#週末住宅
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西武現實主義(Seiburealism)
/ Victor Burgin, 1989
四月的東京。在上野公園,櫻花低垂如雲,野餐席遍布其下。啤酒潑灑成水漥,載著狂歡人群的塑膠布筏子順著櫻花樹大道漂流(每艘筏邊整齊地擺放著一圈鞋子)。這些瀝青河流的兩岸擠滿觀光客,他們既為櫻花短暫盛放的美感所吸引,也沉醉於花見野餐所展現的景象——櫻花短命的綻放成了這場狂歡的道德藉口、一種死的提醒(momento mori)。櫻花影像被傳輸到西武百貨澀谷店,以環境影像的形式出現在店內各處。透過十二層樓的螢幕、交錯的手扶梯與電梯中,櫻花在商場每個角落綻放;如同富士山的影像(櫻花融化為山景,伴隨著約翰·藍儂《Imagine》的旋律);又或是街上的路人影像,被隨機捕捉,短暫地使螢幕成為千扇窗戶,讓人望向外部世界。(從外頭望上,百貨外牆橫跨數層樓的數位螢幕上,行人可能只看見巨大的魟魚,在海底悠然擺動,然後畫面轉化為像素化的動畫新聞,播報最新的人質危機。)
班雅明(Benjamin)曾視十九世紀的購物商廊為從街道過渡到百貨公司之間的中介階段。商廊——一條室內街道——白天靠天窗照明,這種大片透明玻璃得以實現,乃因為鐵架的支撐使其成為可能。抬頭望去,人們可見白日的雲朵,或夜晚的星空。在西武百貨中,這些鐵框玻璃矩形彷彿已從格子中爆裂而出;我想像它們在電腦動畫中慵懶地翻滾,變形為無所不在的視訊螢幕。在一種與時間無關的均勻冷光照射下,這些螢幕可以顯示雲朵、���星地貌,或任何可用二進位編碼定義的影像。東京位於富士山以東約百公里之處。從江戶時代(1600年)起至明治末年(1912年)��富士山仍可間歇而清晰地從市內望見——成為一種固定的時空精神指標(在東京,能望見富士山之地即為「名所」)。如今,建築與空氣污染抹去了富士山的輪廓,至少在肉眼中是如此。新的參照點、新的「山」,在城市中自身誕生,成為僅能從百貨公司中看到富士山的景觀。儘管如此,觀看富士山的現象學經驗仍保留於百貨空間中——人們在穿越商場、從一處螢幕移動到另一處時,如同昔日穿越建築縫隙偶爾瞥見山景一般。
日本人稱為「立讀(tachiyomi)」的行為,是一種移動中、隨機式、斷續式的閱讀方式:翻閱漫畫與雜誌,只是路過隨手翻看,並無購買意圖;或在地鐵上從鄰座撿起報紙隨意瀏覽。安德烈・布勒東(André Breton)曾回憶戰時與賈克・瓦謝(Jacques Vaché)在南特的日子,他們的習慣是「無論正在播放什麼,都隨意走進電影院,看到哪裡算哪裡,一旦感到無聊便馬上離席,前往下一家影院,如此不斷輪替」。如今我們不斷切換電視頻道。(有段時間,在紐約某些餐廳流行「瀏覽式點餐」——這嚐一點、那吃一口。)觀光客也像這樣「套餐式」地體驗文化:在這座城市待兩天,再去另一座城市幾日(就像我如今在這區閒晃,在那區遊蕩)。而日本人不也常被說是「瀏覽」西方文化、取其所需再「本土化」的代表嗎?如果文化本身是複雜的文本,那麼它們如今已成為富裕與閒適者邊走邊翻的文本——無須承諾,只是移動中的一瞥。
在這間西武百貨的書籍部(藏書四十萬冊,我甚至找到兩本由密西根安娜堡的UMI學術出版社出版的超現實主義論文),一整面牆成為了放映螢幕,播放經典好萊塢電影的片段——以主題分類,其中之一是「戰��」。畫面上,美國轟炸機正準備夜襲(東京曾在戰爭中遭遇毀滅性燃燒轟炸),畫外音堅定表示:「無論敵人藏在哪裡,我們都會追擊。」螢幕右側,在轟炸機飛出畫面之處,擺放著一座展示模型——燒焦的塔樓,其頂部爆炸場景正是電影《魔鬼剋星》(Ghostbusters)結尾的鏡頭之一。
(布勒東初識瓦謝是在1916年的軍方精神病院,當時布勒東是實習醫生,瓦謝是病人。其他病人中,有一人堅信所謂的「戰爭」不過是模擬場景;砲彈是道具,傷口是化妝;死者是從醫學院解剖台上帶來的屍體,趁夜散佈在假的「戰場」上。)美軍轟炸機由畫面左側飛向右側,如同西方的閱讀方向。而在書區翻閱時,我又看到一部漫畫,開頭描繪的是日本轟炸機自右向左起飛。它們先摧毀珍珠港,然後轟炸美國本土。接著,日本士兵踢破美國住家的大門。一戶家庭——男子、女子與一名幼童——蜷縮在客廳中,被士兵襲擊。男子遭殺害。士兵開始撕扯女人衣服,孩子哭喊。一名日本軍官抓起孩子的腳踝,以一個橫跨雙頁的弧線將他甩向牆壁。孩子的臉部從頭顱撕裂開來,飛越畫面,拖出一道墨筆揮灑般的筆觸,讓人聯想到禪宗書法。接下來半頁畫面中,女人遭輪暴(其哀號以英文呈現),最後士兵們聚集起來,坐在倒塌自由女神像的伸展手臂上合照。下一頁,也是最終頁,我們看到裕仁天皇騎馬現身。有人說,東京之所以安全,是因為所有暴力都被收納於這些漫畫中。
布勒東在《超現實主義第二宣言》中曾寫道:「最單純的超現實主義行動,就是手持左輪手槍,走到街頭,盡你所能隨機射擊群眾。」如今,這樣的行為雖然不常見,卻也成為日常生活中的一種現象。有評論指出,第二次世界大戰的爆發令超現實主義失效,因為現實世界的暴力早已超越藝術所能預見。(盟軍登陸時,超現實主義攝影師李・米勒(Lee Miller)遊走於滿目瘡痍的街道,每扇門像是通往駭人而奇幻的風景。有次她不慎踩到一隻人手,撿起後憤怒地將其拋向街道。)但人們往往忘了,超現實主義始於第一次世界大戰,其戰間期的重要使命之一,正是將日常生活中的恐懼與失落加以昇華——轉化為幻想,特別是在性愛的範疇中。
在街頭,人群偶爾會突然分開,使人瞥見某個身影、某張臉,但那一瞬即逝,卻觸動了情慾神經。班雅明稱之為「最後一瞥的愛情(Love at last sight)」。百貨公司則提供這一現象的變體:透過那些輕薄帷幕圍成的小空間,女性離開觀眾群,成為被觀看的對象——不僅為了自己與其他女性目光的觀賞,也為那因帷幕掀開而勾引來的非法凝視所設(羅蘭・巴特曾問:「身體上最具情慾性的部分,不正是衣物掀開之處嗎?」)。我匆匆轉移視線;某些光線在鏡面空間內反射、延遲,在我視網膜上形成混亂(與其說是超現實,不如說更像立體主義),只能依靠記憶,在其中提取出一段熟悉的、被愛的身體片段。班雅明在論述超現實主義的文章中寫道:「在秘儀式的愛情中,女人本身並不重要。布勒東亦如此。他與娜佳(Nadja)親近的,不是娜佳本人,而是娜佳身邊的事物。」我們可以將這種「秘儀愛」以臨床術語命名——「戀物癖(fetishism)」。百貨公司,作為商品戀物的神殿,也召喚著佛洛伊德所言的戀物心理。男性漫遊者(flâneur)若欲前往正當之地,勢必得穿越洋裝海洋與香水濃霧的沙漠。他別無選擇,只能進入這些禁忌之地。他的藉口天衣無縫,而內心的罪惡快感則無可迴避。當他在衣架間無意識地翻看服飾時,或許以為自己在為情人挑選禮物,但同時他也正盲目地觸摸著母親的身體。某刻我在西武感到口渴,找到了飲水機,其透明上層水流覆蓋著石礫——彷彿是一段溪流被切割下來,擺放於展示台上的自然部件。
在街道層,有一家以廢墟為造型的酒吧(採用「後末日建築」風格),其立面突出一段飛機機翼,下懸的引擎艙象徵性地讓人聯想到曾夷平越南的 B-52 轟炸機。在奈傑爾・柯茲(Nigel Coates)設計的 Café Bongo 中,「內部空間」衝破與「外部空間」之間的脆弱邊界。在同一個六本木(Roppongi)地區,為時裝設計師安傑洛・塔拉齊(Angelo Tarlazzi)設計店鋪的建築師八束一(Hajime Yatsuka)曾說,他將整棟建築構思為城市的「內部」。班雅明曾評論:「對於漫遊者(flâneur)而言,街道就是他的住所;他在房屋立面間的感受,猶如市民置身於四面牆內一樣自在。」百貨公司已成為那些從榻榻米小房間逃出的富裕難民的共同居所,他們在地鐵裡入睡。在城市各處,人們沉睡的景象隨處可見。男性躺在西武百貨各樓層扶梯轉折處旁的寬大沙發上,看似專為此而設(否則用途為何?),進入沉睡。
在這家百貨公司底下的有樂町地鐵站內,年輕的女性上班族也入睡著。她們從城市邊緣通勤,來回奔波於狹窄的住處與辦公地點,週末則重返澀谷、銀座、池袋,或其他西武分店。她們購買的是三宅一生(Issey Miyake)、Comme des Garçons 等品牌的服飾,而這些品牌對歐美的同齡女性來說幾乎遙不可及。從她們狹小房間出發,搭乘約一個半小時的列車,度過一天如遊蕩者般的生活,徘徊於西武那奢華至極的空間——這些空間透過無所不在的環境影像,開啟通往無限空間的通道。作為來自英國北部工人階級家庭的流離者,我想起了那位較富裕的姑媽家中的「前廳」(frontroom)。那是一間擦得發亮、充滿蠟香的房間,平時封閉,只在打掃或有訪客來時才會開啟。來客可以看,但不能碰,只能站在敞開的門前觀看,而不能踏入其中(這間「起居室」沒人坐,這間「客廳」裡也無人交談)。這房間彷彿是一個全息投影的模擬空間,只為提供心理上的額外生活空間,如同西武百貨所帶來的慰藉一般。在西武百貨,正如其西方對應對象(至少在這方面),家具部就如同無數富人家庭的前廳;彷彿從其原始情境中抽離,再「傳送」到這座城市的樓層中——這座由無數「前廳」構成的城市,雖然沒有牆壁,卻以內部街道相互隔開,主要用途就是用來閒逛(flânerie)。
尚–盧・高達(Jean-Luc Godard)曾表示過這樣的想法:既然任何東西都可以被拍進電影,那就所有東西都應該被拍進電影。比起電影,西武百貨更是一場由異質集體所創作的組合展——包括買手、租戶精品店業者、駐場視覺藝術家、圖書管理員、旅行社人員等。這裡沒有「作者控制」或「敘事封閉」的概念(因此也不需要布勒東與瓦謝式的逃避);其組織原則早已是非整體的、務實的、機會導向的。在某種程度上,這場組合也可視為一種整體,由此構成的過程類似於超現實主義者的集體書寫實踐。
西武百貨是超現實主義於後現代階段的作品,一件無盡變奏的作品,由遊蕩者(flâneur)「自動書寫」而成,其對於商品的興趣與對所處空間的興趣無高下之分。(班雅明有句格言:「建築是在分心狀態中被欣賞的。」)
在日本,想看一場重要的藝術展覽,你有很大機率會在百貨公司,而不是美術館看到它。當西武百貨展出尚・杜布菲(Jean Dubuffet)的作品時,東京上野公園內的東京都美術館也於1988年4月開展名為《1920年代的日本》的展覽。我在那裡得知,1923年摧毀東京的關東大地震,被視為日本「機械時代」藝術的開端。布勒東的《超現實主義宣言》與《超現實主義革命》首期,也是在1924年的巴黎發表。在東京都美術館,我發現大量機械美學影響的證據,特別是包浩斯(Bauhaus)對視覺藝術——攝影、繪畫、建築、工業設計、電影、劇場設計、時尚等的深遠影響。同時也能看出德國表現主義的廣泛影響,尤其在劇場與電影領域;而隨著1920年代結束,愈來愈多政治啟發下的「寫實主義」創作開始盛行。然而我幾乎找不到任何關於超現實主義的明確跡象。並沒有理由認為當時的日本在1920年代對於超現實主義的了解會比其他歐洲美學運動來得少。1970年,瀧口修造(Shūzō Takiguchi)——在布勒東與艾呂雅所編的《簡明超現實主義辭典》中被列為「超現實主義作家」——曾寫道:「在日本,從未出現過像法國那樣的超現實主義團體。」我無法判斷超現實主義在戰間期或今日的日本意味著什麼,也無從推測它未能代表什麼;我確定的是,它的意義絕對與我自己的理解不同。許多超現實主義研究者認為,這場運動的編年史應該終結於1968年五月事件。而就在同一年,一個法國電視台團隊前往東京郊區採訪三島由紀夫。他是傳統價值的擁護者(兩年後,他將以近乎完美的切腹行動實踐他的理念),當時他住在一間宛如法國蔚藍海岸別墅的宅邸中。一樓以十八世紀法國風格裝潢,而樓上則採用現代國際風格設計。三島說道:「在這裡,只有看不見的部分才是日本的。」
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マイナス10℃
カピカピ
北半球の上の方に寒気があるようですね
日本でも大雪が降っていたり、私の所は先日少々雪が積もりましたが、その後晴天が続いてるけど気温が下がりっぱなしで今朝は➖10℃でした。でも日本の氷点下と比べると湿度の違いで日本の方が寒く感じます。
もう一つ、北米の一般的な住宅は断熱が効いているので家の中はどこも暖かいので助かります。逆に夏は涼しい・・・(地域差もあり)
北米に来て 「ありがたいなぁ・・」 と思った事は、好きなクルマやバイクの車検がない事と、家の中が快適な事です。
日本のような洒落たお店やコンビニとかはないけどさ、生活のどこに焦点を置くかだよね。
取引先の駐車場が裏通りにあるのだが、雪が固まりツルツルだ。危ない危ない、雪かきサボるな(苦笑)
週末は毛鉤を巻く
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私事にはなるが、イスラエルから日本に避難したときに心配してくれた人も多かったので近況を少し書いておく。 3ヶ月の間に国を跨いだ引っ越しを2回したわけだが、あまりにやることが多い上に家を転々としたり不運が重なりすぎて自分の限界を超えてメンタルをやられた。 しかし1年経った今では貴重な経験だったなと思っているので、大抵のことは時間が解決するなと改めて感じた。 直接会った友人には話していたが、2023年12月にドバイに家族4人+1���で引っ越した。 中東から中東に引っ越した日本人は珍しいのではないだろうか。 ユダヤ教の国からイスラム教の国への移動となると数えられるほどかもしれない。 引っ越しの過程で多くの人にお世話になったので少し書いておきたい。 イスラエルでは数え切れないほど多くの人達に助けてもらったので本当はその全てを書きたいが、恐らくそれだけで一つの記事になってしまうし今回の内容がブレるので一旦触れないでおく。 マスメディアやSNSは国際情勢に関して誤った情報や偏った情報を流すことが多いので、全てを鵜呑みにしないほうが良いということだけは言っておきたい。 まず2023年10月にイスラエルから日本に避難した。 自分は残りたかったが二人目の子供が生まれたばかりで、家族が不安になることは避けたかった。 空港に到着したときには多くの取材が来ていて、NHKニュースやYahoo!ニュースに載ったので図らずも全国的に帰国が公開された。 急遽最低限の荷物だけまとめて飛び出してきて疲弊していたので静かに帰国したかったのだが、連絡をくれた人も多かったので結果的には良かった。 東京は移動の疲れを取るために数日だけ滞在し、その後は妻の実家の熊本にお世話になった。 最初はAirbnbに泊まったり妻の祖母宅に泊まらせてもらったりしていたが、やはり家族4人が長く住み続けるのは難しかった。 そこで家がなくて困っているという話をしたら、宇城市役所の方が熊本地震の際に建てられた仮設住宅を使わせてくれた。 月数千円で使わせてくれて感謝しかないのに「無料じゃなくてすみません」と謝られた。 本来は手続きも時間がかかるはずなのに、緊急避難ということですぐに住まわせてくれたし宇城市には頭が上がらない。 幸い夫婦どちらも好きな場所で働ける仕事ではあったが、子供の保育園は必要だった。 そこで急遽近くの保育園に申し込んだのだが、一時預かりの扱いになってしまうので一日三千円程度かかってしまうと謝られた。 突然連れてきて受け入れてくれるだけでこの上なくありがたいのだが、園長先生が市の職員と話してくれて住民票を入れれば無料になるようにしてくれた。 宇城市には聖人しかいないのかなと思った。 イスラエルの家賃や保育園代も払い続けていて金銭的にもしんどかったし、先行きも不透明で精神的にもしんどかったので、本当に救われた。 仮設住宅に住み始めたが家具はなかったので、妻のお母さんの友人が要らない家具を提供してくれたエピソードなどもあるし、とにかく宇城市は聖人しかいない。 そのまま日本に住み続けるのも選択肢���はあったが、犬をイスラエルのドッグペンションに預けていたので自分だけでも早く戻りたかった。 しかしいつ戦争が落ち着くかわからなかったので、自分だけ戻ると妻や子供とは離れ離れになってしまう問題があった。 それとは別に日本で仕事をするのは難しいことも分かった。 自分の勤めている会社は日本人がおらず、ビデオ会議は基本的にアメリカやヨーロッパのタイムゾーンに合わせて行われる。 そうなると日本は夜中になってしまう。 一人暮らしのときは昼夜逆転していたのでそれでも良かったが、子供がいる状況では厳しい。 他にも色々理由はあるが、やはりヨーロッパタイムゾーン(GMT+4 ~ GMT-1ぐらい)に住むのが良いだろうと考え、その近辺ですぐにビザが取得できる国を探した。 最近だとノマドビザで1-2年間住める国もあるので選択肢は割と多かった。 色々比較した結果、ドバイが一番条件に合致することが分かった。 ドバイは一度旅行したことがあり、その時の楽しかった経験も後押しとなった。 ただドバイは住むところじゃないだろうという先入観があったのだが、ちゃんと調べてみたらイメージとかなり違ったので、勝手な想像で判断するのは良くない。 決めてからはすぐに動いた。 10月中旬に日本に避難してきて11月末にはドバイに移動したので、かなりのスピード感だった。 ドバイには11月末に一人で先に来て一週間でビザや家の契約などをして、それからすぐにイスラエルに行ってさらに一週間で家を引き払ったり犬を連れてきたりしていた。 ドバイに着いたら上に書いたように犬が行方不明になった上にロストバゲージが起こってスーツケースも失った。 その時の自分はとにかく犬を飛行機に乗せる手続きで頭が一杯で、機内持ち込みの荷物に少し分散しておくということまで頭が回らずスーツケースに着替えなど全て入れていたので一気に失った。 手ぶらでよく知らない中東の国に一人放り出された。 ちなみにそのわずか1ヶ月後に再度ロストバゲージしたのでトラブルに巻き込まれる才能がある。 そして空港の職員は平気で無責任なことをいうので、何度聞いても「もうすぐ出てくるから」と手荷物受取所で誰もいなくなっても待たされた。 到着は20時ぐらいだったが22時ぐらいまで手荷物受取所で待たされ、さすがに限界だったので職員に「もう荷物は諦める」と言って一緒に到着しているはずの犬を探し始めた。 荷物も到着していないし犬も到着していないのでは?と気が気ではなかったが、予想通り上に書いたように次々と嘘の場所へ案内され不安は増すばかりだった。 25時過ぎにようやくうちの犬がいるらしき場所に到着したが、ワクチン接種の証明書が不足しているから会わせられないと言われた。 そういうことにならないように動物輸送業者にお金を払って必要書類を過不足なく揃えてもらったにも関わらずこの有り様なので、メンタルが強くないと生きていけない。 既に4年以上そういう環境で生きてきた自分はそれでもめげず、頼むから何とかしてくれとしつこくお願いしたら夜中にも関わらず割増料金で獣医を呼んでくれた。 お金を払えば何とかなるところはさすがドバイ。 獣医は即座にその場でワクチン接種し、証明書を発行してくれた。 2万円以上も取られてうっ...となったが、解放された犬と再会できた喜びでそんな感情は吹き飛んだ。 いざタクシーに乗って宿泊先に向かおうとしたらドバイでは犬はタクシーに乗せられないと言われた。 事前調べが不足していた自分のミスだが既に26時ぐらいだったのでどうしようもなく途方に暮れた。 しかしパキスタンの人が「日本人だろ?パキスタンと日本は仲いいから助けてやるぜ」と助けてくれた。 そんな交友があったことすら知らなかった自分を恥じた。 ありがとうパキスタン。 それ以降、パキスタンのニュースを意識するようになった。
