#違う冬のぼくら
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this game means a lot to me.
#still gotta finish my second playthrough with my gf soon <3#bokura#bokura game#違う冬のぼくら#fanart#artists on tumblr
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違う冬のぼくら
monthsary gift for my bf ^w^
#artists on tumblr#digital art#my art#drawing#art#artwork#illustration#original character#oc#oc tag#illustration art#drawings#digital artist#character illustration#artist#oc art#originalcharacter#bokura#違う冬のぼくら#indie games
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Bokura sure is a game
Poorly drawn ms paint renditions of in-session events
Ft. @mayyak [duck/green kid] and @misslevy [our guardian angel/the 3rd person in our discord vc]
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”違う冬のぼくら”遊んだよ絵日記。
タンブラーにネタバレ防止機能ないっぽいけど、露骨なネタバレ描いてないし大丈夫でしょう。多分。
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(実在してそうなのに全部架空 「存在しない漫画の1コマ」だけを創作し続けるアカウントがSNSで人気 “中の人”に聞く発想の源(2/3 ページ) - ねとらぼから)
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俳句みたいなミニマル表現なんだけど、「架空の引用」という着想が新鮮。「架空の名言」みたいなものかな。
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完全な真空 - Wikipedia
1971年にポーランドの作家スタニスワフ・レムにより発表された、実在しない書籍に対する架空の書評集 実在しない書籍の書評というアイデアは、ホルヘ・ルイス・ボルヘスによる『ハーバート・クエインの作品の検討』などに先例が見られるように、レム独自のものではないが、そういった架空の書評を集めた一冊の書評集というアイデアは、レム独自のもの
虚数|国書刊行会
ビット文学の歴史、未来言語による百科事典、細菌の未来学、コンピュータGOLEMの講義録など、〈実在しない書物〉の序文を収録。
冬の夜ひとりの旅人が (ちくま文庫 か 25-1) | イタロ カルヴィーノ, Calvino,Italo, 功, 脇 |本 | 通販 | Amazon
読み手自身であるところの「男性読者」がカルヴィーノの新作小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読みはじめると、突然その本が製本不良で途切れてしまう。交換してもらった本を読もうとするとまたそれが全く違った小説、でさらに追いかけるとその本が偽モノで、本物と渡された小説がまた全然違って。。。というストーリー部分とそれらの小説の出だしのみ(なぜならそれが必ず途切れてしまうから)が繰り返される実にカオスな小説。
本本堂未刊行図書目録|書物迷宮|書海放浪記|万象堂
坂本龍一 本本堂(1984年) 現実に刊行されていない本本堂の書物を目録化して何人かの手により装丁、その図案をカタログ化、さらにそれを書籍にして販売する
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赤西渓谷(あとがき)
2024年12月15日(日) 11:30頃に家を出る。渓谷を訪れ��うと思ったのは、近所の山々に紅葉が残っており晩秋の渓谷を撮りたいと考えていたからだ。(ちなみにネット上では落葉とあり調査済ではあるが、行ってみることで何か意外なものごとを発見できるかも知れないというのが僕の考えだ。)が、その考えは僕を不安にさせる。車を走らせ北へ向かうにつれ曇り空は続き、山々の山頂では、いかにも寒々しそうな雪が降り積もっていた。現地に着いたのは13:00過ぎ。雲行きも怪しく15:30には折り返す事を決めて、早速、歩いていく。気持ちがはやり三脚忘れに気付き車まで戻る。・・・深呼吸・・・
入り口付近から苔むした岩に張り付いている木を見つける。木の袂の葉っぱが蝶が羽ばたいている様子をイメージしあれこれ考えながら撮影。人とすれ違う事もほぼなく、よいリズムでは歩けている。被写体によるレンズ交換やフィルターワークを意識しながら、なるべく丁寧な作業を心掛け進んでいく。数年前に訪れた際は気にならなかったが渓流付近では禁止されているはずの焚き火の形跡や、捨て去れらた雨具やビニール袋のゴミなどが気分を少し下げるが、足元にある苔から別の植物が寝癖のように見え可愛らしさを感じ、秋冬の季節であっても息吹を感じられたことに気持ちを切り替えられた。やはり少し訪れる時期のが遅かったのか、水たまりの落ち葉を見つけても、見上げても葉は仕舞いを迎えている。道端には落ち葉の上に積雪の跡、生き物は「遠眠」するのだなと心の中で意味不明にフッと笑う。人にも輪廻転生があることが理解できれば今ある恐怖感から解放されるのにな。そもそも渓谷を訪れたのは渓流が撮りたかったのだということを思い出し、過去に撮影したスポットで撮影を始める。カメラの設定値も初めてと訪れた時をとは違う。同じなのはレンズ、同じフィルターを使いながらあの手、この手を使い、少しだけ撮影に余裕や幅が増えていることに嬉しさを感じる。渓流の流れは誰かに呼ばれたような錯覚に陥ることがあり後ろを振り返っても脇見をしても誰もいない。ということがよくある。少し、怖さを覚え落ち着くために水分と携行食をとる。僕の中には「勇気」なんてカッコいい言葉は存在しないし、どちらかと言えば臆病な性格で死にたくないと言う気持ちは人一倍強いと思う。風景写真を撮ることは、生きていることへの刺激を実感するための課外活動時間だと思っている。相反する考えにを自問自答しながら撮影しているうちに、あっと言う間に15:30を迎え、渓谷を下っていく。光がどんどんなくなっていくこと、見えぬ生き物たちの気配・・・行きはよいよい帰りは怖い。車乗車直前に急に雨が降り出し、自分の判断によしよしラッキーと思わずにはいられない。少しの恐怖感を克服することは、家に帰ってからの安堵感や、今あることへのありがたみに変わる。
撮影枚数64枚とフィルム時代の36枚と比べると短い時間の割に随分撮ってしまった方だ。今後もその枚数を意識しながらより丁寧に撮影していきたい。いろんなところへ旅にでよう。
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以前知り合ったJR乗務員から聞いた話を思い出しました。一度書いたかもしれない。 信越本線の直江津→長野方面を、タンク車を連ねた貨物列車の機関士として乗務。冬のがいかに過酷かを話してくれた。
午後、出発時間が迫るころに日本海の向こうで雷光が見えるとまず「覚悟」を決める。
というのも、それは強い雪雲が近づいている現れだから。この先長野へ向かって登っていく途中、日本最大級の豪雪地帯を通る。列車が差し掛かるころには大雪になるのがわかるから、その覚悟だ。 蒸気機関車時代と違って電気機関車は一人乗務。一人ぼっちで立ち向かう。
タンク車には石油が満載。それをたくさんつなげているが、この「積み荷が液体」というのはそれだけで相当難儀なものらしい。というのも、タンクの中で前後方向に激しく揺れるため、引いている貨車すべての動揺が機関車を直撃するからだ。 前進しようとするとがん!と後ろに引かれ、
