#蔵王大権現
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2024/9/16
岩手県大船渡市の方へ御礼品と手紙を送付
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金峯山寺
↑↑↑金峯山寺の、マップを見つけた。
是非、歩いてみたい🙂✨
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民主党政権のほうが明らかに酷いです。「民主党政権の何が悪夢だったのか、きちんとした説明を聞いたことがない!」といった主張は定期的に出現しますが、さすがに「聞いたことない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パターンのいずれかとは思いますが。 前回の悪夢のような民主党政権時代を生き抜いてきた者として私が���えるのは、「とにかく、あのような惨劇は二度と繰り返してはならない」ということだけです。 歴史修正は容赦できません。あの時代がいかに酷いものであったか、ご存知ない方もぜひこの機会に知って頂きたいので、支持者から叩かれること覚悟で説明していきますね(過去同様の投稿を複数おこなっていますが、毎回更新改訂しています。今般のバージョンが最新版です)。 個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。 (1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた。 (2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した。 (3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた。 では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。これがわずか3年間で起きた出来事です。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。 (1)国家運営能力の欠如 ・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。 ・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。 ・金融政策と財政政策が食い違い、タイミングの悪い増税も重なり、景気や株価は低迷を続けた。 ・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。 ・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。 ・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。 ・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。 ・難民申請から6カ月たった申請者に対し一律に就労できる運用を始めた。 ・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。 ・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。 ・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。 (2)外交能力の欠如 ・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。 ・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。 ・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。 ・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。 ・防衛上特に秘匿することが必要な「防衛秘密」3万件を破棄。 ・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。 ・韓国の歴代大統領として初めて、竹島へ李明博大統領が上陸。 ・旧ソ連時代を含めて初めて、北方領土へロシア国家元首が上陸。 ・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。 ・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。 (3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質 ・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」 ・菅(直人)総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」 ・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」 ・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決) ・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」 ・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」 ・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」 ・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞 ・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影、「2位じゃダメなんでしょうか?」 ・安住財務大臣⇒「1ドル75.63円の時点で介入を指示した」「学校のプールにガソリンを貯蔵できないか」 ・前原外務大臣⇒外国人から政治献金受領 ・岡田外務大臣⇒「核兵器めぐる日米密約は存在した」 ・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上 ・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑 ・鉢呂経産大臣⇒(記者の一人に、着ていた防災服をなすりつけ)「放射能つけちゃうぞ」「市街地は人っ子一人いない、まさに『死のまち』」 ・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」 ・柳田法務大臣⇒「答弁は二つだけ覚えておけばいい」 ・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題 ・岡崎国家公安委員長⇒議員時代、韓国で日本大使館に対する反日抗議デモに参加 ・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ ・輿石幹事長⇒「間違った情報ばかり流すなら、電波を止めてしまうぞ」「電波が止まったら、お前らリストラどころか、給料をもらえず全員クビになるんだ」 ・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪 ・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日��共同宣言」に署名 ・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与 ・緒方議員⇒「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」 ・太田議員⇒「そうでしたっけ? フフフ」 ・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。 ・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。 そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私はあんな地獄のような時代は二度と御免です。
Xユーザーの新田 龍さん: 「民主党政権のほうが明らかに酷いです。「民主党政権の何が悪夢だったのか、きちんとした説明を聞いたことがない!」といった主張は定期的に出現しますが、さすがに「聞いたことない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで」 / X
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蔵王スキー場
25年ぶりに東北随一のスキー場蔵王に

蔵王といえばスノーモンスター「樹氷」 3本あるロープウェイの一つ山頂線で樹氷が立ち並ぶ高原を眼下に一気に山頂に

一台18人��りのゴンドラが次々来るので待ち時間は僅か。乗車10分で標高1661mの地蔵山頂駅に


樹氷原を滑って降りる8kmにも及ぶザンゲ樹氷原コース


スノーモンスター

この世の景色とは思えぬ樹氷原🫢

中間地点のパラダイスゲレンデ

正面は中央ゲレンデ

パラダイスリフト

立ち並ぶ樹氷達


終点のユートピアゲレンデ

この辺りでもリフトで樹氷を眺めることができる😁

ハーネンカムコースから蔵王中央ロープウェイ線を見上げる🧐

蔵王中央ロープウェイ鳥兜駅

100人乗りの中央ロープウェイ巨大ゴンドラ(中央右)

穴場的スポットのサンライズゲレンデ



メイン的な上の台ゲレンデ

サンライズゲレンデと中森ゲレンデを結ぶかもしか大橋から見える大露天風呂

コバルトブルーの源泉が目を引くが残念ながら冬季は立ち入り禁止😢

スカイケーブル中央高原駅にある蔵王大権現堂

黒姫リフト乗場

蔵王2大難所の一つ大森の壁(残念ながら最難関の横倉の壁は雪崩で滑走禁止😂)


たっぷりと滑った後の温泉は格別🤤


蔵王名物樹氷は以下から
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はにわ展

東京国立博物館ではにわ展を見る。「挂甲の武人」(上のチラシ画像のメインビジュアル)の国宝指定50周年を記念した特別展である。埴輪以外の出土品も展示されている。
つかみは修復後初お目見えの「踊る人々」。最近では、踊っているのではなく馬の手綱を持って馬を引いているのでは、という説が有力になってきているらしい。

修理の模様を収めた動画がとてもおもしろかったのでリンクしておく。(この動画は会場では流れていなかった)
踊る人々の次は、国宝ばかりを集めた展示、および2メートル超の高さを誇る円筒埴輪を含む展示。撮影禁止だったり見学者多数でうまく撮れなかったりしたのでここに載せられる写真はないが、埴輪だけでなく大刀(金の象嵌)、沓(金銅製)、耳飾り(金製)、甲冑など状態の良い出土品も並んでいて、ヤマト王権の威勢を見せつけるかのような展示室だった。
以降の展示室では、埴輪を造形で分類して紹介する流れがわかりやすかった。まず基本の円筒埴輪とそのバリエーション。壺のように見えるものも埴輪で、そのまま壺形埴輪と呼ばれている。



船形埴輪。

武具の形をした埴輪。

そのほか見学者の写り込み多数でここには写真をアップできないが、盾形埴輪、靫形埴輪、椅子形埴輪などがあった。靫(ゆぎ)は矢を入れる道具。
土ではない素材で作られた埴輪様のものが古墳に置かれることもあったのだそうで、例として武装石人(下の写真)、大刀の形をした木製品、靫の形の木製品が紹介されていた。

