#自分の心を俯瞰する
Explore tagged Tumblr posts
aoki-toru · 2 months ago
Photo
Tumblr media
(山小屋のご主人の話から)
ある #山小屋のご主人 は、山を魔女のようと表し、だから好きだと照れます。
いつもおだやかで幸せそうです。
荒れ狂うときですら、愛情をこめて立ち向かわれます。
2 notes · View notes
moko1590m · 3 months ago
Photo
Tumblr media
人は自己家畜化で優しく従順に進化した 人工環境と社会に適応
テクノロジーと人類(48)長内洋介
2025/3/29 10:00
人類が今日の繁栄を築いた根本的な理由は何か。その謎を解く鍵として注目されているのが「自己家畜化」という概念だ。人は優しく進化して飛躍を遂げたのだという。
家畜と共通点
人類は約1万年前、ヤギやヒツジ、ウシなどの野生動物を飼育して家畜化した。奇妙なことに、人はこうした家畜とよく似た性質を持っている。この事実は古代ギリシャ時代から知られ、19世紀にダーウィンも注目して研究したが、理由は突き止められなかった。
家畜化された動物は、どの種でも共通の性質が表れる。人を攻撃せず従順で、ストレスに対して鈍感、頭や顎は小型化し、体は白くなり、顔は平面的で幼くなるといった変化だ。
これは「家畜化症候群」と呼ばれ、その多くは人でもみられる。人はチンパンジーと比べて温和で、反射的に攻撃することは少ない。数百万年に及ぶ進化の過程で顎や歯は小型化し、顔は平面的になった。
人はなぜ家畜と似ているのか。その理由を説明するのが自己家畜化だ。人は誰かに家畜化されたのではなく、自��家畜のような性質に進化したというものだ。
動物を家畜化するときは人に従順な個体が選ばれる。人類も攻撃的な人は排除され、仲良く協力できる人が自然淘汰(とうた)で生き��ってきたと考えられる。自己家畜化が始まった時期は不明だが、われわれホモ・サピエンスが誕生した頃に大きく進展したらしい。
東京大の外谷(とや)弦太特任助教(複雑系科学)は「人類は道具を使い、協力して狩りをすることで多くの食料を得られるようになった。人口が増えて社会が複雑化すると役割分担が始まり、より仲良くすることが有利になって自己家畜化が加速した」と指摘する。
愛知県立大名誉教授で野外民族博物館リトルワールド館長の稲村哲也氏(文化人類学)は「他者と協力し、相手を思いやる人間の特性は自己家畜化の過程で残ってきたのだろう。人は自ら作った高ストレス社会に適応して、より優しくなった」と話す。
仲良くなると情報や物資の交換が活発になり、新たなアイデアが生まれイノベーション(技術革新)が起きる。自己家畜化が人類の繁栄と文明の進歩に重要な役割を果たしたことは間違いないだろう。
人は大人になってもよく遊ぶ。旺盛な好奇心の表れであり、遊びによる探索や試行錯誤が新たなひらめきの源泉になる。イヌは進化の過程で自ら人に近づいたともいわれ、人と同じようによく遊ぶ。
人類は道具や社会制度を作り、農耕や都市化によって人工的な環境を生み出してきた。人が作った環境の中で家畜が飼育されるように、人間も自ら作った社会や環境の中でしか生きられない存在だ。こうした視点からも人は自己家畜化したと指摘されている。
言語にも関係
自己家畜化は人間らしさの根源である言語の誕生にも関係しているという。小鳥のジュウシマツは野生種を品種改良した家畜で、野生種より複雑なさえずりができる。人も自己家畜化によって言語の進化が起きた可能性がある。
京都大の藤田耕司名誉教授(進化言語学)によると、野生動物は生きていくため常に天敵や餌の心配をしているが、家畜はその必要がないため余裕が生じ、多くのことに注意を払い考えられるようになる。
「これが複雑な構造を持つ人間の言語が生まれた一つの要因ではないか。言語による複雑な思考やコミュニケーションが可能になった背景には自己家畜化がある」と藤田氏は指摘する。
家畜化の研究は、ロシアで20世紀半ばに行われたキツネの家畜化実験で大きく前進した。人に従順な雄��雌を交配させ、生まれた子から従順な個体を選び交配させることを繰り返した結果、わずか数世代でイヌのように尾を振る人懐っこいキツネが生まれたのだ。
しかもこのキツネは耳が垂れ、色が白いなどの家畜化症候群も呈していた。数千年は要したであろうオオカミからイヌへの進化を人工的に再現したようなものだ。
この実験によって、従順さを求めると家畜化することが実証されたが、なぜ体の変化も同時に起きたのか。これを説明する画期的な仮説が約10年前に登場し、注目されている。
鍵となるのは神経堤細胞という特殊な細胞だ。胎児のときに脊髄付近から全身に散らばり、ホルモンを分泌する副腎や骨などさまざまな場所の形成を促す。
この働きが低下すると、攻撃性を高めるホルモンの分泌が減るなどして穏やかで従順になる。骨や軟骨の形成も阻害されるため、頭が小型化したり、耳が垂れたりする変化が同時に起きることも説明できるのだ。
この仮説が正しければ、動物の家畜化は神経堤細胞の働きが低い個体を選別する行為といえる。人の自己家畜化も、そういうタイプの人が仲間や結婚相手として多く選ばれ、進行した可能性がある。
京都大ヒト行動進化研究センターでは、チンパンジーと、近縁種で自己家畜化した性質を持つボノボの人工多能性幹細胞(iPS細胞)を使って、それぞれの神経堤細胞を作り、その働きを比べることで自己家畜化の決め手となる遺伝子を探す研究が進んでいる。
権力への依存
現代人も自己家畜化が進んでいるという。山口大の高橋征仁教授(社会心理学)によると、日本での代表的な美男子コンテストの候補者は、時代を追うごとにひ弱で優しく幼い印象の顔になっている。家畜化で生じる特徴的な変化だ。
分析の結果、女性は男性の優しい顔に恋愛や結婚の相手としての魅力を感じることが分かった。女性が穏やかで従順な男性を選ぶことで人の自己家畜化が進んでいる可能性がある。
自己家畜化の進行は人類の将来に何をもたらすのか。高橋氏は「幼くなるのは若々しくなることで良い面だが、課題は巨大な権力への甘えと依存が強まることだ」と話す。
インターネットが普及した今日、現代人は巨大IT企業が支配する情報インフラを従順に受け入れ、すっかり依存している。人はネット空間という見えない柵の中で飼育され、情報という餌を与えられて生きる家畜への道を自ら選んだと言ってもいいだろう。
一方、外谷氏は「人が協力して行ってきたことの多くは生成AI(人工知能)に置き換わる。人は協力することに価値を見いださず、他者や社会に無関心になっていく」と予想する。
家畜は人間に興味を示す半面、自分と同じ種への関心は低い。人間同士が無関心になることは自己家畜化の帰結ともいえそうだ。
稲村氏は「人は自己家畜化によって社会性や共感を強めてきたが、集団を超えた協力はできていない。集団内の結び付きが強いほど、外部の集団と戦争を起こしてしまう。この矛盾をどう解決するか問われている」と警鐘を鳴らす。
自己家畜化論は人種差別や優生思想と結び付いて政治的に利用された過去があり、現在でも誤解されやすい。だが人間の本質を探る上で重要な論点であり、人類史を俯瞰(ふかん)して理解する新たな視座になるだろう。(科学報道室編集委員)
(人は自己家畜化で優しく従順に進化した 人工環境と社会に適応 テクノロジーと人類(48)長内洋介 - 産経ニュースから)
207 notes · View notes
capybara-is-watching · 4 months ago
Text