減速するとドカン!と押し出される。この状態で峠越えをするのは並みの運転ではない。 降り出した雪は山が近づくにつれ激しくなる。せわしなく動くワイパーもじきに役に立たなくなる。寒冷地の人なら知っている通り、溶けた水分がワイパーゴムについて凍り、雪を拭わなくなるからだ。
そうなると身を乗り出して素手で氷を掻き落とす。これを繰り替えす。気が付けば日はとうに沈んで、視界に入るのは前からごうごうと吹き付ける雪だけの世界になっている。 そんな中を、海岸近くの直江津から700mも登っていくのだ。 新井を過ぎたあたりから坂がだんだんきつくなってくる。
線路は雪に覆わ��ていて、窓から顔を出して下を見ると、機関車の跳ね飛ばす雪がまるで波しぶきのように見える。「船みたいだ」とか思っていると空転!急な減速でタンク車からドカン!砂を撒いたり、微妙なハンドル操作で加減速をしつつ進行するが、雪はどんどん深くなり抵抗が増す。
こうなってくると指定された速度などまったく届かず、ただただ止まらないよう祈りながら、限られた視界で前方を覗きつつ進む。 関山から先はもう雪壁しか見えない。前方からは吹雪。見えるものが限られてくると空間識が怪しくなってくる。運転室の後方ではモーターが轟音を上げている。
不安になって振り返ると、機器室がほんのり赤い。発熱がひどい。関山・妙高高原間は日本最大の豪雪地帯だ。日本最強のロータリー除雪車もここに配備されたくらい。 そこを、孤独な機関士が十数両の石油満載のタンク車を牽いて登っていく。 「ほんとにね、ああいうときは泣きたくなります。」
ここで加減速操作を誤ると、一気に空転して停止してしまう。そうなると終わり。再起動できる可能性は低い。 ここで行き倒れたら信越本線は当面運転できなくなる。それだけは絶対に避けなければならない。 だから全身の神経を機関車の動輪とタンク車からの動揺に集中させてハンドルを操作する。
こんな過酷な条件の中、孤独な機関士は格闘する。 一般人には想像もできない仕事の現場だ。 そしてどうにか妙高高原駅までたどり着けば、やっと一息つくことができる。過熱した機器を冷まし、ほとんど雪で覆われた機関車の前面窓やワイパーをどうにかし、そしてやっと持参したお茶を口にする。
この先は、雪は減るし基本的には下りなので今までほどの緊張感はない。 しかし下りでのタンク車からの動揺は危険だ。各タンク内の揺れはまちまちだから、両数が同じでも衝撃は毎回違う。下手をすると減速直前に波長の揃った衝撃を食らうかも知れない。 だから長野駅までは本当に気が抜けない。
ぼくら鉄道ファンはただただ線路際で喜んでいるだけだけど、状況によっては乗ってるほうはそれどころじゃないよってことですね。 ちなみに彼はその後飯山線を経て新幹線運転士になりました。
X / 電電臨電 @erikichijo
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250228
今日は早く起きない、と決めていたから早く起きなかった。 のんびりしすぎて、米を炊くことも忘れてしまって、ざっと研いで、早炊き。 ほかほかを弁当につめて、ばたばたと家を出る。 昨日、友人と電話をしていた影響で、ついそのテンションで職場の研究室の人と話をしてしまう。そう、やたらと気やすく。 東京から、研究をするためだけに帯広に来た彼をとても応援したいと思ったから、とても応援している気持ちです、と伝えた。博士課程はあと3年あるらしい。
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250301
今日は最高気温が10℃をこえた。 マフラーなしでも、手袋なしでも、気持ちよく歩けた。 嬉しくて、嬉しくて、仕方がない。 アルバイトの休憩時間、外のベンチでコロネを食べる。 空が水色。雲がない。いい天気。 このまま春になってほしい。 また、雪が降るらしい。
今週は仕事が夜までだった彼と、ひさしぶりに会う。 見事なすれ違い生活を送っていた。 スーパーに行くのも、ドラッグストアに行くのも、たのしい。 頭が興奮状態でおしゃべりが止まらない。 ガチャガチャを回す。 これ以外だったらいいな、と思ったそれが出た。 犬のぬいぐるみのキーホルダー。あまり可愛くないのにずっと見ていると可愛くみえてきた。 晩ごはんは半額シールの貼られたお弁当。 途中で食べることに飽きてしまって、残りは彼に食べてもらった。
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250302
朝、少し寝坊して、顔を洗って、ぼんやり布団のへりに座る。 陽ざしがあかるい。 洗濯物がサーキュレーターの風で揺れている。 やっぱりこの土地で暮らし続けるのは私には無理だ、と思う。 閉じていたみたいな冬だった。 ここ数年、私をわたし、と書いていたけれど、最近は私になっている。
白髪が増えた。 見つけ次第抜いていたけれど、これから禿げてしまう可能性も考えると、白髪も一本の髪の毛だよな、と思い、今日は抜かなかった。 白髪のおばあちゃんになりたい。
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250303
朝、アルバイトへ向かう道は空が朝を迎える方向で、バッグミラーに映る空はまだ夜。 アルバイトをして、仕事をして、帰宅。 昨日の晩ごはんの残りの豚肉となすと玉ねぎの炒め物と、サニーレタスと少しの米を丼ぶりに盛ったら、たっぷりになって嬉しかった。 食べ終わると、そのまま���になってしまう。 疲れている。 すぐに身体がねてしまう。
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250304
朝、もう朝だな、と起きる。 ねる前に読めなかった本のページをめくる。
ふかいところで疲れていて、思考が負に回転する。 存在しているのか、していないのか、わからない、と思いながら仕事。 UVランプを交換しようとしたらうまくできず、人に助けてもらう。 余計なことばかりしている。
夜、知人とご飯を食べる。 ニョッキ。お皿いっぱいにもちもちとしていた。 いっぱいすぎて満腹になり、少しねむくなる。 知人は北海道で暮らし始めて、3年。 やっと今の暮らしの大切さを味わえるようになったと言っていた。 私はまだ落ち着けない。3年。ここで3年暮らしていたら、私も心の底からおだやかになれるのだろうか。
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250305
朝、ぼんやりとしている。 布団の上で正座のまま停止。 今日は休みで、何をしよう、と頭が考え始めたから立ち上がる。 美術館へ行く。 けっこう雪が降っていて、少し歩くだけで、雪にまみれる。 いろんな人の作品をみて、私は今、絵を描いていない、と思った。 絵に向き合う時間が少なすぎる。 もっと絵を描こう。
この間スーパーで大葉を買ったから、ささみに大葉と梅をつめて、焼いた。 薄味になってしまったけれど、おいしかった。
夜、このままだと私たち、離婚しちゃうのかな。 お互いがうなずいてしまうくらい、一緒に暮らしていることが苦しい。
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250306
朝、少し早起き。 くちびるの皮を剥いてしまう。 今日も雪が降っている。 雪のかかった町は日常から離れたしずけさで、深呼吸だ、と思う。 木が凍っている。樹氷というらしい。
夜、明日がたのしみなような気持ちでねた。
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250307
朝、日記を書こうと思って、朝、とだけ書いたところで、窓の外をみたら車が雪をかぶっていて、慌てて雪を降ろしに行く。 アルバイトに遅刻してしまうところだった。 ポテトサラダのためのじゃがいもの皮を剥き、今度は大学での仕事。 午前中に会ったときには髪の長かった人が、午後には坊主になっていた。 衝撃的過ぎて、ひさしぶりによく笑った。 いろんな人にからかわれたらしいけれど、案外似合っていた。
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uihy
自室の記録