ドバイに引っ越して1年経った感想 - knqyf263's blog
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)2月13日(木曜日)
通巻第8650号
ウクライナの富裕層が高級スキーリゾートを訪れている
ポーランド警察が1万6437人の外国人逮捕。うち9753人はウクライナ人
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トランプ米大統領は、ウクライナのレアメタル、レアアース埋蔵の採掘などで、これまでの援助と交換し、米国は資金を確実に回収できるようする。そのためにキエフとの合意を確保したいと発言した。
「米国はウクライナへ見返りも取らずに資金援助を続けるのは『愚か』だ」と付け加えた。
「ウクライナにはレアアース、石油、ガス、その他の価値の高い土地を持っている。5000億ドル相当のレアアースが欲しいと伝え、彼らは基本的にそれに同意した」とトランプは述べた。
しかしウクライナのゼレンスキー大統領は「ウクライナはトランプ氏が望むレアアースをコントロールしていない。リチウム、チタン、その他の金属の埋蔵量について合意に達する用意があるが、まずロシア軍を鉱物資源の豊富な地域から追い出すのに協力しなければならない」と食い下がった。
事実はどうかといえばレアメタルなどの埋蔵地はロシア軍が占領している地域である。
ヨーロッパ最大のチタンとリチウムの埋蔵量があることは確認されている。くわえてベリリウム、マンガン、ガリウム、ウラン、ジルコニウム、グラファイト、ア���タイト、蛍石、ニッケルも含まれる。
皮肉なことにこれら鉱物資源総は旧ドンバス地域のドネツクとルガンスクにあってロシアの支配下に入っている。だからトランプが言った「ウクライナはいつかロシアになるかも知れないが。。。」発言は、こうした文脈で捉えなければいけない。
ウライナに対する援助疲れ、厭戦ムードに加えて、旧東欧諸国ではウクライナへの反感が露骨になった。「ウクライナのエリート層は、ロシアとの紛争の資金として送られた米国納税者の金を横領して私腹を肥やしている」という批判が渦巻くようになった。
タッカー・カールソンは2月10日の番組で退役米陸軍中佐ダニエル・デイビスにインタビューを行い、ウクライナの富裕層が高級スキーリゾートを訪れている現実を語らせた。カールソン自身、アルプスの高級リゾートを訪れ、「町全体がウクライナ人」であることを知ったという。
「訪問者は全員ウクライナ人で、エルメス(のブランド店)に押し寄せて、100万ドルを浪費している。ヨーロッパ中でこの現象が見られる。最も裕福なのはウクライナ人だ」と語り、「彼らがばら撒いているお金はアメリカの納税者のものだ。ウクライナの汚職は米国の資源を浪費するだけでなく、米国民を危険にさらしている。ウクライナ軍人が闇市場で武器を売っており、その武器がメキシコの麻薬カルテルに渡っている疑惑がある」とカールソンは続けた。
▼ウクライナのエリートたちの振る舞いには我慢できなくなった
ポーランドのトマシュ・シェモニアク内務大臣によると、現在ポーランドには約200万人のウクライナ人が居住している。これには2022年のロシア・ウクライナ紛争の激化に伴い到着した人々も含まれる。当初、新規入国者には住宅や経済的支援を含む幅広い支援が提供されていた。ところが、ウクライナ人が犯罪行為に関与し、国民の不満が高まった。2024年にポーランド警察は1万6437人の外国人を拘留した。うち9753人はウクライナ人だった。
ポーランドのウワディスワフ・コシニアク・カミシュ国防相は、ポーランド国民は「ウクライナ出身の若者が最高級の車を運転し、週末を五つ星ホテルで過ごす光景」に愕然としていると語った。
そしてアメリカの不満。「我々はEUより2000億ドル多く費やしている。つまり、我々は何なんだ、バカだ」とトランプが吠えると、JD・ヴァンス米副大統領も合唱に加わって発言した。「我々はすでに2000億ドルを費やしている。目標は何なのか? 我々は何を達成しようとしているのか?」。
客観的数字をあげると、2022年以降、米国議会はウクライナに約1750億ドルの援助���承認している。かなりの部分は、米国の軍需産業や米国政府のさまざまな人道、医療などの後方支援活動に充てられている。ドイツのキール研究所によると、2024年10月時点で、米国はウクライナに約920億ドルの財政・軍事援助を割り当てており、EU諸国と英国は1310億ドルを割り当てて
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閹割教會
在俄羅斯有個特殊的教會組織叫skoptsy,創始成員們都提��只有切除身上的罪惡根源,才能夠真正得到上帝的恩典,隨著時間不斷的轉變,這個組織早已分佈於世界各地,從原本的幾十人規模,現早已破好千萬人,宗教的教義中,女人的胸部是罪、男人的生殖器官是罪,所以為了根治這些罪,加入教會後,當完成了受洗,就必須洗淨自己的罪,從18世紀開始到現在的22世紀,切除這些器官早已是司空見慣,5個人裡面就有一位來自skoptsy,只要人們真心懺悔自己的罪惡,拋開過去的一切,不論是誰都可以加入教會,大部分的人都是在結婚生完孩子後,才會正式加入教會,這漸漸的成為了一種世襲,上至達官顯貴,下至貧民百姓,都是這樣一代傳一代,在21世紀末,多國政府甚至將某一天設立為skoptsy Day,這天可以說是教會的大日子,因為這天全球的教會都會同時舉辦受洗活動,所有前來參加活動的人,都將在這天重生,將更加接近神的世界,今天是2050年12月1日,距離大日子不到一週,我從小就已經開始計劃,年滿30歲的時候,不論我有沒有結婚生子,我都會在30歲生日那年接受洗禮,雖然爸媽希望我可以生完孩子後再去受洗,但是如今這社會,沒孩子過一輩子的人多的是,有沒有生孩子根本沒有差別,所以我在教會的網站上填寫了受洗報名,報名表除了填寫基本資料之外,還必須將自己的生殖器官拍照上傳,並附註確切數值,這樣才算完成報名,因為切下來的器官會有人願意收購,只要你的生殖器有符合買家的需求,只要收購成功,自己還能額外獲得一筆錢,所以每個報名的人都願意上傳照片,如今剩不到一週,我打算好好把握自己的時間,約了好幾個朋友一起出去旅遊幾天,我們來到了俄羅斯首都莫斯科,又去了博物館、貝加爾湖等著名景點,就為了好好的體驗生活,一群快30歲的男人,有些人早已結婚生子,有些人跟我一樣都還沒對象,有幾位跟我一樣報名了今年度的受洗,想當年我們都是一起讀書長大的同學,如今也要準備受洗了,我們十幾位朋友,在湖泊脫光衣服,一起跳入了河川戲水,有一兩個朋友在幾年前就接受受洗,其中一位還是我的好朋友謝爾蓋,他跟我當年可是玩遍了全校的女同學,謝爾蓋在當年被稱為巨屌王,因為當年我們才剛滿18歲,但是謝爾蓋還沒���起就已經有17公分長,勃起的時候甚至跟女同學的手臂一樣粗,再加上他有一副優質的帥臉,更是全校排名第一的優菜,但是如今的他,已經接受了受洗,他受洗當天,聽說有人用了一筆不小的金額購買了謝爾蓋的生殖器官,他老婆之後甚至還哭了好多天,但是卻也因為這筆錢,讓他們在首都買了一間豪宅,謝爾蓋如今只能用其他方式來滿足自己跟他老婆的慾望了,現在的謝爾蓋依然是非常帥氣,不過現在全身赤裸的他,下體已經剩下一個尿口,或許是不習慣沒了陰莖的他,我內心突然覺得有點心酸,但是看到謝爾蓋依然開心的跟我們一起玩水的樣子,或許是我自己想太多了,我們一群人玩累了坐在旁邊的石頭上休息,幾個跟我一樣要接受洗禮的朋友靠了過來,紛紛向謝爾蓋提出疑問,不外乎就是問割的時候痛嗎,會不會漏尿之類的問題,謝爾蓋只是很乾脆的說,不會啊,你們看我有漏尿之類的嗎,他只是耳提面命的提醒割完之後,千萬不要吃重口味的東西,保持傷口的乾淨等傷口照護,謝爾蓋看著我的陰莖,笑著說,終於輪到你啦,老友,我只是不耐煩的說,拜託,當年你的陰莖是很大,不過我的也不差啊,也有15公分長,如今你的17公分都已經被切除了,我現在至少還贏你15公分,謝爾蓋只是笑著說,是是是,你終於贏我了,不過如果你的生殖器有人收購的話,到時候記得要請我吃飯喔,我翻了翻白眼,可是我跟他瞬間氣氛又化為寧靜,他溫柔的眼神看著我,兄弟,等你重生的那天,結束後我們再出來聚聚,我跟我的朋友們約好了,等身體恢復健康後,再出來聚聚,幾天的旅遊行程終於結束了,我們回到了波戈托爾,通常為了流程的順利,我們參加者前一日就會到區域教會報到,隔日凌晨四點左右開始起床準備活動的事情,教會發給每一個參加者一份受洗流程圖,內容寫到所有參加者,受洗前必須先將陰毛剃光,然後受洗當下全身不穿任何衣服,然後隨者神父的唱名一一往前接受受洗,這次來參加的人,多半是社區的居民,多半是30歲以上的結婚者,也有很多是剛滿20歲就來參加的人,這間教會主要是負責男性的受洗,女性的受洗則是在相隔兩公里的教會負責,畢竟男女有別,還是必須尊重別人的隱私,這次包含我在內,一共有20位,有幾位還是前幾天一起出遊的同學,我們在浴室裡一邊剃著陰毛,一邊抓著彼此的陰莖嬉鬧,畢竟這罪惡的根要被切除了,教會的旁邊有一個小型的焚化爐,這個焚化爐,每年都要燒掉一堆生殖器官,沒有被收購的生殖器官,就會被直接送去火化,所以大家都希望至少可以被收購,還能額外獲得一筆錢,但是一切都要等完成淨化之後才能知道自己的是否被收購。
活動於早上九點正式開始了,神父開始一一叫名,第一位是隔壁的鄰居貝爾德,29歲,有個兩歲大的兒子跟一個不到一歲的女兒,因為生了兩個小孩了,貝爾德就順勢在女兒出生滿8個月的時候,報名了這次的受洗,神父嘴裡念念有辭,我是有聽沒有懂啦,接著貝爾德單膝跪地雙手交叉抱著胸,頭低下看著地上,神父將聖水淋在貝爾德的身上,連續三次,受洗的流程就完成了,接著就是轉過身看向眾人,大聲的坦承自己的罪,並願意消除自己的罪,身旁的工作人員拿著一件純白的披風蓋著貝爾德,另一位工作人員推出了一張座椅,示意要貝爾德坐在椅子上,貝爾德坐在椅子上後,工作人員將一件綠色的被子蓋在貝爾德身上,只有露出了貝爾德的生殖器,為了避免有人害怕血液,所以貝爾德的眼睛被矇住,看不到割掉的過程,醫生拿出了一把弧形的刀,這把刀是教會歷代傳承下來的,年代雖然久遠但因為經常使用的關係,刀子依然非常明亮鋒利,麻醉師先進行了局部麻醉,待藥效發作後,醫生先是握著貝爾德的兩顆睪丸,醫生非常迅速的一刀割下貝爾德的睪丸,並丟到旁邊的盤子裡,接著又抓著他的陰莖,往外拉直,刀子一劃就割斷了陰莖,鮮血開始一直流出來,醫生將貝爾德的陰莖丟到盤子裡後,開始將傷口止血並縫合傷口,受洗就算是完成了,雖然科技的進步,只要在傷口上噴上藥劑,一天就可以完全復原了,但是教會為了提醒前人的努力付出,所以每個受洗完的人都必須讓傷口自己慢慢癒合,才能徹底體會古人的辛苦,一名助手隨即將放在盤子上的生殖器官做整理,先是將陰莖用清水洗乾淨,然後放到禮盒裡,然後將陰囊裡的兩顆睪丸取出,並將白膜移除,此時貝爾德的兩顆睪丸就完整的出現了,助手小心的區分左右睪丸,並放入禮盒內,包裝好後由快遞送往收購者的住家,而貝爾德也因此獲得了25萬盧布的現金,第二位被神父唱名的是我的國小同學伊萬,他也是從小一起長大的好朋友,長相非常俊俏,身高有190公分,他在去年就已經結婚,小孩在今年出生後不久,他就跟我說他報名了受洗儀式,成熟男子的生殖器官總是特別粗大,伊萬不僅身高高,連生殖器都好大一副,在經過聖水沐浴之後,伊萬來到了座椅上,工作人員將綠色毯子蓋上,醫生將伊萬的生殖器從毯子的洞用出來,當助理準備蓋上伊萬的眼睛時,伊萬表示他不想矇著眼睛,想親眼見到被閹掉的過程,麻醉師開始在伊萬的生殖器官進行麻醉,醫生確認沒問題後,拿出一把新的弧形彎刀,由於伊萬的睪丸很大顆,醫生花了一番功夫才順利握住,哪怕再大一副睪丸,在鋒利的彎刀上仍然不值得一提,一刀的功夫就讓兩顆睪丸脫離了伊萬的身體,看伊萬那震驚的表情,看來不論是否準備好了,割下來的那一剎那,仍然需要時間來適應,醫生直接將切下來的東西放進盤子裡,接下來就剩下一根陰莖了,醫生抓起那根大熱狗,毫無懷疑的就沿著陰莖根部劃下一刀,陰莖就被切的一點也不剩,醫生手上那根陰莖,不知道是醫生人生中第幾根切下來的東西,不過至少不會是最後一根,經過熟練的縫合後,伊萬被工作人員攙扶到一旁的位置上休息,而伊萬的生殖器也被人用300萬盧布金額收購了,伊萬的禮盒大了一點,而且當助手將伊萬的睪丸從白膜中取出時,伊萬的睪丸真的是非常肥美,真的是值這樣的價格,隨者麻醉藥的退去,最先受洗的貝爾德開始疼痛到發出聲音,工作人員立刻幫貝爾德注射止痛藥,並讓他吃抗生素預防感染問題,疼痛很快就緩解了許多,神父開始呼叫第三位受洗者,他是跟我一起出去旅遊的高中同學,葉菲姆,他在學生時候就是一個很紳士的人,那天一起脫光衣服在河川玩水,大概是我看過他最瘋狂的時候,平時都是正正經經的他,那天也是我第一次看到葉菲姆的裸體,雖然不是說特別天賦異稟,不過他身上的體毛非常茂密,棕色的胸毛一直延伸到他的陰莖,像是一隻小熊很可愛,看他那天開心的一起打鬧嬉戲,如今也跟我一樣來受洗,剛才葉菲姆已經將陰毛剃光,露出他乾乾淨淨的陰莖,看著他接受聖水沐浴的畫面,真心覺得這畫面好莊嚴神聖,在他轉身對著大家坦誠自己的罪時,我才知道原來葉菲姆一直對於他高中時,偷嚐禁果這件事非常懊悔,不過我自己並不覺得什麼,畢竟我也很喜歡做愛,在工作人員帶領下,葉菲姆已經坐好,醫生將生殖器官調整好位置,工作人員將葉菲姆的眼睛蒙上,做好了前置作業,一切都已就緒,看著葉菲姆嘴巴念念有辭,不過大致上就是在說,我要根除自己的罪之類的話,很快醫生就一刀揮下,斬斷了葉菲姆的睪丸,而葉菲姆似乎也知道已經被割下睪丸,開始感恩上帝的恩典,陰莖也在熟練的操作下被醫生切下,一旁的工作人員將葉菲姆的生殖器官拿出教堂,送往焚化爐燒毀,一切都是這麼的快速,沒有太多時間上的浪費,因為葉菲姆的生殖器官並沒有人購買,眼看也不到一個小時的時間,就已經完成了三位受洗,我也想早點接受受洗,希望神父趕快叫到我的名字! 結果第四名受洗者就是我,神父叫了我的名字,我興奮的往神父走去,我走到神父面前後,我單膝跪地雙手交叉抱著胸,眼睛看著即將割掉的生殖器官,興奮到難以言喻,聽完神父的禱告詞後,神父將聖水潑灑在我身上,儀式順利完成,我站在殿上,訴說著自己的罪行,我將披肩脫掉,直直走向座椅,助手將布蓋住我的身體,只露出即將割掉的生殖器官,我要助手不要蓋住我的眼睛,我想親眼看著全部過程,很快麻醉針就完成了注射,隨著生殖器官逐漸麻木,醫生右手拿起彎刀,左手握住我的睪丸,不過就一秒的時間,我跟睪丸立刻分了家,接著我的陰莖被醫生拉的很緊,醫生的彎刀直接在我的根部切了下去,醫生將割下來的陰莖放到盤子裡,緊接著以非常快的速度進行傷口的縫合,我也順利完成了淨身,我一邊被醫生縫合傷口,一邊看著助手處理我的生殖器官,看著我的陰莖跟睪丸整齊的擺在禮盒內,我覺得很開心,因為我完成了淨身,而且我的生殖器官也成功被人收購,沒想到我的還能賣到150萬盧布的金額,這是我萬萬沒有想到的,我的15公分好歹還是有很大用處的,只是不知道是誰買走的。之後,教堂花了半天的時間,就將所有報名參加的人完成了淨身,其中只有五位成員沒有被收購得到現金,而20人中收到最多現金的是住在隔了一條街的亞里斯,本人用了1000萬盧布的價格收購了,他的真的是天賦異稟,不僅長度就超過20公分,蛋蛋也是與伊萬不相上下,真的是人外有人天外有天,畢竟市場上還是會比較想買尺寸大一點的,因為比較划算,我花了一週的時間恢復健康,一週後我踏出教堂的那一天,我覺得自己特別的純潔,特別覺得上帝離我好近好近,這或許就是淨身的魅力所在。
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面接のことしか書いてないです
面接行ってきた。ここは小さい会社ということもありES等なくいきなり一次面接だった。自分は微遅刻癖があり不安なので絶対に遅刻できない日はかなり余裕を持って家を出るのだが、どこの企業にもほぼ毎回30分〜1時間くらい前に到着している。大体企業の周りなんて住宅ばかりで何もないのでフラフラ歩いたりぼーっと立っていたりして時間を潰している。今日も1時間弱早く着いてしまった。
今日行ったところは周辺を神社3つと墓地で囲まれていた。せっかく早く着いたのでお参りしてみた。企業との相性が思ったより良かったので意外とご利益あったかもしれない。
会社のすぐ隣に音大があった。小学校時代の親友(今も時々会う)のお姉様が通っていたとこらしい。芸術系の学校は自然に囲まれた土地につくれという決まりでもあるのだろうか。ちょっと親近感を感じた。
今日は面接のことしか書くことないから面接の話でもさせてください。
まず交通面。企業から送られてきた地図に、池袋から徒歩20分、知らん駅×2から徒歩5分と記載されていたので池袋から歩いたのだが、面接で「今日はどうやってきました��?」の質問をされた時に面接官から「実はね〜目白からだと12分で着くのよ」と言われた。それ書けや。
面接の質問項目、ちゃんと話さなきゃいけない系のがほとんどなかった。でも最初のほうでいきなり家族構成聞いてきて、それ実は聞いたらあかんのよ〜と思った(必要以上に個人の事情に踏み込む質問は禁止されているらしい)。総合的に悪くない会社だと思ったけど心の隅では地雷企業認定した。
最後にポートフォリオを全ページ紹介させてくれた。60ページ以上あるのに全解説させてくれたし全てにリアクションしてくれた。企業のテイストに全く合っていないだろうにすごく興味を持ってくださった。あとから調べたら様々なテイストが描ける人間が欲しいみたいだったので結果的に成功していたっぽい。あと面接官の雰囲気から察知し一貫して「ポワポワ♡理論とかわかんないにょ♡人柄はめちゃいいです♡」みたいな人間を装ったのだが、これも成功していたらしい。
正直そこの企業の商品はあまりかわいいとは思えなくて、「自分がかわいいと思えるものに携われる企業」を主軸にしている自分にとってはかなり最後の切り札なのだが、まあ雰囲気よかったのでいいでしょう。3人しかいないらしいしひとりやめるらしいけど(だから新たにひとり募集しているらしい)(ちいせえ企業いっぱいみてきたけど過去最低人数でわろてる、いやわろえない)。内定出たらアルバイト行かなきゃらしいよ。エー。まだいろいろ企業受けたいっすワラ。
次の選考は実技らしい。今回も選考課題させたのにまた実技かよ…と思った。まあいいよやるよ、、、。次はパンダの商品イラストを描くらしい。パンダは幼い頃から家にぬいぐるみがあったこともあり、実は一番馴染みがある動物なので楽しく描けるかも。ポートフォリオにも家にあるぬいぐるみがももととなったパンダのキャラクターを入れていたので、向こうがこちらに合わせたテーマを選んでくれたのかもしれない。ところで次は会社の機材で描くらしいのだが、板タブ?とかでイラレ使ったことないので(これまでずっとトラックパッド戦士)時間制限ある中で初っ端からうまく使いこなせるか非常に不安。トラックパッドよりは使いやすいとは思うが、、、。
そして次の選考の日程の候補日が今週の木金、来週の火の三日しかない。ふざけるな。まず今週末に本命エントリー〆がくるので今週��不可(てか授業ある日言うたやん、、、金は普段なら授業あるぞ)。ということで自動的に日程が一つに絞られてしまった。ふざけないで。行きますが、、、。
長くなりましたが今日はここいらでアデュー。神社の写真載せとく。
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2025年5月30日(金)

