#銀座デート
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はちゃめちゃ年下メンズ以来誰とも会っていなかったけど、そろそろスイッチ入れるか〜と気合いで半年ぶりにアプリ開く。
ペアーズの男の子とマティス見た。初対面でいきなり美術館ってまあまあハードル高いけど、彼とは苦痛じゃなかった。展覧会のイントロ読まないんですか、と聞いたらだいたいわかってるから、と返されたけど、それがぜんぜん嫌味じゃない。感覚で観るタイプなんだね、と言われてなんで?と聞くと、ペース早いから、と返ってきて恥ずかしい。親が芸術畑で、本人は建築の人だけど趣味で作品作ってるそう。こういう人といるとそれらしい見解を述べねば、と息巻いてみるけど、叩けどなんら出てこない。
次もあるけど、飯と飲みは別腹なので一緒にかおたんラーメン啜る。初対面でラーメン啜れる人は大事にしたほうがいい。次もデート誘っていいですか、って台詞、何度聞いても良いなと思う。進展がないに違わない男友達との飲みもぜんぶデート換算している、そのほうが楽しいから。
三丁目に移動して沖縄料理。公務員しながら映画脚本書いてるらしい。イメフォでの上映期間はタップルで女の子と同伴してから映画館に送客してた、と言われて笑った。彼とは電話で俺もM1出たんだよね、という話で盛り上がり、前の相方がM1ビッチすぎてコンビ組み捨てされたから事実上解散してる、と伝えたら自分と組まないか、という打診をされ、会うことになったのだった。
そのはずだったんだけど、思いのほかタイプで困る。デートなんだかオファ面なんだか定かでない時間。翌日早速ネタ送られてくる。なんだかんだ会い続けることになりそうだけど、うっかり寝てしまいそうなんだよな。。寝た男とコンビ組んでもいいけどコンビ組む男とは寝ない、これはマイルールです。彼氏作るより相方見つけるほうが当たり前に難しいし。とはいえ、この葛藤は葛藤の種類としてめちゃくちゃ良いなと思う。
翌日は歌舞伎観劇してからdineの男の子と恵比寿で中華。銀座での予定後向かう、と伝えたら店前だと寒いので銀座駅で待ち合わせませんか?と謎提案をされてめちゃくちゃ萎えたものの、寒いの気遣ってくれたんだなあという視点が持てるようになったことに成長感じる。案の定会話はぎこちないしぜんぜんスマートじゃない。dineに載るような飲食店でバイトしていたから、予約すればそれ経由のカップルなのは当然ばれているわけで、これはかつての私がしていたように店員がお膳立てしてくれているんだな、と気づく瞬間が何度もあった。こういうプロの仕事を垣間見ると嬉しくなる。師事してるチェロの先生のレッスンに毎週四国とを往復していた話を聞いて、そういうの好きだなと思った。眼科のセカンドオピニオンしてもらって解散。
感覚掴めてきたかんじ。ここしばらく恋愛する気起きなあい、とくだ巻いていたけどやっぱりあまりにも楽しいし、偏愛のある人のことがどうしても好きだ。好きなタイプはビジネスとカルチャーのバラ��スが良い人、とずっと言っていたけど、最近は後者のウェイトが高い時期。
なんとなくTinderやってた頃を思い出した。あのときの私のことすごく好きだったなあ。正直ステディな人は見つからない気がするけど、当分いまはこれが良い。
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2025年4月19日(土)

このところ<月刊笑福亭たま>に通っている。月に一度、天満天神繁昌亭の朝席でたっぷりと笑い、少し遅めのランチに<銀座ライオン四条烏丸店>でビールを頂くのが定番コースだ。朝8時に家を出て帰宅は14時30分、コスパもタイパも優れた時間の過ごし方、年金生活者の鏡と言って良い生活だ(当社比)。

3時45分起床。
昨晩は早々にダウンしてしまったので、早起きして日誌を書く。
5時20分、彼女が起床。もっとゆっくりしても良いのだが、休日故早く体を動かしたいという。貧乏性は治らない。
洗濯開始。

朝食は、昨晩の残りのタケノコご飯。
洗濯物干す。
珈琲を頂く。
8時に家を出て、七条御前通りのバス停から205系統で西大路四条、阪急西院駅から天下茶屋行きの準急に乗車する。

早めにお気に入りの席をゲットしておいたので、ゆっくりと楽しむことが出来る。
終演後は即座に���び出して、京都へ戻る。

銀座ライオンは料理も美味しいのだが、我々が注文するのは派手さの無いつまみ系ばかり。あまり映えないものばかりだが、自分では決して作れないものばかりなので大変勉強になる。
13系統に乗って西大路七条、自宅に戻る。
彼女は着替えて買物に、私は少し午睡をとる。

昨日安売りで買った豚ロース、頑張ってカツにした、美味なり。
テレビでは、土曜は寅さん。

瀬戸内海の小島で、墓参をしている美しい浜田ふみ(松坂慶子)と知り合った寅さん。それからしばらくして、大阪で芸者をしているふみは、石切神社で寅さんと偶然再会する。二人は生駒山の宝山寺でデートを楽しむが、ふみには幼くして別れた弟がおり、寅さんのすすめで一緒に逢いに行くが、弟は病死していた。失意のふみに優しくする寅さんだったが、彼女の想いを受け止めることができずに、柴又へ帰る… 東京生まれの寅さんにとって、大阪は肌が合わない場所のはずだったが、居心地が良い場所となったのは、松坂慶子演じる美人芸者・ふみがいればこそ。幼くして肉親と離ればなれになり、芸者をしているふみにとって、寅さんの純粋さと心意気は、自分自身をみつめるきっかけにもなる。粋にチップを差し出す寅さんに「友達のつもりよ」と突き返す彼女の心意気。これぞ大阪!というキャスティングの妙。通天閣の安ホテルの主人に、芦屋雁之助。先輩芸者にかしまし娘の正司照枝・花江。そして、ホテルで飲んだくれているおっちゃんに笑福亭松鶴。華やかさとはかなさ、男と女の機微、細やかな演出が堪能できる一本。本作より満男役が吉岡秀隆にバトンタッチ。
今回か羅吉岡秀隆君登場、すでに名優の片鱗を見せている。
片付け、入浴、体重は3日で300g増。
パジャマに着替え、スコッチ舐めながら日誌書く。

もう少し動かねばと思いつつ、今日は暑かったからね。
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るんぺんパリ【RunPenParis】

