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「映画: 猫が行方不明(仏・1996)」
たまたま観た映画。
猫が、預けていた場所で行方不明になって、みんなで探し回る。大雑把に言ってしまえばストーリはこうだ。
ただ主人公のクロエは、猫をきっかけに様々な人に出会う。一番重要なのは、アラブ系の青年、ジャメルだろう。ジャメルはおそらくアルジェリアあたりからの移民だろう。だけど、とにかく困っている人を助けることを厭わない。近所のお婆さんの買い物を手伝ったり、徘徊する老人を探したり、とにかく近所のお婆さんたちから頼りにされている。根っから優しい人という雰囲気を醸し出している。あるいはそれは、移民という立場上身につけた立場、役割なのかもしれない。
猫を一緒に探してくれるおばあちゃん達のネットワークも困っているからと猫探しを手伝ってくれる。
90年代のパリ。しれっと、移民に対する偏見の眼差しや、再開発で壊される街、それに反対する人たち、言葉が出てくる。主人公のクロエが出会う人たちは、そういう中で、お互いに困ってる人たちに手を差し伸べる、紐帯のようなものを体現している。クロエは猫が行方不明という事態を通して、そうした紐帯を経験する。
恋人を求めて夜をさまよったり、街で視線が交わるイケメンに声をかけてSEXするけど、望んだような関係にはならない。彼女が恋を見つけたのは、同じアパートから追い出されてしまう顔なじみの画家の引越しを手伝うことによってだった。それは映画の冒頭で猫を預かってくれる人がいないと不機嫌になり、ルームメイトから買い物に行ったかと聞かれ、私は家政婦じゃないと怒り泣いていた彼女とは違う。
笑いながらパリの街中を疾走する最後のカットがまぶしい。色んな年代、人種がごくふつうに集まっていた街の一角のカフェのような場所がとても良いなと思った。
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山に登ると
お互いにすれ違うときに挨拶を交わす習慣。
なにかを共有してるような仲間意識のようなやつ、
あれ、なんで山降りたら忘れるんだろう。
いつもあんな感じだったらいいのに。
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ディストピア
10年くらい前から周りにこの言葉を使いはじめた友達がいた。
ジョージオーウェルの1984。
憎悪とデマと差別が渦巻いている。
ありもしないデマが“真実“として拡散される。見たくない現実から都合のいい逃避場所としてそれは人間の内面に毒を落とす。その“真実“のために吹かれた犬笛で、都合の悪い人を、制度を、道徳を、倫理を社会を攻撃する。匿名で。あるいは暴徒化して。
公共性を失った独りよがりの解説動画や意見がスマホや通じて、タイパ良く視聴される。そして、何者かが信仰され、宗教化される。
経済権力と政治権力が結託したネオリベが作り出したディストピア。
“真実“は正義を装っているが、それすら経済的利益を得ることに毒されている。
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海があった
淡々と襞をよせて、その凹凸のあいだにきらきらと太陽を反射して、
一本の道筋を照らすように、この世の美しさを誇るように、限界などないように。
月があった。
暗闇のなかにぽつねんと、静かにそれでいて気高く己を照らしながら。
形があった。
規則性もなく、生き生きと、ありのままに。
すべてのものに色があった。
すべてのものに意味はなかった。
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マスタード色の服を買った。鮮やかな色を着たい。
バブルの頃の写真をみると、会社ではたらく人たちのファッションが今よりも色使いが多様に見えた。そう思って通勤電車に乗って見渡すと、灰色、黒、白がほとんどだった。
昔からずっと、色が存在することに不思議な感覚を抱くことがある。小さい頃に読んだ絵本で、色を発明して世界を変えていくという話があった。黄色だけの世界、青だけの世界、赤だけの世界、、。それぞれの色に、住んでる人たちの感情が影響されていく。そんな本だったように記憶している。
「色が失われる」という言葉が本当に言葉の通りなんだなと、ウクライナやガザを見ていて思う。
色は生命の源のように感じる。

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お前はどうするのか。切迫した決断を迫られているわけではなく、ただ私たちは誰かの掌のなかにいて、知らないうちにゆっくりと押しつぶされそうになっている。自分につきつけられる恐怖や不安がじわじわと、そして狡猾に人間の分断を誘いながら進行しているからこそ、目の前にある現実に対してなにかを決断することもない。あるいは、社会で起きていることに無関心で自分の生活圏のことにしか興味を示さず冷笑していることで、何も決断せず行動しないということが、実は現状を維持し続けるという最悪の選択を気付かぬうちに選択しているのかもしれない。決断が勇気あるものであるとは限らない。物理的な恐怖ゆえに裏切りや転向、保身という消極的な決断に追い込まれることもある。しかし、そうなってしまってからでは遅いことはこれまでの歴史が雄弁に語っている。
