#wwfes2018
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ikuhiroyamagata · 7 years ago
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Whenever Wherever Festival 2018に、七里圭監督との公開ロケ「ワンダー・ロケーション」で参加します。台本を書きました。会期中の4日間、会場内のとこかで撮影を続けています。
Whenever Wherever Festival 2018
期間:4月26日(木)ー29日(日) 会場:北千住BUoY
ワンダー・ロケーション|山形育弘、神村恵、田中淳一郎、菊地敦子、田中真琴、佐藤駿、他
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wwfes2018 · 7 years ago
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山川陸インタビュー 後編
聞き手:福留麻里
  ドリフターズ・サマースクール
 ➖話は戻るんですけど、今回のフェスのトークイベントにもなっている「ドリフターズ・サマースクール」について、参加しての変化や気づきなど、伺ってもいいですか?
 ドリフターズは、その時確か2回目で、4回目までやって終わったんですけど、僕のやった2回目は2011年の夏で、震災の後の夏で、当時ハタチくらいで、美大生とか服飾の学生とか、基本は20代前半から後半のプロないしはプロを目指している人たちで、会場も、KAATで大きくて、わーっと集まっていました。それで、集まったはいいけど、震災の直後だったこともあって、多分どのジャンルでも起こっていたであろう議論、「そもそも作る意味とは?」とか「お金を取るものを僕らが提示することにどんな意味があるのか」みたいなそもそもの議論みたいなことをしていました。みんなこれから作ったりしていきたい人たちなのに、その前提を覆すような事態が起こって。悶々とした夏休みみたいな。一晩中松戸のスタジオみたいなところに集まって、作品のテーマみたいなことを話し合って結局何も決まらずに、みんなで河川敷に行くみたいな。
 ➖青春すぎるじゃないですか!
 40人くらいの若者が……。その時は結局作品タイトルがつかなくて。タイトルないしは作品の主題は、出したかったんですけど、40人で悶々と議論をしていても、そこに行き着かなくて。作ることへの漠然とした不安とか、世代特有の気分とか、共通したものはたくさんあったんですけど、どれも今この時に、主題として提示してもな、と思ってしまって。
 ➖価値が小さく感じてしまうみたいなことありますよね。
 何人かリーダー格になる人はいたけど、そもそも40人の人で議論して作るってことが難しくて。
 ➖40人ってすごいですね。
 ダンサー10人、建築10人、ファッション10人、制作10人
 ➖それぞれ10人ずつでもやばいのに……(笑)。
 みんな好き勝手なこと言うから(笑)。難しいなって思ったのは、建築の人は基本クライアントワークをする人たちだから、自分で主題を出すってことが難しくて。命題はあるんですよ、例えばさっき言ってた、空間のレッスン、何かが変化するきっかけをどう作るか、みたいな。メタな命題はみんな持ってるんだけど。それは構造的な興味だったりするから、それだけでは作品にはならなくて、実験にしかならない。だから建築コースは主題は提示しづらい人たちだったし、他の人たちも主題を出すことにためらいがあって。だから最終発表は「ショーイング」になったんですよね。それを面白かったって言ってくれる人もいて、ただ2か月半くらい40人の若者が集まって、作ることに向き合った成果にはなったというか。でもその時に、作品作るのは難しいっていうのを体験しました。
 ➖その時に、建築、ダンス、ファッション、制作の人で集まって、他のジャンルの人たちはどういうふうに映ったんですか?
 僕は、ダンスは稽古場に入り浸ってたというか、一緒に筋トレしてたり、今回のWWFesにも参加してるハラ(サオリ)さんもいたり、前年に芸大の仲間でパフォーマンスを作った経験もあったので入口があって面白かったですね。一番異質だったのはファッションの人たちでしたね。そもそもあんまり批評がない世界であるってこととか、歴史化あんまりされていないんですよね。
 ➖意外!
 服飾の歴史みたいな、ルネサンスみたいな、そのくらいまで遡ると残ってるんですけど、ファッションが20~30年でサイクルし始める時代に入ると、歴史化しようがないというか。一つのブランド単位で、サイクルはアーカイブされてはいるけど、もっと大きな流れで、ファッションの変遷がどういうことだったのかというような批評がないし、そもそも自己批評をしようと思ったこともない人もいたり。
 ➖ファッションってファッションショーとかが常にあって、他者の目とか、評価に常にさらされているというイメージがありました。
 もちろんあるけど、それが文化批評とかまでは深まらないというか。今シーズンこうだった、というところに止まるような。一方で面白かったのは、彼らは、出てきたアイデアを数秒でサンプルとして作る。稽古場にミシンが置いてあって、すぐに試せるみたいな、それで人が使うとどうなるかみたいな。建築の場合は、建物でいうと何年単位で動くので、何かを思いついたら、バリエーション考えて、スケッチして検証して、紙の上で考えて、模型作って、ようやく吊るして見るみたいな、そうこうしてるうちに、クリエーションに置いてかれて、ちんたらしてるって思われる。タイムスパンがかなり違いますよね。
 ➖それわかります。違うジャンルの人とクリエーションすると、そのタイムスパンの違いがすごくありますよね。それで、気になっていたのが、ドリフターズに参加した後に、人がいなくても成立する空間を作りたいというふうに興味が移ったって言っていたじゃないですか。その夏の経験で、そう思うに至るきっかけみたいなものがあったのか気になったんですよね。
 変わったっていうことは認識してるんですけど、変わり目についてはあんまり意識してなかったですね。
 ➖私とかはすごくその話に関係あるじゃないですか。人がいるってことが前提で、そこに何を起こすかってことに興味がある人だから。山川さんは、パフォーマンスに関わることで、そっちに行くんじゃない、というのが気になって。その力ではなくて、もしかしたら、その力に頼らない方がいいとかそういうことなのかもしれないけど。
 それに近いですね。これ建築関係の人が舞台系に関わる時に大体全員感じることがあるんですけど、つまり、「何もしなくてもいいんじゃないか」みたいなことなんですけど。漠然と空間と呼んでいるただ何もない状態じゃなくて、何かが感知できる場所っていうのは、ダンサーが1人いればできるっていうことを思ってしまうフェーズが一回はあるので。人がいなくても予感させたり、前後の時間を想起させるようなもののあり方はできないか、という方向に向かったのも、パフォーマンスする人の力が非常に強いってことを再確認したからこそっていうのはありますね。あとは、再現性っていうかな、物の場合は、そこに行きさえすれば、何かが起こる可能性があるというのが良さですね。
  ストリートフリスビー
 ➖フェスのことに話をつなげていきたいんですけど、今回のフェスの空間のアイデアってすごくシンプルじゃないですか。空間そのものが、パフォーマティブではないっていうか。最初は、空間そのものが主張があったり、見るからに人が関わることを待ってて、人の関与が加わることで変化して行く、っていうようなものをイメージしていたんですけど、今回はものすごく質素だけど、相当、介入してくるっていうのが面白いなと思ってて。
 それは自分の中でドリフターズに参加したことが影響してます。その時はもっと色々やったんです。
れも同時多発性のパフォーマンスで、舞台に16枚の幕が垂れてて、4面客席にして、絶対に全ては見れないようにして、「そもそも全てを我々は見れてないよね」っていうことを言っていて。それも面白かったんですけど、見てる人の意識が変わる瞬間ていうのが、一回しか訪れなくて。
 ➖え!どういうことですか?