5年前からルームシェアをしているSと一緒に引越しをしてから、3年が経った。寝室をSが、リビングを私が自室としている。私の部屋の正面には大きな窓があり、左右にもそれぞれ小窓がある。

小窓1
装身具類の置き場所。ピアスを置いている鳥のレモン絞り器は、Fさんから貰ったもの。Fさんはよく動物のものをくれる。犬の形をした栓抜きや、野営をするくまの置物も彼からのプレゼントだった。
カートリッジインクの空き容器には、ヘアピンやネックレスを入れている。私の父は吸引式の万年筆を好んでいて、父から贈られたペンもインク瓶とセットのものが多かった。実家を出て外にいる時間が増えてからは、インクを切らすことが怖く、自然と替えのインクを持ち運べるカートリッジ式の万年筆を使うようになった。それからしばらく経ち、1年前にプログラマを辞めたことを手紙で報告すると、その数日後に「励まし」とボールペンが送られてきた。以降ずっとそのペンを使っているから、手持ちの万年筆はどれもインクを抜いてある。
よく付けるピアスは窓の縁に置いていて、どこかの喫茶店で使われていたらしい伝票入れには、硝子のオーナメントやトライアングルのビーターを差している。

Hのくれたトライアングル本体は、腕時計とブレスレットを失くさないための場所として機能している。良くない使い方だと罪悪感を覚えてはクロスで磨いている。

小窓2
『陶の家』を見かけたらひとつ買うというのを続けていて、現時点で3軒が建っている。少しずつ街になっていく。家の奥には、ミナペルホネンの好きなQさんにプレゼントしたものと色違いのタイルを置いている。

小窓3
すぐぼろぼろにしてしまう指先のケア用品を置いている。H先輩に貰ったネイルオイルの磨硝子が好きだった。Fさんが動物をくれるように、この人は硝子をよくプレゼントしてくれる。硝子のオーナメントも、ステンドグラスのくまもH先輩から貰っている。

窓を開閉するハンドル(オペレーターハンドルというらしい)に紐をかけて、ケーブルや電源類をまとめている。先日Eから貰った白いカールコードのシールドもここに下げている。黒い服ばかり着ているのに、Eには乳白色のイメージがある。“誤って人間として産まれてしまった天使”だと感じさせる人と知り合うことが何度かあり、Eもその中のひとりだった。

向かって左には仕事用のシャツ、右には外套を何着か掛けている。秋冬用の服ばかりある。

机
ここに越すことが決まってから最初に選んだ家具。プログラマになったばかりの頃、メモリの重要さを机の広さに喩えて教えられた。それで机は広いほど良いものだと認識したのか、気付けば横幅のある机ばかり探していた。天板の色を緑に決めて、部屋の軸に据えた。

職場で割ってしまったマグカップに無線イヤホンや保湿クリームを入れている。シャツを濡らしたまま破片を持つ私を見て、笑ってくれる会社の人たち。これ以上は無いとよく思う。
ヘアクリップ入れにしている、ままごと用のような小さな花瓶も気に入っている。渋谷の蚤の市で友人へのプレゼントを選んでから、度々その人の店でものを買うようになった。銀色のトレイやハート型の赤い缶もその人から買った。
銀色の電源タップは前の部屋から持ってきたもの。あらゆる電子機器の電力をここから供給している。

ギターをくれた友人たちが別の年の誕生日に合同出資してくれたオーディオインターフェースがモニターの下にある。未だに1-2と3-4の入力を同時にする方法が分からず、2つずつ付け替えながら使っている。これを貰ってからAudacityで曲を作り始めて、今もそのやり方をしている。会社の先輩には「システムを0と1だけで作ろうとしているみたいなものだよ」と言われたけれど、その頓馬さを含めて自分に馴染むので、Audacityをずっと使っている。キーボードがちょうど上に乗る。

モニターの横にはmicroKORGを置いている。普段は誕生日に贈り物をしないと取り決めているSだけれど、数年前に何かで手を貸した際「この恩は倍にして返します」と言い、その年の誕生日にmicroKORGをプレゼントしてくれた。このシンセサイザが部屋に来てから、自分の生活が向かうことのできる方角が増えたように感じている。大切な楽器。

microKORGには、新しい部屋で出した『野良の花壇』のマグネットを付けている。本来は冷蔵庫のために作られたマグネットだけれど、皆とスタジオにいる時にあって欲しく、ここに付けている。プリクラで来られなかった友達の似顔絵を描くような感覚。私の黒い冷蔵庫には、ピーター・ドイグの青鬼の絵と油絵の花のマグネットだけがある。

机の下に、PC・トランクケース・スーツケースを置いている。PCはSのお下がりで、MacBookしか使ったことのなかった当時の私は、こんなに大きな箱がPCだなんて、と思っていた。PCの上に付けたアンテナは狐の顔のような形をしている。
トランクケースは大学2年のころ大枚をはたいて手に入れたもの。どこか遠出をする時はこれに荷物を詰めている。畳み終えた洗濯物をSの部屋へ運ぶ時のかごや、ギターを弾く時の足置きとしても使用。頑丈さに安心する。
スーツケースはついこの間、京都に長く滞在するために買った。銀色の次に、灰がかった青が好きだと思う。

ギター・くま・本棚

ギターは高校時代の友人たちが誕生日にくれたもの。19歳になったばかりの頃、当時の交際相手と出掛けた帰り、気が付いたら楽器屋にいた。ギターを2本持ったその人に「どっちがいい」と訊かれ、指差した方を買ってくれた。私にギターを与え、弾き方を教えてくれたことにずっと感謝している。その人と別れてしばらく経ち、誕生祝いに何が欲しいかを訊かれ、ギターを頼んだのだった。友人たちは「あえて白にしてみた」と笑っていた。今思えば、このギターを貰ってから白を自分のものにすることへの抵抗が弱くなった。ギターの届いた日、触っているのが楽しくて大学を休んだのを覚えている。
YAMAHAのアンプは義兄が使っているのを見て購入した。私が真似をしていると知って嬉しそうだった、と姉から教えてもらった。

左端のくまは、元は白だったのだけれど、深い青のシーツで眠るのに付き合わせたせいで黝くなってしまった。Kの小説に「ヤニや涎で汚れてしまったのかしら」と書かれてからは、布で包んでいる。いつかぬいぐるみ病院に連れて行きたい。隣は一度も会ったことのない人が贈ってくれた黒いくまと、高校時代の交際相手が留学先のお土産として連れてきてくれた焦げ茶のくま。誰かとビデオ通話をする時にはよくパペットのくまに代理出席してもらっている。右は、地元や旅先の雑貨屋で見つけて連れてきてしまった(“しまった”という意識がずっとある)小麦と白のくま。グレーのワゴンに小さなギャッペを敷いて、くまたちの場所としている。

低い本棚の上
蓋のない宝箱。小物たちというより、質量のある記憶群という方が実感に近い。
西荻窪にあった喫茶店の閉業を知って沈んでいると、H先輩が「お店で使っていた品物を販売しているみたいです」と教えてくれた。黒い花瓶のあるおかげで、ずっとその店を忘れずにいられる。今はEのくれた竹とんぼや、Aさんのくれた花を入れている。ポストカードをしまっておける箱のついた額縁には、Aの写真を入れている。過去、「__の写真を写真展に出してもいいですか?」と、もう搬入の終わった状態で確認の連絡が来たことがあった。Aがごく稀に見せる、こういった強引さが大好きだった。展示を了承する代わりに譲ってもらったその時の写真たちは、勾配天井の部屋に暮らしていた時に飾っていた。上京してから借りたどの部屋にもAの写真を飾っている。そのほか、江の島で拾った石や、Tさんがライブ終わりに嵌めてくれた指環、Uさんと行った犬吠埼のイルカの置物、書ききれないほどの誰かと紐付いた宝物がある。

声の依頼を受けた際、お礼にといただいた絵。額装までしてくれていた。元々この人の絵が好きだったので大喜びした。一度この絵を裏返さなければいけない時期があったので、また飾ることができて嬉しかった。

高い本棚の上
小さなギターは、Kさんと一緒にRさんの部屋でパーティをした日、中古のおもちゃ屋で買ったもの。Rさんの部屋に戻った後もご機嫌に鳴らしていて、そのあと火事が起きた。カセットコンロの火がテーブルクロスに引火して、火が早送りのように広がっていくのを見た。三人で死ぬ映像がちらついた、次の瞬間には火が消えていて、振り向くと花瓶を持って息を切らしたRさんが立っていた。チューリップを活けていた水での消火。このおもちゃが生き延びた証明になっている。このあいだのアルバムに入れたフィールドレコーディング曲にはその日の日付が付けられていて、火のはじける音やこのおもちゃギターの音が入っていた。volca keysは初めて触ったシンセサイザ。自分ひとりである程度のことができるようになりたくて、リズムマシンとマルチエフェクターを買った。
銀色のバットはひとつ前に住んでいた部屋の近くにあった台所道具の店で買ったもので、前日と翌日のあいだの時間に携帯品を置いておく場所として使っている。

