#(歳寒三友 )
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Resulta muy sorprendente encontrar un jardín chino en Suiza. Este inesperado jardín, reconocido como uno de los más auténticos fuera de China, simboliza el paraíso: un paisaje idílico de armonía entre el ser humano y la naturaleza.
#(松竹梅 )#(歳寒三友 )#Blatterwiese#carpas koi#China Wiese#Chinagarten#Chinawiese#filosofía taoísta y budista#Jardín chino en Zurich#Jardines chinos en Europa#Le Corbusier Center#Maison de l’Homme de Zurich#Mejores jardines de Suiza#Museu Heidi Weber#Pabellones chinos#Puerta de la luna#Tres amigos del invierno#Zürichhorn#Zurich-kunming
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日付が変わり、浩志は本郷にいた。彼がいた時は木造三階建てだったが、今は鉄筋コンクリートに変わっていた。次女・愛美が経営し、みいはすぐ隣の木造二階建ての家に住んでいた。旦那は最近亡くなったらしく、愛美の夫と孫二人と一緒だった。
無論、明かりはすでに消されていた。浩志はみいには通夜か告別式に来て欲しかった。魂なので彼はスッと家内に入り、居間なのかそこだけ明かりがついていた。そっと覗くと、ダイニングテーブルにはみいと愛美が向かい合って座り、「越の寒梅」の一升瓶をテーブルの中央に置き、グラスを酌み交わしていた。相変わらず酒豪だなァと、浩志は苦���した。みいは言った。
「…まさか浩志が逝っちゃうなンて。心臓に毛が生えているから、わたしより長生きするよねぇって思ったら…ポックリ逝っちゃった」
「…お母さん。お父さんもそうだったけど、男って案外弱いのよ!」
「嗚呼、三社祭や隅田川の花火には必ず遊びに来て、水戸の地酒…何だっけ?」
「ほら、『一品』よ」
「そうそう、一品の大吟醸を必ずお土産に持って来てくれて…つまンない」
「…でも、お母さん。独りで大丈夫?」
「…偕楽園には毎年行ってるからねぇ。確か、駅前に『Kホテル』があるし、大丈夫よ」
男は案外弱い、か…。そうかもしれない。親父もそうだった。まァ、ヘビースモーカーだったし、仕方なかったが…。でも、皆オレのことを言いたい放題言ってるなァ! 浩志は、美津雄や小百合だけではないと痛感した。
愛美は、みいのグラスに酒を注ぎながら聞いた。
「…でも、お母さん。本当に幸雄さんを連れて行くの?」
「…え? 連れて行くよ」
「…だって、浩志おじさんとは確か、二十歳近く齢が離れているのよ? 九十代のご老体で、大丈夫なの?」
「…大丈夫よ。毎朝、隅田公園を散歩しては言問橋近くの『Y湯』で朝風呂してるって言うし。だって、浩志にとっては『愛人』よ!? 連れて行かなきゃ、冥土の土産にならないわ。幸雄さん言ったのよ、浩志の骨ぐらい拾いたいって」
幸雄が未だ健在だったとは…。最後に会ったのは一昨年の隅田川の花火の時だったっけ。流石に、九十歳近くのご老体を酷使するのは申し訳ないと、その後は手紙のやり取りをするだけだった。曳舟にあった実家は手放し、今は橋場の方に住んでいると聞いた。結婚はせず、横浜に嫁いだ彼の姉の末っ子を養子にしたと聞いた。
浩志は、せめてポックリ逝く前に一度会っておけばよかったと後悔しながら、彼と付き合い始めた頃のことを思い出した。
幸雄との再会は、意外にも大学の敷地内だった。浩志がラグビーを始めたのは高校に入学してからだったが、大学ではアルバイトに明け暮れようと勧誘を受けても断っていた。しかし、一年生の夏頃にどうしても入部して欲しいと友人から懇願され、仕方なく引き受けたのだった。
これまでやっていた居酒屋のアルバイトを辞め、早朝の新聞配達だけにした。居酒屋の方は練習が連日あるので無理だと判断したのだ。しかし、一升瓶を見ると飲みたくなってしまうほど酒が大好きだったから、かえって辞めて正解だと彼は思った。
ラグビー部に入るや、すぐ都内の大学と練習試合が行われ、浩志もメンバーに選ばれた。当時、廃部寸前と言われていたほどに弱かったが、彼が入ったことにより次々へと勝ち進み、気付くと関東大会に出場を決めていた。最初は見くびっていた上級生も浩志を見直す様になり、学内でも有名になった。
そんな中、某新聞社から取材の申し出があり、浩志はインタビューを受けることになった。学長室に呼ばれ、ドアを開けた時、彼はびっくりした。カメラマンを率いて幸雄もいたからだった。幸雄もようやく再会できたと満面の笑みをみせた。
インタビューは三十程度だったが、取材を終えると幸雄は浩志に声をかけた。カメラマンも同行していたので彼はメモ用紙にメッセージを書き、浩志に渡した。その紙にはこう書かれていた。
「午後七時に銀座の時計台の前で待ってる」
いつもの様に練習を終えた浩志は、自転車を国鉄・御茶ノ水駅の前に止め、電車を乗り継いで銀座へとやって来た。銀座は、高校時代に長男・正夫や次男・岳次と一緒に日劇へ行った時以来だった。水戸にはない華やかさがあり、ネオンサインがあちこちに煌めいていた。時計台の下に幸雄は待っていた。学ランの第一ボタンを外し、浩志は笑顔をみせた。二人は五丁目にある釜めし屋へ向かった。そこでも互いのことを語り合い、時折幸雄は浩志の手を握ったり、膝に触れたりしていた。
午後九時になり、明日も新聞配達があると営団地下鉄・銀座駅の前で別れようとしたが、幸雄は引き止め、二人は人気のない路地に逃げた。そこで幸雄は浩志を抱きしめ、接吻をした。背部や臀部を弄られ、浩志も幸雄を求めた。全身が火照って彼は、
「…オレ、幸雄が好きで好きでたまらない。欲しい、もっと欲しい…」
と訴えた。幸雄も、
「新聞配達だったら、その時間までに行けばイイだろ? 君は可愛いよ、可愛くて仕方ないよ…」
と浩志の唇に触れた。
結局、幸雄は浩志を自分の住む向島のアパートに連れて行った。布団の上で二人は裸になり、愛し合った。この時に浩志は、これまで用を足す為だけの下半身の穴に幸雄の肉棒が挿れられ、その奥に潜む性感帯を弄ばされた。最初は声に出して痛みを訴えたが、幸雄と肉体が一体になったことに歓びを感じた。次第に、かえって抜かれると痛いことを知り、しがみつく様に幸雄の背部に腕を回した。大粒の汗を流しながら、浩志は自分の肉棒がいやらしいほどに先走り汁を流しているのを認めた。
「あッ、あん、ああん、あん…」
まるで女になったかの様な錯覚に陥り、幸雄の膝の上で彼は接吻を繰り返した。絡み合う舌と舌に幾重にも唾液が糸を引き、口角から滴りそうになるのを二人はすすり、呑んだ。次第に、幸雄は激情の故に浩志の乳房を鷲づかみにし、揺さぶった。
「あ、あぁ…。君が欲しい、もっと欲しい…」
浩志は、下半身の穴が火がついた様に熱くなっていくのを感じた。幸雄の肉棒が彼の性感帯に何度も突かれ、浩志は理性を失いかけていた。このまま彼の愛液を受け止め、妊娠しそうな感覚に陥った。もし子どもが宿せるなら産みたい、幸雄が好きで仕方ないと、浩志は思った。
オルガズムは二人同時に達した。浩志の下半身の穴に幸雄の愛液が注がれ、浩志の愛液が幸雄の肉体のあちこちに飛び散った。
「あッ! あん! あぁん! あァァァん!」
浩志は涙を流しながら声を上げた。幸雄は彼の両胸に顔をうずめ、
「はァッ! はァん! あん! あァァァん!」
とうめいた。
浩志も幸雄も恍惚な表情をし、未だ萎えぬ肉棒を露にしながら二人は接吻を重ねた。
時計は午前十二時を回っていた。電車はすでに運転を終了していた。二人はちり紙で飛び散った愛液を拭い、手ぬぐいで軽く身体を拭いた。浩志は下半身の穴に鈍い痛みを感じていた。幸雄は、
「痛かった?」
と聞いた。浩志は、
「否、大丈夫」
と横に首を振った。彼は、すっかり幸雄のことを自分の情人(アマン)として受け入れ、認識していた。彼は、童貞を喪失したことで何か自信の様なものを得た気がした。ブリーフを穿き、ランニングシャツの上からワイシャツを羽織ろうとした時、トランクスだけの幸雄が背後から抱きしめてきた。彼は言った。
「いつでもおいで、待ってるから…」
微かに腋臭の「匂い」がした。ブリランチンでまとめていた髪は乱れに乱れ、うっすらと無精髭が生えていた。浩志は、同性でありながら初めて「男」を感じた。そのまま彼は振り向き、接吻した。まるで映画のワンシーンの様だった。うっすらと涙を流しながら、
「いつでも抱いて…」
と言った。
嗚呼、このまま夜を明かしたいと、浩志は思った。
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鳳凰 龍 細密石彫刻製作 石基壇 聖徳太子殿 念佛宗仏教美術 The Prince Shotoku Hall The Buddhist Art of Nenbutsushu Stone carving
聖徳太子殿 The Prince Shotoku Hall
念仏宗無量寿寺(念佛宗) 総本山 佛教之王堂〜三国伝来の佛教美術 日本では類例を見ない四手先総詰組様式、および三手先腰組付縁の八角堂 It is a grand octagonal shrine with four-stepped intermediate bracket complexes under the eaves and three-stepped bracket complexes under the veranda, which is peerless in Japan.
