#To do は整理して書き、忘れる
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幸せな人は集中力が高い
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Hiraeth TL
(i have been translating a LOT recently, pleaaase ask me if u want my google docs folder! most songs in fictions are done + some of my older TLs from other albums! enjoy~)
ヒラエス 斉藤壮馬
hiraesu - saitou souma
Hiraeth - Soma Saito
たとえば、誰かとすれ違い なぜだか
tatoeba, dareka to sure chigai nazeda ka
For instance, when passing by someone, why is it that
処理落ち 世界の時が止まったり
shori ochi sekai no toki ga tomattari
Unprocessed collapse, and the world’s time stops
どこかでなにかを忘れてきたような
doko ka de nani ka wo wasurete kita you na
As if somewhere, something had been forgotten
予感がふと訪れたら
yokan ga futo otozuretara
After a premonition suddenly visited
あるいは、木の葉が舞い散る季節や[1]
arui ha, hon no ha ga maichiru kisetsu ya
Or, the words of a book scatter, seasons and
風の音 ふとした戯言なんかに
kaze no oto futo shita zaregoto nanka ni
The sound of the wind, and suddenly; nonsensically, even,
どうしようもなくね デジャヴがよぎる
doushiyou mo naku ne dejabu ga yogiru
It’s hopeless. Déjà-vu passes over,
毒が混ざる
doku ga mazaru
Mixed with poison
美しい記憶だわ
utsukushii kioku da wa
What a beautiful memory
なんて身勝手な
nante migatte na
How selfish
ぬるま湯に溺れて痛いな
nuruma yu ni oborete itai na
It hurts to drown in lukewarm water, doesn’t it
ダーザイン ゆらいで
daazain yuraide
Dasein; swaying [2]
空を切るQはA
sora wo kiru Q ha A
Slicing the sky, Q is A
答えを求めているよ
kotae wo motometeiru yo
I need the answer, please!
ああ 掌からこぼれた
aa tenohira kara koboreta
Ah, it spilled out from the palm of my hand
幾億の祈りの残滓
ikuoku no inori no zanshi
The leftovers of billions of prayers
二度とは開けない 土の深い底
nido to ha akenai tsuchi no fukai soko
It can’t be opened again, the deep abyss of the soil
タイムカプセルは眠らせたまま
taimukapuseru ha nemuraseta mama
The time capsule has been left asleep
懐かしい場所ごと 星に還したら
natsukashii basho goto hoshi ni kaeshitara
If every nostalgic place were to return to the stars
バクテリアが食べてくれる
bakuteria ga tabetekureru
The bacteria would eat it
もどかしくもあるけど
modokashiku mo aru kedo
Although it can be tedious
不思議とどこか
fushigi to doko ka
In some way, it's fascinating
満ち足りたような気もするから
michitarita you na ki mo suru kara
Since there's also a feeling of satisfaction
さよなら もまたね も
sayonara mo mata ne mo
'Goodbye', and 'see you later',
言わずにこのまま
iwazu ni kono mama
Without saying, just like that
砕け散ってしまえばいいよ
kudakechitte shimae ba ii yo
If they end up smashed up, it's fine
ああ あのころに戻れないなら
aa ano koro ni modorenai nara
Ah, because I can't go back to that time
せめてこの身 焼き尽くして
semete kono mi yakitsukushite
Just, burn this body to the ground
整合性など
seigousei nado
Conformity, compliance and the like
捨ておけ だろ?
sute oke daro?
Cast it away, no? [3]
正当性など
seitousei nado
Lawfulness, and validity [4]
ああ
aa
Ah,
灰にきらめく過去を
hai ni kirameku kako wo
The past, glimmering in the ashes
日常が上書きしていく
nichijou ga uwagaki shiteiku
Our everyday was overwritten
きっと
kitto
Surely
もう二度とはない
mou nido to ha nai
It'll never happen again
名前も失くしてしまうよ
namae mo nakushite shimau yo
You'll get rid of your name, too
もう二度とはない
mou nido to ha nai
It'll never happen again
[Hiraeth: A deep grief or longing for something that feels like home.]
[1] 葉 (ha) means ‘leaves’, which would fit more with the ‘seasons’ mentioned in this line, but I opted for ‘words’ because 葉 is also present in 言葉, meaning ‘words’
[2] Dasein: a philosophical term roughly describing how humans uniquely engage with the world (rather than how objects, plants, etc. do). though it’s much more complicated, so do read on it! i love when souma-san teaches us philosophy!!
[3] a combination of the strong imperative おけ and the expression だろ, which usually conveys uncertainty.
[4] decided to provide two definitions for the 3 kanji words here. the line just feels too short otherwise. stylistic choice.
this song cuts deep :(
if nostalgia or longing is the theme of Fictions, then Hiraeth is the central song of the album (it is, by the way). this song is full of bitterness; memories that were created with joy grow into dull reminders of what once was. it only makes the present seem less like a gift. this song recalls the type of memory that feels so distant, so different from how things are now, and how you are now, that it's no longer something you can connect with.. and it just makes your chest hurt. i'm sure we all have one of those.
side note: I tried to not use pronouns because of how abstract and therefore impersonal the song is (which, paradoxically, means it can apply to a wide range of people), but felt like adding a couple for emphasis :P
thank you for another amazing song, Souma-san! he really is a genius T_Tttt
#music#my translations#translated lyrics#translation#male seiyuu#seiyuu music#seiyuu#斉藤壮馬#soma saito#saito soma#japanese music
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ひとこと日記📓 2024.10
10.1- 「ちひろさん」の映画を観る。有村架純の演技が好き。ふとした瞬間、整形する前のお姉さんの面影が浮かぶ。もう整形前の彼女はこの世に存在しないと思うと切ない。会いたくても会えないのだから。/ 血便がでてヒヤッとした。ジョブズみたいな人間がいる反面、何一つなし得ないで死んでいく人間もごまんと居るのだ。
10.2- 今日は仕事が少なかった。こんなにゆるい仕事なのに、前の仕事より時給がいいの世の中のバグ。
10.3- 毎日が蛇口から出る水のように流れていく。どうしたらもっと時間を意識した生活ができるか考えている。在��でできる仕事に就いたとして、通勤1時間を毎日他のことに当てられる。7時起床、8時に仕事をスタートする。フルタイムで働いたとして、休憩1時間で17時上がり。7時間睡眠を確保するために22時に寝る。そう考えると、あんまり今の生活と変わらないな。結局、労働時間を減らすが効果的だが、金も減る。/ 元彼から電話。今週末の約束の確認のための電話だったけど30分も話してしまった。ずっと笑っていたけど、内心は嫌なことを聞かれないか、また尋問みたいな時間が始まらないかとヒヤヒヤしていた。彼から電話があるまで、自分から電話しなくてえらかった。
10.4- 朝起きたらいつも家を出る時間になっていて、大急ぎで家を出た。間に合ったからよかった。理想は職場の休憩室で軽く朝ごはんを食べて英語を勉強してから仕事を始めたい。/ 感じよく話しただけで脈ありと勘違いしたり彼氏面してくる男が多すぎて気色悪い。
10.5- 昼前に元同僚の男とカフェに行く。恋愛や仕事に対する価値観の話をして、わたしにとっては魅力のない価値観を持つ人だなと思った。価値観の合うパートナーと少しだけ意識の高い人生を送りたいです。
10.6- 午前1:18にアパートの廊下の電灯が消えることを知る。午後1時、元彼と会う。質疑応答会議をする。彼からの質問リストにひとつずつ回答を用意してそれについて詳細を確認し合うというもの。とても不安定な気持ちに振り回されてクタクタになった。ちゃんと気持ちが固まるまでセックスしないと約束したのに、あっさり自分から約束を破った。子宮まで到達しちゃうそれはわたしの体のサイズには見合わない。窓の外でジョギングしている人たちは、少し目線を上げた窓の向こうで何が起こっているのか知る由もない。彼はINTPで超論理的(病的)だけど、結局いつも最後は気持ちなの。
easy=簡単な uneasy≠簡単じゃない
10.7- また一週間が始まった。無理やり捻出したみたいな無駄な仕事に人生を費やしているひとになりたくない。/ 好きな人の好きなところが死んでいくのは悲しい。/ 帰宅してから、マックポテトを食べてTwitterを眺めるしかできなかった。頭の中では動きたいと思っていてエネルギーも余っているのに、動けなかった。
10.8- 出���すると、毎日わたしの机に仕事をいくつか用意しておいてくれる営業マンがひとりいる。わたしが仕事に参加できるよう、仕事を振り分けてくれているのだと思う。時々、付箋にメッセージを書いてくれる。些細な優しさに助けられる。
10.9- 弟の運動会。嫌いな母から産まれた子なのに、どうしても1番かわいく見えてしまう。血には抗えない。
10.10- 秋、カフェイン摂ったときの高揚感をカフェインなしで感じられる時がある。やりたいことがたくさんあってわくわくして焦ってる感じ。
10.11- 今週も無事、仕事が終わった。むずかしいことはなく、ただ次から次へと発生する庶務を処理していくだけ。/ 夜、最近メッセージしていたロシア人とビデオ通話する。日本語がほとんど話せなくてかわいい。元彼にもこんな時期があったんだよな。わたしと出会った頃に比べて、だいぶ自然な会話ができるようになったね。
10.12- 早起きしたけど、結局昼寝して17時ごろから活動。1日あればなんでもできるな。/ はじめて本格的なゴスロリのドレスを買ってみた。ハロウィン用。
10.13- ボーリングのスコアがついに120まできた。すこし前まで60だったから、どんな顔していいかわからない。/ 風呂で髪を染めながら本を読む。効率的。
10.14- 性欲オバケになっている。生理終わったのになぜだろう。
10.15-
10.16-眠る前、元彼と電話をして案の定ケンカになって、こいつはクソだなと思った。わたしも違うタイプのクソだけど。/ Tim とひみつの会話をする。
10.17- 一日中、怒りと憎しみの感情に支配される。何のために命を繋いでいるのかわからないけど、お金があって死にたいより、お金がなくて死にたいのはもっと苦しいから、仕事には行く。
10.18- 会社の飲み会
10.19- 洗濯掃除染髪雑務/「最後まで行く」を観る。綾野剛っていつも黒スーツだね。
10.20- ハイエースをレンタルして冷蔵庫とテレビを運んだ。元彼に手伝ってもらい3階まで。秋晴れ。ジメジメした心も無理やり乾かされた。違う世界線を考えてみる。大嫌いな元彼の女友達を毛嫌いしなかった世界線。潔く隠し事をせずに元彼を選んでいた世界線。今更もう遅いんだけどね。元彼は2月に引っ越して遠くに行くようです。わたしをここに置いて。


10.16- 仕事に行くべきだったが、しんどすぎて休んでしまった。昨晩のことがこたえている。/ 銭湯に行く。変な意味抜きで裸をみるのが好き。
10.22- 昨日の日記が10.16付になっている。頭が回っていない。/ LINEのアイコンがわたしの撮った写真から別のものに変わった。/折れた爪が少しずつ伸びていく。生きている。/いつも数ヶ月先まで予約が埋まっている美容室。年末に予約をとってみる。
10.23- またお風呂入らずに寝てしまった。一緒に入ってくれる人がいないと自分を律せない。
10.24- ばーか、なわたし。
10.25- 恋愛むず過ぎ。色恋がなくても生きてる意味を感じられるようになりたい。what can I do to make it right?
10.26- ���が落ちてる時、面白いほどことごとくいろんなことがうまくいかない。営業してるはずの店が臨時休業、約束のドタキャン、あれ?意外とそれだけだった。もっとわるいことたくさん合った気がするのに。要は思い込み、考え方の癖なんだ。レイトショーでジョーカー観てくる。元彼と行くはずだったけど、ひとりで。
10.27- 日付変わってから帰宅。元彼に連れてってもらったバーに勇気を出して行ってみた。アルバイトの男に一緒にバーに行くかと誘われて、いつもと違うことしなくちゃ何も変わらないって強迫観念みたいなものが湧いてきて、飲み屋街に行った。元彼つながりの知人がいるバーに入った。その知人は以前、わたしと元彼との関係について元彼とケンカしてくれた人だ。その日について、ちゃんと謝罪がしたかったから会えてうれしかった。I'll take to your side. と言ってくれた。本当に優しい人。彼と彼の奥さんと話して、アルバイトの男のことはすっかり忘れていたし、不純そうだったからそれでよかったと思う。帰宅して元彼に電話した。1週間未読無視されていたけど、何度か電話したら出た。ごめんなさい、こんな私で。/ 人生で初めてゴスロリファッションに挑戦した。/選挙に行った。
10.28- 元彼とメッセージが続いている。メルカリで初めて物が売れたから嬉しかったそう。なぜ私に報告するの?/頭が痛いと言うと、彼はいつも「お水飲んでね「と言ってくれる。
10.29- 今日も元彼とメッセージが続いている。スニーカ���を買ってと言ったら、高すぎると言われて、私の価値は18,920円以下か。/帰宅してすぐお風呂に入った。髪が長くなるにつれ、抜け毛の量が多く感じる。抜け毛のない世界だったらよかったのに。
10.30- 不要な関係は自然と終わりに向かうし、どれだけ傷つけあっても必要な関係は続く。と信じたい。
10.31- 正直に申すと、何のためにあったのかわからない1ヶ月だった。ずーっと心に重たい雲がかかってる感じ。寂しさとの向き合い方は知っているけど、向き合いたくないから敢えて間違った方法で寂しさを埋めようとして悪循環にはまってみる。行くところまで行って落ち着いてきた感はある。自分かわいい大好きな気持ちをもっと育てたいけど少し間違えると自己愛性になるから難しいね。/ 11月にしたいことは、近所にあるタロットの占い屋さんと、タイ式マッサージに行く。
完
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Doing My Nails at Home

Photo by Laura Chouette on Unsplash
指先や爪先が整っていて美しい人に憧れがあった。大学生になって真っ先に挑戦したのが、マニキュアとペディキュアを施すこと。この習慣は現在に至るまで続けている。
はじめは見よう見まね。アメリカで「ネイルサロン」なるものを知り、お手入れの現場を見たことで、自分もしてもらいたくなった。30代半ば、定期的にサロンに通っていたことも。
そのうち、自分でも気軽に施したくなった。マニキュアリストにアドバイスをいただきながら道具を揃え、施術中質問攻めにした。教えていただいたことを踏まえ、本も買って練習した。
そんなわけで、今は基本的にお手入れは自分でやっている。

Photo by Konstantin Shmatov on Unsplash
基本的に指先は一色塗り、ベージュや赤。たまに先端にラメを散らす。デザインはせいぜいフレンチネイルまで。
爪先はほぼ年中赤にしている。自分が女であることを、思い起こさせてくれる色だから。
人に見せるためではない。最��限の身だしなみ。自分への慈しみ。週に一度、好きな映画を見ながら時間を忘れて、お手入れしている。
気分にむらがあると、仕上がりにもむらが出る。だから、ひとつの工程を焦らず丁寧に仕上げていく。それを着実に繰り返せば、美しく整った指先や爪先に仕上がる。
そして、焦りは禁物。焦っても良いことはない。そんなことも教えてくれる、大切な時間。

Photo by Alexander Grey on Unsplash
映画を見ながら、なんて書いたけれど、実際は目の前の自分の体に集中しているから、ほとんど内容は入ってこない。心地よい音と映像をBGMに、爪の状態や皮膚の状態、手足の柔らかさを確認。
「疲れているのだな」「潤っていて調子がよさそう」なんて、まるで自分と対話しているみたい。体の声に耳を傾けながら、甘皮の処理をし、お手入れをしていく。
これって、何かに似ているかも…。
そう、マインドフルネス。

Photo by Billie on Unsplash
いつも思うことがある。
飾らない「��」の状態が、その人にとっての「最も美しい姿」ってこと。そこに個性が宿ることに、一体どれだけの人が気づいているのだろう。
Song of the Day
India.Arie "Video"
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悟り7
こんにちは😃
今日は長々と書いていた悟りについてのブログの最終回です!
