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山川陸インタビュー 後編
聞き手:福留麻里
ドリフターズ・サマースクール
➖話は戻るんですけど、今回のフェスのトークイベントにもなっている「ドリフターズ・サマースクール」について、参加しての変化や気づきなど、伺ってもいいですか?
ドリフターズは、その時確か2回目で、4回目までやって終わったんですけど、僕のやった2回目は2011年の夏で、震災の後の夏で、当時ハタチくらいで、美大生とか服飾の学生とか、基本は20代前半から後半のプロないしはプロを目指している人たちで、会場も、KAATで大きくて、わーっと集まっていました。それで、集まったはいいけど、震災の直後だったこともあって、多分どのジャンルでも起こっていたであろう議論、「そもそも作る意味とは?」とか「お金を取るものを僕らが提示することにどんな意味があるのか」みたいなそもそもの議論みたいなことをしていました。みんなこれから作ったりしていきたい人たちなのに、その前提を覆すような事態が起こって。悶々とした夏休みみたいな。一晩中松戸のスタジオみたいなところに集まって、作品のテーマみたいなことを話し合って結局何も決まらずに、みんなで河川敷に行くみたいな。
➖青春すぎるじゃないですか!
40人くらいの若者が……。その時は結局作品タイトルがつかなくて。タイトルないしは作品の主題は、出したかったんですけど、40人で悶々と議論をしていても、そこに行き着かなくて。作ることへの漠然とした不安とか、世代特有の気分とか、共通したものはたくさんあったんですけど、どれも今この時に、主題として提示してもな、と思ってしまって。
➖価値が小さく感じてしまうみたいなことありますよね。
何人かリーダー格になる人はいたけど、そもそも40人の人で議論して作るってことが難しくて。
➖40人ってすごいですね。
ダンサー10人、建築10人、ファッション10人、制作10人
➖それぞれ10人ずつでもやばいのに……(笑)。
みんな好き勝手なこと言うから(笑)。難しいなって思ったのは、建築の人は基本クライアントワークをする人たちだから、自分で主題を出すってことが難しくて。命題はあるんですよ、例えばさっき言ってた、空間のレッスン、何かが変化するきっかけをどう作るか、みたいな。メタな命題はみんな持ってるんだけど。それは構造的な興味だったりするから、それだけでは作品にはならなくて、実験にしかならない。だから建築コースは主題は提示しづらい人たちだったし、他の人たちも主題を出すことにためらいがあって。だから最終発表は「ショーイング」になったんですよね。それを面白かったって言ってくれる人もいて、ただ2か月半くらい40人の若者が集まって、作ることに向き合った成果にはなったというか。でもその時に、作品作るのは難しいっていうのを体験しました。
➖その時に、建築、ダンス、ファッション、制作の人で集まって、他のジャンルの人たちはどういうふうに映ったんですか?
僕は、ダンスは稽古場に入り浸ってたというか、一緒に筋トレしてたり、今回のWWFesにも参加してるハラ(サオリ)さんもいたり、前年に芸大の仲間でパフォーマンスを作った経験もあったので入口があって面白かったですね。一番異質だったのはファッションの人たちでしたね。そもそもあんまり批評がない世界であるってこととか、歴史化あんまりされていないんですよね。
➖意外!
服飾の歴史みたいな、ルネサンスみたいな、そのくらいまで遡ると残ってるんですけど、ファッションが20~30年でサイクルし始める時代に入ると、歴史化��ようがないというか。一つのブランド単位で、サイクルはアーカイブされてはいるけど、もっと大きな流れで、ファッションの変遷がどういうことだったのかというような批評がないし、そもそも自己批評をしようと思ったこともない人もいたり。
➖ファッションってファッションショーとかが常にあって、他者の目とか、評価に常にさらされているというイメージがありました。
もちろんあるけど、それが文化批評とかまでは深まらないというか。今シーズンこうだった、というところに止まるような。一方で面白かったのは、彼らは、出てきたアイデアを数秒でサンプルとして作る。稽古場にミシンが置いてあって、すぐに試せるみたいな、それで人が使うとどうなるかみたいな。建築の場合は、建物でいうと何年単位で動くので、何かを思いついたら、バリエーション考えて、スケッチして検証して、紙の上で考えて、模型作って、ようやく吊るして見るみたいな、そうこうしてるうちに、クリエーションに置いてかれて、ちんたらしてるって思われる。タイムスパンがかなり違いますよね。
➖それわかります。違うジャンルの人とクリエーションすると、そのタイムスパンの違いがすごくありますよね。それで、気になっていたのが、ドリフターズに参加した後に、人がいなくても成立する空間を作りたいというふうに興味が移ったって言っていたじゃないですか。その夏の経験で、そう思うに至るきっかけみたいなものがあったのか気になったんですよね。
変わったっていうことは認識してるんですけど、変わり目についてはあんまり意識してなかったですね。
➖私とかはすごくその話に関係あるじゃないですか。人がいるってことが前提で、そこに何を起こすかってことに興味がある人だから。山川さんは、パフォーマンスに関わることで、そっちに行くんじゃない、というのが気になって。その力ではなくて、もしかしたら、その力に頼らない方がいいとかそういうことなのかもしれないけど。
それに近いですね。これ建築関係の人が舞台系に関わる時に大体全員感じることがあるんですけど、つまり、「何もしなくてもいいんじゃないか」みたいなことなんですけど。漠然と空間と呼んでいるただ何もない状態じゃなくて、何かが感知できる場所っていうのは、ダンサーが1人いればできるっていうことを思ってしまうフェーズが一回はあるので。人がいなくても予感させたり、前後の時間を想起させるようなもののあり方はできないか、という方向に向かったのも、パフォーマンスする人の力が非常に強いってことを再確認したからこそっていうのはありますね。あとは、再現性っていうかな、物の場合は、そこに行きさえすれば、何かが起こる可能性があるというのが良さですね。
ストリートフリスビー
➖フェスのことに話をつなげていきたいんですけど、今回のフェスの空間のアイデアってすごくシンプルじゃないですか。空間そのものが、パフォーマティブではないっていうか。最初は、空間そのものが主張があったり、見るからに人が関わることを待ってて、人の関与が加わることで変化して行く、っていうようなものをイメージしていたんですけど、今回はものすごく質素だけど、相当、介入してくるっていうのが面白いなと思ってて。
それは自分の中でドリフターズに参加したことが影響してます。その時はもっと色々やったんです。
れも同時多発性のパフォーマンスで、舞台に16枚の幕が垂れてて、4面客席にして、絶対に全ては見れないようにして、「そもそも全てを我々は見れてないよね」っていうことを言っていて。それも面白かったんですけど、見てる人の意識が変わる瞬間ていうのが、一回しか訪れなくて。
➖え!どういうことですか?
気付きみたいなものが一回転しかしないというか。
➖なるほど。大きな気づきがやってきた。はい。みたいな感じですかね?(笑)
で気づいた後には何も続かないというか。一回何かその人の中で変わるんだけど、変わって終わってしまうというか。変わったことによって、作品を見ている間も作品を見終わった後も、その人に影響を及ぼすようなそういう気づきとか転換を生むには、もうちょっと主張しないというか、もうちょっとニュートラルに近いんだけどよく見ると異質なところがあるくらいな方がいいんじゃないか、と思って今回はそう考えてやっています。そのちょっと異質な部分っていうのは建築やっているような人しか気づかないようなものから、もっと誰にでも気づかれるようなものまで、いろいろなレベルで仕込んでは行くんですけど。今回は「租界」っていうテーマも受けて、もうちょっと「租界」っぽくというか、場所自体が特殊である必要はないというか。だから、パフォーマーに対してというよりは、もう少しゆるく、「訪れる人」全般に対しての空間という感じで考えています。
➖たしかに。プレッシャーを与えないですよね。空間ってたまにプレッシャーがあるのもあるじゃないですか。使った方がいいかなみたいな。そういうプレッシャーはないけど、関わらざるを得ないというか。自然なようで不自然な状況が生まれる気���して。視界に入ってき方とか。そこが楽しみだなと思っていて。
4日間かけて、見え方も変わってくるかなと思うので、何回か訪れて欲しいな、と思いますね。お客さんには。それでもう一つ質問が、ダンスのフェスだからっていうのもあるんですけど、山川さんが活動する上で、「身体」っていうのはどういう存在ですか?
そうですね。さっきの段差があるからそれを越えなきゃみたいな話じゃないですけど、完全に直結した、密実な身体と空間の関わりもある一方で、僕が身体と空間のことを考える時に好きなのは、「ストリートフリスビー」っていうジャンルのことで。
➖えー何それ。
フリスビーって公園でやることが多いと思うんですけど、それをストリートでやるっていうものです。スケボーとか、BMXとかみたいなストリートでやるものの仲間です。例えば、立体駐車場のカーブしてる壁でギリギリその壁に当たらないように、向こうにいる仲間に飛ばしたりとか。要は、手首のスナップ具合が、都市とリンクしてるんです。ある壁の、登ることもできないし通常だったら触りもしないような都市の大きい空間と、手首のスナップが、フリスビーを介して接続してるっていうのが面白いなと思って。そういうレベルも含めて、都市と身体っていうことを取り扱えたら面白いなと思っていて。もちろんさっきのオブジェクトディスコのように意味のレベルで頭が接続するってこともありますけど、身体のある部位が大きいものと接続するっていうのも面白いなと思ってます。
➖面白いですね。あとさっきの話で面白いなと思ったのが、建築は、絶対数が違うみたいな話をしてたじゃないですか。それは時間的なことも言えるというか。ダンスは目の前の、究極にいうと、たった今でしかないというのがあるけど、確かに建築は、自分が死んだあとも、誰かが使ってくれるかもしれないというか。
でもダンスは強いと思いますけどね。身体そのものへの気づきを与える鑑賞行為というか。僕は基本的には主題を拾うのが苦手というか、構造とかを見る方で、その動作が、どういう気持ちとつながっているか、というその気持ちには興味はないけれど、その動作を通じて、あり得たかもしれない自分の身体の可能性を感じることができるというか。見ているその時は目の前のことだけど、見る前や、見た後の可能性という意味では、長い時間の話でもあると思う。
あと、ドリフターズの後に、一回だけ何人かで一緒にやったプロジェクトがあって。早朝に、都内の駅とかビル街を巡って、明らかに面白い場所が誘発する運動を、ダンサーに読み取ってもらって映像に撮るというのをやりました。そのサイトスペシフィックなパフォーマンスの良いところっていうのはその場所を訪れる度にその人のことを思い出す。劇場に行っても身体的に誘発して記憶に蓄積されるものはたくさんあるので、意外とそんなに刹那的なものでもないと思いますね。
➖ありがたい。たしかにそういう側面はありますね。
余談ですけど、その時に一緒に街中でやった友達は、今自分でそういうことをやってるみたいですね。
➖あ、白井(愛咲)さん?
そう「もやもやアグよし」で、コアな場所でやっていて、良いなーと思って。意外とそういうことやっている人少ないなと思って。
➖ひそかに私、ほうほう堂でそれやってましたよ。「ほうほう堂@シリーズ」っていって、月一回数十か所でやりました。
WWFesとレッスンのレッスン
➖あと二つ聞いても良いですか? 山川さんが活動してる建築の世界と、今回のフェスのような世界って、真逆のような部分もあるなと思っていて。今回のフェスって、予算もない中でやっていて、「アーティスト主導」っていうそれこそ命題を持ってやっているんですけど、そのことが意味があると思う時と、意味あるのかな?と思う時もあって。今、木内さんと山川さんは、限られた条件の中で、すごくアグレッシブに、自分で協賛までとってやってくれていて、その辺どう見えてるのか、映っているのか聞いてみたいです。
建築の側からすると、こういう場じゃないとできないことがあってラディカルに自分のやりたいことができるし、こういう場に来る人って意識的な人多いので、そういう人たちを通じて、あまり意識的じゃない人にきっかけを生むにはどうすれば良いのかみたいなフィードバックはできるので。
➖あー確かに、じゃあ「レッスン」の場みたいな感じですかね。
そうです、レッスンのレッスンというか。
➖そうですね。それぞれがそういう場として、使えばいいというのはありますね。
こういう場はもともと好きなので、色々面白いことしたいなというのは常に思ってますね。面白いロケハンしたいなとか。
➖最後に今回のフェスに期待することをお願いします!
4日間自体が面白くなって欲しいのはもちろんなんですけど、どれくらい、日常に持って帰れるものになるかというのはありますね。同時多発の作品とか、増えてるし、きっと昔からもあると思うんですけど、それが普段の生活とか、普段街中で起きていることと繋がったり、そのことを見直すきっかけにこれがなったらいいなと思います。
➖ほんとですね。そのためにどういうことをすればいいんだろう。もっと考えたいですね。本日はありがとうございました!!

山川陸|Rick Yamakawa
1990年生まれ。東京藝術大学美術学部建築科卒業、松島潤平建築設計事務所に勤務(2013-15年)。2010年よりグリ設計名義で活動。現在・同大学美術学部教育研究助手。近作に『オブジェクトディスコ』(2016)、『ピン!ひらはらばし』(2016)等。建築がどのように読み取られ受容されるかを関心とし、設計業務の中で可読性の検証を行う。他、NPO法人モクチン企画、NPO法人有馬の村への参画。」
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漂流教室 ドリフターズの行方
トーク:ハラサオリ(美術家/ダンサー)、冨永美保(建築家)、山川陸(建築家)
企画:山川陸(wwfes 2018空間デザイン)
4/28[土]10:00-12:00|500円(ドリンク付)
会場:北千住BUoY
詳細:http://bodyartslabo.com/wwfes2018/festival/access
前編
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山川陸インタビュー 前編
「WWfes 2018」で、木内俊克さんと共に空間美術を手がけた山川陸さんのインタビューです。建築家ならではのパフォーマンスへの視点やその移り変わりも興味深く、今回のBUoYの空間美術へと地続きにつながるお話しが伺えました。
聞き手:福留麻里

空間のレッスン
➖最初に自己紹介的に山川さんがどういう活動をこれまでしてきたのかを聞かせてください。
仕事は建築設計をメインに3本立てで動いていて、一つは、自分名義での設計事務所を、もう一つは大学の仕事で、研究室の先生について助手をしていて、もう一つは、古い木造のリノベーションを主にやっているNPOで、それは設計事務所というよりは地主さんとか不動産会社の人とかと仕組みを作りながら仕事をする、というものです。芸大の建築科を卒業して建築事務所で3年働いて独立した、とい���感じです。
➖大学では主に何をやっているんですか?
僕がついているのが、藤村龍至先生で、ニュータウンでの研究活動を行っています。ニュータウンというのは、ある時期人が一斉に住み始めたので人口分布が偏っていて、昔若年世帯が入ったニュータウンは軒並み高齢化しているんですね。今「高齢過疎」って言われている地方とかよりもはるかに高齢化率の高いニュータウンが実は関東にたくさんあるっていうのがあって。そういう老人ばっかりの街で公共施設とかはどうしたらいいのか、自分たちで集会所を運営するにはどうしたらいいか、補助金頼みとかではなくて、ちゃんと稼げるようになるにはどうしたらいいかとか、これから日本全国で発生するであろう問題をニュータウンで先取りして建物も含めてどう対処できるのかっていうのを研究したり実験してます。
NPOの方もそういう問題に近いところを扱っていて、戦後すぐにわーっと作られた古い木造が今一斉に老朽化していて、そこに建築家はどうアプローチできるのか試みています。一斉にできてしまったものにどう対処できるのかっていうその仕組みとかを作ろうとしている点で、問題としてつながってている、それぞれの活動を自分のプロジェクトにも接続しようと思って、山川の実家でもある三重県の熊野市、そこは典型的な高齢化している土地で、世界遺産があるから観光客は来るけれど、宿泊施設とかはないので、バスツアーが20分滞在してすぐに発車してっていうのが日々ものすごい人数で繰り返されているっていう土地です。そこで何ができるとか何をするかっていうのを、まだ具体的に動いているわけではないけれど、自分なりに複数の活動をフィードバックして行く場所として、今はリサーチをしているところです。
➖建築っていうと、勝手なイメージだと、新しいものを建てるというイメージがあるんですけど、今聞いていると、もともとあるものをどういかすか、という感じですか?
奈良とか京都とかの古いお寺とかが、たまたま何百年か残ってるけど、基本はそういうサイクルでは、街場の建物は残らないという文化圏なので、定期的に建て替える必要は絶対あるんですけど、闇雲に建て替えずに、例えば10年後に建て替えるとして、残りの10年間を今の建物でどうやったら、次の建て替えの時にうまい使い方をできるようになるかみんなで考えるというか。僕は最近は、そういうリノベーションとかを、レッスンとして扱えないかって考えていて。要は新築で新しい挑戦っていうとちょっとバクチになるけれど、リノベーションで10年後に取り壊しが決まってるってなると、新しいことに挑戦したり、冒険したりもできる。もちろんそこには、いつ起こるかわからない地震とか日本特有のリスクもあるんですけど、そういう実験が、古いストック活用だとできる。
➖面白い。そもそも建築の方向に興味がいったのはどういうことなんですか?
何か作る仕事をしたいっていうのはあって。もともとは、機械工学とかロボット工学だったんですけど。小学生の頃とか。
➖あー、その頃からもうそうだったんだ。
今にして思うとエンジニアになりたかったというよりは、モチベーションはデザイナーだった。もともと漫画とかアニメとか好きだったから、そういうのに出てくるロボット的なものに憧れて。それが高校生の時に、塾の学生講師に、大学の建築学科の人がいて。それで数学とかでやっているようなこと、何の役に立つのかわからないけど面白い数学が、図学とか美学の中で関係してるっていうのを聞いて、建築が面白いんじゃないかと思い始めました。
➖今のお話を聞くと、環境にどう折り合うか、というか、今現在世界がどうなっているかとか、環境がどうなっているかとかとの折り合い地点みたいなイメージなんだなと思ったんですけど。
建築の体験と時間
多分、そのレッスンみたいなことがデザイン上の興味として僕の中で重要で。2年生の時に、芸大の音楽環境創造科っていうところのパフォーミングアーツをやっている人たちと、一軒家をリノベーションして、そこで24時間のパフォーマンスのイベントを打つっていうのを一回やったことがあって、それが面白かったので、翌年ドリフターズ・サマースクールに参加しました。
➖その面白かったっていうのは、イベントを行うことがってことがですか?