Artekのスツール60を、椅子やベッドサイドテーブルとして使っている。パーティめいたことをする時には、3脚くっつけて大きなテーブルとして使う。雑貨屋でまとめて購入したので、その日で店のポイントカードが1枚分溜まった。そのカードをイッタラのキャンドルホルダーと交換してもらった。
銀色のトレイは、先述の蚤の市で知った店で買ったもの。部屋のポケットとして使っている。
“拯”の字は、精神がどうしようもなく落ちていた今年の始めに、Uさんが「書初めをしよう」と言って筆を持たせてくれたもの。翌月にまた京都を訪れた際に、国際会館のカフェスペースで焼き上がったものを渡してくれた。頭でばかり考えてはすぐに身体と疎通できなくなる私に、四肢のあることを思い出させてくれる友人。
本の上には気休めの紙魚対策として除��剤と防虫剤を置いている。

小窓4
Fさんからの犬の栓抜きと、Hに貰ったコンクリートの置物、H先輩が分けてくれた犬の箸置き。母の好きなミニチュアを贈る際、色違いのチューリップを自分にもひとつ購入して、端に置いている。自分のために生きた花を買えない反動か、花のモチーフのものを見かけると嬉しくてつい手が伸びる。

キッチン
私の洗面台を兼ねている。私もSも、料理と呼べるような自炊は殆どしないので、調味料や調理器具が少なく、キッチンの収納部にはそれぞれの私物が仕舞われている。

Mさんが引越し祝いに買ってくれたカセットコンロ。パンを焼く時やカフェオレを淹れる時に使う。組み立てる際の動作がロボットアニメのワンシーンを思い出させるので、人前で使う時には「変身!」と言うようにしている。
隣の空き瓶は元々ジンの入っていたもので、誰かに花をいただいた時には一旦ここに活けている。

この部屋に越した時にIがプレゼントしてくれたローズマリーの石鹸の匂いが好きで、貰った分を使い切ってからも自分で買い直している。歯磨き粉はGUM以外だと落ち着かないので旅行先にも持っていく。歯ブラシはKENTのもので、最初に使ったあとの歯の滑らかさに感動して、誰かに共感してほしいあまりSに押し売りをした。それからSも同じものを使っているので、それぞれのストックも合わせると10本近くこの歯ブラシがある。右端はリングホルダー。左手の薬指に環を嵌めるようになってから、指環が好きになった。今は5本の指環を付けている。

食器棚
H先輩のくれたくまを吊るしている。緑の石鹸はMさんのスペイン土産。ここに写っている鉄鍋も鉄フライパンも、写っていない3本の包丁も2枚のお盆も貰いもの。




ソファ
机の天板に合わせて布を選んだ、三人掛けのソファ。毎日ここで眠っている。Sの部屋にある質の良いベッドよりも、薄いマットレスを敷いたソファの方がよく眠れる。枕に近い小窓のハンドルにエジソンランプを括りつけて、普段はその光で睡眠薬が効くまでを過ごしている。

