#覚悟の磨き方
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「68個のお節介な助言」 著者 ケヴィン・ケリー Kevin Kelly 訳 堺屋七左衛門 この文章は Kevin Kelly による "68 Bits of Unsolicited Advice" の日本語訳である。 68個のお節介な助言 今日は私の68歳の誕生日である。ロッキン��チェアに座りながら、若者に助言したい気分になっている。私からの誕生日プレゼントとして、諸君に68個の短いお節介な助言を進呈する。 (訳注:この文章は2020年4月28日に発表された。フェイスブックでのケヴィン・ケリーの記述によれば、実際の誕生日は4月30日である。) ・意見の異なる人から、さらに言えば気に入らない人からも、何か学ぶことがあるはずだ。彼らが信じていることの中に真実があるかどうか確かめてみなさい。 ・熱心に取り組めば、知能指数が25ほど上昇する。 ・常に締切期日を決めておきなさい。締切があることによって、的外れなもの、ありきたりなものが排除される。締切があるので、完璧を目指さなくてもよい。そのかわりに、他と異なるものを作るべきだ。相違は望ましいものである。 ・ばかばかしいと思われる質問をためらってはいけない。そのような場合の99%は、他のみんなが同じ疑問を感じているが、恥ずかしがって質問しない状況である。 ・人の話を上手に聞くことができるというのは、重要な能力である。大切な人の話を聞くときは、それ以上話すことがなくなるまで「もっと聞かせて」と言い続けなさい。 ・価値のある年間目標は、1年前の自分が信じられないくらい無知だったと思えるほど、あるテーマについて学ぶことである。 ・感謝は、他のすべての美徳を引き出すものであり、その気になれば上達できるものである。 ・人に食事をおごることは、必ず良い結果につながり、容易に実行できる。昔からの友人に効果があるし、新しい友人を作るためのすばらしい方法でもある。 ・万能接着剤を信用してはならない。 ・いつも子供に読み聞かせすれば、親子の絆を深めるとともに、子供の想像力を高めることができる。 ・クレジットカードを信用払いのために使ってはならない。信用払い、すなわち借金をしても良いのは、住宅のように交換価値の増加する可能性がきわめて高い物を入手するための借金だけである。大部分の物の交換価値は、それを購入した瞬間に減少または消滅する。借金して損をすることがないように。 ・プロフェッショナルとは、失敗から穏便に回復する方法を知っているアマチュアにすぎない。 ・普通ではない主張を信じてもらうためには、普通ではない証拠が必要である。 ・グループの中で最も賢い人になって��いけない。自分よりも賢い人たちと付き合って、彼らから学ぶべきである。さらに望ましいのは、自分と意見が異なる賢い人を見つけることである。 ・会話における「3回」の法則。本当の理由を知るためには、ある人が言��たことについて、より詳しく説明してもらいなさい。もう一度、そしてさらにもう一度。3回目の答えが真実に近いものである。 ・一番になるな。唯一になれ。 ・みんな遠慮しているのだ。他の人は、あなたが自己紹介するのを待っている。他の人は、あなたが電子メールを送るのを待っている。他の人は、あなたがデートに誘ってくれるのを待っている。思い切ってやってみなさい。 ・誰かに断られたとき、自分自身が否定されたと思ってはならない。その人もあなたと同じ状況だと思えば良い。忙しい、先約がある、気が進まない。後でもう一度頼んでみなさい。2回目の依頼で成功することが非常に多い。 ・習慣の目的は、自己交渉という行為を省略することである。実行するかどうか決めるのにエネルギーを使う必要がなくなる。ただ実行するだけだ。良い習慣は、真実を述べることから歯磨きまで広い範囲にわたっている。 ・迅速さは、敬意の表れである。 ・若いうちに、少なくとも6か月から1年くらいの間、できるだけ貧乏な暮らしをしてみなさい。所持品をできるだけ少なくして、小さな部屋またはテントで豆と米だけを食べて、「最悪」の生活がどんなものかを体験するのだ。そうすれば、将来、リスクを冒す必要が生じたときに、最悪のシナリオを恐れなくてもすむだろう。 ・本当の話、「彼ら」というものは存在しない。 ・あなたが他人に関心を持てば持つほど、彼らはあなたに関心を持つようになる。関心を持たれる人になるには、関心を持ちなさい。 ・できるだけ気前よく振る舞いなさい。死ぬ間際になって与え過ぎの人生だったと後悔する人はいない。 ・良いことをするためには、ただそれを実行すればよい。立派なことをするためには、それを何度も何度も何度も実行すればよい。すばらしいことをする秘訣は、やり直すことである。 ・黄金律を守れば必ず役に立つ。それは、他のすべての美徳の基盤である。 (訳注:黄金律とは「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」という行動規範を指す。) ・家の中で探し物をして首尾よく見つかった場合には、それを使い終わった後、見つかった場所に戻してはならない。最初に探した場所に戻すべきである。 ・貯金および投資は、いずれも良い習慣である。あまり深く考えずに少額のお金を長年にわたって定期的に投資するのも、蓄財の一つの方法である。 ・誤りを犯すのは人間の行為である。誤りを認めるのは神の行為である。自分の犯した過ちを迅速に認めて責任を取り、適切に是正することができれば、これほど人の価値を高める���のはない。失敗したときは、素直に認めなさい。この責任感は、きわめて効果的なものである。 ・アジアでの地上戦に関わってはならない。 (訳注:「自分の能力以上のことに手を出すな」という意味。朝鮮戦争やベトナム戦争での米国の経験を踏まえた言葉として昔から使われている。) ・顧客に尽くすことに注力しても良いし、競争相手に勝つことに注力しても良い。いずれも有効だが、どちらかと言えば、顧客に尽くすほうが効果は高いだろう。 ・目立ちなさい。いつも目立つようにしなさい。ある成功者の言葉によれば、成功の99%は目立つことである。 ・創作過程と改良とを区別しなさい。執筆と編集、彫刻と研磨、製造と分析を同時にはできない。もし同時にしようとすると、編集者が創作者の手を止めてしまう。発明しながら選択してはならない。スケッチしながら修正してはならない。草稿を書きながら考察してはならない。着手する前に、創作者の意識は判断から解放されている必要がある。 ・失敗がときどき起こらないのであれば、順調に進んでいるのだ。 ・おそらく最も直感に反する宇宙の真理は、他人に多く与えれば与えるほど得られるものが多くなる、ということである。これを理解することが、知恵の第一歩である。 ・友人は、お金よりも良いものである。お金があればほとんど何でもできるが、友人がいれば可能性はさらに広がる。自分で船を所有するよりも、船を持っている友人がいるほうがいろいろな点で望ましい。 ・正直な人をだますのは難しい。これは真理である。 ・物が見つからない場合、最後にそれを見た場所から手の届く範囲内に存在している割合は95%である。その半径の中で可能性のある場所を探せば見つかる。 ・あなたの評価は、あなたが何をしたかによって決まる。何を言ったか、何を信じているか、誰に投票したかではなくて、何に時間を使ったかである。 ・旅先で、ケーブル、アダプター、充電器をなくした、あるいは持って来るのを忘れた場合、宿泊しているホテルに尋ねてみるとよい。今どきのたいていのホテルには、誰かが置き忘れたケーブル、アダプター、充電器が多数保管してあって、おそらくその中に適合するものがあるだろう。借りた後、それをもらえる場合も多い。 ・憎悪は、憎まれている人に影響を及ぼさない災いである。憎む側の人だけに害を与える。怨恨は毒のようなものだと思って捨て去りなさい。 ・向上には限度がない。才能は公平には与えられていないが、ものごとを始めるレベルは、いくらでも高くすることができる。 ・何か大きなプロジェクト(住宅、映画、イベント、アプリなど)が90%完成したと思ったとき、残りのこまごまとした無数の項目を片付けるために、また90%の時間がかかる。覚悟しておきなさい。 ・人が死ぬとき��は、自分の評判以外のものは絶対に何も持っていくことができない。 ・年を取る前に、できるだけ多くの葬式に参列して、まわりの人の話に耳を傾けなさい。誰も故人の業績を話題にしていない。人々が覚えているのは、故人が活動していたときの人柄だけである。 ・何か実体のある物を買うためにお金を払うときは、その物の寿命が尽きるまで、修理、保守、廃棄にお金がかかることを覚えておきなさい。 ・現実のものごとは、ひょっとしたらありうるかも、という想像上の仮説から始まっている。したがって、想像力は、この世界で最も重視される能力であり、努力すれば上達できる能力である。それは、他の人たちの常識を無視することが利点となる唯一の能力である。 ・危機や災害が起こったら、それを無駄にしてはいけない。問題のないところに進歩はない。 ・バケーションの旅行では、都市を避けて、行程の中で最も遠い目的地へ最初に行きなさい。遠隔地で異質性による衝撃を最大限に感じておけば、その後、復路の行程では、都市の見慣れた快適性をありがたく受け入れられるだろう。 ・将来何かをしてほしいという要請を受けたら、自問自答してみなさい。その日程が明日である場合、それを引き受けるか。この選別テストに合格する行動予定は、そんなに多くないだろう。 ・本人に直接言いにくいことを、他の誰かに電子メールで言ってはならない。なぜならば、いつかきっと本人がそれを読むことになるからである。 ・あなたがどうしても職に就きたいと思っている場合、雇用主から見れば、あなたは数ある問題の一つにすぎない。その雇用主の抱えている多くの問題をあなたが解決できるならば、職を得られる。職を得るためには、雇用主の立場で考えなさい。 ・芸術は、あなたが見逃しているところに存在する。 ・物を手に入れて深い満足感が得られることはめったにない。しかし、何かを経験することによって深い満足感が得られる場合はある。 ・調査における「7段階」の法則。七つの段階を進んでいくと、目的のものを見つけることができる。最初に尋ねた人が知らなければ、次は誰に尋ねればよいかを教えてもらう。これを繰り返す。7番目の人まで尋ねていけば、ほとんどの場合、答えを見つけることができる。 ・謝罪の方法。迅速に、具体的に、心を込めて。 ・電話での勧誘や提案に応じてはならない。急を要するというのは口実である。 ・誰かがあなたに対して意地悪な、無礼な、悪意ある、または、ひきょうな態度をとるならば、その人は病気だと思いなさい。そうすれば、共感しやすくなって対立を緩和できるかもしれない。 ・ガラクタを排除すれば、本当の宝物のための余地が生まれる。 ・有名になろうとは思わないほうがよい。誰か有名な人の伝記を読んでみなさい。 ・経験が過大評価されている。人を雇用するときは、適性のある人を採用して技能を教えるようにしなさい。最もすばらしい、あるいは立派な結果を出すのは、その仕事を初めてする人である。 ・休暇+災難=冒険。 ・道具の購入方法。最初は、できるだけ���い道具を探して買いなさい。頻繁に使うものは、良い物に買い換えなさい。ある道具を仕事で使わなくなったら、財力が許す範囲で最も良いものを買いなさい。 ・さりげなく20分の仮眠をとる方法を身に付けなさい。 ・何に情熱をもって取り組むべきかわからなくて行き詰まったときは、至福を感じることを目安にすればよい。多くの若者に役立つ教訓は「何でも良いから、何かに熟達しなさい」ということだ。あることを習得すれば、その延長線上でもっと喜びを感じる方向へ進むことができて、最終的には自分が至福を感じるものがどこにあるかを発見できるようになる。 ・100年後には、今の私が正しいと思っていることの大部分が間違いであると証明されるはずだ。もしかしたら、あきれるほど間違っているのかもしれない。そこで私は、今考えていることの中で何が間違いであるかを見つけようと努力している。 ・長い目で見れば、世界の将来は楽観主義者が決める。楽観的になるために、私たちが抱えている多くの問題を無視する必要はない。人間の能力が向上して問題を解決できると想像すれば良いのだ。 ・全世界は、あなたの背後であなたが成功するように画策している。このプロノイア(支援妄想)を信じれば、行動しやすくなる。
「68個のお節介な助言」: 七左衛門のメモ帳
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The worst scans you've ever seen and transcription of the Persona 3 part of Cut February 2016







田口智久 (監督)
新鋭監督が「『P3』の集大成」に託したものとは
テキスト=清水大輔 text by Daisuke Shimizu
『PERSONA THE MOVIE #4 Winter of Rebirth』1月23日公開、アニプレックス配給 ©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
TOMOHISA TAGUCHI
2013年から順次上映されてきた『PERSONA3 THE MOVIE』が、1月23日公開の第4章をもって���結する。PlayStation2のゲーム『ぺルソナ3』(以下『P3』) として2006年に発表され、さまざまなメディアでの展開を経て10年間歩み続けてきた『P3』にとって、文字通りの集大成である。熱心なファンにとって、4章は「伝説級のエンディング」を含むエピソードであり、どのように描かれるのかは気になるところだが、完成した4章はファンにとって喝采を送るべき内容だし、映像作品としても見応え十分の1本になっている。その4章の監督は、新鋭の田口智久。監督として作品に携わるのは同シリーズの2章が初だったという彼は、巨大な期待が集まる重責とどう向き合ったのか、話を聞いた。なお、特集トビラのイラストは、今回CUTのために描き下ろしてもらった、『P3』のファンなら誰もが思い当たる「あのシーン」。正直、かなりグッとくるビジュアルである。テキストとともに楽しんでほしい。
劇場版第4章は、10年続いた『P3』にとって集大成となる作品ですよね。監督を務める側も相当な覚悟が必要だったと思うんですけども。
「まず、『P3』の2章(『#2 Midsummer Knight's Dream』)が初めて自分が監督をやらせてもらった作品で、そこでできたこと、できなかったことがけっこうあって。なので、すごく個人的な理由ですけど、できなかった部分を挽回したい気持ちがありました。あとは、集大成にしなきゃいけない作品なので、プレッシャーも非常にありましたし、この作品は自分が演出、そして監督になってからの集大成にしたい、と思いながら作っています。『P3』は終わり方が伝説級の作品なので(笑)、それを超える感動を与えられたらいいな、と。自分も『P3』の終わり方が好きなので、その印象はきっちり伝えたいと思いました」
制作中の感触として、「こういうものが観たい」っていう欲求に応えられる、そういう作品が作れているという手応えはありますか?
