Tumgik
10daydreams · 3 years
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弔いは生者のためにある——花譜×大森靖子『イマジナリーフレンド』
歌詞を抜粋して、歌詞について思ったことの話をする。 「これってこういうことかなあ」とか、「こういう解釈できるよね」とか、そういう話だ。 簡単にいうと、オタクの妄想で、正解は提示された音楽でしかない、詮ない話。
イマジナリーフレンド ねえどうして? イマジナリーフレンド 死んじゃった?
2021/11/15に、花譜さんに大森靖子ちゃんが提供する楽曲のタイトルが『イマジナリーフレンド』であることが告知された。 私は友人と「バーチャルシンガーがイマジナリーフレンドの夢を見ることの実存性」について話し、画期的だなあと膝を打っていたけれど、 いざ配信された楽曲では<イマジナリーフレンド 死んじゃった?>と歌われていた。 「バーチャルシンガーがイマジナリーフレンドの喪失を嘆くこと」の、私の想像のその先を飛び越えていったので、これだから面白くてたまらないなと思った。
君は記憶を持たないから 僕に寄り添うことできたんだ ブランコで背中押してさ 相談ずっと聞いてくれた 友達ってさ 都合良くね そばに居てくれる人なんだ そんな暴力僕ヤダから 君だけしか話せなかった
この「そんな暴力」は何を示しているのか、私は「友達=都合よくそばに居てくれる人」としてしまうことだと思う。 実在する友達は、記憶を持っているから、過去の自分のことだって知っている。四六時中寄り添ってくれるわけでもない。 四六時中寄り添ってくれる、都合のいい時にいつでも話を聞いてくれる、そんな人は多分どこにも居なくて、いるとしたら頭の中のイマジナリーフレンドだけだ。
うまくやれた瞬間なんてない うまくやろうって 思うのをやめるのが 生き方ってわかっちゃったから きっと僕が君を 必要じゃなくなってしまったんだね お別れなんてきいてないよ ずっと2人だけの世界だった
「うまくやろうって思うのをやめるのが生き方」というのは、私の場合、大人になってから知ったメソッドだ。 別に、常に100点取らなくてもよくて、むしろ「100点取れない自分」とどう折り合いをつけていくのか、そのことの方が生きていくのに大切だって、どうして誰も教えてくれなかった? ただ、そういう「生き方」を身につけることは、「僕」が「君」=頭の中の友達が居なくても生きてけることを示していて、それは少し、さみしいことだ。
…消えないでよ
大森靖子ちゃんはこの曲について「イマジナリーフレンドのお葬式」と言っていた。 「イマジナリーフレンド」は自分の頭の中にしかいない。だから、お葬式ができるのも自分だけだ。 お葬式は、「いなくなったことを認める」ための儀式だと思っている。それは、生きている人のために行うことだとも私は思う。 「イマジナリーフレンドのお葬式」は、自分の中にあったものを、あったのだと認めた上で、無くなったことに向き合うことだ。 きっと無くなったことにも何か理由があったはずで、そう思わないとやってられない。 友達はいなくなると、さみしい。消えないでほしいし、いつか何かの拍子にひょっこり帰ってくるかもしれない、そう思わないとやってられない。
ところで、この歌の中で「イマジナリーフレンド」が指すものは、何も頭の中でベラベラ喋る架空の友達だけに限ったことではないと、私は思う。 私がこの曲を聴いていて思い出したのは、ELLEGARDENの「Stereoman」という曲だ。(「Space Sonic」収録)
When I'm all alone I talk to my stereoman
The only heaven I know is heaven in the sound
ひとりっきりの時は頭の中のステレオマンに話しかけ、僕の天国は音楽の中だけだと歌う。 通学するとき、MD(2000年代前半の話)でガンガンに音楽を聴いていないと同級生が怖くてバスに乗れなかった。 あの時私は私の音楽と二人きりだったし、逃げ込める場所がそこしかなかった。 それは、イマジナリーフレンドとお喋りすることに近しい世界だったと思う。
イマジナリーフレンドがいなくなった時、きちんと弔ってあげることができますように。
(追記) 以前、大森さんが何かのインタビューでハロー!プロジェクトのアイドルの歌唱法について、「い」を「うぃ」、「あ」が「んあ」になることを話していたのを読んだ。 花譜さんが歌う『イマジナリーフレンド』は「わ」がすごく大森さんっぽいなと思って聴いていたら、花譜さんが
