりました。
このような経験を乗り超えてイギリスとフランスは
この後も同盟国として共に戦ったのですが、ある事
象や事件をきっかけにして「昨日の友は今日の敵」
になったことなども歴史上枚挙にいとまがありませ
ん。
さて、細部の経緯は省略しますが、1952年4月、
「サンフランシスコ講和条約」と同時に発効された
「日米安全保障条約」は、戦後の占領に続き、アメ
リカ軍による保護協定的性格が強いものでした。ア
メリカは、日本の再軍備を抑え込むと同時に、日本
列島というアジア大陸東側の戦略的拠点を敵対勢力
の手に渡さないことが目的だったために、NATO
のように「相互性」を持たない「片務性」で妥協し
たのでした。
1960年、激しい安保闘争の中で、より共同防衛
に近い条約に改正されましたが、憲法上の制約もあ
って、引き続き日本本土に米軍を駐留することを容
認しつつ、「片務性」もそのまま残存された形の
「軍事同盟」が継続されました。
この結果、日本政府は、我が国の安全保障の多くを
アメリカに担ってもらい、「軽武装・重経済」とい
われる経済発展のみを政策の最優先課題とすること
ができて、実際に高度経済成長にもつながりました。
そして、1983年、中曽根元首相のアメリカ訪問
時の「共同宣言」をきっかけに、「日米同盟」とい
う言葉が市民権を得ました。「日米同盟」は、“
「日米安全保障条約」を根幹とする日本とアメリカ
の間の包括的な協力関係”と定義され、安全保障・
防衛面だけでなく、政治、経済、社会など幅広い分
野において機能することを指しています。
以来、我が国は、ほぼあらゆる政策を「日米同盟」
を基軸にして立案し、実行してきました。一時、民
主党政権時には米中を絡めた「二等辺三角形」論も
ありましたが、そのような考えは長くは持ちません
でした。よって、歴代の首相をはじめ政治家、官僚、
有識者、それに私たち自衛隊関係者にあっても、
「日米同盟がなくなる」とか「日米同盟なき我が国
の繁栄」などについて、一瞬たりと頭をかすめたこ
とはないでしょう。
特に、防衛分野においては、戦争経験のない自衛隊
は米軍の豊富な実戦経験から学ぶことが多々ありま
したし、個人的な経験でも、在日米軍の高官たちと
親しく付き合って、お互いの信頼や友情を深めまし
た。
一方、高度成長の結果、一時は世界第2位、現在で
も世界第3位のGDPを誇りならも、防衛予算は
「GDPの約1%」にとどまり、「日米安全保障条
約」は、憲法上の制約を盾に「片務性」についても
今日まで手付かずのまま放置されています。
「同盟」を維持させるためにはそれ相応の努力が必
要なことは言うまでもありません。長年、日本の約
15倍、GDPの約3.5%に相当する巨額の軍事
予算を投入しているアメリカが、その大元が戦後の
対日方針にあるとはいえ、この状態に不公平感を持
つのは当然なのです。
2019年、トランプ前大統領が「日本が攻撃され
れば、我々は第3次世界大戦を戦うことになり、あ
らゆる犠牲を払って日本を守るが、アメリカが攻撃
されても日本は我々を助ける必要がない。彼らはソ
ニー製のテレビでそれを見ていられる」と「片務性」
を痛烈に批判し、話題になりました。
「この批判が何を意味するか」について、当時、ほ
とんどの日本人に理解していなかったと今なお想像
しています。実際、アメリカにおいては、憲法上、
条約の批准は上院の3分の2の賛成を必要とすると
の高いハードルがありますが、条約の破棄は大統領
の判断で行なうことができます。トランプ大統領の
発言はけっして脅しでもなんでもなく、大統領一人
の判断でいつでも条約を破棄することはできるので
す。
現在、「日米同盟」はアメリカの「国益」にも合致
しているし、これから先もそう願いたいですが、国
際社会を取り巻く“様々な情勢”が変われば、未来
永劫に「日米同盟」が継続される保証はありません。
大統領の判断一つで「昨日の友は今日の敵」になる
可能性を潜めていることを常に頭に置く必要がある
と私は思います。だからこそ、「自主防衛」を筆頭
にした「自助努力」が必要なのですが、それについ
ては後述しましょう。
▼我が国の「防衛力」の“急所”─同盟(続き)
今後変わるかも知れない、国際社会を取り巻く“様
々な情勢”についても触れておきましょう。前回紹
介しました伊藤貫氏によれば、冷戦終了後、アメリ
カは、人類史上一度も実現されたことがなかった
「世界一極体制」を創ろうとの野心と自信をもって
様々な外交を展開しました。その特徴は、アメリカ
を例外的に優れた国とする「アメリカン・エクセプ
ショナリズム」をもって、国際政治にアメリカの政
治制度や経済システムを採用させようとし、それに
抵抗する国々は、裁き、処罰し、時には破壊しまし
た。実際に、冷戦終結直後の1989年の「パナマ
侵攻」以降、アメリカが関与した世界の紛争は17
紛争を数えます(『習近平が狙う「米一極から多極
化へ」』遠藤誉著より)。
アメリカのこの「新外交理論」は一世を風靡し、日
本人の中にも「熱心な信者」を輩出しましたが、2
0世紀になった頃から、中東地域、ロシア、中国、
北朝鮮などが反旗を翻すなど様々な厄災が表面化し
て、ほころびを露呈し始めてきました。なかでも、
中国、インド、ロシアなどの台頭は、「一極体制」
を形なきものにして、「多極化」に拍車がかかりま
した。
そのような状況から、オバマ元大統領の「アメリカ
は世界の警察官ではない」やトランプ前大統領の
「アメリカン・ファースト」の発言などにつながり、
このたびの「ウクライナ戦争」をもって、「世界一
極体制」はその原型を留めることなく、世界は「多
極化時代」、というか「分裂の時代」に再突入した
と考える必要があるでしょう。現に、スウェーデン
にある「民主主義多様性研究所」によれば、今や世
界人口の72%に相当する57億人が「専制主義的
(権威主義的)な傾向の強い国」に住んでいるとの
ことで、これらの国々はアメリカが提唱する政治制
度や経済システムに与することをかたくなに拒否し
ているのです。
基軸通貨である「米ドル」についても、近年はユー
ロや人民元に押され、外貨準備高の約60%はドル
建て資産といわれながらも、国際決済においては4
2%に留まっているなど脱ドル化が進み、将来はそ
の地位が危ぶまれる“様々な現象”が発生するとの
予測もあります。
さて話を本題に戻しましょう。このように、将来
“混とんとした国際情勢”になることを予想せざる
を得ないなかにあっても、なおかつ「日米同盟」は
盤石で、その延長で“アメリカの「核の傘」は有効
と断定できるのか否か”を議論する時が来たのでは
ないかと考えるのです。
これまでのようなアメリカであれば、水戸黄門の
「葵の紋所」のように、それを見せるだけでひれ伏
す国はあったとしても、これから将来はその“効き
目”があるのか、逆に、アメリカが「葵の紋所」を
“出し惜しみ”するような情勢は来ないのか、など、
それらの想定を「もしかして」の範疇として捉え、
最も大事な「我が国の抑止力は大丈夫なのか」につ
いて、しっかり議論すべきなのです。
前回、中国や北朝鮮などは、自国の犠牲回避を最優
先しない可能性があることに触れましたが、差し伸
べてもらった「傘」にも問題があるとすれば、過剰
な依存を止め、逆に相対的な力関係を補い、より盤
石な抑止力を構築する上でも、(それぞれ微妙に違
う)イギリスやフランス、そしてドイツの抑止戦略
などを研究しつつ、我が国独自の「自主防衛」につ
いても検討する時期に来ていると考えます。
かつてのアメリカは、「日本の核武装は力づくでも
阻止する」との勢力が大半を占めていたものから、
キッシンジャー、ウォルツ、ホフマンなどのリアリ
スト戦略家たちのように我が国の「自主防衛」を容
認する勢力が増えつつあるのは、それが日本の「国
益」に留まらず、アメリカの「国益」にもつながる
との認識を持っているからなのです。
まさに、“時代は変わりつつ”あります。冷静沈着
に「あらゆる戦争を抑止するために、我が国の防衛
をどうするか」についてタブーを廃して、真剣に考
える時期に来ています。
令和6年度防衛予算の概算要求は過去最高の7.7
兆円だそうで、これによって通常戦力が増強され、
陸海空領域に加えて「宇宙」「サイバー」「電磁波」
に至る「領域横断」を強化する方向に舵を切ってい
るのでしょうが、これだけでは、あらゆる「戦争」
の発生を未然防止するのは困難と考えます。不確定
で、かつ厳しさを増す情勢を目前にして、ここで思
考を断ち切ることは、冒頭に述べた、念仏のように
「平和」を願うことと“大同小異である”ことを悟
る必要があるでしょう。
▼我が国の「防衛力」の“急所”─「足かせ」にな
っているもの
最後に、「防衛力」の“急所”として「足かせ」に
なっているものついて触れておきましょう。
先般のNATO会議において、東京事務所の開設に
ついては、フランスの反対もあって実現しませんで
した。NATO加盟国は、1949年に署名された
「北大西洋条約」の条約第5条において「一方の加
盟国が武力攻撃を受けた場合、他方の加盟国も共同
して自衛すること」と定めておりますが、これは
“一方への攻撃は全員への攻撃とする”「集団的自
衛権」の原則そのものの適用です。
「日米安全保障条約」は戦後の特殊事情によって
「片務性」が容認されましたが、NATOへの加盟、
あるいはNATOの東アジアへの拡大を企図すれば、
もはや「片務性」は容認されないでしょう。
第1次世界大戦時、「日英同盟」下にあった日本に
対して、イギリスから日本の参戦について再三の要
求がありましたが、日本は「国防の本質を完備しな
い外征はなじまない」と「参戦地域の限定」に執着
し、海軍の特務艦隊の派遣を除き、陸軍の派遣は拒
否しました。そのことが、のちの「日英同盟」破棄
につながったという“前歴”があります。
もし、東アジア地域で何かあった場合、NATOの
支援を得ることを期待するなら、もし欧州で何かあ
った場合に、自衛隊を派遣することを“拒否できな
い”ような「枠組み」を求められるでしょう。その
ためには、現在、憲法上、「権利はあるが、行使で
きない」としている「集団的自衛権」を行使できる
ように解釈を見直すか、憲法そのものを見直すか、
他に方法がありません。
そのよう制約は、冒頭に述べたQUADやFOIP
を実質的同盟のレベルまで引き上げる場合、あるい
は8月18日に合意された「日米韓安保協力」をさ
らに盤石なものにする場合でも同様でしょう。
いよいよ戦後80年近く、かたくなに守り続けてき
た憲法、さらにはあの手この手を使い、屁理屈をつ
けつつ、潜り抜けてきた憲法解釈や現憲法のもとの
防衛政策が限界に来ているということでもあり、
“見切りをつける”時が来たということではないで
しょうか。
その決断こそが、我が国の「国力」を維持し、憲法
でいう「国際社会において名誉ある地位を占める」
ための唯一の道なのです。皮肉と言えば皮肉ですが、
それが現在の我が国の置かれた立場であり、これま
での“ツケ”の集大成こそが将来に向けた生存の道
であろうと私は考えます。
軍事力(防衛力)についてはひとまずこのぐらいに
しておきましょう。次回は、本メルマでもすでに取
り上げた「食料・天然資源」を「国力」の要素との
観点から再度取り上げ、その後、「政治力」につい
��素人の立場ながら「何が問題なのか」について迫
ってみます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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takazumikuwabara · 1 year ago
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【その他】
これから本当の意味での「戦後昭和体制」(※)が終わる令和の日本。無意識と化すほど自然化されていた社会的価値観の大幅な変化に対応しなければならなくなる(価値観を作り変えなければならなくなる)。今日に至るまで続く戦後昭和体制は政治的に言うなら前回民主党が政権奪取した時に終わらせるべきだったが、残念ながらそれは失敗に終わった。初めての政権担当に民主党自体が舞い上がってしまったのもあるし、構想が膨らみ過ぎて頭でっかちになっていたのもあったと思う。端的に実務経験の不馴れさが露骨なまでに露呈したと言わざるをえなかった。政権を再奪取した自民党がゼロ金利政策でマネーを市場に大量に流通させた上で、社会全体の機運を上昇させるべく高度成長期の再来を夢想してオリンピックと万博を誘致したことに現れているように景気刺激のカンフル剤を打ってはみたものの経済成長に資するような実効性を上げることはできなかったと言っていい。結果から見れば内政において自民党(安倍政権)がやったことは大局に立って構造の変革を志向することなく社会的象徴事のイベントを掲げてなんとか誤魔化しながら戦後昭和体制のベースをそのまま平成の終わりまで間延びさせて延命させただけであるが、その間に日本社会の傷は今日に至ってより深くなってしまった。意気込みや心の持ちようで好転するようなものではないにもかかわらず、自民党が政権を担いさえすればまだまだ日本は大丈夫だとの安倍一強体制がばら撒いた美辞麗句が醸成した空気に多くの有権者が乗っかり(小泉-竹中体制の時と同じ翼賛体制)国全体を包摂してしまった。何より大きかったのは小泉ー安倍政権の間に日本で全面開花していった新自由主義のイデオロギー(ロバート・ノージックーミルトン・フリードマンーアメリカ共和党)の一般社会への浸透と蔓延化が日本国内に幅厚く存在していた中産階級を破壊したことだった。しかし、いずれにせよこれからの日本は自らの意思による主体的な変革ではなかったにせよ(日本という国にそんなものはないのかもしれない)、社会的変動による大きなうねりに引きずられる形で新たな社会的価値観に刷新されていくはずだ。今までとは違う価値観の変化に対応する新しい社会に移行させるためにはしばらくのあいだは混乱を伴う厳しい時期が続くが、その後の再起と展望のためにそれは必要であり、その避けられない(避けるべきではない)混乱は新しい価値観に基づく新しい社会のためには必要な混乱と言える。それができなければこの国は底が抜けたように堕ちるところまで堕ちていく。真の変化に混乱は切り離せない。途中でやめたり、戻ったりしないことが大事。後向きにならずに受け止めて対応することができるかどうか。もう日本はギリギリのところまで来ているのではないかと思う。絶望に近い少しの希望を何とか保ちつつ前向きになるしかない。
※ 何か特定の領域における限定した話ではなく、現在も社会全域に及んでいる昭和の残党とでも呼びたい定式化されている考え方やそれに付随して表れ出るような派生現象のほとんどすべて。
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monqu1y · 4 years ago
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国を繁栄させる四つの道具  国を治めるうえで一番大切な事と具体的な方法を考えるための逸話
 市営住宅集会所へ講���会を聞きに行った。  演題は「 兵法書 ( へいほうしょ ) を読んで『生き方』を考える」。内容の要点は次の通りだった。   韓非 ( かんぴ ) は、今から2300年ほど前に生まれた 韓 ( かん ) の貴族。隣国 秦 ( しん ) の圧迫に苦しむ祖国を救うために兵法書を書いた。韓王様は、その兵法書に興味を示さなかったが、隣国 秦 ( しん ) の王様 政 ( せい ) (後の 始皇帝 ( しこうてい ) )は、兵法書に書かれている内容に感動していた…兵法書に書かれている方法で富国強兵を実現し、戦国の乱世を終わらせることができると思ったから。   秦 ( しん ) に 韓 ( かん ) を自国の一部にしようとする動きが有ったので、 政 ( せい ) を説得して 韓 ( かん ) を 秦 ( しん ) とは別の[国]として認めてもらうために、 韓非 ( かんぴ ) は 秦 ( しん ) に行かされた。   政 ( せい ) が 韓非 ( かんぴ ) を信頼して大臣に任命したら自分は大臣を 辞 ( や ) めさせられると考えた 李斯 ( りし ) は、悪口を言いつけて 韓非 ( かんぴ ) を牢屋に入れさせるようにした。そして、 政 ( せい ) が考え直す前に 韓非 ( かんぴ ) を自殺させた。「 拷問 ( ごうもん ) で苦しむ前に毒を飲んだ方が楽」と親切心を 装 ( よそお ) いアドバイスする 振 ( ふ ) りをして…
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 韓非が書いた内容は、次の四つ。 1)国を豊かにし軍隊を強くするための四つの道具 2)国を滅ぼす五つの害虫 3)家来や家族の心を見抜くのに役立つ六つの 徴 ( きざし ) 4)家来や国民をコントロールするための七つの技術 [国を興すための道具]のうち主なものは、次の四つ。 1)[国の法律]を実行するための組織 2)[国の法律]:国民が行うべき事やしてはならない事を書いた文章 3) 布令 ( ふれい ) :[国の法律]を国民に知らせるための立て札など。「貧乏を無くす」「搾取階級を討つ」「差別を許さない」「弱者を救う」「自由と民主」などの ス ( ・ ) ロ ( ・ ) ー ( ・ ) ガ ( ・ ) ン ( ・ ) も、これの一種。 4) 信賞必罰 ( しんしょうひつばつ ) :富国強兵に役立つ行いをした者には必ず 褒美 ( ほうび ) を 与 ( あた ) え、[国の法律]に違反した者は必ず処罰するという[国の法律]の運用  以下は、韓非が書いた兵法の要旨 〖国を治めるうえで一番大切なこと〗  行うべき事としてはならない事を法律で決めて、国民に法律を守らせる。  王様が[法・術]を 駆使 ( くし ) して富国強兵を実現すれば、望みのもの全てを手に入れることができる。富国強兵の方策とは、法律や禁令を明らかにし、計略をよく心得ることである。法律が明らかであれば、国内に事変が起こっても混乱することなく、計略が当を得ておれば、国外で戦死したり捕虜になったりする恐れもなくなる。  いつの時代でも、徳のある人が采配をふるって民衆がそれを見習うことで一国が治まるとは限らない。腹が減っているとき目の前に米をみつければ人目を避けて盗り、貧しいとき目の前に金塊をみつければこっそり盗む人間が多い今、仁徳だけでは国を治められない。  私利私欲の許されない国家運営の場面において、チェックや監視がしっかり行われなければ、社会は乱れ政治は腐敗して、国が滅亡に向かう。  昔の秦国では、だれも国法を守らず、仲間うちの 掟 ( おきて ) を勝手に作ったり、好き勝手に行動していたので、国は乱れ、軍隊は弱く、王様はバカにされていた。  大臣に任命された 商鞅 ( しょうおう ) は、王様に、国法をキチンと決めて皆に守らせる方法を 提案 ( ていあん ) した。  五軒組と十軒組をつくって、国民に密告させあい、連帯責任をとらせる。   詩経 ( しきょう ) や 書経 ( しょきょう ) などの書物は焼き捨て、法令を明示する。  大臣の請願を聞き入れず、国のために働く者を大切にする。  当時、秦の国民は、罪を犯してもうまく逃れ、功績もないのに 讃 ( たた ) えられる古い 習 ( なら ) わしに慣れきっていたので、新しい法が出ても軽視して守ろうとしなかった。しかし、新法を犯す者に必ず重罰を加え、密告者に 褒美 ( ほうび ) を取らせるようにしたら、密告と受刑者が増えた。  新法に反対する世論が盛り上がったが、王様も 商鞅 ( しょうおう ) も、構わず、新法を適用して犯罪者を取り締まった。  その結果、犯罪は減り、国は良く治まり、軍隊は強く、国土は広く、王様の 権威 ( けんい ) は高くなった。  また、 商鞅 ( しょうおう ) は、商工業よりも農業を大事にすべきだと 提言 ( ていげん ) した。  国民が家を離れて仕官を求めることを禁止し、事あるときに兵役をつとめる農民を表彰する。   魏 ( ぎ ) の 昭 ( しょう ) 王は、自分で政務を手がけてみたくなった。  そこで、 孟嘗君 ( もうしょうくん ) に言った。  「ひとつ自分で政務をやってみたいが」。  「政務を手がけられるのでしたら、まず法律を勉強 為 ( な ) さることです」。  昭王は法律の本を読みだしたが、いくらも読みすすまないうちに、眠ってしまった。  そして、「私には法律の勉強はできない」と 嘆 ( なげ ) いた。  王様は、権力のカナメをおさえていればよい。家来にまかせておけばよいことまで自分でやろうとするのでは、眠くなるのは当然だ。  「どうも法というのは、うまく使えない」と、 韓 ( かん ) の 昭 ( しょう ) 王が大臣の 申不害 ( しんふがい ) に愚痴をこぼした。  「法は、功績によって賞を与え、能力に応じて官を授けることです。あなたは法を定めておきながら、身近の者の請願を聞き入れていらっしゃる。それでうまくいかないのです」。  「なるほど、これで法の使い方がわかった。もう誰の請願も聞き入れないぞ」。  ある日、申不害が 従兄 ( いとこ ) の仕官を願い出た。  「おまえは、そうは教えなかったはずだ。願いを入れて教えを捨てたものだろうか。それとも、願いを断ったものだろうか…」。  申不害は謝って引き下がった。  市場に出かけようとする母親に子どもがついてきて泣いた。母親は「家にお帰りなさい。お母さんもすぐ帰ってあなたのために豚のごちそうを作るからね」と言って子供をなだめた。  母親が市場から帰ると、父親が豚を殺そうとしていた。母親は父親を止めながら、「あれはただあの子に冗談を言っただけのことですから」と言った。  父親は、「子供は冗談だと思っていないぞ。子供には冗談が分からないのだ。だいたい子供というものは、両親からいろいろなことを学ぶもの、両親の言うことにちゃんと従うものだ。今もし子供をだますようなことをすれば、それは子供に人をだますことを教えることになる。第一、母親が子供をだませば、子供は母親を信用しなくなる。それでは子供に教育なんぞできやしないではないか」と言い、豚を煮た。 〖国法を守らせるための条件整備〗   斉 ( せい ) の 桓 ( かん ) 公がお忍びで民間を視察したときのこと。   鹿門稷 ( ろくもんしょく ) という男がいたが、彼は七十になっても妻がなかった。  桓公がお供の 管仲 ( かんちゅう ) に聞いた。  「しもじもには、年寄りになっても妻を持てない男がいるものだろうか」。  「ございます。鹿門稷という男は、七十だというのにまだ妻がありません」。  「どうしたら妻を持たせることができるだろうか」。  「こういう言葉があります。王様が財産を作りすぎると、しもじもの暮らしは貧しくなる。宮中にひとりで寝る女がいると、しもじもには老いて妻なき男が出る」と。  「わかった」と、言って、桓公は、まだ手をつけていない宮中の女を、みな嫁に出した。  それから次のような命令を出した。  「男は二十で嫁をとること。女は十五で嫁にいくこと」。  こうして、宮中には、ひとり寝の寂しさを歎く女はいなくなり、民間には妻のない男がいなくなった。  何の準備もなしに命令だけ出しても守られるはずがない。 〖信賞必罰〗  母の幼子に対する愛情は、何よりも深い。しかし幼子が良くない行いをするようならば、先生につかせて修養をさせるし、悪い病気にかかるならば、医者にみせて治療をしてもらう。もし先生につかなければ刑罰を受けることにもなりかねず、医者に見せなければ死んでしまうかもしれない。母がいくら我が子を愛しても、愛情などは、刑罰から、また死から救うのに役に立たない。つまり子供を無事に育てるものは、愛ではないのである。子と母とを結ぶ絆は愛である。また君臣関係を結ぶものは計算尽くである。母でさえ愛を以って家庭を無事に存続させることができないのに、どうして王様が愛などと言うもので国家を保持することができようか。  仁者は恵み深く、気前よく財産をばらまいてしまう。暴者は心が強くて動かされず、簡単に罰を与えてしまう。慈しみの心が深いと、厳しく罰することができず、気前が良いと、人に与えることを好み、心が強いと、臣下どもに対して憎しみの心が現れ、簡単に罰を与えると、むやみに人を死刑にしてしまう。その結果、厳しく罰することができなければ、罪を多めに見ることが多くなり、人に与えることを好めば、功績の無い物にまで恩賞を与えてしまう。また、憎しみの心が現れれば、下々の者はおかみを怨むようになり、むやみに人を死刑に処したならば、民衆は謀反を起こそうとする。  だから、仁者が王様の位につくと、下々の者は好き勝手に振る舞い、軽々しく法律に違反して、お上に対して一時の幸福をむさぼることを望むのである。また暴人が王様の位につくと、法律は気まぐれで王様と臣下の仲は不和になり、民衆は怨んで謀反の心を生じる。そこで私は、仁者にしても暴人にしても、ともに国を滅ぼすものだと主張するのである。  親や近所の者や先生がいかに怒り、責め、教え 諭 ( さと ) しても、少しも改めようとしない子供でも、法律を以て悪人を摘発する巡査が来たら、恐くなって変節し、良い子になる。  民衆は愛情に対しては図に乗ってつけあがり、 威嚇 ( おどし ) にはおとなしく従うのだ。  政治を知らない者は、「刑罰を重くすると、国民を傷つける。刑罰を軽くしても悪事を予防できるのに、どうして重くする必要があるのか。」と言うが、軽い刑で悪事をしない者は、重い場合にも当然悪事に手を出さない。  重刑は、悪人にはプラスになるところが小さく、お上が下す罰は大、民はわずかの利益のために大きな罪を犯すことはしない。  軽い刑は、悪人が得る利益は大きく、お上の下す罰は小、民は利益を目当てにその罪を見くびるから、悪事は防ぎようがない。  20㍍の城壁を、身軽な者でも越すことができないのは、そそり立ってけわしいから。黄金30㌕が道に落ちていても拾う者が居ないのは、必ず罰を受けるからだ。  高山で羊を飼えるのは、山がけわしくないから。2㍍の布が道に落ちていれば拾う者が居るのは、罰を受けるとは限らないからだ。  功績のあった者に必ず賞を与えて 讃 ( たた ) え、犯罪者は手心を加えず罰して不名誉に 晒 ( さら ) せば、能力のある者もない者も全力をつくすだろう。   荊南 ( けいなん ) 地方にある 麗水 ( れいすい ) という川には 金 ( きん ) が出る。金を採ることは法令できびしく禁止されており、捕まれば衆人の前で 磔 ( はりつけ ) の刑に処せられる。処刑された死体はおびただしい数にのぼり、川の流れをせき止めるほどになったが、金を採る者は、あとを絶たなかった。衆人の前で 磔 ( はりつけ ) にされるほど重い刑罰はないのに、それでも金を採る者がいるのは、絶対捕まるとは限らないからだ。  「お前に天下をやる。その代わり、お前の命はもらう」と言われたとする。それでも天下をもらうという馬鹿者はいないだろう。天下をもらうほど��きな利益はないのに、それをもらう者がいないのは、必ず殺される、とわかっているからだ。  魏が 武 ( ぶ ) 王のとき、 呉起 ( ごき ) は 西河 ( せいか ) の長官となった。  国境近くに 在 ( あ ) る敵国 秦 ( しん ) の小さな 砦 ( とりで ) が農民に害を及ぼしていた。といってそれを除くためにわざわざ軍隊を集めるのは大げさすぎる。  考えた末、車のかじ棒を一本、北門の外に立てかけ、布令を出した。「このかじ棒を南門まで運んだ者には、上等の土地と上等の屋敷をとらせる」と。  布令を信じかねて運ぶ者がいなかったが、あるとき、それを運んだ者が出てきた。すかさず、布令どおりの賞を与え、今度は一 石 ( こく ) の赤豆を東門の外に置いて、布令を出した。「この赤豆を西門まで運んだ者には、前と同じほうびをとらせる」と。人々は先を争って運んだ。  そこで呉起は布令を出した。「明日、砦を攻めるが、一番乗りした者には、 大夫 ( たいふ ) の地位を与え、上等の土地と上等の屋敷をとらせる」と。人々は先を争って砦に攻め込み、あっという間にこれを占領してしまった。 〖国益と私利〗  王様が国民の利己的行為を許せば、国の利益は害される。  王様が賞罰を加える対象と、国民が名誉・不名誉とする対象は、 往々 ( おうおう ) にして 一致 ( いっち ) しない。  功績をあげて爵位を与えられた者が世間では評価されなかったり、農業に 励 ( はげ ) んだ者が賞を与えられても農業はつまらない仕事と思われたりする。  その一方で、招請に応じない者を排斥しても、彼らが俗世を超越するものとして尊敬されることがある。世間の評判を気にして、自分で働かずに衣食を得る「有能者」や、戦功をあげずに高位にのぼる「賢人」を横行させれば、国土の荒廃と兵力の弱体化をまねく。  学問によって世を乱す儒者を赦してはならない。  大臣が魚好きであることを知った国中の者たちが、争って魚を買い求め、彼に献上してきたが彼は受け取らなかった。弟が理由を聞くと、大臣は「魚が好きだからこそ受け取らない。献上される魚を受け取って判断に影響し、法を曲げれば、大臣を辞めさせられる。献上される魚を受け取らず、大臣を辞めさせられなければ、安心して自分の力で魚を得ることができる」と答えた。   楚 ( そ ) の国の正直者が、羊を盗んだ自分の父を、 令尹 ( れいいん ) 大臣に訴え出たが、令尹はこの正直者をつかまえて死刑を宣告した。王様に忠義だてして親不孝の罪を犯したものとして断罪したのだ。令尹が、父親を訴え出た息子を罰してからというもの、 楚 ( そ ) の国では罪人を訴え出る者がいなくなった。   魯 ( ろ ) の国が戦ったとき、三度出陣して三度とも逃げ帰った男がいた。どうして逃げてばかりいるのかと孔子が尋ねると、男は答えた。「わたくしには老いた父があります。わたくしが死んでしまったら、養う者がおりません」。その孝行ぶりに感心して、孔子は彼の位をあげてやった。孔子が、敗走した兵士の位を上げてからというもの、魯の国民は敗走を恥としなくなった。  「仁義」を身につけた者を信頼して登用したり、学問を修めた者が先生と呼ばれて名声が得るような風潮を許せば、国は乱れて王様の地位がおびやかされるようになる。  国を富ます農業や敵を防ぐ兵士にたよりながら、同時に飾りたてた儒者の服装を喜ぶのは、チグハグな行動だ。国法を敬わずお上をおそれない遊侠、刺客のたぐいを養うのも、チグハグな行動だ。チグハグな行動をしていたら、働く者が勤めをおろそかにし、働かず学問する者が日ましに多くなる。そして、世の中が乱れる。   宋 ( そう ) の 崇門 ( すうもん ) の町で、あまりに真剣に親の喪に服したため、ひどくやせ衰えてしまった者がいた。親を思う心が深いからだとして、お 上 ( かみ ) は彼を官吏にとりたてた。  次の年には、喪に服したため身体をこわして死ぬ者が、十人以上も出た。子が親の喪に服すのは、肉親の愛情に発することだが、それすらも、恩賞によってこのように奨励できる。  家来が王様につくすことにおいては、恩賞による効果が大きいはずだ。  昔、 蒼頡 ( そうけつ ) は、文字を創るにあたって輪になった形の「ム」によって「私」を表し、それに反するという意味の「ハ」を加えて「公」という字にした。公私が相反することは、既に蒼頡が知っていた。未だに公私の利害が一致すると思うは無知の 極致 ( きょくち ) 。 〖国法と人情〗  良く治まってる国は、国法が人情に通じており、国を治める道理にかなっている。  小さな悪事は、村人に連帯責任を負わせ、相互監視させる。禁令で自分に連座するものがあれば、村人は監視せざるをえない。監視する者が多ければ、悪者は悪事を謀れない。  ウナギは蛇に似ており、蚕はいわゆる毛虫に似ている。人は蛇を見ると、びっくりし、毛虫を見ると身の毛もよだつ。だのに、夫人は平気な顔をして、蚕を摘み上げ、漁師はウナギをわしづかみにする。利益があるとなると、人が嫌うことなどは忘れてしまって、みんなあの孟墳のような勇士となる。  だれでも自分の知らない物事には警戒するが、よく知っている物事には進んで為そうとするものだ。なぜならそうすることが自分にとって得になることが容易に推察できるだからだ。   子綽 ( ししゃく ) は、「左手で四角を画きながら右手で丸を画くことはできない。肉でアリを追っても集まるだけだ。魚でハエを追っても群がるだけだ」と言った。道理に逆らった行為は、うまくいくはずがない。 《禁止と奨励、賞と罰、その原則を逆にしたら、どんな神業をもってしても、政治はできない。条件を与えながら進ませないのは、乱の起こる元である》。 〖損得感情の働きを知る〗  人は幼児期に親に 疎 ( おろそ ) かにされると成長して親をうらむ。成人となった子供が老いた両親を 粗略 ( ぞんざい ) に養うと親は怒って子供を責める。本来、子と親の仲は、利益を度外視したきわめて親密な関係であるはずなのに、相手をうらんだり非難したりするのは相手が自分に報いてくれるという打算があるからだ。得すると思えば仲よくなり、損すると思えば、親子の間にもうらみの気持ちが生じる。  君臣関係では、肉親関係以上に打算が働く。まっとうなやり方で身の安全が保障されるならば、臣下はそれなりに力を尽くして主人に仕えるだろうが、そうでなければ私利私欲に走り、上に取り入ろうとする。王様は、何が得で、何が損なのかをはっきり天下に示したうえで、役立つ臣下に官爵を与え、臣下はそれに対して己の知力を提供するようにしなければならない。  カラスを飼いならすには、まず羽を切る。羽を切られてしまえば、カラスは人間に餌をもらうほかない。どうしたって馴れないわけにはいかないのだ。  [法・術]に 長 ( た ) けた王様の家来飼育法も、これと同じだ。  ポイントは、 俸禄 ( ほうろく ) に頼らざるを得ず、与えられた職に務めるほかないように仕向けることだ。家来は 否 ( いや ) も応もなく服従するだろう。 〖王業の基礎〗  王様が家来を評価するとき、世間の評判に惑わされて、成果を確かめなければ、口先ばかり達者で実際の役に立たない者が増える。昔の聖人を 讃 ( たた ) え「仁義」を口にする者が朝廷にあふれれば、実力と実行力を兼ね備えた人材は世に 埋 ( うず ) もれ、国力が 衰 ( おとろ ) えていくことになる。   商子 ( しょうし ) 、 管子 ( かんし ) といった政治書を読む人々は多くても、内容を活用する人は少なく、農業の議論はしても実際に 鋤 ( すき ) を手にして耕作する者が少なければ、国は貧しくなる。   孫子 ( そんし ) 、 呉子 ( ごし ) といった兵法書を備えていても、実際に 鎧 ( よろい ) 兜 ( かぶと ) をまとって戦う者が少なければ、軍隊は弱くなる。  [法・術]に 長 ( た ) けた王様は、無用な議論が国力を弱めることを知っており、実用にのみ価値を認める。そうすれば、国民はそれに従い、国力は充実していく。  田畑で働く骨の折れる仕事に国民が従事するのは、富を手にすることができるからだ。  戦で死ぬ危険があっても国民が兵役につくのは、高い身分を求めるからだ。  学問や言論を修めれば畑仕事で骨を折らなくても富が手に入り、戦で死ぬ危険を 冒 ( おか ) さなくても高い身分が得られるとしたら、誰が骨を折ったり危険を冒すだろうか。頭を使う者が多くなれば、法の権威は失われ、力を尽くす者が少なくなれば、国は貧しくなる。  [法・術]に 長 ( た ) けた王様が治める国に書物は無用、[法]が[教え]なのだ。  聖人の言葉も無用、官吏が先生なのだ。遊侠の私的武力も無用、国の戦で敵を斬ることが勇気なのだ。  国民は、法にはずれた言論を 為 ( な ) さず、働くときは実績をあげるように働き、勇気は戦で発揮する。このように王業の基礎をかためれば、太平の世に国は富み、戦となれば強い軍隊が国を護る。 ⦅亡国五害[韓非]に続く⦆
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sorairono-neko · 5 years ago
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永遠の初恋びと