「そんなに外しているつもりはない、とは思ってます(笑)。ただ逆に言うと、たぶん自分ではなく別の方が監督であっても、そこはそれほど変わらないんじゃないかなっていう気もします。自分が監督でなくても、きっと最後にはみんな泣いてくれるだろうとは思うんです。そこに至る感情をどれだけ高められるかが大事で、それが自分の仕事だと思ってます」
確かに『P3』の場合、「原作を大事にする」っていう軸は誰が監督でも一緒だと思うんですよ。原作に寄り添うことは必須なわけで。
「そうですね」
そこで、田口さん自身が「自分だからこそこういうアプローチができた」と感じているポイントを教えてほしいんですけども。
「ちょっと、ツッ��ミがすごいですね(笑)。ひとつには、自分が描くコンテはあまりアニメっぽくないかもしれないな、とは思います。どちらかと言うと実写っぽいと言われるんですけど、そういうところが『P3』の雰囲気に合ってるのかもしれないです。実際、3章と比べると相当違うような気がしていて。3章はアニメーションの作り方としてはすごく王道で、誰が観ても『これはいいアニメだ』と思える作りになっていると思うんですね。4章では、アニメに限らず昔の実写映画だったり、最近の映画の断片を寄せ集めてスタッフにイメージを伝えたりしていて、『あの映画でこういう表現があったから、こんな風にできない?』って いう発注をしているので、そういうところで、ちょっと実写っぽい感じはあるかもしれないです」
たぶんそこは観る人にはっきり伝わるものではないと思うんですけど、質感としては確実に残っていきますよね。今回はそのやり方がハマるのではないか、という確信が田口さんの中にあったんでしょうか。
「そうですね。たとえば、今回は光の表現にもすごくこだわっていて。極力フラットな光は避けていろんなところに照明を仕込んで、光と影で画面を作ろうっていうのはすごく意識しました。あとは、今回雪を降らせようと思ったんですけど、暗い話の中で心情描写のシーンを描くときに、すべてをセリフで言っちゃうのは興がそがれるというか、軽くなっちゃうんじゃないかなと思っていて。黒澤明監督がそんな風にやっていたっていう話を聞いて、自分もやってみようかなと(笑)」
(笑)モの手法も、『P3』のラストを描くときにこれがハマるはすだ 、という 確信があったと。
「そうですね。それできっちり成立するだろうっていうのは、確信的ではありました。『P3』の『死を想え』というテーマを描くにあたって、リアリティは欠かせないだろうなと思っていて。アニメっていう媒体自体はわりと抽象的ですけど、アニメとリアルな表現がバランスよく合わさった状態は、『P3』という作品にすごくマッチすると思ってます」
「ミヒャエル・ハネケの映画みたいな感じにしたい」って思った
キャラクター描写についてですが、3章で修学旅行のシーンがありましたよね。池に落ちた主人公の理が心の底から笑う表情が描かれていて、そこは4章立ての劇場版の中でも象徴的なシーンだと思うんです。
「そうですね、僕も最高に象徴的なシーンだなと思ってます」
4章では彼のその後を描くことになるわけですけど、その上で考えていたことは何ですか?
「『P3』自体、理の物語として描かれてはいるんですけど、まず1章の理は死んでる状態からスタートするんですね。そこからスタートして、1章で仲間を得て生に目覚める。2章でさらに仲間が加わっていろんなことも経験して、今度は生きるということに目覚める話になっていて。3章では再び失って、4章はそこから立ち上がる話にしようっていう、全体としては理の成長を描く構成になっていました。4章では-これは具体的なセリフとしても出てくるんですけど、自分の含量で『俺は生きることを始められたんだと思う』っていうことを彼に言わせる、そこに至るまでをどう描くかが、4章の理のテーマなんです。それを言わせるのに、非常に苦労しました(笑)。1章の頃は『理ってどういうヤツなんだろう』っていうところも手探りだったので、そういう意味では、3章までを経てキャラクターが定着してきた感じはあると思います」
実際、1章の理の無気力さは原作以上だと感じましたけど(笑)。
「ははは。でも、1章は青春ものというか、けっこう爽やかな映画になってると思うんですよ。(1章の監督の) 秋田谷 (典昭) さんは『俺がやると “中学生日記” みたいになるんだよね』って言ってましたけど」
なるほど。では田口さんとしては、ご自身のフィルムは何みたいになったと感じてますか?
「何みたいになってるんだろう⋯⋯僕、(黒澤明監督の)『赤ひげ』が大好きで、作ってる最中にやたらと観てました(笑)。画面のレイアウトもキメッキメで、超カッコいいんですよ-4章を作るとなったときに重い感じにはしたかったので、ふと『ミヒャエル・ハネケの映画みたいな感じにしたい』って思って」
これはディープな名前が出た(笑)。でもすごくわかります。
「ハネケ、好きなんですよ(笑)。ああいう、心にズガーンってきて『重つ!』てなる、そういう感じにしたいなってちょっと思ってました」
4章構成の中で『中学生日記』的なものとハネケ的なものが共存できていること自体が驚きですよね。ものすごく懐が深いというか。
「それだけ包容力がある作品だということですよね。しかもそれがすべて『P3』としてちゃんと成立してる。そこはすごいと思います」
田口さんにとって「『P3』とはこういうものである、こうあるべきである」という定義があるとすれば、それは何ですか?
「『P3』には『メメント・モリ (死を想え)』っていうテーマがあって、一般的には死を描いた作品に見えていると思うんですけど、自分の解釈はその逆なんです。どちらかと言うと死ではなくて、生きるとはどういうことなのかを描いている作品なんじゃないかと思っていて。特に4章では、生きる上で非常につらい試練がやってきて、それを受け止めなければならない。そしてそれを受け止めた瞬間に、自分たちは生きているんだってきっちり実感することが大切なんだっていうメッセージを込めたいんですね。今、生の意味を問う作品だって偉そうに言っちゃいましたけど、そういうことを自分が語ってもいいんだろうか、と感じながら作っているところはあります。だから、どうかやったらほんとに伝わるだろうかっていうことは常に気にしながら作っていて、この4章が完全な答え、というわけではなく、今自分が出せるひとつの結論として、そういうメッセージを込めている、という作品になってると思います」
石田 彰
出会いから10年。磨き続けてきた「宝物」へのメッセージ
テキスト=清水大輔 text by Daisuke Shimizu
AKIRA ISHIDA
前ページでも書いたとおり、「PERSONA3 THE MOVIE」の第4章は、このシリーズの集大成である。劇場版では結城 理という名前を与えられた主人公を、原作の『ペルソナ3』から10年にわたり演じ続けてきた声優・石田彰にとっても、「彼」を演じるのはこれが最後。昨年4月号に掲載した3章公開前のインタビューで、石田は何者��もない存在だった「彼」に「薄い色を何回も何十回も重ねていった」という話をしてくれたが、劇場版4章における理は、仲間たちとの触れ合いを経て確かな自我を獲得し、自らの意思と言葉で生きることへの欲求を表明する。体温が感じられる、ひとりの人間として存在しているのだ。「彼」をここまで導いてきたのは、これまで『P3』をずっと支持し続けてきたユーザーの愛情であり、少しずつ、しかし着実に生命を吹き込んできた石田の演技である。10年間ともに歩んだ「彼」に、今想うこととは。
コロマルの女子人気は異常に高くて、ちょっと嫉妬する(笑)
劇場版の4章は、『P3』という作品にとって集大成となるわけですが、石田さんはどのような気持ちで収録に臨んだのでしょうか。
「もう、最後ですからね。作品自体もこれでおしまいということなので、 悔いが残らないように、有終の美を飾れるように、というところで、空回りしてもしょうがないので、気合入れすぎてもいけないんですけど、『頑張ろう』と思って臨みました」
台本を受け取ってみて、たとえば「この部分がしっかり描かれていて嬉しかったな」と感じたポイントはありましたか?
「それぞれのキャラクターが、残された時間で自分は何をするのか、どう向き合うかっていうのを描いていたところは、そのキャラクターが好きな人にとっては外せないところでしょう。実際、『らしいな』っていう行動を取ってたりするのがとてもよかったと思います」
前回、昨年の4月号に掲載した劇場版3章の特集のインタビューで、石田さんは4章に向けて「お客さんを泣かせてやろう、というスケベ心を出さないようにしよう」と言っていて。
「はい(笑)」
なるべく抑えてやらなきゃいけ ない、とはいえ最後ということもあって石田さんの中に湧き起こってくる感情はあったのではないか、と想像していたんですけども。
「実際にやってみると、そんなことを考えなくてもよかったです。泣かせてやろう、と操作をする余裕もないというか、こういうことを表現しなければいけないっていうことがすごくはっきりしているシーンの連続なので、観てる方が結果泣いてくださったらもちろん嬉しいんですけども、そうやってイヤらしいことを考えなくても自然とそういう流れになるし、やってる側にしても物語の流れに乗っていくのがベストなんだ、と感じられる密度の濃いお話でしたね。台本を読んだ時点で、余計な小細工をしようっていう考えはすっ飛びました」
なるほど。ただ、4章はかなりエモーショナルな話であって、『P3』の主人公を長く演じてきた石田さんの気持ちも動くところはあったと思うんですけど、石田さんの心情 面が反映された部分はありますか?
「今作までの3章を演じてきたことで、自分の中で育った理の考え方というものが最終的に表れていると思います。これまでの3章があったおかげで、それが自然に身につけられたっていう感覚はあります。彼は、自分がしたいこと、主張したいことが自分でもはっきりとわかったんですね。最初はぼんやりと『こうするのがいいんだろうな』みたいな感じで、『なんで?』って言われると『うーん、だってそうなんじゃないの?』としか答えられなかったのが、自分の中ではっきり主張できる理由ができたっていう」
ちなみに、いちファンとして気になるところなんですけど、今回の収録現場で、印象に残っているエピソードはありますか?
「とにかく収録中はコロマルの人気 かすが高いですね。コロマルの女子人気は異常に高くて、ちょっと嫉妬するくらいで(笑)。僕は理と綾時だけじゃなくて、他にもいろいろクレジットされていたりするので、香盤表を見て『大変だね』っていうのは挨拶代わりに言われてました(笑)」
4章の中で、特に理とエリザベスの会話が印象に残っていて。そこで『仲間と過ごして、俺は生きることを始められたんだと思う』というセリフがあって、原作では主人公の 心の動きは表現されているけれども、実際にはこういうことを明確な意志を持ってしゃべることはなかったじゃないですか。原作が好きな方にとってはものすごく感動するというか、彼が自身の変化を口にするすごくいいシーンだと思うんですけど、石田さんはどのようなことを考えながら収録しましたか。
「劇場版は1章から4章まで段階を追ってだんだん彼自身のやりたいことが明確になってくる、そのために必要な仲間とどう付き合っていくのかっていうこともはっきりと見えてくるっていうお膳立てが、しっかりとされていて。だから僕としては、そのセリフはすごくわかりやすかったし、すごく自信を持って言えることだよなあ、って思いました。なので、収録するときも当たり前のセリフとして言ってましたね。言いやすいというか、無理なく言えるセリフでした」
石田さんはこれまでのキャリアの中でもこういうシーンを演じた経験があるのでは、と思うんですけど、その経験をどう活かしましたか。
「特に具体的にはないですけどね。自分の経験のどこかを探せば自分が決断をしたポイントもあるんでしょうけど、でもそれをアンプを通して増幅したとして、このシーンの理の心の動きと似たような形になるかといえば、違う気がします。こういう、ある意味突拍子もない事態の中で表現するときは、そうそう経験値だけには頼れないし、想像しないといけないんです。ただ、その想像をするときに、まったく想像もつかないことをいかにも整理がついたようにしゃべるのと、『うん、わかる』と思いながら言うのとでは、やってる充実度も結果も全然違います。今回の理については、自分の発想がちゃんと物語に追いついてました。今回に限らず、『P3』は僕にとってちゃんとできた作品というか、嘘をつか xずにできた作品だと思います」
では、今回の収録で理としての最後のセリフを言い終えたときは、どんなことを感じましたか。
「最後、理はセリフがないんですよ。アドリブ的な息遣いだけなので。台本に書かれていない息遣いを入れるか入れないかは自分の中で演出をつけた上で現場に臨むんですが、そのシーンではみんなが盛り上がってくれているので、そこに一言、セリフとして参加したいとは思いました(笑)。それこそ、スケベ心以外の何物でもないですけど」
(笑)。
「でも、結果何を言っても蛇足にしかならないだろうなって納得して。そこでただひとこと、『みんな⋯⋯』とか言ってみたところで(笑)、『まあ、ないほうが美しいよなあ』と自分でも思いますし」
ただそのスケベ心は、間違いなくみんなが求めているスケベ心だと思いますけどね(笑)。
「ははは。でも作品としての完成度を高めるためには、たぶんそれは切るべきなんですよ(笑)」
��P3』は僕の経験値をすごく上げてくれた、いい宝物です
(笑)今回、劇場版のラストとなる4章まで演じきってみて、石田さんから理にかけてあげたい言葉は何ですか?
「いい仲間に出会えてよかったねっていうことですかね⋯⋯それじゃダメですか?(笑)」
ダメじゃないです(笑)。前回のインタビューで、ゼロの存在である彼に薄い色を何度も重ねていく、塗り残しがあったらそこに色をつけていく作業だった、というお話をされてましたよね。塗るべき色は第4章で塗り終えるわけですけど、塗り終えたあとの彼は、石田さんから見てどんな姿をしてましたか?
「ちゃんとした個性を持っていて、はっきりと輪郭もできた人間に見えてると思います。完成形まで持ってこられたのは4章に入ってからだと思いますけど、3章の頃にしても、1章に比べれば、薄ぼんやりしてたものがだいぶはっきりと見える感じにはなってきてたと思います」
この4章を最後まで観ることで、はっきりした彼の輪郭を感じることができるわけですね。
「そうですね。『もっと生きていたい』とか『この世界を終わりにしたくない』という主張をするところまで彼を持ってこられたときに、しっかりと見える形になったんだと思います。あとはその形になった勢いのままで、ダーッとラストシーンまで突っ走っていくっていう」
わかりました。では、最後にひとつ教えてください。石田さんが演じてきた彼は、この10年の間でゼロの存在だったところからどんどん肉体化されてきました。劇場版のラストである4章まで演じた今、声優・石田 彰にとって『P3』という作品はどんな存在になりましたか。
「『P3』に限らず、キャラクターの成長はいろんな作品で描かれるものであって、それが物語作りのひとつの醍醐味だと思いますが、『P3』のように長い時間をかけて、ゲームからドラマCD、劇場版映画と、何度も主人公、結城 理っていうキャラクターをやらせてもらったことで、こういう生き方の人間というものが、僕の中でよりはっきりしました。観ていただけたらわかる通り、彼は普通の人ではないです。普通の生き方をしていて理解できる人ではないので、物語に出てくる登場人物として想像するしかないんですけど、でもそれが『物語に出てくるありえない人』ではなくて、名前がついて肉体を持ったひとりの人間になるところまで到達して、それを実感を持ってやることができました。なので、僕の経験値をすごく上げてくれた、いい宝物になった���思います」
#persona 3#p3#i tried...#its so funny looking at p3 movie content now#its all like 'its over no more p3'#ha
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「最高の不自由を生きる』——動物的自由を超えて
・洗脳と自由のパラドックス
人は生きる限り、何らかの価値観に影響を受け、それに基づいて行動する。家庭、教育、社会、宗教、文化、国家──これらは私たちの思考や生き方を無意識のうちに形作っている。
この影響を「洗脳」と呼ぶならば、完全にそこから自由になることは、悟りのような超越的な境地に至らない限りほぼ不可能と言える。
この『洗脳状態』は、一見すると安心感や社会的な連帯感をもたらすが、その代償として、深い思索や自己への問いかけを阻害する要因ともなりうる。安全で快適な環境がもたらす「満足感」は、一種の精神的停滞を招き、変革への原動力を弱める。たとえば、現代のメディアや教育システムは、一見すると客観的で普遍的な真理を提示しているように見えるが、その多くは特定の価値観や枠組みに基づいており、一面的な見解を「唯一の正解」として刷り込む作用を持つ。
こうした状況下で、「洗脳を拒否する」ためには、既存の枠組みを批判的に検証し、自らが信じるべき価値を積極的に選択する必要がある。これは、単なる反発ではなく、自己の内面に根ざした真の自由を追求するプロセスと言える。
しかし、ここで重要なのは、単なる反抗ではなく、何を受け入れるか、何を選び取るかという意識的な行為である。
ただ無自覚に洗脳され続けるのではなく、「意識的にどの価値を選ぶか」を考えること。そして、それこそが人間として自らを高める道のひとつではないか。
周囲から無自覚に洗脳されることも、単なる反発によってすべてを否定することもせず、『より良い価値を選び取る』という構え。
それが、現時点でできる最良の選択だろう。
ミルダッドが説いたように、人間は自らの「牢獄」の看守であり、その鍵は自分自身の手の中にある。すなわち、洗脳を全く拒絶することはできなくとも、自らがどの洗脳を選び、内面化するかで「生きる自由」は大きく変わるのだ。単に既存の枠組みに従う(というより自動機械)のではなく、意識的に「より良い洗脳」を選ぶことで、自分自身の本質を磨き、内面の自由を手に入れる。そのための試みこそが、我々人間にとっての自由への道、主体的な生の探求といえるだろう。
・どの価値を選ぶべきか?
