Tumgik
11yrk22 · 1 year
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久しぶりに見たら久しぶりに書こうかなという気持ちになりました。
さて、昨年12月の流産を乗り越え、ようやく今回の妊娠は安定期を迎えることができました。よかったよかった。
初めて経験した悲しみと喪失感で、あのときの手術の麻酔がかかる直前の絶望的な気持ちは、今でもはっきりと思い出します。
あんなに悲しいことが、人生であるのかと思いました。
でも今思うに。それでも、私は母親になっていたんだなあと思うのです。安定期に入った今も、母親になるという実感がわかないのに。
まだエコーで見るか、家で心臓の音を聞くかでしか存在確認ができないのに、すごく愛しくてかわいいなあと思ってしまうのが不思議です。かわいい我が子、と思います。
母親も、私を身ごもったとき、こんな気持ちだったんだろうか。
母親にならないとわからない苦労があるというけれど、この気持ちも母親にならないとわからない。母親の愛情を疑ってばかりだったし、今でもじゃあオールオッケー!とは言えないけれど、それでもきっとこの気持ちを持っていたことは母親も一緒なんだろうなと思うと、申し訳ないような気持になります。
猫ちゃんたちもむーちゃんも、私にとっては大事な家族で、かわいい我が子なんだけど、いろいろ体の不調やらで苦労しているからか、やはり自分の遺伝子を継いでいるからか、猫ちゃん達には抱かないような不安やら幸せやらをまた感じていくんだろうなと思います。
性別はどっちだろう。胎動はまだかな。なんて、これからのことが楽しみです。
生きる意味もよくわからず、ただぼーっと毎日過ごしているだけの日常だったのに、しゅんくんがいてくれて、一緒に毎日を過ごしているとすごく幸せでありがたいなあと思います。
毎日帰ってきて、猫たちとむーちゃんといて、しゅんくんが帰ってきて一緒に眠って。人生何があるかわからないなあと思いながら、いろんなことを頑張って耐えてきてよかったんだろうなと思います。
結局全部結果論なんだけど。だからこそ、しゅんくんには大変に感謝しています。
生まれてくる子には、たくさんの愛と感謝を伝えたい。
私の経験してきた世界は、つらいことも苦しいことも多かったけれど、でも世界は素晴らしいところなんだと教えていきたい。
優秀であれとか、世界に名を残すような人になってほしいとかはもうなんでもいいから、周りに助けられ、周りを助けられるような人になってほしい。元気に健康に、自分の人生を謳歌したらいい。そして、人生のすばらしさを、いろんな人に分け与えていってほしい。
母親になれるか不安とか、そういうのはあんまりない。実感がないからだと思う。私もただ、周りの人に感謝し、愛でられる人でありたい。
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11yrk22 · 2 years
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久々に投稿。
昔書いたものを読んでいて、あー、あのときの気持ちなんて、今はもう全部忘れてしまった、と呆然としました。
オーストラリアにいたときに感じたこと、あのときの私は自由だった。自由だからこそ感じる不安はありつつ、日々の不満を言いながらも、素直に話して笑って泣いて、あのときの私は人間活動ができていた気がします。
今は?
結婚したから一人ではなくなって、コロナだから旅行もろくにできなくて、やりたいことが何かももう分からないし、日々の大して面白くも充実しているわけでもない仕事を、今はしがみついていなくてはいけなくて。
心が死んでいく。
また以前の、死んだ目で、仕事のこと、職場の人のこと、グチグチ言うわたしに戻ってしまった。
何がしたいんだろう。わたしが今一番したいことって何なんだろう。
子どもがほしいわけではない。ただ、子どもがほしくなるかもしれない未来を恐れている。
私は将来、この選択を後悔しないだろうか。
後悔したとして、でも自分で決めたことだから、と胸を張って言えるだろうか。
じゃあ今子どもを産まないという選択をしたところで、その選択も将来後悔することはないだろうか。
何を考えても八方塞がりになってしまいました。
結婚しなきゃ良かったとは思わない。あれだけ好きで思える人と、もう二度と会えないと思うから。
でも、責任を持たなくちゃいけない範囲が増えたことは、ある種の重荷にはなったのかもしれません。
仕事の何が嫌なんだろう。
職場に尊敬できる上司がいないことが一番かもしれません。
ホテルにいたころは、先輩はみんなカッコいい存在でした。今の職場に、そんな人はいません。
あの人が昇進して、あの人の下で働くなんて考えられないから、そうなったらもう辞める、と言っていた先輩がいて、その考えが私の仕事観に、想像以上に大きな影響を与えたようで、考えれば、今はその状況なわけです。
こうなりたい、みたいな人が一人もいません。
だから、そんな人たちに指示を出されるならともかく、1on1だの、アドバイスだのと言われると、本当に嫌気がさします。
接客が一番やりがいを感じるから接客に戻りたいわけじゃなくて、接客業に就いていた人たちのキリッとした佇まいに���れて、仕事人たるものそうあるべきと思っているから、また接客業に戻りたいと思っているだけで、業種が違えども、そういう人たちが働いている職場なら、毎日刺激を受けて働けるのかもしれません。
やりたくもない仕事、一緒に働きたくもない人たち、そんなのにストレス感じて疲弊していく毎日、本当に馬鹿馬鹿しい。
