#art by 漠子白荒
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syyseff · 4 months ago
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A really cute animation meme based on the song "My Bread was Burnt to a Crisp" featuring Sonic and Shadow as slugcats from Rain World. The creator of the video posted this cool Shadow slugcat art in the comments too!
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If you have trouble opening the link, you can search the creator's name 漠咂是黑白恐怖蛞蝓猫 on Bilibili to find the video.
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soku812 · 2 years ago
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Art and Fashion Photography: A Japanese Renaissance Hayashi Fumihiro   今の日本に、本当の意味でのファッション・フォトグラファーは、僅かな例外を除いて存在しない。広告写真の影響力が強い日本の写真界では、広告、芸能といった商業写真での成功が、ほとんどの写真家の目標であるといっていい。ファッション写真は、広告カメラマンになるためのプレゼンテーションに過ぎない場合が多く、ファッション写真だけを撮り続ける写真家は皆無といっていい。さらに、欧米の文化、セレブレティーに対してコンプレックスの根強い日本のファッション写真界は、海外でこれほどまでに日本文化が注目されているにも関わらず、欧米の有名写真家の表層的な模倣に執着する。そのことは、東京の街に氾濫するファッション企業のビルボードや広告ポスターを見れば一目瞭然だ。日本人の白人コンプレックスは根深い。また、最近のファッション誌は、ユニークな才能を持つ新人のファッション・フォトグラファーの作品よりも、素人の芸能人、スタイリスト等の知名度のほうに価値を感じるようである。大多数の日本の雑誌のファッション・ページは、美意識やクオリティーに対する判断力を利益至上主義で失ってしまい、さもしいカタログ的な自己顕示欲の坩堝と化してしまった。   ただ、これは90年代後半、バブル経済崩壊から続いた経済的不況に影響された、日本の“失われた10年間(ジャパニーズ・ロスト・ジェネレーション)”時代の話である。この10年間で、日本人の美意識、倫理観、価値観は、大きく変化、堕落し、虚無主義と拝金主義が世の中全体を覆っていった。そして、壊滅的なモラルの崩壊、無秩序な混沌が極まった今やっと、日本文化は、ルネッサンス的な新しい変革の時代を迎えようとしている。その最も大きな流れは、まず白人コンプレックスからの脱却から始まった。子供たちを熱狂させるマンガ、アニメーション、コンピューター・ゲームなどのオタクカルチャー、健康志向からの日本食や禅、高性能のハイテクノロジー、海外の人々が伝統文化のみならず、日本の現代文化に大きく影響を受ける現状を実際に感じた、欧米(特にヨーロッパ)で教育を受けたクリエイター達の帰国は、その変革の重要なきっかけとなった。彼らは、海外の地において、��オリジナリティーとは何であるか”という事を徹底的に教え込まれる。そのことは、自分は日本人であるという事を強烈に再認識させることになる。欧米文化への憧れ、模倣ではなく、欧米文化との違いが創造の源であることに気づくのである。彼らが、影響を与える時代、ポスト・ロストジェネレーションが始まったのである。今考えれば、“失われた10年間”は、DJ的なサンプリング・カルチャーとアメリカ的な大量消費文化に、日本のファッション界が大きな影響を受けた時代であったと言えるのではないか。サンプリング、コラボレーションという心地よい英語のフレーズによって、模倣に何の疑問を持たなくなった日本のファッション界は、オリジナリティーを片隅に追いやり、業界自体を異形で未熟な物質主義に変容させてしまった。   このような、現在の日本のファッション写真界を取り巻く状況を理解した上で、読んでもらいたい。   日本のファッション写真の大きな転機は、やはり90年代であった。そして、この90年代の東京のイメージを決定付け、その後の日本の写真界全体に、最も影響を与えたのがホンマタカシであろう。日本人独自のロリータ趣味を全面に押し出した現実感溢れるポートレイト風のファッション写真は、アートとファッション写真、ドキュメンタリーとファッション写真の融合であり、彼の写真から強烈に感じられるニヒリズムは、近未来の日本への警鐘のようであった。無機質に殺菌されたシステムの中で、自らのアイデンティティーを見失い、凶暴なグローヴァリズムに翻弄される日本への、誰しもが持つ漠然とした不安、終末の予感。ホンマタカシの写真は、ジャンルを超えて多くの人々に支持され、多くのフォロワーを生み出す。今や日本を代表する作家となった、ヒロミックス、佐内正史、本城直季らは、多かれ少なかれホンマタカシが切り開いたスタイルの延長上に独自の世界観を築き上げたといっていい。そして、彼の広告、アート、ファッション、ヌード、グラビア、建築、編集、映画等のあらゆる分野へボーダレスな進出は、良しにつけ、悪しきにつけ多くのカメラマンの指針となったのである。   もう一つ、90年代の日本のファッション写真に大きな影響を与えたファッション誌が、パリで出版されるPURPLE誌である。アートとファッションの融合をテーマに、一貫したインディーズ・スタイルで数多くの新しい才能を世に送り出してきたこの雑誌は、日本のカルチャー、サブカルチャーにも早い段階から興味を示している。そのため、��本人アーティストも多く参加しているが、その中でも別格なのが、このPURPLE誌で創刊以来、ファッション写真をとり続けている鈴木親であろう。鈴木親は、今の日本では数少ない純粋な意味でのファッション・フォトグラファーであり、世界に通用するオリジナリティーを持ち合わせている。彼のファッション写真は、マルタン・マルジェラに代表されるアントワープ系の内向的なデカダンスの影響を色濃く受けながらも、日本の伝統的な文化の品と静謐さを感じさせる。そこには日本人しか表現する事の出来��い情緒がある。彼は、ファッション写真家であることにこだわり、ファッション写真と作品以外は、ほとんど撮影しない。商業主義一辺倒の今、鈴木親の隠者のような撮影のスタイルは、彼のオリジナリティーを磨き上げた。その独特の色彩と間を感じさせる作風は、世界に影響を与えるファッション写真家になることを予感させるに十分である。   ただ、このような日本のファッション写真界の曖昧なあり方は、決して悪い事ばかりでもない。その、通過儀礼的なポジションから、様々な分野の写真家がファッション写真を撮るために非常に多様性のあるものになっている。例えば、アフリカ、中東、東南アジア、南米等の“滅びゆく少数民族”のポートレイトの作品で、ファビアン・バロンに絶賛され、写真集“TRIBE”を出版した小林 響は、欧米のファッション界では、90年代最も評価された日本人写真家であろう。荒木経惟、植田正治、ヒロミックス、新津保建秀、富永民生、久家靖秀、佐内正史、石坂直樹、ザ・グレート・ザ・歌舞伎町、平野太呂、本城直季、米原康正、井賀孝といったアート、グラビア、広告、ルポルタージュ、スポーツ等のジャンルで活躍するファッション写真家以外のファッション写真をこれほどまで沢山見る事のできるのは日本だけだろう。そして、ファッション写真を変革するのは、実は、他のジャンルから来た異端者の価値観である。マーティン・ムンカッチは、スポーツカメラマン。アーヴィング・ペンは、画家。ヘルムート・ニュートンは、報道カメラマン。スティーヴン・マイゼルは、ヘア&メイク。マリオ・ソレンティは、モデルであった。そう考えると日本のファッション写真界は、可能性に満ち溢れている。止まれる者の出現。。日本人としてのオリジナリティーを追求して、美意識と技術を極めた上で、ファッションという世界に魅せられ、美の本質を探究したい写真家が現れたときに、きっと日本のファッション写真界はドラマティックに変わるはずである。サンプリングの達人から、オリジナリティーへ、欧米コンプレックスからジャパニーズ・ルネッサンスへの意識の変化。それが、近い将来であることだけは間違いない。
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kobayashimasahide · 4 years ago
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あけましておめでとうございます
              令和三年元旦
牛の仮面   2005年5月7日  88 (h.) × 37 (w.) × 25 (d.) cm  2.8 kg    ・オートバイの二人乗り用掴みベルト付き座席    (合成皮革/スポンジ状ポリウレタン/プラスチック/鉄)  ・オートバイのブレーキ/クラッチ・レバー (アルミ)  ・  〃     バック・ミラー (鏡/鉄/プラスチック)  ・  〃     後輪泥除け (プラスチック)  ・ボルト・ナット等 (鉄)
Happy New Year !     January 1, 2021
Cow Mask  5/7/2005   88 (h.) × 37 (w.) × 25 (d.) cm  2.8 kg ・Tandem Seat with Grip Belt of Motorcycle   (Synthetic Leather, Polyurethane Foam, Plastics, Iron) ・Brake/Clutch Lever of Motorcycle (Aluminum) ・Rearview Mirror of Motorcycle (Mirror, Iron, Plastics) ・Rea Fender of Motorcycle (Plastics) ・Bolt and Nut etc. (Iron)
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 1943年の早春のある日のこと、ピカソはドイツ軍占領下のパリの街を歩いて家に帰る途中、道端にゴチャ混ぜになって積み上げられていた廃品の山の中に、錆びた自転車のハンドルと、その直ぐ横に転がる革のサドルを見つけました。その瞬間、その二つは電光のように閃いて頭の中で組み合わさり、それを家に持ち帰って接合し (後にそれを型取り・ブロンズ鋳造する)、この彫刻史に燦然と輝く––––錆びてますが (笑) ––––<牡牛の頭部>(1) を造ったのでした。
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(1)-1  ピカソ <牡牛の頭部> 1943
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(1)-2  自転車のハンドル (金属) とサドル (革) 正面下から見上げた
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(1)-3  ブロンズ鋳造
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(1)-4  少し左から見上げた 
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(1)-5  少し右から
 これこそが、私がこれまでに何度か述��てきた (2)「チャンス・イメージ」––––この場合はサドルが牛の顔に/ハンドルが角に似ているという「私たちの記憶像 (この場合は牛の) を喚起する偶然の類似形」––––と、その記憶像を、今度は逆にその類似形の上に脳内で重ね合わせる「プロジェクション (投映)」とが、一瞬で双方向に交差した典型的な例なのです。  これは、視覚/認知心理学や脳科学の分野では––––「シミュラクラ (あるものが顔に見える) ⊂ パレイドリア (あるものが何かに見える)」––––と称ばれている現象です。  そして、こうした視覚心理現象に基づく造形手法が––––「レディ・メイド (既成の物) 」としての「ファウンド・オブジェクト (今まで気にも留めなかった物が新たに見直される、そのようにして改めて見出された/発見された物体) 」の「アッサンブラージュ (寄せ集め/組み合わせ)」––––で、ピカソのこの<牡牛の頭部>は、まさにその栄えある先駆/嚆矢/原点でもあります。
 尤も、この視覚心理現象+造形手法と牛との最初の出会いは、実はピカソの遥か以前の1万8千〜1万年前に、既に始まっていたのでした。しかもその場所は、ピカソの故国スペインの––––それも彼が10歳から14歳まで暮らしたスペイン北部の町ラ・コルーニャのあるガリシア州から東に二つ隣のカンタブリア州の––––アルタミラ洞窟なのです。  「徐々に土中に向かって傾斜している」この洞窟の「すべての劇的なアクセントはただ一カ所––––大きな部屋の天井––––に集中されてい」て、「この天井の高さは…約2m から1m まで…奥にゆくにつれて徐々に低くなっている」とギーディオン(3) が書くその部屋を、ヒキ (引き) で撮った写真が (4)-1 で、ヨリ (寄り) で天井を撮った写真が (4)-2 です。
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(4)-1  アルタミラ洞窟 大きな部屋 全景 (白黒)
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(4)-2  大きな部屋 天井部分 (白黒)
 最初に敢えて古い横からの照明の白黒写真をお示ししたのは、私たちがそれを見る限りは只のデコボコと波打つ天井にしか見えないからです。しかし、これを旧石器時代末期のマドレーヌ人が見た時––––私たちには見えないのだけれど、彼らが常日ごろ見慣れ、或いは見たいと切望していた (からこそ見ることのできた)––––体を丸めて地面に横たわり出産しようとしている (食料とその安定供給をもたらす) 無数の雌の野牛の群れを見出したのです。  そして、その岩のレリーフ (浮き彫り) 状に膨らんだ凸塊に、鉄錆=酸化鉄系の赤い土 (性顔料) を塗ったり吹き付けたりして白っぽい素地から形を浮かび上がらせ、更に、形の内外を画す輪郭と、欠けていて足りない尻尾や角や背中のタテガミを形の外側に、また、折り曲げた前・後脚を形の内側に、いずれも黒い炭などの顔料で描き足して全体を完成させたのです (4)-3, 4, 5 。
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(4)-3  大きな部屋 天井部分 (カラー)
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(4)-4  上の (4)-3 の上中央の野牛 正面正対 (白黒)
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(4)-5  上の (4)-4 の野牛とその周辺 (カラー)
