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機会費用と愛について
人はレストランに入ってパスタを食べるとき、快と不快の感情があるらしい。快が美味しいパスタを食べられる幸せな気持ち、不快がお金を支払うこと。 私たちは快と不快を比べて差し引いたとき、快の方が大きいから、レストランに入る選択をする。 彼氏と彼女の関係で考えると、彼女が彼氏に突然呼び出され、時給1,000円のバイト3時間を休んで、電車賃を往復800円かけて向かって、喫茶店で600円のコーヒーを飲んだとすると4,400円が彼氏と会う機会費用だ。彼氏の価値はその日、4,400円より大きかったということだ。 しかし、彼女は彼氏にドタキャンされて、彼女は4,400円の機会費用を無駄にしたとする。彼女は当たり前に激怒する。彼氏はどうしようもない理由があったにせよ、謝り倒して次のデートにお詫びの印として、2万円のイヤリングをプレゼントする。彼女は少しまだ怒っているが、2万円のイヤリングを大切にする。売って、マイナスの収支4,400円を黒字にさせたりしない。 なぜかと言うと、彼氏のことが好きだからだ。 彼女はイヤリングをもらって嬉しい。彼氏が居酒屋のバイトで夜中まで駆け回って稼いだお金でプレゼントを買ってくれた。2万円あれば、飲み会��2回はいけるだろうし、小旅行もできるし、趣味のギターのために貯金しておくこともできる。 彼氏は色々な使い道の中から彼女を優先して、家から離れたジュエリーショップまで電車に乗って、恥ずかしい思いをしながらイヤリングを選んだ。 彼女は2万円だから嬉しいのでなく、2万円にかかっている見えない労力と時間と気持ちが嬉しいのだ。 何週間か前に別れた彼には、これが無かったように思う。百円でもいい。大事にしていたけど割ってしまったグラスと、全く同じものを探してプレゼントしてくれたら、とても嬉しいだろう。割ってしまって落ち込んでることを知って、励まそうとしてくれる気持ちが愛だと思う。 彼は、誕生日だから高価なプレゼントを贈る。贈らなければいけないから、ネットで検索して女子ウケの良いランキング1位の品物を選ぶ。レストランも予約する。ケーキもコースに入れる。誕生日と言えば苺のショートケーキだ。夜はレストランの近くで、いつもより少しお高めのラブホテルを。 彼はアマゾンで即注文したプレゼントとレストランとホテルを用意して、自分のプランは完璧だと満足する。 うちは、ショートケーキの生クリームが苦手だ。 あまり食べられないけど、無理して食べる。オエッと喉の奥から吐き出しそうになるのを抑えて、美味しい、ありがとうと言う。 窓から東京タワーが見たかったな、宝石みたいにキラキラして小さい光が集まった街をガラス越しに眺めたかったな、古い旅館で黒々した海を見るのもいいな、と隣にいるのは誰なのか顔が分からないいつかの想像をして、窓の無いベッドで足を上げる。早く終わればいいのに、とシーツを掴む。 積み重ねているのに気持ちが深まっていかない今と、膨らんでは萎んでをを繰り返しながら順調に愛着のような執着を肥やしていく彼に疲れた。 彼の中でうちは、いつでも奢って欲しい傲慢の女、わがままを聞き入れてほしい歳下の女、として保存され関係は終わった。 言いたいのはそういうことじゃなかった。 優しくしたかった、労わりたかった、助けたかった、優しくされたかった。 「今度付き合いを続ける場合はお互いを尊重しよう」の一点張りで、思っていることを聞いてはくれない彼に、今までに無い不信感を感じて、一刻も早く離れたくなった。数ヶ月話をしても、全然伝わらない、人と人との距離が遠いこと遠いこと、受け取り方の違い、育ってきた環境の違い、男と女の違いを思い知って途方に暮れた。 再起不能にさせるくらい酷いことを言って欠点を知らしめる快と、付き合っている時間が伸びる不快。 恨まれて殴られるかもしれない危険性の不快。 不快に比べると快が取るに足らなくて、快を捨て不快を解消した。 「置いてある俺のパジャマはまだ新しいし、捨てるにはあれだから売ってしまっていいよ」の言葉。 言われなくても、捨てるから。 最後の最後に、ユニクロで買ったスウェットに頭が回る、こういうところが嫌だった。 ぐちゃぐちゃに切り刻まされた、最後の1個の鯵フライが感触悪く口に残っている。 機会費用なんて発想が思いつかないくらい、無償な存在の人に出会いたいものだ。