オーストラリアに行っていたときの自分が見たら、きっと泣くでしょう。本当に申し訳ない。
それでも動くに動けない現状。
本当に馬鹿馬鹿しい。
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11yrk22 · 3 years
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結局、バイオリンはもう弾きたくないという結論に落ち着きました。
報われなかった。
あれだけ骨身を惜しまず、あれだけ身を削って、精神もぼろぼろになって、初めて頑張ったと言えるオーケストラでさえ、最後の最後によくやったね、頑張ったね、その一言すらもらえなかった。
もうそこで、今まで20年以上が全て無駄になってしまったのです。わたしの中で。
それだけが欲しくてやっていたというのに。
なかった。何も。
それが分かって、もうあれ以上頑張れることもないと分かっていて、もう一度バイオリンを手に取るなんて、わたしにできっこないんです。
いつか本当にただ楽しむだけで弾くことができたら。
でもどうでしょう。きっと手に取っただけで嫌になる。
音を出して、理想とは違って、そんなものに追いつくわけもなく、もうあれ以上はないと知り、それだけやっても徒労と知り、わたしに楽器を弾く理由がどこにあるというんだろう。
何ができるというんだろう。
ここまでやってきたんだから、の一言で片付けてしまえるほど、わたしは器用になれません。
もう弾きたくないんだ。いっそのことバイオリンを売りに出してしまいたいほど。
いつか楽しく弾ければいいと思いながら。
どこかで弾かなくちゃいけないと、謎の圧力を感じるくらいなら、手元からなくしてしまいたいと思うわたしもいて。
もう一度、あの時みたいに弾きたいと思うわたしもいて。
でももう理由なんてない、無理だと思う。
もうあの時、全てが報われなくて、その時点でわたしのバイオリンは終わったんだ。
どうでもよくなってしまったんだ。
そこに注げる労力が、もうわたしには残っていないんだ。
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11yrk22 · 4 years
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わたしがあの人の隣に並ぶことはないだろうと思います。
これはネガティブだからとかそういうのではなく、限りなくニュートラルな気持ちで。まあ言ってることは間違いなくネガティブなんでしょうけれど。
それでも尚わたしがあの人に憧れるのは、きっとわたしが頑張って頑張って努力して、なりたい自分になれたときに初めて、あの人の隣に並べるようになるからだろうと思います。
だからわたしは何もかもを諦めたいけれど、諦めたくはなくて、でも楽になる術も分かっていて、そしてその道を選べばいつか後悔することも分かっている。
もがいている。何もないところで。ただ手足をばたつかせて、何かが欲しいと喚いているだけ。
生きているだけで頑張っている。息をするだけで、毎日を生き延びるだけで頑張っている。だけどそれしかできない自分に意味も価値もない。
自分に課すハードルが高すぎるのは分かっています。
いつかやはりそれを超えられないと気付いて、立ち直れなくなるのも知っています。
でもやはり、今のスカスカな自分に、生きている意味も理由も見出せない。
諦めたいけれど、諦めたくないんです。
希望がないのもわかっているし、そうやって努力し続けた先で必ず報われる保証なんてないのも分かっています。
それでも止める選択ができない。
そんな選択をした自分を受け入れて、この先生きていく自信なんてないから。
でも暗いんだろうと分かっているような先に向かって、ひたすら歩いていく元気も、わたしにはあるか分かりません。
どの自分を受け入れて生きていけばいいんでしょう。
一つわかるのは、それでも今何もかもを諦めて、適当な場所で立ち止まることなんて、きっとできないということだけです。
それを抱えながらわたしは生きていくしかないし、それがわたしの生きていく理由なのかもしれません。
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11yrk22 · 4 years
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毎度のごとく、たっしーに弱音をはくわたしです。
もしかしたら、たっしーも困っているのかもなあと思うけれど、いつも話を聞いて、アドバイスをくれるから、何か言ってほしくて、たっしーに弱音をはいてしまいます。
甘えてばかりでいけないんだろうなと。たっしーの気持ちも考えなければいけないなと、やはり反省します。
ともくんに会ってからというものの、わたしは今また海外に出たとして、いったい何ができるというのだろうと考えてしまいます。
今さら何をどう頑張ったって、特別な何かになんてなれやしなくて、それはとっくにわかっている。きっとオーストラリアに行く前から。
あのときは人生を終わらせるのに後悔したくないから、終わらせる前にやりたいと思ったことをとりあえずやってみようと思って出発しただけだったので、なにかを特段がんばろうとなんて思っていませんでしたが。
そこからなんとか抜け出して、ここからと、なんとか人生取り返してやろうと頑張っていても、今からわたしに何ができるっていうんだろう。
ただ今さら引き返すわけにもいかないから、とりあえず手当たり次第がんばれるものがんばろうとしているだけで、どこがいったいどう繋がるんだろうか。今こうやっていて、この先にいったい何があるって言うのか。