部屋のすぐ向かいには線路があり、3面の窓から電車の通る音や光が流れる。最終電車の後は、スケートボードの走る音や、酔った誰か��歌が聞こえる。この部屋で生活をしている。
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人間便器になるためだけに東京に
(以下スカトロ記載あり 閲覧注意)
2月頭に東京行って3人の糞を食いまくったのだけど、複数の難しさとかもあって若干の物足りなさもあった。
仕事関係で多少暇になる冬と夏にしか東京行けないって思ってたけど、そんな物足りなさを埋め尽くしたい欲が出てしまい、まだ2ヶ月も経ってないのにほぼ弾丸で東京行ってきた。
もちろん兄貴には事前に連絡し、その日なら糞食わせられるぞって嬉しい返信。ワクワクしながら当日を待つ。
羽田に到着!その足でいつもの場所に向かう。
そして合流。ホントかっこいい兄貴。会う瞬間は優しい顔。この顔があとで変わるんだよな。
とりあえず全裸になって、やるか!って兄貴の言葉に気分が高まってくる。
ベッドに寝っ転がると兄貴が俺の顔に跨ってくる。俺は思いっきり口を開ける。程よい量の糞が俺の口の中に入ってくる。それだけで俺の気分もどんどん上がってくる。
口を開けて、兄貴の糞がしっかりあることを確認してもらう。よし、グチャグチャにしろ!って言葉で左右の奥歯でしっかり咀嚼して噛み砕く。
マジでむちゃくちゃうめぇ!兄貴にむちゃくちゃうまいっすって思わず言ってしまう。そんな俺に、俺の糞うめぇか??ってニヤけながら確認する兄貴。兄貴の糞、むちゃくちゃうまいっす!!って兄貴の顔見ながらまた伝える。ホントお前はド変態やなぁって笑ってくれる。
兄貴の顔をずーっと見ながらもっとドロッドロになるまで咀嚼する。ドロッドロになった糞を口を開けて確認してもらう。お前、すげぇなぁって褒めてもらえる。
よし、飲み込んでいいぞ、って言葉に口の中の糞を全部飲み込む。ドロッドロの糞が喉を通り過ぎていく。マジで嗜虐の時。しっかり嚥下したとこで口を開けて確認してもらう。よし、うまかったか?って言葉にむちゃくちゃうまかったす!!って答える。
そしてまた兄貴は俺の顔に跨る。2回目の糞。1回目の倍くらいの量が口に入ってきた。やべぇ!!兄貴に口の中の糞を見せる。すげぇ量出たなーって兄貴が笑ってる。よし、グチャグチャにしろって言葉。1回目と違って口、顎全体を使わないとしっかり咀嚼できない。咀嚼しながらむちゃくちゃうまい兄貴の糞を口と舌全体で確認する。一旦口の中を確認され、もっともっとグチャグチャにしろと言われ、喜んでもっともっとグチャグチャになるよう咀嚼する。もっとグチャグチャになるように兄貴が唾を追加してくれる。兄貴の糞と唾で俺の口の中はグチャグチャのドッロドロ。下痢便みたいになった。お前、下痢便��食えるようになるんじゃねぇ?って言われて、兄貴の下痢便も食えるようになりたいっすと喜んで答える。
ぼちぼち嚥下のタイミング。1回目と違って、次は少しずつ飲み込んでいけって言われ、少しずつ喉を鳴らして嚥下する。しっかり兄貴は確認してくれて、嚥下するたびに褒めてくれる。10回くらいに分けて、少しずつ嚥下した。全部飲み込んだあとはしっかり口の中を確認してもらい、うまかったか?って確認されて、むちゃくちゃうまかったす!と答える。
それからは3回目、4回目もドロッドロになるまでの咀嚼と少しずつの嚥下を繰り返す。
そしてしばしの休憩をもらう。
再開。5回目の糞はかなりの量だった。咀嚼して嚥下したい気持ちはあるのだが、ちょっとツラさを感じた。そんな変化を兄貴も感じたみたいで、辛いか?と聞いてくる。兄貴の糞を食えないなんて言えないって思い、大丈夫っす。と答えるも、兄貴にはバレバレだが、兄貴も厳しく、食えと言ってくれるのだが、食えなかった。許しをもらってトイレに出しに行く。
自分の経験上、糞をそのまま胃に留めてると過去に体調崩したりする経験もあったし、便器調教受けてる時にもやっぱ食えなくなることもあったため、なるべく途中で喉に指突っ込んで、嘔吐して体外に出すようにしている。今回も兄貴の了解をもらってなるべく嘔吐するようにして、ベッドに戻る。
兄貴にやめるか??と言われたけど、嘔吐して出した分、また食えると思ったし、まだ兄貴も糞を溜めてくれてるのを察知して、再度チャレンジした。
兄貴が顔に跨って、糞を口にヒリ出してくれる。口の中の糞を確認され、恐る恐る咀嚼してみる。うまい。さっきのツラかった時と違って、むちゃくちゃうまい。よっしゃ!兄貴の糞を全部食うぞって気合い入れ直し、兄貴の糞を咀嚼してドロッドロにする。そんな俺を見て兄貴もむちゃくちゃ喜んでくれる。マジでサイコーの気分。俺も調子に乗ってグチャグチャドロッドロにして、少しずつ嚥下していく。嚥下する時に兄貴がむちゃくちゃ褒めてくれるから俺もテンションあがりまくり!そして6回目、7回目と続いていって、兄貴がもう出ねぇぞってことで便器調教は終了する。
もったいないが、また嘔吐して出させてもらった。
実際にはもっともっとド変態なこと話しながら楽しんでた。もっとド変態に堕ちろやーなんて笑いながら…。
また兄貴の糞を食いにくる約束をして解散した。早く兄貴の糞食いてぇ笑
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春の彼岸にぼたもち
たなぼたのお話
〜風の谷農苑にて〜
棚からぼたもちとは、努力すること無しに予期しない幸運がまいこんでくる事。「たなぼた」と省略しても言いますが、実は、とてもとても深い意味がありました。
牡丹餅(ぼたもち)とお萩(おはぎ)
牡丹の花が咲く季節(春の彼岸)に、神仏や先祖への供物とされた小豆あんの様子を、牡丹の花に見立てたことから。牡丹餅(ぼたもち)と呼ばれるようになりました。萩の花が咲く季節(秋の彼岸)は、お萩(おはぎ)と呼ばれます。江戸時代に書かれた百科辞典・和漢三才図会(わかんさんさいずえ)には、「牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく」と書かれています。違いは、粒あん(おはぎ)と、こしあん(ぼたもち)の違いで区別されることもあります。
昔は秋の小豆の収穫時期に彼岸が重なるので、収穫したての柔らかい皮の小豆を使うことが出来、秋は粒あんの「おはぎ」。春には小豆の皮が硬くなっていたのでこしあんの「ぼたもち」となったそうです。さらに、春は牡丹の花に見立て少し大きめ、秋は萩の花に見立て少し小さめという事もあるようです。
夏のぼたもちは「夜船」
ぼたもちはお餅と違い、杵で餅つきをしないので、「ペッタン、ペンタン」と音がしないのです。そこから、搗(つ)き知らず→着き知らず、となり、夜は船がいつ着いたのか分からないので「夜船」となったそうです。
冬のぼたもちは「北窓」
搗(つ)き知らず→月知らず、となり、月の見えないのは、北の窓なので「北窓」となりました。昔の人は、自然や季節ごとに「ぼたもち」に4つの名前を付けていたんですね。忘れてはいけない日本の心を思い出させてくれますね。
美味しく健康に、自然の恵みに感謝して頂きます(合掌)。
#ぼたもち #おはぎ #風の谷農苑 #大地の宴 #botamochi #ohagi #daichinoutage #utage_jp #tokyo #japan
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ホワイトデーだった。彼が高価なチョコレートを買ってきてくれた。わくわくしながら箱を開けたら、12粒入りだったけれど、半分くらいしか食べられるものがなかった。同じブランドのトリュフアソートだったら全部食べられたのに、と勝手に落胆しては、そもそも人の好意を無碍にする自分って最悪だなと思ってさらに落ち込んでいる。
さて、今日もスーパー自己開示タイムをしようと思う。今回は食生活編。先に言っておくが後半で理解のある彼くん(笑)(言ってみたかった)の惚気が入るよ。ここはとても静かで良い場所だから、別に嫌がる人はいなさそうだけど。
他人からの好意を無碍にしてしまった経験を、幾度となくしてきた。そしてそれのうち、ほとんどが食べ物に関するものだ。以下に思いつく限りの具体例を挙げていく。
高校生のとき、とある男子運動部のマネージャーをしていた。高1の春、学校外での外練の後、学校に戻る途中にあるシュークリーム屋に寄る流れになった。わたしはべつにいらないな、と思ったので、同じく買わないメンバーと一緒に、お店の外で待っていた。主に3年生の先輩がこぞって買っていたはずだ。先輩たちがお店から出てくると、その中の一人の先輩がわたしにシュークリームをくれた。わたしの分を買ってくれたらしい。ありがたく受け取りはしたが、先輩との間に恋は芽生えなかった。わたしは生クリームが苦手なのだ。