自己紹介 2024年11月4日追記 6116文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 今年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件回って、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて上野天神祭へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 夜の19時から同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったガキさんは すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので閉店の1時までカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の20(日)は上野天神祭に参加している同級生のオデに会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く紅梅屋でおみやげを結構買って 桔梗屋で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それに��ても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅��いう無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人��候補ノミネート
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2007年のiPhone発表直後、スティーブ・ジョブズと会話をした際、当時大人気だったBlackBerryのようなハードウェアキーボードを検討したことがあるかと尋ねました。スティーブほど即座に「ノー!」と答えた人は見たことがありません。
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東京で行くべきバー3選
特別な一夜を彩る名店 東京には数えきれないほどのバーが存在しますが、その中でも「ここは絶対に行くべき」と言える名店を厳選しました。お酒のクオリティはもちろん、空間の雰囲気、サービス、体験のすべてが特別なものになるバーをご紹介します。デートや特別な記念日、友人との特別な夜に訪れるのにふさわしいバーばかりです。東京で最高の一杯を楽しみたい方は、ぜひチェックしてみてください。
ラグジュアリーな空間とSNS映えするエンターテイメント体験
東京には、洗練された大人のための高級バーから、驚きと感動に満ちたエンターテイメントバーまで、さまざまなスタイルのバーが存在します。今回は、その中でも「高級感あふれる極上のひとときを過ごせるバー」と「SNSでバズること間違いなしのユニークなバー」を厳選しました。
どの店舗も、一歩足を踏み入れるだけで特別な夜が始まること間違いなし。デートや記念日、非日常を味わいたい夜にぴったりのスポットをお届けします。あな���の東京バー巡りが、より一層楽しくなること間違いなしです!
1圧倒的マッスルエンターテインメント!💪唯一無二の体験ができる「マッスルスナック」☀️🔥
💪「マッスルスナック」💪は、東京都中野区に位置する、まさに筋肉の楽園ともいえるユニークなエンターテインメントバーです。店内に足を踏み入れると、ただのバーでは味わえない熱気と迫力が広がります。超マッスル、細マッスル、レスラーマッスル、アスリートマッスルなど、さまざまな体型や個性を持つマッスルスタッフが集結し、ゲスト一人ひとりに全力でおもてなしを提供。筋肉の美しさとエンターテインメントが融合した空間で、非日常的な興奮と感動を体験できます。ここでは、ただお酒を楽しむだけでなく、スタッフとのインタラクションやライブパフォーマンスを通じて、一夜限りの特別な思い出を作ることができます。🔥
💪個性豊かなマッスルスタッフが勢揃い 「マッスルスナック」最大の魅力は、圧倒的な存在感を放つマッスルスタッフたち。ここでは、単なるマッチョではなく、超マッスル、細マッスル、レスラーマッスル、アスリートマッスルなど、様々な体型・キャラクターを持つ個性豊かなスタッフが勢揃いしています。ゲストの好みに応じて、お気に入りのマッスルと交流できるのも魅力のひとつ。彼らはただ鍛え抜かれた身体を見せるだけでなく、それぞれのバックグラウンドやパフォーマンススキルを活かし、唯一無二のエンターテインメントを提供してくれます。🔥
💪迫力満点のマッスルパフォーマンスとショー 「マッスルスナック」は、ただの“筋肉バー”ではありません。ここでは、マッスルたちが鍛え抜かれた肉体を活かし、ダイナミックなショーやパフォーマンスを披露⚡️筋肉を駆使した力技、コミカルな演出、そして観客とのインタラクティブな要素を盛り込んだステージは、訪れるたびに新しい発見があります。日替わりで内容が変わるため、リピーターが多いのも納得。まるでフィットネスの祭典を間近で体感しているかのような熱狂を楽しめるのが、「マッスルスナック」ならではの魅力です。❤️🔥
💪ここでしか味わえない“筋肉サービス” エンターテインメント性の高さに加え、「マッスルスナック」では独自のサービスが充実。例えば、**「マッスルチェキ」では、お気に入りのマッスルスタッフとツーショットを撮影できる特別サービスを提供。また、「マッスルハグ」**では、スタッフの引き締まった筋肉を直接感じることができ、訪れたゲストに忘れられない体験をプレゼント。さらに、誕生日や特別なイベント時には、マッスルたちが全力で盛り上げるサプライズ演出も用意されています。これらの特別な体験を求めて、全国からファンが集まるほどの人気を誇っています。
💪.SNS映え間違いなし!話題性抜群の空間 「マッスルスナック」は、まさにSNS映えを意識した演出が満載。ネオンが光るスタイリッシュな店内、筋肉隆々のスタッフたち、そしてユーモアたっぷりのパフォーマンスは、どれを切り取ってもフォトジェニック。特にTikTokやInstagramでは、実際に訪れたゲストが動画を投稿し、その迫力に驚く声が多数寄せられています。「#マッスルスナック」「#筋肉バー」などのハッシュタグで検索すれば、訪れた人々の楽しさが伝わる写真や動画がずらりと並んでいます。まさに、今話題の“バズる”バーとして注目を集めているのです。❤️🔥
🍺 💪お酒と筋肉の相性抜群!ユニークなドリンクメニュー お酒の種類も豊富で、定番のビールやカクテルに加え、ここでしか味わえない特別なメニューも用意。例えば、**「プロテインショット」**は、筋肉を愛する人にはたまらない一杯。通常のカクテルに加えて、プロテインを混ぜたオリジナルドリンクが楽しめるのも、ここならではの体験です。また、飲み放題プランも充実しており、お酒を楽しみながらマッスルショーを満喫できる最高の空間が広がっています。