今振り返るとそのパフォーマンス自体が面白かったかどうかはわからないんですけれど、半年くらいかけて建築以外の学生と一緒に議論して作るっていうことが面白くて。それでレッスンの話に戻ると、例えばある舞台美術があって、パフォーマーがそこに関与するとそれまで見えていたことと違う意味が生まれる、意味が転換する瞬間が面白いと思って。実際ドリフターズで設計した空間とか演出は最初と最後でまったく同じレイアウトに舞台美術が戻るんだけど、途中で起きるいくつかの出来事、パフォーマーと空間の関係によって、最初とは違う意味合いに空間が見えるということを起こす仕組みを作る。それが面白いとその当時は思っていて。
ただその後、設計事務所で実際に建物を作ることとかをやっていく中で、少し興味が変わってきたのが、演劇とかダンスの場合は、空間の中で、“先生”のように目の前でパフォーマンスしてる人がやって見せてくれる。ことで、空間や物の見え方が変わるっていうスイッチが作動するんだけど、そういう人がいなくても、意味に気づいたり、変化に気づくきっかけを作れないか。ということです。最近、役者のいない演劇とかって銘打つものもありますけれど、要は人を介さずにそのスイッチを押すことはできないか?という興味です。もの自体がきっかけにもなるし、自分自身の意味を変えてみせるような。
だから今回(WWFes)も、パフォーマーや出てくる人たちによって空間が違って見えるっていうこともあるとは思うんだけれども、一方でただその空間を見てるだけでも何かに気づくきっかけみたいなものは埋め込みたいという、それが僕のいう、「レッスン」っていう話で、空間を読んだりとか、ものの意味を読んだりとか、何かが変わるってことに気づく視点を持つためのレッスンというか。建築にはそういう機能というか力もあるなとも思っていて。そういう視点を持てると、例えばそこらへんを歩いているだけでも、見えているものにツッコミを入れ続けれるし、色々な発見があって、そのことで広がる世界もあると思うから。
ーその先生がいない時に、っていう時に、パッと最初に聞いた時は、それを受け取る側もいないことを想像したんですけど、でもその空間を説明とか関わって何かを見せてくれる人はいないけど、
そこを訪れたり、外側から入ってくる人はいる上で、見え方が変わるっていうことなんですかね。
そうですね。
➖それってなんか時間と関係ある感じしますね。
時間のことは空間を考える上でいつもありますね。
➖その「変化」とか変わるっていうことには、その前後が必要っていう感じがするというか。
その話はまさに木内(俊克)さんとかとも定期的にしていて。僕とか木内さんは、コンペとか、何回か一緒に作品を作ったりしているチームで、「オブジェクトディスコ」っていうのをやっていて。僕らがいいって感じるものってなんだろうって考えた時に、「前後の時間を感じるものっていいよね」という話になって。何がそうで何がそうでないかっていうのは難しいんですけど、なんとなくみんな感覚は共有していて、例えば建築の雑誌とか見ながら、「これは時間が凍結されてる感じがするよね」とか。そういうものと比較して「前後に何かが起きそうっていう予感が含まれているものはいいよね。」と言っていて。それをどうすれば作れるっていうのは、具体的にはまだできていないんだけど。
「オブジェクトディスコ」を初めて中野で、実際の街の中で設計プロジェクトとしてみんなでやった時は、前後を作る方法として、見たことのある物とか、色とか、素材とかをその一角に使うことをしてみた。それは茅葺の農家がたくさんある街で、茅を使った物体があるというような分かりやすいことではないわけです。雑多な街ですごくたくさんの全然違う人たち全員にそのきっかけを提供するとすごく沢山の気づくヒントを用意しないといけなくて、例えば30個くらいのヒントを用意してもある人が気づくのは一つだけかもしれない。でも、一つひっかかるには30個くらいヒントがないと引っかからない、とも言える。なのでパッと見すごくとりとめが無い、色々なものの寄せ集めには見えて、それはこじつけみたいな理由も含め、中野や公園とか、そういう場所でよく見られる色とか形とかでできていて。中にはもはや、黄色であるという理由だけでそこにあるものもあったりします。黄色なんて至る所にあるし、だけど、誰かにとっては、50m手前にあった看板の黄色と、そこの黄色がつながるかもしれない。そういうことに期待しているんですね。
➖面白いですね。少しずれてしまうのですが、七里圭さんにインタビューした時に、「映画はどこにあるのか」っていつも考えている、パフォーマンス公演をした時も映画を作るつもりでやっていたと言っていて、もう少し詳しくいうと、自分は「モンタージュ」を映画だと思ってると、それこそ、脈絡のない前後のつながり、が接続された時に、映画に触れた感覚になると言っていて、今の話を聞いていて、繋がるなと思いました。
映画と建築はどこか親和性がありますよね。鈴木清順の映画が、僕は好きなんですけど、めちゃくちゃな編集をする人って言われることもあるんですね。セオリー的には多分ダメなんですよ、繋ぎ方とか音声が前後で連続していなかったりとか、だけどそこにどうしてもシークエンスが見出せてしまう、ある意味鑑賞者を信頼した作りになっているというか。であるからこそ生まれる、ダイナミズムのようなもので。映画の中のタイムラインというより、2時間映画を観ている観客側のタイムラインが考えられている。
どっちの時間を考えるかというか。
話を戻すと、空間を体験するっていうのは、編集がその時点では入らないというか、ズルっと続いていて、すごく連続的な体験なんですね。難しいのは、例えば美術館とかで順路が設計されていると、体験としては連続するしスムーズな作り方なですけど、合わせ過ぎるとトンネルみたいになっちゃって意外と面白くなくて。だから、カットアップされる部分とか予感だけが提示されるとか、自分の過去の経験となぜか結びついて見えてしまうみたいなことが結構大事な気がします。
➖今聞いていて、例えば、段差があったら飛び越えなきゃいけないから、そこで意識が変わって、その角度でしか見えないところに視点が移る、みたいなことを想像しました。木内さんと話ししていても山川さんと話していても、建築って、人を動かすというか、どういう風に振る舞わせるかを、設定してくるから、面白そうだなーと思いました。今回のWWFesでやり取りをしていても、人の振る舞いを規定してくるから、ものはいいようではあるけれど、ダンスに近いというか、関係してるなーと思いました。
なんとなく考えているのは、一回規制はしたいんだけど、その後は散り散りに拡散したいというか、そこで得た視点とかによって、後戻りできない身体にする。僕は建築を専門分野にしたのも、自分の作ったものを経験する延べ人数が一番多いかなと思ったのがあって。複製芸術では無いもので、長期間に渡って延べ人数が作用するもの作りだなと。建物は、建築のある一つのアウトプットに過ぎないので、図形とか模型とか、雑誌に載った、形の違うアウトプットも含めて、いろいろな場所に息長く登場する可能性があってそれは面白いかな、と思ったんです。
後編
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桜井圭介インタビュー 後編
聞き手:福留麻里
この踊りはどこに向かってるのか
➖なるほど。それで、今はダンスはのれないってことですか。桜井さん自身が変わったってことじゃなくて。
それは、両方なんだけど。今のダンスにいい感じのものがないってことはある。それもあるけど、自分のメンタルにも問題があるのは事実。
➖その桜井さんが「いい感じ」って言っている「いい感じ」の中身も変わったのかなっていうのも思って。中身なのか、視点なのか。
「いい感じ」の中身? 今、立派な踊りを見ると、「おお!」って思うよね。「いいなー」「ちゃんとやってるなー」って。ちゃんとやってないとイライラする。
➖「ちゃんとやってる」「ちゃんとやってない」っていう時の「ちゃんと」っていうのは?
ちゃんとやる必要のある時に、ちゃんとやればいいんだけども。「ちゃんとやらないと成立しないダンス」ではない類のダンス、ちゃんとやらなくてもいいダンスだったら、適当に踊ってある種の面白さが出てくると思うんですけれども、今はそういうダンスがあんまり面白くない。
「コドモ身体」とか言ったじゃない。その時の「コドモ身体」のアドバンテージっていうのは、「グルーヴ」があるってことだったんだけども、「グルーヴ」がないのに「コドモ身体」とかっていうのはダメだなっていうことだよね。
➖じゃあ、その基準は、桜井さんの中では変わってないんですね。「コドモ身体」っていう言葉が、表面的に捉えられちゃってる感じがするってことですかね。
ちゃんとした踊りっていうものが今、あまりないですよね。
➖ちゃんとしたっていうのは、技術にのっとったということですか? 「グルーヴ」があるかないか?
「グルーヴ」は置いておいて、何をどうするのかってことを、ものすごく細かく考え抜いて踊る的なね。勢いでだけでは手に負えないテクニックとかもあるし、どのくらい自分の身体を繊細に動かしていくかっていうことに対する注意とか、繊細さみたいな感覚的なことがあまり大事にされていないように感じる。
➖何が大事にされてるように感じるんですか?
わからない。ある種の、僕のあんまり好きではない粗雑さとか、大雑把さとか、適当さとかいうのが、目に付く。
➖いつ頃からとかあるんですか?
2010年くらいからですかね。
➖去年(2017年)の年末に、SCOOL(「ダンスお悩み相談室」)で、映像を見ていったじゃないですか。桜井さんが、「これはいい」「これは良くない」って順番に。それを見て、私は「別にこういうダンスもいいじゃん」って思ったりして(例えばKENZOの映像とか)でも、「じゃあこれを見てよ」って桜井さんが、(その多くは映画でしたが、フレッド・アステアとか)見せてくれる映像を見ていると、段々、桜井さんめがねじゃないけど、踊りの中にある、滑らかさなのか、繊細さなのか、柔らかさなのかが見えてきて、「なるほど」というか、こういう風に見ていたら、色々なものが雑に見えてくるのはわかる気がする、と��りました。
それで、桜井さんが使う「グルーヴ」って言ったりするのって誤解を受けやすい言葉なのかなとは思って。「グルーヴ」って言葉から人がイメージしやすいことと、実際に桜井さんが、ダンスの中に見てとっているもののその中身には結構距離があるのかもしれないな、と思ったりしました。今、ダンスに対してモチベーションとかはあるんですか?
なくはない。もっと面白がりたいなって思ってる。
➖そうですよね(笑)。そのあがきですもんね。桜井さんの話を聞いてると、ダンスに期待しているからこその苦しみっていう感じがします。
そうだね。ダンスが好きだもん。
➖その好きが、どう支えられて来たんだろうって思うけど、まあそんなことはわからないとは思いますけれど。
やっぱり、組体操みたいなものとか、マス・ゲームみたいなものとか、集団行動?つまりファッショなものはだめなんだよね。体育会系のものは好きじゃない。
➖やらされてる感とか、その人の身体とか、その人自身に合ってなかったり、ちぐはぐなことがいいとは思えないというのは言ってましたよね。何を「ダンス」って呼んでるんですかね?
かっこいいものじゃない?笑
➖何を「かっこいい」って言ってるんですか? だって、登美丘高校のダンスを見て「かっこいい」って思っている人は沢山いるわけで、でもそれを桜井さんは「かっこいい」って思わないんですよね?「かっこいい」の中身が全く違うってことだから。
やっぱりだから、ヤンキー文化とか体育会系とかは、俺はだめだね。田舎くさいものは嫌いなんだよね。
➖もうちょっと丁寧な言い方ないんですか?! なんか急に言葉が雑に……(笑)。
こういうものはかっこよくてこういうものはかっこ悪いってことが、やっぱ大事で。
➖あー、それぞれの中で。
そう。死んでもこんなかっこ悪いことはしたくない、とかってことがあるっていうのが大事で。特に若者については、それがないと駄目ですよね。行動指針とか、選択の指針がないと。君自身が、そうやっているそれをいいって思ってやってるんですか?っていう。あと、上には上があるっていうようなこととか、こいつには敵わないみたいなことが無いんだなって思っちゃう。これもいいけど、これもありみたいな、横並びで考えてるのは良くない、ていうかおかしいと思うんですよ。もうほとんどダンスに関係ない、親父の若者に対する憂いだけど。
➖そうですよ(笑)。でもダンスを見てるとそのことを考えちゃうってことですよね?結局横並びの思想じゃないか、みたいな?
やっぱり、心に支えとして、こうなりたいな、でもなかなかなれない、でも目指したいみたいな。瞬間瞬間もそうだし、総体として、「どういうつもりでその踊りを踊ってるんですか?」「この踊りはどこに向かってるのか」「どうしたいと思ってそうしてるのか?」っていうのがわからないと。「僕はこう思うけどどうですか?」って言われてはじめて応答できるわけで。
➖あ、応答のしようがないってことですか?
何を言ってるのかわからないので、応答できない。目の前を通り過ぎていくのを、眺めてる感じになっちゃう。
➖最近グッと来たダンスとかはあるんですか?そういう意味を含めて。
オフィスマウンテンですかね。
➖そこには何があったんですか?
グルーヴはあるよね。言葉と身体の関係性がスリリングで、一瞬たりとも飽きないし、身体の、力のギリギリ感みたいなものがこっちにシンクロしてくるっていうか。
ダンスの本質
➖いきなり話とびますけど、そんな中「ダンス警察」っていうじゃないですか?その時に、今言ってたみたいな「君のダンスの中に、何を目指してるのかとかそういうことはあるのか?」みたいなことなんですか?
そうとも言えるし、「ダンス未満」みたいなものに対して、それはまだダンスになっていないよ、とかダンスとしてクオリティが低いよとか、ダンスとしての格が低いです、とか。「ダンス警察」ってあえて言うことで、一番大事なポイントは、とにかくダンスはそんな簡単なものではない!っていうことね。そんなお手軽に「クリアー」できない。「アクセス」はできるけど。こういうことは、昔から言われていることだけれども。
➖これって、「コドモ身体」とか「いろいろなものがダンスって呼べるんじゃないか」ってことにつまづきを感じるって言っていたこととすごく関係ある気がしますね。アクセスできたことで、ダンスだと思っちゃったとして、本当にそれがダンスって呼べるのか?っていう問いに答え続けていく手前で終わってしまいやすいっていうか。それは自分自身にも言えることですけれど。
若い人たちが、ダンスに何を仮託してるのかってことだよね。何のために、あるいはどうしてでもいいけど、何で踊るのかってことだよね。例えば、もっと大きな枠でいうと、今、身体表現の上で、演劇の方がアドバンテージがあるよね。演劇のいろいろな可能性の方があるように見える。実際いろいろな面白いことやってるのは、演劇ってことになってるよね。ダンスでそれに拮抗するような、新しい動きってことがあんまりないよね。そのことをダンスをやってる人はどう捉えてるのかな?っていうのは思う。
演劇の人は、今演劇がどういう状況で、ちょっと上の世代がどういうことやっててみたいなことを考えすぎてるようにも感じるけども。「傾向と対策」はまあちょっとあれだけど、自分自身の問題意識を演劇としてやるにはどうすればいいか、みたいなことを演劇の人は考えてやってるように見えるけど、ダンスの人はその辺がよくわからない。
➖でもちょいちょいはいるんじゃないですか?
だれ?
➖身近だけど、神村(恵)さんとか。
神村さんは考えてるけど、神村さんの場合は、ダンスに対する愛が薄い(笑)。こないだの場合(「消えない練習」)はいろいろなやり方で外側から負荷をかけて、外側から変容させるようなことによって作品が成立してるでしょ? これをやると、思わぬグルーヴが出てくるけども、「ちゃんと踊る」とかとは別の話になってる。グルーヴを引き出す仕掛けを外側から被せてるだけなので、もとになっ���る振りを面白いものとして作ってないじゃない。
「振付」って動きを作ることだから、その面白い動きに身体を入れると面白いことになる!ってなるじゃん? 外側から圧を加えて、面白いことをやりますっていうのは、違う。それをやってなんとかしのいでるけど、もうそろそろやめて、ダンスの本質に向き合った方がいいんじゃないの?って思う。
➖その「ダンスの本質」って言ってるのは……
動き。なんかね、フレーム作っちゃうと身体がラクするなって思って。
➖作品っていうよりも、身体のディテールとか、動きのディテールっていうのが桜井さんは大事って感じなんですかね。
作品っていうのはいろいろなアイデアでとりあえず面白く作れるとしても、ダンス単体で面白いってことがあんまりないな、っていう。あと単純に、リズムが複雑だったり、ステップが超複雑だったりするものを、みんなあんまりやらないなっていうか。
➖そういうものを桜井さんは今求めてるってことですか?
最近ないね。見たいってことかな。
➖桜井さんがダンスに期待することっていうのを改めて聞いていいですか?
見たことがないような動きとか、見たことがないようなダンスが見たいよね。それは、ぱっと見普通なんだけど、驚きの連続でできてるとか。一見何気ないようなことだけど、よく見るとすげー!みたいな。
➖桜井さんがちょっと萎えてるのは、驚きがなくなっちゃったからってことですか?
いやいや。確かに驚きが少ないのは事実だけど、いいダンスはびっくりしなくてもあるよね。
➖心を動かしたいってこと?
そう。心を動かすような動きを見たいよね(笑)。それは自分のメンタルの問題もあって、不感症になってる部分がある。
➖でもダンスじゃないものには、感じ入ったりしてそうですよね?
例えば演劇とかはそこに、ある種のロジックがあるよね。そのロジックがあって身体がそこに置かれてるから。お話ってすごく強くて、お話がいいと泣けちゃうし、お話が陳腐だとシラケるから、ある意味わかりやすいよね。でもダンスってそういうものじゃないよね。
➖話してるうちに、だんだんダンスって本当に不思議なものだなって思ってきちゃいました。
誰か若い批評家が、今時の若者の身体感覚みたいなものを前提としたダンス批評みたいなものをね、擁護したりとか、これこれこうだから、これは重要なんだ、面白いんだって言って欲しい。
「ダンス警察」とダンスの歴史
➖まあ、でも今の桜井さんの視点だから、言えることもあるんじゃないかって思います。
今は、欠けてるものについては言えるけど、それをどうしたらいいかとかは言えないよね。
➖そうか、その桜井さんが欠けてるって思うものを面白いっていう人がいて、その人は何をもってして面白いって言ってるのか、そこにアクセスできれば、その欠けてると思うものを面白いって思えるかもしれないってこと?