「世界選手権ではどのような演技をしたいですか?」 「そうですね……、全日本選手権でも四大陸選手権でも、成績はよかったのですが、自分の中では納得していない部分が多くて、もっとこうできたんじゃないかとか、あそこはああしたほうがよかったんじゃないかとか、いろいろ考えることがあって、課題ができたので、今回の試合はシーズンの集大成ですし、そういうことのないように、ショートもフリーもノーミスで、どちらかだけがいいというのではなく、両方そろえて、いい演技にしたいと思っています」 「記録の点ではいかがでしょう? 四大陸選手権でも、勝生選手ご自身の持つフリーの歴代最高得点には及びませんでしたが」 「それは、いい演技ができればあとからついてくるものだと思っています」 「師弟関係を結んでから初めて、ご自身のコーチであるヴィクトル・ニキフォロフ選手と対戦しますね。どんな気持ちでのぞまれますか?」 「コーチが誇れるよう、彼の名に恥じない戦いをしたいと思います」 「勝てそうですか?」 「どちらがどちらにですか? 負ける要素は見当たりません」 「……どちらがどちらにですか?」  勇利はにっこり笑って答えた。 「どちらもです」  リンクに立ち、フェンスを挟んで立った勇利の手を、ヴィクトルが情熱的に握りしめた。勇利は静かに握り返し、彼の目をまっすぐに見てほほえんだ。これから勇利のショートプログラムが始まる。 「ヴィクトルはぼくにどんな演技をしてもらいたい?」 「勇利が勇利であってくれればそれでいいよ」 「そう? すこしはヴィクトルの希望も取り入れようかなと思ったんだけどね」 「そうか。じゃあ……」  ヴィクトルは勇利の耳元にくちびるを近づけ、低くてつやっぽい声ではっきりと言った。 「バンケットで初めて俺を誘惑したときみたいに、手をつけられないほどどきどきさせて欲しい……」 「ぼく、おぼえてないんだけど」 「記憶になくても勇利ならできるさ」 「どきどきしすぎて自分の演技に差し支えが出ても知らないよ」  勇利が笑うと、彼の名が呼ばれ、歓声が上がった。 「勇利のラストエロスだね……」  ヴィクトルがつぶやく。勇利はにっこりし、「最後の誘惑だ」と同意した。 「ヴィクト���、わかってる?」 「何が?」 「演技はもう始まってるんだ」 「え?」  勇利は両手を差し伸べると、ヴィクトルの頬を包みこみ、顔を近づけてまぶたを閉じた。ヴィクトルが瞳をみひらいて息を止め、ものすごい悲鳴と歓声がリンクを圧するほどにみたした。  勇利はさっと身をひるがえすと、衣装をなびかせてリンクの中央まで行き、静かな気持ちで目を伏せた。ヴィクトルはいまどんな顔をしているだろう? 驚いている? 余裕ぶって笑っている? あきれて苦笑している? 見られないのが残念だ。勇利はくちびるにそっとふれた……。  情熱的なしらべに乗って、幾度も幾度もさらったステップシークエンスを披露する。最初これをヴィクトルがすべっているのを見たとき、勇利は、「こんなのぼくすべれるの?」と困惑した。でもいまは、もう自分のものになっている。ヴィクトルが初めてくれたプログラム。「みんなが思うことの反対をしなきゃ」と新しい勇利を引き出してくれた。こんなプログラム、いままでのコーチは誰もやれと言わなかったし、勇利も挑戦しようなんていう発想はまるでなかった。けれどヴィクトルは、勇利に似合う、勇利ならできるときめて道を示してくれたのだ。これをすべるのは今日で最後。  いちばんよい成績を出せたのはロシア大会だった。あの時点で「エロス」は完成していたといえる。しかし、それだけでは勝てないと踏んだ勇利は、高得点を狙って、ジャンプを構成し直した。ジャンプを変更するというのは簡単なことではない。ジャンプ自体の難度も上がるが、プログラム全体の調和というものも変わる。踏み切りが変化するというだけで、それまでつくり上げた流れは失われる。それを再びなめらかになじませなければならないのだ。  グランプリファイナルでは、跳びたいという気持ちが強すぎて手をついた。全日本選手権では一瞬方向を見失い、��倒してしまった。四大陸選手権では回転しすぎ、マイナスがつくような着氷になった。フリースケーティングのおりも別のミスを犯している。今度こそ──そろそろきちんと跳べてもよいころだ。ヴィクトルの言う「いつまで予行演習やってるつもりだい?」である。いい加減跳べるようにならなければ。  ターンをし、方向を変えたら、ヴィクトルの姿がちらと視界に入った。一瞬のことだがすぐにわかる。ヴィクトルはそこにいるだけで華やかだ。きっといまも、勇利から目を離さず、熱心に見てくれていることだろう。そう──ぼくを見ていて。ぼく、すっごく美味しいカツ丼になるんで。──一年前に言った自分の言葉を思い出す。ヴィクトルは美味しいと思ってくれているだろうか? いま……。勇利の子どもっぽい言い分に笑いもせず、「カツ丼大好きだよ」と答えてくれたヴィクトルだった。あのとき、あのひとことがどれほどうれしかったかしれない。  勇利はあの瞬間の気持ちを思い出した。ヴィクトル、ぼくを食べてよ。思えば、初めてきちんと踊った「エロス」は本当につたなく、幼かった。ヴィクトル、ぼく、成長したでしょう? あのころより色っぽくなった? ファイナルのときのこと、ヴィクトルは「おまえは俺を捨てようとした」と言ったね。そんなつもりはなかったんだよ。ぼくは次の男へ行くことなんてできなかったし、貴方もそれをゆるさなかった。男から男へと渡り歩く美女よりも、たったひとりの男に愛され続ける美女こそが究極のエロスじゃない?  ──ヴィクトル、ぼくのこと、手放せなくなったでしょう?  割れるような歓声に我に返り、勇利はゆっくりと瞬いた。息が切れ、頬が上気していた。あれ、終わっちゃった? ほっぺたに手を当て、首をかしげる。状況がよくわからなかった。とても身体が熱く、ほてりきっている。勇利は戸惑いながら挨拶を済ませ、おむすびのぬいぐるみを抱きしめてヴィクトルのもとへ戻った。  どんな演技をしたのか自分でよくわからない。でも、とてもみちたりていた。ヴィクトルの視線を常に感じていた。彼の愛情深い、情熱的な視線を。 「ヴィクトル」  ヴィクトルが両手をひろげて待っている。勇利を抱きしめようと。 「ヴィクトル、ぼく、綺麗だった?」  ヴィクトルが目をみひらいた。彼は勇利を力いっぱい抱擁し、「勇利、おまえは最高にうつくしい」と甘ったるい声で褒めた。彼はすぐにうやうやしくナショナルジャージを着せかけ、勇利のことをキスアンドクライへ導いた。勇利は彼に手を引かれるまま座り、紅潮した頬をヴィクトルに向けた。 「ねえ、四回転フリップ成功した?」 「え?」 「記憶がないんだ。飛んじゃってて……もしかして失敗したのかな?」  ヴィクトルはぽかんとし、それから勇利を引き寄せてつむりを撫でた。 「綺麗だったよ。GOEプラス3だ」 「ヴィクトルがきめちゃうの?」 「もしプラス3になっていなかったら、あとでジャッジに抗議を申し入れる」  得点が出た。勇利はあぜんとした。ヴィクトルは黙って勇利を抱きしめた。そしてまるで演技前のお返しだとでもいうように、熱っぽくくちびるを重ねた。勇利は押されて、後ろに倒れこみそうになった。 「ちょっと!」 「勇利」 「ちょっと──見えない。得点が見えないよ! いまの見間違い? 眼鏡持ってきて!」 「間違ってないよ」  勇利は改めて点数を確認し、両手を頬に当ててヴィクトルをみつめた。  勝生勇利は、ショートプログラムにおいても歴代最高得点を更新したのだ。 「お疲れ様でした」 「ありがとうございました」 「まずはいまの率直な気持ちをお聞かせください」 「あの……、まだ整理できてなくて。混乱しているというのが本当のところです。すみません」 「歴代最高得点を更新されましたね」 「そうですね。えっと……、うれしいです」 「ノーミスでした」 「はい。それはずっと目指してやってきたことだったので、今回きちんと達成することができて、本当によかったと思います」 「ロシア大会で完成したかに見えたショートプログラムですが、構成を変更し、グランプリファイナルでは調子がよくありませんでしたね」 「調子というか、あれはただ単純なミスというか……。基礎点の高いジャンプを跳んでも、成功させて加点をもらえなければああなりますし、つまり諸刃の剣で、もとの構成のまま完璧な仕上がりを目指したほうが、安全にいい点を取れるかもしれないですが、それでは勝てないし、それはぼくの中ではちがうという気がしたので、もっと上を目指して、目指した結果が今日につながって、挑戦し続けてよかったと思います」 「コーチにはなんと言われましたか?」 「あの、褒めていただきました」 「どんな言葉をかけられましたか?」 「えーっと、そう、いい子だねって……そういう感じです」 「そわそわしていらっしゃいますね」 「あ、すみません。すぐコーチの演技なので……すみません。あの……」 「どうぞご覧になってください。どうもありがとうございました。フリーも期待しています」 「ありがとうございました」  勇利はリンクサイドまで急いで走った。 「恥をかいた」  勇利はぷりぷり怒っていた。そばにいるヴィクトルは笑って、「そんなことはないさ」となぐさめた。 「いまごろみんな笑ってるよ。歴代最高更新して浮かれてたやつは誰だっけって。たいしたこともないのににこにこインタビューに応じて、まったくみっともなかったってね」 「そんなことはない」  ヴィクトルはベッドに座って拗ねている勇利の隣に腰掛け、そっと手を握った。 「勇利が為し遂げたことはすばらしいことだ。誰も文句は言えないさ。俺にだってね」 「自分より上手いやつはいないみたいな顔をして、えらそうに受け答えしてた、どこにでもいる間抜けなスケーターなのに?」 「そんな顔はしてなかったよ」  ヴィクトルは笑いをかみ殺しながらかぶりを振った。 「きみはいつだって真摯だ。まじめで、努力家で、ふるまいは気品高い」 「ヴィクトルがぼくの記録を抜いたりするからいけないんだよ!」  勇利はヴィクトルをにらみつけた。 「生徒に恥をかかせて、申し訳ないと思わないの?」  ヴィクトルはとうとうこらえきれなくなったのか、声を上げて笑い出し、勇利を抱き寄せてまなじりに接吻した。 「ああ、恥ずかしい」  勇利は左手で頬を押さえた。 「自分の更新した最高得点をほんの数分で越されることほど恥ずかしいものはないね。今後はもし記録を塗り替えることがあっても、どうせすぐ抜かれるんだって肝に銘じて、えらそうな態度は取らないでおくよ。もっとも、そんな機会がこのさきあるかどうか知らないけどね」 「恥ずかしくない。勇利の記録は立派だ。それに、これからいくらだって機会はあるさ。きみふうに言えばいま『浮かれてえらそう』にしている俺だって、いずれきみにまた追い抜かれる」 「ああ、もう、どうしてこんなことになっちゃったんだろ? ヴィクトル・ニキフォロフに勝つことは不可能なの?」  勇利は悩ましくつぶやいた。ヴィクトルが噴き出しそうになっている。 「コンマ以下の差じゃないか」 「当たり前だよ!」  勇利は声を荒らげた。 「あの演技で、十点も二十点も差をつけられたらやってられないよ!」 「その通りだね」 「まったくもう……、ほんと、最高の出来だったんだよ……おぼえてないけど。でも、VTRを見たらかなりのものだったよ。どこのトップスケーターかと思ったよ」 「日本のトップスケーターだよ」  ヴィクトルが勇利に頬を寄せた。 「『エロス』で出すことのできる上限の得点に迫ったんだよ! なのに、なのに……ヴィクトル・ニキフォロフとかいう皇帝が……」 「まったく悪いやつだね」 「すっごく上手にヴィクトルを誘えたと思ったのに……」 「うん。最高だったよ。だから俺も興奮しちゃって……」 「もう、ちょっと、べたべたしないでよ!」  勇利は、さっきから話しながら勇利の髪や頬にくちづけしたり、背中を撫でたり、手の甲を指先でなぞったり、とにかく愛情表現をふんだんにしていたヴィクトルをつきのけた。 「ぼく、いますごく機嫌が悪いの! あんまり話しかけないで!」 「俺はいますごく機嫌がいい。勇利をずっと抱きしめていたい気分だ」 「ああ、腹が立つ……」 「勇利がどんなに俺に腹を立てて俺を嫌いになったとしても、俺は勇利を愛してるよ」 「勘違いしないで。ヴィクトルのことは大好き。ぼくが腹を立ててるのは自分自身に対してだよ。ああ、ねえヴィクトル、あの着氷よくなかったのかな……ジャンプも、入るとき、明確じゃなかった? どうして3をつけない採点員がいたんだろう。サルコウはいつまでもぼくを悩ませるね。コンビネーションにしたせいかな。どう思う? ううん、もうショートのことを考えるのはよそう。フリーに気持ちを切り替えなきゃ」 「その通りだ。さすがは俺の勇利」 「ヴィクトル、ぼくはフリーで皇帝を逆転するからね」 「その意気だ」 「ばかにしてるでしょ? なんだい、余裕ぶっちゃって……」  勇利は頬をふくらませて拗ねた。 「ちがうよ。勝ちに行こうとしてる勇利がとてもうつくしくて、感激してるんだよ」 「そうやって実力を見せつけていい気になってればいいよ。でもねヴィクトル……」  勇利はまだべったりとくっついているヴィクトルを無理やりに引きはがすと、彼の前に立ち、腰に片手を当てて、もう一方の手ではひとさし指を振りたて、厳しく言い放った。 「ヴィクトル・ニキフォロフなら相手にとって不足はないよ。覚悟してて。絶対勝ってみせるからね。ヴィクトルが世界王者と呼ばれる時代ももう終わりなんだから!」  き、緊張してきた……。演技前、勇利は胸に手を当て、深呼吸をくり返していた。ショートプログラムでは二位だったので、一位のヴィクトルを逆転することしか考えていなかったけれど、勇利はいま、フリースケーティングの世界記録保持者なのだ。あいつは歴代最高得点を持っている実力者だ、倒さなければ、という圧倒的な威圧をあちこちで感じた。自分は追いかける立場だと信じて疑っていなかったのに、本当はそうでもないのだということを思い出させられたのだ。それがたいへんな重圧だった。  みんな、落ち着こうよ。もっとすごい人が目の前にいるじゃない。ヴィクトル・ニキフォロフを追いかけるほうがずっと意欲の向上につながらない? ぼくなんかたいしたことないんだから、意識したってしょうがないよ。ねえ……。  追われるのが苦手な勇利は、すっかりかたくなってしまった。 「おいブタ! おどおどしてんじゃねえ! 邪魔だ!」 「あっ、す、すみません……」  廊下でぼんやりしていたら、ユーリに押しのけられてしまった。勇利はすみのほうへ行ってちいさくなった。 「勇利、大丈夫?」  ヴィクトルが優しく言って勇利の手を握る。 「そんなにおびえなくていいよ。勇利よりうつくしい者は会場にいない」 「ヴィクトルがいるじゃない……」  ヴィクトルは笑って勇利を抱きしめた。 「そうだ、俺がいるな。まわりなんか見ないで。俺だけを見て」 「う、うん……」  勇利はこくこくとうなずき、ちいさくぶるっとふるえた。ヴィクトルが苦笑を浮かべる。 「まったく、上がったり落ちたり、忙しい子だな」 「え?」 「なんでもなーいよ。かわいいな」  勇利はそわそわと落ち着かない気持ちで自分の番を待ち続け、ほかの選手���高得点を次々と出していくのを見ていた。ああ、ぼくは無理だ。みんなノーミス。パーソナルベストがどんどん出てる。きっとぼくだけ最低記録を出すんだ。声をかけるのも悪いようなとんでもない得点。ああ、ああ、どうしよう。そんなことになったらヴィクトルが。ヴィクトルが……きっとかなしむし、まわりにも好奇の目で見られて……だめだ、だめだそんなのは……。 「勇利」  ヴィクトルが勇利の頬にふれた。氷の上に立った勇利は、青い顔をしてヴィクトルを見返した。 「ひどい顔色だね……」  ヴィクトルが優しく頬を撫でた。 「そんなに不安なのかい?」 「そ、そ、そんなことないよ」 「あきらかに調子が悪そうだ」  ヴィクトルがくすっと笑った。 「でも……、おかしいな」  彼は首をかしげ、不思議そうに眉を寄せた。 「勝生勇利は、俺に勝つとか覚悟してろとか、もうヴィクトル・ニキフォロフが世界王者と呼ばれることはないとか、そんなことを言ってたはずなんだけどな……」  勇利ははっとして顔を上げた。 「俺の聞き間違いだったかな?」  ヴィクトルは口元に指を当て、にやっとする。 「勇利なら確かにそうできるだろうと思ったんだけど……無理なんだ」  勇利のくちびるがかすかにふるえた。 「そうか。そんなに緊張して、おびえてちゃできないよね。残念だな。期待してたのに」 「ぼ、ぼくは……ぼくは……」 「勇利が俺と本気で対戦してくれると思って期待してたのになあ……」  ヴィクトルは微笑を口元に漂わせ、いたずらっぽく勇利を見た。 「できないなら……、やめとく?」  勇利の頬がかっと熱くなった。なにそれ。なにそれなにそれなにそれ。ばかにして!  勇利は叫ぶように言った。 「やる!」 「オーケィ」  ヴィクトルがにっこりし、勇利の手をぎゅっとつかんだ。 「それでこそ俺の勇利だ。さあ、きみの愛を見せて。おまえの愛でヴィクトル・ニキフォロフを倒してみせて」  勇利の紹介がなされ、勇利は氷を蹴ってリンクの中央へ向かった。身体じゅうが熱く、力がみなぎっていた。愛。そうだ。このプログラムは、勝生勇利の愛のプログラムなのだ。ヴィクトルとふたりでつくった。ああしよう、こっちがいい、もっとこうしたい、ねえ、ヴィクトル、聞いて。何度も何度も話しあい、考え、積み重ねてつくり上げた。  誰も追いつけるはずがない。勇利の織りなす愛には──誰も。  氷の上にいるのは、いま、ぼくだけなんだ……。  演技が始まったとき、一瞬、ヴィクトルがほほえんだ気がした。遠くからの判断なので本当かどうかはわからない。でも、きっとそうだ。ヴィクトルはいま笑っている。  そういえば、初めて長谷津に来たときもヴィクトルは笑っていたな、と勇利は思い出した。不躾に浴場へ入っていった勇利に顔をしかめもせず、開口一番、「俺はおまえのコーチになる!」と言い放った。あれは勇利が懇願した返事だったらしいが、それにしたって、あのヴィクトル・ニキフォロフが、「コーチになって」と言われて了承するなんて前代未聞だ。彼には自分のスケートがあり、計画があり、将来があった。それなのにそれらをすべて置いて、勇利のところへ来てくれたのだ。  そう思えば、勇利のくちびるにも自然と笑みがにじんだ。この一年、いろいろなことがあった。ヴィクトルがロシアへ帰ってしまうのではないかと心配したり、大好きなあこがれのひとなのになかなかなじめず、失礼なこともした。もう一度跳んで、ジャンプを見せて、といくたびもねだってこき使った。ヴィクトルはいつも笑っていた。とても優しかった。  スケートだけに集中せず、ふたりで遊ぶこともおぼえた。プールへ行ったり、海へ行ったり。お祭りも楽しんだし、たわいない散歩もした。ヴィクトルはひとりでいなくなることも多かったが、帰ってくると必ず、体験したことを洗いざらい勇利に話し、勇利の言葉にも耳を傾け、それぞれ別々に過ごした時間を共有しようとした。そしてそのうち、ひとりきりで出かけることはなくなり、いつだって勇利を誘うようになった。  ヴィクトルは勇利の世界を変えてくれた。彼といることで、よくものごとが見えるようになった。自分の環境も、向けられている愛情も。ああ、こんな中に自分はいたのかと気づくことができた。  ヴィクトルはコーチとしては上質とはいえず、勇利も精神がしっかりしていないので、お互い手探りだった。彼の前で泣いたり、めちゃくちゃなことを言ったりしてあきれさせたこともある。でも、いつだってふたりは相手のことを考えていた。だから、ヴィクトルがそばにいない試合はひどくさびしく、苦しかった。このひととずっと一緒にいたいと思い、しかしそれはいけないことなのだとつらい思いをした。  終わりにしようと言ったとき、まさかヴィクトルが泣くとは思わなかった。あれは何の涙だったのだろう。ヴィクトルは「怒ってるんだよ」と言ったけれど、人は怒ると泣くものなのだろうか。変なひとだ。ヴィクトルってわからない。でも──そんな突拍子もない、いつだって理解できないヴィクトルのことを、勇利は深く愛している。  一年前の世界選手権の日、勇利は長谷津のリンクで、ヴィクトルのプログラムをすべっていた。そして一年を経たいま、世界の舞台で、ヴィクトルと一緒につくり上げたプログラムをおどっている。  長くスケートをしてきた。でも、ヴィクトルと過ごしたこの一年ほど濃密で愛の深かった時期はない。ヴィクトルを愛し、ヴィクトルに愛されたこの時間が、勇利はいとおしくて仕方なかった。ふたりで織りなし、かたちにしたのが、「YURI ON ICE」なのだ。  このプログラムも、今日で最後……。  ぼくはもうすぐ、ヴィクトルのいるロシアへ行く。彼と新しい時代を経験する。でも、関係を始めたこの一年、いろいろとぶつかりあい、探りあい、初めての愛に戸惑いながら過ごしたこの時は、もう二度と訪れないのだ。  ヴィクトル……。  最後のジャンプ。四回転フリップだ。四大陸選手権、ショートプログラムでまわりすぎてしまったため、フリースケーティングでは抑えめに跳んだ。すると今度はアンダーローテーションを取られた。グランプリファイナル以来、クリーンに降りていない。どうしてもこのジャンプが綺麗に入らなかった。昨日だって、ヴィクトルは褒めてくれたけれど、すべての採点員が「3」をつけたわけではない。ほんのわずか、足りなかったのだ。でもそれは──今日のためだったのかもしれない。  勇利は視線を据えた。いままででいちばんうつくしい四回転フリップを跳びたい。GOEプラス3がついたグランプリファイナルのフリースケーティングよりもいいジャンプが。ヴィクトルが教えてくれた──ヴィクトルの四回転フリップが跳びたい!  着氷の瞬間、ヴィクトルが両手を上げたのが見えた。ヴィクトル、あんなにはしゃいじゃって。自分のときには平然としてるのにね。ヴィクトル……。  ねえヴィクトル……、ぼくのジャンプ、どうだった?  よくお説教する貴方だけど、すてきだったよって言ってくれるかな?  貴方が跳ぶみたいに、ぼくはこのフリップを跳べたかな?  ねえ、ヴィクトル……。  ぼくは……。  ぼくは、金メダルを獲るよ。  貴方と……。 「フロムジャパン。ユーリ・カツキ」 「YURI ON ICE」の繊細で純真なしらべが流れ出す。ほの暗く青いリンクに踏み出した勇利は、ゆっくりと滑走し、観客に向かって挨拶した。お辞儀をするたび歓声がわき上がる。勇利は頭を上げると、表彰台に向かってすべってゆき、赤いじゅうたんの上にそっと乗った。 「勇利」  ヴィクトルが手をひろげて勇利を招く。勇利は一瞬くちびるを噛みしめたあと、何かを振り切るようにヴィクトルに近づいて、両腕で彼にぎゅっと抱きついた。 「おめでとう、勇利。とても立派ですてきだったよ。俺は鼻が高い」  勇利の視界がじわっとにじんだ。勇利は急いでヴィクトルから離れ、彼の隣の台に静かに立った。続いてクリストフが呼び出され、ヴィクトルと勇利にそれぞれ抱擁した。じゅんぐりにメダルが授与されてゆく。そのあいだ、勇利はほとんど上の空だった。花束と記念品を持ち、撮影のときになっても、まだ彼はぼんやりしていた。 「勇利、笑って」 「…………」 「メダルを見せて……にっこり笑うんだ。誇りを持っていいんだよ」 「…………」 「勇利」  カメラのフラッシュが、ヴィクトルのかかげたメダルを純粋な金色に輝かせた。勇利の手元では、銀色のメダルが光った。その瞬間、勇利の目から堰を切ったようにどっと涙があふれた。 「うあぁ……」  勇利は天を仰ぎ、大声を上げて泣き始めた。 「ああ、あぁ、ああ、あぁあああぁ……」  ヴィクトルが目をまるくし、クリストフが仰天したように勇利を見た。 「ごめん、ヴィクトルごめん、金メダル獲れなかった。金メダル獲れなかったよぉお……」  勇利はぼろぼろと涙をこぼしながら、手放しで泣き続けた。 「ああん、ああぁん、あぁああぁあ……ああ、うっ、ああ、うぅ……」 「勇利」  激しくフラッシュが焚かれ、観客たちが「勇利くーん」「勇利くん、泣かないで」と口々に言った。しかし勇利の耳には入らなかった。 「うぁ、ああん、うっ、うっ、あぁああ、えっ、う、うぁああ……」  しゃくり上げ、激しく肩をふるわせながら、勇利は顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくった。ヴィクトルは笑い出し、いとおしそうに、力いっぱい勇利を抱きしめた。 「勇利、泣かなくていい。本当にすばらしかった。俺を本気にさせたのは勇利なんだから」 「うあ、あぁ……」 「そんなに悔しかった? かわいいな。本当に一生懸命だったんだね。勇利ががんばり屋さんなのは知ってたし、そういうところがかわいいと思ってたけど、こんなふうに号泣するとは考えてなかった。いい子だから泣くんじゃない」 「ううっ、う、ごめんなさいヴィクトル、金メダル、金メダルかけてあげようと思ったのに」 「いいんだ」 「貴方じゃない! コーチのヴィクトルにあげたかったんだよ! うあぁ……」  クリストフが可笑しそうに笑い出した。ヴィクトルもくすくす笑い続けている。 「うう、うんっ、う、ひっく、あ、うう……」 「勇利……本当にかわいいね」 「ううーっ……」  涙をぬぐいもせず泣き続ける勇利を見て、ヴィクトルとクリストフがこっそり目を見交わした。ヴィクトルはぐいと勇利を抱き寄せ、クリストフもヴィクトルにそっと寄った。 「いい写真になりそうだね」  クリストフがからかった。 「こんなにすてきな記念撮影、いままで経験したことないよ」  勇利は激しく嗚咽を漏らしながら、笑顔のヴィクトルの隣で写真に写った。  そのあとの記者会見でも、勇利はずっと泣き通しだった。大きな声を上げて泣きわめくことはないものの、涙は止まらず、ずっとうつむいて肩をふるわせていた。 「勝生選手。ショート、フリーともに歴代最高得点を出しながら、直後にニキフォロフ選手に更新されてしまったわけですが、その悔しさがいまの涙につながるのでしょうか」  記者が発言すると、勇利の目から大粒の涙がこぼれた。ヴィクトルが「そういう意地悪な質問は勘弁して欲しいなあ」とにっこりした。それからは彼が質問を受け、クリストフにも話題が及んで会見は進んだ。勇利はタオルで一生懸命目元をぬぐっていた。ヴィクトルは終始勇利に寄り添い、ときおり「大丈夫かい?」「気分は悪くない?」と優しく尋ね、腫れたまなじりにそっと接吻した。 「勝生選手、いまのお気持ちをお願いします」  会見も終わるころ、最後に勇利に声がかけられた。勇利はおもてを上げ、赤くなった頬と鼻、まぶたをさらした。 「ぼ、ぼくは……」  声がふるえた。ヴィクトルがぎゅっと机の下で手を握る。 「悔しくて……、もっといい演技ができればよかったと……ヴィクトルコーチに申し訳ないです……」 「勇利の演技は最高だったよ」  ヴィクトルがあとを引き受けて言った。 「とくにあのフリーはすごかった。演技のあと、みんな言葉を失っていたもの。もちろん俺もね」 「でも……」  勇利は嗚咽を漏らした。 「負けた……」  悔しい、ともう一度つぶやくと、ヴィクトルは笑み崩れてたまらなくかわいいというように勇利を抱きしめ、「俺の生徒は負けず嫌いでね」と片目を閉じた。 「とても純粋なんだ。かわいいだろ? なんてまじりけのない素直な子なんだって記事に書いておいて」  最後にクリストフが、ヴィクトルを冷やかすように見てひとこと言った。 「やーい、ヴィクトルが泣かしたー」  ホテルに戻っても勇利はずっとうつむいていた。涙は止まったけれど、完全にというわけではなく、何かの拍子に思い出して、ぽろりと何度でもこぼれた。 「勇利、本当に悔しかったんだね」  一緒に入浴したヴィクトルは、浴槽の中で背後から勇利を抱きしめ、泣き腫らしたまぶたに優しくくちづけながら、甘ったるい声で言った。 「俺も金メダルを獲ったと思ったよ。勇利の演技を見たとき、これは勝てるって。あの演技で優勝できないほうがおかしい。ショートもほんのちょっとの差だったしね。普通は越えられない。誰も」 「…………」 「でも……しょうがないね。今回はそれを上まわったやつがいたということさ」  勇利は厚ぼったいまぶたを伏せ、胸元にあるヴィクトルの手をそっと握った。 「ヴィクトル……ごめん……」 「謝る必要はない」 「一緒に獲ろうねって言ったのに……。ぼくはいつも、肝心なところで失敗するんだ……」 「失敗なんてしていない。勇利にいけないところは、ひとつもなかったよ」 「ヴィクトルがすばらしいコーチだって、ぼくは証明したかったんだ……」 「勇利……、知らないの?」  ヴィクトルは笑ってささやいた。 「試合が終わった瞬間から、俺もエージェントもヤコフも、電話鳴りっぱなし。ヴィクトル・ニキフォロフにコーチしてもらいたいんだってさ」  勇利はくすんと鼻を鳴らし、そっとヴィクトルを振り返った。ヴィクトルが優しく笑う。 「本当だよ」 「…………」 「早い者勝ちだとでも思ってるんだね。そうじゃないと断られるって。みんなばかだよ。遅いとか早いとか関係ない。俺の生徒は、生涯たったひとりだけなのに……」  勇利の目から清純な涙があふれ出し、糸を引くようにすっと頬にすべり落ちた。それはおとがいのさきからしたたって、湯の中にぽとんと落ちてとけていった。ヴィクトルは勇利の身体をぐるっとまわして向かいあった。彼の青い瞳がきらきらと輝いている。 「勇利、生徒としても競技者としても、俺を興奮させ、本気にさせるのはおまえだけだよ」  勇利は濡れたまつげでゆっくりと瞬いた。 「勇利……、俺も、きみは世界一の選手だって、証明したかった。みんなに教えたかったんだ」  ヴィクトルはそっと額を合わせ、勇利の頬を撫でてつぶやいた。 「ごめんね……勝たせてあげられなくて」  勇利のくちびるがふるえた。 「ヴィクトル・ニキフォロフは手ごわいね。でもいつか必ず倒そう。ふたりで」 「う……」 「だからもう泣かないで。俺だって悔しいよ。あとすこしだったのにね」  勇利はヴィクトルに抱きついた。ヴィクトルの力強い腕が背中にまわる。勇利は彼に頬をすり寄せ、「ヴィクトル、いままででいちばん強かった……」とつぶやいた。 「うん……そうだね」  ヴィクトルは目を閉じてうなずいた。 「勇利がいたからだよ」  その夜は、ヴィクトルに抱きしめられ、彼のあたたかい胸で思う存分泣いた。翌朝目ざめた勇利は、気分がすっきりし、すがすがしく、晴れやかで、気持ちが穏やかになっていることに気がついた。ヴィクトルはまだ眠っていた。ゆうべカーテンを引き忘れたせいで、彼のおもてに白いひかりが差して、うつくしい顔立ちをきわだたせていた。勇利はヴィクトルに寄り添ったまま、彼の頬に手を当て、指をおとがいへとそっとすべらせた。まくらべの金と銀のメダルがきらっと光った。 「……このひとは勝ったんだ」  勇利はつぶやいた。 「ヴィクトルは金メダルを獲ったんだ」  その瞬間、胸に誇らしい気持ちがわき上がってきた。ヴィクトル・ニキフォロフは誰にも負けない。いつまでも伝説の男なのだ。 「ヴィクトル、起きて。ヴィクトル起きて」  勇利はゆさゆさとヴィクトルを揺さぶって彼を起こした。 「んー……勇利、おはよう……」  ヴィクトルが眠そうに瞬き、まぶたをほそめる。 「おはようヴィクトル! 起きて。聞いて」 「なに……?」 「ぼくのヴィクトルが昨日、金メダルを獲ったんだよ!」  ヴィクトルはぼんやりと勇利を見た。彼はもぞもぞと寝返りを打ち、勇利をぎゅーと胸に抱きしめて、「そうだったね」とうなずいた。 「さすがはヴィクトルだよ。ヴィクトルが金メダルを獲るのなんて当たり前なんだけどね。でもね、勝生勇利は、ショートでもフリーでも歴代最高得点を出したし、フリーが終わった瞬間は、誰がどう見ても彼が金メダルだったんだよ」 「ああ、そうだった。観客は総立ちだったね」 「キスクラでの盛り上がり見た? 勝生勇利が、勝生勇利の持つ記録を更新したんだ」 「すばらしかったね」 「本当だよ。そのあとのインタビューでも、会心の演技でしたね、って記者に言われたんだよ」 「そうか」 「でも、でも……」  勇利はふくみ笑いを漏らし、ヴィクトルの胸に頬をすり寄せた。 「そんな選手にだって、ヴィクトルは勝っちゃうんだ!」 「ああ……」 「やっぱりヴィクトルはすごい。ヴィクトルに敵うやつなんてどこにもいないよ。ヴィクトルよりすごいスケーターはいないの」 「ふ……」  ヴィクトルがほのかに笑い、勇利の髪をそっと撫でた。勇利は彼の腕をまくらにし、頬を紅潮させ、夢中で話し続ける。 「ヴィクトルは、もうね、勝生勇利がどんな得点だって問題じゃない、みたいな感じで、更新された記録をまたさっと更新しちゃったんだよ」 「そうか」 「コーチをしながらだよ! 勝生勇利みたいに、リビングレジェンドにコーチしてもらって、甘えて頼りきってたわけじゃないんだ。ヴィクトルはコーチをしながら自分のこともしてたんだ。すごいよね。最高。本当にかっこいい。ぼくのあこがれ。こんなひとどこにもいない。すてきな選手……」 「ああ」 「ヴィクトルが勝って本当にうれしい。信じてたけど。ヴィクトルが負けるわけないってわかってたけど……、でもやっぱりうれしいよ。ぼくにとってヴィクトルは、いつだって世界一の男なんだ」 「知ってる」 「何があっても負けないんだよ。きっと引退までそうだね。金メダルを保管するの大変そうだよね。たくさんあるから」 「ロシアに来たら、どんなふうに保管してるか見せてあげるよ」 「ああ、ヴィクトルかっこよか……」  勇利はうっとりと目をほそめた。 「最高……大好き……本当に愛してる……」 「うん……」 「彼が世界王者じゃないなんて、そんなこと、とうてい考えられないよ」 「きみの理想の男でいられて本当によかったよ。今回はあぶなかった」  ヴィクトルはくすくす笑った。勇利が口をとがらせる。 「なに言ってるの? ヴィクトルがあぶないなんてことないよ……じつは余裕だったんでしょ?」 「おやおや」 「ヴィクトル……」  勇利はヴィクトルの端正なおもてを夢見るようにみつめた。 「金メダル、本当におめでとう……」 「ありがとう」 「貴方のこと、尊敬しています」 「ああ」 「貴方ほど強い男はいないよ……」 「そう?」 「あの……ぼく……ぼく……」  勇利はもじもじして口元に手を当てた。ヴィクトルは赤くなった勇利をしばらくおもしろそうに眺めていたが、やがて勇利の身体を転がしてあおのかせ、のしかかる姿勢になると、「本当にわからない子だなあ」と楽しげに言った。 「でもそういうところがかわいいよ」 「あのぉ……」 「うん」  ヴィクトルはにっこりした。 「強い男に支配されたくなった?」 「えっとぉ……」  勇利は慌てて目をそらした。泣き腫らしたまぶたはまだ痛々しく、ほんのりと桃色だった。ヴィクトルはそこにうやうやしく接吻し、「また泣かせちゃうかも」とくすくす笑った。勇利はおもてを上げ、急いで言った。 「いいよ、そんなの!」 「いいのかい?」 「いいよ……だって、ヴィクトルだもの……」  勇利はヴィクトルを見、視線をそらし、もう一度おずおずと目を合わせた。ヴィクトルが噴き出し、「かわいいね」とささやく。 「ヴィクトル……」  勇利は、ヴィクトルのてのひらを腰のあたりに感じながらまぶたを閉ざした。 「よかったぁ……」 「何がだい?」 「ヴィクトルが世界王者で」  勇利は口元をほころばせた。 「ヴィクトルがすべての最高得点の記録保持者で」 「…………」 「ヴィクトル、ぼくやユリオに一度抜かれちゃったんだもん……あんなのはいけないよ……」  勇利はぱっと目をひらいた。彼はきらきら輝く黒い瞳でヴィクトルをじっと見る。 「もう、誰にも追い越されちゃだめだよ」  勇利はけなげな口ぶりで、熱心に、約束を求めるように言った。彼の白い頬はさくら色に染まり、くちびるはヴィクトルが特別気をつけているためつややかで、ヴィクトルの頬に伸びる指は、生涯をかけて愛するひとにふれるように誘惑的だった。 「誰にも負けないでね……」  勇利の大切そうなねがいを、ヴィクトルは目をほそめて聞いていた。彼は勇利の身体からバスローブを払い落とした。 「こんなお祝いをもらえるなら、毎回絶対金メダルを獲るよ」 「世界選手権、銀メダルおめでとうございます」 「ありがとうございます」 「どちらもパーソナルベストを出されて、演技も集大成といった感じで、すばらしかったのですが、試合後の写真が泣き顔しかないという……」 「すみません。いま見るとめちゃくちゃ恥ずかしいです。それもすごい泣き方で……止まらなかったんです、あのときは。自然に出てきてしまって」 「あれは悔し涙だったのでしょうか」 「そうですね……それと、申し訳なかったというか。一度もヴィクトルに金メダルをかけてあげられてないので……。あんなすごいコーチがいるのに不甲斐ないです」 「あのとき、ヴィクトル選手は……いえ、ヴィクトルコーチとお呼びしたほうがよろしいのでしょうか。ヴィクトルコーチは何かおっしゃってましたか?」 「一生懸命ぼくを慰めてくれました。大変そうでした」 「でも、表彰式ではずっと笑ってましたね」 「子どもみたいにぼくが泣いてたので……」 「口が『かわいいかわいい』と動いているように見えましたが」 「そうだったかな……ヴィクトルに訊いてみてください。あ、やっぱり訊かないでください」 「今シーズンを終えて、いまどのようなお気持ちですか」 「そうですね……、いろんなことがありましたけど……、価値観も、スケートも、感情も、すべてヴィクトルに変えてもらった感じです。濃密な時間を過ごせたと思います。そして、ヴィクトル・ニキフォロフはやっぱり強かったです。ヴィクトルと一緒にスケートができてしあわせです」 「勝生選手、あなたにとってヴィクトル・ニキフォロフコーチとはどんな存在でしょう?」 「……生涯離れずにそばにいてもらいたい、愛の力でつながった、ぼくにとってたったひとりのひとですね」 「では、ヴィクトル・ニキフォロフ選手は?」 「そうですね……」  勇利はしばらく考え、やがてすがすがしく白い歯を見せた。 「あこがれ、片想いし、追いかけ続ける、永遠の初恋のひとです」
