#1.17KOBEに灯りをinながた
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nagatafolio · 6 years ago
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長田への郷土愛あふれるまちの有名人! 和田 幹司さん
(1.17KOBEに灯りをinながた実行委員長)
長田区で生まれ育って75年。ミノルタ社員として8年間のヨーロッパ勤務を経て、退社後は数多くの地域活動をされ、2011年から2018年の間には4冊もの生まれ育ったまち・真野の本を出版された「ワダカンさん」こと和田幹司さんにお話を聞きました。(2018年12月25日にインタビュー)
まちではクリスマスソングが流れる中、新長田で中華料理と紹興酒という「らしくない」シチュエーションを楽しみつつ、コミュニティ放送局FMわぃわぃのパーソナリティもされているワダカンさんの軽妙なトークを拝聴する3時間はあっと言う間に過ぎ去っていきました。
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小さい頃はどんな子供でしたか。
すごい恥ずかしがり屋やった。今では想像できひんよね。ミノルタに勤めてた時は、上司から「お前は口から生まれたやろ。」って���われてたから。 中学の時に嫌々生徒会長の選挙に立候補させられて、全校生徒の前で選挙演説をしたんやけど、自分が言おうと思ってた「���校を緑にする」っていう公約を直前の候補者に言われて、頭が真っ白になってしもた。そのまま3分間青空を黙って見上げて終わった。すごい屈辱やった。 親に言われて同じ中学の友達と一緒に元町に英語を習いに行ってたけど、長田から来ているっていうので塾の先生の見る目が違うのを何となく感じてた。まだ、新湊川沿いにバラックが立ち並んでいた時代やった。 高校の時は帰宅部やったけど、野球と水泳ばっかりしてた。苅藻通にあるミヨシ油脂の工場敷地の一部が昔は更地やって、そこで野球をしてた。結構上手くって、そのおかげでミノルタでアメリカ駐在してた時には、アメリカ人に混ざってソフトボールの試合にも出てたんよ。水泳は西代の今の県立文化体育館のところにあった市民プールに通ってた。休みの日は朝から野球して、昼から水泳して。遊んでばっかりやったな。 子供の頃は、司会者か新聞記者になりたかった。理由はよく分からん。小学生の時はテレビがなくてラジオか新聞しかなかったから、そう思ったのかも。
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どんな学生時代を過ごされましたか。
大学の時はワンダーフォーゲル部で山ばっかり登ってた。勉強は全然してなかったなー。でも要領は良かった。単位は取れてたし。部員が100人ほどいて、その前で説明したり、キャンプファイヤーの時は劇をしたりしてたので、恥ずかしがり屋ではなくなった。劇に出てた経験は、今でも真野地区の敬老会の出し物で役に立ってる。
ミノルタへ入社された理由は。
他に入る会社がなかったから。キリンビールとかサントリーとか、メーカーに入りたかったけど無理やった。そこで、カメラも好きやったし海外にも行ける、という理由でミノルタを受けに行ったら、学校推薦の締め切りの後やって。でも、当時の人事部長が「受けさせたれよ。」と言ってくれて受けさせてもらえたんよ。
ヨーロッパに駐在されていた時のことを教えてください。
最初はミノルタヨーロッパの副社長としてドイツに赴任したけど、フランス支社がうま��いってない、ということで翌年からフランス支社長としてパリに移った。業績は良かったけど、社内の人間関係が良くなかったんやね。それを立て直した後に、パリの近くに新しい社屋と、郊外で工場を作った。 フランス語は全然しゃべれへん。会社のクリスマスパーティーですごい苦労してフランス語でスピーチをして、皆から拍手をもらったのに、しばらくした後に、実は半分も通じてなかったからこれからは英語でやってくれ、って言われたこともあった。 もともとドイツ勤務のつもりやったのでフランスは全く意識してなかったけど、自分にはドイツよりも緩い感じのフランスがぴったり合ってた。フランスでは日本の文化への理解が進んでたことでも得していたと思う。でも、ランチの時にワインを飲むのはしんどかったなー。
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フランスから帰国された後のお仕事は。
長田の自宅から大阪の本社に通ってた。仕事は、APS(カートリッジ式のフィルムを使い、撮影日時等を磁気で記録できたりする新しい写真システム)の規格化を担当してた。世界標準の規格でいろいろなメーカーとの調整が大変やったけど勉強になった。でも、デジタルカメラの普及で、このAPSも10年程度でダメになってしもた。 退職前の6年間は東京支社で広報宣伝を担当したけど、おもしろかったなー。口を開いたら5千万円、て感じですごい広告宣伝費を使ってた。新聞広告で広告電通賞ももらった。博報堂に作ってもらった広告なんやけどね。 コニカとミノルタが合併する時の各地の社屋選びっていう仕事もしたよ。丸の内一丁目に「えいや!」で決めたり。そういう度胸を買われてたんやろね。
阪神・淡路大震災の時は何をされていましたか。
自宅は全壊で、仏壇だけを蔵に移して妹の家に避難した。1年半経って、自宅を再建し、復興住宅を作ってほしいという依頼もあって、自宅とは別に復興住宅も建てた。 毎年1月17日にJR新長田駅前でろうそくを灯す「1.17KOBEに灯りをinながた」をやってるけど、市民権を得てきたと思っている。これに参加する事が近くの学校の行事にもなってるし、自然とスタッフ以外の人も手伝いに来てくれている。障がいのある人もたくさん手伝いに来てくれる。長田の良さが出ているなーと思う。この行事は自分がいなくても大体はできるようになってきているけど、もうしばらくは頑張るつもり。
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奥さまとの馴れ初めを教えてください。