このあと群馬県太田市の窯で焼かれた「挂甲の武人」埴輪5体が揃い踏みする室へ��向かう。展示のしかたがやたら凝っていて、戦隊モノのヒーローをキャラづけして紹介するようなノリだった。たとえば下の写真は国立歴史民俗博物館所蔵のもので、台が黄色、そして展示ケースの背面に埴輪の上半身がぼうっと浮かび上がるように見えている。埴輪ごとに台の色が異なり(キャラごとに色が違うのは戦隊モノのお約束)、ケース背面もそれぞれ同様にデザインされている。

おもしろかったが、埴輪そのものをつぶさに見るというより展示方法に注意が向いてしまったので、個人的にはもっと淡々と見たかった。出来の良いよく似た埴輪が5体揃ったというだけでじゅうぶん派手なのだから、見せ方まで派手にしなくとも……と思ったり、しかし埴輪を作った人がこうして華やかに展示されたのを見たら喜ぶかもしれないな……と思ったり。

埴輪は赤、白、灰色、黒の顔料で彩色されることもあったのだそう。上のチラシ画像のメインビジュアルの挂甲の武人が当時彩色されていたらこんな感じかも?という復元が下の画像。


次の3枚は、挂甲の武人が着ているのと同じタイプの冑、挂甲、籠手。こういうものも現物がちゃんと出土してるのか!と驚いた。



造形別埴輪紹介に戻る。人の形の埴輪がたくさんあったが見学者の写り込みも多数でやはり写真は載せられない。モチーフとしては、盾や杯や何かを持った男子や女子、座った男子や女子、力士などが挙げられる。
家形埴輪はとても神聖なものなのだそうで、これも多数展示されていた。下の写真は作りかけのままの家形埴輪。埴輪工房が焼失した状態で発見されたとのことで、気の毒ながらたいへん興味深い。

導水施設形埴輪。導水施設。意外すぎてキャプションを二度見三度見してしまった。聖水の儀礼または遺骸を洗浄した施設と考えられている由。

これは埴輪棺。このように古墳を飾るためではない埴輪もあったとのこと。

みんなの人気者、動物埴輪の皆さん。

少なくとも四つ足の動物のお尻にはたいてい穴が空いているように見えた。鳥のお尻にも空いていることがある。


下の写真の中央は鵜形埴輪。ここで鵜が出てくるとは想像できな��った。

魚形埴輪。鵜がいるなら魚もいて不思議ではない。

最後は近現代における埴輪の受容のされかたに関する展示。内容的にはごくあっさりしているので、この分野については東京国立近代美術館の「ハニワと土偶の近代」を見るべきだろう。
東京タワー近くの芝公園から出土した男女の埴輪。これが出土したときの調査が郷土研究のきっかけになったとのこと。

三船敏郎が所持していたらしい、ひよこ形埴輪。

版画家の斎藤清が下の写真の埴輪をモチーフにした作品を作っている。

次の埴輪は、映画『男はつらいよ』主演の渥美清に似ていると話題になったそうだが、別に似てないよね……?と思ったら、葛飾柴又の古墳から出土したもの��そうで、まあ納得。