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2ttf · 13 years ago
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abraxas174 · 3 years ago
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『地図と拳』小川哲
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一八九九年の夏、南下を続ける帝政ロシア軍の狙いと開戦の可能性を調査せよ、という参謀本部の命を受け、高木少尉は松花江を船でハルビンに向かっていた。茶商人に化けて船に乗ったはいいが、貨物船の船室は荷物で塞がれ、乗客で溢れた甲板では何もかもが腐った。腐った物は船から松花江に捨てるのが元時代からの習慣だった。一人の男が死体を投げ捨て、「こいつは燃えない土だ」と呟いた。高木は「どういうことだ?」と尋ねた。
男は「土には三種類ある。一番偉いのが『作物が育つ土』で、二番目が『燃える土』。どうにも使い道のないのが『燃えない土』だ。『燃える土』は作物を腐らせるが、凍えたときに暖をとれる。だが、『燃えない土』はどんな用途にも使えない。死体も同じことだ」と言った。通訳の細川が男の出身地を問うと「奉天の東にある李家鎮(リージャジェン)」と答えた。土が燃えるのは石炭が混じっているからだ。これは使える、と細川は思った。
李家鎮は何もない寒村だったが、その地に居を構える李大綱という男が、冬は暖かく夏は涼しく、アカシアの並木がある美しい土地だ、という噂を流した。相次ぐ戦乱で家を失くし、職を奪われた人々が桃源郷の夢を追い、はるばる来てみると、夏は暑く冬は寒く、アカシアなどどこにもない。怒る人々に、李大綱は、誰がそんな嘘を流したと憤って見せ、住む気があるなら、空いている家に住めばいい、土地ならある、と応じた。帰る家のない人々は李大綱から金を借りて家を修繕し、それぞれ仕事をはじめ、李家鎮は体裁を整えていった。
満州東北部にある架空の村を舞台にした歴史小説である。史実を押さえながらも、正史には登場することのない人物を何人も創り出し、日本が中国、ロシア、そして米英との戦争に非可逆的に引きずり込まれていく時代を描いている。人によって読み方は色々だろうが、こういう読みはどうだろうか。当時の日本は、戦争に駆り立てられていたように見えるが、果たしてそうか? 日本の戦争遂行能力を正確に把握していた者は一人もいなかったのか。もしいたとしたら、その結果はどうなっていただろうか、というものだ。
大陸のはずれで清朝の支配の及び難い満州という土地は、ロシアと戦うことになった場合、日本にとって是非とも押さえておきたい土地であった。また、日露戦争で多くの戦死者を出した手前、放棄もできない。リットン調査団が何と言おうが、むざむざ利権を諦めることは不可能だ。そこで、満州族が自ら支配する独立国という建前を作り、五族協和、王道楽土の美辞麗句で飾り立てた。満州国建国は列強を意識した苦肉の策だった。
「五族協和」がどこまで本気だったかは知る由もない。ただ、歴史年表を追うだけで、その当時の日本の軍国主義化にはすさまじいものがあることがわか��。満州国建国に携わった人々の胸にどれほど美しい夢があったのかは知らないが、軍部の力によってそれはどんどんねじまげられていく。その有様を一つのモデルとして描いて見せるのが、李家鎮という街の興亡である。
魯迅の言葉に「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ(『故郷』)」というものがある。「地上に道がない」というのは、冒頭のエピソードでも分かるように、当時の中国では水運が中心だったからだ。
もともとはただの平原であったものを、一人の説話人がかたった話が人々の頭に理想郷を作り上げた。絵空事を信じてやってきた者は無理にでも芝居を続けるよりほかはない。そうして幾人もの人の思いを寄せ集めて出来上がったのが李家鎮。後の仙桃城(シェンタオチェン)である。ロシアにとっては不凍港、旅順に至る要衝、日本にとっては戦争を続けるための石炭という資源の宝庫。仙桃城は、人々の欲望によって築き上げられた架空の都邑だ。
細川は彼の目的にかなう人材を各方面からスカウトしてくる。彼の言い分が通るのは、 参謀本部が後ろで動いているからだろう。満鉄からの依頼で、存在が不確かな「青龍島」の存否を明らかにする仕事についていた須野も細川にスカウトされた一人。須野は細川の紹介で満州で戦死した高木大尉の妻と結婚し、明男という子を授かる。高木の遺児である正男と共に、この親子は日本の勝利の可能性を探ろうと悪戦苦闘する細川の手駒となって働く。
表題の「地図」とは国家を、「拳」は戦争を意味する。この物語は現実には存在しない「青龍島」が、なぜ地図に書き込まれることになったかという謎を追うミステリ風の副主題を持っている。「画家の妻の島」の挿話をはじめとする、地図に関する蘊蓄も愉しい。細川の徹底したリアリズムに対し、須野のロマンティシズムがともすれば暗くなりがちな話に救いを与えている。幼少時より数字にばかり固執する明男が、母の心配をよそに順調に成長し、建築家になるという教養小説的側面も併せ持つ。
登場人物の大半が男性であり、恋愛もなければ房事もない、近頃めずらしいさばさばした小説だ。戦争に材をとりながらも、威張り散らす軍人は脇に追いやられ、主流は知的かつ怜悧な人物で占められているのが読んでいて気持ちがいい。しかし、議論を重ね、言葉を尽くして、日本に戦争遂行能力がないことを解き明かしても、戦争は阻止できない。「問答無用」は日本の病理なのか、と暗澹とした思いに襲われる。それどころか、よくよく見れば、この国は以前より愚昧さを増しているようにさえ見える。せめて、虚構の中だけでも論理的整合性を味わいたい、そんな人にお勧めする。
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musqis-event · 7 years ago
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RECORDING MEMBER 野口英律 (Hidenori Noguchi) LeftsideDrums,Keybords,Synth,Bells,Tabla etc 石原雄治 (Yuji Ishihara) RightsideDrums, Bells アライカズヒロ (Kazuhiro Arai) Nylon Gt, Mandolin 安西哲哉 (BxAxNxZxAxI) ElectricGuitar Tsubatics ElectricBass 安藤裕子 (Yuko Ando) SopranoSaxophone 遠���里美 (Satomi Endo) AltoSaxophone 桑原渉 (Wataru Kuwabara) Trumpet 松井修司 (Sshuji Matsui) Metallophone エリヲ (Eriwo) Percussion 武田理沙 (Risa Takeda) Keybords DJ MEMAI Turntable 千代 (Chiyo) Lyric 永田健太郎 (Kentaro Nagata) Mix & Master release event 2019 / 01 / 14 @新代田FEVER MUSQIS (ORCHESTRA SET) PANICSMILE 二宮友和+MUSQIS open 17:30 / start 18:00 adv2500 / door3000 yen + DrinkOrder
COMMENT “イマジネーションのブイヨン、そしてコーダのまろみ。 エスノすぎずラップすぎずカオスすぎずポップすぎず、 オモシロ具材が沢山入ってるけど、 キチンと破綻しないポトフ。“
赤倉滋(LOOLOWNINGEN&THE FAR EAST IDIOTS)
“人間は何処から来て 人間は何者なのか。 日々模索する日々。 MUSQISという音楽があると言う事は 自分にとって共にこの時代を 共に戦う仲間が居るという事。 そんな強くて、繊細な音が 本作には詰まっています。 更に先へ行こう。“
クロダセイイチ(Genius P.J's)
"舞台はチベットの山岳。 礼装した人々が供物を載せた家畜を引き練り歩く。 人はどこから来て、どこへ行くのか、それは誰のための祈りなのか。 人類のルーツを探る一大スペクタクルここに誕生。 そんな映画みたいな作品です。かっちょいい。"
長谷部 (大塚MEETS店長/DOSTRIKE)
"1945年の敗戦以降、 アメリカによる徹底的な文化侵略に曝され続ける子供達。 舶来のロックミュージックを浴びるように聴いて育った植民地第三世代は、 己れの遺伝子と模倣子の共鳴する音楽の起源を探求する中で 現在進行形の民族音楽を発明するに至った。 普遍性と個別性が同居する矛盾、 調和と混沌の狭間に生じる時空の裂け目をじっと覗き込んでみよう。 家の裏庭で幻の超古代兵器を発掘してしまったみたいな戦慄と興奮があなたの知的好奇心を刺激するに違いない。"
原田卓馬 (WINDOWZ)
"また来る冬を越えて僕らは何を覚えているのだろう。 ツギハギの社会、情報過多、積み重ねた忘却、幼少期、脳内で反復する言葉、季節の匂い。ノイズ。 そんな記憶を呼び覚まされる楽曲。"
100take(Light Source Definitions)
"人間という言葉はヒトとヒトの間に形成されるものなので、 プログラムでもあると僕は思ってます。 美辞麗句を超えたあるべき人間の姿について詠う事と空を眺める事を同じくらい忘れそうになってました。 この音楽が今鳴らされることに頼もしさを感じます。"
tani (ギタリストのような何か/インプロヴァイザー/ Tabletop Guitars/drop the delay)
"配信リリースおめでとうございます! MUSQISというバンドは、というより野口さんという人は多分、 宇宙から来たいや、宇宙に適応しちゃいそうな人なんだと思います。 交信はもう始まってますね、多分。 適応した後に、なんか適応しちゃったとか笑ながら言うんだと思います。 宇宙とノリで適応しちゃいそうな人が作る音楽興味ありますよね? サイケデッリクでオリエンタルなMUSQIS式宇宙適応術講座です、激必聴。"
藤村JAPAN (SEMENTOS / 新宿NINE SPICES 店長)
たとえば金曜日、午後9時50分。 しばしの休息を前にした、仕事帰りの労働者であふれるセブンイレブン。 ヨレヨレのスーツを着たサラリーマン風の男が、レジ前に立っている。 30代半ばくらいだろう。 耳には、Appleの白い純正イヤフォン。 大量のカップ麺と、大量のヨーグルトと、大量の発泡酒。 週末のプライベートタイムを、 ただれた飲食に費やすのだろう。 会計を終えた店員が尋ねる。 「お箸とスプーンお付けしましょうか?」 スーツの男は下をうつむいたまま、無言だ。 ふたたび、店員がさらに尋ねる。 「お箸とスプーンお付けしましょうか?」 スーツの男は無言だ。 やや声を張り、店員がさらに尋ねる。 「お箸とスプーンお付けしましょうか?」 スーツの男は無言だ。 吐き捨てるように店員が尋ねる。 「お箸とスプーンお付けしましょうか?」 スーツの男はそれでも、無言だ。 男の背後には、会計待ちの列ができている。 殺気。 舌打ちとため息。 「お箸とスプーンお付けしましょうか?」 スーツの男は無言だ。 よく見ると、男は右手の人差し指を一定のBPMで動かしている。 心なしか、頭も左右に揺れているようだ。 とてもゆっくりと。 男はグイッと、Appleの白い純正イヤフォンを力強く、耳に挿しなおす。 もしかすると、男の唯一の意思表示なのかも知れない。 「俺は今、音楽を聴いている。このツインドラムが醸し出すDOPENESS。 このリリックが浸食するWILDERNESS。それを遮る権利は誰にもない」 あるいは、そんな脳内宣言を繰り出しているのかも知れない。 男が聴いている音楽が、 たとえば、MUSQISだとすれば。
山下哲史(ターンテーブル奏者/即興演奏者)
"JTNCに呼応するかのようなMUSQIS最新型Experimental Music!!! "
高澤 瑛 (lang / Bridge Guitars店主)
"万物を楽器と捉えることができる自然なイマジネーション。 確かに光っているものであればどんなに見えにくい光でも、 その光の魅力を感じることができる審美眼。 そして、時を経ても尚、正解のない問題を明日も新鮮な気持ちで解きあかそうとする精神。 そこに住む人々の独特な呼吸音から始まり、民族音楽は生まれたと聞く。 MUSQISの呼吸を、しっかりと感じとれる。 それはセンセーショナルでありながら、何かの否定から生まれたものではなく。 全てを包み込むような温かさを持ちながら自然の中で力強く生きていく文化が生んだ呼吸。 わいは美しいものを心で自然に美しいと感じられる尊さを感じたんや。 ほんまやで。 "
Taka-shit JPN aka 安藤 (ライブハウス北浦和KYARA店長)
"リリースおめでとうございます。 野口くんはまず人柄がとても良いのですが、 彼の音楽を聴いたりパフォーマンスを見たりすると、 この人なんなんだろうな、とわからなくて面白いです。 天然の部分とコントロールされた緻密さがすごいなと思います。 この曲も、スピリチュアルで抑制された雰囲気の中、聴くたびにいろんな音といろんな意図が発見できる曲です。"
キシノジュンヤ ( HOPI / the mornings )
"直線的イメージと、 360°包囲される感覚 出発と、エンディング どこだか分からない異国感と、 どこで感じたか分からない懐かしさ 伝達系統の中で ネットワークが意志を持って 自由に拡張と収束を繰り返す そんな行ったり来たりをしているうちに いつの間にか曲が終わってました! リリースおめでとう!!。"
まいこ (つしまみれ)
"ライブとは別物のテクスチャとバランス感覚。 でもブレない。 極端さはないが、穏やかに近づいて、穏やかに喉元まで登ってくる。"
タナカユウキ (extremeOBSN/suthpire/ZENANDS GOTS/whales)
"優れたミュージシャンたちの集まりがMUSQISだと思っていたが この音源を聴いて認識を改めた。 強烈な芸術家集団である。 油絵のように色を織りなし一個の明らかなイメージとなり、 音楽的知性とは違うところにある感性に迫ってくる。"
二宮友和(PANICSMILE、uIIIn)
"東京を離れて5年ぐらい経つと住んでいた時にぼんやり感じていたものが輪郭を持ってくるのか、 摩訶不思議な街だったんですよね、強烈で。 海外の映画に出てくる東京、 とかあと80年代の東京のニューウェーヴ/オルタナロックから感じた強烈なアジア感、みたいなキラキラ感、猥雑な感じ。 スパイスカレーが大好きな人が沢山周りにいたなあとか。 それを再認識しております。 こうして福岡でMUSQISの曲聴いていて更に明確になったというか、 とてもリアリティがあって、 正に今の「気分」の曲でした。 言葉も音も凄く面白いです。"
吉田肇(PANICSMILE)
"ノスタルジーと先進。洗練と混沌。美と醜悪。 幻想的でいつつひどく現実的。 相反するものが同居する音世界"
イワモトミサト (HELLO STRANGER)
"歴史や匂いや風景や色や建物とか、 たくさんのレイヤーが統合される寸前のギリギリを保ってそこに存在している感じ。 液体よりは個体。 ラストは都会の雑踏、 巨大なスクランブル交差点の中で長い夢から覚めた感覚。"
おのてらえみ (The Taupe)
"楽曲も音もとても好きです。 緻密でミニマル、でも人間味がありワイルドで力強く、 作戦を遂行する姿は、幻影旅団みたいだなと思いました。"
小倉直也 (MASS OF THE FERMENTING DREGS , baduerykah , SYMBOL)
"この楽曲に持ったイメージは砂漠を旅するジプシー。 MUSQISというグループはリーダーの野口氏を核として流動的に活動しているのでその辺もまたジプシー感を僕は感じています。 ただここに出てくる砂漠とはいわゆる東京砂漠。 混沌と秩序、 狂気と正気、 理性と感覚、 不安と平静、 とそんなものが同居しているようなまさに東京という砂漠を僕自身も旅している気分になりました。 リリースおめでとう!"
久恒 亮(AxSxMxUx / Transkam / studio Zot)
"部屋で一人で聴くの危険! ディープな精神世界から戻れなくなっちゃう!"
御代田悟 (K-MIX SHIZUOKA HITS ON PARADE パーソナリティ)
"哲学的な響きだ。 聴き終えて、もう一度聴く。 冒頭の砂利を踏むような音が人間が前に進む思考する音に聴こえる。 哲学的な響きだ。 緻密に構築された音が幻惑的で民族感があり、 個人差あるだろうが、これはリゼルグ酸かなんかで俺の脳内で流れていて 現実には存在しない音楽なんじゃないか? と心配になるほどサイケデリックに鳴る。 一度聴けば、ロジカルな音像に、 もう一度聴けば、ラジカルで哲学的で、 さらに一度聴けば、全て引っ括めて脳へのドープだ。 うだうだ言いましたが、とにかく素晴らしいの一言です。 作ってくれて有難うございます!!"
榮勇太 (ゆれる)
"やばいです! 音楽で地球とか作ろうとしてるんじゃないかって思いました。 (MUSQISが地球作ろうとしている前提で話しますが)あなたは音楽で地球作ろうと思ったことありますか? 俺は残念ながら思ったことがありません。。。(これから作って見ます!) 大地の鼓動や地平線のはるか向こうや生命の脈々と受け継がれし何やかんや、 そして最新のテクノロジーまでを感じたい方はぜひご一聴を。"
松本一輝 (Temple of Kahn , ravenknee , phai)
"十数年前、はじめてDCPRGを聴いたとき 「どんな生活をして、何を食べ、どんな体験をすれば、こんな音楽に辿りつくのか?!なんだこの(よい意味で)キチガイな音楽は?!」 ってなったことが記憶に蘇ってきた。 たとえば、それがMUSQISだったとしても、そのときの僕は同じ印象を持っただろうな。"
タニタカヤ ( LLRR, ex.otori )
"宇宙と無。 異国と日本。 古代と現在。 BGMと精神的音楽。 相反する要素がたっぷり詰まってて、しかも全てハマってる。 面白い。 MUSQISは10年後もMUSQISのままでいてほしいし、きっとそうであってくれると思う。"
森大地(Temple of Kahn / kilk records)
"踏みしめる足音、 旅の途中、 脳内で繰り返すギターメロディ、 雪月風花、 四分半の己との対峙、葛藤、 ただ、つま先は前を向いてる"
キドウラコウイチ (World Wide Size/kiyasu orchestra/HAIGAN)
"東京銀河音楽です。"
MORIKON (pocketlife / PAPRIKAN / Delicate Zoons )
"目標物が何も無く、薄暗い一面雪の中を真っ直ぐ、ただただ歩いている映像。 対して、遊牧民が周りを浮遊、回転しながら祝祭を行なっている様にも思え、混乱。 エネルギーの向かう方向、かつて内に向かって凝縮されるように感じていた。 CuriousSystemでは強烈に外へ。 矢印は様々な曲がり方、でもあくまで個。 音楽としての次元が上がったから?以前よりハッキリと感じる。 霧散されているわけでは無く、複数の線が世界地図を手前から奥に塗り潰す様。 混乱。 高円寺の喫茶店、お婆さんが隣の席のBボーイ、ガールカップルに声をかけオリジナルマッサージを施術中。 お婆のテンションはエスカレート、 Bボーイ彼氏の背中をハデにバシバシ、シバきはじめた。 喫茶店中が注目しているが、お婆は御構い無しにバシバシシバく。 あ、Bボーイがキレた。霧散。 昨日一昨日、酔いに任せ夢遊し何度も聴いていた。 高円寺、博多駅、呟きながら歩いた。 左右に振られたドラム、野口君のツイートを思い出しながら数えながら歩く。 MUSQISのブレイクから戻ってくるスピードが速いとこがたまらなく好き。 いまは福岡、今はどこか?いつか? ヴィジョンや言葉で表現できないこと、面白いけど、今回のムスキスはなんだか掴めそう? 掴んでいる?かも。"
じった(マクマナマン / KELP / snarekillsnation)
"8+6の変拍子が身体に落とし込まれて、 言葉が何かを訴えていく果てに破綻して広がる宇宙感覚は太い幹のようだ。 荒寥として無国籍エスニックな皿は既に僕らの背骨を貫通している。 そこに言葉が刻み込まれて解放される。 深く深く。 野口の長い髪の匂い。"
佐々木すーじん (scscs)
"僭越ながら、こうして楽曲にコメントをさせていただくのは初めての経験でして、とても嬉しく思います。 「Curious System」を聴きまして、 スピリチュアルとか虚無的といったイメージや手触りがまずあったのですが、 何度も聴いていくうちに不思議なあたたかみのようなものを感じるようになりました。 "わたしたち"や"かつてのわたしたち"がためらってしまったであろう藪を掻き分けていった先に広がる茫洋たる思索の荒野、 その果てに集った人間たちの祝賀か呪詛かそのどちらもか。 次なる荒野を目指すかのように盛大かつ粛々と奏でられる音に、 脳細胞と筋肉とぜい肉と骨が等価値で躍動させられながら "音楽のはじまり"に思いを馳せました。"
kawauchi banri (てあしくちびる)
"ラップの声に癒されます。中東な音もいい感じ"
宝生久弥 (Scaperec)
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shibatakanojo · 4 years ago
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庭に沈む
 緑にまみれた肌寒い家だった。門の前にはポプラの木、ポストの横にはドウダンツツジ、玄関脇にはベニモクレンがそびえ立ち、その隣にはモミジとバラが、駐車場の囲いにはうねうねと血管のようなアイビーが茂っている。自宅敷地内、土のある場所には透き間なくシバザクラとドクダミが育ち、母は運送業者や郵便局員がそれを踏むたび「話せはしないけれど、これも確かに生き物なのだけれど」と嫌味を言ってはわざわざ嫌われていた。
 植物に支配され、昼間でもまともに光の差さない薄暗い僕の家は近所で「闇の家」と呼ばれ、母は子どもたちから魔女扱いされていたし、僕はさながら魔女の忌み子としてわかりやすく疎外されながら育った。母にも僕にもまともな友達はおらず、回覧板はなかなか回ってこなかったし、町内のイベントには呼ばれた例がなく、近所を歩いても挨拶はおろか目を合わせてくれる人すらいなかった。
 そのようにして僕は幼少から周囲に避けられることの多い人生を送っていたが、だからといって僕たちは家族仲のいい団結した家庭というわけでもなかった。僕がまだ幼い子どもだったころから母の興味は植物にしか向いていなかった。僕が百点を取ろうが零点を取ろうが「ああ、そうなの」としか言わなかった母は、しかし庭先のバラが咲けば心底嬉しそうに「今年もかわいく咲いてくれたわね、ありがとう」と声をかけてやり、ドウダンツツジがじわじわと茶けてくれば「どうしたの? 元気を出すのよ」と泣きそうな声を出し、すぐさま栄養剤をばら撒いた。腹が空いたと訴えてもお菓子一つ与えてもらえなかった僕は、当然のように「自分は花や木よりも取るに足らない存在なのだ」と思って生きていた。
 大学生となり田舎を出た僕は、まさにコンクリートジャングルと呼ぶにふさわしいような立地の大学の最寄り駅から電車で三十五分の中途半端な田舎町に居を構え、実家からの仕送りとホームセンターの植物コーナーのアルバイトで生計を立てている。地元にいたころはあれほど嫌悪していたはずの植物に対する知識が、しかし皮肉にも花売りとしては途轍もない財産として、利用価値の高いものとして僕を助けてくれた。
 勤め始めて半年足らずで僕は植物コーナーの確かな戦力として数えられ、最適な栄養剤の選びかた、具合よく摘心するコツ、見栄えのよい寄せ植えの方法、初心者向けの庭造りなど、母がブツブツと庭先の花に語り掛けていたことを他者に伝えるだけで僕は心底感心されては、
「君は本当に花が好きなんだね」
 と、ホームセンターの仲間は皆、見事なまでの勘違いを口走っては僕を褒めそやした。
 社員の吉井さんは時々、冗談めかして「君は哲学じゃなく植物を学ぶべきだったろうな」と、煙草をふかしながら笑う。その都度、そうっすね、と返す僕の顔がきちんと「笑顔」になっているかはわからない。
   僕の勤め先は、ホームセンターでは多少珍しく切り花を豊富に取り扱っていた。それらは生花として売り切るのが目標ではあったのだけれど、やはりどうしても少なからず売れ残ってしまう分はあり、店員はそれらの中からドライフラワーに成り得るものを厳選し、バックヤードで裏方作業がてらスワッグやリースに作り替え再び店頭に並べることで廃棄率を極力下げていた。ドライフラワーとしての売れ筋にはバラやアジサイ、カスミソウやスターチスなどがある。ミモザやユーカリで作ったリースもクリスマス辺りだと飛ぶように売れるし、ラベンダーやケイトウのスワッグだって季節を問わず人気商品の一つだ。
「買って、飾って、枯れて、だからハイ捨てますなんて、ちょっとね、忍びないじゃないですか。生花じゃないと運気が下がるとかなんとか……、あとはまあ、ドライフラワーは貧乏くさいとか? そういう話も聞かないわけじゃないんですけどね、でもそうじゃなくて……。単純に、ドライフラワーってかわいいと思うんですよね」
 お得意様の一人である糸田さんは、毎週金曜日になると花二、三本分、合計で五百円ほどの生花を購入してくれる。彼女はひとり暮らしで、ジャンガリアンハムスターを飼っている。職場へは自転車で通っていて、好きな雑誌はFUDGE、元々このホームセンターへはペットのハムスター“もふちゃん”の餌やおもちゃを買うために不定期に通っていたのだけれど、ふと花コーナーがあることに気づきそこで何となく買ったカスミソウとミモザのスワッグがあまりにもかわいくて、そのまま癖になって今に至るのだという。糸田さんはかなりお洒落で、笑うと左の八重歯が見え、そうして相当お喋りな女性だった。
「この間、仲間内でズーム飲みしたんです。そうしたらみんな部屋がもう、びっくりするくらいかわいくって。ひとりはピンクのフリフリのクッションを抱っこしながらほろよいの桃を飲んでるし、ひとりはジェラピケのふわっふわのパーカーにショーパン、ニーハイ。店員さん、知ってます? ジェラピケ。ジェラートピケっていう、『それを着るだけで他の女へのマウントになる』っていう魔法のルームウェアブランドなんですけど、女だけのズーム飲みでジェラピケって! はーあ、女に脚見せて何の得があるんかってんですよ。いや、でもあの子、これがまた似合うんだよなあ……。GUのサテンパジャマと壁一面のお手製ドライフラワーでイキってやろうと計画してた私のダサさったらなかったですよ。心底惨めです」
「いやいや、そんなそんな」
「そんなそんななんです、これがね。あ、でも、今週末またその子らとズーム飲みすることが決まりまして。しかも今度はジェラピケちゃんが率先して、知り合いの男の子も三人呼ぶっていうんですよ。となればもうね、こりゃあ気合入れなきゃなあと! 一瞬『私もジェラピケ買ってこようかな』とか思ったんですけど、ここは敢えてちょっと奇をてらおうかなと、昨日クローゼットの奥底からバンドTシャツ出しておきました。誰のだと思います? なんと岡村靖幸です、岡村ちゃん。彼氏になって優しくなって! という女子力アピールですよ。わはは、まああんまり聴いてないんですけどね。元カレの影響で何枚かさらっとくらいなんで、話ディグられたら終わりです。ジ・エンド」
 それ、結構危険なラインを攻めているんじゃないっすかね、などと言いかけ、しかしもちろん実際に伝えることはなかった。おそらくは友人だろう女性を、平気で「ジェラピケちゃん」と揶揄できる彼女はきっと、そういった危険を犯すことに対してそれほど抵抗がない。僕は淡々と彼女へユーカリの葉の加減を訊ね、指示通り二本ほどそれを増やした。
 完成した花束と僕を携え、次に彼女は花瓶を選ぶ。
「女の子の部屋なら絶対ピンクですもんね」
 幼いころに大人から当てこすられたのだろうか、“女の子らしい”のテンプレートを愚直に守ろうとする糸田さんの部屋を見たことはないが、彼女の外見や言動から僕が頭の中でイメージする“糸田さんの部屋に似合う花瓶”は、今彼女が手に取っている透き通るピンク色のシリンダー型のフラワーベースではなく、その斜め下に置いてある青い陶器のものだ。さばさばとした物言いや、いわゆる男ウケ重視ではないと思われる服装の割、糸田さんは「モテ」や「かわいい」「綺麗め」といった女子力を気にかけていた。
 僕が思うに、糸田さんはきっと自分らしく、飾らない自分を他者にさらけ出すほうが「モテ」るし「綺麗」だろうし、“女子力”があると感じてもらえるかはわからないけれど、少なくとも「かわいらしい」とは思ってもらえるはずだ。
 花が好きで、毎週金曜日には必ず五百円分の花束を自分のために買い、ドライフラワーを作り、その部屋でペットのハムスターを愛でる、トラッドスタイルが得意な二十代後半の女性。無理をしてまでジェラートピケのショートパンツを穿く必要も、昔の恋人が好きだっただけで愛聴しているわけでもない岡村靖幸のバンドTシャツを着る必要もないはずの彼女は、結局ピンクのフラワーベースを買って帰った。
   父から「お母さんが倒れた」と連絡があったのは糸田さんが毎週来店する金曜日のことで、その日まだ彼女はやってきてい���かった。
 バイト中、休憩時間を除き携帯端末を操作することは禁じられており、僕はその日もロッカーに自身のスマートフォンを置きっぱなしにしていた。当然のように父は僕と連絡が取れず、結果としてホームセンターに直接かけるしかなかったのだと電話口で言っていた。父からの電話を受け取った始めに社員の吉井さんは、慌てた様子で僕を呼びつけ、
「早く実家に帰ってあげて、しばらく休みにしておくから」
 と僕に確認を取るでもなく言い、そのまま僕をホームセンターから追い出した。
 自宅に帰る途中も十分ほど父と通話をする。今日中に新幹線に乗ってくれたら駅までは迎えに行く、そのままお母さんを見舞ってほしい、二、三日はこっちに泊まっていってくれないか。父はそのようなことを何度も何度も繰り返した。そのたび彼の混乱の輪郭がはっきりと感じられ、僕は適当な相槌を返しながら執拗に「まずお父さんは落ち着いて」と伝え続けた。
   アパートへ戻り、大振りの鞄に着替えと携帯電話の充電器、その他細々したものを詰めながら、僕は母について考えていた。
 母とは、昔から折り合いが悪かった。
 植物ばかりを一方的に愛し、僕のことを理解したいという気配が一切感じられない母に対し、僕は具体的な寂しさや苛立ちや憎しみをぶつけることができなかった。環境のせいなのか、あるいは僕の元々の気質なのかはわからないが、幼いころから僕はあらゆる物事を妥協することに抵抗がない。それもそうだよな、そんなものだよな、その程度なのだろうな。そうやって、自分の身に起こる事象のほとんどを適当に往なす僕を見、母は、
「あなたは、花を咲かせようっていう気がないのよ」
 と呟いていた。
 ドウダンツツジの上に倒れ込み、そのまま目を覚まさないでいる今の母は、未だ咲かない僕をどう思っていたのだろう。最終から二本手前の新幹線に乗り、田舎へと向かう。駅中で買った弁当はとっくに冷め切っていて、塊のような醤油味の米がやけに塩辛かった。
   地元の駅構内はやけに明るく、どうにも現実感が薄い。
 田舎町特有の人気のなさを白熱灯でごまかしたような光の下に、父がぽつねんと立っていた。何年前に買ったのか、生地の薄くなったTシャツと裾の余ったチノパンがその田舎くさい景色と妙に馴染んでいて、半年ほど前の盆に見た父の姿とうまく重ならない。僕の知っている父はもっと、ちゃんとした、出来のいい大人の姿をしていたように思う。
「急で悪かったな、大学とかバイトとか、大丈夫だったか」
「ああ、うん。それは問題ないよ。お母さんの具合は?」
「数値は安定してるらしい。ただ、目を覚ますかどうかはわからないらしい」
 入院費とか諸々、お金は大丈夫なの。そう訊ねるべきか悩み、しかし切り出せないまま僕は父の運転する車の助手席に乗り込む。大学を辞めて地元に帰ってこい、就職して母の入院費を稼いでくれ。そんなことを言われたらたまったものじゃない、と思っていた。とんだ薄情者なのはわかっている、それでも僕は母のために現在の環境を投げ出そうとは考えられそうもない。
「勉強、問題なくついていけてるか?」
「あー、そこはノーコメント。はは。でもちゃんと通ってるから。サボってないよ、それだけは安心して」
「そうか、ならいいんだ。お父さんはよくサボったもんだったよ」
 ハンドルを握る父の手は皺とシミにまみれ、彼がとっくに初老であることを僕へ明確に伝えている。居心地が悪い。
 ちょうどその時、運よく携帯電話が鳴った。父に一言確認してから画面を見ると、届いていたのは社員の吉井さんからのショートメールだった。
【明日から五日間、休みにしておきました。さらに必要な場合は折り返し連絡をお願いします。お母様へお大事にとお伝えください。吉井】
 すぐさま短く礼と詫びの言葉を返し、少しだけSNSを覗いてからスマートフォンをポケットにしまい直す。
 母が入院する病院まではあと二十分ほどかかるだろう。ぽつぽつと雨が降ってくる。父が暖房を点ける。
「お前、アルバイト先、ホームセンターだったか」
「ああ、うん。そう。花売ってる」
「らしいな。お母さん、それ聞いたとき笑ってた」
「ああ、お母さん花好きだもんね」
「はは、そうだなあ。お前の花好きもお母さん譲りなんだろうな」
 即座に、くだらない、と腹の中で悪態づく。父は、僕が母と同じように花を愛でるがゆえ花を売っていると勘違いしているようだった。
 確かに僕は、花売り場担当だと理解したうえでアルバイト募集の電話番号に連絡を入れた。しかしそれはあくまで自らが植物に対しそれなりの知識があると理解していたからでしかなく、たとえば数学が得意だから数学科に入るようなことと限りなく同義だった。今だって別に植物が好きなわけではない。他人よりはできる、他人よりは知っている。詰まるところ、ただそれだけの話だ。
「あー……、えっと、お母さん。やっぱり悪いの?」
 話を逸らすために、あるいは本質へ戻すために会話の内容を大幅に変える。父は「そうだな」と前置きしてから、
「もう何も話さないまま……、目を覚まさないまま、死んでしまうかもしれないそうだ」
 俺がもう少し早く気づいていればなあ。父がぼやく。その日、父はいつものように会社へ行き、やはり帰宅はいつものように二十二時を過ぎてしまったのだという。夕方に庭先で倒れた母は父が帰ってくるまで誰にも発見されず、ドウダンツツジの上でぐったりと眠っていた。
 あの家の植物がもっと少なくて、通りから玄関先が見渡せるようであれば、あるいは母だって今頃、
「大変な目に遭ったわ」
 と笑って僕を受け入れることができたのかもしれない。そして、そういう性質の母であったとすれば、僕も彼女のことを心から心配し、無事でよかった、と笑い返せていたのだろう。
 しかしどのみちそれらは全て机上の空論でしかなく、どういうルートを辿っていったとしてもあの家は花屋敷に仕上がったのだろうし、母はドウダンツツジの上に倒れ込んだのだろうし、もう二度と目を覚まさないのだろうし、このまま死んでしまうのだろう。僕が母の病に心を揺さぶられることなど、一生涯起こり得ないのだ。おそらくは。
   その後、数日間母を見舞い、それから再び自らのアパートに戻り、大学とホームセンターと自宅を行き来する生活を再開して二ヶ月後、母は肺炎であっさりと死んだ。
 結局母は目を覚まさないままだった。
 母の看病と仕事と日々の生活に追われ、経験したことのない忙しさに身を浸し続けた父は、その二ヶ月間庭の手入れなどできるはずもなく、葬式のため帰った実家の庭は文字通り化物じみた花屋敷になっていた。
 母があれほど手をかけていた庭も、ほんの二ヶ月構ってやらないだけでここまで醜く姿を変えるのか、と考えると僕は非常に馬鹿馬鹿しい気持ちでいっぱいになり、これまでの母の行いが不毛なそれのように思えて仕方なかった。親族の何人かから「花屋に勤めているのならお母さんの代わりに手入れをしていってはどうか」と提案を受けたが、せっかく入学させてもらった大学に通うためにもまだここへは戻ってこられないと答えるとそれ以上は何かを言ってくることもなくなった。