唯一無二のエンターテインメント空間「マッスルスナック」
筋肉が織りなすパフォーマンス、エンターテイメント、そしてゲストとの交流が楽しめる「マッスルスナック」。単なるバーの枠を超え、訪れた人々に最高の思い出を提供するこの場所は、東京で一度は訪れるべき注目スポットです。エネルギッシュな夜を過ごしたい方、SNS映えする特別な体験を求める方は、ぜひ足を運んでみてください💪
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【マッスルスナック】 💪住所: 東京都中野区弥生町2-32-15 STビル B1F 💪アクセス: 東京メトロ丸ノ内線「中野新橋駅」から徒歩約5分 💪電話番号: 080-4401-4763 💪営業時間: 月・水・木・日 17:00~23:00、金・土 17:00~翌1:00 💪定休日: 火曜日 💪公式サイト: https://muscle-ent.jimdofree.com/
2 銀座の名門バーで極上の一杯を堪能「BAR 保志 本店」
「BAR 保志 本店」は、東京都中央区銀座6丁目に位置する、洗練された雰囲気のオーセンティックバーです。代表の保志雄一氏は、世界大会で優勝した経験を持ち、その技術と創造性が光る多彩なオリジナルカクテルや、旬のフルーツを使用したフレッシュカクテルを提供しています。
🔺世界大会優勝カクテル「さくらさくら」 保志氏が世界大会で優勝した際のオリジナルカクテル「さくらさくら」は、桜の風味が特徴的で、日本の四季を感じられる一杯として多くのゲストに親しまれています。
🔺季節のフルーツを使ったフレッシュカクテル 旬の果物を贅沢に使用したフレッシュカクテルは、素材の味を最大限に引き出し、季節ごとの味わいを楽しめます。
🔺落ち着いた大人の空間 店内は洗練されたインテリアで統一され、カウンター18席のみのプライベート感あふれる空間となっています。銀座の夜景を眺めながら、ゆったりとした時間を過ごすことができます。
「BAR 保志 本店」は、銀座の中心に位置する、洗練された大人のためのオーセンティックバーです。世界大会優勝経験を持つバーテンダー・保志雄一氏による、技術と創造性が光るカクテルの数々が魅力。特に、世界一に輝いた「さくらさくら」や、季節ごとのフレッシュカクテルは訪れるたびに新しい発見があります。
落ち着いた雰囲気の店内は、カウンター18席のみのプライベート感あふれる空間。銀座の夜景を眺めながら、一流のバーテンダーが作る極上の一杯を堪能できます。デートや記念日、特別な夜にふさわしい名店として、訪れる価値のあるバーです。
BAR保志 本店 / 【公式】BAR 保志BAR保志 本店 代表保志雄一の世界大会優勝カクテル等をはじめ 多数のオリジナル、 旬なフルーツカクテル等ご用8star.family
【BAR 保志 本店】 🔺 住所: 東京都中央区銀座6-3-7 AOKI TOWER 8階 🔺 アクセス: 東京メトロ銀座線・丸ノ内線・日比谷線「銀座駅」C2出口より徒歩5分 🔺 電話番号: 03-3573-8887 🔺 営業時間:- 月~金: 17:00~翌2:00 - 土・日・祝: 17:00~翌1:00 🔺 定休日: 不定休 🔺 公式サイト: https://8star.family/tenpo/barhoshihonten/
3和×洋の融合!上質な食と空間を楽しめる「THE SAKURA DINING TOKYO」
「THE SAKURA DINING TOKYO」は、西新宿に位置する洗練されたカジュアルダイニング。和食と洋食が融合した創作料理が楽しめ、外国人観光客やビジネス利用にも人気のスポットです。広々とした店内は、食事だけでなく、パーティーやウェディング、イベントなど多目的に利用できるのも魅力の一つ。モダンな和の雰囲気が漂う空間で、上質な時間を過ごせるお店です。
🔺 和と洋が融合した多彩なメニュー 新鮮な和食の素材を活かしながら、イタリアンやフレンチの技法を取り入れた創作料理が楽しめます。寿司や刺身、天ぷらから、パスタやグリル料理まで、どんなシーンにもぴったりな一皿が見つかります。
🔺 広々とした空間で、特別な夜を演出 モダンで洗練された店内は、カウンター席やテーブル席、個室まで完備され、大人数での利用にも最適。特に外国人観光客やビジネスマンに人気があり、ウェディングやパーティーにも対応できるのが特徴です。
🔺 外国人にも人気!インターナショナルな雰囲気 英語対応のメニューや、海外のゲストにも馴染みやすいメニューが揃い、観光客にも親しまれています。店内は日本らしいデザインが施されており、海外の方と一緒に訪れるのにもぴったりのダイニングバーです。
「THE SAKURA DINING TOKYO」は、西新宿に位置する、和と洋の魅力が融合したカジュアルダイニング。モダンで洗練された空間の中で、寿司や天ぷらなどの和食から、パスタやグリル料理などの洋食まで、幅広いジャンルの料理を楽しめます。外国人観光客やビジネス利用にも人気があり、ウェディングやパーティーといった特別なシーンにも対応。幅広いシチュエーションで利用できる、新宿エリアの注目スポットです。
ザ・サクラ・ダイニング・トウキョウ | ウエディングやパーティーにも使える新感覚ダイニングウエディングに、パーティーに、また接待や仲間とのディナーなどさまざまな用途にフィットする、200坪の大空間を有するカジュアwww.sakura-dining-tokyo.jp
🔺 住所: 東京都新宿区西新宿6-5-1 新宿アイランドタワーB1F 🔺 アクセス: 東京メトロ丸ノ内線「西新宿駅」直結 / JR「新宿駅」から徒歩8分 🔺 TEL: 03-5339-6700 🔺 営業時間:- ランチ: 11:30~15:00(L.O. 14:30) - ディナー: 17:00~23:00(L.O. 22:30) 🔺 定休日: 不定休 🔺 詳細はこちら: https://www.sakura-dining-tokyo.jp
いかがだったでしょうか?今回は、東京で訪れるべき特別なバーを3軒ご紹介しました。それぞれが個性的な魅力を持ち、特別な夜を演出してくれること間違いなしです。
「マッスルスナック」では、圧倒的な筋肉エンターテインメントと個性豊かなスタッフによるインタラクティブなパフォーマンスを堪能できます。まさに唯一無二のエンタメバーで、SNS映えも抜群!
