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プルースト効果
秋の匂いがする。カラッと晴れた日が増えて、もうすぐ冬が来そうな風も吹く。「こんな香りがする日にあのライブに行ったな」「この匂い、あの曲を聴いていた時に感じたことあるな」と、思い出す。香り、匂いによって思い出や感情が蘇ることを、プルースト効果と言う。 ヒトリエと過ごした期間が「青春」と呼ばれる時期で、まだ記憶が鮮明なため、匂い一つで全てが蘇る。 あの湿度が高くて苦しいくらいの暑さ特有の匂いを感じた時にはロッキン、ムロフェスなどが蘇ったり、暑い外から建物の中に入ってひんやりとしたタバコが混じった冷房の匂いはライブハウスを思い出す。冬のツンとした空気の中にある太陽の匂いを嗅ぐと、遠征中に開場まで「寒いね」って言いながらたくさん歩いたあの日を思い出す。季節が変わる空気を感じると、次のツアーはどこに行こうかなと考えていた日々を思い出す。 引き出しが勝手に開けられて溢れてくる。忘れようと、いくら努めても、胸が苦しくなるくらいの好きが溢れてくる。プルースト効果は怖い。好きだったことを、ふと思い出してしまうことが怖い。 もう何処にもぶつけることができない「好き」なんか、抱えててもただの重い��物で、そんなの捨てちゃった方が、きっといくらか楽で。そうしたくて、心の箪笥の奥の奥に押し込んで、いつか消えますようにって願うような日々を過ごしていた。そうすれば、他の人と同じように、生きることができた。 匂い一つ、場所一つ、音一つ、写真一つ、単語一つ。それだけで、勝手に引き出しが開いて、好きだった日々のこと、気持ち、想い、全部が溢れてくる。結局まだ全然、あの日から進めていないんだって、思う。 みんなもう忘れつつあって。あの日、「ご冥福をお祈りします」と言った人の何割が、今日この日も「wowaka」のことを思い出しているのだろうか。毎月5日には命日から何ヶ月だ、って悲しくなって、苦しくなって、涙が止まらなくなっているんだろう。きっと、ほとんどもう忘れてる。 いいな、忘れちゃいたいな、私も。リーダーが、ヒトリエが好きだったことなんか忘れて、新しい場所で新しくできた好きな人に「好き!」って手放しで言いたいな。そんなこと、まだできないなあ。 . 亡くなった仲間を弔ったり悼んだりするのは人間だけだと言う。他の動物は仲間が亡くなったことは理解するが、埋葬したり儀式を行ったりはしないそうだ。そして、そのまま忘れていく。 先日牧場のウサギ小屋で赤ちゃんが産み捨てられていて、そのまま亡くなっていたのを目撃した。他のウサギは無情にもその亡骸を踏んで歩くこともあり、「生」とは、「死」とはなんなんだろう、と思った。 人間だけなのか、死んだ同じ種族に対してこんなに向き合うのは。と思ったのだが、人間だって、ずっとその場に立ち止まっているわけではない。ずっと悲しんでいる人間なんかいない。各々見切りをつけて、忘れて、自分の幸せとやらを探して生きていく。それは物理的に亡骸を踏んでいないにしろ、心理的には踏み潰して進んでいくようで。 なんだ、他の動物と同じじゃないか。結局のところ、他人の死なんか、長い人生の一コマでしかないのだな、と思う。このまま生きていくはずの、自分も含めて。 今も私は辛くて苦しいけれど。でもきっと、生きていればいつしか一度もリーダーのこともヒトリエのことも思い出さない日が来て、いつしか「そんなこともあったね」なんて、言うようになるんだと思う。どうせ人間なんて、そんなものだ。そうやって神様に作られている。それなら、そうなりたくないのなら、今悲しいまま死ぬのが正解なんだろうな、と思う。 忘れるくらいなら、せめて彼らを大好きなままで自分を終わらせたいよ。 . 希死念慮は今日も元気に心の中に巣を作っていて。毎日隠して見ないふりして生きているだけで、ふとしたきっかけで顔を出す。 ある会で、自己紹介の時にヒトリエの話をした知らない人がいた。私はその人のことを会場で見たこともないし、その人は他のバンドも好きで、CDJに行くらしい。 「ヒトリエ」という単語を聞いた瞬間、首の裏はヒヤリとして、手足には汗が出て、動悸も激しくなってしまった私は、それから先の言葉が全く入って来なかった。たまたま自分の自己紹介が済んでいたから良かったものの、もし次に私の順番だったらどうなっていたかわからない。叫び出して帰ってしまいたかった。腕を引っ掻いて、大丈夫大丈夫、話していれば忘れられるはず、と自分を落ち着けて。心臓の音が、耳に直接聞こえているみたいだった。貼り付けたような笑顔でやけに饒舌になっているな、と自分で感じた。大丈夫なふりをして、その会をこなした。 一言で全てを思い出してしまった。結局帰りの電車で涙が止まらなくなり、嗚咽を上げながら帰った。1人になれる場所で、声を上げて狂ったように泣きたかった。今電車に飛び込んで仕舞えば、この感情も全部消えるって思えた。そんな勇気なんかないから、「殺してよ」と願った。 平気なフリをしているだけで、所詮付け焼き刃、虚勢なんて一瞬で消えて無くなってしまうことを実感した。この数週間、全てをシャットアウトすることで上手く生きてれていた、つもりだった。全然そんなことなかった。 3人を見ることができる赤の他人、が初めてだったのもあるのかもしれない。「この人は私とは違って、3人でも平気なんだ、応援できるんだ」と、劣等感にも似た、羨望が胸に溢れた。好きなバンドがたくさんあって、ヒトリエもその1つで、3人であってもいいと、大丈夫なあの人が、羨ましかった。 私はもう自己紹介で、「バンドが好き」とさえ言えないのに。 なんで私は3人を応援できないんだろう、ってずっとずっと思っている。リーダーも大好きだったし、3人のことももちろん大好きだったはずなのに、応援できない私が恥ずかしくて。悲しくて。できたら良かったな。できない、んだよなあ。4人じゃなきゃ、「ヒトリエ」として応援できないよ。 . 亡くなってから半年以上経って、誕生日だったはずの日が来て。リーダーは今どう思っていますか。死人に口なし、ではあるけど、私はずっと貴方がどう思っているかを考えています。 もしこの状況を嬉しく思っているなら、私は3人を応援できないことを恥じて後悔する。そうしようと思っている。だってリーダーがそう思っているなら、多分3人を応援することが正解だから。 それとも悲しく思っていますか。自分の死が利用されて、ツアーは全公演ソールドアウト、あんなに伸び悩んでいた動員も増えていると分かって、嫌だと思っていますか。どう思っているんですか。 追いかけられないことが正解ではないだろうし、追いかけることが正解とも、また言えない。 もうこうなったら、リーダーの言葉以外、全部不正解だと思うんだ、私は。 . リーダーがいなくなって、バンドを追いかけなくなったからこそ出会えた人もいる。その人のことはもちろん好きだけど、もし今もリーダーが生きていて、ヒトリエを、バンドを追いかけられていたとしたら、出会えていなくても良かったのかもしれないな、と思う。そんなの虚しいし申し訳なくて仕方がない。 なにかを、誰かを、好きだな、いいな、と思うたびに「でも急にいなくなってしまうかもしれないし」「死んだら全部終わりだし」と同時に思ってしまうんだよ。 単純に、手放しに、「好き」って言いたいんだけどな。変なストッパーなんかかけないで、「好き」を相手に伝えたいし、言いたいよ。心から好きになりたい。まだそんなこと、できない。 全部怖くなっちゃったな。年内になんとか何かを好きになれるように頑張ろうと思っていたけど、難しいなあ。消えない「好き」が苦しいや。 あと、好きだったはずの、ヒトリエで出会えた人たち。住んでいる場所が近くて、連絡も取りやすい人たちには今もなんとか会えているけど、遠方や連絡は頻繁にとっていなかった人たちとは完全に疎遠になってしまった。前者の人たちも、これからみんななんとか前に進んでいくんだろうし、「ヒトリエ」という繋がり、定期的に会える場所がない今後、もしかしたら会えなくなっていくかもしれない。 「リーダー」がいないだけ、この世界からたった1人がいなくなってしまっただけで、私のこれからの人生から何人もの人がいなくなってしまったんだなあと感じる。もう2度と会えないんだろうなと思う人が何人も何人もいる。その程度の繋がりだったんだよ、と言われたらそれまでなのかもしれないけれど、「ヒトリエ」というきっかけ一つで何度も会えて一緒に泣いて笑えてたら、それは確かな友情みたいなものだったんじゃないかな、って思う。 めそめそしていたら、親から「仕方のないことなんだよ」と言われた。「乗り越えなくちゃ」と。その通りだ。痛いほど分かってる。私が一番分かってるよ。生きるためには、リーダーの死を踏んででも、乗ってでも、越えて進まなきゃいけないんだよ。 文字通り「乗り越えて」生きるってそういうことでしょ。多分。 . 上映会にも行かなかった。DVDも予約していないし、結局手に取るのが怖くて、買えるかどうか分からない。もう買わなくてもいいんじゃないかとすら思っている。買うだけでボロボロになるなら、無理しないで自分のタイミングで買えばいいよね。 もう私は、ヒトリエの全部を知りたくて、なにもかも集めたくて、いち早く見たいような、人間ではない。 大好きだった、たくさん行ったツアーのファイナル、2本分。そんなの今見たらどうなるのか分からないし、息ができるのかすら分からない。DVDを手に入れたら、「ここにある」と思うのが怖いね。最前にいた私は、きっと何回か写っていて、笑って泣いて楽しそうなんだろうな。そんなの、羨ましすぎて狂っちゃうよ。いいなあ、幸せでしょう。 貴方の音も姿も声も全部怖くなっちゃった。ライブハウスも。それに加えてあの頃好きだったバンド、全部怖くて、今全然聴けてない。最近は全く関係のない女性アーティストとか聴いてる。できるだけ遠くにいれるように。 