群馬県が開催したHANI-1グランプリで優勝した埴輪。満面の笑みが勝因か。

下の3体は明治天皇の陵に奉献された埴輪と同じ形で作った模型。吉田白嶺の作。このあたりのヤマト民族らしいきな臭さなどは上述の「ハニワと土偶の近代」の守備範囲。

おまけ。展示室の壁の装飾。

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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投���変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒���坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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【かいわいの時】貞観二年(860)六月十四日:四天王寺の毘沙門像が手持の刀と塔形を投げ出す怪異あり(大阪市史編纂所「今日は何の日」)。
『三代実録』に記載された貞観二年(860年)六月十四日の四天王寺の毘沙門天像に関する怪異について、記録そのものは毘沙門天像が手持ちの刀と塔形を投げ出したという異常な出来事を述べていますが、具体的な原因については同書に明示的な説明はありません。
(以下、Grok 3による原因の推測)
考えられる原因の推測 宗教的・霊的解釈: 当時の仏教信仰では、仏像や神像が動くなどの怪異は、神仏���不満や警告、あるいは災厄の前兆とされることが一般的でした。毘沙門天は武神であり、刀や塔形を投げ出すという行為は、寺や国家に対する何らかの不調和(例:供養の怠り、僧��の不徳、社会的混乱など)を象徴していると解釈された可能性があります。
僧侶が修法を行い謝罪したという記述から、怪異は毘沙門天の怒りや不満の表れと考えられ、それを鎮めるための儀式が行われたのでしょう。
自然現象や人為的要因: 地震や風などの自然現象により、仏像が動いたり、持っていた刀や塔形が落下した可能性も考えられます。当時は科学的な説明よりも超自然的な解釈が優先されたため、こうした出来事が「怪異」として記録された可能性があります。*[註]
また、仏像の管理や安置状態の不備(例えば、像の固定が不十分だった場合)も原因として考えられますが、記録にはそのような詳細はなく、あくまで推測の域を出ません。
政治的・社会的背景: 貞観年間は、清和天皇の治世初期であり、政治的な不安定さや仏教勢力(特に四天王寺のような有力寺院)の影響力が強い時期でした。怪異の記録は、寺院や僧侶が自らの権威を高めるため、または国家や地域の安定を祈願する目的で強調された可能性があります。
毘沙門天は武神として国家護持の象徴でもあり、この怪異は国家や地域社会に対する警告として解釈された可能性も考えられます。
結論 『三代実録』には怪異の具体的な原因は記載されておらず、当時の人々はこれを毘沙門天の霊的な警告や不満の表れと捉え、修法による鎮魂を行ったと考えられます。現代的な視点からは、自然現象や人為的要因の可能性も排除できませんが、記録の文脈からは宗教的・霊的解釈が最も重視されたと推測されます。より詳細な原因を探るには、当時の四天王寺や周辺の歴史的状況をさらに調査する必要がありますが、一次史料に限界があるため、推測の域を出ない部分も多いです。
(写真)戒蔵院「毘沙門天王堂」。明治維新の廃仏毀釈により、乾社の毘沙門天は大津市坂本の戒蔵院に移転。毘沙門天像は非公開。写真は、尚吾の「人生七転び八起き」より。
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2025/6/13 9:00:20現在のニュース
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デジタル文化財ミュージアム KOISHIKAWA XROSS@印刷博物館へ。
デジタル技術を活用した新しい文化財の鑑賞体験が出来る併設のシアター&展示スペース。
全長20m、高さ5mの大型LEDスクリーンのVR THEATERでは金峯山寺のデジタル解析した作品を上映。これがなかなか見応えあって、国内最大秘仏の金剛蔵王大権現が迫力あった。ちゃんと金かけて制作された感じで良かった。
EXHIBITION ROOMでは、失われた伊藤若冲「釈迦十六羅漢図屏風」を最新の印刷技術で再現したモノを、その技術と共に展示。再現作品とは言えリアルな大きさと共に屏風として目の前に置かれた体験は貴重だったし、何より手間のかかる再現解析(白黒の写真一枚しかのこっていない)に驚いた!
概して、入場料500円にしてはしっかり楽しかった。もっと知られても良い施設。
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2025.6.1 sun.
9時に目が覚めたが10時前まで布団にいた。冷蔵庫に死にかけの小松菜とえのきがいたので、卵も入れて中華スープにして昼ごはん。体が温まり良い感じなのでついでに二の腕のストレッチもした。出勤。
今日はお客さん途切れず。単価もぼちぼちで良い感じ。なんだか最近日曜日の方が忙しい気がする。発注業務を今月からきちんとチェックしながらやることにしたので時間がかかり、結局ほとんど一日中そればかりやっていた。途中でMacBookもついに注文した。19万、さすがに払うのしんどかったので分割にした。なんと手数料も金利もかからないらしい。2年払い続けないといけないのもそれはそれでつらいが。あと写真の現像にも出た。全体的に急ぎ足気味で片付けていく。
今日はスペオーに行くつもりだったがヘッケの人々(元夫含む)がみんなこぞって来るらしいと聞き、自分でもよく分からないがなんとなく気分が落ち込む。いっそ行くのをやめるかとも思ったが楽しみにし��きてしまったし、会いたい人たちもいるしでなんとか気を取り直そうとしていると時本さんと田中さんが店に来た。なんか来ると思ったぜ、と考えつつしゃべっていたら楽しくなってくる。単純なものである。彼らは朝から登山をし、スペアリブを食べ、銭湯に行き、餃子を食べて今らしい。元気すぎるおじさんたち。
ほんのり早じまいをしてスペオーへ。本当にみんないた。というか、なんか思ってもみなかった知り合いも山ほどいて、100人ぐらいの知り合いに会った気分。多分ほとんど全員に挨拶した。我ながら顔が広い。「今日いた知り合いの数選手権」があったら一位かも。それはさすがに主催のツダーティか。
ライブは岡村さんもしょうぞうくんもすばらしくて、なんかひさしぶりにライブ見てかっこいい〜って思ったかも。テンション上がっていろんな人に感動を伝えてしまった。まあポジティブな気持ちを伝えるのは決してわるいことではないしいいのだ。
しょうぞうくんのライブの途中で着信があり、なにかと思ったら父が鍵を落としたらしい。持ってきてほしいとの連絡。なんだかたまの娯楽を邪魔された感じがしてむしょうに腹が立ち冷たく対応したが、今思うと親切にするべきだったかもと後悔。鍵はライブを抜けて取りに行き、自宅のポストに入れておいてあげた。まあ優しいもんよ。
常連のらいくんを連れてヘッケまわりの人が集まっているところへ。柴田さん、ひとみさん、あと知らないヘッケのお客さんとごて王で鶏をつまみ、クラックへ移動。らいくんはおれ空気になっちゃうからと言っていたがほんとうに空気になっていた。たのしい?大丈夫?無理しなくていいからね、、と言いつつ2軒目にも来てくれたのでつまらないわけではなかったと思いたい。クラックには本当にみーんないたのでスペオーに引き続きなんだか同窓会のようで愉快だった。まあほとんどすみっこでらいくんとしゃべっていたが。誕生月を一発で当てたのがハイライト。ひとみさんは自信満々にめちゃくちゃ外していた。逆に兄弟構成は案の定一人っ子かお兄ちゃん?と言われて本当にそういうイメージなんだなと思った。百発百中でそう言われる。
みんなタクシーなので1人で逆方面に歩いて帰る。酔ったときに考えるのがパートナーに会いたいなあなので本当健全になったものだなあ。3時布団。