「BAR 保志 本店」は、銀座に佇む格式高いオーセンティックバー。世界的に評価されたバーテンダーが生み出す極上のカクテルと、落ち着いた大人の空間が特別な夜を演出します。デートや記念日に最適な名店です。
「THE SAKURA DINING TOKYO」では、和と洋が融合した洗練された料理と上質な空間を楽しむことができます。外国人観光客にも人気があり、ビジネスシーンやパーティー利用にもぴったりのダイニングバーです。
どのお店も、それぞれのコンセプトが際立ち、訪れる人々に特別な体験を提供してくれます。東京の夜をより楽しむために、ぜひ次回のバー巡りの参考にしてみてください!
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Kiyo Ginza, Restaurant(Tokyo, Japan) キヨ•ギンザ★★
Dinner at Beef Steak Club Kiyo Ginza (^o^)
We were lucky to be guided to the corner seat with the best view (^o^)v
ビーフ•ステーキ•クラブ•キヨ•ギンザでディナー(^o^)
角の一番眺めの良い席に案内してくださりラッキーでした(^o^)v











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Storia dei sogni(756)

2022年2月23日の夢は
彼女(♥崔岩光(サイ・イエングアン)様♥)と
彼女の愛犬が出て来た✩.*˚(・⊝・)゚*.☆
夢の中では2022年9月11日
いつも通り
朝食や家事etc…済ませて
自主練したり,声楽レッスン受けて
かーらーのー
銀座の東武ホテルへ移動し
銀座の東武ホテルの駐車場に車を停めて
CHANELカフェでランチしたり
三越で金魚を鑑賞したり
三越や松屋,SIXでショッピングしたり
Diorカフェで、お茶したり
エステ行ったり
デートを楽しんで
かーらーのー
銀座の東武ホテルへ戻り
チェックインして,部屋に荷物置いて
銀座の東武ホテルのレストランでディナーしたり
銀座の東武ホテルのバーで飲んだり
デート楽しんで
かーらーのー
部屋へ戻り
お風呂やSNSなど、いつも通りの夜を過ごして
かーらーのー
Oo。(。ρω-。)���やすみ★
てな感じで
すごく楽しかったです(♡´∀`人´∀`♡)
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
【自己紹介 2024年8月3日追記 4335文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある お兄さんいるらしいがあった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 上野城のお堀の高さ日本2位? 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった 小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから だからそういう人には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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デートの後につける日記が好きだから、今日はそのまま載せてみようと思う。思い出しながらほんのり体温の上がる感覚はほかの何にも変えがたく、ゆきさきや表情を脳裏に並べて愛に耽る。だからいま瑞々しいうちにここに置いておく。
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まだ眠っているような気がしておはようの電話をかけると、恋人は寝ぼけていた。ほんのりと不機嫌な声は子供のようで、そんなところが良いなと思う。
目的地へ向かうときわたしはいつも緊張している。それは何年経っても変わらずで、いつも通り期待と不安に心を滑らせていると、茅場町のあたりで誰かがわたしの肩に触れた。それは偶然同じ車両に居合わせた恋人で、驚き、曖昧な返事をしながらイヤホンを解く。
電車を降りてからの道中はおだやかな公園で、築地に住めたら最高だ、3万で住まわせてくれないかな、なんて会話を交えながら光の中をまっすぐ歩いた。
GWの築地はごった返していた。有名な卵焼き屋さんはディズニーみたいな行列、定食やラーメンにも振られて結局大きな海鮮丼屋さんに辿り着く。一番上のページに載った、程よい値段と具の海鮮丼を頼み夢中で食べ、築地全部ここにあったね、と食後の温かいお茶を啜った。
満腹で、コンビニのコーヒーを携え つぎの目的地へ。迂回と旋回を繰り返しながら彷徨う路地裏が好きだから、そうしてみる。すしざんまいの本店や、喫茶営業もしている中華料理店を見つけて、路地に座ったり。ゴールを前にしてナチュラルローソンに寄って店内を物色、とかもした。知らない土地へ出向いたときのわたしたちは、野良の二匹の生き物になる。
目的のぬいぐるみ展はすごくキュートで、雑貨をちょこちょこ買ってしまった。恋人もポテトチップスという名前のキャラシールを買っていた。
そのまま銀座へ、広い道路、歩行者天国は現世で唯一行ける天国だなあと思う。天使の気持ちのままふわふわ、GINZA SIXへ吸い込まれてみる。悪魔みたいな値段の服が所狭しと並ぶから、とりあえずお金持ちごっこをする。
楽器屋やおもちゃ屋や喫茶店をハシゴして、その道中でした会話は、新橋はキャッチが上手だね、精力剤のお店がいたるところにあって変ね、あ、神社だね、ここにも味仙あるね、喫煙可能店多くてうれしいね、ね、みたいないつも通りので、でもお散歩ってどの街も楽しくて凄いね、だけ何となく恥ずかしくて言えず、心の中に留めた。
さいご、新橋らしい居酒屋へ行きたくて、雰囲気でお店を選ぶ。引き当てたお店はもう名前を忘れてしまったけれど、お魚が美味しく、ふっくら脂の乗ったほっけは最高で、蟹味噌を舐めながら恋人のお酒まで貰ったりした。お酒を飲んでいる時も、コーヒーを飲んでいる時もわたしたちはあまり変わらない。美味しいものを分け合い、一口ずつもらったりして、お腹と心が暖かくなるまでそれを続ける。いちばんしあわせな時間だ���思う。
普段ならこのままふたりで家へ帰るけれど、お互い用事があったので、ここでお別れすることになっていた。勿論またすぐに会えるのに、デートを繰り返していても何だか寂しくて、今度はわたしが子供のようになってしまう。
ぐずぐず駄々をこねながら改札を超え、またね、頑張ってね、って言ってバイバイをした。別れぎわ最後の不意打ちの抱擁や口づけの尊さ恥ずかしさ愛おしさを、ずうっと信じていたい。
何もなかったようにわたしたちは別れ、触れ合っていた指先がはなれてなら冷たくなるまでの過程や、視界から相手が消えた瞬間のシャットダウンする感じを誰にも悟られないように、またイヤホンを挿した。
茅場町を過ぎる頃指先は冷え切っていたけれど、胸の真ん中はしばらく熱いままだった。
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
自己紹介 2024年12月7日(大雪)追記 7642文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 3歳のときに養子として育てられることになり 伊賀市へ突然連れてこられた 5世帯がつながった集合住宅の一番端っこお家で 四畳半と六畳の和室の二部屋 三畳の台所 トイレはくみ取り式 お風呂は深底のホーローでガス釜式 冬は寒くて よくしもやけになった 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 名古屋に近い三重県に住んでいるという話だった気がする 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは今でも少しはある