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記憶しておきたいこと
31日の午後、幼なじみに会った。 30分遅刻してくるところとコーヒーに砂糖を2.3杯入れるところは変わっていなかった。 天王寺の純喫茶は中年のおじさん達の淀んだ空気と、薄暗い店内に暇そうな店員で今が昼なのか夜なのか分からなかった。 幼なじみは「駅前やったらなんでも色々あるのに、なんでここやねん」と笑った。「MIOの中とか?女子が好きなそうな?」と聞くと「そうそう」とまた笑った。場所を変えるか聞いたらここでいいと言うので、ワッフルを頼んだ。抹茶アイスや緑の寒天、小豆に白玉がバラエティー豊かにこれでもかと乗せられていて、ナイフとフォークで刺したり切ったりしながら食べた。幼なじみとは数え切れないくらい何度も食事をしているのに、毎回変な緊張をする。 幼なじみがナポリタンを食べ終わった後、手持ち無沙汰になってこちらを見て話す回数が増えると、食べるタイミングを失って食欲もストップした。 添えられていたさくらんぼは、種を出すときどうすればいいのか分からないから手を付けなかった。 幼なじみは「もういらんの?もらうで」と言って実を口に入れて手の平に種を出してお皿に置いた。 生クリームでぐちゃぐちゃのワッフルを見て、「それもいらんのやったらもらうけど」と言う。 「ぐちゃぐちゃやから止めときなよ」と答えると、「あんま気にせんで」と食べようとした。食べ残しを食べさせるのは気が引けて、止めときなよともう一度言ってテーブルの隅に下げた。 その後、外を歩いて色んな話をした。19階の展望台で町を見下ろして、あそこの公園は近鉄が大阪市から土地を借りてホームレスを追い出して私利私欲のために作った商業施設のような公園だと幼なじみは言った。幼なじみは今、人間の私利私欲を嫌っている時期で、何かにつけて悪態を付いた。それが面白く、私利私欲の公園に行ってみたいと言った。 もっと上まで展望台は上れるけどいいかと聞かれたから、ここでも充分楽しいからいいと答えた。 幼なじみもここでも楽しいと言った。 公園は人が集まり賑やかで、のどかな空気が流れていた。天王寺動物園の裏には池があって、赤い橋がかかっていた。 屋根付きのベンチがあって、そこから見える赤い橋と水面を泳ぐ鴨は風情があった。 ベンチに座ると恋仲の男女になってしまう気がして、コンクリートの柵に腰をかけた。赤い橋には背を向けて話した。 家族の話、恋愛の話、仕事の話、将来の話、醜い心の話、欲望の話、寂しい気持ちの話、本の話、会話は止まらず時間は刻々と過ぎた。幼なじみと話していて、自分は最近目的を見失ってることに気が付いた。仕事で一番になりたい理由は、ただ認められたいからで、そこにそれ以上の理由は無かった。 「めっちゃ勝ちたくて、周り蹴落としてでも勝ちたくて、どんな手段使っても勝ちたいねん。でもなんでなんか分からんねん」と大きな声で言うと、「認められたいんちゃん」と当たり前の回答が返ってきた。「なんでうち認められたいん?」と聞くと、「俺の場合はすごいって思われたいから」と言うので一緒やわと言った。「ほんで2位やったらどうすんのって話で、認められたいんはなんか寂しいからなんちゃん」と言われて、その通りだと思った。 「認められたくて頑張って認められんくて、社会の役に立ちたいとかより、また認められたい気持ちが出てきたらどうしたらいい?」と質問すると、「知らん。おお来た来たまたこの認められたい気持ちって思ってたらいいんじ���ない」と笑った。 しばらく会わない間に幼なじみは物事を深く考えられるようになっていて、昔の突拍子の無さや幼さは無くなっていた。欲しいものを手に入れるために必死にもがいたことのある人の言葉だった。 去年より器が大きく強く優しくあろうとしているのが分かって、いつまで経っても幼なじみには敵わない。 1年の最後、最終日に立ち止まって振り返る時間と発想をもらえて良かった。お正月の休みを使って、今一度自分がどうなりたいのか考えてみようと思う。