概略 高さ17.2m(基壇、棟飾り込) 側通り柱間4.85m
輪島塗による高蒔絵、及び彫金が施された厨子に、中華人民共和国、工芸美術大師・佘國平佛師制作の「和国の教主」とうたわれる聖徳太子像がお祀りされている。
念佛宗(念仏宗)無量寿寺 聖徳太子殿 建築的特徴
他に類を見ない様式 四手先総詰組、三手先腰組付縁の八角堂は他に類を見ない。特に四手先総詰組は、日本建築史上初めての独自の変形組み手である。特殊な組み方をすることにより、組み手同士の立体的干渉を回避している。この念佛宗(念仏宗)ならではの、独創的な手法は、専門家をも捻らせている。日本の大工の始祖とも崇められる聖徳太子も、きっと納得されているに違いない。 天平の文化が華やかなりし頃、神社仏閣は、鮮やかに朱で彩られ、外国文化を吸収、醸成され、それはきらびやかなものであった。 そして今また千年の時を超え、念仏宗 佛教之王堂における聖徳太子殿は、天平時代の華やかさを凌ぐ存在感で、参詣者を迎える。 外装壁部には「天女」、阿件形の「鳳風」、衆生を導かんと雲を従えて天下る阿件の「龍」が、また蛙股部には「宝相華」が、胡粉の白一色に塗られた彫刻で荘厳されている。腰組部と階段脇の耳石にも阿件の精緻に「鳳風」が彫刻されている。 これら数多くの彫刻、彩色で彩られた御堂は、典雅な趣にみあふいざな満ち溢れ、訪れる者を夢の世界へと誘う。 桟唐戸は丹青技法による極彩色が施された「宝相華」や「転法輪」、「鳳凰」の彫刻で荘厳され、八方を守護している。 世界に誇る槙の日本庭園に囲まれた姿は、飛鳥・天平時代を偲ばせる典雅な趣に満ちている。 軒裏に扇垂木を用いており、内部は韓国人間国宝・李萬奉大僧正猊下、及び、直弟子洪昌源師制作の、韓国古来の伝統的丹青技法による彩色が施され、合計428点の彫刻が太子を賛嘆している。 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 聖徳太子殿 建築的特徴 三国伝来の佛教文化 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂の聖徳太子殿は、かつて、聖徳太子が御堂にこもって、経典の解釈に没頭しておられる時、夢告(むこく)で教えを賜った(たまわった)との伝説から、法隆寺などでは平安時代より、「夢殿」(ゆめどの)とも呼ばれてきた。 ここ念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂における聖徳太子殿は、日本の建築技術と韓国の丹青(たんせい)技法、そして中国の彫刻が見事に調和し、三国伝来の佛教文化の粋を見ることができる。 例えば四手先総詰組様式及び三手先腰組付縁(こしぐみつきえん)は、他に比類なき日本建築の最高峰といえるもの。 また、内部に施された極彩色(ごくさいしき)は、韓国の丹青技法が日本で独自発展を遂げた平等院鳳凰堂の様式を踏襲したものであり、天井画写真下方の緑色部、「ぼかし」のような繧繝(うんげん)彩色や、全体的な白く縁どられた紋様等が特徴的である。 和国の教主 聖徳太子 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 聖徳太子殿には、聖徳太子像をお祀りしている。天竺(インド)から唐土(中国)へ伝わった佛教の尊さを悟られ、神佛が習合する中、日本へ佛教を根付かせた「日本佛教の父」が聖徳太子。 「和を以て尊しとなす」 これは世界的に有名な聖徳太子『十七条憲法』の根幹(こんかん)をなす第一条の言葉。『十七条憲法』は、我が国最初の憲法であり、佛教精神を基(もとい)とした平和国家日本の建設に臨まれた聖徳太子の決意を表している。推古(すいこ)天��即位の時、聖徳太子を摂政(せっしょう)とし、すべての政治を委ねられた。『日本書紀』には、その時、もろもろの豪族らは、君主と先祖の恩に報いるために競って佛をお祀りする場所を造ったとされ、以来、それが「寺」となった。つまり恩に報いるために寺が建てられ、佛教が興隆していった。 第二条に「篤く三宝を敬え。三宝とは佛・法・僧なり」そして「何れの世 何れの人か この法を 尊ばざる」として、どの時代、いかなる人であってもこの法を尊ぶべきことを明断しておられる。 そして佛教を基調とした国づくりをして、日本を統一国家に相応しい姿にされた。それによって寛容の心が根付き、民の争い事が減った。そして佛教伝来から僅か数十年で、当時の世界最新建築の佛教伽藍(ぶっきょうがらん)「四天王寺」「法隆寺」を建立した。聖徳太子が、「和国の教主」と呼ばれる所以。太子の願いは、大和の地に佛教を興隆させ、人々に平和をもたらすことでした。 丹生(たんせい)技法に彩られた堂内 青丹によし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり 聖武天皇(しょうむてんのう)の御代、奈良で一世を風靡した丹生技法は、今、ここ社の地で大きく華開いている。 渡来して日本的発展を遂げた密度濃やかな繧繝(うんげん)彩色や、白縁模様で荘厳された極彩色の天井を、吉野檜の銘木に、拭き漆と熨斗(のし)模様を施した八角柱が八方から支える。 聖徳太子殿の「八角宮殿」 扉に描かれた阿吽の鳳凰は、聖天子(せいてんし)の出現を待ってこの世に現れ、飛天は、釈尊説法時に舞い降り、奉楽し、天華を散らし空中で舞う、とされている。 宮殿は、もともと、天竺(てんじく)における塔やその下の小室である「龕」(がん)を源流とし、後世、これが厨子(ずし)や仏壇に変化した。 法隆寺玉虫厨子や橘夫人念持佛(たちばなぶにん)などは、その代表例。 念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 聖徳太子殿の「宝珠」 宝珠は、災いを除き、願いをかなえる力を持つとされ、聖徳太子殿の屋根に聳える宝珠は、聖徳太子の佛教興隆の成就を象徴しています。 この宝珠を護法神である、八頭の象が支えており、八方から佛敵より佛法を護り、宝珠の周りには、凡夫の煩悩を焼き尽くす火焔(かえん)が、勢いよく燃え盛っています。 聖徳太子殿の「輪島塗 高蒔絵」 日本の伝統技法の輪島塗りによる高蒔絵は、最高品質の漆を盛って、乾かないうちに松煙(しょうえん)を蒔きこみ、盛り上げ固めます。入手困難な「舟鼠(ふなねずみ)の蒔絵筆」を用い、輪島塗職人の二年間にわたる努力の末に完成しました。十枚の扉に浮かび上がる金色の『十七条憲法』の銘文は、職人会心の傑作です。 松竹梅と獅子 念佛宗(念仏宗)無量寿寺の宮殿下部には獅子が八方を護り、吉祥紋様の松竹梅が施されています。 風雪や厳寒に耐えて緑を保つ常磐木(ときわぎ)の「松」と「竹」、春、百花に先駆けて花開く「梅」を長寿・高潔・節操・清純などの象徴として「歳寒三友(さいかんさんゆう)」とも呼び、その吉祥紋様を背景に、獣類中、最も勇敢で高貴な、百獣の王の獅子が、宮殿を護っています。
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その年、エイコは七歳になった。小学校一年生だ。 そして、その日は、今日よりも寒い冬の日だった。 エイコはランドセルを背負い学校から帰ってきて早々、居間で本を読み始めた。 これは、いつも通りのことだった。いつも本の続きが気になって、友達と遊ぶのもそこそこにエイコは帰宅し、居間のこたつに入ったり、ベッドに寝そべって本を読む。今日はとても寒かったので、こたつにした。 こたつに置いてある籠に入ったみかんに目もくれず、黙々と本を読み進める。
— 三萩せんや著『神さまのいる書店 冬を越えて咲く花』(平成28年3月Kindle版、ダ・ヴィンチブックス)
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2024年1月6日(土)晴れのち曇り
生理3日目。そういえば出産してからはじめての生理だった。お腹の痛みとかは全くなくて、しかしホルモンが悪さをしており、ずっと眠たい。朝食にオートミールを食べて、娘にメリーで遊んでもらっている間に洗濯を干し、畳み、食器洗いをして、米研ぎをし、風呂掃除も終わらせる。家事を済ませて娘に近づくと、ばちっと目があい、満面の笑み。すべてを投げうってでもこの笑顔を守りたいとおもう。からだの保湿やお着替えをし、手遊びをしたり、じたばたと足を動かしたり、スキンシップをとりながら過ごしている間に眠くなってきたのか、ぐずりだす。寝は浅いけど、その間にテレビのある部屋に移動し、過ごす場所を整える。
正午からは全国高校サッカーの準決勝。近江高校を応援しているので、目当ては二試合目なのだけど、青森山田の最強フィジカルチームを見ておきたくて見たら、とんでもない試合でPKで勝ち負けが決まった。感動して涙が出る。二試合目もぼろぼろと泣く。明後日の決勝は、青森山田vs近江。楽しみすぎるカード。春高バレーも、大学ラグビーも見なければ。
夕方は、爺ちゃん婆ちゃんすずか(実家の愛犬)娘と散歩に出掛ける。冬なのにカーディガンだけでも暖かいような気温で、ほんとうにどうかしている。冬の凍てつくような寒さのなかでみる空の美しさ、しんとした空気が好きなのに。暖冬。いつか冬はなくなってしまうのかもしれない。悲しい。すこし歩くと、近所に住む消防団の団長宅の3歳と4歳の息子さんたちに会う。「お友達がいる〜!」と遠くから三輪車を猛スピードで漕ぎながらやってくる。娘をみて、「赤ちゃんかわいい」という。近所にいる小さな子たちは彼らだけなので、きっと幼馴染として過ごしていくのだろうなと思いながら、ばいばいといって別れた。
本を読んで、寝る。娘はどれくらい寝てくれるだろうか。お腹の上には猫。足の上にも猫。あたたかい。おやすみ。
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2010-12 吉祥寺マンダラ2

16 1 5 14 1 3 Shikinami 提博明(vo.g)白今(vin)野口明生(pf.歯) 知念弘(vo.g) 川野理江(cho)平田和也(cho) ゲスト:アミーゴ(per) 協力:COR(新里和盛) サスケ 大垣カツ(vo.g)大垣タカ(VO.g) 前売¥2800 38Y3000 店売有 MUMU 中根信博(1)本間太郎(Key)植村昌弘(ds) る*しろう 井筒好治(B)金澤美也子(key.vo)菅沼道昭(ds) [るしろうと MUMU] サンタラ [SANTARA LIVE 2010 "It's boiling over, Baby"] 19:00/19:30 前売 ¥3000 当日¥3500」 12 ヨ 11土 10 金 9木 8水 7火 6 ヒアノ洋交:奥美人じゃら(cs)ふじー友子b)真族子(of) 早瀬実穂/平岡子/平田由季/MoMo/森ゆき/吉利和人 cas!・さしとう今/感子一部乃希勢一下田西子一白杉美秋一宮日★ 発表会 LIVE Music Box] [第6回 真実人門下生による ゲスト:鎌田ひろゆき(vo.g)with 山川ちかこ(pf)山崎保(8 堀内美和(vo)kame(pt) [2010 Heartful Live ] Battersea Powerstation リオ・ブラボー/ラヴハンターズ Cosmopolitan Cowboys/ 石田洋介 竹井誠(尺八、能管、苗)清水一登(key)仙波清産(ds) 三橋 美香子(vo) [行きずりの心音、難した一人残らず] 外山明(as)トリスタンホンジンガー(vc) トビアス・ディリアス(ts)井野���(cb) [Same Difference] STAR BELL PLUS 大竹創作(vo.pf/ねがぽじん 花実(vo)未阪#(@)大久保油値(key)山内■(0) [花実 ライブ"冬の新月』] 前売¥2500 +drink 店売有 [NI、ライブ(吉祥寺へ行こうか」](30日 追加公演) 池島ゆたかケスト:若林美保 [Mr.pink!/池島ゆたかショー] 27 月 小窓ノ王 税(F.x)植村2(06) ROCKS 大和田ゲンタ(8.Vo)塩田(5)北海学1(ds.per) 宮国英仁(vo.g)/ヤブコギ [KOYA Records Presents Live!!] 航(vo.pf) 柿沼朋音(ds)金子添子(1) 日 22水 田村夏椒(t)✕ 藤井郷子(pt)✕ 宅“Shoomy”朱美(voice.afect)✕岡部洋|(per Tallzx 早川岳晴2555年版6(0) [水中、それは苦しいpresents 23木 ジョニー大蔵大臣バーステーライブ 2010」] 神さま/オジュドゥイ・イル・フェボゥ 股下89/水中、それは苦しい+真部備一 [黒色すみれクリスマス演奏会] 黒色すみれゅか(vo.pf.ace) th(vin.pf) なぎら健吉(vo.g) 25土 +OWN RISK [渡えポジティブ in MANDA-LA2] 闘間拓/花枝聖/中タカシ /19:00 前売¥2800 当日¥3000 ¥2500+drink+drink+drink 店売有 店売有 5 きゃなえ★ワンマンライブ [2人のスモールショー] 20月 カサノボー男(vo)・古賀暉(vo) はんだすなお(pt/西遊記)森山和弘(ds/ryo-ki) OGU(b/ryo-ki) 有街英(vin/ryoki special guest live:トロスワール岡村佳代子(Vo) 清水由(vo)山口恵利佳(vo)三枝伸太郎(pf) [THE HOOTS presents 「JOJI!X'MAS」 ~吉祥寺で神が人となって生まれる日] 21尖 あまがみ/KOTEKING / cappa sight 特田浩嗣/and more DJ:a boy named hiro MC:モッコリー鈴木 18:00/19:00 前売¥2500 当日¥2800 +drink 店売有 当日¥3000 ¥2300+drink +drink 4 土 3金 2木 1水 <day> 歌歩 / hiona [中村賢一追悼ライブ vol.15] special for event 豊田 勇造(o.g)辣米警(3 桜井芳(g)関●館(tuba)中開】(sax.etc)外山明(ds) 酒井俊(vo) サードクラス [サード・クラスワンマンショー] 12:30 /13:00 18:00 /19:00 ¥3000 19 ¥2800 +drink 19:00/19:30 当日¥2800 +drink 店売有 土 17 金 [第17回 三浦久年末ライブ in 東京「王様のいない魂のために」] 三浦久(vo.g)野間義男(8) [吉祥寺で達いましょうvol.2] 桜井明弘(vo.g)大村直治(pfビアニカ)衣山悦子(B)山下政一 小林政広 [10周年だヨ!全員こねくしょ~ん!] EB.P +drink 売¥2800 /19:00 /13:00 +drink 店売有 +drink 出演希望の方は、デモテープ・写真をご用意の上ご来店下さい。 時間:開場 18:30/開演19:30 料金:¥2000+ドリンクオーダー(異なる場合はスケジュール表内に表記してあります。) 〒180-0003 東京都武蔵野市吉祥寺南町2-8-6 第18通南ビル Tel/Fax:0422-42-1579 吉祥寺駅 LBOOK OFF 末広通り Pick up! 井の頭通り MANDA-LA 渋谷 http://www.mandala.gr.jp ライブ終了後 AM0:00まで営業しております。 112月1日(水) [サード・クラスワンマンショー] サードクラス 12月29日(水)&30日(木) [Z三、ライブ!音様寺へ行こうか!] 乙三 2 UNDERGROUND発。 音楽配マーケット! mL55 ージックキューブ http://www.music3.jp 音楽配信サイトです。 NEXT MONTH 1.2 (sun) FEEL FREE TO SING presents 1.3(mon)[2011年の初めの おおばんぶるまい] 1.5 (wed)寒空はだか presents 1.8 (sat) 野兎/さあやとはるよし 1.9(sun)[吉田達也の叩きっぱなし! 50歳記念] 1.10(mon) 三叉路 ② 2010. DECEMBER LIVE SCHEDULE MANDALA 2 City Hole's Bar
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2015年 04月 21日
半袖Tシャツとダウンベスト
昨夜は1度布団に入ったが眠れずまた起き出してあれこれ機材のチェックをしてその後就寝。
真観は、8時15分発のバスに乗って東京に向かった。今朝は雨は止んだものの曇り空。バスの中ではSkypeでNYの友人Tとチャット。急に忙しくなったという知らせと相変わらず手が調子悪いらしい。
吉祥寺の友人MMにも連絡し、お昼に会えることになった。
ほぼ定刻、渋谷でバスを降りると三鷹台の歯医者に向かった。真観の歯は弱い。人を羨むことは少ないが歯が丈夫な人はそうでない人と比べてメンテナンスの費用が大きく違う。
歯医者に着く。随分ご無沙汰していた。先生は元気だった。今日は先生と治療の相談しただけで終わった。ゴールデンウイークが差し掛かるので何度通院するか、どのタイミングで、などなど。
真観は、吉祥寺駅に戻りMMと待ち合わせ前にソフトバンクの店を探して入った。先日直したiPhoneの修理代の補填申請の為だった。安心パックのお陰で1割負担で済んだ。その後まだ待ち合わせまでには時間があったので井の頭公園まで歩いた。あのステージはまだ残っていた。真観は20歳の頃、吉祥寺に住んでいた。
南口のカフェに入る。真観はボルシチを注文しMMを待った。MMは仕事先からお昼休みを利用してやって来てくれた。MMは元気だった。お互いの近況を話した。彼女は最近あるホームページで料理のコラムを担当することになり自分で撮影したデザートの写真を真観に見せた。『写真って心が現れるね』最終決定するまでに何度かそのデザートの写真を撮った様で試行錯誤がうかがわれた。これも立派な物撮りだった。MMの写真はセンスがいい。真観は、彼女を褒めた。
1時間もしない内にMMは仕事先に戻って行った。真観は軽く量販店を覗いて井の頭線に乗って渋谷に向かった。そしてD社へ。
今日は、社長を交えてのミーティングだった。ミーティングにはデザイナーのお2人とD社の社長とIさん。ミーティングは和やかに進んで今後が期待出来た。
ミーティングの後は、撮影環境の整理をする。少しづつ環境が整って来ている。真観はD社に役立ちたいと願う。
6時過ぎ、D社を後にしてUさんと合流するためTSUTAYAで時間つぶしをする。ケン・ラッセルの映画「肉体の悪魔」を探すと見つかったがレンタル中だった。しかも!VHSしかなかった。またの機会を狙おう。
Uさんと合流。渋谷は人で溢れかえっていた。静岡での日々と明らかにギャップを感じた。恐怖感もあった。Uさんとて同じフィーリングな様で、真観はUさんが落ち着くだろうと思う店を提案した。食事は、昔ながらの中華料理店。そしてその後のお茶はその中華料理店の向かいにある喫茶店。中華料理店には中国人らしき従業員の女性たちがホールで注文をさばいていた。店内のテーブル席には中国人らしきの観光客が沢山いた。異国で食べる中華食のお味はいかに?