3月から始めた<ポイ活>、主要なターゲットは<Vポイント>だ。三井住友カードとV NEOBANK Debit の利用、くじやキャンペーンで溜めてきた。先日の<総額1億ポイント山分けキャンペーン>でゲットした11ポイントは期間限定とのこと、それならとここで全額キャッシュバックして6月分の支払��充当することにした。3か月弱で6,325ポイント、1か月で2,000円強の貯金(?)をしてきたことになる。ま、しないよりはマシと、前向きに捉えておこう。

5時30分起床。
洗濯開始。

朝食を頂く。
洗濯物を干す。
珈琲を淹れる。
可燃ゴミ、30L*2。
彼女を職場まで送る。
帰宅して、日誌書く。
8時30分、二男が出勤する。
緑茶(1L)を用意する。
麺つゆ仕込む。

9時、コレモ七条店で買物、月・金は牛乳が安い日だ。豚ロースが安かったので、今夜はこれを使おう。
Vポイント、期間限定ポイントの失効を忘れるといやなので、いったん全額キャッシュバックする。
部屋の片付けで最も頭を悩ませていたのが充電器とそのケーブル、結局みな処分することにする。

三男のランチは<好きやねん>。
彼女は昼まで、連絡を受けて迎えに行く、ランチは<麻婆丼>。

充電器・電話機・外付けディスク・マウス・キーボードなどを袋に入れて車で区役所まで、1階の��口で小型家電引き取りを依頼する。ところが、キーボードが40cmを越えているので原則としてここでは引き取れないとのこと、しかし担当者が「ま、今日のところは大目に見ましょう」との大人の対応、大感謝!