私は時々変なスイッチが入ってダラダラと真剣にブログを書いてしまいますが、思考の整理になっていいですね💡 私の頭の中で起こったことがどこかで皆様のお役に立ちますように☆彡
(ちょっと長いので、ぜひ休み休み読んでくださいませ🙏 初めての方はこちらから。)
ではでは本題です↓
定説からは外れてしまうのですが、私は最近は悟りとは真理を悟るのではなく、不完全さを悟るってことなのかなぁと思っています。
南麻布の「分とく山」をはじめとするグループ5店舗の総料理長を経て、2023年に勇退された和食料理人、野崎洋光先生が著書にこんなことを書かれています。
魚を調理するとき、ぼくは慣習にとらわれないやり方も用います。
ここでは、それらをお伝えしますが、その方法は、現段階での最新のものです。やり方は常に更新されていますから。※1
あんなに和食を極めた方でもまだ進化しているというのがすごくかっこいいです。
また、同じ本の中にこんなエピソードがあります。
あるとき、店の若い子が炊き込みごはんを炊くときにだしを入れ忘れ、水で炊いてしまいました。そのことをぼくは知らずに味みをしたのですが、「なんだか、いつもと違うぞ」と感じたのです。
そこで、どうやって炊いたのかと聞いただしたところ、だしではなく水を使ったということが発覚したのです。そのときに、「だしを使うより水で炊いたほうが、むしろおいしいではないか」と感じ、それ以降、だしを使わずに炊き込みごはんを炊いています。
これまでは、だしであるのが当たり前と思い込んでいましたが、具材からだしが出ますし、水のほうが具材の味も引き立ちます。水で十分だったのですね。※1
これ、自分が指導者であり上司であり絶対的な立場だと思っていたら、 「作り直して」 で終わってしまうような場面ですよね。野崎先生が常に学ぶ姿勢を持っていて、誰からでも学ぼうとする開かれた態度でいらっしゃるから起こったことのように見えて、素敵だなと思ったのです。
私はスポーツクラブのオンラインヨガを担当していた時、多いと1クラスに10個ぐらい質問が来て、わからないことは調べたり他の先生に聞いたりと大変だったけど、ひとつひとつに丁寧に答えたことがとても勉強になりました。
知らなかったこと、知識があやふやだったこと、この説明じゃわかりにくいんだってこと等、ヨガだけではなく教え方についても学ばせていただきました。
このように学びって相互に起こることであって必ずしも一方的ではないはずです。そして指導者や上司の立場になっても学ぶ姿勢を保ち続けるためには、自分の未熟なところ至らないところをありのままに受け入れる勇気が必要なんだと思います。前回のブログにも書いた “起きていることをはっきりと観る” です。
そういう勇気を持てずに頂点を極めたと錯覚して、自分の言うことがさも絶対であるかのように振る舞うヨガの先生に、私は幾度となく会ったことがありますが、そんな先生のところには2度と行く必要はありません!
そしてヨガに限らず、パワハラ上司とか鬼コーチとかもこの部類の人であり、自称悟った人も私はこのカテゴリーに入れています。
私のところには、今まで習ったヨガの先生に体が硬いだの体力がないだの言われて傷ついて、自信を無くし、“体が硬くてポーズができなかったらすみません🙏” などと謝ってくる人がたくさん来ます。
お金を払って習いにきてるんだからポーズができなくて当たり前です!ある程度できるなら、わざわざお金なんか払わず自分で勝手に練習すればいいからです!
私はこういう人を作ってしまった、その人がそれまで習ってきた指導者にブチギレていて、その先生にもし会えるなら、あなたは始めから上手にできたんですか?今は完璧なんですか?と問い詰めたい気持ちです。
…そうなんです!みんな始めた時は下手だし今だって完璧ではないはずなんです。
偉そうにしてる人はすごいわけではなく、すごくない自分を直視する勇気がない意気地なしです。それがわかると、まともに相手をする必要のない人が見えて来るように思います。
でも完璧でないからと言って完璧になるまで待っていたら死んでしまいます。なぜなら完璧はないからです。
なので完璧でないことを自覚しながらも、自分の今の精一杯を差し出すこと。これは完璧ではないことを認めるよりもっと勇気がいることだけど、これができるようになることこそ目指すべきところなのかなと今は思っています。
参考になりそうな引用を3つあげてみます↓
精神科医ロロ・メイ先生の本より
これは、もっとも戦慄すべき段階である。それは自分の規準や判断がいかに限られたもの、不完全なものであるかを承知の上で、それに対して責任をとることを意味する。
これはP・ティリッヒが、「自己の有限性をうけいれる勇気」 ということばで述べているものであり、それはすべての人が持たねばならない勇気であるとティリッヒは主張している。
それは有限であるという事実にもかかわらず、本来の自己であろうとする勇気、本来の自己を信頼しようという勇気である。つまりそれは、自分はその究極の解答を持たないということを知りながら、行為し、愛し、考え、創造することを意味する。しかも彼は間違うかもしれない。しかし自分のもたない力を発展させることは、ただ 「有限性」 を全て受け入れること、および責任ある行為を行なうということからきている。
この段階では、かなりの程度のパーソナリティーの統合が必要である。しかもその統合に必要な勇気は、成熟せる勇気である。※2
未熟な自分を受け入れかつ行動するには、成熟した勇気がいるそうです。
次はアインシュタインがラビ(ユダヤ教の聖職者)に宛てた手紙より
わたしたち人間は、「宇宙」 とよばれる全なるものの一部であり、ある一定の限られた時間と空間のなかに存在しています。
人間は、自分自身、自分の感情や思考を、他宇宙とは独立しているものだと感じていますが、これは錯覚にすぎません。この錯覚がわたしたちを苦しめ、縛りつけています。
他者とは独立したバラバラの個として存在していると錯覚するがゆえに、わたしたちはさまざまな欲求をもち、近くにいる限られた他者の愛を求めます。わたしたちはこの錯覚から抜け出さなくてはいけません。そして愛の輪を広げ、すべての生きとし生けるもの、美しい自然のありのままを、身近な人を愛するがごとく愛せるようにならなくてはいけません。
もちろん、完璧にできる人はなかなかい��せんが、そうしようと努力することが、わたしたちの心を自由に羽ばたかせ、心の平和をもたらすのだと思います。※3
そうしようと努力することが心を自由に平和にしてくれる。やっぱり悟りというのは結果でなく意図やプロセスなんだという気がします。
最後はこのブログシリーズの途中でも少し触れました、大槻ケンジさんのエッセイより
これも予備校講師発言ぽくなりますが、「人前で赤っ恥をかく覚悟を持つ」 ということも重要かと思いますね。
バンドをはじめました、映画を撮ってみました、小説を書いてみました、何らかの表現活動をはじめた当初というのは……いや、最初だけじゃなくて、どんなにキャリアを積んでいたとしても、褒められなんてしませんよ。満足もできない。大概が 「やっちまったー!」 という大恥をかくもんなんですよね。恥しかかかない、赤っ恥の連続。それが表現者のお仕事かなぁとよく思います。※4
椎名林檎さんが名曲 “丸の内サディスティック” を恥ずかしくて聴きたくないとおっしゃってると最近ニュースで読みました😱 やっぱり恥ずかしくなるっていうのは、その時はベストを尽くしたけどそこからまた成長した証拠で、いいことなんだと思います!
シバナンダヨガの創始者、シバナンダ先生がこんな言葉を残されています。
善くあれ、そして善くせよ。そのとき、叡知は余すところなくあなたのものとなるだろう。日々、進歩を点検しよう。常に成長するように、常に怠りなく。※5
完璧じゃないから日々努力して、日々点検するんですね。この振り返りが日記であり、瞑想であり、悟りへと続く一歩なんだと思います。なかなか難しくはありますが、私も時々サボりながらもなんとか取り組み続けています。皆様、ぜひ一緒に頑張りましょう!
ということでめちゃくちゃ長くなってしまいました💦 最後までお読みくださった皆様、本当にありがとうございました❤️
何かが伝わっていたら嬉しく思います😌
そして次からはまたしょうもないブログに戻る予定です。お時間できた時があったらぜひ時々遊びに来てくださいませ✨
ではまた次のブログでお会いできますように✌️
(おまけ)
シバナンダ先生の名言 “善くあれ善くせよ” はヨガ業界では結構メジャーで、海外でも Be good. Do good. として親しまれています。
そんなBe good. Do good. パーカーをロシア人の女の子が着ているのを見つけてしまった😱
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可愛い欲しいー😭💘 どこで買ったんだろう?いいなぁー!!売ってるのを見つけた方はぜひ教えてくださいませ🙏
1人でご飯を食べてる時にももかジャパンを見るとなぜか自分も一緒に食べてる気になってきて(?)ご飯が美味しくなりますよ☝️ 私の1人ご飯の楽しみです🤭
(引用、太字は私の判断です)
※1 野﨑 洋光
野﨑洋光が考える 美味しい法則
※2 ロロ メイ
失われし自我をもとめて
※3 ダニエル・J・シーゲル
脳をみる心、心をみる脳:マインドサイトによる新しいサイコセラピー 自分を変える脳と心のサイエンス
※4 大槻 ケンヂ
サブカルで食う 就職せず好きなことだけやって生きていく方法
※5 スワミ・サッチダーナンダ
インテグラル・ヨーガ (パタンジャリのヨーガ・スートラ)
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インプット大全
・はじめに
インターネット上のデジタル情報の量は20年前に比べて5000倍に増えている。
情報爆発の時代
適切な情報のインプットが必要
・アウトプット大全からの4つの基本原則
①二週間に三回使った情報は長期記憶される。
②インプットとアウトプットを繰り返す。
③インプットとアウトプットの黄金比は3:7
④インプット→アウトプット→フィードバック→インプット・・・
Chapter1
インプットは質が先で量は後。
脳の中に情報が入って(inする)、情報が置かれる(putする)
「何となく」読む、聞く、見るのはNG
インプットと目標設定は、必ずペアで行う。
『アウトプット前提でインプットを行う』AZ
心理的プレッシャーがかかり緊張状態になり、ノルアドレナリンが分泌される。
→集中力が高まり、記憶力、思考力、判断力が高まる
→「アウトプットネタ」探しを前提にするのも良い(ブログやSNS等)
興味・関心のあるキーワードを書き出す。(カクテル・パーティー効果)
目的・テーマの明確化
自分に問う→脳は質問されると、その答えを探そうとする。
アウトプットを前提とする。
Chapter2
気づきとTo Do
「確証バイアス」にとらわれない様にニュートラルに情報を取得する。
「紙」派であっても「電子」を積極的に取り入れる。
Chapter3
目的を定めてノートに書き出す。
→何となくの姿勢はNG!!
傾聴する
→深いレベルで相手を理解し、共感する
自分が聞きたいことを聞くのではなく、「相手が話したいこと、伝えたいこと」をじっくり聴く。
→余計な事を言わない。否定、すぐのアドバイス・対処法の提示はNG。
アイコンタクト・相槌・おうむ返し
客観的で想像力に基づく。
[英語]
オーバーラッピング 音声を聞きながらスクリプトを���読
リピーティング 音声を聞いて復唱する(一文ずつ)
シャドーイング 音声を聞きながら復唱し続ける(聞き流しながら)→聞き取れなかった部分は、発音できない
ディクテーション 音声を聞きながら、一字一句聞き取っていく
無音派→普段の集中力が高い人
雑音派→カフェや自然音を活用(若干の音があった方が捗る)
→騒がしいのは逆効果
Chapter4
見直す。
情報が二週間で三回以上のアウトプットによって定着する、の「二週間で三回以上」は目安。
反復するインプットでも記憶に残る。
メモを見直す。
メモ→記録・忘備録と知的生産を高める。
→アイデアやひらめきを蓄積し、自らの『第二の脳』として活用。
定期的な見直しによって「インキュベーション(孵化)」させる。
ひらめきの連鎖。
見る・読むかれあ脳を解放し休息させる。
Chapter5
DIKWモデル
データ→情報→知識→知恵 data→ information→ knowledge→ wisdom
情報を宅配便化する
・タイムラインの一元化
・Googleアラート
・Rssリーダー
ストック
webのものはpdfにて保存する。
Chapter6
人と会う
→100人と一回より10人と10回
大学院に行く
基本的にはお勧め出来ない大変さ。
金・時間・労力
『人生にとって100%必要な事か?』
Chapter7
精微化して覚える
インプットとアウトプットの間が重要
→まず覚えて、記憶として保持して、思い出して最後に書く
→記銘・保持・想起
1、追記
2、関連付け
3、言い換え
4、ストーリー化
5、整理、まとめ(体制化)
6、視覚
7、省察→(デカルト。自問自答的な?)
インプット直後にアウトプットする。
記憶したことを何も見ずに(想起練習)
脳内情報図書館を構築する
・目標達成のためのマンダラチャートの活用。
学びを欲張らない
3つの気づきを得られれば十分マインド
→記憶が一度に3つまで。
記憶力を良くする。
⭐️週に2時間以上の有酸素運動!
移動する。
いくつかの場所を移動しながら勉強する。→『移動ニューロン』の活性化。
備える。
今のインプットの効果を実感するのは10年後。
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2月の半ばに遅めの春休みを迎え、気が付けばもう3月 春休みに入ってすぐに約3ヶ月会えなかった恋人と会えたのは、他の人よりもずるずると続いた学年末のご褒美みたいだった。ずるずる続けない選択もできたのだろうけど、昨年に比べれば比べるまでもなく良い成果だった。頑張りつつ頑張りすぎなかった結果だと思う。昨日から久しぶりに連日何も無い日ができて、本を読��始めた、彼と会った最初の日にもらったゴールデンスランバー。前にも書いたけど、彼が本を好きなことがとても嬉しい。彼は私が音楽を好きでよかったといつも言ってくれるけど、それと同じ。彼を好きになった当初、彼のTwitterの頭まで遡って、彼の本棚の写真をお守りみたいに眺めていた。この月末で彼と会って付き合ってから半年になるけれど、それだけの間大切に眠っていたと思うとまあいいだろうと許せる。君と出会って半年経つんだな。
Beatlesのgoldenslumberで歌われる 「Sleep pretty darling, do not cry. And I will sing a lullaby.」という一節を見て、あの日を思い出していた。カーペットとフローリングの境目みたいなところで眠る彼を眺めて、起こさないようにテレビはつけなかった。彼が口をつけなかったグラスのお茶を3口で飲み干して、濡れたシーツを洗濯機にかけながら洗い物をした、気がする。あの日も今も、デートでよく眠っている彼が愛おしい、この間はもっと起きてて欲しかったとか駄々こねちゃったけど、多分もっとコミュニケーションがとりたかっただけで、自分は好きな人の話っていうか言葉が聞きたい気持ちが強いだけで、ただ一緒にいられるだけでありがたいなと今になっては思う。たぶん、彼と一緒にいるのが当たり前になっていて、私のことをよくわかってくれる彼に なんで。と思ってしまっていた。やっぱりまだ子供だ。時間が経っても「ありがとう」と新鮮に言ってくれる恋人のことをずっと大切にしたいと強く思った。
自分のページを開くところがtumblrマートとかいう商業的なものになっていて、あの凪みたいな青い場所はどこへ行ったんだよと思いながら見なかったことにする。そうなってから何週間経っただろうか。3月のやりたいことをかわいい便箋に書いてかわいいフレークシールを貼った。テスト前の飲み会で初めて会った2個上の先輩にネットプリントの話を持ちかけられ、前から繋げていたものを整えてギリギリで連絡。5首の連作名は「東京」にした。そんなこんなで生理が来たことに安心なんかしていて、やっぱり自分はろくでもないなと少し思った。段々と自分の身勝手さとか自己中心的なところとか仕事の効率の悪さとかが感じ取れるようになって、優秀だったはずなんだけどなと思った。優秀だったつもりで特に大したことない。今でも課題には優と秀の文字ばっかりなんだけどな。自分の長所って何だろうとか就活の先取りみたいなことを考え始めてしまっている。賢くて愛想がいいことが長所と言われたけど最終的には頭が悪いと言われたし。もしかして賢いって知識量のこと?浅く広くの知識と愛想がいいことなんて長所の欄に書けるかよと遠い目をする。この間は上手くいかなかったアルバイトの帰りにコンビ��でお酒を買って飲むだとか、イキった若者なのか疲れたサラリーマンなのかよく分からないことをしてしまって、馬鹿みたいにお酒を飲んで飲まないとやってられないとか言う大人をあんなに馬鹿にしていたのになと思った。まあこれも経験として良いか。
今年の初めに、月に1冊は本を読むという目標を立ていたけれど、今日でやっと1冊読み切りました。今月中にあと2冊読みたいからもしそうなればとんとん、最近熱中して読めなくなったのは変に焦っているからかななんて思ったけど、Twitterで書店員の人が同じような症状?を呟いていたから安心している、人々は安心するために生きているとあのアニメのキャラが言っていた。この春も君が教えてくれた音楽をたくさん聞きたいと思った。遠い場所から君を思い出した時に頭の中で流れた曲。一生忘れない。(2023-03-01,02)
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2022年2月10日(木)

1週間ぶりの出勤である。この時期キャンパスに学生の姿はないが、あちこちで工事が行われている。私の研究室の同じフロアにある調理実習室の改築工事、音が響いてあまり居心地が良いとは言えない。今日のミッションは、来週下取りに出す iMac の初期化作業、工場出荷状態に戻して箱に詰め自宅に持ち帰った。次回の出勤時には、新しい MacBookAir を使うことになる。早く来ないかなぁ・・・。

4時45分起床。
日誌書く。

アオサそば+そば湯+ヨーグルト。
プラごみ、45L*1。

2男はオフだが、ご飯があったので弁当4つ用意する。
3男をポリテクセンター京都まで送り、職場へ。
出勤簿の整理、今月は在宅勤務2日、出勤1日、有休2日とする。
IM嬢来室、実習での学びや今後の計画などあれこれ。
早めのランチの後は映画研究会。

今日の課題は「ユー・ガット・メール」
『ユー・ガット・メール』は1998年公開のアメリカ映画。インターネットで知り合った名前も知らない男女がメールのやり取りをしながらお互いに惹かれ合っていくロマンティック・コメディ。原題は「You've Got Mailユーヴ・ガット・メイル」。 この映画は1940年に製作されたエルンスト・ルビッチ監督の『桃色の店』のリメイク作品。時代を反映して元映画の「手紙で文通」の設定が「インターネットでメール」に置き換えられた。 脚本・監督のノーラ・エフロン、主演のトム・ハンクスとメグ・ライアンは1993年公開の『めぐり逢えたら』と同じ顔合わせ。
1990年代のインターネット/コンピュータ事情について解説し、男性がDOS/Vマシン、女性がAppleを使っている価値観を指摘する。
iMacの初期化作業、何度もやっていることなのに、AppleIDからのサインアウトを忘れてしまった。
千里中央経由で3男の迎え、帰宅は16時35分。

帰宅すると、浜峰商店から干物が届く、開けてみると娘2人からのバレンタインチョコが同封されていた。感謝、ホワイトデー忘れないようにしなければ。

息子たちの夕飯は、さんだかん燻製工房のベーコンと奥川ファームの有精卵。ツレアイは今日も激務、そして朝まで緊急電話当番、いつも通り🍶+🍷で慰労する。
録画番組視聴。シャーロック・ホームズ
(25)「ブルース・パーティントン設計書」
ジェレミー・ブレットが演じたシャーロック・ホームズのドラマシリーズを再び!線路脇で男の遺体が発見される。ポケットには国家機密の書類が…男は金目当てで盗んだのか?