男社会は「何を為したか」が重要。 女社会は「何を消費したか」が重要。 これは、男性が『女の話はオチが無い』と感じる理由にも通じます。 例えば、 【モナ・リザを現地まで見に行った】という話は、男性からすれば「で?」「だから?」「それで?」「オチは?」となる。 言うまでもなく、モナ・リザを現地まで見に行っただけでは『ただの観光客』に過ぎず、何かを生産したわけでもなければ、何かを成し遂げたわけでもありません。あくまで、消費者の立場でしかありません。どこにも『評価』できるポイントが無い。 「で、お前は何をしたの?」となる。 男社会では「その経験を活かして何を為したか」の方が重要だから、続きを促す。 【モナ・リザを現地まで見に行った】【そこから着想を得て今の仕事に活かしている】という話をすることで「凄いね!」「やるね!」となり、オチがつきます。 あるいは、逆でも良いでしょう。 【今の仕事を頑張って結果を出した】【ひと段落して余暇ができたからずっと憧れていたモナ・リザを現地まで見に行った】という話でも「凄いね!」「やるね!」となり、オチがつく。 いずれにせよ、男社会では「何を為したか」が『評価』の基準となるわけです。 しかし、女社会では違います。 【モナ・リザを現地まで見に行った】という話だけで女性は「凄いね!」「やるね!」となります。 女社会では『いかに高尚で高級そうなものを"お客様"の立場で消費しているか』の方が重要だからです。 むしろ、男社会のように「何を為したか」を自分から積極的にアピールするのは『評価』としてはマイナスポイントであり『奴隷みたいに苦労していて貧乏くさい』と見なされます。 だから、女性は「(まぁ私にとっては普通のことで何の苦労もなくいつも通りの日常の延長線上でしかないから騒ぐほどのことでもないけど)モナ・リザを現地まで見に行ったよ」という話し方になり、そこに至る経緯や背景は省かれる。 男社会におけるオチの部分は、女社会では「凄いね!」「やるね!」という��評価』が済んでから、語られることになります。 相手に言われて「そんなに聞きたいなら答えるけど」という姿勢で、あくまで聞かれたから、求められたから、仕方なく話す。これにより『評価』は保たれて、安心してオチまで話せる。 女社会では、ここまでの流れである「最初に評価→続きを促す→オチまで話す」が会話の『プロトコル』として、無意識レベルで共有されています。 恋愛の話だと、もっと分かりやすいかもしれません。 女社会では、まず最初に「それは相手が悪いよあなたは悪くない!」という『評価』が定まってから、続きが促されます。その後で、オチまで語られる。 女性の話が長くなる傾向にあるのも、この形式だと延々といくらでもオチを付け足せるからです。 また、女社会では『陰口』が多くなります。最初に『評価』が定まったものを表立って覆すことはできないので、本人のいないところで「実はあの時おかしいと思っていたんだよね」と後出しで語られる。 男社会では、順番が逆であり「背景も経緯も全てを話す→最後に評価」という流れとなり、評価が定まった後に何かをつけたすのは『言い訳』と見なされます。 恋愛の話に限りませんが、男社会では「両方の主張を聞いてみないと分からない」という姿勢が一般的です。全ての情報を俯瞰してから、最後に『評価』が下される。 女性から見れば、会話における男性の対応は「最初に評価を定めてくれないと続きが話せないのに評価する前に『で?』『だから?』『それで?』『オチは?』と言われても困るんだけど」となるでしょう。 これが『共感』の正体です。 女社会における『共感』とは「最初に評価を定めてから続きを促すこと」であり、男社会における「評価するという目的のために続きを促すこと」とは真逆なのです。 だから『誠実』の基準も真逆。 男性からすれば「全ての情報を聞いていない時点で評価を定めるなんて不誠実だ」と思うかもしれませんが、女性からすれば「最初に評価を定めて安心させてあげないのは不誠実だ」となります。 『女の話は相槌を打っておけばOK』を鵜呑みにして失敗する男性が多いのはこれが原因で、評価を定めずに相槌を打っても「話を聞いてないでしょ!」となります 本質は『男女で会話の順序が違う』こと。 SNSでもこの傾向は顕著に見られます。 『女あるある』として「批判されてから情報を次々に後出しすること」がよく見られて、女性は真偽不明の情報であっても「キモい」「性犯罪者」のような『評価』を最初にしてしまう。 男性から見れば、女性の言動が著しく不誠実に見えると思いますが、これは男女で会話の『プロトコル』が異なるから。 男性の会話は『評価』が最後。 女性の会話は『評価』が最初。 以上が、男性が『女の話はオチが無い』と感じる理由です。
Xユーザーのめるめるさん
以下、詳細版
男性が「女性の話にはオチが無い」と感じる本当の理由|めるめる
42 notes · View notes
shiri1124 · 3 months ago
Text
自分自身
他人の気持ちに寄り添うのは得意なのに、自分の気持ちに寄り添うのが本当に苦手でした。今も苦手です。でも、最近は自分自身の気持ちへの解像度がぐっと上がったような感覚があります。
 以下自分語りが始まりますので、苦手ではない方は先へ進んでください。
最近私の中には、主観と客観大きく分けて二つの自分がいることに気がつきました。
客観の私は視野が広く、自分の本能や、考え、相手の言動など身の回りで起きる出来事全てを1.5mほど頭上から俯瞰して見ているような、そんな存在です。その姿を形として表すならば長老のような、おばさまの様なイメージです。
一方主観の私は視野が狭く、相手の言動を冷静に判断し捉えることができません。「怖い、辛い、悲しい、寂しい」こんな単純で痛烈な一時たりとも忘れることを許してくれない気持ちを抱えています。デパートで親とはぐれてしまった5歳の子供のような姿をしているイメージです。
 私は仕事場では真面目で元気で頼り甲斐のある人と言われます。職場の利用者さんから何か言われても並大抵のことでは凹みません。しかし、恋人を前にした時の私は、まるで親の機嫌を損ねたら衣食住を奪われるという恐怖を前に顔色を伺い続ける未就学児のようです。そんな弱い私が嫌で、辛くて、弱い私を改善しようと、この数年間、動画や本やブログを読み、他人の言動を観察し、ありとあらゆる知識を身につけてきました。
 そのおかげもあり、10年前は自他共に認めるコミュ障だった私も今ではコミュ強と自称できるほど成長することができました。しかし、それはあくまで外面の、客観の私であって、内面、主観は今なおほとんど成長できていないわけです。そればかりか、客観が育つほどに、主観が置いてけぼりを食らい、退行している気すらするのです。
昔から母に「あんたたち(私と姉)一見強そうだし、並大抵のことは跳ね返せるのに、え?そこ??みたいなことで深く傷ついて立ち直れなくなることあるよね。強いんだか弱いんだかわからん」と言われたことがあります。ずっとその言葉が胸に残ってて確かにな。と思っていたのですが、最近その理由が自分の中でわかるようになってきたのです。
母の言う強い部分というのは、客観の私、人と接する時の私、いわば鎧のような部分。
弱い部分というのは主観の私。いわば生身の私。
意外なところで深く傷つくのはその人と関わる時に鎧を着ているかどうか(気を使わない生身の自分で対峙しているかどうか)がポイントだと気づいたのです。ある種心を閉ざして、対人モードの私。とスイッチを入れて関わっている時は何を言われてもそんなに傷つきません。なぜなら鎧が跳ね返してくれるから。でも、気を置かない間柄の人と生身の私で関わると呆気ないところで傷つくんです。だって鎧も防弾チョッキもない状態で、不安で仕方がない、五歳児の私が前面に出て対応を任されているから。
 これに気づいた時、自分への謎というか嫌悪感というか少し腑に落ちて楽になりました。じゃあなんで、今まで見聞きしてきた知識たちは、あくまで鎧としてであって、生身の私を強くはしてくれないのか、ということも同時に気になりました。そして気づきました。生身の自分を強くするのは誰かの言った、それっぽい言葉や名言などではなく、自分の胸に刺さって抜けないナイフや傷を回顧して、それら一つ一つに真摯に向き合って、生傷から瘡蓋へ変えていくしかないのだと。いくらお金や時間��積んで強い武器や装備を手に入れたところで、生身の私が弱ければ、突然の出来事には、深い間柄の人間関係には、うまく対応することができない。そして自分も相手も傷つける。自己嫌悪ループに陥る。生身の私を強くするには心の筋トレをするしかないのだと…それは鎧を強化するよりもとっっっても大変なことだけど、私がこれから先の人生安定したメンタルで生きていくためには必要不可欠なのことなのだと気づいた、今日この頃。
13 notes · View notes
blr-blue · 15 days ago
Text
 ツイッター隠居宣言をしたので今月はよほどのことがない限りツイートをしない、と決めたからそれはきちんと遂行するつもりだけど、noteとかTumblrは別だし更新しちゃうよ~という甘えを早速見せていく。もはやTumblrがメインSNSみたいなものだし。
 大学の話をちょっとだけしようかしら。
 うちの大学、とくにうちの研究室は、研究室の中にさらにゼミがある。つまり、○○学研究室という大きい枠組みがあって、その中にさらにA先生のゼミ、B先生のゼミ、……という感じで、小グループが中に入ってるっていう感じ。○○学研究室のAゼミ、みたいな。伝わる?