 気付きみたいなものが一回転しかしないというか。
 ➖なるほど。大きな気づきがやってきた。はい。みたいな感じですかね?(笑)
 で気づいた後には何も続かないというか。一回何かその人の中で変わるんだけど、変わって終わってしまうというか。変わったことによって、作品を見ている間も作品を見終わった後も、その人に影響を及ぼすようなそういう気づきとか転換を生むには、もうちょっと主張しないというか、もうちょっとニュートラルに近いんだけどよく見ると異質なところがあるくらいな方がいいんじゃないか、と思って今回はそう考えてやっています。そのちょっと異質な部分っていうのは建築やっているような人しか気づかないようなものから、もっと誰にでも気づかれるようなものまで、いろいろなレベルで仕込んでは行くんですけど。今回は「租界」っていうテーマも受けて、もうちょっと「租界」っぽくというか、場所自体が特殊である必要はないというか。だから、パフォーマーに対してというよりは、もう少しゆるく、「訪れる人」��般に対しての空間という感じで考えています。
 ➖たしかに。プレッシャーを与えないですよね。空間ってたまにプレッシャーがあるのもあるじゃないですか。使った方がいいかなみたいな。そういうプレッシャーはないけど、関わらざるを得ないというか。自然なようで不自然な状況が生まれる気がして。視界に入ってき方とか。そこが楽しみだなと思っていて。
4日間かけて、見え方も変わってくるかなと思うので、何回か訪れて欲しいな、と思いますね。お客さんには。それでもう一つ質問が、ダンスのフェスだからっていうのもあるんですけど、山川さんが活動する上で、「身体」っていうのはどういう存在ですか?
 そうですね。さっきの段差があるからそれを越えなきゃみたいな話じゃないですけど、完全に直結した、密実な身体と空間の関わりもある一方で、僕が身体と空間のことを考える時に好きなのは、「ストリートフリスビー」っていうジャンルのことで。
 ➖えー何それ。
 フリスビーって公園でやることが多いと思うんですけど、それをストリートでやるっていうものです。スケボーとか、BMXとかみたいなストリートでやるものの仲間です。例えば、立体駐車場のカーブしてる壁でギリギリその壁に当たらないように、向こうにいる仲間に飛ばしたりとか。要は、手首のスナップ具合が、都市とリンクしてるんです。ある壁の、登ることもできないし通常だったら触りもしないような都市の大きい空間と、手首のスナップが、フリスビーを介して接続してるっていうのが面白いなと思って。そういうレベルも含めて、都市と身体っていうことを取り扱えたら面白いなと思っていて。もちろんさっきのオブジェクトディスコのように意味のレベルで頭が接続するってこともありますけど、身体のある部位が大きいものと接続するっていうのも面白いなと思ってます。
 ➖面白いですね。あとさっきの話で面白いなと思ったのが、建築は、絶対数が違うみたいな話をしてたじゃないですか。それは時間的なことも言えるというか。ダンスは目の前の、究極にいうと、たった今でしかないというのがあるけど、確かに建築は、自分が死んだあとも、誰かが使ってくれるかもしれないというか。
 でもダンスは強いと思いますけどね。身体そのものへの気づきを与える鑑賞行為というか。僕は基本的には主題を拾うのが苦手というか、構造とかを見る方で、その動作が、どういう気持ちとつながっているか、というその気持ちには興味はないけれど、その動作を通じて、あり得たかもしれない自分の身体の可能性を感じることができるというか。見ているその時は目の前のことだけど、見る前や、見た後の可能性という意味では、長い時間の話でもあると思う。
 あと、ドリフターズの後に、一回だけ何人かで一緒にやったプロジェクトがあって。早朝に、都内の駅とかビル街を巡って、明らかに面白い場所が誘発する運動を、ダンサーに読み取ってもらって映像に撮るというのをやりました。そのサイトスペシフィックなパフォーマンスの良いところっていうのはその場所を訪れる度にその人のことを思い出す。劇場に行っても身体的に誘発して記憶に蓄積されるものはたくさんあるので、意外とそんなに刹那的なものでもないと思いますね。
 ➖ありがたい。たしかにそういう側面はありますね。
 余談ですけど、その時に一緒に街中でやった友達は、今自分でそういうことをやってるみたいですね。
 ➖あ、白井(愛咲)さん?
 そう「もやもやアグよし」で、コアな場所でやっていて、良いなーと思って。意外とそういうことやっている人少ないなと思って。
 ➖ひそかに私、ほうほう堂でそれやってましたよ。「ほうほう堂@シリーズ」っていって、月一回数十か所でやりました。
  WWFesとレッスンのレッスン
 ➖あと二つ聞いても良いですか? 山川さんが活動してる建築の世界と、今回のフェスのような世界って、真逆のような部分もあるなと思っていて。今回のフェスって、予算もない中でやっていて、「アーティスト主導」っていうそれこそ命題を持ってやっているんですけど、そのことが意味があると思う時と、意味あるのかな?と思う時もあって。今、木内さんと山川さんは、限られた条件の中で、すごくアグレッシブに、自分で協賛までとってやってくれていて、その辺どう見えてるのか、映っているのか聞いてみたいです。
 建築の側からすると、こういう場じゃないとできないことがあってラディカルに自分のやりたいことができるし、こういう場に来る人って意識的な人多いので、そういう人たちを通じて、あまり意識的じゃない人にきっかけを生むにはどうすれば良いのかみたいなフィードバックはできるので。
 ➖あー確かに、じゃあ「レッスン」の場みたいな感じですかね。
 そうです、レッスンのレッスンというか。
 ➖そうですね。それぞれがそういう場として、使えばいいというのはありますね。
 こういう場はもともと好きなので、色々面白いことしたいなというのは常に思ってますね。面白いロケハンしたいなとか。
 ➖最後に今回のフェスに期待することをお願いします!