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金町とルノワール展
ほとんど知らない町に二時間かけて行って、二時間かけて帰ってきた。電車の中では何も考えずぼーっとしてた。 バスの中にはお祭りに向かう途中のカップルがニコニコしながら座っていて可愛かった。三つ編みを丸く束ねてアップした髪も、ピンクの簪も、ただの黒ピンも全てが完璧に可愛かった。一人の男の子に恋する女の子はしみったれた感じが無くて無敵だと思う。 帰りに寄った美術館は久しぶりに胸がときめいた。美人とは言えない黒いドレスを着た中年女性が少し戸惑った表情でモデルになっている絵は、時間がそこで止まっているようにリアルだった。何百年前そこに人が本当に立っていて、絨毯や椅子まで息をしてるように感じられた。 当時の生活感を想像しだすと、しばらくその絵から離れられなかった。 廃墟の写真を見たときと同じ感覚。その場所が一番栄えていて生きていた映像が、瞬間的に頭に浮かぶ。 芸術はとても尊いと思う。出来れば年がら年中、絵を見て本を読んで音楽を聴いていたい。自分の知らない世界の温度や表情や色が真空パックされて誰でも触れられるようになってるんだから。 凡人が文字を書く意味なんて今まで分からなかったし、文字を書きたい欲求の理由も分からなかったけど、これからは一週間に一回でもきちんと言葉を選んで記したい。一生誰の目に触れなくても。 今日は色んな感情が湧いてきて、一人で過ごすにはもったいないくらい充実した土曜日だった。
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最近のこと
心身共に健康になってきた。お母さんは更生して自分の過ちを認めるようになって、随分話しやすくなった。二年前とは別人のようだ。人って変われるんだな、と思う。お母さんが変わってから、家族の中に自分の居場所ができてきて、底無しの寂しさは埋まりつつある。一番身近な家族のことを大好きだと思える心の状態は気持ちがいい。安心感がある。同時に、自分の気持ちを押し殺して我慢してきた今までは、愛情も感じられなくて寂しかったなーと戻らない時間を考えたりもする。お母さんとの関係が良くなったことの他に、松本さんの存在が大きい。いつも元気で健康で、自己中心的なところはあるけど嘘は付かない正直な人。半年経った今も、たまに会えると楽しみで浮かれる。自分へのご褒美みたいな感覚で松本さんとは会っている。自分のそばから簡単に居なくならない、っていう確信、信頼は毎日を楽しくさせる。寂しすぎて適当な人と寝て家族との連絡もシャットアウトしてた頃を思い出すと痛々しい。もうあの頃には戻りたくない。 一年後のこと、二年後のことは分からないけど、今の幸せがずっと続けばいいな。
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恵まれたおじさんが言った「変化を楽しみましょう」