ギターの歌うようなアルペジオの音が怖い。ベースのうねるようなスラップの音が怖い。ドラムのリズムを刻むリムショットの音が怖い。ふと耳に入った知らないバンドの音1つで変な汗が出るような生活をまだしている。もう、バンドは新しく好きにならないんだろうなと思う。どうせ比べてしまうし、好きになる資格もないもんね。 鍵のかかる箱を買おうと思う。私がゆっくり噛み砕いて大丈夫になるまで、全部閉まって押入れに入れてしまおうと思う。心の箪笥に感情は押し込んで、物理的にもしまっちゃえ。仕方ないから、そうやって上手く生きれているふり、今日も続けよう。 . 言葉にするのが下手になった。毎週のようにライブに行って、感想をアウトプットしていたあの頃よりも密度がない日々を送り、中身のない会話ばかりしているとどんどん話すのが、言葉にするのが下手になる。別に元々上手かったわけじゃないんだけどさ、あの時の私の言葉には気持ちがたくさん乗ってて、素敵な言葉たちだったと思うんだ。 「ヒトリエが好きな私」で、「バンドが好きな私」、一生懸命で好きだったな。 ヒトリエのファンなんてさ、基本的に生きるのが下手くそで、でもなんとか生きたくて、曲やライブを支えにして、貴方たちに会うために頑張るような人たちばっかりで。ばかみたいだったけど、みんなそれでなんとか、ぎりぎり、幸せで。 ライブに行けば最高になれて、明日からはまた憂鬱だけど、次のライブまでまた頑張ろうって思えていたんだよな。素敵で、楽しい日々だったな。 写真を見返す。あの日々は本物で正解で嘘じゃなかったよな、と思い出そうとする。 私、√3ツアー本当に好きだったんだけど、もう今ではそこにリーダーもいなくて、大ちゃんもいなくなっちゃったみたいで、「いつか国道3号線のある鹿児島でやろう」というリーダーの言葉はもう2度と叶わないんだよなあ。という現実が突き刺さる。もしかしたら3人のヒトリエと、3人のLEGOと、改名したsajiでやるのかもしれないけど。それはまあ、あの日感じた本物の最高なんかじゃなくて、偽物でしょ。 忘れとの対バンとも2年経った。盛岡と山形、楽しかったな。忘れらんねえよは今では1人、ヒトリエもボーカルを失って3人、もう、何もかもが違うんだろう。あの日みんなで乾杯している写真、本当に好きなんだよな。みーんないい顔。ずっとあれが良かったな。いつかまたやるのかな。ベースの人のワンマンだ!とか言って。それね、実は、全部嘘。あの2日間だけが本当。私はそう思うよ。 永遠なんかない。 . andropだけだね、結局変わらず私の隣にいてくれるのは。そんなandropでさえ、苦しくて十分に聴けないような毎日、早く終わっちゃえばいいのに。ヒトリエとおんなじだけ好きだったから聴くのが辛い。早くandropだけは「大好き!」って言いながらライブに行きたいよ。こんなに見てないの、いつぶりなんだろう。 せめて、andropだけは変わらないで欲しい。変わらないでいてくれれば、あの日のこと、なんとか忘れないで、忘れようともしないでいれる気がする。でもいつか変わってしまうんだろう、それが怖くて。でもまあ、変わっても生きていてくれるなら、まだいくらか、いいかなあ。 . このTumblrだって所謂ただの「オタクのお気持ち表明」なんですよ。気持ち悪くてだっさい、ポエム文章。でもポエムでも書いてないとやってらんないよ。変わっていく世界に、無理矢理しがみついて生きるふりするには、たまにこうやって言葉にして文章にして、それをインターネットに流すしかない、私には。 文章にして、見える形にして、誰かに曝け出して、やっと自分の気持ちに一つ折り合いがつけられる。私は、こうして生きていくしかない。 何年か経って、ほかのバンドのライブに行けるようになったり、ヒトリエの音楽が聴けるようになって、DVDが買えるようになって、ライブ映像も見れるようになって、このTumblrも更新しなくて良くなって、IDもパスワードも忘れちゃって。そうしたら、リーダーの死を乗り越えた、となるんだろう。私は。 . 誕生日だね、リーダー。私の住む街はすごくいい天気だよ。この青空にリーダーの声が響いたら、すごく気持ちいいだろうな。 ヒトリエと、大好きな仲間と、めいっぱいお祝いしたかったな。大好きだったよ。リーダーを、ヒトリエを愛していました。 また冬が来るよ。冬は嫌いだったよね、でもフユノを作った頃に大丈夫になったんだっけ。あの刺さるような寒さが抜けたら、貴方を奪った春が来る。リーダー1人置いて、季節は巡る。 薄っぺらい「おめでとう」も「ありがとう」も言わないよ。みんな誰に向かって言っているんだろう。言う相手はいないのに。 この世界に、いない。 笑っていることより、やっぱり泣いてる事の方が多くて。私はね、 「笑えているよ 泣くこともあるけど あなたと会えたから幸せよ」 「今でも貴方を愛している」 って言いたいよ。もう少し、時間をください。 貴方のことが、本当に大好きでした。
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色眼鏡
人は色眼鏡を通すことなく物事を見ることができない。コミュニケーションを取るとき、「その人自身」をいくら見ようとしたところで、その人の見た目や今までの経歴から想像される先入観に囚われるだろう。「私は他の条件に左右されずその人自身を見る」なんて、口先だけの綺麗事だ。 「大切な人が死ぬ」という事件は、自分自身の生死を除けば人生でトップに入るような大きなものだと思う。私たちのように、大好きなバンドの大好きなボーカルを喪ったこの悲しみも同じだ。 今ヒトリエは「悲劇のバンド」と世間から捉えられているのではないだろうか。それは私たちファンにも既に根付いてしまっているだろう。「ヒトリエが悲劇のバンドなんて、そんな風に見ていない。ヒトリエはヒトリエだ。」なんていう人がいるかもしれない。でもそんな言葉、絶対に上部だけだと思う。嘘つけ。それはリーダーがいた���とを忘れたとも同義と取れるし、大切なことから目を背けすぎだ。 事実として、悲劇のバンドと評されて良いと思う。客観的に見た時、全てを率いていたリーダーであるwowakaを喪った悲しみ、苦しみ、そこから発生する損害などは家族、メンバー、ファンにとって計り知れないだろう。 ツアーが始まった。それに行った、行く人間がいる。私は4人でなければヒトリエではないと思っているので、あの日そう思ったので、行かない選択をした。それは人それぞれでいいと思う。 ただ、その行く選択をした人たちは。その景色を見た人たちは。3人を、3人のヒトリエとしてみて、どう感じるのか。 今ツアーはまだ、前回中断してしまったツアーで回った土地を中心に巡るという名目であるため、「wowakaの死」を引きずっていても致し方ないと思う。まだその死から5ヶ月しか経っていないこともあるし。 しかし、3人となったヒトリエを「ボーカルを喪った悲劇のバンド」という色眼鏡を通さずに評価できる人間はいるのだろうか。 今、「ヒトリエ、かっこいい」という言葉が、どれほど純粋なのだろうか。 人は結局、悲劇からの復活劇が大好きな生き物である。悲しい思いをした人間がまた立ち上がり、歩き出す姿はとても素晴らしい物だと私も思う。素敵だよね。 でもそれが好きだからといって、その色眼鏡を通して音楽を評価するのは3人にも、リーダーにも失礼なのではないだろうか。 「ボーカルを喪った悲劇のバンド」を、メディアは取り上げ、復活劇として仕立て上げ、ファンは絶賛し、「よくやった」と言うことが、正解なのだろうか。 私にはわからない、何も。 この国の道徳を受けて来たものとして、それは多分、道徳の教科書的には正解だと思う。仲間の死を背負いながら前に進む姿。それを応援すると言うこと。多分、正解。 でもこれをリーダーが見た時、どう思うんだろうか。「おれがいないのに、こんなに頑張ってくれてありがとう」なんて、言うかな。 死人に口なしとはよくいったものだ。今じゃ空想でしかリーダーの思うことを考えることはできない。どんなことを望んでいるかなんて、わからない。 でも私が見て来た全部で考えたら、そんな肯定してくれるようなこと、言うわけないなあと思うんだよな。 もっと近い人から見たら違ったりするのかな。分からないな。 そもそも、私の脳天を撃ち抜いたあの「ヒトリエ」は、リーダーがいた時の4人なので。今の3人のヒトリエをいくら肯定したところで、あの衝撃を超えることは、天地がひっくり返ってもないのではないだろうかと思う。リーダーが残してくれたバンド、曲たちではあるが、あの日々を超えることはないだろう。正直、超えて欲しくもない。 その気持ちを抱えて会場に足を運ぶのは、苦しくてたまらないのではないだろうか。 こうしてファンは色眼鏡を通すことでしか彼らを見れなくなり、「かっこいい」という言葉すら浮かんで薄っぺらく感じてしまうような世界。誰もそんなこと望んでいなかったのに、今ではこうでしかヒトリエは存在できないのだろうなと思う。 ただ音楽が好きで、4人が好きで、その一心で会場に足を運んでいた日々はもう一生、帰ってこない。夢みたいな世界だった。 . 私事になるが、私は6/22のandrop代官山から全くライブに行っていない。もはやライブハウスが怖くなってしまい、大好きだったはずの音楽をできるだけ遠ざけて生きている。聴けなくなった音楽があまりにも多すぎる。 angstorm1.0は東京、横浜公演どちらとも予定が被ってしまい、「これは行くなということなんだろうな」と勝手に納得(前の私ならなんとか予定が変更できないか試行錯誤していただろう)してしまったし、行けないことで悲しいなあという気持ちも無くなってしまった。angstormのツアー、大好きなんだけどな。 趣味を完全に失い、抜け殻のようになってしまったので、8年ぶりに同人即売会に行ってみた。