ウエストという男の遺体が線路脇で発見される。彼のポケットから国家機密であるブルース・パーティントン潜航艇の設計図が見つかるが、盗まれた10枚のうち3枚が見つからない。ウエストは金目当てで盗んだのか?ホームズは兄マイクロフトの依頼で捜査を始める。設計図を保管する金庫の鍵を持つのは2人。だがそのうちの1人を訪ねると、意外な展開が待ち受けていた。イギリス1988年制作。
最後の方はウトウト・・・。

帰宅後の買い物に出なかったので、エクササイズは届かず。水分は、1,600ml。
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Roger Rabbit by Sleeping with Sirens
Roger Rabbit by Sleeping with sirens 超訳
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Is there a right way for how this goes You've got your friends and you've got your foes They want a piece of something hot Forget your name like they forgot Ain't that something それは果たして正しいやり方だったのかな お前は仲間も、そして敵も作ってきたね あいつらはくだらない毎日に ただ刺激が欲しいんだ あいつらが忘れたように お前もその肩書きを忘れなよ それでいいだろ?
Some wanna see you crash and burn And criticize your every word I'm trying to keep from going insane Ain't that the way of this whole damn thing Oh, trying to be something more
野次馬のあいつらは ただお前が破滅するのを見たくて お前が発する言葉全てに 揚げ足をとって批判したがる 気違いなあいつらと同じ真似はしない できる限りの自制心を持って俺は耐えよう そんなことしたら奴らの思う壺だ 今までの努力が全部水の泡だよ 今以上に大きくなりたいんだ、そうだろ Nobody's going to love you if You can't display a way to capture this Nobody's going to hold your hand and guide you through It's up for you to understand Nobody's going to feel your pain When all is done and it's time for you to walk away So when you have today you should say all that you have to say Say all that you have to say 理解してもらえるように 自分の気持ちを言わないなら 誰もお前のことを愛せない 誰もお前の手をつかんで導いたりできないよ 理解してもらえるどうかはお前次第なんだ 誰もお前の痛みを感じることはできないんだから 全てが終わって お前がその痛みを消化して歩み始める時には その痛みはもう誰にもわからない だから、今言わないといけないことは 全部言わないとだめだって言ってるだろ 全部言えよ、 俺に言わないといけないことがあるだろ Is there a right way for being strong Feels like I'm doing things all wrong Still I'm here just holding on Confess my heart and forgive my wrongs Just trying to show you something more 強くなれる方法があるのかな 全てを間違えて 進み続けているんじゃないかって気分になる 未だにここにいて耐え続ける 俺の気持ちを曝き出してよ そして俺の過ちを許して ただ、お前にもっといいものを 見せたいだけなんだ Nobody's going to love you if You can't display a way to capture this Nobody's going to hold your hand And guide you through It's up for you to understand Nobody's going to feel your pain When all is done And it's time for you to walk away When you have today You should say all that you have to say 誰もお前のことを愛せない お前が自分のことを話さないから みんなが理解できる言葉で言わないから 誰もお前の手を取ろうとしない 導くことすらできない 理解したいと近づいても いつもお前のその壁が阻む お前が感じてた痛みを いつも終わってから知るんだ俺は 全部が良い方向に進みだした時 お前はそっと立ち去ってしまう 今日、今、お前が抱えているものを見せろよ お前が抱えてるもの全部俺に教えてくれよ Don't point the blame when you can't find nothing Look to yourself and you might find something It's time that we sorted out All of the things we complain about So listen close to the sound of your soul Take back a life we led once before If it ain't you then who If it ain't you then who's going to love you 「目の前が真っ暗になった時、 無知な自分を責めないで」 「自分を信じて、自分に目を向ければ 何かが見つかるかもしれないから」 ってお前は言ったろ 俺たちの間に渦巻く、思ってること全部 それを俺たちで整理する時だ だから、お前の魂から響いてくる音に そっと注意深く耳を傾けよう 誰かに手を引いてもらっていた、 あの時の純粋な俺たちを取り戻そうよ お前がやらないなら誰が お前が自分を愛さないんなら誰が お前を愛するんだと思う Nobody's going to love you if You can't display a way to capture this Nobody's going to hold your hand and guide you through It's up for you to understand Nobody's going to feel your pain When all is done and it's time for you to walk away When you have today you should say all that you have to say So when you have today Say all that you have to say 誰が愛せると思う? 俺にしかわからない言葉で 俺にしかわからないやり方で 誰にも感知できないシグナルを出すお前を 世界中どこを探しても そんなお前の手を引いて 一緒に歩こうとするやつなんていないんだよ こんな感情を 理解できるかはお前次第 お前の痛みはお前だけのものだよ 俺にはわからない お前がいなくなって思い知った 全てが終わったらどこか旅に出よう だから全部晒け出してよ 全部ここに置いていって お前が抱えてるもの丸ごと全部言えよ
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スパイク・リー監督・主演『ドゥ・ザ・ライト・シング』 (その2:事件の背景と本作に込めらたメッセージ) 原題:Do The Right Thing 制作:アメリカ, 1989年. ベッドスタイの夏の日の朝、ラヒームの死を思う者は誰もいなかった。しかし、ラヒームは誰かの手で計画的に殺されたわけではない。かといって、「太陽が眩しかった」から殺されたわけでもない。 ラヒームはなぜ警官の犠牲になり、スパイク・リー監督はこの映画に何を込めたのだろうか。本稿では、(その1)の現場風景を手がかりに、映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』の背景と本作に込められたメッセージを探ってみたい。 なお、以下の記述のうち現場に関連する多くは、(その1:物語の現場はどうなっていたか)に状況を記し、文中に登場する会話は太字で示した。
CONTENTS ・日常の均衡を象徴するラヒーム ・黒人と白人双方の憎しみが黒人の犠牲者を生む ・なぜ、ムーキーはゴミ缶を投げたのか? ・黒人殺害事件の背景:(1) 格差の実態 ・黒人殺害事件の背景:(2) 格差を生む教育システム ・黒人殺害事件の背景:(3) 恐るべき警察の収監システム
日常の均衡を象徴するラヒーム 本作はベッドスタイの街を、愛と憎しみが拮抗する日常風景から描き��じめている。全体として怒りと憎しみの描写が目立つが、愛と寛容も描かれている。 DJダディは愛と尊敬を込めて、60人もの黒人ミュージシャンの名前を読み上げる。酔っ払いの老人ダー・メイヤーは、諍いに出会うたびに仲裁し、18年ものあいだ愚痴を欠かさない未亡人に、なけなしの金をはたいてバラの花束を贈ったりもする。 ときには警官も寛容さを発揮する。街の若者が消火栓で水を撒き散らして遊ぶなか、通りかかった白人のクルマに水を浴びせる場面では、告訴すると怒る白人を警官がとりなし、黒人の若者を無罪放免にしたりする。 反対に、生活の苦しさや家族の軋轢を描いた場面は数多くある。ムーキーには恋人のティナとの間にできた男の子がいる。しかし、ティナと同居している母親との折り合いが悪く、寝泊りするのは妹のジェイドのアパートだ。ティナは子守をしてくれない母親と言い争い、面倒見の悪いムーキーに「くたばればいい」と罵声を浴びせる。だが、その母親が子守をするアパートの別室で、ティナはムーキーと愛し合ったりもする。 ラジオ・ラヒームはこの相反する感情のバランスを体現するかのようだ。彼はいつも手に下げたラジオで大音量の "Fight The Power" を鳴らしている。しかしラヒームは、そのことで「戦い」をしているわけではない。「愛が勝つんだ」と言い、子どもと手をつなぎ楽しげに街を歩く姿も見える。ラヒームにとって "Fight The Power" は、日常を彩るラップ曲に他ならない。だがラヒームは、憎しみを忘れたお調子者ではない。 両手にはめた "LOVE" と "HATE" の指輪は、そうした日常の象徴だ。ラヒームはムーキーに、「憎しみで人は殺しあう、愛が人の魂に触れる。最後は愛が勝つ」と話す。このときムーキーは「じゃ、後でな。平和を」といって別れている。ラヒームもムーキーも、憎しみを抱えながら愛の力で日常をやり過ごしている。 街のあちこちで、愛と憎しみのバランスを取りながら生きる人々の姿が伝わってくる。これが真夏のベッドスタイの日常風景なのだろう。スパイク・リー監督が本作の前半でこうした日常を描いて見せたのは、それがひとつの「正しいこと」だからだろう。だがその正しさは、穏健な牧師の説教のようなものではない。 黒人と白人双方の憎しみが黒人の犠牲者を生む 『ドゥ・ザ・ライト・シング』の前半で描かれる日常風景は、事件への伏線に他ならない。 サルのピザ屋にバギンがやってくる。ひと切れのピザに文句をいい、支払いを渋るバギン。それをサルが、「月賦で支払うか?」とからかったそのひと言で、保たれていたはずの均衡が崩れはじめる。このときバギンは壁の写真に黒人が一人もいないと文句を言い、これが高じて店のボイコットへと発展する。 そして、サルがラヒームのラジオをバットで叩き割ったことで、事件はさらに深刻になる。互いの暴力行為が警察の介入をもたらし、警官の過剰対応がラヒームを死に追いやる。過剰対応を招いた警官の心情はほとんど描かれていないが、街をパトロールする警官が黒人に目線を定め「クソったれ」と漏らす場面が描かれている。 このときパトカーにいた二人の警官が、ラヒームを警棒で締め上げ殺害した当事者だ。しかし、同時にこの警官はサルの店でピザを買い、黒人の水遊びに腹を立て告訴するという白人をなだめ、黒人少年を逃したりもしていた。白人警官の黒人に対する憎しみがわずかしか描かれていないのも本作の特徴だろう。 白人もまた黒人に憎しみの心情を抱きながら、なんとか愛と憎しみのバランスに折り合いをつけながらベッドスタイの日常を過ごしている。しかし、このバランスは黒人にとっても白人にとっても、少しの不注意や不寛容で崩れてしまう脆弱なものだ。その上でスパイク・リー監督はアメリカ系アメリカ人の登場と彼らへの悪口を控えているように見える。これは、白人が黒人を貶めるほどには白人を責めてこなかった、黒人の姿の反映かもしれない。 ラヒームが言うように、愛と憎しみのせめぎ合いのなかで人は殺し合う。だが、この日ベッドスタイでKO勝ちしたのは憎しみの方だった。店のボイコットを切っ掛けにラヒームは自らの憎しみをサルに向け、白人警官の憎しみは黒人のラヒームに向けられた。二重の憎悪が愛と憎しみのバランスを狂わせ、ラヒームがその犠牲になった。 黒人と白人の双方が憎みあい、黒人に多くの死をもたらす構造は、過去に起きた同種の事件に共通している。スパイク・リー監督は本作を「エレノア・バンパーズ銃撃事件」他5名の犠牲者に捧げているが、その6人はすべて黒人だ。直近では今年5月25日にミネアポリスで起きた「黒人男性拘束死事件」でも犠牲者は黒人だった。これだけを見ても、映画に描かれた状況は30年以上も変わっていないことがわかる。 なぜ、ムーキーはゴミ缶を投げたのか? 『ドゥ・ザ・ライト・シング』で最も興味深い場面は、ラヒームが死亡したあとの顛末である。パトカーが動かなくなったラヒームを運び去ったあと、ムーキーが思わぬ行動に出る。大型のゴミ缶をサルの店のウインドウに投げつける場面だ。これがきっかけで街の住人は暴徒化し、店の什器は破壊し尽くされ、現金が盗まれたあげく店に火が放たれる。 なぜ、ムーキーは店を破壊する行動に出たのか? それはムーキーが、サル一家を暴徒から助けようとしたから、というのがわたしの見方だ。本作が描く現場には、そう思わせるさまざまな状況証拠がある。 ムーキーがゴミ缶を投げる前、群衆の怒りがサル親子に向けられる場面がある。ムーキーもサルらの側に立ち、詰め寄る人々の怒りに囲まれる。このときのムーキーの表情が印象的だ。彼はサルの家族に視線を向け、祈るような仕草をする。ムーキーは「このままではマズイことになる」と思ったのだろう。 店で妹と食事を楽しみ、サルから給料をもらい、ピノと話が通じるムーキーの心情が、サルたちへの憎しみ一色だとは思えない。「家に帰れ」という警官にムーキーが「ここが家だ」叫んだように、彼らは日常をともに過ごす「家」の住人なのだ。彼はその生活の絆が徹底的に破壊されるのを避けたかった。だからこそムーキーは、群衆の気を引くように「憎しみだ!」と叫びながらゴミ缶をサルの店に投げてみせた。人々の怒りをサルたちにではなく、店に向けさせるために。 ムーキーの心情に憎しみのカケラもなかったかと言えば、そうでもないだろう。彼は何度も仕事ぶりをサルにけなされている。ピノとの折り合いも悪かった。その鬱憤を晴らす気持ちもあったかもしれない。それでもムーキーは、人々を暴動に誘おうとしてゴミ缶を投げたわけではない。彼の行動の本質は、サル一家に決定的な危害が及ぶのを阻止しようとことにある。別な見方はあるかも知れないが、わたしはムーキーの行動をそのように受け止めた。 このことは、群衆の怒りの矛先がコリアン雑貨店に向かう場面と辻褄が合う。サルたちはこのとき、雑貨店が餌食になる様子を息を飲むような表情で見つめていた。そこに、犠牲になりかねなかった自分たちの姿を重ねたからだろう。サルたちは、無関係の彼らが自分たちの身代わりになることを案じたのではなかっただろうか。 他にも証拠がある。翌朝、ムーキーは未払いだった250ドルの給料をもらいに焼け落ちたサルの店に行く。その際のやり取りで、激昂しながらもサルはムーキーがゴミ缶を投げたことを責めていない。普通に考えて、自分の店にゴミ缶を投げつけて壊し放火を招いた相手を目の前に、責めないことがあるだろうか。なぜ、サルはそのことを口にしなかったのだろうか? それはサルがゴミ缶を投げたムーキーの心情を知っていたからだ。また、ムーキーはサルが投げてよこした500ドルのうち、残りの250ドルもポケットに入れている。このやりとりでムーキーはサルに、「借りておく」と言っている。サルとの関係はこれからも続くということだろう。 店への破壊行為、友人の死、さらには店への放火といった暴力行為を描きながら、この作品を通じてスパイク・リーは、愛と憎しみの平衡を何とか取り戻そうとする主人公の姿を演じている。"Fight The Power" が "Black Lives Matter(黒人も大切にしてくれ)" の叫びに聞こえる。これは本作で彼が監督として示した一貫した姿勢だと思う。穏健な改革派のキング牧師と、暴力を否定しなかったマルコムXを同時に登場させたのもその現れだろう。 スパイク・リー監督が『ドゥ・ザ・ライト・シング』で行って見せたのは、時には暴力に訴えることもあるがやり過ぎてはいけない。ともかく黒人も大切にしてほしいとい���、ごく当たり前の訴えなのだと思う。 黒人殺害事件の背景:(1) 格差の実態 それにしても、本作に描かれた事件と同種の事件が後を絶たない。本作は制作年の1989年までに起きた同種の6つの事件に捧げられているが、本稿を書いている現在も先月5月25日にミネアポリスで起きた「黒人男性拘束死事件」の余波は世界的な広がりをみせている。 そして、またあらたな事件が起こった。数日前の6月12日、ドライブスルーで警官に撃たれた黒人男性が死亡した。こうした事件は、アメリカで1964年に公民権法が制定��れた後も絶えることがない。 ミネアポリスの「黒人男性拘束死事件」は、その後 "Black Lives Matter" として世界的な抗議活動に発展し、1) 現在も収まる気配がない。そうしたなか、この種の事件が起こる背景についてさまざまな報道が行われている。その多くは経済格差とその背後にある政治や司法の問題を指摘し、さらにトランプ大統領の政策が影響しているとする意見も多い。 例えば、6月11日付けの日本経済新聞は「黒人暴行死事件の背景を探る」として、黒人の置かれた状況をデータで示すとともに、人種差別の歴史を振り返る特集記事を掲載している。前者の要点は次のようなものだ。個々の詳細は、元記事2) を参照いただきたい。