 大学院生ってめちゃくちゃ狭いコミュニティだから、なぞにゼミ間で派閥ができていたりする。要は、A先生とB先生の仲が悪い、みたいな政治的なバトルがあって、それに学生が巻き込まれたり、もはや学生も徒党を組んでいて陰口を言っていたり、とか。そういう、面倒くさい人間関係があるのである。
 わたしは修士から入った外部生だし、基本研究室に顔を出さないのであまりそういういざこざには巻き込まれずに遠くから俯瞰しているけれど、やはりたまに飲み会に出席したりしていると、なんだか自分がその派閥の一端を構成しているみたいになってちょっといやだなと感じる。とくに先月の飲み会(うちのゼミが中心だけど他のゼミの学生もいた)で、珍しく二次会まで行ったら、他ゼミのM1の子たちがまあずっと誰かの噂話をしていて頭がいたい。ちょっと居づらくなって、D4の先輩(オーバードクターしてる同ゼミの先輩)がいる卓に逃げたら、そっちはそっちで「寝る前に明日が楽しみだなって思うことある? あんまりなくない?」みたいな陰鬱話題に花を咲かせていてまあ意味がわからなかったけどこっちの話題の方が性に合っているので「わたしもないです~!」とか言って逃げた。何が言いたいかというと、人間関係めんどくせ~と思ってるということです。
 ふつうに会社員とかだったら、あの、お局とかいるんでしょう? それとおんなじで、面倒な先生がいたり、へんな先輩がいたりするんですよ、研究室でも。そして陰口のレベルもまあ高度というか、「あそこの学生はまともな業績出してないから」みたいなテクニカルな悪口が出てくるからまあおそろしい。わたしもどこかで悪いこと言われてるんだろうな~と思いながらすべてに素知らぬふりをしていて、だから余計に大学に行きたくなくなる。
 だまって研究して業績出したら多分誰にも文句言われないんだろうなって思う。まあなんていうか居心地が悪い。同じゼミのメンバーは良い意味で他人に興味がないからそれは満足してるけど、研究室全体で見るとまあ気持ちの良いものではない。多分わたしが残りの2年半で研究室にバリバリ出勤できるようになることはないのだろうなと思う。全部知らんふりしてやり過ごすことしか生きる術がない。その分、学生プロジェクトの方とか、そっちのコミュニティにうまいこと帰属意識が持てればよいかなと思う。話まとまんなくなってきたのでおわる
14 notes · View notes
ibuki-harumatsu · 1 year ago
Text
あけましておめでとう皆様。いかがお過ごしですか。悲しい想いはしていませんか。元旦から辛い思いを強いられた皆様、心からお見舞い申し上げます。出来る限り早く温かい場所で、心と身体を休められるようになることを祈っております。私ごとですが先日、24歳になりました。田舎の街の家の窓から雪を纏った山を見ていると、私がこの世に生まれ落ちてからもう24回も四季が巡ったのかと不思議な気持ちになります。命の継続、良いものですね。なんとなく日々を過ごしていると、見落としてしまうようなものを手に取り、眺めていたような、そんな一年でした。私はいつも、人に助けられて生きていると言っていますが、それでもやはり一番私に寄り添って、手を取って歩んでいってくれているのは自分自身なのでした。自身を俯瞰して見ることはすごく難しくて、気付けばお座なりになってしまいます。そして自分をよく見つめ直そうと思い立ちますが、辛かった過去や、嫌なところばかり考えてしまうのです。それが辛くて、苦しくて、心と身体を切り離して、進もう、進もうとしてしまいます。それでも、弱い自分も全て含めて自分なのだと、少しずつ認めてあげられたら良いですね。例えどれだけ時間がかかっても。人に優しくするのは、その人に好かれたいからで、人が欲しい言葉を易々とわかってそれを無意識に投げてしまうのは、その人に忘れられたくないからで。そんな私の弱さも、いつか、本当の優しさになれたら良いな。今年の目標は、本来あった場所に帰ること。環境を変えるのではなく、自分自身の心を変えていくこと。出会いを大切に、健やかに生きること。今年も見守っていてね。私の大切な居場所です。良い一年に、まずは、良い冬に。引き続き何卒、私をよろしくね。
27 notes · View notes
taizooo · 10 months ago
Quote
そうなんですよね。正直、僕らの世代からしたら「まだこの曲をプッシュするのか」って思ってしまいがちだし、自分の最新の関心に基づいてプレゼンテーションしたくなるところなんだけど、もっと俯瞰して次へ繋ぐっていうことを大切に考えると、「確かにド直球もありなのかな」と思えるようになってきたんです。
interview with Toru Hashimoto 30周年を迎えたFree Soulシリーズの「ベスト・オブ・ベスト」 | 橋本徹、インタヴュー | ele-king
7 notes · View notes
kennak · 11 months ago
Quote
小学生の頃から「女の体って価値があるんだ。しかも若いほうが価値が高い」と気づいていた。 ただ、愚かな私は、人間扱いされた上でプラスで女体としての価値が乗っかってくるんだと勘違いしていた。(数十年後にそうじゃないと気づいた。ババになって俯瞰しないと気付けないもんだね。若い頃はずっと上記の勘違いをしていて、気づけなかった。これが若いフェミが少ない理由だと思う) 6歳の頃か、父親に連れられて入ったPCショップで、横目に見えるギャルゲー。パッケージには小学生〜高校生くらいの美少女キャラが印刷されている。パンツ見えそう。 小学生。当時、ハンゲームというオンラインゲームにハマっていた���、見ず知らずのアカウントから「課金アバターあげるからエロい話しよう」とよくメッセージが来たものだった。 中学生の部活帰りに本屋で立ち読みしていたら、後ろからヒョロヒョロの男性が足を触ってきた。 その後、さびれた商店街でも「僕のオナニー見てくれない?」と声をかけられる。 街に出るとおっさんが「電話番号交換しよう」と声をかけてくる。 やっぱり若い女には価値があるんだ。と わたしはどんどん図に乗っていった。 ネットで知り合った男性にパンツを売り、ちょっとエロいこともすればスマホも買ってもらえた。 お金が手に入った。今まで我慢してたものが買える!自由に買える! セックスはしなかった。私は、2chから処女が価値が高いと学習していた。 買い与えていない物が家に増え、怪しんだ親に見つかった。スマホを捨てられた。 なんで自分で稼いでるのに勝手に捨てるの? もちろん、やらなくて済むならやりたくないけどさ…お金が欲しいからやってるわけで、わたしが我慢すれば良いだけの話なのに。なんで親が口出ししてくるんだろう。 当時はマジでこういう思考回路だった。 その後、パンツ買った男の1人を好きになって、メンヘラ化して捨てられて 「15歳のまんこパワーがあっても捨てられるの…?」と絶望したもんだな〜 しかもそいつに性病うつされて、「ほんとに俺からうつったの?」とか言われてさ、その性病一生治らないし。田舎だから病院もないし、母に頼んで産婦人科に連れていってもらったんだよね。 産婦人科で15歳、珍しいのか冷たい対応をされたよjな気がする。 一生治らないって聞いた後は泣いたな〜。しかも運転してくれる母が心配そうに「なんだったの?」って聞いてきて 「性病だったよ!一生治らないって言われたよ!!…」って怒鳴って。八つ当たりしてしまった。 バカだったな〜 お母さんも泣いてたな。 父親もあとで、泣きながら「相手は誰なんだ?責任をとらせる」って話してきたんだけど 「こういう時だけ父親ぶるんだ」としか思えなかったな・・・ 今思えば、もともとメンヘラだったんだな〜 殺したいか死にたいのどっちかしか頭になかったもんな〜 パンツ売る時は、襲われたらやり返せるようにナイフなんか持ち歩いてたけどさ、本気の男に敵うわけないって今ならわかるなあ そのあとは「若さバフが消える前にスキルつけないとヤバイ!」って勉強も仕事も少しだけ頑張ったんだよね そしたら出会う人が変わって、教養とか文化ってものを知るようになって 今はわりと普通に暮らしてる 当時に戻れるなら、女売り業してた時間を勉学にフルベットしたい!当時パンツ売って数千円で高いと思ってたけど、今は1時間で��げるようになったよ。