音楽が好きになる前は筋金入りの2次元のオタクで、そういう場所に足を運んでいたことを思い出して。中学生ぶりでちょっと浮き足立った。普通に暴言になるが、ヒトリエの現場より何倍もオタクばっかりで笑ってしまった。人の創り出したものが目の前で売られていて、それを本人から購入できて。すごくこの人たちは生きているなと思った。「世界にはまだ私の知らないものがたくさんあるな」と思えたし、私は人の「生」が好きなのは変わっていなくて、思い出してちょっと泣いた。 あと、毎日たくさん笑うように努めている。くだらないことで笑って、辛くて苦しいことは全部無くなりますようにって願いながら。多分、ちゃんと笑えていると思う。 それでもこびりついた希死念慮はうまく消えなくて。さっさと消えて欲しい「死にたい」という感情はべったりと私の心に残ってしまっていて、心が少しでも弱くなった瞬間に顔を出す。何度も言っているが、誰かが死ぬなら私でよかったとまだ本気で思っている。 死ぬならここで死にたいと思っている、家の近くの歩道橋で笑いながら下を覗き込んでいる瞬間がある。快速列車が通り過ぎる時、今一歩踏み出せばいいだけなのにと思う瞬間がある。 なんとか感情を押し込んで殺そうとしても、好きだったことはどうしても忘れられないみたいだ。あの日々のことも。それを追いかけて、今死んでしまったら楽だな、と思ってしまう。早くこの希死念慮が消えるといい��消えるまでは結局ずっとずっと悲しい。 すごく親しいわけではない人達と旅行することがあって、趣味とかの話を順番にする流れになって。どうしても他に思いつかないから、「バンドマンの追っかけしてました!」と言った。案の定バンド名をいう流れになってしまい、正直に「あ〜〜〜ヒトリエってバンドで、まあこの前ボーカルが死んじゃったのですが…」と言うしかなくなり。ヒトリエって単語を出した瞬間変な汗と動機と震えが出てしまい、「悲しくなるのでおわり!ごめん!」で終了させた。趣味の話も普通にできんのか。ていうかandropも好きで、って話もするはずだったのにできずに終了してしまったな。世界で一番楽しかったはずの趣味の話、普通にさせてくれ。 . 11/4にDVDが発売されるそうで。どこに映像隠してたんだよ、とか思ったけど、何年か経ってからいろんなツアーまとめて映像化!とかやるつもりだったのかな。と思ったら極端にしんどくなってしまった。そんな未来など、もうどこにもない。 DVDについても賛否両論あると思う。でも少なくとも私は嬉しかったし、救われた。もうずっと行っていないタワレコに行ってみようかな、と思っている。怖くて行けなかった場所、また行けるようになるかなって。買ったところで、見れなくても。 まだ下北沢には足を運びたくないし、地方にもできれば行きたくない。思い出す場所にはできるだけ触れたくない。思い出すような音楽も聴きたくない。ヒトリエの曲を聴けるようになるのは、いったいいつになるんだろう。今はまだ、痛いほど泣いてしまうのが目に見えているから。きっと自然に聴けるまで待たないと、精神がまた壊れてしまうから。もう二度とあんな経験、したくないから。あんなに好きで毎日聴いていたけれど。まだ、いいかな。 私のiPhoneのホーム画像はずっとヒトリエとandropの対バンの写真のまま。時が止まっている。ずっと変えていないし、今後とも変えるつもりはない。別に幸せだった日々を忘れたいわけじゃない。 ただ、今は上手く思い出せないし、思い出したくないだけ。 自分が綴ったtumblerを見ると羨ましくてたまらなくなる。それと同時に、あの日々の感情が湧き上がってきてやっていられなくなる。世界で一番好きだったんだよな。楽しかったんだよな、今よりもっともっと。いいな。 . 全部忘れたくなくて、でも、忘れてしまえたら一番楽で。早くこの悲しい気持ちがなくなるといいね、笑顔でリーダーに「ありがとう!」って言いたいもんだね。初盆も過ぎたけど、まだ言えてないな。 色眼鏡なんか通さないで、素直な気持ちでヒトリエを聴いて見ることができたのは早くから追いかけてきた人間の特権だったね。もう誰も持たない、もう誰も手にいれることができない。 願ってもあの日々に戻ることができないなら、これ以上悲しみが増えませんように。3人を応援することはできないけれど、少しでも幸せでありますように。大切な人が、これ以上いなくなりませんように。いつか、4人に、素直な気持ちで「あなたに出会えたから幸せよ」と、言えますように。 私が好きだった時間をいつか悲しみの時間が追い越してしまうのも寂しい。ずっと寂しいんだろうな。「あなたとの時計の針は止まったままだ」。
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無題
1ヶ月半ぶりに、音楽を聴いた。私の信じていた音楽はきちんとそこにあって、音を鳴らしてくれて、歌ってくれていた。頭の中はめちゃくちゃで、涙が止まらなくて、嗚咽をあげて泣いた。そこに、andropがいてくれて良かったって、それだけははっきりと思った。 Blue Nudeから始まった曲たち。ただただ、そこにいてくれることが嬉しくて、それがこんなにも幸福なことなんだって思った。それが普通じゃないんだよ、全部。 For you、MirrorDance、Saturday Night Apollo、綺麗だった。Proustは久しぶりだし、行けなかったジャパンジャムでやっていてぼんやりといいなと思っていたRadioも聴けた。リキッドルームという箱がやっぱり好きだなあって思った。どれも久しぶりに聴いた曲たちなのに、曲名はすぐ浮かんできて、私ってどこまでもandropが好きだよなあってちょっと笑った。 Blanco、全部見れなかった。しゃがみこんで、声を殺して泣いた。彼から紡がれる言葉に殺されてしまいそうになった。 「笑えていますか?泣いていませんか?大切な人はそこにいますか?あなたのことばかり 戻らない時間よ距離を あなたに会えたから幸せと思えた」 「また季節は過ぎて 思い出も歳をとったけど あなたとの針は止まったままだ」 「ひきずった言葉たちが ��しく私を撫でる 言えなかった『ありがとう』は 行き先を求め彷徨う ねえ 私の中 誰かじゃなく確かに あなたの温もりがまだ ここにあるの ずっと」 「辛い 悲しい 苦しい 全て 一緒に分け合って来たのだから あなたがいて 私になれた ひとつひとつが私になった またわたしをやり直せるなら またあなたを あなたを愛していく」 ほぼ全部書いてしまった。この曲は恋愛の曲じゃなくて、大切な「誰か」に宛てているんじゃないかって、そう思ってしまって止まらなかった。最後に 「振り返っても進んでも 消えはしない それだけあなたを愛している 今でもあなたを愛している」 と、締めくくられるこの曲は、今の私には救いだとも思ったし、どうしようもない現実なんだな、と思った。 Canvas、Youth、Nam(a)e、そしてSinger。多分代々木ぶりにやったこの曲は、始まりにぴったりな曲だなあって思った。前に、前に向かっていく光だなと思った。綺麗だったな。 Hikari、この曲はあの対バンの日の夜に歌詞を書き上げたってエピソードが印象的で、そういう意味でも胸に刺さってしまった。あの日の対バンがなかったらこの歌詞は生まれてなかったんだって、泣いた。SOS!は相変わらず格好いいね、4人のアンサンブルに加わるキーボードも心地が良くて、「生」を実感するような曲だなあって思う。4人が、andropとして、音を奏でていた。Prism、そしてVoice、Voiceダメだねあれ、どうしようもなく救われてしまってわんわん泣いてしまった。Yeah! Yeah! Yeah!、いつも聴いててそんなに歌詞が刺さったりしないのに、単純にサビで「私の向いてる方向も前なのかな、これでいいのかな」って肯定された気分になって、嬉しくてまた泣いてしまった。 Home、さ、ね、ここが、彼らが私のHomeだなって思わせてくれて本当に嬉しかったな。 「変わってしまったものもあるけど 今は抱きしめてあげてよ」 「例えば悲しくて 涙に濡れるなら また笑えるまで 側にいるよ 側にいてよ」 「やがてくるさよならも 抱きしめてく 今を君と一緒に」 「君のために作った場所さ 笑う奴がいるのなら 全てを遮る壁になる」 「帰る場所ならここにあるよ 進む時も立ち止まっても 何度だってここにおいで」 何度でも、彼は、彼らはここに戻って来ていいよ、ここにいるからと言ってくれて、うまく言葉が出てこないけど、生きていていいんだってなんか思えたよ。 「変わったものも 変わらないものも 捨てて来たのも 大切なのも 癒えない傷も 大事な人も ありがとうも 忘れたくない想いも」 って最後の歌詞が、刺さってしまって、わあと泣いた。泣くことしかできなかった。 アンコールでKoiを歌って、ライブは終わった。MCは全編通していつも通りで、彼らは彼らのまんまで、嬉しかった。笑うとかじゃなくて、ただ嬉しくてほろほろと泣いてしまった、それだけで。おかげで全然覚えてないよ。 終わって、ぼんやりとした頭でセトリを書き上げて、こんなんになってもセトリはちゃんと覚えてるんだって笑っちゃって。好きな音楽のこと、覚えておこうとする気持ちがちゃんと私の中に残ってた。 それが終わってからしばらくしゃがみこんでぐるぐる考えてしまってわあわあ泣いてたら、ファンの方やスタッフの人が声かけてくださって、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。優しいな、みんな。 . 一歩、進めたかな。半歩くらいかな。立ち上がれただけかな。顔あげられただけかもしれない。 救われたかった。救って欲しかった。救ってくれなきゃいけなかった。 間違いなくandropは私の光で、これからも指針になってくれるんだって、そう思えた日だった。 行ってよかった、と思う。 . でも、でもさ、また失うのが怖いんだ、こうやって肯定されて救われて、また好きが増えて、その分失った時の辛さは増えてしまうのが分かってしまった、知ってしまった。怖い、好きになるのが怖いよ 私にはandropしかいなくなってしまった。たった1人彼がいないだけで半身もがれたようになってしまって、うまく歩けない立ち上がれないうまく生きれなくなってしまった。それなのに、たったひとつandropだけに依存したら、もし失った時、って考えてしまう。 その時こそ死ぬ時なのかもしれないけど。あの時、死ねなかった人間は。 彼とヒトリエの話は、もう少し元気になったらします。昨日ぽろぽろと落としたけど、胸が裂けそうになってしまった。まだだめだった。 andropとヒトリエを交互に見たり、2日連続で見たり、フェスで被って喜んだり、そういう日々は2度と帰ってこないのが苦しい。andropを見た後は、やっぱりヒトリエが見たい。 7/8に出した手紙に、andropにも、ヒトリエ��も、「どうなってもいいから生きていて下さい」って書いたんだけどなって。 ね、生きてよ お願いだよ なんで私じゃなかったのかなあってまだ思うよ