伊賀市でそこそこ有名なのが 「伊賀流忍者」で「忍者屋敷」は 今も昔も変わらない内容で 営業している それは昨年(2023年)の夏休みに 末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 「上野城」ならぶ観光施設 伊賀牛は「金谷」のすき焼きが有名で 「森辻」が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には「伊藤」の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 「伊賀上野天神祭」の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 2024年は10月18日・19日・20日(金土日)がお祭り 19日(土)は久しぶりに一人で一日中 お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件まわって、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて「伊賀上野天神祭」へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 19日(土)の夜は19時から 同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったオーナーの 「ガキさん」は すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので開店から閉店の1時までの 6時間でカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の日の20(日)は「伊賀上野天神祭」に参加している 同級生の「オデ」に会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く「紅梅屋」でおみやげを結構買って 「桔梗屋」で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 「松尾芭蕉」は俳句が有名で伊賀出身 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされた 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は絶対見ない 「上野公園」に行くと「俳聖殿」という建物はある 「俳聖殿」の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 「俳聖殿」のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 「上野城」のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は「上野城」のまわりで体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも「上野城」が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく「上野城」をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった その子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には「銀座通り」とか「丸の内」とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 「上野市」から「伊賀市」名称が変わってから 「上野市駅」が「忍者市駅」になり 「近鉄」の電車だったのが「伊賀鉄道」になり 電車がコスプレになった 駅前には「銀河鉄道999」のメーテルと哲郎の銅像があり 「産業会館」が「ハイトピア伊賀」になった 「産業会館」だった時に「マルキン」のパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 「新天地」もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は自分が高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 「新天地」には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 「伊賀上野天神祭」を見に帰省したときに ドリアを食べたが 素朴ないい感じの仕上がりの味に 古い喫茶店をぐっと感じる事ができた 「新天地」のとなりの大きな化粧品店は 更地になっていた 高校の時の同級生が「クワトロNo.4」という バーを経営している場所もこの「新天地」にある となりにダーツバーもあり 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽には入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど ダーツバーの扉って感じで雰囲気はあった ここ数年は実家で一人暮らしの おかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、「Kマーホ」の名で活動して 出版した「トイレの閃き」が背表紙の色が 抜けた状態で25年以上も 岡森書店の本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で そんなつながりが それにしても伊賀市は狭いなと感じる
幼稚園の頃の事で 「市部(いちべ)」という地区だったと思う 近くに「市部駅」という無人駅があり その近くの依那古第一保育所に 5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗��て 実家近くの小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 自転車は召し上げられ 手押し車ででかけている 小学校6年生の卒業までは 上野市依那具にある 市営の「城ケ丘住宅」で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの 時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森(たれそのもり)でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた「依那古小学校」の 校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと 変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の「市部駅」と 毎日にらめっこしている森 垂園森(たれそのもり) 中学校からは上野市街の「上野城」の 城下町で過ごした 引っ越しをしました 当時はカオスな「市営城ケ丘住宅」から出れる事が 本当にうれしかった 小学校までの友達とも 見飽きてしまっていたので 寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては 新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして引っ越ししたお家は 築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分だけの部屋があり トイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって 本当にうれしかった
そして近くの「崇廣中学校」に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一のときに足のかかとを骨折 バスケ部の試合で となり町の「名張市(なばりし)」の 体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら 右足のかかとの骨にヒビが入った
完治した その夏にはバスケ部をクビになり 陶芸部に入った バスケ部とは違い まろやかな陶芸部の部長は 本当にやさしい部長さんだった 中二で左腕を骨折 中一の右足かかとの骨折 どちらも遊んでいての骨折を二年連続してしまい この二年間の体育の成績は最低だった そして中三の高校受験に突入して この「崇廣中学校」では いい想い出は ひとつも無い
そして高校生となって 高校1年生で やっと自由になれた気がした まずは毎日 カッコつけて髪型をきめて その次は彼女を作りたいと 手当たり次第に告白したら 全滅した その数は20数人はいたと思う そしてあらゆる所で 告白しすぎて 変な奴として顔が広まってしまいそうになってきた 高校1年の後半はおとなしく 過ごしていた