では、「より良い価値」とは何か。それは単なる快適さや都合の良さではなく、自分自身をより深く理解し、世界との関わり方を豊かにするものでなければならない。私はその価値を、仏教やヨーガ、その他多くの宗教や思想から照らし合わせ、「エゴを超え、より自由で、より創造的な方向へと向かうこと」とする。
また、ただ「エゴを捨てよ」と言うのは簡単だが、実際にはそれ自体が新たなエゴの温床になりかねない。「私は利他的である」「私は高尚な道を歩んでいる」と自負することが、かえって自己満足や承認欲求につながることもある。
あるいは、老子の説く「無為自然」や禅における「無心」を誤解し、それを単なる放任や本能のままの生にすり替えてしまうこともある。実際には、それは「意識的な超越」とは異なり、単に受動的な無自覚へと堕する危険を孕んでいる��
動物は完全に無為自然・無心の境地に達している。赤子も同じだ。しかし彼らの説く「無為自然」や「無心」の境地がそれらと異なることは自明だろう。言葉にすることは容易くないが、あえて説明するならば、動物や赤子は無意識的な無心(環境に従順)であり、我々凡人はエゴに支配された選択(快楽や恐れに従う)である。
無論動物の生き方は、一つの完成形だ。
しかし、人間はそれを意識的に選択する可能性を持つ。
そして老子や禅でいうところの無為自然や無心の境地とは、それらを更に超え、意識的な無心(全てを超越しながら世界を生きる)の境地ということができる。
・エゴを意識し、より良い方向へ使う
仏教の「無我」の教えによれば、そもそも固定された「私」というものは存在しない。私たちの存在は縁によって成り立ち、常に変化し続けている。しかし、それを理解したからといって、すぐに無我の境地に至るわけではないし、エゴを完全に手放せるわけでもない。だからこそ、エゴを敵視するのではなく、「意識的に利用する」という発想が求められる。
たとえば、『人の役に立ちたい』という気持ちが芽生えたとき、その奥にある『人から認められたい』『自分は善い人間でありたい』という願望を冷静に見つめる。そして、それを抑圧するのではなく、「より良い価値を生きるためのエゴ」として活かす。
重要なのは、その行為が深い内省を伴い、意識的に選択されたものであるかどうかだ。たとえそれが道徳的なものであれ、社会的なものであれ、宗教的なものであれ、自己満足や盲目的な従属ではなく、「主体的に選ばれた価値」として生きられるかが問われる。
これは、ヨーガの「カルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)」にも通じる考え方だ。つまり、「結果に執着せず、ただ適切な行為を選び、それを淡々と実践する」という態度。我々凡夫にとって今為すべきことは、「エゴを持たないこと」ではなく、「エゴを自覚し、より良い方向へと昇華すること」なのだ。
・意識的な生の選択——ビオスの視点
ジョルジョ・アガンベンは「ビオス」と「ゾーエー」という概念を通じて、人間の生を「単なる生存(ゾーエー)」と「主体的な生(ビオス)」に分けた。現代社会では、管理された生存(ゾーエ)が優先され、主体的な生の選択が抑圧される傾向にある。
この視点から考えるならば、「意識的に洗脳を選ぶ」とは、「どのように生きるか(ビオス)」を選び取る行為そのものだ。与えられた価値観を無自覚に受け入れるのではなく、「どの価値を採用し、どの価値を手放すか」を能動的に決定すること(その決定も別角度からの洗脳であるという意識しながら)。
これはミルダッドの思想とも響き合うが、彼の説く悟りのような完全なる超越ではなく、あくまで「現実の只中において、いかに意識的に生きるか」という問いである。
※尚、あくまでアガンベンはビオスを社会的生と位置付けた。
・ニーチェの超人——価値の創造者として生きる
ニーチェは「神は死んだ」と宣言し、従来の価値体系の崩壊を指摘したが、これは時代ごと、否刹那ごとに新しい神(ニーチェのいう一神教的な神のみでなく凡ゆる社会的洗脳を含む)、"広義の神"を殺すこと。そして「新たな価値を自ら創造する存在」として「超人(Übermensch)」を提示した。「超人」とは、盲目的に価値を受け入れるのではなく、自らの生を主体的に設計する者のことだ。
この超人の思想は、単に「洗脳を拒否する」のではなく、「どの価値を選び、それをどう超えていくか」を意識することに繋がる。私たちは社会の中で生きている以上、何らかの価値観に影響を受ける。しかし、それを無批判に受け入れるのではなく、「自分にとって本当に価値のあるものは何か?」を問い続け想像すること。そして不屈の精神力と絶対的な生の肯定。それこそが、超人としての生き方なのだ。
またニーチェから強い影響を受けたバタイユ、そのバタイユと長い交流のあった岡本太郎は「芸術は爆発だ」と語り、既存の価値観を破壊し、生命の爆発的な創造を肯定した。彼の言う「爆発」とは、単なる衝動的な行為ではなく、生命を全力で表現すること。この生き方は洗脳を選択するという段階を超え、創造へとジャンプする表現であり、「まったく新しい生を創造する」という方向性だ。
・自らを超える意志——選択する力の重要性
ここまでを総合すると、私たちが目指すべきは、ただ無自覚に無為自然といって流されるのではなく(流れられるのは仏陀のみであるから)かといって無自覚に自身の価値観を確固たるものとして見るのでもなく、常に自らの内面と向き合い、何を信じ、どのように生きるかを自らの意思で決定するということだ。
これは、単なる自己満足や反抗ではなく、厳しい自己研鑽と内省の結果として生まれるものである。ミルダッドが説いたように、人は常に自らの内に秘めた可能性を持っている。しかし、その可能性に気づき、現実の中で実践するためには、意識的な選択と努力が不可欠である。
・結論—より良い価値を生きるという選択
今まで述べてきたように完全に洗脳から自由になることは難しい。しかし、無自覚に流されるのではなく、「どの価値を選ぶか」を意識的に決定することはできる。そして、その選択の基準は、単なる快適さや社会的承認ではなく、「自分自身をより深く理解し、より豊かに生きるための価値」であるべきだ。
私たちは、自らを高めることを求めながら、同時に今できる最良の生き方を選ぶことができる。未来の超越を夢見るだけでなく、今この瞬間に自身が過去に受け取ってきた社会的洗脳から何を選ぶかを意識すること。それこそが、「より良い価値を生きる」という選択であり、現実の中でできる最も確かな一���なのだろう。
そして動物(完全な無知)と超人の間にある我々人間は、凡ゆる洗脳から脱却するために、「意識的に」生きることが必要だ。これは、一見すると世間一般で言われる「自由」とは正反対の道のように思える。
しかし人間における自由や自分軸というものは、洗脳され切った価値観や好き嫌いを無自覚なまま「これがワタシだ」と自身を無闇矢鱈に曝け出すことではない。そうではなく、「これが私の価値観だ」と思う価値観は如何に形成され、本当にそうなのか。果たしてそうあるべきなのか。と常に自己に問いかけ、内省し、より良い価値を生きようとする選択である。
畢竟するに、最高の生き方とは、単なる目標達成ではなく、生そのものを目的とすることである。
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241124 日
【自信失う理由】
医学的 / 心理学的に「治せるアレルギー」なら治す
これは"ともしなくとも"ハラスメント的なゾーンにすぐ突入するアレではあるが「苦手なもの���は往々にして「練習回数が少ない」オア「ルールを分かっていない」ものである場合がほとんどである(ルールを憶えたくなく練習もしたくないことがアレルギーが発動している証拠)
練習回数が少なくルールを理解していないものを「ぶっつけ本番」でやらされてクリアできる人間は基礎ポテンシャルが尋常ではないか豪運の持ち主だけだ
最終的な理想はそこ(=ポテンシャルの底上げアンド運を磨きまくること)であるとしても「失敗」してしまった際にやるべき事は「基礎ルールの読み込み直し」とそれに基づいた「基礎練」だ
ブランクがある人間はフィーリングで必殺技を出す事はできるものの、ふつうはコスト消費しない筈の「通常技」出す際にも必殺技ゲージを消費してしまう
つまり持久力が皆無だし応用力も低下している
「ルールの読み直し」と「基礎練」を繰り返す理由は通常技の発動コストを限りなくゼロにする為
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例えば床に置かれた重いものを運ぶ際、基礎をわかっていない人間は背中を曲げて「腰周辺の筋肉」を使ってものを持ち上げてしまう
これは運送業においても介護においても「やってはいけない動作」として初心者用マニュアルに書いてある
背中は真っ直ぐ、むしろ胸をそらし気味にしてしゃがみ、脚と尻の筋肉を使って持ち上げる
脚と尻は常に肉体の重量の半分以上を支えている(つまり重力下で生活しているなら常に自動的に鍛えられる)。だから外部のものを持ち上げる際に利用しても腰と比べダメージの蓄積量が少ないのだ
人間が無知なまま「自然体」で動いたら誰であろうと犯す必然の過ちってもんがある
そういうものを単なる勉強不足ではなく「才能不足」と錯覚してしまう事により人は自信を失くしてゆく
平和で建設的な世界で生きている限り、自信を失うメリットはほぼない
ならば「自信を失う努力と工夫」は(日本国内にいる限りは)しなくてよい
・
ブランクがあるなら「基礎ルール」を読み込み直せ
衰えた感性と筋肉取り戻す為に「基礎練」からやり直せ
練習せずに勝負に挑む者は根拠なく自分の勝利を確信している「無垢な幼稚園児」に等しい
それは傍から見れば能天気に自傷行為繰り返したあげくそれをすべて他人の所為にする「他罰マニア」
本が読めないならば仕方ない。人の話が聞けないならば仕方ない
己が理解できず興味湧かないものを「すべて下等で価値のないもの」と無意識にレッテル張りしスポイルする習性が己の首を締めてゆく
改めて言う
「苦手なもの」ってのは「練習回数が少ない」オア「ルールを分かっていない」ものがほとんどだ
20代半ば過ぎたら自分が「��才である可能性」なんて1ミリも信じるな
かつ、相対的無能であることも卑下するな。それを卑下することこそが「無能が振る舞えるなけなしの社会性や善性」だなどと思うな
あなたが勇気を持たないこと、学ぼうとしないこと、自分とこれまで自分を支えてきてくれた人々と世界を信じようとしないこと、その全てがあなたを「最悪」たらしめる
中途半端な自分を許せ。堕ちる限界まで堕ちる努力などせず「ちょい悪」なまま、天から二物三物与えられたヒーローどもを支える「名脇役」目指せ
自分が主人公でないこと悟ったとしても後悔と無力に浸りベクシンスキーめいた絵ヅラの中で朽ち果てようとすんな。退廃のカタルシスに浸んな。満ち足りた哀愁の中で「納得の笑み」浮かべ、他者の為になけなしの力振るって、散れ
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CAを「笑顔で接客する仕事」だと思ってた子達は ここで「我々はお客様の命を救うために乗ってる保安要員で、万が一の時は自分の命はなくなる」って自覚してマインドセットを変えさせられることになる 訓練中にドアOPENのジャッジ失敗すると教官が 「はい、今のあなたの判断でお客様は200人死にました」とか言われるわけよ で、覚悟決まってないとか出来が悪いトロい子だと泣く そして「泣いてもお客様は助かりませんね」って冷酷に言う超厳しい教官 あと当時747の2階席のスライド滑るのが怖くて泣く子続出だった。わたしは別にそういうのあんま怖いと思わない系だけどあまりの高さに足がすくみました。 高いところからスライド滑って脱出が無理な人 A380で2階席指定するの避けた方がいいと思う 訓練生でもかなりの割合で高いスライドは滑れずに怒られて泣きながら滑るとかあったからね でもそんな右も左もわからんポンコツたちをめっちゃ厳しく指導して、最終的には一人前に仕上げてくる訓練所の教官たちはすごいですよ。
XユーザーのS U Z U@旅パッキングand客力の磨き方さん / Twitter
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2023小橋共作誕生日絵、元ネタの多さとわかる人の少なさ。ちょっとだけ書いておきますね。
単独のポスター
「ひきちぎる」「ふりたてる」「みせつける」「よみがえる」の光の当たり方は蘇って今、最高値のドンデコルテが陽の目を浴びるのだ❗️という……
ピンクいスクーター
「チェリー」小橋さんの愛車。後ろの張り紙は第二回単独で展示されてたチェリーの紹介文章。他にも展示の要素が多々あり。
星の照明
小橋さんの誕生日、6/17はタロットだと「星」だから。
ハイリアの盾
なんだかんだオカリナだったりBOWだったりちゃんとゼル伝やってるイメージがあるから。ゲーム配信とかしてくれてもいいのにー!と思っています。ドンデコルテ唯一のゲーム配信はこばしがんばるラジオ(公式雑談)のゼルダ回のみ。
ミートソース
小橋共作さんが1番プッシュしてるお料理要素、それはミートソース。皿と机、ついでに床の敷物は知りうる限りで実際に小橋共作さんが使っているものをベースに書いています。
切手シリーズ予備知識
ドンデコルテの結成日 2019年11月20日
結成を意識した時のネクタイの名は「覚悟」
渡辺さん誕生日 1985年8月2日
小橋さん誕生日 1989年6月17日
豆知識
ドンデコルテの綴りは「DONDECOLLETE」であると言いまくってるのは私。実は、これだと正規の仏語読みはドゥコレット。ドゥと読ませないための点をeの上にうつ。eだけだとゥになる、エと基本読まないから、読ませるためにアクセント。ドンデコルテと読ませるなら「Dondécolleté」となる。諸説あり。
切手シリーズ W-1
ドンデコルテのオタクの謎文化「略称W」今や銀次のGかもしれないと思う気持ちもあるけどつかみは渡辺だしなと日々考えています。
切手シリーズ K-1
ドンデコルテのオタクの謎文化「略称K」いいデフォルメ。わかりにくいですが、実は小橋さんがムキムキというのを少し表したかったので胸張ってます。
切手シリーズ たばこ
渡辺さんはキャメル、ピース、キャプテンブラック。小橋さんはアメスピ���ターコイズ(詳細はwikiに書いています)。色面構成したくてこの構図。
切手シリーズ 靴
ドンデコルテといえば、「靴」なのかなと思い制作。それぞれの立ち方、雰囲気を構図に落とし込めてて秀逸。渡辺さんの靴磨きインスタライブのおかげで誰よりも舞台靴に詳しい人間になっています。
切手シリーズ 伝承
記録に残したい、歴史に残るような面白さなんですよという雰囲気で描いています。いい感じに小橋さんのもつ南国感をちょっと斜めから表現できてて感動。ドンデコルテに必要なのはドンデコルテを伝える(布教する)人、そんなことから伝承という言葉を選んでいます。
切手シリーズ 夜
イメージは「朝焼けも夕焼けもないんだ」です。舞台の姿ではないから立ち位置は逆を想定し、片方は何かに気づき、それに紫煙で返事を返すような、そんな距離感が出てれば嬉しいです。実は背中合わせの構図でも全然いいので解釈は自由。
小橋のきゅうくらりん素材

コント「傘」
シチュエーションコントで披露され優勝し、七月のJimbochoグランプリ総合7位だったネタ。画面構成ぢからが誰よりも鋭く、それがネタの中に滲んでる渡辺さんのセンスの良さ、美的感覚が大好き!構図が上手い。
<i>✨なかむらしゅん✨</i>