そうそう。昔の人はこんなことを思ってダンス作ってました、みたいなことがあって、へーそういうことは今誰もやってないね。みたいなことに近い。
➖そうかたしかに。批評ってそういう役割があるんですね。
だからほんとは歴史も大事で、みんなダンスの歴史をちゃんと一個一個検証していくっていうのも大事ってことだと思うんだけどね。
➖そうですね。だから、ちょっとこじつけのようだけど、「ダンス警察」は、すごく長い意味での歴史っていうよりは、桜井さん視点のある一つのダンスの見方を辿ってみることで、見えてくることとか、楽しめることとか、自分なりに考え始められることがあるみたいな感じなのかなっていうか。ダンスって、見るのが結構難しかったりすると思うんですよね。
じゃあ、「100分でダンスの歴史おさらい」みたいなこともあるかもしれないね。
➖もし「100分でダンスの歴史を」って言っても、そこには、ここを大事って思ったっていう桜井さん視点が入ってきちゃうと思うんですよね。で、それが大事な気がしていて。「俺としては、これがダンスだ!」をやるわけだし、その「俺としては」が見たいし、聞きたいなって思うんですよね。「吾妻橋」で見た色々なダンス、やっぱり面白かったんですよね。その頃、面白いダンスが、世の中にたくさんあったっていうのもあるけど、そこには必ず視点が入ってるはずだと思うし。
でも、そうなんだけども、まずは、面白いものがある、やる人がいるっていうのが順番としては先なんだよね絶対に。やる人がいるから「お!」って思うわけで。無からは何も出てこない。なんじゃこりゃ!って思わないと。
➖そうですね。それは、ここまでのヒストリーを聞いていて思いました。だから、元気がないっていうのは、やっぱり桜井さんの問題ってわけじゃないんだなって思った。そこにはいつだって私自身も含まれているけど。
半分は時代の問題だよね。そもそも、わけわかんないことが多すぎる社会っていうか。そういうことに怒ったりしないですむように暮らしたいよね。こないだの最終日のデモが決壊して、DJブースでガンガンいい曲かけてたりして、昼間だし、これは久々に楽しかっただろうなっていう。お天道様の下で、音楽があって、踊りですよ。
➖まあ、そこに理由があるっていう踊りですよね、そういうときは。
自由だ!とかふざけたことは許さない!とかね。
➖内側から出てきてるってことなのかな。
そう。それで、aokidにはこだわっちゃうんだけど、aokidはあんなにガチャガチャ動かずにもっとじっとした状態で踊るみたいなことをやればいいのにって思っちゃうんだよね。
➖そういうのもたまにやってるんですよ。例えば、ギターを弾くとかじゃなくて、弦を弾いて、まずは聴くこととか、ものがあるとか、そういうささやかなことから始まっていくような。それは凄くいいな!と思って。ここ一番って時には頑張っちゃう感じもあるけど、それを支えているのはそういう凄く繊細なことだったり、めちゃくちゃ考えたりしてるっていうことがあって、そういう部分も含めて、新しい時代の人だな、っていう感じがありますね。
じゃあ、aokidの そういうものをちゃんとみたいですね。
➖最後に「ダンス警察」に寄せて一言お願いします。
「ダンス警察」って言ってるけど、それって要は「ヒール」でしょ?ヒール的なことを、あえて年寄りなので、
➖買って出てください(笑)
本当はそういう性分じゃないわけなんで。「ダンスお悩み相談室」の言い方を反転させただけなんで(笑)。
➖でも、桜井さんのこだわりの何かを、見せてもらうってことでいいんですよね。
ダンスは、自分にとってはこういうものだっていうことを、もう年もとってるので、言わせてもらいます。っていうね。それは年寄りの言ってることだから、話半分に聞いてもらえばいいんです。「じじいがそういうこと言ってるわ、めんどくせえな」っていうね。
➖そう思われること前提で、開き直って色々言ってください。じゃあ、映像とかトークとかで色々見せてくれるってことでいいですかね?
映像は色々みます。これから俺の仕事っていうのは遺言その1、その2、その3って感じですよ。
➖ありがたいです(笑)。今日はりがとうございました!
桜井圭介|Keisuke Sakurai
音楽家・ダンス批評。「吾妻橋ダンスクロッシング」オーガナイザー、三鷹SCOOL共同代表。『西麻布ダンス教室』『ダンシング・オールナイト』など。
➖
whenever wherever festival 2018 そかいはしゃくち
「ダンス警察桜井圭介の これがダンスだ!」
レクチャー:桜井圭介(ダンス批評家)
キュレーター:福留麻里
4/28[土]17:00−20:00|1500円(ドリンク付)
北千住BUoY
詳細:http://bodyartslabo.com/wwfes2018/festival/fukutome_2.html
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桜井圭介インタビュー 前編
「WWfes2018」福留企画のレクチャー「ダンス警察 桜井圭介のこれがダンスだ!」を目前に、ダンス批評家桜井圭介さんにインタビューを行いました。
近頃、ダンスに対してあまり前のめりになれない、という桜井さんのダンスとの関係を、その出会いから遡って伺っています。
聞き手:福留麻里

ダンス批評家
➖ひとまず自己紹介的なことをお願いします。肩書きとか、実際やってることとか、何を考えてやっているのかとか。
「ダンス批評家」って言ったり言わなかったりしてるんです。それは自分の気分に合わせてなんだけども。
➖それは場に合わせてってことですか?
そうだね、まあしょうがない時は名乗ったりしてます。
➖しょうがない時っていうのは?
名乗った方がいい時とか。
➖学校とかですか?
いや学校とかっていうよりは、ダンスのコメントとか推薦文を書いたりする時とか。
➖その「気分」っていうのは、なるべくなら名乗りたくないってことですか?
いつでも「ダンスの批評家の桜井です!」ってスッと、なんの躊躇もなく言える感じが今ないんですよね。
➖すんなり言えた時もあったんですか?「俺はダンス批評家だ!」みたいな。
なんの躊躇もなく、肩書きをそれにしてた時もあったかな。
➖それは、いつ頃切り替わったんですか?
切り替わった、というより徐々にだね。吾妻橋(「吾妻橋ダンスクロッシング」)やってた時は、一回「ダンス批評家おります」って言ってた時もあって。批評家って立場じゃなくて、キュレーションというか。
➖それは、「批評家」って名乗ることが、足かせになるってことですか?
昔は、ある種の「公平性」っていうものを真面目に考えていたところがあるので。吾妻橋では、自分がいいと思ったものしかやらないっていうのがあったから。
➖ちなみに「公平性」を意識していた時に桜井さんが尺度にしていたものは何ですか? 好みとは別のものではかるってことだと思うのですが。観たものに対して、批評家として言葉を書いたり言ったりする時とか、あんまりいいとは思わないけど、評価せざるを得ない時とかに。
いいと思わないことは書かなきゃいいから、なるべく書かない。
➖じゃあ同じじゃないですか。
そうだね、同じなんだな、同じなんだけど……。自分がイベントをやっているので、批評的なことをするってことに自分自身が違和感が出てきた。立場として、批評される側に立ったということでもあるから。
➖ちなみに、ダンスにとって、批評家っていうのはどういう存在だと桜井さんは思っているんですか?
それはあんまり僕はわからなくて、ダンサーに向けて書いてるってことがないので。
➖何に向けて書いている意識があるんですか?
読者です。
➖読者はどういう読者に向けてっていうのを想定しているんですか?
想定してない。書く媒体の読者ってことはある程度は想定してるけど、基本的には、どういう層に向けてっていうのはないです。「普通の人」っていうと、また難しいけど、普通に頭を使って、いろいろなものに興味がある人全般。
➖それは、ダンスを知っている人っていう前提はあるんですか?
ないないないない。他の美術とか、アート全般の一つとして批評するって感じはあったね。「あったね」って、まだありますけど(笑)。
➖一番批評家として、やる気まんまんだったのはいつ頃なんですか?
ニブロールが出てきた時。
➖そうか、それって2000年くらいかな。
ダンスとの出会い➖表と裏
➖では、これを機に、桜井さんのダンスとの出会いとこれまでの遍歴を聞いていきたいんですけど、まず出会いは?
出会いは、最初はバレエで、中学生の頃ですね。
➖こないだ、SCOOL(「ダンスお悩み相談室」)の時に、「赤い靴」をみたって仰ってましたよね。
その時にどう思ったんですか?「わー」みたいな感じですか?
もう忘れちゃったね(笑)。
➖でも、これは、出会いだったってすぐ出てくるってことは大きな出来事だったんですよね?クラシックバレエですか?
ソビエト・バレエと、あとは映画。「赤い靴」とか、イサドラ・ダンカンの伝記映画「裸足のイサドラ」。それからフレッド・アステアのミュージカル映画。昼間の3時からテレビでやってる古い40年代、50年代の映画。ちょうど学校から帰ってくるとやってて、だいたい毎日観てた。
➖そこで「動き」に魅了されたんですか?映画って、ストーリーとか雰囲気とかあるじゃないですか。
ストーリーもいいけど、ダンスシーンはダンスシーンであるから。
➖その時と今と、同じように観てるんですかね? 今回のフェスでは「ダンス警察」って言ってるけど、批評にしろ、感想にしろ、その人の視点で観るわけじゃないですか。桜井さんのそれは。この中学生の頃から引き継がれてるものなのかなーと思って。根本的なところというか。
多分ね。
➖ダンスを評価する一般的なものってあるじゃないですか。技術的なこととか。そういうこととは別に、桜井さん独自の見方がきっとあって、それが芽生えたのはここなのかな?と思って。
多分ね。色々なことを体験するじゃないですか。子供時代。例えば、親戚のやってるゴーゴー喫茶みたいな店があって。福島の田舎なんだけど。ラウンジで、ジュークボックスで。
➖みんながゴーゴー喫茶で音楽に合わせて踊ってる、みたいな?
学校のフォークダンスも踊るの割と好きだったんだよね。何事につけ、音楽とか踊りは楽しいよね。
➖桜井さんにとって、音楽と踊りは不可分なものなんですかね。でも少し話が散らかっちゃいますけど、よく「音楽が邪魔だった」とか言ってるじゃないですか桜井さん。だから結構複雑だな、とも思って。
いや、自分が踊るのはモチロン音楽ありき。見るダンスの場合がめんどくさい。音ハメでバッチリ踊ったりするのは、あんまりいいダンスにならないっていう感じがいつもするのね。単純すぎるっていうか。音楽と同じことを身体でやってるだけというか。
➖桜井さんの話を聞いていると、動きそのものが音楽的である状態、みたいな感じのことを言ってるのかな、と思って。
そうそう。「身体の動きの音楽」だよね。
➖そうなった時に、「身体の動きの音楽」と「音楽としての音楽」が出会っているいい状態、みたいなことって、結構高度だな、とは思うんですけど。なんとなく聞きたかったのは、「親戚のゴーゴー喫茶でみんなが踊ってる」みたいなダンスのイメージは、そっちの方が私にとっては桜井さんがダンスって呼んでるもののイメージに近いけど、最近桜井さんの話を聞いていると、「バレエ、バレエ!」「やっぱりバレエだったんだ俺は!」みたいな感じだな、と思って。
そうなんだよね。だから、二重にあるんだよね。両方ある。
➖一見すると、その二つは、反対側にあるもののようにも感じるんですけど、桜井さんは両方をストイックに大事だって言ってる感じがするんですけど、最近の桜井さんの話は、「なんでもダンスなんてのはダメなんだ」って聞こえていて。そこに至っている遍歴を聞きたいな、と思って、ダンスとの出会いから聞いてみたって感じなんですけど。
高校時代に舞踏だよね。中学2年生の時に初めて、紅テントに行ったんですよ。土方さんは紅テントと近いから知ってたんだけど、観れてない。中学から高校1年、2年生くらいまでは、紅テントしか見てなかったね。
➖ハマったんですね。どういう感じだったんですか?
血湧き肉躍るだね。テントだし、ちょっと怖いし。
➖その流れで舞踏を観たんですね。
そう一番初めに観たのは、小林嵯峨さんだった。77年とか。赤坂の元TBSの近くの芸術家センターっていうところで、彗星クラブっていうカンパニーで。
➖どうだったんですか?
凄いよかったよ。
➖それはダンスと認識したんですか?
いや舞踏だね。
➖舞踏を観た。ってなって、そこから色々観たんですか?
それで、山田せつ子見に行ったりとか。
➖えーその頃から観てるんですね、歴史長いですね。せつ子さんて舞踏とはいえ、爽やかですよね。白塗りとかしてたんですか?
してないよ、してないけど、巫女さんみたいだった。天使館だから。天使館は、オイリュトミーとかグルジエフとかだから。あとは、三浦一壮さんとか。舞踏舎VAVっていう一番最初にヨーロッパで公演した舞踏で。その流れで広太にも会って。
➖10代ってことですか?凄い……。かなり人生の長い時間の中で知ってるんだ。
19とかだね。表(おもて)でいうと、1979年にローラン・プティの日本公演がきて、ハマったんだよね。それでそのすぐ後に、金子國義のバレエがあって、谷バレエの大塚麗子とか、深川秀夫が振付で主役で、その秀夫さんていうのが、凄いダンサーで、日本で初めて、ヴァルナで賞をとってて、その後クランコのミュンヘンバレエのエトワールやって、ちょうどその頃日本に帰ってきたのね。
➖ヴァルナ?
君、バレエのことは全然知らないんだね。ヴァルナって、バレエのコンクール。森下洋子さんも、その後そこで賞をとったんだけど。1980年に、その金子國義のバレエがラフォーレでやるっていうんで観に行ったんですよ。
➖え、おしゃれですね!
(笑)だいたい僕は、ボリス・ヴィアンとかコクトーとか、フランス文学が好きだったから。
➖アンニュイですね。
そっちが表で、裏が舞踏だな。
➖でも表の趣味も、結構特殊ですよね。友達とかいましたか?
意外と変なやつがいて。
➖この頃に、ダンスに対して自分が、例えば批評みたいな関わり方でやっていこうっていうのはあったんですか?
全然。あ、そうそう、大学時代といえばディスコ通いですよ。六本木(あれこれ)と、あとは新宿のツバキハウス。ニューウエイヴ系だけじゃなくて普通にブラコン好きだった。でもプロデュースには興味があった。だからスターダンサーズバレエ団でバイトして、制作の見習いみたいなことしたり。タダで、初級クラス受けたり。
➖バレエのレッスン受けてたんですね! じゃあ、踊ろう、ダンサーになろうみたいなこともあったんですか?
それは全くない。踊るのはディスコで足りてるんで。レッスンは、バレエの言語を理解するために受けた。
➖それによって見方も変わったりしたんですか?
それは当然そうでしょ。だって、全部システムで作られているんだから。それがなんなのか、一個一個のパがわかるっていうのが大事だよね。要するに、知らない言語があってそれを習得すると小説が読めるみたいなことだよね。
➖じゃあ動きっていうのを「言語」として捉えてるっていうのがあるんですかね。
バレエはそうだよね。舞踏もそうだと思うけど。稽古とかに行ったことはないから、土方さんの、鳥の3番とか、雲の5番とかはよく知らない。
➖舞踏の方がイメージのことをものすごく扱ってる感じはしますよね。以前、室伏さんのワークショップを受けたことがあって、「身体の半分は鉄で、半分は砂で、その引き裂かれた状態で歩きましょう」っていうのをやりました。話は戻りますが、それでその後も常に色々観て生きてるって感じだったんですか?
寺山修司に一瞬ハマった時代もあったね。
ダンス批評とグルーヴ
➖ダンスと直接的に、自分が発する者として関わったのは批評ですか?
いや、最初は音楽だね。もうこれみんな記憶の彼方だと思うけど、舞踏舎VAVのダンサーといくつかの公演を音楽で関わったのが最初。高校3年生のとき。
➖え!!高校生で!? なんでそういうことになるんだろう……凄いですね。ちょっと話は逸れますけど、その時は何をしたんですか?
音楽はピアノと電気オルガンとおもちゃのピアノと、4チャンネルのオープンリールを買って多重録音して。大学1、2年生くらいまで関わってたかな。
➖へー。それと同時に、桜井さんはバレエを見たり、色々見たり、寺山修司にハマったりしてたんですね。その次に何か展開とかはあったんですか?
大学4年生の時、原宿のピテカントロプスのバイトに行ったんだよね。桑原茂一にあこがれて(笑)それで卒業後もそのままピテカンの企画室に勤めることになって。そしたら半年で潰れちゃったけど。
➖ピテカンってクラブですよね?
そう日本最初のクラブ。ただし届け出してないので踊れなかったけど。
➖やっぱりいつも桜井さんは、両極端にいるんですね。バレエとクラブ。
その頃はニューウエイヴ音楽が盛り上がってた時代で、大学の時にバンドやってて。バンドデビューしたくて。色々な人に出会って、色々なこと教えてもらいながら、うろちょろしてたんだよね。よく考えたら、バンド中心だよね、ダンスとかじゃなくて。その頃は、インディーズとかなくて、デビューって言ったら、メジャーだから、そのハードルは高かったわけだけど。
➖でもそんな中でも、ダンスは見てたんですか?
うん。バレエと舞踏だけで、それ以外は見なかった。あ、1回現代舞踊を観に行った。
➖それはどうでしたか?
恥ずかしかった。ナルシスティックに感じて。その後、84年に、国立劇場でブレーメン・タンツテアターをみた。ピナ・バウシュよりも先に来たんだよね。ピナ・バウシュとラインヒルト・ホフマンとスザンネ・リンケが新表現主義の三羽ガラスって言って、最初に来たのが、そのラインヒルト・ホフマンのブレーメン・タンツテアターだった。
➖それは?どうでした?
ものすごく良かった。新しいダンスっていう感じで。バレエでも舞踏でもモダンダンスでもなくて。要するに後にコンテンポラリーダンスと呼ばれるようになるダンスの最初期ですね。あとは、その頃面白かったのは、MOMIXとか、トワイラ・サープとか、アメリカのいわゆる「ポスト・ポスト・モダン・ダンス」。
➖その後いろいろ来るんですよね日本に。それをガンガン観ていく感じですか?
そうだね、もうちょっと後だけど、ピナ・バウシュ、フォーサイス。
➖それで、自分のダンスの見方っていうのが出来ていったんですか?