だけど、もうあきらめるわけにもいかないんですよね。今さら引き返せないんですからね。
あなたが生きていてくれればそれだけで嬉しいって言ってもらえて、それだけでわたしの存在価値はあるって思えて、思えるようになって、そうして生きていけるんだから、わたしはなにかをやらざるを得ないんです。
将来の不安、見栄、体裁、結局そんなものから逃れることなんて簡単なことではなくて、それでもともくんが、自分の努力と力であんな立場まで上っていったような人ですら、それ以外の道もあるんだからどうとでもなると思っている。
生きていくのに見栄なんか気にしてなくてよくて、ここまでやったんだからって思えればいいのかもしれません。
いつまでも必死にもがいてんなーと思うと、涙が出るような、笑いしか出ないような、不思議な気持ちです。
一人で生きていくって決めたし、それでも何も期待しないで生きていくのは難しい。
自分が何をしたいのか、自分の人生をどうしていきたいのか、考えなくちゃいけないなと思います。
今までだってずっと考えてきたはずなのに。
本当に自分がしたいことは何なのか、ちゃんと自分の奥底にフォーカスしていくのって難しい。
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11yrk22 · 4 years
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タブレットように買ったBluetoothのキーボードの設定がようやく終わったので、それのためし打ちがてら、とりとめもなく思ったことを書いてみようと思います。
さて、ホテルを結局辞め、現在は幼児教室で週5日、英会話教室で週1日働いています。
なんだかんだで、給料のためにと思うと、ばかすか働いてしまいます。
体がきついのかどうなのか、今はやろうと思えばできているけれど、どれくらい疲れているのかはよく分かりません。
英会話教室は、英語を話すいい機会にもなるし、ちびちゃんたちは可愛いし、とても楽しくできています。
あれをやってと言われたとき、それじゃあこうしたらどうだろう、とか思い付いたことを言ってみても、じゃあやってみてと言ってもらえることが楽しいです。
自分なりに工夫してみて、それを発言することが許されているし、重宝してもらえるのはありがたいことです。
外国人のボスの下で働くのをおもしろいなと、何となく感じました。
驚いたことは、ダンが「まずはカスタマーの前にスタッフを大切にする」と言っていたことです。
外国ならではの考え方なのかどうかはわからないけれど、確かに合理的だし、働いていてやりがいを感じられると思います。
そうすればカスタマーにその恩恵がめぐっていくのは、当たり前のことと言えるのかもしれない。
そして、もうひとつの職場をなぜ幼児教室にしたかというと、教育に携わりたいと思っていたからで、それならばどこでもよかったのだけれど、今TESOLの勉強を一生懸命していて、いつかそれを活かせるときが来たら、わたしは小さい子供に英語を教えたいと思うからです。
わたしが英語を使って外国人とコミュニケーションがとれたと実感したのは、高校生のときが初めてで、その頃はわたしはとても英語が苦手でした。
交換留学生として来ていたオーストラリア人の女の子と会話をして、初めて話をして、通じたのか通じてないのかは分からなかったけれど、英語がしゃべれれば、もっと多くの人と話せるし、多くの人の考え方を知ることができるし、わたしの世界が広がる。そう初めて思えたときに、英語を学ぶ楽しさに気づきました。
でおその頃にはもう遅くて、今だってだらだらと勉強を続けていて、いつまでも苦戦しています。
だから今、まだ小さい子供たちがその楽しさに気づいて、英語を学ぶことができれば、彼ら彼女らはもっと大きな場所で活躍していけるかもしれない。
だからわたしは、英語を教えるなら子供たちに教えたい。
幼児教育とはどういうものかを知りたいと思ったときに、幼児教室はいいところのように思いました。
まあそれでも最初は、事務の仕事でいいやと思っていたのですが。
そして今の目標は、日本語教師の資格もとれればいいなと思うし、保育士の資格もとれれば、今後役に立つかもしれないなと思っています。
それになにより、保育士の資格がとれて、少しでも日本でその経験が積めれば、これからまた世界に出ていきたいと思ったときに、自分の力で生きていきやすくなるのではないかと思っています。
それがどれくらい難しいのか、わたしの考えは甘いのか、夢物語なのか、今は全然分かりませんが、それでもわたしは、誰かの役に立てる自分でいたいなと思います。
だから、とても曖昧で、漠然として入るのですが、その目標だけはぶれずにいたいです。
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11yrk22 · 4 years
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こむちゃんのことを思い出しては、あーもういないんだって思います。
もう高校の頃の友達なんてきっと会わないし、そうしたら、生きてるとか関係ないかって思っていました。
でもやっぱり、思い出した時に、あー何してるのかなーって思えるのとそうでないのって、大きな差があります。
生きてるってそういうことなんだと思いま���。
生きてくってどういうことか、考えなくちゃいけないと思います。
生きている人間の責任として。
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11yrk22 · 4 years
