#LIN絵文字
Explore tagged Tumblr posts
Text
NEWSLETTER vol.48
ニュースレターの第48号をお届けします。
今回は2018年6月8日に Art Jewelry Forum に掲載された、リン・チャン氏へのインタビューをお届けします。
翻訳をはじめたのはもう何か月も前ですが、思いのほか時間がかかって前回配信から10か月も経ってしまいました…今後も不定期の配信となりそうですが気長にお付き合いいただけますと嬉しいです。あいかわらず、メールに埋め込むと画像が小さくなってしまうので、ぜひ元の記事もご覧になってくださいね。
----------------------------------
https://artjewelryforum.org/lin-cheung-0
2018年6月8日
リン・チャン
日常性と非日常性 その共存を実現させるもの
アドリアーナ・G・ラドレスク

リン・チャン《遅ればせながらの応答:混乱、言葉もない、意気消沈》、2017年、��ローチ、ラピスラズリ、金、各51 x 9 mm、撮影:リン・チャン
リン・チャンの作品は絶えず議論を呼ぶ。《敵か味方か》のネックレスや《室温》のオブジェ、書籍にインスタレーションから、最近作の《遅ればせながらの応答》のブローチや《保管》シリーズに至るまで、彼女の作品は、人のありように対する一解釈であり、作り手の思想や感情の運び手であり、ジュエリーの意味を模索する飽くなき探求である。
リン・チャンはこれまで、数多の賞を受賞してきた。最近では、2018年にフランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ賞とヘルベルト・ホフマン賞を受賞。2017年には英国のBBC Radio 4が主催するウーマンズ・アワー・クラフト・プライズにおいて、1500名の応募者から最終選考12名のうち1名に選出された。
youtube
アドリアーナ G. ラドレスク:あなたは今年、その作品と、コンテンポラリージュエリーの振興における国内外での示唆に富む役割が認められ、栄誉あるフランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ賞を受賞されましたね。そのすべてがどのように始まったのか、お聞かせいただけますか? いつごろからジュエリーを作りたいと思うようになりましたか? また、どこで勉強されましたか?
リン・チャン:ありがとうございます! 今年はこれまでのところとてもいい年で、フランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ財団には心から��謝しています。彼らは独立機関として、熱意をもって主体的に、人々の想像を超える優れた仕事をしています。これは今の時代にあって珍しいことで、それだけに特に光栄に感じています。

リン・チャン、《遅ればせながらの応答��動揺》、2017年、ブローチ、ベルジャンブラックマーブル、ハウライト、金、54 x 9 mm、撮影:リン・チャン
私は、なんでも手作りしたり修理して使うことを良しとするごく堅実な家庭で育ちました。裁縫や編み物、刺繍にくわえ、ものが動く仕組みや素材に興味が湧いて、何かを分解したりもしました。でも、ジュエリーを作った記憶はありません。私は子ども時代とティーンエイジャーを経て成人してからも、もらったものも自分で買ったものも含め、たくさんのジュエリーを身に着けてきましたが、自分で作るようになったのはずいぶん後のことです。
私は、ブライトン大学の学士課程(通称WMCP、(訳注:木工、金工、陶芸、樹脂の英単語の頭文字をつなげたもの))で陶芸と金工を専攻しました。そこで偶然ラルフ・ターナーの著作である「ニュー・ジュエリー」を手に取りました。それからというもの、この道一筋です。それ以降、私が置かれたすべての環境や訪れた場所、出会った人々は何かしらこの本と結びついているので、遠い親戚のような縁を感じますし、それだけにこの本は私の考え方に深い影響を与えた存在です。作品の素材や技法は何なのか、思いを巡らせながら夢中になってページをめくっては「これはおもしろい!」と思っていました。
あなたは今年、石を彫ったブローチのシリーズ、《遅ればせながらの応答》でヘルベルト・ホフマン賞を受賞され、忘れがたい1年のスタートを切られました。