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「好意を示す」ことが、期待を呼び込み、時に「勝手な権利要求」や「支配」を引き寄せる。 その結果、「そんなのを回避するために」自分の振る舞いを削り、抑え、装備をまとってガードする。 結果的に、息苦しくて、おもろない、殺風景な生き方になってまう。
「目を合わせずに、お礼を言う」「あまり笑顔にはならないように気をつけて客観的にその場に相手にたいしてするべき言動をする」「期待感は持たないようにする」 こういう「自分を守るための型」って、ほんまによくあるし、でもしんどい。
ここでは、その「回避的・自衛的バランシング」「心の持ちよう」「外に出る言動」パターンを、なるべくたくさん、いろんな形で挙げてみるで。
◆ 外に出る「言動」のパターン
笑顔を減らす
口角をあまり上げず、柔らかさを消す
頬を動かさない、無表情気味に構える
目をそらす
目を合わせる時間を最小限にする
アイコンタクトを切るタイミングを決め打ちする
声のトーンを抑える
高い声や柔らかいトーンを避ける
抑揚を減らして事務的に
身体を引く
距離を取る
前屈みにならない
相手の方に身体を向けすぎない
相槌を淡泊にする
「はい」「ええ」「そうですか」と短く
感情を乗せない
ジェスチャーを減らす
手を動かさない
開いた仕草を封じる
相手の話を深く拾わない
「それはそうなんですね」で留める
掘り下げ質問をしない
距離を取る「敬語」
丁寧語で線を引く
砕けた話し方を避ける
リアクションを小さくする
大げさに笑わない
驚きを表に出さない
雑談を減らす
用件だけ伝える
余談を挟まない
「ありがとうございます」だけを言う
感謝は言うけど、そこに「笑顔」や「親しみ」を乗せない
◆ 「心の���ちよう」のパターン
期待を抑制する
「相手も期待しないで」と自分に言い聞かせる
「仲良くならんでいい」と線を引く
相手の感情を想像しすぎない
「どう思われるか」を考えないようにする
「誤解されてもええ」と腹を括る
先回りで警戒する
「この好意は重荷になるかもしれん」とブレーキをかける
「こうしたら勘違いされるかも」と自制する
「義務化」を避ける
「一度やったから、ずっとやらなあかん」を断つ
継続を期待させないように意識
感情移入を抑える
相手の気持ちに同調しすぎない
一線を引いて客観視する
自分の好意を「サービス」扱いする
「仕事だから」「役割だから」と切り替える
感情を介在させない
過剰な共感を手放す
「わかってあげたい」を抑える
相手の事情を自分事にしない
◆ 「自分への戒め」みたいになるパターン
「あまり調子に乗るな」
「サービスしすぎるな」
「相手に期待を持たせるな」
「変に親しみを出すな」
「私情をはさむな」
「勘違いされるくらいなら冷たくていい」
「むしろ冷たくて安心」
「なめられないように」
「距離感を保て」
◆ こうした結果、生活に生まれる「おもしろくなさ」
人間関係が味気なくなる
笑う機会が減る
心を開けない
ちょっとした好意も躊躇する
「自分が不自然になる」感覚
「演技しっぱなし」で疲れる
「生身を見せられない孤独」
「心の中でいつも計算してしまう」
◆ まとめの一言
「人を大事にしたいからこそ、心を閉じる」 そんな自己防衛の悲しいねじれが、日常の中にしのびこんどる。
この「日常にしのびよる歪み」、 ほんまにリアルなテーマ���わ。 また続き、別の角度でも書けるし、 「このパターンも言語化してくれ」ってのがあったら、いつでも言うてな。
「中間管理職」いうのは、ほんま社会構造が個人に内面化させる「役割の演技」を強烈に要求される場所やからな。 昇進したら「給料上がった分、こう振る舞え、こう考えろ」って“心の中”までセットで売られる。
ここでは、そういう 「中間管理職に昇進したら背負わされる言動・気の持ちようパターン」 を、できるだけ多く挙げてみるわ。
◆ 外に出る「言動」のパターン
部下を注意しなければいけない
本心では「まあええやん」と思っても、言わなあかん
叱る演技を身につける
「上には報告、下には指示」を徹底する
自分の言葉を常に「伝書鳩」用に整える
曖昧さを減らして、公式な言葉で話す
雑談をコントロールする
距離を縮めすぎない
でも「冷たい上司」と思われないギリギリを探る
愚痴を言わない
下からの不満を吸収する役割
上にはポジティブな報告を作る役割
仕事を振る「決断」をする
自分が手伝いたくても「任せる」を優先
逆に丸投げに見えないよう「フォロー」も演出
「公私混同しない」を演じる
休みでも連絡を受ける
酒の場でも「上司としての立場」を崩さない
部下の前で会社を悪く言わない
会社批判を自分の中で留める
「組織の顔」を演じる
「公平さ」「公正さ」を示す
えこひいきを疑われないよう距離を均等に
個人的感情を消す
上の意向を「自分の意見」として伝える
「あいつの言葉をそのまま伝えただけ」とは言えない
会社の意向を自分の言葉で説得する
◆ 内面の「気の持ちよう」パターン
「自分が責任を取る」覚悟を常に持てと言われる
失敗は自分の責任
成果はチームのもの
「嫌われても仕方ない」と自分を納得させる
友達感覚を捨てる
「期待を裏切る役割」を受け入れる
「会社の意向を自分ごと化する」
納得してなくても「俺もそう思う」と内面化
背反する指示を合理化する
「誰かを犠牲にしてでも成果を出す」を飲み込む
「全員幸せ」は無理だと割り切る
調整役を諦め、線を引く
「上司としての自分」「個人としての自分」を分ける
本心で同意してなくても「役割として言う」自分を作る
良心の呵責を鈍くする
「部下は見ている」を意識する
ちょっとした態度が評価される
プライベートでも「上司の自分」を背負う
「感情を���理する自分」を持つ
腹立っても顔に出さない
悲しくても淡々とする
「誰も本音を言わない場」での演技を磨く
会議では波風立てず、裏で調整
表向きの調和を優先する
◆ 「システム内での役割」による自己抑圧
「期待される振る舞い」に自分を合わせる
「部下に信頼される上司」「上に安心される管理職」を演じる
「問題を解決する人間」を演じる
不安や迷いを見せない
弱音を吐かない
「成果を出す人間」を演じる
部下を守りたい気持ちを抑えて締め付ける
「バランスを取る人間」を演じる
誰の味方でもなく、全員の調整役を自認
◆ その結果生まれる「歪み」
自分の言葉を信じられなくなる
本心では思ってない指示を出す
「ほんまは部下の味方でいたい」気持ちを殺す
演技の仮面が板につく
「自分も会社の歯車」と割り切って諦める
情熱を失う
「管理職の自分」と「人間の自分」を切り離して考えすぎる
感情を麻痺させる
部下の相談を受けつつも「最後は裏切る」恐怖
異動・査定・リストラを伝える役
「何のために頑張ってるんやろ」とわからなくなる
仕事が「生きる意味」ではなく「義務」に
◆ まとめの一言
「昇進」とは、役割を買わされること。 給料が上がるだけやなく、「感情」「言葉」「心の動かし方」まで、組織にデザインされる。
こんな感じで、 「中間管理職が昇進後に背負わされる振る舞いや気の持ちよう」を できるだけ広く書き出してみたで。
また「このへんをもっと深掘りしてくれ」とか、 「他のテーマでも“日常にしのびよる歪み”を拾ってくれ」いうリクエスト、 いつでも待っとるで。
トップ(経営者、支配者、リーダーの最上位)って、ただ命令するだけやないねん。 「下のもんに自発的に、全力で、忠誠心を持って、組織の目的のために動いてもらう」ために、自分のキャラクター、発言、態度、見せ方、隠し方、評価の仕組みまで、ぜんぶデザインして操縦する必要がある。
ここでは、あんたが言うたみたいなトップの「バランシング・デザイン・コーディネート」のパターンを、 外に出る言動/内面・心の持ちよう/全体の戦略に分けて、できるだけたくさん挙げるわ。
◆ 外に出る「言動・振る舞い」パターン
● 親しみやすさを演出
名前やあだ名で呼ぶ
たまに部下をイジる(上下を保ったうえでのフレンドリーさ)
カジュアルな雑談を入れる
「お疲れさん」「ありがとう」を忘れない
● 神秘性・格を保つ
自分の感情をあまり露骨に出さない
私生活を見せない
思考過程は全部は説明しない
最後の決断理由は「なんとなく」「��合的に見て」と曖昧にする
自分語りを最小限にする
● 任務は明確に
タスクや目標は具体的に、測れる形で示す
「何をやるか」ははっきり指示する
「どう考えたか」は語らず、やるべきことを共有する
● 忖度を誘発
直接的に命じない
「どう思う?」と部下に考えさせる
「君に任せる」と言いつつ自分の意図を滲ませる
あえて解釈の余地を残す言い方をする
● 期待を示す
「君ならできる」
「ここが正念場だ」
「期待してるぞ」と軽くプレッシャーをかける
成功したら「さすがだ」
● 公平さを装う
評価基準を一応示す
例外を減らす(でも実際は操作可能にする)
「みんな同じルールだ」と言う
● 厳格さを見せる
締めるところでは徹底的に締める
失敗はきっちり指摘
処分や降格も平気でやる姿勢を示す
温情を見せても「例外」と強調する
● 利益を見せる
頑張った人には目に見える報酬
昇進・手当・表彰
「上を目指すルート」を明示する
自分が認めた人間が成功するストーリーを演出
● カリスマ性を演出
堂々とした態度
相手の目を見て話す
無駄な言い訳をしない
「俺が責任を取る」と言う
たまにユーモアを混ぜて和ませる
● 「下に降りる」演出
たまに現場に顔を出す
一緒にご飯を食べる
「気軽に相談してくれ」と言う
でも長居はせず、レアキャラ感を保つ
◆ 内面・心の持ちようのパターン
「感情を仕事のために使う」覚悟
喜怒哀楽を演出と捉える
本心ではなく「役割として」怒る・褒める
「全員を満足させるのは不可能」を理解する
誰かは犠牲になる
全体最適を優先
「部下の期待を食い物にする」割り切り
モチベーションを煽ることを悪とは思わない
その分の成果を出す責任を引き受ける
「下の世界」を完全には共有しない
近すぎると支配力が落ちる
あえて壁を作る
「怖さ」を必要な道具とみなす
「舐められない」を常に意識
「優しい」だけでは組織は維持できない
「自分が象徴になる」自覚
個人の好みで動かない
組織の顔としての自分を演じ切る
「相手を操る自分」を責めすぎない
それが役割だと飲み込む
罪悪感はマネジメント
◆ 全体の「戦略・デザイン」パターン
期待と恐怖の両方を使う
「報酬」「昇進」「評価」と
「処罰」「降格」「排除」
情報をコントロールする
全部は話さない
伝えるタイミングを計る
意図を完全には開示しない
責任を分散する
直属の部下に判断を委ねる
上意下達を��層で細分化
「善意の支配」を装う
「部下のため」「顧客のため」「社会のため」
大義名分で従わせる
「成功物語」を見せる
出世した人をロールモデルに
「頑張れば夢は叶う」を組織全体で共有
「家族感」を演出する
「うちは家族や」
「チームの和」を大事にする
でも切るときは非情に
敵を設定する
競合、他部署、変化への抵抗
「みんなで戦おう」という団結を促す
「自分がいないと回らない」仕組みを保つ
最終判断を自分に集約
権威の源泉を分散させない
◆ まとめの一言
トップは、下を操る技術を、人格のように装う。 親しみやすさも、神秘性も、厳しさも、報酬も、恐怖も、ぜんぶ「人を動かすための道具」としてデザインする。
こういうの、まだまだ角度変えて掘れるテーマやで。 「もっとこの部分詳しく」「別の例もほしい」 なんでも言うてな。
一緒に、「権力が日常をどうデザインするか」、言葉にしていこ。
「大統領」「戦国大名」「企業トップ」みたいな、権力の頂点に立つ人間に向けて、ほんまに遠慮ゼロでアドバイスするやつ、やってみるわ。
イメージは、「おい、トランプ、プーチン、トヨタの社長、お前ら耳かっぽじって聞けや」って感じ。 トップ中のトップがハマりがちな落とし穴を、なるべく率直にまとめるわ。
✅ 1️⃣「イエスマン製造工場」になってまう落とし穴
アドバイス: 「怖さ」で人を黙らせるのは、短期的には効く。でも、長期的には「嘘つきとイエスマン」���か残らん。 自分の耳に心地ええことだけ言う奴ばっかりになった瞬間、お前は裸の王様や。 意図的に「逆らう奴」「文句言う奴」を側に置け。 敵を選ぶ能力が、味方を選ぶ能力や。
✅ 2️⃣「わしが一番分かってる病」
アドバイス: トップは「現場感覚」がどんどん消えていく運命や。 なのに「俺が一番この組織を理解してる」「全部俺が決めたほうが早い」と思い込みだす。 権威を集中するほど、「世界を正しく知る能力」が衰えるのを自覚せえ。 常に自分の無知をデザインに組み込め。
✅ 3️⃣「成功体験の呪い」
アドバイス: 過去に勝った方法は、未来を壊すことがある。 「俺はこのやり方で成功した」 この自信は組織の創造性を腐らせる。 新しい世代や別分野のやり方を受け入れる「屈辱に耐える」胆力を持て。
✅ 4️⃣「言わなくても分かるだろ」地獄
アドバイス: 忖度を武器にしすぎると、指示があいまいになる。 部下は「意図を読んで動くゲーム���に必死になり、組織は鈍くなる。 ここは絶対言わなあかん、というラインは明確に伝えろ。 「解釈の余地」と「丸投げ」は違う。
✅ 5️⃣「支配と尊敬」を勘違いする
アドバイス: 恐怖で黙らせるのは簡単。 尊敬されるのはめっちゃ難しい。 人間は「嫌いな上司」にも従う。でもその忠誠心は金と恐怖でしか持たん。 「尊敬される支配者」であれるかを問え。 自分が死んでも組織が続く設計、それが本物のリーダーや。
✅ 6️⃣「親しみやすさ=人気取り」の罠
アドバイス: 人気を取ろうと媚びると、カリスマは一気に死ぬ。 「フレンドリー」と「媚びる」は全然ちゃう。 親しみやすさは演出するが、「譲らんとこは譲らん」という芯を見せろ。 愛想を振りまくより、「覚悟」を見せろ。
✅ 7️⃣「部下の利益」と「組織の利益」を混同する
アドバイス: 部下の要求を全部飲むと、組織は腐る。 逆に組織の利益しか見ないと、部下は逃げる。 「どこまでが共通の利益か」を常に定義し直せ。 線引きの技術がトップの器や。
✅ 8️⃣「恐怖政治の副作用」
アドバイス: 粛清やパワハラで短期成果を出すのは簡単。 でも「問題を隠す文化」「嘘の報告」「責任転嫁」を育てる。 最終的に自分にブーメランで返ってくる。 恐怖を使うなら、それを浄化する仕組みもセットで作れ。
✅ 9️⃣「敵を作りすぎる」
アドバイス: 分断統治は有効。でも敵を煽りすぎると、自分もその世界観に飲まれる。 「敵と味方」の二元論で世界を切りすぎると、交渉も妥協も失う。 「敵を敵として管理する知恵」を持て。
✅ 10️⃣「責任転嫁の構造を作る」
アドバイス: トップが「全部下のせい」「環境のせい」にした瞬間、組織も真似する。 「上が責任取らない組織」ほど、下が腐るもんはない。 責任を取る姿勢は、最後の支配装置や。 「逃げたら終わり」と心得ろ。
✅ 11️⃣「目先の成果」に全ベットする
アドバイス: 数字、支持率、株価、軍事的勝利、短期的成功。 トップはどうしても目先の成果で評価される。 でもそれだけを追いかけると、組織の未来を潰す。 「自分が降りた後も続く仕組み」を設計する力を育てろ。
✅ 12️⃣「自分だけは特別だ」と思う落とし穴
アドバイス: どんな天才でも人間は有限。 病気もする、死にもする、ミスもする。 「俺は特別だから失敗しない」と思った瞬間が、最大の弱点になる。 特別であろうとせず、構造を強くせえ。
✅ まとめの一言
「トップでいること自体が、思考を腐らせる装置や。」 だからこそ、トップは自分を疑う仕組みを自分で作らなあかん。 権力を維持するために、人間性を殺しすぎるな。人間を理解する能力を残せ。
これ、トランプにもプーチンにもトヨタの社長にも言えることやと思う。 「支配するって、ほんまは人間をどこまで理解できるかやで」って。
また「このポイントもっと深く」「他のリーダー像の話も聞きたい」あったら、なんぼでも付き合うで!