「自分の見方」かー。えーと、たぶんそれは、「西麻布ダンス教室」に書いてあるけど、「グルーヴ」ってことが一番大事で。きっかけ��しては、ダンスについての本を書き下ろしで出すってなった時に、今まで書いて来たことを使ってるんだけど、どういう構造でこの本を書くかってことを考えた時に出て来た。
➖なるほど、自分の見方をさらに客観的にしていかなきゃいけないってなった時に浮かび上がって来たのが、「グルーヴ」だったってことか。
そうだね。自分が好きなものは、どういうものかっていうね。
➖その本を出す前も、桜井さんは、ダンスについての発言を結構してたってことですか?
ダンス批評は書いてたよ。「STUDIO VOICE」と「美術手帖」と「BRUTUS」と「流行通信」とか。最初は、ローラン・プティのインタビューをしたいって「BRUTUS」に話を持っていって。ロング・インタビューを書いた。それが最初で85年頃。それから書くようになった。「美術手帖」は最初は音楽時評を書いてて、90年前後に、そのままスライドしてダンス時評を書くようになった。國吉(和子)さんと半々で。國吉さんは舞踏についてが主で俺は舞踏じゃないもので。「美術手帖」の最初は「美香&ダンサーズ」について書いた。そんな感じで、90年ちょっと前くらいから、色々な媒体に書いてた。
➖今聞いていた話だと、急にわっと盛り上がってる感じがあって、それってきっと、時代的なことがあるってことなんですかね。
そうそう。ダンスが今きてるっていうかね。80年代の半ばから。ドイツの新表現主義の人たちと、フランスのヌーベルダンスの人たちと、アメリカのポスト・ポストモダンダンスの人たちが来てから。
➖じゃあこの時の桜井さんは、ダンスに対してノリノリだった感じですか?
そうだね。見るもの見るもの面白い。新しい表現って感じだったよね。その頃は全然芝居を見なかった。寺山修司は、死ぬ直前、84年かもう少し前くらいから観なくなって。野田秀樹も、最初の頃は何度か観たくらいで。あとは小町風伝とかね。太田省吾さんの。
➖演劇にはハマらなかったんだ。
大学卒業してもほとんど演劇は観なかった。大学4年生の時にピテカンに行って、そこで宮沢章夫さんとかいとうせいこうくんに会って。ドラマンス(ドラマとパフォーマンスをくっつけた桑原茂一の造語)で照明やったりしてた。渋谷のジャンジャンでは、「シティ・ボーイズショー」をやってて、それは本当に面白くて。そこからラジカル・ガジベリビンバ・システムになって、だから「80年代演劇」って僕は、ラジカルしか観てないんだよね。
➖そうか。
大学終わって、ピテカンに就職したら、半年でつぶれちゃって。それ以来どこにも就職したことないんだけれども。それで、何もすることなくなっちゃったんで、音楽また始めたんですよ。
➖じゃあ、その間はダンスはどうだったんですか?
書いてはいたし、観てはいた。それが80年代の後半で、さっき言ってた盛り上がってた頃。
➖なんというか、変化を知りたいんですよね。どういう流れを辿って、変化したんだろうっていう。
それは、その時々のダンスの流れに身を任せて来たわけですよ。
後編
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七里圭インタビュー 後編
聞き手:福留麻里
映画はどこにあるか
➖で、その七里さんが、先日、SCOOLで、映像ではないことをやっていたじゃないですか。私は行けなかったのですが。
ライブ・パフォーマンス(朗読ライブ+映像インスタレーション『サロメの娘』~音から作る映画の美術的展開~)ですね。
➖それって、今話していたことと何か関係あるんですか?
僕は映画をやっているつもりなんですよ。ライブでやっていても。
➖その、映画をやっているつもりっていうことの中身をもう少し聞いてもいいですか?
映画ってどこにあるんだろうっていうことがあって。スクリーンの上に映っているものが映画なのか、例えばフィルムの頃は、フィルムそのものを指して「これが映画です」って言えるものなのか。どこに映画があるのかっていうのがまず、悩ましい、面白いものとしてありますよね。頭の中にあるのか、とかね。それを見て、それぞれの頭の中に現れるものが映画なのかとか。そう考えていると、別にスクリーンに映っていなくても映画は現れるんじゃないかと。
��➖現象ってことですか?
うん、映画ってなんだろうってことを知りたいので、例えばライブでやっていても、「これ映画だね」ってなれば、それは、あ、映画が捕まえられたかもしれない、みたいになるんです。
➖例えばそれは、日常の中にもあるんですか?
あると思いますよ。あ、今映画だった、みたいな。
➖でもそれって、そのままダンスにも置き換えられちゃいそうな気がするじゃないですか。すごくわかる気もするけど、ちょっとあやしいというか。
あやしいよね。オカルトというか。
➖ダンスもちょっとそういうことがある気がして。オカルトというよりは、「ダンス的瞬間」というようなことが日々の中にある気がして。例えば、光の移り変わりとか、物がカタンと傾いたりとか、何か、「人が動く」ってことじゃ無くてもダンスを感じるような時があって、でもそれを「ダンス」と言ってしまうのはちょっとあやしいから気をつけないといけない気が最近していて。まだあまりうまく言葉にできないのですが。
なるほど。もっと端的にいうと「モンタージュ」が映画なんじゃないかと思っていて。映画だけにモンタージュがある、とまでは言わないけれど、モンタージュがある時に映画があるんじゃないかと思っていて。
➖すみません……恥ずかしいのですが、モンタージュって、どういうのでしたっけ?
例えば、コーヒーの後に、福留さんが映ると、「あ、コーヒーを飲もうとしている女の人なのかな」とか、もっと違う意味を感じて、コーヒーに何か暗示されているように見えたり、関係ないものが接続されて、A+BがABにならずに、別のものになっていくもの、その繋がり、みたいな。
そういう、かつて起きた時間、切断された時間の順序を操作して、繋げていって映画が現れるんですけど、記録されて、現在から切断された時間を使わなくても、映画っていう時間が現れるんじゃないかと思ってやったんですね。SCOOLでのパフォーマンスも。でも、寄り切られた感じがしますね、パフォーマンスに。
➖現在に乗っ取られちゃったんですね。
そう、「映画としての音楽」っていう、ボイスパフォーマーや、歌い手さんや、そこに飴屋(法水)さんもいたんだけれど、色々な人の声と映像で、ライブで「映画」をやろうとして。その時は、「映画」の中に、空間とか人を取り込めた気がしたんだけど、こないだはね、負けた気がした(笑)。
➖ライブのパワーに。
やっぱり、劇を映画にするのは、なかなか、なっかなか大変だなーっていう。
➖面白いですね、その話。「現在」っていうのが大きそうな気がするなー。でも、またやるんですよね?ライブ的なことっていうのは。
これも、誘われれば、ですね。成り行きで。
映画とライブ・パフォーマンス
➖公開ロケ「ワンダー・ロケーション」
➖今聞いてて思いましたが、WWFesでのプログラムは、その間みたいな感じもあるかもですね。
そうですね。会場に行って考えます。
➖今回、フェスの開催中にロケをするそうですが、私も、他のキュレーターとか、空間の木内さんたちも、七里さんの案から勝手にイメージして、ロケもパフォーマンスってことかー。と思ったりしていたんですけど。
そうです。この間(SCOOLのパフォーマンス)も、そういうことでした。飴屋さんのパフォーマンス中にカメラを回して。
➖その撮られたものは、何か形になるんですか?
それがここ(新作「あなたはわたしじゃない」)に入ってます。
➖えーー!!早くないですか?(SCOOL公演は2月9日〜11日、映画公開は3月3日)
そうなんです。ギリギリだったから死にそうでした。
➖映画ってそういうものなんですか?!
違います。映画って普通は1年くらい前からできあがって、そこから劇場を探して、試写をしてっていう経過を踏むんです。昔、プログラムピクチャーだった頃は番組だったから、2週間前にクランクアップして、そこから編集してフィルム焼いて、前日にフィルムが到着して、みたいなことはあったらしいんだけど。僕は今回、恵まれていて、公開が先に決まっていたので、こういうことができたのですが。
➖今までの話を伺うと、映画とは言え、割と舞台に近いところに七里さんはいると思うのですが。とは言え、映画と舞台では、きっとちょっと違うじゃないですか。物事の進め方とか、どういうシステムで成り立っているかとか。それで、映画の世界にいる人として、舞台の世界がどう見えているかって聞いてみたいな、と思っていて。
その辺は、僕は、境界を越境するようなことを割とこの10年くらい重ねてきたので、そんなに戸惑わなくはなってきてます。でもやっぱり文化の違いみたいなものはあると思うんですよ。同じ言葉を話していても、ダンスの人と、映画側とは同じ言葉でも、違う用法で使っているような。そういう文化の違いみたいなものを僕は知ることが楽しいというのはあります。「この人たちは、そこがポイントなんだ!」とか「そこは外しちゃいけないんだ」とか。逆に、こちらが当然だと思ってやっていることが、「これはダメなんだ……」とか。
そのことも、僕は結局、舞台の演出をしたいとかじゃなくて、映画しかできないと思っているから、それを持ち帰るというか。映画だけやっていると、映画の常識だけになってしまうんだけれど、他のジャンルをフィールドワークみたいにすることで、持ち帰るというか、自分のやり方とか捉え方とかを広げられる機会だと思っていて、それが楽しいです。
➖わかる気がします。実際に驚いたこととかありますか?!
飴屋さんから言われたことで、「演劇と映画の違い」みたいなことを話していた時に、飴屋さんが「だって僕たちは今生きてるから。この人たちは死んでるでしょ?」ってスクリーンを指差された時に、ここに何か本質があるって思いました。絶対的な違いというか。僕らは、生きているはずなのに、死者の側から世界を見ているというか、死んだ世界から時間を手繰り寄せているというか。そういう倒錯的なところがあって。そういう倒錯的なところが映画なのかな、と思って。
➖でも、撮っている瞬間は、現在ですよね。
そう、それが多分、今回フェスの「ワンダー・ロケーション」で試すことですね。
➖そうですね。確かに(笑)。でもダンスでも、動いた一瞬前はもう過去じゃないですか。その瞬間の刻みみたいなものが細かくなって、未来に向かうみたいなことはあるかもしれないですね。でも演劇とダンスでいうと、演劇の方が、今の話でいう死者に近い気がしますね。ライブとしての演劇は生きてるけど、題材としての演劇は、ダンスよりも、「現在以外」との結びつきが強いなと思いますね。
どちらかというと映画に近い。
➖うん。演劇と関わるとそのことをすごく考えます。
確かに。ちょっと注釈すると、飴屋さんは少し特殊な気がした。演劇人といっても、もっとパフォーマンス寄りというか。
➖たしかに。飴屋さんには、死と言っていいのかわからないけど、ここにいない人を見ているような不思議な感覚を抱くことがあります。
そうですね。あの人の身体は特殊な身体だと宮沢章夫さんも言ってましたが。
ウェンウェア・フェスとのかかわり
➖話はちょっと飛びますが、WWFesについての、七里さんの雑感を聞きたいなと思って。七里さんと私は、足掛け3年、4年くらいな感じですよね(笑)。
ですよね(笑)。かなり長くて、もう開催すら無くなるんじゃないかとも途中でおもいますよね。
➖そうなんですよね。話がなかなかまとまらなくて、「これやる意味あるのかな?」と思った時もありました(笑)。でも、私個人は途中の段階で覚悟を決めた感じがあって。主催の山崎広太さんの人柄や進め方も含めて、特殊な側面があるとは思うのですが、その少し面倒な?やりとりも含めて、やる意味がある気がしたんです。それで、そのあたり七里さんの、「ぶっちゃけ」な話でもいいので、どう感じているのか聞きたいなと思って。
WWFesそのものには興味があったんです。生西(康典)さんとかからご案内いただいて、観に行ったりもしていて。それで行くたびに「なんなんだろう!?このフェスは?」と、昔から思っていて。
➖その「なんなんだろう?!」はどういう感じですか?(笑)
ちゃんとしてない、とかいうわけではなくて、皆さんちゃんとしてるんですが、「ちゃんとしてないことをちゃんとやってる」みたいな感じがして、その不思議な感じというか。やられるプログラムも、本当にハチャメチャというか、それぞれ素晴らしかったりするんだけど、でもこの統一感のなさとか。
それを内側に入って、知ることができる機会っていうのは、最初誘われた時に、「あ、やりましょうか」という理由の一つでした。それで、足掛け4年近く実際に関わってみて、やっぱり山崎広太さんて人は特殊というかすごいな、と感じますね。何があっても全くスタンスが変わらないというか。
➖巡り巡って、広太さんのフェスになっているのが凄いなと思いますよね。広太さんありきじゃなさすぎて、広太さんありきになってるというか(笑)。特殊ですよね。
やはり、興味が湧きますね。山崎広太って人に。
➖それに関連して七里さんに聞きたかったのが、「アーティスト主導」っていうコンセプトが広太さんにあるじゃないですか。そのことについてはどう思いますか?
僕は「アーティスト主導」っていうか、「アーティスト」ってものには文化の違いを感じていて。
➖そのあたりが気になってます。
映画って誰のものかっていうと、プロデューサーのものなんですよ。それが自主制作になると、プロデューサーと監督が一緒の場合があったりして、アーティストの仕事と近くなったりもするんですが、基本的には、監督って、工事現場の監督と同じなんですよ。
➖あーなるほど。
僕が戦ってる戦場は「工事現場」です。基本的にはオーダーがあってやるんですよ。オーダーに対してどうするかっていう。それがアーティストの人たちは、自ら発する、そこが決定的な違いな気がします。映画監督の中にももちろん自ら発する人もいるから、一概には言えないですが、僕はあんまり自分がこれがやりたい!っていう風にはやらないんです。
➖えー!でも七里さんの映画は、自分で発して作っているように見えます。
見えるでしょ。でも違うんです。いくつかのオーダーがあって、作ってます。オーダーっていうと語弊があるかもしれないけれど、こういう企画をやるとか、こういう企画になるとかそういうことで、消極的に聞こえるかもしれないけれど、それこそジャンケンで負けて作ってみたら、自分で知らなかった自分がいた、みたいなことです。自分はこんなに入れ込んじゃう人なんだ、とか。
➖面白いですね。じゃあ、そこでオーダーっていうものがない状態で何かをするってことに、違和感があるというか、このフェスの最初の頃、七里さんが「オーダーが欲しい」というようなことを言っていたじゃないですか。
オーダーというか「枠組み」ですね。そう、基本的には僕はそういう姿勢なんだけれども「眠り姫」とか「音から作る映画」とかは、枠組みを作るところから踏み込んだので、外から見ると、アーティストっぽく見えたり、アーティストの人たちがやっていることと同じように見えるのかもしれないんですけど、自分自身には本来、オーダーを受けて何かをしている、でも今回は枠組みも作っているというくらいの違いで分けてます。
➖あー、ちょっと幅は広がったけど、基本のスタンスは同じという感じですかね。今回のフェスもそんな感じってことですかね。
はい。
➖じゃあ、アーティストが主体となって自分たちで何かやっていくことが大事だ、みたいな考え方については……。
傍観者ですね、僕は。かなり傍観者。そこに僕は入っていないような気がしています。だから、神村さんとか、山形くんとか、田中淳一郎くんとかアーティストを揃えて、その人たちに、何かやってもらうみたいな。ひどい無責任。
➖あ、でもキュレーターってそういうことですよね。今回の企画には、七里さん自身も含まれてはいるけれど。
そうですね。
➖最後にちょっと無理矢理感ありますけど、意気込みみたいなものをお願いします。
行って考えます。その場で考えます。映画監督をライブでやってみます。
➖フェス全体に期待することとかってありますか?
今までなかったようなものになって欲しいなっていうのはありますね。
➖ほんと、そうですね。今日は長い時間ありがとうございました!
2018年3月29日

七里圭|Kei Shichiri
1967年生まれ。近年は、映画製作にライブ・パフォーマンスやワーク・イン・プログレスを積極 的に導入する「音から作る映画」シリーズ(2014-)、建築家と共作した短編『DUBHOUSE』(2012)など、実験的な作品作りに取り組んでいる。代表作は、人の姿をほとんど写さず声と気配で物語をつづる『眠り姫』(2007-2016)。しかし、そもそもは商業映画の現場で約10年間 助監督を務めたのちにデビューし、『のんきな姉さん』(2004)、『マリッジリング』(2007)などウェルメイドな劇映画を監督している。他監督へ提供した脚本作もある。PFF‘85に大島渚の 推薦で入賞した高校時代の8mm映画『時をかける症状』(1984)が最初の作品。
(編集協力:印牧雅子)
前編
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七里圭インタビュー 前編
聞き手:福留麻里
フェスキュレーターの1人、映画監督の七里圭さんのインタビューです。意外な映画との出会いや、ダンスとの関わり、「生の身体」と「イメージの身体」について、またWWfesの軸でもある「アーティスト主導」という考え方、在り方との距離感など、飄々としながらも本質に迫るお話しです!

映画をやっている
➖最初自己紹介的に、七里さんが普段、何をやっているのかと、その時にどういうことを考えているのかを伺えたらと思います。
映画をやっています七里圭です。映画をやるということ以外はあんまり何も考えてないです。
➖映画はどういうことで始めたられたんですか?
映画は、高校生の時にひょんなことで、文化祭で映画を作ることになった時に、監督になってしまったんです。
➖ひょん、ですか?
はい。ジャンケンで負けたんですよ。
➖え!やばいですね、その人生の分かれ道感!
そうなんです。僕、完璧に成り行きなんですよ。
➖衝撃的なほど成り行きなわりに、どっぷりですね。
そう。あれでジャンケンに勝ってれば、僕は今頃、大学生の子供がいたりして、「そろそろ俺たちも定年後の人生考えようか子供も独り立ちしたし」みたいな人生を送れたはずなんですよ。ジャンケン憎しです。
➖でも相当運命的ですね。だってそこから映画のこと一直線ってことですか。
そうです、それもジャンケンで負けて撮った映画が、PFFってフェスティバルで入選しちゃったんです。
➖あー。ぴあフィルムフェスティバルですか?
30年くらい前なんですけど、1985年かな?