早めに夕飯準備、週末モード故息子たちにはスパークリングワイン、我々は樽酒を冷やしていただく。
野球中継からの録画番組視聴、

名探偵ポワロの第2作、お酒が効いて途中で睡魔到来。
風呂に起こされたがそのまま寝てしまう。

近場の買物だけなので、7,510歩、3つのリングは届かず。
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されど遠き窓
1年同棲した恋人のリリコに去られたヒロセ。
かつての遊び仲間たちとの再会を機に、自分を見つめなおしていく。
※性的描写があります。
鼓膜をつんざくようなけたたましい音で三分経過したことが告げられた。iPhoneに入っているタイマー音はどれも、うるさすぎたり間が抜けていたりで、どうもいい塩梅にいかない。かといって好きな曲を設定するというのも、気取っていてなんだか嫌だし、なんて考えている間に、麺がどんどんのびてしまう。ここ一週間食べ続けているカップラーメンの新しい味をコンビニで見かけたのでついまた買ってしまったのだった。さすがに体に悪いか、と思わなくもないけれど、仕事が繁忙期だし、怒る人ももういないし、緩やかな自傷行為はだんだんと依存性を帯びてきた。アルミの蓋をぺりぺりと開け、頼りない麺を割り箸でずるずるとすする。想像通り、うまくもまずくもない。こういうのは結局一番最初に出たプレーンな味がいちばん飽きが来ないものだ。香辛料のききすぎたスープを飲み干す気にはなれず、流しに残りを捨てた。麺の欠片や掬いきれなかった具がステンレスに散らばり、排水溝の掃除をする必要があることを思い出して煩わしくなった。ゴミの日に合わせて、明日の夜やることにしよう。ベッドでは三毛猫のミナが僕の就寝を待っているが、寝る前に一杯やりたい。食器棚からグラスを取り出そうとすると、しばらく使っていない器達が無言の圧力をかけてきたので、結局今日もまた缶ビールを開けてじかに呷ることになった。チーズを囓りながら、さっきの残像で食器を数える。ペアグラスかける幾つだ、プレートもお椀もだいたいはお揃いまたは柄違いで二の倍数分あり、だけど今僕はそれらがなくても生活できてしまっている。
一体、この大量の置き土産を、どうしたらいいのか。リリコがいなくなってから、もう三ヶ月が経とうとしている。一ヶ月めは現実と向き合うのに精一杯で気付かず、二ヶ月めは思い出に浸るために必要で、寂しいのが普通になった今やっと、やはりこのままではまずかろうと、彼女が残していったものを、たびたび��めてみてはいる。一年も一緒に暮らしていたので、すぐには整理しきれない。リリコは料理好きで、腕をふるった品々を毎食SNSにアップしていたほどなので、食器類は特に数が多いが、それだけではない、いま僕が踏んづけている不思議な模様のラグも、天井からぶら下がっている星のかたちをしたライトもすべて、彼女のセンスで買いそろえたものだ。ぜんぶ置いてけぼりなんて、と何度目かの小さな憤りを感じた勢いで重い腰を上げかけては明日もまた仕事だと言い訳して、ずっと後回しにしてきたのだ。まる二ヶ月。やらなきゃいけない、と思うほど頭と体がぼんやりしてきて、やがて逃げるように眠りについてしまう。この部屋の中のすべてが、彼女のかわりに呼吸しているーーそんな妄想は少々ロマンチック過ぎるにしても、たぶんいつかは断ち切らないといけないものだし、断ち切りたいと僕自身も願っている。ああ、だけど今夜も、五パーセントぶんの酩酊を言い訳にして、ミナの待つ寝床に向かう。
やっぱ、フリマアプリじゃないっすかねえ。心底どうでもよさそうな風情で煙とともにそう吐き出したのは、新入社員で唯一の喫煙者、塩崎くんだ。僕の若いころに輪をかけてぼーっとしていて、鬱陶しがられているかもしれないけれど、ついつい話しかけたくなってしまう。
「ていうか、広瀬さんも女にふられること、あるんすね」
「そりゃあるよ、ふったことのが少ないよ」
「女になんか全然不自由しなさそうに見えるのに」
「……不自由するかどうかはまた別の話かもね」
しまった、失言だった。話を聞く限り、塩崎くんには女性経験がないのだ。背も高いし、肌もきれいだし、顔立ちも悪くはないのに、たぶん、ぼーっとしすぎているのだ。どうフォローしようか気を揉む僕をよそに、塩崎くんは、プロの女の子、必要になったら言ってくださいね、とにやついて仕事場に戻っていった。
取引先からそのまま帰宅すると、宅配ボックスに母から荷物が届いていた。うちは農家でもなんでもないのに、定期的に野菜やら米やらが送られてくるのだ。お礼の電話をかけると、気忙しい母の声のうしろで、子供がはしゃいでいるのが聞こえた。
「まひろ、来てるの?」
「そうそう、今日は誠二が夜勤だから、うちで夕飯でもどうー、って」
誠二というのは僕の弟だ。僕が秀一、弟が誠二。彼は五年前、二十四で十年近く付き合っていたひとみさんと結婚して、三年前、まひろが生まれた。高卒で消防士になり、地元で気の利く嫁をもらい、実家の近くに住み、可愛い孫の顔まで見せた彼の方に、秀の字がついていたらよかったと思う。
「��んたはどうなの、うちに連れてくるかもって言ってた子は」
「ああ、別れた……」
「あらっ、そうなの」
数秒のあいだ沈黙があり、母のため息がきこえた気がした。
「まあねえ、おかあさん都会のことはわかんないし、元気でやってればいいのよ」
優しく慰められ、情けなくなる。両親のことを喜ばせようなどと殊勝なことを思っているわけではないが、のんべんだらりと三十路を過ぎてしまって、なんとなく申し訳ないような気持ちはある。しかし去ってしまったリリコのことはもう、どうすることもできない。たしかに母の言うとおり、都会の三十代はまだまだ若い。正月には帰るから、みんなによろしくと言って電話を切った。ミナが足元に擦り寄ってきた。そういえばミナは、まひろとほぼ同い年だ。僕が会社に行こうとしたら、マンションの植え込みで震えていたのだ。体調不良で、と当時勤めていた会社に嘘をつき、病院に連れていった。三毛猫のミケでは安直すぎるので、ミナにした。漢字で書いたら、三奈だ。まひろは、ひらがなでまひろだ。どちらがペットかわからない。猫はものすごく好きというわけではなかったが、一緒に暮らしてみるとこれほどいい同居相手はいないように思えた。普段はお互い負担にならない距離を保ちつつ、自分がそうしたいときには思いっきり甘えてきて、逆に僕が疲れていれば癒やしを提供してくれる。リリコとミナは最後まであまり馴染まなかったように見えた。彼女は実家でダックスフンドを飼っていると言っていたが、猫にそこまでの思い入れはないようだった。
ミナがキャットフードを食べている間、自分の夕飯を用意した。母と話したあとで不摂生をするのもなんだか悪い気がしたから、送られてきた野菜を適当に切って、冷蔵庫の隅にあったベーコンと炒めた。だけどそれでは足りなくて、結局買い置きしてあったカップ焼きそばを食べてしまった。ミナと戯れつつ食休みをし、風呂を沸かした。本当はシャワーだけでもいいのだが、リリコが置いていった高そうな入浴剤を入れてみたら案外よく、それから週末の夜はゆっくり湯船に浸かるようにしている。バスミルクやらソルトやらオイルやら、ひと揃い使い切ったら終わる習慣だろうけど。
風呂から出ると、LINEが五件届いていた。三件は公式アカウントからで、一件は塩崎くんがフリマアプリのまとめ記事を送ってくれたものだった。金曜の夜なのに、暇な男だ。ざっと目を通し、とりあえず一番利用者数の多いアプリをダウンロードした。もう一件は月子さんからだった。明日、新宿で映画を観る用事があるのでそのあとお茶でもどうかという誘いだった。看護師をやっている月子さんが土日に会おうと言ってくるのは珍しかった。確かシフト制で、平日休みのときに声がかかることが多かった。いくつか年上のこの人と、どこで知り合ったかもいまいち思い出せないが、つかず離れずで長年やってきている。リリコと別れて初めての会合だった。
伊勢丹近くの喫茶店で落ち合うことにした。雑居ビルの地下にあって、コーヒーが一杯千円もするかわり都内いち美味い。価格設定のおかげで店内が落ち着いているのもかなり気に入っているので、約束の時間よりも一時間早めに店に入った。今はナラ・レオンがかかっていて、いい具合に眠くなる。おかげで持ってきた本が全然進まなかった。あとから来た隣の席の男女がタロット占いに興じているのも、僕の気を散らした。壁側に座った髭もじゃの男が占い師らしく、ピンク色の髪をした女の子がぼそぼそと何か相談していた。髭もじゃがカードを切りはじめたころ、月子さんが現れた。とびきり短いショートカットに、真っ黒のワンピースという出で立ちだった。前に会ったときは、日本人形のように長い髪をしていた。
「髪、切ったんだね」
「そう!似合うでしょ」
「うん、すごく」
脚本はいいのに女優の演技がひどくて興ざめだった、というのが今日の映画の感想だった。月子さんは映画や舞台がとても好きだが、誘われたことは一度もない。2人ですることといえば、セックスくらいだ。十年前からそんなふうにしてきて、でも僕がリリコと付き合っている間は指一本も触れずに関係は続いていたので、結局気が合うということなんだろう。月子さんが頼んだキリマンジャロが運ばれてきたところで、恋人が置いていったものを誰かに買ってもらうってどう、と相談してみると、悪趣味、と笑われた。
「そんなの、捨てたらよくない?ぱーって」
「結構高いものが多くて、惜しい」
「じゃあそのまま使ったら」
「いろいろ思い出されて、つらい」
どんなのがあるの、と聞くので、iPhoneを手渡した。塩崎くんの指南のもと、出品用に写真を撮ってみたのだ。あとはアップロードをするだけなのだが、説明文を考えるのが面倒くさくてやめてしまった。月子さんが真剣な顔つきでフォルダを隅々まで眺めているあいだ、僕はタロット占いの結果が気になってしょうがなかった。タロットは漠然とした悩みというより、誰かとの相性を知りたいようなとき役に立つのだと、昔どこかの飲み屋のママに聞いた。
すべて見終わった月子さんは、彼女、センスのいい人だったんだね、と感心した。さらに精査したあと、寝室に置いてあるスタンドライトの写真を指差して、これ生で見たい、と言った。じゃあ見にきてよ、と店を出た。新宿三丁目から、都営地下鉄に乗る。
「ヒロセの家、久しぶり」
「そうだね」
「呼んでくれなくなっちゃったもんね」
「そりゃ、���べないよね」
リリコとの同棲は、僕のマンションに彼女がやってくる形で始まった。子供のいない裕福な叔父から譲り受けた、4LDKの部屋だ。付き合って二ヶ月ほどで、リリコの側から、将来のことを考えるためにまずは一緒に暮らしたい、という申し出があったのだった。そう、僕はお試し期間をクリアできず、持ち家というアドバンテージをもってしても捨てられてしまったのだった。
三十分ほど電車に揺られて、最寄り駅に到着した。月子さんは懐かしい、と言いながら駅からの道をゆっくり歩き、玄関に入るなり、ああ、と感嘆の声を漏らした。
「これは、女がいる家」
「でもいないんだ」
「かわいそうにねえ」
月子さんは上がり框に座り込んで、金具がいっぱいついた靴を脱いだ。ぴったりとしたスカートがあまりに短く、黒いストッキングに下着が透けそうでどきまぎした。ねぼけまなこのミナが僕を出迎えにやってきたが、月子さんの姿を認めると固まり、必死に記憶の糸を手繰りよせていた。月子さんがミナちゃん久しぶり、やっぱり美人さんだね~、と話しかけると、声で思いだしたのか、上機嫌でしっぽを震わせてこちらに寄ってきたばかりか、久しぶりの客人に背中を撫でさせた。
お茶でも出そうかと思ったが、さっきまで飲んでたしいいと断られたので、さっそくお目当ての品のもとへ案内した。このライトはアンティークで、びっくりするほど重いので部屋の外に運ぶのが億劫だったのだ。
「ああ、やっぱり欲しいこれ」
ダブルベッドの傍らに置いてあるそれは、傘のところがステンドグラスでできていて、他のところの作りもいちいち凝っていて高級感があって、実際かなりの値段がしたらしいので、捨てるのが惜しいものの筆頭だった。役所に粗大ごみとして引き取りにきてもらう連絡をするのもこの上なく面倒くさかった。
「もらってくれるなら嬉しいよ」
「本当にタダでいいの?さすがに悪い気がする」
「じゃあ、五百円くらいで」
なかなか食い下がらないので、気が済むようにして、などと言っていたら、月子さんはてきぱきと僕のうしろのドアを閉め、カーテンを下ろし、かわりにステンドグラスのライトをつけた。長い爪を赤く塗った指先がスイッチの紐を引っ張ったのが、妙になまめかしかった。色とりどりのガラスの下に、赤みがかった光が灯る。
「すっごい、ムーディ」
「そう、寝室にしか置けないんだ」
「いつもこうして、してたの?彼女と」
「まあそういうこともあったような」
「久々にしよっか」
マック行こっか、くらいの軽さで月子さんはそう呟いた。体で払う、ってことか。僕としてももちろん吝かではなく、僕達はまぐわった。薄ぼんやりとした明かりの中で、かつて散々貪ったはずの月子さんの体は天女みたいに神々しく見え、リリコに操を立てる前の数々の奔放な日々を思い出した。会えば挨拶みたいに体を重ねた。おっきい、と途切れる声で言う月子さんのヴァギナと僕のペニスの相性は相変わらずとてもよく、リリコとの性生活で少しずつ積み重なった消化不良に気付かされた。月子さんの細くしなやかな腰を掴み、後ろから責め立てているとき、なめらかで美しいリリコのうなじを思った。月子さんのうなじには、短く整えられた襟足の延長のように細かい産毛がびっしりと生えていて、だけどそれが生命力の強さの、淫蕩さの証に見えて、僕をますます昂らせるのだった。月子さんは僕を煽るのも上手くて、まだ足りないというように自分の性器を弄ったり、卑猥な言葉で強請ったり、この時間を最大限愉しむための努力を、決して惜しまないでいてくれる。リリコが寝転がって僕が前から入る、コンドーム越しの、正しさのかたまりみたいなセックスしか、僕たちはしなかった。リリコがそれを望んでいたから。だけど月子さんは、獣のように喘ぐ。僕も、獣のように求める。本能に駆り立てられるような行為は本当にしばらくぶりで、吐精しながらも力がみなぎってくるのを感じた。
アキラさんのところに行こう。少し眠ったあと、月子さんが唐突に言い出した。性欲をすっかり発散させてしまったあとの変わり身の早さも、僕が月子さんを好ましく思うところのひとつだった。アキラさ��。懐かしい名だった。僕たちが夜遊びばかりしていた頃知り合ったその人は、ある日突然、東京から去っていったのだった。たぶん二年くらい前のこと。僕とリリコが出会う前のこと。きれいで優しい男だった。久々に、声を聞きたい。 「いつ?」 「いまから」 「急に行って、迷惑じゃないの」 「あたしはどのみち今日、行く約束してたの」 一瞬で食べ尽くされてしまうことはわかりながら、ミナの夕飯のために置き餌をしてやり、車を出してくれると言う月子さんのマンションへ向かった。地下鉄で二駅だったので歩くことにした。こんなに近くに住んでたんだね、といまさら笑い合った。月子さんの家でしたことも、数えきれないほどあるのに。空は薄紫色で、呼気は白く曇り、冷たい空気が情事と昼寝のあとの惚けた頭をちょうど良く刺激した。日が落ちる前でも、だいぶ気温が低くなってきた。リリコが出ていったのは、夏の終わりだった。残暑が長かったから、暦の上では秋の始め、と言ってもいいかもしれないけれど。
初めて見る月子さんの愛車は、真っ赤な外車だった。シャコタン、というのか、車体がものすごく地面に近く、こんなに華奢な女の人がオーナーだとは思えなかった。あたし運転がヘタな男大嫌いなんだよね、と言うからこわくなって、任せることにした。といっても、そもそもこれはマニュアル車らしいから僕には運転できなかった。
「看護師ってね、だいたい働きだしてすぐ高い車買うのよ」
「どうして」 「しんどい仕事やめないぞ、ってい��、誓いみたいなもん」
「ローンで自分を律してるってこと?」
「そう」
「払い終わったらどうなるの?」
月子さんはそれには答えず、ため息のような笑いを漏らした。下道でもそんな遠くなさそうだけど、もう遅いから高速で行こうね、と手慣れた様子でカーナビを操作する月子さんに、アキラさんはどこに住んでるんだっけ、と訊ねると、千葉の、山と海がある町らしい、という答えが返ってきた。地元と東京以外の地理に、僕はあまり明るくない。
初台から首都高に乗った。到着予定時刻は十九時四十五分。なんとなく流していたラジオがあまり面白くなくて、月子さんがspotifyで音楽をかけだした。九十年代ポップスをとりあえずのBGMに、仕事の話の続きが始まった。
「ヒロセは今もまだ、自販機売ってるんだっけ」
「それは前の前で、今は太陽光発電の会社にいる」
「バナナ売ってたのはいつだっけ?」
「青果卸ね、自販機の後だよ」
ふうん、と興味なさげに月子さんは言い、なんだかもう話すこともあまりなくなった。もともとそんなに話が弾むふたりでもないのだ。丁寧な運転のせいでだんだん睡魔の波が押し寄せてきたので、一眠りしようと目を閉じた。途切れ途切れ、薄い夢を見たが、途中で月子さんが呟いたのは、多分夢ではなかった。
なんでこう急にいろんなことがどん詰まっちゃうんだろうな。
聞いてはいけないような気がしてじっとしていたらまた深く眠ってしまって、次に目が覚めると、車は千葉県の国道を走っていた。何度も塗り替えた跡が見えるスーパーの看板が現れ、ああ、田舎の都会だ、と思った。僕の故郷も、こういう街だった。沿道にはチェーンの飲食店やディスカウントストアがまばらにあった。古ぼけたラブホテルもちらほら営業していて、カタカナやアルファベットをかたどったネオンが粗野に光った。シルクロードって名前のラブホテルは、全国にいくつあるんだろう。食事はどうするのかたずねようとした頃に、急に流していた音楽が途切れて、ちゃらちゃらと電話の着信音が流れた。
「え、なに」
Bluetoothだよ、さっきまで音楽飛ばしてたでしょ、と月子さんは僕を笑い、僕に通話ボタンをタップさせた。スピーカーにして、というのでその通りにした。相手はアキラさんだった。懐かしい、懐かしい声だった。低く、優しいトーンで、ゆったりと話す。
「広瀬くんも、いるの」
「あ、います」
「久々に会えるね」
たった一言アキラさんと言葉を交わしたら、こんなに便利な道具があるのに一度も連絡を取っていなかったことが急に薄情に思えた。だけどそれを咎めるような気色が全くなかったことにほっとした。そういうところが、アキラさんらしいのだ。
あと五分で着くよ、と月子さんは電話を終え、次の信号で細い道に折れた。国道から離れるにつれ、民家が増え、車は住宅地に入った。「あれかな」
月子さんが指さした先には団地が数棟立ち並んでいた。隣には打ちっ放しのゴルフ場の緑のネットが見え、まだ煌々と営業中のライトが光っていた。建物が近づいてきたのでスピードを落として進んでいると、駐車場の入り口とおぼしき辺りに背の高い男の姿があった。少し猫背で、足が長い。
僕たちに手を振るアキラさんは、東京で最後に会った時より少し、線が細くなったように見えた。 ここ空いてるから、今日だけなら大丈夫、という言葉を信じ、白い線で区切られた駐車場の一角に車を駐めた。アキラさんはリノベーションされたこの団地の一室を買ったのだそうだ。最近は古い団地の再利用が流行っているそうで、確かに共用部分も新築のようにきれいになっていた。おれ一人ならほんとこのくらいの広さで十分、という十畳ほどのリビングには必要最低限の家具しかなく、よく整頓されていた。荻窪に住んでいた頃の部屋もいつもすっきりとしていたのを、思い出した。
夕食には宅配のピザを取っていてくれて、酒も一通り用意されていた。パーティーじゃん、と月子さんは大喜びした。アキラさんは紙皿と紙コップを配りながら、洗うのめんどくさいからごめん、と笑っていたが、身軽な暮らしに憧れ、自分の部屋で待っている大量の食器のことを考え、うんざりした。
酒もあまり回らないうちから、月子さんはけっこう荒れていた。仕事を辞めた、という薄々気付いていた話と、不倫をしていた、という完全に初耳の話とを、かなりの序盤で打ち明けられた。初耳ではあったが、そこまで意外ではなかった。月子さんには、動物みたいなところがあるから。僕の同棲解消については、冒頭で少し話題に上がったもののどこかに消え、まあそれはいいとしてもアキラさんの近況は聞いておきたかった。僕が彼の方を見ると目が合ってしまって、逸らせず、やけに緊張した。彼は面白がるように僕を見ていた。とりあえず月子さんに吠えたいだけ吠えさせようと、頷き合った。
「何回かやっただけの上司の奥さんが職場に乗り込んできたの」
それで居づらくなって、もう十年勤めたし、疲れてしまったし、依願退職した、と話す月子さんは珍しく泣いていた。
「その医者のことそんなに好きだったの?」
「ううん別に、出来心みたいなもん」
「割に合わないね」
「それが腹立たしいのほんと!!」
そしてわっと大泣きしてはまた愚痴り、というのを間欠泉のように繰り返し、それをアキラさんが宥めていた。いつの間にか煙草を吸っていた。前もよく吸っていた銘柄だった。月子さんの支離滅裂な話から、医者のセックスがよかったということだけはわかったので、せめてもの救いだね、と慰めたつもりだったが、ものすごい目で睨まれた。月子さんが僕一人には甘えてくれないことを、当たり前だと思うとともに、少し情けなく感じた。僕はちびちびウイスキーを飲みながら、相槌を打った。
泣き疲れて、酔い潰れて、月子さんはテーブルに突っ伏して眠ってしまった。実質アキラさんと二人、という状態になって、ようやくゆっくり話せそうだった。
「……アキラさん、いまはなにやってるの」
「昔のツテでデザインの仕事もらったり、FXやったり、あとはまあ、切り詰めて」
田舎だからそんなにお金はかからない、家族も今後できることないし。淡々と話すアキラさんは十代の頃、年上の男の恋人に連れられて上京した。地元は宮城で、親は厳しくて、勘当寸前で、学校とか通ってこっちで仕事には就けたけど、その時の男とはすぐ別れちゃって、そんなことを寝物語に聞いたような気がする。
「おれもう、期待したくなくてこっち引っ越したんだ」
「期待?」
「東京、夢あるけど、夢見るのも疲れるからねえ」
僕はアキラさんともセックスまがいのことをしていた時期があった。好奇心なんかでは全くなかった。常連の店でいつも穏やかに店員と談笑していたこの男を、気づけば目で追ってしまっていた。仕立てのいいスーツに包まれた身体から滲み出る、どうしようもない諦めの空気が、僕を惹きつけて、不安にさせて、夢中にさせた。月子さんと3人で何度か会ったあと、僕の方から2人で会いたいと言った。やがて恋人同士のような関係になった。自分より体の大きな男に慈しまれると、言いしれぬ安心感と興奮を覚えた。僕たちは、同じ体で愛し合った。だけど男女でするようにはっきりと繋がったことはなかった。それはアキラさんの予防線だったと、今ならわかる。不誠実な僕は、そうしている一方で月子さんをはじめとする女の体を抱くこともあったから。月子さんは僕とアキラさんのことに気付いていたように思うが、だからといって関係が変わることはなかった。なにか言われたことも、詮索されたこともない。僕はあの頃から、自分のことがよくわからなくなっていた。恋ではない、とわかりながらも他人と肌を重ねることで、なにかがすり減っているような気もしていた。アキラさんもそうだったかもしれない。でも、その気持ちを分かち合ってどうにかするような2人にはなれなかったのだ。
「広瀬くんは彼女と別れたって聞いたけど」
アキラさんがなんでもないことのように言うので、僕もなんでもないことのように話し始めた。こういうとき、リリコとの破局で実はさして傷ついてはいない自分に気づいて、辟易する。
「三十過ぎて、なんか焦って、婚活とかしてみたりしてさ」
しっかりしなきゃ、と漠然と考えていた当初、運良く出会ったのがリリコだった。僕史上、いちばん礼儀正しく、理性的な交際のはじまりだった。いわゆる普通のおつきあいをうまくやれていると思っていて、自分もようやくそういう流れに乗れるのだと感慨すら抱きながら、給料三ヶ月ぶんには少し届かない指輪を買ってプロポーズもしたが、あなたと家庭を作ることは考えられない、という残酷な答えが返ってきた。数ヶ月の猶予ののちに同棲は解消され、僕たちは正式に別れた。彼女が持ち物を置いていったのは意外だったけれど、すぐに謎は解けて、そのあとわりとすぐ大企業のサラリーマンと婚約したと風の便りで聞いた。
「そういうのがいいならなんで僕と付き合ったのか不思議で」
「ふらふらしてる人の色気ってあるからねえ」
俺もちょっとやられてたかも、とアキラさんは僕の方を悪戯っぽく見た。アキラさんのほうこそ、ちょっと痩せた肩とか、煙草を弄る長い指とか、相変わらずどうしてなかなか、と思ったけれど言わなかった。今のアキラさんに僕が触れることは失礼な気がした。
「念のため聞くけど、おれと寝てたせいじゃないよね」
「え?」
「別れたって」
「いや全然関係ないよ、知りもしないと思うし、そもそもかぶってないし」
でも、見透かされてたんだと思う。アキラさんとっていうか、月子さんみたいな女の人たちとつるんでいたこととか、それどころか、やりまくってたこととか、職が続かないこととか、それらをそんなに駄目だと思っていないこととか、ただ自分が安心したいだけで、ほんとうはちっともリリコ自身のことなんか見ていなかったこととか。いつの間にか起きていた月子さんが、ヒロセ、いい人きっと見つかるよ、とまた泣きながら絡んできた。煙草を燻らせながらアキラさんは、人生相談室だな、きょうは、と可笑しそうに呟いた。ちょっと酔いが冷めてから順番でシャワーを借りた。月子さんは客間で、僕はソファで寝かせてもらった。アキラさんは自分の寝室に引き上げていった。
夜中に肌寒くて目が覚め、体を起こすとベランダで一服するアキラさんのシルエットが見えた。窓を開けて、隣に立った。アルミの手すりと床板がひんやりと冷たかった。
「ねえ、煙草吸いすぎじゃない?」
「前と変わんないよ」
「前も減らしなよって言ってたじゃん」
「唯一の楽しみなんだって」
「……早死にしちゃうよ」
いいんだよ、べつに。そう呟くアキラさんの横顔は東京にいた頃のままだった。あなたはいったい、あそこに何を捨てて来たの。
あたりは真っ暗で、ぽつぽつと窓の明かりが見えた。こんな夜更けに活動している人間がいるのだ。風向きが変わるのか、時折、国道から車の走行音がきこえる。僕たちは黙ったまま、並んで立っている。離れていた数年をどうにかして埋めたい衝動がせり上がってきて、でもどうしたってできないから、アキラさんの左肩に、そっと凭れた。アキラさんが、囁くように僕の下の名前を呼んで、呼び終わらないうちに、やめてしまった。ためらいが、愛おしかった。
「アキラさんのこと、すごく好きだったよ」
「……わかってるよ」
煙草を持っていない方の手が、僕の頬を撫でた。掌はすべすべしていて、冷たくて、泣けてきた。アキラさんが少しだけ身体を屈めてきて、煙たい匂いが鼻を掠めたかと思うと、かさついた唇が一瞬だけ触れた。目の前には、あの諦め��ような優しい笑顔があった。
翌朝は三人とも九時前にきちんと起きて、目が覚めちゃうなんてなんか年取った感じするな、と言いながらファミレスでモーニングセットを食べた。僕は食器のカチャカチャいう音を聞きながら、肝心のことを相談し忘れていたことを思い出した。
「恋人の置いてったものって、どうしたらいいと思う?」
月子さんは、あたしは一個もらってあげるの、と恩着せがましくアキラさんに報告した。アキラさんは少し考えたあと、おれなら、と前置きして、こう続けた。
全部捨てる。一回全部きれいにしてあげないと、なかなか成仏してくれないとと思うから、残留思念みたいなもんが。
帰りもまた、月子さんが運転することになった。昨日よくわかんなかったけど、車イケてるね、とアキラさんが褒めた。乗る前にすればいいのに、乗り込んだ後で窓を開けて別れを惜しんだ。出発した後、僕たちが曲がるまでずっと手を振ってくれていたアキラさんを見て、月子さんがまた来ようね、と言った。僕は頷いた。僕だけに向けられているんじゃないとわかっていながらも、またいつでもおいで、という帰り際の彼の言葉に、甘えてしまいそうだと思った。
日曜日の高速道路はそこそこ混んでいて、痺れを切らした月子さんの判断により途中で降りて下道を走った。
「そういえばライト、持って帰る?」
「……やっぱいいや、知らない女のザンリューシネン要らないし」
「だよねえ……あれって粗大ゴミかな」
「そりゃそうでしょ、でかいもん」
めんどいなあ、とぼやく僕に、月子さんは、めんどいけど、向き合わなきゃだめってことでしょ、と自分にも言い聞かせるように口にした。それはたしかに人生を前に進めるために必要なステップなんだろうけど、いまの僕にとってはリリコとの二年間より、この二日間のあらゆる場面の方がつよく胸に迫ってくるのだった。
十五時前に家に着いた。一日空けた部屋は静まりかえって、知らない匂いがした。ミナはソファのクッションの上で丸くなって寝ており、僕がただいまを言うと片方の目だけ開けてまた眠ってしまった。飼い主が一晩いないくらい、どうってことないらしい。冷蔵庫の横に貼ってあるゴミの日カレンダーを見た。年始にもらったっきり、ほとんど使っていなかった。燃えないゴミ、火金。危険ゴミ、隔週水曜。粗大ゴミ、市役所に連絡。ため息。とりあえず窓を開け、空気を入れ換える。コーヒーでも飲みたくなって、お湯を湧かす。待っている間に、アキラさんからお裾分けに持たせてくれた蜜柑をざくざく剥く。皮を受け皿に、白い筋がたくさんついたままふた房頬張った。リリコは夕食後、必ず果物を出してくれた。重たいガラスのボウルに、冷たくてきれいな水で洗って一粒ずつしっかり拭いた葡萄、その正しさは誇らしくて面白かったけれど、僕はそんなこと、ちっとも望んじゃいなかったと思う。
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2024/11/6

