#表面が読んでくれる子供たち(読者)だというようなことを言ってた。半吉というのにも��の意思を感じる…
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鳥山先生のことが頭から離れずにお参りした日に引いたおみくじ 突然こんな日がくるなんて、 こんなにでっかく空いた胸の穴を実感するなんてと、 よろよろ歩きながら、ひいた。 半吉とあるが励ましてくれるような良い(優しい)内容だなと感謝しながら結ぼうとしたときに、挿絵におどろいた こんなことってあるのけ・・・? まさかの鳥と、山の絵、 よく読むと文章に”明”の文字🐦⛰️ 神さまが慰めてくれたとしか思えない 神の愛を、めちゃくちゃ感じたし やっぱり鳥山明は神様なんだとおもった。🐦😇ノ"(っ <。) 思えば88番という数字も、 縁起が良いし無限と∞がふたつある。 鳥山明が永遠に続く気がした ∞∞
鳥山先生、 残りの人生 心臓はとっくに捧げてますが 最大の愛と尊敬と感謝をささげ続けます 最初から最後まで鳥山明だったそういう人生にします 本当に長い間、お疲れさまでした 有難うございました!
#ソッコー社務所へ行き、巫女さんたちに見せたら驚いていた🦊🦊#霊験あらたか豊川稲荷びっくりエピソードのひとつとして語り継いでくださるらしい🙏✨#神様#そういえば、愛知の豊川稲荷様は#神殿(鳥山邸)からとても近いし#鳥山先生ゆかりの地だったのではないか?とふとおもった。狐のお面も、なじみ深いものにしてくれたのは鳥山先生だ…う、ううわああああああああああああああああああん;;#🐦😇✨#おみくじ#伝説のオダイたまゑ様の本を書いた内藤憲吾さん(現実主義者リアリスト)が、神様はおみくじを念写できると言っていた。#マシリトのラジオを聞いて、ドラゴンボールの成功はコインのようで、コインの裏面が鳥山・マシリトコンビで#表面が読んでくれる子供たち(読者)だというようなことを言ってた。半吉というのにも神の意思を感じる…
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ゲシュタルト崩壊
(ビアゲのみなさん、最後まで読んでいただけるとラムダくんが報われます。)
どーも、お米が炊きあがるのをニコニコで待っている、米よりパン、パンより麺派なラムダです。
とりあえず稽古日誌としての役割でもはたさうかな。
・発声
・だるまさんがころんだ(魔改造edition)
・ポーズ引き継ぎエチュード(正式名称なんでしたっけ)
・動き付け、読み、シーン練などなど
あかん楽しいです。毎日稽古って言われても余裕でイケマスネ。今日の発見は、なんかなつめエチュード上手くね?と、ハ��と僕がエチュードで共演しちゃうと漫才になっちゃうことです。ふざけるのも程々にせいーって感じですね、自分。
さ、こっから僕の自由お話タイムですよね?
小噺1
最近脚本を読みながら自分以外の役も自分がやったらどうすっかなーなんて考えてニヤニヤするのが趣味なんですけど。(自分の役に集中しろよとか言わないでおじさん傷ついちゃう)
気づいたことがありまして、僕って僕すぎるんですね。色んな人にも言われるし僕も思います。動きも読み方も。なんかどうしてもコントみたいというか大袈裟になっちゃう。ほんでな!?なんでかなーって考えたんです。
ひとつの仮説が浮上しました。
僕の表現のインプットが昔から漫才だのコントだの新喜劇だのお笑い方向に偏りすぎだからではないかと!これみなさんもないですかね!?映画好きな人とか!
この今の状態は多分演劇から見るとあまりよろしくない、気がする、知らんけど。はーいがんばりまあす。
小噺2
これは秋公の時に稽古日誌回ってきたら書こうおもてあっためててんけどな、まわってこんかってん。だからひえ切る前に世にはなっとこうと思って。
脚本書ける人ってエグいっすね。
もっかい言っとこ。
えぐううううううい(白子さん風)
たった今炊き上がった米よりエグい。僕は秋、ヒーヒーフーフー言いながら漫才書きました。文字数なんと2000文字、!
とっても宿儺(すくな)い。通った通ってないとか、未完がどうだとかまっっったく関係ない。あなたたちみんな大天才だと僕は思います。自分の作った世界を何万文字とかいうレベルまで広げて深みを持たせて。体験げいこみたいな感じで残念ながらできなかった脚本をショートバージョンでやるとかやってみたいですよね。書いた方の気持ちがわからないのでめちゃくちゃムカつく提案してたら本当にごめんなさい。
でもほんとに面白い脚本を、全力を出させてくれる脚本を皆様ありがとうございます。謝謝。コップンカップ。テリマカシ。メルシーボークー。
トンカツショットガン。
もうええわ、どーもあざした。
と、思ってたんですけど。ビアゲの方に色々書くやつやってないわ。明日全休の男を舐めるな。かくでえっ!(ここまで読んでくれてる人なんかいるんやろか)
•東愛莉
しゃうじき、しゃうじきよ!?秋公で1番びっくりさせられました。あずのすごさを見せつけられました。あの元気なあずが1日目2日目とビアゲ後に気が抜けた顔でらいらと話してる姿が印象的でした。ホントにだしきってるんだなと。人間の成長ってこういうことかあってなりました。表情、読み方、脚本解釈力、見習うとこしかないわ。
・大良ルナ
うーんなんか僕の中でずっと天才なんですよね。もちろん沢山努力してるのは百も承知なんですけど。楽ステの優が嘘をついて、「喜ばせようとした!?」的なセリフのシーン、あそこをオペ席で見て、自分なんて足元に及ばねえじゃねえかと笑っちゃったのを覚えてます。声色とかももちろんだしなんかオーラ全体がぎゅるんって変わってた気がします。ほんっとにすごい。
・児
色々持ってる人。世界を持ってる人。ただただかっけえ人。オムニも秋公もそこまでご一緒できた訳では無いんですが、箱でチョロっとお話できたりしたあの時間を僕はずっと宝物として残りのちゃうかライフを生きていきます。
・うみつき
あ、この子ってこんなに優しくて人の事を考えて自分を持ってるんだ!と秋公期間を経て思いました。演技が上手いのも面白いのももちろん知ってました。けどその下にえげつない優しさで人のことをよく見てるスミもいます。暖かい人です。柳もカヲルくんでありブルゾンだったのがあそこまで完成されるとは、流石でございます。
・統括のフォーニャー
楽屋で色んな人と楽しそうに話してらっしゃったのが印象的です。さすが統括。統べるもののコミュ力ですね。ネキと言われてる意味がよくわかった気がします。ほんとにみんなからしたわれるネキって感じでした。看護師は、もう、言うまでもなく。まりおさんが楽屋で「フォニャやっぱうめえ」って呟いてたのをこっそりお伝えしときます。
•緒田舞里
1番34期で関われた人だと思います。でもそれは僕がって言うよりみんな結構そうな気がします。まりおさんの優しい人柄と面倒見の良さを考えたらそりゃそうです。人生で出会った中でも3本の指に入るぐらいにいい先輩。偉大も偉大です。お勤め先のバーに36期20歳勢を引き連れて近々殴り込みに行きます。1杯奢ってくださいお願いします。お母さん役凄かったです。冗談抜きでオペ席で半泣きでした。まりおさんの役の向き合い方のえげつなさをガッツリ感じました。さすがっす、大先輩。
・白
君と箕面にデートに行けたことで僕は森々仙入となり、長いこと離れてしまったちゃうかでもやって行けるかもしれないと思い、ちゃうかパーカーを発注出来ました。あの滝と共に撮ったBeRealはまだお気に入り登録されています。ほんとに才能に溢れていると思います。常人にはできないレベルでの脚本解釈力とそれの言語化の能力。ちょっと分けろや、なあ。またそば食べようね。
•垅麦
栞に書いたから許して。eラやろうか。
•岡崎仁美
ぴーひょろろろろろ、ばっさあああ。いやあんだけ好きって言うからですよ。あのボケ実はまあまあ恥ずかしいプラスウケないと結構メンタルくるのでカヌレさんは絶対笑ってると心に留めて毎回やらせていただいてました。エンドロでカヌレさんにダメを出していただいてる時に1番演劇やってる感じがしたのを覚えてます。すごい的確でクセとかも見抜いてくださって、すーごくたのしかったです。カヌレさん演出の元で稽古してみたかったです。寧々、良かったですねえ。カヌレさんのガッツリ演技が最後に見れて良かったです。
・雨々単元気
てーーにいいいい!君とはもっと仲良くなれそうな匂いがぷんぷんするんだよねえ。とりあえず役の好みは似てそう。パワー役共演を夢見る20歳男性です。コントだっていい。君とぶちかましてえ。オラオラしてえ。劇中劇と劇団員。うんほぼ2役やね。ちゃーんと演じ分けれてたし、まとってる雰囲気まで違ってた。ちゃんと上手い!その上で面白い、スタープラチナかよ。あ、最強ってことです。
・舞原の搾り滓
最後にまほろさんの大隅がみれて良かったです。どこで手に入れるんでしょうあの声の感じは。すごくしっかりしてて、聞き取りやすい。外公に出れなかった身としてはやっぱり真面目な役を丁寧にこなすまほろさんはなんだか新鮮で、でもすごくしっくり来ました。さすがです。
・じゃがりーた3世
あのオトンもう見れないんですか!?僕はもうレプトンさんがカミ段上げであぐらかくのを毎回ワクワクして待ってました。キタキタキタって感じです。あのwiki雑学が聞けないのも残念です。また駅の前でもどこでも1時間ぐらいお話したいですね。
・オーム
ダメ書かなきゃと思ってビアゲ見ながら色々書いて、ふと自分のスマホを見るとオームすごい!ばっかり書いてたのが僕個人的に印象に残っていることです。めちゃくちゃできるやん(なんで上から目線やねん)てにと二人でマイムするとことかほんとに見習わねばって感じでした。こんさんとこりさんと3人で稽古してたのもすごく覚えてます。食らいつく姿勢というか。ほんとに努力の賜物です。スゴすぎる。キミ、しれっと20歳なってる?もしかして。はい、うちの家にご招待です。
・テキストを入力
まずはビアゲ関係ないですが、最強の映像をつくってくださってありがとうございます。お世辞でもなんでもなくカッコよすぎ。まじすげえっす。役者ももう3回目ですか!?僕も役者人生通算3回なので同じですね。��ピさんはほんとに色んな人のことをしっかり見てるなって。あとコミュ力普通に高いなって思います。あんなにほそいのにめちゃくちゃ頼りがいがあります。もっとご飯とか食べに行きたいです。甲子園もまた行きたいです。あと過去問残しといてください。
・縦縞コリー
全く同じ日数生きてきたとは思えないぐらいしっかりしてます。34,35期の人達からは色々言われてる時もありますけど、役者としてももちろんですし、会計、衣装色々任されてるのってコリさんがコリさんだからだと思います。あとやっぱり優しい。カラオケでめちゃくちゃにチルってる後輩集団を白子さんと笑わせようとしてくださったのめちゃくちゃ残ってます。優しすぎないか、、!?ってなりました。こりさん、熊吉は阪神ファンです、甲子園、行きましょう。
・アリリ・オルタネイト
イルルさんも栞に思いの丈はぶつけさせて頂きました、とりあえず一言でまとめるなら大・尊・敬
・叶イブ
あなたも僕の精神安定剤でした。ラムダおもろいなあ、すごいなあに実はしっかりとガッツリと救われておりますわたくし。ほんとにありがとう。1ステで漫才で出ていった時も最初にふぃあが客席に座ってるの見えてよし、なんか行ける気がする、と勇気をもらいました。あざます。子供役は、うん、しっくりって感じ。ピタッとハマってる。でもそれはたまたまじゃ絶対ないと思います。努力ゆえかなと。すごい。コント一緒に出たいわね。ワクワク
・エリックさん
正しい芸名を調べるほど僕はできた人間じゃなかったようです。映像オペやって良かったことは?と聞かれたらスチルさんとの純愛だよと、エリックさんとお話できたことかなと思います。ほんとに優しくて4回Enterキーを押すだけなのにめっちゃくちゃに褒めてくれて。マジで僕は単純な人間なので大好きですもう。責任感も強くて演技も上手くてもっともっともっとお話したいです。舞台上でもいつか。がっころでエリックさんの変顔に合わせて音響入れるあの気持ちよさ、まだ忘れられません。
・るいさん
こんにちは、タイミーの人です。るいさんともお話出来て良かった。挟み込みに感謝ですね。なんかおもろい話ない?と振られた時はすごいな!?ってなりましたけどほんとに話してて安心する先輩って感じですーごくおちつきます。またゆっくりお話したいですね、稽古にも来てくださっていいんですよ???笑
・アネモネ
役者やんもう。あなたの窓からの顔まじで怖いんだから。ほんとに面白いですアネモネは。36期の色んな人が天才やんって言ってるのをよく聞きます。もっともーっとアネモネを掘り下げていきたい。君からもまだまだおもしろの匂いがぷんぷんする。新人見とけよ、いっぱい話しちゃうんだからな。
・はぜ
やっぱ最後はあんたでしょーよ。相方であり相棒だと勝手に思ってます。ほんとにさ。エンドロまでは同じラインにいたと思ってたのによ人がタイ���熱帯魚と戯れてる間に映像の神になり脚本まで書いちゃって。ホントすごいよ、すごい。色んな人にすごいと思っちゃうし言っちゃうんだけど、僕目線いちばんこの人頑張ってたな、自分には出来ないなって思ったのは間違いなく君です。色々あったし間違いなくしんどいことも多かっただろうに、ご飯も一緒に食べてくれて、漫才の稽古も付き合ってくれて、感謝だらけです。寛大って言葉が似合うね。そして優しいやつです君も。みんなそれを感じてるからこそはぜはぜ言ってよっていくんだと思います。みんなのことをすっごく考えてくれるしそのために自分をなげうてちゃう人。だからこそ色々溜まってくだろうし少しでもその毒抜きが出来たらなとずっと思ってた秋公期間でした。ほんっっっとによく頑張った。やりきったあなたが一番カッコイイわよ。さ、来年も多崎で漫才すっかあ!
あーあ、短く簡潔には僕には無理みたいです。今度こそ、もうええわ、あざしたあ。
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第8期プレセミナー②
今月末、6月28日(土)よりスタートするプログラム第8期に先立ち、6月19日(金)にプレセミナー②が開催されました。前回のプレセミナー①では新改敬英先生が講師を務めましたが、今回の前半講義では、次代舎講師の吉川晃史先生が登壇。「ビジネスに必要な要素とは何か?実践につかえる経営知識を学ぼう!」をテーマに、次代舎の学びの意義をひも解きながら、経営の視点を参加者に投げかけました。
後半では、次代舎第7期修了生である株式会社熊本日日新聞社の林田さんと、第3期修了生の株式会社ライフケアの宗さんを迎え、既存事業と新規事業の融合における葛藤と実践の知恵が語られました。大企業における組織的な課題と、中小企業の現場ならではのリアルな試行錯誤。その両面が交錯する、濃密なセッションとなりました。
まず吉川先生より、経営に必要な要素(インプット・アウトプット・アウトカム)と次代舎マインドについての解説がありました。
吉川先生は経営に必要な要素で、「ビジネスは一人の天才ではなく、多角的な視点の組み合わせによって成り立つ」として、実務で役立つ6つの視点を提示しました。
方針(パーパス・ビジョンの明確化) 夢のような話をしていると「地に足をつけろ」と言われがちですが、実は最初に必要なのは“夢”。Mission・Vision・Value(MVV)の3要素を掲げ、自社が目指す未来像を描くところからすべてが始まります。
マーケティング(顧客中心に考える) 「何を、誰に、どう届けるか」を考える上で重要なのは、自己都合でなく顧客の課題に寄り添うこと。4P(Product, Price, Place, Promotion)だけでなく、「お客さんは何に困っているのか?」という視点が出発点です。
会計(意思決定のための数字) 会計は結果であり、また「自分たちが動いた結果がどう返ってきているか」を示す鏡です。売上が低くても原価が抑えられれば利益は出せる。数字の背景を読み取る力が、経営判断を支えます。
組織論(人をどう動かすか) 組織づくりは人任せにせず、「やる気の構造」を設計するもの。目標の共有、心理的安全性、評価制度などを通じて、従業員の内発的動機を引き出していくことが求められます。
バリューチェーン/サプライチェーン(流れの可視化) 強みを伸ばすだけでは不十分。むしろ「詰まっている部分」がボトルネックになっていることが多く、物や情報の流れを可視化し、改善の糸口を探すことが重要です。
実装・アウトカムの視点 計画を立てて満足するのではなく、「それを本当に実行できるか」「社会にどんな変化を起こしたのか」という視点で成果を評価します。アウトプット(結果)だけでなく、アウトカム(影響)を考える習慣が求められます。アウトカムには「社会インパクト」「顧客満足度」「従業員満足度」が含まれます。
事業を考える際には、まずどのようなアウトカム(成果)を得たいかを考え、そこから逆算して必要なインプットやアウトプットを検討するアプローチをすることが薦められます。そしてそのために、MVV(ミッション、ビジョン、バリュー)を基礎とし、会社として何を目指し、どのような価値を提供するのかを明確にすることが重要です。
次に次代舎マインドについてでは、「知識のインプットで満足するのではなく、自ら動ける状態を作ること」を次代舎の学びにおける基本姿勢として提示しました。これは次代舎のすべてのプログラムに通底するマインドです。たとえば、次代舎では「い��と思えるものは徹底的に取り入れる」「恥をかくことを恐れない」「行動パターンを変え続ける」といった姿勢が重視されます。講義を聞いてノートをとって終わり、では意味がない。むしろ、「書いたノートを使い倒す」「何度も振り返る」「仲間にアウトプットする」ことを通じて、自分の行動を変えるための“学びの習慣化”が大切にされています。

また、受講生との関係性にも特徴があります。講座が終わっても、次代舎として「ずっと伴走し続ける」姿勢を持っているという点は、他にはない強みです。吉川先生いわく、「一人で学んでも会社は変わらない。だから芋づる式に仲間を次代舎へと連れてきてほしい」とのこと。学びが孤立せず、組織に広がる構造が用意されているのです。
続くセッションでは、次代舎修了生2名によるプレゼンテーションが行われました。
まず登壇したのは、熊本日日新聞社の林田さん(第7期)。新聞という“単一商品”の価値が問われる時代、林田さんは「自社のアセット(資産)をいかに転用するか」に挑んでいます。
小中学校にゲストティーチャーを派遣する新規事業では、新聞社として蓄積した取材ネットワークを“地域の教育資源”として再構成。従来の「紙媒体で一方的に情報を伝える」役割から、「地域との接点を育てる媒介者」へと��化する構想です。
「一つの主力事業で続いてきた企業はアセット起点になりやすいが、アセットを否定することなく、視点を変えて捉えて活用することが重要ということを学んだ」と語るその言葉は、多くの受講者の共感を呼びました。

一方、株式会社ライフケアの宗さん(第3期)は、介護事業とフィットネスを掛け合わせた新規事業「Re:kuru」を立ち上げます。当初はまったく人が集まらず、段々と焦る日々が続きました。
しかし、宗さんの元を訪問した吉川先生や次代舎のOBの方達からのアドバイスやフィードバック、吉川先生に財務を見てもらうなどを経て、サービスを「ダイエット特化型」へとピボット。カフェに訪れるママ層や子育て世代との接点を生かし、コミュニティづくりにも成功しました。
「代表になった瞬間から、すべてが自分の責任になった」と話すそうさん。M&Aによる買収時には従業員の離脱も経験しましたが、その都度、仲間と対話しながら一歩ずつ乗り越えてきた姿勢に、現場のリアルな説得力がにじんでいました。

セミナー終盤のトークセッションでは、吉川先生・馬場研二先生を交えて登壇者との対話が行われました。
馬場先生は、「経営者とは皿回し芸人である。最初は全部の皿を一人で回す。だが、事業が大きくなるにつれて、回す皿を誰かに任せる判断力が必要になる」と語ります。
また、「新規事業とは、前が真っ暗な中で進むこと。バックミラーしか見えないが、それでも走らなければならない」との言葉には、多くの参加者が深く頷いていました。
馬場先生も「考えすぎると止まる。優等生よりも、ちょっとヤンチャな一歩を踏み出せる人が次を切り拓いていく」とエールを送りました。

登壇者たちが繰り返し口にしたのは、「まず動くことの大切さ」でした。完璧な計画を立てるよりも、やってみて、軌道修正を繰り返す。その姿勢こそが、次代舎の目指す「学びの実装」であり、ビジネスを動かす原動力です。
次代舎は、単なる経営講座ではありません。学び直しにとどまらず、行動を変えること、仲間と学ぶこと、恥をかきながら実践することを大切にしています。
何かを始めたいと思っている方、新しいことに挑戦している方、今の自分や組織に迷いがある方にとって、この日のセミナーは多くのヒントと勇気に満ちていました。
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書物礼賛⑥
雁屋優/マイノリティの「つながらない権利」/明石書店2025
鬼越トマホークのユーチューブ「半生を語る」等の感想
【①普通の人で面白味がない】にしおかすみこ・アンゴラ村長・どぶろっく・ニューヨーク
【②普通の人だが味があって面白い】ドランクドラゴン鈴木拓・三四郎・スーパー3助・ラランドニシダ
【③天性の芸人】ノンスタイル石田・狩野英孝・空気階段もぐら・ナダル
個人の感想です。私自身の人望のなさを棚上げして言わせてもらうと、本書の著者は「アルビノゆえの弱視、見え方の不利を、自身の発達障害ゆえの高い言語性IQや先取り学習で補ってきた」って書いてしまうくらいコミュ障の自覚があり、文章ですべてを分ってもらおうとする傾向が強く、読んでいて息苦しさを覚える。芸人に話を戻すと三四郎の小宮は②と③の中間くらい。小宮とナダルは同輩の人望が厚い。ユーチューブだが映像は不要。トークに表れる素の魅力。どのような人生によってそれが培われたか。
コロコロチキチキペッパーズのラジオを聞くと、アメトークのナダルアンビリーバボーで彼が見せるような挙動不審・クズ感とは無縁な落ち着いた親しみのあるトークが繰り広げられている。彼は近大農学部で水産系の専攻、しかし希望の水族館飼育員は枠がなく、食品会社はすべて蹴られ、それでは消防士にということで走り込んだり勉強して備えたが連続して最後の小論文で落とされ、そうするうち年齢制限にも達し、大学の友人のアドバイスで芸人の世界へ。
楽屋などのイジられで爆笑を呼ぶことから相方の西野が策を練ってアンビリーバボーに漕ぎつけたが、そこからしばらくして自身「強みはそこしかない。そうでなければ生き残れない」と受け入れてから、かえってイジられに限らないタレント性で定着。ロンドンハーツ「タレント進路相談」でも有吉弘行の後釜を見事に務めた。
彼の「ウソがつけない」資質に注目して抜擢したロンハー制作陣はさすが。アンビリーバボーにおける「先輩に失礼」「��められるとウソをついて言い逃れしたり挙動が怪しい」とも表裏一体。就活の面接でも挙動不審を発揮していたそうなのだが、著者も知能や文章力を武器にマイノリティやその当事者団体に携わっていくのは険しい道なのではないか。真面目さ、違いを受け入れる優しさが一番と思います。
甚野博則/介護大崩壊/宝島社新書2025
父母が相次いで自殺、自分も自殺未遂後うつで2年以上入院という底の時期に助けてくれた伯父夫婦。88になる伯母はアルツハイマーの薬を飲んでいるとのことだが衰えはみえない。90の伯父は徘徊など錯乱状態に陥り、3年ほど前から同じ区内の特養ホームに。先日、初孫ができたばかりの「ネトウヨの従弟」夫婦と見舞いに。ユニット型の個室が、広めのリビングを囲むように設けられ、そのリビングを常に監視するような形で介護士の詰所が。一人一人の健康状態や挙動の癖をしっかり把握し、気さくに話してくれる中年女性の介護士であった。
伯父は問題行動がみられるようになって半年ほどで特養ホームの空きを見つけることができたが、本書によれば地価の高騰などで施設新造が難しい都市部では、入所待機者の増加に悩まされ、距離の離れた自治体の施設の枠を確保する「ベッド買い」なる慣行があるという。著者は文春記者時代に甘利氏の収賄についてスクープ記事をものしており、フリーになってからは高齢者の介護施設問題を中心テーマに据えて取材を続けている。特養・サ高住・老健といった施設の違いや実態、介護保険の運用事情について大まかに知ることができる。老後を控える読者層の危機感を煽ろうとしてか、問題の多い施設や事業者に内容が偏り、優良な事業者やポジティブな取り組みが軽視される傾向があるようだ。
北村浩子/日本語教師、外国人に日本語を学ぶ/小学館新書2025
例えばチャーハン。強火で作るチャーハン、あまりおいしくないです。シャッシャッシャッシャッて鍋を大きく回すやり方、見たことあるでしょ。米がパラパラッてなってる。そうすると米が冷めるし乾燥する。水分が飛ぶ。固くなっちゃう。サラサラは食感がよくない。口に入れた時。米が熱くてしっとりしているのがおいしい。よく、中華鍋ないとダメと思われるけど、うちの自宅はフライパンですよ。中華鍋ないです。火力も関係ない。ガスじゃなくても���丈夫。やっぱり腕と使い方。
そもそも日本人の日本語能力が下がる一方で、企業の公式声明や有名メディアの記事にさえ怪しい言葉遣いが頻出する始末なので買ってみたが…。引用したのは本場でもトップクラスの中華料理人の言葉。来日から各地のホテルで料理長を務め、今は六本木に店を構えメディア出演多数。「やりたいことがある優秀な人物」なので日本語の上達も早いし、本書でほかに取り上げられた人もエリートに偏っており、前項の介護の人手不足のために円安の日本へ来てくれるような、日本語学習者の多様性や苦労への目配りはない。ネオリベ右翼の小学館から出るにふさわしいつまらない本。
三遊亭円丈/師匠、御乱心!/小学館文庫2013・原著1986
よくSNSや掲示板で不自然な形で語尾を「やで」とするような、ネット民の似非関西弁。明石家さんまや島田紳助でなく、ダウンタウン以前・以後と称される、ある世代が丸ごと感化されるような圧倒的存在感によって生じた現象。テレビ越しにそこまで影響力を持ちえた芸人は萩本欽一・ビートたけし・ダウンタウンのみ。ドリフと志村けんは職人肌で思想性が薄いから。
松本人志はセックスについて「小学生でもお胸がぷっくりしてきたらご賞味あれということ」「同じ女と何度もするのは男にとってお勤めになってしまう」という本質を突いた発言をしている。彼はこのまま地上波に復帰することはないでしょう。けれども性接待やレイプはテレビ・広告・芸能界、さらには教育や雇用のあり方まで広がる制度的な病理であり、松本・中居・件のプロデューサーだけ切り捨てても何も変らないでしょう。
落語家は寄席や徒弟制度のシステムに守られた、格落ち芸人の集まり。笑点は落語家でない三波伸介が司会だった時期が本領で、以後は余禄。本書は、創作落語で頭角を現した著者が、真打ち襲名直後にその真打ち乱造問題などをめぐって落語協会が分裂した騒動を、システム内部の視点で振り返った問題作。出版当時は暴露本としても話題を集めたほどで、読み物としてそこそこ面白いとしても、人物がことごとく政治家的、と同時に中小企業のオヤジ的。同族経営の。そう考えると自民党というのは中小企業や��内会、一族郎党の内ゲバを娯楽として提供することによって常にシステムの制御権を確保できているような存在なのかも。
横道誠/レトロな世界に分け入る/教育評論社2025
ナダル「思い出しました。劇場穴だらけですわ」
ロンドンハーツのベテラン芸人座談企画で、有吉弘行が「業界にも私生活でも友達がいない。広島に帰省しても実家に寄って街を一人でぶらついてすぐ帰る。旅行に誘うのはお笑いの後輩」と語っていた。ナダルがすぐバレるウソをつくのは、市民社会の常識に従って生きている裏返しでもあり、本来はマジメな愛されキャラであるナダルのようなタイプと対照的に、いじる・責める側の有吉は制度の一部であろうとして「踏み越えてしまった人々」なのだろう。