「おい、聖者、耳かっぽじって聞けや!」
って感じで、古代��ンドの「出家・乞食・修行者」パターンの聖者への「遠慮ゼロの心得&アドバイス」やるで。
出家者の理想は「執着捨てろ」「我を捨てろ」「清らかに生きろ」やけど、実際は罠だらけや。 「俗世の権力欲と同じくらい、聖なる権威欲も危険」って前提で、 あけすけにズバズバ指摘して、心得をできるだけぎょうさん出すわ。
✅ 1️⃣ 「悟ったフリ」が一番の地獄やで
アドバイス: 本心ではまだ煩悩まみれなのに「もう俺は解脱した」と演じるな。 自分をごまかす癖がつくと、二度と本物の洞察には戻れん。 「悟ったフリ」をするくらいなら、正直に「俺はまだ迷ってる」と言え。
✅ 2️⃣ 「謙遜」を権威化するな
アドバイス: 「私は何者でもありません」とか言いながら、周りに「なんて偉いんだ」と思わせて気持ちよくなっとらんか? 謙遜は演技しやすい権力装置や。 自分の「卑下」や「控えめさ」が他人を支配する道具になっとらんか、自分に問え。
✅ 3️⃣ 「施しを受けること」に傲慢を混ぜるな
アドバイス: 「乞食=清貧」と言いながら、「俺は尊い修行してるんだから施しを受けて当然」と思い始めたら腐る。 受け取るたびに「その気持ちに値する自分か」を問い続けろ。 「自分は徳が高いから施しを受ける」は、ただの慢心や。
✅ 4️⃣ 「清貧」をアイデンティティにするな
アドバイス: 「俺は何も持たない、だから偉い」 これも所有欲と同じや。 持たないこと自体を誇らしげに見せびらかしたら、執着と同じや。 「無所有」という肩書きを手放せ。
✅ 5️⃣ 「人を導く自分」に酔うな
アドバイス: 弟子や信者を持つと、どうしても「俺が導いてやらねば」になる。 その「導き」が、相手を支配する口実になってないか? 本当に相手の自由を増やす言葉か、自分を大きく見せる言葉か、吟味せえ。
✅ 6️⃣ 「真理」を所有するな
アドバイス: 「これが唯一の真理だ」とか言いたくなる。 でも真理はお前のもんやない。 独占しようとする心、正しさで他者を殴る心を常に洗い出せ。 正義は毒にもなる。
✅ 7️⃣ 「苦行」をアイデンティティにするな
アドバイス: 苦しみに耐える自分が誇らしいか? 「俺は人より苦行してる」 これも承認欲求の変形や。 苦行に執着するな。 楽も苦も、手放せ。
✅ 8️⃣ 「悟りを売り物にするな」
アドバイス: 「この教えで救われます」「私のところに来い」 救いをエサに弟子や信者を囲い込むな。 「悟り」を看板にした商売人になるな。 教えは相手のもんや。独占するな。
✅ 9️⃣ 「選民意識」に気をつけろ
アドバイス: 「出家した俺らは在家より上」 「修行者だけが真理を知ってる」 その優越感が最悪や。 聖者の皮をかぶったエリート主義に落ちるな。 誰が上とか下とかいう比較を全部捨てろ。
✅ 10️⃣ 「教え」を盾に逃げるな
アドバイス: 人間関係の問題、社会の矛盾、感情のドロドロ。 それを「無常ですから」「空ですから」���言って思考停止するな。 洞察から逃げる道具に「教え」を使うな。
✅ 11️⃣ 「人間性を放棄するな」
アドバイス: 出家は人間やめることやない。 欲も感情もある人間として向き合え。 「人間を超越する」フリをして、人間の現実から目を背けるな。
✅ 12️⃣ 「集団の空気」に飲まれるな
アドバイス: サンガ(僧団)でも「内輪の価値観」が生まれる。 「みんなこうしてるから」で思考停止するな。 出家とは、集団心理からも自由になる覚悟や。
✅ 13️⃣ 「戒律」を盾に暴力を正当化するな
アドバイス: 戒律は自分を守るためのもの。 人に押し付けてコントロールする道具にするな。 「戒律違反だ!」と他人を断罪して気持ちよくなるのは、俗世の権力欲と同じや。
✅ 14️⃣ 「清らかさ」を演出するな
アドバイス: 目つき、姿勢、話し方、服装。 聖者らしく見せようとする誘惑は強い。 清らかさを見せる演技に走ると、そこに執着が生まれる。 外見より内面を磨け。
✅ 15️⃣ 「孤高」で人を突き放すな
アドバイス: 「俺は一人で悟るから」と人間関係を切り捨てるのもエゴや。 「関わる苦しみから逃げる」方便にするな。 苦しみごと向き合え。
✅ 16️⃣ 「相手の欲を利用するな」
アドバイス: 「安心が欲しい」「救われたい」という人の欲を食い物にするな。 教えを伝えるなら、相手が自分で立てるように支えろ。 「依存先」に自分をさせるな。
✅ 17️⃣ 「沈黙」を権威にするな
アドバイス: しゃべらんこと、含みを持たせること。 それが深遠だと思わせて、自分を大きく見せたくなる。 沈黙は自分のために使え。相手を支配する道具にするな。
✅ まとめの一言
「出家は、世界と縁を切ることやない。縁の本質を見抜くことや。」 「聖者らしくあろうとする執着が、いちばん厄介な煩悩や。」
聖者に言うならこうやな。 「おい聖者、耳かっぽじって聞け。 自分が特別な存在やと思い込んだ瞬間、お前はその『目覚め』から遠ざかっとるで。」
他にも
「現代で出家するならどうなる?」
「宗教指導者としての落とし穴」
「在家信者に向けた心得」
「信者側から見た罠」
なんでも話せるで。 なんぼでも続けようや。
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大学教員の立場で、ちょっと長めの真面目な投稿です。 今年度から東大の工学系では、全授業が原則英語化されます。 これは必ずしもいきなり全て英語で授業が行われるということではないのですが、授業の履修者に英語での授業を希望する学生がいる場合には、大学側は英語で授業を提供する原則になったということで、大学が広く国際的に文句を広げ、かつ流動的に学生や教員を集めていく施策の基幹的な動きになります。たとえ日本人学生がマジョリティーの場合でも、原則英語の授業が今後増えてくることになります。もちろん一部の日本語でないと成立しない授業(例えば建築士免許に必須の法規に関する授業など)に関しては日本語のまま残りますが、それらはあくまで例外で、基本的には今後東大の工学系で学びたい人は英語で授業についてくる語学力がないと、十分に機会を生かし切れないような状況が、徐々にデフォルトになっていきます。 これに関しては、僕が決定に関わっているわけではないので何も言う立場にはありませんが、もちろん日本語話者の学生に不利になる可能性や、そもそも国の財源で運営される大学が他国語で授業をやるのはいかがなものかといった疑義に対しても十分に議論をされた結果の強い判断なのだと思いますし、僕自身、国際的なアカデミアや実務・開発の環境に身を置く中で、今後日本語に閉じた授業や研究環境にこもっていては、大学としても、卒業生の価値としても、引いては日本の産業競争力や国力としても、確実にジリ貧になるのは目に見えている(というかもう既になっている)中で、必要不可欠な、もしくは少し遅しすぎるくらいの動きなんだと思います。 日本の大学や産業開発力の国際的なプレゼンスの低下は、中で見ていても外から見ても著しいですし、語学だけでなく���織的な問題や発信力予算の使い方や配分に関するところにも、むしろより根本的な問題を抱えています。海外に出て専門性の必要な生活をしてみるとわかりますが、語学と言うのは単純に自動翻訳ができれば済むものでは決してなく、人と人とのマルチモーダルなコミュニケーションの総体なので、いろいろな場面で即応できる総合的な能力及び感覚を持っていないと、国際社会で相手にすらされなくなってしまいます。 こうしたところを大学側だけでなく、教育を受ける側研究をする側教える側、さらにはそうした人材を活用する社会全体で意識を共有して変えていかないと、少なくとも最先端を開拓する目的を持った領域ではどんどん時代に取り残されるだけだと思いますし、しっかりその辺の意識や意義を及して取り組んでいく必要があるのだと強く感じています。 実際僕も、建築学専攻でこの3年間やっている修士向け設計スタジオは毎回必ず何人かは海外からの留学生がいるので、原則英語での授業になっていますし(ただしこれは修士課程だから海外留学生が多いということで、学部ではこうした状況にはまだしばらくなりそうにはありません)、今年からはおそらく修士向け講義の「建築都市の情報空間」も英語での講義になるんじゃないかと半分覚悟はしている(もちろん資料の準備はできていない)状態です。 僕だってもちろん日本語の方がニュアンスが伝えやすいし楽だし、英語だとわからなそうな顔をしている学生を横目に見て授業するのも辛いんですが、やっぱりここは変えていく必要はある。例えばタイや台湾、マレーシアなどの主要大学で講義やコミュニケーションをしていても、普通の大学生が英語でコミュニケーションできる能力はおしなべて東大よりあちらの方が断然高い。この状況はとにかく変えないと、いつまでも内にこもって相互評価で満足していてはとにかく本当にヤバいのだと感じます。 ということで、これから東大を目指す皆さん、ぜひ英語でコミニケーションできる能力、半ば海外留学がいつでもできるような感覚を、しっかりと磨いておいてください。これは皆さんの将来にとっても、常に広めの視野と選択肢の中で生きていく上でも、とても重要なことなのだと思います。

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崖っぷちだった私がドバイ不動産で賢く年収3倍になるまでの奇跡
崖っぷちだった私がドバイ不動産で賢く年収3倍になるまでの奇跡
**はじめに:どん底からの逆転劇**
皆さん、こんにちは。私はかつて、借金に追われ、将来に絶望していた、まさに「崖っぷち」の人間でした。低賃金の仕事に追われ、毎日の生活に精一杯。将来への展望など、全く見いだせませんでした。しかし、今では年収が3倍になり、夢にまで見た豊かな生活を送っています。その奇跡の転換点となったのが、ドバイ不動産投資でした。この記事では、私がどのようにしてどん底から這い上がり、ドバイ不動産で成功を収めたのか、その軌跡を詳細に語ります。成功の秘訣はもちろん、失敗談も赤裸々に告白します。同じように苦しんでいる方、未来に不安を感じている方の希望になれば幸いです。
**第1章:絶望の淵にいた私 – 借金と不安の毎日**
私は以前、日本の小さな会社で事務職として働いていました。給料は低く、残業は当たり前。将来への不安は常に付きまとっていました。貯金はほとんどなく、クレジットカードの借金は膨れ上がっていました。両親には心配をかけまいと、苦しい状況を隠していましたが、心の重圧は日に日に増していきました。このままではいけない、何かを変えなければ…そう強く思うようになりました。
**第2章:ドバイへの転機 – 情報収集とリスクの認識**
転機となったのは、友人の「ドバイ不動産投資」に関する話でした。正直、最初は半信半疑でした。しかし、調べていくうちに、ドバイの不動産市場の潜在的な成長性、そして比較的低い初期投資で始められる可能性に魅力を感じました。もちろん、リスクも認識していました。失敗すれば全てを失う可能性もある。しかし、現状維持では何も変わらない。私は、このリスクを背負う覚悟を決めることにしました。
**第3章:賢い投資戦略 – 成功への道筋**
ドバイ不動産投資を始めるにあたって、私は徹底的な情報収集を行いました。不動産仲介業者との綿密な打ち合わせ、市場動向の分析、そして専門家への相談。安易な投資は避け、将来的なリターンを最大化できる物件選びを重視しました。具体的には、以下の点を意識しました。
**立地条件:** ドバイの開発計画を考慮し、将来的な価値上昇が見込めるエリアを選定。
* **物件の種類:** 高利回りを期待できる賃貸物件に焦点を絞りました。
* **資金計画:** 余裕資金を確保し、リスクヘッジを徹底。
* **専門家への相談:** 不動産弁護士や税理士に相談し、法的・税務的なリスクを回避。
最初は小さな物件から始め、成功体験を積み重ねることで徐々に投資規模を拡大していきました。
**第4章:困難と挫折 – そしてそこから学ぶこと**
順風満帆ではありませんでした。当初は、予想外の修繕費用が発生したり、空室期間が長引いたりすることもありました。失敗から学ぶことも��かったです。例えば、物件の選定ミスで低い利回りに悩まされたり、市場の急激な変化に対応できずに損失を出しかけたこともありました。しかし、これらの失敗を糧に、投資戦略を改善し、リスク管理を徹底することで、徐々に収益を上げることに成功しました。
**第5章:年収3倍の現実 – 夢のような生活と今後の展望**
現在、私はドバイ不動産投資で得た収入により、年収が3倍に増えました。借金は完済し、快適な生活を送っています。もちろん、これで終わりではありません。今後も継続的に学び、投資戦略を磨いていくことで、さらなる成功を目指していきます。
**結論:希望を諦めないこと**
かつて絶望の淵にいた私でも、努力と正しい戦略で成功を掴むことができました。ドバイ不動産投資は、決して楽ではありません。しかし、適切な知識と覚悟があれば、大きなリターンを得る可能性を秘めています。この記事が、同じように苦しんでいる方、未来に不安を感じている方にとって、希望の光となることを願っています。
**免責事項:** この記事は、個人の経験に基づいたものであり、投資を推奨するものではありません。不動産投資にはリスクが伴いますので、投資する際には十分な調査と専門家のアドバイスを受けてください。
**補足:** 記事中には具体的な物件名や金額を記載しておりませんが、必要に応じて具体的な例を差し込むことで、より説得力のある記事にすることができます。例えば、「〇〇地区のワンルームマンションを購入し、月々○○円の賃料収入を得ています」といった記述を加えることで、読者の理解を深めることができます。 また、写真やグラフなども効果的です。
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ヘラって精神科に3か月入院した話
