#街路樹の実
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poddyshobbies · 2 years ago
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2023.9.4 ~ 街路樹の実
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raccaryusui · 8 months ago
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9月にがんセンターへ通院で行った時
街路樹で色付いていた、
赤い「サンゴジュ(珊瑚樹)」の実。
ガマズミ属。
別名:キサンゴ(木珊瑚)、
   ヤブサンゴ(薮珊瑚)。
学名:Viburnum odoratissimum var. awabuki
撮影:iPhone14 Pro Max
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立憲や共産党、社民党の連中がバックにいるんだからやりたい放題さ。 国会の専門委員会で入管法改正議論の様子を確認してみろよ。 前述の連中が実態を報告発言している維新の議員に対して、大声上げたりして目の色変えて妨害している様子が分かるから。   自民党も屑だが実質蔓延らせているの間違いなく、入管法改正を必死に批判している連中だと知った方が良いぞ。 今はネット環境有れば実況ではなく録画を検索して、衆議院も参議院もみること出来る様に、随分前からホームページあるぜ。
おーるじゃんる : 【川口市】住民の車がクルド人に盗まれ街路樹に激突して全損も「住民は自腹」 クルド人が15人ほど一瞬で集結「悪いのはお前な」
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maasayada · 10 months ago
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愛と遠視、傷と羽音
ここを開けるのは、久しぶりだ。
ここに載せてきたようなことは、特定の宛先なしにはもう、書かないかも知れない。そう思い、過ごしてきた。けれども再び開けてみるのは、魂が「必ず終わりをもたらしてやる」と私にかけた言葉が、最後の投稿(二年前)に置かれたままになっていたからである。
そのことは、ずっと忘れていた。それからふと、私の目に留まった。魂は言った通りのことをやってのけ、そして新しい生を贈ってくれた。その遍歴を語ることはできなくとも、しるしづけることはできると思う。
私は人と一緒にやるようになってから、今の自分の言葉でいえば、こんなことを探求してきた。小説と幼年の境界。小説と死者の境界。小説と観者の境界。小説と神話の境界。小説と肉体の境界。小説と因果の境界(準備中)。
さいごの「小説と因果の境界」は短いものだが、その時点の私にとっては極限だった。2023年3月に書き終えてから、文字通り彷徨った。多くのことに手をつけ消耗していったが、それらがいずれ小説に資すると、以前のようには思えなくなっても、自力では止まらなかった。だから、こころがブレーキをかけたのである。
もっとも状態がよくなかったときに、間一髪で(自分ではなく)世界を選んだ。
それまでは、自分というブラックボックスを通し、みるものに陰影を纏わせつづけていた。私の文について色々なひとが色々なことを言ったが、概ね共通していたのは、独特な結晶化作用があるということだった。確かに私も信じてきた。その陰影こそがやがて固有の輝きを露わにし、光を集めるのだと。それはしかし、かなり時間のかかる作用でもあった。誇張して言えば〈こちら側(この時)〉では、私はいつもほほえむだけだった。蜜蜂は、蜜を集めることが今を生きることであるのに、わたしはそういう成り立ちをしていなかった。
終わりをもたらすとは、このブラックボックスごと引き潮に渡すことを、決断できるということだった。そのとき圧倒的な苦しさの中で、光や風や、水を感じた。私は人に「生きているだけでいい」と何度も言ってきたけれど、自分自身にそう思うのは初めてだった。
それから、素晴らしいことが起こり始めた。
今日お話ししたいのは8月17日に、生まれ故郷がいつより美しい姿をみせてくれたことだ。冒頭に挙げたものたちと並行して、2021年秋から断続的に「小説ではない文」を書いてきた。その文はあれら境界のすべてと、そのほかの体験とを含んでいる。それがついに成り、人に託した翌日のこと。
私は文の主要な舞台のひとつである公園に行き、小さな川が池に流れ込む様子がよく見えるベンチに座った。文を送る際に添えたメッセージ――花が咲いていると、思わずきれいだねと話しかける身体について――を思い出しながら、樹々を眺めたり、サンダルのまま流水に入ったりした。
開いた本に、ある大小説で主人公が亡くなるのは、作者が次第に苛立ちをおぼえてのことだと言う人がいるが、小説家が主人公を愛さなくてあのようには書けぬ。と書かれていて、涙がこぼれた。
上空を涼しい風が吹きわたった。まるで巨大な湖をまえに、雨が降る先触れをきくようだ。30分はもつと思ったが、もっと早く降り始め、晴雨兼用傘をさしてベンチに陣取ると、叩きつけるようになった。それまで氷の入ったプラカップに麦茶を注いで体を冷やしていたが、飲み口の近くに雨雫が付けば楽しかった。化学繊維の軽いスカートは膝上まで濡れて、抱えた水草のバッグは暖かく守れていたから、真っ直ぐな大雨音は、そのまま安心と結び付いていた。
あめのひは、かさをさしてほんをぬらさず。地元の図書館が子供向けに貼りだしていたポスターは、なぜかブロントサウルスが直立歩行で傘をさしていたな…
後方の東屋を振り返ると、その向こうに誰もみていない空が出現した。
そんな空が、生まれ、住まいを変えつつ暮らしてきた人口の多いこの地に降るとは。山を登るときにだけみられる幻でなくなるとは。神代の、人の手付かずの自然であった頃にまで、生地は戻ることもできるのだ。その記憶の存在を私はしっかりと感じた。
動かぬままで雨が上がると、すっきりと遠くを見ていることに気が付いた。
ひとつ上の友人は、ゴルフを好きになってから視力が1.0に回復したといい、2.0ある同い年の友人は、私は本を読まないからだと結論するが、確かに読み書きを好む者の目は、遠くよりも近くを見ることに適応しやすい。
私の場合、いつも近くに対象物が入るよう、目が無意識に動いていた。一本道を歩くとき、街路樹や自転車や自販機を、たぶん本来は必要のない頻度で見る。身体は真っ直ぐに進みたいし、目も協調しているかのようにふるまうけれども、実は遠くを見据えると疲れるので、目は避けようとする。身体はそれを知っている。
このもどかしさが突然、消えた。目が遠くと和解していた。コンタクトレンズ装着時のような視力の上がり方ではない。あれは眼科医も友人たちも、生活に危険がないように、情報が沢山入るようにとすすめるし、私も長い間、そういうことだと思ってきた。近視は見えるべきものが見えずにつらいのだと。そうではなかった。