14歳の時にパンツ売ってた
9 notes · View notes
nyantria · 7 months ago
Text
ありもしないウイルス騒ぎを起こし、毒でしかないワクチンを打ちまくって人口削減。
これが全てです。
芸能人等の不審な死の殆どもワクチンによって免疫破壊された、或いは直接仕込まれた毒物による結果でしょう。
不謹慎厨が正義ズラして言論封殺してきますが、ワクチンの影響である疑いが拭えない以上、真相の究明こそ死者への供養になる筈です。
...というのが私の考え方なのだが以下は他の考え方への参考にはなった。
ただし新コロ関連のワクチンは有害であるということでは一致している筈。
@shinseiminkento
まぁしんどいけど、陰謀論歴20年の自分のレベルに皆さん追いつくのに時間かかると思うし、根気よく説明していきます。「武漢ウイルス研究所によるワクチン開発を口実としたウイルスの機能獲得研究=人工ウイルス」これはこれで本当の話ですが、コロナ騒動全体を俯瞰して見れば一種のオトリだと言うことです。だからメディアも盛んに報道する。そして人工ウイルス説と自然発生説を戦わせて人工ウイルス説を陰謀論扱いするわけです。そうすると世間は「人工ウイルス」と言う非常に浅い段階で陰謀論扱いするようになるから、それ以上の真相への追求に対する「防波堤」を築くことができるわけです。そしてそれと同時に、メディアは武漢漏洩説を報道す事で、やれ生物兵器だ人工ウイルスだと騒ぎ立てるが、それは大衆への恐怖心を植え付けることにはむしろプラスに作用する。だからぶっちゃけ仕掛けた側は武漢の事について有る程度バレても痛くは無いし、最初からそのつもりでやってるだろう。そこに大衆の目を惹きつけておいて、実際にはPCRの濫用とメディアによる煽りで騒動を大きくしているわけです。しかしじゃあ人工ウイルスは嘘かと言うとそんな事はなく、それはそれで存在する。そして特に初期はそれなりの症状を経験した人もいるが、すぐに変異して弱毒化し只の風邪になるので、仕掛けた側は(ワクチン接種して免疫低下でもさせない限り)安全圏にいられるわけです。そして、さらにその一方で気がついた人達には「新型コロナは存在しない」説を流布する。「PCRはデタラメだ」とか「コッホの四原則を満たしていない」だとか「存在証明がされていない」等と言った言説を流布してね。全て間違いでは無いが、色々と注釈が必要になる言説であるはずだ。しかし反コロ陰謀論者等は刺激的な表現に飛びつき「ウイルスは存在しない!コロナは嘘だ!」と大騒ぎする。それを見た一般大衆は「目覚めた人たち」をますますトンデモ扱いするようになり、メディアや���府への信仰心と帰依を深める。なぜなら大衆は新型コロナ感染症の症状を経験した人が身近にいたり、その話を聞いて従来型の風邪やインフルエンザと異なる症状が存在する事を認識しているからだ。ハッキリ言うとコロナは有る。だからこそコロナは無い説を流布すればするほど、目覚めた人たちはトンデモ扱いされ、仕掛けた側は追求を逃れる事ができる。そしてそうした気運を醸成する場としてSNS特にツイッターが利用された。最後に今回の宮沢孝幸の件について解説しておくと、彼が言ってるのは本当だろう。新型コロナは人工でありそれはワクチンと連動している。しかし、彼は政治の世界や陰謀の世界については専門では無いので「しかしコロナは大したことは無い」と肝心なことを強調しない。それが仕掛けた側にとって都合がいいのだ。宮沢を拡散する事によってコロナ陰謀論に「コロナは恐怖の人工ウイルスで生物兵器だ」と言う大きな流れを作る事は仕掛けた側にとっては決してマイナスにはならないからだ。最後におそらく、武漢で研究してた連中と、コロナ茶番を仕掛けた連中は一部が被るが有る意味で別ルートの連中だろう。茶番を仕掛けた連中が、武漢で研究してた連中を利用したのだと思われる。いずれにしても、まぁ、このくらい考えて仕掛けているだろうと言う事です。浅いところでの議論が目立ちますが、思考を深めてください。と言う事です。
3 notes · View notes
ari0921 · 4 months ago
Text
『カッサンドラの日記』21 黒船はなぜ現れたのか?―クリミア戦争と太平洋 (※長文注意)
橋本由美子
2024.04.05
クリミア戦争
 クリミア戦争と聞いて、日本人はすぐにナイチンゲールを連想するが、それ以外に何を思い浮かべるだろうか? ウクライナ戦争勃発以後、「クリミア」についての情報は豊富になった。しかし、日本では以前にはあまり話題にならない地域だったと思う。クリミア戦争は、当時のヨーロッパから中東にかけての大きな異変であり、この国際関係の大波乱の余波は日本にも及んだ。ペリーを招いたのはクリミア戦争だったとさえ言えるかもしれない。
 クリミア戦争(1854-56)の背景には、オスマン・トルコ帝国の衰退が引き起こしたヨーロッパ諸国の動きがある。巨大な帝国が衰退期に入ると、帝国内の諸民族の独立意識やそれに伴う宗教宗派の対立が顕在化する。当時のトルコ帝国は、バルカン半島からシリア、エジプトに至る広大な領土を持っていたが、モンテネグロ、ボスニア、ヘルツェゴビナ、アルバニアなどの地域で、キリスト教徒・イスラム教徒・ロシア正教徒などの対立が起こり、周辺のヨーロッパ各国を巻き込んで複雑で不穏な情勢になっていた。ナポレオン3世が聖地エルサレムの管理権を認めさせるというスタンドプレーもあって、ロシアは、トルコ帝国内のスラブ系の住民の安全と財産の保護を口実にドナウ河畔に軍隊を進める(いつも同じ口実ですね)。セバストポリの黒海艦隊が戦闘準備態勢に入り、ドナウ河畔で対峙していたロシア軍とトルコ軍��互いに宣戦布告して、ついに開戦となったのは1853年の11月である。
 1854年、英仏がロシアの進出を阻むためにこの紛争に介入し、クリミア戦争が始まった。戦闘はクリミアだけでなく、バルカン半島やバルト海でも他国を巻き込みながら行われ、スウェーデンやオーストリア、プロイセンの思惑も絡んで欧州が対ロシアで動き出す。ロシア軍は英仏艦隊からセバストポリを護るために黒海艦隊を自沈させて海上を封鎖し、陸上では塹壕を掘って要塞化した。塹壕戦はまるで第一次大戦のリハーサルのようで、クリミアでの戦闘は長期化した。双方の戦死者は数十万と言われ、イギリス軍の負傷兵のためにナイチンゲールが戦地に赴くことになる。
 トルコ帝国内や中東地域の民族対立も複雑なら、どの時代も「欧州の天地は複雑怪奇」である。しかし、個々の複雑な様相を俯瞰的長期的に眺めれば、結局のところ、この戦いは、スエズ運河開通前の中央アジアを見据えた「黒海と地中海の制海権争い」だったと言える。南下するロシアに対して、それを阻止しようとする英仏の対決であり、特にイギリスは植民地インドとの連絡線をロシアによって断たれるわけにはいかなかった。トルコ周辺の海域は、ロシアにとっては南下政策の、英仏にとってはアジアの植民地に至る重要拠点だ���た。広い意味でのシーパワーとランドパワーの対立構図の延長にあり、第二次大戦後のトルコ帝国分割の際の支配権を巡って暗躍したのもこの国々である。
北太平洋