 4日間自体が面白くなって欲しいのはもちろんなんですけど、どれくらい、日常に持って帰れるものになるかというのはありますね。同時多発の作品とか、増えてるし、きっと昔からもあると思うんですけど、それが普段の生活とか、普段街中で起きていることと繋がったり、そのことを見直すきっかけにこれがなったらいいなと思います。
 ➖ほんとですね。そのためにどういうことをすればいいんだろう。もっと考えたいですね。本日はありがとうございました!!
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  山川陸|Rick Yamakawa
1990年生まれ。東京藝術大学美術学部建築科卒業、松島潤平建築設計事務所に勤務(2013-15年)。2010年よりグリ設計名義で活動。現在・同大学美術学部教育研究助手。近作に『オブジェクトディスコ』(2016)、『ピン!ひらはらばし』(2016)等。建築がどのように読み取られ受容されるかを関心とし、設計業務の中で可読性の検証を行う。他、NPO法人モクチン企画、NPO法人有馬の村への参画。」
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漂流教室 ドリフターズの行方
トーク:ハラサオリ(美術家/ダンサー)、冨永美保(建築家)、山川陸(建築家) 
企画:山川陸(wwfes 2018空間デザイン)
 4/28[土]10:00-12:00|500円(ドリンク付)
会場:北千住BUoY
 詳細:http://bodyartslabo.com/wwfes2018/festival/access
  前編
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emptiness0317archive · 7 years ago
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「むなしさ」の実演販売:公演情報
『「むなしさ」の実演販売』 
コーディネート:飛田ニケ
出演:瀧腰教寛 飛田ニケ
写真集権利者:桜井圭介
上演時間:20分程度
Whenever Wherever Festival 2018
演劇コンペティション「演劇のデザイン」
日時:2018年4月28日(土)14:00-20:00
会場:北千住BUoY
詳細:http://bodyartslabo.com/wwfes2018/festival/murakoso_1.html
http://sinbunka.com/design_competition
「演劇のデザイン」について(発表の場への応答)
じぶんがやっても、他人がやっているのを見てもよい。
たがいに、殺し合わない。
いつでも、どこでも、くりかえし、できる。
中断や、終えることができる。
その発生を、待つこともできる。
作品のアイデアについて(上演について)
「言葉を与えられていない俳優などいない」ことを、サミュエル・ベケットの戯曲『わたしじゃない』から引き出し、話すべきテクストが何もない俳優の、言語的な出力をおこなう。便宜的にこれを、「おしゃべり回路」と呼ぶが、場合によってはレクチャーを伴うなど、なるべく演劇のモデルとしてわかりやすいかたちでの上演によって、これを作品とする。
ここでの演劇のモデルとは、たとえばモノローグやダイアローグといった発語を伴う行為が考えられる。また、この上演によって、「むなしさ」がシェアされることを目的とする。
「むなしさ」とは、上演行為の非意味的運動性を観察することで、あらわれる、分節化される前の演劇の痕跡である。 
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wwfes2018 · 7 years ago
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wwfes2018 · 7 years ago
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山崎広太インタビュー 後編
聞き手:福留麻里
パブリックスペースとダンス
-少し話が変わりますが、そのようにウェンウェア・フェスはアーティストが主体的に、外側から与えられたものじゃなく、発信していくことが大事って言っているのですが、去年、広太さんが、(ウェンウェア・フェスとは別の試みとして)街に出ていくプロジェクトのことを提案してたじゃないですか。それは、ウェンウェア・フェスのことと、何か繋がりはありますか?街でのプロジェクトって、アーティストとアクセスするっていうこととはちょっと違うじゃないですか?もう少し広くて、街の、風景の中、例えば電車の中とかにいる閉じた身体に対して、ダンスがもつ可能性というようなことを広太さんは言っていて。そういうこともウェンウェア・フェスに盛り込めないかな、とちょっと思ったりしているんです。そこのところも聞きたいなと思ったりしていて。
それはパブリックスペースでのダンスプロジェクトです。wwfesで、渋谷駅界隈などで「透明なサイトスペシフィックダンス」という企画を行ってきました。多くの情報や通行人に溢れる路上で、見世物として祝祭的なダンスパフォーマンスをするのではなく、風景と同化しつつも、違う志向を持って存在する身体を都市に共存させるという試みです。パフォーマーと都市の風景が映画のように一体化する瞬間があります。それをもとにいろいろな場所で行なおうとする構想でした。
そのプロジェクトも含めて、基本的に自分が動く時って、「これがこうだからこうなる、だから絶対的なものだ」ってあんまりなくて、意外と無理やり感で立ち上げようってところはありますよね。結構、勇気が必要です。でも多分、いままで結構経験を踏まえているので大丈夫でしょう。そこにいく動機には、自分の中で自分のダンスの稽古が意外と地下鉄とか電車の中だったりとか、例えば街の風景見ていると、建築がどんどん壁とかがなくなっていって、ほとんど住居がどんどんガラスだけになっていくような感じ、結構ニューヨークはみんなそう。それがニューヨークなのかもしれない。意外とパブリックと繋がっている。例えば、あるオープンクラスのダンススタジオの下の階が普通にABTだったりする。多分それは無意識的に、私たちがパブリックに対してもっとオープンになるべきだと発してるんじゃないかと思って。