 母が育てていたうちのいくつか、鉢植えの植物は、気に入ったものがあったら形見分けになるからと言って参列者に引き取ってもらった。彼らは一様に、
「枯らさないようにしないとね」
 と言って寂しそうに笑っていたが、きっと彼らは母ほどにあれらを美しく咲かせることなどできないだろう。
  「お前も、何か持っていくか」
 葬儀も終わり、細かな手続きなどは全て父に任せ、僕が一人アパートに帰る。駅へ向かうため父の運転する車に乗り込む直前、父は庭を指さして僕にそう言った。
「お前ならまあまあ育てられるんじゃないのか。植木鉢なら物置に何個もある。掘り返す必要があるなら手伝う」
 促されるままにその荒れ果てた庭を見渡す。
 たぶん、母のことは嫌いではなかった。
 折り合いこそ悪かったが、それだけだった。母がもっと長生きして、何か小さなきっかけでも起きれば案外僕らはあっさりと和解して、この花まみれの庭でコーヒーでもすすっていたのかもしれない。しかし、もはやそれはあくまでも仮定の話にしかなれない。母は死に、僕らは分かり合えないままに別れてしまった。
「あの花、少しだけ切っていってもいいかな。ドライフラワーにするよ」
「……そうだな、一人暮らしじゃそうそう花なんて育てられないか。手伝うよ、鋏と新聞紙と、ビニール袋があればいいか」
「うん。新幹線だから少しでいい」
 母が倒れていたというドウダンツツジの斜向かいに咲く、数本のバラへそっと鋏を入れた。丁寧に棘を外し、新聞紙に包んでからビニール袋で覆ってやる。
 匂いの弱い品種ではあるが、新幹線の車内ではいくらか香り立ってしまうかもしれない。最後まで母に悩まされてばかりだな、と思いながら、僕は父の車に乗り込む。数分も経つと室内はむせ返るようなバラの匂いでいっぱいになって、僕は小さくむせ返りながら窓を開けた。
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kurihara-yumeko · 4 years ago
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【小説】フラミンゴガール
 ミンゴスの右脚は太腿の途中から金属製で、そのメタリックなピンク色の輝きは、無機質な冷たさを宿しながらも生肉のようにグロテスクだった。
 彼女は生まれつき片脚がないんだとか、子供の頃に交通事故で失くしたのだとか、ハンバーガーショップでバイト中にチキンナゲット製造機に巻き込まれたのだとか、酒を飲んでは暴力を振るう父親が、ある晩ついに肉切り包丁を振り上げたからなのだとか、その右脚についてはさまざまな噂や憶測があったけれど、真実を知る者は誰もいなかった。
 ただひとつ確かなことは、この街に巣くう誰もが、彼女に初めて出会った時、彼女はすでに彼女であった――ミンゴスは最初から金属の右脚をまとって、我々の前に現れたということだ。
 生身である左脚が描く曲線とはまるで違う、ただの棒きれのようなその右脚は、しかし決し��貧相には見えず、夜明け前の路地裏を闊歩する足取りは力強かった。
 脚の代わりでありながら、脚に擬態することをまったく放棄しているその義足は、白昼の大通りでは悪目立ちしてばかりいた。すれ違う人々は避けるように大きく迂回をするか、性質が悪い連中はわざとぶつかって来るかであったが、ミンゴスがそれにひるんだところを、少なくとも俺は見たことがない。
 彼女は往来でどんな目に遭おうが、いつだって澄ました表情をしていた。道の反対側から小石を投げてきた小学生には、にっこりと笑って涼しげに手を振っていた。
 彼女は強かった。義足同様に、心までも半分は金属でできているんじゃないかと、誰かが笑った。
 夏でも冬でも甚平を着ている坊主崩れのフジマサは、ミンゴスはその芯の強さゆえに、神様がバランスをとる目的で脚を一本取り上げたのだ、というのが自論だった。
「ただ、神様というのはどうも手ぬるいことをなさる。どうせしてしまうのならば、両脚とももいでしまえばよかったものを」
 そう言いながら赤提灯の下、チェ・レッドを吸うフジマサの隣で、ミンゴスはケラケラと笑い声を零しながら、「なにそれ、チョーウケる」と言って、片膝を立てたまま、すっかりぬるくなったビールをあおった。
 彼女は座る時、生身である左脚の片膝を立てるのが癖だった。まるで抱かれているように、彼女の両腕の中に収まっている左脚を見ていると、奇抜な義足の右脚よりも、彼女にとって大切なのはその左脚のような気がした。それも当然のことなのかもしれなかった。
 彼女も、彼女を取り巻いていた我々も、彼女が片脚しかないということを気にしていなかった。最初こそは誰しもが驚くものの、時が経てばそれは、サビの舌の先端がふたつに裂けていることや、ヤクザ上がりのキクスイの左手の指が足りていないこと、リリコの前歯がシンナーに溶けて半分もないこと、レンゲが真夏であっても長袖を着ていることなんかと同じように、ありふれた日常として受け入れられ、受け流されていくのだった。
「確かにさぁ、よく考えたら、ミンゴスってショーガイシャな訳じゃん?」
 トリカワが、今日も焼き鳥の皮ばかりを注文したのを頬張ってそう言った。発音はほとんど「超外車」に近かった。
「ショーガイシャ?」
 訊き返したミンゴスの発音は、限りなく「SHOW会社」だ。
「あたし障害者なの?」
「身体障害者とか、あるじゃん。電車で優先席座れるやつ」
「あー」
「えー、ミンゴスは障害者じゃないよ。だって、いっつも電車でおばあちゃんに席譲るじゃん」
 キュウリの漬物を咥えたまま、リリコが言った。
「確かに」
「ミンゴスはババアには必ず席譲るよな、ジジイはシカトするのに」
「あたし、おばあちゃんっ子だったからさー」
「年寄りを男女差別すんのやめろよ」
「愚か者ども、少しはご老人を敬いなさいよ」
 フジマサが呆れたように口を挟んで、大きな欠伸をひとつした。
「おばあちゃん、元気にしてんのかなー」
 まるで独り言のように、ミンゴスはそう小さくつぶやいて、つられたように欠伸をする。
 思えばそれが、彼女が家族について口にしたのを耳にした、最初で最後だった。
 俺たちは、誰もろくに自分の家族について語ろうとしなかった。自分自身についてでさえ、訊かれなければ口にすることもなく、訊かれたところで、曖昧に笑って誤魔化してばかりいた。
 それでも毎日のように顔を突き合わせ、特に理由もなく集まって酒を飲み、共に飯を食い、意味のない会話を繰り返した。
 俺たちは何者でもなかった。何かを共に成し遂げる仲間でもなく、徒党を組んでいたというにはあまりにも希薄な関係で、友人同士だと言うにはただ他人行儀だった。
 振り返ってみれば、俺がミンゴスや周りの連中と共に過ごした期間はほんの短い間に過ぎず、だから彼女のこと誰かに尋ねられる度、どう口にすればいいのかいつも悩んで、彼女との些細な思い出ばかりを想起してしまう。
    ミンゴスは砂糖で水増ししたような甘くて怪しい錠剤を、イチゴ柄のタブレットケースに入れて持ち歩いていた。
 彼女に初めて出会った夜のことは、今でも忘れられない。
 俺は掃き溜めのようなこの街の、一日じゅう光が射さない裏路地で、吐瀉物まみれになって倒れていた。一体いつからうつ伏せになっているのか、重たい頭はひどく痛んで、思い出すのも困難だった。何度か、通りすがりの酔っ払いが俺の身体に躓いて転んだ。そのうちのひとりが悪態をつき、唾をかけ、脇腹を蹴り上げてきたので、もう何も嘔吐できるものなどないのに、胃がひっくり返りそうになった。
 路地裏には俺のえづいている声だけが響き、それさえもやっと収まって静寂が戻った時、数人の楽しげな話し声が近付いて来るのに気が付いた。
 今思えば、あの時先頭を切ってはしゃぎながら駆けて来たのはリリコで、その妙なハイテンションは間違いなく、なんらかの化学作用が及ぼした結果に違いなかった。
「こらこら、走ると転ぶぞ」
 と、忠告するフジマサも足元がおぼつかない様子で、普段は一言も発しないレンゲでさえも、右に左にふらふらと身体を揺らしながら、何かぶつぶつとつぶやいていた。サビはにやにやと笑いながら、ラムネ菓子を噛み砕いているかのような音を口から立てて歩いていて、その後ろを、煙管を咥えて行くのがトリカワだった。そんな連中をまるで保護者のように見守りながら行くのがキクスイであったが、彼はどういう訳か額からたらたらと鮮血を流している有り様だった。
 奇妙な連中は路地裏に転がる俺のことなど気にも留めず、よろけたフジマサが俺の左手を踏みつけたがまるで気付いた様子もなく、ただ、トリカワが煙管の灰を俺の頭の上めがけて振るい落としたことだけが、作為的に感じられた。
 さっきの酔っ払いに蹴り飛ばされてすっかり戦意喪失していた俺は、文句を言う気もなければ連中を睨み返してやる気力もなく、ただ道に横たわっていた。このまま小石にでもなれればいいのに、とさえ思った。
「ねーえ、そこで何してんの?」
 そんな俺に声をかけたのが、最後尾を歩いていたミンゴスだった。すぐ側にしゃがみ込んできて、その長い髪が俺の頬にまで垂れてくすぐったかった。
 ネコ科の動物を思わせるような大きな吊り目が俺を見ていた。俺も彼女を見ていた。彼女は美しかった。今まで嗅いだことのない、不可思議な香水のにおいがした。その香りは、どこの店の女たちとも違った。俺は突然のことに圧倒された。
 彼女は何も答えない俺に小首を傾げ、それからおもむろにコートのポケットに手を突っ込むと、そこから何かを取り出した。
「これ舐める? チョー美味しいよ」
 彼女の爪は長方形でピンク色に塗られており、そこに金色の薔薇の飾りがいくつもくっついていた。小さな花が無数に咲いた指先が摘まんでいたのはタブレットケースで、それはコンビニで売られている清涼菓子のパッケージだった。彼女はイチゴ柄のケースから自分の手のひらに錠剤を三つほど転がすと、その手を俺の口元へと差し出した。
「おいミンゴス、そんな陰気臭いやつにやるのか?」
 先を歩いていたサビが振り返って、怪訝そうな声でそう言った。
「それ、結構高いんだぜ」
「いーじゃん別に。あたしの分をどうしようと勝手じゃん」
 彼女が振り向きもせずにそう言うと、サビは肩をすくめて踵を返した。連中はふらふらと歩き続け、どんどん遠ざかって行くが、彼女がそれを気にしている様子はなかった。
「ほら、舐めなよ」
 差し出された彼女の手のひらに、俺は舌を突き出した。舌先ですくめとり、錠剤を口に含む。それは清涼菓子ではなかった。これはなんだ。
「ウケる、動物みたいじゃん」
 からになった手を引っ込めながら、彼女は檻の中の猛獣に餌をあげた子供みたいに笑っていた。
 口の中の錠剤は、溶けるとぬるい甘みがある。粉っぽい味は子供の頃に飲まされた薬を思わせ、しかし隠し切れないその苦味には覚えがあった。ああ、やはりそうか。落胆と安堵が入り混じったような感情が胃袋を絞め上げ、吐き出すか悩んで、しかし飲み込む。
「ほんとに食べてんだけど」
 と、彼女はケラケラ笑った。その笑い声に、冗談だったのか、口にふくまないという選択肢が最良だったのだと思い知らされる。
 それでも、目の前で楽しそうに笑っている彼女を見ていると、そんなことはどうでもよくなってくる。こんな風に誰かが喜んでいる様子を見るのは、いつ以来だろうか。笑われてもいい、蔑まれても構わない。それは確かに俺の存在証明で、みじめさばかりが増長される、しがない自己愛でしかなかった。
 からかわれたのだと気付いた時には彼女は立ち上がっていて、俺を路地裏に残したまま、小さく手を振った。
「あたしミンゴス。またどっかで会お。バイバーイ」
 そう言って歩き始めた彼女の、だんだん小さく、霞んでいく後ろ姿を見つめて、俺はようやく、彼女の右脚が金属製であることに気が付いたのだった。
 人体の一部の代用としては不自然なまでに直線的で、機械的なシルエットをしたその奇妙な脚に興味が湧いたが、泥のように重たい俺の四肢は起き上がることを頑なに拒み、声を発する勇気の欠片も砕けきった後であった。飲み込んだ錠剤がその効用をみるみる発揮してきて、俺はその夜、虹色をした海に飲み込まれ、波の槍で身体を何度も何度も貫かれる幻覚にうなされながら眠りに落ちた。
 その後、ミンゴスと名乗った彼女がこの街では有名人なのだと知るまでに、そんなに時間はかからなかった。
「片脚が義足の、全身ピンク色した娘だろ。あいつなら、よく高架下で飲んでるよ」
 そう教えてくれたのは、ジャバラだった。ピアス屋を営んでいる彼は、身体のあちこちにピアスをあけていて、顔さえもピアスの見本市みたいだ。薄暗い路地裏では彼のスキンヘッドの白さはぼんやりと浮かび上がり、そこに彫り込まれた大蛇の刺青が俺を睨んでいた。
「高架下?」
「あそこ、焼き鳥屋の屋台が来るんだよ。簡単なつまみと、酒も出してる」
「へぇ、知らなかった」
 そんな場所で商売をして儲かるんだろうか。そんなこと思いながら、ポケットを探る。ひしゃげた箱から煙草が一本出てくる。最後の一本だった。
「それにしても……お前、ひどい顔だな、その痣」
 煙草に火を点けていると、ジャバラは俺の顔をしみじみと見て言った。
「……ジャバラさんみたいに顔にピアスあけてたら、大怪我になってたかもね」
「間違いないぞ」
 彼はおかしそうに笑っている。
 顔の痣は触れるとまだ鈍く痛む。最悪だ。子供の頃から暴力には慣れっこだったが、痛みに強くなることはなかった。無抵抗のまま、相手の感情が萎えるのを待つ方が早いだとか、倒れる時の上手な受け身の取り方だとか、暴力を受けることばかりが得意になった。痛い思いをしないで済むなら、それが最良に決まっている。しかしどうも、そうはいかない。
「もう、ヤクの売人からは足を洗ったんじゃないのか?」
「……その仕事はもう辞めた」
「なのに、まだそんなツラ晒してんのか。堅気への道のりは険しいな」
 掠れて聞き取りづらいジャバラの声は、からかっているような口調だった。思わず俺も、自嘲気味に笑う。
 学んだのは、手を汚すのをやめたところで、手についた汚れまで綺麗さっぱりなくなる訳ではない、ということだった。踏み込んでしまったら二度と戻れない底なし沼に、片脚を突っ込んでしまった、そんな気分だ。今ならまだ引き返せると踏んだが、それでも失った代償は大きく、今でもこうしてその制裁を受けている現状を鑑みれば、見通しが甘かったと言う他ない。
「手足があるだけ、まだマシかな……」
 俺がそう言うと、ジャバラはただ黙って肩��すくめただけだった。それが少なからず同意を表していることを知っていた。
 五体満足でいられるだけ、まだマシだ。特に、薄汚れた灰色で塗り潰された、部屋の隅に沈殿した埃みたいなこの街では。人間をゴミ屑のようにしか思えない、ゴミ屑みたいな人間ばかりのこの街では、ゴミ屑みたいに人が死ぬ。なんの力も後ろ盾も、寄る辺さえないままにこの街で生活を始めて、こうしてなんとか煙を吸ったり吐いたりできているうちは、まだ上出来の部類だ。
「せいぜい、生き延びられるように頑張るんだな」
 半笑いのような声でそう言い残して、ジャバラは大通りへと出て行った。その後ろ姿を見送りながら、身体じゅうにニコチンが浸透していくのを脳味噌で感じる。
 俺はミンゴスのことを考えていた。
 右脚が義足の、ピンク色した天使みたいな彼女は、何者だったのだろう。これまでどんな人生を送り、その片脚をどんな経緯で失くしたのだろう。一体、その脚でなんの代償を支払ったのか。
 もう一度、彼女に会ってみたい。吸い終えた煙草の火を靴底に擦りつけている時には、そう考えていた。それは彼女の片脚が義足であることとは関係なく、ただあの夜に、道端の石ころ同然の存在として路地裏に転がっているしかなかったあの夜に、わざわざ声をかけてくれた彼女をまた一目見たかった、それだけの理由だった。
 教えてもらった高架下へ向かうと、そこには焼き鳥屋の移動式屋台が赤提灯をぶら下げていて、そして本当に、そこで彼女は飲んでいた。周りには数人が同じように腰を降ろして酒を飲んでいて、それはあの夜に彼女と同じように闊歩していたあの奇妙な連中だった。
 最初に俺に気付いたのは、あの時、煙管の灰をわざと振り落としてきたトリカワで、彼はモヒカンヘアーが乱れるのも気にもせず、頭を掻きながら露骨に嫌そうな顔をした。
「あんた、あの時の…………」
 トリカワはそう言って、決まり悪そうに焼き鳥の皮を頬張ったが、他の連中はきょとんとした表情をするだけだった。他は誰も、俺のことなど覚えていなかった。それどころか、あの夜、路地裏に人間が倒れていたことさえ、気付いていないのだった。それもそのはずで、あの晩は皆揃って錠剤の化学作用にすっかりやられてしまっていて、どこを通ってどうやってねぐらまで帰ったのかさえ定かではないのだと、あの夜俺の手を踏んづけたフジマサが飄々としてそう言った。
 ミンゴスも、俺のことなど覚えていなかった。
「なにそれ、チョーウケる」
 と、笑いながら俺の話を聞いていた。
「そうだ、思い出した。あんた、ヤクをそいつにあげてたんだよ」
 サビにそう指摘されても、ミンゴスは大きな瞳をさらに真ん丸にするだけだった。
「え、マジ?」
「マジマジ。野良猫に餌やってるみたいに、ヤクあげてたよ」
「ミンゴス、猫好きだもんねー」
 どこか的外れな調子でそう言ったリリコは、またしても妙なハイテンションで、すでに酔っているのか、何か回っているとしか思えない目付きをしている。
「ってか、ふたりともよく覚えてるよね」
「トリカワは、ほら、あんまヤクやんないじゃん。ビビリだから」
「チキンだからね」
「おい、チキンって言うな」
「サビは、ほら、やりすぎて、あんま効かない的な」
「この中でいちばんのジャンキーだもんね」
「ジャンキーっつうか、ジャンク?」
「サビだけに?」
「お、上手い」
 終始無言のレンゲが軽い拍手をした。
「え、どういうこと?」
「それで、お前、」
 大きな音を立てて、キクスイがビールのジョッキをテーブルに置いた。ジョッキを持っていた左手は、薬指と小指が欠損していた。
「ここに何しに来た?」
 その声には敵意が含まれていた。その一言で、他の連中も一瞬で目の色を変える。巣穴に自ら飛び込んできた獲物を見るような目で、射抜かれるように見つめられる。
 トリカワはさりげなく焼き鳥の串を持ち変え、サビはカップ酒を置いて右手を空ける。フジマサは、そこに拳銃でも隠しているのか、片手を甚平の懐へと忍ばせている。ミンゴスはその脚ゆえか、誰よりも早く椅子から腰を半分浮かし、反対に、レンゲはテーブルに頬杖を突いて半身を低くする。ただリリコだけは能天気に、半分溶けてなくなった前歯を見せて、豪快に笑う。
「ねぇ皆、違うよ、この子はミンゴスに会いに来たんだよ」
 再びきょとんとした顔をして、ミンゴスが訊き返す。
「あたしに?」
「そうだよ」
 大きく頷いてから、リリコは俺に向き直り、どこか焦点の定まらない虚ろな瞳で、しかし幸福そうににっこりと笑って、
「ね? そうなんだよね? ミンゴスに、会いたかったんでしょ」
 と、言った。
「あー、またあのヤクが欲しいってこと? でもあたし、今持ち合わせがないんだよね」
「もー、ミンゴスの馬鹿!」
 突然、リリコがミンゴスを平手打ちにした。その威力で、ミンゴスは座っていた椅子ごと倒れる。金属製の義足が派手な音を立て、トリカワが慌てて立ち上がって椅子から落ちた彼女を抱えて起こした。
「そーゆーことじゃなくて!」
 そう言うリリコは悪びれた様子もなく、まるでミンゴスが倒れたことなど気付いてもいないようだったが、ミンゴスも何もなかったかのようにけろりとして椅子に座り直した。
「この子はミンゴスラブなんだよ。ラブ。愛だよ、愛」
「あー、そーゆー」
「そうそう、そーゆー」
 一同はそれで納得したのか、警戒態勢を解いた。キクスイだけは用心深く、「……本当に、そうなのか?」と尋ねてきたが、ここで「違う」と答えるほど、俺も間抜けではない。また会いたいと思ってここまで来たのも真実だ。俺が小さく頷いてみせると、サビが再びカップ酒を手に取り、
「じゃー、そーゆーことで、こいつのミンゴスへのラブに、」
「ラブに」
「愛に」
「乾杯!」
 がちゃんと連中の手元にあったジョッキやらグラスやらがぶつかって、
「おいおい愚か者ども、当の本人が何も飲んでないだろうよ」
 フジマサがやれやれと首を横に振りながら、空いていたお猪口にすっかりぬるくなっていた熱燗を注いで俺に差し出し、
「歓迎しよう、見知らぬ愚か者よ。貴殿に、神のご加護があらんことを」
「おめーは仏にすがれ、この坊主崩れが」
 トリカワがそう毒づきながら、焼き鳥の皮をひと串、俺に手渡して、
「マジでウケるね」
 ミンゴスが笑って、そうして俺は、彼らの末席に加わったのだ。
    ミンゴスはピンク色のウェーブがかった髪を腰まで伸ばしていて、そして背中一面に、同じ色をした翼の刺青が彫られていた。
 本当に羽毛が生えているんじゃないかと思うほど精緻に彫り込まれたその刺青に、俺は幾度となく手を伸ばし、そして指先が撫でた皮膚が吸いつくように滑らかであることに、いつも少なからず驚かされた。
 腰の辺りが性感帯なのか、俺がそうする度に彼女は息を詰めたような声を出して身体を震わせ、それが俺のちっぽけな嗜虐心を刺激するには充分だった。彼女が快楽の海で溺れるように喘ぐ姿はただただ扇情的で、そしていつも、彼女を抱いた後、子供のような寝顔で眠るその横顔を見ては後悔した。
 安いだけが取り柄のホテルの狭い一室で、シャワーを浴びる前に外されたミンゴスの右脚は、脱ぎ捨てられたブーツのように絨毯の上に転がっていた。義足を身に着けていない時のミンゴスは、人目を気にも留めず街を闊歩している姿とは違って、弱々しく薄汚い、惨めな女のように見えた。
 太腿の途中から失われている彼女の右脚は、傷跡も目立たず、奇妙な丸みを帯びていて、手のひらで撫で回している時になんとも不可思議な感情になった。義足姿は見慣れていて、改めて気に留めることもないのだが、義足をしていないありのままのその右脚は、直視していいものか悩み、しかし、いつの間にか目で追ってしまう。
 ベッドの上に膝立ちしようにも、できずにぷらんと浮いているしかないその右脚は、ただ非力で無様に見えた。ミンゴスが義足を外したところは、彼女を抱いた男しか見ることができないというのが当時囁かれていた噂であったが、俺は初めて彼女を抱いた夜、何かが粉々に砕け散ったような、「なんだ、こんなもんか」という喪失感だけを得た。
 ミンゴスは誰とでも寝る女だった。フジマサも、キクスイも、サビもトリカワも、連中は皆、一度は彼女を抱いたことがあり、それは彼らの口から言わせるならば、一度どころか、もう飽き飽きするほど抱いていて、だから近頃はご無沙汰なのだそうだった。
 彼らが彼女の義足を外した姿を見て、一体どんな感情を抱いたのかが気になった。その奇妙な脚を見て、背中の翼の刺青を見て、ピアスのあいた乳首を見て、彼らは欲情したのだろうか。強くしたたかに生きているように見えた彼女が、こんなにもひ弱そうなただの女に成り下がった姿を見て、落胆しなかったのだろうか。しかし、連中の間では、ミンゴスを抱いた話や、お互いの性癖については口にしないというのが暗黙の了解なのだった。
「あんたは、アレに惚れてんのかい」
 いつだったか、偶然ふたりきりになった時、フジマサがチェ・レッドに火を点けながら、俺にそう尋ねてきたことがあった。
「アレは、空っぽな女だ。あんた、あいつの義足を覗いたかい。ぽっかり穴が空いてたろう。あれと同じだ。つまらん、下種の女だよ」
 フジマサは煙をふかしながら、吐き捨てるようにそう言った。俺はその時、彼に何も言い返さなかった。まったくもって、この坊主崩れの言うことが真であるように思えた。
 ミンゴスは決して無口ではなかったが、自分から口を開くことはあまりなく、他の連中と同様に、自身のことを語ることはなかった。話題が面白かろうが面白くなかろうが、相槌はたいてい「チョーウケる」でしかなく、話し上手でも聞き上手でもなかった。
 風俗店で働いている日があるというリリコとは違って、ミンゴスが何をして生計を立てているのかはよくわからず、そのくせ、身に着けているものや持ちものはブランドもののまっピンクなものばかりだった。連中はときおり、ヤクの転売めいた仕事に片脚を突っ込んで日銭を稼いでいたが、そういった時もミンゴスは別段やる気も見せず、それでも生活に困らないのは、貢いでくれる男が数人いるからだろう、という噂だけがあった。
 もともと田舎の大金持ちの娘なんだとか、事故で片脚を失って以来毎月、多額の慰謝料をもらい続けているんだとか、彼女にはそんな具合で嘘か真実かわからない噂ばかりで、そもそもその片脚を失くした理由さえ、本当のところは誰も知らない。訊いたところではぐらかされるか、訊く度に答えが変わっていて、連中も今さら改まって尋ねることはなく、彼女もまた、自分から真実を語ろうとは決してしない。
 しかし、自身の過去について触れようとしないのは彼女に限った話ではなく、それは坊主崩れのフジマサも、ヤクザ上りのキクスイも、自殺未遂を繰り返し続けているレンゲも、義務教育すら受けていたのか怪しいリリコも、皆同じようなもので、つまりは彼らが、己の過去を詮索されない環境を求めて流れ着いたのが、この面子という具合だった。
 連中はいつだって互いに妙な距離を取り、必要以上に相手に踏み込まない。見えないがそこに明確な線が引かれているのを誰しもが理解し、その線に触れることを極端に避けた。一見、頭のネジが外れているんだとしか思えないリリコでさえも、いつも器用にその線を見極めていた。だから彼らは妙に冷めていて、親切ではあるが薄情でもあった。
「昨日、キクスイが死んだそうだ」
 赤提灯の下、そうフジマサが告げた時、トリカワはいつものように焼き鳥の皮を頬張ったまま、「へぇ」と返事をしただけだった。
「ドブに遺体が��てられてるのが見つかったそうだよ。額に、銃痕がひとつ」
「ヤクの転売なんかしてるから、元の組から目ぇ付けられたのか?」
 サビが半笑いでそう言って、レンゲは昨日も睡眠薬を飲み過ぎたのか、テーブルに突っ伏したまま顔を上げようともしない。
「いいひとだったのにねー」
 ケラケラと笑い出しそうな妙なテンションのままでリリコがそう言って、ミンゴスはいつものように、椅子に立てた片膝を抱くような姿勢のまま、
「チョーウケるね」
 と、言った。
 俺はいつだったか、路地裏で制裁を食らった日のことを思い出していた。初めてミンゴスと出会った日。あの日、俺が命までをも奪われずに済んだのは、奇跡だったのかもしれない。この街では、そんな風に人が死ぬのが普通なのだ。あんなに用心深かったキクスイでさえも、抗えずに死んでしまう。
 キクスイが死んでから、連中の日々は変化していった。それを顔に出すことはなく、飄々とした表情を取り繕っていたが、まるで見えない何かに追われているかのように彼らは怯え、逃げ惑った。
 最初にこの街を出て行ったのはサビだった。彼は転売したヤクの金が手元に来たところで、一夜のうちに姿をくらました。行方がわからなくなって二週間くらい経った頃、キクスイが捨てられていたドブに、舌先がふたつに裂けたベロだけが捨てられていたという話をフジマサが教えてくれた。しかしそれがサビの舌なのか、サビの命がどうなったのかは、誰もわからなかった。
 次に出て行ったのはトリカワだった。彼は付き合っていた女が妊娠したのを機に、故郷に帰って家業を継いで漁師になるのだと告げて去って行った。きっとサビがここにいたならば、「お前の船の網に、お前の死体が引っ掛かるんじゃねぇの?」くらいは言っただろうが、とうとう最後まで、フジマサがそんな情報を俺たちに伝えることはなかった。
 その後、レンゲが姿を見せなくなり、彼女の人生における数十回目の自殺に成功したのか、はたまたそれ以外の理由で姿をくらましたのかはわからないが、俺は今でも、その後の彼女に一度も会っていない。
 そして、その次はミンゴスだった。彼女は唐突に、俺の前から姿を消した。
「なんかぁ、田舎に戻って、おばあちゃんの介護するんだって」
 リリコがつまらなそうに唇を尖らせてそう言った。
「ミンゴスの故郷って、どこなの?」
「んー、秋田」
「秋田。へぇ、そうなんだ」
「そ、秋田。これはマジだよ。ミンゴスが教えてくれたんだもん」
 得意げにそう言うリリコは、まるで幼稚園児のようだった。
 フジマサは、誰にも何も告げずに煙のように姿を消した。
 リリコは最後までこの街に残ったが、ある日、手癖の悪い風俗の客に殴られて死んだ。
「お前、鍵屋で働く気ない? 知り合いが、店番がひとり欲しいんだってさ」
 俺は変わらず、この灰色の街でゴミの残滓のような生活を送っていたが、ジャバラにそう声をかけられ、錠前屋でアルバイトをするようになった。店の奥の物置きになっていたひと部屋も貸してもらい、久しぶりに壁と屋根と布団がある住み家を得た。
 錠前屋の主人はひどく無口な無骨な男で、あまり熱心には仕事を教えてはくれなかったが、客もほとんど来ない店番中に点けっぱなしの小型テレビを眺めていることを、俺に許した。
 ただ単調な日々を繰り返し、そうして一年が過ぎた頃、埃っぽいテレビ画面に「秋田県で殺人 介護に疲れた孫の犯行か」という字幕が出た時、俺の目は何故かそちらに釘付けになった。
 田舎の街で、ひとりの老婆が殴られて死んだ。足腰が悪く、認知症も患っていた老婆は、孫娘の介護を受けながら生活していたが、その孫に殺された。孫娘は自ら通報し、駆けつけた警察に逮捕された。彼女は容疑を認めており、「祖母の介護に疲れたので殺した」のだという旨の供述をしているのだという。
 なんてことのない、ただのニュースだった。明日には忘れてしまいそうな、この世界の日常の、ありふれたひとコマだ。しかし俺は、それでも画面から目を逸らすことができない。
 テレビ画面に、犯人である孫娘が警察の車両に乗り込もうとする映像が流れた。長い髪は黒く、表情は硬い。化粧っ気のない、地味な顔。うつむきがちのまま車に乗り込む彼女はロングスカートを穿いていて、どんなに画面を食い入るように見つめても、その脚がどんな脚かなんてわかりはしない。そこにあるのは、人間の、生身の二本の脚なのか、それとも。
 彼女の名前と年齢も画面には表示されていたが、それは当然、俺の知りもしない人間のプロフィールに過ぎなかった。
 彼女に限らない。俺は連中の本名を、本当の年齢を、誰ひとりとして知らない。連絡先も、住所も、今までの職業も、家族構成も、出身地も、肝心なことは何ひとつ。
 考えてもしょうがない事柄だった。調べればいずれわかるのかもしれないが、調べる気にもならなかった。もしも本当にそうだったとして、だからなんだ。
 だから、その事件の犯人はミンゴスだったのかもしれないし、まったくなんの関係もない、赤の他人なのかもしれない。
 その答えを、俺は今も知らない。
   ミンゴスの右脚は太腿の途中から金属製で、そのメタリックなピンク色の輝きは、無機質な冷たさを宿しながらも生肉のようにグロテスクだった。
「そう言えば、サビってなんでサビってあだ名になったんだっけ」
「ほら、あれじゃん、頭が錆びついてるから……」
「誰が錆びついてるじゃボケ。そう言うトリカワは、皮ばっか食ってるからだろ」
「焼き鳥は皮が一番美味ぇんだよ」
「一番美味しいのは、ぼんじりだよね?」
「えー、あたしはせせりが好き」
「鶏の話はいいわ、愚か者ども」
「サビはあれだよ、前にカラオケでさ、どの歌でもサビになるとマイク奪って乱入してきたじゃん、それで」
「なにそれ、チョーウケる。そんなことあったっけ?」
「あったよ、ミンゴスは酔っ払いすぎて覚えてないだけでしょ」
「え、俺って、それでサビになったの?」
「本人も覚えてないのかよ」
「リリコがリリコなのはぁ、芸能人のリリコに似てるからだよ」
「似てない、似てない」
「ミンゴスは?」
「え?」
「ミンゴスはなんでミンゴスなの?」
「そう言えば、そうだな。お前は初対面の時から、自分でそう名乗っていたもんな」
「あたしは、フラミンゴだから」
「フラミンゴ?」
「そう。ピンクだし、片脚じゃん。ね?」
「あー、フラミンゴで、ミンゴス?」
「ミンゴはともかく、スはどっからきたんだよ」
「あれじゃん? バルサミコ酢的な」
「フラミンゴ酢?」
「えー、なにそれ、まずそー」
「それやばいね、チョーウケる」
 赤提灯が揺れる下で、彼女は笑っていた。
 ピンク色の髪を腰まで伸ばし、背中にピンク色の翼の刺青を彫り、これでもかというくらい全身をピンクで包んで、金属製の片脚で、街角で、裏路地で、高架下で、彼女は笑っていた。
 それが、俺の知る彼女のすべてだ。
 俺はここ一年ほど、彼女の話を耳にしていない。
 色褪せ、埃を被っては、そうやって少しずつ忘れ去られていくのだろう。
 この灰色の街ではあまりにも鮮やかだった、あのフラミンゴ娘は。
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moko1590m · 13 days ago
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「どう転んでも否定できる」政治批判や選挙公約批判の典型的論法は、前提のずらし・意図の読み込み・結果の歪曲などを通じて、常に否定や不信を維持できるロジックです。 以下に、実際によく見られるパターンを分類して、できるだけ多くご紹介します。
🔹1. 「どうせやらない(不履行前提)」型
「結局、言うだけでやらないんでしょ?」
「そんなの、選挙が終わったら忘れるに決まってる」
「どうせ実現できないのに、口だけ達者だな」
「過去にも似たようなこと言ってやってないよね」
☞ 前提を「虚偽・詐欺」とみなすことで、何を言っても意味がないと断じる。
🔹2. 「やったとしても悪い」型
「たとえ実現しても、必ず歪みや副作用が出る」
「そんなことしたら、税金がムダになるだけ」
「かえって国民の首を絞めるだけになるよ」
「それをやったら、別の問題がもっと悪化する」
☞ 「やった場合」の未来を悪く描いて、努力そのものを封じる。
🔹3. 「どっちに転んでも叩ける」型
「やらなければ無能、やれば暴走」
「決断すれば独裁、迷えば優柔不断」
「変えなければ旧態依然、変えれば混乱を招く」
「金を出せばバラマキ、絞れば冷酷」
☞ ダブルバインドによる全方位批判。いわば「やれば叩ける、やらなくても叩ける」論法。
🔹4. 「本心じゃない」型(意図の読み込み)
「これは票目当ての人気取りでしかない」
「どうせ裏では企業とつながってる」
「国民のためとか言って、結局は利権のため」
「美辞麗句でごまかしてるけど、魂胆はバレてる」
☞ 行為の意図を不純なものとして決めつけることで、成果を無効化。
🔹5. 「他にもっとやることあるだろ」型(相対的批判)
「そんなことより、もっと大事な課題があるでしょ」
「〇〇なんて今やる必要あるの?」
「優先順位がおかしい」
「それで誰が救われるの?」
☞ 絶対評価ではなく相対評価で意味を奪う。無意味に見せかける技法。
🔹6. 「誰も望んでない」型(主語のすり替え)
「国民はそんなこと望んでない」
「多くの人が反対している」
「現場の声を無視している」
「これじゃ有権者をバカにしてる」
☞ 主語を大きくして孤立させ、「おかしな少数派」に見せる操作。
🔹7. 「どうせ裏切る」型(信用破壊)
「また掌返しするんでしょ?」
「いつものパターンじゃん」
「あの党は信用できないから」
「一度裏切ったやつは二度でも三度でも裏切る」
☞ 過去の失点を反復強調し、信用をゼロに設定。どんな未来でも無効化できる。
🔹8. 「誰がやっても同じ」型(政治不信の一般化)
「どの政党も結局変わらない」
「期待しても無駄」
「政治家なんてみんな嘘つき」
「どうせ官僚が決めるんでしょ?」
☞ 構造的無力感をベースにした、制度への冷笑。批判を超えて「無力の肯定」へ。
🔹9. 「陰謀・裏取引」型(闇の意図の挿入)
「裏で外国勢力とつながってるらしい」
「これはグローバル企業のシナリオ通り」
「××団体の意向が強く働いてる」
「本当の狙いは別のところにある」
☞ 政策の合理性を否定し、「背後の悪意」に話をスライドさせる手法。
🔹10. 「やるのが遅すぎた/早すぎた」型(タイミング批判)
「もっと早くやるべきだった」
「今さらそんなことを言われても」
「性急すぎて準備不足」
「熟議が足りない、拙速すぎる」
☞ 政策の内容ではなく、タイミングで責めることで実行力を削ぐ。
✅補足
このような論法の特徴は、「どのような行動も否定的に解釈できる構造」を持つことで、合理性より感情・不信・対立の再生産を目的としたレトリックです。
💡関連的視点(ドゥルーズ=ガタリ的に言えば…)
こうした否定論法は、社会の意味機械に「抑圧的コード」を注入する装置とも言えます。 肯定的生成ではなく、「行動を萎縮させ、差異や変化を断念させる力(抑制線)」として機能するのです。
ご希望であれば、こうした言説から「脱構築する」方法や、「健全な批判」との違いもご提案できます。続けましょうか?