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空が青いので死にたい
空が青いので死にたい。貴方を思い出すので死にたい。あの日大空にめいっぱいの力で歌ってる貴方を思い出すので死にたい。 ただ死にたい。 今前のTumblr見返してたけど甘ちゃんの私がなんか幸せそうに語っててウケる。今どん底だけど何?昔の私に嫉妬する。いい加減にしてくれよ、本当無理。早く死にたい。 発表から丸1週間。何も飲み込めてないです。むしろ、発表された瞬間の方が実感があったというか。相変わらず、言葉にしないと、文字にしないと気が済まないので今日も綴ります。 長い長い1週間でした。「もう」と表現する人も、その事が起きたこと自体忘れた人が大半なのに、あの日から、というか5日からずっと立ち止まったままです。身動きが取れない。ずっと死にたい。 この1週間、たくさんのことがあったなあとは思います。その日のうちに貴方のことが大好きな人たちとカラオケに引きこもり一度も歌わずに泣いたり笑ったりしながら酒を浴びるように飲んだり、友達が自殺未遂を図ったもんだからそれを必死に止めたり、自宅の布団の中で発狂して泣け叫んだり、深夜の住宅街で泥酔して貴方に話しかけながら歩いたり、仲間と肩を寄せ合いながら思い出話をしたり、なんかよくわからないけどたくさんのことがありました。多分、いつもだったらあっという間の1週間だったはず。貴方の作る曲のBPMに合わせるように。 嘘みたいに長い。時間が経たない。意味がわからなかった。貴方の曲が、貴方がいないだけなのに。 学校には全部なぜか行けていた。というか、行かなきゃ貴方のことを考えてしまうし、苦しくて、まともじゃいられなかったから。 バイトしてると何考えてたっけって暇になる。作業の合間に想いを馳せていたのは大体貴方達のことなのでつまらなくて仕方ない。たまに涙が出る。鼻声で目は真っ赤で明らかに泣いてるのに接客していて申し訳ない。 SNSは全部消した。あんなに張り付いていたTwitterも雑音が多すぎて見れたものじゃない。知らない奴らに弔われている貴方を見るのが耐えられない。Instagramで綴られる綺麗事も見ていられない。 ずっと頭がおかしくなりそう。駅のホームで淡々とこれを書いているけど、次電車が来たら飛び込んじゃいたいなってまだ思うし、でも全部嘘なのでは?とも思うし。気が狂いそう。 貴方の音楽ほど、ヒトリエほど、激情と形容したい感情で好きになったものはなかった。再三言ってるがandropとは違うのだ、好きの形が。最近似て来たとかほざいてたけど結局違うんだ。 よくよく考えたら私の音楽のルーツって、自発的に聴き始めた理由ってあんたなんだよ。そもそも自分で探してこの曲が好き!とか言い出した始まりはボカロで。それで、初めて聴いたボーカロイド、初音ミクの曲は、貴方のものだったのをはっきりと覚えてる。あの日あの時あの曲を聴かなかったら、今の私は絶対にない。 貴方のせいで、ライブハウスが好きになった。貴方のせいで、バス乗り回して全国に行くようになった。貴方のせいで、音楽がないと生きれないようになった。貴方のせいで、楽器がこんなにもかっこいいものだと知った。貴方のせいで、 キリないからやめる。貴方のせいで人生狂ってんだわ。どうしてくれんのってそればっかり。ねえ聞いてんの、聞こえてんの 生きる理由、何? いや、なんか本当に。ヒトリエが見れない人生とか意味あるのか?お金の使い道失ったけど?楽しみも失ったけど?今なんの音楽も聴けないし、本当に私は何をして生きればいいの?今の私にとってandropが救いかと思いきや、ぜんっぜん聴けないもんね。貴方が「すげえ」と言った音楽、全く聴けないもんね。いい加減にしろよ。 もうヒトリエが聞けて、ていうか音楽が聴ける人間が羨ましくて妬ましくて仕方がない。なんで聴けるの?ただひたすらに辛くないの?もうその音楽生で聴けないんだよ?ヒトリエはまだ終わってないとか綺麗事言えるかよ、あのまんまの4人の音楽はもう二度と見れないんだよ、分かってんの? 街に出れば何かしらの音楽が流れていて、「生きてていいなあ」と思う。死んじゃったらどうしようもないって言い続けていて、本当にその通り過ぎてしんどい。怪我したり病気したりしている場合もあるかもしれないけど、何はともあれ生きてるじゃん、いいなあ。死んじゃったんだけど。て、思う。性格がドブなので。 4人の音楽が終わり、残された3人が何かしら考えてくれていること、嬉しいことには嬉しいはずなんだけど、それを私は受け入れて、また改めて格好いいと、素直に言うことができるのだろうかって、そればっか問いてしまう。 3人の音楽を信じていないわけじゃない、伊達に何年も彼らの演奏を聴いていない、でも、でも貴方のいないヒトリエは、ヒトリエじゃないじゃんと思ってしまうんだよ。許してよ ごめんなさい ずっと苦しいしんどい辛いどうしようもない。早く楽になりたい。もういっそ嫌いになりたい。でもそんなことできるわけなくて、今日もwowakaとwowakaの音楽が好きなままです。どうしてくれんの。もう無理だよ。
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新譜
大阪に移動中です。西に向かうたび少しずつ天気が良くなっているように感じて、天気までツアー初日を祝うかのようだな〜ってニコニコしてる。HOWLS本当にいいアルバムだね、ずっと聴いてる。 大阪に向かうのは2018.7.8ぶりでなんだかドキドキしている。あの日感じたこと、思い出してしまいそうでなんだか怖い。思い出したいんだけど、思い出したくないような気がする。精神ブレるし。 あの日演奏されることが絶対になかった曲たちが今新譜として手元にある。andropもそう。おそらくほとんどの楽曲はあの対バンの後に出来た曲で、少しでもそのことが反映されていたりするのかな、って期待する。無意識下でいいからあったらいいよねえ。 さて、アルバムだしヒトリエの話をしようかな。前回アルバムのIKIのことがあまりにも好きで好きで堪らなくて、あのツアーが忘れられなくてズルズル引きずっている私。もう2年も前になるのに。 で、今回のHOWLS、「ハマった」感じがする。自分にぴったり。IKIぶりに。 どれ聴いてもヒトリエの真骨頂を行っていて、新しいところにも手を伸ばしていて、そこが私の胸を高鳴らせて。 2/27に発売で3/1にツアー初日を迎えるスピード感も死ぬほどいいよね、鉄は熱いうちに打てすぎる。ますます好きになっちゃう。 何よりリーダーが、リーダーからこんな言葉たちが生まれたことが1番感動というか、形容しがたい気持ちになる。偉そうだけど、多分成長ってこういうことなんじゃないかな。いい方向に色んなことを知れているんじゃないかって思う。 それこそwowaka名義であった時は「自分一人で」というスタイルが垣間見えていたし、人のことを信頼していない感じがしていたと思う。主観だけど。そんな人が「愛」を歌って「恋」を歌うようになって、他人の手から生まれる音に肯定的になるとは思わなかった。人は変わるなあ。 これに関して賛否両論あると思う。wowaka名義の時のスタイルが好きで今のヒトリエは受け付けられない人もいると思う。仕方ないと思うし押し付けたいとも思わない。 でも、私はこの過程が美しいと思ってしまうんだよな。人が変わって行く様子は美しいし、それを垣間見れているのが嬉しい。バンドも同じだ。変化を感じさせ続けてくれるのがすごく好きだなと思う。 andropの話になるが、内澤崇仁が言う「初めはライブが嫌いだった」って言葉がなかなか大きくて。今ではのびのびと、MCはへたっぴだけど合唱を煽ってみたりしているのを見ると人って変わるんだな、それが美しいなとしみじみ感じるのだ。 ただ、変化するだけじゃなくて芯をきちんと残してくれるのが一番好きなんだよな。今回のアルバムだってwowaka節炸裂している(特に好きなのはIdol Junkfeedの『絶望、エスケープしろ』)し、音の本質は変わらない。だから長く長く好きでいられるんだよな。 とにかく早く聴きたいな。一音一音が大好きだな。 今ツアー直前だからHOWLSばかり聴いているけど合間合間にちゃんとKoiのシングルも挟んでニヤニヤしている。なんで私こんな真逆のバンドが大好きなの。どっちもどうしようもなく好きで笑ってしまう。 ほんとさ!2018.7.8に対バンしたバンドが2019.2.27には同じ日にリリースするなんて誰が予想したんだろうね!そしてその2日後には対バンした土地でツアー初日!24日にはもう片方のバンドで大阪行くし!私のための流れかよ!どっちも愛してるよ!大好きだ!