あと、大森靖子さんが「わ」って発音する時に「うぉゎ」って感じになるのがめちゃくちゃ好き
とインタビューで話していたので、花譜さんはごくごく水を飲むように大森さんの仮歌を吸収したんだろうなあと思った。
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10daydreams · 3 years
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イマジナリーのイマジナリー、花譜×大森靖子『イマジナリーフレンド』タイトルについて
「バーチャルシンガーの花譜さんの曲のタイトルが『イマジナリーフレンド』なの、すごく面白いな」と思ったので、その話をします。
大森靖子ちゃんがバーチャルシンガーの花譜さんに楽曲を提供するというので、花譜さんを聴き始めました。 (そもそもバーチャルシンガーで括ってしまっていいのでしょうか。差し支えあったらすみません。)
もうこれジェネレーションの話なので私にはどうしようもないんですけど、バーチャルシンガーに馴染みがありません。 顔を出していないシンガーや二次元のキャラクターとも違う位置付けに馴染みがなくて、どういう存在なのか調べたんですけど、まだうまく飲み込めないです。 二次元のキャラクターは、世界観が提示されてその世界の中に存在するキャラクターとして位置付けられているのに対して、バーチャルシンガーは自分と同じ世界線にいる存在なのだと何かで見かけました。 (おそらく複数の人がプロジェクトとして関わっていて)「実際の人物」を作っているのが、バーチャルシンガーなのかなと思います。 その「実在の人物」を形作る大半が「音楽」であることが、私にはすごく面白いです。
私は、音楽は創造物として独立してて、けれどその後ろに生々しい「音楽を作る人」がいるという構図に馴染みが深いです。 例えばこの間、大森靖子ちゃんを観にボロフェスタに行ったんですけど、そこで観たPK shampooが、こう、「十三ファンダンゴ!!!!!」って感じで(すごく褒めています)かっこよかったんですけど、 そのかっこいいライブの後でボーカルの人が会場前の喫煙所で当たり前のようにタバコを吸っていて、そういう実在を伴うものが私にとって「音楽っぽい」体験でした。 (PK shampooの新しいアルバムはとてもかっこいいのでずっと聴いています
けど多分、バーチャルシンガーはそういう生々しさを伴わないんだろうなと思います。 クリエイターが生々しければ生々しいほど、それと創造物を切り離す方が音楽の純度が上がるのだと思っていました。 例えば、ミュージシャンのスキャンダルなんてどうでもいいでしょうという態度が、より音楽とだけ向き合っているのだと思っていました。 それに対して、バーチャルであるが却って「音楽」が(架空の)「実在の人物」を作り上げる構造は、逆転していて、面白いですね。
花譜さんの曲では『夜行バスにて』が好きです。 私は地方の(クソみたいな町)出身なので、情景が風化していくような田舎に心当たりがあるのですが、それこそ生々しい記憶と近しいんですけど、でも音楽は湿り気がなくて、ちょっと不思議です。
そういう、私にとっては逆転した実在という感覚のあるバーチャルシンガーの花譜さんが歌う曲のタイトルが『イマジナリーフレンド』なの、もうね、びっくりしました。 イマジナリーフレンドって、その名の通りイマジナリーで、架空で、頭の中にしかいないわけです。でも確固たる人格があるので、なんなんですかね、あれ。 バーチャルな人物が作り出されていて、そのバーチャルな存在がさらにイマジナリーフレンドを作り出しているとしたら、それは却って実在であることを補強するように思います。 つくづく構図が逆転していくのが、私は面白くて仕方がないです。
『イマジナリーフレンド』、配信リリース、楽しみですね。
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10daydreams · 3 years
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共感されなかった感情に名前をつける——大森靖子『ひらいて』
この曲が好きだなと思ったので、どうして好きなのか書いていきたいと思います。
悲しいなんて 私は言っちゃダメかな 死にたいなんて 私くらいのことで
死にたい気持ちを歌ってくれる歌は、多分あると思うんですけど、 死にたいときに、「でも私より辛い人、多分いっぱいいるよな」って思うこと、ありますか。私はあります。