毎日成長することってそんなに大事なんだろうか。新しい事業、豊かな暮らし、効率化、医療の発達。もっと早く、もっと便利に、もっと近くに。どこに行ってもよく聞く言葉で聞き飽きた。人間は気持ち悪い。欲に応えるように社会は動いている。便利な世の中が素晴らしいと決めて疑わない。iPS細胞で体を再生して120歳まで生きられるようになると言う。脳もICチップでクラウドに保存できるようになるとか。そこまでして得たいものはなんなのだろうか。恵まれた人間が考えることは面白くない。命の期限があるから必死になるし、理不尽な出来事にも耐えられる。突然ルールを変えないでくれ。日本の人口が減少しているから海外に労働力を買いに行く。人身売買と変わりがない。労働力労働力って工場で働く辛さをお前は知っているのか。つまらない仕事の繰り返しを汗水垂らして来る日も来る日も何年間も続けたことがあるのか。稼ぐために単純作業を強いられて。寿命ばっか伸びて、ろくでもない人間が増える。時間が経てば、できることが増えるのは当たり前で、それを成長なんて言葉で高尚にして。流れるままなんとなく、長所も短所も頑張ったことも生かせる能力も考えずに生きてはだめですか。自分がいることで周りにいる誰かが幸せになるならそれでいい。変わり続けることが良いことだとは思えない。寒い寒い冬の日に、壊れたトースターの中から出てきたムカデを叩き、ストーブの上で焼いた食パン。マッチが無いと火が付かなかった。いきいきとした記憶に残っているのは、不便な毎日ばかりだ。
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無駄 無駄 無駄
今は好きでいてくれてるけど、ずっと好きでいてくれるか分からない。優しさが死ぬまで持続することってあるのかな。ずっと愛される魅力が自分にあると思えない。結婚する一人以外は、恋人っていうひとくくりにまとめられる。この人とはずっと一緒に居れるって思ったけど、そんなのただの運命だって信じたい思い込みかもしれない。先のことを考えると、自分の一挙一動、相手の一挙一動が細かく気になる。こんなこと言ったら傷付けるかな、喜ぶかな、って。今だけを考えると力が抜けて楽に楽しめる。恋人だった人として甘酸っぱい思い出として年をとった頃に思い出す。夫も子どもも出かけているリビングで、一人ホワイトデーの日に一年に一度ぼうっと振り返ったりして。人との出会いで人生は豊かになるって言うけど、もう恋人はいらない。何人も本気で付き合って、その度にその人の影が残るのは耐えられない。今でさえ、別れてなんかないのに、会う度に増えていく二人で行った場所がいつか「思い出」っていう記憶に集約されて過去になるのが怖い。買ってもらった筆箱もチョコレートの缶もラインのスタンプも、別れたら見たくないものになる。今まで、短絡的な付き合いしかしたことがないから、誰かに自分が埋められていく感覚が新鮮で苦しい。相手が突然「もうお前はごめんだ」って言ったら、ここにある物たちは行き場がなくなって存在だけ示してくる。初めてで、相手は一人で、時間と空間に押し潰されそうになってくる。みんなはどうやって処理してるんだろう。付き合うのは三人目とか、あっぷあっぷしないのかな。窒息しそう。窒息しないために人間の頭には忘れるっていう機能があるのか。楽になりたい。未来を見なかったら、細かいことも許せて楽になれる。手軽に手に入る恋愛とも言えない寂しい者同士の寄り添いは楽だった。何を思われようが明日には切ることだってできて縛られない。自分がこの人だって決めた人なら、自信をもって愛し続けるべきなんだろうけど、自分で自分の首を締めてるようで。「好き」っていう感情と本能で突っ走ってた頃が懐かしい。今好きなことに違いはなくて、大好きなんだけど、このままでいいのか不安になる。力入りすぎだって言われて力を抜いても根本的な気持ちは変わらないから、流れに身を任せるしかない。答えは出ないし無駄だなぁ。大半を無駄に使って、これから先どうなるんだか。
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素面