全力で書き切った文を贈り、生地が応えて記憶のかぎり遡ったから、私は見晴るかす、すべてがうつくしい、と話しかけていたのだ。それで遠くをみるのを畏れることがあろうか。自分の不調の解消や、情報の取得のためならば、ここに出ることはかなわなかっただろう。
歪みを、遅延を、細部をバネに跳躍するというやり方を手放さなければ、ここに来ることはかなわなかっただろう。だからこそ、話せるようになったのだし、それでも、書けるのだ。たぶん。
数日して、仰向けになった首の付け根で何かが羽ばたく夢を見た。蝉のように力強い振動に驚いた。整体師の方によれば、私の視力と幼い頃つくった首の傷には、なにか関係があるらしいのだが。
即時的にあらわれるものも、遅れを伴ってあらわれるものも、どちらも肯定しきるものを書きたい。それはパラレル・ワールドを時間的に翻訳したようなものになるのではないか。今はそのことだけを思っている。
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kyoto4 · 2 months ago
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20250426 カラシナの季節
 今年も加茂川のあちこちに黄色い花が畑のごとくひろがっている。カラシナという花である。葉は食用にもなり、タネはカラシになる。有用な植物だが、とくにこれを採取しようとしている人は見ない。と、いうか、桜以外の植物はほとんど見むきもされていないのが現実である。興味をもつのは「愛好家」で、そうでもないのに目をとめるのは「かわった人」として分類される。意図しないジャンルで「かわった人」認定をされてしまうのを嫌がる人は多い。皆とおなじがよい。世間の間尺にあわせて生きる。商品化されていないものには手をつけない。  この日は朝は少しだけ気温がさがった。それからすっきりと晴れた。すごしやすい一日である。京都駅付近にも行ったが、とにかくが多かった。聞いたことのない言葉も耳にはいってくる。世界中から人がやってくる。  カメラは前につかっていたのを持ってゆくことにした。(Cannon A-480)機種はふるいが、こちらのほうが色も自然で、ピントがあまくない。2009年製なので、すでに16年前のカメラだけど、まだうつる。街なかは、ハナミズキだらけである。最近の街路樹といえばこれだ。横にひろがってゆかないし、何よりも葉っぱがすくない。落葉の掃除の手間がかからない。ポプラやトウカエデが切られて、これに植えかえられている。  加茂川もすべて護岸されているので、その景観そのものを自然と呼ぶにはすこし無理がある。ただし、中州に勝手に繁殖してゆくセイヨウカラシナの黄色い花には、いくらか野生を感じる。人工物で埋め尽くされている世界は息苦しい。
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shinoharatmt · 10 months ago
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地を這う・枯れる
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ご無沙汰しております。篠原とまとです。私は年を一つ重ねただけの夏が終わり、秋の予感を感じる涼しさの中であいかわらずぼんやりとしています。
今回は蔦の話でも。今住んでいる家の窓には前の家主が植えていった蔦があります。夏は草木が育つ時期なので我が家の蔦も太陽の日差しを求めて伸びていくのかと思えば、日陰に留まるばかり。終いには我が家の排気口の中に向かって伸び、それを伝って蟻が溢れかえることになりました。街に住み自然を忘れた生活を送るホモ・サピエンスはちょっとした自然の前ではこんなに非力な存在なんだな……と蟻退治をしながら思いにふけってみたり。
自然と言えば、フランスと日本での自然に対する美的感覚の違いを思い出します。究極の自然らしさのイデアを求めて手を入れ��盆栽や日本庭園の美とは異なり、こちらではトピアリやら幾何学模様などの庭園にも見えるように自然を人間の意のままにコントロールすることが美である。黄金比に則った絶景を作るために川を一から作り、土を盛り、石を削る。城や宮殿の庭園から、今となっては街路樹も大きなサイコロみたいに整えられていたりするのを見るとこの土地の美を薄っすらと感じます。実際の自然には存在しない最も自然らしい風景に潜む侘びと寂び、人工的に整えられた理論的に整然とした人が望む美を現した風景に潜む厳かさ。自然を人の手に治めようだなんて傲慢だなあ、と擦れた見方をするも、人の手で築かれた社会に身を置き生きている。美は千差万別。何かいいと思うものには名もなき美がそこにあるからなのかも。美を求めるも雁字搦めになるも痴れ者になるもまた一興。
美はあるのか、それとも目の前に広がる光を選んだ自分が美をそこに見出しているのか。世界が終わる時が目の前に来たらそこに美は?
小難しいこと言っていたらまた日が落ちて、床に就く時間です。コーヒー飲んで寝るか!じゃ!
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shunya-wisteria · 2 years ago
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夏旅2023 庄内散策 - 山居倉庫・本間美術館
今回は、台風によるフェーン現象で酷暑となった山形県庄内地方へ出かけてみました。最初は酒田へ。
新潟からの特急いなほ にて酷暑の庄内地方 酒田に到着。駅から出た瞬間の日差しにくじけそうになりました… なるべく日陰を探しバス乗り場へ。酒田市のコミュニティバス るんるんバスに乗り込み15分ほど、山居倉庫へ。料金は一律200円、Suica等の交通系ICカードは使用不可なので注意。
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米どころ庄内における米の積出港としてにぎわった酒田。米保管倉庫として明治期にたてられたのが酒田のシンボルでもあるこの山居倉庫。フォトスポットとして有名なのが、夏の高温防止のため倉庫の裏地に植えられた樹齢150年以上のケヤキ並木。土蔵造りの倉庫と日差しに照らされ青々と輝く並木、抜けの良い石畳の道の組み合わせが実に趣がありますね。
9棟の倉庫の一部は現在、観光物産会や庄内米歴史資料館としてにぎわっています。
山居倉庫から徒歩1キロ弱、次は本間家旧本邸へ。酒田の豪商として地域社会の発展に努めた本間家のお屋敷。幕府巡見使一行の本陣宿として建造された後、本間家代々の本邸として使用されたとのこと。現在は観光施設として一般公開、古いお屋敷好きとしては欠かせないスポット。