最近、人生で「うわ、これしんどいな」と思うことがあって、 でも、それがあまりにも当たり前に訪れたので、「これって私が騒いでいるだけで、そんなに辛くないことなのでは?」と思いました。 それでもあんまり辛かったので、友達に「最近こんなことがあった」と聞いてもらいました。 4人に同じ話をしたら、全員、「最悪じゃん」と感想をくれました。 そこでようやく私は、「あ、これ、辛いと思っていいんだ!」と思うことができました。 人に教えてもらわないと、自分の辛さを値踏みすることも私にはできません。
悲しいも死にたいも、そう思ったんならそういうものなので、 言いたかったら言ったらいいと、理屈はわかるんですけど、理屈と実践は別の話です。 だからせめて、「私くらい」って思ってること、滑稽だと自分のこと思ってるんですけど、 その滑稽さが美しいメロディに乗っていることが、私には随分と、救いです。
共感されなきゃ 感情じゃないかな
自覚していなかった気持ちを言い当てられたような歌詞だと思いました。
「共感される感情」と言われて思い浮かぶのは、SNSで「いいね!」がたくさんついた投稿です。 いいね!がたくさんついた感想があったとしたら、もしかしたらたくさんの人が同じことを思ったものなのかも知れないです。 その言葉に「共感」できなかったとき、「私の感情って間違ってるのかな」という気持ちになること、私はあまり心当たりないのですが、 自分の辛さを値踏みもできないので、そういう時もあるかも知れません。
でも、感情は感情なので、自分の中の感情くらいには無視しないで責任をとってあげたいと、思うのです。
ところで、「共感する」という行為が私は怖くて仕方がないです。 『シンガーソングライター』の歌詞を振り返ります。
共感こそ些細な感情を無視して殺すから
共感することでなぜ些細な感情が無視して殺されるのでしょうか。 共感とは、「他人と同じような感情(考え)になること」と辞書では定義されています。 多くの人が共感する言葉は、どんどんぼやけていきます。 「大森靖子しか勝たん」と、私だけの大森さんの可愛くて仕方がない点を綴った言葉(書こうと思ったんですけどもったいなくて書けませんでした)、 どちらがより多数に共有されるかというと、「大森靖子しか勝たん」です。 (「大森靖子しか勝たん」に「わかる」と返すコミュニケーションでしか伝えられないこともあるので、優劣の話では全くないです。) そして、「私だけの大森さんの可愛くて仕方がない点」を、誰かが「わかる」と言ったとしても、私のそれとあなたのそれは完全一致なんてしないのに、 「わかる」と言ったとき、取り沙汰されるのは私とあなたの感情の共通点だけになり、些細な何かは取りこぼされていきます。
自分がうまく言い表せなかった感情が、誰かの言葉によって解像度を上げること、私が大森さんの歌詞に対して繰り返しているのはまさにその行為です。 でも、誰かがSNSに投稿した感想を読んで、自分の感情のような気持ちになってしまうことが、私はとても怖いです。 言い得て妙だなと思ったのは「感情のアウトソーシング」という表現です。 なんとなくスッキリしない映画を観た後、「タイトル 嫌い」で検索して、否定している誰かの言葉を読んで、安心することがあります。 自分の感情と似た言葉を読んで、自分の中の反響を整理できたような気になるのは楽ですね。 それが怖くて私は性懲りも無くこんな文章を綴っています。
共感されなかった自分の感情に名前をつけてあげたくなるこの歌が、私はとても好きです。
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10daydreams · 3 years
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インターネットに思ったことを投稿する意味を見失っては、ブログを10個くらい消してきました。 Twitterのアカウントも10個目くらいかな。多分。わからんけど。 久しぶりだねと今思っているあなたが私だと思った誰かは、私じゃないかも知れないですが、お久しぶりです。
大量のテキストを投稿しては消してきたので、このアカウントもそのうち消すと思います。 それがいいことなのか悪いことなのか、善悪の話ではなくて心底どうでもいいことなのか、 多分、どうでもいいことなんでしょう。 頻繁にアカウントを消すと煽られるので皆さん気をつけて欲しいですね。(これは悪口です)
このアカウントは1年くらい保てばいいなと思っています。
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