彼氏ができたけど、彼氏っていう役割にその人がなっただけで、距離は全然近くないことにふっと気付く。素面に戻ったみたいに。好きなのは嘘じゃなくて、本当なのだけど、行き場の無い愛情を注ぐ対象を探していてたまたま当てはまったように感じる。愛情を注いだら、注いだ分だけ返してくれる人が欲しかった。連絡をとっているとき、話しているとき、自分が言うべき言葉、求められている言葉、欲しがられている行動がある気がして、相手の反応を見て答え合わせをしてる。何を言ったら相手は喜び、明日がんばれるようになるのか、そればかり考えてる。幼なじみに、「付き合ったばっかりなのに会えない!辛い!」「返信がスタンプ1個でムカつく!」「会ってないときのフォローが足りない!」って、愚痴を喚き散らして不幸だ不幸だって嘆いてる自分は、まさしくも自分だ。何を言っても離れていかないのが分かっていて、横柄で可愛気がなくても笑って許してくれるから自由になれる。どっちが特別な存在なのかって考えたら、どっちもなんだけど、違う。チョコレートだって、そのまま裸で出しても売れないから、箱に入れてラッピングをしてリボンをかけないといけない。人間で言う、肩書きと服と少しの媚びかな。何もしないで好かれたいとか、図々しいことは思えないけど、何もしないで好いてくれる人がいるならありがたいことだ。10年以上友達で、好きな人で、高校受験も大学受験も一緒に頑張って、特別な人。今から10年たって、今の彼氏と言われる人がまだそばにいたら、その人は特別になってるのかな。幼なじみに見せない、彼氏にだけに見せる自分もあるのかもしれないけど作ってるって外から見て思う。3、4回会って話して意気投合したから付き合いましょうって面白いよな。何年意気投合したって付き合わない人もいるし。恋愛関係になると、すぐ自分で自分を操縦するのをやめてしまう。頑張って、相手の理想になろうとしてしまう。たぶん、今の人は互いに高め合って成長する関係を目指してる。なーなーなのはいやで、何かしら変化を欲しがってる。うちは変わりたくなくて、会ってる間はだらだらしてたい。頑張るならどうぞご勝手にと思う。里奈ちゃんが頑張ってるから勉強サボるのが申し訳なくなったって言われて、うちが頑張ってようが怠けようがそれぞれ居場所も目標も違うんだから好きにやればいいと思った。里奈ちゃんもだらけてるし、今日はもうゆっくりしちゃおうって言われる方がいい。頑張る、頑張らないって、自分で決めることだし、頑張ってるなら普通に応援するし、頑張ってないならそれはそういう時期なんだろう。うちに変えて欲しいって思ってる端々が見えるとげんなりする。自信をもって立ってろよって。誰に好かれようが嫌われようがどうでもいいって振る舞ってる人が好きだ。自分にはそれができないから。会いたい���ど、どうして会いたいんだろうな。いつか、愛情を投げても返ってこなくなる日が来るんだろうな。自己愛の塊のうちには酷だろうな。年齢も大学名も住んでる場所もいらない。何も無い空っぽの中に入ってきて掬ってくれる人がいたら。彼氏がいたって孤独だよ。孤独のままでいいけど。
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夏になったら足立の花火を見に行こうとか、予約が1年待ちだけど美味しいタンを食べようとか、スノボの滑り方教えてあげるとか、ムーミンの映画も見に行こうって目をキラキラさせて喋るその人を見ながら実現することはないんだろうなって分かってても、うんうんって笑って頷くのが幸せだった。間を埋めるために言ってるのか、広がっていく空想なのか、本当に実現したくて出てきた言葉なのかうちには分からない。裸になって、その人の叶わなかった初恋の話、小さい頃怒られて押し入れに隠れたら幽霊が見えた話、お父さんとお母さんのセックスを見てしまった話、真っ暗の中聞いてると、その人の軌跡がシーンになって見えてくるみたいだった。可愛くて、照れ屋で、もじもじしてる子どもが少年になって青年になって今こうしてる。夜中に、太っちゃうねーって言いながら食べるじゃがりことポテチは背徳感があっておいしかった。二人だとなお。