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーバンドで 代表曲の 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」をコピー 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 も歌って一年で6回ぐらいライブをしていた 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時は ただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線で近づいてくる そういう女子には興味がなかったから 冷たい感じの男だったかも 本当にこの高校2年の時期が いままで生きてきた中で一番楽しかった。 高校2年後半の頃は またたくさんの恋をしたが 自分が不器用だったので 自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた それから人を好きになることに 迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくいいか別に という感情で奥手で過ごしていった そのせいか、 他校の女子からゲイだとか ウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時はそんなうわさも 楽しければなんでもよかった
1993年の20歳になるころ 家を勝手に出て 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは お金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万の カツカツでぎりぎりの生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月(23歳)から 2003年7月(30歳)の 7年間は茨城県と千葉県の県境の 利根川の近く取手市に住んでいた この取手駅界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになった 関東平野は景色が無く ここでの生活は なんとなく落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくに「カレー」がめちゃくちゃ美味かった 夕食時はのれんが出される前��時間に 駐車場で待機して開店と同時に 店に入っていたので お店の人には顔を覚えられていた この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の子供で 小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけで運営していて 素朴な店内で 週3回ぐらいは夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年(24歳)から パソコンを近くの「ミドリ電化」 というお店で38万で購入して 作詞やネットに興味を持ちだした 「まどみちお詩集」を読みだし 作詞に近い詩を書き始めた 「Kマーホ」という名で活動を開始し メインの詩を書き始める 創作の目標をまず詩300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになった 週末はいつも家に引きこもり 朝起きて寝るまでの一日中 音楽を聴きながら 38万円のパソコンを買ったのに まだ「ワープロ」で 手書きの詩を清書して プリントしていた
1998年(25歳)から2002年(29歳)まで 「Kマーホ」の名で活動して 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したりと やりたい事にお金も時間も好きなだけ 使ってすごしていた この時期に参加していた詩の団体(万有)には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な詩を書いたり そんな態度の人や いい人も数人はいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集「トイレの閃き」約2000部を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 本棚に置いて欲しいとお手紙をそえた 返送されたり お礼のお手紙を頂いたりと 色々と反応を感じながら 2002年の29歳の時に 詩を創作する活動を休止した これで「Kマーホ(けいまーほ)」での 活動は終わった 理由は2000年(27歳)に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年(30歳)から2019年(46歳)まで 育児に家族を重点を置いて生活をする この時期の16年間は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月(30歳)から 子育てを重視するために 景色のいい静岡県に引っ越し もう20年以上住んでいる
2019年1月(45歳から46歳になる年) 「平成」から「令和」に変わる年に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 創作活動を再開する 1998年(25歳)から2002年(29歳)の 「Kマーホ(けいまーほ)」の頃とは 全然ちがう方向性で詩を書き始める そしてSNSを活用して まずは詩の発信を始める 「るんぺんパリ【RunPenParis】」という名前の由来は フランスはパリの街を ぺんを持って 走りながら創作するというイメージから 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(現在は51歳で2025年は52歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した 「140文字詩」が広く浸透できればと 創作を続けている ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧(2019年~) 【2024年(51歳)】Amazonで販売 2024年11月17日 第17詩集「もんもん もんもんで もんだろ」 【2023年(50歳)】Amazonで販売 2023年12月27日 第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023年12月2日 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023年11月23日 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023年9月16日 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023年9月9日 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023年9月2日 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023年8月26日 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年(49歳)】Amazonで販売 2022年12月6日 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022年11月3日 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022年10月7日 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022年9月3日 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022年8年7日 第1アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022年2年14日 