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先生に、伝えなくちゃいけないと思ったことがありました。
私は25歳の誕生日のときに決めたことが1つありました。それが、28歳になったら死のうということです。
大学生になってからずっと、精神的に不安定で、就職してからそれが限界に来たんだろうと思います。
死ぬ理由なんて特にないけれど、生きてる意味もない。生きてたってしんどくて、苦しいばっかりだから、死ぬほうがずっといいと思っていました。
父親から暴力を受け、母親からはいらない子と言われ、身内からは性的暴行を受け、自分のことなんか価値のない人間だとしか思えなかった。
そんな無価値な人間が生きていくためには、誰かから認めてもらうように頑張るしかなくて、私もずっと母親から認めてもらうために色々頑張ってきました。
良い大学に入るのだってそうだし、オーケストラでコンミスやったのだってそう。
それでも、母親に褒めてもらったり、認めてもらったりすることはなかった。
私は結局、母親に認めてもらいたいが為に、コンミスをやっていたわけです。そんな身勝手な理由のためだけに、みんなにしんどい思いも苦しい思いもさせてしまった。
みんながたくさん泣いていたのだって知っていたし、私がアレコレ言うのに傷ついて、良く思わない人がいたことも知っていました。それでも私は、オーケストラのためだと、自分の実力不足を棚に上げて、そもそも、ゆりこしだってコンミスをやりたいと言っていたのに、私は自分が母親に認めてもらいたいって、それだけの目的のためだけに突き進んでしまった。
私にとって、オーケストラは罪悪感と後悔ばっかりなんです。
だから、みんなに会いたくなくなってしまった。みんなに私のことを何もかも忘れて欲しかった。
みんな私のことなんか忘れて、その上で何もなかったように、私は1人で死ぬのが一番良いと思いました。
だから先生にも、あんなこと言いました。私のことを嫌おうとそれでいいし、それがきっと正しいことだし、それで私のこと忘れてもらえるなら、それでいいんだと思うようにしました。
それで、あと残りの3年、やりたいことやれるだけやろうと決めました。
だからまずは仕事辞めて、とりあえず違う国で過ごしてみたいと思ったから、一番行きやすいオーストラリアに行きました。
そこで色んな人に会って、色んなこと話してる内に、今まで煙たがられて日本ではあんまり話してこなかったことも、みんな聞いてくれたんです。
そしたら1人の中国人の女の子に、あなたは全部打ち勝たなくちゃいけないんだよ、私はあなたがずっと1人なんてそんなの嫌だ、って言われました。
それが私には、ものすごい衝撃でした。
あ、私にいてほしいって思ってくれる人がいるんだって、初めて思いました。今までそんなこと言われたことなかったから。
そしたら、他の子にも、私がそう思ってないとでも思ってたのって、すごく怒られました。
そこから、もう少し頑張ってみなくちゃって思うようになりました。
色んな人に、色んなことを教えて貰って、今私はようやく、自分を大切にすることができるようになってきたと思っています。
私が本当にやりたいことは何なのか、ちゃんと考えるようになりました。
今、そうやって自分とちゃんと向き合えるようになってきて、そうしたら今度は、今まで私の身勝手で傷つけてきた人と、ちゃんと向き合わなくちゃいけないと思いました。
今まで隠してきたことをちゃんと話をして、ちゃんと謝らなくちゃいけないと思いました。
他の人のためにって口先だけ言いながら、私はずっと他の人のことを蔑ろにしてきました。先生だって、ずっと手を差し伸べてくれていたのに、ずっと私のこと見守っていてくれたのに、あんな切り捨てるみたいな失礼な、酷いことを言いました。
それが、今の私は、本当に苦しいくらい、申し訳ないのです。
謝罪すれば何だって許される訳ではないし、やったことがなくなる訳ではないのも分かっています。
でも、私は今こうやって話すことが、しなくちゃいけないことなのかなと思いました。
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11yrk22 · 4 years
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さて、実家で過ごすとなると、どうしても親子関係について考える時間が多くなってしまいます。
先ほどのポストでの、シャンパンタワーの話は、母子関係についての記事を読んでいるときに読みました。
母親とうまくいかない人からの相談にこたえるという形の記事だったのですが、母親に反論した際に「私はあなたのために我慢してきたのに」と言われたという話に対して、本当に子どものために生きてきた人なら、そんな言葉は出てこないと答えていました。
なるほど、と思うと同時に、私もその意識に苦しんできたのだと思いました。
これといった趣味もなく、今まで両親の言うなりに生きてきて、友達も多いわけでなく、私は(私たちは)仕事も転々として、結婚もせず、勿論子供もおらず=孫を見せることもできず、母は不幸でかわいそうだとずっと思ってきました。そしてそれは私たちのせいだと。子育てのせいで母はいろんなことをあきらめなければならず、我慢しなければならなかったのだと。
私がずっと鬱状態を克服できなかったのは、自分がACであるということを言い訳にしていたからだと思っていました。ACだから克服できなくても仕方ない、生きづらくても仕方がない、生きていけなくても仕方ないし、それを誰かにどうこう言われたくもない。