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さらにもう1.5キロほど歩いた先、美しい庭園を望む別荘 清遠閣が佇む本間美術館にも足をのばしてみます。酷暑とはいえ風がやや強いことが幸い、日陰を探せば比較的 快適に歩けました。本間美術館は戦後の荒廃した時期に、地域の復興・活性化と芸術文化の向上の資することを目的に本間家が設立した私設美術館。本間家に代々伝わる貴重な収蔵品を見学した後、お庭へ。鶴が舞い降りたことから「舞鶴園」と名づけられた庭園。この美しいお庭は隣接する清遠閣から眺めてみるのがおすすめ。心地よい風を受けながらのんびりと流れる時間を満喫しました。
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昼過ぎに酒田に到着し、美術館の最終入場が16:30と、なかなかにせわしない旅路でしたが、ボッチ特有の歩く速さ(バスを待つより歩いたほうが早いときは歩き)で時間を稼ぐことで、一通り酒田の街を楽しめました。夕方の電車で鶴岡へ移動、翌日の散策に備えます。
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limitgui · 5 months ago
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PERFECT DAYS
ヴィム・ヴェンダース監督
2023年日本・ドイツ合作ドラマ映画
綺麗で真面目で完璧な清掃員。
日々、同じルーティンをきちんとこなす。
カセットテープから流れる曲は1曲も知らなかったけれど、
静かにかっこよくシンプルだけど
日々の同じ繰り返しの中で大事な部分であって、
その曲で空や風、街路樹の木洩れ日を気持ち良いと感じたり、
その曲自身に身を置いたり、彩りとしてとても大切なものに見えた。
清掃員は毎日古本屋で購入した本を読んでいる。
きっと読書も違う世界を生きてみたり、現実世界を彩ってみたりするのだろう。
観終わって何も調べていないので、清掃員の過去など検討もついていない。
映画のラストシーンでかかる曲では確か「feeling good」と歌われていた。
気分がいいととても悲しい声で歌っている。
清掃員の表情も同様に絶望を経て、悲しくも清々しい、
何かしら静かな強さと弱さが入り混じっているようにみえた。
俳優って凄いと感じられる映画でもある。
だから、役所広司さんなんだ、石川さゆりさんが三浦友和さんが
一瞬の陰影にとても必要だと思えた。
後、カセットテープの中古1万2000円なんだとか、
フィルムで現像したなとか、
大きな木の根元から生えた赤ちゃんの木を
湯呑に植え替えてるのも素敵だなとか、
清掃の勉強もう少ししなきゃとか、
つうか東京のトイレおしゃれじゃね?とか
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kennak · 9 months ago
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1966年に静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」は、戦後最大の冤罪の一つと言われ、死刑判決が確定していた袴田巌さん(87)のやり直し裁判が近く静岡地裁で始まる。死刑確定事件の再審では戦後5例目だが、この事件の前にはいくつもの冤罪事件が同じ静岡県で起きていることをご存じだろうか。その一つ、「二俣事件」では、拷問によって無実の少年に一家4人惨殺を“自白”させたばかりか、拷問の事実を告発した刑事を偽証罪で逮捕した揚げ句、精神疾患に仕立て上げるという警察・検察の報復があった。家族もろとも偏見の目にさらされた刑事の妻・山崎まさは今も存命だ。今月27日、106歳になるまさは「当時の苦しみは言葉にできない」と涙ながらに振り返った。(文・写真:秦融/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部/文中敬称略) まさが住む愛知県みよし市は、名古屋市と豊田市に挟まれた位置にある。市街地から少し離れた一軒家で呼び鈴を押すと、次女の天野功子(のりこ、76)が出迎えてくれた。 まさの夫であり、功子の父である山崎兵八(ひょうはち)は静岡県の警察官だった。 昭和の冤罪・二俣事件は1950年1月、同県二俣町(現・浜松市天竜区)で発生した。就寝中の夫妻が刃物で刺されて死亡、2歳の長女が首を絞められ、11カ月の次女が母親の下敷きになり窒息死した。事件後、近所に住む18歳の少年が強盗殺人罪などで起訴され、一審、二審で死刑判決。その後に逆転無罪となった。 兵八は、現職の警察官ながら警察組織を敵に回し、拷問による取り調べがあったと告発、少年の刑事裁判で証言台に立った人物だ。告発は審理の終盤。巡査だった兵八は読売新聞社と弁護人に宛てて手紙を書き、「(少年は)犯人ではない。新憲法下今なお人権を無視した拷問により罪をなすりつけられたものだ」「江口捜査課長と紅林主任は少年に会った時の第一印象で“彼は犯人だ”と判定、証拠集めの指令を発した」などと記した。 告発前、妻のまさは「そこまでしなくても」と夫の行動に反対だった。夫は「(少年が)自分の子どもだったらどうする?」と妻に問い、固い決意を伝えた。 当時を振り返るまさの受け答えは、とても100歳過ぎとは思えないほど明瞭だ。 「はい、そう言われました。『もしか、この子が私らの子どもだったらどうするかね?』と。間違いないです」 兵八は、弱い人や苦しんでいる人を放っておけない性格だったらしい。夫について、まさはこう語った。 「お父さんにはものすごく、そういうところがあった。きっと、生まれるときからそういう性格を授かってきたんだよね。私も、人を陥れるようなことは絶対にしたくないと思ってね。困っている人には、ねんごろ(親切)にしてね。人が難儀してると『ああ、かわいそうだなあ』って、すぐ思っちゃうんだよね」 しかし、告発は一直線には実を結ばなかった。 二俣警察署の捜査本部で捜査に関わっていた兵八は法廷で「拷問による自白」と証言したにもかかわらず、一審の静岡地裁浜松支部は死刑判決を下す。それどころか、判決の日、兵八は偽証罪で逮捕された。 「正義」の代償は、それにとどまらず、家族もろとも路頭に迷わせる“仕打ち”へと進んでいく。 逮捕後、兵八は名古屋大学医学部の教授による精神鑑定で「妄想性痴呆症」と診断された。裁判では、証人出廷した警察署長が「変人」などと兵八の人格を否定。一審で少年に死刑判決が下ったことから「警察の捜査は正しかった」ということになり、判決に異を唱える兵八は異常者とされたのだ。 辞表を出すと、兵八は精神疾患という診断を理由に、運転免許証をはく奪された。警察を辞めた後は、家族を養うため、トラックの運転手になるつもりだったが、免許なしではそれもできず、他の仕事も簡単に見つからない。逮捕・投獄された兵八は世間の偏見の目にさらされた。 当時10代だった長女・児玉澄子(故人)の手記によると、家族は耐え難い苦しみを味わうことになった。 「父は職も地位も奪われて、仕事を探し、失敗し、書を読み、そして苦しみの多い日は母や私達に当たり散らした」「父母を助けなくては。新聞配達を始めた(のは)五年生の冬でした。学校を休んで早引きをして手伝った畑仕事」「冷たい近所の人たちの目、 幼い弟はいつもいじめられ泣いて帰ってきた。