それは編集部の意向で『ナニワ金融道』に変更させられた原タイトル。主人公・灰原のビルドゥングスロマンでもある同作品に対し、闇金ウシジマくんは冒頭から丑嶋社長はやがて殺されることが暗示され、ずっと同じテーマをバリエーションで繰り返す。カイジ、特にスピンオフ作品は地下労働そのものの是非は問わず、内部で遊ぶ。
本書は、何度も各種コレクションのマイブームを経てきた著者が、チープな骨董、古い漫画やエフェメラ(チラシ・手紙・マッチ箱のような紙モノ)を専門に扱う3人の店主に取材した、趣味性の強い一冊。であると同時に、この文章力で京大大学院の博士号? 博識であっても自分の思想を打ち立てる気概も総合力もない、内部で遊ぶだけの読み捨て本と感じさせる、あらゆる商業メディアや大学が志望者に「踏み越えるよう迫る」ことでようやく維持できている世知辛さを再認識。
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あけましておめでとうございます
2025年もよろしくお願いします
2025年が始まった
今年も家族と年末年始をのんびり過ごしました 初詣にも行きました 末吉でした 去年と同じらしい じゃあ今年もダメそうですね
風邪をひいた
最悪
初音ミクコラボが来たから4年ぶりくらいにFORTNITEに課金しよう←結果
情弱すぎて課金方法を調べるのに5時間かかった しかも課金できなかったし無駄に5000円失った 自分が社会不適合しゃだと再認識することができました でもなんやかんやあって課金できました はいハッピーエンド
Nintendo Switch2の情報を見た
ニンテンドーガチ勢みたいに考察とか���できないけどなんかスイッチ本体のスタンドの角度が結構自由に調整できてたっぽいからこれを液タブに見立ててタッチペンを販売してジョイコンを片手デバイスに見立ててうごメモ復活!!みたいになりませんか ならないか とにかく4月のダイレクトが楽しみです
ワイヤレスイヤホンを買った
電化製品屋で売ってた1万3000円くらいのやつを買いました 正直ワイヤレスイヤホンにはちょっと前から興味があってほしいなと思ってたので買うことにしました 結果的には買って良かったと思います 音質もデザインもよかったのでよかったです
大鬱到来
地獄でした もう何も楽しくないし生きてる意味が分からないです どうすればいいですか
動画投稿の頻度を見直すことにした
たしか去年の後半くらいから動画の投稿頻度を3日に1本投稿だったのを1週間に1本投稿に落としたんだけどそこから明らかに動画の再生数が激減したので3日に1本投稿に戻します できるところまで頑張ります というかこれで再生数が戻らなかったら僕は終わりです 死にます
私に天使が舞い降りた!(1)を読んだ
感想はアニメ見たときにベラベラ喋りまくったので割愛 強いて言うなら星野 みやこはやっぱりやばかった というかわたてん4月で完結するらしい 悲しい
ぬるめた(5)を読んだ
今回は全体的に家族の話が多かった気がする 高田 詩雪のお母さんはかなりやばかった 常時あのテンションで家にいたり人と話したりしていると考えると少し怖い ただキャラクターとして見るとかなり好きでなんというか小柄でかなり積極的で実は物理的に強いというギャップ(?)もあってすごく好き 今後もどんどん出てきてほしい まじで高田一家好きすぎる 兄とか父とかも出てきてほしい そういえばキャラのプチ情報的なところで初めて作者という文字が出てきた気がする この漫画の作者さんあんまりそういうことしなさそうなのになんか珍しいと思った 副音声回で篠原 小籠が子供たちに「コイビト♡」って言ってるシーンまじで おぉ…いいな…となった なんかよくないですか 表情も相まって 54話の『回転』で後半に宗円 千明がどんどん ぐにゃ~ってなってくのめっちゃ面白かった 発狂してるのも面白い 鴉越 咲樹菜が何でもできるようなキャラに見せかけて実はかなりのポンコツなのめっちゃいいなと思った 56話の『爆弾』回で高田 詩雪が鴉越 咲樹菜の指示通りに赤のコード切った後に爆発するまでのテンポ感がめっちゃよかった ぬるめたは全体的にテンポが良くて読みやすいから好き 何度も言うようだけど高田 詩織めっちゃいいな…ちっこくて、アクティブで、��いよなぁ…
最後に
今月も特に何もしませんでした
というか風と鬱で何もできませんでした
アニメとか見たかったけど見れなかった
来月はなんか1本見たいな
助けて
終わり
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振り返り 2024
今年は引っ越しや生活の変化が多かったため、沢山の更新はできませんでしたが、物語が大きく動き出す一歩がありました。
ということで順々に振り返ります。これは作者が書いてる時に考えていることなどを自由に書き散らしたものです。
幕間 いらっしゃいませ
とあるコンビニ店員から見た師弟のお話。 人間から見た師匠を描きたくて書いた話です。こういう会話劇で進む文章は結構好きなので書いてて楽しかったです。 コンビニとか行くんか?と疑問に思いましたが、まあ行ってもいいかなって。 何買うんだろ。アイス?アイス買え。 コンビニでバイトしたことないので、店員さんたちの会話は妄想です。意外に反響のあった社畜ピースさんには思わずにっこり。 実際セツならともかく師匠がコンビニに来たら驚きますよね。師匠と呼ばれる職業もありそうであまりなく。見た目は若いので師匠という面��もなく…… 最後、店員の一人が記憶屋の看板を見つけます。その際「記憶いただき〼」の最後の「〼」が読めていません。今の時代、これの読み方を知っている人はどれくらいいるのでしょうか。なかなか出会う機会が減りましたね。 この店員がどうなったのか、それはご想像にお任せします。
幕間 みたり
ある不吉な客の話。
一年前の夏に思いついて、温めていた話でした。たまにこういう暗い澱んだ話を書きたくなるんだ。
みたり という言葉は三人とかいてみたりと読みます。意味はそのまま三人です。このお話の核となるのがこの三人という言葉になります。 記憶屋に来たずぶ濡れの男、男は悪夢に耐えかねてその原因と見られる過去の記憶を消してもらおうと、訪れました。
この際、男の他にずぶ濡れの少女がついてきていますが、前半ではほぼ触れず、最後にセツと師匠のセリフから少女がいたことを決定づけました。セツは途中まで少女が人でないものだと気が付いていなかったため、湯呑みを三つ卓上に置いています。また、「男の客」と呼び分けていたりもしています。 つまり相談用の卓を囲んでいたのは師匠と男、そして少女の三人でした。これが一つ目のみたりです。 次に男は過去の話を語り始めます。ひどく憔悴しており、彼は女の子を救えなかったことを後悔しております。 しかしこれはあくまで主観的な話であり、また男の話はどこかぼんやりとしています。 記憶を食べた師匠とそれを写したセツは、男の記憶から川にいた人間は三人だったことを後に語りました。これが二つ目のみたりです。 川には三人いました。一人が溺れた少女、二人目がたっくん��呼ばれた少女の友人、そしてその様子を影から見ていた客の男です。
男は少女をつけ回す不審者でしたが、当の本人にその自覚はなく、仲の良い少女と紹介します。 男はいつものように少女を見ていました。すると川で遊んでいた二人は溺れて流されてしまいます。男は恐ろしくなり、その場から逃走をしました。 この事実から、男はただの不審者であった、ということがわかりますが、なぜ少女の恨みを買ったのか、という部分についてはセツもわかっていませんでした。 この点に関しては一応仄めかす程度でしたが、案外わかりずらかったナト反省してます。以下がその要素です。 ①最後のニュースで少年の遺体と少女のサンダルの片方が見つかっていますが、少女はまだ見つかっていません。 ②にも関わらず男は「彼女は永遠に動かなくなってしまった」と少女の死を確信して後悔をしています。 ③男は目撃したのにも関わらず、情報を提供していません。
ちなみに、「君のサンダル片方、あんなところにあったんだ」という一文が推敲前までは存在していましたが、削りました。 以上が蛇足の解説となります。 師匠は怨念の塊を食べるとお腹を壊すらしいです。かわいそうだね。
本編捨話 うつろいゆきて
久々の本編。というか今年これしか書いてないです。驚愕。 この話は難産でした。構成や四季さんのことはかなり昔から決まってましたが、解決に至るまでの文章が上手く描けず、かなり長い間この話を書いていたような気がします。 けれど、四季さんを出せてよかったです。お気に入り。 四季さんは師匠と性質が最も近い妖であり、不思議な子です。結構皆さんにも可愛がっていただけて嬉しい。 彼女は季節の変わり目にやってくるのですが、春夏秋冬で別の個体なのか、それとも同一個体なのかは明らかになっていません。概念なので個というより群れの存在です。実は同時に春夏秋冬で同時に存在ができます。年末に師匠のお家で四季さんが勝手に遊んでる話とか書きたかったんですよお。間に合わなかったねえ。 彼女と便宜上読んでいますが、そもそも性別とかもないです。師匠のことは可愛がっており、よき弟だとも思っている様子。弟ではないんだけどね。
四季さんのビジュアルは個人的にもとっても気に入っています。脳内イメージでどうにか。 話自体はほっこり話でした。ほっこり話にしつつ、最後に四季さんが爆弾を落として終わり、という何ともな終わり方。 本当に師匠は巫月さんの場所がわかっていたのか、それとも本当に知らなかったのか、それを聞いたセツはどう感じるのか、物語が大きく動きそうなところですね。次回の話はすでに書き始めてますが、これもまた難産の予感。
幕間 瑞咲
ケイケイと文さんのめでたい話。 この話は以前書いた佳宵の対となり、残影とケイケイの違いを楽しめます。 残影は仕事に余裕があり、襖に映る影を妻だと決め、部屋に招き、自分の方へと来させ��す。対して、ケイケイはお仕事が忙しそうで、襖に映る影については一応糸の可能性も考えつつ、また自分から妻の隣に座ります。 どちらが良い、というわけではなく、時代や考え方の違いが各所に現れているなあと感じていただければ幸いです。 巫月さんは月がモチーフで、文さんは花がモチーフなので、残影とケイケイがそれぞれの奥さんを表現するときは月、または花を用います。私の語彙力がなくて褒め言葉を捻出するのに苦労しています。 残影が気持ち悪いので佳宵は全体的にねっとりしてて本当に気持ち悪くて、あーーー!!!!となるのですが、瑞咲の方はケイケイが気持ち悪くないので、書いてて嫌悪感を抱きませんでした。 二組とも作中ではモノクルの話をしています。残影はこのモノクルを呪いと表現しましたが、ケイケイは呪いとも願いとも決めず、迷っているようです。きっちりと巫月さんの血が入っていて私は嬉しいよ。
そしてめでたいお知らせ。直接的な表現はせず、最後の二文での締めとしました。結構上手くかけて嬉しかったです。 お幸せにね。
以上本年のまとめでした。今年は本編進められなかったので、来年はいっぱい進めたいです。巫月さん関連の件については締められるといいな。どうかな。後ガヤちゃんもまた出てくるよ。
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「虚無への供物」中井英夫 2241
第二章
24好ましくない容疑者(亜利夫の日記1)01
二月七日(月曜)、 殺人があった翌日のことです。 この節は、亜利夫の日記ということになっています。
つまりここに書かれていることは、 すべて、亜利夫の目線ということになるのしょう。
亜利夫は、会社を休みます。 午後から目白の氷沼家へ行き、お通夜やあすの葬式の準備を手伝うつもりです。
ところで、奈々からハガキで、流行りのインフルエンザで寝込んでいると知らせてきました。 1951年から官報において“インフルエンザ”を公式の用語として使用する事が決まっています。 1957年には、俗に「アジア風邪」と言われたインフルエンザのパンデミックがおきてます。 これを考えるとただの風邪も、“インフルエンザ”と言ってたのかも知れません。 亜利夫も、奈々の見舞いに行こうかと考えているくらいですから、十分ありえますね。
亜利夫は、一旦目白に連絡して状況を確認しますが、特に進展はないようです。
その後、とりあえず日記を書くことにします。
・真名子刑事は三十がらみの手首にまで剛毛の密生したような男。 ・鑑識係か監察医は、事実だけを丹念に調べその事実の積み重ねの上に結論を出す。 ・嶺田医師からは事前に廻ってきた。 ・蒼司君から前夜の状況やわれわれの関係を聞き取る。
で、現場の状況です。
・台所のメータコックから天井裏へ這い上がる二階へのガス管は、化粧室と書庫と書斎の三か所にだけつながっている。 ・化粧室のは富士A3号とかいうガス湯沸かし器につながっていて、これの導火用の焔が消えてしまっていた。 →お湯を使う場所でお湯を作るのが「湯沸器」です。代表的な例が台所などに設置する小型湯沸器です。残念ながら探しても出てきませんでした。 富士1号湯沸器 【昭和初期】が見つかりましたから、この系列なんでしょうね。
・化粧室のは書斎のストーブと同じく十二時に階下で元を締めたため消され二時半にまた開かれたためと思われる。 →書斎のストーブと同じだといってますが、ガス湯沸かし器もずっと使っていたということなんでしょうか?だから、元を締めたあと、また開かれてガスが充満することになった? ・書庫は北西の隅にカランがでていていまはカランの口にもゴムのキャップを冠せて塞いだなり久しく用いられていない。 →書庫はガス臭くなっていなかったのだから、これはうなずけます。 ・問題の書斎では書庫側のドアに近く家庭用3/8吋というカランが頭をだしそこからまだ新しいゴム管で大型のガスストーブに接続していた。 →大型のガスストーブって、どのくらいの大きさなんでしょう?一人で抱えられるくらいなんでしょうね。 ・このストーブは紫司郎氏の代から使っている古風な型のもので台の上には一二本の新しく擦られたマッチの燃えさしが転がっていた。 ・(憶測)橙二郎氏は十一時にこの書斎に引き取って、ストーブをつけて、うとうとしてついそのまま寝込んでしまったという状況である。 ・これは、常用のブロムラール系の睡眠薬を飲んだ形跡があって、パジャマに着替えていることから推察する。 この睡眠薬は、1908年ドイツのクノール社でブロムラールの商品名で初めて発売され、日本ではブロバリンやカルモチンの商品名で使用されたらしいです。
刑事が、書斎の元栓を確認しますが、 やはり一階の台所のメータコックを開けてしまったことが原因だろうと考えているみたいです。 それで、メータコックを開閉した時間と人名だけを刑事はききとります。
続いて、刑事は今度は戸締りの方を調べ始めます。 はっきり書いてないのですが、蒼司を中心に聞き取りや確認をしているみたいです。 ナイトラッチもさしてあったので、階段側のドアの合鍵は使かっても意味がない。 そこで書庫のドアから入ろうとして、その途中で、洗面所もガスが漏れていると気づいたと。
ここまでで、亜利夫は舞台奇術のことを思い浮かべ、 書斎に書庫から入ったことに、奇術と同じでなにかの意図が有るのではと考えます。 まあ、答えは出ないんですけど。
書庫の中で刑事は北に向いた窓が長い間��閉ざされたのを確認します。 蒼司は書庫側のドアを合鍵で開けた顛末をもう一度実演して見せます。 で、皆で書斎に入ってみると、亜利夫が見かけた赤い上衣の人形がありません。
紅司が死んだときには、紅い毬が現れ、 橙二郎が死んだときには、赤い上衣の人形が消えた。 蒼司や藍ちゃんに聞いてみてもつれない感じです。 これが、後々どう影響してくるのかチェックですね。
一通り調べた刑事は、誰でも気なるであろう“密室殺人”ということよりも、 どうして、こうまで念入りにドアも窓も鍵と鉄格子に護られていたのかと、そちらの方を気にしています。 誰かに襲われることを怖れていたためではないかと、聞きます。
それに、蒼司が書庫側のドアは前から締め切りになっていた。 窓の鉄格子は祖父の代からの盗難除け、戸棚に並んでいる薬物や毒や劇薬も扱うため留守にするときはドアに鍵をおろしている。 それが習慣になっていたのではないかと答えて、納得するみたいです。
その後、刑事は個人個人に話を聞きます。 最初に、蒼司、次は、亜利夫でした。
昔の“青の部屋”、今は、藍ちゃんの部屋に入ってみるとひとり煙草をもてあそびながら真名子刑事が待っていました。
一人で待ってるんですね。 何となく、刑事さんは二人で行動するのかと思ってました。
亜利夫は、刑事の問に、ゆうべの親族会議から麻雀の経過、橙二郎氏が二階へ引き取った前後の様子など、 あまり詳しく覚えすぎていると思われない程度にぼつぼつと答えます。
と、刑事が急に、紅司の死について問いかけます。 亜利夫は、顔が硬張りながらも、その時の状況を答えます。 ただ、氷沼家はアイヌの蛇神の祟りをうけているとか黒月の呪い、薔薇のお告げだという話はしません。 現実的な利害関係を確認したかったのでしょう。
今まで読んできたこと内容は変わってないような気がします。
現実に、八田皓吉などは家の売買に絡んでしつこく聞かれたらしいが、氷沼家に関する限りまず何も出てくる望みはないと思う。
密室内の死という点からだけでも他殺は不可能で、自殺も無いとすると、 動かしてはならぬメータコックをあけたてしたために起こった不慮の災難ということになる。
で、 亜利夫はこの事件が紛れもない他殺であり真犯人が自在にこの密室へ出入りした証拠を見つけ出さなければ、 ぼくが殺人者となるとしています。
まあ、事故では小説になりませんから、他殺なんでしょうけど、この完璧な密室をどう破るのか楽しみです。 それにしても、化粧室のガスの説明が無いのが気になりますね。
つづく
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随分と御無沙汰であった。前回は、日本への帰路はヘルシンキ経由だったが、なんだか、ぐったり疲れていて、NoaとIsabelとの旅行の後には、何も書いていなかったのか。。。と気付く。
七月中旬に帰国し、八月下旬に帰独。一ヶ月半滞在した日本は、異様に暑く。七月中旬まで、ドイツでもそれなりにバタバタしていたのもあり、帰国して立教や東大に行ったりとバタバタした後は、疲れて倒れていたように思う。山中湖は涼しく過ごしやすかったが、思わず何事にも全力投球して夢中になる私は、甥っ子と彼の犬、礼緒と過ごした後は、AI哲学研究会で東京に出た以外は、また山中湖で倒れてしまう。そして論文を書いた後も、ほぼ機能不全になっていた。母が付き添ってくれていたものの、疲れのせいか、体調不良のせいか、山中湖で倒れていた日々の記憶が断片的だ。
夏の成果は、オニヤンマを甥っ子と作って、石割山登山して、報湖祭の花火を見た事と、甥っ子滞在中に今学期の履修学生達の成績をつけた事。OISTの研究者に誘われた言語についての論文は、なんとか書き上げた事。また、五年目に入ったカスリス先生の日本哲学小史という大著の翻訳に、一応の目処を立てた事かな。そう。ハンブルグでは、日本の聖武天皇、聖徳太子の十七条憲法から鎌倉に至るまでの長い章を、ひたすら訳していた。帰国してからは、道元と西田を終わらせたかった。。。




言語についての拙論は、詰めが甘いようにも思うが、言語を使って考えるということはどういうことなのか。習慣的思考と言語の関係について、考えてみたかった。言語の限界が世界の限界といったヴィトゲンシュタインを研究し��大森荘蔵が展開した、言霊論の重層性に関心を抱き、日本の近代言語学の祖でもありソシュール批判をした時枝誠記、Yale言語学のSapir-Worf仮説などや、現代のAIの祖を築くNorm Chomskyの生成文法を概観しつつ、彼らが言語の何を解き明かそうとしたのかをまとめた。空海の声字実相義やデリダのエクリチュールとパロールの問題にまでは展開できなかった。まぁ今後のネタの一つかな。言語を巡るアンソロジーにはなりそうだ。
先人達の試みを簡単にまとめると、言語を構造的とみたいのか、意味的とみたいのかの両極に別れる。言語の見方の差異を過去の研究者達を追うことで浮き彫りにした。両者のアプローチはスイングしつつ発展しゆく。ChatGPTで解明された事は、言語構造に偏り過ぎてもダメという言語の不思議を改めて確認した作業だったように思う。重層性が言語に内在するものであるならば、思考にも重層性が自ずとあるだろう。言語操作を通した概念操作でしか、人間が新しい発想を具体化できないのであれば、言語の貧弱は思考や発想の貧困化を表す。
どおりで、現代日本社会の言説は陳腐。知識層を自認する者たちは、目立つ奇抜な論を展開し、適当に和製英語を散りばめて煙に巻く事を好み、そして大衆も、そうした陳腐を好む。今年は高校野球は塾高大活躍だったが、彼らへの妬みや誹りもひどいものだ。桐蔭、智弁、日大や早稲田なら良いのに、何故、慶應義塾だと叩くのか。若き血の応援スタイルが無いからって、やっかみも甚だしい。伝統は一日にして作れるものではない。昨今の言論分野を見ても、高校野球を見ても、福沢諭吉の次の言葉を沁み沁み思う。曰く、愚民の上に辛き政治あり。批判ポイントの論点がズレているところで批判されても、相手をするだけ無駄だ。多様性の時代、画一的な価値観の押し付け合いは、ますます無駄になっていくだろう。
上げ足を取られないように、馬鹿な癖に言いがかりをつけてくる相手をひたすら尊重し、口先だけに理解を示す戦法しか無いのが、現代のリベラリズムだ。つまり、永遠に平行線でいきましょうという態度だ。子供に意見を求めて、心の中で子供の意見を馬鹿にしている癖に、子供の意見に理解を示すエセ教育の結果でもある。馬鹿な大人に育ち上がった元子供たちは、自分の吐く意見がどれだけ適切なものか省みる能力が無い大人になっただけ。道理で言論がど��どん陳腐になる。
9月末までに、まだまだ3本ほど論文の締め切りを抱えているが、その内の一本は熊沢蕃山という江戸前期の陽明学者。神道と儒教の融合を体現すべく実践を重んじた儒学者。幕末水戸学は熊沢蕃山から多くのヒントを得ているだろうが、彼らが重視したのは朱子学。陽明学の実践的なものといえば、私のYaleでの恩師Tucker先生がコロンビアで研究していた貝原益軒。いずれ、実践的儒教と、仏教、神道の相互浸透性について、何か考えることができればと思っている。
しかし、今の時代は、蕃山のような混ぜこぜの良いとこ取りを理論体系が無いとして取り上げない。南方熊楠があまり評価されていないのと同じだ。西田と何が違うのか。私には、世俗的権威主義しか感じられない。在野した者は評価に値せず、新井白石や西田みたいに時の権力の傍にいた者が、それだけで評価されているのか。疑問はつきない。つまり、容易な事を難解に言った者は勝という権威主義と、民衆に交じり実践を重んじた者、在野主義は無視されるという、そういう構造なのだと思う。兎に角、他人から尊敬され、立派だと言われたかった人々だけが異様に注目されているだけのようだ。
バカが東大でハダカ踊りしていても、東大だから許される。むしろ東大の癖に凄いと尊敬されたりする。それなのに、日大でハダカ踊りしても、別に誰からも良い意味では注目されず、返って、世間を騒がせたと謝罪させられる。こういう民衆の意識構造とは何か。これこそ、ポランニーの群集心理を再度、再読する必要を感じさせる事態だ。ファシズムを回避するための活発な言説は、返って、新たなファシズムを助長しているというパラドクスなのだから。
。。。とつらつら、ヘルシンキ空港のラウンジで思いを馳せる。ヘルシンキ経由にして良かった。ロンドンは管制塔コンピュータの故障で混乱の極みらしく、多くの客がヘルシンキ経由を利用している。BAとのコードシェア便だから。来月のアイルランド、エディンバラ行きは、都度、ロンドン経由なんだけどなぁ。。。そして、日本も、今は先人達のお陰様でなんとか頑張っているけれど、今から十年も経たない間に、インフラが崩壊していくんだろうな。
若い人々を教えるようになって、六年目。今夏、コロナ前に教えた、顔に見覚えのある学生さんが、社会人になって働いているレストランで偶然再会した。彼女は私にとってはいつまでも二年生。真面目な頑張り屋さんだった学生。バイトなの?って聞いた私も不用意だったが、就職したんですと教えてもらい、大きくなったんだなぁと感慨深かった。彼女は地味で、しっかりと社会を支える小さき市井の人々��代表のような方。
丸山眞男が重視した、市井の小さき人々が、これからますます、踏ん張らされていく。日本の衰退は著しい。一億総中流を実現し、八割型の国民は、現状に満足しきっているのだろう。勉強しなくても、なんとか食っていける。向上心なんて、そんなもん無くったってなんとかなる時代だ。夢を語るだけで尊敬され、夢が無い事を嘆き、夢を追いかけなくても、口先だけで夢を語れば許され、夢がある事を異様に褒める時代だ。つまり、夢なんか抱かない位、満たされている時代という事だ。失われた三十年は、成長していない事ばかりが注目されるが、底上げが浸透し、高卒は当たり前、大卒も普通になった底上げバブル時代の継続でもある。必死に生きる事なんて、命を繋いで生きるなんて事、とっくに忘却されているのだ。そんな時代に、真剣になれ、とか責任をもって、なんて多くの人にとって、白々しくしか聞こえないのだろう。
残念ながら身体が弱い私は、思うように身体を使えない。そして悔し涙ばかりする。身体の弱さ売りをしてサボる怠惰な人々と私の間にあるのは、元気だったらあーしたいこ~したいという気の焦りと苛立ちだけなのだろう。自分が動きたいほどには動けない時、私は苛立つ。苛立たず怠惰にできる人はサボっているんだなぁって思う。でも、他人は他人。私にできるのは、私も私なりに微力ながらに懸命に生きている不器用でブザマな姿を、見せ続ける事だけかもしれない。そこから、私の破天荒さに勇気を貰えたって同僚から言ってもらえたり、先生の授業楽しかったって振り返ってくれる学生がいるから。他者あっての私。お陰様で、ヘルシンキまで辿り着いています。
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皆が忘れた頃に
遅くなってすみません。なつめです。
99割本音で話すんで許してください
ではひっそりばったり新人役者紹介していきます
箏
オムニ、外公、秋公、新人とどれも割と大役を任せられてて全部違うキャラなのにずっと上手いよね。今回の役は役の関係上稽古中一人で練習する時間が多くて、主人公ポジだったから、こんな感じで演じて大丈夫なのかといった心配や葛藤があったんじゃないかな。でもそれを乗り越えたからこそあの支配人を演じれたんじゃないかな。特に裁定人に裁かれるシーンは何回見ても引き込まれてる。
ルーべかかっこいいから、36期の女子に抱きつかれてるとき、後ろから見ると寂しがり屋の彼女がルーベを抱きついてるように見えるんだよね。見ててめっちゃおもしろい。ボケたときちゃんと突っ込んでくれるし、めちゃくちゃ笑ってくれるから楽しい。この世のルーベに感謝
森々仙入
ラムダ!最近はなつめって呼んでくれなくなっちゃったね。君のせいでちゃうかにいるはずなのに���実世界に戻されてる感じがする。
ラムダってめちゃくちゃ人に気にかけてくれる。大道具と舞美作業ほぼ毎回行ったり、打ち上げ担当やってくれたり、みんなの稽古の練習にアドバイスしたりと。僕のシーンの動きや声の出し方も教えてくれて頼りになりました。上手くできてたかどうかは自分では分からないけど、楽しい稽古時間を過ごせて満足です。
秋公演の佐川役見てからコメディのシーンで共演してみたいなって思ってたからめっちゃ嬉しかった。ラムダはボケるシーンは想像力膨らませて無限に面白くできるのずるい。あとギターのマイム動画見てめちゃめちゃめちゃ練習してて、とてもじゃないけど🔰とは思えないほど上手くなっててびびった。
楽ステのアドリブは最高!