どうして男の人が好きなんだろうって考えたら、色んな顔を見るのが好きなんだって気付いた。幼さとか強さとか汚れてしまったところとか。なんでお金で女の人を買わないの?って聞いたら、レンタル彼氏したいと思う?って聞かれて腑に落ちた。ストップウォッチで計られて、時間が来たら終わりですって冷たくされるのはいやだよってその人は言った。営業だったんだって悟る瞬間を見たくないって。人間の心に触れた気がした。ずっと謎だった、同じ人と同じセックスを何回もして飽きないのかもその人の話で腑に落ちた。好きだし気持ちいから飽きないよって笑ってた。単純なことだった。いつ突き落とされるのか、信用ならない非道な人と初めて付き合ってから、恋愛は一つの復讐でもあったから。自分が思ってるより男の人は傷付きやすくて、大切にされたがってるのかもしれない。里奈はのほほんとした顔してるねって言われて、その人にはそう見えてて嬉しかった。コンプレックスのつり目がましなものに思えた。綺麗に整った顔が耳元に来て何回も繰り返す「裏切らないで大切してずっと一緒にいて」は小さい子どもの悲しい嘆きに聞こえた。相手はうちじゃなくてもよくて、たまたまうちだったんだろうけど、かわいそうだった。裏切ることになる日を想像したら胸が痛んだ。自分には幸せにできないからいつか、別の誰かと幸せになって欲しい。そう思うこともエゴで自分勝手だとしたら何も始めない方がいいんだろうな。
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眠れない夜に眠れないって言える人はおらず痛いのか空いてるのか分からないお腹を守って胎児のように時間がたつのを待つ。電話帳をスクロールしてみたら知ってるだけで何も知らない人ばかりだった。Facebookに、高校のとき不登校になった友達が趣味の舞台を見に行った写真をあげてて、楽しそうにしてるみたいでよかった。高校のときは不登校ってだけでお先真っ暗に見られるけど、時間がたって元気に大学に通えるようになれば問題のない過去になる。はぁ、全然眠気が来ない。もう諦めてうどんでも作って食べるか。
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昨日の夜は心細くて死にそうだったのに朝が来て街が動きだしたら昨日の憂鬱が嘘みたいに消えた。本を読むのもテレビを見るのも連絡を返すのも気分じゃなくて何もしたくないけど人と居たかった。でも、ぐっと堪えて眠たくなくても目を瞑って布団に潜っていたらいつの間にか寝てた。寂しさ耐性みたいなものが年々弱くなってる気がする。大人なのに。インターン先に休む電話を入れたら「はいは~い。分かりました了解です!月曜会いましょう」て言われた。あっさりしていて、自分は居なくても何も問題ないんだなって思うのと同時に気が楽だった。一つの集団、一人の人と折り合いを付けて上手くやっていくのはめんどくさくて疲れる。いやなところが目についてきて、どこまで我慢すればいいのか分からなくなる。完璧な人はいないって分かっているけど、でも逆に不足や欠点が好きだなって思う人もいる。完璧じゃないから距離を置きたくなるわけじゃなくて、ずる賢さとか要領の良さを見るとウッとなるんだろうな。人の考えてることの裏がちらついて見えて、本質みたいなものを何気ない言葉から感じてしまうと残念な気持ちになる。時間をかけて仲良くならないと分からないから仕方ないのかな。それとも見る目がないのかな。見極めるのに時間がかかるのか。早く、びびっと、自分に合う合わないが分かればいいのに。失望したって、自分も誰かに呆れられて失望されてるだろうから贅沢は言えない。自信を持って好きだって、尊敬してるって言える人は一人いるから、大丈夫。そろそろ行動しよ。よし。