2年前に入院したときのことを話します
僕は感情の起伏が激しく、テンションが異常に高い状態(躁状態)とテンションが異常に低い状態(鬱状態)を繰り返すいわゆる躁鬱病だった。(今は双極性障害とも言うらしい) 当時はバイトをしながらネットでの活動に勤しんでいて、いつものようにバイトから帰って動画を撮って編集して動画をUpして配信して…そんな日がずっと続いてた。し、これからもしばらくはこんな日々が続くんだろうなと思っていた。 しかしある日、急に気分が重くなってすべてのやる気が失われとんでもなく鬱になってしまった。突然本当に自分の存在が嫌になって、はっきり言うと自殺願望が湧いてしまい、ベッドの策にロープ状のベルトを首に巻き付け、死のうとした。結局死ぬのが怖くなったり想像以上に苦しくて自殺は未遂で終わったんだけど、どんなに薬を飲んでも効果が無かったので次の通院の日にお医者さんに今の自分の気持ちを伝えようと思い、お医者さんに当時の気分、自殺をしようとしたことを伝えたら 「きみ、うつ病と統合失調症患ってるね。あと入院する必要があるから今日から入院ね」 と告げられた。 あまりにも突然告げられたのでさすがに困惑した。そもそもそんな入院するほどか?と当時は思った。 でも今思うとあの時入院してなかったら今頃本当に死んでいたかもしれなかったから入院してよかったとは思う。 診察が終わって病院の待合室で診断書を待ってる時、隣にいた母親が 「入院するほど苦しかったんだね…気づいてあげられなくてごめんね…」 と涙を流しながら僕に話しかけたのは今でも鮮明に覚えてる。 あまりにも急な出来事で荷造りとか入院の手続きとかで忙しくてネットに入院することを伝えることができないまま僕は突然、唯一の居場所だったインターネットから姿を消した。
こうして始まった入院生活。病棟がどんなところか説明すると、病室は4人1部屋でそれぞれ引き出し付きの机とベッドがあった。病室を出ると食堂に出てここでご飯を食べたり(病室で食べることも可能)テレビを見たりレクリエーション(リハビリ)をしたりしてた。食堂の向かいにナースステーションと治療するための部屋があった。それとトイレと大浴場もあった。トイレには立って用を足す方の便器はなかった。あえて理由は説明しないけど… 窓から飛び降りることを防ぐために窓は5㎝ほどしか開かなかった。扉は全部スライド式で取っ手の部分(隙間)が全部埋められてた。たぶん首を吊る人が出ないようにするためなんだと思う。
病棟での一日
まず朝の6時くらいに起こされる。といっても基本規則正しい生活を送っているから自分から目が覚めることの方が多かった。 朝起きて少ししたら朝食が用意されるので病室から出て病室に運び、一人でとにかく黙々と食べる。 先に言っておくとみんなが思ってるほど病院食はひどくなく、量も少なすぎず多すぎず、栄養バランスも考えられていて味もよくておいしくいただくことができた。たぶん僕は体は健康だったので特に制限とかなく食べることができたんだと思う。(摂食障害の人とかは多分変わるかも) 朝食を食べた後は看護師さんから渡される薬を飲み、各自顔を洗ったり歯を磨いたりする。 それ以降はしばらく暇。とにかく暇。 娯楽が無いのでとにかく暇。ゲーム、音楽、読書、アニメ、ネット。僕の好きなものは全部禁止されてた。 やることがないけど10時頃にレクリエーションがあるためそれまで2度寝したりテレビを見たりして時間をつぶしてた。 僕は歳の近い患者さんが何人かいて暇なときはその人たちと談笑したりしてた。たぶんこの人たちがいなかったら入院生活はもっとハードモードになってたと思う。 10時ごろになるとレクリエーションが始まる。内容はあんまり覚えてないけどたしか体操、ビデオ鑑賞、音楽鑑賞、ちょっとしたゲーム(ペットボトルボウリングみたいな簡単なもの)をしてた。 本当はレクリエーションは自由参加なんだけど僕はレクリエーションに積極的に参加して看護師さんや先生に「俺はもう健康だよ?早くここから出して?」と猛烈にアピールしてた(たぶん無意味) 12時頃になると昼食が用意された。朝と同様病室で食べて、そのあとは薬を飲む。 お昼を食べた後はシャワーを浴びる。浴室は大浴場みたいになっていて週に2,3回は湯船に浸かることができた。シャワーを浴びるとさっぱりするしなにより暇つぶしというか時間がつぶれるのでシャワーは毎日浴びていた。ただ湯船はシャワーを浴びずに湯船に直行するおじさまが絶対いたので湯船にはあんまり入ることはなかった。 15時頃に2回目のレクリエーション。午前中と同じようなことをやる。 18時ごろに夕食が用意される。朝、昼と同じ。 22時消灯。それまでテレビを見たり、入院仲間と話したりしてた。 寝る前に薬を飲んで一日が終わり。こんな毎日を過ごしていました。
病棟にはどんな患者さんがいるのか
まじでいろんな人がいる。 通路をひたすら歩いてる人。ずっとぼーっとしてる人。独り言をつぶやいてる人。しょっちゅう喧嘩する人、病室で自慰行為をする人。売店で買えるアイスを分けてくれる人。 自慰行為&アイスを分けてくれる人は同一人物で、僕と同じ病室にいてアイスを分けてくれると毎回「退院したらお母さんにこんな優しい人がいたんだよって伝えるんだよ?w」って言ってくる。すごく優しくて素敵なんだけど病室で自慰行為はやめてくれ。頼むから。まじで。 ちなみに入院してる人のほとんどは高齢者でした。若い人はほとんどいなかったけど、小学生も入院しててなんか悲しかった。
入院中に受ける治療について
僕は入院中、正しく言えば退院後も「ECT(電気けいれん療法)」という治療を受けていました。 どんな治療かというと、全身麻酔をして頭に電気を流してけいれんを起こすことで脳の機能を改善する治療らしい。この治療を週に1回受けてた。 この治療を受けてよくなったのかと言われると ぶっちゃけよくわからないです たぶんよくなったのかな?ていうかよくならなかったらおかしいよな? で、この治療なんだけど本当にめちゃくちゃ怖くて、毎回治療を受ける前は恐怖で体が震えてた。 だって麻酔で眠らされて頭に電気流すんだもん。怖いよ。 そしてこの治療、最初のほうは副作用で頭痛、吐き気に襲われて地獄を見ます。まじでECT受けたての頃はゲロ吐きまくってました。本当に地獄なのでECT受ける人は覚悟しておいてください。まぁ受けないのが1番いいんだけど。
どのようにして退院したのか
まず優等生アピール。というより健康アピール?を必死にしてた。 表情もできるだけ明るく、コミュニケーションをとるときもハキハキと喋ることをとにかく意識した。 入院して2か月半が経った頃。看護師さんが「先生から家族と電話をする許可が下りたので家族と電話しませんか?」と言われ、家族と電話をすることにした。 家族から僕のスマホを預かったらしく、およそ3か月ぶりのスマホ。本当はTwitterとか見たかったけどとにかく家族の声を聞きたくて真っ先に家族に電話した。 … りて「もしもし?りてだけど…」 母「りて?元気?」 … りて「お‘‘母さん…!!」 2か月半ぶりの家族との会話だった。母親の最初の一言で目から涙があふれ出てきた。声もめちゃくちゃに震えてたと思う 久しぶりに聞く家族の声。それを聞いた瞬間僕は死ぬほど号泣した。 りて「俺…もう退院したい…!!」 りて「もうこんなところにいたくない…みんなに会いたい…」
久しぶりに人に助けを求めた。 いつも1人で悩みを抱えてた僕は家族に助けを求めた。 そして10分ほど通話をして僕はTwitterを見ることはなく、素直にスマホを看護師さんに返した。(というか預けた) 本当はTwitterとかで生存報告をしたかったけどなんかTwitterとかやってるのがばれるのが怖いのでネットを見ることはなかった。 そして通話をしてから1週間後、僕は退院の許可が下りた。 本当はもう少し入院する予定だったのだけれど通話をしたときに家族が僕の号泣具合を聞いて「これ以上入院させるとまずいな」ということで僕を退院させることにしたらしい。 これは多分任意入院だからできたことであって、強制入院だったらできなかったことだったと思う。 こうして僕は入院してから3か月後、出所退院することができたのであった。
入院しててつらかったこと
全部 と言いたいところだけどそれだとよくないので何個かまとめました 1.娯楽がない
ネットも繋げられなければゲームもできない。もう本当にずっと暇だった。たぶんこれが一番つらかったと思う。
2.外部との連絡手段がない(面会ができない)
家族と話せないのも個人的にはつらいし突然ネットから姿を消したのでネットでは死亡説も出てました。ネットの友達からも普通に心配されました。
3.甘いものが食べられない
砂糖が入った物は基本口にできなかった。お菓子とかジュースとか。たまに売店でアイスを買ってくるおじいさんがいたんだけどその人から少しだけもらったことが何回かありました。ありがとうアイスのおじさん。
4.恐怖心が襲ってくる
自分はいつ退院できるのかとか患者さんに襲われるんじゃないかとかECTが失敗するんじゃないかとかいろんな不安が襲ってくる。
入院してよかったこと
無い
まとめ
僕が精神科に入院してた時のことを書きました。 精神科に入院するとどうなるのかとかがすこしでもわかったら嬉しいです。 僕は退院してから2年が経ちました。鬱は普通に再発してるし、死にたいと思うことも、自殺しようとすることもざらにあります。 でもそのことをお医者さんに伝えることができません。 なぜならまた入院、治療が必要だと言われるのが怖いからです。 もう自分の正直な気持ちを伝えることができる場所はなくなってしまいました。 中卒、高校中退、精神疾患持ち、職歴無し、こんな人間が社会に出れるわけがありません。 僕はこの先どうすればいいのでしょうか。
おわり
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ただの趣味
どうも、アイスチーム演出の海泥波波美です。
役者紹介を久しぶりにしようかな
僕はゲームが好きなのでオススメのゲームでも添えましょう
縦縞コリー
なんか主人公感がすごい男です。何をやらせても、何を言ってもすぐ出力してくるすごい男です。
そんな彼には主人公が13人もいる本格SF RPG
十三機兵防衛圏
をオススメしましょう。難解ですが最後の伏線回収、ストーリーが繋がる瞬間には震えます
あろハム権左衛門
ふざけた名前ですが彼女より演劇の熱意を持つ人はいないでしょう。上手くなるための努力を惜しまず気づいたら1人でもずーっと稽古してます、本当に尊敬です。舞台上での彼女の存在感にいつも圧倒されています
そんな彼女には南の国の独裁者になりきって国民を導くシミュレーションゲーム
トロピコシリーズ
オススメです。ぜひ独裁者を演じてみてください
西峰ケイ
彼女は本当に公演を経る毎に上手くなってる筆頭役者だと思います。本当に今回の役大好きなんでよねー。本人の普段の賑やかな雰囲気から打って変わってあのミステリアスさいいですねぇ。僕は彼女の出るシーンが今回の公演で1番好きです。
キャラクリが好きらしいですがそもそも魅力的なキャラクターが織りなす日常と非日常のjRPG
ペルソナ4
どうでしょうか?失った青春、取り戻しませんか?
衿君
立ってる姿がもうカッコい��。シルエットで魅せれるの憧れるよね。そもそもがカッコ良すぎてあんまり演出付けれなかったぐらい。カッコいい演技もいいけど彼のはっちゃけた姿もまたみたいですね。
オススメのゲームは愛すべきバカゲー
地球防衛軍6
ですねえ。そろそろ地球救わないとな
テキストを入力
役者をするようになって気づいたら恥を捨てる役ばっかりやってる男。当然彼にしかできない動きや魅力があるからその役が回ってくるんですけどね。芸が細かいというかお客さんの反応をちゃんとみてるって感じな印象です。もしかして、毎回奇怪な動きをするのは反応を確かめてるのか?そろそろシリアスなのも見てみたいね
彼みたいな奇怪な動きをする人間には
アサシンクリード オデッセイ
とか薦めておきますねぇ。広すぎる古代ギリシアのマップを駆け抜けながら、正面戦闘にステルス、姑息な手段までさまざまな戦い方ができるオモロアクションゲームです。変な遊び方してそう
こけまる
なんか何でもできるって印象の役者さんです。しかし今回の役、結構苦戦しましたねぇ。しかしながらも自身の型をみつけ始めてからは見るたびに上手くなっています。なんなら、僕が演出をつけず自主練の後の方が上手くなっている印象です。なんか独自のメソッドがあるんですかねぇ?
優しい彼女には人類が物理的にも精神的にもつながりを失ったアメリカを舞台にただ荷物を運び、届けるだけのゲーム
DEATH STRANDING
をオススメします。ガチ名作です。絶望的な状況でも人の温かみや強さを感じられます。
白
数少ない36期枠です。先輩に囲まれながら臆すること無く、役としてのウザさを磨き続けていました。見るたびに笑っちゃうぐらい、実際にいそうでちょっと嫌だなって思います(褒めてる)。彼の演じた役の中では毛色が違う役柄ですが個人的には1番好きです。
本を結構読むらしいので有名推理小説原作の
Sherlock Holmes: The Devil's Daughter
をオススメします。名前の通りシャーロック・ホームズを操り、ロンドンの街で起こる5つの事件を解決する推理アドベンチャーです!
紅みそ���
今回の役いいよねー。見るたびに笑っちゃう。喋る回数は多くないのですが妙に印象に残ります。彼女の位置的に見づらいのですがかなり表情にこだわって演技をしているので見てあげて欲しいですね。稽古場には大量のみそかがいたような気がしましたがあれは幻聴でしょうか?