月銀蓮
我らの幕チーフ。幕を作るために夜な夜なミシンで作業してるのを知っている。私はまだまだ弱弱幕班員だけど中中幕班員ぐらいになってアネモネを支えたいね!今回役者として参加してくれてありがとう。新人で初役者、最初のうちはやっぱり苦労してたよね。自然な会話、テンポで演じれてた。毎日片道2時間以上登下校にかかって大変なのに平然と稽古に来てくれておもしろいこといっぱい喋ってくれるから100倍ぐらい稽古楽しくできてる。意味わからないボケも意味わからないツッコミで返してくれるの好き。
幕チーフとしても役者としても友達としてもこれ
からお世話になると思うけどよろしくね。
白
小道具チーフ。ぶらんに小道具の仕事振ってくれて「いっぱい仕事振ってごめんね」ってくれたけど嬉しかったよ。ぶらんとの会話は基本面白いんだけど免許合宿の孤独な毎日と香川のうどん以外うどんと認めないと言い張ってるときは特におもしろい
最初のコメディのシーンはとことん面白く、最後のシーンは不気味なくらい胡散臭かった。ぶらんはバイトの関係上あまり来れてなかったけどそれでも第1回通しまでにほぼ完成してたのは、やっぱり家でのセリフ読みと、このシーンに対する理解度があったからかなって思う。
本番でもこのシーンが一番笑い取れてだと思う。羨ましい。
埖麦
今だから言うけど最初むぎのこと怖かった。ほらピアスとかしてるじゃん。でもそんなことなかった。むぎはめちゃくちゃフレンドリーに話しかけてくれるし、いっぱいいじられてるし、女子だし遅刻しちゃうし愛嬌がある。新人ではむぎがむぎじゃないぐらいしっかり仕事していて新人にかける思いが伝わってきた。
演技もやっぱり上手い。人生に絶望してる自分の表情や仕草、声のトーン何をとっても上手い。
でもね単位は取ろうね。留年してちゃうか辞めさせられるみたいなことになったらみんな悲しんじゃうよ。
叶イブ
ふぃあの声まーじで好きなんよ。頭頭鯛鯛と今回の裁定人。カッコ良すぎるよね。支配人裁くシーンは迫力満点。頭の中で永遠にリピートできる。いつか魔王の役して欲しい。絶対似合う。よく代役頼んでたけどやっぱうますぎるんよな。
今公演メイクすごい褒められてたよね。支配人といいアサヨルのメイクといい、メイクあまりわからない僕ですら👍押したくなるぐらい良かった。
ふぃあの直近の印象は「え、かわいい」って言ってる気がする。ほんわかするね。でもふぃあのかわいいはたまに信用できない。
ポンにゃ
なびや面白すぎる。我々化応の授業サボって人科の授業行ってるの謎すぎるし。なびやはやりたいこと全部できるギア5状態なんよな。ずっとこの性格で生きてて欲しい。でもこれでもちゃう化応の中ではそこまでGPA低くないのおかしい。ちゃうか7不思議に入ると思う。
そんな彼女と初めて共演したわけだけどなんか最初の頃からすごい上手くなってるなって感じた。
子供役とか妹役は最初からうまいと思うんだけどバンド仲間の方は最初結構ダメだしされてたし稽古もなかなか来れなかったから大丈夫か心配だった。でも最後らへんでメキメキと成長していって今回の役をうまく演じれたんじゃないかなって思ってます!
雨々単元気
てには演技の上達が早くて一回ダメだしされたところすぐ直してすごいなって思う。よくアニメの声真ねしてて前までは面白くて気づかなかったけど、発声やるようになって改めて聞くとすごいうまいなって感じた。まだ今年始めたばかりなのにこの上手さ才能を感じる。てにを演劇の道に誘ってくてたはぜグッジョブ
あと一つてには大学入る前からの付き合いだからこそ思うことがある。人柄良すぎん?君のこと嫌いっていう人聞いたことないもん。面と向かっては恥ずかしくて言えないけどこんなてにとずっと友達でいれて僕は幸せ者です。これからもたくさん頼ることがあると思うけどよろしくね。
紫苑
私です。ちゃうかに入ってくれてありがとう。楽しすぎて新人が終わったらどう過ごせばいいか分からないぐらいちゃうかに依存してたんだなって思った。来年入ってくる37期にこの新人公演見られると思うと恥ずかしすぎて毎夜プルプル震えています。
暁レミエル
えるはね好きなことにすごいのめり込むタイプなのかな?大学の授業は聞いてる感じダメみたいだけど、宣美チの仕事かなり大変なのにキャスパ班や映像班等いろいろ仕事請け負ったり、稽古時間以外でも場面の練習してたりと、好きなことはとことん時間を使って努力してる人だなって思う。
今回の母親役。子供の学歴を必要以上に気にする母親のリアル感がまじのガチで良かった。
オムニのときから一緒だったえるがどんどん上手くなっていく姿を見て、置いていかれないよう勝手に対抗心を持っています。
熊吉
本当にちゃうかに入ってくれてありがとう。ちゃうかに途中から入ってきたとは思えないほどみんなにとって熊吉が必要不可欠な存在になっている。すごいよな。人付き合いの上手い人見てると本当に羨ましくなるよ。
熊吉がオムニのがっころ見て「こんな演劇やりたい」って思ってちゃうかに入ろうって思ったって言ってたから、熊吉には是非ともがっつりコメディやってほしい。絶対おもろいから。
熊吉は体験稽古?のときから思ってたけどやっぱり上手いよな。1年半ぐらいブランクがあったとは思えないほど。
張潤玲
読み合わせのときや、代役頼まれたときに感じるんだけど、マーモットはまじで日本語が上手いよな。普通に2言語以上喋れるの尊敬する。僕なんて英語はもちろん日本語も怪しいので、実質0.5言語ぐらいしか喋れないもん。
マーモットの親戚にコロナが出たとき頭からしっぽまで洗うって言ってたじゃん。彼女も生粋のたい焼きストなんだなって思ったと同時に面白すぎるんよ。
マーモットのシーンは、多分一番お客さんに笑われたんじゃないかな。何回聞いてもおもしろいから笑っちゃう
和來
いつも穏やかで優しい雰囲気をまとい、話しているだけで心が癒される。お菓子持ってくるときだいたいきなこ味なのいいよね。きなこ自身すごい自分の名前気に入ってるのかなって思ってほっこりしちゃう。1stのあと、笑ってくれる観客いなかったって話をしたら、きなこが幕裏でいつも笑ってるよって言ってくれて本当にありがたかった。テンション爆上がり
理想のミライとのシーンと最後のシリアス場面のシーン。楽しそうな演技と少し気まずそうな演技が客観的に見てもちゃんとよくわかるよう分けられてて、秋公から役者やってるとは思えないほど上手かった。通しのダメで書かれてたのを知ってるからこそしっかり稽古をしたんだなって伝わってきたよ。今後も役者してね
鞠凸二郎
ばかおうの一人。映像すごかったね〜。アンケートでも映像ほとんどの人が褒めてたもんね。正直あれだけでお金取れるぐらい良かった。
はぜはねみんなにいじられててイメージは湧きにくいと思うんだけどいざってときに頼りになる人だと思う。この仕事実ははぜがやってましたってこと多いんじゃないかな。「あー、これやっといたよ」って平気な顔で言ってるの普通にすごいよ。
おじさん役はかなり苦しんでたんじゃないかな。同じ場面に出てくる他の3人が上手くて自分だけにダメが集まるって言ってたもんね。そもそもおじさん役なんて難しいに決まってるよ。だってまだ大学生だから実際におじさんの経験なんてものはないんだから。でも最終的に見てておじさんだなって思うぐらいにはおじさんを演じれてたよ。
はぜの化け物みたいな髪型地味に好き。
東愛莉
制作チとして労働基準法違反してるでしょって思う量の仕事してたよね。次はなびやがサブチになってくれたから安心だね、
あずもねどんどん上手くなってる。秋公で主役やって覚醒したのかな。そもそも今公演ではアサヨルの双子のかけあいや左右対称の行動が物語に出てくる双子のイメージにあってた。見てて双子ワールドに入ってる感じがしてニコニコしながら見てました。
あずの印象はいつも笑顔でおもしろ発言をよくする人です。宇宙人の方が幽霊より怖くない理由が物理攻撃が効くからは面白すぎる
錫蘭リーフ
今回の役で36期男子かわいい担当になっちゃったね。役者発表されたとき今までのキャストと違いすぎてセイロンこんな役やるのって思っちゃったけどいざやるとめっちゃうまいしかわいいし。「言うな!(๑•̀ з •́๑) 」が目覚ましのアラームにしたいぐらい好き。
大道具作業。すっかりチーフになっちゃった。仮舞台作るときちゃんと指示してくれてセイロンがいると安心する。新歓では学校も休みだしいっぱい行くぞ。セイロンの左腕になる!
城戸大夢
オーム絶対忙しいのにオペしてくれて本当にありがとう。演出がオペするぐらい人手が足りてなかったから本当に助かった。
僕もね秋公のときオペやったからわかるけど結構神経使うのに本番もほぼノーミスでできるのすごい。今回なんてね1週仕込みでいっぱい音源もあったのに。さすがっすね。
大良ルナ
ちょっとの時間でも稽古場に来てくれて、みんなの演技を見てくれる。仕込み期間で疲れてるみんなに一つずつお菓子を買ってきてくれる。仕込み期間では、ほとんど演出につきっきりで舞監の仕事をする。もうね、今公演はらいらなしでは成り立たないと言っても良いぐらいらいらの存���が不可欠だったんじゃないかなって思う。生きててくれてありがとう。たまにやる顔芸と声真似ががちでおもしろい。
海月
オムニの役のせいでそのときの印象は怖かったけど、ゾンビの打ち上げで、なんかね意味わからんタイミングで変顔しててただのおもろい子やんってなった。
バンドのシーン的確にダメを出してくれてすごい勉強になったよ。でもこんな役になるとは思ってなかった。まあタイガーマスク被る時点で大分怪しかったけどね
今公演で、すみって実はみんなのことをしっかり見ていて思いやりがある人なんだなと思った。場面転換表作ってくれたり役者のダメをまとめてくれたりと、演出の仕事以上のことをしてみんなすごい助かったんじゃないかな。毎回稽古を考えてくれたおかげで楽しく稽古ができた。最高の公演ありがとう。そして本当に演出お疲れ様。
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ぼくたちのおはなし(栞≡枝折り)
youtube
おはよう。
♪きっと少しだけ悲しい御伽のはなし
♪栞のない絵本に描かれたふたりだ
♪夜が明ければ
♪静かだった種が芽吹く さあ
突然場面転換して、絵本の読み聞かせているようなシーンに切り替わりました。
前の歌詞の「勇者ふたり 戦ったことなんかないように安らかで」の時点で転生しているのかもしれません。
まだお母さんのお腹の中か、新しく生み落とされた場所で赤ちゃんとして安らかな顔で眠ってるということでしょうか?
双子として、この世に転生してくるのかもしれませんね。
この「少しだけ悲しい御伽のはなし」は、転生してきた「ふたり」の過去世で起きた記録(歴史)のような気がします。
歴史は口伝で伝えられ、誰かが編纂し、そこから多くの派生作品が生み出される。
史実は「少しだけ悲しい」どころか、堕ちるところまで堕ちていて悲劇にしかならなかったかもしれませんが、作家の生まれた時代や文化、戒めを元に、子供達に同じ悲劇を味わわせないよう取捨選択を何度も重ね、洗練された御伽噺として昇華したのかもしれません。
次の「栞のない絵本に描かれたふたりだ 」は、多分、絵本の最後のページには、二人の子供と二つの太陽(幻日)が地平線から昇っている絵が描かれているんじゃないですか?
だとしたら、エモい。
因みに、親御さんが赤ちゃんに絵本を読み聞かせを始める月齢は、大体5ヶ月ほどから始まって、1歳半くらいには、ほぼ全員読み聞かせを開始しているそうです。
言葉が話せないうちでも10分程度で良いので、読み聞かせしてあげたら良いですね。
でも何故「栞のない」とあるのでしょうか?
普通絵本は子供が読みやすいよう栞を必要とする程のページ数は無いはずです。(※基本的に本文が8の倍数(判により16の倍数)ページで構成されています)
もしかしたら別の「しおり」を指しているのかもしれません。
「撓(しほり/しをり)」意味 : たわませる。或いは、蕉風俳諧の根本理念の一つ。対象に対する作者の繊細な感情が、自然に余情として句にあらわれたもの。しなやかさや優美さ。
これらの情報から、たわみの無い絵本、若しくは作者の繊細な感情が抜き取られた絵本という意味かもしれません。
ただ栞は漢字なので違う気がします。
栞という漢字を分解して見ていきます。
栞→ 幵(ケン)+木 意味「道標がない。」
これは賽の目や塞の神(道案内の神様)が関係ありそうです。
“現代に近い栞としては、徳川光圀が絹で包んだ紙片を後水尾天皇へ献上した。天皇はこれを慶び、西行の和歌「吉野山去年(こぞ)のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ」を引いて、枝折(しをり、しおり)と呼んだ。枝折とは、木の枝を折ることで山道などを歩く際に目印としたことから。転じて、本をどこまで読んだかという目印や初心者のための手引書などを「しおり」というようになった。ただし、「しおる」を「枝折る」と書くのは当て字で、元来は物を撓める意の「しほる(撓)」が意義分化を起こしたものである。ハ行転呼によって平安末期に「ほ」がワ行音化した結果、仮名表記までも「しをる」となり、さらに意味面から「枝折る」という漢字表記が生まれたものらしい。”
複合的な意味が考えられますが、一例としてこんな感じはいかがでしょうか?