向かいの喫茶店も極々普通の昔ながらの喫茶店。ちょっとオシャレ感はある店。タバコも吸えた。渋谷でこの様なお店は珍しい。お店の名前はフランスの首都の名前だった。マスターとウェイトレス2人。真観もUさんもコーヒーフロートを注文。お互いの近況を話した後、真観は近代史の話を話し始めた。2.26事件を皮切りに近代史のうねりの発端は第一次世界大戦から始まっていると考察すると理解し易い。真観の近代史の情報源はもっぱらYouTubeだ。真観は、明治維新以後の日本史と世界史に興味を持っている。Uさんは常に真観の先生だ。Uさんは何でも良く知っている。
9時過ぎのバスに乗るためUさんと別れてバスターミナルへ1人向かった真観。この日記はバスの中で書いている。
今日は、半袖Tシャツとダウンベストの出で立ちで上京。さすがに夜になると寒かったので用意していた長袖のヒートテックを重ね着した。

AND SO THE DANCE GOES ON ・・・ ダンスは続く。
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202503_雑記

明日誕生日なんで一応休みにしてたけど、洗濯機の修理が来る以外特に予定なく、かつ寒暖差とかで体も疲れ切ってるので家で本読んで映画観て適当に過ごそうかなと思い、今日の教習終わりに本をやけ買い(前から気になっていたクラリッセ・リスペクトルなど!読むのが楽しみ)して帰ってきたら、友だちから玉手箱が届いていて嬉し&おどろき…。センスのよいものを丁寧に選んでくれたのかな、と思うと心が温まりました…。😭 涙…。31歳の年を前向きに迎えられそうです。🌸
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春眠…というけれど、春の三寒四温で体が疲れて眠いというメカニズムなのでは…?と思うばかり。疲労回復に良いということなので重曹水(+クエン酸で炭酸水にする)を飲むのを再開。疲れて休む、ということばかりだが楽しいことを考えて楽しい気持ちで日々過ごしていきたいな。。🌸
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北海道旭川市立中学校2年だった女子生徒が自殺をほのめかして2021年2月に行方不明になり、約1ヶ月後に遺体で見つかった事件。当該生徒へのいじめや、学校側の不適切対応が指摘された。 経過 女子生徒は2019年4月、旭川市立北星中学校に入学した。 しかし入学直後の同年4月下旬頃から、同じ学校や別の学校に通う男女生徒からいじめを受けるようになった。生徒は学習塾に通っていたが、塾の近くの公園で同じ中学校に通う2学年上の女子生徒Aから声をかけられて顔見知りになった。さらにAを通じて、同じ中学校に通う上級生男子生徒B・近隣の別のX中学校に通う男子生徒Cなどとつながるなどした。それらのグループがいじめ加害者になったとされる。 加害者から夜中に呼び出される、Cから脅されて性的な画像を無理やり送らされたうえに画像を拡散される、Aやその他複数の女子生徒(Cと同じX中学校に通っていたD・Eなど)から取り囲まれて性的な行為を強要されるなどのいじめがあったと指摘されている。 生徒は直後から精神的に様子がおかしくなり、「死にたい」と母親に度々訴えるなどしていた。生徒は絵を描くのが好きだったというが、いじめを受けた前後では絵のトーンが全く異なるものになっていたという。 母親は、中学校入学後に生徒の様子がおかしくなり「死にたい」と度々訴えていたこと、生徒が夜中に呼び出されておびえていたことなどを認知し、担任教員に繰り返し相談していた。 しかし担任教員は、同じ学校に通う加害生徒について「本当に仲のいい友達です。親友です」「あの子ら(A・B)はちょっとおバカな子なのでいじめなどしない。気にしないでください」などと返答したという。生徒が死にたいと訴えたことについて「思春期ですからよくあること」と扱った。また「今日は彼氏とデートなので、相談は明日でもいいですか?」と言ったともされる。 また生徒本人も担任教師にいじめ被害を相談したが、担任教師は取り合わず、対応に問題があったことが指摘されている。 飛び込み事件 被害生徒は2019年6月22日、性的な画像を流すと脅されて、A・B・C・D・Eなど北星中学校およびX中学校の生徒や小学生児童らの加害者グループ約10人から取り囲まれた。生徒が抵抗すると加害者グループは「死ね」と言い放ち、被害者が追い詰められて「死ぬ」と発言すると、加害者グループは「死ぬ気もないのに死にたいとか言うなよ」などとさらに脅したことで、生徒は取り囲まれていた場所のすぐそばにある川の土手から水中に入り込んだ。その際に加害者グループは、生徒が川に入る様子を携帯電話のカメラで撮影していた。 生徒が学校にSOSの電話連絡をおこない、教師が駆けつけて生徒を川の中から出したとされる。また学校経由で母親にも連絡が入り、母親も現場に駆けつけた。 この際、一部始終を目撃した近隣住民が警察に通報し、警察官が駆けつけた。しかし加害者グループは警察官に「この子は親から虐待されている。虐待が辛いと訴えて川に入った」と虚偽証言をした。その影響で家族は、病院に搬送された被害生徒への付き添い・面会を一時禁止された。警察はその後裏付け捜査をおこない、家庭での虐待はないと結論づけ、面会禁止なども解除された。 警察は関係生徒に事情聴取をおこない、入水の強要や性的画像の拡散などが明らかになった。生徒に性的画像を送るよう強要した男子生徒Cは児童ポルノ法違反に該当するとされたが、当時14歳未満で刑事責任を問えず、触法少年として厳重注意処分となった。A・B・D・Eなどほかの生徒についても「生徒を川に飛び込ませた強要容疑にあたる可能性がある」として捜査がおこなわれたが、証拠不十分と判断したうえで厳重注意の措置をとった。警察は加害者のスマホから画像を削除させたものの、加害者の一人がパソコンのバックアップから画像を復元し、再び流出・拡散させたという。 事件後、生徒のスマホの通信記録を分析すると、「友達」だと話していた加害者グループから生徒を心配するような内容の着信はなく、生徒がこのグループからいじめを受けていることを強く��かがわせる内容があったとされる。母親がこのことを学校側に連絡したところ、学校側は校長を筆頭に、加害生徒の行為を「悪ふざけ」「いたずらが過ぎただけ」と扱った。教頭は母親に対して、「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。10人ですよ。1人のために10人の未来をつぶしていいんですか。どっちが将来の日本のためになりますか。もう一度、冷静に考えてみてください」など言い放ったとされる。 もう一方のX中学校はことの重大性を認識して、同校在籍の加害生徒や保護者、また小学生の加害児童・保護者を呼び出して被害生徒側への謝罪の場を設定し、X中学校校長が謝罪するなどした。当初は北星中学校とX中学校が合同で話し合い・謝罪の場を設定する方向で被害者家族側と調整していたが、北星中学校側が被害者側弁護士の同席を拒否するなど運営方法でまとまらなかったことから、話し合いの場は各校ごとの開催となったとされる。 北星中学校で被害生徒の保護者が加害生徒側と話し合いを持つ場を設定した際、加害生徒Aは足を投げ出してのけぞって座るなどした上、「いじめの証拠はあるのか」と突っかかるなどしたという。同席したAの保護者もそれを諫めるどころか、「この子は他人から勘違いされやすいタイプなので」などと居直ったとされる。 学校側は入水事案についての調査をおこなった際、生徒本人からは事情聴取せず、加害生徒など関係生徒からのみ聴き取りをおこない「いじめとの認知には至らなかった」と判断した。また学校の報告を受けた旭川市教育委員会は入水事案を「いじめではない」と扱った。一方で入水事案の報告を受けた北海道教育委員会は2019年10月、「客観的に見ていじめが疑われる。いじめを前提に対応すべき」として旭川市教委に対応を要請したが、旭川市教委は対応しなかったともされる。 また生徒の母親は2020年1月、北海道教育委員会の窓口にいじめを訴え、学校側が対応してくれないとも訴えた。北海道教育委員会は母親の訴えを受けて旭川市教委を照会し、いじめが疑われるとして再び対応を要請したものの、旭川市教委はこのときも対応しなかった。 生徒の転校、死亡 生徒は川に入り込んだことを直接の原因とした身体的なケガなどはなかったものの、精神的な症状によってしばらく入院療養を余儀なくされた。PTSDと診断され、2019年9月には転居の上で、別の中学校に転校した。しかし後遺症で、転校先の学校にはほとんど登校できず、外出が困難になる状態が続いたという。 生徒は2021年2月13日夕方、自殺をほのめかすメッセージを複数の知人に送った。メッセージを受け取った知人が警察に通報した。母親は当時仕事中で、警察から母親に「至急自宅の様子を確認してください」と連絡があったという。母親が急いで帰宅して自宅の様子を確認すると、生徒はいなくなっ��いた。 生徒は行方不明者として捜索が続けられたが、2021年3月23日になり、旭川市内の公園で雪の下に埋もれた状態で遺体で見つかった。死因は低体温症で、死亡時期は2021年2月中旬頃だと判断された。生徒の発見状況からは、暴行��受けるなどの事件性の痕跡は見つからなかったという。旭川市の気候は、生徒が行方不明になった時期の2月には気温が氷点下十数度になるが、発見時には厳寒の雪の中を歩くのは難しいと思われるような軽装だったという。 事件が報じられる 2019年9月、地元マスコミが「入水」事件を報じた。しかしその際、校長とPTA会長の連名で、「ありもしないことを書かれた」「いわれのない誹謗中傷をされ、驚きと悔しさを禁じ得ない」などと記した文書を、ほかの生徒の保護者宛に配布したという。 いじめの概要や生徒の死亡は、2021年4月中旬に週刊誌報道によって全国的に報じられ、大きな問題となった。 報道を受けて旭川市長は事件の詳細な調査を求め、教育委員会はいじめの内容や学校側の対応について検証する方針を示した。2021年4月27日に非公開で教育委員会会議を開催し、当該事案を「重大事態」と認定した。その後第三者委員会を設置した。 遺族側の弁護団は2021年8月18日に記者会見し、事件概要の説明をおこなった。席上で生徒の母親の手記を公表し、いじめに関する情報提供を求めた。 生徒は匿名でツイッターを開設していて、ツイッター上で「いじめられていた」と訴え、いじめの様子や当時の心境について書き込んでいたことが、2022年1月までに確認された。書き込みの内容や、生徒の自宅パソコンから当該ツイッターアカウントにログインできたことを遺族が確認したことなどで、生徒本人の書き込みだと確認した。 第三者委員会 旭川市教育委員会は2021年5月に第三者委員会を設置した。しかし当初選任された委員のうち2人が、事件調査の対象者と何らかの接点があることが判明したとして、2021年11月までに辞退する問題も生じた。小児科医の委員は「調査対象の生徒を診療したことがある」として、弁護士の委員は「関係者からいじめ相談を受けた弁護士と同じ事務所に所属する弁護士」だとして、それぞれ調査から外れることになった。 第三者委員会は2022年3月、加害者側から死亡した生徒へのいじめについて、「性的な目的で体を触った」「深夜に呼び出した」「菓子などの代金を繰り返しおごらせていた」「性的な動画を送信するよう長時間にわたり要求した」「自分で性的な行為をするよう繰り返し求めた」「嫌がられているのにからかうような行動を続け、生徒を川に飛び込むまで追い詰めた」の6項目・あわせて10件以上のいじめを認定し、遺族側に通知した。 また第三者委員会は、それまで判明していた加害者5人のほか、被害生徒と同じ中学校に通っていたF・Gの別の2人の上級生男子生徒についても、新たに「いじめ加害者」として認定した。 調査報告書情報流出疑惑 第三者委員会の調査報告書は、遺族などとの協議を経て、被害生徒のプライバシーにかかわるなどと判断した箇所については一部黒塗りの状態で、2022年9月に開示された。 しかし文書の非公開部分が流出している疑いがあることが複数回指摘された。 2023年10月、「非公開部分を含む調査報告書が、差出人などが記載されていない���名の状態で封筒に入れられて、自宅ポストに投函されていた」と、ある旭川市議がSNS上で訴えた。 遺族側弁護団は「非公開部分を公表する行為は遺族にも耐えがたい屈辱を与えるもので、断じて容認できない」として、旭川市教育委員会に刑事告発を求めた。しかし旭川市教育委員会が調査を実施したところ、市役所内での調査報告書の盗難・紛失やコピーされた形跡などは確認できず、市議も「届いた原本は廃棄した」と回答したとして、「現物を見ていないので、はっきりしない」として刑事告発などを見送り、2023年11月に調査を終結した。 その後、黒塗りが非公開の状態の調査報告書が、いじめ撲滅を訴える市民団体のウェブサイトに公開され、2024年6月24日までにマスコミ報道された。 当該サイト管理者は「入手先は明らかにできない」「黒塗りだと、被害生徒の苦しみはわからないと考えて公開している」「いじめ撲滅が目的だ」としている。 旭川市教育委員会は、サイトに掲載された調査報告書を確認し、「正式に公開する前の未完成稿が流出した可能性がある」と判断した。2024年6月25日までに、当該サイト管理者に対して、削除を要請する方針を決めた。サイト管理者は「市教委から要請があれば、協議の上で対応する」とした。 旭川市から当該サイトへの削除要請は2024年6月26日におこなわれ、サイト管理者はそれを受けて同日夜までにサイトを削除した。 