 ロシア軍と英仏軍の戦闘は、太平洋にも及んでいる。太平洋は、18世紀にジェームズ・クックやベーリングの航海でかなり地理的解明が進んでいた。高緯度の海域は気象条件の悪さでなかなか詳細がわからなかったが、ベーリングの航海により、ユーラシア大陸とアラスカが地続きではないとわかってからは、ロシアはカムチャッカからベーリング海峡を北へ進んで大西洋に抜ける航路を見つけようとしていた(北東航路)。イギリスも、喜望峰を回る長距離ルートではなく、アメリカ大陸の北岸から太平洋に出られる航路がないかを探していた(北西航路)。実際には北極海の氷に阻まれて航行は不可能だったが、此処を太平洋への出口とする現在の北極海航路の構想は古くからあった。
 英仏艦隊はカムチャッカの要塞を包囲して、3度にわたってロシアとの砲撃戦が繰り広げられた。特に19世紀になってからは、対馬をめぐる英露のシーレーン構想の対立があり、日本の近海にロシア船やイギリス船が頻繁に現れ、日本を取り込むために遭難の救助や薪炭の補給や開港を迫るようになっていて、幕府が異国��打払令を出すなど、この海域は騒々しくなっている。この頃の清は太平天国の動乱で揺れていた(1851-64)。イギリスは、アヘン戦争終結の南京条約で香港割譲とともに得た上海の権益をこの戦乱から守る必要もあって、イギリス中国艦隊の活動は制限されていた。何よりも、英露双方ともにクリミア戦争への対応で、太平洋に割ける余力は少なかったのだろう。
 しかし、ヨーロッパでは中国市場を含む東アジア地域と、そのルートである太平洋そのものへの関心は高まっていた。フランスも太平洋に進出していて、ポリネシア群島を植民地化して、ゴーギャンがタヒチに住むようになるのはこの世紀の終わりである。この頃の海軍力はイギリスを筆頭にフランス、ロシアが続いていた。ヨーロッパの海軍国がクリミア戦争に集中していたこのときが、アメリカにとっては、太平洋に進出する「絶好のチャンス」だった。アメリカの海軍力は、まだ彼らに及ばないものだったのである。後にペリーが長官となるアメリカの東インド派遣艦隊は、広東やインドシナ半島やフィリピンなどで商業活動をしていたアメリカ人が、アヘン問題で不穏な情勢下のこの海域でのアメリカ海軍の保護を要請したことで常設された。その任務は、いまの第七艦隊の担当海域に近い範囲をカバーするものだったらしい。
メキシコ戦争とカリフォルニア
 それより少し前、アメリカはメキシコとの戦争(1846-48)でアリゾナやニューメキシコやカリフォルニアを含む広大な領土を手に入れた。カリフォルニアには、サンフランシスコやサンディエゴという軍港として使える良港がある。17世紀からカリフォルニア沿岸はヨーロッパに知られていたが、港湾の価値がわかるのは船乗りだけで、西部開拓に東部から押し寄せる人々ではなかった。軍艦の建造に欠かせないオーク材が豊富な地域(オークランド)を背後に抱えるサンフランシスコ湾に目を付けた政治家は、アンドリュー・ジャクソン大統領(在1829-37)である。彼は、此処に捕鯨産業の基地を作るために、なんとしてもカリフォルニアをメキシコから獲得しなければならないと考えていた。当時、鯨を追いかけ回していたのはアングロサクソン系の人々である。鯨の脂肪は鯨油として精製され、機械の潤滑剤として欠かせない材料になり、抹香鯨の頭蓋から取れる脂肪は軟膏になった。油の搾り粕の鯨蝋からは上質の蝋燭が作られた。骨は女性のファッション用コルセットの材料になった。鯨油は1860年代に石油に取って替わられるまで重要な資源で、捕鯨業は主要産業のひとつであった。
 ペリーは、メキシコ戦争にミシシッピ号艦長兼メキシコ湾艦隊副司令官として参戦し、現地で総指揮官としての責任を引き継いでいる。クリッパー(快速帆船)全盛期の時代に、ミシシッピ号という蒸気推進艦の艦長になったことは、蒸気船を実践で使用する貴重な機会を得たことになる。また、メキシコ戦争終結後に造船監督官となったことは、英仏に後れを取っていた蒸気艦船についての知識や今後の海軍計画に有益だった。日本来航のときの旗艦サスケハナ号は蒸気外輪帆船で、風力と蒸気機関という複数の動力機構を持つハイブリット艦である。帆走によって長い航海での石炭の節約が可能で、且つ、スピードが必要な場合には蒸気機関に頼ることができた。
アメリカの意図  
 ポルトガルやオランダの情報から、日本が高度な文明を持つ国だということは各国の共通認識になっていて、どのような方法で開国させるかが課題になっていた。当時の日本近海の騒々しさは、なんとかこの国をこじ開けて貿易港を獲得し、シーレーンを獲得したいという英露の競い合いによるものであった。
 ペリー来航の目的は、捕鯨船の避難や補給のための寄港地と貿易のための開港を要求することだったと言われている。実際、捕鯨業界からの強い要求があり、当面の重要課題であったことは確かだろう。しかし、アメリカの意図は、捕鯨問題というよりも、もっと広大なものではなかったのか。日本派遣に際してペリーに与えられた権限は、殆ど白紙委任状と言えるほどの強大なものだった。アメリカ史上これだけ多くの権限を与えられた指揮官は、他にはダグラス・マッカーサーだけだったと言われている。そのために、航路や航海上の出来事や対日交渉が、どこまでが国家としての意思で、どこまでがペリーの個人的な裁量なのかはよくわからない。彼はホイッグ党のフィルモア大統領の親書を携えていたが、ペリー出発直前に大統領選挙の結果が判明して、次期大統領は民主党に代わることがわかっていた。ペリーは民主党支持者であった。大統領交代で反古になるような親書は、ペリーが作文したという見解もあるらしい。
 幕府の役人に、かつて経験のない「大統領からの親書」の真贋や隠された意図が、英語からオランダ語に翻訳されるという手数をかけて、どこまで正確に判断できたのか疑問を持つ研究者もいる。しかし、オランダからクリミア戦争の情報を得ていた幕府は、ペリーとの条約締結後、1854年10月にイギリスと、翌55年にはロシアとも条約を結んで、英露との間でバランスを取ろうとしたことからも、世界情勢をかなり理解していたと思われる。オランダは、日本との独占的な交易の継続が難しくなった状況を把握し、日英米にそれぞれ恩を売って、自国の権利を確保しようと動いていた。
 ペリーはノーフォークを出航してから、大西洋を横切り喜望峰を経由してアジアに入っている。途中、食糧や石炭の補給に寄港したのは、ケープタウンやコロンボ、シンガポール、香港などイギリス海軍の拠点やイギリスの勢力下にある諸港であった。イギリスが張り巡らせたシーレーンは海運業界を護るための軍港を兼ねている。ロシアと対立するイギリスは、アメリカを味方につけるために協力した。ロシアも、イギリスとの対抗上、アメリカと友好関係を結んでいた。両者がアメリカの日本来航を阻止しなかったのは、クリミアでの英露対立のためで、成り行きを観察していたと言える。
 その頃の東アジアにおけるイギリスの勢力範囲は上海までであった。アメリカはそこからカリフォルニアに至る太平洋の覇権を狙っていたと言えるのではないか。ただ、ユーラシア大陸に沿った海域とは異なり、太平洋は茫漠とした海原に島々が点在しているだけである。帆船から蒸気船への過渡期にあって、今後の石炭の補給港の確保は優先的な課題であったはずだ。広大な太平洋を航行するのに必要な石炭を満載すると、それだけで船倉に余地がなくなる。航海日数を減らすための大円航路は北寄りになって、補給港がない。まだハワイ併合以前のアメリカにとって、日本の港かその周辺の拠点は必須だった。太平洋に進出するには、競争相手になるイギリスとロシアがクリミア戦争で手が回らなくなっているこの時期が絶好の機会であった。
日本列島の地政学的価値と沖縄 