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1768年、イギリスのランカシャー州プレストンで、こんな噂話がされていた。 「魔術の儀式をしていた男を知っているか」「その男は見たことないが魔女の叫び声を聞いたって話は何人かから聞いた」「その話なら聞いたけど魔術ではなかったんだろ」「そうなのか、じゃあ何だったんだ」「なんかの機械を作ろうとしてたらしい。経度測定器だか永久機関だかって」「なんだやっぱり頭のイカれたやつだったか」 この頃から1930年代くらいまでの「噂話」には、その後も語られるものが多く、文学などにも影響を与えたと言われる。また、18世紀から19世紀半ばまでは、近代ジャーナリズム成立前という意味で「噂話の時代」と呼ばれることもある。 17世紀半ばから18世紀のイギリスにおいてジェントルマン(中産市民階級)は、政治や経済の動向を意識し情報収集に努めた。彼らの情報収集の場となったのがコーヒーハウスであり、新聞や雑誌はそこで多くの読者を得、またその発行者もそこで情報を得ていた。コーヒーハウスが情報センターの役割を担い、ジャーナリズムはそこから発生したと言える。名誉革命(1688-1689)後の1695年にはある程度新聞発行の自由が認められ、トーリ党系とホィッグ党系の新聞が発行されるようになった。雑誌での本格的なものの最初は、現在では『ロビンソン クルーソー』(1719)の作者として有名なダニエル デフォーが1704年に創刊した『レビュー』である。デフォーの政治的立場はホイッグ派であり、それに対抗したのがトーリ党が1710年8月に創刊した『エグザミナー』で、1710年11月から1714年まで、現在では『ガリヴァー旅行記』(1726)で有名なジョナサン スウィフトが編集および執筆をしていた。 デフォーの『レビュー』はトーリー党の幹部ロバート ハーレーの下で発行された。デフォーはアン女王のインテリジェンス(スパイ)でもあり、1707年にイングランドとスコットランドが合邦してグレートブリテン王国ができた際にも、デフォーの尽力があったと言われている。スウィフトはトーリー党の大蔵卿(1711-1714)のハーレーと外務大臣(1710-1715)のヘンリー シンジョンとの間の調停役になろうとした。しかしハーレーとシンジョンとの仲は決裂、1714年にハーレーは指導力の低下からアン女王に見限られ大蔵卿を罷免、同年のアン女王の死とジョージ1世の即位に伴ってホイッグ党が与党の座を奪還、ハーレーとシンジョンらトーリー党の指導者達はフランスとの秘密交渉を行った謀反により裁判にかけられ、ハーレーはロンドン塔へ投獄、シンジョンは私権を剥奪された。こうしてトーリー党は没落、ホイッグ党による長期政権の幕開けとなった。デフォーはホイッグ党政権下での秘密活動の継続を条件に作家活動を続けることになった。スウィフトは政治的に敗北しイングランドを去り、故郷のアイルランドに帰った。 1709年から1711年に刊行された『タトラー』(「噂話。むだ口をたたく人。おしゃべり」の意)は、それ以前は政治色の強い新聞や雑誌ばかりだったのに対して、同時代の社会現象やゴシップを幅広く記事にし、文芸雑誌という趣もあった。洗練された文章で人びとの好奇心を刺激し、近代的な雑誌の先駆けとなったと言われる。ホイッグ党による半世紀近い長期政権時代には、政治対立を背景にしたジャーナリズムは下火になり、『タトラー』のような雑誌が増えていく。 1760年のジョージ3世の即位後、ジョージ3世の家庭教師を務めていたジョン ステュアートが国王の後押しで政界で急速に昇進し、1762年5月には第一大蔵卿(首相)に就任した。反政党政治的な「愛国王」の理念に基づいて「ホイッグ党寡頭支配」を終焉させ、万年野党だったトーリー党からも閣僚登用を行った。ステュアートが首相在任中の1763年2月に七年戦争の講和条約パリ条約が締結された。ステュアートは新聞や雑誌から異様なまでに叩かれた。ステュアートと敵対した政治家たちは、ステュアートのみならずジョージ3世やジョージ3世の母親までも中傷する噂を流し、ステュアートがスコットランド生まれのためイングランドの反スコットランド感情も扇動した。あまりに不人気になったステュアートは混乱を収めるべく1763年4月に退陣したが、ホイッグ優勢の時代を終わらせた。以降のイギリスの政界は政権交代が頻発することとなる。政治色の強いジャーナリズムが盛り上がり、扇動的な論調を強めていく。ステュアート退任後もホイッグ党やホイッグ寄りの新聞は、ステュアートを「秘密の影響力」「闇の首相」と呼んで批判を続けた。「闇の首相」による「秘密の影響力」は神話化した。1775年から1783年のアメリカ独立戦争でも「秘密の影響力」神話は、イギリス側にとってはかなり皮肉な形で影響し、アメリカはジョージ3世を暴君として仕立て上げた。「秘密の影響力」は後々まで語られる噂話となる。
アダム スミスの『国富論』(1776)には、人は自分自身の安全と利益だけを求めようとするが「人がこのような行動を意図するのは、他の多くの事例同様、人が全く意図していなかった目的を達成させようとする見えざる手によって導かれた結果なのである。」と、「見えざる手」という表現が出てくる。 スミスが経済論に結びつける形で「見えざる手」という発想を得たのは、グラスゴーに出来た水力紡績工場を見たからだという説がある。ただし、この説は当時の噂話ジャーナリズムと、後の時代の、産業革命の「発祥の地」はどこかという、それぞれの地域の郷土愛などに基づいた議論で出てきたもので、事実というよりは抽象的かつ象徴的な話だという。スミスが見学した水力紡績工場は、最初の水力紡績工場というわけではないが、最初期のもののひとつではあり、こうした水力紡績工場が、近代の工場システムと産業革命の発展において重要な役割を果たした。スミスが見学した工場は、分業制が成り立っており、工場経営者も含めて、工場全体と機械の全てを完全に把握している一者というのは存在しなかった。また、一日の就業を、太陽の日照や、職人の長の仕事の仕方などによってではなく、時計によって管理した最初期の事例のひとつでもあった。それぞれがそれぞれの作業をすることで生産され出荷されていくのを、まるで「見えざる手」が糸を紡いでいるようにスミスは捉えた、という解釈である。 部分知にしか基づかず全体を把握した行動ではないが結果的に、あたかも「見えざる手」に導かれるかのように、全体としての効率的な作業と成長を実現するという考えは、スコットランドのグラスゴーにおいては、イングランドでなぜか反スコットランド感情が扇動されている中、そうしたメディアに先導された認識から抜け出して、合理的に思考することを促すものだった。
世界初の水力紡績機を使う工場は、1771年、リチャード アークライトによって、ダービーシャー州クロムフォードのダーウェント川に面して建設された。 起業家のアークライトは1767年に、時計職人ジョン ケイを雇い、紡績機の開発を始めた。ケイが作った試作品の実用性に納得したアークライトは1768年にプレストンに場所を構え、ケイに紡績機を改良させた。アークライトは特許を取得することを考えていたため、作業場で何をしているかを秘密にするために、周囲には、頭のおかしい奴らだと思わせようとして、経度測定器や永久機関を開発していると称していた。作業場から奇妙なハミングノイズが聞こえてくることから、魔女術を行っていると告発されたことがある。 その後ノッティンガムに移り、1769年に彼らが考案した機械を使った工場を建設。同年、アークライトは特許を取得したものの、1781年に特許無効で訴えられ、この特許は無効になった。ノッティンガム工場は馬を動力源とするもので、馬の餌代がかさみ、利益が上がらなかったが、考え方は間違っていないと証明されたので、アークライトは投資家を募り、改良を加えた水力工場をクロムフォードに建設した。クロムフォード工場を、産業革命「発祥の地」と呼ぶ人もいる。産業革命の発展において重要な役割を果たすものになった。
「産業革命」という言葉を初めて使ったのは1837年、フランスの経済学者のジェローム=アドルフ ブランキである。それ以降、「産業革命とは何か」という議論がされている。 産業革命は1760年代のイギリスで始まったとされ、1830年代までという比較的長い期間にわたって漸進的に進行した。イギリスに限らず西ヨーロッパにおいて産業革命に先行するプロト工業化と呼ばれる技術革新が存在し、そもそもこのような長期的かつ緩慢で唯一でもない進歩が「革命」と呼ぶに値するかという議論もあり、技術革新に重きを置いた見方では理解できない面が大きい。しかし、1760年代から1830年代という「産業革命期」を挟んで、イギリスにおける大きな社会的変化を見出すことができ、また世界においても、イギリス産業革命を期に、奴隷貿易を含む貿易の拡大や、国際分業体制の確立といった「地球規模での革命的な」大変化がある。 イギリスで世界最初の産業革命が始まった要因であり、他の国が持ち得なかったものは、なによりも「覇権国家」の地位である。イギリスは1763年に七年戦争を勝利によって終わらせたことにより覇権国家の地位を決定づけた。 17世紀中頃までに一部の不毛地帯を除いた地球上全ての地域にヨーロッパ人が到達して「大航海時代」は終焉を迎え、ヨーロッパ各国による植民地獲得競争の時代に移る。広義には17世紀中頃から18世紀末まで、狭義には事実上「植民地帝国」が成立した1763年からのイギリスを「第一次植民地帝国(第一帝国)時代」と呼ぶ。この「第一帝国」は、1783年にアメリカの独立を承認したことで、狭義の定義では成立からわずか20年で終焉した。 