再調査委員会 遺族側は「いじめと自殺との因果関係についての調査が不十分」と訴え、再調査を要望した。このことを受け、2022年9月、市長部局で再調査委員会を設置する方針が決まった。2022年11月までに再調査委員を選定する方向を決めた。再調査委員会の委員には、いじめ問題に詳しくテレビ出演などの経験もあり、大津いじめ自殺事件(2011年発生)でも調査委員を務めた経験がある教育評論家の尾木直樹氏や、精神科医で批評家としても著書がある斎藤環氏などが含まれている。 その後再調査委員会が設置され、調査にあたった。再調査委員会は2023年8月1日に記者会見を開き、「同日までに、関係者への聴き取り作業などをほぼ終えた」ことを明らかにした。今後内容の分析やまとめなどの作業をおこない、調査結果がまとまるのは2024年度になるという見通しを示した。 再調査委員会は2024年6月30日、生徒へのいじめ7件を認定した上で、生徒の死亡は自殺だと認定し、「いじめが自殺の主たる原因」として、いじめと自殺との因果関係を認める結果をまとめた。再調査委員会では、生徒が開設していたSNSの発信履歴約4000件を分析した。いじめを受けて心的外傷後ストレス障害(PTSD)となり、自尊感情の低下などが亡くなる直前まで続いたと認定した上で、「いじめがなければ自殺は起こらなかった」と結論づけた。 再調査委員会は、2024年6月下旬に発覚した流出疑惑を受け、報告書の提出を見合わせていた。その後体制が整ったとして、報告書の答申に踏み切った。 再調査委員会は2024年9月1日、再調査報告書を市長宛に答申した。再調査委員会の委員長を務めた、教育評論家・尾木直樹氏は会見で、報告書の内容について「旭川市はもとより、全国の子どもたちが希望の未来を描けるよう、いじめ対策の道標となることを願っている」と話した。 派生事件 事件が大きく報道された���とに呼応するような形で、派生事件も複数発生している。 事件報道を見た人物が2021年5月、教頭を名指しして「謝罪会見をしなければ殺害する」などとと学校に手紙を送りつけた。当該人物は脅迫容疑で逮捕され、2021年8月18日付で脅迫罪で罰金の略式命令を受けた。 Youtuberが現地に赴き、「取材」として旭川市在住の女性(被害者と面識があるとされるが、事件との関連は不明)に「話を聴かせてほしい」「(話をしなければ)今以上の炎上騒ぎになると思います」などとSNSにコメントするなど、過剰な接触を取るなどしたとして、強要未遂で摘発される事案も発生した。当該YouTuberは、被害者の知人とされる複数の人物の氏名や顔写真を一方的に公開したり、関係先を繰り返し訪問するなどの行為をおこなったともされる。 事件とは無関係な人物が、事件加害者の一人だと名指しされて、ネット上などで実名・顔写真を挙げられて中傷される事案が複数発生したとして、被害者が発信元を割り出し、民事訴訟を提訴する事案が複数件発生した。 またツイッター上で、遺族を事実無根の内容で中傷する複数の書き込みがあったとして、遺族がプロバイダへの情報開示を求め、発信者を特定して損害賠償を求める事案が複数あった。 民事訴訟 遺族は2025年2月12日、「いじめがあったにもかかわらず、市が措置を講じなかったことは安全配慮義務違反」として、約1億1000万円の損害賠償を求めて旭川市を提訴した。
北海道旭川市立中学校いじめ凍死事件 - きょういくブログ
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Her Majesty
-2032年、北マリアナ諸島上空
私は、1992年に生まれた。そのことについて話そうと思う。出生した時点の名前は、伊藤一茂。現在39歳。神奈川県海老名市出身。2011年に早瀬田大学に入学するまでは、住居を変更したことがない。父方の祖父母が福島県に住んでおり、毎年特殊な事情がない限り、お盆と正月には福島市内の閑静な住宅街、といっても県内はおろか市内でも最高に地価の高い地域である繁華街にほど近い北側の豪華な、そして巨大な一軒家に帰省していた。その家は灰色の木造住宅で大人になってからも何度も夢に見る事になった。2011年に東北地方を襲った東日本大震災の後もその家屋は健在だったが、夢に出てくるその家は不思議なことに楼閣の風前の灯にしか思えなかった。現実と関係ない。何度もその家が津波に流される想像をしたし、それはおそらく妄想だった。皇室に関わる妄想だ。それが法的事実。日本人は古事記に赤ちょうちんのようなタナトスを見込み、海水に対しても似たような高揚をまなざす。そのようなことを早瀬田大学の法学部で教わったのだから、たしかに地震の影響を受けたのは私の父方のルーツだけではなかった。大学のキャンパスがテレビニュースの甚大な破壊を伝える映像によって突き動かされた。謝罪しなくては。そのような巨大な津波の映像はそのうち教育機関やマスコミにとって事前の注意が付されるものとして扱われた。コンセンサスが整えられた。しかし懺悔室や教会は視覚的に検閲されない。私の事もあやしいインターネット掲示板のようなものだと認識してほしい。「わたしの名前はキャシー・H。いま三十一歳で、介��人をもう十一年以上やっています。」。
そのようなわけで、私は東北地方に対する思い入れと、アイデンティティーの所在があるのだが、東北に関するある種の誤解を解いておきたい。それは東北地方に対する戦前の民俗学への直接的な、ないしは、危険な接続への危険性である。柳田がフィールドワークで訪れた東北はコンリート舗装もされていない明治期の寒村であり、2030年に成立、施行した「夜間及び特別非常時における風営禁遏(きんあつ)法」のような過剰とさえ呼べる歓楽取り締まり法規もなかったので、そもそも売春行為も博打も禁止されていなかった、とさえ言える。そこからはよりフレキシブルな戒律の範疇になる。ところで、そのような、ゆるい統治システムである幕藩体制の中でアドホックに法を運営管理しなおかつ本物の海賊間違いなく訪れていた海岸地域厳密にはリアス式海岸のような視覚的に抽象的な形状を持つ海岸線があれば、人々は何を思い、何をよすがに治安維持活動と呼ぶべき本来の意味の地方自治と風紀活動にかかずらうかという、平たく言えば政治的配慮の欠如した理論形成が柳田の業績には重くのしかかっている。すなわちドイツ的ロマン主義者なのだ。これは聖書に書いてあることをそのまま信じるか、という子どもだましの愚問に似ていなくもなく��芭蕉的な文学形成の礎とライブラリーの充実を彼に期待するしか現代の我々にはできないと政治学者の私としては思う。そう、私は政治学者だ。現在は京都にある立零館大学法学部に籍を置いている。准教授だ。
大学学部2年次までは、順調に単位が取れていたものの、3年生からアルバイトを始めたからか落胆が如実に増えだし、1年後には留年がほぼ確定し、卒業論文の執筆を先送りし卒業をあきらめ、留年を覚悟してアルバイトをそのまま続けた。部活動やサークルには入らなかった。中学と高校でやっていたテニスがあまり楽しいものではなく、疲れ果てていた。やりたくなかった。
ただし、映画館にはよく通った。私の世代にとってはシネマコンプレックスが普通の形式であり、公園のような穏やかさとクリーンさが魅力であった。よく言われるような、酔っ払いに通りで絡まれたりということもなく。さいわい恋人もでき、順調な交際を大学院に入って少しまで続けることができた。その恋人とは、彼女が鳥取の実家にUターンすることが決まって破綻するまでは、喧嘩もあまり���ず、いつもいろいろなところに行った。実際に会うのは月に1、2回ほどだったがディズニーランドのようなシンボリックなデートスポットに常のように行っていたことはよかった。生気論者ではなかった。東浩紀は「観光客の哲学」の中で観光客の原理と銘打ち、誤配というみずからの概念を再度導入するがそれは当時において誤解を招くものだった。一部の急進的な情報社会論関係者によってオタクと呼ばれるようなサブカルチャー領域の問題に回収されてしまったのだ。しかし東本人は当該資料の中で自分はカルチュラルスタディーズから距離を置き、静観し続けている旨を告知しており、私は今世紀に入ってから顕著にみられるようになった政治と文化の結合に不安感と憂慮を感じていた。それはナチスの問題であり傾向だ。なんにせよディズニーデートの魅力はジャック・デリダに関わることだ。デリダの哲学は「聖書を読まない」ことを推奨するものではなく、読んだ上でさまざまな期待値が同時に見込まれるという哲学的に複合的な理論であり、読む読まないという二元論的掌握状況に還元されないところに彼の思想の強みがある。ようはディズニーランドに行くか行かないか考え続けることはなにも考えていないのと同じなのだ。デリダによれば。やってみなければ分からない、と。
今の妻とはアルバイト先の先輩の紹介で知り合った。同じ大学の友達に飲み会の席を用意されたから来てくれないか、と言われた。会ってみたら非常にかわいらしく、話し方も特徴的でおもしろく、魅力的な人格だと感じた。異性として理想だと思った。友達にしておくのはもったいない。友達以上の存在にしたい、そのような関係になりたいと思った。名前は景子。彼女が嫁に入り、伊藤景子となった。子どもはいない。今隣りに座っている。サイパンから飛び立ったパイパー PA-31-350の中。機体名はさっきインターネットで調べた。ハリウッド映画の主人公が臨時で乗り込むような小型のもの。主翼にプロペラが2つ。双発機と呼ばれる形式だ。
「なんか酔わない」
横に座る妻が言う。
「いや、別に。席変わろうか」
私は言う。
「いや、いいけど、ジャンボジェットとは全然違う揺れ方だ」
妻は1歳年上だった。
サイパンを離陸した小型機が目的地であるテニアンに着くのは15分後。ごくわずかなフライトだ。どうも話題を捏造した痕跡がある。妻のかわいいところだ。それから最も恥ずべき部分も私は知っていた。それは女性器のことではない。ほかのもの……。
目的は観光。サイトシーイング。日本の国際線乗り場とサイパン国際空港、サイパンを巡る際のツアータクシーとホ��ルのロビーにそれぞれかんこう、サイトシーイングと繰り返し述べていると役所の面倒な手続きか、禅修行のように思えてくる。
「でも晴れてよかったね」
と、妻に言うと答えなかった。心を見透かされた、と感じる。
テニアンに着くと、空港の職員と思しき若者から中年に至る青い作業服の男たちが5人ほど待ち構えていた。かなりの緊張感だ。もう一度確認する。たしかに5人だ……。更にもう一度確認する。やはり5人。我々が乗っていた飛行機にはパイロットを除いて2人のツアー客が乗っていたので、ここには7人の人物が飛行機のタラップの眼の前で向き合っていることになる。……おっと、間違えた。2人というのは妻ともう一人飛行機に乗っていた若い眼鏡をかけた男性のことであり、自分を省いていた。だからここには8人の男女が向き合っており、妻を守る決意を固めなくては、となぜか思った。ふと上空に手をかざす。この動きは視界が覆われたとっさの反応のようなものであり、つまり陽射しが眩しかったのだ。サイパンを観光している時から日本とはまったく違う日差しの性質に気づいてはいた。サングラスはしていなかったが、たしかにサングラスをかけたくなる、辺り一面にまどろみが充満するものの、それが特別に無料で体験できるたぐいまれなる機会とでもいおうか。むしろ幸運、むしろさいわい。この陽射しを無料で味わえるなんて。この海域の空は青ではなく、群青であり、それは青を何重にも重ねた結果ゆえの色なのだ。本物の青。
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世にありとある人は、みな姿形心ことにつくろひ、君をも我をも祝ひなどしたるさま、ことにをかし(枕草子) . あけましておめでとうございます。寒中にも色褪せない松と竹。梅も開花の力を蓄えつつ。歳寒三友。皆さまも一年元気でおすごしください。二十四節気では「小寒」に入りました。 . <お知らせ> ・今掘りたての菊芋(食用野菜&種芋)、ほど芋(アピオス)の種芋を販売中です。芋堀りはまだまだ序盤。がんばりますので、どうぞよろしくお願い致します。ヤフー店ではお料理しやすい小粒芋の詰め合わせもお安くご用意しております。 . ・種外しと天日干しの第一弾が終わり、藍(あい)の種をようやくご用意できました。先に販売中の小鮒草の種、綿の種(和綿白・茶、洋綿緑・赤・白)とも、お早目にどうぞ。和綿30粒は初めての方でも気軽に蒔いて頂きたく、大幅お値引き販売中です。身近に綿の実や草木染めをお楽しみください。 . ・家庭菜園で挑戦できる「自然薯栽培セット」予約受付中です。4m長さの畝ひとつ立てられれば家庭菜園で手軽に挑戦できます。写真付きの栽培説明とご不明な点はサポートいたします。 . ・自然薯のむかご(3月下旬~発送)、ヤーコンの苗(3月上旬~中旬発送)、行者にんにく春苗(4月末~5月上旬発送)、枸杞(くこ)の苗、茗荷(みょうが)、蕗(ふき)の根株(いずれも5月発送)を予約受中です。 . ・彼岸花(曼珠沙華)の球根はいつでも発送できます。きちんとお���岸に合わせて咲いてくれる在来のものをぜひお選びください。 . メデタシ種苗本店 https://www.tane4u.com/ 生菊芋、菊芋の種芋 https://www.tane4u.com/item/kikuimo/ 綿の種 https://www.tane4u.com/item/menka/
メデタシ種苗ヤフー店 https://store.shopping.yahoo.co.jp/itomedetashi/ . 今年も一年、どうぞよろしくお願いいたします。 .