➖すごい、やっぱり才能あったんですね。
いまだに賞の最年少らしいです。17歳。
➖えーどんな気持ちだったんですか?まじか!?みたいな?
うーん、それもね、よくあるじゃないですか、アイドルになったきっかけが……。
➖あ、友達が応募して、みたいな?
そう、僕の場合は、先輩が応募してくれて、ちょっとフィルム貸してみたいな感じで。だから知らなかったんです。PFFとか。で、なんか一次審査通りましたっていうお知らせが来て。これは何なんでしょう?みたいな感じで、二次審査が通り、最終までいき、みたいな。
➖賞取っちゃった!みたいな感じですか?
その時は、審査員が1人1本ずつ選ぶみたいなやつで、僕は、大島渚さんが選んでくれて。
➖えー!それ凄くないですか?めっちゃ嬉しいやつですね。
そう、高校生ってバカだからそれで監督になれるって思っちゃったんですよね。
➖まあ、思いそう。でもなってるじゃないですか。
それで、映画やろうかなー。とか思っちゃって、最初は大学も受けなくて。でも今と違って、どうやって映画をやればいいとかわからないから、映画は映画の世界で下積みしていつか監督になる、ということなんだろうか。くらいの時代だから。映画学校もないし。まあ、日大映画学部とか、大阪芸大とかもあったんですけど、そういうところには行かないで、どうしたものか。という感じで。映画の現場を手伝いに見に行ったら、今でいうパワハラの世界で、うわー、嫌だ、やっぱり映画やめよう、学校行こうみたいな感じで、大学入って、結局映画サークルに入ったっていう。
➖へー。でもやっぱりジャンケンで負けなくても映画やってそうですね。
僕が行った早大シネマ研究部っていうのが、色々調べるとその当時は群を抜いていて別格だったので、新入生勧誘コンパみたいなのを覗いてみたんですよ。そうしたらそこにいる人たちはみんな、PFFのことを知ってるんですよ。それで、「君の映画見たよ、つまんなかったよね」とかって言われて。なんて失礼な人たちなんだ、みたいな感じでそうこうしているうちに、取り込まれて行って。それで、多少心得もあったので、先輩OBの手伝いとかもしているうちにいつの間にか映画の現場で働くようになり、在学中から映画の現場で働いていました。10年くらい助監督をやって、まっとうな、今や珍しいカチンコ打ちからやってました。
➖でも、そのまっとうなところから、かなり特殊なというか珍しい感じの映画の作り方してそうですよね、現在のやり方は。
そ��なんですよ。
➖それはご自分の興味を辿っていったら今みたいな独自の方向性になっていたという感じなんですか?
それも成り行きで、与えられた仕事を、与えられた条件の中で、精一杯手を抜かず頑張るってことをやっていたらこうなっていたという感じです。
➖へー、与えられた条件によって、自分の独自性が引き出されていた、という感じなんですかね?
うーん。例えば、建築家の人から、自分のインスタレーションを映像に撮ってもらえないかって言われて、どうしたら撮れるんだろうって考えて作ったらああいうものができて……。
➖あれ良かったですよね。「DUBHOUSE」でしたっけ。
はい。それで、できあがると、そういう人に見られるじゃないですか。そうすると別の話がきて、そしてWWFesまで頼まれるところまで。それでそういう時に、それは僕の志向とは違うんで、みたいなことをしてこなかったら、こういうところまで来たんです。
身体表現は記録できない
➖でも、実際、気になる、みたいなことは、仕事が来るたびに、興味があるとかないとかは関係なくやっていたんですか?
WWFesだからってことではないですけど、ダンスに興味がなかったわけではないです。すっごいたまたまなんですけど、高校の時の同級生が平山素子さんなんですよ。同級生だったらしいんです。
➖あー!名古屋ですもんね。
だから全然知らずに、H・アール・カオスとか観てたんです。それで、この平山素子さんがあの平山素子さんとは結びつかなかったんです。
➖同級生の頃の平山素子さんを覚えてたんですか?
覚えてました。みんなのマドンナ的な存在だったんですよ。僕らの頃にちょうどその高校の新体操部っていうのが創設されて、新体操の力のある先生が体育の先生でいて、その先生が、綺麗どころで運動神経のある人をスカウトして、新体操部を作っていたので、新体操部すごいーという感じで話題になっていたんです。
➖ていうことは、あの、七里さんが映画を作った高校ですか?
そうです。でもそれがわかってからまだ会ってないですけどね。
➖色々運命的ですね。それこそ、数年前のWWFesで、平山素子さんに、色々な人が振付をする企画がありましたよ! ARICAの安藤朋子さんや室伏鴻さんも振付していました。
そしてさらにダンスとの関わりでいうと、早大シネ研に入って、映画を2本作ったんですが、そのうちの1本に出ていたのが北村明子で、そのあと、レニ・バッソを作っていました。その映画の中で、北村さんにタップダンスをしてもらったりしました。だから、最初の頃からレニ・バッソは見ていました。
➖すごいですね。今も第一線で活躍している人ばっかりじゃないですか。
身近にそういう人がいたってことと、関係あるのかないのか、なんとなくダンスは好きで、見てました。だから山崎広太さんも見ていたし、珍しいキノコ舞踊団とかも見てました。
➖ダンスを面白いなって思う時って、どういう感じで思うんですか?
なんかね、僕、舞台照明が面白いって思うのかも。今、思いつきですけど。かっこいいじゃないですか。綺麗だなって思います。それで、身体の動きが美しいじゃないですか、どんな人もそれぞれに。
➖そうか。そういうものを見る、という感じですか?
そうですね。それぞれの美しさを持っている身体を見るっていうのが楽しいなーと思っていて。ということかな。
➖七里さんの映画って、私もそんなに沢山は見ていないですが、身体が出てこないっていう印象があって。声とか気配が逆に生々しいな、とは思ったんですけど、七里さんが作品を作る時において身体はどういうものなのかを、聞きたいなと。
これ、川口隆夫さんにも話していたんですが、身体表現って、絶対に記録できないと思っていて。
➖それ、とっても興味あります。
写真は、瞬間を切り取るという意味で、フィクショナルなものがあるから、何か別のものが写っているということが記録になっているとは思うんだけど、動画でダンスを撮った場合に、そこに映らないものがダンスだと思っていて。そこが一番いつも考えていることです。
➖自分の作品を作る時にですか?
そうです。ダンサーの人とかと仕事をする時に。今回(新作の「あなたはわたしじゃない」)は、普通の女優さんは1人しか出てなくて、長宗我部陽子さん以外は、舞台の人、表現者の人だから。生の身体を見せる、表現する人、つまり、イメージの身体を表現してる人たちじゃない人たちを、どこかでテーマにしてたんですよね。ここ4~5年やっている作品は。
➖その違いみたいなものは、一緒に仕事をしていて感じるんですか? イメージの身体を扱っているなということと、生の身体を扱っているな、ということと。
そうですね、生の身体が素晴らしい人のイメージを切り取る時に、最初に諦めから入る感じです。「これは映らないんだ」という。
➖面白いですね。
映らないけど、どうしようか、ということを考えます。だから別のものだと思ってるんです。
➖別のものっていうのは、生の身体の人が、生で表現することと、映像に映ることの違いってことですか?
そう、違うもの、だから記録って言いますが、絶対に記録できるものではなくて、アーカイブとか話題になっているけれど、身体表現は記録できないものだと思っているんです。
➖それすごくわかります。今回のフェスでの自分の企画の「he meets no time capsule ひ みつ の たいむかぷせる」もそういうことがテーマです。
そう、違うもの、でもその美しさとか、凄さとか、何がしかはイメージとしてはものすごく力を持っていて、そこを拝借させてもらうということをやっていると思います。
➖そうなんだ。そういう生の身体で何かを発している人がイメージの中にいることで出現するものがあるってことですか?
あるはずです。それを撮りたい、撮れてるかどうかは他者の判断に任せますが、撮っているつもりなので。だから、割と映ったものに対して違うって思っていると思いますよ。表現者は。
➖どういう意味ですか?
自分がコントロールできないところに、イメージとして切り取られているというか。不可分というか切り離せないのかもしれないですね。その辺、私は演劇者であるとか、私は踊るとかで、完結して撮られたものに対して客観的という方もいて、そうすると、どう撮られたいってことに対して全く無く、そこにいてくれるから、こちらもすごく覚悟を持って、戦う感じがありますね。
でも、その辺が不可分である、生で見せることを表現の軸にしているというのもそれはそれでいいと思うんです。イメージに対して踊ったり振付したりするわけじゃないから。
➖なるほど、例えば、麿赤兒さんとか、田中泯さんとかは、その辺クールなんですかね。
クールかもしれないですね。すごく割り切ってそう。でも、そこまでいくと面白くないなって思ってしまいますね。
➖面白いですね。
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木内俊克インタビュー 後編
聞き手:福留麻里
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公共的なプロジェクト
➖今、木内さんの頭の中って感じでお話を聞いたんですけど、以前、割と具体的なお話を聞いたじゃないですか。東北で作ってる公民館とか。
今年と去年に、公民館やりましたね。
➖その公民館の話と今話してくださった興味の話、その間に隔たりがあったりもするけど、そこを結びつけることがやりたい、とおっしゃっていたじゃないですか。曖昧さのある興味のことも、今やっている公民館のような実用的な仕事の中にどう入り込ませれるかっていうような話をしてくださいましたよね。
実際のプロジェクトとして、都市で仕事をすることにはどういうことがあり得るのかと考えた時に、いくつかのカテゴリーの作り方がある気はするんですけど、実践的な区分でいうと、そういう公共的なプロジェクトも、興味の対象の一つにはなってきています。公共なんで、みんなが利用するものなので、生まれる理由からして都市的なんですよね。なのでそういうものを積極的にやっていくというのも一つあると思うし、僕は、プロダクトデザインとかって流通するからすごく都市的だなと思うんですよね。すごいベタなことを言うとマンハッタンっていったら黄色いタクシーだよね、みたいな。それが印象になってる。普通の話ですけど。
➖あーロンドン赤いバス、みたいな。
そうそ���。でもそれって、全然都市デザイナーでも建築デザイナーでもなんでもない人が作ったものが、都市の風景の中で一番語られるものになってるというか。そういうところにコミットするとか、例えば窓枠一個作ってそれがヒットすれば、その窓枠が千個、街の中につくかもしれない。そういうのも都市的だなと。その手のものでいうと、屋台とか。ああいうものってプロダクト的でもあるし、プライベートと公共空間の間に位置しているものだったり。
➖しかも移動できますもんね。
そうやっていくつか系統立てて考えると、都市の中でのサブリミナル効果を生み出すみたいなこともできるかなと思ったりもして。どれかの専門家になるとわかりやすいんですけどね。ただ興味のどれも捨てたくない、というか。そういう意味で、その幅広い枠の中の一つとして、公民館とか集会所も可能性を感じています。特に今回は復興で、街そのものをつくる一環として取り組めたことは非常に有意義だったと思います。
➖街はどこでしたっけ?
岩手県の大槌町です。誤解を恐れずに言い切れば、土木の人は、水勾配とかを元に、街を設計するんですけど、それって水にはいい街にはなるけど人に対してはどうなんだろうっていうのがあって。そこに問題意識を持っていた人たちが、僕らをチームに組み込んだんですね。毎度、土木の人が線を引いたらそれを模型にして、住民の人に見せて、住民の人がワークショップで返ってきた反応を、土木の線に反映されるっていう地道な作業です。
2013年くらいから2年くらいやりました。そこから一つの指針として、「デザインノート」っていう名前の書類に成果を組み込み、それが今後の参照元になるようなデザインコードを作る作業に参加しました。そういう直接目に見えなくても仕組みに染み込んで、出来上がったものは特別デザインされてるわけではなくても、残り香だけは残ってるみたいなデザインアプローチです。
➖街はもうできたんですか?
街は、道が去年できてみたいな状態なので、実際のものを作っているところです。消えそうなものをなんとか繋ぎとめて、レイヤーを重ねていくと、それがゼロな状態に比べるとものすごい違いになるっていうのはあって。建物を建物だけで作るっていうよりは、もっと公共的な場に入り込んで、じわじわ作っていくっていうか。
➖そういう大きな規模で、自分の考えていることを少しでも息を吹き込めるみたいな状況があるとしたら面白そうですよね。建築ならではというか。
すごくボトムアップな話だし。例えば、都市の中で、一気に32メートル道路を1キロ作ります、みたいな話はトップダウンなんですけど、でももっと草の根からじわじわ街を作るみたいなアプローチにどっちかというと興味あるかもしれないですね。僕、あんまり大開発とか、そういうのにあんまり興味が持てなくて。だから公共って言っても、僕にとっては、そうやってボトムアップに取り組めると面白いなというのがあります。
➖そういうのってなかなか入り込めないですよね。だから「街」って言った時に、建築はものすごく具体的だなっていうか。
ただ、そこで作るってことで満足してもいいかもしれないけど、地続きでそこに住む人たちの暮らしは始まっていくわけで、そこにじわじわ噛んでいくってこともあるかもしれないですよね。何かフェーズが変わっていくだけで延長してだらだら考えることはできるかもしれない。そこ、ちゃんとだらだらやるっていうか、ものすごく些細な介入を細々続けてくっていうようなことも面白いかもしれません。
公共空間の可能性
➖少し話はずれるのですが、この間、広太さんのインタビューをした時に、結構街の話をしていて。最近、ニューヨークのビルでガラス張りのビルが増えている状況が、街に人がパブリックを要請されている感じがするというか、街が、どんどんそうなっている中で、自分たちの在り方も個人をパブリックに開く方向を求められているように感じると言っていて。例えば、街の中で、ダンス的な身体があったらちょっと変な人に見えたりする、舞台の上では普通なものが、街で行なった途端、不審者になってしまうというような状況に対して、もっと人々がオープンに寛容になっていけたら色々なことが変わっていくんじゃないか、っていうのが基本にあって。
面白いですね。
➖何か、木内さんの話と、広太さんの話は、重なるところがあるような気がします。今回のキュレーターは、みんな割と、そういう興味が普段からある人が多い気がしますね。
僕も、こういう形式性が強い空間でやる時って、その空間の別の可能性が立ち現れて、そのことによって相対化された場所が都市であるように思えるとか、そこを経験したことで、都市に戻るって行為が、全く違うものになるみたいなことができたら面白いなと思います。
どう、物とか事とか状況が一つの位置に固着されないか、というか。AがAであることを実用的に運用しながら、でもAじゃないかもしれないっていう状況を作っていくかは、すごくテーマになることだなと。その潜在性とか可能性を促進、爆発させられるかみたいなことができると面白いなと思います。それは公共空間をやることと、連続してる作業になるはずだなと思ってて。
➖それって、今回のWWfesと関係ある感じですか?