白人の世帯年収平均金額の中央値は黒人の1.7倍 黒人の無保険者は白人の1.8倍 コロナによる黒人の死者数は白人の約2.5倍 各人口あたりの警官による殺害は黒人が白人の約2.8倍 マリファナ使用による逮捕者数は黒人が白人の約3.7倍 警察の呼び止めを正当と思う人は黒人より白人が多い 黒人有権者のトランプ氏支持率は9% 黒人はバイデン氏の支持率が圧倒的に高い
一見して白人と黒人の間の格差は大きく、記事がいう国家的な仕組みが関係しているとしか考えられないものだ。そうであれば、その制度を擁護し、声高に「アメリカ・ファースト」を主張し、「白人至上主義者にも良い人はいる」といった発言を繰り返すトランプ氏が黒人から嫌われるのは当然のことだろう。 トランプ氏のトレードマークにもなっている「アメリカ・ファースト」については、その差別的な背景について、2018年公開の『ブラック・クランズマン』のなかでスパイク・リー監督が鋭く切り込んでいる。同作品よれば「アメリカ・ファースト」には、明らかに白人の黒人に対する差別が込められている。 こうした差別や格差に関するデータについては、例えばソキウス101の「アメリカの貧困と格差の凄まじさがわかる30のデータ」などにより詳しく取り上げられている。3) 子どもの貧困、寿命格差、食糧支給、ホームレスなど、より広範な視点で世界中に広がる格差の状況を概観することができる。 黒人殺害事件の背景:(2) 格差を生む教育システム だが、こうした記事やデータを読むだけでは不公平な制度の中身はわからない。このため、日経記事が掲げるような問題、例えば黒人が白人よりも大幅に低所得なのは、彼らが働かないからだと思い勝ちだ。 本作でもムーキーがピザ屋に顔を出して最初の会話は、ピノからの「遅刻だ」の一言だ。通りを掃除しろと言われても、「オレの仕事はピザ��出前だ」と聞こうとはしない。さらにムーキーは、配達中に道草をしてサルに叱られ「出前にはビトを(見張りに)付けよう」といわれたりする。そもそも、映画に登場するベッドスタイの住人のほとんどは働いていないように見える。 こうした描写を見ると、アメリカの保守派が口にする自己責任論がもっともらしく思えてくる。保守派にしてみれば保険も自己責任で費用を負担し加入しているのであって、働こうとしない人々に自分らが負担してまで保険制度を適用するのは反対だという考え方になる。これはオバマケアでさんざん議論されたことだ。 しかし、雇用、保険、教育など、人間が生きる上での基本的人権にかかわる制度自体に歪みがあり、黒人の雇用が狭められているとすれば、働かないのは働けない仕組みのせいになる。この点について、本田創造氏の『アメリカ黒人の歴史 新版』に次の記述がある。4)
「黒人問題」は、すでに詳しく述べた公民権運動の数々の輝かしい差別撤廃の成果にもかかわらず、依然として解決されていないということである。(…)しかし、黒人大衆の経済状態は、最近では、むしろ悪化さえしている。それは、かれらの存在そのものが、最高度に発達したアメリカ資本主義の重要な存立基盤のひとつとして、この国の社会経済機構の中に差別されたかたちで構造的に組み込まれているからである。 (Kindle の位置No.2903-2908).
同書は1964年に旧版が出たあと、公民権運動の中心となった黒人解放運動などを書き加え、1991年に新版として出版された。引用にある「最近」は、映画の舞台となったベッドスタイの時代と重なる。そしてその当時から現在まで、白人と黒人の経済格差はいっこうに縮まっていない。本田氏の言う「社会経済構造のなかの差別」は当時からおよそ30年を経過した現在も続いていることになる。 この制度問題に関する記事は必ずしも多くないようだが、ニューヨーク在住のライター堂本かおる氏が制度的人種差別について、「白人警官はなぜ黒人を殺害するのか 日本人が知らない差別の仕組み」のなかで次の指摘をしている。5)
米国の公立学校の財源はほとんどが固定資産税で賄われており、貧困地区と裕福な地区の極端な税収格差が、子供たちが受ける教育格差に直結している。こうした要素が重なり、貧しい黒人の子供たちが学力格差を克服するのはほぼ不可能に近いとさえ言われている。
また、同記事を補足する形で、ショーンKY氏が「アメリカの格差と分断の背景にある自治体内での福祉予算循環」と題する記事のなかで���アメリカに現存する制度的な差別の実態と構造を詳しく論じている。6) 格差社会アメリカの構造を知る上で有用な内容で、わたしは次の一節に至る理由を読んで、アメリカの格差問題は本当に根が深いと思った。
アメリカにおける自治体別の格差は、本質的には所得格差に由来するものである。これがなぜ人種格差と結びつくかと言えば、(…)それが学校・警察を経由した格差の相続装置であり、一度生じた格差を時間が経つごとに拡大させるエンジンになっているからである。
格差の発生源を「時間とともに格差を拡大させるエンジン」と形容したのは秀逸だと思う。この喩えを広げれば、税収は燃料、教育システムはエンジンと燃料で動く内燃機関になるだろう。 エンジンは富裕層が住むゲートの内側と外側にあり、それぞれの燃料(税収)の多寡に応じて働く。燃料が豊かなゲートの内側では教育設備や環境が整い効率的に富の生産が行われる。一方、燃料が乏しいゲートの外では設備の不足や老朽化が進み、教師も満足とは言えず価値の生産が滞りその質も低下する。 さらに言えば、ゲートの内側では学力の向上が高学歴を促し、生徒が社会に出て政治の世界に手が届くと、豊かな教育を受けた本人は自身の育ちを肯定的に捉え、内燃機関(教育システム)を信奉するようになる。反対にゲートの外側では劣悪な教育が犯罪の温床となり、そこでは機能しないエンジンを直そうとする者も育たない。エンジンの例えが秀逸だと思ったのは、ここで説明されている教育システムが、白人中心に営まれるアメリカ社会の原動力をうまく表現していると思ったからだ。 教育制度が抱えるこうした差別的な構造は、黒人の賃金を抑え白人社会に利益を移転する搾取の問題以上に、学習意欲や労働意欲を阻害する点で、人生により根本的で深刻な危害をもたらす。学校の設備は貧相で古いものばかり、そのうえ教師の能力も劣る。家に帰れば、貧しい家計が食事や医療を圧迫する。そうした環境で多くの黒人が育つとすれば、彼らが白人と同等の学ぶ意欲を持つのは容易ではないだろう。白人が同じ環境に置かれれば、同様に意欲を削がれはずだ。意欲なしには十分な知識や給与は得られない。生きる意欲なしに、一体どうすれば生活が良くなるのだろう。格差は拡大する一方だ。 ムーキーらが暮らす1989年のベッドスタイは、ゲートの外にある文字通り"DO-OR-DIE"の世界である。映画のなかで本の話題が二度出るが、どちらも「お前が本を読むか?」とからかうネタにされている。少なくてもムーキーとティナの子ヘクターがゲートの外にいる限り、彼を働き者に育てるのは容易ではないだろう。社会のシステムが、両親が得た以上の教育を受けることを困難にしているからだ。 映画のなかでムーキーは25歳だ。彼はちょうど公民権法が制定された年に生まれたことになる。本田氏の指摘によれば、その後「黒人大衆の経済状態はむしろ悪化」した。ムーキーの労働意欲の欠如と低い収入は、アメリカ社会の制度的な歪みが大きく関係していると思われる。ベッドスタイの人々の多くは、働かない生活を自己責任で選び取ったのではないだろう。黒人のすべてがそうだとは言えないが、その多くは働く意欲を削ぐ社会的な仕組みの犠牲者だというしかない。 黒人殺害事件の背景:(3) 恐るべき警察の収監システム 教育システムとともに、もうひとつ制度上の大きな問題がある。警察の収監システムである。『ドゥ・ザ・ライト・シング』のなかで収監そのものが描かれているわけではないが、これも当時の黒人の生活や、ラヒームが犠牲になった背景に関係している。 先日の「黒人男性拘束死事件」に端を発したデモの映像で、何度か警察予算の削減を訴えるプラカード "DEFUND THE POLICE" を目にした。7) この標語は "BLACK LIVES MATTER" とともに、この種の事件が発生するたびに何度も使われてきたスローガンである。 英語版のWikipediaによれば、"DEFUND THE POLICE" は警察からの資金を分離し、社会サービス、青少年サービス、住宅、教育、その他の地域社会の資源など、公共の安全と地域社会の支援といった非警察的な形態に向けて再配分しようと訴えるものだ。8) さらに解説を読み進むと、こうしたスローガンが生まれた背景に、凶悪犯罪を取り締まるはずの警察が軽犯罪ばかりを取り締まり、人種的偏見にもとづく、貧困層を狙い撃ちにした逮捕が横行する実態があることがわかる。 映画で描かれたラヒームとサルの喧嘩も、殴り合いだけなら軽犯罪で済んだことだろう。顔見知りで同じ街で生活を共にしてきた二人が、もつれあいのなか相手を殺害するとは考えにくい。もし、そうなりそうなら周りが止めただろう。サルはバットでラジオを壊しはしたが、バットでラヒームに殴りかかりはしなかった。また、ラヒームも凶器を持っていない。それが警察の介入で殺害へと変貌するのは、日常的に繰り返される逮捕の多さと、安易に過剰に走る取り締まりに問題の一端があると思わせる。 軽犯罪を理由に大量の人々を逮捕するには、警官の人件費や装備費に多額の予算が必要になる。こうした実状から、弱いものを狩る部隊と化した警察予算を分離し、弱いものを救うためのサービスに予算を振り替えようといのが "DEFUND THE POLICE" の主旨だが、そうなる理由を掘り下げて考えるには、Netflixが独自に制作した動画『13th -憲法修正第13条-』(以下、『13th』と略記)がひとつの手掛かりになる。9) 動画は奴隷解放がいかにして収監システムに姿を変えたかを、歴史を振り返りながら伝えている。奴隷解放宣言(1863年)のあと公民権法が制定(1964年)され黒人への人種差別はなくなったはずだが、奴隷だった黒人の多くは受刑者として、新たな制度に引き継がれたという。 動画の題名になっているアメリカ合衆国憲法修正第13条は、公式に奴隷制を廃止し、奴隷制の禁止を定めたものだが、「犯罪者を除外する」という主旨の例外規定がある。この例外規定が犯罪者を奴隷扱いすることを可能にしたというのが『13th』の本質を成す主張である。動画は概ね次のように述べている。
公民権法が制定されて、400万人の奴隷をどうするかが問題になった。彼らは南部の経済や生産に欠かせない存在だったからだ。では、奴隷だった者をどうするか? 奴隷の恩恵を得て伸びてきた経済をどうするか? この二つの問題解決に修正13条の抜け穴が利用された。
この抜け穴が大量の受刑者を生み出す原点となった。 いうまでもなく受刑者は刑務���に収監され、社会や家族との接触を断たれる。動画によればその数は、2014年の時点で230万6,200人を数える。国別ではアメリカが世界最多、米国内の人種別では黒人が受刑者の40.2%を占めるという。しかも、1980年から2000年までの20年間で、受刑者の数はおよそ3.5倍という増加ぶりだ。下図にアメリカ国内の受刑者数の推移を示す。10)
なぜ、これほどの数の受刑者がいて、しかも急激に増えたのだろうか? 動画はこの背景に、刑事司法制度と産獄共同体が抱える問題があると指摘している。前者の司法制度については、そもそも「容疑者に対する裁判そのものが行われていない」として次のように述べている。
保釈金を払って保釈されようと思えば1万ドルが必要だが、貧しい家庭ではできない。そこで、検事から司法取引が持ちかけられる。「司法取り引きするなら3年、裁判をするなら30年の刑だ。それでも裁判をするか?」貧乏人は裁判をしない。拘留された人のうち97%は裁判を断念し、司法取引に応じている。これは考えうる限り、アメリカにおける最悪の人権問題のひとつだ。
有罪か無罪かの真実ではなく、富が結果を決める現実がある。しかも、司法取引に応じて身に覚えのない罪を認め有罪になれば、その後生涯にわたって社会的な制限を受けることになる。 『13th』によればそうした社会的な罰は、学生ローン、事業免許、食糧配給券、家の賃借、生命保険など全部で「4万にもおよび」、「アラバマ州の黒人男性の約30%が、前歴のせいで投票権を永久に失っていることを誰も知らない。」という。掛けられた嫌疑の真実がどうであろうと、いったん有罪の烙印が押されれば、その印は一生ついてまわる。お金の多寡で罪が決められ、社会の仕組みによって罰が与えられるとは、何という悲惨、何という不幸だろうか。 こうした現実が長きにわたって続いているのは、司法制度と産獄共同体(産獄複合体とも呼ばれる)が一体となり、収監システムとして機能しているからだという。上述のWikipediaによれば複合体は、企業、政治家、メディア、看守組合などの利権集団で構成される。このうち『13th』で具体的に言及されるのは、CCA(Corrections Corporation of America)と呼ばれる民間刑務所会社、ロビー団体の米国立法交流協議会ALEC(American Legislative Exchange Council)とその会員企業である。動画はかなりの時間を、産獄複合体の実態についての説明に充てている。 それによれば、CCAはアメリカ初の民間刑務所会社として1983年に発足した。発足当時は小さな会社だったが、現在では全米60ヵ所以上で施設を運営している。Wikipediaによれば、直近の売り上げは約20億ドル、純利益1.9億ドル、従業員14,075人とある。売上高純利益率からいえば、すばらしい成績の優良企業だ。11) CCAがこれだけの好成績を上げていられるのは、刑務所が常に満杯で、しかも年々収容者数を増やしてきたからだ。『13th』はそれがどのように成し遂げられたかを次のように描いている(主旨)。
CCAは州と契約して投資を行うため、州は刑務所を満杯にする必要があった。CCAの働きかけででALECは、受刑者数を増やすための法案を提出した。クリントン政権の時代、「スリーストライク法」「必要的最低量刑法」「刑期の85%を下限にする」といった法律が次々と制定された。全て彼らが作った自分都合の法律だ。受刑者の安定供給によって生み出された利益は株主の懐に入る。80年代後半から90年台前半にかけて、刑務所運営は成長産業になった。成功が確実に保証された事業モデルだった。こうしてCCAは民間刑務所のトップになり、人を罰することで巨万の富を得ている。
「スリーストライク法」は、重刑を三回犯した者を一生刑務所に閉じ込めることを可能にした。「必要的最低量刑法」は比較的軽微な薬物犯などであっても、強制的に一定期間の拘禁刑を科す法律である。「刑期の85%を下限に」も含め、すべてクリントン政権の時代(1993年1月〜2001年1月)に法制化されたようだ。 収容者を増やすための法律という批判に対し、メリーランド州の上院議員がインタビューに「質問の意味がわからない」と答え、クリントン氏が「受刑者の増加率は減った」と反論する場面もあるが、前掲の図のように1993年から2001年のクリントン政権の時代、収容者は大幅に増えている。一方で、凶悪犯の検挙率が極めて低いことを考えると、収容者を増やすための法律といわれても仕方がないだろう。このような背景のもとで、収監システムは民間の刑務所のビジネスを急拡大させ、社会的な存在感を増していった。 『ドゥ・ザ・ライト・シング』が作られた1989年は、こうした時代の真っ只中にあった。司法と刑務所が収監システムへと姿を変え、貧困層の黒人をまるで利益のための餌のように狩る時代の嵐のなかでこの映画は作られたことになる。『13th』は動画の終盤で次のように訴えている。