 ペリーは、日本遠征の発令があってから、実に周到な準備と研究をしている。彼はシーボルトが国禁を冒して入手した詳細で正確な日本地図を持っていた。『ペリー提督日本遠征記』の2割が出航前の日本研究であり、全体の約半分が江戸湾到着以前に関する記述である。とくに異常なまでの関心を持っていたのが琉球と小笠原諸島で、これらに関する記述が全体の3割を占める。アメリカに、中国市場や東アジアの海域でイギリスやロシアに先んじて自国の地位を確保しようという狙いがなかったはずはない。『ペリー提督日本遠征記』の原題が『Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan』であることからも、この航海が東アジアの海域全体を念頭に置いたものだったということがわかる。
 本国に送った書簡では、イギリスがボルネオ、シンガポール、香港の拠点を設けたことで他国が西から接近するのを完全に制圧できたことを挙げて、琉球に海軍基地を設けることでイギリスの極東勢力に拮抗できると報告している。1952年8月のペリーから海軍長官に宛てた機密文書には「琉球は米軍艦隊や商船の避難基地としたい。そのために自分は琉球をアメリカの影響下に置き、アメリカのために貯炭所を確保した」という報告がある。また、国務長官から海軍長官宛ての書簡には、日本列島のいずれかに貯炭所を新設することや、それが不可能な場合には、日本の近辺の「無人島」でもよいということが書かれている。敢えて無人島を持ち出しているのは、所有者のない島の「先占」の権利を意識したもので、この海域にアメリカの���益に叶う拠点を是が非でも設けたいという強い意志が窺われる。
 ペリーは、琉球の帰属についても観察していて、清に朝貢していても、民族・言語・文化習慣・道徳などは日本に属するものだと結論付けていたようだ。しかし、清に帰属しているか、日本に属しているか、独立国家なのかを問わず、この島に自国の拠点を設けようという意思は固かったようである。帰属を調査したのは獲得のための作戦上のことであって、帰属の如何に拘らず、此処に何らかの形で自国に有利な軍事拠点を設けることは、来航する以前からの決定事項であったようだ。1853年7月、浦賀で日本側に大統領の書簡を渡した後、ペリーは幕府に与えた猶予期間を沖縄周辺海域の測量に当てている。さらに上陸して島内をくまなく巡って調査し、那覇港はとくに気に入ったようだ。翌1854年3月に再び日本を訪れたペリーは、神奈川条約(日米和親条約)に署名したのち、下田、函館の視察を経て、最後にまた沖縄に戻り7月まで滞在している。
近代戦への転機としてのクリミア戦争
 クリミア戦争によって、戦争の近代化が始まった。戦艦としての帆船はこれ以後使われなくなり、小回りが利いて機動力のある蒸気船の時代になる。機雷はクリミア戦争でロシアによる使用が最初である。実際には使われなかったが、毒ガス兵器も誕生した。銃の製造過程も変化した。フランスで起こった互換技術がアメリカの企業で産業化され、互換性のある部品が銃の製造に使われて量産の道を開いた。
 特筆すべきは通信技術である。サミュエル・モールスが電信線による長距離通信を可能にしたのは1844年で、通信網が敷設された地域での情報がほとんどリアルタイムで伝えられるようになっていた(モールス信号)。これを利用した『タイムズ(The Times)』の従軍記者が戦況を本国に発信し、クリミアでの兵士の悲惨な状況がその日のうちにロンドンに伝わり、市民は戦場を肌で感じるようになった。『タイムズ』の紙面に載った負傷兵の惨状が、ナイチンゲールに戦地へ向かう決意を抱かせたという。通信の発達とメディアの参加により、戦闘の情報が国民感情を大きく動かすようになった。その後、1891年には、ニコラ・テスラによって無線通信が発明され、日本海海戦では、イギリスがシーレーン上に設けた諸港からバルチック艦隊の航行情況を刻々と日本に伝えた。クリミア戦争は、軍事技術や工業生産力、通信やマスコミが、戦略・戦術を左右する近代戦の始まりであった。
ペリーを引き���いだマッカーサー
 ペリーは、日本人がほとんどあらゆる分野で教養度の高い知的に優れた民族だと見ていて、特にその潜在的な工業力が将来自分たちの競争相手になると予想��ている。その一方で、日本との条約締結について、「この強大な帝国を国際社会の一員にし、さらにその上これをわれわれの宗教の恩恵下におく事業は、まだ始まったばかりである」とも言っている。いかにもアングロサクソン的な目線である。約90年後に、その「事業」を引き継いだのがダグラス・マッカーサーだった。まるでペリーの青写真をトレースしたかのように、日本列島全体がアメリカ海軍の前線として基地化された。ペリーは、自らがアメリカ軍の拠点を置くことにあれほど執着した琉球に大規模な軍事基地が存在している現状を見たら、どのような感想を持つだろうか。
 南シナ海は古くからヨーロッパの植民地経済圏と華僑商業圏の接点であり、西太平洋は英露を始めとする列強諸国のシーレーン確立の対立の場であった。アメリカにとって、太平洋はカリフォルニアのフロンティアの延長上にある。フィリピン諸島から日本列島に至るラインは、ペリーにとっては中国をめぐるイギリス経済圏とのフロントであった。アングロサクソンにとって中国市場の権益がどれだけ大きなものであったのか、ペリーの壮大な青写真が語っているように思われる。日米戦争や現代の米中関係も、ペリーの時代からの一貫した流れの上にある。西太平洋にアングロサクソンの利益圏の前線が置かれたことは、アメリカの太平洋覇権のグランドデザインが日本列島の地政学上のロケーションに立脚しているということである。ペリーの遠征記録の邦題から、原題にある「the China Seas」を削ってしまったことで、ペリーの(あるいは、アメリカの)真の目的が曖昧になってしまっているが、既にこの時代の日本の「魅力」は、嘗ての金や銀の神話で語られた日本そのものではなく、その地政学上に占める「位置」にあった。
 『アメリカのデモクラシー』で、トクヴィルは次のように書いている(第2部第10章 /1835 年)。 ( )内は筆者注。
「今日、地球上に、異なる点から出発しながら同じゴールを目指して進んでいるように見える二大国民がある。それはロシア人とイギリス系アメリア人(アングロアメリカン)である。どちらも人の知らぬ間に大きくなった。人の目が他に注がれているうちに、突如として第一級の国家の列に加わり、世界はほぼ同じ時期に両者の誕生と大きさを認識した」
「アメリカ人は自然がおいた障害(荒野)と闘い、ロシア人は人間(民族)と闘う。一方は荒野と野蛮に挑み、他方はあらゆる武器を備えた文明と争う。それゆえ、アメリカ人の征服は農夫の鋤でなされ、ロシア人のそれは兵士の剣で行われる」
「一方の主な行動手段は自由であり、他方のそれは隷従である」
「両者の出発点は異なり、たどる道筋も分かれる。にもかかわらず、どちらも神の隠された計画に召されて、いつの日か世界の半分の運命を手中に収めることになるように思われる」 
 アメリカもロシアも拡張する国である。アメリカの征服は、極端に���口の少ない新大陸の原野であり、ロシアが征服しようとした旧大陸には他の民族の営みがあった。「神の隠された計画」によって、日本列島は、アングロサクソンの経済利益圏とロシアの領土拡張対象圏という脅威が重なる運命的な位置に置かれた。そこには古くから中華秩序の勢力圏も存在する。その中華圏は、アングロサクソンの経済利益圏から見れば、ロシアに対抗するためにも取り込むべき領域である。もし、クリミア戦争がなかったら、日本の運命は全く異なるものだったかもしれない。当時の情勢下では、日本列島は、クリミアのようにイギリスとロシアの戦場になるか、分割されるか、あるいはどちらかの勢力下に置かれるということもあり得たのではないか。当時、まだ新興国だったアメリカによって開国したことで、日本にとって「最悪な」事態を避けられたと言えるだろう。