 ギーディオンは、こうした表現––––つまり「チャンス・イメージ ⇄ プロジェクション」/「シミュラクラ ⊂ パレイドリア」/「レディメイドとしてのファウンド・オブジェクトのアッサンブラージュ」––––を、彼の言い方で次のように記しています。    「実在する自然石の形をそのまま用い…, 岩の自然の形状のうちに潜在している動物…を識別する…循環現象により…作られ… (中略) …, 自然…すなわち岩盤の線と輪郭に従うことによって, 発生したのである.」(pp.371-372)  「マドレーヌ人の目には, 岩の表面が内面に動物の形を含んでいるようにみえ…またそういうことに…かれらはいつも気を配っていた.」(p.394)  「この動物の姿勢全体は岩の形によって決められた. …天井の表面の凹凸がこのような姿を暗示させたのである….」(p.427)  「横たわるビゾン  この身体をまるめた…ビゾンは倒れているのではなく, たぶん分娩しているのであろう…. この姿は完全に隆起した岩の形によってきめられている. 露出した岩石にたまたま眠っている生命を認め, それに���式をあたえる…マドレーヌの美術家たちの力のあらわれがある. われわれの目には, 色彩のない突起はたんに無定形の岩のこぶにすぎない. しかしマドレーヌ人はそれらをまったく違った感覚でうけとめた. …かれらは自然に存在している形に想像的に接近し…たのである.」(pp.427-428)  「岩の中にすでに存在した姿が…空想を産んだのである.」(p.489)
 このマドレーヌ期から1〜2万年後に形を変えて繰り返されたピカソと牛 との出会いは、子どもの頃に父に連れられて見に行き、すっかり魅せられて虜になってしまった闘牛 (コリーダ) から始まります。須藤哲生は『ピカソと闘牛』の中で次のように書いています。  「ピカソの芸術は闘牛とともにはじまった。現在までに確認されている最も初期の作品は、油彩にせよ、素描にせよ、コリーダを主題としている。……デッサン第一号も…『コリーダと六羽の鳩の習作』…で…、これをピカソの最も古い作品という説もあり、…十歳前後のデッサンであろう。……一枚の画用紙を天地に使って闘牛のシーンと鳩を描いたもので、……きわめて象徴的な意味合いを帯びている。闘牛と鳩。血なまぐさい闘技と平和のシンボル。まさに天と地の違いの、この二つのおよそ対蹠的なテーマは、ともに終生ピカソの芸術を貫いた主題であった。」(5)
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(6)  ピカソ <闘牛と鳩> 紙に鉛筆 1890 
 実際、この<コリーダと六羽の鳩の習作>(6) 以降、この牛は、ある時は牛頭人身の<ミノタウロス>(1933~)(7) となり、またある時
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(7)  ピカソ <ミノタウロス> 1933
はファシズムと母国スペインという相反両義の象徴となって<ゲルニカ>(1937)(8) の死児を抱いて泣き叫ぶ母の背後に佇み、また、ド
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(8) ピカソ <ゲルニカ> 1937
イツ占領下のパリではナチスの鍵十字ともキリストの十字架とも取れる両義的な窓枠の前に置かれた頭蓋骨––––<雄牛の頭蓋骨のある静物>(1942)(9) ––––となり、そして、この翌年の<牡牛の頭部>(1943) へと変身し続けて行くのです。
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(9)  ピカソ <雄牛の頭蓋骨のある静物> 1942
 私は拙作の題名を「頭部」ではなく顔面としての「仮面」にしましたが、ピカソの<牡牛の頭部>も––––特に型押し成形の革のサドル(10) の凸面は––––仮面的であり、彼が若き日のキュビスム時代に多大な示唆を得たアフリカの仮面彫刻を彷彿とさせます。このキュビスム/仮面性は、例えば戦後すぐに制作したリトグラフの連作––––モンドリアンの樹木を抽象化して行く過程を辿る連作にも似た––––<雄牛 I~XI>(1945~46)(11-1) の内の VI (11-2), VII, X にも窺えます。
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(11-1) ピカソ <雄牛 I~XI>(1945~46) リトグラフ
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(11-2) ピカソ <雄牛 VI> 12/26/1945  リトグラフ
 かくいう拙作も、当然ながらアフリカの仮面を意識的/無意識的に思い浮かべて––––尤も、牛とは限定せずに漠然と動物らしきものをイメージして––––造ったものですが、改めてウェブ上で拙作に似た––––細面の「馬面」で、真っ直ぐな角の––––牛の仮面を探してみると、牛は牛でも野牛/水牛 (Buffalo / Bush Cow) の仮面とされる (しかし実際の野牛/水牛とは一寸違うように見える) 幾つかの仮面の中に、似ているもの (12)-1, -2 がありました。
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(12)-1  野牛のマスク (マリ共和国-ソニンケ文化)
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(12)-2   水牛の仮面 (カメルーン共和国-バミレケ/バムン文化)
 なお、この未発表の旧作には「サトコ」(聡子)という名前が付いています。彼女は私が卒業研究 (作品制作) を指導した学生の一人で、このバイク・シートは、彼女が素材として集めたものですが、「これ、横のベルトの留め金具が目みたいで、動物の顔に見えるなぁ」と呟いた私に、卒業する時、「先生、どうぞ」と言って置き土産にしていったものです (彼女は卒業後、家具職人の修行をしにドイツに渡りました)。  当時、大学の直ぐ南隣の丘の斜面に、若者たちがやっているバイクの解体作業場があって、ジャンク・ヤードさながらに部品やら何やらが散乱していて、私のようなジャンク・アーティストにとっては、そこは宝の山でした。この仮面の耳と角 (ツノ) に見立てたバック・ミラーとブレーキ/クラッチ・レバーは、そこで見つけた物 (字義通りのファウンド・オブジェクト) です。  仮面と言っても、これは顔面に装着するコンセプトではない (そもそも重くて無理な) のですが、最後に、楽屋裏をお見せすると (下の写真) ––––色や形が肉を削いだ牛骨のようで、一寸グロいので御注意下さい!––––ご覧の通り、この耳も角も、極く普通の金具を使って、極く荒/粗っぽい、単純な取り付け方をしております。
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[註]
(1)-1   via [https://www.slideshare.net/nichsara/sculpture-upload––No.22]。 (1)-2   via [https://www.pablopicasso.org/bull-head.jsp]。アトリエ��訪れた写真家のブラッサイに、作品の制作過程を語ったピカソの言葉が、末尾に引用されています。  なお、この作品の制作年に関しては、ニューヨーク近代美術館–ウィリアム・ルービン編集、日本語版監修-山田智三郎・瀬木慎一『パブロ・ピカソ–––天才の生涯と芸術』(旺文社, 1981, pp.351-352) のジェーン・フリューゲルによる年譜に従いました。 (1)-3   via [https://www.moma.org/audio/playlist/19/412]。鼻梁に沿って空いているはずの二つの鋲穴が塞がっているので、ブロンズ鋳造と分かります。 (1)-4   via [lezards-plastiques.blogspot.com/2010/09/sixieme-personnages-et-animaux-de-bric.html]。 (1)-5   via [sakainaoki.blogspot.com/2014/02/1942.html]。 (2)    例えば [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/189982445375/happy-new-year-january-1-2020-clockey] の [註]。 (3)    S. ギーディオン著、江上波夫・木村重信訳『永遠の現在–––美術の起源』(東京大学出版会, 1968, p.420)。 (4)-1    via [https://fascinatingspain.com/place-to-visit/what-to-see-in-cantabria/altamira-caves/#1505145409627-b0f76054-69219231-ea60]。 (4)-2   ギーディオン、前掲書 p.423-pl.「280. アルタミーラ 嶮しく傾斜する天井. 前面に多彩のビゾンが岩の隆起の上に描かれている.」の複写。 (4)-3    via [http://www.tsimpkins.com/2017/10/echoes-of-atlantis-by-david-s-brody.html]。  (4)-4   ギーディオン、前掲書 p266-Color pl. XIV. の白黒複写。 (4)-5    via [https://100swallows.wordpress.com/2008/10/11/art-in-the-great-altamira-cave/]。 (5)    須藤哲生『ピカソと闘牛』(水声社, 2004, pp.26~29)。因みに、平和の鳩に関しては、拙稿 [https://kobayashimasahide.tumblr.com/post/155212719705/happy-new-year-2017-dove-of-peace-masahide] で、作品の画像を一つ引用しています。 (6)     via [https://www.pablo-ruiz-picasso.net/work-3936.php]。 (7)     via [https://www.pablo-ruiz-picasso.net/work-1088.php]。この頭部は、次の (8) の戦時中の頭蓋骨を予感させます。  ところで、この牛頭人身のミノタウロス (Minotauros) とは、クレタ島の王ミノス (Minos) の妃が牡牛 (taur) と交わって生んだ息子ゆえに付けられた名前ですが、ミノス王自身もまた、ヨーロッパの語源となったフェニキアの王女エウロペが牡牛に変身したゼウス神と交わって生んだ半神半人の息子です。そのクレタのクノッソス宮殿には、突進してくる牛の二本の角を掴み、牛の背中の上で前方宙返りをし、牛の背後に着地する一種の闘牛的「牡牛跳びの儀式/競技 」を描いた壁画が残されています。ことほどさように、東地中海地域では、牛と人間との間には古く (ギリシャ以前のミノア文明の時代) から、深い関係がありました。
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<牡牛跳びの儀式/競技 > クレタ  クノッソス宮殿壁画   via [http://arthistoryresources.net/greek-art-archaeology-2016/minoan-bull-jumping.html]
 ピカソはスペインで生まれてフランスで暮らしましたが、先の (3)〜(4) のアルタミラのあるカンタブリア州から更に東に進むと、フランスとの国境を成すピレネー山脈があり、その北側から南フランスへと流れ出すガロンヌ川の源流域にも、沢山の旧石器時代壁画を有する洞窟群が展開しています (この西仏双方を合わせて「フランコ・カンタブリア地方/美術」と呼んでいます)。そのガロンヌ川源流域のレ・トゥロワ・フレール洞窟に、1m と隔てぬ近い距離で、このミノタウロスを思わせる二体の牛頭人身像––––「楽器を奏でるビゾン人間」と「人間の膝…ふくらはぎ…勃起し…た男根……���もつ野牛的動物」(前掲 (3) のギーディオン pp.499-507)––––が描かれているのです。
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<楽器を奏でるビゾン人間> ブルイユによるレ・トゥロワ・フレール洞窟壁画のトレース画 via [https://www.larevuedesressources.org/les-reponses-erotiques-de-l-art-prehistorique-un-eclairage-bataillien,605.html]
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<人間の下半身を持つ野牛的動物> ブルイユによるレ・トゥロワ・フレール洞窟壁画のトレース画   via [http://reportages.saint-pompon.com/reportages2/04e7589d8909f0601.php]
 このように、フランスと東地中海も含む南ヨーロッパ美術史における牛と人間との関係は、旧石器時代の昔から今日まで極めて深いものがあり、牛をモチーフやテーマにしたピカソも、単にその一例に過ぎないと言えるのかもしれません。  (8)     via [https://www.pablo-ruiz-picasso.net/work-170.php]。 (9)     via [https://www.pablo-ruiz-picasso.net/work-195.php]。 (10)   私もピカソへのオマージュとして、自転車のサドル (但し革ではなくプレス成形鉄板) を顔/頭にした (牛ではなくて) アルマジロを造っています ([http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/1916/1/Vol63p77.pdf -pp.94-95])。 (11)-1  via [https://pintura1krasmanski.blogspot.com/p/material-de-consulta.html?m=1––pl.2]。 (11)-2  via [https://artyfactory.com/art_appreciation/animals_in_art/pablo_picasso.htm––pl.6]。 (12)-1  via [https://www.azalai-japon.com/bois/masque/2298-08.html]。 (12)-2  via [https://www.auctionzip.com/auction-lot/Bamileke-Bamun-Bush-Cow-Mask-Cameroon-Grasslands_4A54B5983D]。
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iseilio-blog · 2 years ago
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02/23  柴寮偶記