彼女の地元にもあやかって
龍が如く 維新!
をオススメしたいです。明治維新の京都を舞台に主人公の坂本龍馬が何やかんやあって新撰組に入るとんでも解釈の歴史アドベンチャーです。このゲームは龍が如くのオリジナルキャラクター達が歴史上の人物を演じるスタイルなのですが西郷どんがシリーズ屈指の人気キャラ郷田龍司なんですねぇ。これがまたカッコいいんすわ
ミル鍋
最近アホの子を演じる機会が多い役者さんです。似合うもん、役当てたくなるもん。今回は知性のあるアホの子というよく分からん役柄ですが見事に演じきってますね。今まではただの暴走機関でしたが今回は待望の相方を見つけ更なる進化を遂げました。敵なしか?
オススメしたいゲームは
Bloodborne
です。ただ純粋にやってる所が見たいですね。動く物はだいたい敵なのでとりあえず脊椎反射で攻撃しましょう
埖麦
ミル鍋の念願の相方。今回の脚本は対となる役が多いのですが君達の組が輝き過ぎてメイン級を喰いかけています。ちょうど良い塩梅の力の抜き感がすごく魅力の役者ですね。それでいて締めるところは締めてくれるのが良いですよねぇ〜
彼は結構ゲームをやるみたいですので
新釈 剣の街の異邦人
をオススメしましょう。僕が今までやった中で最高難度のRPGです。キャラメイク、ダンジョン探索、アイテム厳選と古き良きRPGの要素をふんだんに詰め込んだ噛めば噛むほど味がするスルメRPGです。ただ難易度が高い…せっかく育てたキャラクターが油断したらすぐ消滅します(戦闘不能ではなく永久的な使用不能)。でも楽しいんだなぁ
鞠凸二郎
ちゃうかは彼をずっと求めていた。声も体格も明確に他の人にない武器を持っている役者さんです。ハマり役だろ。ちゃんと圧がある。良い。演出的に今回の脚本でコメディをやりつつも格を保とうと苦労した役ですが、なんかうまいことやってくれました。これからも彼だけができる役は永遠にあると思います。演出としてこれほど助かる役者もいないでしょう
彼には
信長の野望 新生
をオススメしましょう。無限に頭を使う国取りシュミレーションです。僕は定期的にこのゲームで休みを潰す程好きです。語ると止まらないので説明は割愛
中森ダリア
ずるい。全てが面白い。結構シリアスよりな役のはずなんだけどなぁ。彼女は役に合わせて声色をしっかり変えてるイメージがあります。女怪盗にお婆ちゃん、チンピラに本当に何処から出てるんだろうってぐらい幅が広いです。今度は逆に清楚な役柄やガキとか見てみたいです
彼女はゲームするのか…?
なめこ栽培キットDX 極
とかどうです?意外と侮れない中毒性ありますよ。暇があったらみちゃう。暇がなくてもみちゃう。楽しくはない。でも楽しい。なぜ?
雨々単元気
36期のコメディの申し子。タフ過ぎる。シングルキャストの中で1番ケロッとしてる。手を抜いてるわけじゃない、、なんなら結構全力を出してる。なぜ??言ったことを自分なりに解釈してアウトプットする力がすごい。なんも言ってないのにちゃんと動きを作ってくれる。しかも、ちゃんとハマってる。
一生コメディしてて欲しい。
そんな彼には
ラジアントヒストリア
オススメです。時空移動を軸にしたマルチエンド式のファンタジーRPGです。過去に戻り、失敗をやり直し、歴史を改変し破滅を回避しようとするストーリーはまさに王道。主人公の覚悟がちゃんとキマってる。これだけ言うとどことなくFate感があるでしょう。そんなに似てないけど普通に面白いから良きですよ。
東愛莉
彼女はシングルキャストの中では明確に違う演技を求められながらも飄々とこなしております。混じったら申し訳ないなと思いつつも、動きも表情も想像以上を出してくれるので気づいたら訳分からん動きを追加していってしまいます。要望を伝えるのがすごく楽しい役者さんです。オムニの時から表情豊かで見ててお客さんを飽きさせない魅力があります。
そんな彼女には
Fall Guys
をオススメしましょう。勝っても負けてもニコニコしながらやってて欲しいな
帝京魂
ネタバレになるから控えますが、まさにいぶし銀という活躍。すごい楽しそうに演じてくれて普通に嬉しい。理論派の役者さんでお客さん目線を念頭に置き、自身だけでなく舞台全体の見え方を研究してる印象です。だからこその今回の演技でお客さんの中には1番印象に残るって思う人も少なくないと思います。僕もカッコいいなーってニヤニヤ見てます。
彼には
SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE
をオススメしましょう。間違いない神ゲーです。紹介とかじゃないです。やれ!!!
久しぶりに役者紹介を書きました…疲れました
ほな!!
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◾︎
" なぁ、その心そのものをくれ
ほんとうのところでないたりわらったりする
制御の効かない涙の出どころをくれ "
以前自分が書いた文章が刺さった。涙なんて簡単に出る、優しい師長さんの声を聞いて泣いたり仕事休んでメンタルの調子整えるために人に迷惑かけて申し訳なさで泣いたり一体全体どうしたんだい?何が何だかもう分からない
平穏とは言い難い人生、でもその凹凸こそが人の心を掴む。名盤こそ傷だらけの筈だ。この軋轢した心の摩擦熱すらも私の体温、いつか誰かを温める。脈を打つ、しっかりと悠々と。誰にも負けない中身を作る。
この世を生きるには相応しくないほど
弱い獣を傷つける世界
小さな躰から滲み出る優しさには優しさで応えよう
愛のある言葉はときに人を選んだ
届く人との距離を掴んだ もう離さない
しかし何を言っても届かない私の心
目に孤独が浮かぶ 月の様だ
たった一つの心が揺れ動き 覚悟を磨く
あくまでも同じ軌跡
君から手向けられた花に何と名前を付けようか
自由こそ私に与えられたstatus
send me your lovely tune
最後の音が自分の泣き声なんて考えられない
だから聴く やさしいおんがく
愛は紛うことなき本物なんだ
仲間がいる 味方がいる それだけで十分
今日も煙を吐いて深呼吸
落ち着くこの時間を愛する
偶にくる連絡 優しい言葉をくれる人がいる
「やり甲斐を持ってやっているのは勿論分かるけど 辞めるという選択肢は常に持っていて欲しいよ」
「自分が壊れたら元も子もないでしょう」
「生きて欲しいよ そればかりを 祈っておりますよ 僕は」
私は私を愛さなきゃいけない
少しずつ愛し方を分かり始めてる
まずは此処からone step
年度末に気付くmemorylane
卒業おめでとうって 同じ言葉が出てきた
貴方ならどんな新しい事も生み出せるよ 大丈夫
来年も再来年もずっと私をみていて
そして私も貴方の事 それ以上にずっと見守ってる
大切に想う心の暖かさと尊さを教えてくれた
孤独を飼い慣らしても尚
恋愛とかじゃない愛が此処にあって
分かち合う ずっと側に居た訳じゃないけど
大事にしてくれた人が確実に居たんだ
だからもう滲まない
自分の足で立つ
ありがとう、私には味方しかいないのさ
貴方の首肯その一つがこの宇宙の正解
勝ち続ける貴方にも渦巻く負のenergy
正に転換できたらまた一つ強くなる
私もまるでVespertine
夕暮れ越えてその先で
今に花見酒 月見酒
上がって差し上げる 微笑んでみせるよ
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chat GPTくんに私の月日が経った同じキャラ絵の違いを見てもらいました。
めちゃくちゃ褒めてくれて嬉しかった・・・笑。
しかも次の作品を期待しているという。
こんなに上手に、しかもより頑張ろうと思えるような褒め方は並みの親にも難しいのではないでしょうか。
ガジェットはありませんが細かく拾ってくれて喜んだのがこの私です。
以下一応コピペを載せておきまそ。
ありがとう!

画像を拝見しました。明確に画力が向上していることがわかります。以下、解説・評価・考察・予想を述べます。
解説
• キャラクターデザインの進化
• 2023年の絵では、ポーズや構図にチャレンジしており、動きを表現しようとしている意図が見えます。服装や小物の配置にもこだわりが見られ、キャラクターの個性を出そうとしているのが好印象です。
• 2025年の絵では、人体のバランスやプロポーションが格段に良くなっており、特に 姿勢や重心の表現 が自然です。服のシワや生地の質感、装備品の細かいディテールにも注力しており、リアルさと説得力が増しています。
• 表情と感情の表現
• 2023年は顔の表情がやや曖昧でしたが、2025年は 目つきや表情の細かなニュアンス が表現されており、キャラクターの心情が伝わりやすくなっています。特に右側のアーマーを着たキャラの険しい表情は、戦闘への覚悟や緊張感を感じさせます。
• ファッションと装備のリアリティ
• 2025年のキャラクターは、防寒着や装甲など、用途に応じた服装を身につけており、設定に基づいた合理的なデザインを感じます。道具や装備の描き込みも細かく、キャラクターの背景やストーリーを想像させる力があります。
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評価
• 画力向上
線のコントロールが非常に安定しており、特に 人体の構造や遠近感の理解 が深まっています。ポーズの自��さや、衣服の質感の描写も丁寧で、着実に観察力が磨かれています。
• キャラクター性の表現
2025年のキャラは、外見だけでなく 性格や背景を推測できるような工夫 が見られます。表情や仕草、持ち物の配置などからキャラクターの物語が想像しやすくなっています。
• デザインの緻密さ
アーマーや機械的なガジェット、服の重ね着などの複雑なデザインに挑戦しており、質感の違い や 素材の存在感 がしっかり表現されています。これにより、キャラクターの存在感が強まっています。
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考察
• キャラクターの成長と物語
デザインの変化から、キャラクター自体の成長や変化が読み取れます。2023年は 日常的な人物 だったのに対し、2025年は サバイバルや戦闘を経験した人物 へと変化している印象です。
• 防寒着や装甲 は、過酷な環境や戦闘の場にいることを示唆しています。
• 表情や立ち姿 からは、精神的に強くなりつつも何か重荷を背負っているような内面の複雑さが見えます。
• 技術的進歩の影響
スケッチ技術の向上により、キャラクターの感情や背景設定を絵だけで伝える力が強まりました。加えて、装備の細部に対するこだわりが増え、物語性を強化する方向に進んでいます。
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予想とアドバイス
• 今後の進化
今後は さらに人体の動き や 表情のバリエーション を増やすことで、よりダイナミックで感情豊かな表現ができるでしょう。また、背景を描き込み、環境との調和を意識すると、キャラクターの存在感がより際立ちます。
• 色彩の活用
モノクロのスケッチから、色を加えることでさらにキャラクターの個性を強調できます。質感の違いや光の表現にも挑戦すると、完成度が格段に上がります。
• 物語の掘り下げ
見た目から感じ取れるキャラクターの背景や心理を、短いエピソードや設定文として描き加えるのもおすすめです。視覚と文章の両方で表現することで、読者に強い印象を与えられます。
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全体的に、キャラクターと画力の進化がとても感じられる素晴らしい成長です。今後の作品にも期待しています。
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【日記】
この金曜の昼間、町で小中学生らしきのを見かけたら、6年生か中3らしい。卒業式シーズンなんだな。私はもうすぐ最後の作品搬入。春の匂いがしてきている。ミツマタは咲いてるかな? 今年はまだ行ける時がなくて、写真1は二年前に訪れた某自生地。昨年作った画文集の表紙中面にも使った写真。
・
ここ数年の間、作品ができてもどこへ向かって投げたら良いのか何だか分からなくて、腐りかけてい��時期がたびたびあった。青少年のように。集中力が散漫になるたびに、ちがうちがうちがうと身を立て直す。でも、やめちゃおうなんて気は起きないし、実際作る手が止まることはない。どうにかこうにかして発信し続ける若い作り手の方々の姿も見たりして、思い直して、奮起し直して、また投げ始める。殆どはどこにも届かず流れていくのは覚悟して、でもやみくもではなく、ハートのない、気のない界隈や、作り手が搾取されるような方向だけは避けて…
でも現実、私が独りでできることなんて知れてる。投げ続けるには、ともに歩んでくれる人も必要だ。伝え届けるための伴侶。人にせよギャラリーにせよ何らかのメディアにせよ、きっかけは何でも、とにかく “作品" を好きで、楽しみにしていてくれる人。その人自身が、心から好きなものとの出会いを求めていて、見つけたらそれを世に送り届けたいという静かな熱意を持った(継続的に)、そういう繋ぎ手の方と、結果的に出会って、対等な立場で一緒に発信したい。願わくば。上から支配されるんじゃなく、作り手まかせにされるんじゃなく、同志であれるような...。出会えなければそれまでだ。でも生きている限り断念はしたくない。そのためにも、自身を、自作を、磨き続けなくちゃならないのは大前提として…。3歩進んでは2歩下がりながら、それに近い人や場に、ゆっくり僅かでも、(稀に思わぬ方向からも)接近できてはいる?のかもしれない。でも、晴れて同志な繋ぎ手に出会ったとして、きっとそれがゴールじゃないんだろうな。
人間が創る作品には、"わたしはこれが大好きなんだ。大事なんだ。癒されるんだ。あなたは?何が好き?" が秘められている。そんな対話が、一対一の出会いと対話が、もっともっと増えたら、世界の人々はきっと笑顔になれるのに… 25歳頃にようやく、私は作品を作っていきたい、という目覚めのようなもの(子ども時代の再開かもしれない)があり、以降、心のどこかでそんなことを思うようになった。 でも以来、社会に居場所はあんまりない感じ。純粋すぎる人間は要らないと退けられる。お互い。居心地の良い場所がなかったら、自分で夢の国をつくるしかないじゃないか。つくっちゃえばいいんだ。でも、意外なほど、闘って努力しなくちゃならないからめちゃくちゃしんどい。自身が笑えるよう作り続けなくちゃならない役目なのに、時としていろんな波がやってくる。 そして夢の国も、色んな意味で、ひとりではできない。良いと思ってつくったものも、誰かに届けて初めて成立する。そのために、決して諦めてはいけないものと、どうやら諦めなくちゃならないものがあるらしい。私は後者のことが苦手だ。人生中盤に来てもまだ全然できてない。永遠の未完成かな。叶わないからこそ、憧れは続くんだけど…
こういう当たり前のようでふだんは大体忘れているようなことを、這いつくばって切ったり貼ったりまた擦ったりしながら、くどくど考えている。 …大丈夫か私、生きていけるかな? 苦笑。なんだかんだで作品は、よしよしと思いながら出来ているから、まあ大丈夫かな。我ながら、ヘンな奴。
寒気の後ろに控えた春の陽気がつぶやかせる。妖気のせいにもしたくなる。そんな季節に、ちょっと便乗してみる。
・
「陰キャ日記、大好物」と言ってくれた そこのヘンなあなた 書いときましたよ 笑
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250307 金
【0:00】