 ロシアとアングロサクソンの対立は、その度ごとに他国を巻き込みながら、まだまだ続きそうである。万が一、東シナ海が中国の海になっても太平洋にアクセスできる千島列島をロシアが手放す意思を持つわけがない。対馬や千島列島は、嘗て、駐日大使のオールコックやパークスによって進出を阻まれた海域である。ロシアがウクライナやNATOの背後にアングロサクソン勢力を見るように、日本を見る目には背後のアメリカが映っているはずだ。ウクライナ戦争が何らかの形で決着すれば、次の対立の舞台は米中露の思惑が絡む東アジアになる可能性は十分にある。ウクライナ戦争やイスラエル・ハマスの戦闘を通して世界中の国々が思い知らされたように、正義や善悪やローカルな固有の歴史や庶民の権利、そして法すらも、Great Power Gameの前では簡単に無視されるものだと覚悟しておかなくてはならない。
Tumblr media
5 notes · View notes
tsumakoushika · 2 years ago
Text
Tumblr media
(第一部)
衝動的に寂しくなって、夜道を誰かに声をかけられるまで、取り止めなくさまよい歩く習慣がついたのは二ヶ月前からで五回目だった。知らない街まで電車に乗って、治安の良くない場所を選んで歩く。命の危機に晒されて半死半生の目に合うこともあれば、何事もなく無事に帰って来ることもある。仕事に行き自宅に帰り、一人食事を取り寝るだけの繰り返し。誰かに求められることもなければ必要とされることもない。一度負った傷の瘡蓋を剥がす一時の甘い悦びに浸りたいだけの狂った夜間歩行。
現地でシェリー酒やブランデーの強いお酒を飲んで、ほろ酔いから次第に足取りが重くなってくるのに任せる。お酒の酔いの回りの早い私にとって、緊張する瞬間。身元のわかるものは一切持たず、頼るのは自分の意識次第だというのに、その意識すら混濁させながら、ふらふらする。街灯の点灯し始めるマジックアワーを闇に紛れながら、細い路地を歩く。袋小路になるところ、人一人しか通れないような家の隙間を選んで歩く。日中は光の差し込むだろう通路は、ただただ魑魅魍魎の通る獣道のように、鬱蒼として気味悪くなる。
白地に黒い猫の柄の入ったロングの巻きスカートに、一点もののデザイナーズセレクトの白地に赤の刺繡の入ったカットソーを着て、シルクの下着を身につける。巻き���カートの黒い猫の目は金色に光り、夜目にも輝いて見える。巻きスカートは一点もので、かつて愛した人にプレゼントされたものだった。よくこのスカートを身につけて一緒に歩いた思い出のぎっしり詰まったものだった。私は他の男性とSNSを通じてやり取りしていた事を彼に誤解されて、約束していた結婚を取りやめにされた。別れ際、愛する人に清らかな人だと思っていたのに、不潔だとまで言われて、ショックを受けた。ただメッセージのやり取りをしていて、なんの疑われる行為もしてなかったのに。彼はその数ヶ月後にSNSで知り合った人と一緒になったと聴いて、ダブルでショックを受けた。私は清らかではなく不潔な人間だというレッテルを貼られたまま、蛇の生殺しのようになって、数ヶ月泣きはらした。
誰も通らぬような通路を、ドキドキとしながら通り抜ける。空を見上げると、三日月が空に架かり、流れる雲に隠れては見え、隠れては見えする。明るい星たちから輝きだしている。知らない場所の闇の中、月の方角と光だけが頼り。既に刺すような冷たい風が吹き抜け、ただでさえ心細い私を不安にさせる。
30分ばかり歩いたろうか。後方に、私の後をつけている人を確認して、速足で歩こうとする。うまく歩を進めることのできない速足で歩くと速足になり、ゆっくりと歩くとゆっくりと歩く。私は頭が真っ白になるのと同時に、なんの目的でついてきているのか、逃げ切ることができるのか、頭をめぐらす。地の利のない場所で、自分がどこに行きつくのかも分からない通路をやみくもに歩いている愚かな自分。
この先には何があるのか、道すらもないのではないかという不安と、後ろから追いつかれて、腕を掴まれて更に人気のない場所に連れ込まれる妄想と闘いながら、ふらふらと先に進んでいく。
ふと、後ろからの気配が消える。安堵したのも束の間、カラスが群れて、泣き叫んで暴れている袋小路にたどり着く。心臓がどくどくと聞こえるぐらいに膨大な血流を全身に送り、高鳴っている。私は行き場を失い、来た道を戻るしかない。カラスはこれから起こる何かを暗示しているかのように、獰猛に暴れている。
自分が今どこにいるのかもわからない場所で、闇から闇を通り抜ける。人の気配のない場所で、月明かりだけが頼り。来た道かどうかも分からぬ不安と闘いつつ、二股に分かれている地点にたどり着いた。
どちらに進もうか立ち止まったところで、後をつけてきたと思われる男が待ち構えていて、口をタオルで覆われて、固く捕らえられた。タオルは汗臭い匂いがした。男は地の利のある場所で、一番いい場所で私を待ち構えていたのだ。抵抗する時間も与えられぬまま、竹藪の中に引きずり込まれる。腐った水の匂い、成長した竹の青臭い匂いの中に入っていく。
ちくちくと背中に痛みを覚える場所に引き倒されて、体中を弄られる。お洒落な格好も台無しで、スカートもカットソーも引きはがされて、巻きスカートの黒い猫も無惨に引き裂かれて、脱がされた。白い素肌が闇に浮かぶ。痩せた脇腹の肋骨が上下するだけで呼吸すらままならない。男は貪りつくように覆いかぶさり、欲望の限りを尽くしていく。
私は頭上で竹の葉の間で見え隠れする三日月を涙を流しながら、男の律動に突き動かされている。三日月は冴え冴えと妖しく光り、儚げに歪んでいた。快楽はどこにもない。身体の中を硬くなった虫が激しくうねり、大切な何かを剥奪された痕が残っていくだけ。なぜ私はこんなことをくり返しているのだろう?なぜ?なぜ?と自分に問うてみても、答えは返ってこない。私は私を放棄することで、自分に仕返ししているような気持ちになった。
自分を大切にできずに、汚されていく自分を俯瞰して見つめている。男は二度三度、繰り返し中で果てると、その場に私を残して立ち去って行った。私はぴくりとも動けないまま、竹藪の中で白い肌を晒している。体の芯まで冷えて、このままここで死ぬのではないかと思った。誰かが私を見つけ出して、救ってほしかった。こんな愚かな私でも大切に想って、抱き上げて介抱して、温かなスープを飲ましてくれる存在が欲しかった。しかし、そんな温もりはこの世の中にはどこにもなかった。
私は散らばった衣服をかき集めて、下着を見つけることのできないまま、震える手で身につけた。寒さと怖さで、ガタガタと歯が鳴っていた。お洒落な衣服は、泥で汚れて、竹の落ち葉が張り付き、ところどころ破られていた。巻きスカートに張り付いた猫まで無惨に足元から引き裂かれていた。金色の目には泥がこびりつき、輝きを失っていた。
私はふらふらと立ち上がり、西に傾いて地平に消えて確認できなくなった三日月を見失って、酔いが醒めて素面になって、呆然と闇の中をさまよい帰った。私は正気ではない行為をしているにも関わらず、冷静だった。汚れるだけ汚れて安堵したかった。
自宅に帰った時には0時を過ぎていた。鏡には変わり果てた私が映っていた。私は三日月のように、これから満ちて丸くなっていくのだろうか?限りなく欠けていき、空で真っ二つにぽきりと折れてどこまでも地の果てへ落下していくだけの月になってしまいそうだった。
果たして私は清らかではないのだろうか?ますます遠く離れた不潔で淫らな人間に染まる事で、人間としてのバランスを保てる気がしていた。
17 notes · View notes
7ni · 5 months ago
Text
星の声
がんじがらめ生活
世界で一人きりな予感なんて傲慢
久しぶりにイヤホン無しにスピーカーで
聴く音楽の中揺蕩っている
強烈な責任感で
毎日押しつぶされそう
いや、嘘
確かに幸福を享受してもいるはずなのに
容易く見失ってしまうよ
弱く脆い心のまま
身体だけ年を取る残酷さ
我慢だけをし続けて
またすぐに転んで涙が滲んで
息切れしながら毎日走っているよう
特別が自分だけじゃなくなったから?