新聞挖挖哇:老人與錢20190411(詹惠珠、戴志揚、翁燦燿、鄭嘉欣、周映君) - YouTube 這樣說很容易誤導;正確的作法是自己要留存足夠的金額。 ── 護理師拉童害手脫臼 桃市教育局重罰幼園3萬提報不適任 - 生活 - 自由時報電子報 (ltn.com.tw) 時有發生,非常可惡! ── 日台美食おすすめ | Facebook 日本的蚵仔好像都很大-太大。 ── 消化一下:台湾“自由凤梨”,请岛内同��先消化一下 - YouTube 一年前的東西,現在應該要刪除,否則成了大笑話。 ── 【古樂系列】唱吧!巴洛克美聲!花絮影片 - YouTube 這樣的小型音樂會應該更多的散布在台灣的各個角落;多團體而長期的舉辦,將給台灣的文化,甚至及於政治 帶來很大,並且全面的提升。 ── 得寸進尺!共機侵門踏戶擾我空域還驅離我國軍機 曝中國4軍艦突闖美日南海演習為...│廖筱君主持│【新台灣加油 完整版】20211101│三立新聞台 - YouTube • 打兩顆 50機槍子彈貫穿機腹示警;依階段升級。• 誰在乎就誰ㄍ有壓力。 ── 在大陸沒經歷過 所以才好奇嘛!大陸爸媽初來台灣時竟對這些事有興趣?孫明寺說:因為之前沒經歷過呀!【圓臉麥麥】 - YouTube 漂亮的女生都被台灣人娶回家了。 ── 為什麼不要嫁給台灣男生!🔥23歲從日本嫁到台灣太衝動。。?|【Ma上聊聊】|【我是Mana】 - YouTube 千般的好,其實心機深沉另有所圖,所以成了人家的老婆不是嗎?唉! ── BBC節目重溫【英國廣播公司全球問答在台灣】CC字幕《特別企劃》 #9 |BBC GLOBAL QUESTIONS IN TAIWAN - Program Replay - YouTube 台灣人、新加坡人,包括所有在海外的 “華僑”,羅致政、黃介正、吾爾開希都是 “逃離中國”。 傳統、文化,是時時在轉變的,這還不去說 中國 是一個七十年以上歷史的共產政權。 ── 精彩片段》沈明室:台海發生衝突從日本到台灣只需要2天...【年代向錢看】2023.02.10 - YouTube 老是談怎麼防衛,就不敢去想戰場在中國;他可以打你,你不可以打他,這是那門子戰略?如果只有一個台灣倒也罷了,現在連美日,甚至歐洲都可能參戰,就只為一個台灣?放心,不會打。中國只可能知難而退吧。中國不打也一樣要打,否則後患無窮。完整封鎖,開除球籍,其實也就完事了。沒事沒事! ── 【台灣��歌秀】完整公版 第9集│邱蘭芬 x 洪第七 x 金門王+李炳輝│八大節目《經典好節目》 - YouTube The house of rising song 大節女 ── 【震傳媒|新聞不芹菜】EP313|獨家專訪陳水扁前總統,解析新政治、新變局 - YouTube 認同阿扁的說法。 ── 【完整版】吃牛肉聊鮮肉 名作家顛覆三觀 20220502【李昂、廖輝英】 - YouTube “性” 是雌雄的天賦關係;陪伴是退而求次,男陪男、女陪女,是不得已的終局。愛的種類太多;甜蜜來自性,這是夫婦之所以為夫婦的重要羈絆。大河人生;請多多服用威而鋼! ── Facebook 撤出兵員,漸次切斷台金關係。 ── 變調的中國夢?|#謝金河 #矢板明夫 #汪浩|@華視三國演議|20230211 - YouTube 中國應該永遠由中國共產黨統治。 ── 老夫老妻別期待激情,以免誤了人生 - 鄧惠文 自講 -【心事有人知】 - YouTube 可以有的,阿惠。“性” 是生物雌雄的天賦關係;陪伴是退而求次,同性陪伴,是不得已的終局。愛的種類太多;激情來自性,這是夫婦不同於其他關係的重要羈絆。就是說-失去熱情是人生現實,心理活化不易,激情卻可以從激化而重生;這就是物理治療。很大的問題倒還不是失去熱情,而是對互動已經不習慣,冷漠,甚至噁心。大河人生,請多多使用潤滑油、威而鋼! ── 假弔唁真統促?中共涉統高官不請自來 不惜造假身分來台啟人疑竇 國台辦批粗暴擋弔唁團 踢爆中方自導自演喊停 藍白竟聲援膛炸?│許貴雅主持│【新台灣加油 完整版】20230213│三立新聞台 - YouTube • 中國官員的面貌實在看不出文明、文化,甚至醜陋,原因不明。•hm,也可能是五千年太久。•內含有異,越趨細小。 ── (2) 20190112 宛儒畫廊慈善音樂會 An Evening of Music, Art and Charity - YouTube 有這麼多藝文活動、觀眾及人物,台灣人真幸福。 ── 親密關係恐懼 - 鄧惠文 自講 -【心事有人知】 - YouTube 1.需有一方先開口。2.去麗晶 Robin's 吃牛排,3.北投住旅店,洗溫泉(帶內用潤滑劑)。4.上愛情旅店。5.出國旅遊。豐儉由人;是一個療程,無關情愛。 ── 公開��願資料 陳明通:不能讓林智堅含冤莫白 - 政治 - 自由時報電子報 (ltn.com.tw) 一定要消滅國民黨,否則台灣永無寧日。 ── 台灣人的"黑歷史"!?聽完這集內心感到相當的沉重【蔡正元|有哏來爆】2022.04.27 - YouTube 喜歡日本的不止台灣人。 ── 台灣人的"黑歷史"!?聽完這集內心感到相當的沉重【蔡正元|有哏來爆】2022.04.27 - YouTube 喜歡日本的不止台灣人。殖民本質有什麼好談的?要不要談談 228?肝腸塗地、血流成河的天安門事件?這也沒什麼好談的。台灣人能夠脫離中國的愚昧,託的就是日本的殖民教育;這和香港、新加坡、印度、北美洲、南美洲都沒有什麼兩樣。因為那就是之一個殖民時代。洋人來台?那是大帆船時代。這些都已經是歷史!台灣人喜歡日本不止老人,現在年輕人更是喜歡:動畫、漫畫、產品精緻、街道乾淨、人民素質高。仔細看一下,戰後新創產品,大多數是日本。中國書讀傻掉了嗎?連韓國人都不如。赴日旅遊,韓國人佔第一位,台灣人第二。很幹吧?失去政治舞台的蔡正元。科科 ── 美方的话茬,我们选择不接,想见王毅主任,布林肯需要拿出诚意来 - YouTube 這樣的姿態不會比較高級。 ── 精彩片段》明居正:台灣空前難受.但是空前安全...【年代向錢看】2023.01.24 - YouTube 台灣將成僑鄉! ── 【日本人台灣散步系列】早上的淡水, 與我知道的不同面貌. 捷運站出發, 中正路, 市場和清水嚴. 朝の淡水、僕の知らない顔が。MRT駅を出発して中正路, 市場、清水嚴 - YouTube 吃的之外,還有從某一個點看過去就是躺著的觀音 - 觀音山,還有大帆船時代的西班牙紅毛城。台南是荷蘭。 ── 《獨!謝金河.明居正專訪!中國就是吃人的體制!全球經濟被拖累?!封殺中國2025!美中科技戰開打!習近平內外交戰?!》【年代向錢看】2023.01.24 - YouTube 長達半年不現身,不出來溝通,很難用不會說話,不懂得溝通可以說明解釋。問題是到底蔡英文碰到了什麼問題,陷入什麼困境, 這才是值得追究的。否則恐怕大家也都陷入不自知的怠惰。 ── 【阿布的口袋名單】在地囝仔帶路~東門市場真內行的吃貨行程!米粉湯、豆花|【就是這味】 - YouTube 豆花最早是+薑汁 ── 如果國民黨沒來,台灣會被美國接管嗎? - YouTube 老在政治轉不出來!別忘了清朝皇帝怎麼說台灣。台獨、華獨,通通是毒。 每個朝代的庶民都是 “逃離”-逃離中國 ;包括競爭失敗的 “中華民國”。原因除了歷代中國的戰亂與庶民的窮困之外, 尤其地處邊陲的福建。 在將近 100年前,福建差不多就只是一片荒地。曾經回到廈門的陸配、外祖母這麼說 :「很荒 !」; 就是說很荒蕪。(四萬萬五千萬-49 年國民黨數字,百年前人口分配到邊陲實在不多。)百姓的出路只有脫離家鄉,呈幅射狀的 跑到台灣, 或其他地方試試運氣。這就是今天 “華僑” 滿天下的原因。這個現象到今天還是沒有改變。 ── Wagner: Tannhäuser - Overture - NBC Symphony Orchestra/Toscanini (1948) - YouTube First conductor I met in my life : Toscanini . ── 我的外公是他!唱懷舊老歌的林承光先生 - YouTube 剛好有這一篇: https://iseilio-blog.tumblr.com/post/680959964389523456 ── 日台交流広場(台湾と日本) | Facebook 可以互補,直到盡可能的美好;只是需要時間。 ── ── 中國是怎麼形成的?|#杜正勝 #矢板明夫 #汪浩|@華視三國演議|20230225 - YouTube 每個朝代的庶民都是 “逃離”-逃離中國 ;包括競爭失敗的 “中華民國”。原因除了歷代中國的戰亂與庶民的窮困之外, 尤其地處邊陲的福建。 在將近 100年前,福建差不多就只是一片荒地。曾經回到廈門的陸配、外祖母這麼說 :「很荒 !」; 就是說很荒蕪。(四萬萬五千萬-49 年國民黨數字,分配到邊陲實在不多。)百姓的出路只有脫離家鄉,呈幅射狀的 跑到台灣, 或其他地方試試運氣。這就是今天 “華僑” 滿天下的原因。這個現象到今天還是沒有改變。 ── 【京都旅遊】錦市場美食散步😋豆乳甜甜圈、海鰻天婦羅、奶油紅豆鯛魚燒、豆皮奶油可樂餅、史努比茶屋☕️關西京都自由行|實彩子Misako’s Vlog - YouTube 卡娃意 ── Facebook 他這是 “先說先贏”。 ── 不久將出現"電動車墳場"!? 電動車電池多年後恐成災難 歐美急規範廢電池回收不入土 花東後山"台灣礦場"獨家曝光 礦主鏡頭前吐甘苦|苑曉琬主持|【薪動大未來 完整版】20230226|三立iNEWS - YouTube 沒有聽到說竹鹽有什麼比較好。 ──
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barokoze · 7 years ago
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rAB「ラヴ」
~ TOKYO SYNTHESIS ART FESTA ~
ジャンルを問わず様々なアーティスト、ブランド、店舗による東京を主とする総合アート&カルチャーイベント。
飲食、生バンド、DJ.LIVE、その他都内人気店舗のケータリング、様々なブランド、アーティストによる多種多様な催し物、作品が楽しめます。
日時: 2018/02/12(月・祝)
場所: 原宿SPACE 東京都神宮前1-9-12-B1
‭http://www.80seyes.com/‬
前売り¥2000 entrance(free food / music.charge含)
当日  ¥ 2500
チケット窓口 ※目黒 青猫 ‭03-3711-0612‬ OKOZE ‭03-5708-5250‬
協賛店舗::五十音順
OKOZE. ‭http://barokoze.tumblr.com/‬
deparz ‭http://deparz.fashionstore.jp/‬  
+Veganique ‭https://www.plus-veganique.com/‬
+Botanique ‭https://www.plus-veganique.com/greenshop‬
はしずめ 原宿店 ‭https://www.hashizume.shop/‬
BITCHES BREW ‭https://www.facebook.com/Hakuraku.BB/‬
目黒 青猫 ‭https://www.facebook.com/1blueiscat/‬
ARTIST 一覧
Trinity Strut〈タイロン 橋本/ロミー木ノ下/ウスダミホ〉/Blue Piggies 〈Yack/Nick/Hiro/Chin/Goro/Meidai/Itopon〉/masic〈Kula/Yutaka/Shun/Hama〉/VDJ CAP/dj shiko/DJ OREO/DJ 2bit /杉田 誠一/渡邉 麻里子���北形 兆/貴志 仁美/加藤良雄 /加藤志乃ぶ/
ARTIST :詳細 プロフィール
タイロン 橋本(Vocal・Guitar)
‭http://www.tyronehashimoto.com/bio_j.html‬
ティン・パン・アレイ、Y.M.O. 、日本初のサルサバンド「オルケスタ・デル・ソル」ほか数多くのアルバムに参加。自己のアルバムではJoe Sample、David T. Walker等と共演。2001年ワシントン・キングキャットシアターで開催されたゴスペル@コンサート、2011年冬アメリカ・シアトル市で行われた「Black Nativity 14th season」に一ヶ月間出演し万雷の拍手と熱狂に包まれるなど、R&B、ソウルを始めとしたブラックミュージック・シーンでワールドワイドに活動している。日米での音楽活動、CM音楽の作編曲やプロデュース、ヤヒロトモヒロとのデュオ「Unforsaken Uncles」等、音楽シーンの様々な分野で幅広く活躍中。
ロミー 木ノ下(Bass)
14歳でドラムを習い始め、その後米軍キャンプで演奏を始める。独学でベースをマスターし'64年よりプロとして活動を開始。ペドロ&カプリシャス他、数多くのバンドで活躍。'73年より3年間渡米。帰国後、数々のスタジオワーク、また、'80年ネイティブ・サン、その後、竜童組に参加。その他、ジョニー吉長、CHAR、忌野清志郎、等、参加したセッションバンドは数知れない。
ウスダ ミホ(Keyboard・Chorus)
‭http://www.miumusic.net/top.html‬
4歳からピアノを始める。その頃流行っていた黒人音楽に面白さを感じ、中学時代から曲を作り高校時代に弾き語りライブを始める。大学卒業後、音楽活動を開始。CM音楽制作、自己のリーダーユニットライブ活動、作曲、編曲などに携わる。Sky Perfect TV「Eco Music Colors」の楽曲提供など、その音楽活動は多岐に及ぶ。2012年10月に1st オリジナルアルバム・臼田美穂 | ウスダミホ「表象(representation)」をmiumusic recordsより発売。
Blue Piggies
裏原宿の奇才Yack・ブルーズプリーチャーNick・永遠のオカサーHiro率いるブルーズバンド ブルーズ・ロック・サイケデリック・ジャム・ブラックコンテンポラリー・ポップスと音楽の垣根を飛び越えたサウンドを夜の東京に昇華させるため集めたメンバーは各方面で活躍中の凄腕ぞろい。全てのジャンルの音楽をブルーズに落とし込む音楽スタイルは唯一無二なサウンドを構築する。
Yack:Vo/Gt Nick:Vo/Harp Hiro:Vo Chin:Vo/Gt(johnny appleseed,Blues Heads)Goro:Vo/key(Majestic Circus)Meidai:Bass Itopon:Dr(Bocca)
masic
2008年結成。Vocal 3人によるハーモニーを中心に、British Rockや
American RockをバックボーンとしたJam Musicを展開。
様々なイベントに参加しながら今年で結成10年目を迎え、更なる飛躍を目指す。Guitar & Vocal:Kula  Bass & Vacal:Yutaka
Drum & Vocal:Shun Keyboard:Hama
杉田 誠一
1945年 4月15日 疎開先 新潟県発田市[現]生まれ。1961年〜ジャズ喫茶と映画館がもう一つの学校だった。浅草 大勝館、日比谷東宝劇場、銀座オレオ、新宿ピットイン等でアルバイト
1969年5月『ジャズ』創刊/編集長。1669年6月サンフランシスコを皮切りにジャズ感情旅行をスタート。その後ニューポート、NY、シカゴ、LA、ニューオリンズ、モンタレー、モントルー、パリ、メールス等を取材。『アサヒグラフ』『毎日グラフ』『メンズクラブ』『ステレオ』等に写真&文を発表。1976年1月写真集『ジャズ幻視行』(アンエンタープライズ)
1978年『ジャズ&ジャズ』(講談社)『ぼくのジャズ感情旅行』(荒地出版)、『ヤマハ音楽通信』『ビデオスポット』アートディレクター、『レーザーディスク・レヴュー』編集長、『LD Xpress』編集長、lVCプロデューサー、ボーズ感性工学リサーチ・サウンドプロモーター等を歴任。1999年11月『アウト・ゼア』創刊
2006年12月 横浜市白楽にカフェ&バー Bitches Brew for hipsters onlyをOPEN。2009年10月 金沢ジャズストリート2009にて個展開催
主な著者 『ぼくのジャズ感情旅行』荒地出版