『ボクのおとうちゃんどうしてブタ箱にいるの?』 と…」「母の土方の荒れた手とあかぎれの足のひびわれ」(手記から) 苦難はさらに続く。 1961年3月には自宅が全焼した。報道では「火の不始末が原因」などと伝えられたが、当時中学生だった次女の功子は、火災の数日前、自宅の前で見知らぬ男から「山崎さんのお宅はここか」と尋ねられたことを覚えている。また、功子の弟は「火が出る前に半長靴の男が家から出ていくのを見た」と家族に話し、警察にも伝えた。ところが、警察では「半長靴の男」の目撃証言が、弟自身の火遊びをごまかすためだったのではないかと疑われてしまう。 当時を思い起こし、功子は言った。 「最後は、母の火の不始末にされてしまいました。弟に傷がつくよりはまし、ということで母が全てをかぶったんです……父は名誉を回復するため裁判に訴えることも考え、二俣事件の資料を集めていました。“放火”はその資料を灰にすることが目的だったとしか思えません」 火災の真相は今や確かめようもないが、兵八が裁判を起こせば、警察側は捜査の正当性を主張しただろう。兵八を「変人扱い」した者たちの「偽証」も問われかねない。そのようなタイミングで火災が起きたことは事実だった。 「ようやく、ほっかむりが取れた」 山崎まささん(右)、天野功子さん 二俣事件の上告審で最高裁は、死刑を言い渡した静岡地裁の原判決を破棄し、1958年1月に少年の無罪が確定した。 無罪への転機は、東京高裁が控訴を棄却(1951年9月)した後、らつ腕の弁護士、清瀬一郎(1884‐1967年)が弁護人に就いたことだった。清瀬は衆議院議長などを歴任した大物政治家。戦勝国による極東軍事裁判(東京裁判)では東条英機の弁護人を務めた。 清瀬の無罪主張を受け、最高裁は2年余に及ぶ審理を経て「事実誤認の疑いがある」と原判決を破棄。その後の差し戻し審では、拷問によって警察の筋書き通りに自白させた供述の信用性が否定され、地裁、高裁とも無罪判決となった。筋書きと事実との矛盾が次々に明らかになり、検察は上告を断念、少年(逮捕当時)の冤罪は事件から8年を経てようやく晴れた。少年を犯人と決めつけ、筋書きに合う捜査しかしていない警察が再捜査に動くことはなかった。 傍らに座る母・まさを見やりながら、天野功子が言う。 「少年の無罪判決が出たときに、母は『これでようやく“ほっかむり”が取れた』と言ったんです。ね、そうだよね? お父さんの疑いが晴れた時に言ったよね? それまでお母さんはずっとほっかむりして生きとったんだよね」 顔を隠す頬かむりをせず、堂々と外を歩けるようになったという意味だ。当時を思い出したように、まさが涙ぐむ。 「お父さん(兵八)が逮捕され、自分一人で子どもたちを守らなくてはいけなくなったときの不安や苦しさは、言うに言えません。本当につらい思いをしました」 兵八は2001年、87歳で他界した。 その4年前には『現場刑事の告発 二俣事件の真相』を自費出版している。告発に至る経緯については、次のように記されている。 「心の片隅で『お前は正義の味方ではないのか。警察は国民の生命財産を守るのが使命ではないか。立ち上がるのだ』と叫ぶ声が聞こえてくるのだった。片一方の隅では、『黙っていて見過ごすのだ。あと五年経てばお前には恩給もつくのだ。恩給だけで暮らしてゆけるのだ。何も正義ぶりをする事はない。寄らば大樹の陰。大きな(長い)物には巻かれろ、ではないか』と叫ぶ声が五体に響いてくるのだった」 島田事件対策協議会で、無実の男性救済を話し合う兵八(正面左から2人目)ら(鈴木昂さん提供) 兵八によると、二俣事件の取り調べで少年に拷問していることを薄々知っていた警察官は他にもおり、「少年は無実」と思っていた署員もいた。しかし、誰もが「見ざる聞かざる言わざる」となり、法廷では「捜査は正しかった」と偽証を繰り返した。 この“拷問”に関わった刑事の一人が、捜査チーム主任の紅林麻雄警部補だったとされる。紅林は二俣事件だけでなく、同じ静岡県で起きた1948年の幸浦事件(被告は死刑判決、後に無罪)、1950年の小島事件(無期懲役判決、後に無罪)の捜査に関わり、多くの冤罪を生んだ。1966年の袴田事件では、拷問まがいの取り調べで自白を引き出し、警察が犯行の手口を考え出し、それに合う証拠や証言をつくって自白を裏付ける、という同じ手法が使われた。 二俣事件など同時期に続発した冤罪事件が「袴田事件の源流」と呼ばれる理由はそこにある。 同じ時期に起きた島田事件(1954年、死刑確定後の89年に再審無罪)の支援活動に奔走した元高校教師、鈴木昂は「山崎兵八さんには支援集会で講演をお願いし、熱意にあふれる話に引き込まれた。袴田事件の支援要請にも応じておられ、尽力を惜しまない人だった」と話す。 兵八・まさの夫婦は3男2女をもうけ、それとは別に2人の子どもを養っていた。そのうちの1人は勤務先の警察署で補導された、身寄りのない男児だった。まさによると、兵八が「面倒をみてやってほしい」と連れてきたという。 「放っておくのがつらかったらしくてね。(警察官という)職業柄もそうしてやらないかんと思ってだろうね」 まさの話によると、兵八の人柄をしのぶエピソードは他にもある。 「お百姓さんが、あるとき『これを食べてくれ』と駐在所に麦を2袋持ってきてね。お父さんは『絶対に手をつけるな』と言って。腐るかどうかという寸前で、やっと村の人と分けて食べた。それくらいの人でした」 弱い人、苦しんでいる人を助け、不正には手を染めない。まさが語る「警察官・山崎兵八」からは、組織内での孤立を恐れて自己保身に走るのではなく、人の心を大切にし、正しいと信じる道を貫くという人物像が浮かび上がる。 兵八の「正義」を押しつぶした警察・検察、さらには捜査側に寄った裁判所の不当な判決は、昭和から平成へと続き、真実や人権よりもメンツを重んじて自己検証を拒絶する姿勢は、令和の時代にも地続きのように受け継がれている。 96歳の原口アヤ子さんが無実を訴え続ける大崎事件の弁護人で、日本弁護士連合会の再審法改正実現本部・本部長代行を務める鴨志田祐美弁護士は「一刻も早く再審法を改正しなければ悲劇が繰り返される」と危機感をにじませ、改正の要点を次のように指摘する。 「一つは証拠開示の問題です。大崎事件の第2次再審では高裁の裁判長の積極的な訴訟指揮で、それまで検察官が『ない、ない』と言い続けてきた証拠が213点出てきました。さらに第3次再審になると新たに18点出た。なぜ、こんなことが起きるのか。証拠開示を定めたルールがないからです。大崎事件だけでなく、布川事件、東電女性社員事件、松橋事件などは、再審を求める中で重要な証拠が開示され、再審開始決定の決め手になった。規定がないために、検察は隠し通そうとし、開示が個々の裁判官の“やる気”に左右されるのです」 二つ目は検察官の抗告(不服申し立て)の問題だという。 「再審開始決定が出ても、検察官が抗告し、いつまでも再審公判が開かれない。再審は本来、無実の人を救済する制度で、検察官といえども立場は同じはず。ドイツでは検察官の抗告は禁止されている。袴田事件では最初の開始決定から9年、大崎事件は21年、名張毒ぶどう酒事件では奥西勝・元死刑囚の命が尽きてしまった。