はい、それは山川(陸)君とも共有していることで、そういうことができるといいねという話から、出てきている案ではあります。
目的とそこからの離脱
➖じゃあ、WWfesの話に入っていきたいんですけど、観客が来るってことについて、公共って言っても限られた人が来る、みたいな。目的があってそこに来る、みたいな。「人が入って来る」ってことにおいて、劇場って(厳密にいうと、BUoYは劇場ではないですけれど)ちょっと特殊だなと思って。
これ、ヤン・ゲールって人も言ってる話なんですけど(彼は1960年代からの大御所のアーバンリサーチャーで)「なぜ公共空間に人がいるかっていうと、いたいからだ」と。何をしに来たかと聞けば、買い物しに来たとか美術館に来たとか、目的をみんな言うんだけど、そう言うってことと、実際にどこかにいる行為、どこかにいるってことになった瞬間のダイナミズムってすごく違ってて。人はあらゆる目的行動をしているかのように振舞って都市の中にいるけれども、瞬間瞬間の人は、美術館に来たわけではない可能性があるというか。だから常に、目的とそこからどう離脱してしまうかということとのせめぎ合いの中でいる。
➖それ、今回のフェスのテーマと超関係あるじゃないですか! すごく大事なことですね。瞬間瞬間には目的から外れてるかもってすごい素敵ですね。
そうなんですよ。そういうことを突き詰めていくと、あらゆる空間や行為に可能性が潜在的にありますよね。それを取り扱う意味では、形式性が強い空間っていうのは、それが抑制されるから難しいんだけれど、そして抑制されてるから自由になってくださいと言ってみても、それが新たな抑制のシステムとして働いてしまうし。
なので今回(WWfesで)試みている方法は、あえて別の抑制を持ち込むと、劇場的な抑制が相殺されて、そこから注意が散漫になってしまう人が現れるかもしれないことを狙っているという感じでしょうか。抑制の中に、別の謎の抑制を持ち込んで、抑制というものの相対性を浮き彫りにするというか……。
➖なんかかっこいいですね。
つい本で読んだみたいな言葉を使ってしまうんですけど。これもこの間のレクチャーでも話したんですけど、僕が、すごく影響を受けた、ピエール・ユイグっていうアーティストがいます。建築家の西澤徹夫さんがデザインしていた、東京国立近代美術館の展示「映画をめぐる美術-マルセル・ブロータースから始める」での、ピエール・ユイグの作品がすごく面白くて。実際に起こった事件が、話題性が高すぎて映画化されるとかってあるじゃないですか。そこで、実際に銀行強盗をやった実刑犯が、それを再現するっていうドキュメンタリーを撮って、それと、その事件が映画化されたものをザッピングしながら、展示会場では見せるんですけど。実際の銀行強盗は、事実として起こったことと、彼の記憶の中にある自分が行ったことと、再現されることでそこからずれていってしまうことと、映画の中で演出されることのリンクとが混ざっていってしまう、つまり現実っていうのは、どこにも定位してないみたいなことが浮き彫りになるんですよね。
➖銀行強盗した人も、その映画に影響されて、そうだったかもしれないって思っちゃったりするんですかね。
そう、自分の中にヒーロー性を見たりとか。
そういう、謎のルールを持ち込んだことによって、浮き彫りになってしまう実の儚さっていうか。何がフェイクで何がリアルかなんてわからないというような。
➖今回のも、自分の興味が、散漫になってしまうみたいなことが、いい意味で起こると面白そうですよね。
WWFes 2018とインフラのデザイン
➖今回のWWfesで空間を担当していただくにあたって、BUoYっていう空間自体、元銭湯っていうことが形として残っていたり、色々な痕跡が、ここを使った何十年前の人たちの幽霊がうようよしてるんじゃないかみたいなことも、現在BUoYっていう場所になってから残されたものも混ざっているような、結構特殊な空間だと思います。今回、WWfesが、ある意味、中心がはっきりしないまま進んできてる中で、そのBUoYという場所を使うことになって、色々話し合いながら、今は「仕切りを作る」っていうことが出てきてるんですけど、木内さんから、その空間について何かあったらお願いします。
今回は、インフラのデザインというか、基盤のデザインに振ったものをやりたいというのはあります。予算的に、軽い材料を選ばないといけないのはあるんですけど、でもそれ位のレベル感にしたいのはあって。それで、今回のが「インフラ」と呼べるかは、僕はわからないところがあるんですけど、むしろ道路にしかれている「白線」とかに近いのかもしれないですけど。
これからデザインを詰めていく先で、どうなるかわからないですけど、建物の骨格をなぞったような、それが強調されるような、それが強調されすぎることによってさっき言っていたような、劇場っていう形式に対して、別なルールが与えられることによって、形式性が相対化されてしまうっていうことが起こらないかな、というようなことは考えていて。
➖私も、今第一案を伺っている段階なんですけど、劇場って何かを見る場所じゃないですか。で、今回のアイデアって、すごく「視線」を意識するものだなと感じて。それは良くも悪くもだと思うんですけど。それで「悪くも」って言って想像することは、今自分が一番見たいものじゃないものが入ってきちゃう。みたいなことで。それは今、「悪くも」って言ったけど、それが、「ハッとする」とか「ソワソワする」とかそういう状態をひきおこしそうだなと思って、それは面白そうだなと感じました。何も自分では意識していない人が、演劇的な振る舞いに見えてきたりとか、人の振る舞いに作用する仕組みだなというか。
僕がこうしたいな、と思ってることは、火のないところに煙は立たないっていうか、これがこうでなきゃいけない、リアリティの強さは作っていかないと、狙ったものになっていかないと思うんですよ。だから、この形式にはこの形式のこうじゃなきゃいけないっていうプラティカルな機能の担保みたいなことがすごく丁寧にやられる必要があって。
➖「待ってる場所」っていうか、いろいろな組み合わせが出来るって考えのもとに考えてもらってるじゃないですか。こう使いたいっていう内容を待ってるっていうか。それ��よって、組み合わさることで初めて必然的なものになる感じがします。
いいアプリとかインターフェイスにならないと、そういうことがきちんと作動されないんで、そこの作り込みをどれだけ真っ当に、この場所の必然性、需要に対して、まっすぐに作れるかってことが多分勝負になるような気がしてるんです。
だから今から詰めていくデザインは、立て込みの事とか、使いやすさとか、歩きやすい歩きづらいとか、座りたい座りたくないとか、そういうことが丁寧に編み込まれていくことと、それがいわゆる丁寧なだけには見えずに、そんな所にこだわんなきゃいけないんだっていうディテールが積み上がっていくってことがよくて。
➖勝手に期待することとしては、ちょっと困っちゃうっていうか、困らせないといいうよりは、困っちゃう部分が、アトラクション的に、よくわからないでっぱりみたいなものがあると嬉しいですね。最初の頃に、観客が介入することで変化してく空間みたいな話をしてたじゃないですか。その要素が入り込む余地がないかな、とは思っていて。介入し合う、みたいな。
やっぱり、一個一個の切実さを紡いでいくことって、狙ってそういう方向にいきたいとは思わないんですけど、明後日の方向に行く可能性は常に孕んでいて、全く意識せずにそこに飛べた時って、「笑いの神様」じゃないですけど、神様降りてきたって感じになると思うなって気はしていて。だからそこを待ちながら地道にコツコツ作るってしかないなと思っていて。
➖わかります。ダンスでも切実さとか実感って言葉はよく使って、そこがない状態で動けないというか。まずは実感があることで、形の始まりになるみたいな。
何か楽しみですよね。
例えば山川君が加わったっていうのが大きくて、主体が一致することもあれば分離もしてしまうみたいな不安定性の中で、やりながら、キュレーターの4人の人も入ってきてしまうっていうことが、フェスならではというか。やれる可能性は十分あるんじゃないかなって気がしますね
➖小さな誘惑がありますよね。BUoYそのものも誘惑が多い場所だと思いますし、山川さんがこの間見せてくれた空間を見て触発されて、こういうこと考えたいなって思い始めるというか。だから小さい誘惑が連なって、フェスに向かって知らず知らずに形が見えてくるといいな、というか。
それがうまく走ると、「このフレーム取ってくれ」みたいなことを言い出す人も出てくる気はして。
➖それってフェスを実際にやっている合間もできるんですか?
大変だと思うからどういう形になるかわからないけど、それをなんとか着地させるとか、すごい苦しいんだけどとりあえずやるとか、それはクリエイションになりそうですよね。それって建築が建築になる瞬間とか都市が都市になる瞬間と似てるなって思って。
ダンスと空間
➖ここまでは空間的なこととか、木内さんの興味とかを中心に聞いてたんですけど、WWfesダンスのフェスで、それぞれの方にとってのダンスのことや、ダンスを見るとき、何に期待してるかみたいなことを聞けたらいいなと思っています。
話は重なってしまうと思うんですよね。どうしても、身体があるとかいるとか、それが何か振る舞うことについての、新しい経験を求めているというのが多分率直なところで。そこを経由すると、身体ってこういうことがあり得るんだっていう、言葉とは別次元で了解されちゃうっていう経験があるのがいいなあとは思っています。
➖最後に、さっき話していた観客が一人で経験することと集団で経験することっていう話と、繋がるような気もするのですが、木内さん的に今回の見どころとか聞かせてもらえますか。
見所は難しいけど……。居場所って呼ぶ程のものにはならないくらいの、でもある程度居場所的な機能を果たしてもらえたらいいなというか。
➖さっき話していた、一瞬目的を忘れる、一瞬目的ではなくそこにいるみたいなことが起きるといいな、という感じはしますね。
そうですね。それくらいの温度感のことが実現されるといいのかなと思いますね。あと七里(圭)さんのロケは気になりますね。そういうある場所で成立しうるってことに想いを巡らせたことがなかった行為が現れるといいのかなーと思いますね。
➖七里さんのは強いですね。空間を全く意識せずに在れる方法を考えた結果、めっちゃ空間に介入してくるみたいなのは、そういうのがあったか!という感じですね。
そして今、喋れない言葉とか、そういうものを喋ってる自分が生じるようなプロセスを目指したいですね。空間の解説とかもやっぱりやりたいですね。
➖この空間がここにあるには、この板がここにあることには、色々な考えや予感や期待が染み込んでいるんだってことがわかると、そこに触れることで、その場所を歩く時の気持ちも変わるというか。
そういうことを、例えば自分の両親とか、あんまり興味がないかもしれない人にも聞いてもらうのもなんかいいですよね。それを経由して、僕とか山川君の身体なのか、振る舞いも変容してしまうっていうことも面白そうだなと思いますね。
➖そうですね。それを聞くつもりで来てなくても、背中を向けてても耳からは入ってしまう、みたいなことが起こるといいですね。お客さんとかダンサーじゃない人たちの、身体の状態とか振る舞いが変化すること自体も、踊ることの中に位置付けられるって考えもあるかもしれないっていうか、踊ってしまっていたみたいな。それはちょっといい感じに言い過ぎかもしれないけれど。
踊るってことに入るとか入らないとかって、建築というかモダニズム的な視点でいうと、踊ることを面白いっていうことは、経験的なことなのか批評的なことなのかとか、それを面白いって認定すること自体が批評的な俎上に挙げられて、専門的な一部の人にとっての範囲での話じゃないかってことにもなりやすい議論ではありますよね。ただ、そういうことよりはAっていう人が、何かを感じ取るっていう、主体とか客体だとかっていう定義の中に落ちない、明確性・明瞭性が定義できない事態っていうのが、それの意味するところなのかなっていう気がしていて。そこにコミットできるってことなのかなって気がしますね。主格の透過性っていうのが強度を増すっていう感じなのかな。
➖踊るって、例えば動きでいうと、揺れるとか揺らぐ、みたいなことだとしたら、すごく雑にいうと、ちょっと自由になるみたいなことだとしたら。例えば街を歩く時の歩き方の、知らず知らずにきちっとしてるみたいなことが、別にそうじゃなくてもいいのかもしれないって、街の中ではささやかな影響で、感じる可能性があると思うんですけど、そういう感じのことというか。自分の中に知らず知らずにある振る舞うルールのようなものが揺らぐのか拡張するのか、それが、今木内さんがおっしゃっていた、主体とか客体とかが混ざっちゃうのか。
だから主格を妙に定義する感じって、 〇〇は、〇〇をするっていうよう定義付けが可能な状態にある身体であり、ものでありことであり、状態を固定しようとする意志の働きだと思うんですけど、そうではない状態。こういう話しをしていると、モダニズム的な教育を受けてるというかそういう風に育っている人からすると、だからそれって何?誰にとって面白いの?みたいな話になってくるんですけど。
➖そういう視点に晒された時に、大丈夫か?みたいな、ツッコミが自分が物事を考える時にも、ある気がする。これは誰に向けてどういうことなのか、ちゃんと論理的に説明できるのかみたいな、実際、そういうことが得意不得意かは別として、そういう視点に対して恥ずかしくないか、みたいな。
そうですよね。だからそこをどううまい事を外れるかみたいな。さっきのダンスを見たいときの欲求って、そういう事と関係あると思いますね。
➖空間にもそういう力はある気がしますね。ワクワクするとか走りたくなるとか、ゴロンとしたくなるとか、見上げたくなるみたいな、そういう感じの事っていいなっていうか。満月の時��か、みんな空見上げたりしてるのとかすごいなっておもいます。
そのくらいの事かもしれないですね 。
➖今日はありがとうございました!

2018年1月25日
(編集協力:印牧雅子)
木内俊克
1978年生まれ。東京大学建築学専攻を修了後、Diller Scofidio + Renfro(2005-2007, New York)、R&Sie(n)(2007-2011, Paris)勤務。2012年木内俊克建築計画事務所設立。建築から都市に至る領域横断的デザインの傍ら、コンピュテーショナルデザイン教育/研究に従事。代表作に都市の残余空間をパブリックスペース化した『オブジェクトディスコ』(2016)など。イスラエル・ホロン市開催のUrban Shade Competition(2014)では歩道や広場を横断して設置する巨大なキャノピーによる都市介入で勝利案受賞。
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木内俊克インタビュー 前編
聞き手:福留麻里
WWfes 2018の空間デザインを担当する木内俊克さんへのインタビューです。木内さんの普段の活動の紹介や考えていること、都市にまつわること、今回のフェスでの空間のあり方について。話はゆらゆらと揺れ動くように流動的に進みながら、柔らかく核心に迫る独特な木内トークをぜひ読んでみてください!

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都市の表記方法
➖自己紹介の意味も込めて、普段の木内さんがやっている仕事と、いまのご興味など伺えたらと思います。
先日、関東学院で、講評とレクチャーをやりまして。課題は関東学院の中津先生が出されていて都市を分析し問題を抽出して、それを自分たちの発見した視点に基づいて表記するというものでした。ダイヤグラムを自分たちで考えて書いて、その書いた自分たちの尺度と見方で街を捉えて、捉えた結果、じゃあどうしたいのかということを結論として引き出すんですね。
そこで、にわかの関心も含めて、「演劇とエミュレーションまたは人工知能」というタイトルで話をしました。演劇をとおして「都市を表記する」そもそもの目的意識が整理できると思ったんですね。一方で、「エミュレーション」と「人工知能」っていうのは、もともと興味があった表記方法というか、どうやって都市を記述するのか、アプローチするのかのキーワードとして出しました。
➖「エミュレーション」ってどういうふうに使う言葉なんですか?
「シミュレーション」ってありますよね。物事を模倣するときに、原理がわかって、つまり演繹的に組み立てて、こういう作用でAっていう力が加わったときにBっていう動きが出ることを、科学的に検証されたロジックを使ってやるという。ただし論理を組み立てて物事を再生しようとすると、非常にコストもかかるし労力もかかるし、そもそもできないとか難しいとか曖昧すぎるとか、そういう問題があるときに、むしろ同じような結果が出る擬似的な仕組みでいいから作って、想定される問題とかインプットが入ったときにそのプログラムがどう反応するのかチェックしようというのがエミュレーションのようです。とりあえず、エミュレーターでいいから作って走らせて、仕組みがだいたいうまくいっているかチェックしようと。そういう感じの使われ方をするようです。
➖具体的に例えばどういうことに使われるのですか?
機械のバグ取りとか、チェックとか、そのシステムが自分たちの想定した目的に沿っているかの検証に使うようです。僕はエンジニアではないので、エミュレーターを、厳密にどのように運用しているのかっていうのは、そんなにわかっていませんが、都市のふるまいとか目的を考えようとするときに、非常に使えるというか、エミュレーション的にしか都市って考えられないのではと思ったんですね。都市とか空間って、すごい複雑系じゃないですか。複雑系って、一般的な意味とも違う、むしろ不純というか、自然現象のような美しさや原理で説明しきれない一貫性のなさを指して今は言っています。
都市における人間のヒューマンスケールで起こってることとか、人間の下す判断とかって、そういう一貫性のなさを持ってる世界だと思うんですけど、そこに対処するのであれば、精緻さを持って綺麗に秩序立てて世界を構築するより、それをそのまま理解したいというか。あるいは理解するってことが、出来てるのか出来てないないのかさえもわからないまま、けどとりあえず運用できる状況の中でものを作っていくことができたら面白いなって思ってるんです。
そういうことを、いろいろな気持ちを込めて、一言で言える言葉ってないかなって思ったときに、エミュレーションは便利だなと。現実をかなりフェイクして、けど、だいたい乱暴に言えばあってるみたいなものを使いながら、現実の世界で起こってくるブレを積極的に受け入れつつ作る。むしろずれが出ること自体に価値を認める。それが僕にとっての表記方法の話です。
人工知能っていうのは、最近興味を持ち始めて、これも完成された話というよりは現在形の話なんですけど、人工知能って、精緻さを欠くというか、物事をいい加減に判断できる仕組みなんですよね。やっぱりそもそもが非構造化データというか綺麗に成形されていないデータをたくさんのませて、とにかくそれに対して彼らが返してくるレスポンスにいい悪いを評価するっていうことだけ繰り返す。それを学習って呼ぶんですけど、学習プロセスを経てなんとなくそれっぽいことを言いはじめるってのが面白いところです。有名な話だとグーグルの人工知能の、AlphaGoです。
囲碁は、人工知能が勝つのはもう10年かかるだろうって言われていたらしいんですが、去年勝っちゃったんですよね。それって何が突破口だったかというと、これまでの人工知能は、総検索的に、ゼロからあらゆる決め手を総当たりして、その中で一番いいと思われる手を打つっていう方法だったらしいんですけれど、それとコンピューターが出せる性能のせめぎ合いで勝ててこなかった。つまり、総あたりは、コンピューターにとっても重すぎるって問題があって、人間のなんとなくのヤマカンみたいなものの方が強いっていう時代が長かったらしいんですね。けど、勝っちゃったのは、その「なんとなく」ができるようになったということのようで。それは、理屈ではうまく説明できないんだけれど、「なんとなく」碁盤目上のどの辺を見ている時に、ある状況に対して勝ちやすいのかを学習させるわけです。この辺見てれば、なんか勝てるっていうのをとにかく色々なケースでやり続ければ、全く理屈は追いつかないんだけれど、こういう状況(パターン)だったらこの辺見てると勝つ、という傾向を学習してきて、人工知能も、この辺が勝てそうみたいなので、ギュッと絞るとなんとなく山張った後に可能な時間その中で総当たりして、強そうな手を選んで打つっていうのができるようになったようなんですね。結果、それで人間にも勝てるようになった。
➖えー面白いですね。じゃあそれで10年がかなり短縮されたってことですよね。
論理的には飛躍してるとか、現象の内実はよくわかんないブラックボックスなんだけど、なんとなくあってるというような話をジャッジできるっていうようなものが出始めてるのが面白いなと思って。僕は、こういうものはデザインに対して強力なツールになるんじゃないかと思っています。今デザインって言っちゃったけど、都市をどう見るか、どう表記するかっていうことに対して、意外なところ、僕らが見えていないことを返してくる存在で、けどなぜだか納得してしまう視点を提供してくれる存在として、人工知能に興味があるってことですね。
演劇的経験—人の振る舞いと空間の変容
で、演劇の話に戻るんですけど。「演劇」は、興味はありつつもあまり触れる機会がなかったのですが、去年初めてチェルフィッチュを見たのと、年明けに、高山明さんのレクチャーを聞いたことが足掛かりになりました。僕が面白いなと思ったのは、高山さんは、舞台っていうより、観客がいれば演劇が成立すると話されていたんですね。
僕はPortBの「東京ヘトロトピア」とかは知っていたけど、その概念が何に依拠してるのかってあんまり実はよくわかっていなかった。で、彼が言っていたのが、昔のギリシャの劇場が、山の上にあるのは都市を見下ろせる位置にあるからなんだと。舞台が、その都市を見るためのデバイスで、舞台を通して眼下に見下ろせる街を見ながら、その都市の神話をツールにして、都市について議論を交わすっていう。その頃は、演劇は、まじまじと何も喋らずに見るっていうものではなくて、そこで起こってることについて活発に議論するためのものだったらしいんですね。客席自体がテアトロだったんだと。
僕は非常に面白いと思ったのは、舞台をとおして人を、人をとおして街を制御するという確固たる仕組みがあったんだってことなんですね。これは、高山さんに限らず、建築でも一部の分野では受け入れられ考え方として、物自体は変わらなくても、見る人の視点が変わってしまえば空間って変わるという発想がありまして、僕も基本的にその立場に賛同していたので、高山さんの話していた演劇のあり方に共感を覚えたんです。人の振る舞いが変わってしまうことのクリティカルなきっかけや、インプットがわかれば、そこに介入することで、街が変わったとか、都市が開発されたって言えるんじゃないかなと……。
➖面白い!極端な話、見た目が何も変わらなくても街が変わったってことが起こり得る。
起こり得るって僕は思っていて。僕は結局ものを扱う側なんで、それをやりたいにしても、「何が変わるか」「何が変わると人が変わるか」っていうことを考える、そこに行き着くことが僕のプロフェッショナルだとは思うんですけど。そこをやろうと思ったときに、それって、高山さんの言葉を借りると演劇なんだなって僕は思ったんですよね。
で、チェルフィッチュなんですけど、僕が少なくとも受け取った情報・メッセージは、人格と身体の一対一対応を疑ってる感じというか、都市空間の中にいるときに、自我は必然的に揺らいでいて、むしろそういう揺らぎを感じるために行く場所が都市なんだ、と気づかされました。そういう風に考えさせられること自体が、演劇的経験なのでしょうが、都市とか、環境を作る人がやることって、本来的にそういう作用をもつ場所や仕組みを積み上げていくってことですよね。
その場所とか一連の行為とか経験を経由してしまったから、世界が違って見えてしまうということを、どうやって誘発したり介入したりするか。チェルフィッチュ的な話で言えば、一人の人へのアクションかもしれないし、集団的な作用かもしれないけど、そういうものが混ざり合ってないまぜになっている場所が、パブリックスペースなのだとすると、その中で何がデザインの対象になるか、介入の対象になるのかっていうのはすごく面白い話ですよね。
➖今言ってた、一人にアプローチするか、集団にアプローチするかって話は、客席の中で起こることとしてですか?