第2アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022年1年1日 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年(48歳)】Amazonで販売 2021年9月8日 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021年8月3日 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021年6月5日 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021年5月31日 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年(47歳)】Amazonで販売 2020年7月27日 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020年3月2日 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年(46歳)】Amazonで販売 2019年7月21日 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999年~2002年) 【2002年(29歳)】 2002年4月30日 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」発行部数不明 2002年4月4日 第5詩集「コールサック」100部発行 【2000年(27歳)】 2000年7月31日 第4詩集「マガサス星人」500部発行 2000年1月31日 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」500部発行 【1999年(26歳)】 1999年8月1日 第2詩集「テレビジョン」100部発行 1999年5月1日 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」2000部発行 【受賞】 2001年(28歳) 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年(27歳) 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年(26歳) 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年(25歳) 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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映画『青春かけおち篇』とドラマ『かけおち'83』
演劇ユニット・チーム銀河は今年創立10周年を迎えます。
それを記念して2014年の旗揚げ公演で上演した3人芝居『マイ・スウィート・スウィート・ホーム』という芝居を、5月18日(土曜)に京都・東一条の関西日仏学館・稲畑ホールで、5月24日(金曜)〜26日(日曜)に大阪・新町のいつもの劇場Regalo Gallery & Theatreで上演いたします。
作は私、東浦弘樹、演出は増田雄さん、出演が『メフィスト』でも共演した私の憧れの女優さん白樫由紀子さんと、なにわニコルソンズの立山誉(ホマティ)さん、もちろん私も出演します。
昨日3月21日はその初稽古でした。
帰りにいろいろ話しているうちに私が大好きだったドラマ『かけおち'83』の話になりました。タイトルが示すように1983年(古い!)にNHKの銀河ドラマ枠で4日連続だが5日連続だかで放映されたドラマで、つかこうへい作、大竹しのぶ主演です。
ホマティさんにこのドラマを薦めて、白樫さんに「このドラマのDVDは前に(『メフィスト』で共演した時に)貸したよね」と言ったら、白樫さんはドラマもDVDで見たけれど、映画の方も見たと言いました。
家に帰ってU-Nextで調べると、『青春かけおち篇』という1987年の映画がヒットしたので、早速見てみました。
でも……うーん、これじゃあダメです。台無しもいいところ。
原作・脚本つかこうへいとあるので、つかの原作を誰かがメチャクチャに脚色した訳ではないはずですが……つかは本当にこんなものを書きたかったんでしょうか。それとも一応脚本はつかになっているけれど、どこからか圧力がかかって書きたいものが書けなかったのでしょうか。
ドラマ『かけおち'83』は、数年前からのんべんだらりと生き、のんべんだらりと同棲してきた節子(大竹しのぶ)と康夫(長谷川康夫)の物語です(長谷川康夫は当時はつかこうへい事務所の役者でした。その後、役者は辞めて演出をしているようです)。
二人は節子の実家で節子の両親(北村和夫と松下沙稚子)と一緒に暮らしています。あるとき、節子の父親の取引先から節子にお見合いの話が舞い込みます。
節子には当然康夫という恋人がいます(康夫は長男ですが、弟が家業を継いでいるので養子に来ることができます。一人娘の節子やその両親にとっては非常に都合のいい存在なのです)。でも、「見合いの一つくらいしておかないと」という理由で(この辺りがいかにもつかですね)見合いに行くことになります。
見合いの相手は年商80億の会社を裸一貫から立ち上げた萩原(沖雅也、「親父涅槃で待つ」と自殺する直前の出演です)ーー彼は節子が好きで高校生の時からずっと見守ってきたと言います。
萩原の迫力に押され、節子はそのままデートを重ねます。しかし、萩原が結婚の申し込みに節子の家を訪れたとき、節子の母は「会社を捨てて家の仕事を継ぐのでなければ節子との結婚は許さない」と言います(節子の家は東京の一等地でレストランを3軒経営しています)。
激しい雨の降るなか、節子の家の玄関先で萩原が言う……というより叫ぶセリフは実に魅力的です。彼は節子に言いますーー「でも私は諦めません。私はきっとあなたを奪ってみせます。そうでなければ、私はこの10年間一体何のために働いてきたんだ。好きな女ひとり奪うことができなくて、私は一体何のために働いてきたんだ。節子さん、私はきっとあなたを奪ってみせますから」。
いいセリフですね。
萩原は節子に相応しい男になるために必死になって働き、年商80億の会社を作り上げたわけで、これまた私が大好きな『グレート・ギャツビー』のギャツビー���思わせます。
康夫は節子のすることに干渉しないという態度を貫いてきましたが、やはり気が気ではありません。そんな康夫に節子は、こうなったらもう二人でかけおちするしかないと言います。
ここも実につからしい展開ですね。普通に考えれば……というかどう考えても訳がわかりません。でも、説明はつきます。
節子はこれまでのんべんだらりと楽な方へ楽な方へと流れる生き方をしてきました。だから彼女の人生には何ら劇的な要素はありません。そこへ突然、萩原という大きな情熱を持った男、この上なく劇的な人物が闖入してきた。節子だって心が動いたはずです。
そんな節子が康夫との生活を続けていこうと思ったら、萩原というこの上なく劇的な要素に匹敵するだけの劇的な何かがなければならない。それがかけおちです。
二人が夜行列車に乗って京都(かけおちと言えば行き先は京都でしょう!)へ行くシークエンスは素晴らしいのひとこと!
二人が夜行に乗っていると、まず東京ヴォードヴィルショーの花王おさむが「歌う車掌」として登場。マイクを持って乗客たちと松村和子の「帰ってこいよ」を熱唱します。
続いて節子と康夫が座っている座席の後ろから突然、小林克也演じるDJ男が現れ、二人に話しかけます。二人はかけおち中のいとはんと板前になり、大阪弁で話始めます。小林克也はDJ口調で1977年のヒット曲(ジョン・レノンやポール・マッカートニーやオリヴィア・ニュートンジョン)の紹介をして、二人にマイクを渡して「歌いますか?」と尋ねます。「Sure !」とマイクを取り、二人が歌うのは……「昭和枯れすすき」(「貧しさに負けた/いいえ世間に負けた」というアレです)。
痺れませんか。でもすごいのはここからです。
節子は康夫とかけおちをしたものの萩原のことが忘れられません。大垣の駅で乗り換える際、節子は康夫に「牛乳買ってきて」と言います。「じゃあ買ってくるよ」と走り出した康夫を呼び止め、節子は指でピストルを作って「バン」と撃ちます。撃たれた康夫(といってももちろん本当に撃たれた訳ではないのですが)は胸を押さえてよろめきます。