100年後の人類の未来を考えると、パブリックスペースを、如何に���有することができるかってことが、普通に行われるんじゃないかと思うんです。人々が共存する場での可能性ですね。現在の都市は、コミュニティを持たない人同士が通り過ぎることが多いと思うんです。そこに立ち止まって、いろいろな風景を見ていると、多くのことを感じることができる。そこで全くコミュニティを持たなくても、自分で共有し楽しむことができるのではないかと。それが一般的に認識された時に、確実に人類は変わるだろうと確信しているのです。ただこれが観光とかに利用されると、真逆になってしまう。消費されない、私たちだけの見えないネットワークの形成です。だからとても慎重!ダンスアーティストとして無意識的に人類が少しずつ変わっていくことを見つめている感じですか。
-なるほど。去年、そのプロジェクトのアイデアを、広太さんが書いて送ってくれた時に(助成金に応募する関係で、落ちましたがw)、ひそかにすごく感動したんです。例えば満員電車で、みんなしかめっ面して、キューっと緊張してるけど、もしかしたらもっとふにゃふにゃしていてもいいかもしれないじゃん、みたいな、そういうことが、社会の中で色々なことが変わっていく、ダンスがもつ可能性なのかもしれない、というか。
あと基本的に、ダンスやっている人はみんなそうかもしれないんですけど、意外とパブリックなスペースで、「今、僕踊ってるんだけど、大丈夫かなー」みたいなことないですか?自分が振付を考えてる時とか。
-あー。確かにそのことにすごく集中してる時とか、そういうことあるかもしれないですね。
あと僕の場合は、ランニングも重要になってますね。
-よく走ってるんですね。
そうですね。
-aokidくんもよく走ってるそうですね。そういえば。
ランニングっていうのは、自分が3歳とか4歳くらいにやった行為をそのままやってるような感じがしていて。それは大人が忘れたものをもう一度、取り戻すっていうことができるような気がしているんですよね。それってすごく必要じゃないかなって気がしていて。
あと、かなり自信がありつつまだやってないんだけど、子供へのダンスの教育っていうのもやってみたいんですよね。ランニングを経由して。面倒くさいからやらないかもしれないけどね。でも相当貧乏になったらやります。
-えーやってくださいよ!ランニングを経由して?ってどういうことですか?
ランニングを通して、ダンスにどんどん傾倒していく感じ。
-走ってたら踊っちゃってたみたいな感じですかね。
本当にこれって子供のムーブメントだな、ってよく思う。もう60近いのに。
-確かに、広太さん子供の動きっぽいですよね。広太さんのダンス自体、子供を意識してますか?子供に見える時とおじいさんに見える時と、混ざってますよね。
僕の作品は、最近はもう老後だから。老いにフォーカスしようと思って。もう年になるとね、目的は老人。
-ウェンウェア・フェスに戻りますけど、ウェンウェア・フェスに期待してることってありますか?
やっぱり新しい反応、新しいプロジェクトが立ち上がると嬉しいなって思いますけど。それぞれが出会って。
-日本のダンスもわかれちゃってる感じがするっていうか、私は隅っこの隅っこっていう感じなんですけれど、色々なダンスの人にも遊びに来て欲しいな、と思ったりしてて。こういう人に来て欲しいな、とかありますか?ダンスに限らず。
やっぱり一般の人に興味を持ってもらえたら嬉しいですよね。一般の人に情報をどう伝えるってことが日本は少ないと思うから。そのために今回、みんなで案を出し合って実行しますよね。楽しみです。例えば、ニューヨークだったらニューヨーク・タイムズが取り上げてくれたりするじゃないですか。あと、評論家の人も、それぞれのtwitterとかだけじゃなくて、サイトを作って、そのサイトに色々な評論家がアクセスして何かを書くような場ができるといいよね。
-ニューヨークはそういう評論のシステムってどうなってるんですか?
今回、作品を発表して思ったんだけど、評論家の人がサイトを立ち上げてそのサイトに作品の批評を載せているっていうサイトが結構あるんだな、っていうのを結構実感して。4つくらいあった。
-へー。なるほど。
ウェンウェア・フェスもそういうの立ち上げたいって気持ちはあるけど、しちゃいけない。だって、アーティストの行動をサポートすることが使命なので、それをジャッジする人も巻き込むなんて、クレイジー。もうちょっとジャーナリスト方面、静かすぎる、頑張って欲しいなって思っています。ネットとか活用して。
-今回、色々なプログラムをやろうって言ってるから、そういう批評家の人とか、ダンスを言葉にする人にも何かしらの形で何人か参加してもらえたりするといいなと思ったりしていて。そういえば、今回、トラジャルさん(トラジャル・ハレル / ニューヨーク在住のダンサー・振付家)もいらっしゃるんですね。
そうなんですよ。トラジャルは、土方巽をテーマに作品作ったりしてるから、日本での活動をしたいんじゃないかな。
-トラジャルさんはニューヨークでどういう立ち位置で活動してるんですか?
ほとんどニューヨークにいなくて、ヨーロッパの結構メジャーなフェスティバルでやってますよね。さっき、ニューヨークはそれぞれの分野が確立してわかれてるって言ったけど、美術館は、ダンスを受け入れようとしていて、トラジャルは、MoMAと契約していて、2年くらいかなりの資金と時間をもらって、それで公演したりしてるんですよ。その辺りは人脈が関係してたりしますね。アメリカは人脈が絶対不可欠。僕ないから大変。美術館は定期的に、ダンスの企画をしようとしているかもしれない。
舞踏━内側から発動すること
-そういうニューヨークに十何年いたっていうのは、その方が活動しやすかったりメリットがあったんでしょうか?
やっぱりモダンダンスが築かれた歴史的な場所だから、そこで自分なりの新しいダンスを提示したいっていう挑戦はある、いつも。あと、同時にニューヨークと日本を見れることですね。この浮ついている逃走感覚、気持ちいいです。でも生活できなくなったらすぐ帰りますけど。
-舞踏ができたのは日本じゃないですか。
舞踏とか関係なく、また多分僕がニューヨークでの生活がなかったとしても、ずっと東京で活動していたとしても、何か自分のスタイルというものを見出していたと思うんです。もしずっと東京にいたら10数年前には確立していたとは思うのです。それが、この前のプレミアで何か自身のスタイルが少し見えてきた感じがしています。でもニューヨークで多くのことを学ぶことができた。嬉しい。
-それはそう思うに至ったきっかけがあったんですか?