「誰かがなすべきである」「状況を改善するために、誰かが何かをすべきである」。「全世界が何かをするように、誰かが音頭をとるべきである」。「誰かが支配者たちの心に訴える話をすべきである」。「手遅れにならないうちに何かが起こるべきである」。「この問題については誰かがイニシアティヴをとるべきである」。(中略)ただし私たちも知る通り、問題や行動は「誰かがすべきである」からではなく「誰かがそれをする」から起きるのである。コロンブスは「誰かが西方へ航海すべきである」とは言わなかった。彼は「船さえあれば、私が自分で西方へ向かいます」と言ったのだ。誰かが溺れているときに、誰かが水に飛び込んで彼を救うべきであるという理性的意見だけでは足りない。歴史は誰かが何かをすべきであると提案する人よりも、むしろ何かをしている人を必要とする。 「カレル・チャペックの警告」(青土社)
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悲しいくらいに人間の記憶って時間とともに薄れていく。大きな記憶の枠組みは残るけど、その瞬間瞬間に感じた感情、感性、細部に感じた美しさや愛おしさは手で掬い上げようと思っても、さらさらと指の間を流れて、掬い上げられない。そんなものだったのかと思ってしまう。でもずっと心の中にはあるんだ。だから悲しい。だから生きていけるのかもしれない。矛盾しているようだけど。

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谷川俊太郎「あいしてる」
あいしてるって どういうかんじ? ならんですわって うっとりみつめ あくびもくしゃみも すてきにみえて ぺろっとなめたく なっちゃうかんじ
あいしてるって どういうかんじ? みせびらかして やりたいけれど だれにもさわって ほしくなくって どこかへしまって おきたいかんじ
あいしてるって どういうかんじ? いちばんだいじな ぷらもをあげて つぎにだいじな きってもあげて おまけにまんがも つけたいかんじ
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冬の旅(仏,1985)
冬のフランスのどうしようもない鈍色の寒空。背景がわからない女性が、ただどうしようもなく死に向かって時を刻む様子が描かれる。とにかく、タバコばかり吸って、だんだんとバックパッカーではなく、ホームレスという呼称が当てはまるようになっていく。「楽をして生きたい」と口にして、何か目的があるわけでもなく、手を差し伸べてくれる人たちに寄生するように日々を暮らす。薄汚れて、堕ちていく様子は見ていられない。しかし、彼女がどのような生い立ちにあるのか、何も説明されない。不思議なことに彼女に出会った人たちの多くは、彼女のことが忘れられない。それらは、農家の娘や、屋敷の使用人の女、女性の大学教授、出稼ぎ労働者など、舞台となる寒村に暮らす人たちだ。彼女自身は、怠惰でありながら何かに従属せず縛られずに生きたいという姿勢を強情なまでに貫いている。その姿勢は、ある面でそこに住む人たちの心の隙間に入り込む現代社会へのカウンターのような存在として描かれている。彼女に何かしらの肯定的な眼差しを向けるのは多くは女性であり、かつ、社会的周辺に追いやられている人たちだ。描写は複雑に絡み合っている。ジェンダー的な目線がありながら、しかし、そこに終始しているわけでもない。彼女の存在は、そうした人たちのなかにかつてはあった信条で、だけどいつしか心の中で抑圧して殺してしまった姿のように見えた。
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前日、仕事で朝の5時に起きたためか、夕食を食べて小説を読もうと思ったら寝落ちしていた。
目が覚めたら、また朝の5時だった。
台風の位置を確認することが習慣になってしまっている。外に目を向けると未明に雨が降ったようで、雲が残るなかに朝焼けの淡いオレンジ色が染み込んでいた。風が心地良さそうだなと思った。oasisが再結成されるということに触発されて、久しぶりに曲を聴いていたせいか、Don't Look back in angerが頭のなかでなりはじめ、早朝散歩に出たくなった。
風が心地よかった。
涼しさのなかに生命力を感じる草木の匂いが空気に流れて、こういうのが夏の好きなところだったなと思い出した。だいたい夏に心を奪われる瞬間は、スチャダラパー的ないい風〜が心地よかったり、夏の匂いを感じた時だなと思った。蚊に足を数カ所刺された。