理解してほしい、黒人の命だけが大切なのではない、全ての人々の命が大切なのだ。例外は存在しない。刑事司法制度の関係者も、産獄共同体の関係者もそうだ。黒人だけの問題ではない。人間の尊厳について、この国の意識を変える必要がる。
これは、スパイク・リー監督にとっても同じ思いではないだろうか。ムーキーは働かないのではない、働くための途方もなく高い壁を乗り越えられないのだ。その一方で、警官はシステムのなかで働く白人の一人としてラヒームを殺害した。その現場でムーキーはひとりの人間として、イタリア系アメリカ人のサル一家を暴徒から守ろうとゴミ缶を投げたのである。 スパイク・リー監督は本作を制作した29年後の2018年に『ブラック・クランズマン』を作った。その映像に彼は、ラヒームと同様に犠牲になった白人女性ヘザー・ハイヤー氏の、「憎しみのうちには、何人の居場所もない」という言葉を添えている。繰り返すが、ハイヤー氏は黒人女性ではない。生前ラヒームが拳を掲げて言ったように「最後は愛が勝つ」。スパイク・リー氏とともに、わたしもその言葉を信じていたい。
(その1:物語の現場はどうなっていたか)
1)BLMの訴え自体は、2013年2月にフロリダ州で黒人少年のトレイボン・マーティンが白人警官のジョージ・ジマーマンに射殺された事件に端を発すると言われている。 Wikipedia「ブラック・ライブズ・マター」 https://bit.ly/2Y5oGfW 2)日本経済新聞「黒人暴行死事件の背景を探る(上)(下)」2020.06.11. https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60150710Z00C20A6I00000/ 3)ソキウス101「アメリカの貧困と格差の凄まじさがわかる30のデータ」2020.4.30. http://socius101.com/poverty-and-inequality-of-the-us/ 4)本田創造『アメリカ黒人の歴史 新版』岩波書店, 1991. 5)堂本かおる「白人警官はなぜ黒人を殺害するのか 日本人が知らない差別の仕組み」文春オンライン, 2020.6.8. https://bunshun.jp/articles/-/38288?page=2 6)ショーンKY「アメリカの格差と分断の背景にある自治体内での福祉予算循環」note, 2020.6.9. https://note.com/kyslog/n/n5b8601ac8905 7)時事ドットコムニュース「「警察に予算回すな」 デモ継続、改革要求強まる―米」2020.6.8. https://www.jiji.com/jc/article?k=2020060800088&g=int 8)Wikipedia “DEFUND THE POLICE” https://en.wikipedia.org/wiki/Defund_the_police 9)Netflix『13th -憲法修正第13条-』2020.4.17. https://youtu.be/krfcq5pF8u8 10)Wikipedia “Incarceration in the United States” https://en.wikipedia.org/wiki/Incarceration_in_the_United_States 11)Wikipedia「コレクションズ・コーポレイション・オブ・アメリカ」 https://bit.ly/2CjUJA5
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・テレビを見ないことによって、テレビを見る人よりは、数分から数時間使える時間ができる。 ・待ち時間はメールの返信や、スケジュール調整に使う。 ・半端な時間には半端なタスクを片付けるようにすると、重要なタスクはまとまった時間にじっくりできる。 ・その日の最後のタスクは、もう少しで完了というところで、やめておく。そうすれば、次の日朝一番に「達成感」を味わうことができる。 ・一番集中力が必要な作業は、朝の数時間の間にすませる。 ・スケジュールは同期できるようにしておくと、手帳からカレンダーへ書き込む手間を省ける。 ・出張が多い人は、携帯やラップトップの充電機器を一式揃えておく。ソフトウェアやアプリのアップデートも、頻繁にしておくこと。 ・定期的に運動する。NASAの調査によると、毎日運動する人の100%が運動後7時間効率よく働けるが、運動しない人では50%しか7時間持つ人がいないらしい。 ・マルチタスクではなく、シングルタスクで集中する。 ・メールやIM、テキストメッセージに慣れてしまっていても、時には電話一本ですむタスクもある。 ・ミーティングはオンラインでスケジュールすれば、何度もメールをやり取りしないで決められる。 ・オフィスでのコミュニケーションは、ズバリ本音で。真摯にコメントし、周囲からの意見も素直に受け入れるようにする。 ・自宅で働く場合でも、仕事場や稼働時間を設定する。その日のタスクが終わったら、電話に出ないようにし、メールもチェックしないで、オフィスのドアを閉める。 ・タイマーをかけて、細かく分けたタスクを時間と勝負してこなしていく。 ・ミーティングの最初に、終了時間をメンバーに伝え、時間制限があることを認識させる。 ・メール、電話、IMなどで、周囲がコンタクトを取ってきていい時間をあらかじめ設定し、それ以外の時間には受け付けない。 ・通勤時間は有意義に使う。運転する人は、ポッドキャストやオーディオブックを聴くといい。 ・やりたくないことは、意を決して最初にやってしまった方がいい。 ・ポストイットをぺたぺた貼るのではなく、すべてEvernoteで処理する。 ・読んでいないメールマガジンは解除する。同じカテゴリからは、一つだけ購読する。 ・タスクにかける時間を、前もって長めに設定すれば、時間が足りなくなってストレスを感じることがなくなる。 ・今すぐ数分でできることは、後回しにしないで、すぐにやる。 ・オンラインカレンダーを開いて予定を入力したら、すぐ閉じずに、他の予定もざっと見直す。 ・時には、部下や同僚に委任することも大切。そのためには日頃から、自分の作業過程をシェアしておくこと。頼む段階になって一から説明していると、結局自分でやった方が早い、と思ってしまう。 ・すべてのミーティングが時間の無駄ではない。十分に準備されたミーティングは、有効である。 ・仕事中にはFacebookを閉じる。 ・大事なことから始めるもよし、細かいタスクから終わらせて、大きなタスクにかかるもよし。重要なことは、どのタスクが大事かを最初に見極めること。 ・チェックリストを作り、すぐ見えるところに置いておく。 ・ラップトップのパワーケーブルは、自宅用とオフィス用、2つ用意する。 ・出かけるときに、持ち物チェックの呪文を唱えて、忘れ物をなくす。「鍵、財布、携帯」というように。 ・翌日のto-doリストは、前夜のうちに作っておく。 ・自分のアドレスがCCに入っているメールは、とりあえず手をつけないでおくと、TOのアドレスの人が処理をしてくれることが多い。 ・10分しかなくても、10分でできることをする。 ・休憩に入る前には、次の作業の準備をしてから、席を立つ。 ・自動化できることは自動化する。 ・煮詰まったら、全然関係ないタスク、例えば皿洗いなどの家事をすると、意外に解決策が見えてくる。 ・自分の生産性が一日の中でいつ高いかを知る。 ・仕事ばかりしないで、読書もする。 ・場所を変えてみる。 ・5分か10分でもいいので、休憩時間をこまめに取れば、生産性が上がる。 ・パスワードなど、覚えなくてもいいもの(パスワードマネジャーに記憶させればいい)は、覚えない。 ・一日の流れを作り、それにそって動くようにすれば、細かいことを心配しなくていい。 ・オフィスには植物を置いたり、写真を飾ったりと、自分にとって心地のいい場所にする。 ・自分のタイピングスピードを測ってみる。あまり速くないと感じたら、練習して速く打てるようにする。 ・キーボードショートカットを有効利用する。 ・医者や、美容院の予約は、朝一番に入れておくと、前の人からずれ込むことがない。 ・予定を詰め込みすぎない。 ・した方がいいこと(運動など)は、しなければならないこと(仕事)のために犠牲になることが多いので、朝一番にしてしまうようにする。
時間が足りない!と感じているアナタへ、時間を生み出す方法 | ライフハッカー[日本版]
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AIアートが嫌いな人でも、無意識のうちにAI生成作品の方を好んでいるという調査結果
著者牡丹堂・パルモ
公開:2024-12-02・更新:2024-12-02
AIによって生成された「アート」を嫌う人は多い。まだ不自然なところも多く、作品に込められた心などないからだ。
だが11,000人以上が参加した新たな実験によると、優れたAIアートは、大抵の人はそれが人間による作品なのか、AIによる作品なのか区別がつかないようだ。
広告の下に記事が続いています
それどころか、AIアートが嫌いな人ですら、AIが生成したと言われなければ素直に良い作品と感じてしまうという。
ちなみにトップ画像の答え合わせは本文に書いておいたので、じっくり吟味してみよう。
AIと人間、どちらなのか?平均4割の確率で間違う
「Astral Star Codex」では、11,000人以上の人を対象に「AIアート・チューリング・テスト」という実験を行った。
もし自分も試してみたいというひとはこちらのリンク「AI Art Turing Test」からテストができる。
この実験では、参加者にアート作品を見てもらい、それがAIによって生成されたものか、人間が描いたものなのか当ててもらうというもの。
さらに回答後、アートに関するいくつかの質問にも答えてらう。
その結果、参加者全体で平均4割の人が間違っていることがわかった。
とは言っても、結果はそう単純ではなく、ジャンルによってもずいぶん差があるものとなった。
たとえば、19世紀美術や現代美術の場合は、AIアートであっても人間の作品と誤認されがちだったのに対し、デジタルアートは真逆で人間の作品であってもAIと誤認されることが多かった。
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これは人間の手によるもの。ミッチェル・スチュアートによるビクトリア朝のメガシップで、最も多くの人たちが間違えた(AI として投票する人が多かった)作品だった。image credit:Astral Codex Ten
AIアートに批判的な人でも無意識にAIアートを好んでいた
だが最も注目すべき点は、参加者から人気があったのは、人間の作品よりむしろAI作品だったことだろう。
一番人気があったトップ10の作品のうち、6点がAIアートであり、トップ2もAI作品だったのだ。
しかもこの傾向は、AI生成アートを嫌いと回答している人でも同様だった。
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AIアートが嫌いな人でも、好きな作品として選んだJack Galler氏によるAIアートimage credit:Astral Codex Ten
実験結果について、いくつか考慮するべき要因
今回の実験は11,000人が参加したそれなりに規模の大きなものだ。それでも忘れてはいけないのは、これがきちんと科学的に行われたものではないことだ。
出題されたAIアートは適当に選ばれたわけではなく、一目でAIとわかるような不自然な手や意味不明な文字が描かれているものは除外され、製作者もAI生成プロンプトに慣れた人物だった。
そうした出題作品は、AI然としたわかりやすい作品もあれば、印象派を思わせる作品なども多く含まれていた。
こうしたジャンルが結果に影響を与えた可能性もある。つまりAIアートに人気が集まったのは、その多くが一般に人気がある印象派に似た作風であることが関係するかもしれないと、Astraは推測している。
また問題が簡単にならないよう、出題作品がじっくりと入念に選ばれている点も指摘されている。つまり出題されたAIアートは、いわば最高品質の作品ばかりだったのだ。
このことは、AI作品嫌いの人ですらAIアートに高評価を与えた理由を説明するかもしれない。
つまり出題作品が入念に選ばれた結果、AI作品嫌いの人たちが苦手に思う要素(たとえば、不自然な光沢など)が除外された可能性がある。
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AIとする人と人間とする人で意見が分かれた作品、実際には人間によるものだ image credit:Astral Codex Ten
AIアートと人間の作品を見分けるコツは?
いずれにせよ、高品質なAIアートとなれば、ほとんどの人はそれを見抜けないことは確かであるようだ。
これはAIが既存の美術作品を平均化し、最も魅力的な部分を選択するよう調整されていることを考えれば、頷けるかもしれない。
その一方、わずかな違いを鋭く見抜ける人たちも確かにいた。参加者の成績上位トップ5は、50点満点中49点のスコアを収めているのだ。
だがそのような審美眼を持つ人たちは、どうやってAIと人間の作品を見分けているのだろうか?
この実験に参加したとあるアーティストがAstralに語ったところによると、ポイントは人間の作品が「論理的」である一方で、AIの作品は「上辺がただ細かいだけ」である点なのだという。
彼女に言わせれば、AIアートはいわば料理の味と栄養を真似たプロテインシェイクのようなものなのだとか。
確かに、プロテインシェイクは満腹感が得られるし、それなりに美味しいものもある。だが、もしもそれによって暖かい手料理がこの世から消えてしまったら、あなたは嬉しいだろうか?
「これを食の未来と呼び、いずれ料理人はいらなくなると主張する人々を想像してください」と、彼女は語っている。
で、この記事のトップにある2枚の画像の答え合わせをしよう。
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左側がAIで生成した印象派風の作品、右側はかの有名なフランスのポスト印象派の画家、ゴーギャンの描いた「オスニー村の入口」だ。悲しいことにこちらも間違える人が多かったようだ。
私もちらっと「AI Art Turing Test」にチャレンジしてみたんだけど、かなり難しかったな。初音ミクはわかったけど。
References: How Did You Do On The AI Art Turing Test? / AI Art Turing Test / Even People Who Hate AI Art Appear to Actually Prefer AI Art in a Blind Test
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Apr 24, · マイクロソフトのデジタルノートアプリ「OneNote 」のWindowsデスクトップ版が、無料(一部機能制限あり)で利用できるようになりました。Windows でのインストール方法を紹介 Estimated Reading Time: 2 mins OneNote は、ノートや情報のすべてを配置できる 1 つの場所を提供するデジタル ノートです。家庭で、職場で、学校で、生活の中で覚えておかなくてはならないもの、管理しなくてはならないものすべてをここに置くことができます。 Download OneNote. Capture thoughts, ideas, and to-dos and sync them to all your devices. Store and share your notebooks on OneDrive with your free Microsoft account. Doesn't expire - use OneNote for as long as you like
Microsoft OneNote は、Microsoft Office に統合されております。そのため、ダウンロードボタンを押すと、最新版のMicrosoft Office の評価版のダウンロードページにアクセスします。. OneNote (ワンノート )はマイクロソフト製のデジタルノートで、Microsoft Office に含まれるオフィスソフトのひとつです。保存したノートはクラウド上に保存されるため、端末を問わず情報を取り出し・更新できます。. OneNote の購入はこちら. OneNote はタイプ入力のほか描画、クリック、スワイプなどさまざまな入力方法に対応しています。静止画や音声メモ・動画・URLリンク・他のオフィスソフトのデータなどを貼り付けることもできるので、アイデアをより具体的に残すことができます。枠やセルを気にすることなく直感的にメモを残していけるので、情報の整理のほかマインドマップの作成にも適しています。作成したメモは自動で保存されるので保存し忘れもありません。.