やっぱりずっと土方巽ってものを追求したいと思ってたわけ。それで、今思う重要なことは、舞踏っていうのは、舞踏をやることが最終的な目的になっちゃうと面白くなくて、一度人が通過するためには、すごくいいダンスのジャンルだな、と今回、(「darkness odyssey」を制作してみて)思った。
-それはもうちょっと具体的にいうとどういうことですか?どういう時にそう思ったんですか?
やっぱり、外国人が持っていないことが一つあります。日本人が持っているソマティックな、つまり内側から何か発動するっていうこと。これってアメリカ人はほとんど持ってないというより、ちょっと違う。なおかつアメリカ人がこれを通過するっていうことがとても重要だし、日本人はそれを持っていると想像する。つまり、舞踏が持っていることだと思うんですよね。だから舞踏が体系化して、白塗りとかステレオタイプ的な舞踏をやるってこともいいかもですが、通過する一つのものとしては、すごく豊かな色々なものがある気がします。可能性が。教育の面からも見て。土方さんも実はそのつもりだったんじゃないかと思いますけどね?舞踏を超えた何か?
-見た目がインパクトがあるから、そっちが受け取れられてしまうけど、表現の元にあるものとしてはそういうことなのかもしれないですね。面白いですね。
あと、欧米人が考えているインターナル、内側から発動することと、日本人が発動することって違うかもしれないですね。そこはもうちょっと研究して��いいかもしれないですね。ヨーロッパって身体に歴史があるじゃないですか?アメリカは歴史がなくてそういうことももう少しリサーチしたいですね。誰かやって!60年代ばっかり追いかけないで。
-なるほど。
同時に共存すること
あと、もう一つ、ドゥルーズじゃないけど、becoming、生成変化、私たちがこの土壌で変化するということについて考えてます。例えば、黒人がいたりアジア人がいたりヨーロッパの人がいたりする中で、私たちが変化する手段を探すことが重要な気がする。あなたはアフリカ人ですよね、あなたはアジア人ですよ、分けて、その違う関係のダイナミズムを作るのではなく。次のプロジェクトは、それぞれのパフォーマーの肉体が超特化しているから、アフリカ、舞踏、ポストモダン……もう一度、全てをフラットにして、そこから、共存するところから、その先で何が出てくるかってことが重要な気がする。やっぱりアーティストが自分のエゴではなくて、同じフラットなところから、何かが、発動すること。そこから立ち上がるもの、違うものが出てくるといいなって思いますよね。2001年、建築の伊東豊雄さんとのコラボレーション「cholon」のプログラムで言っていましたね。人々の関係を暈(ぼか)すことから始まるんだと。英語だとblurryです。
-自分のアイデンティティ、例えば、自分は何人であるというようなことにもう一度焦点を当てて、それを起点に作品を作るというような流れが、近年あるような気がするんですけど、それを全てフラットにするっていうのは、次の段階って感じもして面白いですね。
それぞれが、どういう風に同時にこの場で共存するかってことが重要だと思う。そういえば、今回のフェスのテーマも同時に共存するってことだから、ちょうどいいですね!僕の今年のテーマは、生成変化、becomingです!
-生成変化、ちょっと難しいけど、そうですねw またちょっと戻りますけど、日本のことで何か気になることってありますか?ダンスのことでも、たまに帰ってきてびっくりすることでも。
あんまり接してないからわからないけど、やっぱり日本人は器用だな、動ける人がいっぱいいるよねって思った。体型が立体的な体型を持ってなく扁平だから、あまり目立たないってことになるかもだけど、テクニックは、みんな持っていると思います。去年、新長田のDance Boxや、井上バレエ団で作品を作って、それぞれ、いいテクニックはあるけれど、どのようにコレオグラファーが、それぞれの良さを作品にしていくのかっていうのを探っていたかもしれない。日本でのダンスの基準って、いいダンサーであるかないかだったりするから。それってよくないと思う。
-それって、さっき話していた、ニューヨークにいると、日本は何かの「基準」や周りに合わせる傾向を感じるというのと関係あるんですかね。
あるかもしれないね。ニューヨークは独立して存在しないとやっていけない感じがある。ニューヨークはそれぞれにインディビジュアルに存在していて、自分が作品の中で、振付に対してクリアじゃなかったらどんどん言ってくるし、だから私はこうするんだ、ってことになる、そういうことが普通に行われているから。
-交わされる言葉がすごくダイレクトな感じなんですね。
そうですね。
-最後に、さっき、パブリックスペースでの話をしていた時の、ダンスが持っているかもしれない可能性っていうようなことが、私はずっと気になっているのですが、時々、日本に来る中で、ダンスのことに関わらず、街の中で人がいる感じとか、話してる感じとかに何か思うことはありますか?
勝手な自分のビジョンですが、ジャスチャーするってことが、もっと頻繁に行われるといいと思うんですよね。人々の中で。
-面白いですね。
一度、挑戦したんですよ。これ誰にも言ってないんだけど、去年、KAATで白井晃さんと話をする機会があったんですよ。それで、「よし!この機会だから、ダンスしながら話そう」と思ったんですよ。
-いいですねー。
トークの前に、白井さんにそれを言っちゃうと向こうも構えてしまうだろうから、何も言わずに、やっちゃったんですよ。多分お客さんのほとんど僕の言っていることを理解しなかったと思うんです。多分白井さんも。その時に発見したのは、自分の身体を見つめジェスチャーすると、出て来る言葉がどんどん記号化するんです。この感覚は初めてだったので、実に面白かったです。つまりここで言葉と身体の対決が同時に行われているんです。僕は大満足なのですが、頭の悪い変態人に見えたと思う。
でもそれの基本は、自分が英語が喋れないっていうこともあって。人って、行動とか色々なものから察知し理解しようとするじゃないですか。そういうこともあるんですよね。だから、そういう、動きと言葉の関わりも、色々な人の間でやってほしいですね。
-フェスでも、そういうことがあるといいですね。あと、それに限らず色々な交流があるといいですね。例えば、広太さんとaokidくんのダンスバトルとかも、やってほしいですね。私企画しようかな。
いいですね。機会があれば。
-色々話がとっちらかりましたが、今日はありがとうございました!