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「藤田は,敗戦によって国家が崩壊し,人々が自然状態に投げ出された戦後の闇市的状況のうちに「戦後経験」の原点を見る。人々は国家以前の自然状態のなかで自らの経験に基づいてたがいに交流し,生存のための規範を編み出そうとする。人々は国家に奉仕する公人としてではなく,国家よりも私生活に高い価値を置く私人として生きることによって,経験に基づく社会の創造の可能性を手に入れたのである。(中略)つまり藤田は,日本が高度成長に突入する以前の敗戦直後の社会に,敗戦を経験すると いう意味での「戦後経験」が存在した,と言うのである。藤田はそれがいかなる意味にお いて「戦後経験」であるのかをつぎのように説明する。「戦後経験」の核心は,敗戦によって国家が崩壊し,この国家の崩壊が「不思議にも明 るさを含んでいる」(藤田省三[2003]224頁)ということにある。ただし,この明るさは, 敗戦の「悲惨と欠乏と不安」(藤田省三[2003]225頁)のなかにはらまれる明るさであり, 社会秩序が崩壊した中で,新たな社会を展望する無限の可能性をはらんだ明るさであった。(中略)だが藤田が検出した上記の「戦後経験」は,その後日本が戦後復興を遂げ,高度成長に突入していく過程で消滅していく。藤田にとって,高度成長が進展していく過程は,物や 事柄との相互交渉を意味する経験が,当事者から「遊離して一つ『物』として人間の外に 存在するように」(藤田省三[2003]223頁)なる過程にほかならなかった。そして,この「戦後経験」の物化と喪失という視点に立って高度成長を位置づけるとき,高度成長は ≪全体主義≫としての相貌をあらわにする。藤田はこの高度成長を「『安楽』への全体主義」と名付ける。それは,この全体主義が「安楽��という日常生活の精神的態度(人々の「心の動き」)に立脚するものだからである。 藤田は,高度成長を支える高度科学技術文明の根底に,この文明を受け容れていくつぎ のような人々の「心の動き」があることを注目する。科学技術が開発する設備・装置・製 品をつぎつぎと無批判的に受け入れていく人々の生活態度には,「私たちに少しでも不愉快な感情を起こさせたり苦痛の感覚を与えたりするものは全て一掃して了いたいとする絶えざる心の動き」(藤田省三[1994a]3-4頁)がある,と。(中略)「かつての軍国主義は異なった文化社会の人々を一掃殲滅することに何の躊躇も示さな かった。そして高度成長を遂げ終えた今日の私的『安楽』主義は不快をもたらす物全てに 対して無差別な一掃殲滅の行われることを期待して止まない」(藤田省三[1994a]5頁)。(中略)市場経済は,「戦争の全体主義」や「政治支配の全体主義」と対立する体制ではなく, この二つの全体主義を,姿を変えたかたちで継承し深化させる二〇世紀全体主義の普遍的 性格を体現している。高度に発展し複利的な成長を続ける市場経済は,ありとあらゆるも のを商品化し,市場に取り込む。そのために,人や物や情報や知識がたえず流動化し,使 い捨てられ,資本の価値増殖の運動に巻き込まれていく。人々はそのなかで,たがいの社 会的なつながりを断ち切られ,孤立させられ,無社会状況に追いやられる。それらの諸個 人を消費生活に向けて動員し,安楽の一元的な感覚の支配に向けて囲い込んでいく,それ こそが「『安楽』への全体主義」にほかならない。
斉藤日出治「原子力の産業的利用と「市場経済全体主義」 ―藤田省三,カール・ポランニー,ミシェル・フーコーの 市場経済認識の検討を通して」『大阪産業大学経済論集 第 14 巻 第1号』
大学生たちは会社にかようように学校にかよい、伝票をつけるように教授の話をノートにとり、帳簿そっくりの字を書き、ベルが鳴るとおとなしく椅子からたちあがり、食堂で牛乳とパンを食べ、どの教授のゼミナールにでると就職率がいいとかわるいとか、早くも四年先の入社試験のことをあれこれと思いめぐらしていた。私が少年少女の手紙を翻訳したり、古倉庫で草根木皮をきざんだりしているあいだに日本社会はどうやら大きな変化があったらしかった。怜悧で、確実で、逸脱を知らない、時計のように平安で冷酷なものが主役として登場したのだ。まだ焼跡はいたるところにあった。しかし、いたるところに家やビルが建ちはじめていた。商人たちは戸外で叫ばなくなった。闇市は市場となった。物や商品はいくらでもあふれ、人びとはそれを並べることより飾ることに心を砕いていた。新聞や雑誌に登場する知識人たちの声はたちあがるまえにすわることを考える姿勢を匂わせた。(中略)創造よりは洗練が、混沌よりは調和ある詠嘆が、直叙や断言よりは暗喩や衒学趣味が迎えられ、仲間同士は心のなかでバカと思ってもけっして口にはださず、擁護しあい、あらそって推薦文を書きあい、満腹しながらけっして満足しないことがかさなって一種のうつろな仰々しさが全方角にあらわれはじめていた。(中略)荒らしく、しかもこのうえなく優しい顔をした巨人的な自然は後退し、膝をつき、すみっこにかがみこみ、もう風を呼ぶことも、雨を降らすこともできなくなってしまった。それは港の埋立地のあたり、大阪城の周辺へでもいかないと見られなくなってしまった。計算機やタイム・レコーダーや月賦の時代がきたのだ。さえぎりようなくそれがきたのだ。人びとが自然から力をあたえられていた時代はすぎた。さえぎりようもなくあっけなくそれはすぎてしまった。地平線はちらとあらわれ、たちまち消えてしまったのだ。疫病のように、カビのように、眼に映るのはただ壁と、ガラス窓と、屋根と、埃っぽい書類の山。かがみこんだ背。うなだれた頭。