リン・チャン、《遅ればせながらの応答:バラ色》、2017年、ブローチ、ローズクォーツ、金、43 x 8 mm、撮影:リン・チャン
審査員から「時事問題とその意味との関係性を表現した、政治的見解の表明」と評されたこの作品は、英国のEU離脱を決する国民投票と世界の政治情勢への個人的な応答として作られたとのことですね。この作品は缶バッジの形をしており、表面に絵文字やシンボルを思わせる顔が描かれていますが、一般の缶バッジのようにプレスした金属やプラスチックでできてはおらず、半貴石を研磨し、表面に金を点在させて作られています。政治キャンペーンで多用される、安価で息の長い定番アイテムであり、質素ともいえる装着型の伝達装置である缶バッジと、高価な素材とを結びつけようと思ったのはなぜですか? また、タイトルの「遅ればせながら」にはどのような意味が込められていますか?
リン・チャン:私が石という、硬くて容赦なく、永続する素材でこのブローチを作ることにしたのは、使い捨てで瞬時に作れるお手軽な金属製のバッジとの対比を表現しようと思ったからです。皮肉なことに、私は、メッセージの内容が浅いか深いかにかかわらず、一度使えば用済みとなるはずの缶バッジをいつも大事に取っておきます。手元に残しておくと、その時の気持ちや信条、出来事、気分を鮮明に覚えていられるので。これが、私が半貴石を使った理由のひとつです。つまり、一部の発言や行為はやり直しがきかないから、ほんの一瞬の出来事でも人の心に長く残りうるということを言いたかったのです。
タイトルの「遅ればせながら」は、すぐさま反応するのとは逆のリアクションの仕方を表しています。私は、国民投票の前後の情勢を目にして悲しくなったのをはっきりと覚えていますが、それをどう表現すればよいのかわかりませんでした。ただ、いつかこの思いを作品にすることだけはわかりました。後から行動に出るということは、蓄積された何かが、時間を経てから展開していくということです。私は、実際の出来事からかなり時間がたってからようやく、抑圧された思いやぐるぐると混乱した感情を、石の研磨を通じて解放できるようになりました。

リン・チャン、《遅ればせながらの応答:しかめ顔》、2018年、ブローチ、ラピスラズリ、金、54 x 9 mm、撮影:リン・チャン
また、「遅ればせながら」は、石の加工にともなう労力と、石や石の研磨から連想される隠喩的な意味も表しています。さらに、研磨や切削は、熟考や仕上げ、そぎ落としていく過程も意味します。つまり、考えを整理し、遅まきながら納得し決心が固まるまで時間を稼ぎ、じっと待つという、時間のかか���肉体的行為を表します。石の研磨はほぼ独学で習得しました(最初だけ、シャルロッテ・デ・シラスによる5日間の特別クラスで専門的な講義を受けました)。そのため、新しい素材に初挑戦する時の常として、時間こそ余計にかかりましたが、素人であったことがむしろ好都合に働きました。知識のなさに妨げられず、失うものがないまっさらな気持ちで制作に打ち込むことができました。
コンセプチャルなジュエリーは、政治的な意識の向上という点で、大衆を説得する力を持ちうると思いますか?
リン・チャン:ええ、その力があると信じています。また、すでに知られていたり、こうだと信じ込まれている方法以外のやり方で、そういった力を量る方法にも興味があります。ただ、《遅ればせながらの応答》シリーズが必ずしも「大衆の政治的な意識を向上させる」とは思いません。このシリーズはそれ自体が議論の一部をなす当事者性の強い作品で、すでに広く認識されている問題を扱っているため、意識の向上というよりはタイムリーなコメントとしての趣が強いでしょう。私は今も、この決定がもたらした損害を忘れてはならないと思いますし、今後は今以上に不確かな時代になるでしょう。だからこそ、ジュエリーには、自分たちの周囲で起きている出来事について考えさせる存在であり続けてほしいのです。大衆の政治に対する意識の向上という点では、エスナ・スーこそシリアの難民危機を表現した作品でそれを実行しているといえます。彼女は私たちに、時間とエネルギーを費やして作品について考えることで、難民危機の問題を忘れないよう促しています。