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タイトルなし
昨日の天気が嘘みたいな青空。あまりにも高崎まで長いし暇なので最近思ってることをダラダラと書く。相変わらずのポエム。 今日も大ナナイトでandropとヒトリエをいっぺんに見れる日で、やっぱり嬉しくてたまらなくてウキウキしてる。イベント被りでさえ多分今全部いけてるのが嬉しい。今もandropとヒトリエのプレイリスト聴きながら大好き、大好きって思ってる。 2018.7.8、最前。andropを見て隣の友達と曲が来るたびに騒いで、ありえないセットリストで目を回して。フユノのカバーはあったかくて、一生大事にしたいって思って。ヒトリエでびっくりするほど泣いて、泣いて、アンコール終わったあと膝から崩れ落ちた私に「大丈夫ー?」って知らない人に聞かれて、「大丈夫です……」ってガラガラの声で答えて。そのあと「良かったねー」って言われて嬉しかったなあ、言ってくれた人は覚えてるかな。 ズルズル引きずってずっとこんな話してるから聞き飽きたよって絶対思われてるけど私が満足するまでこの話するのやめない。大事にしたい。全部忘れたくない。思い出して、泣きそうになったら書き留めておきたい。 多分、好きの持続ってすごく難しくて、何十年単位でずっと好きでいれることってすごく難しいと思うし、その頃には自分もバンドもどうなっているか分からないし。きっといつか、この好きの気持ちを忘れてしまう日が来るってなんとなく感じる。その終わりの後に、この文章を自分が見返して、なんだか少し恥ずかしくなりながらいろんなことを思い出せたらいいなと思う。 忘れたくないけど。 忘れることが怖い。時が過ぎるのが怖い。大好きだったIKIツアーですら2年前で、今の時期にツアー回ってたななんて思い出したり、精神的に一番影響を与えて来たであろうblue printツアーからも2年とちょっと。普通にあの日からしばらく鬱になったな。懐かし。あっ初めてヒトリエで最前張ったのももう3年とか前になるのか。Zeppツアーをandropがやってたのも3年くらい前だ。怖いな。その前にもたくさん。 でも時が過ぎることで変わってしまうのが私は何より怖いんだろうなとも思う。私が成長して大人になって、いろんな人と衝突したり仲良くなったり、関わらなくなったりしているように、バンドだって同じで。いつ何があるかわからない、不安定さはどのバンドも等しい。 変わらないで、とよく言ってしまう。そんなこと不可能なのに。自分が無理なんだからそんなこと分かりきっているのに。それでも、変わらないで、ずっとこのまま続いて欲しいって願ってしまう。できたら、このままで。 変わってしまったことで聞かなくなってしまったバンドもある。たった1人の脱退で。思い出が多すぎて聴けなくなってしまった。思い出したら辛いから。その人がいる、そのバンドが見たいと思ってしまうから。 そんな思い、やっぱり2度としたくないんだ。涙が枯れるほど泣いたし、目はパンッパンに腫れたし、喉と頭は痛いし、って言う経験があるから嫌だ。しかも脱退の後、私が受け入れられない道を進むことだってあるんだって知ったし。 明日がどうなるかなんてわからない。バンドに急に亀裂が入るかもしれない。誰かが事故や病気で亡くなってしまうかもしれない。今ここに、バンドとして成立している奇跡に感謝しなければならない。と私は最近すごく思うんだよな。 あと7.8で多ステ最前やめようと思ったんだけど多ステはやめらんねえな〜と完全になっている。半分実行できない。ダメだこれは。遠征も控えようと思ったのに3月3回するし意思弱すぎて笑う。 でもやっぱり今、行けるだけ見なくちゃね。後悔するのは自分だし。行けるだけ行っておこう、人生の糧を大事に大事にしていこうって思う。あと盛岡山形福岡熊本があのバンドの記憶で残ってるからこの1年で上書きしようかなと思っている。思い出すと寂しいし。 今年も今大好きなバンドのこと、ずっと大好きであれますように。
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半年
半年、経ってしまったなあって外を見ながら思う。今日も電車に揺られて日常を生きている。その日常の中で幸せだったなって何度も何度も噛み締めながら。 さて、最近の話をしよう。7/8から今日でちょうど半年、あの日までに発表されていたライブはどちらのバンドでもおそらく全て終わり、さらにはツアーが終わったり、その次のツアーが決定したりしている。すごく、すごく彼らは前を向いている。 そして、どちらのバンドも新譜を発表した。シングルとミニアルバム。私にとって大事なCDになった。どっちも革命を起こしてくれたバンドだよなって、噛み締めた。 ポラリス、聴くたびに胸が締め付けられる。個人的に「青、蒼」のイメージの曲だからリトルクライベイビーとダブるんだよな。あの日もし聴いてたら、もしセットリストに組み込まれていたら泣いちゃってたんだろうなって。彼らの真骨頂であり、新たな一歩を踏み出している曲だと思う。これだからたまらなく好きで、好きで仕方ないんだよなって改めて思わされた。RIVER FOG, CHOCOLATE BUTTERFLY、日常と地球の額縁、この3曲全然色が違うから面白いなと思う。早くライブで聴きたいな。発売からもう一月半経つけど聴くと目の前がキラキラして、「なんでこのバンドこんなに格好いいんだ」って発見することばっかりだ。 daily、夕方〜夜明けに強すぎる。全曲。彼らの曲はアルバムごとに色を整えるのが上手すぎると常々言っていたが、blue〜dailyの整い方異常だと思う。器用だなと思う。Homeを初めて聴いた時、「ここが帰る居場所だ」と思った。Cメロが特に好きでたまらないんだけど、ちょっと声がぎゅっと締め付けられるような部分、決して綺麗で大切で良い思い出ばかりではないけれど、でも確かに居場所だって言ってくれているような。この人は音楽に関して感情を表現するのが本当に上手い。音楽だけだけど。Blancoの「あなたじゃなきゃだめだ」という言葉に胸が締め付けられる。私はこういう言葉に弱いなあと思う。私、彼らじゃなきゃだめなんだよな。そばに寄り添って欲しいと願う。「あなたに会えたから幸せよ」って、そう思う。全曲言ってったらキリがないが、dailyの曲たちは新しくも彼ららしい曲が詰まっていると思う。好きなんだよな。発売されてからこればっか聴いてるな。 この新譜が発売され、半年という時が経ち。いくら今、彼らが対バンしようとも2018年7月8日と同じ曲目にはならないだらうし、同じ事を感じることはないんじゃないかなと思う。あの日じゃなきゃだめなことがあった、そう思う。タイミングって大事よ。 今だから思うけれど、私彼らが本気で対バンするなんて思ってなかったんだよね。少なくとも、どちらのバンドも元気なうちに、「あと5年後くらいにすればいいかなー、まあ生きてるうちに」と思ってた。こんなに早く実現するなんて思ってなくて、本当に本当にびっくりして、早バレ見て号泣してた。電車内で。 ツアーファイナル六本木でnexUsツアーします!って言われた時に最前で膝から落ちかけたのちょっと面白いよね。心臓ばくばく言わせて「本当に対バンしたらどうしよう助けて」って隣の友達に縋り付いてた。でもどっかで「まあやらんだろ、大丈夫大丈夫」って思ってた。て思ったらやった。人生何があるかわからん。でも言霊ってすごいなとは思った。 暑い日だった。汗を流しながら会場に向かった。開場を待っている間、定位置で開演を待っている間、ずっと全身の震えが止まらなかった。音出し中、ずっと聴き慣れた音が、目の前で鳴っていた。始まったらそれはもうあっという間だった。相手に合わせたセットリストを組んでくれて、私は今でも年1の曲目だったなと思う。カバー曲も忘れられないし、相変わらずのたどたどしいMCも好きだと思った。興奮冷めることなく終わり、ドラムセットが組み直される。大好きなバンドの見慣れたセットから、大好きなバンドの見慣れたセットに組み直されて、ギターやベースが設置されて笑ってしまった。カバーしてもらった曲をやった。ずっと聴きたい曲だった。本編最後には「終わらないで欲しい」って心から叫んだ。涙が止まらなくて溢れた。アンコールを呼ぶことなんかできなくて、このままずっとアンコールを待ち続けて、終わらなければ良いと思っていた。メンバーがたくさん、相手のバンドの話をしてくれて嬉しかった。本当の最後の曲は、私が聴きたくて、待ち焦がれて、変なところでやられて泣いたような曲だった。あまりに泣きすぎていたらベースの人に覗き込まれた。めちゃくちゃに泣いてんだから見るなと思った。でもこの対バンを叶えてくれてありがとうって、そればっかり思った。終わってしまった後はしばらく立ち上がれなくて、柵の前で膝を抱えてわんわん泣いた。全部全部、懐かしいなと思う。 あの日から季節は巡り、真冬。気づいたら半年経ってたし、あっという間に1年経つんだろう。それで、どんどんみんなの記憶から薄れていってしまうんだろうなと思う。私は忘れないし、言い続けるけど。このクソ長い文章読んで、思い出してくれる人がいてくれたらそれで良いよ。私は大事に大事にしておくよ。 大事にしておくけれど、それでも忘れてしまうことは多くて。あの時どうしていただろうかなんて、もう半年経つと全然覚えてなかったりして。寂しいけれど、時が経つってそういう事だよね。 あの日から私は何が変われただろうか。相変わらずライブに行くのはやめられないし、気づいたら2017年よりライブに行っていたし、あれおかしいなって思ってばっか。私生活でも相変わらずズボラで試験前になっても勉強できないし提出物は常にギリギリだし。でも私のペースで変われたら良いかなと思う。変わっても振り返れば彼らがいるんだから、大丈夫。 今、この2つのバンドへの好きが激化し困ったことにまたなっているんだけど、2019年も彼らによろしくお願いしますという気持ちだ。迷惑をかけない範囲で、今年も見ていけたら良いなと思う。今月の22日〜27日はあっちいったりこっちいったり、そんな毎日だし。楽しみだな。 朝日がキラキラと眩しい。ポラリスにぴったりだなと思うし、この日が落ちたらdailyを聴きたくなるんだろう。そんな毎日をずっとずっと繰り返していこう。そうすれば私はきっと、大丈夫だ。多少の辛いことなんか乗り越えていけると思う。大丈夫。大丈夫。 どうでも良い話なんだけど、あの日に関連するメンバーのツイート全部ブクマしてあるし大事にとっておいてあるし、つい先日西槇さんがあの日撮った伊藤さんの写真を林さんがいいねしてることに気づいて暴れたりしてた。そんな小さな繋がりだけで、私はどうしようもなく嬉しい。またとは言わないけれど、これからも良かったら、イベントとかで被ってくれたら良いなって思う。どこでも行くよ。大好きだって言いに。 あの日、あの時私に革命を起こしてくれた、andropとヒトリエへ、精一杯の愛を。感謝を。2018年7月8日から、今日で半年です。