もともと恋愛で結婚しようと思ってたけど、28歳頃からお見合いに切り替えた。何度もお見合いして、自分はこだわりがなかったけど、先方か自分の母親が大抵は断ってた。妻とはお見合いの後、2回目で六甲山高山植物園に行った時に、見知らぬ高齢者の方とも上手に話してたのを覚えている。3回目で須磨離宮公園に行って、海外に赴任するので結婚してほしい、ってプロポーズしてOKしてもらった。その2ヶ月後には本当にアメリカ駐在になった。アメリカではホームパーティーが多くて、妻は20人位のお客さんの相手をこなしていたので、今でも子供や孫がたくさん集まる時に役立っていると思う。
4冊の本(グレーター真野シリーズ)を出版された理由は。
フ���ンスにいた時に日本についての質問を色々とされたけど、歴史はあまり答えられへんかったので、勉強せんとあかんなって思った。それと、阪神・淡路大震災からの復興のためにも、まちの成り立ちを知って、まちの良いところを残さんとあかんと思った。長田区は神戸市の9区の中でもまちの深みとか人の心とかっていう点では一番良いと思ってる。でも、住んでいる人が自ら卑下しているようなところがある。そういうところを払拭したくて郷土史を残したかった。 東日本大震災でまちの復興のためには仕事の復興がセットやと感じて、まずは「グレーター真野のちから」で近代産業史を書いた。それ以降、「グレーター真野のたから」では近代より昔の話、「グレーター真野の町から」は震災復興の報告、「グレーター真野の空から」はまち歩きを通しての長田の良い所を書いた。本を書くのは自分をさらけ出すことで、それが自分自身への応援になっている。今後の予定は今のところない。4冊で出し尽くした感じ。
長田の好きなところ、嫌いなところ、好きな場所は。
好きなところは分からへん。長田のまちにどっぷり浸かり過ぎていて客観的になられへん。 嫌いなところは、言葉遣いが荒いこと。でも、それは「照れ」からきてるんやけど。 好きな場所は長田港。昔から好き。港は哀愁があって好きやね。
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新長田をどんな風にしていきたいですか。
阪神・淡路大震災からまちを元に戻さんとあかんという思いから、長田のいろんな地域の活動をやってる。 これからは、長田の普通を理解してもらえるような日本になってほしい。
和田幹司さんの本を読むためにはここへ
ワダカンさんが執筆された本(グレーター真野シリーズ)は、神戸市立図書館にて閲覧・貸出しが可能です。
http://bit.ly/2AHrp38
インタビュー会場はJR新長田駅から歩いてすぐの激うま中華居酒屋さんJ
新長田中華食堂 房’s  神戸市長田区若松町3-2-15 エスタプレシオス1F
http://bit.ly/2H9WtOw
矢沢永吉ファンのロッケンロールで渋い店主の板井さんのお料理は、どれも美味しくて!早くて!安い!です。
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kobe-tokiwa · 5 years ago
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ボランティアセンターの大鍋を、県立美術館での展示に貸し出しました
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こちらは前回(2020年1月17日)の1.17KOBEに灯りをinながたで炊き出しをしている様子なのですが、今日はこの鍋の話です。
ボランティアセンターを担当する職員は働き者で有名ですが、そのセンターの備品の鍋までよく働くのです。
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ドン! …これじゃ��んのことかわかりませんよね。
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ちょっとひいて撮影すると、こんな感じです。
ここは、兵庫県立美術館。現代アートの作家、徳重道朗さんが神戸の「水」をテーマに制作されたインスタレーションに、本学ボランティアセンターが協力し、先ほどの大鍋や
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壊れた掃除機の先などを貸出しました。
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鍋の台の部分にはよく見ると
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炊き出しに鍋が使われている時の写真が貼られ、さりげなくこの鍋の由来が紹介されています。
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壁の水道の栓をひねると水が天井近くまで上がり、ビニール傘やホース、掃除機の先などを伝って、鍋まで落ちてきて、そのあと溢れてまた排水される仕組みになっています。 傘のところからはしずくが飛び散って、なんだか心の底がはしゃぐような感覚をおぼえました。
今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響により1.17にまつわる活動も縮小される予定で、この鍋も出番はないことになっています。でも、美術館でこんな活躍の場があって、鍋も喜んでいることでしょう…。
徳重道朗 ゆきゆきて神戸 兵庫県立美術館 ギャラリー棟 アトリエⅠ 2020/11/21-12/20(すでに終了しています)
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帰ってきた鍋と徳重さん。
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kusaukoshika · 8 years ago
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kusaukoshika · 8 years ago
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