リン・チャン、《遅ればせながらの応答:逃げ腰》、2018年、両面装着式のブローチ、ハウライト、ベルジャンブラックマーブル、金、49 x 12 mm、撮影:リン・チャン
作品の持ち主がご自身の考えに共感してくれるかどうかは重視していますか?
リン・チャン:自分の考えや見解に共感してもらえるといつでもうれしいです。私の場合、それを知るのは直接人と会った時なので、会話ができたり、同じ考えを持っていることに気づいたりできるのは、私にとってはありがたいおまけです。私は時間の許す限り、工房にこもるようにしているので。外に出て別の視点から作品を見られるのはいいリフレッシュになりますが、共感してもらえなくても構いません。私は自分の考えが伝わるよう素材や大きさ、造形を制御しはしますが、作品は独立した存在です。私の手元を離れたら、自由の身です。勝手に別の意味や価値観を帯びたり、身につけてもらえたりもらえなかったり、好かれたり嫌われたりすればいいのです。それは自力では制御できない領域です���、制御したいとも思いません。私は、最善の方法で考えや意見を表現することにやりがいや興奮を感じますし、そこが重要なポイントなのであって、自分が答えを知っていると思えるかどうかという点は重視していません。

リン・チャン、《真珠のネックレス:グラデーション》、2017年、ネックレス、淡水パール、金、ビンテージのケース(修繕済み)、ネックレスの長さ:406.5mm
あなたのウェブサイトには、「《真珠のネックレス》シリーズは、母親から譲り受けたものの使わずにいた真珠のネックレスをインスピレーションの源とした。このネックレスは自分に似合わないと思ったし、たった一種類の女性性を信じているわけでもない」と書かれています。男性モデルに着用させたこの作品は、淡水真珠を1粒1粒削り出し、ホイットビージェットのチェーンと同じ構造でつなげてネックレスにしたものです。このシリーズは、装飾品としてのジュエリーや、個性の形成におけるジュエリーの役割の探求の一環として作られたものですか? また、ジュエリーは新たな形のジェンダー表現を推し進める上で効果的な手立てだと思いますか? この作品には、どのようなメッセージや意図が込められていますか?
リン・チャン:後から思えば、この作品はずいぶん複雑な意味を帯びていますね。一方では、ごくシンプルな作品で、元のネックレスを手に取って加工するに至ったのも、チェーンにできるかどうか試したかったという単純明快な動機からです。実験が済んでチェーン全体が完成してはじめて、どんな意味を持ちうるか、なぜこんなことをしたのか、それがどうなったのかを考える時間を持てました。このネックレスは、身に着けるとお高く留まって見えるような気がして、長い間しまったまま使うことはありませんでした。
真珠にはさまざまな意味合いが込められています。そして、形状や機能の面で可能性の幅が広いダイヤモンドや金などと違って、ジュエリー素材としての革命がもっとも起こりづらい素材ではないでしょうか。その意味では、この真珠作品では、おそらくその形が一番の理由で、少しだけその遅れを取り戻せた気がします。真珠の「ジュエリーらしさ」は丸い形に生まれついた時点で既定路線であり、人はなぜかそこに女性らしさだと受け止めるのです。私が真珠を研磨してチェーンを作って、最初に、そして一番強く感じたのは、これはもはや真珠のネックレスではない、ということです。そのことで、真珠にまつわる意味合いを薄められましたし、おめかしや着飾ることを目的にジュエリーを着けていたのは過ぎ去った昔の話であって、ジュエリーとは単に着けたいから着けるものだという私自身のジュエリー観に沿った作品になったと思います。
私は女性性とは何であるかに興味を引かれます。それは必ずしもジェンダーと関連づいているわけではありません。私は女性性をもっと広義にとらえていて、体力とは別の、知的な精神力や思考、思いやりと関わるものだと考えています。作品を男性モデルに着用させて撮影したのは、実験的な見せ方をしたかったからです。そして、それが真珠のネックレスは女性的なものだという狭量な考えを打ち破ったと伝える上で有効な手段であるかどうか、そして、それでも依然として残る繊細な強さと多義的かつ対照的な複数の側面が、また別の女性性を表現しうるのかどうかを確認したかったのです。つまり、自分が身近に感じられ、さらに女性という自分のジェンダーも手放さずにいられるという形の女性性です。そうですね……この作品については、完成してからもそのインパクトについて考えていますが、今もまだ、的確に言い表すのが難しいです。が、そうやって考えるのも、とても面白いことですね。