イギリスは1840年にアヘン戦争で清朝を屈服させ香港を獲得、1857年にはインド大反乱を鎮圧し、1877年にインド帝国として植民地化を達成、「第二次植民地帝国」を成立させていく。1840年から第一次世界大戦(1914-1918)までが「第二次植民地帝国 (第二帝国)時代」と呼ばれる。 「産業革命」は、「第一帝国」成立から「第二帝国時代」が始まるまでの、特に第一帝国崩壊後の「帝国崩壊(不在)期」に起きた極めて特殊な思想だと言うこともでき、経済、技術、政治、哲学などの、それぞれの分野だけでは説明できないことが多く、様々な要素の不思議な複合体(コンプレックス)だと考える人も多い。 最近読んだ記事では、「ダルトン極小期」という1790年から1830年まで続いた太陽活動が低かった期間の、特に「夏のない年」と呼ばれる1816年を中心に起きたパニックとそれへの対応だったという説を紹介していた。が、やはりそれでは説明できない点が多い。 アメリカ独立革命(1775-1783)とフランス革命(1789-1795)、フランス7月革命(1830)に、地理的にも時間的にも挟まれた特殊な状況で起きた思想だと言うことができるものの、それではあまりに抽象的で説明にもならないが、イギリスにとって、反発してきたアメリカと、競争相手のフランスが、自身の「鏡」として立ち現れてきたことで、自身の「ワールドナラティブ (世界を理解するために用いる物語。世界を認識するための枠組み)」の更新または変更を迫られたのだとも言うことができる。産業革命期は、「噂話の時代」を脱却し「近代ジャーナリズム」を成立させるための準備期間にもなった。 「ワールドナラティブ」の変更、「噂話の時代」からの脱却、そして「産業革命」の象徴的な発明品になったのが、「クロノメーター」(懐中時計)である。
大航海時代に航海が増加して海難事故が多発するようになり、現在位置を把握するため精密な緯度や経度の測定法が求められた。緯度は六分儀等による天体の位置測定で比較的容易に求められるものの、正確���経度の測定は困難であった。この問題を解決するためイギリス議会は1714年に高精度で経度を測定できる方法の発見に懸賞金を出すという「経度法」を制定した。経度の測定にはいろいろな方法が考えられたが、その一つが時刻と太陽の位置から測定する方法であった。18世紀初頭最も精度の高い時計は振り子時計だったが、揺れる船上では機能しなかった。揺れる船舶の上でも正しい時を刻む高精度の時計(マリンクロノメーター)が必要とされた。 測定方法を審査する機関として経度委員会が作られ、数多くのアイデアが寄せられたが、そのほとんどは役に立つものではなく、経度測定と全く関係のないおかしなものも多く含まれていた。 1726年に発表されたジョナサン スウィフトの『ガリヴァー旅行記』では、不死の人がいる国にたどりついた主人公が、もし自分も死ぬことがなければ「経度測定法や永久運動や万能薬等の発見を始め、その他もろもろの発明の完成をこの目で見ることもできよう」と語る場面があり、経度測定を永久機関や万能薬と同列に並べている。また、ウィリアム ホガースにより1735年に発表された版画『放蕩一代記』では、「経度を測定しようとしている人」が精神病院の患者として描かれた。この頃は、「経度を発見する (ファインディング ザ ロンジチュード)」という言葉が、「不可能である」という意味で使われていた。 1735年、大工職人のジョン ハリソンは温度や揺れに強い置時計「クロノメーターH1」を製作した。その後1759年には直径5インチの懐中時計である4号機「クロノメーターH4」を製作、誤差はイギリスからジャマイカまで81日間航行した間に8.1秒遅れただけ、年差にして約30秒という高性能を実現した。経度委員会はラーカム ケンドールに「H4」の複製を依頼、ケンドールは1769年に「クロノメーターK1」を作成した。この時計はイギリス海軍艦艇に配備され、ジェームズ クックの第二次航海の際にもその実用性が改めて確認された。 経度委員会がハリソンへの賞金の支払いを渋るなどの軋轢があったが、最終的にはジョージ3世がハリソンに同情し、議会による調査等もあって、1773年、ハリソンに賞金全額が支払われた。 産業革命の原動力となった機械には、多くの部品を正確に制作して組み合わせ、狂いなく動作するように仕上げる技術が必要だった。こうした技術力は、時計産業の発達によってもたらされた。
「噂」は人の感情を強く刺激するほど速く遠くへと、変化しながら広がっていく。なんやかんや人は、知った順番で物語を組み上げる。出来事が起こった順番を、「噂」の速度が追い抜いて届いてくる。しばしば物語の因果関係が狂う。情報の整理のとりあえずの方法は、時間軸の整理である。真実かどうかを測定する確実な方法があれば良いのだが。
2025年5月 チック タック イン パンデモニウム
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My YouTubeは再生回数100以上〔2日分の合計〕設定してます!
急降下されたら翌日のブログをおやすみさせていただきます。
マンスリーベストナイン のお知らせがでてるからカレンダーの確認を。
ニュース24/4/12
#名探偵コナン#鈴木福#佐久間大介#山田涼介#魚雷バット#餃子の王将#皿うどん#ナダル#大谷翔平 等
My YouTube 25/4/4から10 (感謝あり) https://ameblo.jp/kurushige/entry-12893554068.html
〔〕ヒント有り
佐々木蔵之介 💙🐎
西島秀俊 🖤🍩
阿部サダヲ 🧡⚾️
堺雅人 ❤️🦌
戸次重幸 💜🤖
片岡愛之助 💖🍓
DOMOTO💙🎸❤️✝️
and more....
6/7、tiktok は著作権が厳しく永久削除になってしまうため、28日にもって退会〔引退〕をすることになりました。
Instagramは全て凍結されたら引退させていただきます。
今月は気をつけて https://ameblo.jp/kurushige/entry-12831208362.html
あと、詐欺もね。
https://dawaan.com/instagram-bo-fraud/
https://youtube.com/playlist?list=PLeXkmsAZiHBuQgYgcX_INTkdxaS0E-0M0&feature=shared
抜き打ちチェックはInstagram引退をするので実施できませんので予めご了承下さい。
都合があれば変更する場合にもございます
インスタの調子が悪い〔#インスタ不具合 の〕時は
アップデート〔バージョン〕か再起動しましょう
出来なかったら
AndroidからiPhoneに変えましょう
また見たい方には👍
2度と見たくない方には👎
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知らない人はフォローしないように。
皆様、ご視聴をいただきありがとうございます。
今月中で
Amebablog・Instagram・tiktok・youtubeを続きますのでどうぞお付き合いください。
まだ更新していない人はお早めにね。
もし、よかったらYouTube チャンネルを登録してね。
現在のInstagram は監督委員会 から違反されていますが、期限切れになると送れなくなるからご勘弁を。
あと、フォローバッグはストーカーの可能性があるから拒否させていただきます。〔フォローをする時は承認必要です。※無言禁止〕
これからも見守る。 扇動行為 破壊活動防止法 tictok instagram 謝罪
危険なので死語扱い・文句を言ったり、
Instagram以外な写真は載せてしないでね。
インスタ不具合
誹謗中傷 拘禁刑 ←炎上
アカウント削除
セックス依存症〔2022年度から18歳以上の新成人制度→人物画〕
現在
旧創業者の事務所であるSmileUP 社の救援,ウクライナ、台湾東部、石川県能登地方の#支援・医療期間 を行っております。
馬鹿なx・Instagram
あと、SNS詐欺・迷惑行為・犯罪行為は絶対しないで。
ニュース⇨#金田中#馬肉 等
皆様へのクリエイター達に感謝してあげています。
過去の動画はYouTubeで
https://youtube.com/playlist?list=PLeXkmsAZiHBs4NXATaIpuBfotTK1UvpqN&si=x5Mhj5Zif_y0kZIu
新規もあります。https://youtube.com/playlist?list=PLeXkmsAZiHBsou_5szQrNquf5ZUAZeXv_&si=Me2uCwxiWZiTUvj3
次回の更新は4/19か20(日記更新は4/20か21)
神藤彩佳🐼💙
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福重の八幡不動尊院(福岡市早良区)