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2018.1.4            
立会人:aokid            
編集協力:印牧雅子
山崎広太インタビュー前編はこちら
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wwfes2018 · 7 years ago
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山崎広太インタビュー 前編
聞き手:福留麻里
「Whenever Wherever Festival 2018」(ウェンウェア・フェス)の開催に先駆けた関連企画として、フェスに関わる人たちへのインタビューを行なっていきます。
第一弾は、フェスの主宰者である山崎広太。キュレーターである福留麻里が聞き手として、同じくキュレーターであるaokid立会いのもと、時差を超えてのウェブインタビューを行いました。フェスを立ち上げた経緯や、ニューヨークでのダンス活動、東京のこと、ダンスの持つ可能性のことなど、前編・後編に渡ってのロングインタビューになります!
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ニューヨークとウェンウェア・フェス 
-ニューヨークは今、何年めくらいですか?
 2002年だから、もう15年ですかね。早いですね、あっという間だったかな。
-ニューヨークに行くきっかけや、なぜニューヨークだったのかについて聞いていいですか?
きっかけはいろいろあって話すと長くなるのでやめときますけど、一番は、セネガルのカンパニー、ジャントビーの芸術監督であるジャンメイ・アコギーが自身の作品に舞踏を取り入れたい、舞踏のアーティストと仕事をしたいということで、その作品が、ルワンダの迫害がテーマだったんですよ。日本人はそう思ってないかもしれないんだけど、海外で舞踏というのは、第二次世界大戦によって出来上がったものであり、舞踏は死に直面しているアートとして捉えられていると思うのです。そのためにリサーチに来ていたんですよ。それは2000年頃だったんですけど、そのリサーチで僕が選ばれて。で、そのプロジェクトのために、日本とセネガルをダイレクトに交流することもできるんだけれども、それよりもっと黒人がどういう形成で文化が成り立っているのか、ということに興味があったんですね。それで、ニューヨークがいいんじゃないかと思っていて。
それ以前にも、アメリカで公演を何度もしていて、もしかしたら、ここで生活できるんじゃないか、というのが勝手に僕の中であったんですね。それで、ここに来たという感じです。当初、寂しかった。誰も僕のこと知らないし。クラスに、10代、20代の子達と40の親父が一緒に受けているなんて、想像できます? でも支えてくれたのは、まだ日本でのプロジェクトがあったからなんです。
-では実際にニューヨークでそのことについて調べたりしたんですか?
 調べたりはしないけど、奴隷からの黒人社会の形成ってあるじゃないですか、誰もがここにいれば無意識的にわかります。時々、黒人って優遇され���いるな〜と感じることもあります。でも重要なのは、アメリカで育った黒人と、ネイティブな黒人は根本的に違ってるから、そこは面白いですね。
-広太さんが一緒に作品を作ったのは、ネイティブの黒人の方たちだったってことなんですか?
そうですね。例えばセネガルだったら、国立の舞踊団、アフリカンダンスの舞踊団があるけれども、その人たちではなく、そこに入れない人たち。もっともっとネイティブな。セネガルは、フランス語なんだけど、フランス語も話せない人たちもいて。英語はもちろん話せないし。
-知らなかった!その話ももっと聞きたい・・・。でもちょっとフェスに話を戻しますね。そのような経緯で2002年にニューヨークに行って、生活、ダンス活動をするようになって、そこからウェンウェア・フェスに結びつくようなきっかけはどういうことがあるんですか?
2000年を過ぎた頃に、例えばジョン・ジャスパーだったり、女性だけのグループAntsメンバーだったり、アーティストが主体的にオーガニゼーションを作ったり、スタジオを設けてアーティストに提供するような傾向がニューヨークにあったんですよ。そのことに、そうなんだ、とか思って。アーティストが、アーティストのためのオーガニゼーションを作って、アーティストのために供給することができるんだと思って。それと結構暇なんですよ。それから少しずつ東京でのオーガニゼーションのことを考えるようになったのです。
-ニューヨークに住んでいる広太さんが東京で展開しようと思ったことにはどんな理由があるのですか?
現在僕はダウンタウンダンスのコミュニティに関わっています。そこにムーブメント・リサーチというダンスのオーガニゼーションがあります。昨日もミーティングだったのです。アーティスト・イン・レジデンスに選ばれて、2年間のプログラムで1年目は100時間のスタジオ使用と5,000ドルとジャドソンでのショーイング200ドル。2年目は50時間のスタジオ使用がフリーと500ドルとジャドソンでのショーイング200ドルそれと夏と冬に行われる集中ワークショップもフリーです。
このプログラムで一番重要なのは1か月ごとに一回みんなでミーティングが行われます。そこには、ムーブメント・リサーチスタッフ、インターン、そして選ばれた7人くらいのアーティストが同席して、ワークショップなどを行いそれぞれの考えをシェアします。ただでさえ友人がいないニューヨークで、このようなプログラムに関わることによって、何かそこでのアイデンティティを感じています。それは人との関係が広がり、それぞれの発動によって積極的にまたは継続的に参加しようと思う意思が芽生えます。東京で、このようなアーティスト同士のコミュニティ・ベースのプログラムを提供する必要性を感じたからです。ムーブメント・リサーチはそれ以外でもマガジンの発行はもとより、多くのプログラムが組まれ、アーティストが積極的に参加して、多くの公演やイベントに参加しています。日本にこのようなプログラムはあるでしょうか?