塞の神を無視して枝を折って目印にしなかったが故に、方角も人生も迷子になって堕ちていく運命になってしまった二人だけれども、「♪夜が明ければ」目が覚めて陽がまた昇り、太陽の方角を目指せば自分が行くべき道が分かる(希望が持てる)という比喩的表現と
「♪静かだった種が芽吹く さあ」は「栞=道標の枝」は折られなかったので、「葉が生い茂り」「花が咲き」「種を落として芽吹いた」ということかもしれません。
「さあ」という掛け声で一つで、一気に希望ある明るい気持ちになれるのが、とても良いと思いました。
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戦後の事件簿 「日本が受諾したポツダム宣言は、イギリス首相、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席の名において発された。ソ連は後から加わり追認した。中共は、抗戦相手ではなかった。大日本帝国の一部を形成する朝鮮半島の住民と内地の住民も、戦火を交える敵同士ではなかった。しかし、どこまでも敗戦革命にこだわる報道関係者たちは、中国や韓国や北朝鮮に戦勝国とウソをつかせたうえで、日本に対する理由のない非難と恐喝をするよう唆している。そして、韓国人や朝鮮人は本名を隠し日本人名を名乗っている。彼らの犯罪は、日本人による犯罪のように報道されるか、犯罪そのものが報道されない」という話を聞いた 図書館に行って朝鮮人の犯罪を調べたら、次のような記録が見つかった 1945年10月22日、大阿仁村事件が起こった。秋田県北秋田郡阿仁合町の阿仁鉱山で働いていた朝鮮人12名は、午前9時頃、約16キロ山奥の同郡大阿仁村の伏影集落へ行き、共同管理の栗林に侵入し、栗を拾っていた所を村人に発見され、注意したところ乱闘となり、双方数名が負傷した。午後1時になると、約40名の朝鮮人が来襲したので、警察と警防団は直ちに現場に急行し鎮圧の為に急行した 1945年12月24日、生田警察署襲撃事件が起こった。午後9時頃、50名を超える朝鮮人の暴徒が「岡山の刑事を出せ」と叫びながら署内に侵入。署員を拳銃・日本刀・匕首を突きつけて軟禁した上で、岡山県警察部の捜査員を探し始めた。捜査員らが脱出に成功した一方で、暴徒によって署内の警察電話線が切断されたため、警察署は外部との連絡手段を絶たれてしまった。その後、事件を聞きつけた連合国軍部隊によって暴動が鎮圧された。襲撃以前、岡山市内にて7人組による拳銃強盗事件が発生しており、強盗犯を追って岡山県警の捜査官が神戸市まで出張にきていた。この捜査員に生田署が協力していたため、暴徒の襲撃を受けることになった。もっとも以下に挙げた資料には、確かに報復を仕掛けたのは朝鮮人の一団であったが、元の拳銃強盗事件の犯人が朝鮮人であったのかどうかまでは記されていない 1945年12月29日、直江津駅リンチ殺人事件が起こった。午後7時頃、新潟発大阪行の列車が国鉄信越本線黒井駅に到着した。3人組の朝鮮人が列車に乗車しようとしたが、満員のため乗車することが出来なかった。そこで彼らは列車の窓ガラスを叩き割り無理やり乗車しようとしたところ、ある男性の乗客に阻まれたため、已む無くデッキにぶら下がり次の直江津駅まで行く破目になった。列車が直江津駅に到着すると、3人組は自分たちを阻んだ男性に対して、「乗降口から乗れないので仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのに何故妨害した」と詰め寄った。 男性に「窓から乗り込むという方法はない」と反論されたため、その男性を直江津駅のプラットホームに引きずり降ろし、駅の備品であるパイプやスコップを持ち出して男性に襲い掛かり、メッタ打ちにした。男性は頭や左眼などに十数か所の傷を負い、絶命した。警察が緊急配備したところ、直江津の病院で傷の手当てをしていた3人組を突き止めた。そして容疑を認めたため、殺人犯として緊急逮捕した 1946年1月3日、富坂警察署襲撃事件が起こった。正午、春日町交差点において多くの不審者を乗せたトラック2台が富坂警察署方面へ向かうのを、交通整理にあたっていた警察官が発見、直ちに署に連絡した。連絡を受けてまもなく、例のトラックが富坂警察署に到着、警察官の制止を振り切って約80人の朝鮮人が署内に乱入し、留置中の在日朝鮮人の即時釈放を要求した。危険を察知した警部が警察電話を通じて、警備隊の応援を要請したところ、在日朝鮮人20人が電話室に乱入し占拠した。これにより外部との連絡が絶たれた。交渉にあたった署長は「朝鮮人は留置していない」と突っぱねたが、情報が漏れていたらしく、在日朝鮮人たちが留置場を探し始めた。これを阻止しようとした警察官に対して殴る蹴るの暴行を加えて負傷者を続出させた。在日朝鮮人はついに留置場を発見、中にいた容疑者を連れ出し、「署長は、朝鮮人は留置していないと我々を欺いた」と署長を責めた後、富坂警察署の前を通りかかったトラックを奪って逃走した 1946年1月9日、生田警察署襲撃事件が起こった。翌年、三宮ガード下で賭博団が検挙されたことを受け、30 - 40人の朝鮮人が犯人の奪還を目的に再度署内に侵入したが、この事件も進駐軍の協力を得て鎮圧し、首謀者3人を検挙した 1946年5月13日、長崎警察署襲撃事件が起こった。午前10時30分、280人の警官隊が一斉取締を開始し、日本人150人、朝鮮人26人、中国人6人を検挙、長崎警察署に連行した。その直後、在日本朝鮮人連盟や中国人団体が長崎警察署に押しかけ、被疑者の即時釈放を要求したが、署長は取調前の釈放はできないと拒否した。午後2時30分頃、朝鮮人や中国人など総勢約200人がバッドや鉄棒を持って長崎警察署を包囲・襲撃した。これにより警察官1人が死亡、10人が重軽傷を負った。その後、余勢をかって東浜町派出所や港町派出所も襲撃し、警察官に対し暴行を加えている 1946年8月5日、富山駅前派出所襲撃事件が起こった。午後6時50分頃、富山駅において闇米取り締りを実施し、朝鮮人3人を検挙した。しかし、それを見ていた朝鮮人2人が妨害し、3人を逃走させた。そのため自治隊員2人を公務執行妨害罪で逮捕し、富山駅前派出所に連行したところ、朝鮮人約30人が包囲し険悪な雰囲気となった。署に救援を頼んだが、その前に大乱闘となった。その直後に、救援隊が駆けつけて朝鮮人たちを実力で排除した。この乱闘で警察官1人が負傷した 1946年9月22日、坂町事件が起こった。午前0時50分頃、村上警察署の署員8人が坂町駅に赴き、ヤミ米の取締に当たった。署員が現れるや、約50人の朝鮮人・中国人は一斉に姿をかくした。警察官がホーム上に置き去りにされたヤミ米を押収しようとすると、「殴れ!」「叩け!」の叫び声を合図に襲いかかって来た。警察官が応戦している最中に列車が到着し、列車内から朝鮮人20人が下車し加勢、警察官に暴行を加えた後、発車間際の列車に乗り込み逃走した。この日の午後になり、「また、ヤミ米を運搬しようとしている」との情報が入った。警察官 10人が現場に向かい取り締まろうとしたところ、約50人の朝鮮人・中国人が襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加えた。金屋村警防団は警察官の応援に駆けつけたが、逆に鳶口や木刀を取り上げられて、彼等の武器にされる始末であった。その後、撤退命令が出たので、警察官等は一旦引き上げた。その後、進駐軍の新潟軍政部の係官が現地に到着し、朝鮮人・中国人に対して「日本に在住している限り、日本の法律に服さなければならないこと」、「警察官のヤミ米取締を拒むことは、連合国の指令に反するものであること」を言い渡した。軍政部のお墨付きが出たことで、警察は断固とした取締りが可能になり、12人が検挙された 1946年9月26日~29日、新潟日報社襲撃事件が起こった。在日本朝鮮人連盟などの朝鮮人16人が新潟日報社を訪れ、新潟日報社と読売新聞社の両社に対して、「坂町事件の報道に誤りがあると認め、ラジオ放送を通じて新潟県民に誤報であったという声明を出せ」と要求した。両社は「即答はできない」として、29日まで猶予してもらうことになった。その後読売新聞社は、9月28日になって譲歩し、誤報を認め謝罪記事を掲載することで話がついた。9月29日、朝鮮人16人が再度新潟日報社を訪れ、新潟日報社側の返答をせまった。新潟日報社は「警察の調査結果をまって善処する」と答え、彼等の要求を拒んだため、朝鮮人側は憤慨し、茶碗を投げつけたのを合図に一斉に暴れだし、社内の備品を破壊した。新潟警察署は、朝鮮人らを暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で逮捕した 1946年12月20日、首相官邸デモ事件が起こった。の全国大会では、約1万人の朝鮮人が結集した。日本共産党の徳田球一も出席しており、徳田球一の演説の後、生活権擁護の決議文を採択し、午後1時頃に集会は一旦終了した。午後1時30分、「朝鮮人虐殺政策絶対反対」「吉田内閣は日本の敵だ」といったプラカードを掲げてデモ行進を開始。午後2時頃に首相官邸前に差し掛かると、突如警察官の制止を無視して官邸正門前に殺到した。警官隊は侵入を阻止するため門を閉鎖しようとした��、デモ隊は投石やプラカードを振り回すなどして暴れ、遂に首相官邸に侵入した。午後2時30分頃にアメリカ軍憲兵隊が出動し、まもなくデモ隊全員を解散させた。この事件で、警察官23人が重軽傷を負い、拳銃2丁が奪い取られた 1947年10月20日、尾花沢派出所襲撃事件が起こった。朝鮮人7人は警察によるヤミ米摘発の鬱憤を晴らすべく、派出所の襲撃を計画し、午後3時頃に楯岡警察署の尾花沢派出所に乗り込んだ。警察官が不在だったため、派出所内の器物を破壊し、門標を取り外した後引き揚げた。その後、外出から戻った警察官が、派出所内の惨状を見て驚き、直ちに署に連絡した。その直後、前述の朝鮮人7人と他の朝鮮人30人が派出所を取り囲み、火鉢を投げつけるなどの暴行を働いた。楯岡警察署は隣接の新庄警察署や進駐軍の応援も得て、29人を逮捕した 1948年4月23日~25日、阪神教育事件が起こった。9時、大阪府大阪城前の大手前公園で、朝鮮人学校弾圧反対人民大会が開催された。集会には在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余が集結した。16人の代表が選出され、大阪府庁舎で大阪府知事・赤間文三との交渉を行うことになった。12時30分、大阪府庁知事室において副知事と朝鮮人代表者16人との交渉が始まったが合意には至らず、15時になって在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余の中からシュプレヒコールが起こった。同時に50人余の青年が行動隊を編成し、スクラムを組んで大阪府庁前の阻止線を突破した。15時30分には行動隊に続いて、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余も大阪府庁に暴力で突入し、3階までの廊下を占拠。副知事は警察官の誘導で、戦時中に作られていた地下道を通って脱出した。17時頃には群衆が知事室になだれ込み、ドアや調度品を破壊するといった行動に出る。日本共産党大阪地方委員会に派遣されていた増山太助は川上貫一衆議院議員とともに知事室に駆けつけたが、収拾がつかない状態だった。夜になって大阪城周辺の各所で在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人によってかがり火が焚かれ、朝連としては川上を代表として交渉の場を作ろうとした。しかしそこへアメリカ軍や武装警官が到着し、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人らと乱闘。在日朝鮮人のうち1人が死亡し20人が負傷した。警官側の負傷者は、31人だった。179人が騒擾罪で検挙された。4月25日には朝連や日本人約300人が南警察署に押しかけ逮捕者の釈放を要求したが、抗議に来た群衆に向けて警官隊が威嚇射撃を行い追い返した。翌4月26日に朝連は大阪東成区や旭区などで「朝鮮人学校弾圧反対人民大会」を開催。午後には朝鮮人代表者と赤間府知事との間で再度交渉が行われたが、15時40分に別室で待機していた大阪軍政部のクレーグ大佐が、交渉の中止と大手前公園に集結していた在日朝鮮人2万人の解散を指示。これに対し在日朝鮮人1600人のデモ隊が再び大阪府庁に向かい、武装警官隊の阻止線で投石を開始。武装警官隊は消防車に放水をさせ、デモ隊に突入し拳銃で発砲した。この衝突で当時16歳であった在日朝鮮人金太一が死亡する。検挙者は軍事裁判にかけられ、日本人9人と在日朝鮮人8人が重労働4年以下の判決を受けた。このうち当時の朝鮮総連の朴柱範兵庫県本部委員長は神戸刑務所に服役し、1949年11月25日に病気を理由に仮釈放されたが僅か数時間後に死亡した。事件解決後、大阪市警察局は、アメリカ陸軍第25師団司令部より感謝状が贈呈された。兵庫県非常事態宣言布告を報じた朝日新聞号外アイケルバーガー司令官の神戸視察を報じた神戸新聞10日に兵庫県知事・岸田幸雄は、朝鮮人学校に対して封鎖命令を発令。これを受けて14日に朝連は兵庫県庁を訪れ、岸田との交渉を要求した。言動はしばしば威圧的・脅迫的になった。4月23日に警官隊と米軍MPが朝鮮人学校灘校と東神戸校を封鎖すると、翌24日に封鎖に抗議する在日朝鮮人や日本人が兵庫県県庁前に集結。9時30分に兵庫県庁知事室で、岸田知事と神戸市長・小寺謙吉、検事正ら15人が朝鮮人学校閉鎖仮処分執行問題と在日朝鮮人の抗議集会対策を協議。協議が行われているとの情報は朝連にも伝わり、約100人の在日朝鮮人や日本人が兵庫県庁内に突入。知事応接室を占拠して備品などを破壊した後、壁を打ち破って知事室になだれ込み岸田知事やMPを拉致監禁するに至る。知事室に乱入した在日朝鮮人や日本人は電話線を切断して外部との連絡を絶ち、「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などを岸田知事に要求。半ば監禁状態にあ��て岸田は、17時に諸要求の受け入れを誓約。しかしその日の22時に岸田知事と吉川覚副知事・市丸検事正・田辺次席検事・出井兵庫県警察長・古山神戸市警察局長らが、占領軍兵庫県軍政部に召集され、23時に兵庫県軍政部が「非常事態宣言」を発令。軍政部の非常事態宣言によって兵庫県と神戸市の全警察官はアメリカ軍憲兵司令官の指揮下に入り、兵庫県庁への乱入者の徹底検挙命令と共に岸田知事が一旦受け入れた在日朝鮮人の要求への誓約を無効とした。25日早朝にMPと米軍憲兵司令官指揮下の警官による県庁乱入者の検挙を開始し、29日までに、1590人もしくは7295人 を検挙。日本共産党の神戸市議会議員・堀川一知も拘引された。4月28日には米軍軍政部の非常事態宣言も解除。検挙した者から主だった者を拘留し、23人を軍事裁判にかけた。唯一の日本人被告人だったは堀川は重労働10年の判決を受け、在日朝鮮人には最高重労働15年の判決が出されて刑期終了後は本国に強制送還されることになった 1948年10月11日~12日、評定河原事件が起こった。の10時から開会式が始まった。北朝鮮国旗の掲揚をめぐり仙台市警察が警告を発するなどのトラブルがあったが、1日目は特に混乱も無く終了した。2日目の10月12日は運動会が開かれた。国旗掲揚の代わりに国旗を頭上に捧げ持って行進したため、米軍の憲兵が行進の中止を命じた。その後、運動会は再開され、16時30分頃に閉会式が開かれた。そのとき、酒を飲んだ数人の朝鮮人が会場内に入って歌を歌い始めた。これに同調する者が次々と現れ、赤旗を掲げてデモ行進するなど不穏な空気に包まれた。その中で、北朝鮮国旗を持った一団がデモ行進をし、米軍憲兵の制止を無視し行進を続けたため、米軍憲兵は国旗を押収し、参加者4人を検挙した。その後の米軍憲兵隊の捜査で、更に2人が検挙された 1948年12月9日、宇部事件が起こった。約200名の朝鮮人が宇部市民会館に参集し生活擁護人民大会を開催していた際に、在日本朝鮮人連盟山口県本部委員長を進駐軍憲兵および警察隊が逮捕した。大会参加者は集団的に同被疑者を奪還しようとして警察側と衝突し、双方に多数の負傷者が出る騒ぎとなったが、警察側の発砲によって鎮圧された 1949年1月25日、益田事件が起こった。島根県美濃郡益田町の朝鮮人集落において密輸入物資が隠匿されているとの密告に基づき、進駐軍島根軍政部将校2名と経済調査官2名が同行して、令状なしで摘発に乗り出したが、「令状のない捜査は違法である」と拒否されたため、警察官10名が応援して違反物資を押収したが約100名の朝鮮人に奪還された。翌日、被疑者9名を検挙したものの、夜に入って約200名が警察署に押しかけて被疑者の釈放を要求し、署内に侵入しようとしたために警察官と乱闘になり48名が検挙された。逮捕されたもののうち9名が起訴され、騒乱罪で有罪となった 1949年4月6日~13日、枝川事件が起こった。午後6時頃、3人の捜査員は主犯を発見、逮捕しようとした。しかし主犯は別人を主張、周りの朝鮮人数人も捜査員を見ていたため、任意同行に切り替えた。そして、屋外に出ようとしたところ、主犯は捜査員を突き飛ばし、裸足のまま逃走した。捜査員は拳銃を3発威嚇発砲して制止しようとしたが、逃走を続けたため、遂に主犯に向けて発砲した。そしてなんとか逮捕することができたが、主犯はその際に負傷した。それを見ていた約40人の朝鮮人が「仲間を殺したやつは殺してしまえ」と捜査員2人に襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加え重軽傷を負わせた上に在日朝鮮人連盟の施設に連行した。もう1人の捜査員は、事態の重大性を察知し、近くの民家の電話を借りて枝川地区を所轄する深川警察署と月島警察署に通報した。まもなく深川警察署と月島警察署の応援部隊が在日朝鮮人連盟の枝川支部に急行したが、激しい抵抗にあい、警察側に負傷者を続出させたが、アメリカ軍憲兵隊が来ると急に態度を軟化させた。その後の交渉で朝鮮人側は暴行犯人の引渡しを確約したが、4月8日になっても引き渡さず、逆に捜査員の処分を求める有様であった。4月9日より、警察は枝川地区に架かる橋に検問所を設置、通行者全員に検問を開始した。それと並行して内偵調査を行った。その結果、警察官に暴行した容疑者が割り出されたため、4月13日に一斉捜査が行われ、容疑者5人が逮捕された。4月19日までに更に10人が逮捕された 1949年4月7日~11日、高田ドブロク事件が起こった。午前6時頃、取締部隊は朝鮮人集落に到着し一斉取締を開始した。早朝であったため、この取締そのものは整然と行われ、午前8時30分頃には引き上げた。午前10時40分頃から朝鮮人たちが高田市警察署に集結し始め、正午頃になると200人に膨れ上がり、検挙者の釈放を要求した。しかし警察側が断固拒否したため、警察署に向かって投石を行い窓ガラス十数枚を破損させた。4月8日も朝鮮人約200人が警察署前に集結し、釈放を要求した。4月9日正午、一人の朝鮮人女性が高田税務署に現れた。一人であったことから税務署を警備していた警察官も、一般の利用者と思って油断していたところ、あっという間に14・15人の朝鮮人女性が集まり、署長との面会を要求してきた。警備の警察官が退去を勧告したところ、「人殺し」と叫び座り込みをはじめた。午後1時になると多くの朝鮮人男性が押しかけ、税務署内に突入しようとしたので、小競り合いになり双方に負傷者を出した。4月10日、検挙者の自供により、高田市においても密造酒の醸造が行われていることが判明したため、在日朝鮮人連盟信越支部などを家宅捜査した。4月11日、約500人もの朝鮮人が高田市に集結、デモ行進を行った。彼らは市民に対して「警察が朝鮮人に対して不当な弾圧を加えている」「放火して高田市を灰にする」などと叫び牽制していた。ここに至り、警察もデモの首謀者12人を検挙したため、この事件も収束に向かい始めた 1949年6月2日~11日、本郷村事件が起こった。国家地方警察福井県本部若狭地区警察署の本郷派出所の警察官が朝鮮人地区の地図を作成したことについて、在日本朝鮮人連盟の幹部が抗議した。幹部は一旦戻り、在日朝鮮人70人を引き連れて、派出所を包囲した。そして中の警察官に暴行を加え、そのまま居座り続けた。若狭地区警察署は署員を急派したが、なおも居座り、6月4日になってようやく解散した。朝鮮人側は 暴行警察官の罷免 被害者に対する損害賠償 朝鮮人に対する謝罪 朝鮮人問題については、事前に朝連と連絡協議をすることなどを要求したが、警察は6月10日に朝鮮人2人を逮捕するために現地に向かった。待ち構えていた朝鮮人200人が、石や糞尿を投げつけて逮捕を妨害したが、なんとか強行突破し、2人を予定通り逮捕した。その後朝鮮人たちは、「民族弾圧、ファッショ警察の再現」と叫んで警察署前に居座ったり、「ファッシズム国警若狭地区警察の真相」と題するビラをばら撒くなど示威行動を続けた 1949年8月20日、下関事件[騒乱]が起こった。19日午後11時頃、朝連事務所前に約150人の在日朝鮮人が集結し、民団を非難する集会を開いた。集会そのものは特に問題なく終了したが、警備に当たっていた朝連の構成員と民団の構成員が路上で遭遇、乱闘となり、民団側が所持していた日本刀で朝連側に負傷者を出した。朝連は、これに報復すべく8月20日午前2時30分頃、構成員約200人を招集し、民団下関支部や民団構成員の自宅を襲撃した。そして被害家屋から金品を略奪するなどの狼藉を働いたあと解散した。このため、未明にも係らず市内は一時大混乱になった。下関市警察は、直ちに国家地方警察山口県本部に応援を要請した。国家地方警察は、自治体警察を含む山口県内の全警察に非常招集を発令、警察学校の学生をも動員した。県内各地から来る応援部隊の到着後、朝連や民団の施設を一斉に捜索を開始し、939 人の警察官のうち 14 人が負傷したが、73人を検挙した。翌日8月21日には、下関市警察と国家地方警察の合同による「下関事件合同警備本部」を設置するとともに、市内各所に検問所を設けて逃亡を阻止した。最終的に208人が検挙され、殺人未遂罪のほか、騒擾罪などで75人が起訴された 1950年3月20日、台東会館事件が起こった。10日午前9時、東京都の係官が台東会館に赴いた。警視庁では不測の事態に備えて多数の警察官を警戒に当たらせた。係官は会館を引き渡すよう命じたが、旧朝連はそれを無視したばかりか、投石を行い抵抗した。そのため、この日の接収は一旦取りやめになり、3月20日に再度接収を行うことになった。旧朝連側は接収予定日の前日から、会館入口にバリケードを設け、周辺道路を巡回して警戒していた。3月20日午前7時、係官が台東会館に入ろうとしたが妨害を受けた。そして、警戒に当たっていた警察官に向かって、石や唐辛子粉を投げつけて抵抗した。そのため警察は強行突入を断行し、朝鮮人119人を検挙した 1950年8月15日、連島町事件が起こった。1949年9月8日、GHQの指示を受けた法務府は告示第51号を出し、在日本朝聯と在日本朝鮮民主青年同盟に対し団体等規正令を適用して解散命令を下す。また朝鮮学校と民団総連も解散請求を受けた。これらの措置は在日朝鮮人の生活に直接の打撃を与えた。将来に不安を抱いた朝鮮人同胞らの中には、革命を叫んで公共施設を不法占拠し火炎瓶で武装した事件が起きた。こうした世情不安の中、岡山県浅口郡連島町で、朝鮮解放5周年を祝って約700名の朝鮮人が集まり集会を強行したため、これを制止しようとした警察と乱闘になり8名を検挙した。この事件で警察官15名が負傷した 1950年11月20日~27日、長田区役所襲撃事件[第二神戸事件]が起こった。午後1時、約200人の朝鮮人が神戸市長田区役所に押しかけた。要求は「市民税免除」と「生活保護の徹底」である。しかし区長がこれを認めなかったため、区長を軟禁状態にして騒ぎ出した。神戸市警察は直ちに出動、30人が逮捕された。11月24日午前11時、約300人の朝鮮人が再度長田区役所に押しかけ、区長との面談を要求した。区長が拒否したため、朝鮮人たちは区役所に乱入し、窓ガラス等を破壊した上、出動した警察官に対しても暴力を振るったため、不退去罪の現行犯として26人が逮捕された。11月27日朝、24日に逮捕された仲間の奪還などを求め、姫路市、明石市、尼崎市などから約600人の朝鮮人が神戸に向かっているとの情報が警察にもたらされた。警察は甲号非常招集を発令、神戸市警察および国家警察兵庫県本部の警官約3000人に待機命令をかけた。長田区にある西神戸朝鮮人学校に神戸市在住の者も含め約千人の朝鮮人が集結。「祖国統一決起大会」を開催し、投石用の石や棍棒を用意するなど不穏な状勢となったため、正午頃に解散を命じたが、「犬め、殺してやる」「貴様等人民裁判にかけてやる」と暴言を吐いて命令を無視、午後3時20分頃には、学校から出てデモ行進を始めた。遂に警察は神戸市電湊川大橋停留所付近で検挙を開始したが、デモ隊は激しく抵抗し、約60人が逮捕された。その残党は新湊川沿いに北上、長田区役所や長田税務署を襲い、窓ガラスを割るなどした。最終的に179人が逮捕された 1951年1月23日、四日市事件が起こった。旧朝連四日市支部を接収しようとしたところ、居合わせた朝鮮人約20名が、器物やガラスの破片を投げつけたり、灰・唐辛子による目潰し攻撃をしたり、濃硫酸を浴びせて接収の妨害を行った事件。そのため、執行係官7名が全治2 - 3週間の重軽傷を負った。警察が出動して、公務執行妨害容疑で15名を検挙した 1951年3月7日、王子朝鮮人学校事件が起こった。当日、王子警察署は周辺の道路を封鎖し、同校生徒以外の群集の流入を阻止しようとしたが、群集はそれを無視し最終的に2000人が集まった。集会は午前10時から始まった。一方、学校外にいた群集が警察隊に対し、投石や唐辛子粉の噴霧など抵抗したため、ある警察官が付近の民家の2階から写真を撮ろうとした。しかしそれを見た群集が民家に乱入、その警察官に暴行を加え、カメラを破壊した。応援に来ていた蔵前警察署員が救出しようとしたが、逆に返り討ちにあい、重軽傷を負わされた上、拳銃や警棒などが奪われた。警視庁は、遂に群集を強制的に解散させることを決断、警官隊が校内に突入しようとした。群集は煉瓦や石を投げつけるなど強硬に抵抗したが、午後2時50分までに全員を校外に排除した。警察はこの事件で28人が重軽傷を負った 1951年6月13日、神奈川事件が起こった。横浜市神奈川区にある青木小学校分校において、神奈川県朝鮮人学校PTA連合運動会が開かれていたが、参加者の一人が警備をしていた警察官に対して暴力をふるったため、公務執行妨害で検挙しようとしたところ、これを妨害しようとして大乱闘となった。これにより、双方ともに数名の負傷者を出した。運動会終了後、約500名の在日朝鮮人が横浜市警察本部に殺到し、玄関前でスクラムを組んで奇声をあげた。 そのため、横浜市警は約1000名の警察官を動員し、公安条例違反容疑で28名を検挙した 1951年10月22日、下里村役場集団恐喝事件が起こった。下里村において、在日朝鮮人約200名が、「生活保護」「強制送還反対」の陳情をするために村役場に押しかけた 1951年12月1日、東成警察署襲撃事件が起こった。午前11時頃、朝鮮人たちは旧御幸森朝鮮人小学校に集まり、東成警察署までデモ行進した。その後、元御幸森朝鮮人学校に集合し、12時15分ごろ東成警察正門前に到着した。さらに同署の東方道路から約20名、南方道路から20名が殺到し気勢を上げて署内に突入しようとしたので、大阪市警視庁機動隊はそれを阻止した。