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
自己紹介 2024年12月7日(大雪)追記 7642文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 3歳のときに養子として育てられることになり 伊賀市へ突然連れてこられた 5世帯がつながった集合住宅の一番端っこお家で 四畳半と六畳の和室の二部屋 三畳の台所 トイレはくみ取り式 お風呂は深底のホーローでガス釜式 冬は寒くて よくしもやけになった 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 名古屋に近い三重県に住んでいるという話だった気がする 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは今でも少しはある
伊賀市でそこそこ有名なのが 「伊賀流忍者」で「忍者屋敷」は 今も昔も変わらない内容で 営業している それは昨年(2023年)の夏休みに 末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 「上野城」ならぶ観光施設 伊賀牛は「金谷」のすき焼きが有名で 「森辻」が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には「伊藤」の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 「伊賀上野天神祭」の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 2024年は10月18日・19日・20日(金土日)がお祭り 19日(土)は久しぶりに一人で一日中 お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が��ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件まわって、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて「伊賀上野天神祭」へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 19日(土)の夜は19時から 同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったオーナーの 「ガキさん」は すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので開店から閉店の1時までの 6時間でカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の日の20(日)は「伊賀上野天神祭」に参加している 同級生の「オデ」に会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く「紅梅屋」でおみやげを結構買って 「桔梗屋」で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 「松尾芭蕉」は俳句が有名で伊賀出身 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされた 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は絶対見ない 「上野公園」に行くと「俳聖殿」という建物はある 「俳聖殿」の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 「俳聖殿」のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 「上野城」のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は「上野城」のまわりで体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも「上野城」が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく「上野城」をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった その子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には「銀座通り」とか「丸の内」とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 「上野市」から「伊賀市」名称が変わってから 「上野市駅」が「忍者市駅」になり 「近鉄」の電車だったのが「伊賀鉄道」になり 電車がコスプレになった 駅前には「銀河鉄道999」のメーテルと哲郎の銅像があり 「産業会館」が「ハイトピア伊賀」になった 「産業会館」だった時に「マルキン」のパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃��ら大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 「新天地」もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は自分が高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 「新天地」には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 「伊賀上野天神祭」を見に帰省したときに ドリアを食べたが 素朴ないい感じの仕上がりの味に 古い喫茶店をぐっと感じる事ができた 「新天地」のとなりの大きな化粧品店は 更地になっていた 高校の時の同級生が「クワトロNo.4」という バーを経営している場所もこの「新天地」にある となりにダーツバーもあり 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽には入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど ダーツバーの扉って感じで雰囲気はあった ここ数年は実家で一人暮らしの おかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、「Kマーホ」の名で活動して 出版した「トイレの閃き」が背表紙の色が 抜けた状態で25年以上も 岡森書店の本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で そんなつながりが それにしても伊賀市は狭いなと感じる
幼稚園の頃の事で 「市部(いちべ)」という地区だったと思う 近くに「市部駅」という無人駅があり その近くの依那古第一保育所に 5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年��年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 実家近くの小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 自転車は召し上げられ 手押し車ででかけている 小学校6年生の卒業までは 上野市依那具にある 市営の「城ケ丘住宅」で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの 時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森(たれそのもり)でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた「依那古小学校」の 校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと 変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の「市部駅」と 毎日にらめっこしている森 垂園森(たれそのもり) 中学校からは上野市街の「上野城」の 城下町で過ごした 引っ越しをしました 当時はカオスな「市営城ケ丘住宅」から出れる事が 本当にうれしかった 小学校までの友達とも 見飽きてしまっていたので 寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては 新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして引っ越ししたお家は 築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分だけの部屋があり トイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって 本当にうれしかった
そして近くの「崇廣中学校」に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一のときに足のかかとを骨折 バスケ部の試合で となり町の「名張市(なばりし)」の 体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら 右足のかかとの骨にヒビが入った
完治した その夏にはバスケ部をクビになり 陶芸部に入った バスケ部とは違い まろやかな陶芸部の部長は 本当にやさしい部長さんだった 中二で左腕を骨折 中一の右足かかとの骨折 どちらも遊んでいての骨折を二年連続してしまい この二年間の体育の成績は最低だった そして中三の高校受験に突入して この「崇廣中学校」では いい想い出は ひとつも無い
そして高校生となって 高校1年生で やっと自由になれた気がした まずは毎日 カッコつけて髪型をきめて その次は彼女を作りたいと 手当たり次第に告白したら 全滅した その数は20数人はいたと思う そしてあらゆる所で 告白しすぎて 変な奴として顔が広まってしまいそうになってきた 高校1年の後半はおとなしく 過ごしていた
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーバンドで 代表曲の 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」をコピー 旧友が作ったオリジナル曲「ガレー��の上のR&Rバンド」 も歌って一年で6回ぐらいライブをしていた 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時は ただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線で近づいてくる そういう女子には興味がなかったから 冷たい感じの男だったかも 本当にこの高校2年の時期が いままで生きてきた中で一番楽しかった。 高校2年後半の頃は またたくさんの恋をしたが 自分が不器用だったので 自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた それから人を好きになることに 迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくいいか別に という感情で奥手で過ごしていった そのせいか、 他校の女子からゲイだとか ウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時はそんなうわさも 楽しければなんでもよかった
1993年の20歳になるころ 家を勝手に出て 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは お金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万の カツカツでぎりぎりの生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月(23歳)から 2003年7月(30歳)の 7年間は茨城県と千葉県の県境の 利根川の近く取手市に住んでいた この取手駅界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになった 関東平野は景色が無く ここでの生活は なんとなく落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくに「カレー」がめちゃくちゃ美味かった 夕食時はのれんが出される前の時間に 駐車場で待機して開店と同時に 店に入っていたので お店の人には顔を覚えられていた この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の子供で 小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけで運営していて 素朴な店内で 週3回ぐらいは夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年(24歳)から パソコンを近くの「ミドリ電化」 というお店で38万で購入して 作詞やネットに興味を持ちだした 「まどみちお詩集」を読みだし 作詞に近い詩を書き始めた 「Kマーホ」という名で活動を開始し メインの詩を書き始める 創作の目標をまず詩300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになった 週末はいつも家に引きこもり 朝起きて寝るまでの一日中 音楽を聴きながら 38万円のパソコンを買ったのに まだ「ワープロ」で 手書きの詩を清書して プリントしていた
1998年(25歳)から2002年(29歳)まで 「Kマーホ」の名で活動して 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したりと やりたい事にお金も時間も好きなだけ 使ってすごしていた この時期に参加していた詩の団体(万有)には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な詩を書いたり そんな態度の人や いい人も数人はいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集「トイレの閃き」約2000部を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 本棚に置いて欲しいとお手紙をそえた 返送されたり お礼のお手紙を頂いたりと 色々と反応を感じながら 2002年の29歳の時に 詩を創作する活動を休止した これで「Kマーホ(けいまーほ)」での 活動は終わった 理由は2000年(27歳)に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年(30歳)から2019年(46歳)まで 育児に家族を重点を置いて生活をする この時期の16年間は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月(30歳)から 子育てを重視するために 景色のいい静岡県に引っ越し もう20年以上住んでいる
2019年1月(45歳から46歳になる年) 「平成」から「令和」に変わる年に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 創作活動を再開する 1998年(25歳)から2002年(29歳)の 「Kマーホ(けいまーほ)」の頃とは 全然ちがう方向性で詩を書き始める そしてSNSを活用して まずは詩の発信を始める 「るんぺんパリ【RunPenParis】」という名前の由来は フランスはパリの街を ぺんを持って 走りながら創作するというイメージから 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(現在は51歳で2025年は52歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した 「140文字詩」が広く浸透できればと 創作を続けている ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧(2019年~) 【2024年(51歳)】Amazonで販売 2024年11月17日 第17詩集「もんもん もんもんで もんだろ」 【2023年(50歳)】Amazonで販売 2023年12月27日 第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023年12月2日 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023年11月23日 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023年9月16日 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023年9月9日 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023年9月2日 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023年8月26日 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年(49歳)】Amazonで販売 2022年12月6日 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022年11月3日 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022年10月7日 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022年9月3日 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022年8年7日 第1アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022年2年14日 第2アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022年1年1日 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年(48歳)】Amazonで販売 2021年9月8日 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021年8月3日 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021年6月5日 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021年5月31日 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年(47歳)】Amazonで販売 2020年7月27日 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020年3月2日 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年(46歳)】Amazonで販売 2019年7月21日 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999年~2002年) 【2002年(29歳)】 2002年4月30日 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」発行部数不明 2002年4月4日 第5詩集「コールサック」100部発行 【2000年(27歳)】 2000年7月31日 第4詩集「マガサス星人」500部発行 2000年1月31日 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」500部発行 【1999年(26歳)】 1999年8月1日 第2詩集「テレビジョン」100部発行 1999年5月1日 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」2000部発行 【受賞】 2001年(28歳) 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年(27歳) 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年(26歳) 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年(25歳) 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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2024.01日記