そうですね。客席としての集団っていうものが、多分、一として演劇を経験することもあれば、多として演劇を経験するってこともあるかもしれない。音楽でもそういったことありますよね。僕は昔バンドをやってて、ボーカルだったんで。なんか音楽やってる時の渦って、一とか身体とかわかんなくなるじゃないですか。
➖うんうん、わかりますわかります。
その感覚は、僕はリアリティある話なんで、いつも考えています。ただ建築はもしかしたらそれは不得意かもしれないんですけどね。非常に波風立たない介入の仕方なので、人に対して。
➖出来上がってからの変化が、建築そのものとしてはあんまりないですもんね。
すごくじんわりしてるというか。それだけに、サブリミナル効果みたいな、昔の都市伝説というか、テレビの中とかで、サッとホットドックとかが0.1秒横切ると食べたくなっちゃうみたいな、そういうことはできるのかもしれないとは思っていますが。
曖昧にしか理解できないことに介入する
以上の話を総合すると、僕が興味を持っているのはそういう曖昧な判断装置としての、エミュレーターとか人工知能とか、それに類するようなデザインのアプローチを使って、ごく曖昧にしか理解できないことに介入するってことが一つあります。そういう僕がデザインの対象だと思ってるものリストみたいなのがあるんです。これ、僕のレクチャーの時とかに標語みたいな感じで見せるんですけど、出してみますね。

こういう認識直前状態のものとか、もうすぐ、気づかれそうなものとか、今ちょうど感覚されている何かとか、認識の常に境界にあるものとか、もしくは、あまりにずっとそこにあるもの、例えば空気とか……。
➖あー、でもそういうことに興味があったらチェルフィッチュは面白いでしょうね。
そう、忘れられていることとか。昔意味あったんだけど、最近意味無くなりつつあるものとか集積するもの、取り囲むもの、変化するもの、けど確かに起こっているもの、介入していく、染み込んでいくもの、変化ですね。とってかわるもの、こういうものが都市にあるものとして大事で、なんかこの辺のことはいつも考えています。
➖形から一番遠くにあるものに興味の中心がありながら、めっちゃ形を作らなきゃいけないの、なんかこわそう。決める時とかの、決めるっていうのはどういう感じなんでしょうね。って思っちゃいます。
引き裂かれてるんで、なかなか結論にたどり着かない、だから面白いのかなっていうのはあるんですけど。
(編集協力:印牧雅子)
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山崎広太インタビュー 後編
聞き手:福留麻里
パブリックスペースとダンス
-少し話が変わりますが、そのようにウェンウェア・フェスはアーティストが主体的に、外側から与えられたものじゃなく、発信していくことが大事って言っているのですが、去年、広太さんが、(ウェンウェア・フェスとは別の試みとして)街に出ていくプロジェクトのことを提案してたじゃないですか。それは、ウェンウェア・フェスのことと、何か繋がりはありますか?街でのプロジェクトって、アーティストとアクセスするっていうこととはちょっと違うじゃないですか?もう少し広くて、街の、風景の中、例えば電車の中とかにいる閉じた身体に対して、ダンスがもつ可能性というようなことを広太さんは言っていて。そういうこともウェンウェア・フェスに盛り込めないかな、とちょっと思ったりしているんです。そこのところも聞きたいなと思ったりしていて。
それはパブリックスペースでのダンスプロジェクトです。wwfesで、渋谷駅界隈などで「透明なサイトスペシフィックダンス」という企画を行ってきました。多くの情報や通行人に溢れる路上で、見世物として祝祭的なダンスパフォーマンスをするのではなく、風景と同化しつつも、違う志向を持って存在する身体を都市に共存させるという試みです。パフォーマーと都市の風景が映画のように一体化する瞬間があります。それをもとにいろいろな場所で行なおうとする構想でした。
そのプロジェクトも含めて、基本的に自分が動く時って、「これがこうだからこうなる、だから絶対的なものだ」ってあんまりなくて、意外と無理やり感で立ち上げようってところはありますよね。結構、勇気が必要です。でも多分、いままで結構経験を踏まえているので大丈夫でしょう。そこにいく動機には、自分の中で自分のダンスの稽古が意外と地下鉄とか電車の中だったりとか、例えば街の風景見ていると、建築がどんどん壁とかがなくなっていって、ほとんど住居がどんどんガラスだけになっていくような感じ、結構ニューヨークはみんなそう。それがニューヨークなのかもしれない。意外とパブリックと繋がっている。例えば、あるオープンクラスのダンススタジオの下の階が普通にABTだったりする。多分それは無意識的に、私たちがパブリックに対してもっとオープンになるべきだと発してるんじゃないかと思って。
100年後の人類の未来を考えると、パブリックスペースを、如何に共有することができるかってことが、普通に行われるんじゃないかと思うんです。人々が共存する場での可能性ですね。現在の都市は、コミュニティを持たない人同士が通り過ぎることが多いと思うんです。そこに立ち止まって、いろいろな風景を見ていると、多くのことを感じることができる。そこで全くコミュニティを持たなくても、自分で共有し楽しむことができるのではないかと。それが一般的に認識された時に、確実に人類は変わるだろうと確信しているのです。ただこれが観光とかに利用されると、真逆になってしまう。消費されない、私たちだけの見えないネットワークの形成です。だからとても慎重!ダンスアーティストとして無意識的に人類が少しずつ変わっていくことを見つめている感じですか。
-なるほど。去年、そのプロジェクトのアイデアを、広太さんが書いて送ってくれた時に(助成金に応募する関係で、落ちましたがw)、ひそかにすごく感動したんです。例えば満員電車で、みんなしかめっ面して、キューっと緊張してるけど、もしかしたらもっとふにゃふにゃしていてもいいかもしれないじゃん、みたいな、そういうことが、社会の中で色々なことが変わっていく、ダンスがもつ可能性なのかもしれない、というか。
あと基本的に、ダンスやっている人はみんなそうかもしれないんですけど、意外とパブリックなスペースで、「今、僕踊ってるんだけど、大丈夫かなー」みたいなことないですか?自分が振付を考えてる時とか。
-あー。確かにそのことにすごく集中してる時とか、そういうことあるかもしれないですね。
あと僕の場合は、ランニングも重要になってますね。
-よく走ってるんですね。
そうですね。
-aokidくんもよく走ってるそうですね。そういえば。
ランニングっていうのは、自分が3歳とか4歳くらいにやった行為をそのままやってるような感じがしていて。それは大人が忘れたものをもう一度、取り戻すっていうことができるような気がしているんですよね。それってすごく必要じゃないかなって気がしていて。
あと、かなり自信がありつつまだやってないんだけど、子供へのダンスの教育っていうのもやってみたいんですよね。ランニングを経由して。面倒くさいからやらないかもしれないけどね。でも相当貧乏になったらやります。
-えーやってくださいよ!ランニングを経由して?ってどういうことですか?
ランニングを通して、ダンスにどんどん傾倒していく感じ。
-走ってたら踊っちゃってたみたいな感じですかね。
本当にこれって子供のムーブメントだな、ってよく思う。もう60近いのに。
-確かに、広太さん子供の動きっぽいですよね。広太さんのダンス自体、子供を意識してますか?子供に見える時とおじいさんに見える時と、混ざってますよね。
僕の作品は、最近はもう老後だから。老いにフォーカスしようと思って。もう年になるとね、目的は老人。
-ウェンウェア・フェスに戻りますけど、ウェンウェア・フェスに期待してることってありますか?
やっぱり新しい反応、新しいプロジェクトが立ち上がると嬉しいなって思いますけど。それぞれが出会って。
-日本のダンスもわかれちゃってる感じがするっていうか、私は隅っこの隅っこっていう感じなんですけれど、色々なダンスの人にも遊びに来て欲しいな、と思ったりしてて。こういう人に来て欲しいな、とかありますか?ダンスに限らず。
やっぱり一般の人に興味を持ってもらえたら嬉しいですよね。一般の人に情報をどう伝えるってことが日本は少ないと思うから。そのために今回、みんなで案を出し合って実行しますよね。楽しみです。例えば、ニューヨークだったらニューヨーク・タイムズが取り上げてくれたりするじゃないですか。あと、評論家の人も、それぞれのtwitterとかだけじゃなくて、サイトを作って、そのサイトに色々な評論家がアクセスして何かを書くような場ができるといいよね。
-ニューヨークはそういう評論のシステムってどうなってるんですか?
今回、作品を発表して思ったんだけど、評論家の人がサイトを立ち上げてそのサイトに作品の批評を載せているっていうサイトが結構あるんだな、っていうのを結構実感して。4つくらいあった。
-へー。なるほど。
ウェンウェア・フェスもそういうの立ち上げたいって気持ちはあるけど、しちゃいけない。だって、アーティストの行動をサポートすることが使命なので、それをジャッジする人も巻き込むなんて、クレイジー。もうちょっとジャーナリスト方面、静かすぎる、頑張って欲しいなって思っています。ネットとか活用して。
-今回、色々なプログラムをやろうって言ってるから、そういう批評家の人とか、ダンスを言葉にする人にも何かしらの形で何人か参加してもらえたりするといいなと思ったりしていて。そういえば、今回、トラジャルさん(トラジャル・ハレル / ニューヨーク在住のダンサー・振付家)もいらっしゃるんですね。
そうなんですよ。トラジャルは、土方巽をテーマに作品作ったりしてるから、日本での活動をしたいんじゃないかな。
-トラジャルさんはニューヨークでどういう立ち位置で活動してるんですか?
ほとんどニューヨークにいなくて、ヨーロッパの結構メジャーなフェスティバルでやってますよね。さっき、ニューヨークはそれぞれの分野が確立してわかれてるって言ったけど、美術館は、ダンスを受け入れようとしていて、トラジャルは、MoMAと契約していて、2年くらいかなりの資金と時間をもらって、それで公演したりしてるんですよ。その辺りは人脈が関係してたりしますね。アメリカは人脈が絶対不可欠。僕ないから大変。��術館は定期的に、ダンスの企画をしようとしているかもしれない。
舞踏━内側から発動すること
-そういうニューヨークに十何年いたっていうのは、その方が活動しやすかったりメリットがあったんでしょうか?
やっぱりモダンダンスが築かれた歴史的な場所だから、そこで自分なりの新しいダンスを提示したいっていう挑戦はある、いつも。あと、同時にニューヨークと日本を見れることですね。この浮ついている逃走感覚、気持ちいいです。でも生活できなくなったらすぐ帰りますけど。
-舞踏ができたのは日本じゃないですか。
舞踏とか関係なく、また多分僕がニューヨークでの生活がなかったとしても、ずっと東京で活動していたとしても、何か自分のスタイルというものを見出していたと思うんです。もしずっと東京にいたら10数年前には確立していたとは思うのです。それが、この前のプレミアで何か自身のスタイルが少し見えてきた感じがしています。でもニューヨークで多くのことを学ぶことができた。嬉しい。
-それはそう思うに至ったきっかけがあったんですか?
やっぱりずっと土方巽ってものを追求したいと思ってたわけ。それで、今思う重要なことは、舞踏っていうのは、舞踏をやることが最終的な目的になっちゃうと面白くなくて、一度人が通過するためには、すごくいいダンスのジャンルだな、と今回、(「darkness odyssey」を制作してみて)思った。
-それはもうちょっと具体的にいうとどういうことですか?どういう時にそう思ったんですか?
やっぱり、外国人が持っていないことが一つあります。日本人が持っているソマティックな、つまり内側から何か発動するっていうこと。これってアメリカ人はほとんど持ってないというより、ちょっと違う。なおかつアメリカ人がこれを通過するっていうことがとても重要だし、日本人はそれを持っていると想像する。つまり、舞踏が持っていることだと思うんですよね。だから舞踏が体系化して、白塗りとかステレオタイプ的な舞踏をやるってこともいいかもですが、通過する一つのものとしては、すごく豊かな色々なものがある気がします。可能性が。教育の面からも見て。土方さんも実はそのつもりだったんじゃないかと思いますけどね?舞踏を超えた何か?
-見た目がインパクトがあるから、そっちが受け取れられてしまうけど、表現の元にあるものとしてはそういうことなのかもしれないですね。面白いですね。
あと、欧米人が考えているインターナル、内側から発動することと、日本人が発動することって違うかもしれないですね。そこはもうちょっと研究してもいいかもしれないですね。ヨーロッパって身体に歴史があるじゃないですか?アメリカは歴史がなくてそういうことももう少しリサーチしたいですね。誰かやって!60年代ばっかり追いかけないで。
-なるほど。
同時に共存すること
あと、もう一つ、ドゥルーズじゃないけど、becoming、生成変化、私たちがこの土壌で変化するということについて考えてます。例えば、黒人がいたりアジア人がいたりヨーロッパの人がいたりする中で、私たちが変化する手段を探すことが重要な気がする。あなたはアフリカ人ですよね、あなたはアジア人ですよ、分けて、その違う関係のダイナミズムを作るのではなく。次のプロジェクトは、それぞれのパフォーマーの肉体が超特化しているから、アフリカ、舞踏、ポストモダン……もう一度、全てをフラットにして、そこから、共存するところから、その先で何が出てくるかってことが重要な気がする。やっぱりアーティストが自分のエゴではなくて、同じフラットなところから、何かが、発動すること。そこから立ち上がるもの、違うものが出てくるといいなって思いますよね。2001年、建築の伊東豊雄さんとのコラボレーション「cholon」のプログラムで言っていましたね。人々の関係を暈(ぼか)すことから始まるんだと。英語だとblurryです。
-自分のアイデンティティ、例えば、自分は何人であるというようなことにもう一度焦点を当てて、それを起点に作品を作るというような流れが、近年あるような気がするんですけど、それを全てフラットにするっていうのは、次の段階って感じもして面白いですね。
それぞれが、どういう風に同時にこの場で共存するかってことが重要だと思う。そういえば、今回のフェスのテーマも同時に共存するってことだから、ちょうどいいですね!僕の今年のテーマは、生成変化、becomingです!
-生成変化、ちょっと難しいけど、そうですねw またちょっと戻りますけど、日本のことで何か気になることってありますか?ダンスのことでも、たまに帰ってきてびっくりすることでも。
あんまり接してないからわからないけど、やっぱり日本人は器用だな、動ける人がいっぱいいるよねって思った。体型が立体的な体型を持ってなく扁平だから、あまり目立たないってことになるかもだけど、テクニックは、みんな持っていると思います。去年、新長田のDance Boxや、井上バレエ団で作品を作って、それぞれ、いいテクニックはあるけれど、どのようにコレオグラファーが、それぞれの良さを作品にしていくのかっていうのを探っていたかもしれない。日本でのダンスの基準って、いいダンサーであるかないかだったりするから。それってよくないと思う。
-それって、さっき話していた、ニューヨークにいると、日本は何かの「基準」や周りに合わせる傾向を感じるというのと関係あるんですかね。
あるかもしれないね。ニューヨークは独立して存在しないとやっていけない感じがある。ニューヨークはそれぞれにインディビジュアルに存在していて、自分が作品の中で、振付に対してクリアじゃなかったらどんどん言ってくるし、だから私はこうするんだ、ってことになる、そういうことが普通に行われているから。
-交わされる言葉がすごくダイレクトな感じなんですね。
そうですね。
-最後に、さっき、パブリックスペースでの話をしていた時の、ダンスが持っているかもしれない可能性っていうようなことが、私はずっと気になっているのですが、時々、日本に来る中で、ダンスのことに関わらず、街の中で人がいる感じとか、話してる感じとかに何か思うことはありますか?
勝手な自分のビジョンですが、ジャスチャーするってことが、もっと頻繁に行われるといいと思うんですよね。人々の中で。
-面白いですね。
一度、挑戦したんですよ。これ誰にも言ってないんだけど、去年、KAATで白井晃さんと話をする機会があったんですよ。それで、「よし!この機会だから、ダンスしながら話そう」と思ったんですよ。
-いいですねー。
トークの前に、白井さんにそれを言っちゃうと向こうも構えてしまうだろうから、何も言わずに、やっちゃったんですよ。多分お客さんのほとんど僕の言っていることを理解しなかったと思うんです。多分白井さんも。その時に発見したのは、自分の身体を見つめジェスチャーすると、出て来る言葉がどんどん記号化するんです。この感覚は初めてだったので、実に面白かったです。つまりここで言葉と身体の対決が同時に行われているんです。僕は大満足なのですが、頭の悪い変態人に見えたと思う。
でもそれの基本は、自分が英語が喋れないっていうこともあって。人って、行動とか色々なものから察知し理解しようとするじゃないですか。そういうこともあるんですよね。だから、そういう、動きと言葉の関わりも、色々な人の間でやってほしいですね。
-フェスでも、そういうことがあるといいですね。あと、それに限らず色々な交流があるといいですね。例えば、広太さんとaokidくんのダンスバトルとかも、やってほしいですね。私企画しようかな。
いいですね。機会があれば。
-色々話がとっちらかりましたが、今日はありがとうございました!