リン・チャン、《真珠のネックレス:マチネー》、2016年、ネックレス、淡水パール、金、長さ:560 mm、撮影:リン・チャン
《真珠のネックレス》シリーズの一部の作品は、修理を施したビンテージの真珠のネックレスの専用ケースがついていますね。このようにケースに手直しをして再利用するという行為には、どのような意味があるのでしょうか?
リン・チャン:アンティークのケースを再利用することで、過去の所有など、物語に歴史という側面が若干加味されます。最初に作ったネックレスと箱は母の所有物で、それ以降のネックレスと箱は、最初につくったものの形式を借用したものです。
作品が装着されることについては、どれくらい重要視していますか?
リン・チャン:どちらでも構いません。着用性の高いデザインであっても、実際につけるかどうかは別問題で各自が判断することです。私はどちらの考えも理解できます。私自身、身に着けないジュエリーをたくさん持っていますが、そのことが物への愛着に影響するわけではありません。手に取って眺めて、またしまうということも好んでやります。時に実用的でないジュエリーをじゃらじゃらつけることもあります。このようなアイテムは注意が必要ですし、つけている間ずっと気になってしまうものです。おまけに針先がとがっておらず、ブラウスやTシャツに大穴が開いてしまうこともあります。それでも、ジュエリーとしての出来がよければ、その価値はあるのです。同じものを数週間つけっぱなしにすることもあります。装着するしないにかかわらず、ジュエリーが喜びをもたらしてくれることに変わりありません。

リン・チャン、《保管:紙と輪ゴム》、2016年、ブローチ、合成石、金、輪ゴム、70 x 22 x 15 mm、撮影:リン・チャン
《保管》シリーズは、あなた自身のジュエリーの保管方法を扱った作品です。このシリーズは、こう言っては何ですがとても生活感があって、《紙》や���輪ゴム》と題されたブローチでありふれた物体を描写しています。この作品では、合成石や金という耐久性のある素材と、輪ゴムという長持ちしない素材が混在しています。この袋に何が入っていたのか、また、この作品のコンセプトは何なのか、興味を惹かれます。この素材の組み合わせには、どのような意味が込められていますか?
リン・チャン:私はよく、ティッシュやキッチンペーパーやトイレットペーパー、チャック式のビニール袋やただの紙など、その時手元にあるものにジュエリーをしまうことがよくあります。私はよく旅行をするので、ジュエリーに箱やケースがある場合はそこから出して、もっと実用に即した方法で収納するようにしています。《紙》と《輪ゴム》のブローチは、私が紙と輪ゴムで包装してきたすべてのブローチを表現していると言えるかもしれません。自分がつけるジュエリーはいつもこの方法で収納します(そのほとんどは自分で作ったものではありません。自分の作品はめったにつけません)。なので、この保管方法自体はごく普通で生活感がありますが、興味深いことに、それによってそのアイテムが私にとって特別な存在になるのです。この作品を白い合成石で彫り出して作ったのは、紙の質感を表現するためで、本物の輪ゴムを用いたのは日常性を加味するためです。ここにおいて私は、ジュエリーの秘密の生活を覗いてみませんか、作品を通じて価値や意味が表明されているさまを見てみませんか、と誘いかけているのだと思います。高価な素材や予期せぬ素材やプロセスを用いて日常のディテールを描写することで、単なる人工物を超えたジュエリーのおもしろみについて考えることを促しているのかもしれません。
この《保管》シリーズでは、特に私自身の持ち物であるジュエリーの私的な生活と公的な生活、そして、同じ作品でも配慮の度合いが変わりうるのかという点を考えました。紙やプチプチ、ビニール袋による収納方法は、退屈に見えるかもしれませんが、私にとってはとても便利で安全ですし、それによって自分だけのものになるのです。私は、ジュエリーを買った時ではなく、生活をともにしてはじめて、そのアイテムが自分にとってどんな意味を持つのかについて気にかけ、注意を払えるようになります。作り手やブランドによる包装は、提示方法や、その魅力、モノのコンセプトの延長、作り手の創造性や配慮を通じて、ジュエリーを商品とみなしています。購入後の私だけの管理方法は、所有、つまり自分の持ち物であり日々の生活の一部であることを表します。