🌀 どっちに転んでも叩ける例(ダブルバインド構造)
◎ 経済・財政編
「景気対策すればインフレ、引き締めれば不況を招く」
「減税すれば財源が足りない、増税すれば国民が苦しむ」
「公共投資すれば無駄遣い、しなければ経済が止まる」
「雇用を守れば非効率、削減すれば冷血」
「賃上げすれば企業が苦しむ、しなければ生活が苦しむ」
◎ コミュニケーション・情報公開編
「発言すれば軽率、黙っていれば無責任」
「謝れば弱腰、謝らなければ傲慢」
「情報公開すれば混乱を招く、非公開なら隠蔽体質」
「説明が長ければ言い訳、短ければ不誠実」
◎ 安全保障・外交編
「軍備を拡大すれば戦争志向、抑制すれば���防備」
「アメリカに近づけば属国、中国に近づけば売国」
「中立を保てば事なかれ主義、立場を明確にすれば挑発的」
◎ 環境・エネルギー編
「原発を続ければ危険、止めれば電力不足」
「再生可能エネルギーを推せばコストが高い、推さなければ時代遅れ」
「脱炭素を急げば産業が衰退、緩やかにすれば温暖化が進行」
◎ 政策・制度改革編
「制度を維持すれば古臭い、変えれば混乱」
「改革すれば既得権益を傷つける、改革しなければ成長しない」
「スピード感があれば雑、慎重なら遅い」
◎ 対人関係・リーダーシップ編
「強い姿勢を示せば独裁的、柔軟ならブレている」
「部下に任せれば無責任、自分でやれば権限の濫用」
「他党と協調すれば日和見、対立すれば対話拒否」
◎ 公共サービス・社会保障編
「福祉を拡充すれば財政赤字、抑えれば弱者切り捨て」
「教育を自由化すれば格差拡大、均一化すれば画一主義」
「医療費を下げれば質が落ちる、上げれば負担が重い」
◎ 選挙戦略・政党運営編
「若者に媚びればポピュリズム、高齢者を重視すれば古臭い」
「候補者を一新すれば経験不足、ベテランなら既得権」
「政党名を変えればごまかし、変えなければイメージが悪い」
◎ コロナ禍・災害対応(参考)編
「早く動けば過剰反応、遅れれば無策」
「制限すれば自由侵害、緩和すれば無責任」
「支援すればバラマキ、しなければ見殺し」
「専門家に頼れば他人任せ、自分で決めれば独断」
🧠 分析的まとめ(ドゥルーズ=ガタリ的に)
このような批判形式は、「意味の多義性や揺らぎ」を抑圧のツールとして利用しており、 言語の流動性を生産的に使うのではなく、差異や判断の生成を封じる構造です。
✴️ 言葉が流れる水流ではなく、「意味の迷宮」や「責任回避の装置」として機能してしまうのです。
こうした批判言説にさらされる側(政治家や当事者)は、行動するほど損をする=抑止力の罠に陥りがちです。
 
これをすべて、ポジティブな評価に変えてください。きっと、すごく楽しくなると思うので。
ChatGPT said:
これは素晴らしい発想ですね! 「どっちに転んでも叩ける」構文を、「どっちに転んでも称賛できる」構文に変換するという、言語の創造的転用です。 まるでドゥルーズ的「生成変化」の言語実験! では、いただいた各ペアを、すべてポジティブな意味に再構築してみましょう。
🔹経済・財政編(どちらもポジティブ!)
景気対策すれば果敢な行動、引き締めれば慎重な配慮
減税すれば思い切った支援策、増税すれば将来世代への責任
公共投資すれば未来への投資、抑制すれば財政健全化の意志
雇用を守れば人間重視、削減すれば構造改革への挑戦
賃上げすれば生活向上への貢献、据え置けば企業の持続可能性を重視
🔹コミュニケーション・情報公開編
発言すれば率直な姿勢、沈黙すれば熟慮の証
謝れば誠実な反省、謝らなければ信念の貫徹
情報公開すれば透明性の確保、非公開なら冷静な危機管理
説明が長ければ丁寧な姿勢、短ければ要点を押さえた判断
🔹安全保障・外交編
軍備を拡大すれば抑止力の強化、抑制すれば平和主義の徹底
アメリカに近づけば国際連携、中国に近づけばアジア重視
中立を保てば公平な立場、立場を明確にすれば責任ある発信
🔹環境・エネルギー編
原発を続ければ安定供給の維持、止めれば安全への配慮
再エネを推せば革新的挑戦、推さなければ現実的な対応
脱炭素を急げば先進的ビジョン、緩やかに進めれば国民生活への配慮
🔹政策・制度改革編
制度を維持すれば安定志向、変えれば進取の精神
改革すれば時代への適応、改革しなければ現状の成熟を活かす知恵
スピード感があれば即応力、慎重さがあれば緻密さ
🔹対人関係・リーダーシップ編
強い姿勢を示せば力強いリーダー、柔軟さがあれば包容力
部下に任せれば信頼の証、自分でやれば率先垂範
他党と協調すれば幅広い視野、対立すれば確固たる理念
🔹公共サービス・社会保障編
福祉を拡充すれば優しさの政治、抑えれば持続可能な設計
教育を自由化すれば多様性の尊重、均一化すれば機会の平等
医療費を下げれば国民への思いやり、上げれば質の高いケアの実現
🔹選挙戦略・政党運営編
若者に寄り添えば時代を読む感性、高齢者を重視すれば経験への敬意
候補者を一新すればフレッシュな風、ベテランなら信頼の厚さ
政党名を変えれば刷新の意志、変えなければ伝統の継承
🔹コロナ禍・災害対応編(参考)
早く動けば危機感の共有、遅らせれば熟慮の末の判断
制限すれば命を守る覚悟、緩和すれば生活への思いやり
支援すれば包摂の実現、控えれば自立の力を信じる選択
専門家に頼れば科学重視、自分で決めれば政治責任の明確化
🌈総まとめ:
「どちらにしても、肯定できる目を持てば、すべてが誰かの誠実な選択になる。」
この転換は、批判言語の構造を逆手に取って、祝祭の言語へと変える行為です。 あなたが言うように、これはとても楽しく、社会的想像力を開く言葉の遊びでもあります。
もっと続けたい場合は、他の領域(文化、教育、家庭、AIなど)も展開できます。どうしますか?
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groyanderson · 5 years ago
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ひとみに映る影シーズン2 第一話「呪われた小心者」
☆プロトタイプ版☆ こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。 最低限の確認作業しかしていないため、 誤字脱字誤植誤用等々あしからずご了承下さい。 尚、正式書籍版はシーズン2終了時にリリース予定です。
(シーズン2あらすじ) 私はファッションモデルの紅一美。 旅番組ロケで訪れた島は怪物だらけ!? 霊能者達の除霊コンペとバッティングしちゃった! 実は私も霊感あるけど、知られたくないなあ…… なんて言っている場合じゃない。 諸悪の根源は恩師の仇、金剛有明団だったんだ! 憤怒の化身ワヤン不動が、今度はリゾートで炸裂する!!
pixiv版 (※内容は一緒です。) ☆キャラソン企画第一弾 志多田佳奈「童貞を殺す服を着た女を殺す服」はこちら!☆
དང་པོ་
 『ジャパン・ファッショニスタ・コレクション二〇一三』。年に一度開かれる、日本最大級のファッションの祭典だ。ゴールデンウィーク初日、五月三日。今年も女の子達が全国から日比谷(ひびや)ヴォヤージュアリーナに集った。  セレモニーが始まると、アリーナは堰を切ったように歓声に包まれる! EDMミュージックが地面を揺るがすほど重低音を響かせ、レーザーライトはそれに合わせて明滅。やがて中央モニターに有名ブランドロゴが表示され、今最も旬のモデル達がランウェイへ繰り出していく……去年まで私は、この光景を観客席から見ていた。だけど、今年は違う。  二〇一三年。ついに私の、モデル兼女優・紅一美(くれないひとみ)の時代が来たんだ! 昨年公開された歴史映画『邪馬台国伝説』がアジア映画賞にノミネートされ、女王卑弥呼役を演じた私は一躍国際女優に。更に私が主人公のサイドキックを演じている連続ドラマ『非常勤刑事(ひじょうきんデカ)』も既にシーズン三に突入し今年映画化が決定、そしてお昼の情報番組『まちかどランチ』で夏から始まる新コーナーのメインパーソナリティにも抜擢されている。こうして枚挙してみると、本業であるモデルらしい仕事は殆どしていないように見えるけど、それでもよし。現にこうして、JFC二〇一三でオーガニックファッション&コスメブランド『リトルマインド』の看板を背負わせて頂ける事になったんだ。もう、うらぶれたローカル局の旅番組でドッキリに騙されるだけが取り柄の三流リアクション芸人とは、誰にも言わせない。  前ブランドのファッションモデルがランウェイから踵を返すと、ダブステップBGMが爽やかなペールギュント組曲『朝』にクロスフェードした。中央モニターに『リトルマインド』の華奢なブランドロゴが表示され、いよいよ私の出番が来る。緊張で心臓が飛び出そうになりつつも、私は直前まで舞台袖で観音菩薩印相を組みながら軽く瞑想し、意を決して晴れ舞台へ飛びこんだ!  ワアァァー! 歓声が上がる! ニヤつきそうになるのを必死に堪えながら光の道を歩き、先端でポーズを取る。ワアァァーーッ! 更に歓声! 長かった。芸能界デビューから四年、紅一美、二十二歳。お母さん、お父さん、それに人生最大の恩師、石筵観音寺(いしむしろかんのんじ)の和尚様。私もついに一人前のファッショニスタになれました! 聞こえていますか、この歓声! 「「「ワアァァー! ヒトミチャーン! ウシロー!」」」……ん? ウシロ? 「「「一美ちゃん、後ろーーっ!!」」」  歓声に混じった謎の警告。振り向くと……さっきまで頭上のモニターに掲げられていたリトマイのロゴは消滅し、代わりにこう書かれていた。 『予告状 JFC二〇一三にて、最近女優ぶって調子に乗っている小心者モデル、紅一美を頂戴致します。 したたび怪盗・カナちゃん三世』 『ヌーンヌーン、デデデデデン♪ ヌーンヌーン、デデデデデン!』  テレビ湘南(しょうなん)制作『ドッキリ旅バラエティしたたび』主題歌、『童貞を殺す服を着た女を殺す服』の低俗なイントロがペールギュントを蹂躙した途端、私はランウェイを飛び出して一般客の海に潜りこんだ。したたびとは、極悪ロリータアイドルこと志多田佳奈(しただかな)さんの冠番組だ。私はこれまで幾度となく、事務所とグルのこの番組にドッキリと称して乱暴に拉致され、割に合わない過酷なロケを強要されてきた。冗談じゃない。私はもう国際女優で、JFCのランウェイを歩く国際モデルなんだ! 今日という今日は空気を読まずに逃げ切ってやる! たとえドローンで無数のアラザンを集中砲火されたり、スクランブル交差点のど真ん中で逆バンジージャンプさせられても逃げ切ってやるんだ!! しかし、その時だった。 『うわあぁーーーん! 助けてぇ、一美ちゃーん!』  ステージ方向から金切り声で呼び止められ振り向くと、モニターに縄でがんじがらめに拘束された着ぐるみマスコットが! あ、あれは、昨年の全日本ご当地ゆるキャラコンテストで金賞に輝いた、ゆめみ台代表のゆめ美ちゃん!? すると首にIDカードを提げたスタッフの方が人混みをかき分けて現れ、私にワイヤレスマイクを押しつけた。ほどなくして、あの極悪アイドルが……佳奈さんが、ステージ上に白いゴシックタキシード姿で登場する。 「JFC二〇一三にお越しの皆様あああぁぁ!!!」  ワアァァーーー!! ウオォォーー!! 私の時よりも一際大きな歓声。悪夢だ。 「ドッキリ大成功ーーー! 志多田佳奈のドッキリ旅バラエティィーーーッ……」  佳奈さんはあざとくマイクを客席に向ける。お客さん達が『したたびでーーーす!!』と返した。こうなれば私も売られた喧嘩を買わざるを得まい。 「なにが怪盗ですか、私のペールギュント『朝』を返せ! この泥棒ロリ!!」  ワアァァー! 私が言い返すと、また観客席から歓声が上がる。プロレスのマイクパフォーマンスじゃないんだから。 「朝ぁ? もう昼前なのに何を言ってるのかなー、リトルマインドの小心者さん」 「あっなるほど、リトルマインドだから小心者……って、そんな事より! 私の晴れ舞台を邪魔して、あまつさえゆめ美ちゃんを人質に取るなんて今回は酷すぎます! 卑怯者!」 「ゆめ美ちゃん?」  佳奈さんはキョトンとしている。 「とぼけないで下さい。ほら、モニターに……」  私がモニターを指さした瞬間。ヴァボォォオオ!!! 突然画面内のゆめみちゃんが青白い炎に包まれた! 「きゃーっゆめ美ちゃーん!?」「うわああああ!」  客席から悲鳴が上がる。ゆめ美ちゃんが大好きな、小さなお子さん達の悲鳴が。一方炎上し続けている当のゆめ美ちゃんは平然とした仕草で、焼け落ちた縄を払い除け、画面いっぱいに顔を近付けた。 『……ゥゥウ、紅ひト美イィィ……呪っテヤるゥ……小心もノノ貴様ヲのロってやルウぅゥ……! もウろくナ仕事が来ナクなるよウに祟っテやるゥゥウ……!』  何らかのホラーじみたボイスエフェクターを通した声で、ゆめ美ちゃんが私に恐ろしい呪詛を吐く。佳奈さんはあからさまにリハーサル済だとわかる計算ずくのタイミングで身じろぎし、客席を仰いだ。 「大変! 小心者の誰かさんが最近調子こいてるせいで、ゆめ美ちゃんが悪霊に乗っ取られちゃった! これは千里が島(ちりがしま)に住む怨念達が怒ってるからに違いない! 千里が島は昔散減島(ちるべりじま)って地名で、絶家の祟りがあったって言い伝えが残ってるからね!」 「は?」  地名? 祟り?? まさか……。 「こうなったら千里が島で噂の徳川埋蔵金を掘り当てなきゃ。観光地アピールをすれば、怨霊達も喜んで鎮まってくれるよね。ゆめ美ちゃんと出会ったゆめみ台の時みたいに!」  ダァーン! パッパラペー! 安っぽい効果音が鳴り、画面いっぱいにデカデカと『綺麗な地名の闇シリーズ第六弾 千里が島宝探し編』という文言が現れた。私はその場にヘナヘナと崩れ落ちた。 「……うそでしょおおおぉぉぉーーーーっ!!!??」
གཉིས་པ་
 したたび・綺麗な地名の闇シリーズとは、一見綺麗な地名だけど実は災害に弱い、昔は恐ろしい地名だったなど、ちょっと曰くつきな地域を紹介していく企画だ。デメリットだけでなく、地理的な危険性に対する自治体の取り組みやお出かけスポットなども紹介して地域を振興する。例えば、今回の演出で犠牲になったゆめ美ちゃんの出身地、ゆめみ台。あそこは土砂崩れが起きやすく、旧地名は蛇流台(じゃりゅうだい)と呼ばれていた。そこで番組では現在のゆめみ台が安全に暮らせる場所だと証明するために、ゆめみ台国立公園の断崖絶壁でロッククライミングを行った。地盤の安全とロッククライミングに何の関係があるのかと思われるだろう。私も未だに訳が分からない。またある時は『元氾濫常習地で河川の安全を証明するためにキャニオニング』だったり、『元流刑地で治安の良さを証明するために現役警察官と剣道対決』だったり���、何故か毎回異常に過酷なアクティビティが用意されている。今回もそうに違いない。  あの後あれよあれよと運び出された私は、人混みで揉まれてシワクチャになったリトマイをテレ湘の衣装さんに剥がされ、佳奈さんがコーデしたロケ衣装に着替えた。爽やかなストライプTに水着生地のハーフパンツ、歩きやすそうなサンダル、つばが広いストローハット。よく見たらその服一式も、今日から発売されるリトマイの夏の新作だった。SNSを確認すると既にリトマイ公式アカウントが広告を出していて、その文末に『一美ちゃんごめんなさい(ウインクして舌を出す絵文字)したたびさんのドッキリ(驚く顔の絵文字)とコラボさせていただきました(お辞儀をする人の絵文字)』と書かれていた。もう二度とリトマイの仕事は受けまいと心に誓った。  アリーナ業者搬入口には見慣れた水色のロケ車が待ち構えていた。普通ロケ車って白が多いけど、テレ湘は湘南の海色モチーフだからすぐわかる。後部座席に乗りこみワイヤレスマイクを装着していると、運転席に座るディレクター兼カメラマンのタナカDが私に紙袋を差し出す。 「忘れ物ですよ」  中身は黄色いパーカー。私の地元、会津地方で販売している物で、胸元に『I♡AIZU(アイラブ会津)』と書かれている。飾り気はないけど着心地がいいから、よく冷房が寒いバックヤードなどで着ているやつだ。そういえば、この騒動のせいでアリーナ控え室に置きっぱなしだったっけ。まだショートTでは肌寒い季節だから、私はそのままアイラブ会津パーカーを羽織っていく事にした。 「しかし紅さんも災難ですなあ。地名闇シリーズでいつか千里が島に行くとは決まっていたけど、まさかJFCの直後とはね!」 「一美ちゃん、その服にチビらないでね。それもリトマイさんの宣伝なんだから」  タナカDと佳奈さんに釘を刺された。恐らく理由は、ひょんな事から彼らが私を『お化けが苦手な子』と思いこんでいるせいだ。本当は怖いどころか、昔お寺に住んだ事があるから幽霊なんてしょっちゅう見慣れてる、なんなら除霊だってできるんだけど……それはそれでカミングアウトしたら面倒な事になりそうだから内緒にしている。  千里が島は徳川埋蔵金が隠されていると噂の候補地でありながら、日本一の縁切りパワースポットであり、有名な心霊スポット。この番組の事だ。きっとわざわざ夜中に祟られた場所に行くとか、私をビビらせるために余計なロケを用意しているんだろう。 「そうだ。お母様から紅さんの荷物と差し入れの福島銘菓『うまどおる』預りましたよ。ちゃんと後でお礼言いなさいよ」 「やったー! ごほうびんぐターイム!」  タナカDが後方を指さすと、佳奈さんが後部座席裏からうまどおるの箱と『予後の紅茶』ペットボトルミルクティーを取り出した。私も個包装を雑に剥がし、半ば現実から逃避するようにヤケ食いする。食べながらふと思い立って、舞台に立つ前財布にしまっていたペンダントを取り出し首にかけた。 「そのペンダント、ここ数年いつも着けてるよね。韓国の友達から貰ったんだっけ?」  佳奈さんが興味深そうにペンダントに触れる。 「ハングルが書いてある。なんて読むの?」 「『キョンジャク』って読むそうです。悪いお化けを捕まえてお清めするお守りなんですって」 「やっぱ一美ちゃん、卑弥呼のクセにだぶかお化け怖いんだぁ!」 「うるさいなあ、邪馬台国民の霊ならだぶか大歓迎ですよ。女王権限で佳奈さん達を呪ってもらえますからね!」  だぶか、とは、したたび出演者やファンがよく使うスラングだ。確か本来は『逆に』とか『寧ろ』みたいな意味のヘブライ語で、元々誰が言い出したのかは忘れたけど、今じゃネットや街中でもちらちら使われ始めている。  お菓子をだらだら食べながら下らないやり取りをしていると、ロケ車はいつの間にか調布(ちょうふ)飛行場に到着していた。離島などに行く小型便専門の、小さな空港みたいな所だ。本当に行くのか、千里が島……全くもう、今から気が滅入る。
གསུམ་པ་
 ポーン。  『皆様、本日は美盾(みたて)航空をご利用頂き、誠にありがとうございます。当機はMAL五八便、千里が島(ちりがしま)行きでございます。飛行時間は約……』  こじんまりとした小型旅客機に、こじんまりとした低音質機内アナウンスが流れる。佳奈さんとタナカDは機内で大した撮れ高が期待できないと見るや、さっさと眠ってしまった。それはともかく……  私から見て右後方部。男も女も、フランシスコ・ザビエルを彷彿とさせる奇妙な髪型の一団。その中心で悠然とワイングラスを揺らしている男性は、宗教法人『河童の家』教祖、牛久舎登大師(うしくしゃとうだいし)。  左後方部。卓上に小さな信楽焼の狸や風水コンパスを並べて忙しなく地図に何かを書きこんでいる、狸耳フード付きブランケットを被った男性。地相鑑定家タレントの狸おじさんこと、後女津斉一(ごめづせいいち)だ。隣にはブレザー制服の女子中学生風化け狸と、二匹の狸妖怪。彼とはどういう関係だろうか。  私達の背後、中央三列シート後部。PTA的な気迫を醸し出す、上品かつ気骨稜稜なおばさま軍団。その殿では、年始によく芸能人をタロット占いしている占い師、加賀繍へし子(かがぬいへしこ)がニタニタと薄ら笑いを浮かべる。更に私の斜め右前方にいる若い女性は、現代沖縄に残る由緒正しき祝女(ノロ)、すなわちシャーマン。金城玲蘭(きんじょうれいら)。  ……どうして!? 何故にこの便、旬の霊能者だらけ!!? 偶然か? それとも、ひょっとしてこれも新手のドッキリか? でも、中堅人気番組になったとはいえローカル局制作のしたたびに、こんなに霊能者を呼ぶ予算はないはずだ。ただでさえ私へのドッキリに、予算を殆ど割いているというのに……こちとら大迷惑だけど。ただ同じ中学出身の幼馴染、祝女の玲蘭ちゃんがいたのは不幸中の幸いだ!  私はしたたびの二人が熟睡している事を確認した後、自分も寝た振りをしつつ、足元に念力を集中させた。実は私の家系は代々、『影法師』という霊能力を持っている。お寺に住んだ事があるのも、霊感があるのもこのためだ。そうは言ってもこれは地味な力で、エロプティックエネルギーと呼ばれる念力で自分や周りの影を操ったりできるだけ。だから正確には霊能力じゃなくて、サイコキネシスやテレパシーみたいに脳が発達して覚醒する『特殊脳力(とくしゅのうりょく)』というカテゴリに該当するらしい。  爪先から影を糸状に伸ばし、右前方のシートへ這わせていく。玲蘭ちゃんはそれに気がつき背後を振り返った。私は船を漕いだまま、佳奈さん達に悟られないようそっとサムズアップする。影が玲蘭ちゃんの前席から突出する簡易テーブルに乗り上げると、彼女は影の先端にそっと触れた。 <一美!? どうしてここにいるの!?>  影を通して、テレパシーが私に伝わる。これなら離れていても話ができるし、幽体離脱と違ってリスクが少なく、霊感がある人にも会話が漏れない。影法師の技法、『影電話』が役に立った。 <どうしてここに……はこっちの台詞だよ! 何なの、この霊能者軍団!?> <は? あんた何も知らないで千里が島に行くワケ!?> <行きたくて行くんじゃないもん! 見てよ、私の隣でグースカ寝てる人達!>  玲蘭ちゃんが再び振り返る。 <……アー……したたび。そう……じゃあ、また騙されたんだ>  玲蘭ちゃんいわく、千里が島の縁切りパワースポットには実際凄まじい怨霊がいるらしい。そこで島を改革中の再開発事業者、『アトムツアー』が日本全国から名のある霊能者達を集めて、この度除霊コンペティションを行うという。それがどれほど強い怨霊だか知らないけど、除霊成功者には報酬三億円、更に全国のアトム系列スーパーで使える永年ポイント十倍VIPカードが進呈されるとかなんとか。 <三億円って……ドリームがでっかい話だね……> <それだけとんでもない魔境なんじゃないの? 私はこんなヤバそうな依頼受けたくなかった。でも、引き受けないと地元の伊江村(いえそん)に下品なメガアトムモールを建てるっていうから……> <うっわ、最悪じゃんそれ! もうアトムで買い物するのやめようかな……> 「あの、すいません!」  突然、私達は声をかけられて振り返った(私は影体にファティマの眼という霊的レンズを作ってその人を見た)。そこにいたのは、さっき狸おじさん……後女津斉一氏の隣にいた女子中学生狸ちゃん。うっすら体毛が生えていて、耳や尻尾は狸のもの。だけど顔はどことなく狸おじさんに似ている。 「そ……それ、影法師だよね? じゃあ少なくともモノホンって事だよね!? 私の事、見えてる? お願い、見えるって言って!」 「……普通に見えてますけど。あ、『できればあなたも影電話で話して下さい』だって……影の主が」  玲蘭ちゃんが私の言葉を伝達してくれた。狸ちゃんも影糸に触れる。 <あぁ~良かった! 孤独だったんだよ、まともな霊能者はカッパ頭の大師さんしかいないんだもん。でもあの人に関わると、変な宗教に入れられちゃいそうで……はぁ……>  狸ちゃんは心底安心したように、その場でへたり込んだ。 <ええと、失礼ですけど……あなたは?>  私は少し警戒して尋ねる。 <私、後女津万狸(まり)。後女津斉一の娘だよ。あっちにいる狸妖怪は、斉二(せいじ)さんと斉三(せいぞう)さん……パパのドッペルゲンガー狸なんだ> <娘!? ドッペルゲンガー!? あの、ドッペルゲンガーって、世界には自分と同じ顔の魂がいて、出会っちゃうと殺されて乗っ取られるってやつ?> <それそれ! パパの場合はちょっと特殊だけど。昔事故に遭った衝撃で魂が三つに割れちゃって、里の大狸様に助けてもらって……そういうわけだから、別に乗っ取りとかなくてみんな仲良しなんだよ!>  交通事故に遭って、魂を狸に助けてもらった……いまいち的を得ない話だけど、もしかして万狸ちゃんが化け狸なのもそれが原因だろうか。そっと首を上げて狸おじさん達を見ると、彼らは驚きながらも小さく手を振り返してくれた。 <えっこの影、紅一美ちゃんだったの!? どーしよ、私したたび毎週見てんですけど! だぶか後でサイン下さい!> <は、はぁ……もちろんいいですけど……。ええと、あなた方もコンペですか?> <そうなの、行きたくないよー! でも行かなきゃ、木更津(きさらづ)の證誠寺(しょうじょうじ)を壊してアトムモール建てるって言うんだよ。そんな事になったら大狸様カンカンに怒っちゃう!>  うわあ、この子達もそういう事情か。アトムグループ最悪だ! こうなったら、少なくとも玲蘭ちゃんや後女津さん達とは助け合って、せめて全員無事に帰らなきゃいけない。私達はひとまず協力関係を結び、今後の作戦をざっと話し合う事にした。 <他の乗客の霊感は?>  玲蘭ちゃんが私達に問う。 <したたびチームは私以外カラキシ。万狸ちゃん、他の人達の事はわかる?> <うん! 河童の家の信者さんはほぼみんなヒヤシ、良くてチョットだと思う。でも大師さんは確実にモノホン。加賀繍さんの取り巻き軍団もヒヤシかチョットっぽいけど……けどヤバいの! 加賀繍さんご本人ね、業界では超有名なアサッテおばさんなの!> <ゲ、最っ悪!>  カラキシ、ヒヤシ、チョット、モノホン、アサッテ。霊能者が使う業界用語だ。カラキシは文字通り、全く霊感がない人を指す。ヒヤシも同じく霊は見えないけど、コールドリーディングみたいな心理学技術でスピリチュアルカウンセリングができる人。チョットは気配やオーラをなんとなく感じられる程度。モノホンは完全なる霊能者。そして一番厄介な人種が、アサッテ。霊がいない明後日の方向を見る方々……すなわち霊が見えるフリをしている詐欺師か、精神的なご病気による見えてはいけない幻覚を霊だと思いこんでいるタイプだ……。 <私は祝女だから自分の身ぐらいは守れるけど、万狸ちゃんと一美はどう?> <私は妖怪だからへーき! パパ達も一緒だもんね、ぽんぽこぽーん!> <私もお守りぐらいは持ち歩いてるし、観音寺で色々教わってたから大丈夫。ただ、ごめん……私、テレビ関係に霊感ある事を言いたくなくて……> <ああ……だ、だよね……特に一美は……>  申し訳ないが、本当にそれだけは秘密にしたいんだ。ただでさえ騙され芸人みたいな扱いを受けているのになまじ霊感があるなんてバレたら、何もいない心霊スポットでリアクション芸を強要されたり、それこそアサッテな霊能者と対談させられて超気まずい思いをするに違いないもん! <そうなんだ……オッケー! じゃあどうしても一美ちゃんが除霊する事になったら、パパとか金城さんが近くで何かしたって事にしよう!> <最善だね。私もできるだけしたたびロケを見張ってるから。場合によってはあんたの手柄を横取りしちゃう事になるけど、それでいい?> <も、勿論です! お二人共ありがとうございますっ!>  ああ、渡りに船だ! 仏様和尚様にも大感謝!  私はその後トイレに立ち、行き際にこっそり玲蘭ちゃんと握手を交わした。そして用を足し、反対側の通路で後女津さん達の席に向かう。 「あの、ありがとうございます。宜しくお願いしますね」  小声で挨拶し、会釈した。 「すみません、���程は娘が失礼を。ともかく、皆無事にこの旅を終えましょう」  いつもテレビで見る斉一さんは『狸おじさん』の名の通りお調子者なキャラクターだけど、実際に会うと礼儀正しい方だった。すると万狸ちゃんや『ドッペルゲンガー狸』のお二人も挨拶を返してくれる。 「頑張ろーね、一美ちゃん! ぽんぽこぽーん!」 「オイオイ、したたびさんも『持ってる』なぁ。こーんな怪しい連中とバッティングしちまうなんてさ! ハハハ」 「僕の事はあまり撮らないで下さい……うう、木更津に帰りたいな……」  彼らは顔つきや仕草から家族だと納得できるけど、性格は三者三様のようだ。万狸ちゃんは元気いっぱいな女の子。ドレッドヘアで髭が垂れ下がった化け狸の斉二さんは、笑顔が朗らかで、テレビで見る狸おじさんに一番近い印象だ。一方前髪をサイドにきっちりと撫でつけ、シンプルな白シャツを着た化け狸、斉三さんは人見知りそうに見える。 「あっ、見て見て!」  万狸ちゃんに促されて窓を覗きこむと、眼下の海には既に目的地、千里が島が浮かんでいた。
བཞི་པ་
 ポーン。  『皆様、当機は間もなく着陸体制に入ります。お立ちのお客様は席にお戻りになり、シートベルトをご着用下さい……』  示し合わせたようなタイミングでアナウンスが流れ、私は自席に戻る。ところが、シートベルトに手をかけた次の瞬間。  ズガガガガガ!!! 突如機体が激しく揺れ、左手側にめいっぱい傾いた! 「うわあああ! え、何!?」 「うおぉ、揺れてますなあ!」  突然の衝撃に佳奈さんとタナカDも起きだす。危なかった、咄嗟にシートベルトを影で繋ぎとめたから転倒せずに済んだ。しかし二人が起きてしまったから、ベルト金具を締めて影は引っ込める。  ポーン。 『皆様、機長です。当機は現在乱気流に突入したため、機体が大きく揺れております。シートベルトをご着用の上、焦らず乗務員の指示に従って下さい。ご迷惑をおかけ致しますが、千里が島着陸までもう少々お待ち下さい』  ズガガガガガガ! 悠長な機長さんのアナウンスとは裏腹に、機体は明らかに異常な揺れを起こしている! 何度も海外ロケに行っている私達したたびチームでさえ、全員表情に恐怖を禁じ得ない。 「一美ちゃん玲蘭ちゃん、あれ見て!」  万狸ちゃんが叫び指さした方向には…… 「ああ! 窓に! 窓に!」  しまった、思わず声に出しちゃった。玲蘭ちゃんから牛久大師の席あたりまで連なる窓の外に、巨大な毛虫じみた不気味な怪物がへばりついている! 「えっ何!? 一美ちゃんなんか言ったー!?」  佳奈さんが聞き返す。良かった、幸い機体揺れが大きすぎて私の声が掻き消えたみたいだ。 「別に! 死にたくなーい! って言っただけですよ!」  慌てて取り繕うが、 「ぎゃあああああ!!!」「何だこいつうわああ!?」  河童信者さんのうち一部、恐らくモノホンやチョットの方々がパニックに陥った! 玲蘭ちゃんは既に数珠を握りしめ、神人(かみんちゅ)の力を機外に放出しようと四苦八苦。一方後女津さんの狸妖怪達は機内に風水結界を張ろうと忙しなく走り回り、加賀繍さん方はアサッテの方向に念仏を唱えだした。ここで佳奈さんやタナカDも、ようやくこの便の異常な雰囲気を察する。 「な、なにこの声、お経!? ひょっとしてもう祟り始まってるの!?」 「あれ河童の家か!? 無断で写したら絶対ヤバいカルトじゃない��……ゲッ、あっちは狸おじさん!? これどこも撮れないぞ! くそ、ヘルメットカメラは預け荷物だし……」  タナカDはカメラマイクだけ生かした状態で、ファインダーを下に向ける。 「音声オンリーだ! 二人とも、実況して!」 「今それどころじゃないでしょ!? 墜落したら化けて出て、あなた方を祟ってやる!」 「そしたら私達全員死ぬから無理じゃん!」 「確かに!」 「「いやああぁ~~~っ!」」  おおよそプロ根性に物を言わせてトークを繋ぐが、こんな危険すぎる状況を実況したところでオンエアできるんだろうか。毛虫は拳を叩きつけるように身をガラスに打ちつけ、飛行機を破壊しようと試みる。いくら今最旬の霊能者集団が搭乗しているとは言えど、空中を高速移動中のこの状況では手も足も出ない! このまま千里が島に到着する事なく、MAL五八便は私達の棺桶になってしまうのか!? この場にいる大部分の人間が絶望しかけた、その時だった。 「かっぱさんチャント詠唱!」  突然牛久大師がシートベルトを外し、スクッと立ち上がった! 「かっぱさんチャント……」「そうだ! チャントを唱えよう!」 「「チャントをちゃんと唱えるぞ!!」」  教祖の鶴の一声で、狼狽していた他の河童信者達が次々に統率を取り戻していく。ていうか今、ダジャレ言ったような……? 「せーのッ! かっぱっぱーの、かっぱっぱーの、かっぱっぱーの、パァー! ホオォイ!!」 「「かっぱっぱーの、かっぱっぱーの、かっぱっぱーの、パァー!」」  河童の家一同は全員一糸乱れぬ動きで、ピカピカに剃りあげた頭頂部を両手で撫でながらチャントを詠唱する。ヤバい。カルトヤバい。この状況でふざけているとしか思えない事を大真面目にやってしまうカルトってヤバい! 私が今まで見てきたどんな悪霊や怪物よりも怖すぎる!! しかもこの恐れは直後、更なる絶望へと変わった。 「……ぱっぱーの、かっぱっぱーの、かっぱっぱーの、ぱー」  玲蘭ちゃんがチャントに参加した! 何で!? 「かっぱっぱーの……一美もやって!」 「はぁ!?」 「そうとも!」  激震する機内で、転倒することなく仁王立ちの牛久大師が叫ぶ。 「君達だけじゃあないぞ。加賀繍さん、後女津さん! 死にたくなければ皆ちゃんとチャントするんだァ!」 「あぁ?」 「はい!?」  突然話に加えられた加賀繍さんと斉一さんが牛久大師を見る。ていうかやっぱりダジャレ言ってるよね!? 「じょっじょ、冗談じゃないわよーッ!」 「どーしてこんな時にそんなオゲヒンな事しなきゃいけないの!?」  肘掛けや前席のハンドルにしがみついたまま、加賀繍さんを囲うおばさま軍団が吠えた。 「そ、そうだそうだ! てーか俺河童じゃなくて狸だし……」 斉二さんも風水結界を押さえながら反論! 「うっちゃあしい、しみじみやらんか! 狸もだ!!」  うるさい、真剣にやれ! といったような方言だろうか。地元の会津弁に似ているからなんとなく意味はわかる。そして大師は斉二さんにも返事したからやはりモノホンのようだ……ええい、こうなったらままよ! 「かっぱっぱーの! かっぱっぱーの! かっぱっぱーのーパァー!」  国際女優紅一美、花の二十二歳。チャント参加! 生き残るためなら何だってやってやる! 「一美ちゃん!? マジなの!?」 「嫌々に決まってるじゃないですか、こんな狼藉あっていいわけない! でもやらなきゃみんな死んじゃうんでしょ!?」 「じゃ……じゃあ河童教が怨霊やっつけてくれるの!?」 「そんなの知りませんよ、私霊能者じゃないもん!」 「も……もぉーっ、わかったよ! 私達もやろう! タナカD! ほらかっぱっぱーの、かっぱっぱーの!」 「ええぇ!? か、かっぱっぱーの、パァー!」 「「かっぱっぱーの、かっぱっぱーの、かっぱっぱーの、パァー! かっぱっぱーの、かっぱっぱーの、かっぱっぱーの、パァー!!」」  もはや藁にもすがる思いで、客室にいる全員がかっぱさんチャントを唱える。揺れ続ける機内、加賀繍さんも万狸ちゃんも客室乗務員さんも、喉が痛くなるほど叫ぶ! すると増幅チャントが段々クヮンクヮンとハウリングを起こし、機内に奇妙な一体感が充満し始めた。 「「かっぱっぱーの、かっぱっぱーの……」」  ここで河童信者の一人が立ち上がる! 「総員、耳を塞げーーーーッ!」 「「かっぱっぱーの、【【【ハウヮアーーーーッ!!!!】】】  クワアアアーーーーァァン!!! 一斉に耳に手を当てた河童信者達に倣い私達も耳を塞ぐと、直後牛久大師の口から人間とは思えないほどの爆音が発せられた! 両手で側頭部を押し潰すほど耳を塞いでいるにも関わらず、頭が割れる程の大声だ。判断が遅れていたら失聴は免れなかっただろう! ただそれでも、分厚いガラスが二重にはまっている飛行機の窓から機外へチャントが届くのか……? と疑ったその時。怪物芋虫に覆われて薄暗くなっていた機体右側が、フッと急に明るくなった! あまりに一瞬の出来事で何が起きたかわからなかったけど、不思議な事に……芋虫がいなくなっている!? 「河童の家の勝利だ!」 「うおおぉー!」「かっぱっぱーの、勝ったったー!!」「大師! 大師!」  勝利を讃え合う河童の家とは裏腹に一同呆然としていると、いつの間にか機体の揺れも嘘のように治まっていた。  ポーン。 『皆様、当機は只今乱気流を抜けたため、これより着陸態勢に入ります。現在着陸予定時刻より三十分遅れとなっております、お忙しい中ご迷惑を……』  何事もなかったかのように、また悠長でこじんまりとしたアナウンスが流れ始めた。どの霊能者もしたたびチームもそれぞれ、安堵と疲労で背もたれにしなだれ掛かる。  それにしても冷静になって思い返せば、あの芋虫のような怪物には心当たりがある。あれは以前戦った物と似ていた。千里が島にどのような怨霊が棲んでいるのか、私はなんとなく目星がついた。寧ろ気になるのは河童の家だ。あのふざけたチャントと牛久大師の力は、一体どういう仕組みだったのか…… 【共鳴透過という言葉をご存知かな? ワヤン不動(ふどう)君】  ……え? 【狭い中空層を隔てて並ぶ二枚のガラスは、音が共鳴して反対側に届くのだ。飛行機の窓ガラスも然もあらん】  離れた席から大師の声が鮮明に聞こえる。頭に直接響くテレパシーとはまた違った感覚で、まるでイヤホンをしているように耳に音が入ってくる。振り返ると、大師は口をぽかんと開けたまま私を見つめていた。 【不思議に思っているかね? なに、簡単なことさ。この力の源はエロプティックエネルギー。すなわち君の影法師と同じ、霊力ではなく念力由来の物だ。俺は念力であらゆる周波数の音波を生み出し、口から発する事が出来る。霊が嫌がる周波数もだ。それを増幅するのがかっぱさんチャントだったという訳さ】  エロプティックエネルギー!? まさか、じゃあこの人も、霊能者じゃなくて特殊脳力者なの!? それに、『ワヤン不動』って……。私は牛久大師の言葉の真偽を確かめるべく、脳力について研究している極秘医師団、『国際超脳力研究機関(NIC)』のシンボルマーク影絵を見せてみた。すると彼はニタリと口元を綻ばせ、たった一言、確信的な返答を私の耳に届けた。 【なぁに、俺はただの『関係者』だよ】