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CDJ1819
それはもう最高の年末年始だった。私今後これ以上に幸せな年末年始過ごせるのかって、そう思うくらいには。本当に行ってよかった。andropが31日に決まった時点で「なんかヒトリエも31日に来る気がする(めちゃくちゃな予想)し友達余らせてるしキープさせてもらおー」って行動した私グッジョブ。最高だよお前。 2018年。怒涛だった。良いことも悪いこともたくさんあった。まあでも結局のところ、私の一大ニュースは「andropとヒトリエが対バンした」ことに尽きるんだろう。仕方ないじゃん。何年、何本行ってるんだよ。バンド個々で見たら誰かに「好き」で負けるかもしれないけど、2つのバンド合わせたら私が1番好きだぞ。胸張って言うぞ。 ヒトリエ。コーリングからもう3ヶ月半も経っていた。そんなに間が空いたのは2015年以来だなあと思いながら。 あの日あの瞬間、ヒトリエが1番格好良かった。本当に。マジで。2018年個人的ベストアクトをフェスで更新して来るのかよと思ってしまった。あの本編5曲にヒトリエが全て詰まっていた。 2017年の発表当初からアンノウンに苦言を呈してきた私でしたが、やっと落ち着いて聴くことができ。後半でうわうわ、かっこいい、こんなに格好良かったっけ、って泣きそうになっていたところにあのMC。覚えてないけど。グッサグサに刺さってしまって、弾き語りで始まったポラリスで号泣してしまい全てを忘れると言う。最高だった。 ラスト一曲はお馴染みだけど最近最後にやらなくなりつつ会ったセンスレスで。またそれが嬉しくて。掻き鳴らされているベースもギターも、怒涛のドラムも、リーダーの声も。全部全部、私が大好きなヒトリエだった。 CDJといえば年の瀬、私も今現在体調を崩しているんだけど。笑 それと同じでリーダーの声に影響が出やすい季節で。思えば数年前なんかはCDJてボロボロなことが多く、声が出ていない悔しい結果だったことが多かったように思える。 それが今。2018年のリーダーは本当に一味も二味も違ったなと思うんだ。どこ行っても強くて格好いいwowaka様だった。 どんどん格好良くなっていくヒトリエに魅了されてきたんだよなって、改めて感じた日だった。私が初めて見たあの日から、根本は変わっていないけれど全員成長しまくっているように思える。2019年も楽しみ。終わってしまうのがもったいなくて仕方ないくらいの、2018年ベストアクトだった。 年が明けてandrop。ほんとディクレやメリロのセトリが「ド」定番だったから正直期待してなかった。いやほんとすみません。私が悪かったですって、セッティング始まった時点で心のなかで謝った。サポートキーボードがいるとか聞いてないよ。 午前3時、夜明け前。dailyというアルバムをリリースしたandropが無敵になれる時間だったな、って今思う。 SEなし。日大祭の時もそうだったけど、息を飲むようなこの瞬間。優しく紡がれるピアノの音と、包み込むような内澤さんの声。うっすらと輝き出す照明のこと、今も思い出せる。サビまで来て、「そろそろ顔も映し出されるかな」なんて思っていたけれど、全くそんなことはなく。ずっと逆光。彼らが何で売っているって、「音楽」なんだよって証明しているようでたまらなくなってしまった。幻想的なあの空間、あれで心を掴まれた人もきっといたんだろうな。 SOS!で楽しい空間にした後はdailyの世界に手を引いて連れて行ってくれたのも印象的。Blue Nude、Saturday Night Apolloと続いたがこの二曲本当に本当にこの時間に合うなと。これを生で聴けるなんて多分今後ありえないんだろうなと思って噛み締めた。 今のandropを主張した後は定番曲を少しやり。そして、ここまで引っ張ったか、やっと聴けたか、のHomeが。歌詞ちょくちょくめちゃくちゃだったけれど、最後のCメロがやっぱり好きでたまらなくて、胸がグッグッと押された。早く家帰りたいな、なんて思った。 andropのCDJでの���倒的な存在感の示し方、好きだなと思う。まあ2年前のblueセトリはどうかと思うけど(実際何…?となってしまった方々が会場から抜けてしまっていたので)今年は最高だったなーなんて。後ろまでぎゅうぎゅうで嬉しそうなandropのメンバー見て私まで嬉しくなっちゃった。最高の年明けライブだった。2019年、駆け抜けて欲しいなと思う。 2019年を最高の形で迎えてしまった今。バカだから「あ、これだめだ私多分初日の大阪行くわ」と言いながらヒトリエ大阪へ行くためのスケジュール調整をしている。マジでバカ。遠征やめるってあんなに言っていたのにバカ。アホ。でも今行きたくて仕方ないんだよ。新しいアルバム引っさげたツアー初日、行かない手はないだろうと。 andropもそろそろ、そろそろツアーが発表されるだろうと思う。そのツアーがどんな形であろうとも、そこそこ通ってしまうんだろうなーって思う。寒い財布を眺めながら。学生、身の程を知れ。 でもね、やっぱりこんな生活が好きだなあと思うんだよね。ライブをしてくれる大好きなバンドがある限り、私は通ってしまうんだと思うし。好きだって叫びたいし。今現在、私の幸せってそれだしね。 さてさて、2019年も怒涛の1年になりそうで。1/26はandrop anew再現ライブと、ヒトリエ爆音試聴会昼夜。下北沢で徒歩2分圏内を歩き回るアホ、私ぐらいなのでは?1人でフェスするんだ…私…。2/27、andropシングルKoi、ヒトリエフルアルバムHOWLSの発売日。ドン被り。そんな気はしていた。どっち聴けばいいんだよ。未だに悩んでいるけど、とりあえず今は幸せになれそうな1年で楽しみが満載だ。ワクワク。これだからオタクやめられないんだよな。 2019年もよろしくお願いします。できれば、私自身も、私が好きな人もみんな、大した辛い事に直面せず1年を過ごせますようにって願っている。 『変わったものも 変わらないものも 捨てて来たのも 大切なのも 癒えない傷も 大事な人も ありがとうも 忘れたくない想いも おかえりも ただいまも いってらっしゃいも いってきますも ここにあるよ 君とあるよ 全部全部』 『この胸に灯った一欠けらの 明りの意味を今言うよ 喜怒哀楽すべてが僕の譲れない光だってこと』
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新曲
やっぱりすごく、ものすごくかっこいいバンドだって改めて思い知らされた気がする。ヒトリエは、本当にかっこいい。
7/8に区切りをつけ、それから始めて出る新曲、ポラリスとRIVER FOG, CHOCOLATE BUTTERFLYの2曲。
ポラリスは先行配信されていたけどなんとなくまだいいかな、と思ってしまい、昨日のMV配信を迎え、なんとなくまだ見る気になれなくて、今。
なんてかっこいいんだろうって涙が出た。私が信じていたバンドは、本当に本当に信じて良かったと、今日まで大好きでいて、いれて良かったと強く思った。ヒトリエってかっこいいね、本当に。
音ひとつ取っても、歌詞ひとつ取っても。全部全部かっこいいね、私が愛したヒトリエはずっとそこにいてくれるんだって、たまらなくなってしまった。
音楽は裏切らない。ずっと私の1番かっこいいところに落ちて来てくれる。持って来てくれる。なんて嬉しいことなんだろう。本当に本当に感謝しかない。
リトルクライベイビーが出た時も同じような気持ちになったなとなんとなく思い出した。ヒトリエの、ヒトリエらしさはそのままに新しい一歩を踏み出しているところとか。
そしてなんとなくIKIツアーを思い出してしまったり。あのツアー、何度も思い返すほど好きで好きで好きだったんだよな。使用ドラムはビスタライトだし、あの時感じていた気持ちが少し蘇って、「エモい」ってこういうことだなーとかぼんやり思った。
過去に縛られて縛られ続けている人間だよ。分かってる。でもポラリスをフルで聴いたとき、なんとなく私も前に踏み出せそうだと思ったんだよね。
人生狂わされたなって正直思っている。2015年の11月26日、bAnd Vol.2で、それより前からライブに行っているにも関わらず衝動的に「もっと行きたい、見なければ」と思ったんだよね。あの日のヒトリエからたくさんのことが変わったし、私も変わったと思う。でもこの音楽は変わらなかったし、大好きという気持ちは、何にも変わらなかった。
前を向いて歩きたい。改めて私はヒトリエが大好きだ。これまでのヒトリエも、これからのヒトリエも、大好き。一緒に歩き続けられたら、それ以上に嬉しいことないだろうなと思う。
心の奥で固まってた気持ちが解れて綺麗なものに昇華されて、今すごく素直な気持ちで聴けて良かったと思う。ヒトリエを好きになった私、やっぱり天才じゃん。あの日思いつきでリンクタッチしてくれてありがとね。あの日出会った音楽のこと、今もこうして大好きでいるよ。
こうやって新曲で泣いてしまうアーティストって本当にandropとヒトリエだけだな。この2つのバンドが私の中で一番だなあ。やっぱり。優劣付けられないね。
CDJ18/19、楽しみだ。ポラリス絶対に聴けるよね。明日のフラゲと、年末を楽しみにして。
私の手の届かないどうしようもなく遠い所まで行ってくれるって信じてるよ。あなたたちは本当に格好いいよ。あなたたちの音楽を信じている。大好き。
『今、どうしようもなく、伝えたい』
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終わり
ついに今日、私の夢を叶えてくれたツアーが終わる。ファイナルには行かないし、3本しか行けていないけど、非常に感慨深い。多分一生忘れない、ツアーだと思う。