リン・チャン、《保管:古い真珠のネックレス》、2018年、ペンダント、ロッククリスタル、62 x 42 x 20 mm、撮影:リン・チャン
同じシリーズの《古い真珠のネックレス》や《ベニータのブローチ》では、ジュエリーの形は見えません。そのかわり、それをしまうための(ロッククリスタルを研磨した)透明な袋が主役になっています。これは、姿は見えずとも存在する、あるいは過去に存在したジュエリーを示唆し、その記憶を保持する手立てということでしょうか? この作品の背景とはどのようなものでしょうか?
リン・チャン:おっしゃる通り、どちらも実在するジュエリーです。古い真珠のネックレスも、ベニータが作ったブローチも私の持ち物です。それらが小さなビニール袋の中で占める空間を観察し、石を研磨して造形しました。どちらも、空っぽであるようにも中身が入っているようにも見えます。また、モノが持つ日常的な側面と非日常的な側面との対比を考察した作品でもあります。ジュエリーはその両方の性質を兼ね備えられるところが、すごく好きです。

リン・チャン、《遅ればせながらの応答:困難な時代》、2018年、ブローチ、ロッククリスタル、金、54 x 9 mm、撮影:リン・チャン
あなたの作品の中には、パブリックな仕事も見られます。2012年ロンドンパラリンピック大会のメダルをデザインされましたし、2014年には唐奨のメダルデザインのコンペでファイナリスト10名の1人に選ばれました。2年前には、唐奨教育基金会から、2016年の賞状のデザインと制作を依頼されたそうですね。このようなパブリックな仕事と、個人の作品とでは、工程の面でどのような違いがありますか? また、どのようなことが課題になりましたか?
リン・チャン:特にパブリックな依頼は、往々にして極度のプレッシャーにさらされます。莫大な予算と、短い納期での納期厳守に対する大きな責任が常にのしかかります。株主や資金提供者、プロジェクトマネージャーやマーケティング部門、CEOやインターンなど、あらゆる立場の人たちとチームを組んで仕事をするのは一見怖そうですが、実際のところは共同作業について学ぶにはすばらしい方法です。アーティストという立場で一大プロジェクトに携わるということは、全体を見渡し、常時すべての場に存在するかのような独自の立場に置かれるということです。私はあらゆる視点からプロジェクトを眺め、はじまりから実現に至る過程を見るのを楽しめるタイプなのでしょうね。また、プロジェクトの一員になれることは、大きな見返りがあります。
こうした学びは有益ですが、多くの依頼は問題解決からプロトタイプの制作、完成品の仕上げが息をつく暇もなく、同時に進行する感じです。先を読んであらゆる結果を予想し、プロジェクト管理をやりこなし、チームのメンバーに仕事を任せて���仲間からも自分からも最高の力を引き出せるよう、短期間で学ぶわけです。こんなことまでできてしまうんだ! と自分でもよく驚きます。スタジオでの作業はそこまで込み入っていません。当然ですが、それは私ひとりだからです。プレッシャーもさほど強くかかりませんが、多くの場合プロセスは酷似しています。同じような悩みを抱え、大勢でやる時と同じような会話を自分としま��。葛藤もありますが、最初から確固たる決まり事もないですし、委員会からの承認がないと次に進めないというわけでもありませんから、後戻りをしたり、手抜きをしたり、自分の意志で課題を設定したり、リスクのある道を選んだりできます。これは周囲からの許可が必要な場合はそう簡単にはできないことです。
vimeo
どのような流れでデザインを進めますか? スケッチやモデル、モックアップの制作から始めるのでしょうか? コンセプトを伝える上で素材の選択はどの程度重要なものですか?
リン・チャン:つい最近までは、最初にコンセプトやイメージを考えたら、そのまま制作に突入していました。私はすごく大雑把なスケッチ以外は紙にイメージを描きません。線画や、ひとつかふたつの単語、文章で十分な時もあります。その意味では、私は多くの作り手と違うのかもしれませんね。明快なプロセスでデザインを進めるわけではないですから。
素材の選択はとても重要です。アイデアを思いついたら、自分の考えや感覚と合致する素材を探します。可能性のある選択肢を考え抜いて「こうすれば思い通りの雰囲気になるかしら」とか「やっぱりこっちかもしれない」と迷いながら自分の仮説を検証します。石の加工をした時は、コンセプトよりも素材が先でした。それまで、具体的な素材や技術からアイデアを発展させていくことはあまりなかったので、新たな感覚で制作に燃え、手の中の素材の変化や自分が目にしているものを基にアイデアやコンセプトを練る間じゅう、強迫的なまでに熱心に打ち込みました。
外部からの特にパブリックな仕事の依頼の場合は、コンセプトや工程、プロトタイプの制作、実制作、情報の記録、納品に至るプロセスを厳守せねばならず、その順番が狂うことはめったにありません。