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monqu1y · 4 years ago
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王様の自滅  自国を滅ぼす方法など
⦅操縦七術[韓非]から続く⦆
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〖国を滅ぼす王様の特徴〗 01_王様が宮殿や庭園の建築にうつつをぬかし、車や衣服珍品集めなどの道楽に凝って、国民から絞りあげては浪費する。   殷 ( いん ) の 紂 ( ちゅう ) 王が象牙の箸をつくらせた。   箕子 ( きし ) (紂王の叔父。狂ったふりをして身を守った)は恐怖を覚えた。  彼はこう思ったのだ。  象牙の箸となれば、汁のうつわも素焼きの土器ではすまなくなる。  きっと 犀 ( さい ) の 角 ( つの ) か玉でできた豪華なうつわを使うだろう。  玉のうつわに象牙の箸ということになれば、豆や豆の葉という質素な料理ではすまなくなる。  きっと 旄牛 ( からうし ) ・象・ 豹 ( ひょう ) の胎児などの美味珍味とならざるをえない。  こうした美味珍味を食べるとなれば、着るもの住む家も普段着や 茅 ( かや ) 葺きではすまなくなる。  きっと 錦 ( にしき ) を重ね、広大な屋敷をつくるだろう。  こうして釣り合いを求めていけば、いつしか天下の富を根こそぎつぎ込んでも、まだ不足する。  ほんの小さな兆候候をも見逃さず、始まりを見て結末を察知するのが聖人だ。  箕子が象牙の箸を見て恐怖を覚えたのは、その段階で、天下全体ものを使っても不足する結果を見抜いたからだ。   殷 ( いん ) の 紂 ( ちゅう ) 王は、部屋の窓を閉ざして明かりを灯し、百二十日を一夜として「酒池肉林」の宴を続けたために、日がわからなくなってしまった。  「さて今日は何日だったかな」と、お側の者にたずねたが、誰一人としてわからない。  そこで、 箕子 ( きし ) のもとに使いを出して、たずねさせた。  箕子は家臣にこう言った。  「天下の 主 ( あるじ ) となりながら、国中誰も日がわからないという。  これでは天下は保てまい。国中誰もが知らないことを、わたし一人が知っていたとなれば、わが身があぶない」。  そして、自分も酔ってわからない、と使者に答えたという。  桓公が管仲に尋ねた。「富には限界があるのだろうか」。  「水の限界は水のなくなるところ、富の限界は人がそれに満足したところです。ところが、人間は満足することができず、富をむさぼって、ついには身を滅ぼしてしまいます。これが富の限界でしょうか」。   紹績昧 ( しょうせきまい ) は酒に酔って寝てしまい、皮の上着をなくした。   宋 ( そう ) 王が不思議に思って、彼に聞いた。  「酒に酔ったくらいで皮の上着までなくすものか」。  「 夏 ( か ) の 桀 ( けつ ) 王は酒で天下をなくしました。それゆえ 康誥 ( こうこう ) (書経の一篇)には『酒を 彛 ( い ) するなかれ』とあるのです。酒を彛するとは、酒を常にするという意味です。酒を常飲すれば、天子は天下を失い、庶民も自分の命を失うのです」。  昔、 弥子瑕 ( びしか ) という美少年が、 衛 ( えい ) の 霊 ( れい ) 公の寵愛を受けていた。  衛の法律では、許しなく王様の車に乗った者は、足切りの刑に処せられる。  ところが、弥子瑕は夜中に母が急病だという知らせを受け、君命といつわって王様の車を使った。  それを聞いた霊公は、罪を問うどころかほめるのだった。  「親孝行なことではないか。母を思うあまり、自分が足を切られるのさえ忘れるとは」。  また、ある日、霊公のお供をして果樹園に散歩に行ったとき、弥子瑕が桃を食べたところ、あまりにおいしいので、半分残して霊公に薦めた。  霊公は、「王様思いではないか。自分が食べるのを忘れてまで、わしに食べさせてくれるとは」。  だが、やがて弥子瑕の容色が衰えて、霊公の寵愛がうすれてきた。  すると、霊公は、弥子瑕が前にしたことに腹を立てて、「こいつは、嘘までついてわしの車を使ったことがある。またいつぞやは、わしに食いかけの桃を食わせおった」。 02_吉だ凶だと日柄を気にし、 鬼神 ( きしん ) をありがたがり、占いの結果を真に受けて、何かといえば、 祭祀 ( さいし ) をやりたがる。亀の甲に穴を開けて火であぶったり、 筮竹 ( ぜいちく ) を数えて占った結果に従って戦をした 燕 ( えん ) や 趙 ( ちょう ) は、負けることが多かった。 03_限りない欲張りで、利益とみれば見さかいなく飛びつく。   宋 ( そう ) の国に 監止子 ( かんしし ) という金持ちの商人がいた。  あるとき、他の商人と時価百金の 粗玉 ( あらたま ) を 競 ( せ ) りあったことがある。  監止子はまちがったふりをして粗玉を落とし、傷をつけた。  百金の弁償をして引き取り、きれいに傷を磨き落として売ったところ、千金あまりの大金を得た。  一般に、何かを行って失敗しても、何もやらなかったよりもましな場合がある。  監止子のように、タイミングよく責任を引き受けた場合がそれだ。 04_法に基づかず、無原則に刑罰を加える。空理空論に耳を傾け、現実に役立つかどうかを考えない。外見を飾り立てて、実用を無視する。 05_独善的で協調性がなく、 諫言 ( かんげん ) されればむきになる。国家全体のことを考えずに軽率に動き、しかも自信満々だ。  食客のなかに、不老長寿法を教えるという者がいたので、 燕 ( えん ) 王は家来のひとりに習わせたが、その家来がまだ習い終えないうちに、食客は死んでしまった。燕王は怒って家来を殺した。食客が自分を騙したのに気づかず、習い方が遅いといって死刑にしたのだ。道理に合わないことを信じて罪のない家来を殺すとは、また浅はかなことであった。  誰でも一番大切なのは自分の体のはずだ。その自分が死を免れないでいて、他人の燕王を不老長寿にすることなどできるはずがない。 06_王様がずぼらで、およそ反省ということをせず、どんなに国が乱れていても自信満々で、自国の経済力を考えずに、隣の敵国を組みしやすしとする。 07_国が弱小であるのに、尊大にふるまい、強国を警戒しない。国境を接している大国をバカにして、礼をもって対しようとしない。  昔、晋の公子 重耳 ( ちょうじ ) が亡命し、曹に立ち寄った。  曹の王様は服をはだけさせて重耳を見せ物にした。  そのとき 釐負羈 ( きふき ) と 叔瞻 ( しゅくせん ) が曹の王様に付き添っていた。  叔瞻は曹の王様に申した。私、晋の公子を観ましたところ、ただ者ではございません。王様はこれに無礼をなさいました。彼がもし時を得て国に帰り、挙兵すれば、恐らく曹の害となりましょう。王様はこれを殺してしまうのがよいでしょう、と。  しかし曹の王様は聴き入れなかった。  釐負羈は帰って浮かぬ顔をしている。  妻が問うた。あなたは外から帰ってきて浮かぬ顔をしておられるのは何故ですか、と。  釐負羈は言った。私はこう聞いている。良いことには 与 ( あずか ) らず、悪いことには連なる、と。今日我が君は晋の公子を招き、無礼をはたらいた。私はそのとき付き添っていたので浮かぬ顔をしているのだ、と。  妻は言った。私が晋の公子を観るに、大国の主のようです。その左右の従者は大国の宰相のようです。それが今、窮乏して曹に立ち寄り、曹はこれに無礼をはたらきました。これがもし国に帰ることになりますと、必ずや無礼を 誅 ( ちゅう ) しましょう。曹はその手始めとなりましょう。あなたはどうぞ今のうちに 誼 ( よしみ ) を通じておきなさいませ、と。  釐負羈は言った。よろしい、と。  黄金を壺に盛り、食べ物で蓋し、玉壁をその上にのせ、夜、使者を公子に遣いさせた。  公子重耳は使者に会い、再拝の礼で食べ物を受け取り、玉壁は辞退した。  公子は曹から楚に入り、楚から秦に入った。  秦に入って三年、秦の 穆公 ( ぼくこう ) は群臣を集め 謀 ( はかりごと ) をして言った。昔、晋の献公と私が仲良く交流していたことは諸侯のうちで知らぬ者はいない。献公は不幸にも群臣から離れて亡くなり、十年が経つ。その 世嗣 ( よつ ) ぎは出来が良くない。私は心配だ。このままでは晋の 宗廟 ( そうびょう ) は清く保たれず、 社稷 ( しゃしょく ) の供物が絶えはせぬかと。このような状態にもかかわらず晋の足元を固めてやらないのは、献公との交流してきた道に反する。私は重耳を助けて晋に入れようと思うが、どうであろうか、と。  群臣は皆言った。よろしゅうございます、と。  穆公はそこで挙兵した。  革鎧の戦車五百乗、騎兵二千、歩兵五万、重耳を助けて晋へ入れ、立てて晋君にした。  重耳は即位して三年後、挙兵して曹を 伐 ( う ) ちに向かった。  そこで重耳は使者を送って曹の君主に告げさせた。叔瞻を城壁から懸け下ろして出せ、私が殺して処刑してやる、と。  また使者を送って釐負羈に告げさせた。我が軍勢が城に迫っている。私はあなたが礼に 背 ( そむ ) かなかったことを知っている。あなたの住まいに目印をたてておかれよ。私は命令して軍勢がそこを攻めぬようにさせよう、と。  曹の人々はこれを聞き、親戚をかき集めて釐負羈の住まいへ逃げ込む者が七百余家にも及んだ。 08_王様が臆病で信念が貫けない。すなわち予測するだけで決断ができず、やらなければと思うだけで手が下せない。   呉 ( ご ) 王の 闔廬 ( こうりょ ) が、 楚 ( そ ) の都の 郢 ( えい ) を攻め、三戦三勝した。  呉王は 伍子胥 ( ごししょ ) に意見を求めた。  「このぐらいで引き揚げてよいだろう」。  「いけません。人を 溺死 ( できし ) させようとするとき、一飲みさせたところで、止めたのでは、溺死するわけがありません。手をゆるめず押さえつけ、このさい、徹底的に沈めてしまうべきです」。 09_都合が悪ければ理屈をつけて法をまげ、何かにつけ公事に私情をはさむ。その結果は 朝令暮改 ( ちょうれいぼかい ) 、次から次へと新しい法令が発せられる。   斉 ( せい ) が 魯 ( ろ ) を破ったとき、魯の宝である 讒 ( ざん ) という 鼎 ( かなえ ) を要求した。  魯はニセ物を持って行かせたが、見破られてしまった。  「ニセ物ではないか」。  「いや本物です」。  「それでは貴国の 楽正子春 ( がくせいししゅん ) ( 曾子 ( そうし ) の弟子)を連れて来てもらいたい。彼なら信用できる」。  魯王は楽正子春にうまくごまかしてくれるように頼んだ。  楽正子春は魯王に尋ねた。  「なぜ本物を持って行かせなかったのです」。  「本物は惜しいからさ」。  「わたしも自分の信用を惜しみます」。 10_もともと地の利に恵まれないうえに、城郭も欠陥だらけ、物資の蓄えはなく、生産力も低い。すなわち長期戦に耐える力がないのに、軽挙妄動して戦いをしかける。 11_視野が狭くてせっかちで、 些細 ( ささい ) なことで簡単に行動を起こし、すぐにカッとなって前後の見境がつかなくなる。 12_怒りっぽいうえに戦好きで、本務たる農政に力をいれず、何かといえば武力を発動する。  大臣を侮辱してプライドを傷つける。庶民に厳しい刑罰を加えて、過酷な使役に駆り立てる。これを当然のこととして繰り返せば、謀反を 企 ( たくら ) むものが、必ず現れる。 13_王様が大利を目前にして傍観するばかり、また禍いを予測していながら対策を立てようとしない。そして防衛ということにまったく無知でありながら、「仁義」によって自己の行為を飾り立てようとする。 14_雄弁だが「法」という筋が通っていない。聡明ではあるが、肝腎の「術」を心得ていない。能力そのものはあるのだが、「法」によって事を運ぼう��しない。 〖本心を隠す〗  王様が心の 裡 ( うち ) を見透かされると、 家来 《 けらい 》 たちに付け込まれる。   楚 ( そ ) の霊王が細い腰の美人を好むと、 楚 ( そ ) の都には絶食して痩せようとする者があとをたたなかった。   臥薪嘗胆 ( がしんしょうたん ) の故事で有名な越王 勾践 ( こうせん ) は、勇者を好んだ。越の決死隊は、呉の陣の前で一斉に自分の首を 刎 ( は ) ねた。呉軍の兵卒は、あっけにとられ、その隙に奇襲攻撃をかけられて総崩れとなった。   斉 ( せい ) の桓公は好色で嫉妬深かった。 豎刁 ( じゅちょう ) は、自ら去勢手術を受けて、後宮の 宦官 ( かんがん ) になり、信頼を得て大臣に任命された後、謀反を起こして桓公を部屋に閉じ込め飢え死にさせた。  桓公は食い道楽でもあった。料理人の 易牙 ( えきが ) は、自分の長男を蒸し焼きにして差し出した。易牙も、豎刁の謀反に参加した。   燕 ( えん ) の 子噲 ( しかい ) は人格者を好むと思われていた。大臣の 子之 ( しし ) は、国を譲られても受けないと公言して信頼を得、政治を任されて実権を奪った。伝説時代に、 堯 ( ぎょう ) という天子がいて、 許由 ( きょゆう ) という隠者に天下をゆずろうとしたが、許由は受けず、耳が穢れたといって耳を洗ったという。子噲は子之が辞退するのを確かめておいて、堯のまねをしたのに、子之の方が上手だった。  王様が好悪を見せなければ、家来は素を表わし、王様はだまされない。   堂谿 ( どうけい ) 公が、 韓 ( かん ) の 昭 ( しょう ) 侯に尋ねた。  「 価 ( あたい ) 千金の 玉杯 ( ぎょくはい ) があったとする。もし底がなかったとしたら、これに水を入れることができるでしょうか」。  「だめだ」。  「では素焼きの器があるとする。これには底があって漏らないとしたら、酒をつぐことができるでしょうか」。  「できる」。  そこで堂谿公は言うのだった。  「素焼きの器はとるにたらぬ粗末なものですが、漏りさえしなければ酒をつぐこともできます。価千金の玉杯はまことに貴重なものですが、底がなくて漏るとしたら、水さえ入れることができません。まして、これに飲み物を入れる者があるでしょうか。家来の言葉を他人に漏らす王様は、ちょうど底の抜けた玉杯のようなものです。いくら王様に知恵があっても術をつくすことができないのは、人に漏らしてしまうためです」。  それからというもの昭侯は、大きな計画を考えているときには、必ずひとりで寝た。  寝言を聞かれて、他人に計画が漏れることをおそれたのだ。  斉国の正室が亡くなったとき、大臣の 薛 ( せつ ) は、 威 ( い ) 王の意中の人を新しい正室に 推薦 ( すいせん ) しようと考えた。薛は、玉の耳飾り九組に特に美しい耳飾りを一つ加え十組にして王に献上した。翌日、薛は、特に美しい耳飾りをしている側室を確認して王に推薦した。 〖信ずる者は 騙 ( だま ) される〗  王様が妻を信じたら、腹黒い家来は王様の妻を利用して私欲をとげようとする。   優施 ( ゆうし ) という役者は、 晋 ( しん ) の 献 ( けん ) 公の愛妾 麗姫 ( りき ) に取り入り、世継ぎの 申生 ( しんせい ) を殺して、麗姫の子 奚斉 ( けいせい ) を擁立した。  王様が我が子を盲信すると、腹黒い家来は王様の子を利用して私欲をとげようとする。  趙の武霊王(在位 前325年~299年)は 胡服騎射 ( こふくきしゃ ) (騎馬民族の戦法)をいち早くとりいれ、趙を軍事的に発展させたが、寵愛した恵后のために後継問題の処理を誤った。太子に決まっていた長子 章 ( しょう ) を廃嫡して、恵后の子 何 ( か ) (恵文王)に王位を譲り、自分は 主父 ( しゅほ ) と称して院政をしいたが、恵后の死後、廃嫡した長子 章 ( しょう ) の処遇に迷い内乱を起こさせてしまった。主父も、 沙丘 ( さきゅう ) の別宮で三箇月包囲されて餓死した。そのときの包囲軍の指揮官は 李兌 ( りたい ) だった。  妻子でさえ裏切ることがあるのに、他人である家来を信じたら、 悲惨 ( ひさん ) な結果が待っているかもしれないことを知らなければならない。  王様の世継ぎが立てられたら、妻は、我が子の即位を待ち望むもの。  男は五十になっても色好みはやまないのに、女性は三十になれば容色は衰える。  衰えた容色で色好みの夫に仕えれば、疎まれ 貶 ( さげす ) まれるようになり、「これでは我が子は、あとを継げないのではないか」と、妻は疑う。我が子が王様の座につけば、何でも命令できるし、嫌なことも禁止できる。男女の楽しみは、夫の死後も以前にも増して楽しめる。大国を思いのままに動かしても、誰からも文句は出ない。  毒を盛ったり、闇打ちをしたりのお家騒動が尽きないのも、こういうところに原因がある。   桃佐春秋 ( とうさしゅんじゅう ) には、「まともな死に方をする王様は半数に満たない」と書かれている。   魏 ( ぎ ) 王が 楚 ( そ ) 王にひとりの美女を贈った。   楚 ( そ ) 王はこの美女がすっかり気に入った。   楚 ( そ ) 王の側室 鄭袖 ( ていしゅう ) は王がこの美女を可愛がるのを見て、王が可愛がる以上に自分も可愛がり、衣裳でも何でも彼女の欲しがるままに与えていた。  王はそれを見て言った。  「 鄭袖 《 ていしゅう 》 はわたしがあの女を可愛がるのを知って、わたし以上に可愛がってやっている。まるで親孝行な子が親をおもい、忠臣が王に仕えるようではないか」。  …「王様は自分が嫉妬していないと信じている。これでよし」と思った 鄭袖 《 ていしゅう 》 は美女に「王様は女性が手で口を覆う仕草が好きだから、王様に近づくときは手で口を覆うようにしなさい」と教えた。美女はその話を信じ、始めて王様とのお目見えする際にさっそくその仕草を実行する。事情を知らない王様がその理由を周囲に尋ねると、鄭袖が「あの女は王様の匂いを嫌って手で鼻を覆っているのです。」とウソを付いた。王様は、激怒し、美女の鼻を削ぐよう命じた。 〖人材活用〗   楚 ( そ ) が 陳 ( ちん ) を攻めたとき、 呉 ( ご ) は陳を助けた。   楚 ( そ ) ・ 呉 ( ご ) 両軍は三十里をおいて 対峙 ( たいじ ) した。  ある夜、十日も降り続いた雨がやみ、星が見えた。   楚 ( そ ) の 左史 ( さし ) の 倚相 ( いしょう ) は将軍の 子期 ( しき ) に言った。  「十日の雨のあいだに、呉軍は準備をととのえたはずです。きっと攻めてくるにちがいありません。備えた方がよろしいでしょう」。  そこで、 楚 ( そ ) 軍は、陣形をととのえたが、はたして、準備が終わるか終わらないうちに、呉軍がやって来た。  しかし、 楚 ( そ ) 軍に備えがあるのを見ると、戦わずして引き返した。  左史は言った。  「呉軍は往復で六十里歩かなければなりません。帰れば疲れて将軍は休む、兵士は食事をするはずです。一方わが方は三十里ですみます。すぐ攻めれば勝てましょう」。   楚 ( そ ) 軍は呉軍を追いかけ、これを破った。  孟嘗君率いる斉・魏・韓の連合軍が函谷関に攻めてきたとき、秦の昭襄王は大臣に「三国の兵が秦に深く攻め込んでいる。河東郡の数県を与えて和睦しようと思うが、どうか」と尋ねた。  大臣は、「河東郡の数県を与えるのは、大きな損失です。王子様とご相談なさってはいかがでしょうか?」と答えた。  王様から相談された王子は、「和睦してもしなくても、後悔は避けられません。…和睦したら、『三国はもともと引き上げようとしていたのに、むざむざ三城もただでやってしまった』と、後悔するでしょう。…和睦しなかったら、 韓 《 かん 》 に集結した三国軍に大損害を与えられ、『しまった、三城をやらなかったばかりに、こんなことになってしまった』と、後悔するでしょう。」と答えた。  昭襄王は、「後悔するのなら、三つの城を失って後悔する方が、国が危険な状態になって後悔するより余程マシだ。」と考え、和睦を決めた。   管仲 ( かんちゅう ) と 鮑叔 ( ほうしゅく ) が相談をした。  「このご乱行では 斉 ( せい ) の 御代 ( みよ ) も変わるにちがいない。斉の公子のなかで、将来性のあるのは 糾 ( きゅう ) さまか、 小白 ( しょうはく ) さまだ。この二人にわれわれは一人ずつ仕え、先に出世した者が他を引き立てることにしよう」。  こうして管仲は糾に、鮑叔は小白に仕えた。  はたして斉は混乱状態におちいり、王様が殺された。  そしてまず小白が亡命先から帰国して王様の座についた。  管仲は糾とともに 魯 ( ろ ) に逃れていたが、魯の人につかまって小白に引き渡されたが、鮑叔の口添えによって宰相になることができた。 〖王様への意見の出しかた〗  [説得]は、相手の心を正確に見ぬき、自分の意見をそこに合わせることが必要。知識や弁舌だけでは不十分。  名声の高さを求める相手に、利を得る術を説けば、下劣で卑しい奴と思われ、遠ざけられる。利を求める相手に、名声の高まる術を説けば、気配りできず現実に疎い者と思われる。  名声を大切にしているように見せかけながら、内心では利を求めている相手に、名声の高まる術を説けば、得心した様子を見せられながら、実際には疎んじられるだろう。逆に利を得る術を説けば、得心させても、用いられることはない。 01_王様が自分の利益を満たそうとしているときには、国法を述べてそれを強制する。それでも欲望を捨て切れないときは、欲望に理屈をつけてやる。実行に移せない道義には、とやかく言わないでおく。 02_理想が高すぎて非現実的なときは、理想の欠点をあげ、実行しない。それは難しいでしょうなどと、ケチをつけてはならない。 03_知識・見識に自信もってる相手には、同類の別の事例を挙げて下地を準備しておき、相手が自ら選ぶように仕向けて、そしらぬ顔をする。 04_他国と友好関係を保つように説得するには、立派な名目を上げてやり、それとなく自分の利益にもなることを示す。 05_国の害になることを分からせるには、道義に反しているとはっきり言い、自分の損にもなると分からせる。 06_直接相手を誉めるよりは、相手と同じ事をしているものをほめ、他の事で王様の計画と同じものがあれば、そのことを議論で取り上げた方が効果がある。 07_王様と同じ失敗をした者は、たいした過失ではないと言って弁護しておく。相手がよい計画だと思っているのに、悪いところをあげつらって追いつめてはいけない。 08_長い月日を経て、王様の信任も厚くなり、立ち入った策を奏上しても疑われず、王様と言い争っても罰せられなくなったならば、堂々と利害を判断して述べ、自分の意見を実現化して事の是非をずばりと述べることを身上とする。こうして王様と対等の関係を保てるようになれば、これこそが献策の最上のものとなる。 〖 和氏 《 かし 》 の 璧 ( へき ) 〗  昔、 楚 ( そ ) の国に 和氏 ( かし ) という男がいた。  あるとき、彼は 楚 ( そ ) 山の山中で 粗玉 ( あらたま ) を見つけ、これを 厲 ( れい ) 王に献上した。  厲王は宝石師に鑑定させた。  「これは、ただの石でございます」。と宝石師は言った。  厲王は和氏をペテン師として足切りの刑を命じ、左足を切らせた。  厲王が死に、 武 ( ぶ ) 王が即位した。  すると、和氏はまた同じ粗玉を献上した。  武王は宝石師に鑑定させた。  「石でございます」。と宝石師が言った。  武王は和氏をペテン師として足切りの刑を命じ、右足を切らせた。  武王が死に、 文 ( ぶん ) 王が即位した。  今度は和氏は粗玉を抱き、 楚 ( そ ) 山のふもとで泣き続けるのだった。  三日三晩がたった。  涙は枯れはてて、眼に流れるものは血であった。  文王はそのことを聞くと、和氏のもとに人をやってわけを尋ねさせた。  「世の中に足切りの刑にあった者も多いが、どうしておまえは、そんなに悲しげに泣くのか」。  「わたくしは足を切られたことが悲しいのではありません。宝石が石ころだと言われ、正直者がペテン師だと言われた。それがわたくしは悲しいのです」。  文王は、宝石師にその粗玉を磨かせてみた。  はたしてそれは宝石であった。  その宝石は、彼の名をとって、「 和氏 ( かし ) の 璧 ( へき ) 」と呼ばれた。  宝石というものは、王様が喉から手が出るほど欲しがるものだ。  そして 和氏 ( かし ) が献上した 粗玉 ( あらたま ) が、もし宝石でなかったとしても、王様が何の損をするわけでもない。  それにもかかわらず、和氏は両足を切られてから、はじめてその粗玉が宝石であると認められたのだ。  王様が欲しがる宝石でさえ認められるのは、これほど困難なのだ。  ところが[法・術]となると、王様は「和氏の 璧 ( へき ) 」のようにこれを欲しがってはいない。  王様たちは、それほど熱心に家来や国民のかげの悪事を抑えようとはしていないのだ。  [法・術]を主張する者が、王様に殺されずにいるのは、彼がまだ[法・術]という粗玉を献上していないからにすぎない。  王様が「術」を使ったとしたら、大臣が政治を専断することも、側近が王様の威を借りることもなくなるだろう。  「法」が国に行きわたれば、流民の 類 ( たぐい ) は姿を消し、すべての国民は農耕に追いやられ、事あるときには戦場で生命の危険をおかすことになるだろう。  つまり[法・術]は、家来と国民にとっては、 禍 ( わざわい ) となるものだ。  したがって、王様が、大臣の反対と国民の非難を押しきって、[法・術]に耳を傾けようとするのでなければ、たとえ命を進言したとしても、[法・術]が王様に取り上げられる見込みはない。 〖使いこなせない者とは〗  もし人が衣服を着ることもなく、食事をとることもないのに、餓え凍えることがなく、また死もこわくないとすれば全て満ち足りており、お上に仕える気はとんとならないであろう。すると、王様によって支配されることを嫌う気持ちになる。そのような人物は、臣下として使いこなすことはできない。 〖小さな信用を重ねる〗   呉起 ( ごき ) は外出先で知人に出会い、食事に招いた。  知人は承知して、「のちほど伺うから、それまでお待ちいただきたい」。  「では、あなたがおいでになるまで、お待ちいたしましょう」、呉起はそう答えた。  その知人は日暮れになっても来なかった。呉起は食べずに待った。  そして、翌朝、知人を呼びにやり、彼が来てから食事した。  越王 勾践 ( こうせん ) が呉王 夫差 ( ふさ ) を攻め、 降伏 ( こうふく ) させた。  呉王夫差が謝罪して 赦 ( ゆる ) しを願った。  越の大臣たちは、越王勾践に、「天命が[越]を与えようとしたとき[呉]が受け取らなかったから、今、天命は[呉]を[越]に与えようとしているのです。天意に 背 ( そむ ) いてはなりません。」と言った。  呉の大臣は、越の大臣に手紙を送った。「すばしっこい兎が狩りつくされてしまうと、猟犬は煮て食べられる。敵国が滅びると、軍師は殺される。呉を赦して残せば、貴方はまだまだ仕事ができる。」  越の大臣は、これを読んで大きくため息をつきながら、「呉が滅べば私は用無しになるのか…」とつぶやいた。
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sorairono-neko · 6 years ago
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Yours forever
 勇利は幼いころ、ヴィクトルと会ったことがある。遠くから見かけたというようなかるいものではなく、きちんと対面し、言葉を交わし、ほほえみあって親しくふるまったのだ。ヴィクトルはその逢瀬を「デート」だと表現した。そのころ勇利はデートというなりゆきの特別性なんてまるでわかっていなかったのだけれど、ヴィクトルのその物言いと優しいまなざしには苦しいほどのときめかしさをおぼえ、それから数日はよくねむれなかった。いまでも、そのおりのことをベッドに入ってから思い出せば目が冴えてしまう。勇利にとってあれは、いつまでも色褪せることのない、あざやかですてきな記憶なのだ。  ヴィクトル自身は、もうおぼえていないだろうけれど……。  そのとき勇利はジュニアの選手だった。ヴィクトルはシニアで戦っていたが、まだ髪が長いころだ。あのうつくしい髪をなびかせて氷上で舞うヴィクトルに、勇利はどれほどあこがれたか知れない。ヴィクトルの映像を見てはまねをしてすべり、ヴィクトルならこう、ヴィクトルはもっとジャンプが高い、と彼みたいになりたくて一生懸命だった。あこがれるあまり髪も伸ばしていたし、ようやく結わえられるようになったそれを後ろでちょこんとまとめてすべっていると、ヴィクトルと同じだ、と思えてうれしかった。まだそれほどの長さではないため、激しく踊ればみだれてきて、いくすじも落ちかかってしまうのが悩みの種だったけれど、でも切ってしまおうとは思わなかった。  ヴィクトルの試合をこの目で見たい、といつもねがっていた。画面の中ではなく、すぐそこにいる彼を感じたい。きっとヴィクトルはテレビで見るよりずっと速度があって、もっと迫力のある演技をするのだろう。どうしても彼の演技を同じ空間で見たい、と勇利は、苦しいほどに切望していた。  毎日ねがいをかけたから、神様が聞き入れてくれたのか、勇利は思ったより早くその機会に恵まれた。関係者として観戦してよいとスケート連盟から許可されたのである。グランプリシリーズだったのか、世界選手権だったのか、よくおぼえていない。ヴィクトルに会える、ということがあまりにうれしく、こまかなことは記憶から抜け落ちているのである。  演技のあとは、もちろん花を投げ入れるつもりだった。それから、できれば手紙も渡したい。しかし、花束にまぎれこませることは考えなかった。ヴィクトルに絶対に読んでもらいたいけれど、ヴィクトル以外には読まれたくない。ヴィクトルが贈られる花の数は尋常ではない。そんな中から勇利の手紙をまちがいなく彼が抜き取ってくれるなんて、そんなことがあるはずがないと、勇利は断定していたのである。しかし、手紙は書いた。もしかしたら、廊下で偶然会えるかもしれないではないか。そのときになって、何も持っていないと悔やんでも遅い。できることはしておかなければ。  だが勇利は、そこまでの幸運が起こるはずがないということもまたわかっていた。ヴィクトルの演技を間近で見られるだけでもすばらしいことなのだ。そんな偶然まで神様が気遣ってくれるはずがない。けれど、想像するのは自由だ。勇利は幾度も、勇利が差し出した手紙をヴィクトルが受け取り、「どうもありがとう。とてもうれしいよ」と礼を述べてくれるのを思い浮かべ、しあわせを味わった。  東京の会場まで行き、関係者席で勇利はヴィクトルの演技を見た。付き添いは誰もいなかった。許可証は首からさげているし、いつも自分が試合に出るときみたいにふるまえばよいのだとわかっていたので、不安はいっさいなかった。そんなことより、ヴィクトルを見られる、ということで勇利は興奮していた。ヴィクトルの演技はすばらしく、優美で、華麗で、勇利はすっかり感激してしまった。いままで、きっと生で見られたらこんなふうなんだろうな、と思案をめぐらせたどんな演技より、彼は麗しかった。見ていて泣いてしまったので、まわりの人たちに「大丈夫?」と心配されたほどだった。  ショートプログラムが終わると、あまりに胸が苦しくて何も喉を通らず、勇利はホテルに帰って早々に寝てしまった。夢でヴィクトルと会った。勇利は目を輝かせて言うのだ。 「今日のショート、すっごくすっごくすてきでした!」 「そう? どうもありがとう」  ヴィクトルはにっこり笑ってうなずく。 「見てくれたんだね。うれしいな。勇利のためにすべったんだよ」 「ほ、本当?」 「本当……」  ヴィクトルは優しい瞳をして勇利の髪にふれ、 「黒くて綺麗な髪だね。俺みたいに伸ばすの?」  とささやいた。勇利がまっかになって答えられずにいると、ヴィクトルは身をかがめて、勇利のくちびるに──。 「わっ」  勇利はぱっと目を開けた。カーテンの隙間からきらきらとひかりが差しこんでいる。もう朝か、と身体を起こしたが、胸がどきどきしていて頬が熱かった。  ぼ、ぼく、ヴィクトルとちゅーしそうだった……。  頬に手を当ててうつむく。どうして? そんなふうに一度も考えたことないのに。キスって恋人同士がするものだ。ぼく、ヴィクトルと恋人になりたいのかな。──ヴィクトルと恋人? 「むりむりむりむり!」  なれるとかなれないとかいうことより、そんな次第になったら心臓がいくつあっても足りない。絶対にできない。 「……まあ、心配しなくてもそんなことは起こらないけど」  勇利は息をついた。でも、恋人にはなれなくても、まだフリーの演技がある。そのことを考えると、胸が痛くなるくらいどきどきした。  一日おいて、フリースケーティング当日、勇利は朝から緊張しきっていた。自分の試合より緊張してるかも、と思った。ヴィクトルのフリーを見られる。あのフリー。シーズン当初からみつめてきたプログラムを思い浮かべる。あれが目の前で起こるなんてうそみたいだ。夢のよう……。これは夢じゃありませんように、と勇利はいくたびも吐息をついた。ずっと顔はまっかで、気持ちが高揚していた。  フリースケーティングでのヴィクトルの演技のあと、勇利は席から動けなかった。感動して泣いたし、泣きすぎて頭が痛いし、朝から興奮していて気持ちが疲れていたし、遠出をしてきたことで身体にも疲労があったし、ほとんど何も食べずにいたので、とにかく力が出なかったのだ。ずいぶんと時間が経って、人がだいぶいなくなってから、勇利はよろよろと立ち上がった。帰らなくちゃ、と廊下を歩いていった。でも気持ち悪い。吐き気かな。ちがう気がする。貧血かも。視界が暗い。ここ、もっと明るかったはずだけど。なんだかもやがかかったみたいで……。 「あぶない!」  突然後ろから腕が伸びてきて支えられ、勇利はびくっとして身体をかたくした。 「大丈夫? ふらふらしてると転んじゃうよ」  ものすごくいい匂いがした。すこしだけ汗の匂いが混じっている。選手かな、迷惑かけちゃった、と振り返った勇利は、きらきらと輝く銀髪と、おそろしいほどに整った面立ちを見て息をのんだ。──ヴィクトル。 「どこの子? ジュニアの選手かな?」  ヴィクトルは勇利の着ているナショナルジャージを見てほほえんだ。 「ああ、ジャパン。地元の選手だね」 「…………」 「後ろから見てたら、なんだか足元がおぼつかないみたいだったけど、平気? もしかして具合が悪い?」 「…………」 「誰か一緒に来た人はいないのかい?」 「…………」 「ねえきみ、聞いてる? 英語わかんないのかな……」  ヴィクトルが困ったように髪を後ろへ払った。英語はちゃんとわかっていた。いつかヴィクトルと話したい、と思うようになってから、一生懸命勉強したのだ。ヴィクトルは意識してか、ゆっくりと発音してくれるので、聞き取りやすく、言っていることはすべてわかった。にもかかわらず、勇利は返事ができなかった。口をひらいたら涙がこぼれてしまいそうだったのである。ヴィクトル。ヴィクトルだ。本物のヴィクトル・ニキフォロフ……。 「困ったなあ……」  ヴィクトルがつぶやいた。勇利ははっと我に返り、背負っていたかばんを急いで下ろした。ヴィクトルが目をまるくする。 「あっ、あの、あのあのあのあの、ヴィクトルっ……」  中から、一生懸命書いた手紙を取り出した。ヴィクトルの瞳みたい、と思って選んだすてきな色の封筒だ。 「ぼ、ぼく、ぼくファンですっ……」  勇利は深くつむりを下げ、両手で捧げ持つようにして手紙を差し出した。 「大好きです! 大好き……!」 「…………」  ヴィクトルは何も言わなかった。勇利はぎゅっとまぶたを閉じていた。早く何か言ってよ、と思い、もしかして頭のおかしい子と思われたのかな、と不安になった。どうしよう、変なやつがいるって警備員呼ばれたら……。 「……ありがとう」  すっと手から封筒が抜き取られた。勇利はぱっとおもてを上げる。