それと昨年暮れに、バルシニコフ・アーツ・センターでのプレミア公演をしました。1か月前のテクニカルな面での打ち合わせで、僕の要望として、友人がいないから誰も来ないと思って、とにかく客席を減らしたいと要望をしました。数週間が経ち、ソールドアウトになったのです。結局、客席は減らしませんでした。多くのアーティストが見にきてくれて、ダンスが支えられている歴史、土壌を感じました。 このことはダンスコミュニティが支え、波及している結果ではないかと思ったのです。私たち仲間、アーティストがコミュニティを作って発動すること。アーティストが、アーティスト活性化のためのプログラム、またアーティスト以外にでも、一般の人々へ向けてプログラムを発案し、それに参加、交換、共有することによって、社会的に広がるものになると思うんです。何かユニークなものが生まれるようなことになるのではないかと思っていて。私たちはダンス生活のために生きているのだから、私たちが行わなければ何も始まらないと思うんです。アーティスト活動を活性化させるムーブメント・リサーチのようなオーガニゼーションを作りたいと思ったことが理由の一つです。
ウェンウェア・フェスを立ち上げた当初は、ムーブメント・リサーチは、まだ僕のなかではイメージのような存在でしたが、現在実際に接して、素晴らしいオーガニゼーションだということを実感しています。東京は、まだこのようなことは余りないと思うのです。でも可能性はあると思うんです。東京ならではのものができると、いつも思っているのですが、実現までにはまったく至っていません。フェスの持続がやっと。僕がもし、東京にずっと生活できていたら、少しは活動範囲は広がるのでしょうけど。ほとんどニューヨークなので、残念です。でも、今年、一つでもアメリカのグラントを取れなかった場合、家賃高騰で住めなくなるので、airbnbで貸しつつ、帰国を長くしますので、今後わかりません。
ムーブメント・リサーチとアーティスト・コミュニティ
-それまではどうやって活動して来たんですか?
セネガルとのプロジェクトがあったので、黒人のアーティストとかの関係での仕事が少しありました。それと、まだ日本との関係が続いていたので、日本からの海外とのプロジェクトもあって、行ったり来たりの生活でした。それから2007年にベッシー賞をとったので、自分が劇場に話を持ちかけて、劇場と契約して、作品が作れるようになった感じですかね。そしてジャパン・ソサエティによって、グラントのこととかも知るようになりました。今はムーブメント・リサーチとの関係があるから、さっきも言ったけれど、ニューヨークにいることのアイデンティティを感じています。
僕は、1990年代から、自分自身のやりたい放題にやっていくタイプだったんだけど。一番言いたいことを言うならば、アーティストが自分の作品を発動することにおいて、社会や外から提供されるプロジェクトに対して合わせるようになっていったり、人に受け入れられ、評価されるためにやるようになったら、それはどうなんでしょう? やはりアーティストは、未だ価値や基準が定まっていないところから何か発動することが一番重要だと思うんです。その基盤を作るために、アーティスト同士がコミュニケーションを行い、サポートし合うことにより、自分自身のインディビジュアルなもの、独自性を育む環境を作ることが一番の目的です。そのために、幾つかのコミュニティベースのプログラムを提供することで、自身の作品の強度を磨くためはもとより、将来的に独自な文化の形成のためにサポートできるオーガニゼーションになれたらと思っています。もちろん、まったく自身の活動のみの追求で他人を嫌うアーティストも尊重します。
でも日本人は、他の人に合わせることにアイデンティティを感じるから、難しいかもしれません。最近TVジャパンに入ったんです。こっちのTVと日本のTVを比較しても全く違う。とっても日本TVは優しい。でも少し頭が麻痺する感覚というか、頭が悪い方向に行く感じ。また日本の方が文化を感じるけど、それって根本的な文化の形成とは違っているのではないかと疑問に思ってしまう。全部コマーシャルにしか感じない、パフォーマンスとは真逆。教育においてもアメリカではリベラルアーツだから、それぞれ自身の独自性が絶えず問われる。そして提示したことに、多くのフィードバックが行われて、批評性、社会性が形成される。人に合わせることがよしとする日本企業の凋落はそこではないかと思います。
-ニューヨークで基本的にどういう感じに日々過ごしているんですか?
 嬉しいことに暇なんです。英語関係で、僕の妻の未奈にサポートされています。毎朝5時起きスターバックス凄いです!感謝!やっぱりやっているのは作品のことくらいですかね。それと料理。
-いいですねー。ところで、ウェンウェア・フェス、今は2年止まってますけど、それまで2009年から年1回続いてるじゃないですか。その都度東京に帰って来てウェンウェアフェスをやって、っていうのは、広太さんの中でどういうモチベーションなんでしょうか?
 ウェンウェア・フェスを継続するうちに「山崎広太のフェスティバル」というような風潮になって。全く真逆のことが目的だったので、ショックでした。根本的にそういうことを全く思っていなかったので、やる気をなくしてしまったというか。ということで、じゃあキュレーター制にするのはどうか、ということになって。僕とか印牧さんが、どうしたらいいかねって決めていくんじゃない方法ということで。そうなって、今回が2回目ですよね。だから、キュレーターになった人たちは大変だと思うけれど、僕は嬉しいですね。
自分はそういうことをやっているのにも関わらず、ほとんどこっちで生活しているから、日本のことがどんどん分からなくなっていってしまう。そういうジレンマというか、モチベーションが徐々に少なくなっているのが現在かもしれないです。今回、福留さんが積極的に関わってくれていて、僕も何か動きたい衝動に繋がり、この感覚ですね。この他人が動くことによって自分も動くという、このもっとも原初的な感覚を多くのアーティストが共有するといいな〜と思います。
-キュレーター制になる前の段階では、どうでしたか?
 そうだね、色々なプロジェクトを自分で立ち上げたり作ったりするのは結構面白かったんですよね。
-それで、実際にやってみて、アーティストが自主的に、みたいに思っていたことに対して、やってみてどうでしたか?
うーんやっぱり、自分自身の反省として、受け入れられなかったり、思っていたこととちょっと違ったりすると、逆にそれに対する反発が生まれるけれど、でもそれって基本的には、自分が当初思っていた考えではない。あらゆるものを受け入れて、そこからのフィードバックがすごく重要だったのに、自分自身がある種の基準を担ってしまっているような、狭い世界になってしまっているような反省もあります。そういう苦い経験もある、やっぱり。でも今は違います。
-でも今もやっぱりウェンウェア・フェスそのものは、広太さんありきだと私は思いますけどね。
 いや。もうそろそろ、抜けたい気持ちもあるし、もしニューヨークでのサバイバルができなくなった場合、日本に帰って逆にもっと積極的に関わりたい気持ちはあります。
-ぜひ。広太さんありき、と私が言ったのは、例えば今回キュレーターになっている人たち、私も含めて、もともとある基準にどっぷり従ってというよりは、割と自由に好きなことをやっている人たちが多いと思うんですよね。だから、もしこれがなくても何かはやるだろうな、って気はして。でもウェンウェア・フェスに関しては、広太さんの呼びかけとか、広太さんが思ったことに引っ張られて、やろうってなってる。それで、ダンスっていう意味でいうと私は、あとaokidくんもそうかはわからないけれど、日本の外から東京を見るっていう視点があることで、もう一度自分たちのことも考え直したいというのもあるから。だから、変な意味で中心になるってことではなくて、やっぱりここに集まっている理由として、広太さんがいるから、ってことがあると思うんですよね。集まるってそういうふうに理由があったりする、という感じはしてて。そうじゃなかったら、集まらなかったかもしれないというか。
そうですか……。僕も、日本にいつ帰るかわからない状態ですけれども、やっぱりムーブメント・リサーチでもディレクターやオーガナイズする人は、そのアーティストが共有する場には顔を出してアドバスとかフィードバックすることは絶対必要ですよね。しかしアーティストへの強要は絶対行ってはならない!これからの若いインターンとかいるともっといいんだけど。これからの人のへの波及にも繋がる。ま〜立ち会う時間が必要だってことですね。
-そう思います。
そういう人たちが、アーティストを集めて、それぞれの考えをシェアしたりとか、作品に対して言い合ったり、海外とのエクスチェンジしたりとか、���ういうことをオーガナイズする人がいつも普通にいるんですよ。
-そのオーガナイズする役割はアーティストがやって��んですか?