リン・チャン、《保管:ベッティーナのブローチ》、2018年、ペンダント、ロッククリスタル、52 x 34 x 23 mm、撮影:リン・チャン
あなたはアーティストとして��活躍されているだけでなく、2009年以降、ロンドン芸術大学のセントラル・セント・マーチンズのジュエリーデザイン科の学士課程の上級講師として教鞭を執っていらっしゃいます。その傍ら、レクチャーやワークショップの講師や、書籍や記事の執筆活動もされていますが、限られた時間のなかでそれをどう両立されていらっしゃるのでしょうか? またそれらすべてをやりこなす強い意志はどこからきているのでしょうか?
リン・チャン:確かに、全部並べて見るとずいぶん抱え込んでいるように見えますね! あまりの多忙さに、混乱に陥ってしまう時があることは否めませんが、ジュエリーへの好奇心が、さまざまな魅力的な形をとって、私を突き動かすのです。
忘れないでいただきたいのは、プロジェクトによっては構想に何年もかかるという点です。ずっと前にまいた種を折に触れては世話してやり、立派に育て上げるのです。コラボレーションもありますし、自分がやりたくてやるものもあります。人に教える仕事は、どれもとても楽しいです。セントラル・セント・マーチンズで、いきがよくて一生懸命な学生たちを大勢相手にしていると、ジュエリー界の今後の行方が見えるような気がする時があります。これは役得ですね。また、コンテンポラリージュエリーをまるで知らない別分野の作り手の人たちと一緒に何かをするのも楽しいです。ザルツブルクで行われた国際芸術サマーアカデミーの際に行ったワークショップがその例です。ほかにも、近々コロンビアで開催されるEn Construcción IIIでワークショップを行う予定があり、とても楽しみにしています。

リン・チャン、《遅ればせながらの応答:無能(※)》、2018年、ブローチ、コーリアン、金、55 x 9 mm、撮影:リン・チャン(※訳注:英語タイトルはTwitで、Twitterとかけていると思われる)
私は、プレッシャーや日々の雑用に邪魔されることなく、スタジオや作業場でひとりになってジュエリーについて自分だけの考えに没頭したり、表面の具合を観察したり、何に注意を払ってやればよいのか、自分が何をしたいのかを考える、ユニークで貴重で特別な時間を確保するためならなんだってします。常にそれを達成できるとは限りませんが、いつも虎視眈々とそのタイミングを狙っています。
最近感銘を受けたり、作品に影響を与えたり、興味を引かれた映画や音楽、本、展覧会、ニュース、旅行などはありますか?
リン・チャン:《遅ればせながらの応答》シリーズの《しかめ顔》というブローチが今年度のロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの夏期展覧会に出品されたので何度か足を運びましたが、その時の作品の多様性には驚かされました。この展覧会は、優れた偉大なアーティストと一緒に、アーティストの卵や無名の作り手、「凡人」(グレイソン・ペリーが私たちのような人を親しみを込めて呼ぶ時の愛称です)の作品が一堂に並ぶことで有名です。目玉となる作品ばかりを見ないよう努めるうちに、若手作家のリー・カッターの作品に目が留まったのですが、この作品には心から感動しました。