ヴィクトルは片目を閉じ、くちびるに指を当ててにっこりした。 「日本にこんなにかわいいファンがいたなんて、感激だね。うれしいよ」 「あ……」 「いつか大会で会えるといいね」  かあ、と勇利の顔がまっかになった。勇利はぺこんとお辞儀をすると、「さ、さよなら!」と叫んでいきなり駆け出した。ヴィクトルのもとから逃げ出したのである。ものすごく失礼なことしちゃった、と気づいて落ちこむのは、ホテルの自室に戻ってからだった。 「ああ……ヴィクトル、おかしなやつだと思っただろうなあ……ヴィクトルはファンには優しいからそんなこと口には出さないけど、内心では不審者扱いしてたかもしれない……」  勇利はその夜、疲れからすぐ眠ってしまっ��が、うれしいのにかなしくて、浮かれているのに落ちこんでいて、奇妙なこころもちだった。目ざめると目元が引きつっていたので、寝ているあいだに泣いたのだろう。  しかし、そんな失敗はあったけれど、勇利にとってはやはり夢のようなひとときだった。ヴィクトルのあの優美な演技を見ることができ、当人にも会えたのである。ほほえみかけてさえもらえた。勇利は長谷津へ帰ってから、そのときのことを思い出してはひとりで赤くなり、ヴィクトル、大好き、大好き、と思って上機嫌で過ごした。ときおり、礼を失してしまった、ということがこころに強く浮かび上がってき、そのときはしょんぼりした。浮かれたりしゅんとしたり忙しかった。  それが届いたのは、勇利がまた「ヴィクトルに向かってあんなことして……」と沈みこんでいるときだった。  リンクへは、学校から直接かよっている。だから勇利が帰宅するのは夜遅くなってからだ。部屋へ入り、おなかすいたな、とかばんを下ろしたとき、机の上に封筒が置いてあるのに気がついた。 「なんだこれ……」  手紙をもらうことなんてまずない。ファンレターは届くことがあるけれど、それは自宅へは来ず、スケート連盟からまとめて受け取るのである。いったい誰からだろう?  取り上げると、エアメールだった。海外のスケート友達かな、でもそんなに親しい人いないしな、そもそも住所知ってるスケーターなんていないし……。  差出人の名を見た瞬間、勇利は目をみひらき、全身から力が抜けた気がした。実際、彼はその場にへたりこんだ。力が入らず、立っていられなかったのだ。信じられない。差出人の名前はこうだった。Victor NIKIFOROV。  勇利の頭は混乱した。なんで? なんで? なんでヴィクトルが? どうしてぼくのうち知ってるの? 手紙を持つ手がふるえた。一生懸命思い起こす。そうだ。ヴィクトルは知っている。書いたではないか。手紙に。べつに返事を期待してのことではない。ただ、どこの誰ともわからない相手から手紙なんてもらったら気持ち悪いのではないかと、そう考えてのことだった。まさか返事をくれるなんて。なんで? どうして?  勇利は封を切ることができなかった。三日ほど、何かのまちがいではないか、と思ってそのままにしていた。しかし四日目に、もしかしたら消えてしまうんじゃないか、夢かもしれないから、目がさめる前に読まなくちゃもったいないんじゃないか、と気がついて、やっぱりふるえる手でようやく開封した。中身は丁寧な文字で書かれた、礼儀正しい返信だった。手紙をありがとう、うれしく読みました、すてきな言葉ばかりでした、という短い文句だったけれど、お愛想で書いたのではなく、まじめに、こころをこめて綴っていることがよくわかる文章だった。それから、きみのことを教えて、ということが最後に付け加えてあった。勇利は仰天した。これって、ぼくがまたヴィクトルに手紙を書いていいってことなの? ちゃんとヴィクトルの所在が記してある。スケートクラブの住所のようだが、それでも勇利は感激した。  これで書かなかったら失礼だよね? でも本当に書いてもいいのかな。社交辞令だったのにまた手紙を送ってきた、っていやがられたらどうしよう。ストーカー扱いされちゃったら? ──でもヴィクトルはそんなこと思うひとじゃない。優しいもの……。だけどだけど、ヴィクトルにはファンがたくさんいるんだ。その中でぼくだけ特別扱いしてくれるはずないから、やっぱりこれは送ったりしたらずうずうしいのかもしれない。  勇利は悩みに悩み、結局、返事を書いた。いろいろ考えながら書いたので、二週間もかかってしまった。そしてまた、出すまでに二週間かかった。本当に送ってもよいのか、と苦しんだ。最終的には、迷惑ならヴィクトルは無視するだろうから大丈夫、と自分に言い聞かせて実行した。そのあとしばらくは落ち着かなかったけれど、だんだんと、あれはヴィクトルの気まぐれだったのかもしれない、と思えて気持ちが静まってきた。雑誌などで見るヴィクトルは奔放な性質のようである。たまたま何かのはずみで勇利のことを思い出して、なんとなく手紙を送ってみたのだろう。そうにきまっている。  勇利はヴィクトルからの手紙をおまもりとしてずっと持ち歩いた。試合のときも、それがあると元気になれる気がした。しかしだからといって緊張しないわけではなく、失敗したときは、ふとんの中で手紙と愛犬のヴィクトルを抱きしめて泣いた。そんな日々をくり返していると──、また、エアメールが届いた。  さすがにこのほどは、ヴィクトルからかもしれない、という期待を持って確かめた。まさにその通りだった。すぐに読んだ。文面は、楽しい手紙をありがとう、きみのことを知られてうれしい、ということと、俺のことも話すね、とヴィクトルについて書かれたものだった。勇利は、これは本当に現実なのだろうかとしばし悩んだ。ぼく、ヴィクトルと文通してる。ほんとに?  最初はおずおずと、やがてはすこしは落ち着いて、勇利はヴィクトルと手紙のやりとりをした。どうしてこんなことをしてくれるのかはよくわからなかった。ファンサービスの一環だろうと想像したけれど、ヴィクトルには何千何万というファンがいるのである。その全員と文通するわけにはいかない。勇利とだけこんなことをしてくれる理由は思い当たらない。しかし、そのことを彼は口に出さなかった。尋ねて、そのせいで「そろそろやめよう」と言われたらかなしい。ときおり、これはヴィクトルではなく、彼以外の誰かがいたずらで勇利の相手をしているのではないかと思うこともあったが、手紙で言ってくることと、インタビューに答える彼の言葉とは確かに重なっており、勇利にはどうしても別人に思えないのだった。  まことにしあわせな日々だった。ヴィクトルからの手紙は、返事を出したすぐあとに来ることもあったし、二ヶ月も間が空くこともあった。しかし、いつでも彼は陽気な文句で勇利を元気づけ、楽しませる。勇利は郵便受けをのぞくのが楽しみだった。中にエアメールを発見すると、たちまち異様なほど動悸がし、胸が躍る。彼は急いで二階へ駆け上がって、大急ぎで封を切るのだ。最初は正座をして、精神を落ち着かせて、とやっていたのだけれど、すぐにそんなとりつくろいはできなくなってしまった。勇利はヴィクトルからの手紙を受け取り、それに返事を書くたび、彼への愛情がどんどん深くなるのを感じた。  けれど──、そのうち勇利は、違和感をおぼえるようになった。いや、もともとそんな気はしていたのだけれど、ヴィクトルと文通できることがうれしく、そのことばかりに気持ちが向いていたので、なかなかみとめられなかったのだ。だが、それはだんだんと色濃く、不安な疑いとなって勇利のこころに影を落とした。勇利の心配はこういうことだ。つまり──。  ヴィクトルは、勇利のことを女の子だと思っているのではないか?  普通では考えられないことだった。ヴィクトルは勇利と直接会っているのである。けれど、彼はロシア人だ。日本人を見慣れているわけではない。海外の人から見ると、東洋人はひどく幼く思えるというし、勇利くらいの年頃の者なら、男女の区別がつかないかもしれない、という気がした。それに勇利は、ずっと髪を伸ばしているのだ。後ろ髪を結わえている子がいたら、普通、人は女の子だと思うだろう。何よりも、「勇利」という名前。英語表記すると「Yuri」だ。もしかしたらヴィクトルは「ユリ」と読んでいるかもしれない。ロシア人の彼が、日本の名前で男女の区別がつくかどうかは難しいところだが、そんなことは調べればすぐにわかる。  ヴィクトルは手紙によく、「髪はどのくらい伸びた?」とか「勇利は華奢だから」とか「試合会場で人に声をかけられても、簡単についていっちゃいけないよ」とか、そういうことを書いてくる。男子を相手にそんな話をするだろうか? それに──、ヴィクトルがこうして勇利と文通しているという事実。最初から変だと思ってはいたのだ。ヴィクトルはあのとき、勇利を女の子だと思い、好きになってしまったのではないだろうか。あのヴィクトル・ニキフォロフが、とは思うけれど、そんなことを言えば、あのヴィクトル・ニキフォロフが名もないスケーターである勇利と文通しているという事実がすでにおかしいのである。たいしたことのない男子と仲よくしたがっていると考えるよりは、女子として好きになってしまったのだと受け止めるほうがまだしも実際的ではないだろうか。人の好みはわからない。勇利はごく普通の容貌をしているが、ロシア人の彼から見れば何か珍しいものがあったのかもしれない。 「ど、どうしよう」  勇利は悩んだ。ぼく女の子じゃないです、と伝えるべきか。でも、そんな話題になっていないのに、いきなりそういう話をするのも妙だ。それに、もしそう告白して、「あ、そうなんだ。がっかりだな。じゃあもう文通はやめよう」と言われたらどうする? 女の子じゃないなら興味はないと言われたら? 「あ……」  ヴィクトルと手紙の交換ができなくなる。そう思っただけで勇利の目にはいっぱいに涙が溜まり、あっという間に頬にこぼれ落ちた。いやだ。ヴィクトルと離れてしまうなんていやだ。かなしい。そんなこと、耐えられない……。  勇利は結局、ぼくは男子です、と言えないままヴィクトルとの交流を続けた。常に罪悪感がつきまとい、苦しかった。でも、うそはついていない。勇利は一度も「ぼく女の子です」なんて言ってはいない。 「ぼくはヴィクトルを騙してるわけじゃないんだ。騙してないんだ……」  それでも勇利はせつなかった。  夏は合宿の時期だ。勇利も去年は国内の合宿に参加した。シニアの選手に混じって練習したのだ。それはひどく刺激的で、すばらしい時間だった。今年もそういう合宿に行きたいものだと思案していたら、スケート連盟から国外の合宿練習に参加しないかという通知が来た。その内容を見て勇利は仰天した。行き先はロシアだ。ヴィクトルのいるクラブだったのだ。  勇利はひどく迷った。ヴィクトルに会いたい。しかし、会えば男子だということが露見してしまう。だが、この機会を逃すのはたいへんもったいない。甚だしく有名なクラブなのだ。練習に参加できる機会なんてもうないかもしれない。どれほどそれが自分の力になることか。あきらめてしまうのは惜しい。  結局勇利は、その提案を承諾した。そもそも、ヴィクトルは世界の頂点にいる選手なのだ。ジュニアの選手が参加するような練習に来るはずがない。会えるわけがないのである。それなら、ヴィクトルのことは頭から無理にでも追い出して、ただ稽古に没頭するのがいい。  そのあとも一度手紙のやりとりをしたけれど、ロシアに行くことを、勇利はヴィクトルにはひとことも漏らさなかった。合宿に行くということだけは書き送ったが、そんなことは誰にでもある話なので真実がヴィクトルに伝わるわけがない。  勇利はロシアへ、練習と、ヴィクトルがいる場所だという感激のためにおもむくことにした。  チムピオーンスポーツクラブの練習は、それはそれは厳しかった。まず、バレエのレッスンが過酷だ。勇利は最初、ついていけないのではないかと動揺した。ミナコのもとでしごかれた時間を思い出し、どうにかこうにか乗り切りはしたけれど、ひどく疲れてしまった。こんなことで明日からやっていけるのだろうかと泣きたくなった。しかし、二日、三日と経つうちに、環境に慣れ、緊張もほぐれ、ずいぶんと自然にふるまえるようになった。落ち着けばできるんだ、と思うとゆとりが生じ、コーチに実りのある助言をしてもらえた。するとだんだん楽しくなる。勇利は夢中で練習をした。  氷の上に立つと、まわりにいるすべての選手が自分より上手に思える。とくにロシアの選手はすばらしい。まず、もう見ただけでいかにもすべれそうだし、観察していると実際よい動きをしているし、容貌もたいへん大人びているのだ。この人はシニア選手なのでは、と思った相手と口を利いたとき、おずおずと年齢を尋ねてみたら、勇利よりみっつも年下だった。勇利は落ちこんだ。相手の男子にも、「ノービスの子にしては上手だね?」と言われたのでますますしょんぼりした。 「あと、君は女子じゃないの?」 「ぼく男だよ……」 「そう。かわいい顔だし、髪が長いから……」 「これはヴィクトルにあこがれてるから、まねして……」 「ああ、そういう子多いよね。わかる」 「あの……、ヴィクトルに会ったことある?」 「ないよ。もちろん遠くから見かけたことはあるけど」 「そっか」  やっぱりここで練習していてもヴィクトルには会えないんだな。ほっとしたような、がっかりしたような、奇妙なこころもちだった。それにしても、やはり勇利は女の子に見えてしまうらしい。衝撃だ。髪、切っちゃおうかな。でもせっかく肩まで伸びたのに。だけど、ヴィクトルみたいに綺麗じゃないからな……。  合宿の日々はあっという間に過ぎた。最終日には、ヴィクトル・ニキフォロフの演技を見せてもらえることになり、幼いスケーターたちは歓声を上げた。勇利も顔を輝かせて手を叩いた。  ヴィクトルは、昨季のフリースケーティングを演じてくれた。髪を結わず、そのままさらっと下ろしてすべった。勇利はけっして前には行かず、みんなの後ろのほうでちいさくなっていたが、近いとか遠いとかは関係がなかった。彼は両手を握り合わせ、瞳を星のように輝かせて、うっとりしながらヴィクトルをみつめていた。恍惚の時間だった。とろりととろけた彼の表情は、ここにいる誰よりもヴィクトルに恋をしているようだった。目の表面は陶酔にうるおい、くちびるはわずかにひらいてほほえみのかたちになって、視線は常にヴィクトルに釘付けだった。  もう、死んでもいい……。  そう思えるほど勇利は感激した。  演技が終わると泣き出してしまい、彼は、勇利を女子とまちがえたあのロシアの選手にからかわれた。  明日は日本へ帰る日だ。勇利はその夜、一生懸命に荷造りをしていた。どうにかトランクに必要なものを詰めこんでしまうと、もう大丈夫だろうかと部屋の中をひとわたり調べた。忘れ物はないようだ。  勇利が泊まっていたのは、クラブ所有の寮だった。本当はふたり部屋なのだけれど、参加者の数が奇数だったのでひとりあまり、勇利は悠々と部屋を使うことができた。これは幸運だった。彼は人との付き合いが苦手なのである。もしふたり部屋だったら、もっと憂鬱な毎日になっていたかもしれない。  時計を見た。そろそろ夕食の時刻だ。食堂へ行こうかな、と思ったとき、ノックの音がした。勇利は困惑した。ほかの選手が食事に誘いに来たのかと思ったのだ。いやではないのだけれど、気を遣うので困るなあ、とためらった。しかし、ごそごそと動きまわっていたので、部屋にいることはわかっているだろう。無視するわけにもいかない。 「はい……」  勇利は扉を開けた。そして息をのんだ。目の前ににこにこしながら立っているのは、ヴィクトル・ニキフォロフだったのだ。 「ハイ」  彼は笑顔で手を上げた。 「久しぶりだね、かわいこちゃん。どうしてここへ来るって教えてくれなかったの? 知ってたら、最初の日から連れ出して、いろいろ案内してあげたのに」 「あ、あ、あ、あの、あの……」 「さあおいで。明日帰るんだね。さびしいな。今夜は忘れられない夜にしてあげる」 「あのっ……」  口も利けない勇利を、ヴィクトルは部屋から連れ出した。 「ヴィ、ヴィクトル……!」 「ほらこっち。ごはんに連れてってあげる。外へなんか出てないんだろう? デートしよう」  手を引かれながら、勇利は、果たしてこれは現実だろうかと思い惑った。ヴィクトルがぼくと手をつないでる。こんな異国の地で! すべてが非現実的で、夢のようだ。 「ヴィクトル……」  つぶやいたのはささやかな声だった。しかしヴィクトルは聞こえたかのように振り返り、いたずらっぽく勇利に笑いかけた。きらめく髪。深く澄んだすばらしく青い瞳。勇利の手をつかむしなやかで長い指。本物のヴィクトル・ニキフォロフだ。 「何が食べたい?」  ヴィクトルが気軽に尋ねた。 「ぼ、ぼく、なんでも……」  実際、胸がいっぱいで、何も喉を通りそうになかった。ヴィクトルは微笑して勇利の手を握り直し、表通りへ出たところで足をゆるめた。夏という季節でも、夜ともなれば寒さを感じることも多い。ロシアの夏は白夜のため明るいが、気温は日本のように高めというわけにはいかない。おまけにこの日はひどく曇っており、いまにも雨が降り出しそうという天候だった。 「寒い?」  ぶるっとふるえた勇利を見て、ヴィクトルが心配した。 「そのままぐいぐい引いてきちゃったからな……、これを着て」  ヴィクトルが、彼しか着こなせないような上品な上着を脱いで勇利に着せかけた。勇利はびっくりして、「い、いいです!」と拒絶した。 「でも、寒いんだろ?」 「大丈夫です」 「風邪をひかせるわけにはいかないよ」 「そんなの、ぼくだってヴィクトルに風邪をひかせるわけにはいきません。ぼくよりずっと貴重なひとなのに……」  ヴィクトルは目をまるくし、にっこり笑うと、身をかがめて勇利の耳元にささやきかけた。 「いいから、着て……」  勇利は断固として拒否するつもりでいたのに、そのひみつめかした声音と吐息で、もうわけがわからなくなった。 「は、はい……」  彼は打って変わって従順にヴィクトルの言うことを聞き、服に腕を通した。すてきな匂いがした。胸がどきどきと高鳴り、頬が熱くなる。ヴィクトルだ、といまさらながらに思った。  すると周囲から、同じようにヴィクトルだ、ヴィクトルだ、という声が聞こえた。ロシア語だったけれどわかる。ヴィーチャ、という声も聞こえた。勇利はうつむいた。ヴィクトルは、サインが欲しいと言ってきた女の子たちに笑顔で応じ、話しかけられるのにも優しく答えた。彼女らは、勇利のほうをちらと見て、何なのこの子、というような目をした。勇利は泣きたくなった。彼女たちがこわいというより、ヴィクトルのそばにいるのがこわい。この女の子たちの気持ちは理解できる。自分だって、よくわからない子どもがヴィクトルにぴったりくっついていたら、いったいどういう子だろう、と思うはずだ。自分なんかが一緒にいてよい相手ではないのだ。 「あ、この子?」  しかしヴィクトルは明るい様子で笑い、勇利のことを抱き寄せた。 「俺のすごく大事な子なんだ。日本人なんだよ。かわいいでしょ? ジュニアの世界大会に出てくる子だから、注目しててね」 「ヴィ、ヴィクトル!」  ヴィクトルはそれを英語で言ったので、勇利は仰天しておもてを上げた。女の子たちは、聞き取れなかったのかきょとんとしている。するとヴィクトルはロシア語で言い直した。勇利はまっかになった。あきらかに、勇利に聞かせるために言ったのだ。勇利がせつない思いをしているのに気がついて……。 「俺、目立つね」  ヴィクトルはファンたちが去るとほほえんだ。 「そういうの、嫌いじゃないんだけど、いまは困るな……」 「あの、ぼく、もう……」 「外で食べるのはよそう」  ヴィクトルはもっともらしくうなずいた。 「持ち帰ってきみの部屋で食べようよ。ほらおいで」  ヴィクトルは時間がもったいないと言い、近くの店にさっさと入ると、夕食にできそうなものを次々と買いこんだ。 「特別に美味しいものを食べさせてあげたいけど、今日はゆとりがない。それはまた今度ね」 「…………」 「まったく、もっと早くに言ってくれればいいのに。俺は今日きみがいることに気づいたんだぞ。どういうことなんだ?」  ヴィクトルはぶつぶつ言っている。あんなにすみのほうにいたのに、こんなに冴えない容貌なのに、ヴィクトルは勇利に気がついたというのだろうか。だって、たった一回会ったきりだ。  やっぱり「好きな女の子」のことだからわかったのかな……。勇利はずきりと胸が痛んだ。どうしよう。いまきっとヴィクトルは、ぼくのこと女の子だと思ってるんだ……。  うつむいて、無造作に結った髪にそっとふれる。前髪が眼鏡にかかった。ぼくこんなにみっともない。もうちょっと綺麗にしておけばよかった……。 「どうしたの?」  ヴィクトルが不思議そうに尋ねる。 「そんなにうつむかないで。かわいい顔なんだから、俺に見せて」 「あ……」  ヴィクトルの指がおとがいをすくい上げた。勇利は首をもたげ、ヴィクトルと目が合った瞬間、頬をまっかにした。 「うん、かわいい」  ヴィクトルが目をほそめる。 「美味しそうだね」 「ど、どれがですか?」  ちゃんと話をしようと、ヴィクトルの買ったものに視線を向ける。ヴィクトルはくすくす笑うばかりだった。  外へ出ると、雨が降っていた。ヴィクトルは店に戻り、何か声をかけて傘を借りた。 「店主と知り合いなんだ。さ、こっちおいで」  傘からはみ出さぬよう、勇利を抱き寄せて入れてくれる。勇利は同じほうの手と足が一緒に前に出そうだった。 「風が強くなってきたね。寒いかな?」 「いえ、平気です。上着貸してくれたから……」 「きみはジャージなんだね。普通の服持ってないの?」 「あんまり持ってきてません……練習しに来たんだし……」 「それはそうだけどね。部屋着もジャージっていうのは感心しないなあ。でもジャパンナショナルのジャージは変なデザインじゃなくてよかったよ」 「そ、そうですね」  勇利はよくわからなかったけれど、とにかくうんうんとうなずいてあいづちを打った。ヴィクトルがくすっと笑う。 「いまのきみって、なんでも俺の言う通りって感じだね。ノーと言えるようにならなきゃだめだぞ」 「え?」 「日本人はそうだからなあ。でも、好意は感じてるよ。きみは俺のことが好きだよね?」 「え? え?」  勇利は首まで赤くなった。 「ね?」  瞳をのぞきこまれ、片目を閉じられてはどうしようもない。勇利は夢見ごこちでこっくりとうなずいた。 「そうだろう」  ヴィクトルが満足げに目をほそめる。勇利の足元がふらつく。 「おっとあぶない」  ヴィクトルは勇利をより強く抱き寄せた。 「早く帰ろう」 「はい……」 「早くふたりきりになろう」  勇利はうつむいた。本当のことを言わなくちゃ。ぼくは男の子なんだって……。  しかし何も言えないまま勇利は寮まで導かれ、ヴィクトルはまるで自分の部屋にでも案内するかのように勇利の私室へ入りこんだ。ちいさなテーブルでささやかな夕食をとる。勇利は胸の苦しさとうっとりした気持ちとで感情が定まらず、混乱していた。 「このピロシキ、美味しいよ。俺がいつも食べてるやつ」 「はい……」 「あとはボルシチと、サラダと、チキンと、パイと……食べられないものはある? いまさら訊いても遅いね」 「はい……」  勇利は何も食べられないと思ったが、ヴィクトルが美味しそうに食事をしているのを見ると、それに釣られ、どうにか口を動かすことができた。ヴィクトルがぼくのために選んでくれたんだ、と思えば、味もちゃんとわか��ようになった。 「ね、なんで言ってくれなかったんだい?」  ヴィクトルがおおげさに眉を寄せて勇利をとがめる。 「前の手紙のときには、もうこの合宿のことはきまってたんだろう?」 「あの……、ヴィクトルに会えるかわからなかったし……」 「言ってくれたら会えるようにしたよ」 「それならなおさら言えないし……」 「なぜ?」 「なぜって……」  勇利は困った。 「すべりながら、なんだか見たことある子がいるなあって思ったんだ。まさかってあとで急いで名簿を確認した。きみの名前があった。思わずそばにいたヤコフを締め上げちゃったよ」 「な、なんで」 「なんでって?」 「なんでそんな、ぼくのこと……」 「そんなの、会いたかったからにきまってるだろう?」  ヴィクトルは、何を言っているんだこの子は、というように勇利を眺め、口元についたドレッシングを舐め取った。 「きみは俺に会いたくなかったの?」 「そんなことは、ないですけど……」  でもぼく女の子じゃないし……。勇利は泣きたくなった。 「ねえ、ところで」  ヴィクトルがふいに声をひそめ、勇利の目をのぞきこむ。勇利はどぎまぎした。 「あの、やたらときみに話しかけてたロシアの男子」 「え?」 「友達になったのかい? 彼のことが好きなの?」 「え、ええっと」  勇利は、誰のことについて言われているのかよくわからなかった。ただ、ヴィクトルの指摘していることはちがう、という気持ちだけはあったので、大きくぶんぶんとかぶりを振り、否定した。 「ぼくが好きなのは、ヴィクトルです……」  ヴィクトルは目をまるくした。それから彼はにっこり笑い、「そうだよね」と大きくうなずいた。  食事を終えると、ふたりは並んでベッドに座った。ヴィクトルが陽気にいろいろな話をしてくれたけれど、勇利は緊張と不安と申し訳なさで上手く返事ができず、終始上の空だった。 「どうしたの?」 「なんでもないです……」 「さっきからこのやりとり、五回はくり返してるけど。もしかして、俺といるの、つまらない?」 「そんなことない!」  むきになって言い張ったら、ヴィクトルがくすっと笑い、勇利の頬にかるくキスした。勇利はそこを思わず押さえ、まっかになってヴィクトルをみつめた。 「きみって本当にかわいいね」  ヴィクトルが歌うように言った。 「初めて会ったときから、そうやって何かを秘めた目で俺を見るんだ。どうしてそんな忘れられない目をするの?」  彼の言っていることが、勇利にはよくわからなかった。ただ、頬に手を添えてぼんやりしていた。 「言ってくれればよかったのに。そうしたら俺、きみと一緒にすべれたのにな」  ヴィクトルはふいに勇利を抱きしめ、甘やかな吐息を漏らしてうっとりとささやいた。 「でも、帰る前にすこしでも会えたのは幸運だ。気がつけてよかった。知ってた? みんなの前でした演技、あれはきみに見せるためだったんだよ。ほかの子たちには悪いけど」  勇利の頭はぼうっとなり、なんだか上手くものが考えられなかった。ヴィクトルの匂いがする。髪が頬に当たってくすぐったい。 「この気持ちは何なんだろうな……よくわからないけど……」  ヴィクトルが溜息をついてつぶやいた。 「大人になったらわかるんだろうか……」 「……ヴィクトルは、もう大人じゃないの?」 「俺はまだ子どもだよ」  ヴィクトルがかすかに笑った。 「まだまだ子ども……、自分の考えていることも理解できない、どうしようもない幼子だ」  こんなにすてきなの���、と勇利は思った。ヴィクトルが子どもだなんて、そんなこと、あるはずがない……。 「……教えてくれる?」  ヴィクトルは勇利の瞳をじっとのぞきこみ、その奥にある感情をすくい上げようとでもするかのように熱心にみつめた。 「……何を……?」  勇利は熱に浮かされたように答えた。 「俺のいまのこの……」 「……?」 「…………」  ヴィクトルは苦笑を浮かべた。彼は勇利のとろんとなったまぶたにかるくキスすると、後ろへ手をやり、結わえていた髪をするっとほどいた。やわらかく勇利の髪が落ちて、それにヴィクトルの指がからんだ。 「……髪、伸びたね」 「……はい」 「かわいいな……」  勇利は胸が痛くなった。言わなくちゃ。言わなくちゃ、女の子じゃないって。ヴィクトルが好きって思う気持ちはまちがいなんだって……、言わなくちゃ。 「ああ、なんだかいい気持ちになってきた」  ヴィクトルがはにかんだように笑って首を傾けた。 「きみといるからかな……すごくどきどきしてるよ。これはいったいどうしたことだろうね」  勇利はうつむいた。こんなふうに幸福そうにしているヴィクトルに、その幸福を打ち破ることを告げるなんて、勇利にはとうていできないことだった。 「ね、今日はここで一緒に寝よう」  ヴィクトルが指を一本立て、うれしそうに提案した。 「いいだろ?」 「え、えと……」 「いいんだよ。ほら、そっちへつめて」 「え、もう……?」 「まだ起きてたい?」  ヴィクトルがくすっと笑った。 「起きてて、俺と何したいの……?」 「な、何って……」  勇利はよくわからない気恥ずかしさがこみ上げ、まっかになった。 「きみはいまいくつだっけ? どうも日本人は子どもっぽくて。でも、そうだな、十代なかばならできないこともないけど……」 「な、何が?」 「でも……、ちょっと早いかもね」  ヴィクトルが片目を閉じた。 「きみも、……俺もね」  彼はうつくしい横顔を見せ、憂いを帯びた表情でつぶやいた。 「この気持ちの正体がわかるまでは、まだ……」 「?……」  彼は落ちかかる髪をゆっくりとすくい上げ、耳にかけた。たったそれだけのしぐさなのに、勇利はものすごくどきどきして見ていられなくなってしまった。これが色っぽいということなのだな、と初めてよく理解した。 「そういうのは、大人になってからしようね」  ヴィクトルがぱっと振り返り、すこしだけはにかんで明るく言った。勇利はわからないながらも、ヴィクトルの言うことはなんでもその通りにしたかったので、「はい」と素直に答えた。  ふたりしてベッドに横になり、するとヴィクトルにぎゅっと抱きしめられた。勇利は身体をかたくし、こんなんじゃねむれないよ……と緊張しきった。 「……あったかいね、きみは」 「そ、そうかな……」 「うん。ものすごく安心するぬくもりだ。それに俺が抱きしめるとぴったりだよ。ちょうどいい。きみも具合いいだろ?」 「は、はい……」 「パズルみたいに……」  それきりヴィクトルは黙りこんだ。寝たのかな、と思い、勇利は、ぼくはひと晩じゅうきっと寝られない、と断じた。けれど、ヴィクトルの深い呼吸に合わせて息をしていると、だんだんと気持ちがほぐれ、目つきはとろけ、やすらいだこころもちになってきた。  あ、寝そう……。  勇利はほとんど夢うつつになった。──と。 「…………」  名前を呼ばれた気がした。  勇利は返事をしたつもりだったが、「んん……」という声にしかならなかった。ヴィクトルが、もぞ、と動く。あ、離れちゃう、と思った瞬間、彼は真上から覆いかぶさってきた。 「ン……」  くちびるをふさがれた。え、なにこれ、やわらかい……と勇利はうっとりした。優しく甘噛みされて、抱きしめられて、撫でられて……。  抱き返したい。  そう思ったのに、もう勇利には意識がなかった。  翌朝、勇利が目ざめたとき、ヴィクトルはまだすやすやとねむっていた。出発の時刻が迫っている。勇利は急いで起き上がり、身支度を整え、それから短い時間で手紙をしたためた。夕食と、一緒にいてくれたことへの礼、それからうれしかったということ、大ファンで大好きだということ、そして。  黙っていてごめんなさい。ぼく、女の子じゃないんです。男です。  もう手紙は書きません。でもいつか、貴方と同じ氷の上に立ちたいです。そのために、ぼく、がんばります。そのことだけ考えて、スケートします。  本当にごめんなさい。大好きです。大大大好きです。さようなら。  Yours forever.  Yuri KATSUKI * * *  ロシアに来て、一ヶ月が過ぎていた。勇利の感想は、なんて寒い国なのだろうというひとことに尽きた。試合で幾度か来たし、幼いころにはここで合宿だって──もっとも、あれは夏だったが──経験した。しかしそんな記憶はいっこうに役に立たず、春だというのに寒いことに勇利は溜息をついていた。  だが、近頃では、「寒い」と言うのを彼は控えている。なぜなら──。 「オハヨー勇利。今日も寒い?」  こうしてヴィクトルが抱きついてきて、「寒いならあたためてあげる」「俺といれば寒くないよ」「人肌がいちばんぬくもるって知ってた?」と隙あらば勇利に何かしようとするのである。勇利だって、ヴィクトルが純粋な思いから体温を分け与えようとしてくれているなら素直に受け取るけれど、彼の頭の中は感心しないことばかりなので辟易している。ぼくなんかの何がいいんだろうと、ずっと悩んでいた。  勇利だって、ヴィクトルが嫌いなわけではない。むしろ好きだ。大好きだ。セックスだって、彼が望むなら、いくらでも応じたいのである。けれど、やはり心配もある。そんなことをしたら自分たちの今後の関係が変わってしまうのではないかとか、ヴィクトルが飽きたらもとに戻れるのだろうかとか、そもそもヴィクトルはどうしてそんなことをしたがるのかとか、とにかく憂鬱だ。結局、いろいろなことを考えなければならない、そしてふたりの将来に影が落ちるくらいなら、しないほうがよいのではないかというところに落ち着くのである。 「俺は勇利としたいよ?」  どういうつもりなのかとか、本気で言っているのかとか、とがめるように尋ねれば、ヴィクトルはそんなふうに答える。うそではないと思う。しかし、その様子があまりにもあっけらかんとしているので、このひとあんまり深く考えてないな、と思うのである。ヴィクトルは自分の感覚に従って好きに生きている男だから、勇利のほうで気をつけなければならない。その瞬間その瞬間の思いにすべて身をまかせていたら、あとで苦しいものが跳ね返ってくることになる。ヴィクトルはそういう生き方が似合うし、彼なら失敗はないだろうけれど、これはヴィクトルだけの問題ではない。ふたりですることなんだからな、と思うと、いつものように、「ヴィクトルの好きにしたら」とは言えないのである。 「寒くない。もう慣れたよ」  背中にぐっとのしかかってくるヴィクトルを押しのけて、勇利は朝食の支度をした。 「だいたい、家の中は適温に保たれてるじゃないか。おおげさなこと言ってないで座って。今日はリンクに行くんでしょ?」  まだ急いで練習を始める時期ではない。なまらないように身体を動かしながら、曲を選んだり、どういう振付がよいかと話しあったりしているところだ。メディアからの仕事なども入るが、ふたりはいま、比較的自由の身だった。 「そのつもりだったんだけど、起きたらやる気がなくなってた」 「あのね……」  勇利はヴィクトルをにらみつけた。ヴィクトルはにこにこして、「家でゆっくりしようよ」と提案する。 「ゆっくりなんかしない。家にいるならやることがあるでしょ」 「なになに?」 「掃除とか、整理とか、洗濯とか」 「うーん……」  掃除と洗濯は日々の仕事だけれど、整理は別だ。ヴィクトルは勇利を迎えるにあたり、とくに家の中を模様替えしたりはしなかった。勇利が来てから、ふたりで使いやすい家にするために、いろいろ手を加えたのだ。それはあらかた済んだが、済んだからこそ、勇利はヴィクトルの私室が気になっていた。散らかっているということはないのだけれど、余計な書類をいつまでも置いているのである。ヴィクトルには完璧でいてもらいたい勇利は、「これ、ぼく整理していい?」と了解をとりつけようとした。ヴィクトルはそういうことに積極的ではなかったが、いやがってもいないようで、「時間があるのならね」と気のない返事だった。家にいるのならその仕事を進めたい。 「べつにヴィクトルはしなくていいんだよ。ぼくがひとりでやるから」 「勇利が働いたら、俺はつまらないじゃないか」  ヴィクトルはおおげさにかなしそうな顔をし、「俺と掃除と、どっちが大事なのっ!?」と芝居がかって言った。 「ヴィクトルは買い物してきて。足りないものがたくさんあるでしょ。洗剤とか、トイレットペーパーとか、ティッシュとか」 「そうだね、ティッシュはふたりでたくさん使うもんね」 「ぼくヴィクトルがそういうこと言うの好きじゃない」 「そういうことってなに? 何を想像したのかな、勇利は」 「お昼ごはんいらないんだね」 「悪かった。愛してるよ勇利」 「さっさと行く!」 「はあい」  食事を済ませたヴィクトルは、「勇利と一緒に買い物行きたかったな……」としょんぼりしながら着替えた。勇利はほほえみ、玄関口まで彼を送ると、抱き寄せられるままになり、キスされたらかるく返して「いってらっしゃい」とささやいた。 「おみやげ買ってきてあげる」 「そっちに気を取られて買うべきものを忘れないでよ」  勇利はヴィクトルを送り出すと、ソファで寝ているマッカチンのつむりを撫で、ヴィクトルの私室へ行って仕事を始めた。 「よし、やるぞ」  人の部屋を勝手にいじるなんて、という気がしないでもなかったけれど、ヴィクトルが勇利に「してはいけない」と禁じたことなどひとつもない。何をさわられても、何を見られても構わないといった具合である。ヴィクトルには私生活のひみつというものがないのだろうか、と勇利は首をかしげた。  黒光りするほど格調高いデスクに向かい、ひきだしを開ける。いっぱいに紙がつまっている。いらない書類だ、ということはわかっているのだけれど、つい逐一調べてしまう。雑誌の刷り出しやヴィクトルに関連する商品についての資料、ためしに撮ったポラロイドなどである。見ていると、これは捨てるのはもったいないのでは、という気がしてくる。いらないならこれ、ぼくにくれないかな……。  それでも、本当に必要のない書類も混じっているので、勇利はひとつひとつ確かめて選り分け、捨てるものと捨てないものに分類していった。なんだか楽しくなってくる。ヴィクトルは帰ってこない。静かな部屋で、ずいぶんとはかどった。 「ん……なんだこれ……」  いちばん深いひきだしの底に、綺麗な箱がしまってあった。