大学生の頃、美容院の予約日がちょうどバレンタインデーだったので、担当の美容師(メンズ)に既製品のチョコレートをあげてみた。翌月の施術の時、ホワイトデーのお返しをもらった。「甘いの苦手って前に言ってたから、控えめのやつにしてみたよ」と言われ、会話覚えててくれたんだ〜と嬉しくなった。中は謎の焼き菓子だった。家に帰ってひとくち食べた。普通に甘すぎて食べられなかった。家族にあげてしまった。
ある年の冬、友人と待ち合わせをしていたとき、相手がすこし時間に遅れて、寒空の下で待ったことがあった。遅れてきた友人はコンビニで買ったであろう暖かい紅茶をくれた。午後の紅茶のストレート。飲んでみたら、甘かった。ストレートのくせに甘かった。調べてみると、午後の紅茶はミルクとレモンが入っていない状態の紅茶をストレートと定義しており、ストレートと表記されているものは飲みやすさを重視して、若干量の砂糖が含まれているのだそう。わたしは完全に無糖の紅茶しか飲めない。一口でオエってなって、それ以降飲めなかった。
恋人と高価格帯のおしゃれなバーで飲んでいたとき、座っていたテーブル席に虫が出た。店員さんに対処してもらった。その後、不快な思いをさせてすみません的なお詫びで、お店からシャインマスカットの盛り合わせをサービスとして出された。ありがたくいただくことにした。一口食べた。あまくてそれ以降食べられなかった。
数年前に研究関連の用事で台湾に行ったとき、出先でお弁当などをよく出してもらった。だが、どうしても匂いが受け付けなくて、一口も手をつけられなかったということが何度もあった。去年フィリピンに行ったときも、帰りの飛行機の時間が早朝だったのでホテルが朝食としてお弁当を準備してくれたのだが、食べずに空港のゴミ箱に捨ててしまった。
食べ物を粗末にしたら地獄に落ちる系の言葉はきっとわたしのためにある。誰かが準備してくれたり、労力をかけてくれたり、お金をかけてくれた好意を、わたしはこんなにも簡単な形で切り捨ててしまう。わたしは本当に地獄に落ちた方がいい。
食に関する悩みが人生においてずっとつきまとっている。決まった時間に食事をとるのが苦痛だ。毎日決まった時間にご飯を食べている人間、あまりにも文化的存在すぎて尊敬する。あとわたし、単純に好き嫌いが激しすぎる。嫌いなもの・気分じゃないものを食べるくらいだったら一食抜いてもいいや、��いう、どう考えてもおかしい判断がまるで正当かのようの思われてしまう。
一般的に太りやすいと思われている食べ物が軒並み食べられない。ポテチはのり塩以外たべられない(のり塩でも別にいらない)。甘いもの、大半はむり。ミルク・ビターのシンプルなチョコレートは大丈夫だけど、ケーキ全般、生クリーム、和菓子、パフェ、ドーナツ、シュークリーム、大抵は無理で、ミスドのチョコファッションのチョコレートの部分が小さくなったという話題についていけなかった。バスキンロビンスことサーティワンアイスクリーム、わたしはオレンジソルベしか食べられない。唐揚げやカツなどの揚げ物も好きじゃない。ステーキも別にいらない。焼き鳥もべつになくても生きていける。天ぷらもいらない。ていうかうどんの天かすマジでいらない。ハンバーガーも食べない。牛丼もいらない。焼肉屋ではホルモンしか食べない(付き合いで他の肉を食べることはもちろんある)。菓子パンも苦手。ついでにフルーツも、柑橘系とりんごしかたべない。
じゃあ何食うの?? って感じだと思うけど、おさかなと野菜、あと各種麺類です。カップ麺は食べられるので助かっている。わたしあと3年は学生なのでまだいいけど、社会人になったら飲み会とかですごく苦労しそうだからもうすでに怯えている。
偏食だという事実をふわっと誰かに話すと、ほぼ確実に「羨ましい」と言われる。甘い物と脂っこいものを食べないから細いんですね、いいなあ、と。でも、違うんだよ。生きづらいよ。アフターヌーンティーとか行ってみたいんだけど、無理なんだよ。ほぼ全部食べられないから。パスタ屋に入ってもオイルベース系かジェノベーゼしか選べないし、ピザ屋のピザもトマト系はまず無理だから選択肢がないし、ジェラート屋さんに行って食べられるものが一つもないとかザラだし、カフェのフードメニューから食べられそうなものを探す作業も苦痛だ。行ったことのない店に行くと、これは食べられるものか、という認知判断が食事に先立つからいちいち疲れるんですよ。だるい。
わたしは実家で暮らしていた約20年間、ことごとく母親を困らせてきた。もともと家族全員で食事をとる習慣がないうえに、わたしは上記の通り病的な偏食なので、よく何も食べずに適当に過ごしていた。ネグレクトとかじゃなくて、家族それぞれ別のものを別の時間帯に食べることが多いというかんじ? 母はふつうに料理をしていたと思う。だけどみんなバラバラの場所で適当に食べるから、なんかぬるっと夕食をパスできる家だった。母はわたしが食事を残すことも、連絡なく勝手に夕食を外で済ませてくることも、なんなら夕食があるのにそれをパスして部屋でカップラーメンを食べるのも(これはわたしが最低すぎる)、べつにとやかく言わなかった。母はたまに気まぐれで、「今日あなたが食べられそうなもの作ったけど食べる?」とか聞いてくるから、そういうふうに言われたら食べるようにしていた。わたしが自室以外で食事を摂ると、父にいつも「珍しいね」と驚かれる。当時はべつに引きこもっていたわけでもないのに。
↑は夕食の話だけど、それ以外にも母はよくスーパーでお惣菜を何種類か買ってきて、どれかを食え、と選ばせてくれた(選ばれなかったものは父や弟の昼食になる)。知らない間にウイダーやカップ麺をよく自室の学習机の上に並べられていた。わたしがとあるブランドのグミにハマると、飽きてもういらん!となるまで母は毎日そのグミを買ってきた。お願いだから何か外で食べてこい、とお金を渡されることもしばしばだった。母のために食べた。母はわたしが何かをむしゃむしゃ食べているところを見ると安心するのだそう。あまりにも親だ。迷惑かけてごめんなさい。
空腹をそこまで苦痛に感じない。お腹がすいた、よりも、動きたくないな、の方が強い。トイレに立ったときに立ちくらみがすると、そこでやっと「そういえば食べなきゃ」が勝つ。そういう生活。
実家を出て恋人と同棲しているが、ここでも彼を困らせている。放っておくと何も食べない。彼が夕方に仕事から帰ってくると、「今日は何か食べた?」と尋ねられ、「まだ〜」もしくは「さっきウーバー頼んだから今日はもういらない〜」と答える会話をほぼ毎日している。約一日何も食べずに過ごした日曜日の夕方、お願いだからすこしでも食べて、と懇願されて、ねるねるねるねと茶碗蒸しを食べたこともあった。ウェーブ体型なのが相まって、さいきん肋骨が出始めてきた。アー食べなきゃ、と思うけど、お腹いっぱい、の感覚が嫌いすぎるのでたくさん食べられない。ジュースを飲んで糖分を摂取した気になっている。わたしはそのうち病気になると思う。死にたくないな〜。
温泉旅館に泊まったりして、いつもより多い量のご飯を食べると、絶対に次の日は反動で食べられなくなる。これも人体の、否、我が身体の謎だ。
不健康自慢なんてクソダサいからしたくないんですよ。だけどどうしたって食と睡眠に関してはガタガタすぎて困ってる。せめて2日に1回ウーバーイーツを頼む生活をやめたい。
ていうか自炊できる人ってすごくないですか?? 毎日働いて、生活してる人って本当に尊敬する。わたし、生活を捨ててそのほかの欲望に忠実でいることで、気が狂いそうな毎日の中で精神性のバランスをとっている節があるから、自炊をするようになったらたぶん心が壊れる気がする。あと、それとは別で、ウーバーを愛用してしまうのは自炊をするのに必要な文化的資本がないからなんですよ。わたし、まったく料理ができない。それは、「色々と大変な状況下でわたしに家事手伝いまで強制させたらあまりにも気の毒だから」という理由で母がわたしに家事手伝いを強制しなかったという一種の愛の副作用でもあるが、それよりもわたしにやる気がなさすぎるのと、ふつうに自炊に必要な道具も食材も足りていないのが根本の原因だ。もちろん、道具と食材とレシピと動機があればやるのかもしれない。だがわたしの頭はほんとうにおかしいから、作るのが面倒だから食べなくていいや、になるの。それだと死ぬからウーバーを頼む。スーパーにいけば安いお惣菜があるけれど、家から出るのがだるいから食べない、になるの。それだと死ぬから、ウーバーしかないんですよ。家に届いたら食べるしかないから。こういう思考回路。あほじゃん。3月までは同年代の人よりも多くの額の収入があったからウーバー漬けの生活でまかり通っていたけど、4月からはそれがごっそり減るので、やはり怯えている。