リー・カッター、《監獄文化》、彫刻、刑務所で支給されるバターミルク石鹸、画像はロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの厚意により掲載
それは《監獄文化》と題された、彫刻を施した大量の石鹸を何段もきれいに並べて額に収めた作品でした。私は、日常の素材を再評価させ、当たり前だと思われているものや状況を見直させてくれる作品や、想像する以外に知りようのない世界を見せてくれる作品が好きなのです。器用かつ無心に彫られているだけでなく、骨や象牙の細工や、木彫品、彫像、ストリートファニチャーを見た時と同じような感情を抱かせ、人生のおかしみと哀愁とが一体となって表れていました。

リン・チャン、《遅ればせながらの応答:無能》、2018年、ブローチ、コーリアン、金、55 x 9 mm、撮影:リン・チャン
現在はどのようなプロジェクトに取り組んでいらっしゃいますか?
コロンビアで行われるコンテンポラリージュエリーのシンポジウム、En Construcción IIIの一環として、マーク・モンゾとセス・パパック、テレーザ・エスタぺと一緒に1週間のワークショップを行う予定です。また、2019年のミュンヘン・ジュエリー・ウィークでMicheko Galerieで行う個展の準備も進めています。ほかには、通常の依頼品やリサーチ、構想に加え、フランソワーズ・ファン・デン・ボッシュ賞の賞金で、2019年の年末か2020年の初頭からオランダで開催される個展に向けて作品を制作するという、刺激的なひとときを過ごしています。近いうちにまた皆さんに詳細をお知らせできるのを楽しみにしています。
ありがとうございました。
アドリアーナ・G・ラドゥレスク:建築家、ジュエリー作家。ワシントンD.C.在住。ルーマニア、ブカレストのイオン・ミンク建築都市大学にて建築と都市計画の修士号を取得。ワシントンD.C.のコーコラン・スクール・オブ・ジ・アート・アンド・デザインにて金工を学ぶ。2013年よりAJFに参加。
------------------------------------
本ニューズレターの本文・画像のすべてまたは一部を無断で転載することはかたくお断りいたします。今回の記事は、スーザン・カミンス氏(Art Jewelry Forum)の寛大なる許可をいただいて���訳しています。配信停止をご希望の方は、このメールに返信する形でお知らせください。また個人名の表記につきましては一般的な発音を参考にカタカナ表記をしておりますが、もし本来の発音とは異なる表記にお気づきの場合は、お手数ですがお知らせください。
1 note
·
View note
Text
【リンウッド弁護士】 2021/3/7 10:44 JST

先に明らかにしたように、私は、ロバーツ最高裁判事、ペンス前副大統領、およびその他の高官に関する内部告発者のインタビューが信用できるものであると判断しました。
彼の発言の重大さを考慮して、私はその記録を公開し、また、米国シークレットサービス、ジョージア州弁護士会、アトランタ弁護士クラブ会長およびその執行委員会のメンバー、マーサー・ロー・スクール、マーサー・ロー・スクール学部長のキャシー・コックス、およびコロラド州弁護士の地方裁判所にもサム・ドライブを提供しました。
内部告発者の申し立ては調査されていますか?
シークレットサービスを除いて、内部告発者との面談を受けた他のすべての人々は、私の知る限りでは、私を中傷すること以外は何もしていません。
私はただのメッセンジャーに過ぎませんでした。法を守る市民、弁護士、裁判所の役員としての義務を果たしただけです。そして、そのために、法曹界のメンバーは、私を破壊しようとしています。
あなたはここで何が起こっているか 正確に理解していると思います 私はそうします。
https://rumble.com/ved80f-lt.-gen.-tom-mcinerney-explains-why-lin-woods-whistleblower-is-absolutely-c.html
ランブル トム・マキナニー中将がリン・ウッドの内部告発が絶対的に信用できる理由を説明しています。 リン・ウッド弁護士がポピュリスト・プレスに発表した内部告発者とのインタビューの記録が明らかになりました。……
※3/7のメッセージ、以下��続きます~
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