2024/01/01
帰りの新幹線に乗っていると地震があり、いっせいに緊急地震速報が響いた。電車が緊急停車し、やや揺れたなと思っていると外の電線のほうが揺れていた。
現代詩手帖2023年7月号を読んでいたら電車酔いして、しばらく動けなかった。詩は今年かけたらいいな。短歌も作ってみたいといくつか試してみてるけど、しっくりきてない。今年の目標は以下。iPad買う/先にタイトルを決めて小説を書く/詩かけたらいいな/短歌作ってみたい
ジゼルのポーチを買ってもらったらジゼルを踊る夢を見た。明日はプリキュア展。
2024/01/02
感情が昂っていてプリキュア展のことをうまく言葉にできない。
事前に見た作品はトロピカルージュ(途中)、デリシャスパーティ、ひろがるスカイ。人は少なくかなり見やすかった。等身大キャラクター人形が、主人公だけでなく他キャラクターもいた。ひろプリのパネルや設定資料が追加されていた。出た後にも全キャラクター分のパネルがあった。図録は在庫残っていた。値段をみてやめてしまったが買えば良かった。プリキュア展とは別に、当日指輪を買ったが落としてなくした。ムーンライトに手をふったら一度振り返してくれた後、物陰に隠れてゆっくりこちらをのぞき、もう一度手を降ってくれた。夏海まなつちゃんに会いたいな。トロピカルージュプリキュアのブースでローラとまなつの別れのネタバレを観る。泣きそう。まなつが涙を流して海に飛び込んだローラを追いかけたあと、ローラは海からひと跳ねする。背を反らして、夕陽に鱗を輝かせ、天に手を伸ばすおとぎ話のような光景に、みんなの涙が止まる。ローラはトロピカル部の友達でありながら伝説の生き物で、ローラがまなつから離れて絵画のように伝説の一部となるとき、とてもとてもうつくしく、うつくしいから、遠い。ふたりはほっぺたをくっつけ合って笑い合う友達なのに。
トロピカルージュプリキュアを観終えたら映画プリキュアオールスターズFを見なくてはいけなくなるかもしれない、わからない。
2024/01/03
トロピカル〜ジュプリキュアは29話をみてしまっておなかいっぱい。昨日ネタバレで観た最終回でとても悲しくなっていたけど、過去の感想を見たらあまり悲しくない話の運びだったらしく、あんまり泣かないかもしれない。午前中はサマーとラメールのグリーティングにどうしても行きたくて、行くかどうか悩んでいたけれど、ピアノを弾いたりほかの生活をしていたら気が収まった。洋服はほしい。
今なら絵を描けると思ってクリスタを一ヶ月分購入。むだにしないよう今月はなるべく絵を描きたいが、液タブは場所を取るしコードが多いうえ、PCの速度自体がそんなに早くないのでいつかはiPadで絵を描くようにしたい。夢のはなし。
2024/01/04
ギリ書けるか。
エコー検査して5時間カラオケ。久々に大きい声を出すが声は大きければ大きいほど上滑りして高くなっていくから録音して聞くと別人。呪術廻戦最新刊を読む。
2024/01/05
出社。15時まで謎の待機。こういうことがあるなら在宅勤務にしてほしいが、そうもいかないよう。おみやげでとおりもんをもらう。とおりもんがいちばん好きかもしれない。
2024/01/06
ナックルガールを観る。三吉は顔に邪魔なところがなくて綺麗。
イヤホンをポケットに仕舞った服ごと捨てたことを察し、散歩を諦めバスに乗って駅へ行き、イヤホンとユニクロの小さい鞄を買った。ヨドバシで6万のヘッドホンを装着し、寝不足もありどうしても欲しくなったが、とりあえず今まで使っていた3COINSのイヤホンを買い直し来年考えるという先延ばしにより散財を回避。全体的にうっすら寝不足で何事もノイズがかかったようだった。
2024/01/07
再び散歩して筋肉痛になる。
記憶は蓄積するのではなく想起という行為そのものが過去を呼ぶという論。ここまで読み、散歩したら、気づいたら本を買っていた。何を言ってるかわからねーと思うが……。
2024/01/08
ギリ書けるか。
ドラクエ10を少し進めたが、頭痛のためほぼ一日なにもできず。
(あるひとを思い出すのは、過去の写しの再生ではなく現在の行為であり、個人の環境に依るのであればそうでないものとそうであるものを分けるのも現在のそのひとである。)
寝る前に換気をしたら頭痛が改善したので電気ヒーターで何かが燃えたのかもしれない。
2024/01/09.10
(目の覚めた地の文の羅列)
カラオケに行きたい
2024/01/11
一粒食べるとクレープ食べたあとみたいになるチョコレートを二粒たべた。昼間は怒涛の仕事であっというまだった。
(想起においは動作の担い手が交互に入れ替わること 物語になることは細部をそがれること
小説がミクロの具体性を編み続けることであるなら、“文章”とは相容れないだろう。現在を置き続けること、いっぽうで回想の体で物語ることもある)
2024/01/12
怒涛の仕事だが終わらせる。カラオケ行きたい。
上司に私の慰労会と伝えられ二人で定時後食事し、ドラクエ格付けなどで盛り上がり楽しかったが、そのあと交際を申込まれ気分が下がってしまった。わたしはなにか間違ったコミュニケーションをしているのだろうか。年齢のせいであればよいけど、ひとりのことばかり夢中になってきたから自信がない。
2024/01/13
今日と明日で共通テストらしい。受験生は大変だ。
4時間ほどカラオケにいて、大声の出し過ぎで気持ちが悪くなり退散。でもここさいきんで一番楽しいカラオケだった。
家に帰ると妹が彼氏と喧嘩をして、謝るために買ったケーキの余りがあり食べる。妹の彼氏はむかし薬物をやってたみたいで絶対別れた方が良いとおもうが、すきだからケーキを持って謝りに行くのだろう。うちの家族がもっと関わり合う人々だったら引き止めていたのだろうかとかおもうけど、じっさいはそうでないのでわからない。
こういう関係でいきてきたから、ひとといることの肯定だとか、唯一無二のしがらみとともに生きることの幸福を描いている物語をみるといいことだとおもう。自分のなかからはでてこない幸福で、でもわたしもそれは幸福だと思う。そういうものに出会えるとうれしい。
2024/01/14.15
谺碧海那由多を見定むアグラフォノスの詩篇を練習。タイトル覚えられたこと無い。
仕事における 害(パワハラとか)のないひとのことをわりとアンドロイドと思いがちなので人間味を出されるとびっくりする。いきなり40歳の上司に交際を申し込まれたダメージが大きく日曜はほぼなにもできなかった。とくにストーカーとかの被害もなく、相手も途中でひより始めて水に流していただいても構いませんとか言い始めるし、今日はそのことで謝られるしたいへんきまずい。でもそれを先輩に相談して、きまずいなか頑張って働いてますアピールができたのは良かった。
妹の彼氏は元薬物売りらしく、死体を運んだことがあるらしく、本当に別れたほうがいいと思うが今日も部屋から男の声と「撤回する♡撤回するう!」と聞こえてきたからだいすきで別れないんだろう。別れたほうが良いのになあと勝手ながら思い、別れたほうが良いのになとツイートしたらもう4年くらい会ってない友達からいいねされたからあいたいよーと言ったら2月に連絡をくれることになった。楽しい忙しさで生活がみちみちらしくいいことだ。アニメーターになるために専門学校へ通い直していると風の噂で聞いたけどどうなんだろう。いまはクリエイターなのかな。
2024/01/16
小説書き終わった。タイトルはいつもむずかしいからよく考えていない、今度はタイトルからきちんと小説を書いてみたい。
もともと『知と愛』のマリーや『くるまの娘』などの広義の土地に縛られるひとがすきで、物語に置いた。さびしいのにどこにもゆけない、というのは好きな概念のひとつ。そんなことばかりやってるけれど、今回もそれがやりたくてそういうことをやった。
寒くて全身の皮膚がいた��った。喉も痛い。
2024/01/17
喉痛いしだるい、熱はないで明日明後日を在宅勤務にしてもらった。もうほぼコロナで確定と思っていて、そう思うとますます心が萎れてくる。毎日気をつけてたのに。
書いておきたいものもあといくつがあるからほそぼそやりたい。
2024/01/18.19
絶対コロナでしょうという風邪をひいていてどうにもならない。熱はないらしいけど、とにかく喉と全身が痛く、体がだるい。
食べ物が食べられるうちは大丈夫と思っているので、むりして食べては自滅しがち。昨日と今日を在宅勤務にしてもらえてたすかった。これで通勤になってたらとおもうとぞっとする。今日なんかはまったく起き上がれなかったし。
体が使い物にならないぶん考え事をするしか無いから、2月お友達とあうときの洋服を考えてはいまから悩んでいる。
なかなかしんどくて本は読めないけど、それとドラクエくらいしかすることもないので読みすすめていきたい。
2024/01/20
1日のほとんどをドラクエに費やす。が、たまーにピアノを弾いたりした。熱があるのによくやるなと思う。
コロナもインフルも陰性。今までコロナに罹ったことはなく、コロナが流行りはじめてからただの風邪にもう3回くらい罹っている。
病院につくと子どもが多く、インフルエンザの検査(鼻に長細いなにかをいれるあれ)を本気で嫌がり、命をかけて駄々っ子をする子どもが二、三人いた。親を蹴ったり、喉の許容を越える声で叫んだり。本気で抵抗するともしかしたらどうにかなるんじゃないか、という子ども特有の駄々っ子の希望ってどこからくるのだろう。甘えだろうか。自分もそういう駄々っ子をした記憶がある。
2024/01/25
やっと風邪が落ち着いて、鼻をかみながら出社できるようになった。ひさびさに外へ出ると、自分より身長が低い人や高い人がたくさんいて、やっぱり自分は世間的に見ると小さいなと思いつつ、それでも最小というわけではなくふつうだなということに気づく。
何日か出社してつらかったが、なんとこれからは週一回の出社でよいと連絡を受けた。
今日は妹の誕生日だったので、Francfrancでメイクポーチとリップバームを買い、プレゼントした。Francfrancの紙袋を見た途端「Francfrancだ!」と悲鳴を上げて、メイクポーチを見て悲鳴を上げて、ずっとやったー!うれしー!と言っていた。あげる前に、メイクで汚れるならせめて色は白ではなかった……、そもそもポーチなんで使うだろうか……、使わないとして、ならしまうのに嵩張らない電動カイロとかのほうが良かったの……とうじうじしていたのもすっきりした。プレゼントをあげてよかったし、喜んでもらえて嬉しい。
2024/01/28
素敵なブラウスとスカートを試着し、かわいいですね〜とときめいてブラウスだけ買うことに決めると、店員がやさしく「スカートの在庫が残り一点」「ホームページにはもうないかもしれない」「とりあえずあわせたお値段だけ出してみますね」とごりごりに押してきて、たしかに自分でもかわいいと思ったスカートだし、欲しいかもしれない……とわけがわからなくなってしまい、「買います」と言ってしまった。お会計しながらなんとなく間違えている感覚があり、よくわからないけどたぶん踏みとどまったほうが良い!今からでも購入をやめたい!と念じながら13200円払った。呆然としながらこんなはずじゃなかった……こんなはずじゃなかった……としばらく亡霊みたいにフロアを彷徨っていたけれど、後悔の塊にならないために一度購入した服を着ることにして、トイレで着替え、そうしたらやっぱり可愛くていまでは満足。
2024/01/29
昼間に映画『輪るピングドラム』の後編を見終える。アニメ時点の「きっと何者にもなれない」が映画では「きっと何者かになれる」へ至ったことを考えると胸があつい。作品自体はやっぱりくるしくて何度も泣いた。運命の果実を分け合うことができることこそ。一度でも愛していると言われたひとは……。そしてピングドラムはあり続ける。そうだろうか、そうだといいけど。
2024/01/30
時間が空いているときはずっと銀河英雄伝説を流している。おもしろい。
仕事でわからないところがあり、要点だけ聞くつもりが手取り足取り、画面共有しながらすべて教えてもらった。自分と関わりはなく席だけ近いパワハラ上司を思い浮かべ、ずいぶんと自分は人間関係で楽をして仕事ができているのをあらためて実感。
ここ3日間くらい毎晩1時半まで悩んでいた洋服をけっきょく買ったので、今日はそのぶん本を読めた。ボルヘス『砂の本』の他者だけ読んだ記憶があったけれど……と開いたらほんとうに他者しか読んでいなかったのでほかも読み進めている。短編ばかり読んでるから読書がだれる……と叔母が読んだ形跡のある『冷蔵庫より愛を込めて』を出してきた。
霊魂は朝日のあたる窓ぎわの机のうえで丸くなって日向ぼっこをしていた。Kがベッドからおりると、霊魂は朝のくちづけを求めるかのように顔のあたりにじゃれついてきた。柑橘類の皮をむくときのような香りがした。Kは、そういう果汁を使って化粧をした娘に顔を寄せられたような気分になって、一瞬自分が若い妻を得たかのような錯覚に陥った。しかし霊魂がKの肩や顔のあたりで歌にならない歌を歌ってはしゃいでいるのに気がつくと、その気分もたちまち消えてしまった。何か手に負えない動物でも飼いはじめたような気持がそれにとってかわった。
倉橋由美子『霊魂』
2024/01/31
明日もう洋服届くらしい。
血圧の値は膵炎というのは膵炎ではないんだろうか。とにかく脂質を避けてるけどもともと体調が悪かったわけではないのでわからない。
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今日は朝から雨模様。気温もぐっと下がって肌寒いくらいの気候です。餌は減っているので元気だと思いますが、寒さのせいかメダカもホテイアオイの下に隠れてしまい、しばらく姿を見ていません。寒暖差が激しい季節の変わり目、体調には十分に気をつけてお過ごしください。
9月29日に開催したサンデーサービスにご参加くださった方、ご寄付をいただいた方に心より御礼申し上げます。惠子ミディアムとマスタークラスの生徒さんたちも素晴らしい司会やサーモン、デモ、祈りを披露してくださり、一緒に楽しい光の時間を過ごすことができました。デモで当たらなかった方も、もしかすると霊界からのメッセージを受け取ってくださったかもしれません。
以下の通り、今回いただきましたご寄付の全額を日本赤十字社へ寄付いたします。10/7付けで振込手配済みです。

当日行った霊界通信のデモンストレーションの様子をお伝えします。読みやすいように後から編集しています。
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森:女性が出てきてるんですけど、割と近い感じなんで、お母さんかな〜と。ピアノを弾いていらっしゃるところを見せてくださっていて、あとカツラを被ってたのかな?ヘアピースなのか…人工的な髪の毛なので、そういう姿を見せてくださっているということは、ちょっと治療か何かで髪の毛を失ったのかな?ここに来ている方に言いたいのは、「心配ばっかりしてたら何も生まれないわよ、行動しなさい」って言いたいみたい。この方は「私は全てできることはした、治療も全部やり終えたから、もう後悔はない」っておっしゃってるんですけど、思い当たる方、いらっしゃいます?(手が挙がらないので)お母様じゃなくて、もっと広げていただいて…おばさんかな?そんなに離れていない感じなんですけど。〇〇さんが迷ってらっしゃるんだけど、違う?
女性:保育士だったのでピアノを弾いてて、癌で亡くなったのが姉なんですけど。
森:お姉さんか〜お母さんみたいな感じなんだけど、ちょっと歳が離れてたりします?
女性:5歳離れていて、小さい頃からよく面倒を見てもらいました。いつも可愛がってもらったという印象しかないです。
森:髪の毛とかは無くなってました?
女性:全部ではなかったですけど、治療を受けてたので大分薄くはなっていました。
森:さっきも言ったんですけど、とにかく心配しちゃって物事が先に進まないのか、(お姉さんが)ヤキモキしている感じなんですよ。思考で(ご自身の)頭がすごくパンパンになっているんだけど。
女性:やることがいっぱい重なっていると思考が停止しちゃって、手がつかなくて焦っちゃったりするんですよね。
森:なるほどね。お姉さんは(物事を進めるのには)順番があるっておっしゃっているんですよ。治療にも順番があるじゃないですか、前段階でこれが必要で、その後はこうでって。順番が違うと混乱するし、治るものも治らないっていうのが治療ですよね。今、自分ができて納得できるものが必ずひとつ見つかるっておっしゃっています。今できることに集中してくださいって。
女性:「未来を心配するな、明日は明日の風が吹く」って姉がよく言っていました。そのことが今、ふと頭によぎりました。
森:自分で枠組みをつくらずに、敢えて考えずに行動してもいいかもしれませんよ。
女性:はい、ありがとうございます。
森:次は身内、友人、知人霊のサイキックアートをやります。(描きながら)この方は多分、身内の人じゃないと思うんですけど。女性で前髪があって、まだ若い感じ。女性のお友達がいらっしゃっているんですけど、思い当たる方はいらっしゃいます?(何人か手が挙がる)この方、16歳ぐらいに見える。高校生って感じです。(何人かの手が挙がったまま)ダンスをしているんですけど、踊ることが好きだったのかな。(一人だけが手を挙げている)
男性:18歳でした。高校三年生か、卒後したくらい。
森:この方すごく行動的で、なんかグループのリーダーみたいな感じの…お勉強もできたんじゃないかなと思うんだけど、そういった方でした?
男性:学年が違うので勉強ができたかどうかはわかりませんが、目立つ存在でしたね。
森:この人が亡くなって結構悲しむ人がたくさんいたというか、惜しまれて亡くなった感じがしますね。
男性:そうですね。
森:割と人望があったというか。
男性:ありましたね。
森:多分(光の世界と)お約束をされていて、やるべきこと、生まれてくる時の目的をある程度果たした方だと思います。この方の親御さんはご存知です?
男性:直接は知らないですけど、親御さんの問題で親しくなったというか。
森:そうなんですね、今親御さんを見せてくださっているんで。(この方が)友情について、あなたの周りの友人関係を構築してくださいって言っています。お友達からすごくインスピレーションとかいろんなアイデアももらえるから、横の繋がりを大事にしてと。もしかしたら…違ったらごめんなさいね、ご自身はギブアンドテイクの関係だったら、今まで受ける方が多かった感じですか?