その際デモ隊は、クロールピクリン酸入りサイダーびん3本、投石や唐辛子を投げつけて抵抗した。この事件で3人が公務執行妨害罪で逮捕された 。12月16日午後、不法デモをおこない3隊に分かれ、生野区、巽町の工場を襲撃した 1951年12月18日、日野事件が起こった。10月18日午前11時30分、滋賀県蒲生郡桜川村に、在日朝鮮統一民主戦線や祖国防衛隊のメンバーが集結し、自転車にスピーカーを取り付けて自転車デモを行おうとした。滋賀県公安条例の届出を出していない違法デモであった。国家地方警察滋賀県本部蒲生東地区警察署では、これを制止しようとしたが、デモ隊は強行突破し、日野町内に侵入した。デモ隊は日野郵便局前で「朝鮮人強制送還反対」「軍事基地化反対」などの演説を行った。その間、周辺在住の朝鮮人が集まり、ピケを張ったりバリケードを作ったりした。そして警官隊に棍棒で襲い掛かったため、公務執行妨害罪で20人が検挙された 1952年2月21日~23日。木造地区警察署襲撃事件が起こった。国家地方警察青森県本部木造地区警察署は、傷害容疑で在日朝鮮人2名を逮捕した。これに対し、在日朝鮮人数十人が検挙者の即時釈放を要求して連日署に押しかけた。2月23日に入り、在日朝鮮人約70名が署内への侵入を図って警備の警察官と揉み合いになり、警察署の玄関のガラス戸が破壊された。また同日午後7時、応援に駆けつけていた弘前地区警察署の署員11人が、国鉄五能線木造駅を警備していたところ、在日朝鮮人に取り囲まれ、警棒を奪われる事件も発生している 1952年3月26日~30日、多奈川町事件が起こった。以前より多奈川町警察は、隣接の国家地方警察泉南地区署の応援を得、幾度も朝鮮人による密造酒の摘発を行っていたが後を絶たず、増加するばかりであった 1952年3月24日、大阪国税局は、同局泉佐野税務署・大阪地方検察庁岸和田支部・国家地方警察泉南地区署と合同捜査会議を行い、一斉摘発を決定。同年3月26日午前5時40分ごろ、泉南地区署に、国税局員45名・検事1名・副検事1名・検察事務官12名・制服警察官50名の合同捜査チームが集合。10班に分かれ、トラック10台に分乗し、多奈川町9ヶ所、深日町1ヶ所、計10ヶ所の密造場所に向かう。納屋や豚小屋に偽装された密造工場の各所で、朝鮮人による抵抗に遭うも、検察庁職員によって容疑者の逮捕、国税局員によってドブロク・コウジ・蒸留機などの酒造器具を証拠品として差押さえるなどし、各班は逐次南海電気鉄道多奈川線多奈川駅前に集合。この時、婦女子を先頭にした朝鮮人約200人がトラックの前に座り込んだり、大きな石をいくつも道路上に置いて交通を妨害。これを排除しようとした警察官が激しい抵抗に遭っている間、手薄な警備に勢を得た朝鮮人の数はさらに増え、ついには「生活権」を訴える怒号に扇動された朝鮮人が「殺してしまえ」とわめきながらトラックに殺到し、タイヤの空気を抜く、窓ガラスを叩き割る、トラックの運転手を袋叩きにする、差押えた証拠品を叩き落して破壊・強奪する、被疑者を逃がすなどの暴挙に出た。 この危機を脱したトラック3台は集合場所の大阪拘置所に向かったものの、残る7台は駅前の国道で立ち往生となる。1個班につき警察官が5人と言う手薄な警備体制が招いた失敗であった。不測の事態を受けた合同捜査チーム総指揮官大坪検事及び泉南地区警察署長は、深日町警部派出所から国家地方警察大阪府本部に応援を要請。検挙は後日に譲ることとし、後日の検挙に備え多数の現場写真を撮影、道路上の妨害を排除しつつタイヤの空気を入れなおし、午前7時半ごろ、捜査チームは泉南地区署に引き揚げた。午前8時過ぎごろ、朝鮮人約30名が多奈川派出所に押しかけ「俺たちの生活をどうしてくれる」と抗議。間もなく代表者3名を残し引き揚げる。午前9時ごろ、取材に来ていた毎日新聞社大阪本社の記者がドブロク密造地区捜査取材のため多奈川派出所に向かう途中、朝鮮人の暴徒に囲まれて殴打され、石を投げつけられ、全治2週間の怪我を負う事件が発生。また、この騒ぎで城東税務署員も右手に怪我を負っている。事態を重く見た国家地方警察大阪府本部は27日・28日の2日間にわたり、現場証拠写真、現場に出動した警察官、第三者の証言から被疑者の割り出し、証拠収集にあたる。結果、被疑者17名を特定し、29日、暴力行為等処罰に関する法律違反、公務執行妨害および傷害ならびに酒税法違反容疑で逮捕状・捜査令状を大阪地検より受けた。同年3月30日午前2時、検事らをはじめ、大阪府下8地区署から制私服警官警察官・警察学校生徒など、約450名が大阪市城東区関目の大阪府警察学校に集結。午前5時すぎ、自動車・トラック約30台に分乗して多奈川町小田平、朝日、東、湊、深日町兵庫の5地区21ヶ所に急行し、逮捕、押収捜索にあたった。捜査員が被疑者を逮捕しようとした際、人糞を降りかけられる、手を噛まれる、水桶・たらい・マキなどを手当たり次第投げつけられる、クワ・こん棒などを振り回して暴れる、トウガラシの粉を投げて目潰し戦術に出るというようなことがあり、捜査員3名が打撲傷などを負ったが、前回ほどの組織的集団抵抗はみられなかった。この検挙の際、26日の暴行首謀者とされる3名が逃走。緊急逮捕を含む27名の逮捕者は取り調べののち、5名を釈放。残り25名を酒税法、公務執行妨害、傷害、業務妨害などの容疑で大阪地検に送庁、19名が起訴された。3月30日の検挙活動の際、朝鮮人1名が職務質問を受け逃走、追いついた警官ともみ合いになり拳銃の引き金が引かれ、弾が右腹部を貫通、重傷となり、数日後に死亡した 1952年5月1日、血のメーデー事件が起こった。GHQによる占領が解除されて3日後の、第23回メーデーとなったこの日の中央メーデーは、警察予備隊についての「再軍備反対」とともに、「皇居前広場の開放」を決議していた。大会は午前10時20分ごろ開会され、途中、全学連を中心として人民広場への乱入を扇動しようとする乱入者が相次いだものの、午後0時10分に閉会し、同25分より、北部・東部・南部・中部・西部の各コースに分かれて、予定のデモ行進に移った。デモ行進の途上でも、人民広場への乱入を扇動しようとする試みが相次ぎ、一部のデモ隊は当初のコースから外れて投石などを行ったほか、西部コース指導者は人民広場への乱入を拒否したために暴行を受けるなどの混乱が生じたものの、最終的には午後2時から4時にかけて順次に予定の解散地点に到着し、解散した。しかし特に混乱が著しかった南部コースを中心として、日比谷公園で解散したデモ隊の一部は、その中の全学連と左翼系青年団体員に先導され、朝鮮人、日雇い労務者らの市民およそ2,500名がスクラムを組んで日比谷公園正門から出はじめた。警視庁は、会場や行進中には主催者の自主的統制に待つこととしていたが、5,600名の部隊を編成して雑踏警備にあたっていたほか、各署員1万名以上を待機させて即応体制を整えていた。日比谷交差点を通過して無届デモを開始した群衆に対して、まず丸の��警察署長以下60名が制止したが、投石や竹槍・棍棒による攻撃を受け、13名の負傷者を出した。デモ隊は外国人の自動車19台に投石して窓ガラスを次々に破壊しながら北上した。馬場先門においては、第一方面予備隊と三田・東京水上・高輪の3警察署による470名の部隊が警備にあたっていたが、方面予備隊の一部が拳銃および若干の催涙弾を装備していたほかは警棒を携帯しているのみであった。またデモ隊は極めて先鋭的であったことから、周囲の一般通行人への被害も憂慮した方面予備隊長は車道の警戒線を解き、デモ隊は皇居前広場になだれ込んだ。乱入したデモ隊は、二重橋正面で警備にあたる丸の内警察署員および増援の第一方面予備隊2個中隊に対して投石を開始した。祝田町警備巡査派出所ではボックスが押し倒され、警察官は袋叩きにされて拳銃を奪われた。警察部隊は催涙弾を使用して鎮圧にあたり、午後3時頃には暴徒を中央自動車道まで後退させ、にらみ合いの状態となった。しかしこの頃、桜門および祝田橋でも警戒線が突破されたことで暴徒は8,000名に増加した。警察側も逐次に予備隊を配置転換して体制を強化したが、暴徒との攻防は激しく、一部ではやむなく拳銃を使用した。この結果、暴徒が混乱に陥ったことから、警察側は体制を整えて一気に鎮圧を図り、午後3時40分までには暴徒の大部分を広場外に排除した。しかし広場外に排除された暴徒はその後もしつこく攻撃を繰り返し、祝田橋では第一方面予備隊の隊員4名が包囲され、角棒で乱打のうえで凱旋濠に投げ込まれ、更に投石を加えられた。また他の隊員4名も包囲されて同様の暴行を受けそうになり、拳銃の威嚇射撃でやっと難を逃れる状況であった。またこのほかにも、警察官への暴行が相次ぎ、拳銃を奪われる例もあった。午後3時50分頃には、桜門前濠端側に駐車されていた外国人自動車14台を転覆させて火を放ち、炎上させたほか、付近をサイドカーで通行していた交通第一課員を取り囲んで暴行を加え、サイドカーにも放火した。その消火のため出動した消防隊も投石や殴打を受けて13名が負傷、ホースも切り破られた。これらの暴徒も午後4時頃には離散しはじめたが、その後も有楽町巡査派出所が襲撃されたり、また一部は日比谷公園に逃げ込んで投石を続けていた。皇居前広場・日比谷公園が平静を取り戻したのは午後6時過ぎのことであった。これらの騒動の結果、デモ隊側は死者1名、重軽傷者約200名、警察側は負傷者832名を出す流血の惨事となった。当日は警察予備隊の出動も検討されていたが、一般警察力によって収拾されたため、出動を命じられるには至らなかった。 なお、この事件に出動した「予備隊」とは「警視庁予備隊」のことであり、後の機動隊である。警察予備隊のことではない

1952年5月12日~25日、大村収容所事件が起こった。法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線���同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した 1952年5月13日、広島地裁被疑者奪回事件が起こった。午後2時55分から広島地方裁判所第二号法廷で勾留理由開示を開くことになっていた。対象となった被疑者は、4月30日と5月1日に、国警広島県本部安佐地区署古市町駐在所と民家に、それぞれ火炎瓶を投げつけて放火した容疑で逮捕された朝鮮人4人であった。勾留理由開示は予定通りに開廷されたが、傍聴席には多くの朝鮮人が陣取り、赤旗や北朝鮮旗が掲げられるなど異様な雰囲気での開廷であった。閉廷直前の午後5時20分、傍聴席の朝鮮人約200人が被疑者と傍聴者を分ける柵を乗り越え、被疑者に手錠をかけようとした看守を妨害して、被疑者4人を奪還した。広島地方裁判所の事務室には、万が一の時のために広島市警察の警察官約70人が待機していたが、現場に駆けつけたときには、既に逃走された後だった 1952年5月26日、高田事件が起こった。民団愛知県本部の顧問は、北朝鮮系の在日朝鮮人の脅迫を受け続けてきた。同年3月には自宅を襲撃されたり、殺害予告のビラが貼られたりしていた。午前5時40分頃、北朝鮮系朝鮮人数十人が顧問宅に侵入、ドアやガラスを破壊したりするなどの狼藉を働いた。顧問は何とか逃げ出し、名古屋市警察瑞穂警察署高田派出所に助けを求めてきた。まもなく顧問を追跡してきた一団が高田派出所に押しかけ、備品を破壊したり火炎瓶を投入したりして焼き討ちした。顧問は警察官の誘導で裏口から退避し、道を隔てた高田小学校正門より用務員室に向かったが、追いつかれ暴行により全治10日の傷を負った 1952年5月31日、奈良警察官宅襲撃事件が起こった。25日、桜井町で民団磯城支部書記長が、旧朝連系の在日朝鮮人に襲われる桜井町事件が発生した。国家地方警察奈良県本部は犯人を検挙し、奈良地検に送致した。5月30日、奈良市警察に国警磯城地区警察署から「在日朝鮮人の一団が奈良市に向かっている」との連絡が入った。在日朝鮮人の一団が奈良地検に突入したため、奈良市警は実力で排除した。このことから、旧朝連系は奈良市警に反感を持つようになった。襲撃を受けた奈良市警の警察官宅は、桜井町事件が発生した桜井町に所在していた。5月31日、桜井町の奈良市警警備課巡査部長宅に約10名の在日朝鮮人が覆面姿で押しかけて戸を叩いた。巡査部長の父親が戸を開けたところ、いきなり暴行を加え意識不明の重体にした。そして窓ガラスや障子を破壊して逃走した 1952年5月31日~6月5日、万来町事件が起こった。当時、宇部市には約3100人の在日韓国・朝鮮人が居住しており、大半が生活保護受給者だったが、市当局は彼らが「日中ブラブラしていた」ことから、「潜在収入がある」として、生活保護費増額を見送っていた。朝鮮人側はこれに激昂し、以降、連日宇部市福祉事務所に押しかけ、市職員を吊るし上げた。6月3日になると約400人に達したため、宇部市警察は全職員を動員して対処したが、朝鮮人側はその隙をねらって、留守中の上宇部派出所を襲撃した。6月5日、宇部市万来町において、朝鮮人解放救援会山口県本部が「民主愛国青年同盟」を結成し、当日は県内各地から朝鮮人が多数集結した。うち約70人が午前11時に宇部興産の工場に乱入、守衛を殴打し、電話線を切断するなどの行為をおこなった。続いて民団の団員宅を襲撃した後、引き揚げた。警察は襲撃犯を逮捕するため、午後2時に解放救援会事務所を包囲した。警察は解散を呼びかけたが、朝鮮人側は投石などの手段で抵抗した。午後3時半より警察は実力行使を開始し、午後4時からは催涙ガス弾も導入してようやく鎮圧した 1952年6月10日、島津三条工場事件が起こった。午後4時頃、トラックに乗った祖国防衛隊所属の在日朝鮮人約50人が、京都市中京区にある島津製作所三条工場に押しかけ、守衛の制止を振り切って中に突入、破防法反対のアジ演説を行った。工場側の要請を受けた京都市警察堀川警察署の署員約15人が現場に急行、五十代くらいの朝鮮人が妨害したため、ただちに検挙し京都市警南部警邏隊のパトカーに収容した。すると、付近にいた朝鮮人約100人が騒ぎ出した。パトカーがサイレンを鳴らして発進し、春日通三条にさしかかったとき、多数の朝鮮人が前に立ちふさがり、車内に火炎瓶を投げ込んだ。パトカーはたちまち火の車となり、道を大きくそれて京都市バスの車庫に入り込み、バスに激突した。乗っていた8人の警察官は重軽傷を負った。検挙者も火傷を負ったが逃げおおせることに成功した 1952年6月13日、醒井事件が起こった。滋賀県坂田郡醒井村では、民団系と在日朝鮮統一民主戦線系の在日韓国・朝鮮人間で対立が起きており、10日と6月11日の2日連続で乱闘事件が起きていた。午前5時頃、国家地方警察滋賀県本部坂田地区警察署の警察官は、被疑者逮捕のために現地に向かったが、朝鮮人は事前に察知し、ピケを張るなどして自宅に立て篭った。朝鮮人側が、投石や棍棒を投げつけるなど被疑者の逮捕を妨害したため大乱闘となったが、警察はこれを鎮圧し公務執行妨害罪で48人を逮捕した 1952年7月7日、大須事件が起こった。日本社会党の帆足計と改進党の宮越喜助の両代議士が、ソ連及び中共を訪問して日本国政府の方針に反する「日中民間貿易協定」を結んだ後に帰国し、6日に名古屋駅に到着した。両代議士の歓迎のために約千人の群集が駅前に集合、無届デモを敢行したが、名古屋市警察によって解散させられた。その際に12人が検挙されたが、その中の1人が所持していた文書から、翌日の歓迎集会に火炎瓶を多数持ち込んで、アメリカ軍施設や中警察署を襲撃する計画が発覚した。7日、名古屋市警察は警備体制を強化し、全警察官を待機させた。午後2時頃から、会場の中区大須球場に日本共産党員や在日朝鮮人を主体とする群衆が集まり始め、午後6時40分頃に歓迎集会が挙行された。午後9時50分に集会が終わると、名古屋大学の学生がアジ演説を始め、その煽動によって約千人がスクラムを組みながら球場正門を出て無届デモを始めた。警察の放送車が解散するよう何度も警告したが、デモ隊は放送車に向かって火炎瓶を投げ込み炎上させた。警察は暴徒を鎮圧すべく直ちに現場に直行したが、デモ隊は四方に分散して波状的に警察部隊に対して火炎瓶・投石・竹槍・プラカードで攻撃を行い、路上の一般の乗用車に放火するなど、大須地区は大混乱に陥った。また、大須のデモ隊とは別に、アメリカ軍の駐車場に停めてあった乗用車を燃やしたり、中税務署に火炎瓶を投下する事件も発生している。この事件で、警察官70人、消防士2人、一般人4人が負傷し、デモ隊側は1人が死亡、19人が負傷した。名古屋市警察は捜査を開始、最終的に269人を検挙した。その内、半数以上が在日朝鮮人だった。捜査の結果、この事件は共産党名古屋市委員会が計画し、朝鮮人の組織である祖国防衛隊とも連携しながら実行に移されたことが分かった 1952年11月9日~12日、大村収容所事件が起こった。5月12日、法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した 1952年11月19日~26日、五所川原税務署襲撃事件が起こった。仙台国税局は警察の協力を得て、青森県北津軽郡板柳町周辺の在日朝鮮人が経営する密造酒工場を摘発し、密造酒約100石、酒粕約400貫、その他容器約200点などを押収、酒税法違反として45名を検挙した。また、摘発を妨害したとして、在日朝鮮人7名を公務執行妨害の現行犯で逮捕した。その後、在日朝鮮人は「生活権の保障」と「職の斡旋」を要求し、国警板柳地区警察署と五所川原税務署に連日抗議活動を行った。11月26日には約60名が五所川原税務署に押しかけて署内に乱入し、署を占拠した
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「Club SLAZY」というオリジナルの舞台があって、みんなに見てほしいと思いながらTwitterで主張してたのですが、長くなり過ぎたのでこちらでまとめます。
基本情報
全部で6本の作品(1つは外伝的扱いだがここではまとめて語ろうと思う)とスペシャルライブというおまけ的な公演がある。ライブと言っているが6作目のその後が描かれており楽曲中心だが実質的に7作目にあたる。
「Club SLAZY」「Club SLAZY the 2nd invitation」「Club SLAZY the 3rd invitation」「Club SLAZY the 4th invitation」「Club SLAZY~Another World~」「Club SLAZY the final invitation」「Club SLAZY Special live」
以下1作目〜6作目と書いていきます。無印が1作目、AWが5作目、finalが6作目です。スペシャルライブはスペシャルライブかSPlive。
他に1作目と2作目の間にあったライブ「LUV SLAZY」、3作目と4作目の間にあったライブ「LUV SLAZY II」という公演がある。スペシャルライブに比べると演じているシーンは少な目でライブが中心。円盤化していないので自分の記憶にたよるしかないけど、少し触れるかも。IIは曲だけプレイボタンで発売されました。
更にスペシャルライブの後にTVドラマにもなっているがキャパオーバーのためこの記事では触れないと思う。
メインスタッフ紹介
脚本・演出 三浦香さん。この世界を創造したまさに神。この作品は三浦さんの脳内のアミューズメントパークに私ら部外者の観客が招待されているのだと思っている。最近テニスの王子様ミュージカルで演出補をしてらっしゃると思ったら最新作ではついに演出・脚本をやることになったとか。熱い。
脚本 伊勢直弘さん。3作目からの参加ですが、3作目で人気が出て4作目でブレイクしたと言われてるこの作品にとってとても大切な人。
振付 當間里美さん。意味が分からないくらいカッコいい振り付けをする人。刀剣乱舞ミュージカルでも振付してます。
作詞作曲 ASUさん。意味が分からないくらいカッコいい曲と歌詞を作る人。この作品の根底を支えてると言っても過言ではない。まあとにかく聴いてください。
私はClub SLAZYのことが大好きだ。しかしCSL(略称)を見てると「ひょわぁぁぁ………すき……」みたいな感じで偏差値が落ちて語彙がなくなり、他の人にプレゼン出来るような冷静な状態ではなくなってしまうんだ。
例えば「クラブスレイジーとは何か?」という根本かつ初心者向けの説明をしようとすると、ゲンドウポーズで「クラブスレイジー……それが一体何なのか、実は未だにさっぱり分からんのです……誰か教えて」って言い出す。それが私だ。
「Club SLAZY」はメンズキャバレーの名前である。店のパフォーマーは全員男性。客は全員女性。招待制で、「ガーネットカード」と呼ばれる赤い封筒に入った招待状がないと行くことが出来ない。
招待状を送る相手は店の支配人が決めている。
招待状を送る基準は「つらくて惨め」「悲しい」状態であること。スレイジーは店のパフォーマンスで女性の心を慰めるのが目的なのだ。
ところでこの店、お代をもらってないのだ。無料なのだ。慈善事業なのだ。
それで「この店のそもそもの存在目的は何?」ってならない? 私はなったね‼️
支配人の他にオーナーがいる。オーナーがあやしい。悲しい女性の涙を集めて何をするつもりなんだ。それとも他に真の目的があるのか? 謎のまま物語は進む。支配人はZs(ジーズ)、オーナーはX(エックス)といいます。
もしかしたらジャンルはファンタジーなのかもしれない……多分ファンタジーだ。異世界���話かもしれない。この作品の世界は大まかにアンダーワールド(私たちのいる現実世界)、Club SLAZYという異空間(招待状がないとたどり着けない、キャストも自由には出入り出来ない、料金も取らずに営業してるこのキャバレーは、異空間なのである)、「トリ」というもう一つの異空間の3つに分かれている。スレイジーやトリは天国や地獄のメタファーなのか? そう単純な話でもない。
Club SLAZYは沢山のパフォーマーがすごい歌とダンスを繰り出しくる。曲も歌も振り付けもすばらしくて、これらだけでも元が取れる。各パフォーマー毎に持ち歌がある。そうでない歌もある。舞台では完璧なパフォーマンスを魅せる彼らは実は舞台裏ではダメダメで、不思議ちゃんで…と変人揃い。
そんな酒浸りだったりナルシストだったり弱気だったり人見知りだったりと、色々ダメな男たちが、日々衝突したりしなかったりしながらダラダラ暮らしてるっぽいです。そういうのを楽しみます。
舞台でソロパフォーマンスが出来るのは上限5人なので、その枠を競い、更に5位の中で順位を競ってもいる。
表向きはそんな風に競争社会を基盤にしたシステムの店になってる。
でも実際はそうじゃないんだなあ。
男社会の闘争を繰り広げてるふりをした女社会の話だなって勝手に思ってる。で、理不尽な父性を象徴するXはどこまでも異物なのだ。
ほら、全然簡単に説明出来てないよこの人‼️
えー……プレゼンしようとすればするほどドツボにハマりますね。ストーリーにとても癖があるので、ノリについていけない人にとっては「何だこりゃ」になるし、好きになった人にとっては「最高ぉぉぉ‼️」となる。見る人を選ぶ作品かもしれない。でもついてこれなかった人も声を揃えて「歌は曲も歌詞もとてもいい。ダンスもいい」ってゆいます。全編オリジナル楽曲なのですが、歌いいんですよー騙されたと思って見てくれ。もしかしたらお話も気にいるかもしれないですし。ぜひー。キャストもいいよ。キャストもいい‼️ 見てくれ‼️(語彙は死んだ)
Club SLAZYには千子村正(ミュ)、燭台切(ステ)、博多(原作の声優さん)ととうらぶ界隈でお馴染みのキャストが揃ってるよ! 真田丸で信之の息子を演じた役者さんもおるので大河ドラマクラスタも見て。「レディ・プレイヤー・ワン」に出たハリウッド俳優もおるんやで。洋画クラスタもついでに見て。
Club SLAZYの登場人物はみんな弱っちい。何だか自分のことのように思えるんだ。特に社会で働き始めたはいいけど、男と同じ扱いはさせてもらえず、理不尽な世の中に悩んでる女性には。本当の気持ちを隠してたり、愛する人と別れたり、有象無象の試練を前にして座り込んでる人たちに、寄り添ってくれるんだ。……って、勝手に思ってるんだけど。私はDVDをヘビロテしてしまっていつのまにかこんな風に考えるようになったんだけど、普通の観客は違うのかもしれない。分からん。Club SLAZYのことを私は何も分からない。
Club SLAZY を好きな人たちは自らを「檻民」と称していた。これは3作目の中で登場人物がClub SLAZYという店を「小さな檻の中」と称したことによる。しかしその後5作目で公式に「386」という通称が登場する。以来私たちは自らを386と呼称している。「みはる」と読みます。
スレイジーは作内で何回か舞台上での早着替えがあるんですが、どれもいいんだよね〜。特に4作目冒頭のOddsさんのが好き❤️ 魔法少女ものの変身シーンに匹敵するエモさだと思っている。
言い忘れてたんだけどこの店ではソロパフォーマンスを許されたトップ5の実力者を「レイジー」と呼称しています。レイジーになるべく頑張っている見習いパフォーマーは「ニュージャック」パフォーマンスをしない店の裏方スタッフは「ミスティック」と呼ばれてます。上下関係はこう。
オーナー・支配人>レイジー>ミスティック>ニュージャック
ゆえあって引退した元レイジーには「キングダム」という呼称あり。と言ってもキングダムの話はあまりない。
レイジーは更に序列があり、高い順にトップエース、セカンドエース、サードスター、フォーススター、ファイブスターという称号があります。なぜ5番手だけフィフススターでないのかは私も知りません。
ニュージャックを経て実力を認められるとレイジーになるような感じだが、ニュージャックにならずいきなりレイジーになる人もいる。確認されている中ではCBがニュージャック経験者。Bloom、DeepとEndはニュージャックを経ていない。また、レイジーになった後も並んで順番に上に上がっていく訳ではなく、順位の変動で逆転するケースもあり、極端な例だとBloomはいきなりセカンドエースになっている。ごぼう抜きである。
登場人物紹介
Act(あくと:大山真志)。歌とダンスが圧巻のナンバーワンパフォーマー、トップエース。お話の中で色々とあって、店を後にした。彼がいなくなった後のトップスターはセカンドエースのBloomが兼任している。別の世界では戦国大名(大泉洋)の正妻(吉田羊)の息子をやっている。
Bloom(ぶるーむ:太田基裕)。レイジーの2番手であるセカンドエースの男。色気と歌唱力で客を魅了するが、舞台裏に戻るとやる気のなさにいつも死にたがってる。おばけになれたらいいな〜とか言ってる。かなり重篤な天然の不思議ちゃん。トップエースに相応しい実力を備えた彼がトップの座を固辞するのは何故か。単に面倒くさいからか。それとも❓ 別の世界ではすぐに脱ごうとする刀剣男士をやっている。
Cool Beans(くーるびーorくーるびーんず:米原幸佑)。サードスター。マジで万年サードスター。彼がレイジーになる前のサードスターはOddsだったが、それ以外の人は作内で一度もサードスターだったことがない。圧倒的3番手。俺様主義で自分大好き。全ての観客が自分のパフォーマンスのあまりのすばらしさに失明すると思っている。「クラブスレイジーのマシンガンナルシスト」と評される彼のパフォーマンスは完全に陽キャラパリピのそれ。その実怖がりで寂しがり屋。周囲の人間の不和に何よりも怯える心優しい意気地なしである。本人は常にトップエースになりたがっているが、「やる気のないやつとは勝負したくない」というポリシーのためBloomとは戦いたがらない。Actには「2番手になってから言え」と相手にしてもらえない。理不尽。それゆえに万年サードスター。そんな彼は全386から愛されてます。私も愛してます。