今までそう思って生きてきましたが、それはただ単に言い訳に過ぎず、自分だけが特別だと思いこんでいたんだと気が付きました。以前のポストでも、そのことは書いてあるので、ここでは割愛します。
それでも、何もかも解決したと感じられていませんでした。
それが今回、シャンパンタワーの話を聞いて、引っかかっていたのはこれだったのかと気づきました。
私は母の人生に、罪悪感なんて感じなくていいのです。
母は私たちのために一生懸命働いて、母としていろんなことを我慢してきてくれて、それなのに私は母との過去に苦しんでいる。母が私の害になっていることは間違いないと思いながらも、その罪悪感から、母を毒親とは認められない。
母を毒親と言い切ってしまうことは、たしかにためらわれますが。
ですが、今まで母がしてきたことは、母の選択したことなのです。母が望もうと望まざるとに関わらず、母がしてきたことなのです。
母の人生の責任は、母にしか取れません。
今までさんざん、誰も自分の人生の責任なんて取ってくれないと信じてきたのに、それは自分以外にも当てはまることだと、なぜ考えていなかったのでしょうか。
私の人生の責任は、私にしか取れない。だから私は、今までしてきたことも、これからの選択も、後悔したとしても誰のせいにもしてはいけない。
自分の人生を他人のせいだとなすりつけている限り、幸せになんてなれないし、どんどん卑屈になっていくだけです。
母が自分の人生に起きたことで、どんなに後悔しようと、不幸だと感じようと、それを誰かのせいにしてはいけないし、ましてや私が罪悪感を感じる必要なんてない。
私は母の考えを変えることはできない。
だから、私は自分の考えを変えなければいけない。
というか、納得できて腑に落ちたことで、今までの違和感がすっと消えました。
だからこそ今まで以上にイライラしてしまうわけですが、今までみたいに、母の相手をしてあげなければ、なんて無理する必要はないのだと気づいたことで、うまく付き合っていければいいなと思います。
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11yrk22 · 4 years
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ノートパソコンを買ってからというもの、キーボードでカタカタやるほうがなんとなく楽で、スマホで思い立った時に何かを書き留めるのが億劫になってきてしまいました。そのせいで、そのときのアイデア(というか考えたこと感じたこと)を残せないのは勿体ないことだと思うので、スマホでもポチポチもう一度始めようと思います。
オーストラリアに行って、いろんな人といろんなことを話して、みんなそれぞれに決断をして外国に来ているのだろうから、そういう人とは今まで日本で出会った人たちとは話せなかったようなことも話ができて、そうやってきたなかで自分もかなり変わったなと感じることが、最近多いです。
多いというよりも、かなり変わってこれていることが、自分を大切にするということがどういうことか、だんだんわかり始めてきたことです。
他人ではなくて、自分のために何かをする。
そんな至ってシンプルなことでいいんじゃないかなと思うのです。
自分がやりたくてやっていたことが、いつの間にかやらなくてはいけないことになり、やらされている感覚になる。
お金のためだけに働くことが苦痛だったり、やりなさいと言われてはじめただけのことが、どうしてもうまく続かなかったり、それは自分が望んで、自分のためにやっていることではないからなんでしょう。
一番厄介なのは、どうして自分がこれをやらなくてはいけないのか、どうしてやろうと思ったのかが、わからなくなってしまっていること。
今までの私は、(特に大学受験以降、)結局は周りの目を気にして、どうすれば出来がよく見えるのか、(そして特に、どうすれば母親に満足してもらえるか、認めてもらえるのか、)そればかりを考えて、物事を決断していたように思います。
これをしたらダメ、あれをしたほうがいい、自分のやりたいことを、誰かの枠にはめて、その反応を気にしながら生きてきていたんでしょう。
だから、いざ自分に向き合ってみたときに、自分を大切にするというのが、どういうことかわからなかった。
やりたいこともあるはずなのに、その枠にはめて考えると、やりたいことなんてない、楽しいことも特にない、そんなだったら生きている意味もない、死ぬのも生きてるのもどっちも同じ。
大学に行くのだって、別に行きたいと思っていたわけでもなく、大学に行って学びたいことがあったわけでもなく、就職もそれ以上にやりたいことがあったのに、流れに逆らえずに就職し、結局辞めることになった。大学を選ぶのも、就職先を選ぶのも、そこでは自分のやりたいようにやっていたと思っていたし、実際はそうなのかもしれないけれど、その流れに乗ることが、本来私の望んでいたことではなかったのではないかと、今考えるとそう思うのです。
だからどうということは特にありません。過去を悔やんでも仕方ないし、それを誰かの責任にするつもりもありません。
ただ、そうやって生きてきてしまったから、自分を大切にする意味も分からず、誰かから愛されたければ、まずは自分で自分を大切に、と言われてしまうと、絶望しか感じませんでした。
今はそれが変わってきています。
まずは自分が幸せにならなければ、誰かを満たすことなんてできない。
今日読んだ記事の中で、シャンパンタワーの一番上は自分でなければいけない、という言葉を見て、非常に納得しました。
まずは自分が満たされ、そこから溢れて他のグラス(人)を満たしていく。
結局、人は自分のためにしか生きられない、と以前から考えており、それをネガティブにしか受け取れなかったのですが、それをかなり前向きに捉える良いイメージでした。これは大切にしていかなければいけません。