もう4ヶ月経とうとしている。4ヶ月も経つと夢のような気分になってしまうのだが、何度思い返してもあの日は現実だった。
現実が、夢より何倍も良いものだった。
そして、「穏やかな好きになりたい」と言っていた私の願いもどうやら叶いそうだ。それどころか今ではそこまで追いかける気分にならないし、私って本当1か0だなあと笑ってしまうような日々を過ごしている。
ポラリス、まだ聴いてないし聴く気になってない。発売日に聴けばいいかな、くらいの。でも別にそれでいいんだよね。やっと普通のファンになれたよ。全部1番じゃなくていい。
ここ最近も某人との案件があり(ぼかすけど本当にこれについてはやめた方が良いと思う)またモヤついてたけどまあ、音楽が続いてくれればいいかなと。問題児3人抱えたリーダーには同情するけど。
今私はandropのツアーと学祭を巡っている。7/8にやった曲をやられるとどうも涙が出てしまうし、囚われたまんまだなあと笑えてしまうんだけど、きっとそれでいいんだ。多分ヒトリエのライブ見ても同じことになって泣くんだろうな。ずっと囚われていたいな。
ヒトリエの予定はない。だけどまあ、どこかで見れるでしょう。androp、今年中はずうっと見れる。楽しみだ。
それくらいでいい。このツアーの終わりとともに、このくだらない堂々巡りの思考もおしまいにしよう。7/8に、囚われたままでいよう。
『逢いたい君なら空にいる「消せない思い出」と呼べそうだ』
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変わらないで
もう今好きなバンド、全部変わらないでと思う。1人欠けて変わった瞬間ダメになる。全部、全部嫌いになってしまいそうになる。変わらないで
約1年前、念願の対バンを盛岡と山形に見にいった。しかもその日は片方Cloque.の初ワンマン、もう片方はandrop野音ワンマンが被っていたのにも、関わらずだ。わざわざ、東京で事済むし、大事なワンマンを蹴ってまで、見に行ったんだよ私は。忘れらんねえよとヒトリエのツレ伝を。
あの日の思い出をキラキラしたままとっておきたかった。とっておきたかったのに今、全然笑えない悲しい思い出になりつつある。1年後にはベーシストが1人いなくなって、もう片方のバンドのベーシストがサポートやってるなんて思わね〜だろうが。アホか。
これはどのベーシストが悪いわけじゃなく、忘れの決定した事を飲み込めない私が全部悪い事を踏まえて読んで欲しい。disっているのは私自身だけだから。
ひさびさに僕にできることはないかなのアルバムを聴いている。いいからはよ布団から出て働け俺で響いている、忘れで響かせているベースはもう聴くことができない。音源でさえ。
新しい曲を作ったらしい。レコーディングをしたらしい。1発録りらしい。そこに彼の音がない。切ない。苦しい。寂しい。
さらに何年も通ってる聴き慣れたベーシストがサポートでやっているのが追い討ちをかけてくる。もうやめてほしい。苦しい。好きだったバンドと大好きなベーシストが組んで、普通なら喜んでいいのに。全然喜べなくて申し訳ない。
アルバムも出るんだって。寂しいな。やっぱり私は5/1から全然前に進めてなくて、何も飲み込めていないのに、進んでく。進んで行ってしまっている。あの日をあの日のままでいさせてくれない。
あとこれは本当どうかと思うんだけど脱退したベーシストとサポートしていたドラマーが新しいバンド組んだのも受け入れられない。結局仲悪くて一緒にやりたくなかっただけなんじゃん、って思っても仕方ないよね。本当に、私が見たのはなんだったんだろう。
区切りをつけたと、言ったバンドでこんな風に思うのが嫌で仕方ない。申し訳ない。好きだったのに。好きだったんだよ。それはもうバカみたいに。
どんどんサポートが増えて、忘れを知って行く人が増えて、もしかしたらファンもまた増えて。抜けたことでファンが増えるってすごく皮肉だよね。
忘れがかっこいいことなんて、楽しいことなんて、あの時だってそうだったのに。2人の方が良かったのに。そう思うのに。
忘れを聴いて、見て泣いた���の日に戻りたい。純粋な好きが溢れていたあの日に。
もう多分それは無理なんだ。一生、彼のバンドのことを純粋に好きになれる日なんか来ないんだよ。それが悔しくて、悔しくて涙が出る。
お願いだから、今好きなバンドは変わらないで。もうこんな身が裂けるような思いはしたくないよ。胸が痛いんだ、今も。変わらないだけでいいから、それだけで大好きだから、好きでいさせて。
昨日なんていい日で、幸せを感じていたのに今はなんなんだろう。なんでこんなに悲しくなってしまっているんだろう。早くandropに行きたいな。21日に早くなりますように。
今ちょっと辛すぎて、盛岡と山形行ったこと後悔しない!って高らかに宣言していたのに、ちょっと後悔してる。Cloque.とandropのワンマンにしとけば良かったのかな。辛いな。そんなこと思いたくなかったな。
でも『君のことが好きだ どうしようもなく好きなんだ』って叫んだのは、嘘じゃないよ
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3ヶ月
7/8、私の節目の日から3ヶ月たった。
気づいたらもう1年の4分の1も経つ。こんなこと、毎月8日になると思い出してる人、ほかにいるのだろうか。
何度も繰り返して言っている。言わざるを得ないほど、彼ら、andropとヒトリエは私にとって革命を起こしてくれたバンドだ。
好きの持続は難しいと、そう思っていた。今まで好きだったものは、長くて2年ほどで離れてしまうことが多く、学校では部活に好きで打ち込んではいたものの、中高で違う部活に入るほどには飽きっぽい性格だった。
それがどうだ、なんだこれは。andropも、ヒトリエも、2年どころじゃなく、こんなにずっと好きじゃないか。
泣くほど好き、が最初から今まで続いている。良いことでも、嫌なことでも、感情が昂ぶって泣く。そんな情熱的な好きの持続は、革命だと。
それが絡み合ったあの日。2018年7月8日。今思い出しただけでも、愛おしくて、涙が出てくる日。
自己満で、しつこくて、こんなに言う必要ないよ、もう分かってるよって言われそうなんだけど、それでも、毎月8日には想って、言いたいな、と思う。
忘れていく。薄れていく。でも、あの日目に焼き付けたステージを、想いを、少しでも言葉で残しておきたい。
内澤さんの「また、音楽で会いましょう」
wowakaさんの「生きて、また会いましょう」
それを今日も、明日も、これからも。ずっと私の指針にして生きていきます。
今日はandrop甲府。節目の日にまたandropを見れるのが嬉しいな。ヒトリエは次、いつ見れるだろうか。
いつかまた、彼らの運命が絡み合った日、私もその場にいれることを願う。もう一度対バンしてくれって、そんなに騒ぐほど思っていないけど、もしそん���ことがまたあったら。その時は。
「突き出したその指の ずっとその先に君だけの意味を 見つけるように 掴めるように ほら光は揺れてる」
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穏やかな好きとは
唐突に思い出すんだよね、7/8を。いつまで縛られているんだろうって思うけど、何度でも立ち止まって思い返してしまう。長い期間だなあと思っていたnexUsツアーももう後半戦、びっくりするよね。早いもんだな。あの日から、2ヶ月、いやもう3ヶ月になるのか。
2016後半から2018の3月まで、異常にヒトリエに固執していた私は2018/7/8に突然区切りをつけていなくなってしまったように思う。びっくりしている。いろいろやりくりして2017年はは20本行って、最前率は65%。キモいかよ。でも「なんとかして前で見たい」と思ってしまうくらいにヒトリエに魅せられていた。
2018年4月、アンノウンツアー海外公演があった。追加公演で海外するんだ、まあ海外の人用だし行かなくてもいいかと思ってスルーしてた。まあ本音を言うと、ファイナルを海外でやるんかいみたいな気持ちがあってなかったことにしてた。
セットリストが変わった。それはもう、「日本公演何個回っても見れない」ようなセトリだった。最後に、カラノワレモノがあった。
あの時、カラノワレモノ最後にやったんだって知った時、家にいた私は思わずぼろぼろ泣いたんだよな。だって「ヒトリエの始まりの曲」で、「私がヒトリエを見たいと思ったきっかけの曲」だったから。よりにもよって忘れとの対バン以来やってなかったし。
もうこの際仕方のないことだった、と思うしかないのかもしれない。これはヒトリエが日本人で、日本のバンドであると思っていて、日本人が応援していたからこそここまで来たと思っている人間のエゴだから。分かってるよそんなこと。エゴだなんて分かってんだよ。それでも嫌なもんは嫌だよ。なんで、なんでそんな風にするんだ。1番お金を落としていたのは私たちだぞって、海外の人たちも好きだろうけど、それでもって、思っちゃったんだよ。
そこから一定の期間ヒトリエに対して冷めた期間が続く。レゴは見たいけどヒトリエ見たくなくて悩んだ5/13、結局行ってリハでカラノワレモノを、幕の前でやられて思わず「こんなとこで聴きたかったんじゃない」って叫んでしまった。聞こえてたら本当に申し訳ないけど、心からそう思ったんだ。
でも本編のライブ見て、絶対的→アンノウン→Lovelessときて、リーダーが目の前に来た時「この人たちを信じたいなあ」って思ってしまって、泣けて前が見えなかった。やっぱりどうしても好きだった。信じたかった。
そして5/28に、対バンが発表される。ずっと心待ちにしていて、何年やってくれと叫んでいたのか分からないくらいには待っていたものだった。この時に私は思ったんだ。
「ここで区切りにしよう、ヒトリエに固執するのはやめよう」
と。まあ勝手な話すぎる。でも思ったんだ。良いタイミングだなって。たくさんたくさん嬉し涙を流した後、こう思ったよ。
その後、ヒトリエを見ない日々が続く。結局5/13から見ていない状態で、7/8を迎えたなあ。夜行バスで目覚めた時はふわふわとしていたのを覚えている。
そしてライブの日、andropがフユノをカバーしてくれた。andropがヒトリエの話をした。andropのセトリがちょっと想像を超えていた。最高に高まった状態で、ヒトリエが始まったのを覚えている。でも、「これで最後だ」という覚悟だけはしっかりと胸に持って。