茶色い木目調の、映画に出てくる宝箱みたいなちいさなものである。鍵がかかっていそうだな、と思いながら手をかけたら、簡単にひらいたのでびっくりした。なんとなく、見てもいいのかな、とひるんでしまう。なんだかヴィクトルの大切な思い出という感じがするではないか。だって、ほかのものは、乱雑ではないけれど無造作にひきだしに押しこんであったのだ。それなのに、これは……。  勇利はためらった。見てはいけないと言うのをヴィクトルが忘れたのかもしれない、と思った。けれど、見られたくないものがあるのに、注意するのを失念するだろうか? そういった大事なひみつは、まず最初に思い浮かべるものではないだろうか。  勇利は考えこみ、結局、すこしだけ調べてみることにした。いかにもヴィクトルの極秘の情報という感じだったなら、見なかったことにすればよい。  おずおずと中をのぞきこんだ。手紙がいくつか入っている。私的なものだろうか? ためらいつつも封筒をひらいた。宛名書きは下手くそな英語文字だったが、中を見たかったのでよく確かめなかった。昔の恋人の写真なんかが出てきたらどうしよう、とどきどきした。もちろんぼくには腹を立てる権利なんかないんだけど。腹が立つっていうより、むしろ、こんな美人と付き合ってたのか……って感慨深くなっちゃいそうかも。それにしても、なんだかこの封筒、見覚えがあるような……。  勇利は便せんを取り出してゆっくりと読みくだしてみた。ずいぶんと畏まった、まるで教科書から書き写してきたみたいな表現の英文である。ぼくも昔こんなだったな、と可笑しくなった。もっとくだけた表現でいいのに、と海外の友人に言われたことがある。  手紙の文字は稚拙だ。けれど、一生懸命、丁寧に書いたということだけは伝わってきた。ヴィクトルのファンのようだ。きっと幼い子だろう。彼は昔、子どものファンと交流していたのだろうか?  勇利は、ヴィクトルへの熱情を一生懸命に語っている文面をほほえましく感じ、これがヴィクトルの極秘の情報? と笑ってしまった。この子はいまごろどうしているのだろう。スケーターだということは読み取れるけれど、いまも続けているだろうか? 名前は……。 「え」  勇利は目をみひらいた。署名に信じられないものを見た。まさか。え? どうして? 「ユウリ・カツキ……?」  一瞬のうちに呼吸がみだれた。ぼく? ぼくの手紙? ぼくが送ったやつなの? ヴィクトルは大事に取っておいてくれたの?  もちろん勇利は、昔、ヴィクトルと文通をしていた時代があったことをおぼえていた。おぼえていたけれど、何を書いたかまではおぼえていなかった。記憶はうすれ、あれは夢だったのでは、と思うようになっていた。ヴィクトルの手紙はいまでも大切に持っているけれど、みっともないすべりしかできなかった時期に、つらくなって机の奥に片づけてしまった。ぼくはヴィクトルに一生近づくことさえできない、と泣いてばかりいたころだった。  ヴィクトルがこれを持っている。なぜ? おぼえてたの? それとも、しまったまま忘れてただけ? そうだよね。そうにきまってる。こんなの宝物みたいに取り扱うわけないし。ヴィクトルってすぐになんでも忘れるし。ぼくのことだって……。 「──勇利」  突然後ろから抱きしめられ、勇利は息をのんだ。ヴィクトルが勇利の持っている便せんを指ではじき、くすっと笑って「何してるの」ととがめる。 「な、なにって……、あ、あの、おかえり……」 「ただいま、俺のかわいこちゃん」  ヴィクトルが勇利の頬にキスした。 「おみやげはケーキだよ。でも食べたらそのぶん消費させるからね。さきに消費してから食べるのでもいいけど。ところでもう一度訊くけど、何をしてたの?」 「あ、あ、えっと……」 「…………」  ヴィクトルが手紙をつまみ上げ、机の上に丁寧に置く。彼は勇利の座っている椅子をくるりとまわし、自分のほうを向かせた。 「俺のひみつを知ったからには……」  ヴィクトルが腰をかがめて上品に笑う。 「ただで済ませるわけにはいかないなあ……」 「あっ、あっ、あの、あの、ごめ、ごめん……なさ……」 「口封じかな?」  ヴィクトルが、彼のくちびるで勇利のくちびるをふさいだ。勇利は目をみひらいた。 「……勇利はすぐに俺とのことを忘れる」  ヴィクトルが可笑しそうにささやく。 「バンケットのことも、このことも忘れてしまったんだろう……」 「忘れてない!」  勇利はむきになって言い返した。 「バンケットのほうは……ちょっと、あれだけど、手紙は……」 「そう?」  ヴィクトルが前髪をかき上げ、余裕ぶって勇利を見下ろす。 「おぼえてるのかい?」 「お、おぼえてるよ……ヴィクトルと試合会場で会って……それで手紙を渡して……」 「そう、そこからやりとりしたんだったね。それから」 「ぼくがロシアの合宿に参加して……そして……」 「一緒に寝た。そのこともおぼえてる?」 「……うん」 「じゃあ、そのときに俺が言ったこともおぼえてるんだね。オーケィ。だったら問題ないな」  ヴィクトルはいきなり勇利を横抱きにしてさらい、大股で彼の私室から出ていった。勇利はわけがわからず、「なに、なに、えっ、なになに」と騒ぐ。ヴィクトルはそんな彼を気にかけることもなく、寝室へ踏みこみ、大きなベッドに勇利を下ろした。 「おぼえているなら話は早い。だったらどうして俺をずっと拒んでいたんだ? じらしてたの?」 「な、何を言って……」 「大人になってから、しようね」  ヴィクトルはベッドに片膝をつきながら上がり、にっこりと笑った。 「そう言っただろう?」  勇利が口をあんぐりとひらく。 「勇利、俺はね……」  ヴィクトルが、みずからのシャツのボタンをひとつひとつはずしてゆく。そのしぐさがすべてかっこうよくて、勇利はぼうっと見蕩れていた。 「もう、自分の気持ちはわかっているよ」  彼はシャツを投げやると、勇利の両側に腕をつかえておとがいを上げた。 「俺は子どもじゃない」  ヴィクトルのくちびるが勇利の首筋にふれ、手がシャツの下へ入りこむ。 「きみも子どもじゃない」  すこし力をこめられただけで、わずかに浮いていた背中が敷布にくっつき、もう起き上がれなくなってしまう。これはいったいどうしたことだろう。 「勇利……」  ヴィクトルがつやめかしい吐息に混ぜて勇利を呼んだ。これはとても逆らえない魔法だ……。 「俺のひみつをあばいたんだから、ただでは済まさない。もうめろめろにして、俺から離れられなくするしかないな……」  勇利はまぶたを閉ざした。もうなんでもいい、と思った。好きにして……。  ヴィクトルが勇利の衣服をみだし、はしたないかっこうにさせてゆく。勇利は、彼と素肌がふれあったとき、ぞくぞくっとして身震いした。 「髪、切っちゃったんだね……」  ヴィクトルが勇利の髪にキスした。 「俺もそうだから、おあいこか」  勇利はそこではっとした。髪──髪? 「ヴィ──ヴィクトル!」  ぱっと目を開け、ヴィクトルをみつめる。湖と星と宝石を閉じこめたような、はかりしれない深い瞳が、優しく勇利をまっすぐ見ていた。 「なに……?」 「ぼく……、女の子じゃないよ!?」  ヴィクトルはきょとんとし、ぱちりと瞬き、それから陽気な声を上げて笑い出した。 「──そんなこと、最初から知ってたさ!」  彼は勇利の脚を押しやった。 「ね? 大人だっただろう?」  あたたかい上掛けの内側で、ヴィクトルがいたずらっぽくささやいた。 「ぼくは?」 「大人じゃなかったら、ただじゃ済まさないなんて言わないさ……」  勇利はヴィクトルの腕の中でもぞもぞと身じろいだ。全身がけだるい。しかし、こころよい疲労が身体のすみずみにみちている。 「気持ちよかった?」 「なんだか……」  勇利はぼんやりと答えた。 「最高の演技をして、満足してるときみたい……」  ヴィクトルは楽しそうに笑った。 「すてきな感想だね」 「ヴィクトルは?」 「俺は、そうだな……」  ヴィクトルはいたずらっこのように目をほそめた。 「あのときこうしていたら、きっともっとわけがわからなくなっただろうから、十年待ってよかったかな、っていう気持ちだね」 「ヴィクトルは子どもっぽいから……」 「きみは大人っぽいの?」 「ぼくはあのときしててもよかった」  ふたりは黙ってみつめあい、それから同時に噴き出した。 「勇利、ケーキふたつ食べてもいいよ」 「えっち」 「それから……」 「なに」 「これからは、もう断るのなんてだめだからね」 「そんなわがままは聞き入れられない」 「なぜ? もう大人なんだろう? 俺よりもさ」 「大人は、自分の意見をはっきり言うものです」  勇利はとりすまして断言した。 「あのときしてたら……、もう、断るなんて思いもよらなかったけど……」 「日本へ帰っちゃったくせに。俺があのあと、どれだけしょんぼりしたかも知らないで……」 「あのときしてたら、離れたくない、ロシアにずっといる、ってヴィクトルに泣いてしがみついてたよ」 「抱いておけばよかった」  ヴィクトルがきまじめに言うので、勇利は彼がいとおしくてくすくす笑った。ヴィクトルもすぐに笑い、勇利の頬にくちびるを寄せる。 「でもわかってるよ。きみはもう断らないさ」 「ずいぶんな自信だね。どうして?」 「だってきみ、永遠に俺のものだって自分で言ったじゃないか」  勇利はヴィクトルが何を言っているのかわからず、とっさにやり返そうとした。しかし、声を出す前に理解してしまった。頬があっという間にまっかになる。ヴィクトルが、もがく勇利をあざやかな手並みで抱きしめ、ちいさく笑ってから、色っぽい、不届きなほど甘美な声で宣言した。 「Yours……、forever.」
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skf14 · 5 years ago
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07140402
「...はっ、なぁんだ、夢か......」
「一回も来たことない、でもどこか懐かしい、楽園みたいな一面の花畑だった。カラフルなお花がたくさん咲いてて、春のお花も、秋のお花もたくさんあったの。飛んでた蝶は青や緑、黄色にピンク、色とりどりで、今まで生きてきて見たことのない鮮やかな色をしてたの。」
「とても綺麗な世界だね。」
「モルフォ蝶、だと思うわ。きっと。鮮やかなコバルトブルーが空をちらちらと踊っていて、私はそのモルフォ蝶についていったの。そしたらね、ジブリの映画みたいな小屋があって、その小屋には水車がついていて、綺麗な小川がそばを流れていて、なんだかとってもいい匂いがしたの。バターと、カスタードの匂い!でね、でね、恐る恐る中に入ってみたら、お母さんと、お父さんと、お姉ちゃんがいたの。」
「家族勢揃いだったんだね。」
「そう!もう、会えないと思ってたから...生きてるんだ!って思って、そしたらね、お母さんの得意料理だった、さくらんぼのタルトが机に乗ってたの。私、昔1度だけ食べたことがあって、それからずっと食べたくて、そしたらお母さんが、好きなだけ食べていいわよ、って、大きく切ってくれたの!お姉ちゃんもお父さんもニコニコしてて、いくらでも食べれちゃった!」
「美味しかった?」
「とっても!ほっぺたが落ちちゃうくらい!それでね、お姉ちゃんが、お外に遊びに行こう!っていうから、お外に行くと次は雪!一面真っ白な世界になってて、冬だ!雪だ!って駆け出して、ばふって雪に突っ込んだの!私の身体の型が出来たの!」
「冷たかった?」
「凍っちゃうかと思った。そしたらね、お父さんが、シチューを食べようって呼ぶから、おうちでシチューを食べたの。それでね、それでね...」
一通り少女の拙い話を聞き終えた俺は、思い描いていたシナリオが正しく反映されていることを確認出来て、いつもながら気分が良くなる。何度目であっても確認は大事だ。という気持ちが半分、嬉しそうな少女の顔を見たい気持ちが半分。少女は斜め上を見上げながら、夢の内容を忘れないよう、繰り返し反芻しているらしかった。
少女の話を耳に入れながら、俺は手に持ったタブレットのカルテに目を走らせていた。
少女の父親は、人をいたぶる為にだけ作られた町外れの工場で、身体を壊しながらも雀の涙ほどの金を稼ぐ為毎日過重労働に勤しんでいる。父親も少女も、彼が行っている仕事がとっくに自動化され、機械の手にかかれば何分の1もの時間で済むことを理解していた。
少女の母親は、重なる治療費に嫌気が差し、かと言って子殺し、子捨てにはなりたくなく、なる勇気もなく、免責期間を見事耐え切り犬小屋のような自宅で首を括って死んだ。降り注いだ僅かな金は、少女にとどめを刺す資金になったらしい。
少女の姉は病気ゆえ少女ばかりが愛されることに辟易し、早くに家を出て行方不明。と少女は思っているが、ここだけの話、タチの悪い男に捕まり、貧民街の風俗で身体を売って日銭を稼いでるらしい。この時代、いくら安いとはいえ何処の馬の骨かもわからない生身の女をわざわざ買ってSEXしたがる男なんてロクなやつがいない。それを分かっていても、日本社会じゃ一度落ちた場所から這い上がることは、酷く難しい。
「お兄さん?」
「ん?うん、聞いてたよ。満天の星空を、家族皆で眺めたんだろ?素敵だね。」
「うん、私、もう、思い残す��と、ないよ。ありがとう、お兄さん。」
「俺、普段は言わないけど、君には言っておくね。」
「なぁに?」
「もう、ここには来ちゃいけないよ。俺のことも、この場所も全て忘れて、夢の記憶だけしまっておいて。」
「分かってる。あの、お金...」
「いらないよ。」
「ねぇ、お兄さん、」
「ん?」
「ありがとう、本当に。沢山幸せになれた。私、頑張って生きるね。」
「幸せに。君の未来に幸多からんことを、祈ってる。」
少女の背中を見送り、カルテの、少女の欄に目を通す。少女は明日、網膜に出来た腫瘍を取り除くため、両眼球の摘出手術を受ける。放置すれば死んでいた、かといって治療する金はない、母親の死がもたらした少女のただ一つの生きる道だ。
生まれた頃から貧民が押し込まれた街の汚い景色を見続けていた少女が、どこかから噂を聞いたらしい俺の店に訪れた。ボロ切れ一枚を身に纏い、手探りで扉を触り小さな手でノックをするその目は白く濁っていた。健気な姿を無視出来る程冷徹じゃない俺は少女を店に招き入れ、夢を見せた。少女は幸せそうに、最後の景色を楽しんだ。
ここは、夢を売る場所、「arutaD」。完全予約制、紹介制の知る人ぞ知る秘密の店。なんて言えばカッコよく聞こえるが、要は、客に望む夢を見せる店。ルールはたった1つ。
利用はいかなる場合も九回まで。
俺の開発した装置、「pipe dream」(開発者はいつの時代も、作り出した装置へ愛着を持ち時として名前を付けたがる。俺も例外じゃない。)を頭に装着し、見たい夢を俺に話す。それを俺はプログラムとして装置に読み込ませ、客に鎮静剤を打って眠らせる。それだけで、客の頭の中に、五感を伴った夢が映し出される。まぁ、詳しい説明はせずとも、これから分かっていくだろうから説明はしない。
勿論、目覚めた瞬間に「夢だった」と認識するものにはなるが、夢の中で感じた多幸感、興奮、安らぎは身体にも頭にも記憶として残る。そして、夢の中でそれが夢だと気付くことはない。そういう装置だ。我ながら国一つくらいなら滅ぼせそうな物を作った、と当初は思ったが、結局現実を変える力はないソレに需要があるのか、と悩みながら、店を開いた。
が、この世界には案外救われない人間が多いらしい、と、システム上の予約リストを開き並んだ名前達を見て思う。
「今日は......あー、あの客か...。」
予約リストにある今日の日付。横に並んだ名前を見た途端、頭が痛くなる。名前と共に表示された来店回数は、もう既に8を示していた。
「...はっ、なぁんだ、夢か......」
「最高だったよ。俺をいじめていた奴らが皆、奴隷になって俺の前に跪いてんだ。アラジンみたいな世界で俺は金銀財宝を好き勝手使って、女を侍らせて、人を好きなだけ殺して、そしたらいつの間にか俺が国の英雄として祀りあげられてたんだ。銅像が出来て、皆が俺を様付けで呼んで頭を地面に擦り付けてさぁ!さいっこうだな、脳から甘ったるい汁が滲み出るみたいな感覚だ、あぁ...」
「話は済んだか。」
「あぁ、最高だ。次はいつが空いてる?」
毎回毎回叩き込んだはずのルールはその緩い脳味噌から抜け落ちていたようだった。ワクワクとした顔で予約を取ろうとする男に苛立ちを抑え、用意していた真新しい装置を取り出し、男の前に置く。
「...なんだ?これ。」
「お前はもう九回夢を見た。最初に説明した通り、十回目はない。これで、店についての一切の記憶を消させてもらう。」
「はぁ!?ふざけんな!」
「やめとけ。お前の命なんかじゃ何人分あっても弁償出来ない。」
装置を投げようと掴んだ男は悔しそうにこちらを睨み、手を離す。そりゃそうだ。政府すら存在を知れば喉から手が出るほど欲しくなるそれが、貧民街の小汚い男1人の命で買えるならこの世界から戦争はとっくに消えてる。
「っ...嫌だ、俺はまた夢を見るんだ。頼むよ、空蝉さん、見せてくれよ、夢を...」
「...すっかり中毒だな。だから、辞めておけ、と言っただろう。夢は夢だ。」
「そんなの分かってる、でも、何があってもあの夢の幸せを上回ることがないんだよ、」
地面に這いつくばって足にしがみつく男の目は爛々と輝いている。九回かけて仕上げた商品。
「そうだろうな。」
「頼む、あと一度だけ...あと一回だけでいいんだ、そしたらもう、やめるから...ここにも来ない、記憶も消すから、頼むよ、」
「最近警察も騒いでるんだが...まぁ、いい、お前がそこまでいうなら、目覚めたくなくなる程幸せな、十度目の夢を見せてやる。」
男が寝そべったベッドの横で、モニターを確認する。貧民街、一般市民の居住区域、選ばれた者だけが住める区域、それぞれのメインストリートを眺めながら、カメラを操作していく。国中に導入され、プライバシーという概念がなくなる原因になった顔認証システムが往来にいる人々を捉えては、彼らのステータス、価値を100点満点の何点、と評価していく。点数はそのまま、人間の、命の価値だ。貧民街は真っ赤、一桁が並んでいる。ピコン、音が鳴り、ある男をカメラが捉え枠組みで囲った。アラームが鳴って少し経つと、画面の中に警官が現れ、対象を捉えて引きずっていった。反面、裕福な街は緑、90点台が並ぶ。悪趣味なシステムだ、と、他人事のように嘲笑する。何が悪趣味だ、自分で開発しておいて。
ビルの周辺には誰もいない。カメラの映像を加工して、そして、男へ装置を装着し、鎮静剤を腕へと流し込む。
「あぁ、ああぁ......怖い、怖い、嫌だ、あんな夢、嫌だ、頭が痛い、苦しい、」
「何を見た?」
「大きな化け物に追いかけられて、逃げ込んだ場所に、無数の虫がいて、腕を這い回って、嫌、いや、また腕に虫が、ヒィッ」
「大丈夫。ほら、奥に、楽園がある。」
腕を掻き毟る男の爪の間に、ピンク色をした艶めく肉が溜まっていく。男に部屋の奥を指し示し、微笑みをたたえて優しく囁けば、操り人形の如く奥の扉目掛けて突っ込んでいった。
デスクの上のキャンディ。今日は苺味にしよう、と包装を剥いで咥えると、口内に広がる頭の悪い上白糖の甘味。目は何の感情も浮かばないまま、モニターに映った男を、男の末路を追っていた。そして、男が羽ばたいて、世界から飛び立っていった。さて、と、タブレットを触り、扉の向こうの場所設定を変更し、扉を開けた。
トラックに轢かれたカエルのように、地面を彩る男の死体を見下ろしていた。躊躇なく頭から落ちたらしい。ぐちゃぐちゃに壊れた頭からはぷりんとハリのある脳髄がこぼれ出して、割れた箇所からはラズベリーソースのような鮮やかな赤がとくとくと溢れていた。懐から取り出したスプーンを脳髄へ突っ込み、丁寧にかき分けていけば、灰白色と鮮やかな赤の合間から、探していた真珠が顔を覗かせた。
あの装置を使う弊害。いや、効能、と言ったほうが正しいか。夢を見る度、一度ずつ、脳内に、脳内麻薬の結晶が出来ていく。そして、アコヤ貝の体内で丁寧に生成される真珠のように、丸く丸く形作られていくソレは、十回分の夢を見ることで完成し、脳を圧迫する。過ぎた脳内麻薬は毒となり、あらゆる幻覚を見せ、混乱させる。
ふと、少し前に訪れた少女との会話を思い出す。
「ねぇ、お兄さん、」
「ん?」
「お兄さん、とっても素敵なことをしてる。」
「ありがとう。」
「なのにどうして、この場所に、お店があるの?」
「ふふ、なんで?」
「だってここ、自殺の名所。」
真珠を柔らかな布で包み、きゅっと軽く拭いて、袋へ入れる。街は闇を身に纏い、全てを都合よく隠してくれていた。
カラン、と洒落たステンドグラス調の扉が開いた音に反応して、男が振り返り嬉しそうに笑顔を見せ近寄ってきた。俺より少し背の低いそいつを見下ろし、懐から取り出した、出来立ての真珠を手渡す。受け取った男は中身を確認し、目を輝かせた。
「ほらよ。」
「あぁ、こりゃ上モノのヘブンだ。極上に違いない。」
「金。」
「分かってるさ。少なかったら言ってくれ。」
「はっ、金には困ってねえよ。また連絡する。」
「ありがとよ、悪魔。」
渡された封筒の厚さにはなんの興味もない。ただ、取引する以上対価をもらう、それだけのこと。決して身体からは検出されないがトぶことの出来る天使の薬、いつのまにか"heaven"なんて、たいそうな名前がついてしまった。まぁ、いい。天国が見れる、と思われるのは悪くない。ポケットに入った今日4つ目のキャンディをくわえ、カリカリと歯で弄ぶ。飛び散る甘いカケラが、脳を
「......!...、××番、○○、起きなさい!」
徐々に覚醒していく意識は、どうやら扉の外でやかましくこちらに怒鳴り散らす人間のせいらしい。パチリ、目を開ける。壁に持たれたまま居眠りしていたのか。いくら座っていなければいけないとはいえ、確かにこれじゃ死んでいると思われても仕方がない。目の前はうたた寝する前に映った景色のまま、着ているお気に入りのシャツも描きかけの絵も、そのままだった。
「...はっ、なぁんだ、夢か......」
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usamin0325 · 5 years ago
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世相に関する覚書
ものぐさでいい加減な私は人をまとめたり動かしたりするのが極端に苦手な性分で、今でも人と仕事をするのが苦痛で仕方なく、例えば、ある作品の評論を書いてくれと依頼があっても、依頼主の意向を無視したものを書き上げてしまい、折角の仕事の話を頓挫させてしまったことが幾度となくある。
「井原西鶴はスタンダールやバルザックと同じリアリズム文学の創始者であり、当時、大阪はパリに匹敵する文化都市だった、だからこそ、大阪維新の会のような文化破壊をあたかも道徳のように行う政党は決して許してはならない」と書いて、失笑されること数回。十三の風俗嬢とその馴染み客の恋愛を書けば、織田作の模倣に過ぎないと馬鹿にされ、踏んだり蹴ったりの私。それでも井原西鶴や織田作、宇野浩二、武田麟太郎、葛西善蔵、林芙美子を見習い、軽佻浮薄にケラケラ笑いながら私は生きている。
こんな愚図な私はどうにもならん、いくら賞レースに参加したとて、風俗壊乱の下卑た作品しか書けないので、富と名声までは程遠い。いつまで月給取りをしなくてはならないのだと不甲斐ない自身を罵りながら日常を過ごす。
そんな私だから、音楽なんてとうの昔に辞めて正解であった。もともと不器用なんだから音楽なんてそれはとても私の技量にかなうものではなかったのだ。
退屈で無為な学生時代、セカンドスクールだがなんだかに通い詰めたりして「お前は挫折したことないから、そこへ行ってる俺の真剣さなんて分かりっこない」などと威張り散らし、自身の優越を誇示するのに必死な連中との付き合いに疲れ果て、私はそんな窮屈な人間関係から逃れるために読んだスタンダールの「赤と黒」とバルザックの「ゴリオ爺さん」などの古典文学にこそ、私の居場所があった様なものだった。人間の矛盾に満ちた本質など変わりはしないし、それを責めても何も生まれないのだと思うと、多少、卑屈な思いも鎮まるものである。どうにかしてこのクソ退屈で屈辱に満ちた時間と場面をやり過ごすことしか他はなかったのだ。
そもそも世渡り下手でなにかと不器用な私であったし、といってそれほど学術的に優秀でもない。それに取り柄なんてない。皆の様に明確に目指すものなんてあるわけもない。
私には捉え難いものを追うことしかできず、厄介なことに迷うことでしか多くの物事が分からないのだ。取り返しのつかない失敗と破綻の上に、私の思考が成り立つという厄介さ。
頭のいい方々は羨ましいものだ。路頭に迷い、誰からも必要とされない孤独感や他人との協調が上手いがために疎外感を知らずに、ただ、目の前にある課題をこなすだけで満足そうなのだから。
私の場合はそうはいかない。満足なんてどこにもなく、何かを知れば知るほど、何かをやればやるほど、現実が差し迫って来て、理想は遠く離れていく様に見える。それ故に、常に何かに迫られるような切迫感があって、何処にも落ち着きそうがない。自嘲的にいえば、私はいつまでも年相応の生き方に馴染めず、ただ、当て所なく迷うのだ。放蕩無頼とはよくいったもので、私もそれに近いものがある。
ただ、こんな私でもこれまでの時代は西成の薄暗い商店街の路地裏にいる八卦見にでも見てもらえばよかった。
モーパッサンの「女の一生」の最後、召使いが仕えていた婦人に言うようなことを彼なら答えると分かってる、この言葉を第三者から聞ければ、満足だった。
「結局、未来なんて期待していたほど良くもなく、といって失望していたほどのものでもない��
ところがこんな楽観が成立していた時代が徐々にこの日本から消えつつある。しかもその消失速度はここところ否応無しに増すばかりで、いくら愚図で鈍間な私でも分かる。
実際、私はこのことについて直感的に分かっていたといっていいか。白状するが、大学のキャンパスだろうが、風俗店の受付だろうが、ジャンキーやヤリ目のパリピー野郎ばかりが屯するクラブだろうが、今の職場であろうが、どんなに目を背けても直視せざるを得ない危機が迫っていることだけは分かっていた。
だからといって自身を逞しくしたり資格の勉強をしようとまで思わなんだ。何故って、それは余りにも私には不自然なことだった。所詮、資格なんて役に立たないし、専門性を持てば結局自身の無謬性を過信することとなり大きく判断を見誤るからだ。
例えば、精神科医が大量の薬を出し、多くの薬害を生み出すことは、自身の無謬性を一瞬たりとも疑ったことがない所以ではないか?
かつて私は自身の特殊性ー頭の構造がおかしいのか、頭が時折人との会話や目下の作業についてこれず、注意散漫になって、思考が筋から大きく違う方向へ逸れてしまうーのために、若干精神を病んでしまい、頭に喝を入れるアンフェタミンと精神状態を穏やかにするセロトニンの混合薬欲しさに医者に行ったことがある。そこで医者にこんなことを聞かれた。
「このまま消えたいとかそういった希死念慮はありませんか?」
別に死にたくもないのにどうしてこんなことを聴かれねばならないのかと不貞腐れた私は、
「別にないです。私が欲しいのはただ穏やかさと覚醒だけですがね」
すると、医者はこの答えに不満ありげに、
「おかしいですね?本来なら自殺願望がこういった抑うつ症状の場合にはみられるのですがね…本当はどうです?実際はあるでしょう?」
こう聞く医師の目にどこか見当違いの既視感があるように私には思えてた、抑鬱ならばこの答えではなくては困るといったような、そんな雰囲気を醸し出されており、私は些か困惑した。
まるで鬱に憔悴した人は皆自殺願望でもあるかのように患者に決めつけるところなぞ、なんという傲慢さだろうか。
後々分かったことであるが、私はうつ病でもなければ統合失調症でもなかった。何たる誤診だったろう。こういった行き違いばかりの診察で出された薬に手もつけなかった。私の精神状態が脳の問題であれば、脳波でも見れば良いものを、なんたって本人との面談だけで、あれだけ易々と薬が出せたのだろうか、それが不思議でならなかったのだ。
恐らく医者はその説明を拒むだろう。自身の無謬性に一つでもケチが付けば、彼の自尊心は忽ち崩れ、そして、これまでの経歴を自ら疑わずにはいられなくなる。となると、皮肉なことに、彼こそが向精神薬のお世話になる羽目になるのだ。
ーこうした精神運動が権威と集団に結びつき、少数からの真っ当な非難を論拠なしに厳しい口調や態度で退け続け、悲惨な結末をもたらす自身の行為を改めずに続けること、これをセンメルヴェイス反射という。日本社会に起きている多くの弊害はこうした心理現象に由来するとも言える。他にも合成の誤謬、認知的共同体などが挙げられる。ー
こんな例はいくつもある。
幸か不幸か、私の身内の多くは精神障害者であり、精神科医の被害者である。その多くは医師の言いつけ通りに処方された薬を飲み続け、文字通り、ヴォガネットの作品に出てくる登場人物のように頭がどっかーんとぶっ飛んだ。
通院すればするほど、会話が支離滅裂なものとり、動作がどんどん鈍くなっていく。
その結果、ある者は還暦を前にしてすでに手足の関節の膠着が見られ、自身で排泄と食事すらできなくなるほど衰弱し、その上、会話も成立しない。そして尿道にはチューブが繋がれ、病床に臥したきりになっている。
誰も指摘しないが、これは薬害ではないかと私は思う。
こんなことが頻発しているのであれば、日本の精神医療は最低といっても過言ではない。
地獄への道は善意で彩られているとはよく言ったもので、このほかにも政府や官僚、エリートたちが社会保障の充実のための増税だと、将来世代にツケを残さないためだとかなんとか、美辞麗句ばかり並びたてている。だが、結局、消費税を上げるたびに、日本人は総じて貧乏になり、その供給能力(即ちそれは国家の経済力を指す)は著しく毀損された。
介護医療、土木建設などの生活の根幹をなす業界の現場は、「無駄を減らせ」「民間の知恵を入れろ」との美辞麗句に彩られた合言葉から始まった目的のない緊縮財政と構造改革の煽りで、その運営手段は民営化されたために、作業効率はかえって悪くなり、報酬は減り続けた結果、廃業にまで追い込まれるところが相次ぎ、人手不足で相当悲惨なことになっている。
鈍感ではあったが、世の中が見る見る悪くなると察した私は、将来に向けて努力する同級生を見ても焦りもしなかった。そもそも私が無気力な状態であったことは言うまでもないが、ただ、その焦りは結局、何らかのビジネスに利用されるということを感じたからでもある。
実質賃金が漸次的に減少し、全体のパイが縮小していくデフレ経済下で勝てるのは持てる者だけで、多くは頑張れば頑張るほど燃え尽きるのだ。浮かばれない自身をSNSにでも投稿して憂さを晴らす姿はなんとも惨めったらしくて遣る瀬無い。そしてこの無為とも思われる努力の過程で積もり積もった妬みは政治家や官僚、メディア、詐欺師などに巧みに利用されて、自身の立場を知らず知らず危うくしてしまう。
公務員を叩いて何が良くなった?
何一つ良くなっていない、災害があれば、都市機能は一瞬で麻痺し、復旧には多くの時間と労力を要するだけで、日常生活に以前よりも支障を来すだけの結果にしかならず、何の足しにもなっていなかった。
リーマンショックの時、何か重大な機構の歯車が外れて未来への軌道が逸れた気がした。これまで是としてきたことがすべてまやかしだったというようなことが仄めかされたといっていい。世間の空気が少しだけ冷たくなり、より一層協調を求め、画一化されていくことを人々に強要していた。
「負け組にならないために、空気を読まねばならない。」
その空気とはなんであったか、今でも私には分からない。ただならぬものが何か一定の思考を強いるようなものであったのは確かだった。
後にトクヴィルの「アメリカの民主主義」という書物に出会い、朧げに見えてきたのは、「多数派の専制」がこの日本で行われつつあることであった。
階級や中間共同体が撤廃されて、人々が一様に平等となったとき、慣習や伝統を見失い、模範とすべき対象がないと多く嘆かれる。その時、頼るべきものを見失った人々はメディアが喧伝するイデオロギーや合言葉を、それが正しいかどうかなど関係なく、一斉に飛びついて信じてしまう。そして少数派の非難や意見はことごとく無視され、多数派がその社会を支配する。この多数派の専制が更に進めば、思考の自由すら人々は手放し、多数派の思考に隷属していく。
つまり、全体主義と民主主義は表裏一体。
私が物心ついた時からすでに社会はこの「多数派の専制」のメカニズムを順当に辿っていたのではないか。
阪神淡路大震災以後の日本文明は、何かと言えば、「無駄を省け」「これからは金融の時代だ」「規制緩和して市場を活性化すれば、より経済は活発になる」といった根拠なき意見が散見される次第、しかも何処にも確証もなければ論証もない。これらの試みが失敗したところで誰も責任を取らないどころか、「改革を十分に徹底していなかったから良くなかった、だからより抜本的に行う必要がある」という意見が支配的で、もう手の施しようがない。
つまりこの日本では健全な民主主義が機能していないのだ。
東日本大地震になると、この民主主義の機能不全は輪をかけて酷くなり、福島原発の爆発を見て、人々は恐れおののき、科学的根拠もなく、メディアの扇動だけで直ぐにでも脱原発と声高に多数派は叫ぶ有様。
正直にいって私も当初煽られてしまった。追い追い情報を精査すると、この事故はやむを得なかった。何しろ、想定外の事が起きたのだから。だったら、この想定外を上回る危機にも耐え得る原発を作れば良いではないか。しかしそんな議論は無かった。あったのは原発廃止、それだけ。
しかも脱原発に煽られて、人々は一斉に原発を叩き、根拠なき恐怖心は再エネビジネスに利用されたのだった。
結果、電気代に再エネ促進費用を上乗せされて支払う羽目になり、そのままその金は外資規制もなく再エネ事業者に横流し。しかもビジネス目的で山の斜面に多く作られたソーラーパネルのせいで、豪雨が見舞えば、土砂崩れは頻発する有様。
敗戦のショック同様に、このショックは人々の思考を停止に至らしめ、その隙間を邪なビジネスマンや工作勢力に利用されたのだった。
これをショックドクトリンという。
大惨事が起きるたびにこの国ではビジネスチャンスとなるわけだ。
過去の大戦の原因の一つが、石油をめぐるアメリカに対する我が国の過度な依存であったと分かれば、自ずと、結論は、エネルギーを自前で賄える可能性を有した原発を日本は国を挙げて維持すべきといった意見に傾く。この事故をあくまで日本の宿命と受け止めるべきではなかろうか。自立するために、多少の犠牲を払わなければならない日本の運命的境遇を理解できれば、何でもかんでも反原発と騒ぐのは話があまりにも飛躍しているのではないか。
しかし、こんな私の意見なんて多数派には届くはずもない。多くの人たちは、東電の管轄下にあったものが事故を起こしたのだから、その責任を国が東電に押し付けて当たり前と考え、異論すら聞き入れなかった。
想定外の事が起きているところへ、責任問題として、この事故を扱うこの国のエリート層の知性の劣化にはこの私でも舌を巻くものだった。これは誰の責任でもなく、その負担は政府をはじめとする国家全体が負うべき種類のものだろう。
しかし、政府はその負担を東電に押し付けた。メディアは、また放射能の被害を被った福島の農家に東電職員が土下座する写真を新聞の一面に載せたのだった。
どこまで煽られないと人々は気づかないのか。
その年行われたロックフェスは、従来通り、大量の電力を消費する大規模なものであったのに、ステージに立つ連中は悉く脱原発のイデオロギーに染まり、ある政治集団に至ってはジョンレノンに憧れてるのか、そこで夜中、大音量で音楽をかけながら、環境保護を標榜する集会を開いていた。60年代後半のウッドストックにいたヒッピーの幻想に頭がヤラレだのだろう、原発の利権構造が悪など偉そうな事を言う一方、大量の電力がなければ成り立たない生活をしている自身の矛盾には目を背け、偉そうに騒ぎ立てる姿は、自己欺瞞そのもので、実におめでたい姿だった。この光景をみて、こんな軽薄な連中とつるむのが気恥ずかしくなったものだ。私もそれだけ歳をとったのかわからぬが、彼らに言い知れぬ違和感を覚え、これ以降、私は音楽をやっている連中に関心を寄せなくなったのは事実だ。
一体、奴らの政治的主張のどこに耳を傾ける必要があろうか?実際、彼らの歌詞を仔細に読めば、その内容の空虚さ、幼稚さ、軽薄さが目につくだけで私は、彼らの音楽の不協和音も相まって、一層不快になってしまう。まさにこの自己欺瞞は滅びの兆候といってもいいのだろう。
こんな自己欺瞞ばかりの音楽の世界から遠ざかりたい一心で文学へと関心を移したわけだけど、これと同じことが文学でも起きていると分かった時の落胆は相当深刻なものだった。なんたって文学者の多くは音楽のそれと違って政治力まであるのだ。
私はそれでもこのクソみたいに高慢で自己欺瞞している連中の間で軽佻浮薄な振る舞いをして、世間の失笑と顰蹙を買うことだろう。
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