抗告の弊害による悲劇をなくさなければいけない」 二俣事件の関係者がほとんど他界した中で、まさは穏やかな日々を生きている。 「天寿をいただいているんだよね。まだこれだけ元気でね、みんなのエネルギーをもらっている。人を見放しておくよりも助けてやりたい、という気持ちで生きてきて本当に良かった、と。そう思ってね。やっぱり人に意地悪はするもんじゃないな、ってね。人を助ければ助けてもらえるな、って思うよね。毎日そう思いながらこうしていますよ」 秦融(はた・とおる)1961年、愛知県生まれ。ジャーナリスト。フロントラインプレス所属。元中日新聞編集委員。滋賀���呼吸器事件の調査報道を描いた著書『冤罪をほどく……“供述弱者”とは誰か』(風媒社)で、2022年の講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。至学館大学コミュニケーション研究所客員研究員。 「#昭和98年」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。仮に昭和が続いていれば、今年で昭和98年。令和になり5年が経ちますが、文化や価値観など現在にも「昭和」「平成」の面影は残っているのではないでしょうか。3つの元号を通して見える違いや残していきたい伝統を振り返り、「今」に活かしたい教訓や、楽しめる情報を発信します。
「拷問」を告発した警察官の夫は逮捕され、異常者扱い――105歳が語る「冤罪」の長い苦しみ #昭和98年(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
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toshimasa-kobayashi · 6 months ago
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デヴィッド・ボウイの煙草
デヴィッド・ボウイがかつて京都で飲んだ煙草は、長い年月を経て、彼の病いの原因となった。
おぎゃあ。人間が産まれる。その体の内では爆発的な細胞分裂がくり返される。春の充溢。群をなす息吹き。知覚と認知を拡大しながら、彼はこの世界を自らのテリトリーにしていく。そこかしこ、次から次へと。つまり欲望機械というやつか。緑の増殖。夏の太陽の下で、彼の乾きが癒されることはない。欲望。貪欲さ。もっと、もっと。果実の甘さも。小川の清流も。ジョッキに注がれる生ビールも。やがて風が吹けば、秋になる。成熟していく彼は、世界をテリトリーにする不憫もまた知ることになる。支配と、所有と、その交換。愛でさえ、その定式を逃れることは難しい。ああ。そうこうするうち空気は澄んでいき、冬になる。彼は徐々に朽ちていき、やがて最後には死を迎える。
かつてデヴィッド・ボウイは京都を訪れた。東洋の光は彼の左右非対称な瞳=オッドアイに入り込む。その目に映ったのはゼン、スシ、ゲイシャ。それらはひとつの東洋的神秘を、それぞれ別様のプリズムであらわした。極東アジアの低く黄色い太陽が路面電車の窓に反射し、ジギー・スターダストの髪の金色は白く溶けた。この奇妙な島国で彼が飲んだ煙草はハイライトだった。ゲイシャの行き来する街角で、彼は煙草を飲む。それは肺を満たし、血に侵入する。それは彼の興奮となり、鎮静となった。一方で、それは彼の病理を輝かせもする。それから36年後に彼が命を落とすことになる病い。その最初の一蹴りに、それはなった。1980年のこと。
人は誰しも朽ちていく。健康も、病理も、どちらも輝いている。だとするなら。酒や煙草による健康被害があるのだとして。塩や脂には健康上のリスクがあるのだとして。それはそれで歓迎できたならよかった。でも実際のところ、それは難しい。病いの痛みや苦しみとともに、多くの人が死を迎える。病いは歓迎できるものではない。痛みや苦しみは歓迎できるものでない。死は、歓迎できるものではない。それでもせめて、それらの是非についての判断は留保しておけないだろうか。結論からの逃避ではなく、ひとつの強度として。精神が抱える、頑なな道義として。病いも、苦しみも、死も、まったく不条理な害悪でしかないのなら、最初からそうした命運が埋め込まれたぼくたちの生とは、いったいなんだろうか。
今朝も散歩をした。冷たい空気を肺に送り込む。肺の内部には山��が連なり、その峰々に初雪が冠雪するように、真新しい空気が行き届く。あいにくここは東京で、樹木も山河も欠いており、実のところ空気はそう新鮮ではない。深夜営業を終えた盛り場の前に、ゴミ袋が積み上げられている。それをカラスが引きちぎり、生ゴミが路上に散らかる。カラスにとって、これはこの地の自然だ。ぼくにとっても。この街の空気を肺に送り込むことで、ぼくはぼくの山脈に雪を降らせる。それはやがては、ぼくの病いの原因となるのだろうか。
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elle-p · 2 years ago
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Famitsu 1823 Persona 3 Reload part scan and transcription.
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続報
謎だらけの迷宮タルタロスも新ギミックを追加してリニューアル!
真田明彦
声:緑川 光
さあ挑め、奈落の果てに
当時開発に携わったP-STUDIOがみずから現行最新機種でフルリメイクしたJRPGの名作。1日と1日の狭間に存在する“影時間”に潜む謎の存在“シャドウ”と戦う若者たちの物語が、新たに描き起こされたグラフィックで色鮮やかに蘇る。今回は、登場人物たちの情報や迷宮タルタロスの新要素を紹介する。
3年生でボクシング部の主将。専用ペルソナ“ポリデュークス”は、不死身の肉体を持ち、剣術と拳闘の名手として名をはせた、ギリシャ神話の英雄だ。
専用ペルソナ
ポリデュークス
己の拳を武器にシャドウを叩きのめす
電撃と打撃のハイブリッドでシャドウたちを蹂躙する
←↑もちろん真田も、本作からの新要素である超強力なスキル“テウルギア”を使用できる。彼のテウルギア“ライトニングスフィア”は、敵全体へ相性を無視した電撃属性の大ダメージを与える効果を持つ。
専用ペルソナ
ルキア
山岸風花
声:能登麻美子
主人公の同級生で、パーティーを後方から支援するナビ役を務める。専用ペルソナ“ルキア”は、古代ローマで信仰を貫いて殉教したシチリア島の聖女。
←↓支援スキルで主人公たちをサポートする風花。テウルギアの“オラクル”は、味方全体にランダムでいい効果が発生する。
↑→突剣を振るう美鶴。テウルギア“ブリザードエッジ”は、敵1体へ相性を無視した氷結属性の特大ダメージを与える効果を持つ。
桐条美鶴
声:田中理恵
専用ペルソナ
ペンテシレア
3年生。特別課外活動部部長にして生徒会長、フェンシング部にも所属する。専用ペルソナ“ペンテシレア”は、ギリシャ神話に登場する誇り高きアマゾネスの女王。
巨大な迷宮タルタロスに挑め!