勝手に押しつぶされそうになってる自分を
俯瞰して見つめる生命体へ
そのどれもがきっと自分なんだ
強い面だけじゃない
弱くて逃げ出したいと願う自分でさえも
ただ1つの存在だった
星の声が聞こえたなら
こんな風に悩んだりもしなくていいのかも
息切れしながら毎日走って
この手ですくえるものを零さぬよう
無様でも
それも悪くないよな
2 notes · View notes
flamingo-rex · 6 months ago
Text
2025.1.12
ずっと隙間時間に作業してるのですが
集中して3日とか音楽に充てる時間が無いから
効率は悪いけど、尾道来てから
親の介護と店やレッスンと、人に会う事が
前提の生活の合間で作曲やレコーディングする作業は
初めは、全く進まなかったし、
それまでの環境と違い過ぎて、
何にも出来なかったけど、ある意味、
昔の完全主義みたいな思考から、少し解放されたのか
隙間時間でクリエイティブな作業するのも慣れて来た
あと、やはり仕事で依頼された作曲とかは
隙間時間でも出来るし、コンセプトがある分
楽な作業である
自分の楽曲は、そうは行かなかったのだが
ある意味、それも超えたと言うか…
もう自分の声を素材��して考えられるし
俯瞰的に作曲してる感じ
3月にソロライブやるのに、
今回は音源同期させよう!と思ってから
なら、ライブには、こんな曲あった方が良いかも?
と、それだけで作った曲。
ラフな形でスケッチしたので
ココ見てる人だけに公開。
この段階から、アレンジして行きますが
この手の曲は飽和状態だから
ベースから作りました。
ま、あと数曲、同時進行してます
とにかく、時間があれば
直ぐ出来るんだけどね…
音楽中心の生活では無い現状で
それでも、精一杯やりますよ
2 notes · View notes
kataribunko · 10 months ago
Text
Tumblr media
8月はなんだかんだと心身ともに浮き沈みが激しくあっという間に過ぎていった気がします。ただその中でもこれからが楽しみになるいろいろを見つけて先に繋がりそうな予感がしたりします。自分の現状を俯瞰でみる、ということ意識しながらさて9月。営業予定でございます。お店にも出店先にもよかったら立ち寄っていただけたら嬉しいです。
長い夏休みが終わったり、季節の変わり目を肌で感じたり、この時期はどうしたって揺らぎやすい気がします。個人的にも。そんなときはなんでもない話をしたり、好きな物語の話をしたり、ただぼんやり絵を眺めるだけでもいい気がします。少しでも癒しの、救いの場所になれたらいいなと思います。わたしの10代を救ってくれていた本屋さんや古本屋さんのように。
お会いできること、楽しみにしています。迷った時は今日の一押しは!なんて聞いてくださいね。忍ばしている推し本を推しますので笑
それでは皆々さまどうぞご無理なく、いきましょう。
3 notes · View notes
crispy-moratta · 8 months ago
Text
イノセントな真心 虚無
久しぶりに重め恋愛の夢を見てしまい、こんな時間から悲愴感が。こんな夢一本で生活が解体されてしまいそうくらいには彼女のいい加減さ対して、依然切実な心持ちを通せている自分にも驚きもあるが、、。かの「生きていればいつかは会えます」 というやつをここまで邪気を持たずイノセントな態度で実践しすぎている(できてしまっている)自身に対しての漠然とした危機察知があり、いつも俯瞰的な視点を取らないようにしている心持ちに気づき、夢という別レイヤーからの可能性や違った世界線的なものを見てしまったような、無条件にメタに飛ばされた知覚的自傷が。人生のあれこれを共有すべき人と共に抱えられないつらさがつらい。悲しみの空箱を持ってるようなイメージ。というか悲しみ以外他にもいろいろと思うところがありつつ、都度その思考や感情の質感のなさ、本��にわたしの考えていることなのかという自己帰属感の持ちづらさがある。他者とのやりとりの前提に据えることの難しい感情に虚無を感じざるを得ず……ひとたび 「待て」 とでも言われれば待つことは容易いが自分の判断のみで 「待たされる」 のはやるせなさという他ない。
4 notes · View notes
ashrhal · 9 months ago
Text
10月4日、2024年
久しぶり日記を書きたいと思った。それはなぜなのかと言われると色々な理由があるが、結局は自分を肯定できる何かが欲しいからなんだと思う。
俺は今酔っ払っている。酔っ払っていない日なんてないのだけれども、30歳を超え体調に不具合を感じるようになり、尿酸値は順調に7を超え、γ-GTPは3年連続Bを記録してるというのに俺は酒を飲むのをやめない。それは何故なのかと自問するまでもなく、結論はわかっていた。
幸福の閾値を下げたい。そう初めて考えたのは20とかそこらの北海道滝川市という場所に住み始めた頃だった。人間、いつだって隣の芝は朝露に濡れて青々と輝いている。社会生活を送る上で他人との関わりはどうしても避けられない。友人、家族、同僚、後輩、上司。自分がどんなに自分のことを幸せだと思っていても、他人との比較なんてしょうもないと心から念じていても、他人と関わる以上どうやったって自分と誰かを比較してしまうことは避けられない。他人が自分よりも幸福なんだという事実はなくても自分の中にあるなんらかのバイアスで自分以上に幸福な他人像を作り上げて、事実とはかけ離れているかもしれない他人という偶像に憧れ、労り、嫉妬して、自分自身したくもない感情の坩堝に囚われて結果自分自身を不幸にしようとする。お前らがそう思うかどうかは置いておいて、俺は少なくともそうだったしきっと今もそうだ。
若くて聡かったころの俺がはその真理に気がついて、他人との関わりの中での何かを幸福の指標とするのをやめようともがいていた。そんな中で、一つの結論として辿り着いたのが中毒物質だった。
朝起きて、トーストを焼く。湯を沸かし、温かい珈琲を淹れる。昨晩から切らしているニコチンの成分を指先の細胞までもがジリジリと欲していることを肌と脳で感じなかまらも、まだ我慢を続ける。
トーストを腹に入れ、胃袋の準備を整えてから、淹れた珈琲を口に含む。ステンレスの台所にマグカップを置く。すべての準備が整ってから、マルボロの箱から一本のタバコを取り出して、火をつける。深く息を吸い込む。できる限りゆっくりと煙を吐く。
それまでの苦痛、不快感でしかなかった煙草を吸いたいという衝動がふた息で浄化される。その瞬間だけおれは他人や社会とは全く関係のない幸福感に浸れる。
それは俺の俺の中だけの俺が俺で完結する幸福の一つの構図だった。
これらの行為は要するに馬鹿になるってことだ。本当はしなくてはいけないあれこれや、関わらなくてはいけないあれこれが生きる上で無限に存在しているという���に、それらを意識しなくてもいいような肉体にまで自分をあえて追い込んで、それらを意識の範疇から留めなくて良いような快楽に浸る。それは人によって煙草だったり、筋トレだったり、酒だったり、セックスだったり、宗教だったり、あるいは仕事だったりとさまざまだろうけれど、要するに人間はどこかで全てを切り離せるほど馬鹿になりたいという構図を持ち合わせた生き物なんだろうということはわかっていた。
そんな俺が酒を飲む理由なんてその馬鹿になりたいという理由でしかなくて、結果俺は馬鹿になったあげく身体を壊してゆっくりと朽ち果てて行くんだろうなという考えすらも酒飲み前ではどうでもよくなるほどまいにち飲んでいる。
物事を俯瞰できることは幸福なんかではなく、俯瞰すれば俯瞰するほど自身のしょうもなさが黒く浮き彫りになって水面に現れる。お前も俺も酔っ払っていないつもりかもしれないが絶対に何かに酔っ払って生きている。どんなに取り繕ったって俺は酔っ払っているこも、馬鹿になること、それで損をすることや得をすることも関係なく酒とともに生きていくしかないことを俺の魂は肯定している。
事実とか社会とか、複合的で一面的なものに付き合っている暇はもうない。俺は24時間きちんと酔っ払って生きていきたい。
ほんとはこんな日記じゃくてこの半年で起こった事実をたくさん書きたかったはずなんだけれども、今は酔っ払って幸せなバカになつまてるからなんもできない。
4 notes · View notes