11月6日 朝、通勤途中にある小学校のフェンスにオリンピック出場を祝う横断幕があり、ずっと掲げられていたけれど、初めて文字を読んでみた。 “パリオリンピック出場おめでとう”と書かれていた。 この夏にオリンピックが開催されていたのは知っていて、ネットニュースの見出しや新聞の一面記事の文字を“パラ(リンピック)・オリンピック”と勝手に読み違えていた。なんというか、ずれた方向への配慮故に、パラリンピックを前面に主張する感じへご時世が変わったのだと思っていたり パリだった。 この夏パリでオリンピックが開催されていたのを初めて知った気がする。 同じ時代を生きていたのに、昔々に応仁の乱があったらしいことくらい実感がない。

最近見た・見つけた気になったもの写真を、iPhoneのカメラロールでざーっと見ていたら、先日北千住駅のNEW DAYSで見つけた商品のポップの写真があった。 もう一度そのポップを読んで、真相がわからない!と思った。“北千住駅で買えるのはここだけ!”と掲げられている。 onlyの位置を間違えているのでは?と思い撮ってしまった写真。 “これを買えるのは北千住駅だけ!”ではないんだ、と思った。 (因みに買えるのはチップとデールのパッケージのお菓子。)

半日はあっという間で、お昼の準備に入る皆さんの中を帰宅しようとしたところ、9月から入職された新人さんに話しかけていただく。 「ご挨拶遅れてすみません…!」と丁寧だな、と思って、少し嬉しくて「もう慣れましたか?」とか言ってしまった。
一度帰宅して、年賀状を30枚買ってからスーパーへ行った。 道中にメールを確認するとamazonの配達完了メールが2通。でもさっき帰宅したときは玄関先に何届いていなかったはず。 配達状況写真を確認すると、どうやら同じマンションの違うお部屋の玄関先に配達完了した様子だった。 同じフロアには無く、一つ下の階へ行くと、同じ位置の玄関先に写真の荷物があった。自分宛の名前を確認し、なるべく静かにそっと運んだ。 悪いことしてないのに悪いことしているみたいで、ドキドキして少し楽しかった。

今日はポストに3つ郵便が届いていた。 一つはマイナンバーカードの何かの更新。誕生日までに窓口へ行かないかではいけないらしい。 もう一つは某銀行から資産運用の営業。 三つ目は残暑お見舞いのお返事!丸いサングラスを買った、と書かれたお手紙が筆まめな方から届いた。

好きな友人たちの好きなところを思い出すようにして、なるべく優しい気持ちになれるようにしている。週末にちゃんと出かけられるか不安だけれど、それまでは少なくとも死なない、と思っている、、
六角ゲルインキボールペンに代わるボールペンを探し中。松田さんのエッセイに登場したジュースアップというペンを使ってみた。