主な編著『ジャズ&ジャズ』講談社、『歴史に見る名盤カタログ』講談社、『シネマLD完全カタログ 』講談社、『アニメLD 完全カタログ』講談社
主な写真集『ジャズ幻視行』『横浜銀蠅おちこぼれ宣言』
主なTV・CF『セントルイス ブルース/ソニーオーディオ・コンポーネント』電通
主なLPジャケット『アンソニープラクストン/タウンホール1972』『オーネットコールマン/パリコンサート』
『デイブ・バレル/オンリー・ミー』
『デュークエリントン/イン・パリ』『ミルト・ジャクソン/イン パリ』『モンタレーのニューハード』『浅川マキ/今夜はおしまい/ボロと古鉄』東芝EMI、『横浜銀蠅』キング等々
主なCDジャケット『菊地雅章』ドリームマシーン/六大 地/六大 水/六大 火/六大 風/六大 空/六大 等々
主なライナーノーツ『ジョン・カサベテス/アメリカの影』『アンドレイ・タルコフスキー/ストーカー』『ルキノ・ヴィスコンティー/若者のすべて/白夜/イノセント』
『アンリ・コルビ/かくも長き不在』『ルイ・マル/好奇心』『アラン・レネ/去年マリエンバートで』『黒澤明/デルスウザーラ』
『ヴェルナー・ヘルツォーク/フィッツカラルド』『フェディリコ・フェリーニ/ボッカチオ:70』『ベルナルド・ベルトリッチ/殺し/革命前夜』『ミケランジェロ・アントニオーニ/赤い砂漠』等々
主なLD プロデュース『小津安二郎初期作品集』『ロベルト・ロッセリーニ/無防備都市/ドイツ零年/イタリア旅行』等々
DJ shiko  
宮城県仙台市出身。幼少の頃クラッシックを聞き育つ。その後クラブミュージックからのHipHopと出会い、DJを始める。
以降、ビートとノリの虜となり、八戸や三沢でのプレイやイベントのオーガナイズをこなしスキルを上げる。川崎のDJ BARでのレギュラーDJや各種イベントでのplay、mixtape作成等続け、昨年再度DJ活動を再開。現在、渋谷circus tokyoにて隔月開催のイベントオーガナイザー兼DJとして活躍中。好きなアーティストは、nujabes、ROB SWIFT。set listはJazzy HipHopを軸に、現場の空気に合わせ多種多様。
DJ OREO
福岡県出身、東京在住。オーディオメーカーにエンジニアとして入社後、DJに興味を持ち、都内のバーを中心に活動中。
40-60年代のジャズや90年代のテクノ、パンクがルーツ。選曲の中心はジャズ、ブレイクビーツ、エレクトロニカ等。
VDJ CAP
90'sの音楽をもっとも得意とし、現役ダンサーならではのダンサー目線の選曲で、常にフロアをロックし続けるVDJ。VDJクルーのVIS PRODUCTION所属。
DJ 2bit
日本出身、日本在住、プログラマー。
ドラムンベースとテクノが好き。ブレイクコア等も好き。
「歯茎を噛むと林檎から血が出る」の林檎担当として活動中。
北形 兆
占い師(西洋占星術・タロット)
9歳より実家の美容室で鑑定らしきものをはじめる。
30年以上の占い愛好家時代を経て、2017年から都内各所で鑑定開始。身近にいる占い師として活動の場を広げている。
目黒.青猫では、今年1月より不定期で日曜日(21時~23時)に鑑定している。実生活に活かせる血の通った明るい鑑定を心がけている。Twitter: @kitakatachou13
Web site: 兆-キザシ- ‭https://kitakatachou13.wixsite.com/kizashi‬
渡邉 麻里子
造園業界で8年間職人として樹木の剪定、造園に携わり、フラワーアーティスト つちやむねよし の弟子としてフラワーデザイン、レストラン装花、いけばななど多岐に渡り技術を習得。
昨年11月から、ヴィーガンカフェ プラスヴィーガニック自由が丘内で、プラスボタニックとしてグリーンショップをオープン。店内には個性溢れる植物の他、手作りのドライフラワーリースやメディカルグレードのエッセンシャルオイルなども取り扱っている。
加藤 良雄
1972年 東京生まれ。織田調理師専門学校卒業。
ホテル・イタリアンレストランなど数軒で修行後、株式会社Beyond Jananにおいてパーティとブライダル専門のケータリング事業に従事。2016年春、軽井沢にてオーガニックレストラン「RK GARDEN」の立ち上げを担い、ヴィーガン専門のレストランをひと夏運営したのちに東京へ戻る。2016年秋より、自由が丘にてヴィーガンレストラン(ラトリエ・ドゥ・メゾン・ドゥ・カンパーニュ +ヴィーガニック)を開業し夫婦で運営。2017年9月末にて移転準備のため一旦クローズ。あらたに自由が丘南口へ拠点を移し「プラスヴィーガニック」のオーナーシェフとして活動をはじめる。プライベートでは2013年頃よりマクロビオティックを生活に取り入れはじめる。毎日の食を切り替えてみると、表面化していたこれまでの体の不調が改善され精神面の変化もあり、 人の命は食べものに支えられている事を体感する。
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tlilith · 8 years ago
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Laddie John Dill《載光體》
  我們看John Dill的作品,有現代的科技材料,也有來自大地的素材,兩種截然不同的質地,營造一種純淨夢幻的氣息。而神奇的是,這兩種截然不同的材質,原先金屬給人的冷冽、混凝土與沙子給人感受上的粗曠,卻散發著一種獨特的纖細氣質。平面作品《光陷-百合》、《光陷-紅》我們可以看到金屬表面細緻的打磨與接合,這種金屬是製造飛機所用的鋁合金,吸光不反射的特性,散發著迷人的質感。再看到裝置作品《沙與光》藝術家透過光的反射和吸收與周遭產生反應,這些光暈重新賦予了空間的氛圍。運用氧化鐵、混凝土製作的作品《斷魂威尼斯》吸取同名歌劇場景作為靈感,質樸的素材呈現大地荒漠,飄流的感覺。透過三個系列的作品,過渡到不同的空間氛圍,John Dill如是回應 :「當觀者從作品的這一頭移動到另一頭,當中存在的微妙變化,要使觀者與作品之間的關係昇華到某種抽象層次。觀者、光與作品本身,是這次展覽的三大主角。」或許我們可以說,這次展覽作品呈現的「金屬」、「螢光」、「石面」 的三種性格,大地、物質、科技,各自都要回到最初的本性與空間產生關係,不論是來自精神性的、還是大地性的,一種純粹狀態,透過物質魅力與藝術手藝,《載光體》由光凝聚細微的粒子,在感知的光譜中,一一透析迷人的感知空間。 白石畫廊 身為 1970 年代崛起於美國加州「光與空間運動」(Light and Space Movement)藝 術家之一,迪爾的作品探索光、空間與身體感知之間的關係。此次展覽將呈現藝術家甫被紐約現代藝術博物 館(Museum of Modern Art)所收藏的〈光的平原,1969〉雕塑,以及運用工業媒材,並獲得古根海姆獎 學金(John Simon Guggenheim Fellowship)殊榮之〈魂斷威尼斯〉等精彩作品,切合白石畫廊自然建築的 概念,提供「土地」與「光」各自獨立,又能彼此對話的場域。 迪爾 1943 年於加州長灘出生,爾後隨家人搬至當時仍然純樸的馬里布,受其自然環境以及繼父為鏡頭��計 師的影響,迪爾從小即培養對自然景觀與光學科技的迷戀。1968 年在喬納德藝術學院(現加州藝術學院) 取得了美術學士學位後,迪爾進入雙子星版畫室(Gemini G.E.L.)工作,開始與著名藝術家密切合作,包括 羅伯特‧勞森伯格(Robert Rauschenberg)、克拉斯‧歐登伯格(Claes Oldenburg)、羅伊‧利希滕斯坦 (Roy Lichtenstein)和賈斯培‧瓊斯(Jasper Johns)。迪爾將光與自然材料、空間結合所做的各種試驗, 獲得勞森伯格的賞識,並將其引薦給他在紐約的經紀人─伊利��娜·索納本(Illeanna Sonnabend),促成迪 爾在紐約的第一場個展,亦是第一位在紐約舉辦展覽的「光與空間運動」藝術家。 《載光體:台北》將以「光」介入空間、視覺,以及語言等多項感官層面。〈光的平原,1969〉利用光線穿 越玻璃並折射在鄰近的透明玻璃片上,建構出實體框架以外的虛幻空間。〈沙與光〉運用布幕染色的概念, 將平面繪畫的構圖,延伸到立體雕塑。〈光之語〉將霓虹燈管一節一節的顏色比喻為組成句子的單字,賦予 「光」能被組合、閱讀的可能性。〈光阱〉與〈魂斷威尼斯〉則以工業、航太原料,還原光與大自然的特 性。 迪爾的創作善於維持住媒材的本質,以非刻意的方式呈現某種景觀。
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1970年於美國加州崛起的「光與空間運動」藝術家們致力於探索光、空間與身體感受之間的關係,影響了當代藝術的發展。 《紐約時報》藝評家Ken Johnson談論約翰·萊迪·迪爾的〈光之語〉: 「1960年代末,美國西岸『光與空間運動』藝術家之一約翰·萊迪·迪爾開始運用豐富並如寶石般色彩明亮之玻璃製作燈管…有些較長,有些較短,有些則只包含少數顏色。它們像發光的玻璃珠串一樣閃耀。迪爾稱此作品為〈光之語〉,將一節一節的顏色比喻為組成句子的單字,暗喻著「光」能超越文字而被閱讀的可能性。然而,當這系列作品被同時呈現,其視覺效果卻並非如敘事體冗長,而更像迷幻的室內音樂輕輕演奏著。」
Laddie John Dill的手工霓虹燈管裡,透過色彩的詮釋,可以展現某個雨季從清晨到夜晚的氣溫變化,也像一段寫在空間裡的文字,仰賴他的節奏感體會光線的韻律。
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carpaccione · 8 years ago
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武藤大祐のダンス批評
『旬刊 音楽舞踊新聞』(2005年4月11日号、No.2660)
レニ・バッソ 『ゴーストリー・ラウンド』
(2005年2月18~19日 パークタワーホール)
 レニ・バッソ(振付・演出、北村明子)はこれまで、機械仕掛けのような幾何学的システムによる作品構成を様式として確立してきたカンパニーである。二年半振りの新作もタイトルの通り「円」が主題だが、しかし今回は意味の要素(「ゴースト」)が明示的に盛り込まれ、構造のみならずイメージの広がりをも提示しようとする新たな模索が感じられた。
 冒頭、舞台中央に白い粉で丸い形が作られ、その上空にスモークが浮かんでたゆたっている。耳障りなノイズが聞こえ、いかにも「幽霊」に相応しい不穏な雰囲気が醸し出される中、ぽつりぽつりと白い長スカートのダンサーたちが現れ、緩慢な摺り足でその円を横切っていく。すると次第に、床上には放射状に広がる八本の線と、元の円の外側を囲む同心円が現われる。三間四方を九つに分ける空間分節、および摺り足――能を参照しつつ、動きの痕跡によって空間の構造を視覚化する導入部は見事といえるだろう。
 こうして立ち上がった図形の中に散ったダンサーたちが、互いに遠く離れたまま気配によって静かな動きを同期させたりしながら、徐々に空気を温め、作品を離陸させていく。ソロ、あるいはデュオやトリオの素早い組換え、集団での無秩序。
 部位をキュッと引っ込めるように縮めて体の中に震動の波を作り、それを増幅させて外の空間を掻いていく動き、急激に加速/減速しながら予測不能なブレた軌跡を描く腕の振りなど、日本では珍しく高い身体能力を踏まえた体系的なムーヴメント造形を見せる北村は、確かに作家的と呼ぶべき資質を備えている。本人のソロでは独特の身体性もが加わって、自在に繰り出される針のような鋭いストロークが目を奪う。
 しかし他方、作品構成の甘さはやはりこのカンパニーの弱点であり続けている。中央の円形空間でソロが踊られ、また円いヴィデオ映像(目、光の輪など)が床面投射されたりするものの、粉で描かれた図形は早々に消え去り、セノグラフィーはさほど発展を見ないまま曖昧に崩れていってしまう。振付における旋回モティーフなど「円」の主題を随所に見出したり、様々な解釈を介して「ゴースト」の記号的表象をあれこれ詮索したり、そうした細部の絵解きをいくら積み上げてみても、作品全体を貫く動機のようなものが見えてこない。
 挑発的な照明や音響、ホリゾントの抽象的な映像とそこに重なるダンサーの大小のシルエット、電子音と生音が奇妙に混在した粟津裕介の音楽、あるいは(レニ・バッソらしからぬ)寸劇めいたシークエンス、こうした多種多様な道具立てに、「コンテンポラリーダンス」なるステレオタイプへの素朴な依存を感じる。舞台上の一切について、なぜそれがそこに必要なのかという根本の問いがあってほしいと思う。
(18日所見)
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『旬刊 音楽舞踊新聞』(2005年7月21日号、No.2669)
井手茂太 『井手孤独【idesolo】』
(2005年5月26~29日 シアタートラム)
 イデビアン・クルーの振付家による初のソロ。カンパニー作品ではごく稀にしか出演しない井手の踊りは一部で高く評価されてきたが、ソロ作品(要所要所に脇役は登場するものの)の発表には誰もが驚いたに違いない。
 客席の前半分を取り外して畳のようなシートを敷き詰め、赤い帯で中央を囲んだ、柔道の試合場そっくりの空間が舞台。奥にはなぜかグランドピアノがある。観客の一部は畳の上に上がり、三方から囲むように座る。
 冒頭、スーツ姿の井手がこっそり袖から現われ、無音の中、後ろ向きのまま体を小さく動かして徐々にリズムを発生させていく。そこへ突然ビートのある音楽が大音量で鳴り響くと、井手は音楽にノるどころかむしろビクッと驚いて退場してしまう。やがて再び現われ、体の内側を探るように動き出す。今度は布団を叩きながら騒々しく野次を飛ばす主婦が客席隅に出現し、やはり井手は萎縮して引っ込んでしまう…。体の中から生まれてくる壊れやすいリズムが何度も乱暴に踏み荒らされる。人前で踊ることへの躊躇いが、ある種の求道者的なストイシズムとデリカシーの誇示とない交ぜになって、観客に静粛を求めつつ期待を煽る導入だ。
 仕切り直しを挟むと、スーツを着たまま日本髪のカツラを付けた井手が電気炊飯器を提げて立っている。背後で巨大な掛け軸がスルスルと落ち、「俺」の一字が屹立。赤い帯状のエリアの上で、空手や、軍隊のような匍匐前進、そして颯爽としたモデル歩き。真っ赤な照明と賑やかなジャズやラテン音楽で下拵えが整うと、漸く踊りが始まった。
 小太りな体型でありながら、短い手足がしなやかに宙を泳ぐ独特の動き。脚が二本では足りないとでもいわんばかりに素早く縦横に繰り出されるステップが下半身を前へ前へと追い立て、上半身は柔らかい螺旋を描く腕に導かれて後ろ斜め上方へ昇って行く。回る関節と絶妙なリズム感覚によって、奔放に四分五裂する体が一つのエコノミーの系として生成される。
 ダンサーへの振付では決して十分に発揮されない、自由自在な井手の筆法はまさに圧巻だったが、しかしそれも長くは続かない。スポーツウェアや柔道着に着替え、焼き芋売りの声を動きでなぞったり、女性二人を従えて『ベルサイユのばら』の主題歌を歌ったりしながら、小劇場演劇風のユーモアとダンスシーンの小さな山が継起する散漫な構成は、いつものイデビアンそのままである。
 あられもなく踊ってしまうことへのシニシズム、あるいは羞恥、そうしたものを井手はダンスによってではなく、様式化されたキャラクターの演技を介して観客と共有しようとする。その手法は少なからず硬直しており、ファンの内輪受け以上の射程を孕んでいるようには思えなかった。結局一度も弾かれない舞台奥のピアノが全てを象徴するような、徒に欲求不満の募る作品というほかない。
(26日所見)
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『MOMM』(2009年2月号)〔=朝鮮語訳〕
無意味の偽装 ――アジア的身体とアメリカ