ライブが始まってからはいつも通りあっという間で、やっぱり1番1番かっこいいと思ってしまうシーンの連続で、やっぱり好きだなあ、どうしようもなく好きですと、思う事ばかりだった。
本編最後。リトルクライベイビーが入る、私は1Bからずっと号泣してしまって。2016のnexUs vol.2で初めて聴いたあの日からずっと好きな曲で、何度も何度もライブで見た曲で。前を向けなくなるくらい、たくさん泣いた。大好きだと思った。
アンコール待っている時はずっと泣いていた、覚えていない、自分の嗚咽しか聞こえなくて、アンコールなんて呼べなくて、「この日が終わらないで欲しい」と願ってしまっていた。区切りをつけると言ったのに、終わらないで欲しいと。
アンコールの曲はたった一曲、でも、本当に、ここでカラノワレモノかあ、もうなんか、区切りをつけるべきなんだなと思えるような、
泣きすぎて覚えていない。もう、もう全部が最後だと思いながら、ここからの景色はもう見れないんだと思いながら、耳には焼き付けた。泣きすぎて目に焼き付けられなくてごめんなさい。
終わった後崩れ落ちてしまって。しばらくそのまま泣いていたけど、会場の外になんとか出たら最高の気分になれた。andropと、ヒトリエが格好良かった。ただ、それだけだった。
今、とても穏やかな好きになれているとは思う。まえほどヒトリエのことで思いつめたり、していないと思う。正しいファンの距離感になれたんだろうか。
変わらずライブは行く。区切りをつけたのは、「自分の異常な好き」にだ。重たくならない程度の、好きすぎて押し潰されない程度の、穏やかで優しい好きになれている今がすごく楽だ。
11月には中国でワンマンツアーらしいけど、もう思い詰めることもない。まあエスケープ見たかったけど。普通に。でも元気に帰って来て、日本でもワンマンやってくれればいいなあって、今はそれだけ。
ずっとずっと、こういう好きでありたい。でもね、穏やかになったからってヒトリエへの愛が減ったわけじゃないんだよ、形が変わっただけで、ヒトリエのことは大好きです。今年はもう見ないかもしれないけど、数ヶ月後、また格好良く、そして強くなったヒトリエを見るのが今は楽しみです。大好きです。これからも、ずっと。
『此処は、何処にでも繋がる、そうだ』
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盲目信者
タイトル通りに、andropが好きだ。 基本的にあーだこーだと運営やらに文句を言ってしまうタイプのめんどくさいオタクなんだけど、andropに関して思ったことがない。文句がない。全てが、ただ好きだ。 一番ひどかった時はblueツアー直後、あのアルバム曲で終わるアンコールのないライブの後、軽く鬱になって「内澤さんに許されたい」とか言っていたのすごく覚えてる。許されたかった。ただ。 いや今も思っているんだけど。笑 内澤さんに許されたい、あの人から紡がれる音楽に包まれたい、できればそのまま死にたいと。そう思うくらいに一生聴いていきたい音楽、そうそうない。 andropのメンバー全員が好きだし、あの人たちが仲良いのが羨ましくて微笑ましいし、andropがandropである限り、私は多分生きていける。andropは神様であり、生命線。 他のバンドで嫌なことがあってそのバンドを聴きたくなくなっている時にいつも隣にあるのはandropなんだよ。でも依存しすぎていて、andropがなくなったらどうなっちゃうんだろうね。死んじゃうな。 この前の千葉、最高だった。7/8ぶりのandrop、本当に全てが、好きだった。たまらなかった。昨日の福島郡山も最高だったみたいで、7/8にやった曲たちもあり、ずっとずっと聞きたかったQ.E.D.を数年ぶりにやったらしい。どこかでまたきっとやってくれることを期待するだけでずっとずっと生きていこうと思える。まあまあ死にたい毎日だけど、頑張ろうと思う。 忘れで思ったんだけど、私は現体制の、好きになった時のバンドの状態じゃないと受け入れられないぽい。andropには居ないけど、推しとかいるよ、でも推しだけが好きなんじゃなくて、もっと言えば「そのバンドでやっている推し」が好きだから、バンドに拘りが強いんだよ。だから脱退でさえされたら聞けなくなっちゃいそうだから、andropは、andropだけは、ずっとそのままでいて欲しい。 これから先、就職して、誰かと付き合って、別れて、また誰かと付き合って、結婚したり、子供ができたりするかもしれない、その隣にあるのはandropの音楽がいいなと思う。andropの音楽であってほしい。もっともっとandropが見たいなあ。 消えないでね、解散も脱退も嫌だ、ずっとずっと、4人で音楽を紡いでくれれば、それだけで私は生きていけるから。 『君以外じゃやだよ ずっと君と居させてよ』
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オタクやめたい
自発的に、久しぶりに、忘れを聴いている。5/1とかは聴いてたけど、それはもう『最後だから』っていうのが多すぎた。別に、聴きたいわけじゃなかった。できればあの時は終わるのが怖くて聴きたくなかったし。 で、今。久しぶり。シャッフルにしたら喝采が流れてる。個人的に思い入れのキツすぎるレゴとのツレ伝(確か)とかで聴いたなあとか思ってすごい懐かしい。去年の今頃、飛行機のチケット取ってた気がする。 殴り書きだし、今急に聴きたくなったのなんて、「私が2016から2018の5月まで大好きだった忘れらんねえよ」が愛しくてしゃあなくなったから。いつもTwitterで書くほど丁寧に書かずに、今思ってることを前好きだった忘れを感じながらぶちまけたいなあって。 正直、今の忘れの形態を受け入れられない。いやもう見に行かない、心の整理がつくまでって勝手に言って勝手に離れて何言ってんだって話なんだけど、遠目から見てても嫌すぎる。ていうか普通に梅津さん以外のベーシストが入って忘れが奏でられてること自体受け入れられない。こんなに嫌だとは思ってなかった。 めちゃくちゃ個人的になるけど、忘れが好きになるだいぶ前からヒトリエのことが好きだった。で、イガラシさんのことも多分その辺のファンよりは知ってると思う。関係ないけど。でもそのイガラシさんでさえ、忘れで弾いてること自体が嫌で。だってそこは梅津さんの席じゃん、場所じゃんって思うの。 そもそも忘れが一人で進むって決めた時点でこの事態は目に見えていたわけで、それを私が勝手に背けてただけなんだけど。でも嫌でしょ。目の当たりにしたら。私が忘れのこと初めて見たの、2016のロッキンでヒトリエの直後に隣のステージ走って見に行った時だぞ。後ろからだったけど、今でも柴田さんと梅津さんがスクリーンに映し出されて歌ってるの、覚えてるからね。初めて忘れらんねえよって手を振ったのも忘れてないもん。そんな、ロッキンで、2年後には梅津さんがそこにいなくて、イガラシさんがベース弾いてるなんて夢にも思わないよ。 個人的な思い入れが強いからヒトリエ、もといイガラシさんのことを引き合いに出してしまうけど私はプリティさんが弾いてることも嫌だし、誰が弾こうと嫌だ嫌だって嘆くよ。だってそこは梅津さんじゃないと嫌なんだもん。今流れてる曲に入ってるコーラス聴いて、梅津さんのがむしゃらな声が聴きたいなあ、あの柴田さんのめちゃくちゃなMCなだめてるゆったりとした声が聴きたいなあなんて思うわけ。 3ヶ月経って、何だかんだ思い出にはできて、ライブで使ってたものとか全部押入れに入れて、そうやって噛み砕けたみたいで聴くのは思ったよりも大丈夫。ありがたいのか何なのか、まだ思い入れの曲がシャッフルで流れてこないのもあるのかなあ。 好きだったんだよ、忘れらんねえよが。2人の、2人ぼっちの。で、マシータさんが後ろから笑ってて、ヒロキさんがニヤニヤしてて。そんな忘れらんねえよが私の好きな忘れの全てだし、��れ以上のものはないなあって。 いつかまたなんて、絶対ないんだけど。でも、でも、今の状態じゃ一生見れそうもないから、いつか、あの2人の、また4人の、忘れが見たいなあって思っちゃうなあ。ここで夜間飛行流れてきたからもうやめたい。iPodよ止まれ。 柴田さんが一人でがむしゃらに、なんとか頑張ってるのもすごくわかってるつもりなんだけどな。大変精神状態が悪すぎてフォロー外してしまったし。ていうかこんなめんどくさいオタクで本当土下座したいし。でも私はやっぱり2人の忘れが見たいなあ。わがまましかないけどね。 あと死ぬほど腹たっちゃうのは忘れを対して知らない、ヒトリエもといイガラシさんしか知らない人が忘れを見ることが異常に許せないんだよね。心狭すぎるだろって話なんだけど。でもこれ今回に関わらず、サポート目当てってことは「そのバンドには」大して興味がないんでしょ。すごくすごく不誠実だと思ってしまって私は絶対できない。例え「推し」なのかもしれないけど、私はやりたくない。これは私怨だけど昔サポートの現場にその推しのいるバンドのTシャツ着てってる女には吐き気がした。関係ないもんは持ち込むんじゃねえよ。 ああ〜俺の中のドラゴン、何だかんだライブハウスで聴けたのは最後の最後だけだったの皮肉すぎる。こんなに好きなのに。このベースが大好きだったんだけど。今は違う人が弾いてんのか。切ないな。私の中で実質解散したようなもんなんだな、やっぱり。 めんどくせ〜〜オタクなのは重々承知だし、知ってるから言わないでほしい。何で書いたん?って聞かれたら「同じように思ってる人いないかな」って言う1つの気持ちだけだから。 2018、このように忘れは(私の中で勝手に)解散するし、好きなバンドのベーシストは亡くなってしまうし、なんて年なんだバーカって思ってたわけなんですけど、andropのホールツアーは最高だったしなによりヒトリエとandropが対バンしてしまったのでまあこういうもんなんだろうなあと思って生きてます。趣味に生きて生かされてるのでいつやめられんのかなあって思ってます。これからもここに備忘録を落とし続けます。読んだ人多分いないと思うけど、よろしくお願いします。オタクやめたい。せめてめんどくさいオタクを。
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