BGMに森山良子の「今日の日はさようなら」がかかり、それに合わせて節子も歌います。朝焼けのホームで二人のシルエットが映ります。
すごくないですか。私は魅せられました。
このシーンに何の意味があるのか私に問わないでください。もちろん節子の心象風景ですし、言おうと言えばなんとでも言えます。でも、これは言葉にすると野暮になるというやつですね(私は言葉を使った仕事をしていますし、言葉の力を信じています。だから、言葉にならないとか、言葉にすると野暮になるということは原則として言わないのですが、これは例外的なケースです)。
康夫はやがてホームに仰向けに倒れてしまいますが、やがて何事もなかったかのように立ち上がり牛乳を買いに行きます。節子はその間に電話をかけます(当時はまだ携帯電話なんてありません。公衆電話です)。かけた先は……萩原のところです。
節子は一言も喋りませんが、萩原は節子からの電話だとわかったのでしょう。近々バンクーバーに発つので一緒に来て欲しいと言います。節子は何も言わぬまま電話を切ります。
二人は京都に到着、古風な旅館に逗留することにします。ここでもいろいろあって面白いのですが、それを書いているとあまりに長くなるので端折ります。
圧巻はラスト近くの節子と康夫それぞれの長セリフです。私はこれほど素晴らしいセリフを聞いたことがありません。
長くなりますがます節子のセリフを書き起こしします。
うちは欲しい。愛は欲しい。無理な話だよね。私もいい加減な女だよ。 考えてみれば、あの萩原さんだっていい加減な人だよね。愛してます、愛してますって、口ばっかりでさ。何にも行動に移さないもんね。何にもしないもんね。 無骨も最初は魅力だったよ。映画館に入ってさ、ちょっと手が触っただけでさ、「失礼! 自分はそんな男ではありません」。「自分」だって? 自衛隊じゃないってんだよ。 レストランに入ってさ、「節子さん、フォークどれ使えばいいんですか?」、「それよ」、「節子さんって物知りなんだな」、みんな知ってるよ。 「節子さん、フォークの背中にご飯乗っけて食べなきゃいけませんか? 僕、お箸使っちゃいけませんか?」、みんな我慢して食ってんだよ。マナーは我慢よ! 「節子さん、お料理なさいますか?」、「ええ、一応は」、みれみれこの口、女の口からは嘘しか出ねえってことが、あいつにはわかんねえのかよ。情けなくて涙が出るよ。 「萩原さんって、背が高いのね」、そういった途端、背伸びしてやがんの。ばか、高すぎるって言ってんだよ。 考えてみれば最初からおかしかったよ。最初からおかしかったよ。 「その持ち物、それはあなたが高校3年の時、書道展の時にもってらしたものですね。そのかんざし、それはあなたが大学4年の時、卒業パーティーでつけていらしたものですね。」たまんないよ。私だって忘れてるんだもん。そんなこと言われたら、誰だって好きになっちゃうよ。誰だって胸締め付けられちゃうよ。 「あなたの思い出の一つ一つが僕の人生の生き甲斐でした。僕の命でした。「純潔」と大きくしたためたあれからあなたは変わっていませんね。」、目ん玉キラキラさせて言うんだもん。「あなたはあれから変わっていませんね。」、「はい!」、言うしかないじゃん。 10年だぜ、10年。女の10年は、おのれの100年じゃあ。 「僕は10年間あなたを思って生きてきました。好きな女ひとり自分のものにできないで、僕の人生は一体何だったんだ。」 何だったんだって、何だったんだよ。 「節子さん、僕はあなたを奪っていきます。僕はあなたを連れて逃げます。」、「萩原さん、私あなたについていきます。あなたとなら幸せになれそうです。こんな女でもいいのですか」、「節子さん、雨の日も風の日も雪の日も、二人でどこまでも歩いていきましょう」、「あ、雨が。雪が。あ、鼻緒が切れてしまったわ」、「さあ節子さん、僕の膝に捕まって」……
すごくないですか。これを当時25歳(かな)の大竹しのぶが言うんですよ。私は心を鷲掴みにされましたし、今見ても(書き起こすために見直している今この時も)涙なしに見ることができません。
セリフの中の「みれみれ」は「みろみろ」の言い間違えかなと思いますし、途中画像がぼやけるところもありますが、おそらくこのシーンは一発撮り直しなしで撮ったのではないか、少なくともセリフの正確さや画質より演技を優先したのではないかという気がします。
「僕の膝に捕まって」と言ってふと節子が顔を上げると、そこには康夫がいます。康夫は節子の独り言を聞いていた訳です。
以下、康夫の長台詞を書き起こします。
寂しかったな。 寂しかったよな。 大丈夫だよ。萩原さん、来てくれるよ。萩原さん、いい人だもん。 いや、俺は平気だって。俺、SLあるしさ(康夫はSLを撮影するのが好きなのです)。俺だって10年間そうやってダラダラ生きてきたんだもん。俺は全然平気だよ。 (電話が鳴る。) 電話だよ。萩原さんからだよ。出てあげなよ。 (節子は電話をとります。萩原は「節子さん、明日です。成田発20時30分。一緒に行ってくれますね。一緒に行ってくれますね」と言いますが、節子はそのまま電話を切ります。) なんだって? (節子は「明日8時30分成田発だって」と答える。) (間) あなたの思い出の一つ一つが僕にとってのかけがえのないものでした。あなたのその思い出の一つ一つが僕の命でした。僕はあなたをきっと奪ってみせます。あなたのその瞳も、その口元も、その手も、全てを僕のものにしてみせます。好きな女ひとり自分のものにできないで、俺の人生は一体何だったんだ。俺のこの10年間は一体何だったんだ。 俺、こういうこと言えなかったもんな。こういうこと言ってあげることできなかったもんね。 だってさ、俺、めちゃくちゃな男だもん。ひどい男なんだよ。もうとんでもない性格してるんだよ。やなやつなんだよ俺。嫌われてばっか。 (電話をとりダイヤルを回す。) どこに電話してると思う? お前のお母さんに電話してんだ。 (電話口で)ああ、お母さん、あの、あのね、前にあの話してくれたことあるでしょ。節子がさ、萩原さんと結婚したら僕にお嫁さんとってうち継がしてくれるって、あれほんとですよね、あれ。お母さん、ちょっと、返事してくださいよ。あれほんとですよね。 ははは……また切られちゃった。お母さんにまで嫌われちゃったよ。だってさ、俺、生まれてからさ、人に好かれたことなんてないんだぜ。俺、みんなから嫌われてたんだよ��� (電話が鳴る。萩原の運転手・松田(平田満)からの電話。松田は康夫が節子の恋人だと知って康夫を詰り電話を切ろうとする。) 松田さん! 松田さん、聞こえる? あのさ、萩原さん連れてさ、すぐこっち来てくれないかな。すぐ萩原さん連れてきてよ。それじゃないと節子死ぬよ。ほんと死ぬんだから。ちょっと待ってよ。(部屋のガス栓を開ける。)ほら、この音聞こえるでしょ。ガスが出てんだよ。シューシュシュシュって聞こえるでしょ? ガス出してんだよ。節子はさ、萩原さんのことが愛おしくて、萩原さん来てくれないと死ぬって言ってんだよ。 俺? 俺、関係ないって。俺、関係ない男だって。絶対来てよ。ほんと絶対だよ。絶対来てよ。 (電話を切る。) 来てくれるってすぐ。飛んできてくれるってさ。大丈夫だって。萩原さん、俺のこと全然知らないもん。全然気にしてないさ。 節子、お前幸せになれよ。絶対幸せになれよ。あのさ、萩原さんと一緒になったらさ、ほらドライブとか連れてってくれよな。一緒に遊んでくれよ。俺、だから、そういうのできるからさ。お前、ほら、料理とか作ったらさ、ごちそうしてくれよ。俺のためにさ。萩原さんと3人でさ。俺、そういうの全然平気だもん。 全くシューシューシューシュー音ばっかりでたよんないガスだな。大丈夫だよ。俺たち気合い入ってるから、このくらいのガスで死にやしないよ、全くよ。どんどんどんどん来いっていうんだ。全くよ、関西のガスは効かねえよ。 俺よ、ちょっと足りないものがあるから下行って借りてくるわ。
康夫はそう言って部屋を出ます。
見苦しいですね。みっともないですね。どうしてここまで卑屈にならなきゃならないんだと思う人もいるでしょう。
でも……それが素晴らしい。本気になった人間、必死になった人間は見苦しくもみっともなく、そして美しいーー私が好きなパターンですが、それを感じさせてくれるセリフです。
ドラマはまだ続きますが、ちょっと書き疲れました。 続きは次回にします。
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