開高健「青い月曜日」(集英社文庫,2018)
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キミはそういう人だから、という線引きをされることに愛想笑いを浮かべたり、全く社会で起きていることに無関心だったり、あるいは、何かを主張したり批判する人たちを怖いと口にする人たちとの間の空気を壊さないように、心の中で思っていることを飲み込んで、黙ってその場をやり過ごすことだったり、言葉にして考えていることを口にしても、そこから対話が生まれるようなことはなく、自分とは違う人種というような眼差しで見られた後の空虚さにから笑いをすること。そういうことに辟易する。考え方が合う合わない、ということ以前に、意見を持とうとしない、難しくてわからないという常套句、そもそも知る気がない、何かを主張したり意志を表示するということをしない、そういうコミュニケーションができない、挙句には、社会で起きている政治的なできごとから、自分を守るという思考回路に行き着く。
相手の呼びかけに応答すること。最近とみに、人は無数の他人との延長線上に生きているということを考える。大袈裟に言えば、他者がいなければ自らの生もないと。日々の暮らしを大切にするのであれば、個人に分断されるのではなく、自分以外の人たちに目を向けて考え行動する責任が大人にはある。
どうすれば良いのか。
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聴覚・嗅覚を映像によって想像させるような表現。問題は、そこで何が起きているかを知っていながら、それを当然のこととして受け流していること。例え、壁の向こう側から銃声や叫び声が聞こようとも、人を焼く臭いがしようとも、焼かれた人の灰が川に流れて来ようとも、それはその人たちの「関心領域」の外にある、あるいはその関心領域を構成する環境の一部として、気に留めることもない。ただ、どこか異常なことと認識していることは間違いない。だから、そこから逃げ出す人もいるし、見えないように茂みを作ったり、あえて見ないようにしている。無関心を装う、という表現がしっくり来る。最後に、ルドルフ・ヘスは吐き気を催しながら、時空を超えて、記念館となったアウシュビッツが掃除される様子(音)を聞く。それは、映画を見る私たちの眼差しであるが、鑑賞後に色々と記事を読む中で、この映画を見ている私たちもまた、「関心領域」のただ中にいて、何十年後の未来から覗かれているというような感想を持つようになった。それは、現代に生きる私たち自身を取り巻く様々な問題に対して、あなたはどうするのかと問うている。
追記
ルドルフ・ヘスが最後に吐き気を催しながら、カメラ目線でこちらに振り向くとき、観客自身を見て、何かを問いかけられているような、見透かされているような、そんな感じがした。
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姿を見たときに心が暖かくなった。安心した。優しく笑みが溢れていた。そんな存在だった。そんな存在になりたい。
人と人の関係性のなかに生きているということ。顔も見たことのない無数の人たちの日々の暮らしの延長線上に、私の生があるということ。自立した個人ではなく、依存する共者であるということ。
他者に開かれているか?
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4万歩+歩いても、翌日にはなんともなかった。
足腰の強さだけが取り柄になってきた。

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多様性という言葉が死んでいる。
それぞれの個を尊重するということ。個を尊重することは、単になんでもありという相対主義ではなく、さまざまな(これまで認識されてこなかった/認識されていても疎外、排除、差別されてきた)他者の存在と私の関係をつなげ、私たちが変化していくためにある。それは、結局は私に返り、そして、それがまたあなたへと広がっていくものだ。
決して、私たちと彼(彼女)らという線引きを行うものではない。あなたはあなた、わたしはわたし、という区別、分断、無関心につながることは、その本意ではない。
政治的なあるいは経済的な言説として、「多様性」あるいは「ダイバーシティー」は、市場経済に絡め取られている。それは、上位下達のごとく、そういう時代だからというお馴染みのセリフとともに、私たちの間に中身のない認知を広げているだけだ。なぜそれが出てきたのか、なぜそれを尊重する必要があるのかという根本的な認識は問われることなく、ただ義務感として、あるいは装飾品として存在するような言葉に、日本においてはなっている。
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