昨日、以前に書いた自分のポストを読んでいて、オーストラリアにいる間に、自分のありのままを、ありのままに受け入れてくれる存在にたくさん出会えていたこと、読み返して思い出したようなこともあるけれど、それが私の人生にプラスのエネルギーをたくさん与えてくれたんだなと実感しました。
結婚だの仕事だの、世間体ではなく、自分がどうしたいのか。それを大切にしていければ、変に焦る必要もないし、ポジティブに生きていければ、自分の進む方向も、周りの人間でさえも、ポジティブな影響を与えられるのではないかと思います。
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11yrk22 · 4 years
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さて、コロナ騒動のおかげで、ホテルもクローズになり、家にいることになりました。
自粛期間というと、みんな出かけられず、誰とも遊べず集まれず、鬱々としてしまうようですが、これを機にやれることをやるのも良いチャンスなのではないかと思います。
もともと外に積極的に出かけていくほうではないから、私は自粛と言われても苦ではないし、家で散々遊べるので万々歳なのですが、外が良い天気なのを見ると、ここぞとばかりに勿体ないなと思ってしまいます。
人間は禁じられるとやりたくなるという心理があるらしく、感染予防のために出かけるなと言われても出かけてしまう人がいるのは、やはりその心理が作用しているからなのでしょう。
私はというと、これを機にやっていなかったことをちゃんとやろうと思っています。
TESOLの勉強だったり、スペイン語の勉強だったり。
楽器の練習や読書もやろうと思うのですが、ちゃんとやっていません。
言い訳がましいのですが、家の人間が全員いると、やりたくないなと思ってしまいます。母親には嫌みのようなことを言われるし、ほかの人は何も言わないにしても、やってるところを聞かれたくないなと思ってしまいます。
これじゃあ一人暮らししていたときと変わりません。
音楽室付きだったシェアハウスに移りたいなと思ってしまいます。お金のことを思えば、そんなことはしませんが。
スペイン語の勉強も一生懸命(といえるかわからないのですけれど)やっていますが、新しい言語を一から自分だけで始めるとなると、いったいどこから手を付けていいのやら、難しいです。
アプリを使っていますが、それだけだと不十分な気もするし、やっぱり無料ですべて終わらせるというのは厳しい話ですね。
そして、ホテルに戻るかどうかという話ですが。
一昨日にホテルはクローズして、勤務もしていないにもかかわらず、相変わらず、朝起きるとストレスいっぱいで目が覚めます。
覚えているときもあるけれど、夢で仕事の夢を見ているんだろうなと思います。だから、無意識のうちに仕事いやだと思いながら、目が覚めるんでしょう。
やはり、英語の使える環境に身を置いて、あのホテルにいるべきではないのだろうなと思ってしまいます。どこまでが逃げなのかがわかりません。
人は嫌いではないのに、と思うけれど、嫌いではなくても嫌なのだろうと思います。給料はいいに決まっているのですが。夜勤もあるので。
難しいです。社会が正常に動かないので、行きたいところに行けません。やってみたいことをやってみることができません。
これさえなければ、いろんなことをもっとスムーズにできたのになと思ってしまいます。
そんなこと考えたって仕方ないので、今この状況でどう動けるのか、やっていくしかないなと思います。周りに迷惑かけることになるのでしょうが。
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11yrk22 · 4 years
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結局日本に帰ってきました。というのも2月の話なので、もう1か月半くらいは経つわけですが。
結局ビザの残り期間が短いというせいもあり、オーストラリアではなかなか求人に応募すらできなくなってしまい、ゴールドコーストにいたわけですが、シーズンだからかホステルのワークフォーアコモデーションですら見つからない始末。ただただお金だけがやたらと飛んで行ってしまう状況で、オーストラリアに居続けるという選択肢は不可能に近かったです。
さて、この1か月半で、もちろんですが、いろんなことが起こりました。
まずはコロナウイルスの影響で、世界中が閉鎖しまくっていること。
帰ってくる理由はウイルスではなかったけれど、今ケアンズはあらゆるレストランがクローズしているようだし、日本に帰ってきてよかったなと思います。
リゾートホテルのバイトなら、ゲストも、場所によってはスタッフも外国人が多いという話を聞き、帰国する前からリゾートバイトを探し続けていましたが、コロナウイルスのせいで外国人が減り、求人も取り下げてしまう始末。
結局リゾートバイトはあきらめて、自宅から通いのバイト先を探すことにし、無事に横浜のホテルでフロントで働くことになりました。
そして、ここからがまた問題なのです。
接客は好きながらも、今まで得意だと思ったことはないけれど、ここまで慣れないと思うのは初めてで、相当戸惑っています。
ゲストの数が2桁台ということもあり、なかなかチェックインアウトの件数をこなせないというのが一番の理由だとは思いますが、カウンター越しにゲストを目の前にすると、何をしたらいいんだか毎回わからなくなってしまいます。