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お母さんから送られてた段ボールに、洋服と食べ物とエチケットブラシが入ってた。和柄の可愛い手紙には、「あたたかくして風邪を引かないようにね。直樹にも分けてあげてね」って書いてあった。独り言で「コートに細かい埃がつく」って言ったのもお母さんは覚えてくれてた。梅干しが欲しいっていうのも、美味しい紅茶が飲みたいっていうのも。今まで、荷物が届いたら中身も開けずに届いたことだけを連絡してた。お母さんがどんな思いで詰めて送ってるか考えてなかった。送ってもらって当然だとも思ってた。最低な娘だ。家族は居て当たり前、自分に尽くして当たり前って思ってたときの態度ときたら何様だったんだろう。お正月前、終電で帰ってきた日、夜中にみんなでUFOを分けて食べた時間、どうしてか分からないけど幸せで涙がでそうになった。今のままじゃだめで、壊れないように大事に守っていかなきゃだめだって思った。お母さんはずっと専業主婦で、自分と弟に全てを捧げてきた。そんな生き方をつまらない人生だって哀れんで、心の中で馬鹿にしたこともあった。「お正月もお母さんはご飯用意したりしてだらだらできないし、女ってだけでハードモードだね」って言ったら、「子どもをお腹痛めて生めるのは女だけで、お父さんとはまた違うのよ」ってお母さんははっきり言った。生んだことを後悔されてなくて安心した。自由にさせてくれるお父さんが好きだ、束縛してくるお母さんは嫌いだって決め込んでた自分がちっちゃい人間に思えた。どれだけ非道いことを言ってぞんざいに扱ってもお母さんの愛は変わらない。うちの見えないところで多分泣いていたと思う。毎日家でご飯作って掃除して洗濯して、いつも変わらず「おかえり」って言う。同じことを���り返すのは辛い。お母さんは家族のためでこれがお母さんの仕事だからって言うんだろうけど、今の自分にはできそうにない。時間をかけて作った料理は数十分でなくなって汚れた皿だけが残る。その皿を洗って棚にしまって、また次の日が来たら出して使う。作っては消え、作っては消え、だ。生産性がなくて労力だけはかかる。愛がなかったらできない。お母さんをするのは大変な仕事だ。気付くのが遅すぎた。お母さんの偉大さと強さを知ってから、いつか自分もお母さんになりたいと思うようになった。まだずっと先だけど。安心してみんなが帰って来れる場所を作れたらいいな。 悲しませてしまった3年間を取り返してこれから幸せにしてあげたい。口で言うのは簡単だから、ちゃんとしよう。お母さんにとっていつまでも頼れる可愛い娘でいたい。
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そんなに仲がいいわけじゃない子と外で煙草吸ってるとき「お前は一人でいるタイプじゃない」って言われてうちの何を知ってるんだってムッとしたけど言われた通り一人でいるのに耐えられない。やらないといけないことはたくさんあるけど。誰かと一緒にいるのは疲れるから進んで一人になるのに一人になると寂しい。生き地獄みたいな夜を無くしたい。
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座ってたら、隣にいたお姉さんに話しかけられてたくさん質問された。「どうしてここにいるの?」「どうして上京してきたの?」「どうして大学に入ったの?」「どうして文学部なの?」「どうして本が好きなの?」どうしてなんだろうなあ。レールの上を歩いていたらここにいるんだよなあ。何一つ自分だけの考えで選択したものはなかった。お姉さんは看護師で、どうしてか分からないけどうちを気に入ったみたいで和歌山から帰ってきたら遊ぼうって言った。連絡先を聞かれて教えない理由もなかったから教えた。体も心も冷えきっていたから、お姉さんの笑顔と話に少し救われた。バス乗れなくて良かったかもな。