1日と1日の狭間に存在する“影時間”にのみ姿を現す巨大な迷宮“タルタロス”。内部には無数のシャドウが徘徊し、主人公たちに襲い掛かる。本作ではグラフィックや一部ギミックが新しくなったほか、ダッシュ移動、ボタンひとつでパーティー全体のHPを回復させる“オートリカバー”などの機能も追加。
↑→本作では操作系が見直され、探索がやりやすくなった。また、戦闘後のシャッフルタイムも選択制になるなどより便利に。『ペルソナ3ポータブル』で追加された失踪者救出も実装。
破壊オブジェクトと施錠された宝箱
タルタロス内には破壊可能な物体や宝箱が点在しており、フィールドアクションで破壊した物体からは、回復アイテムなどが出現することがある。宝箱には施錠されたものもあり、“薄明の欠片”と呼ばれるアイテムで解錠が可能。手間は掛かるがそのぶんいいアイテムが入手できる。
オブジェクトを壊しアイテム収集に励もう
↑→破壊オブジェクトの中には、宝箱の解錠に使う薄明の欠片が入っていることも。発見したら積極的に破壊するといい。
エントランスの時計
タルタロスのエントランスに置かれている時計を起動すると、パーティーメンバー全員のHPとSPを全回復できる。ただし、起動には毎回薄明の欠片が7個必要となる。薄明の欠片は貴重なのでムダ遣いせず、探索期限間際で探索の継続が必要な場合など、いざというときに使おう。
SPを回復できるありがたい施設
←タルタロスではとくにSPの回復手段が乏しく、時計は貴重な存在。使いどころを見極めて薄明の欠片を投入するのだ。
モナドの扉とモナド通路
探索中、“モナドの扉”と呼ばれる巨大な扉が出現することがある。その先には貴重なアイテムが入った宝箱と、強力なシャドウが待つ。
←↑モナドの扉の奥では、貴重なアイテムが入手可能。ただし、強力なシャドウが待ち受けているので、腕前に自信があれば挑戦しよう。
風花だけが使える支援スキル
風花の支援スキルは、戦闘だけではなく探索時のサポートも行える。探索中に“ナビボタン”を押せば、支援スキルを選択して発動できる。
←↑フロア内の敵から感知されなくなる“ジャミング”を始め、スキルは多岐にわたる。発動にはほかの仲間と同様にSPが必要となる。
港区の街を巡って出会いを捜そう
街中で出会う“コミュ”のメンバー
→放課後や夜の時間には、ポロニアンモールや巌戸台駅など、学園外のさまざまな場所に移動できる。
主人公が、出会った人々と交流を重ねて絆を結び、その絆をさらに深めていくことで発生、成長する“コミユニティ”(通称“コミュ”)。コミュランクを上げると、そのキャラクターにまつわる特別なイベントを見られるほか、ペルソナ能力の強化にもつながる。今回は、コミュを築ける人物の中から、おもに学外で出会う人々を紹介しよう。彼ら彼女らとは、放課後や夜の時間などをメインに交流することができる。
飛躍的に顧客を増やすテレビ通販会社社長。お金にがめつく、独特の経営理念を持つ。主人公をタレントとして売り出そうと目論む。
たなか社長
テレビ通販社長
声:島田 敏
ややガラの悪い僧侶。煩悩だらけの様態を見せるが、檀家からの評判は上々。主人公に独自の価値観と言葉で説教をくり返す。
無達
型破りな僧侶
声:青森 伸
他校の陸上部のエースで、全国レベルで注目を浴びる実力者。主人公に才能を見出し、ともに競い合うライバルとして認める。
早瀬 護
他校のエース
声:梅原裕一郎
オンラインゲームで出会うプレイヤー。主人公の操るN島を相棒と呼ぶ。休日には必ずログインし、主人公が来るのを待っている。
Y子
インターネット
声:なし
長鳴神社脇の公園で出会う女の子。両親が離婚寸前で不安を感じ、あまり家に帰りたがらない。主人公をおにいちゃんと呼び慕う。
大橋舞子
神社の女の子
声:河野ひより
不治の難病を患っており、休日になると弱った体をおして神社へやってくる。自分の生きた証を童話という形で残そうとしている。
神木秋成
余命いくばくもない青年
声:野島裕史
古本屋“本の虫”の店主夫婦で仲はとても良好。数年前にひとり息子を亡くし、生前に彼が植えた柿の木を形見のように思っている。
北村文吉•
光子
古本屋の老夫
声:高木早苗
声:龍田直樹
休日にはメールでの誘いも
放課後や休日には親交を深めたキャラクターたちからメールで誘いを受けることがある。個性的なメールにニヤリとすることも⋯⋯?
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yutakayagai · 11 months ago
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翌日、午前十時過ぎに美津雄と小百合が水戸に着いた。浩二は、慌ただしく家内を片付けていた。今年は昨年より暑さが厳しく、冷房をつけていない部屋では大粒の汗が流れた。
浩志の亡骸が収められた棺は、すでに堀町の斎場の方に搬入されていた。それでも最期の別離に来る訪問者は絶えず、浩二はお茶出しと挨拶に追われた。昔は母・満代が祖父母が亡くなった時にはテキパキとこなし、時折何もしない浩志を罵倒しながら応対していたっけ。元々、私立S高校の保健室に勤めていたが実家は葬儀屋を営んでいたから、段取りも彼女が全部決めていたのだ。何故、あんな父を母は生涯のパートナーとして選んだのか? 浩二は未だに不思議に思っていた。
美津雄と小百合が来ると、ようやく浩二は落ち着いて座ることができた。小百合は台所で昼食の準備を始めた、美津雄は予め浩二が決めた焼香の順番を書いたメモを確認した。喪主は美津雄である。今回は質素に行いたいと斎場には小葬儀場を予約したが、遠方からも来るので、もしかしたら立見になる可能性もあると思った。
「まァ、学校関係については特に席は設けなくてイイだろう」
と定年からかなり歳月が流れているし、イイだろうと言った。
一方、特急「スーパーひたち」で水戸へむかっているみいと幸雄は、片手にワンカップ大関を持ち、浩志について色々と話していた。幸雄は仏前に備えてもらいたいとKバーで「デンキブラン」を買い、それが入った紙袋を隣に乗せていた。幸雄もみいに劣らず酒豪である。彼は言った。
「しかし、浩志がオレより先に逝くなンて…信じられない」
「以前から血圧が高いと薬は欠かせなかったみたいよ。それでも、浩志なりに気を付けてた様だけど」
「まァ、『イク』のも早かったしなァ…」
「幸雄さん! アタシ、一応『女』よ!」
「みいちゃん、お父さんも『ゲイ』だったンでしょ?」
「まァね。ハワイで捕虜をやってた時に覚えたみたい」
「さぞかし、あちらの男のチ◯ポはデカいンだろうなァ〜」
「あらあら、幸雄さん。未だ酔っ払うには早いわよ」
「えぇ? オレ、未だ『シラフ』だよ」
「シラフ」のうちから下の話が止まらないのは、高齢になり恥じらいと言うものがなくなったからだった。幸雄は、柿の種を掌にのせてポリポリと噛んだ。一応、彼は両前歯にブリッジの義歯はあるが未だ自歯は残っていた。髪も昔からほぼ変わらずフサフサしており、白髪ではあるがブリランチンで後方に流していた。背筋もピンッと曲がっておらず、ほぼ、浩志と付き合っていた頃と変わらなかった。そんな幸雄の姿を、天井からずっと眺めていた浩志は懐かしく感じた。確かにオレは「イク」のが早かった。それは彼があまりに巧く、腰が抜けるほどに気持ちよかったからだ。未だに月イチはオ◯ニーをし、本当に元気だなと思った。嗚呼、幸雄のチ◯ポが欲しいと浩志はスラックス越しに弄ぼうと手を伸ばし、股間の方から触ろうとしたが通り抜けてしまう。何度も試みるがやっぱりできない。だが、幸雄は股間を急に押さえ、恥ずかしそうに周囲を見渡した。みいは、
「何? トイレ行きたいの?」
と聞いた。幸雄は、