男性:昔から私によく仕事とか振ってくれるんですけど、自分の気持ちが乗らなくて。
森:それでいいんですよ。これからはご自身が返す方、って(霊界の友人が)言っています。
男性:大分(周りの友人から)よくしてもらったというか、向こうにとっては損なんですけど、でもしつこく、私がやらないって言ってるのにくるんです。
森:今度はご自身が返す番なんですけど、周りのお友達がそういう「くれ方」をしたのにも意味があって、自分が返すときは自分がして欲しいものを返すことが大切だ、というメッセージだと(霊界の友人が)言っています。だから、「いらない」って思われるものはあげないでってことだと思います。霊界のご友人はなんでもかんでも無作為に親切にしていたわけじゃなくって、周りの人の個性というか、趣味嗜好を把握して関係を保っていた、と言っているので、そのメッセージを伝えたいみたいなんですね。それでは、絵を見せますね。似てなかったらごめんなさいね、こんな感じです。(写真の絵を見せる)
男性:あ〜、髪の毛はもうちょっと短かったけど、そんな感じです。
森:そうですか、描いてよかった!お友達が励ましてくださっています。
男性:ありがとうございます。
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冬イベントのワークショップ、春学期クラスのお申し込みは次回のブログにて告知、10月中旬頃からお申し込みを開始する予定です。申し訳ありませんが、今しばらくお待ちください。
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ドロップイン・ナイト
10月17日(木)19:00〜20:00 会員限定・参加費2,500円
指導霊(スピリット・ガイド)のサイキックアート
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ。
過去の開催の様子はこちらからご覧ください。
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モーニングワーシップ&コミュニオン(目覚めと祈りと瞑想)
10/27(日)9:00〜10:30 担当ミディアム:開堂・森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
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サンデー・サービス(日曜 12:30〜14:00)詳細はこちらから。
11月17日 担当ミディアム:松山:森
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
当日は以下のリンクよりご参加ください。
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クリスマス・サービス
12月22日(日)13:00〜15:00
参加ミディアム:開堂慈寛・森 梢・澤輪 燕・亜笠 未來
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
12:50 クリスマスソング 13:00 開会の祈り 13:03 遠隔ヒーリング 13:10 サーモン 13:17 サーモン 13:25 霊界通信のデモンストレーション 森ミディアム 13:25~13:45 トータル・サイキックアート 亜笠ミディアム 13:45~14:00 トータル 澤輪ミディアム 14:00~14:15 トータル 開堂ミディアム 14:15~14:30 トータル 14:30 クリスマス瞑想 14:45 もらって嬉しいクリスマスプレゼントメッセージ 14:57 閉会の祈り 15:00 閉会
当日は以下のリンクよりご参加ください。
#mediumship#spiritualism#awareness#psychic art#spirit communication#unfoldment#art#demonstration#霊界通信#ミディアムシップ#スピリットコミュニケーション#サイキックアート#スピリットポートレート#アウェアネス#霊性開花#サンデーサービス#サイキックミディアム#霊界通信のデモンストレーション
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅷ
花鳥誌2024年8月号より転載

日本文学研究者
井上 泰至
14 道のべに阿波の遍路の墓あはれ
初出は『ホトトギス』昭和十一年四月号「句日記(昭和十年四月)」。「四月二十二日。風早西ノ下に句碑を見、鹿島に遊ぶ。伊豫松山、黙禅邸。ホトトギス会」と前書き。『五百句』にほぼ同文の注記あり。
この句の詠まれた事情については、『ホトトギス』昭和十三年十二月号巻頭に虚子自身が書いた「阿波のへんろの墓」の一文がある。虚子が新田宵子夫妻・池内友次郎夫妻・高濱(当時)章子と故郷西ノ下を訪ねた消息を書いたものである。まずは決まって訪れる大師堂の大きな松に佇み、裏手にある「阿波のへんろの墓」を確認したが、なかったのであった。虚子の証言によれば、江戸時代の標準的な書体である御家流で書かれた古いものであったという。
虚子は碑が無くなっているのを嘆きつつ、恐らく行き倒れの曰くなどがあろうことを想起し、子供時代に目撃した遍路の一行を回想している。二、三歳の頃、遍路の女に抱き上げられ、大師堂まで連れていかれた想い出を語り、おそらくその女は、自分と同じくらいの子供を無くしていたのだろう、と語っている。このエピソードは、その後自分の人生を振り返った『虚子自伝』(昭和二三年刊)でも書き記されており、虚子のふるさとの記憶として刻印されていたことがうかがえる。
「遍路」は『ホトトギス』雑詠欄によって季題になった。一見古そうに見えて新しい季題である。西村睦子『「正月」のない歳時記』(本阿弥書店)によれば、大正十三年に三句登場して以来、昭和九年までに二六〇句も載る人気の季題となったと指摘されている。虚子が季題を選んだ改造社版『俳諧歳時記』春の巻(昭和八年刊)に、虚子の詳しい解説と例句の二七が確認でき、出典はすべて『ホトトギス』からである。虚子編『新歳時記』(昭和九年刊)にも同様に詳しい解説付きで立項され、例句二二を数える。つまり、伊予出身の虚子によって「遍路」は季題になったのであり、この句はその例句として加えられ、そのトドメを打ったのである。
『俳諧歳時記』の解説につけば、春の、しかも女性の景物としてのこの季題のイメージが確認できる。弘法大師の巡礼にあやかって、四国に散在する八十八か所を順拝する全道程一二〇〇キロ、日数四〇日余りを要する。宗旨・老若男女を問わず、服装は軽いが、三月から四月の季節がよくなる時期に、菜の花・青麦・紫雲英の鮮やかに彩られた道をぞろぞろと通る。この風景との一体化が単なる「巡礼」でなく、季語としての「遍路」の拠って立つところであると特記する。
特に若い娘たちは華やかなセルの着物に、白木の納札挟みを胸高にかけ、鬱金や浅黄色の手甲脚絆をつけ、同じ色の姉さま冠りの上に真っ白な菅笠をかぶり、緋の腰回しもあらはに裾を端折り、白木の杖をついた姿を虚子は詳細に活写している。高濱年尾の次の句などは、この虚子が特記した美しさの方に拠ったものであろう。
お遍路の美しければあはれなり
虚子の句にもどれば、山本健吉『現代俳句』に的確な評がある。まず「遍路の墓」とだけあって無名であることがかえって叙情を増すこと、「阿波」の地名から、浄瑠璃でよく知られた、長年別れた母と出会うもそれと気づかない巡礼お鶴(「傾城阿波之鳴門」)の連想で、子別れの哀話が想像されることを指摘する。
さらに健吉は重要なことを言っている。「遍路の墓」そのものに、春の季感はない。むしろ春の季語「遍路」が置かれることで、子供時代の春遍路の記憶と現在の春とが結び合わされるのであって、新興俳句の中でも有季定型を守った水原秋櫻子の流れの季感主義を批判している。季語は言葉そのものに意味があるのか、言葉の背後にある季感に意味があるのか? これは有季定型俳句の一大論点である。
過剰な、「今」「此処」にこだわる季感主義では、この虚子の句などは取り落とされてしまう。言葉が残ることによって、過去の季感を学び、それを想起し、対話する。下手をすると昨今頻出する「昭和の日」俳句の甘い回想句の氾濫のような惰性に堕ちてしまうのだが、言葉の由来や歴史性を無視しては、多くの俳句の財産を無くすことも自覚しておくべきだろう。掲句はその文脈において、今日重要な意義を持っていると言えよう。
15 白酒の紐の如くにつがれけり
この句の成立は若干の問題を含む。『ホトトギス』昭和二十年六月号の「句日記(昭和十九年三月)」には、「三月四日句謡会。鎌倉要山、香風園」の前書に「白酒の餅の如くに濃かりけり」「瓶のまま白酒供へ雛は粗画」と併記される。
しかし、『六百句』には、前日の「(昭和十九年)三月三日 家庭俳句会。日比谷公園。丸之内倶楽部別室」と注記され、〈洋服の襟をつかみて春寒し〉と共に掲載される。
「句日記」では、「洋服の」の句の他、「春草を踏まえて鳩の足あかし」「斯く行けば春風寒し斯くは行く」「その中に大樹芽ぐは物々し」といった吟行句が並び、「白酒」句はない。
すなわちこの句は当初、雛祭を題詠的に詠んで四日の鎌倉の句会に出したものだったが、後に三日の家庭俳句会での作、ということにしてしまったものなのである。
虚子の句集における注記は、必ずしも実際に忠実なわけではなかったことが知れるが、これは掲句を三日の発表ということにした方が、効果があると考えたからであろう。なお、家庭俳句会は、婦人俳句会などとともに『ホトトギス』に立ち上げられた、女性中心の句会で名句が多く生まれている(『俳壇』二〇二四年七月号「座談会」(西村和子・井上・堀切克洋)。そのこともこの発表時期の変更という「操作」の理由ではなかったかと思う。
掲句は、端的にして的確な比喩によって、「白酒」の様態を鷲つかみにした写生句で、間然とするところがなく、名句としてはよく引かれるものの、解説は意外に少ない。
ポイントは「白酒の」の「の」である。これが「や」では、なぜいけないか?「や」「けり」と切れ字が重なることを嫌ったのは、すぐわかる。
降る雪や明治は遠くなりにけり 中村 草田男
この句のように上五とそれ以下の間に「飛躍」があるなら、切れ字が重なっても問題はないが、「白酒」の句は典型的一物仕立てで、「や」では煩い。
「の」の効果はそれだけではない。「紐の」と「の」を畳みかけることで、「白酒」の様態に焦点を当てることができる。
鴨の中の一つの鴨を見てゐたり この庭の遅日の石のいつまでも 蛍火の今宵の闇の美しき 立秋の雲の動きのなつかしき
以上のような虚子の作例につけば、上五の下に「の」を軽くつけて、以下で「の」を繰り返して、リズムを作り、対象にフォーカスを当てていったことに気づかされる(井上『俳句のマナー、俳句のスタイル』)。
「白酒」の句の主題は、液体の動きにあるので、「つがれけり」と用言でまとめた。虚子は「眼」の詩人ではあるが、これをことさらに強調せず、さりげなく、品よく提示してみせる。鷲づかみの「写生」にありがちな生々しさを包むデコレートの感覚(井上「品格ある写生」『俳句』二〇一九年四月号)こそ、作家虚子の「写生」を代表するものとして、ここに指摘しておきたい。
*先月号記事に脱落がありました。「紅梅の苔は固し不言」の句は『ホトトギス』九年二月号で『五百句』同様「二月二十二日。臨時句会。発行所。」と前書きされています。記してお詫び申し上げます。(筆者)
『虚子百句』より虚子揮毫
15 白酒の紐の如くにつがれけり
16 紅梅や旅人我になつかしき

国立国会図書館デジタルコレクションより
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井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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経過 女子生徒は2019年4月、旭川市立北星中学校に入学した。 しかし入学直後の同年4月下旬頃から、同じ学校や別の学校に通う男女生徒からいじめを受けるようになった。生徒は学習塾に通っていたが、塾の近くの公園で同じ中学校に通う2学年上の女子生徒Aから声をかけられて顔見知りになった。さらにAを通じて、同じ中学校に通う上級生男子生徒B・近隣の別のX中学校に通う男子生徒Cなどとつながるなどした。それらのグループがいじめ加害者になったとされる。 加害者から夜中に呼び出される、Cから脅されて性的な画像を無理やり送らされたうえに画像を拡散される、Aやその他複数の女子生徒(Cと同じX中学校に通っていたD・Eなど)から取り囲まれて性的な行為を強要されるなどのいじめがあったと指摘されている。 生徒は直後から精神的に様子がおかしくなり、「死にたい」と母親に度々訴えるなどしていた。生徒は絵を描くのが好きだったというが、いじめを受けた前後では絵のトーンが全く異なるものになっていたという。 母親は、中学校入学後に生徒の様子がおかしくなり「死にたい」と度々訴えていたこと、生徒が夜中に呼び出されておびえていたことなどを認知し、担任教員に繰り返し相談していた。 しかし担任教員は、同じ学校に通う加害生徒について「本当に仲のいい友達です。親友です」「あの子ら(A・B)はちょっとおバカな子なのでいじめなどしない。気にしないでください」などと返答したという。生徒が死にたいと訴えたことについて「思春期ですからよくあること」と扱った。また「今日は彼氏とデートなので、相談は明日でもいいですか?」と言ったともされる。 また生徒本人も担任教師にいじめ被害を相談したが、担任教師は取り合わず、対応に問題があったことが指摘されている。 飛び込み事件 被害生徒は2019年6月22日、性的な画像を流すと脅されて、A・B・C・D・Eなど北星中学校およびX中学校の生徒や小学生児童らの加害者グループ約10人から取り囲まれた。生徒が抵抗すると加害者グループは「死ね」と言い放ち、被害者が追い詰められて「死ぬ」と発言すると、加害者グループは「死ぬ気もないのに死にたいとか言うなよ」などとさらに脅したことで、生徒は取り囲まれていた場所のすぐそばにある川の土手から水中に入り込んだ。その際に加害者グループは、生徒が川に入る様子を携帯電話のカメラで撮影していた。 生徒が学校にSOSの電話連絡をおこない、教師が駆けつけて生徒を川の中から出したとされる。また学校経由で母親にも連絡が入り、母親も現場に駆けつけた。 この際、一部始終を目撃した近隣住民が警察に通報し、警察官が駆けつけた。しかし加害者グループは警察官に「この子は親から虐待されている。虐待が辛いと訴えて川に入った」と虚偽証言をした。その影響で家族は、病院に搬送された被害生徒への付き添い・面会を一時禁止された。