OneNote はiOSやAndroid スマートフォン端末などさまざまなデバイスに対応しており、OneNote Mobile アプリケーションを通して、どこからでもノートにアクセス・更新できます。強力な検索機能を備えており、残したメモが見つからないなど、検索に手間取ることもありません。また、複数のユーザーが一つのノートに同時にアクセスも可能なので、会議のアイデア出しなどでも役立つでしょう。. OneNote を起動すると、「取り込みツール」が一緒に起動し、画面のキャプチャや簡易メモを簡単に残せるようになりました。ただし、クイックメモで残せるのはテキストのみとなっています。そのほかWindows向けのデジタルノートには、EvernoteやSpringPadがあります。. OneNote は、自由にあらゆる事柄をメモできるデジタルノートブックです。自由な発想を妨げることなく、直感的に作業ができる優れもののツールと言えるでしょう。.
Softonic では、当社プラットフォームでホストされているすべてのファイルをスキャンして評価し、ユーザーの皆様のデバイスに被害が及ばないように努めています。Softnicチームは、新しいファイルがアップロードされるたびにチェックを行い、定期的に再確認を実施して各ファイルのステータスを確認および更新しています。この包括的なプロセスにより、ダウンロード可能なすべてのファイルのステータスを次のように設定することが可能となっています。. Windows用 Microsoft OneNote. Softonic のレビュー あらゆる情報を書き留められるデジタルノートOneNoteの最新版! Microsoft OneNote は、Microsoft Office に統合されております。そのため、ダウンロードボタンを押すと、最新版のMicrosoft Office の評価版のダウンロードページにアクセスします。 OneNote (ワンノート )はマイクロソフト製のデジタルノートで、Microsoft Office に含まれるオフィスソフトのひとつです。保存したノートはクラウド上に保存されるため、端末を問わず情報を取り出し・更新できます。.
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フリーランスが法人化するメリットやタイミングは?中小企業診断士が分かりやすく解説!
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フリーランスが法人化するメリットやタイミングは?中小企業診断士が分かりやすく解説!
フリーランスとして個人で活動している人なら、独立した、報酬が上がったといった節目に法人化を検討する��ともあるでしょう。 社会保険や健康保険、厚生年金などの保障と節税は法人化のメリットです。また、法人化には金銭的なメリットが大きいことから、フリーランス(個人事業主)が法人化する目安が売り上げや所得金額に偏って考えられてしまっている側面もあります。 「もちろん売り上げは一つの重要な目安です。でも、それだけに縛られてしまうと自分がやりたいこと、法人化したことを忘れてしまう。それは悲しいことだと思うんです」 こう教えてくれたのは、自身も約10年間フリーランスを経験した後に法人化��た中小企業診断士/経営コンサルタントの岩瀬敦智さん。 ご自身の経験や支援企業の事例も含め、法人化のメリットやタイミング、その意義について分かりやすく教えていただきました。
フリーランスが法人化するメリットは信用とお金
岩瀬 敦智(いわせ あつとも)
経営コンサルタント。中小企業診断士。株式会社コンセライズ代表取締役。企業価値を可視化し、社内外へ浸透させるコンサルティングを行っている。特に中核人材に企業固有の価値と、経営理論を伝えることでリーダー人材の視座を高める講演や研修に定評がある。主著として、「MBAエッセンシャルズ(第3版)」共著(東洋経済新報社)、「マーケティング・リサーチ(DO BOOKSマーケティング・ベーシック・セレクション・シリーズ)」共著(同文舘出版)など。法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科(MBAスクール)兼任講師。神奈川大学国際経営学科客員研究員。中小企業診断士に向けた政策研修講師。 HP https://consellize.com/
ー早速ですが、フリーランスと法人の違いについて、ぜひ専門的な立場から教えてください。
岩瀬さん:端的に言うと信用とお金の違いですね。具体的には、以下の表の通りになります。
私は10年近くフリーランスの中小企業診断士として活動後、2019年に経営コンサルティング・研修企画運営・研修講師派遣を行う株式会社コンセライズを設立しました。
仕事柄、フリーランスから法人化される方を多く見てきましたが、皆さん共通して法人化で社会的信用が上がり、収入や保障の在り方に大きく変化が起こります。
フリーランスが法人化するメリット「社会的信用」が上がった事例とは?
ーそれは、法人化した方が信用面でも金銭面でもメリットがあるということでしょうか?
社会的信用という面では間違いなくメリットがあります。
私自身も、フリーランスとして個人で活動しているときに「岩瀬さんには仕事を頼んでみたいけど、当社は個人事業主と取引ができない」と言われたことがあります。法人を設立してからは大きな企業や組織と取引ができるようになりました。
また、BtoBで事業を展開している、ECなど無店舗でビジネスを行っている場合は法人化によって社会的信用が上がり、それが売り上げに直結することもあります。
私の中小企業診断士仲間の一人は、法人化した瞬間に問い合わせが増えたのだそうです。
彼は、フリーランス時代からHPを開設し、屋号を持って活動していました。HPはフリーランス時代とほぼ変わっておらず、変わったのは株式会社になったことと、オフィスを自宅とは別に持ったことくらいでした。
中小企業診断士は、企業様に対して補助金や創業支援など、中小企業に関する国の施策を伝える役割があります。ですから、法人化することで企業様からの社会的信用が上がり、問い合わせが増えたのでしょう。
ー一般的に、金融機関からの見方も変わると聞きます。具体的な事例があれば教えてください。
おっしゃる通り、金融機関から融資が受けられるかも社会的信用のポイントの一つです。
私の知人に日本政策金融公庫の融資担当者がいます。その方が事業融資でチェックするのは、ビジネスプランと経営者個人の資質だそうです。
「経営者個人の資質」と聞くと非常に抽象的ですが、その事業の運営が個人事業主なのか法人なのかを一つポイントにしているそうです。「個人より法人でやっている方が事業にかける思いや覚悟を感じる」とおっしゃっていました。
もちろん、金融機関や融資担当の方によって評価するポイントは異なるとは思いますが、こうした声があるのも事実です。
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フリーランスが法人化すると、取引先との交渉力も向上する?
ーフリーランスが法人化し社会的信用が上がることで得られるメリットもありますか?
法人化による社会的信用の向上自体が大きなメリットではあります。加えて、フリーランスと法人では契約時の立場や交渉力が変化するんです。
フリーランスの場合、取引先企業との契約時に下請けのような立ち位置になりがちです。法人化することで企業対企業のやりとりができ、対等な関係を構築しやすくなります。
私のクライアント様に、洋服の開発事業を行っているフリーランスの方がいました。法人化によって、これまで言い値で行っていた仕入れを交渉できるようになったり、発注元自体が変わったりと、取引の仕方が大きく変化しました。
法人化はビジネスを広げるタイミングでもありますし、法人化の手続き自体もかなり煩雑で、かつ法人には個人より厳しいルールが課せられます。そうした手続きを踏んでいくなかでクライアント様自身に、ステークホルダーに対する責任感やこれから法人としてやっていく自信のようなものが形成されたのではないかと感じました。
その方は今お話した目に見えないものも含めて交渉力が付き、クラウドファンディングにも挑戦するなど、積極的に事業を広げる取り組みをしています。
所得の多いフリーランスほど、法人化した方が有利になる
ーある程度所得があるフリーランスが法人化するとメリットが大きいとも聞きます。
フリーランス個人が払う所得税は、課税所得が上がる分だけ税率が上がる累進課税です。それに対して法人税は定率ですから、一般的に所得が多いフリーランスが法人化すると節税面でのメリットが大きいと言われています。
法人化すると自分の報酬を「給与」として経費にできるという点も、個人と法人の大きな違いでしょう。
また、フリーランスは国民年金・国民健康保険を自分で払っていますが、法人化すると厚生年金・社会保険に切り替えることになります。ご存じの方も多いと思いますが、厚生年金や社会保険の方が国民年金・国民健康保険より保障が手厚くできています。
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フリーランスが法人化するデメリットはあるのか?
ーここまで伺っていると、法人化にはメリットがとても多くあるように思うのですが、デメリットはあるのでしょうか?
一番は手続きの煩雑さでしょう。例えば複式簿記が法人での経営には必須ですが、個人は選択可能です。株式会社を設立する場合、定款を作成しなければなりません。また、定時株主総会や臨時株主総会を開く必要があります。それによって招集通知・議事録記載などの事務も発生します。
また、株式会社は取締役を置くよう定められているので、任期満了に伴う再任や、必要に応じて任期途中の選解任の手続きもします。
これ以外にも法人に義務化されている手続きがあり、それらを行わなければ社会的信用を失う恐れもありますね。ですから、フリーランスの方が圧倒的に手続きは楽なんですよ。
支出が増えることもデメリットと言えます。先ほど節税対策として一定所得を超えれば法人を超えた方が良いとお話しましたが、そもそも法人化すると支出は確実にアップします。
例えば、法人住民税のうち「均等割」と呼ばれる税は、赤字の場合であっても納めなければいけません。東京都の場合、2021年現在、資本金1千万円以下、従業者数50人以下で7万円です。
事業内容が変わった、取締役を追加すると言った変更事項があれば、都度定款の変更もしなくてはいけません。定款の変更にも多くの手続きと、変更費用がかかります。
こうした手続きや財務、経理を自分で一人で担当するのは大変なので、法人化したら税理士にお願いするのが一般的です。その費用も必要になりますね。
また、デメリットという観点ではないかもしれないのですが、自分の給与をいくらにすべきか難しいとおっしゃる方は多いです。
フリーランスで活動していたときは、売上から費用や税金を差し引いた額≒給料になっています。法人化すると、事業の年間収益を事前に予測した上で役員報酬として事前に設定しなくてはならず、難しく感じるようです。
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フリーランスが法人化するタイミングはここだ!
ー自分は法人化すべきかどうか分からないという方も多いです。「法人化すべきタイミングやポイント」はあるのでしょうか?
以下の6点でしょうか。
☑個人所得が600~800万円になったタイミング ☑扶養家族が増えるタイミング ☑ほかの個人事業主と組んでビジネスを起こすタイミング ☑大規模なクライアント・大企業との取引が期待できるタイミング ☑設備や人手が必要なビジネスに乗り出すタイミング ☑会社を成長させようと考えているタイミング
それぞれご紹介していきます。
所得の目安はあくまでも目安です。税理士さんなど節税の専門家の方々は所得600~800万円での法人化をオススメしていることが多いようです。経理の状況や諸条件次第ではもっと高い所得が必要な場合もあるでしょう。
扶養家族が増えるタイミングは、厚生年金や社会保険に加入検討する選択肢として法人化を検討できるということです。また、扶養家族が増えたことでより家族を養うため法人化して事業を拡大させようというメンタル面での効果も考えられます。
ただ、法人化するにあたって重要なのは、所得よりもどんなビジネスをするかです。
大企業と取引をしたい人は、個人では契約してもらえないケースもあるので特に法人化を検討すべきです。大きな設備を活用する、人を雇う、融資を受けたいという時にも社会的信用が高い法人への移行を検討しましょう。
仲間と集まってビジネスする場合も、法人化していれば対外的に組織を作っていることをアピールできます。このように、会社を成長させていこうと思ったタイミングは法人化すべきですし、逆に個人の資産を増やすにはフリーランスの方が向いている場合もあります。
フリーランスの法人化で重要なことは所得よりも自分の価値
ー今お話を伺っていると、所得がいくらになったから法人化するというよりも、自分がどんな事業をしたいのかを重視した方がよさそうですね。
その通りです。まずは、自分の価値を確認すること。どんな��いで独立したのかをまず整理しましょう。そして、これから自分の仕事をどうしていきたいか考えた上で法人化することが重要なんです。
法人成りしたクライアント様を多く見てきた経験から、私はフリーランスから法人成りして成功するケースが大きく2つあると考えています。
①手に職があり、受注を約束されている(すでに顧客がいる)ケース ②長期的に戦略、事業計画を緻密に作っている(しっかり考えられた創業)ケース
この二つのケースのいずれかであれば、仮に現在の所得が600万円に満たなくても法人成りして良いと感じますね。代わりに、ある程度の自己資金は必要です。ビジネスだけに使えるお金が最低100万円以上はないと法人化は難しいでしょう。
逆に言えば、所得がさほど多くなくても綿密な事業計画があるか顧客が複数いれば、自己資金100万円でも法人として融資を受けられたり、経営できる可能性がありますよ。
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フリーランスが法人化するためのステップとは
ーでは、フリーランスが法人化するための具体的なステップ(手続き)を教えてください。
上記は、株式会社として法人化するときの手続きです。
ステップ1の「会社の事業イメージの検討」がなぜ必要なのかというと、定款のもとになるからです。定款に書いた事業内容しか行うことはできないので、現在だけでなく将来に渡ってどんな事業を行うのか考えます。定款の作成は自分でも行うことができますが、手続きが煩雑なので行政書士等と連携して作成される方も多いです。
定款と並行して印鑑(社印・銀行印)を作り、定款が完成したら公証人役場で認証を受けます。発行した株式分の出資金を個人口座に払い込み、登記申請をして晴れて法人になれます。
株式会社だけではなく、他の会社形態もあります。例えば合同会社は株式会社よりも手続きは煩雑ではないと言われています。
しかし、社会的な信用力は株式会社が一番です。あるクライアント様は合同会社を設立したものの、数年後に事業の拡大と大企業との取引を控えたタイミングで株式会社に変更していました。自分の状況にあわせて形態をジャッジできると良いですね。
ー今回は非常に勉強になりました!最後に、法人経営で大切なことは何だと思いますか?
私自身が法人経営で大切にすべきだと感じている価値感は、中小企業診断士に転身するために通っていたビジネススクールの経験が大きいです。マーケティングの先生に教えて頂いた3点を今も大切にしています。
一つは「ゴーイング・コンサーン」。企業経営の究極の目的は続けることだ、という意味です。
企業活動を続けなければ社会貢献も雇用の創出も、生活もできないんです。企業経営は賭け事とは違いますし、社会的な責任もあるので途中で簡単にやめられません。
社会に対する責任も重くなるのが法人化です。責任の重さは、やりがいや周囲からの期待の裏返しでもあります。
二つ目は「企業は経営者の器以上に大きくならない」です。
これは多くの経営者が感じている重い命題ではないでしょうか。一方で、経営者自身も成長するための機会と捉え、常に学び成長していければ良いですね。
最後が「Alone we can do so little; together we can do so much.」
私も実際に企業経営をしてみて実感していますが、一人でできることは限られています。仲間と一緒なら自分だけではできないような価値提供ができます。自分の思いや価値観を明示しフィードバックをもらい、仲間と良い部分を引き出していけばきっと法人経営は成功します。
売り上げに縛られて、自分がやりたいことや法人化した目的を忘れてしまうのは悲しいですね。
まずは自分の事業の目的を忘れないこと。それを正しく伝えれば売り上げUPが結果としてついてくると私は信じています。
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When did your interest in photography begin - did you start taking photos while socialising and then went from there?
写真を撮り始めたのは4年まえのことです。僕とShusaku Yoshikawaという写真家の友達は、取材のためにBurger Recordsが主催したBurgerama 2014に行きました。会場に着いて彼は僕に「せっかく来たんだし、写真も撮った方がいい」と言って、カメラ(OLYMPUS miu 2)を貸してくれたことが、写真を撮り始めたきっかけです。その時僕はミュージック・ジャーナリストだったので、写真は本当に自分が撮りたいと思った瞬間しか撮りませんでした。その年はLAとNYCに合わせて一ヶ月近く滞在して、結局使ったフィルムは5本ほどでした。日本に帰り、それを現像に出して、データで自分が撮った写真を見たときに、本当に自分が伝えたいことや、ずっと憧れていた光景が写真の上に広がっていて、とても興奮しました。アメリカの日常や、音楽シーン、そこに集まった大好きなバンドや若者、shusakuや旅を通じて知り合った大好きな友達たち。そして彼らのパッションやエモーション。あの時の気持ちを引きずって、いまでもそれを続けています。
What was it about US youth culture that stood out to you and how does this differ from Tokyo?