「何か、いきなりチ◯ポがモゾモゾとして…。昨日、抜いたンだけど…」
と言った。みいはクスクス笑いながら、
「本当に、エロじじいだわ!」
と口を押さえた。
午後四時になり、浩二は美津雄と小百合をホンダのシビックに乗せ、堀町の斎場へ向かった。未だ誰も参列者はおらず、F祭典のスタッフと美津雄は打ち合わせをする傍ら、浩二と小百合は祭壇周辺を確認していた。すでに棺は釘打ちがされ、浩志の顔の周りには彼が好きだったグロリオサの花びらが散りばめられていた。スカーレットの様な冴えた赤色を彼は愛していた。小百合は目頭をハンカチで押さえながら、
「嗚呼、こうなっちゃうと何か淋しいわね…」
と呟いた。浩二も、明日火葬されると思うと心苦しかった。一緒に朝夕の食事を摂り、時折ウィスキーのグラスも傾け、何だかんだとな仲が良かったなと思った。
そんな中、正樹が葬儀場に姿を見せた。白髪まじりの角刈りで、スラッと背が高かったが、真っ先に浩志の棺の方に駆けて行った。小窓から覗くや、声を上げて泣き崩れた。浩二は慌てて彼の身体を支えたが、
「浩志ッ! 僕より先に逝っちゃうなンて…」
と両手で顔を覆い、自力では立ち上がれない様子だった。小百合も正樹の身体を支え、二人がかりで待合室へ連れて行った。
「う、うぇッ! うぇッ! うぇぇぇ!」
ティッシュを何枚も重ねて涙を拭きながら、正樹は泣きじゃくった。浩二は声をかけるのも申し訳なく思ったが、
「…あ、あの、父のご友人の?」
と聞いた。すると、何とか正樹は頷くことだけはできた。
「…ひ、蛭田です。浩志君とは、下宿で一緒でした」
「下宿って、荒川みいさんの?」
「…はい。僕の方からみいさんには話をしました」
「それは遠いところから…すみません」
「御免なさい。まさか浩志君が亡くなるなンて…」
「我々もそうなンです。仕方ないですよ」
正樹はお茶を一口飲むと、こちらをご仏前にとM百貨店の包装紙で包んだ箱を差し出した。そんなお気遣いなくと小百合は断りつつ預かったが、何やら菓子折りではない様だった。もしかしたら、酒かもしれない。彼女は、義兄は余程酒が好きだったのだなと思った。
その後、午後五時を回るとみいと幸雄、克也と斎場に到着し、幸雄は棺にしがみつきながら号泣した。克也も声を上げて泣き、その場に座り込んでしまった。彼は、
「先生、 未だ死ぬの早いよォォォォォ〜!」
と床に両手を付きながら、大粒の涙をこぼした。打ち合わせを終えた美津雄が待合室に戻って来ると、
「ど、どうしたンだ!?」
と小百合に驚いた表情で聞いた。彼女が事情を話すと、
「…何か、こんな連中ばかりが来ると思うと気が重いなァ」
とため息をついた。
結局、通夜には私立S高校時代の関係者や教え子などが参列し、中葬儀場に入り切れず立見になるほどであった。これも浩志の社交的な性格の故かと、美津雄も浩二も呆然とした。その中でも、やはり浩志の「妾」であった幸雄はみいに背中を擦られながら泣き続け、焼香の時には付き添いが必要だった。余程、父さんを愛していたのだなと浩二は思った。
午後七時半に通夜は終わり、最後まで残ったのはみいと幸雄、正樹だった。克也も名残惜しそうではあったが、後日、線香をあげに伺うと伝え、帰って行った。美津雄は明日の告別式の為、その日はF祭典が用意した宿泊施設に泊まることになり、小百合と浩二は市街の飲食店で三人を連れて行った。JR水戸駅前の炉端焼きで、五人はお猪口を交わし合った。流石に、幸雄も正樹も酒が入ると陽気になり、浩志と過ごした日々を「下ネタ」混じりに話した。聞いていたみいも笑いが絶えず、小百合も浩二は呆気にとられた。こりゃ、朝までこの勢いで飲んでは語るなァ…と、浩二は午後十時には「お開き」とした。明日は火葬と告別式があると、クタクタになりながら小百合と浩二は家路に着いた。
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lampofhope · 1 year ago
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タイ旅行VOL4
今日はタイ旅行、夜中に到着の翌日、実質1日目を書き出してみる_φ(・_・
今回は飛行機と到着日が夜中なのでその日の宿だけ予約し、あとはフリーというノープラン旅行…所謂『冒険』と言っても過言はない。
まずはホテルを出て気になる裏道を進む。
タイには魅力的な路地が多く、と言っても好きな人にしか伝わらない魅力だとは思うが、アジがあって良い。『イオンモールとかより昭和の商店街って良いよね』的なニュアンスに近いかな(^^;;
街路樹の中にもタイ名物の電線の束www
そしてようやく観光らしく行き先を調べて向かう。タイにはいくつも有名な寺院などがあり、その全てが『ワット・⚪︎⚪︎』というので、覚えるのが難しい。ちなみにワットとは寺院を意味する。
そう、あと一つ、今回の旅では人力での移動…徒歩とチャリ(自転車)がメインで、3〜5kmであれば「どうする?歩く?」というような感じで、気温34度の中をひたすら歩いた。
その距離なんと歩数から換算すると約100km(徒歩80チャリ20)。。。尋常じゃない笑
さて、話を戻すとまず目指すはワット・ポー!
ここは、黄金の涅槃像で有名で、タイの三大寺院の一つでもある。
まー歩く、しかし歩く、とてつもなく歩く。我々はそこまでの道のりで数キロ続く細い小道のマーケットを通ったものだから、進むのにも時間がかかった。
そのマーケットの名前は調べてないのだけど、人が3人並ぶのがやっとのような小道。
驚くのはその商店の数の多さはさることながら、その道をバイクが行き交うことである。もちろん日本では苦情のもとで考えられない(^◇^;)
それも1台ではなく何台も何台も。その度に歩行者は道を開けバイクを通す。それがそこの日常である。日本人は何でもかんでも気にしすぎなんだなと思ったシーンでもあった。
今回のタイ滞在を通して口にしなかったのは、そういったマーケットに連なる食品。気温34度の中に肉がぶら下がったりソーセージやゆで卵が並んでいる…とても食べれる気がしなかった。。。
そこを抜けてワット・ポー到着。もう入口から建物まで全てが美しい!もちろん仏像も素晴らしかったのだが、建造物全てが美しく心を奪われた。
それから、トランスフォーマー好きにはたまらないと思うが、道端や交差点のど真ん中に、映画トランスフォーマーのキャラクターたちが3〜5メートルの大きさで立っている♪(バンブルビーも別日に見つけた)
ここまでで結構歩いた…初日の歩数が3万歩!他の若い2人は疲れた〜くらいだったようだが、一回り以上年上の私はホテルでトイレに行ったら血尿に限りなく近い状態だった…。。。
それを伝えた翌日も2万歩だったけど、それはまた次回にしよう_φ(・_・
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highvoltg · 1 year ago
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愛という言葉、言葉の限界、限界の先の愛
HUNTER×HUNTERのメルエムとコムギの最期についての話が面白かった。
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キメラアント編で冨樫が「愛という言葉を知らない生き物同士の愛を描き切っている」という話から発展して、言葉そのものの限界にも言及している。その周辺の文字起こし↓
「俺ら自身人を好きになるじゃん。んで誰かと付き合ってるときって好きだって言うんだけども、そんな言葉が本当に必要なのかなと思うよな。なんかその人のことを大事だと思ったりこうしたいと思ったり自分の思いを伝えたいって言う衝動だけはあるんだけど、その衝動にとりあえず名前をつけて愛してるって言ったり好きだって言ったりして落ち着かせるわけじゃん。