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看儿子被流氓轮姦
我是个同志,阳刚外表下却有着骚货一样的内心,在健身房练就一身腱子肉,却甘愿在男人胯下为奴为婢,终于被老婆发现了,他一怒之下去了美国,只剩下我跟一个十六岁的儿子-李承亮。留在了国内。我叫李志刚。
儿子比较争气,考上了不错的高中,平时要住校,週末回家,我图方便住在了城郊的老宅子里,村子挺富裕的,当时环境不好,鱼龙混杂什麽人都有,什麽外来务工的,流氓,地痞,村霸,流窜犯,管他呢,反正儿子一周才回来一次,我经常出差,这样他回家比较方便,不用我开车接送,我也方便带人回来玩,不在高尚小区里住,被勒索的风险要小得多。今天又是一个週末,儿子从学校回来,我在家做起了二十四孝老爸,给儿子做饭洗衣服,伺候他得舒舒服服。晚上,正巧家中电视故障,儿子提议到隔壁坤哥家看CCTV5的NBA直播,可是坤哥是个大流氓,不仅经常玩B,还鸡姦过好几个小男孩,他表哥又是警察局长,村里的人都是又恨又怕,敢怒不敢言,我儿子唇红齿白,帅气高挑,薄薄的唇宛若盛开的花瓣般妖艳,黑色的头发有着丝绸般的光泽,俊秀的眉宇间流连着凛然的尊贵和淘气。我怕他打他的主意,但我想既是邻居,虽然坤哥是本村的大流氓,���该不会对我们怎样吧!
到了他家门口,我说?“坤哥,我们家电视坏了,想来你们家看,好吗?”坤哥穿着一件短裤,上身坦露、胸膛还刺着青,黝黑的皮肤、健壮的体格,坤哥脸上也是一脸无赖相,光头圆脸,厚嘴唇牙齿又黑又黄,一看就是常年吸烟留下的烟渍,坤哥的小眼盯着儿子不停地看,令我儿子也看得粉颊晕红,十分不好意思。
坤哥于是安排我坐在旁边,承亮坐中间,他紧贴我儿子旁边坐着。坤哥说?“渴不渴?我拿饮料给你们喝”,我喝了后全身无力,但意识尚清楚,我儿子却全身发热,原来他在我饮料中���了迷药、在他的饮料中下了春药。
坤哥见药效发作,便说?“来!承亮,我们来看点精彩的”,说着,他已拿出影带播放。萤幕上正有一对男男在交合,不时传来淫叫声,令承亮想看又不敢看。此时坤哥也大胆地搂住承亮的腰并说?“承亮,你BF多久干你一次?”
“讨厌,我哪里有什麽BF。”
“没有吗,你老爸经常带男人回家相交,你不是也是这种骚货吗?”坤哥边淫笑边说。
“你不要说的那麽粗,哪有BF,只是一个月跟我同学做一次我”儿子羞涩的捶打坤哥。
“我的这根本来就很粗,不信你摸摸看”,他拉着儿子的手去摸,承亮摸了一下,马上缩回来?“讨厌!我老爸还在这里,你别这样。”
“你老爸已被我下了迷药,二小时内不会起来破坏我们的好事”,儿子听了,似乎有了偷情的快感,不再抗拒坤哥,也害羞地轻靠在他健壮的胸膛上。
他的手慢慢撩起承亮的上衣,露出结实的胸膛和粉红的乳头,“哇!你的奶头硬了,让叔叔好好摸个爽。”
“人家的奶头本来没硬,一看见你健壮的身材,还有爷们的脸,有感觉才硬的!”想不到儿子也和我一样喜欢这种爷们的流氓,为了心爱的奸夫,竟说出这种话,令坤哥更加淫兴大发???“好个欠干的婊子,老子今晚一定把你奸的爽死!”此时他已用力扯掉承亮的T卹,开始用手大力搓揉。
坤哥已经开始爱抚承亮的奶头,一会儿大力揪拽,一会儿轻扣乳头,令他闭目享受不已?“啊??坤叔叔,你的技术真是厉害,人家快被你挤爆了,啊??人家的乳汁快给你挤出来了!”
坤哥此时也?起承亮的头?“宝贝,让我亲一下吧!”
这对姦夫正火热地四唇交接,他的毛手不时摸他左乳、再搓他右乳,令儿子连下体也在扭来扭去,似乎淫痒难忍。
“宝贝,你的下面好像很痒,让叔叔来帮你止痒吧!”坤哥已伸手进入儿子的马裤,摸到他湿润的三角裤,“承亮,你鸡巴的在流了,整件三角裤都湿答答的,你的菊花是不是也欠乾了,才会流出这麽多?”
“讨厌!人家的小穴就是欠你这大色狼的淫棍插,才会直流不停。”
此时坤哥索性把儿子的马裤脱掉,使他全身光熘熘的,只剩一件三角裤,那隻毛手已伸入了他的裤内,开始轻重有序地搓揉他的后庭,“你的还可真长,听说毛长的骚0较会偷汉子,是不是啊?”
“死相,你别笑人家嘛!”
“哈??别害羞,叔叔今天会把你这欠干的后庭干的爽歪歪,让你享受讨流氓的快感,包你一吃上瘾,以后没有我的大鸡巴来操,你就活不下去。”
此时坤哥已脱下儿子的内裤,他的双腿害羞地夹紧,他的毛手却不放过,用力在他的后庭搓弄。
“承亮,这样摸你的小穴,爽不爽啊?”
“啊??好叔叔,你在摸人家哪里啊?好痒??好爽??不要??不要??不要停??”
此时,承亮后庭被坤哥搓得淫痒难耐,双手竟也主动地爱抚着坤哥裤裆内的阳物。
“人家快受不了了,好叔叔,小穴不能没有你的大鸡巴??”
“好,先把老子的烂鸟吸硬,再来插烂你这欠干的菊花。”
承亮已跪在坤哥前面,脱下了他的内裤,露出一根十多公分长、又黑又粗的大鸡巴,上面佈满青筋,龟头足有小孩的拳头大小,令儿子害羞脸红。
“怎麽样?这支比起你同学的,谁较大较长?”
“讨厌,当然是你的老二较坏!”
儿子已含着坤哥那支青筋暴露、又长又粗的大阳具吸吮起来,还不时发出“啧啧”的声音。
“贱货,顺便把我的睾丸舔一舔??哎呦,真爽!”
承亮也遵命地??把他两个大睾丸含入口中舔弄,令坤哥的鸡巴愈来愈胀大,看得半清醒、又佯装昏迷的我,也不禁下体膨胀起来。
此时坤哥也忍不住儿子吹喇叭的技术?“唉,你吸烂鸟的技巧真好,快把它吸硬,等一下才能干得你更深、更爽。”
“唉??你摸得人家的小穴好痒,快受不了了??快??快??”
“快甚麽,你要说出来啊!”
“讨厌,人家不好意思说??”
“你不说,老子就不干你!”
“好嘛,快用你的大鸡巴干进我的小穴,人家要嘛??讨厌!”
坤哥才说?“既然你的淫穴欠干,我就好好把你操个爽快!”想不到儿子在春药发作下,竟哀求坤哥这个大淫魔姦他,令我下体再次充血。
坤哥在儿子哀求下,已把他从沙发抱起,想在客厅干他,儿子才说?“到房间里去嘛,这里有我老爸在,人家会害羞。”
“放心吧,小浪蹄子,他昏迷不醒至少二小时,够我们干得天昏地暗的。”
当坤哥把承亮吊足胃口,已准备如他所愿地去姦他,想不到他竟将我儿子放在我旁边的沙发上,儿子似做错事地偷瞄我是否醒来。
坤哥?“小帅哥,我的大鸡巴要来干你了,喜不喜欢?”说着,便握住那支经已入珠的大鸡巴,顶在儿子的阴阜上搓弄,令他想吃又吃不到。
“啊!你别再诱惑人家了,快把大鸡巴插进来,啊??人家里面好痒,快乾烂我的小穴。”
“你的是不是欠干?快说,小卖B!”
“对,人家的小穴欠你干、欠你插,人家小穴不能没有你的大鸡巴。”
“好,干死你!”说着,坤哥屁股一沉,大鸡巴“滋”的一声,干入了我儿子那四溢的肉洞内,只见坤哥一边干我儿子、一边还骂粗话。
“这样干你爽不爽?欠干的婊子,干死你!”他还要求承亮被他乾爽时大声叫春,以助淫兴。
“如果你的菊花被我的大烂鸟乾爽时,就大声叫床,让你老爸听到,你被我这大色狼姦得有多爽!哈??”
“讨厌,你的坏东西又长又粗,每下都乾到人家最里面,啊??大龟头有愣有角,撞得人家前列腺好重、好深,你的鸡巴还有颗粒凸起,刮得人家好麻、好痒??好爽??”
“小骚货,这叫入珠,这样凸起的珠子才能刮得你穴心发麻、流不完啊!怎样,大龟头乾得你深不深?”
“啊??好深??好重??这下乾到人家前列腺了,啊??这下乾到人家心口上了。”
坤哥一边干我儿子那久未经滋润的后庭,忍不住用手捧着来搓揉。
“你的穴夹得真紧,有没有被你爸爸开过苞呀!”
“人家的小穴平时很少男人干,又没有被我爸爸干过,当然较紧。倒是好叔叔,你的大鸡巴比人家老爸的还粗还长,他的好小的。”
“小骚货,还偷看自己老子的鸡巴,你放心,以后若是你的菊花空虚欠干,就来让我的大鸡巴操它几百遍,就会慢慢适应了,哈??”
“讨厌,你取笑人家和你偷情。”
经过一番打情骂俏,想不到平时内向的儿子,竟���欢听坤哥说的这些髒话和三字经,真令我听得气炸,但下体又再次充血。
此时坤哥要求换个姿势,变成他坐在我旁边,但骑在他上面的,是我的儿子,承亮已跨坐在坤哥膝上,手握着他粗壮的大JJ,上面还沾满他发情的 。
“对,用力坐下来,保证你爽死。”
“啊??好粗??好胀??好舒服??!”
由于儿子麵对着坤哥,任由坤哥双手抱住他的丰臀来吞吐大鸡巴,令他忍不住偷看一下,自己的后庭正被一支粗黑的大烂鸟一进一出的抽插。尤其坤哥全身又黑又壮,和我儿子雪白的肤色,形成强烈的对比,再加上两人交合的叫床声,搭���着性器紧密结合的“啪啪”声,还有被大鸡巴操出的“滋滋”声,再加上两人激烈交合的沙发咿哇声,真可拍成一部超淫大G片。
坤哥一边用手抱住承亮的臀部猛草,嘴巴也大口吸吮儿子左乳,另一手则用力搓弄他的鸡巴。
“好叔叔,你真是人家的小冤家,下面的肉穴被你大鸡巴抽插,连鸡巴都被你打得好爽??啊??”
“这样抱着相干的姿势,爽不爽?”
“这种姿势,我BF都没用过,他只会上下体位,这虽然有些难为情,但令人又羞又爽。”
“这是小浪货,小骚逼最喜欢的招式,连你也不例外,待会还有更爽的。”
说着,坤哥就把承亮双腿抱起,并叫他搂住他的脖子,就这样坤哥抱着我儿子在客厅边走边干。
“小帅哥,这招式你老公不会吧!这样干你爽不爽?”
“讨厌,这样人家被你抱着边走边干,也流得一地,好难为情,不过比刚才更爽??啊??”
由于坤哥身材高大健壮,我儿子精瘦白皙,要抱着他娃进行各种奇招怪式的交合,对年轻力大的流氓坤哥来说,自是轻而易“举”。
当他抱着承亮走到窗户旁时,正好有两隻土狗在办事,“小宝贝,你看外面两隻狗在做甚麽?”
儿子害羞地说?“它们在交配。”
“就像我们在相干啦。哈??”坤哥露出的笑声,儿子害羞地把头靠在坤哥刺青的胸膛上??“小帅哥,我们也像它们这样交配,好不好?”
此时坤哥已把承亮放下?“像母狗一样趴下,屁股翘高,欠干的母狗!”
我儿子也乖乖的像外面那隻思春的母狗一样趴着,臀部高?地等待坤哥这隻大公狗来干他?“坤叔叔,快把人家这只发情的母狗干得菊花流汤吧!”
坤哥也急色地挺起那隻大烂鸟,“滋”一声插入承亮紧密的肉穴内,模彷外面那两隻交配的土狗,肆意着我漂亮的儿子?“贱货,这样干你爽不爽?”
坤哥一边抽乾我儿子的后庭,一边也用力拍打他圆润的美臀?“你的屁股还真大,快扭动屁股,贱B!”
承亮像狗一样趴着被坤哥抽插淫穴,一边扭动屁股,一边淫叫“啊??好叔叔??亲老公??,你的龟头乾得人家好深??好麻??好爽!啊??你的手真讨厌,快把人家的鸡巴捏断了!啊??”
“听说屁股大的B较会生育,你怎麽能给我生个儿子吗?”
“我是男人怎麽会生孩子呢”儿子哀怨的说。
“放心,我的精虫多,保证可以把你姦得怀孕,你准会被我干得大肚子的,哈??”
这个流氓搞我儿子虽然恶劣,但也让我儿子享受被的快感,想不到他竟想把我儿子姦出杂种,真令我气奋,但下体却罪恶的勃起。
把我儿子像狗一样后,坤哥已气喘如牛躺在地毯上,那支沾满我儿子的大鸡巴依然挺立。
“你看我的大龟头上都是你的,快帮我舔乾淨,骚货!”
承亮也乖乖地握住他的大阳具吸弄起来,一边舔弄龟头、一边哀怨jike地看着坤哥。在承亮的吸吮下,坤哥的烂鸟再展“雄”风。
“小帅哥,快坐上来,叔叔会把你干得爽歪歪,让你享受偷汉子的快感。”
“你真坏,又笑人家??”
此时承亮已跨在坤哥的下体,握住那根心目中的英雄大鸡巴,用力向下一坐?“啊??好粗??好胀??”
“快扭动屁股,这招骑马打仗,爽不爽?”
随着承亮一上一下地套弄大鸡巴,只见他紧密的后庭,被坤哥的大鸡巴塞得满满的,也随着大鸡巴抽插而慢慢渗出,还滴在坤哥的两颗大睾丸上。
此时坤哥的手也不闲着,看着我儿子胸前两个大懒子在上下摇晃,便一手一个抓住玩弄。有时当儿子往下套入鸡巴时,坤哥也用力?高下体去干他,两人一上一下,干得儿子菊花发麻、淫液四溅。
“啊,这下好深,啊??这下插到人家前列腺了!”
“这下爽不爽?这下有没有乾到底?干死你!”
当承亮骑在坤哥身上套弄鸡巴时,正巧外面有人进来,一个黑胖的男人,个子不是很高,但很结实,黝黑的皮肤,还挺着个大肚腩,留在平头,脖子上带着大粗金鍊子,一副暴发户模样,圆胖脸一脸横肉,还带着一副墨镜。原来是我的朋友黑子。
坤哥说?“你是谁?”
黑子?“我是志刚的朋友,叫黑子。志刚家没人,却听到你这里有叫床声,所以进来看看,志刚怎麽了?”
坤哥说?“我给他下了迷药,给他儿子吃了春药,现在正在他面前干他儿子,你要不要一起来把他儿子姦出个杂种?”
黑子平时垂涎我儿子已久,常向我借儿子穿过的内裤和白运动袜,这种死gay仗着自己有几个钱,经常玩小男孩,但我儿子对他一直不理不睬,嫌他长得丑,虽然儿子不知道他的企图心,但是对他非常反感。黑子一直苦无机会上我儿子,怎可错失大好良“鸡”?
“黑子叔叔,人家和你们的奸情,可不能告诉我老爸哦,拜託!”儿子哀求着。
黑子?“放心,,只要你乖乖配合,让我的烂鸟干得你肉穴够爽,我就不说。”
“对了,人家的内衣裤最近常被偷,是不是你拿的?”
黑子?“不错,有一次偷看到你洗澡,就很想你,但一直没机会,只好偷你晾在衣架上的内衣裤打手枪。”
说完,坤哥也把儿子的三角裤丢给黑子?“这是他刚被我脱下的三角裤,上面还有他被我操出来的,给你吧!”
黑子接下后随手一闻,下体也渐渐勃起,马上脱下全身衣物,露出一根十多公分又长又黑的大烂鸟,站在儿子麵前要求吹喇叭。
“快帮我把老二吸硬,等下才能插烂你的,欠干的B!”黑子命令着。
此时承亮下口有坤哥用力向上顶住淫穴,上口正含着黑子的大鸡巴吸吮,真是全身上下都给这两个色狼爽透了。
“哦??真爽,不拿来给我和大哥好好享用,免得暴殄天物,干!”黑子一边抱着儿子的头吹喇叭一边说。
“讨厌,人家现在不是正给你们两个大色狼欺负吗?”
“以后只要你痒、空虚欠干,就来找我和坤哥尽房事义务。”
“这叫做‘草玩老子草儿子’,何况你比妓女还骚还浪。”坤哥竟将我温顺的儿子比作人尽可夫的妓女,真是气人。
“坤哥,你乾爽了没?我的老二已忍不住要来干这B的了。”想不到黑子竟要在我面前姦我儿子了。
此时坤哥才拔出那根已操了他百馀下的鸡巴。黑子叫儿子麵对我趴下?“小帅哥,我想在你老爸面前姦你,好不好?”
“讨厌!人家会害羞的,在老爸面前被男人。”
坤哥强迫承亮趴在我面前,他偷瞄了一下装睡的我,便低下头。
黑子也握住那根已被我儿子吸硬的大JJ?“儿子,我要来干你了,高不高兴啊?被我乾爽时,一边看你老爸、一边叫春,包你爽歪歪,干死你!”黑子的鸡巴“滋”一声,就乾进了梦寐以求的后庭内。
“啊??好粗??好长??黑子叔叔??你干的好用力??快把人家的菊花都乾破了,啊??”
“这根比你老爸的还长还粗吧!干死你,欠男人奸的骚货!”
“我来帮你干这骚货,干他菊花不够深,他不爽的。”坤哥怕黑子乾我儿子不够深,还在后面推他屁股。
黑子已在坤哥从后推动下,双手抓住我儿子臀部,“啪啪”地用大鸡巴狠狠地抽乾儿子那想收缩、但又被用力插开的后庭,再迅速从肉洞抽出,也抽出儿子被姦爽而溢出的 。
承亮还被黑子抓起头来看我,“快看,小卖B,你正在老爸面前和我,爽不爽?”
承亮则一边看我、一边叫春,享受偷情的快感,真令他又羞又爽。
黑子不客气地一边乾着我儿子的肉穴,一边用双手抓住他奶头搓弄把玩,“坤哥,你推得渴不渴?我挤他的奶汁给你吸。”
“好啊,我正口渴,以后不用买牛奶,吸他的奶就够了。”
想不到邻居坤哥竟说以后不用买牛奶,想喝就叫儿子让他吸奶,真是“骑”人太甚!
此时黑子已用力挤压着我儿子奶头,让躺在地上的坤哥大口吸吮儿子的乳汁,吸得两颊都凹了进去。
“真好喝!再来,用力挤他的奶!”
承亮在两人的轮姦下,只得叫春不已?“啊??黑子??你干的好重??好深啊??大龟头每下都乾到人家的穴心??啊??这下干到人家的前列腺了??坤叔叔??你吸奶的功夫真是一流??人家的乳汁都快被你吸光了??啊??”