US youth cultureに興味を惹かれるのは、日本のユースカルチャーにはない、選択のある自由さがあると思うからです。極端な例えですが、マック・デマルコがライヴをしていたとして、その最中、たくさんの若者が真剣に彼のライヴに夢中になるなか、それをあたかもBGMとして聞き、友達との談笑を楽しんだり、ドラッグに溺れる集団や、地べたに座り、一心不乱にピザを食べてビールを飲む人たち、全く音楽を聞かず、遠くでいちゃいちゃしているカップルなど、様々な光景がいっぺんに広がるのがUS youth cultureだとして、日本だと、ライヴはそのアーティストのライヴを観に行く機会だと大半の人が捉えているので、チケット代も高いですし、人々はライヴを真剣に観ます。
日本では、誰かが右と言えば右、左と言えば左と言って口を揃えようとします。出来るだけ輪を乱さずに、整頓された規律の中で生きるので、周りからどう見られるかを凄く気にします。そういう文化の中にユース・カルチャーもあります。繰り返しになりますが、日本で生まれ育った僕にとって、US youth coultureに憧れる理由は、日本とは全く逆のアプローチがあって、決めつけのない自由さがあると思ったからです。
And how about in terms of gigs and audiences?
上で話したことがここでも説明できます。例えば、日本のヴェニューには細かい決まりごとがあって、オーディエンス、そしてアーティストまでもがその中でライヴを楽しまなければなりません。ただ日本のカルチャーが全部そうというわけではありません。ざっくりとした、それぞれの違いの話です。
Why does the sense of freedom and gigs appeal to you as a photographer?
僕が自由さに惹かれるのは、なにもかもが自由だからといって、人は幸せをずっと感じられるとは思わないからです。そもそも生きること自体が苦しいことですからね。だからそう思えたり、そう感じられるっていうことは、とても貴重なことなんです。 ギグはもちろん大好きですが、ギグに惹かれているというよりは、そこに集まる人々や、アーティストが、その場では自由さを感じられているように思うから、僕はそこで写真を撮るんだと思います。そして、もしかしたらそれは、こんな生きづらい世の中(社会)だからこそ、せめてヴェニューでそれぞれに何かがおこっているこの瞬間だけは、自由や幸せを感じられるべきだっていう、祈りやお願いからくる行動なのかもしれません。
You’ve worked with the likes of Mac DeMarco and The Garden, how did you first meet these people?
いま考えると不思議なんですが、MacとThe gardenの二人とは、Burgerama 2014の会場で出会いました。しかも同じ日に、会場の中でもほとんど同じ場所で。僕は彼らと出会えましたが、ガーデンとマックはその時にはまだ出会ってませんでしたね。
How did the situation arise for you to go on tour with them?
彼らと出会った2014年から毎年、春から夏にかけて、僕はアメリカのLAとNYCに滞在するようになりました。Mac DemarcoとThe Gardenのフレッチャーは、僕の写真を一番最初に褒めてくれた人物でした。LAではThe Garenの二人がOCからLAまで遊びにきてくれたり、僕がLAからOCに遊びにいったり。NYCではMacの家に泊まって、彼が色んな場所を案内してくれたり、少ない滞在中の中で僕らは同じ時間の中で過ごし、僕は彼らの写真をたくさん撮りました。macとfletcher は僕の写真を彼らのレコードのアートワークに使ってくれました(mac demarcoのanother demo oneと、puzzleのsoaring)。写真を撮り続けているうちに、彼らはライヴの時も、いつもと同じように写真を撮っていいよと言ってくれました。ステージ下でも、袖でも、上でも、好きなところで撮っていいと。今でもその資格が僕にあるか自信はありませんが、彼らのリスペクトにとても感謝しています。そんなお互いのことを、僕はそれぞれにずっと話してきました。どんな人たちで、どんな風に遊んだりしたか、また音楽に向き合う姿勢や、彼らの音楽についてまで。そ���で、2016年にThe GardenがNYCにライヴのためにやってきたときに、泊まるホテルがないと困っていた彼らに、僕はマックの家に皆んなで泊まろうと提案しました(その時僕はmacの家に泊まっていました)。最初ガーデンの二人は遠慮してたんですが、ホテルが見つからなかったので、結局僕はマックに電話をしました。電話で彼は凄く酔っ払っていて、なんでも大丈夫だから、ビールだけ買ってきてと言って電話をきりました。ガーデンと僕はマックの家に向かいました。どうなるんだろうと、なぜか僕が凄く緊張したのを今でも覚えています。しかし、マックの家に着くと、彼らはすぐに仲良くなりました。皆んなでキエラが作ったフレンチフライズを頬張ったり、バカな歌を歌って、ジョークを延々と言いあったりしました。どんな理由だって、大切な友達と大切な友達が繋がる瞬間は最高です。それからMacがLAに引っ越して、彼らはたくさん遊ぶようになりました。去年の春、the Gardenのツアーにフォトグラファーとして参加して、それが終わってマックの家にフレッチャーと遊びに行ったときに、マックは夏のツアーで、ガーデンをサポートにすると言いました。そしてマックは続けて、だからゆうきも来なきゃダメだと言いました。
Are there any specific stories from this time that stand out in your memory?
僕にとって、一ヶ月半にも及ぶ長いツアーに参加することや、アメリカの各都市を回ること自体がはじめてだったので、ツアーの全てが大切な思い出です。彼らにとって当たり前で些細なことも、僕にとっては特別に思えました。マックはオレゴンのショーから、僕を毎日ステージにあげて、歌わせたり、彼とキスさせたり、踊らせたりしました。ミズーラではまだ9月だっていうのに雪が積もっていて、途中でヴァンを泊めて皆んなで雪合戦をしたり、ミルウォーキーでは、ライヴが終わった後にアレックと屋上に行って、自分たちのこれまでのことや、彼に将来の悩みを相談したり、目を覚ますと僕らのヴァンは、マンハッタンの橋の上を走っていて、目をこすったあとに広がったニューヨークの夕陽が凄く綺麗だったり、レディオ・シティーでのthe gardenのライヴ後に、ワイヤットと彼のお父さんが抱き合っている光景を見て、家族に会いたくなった寂しい気持ちや、フィリーで食べたチーズステークの味も忘れられません。僕とマックはお腹がいっぱいなのに、ピザソースがかかったチーズステークお代わりをして、吐きそうになったり、ジョージアではライヴ前にジョンとアミールとアンディーとヴェニーの近くの公園でサッカーをしたときに感じた和やかさや、ニューオーリンズからフレッチャーと僕は筋トレを始めて、僕らの腕がどんどん逞しくなったことや、オフの日に、マックがテレビ番組の収録のリハーサルをしているとき、僕とキエラは控え室にあった紙にラクガキをして笑いあったり。毎日違うエナジーやエモーションを持った彼らのファンとの時間も思い出に残っています。ある子は僕に自宅の鍵をくれたり、ある子とはホラー映画の話をしたり、ある子とはサッカーのボールを蹴りあったり、とある子はライヴ中にずっと泣いていたり、とある子たちはライヴ中にずっと抱きしめあっていたり。そんな彼らを毎日ステージから眺めて、彼らが大人になったとき、今日を、今日抱いた気持ちをどう振り返るんだろうと僕は考えたり。 写真を始めるまえ、僕がミュージック・ジャーナリストだった頃、好きなバンドのインタヴューを控えていた僕に編集長は当然怒り出しました。彼は僕に言いました、なんで好きなアーティストのレコードを持ってこない? なんでサインを貰わない? あの時の僕にはその言葉の意味が分からなかったのですが、ツアーの最終地点のLAに戻ってきた僕は、編集長があのとき言ってくれた言葉の意味をようやく理解しました。あのとき編集長はこう続けました。どんな立場になったとしても、謙虚に、誰よりもそのアーティストや、音楽のファンであり続けなさい。LAでのツアー最後のライヴが終わったあとに、僕はツアーに参加したクルー全員に“this old dog”のレコードにサインを書いてもらいました。最後にサインをしてくれたのがマックだったんですが、彼がサインをしてくれているその瞬間と、彼がサインを書いてくれているときの優しい表情は一生忘れません。あの時編集長が伝えたかったことは、きっとサインをもらったという結果を大切するんじゃなくて、その行為が、その時の気持ちを残すための作業だから大切にするんだと僕は学んだような気がします。僕が写真を撮る理由もそれと同じようなことなのかもしれません。
As a photographer, what is it about youth culture that appeals to you? And how do you try to capture it?
誰しもが公平に歳を取ります。社会に出て、仕事でお金を稼いだり、家庭を持ち、出会いと別れを経験して、時間の経過の中で、色んなことを知っていきます。問題に直面したら、なんでそれが起こったのか考え悩み、誰かが幸せになったら、それを自分の気持ちに置き換えてみたりもします。でも、色んなことを知っていくことで、ある人は感情をあまり動かさなくもなります。これが幸せで、これが苦悩だって決めつけてしまうのです。人生の生き方を決めつけて、効率よく生きる選択は簡単なんです。ユースカルチャーはまだなにも知らない状態を肯定できる、広大で漠然とした粗雑な海のようなものです。またそれは、選択のある–決めつけのない– 自由な海でもあります。 僕がキャプチャーしたいのは、そんな対象の中で、この瞬間にもがき生きる人々の、まだ何もしらない(答えのない)感情の動きです。
People with their own individual personalities were the ones who captured your attention; at a glance was it their clothing or looks that caught your eye? 彼らと出会う前は、ただ音楽に惹かれました。僕は彼らの音楽の大ファンですからね。ツアーには色んなオーディエンスがいましたが、ライヴは彼らと同じくらい、(もしかしたらそれ以上に)僕自身も楽しみました。出会ったあとは彼らの内面に惹かれました。彼らは強い心をもっています。自分らしく生きることと、思いやりを持つことの両立はとても難しいことだと思うんですが、彼らはその二つを持ち合わせているんです。 僕は人を撮るときに、こうしたいとか、ああして欲しいとか、決して指示を出したりしません。自分が好きだと思った瞬間をただスナップしているだけです。だからそれが誰かや、その人がどんな見た目かは全然気にしてません。もっと漠然とした“vibe”に共感するから写真を撮るんです。それは私生活でも同じです。見た目が綺麗で、人気者で、たくさんお金を持ってたとしても、根本的な考え方が違ったら、仲良くなりませんし、仲良くなりたいとも思いません。 What is the next project you aim to do? いま自分のこれまでの活動をまとめた本を作っています。貧乏で夢も希望もなく、大学に行かなかった僕が音楽シーンに入っていって、ミュージックジャーナリストになって、写真をはじめて、色んな出会いの中で、色んなことを経験したこと、本ではそれらの出来事や、僕が実際に何を思ったかを言葉にしようと思っています。写真集も出したいですが、まずアルバイトを探してお金を貯めないといけませんね(笑)。
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慣れない新居で、慣れることについて考える
引っ越してみた。引っ越しといえば大抵の人にとってかなり大きな決断であるだろうが、私がその決断をするときにはいくつかのチェック事項が足りていないような気がする。例えば、新居と勤務先の距離はどれぐらいか。新居の近くで食材や生活用品を揃えるにはどこに行けばいいのか。また、新居には旧居の荷物がすべて入りきるのか。新居で新たに必要となる家具は何か、など。
決断力はあるが判断力はないと言われる。今回も決断だけを先に、「あとはどうにかなるだろう、えいや」と引っ越してしまった。沖縄に引っ越した時もそんな感じだったと覚えている。職だけ決めて、あとはどうにかなるだろう、と。どうにかなってしまったから、今の自分があるというのは確かなのだけれど。
先日、初めて神戸市の新居から大阪市の職場まで行くと、その遠さに、この先が不安になった。特に退勤時刻が21時台になる遅番シフトの場合は、電車の乗り継ぎが悪く、帰宅に2時間ぐらいかかってしまう。さすがにこれは時間がかかりすぎだろうと笑ってしまった。週3日の勤務が現在コロナのおかげで1日は在宅勤務が認められているから、週2日、小旅行をするんだと思い慣れるしかない。そして、自宅内はすべての段ボールを開け終わった今でも物が溢れている。もう少し物を減らさないと、この部屋では過ごしづらそうだ。
引っ越してみると、本当に、自分という人間は、習慣で、なんとなく生きていたんだなあと実感する。いざ引っ越して、自分の周辺の物の配置が変わると、朝起きて、まずどうしていたかも思い出せないし、日々どんなルーチンをこなしていたのか、さっぱりわからない。何をすればいいかわからなくなるととりあえず、一番やったほうが良さそうな、仕事用のPCを広げてちょこちょこメールを返したりスケジュールを調整するということをやってみる。そうすると、あっという間に時間が過ぎている。時計を見ると21時25分。あれ?旧居では、毎日この時間はいったい何をしていたんだろう?