ロバーツ、ペンス等についての内部告発者のインタビューが信憑性があることを示唆する、第三者機関からのより多くの点が接続されています。
ジョージア州弁護士会は、メッセンジャーであることを理由に私の弁護士資格を剥奪しようとしていますか?
私の弁護士免許証のことではありません。
おそらく苦情の苦情はポーラ・J・フレデリックと懲戒委員会のメンバーに対して提出されるべきであり、彼らは不正行為の信憑性のある主張を調査せず、不当に私に対して根拠のない訴訟を提起したことについて、明らかに失敗しています。
どう思いますか? ご意見を聞かせてください。
https://theconservativetreehouse.com/2021/03/06/linn-wood-whistleblower-connects-very-important-dot-on-deep-state-surveillance-and-rosenstein-activity-with-fbi-to-compromise-people/
最後の避難所 リン・ウッドの内部告発者は、ディープステートの監視とロゼンスタインの活動に関する非常に重要な点をFBIと結びつけて人々を陥れようとしている このすべてが落ち着くようにして、しばらくの間それを熟考し、点と引用をたどって、非常に明確な絵が出てきて、これらの不正な文字のすべてが運んでいる動機を説明します。
私はまた、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の記者に内部告発者インタビューのサムドライブを提供しました。
おそらく、あなた方の中には、地元メディアを含む他のメディアのメンバーにインタビューの記録を提供することを検討してくれる人もいるだろう。プロパガンダ主義者のメディアは、私を破壊することに躍起になっているので、私のメールや送信レターは拒否されるかもしれません!
私はこのテレグムチャンネルにしかメッセージを投稿しませんので、ご安心ください。他のソーシャルメディアで私や私の名前を使った投稿は、私のものではありません。
この問題に気づかせてくれてありがとうございます。
多くの人が私の信頼性や信頼性を攻撃しようとしているかもしれませんが、他のアカウントに偽の投稿をしています。それらを無視するか、それらを呼び出す。あなたの選択です。
あなたはまた、私が後に不正確または間違っていることを学ぶメッセージを投稿した場合、私はあなたに知らせて、私はそれを所有することになることを安心することができます。あなたは私が不完全であることを知っています。私たちはすべて不完全です。重要なのは、あなたの間違いを認めて、今後はより良いものになるように努力することです。私はちょうどそれを行うことを約束します。
信頼性がすべてです。
私はここ数日、テレグム���「インク」にかなりの量を費やしてきました。私に対する数々の法的・プロパガンダ的な攻撃について、皆さんにお知らせし、皆さんと議論してきました。
敵の戦術を見て、学んで欲しいのです。私は、これらの攻撃にどう対処するかについて、あなたのお手本になりたいと思っています。真実を語り、反撃して欲しい。
私は恐れていません 私は落胆も落胆もしていません。敵はすでに敗北しているのを知っています。私は勝つでしょう。真実は嘘に勝つ
「恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。わたしはあなたの神であり、わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右手をもってあなたを支えます。」 - イザヤ書41:10
私たちは皆、国と自由を守るために、誰が、誰によって行われているのかを知りたいと思っています。私たちは皆、敵が正義の裁きを受けるのを見たいと思っています。
私はすべての人に,目で見るのではなく,信仰によって歩むように促します。
見えるものは一時的なものであるが、見ないものは永遠のものであるからである」 - 第二コリント4:18
踏ん張りなさい。祈りなさい。主を待ちましょう。
リン🙏❤️🇺🇸 www.FightBack.law
0 notes