やや異空間の雰囲気 … 立ち入りずらさを若干感じつつ階段を上りました。

階段を上った右手

門をくぐったその右手 … 金剛蔵王大権現


本堂内

お堂に向かう位置に簡易椅子が置かれてます。



本堂側から階段方向


お百度まいりについての案内板

休憩スペース(展望デッキ)から西方向の眺め

↑北西 ↓西

姫大神 … 階段を上った左手(写真左側が階段)

階段下から(駐車場有)

2025.3.25
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「民主党政権の何が地獄だったのか、きちんとした説明を聞いたことがない」といった主張は定期的に出現しますね。とはいえさすがに「聞いたことない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パターンのいずれかとは思いますが。 前回の悪夢のような民主党政権時代を生き抜いてきた者として私が言えるのは、「とにかく、あのような惨劇は二度と繰り返してはならない」ということだけです。 あの時代がいかに酷いものであったか、ご存知ない方もぜひこの機会に知って頂きたいので、支持者から叩かれること覚悟で説明していきますね(過去同様の投稿を複数おこなっていますが、毎回更新改訂しています。今般のバージョンが最新版です)。 個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。 (1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた。 (2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した。 (3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた。 では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。これがわずか3年間で起きた出来事です。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。 (1)国家運営能力の欠如 ・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。 ・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。 ・金融政策と財政政策が食い違い、タイミングの悪い増税も重なり、景気や株価は低迷を続けた。 ・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。 ・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。 ・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。 ・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。 ・難民申請から6カ月たった申請者に対し一律に就労できる運用を始めた。 ・司法試験の国籍条項を撤廃。合格した外国人が帰化して裁判官、検察官、弁護士になる道を開いた。 ・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。 ・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。 ・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。 (2)外交能力の欠如 ・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。 ・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。 ・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。 ・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。 ・防衛上特に秘匿することが必要な「防衛秘密」3万件を破棄。 ・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。 ・韓国の歴代大統領として初めて、竹島へ李明博大統領が上陸。 ・旧ソ連時代を含めて初めて、北方領土へロシア国家元首が上陸。 ・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。 ・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。 (3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質 ・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」 ・菅(直人)総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」 ・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」 ・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決) ・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」 ・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」 ・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」 ・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞 ・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影、「2位じゃダメなんでしょうか?」 ・安住財務大臣⇒「1ドル75.63円の時点で介入を指示した」「学校のプールにガソリンを貯蔵できないか」 ・前原外務大臣⇒外国人から政治献金受領 ・岡田外務大臣⇒「核兵器めぐる日米密約は存在した」 ・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上 ・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑 ・鉢呂経産大臣⇒(記者の一人に、着ていた防災服をなすりつけ)「放射能つけちゃうぞ」「市街地は人っ子一人いない、まさに『死のまち』」 ・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」 ・柳田法務大臣⇒「答弁は二つだけ覚えておけばいい」 ・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題 ・岡崎国家公安委員長⇒議員時代、韓国で日本大使館に対する反日抗議デモに参加 ・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ ・輿石幹事長⇒「間違った情報ばかり流すなら、電波を止めてしまうぞ」「電波が止まったら、お前らリストラどころか、給料をもらえず全員クビになるんだ」 ・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪 ・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名 ・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与 ・緒方議員⇒「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」 ・太田議員⇒「そうでしたっけ? フフフ」 ・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。 ・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。 そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私はあんな地獄のような時代は二度と御免です。
Xユーザーの新田 龍さん: 「「民主党政権の何が地獄だったのか、きちんとした説明を聞いたことがない」といった主張は定期的に出現しますね。とはいえさすがに「聞いたことない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パ」 / X
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ペルシャ絨毯買取
産地や年代が不明なペルシャ絨毯も絨毯のプロが査定。 絨毯専門店ならではの目利きで、他店よりも高価買取。 本物か偽物かわからない。産地や工房など詳しいことがわからない。 そのようなペルシャ絨毯でもしっかりと対応させていただきます。 ペルシャ絨毯は古代ペルシャの遊牧民が寒さから身を守るためや祈祷を行うために、羊毛や綿から手織りで織り上げたのが始まりと言われています。 ペルシャ文化・ペルシャ芸術を代表する、世界的に見ても歴史のある美術工芸品の1つで、古来より高級絨毯の代名詞として広く知られています。 デザイン性の高さはもちろん、一つひとつが手織りで同じ物が二つとないことからのも魅力です。 また、ペルシャ絨毯は丈夫で耐久性に優れていることから、使い込むほどに独特の味や深みが増すというのも人気の理由と言えます。 日本にも安土桃山時代の末期(16世紀末)、シルクロードを経由してペルシャ絨毯が持ち込まれています。 当時の権力者であった豊臣秀吉はペルシャ絨毯を大変気に入り、陣羽織に仕立てて愛用したと伝えられています。 色彩豊かできらびやかな桃山文化とも相まって、繊細な文様で彩られたペルシャ絨毯は人気を博しました。 また京都では、ペルシャ絨毯は祇園祭の山鉾を飾る懸装品(けそうひん)としても使われてきた歴史があります。 敷くだけでなく、タペストリーとして壁掛けにも使われインテリアとしても人気です。 ペルシャ絨毯は骨董品の価値が高く、収集家が多いため中古市場では盛んに取引されています。 アンティークのペルシャ絨毯を中心に高値での買取例も数多く見られます。 納得の買取価格をご提示いたします。 ペルシャ絨毯は数千円から数十万円が買取相場です。 ただし、買取相場は制作年代、産地、保存状態などの条件によって大きな幅があります。