 私はおもに東京を拠点にして、比較的新しい世代のダンスを見ているのだが、ここ数年、そのごく一部を除いて、急速に関���を失っている。90年代に火がついた日本の「コンテンポラリーダンス」の勢いが、2000年代半ばをピークに衰えてきたというのは、多くの観客、評論家やアーティスト、プロデューサーたちにも共通の認識といっていいように思う。
 日本のダンスの歴史は、「舞踏」によって一度大きな切断が起こったわけだが、「コンテンポラリーダンス」も、それより前のダンスとは歴史的につながっていない。80年代後半からの異常な好景気を背景にヨーロッパから盛んに輸入された新しいダンス(バウシュやガロッタなど)が引き金となって、新しい振付家やグループが現れ、また観客も増加してきたのである(伊藤キム、珍しいキノコ舞踊団、コンドルズなど。ただし勅使川原三郎はやや前の世代に属する)。したがって彼ら彼女らの活動を公的に支えるような基盤は今もほとんどない。振付家やダンサーたちは芸術大学や国立振付センターのような場所で養成されているわけではないし、また、それなりに名前を知られるようになったとしても、それで生活の基盤が得られるわけではない。むしろ彼ら彼女らは良くも悪くも「インディペンデント」であり、だからこそ可能になる表現の自由や実験性、小回りの利く機動性を武器にして、「公的」に価値づけられた文化(バレエやモダンダンス、日本舞踊など)とは違ったオルタナティヴなシーンを形成してきたのだというべきだろう。
 2000年代に入ると、この傾向はさらに鮮明になる。とりわけ先鋭的なダンスは、客席数100人以下の小さなスペースから次々と現れるようになった(もちろん不況の長期化も大きな影響を及ぼしている)。これらのダンスは、「私的」ないし「個人的」な性格を強く帯びている。大きな舞台を使った、グループによる視覚的に派手なダンスではなく、小さな空間で行われる、見た目のインパクトよりも身体感覚の繊細さに訴えるようなダンスは、踊り手(ソロの場合、たいていは振付家自身)の個人的な動機や、欲求、論理に基づいて作り上げられている。例えば手塚夏子は、自分の体の極端に細かい部分(例えば足の指や小鼻の痙攣、両肩の力の抜け具合の微妙な差、などといった)にまで観客の注意を引きつけながら、緊張感とユーモアに満ちたダンスを踊ってみせる。ほうほう堂という女性の二人組は、脱力した体と「日常の動き(ordinary movement)」を組み立てて、ちょうどジャドソン教会派のように、日常生活のテンションとあくまでも地続きなものとしてのダンスを作り出す。もともと「公的」な文化の土壌から出発したわけではないコンテンポラリーダンスが、こうした極度に「私的」な方向へ向かうのは、それなりに理に適っているともいえるだろう。しかしこれを持続させていくのはもちろん、非常に難しい。2000年代後半以降、実験的な振付家の数は目に見えて減少し、シーン全体が地盤沈下を起こしてしまった。
 とはいえ、草の根的に発達してきたコンテンポラリーダンスが徐々に社会的な認知を獲得するにつれ、そこに「公的」な価値付けが施されるようにもなって来ている。例えば、ポップカルチャーないしサブカルチャーとしての「商業化」(その典型例は、TVにも出るようになったコンドルズである)。あるいは道徳的なコミュニティダンスや、振付家のアウトリーチ活動などによる「公共化」。しかし私は、こうした展開に対しては、ある種の決定的な違和感を覚えてしまう。アーティスト個々人の、アーティストとしての衝動や欲望が、何か別の大きな価値に絡めとられているように思えてならないのである。
 「公的」な裏付けを持たない表現としてのコンテンポラリーダンスの「私的」な性質ゆえに、資本であれ、公共善(?)であれ、何か大きなものに、創造的なダンス本来の自由さ、過激さが乗っ取られ、飼い馴らされてしまう。その時、もとは誰に頼まれたわけでもない「私的」な表現へのそもそものモティヴェーションはいったいどこへ行ってしまうわけだろう。つまりは「なぜ私はダンスを欲望するのか」という問いが必要なのだし、しかもその欲望を、既存の社会制度と調和させることではなく、むしろ個人的ではあっても社会的に意味のある能動的な「発言」へと鍛え上げていくことが必要なのではないか。
 昨年11月から12月にかけて、東京の国立近代美術館で「沖縄・プリズム 1872-2008」と題する展覧会が開かれた。展覧会の詳細は省くが、もとは独立国だった「沖縄」と「日本」の関係は日本の帝国主義の歴史の上で幾重にもねじれており、現在は日本の米軍基地の75%が沖縄に集中しているという事実にふれておけばここでは足りるだろう。
 この展覧会で、私は、山城知佳子(1976-)というアーティストの最新作『アーサ女』に強い共感を抱いた。大きなスクリーンのヴィデオ映像と、数点の写真で構成されるインスタレーションである。ヴィデオカメラは、激しい波に揺られながら、八割方は海の水面下の濁りや泡を映し出している。しかし時おり水面上に浮上すると、空や島、そして基地らしきものの一部が見える。かと思うとまた泡、そして一瞬、魚の群れ。水の色が変わり、また浮上すると別の場所の空と陸。こんな調子でしばらくすると海上保安庁のボートが別のボートを停めて問い質している様子がチラチラと見えてくるのである。
 スクリーンの脇に並んだ写真には、「アーサ女」が映っている。「アーサ」は海藻の一種で、それが女の口元にまとわりついている。ヴィデオの画面は、この山城本人が扮する、現実とも非現実ともつかない「アーサ女」の、海からの視線なのだ。波に揉まれる女の荒い呼吸音が大音量で轟き、見る者にも強烈な息苦しさを分け与える。ここには、人々の目から隠されているもの(=米軍基地の真実)を「見る」こと、行為としての「見る」ことが、身体的なレヴェルで強烈に造形化されているのである。東京には、「見る」ことに対する、ここまで強い動機は存在していない。そこでは、人々の目は次から次へと、望んでもいない余計なもの(商品、情報、イメージ)によって占拠されてしまうからだ。「ついに純粋な一方通行の段階に達したコミュニケーション」、「そこでは人々は、すでに行われてしまっている決定に静かに見とれるだけである」(ギー・ドゥボール)。
 山城は映像作品だけでなくライヴのパフォーマンスも行っていて、年末に沖縄で上演があると知り、私は早速出かけた。東京から沖縄までは、飛行機で二時間半ほどだ。
 山城知佳子と、ミュージシャンでもある首里フジコを中心とするユニット「ラマンオキナワ」の新作パフォーマンスは、『オキナワキャンプ』という題で、12月27日、沖縄県立美術館の中庭で上演された。メタファーや暗示が多用され、ダンスとも演劇ともつかないこの作品では、“camp”のイメージが幾層にも重ねられている。それは「難民」としての沖縄の現状を示すと同時に、米軍基地(camp)そのものであり、また女性としてジェンダー化された「沖縄」が強いられている危険な「野宿」の象徴でもある。
 私はこの上演を沖縄の観客にまじって見たわけだが、すぐには理解できない部分も多かった。中盤、半袖のアロハシャツを着た男たちが乱入して来る場面も、それが沖縄をエキゾチックな「南の島」として売り込むことに余念のない県の役人たちを表していることなどは、後で説明を聞くまでわからなかった。しかしそれでも、ここにはアーティストが表現を行う明確な「動機」があり、また観客はそれを見ることに「意味」を見出していて、ある共有された現実をめぐる多様な意見やヴィジョンが交わされる場としてパフォーマンスが機能している様子に立ち会えただけで私には十分だった。
 なぜなら、東京のコンテンポラリーダンスに「意味」が欠けているのはなぜかということが、少なくともその一面が、説明される気がしたからだ。つまりは在日米軍基地の75%が沖縄に集中し、大部分の日本人はまさしくその恩恵によって政治的緊張を免れた経済的繁栄を謳歌しているに過ぎないがゆえに、東京のダンスには表現することの動機も意味も、75%、失われているのではないか、ということである。だとすれば、東京においてダンスが本質的に「無意味」に思われ、それゆえに「商業化」されたり「公共化」されたりすることで外側からの価値付けを受けてしまっているのも、実は、ダンスが本当に「無意味」だからなどでは決してなく、むしろ途方もなく大きな「意味」が見事に隠蔽されていることの徴に過ぎないことになる。すなわち、アジアにおけるアメリカの政治的覇権というものが、隠れているのである。
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『MOMM』(2009年4月号)〔=朝鮮語訳〕
「現実」に抵抗するコレオグラフィー ――川崎歩と手塚夏子
 何年か前、インドネシアである会合に出席した際、現地の若い振付家が自分の作品を説明しながらこう話していた――「私のダンスは何かを表現したりメッセージを伝えようとはしていません。私はただ身体的な体験を観客と共有したいんです」。日本でよく聞くのとまったく同じ言い回しがインドネシアでも聞かれたのは印象に残った。かつてアメリカの表現主義的なモダンダンスが身振りによって「意味」を伝達しようと考えていたのに対し、意味ではなくフィジカルな「体験」そのものが重要だというのは、コンテンポラリーダンスではもはや世界的な常套句なのかも知れない。しかしそこで会場にいたある劇団の演出家が口を挟んだ。「わかりますが、でも、なぜあなたは自分の身体的な体験を共有“したい”と思うんでしょうね?」。彼は、多くの振付家が無意識に前提としている価値観そのもの(イデオロギー)をあえて捉え直し、より深く問題化してみてはどうかと主張するのである。振付家は返答に窮していた。
 以来、私は東京でコンテンポラリーダンスを見ていてこの出来事をたびたび思い出す。多くのダンサーや振付家、あるいは批評家たちの間では、「根源的な衝動に突き動かされる」とか「難しい理屈で考えるのをやめて本能を剥き出しにする」などといったロマン的なレトリックがいまだ有効と考えられているようだが、むしろそうした無意識的な価値観や情動的なリアリティから距離を取り、意識や身体の深層を掘り返そうとする一部の高度に知的な作家たちの存在がますます際立ったものになりつつあるように思うのである。今回は、私が興味を惹かれる二人のコンセプチュアルな振付家を取り上げてみたい。
 京都を拠点にしている川崎歩(1976- )は、振付家であると同時に実験的な映像作家でもある。私が衝撃を受けたのは2007年に『ためいけ』という作品を東京で見た時のことだ。お伽話の登場人物のような、奇妙な衣装をつけた5人のパフォーマーと1人のミュージシャンが、非常に漠然とした(具体的なストーリーは読み取れない)身振りの劇を繰り広げ、そこにR&Bとユーモラスな歌詞を組み合わせた、風変わりで魅力的な歌が重ねられるのだが、歌詞に現れる具体的な地名などによって作品の舞台がどうやら大阪の南部であるらしいことがわかる。「**駅、改札降りて左側」「大和川、汚い川で日本一」――こんな調子で描写されると、実際に知らない土地ながらも一種の親しみをもって想像することができる。ところがそこに、古代からこの地に伝わる伝説や歴史的なエピソードなどが織り込まれて来る。二上山の麓には古墳が多く残っており、6~7世紀には奈良の朝廷と海を結ぶ交通の要所でもあったし、現実とも虚構ともつかない言い伝えも数々ある。こうして過去と現在とが一つの空間内で重ね合わされ、すると不思議な扮装をしたパフォーマーたちの種々雑多な身振りもまた、何かとらえどころのない、しかし具体的な物語を展開しているように見えてくる。いかにも平凡な日常世界と、そこからかけ離れた遠い歴史や神話の世界��、あたかも地続きのようになって浮かび上がって来るのだ。
 特定の土地やその歴史に材を取るというアプローチ自体が非常に珍しく、興味深く思われるが、なぜこの場所が選ばれたかといえば、それは川崎の個人的な経験に由来している。彼は子供の頃この土地に住んでいて、普段から見慣れていながら注意を払ったことのない周辺の事物に改めて焦点を合わせてみたというのである。いわばそれは、彼にとって自明な日常世界ではなく、むしろそれを裏で支えていた歴史の「古層」、また普段はなかなか意識されない「無意識」の領域を抉り出す作業ともいいかえられるだろう。こうした関心の向け替えによって、ありふれた個人の私的で等身大の生と、大きな歴史的世界の間に通路が開かれる。そして、舞台でパフォーマンスする身体は、これら両極のスケールに属する異質なイメージを多層的に担うことになる。いわばドキュメンタリーともフィクションともつかない、現実と虚構の狭間に浮かぶような身体表現の新しい領域を、川崎歩は開拓しつつあるのである。
 他方、東京を中心に、主にソロで活動している手塚夏子(1970- )は、パントマイムから出発しつつ、近年は『私的解剖実験』というパフォーマンスのシリーズを展開してきた。これは自分の身体の極度に小さな一部分、例えば「右膝の裏」「歯茎と歯の境目」などといった任意の部位に意識を集中することで、自分の体から一種のストレス性の(?)反射運動を引き出すというアイディアに基づくもので、このシリーズを通じて手塚はひたすら身体のディテールに注目し、文字通り「ミクロ」な考察を積み重ねた。ところが、『私的解剖実験』がいわば身体を内側から「解剖」し、分解し尽くそうとするものだったとすれば、この2月と3月に上演された新作『プライベートトレース2009』は一転して外側から観察された身体を素材としている。
 この作品で手塚は、わずか十数秒間のホームヴィデオに映し出された自分と、夫の動きのスロー再生を、きわめて精密に再現し、反復してみせる。映像そのものが観客の目に触れることはないが、音声のみが流され、どうやら二人は幼い息子とともにいるらしいことがわかる。そして夫が「しんどいよ」と、手塚が「だいじょぶ誰も見てないって」という言葉を発しながら体や顔を動かすさまを、ひたすら手塚がスローモーションで反復するのだが、観客はその意味や文脈を抜きにしたまま動きのミクロな細部を長時間に渡って注視させられる。それは異様な体験である。現実にはほんの一瞬の、些細な挙措が、執拗な反復と「トレース」によって、見たこともないような明瞭なフォルムとして刻々立ち現れてくるのである。
 私はこの作品を見ていて、さらに別の奇妙な感覚に襲われもした。ヴィデオカメラに捉えられた細部をひたすら再現/注視す���時間が延々と引き伸ばされるにつれ、いつしかそうした細部の果てしなさ、汲み尽し難さというものが実感されてくるのである。カメラには一切が映っており、それはどこまで分解しようとも決して分解し尽くすことなどできない。つまり細部は無限なのであり、無限の細部をまるごと捉えているヴィデオカメラは、あたかも人間を包み込む神の眼差しに似た何かであるようにさえ思われてくる。テクノロジーと身体がこれほど豊かな出会いを果たしているパフォーマンスを、私は他に多く知らない。
 川崎歩にしても、手塚夏子にしても、一般的に「ダンス」とよばれる領域からは大きく逸脱しているが、しかし二人に共通しているのは、われわれが通常見ている現実の表層をはぎ取り、常識的な世界観を覆そうとする批評的アプローチに他ならないだろう。そこには因襲的な期待や欲求をほどよく満たそうとすることとは全く別次元の、コンテンポラリーな芸術だけが有する衝撃力があるのだ。
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『MOMM』(2009年11月号)〔=朝鮮語訳〕
NYはムスリムの声を聴くことができるか ――市場原理主義・芸術・他者