警察はその後裏付け捜査をおこない、家庭での虐待はないと結論づけ、面会禁止なども解除された。 警察は関係生徒に事情聴取をおこない、入水の強要や性的画像の拡散などが明らかになった。生徒に性的画像を送るよう強要した男子生徒Cは児童ポルノ法違反に該当するとされたが、当時14歳未満で刑事責任を問えず、触法少年として厳重注意処分となった。A・B・D・Eなどほかの生徒についても「生徒を川に飛び込ませた強要容疑にあたる可能性がある」として捜査がおこなわれたが、証拠不十分と判断したうえで厳重注意の措置をとった。警察は加害者のスマホから画像を削除させたものの、加害者の一人がパソコンのバックアップから画像を復元し、再び流出・拡散させたという。 事件後、生徒のスマホの通信記録を分析すると、「友達」だと話していた加害者グループから生徒を心配するような内容の着信はなく、生徒がこのグループからいじめを受けていることを強くうかがわせる内容があったとされる。母親がこのことを学校側に連絡したところ、学校側は校長を筆頭に、加害生徒の行為を「悪ふざけ」「いたずらが過ぎただけ」と扱った。教頭は母親に対して、「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。10人ですよ。1人のために10人の未来をつぶしていいんですか。どっちが将来の日本のためになりますか。もう一度、冷静に考えてみてください」など言い放ったとされる。 もう一方のX中学校はことの重大性を認識して、同校在籍の加害生徒や保護者、また小学生の加害児童・保護者を呼び出して被害生徒側への謝罪の場を設定し、X中学校校長が謝罪するなどした。当初は北星中学校とX中学校が合同で話し合い・謝罪の場を設定する方向で被害者家族側と調整していたが、北星中学校側が被害者側弁護士の同席を拒否するなど運営方法でまとまらなかったことから、話し合いの場は各校ごとの開催となったとされる。 北星中学校で被害生徒の保護者が加害生徒側と話し合いを持つ場を設定した際、加害生徒Aは足を投げ出してのけぞって座るなどした上、「いじめの証拠はあるのか」と突っかかるなどしたという。同席したAの保護者もそれを諫めるどころか、「この子は他人から勘違いされやすいタイプなので」などと居直ったとされる。 学校側は入水事案についての調査をおこなった際、生徒本人からは事情聴取せず、加害生徒など関係生徒からのみ聴き取りをおこない「いじめとの認知には至らなかった」と判断した。また学校の報告を受けた旭川市教育委員会は入水事案を「いじめではない」と扱った。一方で入水事案の報告を受けた北海道教育委員会は2019年10月、「客観的に見ていじめが疑われる。いじめを前提に対応すべき」として旭川市教委に対応を要請したが、旭川市教委は対応しなかったともされる。 また生徒の母親は2020年1月、北海道教育委員会の窓口にいじめを訴え、学校側が対応してくれないとも訴えた。北海道教育委員会は母親の訴えを受けて旭川市教委を照会し、いじめが疑われるとして再び対応を要請したものの、旭川市教委はこのときも対応しなかった。 生徒の転校、死亡 生徒は川に入り込んだことを直接の原因とした身体的なケガなどはなかったものの、精神的な症状によってしばらく入院療養を余儀なくされた。PTSDと診断され、2019年9月には転居の上で、別の中学校に転校した。しかし後遺症で、転校先の学校にはほとんど登校できず、外出が困難になる状態が続いたという。 生徒は2021年2月13日夕方、自殺をほのめかすメッセージを複数の知人に送った。メッセージを受け取った知人が警察に通報した。母親は当時仕事中で、警察から母親に「至急自宅の様子を確認してください」と連絡があったという。母親が急いで帰宅して自宅の様子を確認すると、生徒はいなくなっていた。 生徒は行方不明者として捜索が続けられたが、2021年3月23日になり、旭川市内の公園で雪の下に埋もれた状態で遺体で見つかった。死因は低体温症で、死亡時期は2021年2月中旬頃だと判断された。生徒の発見状況からは、暴行を受けるなどの事件性の痕跡は見つからなかったという。旭川市の気候は、生徒が行方不明になった時期の2月には気温が氷点下十数度になるが、発見時には厳寒の雪の中を歩くのは難しいと思われるような軽装だったという。 事件が報じられる 2019年9月、地元マスコミが「入水」事件を報じた。しかしその際、校長とPTA会長の連名で、「ありもしないことを書かれた」「いわれのない誹謗中傷をされ、驚きと悔しさを禁じ得ない」などと記した文書を、ほかの生徒の保護者宛に配布したという。 いじめの概要や生徒の死亡は、2021年4月中旬に週刊誌報道によって全国的に報じられ、大きな問題となった。 報道を受けて旭川市長は事件の詳細な調査を求め、教育委員会はいじめの内容や学校側の対応について検証する方針を示した。2021年4月27日に非公開で教育委員会会議を開催し、当該事案を「重大事態」と認定した。その後第三者委員会を設置した。 遺族側の弁護団は2021年8月18日に記者会見し、事件概要の説明をおこなった。席上で生徒の母親の手記を公表し、いじめに関する情報提供を求めた。 生徒は匿名でツイッターを開設していて、ツイッター上で「いじめられていた」と訴え、いじめの様子や当時の心境について書き込んでいたことが、2022年1月までに確認された。書き込みの内容や、生徒の自宅パソコンから当該ツイッターアカウントにログインできたことを遺族が確認したことなどで、生徒本人の書き込みだと確認した。 第三者委員会 旭川市教育委員会は2021年5月に第三者委員会を設置した。しかし当初選任された委員のうち2人が、事件調査の対象者と何らかの接点があることが判明したとして、2021年11月までに辞退する問題も生じた。小児科医の委員は「調査対象の生徒を診療したことがある」として、弁護士の委員は「関係者からいじめ相談を受けた弁護士と同じ事務所に所属する弁護士」だとして、それぞれ調査から外れることになった。 第三者委員会は2022年3月、加害者側から死亡した生徒へのいじめについて、「性的な目的で体を触った」「深夜に呼び出した」「菓子などの代金を繰り返しおごらせていた」「性的な動画を送信するよう長時間にわたり要求した」「自分で性的な行為をするよう繰り返し求めた」「嫌がられているのにからかうような行動を続け、生徒を川に飛び込むまで追い詰めた」の6項目・あわせて10件以上のいじめを認定し、遺族側に通知した。 また第三者委員会は、それまで判明していた加害者5人のほか、被害生徒と同じ中学校に通っていたF・Gの別の2人の上級生男子生徒についても、新たに「いじめ加害者」として認定した。 調査報告書情報流出疑惑 第三者委員会の調査報告書は、遺族などとの協議を経て、被害生徒のプライバシーにかかわるなどと判断した箇所については一部黒塗りの状態で、2022年9月に開示された。 しかし文書の非公開部分が流出している疑いがあることが複数回指摘された。 2023年10月、「非公開部分を含む調査報告書が、差出人などが記載されていない匿名の状態で封筒に入れられて、自宅ポストに投函されていた」と、ある旭川市議がSNS上で訴えた。 遺族側弁護団は「非公開部分を公表する行為は遺族にも耐えがたい屈辱を与えるもので、断じて容認できない」として、旭川市教育委員会に刑事告発を求めた。しかし旭川市教育委員会が調査を実施したところ、市役所内での調査報告書の盗難・紛失やコピーされた形跡などは確認できず、市議も「届いた原本は廃棄した」と回答したとして、「現物を見ていないので、はっきりしない」として刑事告発などを見送り、2023年11月に調査を終結した。 その後、黒塗りが非公開の状態の調査報告書が、いじめ撲滅を訴える市民団体のウェブサイトに公開され、2024年6月24日までにマスコミ報道された。 当該サイト管理者は「入手先は明らかにできない」「黒塗りだと、被害生徒の苦しみはわからないと考えて公開している」「いじめ撲滅が目的だ」としている。 旭川市教育委員会は、サイトに掲載された調査報告書を確認し、「正式に公開する前の未完成稿が流出した可能性がある」と判断した。2024年6月25日までに、当該サイト管理者に対して、削除を要請する方針を決めた。サイト管理者は「市教委から要請があれば、協議の上で対応する」とした。 旭川市から当該サイトへの削除要請は2024年6月26日におこなわれ、サイト管理者はそれを受けて同日夜までにサイトを削除した。 再調査委員会 遺族側は「いじめと自殺との因果関係についての調査が不十分」と訴え、再調査を要望した。このことを受け、2022年9月、市長部局で再調査委員会を設置する方針が決まった。2022年11月までに再調査委員を選定する方向を決めた。再調査委員会の委員には、いじめ問題に詳しくテレビ出演などの経験もあり、大津いじめ自殺事件(2011年発生)でも調査委員を務めた経験がある教育評論家の尾木直樹氏や、精神科医で批評家としても著書がある斎藤環氏などが含まれているという。 その後再調査委員会が設置され、調査にあたった。再調査委員会は2023年8月1日に記者会見を開き、「同日までに、関係者への聴き取り作業などをほぼ終えた」ことを明らかにした。今後内容の分析やまとめなどの作業をおこない、調査結果がまとまるのは2024年度になるという見通しを示した。 再調査委員会は2024年6月30日、生徒へのいじめ7件を認定した上で、生徒の死亡は自殺だと認定し、「いじめが自殺の主たる原因」として、いじめと自殺との因果関係を認める結果をまとめた。再調査委員会では、生徒が開設していたSNSの発信履歴約4000件を分析した。いじめを受けて心的外傷後ストレス障害(PTSD)となり、自尊感情の低下などが亡くなる直前まで続いたと認定した上で、「いじめがなければ自殺は起こらなかった」と結論づけた。 再調査委員会は、2024年6月下旬に発覚した流出疑惑を受け、報告書の提出を見合わせていた。その後体制が整ったとして、報告書の答申に踏み切った。 再調査委員会は2024年9月1日、再調査報告書を市長宛に答申した。再調査委員会の委員長を務めた、教育評論家・尾木直樹氏は会見で、報告書の内容について「旭川市はもとより、全国の子どもたちが希望の未来を描けるよう、いじめ対策の道標となることを願っている」と話した。 派生事件 事件が大きく報道されたことに呼応するような形で、派生事件も複数発生している。 脅迫事件 宮崎県在住の男性は2021年5月、教頭を名指しし「謝罪会見をしなければ殺害する」と学校に手紙を送りつけた。男性は脅迫容疑で逮捕され、2021年8月18日付で脅迫罪で罰金の略式命令を受けた。 神奈川県在住のYouTuberが旭川市の現地に赴き、「取材」として旭川市在住の女性(被害者と面識があるとされるが、事件との関連は不明)に「話を聴かせてほしい」「(話をしなければ)今以上の炎上騒ぎになると思います」などとSNSにコメントするなど、過剰な接触を取るなどしたとして、強要未遂で摘発される事案も発生した。当該YouTuberは、被害者の知人とされる複数の人物の氏名や顔写真を一方的に公開したり、関係先を繰り返し訪問するなどの行為をおこなったともされる。 無関係の人物への嫌がらせ 無関係の人物が「加害者」だとネット上で名指しされ、自宅住所や顔写真・家族の情報などが晒されて、関係先に嫌がらせが起きる事件も複数発生した。 旭川市在住の10代少年は、事件とも無関係にもかかわらず、Twitterなどで「犯人の一人」と名指しされ、本人や家族の実名・顔写真などを流布される被害に遭った。 被害少年と家族は2022年までに、発信者情報開示請求で書き込み者を特定した。そのことを受け、2023年3月までに、当該書き込みをおこなった神奈川県相模原市在住の人物に対して、計約440万円の損害賠償を求める民事訴訟を、旭川地裁に提訴した。この人物に対する訴訟では、旭川地裁は2023年6月7日、投稿者に対して約330万円の損害賠償を命じる判決を出した。 さらに同じ被害少年と家族は2023年5月、別の新潟県長岡市在住の人物に対しても、「同様の書き込みをおこなった」���して、約220万円の損害賠償を求める訴訟を旭川地裁に提訴した。旭川地裁は2024年7月25日、投稿者に対して約55万円の損害賠償を命じる判決を出した。 また栃木県在住のYoutuberの男性が、いじめに無関係な人物を「いじめ加害者」と名指しする動画を作成し公開したとして、当該者は名誉毀損容疑で宇都宮区検に略式起訴され、宇都宮簡裁は2023年6月13日付で罰金50万円の略式命令を出した。 栃木県のYoutuberから「いじめ加害者」と虚偽で名指しされるなどの被害を受けた人物と関係者は、2024年3月までに、当該YouTuberを相手取り、約450万円の損害賠償を求める訴訟を、旭川地裁に提訴した。���告側は第1回公判に出廷せず、答弁書も提出せず、即日結審した。旭川地裁は2024年5月20日、原告側の訴えを認め、計約230万円の損害賠償を命じる判決を出した。 遺族への中傷書き込み またツイッター上で、遺族を事実無根の内容で中傷する書き込みがあったとして、遺族側が書き込み者の情報開示を求めてプロバイダを提訴したことも明らかになった。 愛媛県松山市在住の男性が2021年4月、生徒の母親を中傷する書き込みを計4件おこなったとして、松山区検が2022年1月31日、侮辱罪で松山簡裁に略式起訴した。男性は2022年2月2日付で科料9000円の略式命令を受けた。 またネット上の悪質な書き込みについて、プロバイダへの情報開示訴訟で旭川市内の女性を割り出し、保護者が2023年1月までに当該者を相手取り約250万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。生徒の保護者は当該者について「内部関係者を装って書き込みをしていて、事情を知らない第三者が読めば誤って信じやすく、悪質性が高い。10回以上にわたる執拗な投稿で著しい心理的苦痛を受けた」と訴えている。旭川地裁は2023年6月15日、「娘を突然亡くした原告が、自身が娘の自殺の一因であるかのような名誉毀損を受けたことにより大きな精神的苦痛を被ったことは明らか」などと指摘し、当該女性に対して約165万円の損害賠償を命じる判決を出した。 また別の名古屋市の女性についても、遺族の名誉を傷つける書き込みをおこなったとして、名古屋区検で2021年3月、科料9000円の略式命令が下った。遺族は当該女性に対して、2023年2月、約250万円の損害賠償を求める民事訴訟を旭川地裁に起こした。2023年4月27日付で、「当該女性が謝罪し、関係者の権利を二度と侵害しないと誓約する。和解金約230万円を支払う」といった内容で、旭川地裁で和解が成立した。
北海道旭川市立中学校いじめ凍死事件 – 教育資料庫
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