在他们一个乾我儿子肉穴、一个拼命吸他奶子下,承亮似乎达到第一次高潮。
黑子?“小卖B,你BF那根和我比,哪支长?”
“讨厌,当然是叔叔的坏东西较长,你的龟头每下都乾到人家的前列腺,让人家快受不了你的大鸡巴??”
想不到儿子竟夸黑子的鸡巴长,还乾得他更深更爽,真是人尽可夫。
黑子?“那你bf平时用甚麽招式乾你?你最喜欢甚麽相干体位?”
儿子害羞地说?“他三分钟就出来了,哪像你们,可以操人家这麽久还硬梆梆的,至于甚麽体位作爱,人家不好意思说,就是那个??嘛!”
坤哥插话说?“我刚才把他抱起来边走边干,他好像被我干得又羞又爽,一直都不敢看他老爸,怕被人看见他被姦爽的骚样。”
黑子说?“这招叫猴子爬树,原来你也喜欢这招。”此时黑子已拔出那根乾了我儿子百馀下的鸡巴,上面还滴着他发情的淫液。
“小骚货,你的还真多,快帮我舔乾淨!”
承亮也尊命地跪在黑子麵前,大口地吸舔他的鸡巴,连两颗大睾丸都含入了口中,令黑子色心又燃,牵起我儿子的手,儿子也双手搂住他的脖子,黑子已握住鸡巴,“滋”一声插入承亮那饱受摧残的肉穴,再用两手抱起儿子的腿,一边走、一边操他肉洞。
“老婆,抱我愈紧,我的大鸡巴才能干得你菊花愈深!”
只见黑子抱着承亮,像猴子爬树一样,一边走、一边干他的淫穴。
“宝贝,这招相干的姿势,爽不爽?”
儿子却害羞脸红、闭目享受,有时哀怨又无助地偷看我,但又马上转过头,靠在黑子结实的胸膛上。
“不用看你老爸,他不会起来破坏我们的好事。被叔叔乾爽时,可以尽情叫春,我今天会好好补偿你的。”
这个黑子真是可恶,藉补偿房事之名,行姦我儿子之实。
只见黑子抱着承亮,在客厅一边走、一边干,儿子由于体态轻盈,加上全身腾空,只有双手紧紧搂??住黑子,压在黑子状硕的胸膛上,又控制儿子的后庭来吞吐自己的大鸡巴,真令黑子淫兴大发,便向一旁休息的坤哥说?“坤哥,快拿照相机,帮我和这小卖B拍照留念!”
“讨厌,人家会害羞,不要??”
此时坤哥已拿出相机,黑子把儿子臀部抱得紧紧的,大鸡巴整根深深顶在他的前列腺。
坤哥?“小帅哥,双手搂紧他的脖子,秀出你最欠干的骚样!”
此时儿子才害羞地转过头来,轻靠在黑子健壮的胸膛上。
想不到黑子竟想留下他和我儿子的照片,作为以后要胁儿子、任他的把柄。
“讨厌,这种照片要是传出去,以后人家怎麽见人啊!”
“放心,小宝贝,只要老子想干你时,你就乖乖地和我幽会,就没事啦!”
此时录影带上正出现两个黑人和一个白种作爱的画面,令坤哥又起色心?“小骚货,你有玩过三贴吗?”
“讨厌,人家今天还是第一次和男人作爱,哪有玩过三贴?更何况人家一个肉洞怎能塞入你们两支大鸡巴呢?”
“放心,你的淫穴又紧又有弹性,有两支烂鸟来干穴,一定爽死你!”
此时,坤哥JJ稍软,又令儿子帮他吸弄,黑子当然也不落人后,承亮则是照“鸟”全收,吸得两颊都鼓了起来。当两人的鸡巴在儿子吸吮后,又次再度坚硬挺拔,坤哥先坐在我旁边的沙发上,再令承亮面对他套入大鸡巴坐下。
“啊??坤叔叔??你的鸡巴又变长??又变粗了??啊??”
此时坤哥也用力抱住承亮的屁股来吞吐大烂鸟。
“干死你,小骚货。黑子,你可以从后面插进来了!”
“黑子,不要,人家的小穴不能容纳两支大鸡巴。”
黑子也不管儿子的哀求,只想试试两支鸡巴干同一个肉穴的快感。
“骚货,我和坤哥两支大烂鸟,会把你的菊花干得爽死,不用怕!”
只见儿子那紧密的肉穴已有两支大鸡巴塞入,连一点空隙都没有,两个色狼又黑又壮的体格,和儿子白晰娇嫩的玉体形成强烈的对比。再看见儿子那个饱受摧残的口,塞满两支又黑又粗的阳具,正在出出入入,不时传来两个男人的三字经和儿子被姦爽的淫叫声,令我有种罪恶感的亢奋产生。
当坤哥和黑子正联手姦我儿子时,坤哥说:“黑子,这个欠干的骚货,没有两支鸡巴操他是不会爽的。”
黑子:“想不到这麽紧密的嫩穴,竟能同时塞入我们两支大鸡巴。真爽,干死他!”
承亮:“啊……你们两个好坏,两支大鸡巴一出一入,有时同时干入人家又小又紧的骚穴,害人家的小穴快被你们干破了,啊……”
此时儿子也害羞地偷看我是否已清醒,是否看到他被两个色狼轮姦时的骚样:
“啊……这下好深,黑子叔,你的鸡巴干得太深了……啊……坤叔叔,你鸡巴上的入珠,刮得人家肠道好麻、好痒,啊……”
坤哥:“这是我为了操你们这些欠干的骚货特地准备的,保证干得你骚穴内每个痒处都给搔到,保证你被操得爽歪歪。”
坤哥也看着儿子的娇唇动心,两人亲热地深吻起来,令黑子吃起醋来,便双手抓住承亮挺翘的乳头用力搓揉,令儿子全身上下都给这两个色狼姦透了。不久,黑子也要求亲我儿子,便仰躺在地毯上,让承亮面对他套入大鸡巴,儿子也害羞地伏在黑子身上,任由他一前一后操他的淫穴。
“坤哥,换你从后面插他吧!”
此时坤哥阴茎稍软,便拿出印度神油抹在龟头上,大鸡巴再次青筋暴胀。
承亮:“坤叔叔,你在抹甚麽?”
坤哥:“骚货,等我擦上神油,我的老二便可以再操你几百次仍然坚硬无比,哈……”
黑子也让儿子坐起,两人抱着相干,他两手用力抱住我儿子的下体,来回吞吐他的大鸡巴。
承亮:“这招抱着相干的招式,让人家好难为情哦!”
黑子:“这也是骚货喜欢的交合姿势,姿势歹没关係,爽就好,是不是?宝贝。”
承亮祗好双手搂紧黑子的背部,下体任由黑子来回套弄大鸡巴。偶而,他也会偷看一下自己下体的“鸡巴套子”,正有一根又黑又粗的阴茎在不断插入抽出,令
他粉颊一阵晕红,便靠在黑子的胸膛娇嗔淫叫。
黑子:“这招老树盘根,把你抱着干穴,爽不爽?小骚货。”
承亮:“啊……黑子叔,亲丈夫,你抱得人家下面好用力,啊……你的两颗大睾丸撞得人家骚穴好痒、好爽……啊…………”
此时坤哥的阴茎在抹上神油后,再度充血坚挺,又看着黑子和我儿子在抱着交合,下口紧密结合,连上口也亲得火热,令他忍不住的说:“这骚货似乎很喜欢被男人抱着干穴,让我也来抱抱他。”
黑子这时才意犹未尽地放开承亮,儿子害羞地放开搂住黑子的手,再转身搂住坤哥的脖子,下面的肉穴又换了另一支大鸡巴。
“好哥哥,你的鸡巴又变硬……变粗了,啊……插得人家穴心好深、好麻……啊……”
承亮祗好双手搂紧坤哥的脖子,下体任由他抱紧来吞吐大鸡巴,看着坤哥健壮黝黑的体格,还有胸前的刺青,让他感到被一个孔武流氓强奸的快感,加上坤哥不时边干他,还边骂髒话,真令他又羞又爽。
“小美人,坤叔叔抱着你相干,爽不爽?”
“讨厌,你们两个色狼好坏,专门欺负人家,人家不说了!”
“宝贝,抱紧一点,哥哥才能干得你更深更爽嘛!你的两个奶子又挺又翘,戳得我胸部好爽,来,让哥哥亲一下。” 坤哥也不放过儿子的娇唇,四片相接,舌头也勾搭起来。
“黑子,顺便帮我们拍一张抱着相干的照片做纪念,以后我想干穴就不用找鸡,一天要干他几百次都可以了,哈……”
想不到坤哥也学黑子,想留下儿子与他通奸的证据,把承亮当作妓女一样任其逞洩兽慾,真是可恶!
“坤哥,你这样抱着人家相干,令人家好羞,你的毛手捏得人家屁股好用力,讨厌,啊……这下乾得人家穴心好麻……”
“小骚货,你想不想干深一点,顺便享受被射精进入屁眼的快感?”
“讨厌,人家的BF都是带套子,从来都没有射进来过。”
“哪有祗要享受干穴的高潮,而不要体会一下被我射精进入屁眼的快感?”
此时坤哥已把我??儿子平放在地毯上,并在他下体垫一块枕头,令他下体高突,以便承受他射出的精液,恨我此刻仍全身无力,祗能眼睁睁看着儿子要被流氓强姦。
坤哥:“小骚货,做好准备接受老子的精液吧,说不定会怀孕哦!哈……”
承亮:“讨厌,尽调戏人家,不要射在里面啦,人家会大肚子的,不要啦!”儿子娇嗲的向流氓撒着娇。
坤哥非常受用我儿子的撒娇,已压着儿子用男上女下的方式,一下比一下深、一下比一下重地操他的肉穴,不时传来“滋滋”的淫水声、与性器交合的“啪啪”声、再加上坤哥的淫言秽语和儿子的叫床声。
“这下乾得你够不够深?……这下爽不爽?干死你!”
“啊……这下好深……啊……这下乾到人家的穴心了……这下乾到人家心口上了,啊……”
黑子也不放过儿子的檀口:“小骚货,叔叔餵你吃好东西,好不好?”
“讨厌!人家的已经很胀了啦!”
“别害羞,试过就知道,保证你爽歪歪!”
可怜的儿子下口被坤哥一下比一下重、偶尔还会旋转地抽插嫩穴,连着小嘴也被黑子的一根大阳具来回抽送,令他上口不断地呜呜咽咽,以助二人淫兴。
“黑子,看这小骚货骚的,吃大鸡巴吃的这麽开心。”
黑子乾了一阵我儿子的小嘴后,也下来在坤哥背后推他下体,让坤哥的鸡巴可以乾得儿子的肉穴更深、更重。
“啊……黑子叔,你好坏哦!……推得这麽用力,人家的小穴快给他干穿了……啊……这下乾到人家花心了!”
黑子不理儿子的求饶,仍狠力推送坤哥的下体来抽乾承亮。
“小骚货,坤哥的鸡巴有没有乾到你的骚穴深处?……哈……”
坤哥:“黑子,快用力推,我要射精进入他的骚穴了!”
此时黑子加快推送坤哥下体,让他猛烈不留情地用大阴茎抽插我儿子的淫穴,祗见三人都气喘如牛,承亮的下体仍不断被操出淫水,坤哥两颗大睾丸也来回撞击他的穴口,令他春心荡漾,似乎不再反抗,准备接受坤哥的精液射入他的骚穴,还用手轻抚着他的两个“巨蛋”。
“我的鸡巴够大吧!等一下射精进入你骚穴内,让你爽死,小骚货!”
抽插了儿子百馀下后,三人气息渐急,���后坤哥用力将大鸡巴干入儿子的骚穴口,“咻咻”的射出滚烫浓稠的精液。
“干死你!”
“啊……你的精液好多、好烫,射得人家骚穴好用力哦……”
坤哥射精后三分钟,才把鸡巴从儿子那注满精液的肉穴中拔出,再与黑子击掌交“棒”,要轮流射精进入承亮的肠道内。
这两个流氓!居然连黑子也要射精进入儿子的骚穴。
“黑子叔,你不要再射精进入人家骚穴内啦,肚子已经很胀啦!”
坤哥答腔:“哈……有什麽关係,难道……还怕怀孕吗?那更好,不管男女也肯定是个小骚货,到时候一样带来开苞,让你老爸作现成的爷爷,不好吗?”
真是可恶!居然还打上我孙���孙女的主意了。
此时黑子已压在我儿子身上,将大鸡巴再次插入他那不断流出坤哥精液的淫穴内抽乾,坤哥也卖力地推着黑子的下体。由于他力气大,推起黑子的下体去干我儿子的肉穴时,更是粗重有力。
“啪啪”的两人性器交合声,伴随着承亮的淫叫。
“啊……坤叔叔,你推得太重了……啊……这下乾得太深了……啊……人家的小穴快被黑子叔的大鸡巴干穿了……啊……”
黑子:“坤哥,再用力推,我要射精进入他骚穴了!”
说着,经过百来下的抽插,黑子也“咻咻”地把他浓稠的精液,射入我儿子的骚穴内。
“啊……黑子叔……你的精液射得人家骚穴好用力、好满、好多哦……”黑子在射精进入我儿子的骚穴后,仍紧紧顶住他穴心五分钟才拔出,以免精液流出。
当三个人经过一番妖精打架后,也一同进入浴室,由儿子帮他们清洗全身的汗水与淫液,享受一番免费的泰国浴。
当他们清洗完毕后十分钟,我也恢復了精神和体力,看到儿子似做了亏心事地坐在我旁边,坤哥则拿着儿子的小手把玩,动作说不出的下流,黑子则拿着儿子的三角裤欣赏,上面沾满了他的淫水和他们的精液。
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ららぽーと横浜で開催!LIXILリフォームショップ × KILTAの特別ワークショップ
LIXILリフォームショップとKILTAがコラボし、ららぽーと横浜にて 特別ワークショップ を開催します! DIY初心者の方も、お子様と一緒に楽しみたい方も大歓迎。 住まいのメンテナンスやものづくりに興味がある方は、ぜひご参加ください!
📍 開催場所:ららぽーと横浜 3F ノースカーブモール入口
📅 開催日:2月15日(土)・16日(日)
⏰ 開催���間:10:00~17:00
ワークショップ内容
◎木のカメラづくり(予約不要) 好きなパーツを選んで、自分だけの木のカメラを作ってみよう! 親子での参加も大歓迎。何歳からでも参加可能です。
💰 参加費:1,500円
◎壁紙補修講座(要予約) 壁紙の剥がれや傷の補修方法を、プロが実演しながら解説。 ご自宅で役立つメンテナンススキルを学べます。
📅 開催時間
午前11:00~
午後1:00~
午後2:30~
午後4:00~
👥 定員:各回4名 💰 参加費:1,000円
🔗 詳細・ご予約はこちら
リフォームやDIYに興味のある方はもちろん、ご家族での思い出作りにもぴったり! 週末のお出かけに、ぜひお立ち寄りください。
📞 お問い合わせ
LIXIL リフォームショップ SENSEPROJECT フリーダイヤル:0120-973-454
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2/8 友だちが来てくれる。近所に住んでいる留学生の子。私の英語力が低下していく一方、彼女の日々上達する日本語に甘えて会話しているけれど、なんだか馬が合う。彼女はケーキを食べながら、学期末のレポートに取り組んでいた。今度大阪に行くというので、太陽の塔と民博をすすめて、岡本太郎の壁画が別府にもあるよとググって写真を見せる。すると、これ知ってる!初めて見た時に私の国のナショナルバードに似ていると思った、と言って、彼女の国の鳥の画像を見せてくれた。真紅の腹に青緑の羽。尾が長く美しい曲線を描いている、ケツァールという鳥。
2/9 友人に私信をしたためて送りつけようかなと思うが、その前に住所を聞く連絡をしなくちゃいけない。とりあえず手紙だけでも書いてみてからその後のことを考えようと思う。夜にアマプラでトランプの足跡を描いたドキュメンタリーを見た。2019年につくられたもの。
2/11 店でイベント。味噌作り会。いろんなひとが来る。合間に話し合いの進まない人にメールし、気が立ってしまう。夜の会は飲みの場に慣れている人が多く和やかに進む。私は飲みの場をあまり好まないので同年代の子たちの酒の場でのナチュラルな気の遣い方に自分がどう立ち回るべきなのかわからない。ぎこちない。他人のことをもっと考えないといけない。そういう想像力が無さすぎる。
2/12 自分の見ていられる、意識を払える範囲はおそろしく狭い。/雨が降る。あたたかい。本を届に隣町へ行き、中古自動車屋に寄る。帰宅して、昨日の味噌会の余り大豆の煮汁とカボチャの煮汁とおでんの出汁を鍋に合わせて、トマトとネギと白菜とスパイスを加えてで煮る。ハヤシライス風。バナナのマフィンも作ってもりもり食べた。/先週から青山真治の北九州サーガを見ようと話していて、今日はユリイカを見た。そのあとはオンラインで研究会のミーティング。天狗のリサーチをする。
2/13 昨晩、日記を書いていたらスマホの電源が落ちてしまったから、全部消えているんだろうと思ったが保存されていた。最近のアプリは抜け目ない。今日は何も用事のないまっさらな休日。作ってもらった団子汁をたべ、サッドヴァケイションみて、風呂に行き、味噌を仕込み、夕飯を食べ、今。これからもう一本映画観る。ひとつ、決着のついてない問題があり、相手方からのメールを待っている。ずっと心の一箇所がざわついている。暖かくなって鶴見山の雪はすっかり溶けている。
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HWY物��
ヒューマンウォッチング
もう40年は前のこと、初めて自分で走った首都高速。
当時横浜に暮らしていた私は時々、東京へ行くこともあった。大都会の東京は夜遅くても高速道路が混んでいて渋滞の中、周りのクルマを眺めながらそれぞれの生活を想像していた。