ご飯を食べなきゃって思いながら過ごす生活、だるいです。どのタイミングで食べるかを考えるのがしんどい。ログインボーナスをもらうために一日一回ソシャゲにログインしてる感覚に近い。今日もやらなきゃ、みたいなね。午後に出かける用事があればそれが終わるまでは大抵何も食べないから、用事が終わったあとに、やば今日何も食べてないじゃん、と思ってあわてて外食するみたいな。だるい。味のないゼリーとか飲んだら1日分の栄養が摂取できるとか、そういうのってないんですか?? 味も食感もいつか飽きるからしんどい。
なんか今日の記事いつにも増してキモすぎるからみんなに引かれそうでこわいな〜。おねがい、嫌いにならないで…。
冒頭の話に戻る。結局その後彼は、同ブランドのトリュフアソートをまた買ってくるねって、にこにこしながら言ってくれた。罪悪感とほんのりとした嬉しさがぐちゃぐちゃに交わってなきそうです。面倒くさくてごめんねっていうわたしの中のメンヘラの部分が顔を出していると同時に、こんなわたしにも怒らないでいてくれるんだっていう安心感にやさしく包み込まれている。ありがとね。たぶん、彼のそういうところが好きだ。
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「もう日本の町じゃない」成長続ける”世界のニセコ”―時給高騰し人集められず…閉鎖する介護事業所も 2/16(日) 17:01配信
パウダースノーを武器に、世界的リゾートに成長した北海道のニセコ地域。投資熱は冷めず、円安を追い風にインバウンド(訪日外国人)の流入も止まらない。食品スーパーには、外国人向けの1折3万円を超える生ウニが並び、飛ぶように売れている。
【写真で見る】北海道各地でトラブル…“迷惑外国人”も出現―雪まつり会場スタッフに“雪玉攻撃”する様子配信
バブルのような好景気に沸く一方で、労働力が枯渇し、時給水準が東京より高い2000円を超えるまでに高騰している。人を集められず、閉鎖する介護事業所も出てきた。
外国人の交通事故も一冬500件を超し、住民とのトラブルも増えている。拡大を続けるニセコの現状に迫った。
スーパーに並ぶ3万円のウニ 地元民は「手が出ない」 倶知安町のスーパーで販売されている1パック3万円を超える生ウニ
ここは本当に食品スーパーなのか――。ニセコ地域の一角、倶知安町の「マックスバリュ倶知安店」には、世界的なリゾート地にふさわしい高級食材が並んでいた。
「外国人客が多い冬期間は観光客に満足してもらう商品を豊富に取り揃えている。やはり味にこだわらないと需要はない」(店長の田村誠さん)
北海道産生ウニが1折で3万2184円。急速冷凍したタラバガニのボイルには2万7864円の値札がついていた。霜降りの和牛もきれいに陳列されている。地元住民が目を丸くするような金額だ。
ウニを前に大興奮の外国人観光客
店内を見わたすと6割が外国人。高級食材をためらいなく、買い物かごに放る。アメリカの男性は「どの商品もアメリカより安いし、この品質なら全然高くない。せっかく日本に来ているから、おいしいものを食べないとね」と満面の笑み。かごをのぞくと総額11万5000円の食材が入っていた。
「私には縁がないかな。品ぞろえが良く安く買えるので、ほっとしている」。地元住民の買い物客はうらやましそうに外国人を見つめていた。
外国人ばかり 住民「私たちの町じゃない」とため息 外国人観光客らが歩くニセコのひらふ地区
ニセコ地域は倶知安、ニセコ、蘭越の3町を指す。2023年度の外国人宿泊数は、統計の残る2006年以降最多の延べ73万8800人。12月から3月のハイシーズンは関係者の間で「ニセコ100日戦争」とも言われている。
スキー場のふもとにあり、最もにぎわう倶知安町の「ひらふ坂」は目の前には雄大な羊蹄山が広がる絶好のロケーション。1戸10億円を超えるコンドミニアムや別荘、高級ホテルが並ぶ。
1平方メートルで70万円以上する土地もあり、価格は10年前の倍。札幌の高級住宅地よりも高いところがあり、投資熱は一向に冷めない。 行き交う人の大半は外国人。バス停の行列も外国人だ。「活気があるのはいいが、ひらふはいまや私たちのマチではなくなった」。地元住民の女性が本音を漏らした。
時給2000円超も 開発で上昇する賃金水準 店頭に出されているすき家5号倶知安店の求人
外国人の開発は賃金の高騰をもたらした。人材サービス大手の「ディップ」によると、去年12月のニセコエリアの平均時給は3年前を555円上回る1585円。これは札幌より445円、東京都より117円高い。
地元関係者によると、ひらふ���区の相場が時給2000円、英語を話せるなら2500円。市街地の大手牛丼チェーンでは時給1650円、深夜なら1900円でスタッフを募集していた。
あるホテルのスタッフは「飛び抜けてよい条件は出せないので早めに求人を出して目立つようにしている。たくさんの応募があるので面接するのが大変」と笑う。
別の関係者は「うちを含めて飲食店や宿泊施設は常に人が足りていない」と打ち明ける。
賃金格差大 人材争奪戦に敗れ撤退した法人も 地域内で賃金の格差が生じているニセコ地域
人手不足は地元民の生活を支える施設でも深刻だ。ニセコ地域を管轄する岩内公共職業安定所によると、介護や接客などのサービス業の有効求人倍率(去年11月)は4.52。人手が足りず、壮絶な争奪戦となっている。
倶知安町では、訪問介護事業所と認知症対応型の共同生活介護施設の2つの事業所が去年10月までに相次ぎ閉鎖した。
運営する社会福祉法人によると、理由は「働く人が集まらない」。他の地区よりニセコ地区の単価を上げて求人を出していたが、5年間応募はゼロだった。
物価高や最低賃金の上昇が追い打ちをかけ、廃止を決めた。利用者約20人は町内2か所の事業所に引き継がれた。
閉鎖する介護事業所もあり、高齢者にしわよせが
ある町内の事業所には8人が移った。そもそも人手不足でヘルパーを増やせないので、以前からいた利用者にしわ寄せが及んだ。 「週3から週1に減った方もいる。お金を払うからもっと利用したいと言われても対応できない」(利用者を引き受けた事業所の職員)
この法人が運営する別の事業所で働いていた従業員が内情を明かす。
「介護は大変なわりに時給が1000円ちょっと。ひらふはベッドメイキングでも時給2000円。あまりにも賃金の格差がある。ひらふ辺りはもう日本の町じゃない」(元従業員)
介護事業所の閉鎖はすぐに町内を駆けめぐった。倶知安町で暮らしてきた70代女性は不安を口にする。
「いまは人手不足の時代なので、介護する人も少ないのは仕方ないが、年齢が年齢なので不安。やはり最期は倶知安で過ごしたい」 交通事故の4割外国人 日々の生活に不安 夜も外国人でにぎわうひらふ地区
北海道警倶知安署によると、ニセコ地域で昨冬に起きた交通事故は前年同月比133件増の1024件。そのうち45%を外国人が占めた。大半は冬道に不慣れな人の操作ミスが原因だが、地元住民にとっては不安の種だ。
「交差点で一時停止しない。スピードを出して走っている」「気を付けないと。対向車線を走っている外国人がいるので」(いずれも地元住民)
日本の法律を確認せず、自国のルールや価値観で車を運転することもある。
1月13日未明、ひらふ地区で、オーストラリア国籍の男(31)が酒気帯び運転の現行犯で逮捕された。
警察の調べに男は「自国のルールでは少しアルコールが残っていても大丈夫なので、日本でもいいと思った」などと供述した。
スキーヤーの連絡手段? 不法電波で飛び交う外国語 パウダースノーを求めてやってきたスキーヤーら
法令違反は道交法にとどまらない。違法な周波数で無線を使用するケースも多い。総務省の出先機関、北海道総合通信局によると、1月の調査で確認された121回の不法電波の交信のうち、114回は外国語だった。
バックカントリーが盛んなニセコでは、外国人のスキーヤーらが仲間と連絡を取るために無線を使っているという。
「パトカーや消防、航空機の通信が妨害され、人命に危険を及ぼす可能性がある」(北海道総合通信局)
悪意はないとみられるが、明らかな違法行為だ。
物価高で「普通の生活」さらに困難に 識者の懸念 倶知安町駅で行われている北海道新幹線の延伸に向けた工事