けれど、きっとこの部屋にもまもなく慣れて、だらだらと過ごせたり、また出不精になってみたりできるんだろう。ルーチンも生まれていくのかもしれない。環境が変わるたびにひどい便秘になったり頭痛を生じたりするくせに、意外と私は習慣を自分の身に寄せることも得意である。
中国福建省に留学したときには、あてがわれた寮の部屋にブーブー文句を言いながらも、最終的には出不精になっていたから、部屋の中の居心地はよかったということだろう。もともと部屋にあった椅子がボロボロで、たった50元ほど(当時約800円)で背もたれのないプラスチック製の屋台用椅子を購入し、それに1年間腰掛けて学習した。
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新居は山の麓にあり、窓を開けるとモワッと森林の匂いがする。私の記憶ではこの匂いは「おばあちゃん家」なのだが、これも、もうまもなくすると私の鼻腔はあたりまえの匂いとして何も感じ取らなくなるのだろう。
三宮駅から新居へ向かうために市バスに乗る。後部の座席に座り、車窓を眺める。途中、何度か同じ系統番号のバスとすれ違う。バスとバスがすれ違うとき、必ず両方のバスの運転手の様子を観察してしまう。那覇市に住んでいる時もよくバスに乗っていて、たまに見かける運転手同士の挨拶を観察することが楽しみだった。同社どうしの運転手は挨拶し合っているが、やはり他社とは挨拶しないようだ。同社どうしでも、仲良しな場合はジェスチャーで互いに笑わせあったりしている���転手もいたし、目を合わさずに会釈するだけのクールな運転手もいた。神戸市バスでは、残念ながらそんな挨拶風景を見ることができなさそうで、残念だ。残念だけれど、もう半年もここに住めば、バスどうしのすれ違いに運転手が挨拶をするかしないかなんて気にすることもなくなって、沖縄で見たような光景はもう記憶から消えてしまうかもしれない。
住んだことのない土地に住むことを決心した時、賃貸の契約書にサインをする時、いつも心の中で「住めば都」と、まじないのように、つぶやいている。また、19世紀末から神戸にはたくさんの中国系移民が定住している。彼らも、「住めば都」と思ったのだろうか。辞書を引くと、中国語表現で「住めば都」は「久居則安」(北京話読み:ジウジューヅーアン)と言うらしい。
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ある日、大阪の職場からほど近い台湾料理店に昼食に行くと、BGMにBEGINのアルバムが流れていた。もう14時頃、私がランチの最後の客だった。静かな店内でBEGINを聴きながら、辛い麻婆豆腐を食べる。涙と鼻水が出てくるほどの辛さなので、白飯で口を休めながらじっくり食べる。店内の静けさから音の細部まで聴き取ることができ、『かぎやで風』をアレンジした曲や民謡をアレンジした曲、様々な沖縄音楽のモチーフが散りばめられている。BEGINって、こんなに面白い音楽アレンジをしていたのか。古来から現在まで脈々と継承された沖縄伝統音楽と、ロックやポップスを見事に混ぜ合わせる。これぞ"沖縄大衆音楽"だったのだと衝撃を受ける。そして、那覇の国際通りで、観光地で、嫌ほど聴いたBEGINの最有名曲『島んちゅぬ宝』がついに流れる。イントロを聴いて「はいはい、日本全国民が沖縄といえば思い浮かべるこのアンセムね」とうんざりするも、他に客がいない店内では、その歌詞がするすると脳内に入ってくる。そして、沖縄を離れてから初めて気づく歌詞の素晴らしさに、心底感動する。今までBEGINを見くびっていてすみませんでした。少し落涙してしまったのだけれど、麻婆豆腐の辛さのおかげで、店員にはバレていなかったと思う。
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久々に台湾人の友人と梅田へ夕食に出かけると、関空から台北への飛行機代がバカ高く、とても帰ろうと思えるような状況ではないらしい。中国人の友達も、春節休みの頃に一度帰郷し、自分が飼っている犬を中国から大阪まで連れてくる予定だったらしいが、コロナのせいで帰郷さえできず、犬も中国で家族に面倒を見てもらうことしかできないとのこと。
すっかり忘れかけていたが、私も、ゴールデンウィークに北京へ渡る予定だったのに、コロナのおかげで中国東方航空の航空券をキャンセルし全額返金してもらっている。少しだけ貯めていた中国東方航空のマイレージサービスからは、先日、マイル残高がいついつまでに失効しますよ、という機械的なお知らせがメールボックスに届いていた。
コロナにびくびくしながら生きるこの期間が長くなるほどに、周囲の人や友人知人に「どこも行けなくて、(山本さんは)辛いんじゃないですか?」と言われることがあるが、実のところ、パッキングという旅行前の一大イベントが大嫌いなので、さほど辛いとは思っていない。あのパッキングという作業だけは、何度やっても慣れることができない。それに、今は距離を置いて中国の音楽状況をネットで俯瞰する方が面白いと思っている。
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家で食事するときに少しずつ、『乐队的夏天』(英名:THE BIG BAND)という中国で大人気のシリーズ番組を見ている。これは、バンドの格付け番組で、しかも、これまではテレビや動画サイトには登場しなかったようなインディーバンドが登場する。番組内では、各出演バンドの裏側にあるストーリーがAmerica's got talentのように感動的ドキュメント映像として放映され、バンドメンバーや関係者のインタビューも取り込んでリズミカルに進んでいく。ステージ上で1バンド1曲演奏し、それを観覧者と、司会者たち、音楽専門家たちが投票により評価する。M-1のようにランキングが決定し、下位の者は淘汰されていく。ときにはバンドのメンバー同士の喧嘩やその後の仲直りの様子が放映されたり、フルタイムの仕事を持っているバンドメンバーが仕事の合間にリハやライブをこなしていく並ならぬ努力の様子に観覧者や司会者が感嘆したり。音楽を聴く上で不必要なバックグラウンドがどんどん公開され言語化される。そして、バンドメンバーらの言動、友や仲間を大事にする姿勢、創作において諦めずに努力する姿勢などが褒め称えられていく。そしてこの番組を見ている私もバンドたちのストーリーを消費しているというわけだ。食事ごとに、もうこれ以上見る必要はないんじゃないかと思うぐらい下世話な番組なのだが、中国のポップ・カルチャー理解と語学習得のための修行と言い聞かせ、嫌々ながらも習慣化させて見ている。コロナを見事封じ込んだとされる中国の首都、北京で収録されているその番組に映る観覧者たちは、マスクこそしているが、ステージ前に密になり、バンドの演奏と一緒に大声で歌い叫び、友達どうし肩を組み、跳ね回る。
*
コロナと生きる社会って、要は、良くも悪くも自分の「慣れ」や「習慣」を増やし妥協していく作業なんじゃないだろうか、と思ったりもする。人と会わないことに慣れてみる。代わりに、人とはメールや手紙を丁寧にやり取りすることを習慣化してみる。海外に行くことを我慢することに慣れてみる。代わりに、身体的に海外に行かなくてもできる、バーチャルな情報収集を習慣づける。もしくは、今まで慣れすぎていたものを見直してみる。今までしょっちゅう聴いて嫌になっていた沖縄の大衆音楽を聴くことは、土井善晴氏が提唱している「基本はご飯とみそ汁で十分」論に近い。みそ汁。こだわらなくても自分の好きな具が一つ入っているだけで、特別なおかずになり、ご飯とみそ汁だけで満足したりする。飽きたと思っていても、実はその中身をまったく見直したことがなかったりする。
けれども、慣れるとまずいことだってある。『乐队的夏天』のようなインディーを謳っていたものが大衆性を帯びるときには、何らかのプロパガンダが含まれていることも怪しんだ方がいいんじゃないか。慣れすぎる前に、頭を冷やさなければいけない。そういえば、最も慣れてはいけないのは、日本政府がコロナ対策として行った愚策の数々である。当時、Go Toキャンペーンのニュースに違和感を抱き呆れた私たちも、結局は今、その言葉が世間に馴染んでしまったことを認めないわけにはいかない。
対して、不必要な慣れを断ち切れたこともある。これまで、音楽関係者の末端のすみっこに自分がいると思い込んでいたから、何かと音楽イベントには足を運ぶようにしていたけれど、コロナでイベントが開催されなくなったことをきっかけに、それをやめた。徐々に音楽イベントは再開しているが、もう付き合いでイベントに足を運ぶようなことはしていない。そうしなくても、自分は自分で音楽イベント以外の他からきちんとインプットできているんだということを知ることができた。家で一人で寝転びながら聴く音楽は楽しい。
コロナを恐れながら生活することにも慣れたし、夏は毎日暑くてもマスクをしたし、外食を減らすことにも慣れた。自分の適応能力をひとつひとつ確かめながら暮らすと、いろんなことができるようになったかのような錯覚に陥るのだが、結局は慣れてしまっただけである。そして自分の生活を全て見直してみると、慣れや習慣からくる行動がほとんどである。見えてしまったものも見えていないふりをし、そのまま慣れておいた方が幸せなことも多い。「住めば都」と念じながら、嫌なことには目を瞑り暮らす。
*
新居からは、約30分歩くと繁華街に到着する。引っ越し前には歩かなかった30分という距離を、今は2日に1回は歩く。引っ越しから1週間も経たないうちに、この距離を歩くことに慣れてしまった。夕方、繁華街に向かおうと歩き始めると、寺の鐘の音が聞こえた。「もう5時か。」それ以外は何も思わなかった。ここに引っ越してきた初日は、夕方5時に寺の鐘の音が聞こえることに感動していたのに、もう慣れて、日常の音になってしまった。
(2020年11月2日)
*
My thoughts on how to get used to living in a new home
I moved houses. Moving is a pretty big decision for most people, but I feel that I do not ask myself enough questions when making that decision. For example, what is the distance between my new home and my place of work? Where should I go to get food and daily necessities in my new neighborhood? Will all the things I had in my old house fit in my new house? What kind of furniture will I need for my new home?
I have been told that I am decisive but I do not have good judgment. This time, too, I decided to move first, and I did it by saying to myself, "Let's go for it. Everything will be alright." I remember that it was like that when I moved to Okinawa as well. I had only decided on the job and I thought whatever would happen would happen anyway. I am sure that I am here today because everything did turn out alright.
The other day, when I went from my new home in Kobe to my workplace in Osaka for the first time, I became worried about the future. Especially when I have a late shift and leave work at around 9pm, it takes me about two hours to get home due to poor train connections. I laughed to myself that this commute was way too long. Now, I am allowed to work from home one day of my three-day work week thanks to the coronavirus, so I just have to accept the long commute thinking that I am taking a short trip twice a week. Even now, when I have finished opening all the cardboard boxes, things in the new house are still overflowing. Living there will become uncomfortable unless I reduce my belongings.
Whenever I move, I realize that my life is mostly a product of random habit. When I move and the layout of the things around me changes, I cannot remember what I usually do when I wake up in the morning and completely forget my daily routine. When I am not sure what to do, I do things that seem the most useful for me anyway, such as opening my work laptop, busily answering emails, adjusting my schedule, etc. When I do that, time passes really quickly. I look at the clock, and suddenly it is 9:25pm. Huh? What did I do at this time of day when I lived in my old home?
Nevertheless, I am sure I will soon get used to this house and I will be able to laze around or become a couch potato again. I may form a new routine. Although I tend to suffer from constipation or headaches every time my environment changes, I am also good at creating habits for myself.
When I studied abroad in Fujian, China, I complained about the dormitory room I was assigned to. However, in the end, I became too lazy to go out, so I must have been comfortable in the room after all. The chair in the room was almost broken, so I bought a plastic stall chair without a backrest for only about 50 yuan (800 yen at the time) and for a year I studied sitting on that chair.
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My new home is at the foot of a mountain, and when I open the windows, I can distinctly smell the forest. In my memory, it smells like "grandma's house," but I will soon think nothing of it as my nostrils become gradually accustomed to it.
I take the city bus from Sannomiya station to my new home. I take a seat at the back of the bus and look out of the window. On the way, my bus passes other buses with the same system number several times. Whenever the buses pass each other, I always observe both drivers. When I lived in Naha, I often rode the bus, and sometimes I witnessed greetings between drivers, which I enjoyed seeing. Drivers of the same company greeted each other, but apparently did not greet the drivers of other companies. Even among drivers of the same company, some made each other laugh with gestures as though they were close friends, and some coolly nodded to each other without exchanging so much as a glance. Unfortunately, I do not think I will see such scenes of greetings on the Kobe City Bus, which is a shame. It is a shame now, but after living here for six months or so, I may no longer care whether drivers greet each other when the buses meet, and the scenes I saw in Okinawa may disappear from my memory.
When I decide to live in a place where I have never lived before, I always think to myself, "Home is where the heart is" as I sign the rental contract. By the way, many Chinese immigrants have settled in Kobe since the end of the 19th century. I wonder if they also thought that "Home is where the heart is." I learned its expression is "久居則安" (pronounced "Jiǔjū zé ān") in Mandarin.
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One day, when I went to a Taiwanese cuisine restaurant for lunch near my office in Osaka, BEGIN's album was playing as background music: the most famous Okinawan pop band in Japan. It was around 2pm, and I was their last lunchtime customer. I ate spicy mapo tofu while listening to BEGIN in the quiet restaurant. The food was so spicy that my eyes got teary and my nose got runny, so I ate slowly while cooling my mouth with white rice. I could hear the music well because the restaurant was so quiet. The album was sprinkled with various motifs from Okinawan music, including an arranged version of "Kagiyade-fu" and Okinawan traditional music. I was shocked to realize that their music arrangement mixes modern and traditional and it presents true Okinawan Pop Music. Then, finally "Shimanchu nu Takara," had been played which is the most famous song of them in whole of Japan. I used to hear it ad nauseam in Kokusai-dori and other tourist spots in Okinawa. When I heard the intro, I felt annoyed, thinking, "Ah, this anthem again, too much" but the lyrics naturally entered my mind in the empty restaurant. I was deeply moved by the beauty of the lyrics, which I noticed for the first time after leaving Okinawa. I felt bad for underestimating BEGIN until then. I shed a couple of tears, but I think the restaurant staff did not notice—it could very well have been caused by the very spicy mapo tofu.
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I went to Umeda with my Taiwanese friend for dinner for the first time after a long while. According to her, the cost of flying from Kansai Airport to Taipei was so high that she could not even consider returning. A Chinese friend of mine also planned to return home during the Chinese New Year holidays to bring her dog from China to Osaka. However, because of the coronavirus pandemic, he could not go to China at all and had to ask his family to look after his dog.
Although I have almost forgotten about it now, I was also planning to go to Beijing during the Golden Week, but because of the pandemic, I canceled my flight with China Eastern Airlines and got a full refund. I have saved a modest amount of mileage points for China Eastern Airlines, but they sent me a machine-generated email the other day to notify me that my mileage balance would expire on so and so date.
The longer this time of living in fear of the coronavirus continues, the more people around me ask me, "Isn't it difficult for you not to go anywhere?". Actually, I do not mind so much, because I hate the big hassle of packing my suitcase before going on a trip. No matter how many times I pack my luggage, I never get used to it. Besides, I find it more interesting to take an overview of the music situation in China from a distance on the Internet.
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When I eat at home, I watch bits of a TV show called "The Big Band" which is very popular in China. It is a TV program where people rate music bands. It invites indie bands that have not appeared on TV or video sites before. In the program, the story behind each band is aired as a moving documentary similar to those in America's Got Talent, and the program rhythmically develops including interviews with band members and their colleagues. Each band plays one song on stage, and the viewers, MCs, and music experts evaluate the bands by voting. The ranking is decided like M-1 which is the most popular annual Manzai gran-prix in Japan, and those in the lower ranks are eliminated. Occasionally, the program shows scenes of fights between band members and their subsequent reconciliations, and the viewers and MCs express their admiration as they see the extraordinary efforts of band members who have full-time jobs to carry out rehearsals and live performances in their spare time. The program reveals and narrates a great deal of background on the bands, which is not really necessary for listening to the music itself. Thus, people admire the words and actions of the band members, their attitude of respecting friends and colleagues, and their efforts to create music without giving up. In the end, I also consume the stories of these bands as I watch the show. It is such a vulgar program that, at each mealtime, I feel that I should not watch it anymore. Even still, I am reluctantly making it into a habit to better understand Chinese pop culture and learn the language. The show is recorded in Beijing, the capital of China, which is said to have brilliantly contained the coronavirus. The studio audience flock together in front of the stage—albeit wearing masks—and shout, jump, and loudly sing along with the bands, with their arms around each other’s shoulders.
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I sometimes think that living in a society that coexists with the coronavirus means, for better or for worse, to make compromises by creating one's familiarity and habits. I try to get used to not meeting people. Instead, I try to get into the habit of exchanging thoughtful emails and letters with them. I try to get used to a situation where I cannot take trips overseas. Instead, I try to get into the habit of collecting virtual information, which I can do without having to physically go abroad. Or, I try to re-evaluate the things I have become too familiar with. My experience of listening to Okinawan popular music, which I had become sick of hearing in the past, is somewhat similar to the stance, "rice and miso soup are good enough as a basic" advocated by cooking expert Doi Yoshiharu. Ah, miso soup. I can turn miso soup into a special side dish without making a fuss by simply adding one of my favorite ingredients, and I can be satisfied with just rice and miso soup. Even if I get tired of something, I may just have to re-evaluate its contents.
However, there are things that we should not get used to. When a TV program that praises indie bands like The Big Band becomes popular, we should suspect that it also contains some kind of propaganda. We have to cool our heads before becoming too engrossed in it. By the way, one thing we should definitely not get used is the number of ridiculous policies introduced by the Japanese government as measures against the coronavirus. Still, I have to admit that Japanese people have got used to the Go To Travel campaign in the end, even though we found the phrase silly and strange at first.
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Conversely, I have been able to put an end to some unnecessary habits. In the past, I assumed that I was somewhere at the bottom of the music industry, so I tried to go to music events as much as possible, but the coronavirus has helped me quit the habit as those events have been canceled due to the pandemic. They are gradually returning, but I no longer go to music events to tag along with my friends. I have realized that I can still get the input I need from other sources without going to music events. I enjoy listening to music while lying down alone at home.
I have got used to living in fear of the coronavirus. I wore a mask even when it was hot every day in the summer, and I got used to eating out less. As I live my life while testing my adaptability again and again, I get the illusion that I can now do all sorts of things. However, I have simply grown accustomed to doing these things. When I re-evaluate all aspects of my life, most of my behaviors are the product of habit. It is often the case that you can live more happily if you simply let yourself get used to your situation and pretend not to see things even when you do. I shut my eyes to unpleasant things while saying to myself, "Home is where the heart is."
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My new home is about a 30-minute walk from the downtown area. I hardly ever walked for 30 minutes before, but I walk that distance twice a day now. Less than a week after I moved here, I got used to walking that distance. In the evenings, as I started walking toward the downtown, I heard the sound of the temple bells. I simply thought, "It's already 5 o'clock." On the first day I moved here, I was impressed to hear the sound of the temple bells at 5pm, but by now, it has become a daily occurrence and I have got used to it.
November 2nd, 2020
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山本佳奈子 / KANAKO YAMAMOTO
ライター。アジア(特に中国語圏)のメインストリームではない音楽や、社会と強く関わりをもつ表現活動に焦点をあて、ウェブzine「Offshore」にてインタビューやコラム記事を執筆。不定期に発行している紙のzineではエッセイを書く。尼崎市出身。2015年から2017年まで那覇に暮らし、2017年から2018年までの一年間は中国福建省福州市にて語学留学。その後、那覇で一年、大阪市此花区で一年暮らし、現在は神戸市在住
Writer. She writes interviews and column articles on the web magazine "Offshore," focusing on non-mainstream music in Asia (especially Chinese-speaking countries) and expressive activities which are strongly related to social issues. She writes essays for the print version of the magazine, which is published irregularly. Born in Amagasaki, she lived in Naha from 2015 to 2017 and studied Chinese in Fuzhou City, Fujian Province, China for a year from 2017 to 2018. Later, she lived in Naha, Okinawa, and Konohana-ku, Osaka for a year each, and now lives in Kobe. https://offshore-mcc.net
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