セックスていうのもあるけどさ、セックスしてみたら男は『虚しい』とか言うじゃん。あの虚しさはやりたいことやったからどうでもいいっていうのもあるかもしれないけど、それ以上に『なんでここから先がないんだろう』って、なんかやるせない思いみたいなのがあるよな。なんか『俺がこの女を好きになったというのはここがデッドエンドなのか?終わりなのか?』『いやそうじゃない、そっから先には結婚がある』『あ、なんかそういうだけのもんなの?これで終わりなの?こっから先ないの?』っていう。好きって言葉もこの言葉以上は何も表現がないの?(中略)そこら辺の考えさせてくれたっていうのがあって、ちょっと感動しちゃったんだよなぁ。」
「言葉を尽くす」という表現がある。人は誰かに誤解なく自分の思いを伝えたいとき言葉を尽くして語ろうとするけど、言葉を尽くすほどに表したいものから遠ざかり、伝えたいと思う相手からも遠ざかるというふうに自分は考えている。
このことを考えるとき、自分はいつも「緑色」という言葉が指し示すものの多様さのことを思う。
たとえば、日本の信号機の「青信号」は実際は緑色だが、日本では緑色を青の色相の範疇に含む文化があるので、どう見ても緑だけど「青」と表現する。おそらくグローバルな「青」の概念の中で生きてきた外国人と話したなら、説明すればするほどきっと話が噛み合わなくなる。
日本の中でも都心部と山間部で育った人はきっと「緑」という色の範囲が全く違う。都会の緑は街路のツツジの葉のように明るい緑が多いが、山の緑は離れるとほとんど黒に近く見えたりする。でもそれは黒さの範疇ではなくて、どこまでも緑の深さの中で認識され表現されると思う(・・・さらに山間部といっても広葉樹林帯に住んでいたか針葉樹林帯に住んでいたかでも緑の記憶は違うはずだと思う。生気に満ちた鮮やかな木々もあれば、もはや灰色に近いくすんだ山もある・・・)。
そんな風にして緑を具体的に思うほど、誰かの緑から遠ざかっていくのだ、という感覚がある。
ただの色でさえそうなのだから、いわんや愛をや、という話で「緑」という具体的なものでさえ定まらないものを、抽象概念を先にした言葉なんかどれだけ言葉を積み上げても絶対に具体的にならないだろうし、色と同じように自分が持っている言葉の中身の風景や言葉を支えている体験がまずそれぞれ違うわけだから、言葉を尽くすほどに理解してほしい相手の言葉の世界からは遠ざかるし、相手にわかるように言葉を尽くすことで自分の中で起こっていた生の感覚からもきっと遠ざかっていく、と思うのだ。
岡田斗司夫に寄って考えると、本当は「緑」とか「愛」とか「好きだ」という言葉の源になっているものに対して自分専用の単語を作れて、それが他者にも理解できるようになればよいのだと思う。しかしながら私たちは「緑」の色合いを「緑」という言葉を抜きに認識することができないし、そうして自分自身の感覚を一度言葉という「感じているものに近い別の何か」に置き換えなければ、他者に何かを伝えるどころか、そもそも思考すらできない。
「緑」も「愛」も、自分の中での整理のためにとりあえず貼っておかなければならない付箋のようなもので、人間は感覚そのものを並べるのではなく、書き出した付箋を並べることで他者に何かを伝えている。そして付箋は受け取る側の言語の枠組みの中でデコードされるので、自分が感じたものとは確実に別個のものになって「伝わる」。果たしてそれを「伝わっている」と言ってよいのかどうか、正直わからない。
「緑」も「愛」もそのものは厳然として言葉の外側にあるし、おそらく人間の本当の居場所もまた言葉の中にはないのだと思う。ただ他者と関わろうとするとき私たちはどうしても言葉のカーテンの中に入って行かねばならない。片手でカーテンの外側にある現象を掴みながら、その感触を目の前にいる人に伝えようとするゲームのようなことを強いられるのが言語活動だ。どんな表現にも均一に、そういうもどかしさがあり、それが言葉の持つ限界だと思う。
しかし一方で「同じ緑を見ている」とか、「同じ愛を分かち合っている」と思う瞬間は絶対にある。それを、メルエムとコムギの最期のシーンのように「ありがとう」「こちらこそ」という短いやりとりを描写するだけで、起こったことの100%を当事者だけでなく他者(読者)にも伝えてしまうような離れ業というか、奇跡もある。
だから人はまだ言葉を尽くして何かを伝えようとしている。そんな気もする。
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kyoto4 · 11 months ago
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20240721 朝でもあつい
 今日の天気予報は予想最高気温は37℃。実際には38℃になるもの、と予想する。それでも出かけようとするからには、出発時間を早めて、気温が上がりきる前に帰ってくるしかない。と、いうことで7時半くらいに家を出る。いくらかマシなはず、と自分に言い聞かせてペダルをふむ。太陽の角度はいくらか浅く、建物の影にもなりやすい。いくらか勝てる算段はあった。  同時に誤算もあった。出る時間がはやく、道が空いているので余計に進んでしまう。調子に乗って西に向かってしまったのもよくなかった。太陽が真後ろからあたって意外と影にならない。そして最大の困難は、ひと休みしようにも時間がはやくてまだどこの商業施設も空いていない、ということだった。いったい��年自転車にのって走りまわっているのだか、そこかしこの街路樹からシュギシュギシャギシャギと耳をつんざくくらいにうるさいクマゼミの鳴き声をきいているあたりはまだマシだったが、距離がのびてゆくにつれ、ほんとうにつらかった。  嵐山まで行って、その先はいつもなら南に下るのだが、そこであきらめてもどることにした。スーパーマーケットと図書館に寄って、ひと息ついて帰る。いい年をしていつまでも小学生みたいに真っ黒に日焼けしているのはいかがなものか、と家人にいわれて、SPF50+の日焼けどめを塗りたくっていったのだけど、やはりそれなりにメラニン色素は活発に作成されていっているようである。人生はなかなか難しい。
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flamingo-rex · 1 year ago
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2024.04.05
桜とアーモンドの花は似てるのよね🌸
まだワイがコッチ来る前に、地域活性化の一環で
アーモンドを植樹して、アーモンドの実を採取しよう
的な運動があったらしい
至る所に街路樹としてアーモンドの木が立ってるが
アーモンドの実が成ってるのを見た事が無い。
恐らく政策的には失敗なんだろうけど
花は綺麗だから良いよね
春だから、尾道に観光客が
日中は多く押し寄せて来てるらしい
そして、Cat ch.22には何故か外国人ばかりが集まる
今週は外国人ばかりだったな…
インバウンドとは言うが、そんなに外国人客が
夜、溢れてるのだろうか??
謎だ。
店は良いとして、
家の事では、問題山積み
しかし、Cat ch.22で知り合ったドクターに
アドバイスを貰い、週明けに
ちと病院をアポ取って回ってみよう
普通の生活してたら、優秀なドクターと知り合ったり
友達になったりは無いもんな…
そう言う意味で、Cat ch.22は
ワイにとって有難い居場所には違い無い
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