おかげで毎日のように同じようなことを言われ続け、自分でもそうなってしまう理由がわからず、今までホテルで働いてたときは普通にやってたんだよね?と聞かれる始末。
今までホテルで働いていた時も、フロントは苦手だと思っていて、その先入観があるからなのかはわかりませんが、フロントは徹底的に向いていないのかもしれないと考え始めました。
もともと、ゲストとおしゃべりするのが好きという理由で、接客業が好きでしたが、特に褒められたり、お礼の言葉を言われたりもしなかったことを思えば、ホテルといった形での接客にこだわらなくてもいいのではないかと思います。
オーストラリアにいるときから、教師や保育士、看護師の資格を持っている人は”強い”と思っていたし、英語教師の資格を新しく取る人たちも見てきていたから、目に見える形で役に立つ資格を取れば、自分の力で働いていけるのかもしれない。
そう思って、今はTESOLの資格の勉強を始めました。
それにともなって、英会話スクールでの仕事ができればいいと、また仕事探しをしています。
そして日本語教師の資格が取れる資格学校にも通い、オンラインなどで日本語教師の仕事を少しずつでも始められればいいと思っています。
イメージするのは簡単ですが、実際のところどれくらい大変なのかわかりません。
でも、今、ホテルで働くということが苦痛で、ストレスであり、疑問も生じてきました。
もともとの外国人比率が低いホテルでもあり、そこまで目立った特徴のあるホテルでもなく、今まで超がつくほど有名なゲストを招くこともあるホテルで働いていた身としては、やりがいや張り合いといったものもありません。
日本語の細かい点まで注意され、懇切丁寧な接客を求められると、私は今までのように、フレンドリーに、親しみやすい接客がしたいんだと実感しました。
あまりにも丁寧な接客は、他人行儀で自己満足のように感じてしまいます。もちろんそんなことはなく、完璧な正しい日本語で、どこまでも丁寧な所作で行う接客を、美しいと感じる人も、ゲストでもスタッフでもいるでしょう。
もともと、海外のホテルで働くために、フロントという肩書で働いていたという実績が欲しかっただけで働き始めたわけですが、ホテルで働くという以外の選択肢も見えてきてしまっている中、毎日苦痛を感じながら働き続ける意味はあるのだろうかと考えてしまいます。
合わない、という理由だけで辞めていいのかと悩みましたが、いずれホテルの道に戻るとしても、経歴はいくらでもなんとでも言えるわけで、日本のホテルで働くのであれば、フロントの一連の仕事を知れただけで、もう十分なのではないかと思うのです。
そして、今の自分の価値観で何が必要なのかと思ったときに、私は資格を取らなければいけないわけで、そのための時間と体力を確保し、今以上に英語の使える環境に身を置かなければいけません。
次が見つかるまではホテルでの仕事をやっていかなくてはいけず、それが一体いつまでになってしまうのかはわからないけれど、そして、ホテルでの仕事が自分に合わないとわかってしまったことは、ある意味でショックではあるけれど、いま決めたことや感じたことを、これからまた迷ってしまった時のために残しておこうと思います。
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11yrk22 · 5 years
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ケアンズを離れて、パース→メルボルン→シドニーの約3週間の旅行が終わりました。といっても、これからまたゴールドコーストに移動するわけですが。
仕事も住む場所も、何もかも落ち着いていたケアンズから離れること。離れたときは寂しいながらも、もういいかな…と思っていたのですが、違うところでまたそれを一からやり直さなければいけないって、だいぶしんどいです。
ケアン���に着いたときは、1ヶ月ホームステイをしていたし、語学学校にも通っていたので、家やら仕事やらを探す時間がじゅうぶんにありました。
でもこれからは違います。
もう残された時間は4ヶ月半ほどしかなくて、その中で住むところはともかく、仕事を見つけなければいけないとなると、語学学校に通っていたときのように、3ヶ月ものうのうと暮らしていられません。
ヨーロッパ旅行にも行くし、その後は他の国にワーホリにも行く。そう思ったら、なるべく多くのお金も稼ぎたい。
でも、新しい仕事を見つけるとなると、自分の能力に自信がまるでないことに気づく。
ケアンズでの仕事はローカルだったとは言え、わたしがやっていたのは主に日本人相手の接客で、日本人のマネージャーもいるところでした。
だからまるまるローカルのところに行くとなると、やっぱり怖いです。勤まるんだろうかと、不安しか感じません。
お金を稼ぐだけなら、日本でだってできます。帰ってしまおうかなとすら思いました。
そんなストレスをひどく感じながら、シドニー空港を歩いていたのですが、空港って不思議な場所ですね。
まあそんなこと言ってても仕方ないし、なんとかなるだろう、って思えるんです。
新しいところに出発するということは、新しいスタートであり、やっぱりわたしにとってはワクワクする、ポジティブなことなんだろうと思います。
風花ちゃんだって、ローカルのレストランで働いてたんだから、きっとわたしにもできるはず。
勉強だってしていけばいいし、そうやって成長していくしかないんでしょうね。
新しい経験を求めてやってきたわけだから、挑戦していかなくては。
それでも3週間経っても仕事が見つからなければ、そのときはお金も時間も無駄なので帰ろうと思いますが笑