Deep(でぃーぷ:加藤良輔)。フォーススターつまり4番手のレイジー。勤勉とは程遠く隙あらばさぼりたいと思っている大酒飲み。似たような傾向のあるBloomと仲が良く、ノリが違いすぎるCBのことは苦手らしい。しかしそんな彼にも色々な過去があり、これからも色々起こるのだ(分からん)。
End(遠藤/えんど:井澤勇貴)。恋人に振られた男。彼女が確認もせずゴミ箱に捨てたガーネットカードを手にしたばっかりにClub SLAZYに迷い込んできた狂言回し(1作目のみ。以降は一レイジー)。そのカード多分元カノ宛のやぞ。周囲にボケが多いのでツッコミ役に回らざるを得ない業を背負ってる。いつの間にかSLAZYで働いていて、やる気もそこそこある模様。Deepが彼の教育係になったが、実際にはEndが酔い潰れたDeepを回収する係である。歌と踊りが上手く、すぐに他人のナンバーをカバーしたがる傾向あり。欠番になってたファイブスターに就任。迷い猫を保護したばかりにひどい目にあう。トラブル受難体質。
Fly(ふらい:才川コージ)。レイジーを目指して日々努力するニュージャック。CBが教育係をしていて、何故か彼のことを崇めている。歌担当みたいに出てくるけど実際は筋肉担当(中の人筋肉番組出演履歴あり)。
Graf(ぐらふ:後藤健流)。レイジーを目指して日々頑張っているニュージャック。Flyと同じくCBが教育係。兄弟弟子立場にあるFlyとニコイチ扱いされることが多く、しかしふたりともそのことには不本意なようだ。メガネをしてるけどインテリ系ではなくダンス担当。ダンスが半端ない。まじでダンスを見てくれ。何故か彼もCBのことを崇めている。
Q(きゅー:法月康平)。ミスティックのリーダー。私は多分Q連続体から来たんじゃないかと思いますね(トレッキー向け)。指を鳴らすとあるべきものがあるべき場所へと飛んでいく。Qだよ。めっちゃQだ(詳しくは新スタートレックをご覧ください)。誰に対しても優しいが特にCBに優しい。この人も途中の話で色々あります。物語の最初からいましたみたいな顔をしてるが初登場は2作目。
Zs(じーず:藤原祐規)。店の支配人。現役時代はセカンドエースで、不真面目な勤務態度についてトップエースであるYaにとやかく言われていたっぽい。Yaがいなくなった後トップエースになるように当時の支配人Xに言われるも固辞。セカンドとトップを兼任とか言い出した(実質はトップエース)。その後いつのまにか店の支配人をやる羽目になる。そんな経緯があり、支配人業もあまりまじめにやってる様子がない。そこそこ。爪を隠すタイプの能ある昼行灯系キャラ。ガーネットカードが間違って遠藤の手に渡ったのは明らかにミステイクである。本来男の手には渡らないものなのだ。
Ya(やー:大須賀純)。Zsの好奇心がきっかけで店を去った当時のトップエース。Zsと違って性格は真面目。色々あって店から去り、店に再訪してから色々あってまた店を去った。「愛は幻」はEndでなくYaの持ち歌だと思ってます。別の世界では大阪城で小判を沢山収集する刀剣男士をやっている。大阪城特効ではマジでお世話になってます。
1作目は店に道場破り(?)に来たYa、何か思うところのあったAct、「不思議の国のアリス」のアリスのように店に迷い込んでしまった遠藤の3人が軸になるお話。
King(きんぐ:渡辺大輔)。Zsが現役のレイジーでトップ兼セカンドだった時にフォーススターだった男。Zsが現役を引退した時にZsに実力を認められてトップエースになる。当時のメンバーは伝説と称されていて一時代を築いたっぽいんですが、メンタル弱めなとこが穴になってしまった。突然店から姿を消した。ところが消えた彼を探すものは誰もいなかった。
Odds(おっず:藤田玲)。Zsがトップ兼セカンドの時にサードスターだった男。Zs引退でセカンドエースになった。トップエースになりたがってたが残念ながらKingがトップに選ばれてしまった。しかしセカンドエースをやってるうちに日和り、やっぱセカンドエースがいいなあ‼️ と思いながらやってたのにある日彼のトップエースKingがいなくなり、やる気を失って彼も店を辞めた。Zsさんと違って怠惰ではないが、ちょっと頭のネジが緩いところがある。kawaii。猫アレルギー。別の世界では新撰組の残党を連れてTo the Northしている。
Peeps(ピープス:山下翔央)。ニュージャック。何やら目的があって店にいる模様。
2作目はキングダムであるKingとOddsの元に手書きの招待状届き、2人が店を再訪する話である。2人が店を辞した時のいざこざをちゃんとしたい者がにせのガーネットカードを使い呼び寄せたのだ。
Riddle(りどる:森崎ウィン)とReti(れてぃ:INZ)。ある日突然店にやってきた謎の2人組。店のみんなは彼らを知らないが、彼らは店のみんなのことを知ってる。それどころか昔のことまで知ってる! 一体何者なの⁉️ 2人ともパフォーマンスがかなりエグい。人と話すのが得意ではないという割に明るく人懐こいのがリドル。別の世界では仮想世界の中に隠されたイースターエッグを仲間と探してる(監督・スピルバーグ)。無口でミステリアスなのがレティ。
X(えっくす:石坂勇)。かつての支配人。Zsが支配人になった時に引退。そしてオーナーになった。それまでオーナー誰だったのよ。気���なる。Xがオーナー兼支配人だったのかもしれない。現役の時代をちょっと見たいよね。オーナーポジションで店ではパフォーマンスしないけどソロの持ち歌はあり。腹に一物ありそうで何かと不穏なムーブをする。自分で指名した割にZsの怠慢な勤務態度に不満がある模様。
千と千尋みたいな世界観があるっぽくて、「名付け」が特別な意味を持つっぽい。RiddleとRetiは乱入してきた後に居合わせたオーナーXが名前を付けた。ZsやOddsはXが、CBあたりはZsが名付けた。支配人クラスでないと名付けられないような感じ(何もかも推測)。
ふらりとBloomが姿を消したある日、トップもセカンドもいないSLAZYに謎の2人組が現れて…というのが3作目のお話。この回から脚本が2人体制になりました。2人でどのように分業をしてるか分かりませんが、三浦さんの味は残したまま脚本がパワーアップしたというのがもっぱらの評価。
DooBop(どぅーばっぷ:倉貫匡弘)。寄るべない身の上の兄弟の兄。色々あってSLAZYに来てニュージャックになり、Oddsが彼の教育係になる。同じ時期に店に来て同じくOddsが教育係になったCBとは兄弟弟子である。この2人もニュージャックの頃やたら教育係のOddsを崇めていた。どこかで見た構図である。
Jr.(じゅにあ:大森夏向)。寄るべない身の上の兄弟の弟。兄と店に来た後はミスティックになる。というか子供だったのでミスティックに育てられる。名前も彼だけ例外中の例外でミスティックが付けた。別の世界では妹に「鬼いちゃん」と言われるほど怖い兄だったがあえな��戦死(監督・片渕須直)。
8と9(ハチとキュウ)。2人のミスティック。ミスティックは名を持たず、数字で個体分けがされている。数字が若い程責任者としての地位が高い。つまりえらい。8と9はDooBopと一緒にやってきたJr.に名前を付け、彼を育てた。名前がシングルなのでかなりえらいはずである。1番えらいのは「1」な訳だが、メタ的なことをいうと三浦香さんのことではないかと思っている。
4作目はDooBopとJr.が店に来たところから始まり、過去の回想と現在が行き来する(2作目もそうだった)。現在の方の冒頭でキングダムのOddsが支配人Zsに呼び出され、Zsが店にいない間の代理支配人に任命される。Oddsは最初は戸惑うが結局満更でもない様子で引き受ける。Kawaii。私が好きなOddsさん早着替えはここ。Zsさんと違って割とちゃんと支配人の仕事をやろうとする。
V.P.(ぶいぴー:Kimeru)。Actがトップエースになる前、ファイブスターだった時期のセカンドエース。サードスターのCBの扱いがひどい。一方当時のトップエースWillにはとても献身的。だが彼の愛が大切なものをこわしてしまう。このくだりはSLAZY全編を通した中でもかなりの悲劇。
Will(うぃる:東啓介)。V.P.の時代のトップエース。彼には先見の明があるとV.P.は評している。彼も紛れもなく圧倒的実力を持ったトップエースなのだが、セカンドエースの重い愛を受けながら店を引っ張るにはいささか繊細すぎた。色々あって店を去る。別の世界では眼に眼帯をつけた脚が3mある刀剣男士をやっている。
Eyeball(あいぼーる:長倉正明)。メインは5作目だが地味に1作目から登場しているネームドキャラ(その時は松本祐一さんがニュージャックと兼任でやってました)。優しいけど気が弱く、自分勝手なレイジーたちの間で一生懸命場を取り持とうとしてた苦労人。彼も色々あって色々あるのだった(分からん)。1作目で登場と書いたが、姿を変えて4作目にも出ていたということが暴露され、386は5作目でめちゃくちゃ高低差のあるジェットコースター気分を味あわされたのである。恐るべし三浦香。
5作目は1作目で店を去ったActが店を再訪するところから始まる。彼がファイブスターだった過去の時代のエピソードに不穏にXが絡んでくる。余談ながら当時の順位は上から順にWill、V.P.、CoolBeans、Deep、Act。
6作目には新規のキャラクターはいない。Actが居なくなったあと長らく空位であったトップエースに新たにレイジーが指名される。誰が新しいトップエースになるのか? あなたの目でご確認ください。
シャドウ。正確には人の名前ではない。支配人にのみ存在するイマジナリーフレンド的存在。支配人本人以外に彼らを見ているのはQのみである。Qにはなぜ彼らを視認する能力があるのかは分からない。多分Qのミスティックリーダーとしての資質を現しているのだろう(何もかも推測)。ZsのシャドウはGrafの中の人が兼任している。4作目で新任支配人になったOddsにも彼のシャドウが現れる。支配人はレイジーたちに比べると責任を負う立場ゆえ、第2の自分が現れてしまう、という設定らしい。彼らは自分の本体の支配人の味方であるが、実利的に役に立つ存在ではない。だがたまにとても重要なことをする(ときがある)。
以下色々感想や解説。
Club SLAZYという物語の持つエモさについて。Club SLAZYは男同士がクソデカ感情をぶつけ合ってる作品と思わせておいて、デカい感情をそっとしまって好きな人と好きな人の幸せを願ったり、好きな人が悲しまないように誤解されたまますっといなくなったり、居場所が欲しかっただけなのにどうしてこんなことに…とか、過保護な親の干渉から逃れようともがいたりとか、そんなような物語である。ぶつけ合ってる場面もないわけではないが、逆に他の人の幸せのために自分のデカい感情をそっとしまってしまう男の方に涙する。エモい。一方選択を重ねた結果望まない別離を経験する男たちもいる。エモい。
名付けについて追記。Jr.の名付けは例外と言ったが、よく考えるとキングダムのYaに名付けられたEndも例外だった。
衣装について。ステージ衣装は基本形に対しキャラごとにアレンジが入り、かつニュージャックはスタッズ少なめ、レイジー多めという差別化がなされている。シャツの色は黒だが過去の話に出てくるレイジーはベージュ色のシャツを着ている。Xが支配人の時代にレイジーになった人たちはベージュ、Zs時代になってからは黒という分け方っぽい。ミスティックは多少サスペンダーに違いはあるが基本的にみんな同じ服装である。リーダーのQは少し違う服を着ている。
トップエースだけは赤い羽飾りを身につけることを許されている。悲しき女性の涙を貯めると言われてるガーネットという謎のマジックアイテムも持っている。近くに悲しんでる人がいると光る。どういう仕組みなの。謎すぎ。
謎のアイテムといえばZsのステッキである。1作目では先が赤く光るギミックが付いていたが、2作目から光らなくなった。代理支配人になったOddsもステッキを持つが彼のそれは間違いなく武器である。華麗なステッキ捌きに客のハートが撃ち抜かれるのだ。恐るべし代理支配人。
80〜90年代のバラエティ番組の系譜。(執筆中)
繰り返される別離というテーマ。(執筆中)
SLAZYのキャラは自分自身に能動的な人、受動的な人に分けられる。(執筆中)
「セカンドエース」という母性についてあるいはせめぎ合うマチズモとフェニミズム(執筆中)
私のSLAZY履歴。見た順番が少し行き来している。LUV SLAZY IIの後の4作目公演までのテンションが半端なかった。(執筆中)
ありがとうClub SLAZY。4作目の初日を見た時の多幸感が忘れられない(執筆中)
楽曲紹介(執筆中)
「Garnet Star」「あなたは知らない」「Crazy Girl」「魔法のホウキ」「The Ranway Pierrot」「愛は幻」「Circus」「The Midnight parade」「DRUG」「Khorosho!」「The Curtain Song」「Patient of love」「Peeps gospel」「Show Business! 」「Slave March 」「Lonely Boogie」「Marionnette」「FAKE」「The Broken Ferris Wheel」「サヨナラ」「Serenade」「Thema of SLAZY」「A to Z」etc...あかん全然書ききれてないな。もっとある。
この記事を誰よりも伝えたかったあなたへ。個人的な友人への弔意なので読まなくてもいいです(執筆中)
書き途中でーす‼️
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終息宣言2021好評開催中!!森発言に絶賛抗議中!!オンライン集会はいよいよ本日!!
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[オリンピック終息宣言2021]は神楽坂セッションハウスにて2月14日まで。いよいよ折り返し。まだまだ内容はてんこ盛りです。
てんこ盛りの原因は、なんといっても森発言。開催2日前にうんざりするようなニュース。いかにもオリンピックなさ別発言(森はオリンピックにはふさわしくない、というのは間違い)、そしていかにもTOKYO2020などたばたな事態。
私たちはもともと展覧会までにTOKYO2020の中止が決定しなければ、抗議声明を出すつもりでした。そして森のせいで緊急に文章を追加。[TOKYO2020開催強行と森組織委会長発言に対する抗議声明]となりました。
現在、おことわリンクさんの出した声明とともに会場に掲出し、両方とも賛同人を集めています。ぜひご来場の際は賛同人になってください(文面は本記事末に掲載しましたが、例によってイケガミアツコによる朗読ビデオが速攻完成しました。会期中に深夜晴海まで行くという無謀な撮影です)。
そして待望のオンライン集会[311まであと一ヵ月、オリンピックをちゃんと理解する会]は、本日2月11日(木)19:30より!!配信はこちらから!!
https://www.youtube.com/watch?v=GbY14Tvzgr0
イケガミより[文学vsオリンピック・デスレース2020]では外苑(JOC)~市ヶ谷~神楽坂というルート上にナショナリズムのテキストがちりばめられている、との主張があり、配信が電波不良だったり、夜で風景が見えなかったりした分のフォロー動画が届きました。いきなり三本。
これはサテライト企画のさらにフォローなので、Un Official動画として紹介します。オリンピックや、ナショナリズム、建国記念の日を「ちゃんと理解する」手がかりになるか?
1.外苑内:建国記念文庫
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2.市ヶ谷駐屯地:檄文(イケガミは三島が大嫌い)
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3.東京監獄:金子文子尋問調書
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さらに会場風景の紹介続きです。



1.三木祥子、花田伸
2.宮田昌作、平井勝正
3.吉川和江、戸山灰
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TOKYO2020の開催強行と森組織委会長発言に対する抗議声明
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組織委員会会長 森喜朗
TOKYO2020組織委員会
日本オリンピック委員会 山下泰裕
JOC
内閣総理大臣 菅義偉
首相官邸
オリンピック担当大臣 橋本聖子
文部科学省 スポーツ・青少年局競技スポーツ課 オリンピック・パラリンピック室
東京都知事 小池百合子
東京都オリンピック・パラリンピック準備局
宛
TOKYO2020の開催強行と森組織委会長発言に対する抗議声明
私たちはオリンピック・パラリンピックの終息を宣言する。
これはTOKYO2020の中止だけでなく、今後予定される北京、パリ、ミラノ、ロス、そしてよもやの2032年東京、のすべてである。
しかし、今、私たちがもっとも重要と考えるのは、TOKYO2020の中止である。これを止めることが「オリンピックはやめられる」ことの先例となるからだ。
中止すべき最大の理由はもちろん新型コロナウイルス感染症COVID-19の拡大である。
この一年、全てのひとびとの生活が、そして文化芸術活動やそのための施設が多くの制約を受け、破壊的な打撃にさらされてきた。美術、音楽、映画、舞台、一部のスポーツイベントも、文化のひとつに「食文化」も含めると飲食店も。公演や興行、作品制作の中止、延期、施設の休業、時短。そのことの経済的なダメージによって閉鎖した施設もあまたある。
それに対しての政府・東京都の補償は不十分だったり、見当違いだったり、業界から是正を求め、提案をしても、まったく聞き入れない。
私たち[オリンピック終息宣言]展は2月6日から14日まで神楽坂セッションハウスで展覧会を実施した。しかし、開催を選ぶにしても、いくつもの企画の縮小・変更を余儀なくされ、アルコールやマスク、定員制限といった物理的対策、なによりも精神的な不安の中開催するのだ。この負担はきわめて重い。
にもかかわらず、TOKYO2020、もう2021年なのに、こればかりはまったく中止決定せず、費用を無限にふくらませ、医療や補償にまわすべきリソースを食いつぶし、世論調査で8割もが「開催はムリ」と言っている声も聞かずに、政府、東京都、JOC、組織委員会は
「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証としてワクチンなしでも安全安心やらないというご意見があれば聞いてみたい3月には福島第一原子力発電所のすぐそばから聖火リレーをスタートし子どもたちの笑顔のための希望の灯とします毎日毎日神に祈る」などと言い続けているではないか。
たとえば、開会式の半年前の1月23日を例にとると、この日の東京都新規感染者数は1070人。オリンピックまであと181日。このふたつの数字の並びに、なぜ矛盾を感じないのか。
そもそもこの大会は、2013年安倍首相がIOC総会で「福島原発はアンダーコントロール」と大噓をついて招致したものだ。2011年3月11日から、まもなく10年。放射能汚染で帰還できない人は5万人に及び、政府は増え続ける原発敷地からの汚染水を海洋放出しようとし、聖火リレーのコースのすぐ外には汚染土のフレコンバッグが山積みされている。
そして今度は「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証」として、いまだワクチン供給体制の確立すらできていないのに、世界的感染拡大からの「復興」を言い出している。
日本以上に感染者、死者数の多い国々、オリンピック参加国とされている国々に、これらの発言はどう思われるのか、考えたことがあるのか。
さらに国際的常識から乖離した発言が、日本のオリンピック推進のトップから飛び出した。
2月3日森喜朗組織委員会会長の「女性がたくさんいる会議は話が長い」である。
私たちも展覧会会期直前のこれから、という時にあまりのことに愕然となったが、国内のみならず、全世界も騒然となっている。
現在の国際的な女性差別撤廃の合意から大きく後退した時代遅れのミソジニー発言であり、同時に会議による合意形成を否定し、独断をよしとする発言だからだ。
しかしこれは、近代オリンピックの祖、クーベルタン男爵の女性のスポーツに対する「非実用的で、面白くもなく、見苦しい上に、はっきり言うと下品である」「女の栄光は、彼女が生んだ子どもの数と質を通して勝ち取られるもので、スポーツについていうなら、女の最大の功績は彼女自身が記録を目指すことではなく、彼女の息子が卓越するよう励ますことである」という思想以来、脈々と続いているものではないか。オリンピックの根底には差別の構造が存在する。だから私たちは、森会長の辞任は当然として、オリンピックそのものの中止・廃止が必要と考えている。
TOKYO2020における差別の問題、国際的常識からの乖離・遅れはそれだけではない。
昨年アメリカで大きなうねりとなったBLM、人種差別に対する抗議行動。この先駆けとも言えるのが1968年メキシコ五輪のブラック・パワー・サリュートだった。クーベルタン男爵は「スポーツで植民地先住民を教化する」という思想も持っており、そもそもオリンピックこそが差別の場である。しかし今、スポーツ界でも多くの人種差別抗議が拡がっている。全米オープンでの大坂なおみ選手しかり、BLMのシンボルのひとつでもある、アメリカ・プロスポーツでの膝まづき(ニーリング)行動しかり。抗議パフォーマンスによって弾圧されたメキシコ五輪の黒人選手たちや、ニーリングをはじめたコリン・キャパニック選手への連帯が人種を超えて拡がっていった。
それに対してJOC、組織委はどう対応したか。「TOKYO2020での政治的パフォーマンスは禁止」と、改めて発表。さらにはあろうことか、会場への旭日旗の持ち込みを「まったく問題ない」としているのだ。この日本、東京でも卑劣なヘイトデモの際に振り回される、あの1940年東京五輪当時の大日本帝国の軍旗が。
世界が、人類が、スポーツ選手もアーティストも、人種差別をなくそうと闘っているのに、この逆行はなんだ。
政府、東京都、JOC、組織委はひとの命と健康と生活、そして尊厳をどこまで軽視するつもりなのか。
TOKYO2020は、ひとびとに「オリンピックとは健康や生命を脅かし、差別をまき散らすおそろしい疫病だ」と知らせる機会となった。政府、JOC、組織委員会の迷走と開催への異常な固執により、今や多くのひとびとに、その正体は見抜かれている。
オリンピック・パラリンピックは健康を、生活を、文化・芸術を破壊する。オリンピックはスポーツの敵ですらある。オリンピックは人類の命を奪う疫病だ。
これをやめることこそ、真の「希望の灯」である。
終息せよ、TOKYO2020、終息せよ、オリンピック。
2021.2.15
オリンピック終息宣言2021実行委員会
オリンピック終息宣言2021出品作家一同
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「虚無への供物」中井英夫 1201
第一章
20虚無への供物(くもつ) 01
さて、藤木田の推理の披露が終わって、皆がそれにいちゃもんをつけます。 ただ、 鴻巣玄次という与太者が、実在するという前提で推理が成り立っているのがね。
久生もそんなことを考えているのか 与太者の美貌を、「泥棒日記」のスティリターノか「蛭川(ひるかわ)博士」の混血児ならいいと、例えます。
『泥棒日記(ジャン・ジュネ)』 の登場人物であるスティリターノは、男色家のようです。 『蛭川博士(大下宇陀児)』の混血児ジュアンは不良ようです。 これもなにかの伏線なんですかね。
まずは、藍ちゃんです。 藤木田の推理の後半は憶測で、 実は、鴻巣玄次は買収されずに紅司さんに打ち明けて、 二人して逆に伯父さんの計画の裏をかくように手段をめぐらした。 十時半に鴻巣玄次が裏木戸から届けてきたかもしれない。
その後、久生も否定しますが、 そう簡単に死体を移動できるとは思えませんね。
次に、久生がいいます。 鴻巣玄次と紅司の相談を黄司が嗅ぎつけて、 もう一つ裏をかいて別な密室トリックを作りあげた考えてもいい。と。 かなりご都合主義ですね。
ただ、これらも、 藤木田老人がトリックを解明できなければいけないと、 いうことで、沈黙してしまます。
さらに、藤木田は、 私の考えたトリックは前例がないと鼻高々です。 それは、乱歩の「続・幻影城」に掲載されている類別トリック集成の密室トリック(3)犯行時被害者が室内にいなかったもの応用だと。 これは、“被害者自らが密室を作るのは、犯人をかばうためか敵の追撃をおそれるためかいずれかである”ことで、 今回、藤木田打考えたのは、 “ひたすら自分の秘密を守ろうとする咄嗟の心理を巧みに利用された” といいます。 微妙ですね。
そして、藤木田は動機について説明します。 それは、橙二郎の子供、緑司の出生の秘密で、���れを、紅司君に嗅ぎつけられたからだと。 久生が、その秘密とは、緑司が生まれなかったのではなかといいます。 藤木田は、感心して、その発想はどこからと聞くと、荒正人(あらまさひと)さんではないが、“薔薇のお告げ”だといいます。 荒正人が、海外探偵小説の翻訳や探偵小説の評論などを発表していて、単純にそれを読んでいたということなんでしょう。 「探偵小説小論(荒正人)」なんかを読んだらもっと詳しくわかるかもしれませんね。 緑色の薔薇は存在しないし、これからもできるかどうかもわからない。 だらか、緑司も存在しない。 妙な発想です。
で、藤木田曰く、 橙二郎の子供は死産だった。 予定日が近いのを幸い吉村という衛生兵上がりの子分の女房を亭主ぐるみ抱き込んで同じ病院に入れていて、 橙二郎の方に何かあれば、その子を緑司とすることにしていた。 その秘密に紅司が気がついた。 と、自信満々の調査結果だと、藤木田がいいます。
確かに動機としては有り得そうです。 ただ、状況証拠だけのような気もしますね。
藤木田は物的証拠もないから警察に訴えてもしかたない。 これからどうするかを皆に問います。 向こうが心理的トリックを使ったのだからこちらも同じ方法で、泥を吐かせようと提案します。
方法として、 素人探偵ファイロ・ヴァンスが活躍するカナリヤ殺人事件(ヴァン・ダイン)のポーカーによる心理探偵法と、 アクロイド殺し(アガサ・クリスティ)のジェイムズ・シェパード医師を囲む場面を取り入れ真似てみようといいます。 あれを東洋風にもじって橙二郎と麻雀をやってみようと提案します。
藤木田は、橙二郎と麻雀をやって証拠を掴むと自信満々です。
ここで、今夜の会合は終わりますが、 この提案が実現して暗殺者の驚くべき意図と異様な殺人方法とが暴露される結果になると書かれていますね。 麻雀で何がわかるのか? 楽しみですね。
その後、“アラビク”でひときわシャンソン談義に花が咲きます。 出てくるシャンソンは 「アルフォンソ(リーヌ・クルヴェ)」 「ラ・コンガ・ブリコティ(ジョセフィンベーカー)」 「ラ・ダダダ(リーヌ・クレヴェルス)」 「アリババ(リーヌ・クレヴェルス)」 「恐い病気よりまし(リーヌ・クレヴェルス)」 「紅いさくらんぼと白い林檎の木(ペレス・プラード)」 というところでしょうか。 ちょっと勘ぐると、これも、伏線なんでしょうか? 流石にこれはないでしょうか?