倶知安町の人口は1万7000人。外国人が20%以上を占める。
ニセコ人気の先行きは――。北海道の不動産に詳しいアナリスト、志田真郷さんは今後も投資が進むと分析。物価の上振れで、家賃の高騰し新たな施設が建設しづらくなる。地域住民が生活しづらい状態は加速するとみている。
新幹線の開業を知らせる看板
「ニセコは海外の所得水準に合わせて上振れしている。住宅地の価格も上がっていて、通常の住宅地や商業施設、介護施設が成立する水準ではなくなってきている。生活の利便性も下がっていくだろう」
夜も外国人観光客でにぎわう
オーストラリア人がニセコに投資し始めてから20年がたつ。ニセコはアイヌ語で「切り立った崖」の意。隔絶された豪雪地帯から世界の富裕層を魅了する高級リゾートとなった。
北海道新幹線が延伸されると、札幌との移動は2時間超から25分に短縮される。インバウンドの流入や投資は止まる気配はない。 パウダースノーを武器に、世界的リゾートへと成長したニセコ。最もにぎわう「ひらふ坂」は見渡すかぎり外国人で、まるで異国のようだ。
スキー場のふもとにある倶知安町は人口2万人弱の町。平均時給は東京を上回り、ひらふでは、時給2000円超えはめずらしくない。「ひらふ辺りはもう日本のマチではない」。地元住民が嘆くのも無理はない。
深刻なのは、介護事業所の相次ぐ閉鎖だ。撤退をよぎなくされた事業所によると。他の地域より単価を上げて求人を出しても応募は5年間ゼロだった。「あまりに賃金の差が大きい」(介護事業所の職員)。たしかに介護職の時給はひらふの半分ほど。格差が生まれ、従来の地域コミュニティーをゆるがしかねない事態になってしまった。
北海道新幹線の延伸が予定され、ニセコへのインバウンドの流入や投資は止まる気配はない。「最後は倶知安で過ごしたい」。取材中に何度も聞いた高齢者の言葉が脳裏に浮かぶ。地元住民の思いは届くのだろうか。
※この記事は北海道ニュースUHBとYahoo!ニュースとの共同連携企画です。コロナ禍からのインバンドのV回復に追いつかず、オーバーツーリズムの危機に直面する北海道観光の現状を追いました。
(「もう日本の町じゃない」成長続ける”世界のニセコ”―時給高騰し人集められず…閉鎖する介護事業所も(北海道ニュースUHB) - Yahoo!ニュースから)
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“独裁”すらもできぬまま
私も一応、メディアの世界で衣食している人間なので、他メディアの人などに会えば「小川さん、最近何か面白いネタはありませんかね?」などと聞かれる。雑誌の編集者ともなれば、そうやってほうぼうに聞いて回るのが仕事みたいなところはあるので、自分などにもそういった声があいさつ代わりにかけられるのも当然のことだ。 それで先般発行した季刊『宗教��題』誌2024年冬季号に、私は曹洞宗、真宗大谷派、そして浄土宗という、3つの伝統仏教教団に関する騒動の記事を載せた。いずれも結構、珍妙なスキャンダルである。 曹洞宗に関しては、東京都港区の一等地にある教団本部ビルに移転計画が持ち上がっていたところ、そこにかなり不明瞭な形で外部の金融機関たる大和証券が食い込んできて、恐らく曹洞宗を手玉にとっての土地ころがしでも考えていたのではないかという疑惑が持ち上がったのである。幸い、この曹洞宗と大和証券の契約は一度リセットされはしたのだが、一体だれがどういう形でこういう座組を考え出したのだという謎は残っていて、ある種の責任問題に発展して宗門は今でも紛糾中だ。一応、『宗教問題』誌的にはある程度のシナリオは読み解いていて、「株などの投資が大好き」という世評がある曹洞宗の宗務総長(事務方トップ)に「宗教法人への食い込み方がすごい」という評判のある、業界ではかなり有名な大和証券のやり手営業マンが近づき、ようするに曹洞宗側をハメて落とそうとした話だったのではないかと、私のほうなどでは考えている。 浄土宗では先の宗議会(宗門の予算や方針を決める会議)で、教団としての規則改訂を審議したところ、本規程が否決されたのに補助規程だけ可決するといった、別に宗教どうこう関係なく、およそ「議会」というものではありえない椿事が発生。あきらかに事務方のミスであるとともに、そもそも議員が、自分たちが何の議案を審議しているのか、まともに考えていないのではないかという状況が露呈した。宗教法人の規則は(浄土宗のような教団組織の場合)文部科学大臣の認証をうけねばならないもので、この3月の年度内に何とか状況を改善しないと、筋の通らない規則を抱えた宗教法人が放置される状況になり、ようするに国のほうから問題視される恐れもある案件なのだが、取材してみても何か浄土宗には危機感がない。 真宗大谷派の話はかなり滑稽で、その業務上の関係から大谷派の教団組織とやりとりのあったらしい、「大谷」という名字を持った損保ジャパンの社員が、いつしか大谷派の教義的象徴である「門首」職を世襲で務める、開祖・親鸞の子孫「大谷家」の一族であると吹聴して回るようになり(当然ながら名字が「大谷」というだけで、何の関係もないのだが)、いろいろな場所で「本願寺当主」などと名乗って講演活動をしたり、美術展の審査員などをして回っていたという事実が発覚した話を記事にしている。これについては大谷派はもらい事故同然ではあるのだが、この「謎の大谷氏」の言動は相当ずさんで、ちょっと調べればすぐ騙りの詐欺師と気付くようなものだった。これを受け入れて金など払うほうも何かがおかしく、大谷派は毅然と対応して抗議の一つもするべきと思うのだが、何を怖がっているのか、一切抗議などはしないという。 さて、それがここ数カ月くらいに、私などが見聞きした「宗教界の面白い話」だったのだが、正直言ってどれもこれも、「悪の野望によって動かされた大事件」というよりも、「情けなくてしょぼい話」なのである。野心あるお坊さんが、剛腕で巨悪をなそうとしたというより、単にどれもこれも、宗教界側の不手際、見識のなさ、決断心に欠ける態度などにより引き起こされた、本当に「どうしようもない話」なのである。一般メディアの方々も、これではちょっと扱いに困るようなところがあるらしく、話しても苦笑しながらどこかへ消えて行かれた。 思えば私も宗教界の周辺居住者となってから20年近い月日が流れたわけであるが、昔の宗教界には、――それこそ池田大作などを筆頭にして――よくも悪くも「デカい人」がいた。彼らはまったくの野心ある悪人で、壮大な悪の構図を描いて、本当にいろいろ悪どいことをしていた。私などは、本当にいいのか悪いのか、そんな宗教者たちの最後の光跡を見ることができた世代だった。しかし、最近の宗教界で起こる事件というのは、本当にそんなものではなくなった。その多くは、そんな地位に就く力量もないような人が、何かの間違いで重い肩書だけを付けてしまい、地位にあった能力を発揮することもできずに、おかしな失敗をしてしまうような話ばかりだ。これは実は伝統宗教、新宗教の別を問わない。昔の宗教界には「悪の独裁者」みたいな人が本当にいたりしたのだが、いまでは「独裁」をやる器量のある人すら失われてしまった。 それは別に、「悪人」に限った話でもない。ここ数日も人と話していたのだが、本当に宗教界には人がいなくなった。昔であれば、高田好胤や今東光、寺内大吉などといった、「普通の人でも知っているお坊さん」がいたものなのだが、いまそういう人は本当にいなくなった。もっとも、今は政界でも経済界でも「大人物がいなくなった」と言われる時代なので、別にそれは宗教界に限った話ではないのかもしれないのだが。 しかし、能力のない人が失敗して、自分で転ぶだけならば自業自得なのだが、ここ最近になってそれこそ大和証券だの損保ジャパンだの、そういう「おかしな体たらくになった宗教界」に目を付けたハイエナたちが、怪しげな底意をもって宗教界を食い物にしようとしている事例が出てきているのではないか、などと、ここ最近の「宗教界の面白い話」を見て、私は感じてもしまったのである。 宗教心、教義といったものは、野に一人でも真剣にそれを奉じて生きている人がいれば、永遠不滅である。しかし、「寺」「教団」などといったものは、本当に内側がダメになるとあっさり立ち行かなくなるものなのかもなあと、ここ最近の「宗教界で起こる事件」の性質を見ながら、私はひそかに思う。まあ、そうしたものが本当に、守るに値するものなのかどうかも、わからなくなっている時勢なのですが。
2025年2月18日
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