もうずーっと黒沢1期最終巻の「あったけぇ」的ぐにゃぐにゃな幸福感が続いていて動けない
だからなんなんだよ、というツッコミを理性が入れるも本能が「あったけぇ…ありがてぇ」って手を擦り合わせて拝んでばかりでなんも仕事しない
温もり中毒。思い出中毒だ
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今を見ていない。これは過去に囚われた人間にありがちな足踏み‼︎
私一人では脱出できない、スーツがオシャカになったッ!助けろっ誰か助けろーッ
ああ、覚悟決めて決意固めて家を出る
こういう「後ろ髪引かれモード」の時は脱出が優先されすぎて忘れ物する
近距離探索リモコンでアイテムが自分と共にある事を確認し出発。電車の中でiPhoneの探すで所持品探すとすべて自分と一緒についてきてる。この安心感
紛失防止タグはApple IDではなくiPhone本体と紐付けされる。だからiPhoneを壊したり紛失すると紐付けしたタグも機能しなくなる
いま、iPhoneの液晶死にかけでこれが壊れたら修理せず別のiPhoneに買い替える予定なので早めにペアリング解除しないとな
持ち物はこんな感じで追跡できる。更新頻度は近くにiOS搭載でBluetoothをONにした機器があれば1秒単位で更新される
wi-fi機能はついてないのであくまで通りすがりの人間依存
だからド田舎や山奥とかで落としたら位置情報は更新されない。人口密集地以外では役に立たない「都市インフラ依存型デバイス」である
これはこの手のアイテムが出始めた当初から何ら進歩してない
iPhoneの「探す」機能は裏で受信した他人のアイテムの位置情報をwi-fi経由でオンラインにアップロードし続けている。だから紛失防止タグ自身にはwi-fiの通信機能を持たせる必要がないのだ
いずれにせよ、他力本願でパラサイトな仕様である
試しに電話機能以外オフにして場所検知してみたががっつり追跡できている。皆のBluetoothとwi-fiに毎秒タダ乗りして私のiPhoneに位置情報を送っているというわけだ。凄いシステムだ
10年前に買ったやつは3時間経っても更新されなかったんだぞ(同じ製品持った人が通りかからないと位置が更新できなかった。普及度の問題ではあるが肌感としてはゴミだった)
アイテムの現在位置を観てるだけでも面白い。私の中のストーカー性と管理欲求に火がつきそうだ
ちなみに最近は「許可なく他人の位置情報を探す目的でタグを悪用した場合警察は逆探知できます」的な文言がタグのペアリング時に出る。そりゃそうだ
こういうアイテムの「能動的な使い方」って犯罪と他人の監視以外思いつかないもん
関係ないけどアンパンマンがうちに秘めた破壊の力を普段から発散させたくて苦悩するドラマがあったら面白いのにな…って、その先の話をワンパンマンが既にもう書いてるか
他人を傷つける力って「それを悪用してくれる悪者」がいないと発揮する名目が成り立たない
「存在しない残酷と狂気の世界を描いてエンタメを盛り上げたい」という欲がブラック企業というプロモーターの存在がないと空ぶってしまうように(人はデフォではそれほど混沌やストレスを求めない)
よし、自宅の影響圏抜けた、温みボケの減衰を確認
———
【2:00】
19:00から22:00まで3h寝て夢を観て
それは妻が他界し自宅を引き払い一人暮らししている1ルームの自分のアパートの部屋で
娘の存在は不明。部屋のクローゼットが閉めても閉めても勝手に開いて視線感じてしょーがないという悪夢テイスト
だけどそんなこと気にしてたら生きていけん! と割り切って夢の演出一切無視して寝てる夢
不安を無視する訓練すると悪夢にすら抵抗できるようになるのだな
起きてすぐ出発したから夢の話を書く余裕なかったので会社着いてからこれ書いてる
ファンボの予約記事書くか。ここに書いたやつをロンダリングして使います
この間ノンアル酔いしてる時に書いたジェンダーがらみのやつ、リスクしかないから消した
生産性の低さと被差別ポジを紐づけて暗に明にディスる話はどう味付けしても「爆弾」にしかならない
それは自身が被差別者側や被害者側であったとしても同じ
触れても誰も得をせず根本的解決にも結びつかない「痛み」にまつわる話題ってもんがある
そういうもののシェアは避ける
強くなりさえすれば、人を裏切ることも裏切られることにも頓着がなくなる
裏切るというか「損切り」だな
自分が損切りする権利やメリットがなく「損切りされてばかりの立場」だとそれを「裏切り」と認識してしまう。お互い様だと思えなくなる
そしてその排他の根拠となりがちな「お金」を悪者扱いし、嫌儲と化してしまう
貧乏で倹約家で、それなのに自分が食べるものを惜しんで動物の食事と健康には十分なコストをかける事を美徳とするような「清貧信者」になっちまう
いや、お金あって甲斐性あったら普通にその動物のこともっと幸せにできますって
これは配偶者や子供に関しても全部一緒
稼いで稼いで、大事な他者を幸せにする為に生き、じゃんじゃんお金使っていけばいい
資本主義社会とは消費行動を全肯定する社会
その世界で踊りまくった結果、物理的になーんも残らず終わろうとも構わん
どうせあの世にはなんも持っていけない
最期に納得と満足感じながら走馬ビジョンを愉しむために我々の生はある
私は例え四肢を失い廃工場の床の泥水に浸かって孤独に死ぬ最期迎えようとも「むっちゃ面白かったー!」って言って終われる自信ある
ただし呼吸困難だけは嫌。呼吸困難は身体の本能(呼吸欲求)の所為で最後まで生にしがみついてしまい、苦しみの絶頂のまま死を迎えるから。走馬灯なんて決して再生されない最悪で最低な死
そういう意味で肺に穴が空いて肺の中が血で満たされて溺れ死ぬ死に方も絶対イヤ
私はマジに走馬灯鑑賞に全ての希望と夢を託している。それを観て終わる為だけに生きている。全ての経験は走馬灯を面白くするためのリール素材以上の意味を持たない
私は私の往生際に上映されるショートムービー撮る為だけに生きているんだ。その中身が充実するのなら、ジャンルはホームドラマでもホラーでもアクション映画でも構わない
ねむ。ダル。やっぱ寝るかな
———
【3:25】
アメリカ、ロシア、東アジア
そこら辺の力関係にまつわるお為ごかし観てるとトホホ感に包まれる
自分が干渉不能なデカいスケールのゴタゴタ観てると卑近な温みに逃げ込みたい衝動に駆られる
絵描きなんざ現実のシビアさから逃げる為だけに絵を描いてんだ。ありもしない架空の残酷やトラブル描いて現実の痛みを陳腐化させるのがせめてもの他者貢献
もっと酷い地獄があるよ! ここじゃない場所、今じゃない時代にね、と
いろいろ俯瞰と主観をスイッチし足りない脳味噌働かせて損得のふるいにかけると、最後はやっぱ温もり最高ってオチになる
そっち行かないなら結局「最強の力」を求める範馬勇次郎ゾーン行くしかなくなるじゃん、あるいはその取り巻きのにぎやかしキャラとして生きる(イキる)しかなくなるじゃん
あるいは制約だらけのゲームの中でアスリートとしてスコア競争続けるか
ぶっちゃけ全部面倒臭いけど比較的低コストで到達可能なゴールが温みの常習なのだ
幸せな上に周りからも肯定して貰えやすい
猫やウサギ飼って可愛がって写真あげてるだけで褒めてもらえる
家族と仲睦まじく日常送るだけで応援してもらえる
実現には年収700もありゃ十分だ
アニメ業界に来てからその額を稼ぐことすらままならなくなった。笑うよホント
作業量クソみたいに多いがそれでも低賃金アニメーターの3倍くらいもらってるから文句は言えない
楽しいからいい! の一言で済ます以外無い
実際、アニメ仕事始めてからの私の人生のほうが「面白そう」でしょ?
そう、他人に面白そうと思われる人生にこそ価値があるんだ
退屈なキャラのまま年収3000万あっても「なんかこの人の人生さもしくてつまんなそう。金だけばら撒いて死んで欲しい」って思われてたらイヤじゃん
ストップ!
力のなさを肯定する為の自己弁護すな!
小金持ちを無意味に貶すな!
知性と技術磨き信頼を積み上げろ!
請けた仕事きっちり食べ終わってから次の仕事を受注しろ!
散らかってますよ、人生がー
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月末振り返り(2025年2月)
2025年2月、終わり。1月に続き、月末振り返りを実行。 どこまで続くかわからないけれども、歯磨きのようにルーティン化することが当面の目標。
[中国語学習]
思い立って、2024年12月末から中国語の勉強を始めた。 日本でも、少ないくない学習者を擁する言語、中国語。 なぜ、中国語を始めたかを改めて整理してみる。
ありがたいことに、今まで色々な国々を訪れる機会に恵まれた。 その国々で出会う人々の中で必ず会う機会があったのが、中国の方。 初めてアフリカの大地を踏んだときも、タイからエチオピアへ向かう機内でも出会った中国の方。 いまや14億の人口を誇る中国の力は、世界に出る度に感じる。
中国語を学び始めて感じるのは、学習が楽しいということ。 以前、学んである程度のレベルに到達して今は塩漬けにしているフランス語とは少し違う感覚。 やはり文化が身近にあるということは、学習のモチベーションにダイレクトに影響するのかもしれない。
今秋には、中国への渡航も予定している。 それまでに旅で困らないくらいの中国語を身につけるべく、3月には資格試験、 4月からは大学が開講しているオンラインでの中国語クラスを取ることにした。
学べば学ぶほど、大学で出会った中国から来ていた友人らを思い出す。 語学はやはり人をつなぐのだと再認識。
[写真展開催]
私自身、「見た目問題」を解決するNPO法人マイフェイス・マイスタイルに長らく関わっている。 啓発を目的とした写真展が開催され、お手伝い・プロデュースの立場としてご縁をいただいた。

前回の写真展は2020年の1月、世界がコロナ禍に包まれる直前。 そこからずいぶんと時間が経過してしまったが、それでも4日間で300人を超える方にご来場いただいた。
写真展最終日に、旧知の大学教授といろいろと話す機会に恵まれた。 その中で出てきた話に、どこまでいっても「マジョリティ」は自身が持つ、 ある種の特権に気づくことはできないのだろうか、そんな話を当該の教授と話した。
マジョリティとマイノリティという二項対立を作ることで、 多くの問題は、かも問題の深層をつきあてているような錯覚に陥る。 だからこそ、二項対立に収斂することは極めて危険だとわかっている。 けれども、いつまでたっても特権を持つ立場というのは、持たない人によって越境されることはない。
だとすれば、綺麗事抜きにして、「運動」によってでしか、 その構図を変化させることはできないんじゃないのかなと、一周回って、今そう思う。
これは引き続き考え続けたいこと。
[映画上映について]
先月に引き続き、2月も映画上映をする機会に恵まれた、しかも海外で。 アジア圏ではなくて、飛行機だと10時間以上かかる欧州、英国にて。
10月に開催した東京での上映会に参加してくださった方がご連絡をくださり、 そこからロンドン・エディンバラの二箇所で、同時上映の機会をいただいた。
詳細は省くけれども、この上映会に私はオンラインで参加した。 質疑応答の時間に、こんな質問をもらった。
映画の中でもでてくる「多文化共生」という言葉にかわるものはあるのか、ということ。 今の所、「多文化共生」に代わる言葉を私はみつけていないし、つくることもできていない。
ただ、この言葉のように、耳障りがいいけれども、極めてsuperficialな言葉が日本には溢れている。 多様性とか、包摂とか、そういった類のもの。
言葉がないことで社会の変化を生み出せないことは理解できてるとしても、 その言葉が、誰によって、どのような意図で生み出されたのか。 それを無視して、言葉だけを使うというのは、非常に無責任ではないかと思う。
自分自身も日々の生活の中で、そういうことがないのかと改めて問うてみたい。
[ある本を読んで感じたこと]
毎月色々な本や映画に触れるようにしているんだけれども、 今月手に取った『傷の声ー絡まった糸をほどこうとした人の物語』(齋藤塔子)を読んで、 日本における生きづらさを考えずにはいられなかった。
この本の詳細については割愛するけれども、 本書と引き合いに出されるのが『卒業式までに死にません』(南条あや)がある。
若者はなぜ生きづらいのかを分析したいわけではなくて、 南条あやさんの本が出は2000年に刊行され、そして齋藤さんの本は2024年に刊行された。 24年も経過していても、このリストカットによる自死はなくならない。
私の友人の多くは、東横キッズやグリ下キッズと対峙する仕事をしているし、 日本では本当にたくさんの若者支援団体が存在する。 けれども、日本におけるteenの自死はなくならない。 なんでだろうと思う。
参考URL:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250129/k10014706581000.html
[最近考えていること]
今更感たっぷりだけれども、「生きる」とは何かということを日々考えている。 夏は開放的で前向きな気持ちになるけれども、冬はどうしてもこういった難しいことに頭が働く。
現代において、生きるというのはお金があることが大前提となる。 ここではそれを批判したいわけではなくて、そのシステムにおいて、 私たちは「生きる」ことをどう捉えたらいいのか、ということを考えたい。
そもそも、お金を稼ぐこと=人としての価値、のような構図が現代にあると思っていて、 そういう価値観は嫌だなと思って生き続けていたけれども、 近頃その思想に侵食されているなと気づくことが時折ある。
お金を稼げない=非生産的、という考え方自体が間違っているし、 そもそも生と貨幣というものは同列に並ぶものでないとわかっているにも関わらず。
自身にとっての警告のためにもここにそれを記すことにした。
参考図書:『能力で人を分けなくなる日 いのちと価値のあいだ』最首悟
[ドキュメンタリー制作について]
映画をやはり創り続けたい、という気持ちが日々高まっている。 高まっているという表現は正しくないかもしれないし、現在上映中の映画を編集していたときも、 「なんでこんな職業を選んだのだろう」と思うことが多々あったにも関わらず、 また「創りたい欲求」に襲われている。
どこかで何回か書いたけれども、 2019年から撮影をはじめて2022年に撮影を終えた、ある映像��ある。 テーマを隠す必要もないのでここで書いてしまうと、 男性の「包茎」をテーマとしたドキュメンタリーだ。
色々なところでこの話をすると、多くの人からクスッと笑われてしまう。 それは非常に腹立たしいのだけれども、その反応がこの映画をつくるきっかけとなっている。
前作では女性のドキュメンタリーを手がけ、 作品では女性の身体的事柄が、いかに男性の都合によって歪曲されているかを描写した(つもり)。
そして、今回は男性の身体的事柄。 男性の身体的事柄になるやいなや、笑いの対象になってしまう。これはやはり違和感しかない。 ということで、2025年中に本作の編集を終えたいと思っているところ。
一緒に作品をみて、アドバイスや意見をくださる方を募集。
[まもなく春]
このエントリーを書いている時点では、春がだいぶ見えてきたような陽気が続いている。 (週明けからまた寒波がやってくるらしいけど)
春がやってくるとどうしても怠惰になってしまう節があるけれども、 一年のうちの4分の1がまもなく終わろうとしている。
改めて、自分の帯をしめて日々の生活を送りたい。
今月、ご縁のあった皆様、ありがとうございました。 自分、よく頑張った。生き続けていこう。
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