あと、 「怪奇を抱く壁(角田喜久雄)」にでてくる加賀美警部が“ア���フォンソ”に聴き入る場面があると書いていますが、 これは、作家が角田喜久雄を好きなのかも。
亜利夫は、 生まれて初めて本当の殺人事件らしいものに直面し、今夜の推理比べで、何を解決したのか?を回想します。 ・蛍光燈の点滅する暗い風呂場に裸のままうつぶせていた紅司の死体。 ・一番の急所に触れたのが藤木田老人らしい。 ・自筆である紅司の日記はなぜ書かれたのか。 ・共犯の鴻巣玄次が実在しているのか。 などです。
亜利夫は、蒼司に相談することを考えます。
藤木田老人が蒼司は、数学者の卵だが僧正(ビショップ)のような殺人哲学は持っていないと言っていたのも思い出します。 「僧正殺人事件(ヴァン・ダイン)」のことでしょうか? この小説の動機は、嫉妬でした。 藤木田老人が蒼司には、嫉妬のような感情はないといっているということでしょうか?
亜利夫は、 塑性(そせい)論の矛盾をめぐって教授と意見が対立し、 ヒヌマ・セオリーとしての発表は沙汰やみになり蒼司が大学院をやめたと聞いています。 アカデミズムの世界はわからない。と、思っています。 紅司の死が氷沼家にもたらした荒廃のせいで、 並みの頭脳とは思えぬ蒼司に相談するのも切り出しにくいと思っています。
ここで、簡単に塑性論について書かれていますが、 このあたりがもし動機になるなら、はあ、そうですか?というくらいで、お手上げです。 まさかですが、そうならないといいな。
事件の後、 橙二郎はほとんど産院に、 蒼司は、映画や小旅行に、 藍ちゃんは試験勉強もほったらかしで麻雀屋に入り浸っているような状態です。
一月の中頃には、 蒼司が二階の部屋全部の改造をしてしまう。 この家を売る話が八田皓吉の世話でだいぶ進んでおり、場所柄、学校や宗教団体にと思っているので、 突飛な装飾は取り払っておきたいとのこと。 “赤の部屋”、“青の部屋”、“緑の部屋”すべて、平凡な部屋に作り替え、 例のオルガン階段もすべて改修した。
亜利夫の問に、 蒼司は「でも仕方がないんです」と悲しそうに答えみたいですけど、 いったいどういう意味があるんでしょうね。
その後、 バラに話が移ります。
蒼司は、亜利夫を庭に誘います。 この二重の垣根で囲まれた日当たりのいい空き地に一本のバラが植えてある。 ただ、バラとは名ばかりで30センチほどの緑色の茎が地面につきささっているだけだった。 何でも枚方(ひらかた)のほうから頒けて貰った試作品の新種だとなっています。
たぶん、 1955年、京阪電鉄が「東洋一のバラ園」を目指し、岡本勘治郎氏にバラ園造営の監督を依頼し誕生したひらかた大バラ園のことだと思います。 ただ、かなり管理が厳しかったみたいですから、 実際には分けてもらえたかかどうか、それともそれほど親しかったということか、あるいはこのバラが何らかの役割を果たすのか。
これが咲いたら、紅司は、“オフランド・オゥ・ネアン(虚無の供物)”にすると行っていたそうです。 ヴァレリーの詩も引用されています。 思わず、おって思いましたけど、これは、作家のお遊びでしょうね。
この場所が気になっている亜利夫に蒼司が、昔ここには花畠や温室があって、 茶色や金茶、スイスジャイアントのパンジーやビオラ、 ヒヤシンス、ラナンキュラスが咲いていたが、 誰かに見せることもせず、 まるで、人を呪う藁人形(わらにんぎょう)をつくるような気持ちでいたらしいといいます。 その相手が戦争で死んでからはふっつり栽培をやめてしまったと。 相手というのはむろん原爆で死んだ黄司であろうと想像します。
祖父の代から氷沼家の人間は名前まで色彩にがんじがらめにされているけど、 本当は色彩ってひどくおそろしいものなんだと蒼司がいいます。 憎しみに支えられて輝きを増すぐらいのことは平気なんだと。 そう考えたから思い切った造作変えをしたと、蒼司は、本心を打ち明けます。
一般の人間にはわからないですね。
蒼司が亜利夫に、親族会議への参加を促します。 親族会議で、この家を売った後のこと等を話したいのだそうです。 と、ここで、牟礼田俊夫のことが話題に出ます。
新聞の支局員を兼ねたラジオの欧州総局にいる牟礼田は、 フランスのピエール・マンデスが1955年2月信任投票により内閣は総辞職、 ソ連のゲオルギー・マレンコフが1955年2月にフルシチョフによる追い落とし工作に遭い首相を辞任、 などありすっかり足止めされていた。
牟礼田が帰ってくるまでの間に、 氷沼家は癲狂院めいた翳りを濃くし始め奇妙な活気を取り戻すことになる。 また事件が起こるってことでしょうね。
癲狂院とは、精神疾患を治療する病院のことで、 この当時はもうそういう表現は使っていなかったみたいなので、比喩なんでしょうね。
それにしても、四人四様ですが、 スッキリした解決にはなっていないですね。 ここまで描写を作家が事実として書いているすると、殺人としては、かなり難しい気がします。
わざと、描写していない部分がまだあるのだとしたら、 それが答えを導くことになるのでしょうね。
つづく
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朝日新聞社の慰安婦報道に関する訂正とおわびが英語版に無い件
“記事を訂正、おわびしご説明します 朝日新聞社
慰安婦報道、第三者委報告書
慰安婦問題を報じた本紙記事について、第三者委員会から不正確で読者の誤解を招くものがあるといった指摘を受けました。これまでの訂正・記事取り消しなどに加え、独自に検討を進めてきた結果を踏まえて必要な訂正をします。読者の皆様におわびし、理由を説明いたします。訂正などにあたってのわかりやすい提示方法について今後も検討し、改善を重ねます。
「軍関与示す資料」の記事について 「従軍慰安婦」用語メモを訂正
「従軍慰安婦 1930年代、中国で日本軍兵士による強姦(ごうかん)事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊(ていしんたい)の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」(92年1月11日付朝刊1面) これは、日韓首脳会談のために当時の宮沢喜一首相が訪韓する前、「慰安所 軍関与示す資料」という見出しの記事と併せて掲載した用語説明メモです。 慰安婦については、今も実態がはっきりしない点が多くあります。現在までの研究成果や知見を踏まえると、このメモには誤りや不正確な表現があります。90年代から疑問を指摘されていた点もありました。長期間にわたり読者の誤解を招く表現を放置し、対応を怠ったことをおわびし、訂正します。 誤りは、慰安婦と挺身隊を混同したことです。女子挺身隊とは軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、兵士らの性の相手をさせられた慰安婦とはまったく別のものです。 また、慰安婦の数や朝鮮人女性の比率も、現在の知見に照らすと不正確でした。日本人を含めた慰安婦の総数を示す公式記録は見つかっておらず、国内の研究者の推計も変化しています。民族ごとの比率も明確な資料は見つかっていません。 現代史家の秦郁彦氏は93年に6万~9万人とし、99年には2万人前後と修正しました。吉見義明・中央大教授(日本近現代史)は95年に5万~20万人と推計し、最近は5万人以上としています。日本人や他の民族の慰安婦が全体に占める比率も諸説あり、確定していません。 第三者委の報告書はこのメモについて、「あたかも挺身隊として『強制連行』された朝鮮人慰安婦の人数が8万人から20万人であるかのように不正確な説明をしている点は、読者の誤解を招くものであった」と指摘しました。また、「集積された先行記事や関連記事等から抜き出した情報をそのまま利用したものと考えられる」と述べ、「当時は必ずしも慰安婦と挺身隊の区別が明確になされていない状況であったと解されることを考慮しても、まとめ方として正確性を欠く」としています。 朝日新聞は今年8月、慰安婦と挺身隊の混同があった記事について、該当の表現を過去記事を閲覧できるデータベースから削除せず、おことわりをつけて確認できるようにしました。 この用語説明メモについては、今後、「慰安婦と挺身隊の混同があり、『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した』という表現は誤りでした。これまでの知見では、慰安婦の数や朝鮮人女性の比率もはっきりわかっていません」といったおことわりをつけます。
第三者委「政治課題となるよう企図」
1992年1月11日付の朝刊1面で「慰安所 軍関与示す資料」との見出しで報じた記事をめぐっては、他のメディアなどから疑問が出されていました。 記事は、防衛庁防衛研究所図書館所蔵の公文書に、旧日本軍が現地部隊に慰安所の設置を命じたことを示す文書などが見つかったという内容です。政府は当時、国会答弁で国の関与を認めていませんでした。この記事の掲載は宮沢喜一首相が同月16日から訪韓する直前で、前文(リード)でも「政府として新たな対応を迫られるとともに、宮沢首相の16日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされたことになる」と書いていました。 記事への主な疑問は、(1)資料を早く入手していたのに、首相訪韓直前のタイミングを狙って記事にしたのではないか(2)韓国や日本国内��、慰安婦の強制連行に軍が関与したというイメージを世論に植え付けようとしたのではないか、という点です。(1)について、第三者委の報告書は「(首相訪韓直前のタイミングを狙った)実態があったか否かは、もはや確認できない」としたうえで、前文の表現などから「訪韓の時期を意識し、慰安婦問題が政治課題となるよう企図して記事としたことは明らか」と指摘しました。(2)については、「記事には誤った事実が記載されておらず、記事自体に強制連行の事実が含まれているわけではないから、朝日新聞が本記事によって慰安婦の強制連行に軍が関与していたという報道をしたかのように評価するのは適切でない」としています。
「元慰安婦、初の証言」の記事について 「女子挺身隊」「連行」の記述訂正
「日中戦争や第2次大戦の際、『女子挺身(ていしん)隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり……」(91年8月11日付朝刊社会面〈大阪本社版〉) これは、「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」との見出しで掲載した記事の前文部分です。記事は、韓国人の元慰安婦の一人が初めて、自らの過去を「韓国挺身隊問題対策協議会」に証言したことを、録音テープをもとに伝えました。 しかし、同記事の本文はこの女性の話として「だまされて慰安婦にされた」と書いています。この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません。 前文の「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」とした部分は誤りとして、おわびして訂正します。 第三者委員会に対し、筆者の植村隆・元記者(56)は「あくまでもだまされた事案との認識であり、単に戦場に連れて行かれたという意味で『連行』という言葉を用いたに過ぎず、強制連行されたと伝えるつもりはなかった」との趣旨の説明をしたといいます。 第三者委は報告書で、「だまされた」事例であることをテープ聴取で明確に理解していたにもかかわらず、この前文の表現は「『女子挺身隊』と『連行』という言葉の持つ一般的なイメージから、強制的に連行されたという印象を与える」などと指摘しました。 また報告書は、挺身隊と慰安婦の混同について、91年から92年ころにかけて両者の違いが急速に意識されるようになるまでは、「両者を混同した不明確な表現が朝日新聞に限らず多く見られたという実態があった」との見解を示しました。朝日新聞は今年8月の検証記事で、この記事に「意図的な事実のねじ曲げはない」と結論づけました。報告書はそれだけでなく、「読者に正確な事実を伝えるという観点から、前文部分の記載内容も含め、さらに踏み込んで検討すべきであった」としました。この指摘についても、重く受け止めます。 この記事には、過去記事を閲覧できるデータベース上で、挺身隊の混同がみられたことから誤用したことを示すおことわりをつけています。今後、改めて、「この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません」といったおことわりをつけます。
第三者委 元記者の「事実ねじ曲げ」否定
植村氏が91年に書いた記事2本には、他メディアから疑問が示されていました。 一つは、91年8月、録音テープの提供を受けて元慰安婦の証言を匿名で報じた際、後に元慰安婦らの裁判を組織した韓国の別団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」の幹部だった義母のつてで取材し、裁判を���利に進めるために記事を書いたり内容を変えたりしたのではないかという疑問です。 この点について第三者委は、植村氏から「ソウル支局長から紹介を受けて挺対協のテープにアクセス(接触)した」という説明を受けたとし、前年に韓国で元慰安婦を捜す取材をした経緯も踏まえ、この説明を「不自然ではない」としました。北海道新聞が直後にこの元慰安婦を直接取材し、実名で報じたことにも触れ、「記事を書くについて特に有利な立場にあったとは考えられない」「縁戚関係にある者を利する目的で事実をねじ曲げた記事が作成されたともいえない」と結論づけました。 また、この元慰安婦がキーセン(妓生)を育成するための学校に通っていた経歴を書かなかったことへの疑問も出ていました。報告書は、植村氏が続報記事「かえらぬ青春 恨の半生」(91年12月25日付大阪本社版朝刊5面)を書いた時点で、この元慰安婦らが起こした裁判の訴状などから経歴を知っていたとし、こう指摘しました。 「キーセン学校のことを書かなかったことにより、事案の全体像を正確に伝えなかった可能性はある。『キーセン』イコール慰安婦ではないとする(植村氏の)主張は首肯できるが、それならば、判明した事実とともに、キーセン学校がいかなるものであるか、そこに行く女性の人生がどのようなものであるかを描き、読者の判断に委ねるべきであった」
吉田清治氏関連の記事について 新たに2本、全文・一部取り消し
朝日新聞は今年8月5日付の検証紙面で、吉田清治氏(故人)を取り上げた記事16本を取り消しました。 吉田氏は存命中、日本の植民地だった韓国・済州島で戦時中、女性を慰安婦にするため暴力を使って無理やり連れ出したと証言していました。 記事取り消しは、吉田氏の証言を虚偽だと判断したためでした。8月以後、改めて過去の報道を再調査した結果、吉田氏の虚偽証言に基づく記事がほかにも3件掲載されていたことを確認しました。個々の記事には次のように対応し、長期間を要したことをおわびいたします。 「連載 韓国・朝鮮人2(27) 命令忠実に実行 抵抗すれば木剣」(80年3月7日付川崎・横浜東部版)は全文を取り消し、掲載したことをおわびします。 この記事は、吉田氏への取材をもとに「2回ほど朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」などと伝えています。 しかし、研究者らへの取材などから、吉田氏が所属したとする山口県労務報国会は、指揮系統からみても職員が直接朝鮮に出向くことは考えにくいと判断しました。慰安婦に関する吉田氏の証言を取り上げた記事と同様に、証言を虚偽と判断して扱います。 「連載 うずく傷跡 朝鮮人強制連行の現在(1) 徴用に新郎奪われて」(84年1月17日付夕刊社会面〈大阪本社版〉)についても、吉田氏の証言に関する部分を取り消し、おわびします。この記事は、吉田氏が朝鮮人強制連行業務の一端に連なった、と書き、同氏が韓国・天安に建てた謝罪の碑の除幕式の様子を紹介しました。除幕式があったのは事実ですが、前記の連載記事と同じ理由で証言を虚偽だと判断します。 一方、「朝鮮人こうして連行 樺太裁判で体験を証言」(82年10月1日付社会面)は、東京地裁に証人として出廷した吉田氏が朝鮮人の連行に加わったとの証言を採録し、「朝鮮人徴用業務に直接携わった『労務報国会』の元幹部が初めて証人として出廷、『朝鮮人狩り出し』と呼んでいた強制連行の実態を証言した」などと記しています。 これまでの取材から、吉田氏の証言に信用性はなく虚偽と考えられます。ただ、裁判という司法手続きでの証言の内容は取り消しや訂正になじまないと考え、この記事にはデータベース上で「吉田氏の証言に信用性はなく、虚偽だと考えられます」とのおことわりをつけます。
吉田証言の初報の筆者について 十分解明できず
朝日新聞は今年8月の記事で、吉田清治氏が韓国・済州島で女性を強制連行したとする証言を最初に報じた記事「朝鮮の女性 私も連行」(1982年9月2日付大阪本社朝刊)について、当時の大阪社会部の記者(67)が筆者と伝えた後、9月29日付朝刊社会面で、この元記者が筆者ではないとの記事を掲載し、おわびして訂正しました。 その際、別の元記者(66)が「初報は自分が書いた記事かもしれない」と名乗り出たと説明しました。 今回、第三者委員会の調べに対し、名乗り出た元記者は、証言の場となった講演会場に赴いて写真の撮影はしたが、記事執筆の点を含めて細かい記憶はないといった説明をしています。 朝日新聞は当時の大阪社会部デスクらにも取材しましたが、この初報の筆者を特定できませんでした。十分に解明できなかった点をおわびします。
吉田清治氏を取り上げ、取り消しなどの対象となった主な本紙記事
掲載日見出し記事の内容
●1980年3月7日朝刊(川崎・横浜東部版)
連載 韓国・朝鮮人2(27) 命令忠実に実行 抵抗すれば木剣
吉田氏への取材をもとに「2回ほど朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」などと記述。現地で警官とともに若者100人を集め、労働力として日本へ送り、抵抗する者には暴力を使ったとする証言を紹介
82年9月2日朝刊(大阪本社版)
朝鮮の女性 私も連行 暴行加え無理やり
大阪市内であった集会で吉田氏が行った講演内容をまとめた。吉田氏は、直接指揮して日本に強制連行した朝鮮人は約6千人、うち950人が慰安婦だった、と説明した
83年10月19日夕刊
韓国の丘に謝罪の碑 「徴用の鬼」いま建立
6千人の朝鮮人を日本に強制連行し「徴用の鬼」と呼ばれた、と吉田氏を紹介。田んぼや工場、結婚式場にまで踏み込んで若者たちを手当たり次第に駆り立てた、などと活動を説明している
83年11月10日朝刊
ひと 吉田清治さん
「国家による人狩り、としかいいようのない徴用が、わずか三十数年で、歴史のヤミに葬られようとしている」などの吉田氏の発言をとり上げた
83年12月24日朝刊
たった一人の謝罪 韓国で「碑」除幕式
吉田氏が韓国に建てた「謝罪の碑」の除幕式の様子を報じた。「私は戦前数多くのあなた方を強制連行した張本人」などの発言を紹介
●84年1月17日夕刊(大阪本社版)
連載 うずく傷跡 朝鮮人強制連行の現在(1) 徴用に新郎奪われて
本文冒頭で、吉田氏が朝鮮人強制連行業務の一端に連なった、と書き、同氏が韓国・天安に建てた謝罪の碑の除幕式の様子を紹介
86年7月9日朝刊
アジアの戦争犠牲者を追悼 8月15日、タイと大阪で集会
吉田氏について、慰安婦を含む朝鮮人の強制連行の指揮に当たったと言及している
90年6月19日朝刊(大阪本社版)
名簿を私は焼いた 知事の命令で証拠隠滅
「多くの朝鮮人女性を従軍慰安婦として連れ去ったこともあります。当時の私は、徴用の鬼、といわれて誇りに思っていました」と吉田氏の発言を記載
○91年5月22日朝刊(大阪本社版)
女たちの太平洋戦争 従軍慰安婦 木剣ふるい無理やり動員
吉田氏が「私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の一つは、従軍慰安婦を950人強制連行したことです」などと語った内容を、集会での発言を収録した本を引用して紹介
91年10月10日朝刊(大阪本社版)
女たちの太平洋戦争 従軍慰安婦 乳飲み子から母引き裂いた
吉田氏のインタビュー記事。慰安婦を強制連行したとして、「若い母親の手をねじ上げ、けったり殴ったりして護送車に乗せるのです」などと語っていた
92年1月23日夕刊
窓 論説委員室から 従軍慰安婦
「(慰安婦を)戦場に運び、1年2年と監禁し、集団強姦(ごうかん)し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した」などと吉田氏の発言を紹介
92年3月3日夕刊
窓 論説委員室から 歴史のために
吉田氏の告白に多くの投書が来たことに触れ、日本軍の残虐行為を否定する意見を紹介。知りたくない、信じたくないことが���る。だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない、と結んだ
92年5月24日朝刊
今こそ 自ら謝りたい 連行の証言者、7月訪韓
吉田氏が韓国に謝罪の旅に出ることを報じた。「残虐行為に直接かかわった日本人が謝罪に来た、という歴史を残したい」との発言にも触れた
92年8月13日朝刊
元慰安婦に謝罪 ソウルで吉田さん
吉田氏が韓国で元慰安婦に謝罪した様子を報じた
94年1月25日朝刊
政治動かした調査報道
朝鮮に渡って強制的に慰安婦を送り出した元動員部長の証言に、読者から驚きの電話が何十本も届いた、と吉田氏を匿名で紹介
今回新たに取り消しや一部取り消しとする記事2本(掲載日の冒頭に●印)と、8月に取り消した16本のうち紙面で公表できる記事13本を併せて示します。
91年5月22日付の記事(掲載日の冒頭に○印)は著作物の引用が多いため公表を見合わせていましたが、第三者委員会が対象から除外するのは適切でないと指摘したことを踏まえ、掲載します。
外部の方が書かれた「声」欄の投稿や「論壇」「私の紙面批評」への寄稿の3本は、引き続き紙面では公表しないことが適当と判断しています。
これらすべての記事について、朝日新聞の過去記事を閲覧するデータベースからは削除せず、吉田清治氏の証言は虚偽だと判断したことを示すおことわりをつけます。
(朝日新聞 2014年12月23日 朝刊37ページ 東京本社)” (全文)
記事を訂正、おわびしご説明します 朝日新聞社 慰安婦報道、第三者委報告書
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【S/D】サムと忘却の呪い(仮)1~4
ツイッターに画像で投稿しているS/D小説です。一万文字超くらい。まだ続きます。
もし魔女のロウィーナが、将来自分を殺す男になると知って攫い、殺してしまうつもりだった幼少のサムに情がわいて、自分の子として育てることにしたら? そしてハンターが”魔女狩り”に特化した集団だったら? という妄想から生まれた小話です。シーズン12の11話「忘却の呪い」をオマージュしています。アリシアやマックスという12から登場する魔女キャラにも出てもらってます(彼らはハンターだけどここでは魔女として)。
連載中の小説を書きたいとは思うんだけど宿便状態なので、ガス抜きに小話を書いてる現状です。なのでお気楽な感じで読んでもらえると。。
1
サムの養い親である魔女いわく、日のあるうちの森は獣の領域。だから理性ある魔女や魔法使いは夜に活動し、昼間のうざったい太陽が地上を照らしている間は絹のシーツに包まって体力の回復に努めるのだという。サムにいわせれば怠惰の言い訳にすぎないが、夜更かしな魔女たちの生態がいとおしくもあった。何より夜の彼女らはサムなど足元にも及ばぬほど鋭い英知と魔力の使い手だ。ならば彼女たちと少しばかり生態の異なる自分が、早起きして夜の”活動”の手助けをするのは義務であるし喜びでもある。獣の領域というなら早朝の森は狩りをするのに恵まれた環境だ。彼女たちはウサギのシチューが大好きだけど、そのウサギがどこで泥の毛皮を脱いできて鍋に飛び込んでくれたのかは考えたがらない。
自分が何者であっても、森を歩くのが好きな男に変わりはなかっただろうかとサムは想像する。下草を踏むたび立ち上る濡れて青い土のにおい。罠にかけた小さな獣をくびくときすら、森はサムと獣のどちらをも憐れんで祝福してくれる。森はサムのびっくり箱だ。彼は自分の生まれた場所を知らない。だけど彼の親がこの森の入口に彼を捨てたとき、赤ん坊と森のあいだに絆が生まれ、その瞬間から森がサムの故郷になったのだ。※
そうだ。森はいつもサムを驚かせてくれる。かくれんぼで遊んでいた七歳の彼を、その懐の深さで半月のあいだかくまってくれ、養い親をすっかりやつれさせてしまった時のように。
その日、狩りを終えたサムの目の前を、遅寝のウサギが飛び跳ねていった。茂みの奥に逃げ込んだウサギを彼は追いかけた。腰には今日のぶんの収穫が下げられていたけれど、もう一匹恵まれたって困ることはない。
茂みの中から黒い毛皮が現われた。サムは手を伸ばそうとしてひっこめた。黒くもなかったし、毛皮でもなかった。朝露で濡れた短いブロンドがゆっくりとサムのほうを向いて、彼はアッと息をのんだ。魔女がウサギを化かして僕をからかおうとしているのか。そうでなければなぜこんな場所に、サムの知らない男がいる?