 さる六月前半の十日間、NYでは「ムスリムの声――芸術と思想(Muslim Voices: Arts & Ideas)」と題した大規模なフェスティヴァルが開かれた。セネガルのミュージシャン、ユッスー・ンドゥール(Youssou N'Dour)のライヴを皮切りに、アフリカからアジアまで広域に渡る演劇、音楽、映画、美術、文芸などを紹介するこのイヴェントが、2001年9月11日のあの事件を動機とするものであることは間違いない。しかしその掉尾を飾るのが、インドネシアを代表する前衛振付家、サルドノ・W・クスモ(Sardono W. Kusumo, 1945- )のダンス作品『ディポヌゴロ(Diponegoro)』(6月13~14日、アジア・ソサエティ)だと聞いて、即座に納得する人がどれだけいるだろうか。あまり認識されていないことではあるが、インドネシアこそ世界で最も多くのイスラム教徒が住む国に他ならない。つまりこの上演自体が、とかく「イスラム」といえば「中東」のイメージを連想してしまいがちな、人々のステレオタイプに抗する社会的「パフォーマンス」として意図されたものでもあるのだ。
 この作品は、十九世紀のジャワでオランダ統治に対する叛乱を起こし、捕縛された後に追放されたディポヌゴロ王子(1785~1855)の史実を舞踊劇化したもので、1995年に初演された。インドネシア国外での上演はこれが初である。
 今回の上演では五人のダンサーの他に、ガムランの演奏が伴う。彼ら彼女らはそれぞれ特定の役柄を演じつつ、ペゴン(pegon, アラビア文字を用いたジャワ語)の韻文で書かれたディポヌゴロの自伝からの抜粋を朗唱する。ジャワ古典舞踊の語彙を基にした舞踊と、演技、さらに歌唱までを同時にこなす演者たちの多才さはサルドノの舞台ならではといえるだろう。全体を通してひとまとまりの「物語」が演じられるというよりは、既に自らの悲劇的な命運を悟ったディポヌゴロの内面的な葛藤が五つの場面(断章)によって照らし出される構成になっており、視覚的・音楽的に組み立てられたイメージの積み重ねを通して、9・11以後の現代にもそのまま通じる「西洋とその他者」というテーマが浮き彫りにされる。
 サルドノの作品の特徴として、一見、互いにかけ離れた異質なモティーフが壮大なスケールの歴史観と世界観のもとに結びつけられ、意表を突く新鮮な視点を提示するという手法が挙げられる。この作品も例外ではない。そもそもディポヌゴロのテクスト自体が、主観的な語りと史実の描写、そして神話的イメージを絡み合わせて書かれているのだが、舞台でも、伝説上の存在である「南海の女王」ロロ・キドゥル(Roro Kidul)や、オランダ植民政府の総督などといった多様な登場人物が次々に姿を現す。冒頭と結末ではモーツァルトの「レクイエム」が悲劇的なムードをかき立てる一方、それに挟まれた本編は全てジャワのガムランである。また舞台の前面には紗幕が降ろされ、そこにはディポヌゴロ捕縛を描いた西洋風の歴史画が転写されており、演技は終始その背後で行われる。照明の操作で、紗幕の向こう側に広がる舞台が照らされたり、紗幕の歴史画が照らされたりするのである(ちなみにこの歴史画は、当時のジャワの画家ラデン・サレー(Raden Saleh)による作品(1857年)で、現在サルドノはこの画家をめぐるドキュメンタリーとフィクションが交錯する新作映画を制作中である)。このように、特定の政治的立場や美意識にとらわれず、複数の異質なコンテクストを編み合わせるようにして作られた『ディポヌゴロ』の舞台には、多くの要素が凝縮されていて、観客が何か単一の解釈に留まることを許さない。見る者にショックを与えるわけではないが、非常に穏やかな仕方で思考を挑発してくるのである。
 ところが、翌週火曜のNYタイムズに掲載された公演評はちょっとした議論の火種となった。同紙の主席ダンス批評家、アラステア・マコーレーは、「ムスリムの声」フェスティヴァルでモーツァルトの「レクイエム」を聞かされるなど場違いも甚だしく、またあまりに陳腐であると切り出した後、作品内に作品を理解するための手掛かりが少な過ぎること、音楽や歌唱が滑らかな連続性を欠き、また単調さゆえに訴求力がなかったことなどを列挙し、わずかに一部のダンス・シーンなどを称賛して若干のバランスをとってみせた上で、こう結んでいた。「イスラム文化には、もっと他に見せるべきものがいくらでもあるだろう」(Alastair Macaulay, “The Prince Who Freed Java From the Dutch: Sardono Dance Theater,” New York Times, June 16, 2009)。
 これに対し、少なくとも一部の人々の間では激しい反発が起こった。特にアジアの諸文化に通じた人々の間では、マコーレーの姿勢は自らの無知を棚に上げた「西洋中心主義」「オリエンタリズム」だと非難する声もあった。あるアジア文化支援団体の責任者はマコーレーに直接コメントを送った。非公式にインターネット上を流通したその文面によれば、そもそも「オランダからジャワを解放した王子」などという記事タイトルからして途轍もない誤りで(王子は捕えられ、反乱は失敗したのである)、歌詞の英訳などは全てパンフレットに掲載されていたことを考えれば、むしろ彼がいかに作品を不当に軽視したかを証している。モーツァルトの「レクイエム」とジャワのガムランとの関係はまさにヨーロッパの植民地主義と当時のジャワの関係のアナロジーなのであり、さらに「レクイエム」がディポヌゴロの生きた時代に書かれた音楽であることを踏まえるなら、これを単なる舞台演出上の陳腐な紋切型として片付けることなどできない。上演前にはサルドノ自身によるレクチャーも開かれていたのだし、これを聞いていれば作品を理解する上で大きな助けになっただろう。非西洋の芸術を論じるには、通常必要とされる以上の努力を惜しんではならないということを、権威と責任ある大新聞の批評家ならば認識すべきだ――。
 上演そのものは確かに多くの予備知識を要求するものであり、決して誰にもでわかりやすいというものではなかったかも知れない。しかし何よりここには、「芸術」という装置が異文化間を架橋できる、といった素朴な普遍主義的信念の臨界が露呈しているといわねばならない。マコーレーは「この作品の中に、何かをきちんと説明している部分が一体どれだけあっただろうか」とも批判している。これは、芸術作品とはそれ自体でひとまず自己完結しており、あくまでも内在的な(immanent)解釈を前提とするものだという認識の表明に他ならない。ならば、パンフレットにきちんと目を通してレクチャーにも出席すれば異文化の芸術はよりよく理解できるのだと主張してみたところで、こうしたロマン主義風の「内在主義」の美学的信仰と和解することは期待できないだろう。
 だがおそらくマコーレーは単に無自覚的な西洋中心主義者ではない。そうではなく、むしろ確信犯的に、NYの舞台芸術「市場」における御意見番の役に徹しようとしている。例えば「世界中からやって来る振付家たちのおかげで、最近のNYではダンス作品で『レクイエム』を流すのなどはもうありきたりのパターンになってしまっている。サルドノには気の毒だったが、そうなのだ」というくだりはどうだろう。マンネリズムを嫌い、絶えず刺激を求める新し物好きのシアターゴアー、つまりは「消費者」の立場に自己同一化した言い回しである。インドネシアであろうが、イスラムであろうが、そんなことは結局のところ関係ない、一つの作品として「買う」に値するか否か、つまりは商品価値が全てだという、いわば資本主義の論理が、ロマン主義風の美学的態度を後から支えていることが見てとれる。
 しかし、これこそまさに、20世紀を通じて芸術が直面し続けて来た問題、そして9・11以降のわれわれにとってはますます切実なものとなっている問題ではないだろうか。「ムスリムの声」フェスティヴァルや、サルドノの『ディポヌゴロ』が対象化しようとしていたのも、まさしくこの、文化的差異をもやすやすと黙殺しようとしてしまうグローバルな市場原理主義(Market fundamentalism)と美学の暴力に他ならない。サルドノの『ディポヌゴロ』と、NYタイムズの反応が、われわれに示唆するものはあまりにも大きい。
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『MOMM』(2010年4月号)〔=朝鮮語訳〕
複数のヒップホップ
 かつて世界中の近代国家がバレエを輸入し、今ではあらゆる国に国立バレエ団が存在するが、いまそれ以上の勢いで世界中に広まっているのがヒップホップであることには異論がないだろう。もっとも、両者の伝播のプロセスには様々な違いがある。特に、バレエには正統を受け継ぐ「中心」(パリ、ロシア、あるいはデンマーク?)が存在するのに対し、もともとアフリカ系アメリカ人によるディアスポラ的な文化であったヒップホップにはもはや「中心」も「正統」もない、という点は大きい。様々な国で世界大会が開かれており、もちろん韓国やフランスはヒップホップが最も盛んな国に数えられる。
 こうした状況に呼応して、世界各地のコンテンポラリーダンスにもヒップホップが大きな影響を与えていることは周知の通りだ。しかも、グローバル化したヒップホップ・シーンでは世界中のダンサーが一定の価値観を共有し、同じ評価軸の上で「バトル」を展開しているのに対し、コンテンポラリーダンスの文脈では振付家一人一人がヒップホップに様々な解釈を加え、多様な価値観を作品で提示している。ここに、いわゆる「ストリートダンス」とは違った「アート」としての面白さがある。
 おそらくこの分野で今、最もよく知られているのはブラジルのブルーノ・ベルトラオ(Bruno Beltrao, 1979- )だろう。リオデジャネイロでストリートダンスを学び、やがてコンテンポラリーダンスへと進んだ彼の作品は、ヒップホップ特有の動きの語彙や考え方を分析して再構築することで成り立っている。デビュー作『From Popping to Pop or Vice-versa』(2001年)は、ポッピンの断続的な動きで「歩く」「屈む」などの日常動作を見せたり、ダンスを音楽のリズムから故意に外したり、よく知られたテクニックやフレーズを一般的なストリートダンスの文法や自然なエネルギーの流れから切り離して組み立て直すなど、実験性に溢れた新鮮な作品だった。あるダンスの様式ないし文法を一つの抽象的な動きの「構造」として捉え、細かな諸要素に解体して行く発想は、ちょうどウィリアム・フォーサイスがバレエに対して行った「脱構築」を思わせる。世界中で話題になった『H2』(2005年)では、ベルトラオはこの方向をさらに大規模に推し進め、恐ろしく複雑に入り組んだヒップホップを生み出すことに成功した。
 ヒップホップに抽象的ないし幾何学的な操作を加えて、いわばポストモダン化するのがベルトラオなら、他方、インドネシアには全く異質な振付家がいる。
 ジェコ・シオンポ(Jecko Siompo, 1976- )はインドネシアの中でも最東端のパプア州出身で、同地の民族舞踊や、人々の特徴的な日常動作に、ヒップホップをかけ合わせて独自の振付言語を編み出した。パプアは深い熱帯雨林が残り、狩猟で生活している人々も多く住む地域だが、彼が首都ジャカルタの大学でダンスを学び始めた時、街の中で若者たちが形成していたストリートダンス・シーンに触れ、ヒップホップとパプア民族舞踊との類似に気付いたのだという。その振付は、動物の動きを模倣した奇抜なポーズを起点にしつつ、体の一部分だけを動かす突発的で短いストローク、細かく激しい重心移動と目まぐるしいステップ、上下動の少ない水平的な空間の使い方などが特徴で、デュオからグループ作品までレパートリーは幅広い。
 しかし興味深いのは、振付そのものの斬新さばかりではない。ベルトラオが「構造」や「脱構築」のような抽象的論理に依拠することで、欧米を中心としたダンス市場で活躍しているのとは対照的に、ジェコは自らの暮らす地域の文化とヒップホップを出会わせて新しいダンスを作り出している、という点に注目しよう。それはいわゆる「文化の画一化」としてのグローバリゼーションと拮抗し得る、「多様性の擁護」としてのローカリゼーションの実践だ。事実、ジェコ独特の「アニマル・ヒップホップ」はワークショップを通じて広まり、ジャカルタでは彼の周囲に若いストリートダンサーのサークルが生まれている。公演の際には、彼らが出演者のうちの重要な一角を占めるのである。
 ところで昨年10月、私はソウルの SIDance Festival での Across Hiphop と題されたプログラムを見た。おそらく韓国の特徴として、ストリートダンスのシーンと、大学で教えられている「アート」としてのダンスの間の垣根が低いということが挙げられるのではないだろうか。ヒップホップの技術と、モダンダンスやコンテンポラリーダンスの技術を兼ね備えたダンサーや振付家が育っている一方、観客層の面でも両方の文脈が入り混じっているように見受けられた。その意味で特に印象深かったのは、Dance Company Medius の『Amusement of Ancients』という作品で、古代の壁画から抜け出してきた兵士たちのコミカルなダンスは、技術的にはポッピンでありながら、舞台正面に対して横向きに保たれた平面的な体勢は明らかにニジンスキーの『牧神の午後』を踏まえていた(演出 LEE Kwang-seok、振付 LEE Woo-jae)。ストリート・カルチャーとアカデミズムのこういう軽やかな融合は、おそらく韓国独特の現象であるように思う。
 少なくとも、日本では考えられない。この国でもヒップホップは盛んだが、韓国のような水準のダンスの大学教育は存在しないし、ポッピンとニジンスキーを同時に使いこなす振付家など想像することもできない。
 とはいえ、ヒップホップをコンテンポラリーダンスの文脈で積極的に活用する振付家たちは日本にもいる。その中で最も注目されるのが KENTARO!!(1980- )で、彼もベルトラオと同様、そもそもはストリートダンスを踊るダンサーだった。
 彼の作品は、ソロにせよグループにせよ、一般的なヒップホップの価値観に異を唱えているように見える。すなわち、得てしてヒップホップのダンサーは肉体的な力を誇示したり、超絶技巧を競い合う傾向があるのに対し、KENTARO!! のダンスはそうした「力」や「強さ」を核に持つ価値観とは違うところにヒップホップの本質を探るのだ。今年1月に上演されたグループ作品『長い夜のS.N.F.』では、その狙いが今まで以上にはっきりと成功していたように思う。���女7人のダンサーのうち KENTARO!! 自身を除けばヒップホップの専門技術に秀でたダンサーはいない。強靭な肉体も、見る者を圧倒する大技も登場しない。それでもこの作品には紛れもないヒップホップらしさがある。それは、ダンサーの体と音楽のリズムの関わり方の問題であり、具体的にいえば、音と音の間で絶えず伸びたり縮んだりするグルーヴに、体幹から起こされる深いうねりとバネによって同期していくことだ。そもそもヒップホップとは「尻が弾む」という意味であって、必ずしも「力」や「強さ」を意味するわけではない。音楽のグルーヴをダンサーが体のバネで受け留め、「弾み」さえすれば、どんな動きであろうがそのままヒップホップたり得るのであり、見る者の意表を突くフォーメーション展開、細かく入り組んだ振付、そしてダンサー同士の活き活きとした交感によって舞台空間が丸ごとグルーヴ感で波打つようなこの作品には、ダンスの楽しさが純粋な形で満ち溢れていた。
 このようなヒップホップの解釈は、おそらくアメリカや韓国、インドネシアではなかなか想像しにくいのではないだろうか。経済の面でも、社会生活の面でも、より強い力を求めていこうとする競争の原理を、良くも悪くも、近年の日本人は放棄しつつあるようだが、ヒップホップに対する KENTARO!! の解釈の仕方には、そうした「強さ」に代わる価値観を求めようとする思想性を確かに感じる。
 以上、ヒップホップに着目していくつかの例を辿ってみた。今やヒップホップには実に多様な解釈を受け容れる余地があり、現に多様な試みがなされている。一つのダンスがこれほど広範囲に普及したことは人類史上かつてないが、それだけに地域ごとの環境を反映したり、思想の受け皿ともなって、今後も様々に変奏され続けていくことだろう。ベルトラオが語るように、ヒップホップにはまだ探索されていない可能性の領域がたくさんあるに違いない。