田舎者の私には想像できないような都会のビルディングに帰る人や一人暮らしのアパートへ帰る人、恋人とお洒落な街へデートに行く人々や家族が待つ住宅街へ帰る人々などなど連想。
その後初めてN.Yへ行った時にエアポートからリムジンバスで夜のマンハッタンへ入る時もHWYで渋滞があり、色々な人種の人達が乗るクルマを眺め彼らの生活を空想したりと・・・
いつかそちら側(訪問先の国)の住民になってるかな?など自分の未来も想像していた。
そんな中、マンハッタンに入って渋滞中にバスからHWY高架沿いに建ち並ぶ、ちょっと怖そうな雑居ビルの窓からHWY側を眺めている黒人の少年と目があった。
私は思わず 「やあ!」 と、Helloって感じで軽く手を挙げたけど少年は無反応であった。もしかしたらガラス越しで反射して見えなかったかもしれないが。
いずれにせよきっと変なアジア人に見えたかもしれない。でもあの時の少年は今頃どうなっているのかな?と、今も想うHWY。
数十年後、あの時の少年のように私はこちら側になっていた。
HWYの渋滞で会う様々な人々の生活を空想連想。時々HWYで会う観光客を乗せた大型バスには、「どこの国から来たのかな〜?」などと連想したりと。
そんなオヤジは、晩酌の酒を買うためにモールに立ち寄った。こんなオヤジを見ている人などいないけどさ(笑)
皆さまも良い週末を
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2014年7月26日に長崎県佐世保市で発生した、高校1年生の女子生徒(15)による同級生殺害事件。自宅マンションの一室でクラスメートを殺害し、一心不乱にその遺体を解体する――。血も凍るような光景を繰り広げた少女Aの所業は社会に大きな衝撃を与えた。 (以下は、「週刊新潮」2014年8月7日号記事の再録です。文中の年齢、役職、年代表記等は当時のものです) *** 給食に漂白剤を混入 「Aちゃんが幼稚園に通っていた頃、うちの子は彼女と一緒の絵画教室に行っていました。そこでのAちゃんの評判は良くなかった。彼女は落ち着きがなく、感情の起伏が激しいので、徐々に他の子たちから避けられるようになっていったのです。結局、Aちゃんが来る曜日だけ、教室はガラガラになってしまいました」 とは、先の少女Aの一家を知る人物。 「あと、Aちゃんは小学6年生の時、気に入らない子の給食に漂白剤を混入したことがある。大事にならなかったのは、母親が教育委員を務めていたからではないか、と囁かれました」 少女Aが通っていた小学校の関係者によれば、 「給食に異物を入れられたのは男児と女児。女児はその影響で生理が止まってしまった。騒動後、小学校の校長は左遷され、担任の先生は別の学校に転任になった。また、Aちゃんはそれ以来、授業を受けず、保健室に通うようになった」 本人は謝らず 実際に給食に異物を混入された、少女Aの小学校時代の男子同級生は、 「給食の玉子スープに入れられたのです。食べ終わった後、Aが私の席に来て奇妙な笑みを浮かべながら“分かった?”と言う。“何が?”と私が聞くと、彼女は“水酸化ナトリウムば入れた”と言いました」 として、こう話す。 「まさかと思いましたが、気になったので放課後、Aに声をかけたらポケットから封のできるビニール袋に入った透明の液体とスポイトを取り出し、こう言ったのです。“理科の先生に理科室の鍵を借りて持ってきた”と。言葉を失いましたね。私は2日後、そのことを担任の先生に言った。するとしばらくして、校長や両親と一緒に本人が謝りにきた。でも本人はなかなか謝らず、大人に促されてようやく謝っていました」 猫を殺して解体 先の社会部デスクは、 「Aには、小学生の頃から、猫を殺して解剖したり、家出したりといった問題行動があった。Aの母親はそのことに胸を痛めていた」 と話すが、この母親が昨年秋に病死したことは【前編】で記した。先の幼馴染は、 「Aちゃんはお母さんっ子だったのでショックだったと思います。ただ、Aちゃんが辛かったのはお母さんのことだけではなく、実は、お祖母ちゃんのこともあった。お母さんが亡くなる1、2年前、一緒に住んでいたお祖母ちゃんも亡くなり、塞ぎこんでいたことがありました」 と、こう語る。 「そこからようやく立ち直った頃にお母さんが入院し、しばらくして亡くなった。その頃から学校にはほとんど行っていなかったようです。お母さんが亡くなって半年もしないうちにお父さんは再婚した。Aちゃんはそれが本当にショックで、“お母さんのこと、亡くなってから、どうでもいいとがな。すぐ女の人連れてきて、あんまりお母さんのこと、想ってないんじゃなかろが”とこぼし、“(父と継母とは)一緒に住みたくない”と言っていました」 少女Aが一人暮らしを始めたのは今年4月だが、 「15歳の少女に一人暮らしをさせる理由について、父親は“留学生活への準備”と周囲に語っていました。しかし実際は、Aと継母の不和が原因だった。Aが一人暮らしをしていなければ事件は起こらなかったかもしれません」(先の社会部デスク) トップ���ラスの収入 そんな少女Aの父親が経営するのは、7人の弁護士を抱える県内最大手の法律事務所である。 「父親は大手通販企業や佐世保市医師会の顧問弁護士のほか、倒産案件などを数多く手掛ける弁護士として知られています。若い頃から地元の青年会議所に入って活動し、その人脈から顧客を広げていったのです。また、佐世保は米軍基地があることから、米兵による事件が多いのですが、彼らの弁護も率先して引き受けてきた。儲かる案件をしっかりとこなしてゆく。ひとことで言えば、やり手ですね」(地元のテレビ局関係者) 少し古いが、2004年の長者番付によると、年間で3000万円以上を納税しており、佐世保市でもトップクラスの収入があることが窺える。 その一方で、少女Aの父親は愛妻家という評判だった。 「Aのお母さんは、若い頃、地元のテレビ局に勤務していたことがあり、主婦になっても社会活動に熱心で、スケート団体の会長という立場でもありました」(同) 家族のエピソード だが、そんな母親を襲ったのが、すい臓がんだった。このがんは進行が早く、生存率が低いことでも知られている。昨夏に病巣が見つかると、少女の母親はわずか3カ月後の10月に亡くなってしまう。今年1月末の地元紙には、母親をしのぶ家族のエピソードが紹介されている。父娘で国体のスピードスケート競技に出場したときのものだ。 〈昨年7月、当時51歳だった妻の××(名前)が、腹部の痛みを訴えた。検査の結果はがん。医者からは「手の施しようがない」と告げられた〉 痛みに耐える妻を前に、夫は何も手につかなくなりそうだったという。 〈そんな生活が続いていたある日、妻が夫に優しく語り掛けた。「頑張っているあなたが好きなんだから」。(中略)「スケートどころではない」とも思ったが、妻のあの言葉が背中を押してくれた。(中略)迎えたこの日、霧降スケートセンター。今年は長女と一緒に、妻との約束のリンクに立った。「娘も無事に滑り終えてくれ、家族にとっての集大成の大会になった。妻がいたら2人の名前を応援してくれたんでしょうね」。胸に熱いものが込み上げてきた〉 金属バットで父を殴る スケートリンクでも亡き妻のことを忘れない夫。だが、その後にとった行動は、少女Aにとって驚くべきものだったに違いない。 「Aのお父さんは、しばらくすると婚活パーティーに顔を出すようになったのです。そこで射止めたのが21歳も年が離れた有名大学出身の女性でした」(Aの知人) そして、今年5月、父親は再婚。少女Aは一足先にマンションに引っ越していた。 「Aの父親は、以前、フェイスブックに娘から“バカボンパパ”をデザインしたケーキをもらったと書いています。自分の父親をバカボンパパになぞらえるとは、ずいぶんな扱いですが、今年の春にはもっと酷い事件が起きている。再婚に反発したAが、なんと金属バットで父親の顔をぶん殴って重傷を負わせたのです。そんな父娘の関係だから、Aはスケート競技も好きではありませんでした。練習は福岡市のリンクまで行ってするのですが、彼女は行くのを嫌がっていましたから」(社会部記者) *** 事件後、少女Aは長崎家庭裁判所に送致され、少年審判を受けた。 審判の最中の2014年10月、少女の父親が自宅で首を吊り、自殺を遂げた。事件後は「このまま生きていていいのか」「どうやって償っていけばいいのか」と周囲にしきりにこぼしていたという。 そして事件から1年後の2015年7月、少女Aの第3種少年院(旧・医療少年院)送致が決定した。その際の家裁の決定文にはこうある。 〈少女は小学5年時、見かけた猫の死体にひきつけられ、猫を殺すようになった。中学では、猫を殺した後に解体するようになり、さらに人を殺したいと思うようになった〉 〈少女は重度の自閉症スペクトラム障害(ASD)であり、併存障害として素行障害を発症している〉 〈猫を殺す自分に苦悩しつつ、その一方で猫を殺すことでは満足できなくなり、解体を始め、さらには殺人欲求を抱くようになった。その後、実母の死を体験したことで殺人空想が増大し、殺人欲求が現実感を帯びていき、本件非行に至った〉 〈少女の特性や非行メカニズムに応じた治療教育の実施が期待できる第3種少年院で処遇することが望ましい〉 少年院は20歳までの収容が原則だが、少女Aは2018年に3年間の収容継続が決定。2021年にも「収容者の精神に著しい障害があり、矯正教育を継続する必要がある」とさらに3年間の収容継続が決まった。しかし、収容の最大の年齢である26歳を迎えた2024年には、彼女が既に出所していたことが明らかになった。 少女Aは更生できたのか。その答えは、事件から11年経った今でも少年法の闇に包まれ、未だはっきりと見えてはこないままである。 【前編】では、自宅マンションの一室でクラスメートを殺害し、一心不乱にその遺体を解体する――血も凍るような事件の詳細と、地元の大物弁護士を父に持つ、少女Aの恵まれた環境について記している。 デイリー新潮編集部
「加害少女」は社会復帰、父親は自殺…「佐世保高1女子生徒殺害事件」 同級生を殺害・解体した15歳の“本当の顔”(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)1月11日(土曜日)
通巻第8591号 <前日発行>
[こ、これはウクウライで爆撃された都市の惨状より酷い」
セレブが一夜にしてホームレスに。ロスの山火事。18万人が被災
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「文春砲」など問題にしないのが「トランプ砲」だ。
史上空前のカリフォルニアの山火事は住宅地を焼き尽くした。死者が最低でも5名、焼け落ちた建物は九千棟から一万軒。避難した人々が18万名。被害総額は80億ドル以上だろう。保険会社は120億ドルを推定している。
サンタモニカの北、パリセーズ地区の火災は17,000エーカーを焼失(鎮火率0%)、イートン火災は10,000エーカーに拡大(鎮火率0%)。ハリウッドヒルズ地域のサンセット火災が延焼中。
この惨事の前、治安悪化、不法移民、麻薬の蔓延で米国ハイテク産業の花形企業が逃げ出した。イーロンマスクもザッカーバーグも。
そのカリフォルニア州、弱り目に祟り目。
トランプ次期大統領は吠えた。
「水の管理が悪い、ほかのこと(不法移民にテント村。950ドル以下の万引きは逮捕せず)に予算を使い果たし、消化シ��テムを整えなかったカリフォルニア州知事とロス市長の無能がこの惨事を引き起こしたのだ。かれらはすぐにも辞任せよ」。
長男も攻撃を追加する。
ドナルド・トランプ・ジュニアは追加砲撃を加えた。
「民主党主導の州の山火事への対応がまずかったのは、市の消防署がDEI(多様性、公平性、包摂性)政策に重点を置いた結果だ、能力よりも「意識的な美徳」(woke)の表明を重視する人たちの責任である」。
カリフォルニア州は5億ドルをDEIに費やした。バイデンはウクライナに追加で80億ドル支援を約束した。
「バイデン政権はこれまで、ウクライナの消防署16か所に装備や救助ツールを提供していたが、で、カリフォルニア州の消防署には山火事対策に必要な物資をすべて供給していなかった」と指摘する声がXには多数寄せられた。
▼ハリウッド映画の製作にも影響がでるのか
トランプ次期大統領は続けた。
「ニューサム知事はカリフォルニア州に何百万ガロンもの水が流入することを可能にする法案への署名を拒否した。州民よりも『質的に価値のない魚』(蛸禁漁のこと)を選んだ。早急に辞任すべきた」
ロサンゼルス市長のカレン・バスは暴風警報が出ているにもかかわらず週末にアフリカ旅行に出発した。
この市長は2024年に市の消防署予算を1,700万ドル以上削減した。
セレブのパリス・ヒルトンらの自宅が全焼。豪邸にすんでいたセレブは一夜にしてホームレスとなった。住宅焼失のセレブはほかにビリー・クリスタル、アンソニー・ホプキンス、アダム・ブローディ、アンナ・ファリスらだ。
アメリカの富の象徴ハリウッドが消えて無くなる? 全米のテレビは現場から悲壮なアナウンスとともに実況中継をしている。
1月7日、ギャビン・ニューサム(カリフォルニア州知事)は「非常事態」を宣言した。バイデン大統領も8日、大規模災害を宣言し、国防総省に対して消火活動に必要な軍人を出動させるように指示した。
バイデンは予定していた最後の外遊、ローマとバチカン訪問をキャンセルした。
なんだか、江戸の明暦の大火を思わせる
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2024年 夏休み。 帰省して一番にすることは、お墓参りの後、きまってお好み焼を食べに行くこと。関西人の血がソースを欲してる?いいえ、お好み焼きをこよなく愛しているのは、生まれも育ちも愛知県のSさんです。母との買い物はいくつになっても楽しい。お昼はわたしの奢りだったのに、帰宅して、かばんの中の見慣れない封筒には お札が忍ばせてあった。50の娘。母にとっては二十歳くらいで止まってるのかな?姪っ子(中三の末っ子)がササっと撮るhuit がいつもかわいい♡末っこは小さい頃から犬が飼いたい。母である姉は、3人娘でいっぱいいっぱいで、許可が下りないらしい。東大京大に入学できたらまきちゃんが説得してあげる。どんな犬種でも飼ってあげる。と、無理とわかっているからこその約束をした、笑。長い夏休みの姪っ子(大学生の長女)がバイトも予定もない日に、珍しくわたしと遊びたいと可愛いことを言ってきたので、大阪へ出た。ミュージアムを満喫した後カレーを食べながら、先日 幼馴染と旅した韓国の話を根掘り葉掘り聞く、めんどうくさい叔母。夏休み最終日は電車に揺られること15分のMさんの住む街まで会いにゆく。ん?こんな歌、森高千里が歌っていたね。Mさんが 京都に住まれている時より気軽に会えるのが嬉し~♩ホットドックにかぶりつき、かき氷でクールダウン。涼しくなったらhuit を連れて会いに行きたい。そして最終日の夜は、姪っ子が週末だけバイトしている飲食店で食事をしてわたしの夏休みは終了。「南海トラフ警戒情報」に怯えていたけど、楽しい楽しい4日間でした。
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