ディレクターのバーバラ以外、全員アーティストです。ムーブメント・リサーチはちゃんとしてるので、正規の社員として、雇われて給料をもらっている方も数人います。それとインターン。昨日も行ったら、整然と7つくらいのデスクに向かって仕事していましたね。できたら、いいな〜と、そんな場が。
インターメディア
-へ〜。ニューヨークだとダンスはどういう立ち位置なんですか?文化の中で。
 基本的にアップタウンとダウンタウンとわかれていて、ダウンタウンは、実験的なダンスで、アップタウンはバレエだったり、ミュージカルだったり、モダンダンスだったりですね。僕自身は、ダウンタウンに属しているという感じですね。アップタウンは、さっきも言ったように、大劇場とか、ミュージカル、エンターテイメント、コマーシャルとか。ダウンタウンは、それぞれが独自なものを持って活動していて、そういうものを持っていないと生きていけない感じ。それをみんながサポートする感じですね。でも基本は、ニューヨークは、美術だったり、音楽だったり、それぞれのジャンルがかなり確立しています。日本だったらビジュアルアーティストとダンサーが何か一緒にやったり、結構自由にやる機会は多く持てるかもしれない。でもそういうのがほとんど無く、ダンスはダンスとして確立している。音楽は違うかも? そこが一番の違いかもしれない。
-そこでの交流はほぼないんですか?
あんまりないですよね。多分、それは金銭的なことが関係している。僕もグラントのためにはネームバリューのあるアーティストを選んだりする。報酬がとても高い。しかも劇場と契約して数年かけて作品を作るので、お金がもっとかかる。ダンスは一番文化的に経済的に低く、他のジャンルはダンスよりは遥かに高いので、作品としてのコラボレーションは少ないかもしれません。作品ではないことでの交流は、たくさんあるかもしれません。どうなんでしょうね、例えばニューヨーク・シティバレエが建築家とやったりコラボレーションしているけど、成功しているとは思わない。カンニングハムは全て抽象なので、逆にどんなアーティストともコラボレーションできる。人それぞれですね。日本は、新作を持っていく過程が早くて、日本人同士で緩やかな関係だから、もっと違った、アーティストの関係っていうのができるかもしれないですよね。  
全然違うかもしれないけど、ニューヨークの1960年代がそうだったように、その頃は色々融合していたから。ジャドソンを中心に実験的なことが多岐に渡って行われていたように感じる。
-えー交流が少ないのは意外! 広太さんが最初にニューヨークに行った2000年ごろも、すでにわかれてたんですか?
もうすでに確立してた。融合がないですよね。
-私とかは、ニューヨークっていうと60年代の、交流が盛んだった頃への憧れとかイメージが強いんです。
もう一度東京のことに戻りますが、普段広太さんはニューヨークにいて、こちらに年に1回くるような距離感じゃないですか。あんまり日本のダンスをみたりはしていないんじゃないかと思うんですけど、そういう距離の中で、日本とか東京とか、どう見えていますか?
そうですね、1か月とか長くて数か月とかいたけど、あんまりダンスみてないんですよね、日本のダンスがわからない。行きたいなと思いつつ、そういうジレンマというか。繰り返しますけど、ウェンウェア・フェスをやりつつも、アーティストのためのリサーチとかインタビューももう随分やってない。
例えば、この春に村社祐太朗さんの作品を見て、自分なりのフィードバックだったり、そういう機会がもっと多くなるといいですよね、自分自身が。例えば、こういう関係の中で、aokidくんが個展をやっているとしたら行くっていうような関係が増えていく。そういう私たちの仲間みたいなものを築いていくことが重要かなと思いますね。キュレーター制にすれば、4人が関わるわけだから、関係が増えてくるっていうのはありますよね。そこが重要なんじゃないかな。
-ニューヨークだとそういうことが多かったりするんですか?
やっぱり劇場に行くと、ほとんどの人がアーティストだったりするから、やっぱり見にいくことになるんだよね、高いなー、とか言いながら。高いって言っても20とか25ドルくらいだけど。
後編へ続く               
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wwfes2018 · 7 years ago
Text
Whenever Wherever  Festival 2018
ボディ・アーツ・ラボラトリー(BAL)が主催するダンス・フェスティバルwwfes 2018 開催決定!
4名のキュレーターが企画するパフォーマンスなどのプログラムが、 フェスティバルのために設計された空間でおこなわれます。
キュレーター: 福留麻里 aokid 村社祐太朗 七里圭
空間デザイン: 木内俊克
※同時開催|BALパフォーマンス・プログラム(企画:山崎広太)として、「『病める舞姫』をテキストにした公演」ほか予定
[開催情報]
whenever wherever festival 2018 concession(譲歩)= 痕跡を想像すること、と、あなたとわたしの結婚式(仮題)
期間:2018年4月26日(木)―29日(日) 会場:BUoY北千住アートセンター
主催:ボディ・アーツ・ラボラトリー 助成:アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)
詳細や関連する記事などを、このページにて順次UPしていきます。
よろしくお願いいたします。
2018年1月3日
Body Arts Laboratory
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