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11yrk22 · 5 years
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自分が何したか絶対分かってないのに、ごめんって言われるのに腹が立っているんだと思います。
どうしたのって言われたから、わたしが感じてたことを言いました。そしたら、なんて言ったらいいか分からないけど(とりあえず)ごめんって、それじゃあわたしが勝手に怒ってるみたいじゃないですか。
自分が言ったことも勿論覚えてないんだろうから、約束破った自覚もなくて、それなのにそんな気持ちにさせたならごめんって、何にも分かってないくせに、向こうが被害者みたい。わたしが悪いことしたみたい。
だから納得いかないし、謝られたところで変な罪悪感を感じてもやもやします。
どうしてそこを話し合おうとしないんだろう。分からないなら分からないで、ちゃんと聞けばいいのに。それをしないでテキトーに謝るって、人間関係において怠慢だと思います。
謝られたら許さなくちゃいけないとは思っていないから、わたしはそんな謝罪は受け取りません。
自分から聞いておいて、自分から話し合いの機会をなくすなんて。すごく上から話しているみたいで、それもすごく嫌なのですが、それでもやっぱりそう思ってしまいます。
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11yrk22 · 5 years
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みんながノートにメッセージ書いてくれました。
渡したらうーーーん???って困ってる人もいたんですけど、それでも書いてもらってよかったなと思っています。
だって誰のことも忘れたくないもの。
そして関わった時間は短かったけれど、わたしも書く!って言ってくれた子、Lucyとか、とても嬉しいかったです。素敵な子です。ああいう子になりたいなって思える存在が多いって、素敵なことだと思います。
メッセージの中に、いろんな人がnever stop being youとかstay the way you areとか書いてくれるのが、とても嬉しい。
ああ、色んな人のことを羨んで、ああなりたいこうなりたい、こんなわたしは嫌だとずっと思っていた時期があって、それでも今はわたしのありのままを受け止めてくれて、それでいいんだって言ってくれる人がいることが、とてつもなく幸せなことだと感じます。
そしてそれを素直に喜べる、だんだんと自分のことを認められるようになってきたことも、わたしはわたしに対してすごく嬉しい。
ポジティブに生き続けることは難しいし、常にハッピーになんて不可能だけれど、やっぱりこうやって感じたことをゼロになんてしてはいけないなと思います。
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11yrk22 · 5 years
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自分の嫌なところを、例えばKahliaはすごく褒めてくれたり、その反対でKhaliaが自分の嫌いなところを、わたしはすごく好きだったり、価値観の違いと言えるのかは分からないけれど、そういう違いって世界を何倍にも素敵にすると思います。
外国に来て自分のことを認められるようになったのは、その差があったからで、自分が嫌だ嫌だと思っていたところを、他の人が全否定したりあっさり褒めてくれたり、そうこうしているうちに、わたしはこれでいいんじゃないかと思えるようになってきました。だって、他の人が自分のここが嫌だと言っていたって、わたしには気にならないし、それどころか長所に見えたりもする。だから、わたしのここが嫌だって言っているのも、他の人にとったら同じなんでしょう。
何より、わたしは誰にもなれないのです。
これが好きだと言ってくれる人は確かにいると分かってから、わたしはわたしのままでいいと思えるようになってきました。
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11yrk22 · 5 years
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猫のようになりたいとずっと思っています。
自分のやりたいようにやりたいことをして、そこに誰か他の意思なんて関係ない。それでも愛されるんだから、本当にずるい。わたしたちが猫はそういうものと分かっているからなんでしょう。
わたしも他の人のことなんか気にせず、やりたいことをやって、伝えたいことを伝えて、そうしたほうがもっと毎日自分らしくいられるんじゃないかと思います。
そして、仕事をやめてこっちにきてから、わりかしそんな感じで生きれるようになってきたんじゃないかと思います。
でもそうしていて気づいたことは、そうやって生きる以上、他の人にあれこれ期待してはいけないということです。
自分はやりたいことをやっているんだから、他の人にもそうする自由がある。わたしはそれを分かって、尊重しなくてはいけない。
というより、そんなに気にしなくていい。
あの人はあれがやりたいんだ、やりたくないんだろう。そうか。それでおしまい。
自分にも他人にもプレッシャーをかけない生き方を、これからはしていきたいなと、わたしが思う猫になりたいってそういうことなのかなと思っています。
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