ペルシャ絨毯買取 「ペルシャ絨毯は高く売れるものも多い」ということは知っていても、実際にどのようなポイントを見て価値が判断されているのかは分かりにくいものがあります。 ここでは、ペルシャ絨毯の買取で必ずチェックされるであろう重要な査定ポイントと、そのポイントがどのような特徴であれば高く売れやすいのかをご紹介します。 査定前にお持ちのペルシャ絨毯を確認してみてください。 サイズが大きい ペルシャ絨毯は、サイズが大きければ大きいほど高く買取されやすくなる傾向があります。 ペルシャ絨毯を織るのには非常に手間がかかるため、大きければ大きいほどそれだけ製造に工数がかかります。 職人の手が多くかかっている分、大きいペルシャ絨毯には高い価値がつきやすいのです。 状態がきれい ペルシャ絨毯の保存状態は、買取価格に直結する重要な査定ポイントです。 絨毯が擦り切れている、色褪せている、ペットの匂いがついているなどすると、買取価格は下がってしまう可能性が高いでしょう。 買取直前でどうこうするのは難しいですが、日頃のお手入れが買取価格にも関わってきます。 素材が高価である ペルシャ絨毯の素材には、大きく分けてシルクとウールの2種類があります。 このうち、より高く買取されやすいのはシルクのペルシャ絨毯です。 素材はペルシャ絨毯の買取に際してはまずチェックされる査定ポイントの1つと言えるでしょう。 縫い目が細かい ペルシャ絨毯のノット数とは、その絨毯がどれだけ細かい目で織られているかを表す数値です。 ノット数が高い、すなわち目が細かい絨毯のほうが単位面積あたりの作業量が多くなるため、作るのにそれだけ職人の手間と時間がかかります。 そのため、サイズが大きいペルシャ絨毯と同様の理由から、高く買取されやすくなるのです。 産地や工房の証明書などがある ペルシャ絨毯の産地は複数あり、特にイランのナイン、カシャーン、クム、タブリーズ、イスファハンは5大生産地として有名です。 また、中古市場では古いものほど価値が高いとされています。 製造から50年以上経過した骨董品は「オールド」、製造から100年以上経過したものは「アンティーク」といわれます。 5大産地で作られ、製造から50年以上経ったペルシャ絨毯は高値が期待できるでしょう。 査定時には産地や工房名がわかる証明書を提示すると本物だと証明できます。 さらに、お持ちのペルシャ絨毯の入手方法や購入場所を確認できるようなら、事前に調べて査定士に提示することをおすすめします。 色柄の美しさ ペルシャ絨毯の柄は、中心に大きな模様を配した「メダリオン」、総柄の「オーバーオール」、モスクから着想した「メヘラブ」、景色を表現した「ピクチャ」の4種類があります。 特に「メダリオン」は万華鏡のなかを覗いたような美しい模様が人気です。 ペルシャ絨毯の中でも、多くの人が欲しがるような、美しくて味わいのある柄は高く売れやすいでしょう。 ただし、「中古市場で高く売れる色柄」というのが明確に決まっているわけではありません。 査定する時点の中古市場での動向を確認し、需要が見込めると判断すれば高値で買い取ってくれるでしょう。 ご満足いただける適正価格をご提示できるよう努力いたします。 バイセルの査定やキャンセルは無料ですので、お気軽にお問い合わせください。
ペルシャ絨毯シルク
また、状態のよい絨毯に、えも言われぬツヤや、天然染料の醸し出す色合いが美しい場合には、アンティーク品として相応の価値がつくこともあるのですね。 無料出張 対応エリア 全国の出張購入をサポートします。 ショッピングブーストゾーン全国からカーペットを集めています! ショッピングをサポートするエリアは、 東京、神奈川、千葉、埼玉、いばらき、栃木、軍馬、愛知、静香、新潟、長野、山梨、京都、大阪、福岡、山口、大分、佐賀、福井県、熊本です。 ペルシャ絨毯買取専門店港区 ペルシャ絨毯を高く買取します。 全国でもご利用いただけますので、上記以外の方も大歓迎です! 無料評価をご利用ください。 土日・祝日も休まず営業!どしどしお問合せください!

ペルシャ絨毯買取 | 納得の買取価格をご提示いたします。 お客様に信頼・ご満足いただける買取値段をご提示致します。 ※買取強化エリアおよびスピード引き取り対応可能エリア 【東京23区】 千代���区 中央区 港区 新宿区 文京区 台東区 墨田区 江東区 品川区 目黒区 大田区 世田谷区 渋谷区 中野区 杉並区 豊島区 北区 荒川区 板橋区 練馬区 足立区 葛飾区 江戸川区 【東京都下】 八王子市 立川市 武蔵野市 三鷹市 青梅市 府中市 昭島市 調布市 町田市 小金井市 小平市 日野市 東村山市 国分寺市 国立市 西東京市 福生市 狛江市 東大和市 多摩市 稲城市 羽村市 あきる野市 Read the full article
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ブルネイ旅行記2025 - Part 4
ブルネイ3日目、いよいよスタート。 前の投稿はこちらからどうぞ。
ブルネイ旅行記 Part 1 / ブルネイ旅行記 Part 2 ブルネイ旅行記 Part 3
3日目最初は市内観光からスタート。