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『MOMM』(2010年8月号)〔=朝鮮語訳〕
大野一雄――生と死のダンス
 1906年10月27日に生まれた大野一雄は、2010年6月1日、103歳の長寿を全うしてこの世を去った。71歳で本格的なデビューを迎え、90歳を過ぎてもなお国際的に活躍し続けたこの高齢の舞踊家は、最後まで法外な存在だった。
【芸術と生】  スイスの映画監督ダニエル・シュミットの短編映画『KAZUO OHNO』の終盤に、大野一雄が自宅の居間で踊るところを撮影したシーンがある。大野の数ある映像記録の中で、わたしはこの部分が最も好きだ。バックに流れるのはレクォーナ・キューバン・ボーイズの演奏する『アマポーラ』。大野はリラックスした普段着姿で、指で形を作りながら肩をすくめ、優しい目で何かをいとおしむように両腕で空間を抱き込んだり、歓喜と狂気の入り混じった表情を浮かべながら肘で鋭く宙を裂く。一見脈絡のない動きが、加速と減速を細かく繰り返す独特のリズムで連ねられていく。飾り気のない、それでいて強い情感と確かな即興技術を伴った踊りだ。何度見ても不思議な感動を覚える。見た目の美醜や、運動能力の度合などとは関係のない、ダンスそのものの魅力、踊るという行為の豊かさを噛みしめさせてくれるからだ。
 ところでこの映像には、踊る大野を、台所で食事の支度をしながら見つめる夫人の姿も映っている。その佇まいの微笑ましい平凡さと、大野の踊りの素晴らしさのギャップは強い印象をもたらす。あたかもこれは、夫妻にとってはありふれた日常の一場面にすぎないかのようだ。いや実際にそうなのだろう。舞台の上だろうが、自宅の居間だろうが、大野の踊りは変わらない。しばしば公の場で、言葉で何かを述べる代りに踊ってみせるということがあったし、絵画を見て感動のあまり踊り始めてしまうこともあった。彼の踊りはいつも、表現への意志によって作り出されるというより、衝動から生まれる。時には稽古場で、生徒たちをそっちのけにして自ら踊りに没頭してしまう。また大野は舞台が終わると観客のアンコールに応えて一曲踊ることを常としていたが、聞くところでは作品自体よりむしろこのアンコールで踊るのを一番の楽しみにしていたともいう。
 大野においては、舞台上で何かを演じることと、彼自身の個人的な生を生きることの間に明確な境界線などなかったのではないか。舞台と日常が、ダンスという媒介によって見分けがたく連続していた。だから彼の公演においても、一個人としての大野の存在と、大野の作り出す作品世界とをはっきり区別することは難しくなる。観客はしばしば、自分が「芸術」を体験しているのか、それとも大野一雄という「人」に向き合っているのか、わからなくなってしまうほどなのだ。
【大野と舞踏】  一般的には、土方巽と並んで日本の前衛舞踊である「舞踏」の創始者として大野一雄の名は知られている。とりわけ日本国外では、フランスを中心に世界的な名声を得た大野の方が、「舞踏」と強く結び付けられがちである(土方は生涯ただの一度も国外に出なかった)。しかし1949年にデビューした大野の踊りについて、われわれはそのごく一部を知っているに過ぎない。
 そもそも大野とダンスを結びつけたのはごく実際的な動機だった。彼は学校教員として体育の授業を担当していたが、ある転任先の学校のカリキュラムにダンスが含まれていたため、自らもダンスを習得する必要が生じたのである。はじめ彼は石井漠のスタジオに通うが、1934年のハラルト・クロイツベルク(Harald Kreutzberg)の来日公演に衝撃を受けると、翌々年にはドイツでマリー・ヴィグマン(Mary Wigman)のもとで学んだ江口隆哉と宮操子のスタジオに移った。やがて第二次世界大戦で従軍するが、戦後間もなく帰国。1949年に自身のスタジオを開設するとともに、いよいよ最初の公演を開く。
 日本のモダンダンスがドイツ表現主義舞踊(Ausdruckstanz)の影響を強く受けていることは周知の通りだが、当時の写真を見る限り、初期の大野一雄の作風が他の振付家とどう異なっていたのかははっきりしない。この時代の日本のモダンダンスは、詩的なテーマと、奇抜な衣装や舞台美術が全般的な特徴であり、大野に限らず多くの振付家たちが前衛的な活動を展開していた。
 もちろん土方巽もこうした文脈の中にいた。二人は1956年に個人的に知り合うが、土方は以前から大野の舞台をよく見ており、強い衝撃を受けていたという。土方が大野の踊りを「劇薬のダンス」と表現したことはよく知られている。大野のダンスに触発されることがなければ、土方の「暗黒舞踏」はなかったのである。
 1959年には、大野の公演を土方が手伝うようになり、他方ではホモセクシュアリティを題材にした土方の作品『禁色』によって「暗黒舞踏」の幕が開けられた。「暗黒舞踏」は当時の前衛的なモダンダンスさえも超え、近代的なダンスの価値観そのものを荒々しく問い直す反社会的な芸術運動として過熱していった。この時期、大野は自分の作品を発表する他、土方の作品のいくつかにも出演している。
 しかし土方の代表作の一つである『土方巽と日本人――肉体の叛乱』が発表された1968年を境に、大野はしばらく舞台を離れてしまう。そして映画作家の長野千秋とともに、『O氏の肖像』(1969年)、『O氏の曼荼羅』(1971年)、『O氏の死者の書』(1973年)と題する映画三部作の制作に打ち込んだ。この作業は大野にとって重要な模索の経験となったようだ。劇場の舞台とは異なり、具体的な物質性に満ちた自然環境の中での、湖や埃、家屋、動物や植物などとの濃密な交感を通じて、大野の想像力は大きく押し広げられたのだろう。
 1977年、土方の演出による『ラ・アルヘンチーナ頌』で大野は本格的に舞台に復帰する。この公演は大きな成功を収め、大野一雄の表現は「舞踏」として広く認知されることになった。71歳での驚くべき開花である。ラ・アルヘンチーナ(La Argentina、本名はアントニア・メルセ(Antonia Merce))は20世紀前半に活躍したスペイン舞踊家で、大野は彼女の踊りを1929年に東京で見て感激したという。その記憶がどういうわけか半世紀後に突如甦り、彼女に捧げるダンスを踊ることになった。『ラ・アルヘンチーナ頌』は、今日のわれわれが知っている、即興を中心にした大野のスタイルを多彩に展開した作品である。バッハの曲とともに静かな立ち姿を見せ続けたり、アルゼンチン・タンゴとともに大きな腕の身振りやマイム、旋回運動などを奔放につなげていく踊りは、とても71歳とは思えないほどのしなやかさと強靭さを兼ね備えている。動きの語彙だけでなく、衣装や音楽の組み合わせによるイメージの表現まで、この作品によって大野一雄は明らかに独自の表現を確立したといっていいだろう。
 以後の活躍についてはいうまでもない。1980年にフランスのナンシー国際演劇祭に参加し、現地の観客によって熱狂的に迎えられてから、大野の名声は世界的に高まっていった。ヨーロッパ、アメリカ、南米、そして1993年には香港とソウルでも公演を行った。多くの観客に支えられ、また横浜のスタジオには世界中から生徒が集まるようになった。
 大野が万全な体調で踊り続けたのは、2000年頃までである。しかし腰を痛め、アルツハイマー症の診断を受けてからも、しばしば観客の前に登場した。そして生と死の境目がほとんど消えてしまう段階に至るまで、大野一雄は踊り続けた。
【生と死のダンス】  長大な大野の経歴をこのように見てくると、自覚的に「舞踏」の芸術と思想を社会にぶつけていった土方に比べ、はるかに個人的な衝動と偶発事による波乱の連続という印象が強い。大野は偉大な芸術家として独自のスタイルを編み出し、いくつもの名作を残した、というより、大野が自分の生を生きた痕跡がそのままいくつものダンスという形で歴史に刻まれている、という言い方の方が相応しいように感じられる。やはり大野一雄という一個人の「生」と、彼の「作品」とを区別することは難しいのである。
 そして「生」こそは、大野のダンスが常に固執した主題でもあった。もちろんあらゆるダンスは生のエネルギーの凝縮���あるし、どんな踊り手もそのダンスに個人的な生のありようをにじませるだろう。けれども大野の場合は、単に生命の力を目いっぱい味わって享楽するというのとはまったく違っていた。むしろ生命という現象の全体を丸ごとつかもうとするダンス、つまり、「生きている」という現在の事実の中で完結するのではなく、その現在の生を可能にしている条件にまで肉薄しようとするダンスだった。
 その証拠に、大野のダンスはいつも「過去」と深い関わりをもっている。ラ・アルヘンチーナは遠い過去から彼のダンスを支えてくれる根源的なミューズであった。また1990年代に入ってからの大野は自分を産んでくれた母親に捧げるダンスをよく踊った。いわば大野のダンスは、自分の生命のみではなく、自分に生命を与えてくれている過去の生命(=死者)をも含み込もうとするものなのだ。だから大野のダンスは、生命の力をほとばしらせつつ、常に「死」のイメージによっても彩られていた。そしてそれはもちろん大野自身の死を先取りしたものでもある。こうして生と死は、大野のダンスの中で、一つの大きなサイクルとなって循環するのである。
 ごく親密で個人的なムードを漂わせていながら、壮大な生命のドラマを直観させる、それが大野一雄のダンスだった。その大野が死者となった今、後にはわれわれの生が残されているばかりだ。
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『MOMM』(2009年6月号)〔=朝鮮語訳〕
「舞踏」以後の日本に「ジャドソン」は蘇生するか? ――スティーヴ・パクストンと土方巽
 この五月、スティーヴ・パクストンが実に34年ぶりの来日を果たした。一か月あまりに渡って数都市に滞在し、ワークショップやデモンストレーション、そして一夜限りの公演『Night Stand』(リサ・ネルソンとの即興デュオ作品)を行い、とりわけ研究者やダンサーの間では一つの大きな「事件」となった。
 パクストンといえばもちろんコンタクト・インプロヴィゼーション(CI)の創始者として、その名を知らない者はいない存在だが、CIの後も身体とその動きをめぐって探求は続けられて来た。今回はベルギーで昨年発表されたDVD-ROM『背骨のためのマテリアル(Material for the Spine)』を携えての来日である。筆者はワークショップを少し見学することができたが、CI的な要素を部分的には引き継ぎつつも、むしろ個人個人の身体感覚、運動感覚を解剖学的な視点から掘り下げていくようなワークだった。もちろん、DVDを見れば、パクストンが展開しているミクロで繊細な分析には誰もが驚かされるだろう。例えば、手の指を一本ずつ動かしながら、その筋覚を腕、肩、背中、そして腰の辺りにまで遡って、エネルギーの流れが、中指を動かす時と薬指を動かす時ではどう違うかを確かめる、などといったエクササイズには、静かな興奮を禁じ得ないはずだ。どれだけテクノロジーが発達しても、今なお広大な「闇」の世界であり続ける身体の内部を、パクストンは一歩一歩確かめながら探索しているようである。
 ところで、パクストンをはじめとする、いわゆる「ジャドソン教会派」あるいは「ポストモダンダンス」について、近年日本では急速に関心が高まっている。逆にいえばこれまでほとんど関心を払われていなかったということであり、少なくともその理由の一つには、60~70年代のアメリカで「ポストモダンダンス」が展開されたのとほぼ同じ時期に、日本では「舞踏」が起こっていたという事実があげられるかも知れない。1970年代に一部の評論家などがジャドソン教会派を取り上げた時期もあったが、大半は非論理的で感覚的な、あるいは過剰に観念的な解釈に基づく紹介であり、NYのアヴァンギャルドの理論やコンセプト、そして歴史的コンテクストなどはほとんど咀嚼されないまま、むしろ舞踏の圧倒的な存在感の陰に隠れてしまっていたのである。
 ところが2006年3月、トリシャ・ブラウンのカンパニーが、これまた18年ぶりに来日して新旧の代表作を上演すると、同時に初期作品を集めたDVDの日本語版が発売され、ドローイング作品の展覧会も開かれるなど、ちょっとした盛り上がりが起きた。今も若いダンサーたちがNYのブラウンのスタジオへ学びに出かけているほど、一部に強いインパクトをもたらしたようなのだが、筆者自身は残念ながらこの公演を見逃している。というのも、ちょうどこの時期、筆者は念願のNYに滞在して、毎日のようにリンカーンセンターのライブラリーに通いながらジャドソン教会派のことを調べていたからなのである。そして4月からは田中泯が発行しているフリーペーパーで「ポストモダンダンス」に関する連載を始めた。12月には日本の舞踊学会で「ポストモダンダンス特集」が組まれた。それまではほとんど忘却されていた60~70年代のアメリカの前衛が、突然注目すべきトピックとして浮上してきたのであり、その延長上に今回のパクストン招聘があることは間違いない。ちなみに、次はデボラ・ヘイが来日するという噂も聞こえている。
 もちろん、これは単なる気まぐれな流行ではない。また、90年代以降のヨーロッパにおけるジャドソン再評価(ジェローム・ベル、グザヴィエ・ル・ロワ、ボリス・シャルマッツ、アラン・ビュファールなど、いわゆる「コンセプチュアルな振付家」たちによるそれ)に追随しているわけでもない(そうした事実は日本ではほとんど知られていない)。そうではなく、2000年代に入ってからの日本の先鋭的なダンスが、どういうわけか、ジャドソン教会派のそれにあまりにも近似して来ているという事情があるのだ。
 一例を挙げよう。会社員風の服装をした男と女が向かい合って、無内容で取り留めのないおしゃべりをしながら、普段われわれが無意識にしているような意味のない仕草や身振りを延々と持続する。一見するとダンスらしいところは何もないが、言葉や身振りが反復され、リズム感をはらみ、さらにはヴァリエーションや、二人の動きの同期とズレなどに至るまでが、こと細かく「振り付け」られていることが見えてくる。背景に流れる音楽はマーラー。ロマン主義の交響曲の壮大なスケール感と、舞台上の二人の身振りの瑣末さがアイロニカルに対比されているのである。この作品(『クーラー』、2004年)を作った岡田利規は、おそらくイヴォンヌ・レイナーの『We Shall Run』(1963年)のことなど知らなかったに違いない。もし知っていたとすれば、もう少し違った選択をしたはずだろうから。ジャドソン教会で上演されたレイナーの『We Shall Run』といえば、数人のダンサーが、あらかじめ決められた複雑なコースに基づきながら、ひたすらジョギングをするという、典型的な「日常の身体(ordinary body)」「日常動作(daily movement)」による作品であり、しかもその背景にはベルリオーズの『幻想交響曲』がかかっていた。『幻想交響曲』とはすなわち「誇大妄想」「スペクタクル」の代名詞に他ならず、つまりここでもまた、そうしたものの対極にある「等身大」の「日常」がアイロニカルに表現されていたのだ。
 岡田のみならず、ほうほう堂、身体表現サークル、神村恵など、「日常の身体」「日常動作」から出発して、「等身大」のダンスを作る作家の傾向は今もある程度持続しており、近年の日本のダンスにおける最も興味深い成果がこの領域に多く見出されるのは事実である。しかし、なぜ今、「日常性」や「等身大」といったテーマが扱われるのか、という問いに答えるのは難しい。80年代後半、空前の好景気を迎えた日本で流行したような大がかりなスペクタクルに人々が倦んでしまったから、という答え方もできるが、他方では90年代以降の長い不況によって日本人が上昇志向を断念せざるを得なくなったから、というやや意地悪な解釈もある。あるいはかつてジャドソン教会派が謳った「民主主義」の理念が、グローバリゼーションの時代における「マルチチュード」のイメージとして回帰しているというべきだろうか?