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泣いても体の水に底がないのか止まらない。心臓を抑えたくなるから心は頭じゃなくって心臓にあるんだな、とか冷静になってみても涙は勝手にでてくる。きょうぴーのお父さんが今日癌だって分かってどういう言葉をかけたらいいのか分からなくて一緒に泣くだけだった。うちのおじいちゃんが死んだとき、3週間後におばあちゃんが死んだとき、きょうぴーのおじいちゃんが死んだとき、先輩が自殺したとき、きょうぴーがいじめられたとき、うちが激痩せしたとき、いつも二人で死にたい死にたい言いながら現実を受け入れてきた。でも今回はあまりにも近くてどう受け入れて乗り越えていけばいいのか分からない。小さい時から家族みたいにきょうぴーの家でご飯を食べて、お父さんもお母さんも大好きだ。死なないで欲しい。大学卒業する頃にはいないかも、とかやめて欲しい。生きて欲しい。遺影なんて見たくない。ぼうっとした頭で夜行バス乗り場に行って、乗車券を忘れてバスに乗れなかった。馬鹿だなあ。頭悪いなあ。コンビニを探してふらふら歩いて躓いてこけて、膝から血が出てる。イルミネーションはやけに綺麗で、歩いている人は幸せそうで、ぜんぶぜんぶなくなればいいのに。地べたに座って人を見ているといよいよ底辺って感じがする。明日の朝まで。始発がでるまで。指がかじかんできた。泣きつかれて眠い。
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突きぬけられない
約束がなくなった夕方、せっかくだからいつもと違ったことがしたいと思ったけどこれといって特に浮かばなかった。一人でレイトショーを観るのもなんとなく気が引けて、別の誰かを誘うのも失礼な気がしてできなくて結局いつものこの街でいつも通りの過ごし方をした。駅までの明るい商店街をのろのろ歩いてコルティーで立ち読み。血液型占いが意外と当たってたのと石原さとみの可愛さには目が離せないのと流行りの雌ガールとはなんなのかについてふむふむして三省堂を出た。ロフトでスケジュール帳を買うつもりだったけどピンとくるものはなかった。一年間使うとなると、良さげなものがあってもこれで本当にいいのか?って自問自答を繰り返してこれじゃなくてもいいかなっていう結論になる。金色の、目がチカチカするスケジュール帳があって、(毎日クラブとか行ってそうなの)一瞬血迷って買おうとしたけどやめた。柄じゃない。ロフトをでてから文教堂とGEOに行って、また立ち読みとDVD物色。下北沢についての雑誌に、ショートフィルムを見れる映画館が載ってて今から行こう!となったけど調べたら上映時間を過ぎててだめだった。グレムリン、愛のむきだし、BUNGOを借りて帰り道に直行。商店街の、こじんまりとした古本屋で絵本をぱらぱら捲って、イタリア語で書かれてるから読めなかった。本当にイタリア語なのかもわからない。最果タヒの『空が分裂する』を100円だと思ってレジに持っていったら700円でびっくりした。他の2冊合わせて1100円で焦ってお財布の中確認した。足りた。そのあとマイバスケットで映画の友のカマンベールチーズを買って帰宅。三時間の一人遊びだった。おしゃれしてたから、一人でぶっ飛んだことをしたかったけど今日も新たな開拓はできずに終了した。何を起こしても大丈夫な休日にぶっ飛べないんだから、人生でぶっ飛べるはずがない。日常からはみ出るのは怖いし。大学を途中でやめたり、思い立って世界一周放浪の旅にでてる人はすごい。転職する人もすごい。お父さんの友達に、ニューヨークに遊びに行ったら変なダンスにはまって帰ってこなくなった人がいた。その人を連れ戻しに行った友達も、絵を勉強したくなって帰ってこなくなった。そんな、人生を変える機会がそこらへんに転がってると思うとちょっと無理をして遠くに行ってみたくなる。時々無性に踏み外したくなって、今日も安寧としていた。3本の映画と3冊の本に満足��てる。それなりにいい一日だったと思う。
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