ホテルのすぐ近くにあった、いかにも地元の人向けのマーケットをチラッと覗いた後は、、、
観光名所の1つ、オールドモスクへ。 こちらは前国王が建てたモスク。 広い公園の中に巨大フレームがあって、↑こんな写真を撮ることができます。


この公園、地面に小さな泥団子が無数にある。 カニらしいです。 やー、砂浜では見たことあるけど、こんな公園にもおるらしい。
このオールドモスク、湖畔にあるため、こんな湖面反射の美しい写真を撮ることができます! 素人の私が、普通のデジカメで撮影してもこれ↑。 カメラマンの人なら、きっともっと素晴らしい写真が撮れるはず。

こちらのゲートから、観光客も中に入ることができます。

入ることの時間は限られているので要注意。

モスクのドームの装飾って、本当に美しいんですよね。


写真を撮る、うちの母。 女性観光客は、このガウンを必ず着用します。


入り口のところに小さな冷蔵庫があって、小さめペットボトルの水が入っています。 これ、無料でいただけるんです。
オールドモスクの向かいに公園があるのですが、この日はなにやら人がたくさんいて、パレード?の練習をされていました。

実は2/23がブルネイの建国記念日で、この日はその記念式典の練習をしていたのです。
本当に偶然、国旗掲揚を見ることができました。 やはりな、旅運あるんです、私。多分。

さて、市内を車で走っていると気付きますが、ブルネイの車は左側走行。 そこから少し歴史の話が広がります。
ブルネイの起源は、はっきりとは分かっていないらしいのですが、wikiによると、歴史上に残っているのは、西暦971年、当時の宋(今は中国)に対してのブルネイ朝貢の記録が最初なのだそうです。
現在の国王の始祖にあたる方があらわれたのが14世紀。 イスラム教を周辺諸国へ布教しつつ領土を拡大していき、東南アジアの海洋貿易の要衝としても栄えていきます。
その後、ヨーロッパによる東南アジア諸国の植民地化の時代がやってきます。 ブルネイも領土を失っていきました。 現在とほぼ同じ領土にまで縮小されてしまった中、1888年にイギリスの保護領となります。
流れが変わったのは、第二次世界大戦中の太平洋戦争の勃発です。 日本軍が東南アジア諸国の統治を始めました。 1945年、日本の敗戦により、ブルネイは再びイギリスの統治下へ。 高まる植民地化政策への反対の流れの中、1984年にイギリスから独立し、主権を回復することになったのです。
なるほど、イギリスの統治下にあったから、車は左側通行なのかと考えたのですが、ガイドのReikoさん曰く、日本統治下時代の日本の影響なのだ、と。
ここで、本当自分の無知が恥ずかしいのですが、私は初めて、ブルネイのために尽力した木村強さんという人物のことを知りました。
日本統治下の時代、ブルネイはブルネイ県として国民に日本語教育を行おうとしていました。 以前に統治していたイギリスも、当初の日本も、ブルネイの資源や海の要衝として「利用」しか考えていなかったんですね。
しかし、1942年にブルネイ県知事として就任した木村強さんは、当時としては稀有な考えの持ち主でした。 日本の国益だけを考えるのではなく、ブルネイの発展に力を注ぐ方だったのです。 ブルネイの王室にも敬意をもって接し、その結果、ブルネイ王室の方々からも温かく迎えられたのだそうです。 木村さんの秘書として一緒に働いたのが、当時の王様の弟。 木村さんはブルネイの人々の心に寄り添い、文化・宗教を尊重し、その結果現地の人々からも絶大な信頼を得ることになります。
木村さんは知事として就任していた1年で、道路や電気、水道といったインフラを整え、子どもたちには教育の機会を与え、ブルネイの発展に大きく貢献したそうです。
木村さんご本人の手記が↓こちらのサイトにありました。 http://kansai.me/tdym/ww2nd/brn-hudoki05.htm
この手記の中にあった言葉、感動した部分を抜粋。
“私は、戦争に負けることば聊かも想像したことばないが、仮に万が一期待に反するような結果になっても、日本人の行動、日本人の行為が後世に笑われ、批判されるようなことがないように、品位を維持し日本の国際的信用を高め、長く良い印象を残しておけばいつか海外に発展飛躍ができるから、好感と信頼感を保つようにしたいという信念で、異民族の統治に当たったのであった。”
当時の日本軍からすれば、甘すぎる対応は苦々しいものだったでしょう。 結果、木村さんは1年で転任させられることになります。 退任の際は木村さんも、周囲のブルネイの方々も、共に涙を流して別れを惜しんだのだそうです。 軍部の命令に背いてでも、ブルネイのために尽力した木村さんの気概。 こういう素晴らしい先人のおかげで、今の私たち日本人は海外でも大きな恩恵を受けているわけです。 実は旅の途中、心無い日本人youtuberの話を聞いたのですが、恥ずかしいやら腹立たしいやら。 コツコツと築かれてきた日本人への信頼は、今急速に失われているのかもしれないと思うと、先人の方々に申し訳なく思います。
自分に出来ることは、知る事と、こうして誰かに伝える事。 小さな事かもしれませんが、ただの一般人の自分だとしても、日本人としての矜持を持ち、一人一人が自分の振る舞いを顧みることが、すごく大切なのだと思います。 当時秘書だった王様の弟は、その後国王になりました。 その国王と木村さんの再会の話も泣けたのですが、ご興味ある方は、是非ご本人の手記を読んでみてください。
ブルネイの車が左側通行なのは、当時の木村さんのインフラ整備の結果なのですね。 現在、ブルネイと日本の関係は非常に良好で、天然ガスの輸出は、その殆どが日本向けです。 日本統治時代、もし日本がただただブルネイで搾取を行っていたとしたら、今のこの良好な関係はなかったでしょう。
こんな方がいらっしゃったこと、全然知りませんでした。 旅はね、やはり新しいことの学びがたくさんある。 そこから自分に何ができるかを考えるきっかけになる。
あまり知らない場所に行きたいのは、知ることができるからなんだよなぁ。 いや本当に、なんとなくビビッと来たから選んだ今回の旅の目的地がブルネイだったのですが、ガイドのReikoさんと出会い、木村さんのことを教えてもらって、ブルネイを選んで大正解だったなと思っています。
・・・ちょっと木村さん話で盛り上がり過ぎたな。 いやでも、この感動は多くの人に知ってほしい!! というわけで、続きはPart 5にしておきましょう。
ブルネイ旅行記2025 Part 5 ブルネイ旅行記2025 Part 6 ブルネイ旅行記2025 Part 7
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