 しかし、そこで気になるのは舞踏の行方である。突如として数十年前のアメリカの「ポストモダンダンス」が現在の日本のダンスとシンクロしてしまう一方、舞踏の影はますます薄まっている。形骸化した、表層的なスタイルとしての舞踏だけが生き延びており、一種の「永続革命」ともいうべき理念を掲げた土方巽の後を継ぐような存在はいない。
 かつてスティーヴ・パクストンが、「立つ」「歩く」などといった動作を、人間ならば誰にでも可能な動き、すなわちあらゆるダンスを可能ならしめる基盤と見なし、訓練を受けていない人々がただ「歩く」さまを舞台に乗せようとしていた頃、土方巽は「立てない」ダンスを構想していた。「世界の踊りは全部そうなんですけどまず立つわけですよ。ところが私は立てないんですよ、立とうとして、お前は床に立っているけど、それは床じゃないだろうといわれると、突然足元から崩れていく、ですから一から始まらないで、永久に一に到達しないような、動きの起源というものに触れさせるとか、そういうこともやってますよ」(69年のインタヴューより)。パクストンにとって「立つ」こと、「歩く」ことが、全ての動きの起点としてあったとすれば、土方は「一」から出発するのではなしに、あくまでも「零」と「一」の間に無限の可能性を見ようとしていた。「一」とは、すなわち「立つ」ことだとすれば、ここには、アメリカ流の民主主義=「人間」主義(ヒューマニズム)と、それを拒絶する強力な反植民地主義とのコントラストを見てとることができるだろう。ジャドソン教会派を特徴づけるのは、幻想を追い払い、ありのままの即物的な現実を「肯定」するところから出発する姿勢である。もちろん「ありのままの即物的な現実」など存在しないが(ジャドソン教会派は、その民主主義的理念にも関わらず、WASPの階級的共同体であった)、肯定すべきと考えられたものを肯定するのがアメリカの流儀である。それに対し、土方の思想は徹頭徹尾、「否定」を動力源としている。自分が立っている床という即物的な事実でさえ、単に受け入れることを拒みさえすれば、その「現実」としての自明性は覆える。そこに身体というもののアナーキーな力がある。
 日本にはもう土方のような「抵抗」のダンスはない。そしてあたかも偶然の符合のようにして回帰してきた「ジャドソン」と「日常の身体」。その意味するところは何だろうか。ダンスにおける革新的「マルチチュード」が、ジャドソン教会派の実験精神を蘇らせつつあるのか。それとも一種の「マクドナルド化」のような現象であり、単に日本が経済大国としての立場を失いつつあることの兆候に過ぎないのか。今はまだ、多様な解釈が許されるだろう。
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『MOMM』(2011年12月号)〔=朝鮮語訳〕
日常の喪失――ハイネ・アヴダル、篠崎由紀子『横浜借景 Borrowed Landscape - Yokohama』
 10月末、国内外のダンサーや振付家が中心となって『横浜借景 Borrowed Landscape - Yokohama』というサイトスペシフィック作品が上演された。会場は、横浜の住宅展示場にあるモデル住宅の一つで、観客は一回に15人しか入れない。
 ベルギーに拠点を置くハイネ・アヴダル(Heine Avdal)と篠崎由紀子は、今年2月にも横浜で『Field Works-office』という作品を上演している。この時の会場はオフィスビルの一室で、実際に通常業務が行なわれている中で展開されるインスタレーション・パフォーマンスだった。筆者は見ることができなかったのだが、通常勤務中の社員たちとパフォーマーが入り混じり、観客はわずか数名のみというこの「フィールドワーク」はいかにも刺激的なアイディアである。それに対し、今回の『横浜借景』は実際に人が住んでいる住宅ではない。家具や日用品を使いながら日常と虚構の境界で戯れるようなパフォーマンスなのだろう、との予測は容易に立つが、やはり住宅展示場のモデル住宅という点に物足りなさを感じる。本当に誰かが生活している家を使うことは難しかったのだろうか。――しかし実際に会場に着いてみると、まったく違う感情が湧き起こってきた。
 住宅展示場は駅から徒歩10分ほどのところで、殺風景な商業ビルなどに隣接した敷地に、意匠を凝らしたモデル住宅が居並ぶ。開演前に、家々を眺めながら少し歩き回ってみた。レンガ造りの壁に巨大なガラスが大胆にはめ込まれていたり、モダンな間取りに贅沢な和室が組み合わされていたり、お洒落なカフェのようなテラスが設けてあったり、一軒一軒のデザインはほとんど無邪気ともいえるほどの、「理想の住まい」への夢と憧れに満ちている。モデル住宅とは、予算や周辺環境などによって妥協を強いられる実際の建築とは異なり、住まいに対する人々の希望や欲望を極端なまでに凝縮して見せるものなのだ。
 しかしこうした「理想的���」家々の輝かしく誇らしげですらある佇まいが、不毛な絵空事として感じられてしまったとしても、それは決して筆者の主観ではないだろう。3月11日のあの震災を経験し、そして今なお原発事故の脅威にさらされ続けているわれわれは、こうした無邪気な「理想」の展示を前にして、虚しさを覚えずにはいられない。安心して住まうことのできる「家」などという場所のイメージを、われわれはもう持てなくなっているのである。あの日から半年以上が経ち、ようやく余震は終息しつつあるものの、土壌や食物の放射能汚染が広がっているニュースは毎日報じられ、不安はいや増すばかりだというのに、被災地を除けばあたかも元の日常生活が取り戻されたかのような錯覚さえ生み出されている。政府やマスメディアによる巧妙な演出がいかに効果的に働いているとはいっても、こんな状況下で「理想の住まい」などというものに本気になれる人はいないはずである。これこそが、われわれの直面している現実なのだ。
 会場となる住宅の広々とした玄関に足を踏み入れると、部屋や廊下のあちこちに人がいて、凍りついたように停まっている。テーブルで乾杯をしている男女、ソファで新聞を読む男、台所で料理をしている女、など。カチコチという時計の音だけが響いている。いくつもの部屋の中を見て回っていると、やがて料理をする音や、話し声などが少しずつ聞こえ始め、パフォーマーたちもゆっくり動き出す。階段をゆっくり降りてくる男、窓の外をのぞき込む女、トイレに入ってうずくまる男。静まり返ってはいるが、生活音が建物の中のあちこちに置かれているらしいスピーカーから時折聞こえてくる。観客はパフォーマーたちの動きを追ったり、音の聞こえてくる方へ移動したりしつつ、部屋や廊下などの空間を味わい、無言の人々が演じる日常生活の断片を見る。少女のようなワンピースを着たダンサーは子供部屋で一心不乱にお絵かきをしている。スーツ姿の男が赤ん坊の人形をもって来て、半屋外に作り付けられた贅沢なジャグジーで体を洗ってやる。台所で料理をしていた女はベッドルームに移動して、どういうわけか顔を手で覆いながら徐々に激しく暴れ始め、錯乱状態に陥って部屋の隅にうずくまる。テラスで他愛もない口喧嘩をし始める男女は、自分のセリフを、紙で作ったマンガの吹き出しのようなものを自分で頭上に掲げることによって示す。
 パフォーマーたちの演技は、一見すると日常動作に近いが、しばしばマンガ的に誇張された無言の身振りでもあり、生々しいリアルさと芝居がかった虚構性の絶妙なあわいにある。そしてそれは、建物自体に充満する作り物めいた「日常」の雰囲気とも見事に呼応している。つまりモデル住宅が、現実の住居というよりもむしろ住居に対するわれわれのイメージや欲望を凝縮して映し出してみせるシミュラークルであるように、彼ら彼女らの演技もまた、瑣末な日常を生々しくリアルに提示するのではなく、日常生活についてわれわれがどのようなイメージを抱き、どのような欲望を抱いているかを凝縮して提示するシミュラークルに他ならないのである。
 やがてテラスに隣接したバーで音楽がかかると、全員がそこに集まってきて、踊ったり、酒を飲んでふざけ合ったり、のパーティーが始まる。ひとしきりの騒ぎが終わると、パフォーマーたちは一人ずつ階段を降りて去っていくのだが、観客もそれを追って階下に移動すると、そこにはもう誰もいない。リビングも台所も風呂場ももぬけの殻で、ただ空虚な時間が流れ続けているばかりだ。しかし室内には、人々の気配が残っているように感じられる。もういなくなってしまった人々の痕跡、記憶、そしてそれを包み込むようにして支える「家」という空間だけが、静かに持続している。それは不意を突くようにして訪れた、メランコリックな光景だった。津波によって消えた町、あるいはゴーストタウンになってしまった福島の町の中に佇んでいるような、あるいはまた、被災地から遠く離れたわれわれの日常生活の根底が突如として剥き出しになって現れたような、そんな瞬間だった。
 アヴダルと篠崎の『横浜借景』は、われわれの日常的な生のありよう、すなわち今まで(3月11日まで)当たり前のように過ごして来た日々の営みがどのようなものであったか、そして「日常」なるものに対してわれわれが漠然と抱いてきた安心感と依存とを、はっきりと対象化して見せてくれた。当分の間、われわれが安心して過ごすことのできる「日常」などは訪れないだろう。物理的条件ばかりではない。むしろ「日常」をめぐるわれわれのイメージや欲望をこそ、変えなければならないし、その可能性は今まさに開かれているのだ。
――――― 『横浜借景 Borrowed Landscape - Yokohama』 2011年10月28日~11月1日 会場/横浜ホームコレクション内「ハウゼ」モデルホーム コンセプト・演出/ハイネ・アヴダル、篠崎由紀子 テキスト/岡田利規 音響デザイン/ファブリス・モワネ 振付・出演/ハイネ・アヴダル、篠崎由紀子、小浜正寛、神村恵、社本多加、川口隆夫、長内��美
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umizuha · 8 years ago
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Hanakodama Live 2017.12.23 SLAUGHTERTABLE present VIOLENT SUNSHINE vol.4
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山安籠とコサカイフミオによる幻のユニット”花木霊”が10数年の空白を経て遂に地上に再降臨する!くわっつもくせよ!
年末はこれと12/27のモロハシシゲキ祭りで決まり!
【2017.12.23 江古田フライングティーポット】 山安籠+コサカイフミオの「花木霊」、自分でやっているにもかかわらず、どういうバンドっかっていうと説明しがたい…。ツーカ、昔やったこと、半分忘れている…。 活動していた時は二人の即興的な歌とサイケな電気楽器による即興的演奏でした。だが、しかーし!今回は違ったことをやりますよ!乞うご期待!
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2017.12.23 (sat) 江古田カフェ・フライングティーポット 「SLAUGHTERTABLE present VIOLENT SUNSHINE vol.4」 Open/Start 18:00/18:30 Adv/Door 1500/2000yen+1drink
⚫️DAMNATION ALLEY ⚫️オメガポイント ⚫️花木霊 (山安籠+コサカイフミオ) ⚫️JDOW ⚫️Necromist
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|ω・)花木霊は「はなこだま」って読みます。山安籠は「やまあかご」って・・・http://umizuha01.exblog.jp/22688280/
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ライブ後記 2017.12.23 (sat)SLAUGHTERTABLE present VIOLENT SUNSHINE vol.4 江古田カフェ・フライングティーポット
本日のブログは、半年近く前の話になります。 Warm Gardenで何度となく紹介しております、SLAUGHTERTABLE様。 https://www.youtube.com/watch?v=GNg6bEvX0ug このSLAUGHTERTABLEの企画がVIOLENT SUNSHINE。 SLAUGHTERTABLE は NECROMIST+AMNESIA-CHANNEL      https://twitter.com/NECROMIST1/status/982572057694056448      http://umizuha.tumblr.com/post/140808374556/necromist-analyze      http://umizuha.tumblr.com/post/143146045791/amnesia-channel      http://umizuha.tumblr.com/post/140808383581/move-gerira-noise 2017.12.23 (sat) 江古田カフェ・フライングティーポット 「SLAUGHTERTABLE present VIOLENT SUNSHINE vol.4」 Open/Start 18:00/18:30 Adv/Door 1500/2000yen+1drink ⚫️DAMNATION ALLEY ⚫️オメガポイント ⚫️花木霊 (山安籠+コサカイフミオ) ⚫️JDOW ⚫️Necromist Necromist ここしばらくずっと、ハーシュパワーノイズの彼を識ってたんだけど、 この日は別人だった。 なんか、あの、街頭演説みたいな感じ。っていうか、街頭演説。 昔の80年代のアングラパフォーマンスを思い出す感じ… ちょっぴりショッキング。あたしが好きだったネクロじゃなーい。 どっきりショッキング。立ち方美しい。 そして。このなんというか、一人演劇っぽい感じ(?)のパフォーマンスに 彼の特徴的な美しい舞踏のかけらをちりばめた・・・そんなステージに 彼のBai sema Noiseが重なってくる。 彼は、このライブの後、しばらくして別種のパフォーマンスノイズをやったらしい。 聞くところによると、その時々のテーマで容姿から変化してくらしい・・・。 油断できない、注意すべきアートパフォーマンスミュージシャンである。 https://twitter.com/NECROMIST1/status/982572057694056448 . OMEGAPOINT 濃厚な音。このまま眠り、ずっと身をうずめていたくなるような感じ。 賢者にも似た人の熟練した音捌きと、会う度きらめきを魅せる人の合いの手が、とても良いチームなのだなぁと思いました。 ネットで、先日のライブで最後となったと知りました。 問い合わせたところ、omega pointは、40年目にて終結されたとのことでした。 OMEGA POINTは2018年で終了しましたが、新たな音楽プロジェクトとして「Japonesian」が近日OPENするそうです。 Japonesianサイト japonesian.com https://www.facebook.com/profile.php?id=100008382224276&ref=br_rs http://sound.jp/abi/ アビシェイカー(Abisyeikah) . JDOW あたしは、ノイズってのは、気合いだと思います。 マンパワー。これが一番ダイレクトにわかりやすく伝わる音楽。 あたしは運がいいです。 こんな久々のライブで、対バンに、超インパクトなバンドを用意されてるとは。 恐れ入りました。 砂。ですよ。砂。 ほら、あの砂漠。草が丸まってゴロゴロころがってくる荒涼感。 そして無になる。無になってサボテンとかになってすましてるとですね。 ものすっごい嵐がやってくるんです。すごいSTORM。 観たほうが良いです。観たほうが・・・。 JDOW https://jdow.bandcamp.com/ https://twitter.com/jdow_ID https://umizuha.tumblr.com/post/143146054771/jdow . DAMNATION ALLEY BOBさんって、いろんな表現方法のある人なんです。 この日は、ダークシャドーっぽかったですね。 完全に暗黒響。 漆黒のステージ。 渋いダークサイケデスボイスノイズ。 カッコ良かったです。 BOBさん、ありがとー!!!!! @pukka_white14 4月4日https://twitter.com/pukka_white14/status/981630569313312768 サカイボブオさん@bobuo_gero から凄い誕生日プレゼントをいただいた!ポプテキャパシタンツ!サカイさん、天才です!4/7小岩ブッシュバッシュ、ヨロピコ!
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花木霊(山安籠+コサカイフミオ) 昔、花木霊ってユニットをコサカイ・山安籠(やまあかご)で組んで。 数度ライブやったら、気が付いたら結婚して子供がいました。 随分と、縁起の良いバンドです。 誰だって、花木霊を観たら幸せになります。 で、10年以上の時を経て、復活いたしました。 復活に当たり、昔の事はすっかり忘れてしまった二人でしたので 新しく曲を作りました。 そもそも宇宙エンジンの人の作る曲ですから、毎回アレンジも全体の長さも変わります。 そんな曲です。そんな曲に、定まった歌詞が載っていられるわけがありません。 大体の歌詞ありますが。歌いまわしは、ほぼ即興で。 最近はズッポリ深海に居りますので、深海の唄をたくさん作り歌いました。 アシッドサイケですって。 山安籠節全開、全能力駆使して挑むF.コサカイ。 サードイアー好きな人に絶賛おすすめです。 https://umizuha01.exblog.jp/tags/hanakodama/ https://umizuha01.exblog.jp/26241346/ https://umizuha.tumblr.com/post/155357763181/hanakodama-live-20171223-slaughtertable-present . . https://twitter.com/NECROMIST1/status/982572057694056448 4/22 日曜日 新宿駅東南口改札直ぐの路上にて、 開始22:30 VOMIR with NECROMIST ゲリラノイズやります。
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4/22(sun) Shinjuku Station South East Gate START/22:30 VOMIR with NECROMIST Play Guerrilla Noise Gig!!! . JDOW https://jdow.bandcamp.com/ https://twitter.com/jdow_ID https://umizuha.tumblr.com/post/143146054771/jdow JDOW “smile” 6:44 ROARING SOUND & SILENT RS&S-002 ¥2000 
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EAT/JDOW 7inch Split Release Tour 2018.04.07[sat] socrates KYOTO SOLMANIA EAT GARADAMA feat. LINEKRAFT GUILTY C. She luv it JDOW https://www.instagram.com/p/BhKspoclZqR/ JDOW@4/7京都ソクラテス https://twitter.com/jdow_ID/status/983357505152565248 
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4/8(日)国分寺MORGANA “POST ANTI ART vol.1” OMEGA POINT 黒電話666 whales UxDxMx EAT JDOW DJ:DARKLAW JDOW@4/8国分寺MORGANA https://twitter.com/jdow_ID/status/983361659979747329 … 
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. OMEGA POINT Final Performance !!! 2018年4月8日 東京国分寺"Live House MORGANA"にて開催された JDOW/ EAT sprit release gig “Post Anti Art”にて OMEGA POINT 40年(1978-2018)の歴史に幕が下ろされた。 撮影はOMEGA POINTの初期から現在までを知る、長島弘幸氏によるもの。 https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=2072124126410308&id=100008382224276 https://www.youtube.com/watch?v=eJBlk3peuVI&feature=share Japonesianサイト(近日OPEN) japonesian.com https://www.facebook.com/profile.php?id=100008382224276&ref=br_rs http://sound.jp/abi/ アビシェイカー(Abisyeikah) . 花木霊 〜 龍宮の使い 〜 https://www.youtube.com/watch?v=MnDZ9fxw9NM&t=9s 花木霊 〜 沖のてづるもづる 〜 https://www.youtube.com/watch?v=3jznevHCezo&t=121s 花木霊 〜 無伴奏の昼食 〜 Ver.2 https://www.youtube.com/watch?v=ZYvzNXkoBA0&t=3s 花木霊 この日のライブ曲名は 1.龍宮の使い 2.せんじゅなまこの観る夢は 3.湯の花蟹 4.沖のてづるもづる 5.無伴奏の昼食(Ver.2)(作曲・宇宙エンジン)
http://d.hatena.ne.jp/zagi39/20180419/1524148613
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