2018.1.4
立会人:aokid
編集協力:印牧雅子
山崎広太インタビュー前編はこちら
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山崎広太インタビュー 前編
聞き手:福留麻里
「Whenever Wherever Festival 2018」(ウェンウェア・フェス)の開催に先駆けた関連企画として、フェスに関わる人たちへのインタビューを行なっていきます。
第一弾は、フェスの主宰者である山崎広太。キュレーターである福留麻里が聞き手として、同じくキュレーターであるaokid立会いのもと、時差を超えてのウェブインタビューを行いました。フェスを立ち上げた経緯や、ニューヨークでのダンス活動、東京のこと、ダンスの持つ可能性のことなど、前編・後編に渡ってのロングインタ���ューになります!

ニューヨークとウェンウェア・フェス
-ニューヨークは今、何年めくらいですか?
2002年だから、もう15年ですかね。早いですね、あっという間だったかな。
-ニューヨークに行くきっかけや、なぜニューヨークだったのかについて聞いていいですか?
きっかけはいろいろあって話すと長くなるのでやめときますけど、一番は、セネガルのカンパニー、ジャントビーの芸術監督であるジャンメイ・アコギーが自身の作品に舞踏を取り入れたい、舞踏のアーティストと仕事をしたいということで、その作品が、ルワンダの迫害がテーマだったんですよ。日本人はそう思ってないかもしれないんだけど、海外で舞踏というのは、第二次世界大戦によって出来上がったものであり、舞踏は死に直面しているアートとして捉えられていると思うのです。そのためにリサーチに来ていたんですよ。それは2000年頃だったんですけど、そのリサーチで僕が選ばれて。で、そのプロジェクトのために、日本とセネガルをダイレクトに交流することもできるんだけれども、それよりもっと黒人がどういう形成で文化が成り立っているのか、ということに興味があったんですね。それで、ニューヨークがいいんじゃないかと思っていて。
それ以前にも、アメリカで公演を何度もしていて、もしかしたら、ここで生活できるんじゃないか、というのが勝手に僕の中であったんですね。それで、ここに来たという感じです。当初、寂しかった。誰も僕のこと知らないし。クラスに、10代、20代の子達と40の親父が一緒に受けているなんて、想像できます? でも支えてくれたのは、まだ日本でのプロジェクトがあったからなんです。
-では実際にニューヨークでそのことについて調べたりしたんですか?
調べたりはしないけど、奴隷からの黒人社会の形成ってあるじゃないですか、誰もがここにいれば無意識的にわかります。時々、黒人って優遇されているな〜と感じることもあります。でも重要なのは、アメリカで育った黒人と、ネイティブな黒人は根本的に違ってるから、そこは面白いですね。
-広太さんが一緒に作品を作ったのは、ネイティブの黒人の方たちだったってことなんですか?
そうですね。例えばセネガルだったら、国立の舞踊団、アフリカンダンスの舞踊団があるけれども、その人たちではなく、そこに入れない人たち。もっともっとネイティブな。セネガルは、フランス語なんだけど、フランス語も話せない人たちもいて。英語はもちろん話せないし。
-知らなかった!その話ももっと聞きたい・・・。でもちょっとフェスに話を戻しますね。そのような経緯で2002年にニューヨークに行って、生活、ダンス活動をするようになって、そこからウェンウェア・フェスに結びつくようなきっかけはどういうことがあるんですか?
2000年を過ぎた頃に、例えばジョン・ジャスパーだったり、女性だけのグループAntsメンバーだったり、アーティストが主体的にオーガニゼーションを作ったり、スタジオを設けてアーティストに提供するような傾向がニューヨークにあったんですよ。そのことに、そうなんだ、とか思って。アーティストが、アーティストのためのオーガニゼーションを作って、アーティストのために供給することができるんだと思って。それと結構暇なんですよ。それから少しずつ東京でのオーガニゼーションのことを考えるようになったのです。
-ニューヨークに住んでいる広太さんが東京で展開しようと思ったことにはどんな理由があるのですか?
現在僕はダウンタウンダンスのコミュニティに関わっています。そこにムーブメント・リサーチというダンスのオーガニゼーションがあります。昨日もミーティングだったのです。アーティスト・イン・レジデンスに選ばれて、2年間のプログラムで1年目は100時間のスタジオ使用と5,000ドルとジャドソンでのショーイング200ドル。2年目は50時間のスタジオ使用がフリーと500ドルとジャドソンでのショーイング200ドルそれと夏と冬に行われる集中ワークショップもフリーです。
このプログラムで一番重要なのは1か月ごとに一回みんなでミーティングが行われます。そこには、ムーブメント・リサーチスタッフ、インターン、そして選ばれた7人くらいのアーティストが同席して、ワークショップなどを行いそれぞれの考えをシェアします。ただでさえ友人がいないニューヨークで、このようなプログラムに関わることによって、何かそこでのアイデンティティを感じています。それは人との関係が広がり、それぞれの発動によって積極的にまたは継続的に参加しようと思う意思が芽生えます。東京で、このようなアーティスト同士のコミュニティ・ベースのプログラムを提供する必要性を感じたからです。ムーブメント・リサーチはそれ以外でもマガジンの発行はもとより、多くのプログラムが組まれ、アーティストが積極的に参加して、多くの公演やイベントに参加しています。日本にこのようなプログラムはあるでしょうか?
それと昨年暮れに、バルシニコフ・アーツ・センターでのプレミア公演をしました。1か月前のテクニカルな面での打ち合わせで、僕の要望として、友人がいないから誰も来ないと思って、とにかく客席を減らしたいと要望をしました。数週間が経ち、ソールドアウトになったのです。結局、客席は減らしませんでした。多くのアーティストが見にきてくれて、ダンスが支えられている歴史、土壌を感じました。 このことはダンスコミュニティが支え、波及している結果ではないかと思ったのです。私たち仲間、アーティストがコミュニティを作って発動すること。アーティストが、アーティスト活性化のためのプログラム、またアーティスト以外にでも、一般の人々へ向けてプログラムを発案し、それに参加、交換、共有することによって、社会的に広がるものになると思うんです。何かユニークなものが生まれるようなことになるのではないかと思っていて。私たちはダンス生活のために生きているのだから、私たちが行わなければ何も始まらないと思うんです。アーティスト活動を活性化させるムーブメント・リサーチのようなオーガニゼーションを作りたいと思ったことが理由の一つです。
ウェンウェア・フェスを立ち上げた当初は、ムーブメント・リサーチは、まだ僕のなかではイメージのような存在でしたが、現在実際に接して、素晴らしいオーガニゼーションだということを実感しています。東京は、まだこのようなことは余りないと思うのです。でも可能性はあると思うんです。東京ならではのものができると、いつも思っているのですが、実現までにはまったく至っていません。フェスの持続がやっと。僕がもし、東京にずっと生活できていたら、少しは活動範囲は広がるのでしょうけど。ほとんどニューヨークなので、残念です。でも、今年、一つでもアメリカのグラントを取れなかった場合、家賃高騰で住めなくなるので、airbnbで貸しつつ、帰国を長くしますので、今後わかりません。
ムーブメント・リサーチとアーティスト・コミュニティ
-それまではどうやって活動して来たんですか?
セネガルとのプロジェクトがあったので、黒人のアーティストとかの関係での仕事が少しありました。それと、まだ日本との関係が続いていたので、日本からの海外とのプロジェクトもあって、行ったり来たりの生活でした。それから2007年にベッシー賞をとったので、自分が劇場に話を持ちかけて、劇場と契約して、作品が作れるようになった感じですかね。そしてジャパン・ソサエティによって、グラントのこととかも知るようになりました。今はムーブメント・リサーチとの関係があるから、さっきも言ったけれど、ニューヨークにいることのアイデンティティを感じています。
僕は、1990年代から、自分自身のやりたい放題にやっていくタイプだったんだけど。一番言いたいことを言うならば、アーティストが自分の作品を発動することにおいて、社会や外から提供されるプロジェクトに対して合わせるようになっていったり、人に受け入れられ、評価されるためにやるようになったら、それはどうなんでしょう? やはりアーティストは、未だ価値や基準が定まっていないところから何か発動することが一番重要だと思うんです。その基盤を作るために、アーティスト同士がコミュニケーションを行い、サポートし合うことにより、自分自身のインディビジュアルなもの、独自性を育む環境を作ることが一番の目的です。そのために、幾つかのコミュニティベースのプログラムを提供することで、自身の作品の強度を磨くためはもとより、将来的に独自な文化の形成のためにサポートできるオーガニゼーションになれたらと思っています。もちろん、まったく自身の活動のみの追求で他人を嫌うアーティストも尊重します。
でも日本人は、他の人に合わせることにアイデンティティを感じるから、難しいかもしれません。最近TVジャパンに入ったんです。こっちのTVと日本のTVを比較しても全く違う。とっても日本TVは優しい。でも少し頭が麻痺する感覚というか、頭が悪い方向に行く感じ。また日本の方が文化を感じるけど、それって根本的な文化の形成とは違っているのではないかと疑問に思ってしまう。全部コマーシャルにしか感じない、パフォーマンスとは真逆。教育においてもアメリカではリベラルアーツだから、それぞれ自身の独自性が絶えず問われる。そして提示したことに、多くのフィードバックが行われて、批評性、社会性が形成される。人に合わせることがよしとする日本企業の凋落はそこではないかと思います。
-ニューヨークで基本的にどういう感じに日々過ごしているんですか?
嬉しいことに暇なんです。英語関係で、僕の妻の未奈にサポートされています。毎朝5時起きスターバックス凄いです!感謝!やっぱりやっているのは作品のことくらいですかね。それと料理。
-いいですねー。ところで、ウェンウェア・フェス、今は2年止まってますけど、それまで2009年から年1回続いてるじゃないですか。その都度東京に帰って来てウェンウェアフェスをやって、っていうのは、広太さんの中でどういうモチベーションなんでしょうか?
ウェンウェア・フェスを継続するうちに「山崎広太のフェスティバル」というような風潮になって。全く真逆のことが目的だったので、ショックでした。根本的にそういうことを全く思っていなかったので、やる気をなくしてしまったというか。ということで、じゃあキュレーター制にするのはどうか、ということになって。僕とか印牧さんが、どうしたらいいかねって決めていくんじゃない方法ということで。そうなって、今回が2回目ですよね。だから、キュレーターになった人たちは大変だと思うけれど、僕は嬉しいですね。
自分はそういうことをやっているのにも関わらず、ほとんどこっちで生活しているから、日本のことがどんどん分からなくなっていってしまう。そういうジレンマというか、モチベーションが徐々に少なくなっているのが現在かもしれないです。今回、福留さんが積極的に関わってくれていて、僕も何か動きたい衝動に繋がり、この感覚ですね。この他人が動くことによって自分も動くと���う、このもっとも原初的な感覚を多くのアーティストが共有するといいな〜と思います。
-キュレーター制になる前の段階では、どうでしたか?
そうだね、色々なプロジェクトを自分で立ち上げたり作ったりするのは結構面白かったんですよね。
-それで、実際にやってみて、アーティストが自主的に、みたいに思っていたことに対して、やってみてどうでしたか?
うーんやっぱり、自分自身の反省として、受け入れられなかったり、思っていたこととちょっと違ったりすると、逆にそれに対する反発が生まれるけれど、でもそれって基本的には、自分が当初思っていた考えではない。あらゆるものを受け入れて、そこからのフィードバックがすごく重要だったのに、自分自身がある種の基準を担ってしまっているような、狭い世界になってしまっているような反省もあります。そういう苦い経験もある、やっぱり。でも今は違います。
-でも今もやっぱりウェンウェア・フェスそのものは、広太さんありきだと私は思いますけどね。
いや。もうそろそろ、抜けたい気持ちもあるし、もしニューヨークでのサバイバルができなくなった場合、日本に帰って逆にもっと積極的に関わりたい気持ちはあります。
-ぜひ。広太さんありき、と私が言ったのは、例えば今回キュレーターになっている人たち、私も含めて、もともとある基準にどっぷり従ってというよりは、割と自由に好きなことをやっている人たちが多いと思うんですよね。だから、もしこれがなくても何かはやるだろうな、って気はして。でもウェンウェア・フェスに関しては、広太さんの呼びかけとか、広太さんが思ったことに引っ張られて、やろうってなってる。それで、ダンスっていう意味でいうと私は、あとaokidくんもそうかはわからないけれど、日本の外から東京を見るっていう視点があることで、もう一度自分たちのことも考え直したいというのもあるから。だから、変な意味で中心になるってことではなくて、やっぱりここに集まっている理由として、広太さんがいるから、ってことがあると思うんですよね。集まるってそういうふうに理由があったりする、という感じはしてて。そうじゃなかったら、集まらなかったかもしれないというか。
そうですか……。僕も、日本にいつ帰るかわからない状態ですけれども、やっぱりムーブメント・リサーチでもディレクターやオーガナイズする人は、そのアーティストが共有する場には顔を出してアドバスとかフィードバックすることは絶対必要ですよね。しかしアーティストへの強要は絶対行ってはならない!これからの若いインターンとかいるともっといいんだけど。これからの人のへの波及にも繋がる。ま〜立ち会う時間が必要だってことですね。
-そう思います。
そういう人たちが、アーティストを集めて、それぞれの考えをシェアしたりとか、作品に対して言い合ったり、海外とのエクスチェンジしたりとか、そういうことをオーガナイズする人がいつも普通にいるんですよ。
-そのオーガナイズする役割はアーティストがやってるんですか?
ディレクターのバーバラ以外、全員アーティストです。ムーブメント・リサーチはちゃんとしてるので、正規の社員として、雇われて給料をもらっている方も数人います。それとインターン。昨日も行ったら、整然と7つくらいのデスクに向かって仕事していましたね。できたら、いいな〜と、そんな場が。
インターメディア
-へ〜。ニューヨークだとダンスはどういう立ち位置なんですか?文化の中で。
基本的にアップタウンとダウンタウンとわかれていて、ダウンタウンは、実験的なダンスで、アップタウンはバレエだったり、ミュージカルだったり、モダンダンスだったりですね。僕自身は、ダウンタウンに属しているという感じですね。アップタウンは、さっきも言ったように、大劇場とか、ミュージカル、エンターテイメント、コマーシャルとか。ダウンタウンは、それぞれが独自なものを持って活動していて、そういうものを持っていないと生きていけない感じ。それをみんながサポートする感じですね。でも基本は、ニューヨークは、美術だったり、音楽だったり、それぞれのジャンルがかなり確立しています。日本だったらビジュアルアーティストとダンサーが何か一緒にやったり、結構自由にやる機会は多く持てるかもしれない。でもそういうのがほとんど無く、ダンスはダンスとして確立している。音楽は違うかも? そこが一番の違いかもしれない。
-そこでの交流はほぼないんですか?
あんまりないですよね。多分、それは金銭的なことが関係している。僕もグラントのためにはネームバリューのあるアーティストを選んだりする。報酬がとても高い。しかも劇場と契約して数年かけて作品を作るので、お金がもっとかかる。ダンスは一番文化的に経済的に低く、他のジャンルはダンスよりは遥かに高いので、作品としてのコラボレーションは少ないかもしれません。作品ではないことでの交流は、たくさんあるかもしれません。どうなんでしょうね、例えばニューヨーク・シティバレエが建築家とやったりコラボレーションしているけど、成功しているとは思わない。カンニングハムは全て抽象なので、逆にどんなアーティストともコラボレーションできる。人それぞれですね。日本は、新作を持っていく過程が早くて、日本人同士で緩やかな関係だから、もっと違った、アーティストの関係っていうのができるかもしれないですよね。
全然違うかもしれないけど、ニューヨークの1960年代がそうだったように、その頃は色々融合していたから。ジャドソンを中心に実験的なことが多岐に渡って行われていたように感じる。
-えー交流が少ないのは意外! 広太さんが最初にニューヨークに行った2000年ごろも、すでにわかれてたんですか?
もうすでに確立してた。融合がないですよね。
-私とかは、ニューヨークっていうと60年代の、交流が盛んだった頃への憧れとかイメージが強いんです。
もう一度東京のことに戻りますが、普段広太さんはニューヨークにいて、こちらに年に1回くるような距離感じゃないですか。あんまり日本のダンスをみたりはしていないんじゃないかと思うんですけど、そういう距離の中で、日本とか東京とか、どう見えていますか?
そうですね、1か月とか長くて数か月とかいたけど、あんまりダンスみてないんですよね、日本のダンスがわからない。行きたいなと思いつつ、そういうジレンマというか。繰り返しますけど、ウェンウェア・フェスをやりつつも、アーティストのためのリサーチとかインタビューももう随分やってない。
例えば、この春に村社祐太朗さんの作品を見て、自分なりのフィードバックだったり、そういう機会がもっと多くなるといいですよね、自分自身が。例えば、こういう関係の中で、aokidくんが個展をやっているとしたら行くっていうような関係が増えていく。そういう私たちの仲間みたいなものを築いていくことが重要かなと思いますね。キュレーター制にすれば、4人が関わるわけだから、関係が増えてくるっていうのはありますよね。そこが重要なんじゃないかな。
-ニューヨークだとそういうことが多かったりするんですか?
やっぱり劇場に行くと、ほとんどの人がアーティストだったりするから、やっぱり見にいくことになるんだよね、高いなー、とか言いながら。高いって言っても20とか25ドルくらいだけど。
後編へ続く
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Whenever Wherever Festival 2018
ボディ・アーツ・ラボラトリー(BAL)が主催するダンス・フェスティバルwwfes 2018 開催決定!
4名のキュレーターが企画するパフォーマンスなどのプログラムが、 フェスティバルのために設計された空間でおこなわれます。
キュレーター: 福留麻里 aokid 村社祐太朗 七里圭
空間デザイン: 木内俊克
※同時開催|BALパフォーマンス・プログラム(企画:山崎広太)として、「『病める舞姫』をテキストにした公演」ほか予定
[開催情報]
whenever wherever festival 2018 concession(譲歩)= 痕跡を想像すること、と、あなたとわたしの結婚式(仮題)
期間:2018年4月26日(木)―29日(日) 会場:BUoY北千住アートセンター
主催:ボディ・アーツ・ラボラトリー 助成:アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)
詳細や関連する記事などを、このページにて順次UPしていきます。
よろしくお願いいたします。
2018年1月3日
Body Arts Laboratory
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