ところがブロンドの男の懐からさっきのウサギがぴょんと飛び出して、サムの脇を通ってどこかへ行ってしまった。「バイ、うさちゃん」と男はいった。寝ぼけたように、低くかすれた、それなのに、ぞっとするくらい、やわらかな声だった。
「僕はサム」と、サムはいった。まぬけ、と森がささやくのが聞こえた。もしくは自分自身の心の声だったかもしれない。
男は重たげなまぶたを持ち上げて、サムを見上げた。
「やあ、サム」
新緑、深い湖、砂金の流れる小川。男の瞳は輝いていた。
森はまたもサムに驚きを与えてくれた。彼は恋多き魔女たちに囲まれながら、自分が恋することが出来るとは思っていなかった。
この時までは。
2
昼過ぎから始まるブランチの席で、気もそぞろなサムに、養い親のロウィーナはけげんな視線を送る。
「今朝のウサギ、ちょっと血抜きが甘いじゃない? 生臭いのは嫌よ、われわれは吸血鬼ではないのだから」
「そう?」 サムはぼんやりと答える。「そうかな? それ、缶詰の肉だけど」
「サミュエール」 ロウィーナの視線がますます冷たくなる。
「今朝の狩りは空振りだった?」 行儀よくパンをちぎってアリシアがたずねる。彼女は見た目だけではなく、実年齢もサムとさほど離れていない若い魔女だ。母親のターシャ、双子のマックスとともに、ここロウィーナの屋敷に下宿している。
「今朝の狩り……」 思いもかけぬ収穫があったことを姉弟子にどうやって伝えればいいだろう。いや、とサムは意識の中で首を振る。
魔女のなわばり意識の強さといったら、狼人間が可愛く思えるほどだ。人間が――しかもどうやら”記憶があやふや”な、身元の怪しい――神聖な魔女の森に入り込んだと知れたら、ロウィーナははっきりと戦化粧をして森へ勇み、彼を排除しかかるだろう。双子のアリシアとマックスも、彼らは敵とみなした人間に容赦はしない。つまり、明日のシチューの中身が決まるってことだ。
サムはぶるっと震えた。靴の底から顎の奥まで震えは伝わってきた。春の始まりに色づく枝先のように初々しく、美しい彼の瞳が、よく炒めてから煮込んだ紫玉ねぎの横に浮かんでいるさまを思い浮かべて。彼の肉つきのよい白い二の腕を調理するときの甘い香りを想像して。彼の肉を食べる――残酷なはずの行為が甘美な誘惑に感じる自分にうろたえて。
だめだ、だめ。そんなことにはさせない。彼のことは秘密にする。
「今日は、思ったより暖かくて」 サムは本当のことだけを口にする。「血を抜くのが遅すぎて、ダメにしちゃった。毛皮だけはいで、肉は捨てたよ」
「また寄り道をしたんでしょう。狩りのあとはすぐに帰ってこなきゃだめよ。獲物を持ったままウロウロしないの」 ロウィーナは血のような葡萄ジュースで唇を湿らせる。
「でないとあなたが獲物にされるわ」
サムはこっそりと屋敷を抜け出し、森の男を見つけた場所まで急ぐ。
彼はそこにいなかった。けれどたどり着いた茂みの変わりようを見て、逃げたわけじゃなさそうだと安堵する。ただの茂みだったそこは、下草が踏みならされて空き地に変わり、中心の地面は掘られていて、男が簡易なかまどを作ろうとしていたことが見て取れた。
がさがさ音がして、薪になりそうな枝を腕に抱えた男が戻ってきた。サムの顔を見ると一瞬で表情が明るくなる。「サム!」 男は枝を足元に落としてサムに近づいた。その両手がわずかに広げられているので、��ムは自分がハグされるんだと気づいた。
サムが躊躇いながら上げた腕の下に、男の腕が入り込んできた。肩甲骨の下に巻き付いた腕がぎゅっと彼の胴体を締める。”抱きしめられた”んだ。魔女たちはサムによく触れたがるけど、頬にキスしたり腕を組んだりするだけだ。
こうして誰かに真正面から抱きしめられるなんて、初めての経験だ。他人の体温を腹で感じるのも。
なんて心地がいいんだ。
「また来てくれたんだな」 男はそのまま顔だけを上げて、同じくらいの高さにあるサムの目を見てにっこり笑った。
サムはまぶしくてクラクラした。まるで、ああ、彼は太陽みたいだ――魔女や魔法使いが忌み嫌う太陽――けれど彼らが崇める月を輝かせる光の源。
「来るっていったじゃないか」 サムはゆっくりと、舌が絡まないようにいった。ハグに動揺したなんて、彼の笑顔にクラクラしたなんて、知られたら、あまり恰好がつかない気がした。恋に長けた魔力使いの男女のスマートな駆け引きを思い返し、取り澄ました顔を作る。「ほら、パンとジュースを持ってきた。昨日から何も食べてないって、ほんとう?」
「ありがとう!」 男はサムのぺたぺたと頬を叩いて感謝を表した。――状況を考えれば、それは感謝のしぐさで間違いないはずだ。サムにとってはあまりに親密すぎたので、すぐには思い当たらなかった。だけど、男は四六時中、出会った人間の頬をぺちぺちしてますとでもいうように平然として、その���に屈むとリュックの中を探りだす。
サムは早まる動悸を抑えるため、こっそり深呼吸を繰り返した。
「どうかな、憶えてないんだ。何も憶えてない」 男は瓶の蓋を捻って開け、すぐに半分を飲み干した。よほど喉が渇いていたんだろう。きれいに反った喉のラインを必要以上に凝視しないようにサムは気をつけた。「ほんとに、参ったよ。腹が減って、おまえの捨てていったウサギを焼こうと思ったんだ。でも火を熾す道具が見つからなくて」
「何も憶えてないって、どうしたの? どうしてこの森に入ったんだ? 町からそんなに遠くはないけど、ここが魔女の森だってわかってるだろう? それとも、よそから来たの?」
「それが、わかんねんだ」
「何も憶えてないの? 自分の名前も?」
彼は、驚いたように目をしばたかせた。まるで自分に名前あることすら、失念していたように。
その様子に異様さを感じて、サムはまさか、と思った。記憶喪失の人間が、”自分の名前を思い出せない”と悩むことはあっても、”自分に名前があること”を忘れて明るく振る舞うなんてことがあるだろうか。この異様さは、まじないの気配に通じる。彼の様子は、身体的、精神的な後遺症による記憶喪失であるというよりも、呪いによるダメージを受けている状態だと思ったほうがしっくりくる。
でも、まさか。だれが彼を呪うっていうんだ? 中世ならともかく、このセンシティブな時代に魔女が人間を呪うなんてありえない。
「うーん、たぶん、Dがつく気がする」 男が考え込むと眉間にしわができた。「D、D……ダリール、ディビット、違う……。デ……デレック? パッとしねえなあ……」
「ダンカン? ダドリー?」
「うーん?」
「ドミニク? ドウェイン?」
「ドウェイン? いいかもな。おれをそう呼ぶか?」
「それがきみの名前なの? 思い出した?」
「うーん? 多分違う気がする。でもいかしてるよな」
サムは首を振った。彼の愛嬌に惑わされてはいけない。「もう少し、思い出してみようよ。デイモン、ディーン、ダライアス、デイル……」
「それだ!」
「デイル?」
「いや、もう一つ前の」
「ダライアス? ディーン?」
「ディーンだ!」 男はうれしそうに歯をむき出して笑った。「おれの名前はディーンだ。それに、思い出したぞ。おれには弟がいる」
「いいぞ。どこに住んでいたかは?」
男はさらにしわを深くして考え込んだが、しばらくしても唸り声しか出てこない。
サムはちらばった薪を集めて、かまどの枠を組み立てた。気づくとディーンがじっと見つめていた。
「何も思い出せない」 あっけらかんとしていた少し前と違って、悲しみに満ちた声だった。「どうしちまったんだろう。おれ。ウサギを抱いて、おまえを見つけた。それ以前のことが、何も思い出せないんだ」
「たぶん……たぶんだけど、きみは呪われたんだ」 サムは慎重に言葉を選んでいった。「魔女のことは、憶えてる……というか、知ってるだろ? 今ではそんな悪さをする魔女は少ないけど、トラブルになる自覚もないまま、彼女ら――彼かもしれないけど――を怒らせて、呪われるってことも、ないわけじゃないんだ」
「呪われた?」 ディーンは大きな目を限界まで開いた。「おれが? どうして?」
「わからない。もしかしたら違うかも。でもきみ、どこにも怪我はないようだし、記憶がないっていうのに、やたら気楽だったろ。それにここは魔女の森だよ。人間は入ってこない。基本的にはね。なのにきみがここにいるっていうのが、魔女が関わっているっていう証拠にならない?」
「おまえはずいぶん賢そうに話すんだな」 ディーンは鼻をすすった。水っぽい音がした。「何が証拠になるっていうんだ。おれはどうすればいい? どこに行けばいい」
「ここにいればいい」 サムは火種のないかまどを見つめて、それから首を振った。「ここじゃだめだ。ここは屋敷から近すぎるし。僕の家族に見つかったらディーンが危ない」
「何をいってるんだ? 怖いぞ」
「大丈夫。もっと奥に、今は使ってないあばら家があるんだ。たぶん僕しか知らない。そこにディーンをかくまってあげる。僕は魔法使いなんだ――まだ一人前じゃないけど。いろんな本を読める。それに、僕の親はすごい魔女なんだ、ディーンにかけられた呪いを解く方法をきっと知ってる」
「まて、待てよ。おまえが魔法使い? おまえの親が魔女? おれに呪いをかけたのはその魔女じゃないのか? ここはその魔女の森なんだろ?」
「ロウィーナは人に呪いなんてかけないよ。そんなにヒマじゃないんだ」
「わかんないだろ」 ディーンの声に水っぽさが増した。と思ったら、彼はぽろりと涙をこぼしている。サムは頬を叩かれた時以上に衝撃を受けた。こんなに静かに泣く人は見たことはなかった。
「ディーン、ごめん。泣かないで」 折れた薪の上に尻を乗せて、膝を折りたたんで小さくなっているディーンの横にしゃがみ込む。「大丈夫だよ。僕が守ってあげる。記憶を取り戻してあげるから」
ディーンはサムを見つめて、まばたきもせずまた二粒涙を落した。サムを奇跡を見守っているみたいにじっと彼を待った。やがて彼は赤いまぶたで瞳を覆って、小さくうなずいた。
「わかった。おまえを信じるよ」
3
あずまやに移動して寝床を整えた頃にはもう日が暮れかけていたので、サムは急ぎ屋敷に戻らないといけなかった。夕食にはコックを雇っているとはいえ、実際に食卓を作るのは女主人であるロウィーナの指示をうけたサムだ。
「また何か食べ物を持ってくるよ。遅くなるかもしれないけど、夜中までには必ず」
「サム、おれの記憶、戻るよな?」
小屋の質素な木戸を開けたサムは振り返る。戸の影で彼の不安そうな顔の半分が隠れてしまっている。サムより年上に見えるのに、心内を素直に伝えてくる瞳だけをみるとディーンは幼い子供のようだ。このまま留まりたい思いでいっぱいになる。
彼が人間ではなかったら。彼が記憶ではなく、過去を持たない精霊だとしたら、それは森がサムに与えた贈り物なのではないか。
彼を森の精霊だといって屋敷に連れ帰り、ターシャやマックスが連れているような使い魔として側に置く。何も知らず、誰と繋がりもない彼の唯一の主人となる。彼の食べるもの、着るもの、行動の範囲の一切をサムが指図し、彼のすべてを支配する。それがサムに、許されているとしたら?
あるいは彼をこのままここに留め置いて、二人で秘密の生活を続ける。ディーンには記憶を取り戻す方法がなかなか見つからないといっておけばいい。小屋を出ればいかに危険かを言い聞かせれば、逃げられることはないだろう。
違う。僕は彼を支配したいんじゃない。ただ彼に――
「キスしたいな……」
「えっ」
「えっ、あっ、いや」 妄想が強すぎて声に出ていたと知ってサムは慌てた。
「き、君の記憶は戻るよ、僕にまかせて。でも、いったん戻らなきゃ。ロウィーナは僕が家にいると思ってる。彼女は僕の部屋に勝手に入ったりしないけど、ディナーの準備に遅れたら魔法の鏡で覗かれるかも。僕がいないことがばれたら大騒ぎになる、森に捜索隊が出されたら大変だ。僕が行方不明になったのはもうずっと前のことなのに……」
「サム、おれにキスしたいのか」
「えっ」 サムは片手で戸にすがりつきながら唇をこすった。「なんで?」
「なんでって、そういっただろ? おれは、憶えてる」
そういって、自分の唇の感触を確かめるように、ディーンは舌をそろりと出して下唇を噛む。赤い舌と、暗がりでもきらりと輝く白い歯が、熟れたベリーのような唇から覗いた。サムは狩人の本能で手を伸ばした。指先が唇に触れ、湿った感覚がした。頬を滑った指が、耳たぶに触れると、そこは唇よりも熱かった。ディーンはため息を吐いた。
「サムの手、でっかいな」
ディーンは少し俯いて、サムの手が自分の項を包み込めるようにした。サムは夢心地��一歩近づき、両手でディーンの頭を抱く。後ろで木戸が閉まる音がする。ガラスの嵌っていない窓が一つあるだけの小屋の中は真っ暗になった。
ディーンは目を閉じたままゆっくりを顔を上げた。親指の付け根に彼の穏やかな脈動を聞く。野性の鹿に接近を許されたときのように誇らしく、謙虚な気持ちになった。サムは初めてキスをした。
4
何をいわれるかとひやひやしながら屋敷に戻ったが、ロウィーナは不在だった。かわりにアリシアがキッチンを取り仕切っていた。気が緩んだサムは今度はアリシアににやけ顔が見られないかと心配するはめになった。味見をして、雇いのコックにしょっぱいわね、でもこれでいいわ等と指示を出しながら、アリシアはサムを観察している。魔女というのはみんなそうだ。気安いふりをして他人の心を探るのに余念がない。
食卓が完成するころにロウィーナとターシャが帰ってきた。二人が揃って出かけていたことにサムは驚いた。何か大きな事件があったのかと思い、それからあずまやのディーンのことがばれたのではないかと怖くなる。
ロウィーナは冷静を装っていたけどイライラしているのは明らかだったし、ふだん泰然としているターシャもどこか落ち着きがない。
「二人でどこに行ってたんだ?」
食事が始まってしばらくして、マックスが尋ねた。サムは二人の魔女の答えを待つ間、ろくに呼吸もできなかった。ロウィーナがグラスを煽ったので、ターシャが話し出した。
「ロックリン家よ。招待状を出しに行ったの。とんでもないことを聞かされたわ。大事が控えているから心配ね。おかしなことにならなければいいけど。ロウィーナ……」
「ギデオンが死んだこと?」 ロウィーナはその話題を口にするのも腹立たしいとばかりにターシャをにらんだ。「大したことじゃないわ、あの腐った三つ子が今までそろっていたことが不吉だった。わざわざ私たちに話したのはサムの儀式にケチをつけるためよ。なめられたもんだわ、たかが数十年ばかりアメリカに入植したのが早いからって」
「ロックリン家? 私もあいつらは嫌い。でもしょうがないわ、あっちは由緒正しいドルイドのスペルを持ってる」 アリシアがみんなの顔を見回す。「私たちにあるのは……実地で身に着けた薬草学に、星占術、たくさんの水晶。あちこちの流派を回って極めた最先端の魔法術。あれ……全然悪くないかも?」
「さしずめ野草派ってとこだな」 マックスが調子を合わせる。「雑草と自称するのはやめておこう。でも、サムの儀式は予定どおりやるんだろ?」
「もちろんそのつもりよ」
「僕の儀式って?」 みんなが当然のようにいうから、サムは何か重要な予定を自分だけ聞き逃していたのかと焦った。ロウィーナとターシャ親子はともに定期的に魔法の儀式を行う。サタンへの忠誠を示し、魔力を高めるためだ。子どもにはまだ早いといって、いつものけ者にされていたから、どうせ自分には関係ないと思ってよく聞いていなかったのかも。
「僕も儀式に参加できるの?」
それを熱望していたのは覚えているが、ディーンを匿ってる今は避けたい。
「いいえ、そうじゃない。サム。”あなたの”儀式よ」 サムが言い訳を探す間もなくロウィーナはいった。
彼女は背筋をピンと伸ばしてサムを見た。「あなたはもう十六歳。サタンに忠誠を誓って一人前の魔法使いになる時が来たの。小さいころに教えたでしょ、森のストーンサークルで儀式を行う。この土地に住まう全ての魔女と魔法使いの立ち合いのもと、新しい魔法使いの誕生を祝うのよ」
サムはあっけにとられた。「そんな――大事なことを、なんで――もっと前に、言ってくれなかったんだ」
「逃げちゃうと困るでしょ」 アリシアがあっさりといってのける。「多感な思春期の子どもに”おまえは十六歳になったら”死の書”にサインしてサタン様の下僕になるんだ、それまで純潔を守れ”なんていったら大変なことになる。私もマックスも、知らされたのはその日の夕方。まあそれまでも、男の子と仲が良くなりすぎないように見張られていたけどね」
「その反動が今きてる」 マックスが気だるそうに顔を向けて、双子はほほ笑んだ。
「その日の夕方だって?」 サムは仰天した。「まさか、今夜?」
「まさか。今日は招待状を出しただけ。儀式は明日の夜」 ロウィーナはため息を吐いて再びカトラリーを持つ手を上げる。「まあ、だから、明日の昼間の勉強はお休み。あなたは寝ていなさい。真夜中に始め、明けの明星が昇るまで行うのが通例なの。初めての儀式だから特に長く感じるものよ。主役が居眠りなんて許されませんからね、しっかり寝ておくことね」
「私たちもその助言がほしかったわ」 双子が嘆くと、ターシャが「私の若いころなんてもっとひどかった。真夜中に叩き起こされて……」と話を始める。サムはそれを耳の端で聞きながら、味のしない肉を噛み締めた。大変なことになった。
ストーンサークルはディーンをかくまっているあずまやのすぐ近くにある。ただの天然のアスレチックジムだと思っていた古ぼけた巨石にそんな使い道があったなんて知らなかった。
ディーンを別の場所へ移す? いや、他に森に彼を隠せるような場所なんて思い当たらない。もしも永久に彼を森に閉じ込めておくっていうなら別だ――大木のうろ、崖下の洞窟、そういった場所を幾つか知っている――そこを拠点に家を作ることができる。何週間、何か月、何年もかけていいなら、サムは彼のために新しい屋敷だって建てられる――だけどそうじゃない。そうはならない。ディーンの記憶を取り戻して、彼の帰る場所を思い出せてあげるんだ。
「ロウィーナ……聞いていい?」 サムは何でもないふうに装って質問した。「人の……記憶を消す魔法ってあるだろ? 難しいのかな?」
当然ながら、何でもないふうに答えてくれる魔女はいなかった。みんながサムの顔を見るので、サムは急いで唐突に変な質問をした正当な理由を披露しなければならなかった。
「思春期に……」 喉にパンが詰まったふりをして咳をする。「その、儀式のことを聞かされたって、ああそう、って受け入れる子もいるかもしれないだろ。まずは話してみないと。隠すのはあんまりだ。それで、すごくその子が嫌がったり、自暴自棄になるようなら、その時は記憶を消す魔法を使えばいいんじゃないかと、そう思ったんだ。ただ思いついたんだよ」
一瞬、間があいて、マックスが「ひゅー」と口笛を吹くまねをする。「その考え方、俺は好きだな。冷酷で、合理的で。さすが、ロウィーナの一番弟子」
ロウィーナは口元でだけ微笑み、ゆっくりと首を振った。「そうね、でも少し、短絡的よ。一時的に記憶を奪うことは、ハーブの知識があれば簡単にできる。だけど人の記憶を完全に消し去るのはとても難しい魔法なの。呪いというべきね。そんなものは仲間に使うべきじゃない」
「一時的なものだったら、ハーブを使えば治る?」
「ええ。ジュニパーベリー、それとほんの少しのベラドンナ……」 ロウィーナはスープをすすりながらすらすらと必要なハーブの種類を挙げていく。サムは記憶しながら、どれも屋敷の薬草庫や温室から拝借できるものだと思って安心した。「……マンドレークの頭をすり鉢にしてそれらを混ぜ合わせ、魔力を溜めた水に浸す。それを飲むのよ。簡単でしょ」
「それは記憶を失わせるほうのレシピじゃない?」 薬草学に長けたターシャが口を出す。ロウィーナはそうだったわと頷いた。「記憶を戻すほうなら、ベラドンナを入れちゃだめだった。だけどそういったハーブの魔法は時間とともに解けるから、ふつうはわざわざ作らないのよ」
「記憶をあれこれする魔法はドルイドが得意だったわね。ロックリン家にも伝わってるはずよ、あの書……」 ターシャは訳ありげな微笑みをロウィーナに向ける。「”黒の魔導書”。あれのせいで多くの魔女が高いプライドを圧し折ることになったわ。まあ、でも、今ではちょっと時代遅れね」
「あいつらの頭は中世で止まっているのよ」 ロウィーナは憎々し気につぶやいて、ツンと顎を上げた。
その夜中、各々が部屋に戻ってそれぞれの研究や遊びに没頭している時間、サムが眠っていることを期待されている時間に、彼はこっそりとベッドを抜け出してキッチンに忍び込んだ。用意したリュックサックにパンと果物を詰め込む。早くディーンのところに戻りたかった。空腹で不安な思いをさせたくないし、新しいランプを灯して暗闇を払ってやりたい。それになにより、彼と話がしたかった。記憶がなくてもかまわない。彼の声を聞いていたい。彼にどうして僕とキスをしたのと尋ねたいし、どうして僕がキスをしたのかを話して聞かせたい。もう一度キスをさせてほしいといったら彼は頷いてくれるだろうか。サムは期待でうずく胸を押さえた。断られないだろうという確信がそのうずきを甘いものにした。
「サム?」 暗がりからロウィーナが現われてサムの心臓は押さえたまま止まりかけた。冷蔵庫のドアを開けてうずくまる養い子をしばし見下ろして、ナイトドレスにローブを羽織った彼女はふと目元をやわらげた。
「眠れないのね。儀式の話をしたから」
「う、うん。そうなんだ。喉が渇いて……」 サムは冷蔵庫のドアを閉めて立ち上がり、足元のリュックを蹴って遠ざけた。暗いから見えないはずだ。
「心配することはないわ。あなたはただそこにいて、”死の書”にサインをすればいいだけ。あとは私たちの長い祝福を聞いていればいいのよ。夜が明けるまでね」
「勉強はたくさん��せられてるけど、夜更かしの授業はなかったな」
「何をいってるの。あなたが毎日遅くまで本を読んでいること、呪文や魔法陣の勉強をしてることは知ってるわ」 ロウィーナはそういってサムを驚かせた。彼女は手を伸ばしてサムの伸びた前髪を撫でつけてやった。
「情熱のある、熱心な生徒を持って光栄だわ。あなたはきっと、偉大な魔法使いになる。私にはわかる。あなたがほんの赤ん坊のころからわかってたわ」
「森で僕を拾った時から?」
んー、とロウィーナは目を細めて考えるふりをした。「やっぱり、あなたが自分の足でトイレまで歩いていけるようになった頃かしらね」
サムは笑って、自分を育てた魔女を見つめた。彼女の背丈を追い越してもうずいぶん経つ。彼女がサムの身体的な成長について何かいったことはなかった。けれど時々、彼女が自分を見上げる目が、誇らしく輝いているように思える瞬間があって、サムはその瞬間をとても愛していた。
「ロウィーナ」
「なあに」
「僕、成人するんだね」
「魔女のね。法律的にはまだ子ども」
「ロウィーナのおかげだ。僕、あなたの子どもであることが誇らしいよ」
ロウィーナの目が輝いた。
「まだまだ独り立ちはさせないわ。もう少し私のしごきに耐えることね」
「覚悟しとくよ」
ロウィーナは冷蔵庫を開けて水のデカンタを取り出した。キッチンを出ていこうとする彼女の柳のような後ろ姿に息を吐いて、踏みつけていたリュックを引き寄せる。何か思い出したようにロウィーナが振り向いて、サムは慌ててまたリュックを後ろ脚で蹴った。
「いくらでも夜更かししていいけど、明日の朝は狩りに行っちゃだめよ。食事の支度は双子に任せるから」
「なんで?」
ロウィーナは肩をすくめた。「ロックリン家のギデオン。彼が死んだのは夕食の時にいったわね。死体が森で見つかったのよ。彼らの領地は森の東側だけど、ハンターはそんなこと気にしないわ」
サムはギクリとした。「ギデオンはウィッチハンターに殺されたの?」
「魔女を殺せるのはウィッチハンターだけよ」
「だけど、そんなのニュースになるだろ」
「正当な捕り物ならハンターは死体を残さないし、カトリーナの様子じゃ何かトラブルを隠してる。だけど巻き込まれるいわれはないわね。しきたりだから、明日の儀式には彼ら――生き残った二人の嫌味なロックリン家――も呼ぶけれどね。森にはハンターがひそんでいるかもしれない。目撃者がない状況でハンターと遭遇したら、やつらがいうところの違法行為がなくても逮捕されるわよ。だから、サミュエル、明日の儀式にみんなで行くまでは、森に入っちゃだめ」
「わ、わかった」
ロウィーナが行ってしまうと、サムは念のために一度部屋に戻って、ベッドサイドのランプを付けた。それから温室に忍び込み、ハンガーに吊るされているマンドレークを一根、それと必要なハーブを掴んでリュックに詰める。温室の裏口からこっそりと抜け出したサムは、二階で休むロウィーナに心の中で詫びながら、パーカーのフードを深くかぶって、まっすぐ森へ向かった。
◇ ◇ ◇
ツイッターにも書いたけど設定だけは壮大。このあと・というかいま書いてるのは三部作のうちの一部でディーンとは別れて終わる。そしてサムは魔女の権利向上のために戦う革命戦士もどきになり、ハンターのディーンとは敵対関係に。。というロミジュリな。でも大ボスはUKの賢人か悪魔かチャックにでもして魔女もハンターも同じ側で戦うんだな。(そのあたりはボヤボヤ)最終的な問題は二人が兄弟だってどうやってばらすか、ばらした時の反応はどうするかだけど、その時にはもうやることやっちゃって覚悟できてるサミさまになってるだろうからきっとなんとかなる。
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